祝 クリスマス わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 (ルカ福音書2の10) |
2010年12月 598号 内容・もくじ
明けの明星・キリスト
キリストが誕生したとき、大いなる星が東の博士たちの上に輝き、彼らをはるかな遠い異国のユダヤの国のベツレヘムにまで導いた。
現在ちょうど、夜明けの頃には、目を見張るような強い輝きをもった明けの明星が輝いているのが見える。
夜の闇、みんなが眠っている間にすでに輝いている。闇に打ち勝つ光を見よ、と語りかけるように、そして天の大きなまなざしのようにじっとまばたくことなく光っている。
人間の力では闇に打ち勝つことができない。心の内なる闇、それはだれもが持っている。
この世の仕事、学問、スポーツ、あるいは芸術、実業、福祉等々いくらでもよいはたらきをしている人は昔も今もいると思われるのに、聖書を書いた人は、そうした表面的なはたらきや業績の奥にある人間の心の深い闇を見抜いていた。
それゆえに、最大の使徒パウロは、詩篇を引用して「正しい人はだれもいない。みんな迷っている。」と書いたし、「あなた方は自分の罪のために死んでいたのだ」と言ったのである。
(ローマの信徒への手紙3の10~12、エペソ書2の1)
そうした闇は人間の力では解決できない。それゆえに、人間を超えたところからの力が与えられる必要がある。光が必要なのである。
聖書はまさに光の書、力の書である。注意深く読むならば、随所に闇のなかの光、そしてそれに打ち勝つ力を記している。それはあの明けの明星のように、この世の闇のなかにあってじっと光り続けている。
イエスは暗く汚れた家畜小屋で生まれた。そのことは、いかなる闇であっても、また汚れたところであっても、そこにキリストの光は輝くことができるのだということ、そこに神の力が与えられるのだということを指し示している。
そして、聖書の最後に、闇に輝く明けの明星が、キリストを指し示すと言われているのも同様である。(黙示録22の16)
キリストを信じ、キリストの光を受け、キリストの霊に導かれるときには、私たちはどのような闇にあっても、光を見出し、その闇に打ち勝つ力が与えられる―そのことこそ、キリストが私たちのために生まれて下さった目的なのである。
主は待っていて下さる―私たちも待ち望む
聖書においては、二種類の「待つ」ということが記されている。
(1)主が私たちを待ってくださっている。
(2)私たちが主を待ち望む。
私たちが病気や困難のとき、「主を待ち望む」ということは、だれでもにあるし、今もそのような切実な心で待ち続けている方々も多い。苦しみにあえぐ時、「神様、助けてください。」と祈り、心の中で叫ぶ時、私たちは神を待っている。
それに対して、「主が待ってくださっている」ということを実感している人は少ないと言える。
しかし、神のお心を示した聖書においては、その最初のところから、神が待っていてくださるということが記されている。
聖書の最初の人間と神との関わりは、創世記2章から現れる。
神は最初に創造された人間(アダムとエバ)を食べるによく、見てもよいあらゆる良きものを備えた園に住まわせた。そして何でも自由にとって食べることができるが、ただ一つの木の実だけはたべてはいけないと言われた。
その神のいましめを守るのは容易なことだと思われる。水も食べ物もなく、飢えと渇きに苦しんでいる人ならば、近くにある水や食べ物を何としてでも食べよう、飲もうとするだろう。しかし、アダムとエバの置かれたエデンの園には、至るところによき木の実があり、水も豊かに流れていたのである。ただ一つの木の実を食べないですませることはなんでもない容易なことであったはずだ。
それにもかかわらず、エバは蛇の誘惑によって簡単に食べてはいけないという木の実を食べてしまい、夫のアダムにも勧め、彼もまたいとも簡単に神のいましめを破って食べてしまった。
そのようなアダムを見て、神はただちに厳しく叱責し、罰すると予想される。しかし、驚くことに、神はアダムに、いきなり叱りつけて厳しい罰を与える、というようなことはされなかった。
「どこにいるのか」
というのが、神の最初のひと言であった。
するとアダムは、自分が神の唯一のいましめを破った、大きな罪を犯したにもかかわらず、ごめんなさい、といった謝罪はひと言も口にしようとせず、「おそろしくなって隠れた」といった。
そのようなかたくなな心に対してもなお神は、次のように言われた。
「取って食べるなと命じた木の実から食べたのか。」
神は当然すべてを見抜いている万能の神であるから、アダムがどこにいるのかもちろん知っておられた。にもかかわらず繰り返しこのように問いかけたのである。そこには罪を犯したアダムが、立ち返って、自分の罪に気付き、神に赦しを乞うことを待とうとされる姿がある。
現代の一般の人々は、この神話のような記事とは何の関係もないと思っている人がおそらく圧倒的に多いであろう。
しかし、じつは現代の私たちもまさにこのような態度なのである。神のお心に背いたことをしていながら、自分がどこにいるのか、どれほど真理から遠いところにいるのかさえも考えようともしないで、逆に自分は正しいのだと言い張る心である。
神は人間の行うことに関してこのようにまず、問いかけておられる。どこにいるのか、人がともにいるべき神からどこまで離れてしまったのか、ということである。
このような神の問いかけは、さらに次の創世記の記事にもみられる。
アダムの子供たちは、カインとアベルであった。神はアベルの捧げ物には目を留めたが、カインのものを目を留めなかった。そのためにカインはアベルを妬み、なんとアベルの命を奪ってしまったというのである。
ずっと以前、初めてこの創世記を読んでいったとき、こんなにも簡単に兄弟の命を奪うようなことが聖書に記されているのを見て、なんというひどいことが書いてあるのか、と思った。そしてとても不可解であった。
しかし、実は、これが人間の世界の実態なのだと知らされていった。実際に殺すということはもちろんごく少数である。しかし、「憎むことは殺すことなのだ」(Ⅰヨハネ3の15)という厳しい霊的な基準に照らしてみるとき、少しひどいことをされたり言われたりすると相手を憎むとか怒りが生じるだろう。それはすなわち相手の存在をいらないと思うことであり、そのような心の方向は殺すことに通じる。
兄弟殺しという重い罪を犯したカインに対して、予想されるのは、ただちに厳しく罰せられるということである。しかしここでも全く意外なのは、神がまずカインに言った言葉は次のようであった。
…お前の弟アベルは、どこにいるのか。(創世記4の9)
ここでもアダムと同様、「どこにいるのか」という問いかけなのである。いうまでもなく神はすべてを見ておられたからアベルがどうなったのかは知り抜いていた。それでも、カインにこのように言われたのである。
まず神は罰するということをせずに、罪を犯した者が立ち返ってその罪を知り、神に赦しを乞い、神のもとに帰ってくることを願っておられたのを示している。
創世記には神話的な表現でありながら、そこに深い人間への洞察があり、神からの啓示が豊かに示されている。こうした記述がなされてから数千年経った現在においても、私たちに対して、犯した罪がただちに目に見えるかたちで罰せられるということはなく、やはり心の耳を澄ますならば、「あなたはどこにいるのか」と問いかけるみ声を聞くことができるであろう。
こうして神は、人間に対して今、どこにいるのか、すなわち神とともにいるのか、それとも背いて遠く離れているのかを問いかけるのである。
遠く離れていることを自覚し、それが大きな罪であることを知らされ、神から遠く離れてしまっていること、言い換えると滅びへと向かっているのに気付いたとき、人は初めて神に立ち返ろうとする。
神はそれを待っておられるのである。
このように、聖書は最初から、待ち続ける神という姿をアダムやカインたちに対する姿勢によって示している。
また、後になってイスラエルの人たちがエジプトで一つの民族となるほどにふえ広がってそれがエジプトによって苦しめられることになり、そこからモーセが神によって召しだされ、彼が人々を導き出す。
しかし、エジプトから神の約束の地(カナン―現在のパレスチナ)へは、五〇〇キロほどであり、1日に30キロほど移動するとすれば、20日もあったら到達する近距離である。だからこそ、イエスの誕生のとき、生まれたばかりのイエスをロバにのせて、ヨセフとマリアはエジプトまで逃げて行ったのであり、また帰る時がきたので、大した苦労もなく帰って来たことがうかがえる。
アブラハムやヤコブの子供たちもまた、飢饉のために食料がなくなったとき、エジプトまで行って、また帰って来ている記述があるように、短期間で往復できる距離だとわかる。
にもかかわらず、エジプトから脱出したイスラエルの人たちは、目的地のカナンに到着するまで何と40年もかかったと記されている。
この途方もない歳月、それはいったいどういう意味があったのか。そこには神はあえて遠回りさせることによって、困難な状況を経験させ、本当に神に従っていくことの重大性を悟らせるためであったと言えるだろう。そしてその長い歳月を神は人々が本当に神に聞き従うようになるように、待ち続けたということができる。
さらに後の時代になって、預言者が遣わされるようになった。しかし、神の言葉を受けた預言者たちであるのに、人々は耳を傾けようとせず、背き続け、ときには彼らを殺してしまうことさえあった。
主イエスはこうした状況を次のように言われた。
「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。
だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。
また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。
そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。(マタイ21の33~37)
このたとえで主人は、ぶどう園を作り、搾り場や垣も作り、見張りの塔など必要なものをすべて備えて農夫たちに貸した。そして収穫のときだから僕たちを農夫たちのところに送ったのに彼らは収穫を差し出すどころか僕をひどいめに遭わせ、殺すことさえした。それでも主人は罰することもせずに別の僕たちをさらに送ったがまたおなじようにひどい目に遭わせた。それでもなお、主人は農夫たちを罰することなく、さらに最も大切な自分の息子を送った…。
このような主人は常識では考えられないほどの寛容さを持った人である。だが人間というのは、これほど与えられた恵みを深く受け取ることのできない存在なのである。アダムもせっかくあらゆるよいものを備えてもらっていたのに、与えられたことに感謝することなく、かえって神に背き、それを指摘されてもなお、罪を認めようとしなかった。
このイエスのたとえも似たところがある。あらゆる必要なものを備えてもらっていながら、感謝するどころか、主人に対して敵対していく。
人間とはこうした不可解な罪深い存在だと言おうとしているのがうかがえる。
そして、神はそのような罪深い人間であってもその人間を待ち続けている存在であるということも表されている。
神の忍耐、私たちの悔い改めを待ち続けるその忍耐は、途方もないほどのものである。
旧約聖書にさまざまの預言書がある。そこには神が遣わされた預言者の言葉が記されている。その預言者たちこそ、主イエスのたとえの神が遣わした僕にほかならない。
預言書を読むときには、こうした主イエスのたとえにある神の忍耐と、待ち続けておられる神の愛を感じ取る必要があるのだと知らされるのである。
また、そうした神の待ち続ける姿は、次のような箇所からも知ることができる。
… 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。(イザヤ書53章より)
罪なきにもかかわらず、一人、周囲の人々のあざけりや見下す言葉を受け、鞭打たれ、しかも黙って死に至るまで耐えていくこと、それは自らの命をかけて悪しき人の悔い改めを待ち続ける姿である。
人々の犯した罪を身代わりに受けて、その苦しみをも甘んじて受ける、何一つ反論もしないで担っていくこと、そこにはかつてだれも知らなかったほどの深い心、待ち続ける心がある。
人々が自分たちの誤りに気付いて立ち返ることを待つ。神の力が働いて彼らが自分たちの重い罪に気付いて立ち返ることを待つ神の心がある。
愛とは、待つ心である。祈る心もまた待ち続ける心である。
最大の使徒であったパウロにおいても、彼はキリストの真理に背を向けて、キリスト者を迫害する指導者であった。キリスト者を迫害し、殺すことまで考えてキリスト者たちをとらえてエルサレムに連行しようと国外にまで出かけて行った。
そのようなさなかに、突然上よりの光が臨んだ。まさに闇のなかに光が突然射してきたのである。キリストの真理に対しては全くわからず、闇にあったパウロであったが、そこに光あれ!とのご意志があるときには、たちまちその光が迫害のリーダーの心の奥深くに射し込んだ。
その時語りかけたのは、復活したキリストであった。そして次のように語りかけた。
…サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか。(使徒9の4)
ここでも、復活のキリストはいきなり叱責したり、罰するのでなく、問いかけたのであった。
そしてその問いかけによって、パウロは闇のなかにキリストの光を見出したのであった。
新約聖書においては、よりはっきりと待って下さっている神、あるいはキリストのことが記されている。
主イエスは、疲れた者、弱った者に向かって「私のところに来なさい。(待っているのだよ)」と言われた。
ここでは愛のお方である生きたイエス様が私たちを待ってくださると言われている。
人は行動の上でも、また心の中でも罪を犯すものである。
神は、そうした私たちを見捨てないで、私たちが罪を悔い改めて、神の許に立ち帰るのを待っていてくださる。(ルカ伝の放蕩息子のたとえ話。)人間はなかなか待てないが、この放蕩息子の父親(すべての人の父なる神さま)は、息子が帰ってくるのを愛と忍耐をもって待ち続けた。
十字架のイエス、それはまた私たちを待ち続けて下さっている主の愛をも意味している。次の賛美はそのことを歌ったものである。
イエスは罪に苦しむ 汝が身を
今呼ぶ
重き荷をば降ろして 安き得よや」と
イエスはなおも忍びて 汝が身を待つなり
来たれ罪と汚れの 有らば有るまま
「帰れや 帰れや 帰れや」と主は今呼びたもう (新聖歌一七六番)
天で主は待ってくださっている。ならば、たった一人で死んでもいいのだ。と、強く思わされる。お金持ちの食卓から落ちる物を食べていたまったくの孤独な乞食であったラザロは死と共に天に迎えられた。
待ってくれる人がいるということは、人間にとって幸いな、また大切なことである。
夜、仕事から帰ってだれも家で待っている人がいなくて、真っ暗な室内に入るのと、誰かが待っていてくれて「お帰りなさい」と声をかけてくれるのとでは大きな違いがある。だれも待ってくれていないその寂しさをまぎらわすために、ペットを飼ったり、また最近ではものを言うロボットを置こうとする人も増えている。
そうした毎日の生活における場面の延長上に死後の世界がある。私たちの死後、愛をもって待っていてくれるお方がいるどころか、裁きをしようと待っている者がいるなどと考えるときには、老年となって死が近づいてくるときに魂の平安は決してないであろう。
キリストを信じるときには、愛に満ちたキリストが私たちを迎えて、主と同じ栄光の姿にしようと待っていて下さるという。これこそ、最終的な希望であり喜びである。
「主を待ち望む」ということは、聖書に一貫して言われていることである。メシアの到来を啓示されたイザヤの時から七百年待ち続け、イエスが来られた。
そしてそのイエスというお方は、さきに引用したイザヤ書53章にすでに預言されているように、いかなる侮辱をも黙って受け、死に至るまでその苦しみを耐えて、人々が神のもとに立ち帰るのを待ち続けた神の愛そのもののお方であった。
主がふたたび来たりて、万物を新たにされるという再臨のとき、それがどのようなかたちで来るのかは、私たちには理解できない。復活のすがた、私たちが主の栄光とおなじように変えられるといっても、どのような姿か、それはほのかに思い描くしかできない。
同様に、この再臨というその後の新しい天と地とは、黙示録にあるように、太陽も月もなく、ただ神とキリストが輝くというそのような状況はただ漠然と思い描くのみである。
しかし、私たちが新しい栄光の姿に変えられる復活が確実にあるように、この世界、宇宙が新しい天と地に変えられる再臨もまた確実にある。
主の再臨が遅い、という気持ちは初代のキリスト者からすでにあった。
…ある人たちは、(主が再び来られることが)遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。
そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(Ⅱペテロ3の9)
その再臨ということは、私たちが最終的に待ち望むことである。黙示録の最後にあるように、再臨の主を待ち望む信徒たちの祈りに答えて、主は言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」(黙示録22の20)
神ご自身はどこまでも私たちを待って下さるお方であるが、私たちもまた、主を待ち望む希望は最後の時まで続く。
造り上げる力をもつ言葉
人間と動物を分ける決定的な違いの一つは、言葉である。高等な動物と思われているサルや、犬、馬たちも、キーキーとか、ワンワン、ウーッ、ヒヒーンといったきわめて単純な発声しかもっていない。それに比べて人間は、きわめて複雑な言葉を生み出し、それを自由自在に使っている。
ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語、サンスクリット語といった古代から使われていた言語は、驚くほど多様な変化をする。英語では、過去形では -ed、三人称単数では s、進行形では ing といったわずかしか変化しない。
ギリシャ語を初めて学び出したころ、一つの動詞が、二百通り以上にも変化すると知って、驚いたものである。(*)
(*)ギリシャ語では、動詞は直接法、接続法、命令法などに分かれて変化する。直接法では、現在形の他、過去形にも現在完了、不定過去、未完了過去、過去完了等々、さまざまのかたちがあるし、それらがまた人称や単数、複数などによって複雑な変化をする。分詞にしても英語なら現在分詞と過去分詞しかないが、ギリシャ語では、現在形の能動分詞だけでも24通りも変化する。さらに、アオリスト、現在完了の形にまたそのように24通り、さらに、受動態・中動態でも同じように変化する…等々、実に多様な変化をする。
そのような複雑極まりない文法がいかにして形成されたのか、まったく謎である。だれがいったいそのような複雑な文法を作ったのか、ひとりでにできたのか、そして古代のある時期をすぎるとそうした複雑な文法は、より単純化されていく。
日本でも同様である。平安時代の複雑な、それゆえに微妙な意味の違いをも表現できる言葉は、時代があとになるほど、単純化されていく傾向がみられる。例えば、「あはれ」という古語は、さまざまの意味をもっているが、現代語では、かわいそうだ、といった単純な意味になってしまっている。(*)
(*)あわれ(アハレ・憐れ、哀れ)という言葉は、国語辞典によれば、「ものに対して感じるしみじみとした趣。もの悲しさを伴った情趣・風情ふぜい。ものの哀れ。また、しみじみともの悲しく思うさま。」などの意味をもち、対象が美的な感動を誘うものとみなして言われる。
こうした言葉の変化は何を意味するのか、しばしば考えさせられる。複雑で微妙な意味をあらわすために、言葉はきわめて多様な変化をする。それが歴史の流れとともにだんだん単純化されていった。
最も複雑で精密な内容を持っていた時期は、古代にある。しかし、そのような複雑多様な言語がこの世に生まれたころには最初からそのような複雑な変化形を持つ言語であったとは考えられない。
もし最初から現在のような複雑なままの言葉であったとすると、天から降ってきたようにいきなり複雑極まりない文法を持つ言語が人間に与えられたという不思議なことになる。
とすれば、こうしたギリシャ語やヘブル語などの言語の誕生はより単純な形であってそこから次第に複雑精緻な言語となり、それがやがて単純化していったのではないかと考えられる。
豊かな内容を持つ言語が単純化していく、それは何を意味しているのであろうか。かつて言語が、複雑多様に分かれたのは、神への背信、人間のたかぶりへの裁きのゆえだと記されている。
(創世記11の1~7)
言語は、ふたたび単純化される傾向にあるが、その最終的な方向は、一つの言葉になるということであろう。福音が伝えられることによって世界の人たちが真理を知り、神の愛に目覚める。
一つの言葉とは、愛の言葉である。私たちがキリストの愛を内に宿すときには、その愛から出る言葉が生まれるだろう。そしてそのときこそ、最も単純な言葉となり、万人が通じる言葉となるであろう。
言語が重要なはたらきを持つということは、福音書のなかでも暗示されている。
主イエスが十字架で処刑されたとき、総督ピラトはわざわざ三つの言語でその罪状書きを書かせた。
…彼らはイエスを十字架につけた。…
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
(ヨハネ19の18~20)
このように、特に重要な三つの言語で書かれたことが記されている。
この三つの言語はたしかに世界史で最も重要なはたらきをしてきたと言える。
ヘブル語は旧約聖書の言語であって、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教をも生み出すことになり、全世界にその影響を今も及ぼしているという点で、比類なき重要性を持ってきた言語と言える。
また、ギリシャ語はホメロスの詩、ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの哲学の言語であるだけでも世界にその大きな影響を与えてきたが、さらに旧約聖書のギリシャ語訳、そして新約聖書の原語ともなったゆえに、全世界に決定的な影響を及ぼしてきた。
また、ラテン語は、長く中世ではラテン語の聖書が標準的に使用されてきたという点では大きな影響をやはり持ってきたといえるし、ラテン語から派生したフランス語、イタリア語、ルーマニア語など、さらに今日の中央アメリカ、ラテンアメリカ(南アメリカ)では、その名のようにラテン語から派生したスペイン語やポルトガル語が言語となっているという点でもその影響は大きい。
このように、この三つの言語は、世界の歴史においてほかの原語、例えば中国語やロシア語、ヒンズー語や日本語、あるいは他の様々な言語などと比べても圧倒的な影響力の差がある。
イエスこそが王である、本当の支配者であるということがこのように世界歴史で最も重要なはたらきをしてきた言語で伝えられるのだということが、ヨハネ福音書では総督ピラトの行為によって本人が知らない内に、その影響の大きさを預言することになっていたのである。
さまざまの言葉を用いて、キリストの真理は伝えられる。このことは、十字架のイエスの処刑された罪状書きによっても預言されるという驚くべき神の御計画がこのようなことによっても示されている。
使徒言行録において、聖霊が歴史上で初めて驚くべき豊かさで使徒たちやキリストを信じる人たちに注がれた。それによって、人々はさまざまの言語で福音を語り始めたという。
このことは、後になって次々とさまざまの言語で聖書が翻訳され、実際にきわめて多様な言語で福音が語られていくようになることの預言でもあった。
キリストの十字架の罪状書で書かれたヘブル語、ギリシャ語、ラテン語が世界の言語で伝えられるということの預言ともなったように、使徒言行録の最初に聖霊が注がれたこともまた、多様な言語が福音伝達に用いられることの預言的出来事となった。
このように、言葉は福音伝道にきわめて重要であった。
江戸時代の末期(一八五九年)から、アメリカから宣教師が少しずつ命がけで日本に渡ってきた。彼らがまず手がけたことは、ことばを理解することであった。
とくにその中で日本語から英語への和英辞書を手がけ、七年七カ月もかかって完成したのが、ヘボンであった。ヘボンは眼科医として医療をしながらキリスト教伝道を秘かに行うという目的で遠くアメリカから危険な船旅をして来日した。
そのようにして日本語を習得した目的は、聖書の日本語訳である。そして五年半をかけて一八八〇年に新約聖書の日本語訳が完成した。その中心的役割を果たしたのがヘボンであって、彼が四福音書、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙、ヘブル書、テサロニケ書などを訳している。
このようにして、現在日本で広く行き渡っている新約聖書の最初の翻訳が完成された。その後七年あまりの歳月をかけて旧約聖書の日本語訳も完成した。(一八八七年)
こうした先人の大変な労苦によって完成した日本語訳聖書がその後どれほど多くの魂の救いに用いられたことであろう。
またその聖書が、日本の思想や、音楽、文学、あるいは教育、福祉、政治などにきわめて大きな影響を与えていくことになった。
そうした出発点に、日本語への聖書の翻訳という「ことば」への深い取り組みがあったのである。
福音伝道と言葉の重要性は、すでに使徒言行録において、聖霊の最初のはたらきとして記されている。
…一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
「…どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
わたしたちの中には、パルティア、メディアなどからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、…、エジプト、リビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 (使徒言行録二の4~11より)
使徒言行録において、このように、神の偉大なはたらきがさまざまの言葉で告げられたとあるが、それは二千年を経て、ようやく日本においても実現し、日本語で神の言葉が語られるようになった。(*)
(*)それより以前、一五四九年に来日したザビエルは日本語訳の聖書の一部(マタイ福音書)を持ってきていたと推測されている。それは、やじろう(弥次郎、アンジロウとも)によって訳されたと言われている。ヤジロウは、日本人最初のキリシタンとされ、マラッカ(マレー半島南西部の海岸にある都市)でザビエルと出会って、キリスト者となったという。しかし、それは残っていないし、キリシタン時代に訳された可能性のある部分訳なども存在していない。
このように、キリストの真理が伝えられていく過程で、言葉の重要性は大地の下を流れる地下水のように目立たないが非常に重要なものである。
そしてこうしたさまざまの言語で翻訳されていくのは、それが神の言葉であるからだ。
どんなに言葉の壁があって困難であっても、真理の言葉、神の言葉はそうした壁を乗り越えていく。
聖書の最初に、闇のなかに光あれ!という神の言葉によって実際に光があったと記されているがそれはさまざまのことを預言し、また象徴していると言えよう。
神の言葉は、まったく通じない言語という大きな壁をも乗り越えて真理をはばむ闇の世界に光として伝わっていったからである。
このように、神の言葉は実際にさまざまの言語をとおして伝わっていったが、他方では、こうした言語なしに伝わっていくのだということを啓示されていた人もあった。
…天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。(詩篇19篇より)
この詩にあるように、とくに神の霊を受けたこの作者は、天体や大空などによってとくに神の真理を開かれ、そこに神の言葉のはたらきを実感していた。
作者は、人間の耳に聞こえるような言葉とは別に、神の言葉が伝わっていくということを霊的に知らされ、そのことを実感していたのがこの詩からうかがえる。
彼は、天の星々、大空の青い広がり、真っ白く浮かぶ雲、目には見えないが強い力を発揮する風々、それらは、人間の使う言語とはまったくことなる言葉、耳には聞こえないことばをもって神の真理を伝えているのだと知らされ、しかもそれは特定の人や地域でなく、全世界にむかって伝わっているということを啓示されたのである。
神の言葉は、たしかに世界に向かって送り続けられている。
神の言葉は、どんな所にもただちに送られていく。自然界のさまざまの変化、現象は、神の言葉が、世界のどこであってもただちに働くということなのである。
次の詩は、そうした神の言葉が自然のさまざまの動きや変化の原動力となっているという実感が表されている。
主はその言葉を地に送られる。御言葉は速やかに走る。
主は、羊の毛のような雪を降らせ、灰のような霜をまき散らされる。
主は、雹(ひょう)を小石のように投げられる。
御言葉を送られると、それは溶ける。
主が風を吹かせると、水は流れる。(詩篇147の15~18より)
このように、聖書においては、神の言葉というものは実にさまざまのはたらきをするものとして現れる。私たちが生きているのも、歴史の動きも、自然のさまざまの動きも、生成も一切は神の言葉のはたらきなのである。
私たちはそうした神の言葉を知らされ、その神の言葉がすべて込められた存在としてキリストを知らされている。そしてそのキリストが私たちの内にまで来てくださって、住んで下さる。
そしてさきほどあげた詩篇19篇の言葉のように、世界に音もなく神の言葉は伝わり続けている。
それは聖霊の風が吹き続けているゆえである。
そのような神の言葉の大いなる力の一端を与えられたのが、キリスト者だと言えよう。
それゆえに、キリスト者が持つことのできる最上の言葉とは、造り上げるはたらきをする言葉、その力を持った言葉である。
それは、聖書の最初から告げられている。光あれ!という言葉によって実際に闇に光が生じた。
人間の言葉はいかにあるべきかがこの短い聖句のなかに込められている。
私たちの言葉は、しばしば闇を深めるものでしかない。しかし、私たちが動物と異なるきわめて変化のある言葉、無限の内容を持つことのできる言葉を与えられているのは、その言葉をもって、闇に光を与えるような言葉を出すことが期待されているからである。
聖書において、アブラハムがはっきりと聞き取った言葉、 「生まれ故郷を離れ、親族からも離れて、私が示す地に行け!」という神の言葉は、まさしく光なきこの世に生きていたアブラハムに対して、光がどこにあるかを示した言葉であった。
神の言葉に従うこと、それが闇のなかで光を見続けることなのである。
後にあらわれたモーセとかれに導かれた人々は、神の言葉に従ったゆえに、実際に未知の砂漠地帯を進むにあたって、ふつうなら滅んでしまうその荒野、死の闇の立ち込める中を、光を与えられて進むことができた。
そして、その神の言葉に背いたとき、滅んでいった。
闇に光をもたらす言葉、それは言い換えると神の愛をたたえた言葉だと言える。人間の心には自然のままでは神の愛を持っていないゆえに、どうしても他者に光をもたらすことはできない。
私たちの言葉は、造り上げるどころか、しばしば壊してしまう。相手のよき思いを壊し、また不要な言葉や、何らかの冷たい言葉、疑いの言葉などによって人間関係を壊してしまうこともよくある。黙っていれば壊れなかったものが、感情に動かされて言ってしまった言葉が取返しのつかないことになったりするほどである。
しかし、私たちも神の愛を受けるとき、闇のなかに光をもたらす言葉を持つことができる。
神の言葉は、常に造り上げる。それは最初から、闇のただなかに光を創造し、地球も含めた天体を創造し、さらにはさまざまの地上の動物、植物をも創造された。当然それは私たちをもよりよいものへと造り上げる力を持っている。
それゆえに、次のように言われている。
…だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。
この言葉は、あなたがたを造り上げ(*)、聖徒(キリスト者)とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。(使徒20の31~32)
そのよう力をもつ神の言葉であるゆえ、私たちが神の言葉を受けるときに、やはりその言葉がよく働くときには、その程度は小さくとも、造り上げるという力を持つことになる。
…悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。 (エペソ書4の29)
(*)造り上げると訳された原語(ギリシャ語)は、オイコドメオー oikodomeo であって、家(オイコス oikos)という言葉がもとにあり、「家を建て上げる」というのが原意。後に上げたエペソ書では、その名詞形 オイコドメー(建てあげること、建築)が使われている。
こうした造り上げる言葉、それは私たちが知識や経験を与えられ、教養を身につけてもなおそれはできない。そのようなものがあると、かえって、それをひそかに自慢したり、得意がり、それらを持たない人を心のうちで見下すということが生じることが多い。
それゆえに、さきにあげた聖書の言葉が語っているように、神の「恵みの言葉」を受けるのでなかったらできないのである。
その神よりの恵みの言葉とは、キリストの言葉とも言える。キリストの言葉が私たちのうちに宿っているときには、私たちの言葉は造り上げるはたらきを持つことになる。
そしてキリストの言葉が留まっているということは、主ご自身が私たちのうちにおられるということであるから、私たちの望むことも主が望まれることと一つになる。
それゆえに、私たちの望むことはかなえられる。
…わたしの言葉があなた方のうちにいつも留まっているなら、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 (ヨハネ15の7)
私たちの願いがかなえられないのは、主イエスの言葉が留まっておらず、人間的なものが留まっているからだということになる。
主イエスの言葉が私たちの内にあり、キリストの霊が私たちのうちにいて下さるとき、私たちの言葉は初めて、愛にかなったものとなり、それによって万人が一つになる道へと通じていく。
そのときこそ、創世記のバベルの塔の記事にあるように、一度は言葉が数知れないほどに多く生まれて互いに思いが通じなくなったという事態から解放される。そして、初めて本当の一致、一つの言葉になる。それは、キリストの愛に結ばれた言葉だと言えよう。
キリストに導かれる者は、キリストの声を聞く。
(ヨハネ10の16)
そしてそこで聞き取られたその声(ことば)は私たちの心を通って他者へと響いていく。そしてキリストの愛が一つの群れを造り上げていく。
生きた風と、神の水の流れ―煉獄篇 第28歌(その2)
煉獄の最後の場所、それはあらゆる罪の汚れを清められ、ウェルギリウスに導かれてようやく到達した場所である。神曲においては南半球の、イスラエルの反対側の海にそびえる山というかたちで表されている。
その地上の楽園は、罪を犯す前のアダムとエバが住んでいたと記されているエデンの園が連想される。そこでは、聖なる森林があり、かぐわしい香りが大地からたちのぼり、花は咲き、小鳥のさえずりも聞こえてくるところであった。そこにはあらゆる汚れなきゆえに、万事が清い霊を伴うものとして受け取られるのであった。
そこに現れた小さな川の対岸を一人の女性(マチルダ)が歩いていた。彼女は、そこで清い笑顔を見せつつ歩いていた。それはマチルダは、ダンテの心を見抜いて言った。ここに初めてきたあなたにとっては不思議なこと、意外なことであろう、と。
マチルダのさわやかな笑顔に接して、ダンテを驚かしているのは、煉獄において、ダンテたちはみな苦痛にあえいでいる魂たちばかりと出会っていたゆえに、そして、そこではかつてのエデンの園のように、油断していると追放されかねないという固定観念があったからであろう。
そのようなダンテの疑問に応えて、マチルダは、次の聖書の箇所を示したのであった。
「主よ、あなたは私を喜ばせて下さる」(詩篇92の5)(*)
罪清められた魂は、主ご自身によって喜び楽しむことができる。目の前の小さな花々であってもほかのものであっても確かに、主が私たちの心を動かすとき、何もかもが喜びを感じさせるものとなる。
それゆえに、使徒パウロも、「すべてのことに感謝せよ、すべての時に喜べ」(Ⅰテサロニケ5の16~17)と教えたのであった。そのようなことはふつうはできないと思ってしまう。しかし、不可能なことを命じることは有り得ない。私たちが罪清められたとき、そして聖霊を豊かに受けたときには、おのずからこうした心になるのであるからこそ、パウロはそのような方向を指し示しているのである。
(*)この箇所の前後は次のようである。
…いかに楽しいことでしょう、主に感謝をささげることは、
いと高き神よ、御名をほめ歌い
朝ごとに、あなたの慈しみを、
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは…
主よ、あなたは御業を喜び祝わせてくださいます。
わたしは御手の業を喜び歌います。
主よ、御業はいかに大きく、
御計らいはいかに深いことでしょう。(詩篇92の2~6)
ダンテはこの地上楽園を歩んでいて一つの大きな疑問を抱いた。それは、煉獄の山では、地上世界にあるような雨風、雪など一切ふらず、風も吹かないと言われていたのに、なぜここでは、心地よい風があり、その風によって樹木が崇高な松風のような音を立てているのか、との疑問である。
それに答えてマチルダは次のように説明した。
たしかに、煉獄の門から上は、地上にみられる雨風、雪などはいっさいその影響が及ばない。しかし、ここでは地球をとりまく大気がそのまま東から西に動いているゆえに、樹木の葉もそれによって音をたてるのだという。
神曲においては、天国は、何層もの天があり、最高の天は第十の天で至高天、その下の第九の天が原動天という。その原動天が回転することによってほかの天体も回る。そしてそれにつれて空気も東から西に向かって動く。これが風となって樹木の葉にもあたり、妙なる音を生み出すのである。
この煉獄の山は、「生きた大気」(*)の中を高くそびえている。
(*)原語は、 l'aere vivo。 OXFORD大学出版局発行の訳注解書「PURGATORIO」(R.M.DURLING訳)では、 living air と訳されている。河出書房の平川訳は、「活性の空気」、中山昌樹訳は「生々たる空気」、生田長江訳は「霊活なる大気」などと訳している。
煉獄の山のいただきは、生きた大気の中にあるゆえに、それは地上楽園の樹木をして、うるわしい楽の音を生じさせる。それだけでなくそこにある樹木、植物たちの種は、その地球のまわりを回転する生きた空気の動きによって、地上にそのさまざまの種を蒔いていく。それゆえに、地上では思いがけないところに、植物が芽を出して育っていくのであると説明された。
このような説明は、現代の私たちにとって何の関係もないことに思われるかも知れない。
しかし、ここに込められた真理は、私たちにとってもさまざまの信仰にかかわる暗示を与えるものである。
天来の風によって、罪清められたものたちは、地上世界で罪の赦しを経験していない人たちには聞こえないさわやかに響く音を聞きとることができる。それは、聖霊の風がかなでる音ともいうべきものであろう。
また、さまざまのこの世の苦難、悲しみの雨風が降り注ぐけれども、神を固く信じ続ける者には、煉獄の山には地上の雨風が及ばないように、そうしたこの世の嵐が及ばない魂の奥の一点というべきものを与えられることもたしかなことである。そしてそのところで時には小さくなりつつも、光を感じることが与えられている。
そして、その聖なる霊の風によって私たちの精神の畑には、さまざまの天国の種というべきものが蒔かれ、芽を出していく。本来もっていなかった平安の種がまかれ、主の平安を与えられる。また他者のことなど思いやることのできなかった心にも、愛の種がまかれ、敵対するものに対しても憎しみをもってせず、祈りをもってするような心が芽生える。これはまさに聖なる霊の風によって魂に蒔かれた天の国の種だといえよう。
あるいは、弟子たちにも見られたが、何度もキリストを否定して逃げ去ったような心のなかに、いのちを捨ててでも福音を、復活の証しをしていこうという力が与えられる。これもまた御国の力の種が蒔かれたからである。
次いでダンテが疑問に思ったのは、煉獄の山の頂上であるにもかかわらず、清い川が流れているということであった。
雨もふらないのになぜ流れているのか。
これに答えてマチルダは次のように説明した。
これは、地上の川のように、雨風によって生じ、またそれらがないとたちまち渇いてしまうのでなく、永遠に渇くことのない、泉から湧いて出るのだと。
その源泉とは神であり、神ご自身がたえず新たな水を注ぎだすのである。
これは、聖書の最初の創世記の二章に記されていることをダンテは新たな啓示を受けてこのように記したのである。
…水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。(創世記2章より)
このエデンに流れていた川もまた神ご自身が流れを起こして、全世界へと流していたのである。聖書の記事はこのように書かれたはるか後の時代にまでさまざまの霊感を呼び起こし、あらたな詩作を生み出し、また行動を導くものともなっている。
主イエスご自身も、この創世記の記述がご自分の聖霊が注がれた魂の状況を暗示するものとして次のように言われている。
…私を信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。 (ヨハネ7の38)
ダンテの神曲という作品自体が、神から流れ出た一つの命に満ちた川なのである。
この川は二つあった。一つはエウノエ(*)、もう一つはレーテであった。
(*)エウノエ eu noe とは、造語であってeu はギリシャ語で「良い」という意味の接頭語、noe はギリシャ語の ノエーシス noesis から作られた言葉。ノエーシスとは、知性とか思考(intelligence、thought)と訳される。(Oxford Greek-English Lexikon)そして、この語から派生した哲学的にも重要な語に、ヌース(理性)がある。
また、レーテーとは、ギリシャ語の レートー letho(気付かずにいる、隠されている、忘れる意。後にはランタノー lanthano となる)に由来する言葉。
なお、この語は、否定の接頭辞が付くと アレーテイア a-letheia となる。それは、 隠されていない、忘れられないもの、という意味を持つ。それが、ギリシャ語で重要な、従って新約聖書でも特に大切な言葉である「真理」(アレーテイア)という語になっている。
たしかに真理は、どんなに人間が隠しておこう、封じ込めておこう、滅ぼしてしまおうとしても、決して隠されたまま、忘却されたままになることはない。いかなる歴史や時代の激動にも耐えて現れてくるものである。
一つのレーテという川の水を飲むと、いっさいの罪の記憶が消されるという。このようなことも神話的で何ら私たちの現代の生活や聖書の真理とはかかわりないと思う人が多い。
しかし、十字架による罪の赦しの福音を信じるということは、このレーテの川の水を飲むということに相当すると言えるのである。それを本当に飲むならば、私たちは過去のさまざまの罪がぬぐい去られたと実感するからである。
過去に犯してきた、そして現在も続いている罪がこあるかぎり、私たちの心に暗雲がひろがって消えない。そのため霊的な力もなく、前進する気持ちもなえてしまう。十字架のイエスによって罪赦されるということによって、そうした罪を犯してきたという後ろ向きの気持ちから解放される。
だが、十字架のイエスを知らないとき、信じようとしないときには、多くの現代人は酒や遊び、さまざまの娯楽などで無理やりにレーテの川の水を飲もうとして、一時的に自分の罪を忘れようとする。しかし、そのようなことをいくらしても決して罪の記憶を消し去ることはできない。
次いで、ダンテはもう一つの川を知らされる。それがエウノエであり、その川の水は、あらゆる良い行動を思い起こさせるはたらきを持つ。
私たちにとってよい行動として思いだせるようなことは何か。
パウロが指摘しているように、「正しい者は一人もいない。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3の10~12)ということ、そして主イエスご自身が語られたように「私のうちに留まっていないならば、あなた方は実を結ぶことはできない。わたしを離れてはあなた方は何もできない。」(ヨハネ15の4~5)という言葉を思い起こすならば、もし主イエスと結びついているのでなかったら、だれも思いだすべきよい行動など有り得ないということになる。
どんな人でも、キリストとかたく結びついていなかったら、どうしても自分のため、人から認めてもらうため、相手の関心をひくためといった不純なものが生じる。
一時的には純粋な心であっても相手が感謝などしなかったらたちまち不満や怒りとなるということは、すなわち自分へのお返しをひそかに期待してやっているということにほかならない。
それゆえ、私たちが思いだすよい行動は、主とともにあるとき、主が私たちの内にとどまってくださって、その内なる主がして下さったことを思いだすということになる。
そうであれば、それは自分のよい行動でなく、主がして下さったよきわざなのである。それを思い起こすときには感謝と喜び、そして賛美が自然にわいてくるであろう。
たしかに、このような意味として、このレーテの川の水とエウノエの川の水を飲むならば、私たちはダンテが書いているようなこの上なきよき味わいだと実感することができよう。そしてこれら二つの水を飲まないとよき効果はない。たしかに、罪の記憶を、罪それ自体をキリストによってあがなわれ、清められなかったら、キリストと結びつくことは有り得ない。
そして、これら二つのことは、現代の私たちにとっては、聖なる霊がなすはたらきだと言えるのである。
聖霊は、キリストご自身の霊であるゆえに、私たちを清める。そしてよき力の原動力となるゆえに、私たちの思い起こすときにもよきことのみを思い起こすであろう。主イエスが、「聖霊はあなた方にすべてのことを教え、私が話しておいたことをことごとく思い起こさせる。」(ヨハネ14の26)と言われたとおりである。
私たちのよき業とは、イエスが語られたみ言葉のとおりに行うことであり、聖霊の導きにしたがってなすわざであるゆえに、私たちの魂が思い起こすのはすべてキリストのはたらきを思い起こして賛美と感謝をささげるということになる。
そしてこのようになれたら、それはたしかにダンテが書いているように、「比類のない霊的なよき味わい」(133行)の日々だと言えるであろう。
詩の中から
わがために 水野源三
わがために
野菊が香り
わがために虫が鳴き
わがために
夕空が染まる
わがために
昨日も今日も
神様に
祈ってくれる
人々よ
・このような詩は、神の恵みを受けていなかったら、理解できないであろう。
偶然に生じていると思われるものが、一つ一つ愛の神が自分のためにしてくださっていることだと実感されてくる。無数の人がいて、神はその無数の人たちにそれぞれ愛を注いでおられるにもかかわらず、神様は私にさまざまのよきことをしてくださっているように感じられる。
神の愛とはそのようなものである。人の愛は、せまい。深くなるほどに特定のひとだけに注がれる。
しかし、神の愛は無限に広く深い。そして魂をうるおす。そのような愛はいっさいを無駄にはしないで一つ一つを生かしていく。
しかし、神の愛がまったく分からないときには、この逆の状態になることすらある。まわりのすべてが自分を冷たく見つめ、迫害するように見えてくる。
ガンの病を持つようになって、残りの命がわずかに迫ってきたとき、呼吸の一つ一つをも感謝できるようになったと言われた人がいる。呼吸の一つ一つ歩く一歩一歩、そして見るもの聞くものが一つ一つ神の愛の御手の奏でるものだと感じられるようになっていくのであろう。
それによって見るもの聞くもの、触れるものにいのちを感じるようになる。
無心に鳴く虫の音も、偶然に野に生えていると思われる野菊も、そして風も雲も、木々の一つ一つも…。
そこから、祈りをもって自分を覚えてくれる人たちの祈りが聞こえてくる。そしてその祈りのなかにも、神の愛がそこに働いているのを知る。
地上 伊丹 悦子
すこしの水
すこしのパン
すこしのことば
ほんのすこしでこと足りる
かみさま
あなたの愛があれば
A little bit of water
A little bit of bread
A little bit of words
A little bit suffices
God,
as long as we have your love. (「朝のいのり」美研インターナショナル刊)
明けの明星 貝出 久美子
金星の
星の光を吸い込むと
キリストが
心のなかに来てくださる
金星の
星の音色を聞くときに
キリストが
心の中に語ってくださる
(「ここに光が」詩文集第九集)
(*)水野源三 1937 - 1984 長野県生まれ。9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失った。以後40年ちかくもの間、話すことも書くことも出来なくなったが、母親が五十音順を指で指し示して言葉をつづるという方法で18歳のときからキリスト教信仰に基づく詩を作り始めた。そのため、「瞬きの詩人」と言われるようになった。
伊丹悦子、貝出久美子は、徳島聖書キリスト集会員。
九州、中国地方での集会・訪問
十一月十二日(金)から、一週間ほど、九州、中国地方の各地の集会や個人訪問の機会が与えられました。主の守りと導きのもと、各地の集会の方々、キリスト教独立伝道会、さらに徳島の私どものキリスト集会の方々の祈りと支援など多くの方々によって支えられた一週間でした。
最初は愛媛県南部の大洲市在住の冨永尚兄宅を訪問、信仰の問題など語り合うことができました。
その後、九州に伸びている佐田岬半島を通ってフェリーで大分に向かい、夜は大分市の梅木宅にて、初参加の視覚障がい者の二人の若い方も交えての集会でした。その内一人は、このようなキリスト教の集会は初めてとのこと、主がそうした機会を用いて下さって神様と主イエスを信じる心を与えられますようにと祈ったことです。
翌日(土)は、熊本に向かいましたが、いつもの河津宅での集会。今回のテーマは、「待っていて下さる主」ということで聖書からのメッセージを語らせていただきました。(今月号に掲載)
熊本のハンセン病(*)療養所からの参加者もあり、ほかに、いつも参加されていたけれども高齢となって参加が難しくなった人もありました。集会場所の河津さんご夫妻は全盲です。1年に一度ですがこのようにして神の言葉によって集められることの祝福を思いました。
(*)ハンセン病は、らい病と言われ、はるか古代からその病気の恐ろしさが伝えられてきた。病状の悪化とともに顔や手足も大きく変形し、また最悪の場合には失明、手足などの切断といったことも生じるため、さらに感染する病気であること、その上、以前には遺伝もすると間違って考えられていたこともあり、一度ハンセン病の患者が出るとその家族もみな非常な衝撃を受けた。そしてその病気となると、生涯離れで閉じ込められて生活せねばならないとか、遠くへ行ったとか言われてその存在を事実上抹殺されたようになり、その苦しさに耐えられず家を出て寺社の屋根の下や橋の下でなどで宿って放浪し乞食の生活をしながら朽ち果てていくという人たちも多く、恐ろしい運命が待っていた。
聖書においても、マタイ福音書で山上の教えが記されたあと、次に主イエスが実際に行われたことが書かれてあり、その最初に現れるのは、ハンセン病の患者に手を差し伸べられるイエスのことである。それはまったくの闇、絶望のなかに生きる人にその愛を注がれる主イエスの象徴的なすがたとして記されている。人間にはじつにさまざまの病気があり、全身のどこでも病気はあり、どの病気も深刻になると非常な苦痛をもたらすものである。
しかし、その数ある病気などの中から、とくにハンセン病や、全盲、ろうあ者、足の立たない人…といった人たちがあげられているのは、以前においては、その病気や障がいがとりわけひどい差別や深い苦しみを伴うものであったからだと言えよう。
今から百年あまり前に日本でもこの病気への対策が始められた。その当時は効果のはっきりした薬もなく、この病気を撲滅するという目的で強制隔離という非情な制度が作られていった。一九四三年にプロミンという薬が発表され、治る病気だということがはっきりされたが、その後も隔離というやり方は継続され、病人であるのに犯罪者のような扱いもされることがあり、そうしたまちがったやり方が廃止されるまでにさらに長い年月を要した。
盲導犬を連れておられる方がいつも参加されていますが、盲導犬は集会が行われている部屋の階下で、数時間にわたって、じっと待ち続けています。その忍耐強さと主人が帰るのをひたすら黙って動くこともせずに待ち続けるその忠実な態度に感心させられます。
今回の「いのちの水」誌に書いたことですが、主を「待ち続けること」、そして主に対する「忠実」ということは、このような動物からも教えられます。
なお、ハンセン病の療養所におられる方々の数は、高齢化のために次々と減少の一途をたどっています。入所されているキリスト者の方々が、信仰を守り、残された生涯を主からの豊かな恵みによってうるおされて過ごされますようにと願ったことです。
熊本から福岡に向かう途中で、夜になりましたが、「祈の友」の九州地区の世話人を長い年月にわたって担当されていた野口さん宅を訪問、ご夫妻との交流のときが与えられました。
次の日曜日は、福岡市での主日礼拝(福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の集会)。
そこで用いる賛美の曲目や感話会、交流会の持ち方に関しても私の希望を、責任者の秀村 弦一郎さんがよく取り入れて下さって感謝でした。
ここでは現代の渇ききった世界を真にうるおすものは何か、聖書からのメッセージは何かということを語らせていただきました。(「いのちの水」誌11月号掲載)
この会場はもと、県庁であった建物で、福岡市の中心部にあることからさまざまの催し物が各階で行われています。その催し物の紹介が、定期的に市民向けの広報で案内されているということで、その中に福岡聖書研究会の日曜日ごとの集会の案内もされているとのこと、しかもその案内のためには費用もかからないとのことで、多くの方々に無教会の集会の存在を知らせるためにとても役だっていると感じました。実際、いろいろな方々が、福岡聖書研究会に参加されるとのこと、その集会に定着するのは少数だとのことですが、一度でも聞いたみ言葉があとになって芽を出すということもあるので、初めての人が聖書と出会う接点となっていることの重要性を思います。
その後、「祈の友」会員の福岡市内に一人で住んでおられる内村さん、そこから40数キロ北部の玄界灘に近い花田さんを訪問し、高齢になっても「祈の友」として何十年も昔から、互いに祈りを合わせてきた人たちの信仰と祈りにも触れて私も印象深くありました。
そこから、さらに10キロあまり離れたところに移動し、夜になりましたが、「いのちの水」誌読者の黒木さん宅での家庭集会。聖書もまだ持っていない若い方も交えての集会でした。その日は夜遅くに山口市に移動して宿泊。
翌日の月曜日の午後は、島根県の浜田市にて「祈の友」の栗栖さん宅でご夫妻とともにみ言葉を学び祈り賛美のときを与えられました。
そのときにうかがった話で、栗栖陽子姉が嫁いだとき、家庭の問題があって悩み苦しんだことがきっかけで、キリスト教へと導かれたこと、そしてご夫君にも信仰は伝わり、さらに二人の息子さんたちもキリスト者となっていったことなど話して下さいました。息子さんの一人は、キリスト教愛真高校の教師となって若い魂にキリスト教に基づく教育をされています。
もしそのような家庭の苦しみがなかったら、キリスト教には導かれなかっただろうとのことで、神のなさる導きの不思議さを思うとともに、私たちの決して望まない道をとおって主は導かれるということを知らされます。
その後、次の目的地は、そこから一四〇キロほどの道のりで、奥出雲の土曜会館です。そこは、かつてその地域にキリスト教を伝えた加藤歓一郎が、そこでキリスト教集会を続けていた意義深い建物での集会です。去年この地を初めて訪れましたが、今年五月に徳島で開催された第三七回の四国集会には、その奥出雲の方々のうち、初めて宇田川夫妻、田中姉の三名の方が参加され、私どものキリスト集会とも関わりが与えられることになったのです。
山地でいろいろな困難のなかを信仰をもって農業を続けてこられた方々、二度目の出会いでしたが、主の導きによっていっそう主にある兄弟姉妹としての学びと祈り、交流が与えられて感謝でしたし、この集まりにも「祈の友」会員がおられます。その方々の信仰の一端に触れて私もまた励まされる思いでした。
大地に根ざした信仰、農業に従事しつつ信仰の歩みを続けておられる方々、それは北海道南西部の瀬棚地方の方々も同様です。また、今夏、短い出会いでしたが、舞鶴地方の農業をやっている愛農高校卒業の若い方々の集まりにも参加してそうした方の内にもいきて働く信仰に触れることができました。
それは、都会で大学の研究室や講義室で、書物や大学生や研究者たちばかりのなかで、そしてコンクリートの建物や機械、機器に囲まれて生活している方々とはまたちがった雰囲気と力があります。
人間は多様な場で、神を信じて歩んでいる、そうした数知れない場所でじつに多様な状況において神はその愛を注ぎ、それぞれに導かれ、全体として大きな樹木のように一つとされつつ、神の国へと導かれているのだと思います。
島根から、翌日は鳥取に向かいましたが、途中で大山の力強い姿に出会いました。
大山は、40数年も昔、大学生であった夏に友人と二人でテントなどを携行して登り、ナイフリッジといわれたきわめて細い稜線を、蒜山への縦走のために、重いリュックを背負って降ったことを思いだします。
左右はすべると数百メートルは滑落すると思われる危険な稜線でしたし、実際折々に小石などが滑落してくるようなところでした。(現在はその稜線は危険のゆえに歩くことは禁止となっているとのことでした。)
大山は遠くからみるとき、その姿は広大なすそ野を広げ、力強い峰々がそびえる心惹かれる山です。
すでに雪が積もっているのが見られ、その姿は不動の力を示し、その清い姿をも見る者の心に深く刻むものでした。予定にはなかったことでしたが、その山の清い美しさと力に惹かれ、若き日に登った懐かしい山道を少しでも歩き、神の御手なるわざに触れたいと、大山のふもとへと車を走らせました。登山口から少しだけ登り、そこでほとんど人もいない静かな大自然の中、美しい紅葉や落葉、ブナの自然林などに包まれて、神の大いなる御手の内に置かれ、聖なる神の書といえる山の自然を短い時間であったけれども、ひもとくという恵みを与えられました。
私は、そのような人のいない山に入ると深い平安を感じ、樹木の一つ一つ、小鳥の鳴き声やその付近の大地もじつに近い関わりのように感じられてきます。
その後、長谷川さんが続けられている鳥取の集まりに出向き、そこでの少数の方々との礼拝、学びも、一年に一度であっても、毎年の訪問によって主がエクレシアの一員としての絆をより強めて下さっていることを思います。
その集まりに、毎週日曜日に五〇キロ以上も離れたところから参加されている方がおられますが、主がそうした小さな集まりをも顧みて下さってそのような力を与えられているのだと思われたことです。
翌日、岡山に向かう途中、その鳥取の集まりに参加しておられる方の一部をも訪問し、信仰にかかわる交流が与えられたことも感謝でした。
岡山での集会は、岡山城近くの会館で、香西ご夫妻のお世話によって集会が持たれました。香西さんとは、全国集会や四国集会などでの出会いがずっと以前にあり、そのときからの交わりを与えられています。そして最近はこのような集会というかたちで、ほかの集会員の方々ともともに学び、賛美、祈りをともにすることが与えられています。
初めての参加の方もおられ、高齢の方、また普段は参加していない方も加わって、平日の午後ということで参加者は限られますが、よき集会のひとときを与えられたことでした。
岡山に向かう途中では、タイヤがパンクしたこともあり、車での長距離の移動は、危険なこともいろいろあり、主の守りがなかったら本当に移動もできなくなり、事故にもなりかねないことをあらためて思ったことです。
しかし、この世に生きるということ自体、安全なことでなく、バンヤンの「天路歴程」に記されているように、至るところで危険な場所があり、落ち込んだり深みに入って出られなくなったり、悪の力の攻撃にさらされて苦しめられたり…と霊的にみれば危険はいたるところであるわけです。車のパンクに似て、心が壊れてしまって前進できなくなる、ということもあります。
また、体調が悪くなっても、霊的な緊張が続かなくなっても各地での集会にてみ言葉を語ることはできないことで、そうした意味でも主の守りと恵みなくば、何もできないことを思います。
そのことを思うとき、私たちはただ主を見つめて、主がともにいてくださることだけを祈りつつ、歩んでいきたいと願います。私たち自身は弱く小さなものですが、主がその土の器をも用いてくださるということもまた事実なのです。
九月の全国集会で、長野県在住の方が言っておられたことを思いだします。それは、地方で少数の人とともに集会をしている者にとって、別のところからの講師訪問による集会の恵みを話され、そのような外部の方を交えた集会がより多く与えられたいとの希望を話されました。
キリスト教独立伝道会はそうした願いに応えて、毎年各地を訪問する人たちを送り出していますが、その方々にさらなる聖霊が注がれ、力をもって語ることができますようにと願われますし、さらに御国のため、福音のために、日々の時間とエネルギーを、そして祈りを注ぎだす人が各地で起こされますようにと願っています。
ことば
(340)喜びには、特別の原因や理由など、何もいりません。
どんなつまらないものからでも、高貴なものからと全く劣らない喜びが得られます。
(「心の美術館」シスター・ベケット著新教出版社)
・このことばは、ベケットが、画家ルドンの貝の絵について語ったなかにある。この言葉を補足すると、「ルドンは一つの貝を見て、そこに宇宙の性質を見出した。それは彼の想像力で見ているだけかも知れない。しかし、これは正しい見方であって、それによって見えてくるのは、「事実」ではなくて「真実」である。身近にある自然の美を描くことによって、喜びは世界の至るところに存在するのを示している。」
私たちの心の世界が神からの賜物でうるおされてくるほど、小さなものから喜びをくみ取ることができる。
それは万物は神による創造であり、神は愛ゆえに、万物は愛によって創造されているのがわかってくると、小さなものからも神の愛が伝わってくるからである。自然だけでなく、日常の生活の小さな一つ一つにも―
一歩一歩を歩くということや起きて回りのものを見たり、手にとったり、あるいは毎日の飲食ができるというようことからでも、喜びをくみ取ることができるのだと教えられる。
また、そのようにして実感するものは、「事実」でなく、「真実」だ、と言っていることも重要である。
事実と真実との違いは大きい。 事実とは、例えば、目の前の石ころは何グラムで、長さはいくら、含まれている主成分の二酸化ケイ素は何グラムとか、また一枚の葉をとってもそれの長さ、幅、鋸歯の数、重さ、色、そこに含まれる水分、有機化合物の種類、ミネラルなど、化学物質等々、「事実」はいくらでもある。
しかし、それは魂に力を与えたり、喜びを与える霊的「真実」ではない。そうした事実をひとつも知らなくとも、その一枚の葉から神の創造の力や、こめられた愛、私たちに向けられたメッセージ等々の「真実」をくみ取って魂の力となすことができる。
聖書にあるように、聖霊こそが喜びを生み出すのであって、ごくささやかなものでも聖霊が私たちのうちに働くときには、喜びをくみ取ることができる。
なお、この言葉の載っている本を書いたシスター・ベケットは、オックスフォード大学を卒業後、南アフリカで教職についたあと、修道会にはいり、美術に関しての洞察がイギリスやヨーロッパでは高く評価されているとのことである。
休憩室
明けの明星、土星
12月中旬ころ、夜明け6時前に東の空(東南東の空)に向かいますと、すばらしい輝きの金星が見えます。明けの明星です。黙示録において主イエスにたとえられているほど、古代から特別に信仰的にも注目されてきた星です。
その右(南寄り)には、春の代表的星座として知られる乙女座の一等星スピカが輝いており、そのさらに右上方には、土星が見えます。
スピカも土星も明るい一等星ですが、金星が特別に強い輝きであるために、それほど強い光とは見えないほどです。そしてもっと北寄りの空には、牛飼座の明るい一等星アークトゥルスも見えます。
夜明けの明星の輝きは、夕方に見える宵の明星とはことなり、まだみんな寝静まっている闇の中に、ひとり目覚めてその光をこの世界に投げかけている、そして夜明けを告げているゆえにいっそう霊的な光を感じさせてくれます。
この明けの明星は、これから三月始めのころまでは、夜明けに輝き続けるので、朝の早い人は晴れてさえいれば、毎朝この輝きを目にすることができます。
この金星、土星などは、都会のライトが多いところでも見えるので、明けの明星を見たことのない人はぜひ見てほしいと思います。そして、聖書の最後の章である、黙示録22章の16節で言われている聖句を思いだすことで、私たちも迫害という恐ろしい闇のただなかで、夜明けに輝く明星を見つめて、再来のキリストを待ち望んでいた初期のキリスト者たちと、その思いを共有したいと思います。
なお、この頃、夜9時ころには、南西の空には以前からずっと見えている木星が見えていますし、東からは、オリオンの有名な星たち(赤いベテルギウス、青白いリゲル、三つ星)や、大犬座のシリウス等々が上がってくるのが見えますので、西にも東にも明るい強い輝きの星が見えます。
こうした星たちは、目に見えるものとしてはもっとも清い輝きを持っていると言えます。いかなる人間の業によっても汚されることなく、また何千、何万年たっても変ることなく輝きを続けているからです。
しかも闇に輝いているということで、聖書の最初にあらわれる、神の大いなる力、闇と混沌のなかに、光あれ!との神の言葉によって光が生じたということをも思い起こさせるし、すでに述べたように聖書の最後の書である黙示録にもキリストにたとえられてあらわれるゆえに、重要な意味を感じさせるものです。
さらに、世界のキリスト教文学では最も大いなるものと言われるダンテの神曲では、地獄篇、煉獄篇、天国篇のそれぞれの最後に「星」stella という語が置かれていて、ダンテも星の輝きに深い信仰的、キリスト教的な意味をくみ取っていたのがうかがわれます。
夜明けにもすでに書いたように明るい星々が見えますので、星に関心のある者、星によって神とキリストへの思いを強められる者にとっては喜ばしい季節です。
クリスマスについて
クリスマスという言葉は、クリスト(キリスト)+マス(ミサ)という二つの言葉から成っています。マスとはミサのことで、プロテスタントでは礼拝という意味にあたります。
クリスマスが祝われるようになったのは、プロテスタントがまだなかった時代なので、ミサという言葉が用いられていたのです。
ですから、クリスマスとは、キリストを礼拝する日であって、サンタクロースの日では全くないのですが、日本ではキリスト不在のクリスマスという奇妙な現象が広く行われるようになっています。
この点では、日曜日が本来はキリストの復活を記念し、礼拝する日であったのに、日本に日曜日の制度が入ったときには、たんに仕事を休む日、休憩や自由な娯楽の日とされてしまったことと似たところがあります。
アドベント
クリスマスシーズンは、待降節からはじまります。待降節というのは、英語ではアドベント(advent)と言います。この語は、ラテン語がもとになっていて、「ad- (?へ)+-vent (来る)=?へ来る」という意味(到来、あるいは来臨)です。キリストが私たちのところに来てくださるときを待ち望む期間として、11月30日に近い日曜日からクリスマス前までの期間をいいます。今年なら、11月28日(日)から12月24日までとなります。
また、この言葉は、世の終わりにキリストがふたたび来られるという再臨についても用いられます。
私たちにとって、主イエスが私達のところ―この世界に、また日々の生活のただなかに、そして私たち一人一人の心の中に来てくださるということは、クリスマスや世の終わりのときだけでなく、日々の願いです。ですから、クリスマス前の期間だけでなく、毎日がキリストの到来(アドベント)を待ち望む心をもって生活したいものです。
クリスマスの日
私たちはクリスマスといえば、12月25日ですが、この日が確定していったのは、4世紀になってです。おなじキリスト教でも、東方正教会では、現在も1月6日となっています。 (東方正教会とは、ロシアや東ヨーロッパ諸国のキリスト教です。)
また、12月25日はじっさいにキリストが誕生した日ではなく、誕生を記念する日です。キリストがいつ生まれたかは正確には分からないのです。古代においては、キリストの誕生がいつであったかは重要視されておらず、したがってその日を特別に祝うということもなかったのです。
それよりも、はるかに重要であったのが、キリストの復活でした。それゆえに、現在の日曜日が休みであるということも、キリストの復活の記念をする礼拝の日としてはじまったのです。聖書にも「主の日」という言葉がありますから(黙示録1の10)、日曜日の礼拝のことを、主日礼拝というのです。
復活の記事は、聖書にたくさん見られます。四つの福音書のすべて、そして使徒言行録、パウロやペテロ、ヨハネの手紙など至るところにみられます。しかし、キリストの誕生のことは、マタイ福音書とルカ福音書だけに書いてあります。
しかし、キリストが神の本質を備えてこの世に実際に来てくださったこと(生まれて下さったこと)が、この世界がキリストの福音によって新しくされていく出発点にあり、そのことを感謝し、祝うようになったのです。
ヨハネ福音書の最初に記されているように、神がイエスという一人の人間の形をして来られたということは、歴史のなかで決定的に重要なことになったからです。
そして、すでに書いたように、キリストがこの世に来て下さったという過去のことを感謝し、祝うだけでなく、現在も私たちの世界や一人一人の心の中、生活の中に来て下さることを待ち望む礼拝の日ともなっています。
お知らせと報告
○クリスマス集会
・期日 十二月十九日(日)午前十時~午後二時。
・場所 徳島聖書キリスト集会場
・内容
①こどもとともに (紙芝居、歌)
②クリスマスメッセージ
「キリストの運んだ風」吉村孝雄、「クリスマスの証し―天上の音楽」吉原賢二、
③賛美タイム コーラス、ギター賛美、手話讃美
④感話 7~8人による。
⑤食事と交流タイム
○キャロリング 12月24日夜。問い合わせは、綱野悦子姉まで。(電話 088-641-4170)
○移動夕拝と十二月のスカイプ集会
今年最後の移動夕拝は、徳島県吉野川市の中川 啓・春美宅。午後七時三十分~九時。
なお、毎月一度の中川陽子さん担当のスカイプ集会もこの移動夕拝を兼ねてなされます。
○読書会 12月26日主日礼拝終了後。ダンテの神曲煉獄篇28歌後半~29歌前半
○新年聖書集会(キリスト教独立伝道会主催)
私は来年一月のはじめに毎年行われている、キリスト教独立伝道会主催の新年聖書集会に参加して「喜びと力のおとずれとしての聖書―現代へのメッセージ」というタイトルで三回の講話をさせていただくことになりました。
・日時 二〇一一年一月二日(日)13時集合 14時開会~四日(火)13時解散。
・場所 サイクルスポーツセンター「サイテル」
静岡県伊豆市大野一八二六 電話 0558-79-0640
・講師 吉村 孝雄
・主な内容
二日(日)
開会礼拝、自己紹介、DVD鑑賞「石井のおとうさんありがとう」(*)話し合いⅠ
三日(月) 早朝祈祷、聖書講話Ⅰ「創世記、出エジプト記からの喜びと力」、感話
聖書講話Ⅱ「詩篇における苦しみとそれに打ち勝つ力と喜び」、感話、話し合いⅡ
四日(火)創世記、聖書講話Ⅲ「新約聖書における喜びと力」感話、閉会礼拝
(*)DVD「石井のお父さんありがとう」は、全国各地で映画公開されたものです。徳島でもこの映画の監督をつとめた山田火砂子氏も来て映画の制作目的など話しされ、上映された。
石井十次は、明治時代に親のない子や貧困にあえぐ子供を3千人も助け、岡山県に日本初の孤児院を作った今日の福祉事業の最初のものを作ったといえる人です。
なお、火砂子監督の夫君は、山田典吾で、「はだしのゲン」、「死線を越えて」(賀川豊彦を描いた映画)、「キムの十字架」など、社会性の強い映画を制作してきた人です。
・申込
12月25日(土)必着。
申込先 〒330-0855 さいたま市大宮区上小町844
栗原 庸夫(くりはら つねお)電話 048-643-5367
E-mail kuri844@jcom.home.ne.jp
・会費 2泊6食付 18000円 (部分参加も可能)
・交通 伊豆箱根鉄道「修善寺駅」から中伊豆 東海バス 利用。
サイクルスポーツセンター行きに乗車、終点下車。(20分、480円)
駅前発車は、9時10分、10時20分、11時15分、13時、14時、14時50分以上、土、日、祝日ダイヤ。 タクシー利用は 3000円以内。
○青年全国集会の報告
11月20日(土)~21日(日)の二日間、東京の今井館にて、第二回の青年全国集会が開催されました。
今回の主題は「聖霊」。
一日目(土)の内容は、聖書講話(「聖なる風と水―聖霊のはたらき」吉村孝雄 50分)、自己紹介、証し「私にとっての聖霊」(京都府舞鶴からの添田 潤、東京の小舘 知子)、ゴスペルを歌おう(松永晃子担当 45分)、三つに分かれたグループ集会(60分)、その報告、
二日目(日)は、主日礼拝「神の愛と聖霊がとどまるように―主イエスの最後の祈り」(吉村孝雄)、証し「私にとっての聖霊」(北海道瀬棚からの上泉 新、東京の大野きょう子)、発題(「聖霊の力」木村護郎クリストフ、「湖の上を歩け」小舘
美彦)、祈りと賛美の集い(担当は中川 陽子)、グループ集会、その報告、閉会礼拝。
・今回の二日間の集会は、「聖霊」というテーマで二日間があてられた。このように、聖書講話や主日礼拝も、証し、発題、賛美、グループ集会といったすべてが聖霊に関して密着して語られ、証しされ、話し合われ、また祈りと賛美をもって聖霊を待ち望んだ集会というのは、無教会の百年を越える歴史の中でも初めてではないかと思う。
またその参加者は、五十歳未満ということで、そうした若い世代だけの集まりというのも今までにはなかったから、そうした面でも今までにない集会とその内容だったと言える。
九月に大阪で行われた、無教会の全国集会では、私が発題者の最後に、「無教会精神の本質」ということで二十分あまり語らせていただき、その中で聖書における聖霊の重要性について語ったが、他のすべてのプログラムにおいては、まったくといってよいほど聖霊とか生きてはたらくキリストという言葉は聞かれず、沖縄、平和、韓国、貧困といった社会的、政治的な問題が講演、発題やグループ集会でも中心となっていたので、それとは対照的な内容だった。
聖なる霊、それは主イエスご自身でもあるゆえ、私たち力の源であり、愛、喜び、主の平和という最も大切なもの価値あるものをその実として与えられるものであるゆえに、私たちが最も祈り求めるべきもの。主イエスご自身が、「求めよ、そうすれば与えられる」と確約してくださっているゆえに、その約束を信じて求め続けていきたいと思う。私たちのあらゆる問題は、実は聖なる霊が与えられていないからだと言えるゆえに。
○元旦礼拝
二〇一一年一月一日(土)午前六時三〇分から八時まで。早朝ですが、毎年二〇名前後の参加者があります。参加されている方々は、この元旦礼拝に参加するために前夜は早くやすんで参加されています。今年も最初の日の早朝を、み言葉の礼拝、祈り、賛美をもって始めたいものです。
○来年の最初の主日礼拝は、元旦礼拝に続きますが、1月2日(日)です。
編集だより
来信より
○597号の編集だよりは、同じく大阪の全国集会に参加したものとして、関心をもって読みました。
社会の問題に関心を寄せるというこは無意味だと言っているのではなく、結論として、福音に耳を傾け伝えてゆくという営みと、社会の問題に関心を寄せるという営みのバランスが大切と言っておられると受け取りました。
確かに、今回の大会は、吉村さんも言っておられるように、社会問題に偏重している構成であったことを私も感じました。
その意味で、私は昨年の大会で「平和問題」で発題してほしいと要請があったときに、少なからず平和問題に関わってきた自分として自戒もこめて「美しい楕円」すなわち、福音と社会問題に対しバランスある立ち位置が大切であることを述べました。
今後、全国大会の構成が、このことに配慮された大会になることを願っています。 (中部地方の方)
○…聖霊の働きは、証していかなければならないのですが、おっしゃるとおり無教会の近頃の集会では語られることが少なかったと思います。
三位一体の神、父、み子、み霊を信じるキリスト信徒は機会あるごとにこれを証ししたいものです。(関東地方の方)
○主にゆだねよ。主の御手から苦しみも喜びも安んじて受け、決して気を落としてはならない。主はあなたの運命をすみやかに変えて下さる。(「いのちの水」詩より)
「いのちの水」誌、どうぞ、読まして下さい。とってもわかりやすくて有り難く読みました。週報お送りします。(東北地方の方)
・「いのちの水」誌のことを、わかりやすい、と言って下さる方が多いのは感謝です。私は意識して、できるだけ一般によく使われていて、だれにでもすぐにわかる言葉や表現を、そして「いのちの水」誌はテキストファイルで視覚障がい者の方々にもメールでお送りしていますので、パソコンの音声で読ませても、聞き間違うことのない、わかりやすい言葉をと考えて書いています。
大山(だいせん 標高一七二九メートル)
鳥取の集会に向かう途中での撮影