主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。
わが主よ、わが神よ、私に答えてください。

(詩篇3816



2010 6 592号 内容・もくじ

リストボタン結果を出せなくとも

リストボタン恐れるな

リストボタン揺り動かされることのないために

リストボタンお話しください、聞いて いますから

リストボタン兄弟愛を留まらせる

リストボタン主よいつまで(詩篇13)

リストボタン苦しみの中の喜び

リストボタンことば

リストボタンお知らせ


リストボタン 愛は静める

私たちの心は波のように静まることがない。たえずなにかによって揺れ動いている。人のちょっとした言葉、意見の違い、人間関係、マスコミ、能力、仕事のこと、病気のこと、将来への心配等々。
それを静めるものは、何だろう。
それは愛に触れたとき。とはいえ、人間の愛は、かえってしばしば揺れ動く心を造り出す。それは絶えず相手のお返し、応答によっているからだ。相手のなんでもないような言動に反応してしまう。
しかし、揺れ動く私たちの魂が深く静まるときがある。それは、神の愛に触れたとき。
赦されないような罪、人には語れないような失敗であってもなお、主イエスだけには告白し、赦しの愛を受けたとき。心の傷口が主の御手に触れていただいていやしを感じるとき…。
そのとき、魂は静まる。風が凪いで静まった湖面のように。
主イエスがはげしい風で揺れ動く舟にあって、ただひと言、「静まれ!」 と言われたら、風も波も静まったと記されている。
それは、神の愛に触れるなら、私たちの魂に吹きつける荒々しい風や心の動揺が静まるということを指し示している。 主は弟子たちへの愛ゆえに、吹きつける嵐を静めたのであった。
主よ、絶えず私たちの魂があなたの愛を感じ、受け取ることができますように、主の愛を注いでください。
それがなければ私たちの魂は平安をえないからです。

政権交代のない国

わずか数年で何回も首相が変わり、去年政権交代したばかりであるが、今後もどのような政権交代が起きるかだれも予見できない。
この世は、安定していたと思われていた大会社が大きく業績を落として消えていくこともある。会社、政治、芸能やスポーツなど、どんな世界でも次々と"政権交代"がある。
しかし、この何千年というあいだ、まったく政権交代がなく続いている王国がある。
それは、目には見えないが、はるかな昔から存在を続けている神の王国である。

…主こそ王。威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯びられる。
世界は固く据えられ、決して揺らぐことない。(詩篇 93:1

この詩のように、この世界は表面的にはいかに大きく変化しても、目には見えない霊の目で見るときには、変ることなき王によって固くその秩序は据えられているのであって、いかなる出来事にも動じることはない。
これは単に作者の人間的確信でなく、神から受けた啓示のゆえの確信であり、背後におられる神がこの確信へと導いたのである。それゆえに、このような確信を持つことは、神のご意志であるから、これが神の言葉とされて聖書に含まれているのである。
私たちも、こうした聖書記者の確信を共有することができるならば、そこに祝福があり、この世のさまざまの出来事に動かされない主の平安の道を与えられるであろう。

 


リストボタン主役と監督

この世という舞台ではいつも次々と役者が入れ代わり立ち代われ現れる。そして次々と去っていく。
一時的に、新聞テレビなどをにぎわすが、すぐにまた新たな事件や出来事が現れる。そしてそれもまた過ぎ去り、消え去り、忘れ去られていく。
しかし、ひとたび目には見えないものを霊の眼をもって見つめるなら、そこには変ることなくあるお方が主役であり、同時に監督でもあり続けている。そしていかなる事件、歴史の流れ、人間の欲望や戦争、飢饉などの出来事にもかかわらず、厳として存在しつづけ、いまも主役であり続け、無数の人がそのまわりで、演じている。
主役とは神であり、二千年前に人のかたちをして現れたキリストである。
それは限りない深い意味のあるリアルな演劇である。私たち一人一人が知らず知らずのうちに、その主役であり監督であるお方によって動かされている。
人間だけでなく、広大な宇宙の星々も繊細な虫の歌声も、みな同様である。
そして私たちの目が開けるとき、そこに監督と主役が明らかに見えてくる。
そして天の国では、清い、いのちの川が流れる状況において、神の愛に充たされ、御使いのごとく完全な自由を与えられ、神とともに永遠に生きるのだと信じることができる。

 


リストボタン地球が壊れているのか

今年の暑さは、かつて経験したことのないものだということは、室内気温の状況にいつも留意している私にとってはっきりと感じられる。毎日室温が35度前後にもなるということは前例がない。
こんなとき、テレビニュースで地球が壊れているとか怒っているのだという町の人の声などが放送されることがある。
しかし、この暑さなど、地球が壊れるなどということとは関係がない。地球が壊れる、それははるか五十億年も先になれば太陽の消滅とともに地球も運命を共にすると考えられている。
環境破壊、温暖化などで気温が変化するといっても、気温の変動や雨風など人間に関わり深いなどの気象現象が起こるのは、せいぜい、地球の表面から上方の二十キロほどでしかない。また、海水温度が変化するといっても、海そのものの深さが地表からせいぜい十キロほどの深さである。
このように、人間生活に深くかかわる環境問題が生じるのは、地表からせいぜい数十㎞の範囲なのである。そして地球の半径は、六千四百キロほどであるから、環境問題として関わりがあるのは、地球全体から見るとごく表面のことなのである。
こうした領域における気象などの変化は、地球が壊れていることを示すのでなく、人間が壊れていることへの警告だと感じられる。
エネルギーの無駄をなくす、そのための生活方法そのものを変えていく、車や電化製品、工場などでの省エネをはかる、といったことは当然必要なことである。
しかし、そうした人間の外側をいくら変えても、人間の魂のあり方、心の状況など、根本的なものは変わらない。
人間がその存在を支えるお方を知らないで、あたかも自分の力で生きている、自由に何でもやってよいのだと考えるそうした発想こそ、いつの時代にあっても、人間を壊していくのである。
そのような人間中心の発想を転換することこそ、求められている。
聖書のなかでは、数千年前からすでにバベルの塔やノアの洪水といったかたちで、そのような人間の壊れていく状況になっていくときには、厳しいさばきがおこる、ということが神話的表現で記されている。
これは決して単なる神話ではない。個人においても、人間の集団においても、また国家、世界といった広範囲な領域においても基本的にあてはまる真理が言われているのである。
私たちが人間の欲望や人間的意志に従って歩むときには、必ず壊れていく。それに気付いたときに、私たちの存在を創造されたお方(神)に立ち返るとき、その壊れは修正され、あらたに造り替えていただけるのである。

 


リストボタン鍵を持つもの

私たちがこの世で生きるときに、さまざまのことが閉じられていることに気付く。まず、自分の能力や経済事情などのため、希望の進路を選べない、進学、就職などがうまくいかない、また、病気などのため、外で自由に動くこともできない、スポーツや、音楽のことができない、友人ができない、家庭が恵まれない等々、だれでもなにかそのような自分の限界をつねに感じている。それは言いかえれば、人はだれでも、いろいろな世界が閉じられているということである。
さらに、若いときにはできたことも、病気になったり老年になるとできなくなる。老年になると、さまざまのことが次第に幕が閉じるようにできなくなっていく。そして、死によって私たちのすべてが閉じられ、多くの日本人にとっては永久に私たちの存在は消えてしまうと思われている。
以上のようなことと別に、目に見えない領域においても閉じられていると感じることがいくらでもある。それは純粋なよき心をもって何かをなす、ということができない、人間の心には不純なものが生まれてしまう、正しいこと、よいことをする意志はあってもどうしてもしてはいけないこと、言ってはいけないことを言ってしまう。
そういうことは、確かにだれでも経験している。私たちの精神、心の世界にも常に大きな限界があり、自分は閉じられた世界にいると感じざるをえない。鳥のような自由な心でよきことができるようになれないのである。
よきことができたとしても、何らかのお返し、例えば、相手が適当な感謝をしてくれるとか、ほめたり、認めてくれないと続けられない。またそのよいことを続けているとそのことが誇りとなったり、そういうことができない人を見下したり…といったことがある。
こうしたことは、真実なよき行動というものが人間には閉じられていて狭い場所の中で閉じ込められているようなものである。
 キリストの弟子のうち最も大きな働きをした使徒パウロですら、「よいことをしようという意志はあるが、実行できない、してはいけないことをしてしまう。自分は死のからだである。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」(ローマ信徒への手紙七章)と言っているほどである。
このような閉じられたところにいる人間に対して、その扉を押し開けて下さったお方が、キリストであった。キリストの力を受けるときには、確かに相手からの感謝とかお返しがなくとも、続けられる。キリストが目に見えないお返しを下さるからである。

…年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ書四〇の三一)

これは、そうした事情を語っている。どんなに真実そうな人間でも、また力のあるような人でも、あるいは経験豊かな人であっても、なおこのような真実や無差別的な愛をもって生きることはできない。みんなそうした点においては、人生の歩みのなかで弱り、疲れているか、あるいは今元気そうであっても、そのうちに疲れてしまう。
しかし、その中で、主を待ち望む者は、何もないところから、神に由来する力を与えられ、感謝どころかそのよきことが逆に悪意にとられてもなお、力を失うことがない。
この典型は、主イエスであった。真実なよきことをなしても、激しい敵意を受けてしまったが、それでも弱ることはなく、疲れることはなかった。それはゲツセマネの祈りに見られるように、またしばしばなされた夜を徹しての祈りにあったように、神からの力を受けていたからであった。
このように、神に頼り、キリストに信頼するときには、人間が本質的に持っている狭い制限が壊され、扉が開かれていく。
また、聖書そのものが大多数の日本人にとっては閉じられた世界である。わずか一%程度というキリスト者の人口は、世界的に見てもきわめて特異である。
しかし、キリストに結びつくときには、その聖書の世界が一つずつ扉が開いていく。わずか一行の言葉に深い意味が宿っていること、信仰を与えられて三〇年、四〇年を経てようやく気付くようなことがいくらでもある。
そして、人間関係においても、その困難さということにも、そしてその困難な中にも神の力が確かに働いているということにも、目を開かされていく。
周囲の自然についても、その奥深い意味についてはやはり閉ざされているのであって、そこにキリストの鍵があれば、いっそう開かれていく。わずかの雲の動きにも、また青い空の広がりにも、一つの小さき野の花にも、キリストという鍵を持っているならば、なにかがそこに開かれる。神の無限の創造力と人間に向けた愛、あるいはいかなる芸術家も及ばない清い美しさ等々がそこに開かれていく。
閉じられている世界から解放される、そのことで人類が最も強い願いを無意識的にせよ持ち続けてきたのは、死からの解放である。一度死という世界に取り込まれたならば、永久にそこに閉じ込められてしまう。いわばそこに鍵がかかってしまうのである。
 そうなればいかなる権力者も金の力も一切役に立たない。世界のすべての軍隊をもってしても、その死という世界の鍵を奪って開けることはできないのである。それゆえに、死という世界の鍵はきわめて強力なものであって、その鍵を壊すことも奪うこともできない。
このような状況にあって、死というものをあたかも人格的なもののようにみなし、その死というものがしっかり持ち続けていた鍵を奪い取って、死という世界の扉が開いたお方がいる、ということを黙示録は次のように記している。

…恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。(黙示録一の十八)

ここで「わたし」とはキリストを表している。キリストは一度は死んだが復活し、神とひとしき力を与えられて永遠の存在となっている。それゆえに、「死と陰府」が持ち続けていた鍵を奪い、死というものに勝利されたのである。
死という、それまでいかなる者も、その扉を開けることができなかった世界を開けることができた。ということは、それほどの力を持っているゆえに、ほかのことでも閉じられている世界の扉を開く鍵を私たちに与えて下さるということになる。
実際、権力も武力もなく、学識もなかった漁師にすぎなかったペテロやヨハネたちが、初期のキリスト教の指導者となって弾圧される人たちの魂の指導者となったのは、ひとえに復活したキリストから「鍵」をもらったからである。
その鍵をもってすれば、力の宝庫の扉を開いて本来なかった力を与えられ、キリストの福音を力強く述べることができるようになったし、ヨハネのように、深遠な真理の宝庫を開く鍵を与えられて、それを万人の前に開き、そこから霊の宝物を次々と取り出してこの世界に提供していったのである。
主イエスも、ペテロに次のように約束した。

…わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタイ十六の十九) 

これは天の国の鍵といっても、死後の世界の天国を指しているのでなく、これは、神の国と同じ意味であり、そして国とは原語のギリシャ語では、王の支配 という意味である。(*
 罪を赦したり、赦さずに罰するなど、それは魂にかかわる力、目には見えない領域を支配する力を表す。
それゆえ、イエスがペテロに与えたという鍵は、他者の罪をも赦し、あるいは赦さずにおいて、罰するほどの力を与えると言おうとしているのである。

*)国はギリシャ語では バシレイア。これは王(バシレウオウ)から成っている。そのため、新約聖書においては国とはしばしば、「王たる神の支配」という意味になる。

こうした力は、ヨハネ福音書にも言われている。復活のキリストが弟子たちに現れ、次のように言った。

…彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残る。」(ヨハネ2023

聖霊を受けて与えられる最も大いなる力、それは人間の魂の根本問題である罪の赦しというようなことまでなし得るのである。本来神だけができることを、聖霊が豊かに与えられるときには、その聖霊が罪の赦しの力をもっているゆえにそのような従来は考えられないことまでがなされると約束されている。
聖なる霊こそは、大いなる鍵だと分る。確かにイエスの弟子たちも、復活のイエスと会ってもなお、宣教への力はなかった。聖なる霊を注がれて初めてあらゆる敵対する力をも越えてみ言葉を伝える力が与えられたのである。
それまでは彼らは、ヨハネ福音書に記されているように、「弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ2019
このように、いわば閉じられた世界にいたのであったが、聖なる霊が与えられるとき、一転して神のごとき者でなければできない罪の赦しさえもできる霊的な自由さ、力を与えられたのであった。聖なる霊は神の国へ入る鍵とも言える。
聖なる霊の実として、愛、喜び、平和…と言われている。人間の性質や努力ではそうした本当の清い愛や喜びは生まれないという深い洞察がある。しかし、聖なる霊が与えられるとき、本来は入ることのできない愛の世界にも導き入れられるというのである。聖霊は、愛や喜びという天の国の世界への鍵だからである。
主イエスが野の花を見よ、空の鳥を見よ、といわれた。どこにでもみられるありふれた自然にも聖霊を豊かに与えられた者はそこから天の国の秘密を知ることができる。深い霊的世界への鍵を与えられたことになるからである。
死といういかなる人も開けることのできなかった世界を解放する鍵、そのような力あるゆえに、その鍵をもってすればあらゆる問題を開いてそこに神の答えを与えられることが期待できる。
「聖霊はあなた方にすべてのことを教える」、あるいは「あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」と主イエスが約束されたこともこのようなことを指し示している。(ヨハネ1426、同1613
キリストは現在は復活して、天において神の右に座しておられる。これは、ヨハネ福音書やヘブル書の最初に記されているように、神と等しいお方であることを示す別の表現だということができる。ゆえに、キリストこそは、万能の鍵そのものである。
どこに行っても固く閉ざされているように見える状況にあっても、キリストという鍵をもってあたるとき、その堅い扉も開いていく。私たちが祈りのとき、「主の名によって祈ります」と言う。これは名とは本質を表すから、主の力、キリストの力を鍵として、閉じられたものが開かれるようにと祈るということでもある。

 


リストボタン点と線

私たちが生涯ですることができるのは、ほんのわずかである。かつての日本と中国との戦争で、点と線ということが言われた。広大な大陸で日本軍が主導権を握れたのは、わずかに都市とそれをつなぐ鉄道、道路などでしかなかった。
八月は新聞や報道番組でもそうした戦争にかかわる報道がなされ、このような言葉も以前から関連記事で目にすることがあった。
そして私たちの生きる領域についても考えさせられた。
私たちがどんなに一生かかって研究したとしても、あるいはさまざまのことを経験したとしても、それはこの全世界、宇宙のきわめて小さい点と線のような領域でしかない。
 ほかの人の生涯の歩み、経験などもいくら聞いても、同様である。
病気で長く苦しんだ人のことを聞いても、もし自分がそのような苦しい病気を経験していなかったら、わずかにいわば細い線のような理解でしかないだろう。
特に、病気やからだの障害のために、寝たきりの状態でいるような場合、ずっと病院や自宅のベッドにいる生活となるから、まさにその生活は点のような狭いものとなる。そしてその生きた跡も、広い世界に出歩くことも、職業につくことも、結婚もできないとすれば、それはとても細く弱々しい線のような人生である。
専門家という人たちはたくさんいる。それもまたその専門という点の世界に生きたということである。日々の生活もその専門の研究の道も一本の道、線である。相撲とか野球などスポーツ選手は、とくにそうした点と線の生活だと言える。
例えば、野球であれば、くる日もくる日もボールを追いかけるという小さな点の領域での生活であり、毎日そのことを見つめて生きていくゆえに、一つの線上を行き来しているといえるだろう。
 いや、自分は世界を旅行した、世界を舞台に働いた、などという人がいるかも知れない。しかし、そのような人もまたある種の専門領域に秀でたからこそ、世界をあちこち移動したのである。いくら世界を旅行したり生活したとしても、それもそこで接したきわめて少数の人との関わりであってそれも点のようなもの。日本からその地点への往復、そこから別の土地への移動など、すべて線にすぎない。
私たちの生きた領域とそこへの歩みは、このように点と線でしかないと言えるが、それもまた、少し年月が経ってみると、その点と線も自分も忘れ、ほとんどの場合ほかの人たちにも消えて見えなくなってしまう。一部が本などになって残るがそれもその人の活動した点と線を書き残したにすぎない。
 さらに、視点を地球から遠く離れたところに置いてみるなら、人類すべてを乗せて動いている地球そのものが、針の先のような一点になってしまうし、太陽のまわりを線状に回っているだけである。さらに遠くに行けばそれらすべてもまったく見えなくなる。
このように考えると、万事は空しくなるように思われる。何をしてももともと小さな点と線でしかなく、さらに時間が経つとみな消えてなくなってしまうからである。
こうした点と線というきわめて限定された領域に生きる私たちに、その空しさを根底から一掃してくれる道がある。
それはすでに今から数千年前からはっきり聖書に示されている。
私たちが神のわざを本当に深く啓示されたとき、どのように感じるであろうか。それは旧約聖書のどれよりも、詩篇が個人的な実感として記している。
…主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。(詩篇三六の六)

ここには、人間の点や線のような狭さ、小さいこととは対象的に、神の愛と真実が広大無辺の天に満ちているという実感が記されている。そしてこのような実感がえられるのは、私たちの存在がきわめて小さいものでしかないという実感があるほどに、神の大きさ、広大さを感じ、天地に満ちているということを深く知らされる。
私たちの小さいことが空しさにつながることなく、かえって、神の愛と真実の広大さを知らされることへと導かれるのである。
点と線の人生が、主と共にあれば、広い領域をおおう人生となる。私たちが神とともにあり、神の真実や愛が天地に満ちていると感じるとき、私たち自身も天地に広がりをもっているかのように感じられてくるであろう。
 事実、聖書には、ただキリストを信じているだけで、神の国の無限の霊的な遺産を相続することになると約束されているのである。

…あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。(コロサイ 324

 神の国を受け継ぐ相続人になるという想像もできないような恵みをいただけるのならば、この美しき天地もみな神の国、神の御支配のもとにあるものゆえ、これらの内に宿る力や美、清さもみんな私たちが受け継ぐということになる。
 それは点と線でなく、無限の広大な霊的領域が与えられるということであり、聖なる霊がそうしたことを暗示する。聖なる霊はすべてのことを教えると言われているとおりである。

主イエスが約束されたように、聖霊が注がれるなら、私たちの魂の内からいのちの水がわきあふれて流れるようになるという。言いかえれば私たちの魂の深いところのものが、世界を潤すというのである。
 無限によきものが与えられる約束と同時に、神の国にあるいのちの水が流れ出て周囲の領域へと流れ出ていくという。
水野源三のように身動きできないような重度の障がいをもった人でも、彼の詩をみるときには、たしかに彼の魂が人間の世界を流れ、うるおしているように感じる。

仰いだときから

一、主なるイエスを仰いだときから
行きなれた道にかおる白い花
みどりの林に歌う小鳥さえ
私に知らせる神の慈愛を

二、主なるイエスを仰いだときから
見慣れた消え行く夕映えなる空
屋根ごしに光る一番星さえ
私にしらせるみ神の力を

三、主なるイエスを仰いだときから
聞き慣れた窓をたたく風の音
夜ふけの静かに降る雨の音さえ
私にしらせる御神の恵みを
(水野源三「わが恵みなんじに足れり」九七頁)

・まだ暗き 長病む部屋に聞こえくる ひばりの声に 神の愛知る

これらの詩は、彼に注がれた聖なる霊が、彼の魂から泉となって周囲にあふれ出たもの。そして周囲をうるおしてやまないものとなっている。
点と線のいずれは消えてしまう人生、それが天地をうるおすようなものに変えられる道、それがキリストの道なのである。

 


リストボタン分かち合うために

使徒パウロは、ローマという当時の世界の中心とされていた大都市にいるキリスト者たちと会うことを強く願っていた。それは人間的な感情で単に会いたい、というのではなかった。彼が会いたいというのは、次のような理由であった。

…わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなた方のところで、あなた方と私が互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。(ローマ一の九~十二)

このように、会って楽しく話しがしたい、といった気持ちでなく、パウロが受けている神からの霊的なよきものを少しでも分かちたい、それによって相手の人が力を与えられるようにということであり、またパウロ自身も彼らの信仰によってよきものを受け、互いに励まし合いたい、ということであった。
パウロが与えられていたもの、それは福音であり、聖なる霊であり、神の力であった。すでにローマにいる信徒たちは信仰を与えられていた。それは名も知れない人たちの働きによって福音が伝えられていたのである。彼らは、「神に愛され、召されて聖なる者(*)となったローマの人たち」と言われているとおりである。

*)聖なる者、とは、ギリシャ語の ハギオイ hagioi の訳語で、ハギオス hagios の複数形。ハギオスとは、ハギアゾー(聖とする)の形容詞形。ギリシャ語では、形容詞もあとに続く名詞を略して名詞としても使われることがしばしばある。ここでも、形容詞であるが、「聖なる者」と訳されている。 旧約聖書の創世記の一章に 第七日を「聖別」した とある。「聖とする」と訳されるヘブル語 カーダシュは、「分ける」という意味を持っているために、この創世記の箇所では、聖別した、と訳されている。
新共同訳での「聖なる者」という訳語は、日本語の「聖人」といった言葉が持っている完全な人というようなイメージを抱かせるが、そういう意味ではない。キリストの福音を信じて、神のために分けられた人たち、という意味であるから、まだ信仰をもってまもない人たちも、さまざまの信仰的欠点や人間的な罪を持った状態の人も、信仰によって神のために分かたれた人という意味で、そうした人たちも 聖なる者 といわれる。コリントの教会の信徒たちは、さまざまな混乱した生活をもまだ続いていたので、到底聖人などではなかったが、それでも、このような意味のゆえに、聖なる者と訳されている。なお、 口語訳などでは、聖徒と訳されている。まだ、クリスチャン(キリスト者)という呼称が定着していなかったゆえに、この呼称が用いられた。


パウロは自分にたしかに神からの賜物が与えられていることがはっきりとわかっていた。そしてそれを他者に分かつのが自分に課せられた使命であることを知っていた。まず自分に与えられているものをはっきりと実感し、それを分かつ、というのが第一にあって、それに次いで、相手が与えられているものをも受けよう、という気持ちなのである。
ローマの人たちは福音を知らされている。しかし、それはまだまだ不十分なものであるから、福音の真理を深く広く、かつ正しく知らせたい、そしてその福音から力を与えられ、導きを与えられるようになって欲しい、というのが願いであった。
こうしたパウロの主にあっての願いは、ローマの信徒への手紙の最後の部分でも再び繰り返されている。

…兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。
すなわち、わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ、そしてエルサレムに対するわたしの奉仕が聖徒たちに受けいれられるものとなるように、
また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共になぐさめ合う(*)ことができるように祈ってもらいたい。(ローマ153032、口語訳)

*)原語のギリシャ語では、シュナナパウオマイ(synanapauomai)であり、これは synanapauo から成る語で、「共に休む、共に元気付けられる、共に励まされ、リフレッシュされる」という意味を持つ。 シュン synとは 共に という意味を持った接頭語。アナパウオー とは、アナ(強調の意味をもつ接頭語) とパウオー(休ませる) の合成語。この語から、英語の pause(休止する)という語が派生した。
それゆえ英語訳では、…so that by God's will I may come to you with joy and together with you be refreshed.NIV)(神のご意志によって喜びをもってあなた方のところに行けるように、そして、あなた方とともにリフレッシュされるようにと… (この英語訳では、原語のニュアンスを生かして「あなた方と共に」together with youという言葉が強調されて先に出されている。)
また、… we will be an encouragement to each other.(互いに励ましとなるように…)(NLT)と訳しているのもある。新共同訳では「あなた方のもとで憩うことができるように」となっていて、原文の「共に」という意味が乏しく、この訳文では、パウロが自分の気持ちとして、人々のもとで憩いを与えられたいと願っているように受け取られる可能性がある。

パウロのような歴史上で最大の賜物を神から与えられ、その書いたものが聖書として新約聖書の相当部分を占めるほどの人であっても、自分の祈りだけで十分とは決して考えなかった。他者に祈って欲しい、と願うことをまったくしないキリスト者もいる。しかしそれは聖書的なあり方ではない。
祈りという重要な霊的な領域では、無限の深みがあり、そこではだれも自分は十分なのだなどとは言うことはできない。パウロは自分が土の器だと実感していればこそ、その弱く汚れた器に神の賜物を満たしていただきたいとのあつい願いを持っていた。そのために、この引用箇所であるように、悪に打ち勝つ力と奉仕を実行するための守り、そしてローマの信徒たちと共に慰め合うことができるように祈ってほしいと願っているのである。
パウロの心に常にあったのは、自分だけの祈りで終始するというのでなく、祈りの共同体、互いの励まし合いを具体的になす共同体なのであった。

自分は何も他者に与えるものを持っていない、という人もいるかも知れない。また人から受けるものもない、という気持ちの人もいる。 そうしたことが重なってくるとき、人のなかに入っていくことに気がすすまなくなる。
しかし、キリスト者ならだれでも持っているものがある。それが福音であり、信仰である。神の言葉である。福音を信じたからこそ、キリスト者となったのであり、福音とは神の言葉であるからである。
それゆえに、それらの目には見えない持ち物を少しでも分かちたいという気持ちはだれにでも生じる。すでに信仰を与えられている人同士が祈りをもって会うことによって、それぞれが与えられている賜物をともに分かち合うことができる。
これは、「祈の友」が生まれた理由でもあった。「祈の友」(*)の集まりは、今から八〇年近く前の、一九三二年に結核で苦しんでいた一人の青年、内田 正規(まさのり)によって始まった。

*)正確には、「午後三時祈の友会」という。四国でもこの「祈の友」の集まりは続いており、今年九月二十三日(木)の休日に、香川県坂出市の大浜教会にて四国グループ集会が行われる予定。

「病苦を背負わされ、貧苦に閉じ込められ、人には見捨てられ、自分にもまた絶望…こうした涙と呻き苦しみのなかにあるとき、私の身代わりに死んで下さったというキリスト、私が永遠の祝福を受け継ぐために復活されたというキリストの福音は実に驚くべき歓喜の音信(おとずれ)であった。私は初めて真実の愛というものを知った。…」
(一九四〇年 「午後三時の祈り」内田 正規著 15頁)
この福音の力を同じように結核で死の苦しみと孤独、見捨てられた悲しみの淵にある人たちに分かち合いたいというただ一つの願いから、彼は病床にあってもできることを始めた。それが祈りであった。ともに祈りあう友を求めての呼びかけに応じる人たちが次々と現れ、それが「祈の友」という超教派の集まりとなっていった。病気の自分自身も含め、死の苦しみにある人たちのために、互いに祈り合う祈りは、教派の別あるいは教義や議論、論争などとも無関係である。
戦前の結核患者は、死の病として恐れられていた。家族や親族からも友人からもまた仕事からも見放されていた。
私は両親や親族の一部の人たちからもその恐ろしさの一端を子供のときから聞かされていた。私は、敗戦の年の十一月に、満州の奉天で生まれた。そのときすでに、八月九日以来、ロシア軍が大挙して満州一帯に攻め込み、日本人への略奪やさまざまの悪行をなし、ある者は捕らわれ、女性はひどい辱めを受け、大混乱に陥った。そのなかから日本への帰国を目指して逃げていく途中に私は生まれた。帰国はそれから十カ月も後になったがその間の困難は非常なものであったであろう。私が生まれてそうした危機的状況であったために母は体をこわし、帰国後もなれない労働をすることになって重い結核となった。
そのために、療養所に入り死ぬと思われていたが大きな手術によって命をとりとめた。そのようなことがあったから私の記憶の中では、四歳のときに初めて母に出会った。
そのような中で、結核という病気の恐ろしさを子供のときから知らされていた。その後、母と療養所時代に同室であった人が私たちの徳島聖書キリスト集会の古い会員であったことが判明し、写真もその人が持っていた。
当時は、よく療養所のある山にはいって自らの命を断ったり、近くの大きな川に身投げをする若い患者がしばしばみられたとのことで、当時の結核の人たちの苦しみや悲しみを深く思わされた。
そのような暗い絶望的状況のなかで、ほとんどの人達は自分のことが精一杯であったが、内田 正規はキリストによって点火された聖なる霊の情熱によって、他者のために祈る心を起こされたのである。

…かつての私と同じように、今なおやるせない病床に身もだえする三百万同胞者の呻吟が聞こえて、私がこの病苦によって神の福音に接したごとく、彼ら一人一人が神の子の生涯に新生させられるようにと祈らずにおれない。「祈の友」はこの祈りを使命とするものと考える。…
もとより、生来の人間には、神の愛を実行する力がなく、それはまったく不可能なことである。しかし、心を神に向けることだけはできる。せねばならぬ。人が人であって動物でない以上、自分の力では実行はできなくとも、心だけは、気持ちだけは、祈りだけは清き高き神の子の生涯を目標とすべきである。… (「午後三時の祈り 」16頁)

他者に、祈りをささげることができるということは、キリスト者に与えられた大きな賜物だと言える。そして、その祈りによって、神からの賜物が相手に注がれることをも期待できる。
み言葉を持ち続けることはいつでもできる。死の近づいたときであっても、そのみ言葉にすがり、また「主よ、憐れんで下さい!」という心の叫びをもち続けることができるであろう。この、「主よ憐れみたまえ!」という叫びそのものが詩篇にもあり、福音書にもあるように、これもみ言葉のうちに含まれるものなのである。
 十字架で処刑された重罪人の一人は、その激しい苦しみのなか、死を迎えようとするときに、「主よ、あなたが御国に帰るとき、私を思いだして下さい!」という叫びにも似た祈りをイエスに向かって捧げた。その短い祈りを主は聞かれた。そして 今日パラダイスに入るのだとの約束をされたのであった。
そしてステパノもまた、その死のときに、自分に石を投げつけて敵意を燃え立たせているユダヤ人たちのために祈って、「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と大声で叫んだと記されている。
ここでも、祈りは最期のときまで携えていけるものだということが示されている。神の言葉、祈り、そして聖なる霊といった賜物、信仰、希望、神の愛はいつまでも続くといわれているとおりである。
「祈の友」には、祈られ、祈る という言葉がある。祈られている、祈ってもらいたい、それによって神からの力を与えられたい、主の祝福を受けたい、と願う人たちは多くいる。自分はまだ十分に祈れないから、祈りの力のある人たちに祈ってもらいたいという自然な願いがある。
祈られるということの背後には、誰かがまず祈ろうとする意志を持っているということで、それは神にうながされてそのようなこころが生まれる。そうした祈りを受け取り、主の力をいくらかでも与えられたと実感した人は、あらたに他者のために祈りを始める。他者に祈りを分かとうとする心が芽生え、そうすることで、祈られ、祈る集まりとなっていく。
神のこうした祈りへと励ますご意志は、自然界にも満ちている。野山や渓流、大空や雲、星、そして野草や樹木たち、といった自然の世界はそのまま神のご意志の現れである。それゆえ、神は愛をもっての交流、祈りの交流を励ましておられるのであって、それらの自然のすがたも確かに祈りへと勧めるものである。
樹木の沈黙のなかにたたずむ姿は、とくに大きな樹木の側にたたずむと祈りのすがたとして実感されてくる。それは神の祈りへのご意志をその樹木に込めているのだと感じる。野草の花の繊細な美しさ、それは人が見るかどうかに関係なく、神のよきものを周囲に与え続けている姿である。
自然の姿、色合い、たたずまいなどそれらはすべて神の清さ、力、いのち、美しさ等々を私たちに分かとうとする神のご意志に他ならない。
とくに夜空の星は、神の永遠の光を表し、神の私たちを見つめる愛のまなざしを象徴し、いかなる雲が妨げようと決して失われることのない神の一貫したご意志をも象徴している。それはまた、私たちへの主イエスの祈りをも感じさせる。主は夜を徹して祈られた。
星々が夜をとおして光続け、見つめ続けているのも、私たちの心の受け止めかた一つでそのような主イエスの祈りを実感させるものとしても受け取ることができる。
自然のさまざまのものが、神の私たちへの祈りの一端を表し、私たちの祈りを呼び覚ますものとなっている。私たちもそこから祈りが起こされ、星のような清いものを受けたい、花のような美しさを与えられたい、山々のような力を授けられたい…と祈りが生まれる。
次のような言葉も山という自然に触発されて救いの根源へと祈りを深め得た作者の信仰が表れている。

…わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。(詩篇一二一の12

人間の分かち合いのためには、まず自分自身が分かつべきものを持っていなければならない。それゆえにヨハネの手紙ではそのことを第一に記している。

…わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。
わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(Ⅰヨハネ13

他のところにいる信徒たちと、私たちとの交わりを持つようにと願い、私たちの交わりとは父なる神とキリストとの交わりであると言って、神とキリストとの交わりこそが根底にあり、そのことを通して他の人達との交わり(分かち合い)が生まれていくことを願っている。
祈りや祈りをもって他者と出会うこと、働くことなどは、神とキリストとの交わりのなかにあってなされることであり、それによっていっそう神に祝福される交わりが広がっていく。ここにこそ、何にも揺るがせられない本当の分かち合いが生まれる。

 


リストボタン世界のキリスト教の状況 ―特に中国について

日本のキリスト者は、一%程度というのが長く続いてきた目安であるから、百三十万人ほどだということになる。日本でいると、これは何も不思議なことはなく、学校や社会でもまた政治の世界においても、キリスト教人口が一%程度であることが、なにも問題ではない、ごく当たり前のように思われている。
しかし、一度、世界に目を向けるとどうであろうか。
日本の隣国である、韓国では人口の三十%ほどがキリスト教であり、外国への伝道活動も活発に行われている。
インドネシアは、世界一のイスラム教信徒を有する国であるが、それでもキリスト教人口は、十三%もある。
やはりイスラム教国として、その国のキリスト教などほとんど話題にもならないパキスタンにおいても、キリスト教人口は、280万人であり、二・五%ということだから、日本の二倍以上もあることになる。
また、インドについては、ヒンズー教やイスラム教ばかりで、キリスト者などいるのだろうかと思う人もいるかも知れない。しかし、インドのキリスト者の数は、人口の二・三%ほどになり、その数は約千九百万人ということになる。日本が百三十万人ほどしかいないことを考えると、キリスト者の数は日本の十倍をはるかに越える数である。
エジプトについても、日本人はキリスト教などごく少ないと考えがちであるが、実はエジプトには古い時代からキリスト教が伝わっている。それは新約聖書に はやくも記されている。(使徒言行録八章)
エジプトでは、イスラム教国ではあってもキリスト者は人口の十%に達する。
また、ほかのアフリカ諸国ではキリスト教人口は、日本人がなんとなく思っているよりはるかに多い。
例えば、ナイジェリア 67%、ウガンダ80%、タンザニア47%、南アフリカ52%などである。人口の70%、(*)。
このように、アフリカはキリスト教の信仰を持つ人が、多くいることにたいていの日本人は驚くであろう。アフリカに関しては、クーデターなど政変とかエイズ患者の多さ、あるいは一部の国々の大統領の起こした事件や問題点など、サッカーの大会とかに関しては報道されても、アフリカのキリスト教といったことについては、まったくといってよいほど報道されていない。

*)これらのデータは、インターネット辞書ウィキペディアなどによる。最後にあげたアフリカのデータは「世界60カ国価値観データブック」による。これは世界の数十か国の大学、研究機関のグループが参加して国民の意識を調査して90年から5年おきに行われている。各国18歳以上千人ほどのサンプルをもとにした数字。

こうしたアフリカにおけるキリスト教の広がりは、今から30年近く前からすでに予見されていた。
1982年に オックスフォード大学出版部から発行された、世界キリスト教百科事典(*)がある。 この事典の日本語版序文には、こうした内容を全体として把握したうえで、今後のキリスト教世界の展望として次のように記されている。

… 今世紀のはじめには、キリスト教徒の85%は、ヨーロッパにいたが、一九八〇年には、38・2%となった。その変わりに増加したのが、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど発展途上国)である。
この第三世界の国々のキリスト教徒の人口は、今世紀はじめは、全世界のキリスト教徒の15・6%にすぎなかったが、1980年には、44・3%と大きく増加している。
アフリカ人のキリスト教徒は、1980年には、14・2%となり、2000年には19・5%になることが予測されている。
またラテンアメリカでは、1900年には、11・1%であったキリスト教徒が、1980年には24・3%となり、2000年には、28・3%になると予想されている。

*)これは、全世界223か国のキリスト教の実態・歴史を精密に記述した他に類のない百科事典とされていて、そこには各国のキリスト教の最初の歴史から現状を詳しく記述し、キリスト教とそれ以外のその国の宗教について1900年、1970年、1975年、1980年にわたって、その数の変遷など数量的にも克明に記されている。さらにキリスト教については、その国の教派を網羅して、その創設年とともに教会の数、成人信徒、教会員の数などに分けて詳しく記述されている。原題は、World Christian Encyclopedia Oxford University Press 1982 日本語版は、教文館発行で大型本で小さな活字で千頁を越える大冊である。

このように見てくればわかるが、世界的に見て、日本のキリスト者の人口が一%程度というのがいかに低いかがよくわかる。
さらに、唯一の神を信じる、ということになれば、それはさらに日本の特殊性が際立ってくる。
イスラム教も旧約聖書から分かれた宗教とも言えるから(旧約聖書をも教典に含めている)当然、唯一の神を信じる。だから、イスラム国である、インドネシアやパキスタン、イラン、エジプト等々も圧倒的多数が、唯一の神を信じることになる。 インドネシアでは、イスラム教とキリスト教をあわせると九十%であり、唯一の神を信じる人が九割ということになる。
また、エジプトでは九十%がイスラム教、残り十%がキリスト教であるから、国民のほぼ全部が唯一の神を信じていることになる。

現代において最大のキリスト教国、キリスト者の多い国はどこであろうか。それはアメリカである。人口三億人以上あるが、キリスト者は、その八割程度というから、約二億四千万人となる。
それに次いでキリスト教人口が多いのは、どこであろうか。たいていの人の予想では、キリスト教というとヨーロッパ、というイメージがあるから、ドイツやイギリスなどを思いだすかも知れない。
しかし、アメリカに次いで多いキリスト教大国は、ヨーロッパでもロシアなど旧ソ連圏の国々でもない。
それは、中国である。中国では、キリスト教人口は、次のように、一億人を越えていると報道されている。数十年前までは、中国が世界第二のキリスト教の大国になるとは、だれも想像できなかったであろう。
中国のキリスト教事情については、ほとんど日本のマスコミでも報道されない。中国のことどころか、日本におけるキリスト教の実態も大多数の人はほとんど知らない。日本人はキリスト教そのもの、聖書の真理、さらにキリスト者の活動に関することは、ごくわずかしか知らないほどであるから、中国のキリスト教のことについて知らないのも無理はない。
後に引用する、現代中国のキリスト教資料集のまえがきで、中国キリスト教現代資料編纂研究会の責任者である、竹内謙太郎氏も次のように書いている。

「…否定的であれ、肯定的であれ、特に中国の歴史状況への無理解と誤解は絶望的といってよいほどです。
私たちの教会においても、中国にキリスト教会が存在することを知らない人々が多いのに驚かされます。ましてや、諸教会の中国での活動の状況を熟知することはほとんどありません。」

このような、マスコミや知識人たちの知識、関心の空白地帯といえる現代中国のキリスト教について近年では初めて短いながらも報道したのは、朝日新聞であった。

…政府非公認の地下教会。病人を見舞って祈り、貧しい人には集めたお金を渡す。活動に魅力を感じた信者が80年代末から激増、地区住民約三千の三割に達した。
責任者は「共産党は口先だけで何もしない。不公正な社会に希望は見いだせない」。49年の建国時に400万人だったキリスト教徒は今、政府公認団体では、2100万人、地下教会を含めれば1億人以上とみられ、7500万人の共産党員をしのぐ。中国は屈指のキリスト教国である。(「朝日新聞」二〇〇九年九月三十日)

朝日新聞では、このように紹介して、中国におけるキリスト者の増大は、キリスト者の弱者に寄り添おうとする姿勢によるという書き方であるが、そうした社会的活動に惹かれるだけでは決してキリスト者とはならない。
十字架の福音や復活の真理が渇いた魂に水がしみこむように入っていくからこそキリスト信徒となっていく。
共産党支配のもと、人々は神などいない、宗教は阿片だといった考え方を子供のときから徹底して教え込まれて、魂の平安を与えられなかった。そこに、目には見えない愛の神が存在し、私たちの心の深いところの汚れたもの、罪を清め赦して下さるといったことは、聞いたことのない斬新な真理として感じ取られたのがうかがえる。 まさに干天の慈雨として受け取られていったのであろう。

また、中国のキリスト教については、次のように記されている。

「中国には古くからキリスト教が伝来しているが、長い間イデオロギーの締め付けを主な目的とした宗教活動の制限や監視がされている状態が継続していた。しかし、改革開放政策の進展による経済格差や情報通信の発達などにより共産主義イデオロギーの絶対性が崩壊し、それに代わる精神のバックボーンとしてのキリスト教への帰依が都市部を中心に急速に進展しはじめた。
そして、国策に擦り寄る姿勢の仏教(政府から弾圧を受けているチベット仏教を除く)の不人気とは対照的に爆発的な浸透を農村部の深部や辺境地まで広げつつ教勢を増している最中であると伝えられている。…
在米の中国人人権活動家や在日本の中国人ジャーナリストなどの知識人が把握している直近の状況では当局の監督下にある国家公認教会と非公認教会の合計が人口の10%を超える段階に達しており一億三千万人を超えているという情報が有力である。」(「ウィキペディア」による)

ヨーロッパの代表的な国である、イギリス、フランス、ドイツなどは人口は六千万~八千万人余であり、キリスト教は七十%前後であるから、それらの国のキリスト教人口は、大体四五〇〇万~五六〇〇万人ということになる。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシなど旧ソ連圏の国々のキリスト者人口をあわせると、約九千万人だという。(キリスト教ハンドブック 三省堂)
このように、中国のキリスト教人口が一億数千万人というのは、確かに、世界第二のキリスト教大国だということになる。
中国のキリスト教徒の数は、最初に中国にキリスト教が伝来した一八〇七年から、一九四九年の中華人民共和国の成立までの一五〇年ほどかかって、信徒の数は四〇〇万人となった。
しかし、それから六〇年たった現在、信徒の数は、一億三〇〇〇万を越えているという。六〇年間で三十数倍にも信徒が増大したということになる。
しかも、中華人民共和国成立後は、徹底した無神論思想こそが真理だとされたから、毛沢東の死の一九七六年のころまでは、キリスト教の信仰の広がりは相当困難があったと考えられる。それゆえに、実質的にキリスト教が急激に広がり始めたのは、それ以降、一九八〇年頃からと考えられるから、なおさら、この現代中国のキリスト教の広がりの速さは驚異的だということになる。このような急激な増大は、長いキリスト教の歴史においてもほかではみられなかったほどであろう。
富坂キリスト教センター編によって出版された、現代中国のキリスト教資料集からもこうしたいちじるしい増大に触れられている。
…一九八〇年代以降、中国のキリスト教では、毎年六〇〇箇所前後の教会堂が再建、新築されており、今まで(一九九八年まで)の累計ですでに一万二千箇所を越えている。
これに加えて全国各地、主に農村地区に分布する二万五千の集会所がある。
中国キリスト教会は、一九八〇年から一九八七年までの七年間で、三〇〇万冊の聖書を発行しているが、さらに八〇年~八八年までの累計では、二〇〇〇万冊に達して、中国キリスト教会は、今や、世界で聖書の年間印刷数が最も多い教会となった。(富坂キリスト教センター編「原典 現代中国キリスト教資料集」新教出版社 二〇〇八年刊 六九六頁)

こうした中国のキリスト教の状況に実際に触れた人からの報告に触れてみたい。
これは、「いのちの水」誌 一九九九年十二月号に掲載した、中国のキリスト教事情についての小文であるが、ここにその一部を再度掲載しておきたい。
これは、その頃、河野正道氏(関西学院大学経済学部教授)から、筆者(吉村孝雄)に宛てた個人的な手紙に書かれていたことであるが、中国のキリスト教の実態については、この手紙を受けてから十年以上を経た現在でもきわめて情報が乏しいからである。
河野さんは、中国の大学への出張講義で出向いたおりに、中国の教会に実際に参加し、そこで見聞きしたこと、牧師から話しを聞いたりしたことを書き送って下さった。

…私がまず訪問したのは、遼寧省瀋陽市の朝鮮族の教会、西塔教会でした。そこの牧師さんは、以前、関西学院に講演のために来訪されたことがあったからです。その教会は説教も聖書も賛美歌もすべて朝鮮語であり、私には説教は「ハノニム(神様)」という言葉以外は全く分かりませんでした。しかし、賛美は力強く活き活きとしていました。
 その教会の現在の会員数は千五百人であり、十五年前には五百人でした。かなりのスピードで成長しています。また、瀋陽市内の漢民族中心の教会の出席者数を合計すると十万人になるとのこと。瀋陽の人口は二百万ですから、人口の十%、これはかなりの数と言えるでしょう。なお、この教会の牧師さんは数名おられるようですが、私がお話をさせて頂いたのは女性の牧師さんで大変に流ちょうで正確な英語を話す方でした。
 今年の春、関西学院を訪問された中国キリスト教協議会の韓文藻会長はその講演の中で、「中国にはたくさんの聖書があるから密輸しないように」、と言われました。確かに、中国で聖書はふんだんに売られており、その価格は、中国語の聖書が十二元(百八十円)、朝鮮語の聖書が二十元(三百円)でした。なお、聖書は、一般の書店には並べられておらず、教会の売店で売られています。しかしそれは、教会員だけに販売するのではなく、一般の外部の人にも販売しています。そのとき氏名や住所を尋ねるということはありません。だから誰でも気軽に買うことができるとのこと。
 この十二元、二十元というのがどれほどの金額であるかというと、市内のバス代が二元、タクシーの初乗り料金が五元、ホテルのご飯一杯が○.五元です。一方、所得の方は、大学教授の給料を例にとれば、これは地域によって数倍の開きがあるのですが、私が訪問した吉林大学では、教授の給料は月に二千元+ボーナス(専門分野によって異なりボーナスがない分野もある)とのことですから、聖書はかなり安い値段で売られていると言えるでしょう。
 次に訪問したのが、吉林省長春市の長春市キリスト教会です。ここは漢民族の教会であり、長春市では一番大きな教会です。なお、同じ名称で朝鮮族の教会も別にありました。この漢民族の長春市キリスト教会も急速に会員数が増えています。文化大革命前は百~二百人でしたが、(文革中はゼロ、教会堂は印刷工場として接収されていた)文革後の新宗教政策の下で千人に増えて、現在では一万二千人となっております。最近の特徴としては、若い人が増えたこと、高学歴の人が増えたことです。九七年には四千人が同時に礼拝できる巨大な会堂を建設しました。
 日曜日の礼拝は四千人ずつの三部礼拝です。訪問した翌週の日曜日まで長春に留まり、礼拝に出席した私の同僚から聞いた話によりますと、その日は聖餐式を行い、会堂に入りきれない人が外の階段まで溢れ、聖餐のパンを配り、盃を回収するまで一時間かかったとのこと。その間、四千人の賛美が続いていたそうです。その教会には牧師さんが五人おりました。…」

このように、文中で引用されている長春市の教会は、この五十年ほどで百倍ほどにもキリスト者が増えたということになること、四千人も同時に礼拝できる巨大な教会が建設され、四千人ずつ三回も礼拝しているなど、日本では考えられないキリスト教の広がりの力がそこに現れている。

また、ふとしたことから中国人キリスト者と親しい関係を持つようになったある女性が、インターネットに次のような記事を載せている。前述の河野さんが書いているのは実際に中国に行っての体験であるが、これは、日本にいる中国人のキリスト者との関わりから知り得たこととして書かれている。(これは、日本キリスト教団佐世保教会で、二〇〇八年の六月に話された内容である。)

…結局私は、もといた教会から彼らの教会に移り、たくさんの中国人キリスト者の友人を与えられることになりました。そしてそれと同時に、聖書に触れる機会も増え、迷いに迷っていた私の心にも、ある種の確信が与えられるようになりました。…
またあの当時、イエス・キリストや聖書について熱く語り、行動していた彼らの信仰は、今でも忘れられない、強い印象を私に残しています。祖国に帰れば教会で礼拝するどころか、迫害される危険性を孕んでいるにもかかわらず、いや、だからこそ、彼らの信仰は熱く、強いものとなっているように感じました。
彼らの情熱は、日本で生まれ育ち、自由な生活を満喫している私には、到底及びもつかないほどの力をもって、私に迫ってきました。幼い頃からマルクス主義や唯物論を学んでいる彼らが、その理論に失望し、なおも熱心に(キリスト教の)真理を追い求める姿には、強く心を揺さぶられました。
その教会は中国大陸にも分教会がありましたが、中国当局に認可されていない、地下教会というものでした。陳さんたちを通じて、私も地下教会に所属するキリスト者とも交流しましたが、彼らは逮捕や拘留されたこともあった、と話してくれました。その人の話では、地下教会の宗教活動は公にはできないので、個々の家庭に集まって礼拝を守っており、伝道もなかなかできないということでした。彼らとのインターネット上のメールのやりとりでも、一時は中国当局による検閲のため、用いる単語にも配慮するなど、気を遣うこともありました
…中国当局の宗教に対する姿勢についてご説明したいと思います。
1954年に公布された中華人民共和国憲法では、信教の自由を規定してはいました。しかしその後の文化大革命によって、大迫害を受けたのは先に述べた通りです。その後、1982年に憲法が改正された際に、改めて信教の自由について認められるようになりました。
しかし、これには中国共産党による「認可」が必要となります。まず現在、中国で公認されている宗教は道教、仏教、イスラム教、キリスト教・プロテスタント、キリスト教・カトリックの五つの宗教です。公認宗教は公開の礼拝所での礼拝を許されており、共産党の愛国主義的な指導を受け、国家宗教事務局という機構により管理されています。
そして、実際に教会堂の建設を行ったり、宗教活動を行ったりすることが可能なのは、政府に登録して認可を受けた教会のみで、それぞれの宗教の活動は、この国家宗教事務局が認定した場所と時間に、認定された聖職者によって執り行われなければならないそうです。
公認教会で作成された信徒名簿は政府に提出され、すべての信徒が把握されているとのことでした。また、未成年者への宗教教育は禁止されており、幼児洗礼も禁止であるそうです。中国の国民は幼稚園から大学まで、みっちりマルクス主義の唯物論を学ぶのだそうです。
法律上での信教の自由とは、先に述べた公認宗教及び教会のみについての自由であり、それ以外の非公認宗教及び教会は「邪教」とされ、弾圧が正当化されています。この弾圧の対象となるものの中には、中国と国交を断絶している、バチカンに追従するカトリック組織も含まれています。弾圧というのは、公安当局に逮捕や拘留されたりするほか、「法輪功」のような政府に批判的な団体などには、投獄、拷問、処刑も行われたりしているようです。
しかし、先ほど述べたように、現在ではこの状況も地域によっては若干変わってきているそうです。
四年ほど前から、上海に住んでいる陳さんからの話です。上海の地下鉄の車中、大勢の他人の目がある中で、キリスト者たちが聖書を開いて話し合ったり、賛美歌を練習したりしている様子を見たことがある。
日本人向けのフリーペーパーで、日本語での家庭礼拝のメンバーを堂々と募集する広告がある。また彼女は、今通っている国家公認のプロテスタント教会の説教で、浙江省温州という人口約800万人の都市に、イエスを信じる人が80万人もいるという話も聞いたことがあるそうです。
それ以外にも、今まで書店では販売を許されず、教会内でしか手に入らなかった聖書も、上海ではキリスト教専門書店がオープンして、そこでも販売されているようでした。…
(中国語翻訳者 福田彩子さんのブログから、本人の許可を得て引用。)

河野さんの報告や直接に話しを聞いたときにも、中国のキリスト者たちの熱心が伝わってきた。そして日本における中国人キリスト者たちの真理を愛し求めていく熱心とその力は、このブログの著者の心にも強い影響を与えたという。
日本のような異国にあって、しかも周囲は豊かな生活をしている人たちが多いなかであっても、そこに押し流されず、かつ、祖国に帰ってもその信仰は苦難を伴う可能性が高い状況にあったからこそ、かれらの内に信仰の熱心、主に従って生きようとする心が強められていると考えられる。
キリスト教の真理は、ゆたかな恵まれた生活、危険のない生活においては十分に染み渡っていかない。初代のキリスト者たちのあの燃えるような熱情は、たえざる危険と困難がすぐ身近にあったことと結びついていた。今日のヨーロッパが制度的に恵まれ、生活の安全が保証されている社会になっている国々が多く、そうした安全かつ豊かな生活においては、燃えるような信仰の熱は減少していく。そして次第に物質的な満足への熱心へと傾いていく。
こうした世界の状況に接してあらためて知らされるのは、神の力である。すでに二千年前に主イエスが言われたように、「神の力は弱いところに現れる。」(Ⅱコリント十二の九)
物質的な豊かさ、安全の保証、法律や制度の充実というものが整えられてくるとき、人間は切実な叫びを神に向かって捧げることが少なくなっていく。政治や施設に要求し、それらの目に見えるものを何でも手に入れる力を持つ金に頼ろうとする傾向が強まる。それとと共に、神に頼ることが少なくなっていく。
ダビデは今から三千年ほども昔の王であった。彼は子供のときから勇猛果敢、竪琴を弾く、詩作にも特別に恵まれている、武将として人々を率いて戦うすぐれた能力もあった。その才能ゆえに王に用いられるが、次第に王のねたみを受けて命までねらわれることになる。しかし、ダビデはそのような理不尽な王の追跡や迫害にもかかわらず一切武力をもって反撃しようとしなかった。そしてただ逃げるだけであった。そのような苦難は、詩篇の一部からも窺い知ることができる。
そのように弱さがあるときに、神の力が注がれ、その神への切実な叫び、祈りは詩篇の中にもくみ取ることができる。
しかし、彼を迫害して殺そうとした王が戦死し、ダビデが王となって国々を支配して豊かさと安定がもたらされたとき、ダビデに決定的な出来事が生じた。それは重い罪であり、死罪となるほどのものであったが、彼はその重さに気付かず、一年ほども経ってから預言者に指摘されて初めて気付くという状態であった。
みずからがどれほど神から離れてしまっているか、言いかえればいかに罪深いか、を知ることがなければ、その罪の赦しを乞うこともないゆえに、そこから神の祝福や力も与えられることも期待できない。
アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国において、キリスト者が増大してきたこと、それは、キリスト教信仰の力は、さまざまな意味の弱さのあるところに現れるということをこの世界の広範な領域でも示していることである。
旧約聖書においても、その信仰の力は、詩篇によくみられる。「主よ、憐れんで下さい!、助けて下さい!」と全身の力を込めて叫ばざるをえないような心、そこには自分の力に誇るところがまったくない。まさに主イエスが言われた「ああ、幸いだ、心の貧しい者たちは!」ということにあてはまる。
新約聖書においても、主イエスのところに、全身を投げ出し、心からの信頼をもって来たのは、精神的に「持たない人たち」すなわち、放蕩息子のように自分の罪を深くしらされ、立ち返ろうとした人たちであったし、また、健康や幸せな家庭、経済的安定等々を持たない、ハンセン病、全盲、ろうあ者、病人あるいは、そうした苦しむ人を身近に持っている人たちであった。
こうしてみるとき、神の力は、たった一人の病める心の人、孤独に苦しむ人という弱い人のところに与えられるし、世界的に貧しく、弱い人たちの国々にも現れるということが分る。
現代の混沌とした世界にあって、世界の無数の人々はこうした弱さに苦しんでいる。豊かな国々においては精神的な闇が立ち込めている。
この私たちの心に、また家庭や職場の至るところにある弱さのただなかに、そして世界のさまざまの地域の貧しく苦しむところに、神の力が来て欲しいと願うものである。そしてそのためにこそ、一人一人にさらなる神の力が注がれ、その力をもって、周囲の人たちに神とキリストを紹介していきたいと思う。

 


リストボタン詩の中から

一、泉のように
人が私をほめてくれる
それが何だろう
泉のように湧いてくるたのしみのほうがよい
(八木重吉 「八木重吉とキリスト教」教文館発行 158頁)

・人から認めてもらい、あるいはほめてもらったときの喜びも大きいだろう。逆に人からけなされ、否定されたために性格がゆがんでしまうことも多いのだから。
けれども、それはどこか浅く、またうつろう喜びでしかない。すぐまた、人から批判され、認めてもらえないことが生じるだろうから。
そうした外からくるたのしみや喜びと違って、内から湧いてくる喜びがある。
主イエスが言われたように、聖なる霊が与えられると、魂の内奥から泉のようにあふれてくるものが生じる。 それこそ、周囲によっては動かされない喜びである。
そしてまた、この世にあって、泉のように湧いているものを見出したときも…。

二、主にゆだねよ
主の御手から 苦しみも喜びも
安んじて受け、決して気を落としてはならない
主はあなたの運命をすみやかに変えて下さる
しかし、それを悪くするのは、あなたの嘆きだ

いたずらにあなたを苦しめるために
苦難が与えられたのではない
ただ信ぜよ、まことのいのちは
悲しみの日に植えられることを(ヒルティ「眠られぬ夜のために上3月15日」)

Leid und Freud ausseinenHanden
Nimmgetrosst; versagenimmer;
RaschkanerdeinSchicksalwenden;
DochdeinKlagenmachtesschlimmer

Leiden ist dir nichtgegeben
Um dichohne Not zuplagen;
Glaubenur , einwahresLeben
Wirdgepflanzt in trubenTagen.

三、ひとつになることの祝福

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。
それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。
主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。(詩篇百三十三)

この詩は何を言おうとしているのか、特に後半は一見あまりにも私たちとは無関係のように見える。
油が注がれてひげにしたたるとか、ヘルモンにおく露などといってもおよそなじみのない世界である。
これは、神を信じる人々が心を一つにして住んでいることに対する祝福を告げている詩である。
それはともに一つの共通の神を見つめているからこそ可能であり、そこから来る霊的共同体のすばらしさを歌っている。
これははるか後に主イエスが、私の名によって二人、三人集まるところには私はいる、と約束されたことを思い起こす。 主によって一つにされた人たちは必ず祝福を豊かに受ける。この詩は、そのすばらしさの実体験なのであり、また神がそのことを喜ばれるのである。 使徒ヨハネも、互いに愛し合え、その愛のなかに神はいます、と強調した。
そのような共同体にこそ、天よりの賜物、ここではかぐわしい油とかヘルモン山におく露とたとえられている。油とはもともと王や大祭司に注がれる特別に調整されたもので神の本質が注がれることを意味する。
ヘルモン山にしたたる露は、神の山シオンにも注がれ、渇ききった植物たちを生き返らせる。そのように、兄弟たちが主にあって愛をもって住んでいるところには、いのちの露が注がれるというのである。
人間は自分というのにこだわるからこそ、主にあって一つとはなかなかなれない。だからこそ、ここでこのようにそれが主の力により克服されたときに現れる霊的な新しい世界、祝福豊かな世界が描かれているのである。


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―クォ・ヴァディスより


今までこういう愛があるとは、推測さえしなかった。愛というものは、ただ火のような欲望だと思っていた。
ようやく今、心地よく、計り知れない落ち着きを感じることがあるものだとかった。これは私には新しい事だ。
この樹々の落ち着きをみていると、それが自分の中にあるような気がする。今になってわかったのは、人間がこれまで知らずにいた幸福があるということだ。
今になってわかったのは、どうして あなたもポンポニアもあんなに晴れ晴れとしているかということだ。そうだ、それはキリストのおかげ…」…
パウロが私にこう言ったのです。
「私はあなたに神がこの世界に来たこと、世界を救うために十字架にかかったことを信じさせた。…」
キリストは復活したのだから、神だったことをどうして信じないでいられようか。
それにあの人たち(パウロやペテロ)は、町のなかでも、湖の上でも山の上でも、キリストを見たし、嘘をついたことのない他の人々も見た。
私は、ペテロの話しを聞いたときから信じていた。
あのとき、私はもう、世界中でほかの人がみんな嘘をついても「私は(復活したキリストを)見た!」といっているあの人は、嘘をつかないということが自分にはわかった。
しかし、私はあの教えを恐れていた。あの教えには、知恵もなければ、美しさも幸福もないと思っていた。
しかし、世界を支配するのは、嘘でなくて、真理であり、憎しみでなく、愛であり、罪でなくて善であり、不信でなく信仰であり、復讐でなくて憐れみである…
その教えがわかった今、そうしたことを願い求めないなら、私はどういう人間だということになるだろう。
ほかの(ストア哲学などの)教えもやはり正義を欲しているが、人間の心を正しくするのはあの教えだけです。あの教えはその上、人間の心をあなたやポンポニアのように美しくし、あなたやポンポニアのように真実にします。
それが見えないなら、私は盲目です。そのうえ、神なるキリストが永遠の命と、神の全能によってのみ与えられるような絶えることのない幸福を約束したとすれば、人間としてそれ以上何か望むだろうか。
…私は今、なんのために、自分が徳を収めるべきかを知っている。それは、善と愛がキリストから流れ出ているからです。
真理を説くと同時に、死を滅ぼす教えをどうして愛せずにいられようか。…
私はあの教えは幸福に反対すると思っていたが、そうしているうちに、パウロがあの教えは幸福を少しも奪わないばかりか、幸福をさらに付け加えると信じさせてくれた。…
あの教えが神々の教えのなかで一番いいものだということを、理性が示しているし、胸が感じている。この二つの力にだれが反抗できようか。 …」

二人の魂には、言葉では言い表せない平静が流れ込んだ。そうしてヴィニキウスは、この愛が深く清いばかりでなく、まったく新しくてそれまで世界が知らず、また与えることもできないようなものなのだと感じた。
この愛に向かって、ヴィニキウスの胸にあるすべてのもの、リギアもキリストの教えも糸杉のこずえにしずかに眠る月の光も穏やかな空も集中し、全宇宙がこの一つの愛に充たされているように思われた。

…光が太陽から出るように、真の幸いは(主にある)愛から流れ出るのです。法律学者も哲学者もこの真理を教えず、この真理はギリシャにもローマにもなかったのです。ローマになかったと言えば、全世界にもなかったという意味です。
徳のある人々が心がけているストア派の教えは乾いていて冷たく、人々の胸を刀のように堅くし、それを善いものにするというよりもむしろ無関心にさせます。…
私は、リギアの不死の魂を愛し、二人はキリストの内にあって愛し合っているのですから、こういう愛には別離も裏切りも心変わりも老衰もありません。
若さと美しさが過ぎ去り、われわれのからだが衰えて死がやってきても、魂が残っている限り、愛は残るのです。
(「クォ・ヴァディス」(*
河野与一訳 中巻193 197頁岩波文庫 同 下巻311頁 )

*)「クォ・ヴァディス」ポーランドのシェンキェヴィチ作。「クォ・ヴァディス Quo vadis」とはラテン語。 クオー (どこへ)vadis ウアーディス(あなたは行く)を意味する。このタイトルそのものは、「主よ、どこへ行かれるのか」(Domine ,quo vadis)(ヨハネ福音書1336)からの引用。
作者は、ローマ帝国の歴史を詳しく研究し、それを二人の主人公の人間的な愛からキリストにある愛へと導かれていく状況を、ペテロやパウロなどの聖書の人物を登場させつつ、岩波文庫版で上中下の三冊、九百頁の大作に仕上げた。この作品は、50以上の言語に翻訳され、映画化もされた。また、この小説が評価されて作者のノーベル文学賞受賞(一九〇五年)につながったと言われている。岩波文庫ではこの引用に用いた河野与一訳の後、木村彰一訳 全3巻が 一九九五年に発行された。


・この引用した箇所では、主人公のローマ軍人が自分がまったく知ることのなかった新しい愛を、リギアというキリスト教の女性や、ほかのキリスト者との関わりから知らされていくことが記されている。
たしかに、全世界で至る所でさまざまの「愛」が語られ、愛によって育てられ、人を生かしあるいは支え、あるいは滅ぼしてきたと言えよう。
そうしたこの世の愛と根本的に異なる愛があるのをこの軍人は知らされていく。
たしかにこの世にかつて現れたことのない太陽が現れたと言えるほどであった。
確実に、また豊かに、真の幸いは神の愛から流れ出る。それゆえにもし神の愛を知らなかったら本当の幸いを知らないで死んでいくことになる。 人々がキリストに結びついて、主にあって愛し合うときには死を越えてそれは続いていく。裏切りも変質もない。信じる人たちはキリストのからだと言われているように、キリストによってまとめられて永遠の存在となる。
このことは、キリスト者同士が、主にあって、聖霊の実としての愛を互いに持っているときには、年齢や性別、能力、主人と奴隷といった身分の差、あるいは異国の人などに関わりなく、だれにおいても成り立つことである。
キリストの愛(神の愛)だけが、心変わりも、老衰もない。 信仰と希望と愛はいつまでも残るという 聖書の言葉が思いだされる。

 


リストボタン休憩室

○ 編集だよりにも引用しましたが、木星を見たことのない人が初めて夜中のとくに月のない晴れたときに、木星を見つけるとだれでも驚くことです。それほど強い澄んだ光です。(なお前月号で、「金星が見えなくなっていますが、」→「見えなくなっていきますが」)ということで、一字欠けていました。現在(九月十二日ころ)でも夜七時ころには、西方に雲がなくさえぎるものがなければ、金星は西の低い空に見えますが九月下旬以降になるとこの時刻では西に沈む直前となり、日没のときには見えなくなっていきます。

○以前にマムシに遭遇したことを書きましたが、あれからさらに二回、いずれも危ないところで咬まれるところでした。最近では、夜の集会から両手に重い荷物を背負って暗い山道を歩いて帰宅し、縁側にそれらの荷物を置いたところで、すぐ足元にとぐろをまいていたマムシを見つけ、一瞬の判断で、革靴で踏みつけて退治しましたが、本当に危ないところでした。 今までに何度となくこのように至近距離で遭遇したのですが、なんとか今まで守られてきました。
今年のようにすぐ近くですでに四度も、ということで何らかの意味が込められているように思われたわけです。霊的にみるとき、私たちのすぐそばにはつねにこうした危険があること、目には見えないサタンの力が私たちを襲おうとして待ち構えているということを思います。

…身を引き締め、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるライオンのように、だれかを食べてしまおうと探し回っているからだ。(Ⅰペテロ 58

主イエスも、これからみ言葉の伝道という使命がはじまるとき、サタンによって厳しい試みがなされました。
それはイエスだけにおこるのでなく、だれにでも、良きことをしようとすれば必ずそれを妨げ、その善き試みを呑み込んでしまおうとする力が働くということを示しており、そのサタンの巧みな接近を退けたのが神の言葉だったのを思い起こします。

 


リストボタン編集だより

来信から
○…四日ほどまえ、眠られないままに、木星のことが「いのちの水」誌に書かれていたのを思いだし、午前一時すぎに、私にも見つけることができるだろかと思いつつ、玄関の鍵を開けて、一歩外に出たところ、あっ!と声をあげてしまいました。
真正面、目の前にといってよいほどのところに星が輝いておりました。玄関がちょうど真南を向いているので、木星と分かりました。
澄んだ美しい光に何ともいえずしばらく見とれておりました。(中部地方の方)

○…深夜の明星(木星)は、何度も病気の息子と仰ぎ見ました。見るたびに感動いたします。 (関東地方の方)
・苦しみのときには、人間のなぐさめが与えられないときがしばしばあります。深い悲しみのときは、だれにもわかってもらえないという孤独があります。そのようなとき、静かに澄んだ光を投げかけている星のかがやきに深く慰められることが多いのです。 その星の光を創造された神の愛に触れることができるからです。

 


リストボタンお知らせ

923日(木)祈の友・四国グループ集会。11時~16時。問い合わせ先…上野 清次郎(坂出大浜教会牧師)電話0877-44-0779 私たちの集会から9名ほど参加予定です。「祈の友」会員でなくとも参加自由です。
925日(土)~26日(日)
無教会のキリスト教全国集会
大阪府吹田市にて開催。
1010日(日)吉村孝雄は、阪神エクレシア(午前10時~)高槻聖書キリスト集会(午後2時~)にて聖書講話。

1024日(日)、主日礼拝の後で、大阪の阪井和夫さん、浜田 盟子さんの来徳。この日、徳島聖書キリスト集会にて、特別集会があります。
阪井和夫さんは全盲のシンガーソングライターで、とくに水野源三さんの詩をもとにした作品が多く、CDにもなっています。

○「野の花」文集
今年の原稿を集めますので、10月末までに、インターネット、あるいは郵送などで吉村までお送り下さい。千字以内。編集の都合でカットや字句の修正がなされる場合があります。聖句や、好きな讃美の歌詞だけ、あるいは本の引用などでも結構です。