0.001グラムが引き起こした危険と不安 1999/12
今回のウラン加工施設で生じた、臨界事故では、火災が生じたわけでも、爆発があったわけでも、建物が壊れたのでも、また工場内で作っている物質が大量に漏れだしたのでもない。
現実に変化があったのは、わずか、一ミリグラム(一グラムの千分の一)という、極微量のウラン二三五という原子が核分裂しただけだ。にもかかわらず、数人の被爆した人は、取り返しのつかない損傷を体内に受けたし、三〇万人という人々が避難するという事態になり、内閣改造すら一時延期するほどの国家的災害となった。三十万人の避難ということも、じつは、事故現場から半径十キロメートル以内の人に屋内待避要請が出されたが、十キロメートルを越えたら安全だという保障はもちろん全くなかった。なぜ十キロメートル以内としたかといえば、半径十五キロメートル以内とすると、茨城県庁や、水戸市の中心部まで含まれてしまい、三十万人よりはるかに膨大な人間が含まれパニックになってしまうからであったという。
そしてこの一千分の一グラムという微量の核分裂は、現在も多くの人々に、将来何らかの病気になるのではないか、乳児や胎児への悪影響はどうか、農産物への不安など、毎日の生活や、将来の生活にも暗いかげを落とし続けている。
こんなに極微量で何十万人という人たちに甚大な影響をあたえ、国際的にも大きいニュースとなって世界をかけめぐったのであり、今さらながら、核物質の持っている想像を絶する力に驚かされる。
石油であれば、例えば十キログラムも燃えたとしても、それが人家などのないところなら、燃やしている現場で熱くなるだけで、燃えたあとも二酸化炭素と、水蒸気になって空気中に飛散し、後には危険なものは何も残らない。
このように、今回の事故は、いままでの日本の歴史において、最も微量の物質によって多数の人々が大きな混乱に巻き込まれた事件であったと言えよう。
放射線の危険は、外部からも、内部からも受けるのであって、この点においても、他の有毒物質とはまったく違っている。例えば、青酸カリは猛毒物質だとして広く知られている。しかし、その致死量は人間では百五十ミリグラムであって、その量で一人が死ぬという毒性であるから、今回の一ミリグラムのウランの核分裂であれほどの大きい被害と混乱が将来にもわたって持続するというのと比べると、色あせるほどの毒性だとわかる。
しかも青酸カリがいくら多量にあっても、そのそばにいても、体内に取り入れない限りなんら毒性はない。
しかし、今回のような核分裂では、その分裂の結果生じる物質(放射性物質のことで、死の灰とも言われる)を体内に取り入れていないのに、臨界になったウランの近くにいるだけでも、そこから出される放射線によって作業員が受けたような重篤な被害を受けることになるし、数百メートル離れていても年間線量限度を何倍も越えていた。
今回は少量ですんだが、ウランの核分裂で生じる放射性ヨウ素が空気中に放出されて、それを人間が吸入すると、体内の甲状腺に取り込まれ、そこからベータ線やガンマ線を放出して、周囲の細胞に害を与え、ガンを引き起こす。こうした被爆は内部被爆といわれる。ストロンチウム九十などは、骨に入ると出るまでに何十年もかかる。その間中、体内にあって、放射線を出し続けて細胞に害を与えていくのである。
それらよりはるかに強力な毒性を持っているのが、原子炉を運転していると生じるプルトニウムである。これは、人間が肺の中に取り込む限度は、四千万分の一グラムという極微量である。言い換えれば、わずか一グラムが、四千万人もの許容量に匹敵してしまう。
なぜこんなに異常に強い毒性を持つかといえば、プルトニウムが呼吸とかで体内に入ると、そこでアルファ線を出して付近の細胞の核のなかにある遺伝子が攻撃され、肺ガンや白血病を引き起こすからである。
このように、放射性物質は、体の外にあっても、また内に取り入れても危険を持つという、他の有毒物質ではありえない性質を持っているのである。
今回に問題となったような、中性子を出すような状況であれば、コンクリートで閉じこめてあってもそれを突き抜けて外に出てくるという特殊な性質を持っているし、プルトニウムなどは、何万年もその放射線を出し続ける点では、他の有毒物質とはまるで状況が違うのである。
また、原子力発電所は強い放射線にさらされるから、その寿命は三十年程度とされている。寿命のきた、原子力発電所は、普通の工場のように機械で破壊したらすむものでは決してなく、その発電所自身がぼう大な放射性廃棄物となってしまうのである。こうした点も、取扱いがきわめて困難であるという点で、他の工場とは本質的に異なっている。
核物質は、極微量でもその取扱いを誤ると今回のような国家的重大事態を引き起こす。原子力発電所は、このような危険物質を大量に扱い、またさらにそこからは、毎日莫大な放射性物質が生み出されている。例えば、通常の百万キロワット級の原発を運転すると、広島型原爆の一千倍もの放射性廃棄物を生み出してしまうのである。そのなかに、今回のウランよりはるかに危険で毒性の高い、プルトニウムも含まれている。
こうした危険性は、ほかの薬物とか廃棄物とかのいずれと比較しても、段違いの危険性を本来持っているものである。
今回の事故も、起こることはありえないと想定されていた。しかし、現実には起こったのである。その理由は、人間とは弱い存在であるからだ。どんなに機械でチェックしても、その機械や器具を設置し、動かしているのは人間であって、その人間は、金や権力、欲望には弱く、また体の病気や、疲労もあり、機械などの操作に間違いもある。
そしてどんなに安全装置を施しても例えば、原子力発電所の上から、ミサイルが打ち込まれたり、ハイジャックされた飛行機が落ちてくれば安全装置などで守ることは到底できないから、原子炉が破壊されてしまう。そうなれば、原発が制御できなくなり、チェルノブイリの事故のような状態となって、莫大な放射能がまき散らされることになり、核戦争並の事態となり、日本中が大混乱に陥るだろう。
しかし、やはり「そんなことはきわめてありそうにない」という理由で、そのことはだれもが避けて通る。けれども、今回の事故を見ても、誰一人予想もしないようなことが現実には起こるのである。罪深い人間、弱い人間であるから、ハイジャックとか戦争とかを起こさないとは断定できないのである。
私たちは、こうした人間の存在にとって、現在および未来にわたって重大な危険をもたらす可能性を持っている施設を廃止していくという前提に立って、そこからそれではどうしたらよいのかと一人一人が考えていかねばならない状況に置かれている。