キリストの死のとき (マルコ福音書十五・33~40) 2000/1
イエス・キリストは生きておられるときに、病人や目や耳、あるいは体の不自由な人たちに、神の力を注いで癒され、また新しい生活へと招かれました。そして神だけができると信じられていた罪の赦しをも与えることができる、人間以上のお方であることを示されました。
さらに主イエスは、息を引き取るときにもふつうの人たちとは異なって、驚くべき出来事があったと記されています。
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・・
イエスは大声を出して息を引き取られた。
すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マルコ福音書十五章より)
全地が暗くなったとありますが、これは何を意味するのでしょうか。これは、旧約聖書のアモス書にある預言が成就したということなのです。
その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする。(アモス書八・9)
世の終わりには、このように宇宙的な変化が生じると預言されていたのですが、実際に、その預言通りになったという意味が込められています。主イエスの死ということは、世の終わりが間近になっていることを指し示す出来事として当時の人たちに受けとめられているのです。
当時は、イエスという一人の若い人間が処刑されたなどということは、取るに足らない世界の片隅で生じた出来事だと周囲の人々には思われていたはずです。しかし、聖書では、それはきわめて重大な出来事、宇宙的な出来事であったという認識をすでに持っていました。
たしかに、イエスの死は、万人の罪をあがない、それを信じる人を新しく生まれ変わらせることになり、無数の人々を悔い改めに導き、国家を変え、歴史をも変えていく絶大な力となりました。キリスト教が全世界に広がっていく過程で、キリスト教とかキリスト教社会から生み出された文化を受け入れた地方では、そのときからめざましい変化が生じていったのです。日本においても同様でした。
キリスト教では、人間はみな唯一の神の前では平等であって、一人の罪人にすぎないという見方を持っています。その見方は身分差別を土台とする封建体制とは、根本的に異なっているのです。
キリスト教の大きい特徴は、その視野の大きさ、広さです。聖書に書いてあることが、数百年を経てようやく実現するということもあります。また、一部の人だけでなく、あらゆる民族にも伝わっていきつつあります。
この福音書を書いたマルコは、キリストの処刑後三十数年にこの福音書を書いたと考えられています。三十年後ですから、もちろんそれから二千年もの後のことがはっきりわかることは普通ではありえなかったわけです。しかし、聖霊はマルコに人間の予想などをはるかに越えた遠大な見通しを与えたと思われます。キリストの十字架上での死が宇宙的出来事であると知っていた著者は、当然この福音が世界に宣べ伝えられることを啓示として知らされていたと考えられるのです。
次に、イエスが息を引き取るときに、大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫んだとあります。それは「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」という意味です。
神と等しい本質を与えられ、数々の奇跡を行い、権力にも決して屈することなく、一貫して神の言を宣べ伝え、病人などをいやした驚くべき人イエスがこのような叫びをあげるとは、全く意外です。
死ぬときに、人からも捨てられ、自分の体においてもあまりの激しい苦しみのために「神様、どうして私を捨てたのですか!」と叫んで死んだという人のことを知らされたとすると、まず、それではそのような人は、最後には、神に見捨てられたのだ、どんなに信仰を持っていても、病気には勝てないのだなどと思う人が多いのではないでしょうか。
少なくともこんな叫びをあげて死んでいったらだれしも、その人は絶望して死んでいったと思うはずです。神に見捨てられたからこんな叫びをあげたのだと思うでしょう。
しかし、驚くべきことですが、このような絶望の叫びをあげた主イエスのすぐ側に神はおられ、死の後は、神のもとに連れ帰ったのです。だからこそ、聖霊というお方が死の後に弟子たちに注がれたのです。
私たちが神を信じて生きていても、前途にどんなに苦しいことがあるかもわかりません。しかし、いかに苦しく、また人から捨てられたようになり、実際周囲の人々はあざけり、悪口を言う、そんな状況でも、神の愛と真実を信じて神を見つめることを止めないかぎり、神が見捨てたのでは決してないということです。
これは私たちにとって大きい慰めです。私たちもいつ、重い病気やはげしい苦しみにさいなまれることがあるかわかりません。そしてそのような時には、かつてヨブが言ったように「どうして自分をこの世に生み出したのか」という叫びやうめきが生じてくることが多いはずです。しかし、そのような時、まさに神は最も近くにおられるということを、この主イエスの叫びは表しています。
次に、神殿の幕が真っ二つに裂けたということの意味についてです。
旧約聖書の時代には一年に一度だけ、大祭司が神殿の幕の奥にある至聖所に入って、牛とか山羊などの動物の血を注ぐことによって人々の罪のあがないをしていました。神殿の幕は、人々が神に近づけないことの象徴でもありました。主イエスの死はそのような神殿の幕を破ることによって、だれでも至聖所に入ることができる新しい時代になったことを象徴的に意味しているのです。
現在の私たちにとって至聖所に入れるとは、主イエスとの交わりが与えられることです。
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。
わたしたちの交わりは、御父(神)と御子イエス・キリストとの交わりです。(Ⅰヨハネ一章・3)
神殿だけでなく、この世のいたるところに、そうした目に見えない幕のようなものがあって、私たちが真理に近づくのを妨げています。
この世の生涯を終えて死が訪れるときにも、そこにはいわば分厚い幕がかかっていてそこから奥の世界はどうなっているのか、まったくわからなかったので、旧約聖書の世界においても、死後は暗い影のような世界だと思われていたのです。
しかし、主イエスによってその分厚い幕は切っておとされ、新しい神の国の世界、復活の世界へと入っていくことができるようになりました。
これは、他の領域においてもいえることです。例えば、自然を見るときにも、その背後にある神の御手のわざから成る世界という至聖所へと入っていき、神の御意志の一端に触れることができるようになったからです。
キリスト教から、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどの永遠に続く音楽家が輩出したのも、そうした人々が神とキリストとの霊的な交わりが与えられたゆえに、音楽の世界の至聖所へと入っていくことが許され、そこで聞き取った聖なる音楽を万人にわかるように広めたといえるのです。
つぎに、キリストの十字架の死は周囲の多くの人たちの前で、なされたため、さまざまの反応があったはずです。弟子たちや、主イエスに従っていた婦人たちなどはどのような驚きと、悲しみを抱いたことだろうかと思われます。しかし、そのようなことは何一つ記されていないのです。
そしてその代わりに、当時ユダヤ人を支配していたローマの一人の将軍の言葉のみが記されています。
「本当に、この人は、神の子であった」という短い言葉がそれです。
これは、人間の感情的な言葉を記すのでなく、以後のキリスト教にとっても、根本的に重要な信仰の内容がここに表されているからです。
神の子とは、神と等しい本質を持ったお方だという意味で使われています。職業も家庭も、この世の楽しみなど一切を捨てて主イエスに従った弟子のペテロですら、数々の奇跡やイエスの絶大な力を見ていながら、イエスを神の子と信じることは、弟子となってだいぶ時が経ってからであったのです。それは、主イエスが、エルサレムに行って捕らえられ、十字架にかけられるという最後のことを予告する直前でした。三年間もイエスに従っていても、イエスが殺されるときが近づいてようやく、ペテロはイエスが神の子であるとわかったのです。
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
(マタイ福音書十六・16)
主イエスがただの人間でなく、神と同じ本質を与えられている存在であるということは、決して、頭で考えたり、人から言われただけではわからない、それがわかる
のは、神から直接に示される(啓示)必要があったことを右の箇所は示しています。
だれかが、重罪人として処刑されたら、そんな人にだれも見向きもしないようになるのが普通です。とくに世を指導していた人がそんなになれば、それを見ていた人は、力がないからあんなにむごい死に方をしたのだと思うようになるはずです。
しかし、意外なことに主イエスの死においてこれ以上無力な死に方はないと思われるほどであったのに、そして弟子たちはみんな逃げてしまったというのに、そのような悲劇のただなかに、「イエスこそは神の子だ!」と深く心に啓示を受けた人がはやくも生まれたということなのです。
これは驚くべきことです。神の子とは神と等しい実質を持つお方であると見なされていました。だから、ヨハネ福音書には、イエスが神の子であるといったとのことで、神を冒涜しているとして死刑にすべきだとさえ言われたのです。
それほどまで当時の人々にとって、神の子だということは特異な呼称でした。ユダヤ人はモーセやダビデ、エリヤなど最大の人物すら、神の子だとは言われていないのです。
しかもイエスの死に方を見て、神の子だったと告白したのは神のことをよく知っているはずのユダヤ人でなく、ローマ帝国の百人の兵を従えている将軍でした。
これは、のちに、ローマ帝国の人々がキリストを神の子として受け入れるという預言ともなっているのです。そして、事実、このマルコ福音書が書かれてから、二百五十年程ののち、ローマ帝国は正式にキリスト教を受け入れ、国教とするまでに変わっていったのです。
このように主イエスが、「わが神、わが神、どうして私をすてたのか!」との絶望的な叫びとみえる声をあげた時、死そのものがすでに神の子であることを宣べ伝える働きをしていたのです。それは、神がなさったことであり、苦しみあえいで、息絶えていった主イエスのすぐ側で神が見守り、祝福されたことを証しするものとなったのです。