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君が代・日の丸 2000/3

文部省が君が代・日の丸を用いようとしない学校が多い都道府県の教育委員会に圧力をかけ、それを受けて教育委員会は、校長に職務命令としてそれらを用いるようにと命じ、長い間それらを用いてこなかった特に都会地区の学校の現場に大きい混乱が生じている。
 君が代とか日の丸がなぜ問題なのか、それはそれを用いて戦前には天皇への絶対服従をさせ、その天皇の裁断によって始められた戦争を推進する手段としてきたのであって、そのような体質に深い反省もなく再びそれらを用いるのは、太平洋戦争のあの悲惨な経験をないがしろにすることになるからである。
 第二次世界大戦を引き起こしたドイツそしてイタリアは、日本と同盟していた。敗戦後それらの国々においては戦時中の指導者であった、ヒトラーやムッソリーニは処刑され、あるいは、自殺した。そして戦争中使っていた国歌や、国旗を戦後は変えてその反省をはっきりとさせた。
 しかし、日本は戦争の最高責任者であった天皇は、何等の処罰もなく、責任をとることもなく退位すらせずにその地位に居座り、また天皇讃美の君が代、日の丸も全く反省も討議もされずにそのまま戦後も続けてきてしまったのである。
 少なくとも、太平洋戦争を引き起こした最終責任者としての天皇への処分とか退位を行い、そして君が代に変わる新しい国歌を募集して決定すべきであった。君が代は明白な天皇讃美の歌であるからである。
 ことにアジアの数千万という人々を殺し、苦しめたということを深く反省して二度とそのような悪を行わないようにすることこそ、日本に何より求められていることである。

 なぜ、文部省などが君が代を強制させようとするのか、その意図はどこにあるのだろうか。
 日本人は強固な精神的基盤がない。そこで、天皇をその基盤としてそこに人々を結び付け、そのうえで人々を思うように扱うという方法がとられてきた。戦争によって日本人自身もとくに若い人々を中心として数百万も殺されることになったのに、死んだ人々を靖国神社で神としてまつり、それを天皇が拝んでくれるのだから感謝せよというように教えられた。
 本来なら、人々から戦争反対という機運が生じてくるのに、天皇の命令だと言えば、だれも反対しなくなり、戦死者を神として天皇が拝んでくれると言われると、戦死した人の家族すら天皇に感謝するなどという奇妙なことになってしまった。
 明治政府がこうした天皇を用いて自分たちの思ったように動かすという方法を強力に用い始めた。そして天皇は生きている神(現人神)であるなどという明白な誤りを公然と学校で教えるということにまでなった。
 君が代、日の丸の問題は、すでに述べたように、日本が加わった戦争、とくに太平洋戦争のときに戦争推進の重要な手段として用いられたということにあり、それへの反省なくして戦前のような考えを再び広めようとする傾向にある。

 しかし、なぜそのように日本ではただの人間にすぎない天皇が神としてまであがめられたりするのだろうか、その根本原因を考える必要がある。
 それは、日本人の精神に変わることのない支え、基盤がないことにある。天皇という偶像を共通の基盤とすることなど間違ったことであるのは、天皇がふつうの人間にすぎないのであって、本来、特定の人間がそんな精神的基盤になどなることは不可能であるのは、人間の弱さや醜さを考えるだけでただちにわかることである。
 また、このような間違った偶像を精神の基礎とすることがなにをもたらすか、それは太平洋戦争を引き起こして数しれない人々を殺傷したことで証明済みである。
 君が代、日の丸の問題が私たちに提起しているのは、究極的には、人間の本当の精神的基盤を何に置くかということである。
 これは、聖書においては今から三千年以上も昔にすでにモーセが受けた神からの直接の言葉として明言されている。
あなたは私のほかに、なにものをも神としてはならない。
偶像を作ってはならない。それを拝んではならない。(旧約聖書・出エジプト記二十章より))
 真実な神、愛と正義の神、宇宙を創造した神を人間の基盤とするのでなかったら、必ず人間は他のもの、子供であれ、友人、家族、あるいはスポーツ選手とか、天皇のような地位の高い人間、あるいは、快楽、金等などを偶像としてしまうのである。
 君が代、日の丸の問題を政府は無理矢理に学校教育に持ち込んできた。
 日の丸も天皇がその背後にある。卒業式などで校長や来賓が深々と日の丸の前で礼をするのは、戦前ではその背後に天皇を意識させていたからであり、それがいまも続いているのである。かつては天皇の祖先は太陽神である天照大神であるというような神話を大まじめに教えられたのであったが、現在にいたっても日の丸への敬礼というかたちで生きているのである。
 数年前に七月二十日を「海の日」とすると決まった。これは、単に夏だから海に親しむからこの日を選んだと単純に思っている人が多い。しかし、これは、一八七六年に明治天皇が東北地方に行ったとき船を用いたが、横浜に帰ってきたのが七月二十日であったことがもとになっている。
 つまり、ここでも夏の休日をすら天皇と関係づけようとしているのである。
 また、最近、自民党の一部の議員から出されて四月二十九日の「みどりの日」を「昭和の日」と変えようとする動きが出ている。公明党も賛成にまわったということで、成立する可能性が濃厚になっている。この日はもともと昭和天皇の誕生日であって、ここでもたんに、昭和を記念するとか思い出すとかより以上に、「昭和天皇」と結び付けることが意図されているのである。
 昭和の時代といえば、第一に十五年ちかくにわたった日中戦争、そして太平洋戦争の計り知れない害悪を思い出すのであって、それを真に反省し、記念するために「昭和の日」という休日を制定するなら、八月十五日の敗戦の日のほうがずっとふさわしいはずである。
 また、時を考えるときの基準も、世界中で日本だけが人間の個人名を用いている。それが元号である。例えば、昭和五十年という言い方は、「昭和天皇の統治の五十年目」という意味を持っているのであって、古代中国がはじめた時間をも支配しようという考えをいまだに続けているのである。この元号制度によって、多くの日本人は時間を考えるときに、いまも天皇名を使っていて、そのたびごとに無意識的に天皇に結び付けられているのである。
 こうした傾向はさらに憲法も変えようとする動きにもつながっている。防衛庁を国防省にして、自衛隊を正式の軍隊と位置づけ、核の装備をも持とうとするそんな傾向が色濃く見える。こうした軍事への傾斜と、天皇への傾斜はまさに戦前において如実にみられたものであった。戦後半世紀を経て再びこうしたかつてのまちがった仕組みの方向へと押し流そうとする動きは歴史の大きな教訓をも見ず、まちがったものであることは明かである。
 確固たる精神的基盤をもたず、天皇などというふつうの人間を国の基盤とし、軍備という結局は人を殺し破壊する道具をよりどころとするならば、それは危険なことである。まちがった方向に暴走するのを止めることができないからである。
 キリスト者としての私たちは、この問題の根本は、なにを心の真の拠り所とすべきか、人間が第一として心に置くべき存在は何かということにあるのを知っている。
 そしてそのことをいかなる書物よりも明白に伝えている聖書の真理、キリスト教の真理を堅持していくことこそ求められている。
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