休憩室    2000/6

六月の自然

 六月となるとわが家のまわりの自然には、いくつかの心を引くものがあります。それは、ホトトギスの声、ホタルのともしび、そして裏山に自生するクチナシ、そしてウツボグサといった植物たちです。

 ホトトギスの声は、夕方からときには夜にも、そして朝にもあの独特の強い響きのある声でないているのが聞こえてきます。昔から特別に注目されてきた鳥であるのもうなづけるような気がします。

 ホタルは何年か前に、小さい谷川なのに残念なことにコンクリートで固めてしまってからは、もうわずかになってしまいましたが、それでも家のすぐ近くまで一つ二つと飛んでくる日があります。闇のなかに音もなく点滅するその光は、私たちの心をなんとなくしずめるはたらきを持っています。

 また野生のクチナシの香りはほかにはかえることのできないものです。その花のすがたも純白の花びらと黄色のめしべの配色にはどこか気品があります。園芸品種のクチナシももちろん香りはあるのですが、野生の素朴な心をひく香りには及ばないようです。

○今月号で触れた星野富弘さんが描いた絵はがきは、あちこちの書店でいつも見かけるほど広く知られています。彼は、体育の教師になってわずか二カ月で事故を起こして、寝たきりになったので、絵の勉強を専門的にしたわけでもなく、詩の勉強もしたことがないにもかかわらず、このように専門的な画家や詩人をはるかにしのぐように広く知られるようになったのは実に不思議なことです。

 これは、やはり今月の文で触れたように、神があらかじめ彼を特別な器として用いるためになされた神のわざであったのではないかと思われます。

 彼がこのように知られるに至ったのは、まず耐えがたいような重荷を軽くして下さるキリストのもとに行ったこと、そしてそこから生まれた、植物への愛であったと言えます。

 植物は山や林に行かなくとも、都会のただなかであっても街路樹とか公園、軒先の鉢植え、また病院の部屋にすらあります。どこにでもあり、しか 沈黙を守り、押しつけがましくなく、またペットのように手間がかからず、心を注ぐものにはだれにでも何かを与えてくれます。

 そして、野草の小さいたった一枚の葉にも種類によっていろいろの変化があり、花も実に多様です。

 そのかぎりない変化に富んだ姿は単調な生活を強いられる病院生活の人や、自宅療養の人にはとくに心の友になると言えます。

インターネットのことなど  2000/6-4

 現在ではインターネットを用いている人は二千万人になったということです。最近のわずか四、五年での増加ぶりには驚かされます。確かに視覚障害者や肢体の重度障害者にとって、また老人で一人家でいる人とかには、じつに便利でそれまで自分で手紙など出すことはできなかった人でも自分でメールというかたちで手紙を出すことが簡単にできるようになっています。

 しかし、他方では、その便利さが悪用されていることもじつに多いと思われます。インターネットとか携帯電話がなかったら決してできなかったような、よくない計画や内容のものが簡単に子供にも伝わってしまいます。

 こうした科学技術の産物は今後も果てしなく生まれていくと思われます。

そしてその結果は人間にとって本当に幸いなのか、どうかということは誰にも分かりません。

 科学技術の代表的なものであった原子力発電をドイツが今後二十数年間には、全廃すると決定したと報道されています。このように最も複雑で高度であり、しかも巨大な科学技術の産物を全面的に廃止せねばならなくなったというところに科学技術の性格が現れています。

 今までも、化学物質のうちDDTとかBHCなどの薬剤も、最初は極めて有用な物質とされて世界的に大量に使われたが、ずっと後になって広い範囲の動物たちにそれら薬剤が体内に濃縮されて蓄積されていき、食物連鎖によって、人間にも最終的にはその害にさらされるということで禁止になっていきました。

 携帯電話にしてもそこから発せられる電磁波の影響が案じられ、世界保健機構で何年もにわたる研究が継続中です。

 手軽にメールや情報を出して、簡単にさまざまの情報を取り出せるインターネットや携帯電話はまことに便利なものです。

 しかし、それらの便利なものも、そのうち大きな害を人間に及ぼすようになるかも知れないのです。

 そうした科学技術の危険性がつねにつきまとうこれからの世界において、それらから生じる有害な本質を見抜く力もまたますます必要になると思わ れます。

音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。