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外と内の変革-2000/12

今月の聖句
暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。  (マタイ福音書四・16)
 政治が変わらなければという言葉はよく見たり聞いたりする。しかし、政治とは日本という大きい集団の方針などを扱うことだが、政治が変わらなければと言いつつも、自分が変わらないなら、全体としては変わるはずがない。
 自分は変わらないでいて、周囲の社会、政治が変わって欲しいというのは、甘い考えである。それなら、自分に都合のよいようになって欲しいということと同じである。
 そして自分が変わらなければ、どんなに政治が変わってもやはり本当の満足は決して得られないだろう。人間の深い満足は外側の変化によっては決して与えられないからである。
 政治が変わる、変わらないに関わらず、私たちは自分が変えられることはできる。はるかな遠い古代から、現代にいたるまで、つねに社会や政治は理想的な状況であったことはない。いつも不正や裏切り、一部の者の欲望がはびこり闘争が絶えない。
 いつになっても外の世界の本質は変わらない。変わったように見えても表面だけである。人間の欲望が変わらないなら、その同じ人間が政治家を選ぶのであるから、そこで選ばれる政治家たちも変わらない。だから政治も変わらない。
 このような繰り返しを断ち切る道は一つだけ、外を第一に変えようとせず、私たち一人一人がその内部を変えていただくことである。
 キリストはじつはそのためにこの世に来られた。一人一人の魂の奥にある闇、罪という闇に光を与えるため、そしてその闇からあがない出すために来られたのであった。
 変えていただいた上で、外にも目を向けていく。そしてできることを信仰によって手がけていく。
 そこから必ずその人の周辺で何かが生じる。
 そして、最終的には、神が万事を最善にして下さるという約束を信じて委ねていくことができる。それは神とキリストの万能を信じる者に与えられた大きな恵みである。
神を実感すること

 信仰を持つ、それは見えないものを信じることです。神は目には見えない、しかしその存在を信じる。キリストが二千年の昔に、十字架で処刑された、しかし今も生きて働いているというそのことを目には見えないけれども、それをも信じる、また私たちの罪をぬぐい去ってくれたということも目には見えないがそれをも信じる、さらに、死んでも私たちはなくなったのでなく、神のいのちを頂いて復活するということ、それも目にみえない。
 世の終わりのときにキリストが再び来られて、一切を新しくするという壮大な内容も今はだれも見ることはできません。
 このように、信仰とは、とにかく目に見えないことを信じることだと思っている場合が多いのです。
 もちろんその通りです。
 しかし、私はキリストを知らされたとき、その直前にある種の「静かな細い声」といったものを感じたことが出発点にありました。
 それゆえに、神がおられることは、単にいるかいないかわからないが、とにかく信じているということでなく、魂の奥深くで実感できることであったのです。
 母の愛、心から信頼できる友人の愛、また異性の愛などの人間どうしの愛は、遠くに離れていても実感できるはずです。
 同様に、神もそれ以上に実感できる存在なのです。聖書に記されている人たちは、漠然とした実感どころか、「私の示す地に行け」などと、語りかけたその声と具体的内容まで聞き取っています。
 神とその愛を実感するというところに、信仰生活があるということは多くの人たちが語っていることです。ここでは、アメリカの奴隷解放のときに、大きい影響を及ぼした ストー夫人の名著「アンクル・トムズ・ケビン」のなかの一部を取り出してみたいのです。
 トムが奴隷として売られて行った先の家では、愛する娘(エヴァ)を失って悲嘆にくれるその家の主人(セント・クレア)がいます。しかし彼は娘が深い信仰を持っていたにもかかわらず、どうしても神を信じることができないという場面です。 「トム、私は信じない、信じられない。私はなんでも疑うくせがついてしまっているのだ。聖書を信じたい、しかしだめだ。」 ご主人様、愛の深い主にお祈りなさいませ。
・主よ、信じます。私の不信を救って下さい・、と。
 ・中ヲエヴァも、天国も、キリストも、何もない。」 「ああ、旦那様、あります!私は知っているのです。本当です。」トムはひざまづいて言った。 「信じて下さい、旦那様、どうか信じて下さい!」 「どうしてキリストがいるっていうことがわかるんだ。トム? お前、見たことなんかないじゃないか。」 「私の魂で感じるのです。旦那様、今だって感じています!ああ、旦那様、私は年取った女房や子供たちから引き離されて売られた時には、悲しみのあまりほんとにもう少しで死んでしまうところでした。何もかも奪われたように思ったからです。そのとき、恵み深い主が私のそばに立って言われたのです。
・求[れるな、トム!
・  主は、哀れな物の魂に光と喜びを与えて下さいます。あらゆるものを平和にして下さいます。
・中ヲ私は哀れな人間ですから、私からこんな考えがでてくるはずはないのです。主から出た考えなのです。」  トムは涙をぽろぽろ流しながら声を詰まらせて話した。
・中ヲセント・クレアは頭をトムの肩にもたせかけ、その堅い、忠実な黒い手をしっかりと握った。「トム、お前は私を愛してくれるんだね」と彼は言った。「私はお前のように、心の善い正直な心をもった人間の愛などを受ける値打ちなどないのだよ。」 「旦那様、私よりもずっと旦那様を愛しているお方がいますよ。恵み深いイエス様は、旦那様を愛しておられます。」 「どうしてそれがわかるんだ、トム?」 「私の魂の中でそれを感じるのです。
・キリストの愛は人知を超えるもの」なのです。」 (「アンクル・トムズ・ケビン」第二七章より)  なお、ここで、この作品についても二人の著作家の評価を引用しておきます。  このストー夫人の名作は、ロシアを代表する大作家トルストイが、その芸術論で、「神と隣人に対する愛から流れ出る、高い、宗教的、かつ積極的な芸術の模範として、シラーの「群盗」、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」、ディッケンズの「二都物語」、ドストエフスキーの「死き家の記録」などとともにあげている。(「芸術とは何か」第十六章)  また、ストー夫人やトルストイとも同時代であった、スイスのキリスト教思想家ヒルティも、この作品については、こう言っている。
 あなたはどんな本を一番書いてもらいたいと思うか。この場合、聖書の各篇は問題外としよう、同じくダンテも競争外におこう。・中ヲ  わたしの答えは、ストー夫人の「アンクル・トムス・ケビン」、デ・アミチスの「クオレ」、テニソンの「国王牧歌」である。 そのあとに、ゲーテ、シラー、カーライルなどの幾冊かの本がつづき、ずっとあとに、たとえばカントやスベンサーがやって来る。(「眠れぬ夜のために下」七月十六日の項より」
 このように、黒人奴隷のトムが家族からも引き離され、家畜のように売り買いされ、過酷な労働に使われてもなお、深い愛の心を保ち続けられたのは、ひとえに、神とキリストを心に実感して、その生きて語りかけ、力を与えるキリストとの交わりのうちに生きていたからであったとされています。
 しかし、これは聖書では当然なことですが、強調されていることです。 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(Tヨハネ一・3〜4)  神やキリストとの交わり、それは実感することです。単にいるかどうかわからないが、信じているというのとは大きい違いがあります。実感があるからこそ、そこに喜びが生じるわけです。
記念会ということ

 十二月のはじめ、静岡にてある方が召されての一周年記念の会で話をする機会が与えられた。ちょうどその次の日に静岡地区合同のクリスマス講演会にて話すことになっていて、静岡に行くので、そのときにと依頼を受けたことであった。
 キリスト者の場合は、神がとくに呼び出されてキリストを信じる者とされたのであり、その人が召されたことを思い起こすとき、とくに私たちは、神がその人を通して何をされようとしたのか、そして私たちに何が遺されたのか、何を受け継いでいくべきかを考えさせられる。
 神を信じ、キリストによる罪の赦しを受けてこの世を去った人はその存在が消えて無くなったのでなく、霊的な存在へと変えられたのである。使徒パウロは、死ぬとは、「天から与えられる永遠の住みかを上に着る」とか、「体を離れて、主のもとに住む」(Uコリント五章)と言っている。
 私たちは地上を去った人たちは神が最善にしてくださったと信じて委ねて、今生きている人が少しでも神に立ち帰ることを願っていきたい。だれでもいつかは必ずこの地上を去っていくのであり、召された人のことを思うことは、そのまま自分自身の前途にある死というものを見つめることでもある。死を見つめるときに、死んだらもう万事終わりなのか、それとも新しい世界へ導かれるのかということが最大の問題となる。  聖書にはその死を超えて働く力があるとはっきりと記されており、神を信じる者にはその力がすでに、与えられていることの重要さがあらためて感じられてくる。
 地上を去った人の記念会はその人が生きた歩みを覚えることであるとともに、その人をそのように導かれた主を思い、神とキリストを改めて思い起こす会でもあると言えよう。
大なる導き

 私たちのこの世で生きることは、時には非常に困難なことがあります。多くの人は、その生涯でもう死にたい、早くこの世から去らせて下さいと願い、思ったことが一度や二度はあると思います。
 そんな気持ちになったことはないという人も、残る生涯に生じる病気や、孤独、人間関係の苦しみなどでそのような気持ちが生じる可能性は濃厚です。
 元気なときには想像もできないような、激しい苦しみが襲ってくることは私たちの周囲にもいろいろと見られます。
 そのような苦しみと悲しみの満ちたこの世にあって、どのように生きるべきかは少しでも精神的に目覚めた人はだれでもが真剣に考え始めることです。
 そのようなこの世を生きていくときに二種類の生き方があります。 人間に従う道  一つは、人間の考えに従って生きることです。それは、伝統、習慣、周囲の考えかた、あるいは自分の考えなどいろいろです。伝統や習慣というのは、ずっと過去の人間のの考えや生活がしみこんだものです。多くの人たちは、このように自分の考えかもしくは他人の考えで生きていると言えます。
 携帯電話の流行とか、最近の高校生の乱れた生活姿勢なども、自分で考えたことというより、まわりの人間の考えや生活に動かされてやっているという側面が強いのです。あるいは、大学進学とか就職などもまわりの人たちの考えに動かされることが多いと言えます。
 政治の世界を見ると、首相といった立場の人も、自民党内部の評価や国民の世論に動かされています。
 宗教の問題にしても、同様で神社とか死人の供養といったことも、やはり本当に自分の内からの深い考えでしていることではなく、伝統とか習慣、まわりの人たちの考えに流されていると言えます。
 そうした伝統宗教に問題を感じて新しい宗教を言い出す人もいますが、オウム真理教のようにそうした人たちも自分のいろいろの欲望すなわち名声欲、権力欲など人間的な考えでやっていると思われる例も多くあります。
 そしてそのような宗教に入る人たちは、やはり自分でしっかり考えるのでなく、その教祖という人間の考えに引っ張られていくのです。
 そのような他人の考えや団体には引っ張られない、自分の独自の考えで生きていくという人もいます。しかし、自分の考えや意志の力で、悪に負けないで生きていくということは至難のわざです。そもそも自分の考えだけでは、何が正しいか、間違っているのかわからないこともしばしばあります。太平洋戦争の時など、精いっぱい自分で考えた人でも、あの戦争を、聖なる戦争だと固く信じてやまなかった人が大多数でした。天皇はただの人間であるのに、現人神であるとまで教えて、間違いを国民のほとんどが信じていたのです。

科学技術に頼る道
 、人間が生み出した科学技術を信じるべきか。科学技術は発達するほどに便利にはなっても、それが思いがけない危険や有毒物質を生じたりすることがつねにつきまとう。それは到底全面的に信頼できるものではないのです。
 また、科学技術の世界でも、あのときに阪神大震災が起きるなどど予見できた人はだれもいなかったし、高速道路があのようにもろくも崩れるなどは決してないと専門の技術者は確言していたのです。この世は人間の考えや意志で正しく歩くことができないほどに複雑で奥深いのです。交通事故にしても、いったいだれが好き好んで事故を起こして重傷を受けたいとするでしょうか。しかし、それは生じてしまうのです。
 近ごろ問題となっているフロンなどによるオゾン層破壊の問題にしても、そのフロンは一九三〇年代に初めて作り出されたもので、これは、最初は毒性が低く、科学的にも安定なので、冷蔵庫などで熱を運ぶ物質(冷媒)としてきわめて有用であったので、奇跡の物質とまで言われたほどです。当時は、この物質が製造禁止にせねばならなくなるとはだれ一人想像もつきませんでした。このフロンは、オゾン層を破壊して、人間の健康に重大な悪影響を与え、さらには二酸化炭素の数十倍から一万倍もの温室効果をも持つという性質がありことがのちになって判明したのです。
 フロンの問題は、一九七四年に、カルフォルニア大学の学者がフロンによるオゾン層破壊を指摘してから注目されるようになったのです。
 農薬汚染にしても、DDTやBHCなどの有機塩素化合物が広範な領域にわたって生物体に濃縮されて生物の命を脅かすなどということも、それらの薬品が作り出されたときにはだれも思いもよらなかったのです。
 例えば、DDTは一八七四年にドイツの科学者によって合成され、一九三八年にスイスのミュラーによって殺虫剤としての効果が発見されました。その功績のため、彼はノーベル一九四八年度のノーベル生理医学賞を受けています。しかし、その間の数十年の間に世界的に莫大な量のDDTが製造され、まき散らされていきます。
 そして初めて作られてからおよそ百年後の一九七一年には、日本では使用禁止となりました。発見から百年という歳月が使用禁止までには必要とされたのです。
 こうした有機塩素化合物が生物体内に蓄積され、動植物や人間に重大な悪影響をもたらすことを初めて精密な資料を駆使して発表したのが「沈黙の春」を書いた、レーチェル・カーソンでした。この本は一九六二年に出版されて以来、科学書としては稀なことですが、四〇年近くを経た今日でも多くの読者を持っています。この本は、環境問題の重要さに目覚めさせたのです。アメリカの大統領であったケネディもこの本によって政府はこうした有機塩素化合物の問題について研究をを始めたと言っています。
 このように人間の考えというものは、決して未来のことを正確に予見できない。それゆえ私たちが自分にせよ、他人にせよ人間の考えに全面的に頼っている限り、私たちの心は揺れ動く波のような状態にとどまるのです。 神に逆らう者は波の荒い海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。神に逆らう者に平和はないとわたしの神は言われる。(イザヤ書五七・20〜21)  もし、私たちが神を信じないなら結局人間を信じるしかありません。しかし、人間は実に変わりやすい。先日の自民党の混乱も直前まで言っていたことが土壇場でひっくりかえってしまった。
 このように信頼するものがないということになると、いったい何を私たちは信じていくべきか、ということになります。  次々と生じる未知の問題に対しても対応できる生き方とは何であるのかが根本問題となります。

神に導かれる
 こういう不信と疑惑の満ちた世界にあって、数千年も昔から、それらあるゆる悪や混乱にもかかわらず、真実と愛に満ちた神、しかも万能の神、宇宙を創造した神を信じるという人たちが起こされてきました。
 それが聖書に記されている信仰の道です。そしてその神に導かれる歩みがあるということです。
 この神の導きは聖書に随所に記されています。聖書とは、言い換えると神の導きとは何かという書物だからです。
 その一つを聖書のなかに含まれている詩集で見てみます。聖書の詩集は詩編といわれます。
 旧約聖書で最も愛されている詩は詩編二十三編です。それは、短いけれども、深い意味を宿しています。そこにある基本的な内容は、神の導きということであり、その導きにゆだねることから与えられる祝福がその内容です。
 この詩編は真珠であるとスパージョンは述べています。また、内村鑑三も同様なことを書いています。
 この詩の冒頭で、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」とあります。羊飼いとは、羊を導く者です。ここで導きの人生ということが簡潔にしかも美しい言葉で表されています。
 この最初の一言は、すべてを凝縮しているとも言えます。主がわたしを導く羊飼いであるから、その導きに委ねていくとき、さまざまの苦しみや困難があろうとも、それらをすべて超えて導いて下さる、そしてその過程でも、そうした苦しみを通り過ぎた後においても、豊かな神の国の賜物を下さる。それは心の平安であり、喜びであり、自分の最も深いところが満たされたという深い実感なのです。 主はわたしを緑の原に休ませ、 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
 ここには、牧歌的な情景がまず思い浮かびますが、決してそのような甘い内容ではなく、涙の谷、死の陰の谷を行くこともあるということを知っていたし、敵対する人にねらわれて危険な状況に陥ることも経験済みであったことがうかがえます。
 神の導きを受けるとは、そのように苦しみも悲しみもあり、命の危険すらあります。しかしそのような中でも、この詩人が最後に述べているように、慈しみや恵みが後を追ってくるというほどに、神から受けるものは確実であるという深い実感を持っていたのです。   それでは、こうした経験を与えられた人たちにはどのような人たちがいたのでしょうか。

ソクラテスと導き
 キリスト教を知らなかった、ソクラテス、プラトンも人間の理性以上のものに導かれる生活を知っていた、というより、それを生き方の根源としていたのです。それは、ソクラテスの最後を書き記した「ソクラテスの弁明」に記されています。 「わたしにいつも起こる、神からのお告げというものは、これまでの全生涯を通して、いつもたいへんしばしば現れて、ごく些細なことについても、私の行おうとしていることが、正しくない場合には、反対したのです。しかし、今度、私の身に起こったことは、あなた方も親しく見て、知っておられる通りのことなのであって、これこそ災の最大なものだと人が考えるかも知れないことであり、一般にはそう考えられていることなのです。しかし、その私に対して、朝、家を出るときにも、神の合図は反対しなかった。また、この法廷にきて、この証言台 立とうとしたときにも反対しなかったし、弁論の途中でも、私が何かを言おうとしているどんなときにも反対しなかったのです。しかし、他の場合には、話をしていると、あちこちで私の話を途中から差し止めたのです。ところが、今回は、いまの事件に関する限り、行動においても、言論においても、私は反対を受けないでいる。それは私にとって善いことだったということらしい。死ぬことを災いだと考えているなら、そうした私たちのすべての考えは間違っている。私に起こったことがその大きい証拠なのです。なぜなら、神の合図が反対しなかったということは、私がこれからしようとしていることが、何か私のために善いことでなかっなら、決して起こり得なかったことだったのです。」(ソクラテスの弁明40A-C)
 この言葉を見てもわかるのは、ソクラテスは哲学者の根源にある人物であって哲学は理性を用いる思索だと考えられているのに、彼は究極的な判断はじつは理性的な思考でなく、神からの声に従うことであった。神に導かれて証言台に立っているのであって、死を恐れないで最後まで弁論したのも、神の導きを確信していたからであった。
 それほど私たちは人間を超えた存在によって導かれることが重要なのである。 「死というものに対して、よい希望を持ってもらわなければならない。善き人には、生きている時にも、死んでからも、悪しきことは一つもないのであって、その人は、何と取り組んでいても、神の配慮を受けないということはないのだという、この一事を真実のこととして心に留めておいてもらわなければならない。」(ソクラテスの弁明41D)

聖書の人物に見られる導き
 次に聖書に記されている人物について、いかに神に導かれたかを見てみます。
 導かれるといっても、目に見える人間とか物質でないなら、何によって導かれるのでしょうか。それは、私たちの魂の奥深くに語りかけられる神の声です。静かななる細き声に他なりません。アブラハムやモーセも、そしてキリストの弟子たちも、パウロも同様です 聖書で最も重要な人物の一人である、アブラハムはキリスト教だけでなく、ユダヤ教、そしてイスラムにおいても信仰の模範とされています。これらの宗教に共通して重んじられているために、今日では全世界にアブラハムの影響が及んでいるとも言えます。
 その生涯の出発点は、神からの呼びかけを受けて、それに従うこと、神の導きにゆだねることでした。神の言に従い、神の声を聞くということは、すなわち導きの生活に入ることです。
 時にはアブラハムすら、神の導きがどんなに深いものかわからず、子が生まれずに苦しんだのちに老人となり、もはやあきらめていたときに神からの言葉によって子が与えられると言われました。しかし、アブラハムや妻のサラもそれを信じなかった。それは、神はそんな方法では導かないと思っていたからです。自分はもはや子など与えられない、神は子を持てない、いやな人生へと自分たちを導かれたのだという気持ちになっていたといえます。しかしアブラハムのような信仰に生きた人であっても、なお、神のご計画はわからなかったのです。
 アブラハム夫妻が子どもが与えられないという苦しみを通ってのちに子を与えるという仕方が神の導きであっのです。
 アブラハム以前にも神は導かれていたのですが、それははっきりとは現れてこなかったと言えます。しかし、アブラハムにおいてはっきりと始まったのです。そしてアブラハム以来、現在に至るまで、連綿として神の導きは絶えることなく続いてきました
。  アブラハムの影響力の大きさは、彼が特別な能力や才能を持っていたとか、武力を駆使して征服したということでなく、彼が唯一の神に導かれる人生にかけたことによる。
 モーセにおいても神の導きは、はっきりとしています。彼は自分の力で同胞を救おうと試みたあげく、遠く離れたミデアンまで命からがら逃げて行きます。その過程では、砂漠を文字どおり死の蔭の谷を歩むことになり、孤独な嘆きの谷を生きるか死ぬかというところで逃げて行きました。
 そしてそこで知り合った女性と結婚し、平和生活をしていたとき、一人荒野を羊を飼いつつ生活していたとき、当然神が現れたのです。そしてそこからモーセは初めて大いなる導きの生涯へと移って行きました。それまでも神はモーセを導かれていたのですがモーセ自身はそのことを知らなかったのです。
 そこから実に困難な、そして危険な生涯が始まりました。何一つ武力も権力もなく、たった一人で神から呼び出され、そしてその静かな細き声に従って行ったのです。
 モーセは自分には到底そんなことはてきない、言葉で相手に説得もできないと強く拒みましたが、神の強い御手によって妻子との平和な家庭での生活から引き出されたのでした。
 モーセが神の導きにゆだねたときから、彼の生活は困難と危険のただなかを歩むことになりました。せっかく救いだした同胞であるイスラエルの人たちは、砂漠地帯での移動ということにつきまとったあまりの苦しみのため、しばしばモーセに反抗し、殺そうとまでしました。
 その都度モーセは、神への必死の叫びと祈りによって神からの助けを受け、死の蔭の谷、涙の谷を導かれて行ったのです。
 神がモーセを導き、そのモーセが人々を導いて、ようやく目的の土地であるカナンに着いたのですが、目的地に入る直前、モーセははるかにその乳と蜜の流れる地、約束の地を遠くより見つめてそこで導かれる生涯を終えたのでした。

 パウロについて神の導きとはいかなるものであったかを見てみます。
 パウロは、ユダヤ人としてのきびしい教育を受けました。熱心に神に使えたと言っています。(使徒行伝二十二・3)  しかし、そうしたパウロが受けた教育は、神が送られた真理そのものであるキリストを受け入れることについては全く役に立たなかったのです。パウロはそのことをつぎのように言っています。 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらを塵あくたと見なしている。(ピリピ書三・8)
 パウロは自分の力で考え、実行している力を持っていました。だから大祭司に許可をもらってわざわざ国外にまで出かけていってキリスト教徒を捕らえようと考えたのです。しかし、それは神に導かれる生活ではなかったのです。迫害に向かう途中でキリストの光を受けたパウロは初めて自分の考えとか意志でなく、人間を超えた意志によって動かされる経験をしたのです。
 パウロは、復活した主イエスからの呼びかけを初めてはっきりと聞き取ったのです。そして「わたしはどうしたらよいのですか。」と尋ねたところ、主イエスは「立ち上がってダマスコへ行け。そこでなすべきことが知らされる。」と答えました。その言葉に従ってダマスコに行ってそこで神からそのことを知らされていたアナニアという人が祈りをもって手をパウロの上に置くと、目からうろこのようなものが落ちて目がはっきりと開かれました。
 こうしてさらにパウロは、主からの「急げ、すぐにエルサレムを出て行け。・中ヲ行け、我はあなたを遠く異邦人のために遣わす。」(使徒行伝二十二章より)
   という具体的な命令を受け取ったのです。このようにして、パウロにおいてキリストに導かれる新しい人生が始まりました。
 パウロはキリスト教の歴史において最も重要な人で、キリスト教がヨーロッパの宗教と言われるほどに短期間でヨーロッパに広がったのも、パウロ自身が、ヨーロッパの東方たるギリシャ地方にて熱心にみ言葉を宣べ伝えたからです。
 このように彼は決して、自分の意志でキリスト教伝道を志したのではなかった。自分の意志は反対のこと、キリスト教を撲滅しようとすることでありました。最大の使徒であったパウロにおいて、人間の意志と神の意志がいかに対立するものであるかがはっきりと示されています。
 このように、偉大なる使徒パウロと言われますが、じつはパウロを動かした主イエスこそ真に偉大なお方なのだとわかります。  ペテロはイエスの生前においてすでにイエスから呼ばれ、それまでの職業を捨てて、キリストに従って行ったのです。そしてイエスの導きを第一にするのを忘れて自分の考えを主張したとたんに、サタンよ退け!と厳しい叱責の言葉を受けたこともあります。
 また、その後も救いはただ信仰によるという重要な真理において、ユダヤ人特有の宗教的儀式(割礼)が必要だという考えに傾いていったとき、パウロから厳しく人々の面前でしかられたこともあります。
 けれども、最終的には、復活の主イエスが言われたように、キリストによる導きの生涯を送り、最後は殉教するということまで預言されているのです。 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネ福音書二十一・18)
 このように、神の導きによって生きることを始めた人も、途中で自分の考えや利得によって生きる方を選ぶことがあります。その時には神は何らかの人や出来事を通して警告を発して神の導きにあくまで従うようにされるのです。

歴史上の人物と導き
 このような聖書の人物以外にも、神の導きに従って歩んだ人は多くいます。キリスト教とは、生きて働く神の命を受けて、その神の導きに生きることです。
 歴史上でそのよき働きで広く知られている人たちというのは、じつはそのような神の導きのままに生きた人だと言えます。
 例えば、女性で最も知られているのはもちろんマリアですが、それについではジャンヌ・ダルクや、ナイチンゲール、ヘレン・ケラー、現在の人ではマザー・テレサといった人たちがあります。これらの人はみな、神の導きを深く体験したのです。
 ジャンヌ・ダルクは、ただの羊飼いの少女にすぎなかったが、十三歳のときに、神からの声を聞いて、それが強い力をうながすことを止めなかったので、ついにフランスを救うために、四百キロの道のりを出発したのです。そして男装をしていたことも、それも神の命令によると答えています。「私の行いはすべて神の命令によるのです」と。
 このように、ジャンヌは神の導きによって、砦に梯子をかけて登ろうとしたとき、矢を首に受けた、にもかかわらず、十五日以内でなおったし、その傷を受けたのちも馬にのったり、働くことをやめはしなかったと裁判のときに証言しています。
 そして捕えられ、一年ほどの苦しみのなかで神の声が嘘であったことを認めるような気持ちになった、しかしすぐそのあとで、悔い改め、火刑に処せられたのです。  さらにナイチンゲールについては、看護の世界で知らない者もない人です。彼女もまた、その生涯の初めにおいて神の声によって導かれた人でした。一八三七年、彼女が十七歳になる少し前に、「私に仕えなさい」という神の声をベッドの上で聞いたのです。それが後の彼女の大きい働きの原点でした。看護という仕事の重要性はだれもが知っています。彼女は看護は科学であり、芸術であり、専門的職業であるとして近代看護の基礎と専門職としての看護婦の地位を確立したという意味できわめて重要な意味を持っていますがそのような働きへとうながしたのが、少女のときに聞いた神の声であったのですから、いかに神の直接的な語りかけが大きい結果を生み出すかを知らされます。そしてその神に導かれて生きたわけです。
 ルターは宗教改革を開始した人で、世界の歴史にも重大な影響を及ぼしました。ルターに続くカルバンの流れを汲むキリスト者たちが、アメリカに渡り、最初の植民地を建設することになり、現在のアメリカにつながっています。  このルターは大学に入って死にそうになる出来事が二つありました。一つは自分が腰にさげていた剣の先が足にあたって、動脈が切れて多量の血が流れ出ました。意識不明になるほどで死にそうになったとき、「マリア、助けて下さい!」と叫んだとあります。
 このことの他に、夏の野原で激しい雷雨に出会い稲妻がひらめいてルターは地面にたたきつけられたのです。「聖アンナ様、助けて下さい。私は必ず修道士になります。」と叫んだのです。このときも人間の命の弱さ、死と隣り合わせた自分の命を深く知らされたのです。このことが、出世の道を捨て、父親の猛反対をも押し切って、修道院への道を取らせることにつながったのです。そこで、彼は聖書にであい、信仰によって救われるという福音の中心真理を啓示され、それを知らせる過程で、命を狙われるようになり、かくまってくれた場で、聖書をドイツ語に翻訳することになり、それが全世界に自分たちの国語で聖書を読むようにするという大きい動きの源流となり、さらに礼拝の仕方、讃美歌も新しいものに変えていきました。これが今日の世界のプロテスタントの礼拝の方式につながったのです。
 こうしたことすべてはルターがあらかじめ計画したことでなく、思いがけないところから生じていったことです。ここに神の導きがあります。神ご自身が必要な出来事を起こし、それが時には耐え難い苦しみにくながることもあります。しかし全体として神は大きいご計画によってルターを用いたのがわかります。
 こうした昔の人たちだけでなく、現代の人たちにもこうしたことは言えます。内村鑑三も全くキリスト教は好まなかった、それを無くするようにとの祈りを神社でしていたほどです。しかし、そのままいけば東京大学の教授になっていたと思われるコースを出て、札幌の農学校に移り、そこでクラークの残したキリスト教に触れて、キリスト者となった。卒業後は役人となったけれども、合わなかった。二十三歳で結婚したが半年ほどで離婚となって深い心の傷を負って、それを静めるためにアメリカに渡り、知的障害者の世話をすることになった。そうしてアメリカで出会った、アマスト大学のシーリー総長から、十字架の福音を深く知らされます。これは二十五歳のときでした。
 こうしてキリスト者として信仰を固くされて日本に帰ってから、新潟の北越学館に赴任したけれども、わずか数カ月で辞職してしまいました。その後、第一高等中学校の嘱託教員となりましたが、三十歳のときに、「教育勅語」不敬事件が起こり、学校を依願免職となります。こののち、妻が肺炎で死去し、いろいろと思いがけない苦しみが続いて生じます。
 こうした苦難や、悲しみは当時はどうしてこのような苦難が次々と生じるのかと、天を仰いで問いかけ、悲しむという状態であったと思われます。しかし、そのような思いがけないことがつぎつぎと生じるということこそ、私たちが神によって導かれている証拠だと言えます。
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