あらゆるときに-2001/2

今月の御言葉
イエス・キリストは
きのうも今日も永遠に変わることがない。(ヘブル書十三・8


 福音伝道の重要性は、変わらない。二千年もずっとその重要性がなくなったことはない。迫害のとき、それだからこそ、神はそのような真理に無理解な世に光を投げかけるために、少数の人を呼び出し 福音伝道に関わらせる。

 激しい伝染病の危険が満ちているとき、だからこそそのような死に面した人々にその苦しみに耐える力を頂くため、また死をも超える復活のいのちに希望を保ち続けるために福音は宣べ伝えられねば ならない。

 現在の日本のように、戦争もなくアジア、アフリカなどの多くの国々と比べると豊かさを十分に受けているとき、その時にはまたいっそう必要なのである。それはその物質的豊かさのゆえに、現在の日本 のように真実なる神から離れ、まちがった享楽や不正が横行するからである。そしてそこには心の純粋さや清らかさが枯れていく。だからこそその枯れた世界にいのちを注ぐために、また、人はパンのみ では生きることはできないことを知らせるためにこそ、福音伝道は必要となる。

 元気なときはその健康を神のために用いるため、病気のときはその苦しみを神によって耐え、いやしを与えられるため、そして死の近づいたときには死を超えた命を待ち望むために必要なのである。

 喜びのあるとき、そのときにも福音を伝えられる必要がある。人間の喜びや楽しさにふけって、もっと大切なことを忘れてしまわないように、また与えられた喜びが永続的なものとなり、さらに深くその喜びを与えてくれた源泉たる神を知って、神に感謝しつつ受け取るようになるためにも。

 どうしょうもない悪魔的な出来事に直面したとき、そのときにこそ、サタンを追い出す力をもったキリストに寄り頼む必要がある。そのためにもキリストを伝えねばならない。

 そして自分自身が弱り、悩むとき、それでも福音は伝えられねばならない。その悩みや苦しみはだれもが経験することであり、その悩みと弱さのただなかでこそ、キリストが働かれるから。弱きところに こそ神の力は現れ、その神が人の心に触れて下さるのだから。 キリストの福音ほどあらゆるときに、どんな場においてもその必要があるものはない。 


白き花

 今から二千六百年ほども昔、現在のイスラエル地方に住む一人の青年に、神が語りかけた。それは、その国が付近の大国に攻められ、滅びようとする危機状況のなかであった。そのようなときに、神はその青年に一つの植物アーモンドに注目させた。それは、日本のウメと同様にバラ科の花で、やはり早春に白い花を咲かせるので、よく目立つ植物であった。

主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンドの枝が見えます。」

主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと、見張っている。」(旧約聖書・エレミヤ書一・11

 アーモンドの花は、まだ、ほかの植物が寒さのために眠っているようなときに早くも白い花を開く。そのために、それは目覚めて見張っているということの象徴として神が用いられたのであった。

 国が滅びようとするとき、その原因は、人々や王が神でないものを神として拝み、真実な神への信仰を失ったからだと神は指摘する。

 そのような国民やほかの国々に対して真理を語る権威を、神はエレミヤに授けた。

主は手を伸ばして、わたしの口に触れ、主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に、わたしの言葉を授ける。

見よ、今日、あなたに、諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために。(エレミヤ書一章より)

 真理そのもの、正義そのものである神に背くことは、必ずさばきを招く、滅びるのだということを自分の国だけでなく、さまざまの国々、民族に対して警告し、真の神に立ち帰るようにと、警告し続けるのがエレミヤの生涯の目的であり、そのために神は青年エレミヤをとくに呼び出されたのであった。

 エレミヤが神から知らされた真理は、たしかにあらゆる国々、人々にあてはまるものであって、人間や国家が立つか、滅びるかの根本原理を含んでいたのである。

 そうした重い真理を、神は、早春に咲くウメのような白い花に託してエレミヤに語った。神をあなどり、さばきなどない、やはり力なのだ、武力であり、国家の富や広大さに頼るのがよいのだ、などといった考えは必ず滅びるということ、神はそのために目を覚ましている。真理をたえず預言者に与えるため、人々がいかにそれに耳を傾けるか、あるいは背を向けるか、それをじっと見守っておられるのである。

 エレミヤが住んでいた地方の所々に咲く白い花、それはほとんどの人にとっては単にその美しさに心を留めたり、春が近づいたことを感じさせるだけのものであっただろう。

 しかし、神はその白い花をも、人間や国家にかかわる重大な真理を告げようとする神の心を表すものとして用いられたのであった。

 日本では、一月から二月にかけて、ウメがその花をほのかな香りを漂わせて咲く。また、ウメと並んで、真冬に咲く花として人の心をひく、水仙がある。それらの花を見るたびに、そうした花の美しさや香りだけでなく、みんなが眠っているときでも、主によって目覚めている姿を思い起こすようでありたい。


フランシスコ・ザビエルの手紙から(一五四六年五月十日)

ザビエルは日本史の教科書に必ず現れる人物である。一五四九年、彼によってキリスト教が初めて日本に伝えられてから、わが国も大きい影響をずっと受けることになった。

 彼は、一五〇六年にスペインのナバラ地方、バスク系貴族の家に生まれ、パリ大学に留学中にイグナチウス・ロヨラを知り、イエズス会創立に参加した。

 一五四一年リスボンからインドに向けて、キリスト教伝道に出発、一五四二年インドのゴアに着き、南インド、マレー半島、モルッカ諸島に伝道した。マレー半島南部のマラッカで日本人アンジローを知り その案内で一五四九年に鹿児島に上陸、キリストの福音を伝えた。日本には、三年足らずしかいなかったが、鹿児島、長崎県平戸、山口などで伝道した。中国伝道の必要を知って、中国に渡ろうとしたが、上陸目前で熱病のために没した。

 彼は、スペインから、ポルトガルのリスボンを出発してから、遠くアフリカの南端をまわって、五カ月かかって、アフリカのモザンビークに着き、さらにそこから八カ月ほどを要してインドのゴアに到着。その後、インドの海岸沿いの各地をまわり、マレー半島から今のインドネシアになっている島々に渡ったのであった。そこにいたるまでにも、数々の困難があり、死に迫られたことも多かったが、つぎにあげた彼の手紙には、そうした危険のただなかにあって、神のみを信じて進んで行った彼の信仰が伝わってくる。

 こうした勇気と決断を与えて、困難きわまりない状況のなかへと進んで行かせたのは、主イエスであり、その点で使徒行伝に記されているパウロの心と通うものが見られる。

 ザビエルはヨーロッパの信徒たちに宛てた手紙を多く書いている。つぎの手紙はそのうちの一つである。日本に来る三年ほどまえに書かれたものである。


一五四六年五月十日

 このモロ島(現在のインドネシアの島の一つ、セレベス島の東にある)は、非常に危険で、住民は陰険なこと甚だしく、飲食物に毒を混ぜたりすることがよくあるので、ここに伝道をしようとする者は一人もいなくなった。

 つまりここにいる信徒に、キリスト教の教えを説明する者も、洗礼を施す者もない。私は彼らを助け、彼らに永遠の命を得させるために、自分のこの世の命を失うことを覚悟し、このモロ島に行く決心をした。

 私が、信頼も希望もことごとく神の上に置き、あらゆる死の危険に身をさらすのも、私たちの救い主であるイエス・キリストの教えに従うことを熱望するからである。主は、「自分の命を救おうとする者は、それを失い、私のために命を失う人は、かえってそれを得る。」と言われた。(マタイ福音書十・39

 この主の教えは、わかりやすいけれども、いざ、具体的に多くの恐ろしい危険が迫ってくるとその意味がわからなくなる。

 例えば、そこに行くと確実に自分の命を失うという時になり、神のなかに永遠の命を見いだすために、主のために、自分の命を失う覚悟をしなければならない時が来ると、その時、突然すべては真っ暗となり、その分かりやすいと思われた言葉の意味すら分からなくなる。

 この時にあたって、神の言葉の真の意味を知ることができるのは、学問があるかどうかにかかわらず、私たちの主なる神が、計り知ることのできない愛をもって、魂を照らして下さる者に限られている。

 こういう場合になると、自分の体がいかに弱くて頼りない存在であるかを知るのである。多数の友人や、私に忠実な人々は、このような危険きわまりない島に渡ることを思いとどまらせようとして、ありとあらゆる解毒剤を持ってきてくれた。
 私は彼らの愛と好意に対して深く感謝した。

 しかし、私は恐怖を持っていないのに、ことさらにこんな恐怖を作りだそうとは思わなかったし、神にのみ置いている希望を少しも失いたくなかったから、親切と涙とをもって提供されたこれらの薬剤を、一つも受けなかった。

 私は、これらの人々に、祈りのなかで、私のことを思ってくださいと頼んだ。祈りの力は非常なものであるから、これにまさる解毒剤はない。


 以上のような、ザビエルの信仰は、新約聖書に現れている使徒パウロの信仰を思わせるものがある。神を信じて、あらゆる危険にもかかわらず、進んで行ったパウロは、つぎのようにその危険に直面したときの心にあったことを書いている。

 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまった。

 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いであった。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになった。

 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださるだろう。これからも必ず救ってくださると、わたしたちは神に希望をかけている。

あなたがたも祈りで援助してほしい。(新約聖書・コリント地方の信徒への第二の手紙一章より)

 とくに、パウロもザビエルも、祈りで支えて欲しいと願っていることは、注目すべきことである。まだ神の力や愛を少ししか信じていないときには、祈りなど、空を打つようなもので、なにか捕らえどころのない、本当に聞いてもらえるのだろうかといった疑いがつきまとう。

 しかし、自分が祈りによって危険から助けられた経験を持つものは、祈りこそが神の力を呼ぶものであり、たとえ祈る者が非力なもの、弱いものであっても、大いなるわざがなされる道であることを知っている。

 パウロの大きい働きの背後には、かれ自身の祈りとともに、背後にあって祈り続けていた信徒たちの祈りによる支えが大きいのであって、ザビエルもまた、そのパウロによって道がつけられた同じ祈りの道を歩んでいたのがわかる。

 そして祈りとは時間と空間を超えているゆえ、祈りの力は現在も変わることはない。

 パウロやザビエルからはるか遠い時代にいきる私たちもまた、そのような祈りの道を主によって歩ませて頂きたいと思う。


右と左の脳

 人間の大脳は、二つの大脳半球からなっていて、それは右脳、左脳と言われています。その二つは同じ働きをしているのでなく、違った働きを受け持っているということがわかっています。それは、一八
三五年頃にフランスの外科医が脳の損傷のために話すことができなくなった人たちの記録を集めて、それを検討したところ、全員が脳の左側に損傷を受けていることがわかりました。

 このことが、左右の大脳の働きが違うということがわかるきっかけとなり、その後二五年ほどしてやはりフランスの神経学者によって、言葉を失った人々が死んだ後で研究したところ、すべての例で左の脳の部分に損傷があったのがわかり、これが初めて一般に認められる証拠となったということです。

 いろいろの実験から、右の脳は、図形や立体的なものの認識とか音楽的能力、直感的な思考に深く関わっていて、左の脳は、言葉を使うこと、筋道をたてて考えることなどに関わっているのがわかっています。

 話したり、字を書くこと、特に考えをまとめて書いたりするときには、左の脳がよく働いています。しかし音楽を味わったり、図形や立体的なものの形を把握したり、形あるものに作り上げたりすることは、右の脳が多く働いているということです。

 それなら文を読むことはどうでしょうか。当然、言葉に関わるのだから、左脳が働いていて、右脳は働いていないと予想されます。

 しかし、実験の結果、たしかに左脳は働いているけれども、右の脳も働いていて、科学関係など専門的な書物を読んでいるときよりも、民話を読んでいるときの方が、右の脳が活性化されたのです。

 これは、民話では、論理的に考えるということより、わかりやすい内容で想像をめぐらせたり、登場人物の喜びや悲しみなどの感情をともに味わうことがあるからだったと考えられています。

 このような脳の働き方を知るとき、信仰を持って生きること、旧新約聖書を研究的にあるいは、味わって、祈りつつ読むということは左右の脳に活性化を与えるというのがわかります。

 信仰とは、目に見えない神とキリストを仰ぎ、主からの愛を受けることであり、これは、著しく直感的なことです。信仰生活にふかく結びついている祈りは、目に見えないお方との深い交流であり、心からの叫びであり、対話であり、また神の国からの音楽に耳を傾けることでもあります。

 また、信仰とは、神からいのちの水を頂くことであり、それは心をうるおし、善いこと、美しいこと、清いことに敏感に感じる心を育ててくれます。

 それは右の脳をつねに活性化していくことだと言えます。

 キリスト教信仰から、世界で最も広く、しかも永続的に愛好されているバッハやモーツァルト、ベートーベンなどの音楽が生み出され、絵画や彫刻、建築でも永遠的な美しさを持つ作品がつぎつぎと造られていったのも、キリストは右脳をつよく働かせるからだと言えます。

 そして最も重要な神の愛を受けること、その愛を働かせることもまさに直感的なことであり、右の脳が深く関わっていると言えます。

 他方、キリスト教は、論理的、科学的な思考をも刺激するのであって、キリスト教の歴史の最初からパウロやアウグスチヌス、トマス・アクィナス、パスカルなど、論理的、哲学的な思想家をもつぎつぎと生み出してきました。

 また、ケプラー、パスカル、ニュートン、ファラデー、パスツールなどというきわめて重要な働きをした科学者たちもまた、聖書で示されている神を信じていた人たちです。

 科学史上の最大の天才と言われるニュートンの光学や、微積分学、万有引力などに関する重要な研究成果は二十三歳から二十四歳にかけてのわずか二年ほどに集中して生み出されたものでした。

 他方、彼は聖書の研究には生涯のはじめから一貫して晩年に至るまで強い関心を持ち続け、キリスト教や聖書に関する論文は、小型本で五十冊にもなる分量だというし、当時はなかなか手に入らなかった聖書であるのに、十二種類もの聖書を持っていたということです。さらにキリスト教関係の有名な著作家(教父と言われた人たち)の膨大な書物を持っていたということです。

 このように、キリスト教信仰を与えられるとき、左右の脳がそれぞれに働くように仕向けてくれるのです。その上、右脳は死ぬまで壊れていく度合いが左脳より少ないとも言われています。

 キリスト教信仰を与えられるということは、このように科学的な方面から考えてみても、深い意味があるのがわかります。二十一世紀は、何の時代か、それは一つには、老年の時代だとも言われるほどに、かつて人類が経験したことのない、高齢化社会が訪れると考えられています。

 老年に至るまで人間の心を高め、深め続けるもの、それは私たちの心の内に住んでくださって、左右の脳をそれぞれに刺激し、活性化しつづけるキリストに他ならないのです。


いのちの光を受けた人

 いつの時代においても、「いのちの光」こそ、最大の問題だと言えます。

 なぜかと言えば、だれでも、生きるエネルギーを求めているからであり、しかも積極的に、生き生きとした心とそのような日々を生きていく力を求めているからです。それこそ、新約聖書で言われている「いのち」なのです。

 どんなに知識があっても、また金や家などの財産があっても、生きていく力がなくなることがある。病気に倒れてもう生きていく気力が失せてしまうことがある。老年になって、前途は死と病気、孤独ばかり、そうした状況を見つめるとき、生きて行けない。

 また、私たちの数々の苦しみや失敗、罪などは、なにが本当なのか、何が真に価値あることなのかが見えないから生じてきます。

 現代に最も必要なのは、このような意味での「光」と「命」なのです。

 光が欠けているとき、どのようなことが生じるでしょうか。さまざまの新興宗教のように、自ら光を与えると称しているが、実際は、かえって闇を与えるようなものが実に多いのです。

 信者から金をまきあげたり、精神的にも異常な考え方になってしまうようになる宗教もオーム真理教のようにいろいろとあります。

 戦争も大昔から現代にいたるまで、つねに生じていますが、それも大量殺人であるのにその悪魔的な本質が見えない人たちがたくさんいるために、戦争が絶えないのです。

 私たちが罪を犯すのも、それが罪であることが見えないから、またその罪を犯すとあとでどんな苦しみや悲しみが自分や周囲の人々に生じるか見えないからだと言えます。

 また、本当に大切なものが見えないから、価値の低いもの、いろいろなまちがった遊びや誘惑に引っ張られてそこでますます心が汚れ、壊れてしまうということもあります。

 最近の若い人たちの大きな問題は、性に関わる間違いが心を汚し、精神的にも打撃を与えていくということが見えないということだと言えます。

 また、最近も自民党の多数の政治家に不正な金が流されたということや、外務省に関わる金にまつわる不正など、たえずこうした暗い事件が報道されますが、それもこのように不正な金でものごとを隠れてすることがどんな結末を招くのか、そうした行為の行き着く先は何であるのかが見えないということなのです。

 今年度末の国・地方の債務残高が六百六十六兆円にも達するような状況であるのに、真剣に対処しようとしないのです。これもこのままいけばどうなるのかということが見えない、見ようとしないところにあります。

 私たちはだれでもいろいろの悩みや苦しみに直面します。そうした悩みも、いま直面している問題の本質や、その解決方法が見えないからです。もし、はっきりとそうしたことが見えているなら、悩むこともないはずだからです。

 このように見てくると、いたるところで「見えない」ということこそ、あらゆる問題の根本にあるとわかります。

 こうした問題はもちろん今に始まったことでなく、人間の歴史とともにあったのです。世界の大思想家、宗教家などと言われている人は、みなこうした問題に真正面から対決し、その解決を求めてきたのです。

 日本において仏教より古く、四世紀頃から大きい影響を与えてきた儒教はどうでしょうか。孔子は、神(の霊)に仕えることについて尋ねられたとき、人に仕えることもできないのに、どうして神(の霊)に仕えることができようか。」と答えたし、死とは何かと問われたとき、「生きるとはどういうことかがわからないのに、どうして死のことがわかるだろうか。」と答えたのです。(「論語」巻六より)

 このように、中国最大の宗教家、哲人とされている孔子も、死後のことや、目に見えない神に仕えることについては、それがどういうことか見えなかった、理解できなかったゆえに、語ろうとしなかったのです。

 また、あるとき、弟子の一人が、物事を本当に知るということはどんなことかと尋ねられて、「人として正しい道を歩み、神の霊には大切にしながらも、遠ざかっている、これが知っている人のあり方だ」と答えています。

(原文は、「鬼神を敬してこれを遠ざく」であり、鬼神というのは、日本でいう角のある怪異な鬼ということでなく、神々のことを古代中国ではこう表現していた。)

 このように、儒教のもとになった孔子は、神の霊とか死後の命については、見えなかったことがうかがえるのです。

 つぎに、キリスト教と並んで、ヨーロッパの思想を支えてきたといわれるギリシャ哲学はどうでしょうか。ソクラテス、プラトンやアリストテレスなどは、善とは何か、真理とは、美とは、勇気とは、死とは、教育とはなどといった多方面のことにわたって綿密な思索をしました。アリストテレスは、そうした人間に直接関わること以外にも、天体の運動や、生物など多方面で哲学的な思索を展開していきました。
それは、今日まで二千数百年にわたって、大きな影響をもたらしてきたのです。私自身、善とか真理、美、永遠、命など、そうした問題を哲学的に考えるということを、こうしたギリシャ哲学によって初めて知らされたのです。

 それほど人間のきわめて多方面の精神生活に大きい影響を及ぼしたにも関わらず、ギリシャ哲学の天才たちすら、その重要性が見えなかったことがあります。

 それが、弱い者への愛とか小さい者の持つ意味です。プラトンの膨大な著作には、弱さの意味、小さい者の持つ重要な意味などについては、全く語られていないのです。これは、聖書と比べると一層その違いに驚かされます。

 ギリシャ哲学では、弱さというものが何か意味があるようには全く書かれていない。プラトンの全著作の語句索引は岩波書店から出版されていますが、その七百ページ余りある分厚い本には、「弱さ」という項目すらないのです。

 プラトンは主著と言われる「国家」において、人間は、細長い洞窟の奥にいる、そして明るい洞窟の入り口からもれる光に背を向けている、しかし、その中から、一人が光の来る入り口に方向転換して、暗い洞窟から出てくる、そうしてその光の世界を知らせようと洞窟に入って呼びかける、しかし彼らは光の世界があるなどと信じることもせず、光を告げ知らせようとする人を殺そうとまでする。そのようなことが記されています。

 プラトンは確かに、周囲の大多数の人間が知らなかった新しい光を受けたと確信していたのがわかります。しかし、彼が受けた光も、弱い者、傷ついたもの、小さい者といった人たちの意味を知らせることができなかったのがわかります。

 芸術についても、絵画や音楽、建築、彫刻や文学といったものであっても、それは人間の本質や美しいものへの感覚を鋭くし、人間性を深めるという長所がある反面、それらが、金や権力と結びつき、あるいは、一部の絵画や音楽、文学のように人間の悪い方面を刺激し、罪へと誘惑するようなことにもなっています。

 科学技術も多くの出来事に光を当ててきました。太陽や月、星の正体は長い間まったく不明でした。何千年も全くその位置や形も変えない、夜空の大部分の星、それと少数の位置を変えていく星の正体はいったい何であるのか、なぜ落ちて来ないのか、どうして輝く光は消えることがないのかといった点については、古くから天才たちが思索をめぐらせてきたのですが、実験機械もほとんどなかった
ともあって、まったくといってよいほどわからなかったのです。しかしそれが、ガリレイ、ケプラー、ニュートンなど科学者によって明らかにされてきました。そして現在に至るまで、天体のことだけでなく、人間を取りまくあらゆる方面の現象について、それらの意味が次々と明らかにされてきたのです。

 しかし、そのようななかにあっても、科学技術が持っている光は、科学技術の害悪をも照らし出すということはできなかったのです。

 放射線の持つ驚くべき性質には光を当てても、それが人間にどんな悲劇的な出来事を引き起こすかについては、光は当たらなかったと言えます。それはほかの科学技術の多くの発見についても同様です。

 このように、人間は光を求め続け、その努力は一部分ではかなえられてきました。しかし、哲学や宗教、芸術、科学技術、政治などの方面にいかに光が当てられてこようとも、それらすべてには大きい限界があるのがわかります。

 このように、人間の活動は絶えず何らかの光によって導かれる必要があるのですが、完全な光というのは、今から二千年ほど前までは地上の大多数の人間にとっては、ずっと伏せられたままであったのです。

 完全な光とは、聖書のなかに記されています。人類が長い間、知らずしらずのうちに求めてきた完全な光は、数千年前に地上のごく小さい集団に示されたのです。そのことを宣言しているのが、聖書の巻頭の言葉です。

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深遠の面にあり、神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(旧約聖書・創世記一章より)

 深い闇のただなかに光あれ!という神の言が響いたとき、光があった。これは人類の歴史において、その精神の歴史に差し込んだ光を暗示するものです。

 この時から、地上でごくわずかのしかも取るに足らないような狭い領域に住んでいた人々にその完全な光が照らすようになったのです。

 しかし、そうした光が太陽のように注がれていたのに、その選ばれた人々はそれを拒み、わざわざ闇の方へと進んでいってしまった、そこで神の光を受けた特別な人々が必要なときに立てられて人々に真の光は、これだ、あなた方はその光に背を向けて歩んでいるから、闇に赴き、滅んでしまうと命をかけて警告したのです。こうした人々が預言者といわれる人々なのです。

 そうしてさらに、神の完全な光を持った方が、人間の姿となって、地上に来られ、自ら光となったのです。この完全な光の方は、生きること、死ぬこと、死後のこと、歴史、愛とは、裁きとは罪とは何かなど人間が直面する根本問題について完全な光となって下さったのです。

 このような光は人間に分かち与えられました。その中で、最もその光を豊かに受けたのが、使徒パウロだったと言えます。それは、彼の書いた手紙が聖書として新約聖書の相当部分を占めているという事実を考えてもわかります。

 ここではそのパウロが光を受けてどのように変革されたのか、どんな考えを持っていたのかを聖書をもとにして考えてみます。

 パウロはまず、人間がどうしても、善いことや真実に背くことが深く宿っていることを知らされ、それは自分自身がそうであったように、どんなに学問や当時の宗教生活を真剣にしても、なおすことができないことを知らされたのです。それは、神の光がなかったら、分からなくて、他人は間違っていても自分は正しいという考えがしみこんでいたのです。

 そうした状況の中で、光、しかもいのちの光を知らされたのです。そこからパウロがどのように変革されていったか、それは世界の歴史の歩みにも重大な影響を持つほどのことになったのです。

 彼がどんなに変えられたか、そのさまざまの点については彼が書いた手紙と、その言動を記した使徒たちの行動の記録によって知ることができます。ここでは、そうした中からいくつかを取り上げてみます。

 それは敵に対しては殺してもよいとすら考えていたのであったけれども、キリストの光を受けてからは、根本的な変化が生じたのです。

 パウロの心を知るには彼の祈りを知ればよい。祈りとはなにが心にあるかを示すものだからです。口先だけの祈りでなく、心からの祈りをパウロはしていました。

 わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることであるが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがある。

 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っている。(ローマの信徒への手紙九章より)

 彼は、ユダヤ人に対しては、自分がのろわれて捨てられてもよいからユダヤ人が救われるようにと強く願っています。この自分の気持ちを語るとき、ほかの聖書の箇所では使ったことのない強い表現を用いています。

 キリストと一つになっている者として真実を語る、自分の良心も聖霊によって証ししているなどと、これ以上はないほどの強い表現を用いているのです。これは、このユダヤ人に対してのパウロの心がいかなる意味でも誇張でも作りごとでもないと言おうとしているのです。

 キリスト者であっても、自分たちに対して敵意と憎しみをもって、迫害してくるユダヤ人たちを嫌ったり、憎んだりする人たちも多かったかも知れないのです。そのために、パウロはこのように特別な表現をもって自分のユダヤ人への気持ちの真実性をつよく述べていると考えられます。そしてそのような心に変えたのが、キリストであり、自分がある時に突然受けたキリストのいのちの光であると言おうとしているのです。

 ユダヤ人たちはパウロに対してどんなにひどいことをしたかは使徒たちの記録に詳しく記されています。ある時は、石で打たれ、意識不明になって郊外に引きずり出されたこともあったし、またある時には、殺そうとする人たちの手から逃れて危うく一命を取り留めたこともあったのです。

 しかし、そのような激しい敵意にもかかわらずパウロは、ユダヤ人を憎むとか報復するということは決して考えず、逆にユダヤ人のためなら自分がのろわれて捨てられてもよいとまで心を注ぎ出しているのです。

 これは驚くべき心です。キリスト教徒は、ユダヤ人に対してこのようなあつい祈りの心をもって対処するというのが聖書に記されているあり方なのです。しかし、現実には、それとは逆に長い間ユダヤ人はヨーロッパにおいて迫害されてきたのでした。それはキリスト者としてのあり方、聖書の示すあり方とは真っ向から対立するものでした。

 当時の人々を指導していたカトリックの宗教指導者たちも、パウロがどんなにユダヤ人に対してあつい祈りを注いでいたかわからなかったのだと思われます。

 人々もまた、聖書がラテン語で書かれていたこと、聖書は一人一人が持つということはできなかったことなどから、ユダヤ人に対する正しい姿勢というものを学ぶことがなかったようです。

 いのちの光を受けたパウロが啓示されたのは、弱さが持つ意味です。

 私たちはどのようなところにいても、やはり弱さは何の役にも立たないと思っています。学校でも、弱いといじめられる、学力が弱いなら見下される、進学も希望通りにいかないし、スポーツのように体力や、運動神経の弱さがあると、初めから相手にされない世界も多いのです。

 意志の弱さ、能力的な弱さなどなど、どのような方面でも弱さはマイナスでしか有り得ないと思っています。

 健康第一であり、病気はいまわしいものである、成績の競争においても強いものが賞賛され、成績が低い者は見下されるのは当然という風潮がどこにでもあります。

 企業においても同じであって、業績がよければ、力があり、赤字転落では見放される。政治でも同様、権力者が首相をも作り出しています。

 キリストの時代においても、

「わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています。」(ルカ福音書十八章より)

 と言って、自分の意志や修業の強さを自慢している宗教熱心な人がいました。

 そのようなただなかにあって、キリストは弱さを全面に出してこられたお方でした。生まれたところが、家畜小屋の真っ暗な、汚い所、臭気に満ちた、飼料の散らばったところであったのです。

 十字架のあがないということも、人間がいかに弱いかを知らなかったら与えられない。弱いから、あがないが必要なのです。そしてそのあがないということも、最も弱いように見える出来事、十字架で無惨にも殺されるということを通して行われました。

 主イエスも十字架上で、「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」と言って神がどうして私を捨てたのかという叫びをあげたほどでした。

 パウロは、どこを見ても強さがもてはやされる状況のただなかにおいて、弱さが持つ深い意味を、キリストご自身から直接に、いのちの光によって、示されたのです。

 それはつぎのような言葉からうかがえます。

誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇ろう。コリント十一・30

自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはない。

(パウロを苦しめている、ある病気を)離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願った。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われた。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。

 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足している。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからである。(同十二章より)

 このように、ギリシャの都市コリントの新しいキリスト者たちに対して、パウロは、弱さの持つ全く新しい意味を告げたのです。

 ギリシャはホメロスやソクラテス、プラトン、アリストテレスなど多くの偉大な人物が現れたところです。

 世界歴史での代表的詩人の一人と言われるホメロスのなかには、「神に愛されたアキレウス(英雄の名)」といった表現がよくみられます。神々も、人間と同様に、強い者、英雄的な者を愛するというのは自明のように書かれているのです。

 プラトンやアリストテレスの著作の中にも、弱い者を神が愛されるとか、弱さに深い意味があるなどということは全く書かれていないし、善悪とか真理、美などについて秩序正しく思索するという、哲学そのものが、そうした論理的な思索能力がなかったら近づけない本質を持っています。そうした思考力に乏しい弱い者は、はじめから、哲学の世界からは見放されているということになります。

 このようにこの世のほとんどが顧みようとしない、弱さということ、弱い人間という存在に最も光を当てたのが、キリストの光であり、それパウロ豊かに受けたわけです。
 パウロは、その恵まれた生い立ちや受けた教育の高さ、能力などから、弟子たちのうちでも最も強そうに見えます。しかし、新約聖書の中で「弱い、弱さ」という訳語がほかの書とくらべて特に多く使っているのがパウロなのです。

 具体的に数字をあげると、新共同訳の訳語で調べると「弱い、弱さ」という言葉は、ほぼ四十六回ほど用いられています。そのうち、四つの福音書や使徒行伝を合わせても四回ほどしか使われていないし、ヨハネの手紙とか、ペテロの手紙などには合わせてもわずか一回しか使われていないのに、パウロが書いた手紙には、三十三回ほども用いられているのです。
 このように、新約聖書全体のなかでも、特別にパウロは、弱さを深く自覚していた人であったのがわかります。

 パウロは、自らは、家柄もよく、高い教育を受けて、現在でいうエリート教育を受けてきた人物でした。そしてそうした強さを武器として、キリスト教を滅ぼそうと行動していたのです。

 しかし、そうした強みは真の救いには何等役に立つものではなかったことを思い知らされることになりました。むしろ、自分の弱さを深く知るところにこそ、神の力が豊かに注がれることを知ったのです。

 キリストが十字架上で処刑されるという、最も目をそむけたくなるようなこと、人間の弱さの極みのような出来事も、その弱さのなかに神は最も大いなる力を注がれ、人間全体の罪を十字架上であがなうという最大のわざをされたのです。

 弱さの意味が深く啓示されたということだけに留まることなく、十字架による罪のあがないを信じてパウロは、新しい命に生きることができるようになりました。パウロが受けた光はいのちの光であったからです。

 また、祈りという方面においても、彼の祈りは、とくに共同の祈りを強調していることが目立ちます。これも彼が受けた光によるものであったと言えます。

 私たちは、祈りというと、自分だけが祈るというように考えることが多いはずです。祈りとは自分の苦しいこと、悲しみや悩みを神に訴えることだから、他人はわからない、ともに祈れないというのが多くの人の気持ちです。しかし、パウロは、キリストを信じる人とたえず共に生きているという実感を持っている人でした。キリストを信じる人同士は、「キリストのからだである」という、だれもが想像もしたことのない真理へと導かれたのです。

 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、(神の)霊が与えてくださる愛によってお願いする。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に共に力を尽くして祈って欲しい。(ローマの信徒への手紙十五・30

 ここで「熱心に神に祈って下さい」という箇所は、「祈りにおいて共に戦って下さい」という意味を持っています。(*

*)ここで用いられている原語(ギリシャ語)は、シュナゴーニゾマイ sunagwnizomaiです。これは、「共に」 sun と、いう語と、 agwnizomai「戦う」という言葉から作られています。そして、このあとのagwnizomai という言葉は、ヨハネ福音書で用いられています。「部下が戦っただろう」ヨハネ伝十八・36

あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない

あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。(ピリピ書一・2730より)

 パウロは、このように、キリストを信じる者がいかに一つにされているか、そのことについて特に深く啓示されたのです。

 つぎに、当時の大多数の人たちがキリストと魂の一番深いところで結びつくということは、考えることもできなかったのに、パウロは、そのことがいかに重要であるか、旧約聖書と決定的に違った経験を与えられることになった。キリストの光を突然受けて、その光によって、それまでの自分の誤りと罪がまざまざと照らされ、ユダヤ教の律法を誇りに満ちて守ってきたという自信家から、キリストの光を受けた罪人として、再出発することになりました。そのとき、たんに自分の罪と誤りが見えてきただけでなく、パウロはそれまでほとんどだれも深くは知らなかったこと、自分の存在がキリストの内にあるという想像もしたことがなかった経験を与えられたのです。

 遠く敵対していた者が、神と同じ本質をもったお方である主イエスの内に導き入れられ、すべてを主イエスから与えられるようになったことがパウロにとっては、最大の体験となったのです。

 だからこそ、パウロは、「主にあって」「キリストにあって」(*)(en kuriw または、en christw)という表現を、ほかのいかなる使徒や文書より、圧倒的に多く使っています。

*)この言葉は、新共同訳では初めて「主と結びついて」と訳されましたが、原語のニュアンスは、「主の中にあって」という意味です。

「主にあって」という原文は、 en kuriw ですが、この表現は、コンピュータで検索すると新約聖書全体で四十七回現れます。しかしそのうち、四十六回までパウロの書いた文書に使われているのです。ま
た、「キリストにあって」という表現も新約聖書では七十六回出てきますが、そのうち、七十三回までパウロが使っています。すなわち、こうした表現は、パウロに特有なのです。

 その他、キリストのこと代名詞用いて「彼にあって」などとなっている箇所も合わせると、新約聖書全体では、パウロは、このような表現をダイスマンの「パウロの研究」によれば、百六十四回も使っているのです。

 このように、特定の言葉が用いられている状況を詳しく調べると、「キリスト(主)にあって」という言葉がいかにパウロにとって重要であったかが、浮かび上がってきます。

それこそ、パウロが「いのちの光」を受けたということを、指し示すものなのです。「キリストにある」とは、霊なるキリストの内に置かれることであり、神と等しい本質を持つお方のなかに結び付けられることなのです。

 キリストは命そのものであるお方であり、彼のつぎにあげるような厳しい状況のもとでの絶え間のない活動は、ひとえにこの「キリストにあって」という事実から生まれてきたのです。

 苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。

 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。

 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。(コリント十一章より)

 パウロはキリストの内にあって、またキリストがパウロの心の内に住んでいたゆえに、このパウロの行動は、キリストがなさしめたものだと言えます。

 さらに、パウロは、キリストの福音が世界に宣べ伝えられることを神の光によって知らされていたのです。だから、彼は、多くの信徒がいる小アジアとかギリシャ、あるいは、当時のローマ帝国の首都であったローマにすら滞在することを望まず、当時では、世界の果てであったスペインにまで、キリストの福音を伝えるために行くことを望んでいたのです。

 聖書全体のなかで、スペインという言葉が使われたのは、わずかに二回だけですが、それはパウロが福音宣教の目的地として使っている箇所なのです。

 パウロの時代から千五百年の後に、スペイン人であったザビエルが、スペイン、ポルトガルを通って、アフリカをまわり、インドを経て、日本へと初めてキリスト教を伝えたのです。

 パウロが見つめたスペイン伝道のそのはるかな延長上に、ザビエルによる日本伝道があったのであり、神の大いなる計画は、パウロがすでに予感していたかのように感じられます。

 キリスト教がいかに伝達していくか、その前途を予感していたパウロは、さらに宇宙の前途についても、光を受けていました。

 それは、万物が神に向かっていること、そうして究極的には、一つになるということであったのです。

万物は、神からいで、神によって成り、神に帰する。(ローマの信徒への手紙十一・36

 このように、命の光を受けた人として、パウロは、最も人間の精神の奥に潜む罪に深い洞察を与えられ、そこからの救いの道、敵をも愛する愛、逃げてきた奴隷をも兄弟として愛し、キリストに導いたこまやかな心を与えられていました。

 また、彼の洞察は、そうした個人的な世界からはるかに遠く、時間的にも遠い未来をも見通すものでした。

 キリストを拒んだユダヤ人の前途はどうなるのか、さらに、キリスト教の福音が世界に伝わっていくことへの展望をもち、宇宙の前途をすら、見通す深く鋭い洞察を与えられていたのがわかるのです。

 そして、数々の命の危険にさらされつつも、キリストの命を生き続けて、生きて働くキリストを証ししていったのです。

 いのちの光を受けた人、それは実はキリスト者がみな、そのいのちの光を受けていると言えます。そしてそれは、求めよ、さらば与えられるとの約束の通りに、真剣に求めるならば、だれでもが与えられるこの世における最高の賜物であると言えるのです。

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