善の宣伝(宣べ伝えること)の重要性について 2002-3-2
この一年ほどは外務省や自民党にかかわる不正に国民はたえず驚かされてきたと言えよう。新聞、テレビなどのマスコミもそうした不正を報道し、外務省や自民党が少しでもその悪を止める方向に進むようにと、世論を導こうとしてきた側面もある。しかし、多くの週刊誌などは鈴木宗男代議士のことを大々的に取り上げることで、かつてないほどに売れるという商魂からやっている側面も強くみられる。
外務省に関わる数々の驚くべき不正や嘘を知らされ、国民はあらためて、外見がいかに立派そうでも内面はまったく別だと言うことを思い知らされている。
マスコミがいくらこうした不正を報道しても、そのことも必要なことであるが、それだけではこの不正の根源はどうすることもできない。こうした明白な嘘、悪の行いを報道することによって、国民は悪を退ける力が少しでもつくだろうか。逆である。悪をつねに見せつけるほどにかえって人間は悪に引き込まれてしまうからである。今まで外務省を他の省庁よりもランクの高いものとして見ていた国民も、なんだ、外務省も他と同じか、それ以下だとの思いを抱いただろう。そして結局人間とはこんな嘘や不正が当たり前なのだと思って、悪の力に引き寄せられる気持ちになってしまう場合が多いのでないか。
そうした点から考えると、マスコミは日本中に悪の力がいかにつよいか、いかに日本の中枢にまで浸透しているかを大々的に宣伝していることになる。
しかし、人間に本当に必要なのは、悪の宣伝でなく、善の宣伝である。善の力、真実の力がいかに強いかといとうことを知らされるのでなければ、悪を宣伝するほどに人間は悪へと傾斜していかざるを得ない。
そういう意味で、キリストが宣べ伝えたこと、
神の国が近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。(マルコ福音書一・15)
というメッセージの意味の深さを知らされる。神の国とは神の正義と真実による御支配であり、そのような御支配がキリストが地上に来られたこととともに近づいて、いますでにここにある。だからそのキリストを受け入れ、救い主として信じてその喜ばしい知らせを信じよということなのである。これは、神の力、すなわち宇宙をも創造して今も支配している力であり、人間の深い悪、罪をもぬぐい去る力の到来を宣べ伝えることであって、現代のようにマスコミによって悪がくまなく宣伝されている状況においては、とりわけその重要性を感じさせるのである。
聖書を注意深く読んでいくと、そこには善の力がいかに強いか、いかなる悪にも勝利する力であるかがじつにさまざまの方面から詳しく書かれているのに気付く。現代のような悪の宣伝が洪水のようにあふれている時代にますます神の言葉たる聖書の重要性が浮かび上がってくる。