イージス艦派遣 2002/12
政府は、今まではその派遣について考慮してきたが、慎重論に配慮して見送ってきた。しかし今回のテロとの戦いを支援するという名目で、ついにイージス艦を派遣することに決定した。イージス艦は、一隻千二百億円という高価なもので、世界でも、アメリカとスペインの他には持っている国がないというだけでも、これが世界の先端をいく護衛艦であることがわかる。福祉関係予算などは今後もつぎつぎと削減していく方向にありながら、このような高価な護衛艦を四隻を保有し、さらに五年以内に二隻を追加することになっているという。
アメリカのテロとの戦いというが、テロというのは例えば暗殺といった形で、昔からあったし、どこからがテロで、どこからが独立への戦いなのか決して明確ではない。
また戦争はすべて本来は大規模なテロ行為であって、広辞苑には、テロとは「暴力或いはその脅威に訴える傾向」とあるが、戦争ほど、暴力を大々的に行うものはない。いろいろな独立戦争や民族対立の戦争は必ず暴力行為を伴うのであって、どこからがテロでなにがテロでない暴力行為や戦争なのかは到底明瞭に区別することはできない。
そのようなあいまいさを持つテロとの戦いと称するものに、日本が加わることになれば、今後アメリカが始める各地でのあいまいな「テロとの戦い」につねに加わっていくことになってしまう。現在の自衛隊そのものが、大規模な軍事力であってそれはすでにこの憲法の精神に反するものとなっているが、イージス艦のような優秀の機能を持つ護衛艦を遠くインド洋へ派遣し、今後もアメリカに追随してアメリカが起こす戦争には世界のどこにでも加わっていくことになると、それはいかなる国とも永久に戦争をしない、戦力も保持しないと定めた、日本国憲法の第九条の精神を根底からくつがえすことになっていくであろう。
日本はこの平和憲法を持っているがゆえに、どんな国にも相手からの疑念を持たれずに仲介できる立場があった。日本やアジアの国々の数千万の犠牲者のゆえに成り立ったこの平和憲法のゆえに、現在まで半世紀を越えて、日本は世界のいかなる国民をも自国の武力で殺傷するということなく歩んでくることができた。そして軍事予算である、自衛隊関係の費用も他国とくらべてずっと少なく抑えてきたからこそ、日本の経済的な繁栄にも役立ってきたのである。現在の平和憲法によって日本は過去五〇年間、いかなる損失を受けてきたというのであろうか。しかし、軍事力を増大させ、今回のように海外までその卓越した自衛隊の装備を派遣していくことになれば、世界に広がろうとしているテロの脅威は日本にも当然ふりかかってくる。例えば、ひとたび東京とか、大阪などの大都市であのようなテロが行われたら、その損害や影響は甚大なものがある。そしてそのようなことが生じれば、さらにまた軍事力を増大させて、テロを防ぐのだと言い出すであろうし、イギリスやフランス、中国などもさらに現在のような武力によるテロ撲滅という方向になるだろう。そしてさらにそれは新たなテロを生み出す…という悪循環が生じている可能性を色濃く持っている。
現在の日本のとっている方向はそうした可能性を高める方向へと進んでいるのである。それはテロを防止するのでなく、テロの範囲をさらに広範にさせる要因を含んでいる。
テロとの戦いには、平和主義に徹すること、武力を取らずに話し合いでもって解決を図ること、テロの温床となっている、貧困や差別などを解消していくための真剣な話し合いや、取り組み実践、そうしたことが最も効果的な戦いなのである。武力による戦いでなく、貧しさや差別、権力欲や不正などに対する目に見えない戦い、精神的な戦いこそが最も根源的な力を持っている。
ひとたび武力に訴えるとき、現在のイスラエルとパレスチナの紛争にあるように、果てしなく憎しみは広がっていく。そして新たな復讐心を生みだし、テロの温床となっていく。武力行為は、テロリズムを根絶するのでなく、その根をさらに広く深くしていくことにつながるのである。 日本人の考え方が、次第に武力を容認する方向に傾いているが、私たちは永遠の真理たる聖書に基づいてこのような方向が間違っていることを明確に知っておかねばならない。