闇の中の光 2003/5
いつの時代にも、周囲の実態を知るほどに闇は覆っているのに気付かされる。戦争、飢餓、地震や洪水などの自然災害、さまざまの犯罪、政府の圧政と迫害、さらに個々の人々においても、病気の苦しみ、老年の痴呆や家庭の深刻な分裂や対立等など、地上に住むどんな人であっても、さまざまの闇に悩んでいる。
いま、楽しくてたまらない、闇などどこにあるのかなどと思っている人もいるかも知れないが、そうしたひとは、単に近づいている闇を知らないだけなのである。
聖書はこのような現実を深く見抜いていた。聖書ほどに現実のあらゆる闇を見抜いている書物はないだろう。見抜いた上でそれを克服する道を一貫して指し示しているのが聖書なのである。
それは聖書の最初の書である、創世記を見てもわかる。そこではその冒頭からつぎのような記述で始まっている。
神が天地を創造した初めに、
地は荒涼、混沌として、闇が淵を覆い、暴風が水面を吹き荒れていた。(*)
「光あれ」と神が言った。
すると、光があった。(創世記一・1~3)
(*)これは、前田護郎訳。(中央公論社刊の「世界の名著」第十二巻所収)
従来の多くの訳は、「神の霊が水の表面を動いていた」というような訳になっている。ここで「神」という言葉の原語である、エローヒームは形容詞と解して
「大きい」とか「激しい」といった意味にとり、「霊」という原語は、ルーァハであり、これは「風」という意味が本来の意味なので、右にあげたような訳文となっている。エローヒームが、「大きい」といった形容詞に用いられている例としては、例えば「恐怖はその極に達した」「非常に大きな恐怖になった」(サムエル記上十四・15)とかの箇所で見られる。
また、聖書学者として著名で、学士院会員でもあった、関根正雄氏の訳でも、「神からの霊風が大水の面を吹きまくっていた」となっている。
なお、この訳者であった前田護郎は、無教会のキリスト者で、東京帝国大学文学部言語学科卒業、聖書学、西洋古典学専攻。ボン大学、ジュネーブ
大学講師を経て、東京大学教授を務めた。
この創世記の最初の記述が、このように、恐ろしい闇と混乱、そして吹き荒れる風という、どこにも静けさや光のない深い闇から出発していることは、深い暗示が込められているのを感じる。それはこの創世記の言葉が書かれてから数千年を経て現代においても、やはりこの言葉は、至る所にみられるからである。
しかしそうしたただなかに、神は「光あれ!」とのみ言葉を出された。するとその一言で、その恐るべき闇と混乱のただなかに、実際に光が差し込んできたのであった。
この創世記の冒頭の短い内容が、じつは聖書全体のメッセージとなっているのに気付いたのは、私がキリスト者となってから、何年か後であった。
このテーマは繰り返し聖書であらわれる。
聖書における、最初の家庭は、じつに兄弟殺しという、目をそむけたくなるような記述から始まっている。どうして聖なる書という書物にこんないまわしいことが書いてあるのだろうかと、最初のころはよく思ったものである。
しかし、それは聖書が現実を決して逃げないで見つめるという鋭いまなざしを持っていることの一つの現れなのであった。そのような闇こそが、現実の世界の実態なのである。その実情に直面していかにして私たちは生きていったらよいのか、そこにどんな救いの道があるのか、それを聖書はまさに指し示しているのである。
詩篇は、旧約聖書のなかの重要な部分であるが、それを愛読しているキリスト者は案外少ないのではないかと思われる。それは日本語訳にすると、どこか力強さに欠けたり、簡潔なひきしまった表現にはなりにくいこと、書かれてある内容や表現が、いまの私たちの生活とだいぶ距離があるように感じるからではないだろうか。
しかし、この詩篇は心して祈りをもって学びつつ読んでいくと、あらゆるキリスト者にとっても深いメッセージをたたえた書物であるといえよう。
その中心になっているメッセージとは、闇の力のただなかに与えられる光なのである。現実には敵が激しく迫ってきていることへの恐れや苦しみ、実際に敵(悪)によってふみにじられ、苦しめられること、あるいは病気の苦しみ、罪への罰を受けた苦しみや悲しみ、等など現実の厳しい状況が随所に見られる。そうした現実の深い闇、恐ろしい状況のただなかで、神に叫び、祈ることによって光が射してきて、じっさいにその大いなる苦しみから救い出される、そして讃美をおのずからあげざるを得ないほどに満たされる…という内容が多くみられる。
主よ、わたしを苦しめる者は
どこまで増えるのか。
多くの者がわたしに立ち向かい、わたしに言う
「彼に神の救いなどあるものか」と。
しかし、主よ、
あなたはわが盾、わが栄光
わたしの頭を高くあげてくださる方。
主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださる。
私は、身を横たえて眠り、また、目覚める。
主が支えていて下さるから。(旧約聖書・詩篇第三編より)
この詩の作者が置かれていた状況は、周りに敵対する者、神などに頼っても救われるものか、とあざけり続け、苦しみを与える人たちがいた。そうしたどこにも光のない状況にあって、作者は、あるとき、突然に神からの答えを聞き取る。闇でしかなかったところに、驚くべき光が射してきたのである。そのとき、あれほど助けもなく、ただ一人敵対する者の悪意に踏みにじられていた自分に新しい力が湧き出て、立ち上がることができた。そして生きた神からの生ける応答をはっきりと聞き取ったのであった。
このような闇のなかの光ということは、預言書にも多く記されている。
…主の慈しみに生きる者はこの国から滅び
人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい
互いに網で捕らえようとする。…
今や、彼らに大混乱が起こる。…
息子は父を侮り
娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。人の敵はその家の者となる。
しかし、わたしは主を仰ぎ
わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。
わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても
主こそわが光。(ミカ書七章より)
預言者ミカが、啓示のうちに見ることができた荒れ果てた状況はまさに深い闇に包まれ、最も関わりの深い肉親同士すら、その平和が崩れ、互いに信頼が失われ、憎しみが取り巻いていく。
そんな状況にあったら、ふつうは自分もまたその闇に飲み込まれ、力を失い、希望もなくなっていくであろう。絶望的な状況が周囲にあるとき、人はそこに一人立ち上がることなどできないことである。
けれども、いかに闇が深く、希望は断たれた状況にあろうとも、必ずそのなかから、主に従う人は起こされる。
右に引用した箇所の後半にみられる、「しかし」という言葉は、実に重い意味を持っている。
どんなに暗くとも、絶望的状況が取り巻いていても、「しかし」私はそれらのあらゆる流れに押し流されずに、主を仰ぎ、救いを与える神を待ち望む。そうした心が神によって注がれるのである。周囲のいかなる悪い影響にも巻き込まれないで、独立して光を待ち望み、そして実際に光が与えられる人がいるのである。 闇のなかにあっても、主こそ、わが光という確信が与えられる。この確信は、すでに述べた創世記の冒頭の言葉、光あれ! とのみ言葉が響いていると言えよう。
こうした、深い意味をもつ、「しかし」という一言は、別の預言書にも見られる。
いちじくの木に花は咲かず
ぶどうの枝は実をつけず
オリーブは収穫の期待を裏切り
田畑は食物を生ぜず
羊はおりから断たれ
牛舎には牛がいなくなる。
しかし、わたしは主によって喜び
わが救いの神のゆえに踊る。
わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし
聖なる高台を歩ませられる。(旧約聖書・ハバクク書三・17~19)
この短い詩の中に、深い絶望と現実の恐ろしい混乱のただなかにあって、何一つよきものが見えず、期待できないような状況におかれてもなお、「しかし」と言って、希望の光を見いだすことのできた人の魂の軌跡を見る思いがする。
そのような魂が起こされることは、まさにおどろくべきこと、奇跡というべきことである。
私たちの希望は、目に見えることによって大きく影響される。よいことが続いておこるといよいよ希望を強くするが、マイナスのことが続くとたちまち希望は失せていく。力も出なくなる。
しかし、神の御手が触れた魂にとっては、いかなる現状の絶望的状況にあっても、なお「しかし」といってそこに希望の光を見いだし、新しい力を天よりくみ取ることができるのであった。
喜びはこうして、目にみえる出来事や物、あるいは他人の評価や物質的な生活の豊かさなどまったくなくとも、それらと全く無関係に、天から、神の国から注がれるのがわかる。
こうした、通常の喜びとは本質的に異なる喜び、天に由来する喜びを、使徒パウロはいつも信徒たちにも与えられるようにと願っていたのである。それが、つぎのようなパウロの手紙に見られる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。(Ⅰテサロニケ五・16~17)
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。(ピリピの信徒への手紙 四・4)
迫害のすでに激しかった時代、キリスト者たちはこうした天からの喜びを与えられていた。それがキリスト者たちを憎しみに駆り立てることなく、み言葉にしっかり立って、その真理をあとの時代へと語り継ぎ、また世界の各地へと伝える原動力にもなっていったのである。天から来る喜びこそは、私たちを動かすものだからである。
こうした光の存在とそれが実際に、与えられることについては、別の偉大な預言書にも記されている。
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ九・1)
聖書の世界、キリスト教の流れには、いかなる闇であっても、そのなかに光が差し込むのであって、その光の一筋を受けるだけで、闇の力に勝利したことが実感される。
…悪魔のすべての仕業を水泡に帰せしめるには、ただ一度だけ神を仰ぎ見るか、呼びかけるかすれば十分である。これは実にすばらしい事実である。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」上・五月十七日の項)
これも、闇の力がどんなに大きくとも、神への真剣なまなざしへの応答として、神からの光の一筋を受けるだけで、悪の力に打ち勝てることを指している。
実際にこのように、闇のなかに、光は差し込んでくるのである。求めよ、さらば与えられん、という言葉はこうしたことも意味している。
ここに引用したイザヤ書の言葉は、大いなる喜びのおとずれ、すなわち福音である。私自身、この聖書の言葉のように、かつて闇のなかを歩んでいたものであったが、そこに大いなる光を見させていただいたのであった。それは死の陰の地に住んでいたと言えるほどであったがそうした中に、光が輝いたという実際の経験が与えられたのである。それから私の魂には、それまでにはどうしてもできなかった、まったく異なる変化が生じていった。
新約聖書において、使徒パウロもやはり同様であって、学問を積んで、当時のすぐれた教師について学んだし、社会的にも地位の高い家柄であった。
しかしそれでも闇は消えなかった。キリストの真理に輝く光は見えなかった。そこでキリスト教徒を厳しく迫害していた。
そのような闇を歩いていたパウロに、突然光が臨んで、彼は百八十度転換して、今度はキリストの最も大いなる弟子と変えられていったのである。
こうした経験は、キリスト以後の二千年の間に無数に生じていったのがわかる。
キリストが現れたとき、すでに引用した、イザヤ書の箇所を用いてその光とはキリストなのだと、言われているがそれは、以後生じる無数の例を予告したものとなったのである。
主イエスが、育った土地ナザレを離れて、ガリラヤ湖畔の町に来たとき、その言葉が実現したと述べている。
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にあるガリラヤ湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ福音書四・12~16より)
キリスト教といわれる信仰のかたちは、この単純な事実を受け入れることである。現実は闇である、しかしそこに、輝く大きな光がある、ただそのことを信じてその光を見つめ、受け入れることなのである。
ヨハネ福音書においてもやはりキリスト教がいかに単純で明快な内容を持っているかが、その冒頭に記されている。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…
(洗礼の)ヨハネは証しをするために来た。光(キリスト)について証しをするため、また、すべての人が信じるようになるためである。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。(ヨハネ福音書一・5~9より)
ここでも、最も重要であるからこそ、闇という現実のすがたと、そこに差し込む神の光なるキリストのことを、簡潔に述べている。それはヨハネ福音書の総結論ともいうべき内容であるからこそ冒頭に記されているのである。
闇ということ、それは身近な人間関係や自分の心のなかという最も近いところから、周囲の人間やその集まりである社会にもはびこる、嘘やいつわり、憎しみやねたみ、そして人の命を奪い、物品や地位を奪うこと、自らの利得のためには他者を傷つけても平気であること、人の貴さを踏みにじり、差別をし、飢えや貧困、国家同士、民族同士の対立、戦争などなど、個人的レベルから国家社会的レベル、国際的な問題に至ってかぎりなくある。
一見きれいなようなものでも、その内部まで見抜くときには、深い闇が取り囲んでいるということはよくある。
そうした現状は科学技術や政治政策、道徳的な努力などいかに積み重ねても、表面的力は変わっても、根本的にはどうにも変わらない。変わらないどころかますます悪くなって闇が深まって行きつつあるのではないかということも言われている。
そうした現実の世界に生きる私たちにとって、聖書のこのメッセージはまことに貴重なものである。たしかに光は注がれている。その光を見つめているだけで、私たちはこの深い霧のかかった世からたえず引き出され、導かれて清い神の国への道を歩むことができる。