休憩室 2003/5
○春の花
暖かくなって、野草や樹木たちもいっせいに芽を出し、花を咲かせていきます。それまでおさえていたいのちの力が泉となって湧き出るように、枯れたようになっていた樹木からもにわかに新しい芽が伸びていき、地面からは草も育ち、つぎつぎと花を咲かせていきます。
みんな、それらは背後の見えざる力によってうながされるようなめざましい変化です。
この世には、よきものを壊したり闇で覆ってしまおうとする力もたしかに働いています。しかし、そのような暗い力とはまったく逆に、天をめざし、清いものをたたえ、美しさを花開かせる力がある、それは野草や樹木たちの春のたたずまいによっても知らされるのです。
アケビの花を、インタ-ネットメールで「今日のみ言葉」とともに配信しましたが、その美しさに初めて接したという人が多かったようです。アケビの実が食べられることは知っていても、その花は知らないのは、その時期にちょうど山に行かねばならないし、気付かないことも多いからです。
アケビの木そのものは、目立たないつる植物です。樹木の花の内では五指に入るほどの名花だといいますが、その気品ある美しさには誰しも惹かれると思われます。
○目覚めていること
目覚めているというギリシャ語は、グレーゴレオーといいます。この言葉は、新約聖書・福音書のなかに特に多く現れる言葉です。キリスト教の事典で見ても、グレゴリオというローマ法王は十六人もいるほどです。その中でも、グレゴリオ一世は、グレゴリオ聖歌をまとめた人として有名です。
また、グレゴリオ歴は現在世界で用いている太陽暦です。つぎに事典からの引用をしておきます。
「これは一五八二年、ローマ法王グレゴリウス十三世により施行された。当時使用されていたユリウス暦は1年の平均日数が三六五・二五日であったため、この暦法に従って閏(うるう)日を置いていると、百年間で十八時間、千年で八日近く、実際の季節と相違をきたす。十六世紀終わりころになると、三二五年にニカイアの宗教会議で定められた三月二十一日の春分は三月十一日となり、十日も早まった状態となった。復活祭は、春分の日の後に起こる最初の満月のあとの日曜日と決めていたから、これは大きな問題となっていた。そのため、ときのローマ法王グレゴリオ十三世は、一五八二年の春分が三月二十一日となるように十日間を省いて十月四日の次の日を十五日とし、将来も相違がおきないようにするため四年に一度閏年を置いた。これが現在、世界で用いられている太陽暦である。」
このように、現在私たちが使っている暦はグレゴリオ暦であり、「目覚める」という言葉を連想させるものなのです。また、讃美歌、聖歌などは私たちが繰り返し用いるものですが、それらキリスト教の讃美の源流といえる、グレゴリオ聖歌にも、やはり「目覚めよ」という言葉に由来する人名が刻まれています。
福音書で繰り返し、主イエスが強調した「目覚めていなさい!」という戒めの言葉は、このような人名や暦名、聖歌の名ともなって根強く生きてきたのです。