ことば 2005/7
(212)信仰とは、神へ向ってひたすら努力することではなく、神に己れをゆだねることである。…そうすれば、万事が順を追うてまったくひとりでに行われる。まず、青々とした畑、つぎに、実りを約束する穂、やがて、実った見事な穀物、そして生涯を無駄でなく、立派に過ごしたあとで、最後に安息のための収穫。「神を愛する者たちには、すべてのことが益となる。」(*)(ローマ人への手紙八・28)。
このことを信じる人にとっては、普通の意味での「幸福」や「不幸」の観念は、もはや存在しない。(ヒルティ著眠られぬ夜のために上七月一五日の項)
・確かに、もし私たちがすべてのこと、―病気や家族の不和や死別、事故、職業上の困難などいろいろのことをも、私たちが神の愛と万能を固く信じ続けるかぎり、すべては益と変えられていくと信じることができるなら、神はそうした信仰を祝福し、実際にそのようにして下さる。これこそ、道のないところに新しい道を開き、水のない荒れ地に水をあふれさせて下さることである。
(213)ハイジはクララに問いかけた。
「星はどうしてあんなに輝いて私たちを見下ろしているのか知っている?」
「知らないわ。どうして?」
「それはね、お星さまは天国に住んでいて、神さまは何でも私たちのためによくして下さることを知ってるからよ。こわがったり、苦しんだりしないで、何でも最後にはよくなるのだって信じて、喜んでいなさいと、言っているのよ。
だから私たちは神さまにすっかりお任せして、いつまでも心にかけて下さるようにお祈りすればいいのよ。」
(ヨハンナ・スピリ著 「アルプスの少女ハイジ」角川文庫 二四二頁)
Why do you think the stars twinkle so brightly at us? asked Heidi.
"I don't know.Tell me" Clara replied.
"Because they are up in Heaven and know that God looks after us all
on earth so that we oughtn't really ever to be afraid,because everything is bound to come right in the end.That's why they nod to us and twinkle like that. Let's say our prayers now Clara,and ask God to take care of us."
「ハイジ」の物語は、アニメになってテレビでも広く親しまれてきた。私はそのアニメはわずかしか見てはいないが、愛らしい登場人物と美しい山の風景によって心のなごむ内容であったように思う。しかし、その子ども向けのアニメでは、この物語の中に深く流れている神への信仰がほとんど削除されている。
著者のスピリは、牧師の娘で、ハイジの物語を原作の訳で読むと、著者が何とかしてこの本を読む人たちにキリスト信仰を伝えたい、という情熱と、アルプスの自然への深い愛が伝わってくる。
ここに引用した箇所も、上の「ことば(212)」の(*)の聖句(信じる者にはすべてが益となる)をわかりやすく言ったものである。
なお、著者の墓には、次の聖句が刻まれているという。
主よ、われ今なにをか待たん。
わが望みはなんじにあり。(詩編三九・8)
So now, Lord, what am I to hope for? My hope is in you.
星や山々、草木など自然のさまざまのものは神が創造されたものであり、そこには神の私たちへの愛、その万能の力や美などさまざまのものが刻まれている。
著者が、ハイジに託して述べているのは、神と心がひとつに結ばれるほど、周囲の自然の世界からも、私たちへの神からの生きたメッセージが実感されるということであり、自然を通し、そして神の言葉を用いて、読者に語りかけているのである。
編集だより 2005/7
○北海道、山形、東京などでの集会。
七月十五日(金)~二十一日(木)まで、北海道や東北、東京などで、み言葉の真理の一端を語る機会が与えられました。北海道南部の日本海側にある、瀬棚郡の瀬棚町(奥尻島の対岸)というところでの聖書集会は、今年で三十二回を迎えるもので、参加者は酪農をしている人たち(一部に養豚)が主体でした。参加者は部分参加の人や子供も含めて三十人近い人たちが参加していました。そのなかには、日本キリスト教団の利別教会の相良牧師、教会員二名も含まれています。
金曜日の夜から開会式と自己紹介、翌土曜日には私は午前と午後の二回の聖書講話、利別教会の相良牧師は「信仰の継承」ということで話されました。日曜日には私が利別教会で、「平和は大河のように、義は海の波のように」と題して四十分ほどの聖書講話を受け持ちました。午後は、牧師の講話のつづきと信仰の継承ということについての座談会、夜は、感話会、交流会がなされました。土曜日の座談会では、「平和と宗教」というテーマで話し合いがありました。
平和ということについての、聖書そのもののメッセージは何か、武力を用いる戦争は新約聖書の内容にいかに反しているか、イスラム教(コーラン)の問題点、戦争は人間の自分中心という本質(罪)から生れるということなど、話しました。瀬棚聖書集会のように、幼児からその両親、さらにその親にあたる各世代が共に集まって聖書中心の集りがもう三十年以上も続けられてきたということのなかに、不思議な神の支えと導きを感じます。
札幌での集会は、19日(火)の午前10時~2時ころまでで、平日にもかかわらず、二十五名ほどの集会となりました。地元の札幌以外に、会場から三五〇キロも離れた釧路という遠隔地からもご夫妻で参加された方、苫小牧市からも、六名、旭川からも一名が参加され、北海道の各地集会と私どもの集会の三名との合同集会といったかたちになりました。
盛岡では、スコーレ高校の田口 宗一さんご夫妻のご協力もあって、事故で車椅子を使う障害者となった主にある友を訪ねることができましたが、現在の生活だけでなく今後も大きな困難が待ち受けていることを思い、主によるさらなるいやしと導きを祈りました。
山形では、初めて山形聖書集会の方々との集会でみ言葉を語り、その後の夜遅くまでの話し合いを通じて主にある交流を与えられました。
またその翌日は、東京の八王子市の永井宅では十三名の方々が集められ、足立区の越川宅においても七名ほどの家庭集会が行なわれました。
初めての方、また「いのちの水」誌を通して関わりのあった方、全国集会や「祈の友」、あるいは四国集会に参加された方々もおられて、ともにみ言葉を学び、交流が与えられました。
さまざまの地域で、いろいろなキリスト者の方々と出会い、ともに祈り、聖書を学び、讃美し、主を信じる者としての交わりが与えられることは本当に幸いなことと感じました。パウロも、顔と顔を合わせて会う、ということを願っていますが、そのことの重要性を感じ、すべての行程のなかに主が働いて下さり、この世の交わりとは異なるよきものを与えられました。
お知らせ 2005/7
○特別集会のお知らせ
八月二七日(土)に、静岡から西澤 正文兄が他の数名と共に来徳され、二十八日(日曜日)の主日礼拝の聖書講話を担当して下さいます。前年までは、石川
昌治兄が来徳されていましたが、体力の衰えのために今年から西澤兄に交代されることになりました。主が守られ、祝福された集会となりますように。
○本文にも紹介しましたが、集会員の伊丹 悦子さんの詩集「朝のいのり」が出版されました。挿絵は、去年のクリスマス集会にも参加されたことのある、,木村代紀氏。発行
美研インターナショナル。発売 星雲社 定価 一三〇〇円。
○全国集会
今年の無教会(キリスト教)の全国集会が、十月八日(土)~九日(日)に東京の青山学院大学で行なわれます。テーマは、「今、生きるとは―キリストにある愛のはたらき―」です。今年はとくに、発題や意見発表や讃美に例年より多く若い人も加えられています。発題としては六名がそれぞれ三〇分を与えられて、テーマに沿って、愛と性、愛と伝道、そして神の愛をもたらすために不可欠な信仰についても、信仰と政治、教育、福祉、職業とのあり方を内容とする発題がなされる予定です。
また、翌日の午後のグループ別集会では、それらの発題についてより深める話し合いがされ、その後、「私の信仰と、意見」として五名が語ることになっています。
なお、一日目の夜は、パイプオルガンによる讃美の夕べというのも自由参加のプログラムとして組まれていること、主日礼拝には、聖書講話の前に讃美による礼拝を初めて三〇分組み入れているのも新しい内容です。
期日…10月8日~9日(日)
8日 受付開始 12時 開会 13時 閉会 20時30分
9日 受付開始 8時30分 開会9時 閉会 17時
会場…青山学院大学 青山キャンパス内・ガウチャーメモリアルホール(記念礼拝堂)