ダンテの「神曲」 2007/4
ダンテと神曲という名前は、高校の世界史の教科書などで出てくるので、その名前はたいていの人が知っている。しかし、その内容はというとほとんどの人が知らない。そして、有名だからというので書店で購入しても、大体何のことかよく分からない。難しい地名人名が多く現れる。内容はというと、現代とはあまりにもかけ離れているように見える。
こんな難解な書物、たいていの人が読んでもいないのになぜ、重要な書物なのか、といぶかしく思う人も多い。そのため、ここでその影響の一端を記しておきたい。
次に森?外の訳書「即興詩人」の一部をわかりやすい表現にして引用する。 これは、童話作家、詩人として有名なアンデルセンの自伝的小説であり、アンデルセンの若き日二八歳のときに一年数カ月をイタリアに旅したときの日記をもとにしたものである。
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…何と喜ばしいことか、神曲は今、私の書となった。私が永く所有することができるものとなった。私は人のいない所において、はじめてこの書を読む時を待ちかねることになった。
この書を読んで私は生まれ変わったようになった。ダンテは実に私のために、新たに発見した「アメリカ大陸」とういうべきものとなった。
私の想像の世界は、今だかつてこのように、広大にしてこのような豊かなる天地を見たことはなかった。
その岩石、何とけわしくそびえ立っていることであろうか。また、その色彩は、何と美しく輝いていることか。私はこの作者ダンテと共に憂い、作者とともに喜び、作者とともに当時の生活を詳しく見ることができる。
地獄への門に刻まれてあったという言葉は、全編を読む間、私の耳に響き続け、それはあたかも世の終わりの裁きのときに鳴りわたる鐘の音のようであった。
その言葉は、次のようなものである。
我を過ぎて ひとは憂いの町へ
我を過ぎて ひとは永遠の嘆きに
我を過ぎて ひとは滅びに至る…
私は読んでいるのが、ダンテの詩であることを忘れてしまったほどである。地獄篇のなかにある沸き返るにかわ状の物質から聞こえる苦痛の叫びは、私の胸を貫いた。また、別のところで鬼が持った鋭い熊手に引っかけられ、また沈められている様を見た。ダンテの描写が真に迫る生きたものであるため、その状況が深く私の心に彫りつけられたためであろうか、昼は私の心にあり、夜も夢の中にもそれが現れるほどであった。…
(「即興詩人」95頁~筑摩書房)
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この地獄の門に刻まれた言葉というのは、単にダンテの詩的空想にあった言葉で、地獄などない、とか中世の想像にすぎない、などと、自分や現代の人とは何の関係もないものとして読まれることが多い。普通に読めばそうなるだろう。
しかし、この世には至るところでこのような門が存在しているのである。
それは人間であったり、人間の書いた書物や思想、出来事であったりする。
ふとしたことから出会った人によって悪の道に引き入れられ、その生涯を闇の中に苦しみつつ生きていくようになっていく人はじつに多い。
あるいは、現今のテレビやゲームなどの映像、汚れた内容の印刷物などによって人の魂がこの地獄の門に刻まれた言葉のようにそこから魂が暗い世界へと引き込まれていくこともある。
携帯電話などを用いた陰湿ないじめによってまさに幼い魂が地獄のような苦しみを味わっていくこともしばしば耳にする。
そればかりでない。私たち自身が他人にとってこの地獄の門のようにつまづきを与え、あの人は私のゆえに苦しみを与えることになったのではないか、というような我々一人一人に問いかける言葉ともなっているのである。
このような暗い世界への門がひしめくこの世に永遠の輝きをもった門がある。
それが、新約聖書にある次のような門である。
…私は門である。私を通って入るものは救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
(ヨハネによる福音書十・9)
ダンテが地獄の入口においた門に刻んだ言葉は、この主イエスの言葉、キリストご自身が永遠の救いへの門であることと対比されて記されているのである。
ダンテは、闇と苦しみの世界への門を記しつつ、それと全く逆の光と永遠の喜びの世界への門を指し示しているのである。
このように、地獄篇の一つをとっても単なる想像の世界なのでなく、重い現実の状況を見据えたことが独特の手法で記されている。
詩人アンデルセンは、自身が詩人であったために一層このダンテの神曲に強烈な印象を受けたのであった。
作品は彫刻されたもののようにアンデルセンの心の目に浮かびあがり、それは彼の魂に刻まれ、厳しさだけでなく、そこにある色彩的な美しさもまた、目を奪うようなものとして感じられた様がこうした文章からうかがえる。
この神曲という作品は、彼にとって、コロンブスによって新発見されたアメリカ大陸のように、全くそれまで知らなかった、広大な世界を知らされたということである。
それがいかに強くアンデルセンの魂と共鳴したか、引用した地獄の入口の門の言葉が、神曲という大作の全編を読む間、彼の耳に響き続けたということからもうかがえる。詩人とはわずかの言葉、わずかの自然や人間の現象に深く心が響き、動かされるのであって、ダンテの詩が若き日のアンデルセンの魂を揺り動かして、深い影響を与えたのがうかがえる。
このことを考えると、ダンテの神曲がアンデルセンの魂に流れ込み、そこから彼の詩や創作童話となって、また新たな流れとなって世界に流れだしていったのであり、神曲の世界がアンデルセンの作品の中に溶かし込まれて世界の人々に流れていったと言える。
それゆえに、全くダンテなど関係ないと思っている人たちのなかにすでにアンデルセンの童話を通ってダンテの思想や詩が流れ込んでいるのである。
ヒルティも深くダンテに学んだ人で、その著作にもしばしばダンテの引用があり、ダンテに関するかなり長い文(*)をも書いている。 その著書でヒルティは、ダンテの神曲は、次のような精神で書かれたことを示している。
(*)邦訳では、百ページほどの分量。「ヒルティ著作集」第六巻二八一頁~。 白水社刊。
…私は、愛から霊感を受けたとき、筆を取る。
心のうちで、愛が語るままに、私は文字を書き記す。
(神曲・煉獄編二四・58)
それゆえに、ヒルティは、神曲を読む場合でも、倫理的な力と英知をダンテによって強め、各自が人生の道における案内人をこの詩人に求めるべきことを解いている。(前掲書二八三頁)
なお、このような愛を基調とする考えは、神曲の根源を流れている。
地獄の門ですらも、神の正義だけでなく、神の愛によっても造られたと書かれている。(*)
そして夜空の星々も神の愛が動かしている、とも記されている。(地獄篇一・37)
(*)先ほどあげた、門に刻まれた言葉のあとに、「正義は、高き主を動かし、神の力、神の英知と、はじめの愛は、我(門)を造る」とある。なお、ここにいう神の力と英知と愛は、神とキリストと聖霊を象徴しているとされる。
そして、そのヒルティは今から百年ほど前に、ケーベルによって日本に紹介されてから、今日に至るまで実に多くの人に読まれ、多大の影響を与えてきた。
ヒルティの精神のなかには、ダンテの神曲が深く流れているであるから、ヒルティを通して神曲の内容が日本人にもこの百年という歳月、注がれてきたと言えるのである。
これらはほんの一例にすぎない。このように、自分は読んだことがない、読む必要はないと思っている人、何の影響もダンテから受けていない、と思っている場合でも、見えない形でその影響は働いている。ちょうど地下水が目には見えないが、深いところを流れて、さまざまの植物をうるおしているようなものである。