リストボタン水粒や微粒子の芸術    2007/9

青い空に浮かぶ雲、その色は光の強く当たるところは純白であるが、ややグレーの雲、厚く重なったところは暗く見えるもの、その色合いや形、力強さをたたえたものや、軽やかな羽のようなものなど実にさまざまである。
夕方になって日の落ちる頃には、雲はさらにいろいろの変化をする。微妙な赤味がかった色、白と赤、あるいは橙色のような雲、またときには赤紫のような色で染まることもある。
心して見つめるときには、大空の雲のそうした変化極まりない姿は、たしかに完璧な芸術家である神が自由自在に大空をキャンバスとして描いている広大な立体絵画である。
しかもそれらの美しさを生み出しているのは、きわめて小さい水粒なのである。千分の五ミリから、一〇〇分の一ミリメートル程度の水粒の集まりが雲であるから、このような微小な水粒が太陽の光を受けて織りなす芸術だと言える。
また、時折みられる虹の美しい七色、これも雨粒に光が屈折して入り、その水粒の内部の境界面で反射して外部に屈折して出てくるとき、それぞれの色の光の屈折率が異なるために、あのように七色に分かれて見えるのである。 虹も小さい水粒が創り出す大空の驚異と言えよう。
また、大空の青い澄んだ色、朝焼け、朝日、夕焼けや夕日のさまざまの赤みがかった色は、日光の白色光が、大気中の微粒子によって散乱する仕方が色によって異なることによる。
神はこのようにどんなに小さいものであっても、また巨木や大きな山々、大河、海洋といった大きなものも、その栄光を表すためには何でも用いられるのがわかる。
人間も、小さな能力のように見えるもの、あるいはまだ何もできない乳児であってもまた重い病気や体の障害を持っていても、どのような人であってもその御国の建設のためには用いられるのである。この世ではできるだけ能力の高い者、健康な者を使おうとする。
しかし、神がその御国のために用いるにあたっては、小さすぎるというものはないのである。


音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。