雲からも風からも 2007/10
私たちが家の外に出るなら、ほとんどの人にとって雲は見えるし、風に当たることもできる。それほどにどこにいても身近なものである。大空一面に雲は広がり、風はわずかのすきまをも吹き抜けていく。
このきわめて日常的な何でもないものから深いインスピレーション(霊感)を得、あるいは言葉にならない真理を暗示され、また力を得てきた人たちは昔から多く見られる。
わが雲に関心し
わが雲に関心し
風に関心あるは
たゞに観念の故のみにはあらず
そは新なる人への力
はてしなき力の源なればなり(「日本の詩歌18 宮沢 賢治 346頁」1968年 中央公論社)
雲や風に科学的な関心を持つこと、これは子どものときから見られる。雲はどうしてあんな色をしているのか、なぜ消えたり増えたりするのか、形はなぜいろいろあるのか等々。風はどこから吹いて来るのか。目には見えないのになぜ大木をなぎ倒すような力をもっているのか等々。
しかし、宮沢 賢治が言っているのは、そうしたことよりも、私たちに力を与えるもの、力の源であるからだ。
人に力を与えるもの、それは知識だ、友情ある他人の励ましとか支えだ、人生経験だという人が恐らく多数を占めているだろう。
このように「雲がはてしなき力の源だ」と言うような人はごく稀だ。彼は他の詩においても雲から受けるものについて書いている。
新たな詩人よ
雲から光から
風から
新たなエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ(同270頁「春と修羅第四集」より)
このように、雲や風、光といったいつも戸外に出れば、自然に接するごく普通のものからも新たなエネルギーを得ることができ、そのエネルギーをもって、あるべき姿を指し示すというのである。
宮沢 賢治は、キリスト者ではなかったが、同時代の内村鑑三の熱心な信仰上の弟子、斉藤宗次郎に強い影響を受けたのが分かっている。そして有名な「雨ニモ負ケズ」の詩は、その斉藤宗次郎がモデルであった。また、「銀河鉄道の夜」において、その頃生じたタイタニック号の沈没という事件が現れる。そしてそこに讃美歌三二〇番の「主よみもとに」が現れ、賢治の心にも流れ込んできたのがうかがえる。このように、キリスト教の世界は彼の魂にも波のように強く打ち寄せていたと言えよう。
聖書の世界では、その冒頭から風は現れる。闇と混沌のなかで動いていたのは、風であった。この風という原語(ヘブル語)は、霊という意味をももっているから、聖書は最初から風の重要性を明確に告げていると言えよう。
暗黒と混沌のただ中であっても、神の風(霊)は働くことができる。光あれとの神の言葉によって生じた光とともに創造にかかわったのである。
私自身を振り返っても、まだ光を知らず、どのように考えて生きていけばよいのか全く分からずに混沌としていたのであるが、そこにもすでに神の風は吹いていたのである。そしてその後実際に神の光が暗闇の心に射してきたのであった。
次に聖書で雲が印象的な場で現れるのは、出エジプト記においてである。神の人モーセによって導かれたイスラエルの民にとって、雲は重要なものとなった。
…主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。(出エ 十三・21)
神は、荒野といっても砂漠のようなところを導いたが、そこで不思議なものが現れる。それがここにあげた、雲の柱と火の柱である。雲とはふつうは柱状になることはない。せいぜい積乱雲のようにむくむくと上に立ち上る程度である。雲の中、火の中にあたかも人のようなものがいて、立って導くかのように、雲の柱、火の柱と言われている。
たしかに、この場合には雲とはその中に神がおられて、人々を導いて行かれたということなのである。
またモーセが旧約聖書だけでなく新約聖書においても変ることなく真理である、十戒を与えられたとき、神は次のようにさまざまの「雲」を表す言葉と関連付けられている。
・見よ、私は濃い雲の中にあってあなたに臨む。…(出エジプト記十九・9)
(雲という意味の語を二種類用いている。それを濃い雲と訳す)
・三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。(出エジプト記十九・16)
(ここでは、「重々しい(栄光の)雲」という表現になっている。)
・モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。(同二〇・21)
(密雲と訳された語は、暗い、全くの闇という意味の語である。)
このように見てくれば分かるように、雲、とくに厚い雲は神がそこにおられるという実感をもって受け止めていたのがうかがえる。
これが、キリストがこの世の終りに再び来られるという再臨のときに、「雲に乗って来られる」(マルコ13の26)と記されていることにもつながっている。
神が雲のうちにおられるということから、雲の中からも人々に語られる。それは次のような箇所に見られる。
…主は雲の柱のうちで彼らに語られた。彼らはそのあかしと、彼らに賜わった定めとを守った。(詩編九九・7)
このように、雲は聖書においては神がそこにおられるという特別な意味がこもっていた。
現代においても、雲は刻々と変わり色や形のその無限の変化、青く広がる大空に浮かぶ真っ白い雲、それらは、私たちに神の国の一つの表現のように感じられることがある。
それゆえにこそ、そこから新たな力をくみ取ることができる。
風、どこにでもある自然現象である。 しかし、聖書においては、風にはすでに述べたようにその最初から深い意味が暗示されていた。
そしてキリストの時代になって、聖なる風というのが前面に現れることになった。それは聖なる霊(聖霊)である。
ギリシャ語でも、風と霊とは同じ言葉(プネウマ pneuma)なのであって、この言葉が使われているところでは、この二つの意味が重ね合わされ、溶け合わさって用いられていると考えられる。
ヨハネによる福音書によれば、キリストの弟子たちは、主が十字架につけられたのちには意気消沈して部屋にこもっていた。復活を知ってもなお、立ち上がる気力は出てこなかった。
そのような弟子たちを奮い立たせ、福音を宣べ伝えるためにいかなる困難をも超えて歩み始めるようにしたのは、聖なる霊(風)が彼らの祈りのときに注がれたからである。そしてそれから二千年という長い歳月を経てもこの神の国からの風は止まることがない。今も絶えず吹き続けているのである。
私たちも、戸外に出れば風に当たることができるように、祈りによって今も吹き続けている神の風を受けることができる。
天からの光を受けて
神曲・煉獄篇 第五歌より
ダンテの神曲は、地獄、煉獄、天国の三つをダンテが導かれていく状況が描かれている。地獄編は興味本位で読まれることもあり、話題になったりすることも多く、挿絵も地獄編が最も多く書かれている。
煉獄編になると、多くの人にとって関心を持てなくなる。それは煉獄という言葉自体がなじめないものだからである。そしてそれは現代の私たちと何の関係があるのかと思われるだろう。煉獄という言葉は、聖書になく、プロテスタントでも話題にほとんどならないからである。
しかし、ダンテの神曲の煉獄篇には、過去のことでなく、現代の私たちにかかわるメッセージが深く折り込まれている。ここでは、煉獄篇の第五歌の内容からそれを見てみたい。
ミセレーレ(憐れみたまえ!)
煉獄とは南半球にある、海にそびえる山と想定されている。
その煉獄の門に入る前のところで、死の直前になってようやく悔い改めた人たちがいる。その人たちは「ミセレーレ」という言葉を唱えつつ歩んでいた。ミセレーレ(*)とは、「憐れんで下さい!」という意味である。大きな苦しみに置かれた人が祈る最も簡潔にして、深い思いをこめることができるのがこの言葉である。
(*)「憐れんで下さい!」ミセレーレ(miserere)とは、ラテン語の 「憐れむ」という意味の動詞 misereor の二人称単数の命令形。神に向かって発するこの祈り、願いは、例えば詩編五一・3のラテン語訳では、「憐れんで下さい、私を、神よ」miserere mei Deus(ミセレーレ メイ デウス ) のように現れる。
なお、この言葉から派生したのが、フランス語の miserable (悲惨な、みじめな、貧しい)であり、ユーゴーの大作 レ・ミゼラブル「Les miserable」とは、「みじめな、悲惨な人々」という意味。 Les は複数の名詞につく定冠詞。
この言葉が、煉獄の門へ入り、罪が清められることを願いつつ歩んでいた人々の祈りであったが、これは旧約聖書にすでに詩編で多く現れる。詩編とは単なる自然への感動とか身の回りの出来事に感じたことを書いたものでなく、もうどうにもならないような追い詰められた状況、悪や病気によって苦しめられ、ただ叫ぶほかないような中で書かれたものが多い。それゆえに、この「主よ、憐れんで下さい!」というのは多く現れる。
神よ、わたしを憐れんで下さい
御慈しみをもって。深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。 (詩編五一.3)
この「憐れみたまえ!」という切実な祈り、神への訴えは、新約聖書にもそのまま流れている。
…イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。(マタイ九・27)
昔の盲人の生活は悲惨なものであった。歩くにも他人の手を借りねばならないこと、仕事も何もできない、家でじっとしているだけということのため、乞食となってせめてもの食物やお金を通行人からもらうというぎりぎりの生活をしていることも多かった。日本でも、生まれつきの盲人は家に閉じ込められているということも多かった。そのような文字通りの闇の中から救いを求める叫びが、この「憐れんで下さい!」という祈り、叫びである。それゆえに、この言葉はいろいろなところでも用いられるようになり、キリスト教音楽の重要な分野であるミサ曲においても、この言葉が現れる。病、敵からの迫害、死の恐れ、罪のゆえの神の裁き…それらからの救いを求めてどの場合でも祈ることができるのが、この「憐れんで下さい!」という祈りなのである。 旧約聖書の詩編から流れ出して、新約聖書の闇にある人たちの心をとおり、さらに無数の以後のキリスト者たちの心を流れていったが、このダンテの煉獄篇にも流れ込み罪からの清めを求める人たちの祈りとなっているのである。
そして現在にあってもこの祈りが世界の至るところでなされているであろう。
止まることなく
ダンテがこの煉獄の山を歩んでいるとき、たくさんの人たちが、自分たちのことを彼らの親しい人たちに祈ってもらうためにダンテのところに駆け寄ってきた。そのとき、彼を導く詩人は、言った。
「歩みは止めるな。行きつつ耳を傾けよ」と。
人間のいろいろな問題にかかわって、相談相手になり、また彼らの苦しみや悩みを親身になって聞くことは、それらの人達を重んじて、愛をもって接しようとするときには必ず必要である。しかし、しばしばそうした人間の生々しい問題に深入りすることによってその泥沼の中に自分も入り込んでしまい、人間の苦しさや絶望的状況の中に引っ張り込まれることがある。そして自分も動揺し、あるいは清い心を失ってしまう。人間関係の問題のなかで、当事者にかかわることによって知らなかった他者の驚くような問題を知らされ、それがひっかかって前進できなくなることもある。
重い病人や罪を犯した人との関わりの中に埋まってしまうとき、相手をするのが精一杯で、相手の人間に高きを見つめるように指し示すこともできなくなることもある。
ここで、「歩みは止めるな、行きつつ聞け!」と言われているのは、そうした現代に生きる私たちへの言葉でもある。前進しつつ、神を見つめつつ人にもかかわるということである。
この世は私たちの前進を止めようとする力に満ちあふれている。快楽や欲望、あるいは自分中心の心、あるいは他人の悪意や闇、そうしたものの力は強力で、うっかりしていたら前進どころか後退してしまうであろう。
すでにこの第五歌のはじめの部分にも、ダンテの後ろからいろいろとうわさをしたりする人々のことがとくに取り上げられている。そのため、ダンテも心が動揺しがちになる。そうしたときに、ダンテを導く詩人は、こう言った。
「お前は、どうしてそんなに遅いのか。彼らの話していることがお前と何の関わりがあるか。この人々の言うがままに任せよ。風ふきつのることがあろうともその頂きを決して揺るがさない堅固な塔のように立て!」
ここにも、絶えず前進をのみ念頭におく姿勢がみられる。他人がどのように批判し、陰で悪いことを言おうともそれに心を向けずにただ前方を、神の国を見つめて歩むべきなのである。
自分中心の考えはつねに停滞的であり、後退的である。
前進とは何だろうか。私たちの目的地は神の国である。神の国とは、正義と愛、真実、平和といったものであるから、もし私たちが他人や自分自身の罪ゆえに、正しいことに反することに誘惑されたり、他人を憎みあるいは敵視し、快楽に負けたり、心に真実な思いをもって日々を過ごせなかったりするなら、それは停滞であり後退である。
それゆえ前進しているとは、こうした心とは逆に絶えず心が神の愛や真実といったものに向けられている状態を意味する。たとえ寝たきりであっても、このような心を主に結びついてもっているならば、その人は絶えず前進していると言える。
天からの光を受けて
私たちはいずれ地上の命を終える。そのとき、どのような心でこの世を去っていくかはきわめて重要なことである。
マラソンでは、ずっとトップクラスを走っていても、最後に弱ってしまい抜かれてしまうこともある。人生も同様で、いくら若いときにはよく生きたとしても、晩年になって真実に生きることを捨てて大きな間違いをして悔い改めもしないで死んでいくなら、神の祝福は受けられないであろう。
逆にいかに重い罪を犯しても、死のまぎわに神に心を向けて罪の赦しを受けるならば、神のもとへ行くことができるということは、聖書にも記されている。
ダンテの神曲・煉獄篇 第五歌においてもこのことが印象的な書き方で記されている。
ここでは、一人の男がダンテに自分の死に至るまでのことを語る。
どうか私がこの重い罪を清めることができるように、
私のために祈りをささげてくれるよう、取り計らってくれないか。
私は、そこが一番安全だと思っていた道をたどって、
ミラノ市の長官として赴任しようとしていたが、
権力をもったある人々―理由のない恨みをいだいていた人々によって襲撃された。
もし、別の方角に逃げていたら助かったかもしれないが、
沼の方に走って必死で逃げた。
しかし、そこで葦にからまり、泥に足を取られて倒れた。
そこに私の体から血が流れ出て、
地面に血の海ができるのを見た。(煉獄篇・第五歌)
このような、個人的な憎しみによって殺されたが、この人はそれでもなお、最後の息を引き取る前に、悔い改めて救いへと入れられたのであった。
次に現れた男が次のように語った。
…喉を刺された私は、歩いて逃げて行った。
あたりの野を血に染めながら。
そのとき悔い改めの涙を流して死んでいった。
悪魔が起こしたかと思われるような雨風によって
付近の川は流れを増して彼のからだをも流していった。
私の冷えきったからだは峡谷の出口までながされていき、
さらに下流へと押し流していった。
私が自分の腕で組んだ十字架をもその流れは引き離した。
流れは、岸に沿い、また川底に沿って私の体を転がしていった。
そしてついに私の体は川砂によって覆われ呑み込まれていった。
このように、ただ一人深手を負って激しい痛みと孤独のなかを、逃げていくとき、その魂に光が差し込んだのであった。戦争という人間の悪意や攻撃のただなかで、また雨風の激しい中、川の大きな流れに呑み込まれていくという全くだれからも看取られず、祈りも受けないような状況の中でこの世から消えていったのである。
しかし、それでもなおそこにも神の光は差し込んで最後のときに悔い改めをなすことができたのであった。
これら二人の死は、個人的な憎しみによる攻撃や戦争による偶発的なものであった。その死には特別な儀式をも何もすることもできず、その長い生涯において神への信仰をももってこなかった。そして落ち着いた雰囲気のなかで神に祈ることも、聖書を開いて静まることもできないような非業の死であった。しかし、そのようなところにも、天の国からの光は差し込むのである。
三人目の人は、女性であった。この記述は短い。
…ああ、現世に帰られて
この長い旅の疲れをお休めになりましたら
思いだして下さいませ、ピーアです。
シェーナで生れました私を、マレンマが滅ぼしたのです。
その理由は、私に指輪を送って
私と結婚した男が知っているのです。
この女性の前に現れた二人の男の死に至る状況は詳しく記されていた。それに対して、この女性に関しては、わずかに原文で六行である。
ピーアという名の女性は、シェーナで生れ、マレンマという場所で死んだ。この短い記述からでは何のことか分からない。しかし、この女性の悲劇的な最期は、当時広く知られていたようである。夫は、有力な権力者で城主であったが、妻とは別の女性と結婚するために一二九五年に妻を殺害したという。
このときダンテは三〇歳ほどの年齢であって、この女性は地位も高い人の妻であったこともあり、同時代のダンテも周囲の人たちと同様に強い関心をもったのがうかがえる。
しかし、ふつうなら単なる悲劇的事件で終わってしまう出来事のなかに、ダンテは人間の真実と神の真実の深い消息を示されたのであった。
それまでは神のこと、信仰のことも心にとめずに生きてきた一人の女性が、突然にして襲ってきた死のときに悔い改め、神に引き寄せられたのであった。ここにも、いかなる不幸に見える状況であっても悔い改めて神の光を受けることができるのだという真理が込められている。
どんなに遅くとも、死のまえに神への方向転換をなすものを神はずっと待ち続けておられ、ここに神の真実がある。
この女性は、ダンテに自分の切なる願いをただちに言うこともなく、まずダンテが長い旅から帰って疲れを休めたのちに、思いだして下さい、と願っている。こうした奥ゆかしさを心にたたえている。しかも、自分を殺した夫とか周囲の者への恨みとか激しい感情を出すことなく、ただ事実を淡々と述べているだけである。
ここであげられた三人が死んだ理由は、いずれも病気でも高齢でもなかった。外部からおそいかかってくる力によって死に至った。
最初の人は個人的な敵意、憎しみが襲いかかり、逃げていくときに沼に入り込み葦にからまれ、そのまま血を流して死んでいったし、二番目の人は戦争という多数の人間同士の敵意のうずまく中での死であり、さらに川に流され川岸や川底にぶつけられながら砂に埋もれていった。いずれもこの世の闇の力を象徴している。
聖書の最初にある記述は、さまざまの場面を象徴しているが、この第五歌に記されている状況はまさに、深い闇と混沌の世界である。憎しみ、うらみ、敵意、策略、大量殺人等々、それは方向の見えない混乱状態である。
しかし、そこに天の光が射し込み、悔い改めへと魂は導かれることができる。
この第五歌で罪を浄められている人々がダンテに言った次の言葉はこれら三人の魂の状況を示すものとなっている。
…私たちはみな非業の最期をとげた。
臨終の際まで罪人だった。
だが、そのとき天の光に目覚め、
それで罪を悔いつつ敵を赦しつつ
神との平和を与えられてこの世を去った。
神は神を見たいという望みを呼び覚まして下さるのだ。 (煉獄篇 第五歌52~57行)
…Then light from Heaven gave us understanding,
so that, repenting and forgiving,
we came forth from life at peace with our God,
who with desire to see Him pierces our heart.
(J.D.Sinclair 「DANTE The Divine Comedy」 OXFORD U.P.)
この世には私たちが神のもとに行こうとする気持ちをさまざまの手段で弱めようとし、なくしてしまおうとする力が働く。それは、自分の内なる欲望であるし、また周囲の同様な誘惑や働きかけ、慣習などでもある。また、ここにあげられた個人的な憎しみや敵対関係、さらには大規模な戦争のような個人の気持ちを踏みにじっていく出来事、そしてそれらと対照的にごく身近なところ家庭という秘められた場においてもやはりそうした力が働くことがある。
さらにダンテがここでも暗示しているように、当時の宗教の教義などが、救いのためには一定の儀式が必要だとするような形式重視の考えもまた神に向かう心を妨げようとする。
このようなさまざまの力が押し寄せる波のように働いて私たちの悔い改め、神への方向転換を妨げようとしてくる。
しかし、そのようなあらゆる闇の力や混沌とした出来事も、ひとたびそこに神の光が射し込むときには、それらすべての妨げを越えて人は神に向かう。こうしたダンテの記述は、悔い改めへと向かわしめる神の強力な力を指し示しているのである。これは、聖書の最初に記されている、闇と混乱のただなかに光を投じることで、その闇と混沌を退ける神の力の宣言に通じるものなのである。
そして人生の最期において光を受けて悔い改め、神のもとへと招かれた例として、ルカによる福音書では、イエスとともに十字架につけられた二人の重い罪人のことが記されている。そのうち一人は最期までイエスを、神の子であるなら十字架から降りて自分を救え、と罵ったが、もう一人は、「自分たちは自分のやったことの報いを受けているが、イエスは何の罪もない。イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思いだして下さい。」と言った。
この罪人は、先ほどのピーアという女性のように、息を引き取るまぎわになって「私を思いだして下さい」という控えめな願いをイエスに向かって差し出した。そこには自分の犯した罪を深く知っていたがゆえに、自分の特別な願望を具体的に言って求めるのでなく、ただ「思い出して下さい!」という願うのみであった。
この罪人は、イエスというお方は殺されても滅びることはない、必ずよみがえって神のもとに帰るのだということを確信していたのである。弟子たちですら、なかなかイエスが十字架で殺されてしまうことや、復活などを信じることができなかったのと比べると驚くべき洞察である。
これこそ、天からの光を受けたということである。主イエスは、死してから復活して御国に帰ってから思い出すのでなく、このように願った罪人にただちに答えられた。「あなたは今日、私とともに楽園にいる」と。
この罪人もダンテが描いた人物と同様に、周囲の人々の敵意や死のまぎわの言葉を絶する苦しみ、誰一人自分のことを愛してくれる人もおらず、ただ見せ物として多くの人たちの前で釘で打ちつけられて絶命しようとしている、それはたしかに、激流が押し寄せ、泥にまみれ、葦にからみつかれ、そして流れに押し流されて翻弄されていく一つの魂であったが、そこに悔い改めを起こさせる天来の光は、そうしたあらゆる悔い改めを妨げようとする力を粉砕し、神へと立ち上がらせることができたのである。
肉体は痛めつけられ滅ぼされていくが、その魂は天の光によってしっかりと神の御前に立ち上がることが赦されたのである。
いかに闇や混乱がひどくとも、そこにも神の光は射し込むことができる。この聖書の冒頭から言われていることは、どんなにひどい状態に陥っている人間をも見放すことはないという神の愛である。
この世には昔から現在に至るまで至るところにそうした闇があるが、この神の愛を実際に受けた実感を持つ者は、決して望みを失うことはないであろう。信仰と、希望と愛は永遠に続くと言われているとおりである。