枯れてなお香りを 2007/11
先日香川県に行く途中、徳島県との県境の峠にある一本の樹木のところで車を止めた。その付近には、丸い特徴ある葉が道に落ちていた。黄色い葉であった。そしてその付近にはほんのりと他にはない独特の香りが漂っていた。もっと寒くなるとその木に残る葉がすべてイチョウのような美しい黄色となるだろう。
それは徳島では野生を見ることは稀な桂の木であった。
秋になり葉が枯れるときにほかには見られないような鮮やかな黄色の黄葉を見せるだけでなく、落ちたその葉が芳香を周囲に漂わせるのである。
この木は私が高校時代に標高八〇〇メートルほどの山のふもとの渓谷沿いに見事な樹形をもった数本があったので心に残っていた。そのときはその木の名前は分からなかった。その後、何年か経って秋に行ったとき、美しい黄色の丸い葉が一面に道に落ちていた。
それは、心に残る風景であった。 それからまた、四国第二の高峰である剣山に登ったとき一五〇〇メートルほどのところの渓谷沿いにやはりこの桂の木があった。
桂の木はこうして私にとっては四十年以上も前からなじみのある木であった。
葉が枯れて美しくなり、しかも香りを放ち続けるのは興味深い。
それは、何か本当によきものを象徴しているように思われるからである。
主イエスは十字架で命終えるときに万人の罪をあがなうという輝きを放ち、死んでからよみがえってその天の国の香りを二千年にわたって全世界に漂わせ続けている。
真理はどのような状況になっても、滅ぼされるように見えても、そこから新たな輝きを生み出し、死してなお天の国の香りを世に流していくのである。そしてその香りは永遠である。
歌い、流れ、そして輝く
秋のある夜、聖書の集会からの帰り道に流れている大きな川のほとりに立った。
そこは折々の私の祈り場、また考えをまとめる場、そして川の流れに、また水鳥たちのたたずまいに接し、周辺の草むらからの虫たちの讃美に聞き入る場。
誰一人聞きく者や見る者はない。
しかし、虫たちは讃美し続け、川も静かに流れ続け、空の星々も神秘な輝きを続けている。
それは神の国の音楽であり、そこから流れだしている川のように感じられた。
エデンから川が流れだして、神の園をうるおしていたと聖書にある。私たちの周囲のさまざまの自然にも、そのような神の国からの流れがあり、この世界をうるおしているのである。
世と世の欲は過ぎ去る
最近の日本の政治状況は、混沌としている。国家の代表者たる首相が、国会でこれからも力を入れてやる、と代表演説をしたと思ったら突然その首相というきわめて重要な職を投げ出した。
次ぎには、最大野党の党首が、新首相と会談して受けいれようとした連立政権への考えが自分の党に受けいれられなかったとして、突然辞任した。これは職を投げ出した前首相と似たことであり、驚かされたが、さらにその続編があった。わずか数日後にその野党党首がふたたび、民主党に戻って党首を継続するということであった。そしてこれらを陰で画策したのが政治家でなく、有名なプロ野球の球団と大新聞社を経営してきたことで知られている人物であったという。
また、国家の防衛とか海外派兵といった重大問題に深くかかわってきた防衛省のトップが、特定の軍需関係企業と深く結びつき、二〇年を超えてさまざまの接待を受けるなど不正な関係が続けられてきた。このような自分の魂を売り渡すような人物が、国家の防衛などにかかわる重要な問題の先頭にたってきたというのである。
自分の魂の防衛もできず、闇の力が入り込むままになっていた人間がどうして国家の防衛とか世界の平和などということを言えるのか、まったく考えられないことであり、このような人間が国家の重要部分に食い込んでいたことは実に悲しむべきことである。
まるで劇場のように次々と目新しい出来事が生じる。しかしそれらもまたすぐに忘れられ、新たな事件、出来事にとってかわられる。だが、こうした出来事に劇を見るようにただ見とれていては何が動かぬ存在なのか、不変の真理は何かといったことがまるで分からなくなる。
こうしたすべての背後には、国民のためと称しつつ自分たちの権勢や支配を強めようとする世と世の欲が根底にある。このような時代状況であるからこそ、私たちは、いかなるこの世の動向にも動くことのない真理、そのような岩のごとき真理は聖書に記されているのであり、それを見つめつつ歩ませていただきたいと願う。
「世も世にある欲も過ぎ去る。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続ける。」(Ⅰヨハネ二・17)
大連立と憲法九条
今回の福田首相と民主党の小沢代表との会談で、大連立ということが話し合われた。その話し合いの内容において、表面には出されなかったが、その根底には憲法九条に深く関わる問題があった。
小沢代表が、大連立構想に乗り気になったのは、福田首相が、「自衛隊の海外派遣は国連の安保理か総会の決議で認められた活動に限る」とする小沢氏の持論を受け入れたからだという。
国連決議というと正しいという基準のようにみなされている。
しかし、最近のミャンマーの軍事政権による民主化運動の弾圧は、武器も一切持たない僧侶たちに対しても行われ、僧院を襲って多数の僧侶の身柄を拘束したり、千人にも及ぶという多数の一般民衆を警棒で殴打し、多くの人を逮捕したという。日本人のカメラマンも犠牲になった。
このような、明らかな悪政に対して当然国連は、直ちに非難する公式声明を発表し、ミャンマーに何らかの制裁を課することを行うと予想された。
しかし、国連の安全保障理事会は、ミャンマー軍事政権を非難する公式声明は発表しなかったのである。アメリカや欧州連合(EU)が、ミャンマーに対する制裁の検討を安保理にもとめたが、直ちに強い反対が中国によって行われた。それは、ミャンマーには重要な地下資源が多く(例えば、天然ガスの埋蔵量が世界十位)、中国がそれらの地下資源を得ることができるし、ミャンマーを通してベンガル湾からインド洋周辺での活動を拡大することができるからである。
このような自国の経済的、政治的な利益を第一とするゆえに、ミャンマーにおいて人々が苦しんでいても、正義に反する軍事政権が暴政を展開していても、中国はそれには目をふさいで、ミャンマーに対する制裁に直ちに反対するという状態であった。
このような状況を見れば明らかであるように、国連中心といってもそれは決して本当の正義ではない。大国の利益や意向に大きく左右されるのである。
また、イラク戦争を国連が止めさせることができなかったのは、大国の拒否権があったからである。
日本が国連の安保理の決議があるからといって、海外の戦争状態にある地域に自衛隊を派遣していくならば、こうした不安定な基礎に日本の今後を置くことになる。
現在の憲法九条のもとであっても、イラクのような現に戦争が行われている地域に自衛隊を派遣している状況がある。
もし、大連立ということになれば、圧倒的多数の議員たちによって議決され、公然と派遣していくようになり、ブレーキがきかなくなるであろう。
アメリカは、国連の安保理の議決がないままに、二〇〇三年三月にイラク戦争を開始した。そしてそれをいち早く支持したのが、当時の小泉首相や自民党であった。その戦争の理由は大量破壊兵器があるからだということであったが、後にその戦争の最高司令官がそのような兵器はなかったことを公式に認めた。
こうして国連主導でなく、アメリカ主導の戦争に率先して賛成していった状況を考えると、国連が認めた活動に限定するといっても、自衛隊の派遣が当然のようになってくると、そのうち国連が認めない活動にも踏み込むということは大いに有りうる。また一度国連が決議したといって戦争地域に派遣することが行われていくと、アメリカのように、国連が決議しなくとも、武力介入する可能性が強まっていく方向になり、それは後戻りできなくなっていくだろう。
このようにして、現在は何とか憲法九条のゆえに武力を用いない援助、活動がなされているが、国連という名があれば、どのような戦争地域にも軍隊を派遣するということになっていく。そうして、いよいよ憲法九条は骨抜きとなっていく。一度その壁が超えられると、止めることが著しく困難になるだろう。
このように、今回の大連立問題は、憲法九条にとってもそれを呑み込もうとするような大きな波となっているのである。
このようなとき、国連とかアメリカといった揺れ動くものを基準とするのでなく、人間全体に関わる真理を基準にすることこそ、最も有効な手段である。それこそ、憲法九条の戦争のための戦力を用いないという精神でありそれを支えている聖書の精神なのである。
いかに賛成する人が少数であっても、真理は真理であり、半世紀を超えて守ってきたこの憲法九条の精神をさらに生かす方向こそ、世界の今後にも永遠的な指針となり続けるであろう。
三種の願い、うめき
私たちの生活ではうめく、というような言葉はあまり使わない。うめくとは言葉にならないほどの苦しみのときに使われる。病気や事故、突然の出来事などで苦しいとき、はげしいショックを受けたときなどに使う言葉であり、そのような苦しみは一般的にはそうしばしばあるものではないからである。
聖書全体でも、旧約聖書ではイスラエルの民がエジプトにおいて、奴隷のように扱われてうめいていた、という箇所を含めわずか数回しか使われていない。新約聖書でもここで述べるローマの信徒への手紙で三回使われているだけである。
そのような数少ない表現が使われているのがこれから述べる箇所である。
…今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、取るに足りない。… 被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光に輝く自由に入る望みが残されている。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。…
御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ローマの信徒への手紙八・18~28)
ここで、三つのうめきが記されている。このように並べて記されているのは聖書全体のなかでもここだけである。
最初の被造物(自然)のうめき、それは通常私たちが自然を見る目とは大きく異なっている。私たちにとって自然とは、美しいもの、清いもの、また雄大なものである。身近な大空や青く澄んだ空、夜空の輝く星々には美しさとともに限りなき清いものがある。山の峰から眺める山々の広がりや海岸にたって見える大海原やその力強い波の姿には雄大さや揺るがない力を感じる。
そして、使徒パウロもここにあげたのと同じ手紙のはじめの方で次ぎのように述べている。
…世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができる。(ローマの信徒への手紙一・20)
被造物、自然のなかには神の永遠の力や神性が誰にも明らかなようにはっきりと現れているのであって、神の本性のうちの、力や美また、清さ、平和等々は周囲の「自然」が絶えず私たちに示すものである。
そのような神性のあらわれとしての自然、被造物という受け止めだけでなく、パウロはそれに加えてそれとは全く異なる自然に関する啓示を示されていた。
すなわち自然(被造物)が、完全なものとされたいという切なる願いを、苦しみあえぐほど、うめくと言えるほどに持っているというのである。
牛や羊などが病気になり、あるいは怪我をしたり水や食物がなくて、苦しみうめいているという姿は当時の人たちは誰でも一度や二度は見たことがあっただろう。しかし、そのような特別なときでなく、どのような動物であっても、満足しているように見えるときであってもその奥には、苦しむことのない完全なものにされたいという激しい願いを秘めているのだというのである。
そればかりでない。驚かされるのは、動物のような苦しんでいるのが容易に分かるものだけでなく、植物も、大地も山々、大空の雲、川、草原等々、みんな完全な存在になることをうめくほどに強く願いもとめているというのである。
このような実感を持った人がいたということは、聖書全体でもごくわずかである。それは例えば次ぎのような箇所がそれを暗示している。
…見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。(イザヤ六五・17)
現在の自然の状況は決して完全なものでない。それは美しい自然も科学技術の進展によって次々と破壊されるし、嵐のとき、大地震のときなど自然は激しい怒りのようなものを感じさせる。美しい田畑をも土砂で埋め、森林も焼き畑や材木伐採等々で消えていく。有害物質のはんらんで大地も汚染される等々、そうしたときには誰しも自然の弱さともろさを感じるし、またその破壊的な力をも感じざるを得ない。また、動物の世界では可憐な弱い動物は強い動物の餌食となっていく。
こうしたすべてはまた自然の別の側面であり、これらのさまざまの現象は被造物(自然)が、そのようなもろさや弱さのない、また強いものが弱いものを襲ったり、災害などのないより完全なものをもとめている強い願いの現れだとパウロは実感したのである。
世の終わりにおいては真理を仰ぎもとめた人たち、罪赦された人たちは、神の子どもとされる。それは神の持っているあらゆるよいものを受け継ぐので、神の栄光を与えられると書かれている。
そのときには、自然(被造物)もまた、完全な存在に変えられるという。それがイザヤ書にいう「新しい天と地」なのである。
自然は、このように二つの側面を持っている。すでに旧約聖書では、次の有名な詩がある。
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。(詩編十九・1~2)
ここには自然とくに大空のさまざまの現象、太陽や月、星などがそのまま神の力や美しさ、清さなどを表していること、また大空の雲や青く澄んだ空に日々示される姿がそのまま神の御手のはたらきだと述べて、自然が神の大いなる栄光を表していると述べている。
こうした自然の深い意味とともに、パウロはもう一つの側面、この大地(地球)にあるあらゆるものも含めて天地のものがより完全なものへと激しい願いを持っているというそのうめきを示されたのであった。
真理は複合的である。ある意味では全く異なるように見えるが、神は身近な自然にこうした二つの意味をもたせているのである。
次には人間の切なる願い(うめき)、それは本来誰にも実感できるところである。私たちはどんな人でも不完全なこと、あまりにも弱くまた醜いことを思い知らされることがある。そんなことはない、人間はよい存在だと主張する人もいるかも知れないが、例えばひとたび重い病気になり、親しい人からも見捨てられ、あるいは愛のある取り扱いを受けない状況になれば、自分がどうしてこんなになったのか、また周囲の人間の冷たさに驚き悲しむであろう。
人間はこのような弱く滅びてしまうような存在から脱却して、死に面しても滅びないような完全なものになりたい、喜びが自然に湧いてくるような真実や正しさ、また差別的でない愛、などを求めている。それは誰でも侮辱されれば怒り、差別されたり、実際にしていなことをもとにして中傷されたら心の平安を失い、悲しむが、それは言い換えれば誰でも無意識的と言えるほどに愛や平和、嘘のない真実を求めているということである。
それこそ、神の子とされること、体のあがなわれることを、熱い願いとともに待ち望んでいる姿なのである。そしてそのような切実な願いをもって求める魂の状態を、うめきという言葉で表している。
このような強い願いに満ちているのがこの天地と人間の深い本質だと言うのである。
この願いはイエスの栄光のすがたや、神の国を見つめるまなざしとなり、最終的にすべての人間が救われ、宇宙万物が完全な神の国となることへのあつい祈りとなっている。
これら二つの強い願いと希望、それはうめくというほどであるが、現実の私たちはしばしば弱さのために正しいことも考えられず、祈りも狭い自分だけのことになったり、いやな人が除かれるようにといった自分の狭い人間的感情に支配された願い事になったりする。それどころか苦しみや痛みの強いときには祈る気力もなくなってしまう。眠れない夜が続いたりすれば祈りの心すら失せてしまいぼんやりとしてしまう。
そんな私たちの日常を愛をもって見つめ、近寄り私たちの心の内にまで入ってきてともに祈りを真剣に支えて下さるというお方がある。私たちが正しい道へと向かうようにとの激しい願いをもって私たちの魂の見えないところを支え、祈れない私たちに代わって祈って下さるお方、とりなして下さるお方がいる。それが、聖なる霊である。
使徒パウロは、聖なる霊がうめくという言葉が使えるほどに、聖霊が弱い私たちの内面にて支え、執り成して共に祈って下さるのだという経験をしたのであろう。
「どんなに祈ったらいいか分からないが、聖霊みずからが、言葉にならないうめきをもって、執り成して下さる。」(ローマの信徒への手紙八・26)
何らかの祈り、願い事ならば、だれでもする。心の願いはみんなある種の祈りであり、神などいないという人であっても、自分の子どもが次々重い病気になって死にそうだという状況になれば祈らずにいられなくなるだろう。目に見えない何者かに訴えること、すなわち祈りを知っているかどうかこそは、人間と動物を分ける本質的なものと言えよう。
私たちにとっての正しい祈り、すなわち何を私たちは心から願うべきか、神が祝福される祈りは何であるか、それはすでに主イエスが教えられた。
弟子たちは、主イエスが祈っているのを見て何をそんなに長時間真剣に祈っているのか、と疑問になり、「主よ、私たちにも祈りを教えてください」と願ったが、そのときに教えられたのが、「主の祈り」として全世界で祈られるようになった祈りである。
「御名があがめられますように。御国がきますように、御心が天に行われるように地でも行われますように…」(ルカ十一・1~4、マタイ六・9~13)
この祈りは、私たちすべてがいつどんなときでも祈ることができる祈りであり、最も深い内容をたたえた祈りである。しかも御心にかなった祈りであるゆえに、かなえていただけることを確信できる祈りだと言えよう。
このような完全な祈りのことを知らされているにもかかわらず、パウロは「私たちはどう祈るべきかを知らない」(ローマ八・26)と言っているのはなぜか。それは、主の祈りを知っていても、私たちの心が自分中心になっているとき、あるいは、先ほど述べたようにあまりの苦しさや、痛みあるいは悲しみのとき、大きな精神的打撃を受けた時には祈れない、祈る気持ちにもなれない、祈ろうとしてもそのような苦しみに陥れた人への憎しみや敵意、あるいは自分の罪ゆえの深い落胆のゆえに神の方にも向けない…ということがある。そうしたときにこそ、聖なる霊がその人の内に来て共に祈って下さるというのである。
聖なる霊のうめきとは、弱い私たちを何とかして神の方へと引き戻そうとして必死で支えてくれる神の愛ゆえのうめきなのである。
これは、パウロが日々出会う身近な人々、同胞のユダヤ人、またまだ会ったことのない遠くの未知の人々の救いのために日々切実な祈りを捧げているときに、それを動かしているのが聖なる霊であることを実感し、その同じ聖なる霊が自分だけでなく、主を信じる人たちすべてに実は働いていて、一人一人の祈りに関わり、神の国へと導こうとされているのを実際に感じていたのであるからこそ、このように聖なる霊のうめきと書くことができたのである。
パウロの命をねらったユダヤ人たちが多数いたにもかかわらず、自分に敵対するユダヤ人たちに、「深い悲しみを持ち、心には絶え間ない痛みがある。」としるし、さらにそのようなユダヤ人たちの救いのためならば、自分が神から見捨てられた者となってもよいとさえ思ったというパウロ、彼の心に働いてそのように言わせたのはまさしく聖なる霊であった。
主イエスは自分が十字架による処刑といういわば呪われたもののようになってまで、人々の救いのために生きられた。その主イエスの霊が聖なる霊である。その聖霊を受けたからこそ、パウロはそのような思いへと導かれたのである。
こうして、周囲の天地万物の自然、神を信じる人間、さらに目に見えない神と同質の聖なる霊、それらがすべて目指すのは神の国であり、そのための祈りである。そこに向かってうめきと言えるように燃えるがごとき願いを持っているのをパウロははっきりと知っていたのである。
それゆえにこそ、神を愛する者には、どんなことが生じても、そうしたすべてを用いて神は良きに転じるようにと導いて下さる。神の国に近づくようにと配慮して下さる。それが次ぎの有名な言葉となっている。
… 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。(ローマ八・28)
神の愛は、周囲の万物を動員して神を愛する者を助け、導いてくださる。それは特定の人間にしか働かない人間の愛とは到底比較にならないスケールの大きさをもっていることがこの聖句によって示されている。
うめきというのは普通は暗い世界にさいなまれ、前方に光も救いも見えないがゆえに生じる。しかし、聖書で言われているうめきとは、万物のうちに働いているものであり、光をめざし神の国を目指すための祈りであり希望であり、燃えるような願いなのである。
寄留者であること、神の救い
旧約聖書の出エジプト記の中心は、神がモーセを用いて行われた神の救いと導きの事実である。
モーセは以後の神の言葉の中心となる十の言葉(十戒)を与えられたため、以後のイスラエルの歴史においてもきわめて重要な人物となる。後にイエスが現れて、イエスを救い主として信じるようになったユダヤ人たちも、かなりの者が、イエスよりもモーセが偉大だと信じ続ける人たちがいたほどである。そのことは、新約聖書のヘブル書三章で、イエスがモーセにまさるお方であるということをとくに強調していることからもうかがえる。
そのモーセがイスラエルの人々を導いてシナイの荒れ野を進んでいき、神の山にたどりついたとき、妻の父が先にエジプトから返されていたモーセの妻子を連れて会いに来た。
モーセは結婚したときミデアンにいたが、妻子とその父親のエテロが遠くの地からモーセを尋ねて会いに来たのであった。
羊飼いとして過ごしていたモーセ、妻子も与えられて静かな生活が続いていたモーセに突然神からの呼びかけがあり、エジプトに行って民を救い出せという命令が与えられた。そのようなことは権力も武力もなく、部下も一人もないようなモーセにとって全くの不可能なこと、考えられないことであった。
しかし、神の強い導きによってモーセは妻子を連れてエジプトに向かった。彼は自分の前途がどうなるか分からない危険な使命を受けていることであり、その後妻の郷里へと妻子を送り返したのであった。
それからどれほどの月日が経ったかは書かれていない。しかし、エジプトを出て彼のもう一つの使命であった神の言葉を直接に神から受けるという使命を果たす直前に、父親に連れられてきた妻子と再会することになった。
この神の山、すなわちシナイの山においてモーセは神に深く出会い、神からの永遠の真理の言葉(十戒)を受けることになっていた。 神の御前に出ることを許され、神のみ顔を直接見て、神の言葉を受けるという特別な使命を受けた者は、家族との何年ぶりかの出会いということがあっても、その家族との団欒の生活に戻ることは許されなかった。
。エテロが遠い地からはるばる来た、その目的は何であっただろうか。それはモーセの現状を知り、(モーセの妻となっていた)娘とその子に最後の出会いの場を与えることであった。
しかし、モーセから奇跡的な神の救いのわざを聞かされ、エテロは唯一の神を知らなかったと思われるが、それにもかかわらず次のように神への讃美を心から捧げている。
…主をたたえよ
主はあなたたちをエジプト人の手から
ファラオの手から救い出された。
主はエジプト人のもとから民を救い出された。(出エジプト記十八・10)
これは神の救いのわざが、イスラエル人以外にも伝わっていくということを指し示すものである。
エテロによって、神はいかなる闇の力からも救い出すというゆるがない救いの源であることが繰り返し讃美されている。この讃美は、のちの詩編の原型ともなっている。詩編の中心はまさにこの、悪や敵の力からの確たる救いということが主題となっているからである。
そしてそれは、イスラエルの人だけでなく、万人の救いとなって主イエスが成就することにつながっている。
モーセの妻と子どもたちは、夫であり父親であるモーセと久しぶりで再会した。しかし、意外にも聖書には妻子たちの喜びとかについては全く記さず、二人の名前の由来について特に記している。このことは、何を重要とみなしているかを示すものである。
家族との再会は喜ばしいものである。しかし、そこに浸っているときには、モーセに与えられた家族を超えた大きな使命を全うすることはできない。
二人の子どもの名前については、モーセ自身の体験がここに表されているのがうかがえる。それは単にモーセにとどまらず、私たち人間の共有する経験であるからこそ詳しく書かれているのである。
ひとつは「異国にいる寄留者である」ということ、これはモーセがエジプトの同胞を助けようとしたが、エジプト人に追われることとなり、いのちがけで遠い異国の地まで逃げて行った。
誰一人知る者もおらず同胞から遠く離れ、一人きりとなり、彼の孤独が深く経験されたゆえ、最初の子どもの名前に「私は異国にいる寄留者だ(*)」という意味でゲルショムと名付けた。
もう一人は、「私の父の神は私の助け、エジプトの王の剣から私を救われた」という意味をこめて、エリエゼルと名付けた。
(*)寄留者とはヘブル語でゲールと言い、エリは神、エゼルは助けを意味するので、エリエゼルとは、「神はわが助け」という意味。
このようなモーセの子どもの名前など、我々に何の関係もないモーセの個人的なことのように見える。しかし、こうした子どもの名前に託して、モーセの心に強くあった問題が示されているのである。
かつてエジプトにいたとき、モーセは同胞のために力を尽したにもかかわらずそのことは全く心に留められず、かえってそのような同胞のための行動が原因でエジプト王から命を狙われるようになった。
しかし、砂漠を超えて、はるかな遠い異国まで逃げて行ったモーセは奇跡的にいのちを支えられ、たどりついた地で結婚をし、子どもも与えられた。
この経験から神はあらゆる困難にもかかわらず救いを与えて下さるという確信を与えられたことであろうし、それが「神はわが助け」という子どもの名前に反映したのである。
そしてそのことは、さらに、民族の解放者、導き手となってエジプトから民を脱出させ、葦の海辺でエジプト軍に追い詰められ、絶体絶命というような状況をも神の御手のはたらきによって救い出され、数々の困難にもかかわらず、神の山まで進んでくることができたことにつながってくる。
そこにも神の導きがあったのである。神こそは我が助け、悪の力から私を救って下さったのだ、ということは、モーセの深い体験であったが、それは人間にとって共通の深い体験であるため、その後数千年にわたって同様な実感を持つ人たちが生み出されていったのである。
モーセのふたりの子どものうちの一人「エリエゼル」とは、そのような永遠の真理が込められた名前なのであった。
もう一人の名前は、「寄留者」という意味をもったゲリショムである。その名前がどのような意味をこめて付けられただろうか。
この世では、よきことをしてもかえって嫌われ、あるいは中傷されて苦しまねばならないということがよくある。
はるか後の主イエスはそうした典型的な例である。イエスも多くの人々のなかで、また弟子たちと共に歩んでいたとはいえ、深い孤独のなかで歩まれた。イエスの心情は誰にも理解されなかったからである。
モーセの孤独は、単にエジプトを追われて命がけで遠い未知の土地に逃げて行ったときだけではない。その後もずっと孤独であった。民を導き出しても、荒れ野の厳しい生活ゆえに民はしばしばモーセに反抗し、モーセを殺そうとまでした。モーセを助けるはずのアロンとかミリアムといった身近な人たちですら、モーセに反抗したこともあった。
このようにモーセの内面はつねに孤独であったが、実は人間はだれでもこの「異国にいる寄留者」のような状況に置かれているのである。どんなに親しい人であっても、あるとき突然仲違いが生じたり、事故や死別ということもおきる。イエスに従っていた弟子の筆頭格であったペテロすら、イエスから「サタンよ、退け!」と一喝されたこともあったし、互いにだれが偉いのかと議論になったりした。
旧約聖書においても、すでに次ぎのように記している。
…わたしの信頼していた仲間
わたしのパンを食べる者が
威張ってわたしを足げにする。(詩編四一・10)
すなわち、だれも親しい人、心の通う人もおらずまったくの孤独のなかでいるという淋しさや悲しみに陥ることはだれにでも生じることなのである。
小さな子どもであっても、捨てられたり親から冷遇されたりすることは、貧しい国々で至るところにあるし、日本のような豊かなところでもよく見られる。
家族のなかにあって孤独な生活を強いられている子どもたちも多い。
学校に行くようになってもいじめというかたちで家族にも言えず、自分だけが一人苦しむという「異国にいる孤独な人間」という状況がしばしば生じる。もっと成長しても会社など仕事で一人うまく仕事ができないとか周りのひとたちに理解してもらえない、ということもよくある。
職業の場で、まちがったことを指摘したらそれきり「異国にいる寄留者」のように冷遇されることはよくある。最近よく言われる食品問題や、防衛省の事務次官の不正でもそれを指摘したりするとすぐに圧迫が加えられることを恐れて長い間不正がまかり通っていたのである。
私自身も例えば、「君が代」の斉唱問題のように、学校の方針と異なることを主張したり批判したりすると他の教員との隔たりが生じて孤独になることはよくあった。
そのような事態になったとき、自分の力ではどうしても足りない。だからほとんどの人はまちがっていても黙っている、ということを繰り返していく。それは耐える力がないからである。
自分のなかにはそのような正しいことをはっきりと主張する力、実行する確信もない。それを思い知らされた心が新約聖書でいう「心の貧しい者」である。そこから悪に従っていくか、目をつむって黙認するか、この世はそのようなものだとあきらめるか、それとも、そのような自分の貧しさを知ったところから、神に心の目を向け、神の助けを受けようとするかに分かれる。
モーセは民族全体の導き手となっていくためには、単なる知識や経験だけでなく、異国に一人いる孤独を徹底的に味わわねばならなかった。
こうしたことが、「私は異国にいる寄留者だ」という名前が付けられた背景にあったと言える。
聖書においても最も重要なはたらきをした人たちはたいてい孤独であり、民のただなかにいてもあたかも一人きりのような状況に置かれる痛切な経験をしていた。
主イエスより千年ほども昔の王であったダビデも自分自身が重い罪を犯し、そのゆえに大きな苦しみがふりかかった。ダビデの息子や娘たちの間で深刻な問題が生じたためである。兄が妹に恥ずべき罪を犯し、それを憎んだ別の兄弟が罪を犯した兄弟の命を奪う、さらに父親であるダビデをも殺そうとする、といった甚だしい闇と混乱の渦に巻き込まれることになった。
それはダビデにおいては全くの孤独となったであろう。しかもそのために王位を追われて王宮を逃げていくとき、部下からも石を投げられてあざけられるという状況となり、ダビデも涙を流してはだしで歩いて行ったということが記されている。
およそ、王とは思えぬような涙の谷を歩むように強いられたのである。ダビデはまだ若いときに王のサウル王から命をねらわれ、各地をさまよい逃げて行かねばならなかった。あやうく殺されそうになったこともある。それはまさに、死の陰の谷を行くことであった。
しかし、こうした孤独を歩んだからこそ、ダビデは神への切実な叫びをあげ、神との深い魂の交流を与えられ、それが多くの詩を生み出すことにつながっていった。そしてその詩を核として多くの詩が生み出され永遠の歌となって数千年という長い間、無数の人々を慰め励ましてきたのである。
旧約聖書に現れる預言者のうちでもことに深い哀しみをたたえていたのはエレミヤである。
人々がまちがった道を歩み、神の言葉に背く状態が国をおおっている。そのような状態の人々に神の警告の言葉を語り続けたが一向に人々は聞き入れようとしないばかりか、エレミヤに向かって敵対してくる。エレミヤは一人民の滅亡を思い、国の前途が滅びへと向かっていくのを知って深く悲しんだ。
…私は笑いさざめく人たちとともにいて楽しむこともなく
一人で座っていた。
なぜ私の痛みはやむことがなく
私の傷は重くて、いやされないのか…(エレミヤ書十五・18)
…私の目は夜も昼も涙を流し、
とどまることがない。
娘なる我が民は破滅し
その傷はあまりにもおもい。(同十四・17)
エレミヤは、同胞のただなかにあってあたかも一人異国にいる寄留者のような思いを持ちつつ、神の言葉を語り続けたのであった。
このような孤独は、大詩人ダンテも深く経験したことであった。彼は政治家でもあって、イタリアの町フィレンツェの最高指導者の一人となっていた。しかし、いろいろな政治的紛糾の後、ダンテは三七歳の頃、さまざまの罪名を着せられ、永久追放とされた。もしも郷里の町に帰ってくるならば、火あぶりの刑に処せられるという宣告が出されたのであった。
このような事態のなかで、祖国に帰ることもできず、あちこちの地域を流浪することになった。そこで、自分を受けいれてくれる人のところで食物を得つつ、イタリアの広い領域をさすらうことになった。しかもそのときには家族とも離ればなれになっていたという。
彼は、そうしたときの孤独と苦しみを、神曲のなかで書いている。
…お前は、この上もなく愛したすべてのものと、立ち分かれることになる。
これは、流罪の弓が放つひとつの矢であると知れ。
お前は、痛切に思い知ることになる。
他人のパンの味がいかに苦いかを、
また他人の家の階段を登り下りする生活がいかにつらいかを。(「神曲」天国篇十七・55~60)
Thou shalt leave everything loved most dearly,
and this is the shaft which the bow of exile shoots first.
Thou shalt prove how salt is the taste of another man's bread
and how hard is the way up and down another man's stairs.(「The Divine Comedy」John D.Sinclair訳 OXFORD U.P)
ダンテには、このような苦しみがあったからこそ、神曲という大作品を書き上げることができた。それはちょうどダビデがさきに述べたような非常な苦しみと孤独の経験があったゆえに詩編という永遠の著作の重要部分が書かれたのと共通したことであった。
異国にある者、寄留者のような存在、それは神を本当に信じる者がその人生の歩みのなかで痛感することになる。主イエスがそうであったからには、また主イエスに従う者もまたそのような孤独を味わうことはその程度の多少はあれ、当然生じることと言えよう。
…わたしたちの本国は天にある。
そこから、救い主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。 (フィリピの信徒への手紙三・20)
私たちはあたかも一人異国にいるような寄留者のような存在であるからこそ、この聖句のように「私たちの本国」という言葉が使われている。この世は仮の宿りなのであって、寄留者であることから必ず解放されるのである。事実、キリストを信じる者たちは、その前味というべきものを知らされる。
…これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。
まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
(ヘブル書十一・13~14)
モーセの子どもの名前というのは、神の山で十戒という重要なものを受け取る前の単なる挿話のように見える。しかし、こうした記事のなかにも、あらゆる時代の神への信仰に生きる人の心の断面がそこに感じられる内容を含んでいるのである。
聖書における祈り
聖書は祈りの書物である。
聖書の最初に置かれている天地創造の記述のなかにも、祈りに応えて下さる神のすがたが浮かびあがってくる。すべてが闇と混沌に包まれていたところに、神の「光あれ!」という声によって、その闇と混沌が潮が引くように消えていったことが書かれてある。これは、祈りによって究極的には何が与えられるか、ということを象徴的に表していると言えよう。
そしてまた、祈りなくして言ったり行ったりすることがどのようなことになるのか、ということもすでに創世記に書かれている。
それは、ヘビの語りかけに引き入れられ、神の創造されたあらゆるよきものが満ちているところから追放されるということである。 ヘビとは闇の力を象徴したものであり、その闇の力によって善悪が混乱し、混沌を暗示するものである。
そしてその結果、アダムとエバの子どもである、カインが妬みによって弟アベルを殺すというまさに闇と混沌が生じていく。
このように、創世記の一章、二章においてはやくも祈りの祝福と祈りなくして人間的な感情や考えで行うことの悲劇が対照的に記されていると言えよう。
聖書の全体はこの二つのこと、祈りと祈りなくして生きることとの計り知れない違いについて繰り返し、さまざまの出来事を通して実に多方面から記されているのである。
人はみな最初は唯一の神がおられるなどということは分からない。全世界で唯一の神がおられ、その神が天地のすべてを創造されたこと、そして現在も万物を支えておられる、ということは神からの一方的な語りかけ(啓示)によって、はじめて分かることである。その啓示を受けてから、それまでと全く異なる祈りの人と変えられていく例は多くみられる。
アブラハムもその一人である。彼は、現在のイラク地方で生活していた普通の人であったが、親族とともにカナンを目指して旅立っていく。 それは全く神からの呼びかけによってであった。なぜ無数にいた人間のうちアブラハムに特別な招きがあったのか、それは何も記されていない。
アブラハムは、神からの語りかけがあるまではどんな生活をしていたのか、全く記されていない。神がアブラハムに語りかけたときからアブラハムの記述が始まる。そしてそれとともに祈りの生活が始まった。
…主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。(創世記十二・1~4)
このようにはるかな遠い見知らぬ地に神の言葉だけに従って、それまでの仕事や故郷を離れて行く、ということは途中でどんな運命が待ち受けているか分からないので、ただ神に委ね、神の導きを信じて出発したであろう。それはまた祈りの生活の始まりでもあった。
祈りなくしてそのような未知の世界への歩みを続けることはできなかっただろう。祈りにより神は導かれ、目的地に着くことができた。
そのとき、神は「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束された。今から三千数百年の昔であったゆえに、実際にその土地を与えられることが約束されたが、現代の私たちにとってこれはどのような意味をもっているだろうか。
私たちにとっては、アブラハムのように神の言葉に従っていくときには、カナン(現在のパレスチナ地方)というところが与えられるなどということではない。そのような特定の土地であればすぐに奪い合うことが生じ、実際今日に至るまで、パレスチナはイスラエルとアラブ諸国の間で紛争が絶えることがない。
主イエスが、私たちに与えられるのは、そうした目にみえる土地でなく、決して奪い合いも生じないような神の国が与えられるということであった。
恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。
(ルカ十二・32)
神に導かれて、長い旅路の果てに目的地に着いたアブラハムがしたことは、神に祈りを捧げることであった。
…アブラハムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。」 (創世記十二・7より)
アブラハムはそこから別のところに移ったがそこにも、「主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」と記されている。 (同8より)
このように、聖書は、アブラハムが全く神を知らないときに神の呼びかけを深く受け止め、そこからアブラハムの祈りの生活が始まったことを告げている。
その後さまざまの出来事を経て、アブラハムに大きな試練があった。それは老年になってやっと与えられた一人子のイサクを神にささげよ、との命令であった。それでは子孫を星のように増やすといった神の約束はどうなるのか、自分の最愛の一人子をささげよ、という考えられないような命令を受けた。
そのような不可解なことであっても、アブラハムが神に向かって抗議したといった記述はなにもない。
黙って次の朝はやく起きて示された場所へと旅立って行った。そして三日目にようやく目的地がはるか遠くに見えた。その間アブラハムが何を考えていたのか、それも全く記されていない。ただ、彼は祈りつつ何日も歩き続けたのであろう。どうして神が老年になってやっと与えた子どもを捧げるように命じたのか、アブラハムの妻はそのことについてどのように言ったのかも記されていない。
いよいよ目的地に着いて、息子が不審に思って尋ねた、「焼き尽くす捧げ物にする小羊はどこにいるのですか」と。 幾日も歩き続ける単調な生活であったのに、途中全くそのことに触れていないのは不思議であるが、それほどイサクも父アブラハムに問いかけるのがはばかられるような緊張した雰囲気があったと推察される。アブラハムは捧げる小羊はきっと神が備えて下さる、と神への信頼を語った。それは途中の道のりを祈り続けるということがなかったら、そのような決断はとてもできないことである。
最愛の息子を捧げるということの理由が全く分からない、しかし分からなくともなお、主の言葉に従っていこうという決断は、絶えざる祈りによって主と深く結びついていなければできない。
こうした真剣な祈りの伴う決断によって、初めてアブラハムは神の言葉であれば、どんなことにでも従うという真剣な歩みを証ししたことになり、それによって彼に与えられる大いなる祝福が決定的となった。
… 御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、今、分ったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
(創世記二二・12)
そしてこのアブラハムの祈りによる決断があったからこそ、次の永遠の祝福の言葉が与えられることとなった。
… 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。…
地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
(創世記二二・16~18)
このような祝福の約束を与えられたのは、アブラハムが通常では到底受けいれられないような命令をも神を信じて、その命令にあくまで従っていこうとしたからであった。そしてこのような決断と実行は絶えざる祈りがなかったら到底できないことであった。彼の祈りを神が導いたのである。
祈りは祝福の基となる。
旧約聖書でアブラハムとともに特に重要な人物はモーセである。モーセはエジプトで奴隷となって重労働をさせられていた人たちを神の命令によって解放するという驚くべき使命を与えられた人物であり、エジプトから解放された後にエジプト軍によって追跡されてまさに滅ぼされるという事態になった。そのとき、神は次のように言われた。
…主があなた方のために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。(出エジプト記十四・14)
(The LORD will fight for you, and you have only to keep still.)
そして、「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べよ」と命じられた。それは天よりの力を受けて、海に向かってその力が注がれていくためであった。
これは祈りによって神の力が働くことを示すものである。大変な戦いであるほど、人間の力、判断や武力では到底勝つことはできない。そのような時にはただ、神の力を十分に受けることだけが勝利の道なのである。
そのためにこそ、神は「静まっておれ」と命じたのであった。
このモーセによる海が分かれてイスラエルの民が救われるということは、十戒という映画で有名になった。私も高校時代に学校行事として卒業生を送る会の一環として予餞会でこの映画を見に行った。
しかし、それを見たからといって、全く神を信じるとか神の力が大いなるものだ、などとは感じなかった。ただの興味深い物語だとしか思わなかった。自分に何の関係もない空想的な、面白さのために作られた映画だと感じただけである。
しかし、実はこの聖書の記事は、そのような興味のための物語でもなく、また私たちと関係のない古代の歴史でもない。それは現代に生きる私たちと深く結びついた出来事なのである。
背後から敵が迫ってくる、そして前方には海が広がっている。対抗するべき武器もなく力もない。これは、現代の生活のなかで、どこを見ても私たちを圧迫してくる力や組織、人間が満ちているという状況に置き換えることができる。そして自分の能力や権力もない、金もないといった状況である。
そのような、四方八方から追い詰められた状況にあって、私たちはいかにしてその窮地から脱することができるのか、それは誰においても生じる問題である。
自らの命を断つ人たちが三万人以上もいるという事実、それはまさにそうした追い詰められた状況からの解放の道が全く見えなくなったからであり、背後から迫る力と前方にも行くところがないという状況が浮かんでくる。そこにおいて、いかに追い詰められたものであっても、そしていかに力のない弱く貧しい者であっても、そこから脱していく道がある。
それが、この場合のモーセのように、天に杖をあげ、手を海に差し伸べる、すなわち、心の方向を神に向け、そしてそこから現実の問題に神の力が注がれるようにと祈り求める道である。
そのとき私たちは、天からの力を受け、翼を与えられ、その窮地から脱することができる。
いかにその助けが来ないように見えてもそれでもなお、あきらめずに心を神に向け続けて叫び続けるときには、必ず時至って神の助けが与えられる。
世界の人々にとって現在もとくに重要なモーセのもう一つのきわめて重要な出来事は、人間の基本的なあるべき姿を言葉で指し示した十の神の言葉(十戒)を与えられたことである。十戒というのも、すでに触れた世界的に有名な映画の題名となったためもあり、広く知られているが、そのためにかえって、単なる映画の題名として、または大スペクタクルという連想で残ってしまい、現代に生きる人間とは関係のないもののように受け取られていることが多い。しかし、十戒はモーセが受けたとき以来、三千年以上にわたってその有効性が衰えたとか無効になったということは全くなくて、今日においても最も重要な人間のあり方の基本を指し示す内容であり続けている。
そのような重要な神の言葉を受けるに際して、モーセは四十日四十夜の断食をしたと記されている。
… わたしが石の板、すなわち主があなたたちと結ばれた契約の板を受け取るため山に登ったとき、わたしは四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず水も飲まなかった。…
四十日四十夜が過ぎて、主はわたしにその二枚の石の板、契約の板を授けられた。(申命記九・9~11より)
この表現は聖書の他の箇所(*)にも何度か現れる象徴的表現である。
その例をあげる。
・エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。(列王記上十九・8)
・さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、(神の)霊に導かれて荒れ野に行かれた。
そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。(マタイ四・1~2)
これは、いわば命がけで長期にわたって食事をも断つほどに真剣な祈りに打ち込んだということを表している。私たちは十戒という数千年を経ても古びることのない重要な神の言葉を何となく受け取ったように思いがちであるが、実は、このような長期にわたる真剣な祈りが背後にあったのである。
このように、アブラハムの子孫が夜空の星のように増えるということと、十戒が与えられたということは、いずれも真実な祈りが捧げられていたのである。
モーセのあとを継いだヨシュアが、民を導いて初めてヨルダン川を渡ってカナンの地(現在のパレスチナ地方)に入ることになった。そのとき、ヨルダン川の岸に着いてから、三日経ってから出発をしたと記されている。小さな川であるにも関わらず三日もそこで滞在した後で川を渡ることになったが、こうしたことにおいてもヨシュアは祈りをもって準備したということがうかがえる。そして川を渡る時、歩きやすいところとか浅瀬とかあるいは石を川に埋めて渡りやすくするといったことを考えることなく、彼らがしたことは、主の契約の箱(神の言葉たる十戒を刻んだ石を入れた箱)をかついでそれを先頭にして川に入るということであった。
神の箱をかつぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川の水がせき止められ、彼らは川を通っていくことができる、と告げたのである。
これは、祈りをもって準備し、神の言葉をいただく祈りの心をもって進むとき、前途にある妨げは除かれて道ができる、ということなのである。神の言葉こそは、道を開くものだからである。
現代の私たちにとっても神の国に至る道は、ヨルダン川に相当する妨げがあってそのままでは渡ることができない。それを人間的な工夫とかをもってしても道は開かれないが、祈りをもって神の助けを待ち望み、人間の意見や言葉でなく、神の言葉をまず念頭において進んでいくときには前進できる、ということを暗示するものとなっている。
このようにして実際に川を渡ることができたが、そこから次の最大のなすべきことは、大きなオアシスの町エリコの攻撃であった。ふつうの戦いはまず戦うための兵力、武器などが第一に重要なこととなるし、地形とか攻撃の方法などが十分に考えられるであろう。しかし、エリコの攻撃においてほかのいかなる戦いにおいてもなされなかったような意外なことが神によって命じられた。
それは、エリコの町を取り囲む堅固な城壁を、神の箱を担いだ祭司たちが先にたって城壁のまわりを回る。それを六日間続け、七日目には朝早く夜明けとともに起きて町を七周する。七度目に祭司が角笛を吹く、それが終わると民が一斉に大声をあげよ、という命令であった。
このように、特に七という数が繰り返し言われているのも、神の御計画に従い、神の御心のとおりになるようにという意味が込められている。
このようなことはあまりにも非現実的なように見えるが、ここには、神の言葉と祈りを中心とするという姿勢が明確に打ち出されている。神の箱とは神の言葉たる十戒を収めた箱であり、それを兵器や兵力とか人間の計画などにまさって第一に置き、それを前面に押し出してただ歩き続けるという前代未聞の方法によって戦いをはじめるという。
六日もそのようなことをして倒すべき城壁を回るということ、それは現代の私たちにとっては、祈り続けて神の力によって御国に至る大きな妨げが除かれるのを待ち望むということにつながっていく。そして実際に、神と主イエスを信じて生きてきた者は、そのようにして祈りを続けるとき、それまで立ちはだかっていたと見えた壁がいつしか低くされ、あるいは崩れていき、それを乗り越えて行けるようになったという経験をしているであろう。
私たちの前途に立ちはだかる壁、それは一番身近で深い心の罪の問題、そして病気とか家庭の問題、人間関係が複雑になって深い対立が生れたりすること、自分の能力や経済的な問題等々、だれでもさまざまの問題を持っていて、それが日々の大きな壁になって進めなくなる。
そのような時に、ただ祈ることだけ、主よ憐れんでください、御国を来らせて下さい、と叫ぶような心で祈るしかないことがある。主イエスもあの十字架上での死の迫る苦しみのなかで、わが神、わが神、なぜ私を見捨てたのか!
と叫び続けられた。それは祈りであった。言語に絶する苦しみのなかで神に向かって叫ぶというかたちの祈りであった。祈りで死の苦しみという巨大な壁をぐるぐると回り続けることであった。
そしてたしかに死の壁は崩れ落ちた。そして主イエスは死という何人も超えられない壁を崩して、復活という新しい世界へと入って行かれ、それをあとに続く万人に開かれたのであった。
私はかつて、三十数年の昔、定時制夜間高校の教員であったとき、信じがたいような荒廃した暴力のはびこる学校に勤務したことがあった。その学校に転勤したとき、およそ学校とは言えないことが行われていた。教師たちはそのような混乱の極みに達した状況に何等手をつけようとせず、放置しているばかりであった。
そこで、さまざまの初めて経験する苦しいこと、暴力を受けつつも、神の言葉を第一にして対処することにしたが、いっそう私に対して集中的に攻撃が生徒の一部(二十歳前後)からなされるようになっていった。
そのようなところを通って、ただ神を見つめて思い切った手段をとったとき、外部団体も入り込んできて一時はどうなるかという事態となったが、そのことを契機として思いがけない助けが現れたり、暴力の首謀者の態度が変わり、次第に正常な状況へと向かっていった。
このことによって、私は書物では決して学べないこと、すなわち現実に神の御手が介入して具体的な人間の暴力や荒廃ということがおさまっていくということを目の当たりにする経験が与えられた。
そのことは、また聖書に記されている数々の驚くべき奇跡はたしかに生じるのだという確信をいっそう強めてくれることになったのである。
聖書が単に過去の書物とか、興味深く人間が面白いように造り上げた物語などでは全くちがって、現在の私たちにも大きなメッセージをたたえているというのはこのことひとつをとっても分かる。
神の箱(神の言葉)を先頭にして、ただ祈りをもって立ちはだかるものに向かって祈り続ける、そんな不可解な物語のようなことが、実はこの現実の世界の壁を打ち破る最も根源的な道だということを聖書のこの記事は示しているのである。
それはこのことから千数百年も後に、主イエスが「まず神の国と神の義を求めよ」といった精神に通じるものがある。
旧約聖書においてとくに祈りそのものの書と言えるのが詩編である。一見祈りとは関係のないように見える詩、ふつうは祈りが内容になっているとは思われていない詩も実は、その中に深い祈りの心が込められている。
例えば、詩編のなかで最もよく愛好されている詩編二三篇を見てみよう。
主はわが羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
ここには、祈りという言葉はない。しかし、私に何も欠けることがない、ということは、十分に満たされているということである。この世において死の陰の谷を行くようなことがあろうとも十分に満たされているという実感は、著者が深い祈りの人であったのを表している。
現実のこの世にはそのような満ち足りた世界はあり得ないものであり、祈りによって神との結びつきが強くなければこの世は嵐吹く荒野であり、闇と混沌の満ちたところであって到底生き返ったとか、水の辺にいるという実感は永続するものではない。
新約聖書の他の箇所で次ぎのように言われている。
…わたしは貧に処する道を知っており。富におる道も知っている。
わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。(ピリピ四・12)
これは、使徒パウロの言葉であるが、まさに詩編二三篇で言われていること、「私には何も欠けることがない」というのと同じである。このパウロは絶えざる祈りの人であったから、そのような勧めを繰り返し行っている。
…だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ五・15~18)
このように、魂が深く満たされるということと、絶えず祈る心というのはひとつである。
…私を苦しめる者(*)を前にしても
あなたは私に食卓を整えてくださる。
私の頭に香油を注ぎ
私の杯を溢れさせてくださる。
この言葉も、この詩の冒頭にあった「何も欠けることがない」という実感をより具体的に述べているのである。「苦しめる者」とは、ほとんどの英語訳など外国語訳も敵(enemy)と訳し、日本語訳も新共同訳以外は、「敵」と訳しているように、悪意をもって中傷あるいは、攻撃してくる者、さらには自分の命をねらうような者たちを前にしても、そうした悪の力に直面してもなお、私の魂を満たして下さるという実感をこの詩の作者は持っていた。それは忘れることのできない深い体験なのであった。
この詩は、次ぎのような言葉で終わっている。
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまる。(詩編二三・6)
これは、まさに、自分の今後の歩みが祈りの生涯となることを確信している言葉である。主イエスが言われたように、主の家とは祈りの家であるからだ。不安や恐れ、あるいは敵意や闇の力が追いかけてくるのでなく、神からの恵みと慈しみが追跡してくるという驚くべきことが見えてくるのであった。そうした神の豊かな恵みによってうるおされた魂はおのずから祈りに向かう。