クリスマスと関連の言葉について 2007/12
十二月に入ると、クリスマスのことがいろいろなところで現れる。クリスマスツリーとかサンタクロースといった形である。クリスマスの中心はそのようなものとは何の関係もなく、「キリスト」であるが、ツリーにもそうしたクリスマス関係の行事にも、肝心のキリストは現れない。
キリストが現れるクリスマスはほとんど教会関係だけであろう。
しかし、クリスマスという言葉は、「クリスト(キリスト)のマス」であり、自体にすでにキリストが入っている。日本語では、ほとんどの人がクリスマスという言葉とキリストという言葉の関連を知らないが、英語で見ればすぐに分かるとおりこの語は、Christmas であり、Christ と mas の合成語である。
mas とは、英語の mass(*)の略した形で、これはミサのことである。それゆえ、クリスマス(Christmas)とは、「キリストのミサ」という意味となり、プロテスタントではミサにあたるのが「礼拝」という言葉であるから、クリスマスとは、キリストを霊的に私たちの内に受けいれ、キリストを礼拝することなのである。(**)
(*)ミサという語は、ラテン語のミッサ missa に由来し、英語では、マス(mass) ドイツ語では、メッセ(Messe)、フランス語では、メッス(messe)、スペイン語では ミサ(Misa)、イタリア語で メッサ(messa)などといった発音になる。
(**)クリスマス (Christmas)という語は、十二世紀ころから英語で使われるが、その時には Christes maesse (クリステス メッセ)という形で、二つの語であったという。「クリスマス小事典」(社会思想社二〇一頁)
なお、クリスマスというのは、何となく世界で共通して使われている言葉だと思う人もあるが、そうでない。例えば、ドイツ語では、ヴァインナハト Weihnachat といい、これは、ヴァイエン weihen 「聖なるものとする、清める」という語と、ナハト Nacht「夜」という語の合成語で、「聖なる夜」という意味である。
また、フランス語では、ノエル Noel というが、これは、語形がかなり変わっているので関連が分かりにくいが、ラテン語の ナーターリス natalis 「誕生」という語に由来する。スペイン語では、ナタヴィダッド Natavidad または、ナヴィダッド Navidad という。これらは、ラテン語の ナースコル nascor(生れる)という語から生れた言葉である。なお、英語の nature,nation, native, national などのよく知られた言葉も、このラテン語に由来する言葉である。
クリスマスという用語は今日では日本のようなキリスト信仰を持つ人が一パーセント程度しかいない国であっても幼少のときからすでに知っている言葉となった。知らず知らずのうちに、クリストのマス、キリストへの礼拝ということを繰り返して使っていることになる。
それは時間の数え方においても、今年は二〇〇七年というのも、キリストの誕生をもとにして数えているのであって、全世界が、たえずキリストが誕生してから(ほぼ)二〇〇七年目ということを言い続けていることになる。
こうしたところにも、キリストの驚くべき力を感じさせられる。
日本は、こうした習慣とは全く別に、元号というのを使っている。(*)
天皇が時間をも支配することを民衆の意識に深く根付かせるために、六四五年に大化という元号を中国のやり方を真似て取り入れたのが最初であった。もとは中国で二千年ほど前の漢の武帝が領土だけでなく、時間をも支配するために始めたものである。しかし、日本の明治政府は、それをさらに押し進めて天皇の名前を時間を言うときに絶えず使わせるという方策をとって一層、天皇の名前を浸透させる制度、すなわち一世一元制度を作りだした。このように特定の人間の名前を国民すべてが時間を数えるたびに用いるなどという制度は全世界でどこにも行われていない不合理なものである。なぜ、どこにも行われていないか、それは、天皇が死んだら膨大な印刷物、機器、カード、書類などのすべて年号を変えねばならなくなり、莫大な手間と費用がかかる。そのようなことは全く無意味なことだからである。そして天皇もふつうの人間なのでいつ死ぬかはだれも分からない。短命であったらわずかの期間でまた、膨大な書類その他の変更をしなければならなくなる。
元号制度とは天皇のあらゆる面における支配ということの象徴的な制度であるから、天皇の支配が終わった敗戦後には当然これは廃止されるべきであった。実際、敗戦後まもなく日本学術会議が創立された一九四九年の翌年五月の総会で、「元号廃止、西暦採用について」という決議を採択しているのである。
(*)元号の問題についてより詳しくは、「いのちの水」誌二〇〇五年五月号 第五三二号を参照。この内容は徳島聖書キリスト集会のホームページから見ることができる。http://pistis.jp/textbox/hk/im200505.htm
宇宙の創造主であり、今もこの世界を支えている真に頼るべき神との結びつきを受けいれようとせず、天皇というただの人間と結びつけようとするような元号制度は、世界に通用しないものであり、本来当然撤廃すべきものなのである。
しかし、こうしたさまざまの真理に反する動きにもかかわらず、時間を数えるときにも、また世界的に共通な行事のクリスマスということにも、たえず「キリスト」が意識しようとしまいと現れるということのなかに、世界の背後のキリストの御支配を感じさせるものがある。