ダンテについてのヒルティの文の紹介 2008/3
ダンテはキリスト教関係の著作家だけでなく、詩人、文学者、思想家等々に多くの影響を与えてきた人物である。アンデルセンのような詩人、童話作家にも深い影響を与えたことは、「即興詩人」によってもうかがえるが、それは以前この「いのちの水」誌でも紹介したことがある。
ここでは、ヒルティのダンテに関する文の一部を紹介しておきたい。これは白水社から一九六六年に発行された著作集に収められているが、すでに絶版であり、一般の書店からは入手できないので多くの人にとっては参照できないからである。
私たちのキリスト集会で、毎月一度、煉獄篇を読んでいる。ようやく第八歌を終わったところであり、煉獄篇を終えて、天国篇と続けていくには相当の時間を要すると思われる。
現代の多くの本とは異なり、重厚なその内容の十分な理解はなかなかできないけれど、少しでも神が神曲に与えた真理の一端を汲み取っていければと願っている。この引用はダンテの神曲に関して少しでも関心を持つ人か増えるようにとの願いからである。
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ダンテ(神曲)は、老年の方の読み物でなく、あなたぐらいの人生段階にある人たちにとって、本当の幸いとは何かを探求する人の最もすぐれた文学的表現であります。…
ダンテから本当の利益を引き出せる人は、危険な人生段階にある若い方の人たちです。人生のさまざまの困難を知るとともに、それを克服する力が自分に欠けていることもすでに知ってしまって、すべてを投げ出してしまいたいとか、ほかの人よりよくなろうという気も失いかけているような人たちなのです。
芸術は直感的な把握によってのみ、理解されるものです。ダンテがかつて言っているように、「…あなた方は愛のみを支配させるのだ。そしてあなた方の筆は、この愛の命じるところに、従っていくだけなのだ」(煉獄篇二四歌58)なのです。
…学者というものは詩的霊感についての正しい観念を全く持っていません。
たいがいは、全く無意識のうちに正鵠を得て、的確に正しいことを書き上げていく霊のうながしとひらめき、それがなかったら真正な詩人も預言者も存在しえないこの霊の稲妻については、学者はさらに理解するところがないのです。…
ダンテは軽い読み物ではありません。なぜなら「尊厳なものは重い」からです。
しかし、その深いところまでも、すべて理解できるものであり、哲学的に深いところだって、分からぬことはありません。…
ダンテは聖書と同様、自分で読まなければならない本であり、何度も繰り返して静かに思いをひそめることによってのみ、しだいしだいに入って行けるものなのです。…
ダンテはすでに多くの人々にとって、高貴な生活への指導者となっておりますし、おそらく現代においてこそ、ますますそうなるでしょう。なぜなら、地上の心配と地上の疑惑の「暗い森」から抜け出る正しい道を、現代の多くの人々は見出しかねているのですから。…
キリスト教を信じない理想主義者にとっても、ダンテは、キリスト教への案内者となりうるのであって、神学の本とかルターやカルヴァンの著作などよりも、はるかに近づきやすい道しるべであります。あなたはまずこの詩編(神曲)の偉大な文学的美に打たれ、引き寄せられて、おそらくは結局次ぎのことをさとられるに至るでしょう。
すなわち、真実に「神に仕える」ことが、あらゆる人生問題の唯一の解決策であるということです。
最後に、私は、思索し、教養をもったあらゆる若手の方々のために、ダンテに対して最も理解あり、最も博識である注解者の一人の言葉を引用し、これに賛意を表しておきましょう。
「ダンテを読むは、これ一つの義務なり、
そは、再読、反復するを要す、
そを感じ得るは、すでに偉大さの証明なり。」…
ダンテ自身、その及ぼす力を特徴づけて、つぎのように言っています。(天国篇一七歌第130行)
「わが言葉の味、はじめ
苦しといえども、消化されるに及び、
聞く者に、いのちの糧を残すべし。」
…
神曲はおそらく全編が、追放された生活の苦悩のうちにあって、魂が深められた賜物として出来上がったものであります。それは、苦悩の果実として、苦悩にめげないで偉大なことをなしうる人々に見られることです。…
神曲は、人間のたましいを真と善とに導いていく神の「導き」を叙述した最もうるわしい詩的表現であり、地獄篇は理性的な洞察に、煉獄篇は神との直接の交わりに、天国篇は超自然的な、ほとんど言葉もなくなる「観想」、直感に属しています。 …
神曲によって描かれているのは、ある注解者が言っているように、「神の恵みの助けによって、人間の罪が段階的にきよめられていくこと」にほかなりません。…
あきらかに、この詩編(神曲)は、作者のたましいの歴史です。…
ダンテの詩編の価値は、人間のさまざまの心の状態と展開―それは下のほうに降っていけば、精神の暗さがしだいに暗さを加えていくことになり、上のほうに昇って行けば、光と真実のいのちにたっするものです―を、きわめて迫真的に、しかもきわめて詩的に叙述しているところにあるのであって、それは宗教的、あるいは教会的論文などよりはるかに読者を刺激するくらいです。(ヒルティ著作集第六巻より)