リストボタン神の愛と導き旧約聖書から    吉村 孝雄    2008/5

光あれ!
神の愛は新約聖書には記されているが、旧約聖書には愛とは逆の裁きや神の怒りといった言葉で連想されるように、神の愛はあまり書かれていないのでないかと思う人が多い。
たしかに旧約聖書には、神がヨシュアなど指導者に戦いを命じることや、ノアの箱船の記事や、ソドムとゴモラの町の人々に厳しい裁きをくだして滅ぼすことなどが書かれている。
しかし、旧約聖書には新約聖書に通じる深い愛がその冒頭からはっきりと記されている。
聖書の最初にあるのは、闇と混沌であったがそれはまさに人間の個人の心の状態、そしてそのような人間が集まったこの世界の状態を象徴的に表している。
それは上よりの光がなかったらどうすることもできない絶望的な状況である。この世の出来事はどれもこの二つ、闇と混沌がつきまとっている。それがとくにひどい状況となると、個人のことや、社会的、あるいは世界的な規模の出来事として新聞やテレビで報道されるようになる。
けれども、そのような闇や混沌は人間の魂の深いところにあるゆえに、人間の努力や学問、技術、制度などをどのようにしてもそれはなくすことはできない。それは、古代や中世の日本の状況からみると、現代は比較にならないほど、学問や科学は発達しているが、だからといって、人間の心の闇や混沌は少なくなっただろうか。
こどもたちの心にあるべき純真さは、人間の悪や闘争を内容とするようなゲームや番組などによって、はやい段階で失われることが多く、その心にある闇と混沌は現代のほうが、戦前の時代よりも深くなっているという感じを持つ人が多いだろう。
それゆえ、闇と混沌のなかに光あれ、との神の言葉によって光がその闇のただなかに輝いたということ、そしてそのあとに続く神の言葉によって混沌とした状態から、神による支配がなされ、意味深い秩序あるものへと変えられていったこと、それは今のような時代だからこそ大きな意味を持っている。
私自身のかつての状態もまさに闇と混沌であって、大学に入ってから三年にかけての頃、学生運動のはげしい嵐のなかに巻き込まれていったが、この社会のどこに真理があり、正義があり、永遠があるのか、真実がどこにあるのか、何のために生きるのか、まったくわからなくなっていた。
そのほか健康上の問題、家庭のこと、さらに新たに知り合った友との大きな問題等々、それはだれに話してもわかってもらえない闇であり、混沌であった。その中にあえぎくるしんでいたが、周囲の人間はだれもそれには気付かなかった。
そこに光が突然射してきた。その光によって私は救い出されて今日に至っている。
それはたしかに愛であった。だれもが触れることのできない魂の闇に神の御手が触れて下さったのであった。

苦い杯を飲み干させる愛
神の愛とは、苦い杯を飲み干させる愛である。それに対して、人間の愛は、苦い杯を飲ませないようにする愛である。
それは、聖書の最初に書いてあるアダムとエバの記述を見てもわかる。罪を犯さないようにはされなかった。あえて、神の愛に従うか、それとも背くかの自由を与え、神に従わないときにはどのようなことがふりかかってくるかを苦しみながら学ぶように導かれた。
信仰の生き方のモデルともなっている、アブラハムにおいても、遠い未知の地へと親しい人々や生まれ故郷のなれ親しんだ地を離れて旅立っていくようにと導かれた。それはアブラハムの存在が彼だけで終わるのでなく、彼が万民の祝福の基となるためであり、それこそが、人間の受け得る究極的な幸いであるからであった。そのような大いなる幸いを与えるために神はアブラハムを遠いところへと旅立たせた。
しかし、そこに着いても飢饉が生じて生きていけなくなり、エジプトまで食料をもとめて旅立ったり、そこでも安住できないこと等々いろいろな経験したことがない状況に直面することになった。
神の導きはこのように、苦しみをあえて受けさせる。このことの最も高い姿が主イエスであった。父なる神に完全にゆだね、導かれていたゆえに主イエスは次のように言われた。

私は自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。 (ヨハネ五・30

このようにして神の愛とその導きに完全にゆだねておられたイエスはまた最も苦い杯を飲みほす道へと導かれた。それは十字架の刑だった。
私たちのキリスト集会には、何人もの全盲の方がおられるし、人生の途中で耳が聞こえなくなったり、全身マヒとなって二十年を越えて身動きできない重度の障害を持つ身となっている方、あるいは病気のゆえにさまざまの痛みや苦しみを負っておられる方々がある。そうした方々の苦しみや重荷は、健常者にはわずかしかわからないものであるだろう。
現在も耐えがたいような状況におられる人もいる。そのような日々の苦しみはそれがなかったらどんなにいいだろうと、切実な願いをもって神を見つめておられるだろう。
しかし、そうした苦しみにもかかわらず言えることは、もしそのような苦しみが降りかからなかったら、その人々は、神を知らず、神の愛もわからず、キリストの十字架による罪の赦しという深い真理もまた知らないままで人生の歩みを続けていっただろう。
そしてそこには、自分が何のために生きているのか、死んだらどうなるのか、心に犯す罪はどうなるのか、それが赦される道はあるのか、といったことには生涯わからないままとなる。
そうした重要なことが全くわからないままで生きていくことは、人間としての本当の生きる生はないと言えよう。そのようなことこそ、人間と動物を決定的に分かつものだからである。
健常者であっても、いつ交通事故やガンなど病気になるかもわからないし、どんな苦しみが降りかかってくるかも分からない。 そうした苦い杯を自分で求めて飲みたいと願う人はいない。わざわざ重いガンになりたいとか、ひどい後遺症が残るような大きい交通事故に遭遇したいなどと考える人はいない。
どんなに愛の深い母親であっても、わが子をそのような大事故に遭わせたり、日夜苦しみそのあげくに死にいたるような病気にさせるものはいない。
しかし、神はそのようなことをしばしば行われる。どこにも愛がない、愛どころか運命にのろわれていると思われるような大変な苦しみに陥る人もいる。そこでは、まったく神の愛など感じられないと思われるだろう。
だが神はそのような苦しみをも飲み干させ、そこから神の愛、神の国を知らせようとされる。苦しみを飲み干してきたものは、そこから神に目覚めるときには、深い神の愛を知らされる。自分が神など考えたこともないときから、じっと見つめてくれていたというような不思議な感じを持つようになる。

突然の変化
つぎに、神の愛と導きは、突然にしておきることがしばしばある。闇と混沌のただなかに、突然、「光あれ!」という神の言葉とともに光が存在するようになった。それも神の恵みは突然にして生じるということを示すものである。
パウロにおいても彼の間違った歩み、真理に逆行する歩みのただなかに、それはまさに闇と混沌であったが、そのなかに突然光が注がれたのである。
旧約聖書にあらわれる最も重要な人物たち、アブラハム、モーセ、エレミヤといった人たちもみなパウロと同様にあるとき突然にして神が近づき、神にとらえられ、神がその愛ゆえにその人たちを選び、特別な使命へと導いて行かれたのである。
これは決してそうした特別な人物だけにあてはまるのではない。私たちもその程度は異なっても人生のあるときにはっきりと神の愛を知らされ、その愛によって導かれていくようになるのである。
突然にして神の御手は差し伸べられる、それゆえにこそ、私たちはどんな状況に置かれても望みを失ってはならないと示される。人間にはできないが、神にはできるからである。三八年もの間、どうすることもできない暗黒のなかにあっても、なお神の御手が伸ばされるときにはただちに光のなかへと移される。
不連続的であるということは、そのように希望へとつながっている。連続的にしか変わらないのならば、一〇年も二〇年も悪にはまりこんだ生活をしているようなものは、その延長上には何もよいことはない、としか考えられない。
しかし、不連続的に変えることのできる神は、いかに長い歳月が闇の生活として続こうとも、そこに突然光を注ぎ、変えることができる。
ちょうど、列車の線路の切り換えのように、今まで走っていた路線とまったく異なる方向へと一瞬にして変えられることが期待できるのである。

詩編における神の愛と導き
詩編には神の愛とその導きがどのようなものであるかを、直接的にあらわしている詩がたくさんある。その中でもとくに広く愛されている詩が詩編二三篇だと言えよう。
その詩とともに、その直前にある詩編二二篇もまた、神の愛がどのようなものであるか、そしていかに導いていかれるかを鮮やかに示している内容となっている。

わが神、わが神、どうして私を見捨てたのか。
なぜ、私から遠く離れ、救ってくださらないのか。
呻きや叫びを聞いてくださらないのか。
私を見る人は皆、私をあざ笑い、見下して
「主に頼んで助けてもらえ、主が愛しているなら助けてくれるはずだ」
私を遠く離れないで下さい
苦難が近づいても、助けてくれる者はいない。
あなたは、私を土埃と死の中に捨てられた。(詩編二二・216より)

このように、神が全く自分を見捨てたと思われるほどに助けも力もなく、平安もない、ただ死への恐怖と絶望的な前途への苦しみがあった。しかし、そこからこの詩の作者は導かれていく。
神の愛というのは、人間の愛、母親の愛のように苦しみに遭わないように守ろうとするのではない。愛などどこにもない、と思われるほどに苦しい状況に置かれていたが、この作者の神への全身全霊をあげた祈り(叫び)によって、ついにその願いは聞き届けられる。

わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
集会の中であなたを賛美します。
主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。
主は貧しい人の苦しみを
決して見捨てない。御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いて下さる。
それゆえ、わたしは大いなる集会で
あなたに賛美をささげる。
貧しい人は食べて満ち足り
主を尋ね求める人は主を賛美します。
地の果てまで
すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り
国々の民が御前にひれ伏しますように。
王権は主にあり、主は国々を治められます。
命に溢れてこの地に住む者はことごとく
主にひれ伏し
わたしの魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。(詩編二二・2331より)

これは、さきに引用した前半の部分とは同じ人の書いたものとは思えないほどに大きく状況が変えられている。この作者は死の陰の谷を通り、絶望的な苦しみを経てついに救いを得て、新たな力を得たのがわかる。本当に闇の力から救い出された者は、黙っていることができない。
作者は救いを与えられたゆえに、兄弟たち肉親の兄弟にとどまらず霊的な兄弟たちも含め、みんなに語り伝えたい、と言う。 真理は留まっていることを許さない。
すでに創世記の最初の部分に記されているように、エデンの園から四つの川が流れ出て、当時知られていた全世界をうるおしていたという。それは神の祝福を受けた者、救いを本当に受けた者からは必ず神の国の水が周囲へと流れ出ていくという霊的真理を語っているのである。
創世記というのは、現代においてもたえず生じているような生々しい真実をすでにはるか数千年前に預言的に記しているのであって、それは驚くべきことだと言えよう。
そしてそのような流れだす、あるいは溢れ出ていくということは、旧約聖書の預言書の一つ、エゼキエル書の最後の部分に印象的な記述がある。
それは、エルサレムの神殿からゆたかな水の流れが溢れ出ていくという描写である。
見よ、水が神殿の敷居の下からわき上がって東のほうに流れていた。」(エゼキエル47章)
と書かれ、この水ははじめはわずかであったのに、流れ出て二キロも行かないのに、はやくもその水の流れは大きな川となり、泳がなければ渡れないほどの水量となったと記されている。
エルサレムは乾燥地帯の山の上の町であり、そこから大きな川が流れ出るということは本来あり得ないことで、この記述は、ふつうの川のことを意味しているのではない。それはいのちの水が神が臨在される神殿から溢れ出るということを象徴しているのである。
この詩の作者は、神による救いを伝えずにはいられない、周囲の人々に、そして自分の子孫にまで、といって、空間的にも時間的にもどこまでも流れていく霊的な水の流れのもとになるのを実感している。
神によって苦しみや絶望的な状況から救われた者は、このように、その救いの真理を伝える存在になるようにと導かれていくのである。
そのようになった者は、いかなる苦難も悲しみも、それは神の愛の異なる表現であり、神はそれらすべてを用いて導いていかれるのだと知らされる。
かつての苦しみもまた、深い味わいを持っている神の愛ゆえの導きであることに目覚めさせられるのである。
このように、旧約聖書の詩編はこの詩編二二篇でうかがえるように、意味深い神の愛と導きとはいかなるものであるかを証しつづける内容となっているといえよう。

残りの者をもとにする愛

ノアの箱船の記事は、ただノアとその家族だけが救われたということで、そこには神の愛の厳しさだけが印象に残る場合が多い。そこには神の広い愛というよりも、神のさばきの厳しさが現れていると思われている。
しかし、ここにも神の愛のすがたをあらわすものがある。
それは、神はわずかなものを残されるということ、そのわずかな者を用いて多くのひとたちの救いへと広げていくということである。
ノアという神を信じて神に従う生活をしていた者を用いてそのような人をこの世に次々と起こされたのである。
この少数の者、残っている者を用いてその愛を広げていくということは、聖書全体に多くみられる。
旧約聖書のイザヤ書では、残れる者が神のもとに帰って来る、という預言がしばしばみられる。

シオンの残りの者は、聖なる者と呼ばれる。彼らは全て、エルサレムで命を得る者として書き記されている。(イザヤ四・3

この民の残りの者にも、広い道が備えられる。(イザヤ十一・16

イザヤという預言者は、自分の子供に「残りの者が帰る」(シェアル・ヤシュブ)(*)という意味の名前を付けたというほどである。

*)イザヤ書七・3 。シェアルとはヘブル語で「残り」、ヤシュブとは、シューブ(転じる、帰る)の変化形。

そしてこの残りの者とは少数の者であり、言い換えると神の愛はいつも少数の者を用いてその愛を多くの者へと広げていくような性質をもっているといえる。
この残りの者を用いられるということは、新約聖書において、「ぶどう園のたとえ」でも言われている。ぶどう園の主人が朝早くから働く人を雇って働かせる。朝、昼、午後と何度も労働者をぶどう園へと送り込む。しかし、夕方の五時になってもまだ誰にも雇ってもらえずに広場で立ち尽くしている人がいた。誰からも雇ってもらえない、いわば残りものとなっていたのである。
しかし、神はそのような相手にされないような残った者をも、朝から働いた人と同じ賃金を与え、しかも最初にその賃金を与えたのである。ここに神の愛とはどういうものかをあざやかに示すたとえがある。
私たちも人間から見捨てられ、相手にされない残り物となったようでも、なお神はそのような弱い、取るに足らないものを特別に顧みて手を差し伸べて下さるということなのである。
ノアの箱船の場合は正しいとされた少数の残りの者がもとになってそこから大きな祝福が生み出されていった。ぶどう園のたとえでは、人間が相手にしないような残りもののような弱いものを大きく取り上げられた。
また、イエスが教えを述べるときには病気をいやしてもらおうと大勢の群衆がひしめき合うほどについていった。しかし、十字架で処刑されるときには、そうした大勢の人たちのイエスへの関心はどこにも見られなかった。人々の心は一転してイエスへの敵意に変わった。
しかし、少数の女たちはそのような敵意のあふれるただなかにあっても、イエスへの真実を失わなかった。
十二弟子たちすら一人は金をもって裏切り残りはみんな逃げてしまったほどであった。しかし、少数の女たちはイエスへの真実をどこまでも持ち続け、十字架で処刑されるときにも最後まで見つめ、そして死んだあとになっても、夜の明けないまだ暗いときにイエスが葬られているところへと急いで高価な香油などを持っていったのである。こうした少数のものを用いて、その真実をどこまでも広げていくようにされた。
ここにも私たちが望みを失ってはいけないということが暗示されている。真実な者、神につく者たちがどんなに少数であっても、その真実の心は続けられ、それがもとになって、また時至ればそうした心は広げられ成長していくのである。
いずれも神は少数のもの、残ったものをも用いてその愛のわざをなされるということなのである。
このように無視された者、弱い者、あるいはごく少数をも用いて神の愛を知らせていくような愛と導きの神がおられるということは、古代世界でもイスラエルの人たち以外では全く知られていなかった。
この宇宙に唯一の神がおられる、というようなことは、現在の私たちの考えからは不思議なほどに古代世界では知られていなかった。ソクラテス、プラトンのような深遠な思想をもっていた人たちですら、その著作にはこうした認識はない。
わずかに、ソクラテスの最後のときに、自分に出された死刑判決を受けようとしたとき、それを押しとどめる声のようなものがなかった、だからそれは正しいことなのだと決断したと書いて、そのような正義のある霊的な存在がいることを記している。
しかし、それが宇宙を創造して、万人とくに弱き者を導く愛であるといったようなことは全く記されていない。
まさにそれはノアやアブラハムに知らされ、アブラハムの子孫たちというごく少数の者たちによって伝えられていったのである。

回り道をさせる神
神の愛は、回り道をさせる愛である。人間の愛がまっすぐに行かせようとするのとは実に対照的である。
例えば、人は自分の子供や友人や異性などを愛しているなら、相手にわざわざ重い肺結核を感染させたり、仕事もできなくなるようなひどい交通事故に合わせたり、目を見えなくさせたりすることは考えられない。できるだけ、苦しいことに出会わないように、重荷や悲しみに悩むことのないようにと精一杯のことをしようとする。
しかし、神は驚くべきことだが、愛する者を徹底的に苦しめることがよくある。
ハンセン病はあらゆる病気のうちでも古来から最も恐れられていた病気だといえよう。外見、容貌も醜く変形し、職業も結婚もあるいは友達との交流も失われ、家族からすら忌み嫌われ、世間からも排除されていく。そのうえに治療法もなかった時代では神罰だとされたり、失明、あるいは手足のマヒ、切断といったことにまで及ぶ患者もあり、家からも社会集団からも追放されて、付近の寺、神社などにて乞食をしながら病重くなって死んでいくという状況があった。
そのような恐るべき状況になってそこから神の救いを体験する人たちも多く起こされてきた。どうしてそのようなはるかな回り道をさせるのか、それは人間では説明できない。
あるいは、私たちのキリスト集会にも大学病院での誤診により全身マヒとなってもう二十年以上も寝たきりとなっているKさんのような方もいる。このような日夜の苦しみと、前途の絶望的状況にいったいどこに神の愛など感じられるだろうか。
しかし、それでも神はそのような驚くべき回り道をさせて、その人たちを神への信仰へと導かれる。あるいはそうした人たちにすすんで医学や看護の技術を捧げようとする人たちや、介護する人たちを起こし、その人たちに近づこうとする人たちを起こされて全体として神の愛を知らしめようとされる。
このことは、聖書にもはっきりと記されている。
旧約聖書(出エジプト記)には、エジプトで奴隷のようにされてそのあげくに滅ぼされる寸前になっていた民族が神から呼びだされたモーセによって救い出されるいきさつと目的地のカナン(現在のパレスチナ)に到達する過程が書いてある。
 エジプトを出てからカナンまで地中海沿いでは三百キロ程度の距離である。それは、毎日四~五時間、距離でいえば二十キロ程度歩いたとしても、二週間あまりあれば達しうる距離である。だから、アブラハムがカナンに着いて食物がなくなったときに、エジプトに行ったと簡単に書いてあるのは彼らの通常の旅からしてそれほどの長距離ではなかったからである。
 また、イエスが誕生したとき、悪魔のようなへロデ大王の敵意を逃れるために、エジプトに行けという御使いのすすめを聞いて誕生したばかりのイエスを連れてエジプトに行ったこと、そしてヘロデが後に死んだときにはカナンに再び帰ったと書いてある。そのエジプトからカナンへの旅が著しい困難があったとは全く書かれていない。ごく簡単に行き来できたように感じられる。
 このように、エジプトからカナンへはたいした距離でないから、決して困難な旅でもなかったのがうかがえる。しかし、彼らは実際には四十年もの間(*)、シナイ半島の砂漠地帯を旅したのである。

*)カナンに近づいたカデシュ・バルネアというオアシスでかなり長い期間滞在していたと言われる。

 わずか二週間の道のりを四十年! この驚くべき回り道を神はなされる。
この理由として、聖書に記されているのは、近い道であれば彼らが戦わねばならないことを知って目的地に行くのをあきらめ、引き返そうとするからだとされている。
たしかに人間は絶えず引き返そうとする弱い存在である。引き返そうとしてもできないような回り道をしていくようにと導かれた。

神は彼らをペリシテ街道(地中海沿いの道)には導かれなかった。
それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。(出エジプト記十三・1718より)

けれども神が荒野の四十年の旅へとあえて導かれたのは、こうした理由だけではない。それは次に引用する箇所が示しているように、長い荒れ野の回り道において数々の苦難を経験させ、その苦難のなかで神の驚くべきはたらきを実地に体験させるためでもあった。

あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。 (申命記二・7
この人(モーセ)が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。(使徒言行録七・36

どんなに回り道であっても、また苦難であっても、それらの闇のような旅路のなかに光がある。
荒れ野の苦難の旅においても、「昼は雲の柱、夜には火の柱」が現れて彼らを導いたとあるのはそのことを示している。

主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(民数記十四・14

ここにも、創世記冒頭の「闇の中に光あれ、と言われた。すると光があった」という実際の例の一つがある。
わずか数週間で行けるところに、四〇年もかけた。
私たちが出会う数々の苦難や悲しみも人生の大いなる回り道にほかならないが、それはやはりこの人生の荒れ野において神のわざを体験し、闇のなかに輝く光を深き淵から仰ぎ見るようになるためなのである。
生まれつきの全盲という苦しいことすら、神のわざが現れるためという。神とは愛であり、それは愛のわざが現れるためと言い換えることができる。そのために長い苦しみという回り道を経て主の平安に到達するようにというのが神のなされる導きなのである。神の愛は回り道をさせる愛なのである。
人間の目から見ればたいへんな回り道をするようにみえるが、神は最善の道としてそうした導きをなされる。このような導きは、単に個人の人生で見られるだけでなく、国家、民族においても見られることである。
使徒パウロはそのことをイスラエルの救いと関連して述べている。イスラエルの人たちは主イエスを救い主として受けいれずかえってイエスを迫害して殺してしまい、ユダヤ人でキリスト者になった人たちをもほとんど国外から追放した。(*)しかし、それによってキリストの福音は広く世界に広がっていくことになった。

*)その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。さて散っていった人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。(使徒言行録八・14

イスラエル人がキリストを信じないということが、福音が世界に広がることにつながり、それがさらに、最終的には、イスラエル人たちもキリストを信じてその福音を受けいれることになるという歴史の長い流れのなかで実現していく神の御計画をパウロは啓示されたのであった。
このように、パウロは人類の大いなる歴史の流れのなかにも、人の目から見れば不可解な回り道とみえることが実は、神の遠大な御計画なのだとはっきり啓示された。それはだれもそのような壮大な規模での御計画を知る人はなかったゆえ、特別にパウロは自分に示され、それを人類に知らせる使命を感じたのである。
その大いなる回り道をしてすべての人を救おうとされるその御計画を啓示された感動があまりに大きかったゆえに、彼は思わずつぎのような感嘆のさけびが口をついて出てきたのである。

ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように。
(ローマ信徒への手紙十一・3336より)

このようなことを深く知らされるとき、私たちは周囲のさまざまの人間の暗い状況に出会っても、だからといって絶望したり、罪に陥っている人たちを見下したりあるいは嫌悪感をもって見ることなく、そのような人たちも救いへの回り道の途上にある、と信じるように導かれる。
じっさい、私自身もかつてもうどうすることもできない苦しみに置かれていたし、その苦しみや悲しみはだれにも言うことができなかった。あまりの苦しさにじっと部屋でいることができずに、下宿から出て自転車にのってあてどなく北へ北へと行き、とある山道からどこの何という山かも知らずして登っていった。そして一時間あまり登ったであろうか。目の前に開けた山なみから今も忘れることのできない感動を受けたのであった。これは、大学二年になったばかりの頃である。
それは霊的な世界に初めてその片鱗に触れた出来事であって、それ以後私は山が魂のふるさとのようになって今日に至っている。
しかし、それだけでは救いはえられず、そのあともさまざまの苦しみにさいなまれてようやくそれから二年ほど経ってキリストの福音を知らされ、さらにその直後に神からの霊的な語りかけに初めて接することになった。それが「静かなる細き声」の体験であった。
さまざまの回り道をして、ようやくたどりついて永遠の真理の福音を知ることができたのである。私は自分自身の経験からしても、あるときにどんなに無関心であっても決して見捨ててはいけないと思う。
十字架でイエスとともにはりつけになった重い犯罪人、それは自分たちはとても悪いことをしてきたから、こんな報いは当然だ、と言ったほどに大変な悪行を重ねてきたのであろう。しかし、あとわずかで息を引き取るというときになって、心から悔い改めて主イエスに魂の方向を転換し、イエスが神の子であるゆえに処刑されてもそれで滅びるのでなく、神の国へ行くのだと確信していた。
それゆえ、その犯罪人は、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ二三・42)と心からの祈りをイエスに捧げることができたのである。
彼もまた大いなる回り道をして生きた人間であったと言えよう。神はそのようにだれも考えたことのないような回り道とみえる導きを一人一人についてなされる。
私たちもまた世界がどんな状況であっても、また周囲の人たちの個々の状況がどんなに闇にあるようにみえても決して望みを失ってはならないと言える。それらは神の愛の御計画が表されるための回り道のようにみえるだけなのだ、その背後において神が必ず最善のところへと導いておられるのである。
神はそのようなあらゆる事態をも用いて、壮大な回り道とみえることを通して世界を導かれていくのである。


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