「ろう者として クリスチャンとして」 桑原 康恵 2008/6
みなさん、はじめまして。私は、桑原康恵と申します。聴覚障害者とは、色々な人がいます。その中で、手話を母語として生活しているろう者の一人です。
両親は聴者ですが、私は生まれつき病気(高熱)により、耳が不自由になりました。2歳から徳島県立ろう学校へ通学し、中学1年生まで徳島にいました。当時のろう学校は、まだ手話教育よりも、口話教育でした。他の聾学校もほどんど同じです。
つまり、アメリカ人が、日本語を学ぶことと同じようなものです。
ろう学校の先生たちは、ほとんど手話を知りませんでした。私は、休憩時間や遊びの時間にろう学校の先輩たちから手話を学びました。家族はみんな聴者なので、家の中では口話中心に、声を出しながら(ろう学校で発音訓練を行いましたが、聴者みたいな声ではありません)話をしたり、メモでやりとりしたりして過ごしました。日本語の読み書きを正しく学ぶこともなかなか難しかったです。
家族には、本家で仏教信仰の熱心なおばあさんがいて、おばあさんと一緒によく行動していました。そのため、お寺に行ったり、色々な仏様の話も聞きました。
小学5年生の時に、ろう学校に転入された吉村先生と出会いました。吉村先生は生徒の方に向けて、最初は口話中心でしたが、だんだん手話で話しかけてくれるようになり、すぐ手話を覚える先生でした。そういう先生を今まで見たことがありませんでした。
それだけでなく、教科書には書いていないことを色々と教えてくれたり、人間についてや、ろう者の歴史も、教えてくれました。生徒たちに人気の先生でした。
先生と親しくなるにつれて、先生の集会にも連れて行ってもらうようになり、色々な障害を持った人たちと出会う機会をくれました。そこでは、「人間は健康な人もいれば、生活に不自由な人もいるが、心はみな同じものを持っている」と教えられました。だんだん通うようになって、色々な思いを打ち明けることができる場所が集会だなと、その魅力を感じました。家族とは違う世界がそこにはありました。なぜかなと思いつつも、先生の話をたくさん聞くことができました。話の内容は、聖書物語や日本の活躍した人たちなどです。
三年間、そういう環境に恵まれ、中学1年から千葉県市川市にある国立筑波大学附属聾学校へ転校しました。吉村先生や家族を離れて、新しい環境で多くの友達と出会うことができました。同じろう者が全国から集まっている学校に希望が膨らみました。
上京へ発つ前に、吉村先生は「君には、神の計画がある」と言われたことが、今でも忘れません。その時の私にはその言葉の意味がわかりませんでしたから。
学生時代を終えて社会人となり、聖書はいつも持っていましたが、神の事がまだ十分にはわかりませんでした。ある日、職場の友人を通して、ろう者が集まる「ろう教会」に行くようになりました。牧師は手話でみことばを語り、また教会のろう者たちとの交わりも増え、だんだん
私が小学、中学、高校時代に吉村先生から聞いてきた聖書の話と同じでした。なんだか、私が神を知らない間に過ごしてきたことも、すべて神様が見つめていたんだなと思い、また私の色々な行動や悩みも全部知っているんだと思うようになり、そこで吉村先生の言葉もやっと意味が分かるようになりました。
二十五歳の時に、神様の愛を受けて、共に歩む決心を起こしました。これは、誰かが遠くから私のために祈られていること、また神の愛も終わりがなく、追っておられることにも気づきました。こうして、早10年が経ちました。今振り返ると、この10年の時間はあっというまでした。色々な気持ちの戦いや貴重な経験をしてきたと思います。聖書のみことばは日本語のため、意味が深く理解することが大変なところもありますが、一生学習するのは、面白いです。世界の歴史や、イエス中心の話に人間の生きるべき姿を教えられたり、社会への問題、人間関係の問題、そして与えられたろう者である私の存在を再確認できる場所でもあります。私は、他の人に自分の持っている力を与える人間になりたいと思っています。
以前から、神の為に何かを働きたいと祈り続けたことが答えになり、現在は、手話訳聖書を製作している日本ろう福音協会のスタッフとして働いています。まだ色々な課題もありますが、神が力になってくれることを信じています。ろう者の母語である手話訳聖書の翻訳は、日本語の理解、イスラエルの文化の理解、そして、神様の気持ちや言いたいことを多くのろう者に手話で表現することが求められ、難しく責任の重い仕事だと思います。
それから、私は翻訳の仕事だけではなく、地域のろう活動も去年から始めました。ろう者は社会の中では、小さな民族(少数民族)のようなものです。ろう者の文化や生活について理解してくれる人たちも多くはありません。障害者であることの差別や、情報不足のために消費者トラブルに巻き込まれる事件も少なくありません。まだまだ立場の弱いろう者、特に高齢者のろう者の生活を保障していくためには、地域のろう者の力が必要です。ろう協会での活動により、ろう者を理解してくれる人たちが増えてくれることを願っています。
今いる私は、今までの経験をさらにレベルアップしたところに神様は遣わしてくださっていると思っています。どんな事にも果敢にチャレンジする自分は、試されているような気もしますが、キリストの背景・生き方に似ている面もあり、力を与えられます。人間にとって大きな困難や問題だと思うものも、見方を変えるとそれがちっぽけだと思うように変わり、平安になれることもあり、とても不思議に思います。人間は様々な感情が生まれやすいので、いつも感情に流されないように、気をつけたいと思っています。そのためには、私たちの原点である聖書と神様の愛を思うことでしょう。祈りの場所と同じようです。キリストは私たちの模範の人です。だから、色々な悩みや苦しみにも耐える力をくれるようになり、不思議なお方です。
仕事においても、生活においても、手話に対しても、あらゆる事すべてに感謝して、私がここにおられることも神が共にいてくださるからと思います。そして、皆が幸せになれることを心から願います。
桑原 康恵… 一九七三年徳島生まれ。2歳より中一まで徳島ろう学校、その後 筑波大学附属聾学校中学部転校・高等部。筑波技術短期大学機械工学科卒業。三菱自動車本社、4℃。1998年洗礼。現在勤務:日本ろう福音協会。
日本ナザレン教団小岩教会所属。(ろう活動)江戸川ろう者協会副理事長・手話事業局長・財務部長務め中。