弱きところに神の力―
盲人岩橋 武夫と神曲の訳者とその周辺
私たちのキリスト集会で、ダンテの読書会をしています。テキストとしては三種類の翻訳を使っています。その一つに、英文学者の寿岳文章訳のものがありますが、訳者の夫人、寿岳しづ(旧名は静子)はキリスト者で、その兄が、日本ライトハウス(設立当時の名称は大阪ライトハウス)を設立した盲人の岩橋武夫でした。
岩橋は一八九八年生まれ。早稲田大学に進むが、病気となって中退。精神的にも肉体的にも深い闇に陥り、苦しみうめいていましたがそのとき、妹は、三年間首席で通していた梅田高等女学校を中退して、兄の看病に専念し、さらに兄の武夫が盲人となってからも献身的に助けました。岩橋は関西学院大学に入学したのですが、当時は盲人を助けるようなボランティアもなく、点字の書籍もなかったために、妹の静子が兄を介助して通学しました。当時男子学生ばかりだったという状況のなか、女性一人が教室に入り、盲人の兄のノートを代わって筆記するということは、大学の講義は長く、毎日ということになれば大変な労力であったと思われます。「学生たちは、高い校舎の窓からわいわいと手をたたいてひやかした。私はそれを黙って耐えたが、年若い妹の静子は、眼が見えるだけにいっそうつらかったであろう。」と岩橋はのちになって書いています。
その頃その大学の学生であったのが、寿岳文章で、彼は岩橋と介助している妹の静子を知って、岩橋の友人となって助け、のちになって妹の静子と結婚したのです。
寿岳文章・しづ夫妻の長女が、寿岳章子で、国語学者として京都府立大学助教授、教授として三六年勤め、憲法を守るための活動にも三〇年ほどもかかわっています。そして長男の寿岳
潤は、天文学者(東京大学名誉教授)として知られています。
岩橋武夫は、関西学院大学卒業後、イギリスのエジンバラ大学にも学びましたが、そのときは、イギリスにいた好本 督の特別な援助を受けたのでした。 好本は、内村鑑三にキリスト信仰を学び、実業家であったが視覚障害者(弱視)となったために、収益を盲人福祉に捧げ、とくに点字聖書の刊行は彼の絶大な援助によってなされていったのです。以前の「いのちの水」誌に、好本の真実なキリスト者としての一面を書いたことがあります。(二〇〇六年十月号)
岩橋の設立したライトハウスは、その後も発展して点字図書の出版、盲学校の教科書の作成、さらに職業・生活訓練センターを建設して、視覚障害者の自立と新職業の開拓に取り組んできました。コンピュータ・プログラマー、工作機械技術者の養成、盲導犬事業や歩行訓練指導者の養成など、多様なはたらきを続けてきたのです。
このようなさまざまのことにつながってきた出発点を振り返ってみますと、失明した岩橋武夫を自分の学業を捨ててまで、兄への愛のために尽くした妹の静子の献身的な生き方が大きく用いられ、その働きがあったからこそ、このような発展がなされていくことにつながったのがわかります。
他者への、とくに弱い立場の者への愛は、神の祝福を受けて大きなことにつながる実例を知らされるのです。
「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(Ⅱコリント十二・9)という聖書の言葉を思います。