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319)唯一の解決の道
「人間の心にはね、科学でも哲学でも、医学でさえも解決できないものがある。
それは渇愛と不安だよ。それを解決できるのは、それは信仰だ。」
(「こころの花」 村松英子著)
・この著者の父(医学部の精神科医)から受けた印象に残っている言葉としてこの本に引用されている。 渇愛とは、一般的には使われていない言葉である。これは、「水に渇くように、人間が、感覚的なさまざまの欲望に執着してやまないこと」。

人間の中に深く刻まれているさまざまの欲望、それに打ち勝つことができないゆえに、私たちは苦しみ、また罪を犯し、それが新たな苦しみとなっていく。そのような連鎖を断ち切る唯一の道、それが信仰であり、信仰によって与えられる聖なる霊を受けることである。

320)最大の罪
私が悔い改めて信じるに至ってから犯した最大の罪、最も主を悲しませた道は、祈りに関すること、すなわち祈りの怠りであった。
このことこそ、私が犯した多くの罪の原因である。
(「祈り」ハレスビー著三四頁 聖文舎)
・祈りの怠り、それこそ多くの人が強く感じていることであろう。あのとき、もう少し静まり、祈りにとどまっていれば罪をおかさなかったであろうと思われる言動というのは多くある。主イエスがたえず目を覚ましていなさい、と言われたことは、たえず祈りをもって生活せよ、ということと同じ意味をもっている。
321)キリスト教の極致
 「キリストは今なお活きてわれらとともに在し給う」、キリスト教の極致はこれである。キリストが、もし単に歴史的人物であるなら、キリスト教の教えがいかに美しく、その教義がいかに深くとも、そのすべては空の空である。
キリストがもし、今もなお、存在していないのなら、私たちは今日直ちにキリスト教を棄ててもよい。
キリスト教の存在は、ひとえにキリストが、今も生きておられるかどうかの一事にかかっている。(内村鑑三「「聖書之研究」一九〇八年二月」)

・私がキリスト教信仰によって、今日までの四〇年以上生かされてきたのは、単なる教えによっているのでは決してない。ここで言われているように、たしかに今も生きて働くキリストによって罪赦され、新たな力を与えられ、日々の歩みを導かれてきたからである。
その生けるキリストが、私たちの予想しない人との出会いでさらに恵みを受け、またやはり予期していなかった困難や苦しみを受けることによって、それがなかったら決してえられなかったであろう魂の成長が与えられた。生けるキリスト以外の、いかなる人間も、そうした驚くべき導きをすることはできない。そのキリストは、喜ばしいことも、悲しみ深いことも、また耐えがたいような苦しみをも、すべてを善きに転じていくからである。
322)静かに真理を語れ。そのためには、ぜひとも、「真理の霊」を持っていなければならない。この霊は生まれつき人に宿っているものでなく、一人一人の人間に対する神の個別的賜物である。(ヒルティ著 「眠られぬ夜のために下」十月四日より)


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