大 中
編集だより
○元号のこと
前回に掲載した、元号についての文は、もとの内容は、今から二十数年前に私が教員であったときに、転勤した学校の文書や生徒が書いた作文などもすべて平成○○年のように元号でなされていたために、私が教えている生徒たちに、その意味を知らせ、職員会議でも、その問題点を指摘し、さらに詳しく教員たちに元号の問題点を知ってもらうために、校内の全教職員に私が配布していた印刷物にそれを何回かに分けて掲載したことが元の内容です。
当時、毎年三月になると、「君が代」の取り扱いを巡って職員会議でも議論があり、そのことと関連しているために、私は「君が代」の歌詞の意味、歴史的にどのように使われてきたのか、ということを繰り返し同僚の教員たちに問いかけていたことでした。
その後、「いのちの水」の読者にも知っていただきたいともっと簡略化したものを掲載したことがあります。今回、再度掲載したのは、年賀状にやはりキリスト者の方々でも元号を用いている方がおられること、それは単にその元号制度がいかなる目的をもって導入されたかを知らないためであり、また世界的に日本しか個人の名前をもって時間をはかる尺度にしているというほど特殊なことだと知らないからだと思われますので、この問題は日常的問題でもあり、知識を提供するために再度掲載したわけです。
この内容についての応答からあげておきます。
・元号の問題は、日常的な問題である。こうした小さなことに見える問題の中に、日本の持っている問題点が象徴的に現れている。
無教会のキリスト者のなかにさえ、元号を用いている、そして多数の良識的と思える方が元号を用いておられることに驚きを覚えました。
小さな問題のようで、小さくない、日本人の根本的風土の中にこの元号を用いる精神がある。
それは根源的には天皇制に従っていくまた、靖国問題にさえつながっていく精神性である。 論理的にも常識的にも西暦を使うべきなのですが、人間的にはよい人々が天皇制への傾斜を抜けきらないところがある…。(東京都の方)
○三月二八日(日)は、福音歌手の森 祐理さんが、プロデューサーの岡さんとともに、主日礼拝に参加されました。いつもと同じような礼拝をしましたが、森さんが、手話に強い関心を持っている方で、「モリユリの手話讃美」という本も出されているので、はじめに、いつもの手話讃美を三曲ほど歌いました。
いつものように全員による感話の時間のあと、森 祐理さんに三十分ほどをとって、幼いときから今まで、どのように神の導きをうけてきたかについてお話し(証し)をしていただきました。
とくに、阪神大震災で大学四年になっていた弟を失ったことが、大きな転機となって、苦しんでいる人、福音を知らない人に賛美を用い、言葉と祈りをもって福音を届けたいという願いを強くもって活動されていることがわかりました。
また、歌手で手話の本をだすほど手話讃美に心を注いでおられるのはなぜなのか、それは、かつて、声が出なくなってしまったことがあり、歌を歌えなくなり仕事もそのために辞めざるを得なくなり、そのときに、何とかして残された手段で神を賛美したいという気持ちから、手話での賛美を示されたとのことでした。
森さんの証しのあと、いつものようにパンと紅茶をいただきながら、参加者が、祐理さんに尋ねたいことなど出したり、懇談のひとときを与えられました。
集会にて午後二時くらいまで、そのように交流のときを与えられ、その後、徳島大学病院の個室に入院している勝浦 良明さんのところを訪ねました。そこでは、パソコンを用いて、膨大な量の賛美の伴奏を作成していることに、とても驚かれたようでした。
最後に、勝浦さんの希望された賛美である、「人生の海のあらし」(新聖歌二四八番)を歌ってくださいました。
以下は、森 祐理さんのホームページに掲載されていた文章です。
----------------
28日の日曜日は、徳島聖書キリスト集会にて礼拝奉仕。
民家を教会とし、畳の上の座布団や小さな椅子に座っての礼拝は、部屋に入り切れないほどの方々が集っておられます。
目や耳のご不自由な方々も多く、点字と手話でも礼拝され、皆が一言ずつ話していくので、受身でなく参加していく礼拝。
代表の吉村さんのメッセージ「信仰によって」も力づけられました!
礼拝に続いて私の証しタイムが30分あり、その後質問コーナーも活気に満ちた楽しい時に。礼拝に出席できて良かった!と心から思える時でした。
午後は、この集会員で勝浦さんという方を病院に訪問。この方は、30年前(20代の時)に脊髄腫瘍をALSと誤診されたため、首から下が不随で寝たきりとなった方です。でも病院でクリスチャンとなられた後、なんと口だけで今までに一万曲近い伴奏曲をパソコンを利用し、作成されています。
讃美歌からリビングプレイズ等まですべての賛美曲の伴奏カラオケを作られたことは驚くべきことで、しかもそれが口で操作するパソコンによってというのは、驚愕すべきことでした。
病を通し、イエスキリストと出会われた勝浦さん。今彼の賜物が何倍にも用いられ、大きな主の働きの道具として用いられている様子を目の当たりにし、御名をあがめずにはいられませんでした。
台湾から帰国して一週間。またいろんな出会いと恵みに満ちた毎日を過ごさせて頂いて、本当に感謝です!
(森 祐理さんのホームページ からの引用。
http://www.moriyuri.com/yuri/home.php?no=diary)-------------