リストボタン風と水のように― 聖なる霊のはたらき

聖霊とは、聖なる霊である。一般的には、聖とか霊とかの言葉は縁のないものと感じる人が多い。毎日の会話で、聖とか霊とかを口に出す人はほとんどいないし、テレビ、新聞などの頻繁に見聞きするものにも、そうした言葉はほとんど出てくることもない。
学校教育でも、聖とは何か、霊とは何かなどといったことはまったく教えられることもない。
多くの日本人にとって、聖とは自分にはまったく縁のない言葉だと感じるだろう。
霊というと幽霊という言葉がまず思い浮かぶといった人が多い。それは、何か暗いもの、よい印象を持っていないものとして、多くの人たちは受け止めている。
しかし、風あるいは水といえば、ごく身近なものと感じる。 聖なる霊は風と水でたとえられるような本質を持っており、本来はとても身近なものなのである。
主イエスは、風はどこから来てどこへ行くのか分からない。聖なる霊によって生まれるものも同様である。といわれた。(ヨハネ三の八)このイエスの言葉にある、風という言葉も霊という言葉も原語は同じなのである。
キリスト教の二千年の歴史の上で、最も豊かに力強く聖なる霊がそそがれたのは、キリストが十字架で処刑され、三日後に復活し、その復活したイエスが、弟子たちに「約束されたものを待っていなさい」と命じ、弟子たちがその命令にしたがって、祈りつづけていたときであった。
そのとき、当然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえてきた。そして一人一人の上にそそがれた。(使徒言行録二の二)
ここにも、聖なる霊が風と重ね合わされて書かれている。ときには静かに、またときにはこの箇所のように激しい風のように天から吹いてくる。
この風としての神の霊のことは、聖書の一番最初の書である創世記のその冒頭にはやくも記されている。
天地創造のときには、ただ闇と混沌があり、深淵があった。その真っ暗闇のなかに、吹いていたものがあった。
 それが神の風なのである。旧約聖書の原語であるヘブル語においても、風と霊は同じ語(ルーァハ)である。それゆえに、聖書の翻訳によって、この箇所は、風、あるいは霊と訳されている。
旧約聖書学者として著名な、関根正雄訳では、この創世記の箇所では、霊と風が重ね合わされているということから、次のように訳されている。

…闇が原始の海の面にあり、神の霊風が大水の面に吹きまくっていた。

また、カトリックの英訳聖書として代表的なものとされている訳では次のように訳されている。

…深淵の上には、闇があった。水の上を聖なる風が吹いていた。
(…there was darkness over the deep, with a divine wind sweeping over the waters.)
(New Jerusalem Bible)(sweep とは、さっと動く、通過する、吹くまくる といった意味)

また、旧約聖書のエゼキエル書にも、神の霊が風という意味も含ませつつ記されている箇所がある。
この書が書かれた時代は、キリストの誕生よりも五〇〇年以上も昔、ユダヤ人が、祖国から現代のイラク地方にあるバビロンという都市まで、たくさんの人たちが捕囚となって移された。その状況のなかで、神からの啓示を受けた預言者がいた。それがエゼキエルという人である。
彼は神によって霊的に引き上げられ、広い場所全体に骨があり、それが徹底的に枯れた状態となっているのが見えた。それはもはや生き返ることなど不可能と思われる状態であった。
しかし神は言われた。「私がこれらの枯れはてた骨に霊風を入れる。そうすればこれらは生きるようになる。」このような驚くべきことが言われた。
これは信じがたい言葉であったが、実際に神がそこに霊風を四方から吹き入れたとき、それらの枯れはてた骨が命を持ってよみがえったと記されている。(エゼキエル書三七章)
これは、祖国が滅び、残った民も多くが遠い異国に捕囚として連れ去られ、まさに民族としては枯れはてた骨のような状態となっていたユダヤ民族が、神の聖なる風(息、霊)によってよみがえるという預言であった。
そしてこのことは、はるか後のキリストの復活ということをも預言する啓示であった。
ここで、神が吹き入れた風とは、ヘブル語でルーァハであり、風と霊、そして息をも意味する言葉である。
関根正雄訳では原語が持っているこの三つの意味を重ね合わせて表すために、「霊風」と訳し、それにフリガナをつけて、「いき」と読ませている。
ここでも、神の霊は、風という意味をも持ったものとして現れている。
一面の闇と混沌と大海といった状況のなか、静かにあるいは激しく吹いていた神の霊の風、これははるか後にキリストの弟子たちに吹いてきた聖霊の風を暗示するものがあった。
神のご意志にかなったものを創造するために吹いていた風、それはキリストの復活の後に弟子たちに吹いて、新たなキリストの共同体が生み出され、世界にその福音を伝える大いなる力となったことを思い起こさせる。
そして、この聖なる霊(風)は、一度だけ吹いたら終わりとか、キリストの十二弟子のようなきわめて特殊な人たちだけに吹くのではない。
主イエスが、求めよ、そうすれば聖なる霊が与えられると約束されたのは、そのような特定の集団とかでなく、ひろくすべての人に向けてであった。

…このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ十一の十三)

あなた方は悪い者だ、といわれると驚く人がいるかも知れない。自分は悪い人ではない、と思っている場合が非常に多いからである。
しかし、神の絶対的な愛や真実といった基準に照らせば、人間はだれでも、不真実であり、他者を愛しているように見えても利己的であり、つい真実でないことを言ったり行ったりするのであって、それは悪い者だといわれて当然なのである。そのような者でも、日常的に子供が求めてくればよいものを与えようとする。
だから、神はその子供―信じる人たちが求めるならば、日常的によいものである聖霊を下さるということなのである。
私たちが神のことを、お父様 といって親しく呼ぶ心を与えられているのも、聖霊によると書かれている。

…あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」(*)と呼ぶのである。(ローマの信徒への手紙八の十五)

…このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。(ガラテヤ信徒への手紙四の六)

(*)アバとは、「お父さん」という意味のアラム語。アラム語とは、イエスの時代のユダヤ人が使っていた言葉で、ヘブル語と似ていて、ヘブル語は、父のことを、アブ という。

このように、神とキリストを信じる人が、目には見えない神を最も親しいお方のように、お父様と呼べるのは聖霊を受けているからなのである。
このように聖霊を受けるということは、日常的なことでもあると言えよう。毎日神様に向かって、天の父よ、お父様と祈ることができる、ということは、毎日新たに聖霊を受けているからなのである。
しかし、一度聖霊を受けたら、もうあとはずっとその状態が続くというのではない。
使徒ペテロは、キリストの復活の後、みんなと祈って聖霊を待ち望んでいたときに、時至ってあふれるばかりに聖霊をそそがれた。そこからペテロはそれまでの恐れていた姿勢が一転して、敵対するユダヤ人に対しても、命がけで福音を伝えるほどの力を与えられた。
しかし、後になって、割礼の問題でユダヤ人からキリスト者になった人たちの影響を受けて、異邦人たちを汚れたものとして共に食事をしないという状況になったことがある。
そのとき、パウロから面と向かって叱責されるというほど、ペテロのような指導者でも、油断しているとまちがってしまうのがわかる。
これは、聖霊を一度受けたからもうずっと続くというのでなく、日々祈り求め、日々新たに与えられるのでなければ、持続しないということを示している。
主イエスも、いつも目を覚ましていなさい、と言われて、一つのたとえを話された。花婿がいつくるかも分からない。そのときに備えてともし火と油を持っていなければならないのに、愚かなおとめたちは、油を持っていなかった。
他方、賢いおとめは油を持っていた。そのことが、夜中に思いがけなく、花婿が来た時に、婚礼の席に入れることにつながった。
婚礼の席に入る、それは神の国に入れていただくということのたとえである。
そのために、油、すなわち聖霊を日々受けて保っている状態でなければならない、ということが示されている。

すでに述べてきたように、聖霊は風としての意味を持っているが、他方では次のように、水としても表現されている。

…祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている霊について言われたのである。
  (ヨハネ福音書七の三七〜三九)

この箇所は、とくに重要な内容であるゆえに、祭で最も重要な最後の日、立ち上がって大声で言ったと、特に強調して書かれている。
しかも、誰に向かって言ったという記述がない。これは、以後の人類全体にむかって大声でこの真理を叫んだのだ、というニュアンスが込められている。
ここでは、キリストを信じる人が受けようとしている聖霊こそが生きた水であり、信じる人のうちから泉のようにあふれ出て、周囲に流れ出るという。
風と水という二つにたとえられている聖なる霊、それは私たちに恵みの世界をどこまでも近づけてくれるものなのである。風と水はどのようなすきまでも入っていくことができるからである。
キリストの弟子たちは、キリストの死後は復活など到底信じられず、万事休すといった絶望的なあるいは自分たちも捕らわれるのでないかという恐怖もあって部屋にこもって鍵をしめていた。
しかしそのようなところにも、聖なる風でもある復活のキリストはどこからともなく入ってこられたのであった。
(ヨハネ二十の十九〜二三)
聖なる風としての聖霊が外から、天から人に向かって吹いてくるのに対して、ヨハネ福音書七章で言われる聖霊は、信じる人に与えられたらそれで留まっているのでなく、その魂の内から外に向かってあふれ出るとされている。
外なる天から吹いてきた聖霊の大いなる風は、弟子たちの魂に点火し、燃えるような情熱となってさまざまの言葉の違いを乗り越えて各地に福音を伝える原動力となった。
そして信じた一人一人からあふれ出た「いのちの水」としての聖霊は、また本人をも霊的に深く満たしつつ、周囲に向かって流れ出て、それがまた他者に伝わり福音伝道となっていった。
日本のキリスト者が百二十年にもわたって歌ってきた次の讃美歌(歌詞)(*)には、この流れ出て、世界をうるおすいのちの水としての聖霊のはたらきがその内容となっている。

1 天つ真清水 流れきて、
  あまねく世をぞ 潤せり。
  長く渇きし わが魂も、
  くみて命に かえりけり。

2 天つましみず 飲むままに、
  渇きを知らぬ 身となりぬ。
  つきぬ恵みは 心のうちに、
  泉となりて 湧きあふる。

3 天つましみず うけずして、
  罪に枯れたる ひとくさの
 栄えの花は いかで咲くべき、
  注げ、命の ましみずを。
(讃美歌二一七)
(*)この讃美歌の作詞者である、永井えい子は、江戸時代末期の生まれ。青山学院の前身の東京救世学校で英語などを学び、後に宣教師を助けて聖歌集の編集にかかわる。その頃作ったのが、この讃美歌であるから、彼女が十八歳ころの作品。その後の改訂を受けて現在の歌詞になった。なお、永井は後に、女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)などの助教授をも勤めた。

こうした聖なる霊のはたらきは、私たちも感じてきたところである。大きな影響を与えるようになったキリスト者たちは、確かに天来の聖なる風を受けた人たちであり、彼らの魂から流れ出るいのちの水によって周囲の人たちの魂をうるおし、福音を信じる人たちが加えられていった。
私は一冊のキリスト教の本から信仰を与えられたが、それはその著者からあふれ出た命の水が、その本の中に留まり、、私はその本からあふれ出た福音を受け取って飲んだということになる。
また、聖なる霊の風は、また、日常的に私たちを取り巻く自然からも吹きつけてくる。夜空の星も樹木や野草、あるいは青い空も雲もみな、そこから聖なる風が私たちの魂に向かって吹きつけているのである。
それらの自然は、神の直接の御手による創造物であり、神のお心(ご意志)そのままがそこにある。
それゆえに、心を開いて接するならば、いつもその神のご意志そのままの聖なる霊(風)がそこから、私たちに向かって吹いているのである。
ただ私たちが心のとびらを閉ざしているからそれが入ってこないだけなのだ。 今から二五〇〇年以上も昔に神が言われた次の言葉、「霊風よ、これらの死した者たちに吹きつけよ、そうすれば彼らは生きる」(エゼキエル書三七の九)
は、現代の私たちにもそのままあてはまる。私たちは、罪のゆえに死んでいるようなものであるゆえ、(エペソ書二の一)つねにこの願いを持っている。

聖なる風よ、私たちに吹きつけてください。そうすれば、どんなに罪を犯した人たちも、またさまざまの状況で苦しむ人たちも、霊的に生き返るこができるからです。
 そして、一人一人の魂からいのちの水があふれ出るようになりますように。


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