わたしは、また、新しい天と新しい地を見た。
(黙示録21の1)
白く輝く山
今年は初めて静岡県伊豆において、キリスト教独立伝道会主催の新年聖書集会に参加してみ言葉を語る機会が与えられた。
一月三日の早朝、宿舎の外に出ると、澄みきった大気の向こうに、富士がその純白の姿を静かに現していた。
今まで、いろいろな場所で、遠くの山から、また山中湖や、新幹線の車中や車の中で、またずっと以前に高校の修学旅行の付き添いのとき等々、富士は何度も見たことがある。
しかし、今回のような富士は初めてであった。まだ朝明けのほんのりと赤みがかった色彩を帯び、ふもとから頂上まで神の雪をいただき、雲一つない夜明けの空に浮かびあがっていた。
その清められた白い山の姿は、主イエスがご自分の最期が近づいたときに、高い山に登り、そこで服が真っ白に輝いたとあるのを思い起こした。
そして見ている間に、東方のわずかにかかっていた雲が晴れたために、中腹より頂上にかけての部分が白く輝きはじめた。
富士山はあまりにも有名な山であるために、従来は私には大した関心も持てなかった。
しかし、このとき見た富士、それは厳粛な思いを呼び覚ますものであり、その背後に崇高な見えざる御手を感じさせるほどのものであった。
それはわずかな時間であった。その少しのちには、雲がかかりはじめたからである。
標高四千メートル近い真白き富士、そしてやや西方に連なる南アルプスの白い連山、青い空と雲…等々、それらの揺るぎない姿と清さに触れて、新年にあたって、私たちが見つめるべきものを直接に示されたような思いであった。