原子力発電をなぜやめるべきなのか、それは大事故が生じたら、大規模に、しかも長期にわたってさまざまの意味で人々の生活を破壊していくこと、さらに放射性廃棄物は何十万年も管理が必要だというほかのいかなる産業廃棄物とも異なる問題があるからである。さらに、原発の建設のときから、莫大な金によって原発が建てられる地域の人々の心がむしばまれ、その地域が原発の多額の金によって麻薬を飲むように原発からの金がなければやっていけなくなる病的状況に陥ること、さらには原発関連の巨額の金に関連したさまざまの不正が行われること等々多くの理由がある。
福島原発事故からもうじき8カ月になろうとしているが、新聞やマスコミ、あるいは現在では多数が出版されている原子力発電関係の書籍でもわずかしか取り上げられていない問題がある。
それが、原発と核武装の関連である。
1969年の外務省「内部文書」として、外交政策企画委員会が作成した『わが国の外交政策大綱』というのがある。そこにはつぎのように記されている。
「核兵器については、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器の製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘(せいちゅう=妨げ)をうけないよう配慮する。」
この外交政策企画委員会は4回開催され,そのうちの2回は、当時の愛知揆一外務大臣が出席して発言もしたゆえに外務大臣の下でこの大綱が作成されたことが明らかであるという。
この文書で述べていることは、要するに核兵器をいつでも造ることができるような能力を保持しておくということであり、原子力発電の推進はそのためでもあった。
日本で初めて商業用原発が稼働し始めたのは、茨城県東海村に造られた東海発電所で、それは1965年のことであるから、この外務省の文書が作成されたのは、その4年後となる。
このように、はやい段階から、日本では、原発が核兵器を造るための潜在的な準備とも位置づけられていたのである。
もともと、原発が生まれたのは、アメリカの核兵器開発によって原爆が造られたことにその淵源がある。原爆は、広島、長崎において数十万人が命を奪い、さらにその後何十年という間、徐々に体の深刻な異常やガンによる苦しみにさいなまれる人を生みだしていった。
そのような恐るべき核兵器の拡大と維持を目的として原子炉が次々と造られていった。原子力発電は、「原子力の平和利用」という、人々が受けいれやすい発想を取り込み、巨額の費用も投入して、原爆、水爆などの核兵器の増大とともに原子力発電も増えていくことになった。
はじめから、原発は、人々の豊かな生活のためのエネルギーを生み出すためとか、平和のためなどという発想で造られたのではなかった。それは、人類の存亡にかかわるような破壊力をもつ核兵器の増産をかげで支え、維持するために原子力発電というのが生まれたのである。このような原発の起源からして、それは闇の性格を帯びていたということができよう。
日本に原子力発電が導入されることになり、当時としては巨額の予算がいきなりつけられたのは、1954年3月である。
その年のはじめに、日本学術会議のなかに新たに作られた原子力に関する委員会において、原子力に対する学者の態度を確固としたものとする必要性が議論され、そのためのシンポジウムが開かれた。
科学者たちは、まだアメリカとソ連との核兵器開発競争が激しい時代であり、平和利用といってもさまざまの困難があり、戦後の貧困な日本の状況ではそのための学術的な資料も乏しく、原爆の被災を受けた日本は特別に平和利用ということが確立されないかぎり、原子力の研究などにとりかかれないという状況があった。
しかし、そのような科学者たちの真剣な議論がはじまったばかりのとき、突然そうした科学者たちにもまったく何の話もなく、2億3500万円が原子炉を造るための費用として、ほかにウランの調査費や開発のための費用その他で合計3億円という当時としては、驚くべき巨額の予算が国会に提出された。この予算提出のことは、科学者だけでなく、報道機関や関係するさまざまの行政機関にも全く知らされず、公聴会などを通して専門家を含めた国民的議論をすることもなく、抜き打ち的に出された。その予算をつくったのは、中曽根康弘を主とした数名であった。
当時は、戦後10年も経たないころであり、日本は、戦後の荒廃した生活の再建に精一杯の状況であり、原子力に関して国会議員たちもほとんど詳しいことは知らなかった。そのときから、半世紀以上を経た今日でも福島出身の有力政治家が、原発の事故があっても数週間もしたら回復できるなどと思い込んでいたほどであるから当時の状況は推して知るべしである。
中曽根は、それ以前にアメリカに出向いていて、そこでアメリカの核兵器の製造や原子力発電のことなどに接して日本にもそれを取り入れようと考えたのである。
その取り込み方があまりに突然だったので、当時の日本では、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一らとともに代表的物理学者の一人であった武谷三男は、つぎのように語っている。
「何かわけの分からぬ格好で原子炉予算を出すのは非常に奇怪で、茅さん(*)がラジオの座談会で、中曽根氏にそのことをいうのかと思ったら、茅さんは中曽根氏に敬意を表するだけで、一向にその話をしない。…ぼくからみると茅さんは何だか政治家の前に頭を下げるだけがすべてであるという感じを受けた」と語っている。
(「死の灰と戦う科学者」岩波書店1972年)
(*)茅誠司は当時の東京大学教授。
原発が日本に取り入れられた最初の段階からこのように「奇怪」なかたちで始まったのであり、その原発にまつわる奇怪さは現在に至るまでずっと続いてきた。
あたかも魔力あるもののように、政治家も、学者もマスコミや文化人、教育関係者も裁判所も圧倒的多数が、原発を認め受けいれる方向へと引き込まれていったのであった。
そしてその魔力が生み出したものは、すでに日本が保有する多量のプルトニウムや放射性廃棄物の膨大な蓄積となって日本人の前に立ちはだかっているのである。
現在、日本にはプルトニウムは45トンほどあり、長崎原爆は8kg程度のプルトニウムで造られたと想定されているから、日本には約4000発を超えるほどの核兵器を造る能力を持っていることになる。
(保管されているプルトニウムには、核分裂性のものが67%程度としての計算。)
このように、原発を原爆などの核兵器を造るための予備的なものとして考えることは、原子力の平和利用というのが言われだしたころからすでに存在していた。
1956年から16年間ほど
原子力委員となっていた有沢広己(*)が、その委員を辞任する際に、「どういう風にしたら原爆を造れるか、というごく基礎的な研究ならやってもいいのではないか、という話が再々あった。もちろん断固拒否しましたが…」と述べていたというから、原子力平和利用を隠れみのにして、核兵器の開発を考えるということは初期から見られたと考えられる。
(*)東京大学教授、経済学者。
そして、現在もなぜ、非常な困難がある高速増殖炉にこだわってきたのか、その理由はすでに述べてきたような軍事目的がその原子力発電の最初の段階からつきまとっているからである。
日本の高速増殖炉である「もんじゅ」は、1983年に設置許可がおりてから30年近い歳月が経っているが、その間1兆円ほどにも達する巨額が投入されてきた。(年平均で三百数十億円にもなる。)
そして、1995年には危険なナトリウムがもれ出て火災を起こすという重大事故が発生し、以後14年半もの長い間、休止していた。そしてその間も、毎日平均して5500万円という巨額の費用が維持費として使われていたのである。
さらに、ようやくその長期の復旧工事を終えて去年再稼働したと思ったらすぐにまた、炉内中継装置の落下事故が起こり、再び停止。その機材を取り出すのに10カ月を要したがその復旧費に9億4000万円という巨額を要するなど、発電もできず何の益ももたらさないまま、長い年月にわたって国民の税金が多量に投入されてきた。
この高速増殖炉というのは、世界で初めて原子力を電力にした最初の原子炉で、それが1951年のことであるから、もう60年も経っている。すでにアメリカは、1983年に高速増殖炉から撤退しているし、イギリス、ドイツ、フランスなども同様である。それほど高速増殖炉を扱うのは危険であり、困難だからである。
このような技術的な困難がともない、かついままですでに莫大な費用が投入されてもなお一向に稼働する見通しが立たないようなものになぜかくも、歴代の自民党政府や現在の民主党などがその維持にこだわるのか、それはすでに述べたような軍事目的という別の隠された目的が背後にずっとあるからなのである。
憲法9条を廃止して自衛隊を正式な軍隊にして、戦争のできる国にする、ということもやはりずっと以前から主張する勢力がある。そうした勢力が原子力の平和利用を隠れみのにして核兵器を持って武装するということを考えている人たちがとくに自民党を中心に相当いる。
2002年、安倍晋三官房副長官(当時)が早稲田大学の講演会で「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と発言したことがある。そしてこのことについて当時の福田官房長官が「私個人の考え方から言えば持てるだろう」と、日本の核兵器保有は可能としたが、こうした考え方は自民党政権が以前から主張している立場でもある。
元首相だった麻生太郎が外相のとき、2003年におこなわれた新聞のアンケートで「核武装を検討すべきだ」と答えていたり、
今年7月に石原都知事が、「核兵器は持つべきだ」などと発言している。石原も自民党政権のときに環境庁長官や運輸大臣をつとめたが、こうした核武装論は自民党内でずっと以前から存在して現在も続いている。
このように、原発の問題は、日本が憲法9条や非核三原則を堅持していくかどうかの問題と深くつながっているのであって、ここにも、軍事への強い関わりのゆえに、原発が莫大な費用を用いて投入されてきた背景がある。
軍事費に関しては、東北大震災という国家的な大災害が生じて節電だけでなく、国家公務員宿舎の建設を中止したり、公務員の給与の引き下げなどいろいろな無駄をはぶいて、増税もやっていく…というのに、膨大な軍事費の削減をして震災被災者や福島原発で被災した人たちのために用いようという主張は、まったくといってよいほど新聞、ニュースなどに出てこない。
今回の福島原発の大事故の淵源をたどると、こうした軍事との深い関係が浮かびあがってくる。軍事兵器とは要するに人の命を奪うものであり、それを当然のこととして肯定する考え方からは、いかに被害が大きくとも原発を続けようとする考え方に通じるものである。
戦争も核兵器や原発も、弱い立場の人間を顧みないで、強者がそうした弱者を圧迫し、踏みつけていくという本質を持っている。
こうした考え方と対極にあるのが、キリストの真理である。武力や金の力、権力のいかなる力によってもできない人間の魂を変革すること、そうして「傷ついた葦を折ることなく、消えかかっているともしびを消すことなく」(イザヤ書42の3)、それらに新たな力を与えて再生、復興させる本質を持っている。
日本に、大地震、大津波、そして4基もの原発が事故を起こしそのうち3基が炉心溶融という大事故を起こして何十万人という人々に大変な苦しみを与えていること、そのような特別な出来事が生じたのは、この原子力発電と軍事、核兵器の武装といった方向が根本的に誤りであることを示そうとされる神の大いなる警告だと受け取るべきなのである。
目に見える世界においては、エネルギーの浪費を止め、さしあたりは天然ガスや石油などを効果的に併用しつつ、神の創造された太陽光、風の力、地球の熱、太陽エネルギーによって持ち上げられた水によって起こされる水力等、自然エネルギーと言われるものを可能な限り多用し、さらに、私たち人間の本質たる魂の生きるエネルギーのためには、私たちの罪から立ち返り、やはり神のものである、聖なる霊とみ言葉の力を受けつつ生きること、その方向への転換こそ今後の人類の目指すべき道なのである。