九州と中国地方への訪問
11月10日〜17日まで、九州、中国地方の各地の集会での聖書講話、そして「祈の友」の一部の教友たちを訪ねました。
10日の夜は大分市の梅木さん宅での集会。梅木さんは、はり治療院を経営されているかたわら、自宅を増改造されて、独立ケアセンターという介護施設を起こされ、その責任者であり、全盲でありながら、いろいろな困難ななかを、施設運営につとめておられる珍しい方です。その治療室で、落ち着いた雰囲気のなかでの集会が与えられました。
その翌日は11日。2011年の11月11日という、1が6回も現れる特異日でしたが、私にとっても初めての鹿児島訪問でとくに記念すべき日となりました。
この日は、初めて鹿児島までいくことになっていましたが、大分から鹿児島までは相当に遠く、しかも初めての道でもあるので、時間通りに鹿児島市に到着できるかどうかと思いましたが、途中で宮崎県の西都市の「いのちの水」誌の読者のHさんをも訪問することができました。味噌を製造販売されている方で、若きときからの無教会のキリスト者でした。このような山野の広がる田園地帯、農家もところどころにあるという広々とした地域で、キリスト者はほとんどいないだろうと思われるような田舎ですが、若き日に福音の種を蒔かれたゆえに、周囲がまったくキリスト教とは無縁の地域であってもなおその信仰を持ち続けることができていることを知らされ、若き日に種蒔かれることの重要性を感じたことです。
なお、その途中で、石井十次(*)の記念館があるのがわかり(宮崎県西都市 茶臼原)、短い時間だけれども、立ち寄り、最近見た映画の一部の場面がそのまま残されていて、改めて孤児のために生涯を尽くしたキリスト者のことを思い起こすことができました。
(*)宮崎県生まれ。(1865〜1914)医者になるために岡山に移住。日本で最初に孤児院を創設した人物。「児童福祉の父」と言われ、留岡幸助、山室軍平らとともに岡山にゆかりある重要な働きをしたキリスト者として知られる。
医者になる道を捨てて、世間で顧みられない孤児を集めてその世話をする、当時は自分の子どもも十分に育てられない人も多かった時代、そのような道をとることは至難のわざであったけれど、キリストが石井を導いて道のないところに道を開かれたのだと感じ、残された施設の背後にキリストの大いなる御手があったのを思ったのです。そしてその御手は今もその聖なる業を世界の各地でなし続けていることも。
夜7時まえに鹿児島市の会場に無事着くことができ、初めての方々ばかりでした。そこには、東京からはるばるこの集会に親族の方が参加するようにと願って参加されたMさんがおられ、その主にある熱心に驚かされました。また、妻の40数年前からの大学時代の友人が鹿児島市にいるので参加を呼びかけたところ、キリスト者ではないけれども、初めて参加していたことも感謝。
また、今年3月下旬に、春風学寮での小さな集りに集っていた登戸学寮の学生であるMさんのご両親も参加されていたことにも驚かされ、感謝でした。
その翌日は、熊本の集会。熊本にいくようになってもう10年を越えています。
その集会には、全盲の方が、4人、そのうち一人は、ハンセン病の療養所からの参加です。その方々の闇の世界にも、主イエスが光を与えてくださっているのを実感させていただいています。熊本から小郡におられる「祈の友」会員を訪問し、ご夫妻との懇談と祈りのひとときが与えられました。
翌日の日曜日は、福岡キリスト教会館での主日礼拝。聖書における再生、復興ということで語らせていただきました。今回は、とくに私の希望を入れて下さり、主日礼拝と同じ会場で昼食、そして懇談会をすることができて感謝でした。
その集会で二回目の参加という方、ほかにも新しく参加しはじめた方もいました。
こうした初めてキリスト教に触れ始めた方々が、とくに主の導きを受けますようにと願われます。
その後、福岡県内の「祈の友」会員二人を訪ね、主にある交流を与えられました。高齢ながら、信仰によってささえられているのがよくわかりました。
その翌日は、徳島を出発する直前に知らされた交通事故でのKさんご夫妻の入院の病室を訪ねました。別々の病室におられ、それぞれ重傷のようでしたが、お二人とも、こうした事故によって、自分たちがまわりの人たちの愛と祈りをいかにたくさん受けているかを深く知らされて、感謝にあふれますと涙ぐんで話されたのが心に残りました。
キリスト者でなかったら、到底このようなときに、心からの感謝をあらわすなどはできないことで、Kさんご夫妻のその姿に接して、背後に主がおられるのを感じたことです。 主のみわざがそこになされているのがわかりました。
そのあと、出雲から20数キロ、松江からでは40キロほど山間部に入った奥出雲地方にある土曜会館にての集会に向かい、そこで1年ぶりの方々とともにみ言葉を学びました。 数十年の昔、加藤歓一郎という教育者、伝道者によって導かれ、長い信仰の歩みをされてきた方々で、私はこれで3回目の訪問で、そのたびに主にある交流を深めていただいているのを感じて感謝です。
その翌日は、鳥取に向かい、砂丘を前にした会場での集りでした。少数の集りですが、岡山の香西さんからの紹介を受けて、訪問するようになったことで、このことも主がそのように導かれたと感じています。
その翌日、その香西さんが責任者である岡山聖書集会での集会が与えられ、さらに翌日は、香川県で関わりある教友をたずねて無事帰宅することができました。
今回も、主の守りと多くの方々の祈りによって支えられ、今回は出発前から体調が十分ではなかったこともあり、全行程をこなせるかどうか、という状態でしたが予定通り果たすことができて感謝でした。み言葉と聖霊による集りが与えられ、主が各地の集会におられることを改めて知らされ、今後とも各地の集りがいっそう主の霊を受けて、キリストの福音が伝えられますようにと願っています。