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長野、山梨、八王子、静岡などでの集会
5月28日〜6月1日まで、み言葉を語るために、各地へと訪れる機会が与えられました。
まず、岐阜では「祈の友」の尾浴さん宅を訪ね、その教友の方とともに短い時間でしたがともに祈りと交流、賛美のときを与えられました。その後、夕方から夜9時半ころまで、長野県下伊那の松下さん宅での家庭集会。初参加の方、とくに130キロ以上も離れた千曲市からご夫妻での参加もあり、み言葉の不思議な力のゆえだと思われました。
日曜日は、上伊那の有賀進さんが責任者である上伊那聖書集会での主日礼拝。去年の那須野宅での集会のあとで、集会場として新たに作った部屋があること、ふだん参加していない者が参加してみ言葉に触れるためにと、日曜日に来てほしいとの希望が言われていいたので、訪問を決めたのでした。
一階は製材会社の事務所でその二階が集会場となっていて、新しい木造の柱が新鮮な感じを与えてくれ、周囲の緑も見えるところでの礼拝集会となりました。初参加の方、またふだんは参加していない方々も加わり、20名ほどの集まりでした。ここにも主の働きを感じたことです。
午後は、原発のことについての話しを希望されていたので、そのことについて数時間をとって語りました。午前の礼拝に続いて、午後4時半ころまでという長時間の集会でしたが、一人帰っただけでみなさんが最後まで残られ、原発問題への関心の高さを感じたことです。
翌日の月曜日の午前は、山梨県の山口清三さん宅での集会で、いつもは加茂悦爾兄宅での南アルプス聖書集会としてなされていますが、今回は都合で、山口宅での集会となりました。ここでも、そこから20キロ近く離れた野辺山という地域で農業に親子で従事されているご夫妻が参加されたり、ふだんいろいろな状況で参加されてなかった方、初めての人も加わり、標高700メートル余りの高原で、さわやかな五月の風と庭の草花、窓の前方には、ハリエンジュの大きな木が白い花が咲かせているというなかでの集会でした。タイトルは、「荒れ地に水の流れるとき」、現代の日本のさまざまの意味における荒廃のただなかに、神の国からの水が流れるようであって欲しいと願ってのことです。なお、賛美の伴奏は、山口ご夫妻がリコーダーでなされるということでいっそう賛美にもうるおいが伴ったと感じました。
午後は、八王子市の永井宅での集会で、多摩集会ほかいくつかの集会に参加している方々も集められ、永井ご夫妻はじめ、御夫婦やきょうだいでの参加も何組かありました。ここでのテーマは「預言書における信仰・希望・愛」。信・望・愛は、新約聖書のコリント書13章がとくに知られていますが、今回は、あまり言われない預言書での信・望・愛について語らせていただきました。
この三つの重要なことは、すでに預言者においてもいきいきと働いていたこと、それは現代に最も必要なものであることを感じています。
翌日は、静岡県の清水聖書集会での集会。平日でしたが、集会の責任者である西澤さんがそのためにとくに休暇をとってご夫妻で参加され、お家を集会場としてくださり、いつもの集会の方々が集められて感謝でした。ここでは、「主とともに生きるため」
(Tテサロニケ5の10〜11)というタイトルでお話しさせていただきました。
その後、午後は「祈の友」の足立さんご夫妻宅を訪ねて短い時間でしたが、祈りと交流のときを与えられました。「祈の友」会員として半世紀にわたって祈りを続けられてきたその祈りは、きっとさまざまのところに働いてきたことを信じ得て感謝でした。
その後、静岡市の石川昌治さん宅での集会では、「あなたのみ言葉は、わが道の光」というタイトル。主催者の石川さんは、ご病気があって、ふだんは自宅での集会にも長い時間は参加できない状態とのことでしたが、今回は2時間の集会にも参加でき、支えられたことを感謝でした。ここでの集まりもずっと参加できていなかった方も参加できた方あり、また仕事中の時間をさいて参加された方もあって、み言葉がそうした参加者に深く宿って働きますようにと願ったことです。
その夜は、浜松市の武井陽一さんの診療所を訪問、そこでの宿泊と交流が与えられました。武井さんからは、近くのデンマーク牧場と、こひつじ診療所での宿泊のお招きをいただいていたので、今回はそのご厚意を受けさせていただくことができ、精神科医として、また、その診療所が置かれている福祉施設へのいろいろな関わりなどお話しをうかがい、羊や乳牛たちのいる牧場が福祉会に所属するというふつうにはみられない形での証しとなっている施設の実態に触れ、ここでもキリストのはたらきを実感させていただきました。
翌日は、去年の徳島での四国集会に参加されていた、浜松市の相原さん宅での家庭集会。ここでは少数の集まりでしたのでみ言葉の学びとともに、いろいろな賛美などをしながら、特別集会のときなどにはできない主にある交流のときを与えられて感謝でした。相原さんは全盲の方で、いまは天に召された溝口正さんが盲学校在職時代に、同じ盲学校教員であり、そのときキリスト者となったこと、私たちのキリスト集会にも視覚障がい者の方々が多いこともあり、以前から「いのちの水」誌などを通しての関わりはありましたが、去年の四国集会に初めて参加されてよりいっそう主にあるつながりが深められたことを思います。
今回の長野方面を主とした旅においても、主によって守られ、大雨が降り続く日もありましたが交通も守られて、み言葉の力、その真理の一端をも語ることが許されたこと、それは徳島の集会の方々、そして訪問地の方々の絶えざる祈りのおかげだと感じています。今回も、神の言葉を語るための旅であったので、主が不十分なところを補い、参加者一人一人を覚えて下さって、集会に加わった方々に今後ともみ言葉が深くとどまり、そのみ言葉の力がそれぞれの方々に生きてはたらきますようにと願っています。