平和について

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2006/12


平和はだれしも望むところである。平和という言葉でまず連想するのは、戦争がないこと、である。(*iいのちの水総合検索ページ・トップ

*)トルストイの大著にも「戦争と平和」というのがある。国語辞典にも平和とは、「戦争がなく穏やかなこと」。(学研国語辞典)、広辞苑では、「やすらかにやわらぐこと」、「戦争がなくて世が安穏であること。」。平和憲法というときも、同様で、戦争をしない精神を持つ憲法ということである。

戦争によっておびただしい人命が失われ、傷つき、また自然も破壊される。ベトナム戦争の時のように、大量の枯葉剤が使われたり、劣化ウラン弾など放射性物質などが使われることもあり、そのような場合には、戦争が終わったあとも、長期にわたる苦しみを戦場となった地域の人たちに与え続けることになる。
それゆえ、戦争を好む人はだれもいないはずである。自分の家や家族が好んでそのような戦争に巻き込まれたい、などという人はまずだれもいないだろう。
にもかかわらず、戦争は古代から数知れず生じている。民族間、国家間といった広範囲の戦争はどのような民族においても生じてきたと考えられる。
古代ギリシャの特に重要な作品はホメロスのイリアスであるが、これも戦争の文学である。
それに対して、平和ということはどのように考えられてきたのであろうか。そのことについて聖書の記述を見てみたい。
まず、創世記においては、例えば新共同訳では、創世記からレビ記まで、一度も平和という訳語は使われていない。つぎの民数記でようやく一度あらわれる。
平和という言葉の原語(ヘブル語)は、シャーロームである。このシャーロームという原語自体は、創世記でも十五回ほど使われている。しかし、それらは、「安らかに先祖のもとに行く(死ぬこと)」とか、「彼らは安らかに去って行った」「彼らは、元気(無事)か」といったように、社会的平和といった意味では用いられていないのである。
このように、旧約聖書においてはその最初の重要なモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)にも、一度も社会的平和、戦争のない平和といった意味では出てこない。
その後の、ヨシュア記、士師記、サムエル記に至る書物においてもほとんどみられない。
わずかに、以下のような箇所があるだけである。

・イスラエルとアモリ人との間は平和であった。(サムエル記上七・14
・ヨアブは彼らを殺し、平和なときに戦いの血を流し、腰の帯と足の靴に戦いの血をつけた。(列王記上二・5
・ソロモンはティフサからガザに至るユーフラテス西方の全域とユーフラテス西方の王侯をすべて支配下に置き、国境はどこを見回しても平和であった。(列王記上 五・4
・見よ、あなたに子が生まれる。その子は安らぎの人である。わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える。それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる。わたしは、この子が生きている間、イスラエルに平和と静けさを与える。(歴代誌上二二・9

新共同訳の訳語として、「平和」というのが使われていても、それは、ほかの訳で、「元気に、穏やかに」と訳されているような場合であり、社会的な平和を指してはいない。
例えば「アブネルは平和のうちに出発した。」(サムエル記下三・21)というのは、口語訳、新改訳では「アブネルは安心して出発した」というようになっている。
このように、旧約聖書では全体として見るとき、現在私たちが絶えず目にするような社会的な平和という言葉はわずかしかない。
戦争とは何が原因で生じるか、それは権力や物に関する欲望が背後にある。それゆえ、聖書は戦争の根源にあるものに最初から集中しているのである。
そして、シャーローム(*)という言葉そのものも、戦争がない、何も混乱がない、といった否定的な表現を持っているのでなく、そのもとにあるヘブル語の動詞、「シャーレーム」とか、「シャーラム」という語は、「完成する、満たす、全うする」というように訳されていることからもわかるように、戦争がない状態というのは、そうした完成された状態からおのずから生じる状態だと言える。

*)シャーローム shalom というヘブル語は、旧約聖書では267回用いられている。また、その動詞形である、シャーラム shalam は、「完成する、満たす」という意味を持っていて、これは236回用いられている。
「完成する」という本来の意味では、「こうしてソロモンの神殿は完成した。」(列王記上925)のように用いられ、「満ちる」という意味では、例えば「アモリ人の罪はまだ満ちていなかった。」(創世記1516
シャーラムという動詞は、口語訳聖書では次のような言葉に訳されている。
→「完成する」、「終わる」、「栄える」、「平和を得る」、「償う」、「果たす」
また、ヘブル語の辞書(米英のもの)には、シャーロームには、次のような訳語をあてている。 completeness, soundness, welfare, peace
日本語訳聖書(口語訳)では、次のような訳語をあてている。
「平和」、「平安」、「安心」、「安全」、「穏やか」その他の訳語は、「親しい、繁栄、善、真理、幸福、好意…」等々の言葉があてられている。この日本語の訳語には、原語の本来の意味である、「完成する」というニュアンスが感じられない。


聖書は、「まず国家や民族同士の戦争のない平和な状態を求めよ」というようには記していない。それは、そのようなことは、人間の力によっては実現されないからである。人間が求めるべきこと、そして地上の人間に与えられることは、一人一人がまず神の国と神の義を求めていくことなのである。そして、真剣に求めるものには必ず与えられると約束されている。
創世記からはじまる旧約聖書のはじめの方に置かれている内容、それは現在の日本語訳聖書では五百頁ほどにもなるが、そこで一貫して言われているのは、国々の戦争を止めよ、ということでなく、神の言葉に聴き従うということである。
闇と混沌、混乱のただなかに、神が「光あれ!」と言われたことが聖書の最初に書いてあるが、これが平和についてもその根源的真理を深くついたものとなっている。
どんなに闇が深くとも、神が「光あれ! 」と言われるなら、そこに光が存在し、秩序が生れていく。それはまさしく本当の平和への道が暗示されていると言えよう。
闇と混乱とは、そのまま人間の心の深いところでの状態であり、その闇や混乱から戦争へとつながっているのであるから、そこに光が臨むことによって真の平和がもたらされる。
その意味で、真の平和への道はすでに創世記から記されているのである。
この究極的な平和への道は、人間の努力とか計画、会議、あるいは武力などによってはなされない。ただ、神が時至って、「光あれ!」と言われたとき、神の御手が働いたときに、いかなる闇であってもそこに光が及ぶ、ということなのである。
そしてそれによって、混沌から秩序へと向かうことが創世記第一章では示されている。
戦争とは、大量殺人、強盗、欺き、破壊、暴行などありとあらゆる悪がそこから生じる。それはまさに闇とその果てしない深み、そして混沌とした状況である。しかし、そこに光が与えられることにより、闇の力は退き、混沌は、秩序となっていく。これこそは、神に由来する平和である。
創世記にはもう一つの天地創造に関わる啓示が記されている。それは、第二章である。そこでは、最初にあったのは、渇ききった状況であり、草木もまったくなかった。それはこの地方のあちこちに広がる砂漠地帯の状況を反映している。
このように、創世記の第一章〜二章にかけて、人間の最も困難な状況は、闇と混乱、あるいは水がない渇ききった状況ということで描写されていると見ることができる。
そして闇と混乱のただなかに光あれという神の言葉によって光が生じたように、第二章では、砂漠の状況のただなかに水が地下から湧き出て、潤すようになったと記されている。その水は、エデンにその源があり、エデンに造られた園を潤し、さらに、四つの川となって世界を潤していった。(*

*)四という数は、全世界を象徴するものであり、四つの川が流れていくということは、世界中を潤すという意味がこめられている。

憎み争う心、復讐やねたみといった心はうるおいがない。人間が闘争的になるのは、渇いているからである。深いところで満たされないからである。こうした渇きこそが、人間同士の争いの根源となる。もし、私たちが、魂の深いところで神からのいのちの水によって満たされ、潤されているなら、他人からの攻撃や不正を受けても、打撃を受けず、それを静かな心をもって受けとることができるだろう。
このように、深い闇の心、そして渇ききった心こそは、戦争の根源であるといえるが、その二つの究極的な解決の道があることを、聖書はその巻頭にはっきりと示しているのである。
そしてそれははるか後になって、キリストが現れるときまで、地下深くに流れる水のように時折表面に現れるものの、大多数の人間にはなかなか気付かれないものとなった。

神による平和への究極的な道を人間は拒み、神に聴き従うことをせずに歩んできた。そのことは聖書にもはっきりと記されている。それが、最初の家庭の状況である。 アベルとカインは、アダムとエバの間に生れた、初めての兄弟であったのに、カインはアベルを殺してしまった。兄弟の命を奪うという悲劇は、これから歩む人類がいかに神の光とあふれる水を無視していくかの象徴として記されている。それは、憎しみやねたみ、あるいは欲望のゆえに、武力、暴力によって相手を打ち負かすことであり、それが肥大したのが部族や国家の間の戦争なのである。

その後、ノアの記事によって記されているのは、「地上に悪が増して、常に悪いことばかりを心に思い計っている」ということであった。
こうして平和の道は閉ざされ、多くの人間が裁かれ滅んでいく。しかし、神の光を仰いで信仰によって生きたノアからは、その信仰を受け継ぐ人達がつづき、聖書の記述はアブラハムへとつながっていく。
そして神は、カナンという特定の地を選んで、そこへとくに選んだ人間、アブラハムを導くことによって、神に導かれる人間の生き方を後の人類に指し示したのである。アブラハムはもともとは、今のイラク地方にいたと考えられる。そこで、最初にカナンへ行くようにとの示しを受け、さらに、そのカナンへの旅の途中にあるユーフラテス川の上流へとさかのぼったところにあるハランという所まで来てはっきりと神の祝福と導きの言葉を聞き取った。このアブラハムに語りかけられた神の言葉、そしてそのみ言葉に従って祖国や慣れ親しんだ人達、総じて古いものを離れて、神の示すところへと歩んでいくこと、それは、あらゆる人間の地上での歩みのあるべき姿を指し示すものとなった。

アブラハムは、自分自身も神による豊かな祝福を受けるが、アブラハム自身は他者の祝福の基にもなると約束されている。神からの祝福を豊かに受けることこそ、本来、シャーロームという言葉が内に持っている内容である。シャーロームとは、すでに述べたように、「完成された状態、満ち足りた状態」を表す言葉だからである。人間が完成された状態になる、それは自分の努力や生まれつきの才能でなく、神からの祝福を受けることによってである。
アブラハムが受けた祝福は、その子孫に及んでいく。
子孫は飢饉のためにエジプトにわたってそこで大いなる民族となるほどに増えていった。しかしそこでの四百年にわたる奴隷の苦しみからの解放はモーセによって行なわれることになった。
何一つ武器を持たず、兵力を持たずにモーセはただ神の力、神の祝福と導きだけを信じてエジプトへと向かった。当時の最大の帝国に向かってその圧倒的な力と戦うのに、素手で立ち向かったのである。
ここに、武力によらずに大いなることがなされるということがはやくも示されているのである。この世の巨大な力と戦うために、武器、そしてそれを使う人間の数が多いほどよいというのが、普通の考え方である。しかし、聖書においては、真の戦いは、そのような人間の数や武器によるのでなく、神への信仰によって、神ご自身が戦われるということが繰り返し現れる。
実際、モーセはエジプトの権力や武力などを前にして、ただ信仰のみによって近づいていった。そしてその信仰によって不思議なわざが行なわれ、ついにモーセは何一つ武器を使うことなく、この世の最強の権力や武力に勝利して民が解放されることになったのである。
これは、はるか古代の単なる物語ではない。この基本的な信仰的姿勢こそ、永遠なのであり、現代まで無数の真剣なキリスト者たちがその道を歩んできたのである。
さらに、モーセが、アマレクという民族と戦ったとき、モーセは神の杖を手に持って、丘の頂上に立った。そこで、彼が手を上げている間は、優勢になり、手を下ろすと敵が優勢になったとある。(出エジプト記十七・11
この記事も戦いに勝利するのは、武器や兵士の数ではなく、神への信頼と祈りであることが暗示されている。神の民が勝利するのは、神の力によってなのである。
また、ヨシュア記においては、エリコに初めて攻撃するときに、神は、あらかじめその町をモーセたちに渡すと約束した上で、七人の祭司が七日間、神の箱を前にしてエリコの町の城壁のまわりを回ること、その七日目は、町を七周回ることなどが命じられた。町はこの城壁に囲まれているので、この城壁を崩すことは最大の戦いなのであった。その城壁を崩すのに武力とか人間の数でなく、ただ神の言葉を納めた、神の箱を七人の祭司に先導させて町を回るという、驚くべき仕方を命じられたのである。そして、その言葉に従ったとき、エリコの町の城壁は神の力によって崩された。
ここにも、本当の戦いは、神の力による、ということが素朴な形で表されている。
それから後の時代になって、まだ王が現れていない頃、ギデオンという人が特に神から召されて、指導者となった。彼は、ミデアン人たちと戦うために呼びだされたのであったが、いざ戦いがはじまろうとするとき、神はとくにギデオンに言われたのである。
…あなたの率いる民は多すぎる。そのままでもし戦いに勝利すれば彼らは自分の手で勝利したと考えて高ぶるであろう。それゆえ、兵士たちの数を減らせといわれたのである。そしてもともと集まっていた兵士たちの百分の一という少ない数に減らした上で、戦うように命じられた。神は、ギデオンに、「私があなた方を救うのだ」と繰り返し約束された。そしてその少数の兵士たちによって、たしかに神は勝利を与えられたのである。
ここにも、武器、兵士たちの数や策略によって勝利するのでなく、神の力によることが示されている。
また、ダビデはイスラエルの歴史では最大の働きをした王であったが、彼もその王位を獲得したのは、まったく自分の武力とか部下を統率する能力などではなかった。彼が仕えたサウル王は、ダビデが並外れた勇者であり、多くの敵に次々と勝利していくのを目の当たりにして、ダビデに強い憎しみを持つようになった。そして繰り返しダビデを攻撃し、殺そうとする。しかしそのようないかなるサウルの悪意ある攻撃にもかかわらず、ダビデは一切武力で対抗しようとはしなかった。ただ、神にゆだねて自分は殺されることすらも覚悟して、荒れ地をさまよった。あるときには、敵地へと入り込み、気の狂った真似をして、敵の警戒心を失わせ、それによってサウル王からの迫害を逃れたことすらもあった。
そうして長い忍耐と苦しみの生活は、ついにダビデが何一つ武器や人間を用いて攻撃することもなく、敵対するペリシテの軍によってサウル王は殺害され、その王子も死んでいく。
そしてダビデは、ただ神に頼り、神に叫ぶのみであったにもかかわらず、サウル王の長い執念深い攻撃から逃れて、ダビデが新しい王となったのである。
ここにも、武力によって敵を滅ぼそうとするのでなく、神への信仰によって待ち望むという姿勢がはっきりと示されている。
旧約聖書においては、戦いを神ご自身が命じられているところも、モーセからダビデに至る記述の中にしばしば見られるし、敵を滅ぼし尽くせ、といった命令もあり、私も数十年前に初めて聖書を通読していったときにも、驚かされたものである。 このような記述があるゆえに、旧約聖書は聖戦を神が命じている、ということだけが取り上げられ、一般的にもそのような内容だけだと思われている傾向がある。
しかし、一方では、すでに見てきたように、そのような聖戦の記述とともに、武力によらない神の力による霊的な戦いが示されており、モーセの時代、すなわちキリスト以前千数百年も昔から、すでに神ご自身が戦うゆえに、ただ信頼をしていることの重要性が記されているのであって、それは、聖書を一貫して流れる川のようなものである。
この流れが、ダビデより数百年あとの預言者にも流れ込み、イザヤ書やミカ書という預言書につぎのように記されている。

終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書二・25

このように、かつて創世記で預言的に記されていたこと、エデンから一つの川が流れ出て、園をうるおし、さらに全世界をうるおす流れとなっていくということ、その流れに浸された人々は、世界の各地からエルサレムに向かうという。エルサレム、それはそこに神の言葉があり、神がおられるところだとされていた。
要するに、世の終わりには世界の民が神の言葉へと、神へと集められてくる大いなる流れがあり、そこに身を浸す者たちは、もはや武器をとらず、戦争によって互いに殺し合うということを廃し、主の光の内を歩むようになるというのである。
神の言葉が中心になって、そこに向かう大いなる流れが生じるという。
この大きな流れは、形を変えながらも現在も見られるのであって、一部の人たちには、特にその啓示がはっきりと示され、歴史のなかにも刻まれている。それは、例えば、クェーカーやトルストイ、ガンジー、マルチン・ルーサー・キング、そして無教会の内村鑑三などに啓示され、現実の世界のなかで、武器をとらず、もはや戦うことを学ばないで、主の光の内に歩んだのであった。
そのうち、クェーカー(*)のキリスト者たちにおいては、新約聖書の非暴力による戦いを支持する箇所(**)を根拠としているが、それとともに、抵抗することなしに、十字架の道を歩まれたキリストの模範と、キリストを信じる人に同じように歩むことを指し示す新約聖書の精神全体が、この平和主義の根底をなしている。
彼らは、周囲の状況や意見などよりも、新約聖書そのもの、キリストご自身を単純率直に受け入れたのである。
真理は、つねにキリストにあり、キリストからの啓示を書き綴ったのが新約聖書であるから、彼らの主張は単に一つの教派の主張というのでなく、キリストご自身、新約聖書それ自体に根ざしている。それゆえにその平和主義の主張は、迫害に遭っても消滅することはなかった。

*)クエーカー(Quaker)は、キリスト教の教派の一つであるキリスト友会(-ゆうかい、Religious Society of Friends)に対する一般的な呼称。この派の創始者は、ジョージ・フオックス(一六二四〜一六九一)。クエーカーというのは、神の言葉(キリスト、聖霊)によってふるえる(quake)ほどの感動をしたからと言われている。会員自身はこの言葉を使わずに、主イエスが、「あなた方を友と呼んだ」と言われたことから、友会徒(Friends)という呼称を用いている。
**)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ(マタイ五・44) 、「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ二六・52)他。


彼らの考え方をさらに引用しておく。

… 友会徒(クェーカーのキリスト者)は、平和の世界をもたらす唯一の方法は、たとえそれが危険をはらんでいてもそれを恐れず、今、ここで始めることだ、と信じている。
ホーグという一人の友会徒が、その平和の原理を説いたとき、聞いていた人が、「もし、世界があなたのような心がけだったなら、私はその考えに従おう」と言った。そのとき、ホーグは「それなら、あなたは一番最後によい人になろうと考えているのです。私はいち早くよき人になって、他の人に模範を示したいのです。」と言ったという。

大きな問題を照らす光は、まず、はじめに、自分の確信に従って生きようとする個々の真実な人々の中に起こって、そこから徐々に広まっていくということは、無限の英知のお方である神の御旨なのだと思われる。(*)(ハワード・ブリントン著 「クェーカー三百年史」212P213より)

*It seems to be the will of Him who is infinite in wisdom that light upon great subjects should first arise and be gradually spread though the faithfulness of individuals in acting up to their own convictions. Howard H. Brinton Friends for 300 years162p

真理は、まず一人の中に示され、さらに、そうした一人一人の、真実さ、ーそれは神、主イエスと結びついて与えられるものであるがーそれによって波のように広がって伝わっていく。これは、主イエスが、パン種のたとえで言われたことを思い起こさせる。

… イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
…天の国はパン種に似ている。女がこれを取って粉に混ぜると、やがて全体が膨れていく。(マタイ福音書十三・3133

たしかにこの真理のパン種、あるいはからし種のような小さな、目に見えない真理は、まずキリストのうちに明確に宿り、それをはじめは理解できなかった弟子たちのうちにも伝わり、さらに次々と厳しい迫害と苦しみを受けるなかにおいても、広がっていった。そして、その流れは、このクェーカーのキリスト者たちにも及んでいったのがこのような記述を見てもうかがえるのである。
そしてこの真理は、歴史の中では目立たないようになることもあるが、神の定めたときに再び歴史の前面に現れてその流れを世界に知らせることがしばしば生じる。クェーカーのキリスト者たちが命がけで主張し、その真理を生きた非暴力ということは、意外なところへと伝わっていった。それはロシアのトルストイである。
トルストイは、一八八四年に書いた「わが信仰はどこにあるか」という著書のなかで、次のように述べている。

… 私は五十五年間、この世に生きてきた。そして幼年期を除いては、…一切の信仰を失ったという意味での、ニヒリスト(*)として生きてきた。
五年前、私はキリストの教えを信じるようになり、私の生活は突如として一変した。…
十字架にかけられた盗人がキリストを信じて救われた。…私もちょうどこの十字架上の盗人のように、キリストの教えを信じて、救われたのだ。…
私にとって一切の鍵であったのは、マタイ福音書五章39節の「目には目、歯には歯をと言われている。しかし、私はあなた方に言う。悪しき者に手向かうな」という箇所であった。
私はいきなり、しかも一度でこの一節をじかに、素直に理解できた。…この言葉は、突如として私には、まるで今までついぞ読んだこともなかったような、全く新しいものに思われてきた。…
キリストは決して頬を差し出せ、苦しみを受けよ、と言っているのではなく、「悪もしくは悪しき者に逆らうな」、と言っているのである。この言葉こそ、私にとっては、一切を啓示してくれた真の鍵であった。これらの言葉を素直に理解しただけで、キリストのすべての教えの中で、もやもやしていたことがことごとく理解しやすくなったのである。…
幼少のときから私は教えられたーキリストは神であり、その教えは聖なるものであると。しかし、同時にまた、悪しき者には抵抗すべしと教えられ、悪しき者に対して忍耐するのは恥ずべきことと吹き込まれた。戦うことも、すなわち、殺人によって悪しき者に反抗することも教えられた。…
しかし、悪への無抵抗ということこそは、人間の共同生活の基礎たるべきものであり…
キリストは、言う、「あなた方は、法律が悪を矯正するものと思っているがーそれはただ、悪を増大させるだけである。悪を根絶する道は、ただ一つ、一切の差別なしに、万人に対し、悪に報いるに善をもってすることである…。」と。
…悪に対する無抵抗というキリストの教えは、私がそれまで全く知らなかったもの、全く新たなものとして私の前に立ち現れたのである。(「わが信仰はどこにあるか」トルストイ全集第十五巻634Pより)

*)真理・価値・権威、制度、超越的なものの実在などをすべて否定する考え方。

この文章は、いかにトルストイが福音書の主イエスの言葉のうち、とくに「悪人に手向かうな、敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉から、革命的な変化を受けたかを情熱的に表している。
彼は、十字架による罪の赦しということは十分な啓示を受けなかったとみられるが、この悪への無抵抗ということについては、当時の多くのキリスト教の指導者以上に、特別な啓示の光を受けたのがこうした著作ではっきりと示されている。
神は、とくにご自分のご意志をはっきりと人間に示すときに、特別にその目的に合った人を選び取る。トルストイはこの悪への無抵抗ということに対する、神の特別な選びの器であったと言えよう。
その著作から、七年ほど経って書き始められたのが、「神の国はあなた方の内にあり」という著作である。この書の冒頭に、次のようにある。

…私の著書に対する最初の反響の一つは、アメリカのクェーカー派からの手紙であった。クェーカーは、これらの手紙の中で、キリスト教徒においては、あらゆる暴力や戦争をしてはならないという、私の主張に対して共感を表しつつ、二百年以上も事実上、暴力をもって悪に抵抗するな、というキリストの教えを信じ、過去においても、現在においても、自分を守るために武器を用いたことがないという自分たちの派の方針の詳細を私に知らせてきた。…(「トルストイ全集第十五巻158頁より」)

このように、トルストイの前述の著作にいち早く反応し、その共感を示したのがクェーカーであった。
そして、さらにトルストイは、ロシアにおいて生れたキリスト教の一つの教派で、徹底して非暴力を主張した人たちが、迫害され、千人あまりも処刑され、さらに彼らは、国外追放されることになったことに強い関心を示した。彼が、最後に書いた大作、「復活」は、このドゥホボール教徒二万人以上をロシアからカナダに移住させる費用を生み出すために書かれたほどであった。トルストイは、五十七歳のときに、著作物に対する印税を受けとらないという決断をしたが、それをあえて破って印税を受け取り、それを彼らの移住資金にあてたのである。
このような、全く芸術とは無関係の、社会的な援助という動機で書かれた世界的な名著というのは、古今を通じてこのトルストイの「復活」しかないであろう。そうした目的での著作であったにもかかわらず、この作品は、高い評価を受けることになった。(*

*)ロマン・ロランは、次のように評したという。
「…『復活』は、ある意味でトルストイの芸術的聖書である。それは最後の華であって、恐らくは最高峰であり、その見えざる山嶺は、雲の中に没している。」
また、ロシアの思想家クロポトキンは次のように評した。「七十歳にも達したこの作者が、この小説において示した力と若々しさに接して、単に、驚嘆すべきものがあると言っただけでは言い足りない。もし、トルストイが『復活』以外に何も書かなかったとしても、なおかつ,彼は大作家の一人として認められたであろうと思われるほどに、この作品の絶対的な芸術性は高いものである。」(世界文学全集第二八巻「復活」 一九二七年 新潮社刊 より」)


こうして、全身全霊をあげてというべき、驚くべき情熱をもって、トルストイはキリストの無抵抗のあり方を主張し、擁護し、そのために、新たな大作を生み出したのである。彼の著作はロシアでは次々と発行禁止となっていったが、そうした弾圧にもかかわらず、次々と写本などによって広がり、国外にも知られるようになった。トルストイが広く世界的に知られるようになったのは、「戦争と平和」とか、「アンナ・カレーニナ」といった大作によってより、まず、こうしたキリスト教に関する著作によってであったという。
内村鑑三もトルストイの持つ深い意味を、とくに彼の非戦の立場からも特別な共感をもっていたのは次のような言葉からうかがえる。

トルストイ一人は、ロシアの一億三千万の民よりも大である。キリスト一人は世界十三億の人よりも大である。米のルーズベルトとイギリスのチャムバレーンとが戦争の利益を説いても、我々は彼らに聴く必要はない。全世界の新聞記者は筆を揃えて戦争に賛成をしても我らは彼らに従う必要はない。われらはただ主イエスキリストの言に聴けば足る。世がこぞって戦争を讃美するときに、われらは天よりお降りになった神の子の声に聴いて、我らの心を静めるべきなのである。(「聖書之研究」一九〇四年九月)

今の世界に二大偉人がいる。その一人はロシアのトルストイであり、他の一人は米国のカーネギーである。前者は終生、非戦を主張し、後者は廃戦を生涯の業としている。この二人に比べるならば、法王は光を失う。もしキリストの弟子であるにもかかわらず、戦争を認めるというのなら、その者はどんな罪悪をも認めることになる。…今のいわゆるキリスト教の指導者たちは戦争を認めて、軍旗を祝福して恥じるところがない。 ここにあげた二人のような人物は、誠に人類の現在の王と称することができよう。(同一九〇九年 九月)

トルストイ翁逝く。…彼の存在によって日露戦争に破れたロシアはなお、世界に重要な位置を占めることができた。彼のような者がいない日本は、戦争に勝利したといえども、なお戦いに勝ちし日本になお劣った点を感じさせる。そして、今やこの人は逝(い)った。
トルストイが忌み嫌ったものが二つあった。その一は戦争であり、もう一つは教会であった。かれは戦争を嫌ったゆえに戦争を助けた教会を嫌ったのである。ロシア正教会はかれを破門した。…
ロシア正教会はトルストイを破門したが、神はその正教会を破門されたのである。(一九一〇年一二月)

このように、内村鑑三は、周囲のあらゆる政治的、宗教的な圧力にもかかわらず、非戦を貫いたトルストイの姿に深く共感しているのがわかる。最後に引用したのは、トルストイが死去したのが、その年の十一月二十日であったから、ただちに内村はこの文章を書いたのがうかがえるし、そこに彼のトルストイへの強い関心が現されている。
このトルストイの著作に強い影響を受け、世界的に大きな影響を与えたのが、インドのガンジーであった。
彼は若いとき、アフリカにいるときに、ひどい人種差別を受け、その撤廃のために非暴力の方法によってそのような差別的法律に反対する運動を始めた。ガンジーは、イギリスで学んだときにキリスト教に触れていたが、その後も南アフリカで、クェーカーのキリスト者たちとも強いつながりを保った。差別に非暴力の手段で抵抗するうちに多くの人たちが逮捕され、その家族を支えるための場としてつくられた施設が、「トルストイ農場」と名付けられたことをみてもトルストイの影響の大きいことがうかがわれる。
彼は、次のように言っている。

…新約聖書からは、(旧約聖書とは)全く違った印象を受けた。とくに山上の垂訓(マタイ福音書五章〜七章)は、私の心に直接に通じるものがあった。…「しかし、私はあなた方に言う、悪しき者に逆らうな。もし人があなたの右の頬を打つなら、左をも向けよ。」という一節は私の心をこよなく喜ばせた。このような態度は、宗教の最高のあり方として、非常に強く私の心に訴えるものがあった。…
トルストイの著作「神の国は汝らの内にあり」は、私をとりわけ惹きつけた。それは私に永久的な印象を残した。」(「ガンジー」89頁、131頁 スタンレー・ジョーンズ著 一九五五年刊)

ガンジー自身は、ヒンズー教徒であると言っているが、このように彼の生涯を決定的にした非暴力による戦い、ということは新約聖書のキリストの教えと、それを情熱的に説いたトルストイの影響が最も大きく働いたのであった。
彼は、非暴力の教えを、インドの書物からも学んだが、こう言っている。
「その教えー悪に対するに善をもってなすーが、私の指導的原理となった。私はそれに強い熱情を感じた。…私の心の中にしっかりとこれを結びつけたのは、新約聖書である。」(同右 )
また、ガンジーに最大の影響を与えた書物、または人物は誰か、との問いに答えて、
「書物では聖書、人物では、ラスキン、及びトルストイ」と答え、後年になってインドの古い書物であるギータを付け加えたという。
そして彼が終生の住み家とした小屋のような家には、電気もなく、小さな机、書棚があり、そこには、インドの古い書物ギータと共に、ヨハネ福音書が置かれ、文鎮には、「神は愛なり」という、ヨハネの手紙にある言葉が刻まれていた。また、壁の一方には、キリストの絵がかけられていた。
(「ガンジー」カルヴィン・カイトル著 二二四頁 一九八三年刊)

このようにして、キリストの非暴力による戦いの精神は受け継がれ、さらにこのことは、アメリカの黒人の差別撤廃運動に決定的な足跡を残した、マルチン・ルーサー・キングにつながっていく。キング牧師は、ガンジーの影響を強く受けたことを繰り返し述べている。
こうした大きな流れ、もとをたどっていくと、結局はキリストにその源がある。そのキリストに二千年を超えたそのような現実的な力を及ぼすのは、「悪人に手向かうな。敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言われた主イエスの教えが、単なる教えでなく、背後に神の力と権威があるからである。大地の下を地下水が流れているように、この世界の奥深いところに神の真理がその力とともに流れているからである。
主イエスが、「天地は滅びる。しかし、私の言葉は滅びることがない。」と確言された通りである。
アメリカはキング牧師の働きを国家的重要性を持つものとし、永久的に記憶に残すべきとして、彼の誕生日(一月十五日)を記念して、一月の第三月曜日を国家の祝日にしている。誕生日が祝日になっているのは、他にはワシントンとリンカーンだけだから、アメリカの歴史で特に重要な位置づけがなされているのである。
キング牧師は、その短い生涯の終りに近い頃、はっきりと平和への道を聖書にあるように、啓示されていた。

…今日も、そして明日も困難に直面するとしても、私にはなお夢がある。それはアメリカの夢に深く根ざした夢なのだ。
つまり、いつの日か、この国が立ち上がり、
「我らは、これらの真理を自明のものとして承認する。すなわちすべての人間は平等に造られている」(独立宣言の一句)というこの国の信条の持つ真の意味を生きるようになるという夢なのだ。 …
私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。

So even though we faces the difficulties of today and tomorrow,
I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed. "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
I have a dream that one day out in the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood. I have a dream !

…ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか!
すべての山々から、自由の鐘を鳴らそうではないか!
そして、私たちが自由の鐘を鳴らす時、
私たちがアメリカの全ての村、すべての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴らすその時、
全ての神の子、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、
皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。
「自由だ!ついに自由だ!全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由になったのだ!」と。

Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi and every mountainside.

When we let freedom ring, when we let it ring from every tenement and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old spiritual,

"Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last."

このキング牧師の演説には、彼が、すでに引用した、旧約聖書の次の箇所と相通じるものがある。

終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」(イザヤ書二章より)

キング牧師のあの数々の危険に直面してもあくまで、キリストの精神に従って非暴力の抵抗を示したその背後には、このように、神からの啓示を受けていたという事実がある。啓示は単に未来のことを知らされるということに終わるのでない。それは、力を伴うのである。
このように、聖書の表現では、啓示を受けた、ということを、キング牧師は、より一般的にわかりやすい言葉、「夢がある」という表現を用いた。旧約聖書では、しばしば、「幻」と訳されているが、これは適切な訳語ではない。原語としては、ハーゾーンが、主として用いられていて、ハーザーという「見る」という動詞の名詞形であって、英語訳聖書では、vision と訳されている。これは、日本語の「幻」という語は、「実際にはないものが、あるように見える」 のであるが、聖書に言う預言者が見ることを許された「幻」はそのようなものではない。
例えばイザヤ書の冒頭に、「イザヤの見た幻(ハーゾーン)」とある。これは、イザヤが霊的に引き上げられて、普通の人には見えないものが、見えるようにされたのである。これは霊的な現実のことを、ベールをとって見させていただいた、ということなのである。
キング牧師は、一九六八年四月三日、暗殺される前夜におどろくべき演説を行なっている。

…私自身、自分の身の上に何が起こるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。しかし、私はそんなことはもう気にならない。
私はすでに山の頂きに登ってきたからだ。…今はただ神の意志を現したいという気持ちでいっぱいだ。神は私を山の頂きまで登らせて下さった。その頂きから約束の地が見えた。 …分かって欲しいのは、私たちは一つの民として約束の地に行くのだということだ。だから今私は喜んでいる。私はどのようなことにも心は騒がない。
主が栄光の姿で目の前に現れるのをこの目で見ているのだから。

この生涯で最後の演説は、差別と悪に満ちた現実と、神の究極的な喜ばしい世界とが重なり合った緊張ある内容となっている。暴風雨警報の出ている中、立錐の余地もない一万一千人の人たちを前に、準備する時間もなく、原稿も用意することなく、彼は演説に臨んだ。そして霊に導かれるままに語ったのであった。
彼は、「すでに山頂に登ってきた」といった。これはモーセが、約束の地を前にしてヨルダン川の東の山の頂きからその場所を見つめたという聖書の記述が背景にある。しかしそれにとどまらず、預言者たちが霊によって引き上げられたということと同じであって、彼の魂の目は、はっきりと神の約束の地、そして世の終わりのときに、すべての差別もなくなって、真理のもとに流れてくる、という預言者イザヤと同様の啓示を受けていたのであった。
この神の国を目指す流れが歴史の中においても確固として存在し、それは多くの名も知られない人々の心の中を流れ、適切なときにすでに述べたような特別な証し人が起こされてきた。
旧約聖書において、イザヤ書やミカ書以外にも、詩篇においてもこうした最終的な平和が預言として記されている。

「地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き矢を折り、盾を焼き払われる。力を捨てよ、知れ、わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」(詩編46910

しかし、それが地上において現実になるためには互いに憎み合い、攻撃しあうような本性そのものが打ち砕かれねばならなかった。その目的のために、人々の罪を担って、自らの命を捨てるようなお方が現れることが預言された。このような人間が現れることが、不可欠であるのを、イザヤ書五十三章は述べている。

彼は軽蔑され、人々に見捨てられた…
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
…わたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
屠り場に引かれる小羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。…
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。(イザヤ書五三章より)

こうして真の平和のためには、特別なお方の犠牲による死があるのだということが預言され、ずっと後になって、たしかにキリストが現れ、この預言通りに生きられたのであった。
イザヤ書で預言され、キリストにおいて完全に実現された平和への道、それは、他者の罪を担うために、自ら命を捨てるというキリストの犠牲によって成就された。
さらに、イザヤ書には、最終的な平和ということも記されている。それは、世の終わりを見つめてのことである。
それは新しい天と地という言葉で表現されている。

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。(イザヤ書六五・1718

わたしの造る新しい天と新しい地が
わたしの前に永く続くように
あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと
主は言われる。(イザヤ書六六・22

しかし、このイザヤ書の箇所とその前後を読むと、「新しい天と地」は、まだイスラエル民族や彼らの信仰の中心であったエルサレムのことと結びつけられて記されている。しかし、この箇所は、将来の全世界、さらに宇宙に生じる最終的な状況を預言するものとなった。
このことは、主イエスが次のように言われたことと深くつながっている。

…その苦難の日々の後、たちまち
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子の徴が天に現れる。(マタイ二四・2930より)

このように、すでにあるこの世界(宇宙)が過ぎ去るということが言われている。主イエス自身も、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(同35)と言われた。
この目に見える天地宇宙は滅びる、と言われる。しかし、滅びないものがある。ここでは、キリストの言葉である。キリストの言葉とは、神の言葉であり、神のご意志に他ならない。そしてその神の万能のご意志によって、世の終わりには新しい天と地が創造されるということが、聖書の最後の巻である黙示録に記されている。

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。 (黙示録二十一・1

これは、主イエスの言われた言葉、「太陽も月も暗くなり、星も光を失う」ということは、「天地が滅びる」ということであり、その上で、新しい天と新しい地が生じる、ということである。
ここに、聖書における平和の究極的な姿がある。今の人間や世界をどれほど改善しようとしても、人間の本性はよくならない。これは、戦後六〇年を振り返ってもわかる。教育は戦前よりはるかに普及し、物質的にも世界最高レベルといえるほどに豊かになっている。しかし、だからといって平和が来るのではない。
イザヤ書や黙示録で言われているように、この世の延長上に究極的な平和が人間の努力や会議などで来るのでなく、神の万能の力によって新しい天と新しい地がもたらされることによって来るのである。それは、キリストが来られてからは、キリストが再び来ることによってであると記されている。このように、世界の平和というのは、信仰によって啓示されるものなのである。
そのように、究極的な平和ということを指し示しつつ、この世に生きる人間にその平和の本質的なものを実感することができるような道を開いて下さった。それが次のよく知られた意味深い言葉である。

…わたしは、平和(平安)(*)をあなたがたに残し、わたしの平和(平安)を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心配するな。恐れるな。(ヨハネ十四・27

*)日本語の「平和」という言葉は、戦争がない状態ということを主として連想し、「平安」というと心の安らかな状態を意味する。平和憲法を、平安憲法などとは決して言わないし、平和会議、平和主義とは言っても、平安会議とか平安主義などとは言わないことからわかるように、この両者に意味の違いが明らかに存在する。
ヨハネ福音書のこの箇所についても、訳語によって、社会的平和、戦争のない状態を意味するように受け取ることになったり、平安と訳されると、精神的な安らぎを意味するようなニュアンスとなる。
しかし、原語ギリシャ語のエイレーネーの持っている意味は、そのさらにもとになっているヘブル語のシャーロームという言葉の意味が根底にある。


ここで約束されている「平和」とは、戦争のない状態を意味するのでなく、キリストの平安である。
この、主の平和を与えるという約束と、主イエスこそが闇に輝く光である、ということとは深くつながっている。神の光を受けるならば、私たちの魂は平和を与えられるからである。

…わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。…(ヨハネ福音書八・12

これは、この同じ福音書の最初にある次の言葉と響きあう言葉である。

…光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ一・5

光はいかなる闇にあっても、そこに注がれることができる。聖書の最初にある、果てしない闇が混沌と深淵を覆っていたがそのただなかに「光あれ」との神の一言によって光が生じたという箇所は、このキリストの存在によって完全なかたちで成就したのである。
平和への道、それは聖書の最初から、一貫して示され、いかなる時代の変革や状況にもかかわらずに続き、存在してきた。私たちはこの永遠の平和への大道を示されているのであって、私たちの真剣な求めによって、それは今後とも、消えることなく、はっきりと示され続けるであろう。
(2006年12月 大阪でのクリスマス講演をもとに加筆)


リストボタン憲法第九条の精神は変えることはできない

2007/5


憲法を変えようという人たちが増えている。しかし、その多くは、古いものは変えたらいい、といった単純な発想である。これは例えば、家でも、車や衣服など生活用品でも、古くなったら変えるのは当然だといったごく普通の常識的な思いと共通している。
このような考えが成り立たないのは、文学や哲学、宗教、音楽あるいは美術などの分野である。例えば、ギリシャ哲学のプラトンの書物に記された真理、ダンテやゲーテ、シェークスピア、トルストイなどの文学にこめられた内容、バッハやモーツァルトなどの芸術が持っている真理は古くなったから変えよう、などという人はいない。真理であればこそ、時代やその状況にかかわらず永遠的な内容を持っているのである。
最も影響力がある書物は聖書であることはこの二千年の間変わっていない。聖書の内容を変えようなどという試みは大きなうねりになったなどということは全くなかった。十九世紀にアメリカで生れた新興宗教であるモルモン教とかものみの塔、あるいは韓国で戦後につくられた統一協会なども、聖書の内容を変えようとか、聖書に似て全く異なるものを聖書に置き換えようとする宗教である。しかし、それらによっても聖書は変えられなかった。現在においても聖書の内容を変えて、それを新たな聖書としようなどとする人が生じても、それは結局ある期間内のまたある範囲の人々に留まるであろう。
このようなことを考えてもすぐに分かるように、古いから変えるべきだ、ということは間違っているのである。真理にかかわることは、古いものがかえって多く保持していることも多いのである。
憲法を変えようとする人たちは、現在の憲法の内容がさまざまの面で不要になったり、改正すべき間違いがある、というためでない。とくに第九条の第二項を変えようとすることが中心的な目標である。それをいわばあいまいにして、環境問題とか伝統、文化、愛国心の記述、成立の過程などを問題にしていかにも多くの改正せねばならないことがあるように言っている。
憲法を変えようという人たちがよく主張している、環境問題への重視などは現在の憲法のままで、いくらでも対応できるのである。
憲法を変えたほうがよいという人たちの多くは、とくに若者たちはどこが問題なのか、憲法を変えないとできないのか、現在の憲法のままで法律を新たに作ったら対応できるのではないかなどを考えないで、ただ、六十年も経ったからという漠然とした理由を言うのが多い。
そのことは、最近毎日新聞が行った調査でも表れている。改正賛成の理由は「時代に合っていない」四九%で「一度も改正されていないから」二八%という。この二つを合計すると、七七%になり、これは要するに、どこが古いのかよく分からないが、とにかく古い憲法だから新しいのがよい、といった単純な理由なのである。
このことに関して、今から五〇年余り以前に書かれた「日本の憲法」という本で、著者の末川博が、次のようにのべている。

「…憲法改正論者の本当にねらっているところは、戦争を放棄して戦力を保持しないということに関する第九条の規定を改廃しようとするところにあることは疑いないけれども、かれらは、この点をぼかしてなんとかカモフラージュしようとあせっていて、いろいろの添え物を付け加えるとともに、現在の憲法が出来た成立の過程を大げさに取り上げて、国民の関心を別の方向にそらそうとつとめていることを知り得るであろう。」(「日本の憲法」一二七頁 末川博著 一九五〇年)

戦後十年の頃であり、今から半世紀以上前に書かれたこの本で言っているように、憲法の特に第九条を変えて軍隊を持つ国家にしようというのは、この本の記述を見ても分かるように、戦後からずっと今日まで続いている議論なのである。
そして今の憲法を変えようとする動きにおいても、末川が言っているように、やはりじわじわと環境問題とか愛国心、文化と伝統を重んじるとか道徳心を重んじるといった内容を付け加えて何となく新しいよい憲法にするのだ、といった気分にさせてきた。
そうしたいわば助走の段階を経て、現在の首相になってから、なんとしてでも、九条を中心として憲法を変えるのだ、という本音を真正面から打ち出してきた。安倍首相は「時代にそぐわない条文で典型的なものは九条だ」としていて、改憲の中心が九条にあることを明言している。
それゆえに、戦後最も九条が危機に陥っていると言える。
しかし、九条の精神は古くなったり押しつけとかいったものでなく、真理そのものに根ざしている考えなのである。真理は人間が権力や武力で押しつけたりできない。また、排斥したり滅ぼすこともできない。真理そのものがある力をもって私たちに迫ってくるのである。
これは、例えばキリストは、時の指導者たちの考え方に合わないとして最大の侮辱と苦しみを与えられた末に殺されるに至った。しかし、彼が持っていた真理そのものは殺されるどころか、その後世界に広がっていった。
このことと同様に、憲法第九条の精神は真理に根ざしたものであるゆえに、いかに自民党や現在の首相が変えようとして、そしてもしも将来変えられることがあったとしても、その精神そのもの、その方向性は消し去ることはできないのである。
私たちが第一に考えるべきは、表面的な時代状況にまどわされて、時代に合っているかどうかを第一にするのでなく、時代を超えた真理に合致しているかどうかなのである。
いまから六十数年前の太平洋戦争の時など、平和主義を主張したりすれば、非国民とののしられ、逮捕されるほどの犯罪であった。
しかし、敗戦後は一転して日本の常識となった。こうしたことでも分かるように、時代状況に合わせるなどということは、真理に背いて大いなる誤りを犯してしまう危険性を持っている。
現在改憲論争の中心となっている憲法第九条が、どのようなところから流れてきた精神なのかをたどってみたい。
日本が敗戦となった一九四五年に作られたのが国連憲章である。その第二条の34項は次のような内容となっている。

3 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

このように、これは日本の敗戦の直前六月二六日にサンフランシスコで署名され、十月に効力が生じている。この内容は、日本の憲法の第一項と響きあう精神を持っている。
日本の憲法九条を次にあげる。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

この憲法第九条は、直接的には、第一次世界大戦後にパリで締結されたパリ不戦条約(*)に影響を受けていることがうかがえる。その文面を比較してみたい。

*)一九二八年八月二七日にアメリカ合衆国、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、日本など十五か国が署名し、その後、ソビエト連邦など六三か国が署名した。フランスのパリで締結されたためにパリ不戦条約と言われる。

第一条 締約国は国際紛争を解決するための戦争に訴えてはならないものとし、さらに国家が、その政策の手段としては、戦争を放棄することをそれぞれの国民の名によって厳粛に宣言する。

この条約の精神が憲法第九条にも流れ込んでいると分かる。
こうした平和に関する考え方はさらにさかのぼると、一七九一年のフランス憲法にも共通した内容が規定されている。

「フランス国民は征服を行う目的で、いかなる戦争を企図することも放棄し、かつ、その武力をいかなる人民の自由に対しても決して行使しない」(第六編一条)
この頃、哲学者カントの「永遠の平和のために」(一七九五年)という著書が出ている。そこに、現在の国連のような組織の必要性が説かれていて、それが国連の創設にもつながっている。そして、その著書の第一章には、次のような「常備軍の廃止」という項目がある。

「常備軍は、時とともに全廃されなければならない。」
 なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。

日本の平和憲法は、「いかなる戦力をも持たない」という明確な条項を持っており、カントが説いているように、常備軍も廃止するというのが本来の意図であった。
これらの他にも、思想家エラスムス(一四六七?〜一五三六年)の平和論などが知られている。その「平和の訴え」には次のような記述がある。

…大多数の一般民衆は、戦争を憎み、平和への悲願を持っている。ただ、民衆の不幸の上に財産や権力を得ておごり高ぶろうとするほんのわずかな連中だけが戦争を望んでいるにすぎない。こういう、一握りの邪悪な連中のほうが、善良な全体の意志よりも優位を占めてしまうということが、果たして正当なものかどうか、皆さん自身で十分に判断していただきたい。戦争は戦争を生み、復讐は復讐を招き寄せる。しかし、好意は好意を生み、善行は善行を招くものなのである。(76節)

エラスムスは、キリスト者としてキリスト教会の分裂をくい止め、キリストにある平和の実現のためにエネルギーを注ぎだした人で、この著書は近代最初の平和論の古典とされる。
直接的にキリスト教の真理を土台として戦争に反対したことで、後に世界的に広く知られることになったのは、キリスト教の一派のクェーカーであった。一六六一年頃、すでに彼らの指導者が戦争はしないのだという、公の宣言をしている。(*)そして、以前の「いのちの水」誌に書いたように、トルストイはこのクェーカーの非戦主義の主張に強く共感をもっている。

*)「クェーカー三〇〇年史」ハワード・ブリントン著 二一〇頁

このような平和論や平和の主張をさらにさかのぼっていくと、クェーカーやトルストイらの根拠ともなっている新約聖書にたどりつく。新約聖書では、キリストや最大の使徒パウロやペテロ、ヨハネたちは武力による戦争というものは一切指示していない。むしろ主イエスはありとあらゆる誤解や中傷、攻撃に対して全くの非暴力を貫き、自らが十字架にかかるということまでされた。
こうしたキリストのあり方こそは、究極的な人間の目標となっている。
そしてさらにこの非戦ということ、武力を用いる戦争は廃止されるべきということは、キリストよりはるか昔の旧約聖書のイザヤ書ではっきりと預言的に記されている。

…主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4

この言葉は、ミカ書という別の預言書にもほぼ同様なかたちでおさめられているのも(*)、このことの重要性を暗示するものと言えよう。

*)… 主は多くの民の争いを裁き
はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。(ミカ四・3


ミカという預言者はイザヤと同様に今から二七〇〇年ほども昔の人である。このように単にひとつの国が武力を持たなくなる、というのでなく、はるか遠くの国々すなわち世界の国々が神によって裁かれ、武力を捨てて平和のための道具(ここでは農具)にすると預言されている。
至るところで民族や国同士の戦いがあり、常に大国が小国を滅ぼしたり従属させたりしているのが普通の状態であったときに、この預言書に言われているようなことはまるで空想であるとしか考えられなかっただろう。しかし、アメリカのキング牧師が、「私には夢がある」という有名な演説で述べたように、現状がいかに絶望的に見えても、そうしたあらゆる表面の状況のなかに神の啓示は現れる。
この預言書イザヤやミカが生きていた時代には、周囲には全くこのような、武力のなくなる世界が存在しうるとか、それが神の最終的なご意志であるなどということは、考えられないことであった。無から有を生じさせる神は、このような政治的社会的な思想に関するようなことにおいても、時代をはるかに越えて究極的な真理を啓示されるのである。
このような武力を持たないのが究極的理想であること、それが人類の歴史上で最大の世界戦争となった第二次世界大戦で特に多くの人々を殺傷し、また自らも史上初めての核兵器を二発投下されて科学技術の発達した現在において戦争がいかに悲惨な結果を招くかをまざまざと示された日本において、この武力を持たないという理想を明白にかかげた憲法が現れたのである。
これはこうした背景を持った日本であったからこそ、その敗戦からたかだか八〇年程昔の江戸時代においては人権とか平和などおよそ考えることもされなかったような差別と抑圧に満ち満ちていた国家であったにもかかわらず、その日本に平和においては最も先進的な憲法が与えられたのであった。
こうした歴史の流れのなかで与えられた憲法であるゆえに、それに固守することは世界にその到達点を指し示すという、他の国ではできない役割を果たすことができる。
もし、この憲法を変えて普通の国のように軍隊を持つ国としてしまったら、軍備を必要に応じて平和のためと称して外国にも派遣し、防衛と称して相手の国が攻撃する可能性が高いといってアメリカがイラク戦争を始めたように先制攻撃をするということになるであろう。
とくに日本は科学技術や経済の高度に発達した国であり、しかもそれを軍事に用いることを企業の側も密かに待望しているところがあるから、もし憲法の制限が撤廃されるならば、今でさえ軍事の方向へと傾斜する方向を示しているのだから、たちまち軍事関係の戦闘機、原子力潜水艦、核兵器などといった方向へと拡張していくであろう。 北朝鮮が核ミサイルで攻撃するかも知れないのだという理由を付ければ、それを攻撃するためには当然膨大な経費の要するミサイル防衛計画をますます推進することになるし、それは周囲の国々を刺激してさらなる軍備拡張競争となるであろう。
そして靖国神社参拝に見られる、首相の不信実な姿勢、参拝したかどうか一切言わない、捧げ物を実際にしたのに、したかどうかは言わない、と言い張るのは、およそ人間としても子供でも分かるような不信実な姿勢である。
もし、例えば学校内で、実際に大きな問題になることをして、その証拠もはっきりとしている、それにもかかわらず、その生徒に問いただしたら、したともしてないとも言わない、などと言えば、そのような生徒は道徳的に大きな問題があるとみなされるだろう。首相自身が、このような常識的にだれでも分かるような欠陥を持っていることを世界に示しているのであり、 このような人間が一国の代表者となりうる日本の状況を考えるとき、もし軍備を正式に認める憲法を作ったらアメリカや日本の軍事産業を受け持つ企業などと一体となってどのような方向に走り出すか分からない。
すでに強引に変えられてしまった教育基本法は、とくに戦後の六年間、東京大学総長となった南原繁らの強い指導のもとに作られたものである。そして南原繁は、内村鑑三門下の無教会のキリスト者であった。この教育基本法で明確にされていたのは、次の前文にその精神がはっきりと示されている。
「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」ということであった。
ここで言われている「個人の尊厳を重んじること」、「真理と平和を希求すること」、「普遍的で、かつ個性ゆたかな文化の創造をめざす」ということは、永遠的に成り立つ教育の基本理念である。
だから、時代に合わないなどということが生じ得ない内容なのである。
この基本法の作成にかかわった人たちは、去年の「いのちの水」誌五月号に述べたように、南原繁(*)をはじめ内村鑑三やキリスト教に影響を受けた人たちが多くいたため、聖書的精神を背後にもったものとなっていた。
そして、新約聖書の精神は、どんな弱い人間も、見捨てられたような人間をも重要な存在としてみつめて助けようとし、永遠の真理と平和を根本の内容としており、また人間を超えた聖なる霊を与えられることを約束し、その聖なる霊が人間をして新たなものを創造させるのである。

*)評論家の立花 隆が中心となって企画した「八月十五日と南原繁を語る会」が、二〇〇六年八月十五日、東大安田講堂前で開催された。この時には、主催者側の予想を越えて安田講堂の定員の二倍の約二〇〇〇人も集まったという。なお、立花 隆の父君は無教会のキリスト者である橘 経雄氏で、幼い頃は自宅では父親が持っていたキリスト教関係書、無教会の伝道者の冊子などが取り巻く中で育ったという。立花隆が最近、南原繁に強い関心を示しているのは、父親が無教会のキリスト者であったことで、内村鑑三に始まる無教会のキリスト者に流れてきたものが、彼にも流れていたのを示すものとなっている。なお、この会の全記録が、東京大学出版会から「南原繁の言葉―815日・憲法・学問の自由」という三三八頁の書物として出版されている。

こうした重要な精神を持っている教育基本法を強引に変えていったのは、この基本精神の重要性を理解できない人たちがかかわっているからである。そしてそのような人たち、とくに現首相は真理に反する精神をもって現在の憲法九条をも変えてしまおうとしている。
すでにのべてきたように、憲法九条も以前の教育基本法の前文の精神も実は、その本質的な内容は聖書とキリストの真理から流れ出ているということができる。この永遠的な流れとは全く異なる流れを強行に押し進めようとするのが、現在の首相と自民党の多くの政治家なのある。
現在の改憲を引っ張っている安倍首相は、祖父が岸信介でありそのときから改憲を意図していた。そういう流れを受けている。
しかし、そのような数十年前からの流れよりはるかに古く二七〇〇年ほども昔から、旧約聖書にすでにその淵源を持ち、そこから流れ続けてきたのは、神の御手による真の平和への流れである。
私たちはとくにこの大河のような流れの中に置かれているものとして、現在の日本の政府が取ろうとしている方向が誤っているものだということをはっきり認識し、永遠に変ることのない真理を見つめていきたいと願う。