休憩室 2003年12月 第515号
○冬の夜空
現在、日暮れ時に西の空を仰ぐと、天気のよい日にはめざましい輝きでだれもがすぐに見つけることのできる星があります。これが金星で、宵の明星と言われて有名なものです。これから数か月は、日暮れ時の西空に輝き続けるのがみられます。月もなく、雲もない晴れた夕暮れにはことに、その輝きは印象的で、郊外の河原や、人影の少ない堤防上などではいつまでも見つめていたくなるような輝きです。はるか二千年も前の、深い啓示を受けた黙示録の著者は、主イエスのことを「明けの明星」と記しているほどです。夜明け前の夜の闇を貫いて輝く金星の姿は、この世の闇に不滅の光として来られる主イエスを思い出させるものとなっていたのです。
また、夜明け前の午前四時半ころに、南の高い空を見上げると、透明な美しさで強く輝く星が見えます。これも特別に明るいので、だれでも直ちに見つかります。これが木星です。これはまだほとんど人が動き始めない時刻なので、その静かな、しかし強い輝きは地上の人々を見つめる神のまなざしのようです。
また、深夜に頭上を見上げると、双子座が見えますが、その星座のなかに星座図にみられない明るい星が輝いていますが、それが土星です。
夕方に輝くとき以上に、金星が夜明けに輝くすがたは心惹かれるものです。
休憩室 2003年11月 第514号
○佐多岬半島と大分での植物
返舟だよりで書きましたように、去年と同様に、十一月の中旬に四国を横断し、松山を経て、九州に向かって長く伸びている、佐多岬半島を通って、大分に渡り、そこから、九州の山地を横切って、熊本に行きましたが、佐多岬半島と大分から阿蘇山にかけての山地にいろいろの秋の植物が見られて、秋の紅葉ととも、神の芸術品を味わうときともなりました。
秋の山には、野菊のたぐいが多く、植物に関心のある者には同じ道であっても、喜ばしいものです。そのなかでも、佐多岬半島にとくに多いのは、リュウノウギクで、真っ白いやや大きめの花を咲かせて、よく目立ちます。徳島県ではあのような群生は見たことがなく、ときたま少し見かけるくらいですが、佐多岬半島では、山の道路の両側にあちこちに群生しており、道行く人に秋を告げ、神への讃美をたたえているように感じました。
また、九州の大分から阿蘇へ通じる山道、竹田市に至る高原の道では、四国ではあまり見かけない黄色の野菊、シマカンギクがあちこちに見かけました。また、赤いカラスウリが手の届かないところに、美しい色を見せていました。その他にも、ヤマシロギクやノコンギク、シラヤマギク、ヤクシソウといった野菊の仲間も見られました。
野菊というと、一つだけと思っている人もいるようですが、野に咲くキクの仲間は数十種類もあって、秋に多くみられます。
また、やはり佐多岬半島の山道で、車道から少し入ったところの自然の水が流れているところで、オランダガラシがあり、だれにも気付かれていないようですが、そのワサビに似た味を久しぶりに味わったものです。
秋の山道は、車で走る場合でも、そうした野生のキクなどの花々とともに、空の青と山の緑と紅葉や褐色や黄色に色づいた木々、そして時折みかける色づいた赤や黒の実をあちこちに目にすることができて、自然の豊かさを強く感じさせてくれるものです。同じ道であっても、植物は絶えずことなる姿を提示していて、飽きることがありません。
時折、車を止めて少しだけ山道を歩くといっそう周囲の草木が近づいて語りかけてくるように感じるものです。
聖書と、歴史と天然、この三つはつねに神の大きな御手のわざを私たちに知らせてくれています。
休憩室 2003年10月 第513号
○リンドウ
秋の山にて野草は多く咲き始める。そうしたなかでとくに多くの人たちに親しまれ、愛されてきたのは、リンドウではないかと思います。しかし、ほとんどの人にとっては、リンドウとは、花屋さんにあるリンドウで
あり、それが購入されて会場や家庭で飾られているリンドウではないかと思われます。
花屋で見られるのは、多くはエゾリンドウといって、北海道などに自生しているものです。多くの花をつけ、その飾られたところに秋を感じさせる、青い美しい花です。しかし、徳島の山でみかけるリンドウには、花屋さんでは見られないような素朴な美しさを感じさせられます。
宮沢賢治の、「銀河鉄道の夜」という作品の中に、次のような箇所があります。
…その小さなきれいな汽車は、空のすすきの風にひるがえる中を、天の川の水の中をどこまでもどこまでも走っていくのでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネラが窓の外を指さして言いました。
線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。…(「銀河鉄道の夜」岩波文庫255頁)
車窓から見えるものは数々あると思われるのに、とくに、このリンドウが記されているのは、それだけリンドウが山野に群生しているのが、著者にとってもきわめて印象的であったからだと思われます。
私にとっても、数十年昔の大学時代に、京都の郊外からずっと何日も山を登り始め、峠をいくつもいくつも越えて、だれもほとんど通らないような道をたどって、日本海に流れ込む由良川の源流地帯へと歩いていったとき、その川の岸辺のところどころに、小さいながらも澄みきった青さの花があり、それがリンドウでした。そのリンドウは、ワーズワースの「水仙」という詩のように、ふとしたときに思い出されて、その山の奥深い原生林帯を思い出すのです。
ほとんど人も訪れない京都府と福井県境付近の深い山中を流れる渓谷、そこはさながら別世界でした。それは信仰を与えられる少し前であってまだそうした自然を創造した神のことは知らなかったのですが、その人間の手の加えられていない自然そのものの渓谷の流れと付近の樹木、紅葉しかけた美しい葉、だれも斧を入れたことのないような原生林に深く心を動かされたのです。一日中十時間ほども歩き続けても一人も人間に出会うこともなかった深い山中にあって、その清い水の流れは、私の魂のなかに流れ込み、リンドウの深い青色は心のなかに彼方の世界を指し示すものとなって刻まれたのです。
そしてそれから一年あまりたって、人間の罪を赦し清めるキリストの十字架の意味を神は私に啓示されたのでした。
秋がめぐってくると、あのはるか遠い昔のリンドウと水の流れを思い出すのです。そしてあの遠くて長い山道は二度と歩けないけれども、神の国への道が示され、いのちの水の流れを与えられ、神の国に咲く花を知らされてきたことを思います。
休憩室 2003年9月 第512号
○夏から秋の夜空
我が家から二キロほど離れたところに、かなり大きい川があります。夜の集会が終わって家に近くなるのは、夜のだいぶ更けた時間となり、その川のほとりでは通行する車も少なくなり、人はほとんど通らなくなります。夜の集会からの帰りに車をとめて歩くには恵まれたところです。河川敷に短い遊歩道があり、そこで川の静かな流れを前にして、ほとんどさえぎるものもないところなので、全天の星空が望めます。
夏から秋にかけては、やはり、南のアンタレスとか頭上に輝く、わし座のアルタイル、こと座のベガ、白鳥座のデネブといった一等星たちが目につきます。それらが大きい三角形をつくっていて、夏の大三角と言われています。そのなかで、白鳥座とその中のデネブは天の十字架とも言われる大きい十字架を形作っており、白鳥座を見ると、聖書の十字架を思い出すのです。
なお、こと座のベガは恒星では四番目に明るい星なのでよく目立ちます。
今年はそれらから近いところに火星がみえていて、強い輝きを保っていて、夜空を見るたびに火星を見て、さらにほかの明るい星々を見るのが常でした。この世がいかに混乱し、揺れ動くとも、夜空の星は変わらぬ光を放って地上の私たちに上を仰げと語りかけています。星空は人間の存在がいかに小さいか、そして永遠的に輝く光、それらを創造した神の御手の大きさを直接的に感じさせてくれます。
ことに川のほとりで、だれ一人いないところで仰ぐ夜空は、音もなく流れていく水はいのちの水を思わせて聖書の世界が身近になるひとときです。
休憩室 2003年7月 第510号
○火星
空の星もほとんど見られないような都会にいても、今回の火星の大接近によって、とくに明るく見えるので容易に観察できると思われます。深夜十二時頃に南東のほうの空を見ると、とても明るい、赤い星が見つかります。それが火星です。地球の仲間である惑星であのように赤いのは、火星だけで、そのために火星という名称がつけられています。火星は二年二カ月ごとに接近するので、二年前の六月二十二日にも接近していたし、また二年後の二〇〇五年十月三〇日にも再び接近します。しかし、今回のように近づくのはおよそ六万年ぶりで、再び今回のように近づくのは二八四年後ということです。
今回の明るさは、最大のときで、マイナス2・9等で、木星が最も明るいときでも、マイナス2・5等、恒星のうちで、最も明るい大犬座のシリウスは、マイナス1・5等なのですから、その明るさが想像できると思います。なお、宵の明星とか明けの明星として知られている金星はマイナス4・4等の明るさで、これは別格です。
現在では、夜空の星や野の花といった、神の創造の雄大さや美しさに直接に触れる機会がますます少なくなりつつあり、それが子供の心の荒廃にも関係しています。子供に伝えるためにはまず大人がそうした自然に心を向ける必要があると思われます。
○礼文島で見られた植物たちのうち、いくつか印象に残った花を書いておきます。
・レブンウスユキソウ(礼文薄雪草)これは、有名なヨーロッパアルプスなどで知られているエーデルワイスとよく似た花です。美しさの点からいえば、ほかにたくさんの花があるのですが、この花は高山の厳しい気候のなかで咲き、白い星のように見えるので、とりわけ有名になっています。
この名前のエーデル(edel)とは、ドイツ語で「高貴な」という意味、ワイスとは、weis で、英語のwhite 、つまり「白」の意。ドイツ語では、ヴァイスと発音します。それで、この名前の意味は、「高貴なる白」という意味になります。この花はスイスの国花であり、また世界的に有名となった、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中の曲の名としても知られています。
・エゾニュウ…これは、礼文島の山地にとりわけ目立つ大型のセリ科の植物です。春の七草の一つである、セリの花をぐんと大きくしたようなものです。高さは一~三メートルにも達するものです。ニュウとはアイヌ語だといいます。アイヌの人たちもこの花に関心を持っていたのがうかがえます。これは、東北地方から北海道、そして樺太や千島の山中に生える野草です。
・イブキトラノオ…徳島県では剣山やその近くの塔ノ丸などの高い山で見られる、長い穂の様な形をした花ですが、礼文島ではたくさん咲いていました。しかも剣山周辺のものよりも、大型で花も大きいものでした。
・エゾカワラナデシコ…四国では山を歩いていてもごく少数しか見られないカワラナデシコですが、礼文島では、平地に近いところでも咲いており、少し山道をあがると、たくさん咲いているのが見られます。草丈は低いのですが、美しさは変わりません。中国のナデシコであるセキチクやアメリカナデシコと区別して、日本のナデシコなので、ヤマトナデシコとも言われますが、この花の持つ雰囲気はたしかに日本女性の本来のよさを感じさせるものがあります。
休憩室 2003年6月 第509号
○五月末から六月にかけて、わが家の裏山では毎年ホトトギスの声が聞かれます。それは何かを呼び覚まそうとしている声のように感じます。小鳥たち自身はその本能に応じてさえずっていても、人間にはさまざまの意味と情感をもって受け止められるのです。五月二十九日に、徳島県の中央部に近い山地で、家庭集会が行われたとき、集会をしている間すぐ近くでホトトギスの声の強い声が聞こえていました。ほかにヤマガラやウグイスの美しい声も聞こえましたがこれは、天の国からの清流のようなものでした。私たちにはたえず目覚めさせ、呼び覚ます声と、汚れを洗い流してくれる清い命の水が必要ですが、これらの小鳥はそのようなはたらきをしてくれます。
○ホタルが、最近わが家の付近に見られるようになり、今年はある日の雨あがりの帰宅時には二十匹ほどもが家の付近に点滅していました。どこからやってくるのか、生れたのか不可解なのです。かなり離れたところに小さな谷がありますが、そこからはかなり距離もあり、途中の山にはそうしたホタルがほとんど見られないからです。ホタルの光は弱く、点滅し、わずかの間だけですが、そこから私たちは永遠の光へと思いを引き上げられるものです。闇の中の光はキリスト者にとっては、とくにヨハネ福音書の、「光は闇に輝いている」という言葉を思い起こさせるものです。
休憩室 2003年5月 第508号
○春の花
暖かくなって、野草や樹木たちもいっせいに芽を出し、花を咲かせていきます。それまでおさえていたいのちの力が泉となって湧き出るように、枯れたようになっていた樹木からもにわかに新しい芽が伸びていき、地面からは草も育ち、つぎつぎと花を咲かせていきます。
みんな、それらは背後の見えざる力によってうながされるようなめざましい変化です。
この世には、よきものを壊したり闇で覆ってしまおうとする力もたしかに働いています。しかし、そのような暗い力とはまったく逆に、天をめざし、清いものをたたえ、美しさを花開かせる力がある、それは野草や樹木たちの春のたたずまいによっても知らされるのです。
アケビの花を、インタ-ネットメールで「今日のみ言葉」とともに配信しましたが、その美しさに初めて接したという人が多かったようです。アケビの実が食べられることは知っていても、その花は知らないのは、その時期にちょうど山に行かねばならないし、気付かないことも多いからです。
アケビの木そのものは、目立たないつる植物です。樹木の花の内では五指に入るほどの名花だといいますが、その気品ある美しさには誰しも惹かれると思われます。
○目覚めていること
目覚めているというギリシャ語は、グレーゴレオーといいます。この言葉は、新約聖書・福音書のなかに特に多く現れる言葉です。キリスト教の事典で見ても、グレゴリオというローマ法王は十六人もいるほどです。その中でも、グレゴリオ一世は、グレゴリオ聖歌をまとめた人として有名です。
また、グレゴリオ歴は現在世界で用いている太陽暦です。つぎに事典からの引用をしておきます。
「これは一五八二年、ローマ法王グレゴリウス十三世により施行された。当時使用されていたユリウス暦は1年の平均日数が三六五・二五日であったため、この暦法に従って閏(うるう)日を置いていると、百年間で十八時間、千年で八日近く、実際の季節と相違をきたす。十六世紀終わりころになると、三二五年にニカイアの宗教会議で定められた三月二十一日の春分は三月十一日となり、十日も早まった状態となった。復活祭は、春分の日の後に起こる最初の満月のあとの日曜日と決めていたから、これは大きな問題となっていた。そのため、ときのローマ法王グレゴリオ十三世は、一五八二年の春分が三月二十一日となるように十日間を省いて十月四日の次の日を十五日とし、将来も相違がおきないようにするため四年に一度閏年を置いた。これが現在、世界で用いられている太陽暦である。」
このように、現在私たちが使っている暦はグレゴリオ暦であり、「目覚める」という言葉を連想させるものなのです。また、讃美歌、聖歌などは私たちが繰り返し用いるものですが、それらキリスト教の讃美の源流といえる、グレゴリオ聖歌にも、やはり「目覚めよ」という言葉に由来する人名が刻まれています。
福音書で繰り返し、主イエスが強調した「目覚めていなさい!」という戒めの言葉は、このような人名や暦名、聖歌の名ともなって根強く生きてきたのです。
休憩室 2003年4月 第507号
○復活祭について
日本ではキリスト教の最大の祝日である復活祭(イースター)はほとんど知られていません。
クリスマスすなわち、キリストの誕生を祝うということは誰にでもわかりやすく、また普通の人も誕生祝いということは広く行われていてなじみがあります。またプレゼントをしたり、子供の心にも入りやすい上、サンタクロースやクリスマスツリー、クリスマスソングなど、神やキリストを信じない人たちにもなじみやすいものが多いからです。ことに、日本では、クリスマスプレゼントやクリスマス商戦、クリスマスパーティといったキリストや聖書と直接に関係のないことで用いられ、最近ではお正月以上に店も繁盛するとのことです。
しかし、復活祭ということはそれに比べて比較にならないほど知られていません。それは誕生というだれにでもわかりやすいことに比べて、復活ということはふつうにはおよそあり得ないこととして受け止められているからです。その上、復活祭が毎年その日が変わる移動祝日であるということもなじみを薄くしています。
これは旧約聖書にある過越の祭りが、春の満月の夜に守られていた地方があり、(*)またローマ地方ではその満月の次の日曜日に復活祭を守っていたので、古代において、いろいろと議論が重ねられた結果、現在では、「春分の日(三月二十一日頃)の後の、最初の満月のつぎの日曜日」という分かりにくい決め方になっています。
(*)小アジア地方(トルコ半島)では、旧約聖書に由来する過越を、キリスト教の過越として守っていたキリスト者たちがいた。それは旧約聖書にあるように、ニサンの月の十四日(満月の夜)に守られていた。ニサンの月とは旧約聖書に出てくるユダヤ人の暦の月で、現在の私たちの暦の正月のような、第一の月である。いまの太陽暦では三~四月の頃に対応している。過越の祭りとキリストの復活がどうして関係づけられているかというと、キリストが十字架で処刑されたのは、ユダヤ人の過越の祭りの時であり、その祭りのときに捧げられる小羊として、主が死なれたと信じられたからである。
また、キリストの復活が日曜日であったことから、世界的に日曜日が休みの日となっていますが、その制度を初めて日本が取り入れたときは、明治政府ですが、その政府はその成立の時から、江戸幕府と同様に厳しくキリスト教を迫害していたのです。しかし外国の強い抗議に直面して、ようやく一八七三年(明治六年)になってキリスト教を邪教と見なし、迫害する姿勢を止めたのでした。
そしてその翌年に文部省は官立学校の日曜休日制度を定めたのです。その後一般にも日曜日の休日制度が徐々に広がっていくことになったのです。
キリスト教を全面的に否定して迫害していた政府であったゆえ、そのキリスト教の中心となる日曜日の休日制度を取り入れるという際に、キリストの復活のゆえに日曜日が休日となっていて、それは復活の主への礼拝の日なのだというようなことを、国民に説明することは到底できなかったわけです。
現代の私たちにとっても、二千年前にはじまったように、日曜日ごとに、主イエスの復活を記念し、その復活のいのちを新しく受けるということができれば、最も望ましいことと思われます。
○春は、キリスト者でなくとも、死んだようになっていた冬枯れの木々がいっせいに芽吹き、野草も花を咲かせ、花壇にも色とりどりの花が咲いて、復活させる神の力を視覚的にも感じさせてくれる季節です。植物は季節によって定期的に新しくよみがえったような新緑や花を咲かせますが、人間は、そのように定期的に季節によって新しい命を与えられることはありません。私たちが心から求めるのでなかったら、神の復活の命は与えられないからです。「求めよ、さらば与えられん」(マタイ福音書七・7)という言葉の通りです。
○聞き取ること、読みとること
手話にしても英語のような外国語にしても、自分の思っていることを手話で現したり、英語で話し、書くことは何とかできても、手話を読みとることや外国人の英語を聞き取ることはまた別の難しさがあります。 手話も一つの外国語のようなものですが、自分の思っていることを手話で表すには、数ヶ月時間をかけて手話表現を覚えていけば相手に手話で通じるようになりまが、ろうあ者が話している手話を読みとるのは、人によって地方によって、異なる表現や省略もあり、また手話のはやさが早いこともあり、とても難しいものです。私も手話を長く使っていても、初対面のろうあ者の場合など、なかなか読みとりができない場合があります。これは英語などでも同様です。英語を読み話すことと、聞き取ることは別のことで、耳が慣れていないといけないし、国によって、また人によってアクセントも違っていたりで難しいことです。
主イエスや神に対しても、私たちが思っていることを話す、祈ることは簡単です。そこに心も込めずに習慣的に主の祈りを唱えることもあります。
しかし、神からの語りかけを聞き取ることは全く別のことです。 神はいろいろの場合に、いろいろのものを用いて私たちに語りかけておられます。時には個人的な祈りのなかで、また歩いているとき、本を読むとき、礼拝集会や祈祷会のとき、さらに病気や何らかの苦しみのときなどいろいろの状況にて語りかけておられます。また、樹木や野草などの花など、植物の姿や、夜空の星や夕焼、山の谷川の流れなど、神は万能であるゆえ、また霊的存在でどこにでもおられるゆえに、そうしたものを通して語りかけておられるわけです。私たちも一層そうした神からの語りかけを聞き取ることができるように、霊の耳を敏感にしていただきたいものです。
休憩室 2003年2月 第505号
○現在(2月下旬)では、だいたい夜九時頃以降、頭上を見上げると、木星の強い輝き、そして澄んだ輝きがいつも見られます。金星、火星、木星、土星など惑星の名前は小学校のときからすでに、ほとんどの人は知っています。しかし、意外なことに、ほとんどの人がそうした星を見たことがないのです。これら惑星は、その強い輝きのゆえに見つけることも容易だし、宇宙への関心を呼び覚ますものです。夜の大空に輝くこうした星たちを見つめることは、その背後にそれらを創造された、神への思いへと結びつきます。地上の自然とちがって、いかなる人間の科学技術によっても破壊も汚しもできない宇宙の星たちは、数千年前と変わらぬ深い味わいのある輝きを放ち続け、心を開いて見つめるものに、言葉ならぬ言葉で語りかけています。
神が光を送ると、光は進み、
一声命ずると、光はおそれつつ従う。
星はそれぞれの場にて、喜びにあふれて輝き
神が呼ぶと、「ここにいます」と答え、
喜びつつ、自分を創造した神のために輝いている。(旧約聖書続編バルク書三・33~35)(*)
今から二千年以上も昔に書かれたこの文書にも、星の光も神がそのご意志に従って送っているのであり、その星は神の愛に満ちたご意志を受けているゆえに、喜びにあふれて輝いていると記されています。星を見てもただその無言の輝きを見るだけ、あるいはほとんど星を見たこともない人も今日の都会の人には多いと思われます。しかし、このはるかな昔の詩人は、星の光のなかに、神に結ばれている喜びを感じ取っていたのです。そのような喜びを感じる魂には、自ずからその喜びが自分にも伝わってくるでありましょう。共鳴するのです。
○先日、かなり遠距離の聖書集会に参加しての帰途、夕方に車のフロントガラスをう通して、前方に光を心を引きつけるような色合い、雲の形と動きに出会ったのです。そこからこの地上に沈黙のうちに、神の国からの光が放射されているかのようでした。神からの聖言も同様、目には見えないけれども、あの光のように私たちの世界につねに放射されているのだと感じました。
(*)バルク書とは、旧約聖書の続編に含まれる書物で、バビロン捕囚とされた人たちの中で、バルクという人物が、バビロンにいる同胞たちに宛てた励ましや祈り、真理への讃美の書。
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