休憩室 2005年12月 第539号
○わが家のすぐ裏の山の斜面にあった竹が家に迫ってきていたので、伐採してもらったのですが、そうすると、そこからは、今まで竹藪で見えなかった四国山地の遠い山々、剣山に至る山並みが見えるようになりました。遠くの山々、ことに冬の雪を頂いた山々には厳しさと清さを伴う独特の美しさがあり、天の国へと思いを引き上げられます。
聖書には、実際の山でなく、目には見えない霊的な高い嶺(天)へと使徒パウロが引き上げられたことがされています。(新約聖書・Ⅱコリント十二章)
白く輝く山の連なりを見つめ、静かに流れる雲や大空に耳を傾けるとき、かつていた魂のふるさとからのおとずれを聞くような思いになります。
休憩室 2005年11月
第538号
○十一月中旬に松山から大分に向かうとき、佐多岬半島を通りました。この半島は九州に向かって差し伸べるように長くのびています。そこには白い野菊、リュウノウギクがとても美しく、しかも多く見られます。この植物の名前は、竜脳というボルネオやスマトラに自生する樹木があり、香料や薬用になる物質を含み、この物質もリュウノウといいます。この香りに似ているところからリュウノウギクという名がついています。
この野菊は、関東地方から南の本州や四国、九州の一部にあると記されています。徳島でも見られますがどこにでもあるわけではなく、たまに見つかるとその香りや、野生のキクとしては大きく美しい花によろこばしい気持ちになります。
しかし、佐多岬半島では山道のあちこちに多く咲いていて、その群生に驚かされます。
秋の山道を彩る花で、こうした自然に昔から咲き続けてきた花は、神が種をまき、育てて増やし、神の御手によって花開いている感じが強くするもので、目と心を楽しませてくれたことです。
○アサギマダラ
十一月の中頃に近くの花にアサギマダラという美しい蝶がとまっているのが見つかりました。毎年数回わが家のある山付近にも訪れるのです。花の蜜をすってしばらくしてひらひらと周囲を飛び、どこへともなく姿は見えなくなりました。あのようなゆったりした飛び方で弱々しく見える羽でありながら、二千キロもの距離を海を越え、吹きつけてくるであろう風雨にも耐えて飛んでいくということがマーキングによって確認されています。
あの蝶を見たことのある人は、それがそのように長距離を飛んでいくということはとても信じがたいことです。
弱いものにも、神はそのように不思議な力を与えているのを感じます。
私たちも、実に弱いものでありながら、神によって支えられ、力を与えられて霊的な高みへと、地上の汚れからはるかに遠くの清い世界へと導かれるのを思ったのです。
日々見ることのできる、白い雲の浮かぶ青い大空、夜のまたたく星などは、私たちが最終的に導かれていくところを指し示しているように思われます。つねに私たちのまなざしを天に向けるように、との神の私たちへのお心がこもっているようです。
天に宝を積め、といわれた主イエスの言葉も思いだされます。
休憩室 2005年10月
第537号
○宇宙の広大さ
秋の空はことに澄み切って見えるときが多い。ことにこのところ、夕方には南西の空に金星の目を見張るような輝きが私たちを見つめているし、日が暮れてからしばらくすると、今度は東の空から赤い大きな星(火星)が私たちを見つめています。
そしてそうした特別に明るい星以外に、無数の星たちが輝き始めます。この星たちはどれくらい遠いところからその光を送っているのか、知れば知るほど宇宙の広大無限に比べて、人間のいかに小さいかを知らされます。
宇宙という言葉で連想する夜空の星はどのくらいの距離なのか。
夜空に見える恒星のうちで、最も近い星はケンタウルス座アルファ星ですが、それは光の速さでも四・四年もかかる。これは、四十兆七千億キロメートルにもなる距離です。
このような想像できないような遠い星が、宇宙にある最も近い恒星です。そして太陽系を含んでいる銀河系宇宙のとなりにある、肉眼でも辛うじて見える星雲は、アンドロメダ星雲であるが、そこに至る距離は、二百三十万光年もあります。
光が四年あまりかかって到達する距離でも、私たちは到底その長さがわからないほどであるのに、その光が二百三十万年もかかって到達する距離というのは、もはや我々には漠然としたとてつもなく遠いという感じしか分からない。
しかもそのような星雲が無数に宇宙にあるというのです。
このような広大無限のような世界が宇宙なのであるが、神はそのような宇宙そのものを創造されたのであって、いかに無限に壮大なお方であるかが感じられます。
そのような神が小さな人間一人一人を愛をもって見守り、導いて下さるということは、奇跡のようなこととして感じられるのです。
昔は、巨大なビルもなく、また、車の走行がもたらすおびただしい微粒子状のゴミや、排気ガスもなかったので、大気の透明感は現在とは到底比較できないものがあったと思われます。
そのような澄み切った大気のなかを貫いて輝く金星は強い霊感を与えるものとなったであろうことは容易に考えられます。
じっさい、聖書の最後の書である黙示録には明けの明星としての金星が、主イエスを象徴するものとして現れます。
…わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16)
明けの明星の輝きを見て、そこに主イエスがその光の背後から語りかけているように感じたからこそ、このように記されているのだと思われます。
自然の何にも汚されない清さと光は、このようにはるかな昔から人間に神の世界や神の言葉を暗示し、指し示してきたのです。
現代は都会ではますますこのような心を惹く星の姿はなくなってしまいましたが、そのときでも、霊の星たるキリストは、いっそうの輝きを、求める人に明らかにしていくことでありましょう。
○秋の野山
私は山を歩く時間は近年ではほとんどなくなってしまいましたが、県の内外をキリスト教の集りで聖書講話のために移動
るので、その時に車を降りて付近にある野草を見付けて調べることがあります。
山間部では、ヤマシロギク、シラヤマギク、ノコンギク、ヤクシソウ、リュウノウギク、シマカンギクといった、野菊の仲間が一〇月も下旬になると次々と咲き始めます。これらは花の美しい野草がなくなりつつある最近であっても、少し山路をいけば見出すことができます。
山の緑一色を、その山道を飾るようにこれらの可憐な野菊たちが咲きます。
私たちの御国への道においても、このような白や黄色、あるいは青紫などさまざまの色合いの花が咲いています。それはよき書物との出会いであったり、各地での新たなよきキリスト者たちとの出会いや、罪深い人間の働きが祝福されて、意外なところで新たな働きをする人が与えられたり、小さな印刷物がどこを通っていったか、新たな人が読者として加えられたりします。
こうしたことはすべて、日々の私たちの歩みの道における野菊のようなもの、香りあり、周囲につねに神のお心をあふれるように語り続けています。
休憩室 2005年7月 第534号
○北海道の植物
北海道南部の日本海側にある、瀬棚(奥尻島の対岸)というところで、瀬棚聖書集会が三泊四日で開催されました。そのうちの一日、夕食前の短い時間でしたが、生出正実(おいで)兄が近くの小高い山にある灯台まで車で案内して下さいました。徳島とは全く異なる涼しい海からの風、波、野草などに触れることができました。百年以上前に、函館から舟でこの地方に初めて本州からの人々が定着して、漁業や酪農などをはじめたときの困難さが偲ばれ、長い冬の厳しい気候と、店も医者もなく、食物の生産だけでも並大抵のことでなかったと思われます。
普通なら生活はできないような状況のなか、そうした人々も不思議な力に支えられて、今日の状況へと続いてきたのだと思います。
人間の出会う戦いは、自然との戦い、外部の人間との戦い、そして自分自身との戦いという、三つの戦いがありますが、北海道のような寒さの厳しく、長い期間続く土地においては、自然との戦いも現代の私たちには想像もできない困難なものであったと思われたことです。
そうした北国の生活の厳しさとは関わりなく、自然の、ことに植物の可憐な姿は神の人間への愛の配慮のように思われました。
海岸から切り立った崖に風に揺られて咲いていた薄黄色のキバナカワラマツバ(黄花河原松葉)、それは厳しい風の吹きすさぶところですが、そこでも夏のわずかの暖かいときに成長し、花を咲かせています。また、四国では見られない、オニシモツケという、小さな白い花をたくさん茎の先に咲かせる大型の野草、それからやはり白い花を多数つけるヤマブキショウマも時折車窓から見かけることができました。
またその四百メートル余りの山地付近で、ヨツバヒヨドリが咲いていたのも印象的でした。この植物は徳島県では、標高二千メートル近い剣山に近い山でわずかに見られる程度で、徳島では高山植物という感じを持っていました。ほとんどだれも目にとめる人もいない北国の山地で、こうした花は神の国を映すかのように咲いていたのです。
また、森林帯では、ところどころに大型の特徴ある葉をつけるホオノキが見られ、これは二十~三十メートルの巨木にもなるもので、これも四国では少ないのですが、北海道、東北ではあちこちに見られました。
それから、北海道の山あいの道で目立つのは、大型の植物です。ヨモギもオオヨモギが方々にあり、それは高さが二メートルほどにもなり、葉も大型です。イタドリも、オオイタドリといって、葉も四国で見るのよりはるかに大きく、草丈も二メートル~三メートルほどにもなっています。さらに、ウバユリもオオウバユリがよく見られます。それは全体に大型ですが、花も10~20個も付けるので、四国のウバユリと違って元気に満ちた姿として感じられるものです。
休憩室 2005年2月 第529号
○この頃の星(二月下旬)
夜十一時頃に、東の方をみますと、やや南よりにだれでもすぐに目に入る特別に明るい星が上ってくるのが見えます。それが木星です。木星のすぐ右下に見える明るい星は、乙女座の一等星スピカで、木星の左(東)にはやはりかなり明るい星があり、それは牛かい座のアークトゥルスです。これらの星は、よく目だつので、木星をまず見付けると他の星はここに書いた順で探せばすぐに見つかります。そして、北東の空からは、北斗七星がひしゃくを立てた形になって上ってくるのが見えます。
木星は、マイナス二・五等ほどの明るさを持ち、恒星のうち最も明るいシリウスがマイナス一・五等なので、それよりもかなり明るく、とくに「夜半の明星」と言われたりするのです。
これらの星は夜明けの五時ころになると、木星は、南西の空に動き、乙女座のスピカは木星のすぐ左に見えます。そしてアークトゥルスは、木星の上方、天頂(真上)に近いところに見えます。
都会ではこうした星も建物の照明などのため見えにくいし、高層ビルに囲まれて視界も狭い上に、地上の人工的な光がたくさんあって星の清い輝きがかき消されています。
しかし、そのようななかであっても、これらの明るい星は、見ることができるので、しばし地上の世界から離れて天地創造の神を思い、心を高みに引き上げることはできると思います。
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