休憩室 2009年7月 第581号
○最近の夜空の星たち
夕方には、八時ころから十時近くまで、土星が西空にやや低く見えています。また、南の空のやや低いところには、さそり座の一等星、アンタレスがその赤い色で輝いているのが見えます。
早朝四時ころには、東にすばらしい光で輝く明けの明星(金星)、すぐ右手(南寄り)には赤い火星が見えますし、南の空には、木星の澄んだ強い輝きが見えます。天気のよいときを見計らって起きると美しい惑星たちの光がほかに比べようのない清い光をもって迎えてくれます。
金星も木星も、星や星座にうといひとであっても決して見間違うことはない強い輝きなので、いままで金星や木星を見たことがないという方は、ぜひ早起きをして見てほしいと思います。
これらの星の輝きを知らないなら、黙示録において、なぜ明けの明星がキリストにたとえられているのか分からないと思われます。 なお、木星は、夜十一時ころには、東の空にその澄んだ光を見せています。
木星とか金星などの名前は小学校のときから誰もが知っているものですが、実際に見たことがある人は、かなり少ないようです。最近は雨や曇りが多くてなかなか澄んだ星空はみられませんが、天気予報で晴れを確認して、朝早く起きて東空や南の空を仰ぐときには、みんなが寝静まっているときだけに、ひときわこれらの星の澄んだ光が心に入ってきます。
とくに、金星と火星、そして木星というとくに目立つ星たちが明け方にそろって東から南の空にかけてみられるというのは、今後かなり長期にわたって起こらないことですので、ぜひ一度は見て、特に金星と木星の澄んだ光を心に留めたいものです。
休憩室 2009年6月 580号
○梅雨が近いというこの時期に、雨がわずかしか降っていないために、県下最大の吉野川や那賀川といった大きい川にも水不足となって水の規制がはじまっています。
他方では、突然に局地的に豪雨があって大きな被害が出ることがあったりします。科学技術が発達してもこうした大規模の気象現象はどうすることもできず、ただ待つだけです。
自然の大きな営みの前には、人間はいかに小さい存在であるかを知らされます。
神の大きい御計画を前に、私たちもただ、祈り待つことの大切さを思わされます。
休憩室 2009年4月 578号
○アセビ
インターネットメールで希望者に送付している「今日のみ言葉」に、私が県南の聖書の学び(海陽集会)からの帰途、徳島市から六〇キロほど南の山中で見付けたアセビの花の写真を付けました。
そのことで、「アセビがこんなにきれいだったとは!!感動いたします。」と書いてこられた方、また「アセビは何ともいえない天からの花としか思えません。やさしいかろやかな鈴の音が聞こえるようです。」との感想もありました。
よく知ってその花のよさもわかっていると思っている花でも、ルーペで拡大してみると全く違ったもののように新鮮な美しさを見出すことがよくあります。
離れて見るだけでは、その植物の、とくに花やつぼみ、新芽などのかたちやつくりはよく分からないことが多いですが、スズメノエンドウやハコベといった小さな花を五、六倍~十倍程度のルーペでみると、新たな美しさを発見します。
主イエスも言われたように、野の花を見よということ、そこからもさまざまのことをくみ取ることができるのを感じています。
聖書の言葉も、一つの箇所一つの言葉を深く思い、繰り返し見つめているとあらたな意味とひろがりができてくることがよくあります。それは、植物の花などをルーペを使って見るようなこととも言えます。
み言葉について書いたり語ったりするためには、たえずこうした新しい感動が与えられないといけないので、植物など自然の美しさや繊細さの発見とみ言葉の真理の新たな発見とは通じるものがあると感じます。
○春の星
去年の晩秋からずっと西空に輝かしい存在であった宵の明星(金星)は、現在は見えなくなっています。金星は三月二六日ころに、太陽と地球のちょうど中間の位置にありましたから、現在も太陽とほぼ同じ方向にあり、見えないわけです。しかし、徐々に移動していきますので、六月ころになると、明け方に明けの明星として見えるようになってきます。
現在は春の星座のうち、四月十日頃では、夜十時ころには、しし座が南空高いところに見えます。そしてその時刻にはほぼ真南に、土星が見えます。土星の少し右にしし座の一等星レグルスが見えています。
そして土星の左下(南東)には、乙女座の一等星スピカ、その左上の高い空には、オレンジ色の強い光を見せて輝く牛飼い座のアークトゥルスがあります。これは、春の夜空でとくに目立つ明るい星で、全天の恒星で大犬座のシリウス、りゅうこつ座のカノプス、ケンタウルス座のアルファ星に次いで、四番目に明るい星です。
麦の収穫のときにはっきりと見られるので、麦星とも言われ、また乙女座のスピカがやや光も弱く色も白く女性的なので、それと合わせて夫婦星とも言われます。
なお、このアークトゥルスは、秒速125キロという高速で乙女座の方向に移動しているので、五万年ほどすると、スピカの位置にまで達するとのこと、夫婦星と言われる二つの星ですが、現実にもこの二つの星は近づいていくのです。
このように、星もみな動いているので星座というのも何万年もすれば大きく変わってしまいます。また、太陽のみかけの通り道にある十二ほどの星座だけを取り出して、太陽がそれらのどの星座にいるときに生まれたなどといっても無意味なことで、星占いというようなものが大新聞やテレビなどにすら登場することは迷信以外の何ものでもありません。
休憩室 2009年1月 575号
○宵の明星
去年の十月下旬ころから、夕方の西空に輝き始めていた金星は、その後も強い輝きを増しつつ十一月下旬には、木星と上下に並び、さらに三日月もすぐ側に並んで輝くという、今後相当長い間は起こらないと思われる珍しい現象が見られました。
金星は、宵の明星としてまだ二月中は夕方に見られます。そして五月中旬になれば、午前四時過ぎには明けの明星としてその強い輝きが見えるようになります。
木星と金星が次に接近して見えるのは、二〇一二年三月一四日、さらにその次は二〇一五年六月三十日にこの二つの明るい星が近づいて見えます。そのうち、後者の時には木星と金星は重なり合うほどになります。それ以後は二〇一九年にも、この二つは近づきますが、いずれの場合も、月は見えないか遠くにあって今回のような三つの天体がすぐ近くに見えるということはないのです。
聖書にはキリストが明けの明星として記され、ダンテ神曲にも、地獄篇、煉獄篇、天国篇のそれぞれの歌の、原文のイタリア語では、最後の言葉がいずれも星(ステレ stelle)(*)という言葉で終わっているということなど、星はいろいろな箇所に現れます。
(*)単数は stella。なお、語源的には、英語のstar ドイツ語のシュテルン Stern 、ギリシャ語のアステール aster、アストロン astron などと関連している。
これも、ダンテが特別に星に強い関心があったことを示していること、地獄にても煉獄にても、また天国にても、私たちが見つめることができるもの、また見つめるべき究極的なものは星に象徴されているキリストであると言おうとしているのがわかります。
○クヌギの落葉
落葉樹であっても、冬になってようやく葉を落とす樹木があります。それは、クヌギやコナラ、クリなどです。ほかの多くの落葉樹は冬になるころまでに葉が色づき、落ちていきます。しかし、クヌギは十二月になってもほとんど葉が残り、後半になってようやくいっせいに落ち始めます。毎日ひとつふたつと褐色に色づいた葉がひらひらと落ちていき、わが家に至る道は、この頃クヌギの葉で敷きつめられた味わい深い道になります。一本のかなり大きいクヌギの木があるからです。
それでも、まだコナラは葉を落とさず、クヌギが葉をほとんど落としてしまうころ、一月が近づくころに落ち始めます。このように、同じブナ科の樹木であっても、異なる落ち方で、一つ一つの樹木のあらゆる点において、それぞれの個性があるのを感じるし、落ちていく葉の一つ一つの落ち方、また道に落ちた葉のひとつひとつがまた姿や形が異なるもので、それぞれに神のお心が込められたなにかを感じさせられるのです。
|