2013
もくじ

20134月第626

20132 624

20131623

20134月第626

編集だより

 

・今月号には、古代ローマの使徒―ペテロやパウロたちも登場し、当時の厳しい迫害時代を背景とした、クォ・ヴァディス(「どこへ行かれるのか」の意)の一部から取り上げました。聖書の最後の書である黙示録も、その著者が、イエスを証ししたために、迫害を受けて捕らえられ、エーゲ海の島にていたと記されており、おそらく捕らわれの身となっていたと考えられています。

 九百頁にわたる長編ですが、終りに近い部分から、とくに現代の私たちにも関わっていると思われる箇所を引用してあります。これは紹介なので、余力のある方はぜひ、原著の完訳版を岩波文庫で読んでいただきたいと思います。

・3月号の「今日のみ言葉」を読んで

「日はまた昇る」ヘミングウエイの小説と同じ題名ですのに、これほど心に響いたことが有りませんでした。

 母の逝去を境に認知症を発症した父の命に22年間寄り添って参りました。我が人生のほぼ三分の一の歩みであり、父の生活が私の生きる核となっておりました。その父が 天に召され、一人取り残され、悲しく寂しく、心が苦しい、これから如何に生きるべきか?というよりも、心が凍り、何もできず、又朝起きても何もすることがないと言う状況に陥り、ボチボチ動き出しはするものの、力なく、ただいたずらに時を過ごしておりました。

 そんな凍てついた我が心に光を、一筋の光を感じるように思います。

 気力・集中力がなくなり、本も読めぬ状況ではありましたが、昨日は本当に久しぶりに聖書を開き、心が落ち着き、慰めを得ることが出来ました。

今日のみ言葉を拝読させて頂き、大きく再び神様の方へ向きを向けて頂きました。(関西の方)

 

・神の言葉は、不思議な力、驚くべき力を表すことがあります。人間の言葉―意見、研究、思想といったものではどうにもならなかったのが、み言葉によって変えられることがあり、また慰めや力を与えられることがあります。

 

○3月号の「復活の春」の文に、大きな力をいただきました。 一か月余り前に、夫が急死して、平常心を失いつつありました。夫は、その四日ほど前に、聖書集会で聖書講義をしていたのに…。 でも神様の愛によって復活を信じています。…(関東地方の方)

 

○出エジプト記の聖書講話CD、毎日のように聞いています。聖書のダイナミックな史実の記述というものが、また現実に日々生きているこのプロセスというものが、神が私達に語りかけ続けられた、神へ帰っておいでという愛の表現の軌跡だった、と 初めて感じて感動しています。

何という世界であったことでしょう。心より感謝しております。(関東の方)

 

・上記は、「いのちの水」誌で紹介した、聖書講話CDシリーズのうち、出エジプト記(全3巻)を購入された方からの感想です。

20132 624

編集だより

来信より

○聖書講話CD(出エジプト記)のこと

・CDをさっそく聞いています。細かく話してくださるので、いままですっ飛ばしていた箇所にも目を配り、また聖書は、ていねいに読むものだとわかりました。

 私はいままで、真理に到達したいあまり、何でもすっ飛ばして多読気味でしたが、真理に到達した今、 やっと心おきなく安心して聖書を心ゆくまで理解したいと思っています。本当にありがたい聖書講話CDを作ってくださり、感謝にたえません。

 しっかりと深く、聖書の真理を理解していこうと思っています。(関東の方)

 

・聖書はふつうの小説や雑誌、新聞などと違ってさっと読んで終りでなく、筋書きがわかったらわかったのでもなく、わずか数行であっても30分、1時間ほども語るべき内容があるだということは、私も京都で初めて集会に参加し始めたときに知らされたことでした。

 しかも、どんなに数多く読んでも、またギリシャ語、ヘブル語等々を用いて理解したとしても、なお、限りなく分かっていないところがあるということ、それは愛や真実、正義といったことには果てしなく奥深いものであり、高みがあるからです。それらを原語で読み、学者の解釈がわかった、その意味が自分でわかったといっても、その愛を実際に持っていなかったら、本当にはわかっていないということになるからです。

 

○2月号に掲載した「レ・ミゼラブル 」について

 

・「レ・ミゼラブル」の聖書との関連についての御文、深い感銘を受けました。「ああ無情」は小学校の恩師による紙芝居で非常な感動を覚え、後年、新潮社の訳本でギクギク涙しながら読み耽りました。ジャンと共にミリエル司教の高貴な生き様がいつまでも心に残っています。愛真高校の創立時だったか、図書の寄贈が呼びかけられ、私が送ったのが「レ・ミゼラブル」でした。(九州の方)

 

・「レ・ミゼラブル」についての原文や英語訳、そして聖書にてらしての消息、本当に良きメッセージをいただきました。

 この映画を鑑賞して涙された方に、一人でも多くこうした背景、キリストの愛と赦しにつながっていることを知らしめていけますように祈ります。

 「苦難と信仰」も最近私自身テーマにしてみ言葉に学んでいますのでとても聖霊豊かに読ませていただきました。

 感謝でした。人間の力が尽き果てたような時であっても神様は必要な助けを必ず与えられることを聖書の事実から知り、祈っていきたいと思います。(関西の方)

 

・… 集会のときに、「レ・ミゼラブル」を薦められ、それまで買ったままで読んでいなかった「レ・ミゼラブル」(世界文学全集、新潮社)を読み始めました。

 著者のユゴーが人物だけを描いているのではなく、当時のパリの様子や革命(戦争)の様子、その時代を生きる人たちの営みや考え方の細かな部分まで、描かれており、ユゴーの筆致の深広さを思わされます。

 男の子が遊んで落とした小銭が、ジャン・ヴァルジャンの靴に踏まれていたことを後から気づいたジャンバルジャンの心の中で、善の道に進むべきか悪の道に戻るべきかの強い葛藤が描かれていたところ、また、法廷で正体を明かすことに迷いながら、神の道を歩むことを決める辺りなど、日本文学にはない真理の一貫性(神の意志が働いていること)を見ます。2月号はいつにもまして貴重だと思いました。(関西の方)

・「レ・ミゼラブル」の映画は、ずーっと観なければと思っていました。2月号の「いのちの水」の「レ・ミゼラブル―聖書との関連―」を読ませていただき、上映最終日の昨日やっと観てきました。

 ミュージカルそのものの素晴らしさに加えて、聖書の関連も、時代背景もより解らせていただきました。

 私は、「レ・ミゼラブル」はダイジェスト版でしかも、中学生の時「ああ無情」と言うタイトルで読んだだけですから、「いのちの水」誌に記されていた聖書との関連につい ては、心して読ませていただきました。(中部地方の方)

 

・私はレ・ミゼラブルを初めて知る事が出来たのは小学生の時に「ああ無情」少年少女世界文学でした、映画もその時に中学校の映画鑑賞会に参加出来た幸運が有りましたその中学の教員を叔父がしていたので、「見ておけ」の一言で観る事が出来ました。

 新潮社版・世界文学を紹介されており大変懐かしく、若きときの書店員として販売したこともありました。

 私は現在販売されて居る原作本では福音館の上下巻を勧めて降ります。

 もっとこの本を教会員の皆さんに勧めたいと思いその時に「いのちの水」2月号を読んでもらいたいと思い何冊でもいただけないでしょうか。また集会でも紹介したいと思います。               (関東地方の方)

 

「黎明」について

○「黎明」という絵画を、作者の岡田利彦氏の許可を得て、写真(2L版)にしたものは、以前から「いのちの水」誌や集会だよりに紹介してきました。ある方は、20枚以上申込され、それをさらに友人に送りたいとのことでした。

 別の方からは、次のような感想が寄せられました。

・「黎明」の絵の写真は、すぐに額を買ってきて飾っています。主イエス様が、とても小さく描かれているのですが、そこに光があり、その光に引き寄せられるようです。

 この絵の送付と共に、「主は、つねに闇のなかに共にいてくださる。私どものところに来て下さいますように」という願いが添えられてあり、思わず、アーメンと口から出ました。

 この主イエス様のところにすべての解決があり、救いがあると思います。

 主イエス様は、この私とともにいてくださる…なんと素晴らしく、喜びでしょうか。…(関東の方)

 

・「黎明」の絵には、すぐに引き込まれて、見入ってしまいました。わが身に引き寄せて見ることができました。

 弟子たちの乗った船が、私の病院を思わせ、そこに困難ではあっても、かすかなクモの糸のような希望があること、それを描かれているイエスの後ろ姿の遠影に感じることができ、深く息をつきました。      (四国のある病院長の方)

 

○次は、目の病気で入院、治療を受けた方からの来信です。

 

…手術とか治療のすべのない動脈、神経の損傷とのことで、ステロイドの点滴や検査などが続き、心身ともに疲れ果てました。 退院後も、目が見えなくて暗黒に置かれ、そのときに自分の罪を見つめ、打ちのめされつつも主を頼み続けた50日余り、その苦闘は長いものでした。それは罪人への鞭と杖でした。

 処罰直前にみ赦しを受けた罪人が私でありました。

 主は長く待ってくださいました。

 まことに、み赦しのうちに人は生かされるということを体験しました。

 最終の目の検査のときに、私は今、御手のなかにゆだねられたと直感しました。

 視野も欠け、白い霧のようなものが見えますがそのなかにいても、時に、青空が広がるのが見えてすばらしいと感じ、こうして文字が書けるのも日々新たにされている喜びです。

 ごくふつうの家庭での暮らしも何というよき賜物! と感じるようになりました。…(関西の方)

 

・老年は次々にそれまで与えられていたものが失われていくときでもありますが、この方のように、失われていく過程で、それまで何も感じなかったものに対して新たなまなざしが与えられ、感謝できるようになったのがわかります。信仰を持ち続ける者には、失われていくただなかで新たな霊的な賜物が与えられるのだと思われたことです。

 

○また、去年の8月に出版した、「原子力発電と平和」という本も、現在も折々に希望があります。

 最近も、ある関西の教会に属する方はこの本を20冊以上購入して、友人たちに贈呈したとのことでした。そしてその本を読んだ人からの感想がいくつか送られてきました。

 次のはその一つです。

 

・…『原子力発電と平和―キリスト者の視点から』(*)を恵送いただいて とてもうれしく感謝いたしました。

 連れ合いに先に読んでもらった後、手にし、今読み終えたところです。とても感動いたしました。

 著者が物理学の細部に渡る所から核の問題を見ぬかれて原発技術に警鐘を鳴らされておられる姿は我々の師高木仁三郎氏と同じであります。しかも著者は二つの目に見えない力として原子力と霊を並列されて、キリスト者の視点を明確になさっておられます。そして最後には非暴力の行動にまで言及されて、もう感激 感動です。

 我々二人がなぜキリスト者として核に関わり続けるかの点を あます所なくお伝え下さり、さらに深い示唆を与えて下さってます。福島の事故以前に書かれた文章は まさにその事が今現在その通りに起こっている事実を確認出来て 預言者的であると同時に、まったく古くなく新しい息吹きを感じます。 この様なご本が広く読まれる事を強く願う者です。

(この方は、ベラルーシを3回、ウクライナを1回訪問され、以前から原発など核の問題にとくに関わってこられたとのことです。)

 

*)「原子力発電と平和」吉村孝雄著  いのちの水社発行  定価500円。

    申込は、「いのちの水」誌の奥付の 吉村まで。代金は切手でも可。

20131623

来信より

・詩篇119篇の長い詩の最後が、迷い出たら、小羊を探しだしてください、だったということ、はじめて知りました!

 み言葉を知るまでは、人間の言葉と、闇の海の中で溺れかかっていました。けれど不思議と、ずっとみ言葉が掬い上げてくださっています。

 「今日のみ言葉」の写真の白い航跡、久しぶりに目にしました。今朝、朝日を受けて光っていた霜の白さと重なって、天に続く道は、なんと清々しくうつくしいのかと…。(四国の方)

 

・今日のみ言葉222「迷い出た羊を」を有り難く拝読しました。 詩篇にこのような長い篇があるとは知りませんでした。 176節の聖句に慰めと力をいただきました。又大海原の素晴らしい写真も有難うございます。 素敵な写真です!

「この大海原にできた道も、そうした清められた大路を感じさせるものがあります。

この世に生きる私たちにとっては、生きる道は、曲がりくねっており、随所で落とし穴や危険な箇所があります。しかし、目に見えないところにおいては、こうした真っ直ぐな道が、神の御計画によって敷かれていると思わされるのです。永遠から永遠へと…。 」

 詩篇から深い教訓と生きる力をいただき、又解説して下さり、臨場感溢れる素晴らしい写真を添えて下さったことに感謝します。(近畿の方)

 

・…また、ETVの内村鑑三と新渡戸稲造のDVDをお送りいただきまして感謝です。このDVD、とっても見ごたえがありました。明治に生きたこの2人のキリスト者のことを私は全然わかってなかったですね。

 大いに勉強になりましたね。案内人の外国人教員が出された本『なまら内村鑑三なわたし』も早速中古で購入しました。当時の札幌農学校のことを聞くと、本来の「学校」ってとても大切だなあ、と思います。

 基督教独立学園、愛真高校、愛農高校に最近興味が湧いてHPを閲覧したり本を読んだりしています。

 いつか「ほんとうの学校」に実際に行ってみたいと思う今日この頃です…。(四国の方)

 

・「いのちの水」誌、そこで説明されているみ言葉が心にひびきます。

天体のことも書いてくださるので、夜空を見上げ、星空を教えていただいて木星の輝きを見ています。「いのちの水」誌には、聖書全体から書かれておりますので、視野が広く、そうそう、と教えられることいっぱいです。

 聖書を読み返し、その意味がわかり嬉しいです。

 栄光と祝福の意味の説明をありがとうございます。

 今朝、牛舎に行く道、南東に明けの明星が輝き、すばらしい景色でした。

 太陽が昇るときの空がいっせいに輝き、栄光、栄光、神にあれ、と口ずさんでいます。

 牛飼いは年中無休で働きづめですが、自然とともに自然のなかで生活できますので、神様の創造の世界に目をみはるばかりです。(北海道の方、酪農家)

 

・インターネットのスカイプによる集会をいつもありがとうございます。徳島集会の方々と、お会いしたことはありませんが、スカイプという手段を通して、ともに神様のことを学び、讃美してとても親しい気持ちで、同じ場に参加している思いです。

 心が支えられ、力が与えられます。 パソコンでスカイプの呼び出しや集会のときの音声のことなどいつも調整してくださるKさんNさんたちには集会の間もスカイプのことでご自分は十分にみ言葉のお話しが聞けていないのではないかと思うと申し訳ないような気持ちと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。(関東地方の方)