2015

もくじ

201510月 第 656

20159 月号第655

20158月 第654

20157月号 653

20154月 第650

20153月 第649

2015年2月号 648

20151月 第647

 

201510月 第 656

編集だより

 

秋の澄んだ空、そして明け方の東の空に輝く金星や火星、木星といった輝く惑星たち、そして南の空には、オリオンや大犬座、小犬座、等々のやはり何千年も前から、無数の人たちの心に光を投げかけてきた星々を見ながら、悠久の宇宙とその光に、大いなる神の創造の御手を思います。
なお、いろいろな事情のために時間がとれず、CDの申込、協力費やお手紙、またメールなどをお送り下さってもなかなか返信ができないことがしばしばといった状況です。申し訳ないことですが、お許しください。近畿無教会集会などの録音CDの送付もいましぱらくお待ちください。
 


 リストボタン来信より

 

・(9月の「今日のみ言葉」について)
…「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 (マタイ11の28)
 この聖句は、初めて聞いた時から心に残り、イエス様の愛の大きさ深さを思わされています。感謝です。
 「野草と樹木たち」で、今回は「ソバナ」をご紹介してくださり、ありがとうございました。
 いつも思うのですが、色々な草花の美しい色や形や、険しい場所でもしっかりと美しく咲く姿を、かなわぬ思いとは判りながらも、もう1度見てみたいと思うことがあります。
 でも、見えない私達にとっては先生のとても判りやすいご説明は、ありがたく感謝の思いでいっぱいです。
ありがとうございます。(四国、全盲のKさん)

・いのちの水9月号を昨日頂戴いたしました。ありがとうございます。
「日本の前途が危険になってゆくのは、原発と集団的自衛権の行使と人を神とする宗教性の問題がある。」というご指摘は全く同感いたします。
たまたま見る機会のあった映画ですが、「日本の一番長い日」も東条と天皇を対比しつつ、敗戦を、天皇が、陸軍の抵抗のなかで、鈴木貫太郎首相、阿南陸将との君臣的信頼関係を基盤に進めたとして、臣民に篤い思いやりを示した天皇として、描かれているように思いました。
戦前は神として振る舞った天皇ですから、映画のそのような描き方だけでいいのかという疑問が残りました。
開戦をどのように主導したのか、敗戦をどのようにのばして、原爆、ソ連参戦をもたらしたかという視点が足りない。 敗戦時の「沖縄処分」、米軍統治に天皇がどのように関わっていったのかということも含めて、まだまだ、人々には真実が覆われているのではないかとおぼろげながら思いました。(中部地方の方)
・…この静かな山里にも、安保法制に関して連日政治の恐ろしい波が襲って落ち着かない気持ちでいました。9月号の[ただ信じ、祈る」を読み、歴史を統治し給う神様に祈りながら。
主の平和の道を歩みたいと思います。
日本の神道との関係をあまり深く考えたことが無かったので、10月号の記事で、良く分かりました。
現在の祝日・休日すらもこのように天皇と深い関係にあったのですね。
元号の問題についても、元号が平成に変わった時、西暦にすればよいのにと思った程度で浅い知識しか有りませんでした。
私もハルピンから引き揚げてきましたので戦争には敏感でいたい。武器輸出も心が痛みます。原発の再稼働のことも。
自らの罪を自覚し神様に祈りつつ歩みたいと思います。(中部地方のKさん)

2015年9月号 第655号

編集だより

 

〇近畿地区無教会キリスト集会が今年も、8月29~30日の二日間、京都の修学院の関西セミナーハウスにて開催されました。大阪の宮田、那須さんたちやそれぞれの方が責任者となっておられる集会の方々の主にある熱心で開催され感謝でした。

 遠く青森や東京、神奈川、島根などからの参加者もあり、55名ほどの参加者がともに一つにされての集りとなり主の導きと恵みを多く受けました。

 

〇前月は原稿を書く時間が取れなくで、そのために簡略な内容となり、さらに集会だよりやメールでの今日のみ言葉、印刷版の今日のみ言葉なども発行できなくなりました。このようなことは初めてでしたが、今後もそのようなことがあるかもしれません。

 集会だよりによって聖書をその該当個所を学んでいるという何人かの方々から、問い合わせがありましたが事前に連絡もできなく申し訳なかったです。

2015年8月 第654号

編集だより8月号

 

御言葉を有難うございます。

現実の問題と、神様が示す方向を明確に教えて下さり有難うございました。

 

戦力、防衛力のためにお金をたくさん使っている、この国の未来は、ないということがよくわかりました。

一方、聖書には変わらない真実が示されており、そこに希望を見出すことができます。

 

目の前に迫る不安や目に見える不安(イスラム国などの勢力など)に、対して、考えて対処している結果

なのかなと思いました。

目に見えない変わらない真実、神の言葉を一番に置き、歩んでいきたく、改めて思わされました。

 

王の勝利は兵の数によらず勇士を救うのも力の強さではない。

馬は勝利をもたらすものとはならず兵の数によって救われるものでもない。

見よ、主は御目を注がれる。

主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。(詩編33:16-18) 

 

来信より

・「今日のみ言葉」7月号に書かれていたこと、自分のことも振り返り、来た道を思います。魂のさすらいのときも、いまから思うと、主の御手が共にあったと思えてきます。そのころは、行き着くところがあるなど、全くわかりませんでしたが…。

20157月号 653

編集だより

   来信より

○4月号の「復活の春」を読みました。私は日々の生活の中でいつのまにか人を憎んでいたり、赦せなかったりする自己中心の罪に気がつかないでこれまで歩んできました。そんな心の闇に神様は光をあててくださり、照らし出され、どんな状況にあっても、神様の光の中を希望をもって生きる道に導いてくださっていることを知りました。

 キリストはいまも生きて働いておられる神様である事実も知ることができました。 心を開いて、命の光の中を人として誠実に生きていきたいと思います。

 迷いや苦しみをも、主からの力によって乗り越えて希望をもって歩んでいきたいです。(四国の方)

 

〈東京での講演「神の言葉―その光、命、力」(キリスト教独立伝道会主催)について〉

〇4月29日の東京での講演「神の言葉―その光、命、力―」というメッセージを聞いていて、2年前の出来事を思い出しました。手術前も、術後も、私の心を支えていたのは、兄弟姉妹方からメール等で送って下さる、神のみ言葉、そのもので、神の言葉につながってないと、すぐ、不安と恐怖が入り込んで、どうしようもなかった日々のことを思い出します。

 神のみ言葉、そしてみ言葉そのものであるイエス様に日々つながり、しっかり心に受け入れて導いていただく時に、命が与えられ、光が与えられ、生きる力が与えられていくことを教えられました。

 又、信仰は、受けるばかりでなく、与えていく時に潤されていくことも、心に受け止めつつ歩みたいと思います。             (中国地方の方)

 

○講演の録音、力強い語り方で、力強いメッセージをきかせていただき、励まされました。聖書はまさに真実の言葉。光、命、力そのものとの思いを改めて強くいたしました。                 (四国の方)

 

〇講演会での様子を想像しながら何度も拝聴いたしました。

時間の都合で一度にすべては難しかったので 何度も戻りながら聴かせていただきました。

そして5月号の「いのちの水」でも講演会の内容が文字化されていたので、より深く響いたことをうれしく思いました。

 日常生活においてあらゆる場面でさまざまな人間の声に翻弄されている自分を思い

いま一度神の言葉を聞き分けなくてはと反省いたしました。

 そしてもっとも印象に残ったのは、人格をとおして福音が伝わるのではなく、神の言葉は聖霊の働きによって直接伝わるのだということ。

 その力を切実に求めたとき、神の御心として神のご意志として個人的に語りかけられるのだということでした。

 そのことは、激しい流れとなって一気に「いのちの水」として心の内に注がれたように感じました。

 実は春頃からまた少し体調を崩していたので、今回新たな気持ちで立ち上がるきっかけにもなったことを心より感謝いたします。

 自分自身としてはいつも「幼な子」のように神さまを見上げているつもりでも

いつのまにかこの世の価値観が心の内を左右しているのかもしれませんね。

強くあろうとする気持ちが慢心を生み、へりくだることにブレーキをかけている自分に気づきハッとすることもしばしばです。

 幼な子の心で任せきって神さまをまっすぐ見つめて生きたいです。

そして、神さまによって成長させていただきたいです。             (中部地方の方)

 

○5月号で紹介した、インターネットのYOUTUBEからの二つの録画DVDを見た人からの感想です。

 

・早速、拝見させていただきました。

DVD「世界から見た日本国憲法」

なんということをしているのだ!

 憲法第9条は国際問題でもあり、東アジアへの謝罪でもあるというインタビューが印象的でした。

 DVD「最終処分場はどこへ―行き場のない核のゴミ」

なんということをしてくれたのだ!

原発再稼働と最終処分場問題をリンクさせない日本とリンクさせるヨーロッパ諸国との対比が印象的でした。

 見終わって、しばらく気分が暗くなりました。

 しかし、暗闇が一層濃くなるほど、光がより一層輝きますね。 主を仰ぐ…。「主によって」「主において」を忘れずに。

 わたしは野草の花の名前はよくわかりませんが、でしゃばらない花の美しさは、峠道を歩いていて、何とも言えない喜びを与えてくれます。

 

○5月号の「平和をつくり出すもの」―感動と大きな共感を持って読ませていただきました。

 「平和をつくる者は幸いだ。その人たちは神の子と言われる。」私はつくるものという言葉には福音書の底流にある共通した大事な意味を以前から感じています。

 平和を好むもの、望むもの、論ずるものではなくて、つくる人たちがイエス様から求められていると思います。

 巷で感じられる単なる平和ゼスチュアではなく、それぞれの立場と状況下で前向き積極的に真の平和をつくり出す態度と行動が大事であると考えます。

20154月 第650

編集だより

 

 今月は、予想外のことも生じて、書き上げる時間がなくいつもより少ない頁数となっています。

 イースター(復活節)は、4月5日であり、春という季節そのものがとくに日本では、復活の命を日々感じさせるときでもありますので、今月は、復活に関して書きました。

 日々新たに生まれ、死後は主のように復活させていただけるということ、さらにキリストの再臨によって新しい天と地となる希望が与えられているということは、かけがえのない恵みです。

2015年3月 第649号

集だより

 

・「いのちの水」、「今日のみ言葉」、いつもありがとうございます。私自身の思いに言葉を与えられるような感覚、眠っているものを新たに呼び覚まされるような感覚で読ませていただいています。

 毎月の「今日のみ言葉」に添えられた「野草と樹木たち」、の植物、花のことは、とても楽しみです。

 見た瞬間、ハッとする美しさに出会う幸いな時をいただいています。

 今月は「野の花」もありがとうございました。多くの方の喜び、感謝、祈りの思いが届いてきます。…(四国の方)

 

・2月号の「いのちの水」、特に“翼ある言葉”は詩的で…多くのことを思わされ、気づかされます。

 図書館に「翼ある言葉」という本があったので借りてきましたが、やっぱり聖書が一番!と言うより、別格だと思いました。(関西の方)

 

・…「いのちの水」誌の中の「本当に新しいもの」の記事、元旦礼拝のCD録音の中の、「新しくされる」の講話を聞いて、心に 覆いがかぶさっている状態の自分に気づき、主の方に向かえば、覆いが取り去られること、主は霊であるから、聖霊を新しく受けるため、集り、互いに祈ることの必要性を教えられました。

 主人の介護のとき、徳島集会の礼拝の録音されたCDを聞いていたとき、どなたかが、お祈りのなかで、…家で介護しておられる方…と言われて、そのときに、「祈ってくださっているのだ」と一人ではないと、ホッとしたことを忘れることができません。

 それ以来、自分のことだけで精一杯という自分を反省し、朝は今日も無事に起きることができたことを感謝と、介護されている方々への祈りは忘れません。(中部地方の方)

2015年2月号 648

編集だより 

来信より

〇いのちの水」「野の花」を拝受しました。ありがとうございました。

 「野の花」は、今年もほかの方々の文章から新鮮な息吹を与えられました。

 各地で育てられた野の花が、紙面で一つの花束になりました。

 この花束は主に捧げられました。主は、「多くの人に用いるように」と、花束を一人一人に返されました。

 主のみ名を讃美します。編集に携わられた方々のご愛労に感謝します。

「いのちの水」1月号を読んで。

・「感謝できる心は新しくされた心である。感謝できない心は、受けているものがわからない、固まった心、古びている心だということになる」 

・呼吸できること、話せること、食事があること、等々 ついつい当たり前に思うとき感謝する心が湧きません。

 一つでも失ってみないとわからない愚かさを内に持っています。

「一つ一つ与えられている」ことを感謝していけるように、また、高齢になって、あちこちが弱っていく中で、不平や不満を言ったりしないように、「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事にもつけ、感謝を込めて、祈りと願いをささげ」、主を礼拝したく思わされました。

・「待つことと祈り」より

 スカイプを用いての集会で「ヨハネ黙示録3・7~13」で「開かれた門」を学んだことを思いだし、イエス様の門は開いていつも私たちを待っていてくださっている、神の愛を改めて思いました。「待ち続ける神の愛」「人間においても神に叫びつつも待ち続ける」

人間が待つという間には悔い改めを神の方で待っておられる、ということも、学ばせていただき感謝です。(関東の方) 

〇ある本で、五十歳を過ぎたけれど、この歳になったらもう驚くことはほとんど無い、と書かれているのを読んだことがあり、それをなぜか今も覚えているのですが、きっと聖書にも出会わず、神さまも知らなければわたしも同じだったと思います。

 この世の驚きや新しさでなく、万能の神さまから来る新しさは、同時に驚きで、究極のいただきものであることを思います。

 深い新しさを実感することは、清めと深く結びついている、ということも深く考えさせられています。このようなことを知らされることに感謝です。今日の、遠くの山の青さも目に沁み、神の国の清さ、雄大さを思わされます。(関西の方) 

〇…ベッドの上で身動きできず、自分のことも家族の問題もどうすることもできない私にその時出来ることと言ったら「祈ること」しかありませんでした。痛みと苦しみの中でヨブの苦しみ、イエス様の苦しみを思いました。

 朝から晩までずっと祈っていました。そのような中でふと分かったのは「何という恵みなのだろう」ということでした。

 このような苦しみに遭うまではこんなに朝から晩まで祈ることはなかったのでした。朝から晩まで主に向って祈っている自分、祈りを聞いて頂いている自分、イエス様にすがることしかできない自分、「何と恵まれた時を過ごしているのだろう」と痛みと苦しみの中で思ったのでした。

 苦しみの中で感謝を覚えるなど私には初めての経験でした。

 この「今日のみ言葉233」の吉村先生のメッセージに私の当時の記憶がまざまざと甦ってきました。イエス様を通して主に祈ることができる恵みをこの時ほど感謝したことはありません。(九州の方)

〇…イスラム国と言われる集団に集まる人たちがどんな原因で、事情で駆り出されるのか、また大国の思い上がりや差別意識が、根の深い人間の罪を思い知らされます。

 一日もはやく、平安な日々が、訪れることを願うばかりです。

「いのちの水」誌1月号に書かれていたこと、「待つことと祈り」に、「他者のための祈りは、神を見つめ、相手の人をも心の目で見つめることであり、主イエスが最も大切なことと言われた『神を愛すること、人を愛すること』につながることである」とのお言葉を心に刻みました。…          (関西の方)

20151月 第647

編集だより

 

来信より

〇韓国の方から

…今年も主にあってともに歩むことができたことは感謝です。

 「いのちの水」誌を読む会は、村の図書館で、毎週火曜日の夜、9人くらいで3年間続いております。

 み言葉を通しての交わりができること、感謝と喜びです。        (韓国の方)

・この「いのちの水」誌が、日本語なので言葉の壁があるにもかかわらず、韓国においても少数の方々に読まれていることを感謝です。

 一部の政治家たちが、かつての日本が行なった中国や朝鮮半島の人たちに対する間違った行動を心から反省し、悔い改めることをしない―それは村山談話を見直そうとする動きに現れている―などがみられるゆえに、最も近い隣国であるそれらの国々との信頼関係が育たないといえます。

 しかし、国や民族が異なっていても、あるいは遠く離れていても、主にあって一つとなることを主イエスは望んでおられるし、私たちが主のうちにとどまるときには、おのずから一つになることがわかります。

…父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。…

あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。…

わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。(ヨハネ172123より)

 

12月号のレーチェル・カーソンの記事に関して。

 ・今回は、『いのちの水』誌12月号の、環境問題への一文「驚異の感性が開いた道―レーチェル・カーソン」を読み、ほぼ同じ環境問題への関心をもつ者として、深く同感し、多くを教えられました。

 現在、地球環境問題を、公教育の世界における中心問題として取り上げ、後代の子供たちに対して少しでも大人としての責任を果たしてほしいと思って、可能な場面で文部科学省に働きかけています。

 この問題は世界的・地球的な問題でありながら、国益などと言っている今の政府の関心からは遠いのですが、だからといって何もしないでよいわけではありませんから、私なりに努力しています。

 貴誌で取り上げてくださって嬉しく思い、メールしました。 毎号、夫婦で多くを学ばせてもらっています。

「今日のみ言葉」でも、学生時代に山歩きをして、草花になじんできましたので、いつも山や花や草の写真に慰められています。(関東の方)

 

・「いのちの水」誌によって)毎回、胸打たれ、自分の信仰を反省し、力と励ましを与えられてきました。

 12月号のレーチェル・カーソン女史の「沈黙の春」、私も先生と同じころに読み、先月再読し、「シュバイツァー友の会」へこれに関する原稿を送ったばかりの時に、御誌が届き、カーソンに関する文に接して嬉しいかぎりです。…            (中部地方の方)

・「いのちの水」誌12月号は、とくに、惹きつけられてぐいぐい読んでいて、嬉しいことがありました。

 レーチェル・カーソンさんのことを、これほど詳しく教えていただいたこと、そして カーソンの生涯に大きな影響を与えたのがテニソンの詩であったこと、そのテニソンの代表作の「イン・メモリアム」との関わりで、村岡花子さんが、この詩など、英語詩を原文で愛読されていたこと。…現在もキリスト教の代表的出版社である教文館に村岡花子さんが勤めていてその仕事場であったこと、村岡さんは、そこで、子供のための本の翻訳や著作をされたり、婦人運動家としても世の婦人たちのため、こどもたちのために、キリスト者としてのお働きをたくさんされたのを知りました。

 彼女は、貧しいなかから、カナダの宣教師から英語を学び、学校の図書館にあった英語の原書をほとんど読み尽くすほどの読書で英語の本を読み、翻訳し、作品にする…というお仕事をされていたのを知って、こんなお方がおられたことに感動しました。(関東の方)

 

・…とくにレーチエル・カーソンに関する「驚異の感性」に深く学ばせていただきました。身の回りにある自然の小さな動きや変化、そして日常生活におけるありふれたささやかな出来事のなかにも、神様のみ恵みと愛、御手のわざを感じ取らせていただく心を祈り求めていきたいと思います。(中風地方の方)

 

〇今日のみ言葉「あなたの前に門をひらいておいた」(黙示録3の8)、ありがとうございました。

 先に、「いのちの水」11月号で「開け!」という、イエス様の力強い言葉が心に残りましたが、今月の、「今日のみ言葉」にも、静かでありながらゆるぎない、神みずからそなえたもう開かれた門が待っていることを教えていただきました。(関東の方)

 

〇山雪の厚き衣着て ひたひたと 恩寵わが身に迫り来る今日               (中部地方の方)

 ・この短歌を寄せてくださった方は、長くご夫妻ともに仕事に労苦されてきたのでしたが、去年3月に奥様を天に送られ、深い悲しみを経験されています。

 それにもかかわらず、こうした上よりの恩寵に深く感じておられることがこの歌から感じ取れます。 ヨハネによる福音書のはじめに言われていますこと、「恵みの上に恵みを与えられた」ということは、現実の困難な状況を越えて成就することを思います。

 

〇賛美の力

…誰だったか、たしか外国の人だったと思いますが、子供のころの思い出の中で、印象的なことの一つに、クリスマスイブの夜、よその家の玄関先を聖歌を歌って歩いたキャロリングの思い出が、よい思い出として今も残っていると言っていた人がいました。

 先日、ご病気の方を訪ねましたら、すぐわかってくださり、「起こして!」と言われましたが、本を読んでおられたご主人が、「それは無理です」という素振りをされ、ファイルからプリントを出され、賛美をしました。

 難しい、歌ったことのない賛美でしたが、ご主人が三番までしっかり歌ってくださり、その病気の方を両方から囲み、一緒に歌いました。

 するとそれまで、「お水が欲しい、痛い」などと、苦しみの訴えを繰り返していたのが、スーッと安心したように眠りに入られ、賛美の力を思いました。賛美は下手でもいい、というのがよくわかりました。

 外は寒い風が吹いていましたが、窓から暖かそうな光がさし、別世界のようでした。         (四国の方)

 

〇(「日暮れて四方はくらく」の英語の原文の歌詞を読んで)…辞書を引き引き読みましたが、心にぴったり来る歌でした。

今まで「讃美歌」の39番でしか知りませんでした。

 曲が好きでよく口ずさんでいましたが、歌詞がなんとなく寂しく感じて心にしっくり来ていませんでした。「もうすぐ死ぬけどあなたがいれば大丈夫…」というような消極的な印象だったのです。

 ところが、今回、英語の歌詞に接して初めて、明るい曲だったことに気づきました。

 今までは曲自体も静かな物悲しい曲だと思っていたのですが―、英語の原歌詞で歌ってみると明るく力強い曲として響いて来たので驚きました。

 曲の印象というのは、歌詞でこんなにも違うのですね。

これからは、この英語詞で歌えるように覚えようと思います。(関東地方の方)

 

「いのちの水」誌で聖霊について よく教えていただき、アーメン、アーメンと心の中で叫んでおりました。…(関東の方)

 

○2011年5月、長野県松下道子宅で吉村さんとお会いして以来、神様の導きを感じながら過ごしております。2012年6月から、自宅で妻と二人で、毎週日曜日、家庭での集会を持てるようになりました。昨年2013年2月から隔週の日曜日に、離れたところに住んでいる私の両親とともに集会が持てるようになりました。

  自宅での二人だけの集会は、吉村さんの聖書講話シリーズの創世記のアブラハムが召されるところからはじめ、創世記が終り、現在では出エジプト記20章まで進むことができました。両親との集会では、ルカ福音書の講話を1章からはじめ、現在第30講(ルカ5章)に入るところです。…この聖書講話シリーズによって聖書の学び方の基本を教えていただいています。…(中部地方の方)

 

○「いのちの水」誌4月号の詩篇講話において、旧約聖書における「義」の意味について、目が開かされたことなど、多くのことを学ばさせていただき心より感謝です。

 昨日は、地域の人たちとともに、水田の水路清掃を行い、いよいよ田に水をひき始めました。乾いた土地に水が注ぎ込まれると、急に田が活き活きとしはじめ、「主なる神が土で人を形づくり、命の息を吹きいれられた。人はこうして生きる者となった。」という創世記の記述が思いおこされます。…(東北のKさん)

 

・水田に水をいれると急に田や周囲の状況が命にあふれるようになってくる―そこに創世記の言葉を思いだしたとのこと、農業の仕事中でもこのようにみ言葉を思いだし、み言葉と重ね合わして周囲の状況を見ていくこと、それはだれでもそのように求めていけば可能になると思われます。