2016

もくじ

201611月号 第669

201610月 第 668

20169 月号第667

20164月 第662

20163月 第661

20162月 第 660

201611月号 第669

編集だより

 

〇今月号は、執筆する時間がどうしてもとれずに、発行が二週間遅れ、さらに内容も少なくなりました。それは11月9日~17日まで、九州、中国地方のいくつかの集会にてみ言葉を語るために出向いていたこと、その他の事情もありました。若き日のように、夜中の二時、三時までかかっても仕上げるということができなくなってはかどらないということもあります。

 

来信から

 …健康状態が十分でなく、遠くの集会に参加できなくなったが、インターネットのスカイプによって私たちの主日礼拝に参加されるようになった方からの来信です。パソコンがなくとも、スマートホンによっても、スカイプによって、ともに集会に参加できます。こうした手段は以前では考えられなかったことです。

 

・参加者全員が自宅にいて、インターネットのスカイプで集会をする集りに参加して、関東や九州、四国の人々のお声を聞いて、特別な感動がわき上がってきました。

 参加した各地からの16人の人々が、遠く離れたそれぞれの場所で、心を一つにして、み言葉に耳を傾け、その語られるメッセージの中に、皆が一様に神様の愛を感じたような不思議な感覚に捕らわれました。

 9月に初めて、スマートホンを用い、スカイプを通して徳島聖書キリスト集会の主日礼拝に参加したことのことです。スマートホンから、集会のはじめのオルガン伴奏の音が流れだしたとき、同時に私の目から涙が流れだしました。

 このように、実際にスカイプで遠く離れたところでの主日礼拝からの音が聞こえるようになるまでに、何人かの兄弟姉妹に大変お世話になったのです。大阪のnさん宅で、Nさんが、徳島のSさんに電話して長時間、スカイプで通話できるようテストを繰り返しました。

 スマホ相手のスカイプはSさんたちも初めてのようでした。私は何度もあきらめかけましたが、Nさんの決してあきらめない真剣な態度に驚きと感謝をもって続けることができました。  さらに、別の日には、徳島のNYさんが練習につきあってくださいました。NYさんも根気よく説明を繰り返し、私の操作を忍耐強く待ってくださいました。 このときは、muteの仕方や、画面の変え方etc、実際に礼拝に参加するときの注意点などもいろいろ教えてくださいました。

 体力が弱り、以前集っていた集会場所までいけなくなった私が、自宅にいながら主日の礼拝に参加できるように、みなさんが惜しみなく時間と知識を与えてくださいましたこと、心から主に感謝しますと同時に、イエス様とつながっていることによる恵みに喜びを禁じ得ません。…

 年取ると、新しいことを始めるのはとても困難ですが、何とかできるようになると喜びもまた大きいです。みなさんが、本当によかったと喜びでくださり、Line で、メッセージをくださったり、カードおくってくださったり、共に喜んでくださることは大きな支えです。…(関西の方)

201610月 第 668

編集だより

〇暑く雨の降らない夏が続いたあと、台風などの影響による雨ーときに豪雨や曇りの日々でしたが、ようやく秋の風が感じられ、自然を通しての御国からの風と感じます。

 今月は、わが家のある山でマムシに危うく噛まれそうになり、また生い茂った草木刈りのときにスズメバチの巣に気付かずに壊してしまい、一斉攻撃にさらされて刺され、腫れ上がったり、自然の別の側面に直接に触れたことでした。

 その後、子供のときから懐かしい思い出のあるアサギマダラという蝶がわが家を訪れ、神の創造の力の驚くべきこと、その不思議さを思わされたので、今月号に書いてみました。

 

〇来信から

・徳島聖書キリスト集会の毎月の録音CDで、聖書講話、集会の空気がそのまま伝えられてくるもので、生の臨場感に心打たれ、平素読み流していたみ言葉にその新しい慰めや力をいただいて、「われ、乏しきことあらじ」(詩篇23の1)です。

 視力の衰え、歩行の困難、皮膚の障害、腕の痛み…全ては加齢による現象らしいですけれど、神様の深い愛はそれらに勝る賜物。その愛によって生かされています。(関西の方)

20169 月号第667 

編集だより

 

・5月に徳島市で開催された、キリスト教(無教会)全国集会の、二日目、閉会集会での感想を掲載しました。

 どのように感じつつ、この全国集会を終えたのか、率直な感想が話されました。

・いろいろと書くべきことがあっても、時間がなくて書けないという状況があります。多く書いたからといって主が用いてくださらなければ、何にもならない。他方、いかに短い分量であっても主の御手がそこに置かれて祝福されるときには、大きなメッセージとなります。

 主が掲載した全国集会に関する感想や、私の書いたつたない文章をも用いてくださるようにと願うばかりです。

 

来信と感想より

 

・…私は、いろいろな病気のために教会や集会にも行くことができません。そのためこれらの印刷物(「いのちの水」誌、集会だより、「今日のみ言葉」)などの印刷物を繰り返し拝読しています。 (関東の方)

 

・「神は涙をことごとく拭ってくださる」ー本当にその通りです。年をとると、この世の闇の深さに本当に驚くことが多くあります。

 そして神の御名、み言葉を思い、祈るものです。

「神がみずから人とともにいて、その神となり、人の目から涙を全くぬぐい去ってくださる。」(黙示録214 本当に何という、ありがたいことでしょう。

 生きるということは、思いがけない背信や悪意、数々の苦しみや悲しみに出会うことでもありますが、それら一切がぬぐいさられる時が、来るということ。

 そうしたまことの喜びのおとずれ、福音が語られ、届けられているということー何というありがたいことでしょうか。(関西の方)

 

〇「青は空の色、天の色であり、つまり神様のおられるところです。その天界の領域・神の霊の領域と、しっかり絆を結び、いつもそのことを忘れないようにしなさい、ということでしょう」とのこと。

 なるほどーっと思った。とても納得がいった。

 詩編第三十六編六節には「主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。」とある。

 とても美しい箇所で、吉村先生が「いのちの水」誌で以前引用されていて印象に残り、それ以来よく思い出す聖句である。秋の晴れ渡った空の青さを見ていると、それだけで幸せな、感謝の思いでいっぱいになる。なんとこの世界は美しく、主の慈しみに満ちているのだろう。

 出エジプト記第二十四章十節には、神の足もとは「サファイアの敷石」のようなものがあり、「大空のように澄んでいた」と記されている。また、ヨハネ黙示録第四章六節には、神の御座の前は「水晶に似たガラスの海」のようだったと記されている。この青空は、何かしら、そうした神様のおられる場所の似姿なのだと思う。(九州の方)

20164月 第662

編集だより

 

来信より

 

〇…今朝、録音(3月11日夜の天宝堂集会)を聴きかえして、とても恵みを受けました。

 自民党が現在も、原発を推進しようとしていること、NHKも、表面的なことだけを報道して、事態の真相を報道せずにいることなどに危機感を覚えました。

 NHKの情報だけなら、一般の人々は、原発の問題はほとんどないというような印象を持ってしまうと思います。

 今朝も、福島沿岸でとれた魚の放射線量が下がっているという、ニュースを報道していました。

 先ごろのEテレ(教育テレビ)で放送された「内村鑑三」に関する番組でも、キリストが力を与えて下さっているという、一番大切なことは、言われていないことを思っていました。

 我々、信徒は、小さい存在かもしれませんが、テレビでは報じられない、神の力を証できる存在だと思いますし、証をしていきたいと思わされました。

 昨夜の聖書箇所、コロサイ信徒への手紙2章10節の「あなたがたは、キリストにおいて満たされている。キリストはすべての支配や権威の頭である。」という言葉が印象に残りました。それとともに「キリストには変えられません」という賛美を思い出しました。

 講話後半の内容では、イエスさまが罪のある自分を贖って下さった恵みを思いおこすことができて感謝しました。

 「キリストの勝利の列」(コロサイ書2の15)になどに入るに値しない自分をも、その列にいれてくださる神様の深い恵みに感謝をしています。(関東地方の方)

 

〇大切ないのちの水が、点滴のように、一滴一滴霊に注がれていくような思いで読ませていただいています。受洗前の私にとって、聖書の解説はとても勉強になり、わかりやすく、教会とはまた違う受けいれやすさを感じております。(九州の方)

  

〇…いつもお世話になっております。息子が、再生するとき、よく誘われて聞かせてもらい霊の賜物を頂き感謝です。MP3版で聞けるのは本当にありがたいことです。(関西の方、MP3の再生とは、吉村孝雄の聖書講話シリーズCDのことです。)

20163月 第661

編集だより

 

来信より

〇日本の滅びというのが、迫ってくるように見えてしまいます。ユダが滅びた原因とおなじように、神ならぬものを神としていることが根本原因のように思います。

 国の滅びは段階を踏んで起こると学びました。最初は民の心の乱れと学びました。日本もユダ王国と同じ道を進んでいるように見えます。

 そのような中でも私の役割は、本当の神様を世に伝えることだと思っていて、その役割を全うしたく願っております。

 エレミヤがユダの国へ主への立ち返りを示した事、そして、変わらない希望を伝えたことは、今日の日本人のキリスト者が、日本の国民に向かって行うべきことだと、私は思っています。

 聖書はとても、大切なことを示して下さると深く感謝しています。(関東の方)

 

〇無教会の全国集会 今年5月14日(土)~15日徳島市での開催です。申込締切りは4月15日です。参加希望の方は早めにお申し込みください。

 問い合わせは、左記奥付の吉村まで。

20162月 第 660

編集だより

 

〇5月の全国集会―み言葉中心としつつ、聖霊による交流がなされる集会となりますようにと願っています。

 集まる人の多少にかかわらず、そこにみ言葉と聖霊が注がれるときには、何か新たな力あるもの、永続的なものがそこから生まれます。

 とくに最近の世界及び、日本の政治的、社会的状況には危惧されるものが多くあります。エフェソ書に次のように記されています。

 「私たちの戦いは、血肉に対するものでなく、悪の霊に対する戦いである。」    

 そのためにも、その戦いにうち勝つための霊的な武具―み言葉と聖霊を豊かに受けさせてくださいと祈ります。

 全国集会の締切りは、4月14日となっていますので、参加希望の方はお早めに申込ください。

 (なお、健康やその他の事情でそれまでに申込が難しい方については、締切り以後も可能な範囲で対応させていただきます。)

 

 来信から

〇横浜市での冬季聖書集会(1月9~11日)に参加して本当によかったと思いました。聖書のなかで神様がどのように言っているか、どのように働いてくださっているか、ということを学びました。神様を仰いでいる方々との集いはすばらしいなあ、と思いました。(関東の方)

 

〇京都での近畿地区 無教会キリスト教集会で、朝食のとき、向かいの方が、「祈られている子は大丈夫よ」と言ってくださった言葉が耳に残っています。昔実家に帰ると、両親が、子どもや孫のことを祈っていてくれるのに気がつきました。そのとき初めて、自分が祈られていることを知りました。祈り、祈られることは、幸せなことだと思いました。その一端に加えてもらえる喜びをありがとうございます。」

                 (関東の方)

・「祈りの友」に新たに加わられた方からの来信です。3年前に、主に導かれて新たな「祈りの友」を始めることになってから、現在まで120名余りの方々が、加わっておられます。

 この「祈りの友」から新たな交わりが生まれ、祈りがより深められている方々もおられます。「祈りの友」という集りに加わらなくとも、祈る対象はいくらでもあり、自分の家族、親族、所属する集会の人たち、その家族、知人、仕事での同僚、近所の人たち、またニュースなどで苦難にあっている方々―等々いくらでも祈る対象は与えられています。

 私たちにキリストの愛が与えられているほど、その対象は広がっていくと思われます。

 それでも、なお、礼拝とおなじで、一人でも礼拝できますが、集りという中に主が特におられる―ということは主イエスご自身が言われています。

…私の名によって二人、三人が集まるところに私はいる。          (マタイ18の20)

 また、聖霊という最も重要なものが与えられたのは、しばしば信じる人たちが心を一つにして集っているときでした。

 それはペンテコステのときに、使徒やその仲間の人たちが、主イエスの命じられたように、祈って約束のものを待ち続けていたとき、時至って、豊かに聖霊が注がれたこともそうです。

 あるいは、ペテロがイエスの復活を証しているとき、そこに集っていた人たちに聖霊が注がれたことも記されています。(使徒言行録1046

 そしてキリストを信じる人たちの集りは、キリストのからだであるとも言われています。

 このように、キリスト教信仰においては、集りの重要性がしばしば記されています。

 「祈りの友」もそうした祈り合うための集りです。実際に集まることは難しくとも、祈りを合わせる目に見えない集りでもあります。

 そうした集りにも主がともにいて祝福してくださいますことを今までにも実感してきました。

 

〇お詫びと感謝

 最近は、いろいろな事情のために、時間が取れず、多くの方々からの来信、メール、協力費などの送付に関しても、返信やお礼もなかなかできず、前月には「集会だより」や「今日のみ言葉」などの作成もできなくて申し訳なく思っています。そうした中でも祈りに覚えて支えてくださることを感謝です。(吉村)

 

〇訂正

 前月号での無教会の全国集会に関する記述のなかで次を訂正します。

18頁上段右5行目… 永井信子(東京「いずみの森聖書集会」責任者→代表者

18頁3段目 右より3行目

清水勝(高槻聖愛キリスト集会代表者)

 大阪聖書研究会は退会され、それまで行なっておられた家庭集会を右のように新たな名称の集会とし、それに専念されるとのことです。