2017

もくじ

20176 月号第676

20175月 第 675

20174月 第 674

20176月号 第676

編集だより

 

〇種まきのこと

 「種まきとその祝福」の短文を読ませていただきました。

表紙の大分県の秋月様が描かれた「種まきの絵」もあらためて見なおしました。

「種とは福音であり、聖書の言葉でありそれらを生み出されたキリストである。」とありましたが、私には、いつ、どこで神様が種をまいて育ててくださるのかわかりませんが、落ち着いて自分の足跡を振り返ってみると、そのことが分かります。

 私が中学生のころ、ある夜、同じ市内に住む父の先輩のクリスチャンが、わが家へ来られて、種まきの話をされました。種まきをして様々な場所に落ちた種が、枯れてしまったり、いろいろな育ち方があって、あたり前の事であるので、何が重要なのかさっぱりわかりませんでした。

 しかし「種まきの話し」そのものと話された人の優しいまなざし、人柄の印象は非常に鮮明に覚えております。その後年を重ねて大人になり、中学生の時に受けた最初の種まきが単なる偶然ではなく、神様がその方を通して蒔かれたのだとはっきりとわかるようになりました。

 「種まきは、誰でも可能」である。「私たちの毎日が種まき」となるーとのことばを信じて、迷うことなく大胆に証しして行きたいと思います。(中部地方の方)

20175月 第 675

編集だより

 

〇憲法を変えようとする動き

については、マスコミや雑誌、インターネットなどでいくら

でもそれぞれの立場から書かれていますが、憲法、とくに憲法9条の重要性についてやはり多くの人が、それぞれの立場から声をあげる必要があるので、今月号に書きました。 

 

来信から

 

・今月の主題「主を仰ぎ望め、そうすれば救われる」。本当に素晴らしい言葉ですね。

  内村先生のご最後の日々、「キリスト教とはどの様な宗教ですか?」との問いにご病床の先生は「イエス・キリストを仰ぎ見る宗教です」とお答えになったという有名な逸話があります。

  この表現が内村全集に266 回書かれていることははじめて知りました。

 今月号のテーマのこのみ言葉と偉大な宣教師リビングストンとスパージョンの話は生涯忘れ得ぬ内容です。説教が苦手だったというリンビングストンと恐らくとてっもなく素晴らしい説教だっただろうスパージョンは好対照です。(九州の方)

 

・内村鑑三の「ロマ書の研究」第2巻目の2章のところを読んでいます。

全部で点字で5巻になります。点宇毎日と同じサイズですが、1 230 頁ほどあります。とても大きくて重いです。

読みっぱなしでノートに書き留めることもできずにいます。そんないい加減な読み方ですが、夫が若き頃「内を見ないで外を見よ」という内村鑑三の言葉により救われたと聞いていました。

それが、まさに今回「主を仰ぎ望め、そうすれば救われる」という名古屋での講演で、先生が説き明かしてくださっていたことだったとわかりました。

私自身もこの度の「ロマ書研究」 から義について明快に教えられ、罪についてもていねいに書かれていました。

義は自らの努力、哲学書や様々な勉強をして自らが獲得できるものではなく、神から与えられるものであることが明快にれていました。また、救いと復活についても何度も言葉を重ねて書いてあったと思うのですが今、私の中では、明快にはまだ理解できていませんが、救い主なるイエス・ キリスト様

の復活があることで罪深い私が赦され、救われる。信徒として教会に集うだけで安心していてはいけない…等々が現在のところ心に残っています。(関西の全盲の方)

 

( * ) 眼の見える人でも、内村鑑三の「ロマ書の研究」は、相当のボリュームなので、全部読んだ人は少ないのではないかと思われるなか、中途失明の方が全巻千ページを越える点宇書を読むのは相当の労力と思われます。

20174月 第 674

編集だより

 

来信より

〇…北田康広さんの、「人生の海の嵐に」、「紫の衣」、「主の後姿」3曲は、四苦八苦して暗唱しました。「紫の衣」という賛美の作詞者は、裁判官の方のものだと知って驚きました。(関東の方)

 

〇3月号に、ヘボンに関する記述の続きは次号にと書きましたが、いろいろな都合で今月号には掲載できず、次回になりました。