2003年1月号から2004年12月号まで

センニンソウ

センニンソウ


返舟だより  2004年12月号

○二ヶ月に一度、(偶数月に金~月の三日間)阪神方面にてみ言葉を語る機会が与えられています。今回もいつものように、神戸市、大阪狭山市、大阪府の高槻市、泉南市、奈良市などで、集会を持つことが出来ました。四、五名から十数名の小集会ですが、毎回どこかの集まりで新しい人や、久しぶりの人、また問題をもった人、あるいは以前の問題が信仰によって良き方向に向かっているという方などもいて、主の背後の導きを感じます。
高槻市では以前は佐々木宅で集会がなされていましたが、高齢のために難しくなり、今回からは地域の小規模の公民館を借りて集まることができて感謝。また難病で若くして召された京都のBさんのお母様もずっと集会への参加を続けられて、召されたBさんの信仰を受け継いでおられるのも主の導きと感じます。奈良市では、老齢と病気のために参加が危ぶまれていたNさんも当日は守られて参加でき、「祈の友」でもあるので、ともに祈りを合わせることができたのも感謝でした。
 私たちがなすことは本当に小さなことですが、その小さなことを主が用いて、主ご自身が働いて下さるようにと祈るばかりです。
 また、十二月十七日には岩手県盛岡市のスコーレ高校でのクリスマス礼拝の聖書講話ということでお話しさせていただきました。
この高校では毎週二回、五五〇人の生徒に対して全校礼拝として聖書講話がなされているということです。このようなかたちで礼拝がなされているのは、現在ではごく一部の高校だと思われますが、それを継続していく困難さもまた思わされたことです。
 主がそうした困難さにもかかわらず、教職員の方々の熱意を用いて、祝福して若い魂が永遠の真理にと導かれますようにと祈り願いました。

○今年の十二月のクリスマス特別集会は十九日(日)に行なわれました。以前から祈って備えることで、主がその祈りを祝福して下さり、いつも参加できない方々、一年ぶりの方、また初参加の方、あるいは予想してなかった突然の参加者もあり、祈りを主が聞いて下さっていろいろの人たちを導いて下さったことを感じます。ふだんの日曜日の主日礼拝にはその祝福があり、一年に一度の特別集会にはまたふだんにはない祝福があります。参加した八〇名あまりの人たちの上に注がれた祝福が、いろいろの事情で参加できなかった人たちの上にも同じように注がれ、ともに御国へと歩んで行けますように。 

・今月は返信のなかに、讃美や音楽に関しての内容のものが多くありました。そのなかからあげてみます。

○「恵みの高き嶺」の入った聖歌のテープ、聞かせていただきました。歌詞を見ながら聞いていると、なんだか青空の中へ吸い込まれていくような、心洗われるような感じでした。涙が出てきて何とも感激でした。
私の父は、数年前に召されましたが、父の持っていた聖歌の五八九番「恵みの高き嶺」にも赤鉛筆で○印がついていました。
改めて歌詞を見ながら聞くと、心の奥深くまでしみ込んでくるような、イエス様が手を握って「大丈夫だよ」と言って微笑んでくれているような気持にもなりました。…」(関東地方の男性)

・一つの讃美がこのように心を動かすことは、不思議なほどです。よい讃美は、神の言葉とメロディー、そしてそれを歌う人間の心とが溶け合って、時として大きな力を与えることがあります。

○次は十一月号に同封してあった、北田 康弘さんのCDの紹介に関しての来信です。

「はこ舟」、まくらもとのテーブルにいつでも置いてあって、繰り返し読ませていただいて感謝です。…このたびは北田康弘さんのCD紹介などの印刷物をお送りくださって感激しています。さっそくお店に注文しましてCDが今週届きました。心を熱くして一気に聴きました。感動しました。私の日々のさまざまの思い煩いもなくなったように、喜びが心に満ちました。神様からのプレゼントだと今思っています。昔若いころ、点字をならって点訳のお手伝いをしたこと、いまも全盲の方との関わりがあることなどを思うとき、決して偶然ではない、天から見守り導いて下さっているお方の御愛があたたかく心にしみ入ります。…CDを聴かせていただいて、自分にばかりとらわれている心がどんどん開放されてイエス様の方へ引き寄せられていきました。(中部地方の方)


返舟だより  2004年11月号

○十一月十九日(金)から二十三日(火)まで、松山、熊本、福岡、大分、別府、広島(二箇所)、岡山などでの集会と訪問を与えられ、み言葉を語る機会が与えられました。松山では二宮さん宅での山越集会があり、神奈川県からの参加者もありました。み言葉を中心として様々の方々との交わりが与えられて、ともに歩んで行けることを実感し感謝でした。
また、熊本では、ハンセン病療養所である国立療養所・菊池 恵楓園(けいふうえん)からの参加者が二名ありました。そのうち、Nさんは全盲となり、また全身の感覚もなくなっており、両手も不自由となってものをつかむこともできない状況ですが、霊的には主によって支えられ、力を与えられておられるのが分かりました。ほかに全盲の方が四名と、遠く福岡からも二名の参加者があり、健常者の参加者とともにこのようにキリストをもとにして一つにならせて頂ける幸いを思いました。
 なお、このときに、松山市から熊本に渡る途中の、愛媛県佐多岬半島や、大分県竹田から阿蘇に至る山道では、晩秋の野菊(リュウノウギク、シマカンギク、ヤマシロギク)や、ヤマハッカなど、いろいろの植物が見られたので、その一部を採取して持っていきました。病気のために視覚とともに、手の感覚や嗅覚もなくなっているNさんは、その植物を舌で触れたり歯で噛んで植物の感触や味わいに触れておられました。神様の御手のわざをそのようにしてわずかにでも感じ取ろうとされる方もおられるので、目もみえて、手でも触れ、香りも味わうことのできる者は、それらの感覚を十分に生かして神の御手のわざであり、み言葉の一つの現れである自然に対していっそうの愛をもって接すべきことを思いました。
土曜日の夜は、福岡県宗像郡福間にお住まいの、大園兄宅にてお世話になり、よき交わりの機会となりました。日曜日は、福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の集会で、み言葉を語る機会が与えられました。その後、短い時間でしたが、一部の参加者とともに昼食をいただき、主にある交わりのひとときをも与えられて感謝でした。
午後は、大分市に移動し、盲人信徒修養会での聖書講話を受け持ちました。視覚障害者の方々以外に、別府聖書集会の方も数名加わっておられ、会の後に、その方々も含めて夕食のときを与えられ、ここでも交流がなされました。
その翌日は別府市の教友を訪問し、そのうちの一箇所では短時間でしたがともに祈りとみ言葉と讃美のときが与えられました。その後広島県の宮島におられる谷口与世夫(よせお)兄を訪ね、そこで四人の小集会となりました。参加者の一人Mさんは、以前高松市在住で、その方のところで四年ほど私が毎月一度訪問して集会がなされていたのですが、二年ほどまえに広島に移られた方でした。
 谷口兄は奥様を天に送られても霊的にはともにおられるご様子で、主からの御力を頂いて支えられておられるのを感じました。谷口兄は、時々に発行されている「落ち穂」という印刷物を、最近合本にされて多くの人たちに喜ばれているようです。
 谷口宅での小集会のあと、そこから一四〇キロほど離れた、広島県比婆郡東城町の沖野利之兄宅に移り、夜の集会がなされました。今年は初めての参加者も三名ほどあり、また沖野兄のお孫さんである、小学校四年の子どもも参加してともに学びと讃美、感話がなされました。初めての参加者のうちの一人は、はじめのみんなの一人一人の祈りのとき、このように祈るのは何十年ぶりと言われていました。沖野兄の祈りを主が聞かれて、主がそのように引き寄せられたことを思って感謝でした。その日は沖野宅にて宿泊、翌朝は、澄み切った秋の冷気が周囲を覆っていて気温は二度しかなく、徳島では真冬のような厳しい寒さでした。
 その後は岡山市の香西兄宅を訪問して短い時間でしたが、み言葉をともに学び、祈りのときが与えられました。
 なお、比婆郡東城町の沖野宅から岡山市に行くとき、国道でない山の中を通る道に入ったため、急な狭い山道を深い谷に降りていくことになって、時間がかかりましたが、思いがけず中国山地の奥深くにある晩秋の美しい紅葉や黄葉の自然林の中を通ることができました。その多様な色彩と樹木の立ち並ぶ沈黙の讃美は心に迫るものであり、山々から無数の讃美の声がそこから発せられてくるように感じました。
 人間の意見や議論もそれなりに私たちの必要とするものですが、しかしそれらは救いをもたらしたり、絶望的な悲しみや苦しみ、あるいは孤独にある人の魂を立ち上がらせることはできないことです。それはただ、神のみ、神の言葉のみがなしうることであり、各地で語らせて頂いたいのちのみ言葉が参加者一人一人の心のうちにとどまり、さらにそれが他者にも伝わっていきますようにと祈り願うものです。


返舟だより  2004年10月号

今月もいろいろの方から読後感とか励まし、また祈りを届けて下さった方々があります。その中からの一部です。

○確かに、私どもは、この地上での暗く不健康な面を目にしがちですが、そうした中に「主の慈しみ」のあることをあらためて思わざるをえません。混乱の世界を通して、みことばが今日まで語りつがれ、そして今後もまた語りつがれようとしているところに、新たな力のわき起こるのを覚えます。感謝と希望をもってこれからの毎日を歩みたいと存じます。そのことをはっきりと示して下さいましたこの度のご文章に、心から感謝申し上げます。(関東地方の方)

○九月号にあった「私たちが召されたのは、苦しみを受けた時でもキリストを思って甘んじて受けるため、また祝福を受け継ぐためである。」何と直截(ちょくせつ)(*)で、身のひきしまるおことばでしょうか。それと同じ思いで、「相手によきことがあるようにとの祝福の祈りにも似た気持ちがなければ平和な関係とは言い難い」という言葉にも共感しました。(関東地方の方)
*)表現がまわりくどくなく、きっぱりしていること。「ちょくさい」とも読む。

○…私の心のなかの聖霊が曇りを取り去られ、新しくなるのを覚えます。これからも御誌を愛読させていただきたくお願いします。(東北地方の方)

・今後とも、神の言葉が、私たちの内なる曇りを取り去って下さり、新たな力を受ける一つの手段としてこの「はこ舟」が用いられますようとねがっています。

○先日は、「はこ舟」誌とともに「ともしび」をお送りくださってありがとうございました。「ともしび」は皆様の証しとして、掲載された内容は、はじめから終りまですべて、老齢になって何もできない私には心に残ることばかりでした。今日もまた、開いては読ませていただきました…。(中部地方の方)

○「今日のみ言葉」(*)は、今月のみ言葉として繰り返し読ませて頂き、励まされております。また野草と樹木たちの珍しい写真と解説はとても嬉しく慰められております。先生のお宅の近くの山には神様のお造りになって見事な草花やきのこなどがたくさんあり、御業の素晴らしさをいまさらのように思いながら眺めております。(関東地方の方)

*)「今日のみ言葉」とは、インタ-ネットメールで希望者に私が毎月二~三回程度送付しているもので、短い聖書の言葉とその説明、そして「野草と樹木たち」というタイトルで、わが家のある山や、各地の集会で聖書の学びをしていますが、そこへ行く途中で写した野草などの写真を入れてその解説を付けてあるものです。希望者は、私、吉村(孝)宛てに申込んでいただきますと、お送りします。

○偶然のように、徳島聖書キリスト集会のHP*)に導かれ,はじめて「今日のみ言葉」を読み,命の水に心洗われる思いが致しました。メールですべての項目を定期配信していただけることに感謝します。(近畿地方在住で、ホームページを見て申し込まれた方です。)
*http://pistis.jp

○「はこ舟」九月号の中で、特に「平和の原点」の論考に同感、共感をもって読ませていただきました。キリストにあってまず本当の平和を持つこと、それが社会的平和以前に求められている。このことを人類全体が、いや私自身が忘れている、そのことが根源的な「罪」なのではないかと感じさせられます。
人間の最終的な目標は、神への讃美にある、 アーメンであります。(関東地方の方)

○全国集会
十月九日(土)~十日(日)に福岡市で、キリスト教(無教会)全国集会が開催されました。今回は、韓国、中国の参加者も交えて、聖書講話、発題などもなされ、夜の自由参加のプログラムとして教育基本法と平和憲法に関する有志のがなされたことが従来になかった内容でした。ただ、中心となるべき主日礼拝の聖書講話が二人によってなされましたが、配当された時間が長すぎた上に、その内の一つはとくに、学者の研究発表的な内容であって、苦しむ人、問題をもった人への福音とは言い難いものがあったのは残念でした。
学者のようにでなく、主イエスが語られたように神の権威と聖霊とによって、しかもだれにでもわかる言葉で、今苦しんでいる人、闇にあるひとたちを見つめ、福音そのものを語る人が起こされますようにと特に願われます。
しかし、全体としては、会場には神の霊、いのちの水というべきものが注がれ、それにうるおされた人たちも多かったと思われます。そしてこのような機会でなければ与えられない、中国や韓国からの参加者による発題や、久しぶりの方々との出会い、主にある交流が与えられて、今後も共に歩むための基礎が与えられました。また、多くの資料の作成など、それらの担当にあたった方々の主にある御愛労に感謝です。そうした働きが今後もよき実りを結ぶようにとねがっています。
また、インタ-ネットのホームページを通じて、「はこ舟」や「今日のみ言葉」の読まれるようになったある方が福岡に在住で、その人も初めてこの全国集会にも土曜日だけ参加。集会の終わった翌日に、私たちの集会から参加した有志の人たちがその方を訪問して、そこに信仰を求めている未知の方も参加していて、予想していなかった交流も与えられました。
私は福岡からの帰途、広島に立ち寄り、私どものキリスト集会とも関わりのある谷口与世夫兄を訪問しました。谷口さんは足が弱くなって歩くのも不自由でしたが、霊的には主からの力を与えられ、支えられているのを実感して私にとっても恵みのひとときを与えられ、感謝でした。


返舟だより  2004年9月号

○私は、聖書を読み始めてまだ一年余りです。全く思いがけない救いの体験をしたことをきっかけに、松山市のカトリック教会で約半年間、毎週司祭から個人指導を受けるとともに、ミサにも欠かさず参会させていただきましたが、受洗を前にして指導をお断りいたしました。
それは『キリスト教の歴史』(小田垣雅也著、講談社学術文庫)を昨年暮れに読み、信仰のみによって義とされるということをなぜカトリック教会が嫌うのか、それまでの疑問が氷解したことによります.
実は、私は自分で云うのもおかしいのですが、浄土真宗の熱心な信者でありましたので、信のみによって救われる、行いはいらない、行いはできないのだ、という真理は体験的にも教学的にも、たとえローマ教会がどう言おうとこれだけは絶対譲ることの出来ない明らかなことだったのです。
…(浄土真宗とキリスト教の)両方から信を賜るというそんな不思議があり得るのかどうか、それが知りたいとカトリック教会の門を叩いたのがそもそもの始まりでした。その結果は、前述のとおりカトリックから離れることとなりましたが、一方では、本願寺派の御同行、御同朋にも別れを告げることとなりました。
この上は、信仰義認の立場に立つプロテスタント教会を訪ねるべきなのでしょうが、数や種類があり過ぎて、かえっていずこにも足が進まず、そんな時に内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』『一日一生』に出会い、無教会に関心を持つようになったのです。
特に、『一日一生』に抜粋されてある内村師の言葉は霊感と力に満ちています。この他、『キリスト教問答』『後世への最大遺物』『代表的日本人』を読み、現在は『ロマ書の研究』を読みつつあるところです。なお、ヒルティの『眠られぬ夜のために』を毎日読むこととしています。(四国地方の方)

○八月号の「詩編百三編より」は魂が揺すぶられました。キリストよりはるか以前の詩人の信仰、罪を赦された人の喜びと讃美、とても深い味わいでした。詩編に対して更に更に強く心が引きつけられます。(関東地方の方より)
○八月に札幌での交流会がありましたが、その時の参加者から、「はるばるお出で頂いた皆様方から元気と信仰的な力を頂きました。コンピュータを効果的に使っての活動にも目を見張る思いでした。…」とのおハガキがありました。私とともに同行した何人かの視覚障害者が、聖書を読んだり讃美をパソコンを用いてできるようになっていることが特に印象に残ったようです。


返舟だより  2004年8月号

○八月七日(土)~八日(日)の二日間、京都桂坂のふれあい会館にて、近畿地区無教会キリスト教集会が開催され、京阪神のほかに、奈良、愛媛県、徳島県、広島県などからも参加者があり、五〇名ほどが集いました。
年齢的にも高校生から、九五歳の方までいろいろの方が参加して、「希望」をテーマに聖書を学び、講演もあり、特別讃美や証し、早朝祈祷、読書会もありました。今回も土曜日と日曜日の二回の聖書講話は吉村孝雄、講演は、山形謙二氏(神戸アドベンチスト病院長)が担当。
なるべく多くの人に司会など何かの役割が与えられるように配慮されていて、全体として今回の集まりもキリストのからだであるとの感じを与えられたことです。
聖書やキリスト教に全く初めての若者も、大阪狭山集会に属している人の紹介で参加したのですが、そのような人にこそ、主が天の国の何かをその魂に刻んで下さったことを思います。
日曜日ごとの集会が基本ですが、その上にこうした合同の特別集会が与えられることは、大きな幸いです。日頃出会うことのない、キリスト者たちとの出会いからまた新たなつながりが与えられ、学びがあり、ふだんの集会では与えられない霊的な飛躍が行なわれてそれから新しい成長が始まることも実際にあります。
来年の桂坂の集会もさらに祝福され、闇に打ち勝つ光としての役割がなされますように。

○八月十三日(金)~十六日(月)
北海道の南西部にある日本海側の町、瀬棚町(小樽から百七十キロほど南)にて第三十一回の、瀬棚聖書集会が行なわれ、去年に引き続いて、吉村(孝)が聖書講話を担当することになり、私たちの徳島聖書キリスト集会からも四名が同行し、また兵庫県の方も一人参加して部分参加を含めて三十名ほどの参加で行なわれました。
三泊四日という聖書集会としては長い日程で、地元の参加者は酪農家の方々で、参加できる日とか時間帯に聖書集会に参加するといったかたちで、また、その家の家族で参加するといったかたちになっている人たちもあり、ほかの地域の聖書講習会とはかなり異なる集会です。
聖書講話は新約聖書と旧約聖書の双方を用い、聖書全体のメッセージを見つめることができるようにと考えました。また、日本キリスト教団利別教会での礼拝説教は、詩編のなかから選びました。それは、詩編の特別な重要性にもかかわらず、教会、無教会を問わず、概して詩編がわずかしか取り上げられていないと感じていたからです。
瀬棚聖書集会が終わってから、札幌に行きましたが、そこで私たち徳島からの参加者との交流会が準備されていました。そこでは、旭川や苫小牧からも参加者がありました。旭川から札幌まで百四十キロ、苫小牧市からでも九十キロほどもあるのに、幾人もの方々が参加して下さって感謝でした。そして地元の札幌市内の方々も十六名ほど、さらに神奈川県から札幌にちょうど来ていた方も参加され二十一名の方々が私たち徳島聖書キリスト集会との交流会に参加して下さいました。
はじめは、中途失明された大塚さんご夫妻とお会いするということから始まったのですが、札幌の方々にも紹介していただき、さらにそのことが旭川や苫小牧のキリスト者にも広がって今回の交流会となりました。
その後、私は青森県、岩手県、山形県と立ち寄り、それぞれ数年~十年ぶりの再会を与えられました。弘前では以前徳島にも来ていただいた斉藤さんを訪ね、いままでの歩みなど、またキリスト者が町立の病院長として歩む際に直面する困難も知らされました。岩手県盛岡市では、キリスト教を学校の基本においている高校の教員をしている田口さんが、学校を案内して下さり、その後自宅にてご夫妻と主にある交わりが与えられました。最近は「農夫」という四ページほどの印刷物によってその考えておられることや信仰が伝わっていました。
 奥さんは、静岡県清水市での集会のときにいつもお目にかかっている、石原正一さんの娘さんということで、私が北海道瀬棚町で、一日を宿泊させていただいた野中正孝さんとキリスト教独立学園時代に同級であったとのことで、いろいろとつながりがあることがわかり、主の見えざる御手を思いました。
 ついで、山形県の寒河江市(さがえし)の、黄木 定(さだむ)兄を訪ね、いろいろ山形の地における無教会関係の人たちのことをうかがいました。そして翌日は、黄木さんの車で、長い年月、山形無教会を支えてこられたキリスト者の方々を訪ねることができました。いずれの方々もご夫妻で迎えて下さり、短い時間でしたが主にある交流が与えられ、それまではお名前だけ、あるいは全国集会で挨拶だけしたことがあった程度のことでしたが、今回は親しくお話をうかがうことができました。
そのうち、小関さんは以前からこの「はこ舟」と、「今日のみ言葉」というインタ-ネットで送付している伝道用のメールを通じての交わりがありました。小関さんは、ホームセンターを経営され、多くの支店をもつ大きな会社となっていますが、つねにキリスト中心に歩んでこられたことを以前からも知らされていました。今回は親しくご自宅にうかがって主にある交流のひとときを与えられました。
 その際、奥さんから、意外なことを聞きました。それは、私は大学四年のときに初めてキリスト教を知って、無教会の京都北白川集会に短い期間参加しましたが、そのとき、富田和久、塩谷饒(ゆたか)の 二人の方が聖書講義を担当されていましたが(現在はお二人とも、召されています)、そのうちの塩谷氏の奥さんが、小関さんの奥さんの姉だと知って、三十五年以上も前のことが目の前に鮮やかに浮かんでくるような気がして、その長い歳月も主が見えざる御手をもって導いて下さったことを感じました。
ときどき主はこのように、この広い世界で無数の人たちが無秩序に生きているように見えるにもかかわらず、主が生きて働いて私たちを必要なときに、その導きを知らせるために意外な出会いを与えて下さることを思いました。
徳島では考えられない東北地方の涼しい大気のなかに、青い空、白い雲が浮かび、主への感謝をあらたにしたことです。


返舟だより 2004年6月号

○六月十二日(土)~十三日(日)の二日間、高知市桂浜にて、第三十一回のキリスト教・無教会四国集会が、高知聖書集会の主催で行なわれました。四国四県と神戸大阪などから四十三名ほどの参加でした。今回はテーマが「伝道」ということで、四県の担当者による聖書講話もそのテーマに沿ってなされました。また証しも六人の人によってなされました。
そのほかには特別讃美や朝の祈祷や全員が集まっての感話、意見などを出し合う集まりも夜のプログラムにありました。
この二日間の集会で初めての参加者や久しぶりに出会う人など主にある交わりも与えられ、新たな霊を受けたことを感じました。日曜日ごとの集会では与えられない神からの恵みと横のつながりを与えられるので、やはりこうした特別集会、合同集会の祝福を改めて感じた二日間でした。
来年は徳島の主催ですので、今から祈りをもって準備していきたいと願っています。
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来信から
○数年前に夫が召され、またこのごろの世相に心が重く沈みがちな時に「はこ舟」に勇気づけられてまた立ち上がることができます。神の愛がいろいろな形や方法でいつも変ることなく注がれていることを思います。
五月号の「休憩室」、若い頃に歌った「夏は来ぬ」のうたを懐かしく感銘深く感じながら自分の伴奏で一人歌いました。何もかも自然が輝いて見えました。(関東地方の方)

○遠い遠い昔、「神曲」、「天路歴程」に感動しましたものの、未熟で不信仰で不消化でありました。ただいま、ほんの一部とはいえ、まるで深く再読しているようにいきいきと思い出しました。
クワイ河鉄道のこと、その当時のイギリス人捕虜の四名、生き残りの人々と日本人の和解運動がなされ、私も一度出たことがあります。戦争の恐ろしさと年を経ての和解の赦しの美しさを心から味わい感謝でした。(関東地方の方)
○梅雨に入り、持病の耳鳴りが強く、激しく鳴り響きます。…毎月の「はこ舟」、「今日のみ言葉」それに集会だよりなどを楽しみに読んでおります。いろいろな方々の集まりで、そこでの雰囲気が伝わってきます。… (四国地方の方)


返舟だより 2004年5月号

○昨日は集会で使徒言行録2章聖霊降臨により、弟子たちがキリストの復活の証人とされる力を与えられたことを学びました。今日は私たちが心から喜べる憲法記念日です。しかし、ご存知のように厳しい状況にさらされています。世界の平和を祈りつつ、午後の憲法講演会に家族で出かけます。山野には美しいゲットーの花が一杯咲いています。(九州の方)
○「はこ舟」は主人と朝読むことにしています。「はこ舟」はわかりやすい言葉でみ言葉を説き明かして下さいます。私などは、何十年聖書を読んできましたが、最近ようやくイエス様のこと、十字架や復活のことをわからせていただいたように感じます。…私は毎月、治療に行きますが、そのときに受ける特別な治療が涙の出るほど、また死ぬかと思うほど痛いので、イエス様の十字架と自分の罪を思い、祈ります。

病院の待合室で「はこ舟」読む 注射の痛さしばし忘れて

病院に行くときにも御誌を持っていきます。(関東地方の方)

・他にも、このように、ご夫妻で朝に「はこ舟」を読んでいると書いてこられた方があります。この小誌が、朝にみ言葉を届けることができるようにと願っています。 

○…「はこ舟」や「野の花」(集会文集)によって見えないイエス様が共に歩いておられるのを感じます。「野の花」のお一人お一人の文章を拝読しながら、皆様が福音を正しく理解され、心からイエス様へ信従されている姿に打たれます。(九州の読者)
○…四月号の、創世記における人物たちの描写のうち、? と思われる内容についての聖書としての意義の説き明かしは、ありがたく伺いました。真正面から扱って深くえぐったテロ問題については、「善をもって相手に対処する」以外、やはり解決策はないと確信!(関東地方の方)
○毎月わかりやすく、み言葉をお伝えくださりありがとうございます。今は、「はこ舟」が届くのを心待ちにしております。四月号の創世記に登場するタマルやハンナの姿から、真実な祈り、ひとすじに神に求める心の大切さを強く感じました。私はある病気を持っていて、次第にからだが侵されていく精神的な痛みをつねに感じながら、週三回の通院をしております。「はこ舟」を読ませていただいて、慰められ、元気をもらっています。(北海道の方)


返舟だより 2004年4月号

○南アフリカに帰った、メギィ・マルレケさんから、メールが届きました。彼女は、お別れ会のときに、今後も私たち徳島聖書キリスト集会のことを覚えて祈りますと言われましたが、その後も私たちを覚え、祈りを続けておられることを書いてこられました。訳はなるべく日本語として普通の表現にしてあります。原文を添えてありますから、メギさんのニュアンスを汲み取ることができると思います。
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こんにちは、先生!
メギィです。私は、無事祖国に着き、私の家族たちも守られていてよき状態です。私は、先生と、奥さんと、集会全体のことを忘れてはいません。私はみなさん方の暖かい歓迎と、善意についてこちらで語ることを止めることができませんでした。
私は、私たちがどこかでなんらかの形で会うという感じがしています。でもそれがどこで、またどのようにしてなのかは分かりません。神だけが、私たちが再会するための適切な時をご存じです。
あなたの奥さんと集会の人たちに、よろしく伝えて下さい。そして、私が約束を今もなお守っていて、あなた方集会の人たちのために祈っていると伝えて下さい。
私はみなさんを愛しています。それは、みなさんが、私の皮膚の色に関わりなく、愛して下さったからです。
善き神が、あなた方と、あなた方の手のわざを豊かに祝福して下さいますように。そしてあなた方の健康を守って下さいますように。私はみなさんがとても私によくして下さったので、忘れることができません。言葉ではよく表せないのですが、あなた方は確かに私の人生にとってひとつの祝福となっています。

メギィ
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Hello Pastor!

Maggie desu, I arrived well and safely at home and my family is happy and fine. I did not forget about you, your wife and the whole congregation. I could not stop talking about your warm welcome and the goodness you showed us. I still have the feeling that we will meet somewhere somehow but I do not know where and how only God knows the right time for us.
Say hello to your wife and the church and tell them I am still keeping the promise, I am praying for the church and I love them all for you have shown your love regardless of my colour.
May the good God richly bless you, the works of your hands and keep you in good health, I miss you people you have been so good to me I do not know how to explain it but it is true you are really a blessing in my life.

Maggie

○つぎは関東地方の方から、インタ-ネットで寄せられた感想です。

聖書における「仕える」意味…「はこ舟」を1回目読んだときはまだよくわからなかったです。テープ(*)が送られてきて、コロサイ書の箇所を聴いていたところ、この「仕える」意味について講話の中で解き明かしがありました。これを聴いて理解することが出来ました。もう一度はこ舟に帰って読んでみたところ、今度はよくわかりました。
 「仕える」とは、相手にとって最もよきものを提供する心。また憎しみの対象となってしまった人に対しても、その人に善きものが与えられるように祈ること。
ただ一時的な憎しみの対象に対してはすぐにこのような気持ちに切り替えることが出来るのですが、数十年の憎しみの対象に対してはなかなか簡単にはいきません。いくら頭でそう思おうとしても、心の隅に必ず黒い点があるのを私は否定することが出来ません。主よ、お赦し下さい。どうぞ少しずつでも結構ですから、私の中のこの黒い点を小さくして下さい。
 聖書は自分勝手に解釈してはいけないことを痛感しました。また、はこ舟とその月の講話は密接につながっているのだということが今年の元日礼拝以後やっとわかりました。

*)「テープ」とあるのは、私たちの日曜日の主日礼拝と火曜日夜の夕拝のテープを定期的に購入して聞いておられることを指しています。もう八年ほど前から、希望者には、日曜日と火曜日の礼拝テープを郵送しています。一カ月では、約8~10本となり、その他に、綱野悦子さんが主として視覚障害者のために作成している毎月一回発行の「アシュレー」というテープも希望される方もおられます。費用はテープを聞いたあと返送する場合と、送られてくるテープを購入する場合とに分かれます。返送するときには、送料として一カ月五百円、テープを購入する場合は、テープ代金と送料共で一カ月千五百円程度です。

○最近の世界及び国内の動きに目を向けるとき、魂の救いの重要性と共に、救いにあずかった者として歴史に責任を負わされているという意識を強く持たされます。
その意味で、先月号の「日露戦争百年」と今月の「教育基本法改定のこと」というメッセージは深く考えさせられました。(中部地方の方)

○年を寄せて、あまり聖書も簡単に読めなくなりましたが、吉村様の文章で若い頃に読んでいた箇所が頭によみがえってきて、親しみを覚えています。
そして全文を読み終わって、「休憩室」のところへ来ると、花とか小鳥などの何気ないありさまが心に満ちてきて喜ばしくなって参ります。
近頃の私は、ほとんど聞こえなくなって、どこへ行っても耳が一番辛い不自由さに、時々やり場のないのをどうすることもありません。でも、耐えていきます。私のためにお祈りお願いします。(四国の方)

・この方は、耳がだんだんと聞こえなくなり、今では、ほとんど聞こえないために、人間の交わりのなかに入っていくことが苦痛となり、老齢とも重なって一人でいなければならない状況のようです。テレビやラジオ、美しい音楽など一切を味わうことができないため、また人間との会話もできないため、心が沈みがちとなっています。一般の人は、人生の途中で耳が聞こえなくなるということが、どんなことか、ほとんど考えたこともない人が多いと思います。盲人は出歩くことや室内での動作などきわめて不便、不自由になりますが、人のなかに入っていきますと、目が見えないことを忘れるほどに自由に心おきなく話ができます。しかし、聴覚障害者は、人の中に入っていくことが著しい苦痛となるのです。
こうした孤独な戦いを日々背負わされている人にとって、ただ神とキリストだけは、心おきなく語り合える相手だと言えます。

○十年の歩み
この四月で、私が教員を退職して、み言葉を伝えるための働きのための生活を始めてからちょうど十年になります。この間、とくに徳島聖書キリスト集会に集う人たちから絶えざる祈りと支えをいただき、また県外においても、集会の有志が「福音の種まき会」というかたちで支えて下さるということもあり、また、この「はこ舟」誌の読者の方々も私の働きを覚え、祈りやはこ舟協力費という形でともに歩んで下さったことを思います。
日曜日ごとの集会、ほかの日の各地での家庭集会、県外での集会などそうしたいろいろの場でみ言葉を語ることが継続できたのは、ひとえに神の導き、そしてそうした多くの方々の祈りと支えによるものでした。
今後とも、このキリスト教の真理が伝えられ、かつて私もそうであったように、真の光がわからずに苦しみのさなかにある人たち、病や孤独にある人たちのところに、神の言葉がとどくよう、そして罪の赦しを与えられ、救いを実感することができますようにと願っています。
そしてそのために、いままでもそうであったように、共に福音のために歩んで下さいますようにと祈り、願っています。


返舟だより 2004年3月号

○この三月に、三人の外国からの参加者がそれぞれ自分の国に帰って行かれました。そのうち、中国の許英美(*)さんは、鳴門教育大学への留学生として来日され、二〇〇一年一月七日に初めて参加されてから、三年二カ月の期間、私たちの徳島聖書キリスト集会に参加されました。

*)日本語風に読んで、「きょ えいみ」さんと呼んでいたが、中国語では 許(xu)英(ying)美(mei)シゥ イン メイ と言う。

許 英美さんは、中国の瀋陽(昔の奉天)に在住ですが、コリアン系(朝鮮民族)の方でしたから、時々韓国語の祈りや讃美もしていただきました。また、とても積極的に私たちの集会員の方々とも交わりを持ち、四国集会にも参加していただいて、英美さんの属している中国の教会でもよく歌われるという「鹿のように」(リビングプレイズ69番)を韓国語で讃美してもらったこともありました。
英美さんは、私たちの集会に参加し始めた頃から日本語はかなりよくできていて、日常的な会話はほとんど不自由なくできていたので、交わりも多くなされました。
また南アフリカやザンビアからの留学生を私たちの集会に紹介して連れてこられました。
そのうち、南アフリカからの二人が許 英美さんの紹介で私たちとの集会に関わりができ、日曜日の礼拝集会にも参加されるようになっていました。
その二人のうち、シポさん(Sipho Dlamini シポ・ドゥラミニィ)も、やはり鳴門教育大学への留学生としてこられた方で、帰国すると教育指導主事の仕事をすると言われていました。シポさんは、去年二〇〇三年一月十二日からの参加で、一年二カ月ほど、私たちの集会に参加されました。
メギさん(Maggie Maluleke メッギィ・マルレケ)は今年に入ってから参加しはじめた黒人女性の方で、やはり鳴門教育大学への留学生で、自然科学の教師をしているとのことでした。
徳島では、黒人の方に出会うことは稀であり、そうした中でお二人の参加は私たちの集会にも、遠い南アフリカからの不思議な空気を運んで下さったし、キリストの大きな御手の広がりを感じさせてくれました。
地球の反対側にあり、はるかに遠く、皮膚の色もまったくちがっていても、同じキリストを信じる兄弟姉妹としての交わりが与えられることは驚くべきことでした。
鳴門教育大学から、私たちの集会場までは二十キロ以上あり、交通も不便なので、車を持っていない留学生としては普通ならなかなか来ることはできないのですが、集会の姉妹たちが送り迎えの奉仕をして参加できたのでした。
南アフリカからの二人は、日本語が少ししかわからなかったので、会話は少ししかできなかった人が多かったのですが、お二人が参加されているだけで、いつもの集会とは違った雰囲気になっていたものでした。
また、主日礼拝での私(吉村)の聖書講話のあとで、その内容を私が要点をまとめて短く英語で話していました。それは、何もわからないまま帰るのでは、遠くから参加しているのに申し訳ない、しないよりはましだろうという程度の気持ちで話していたのですが、とてもその聖書講話の英語要約を熱心に聞いていただいて意外なほどでした。
鳴門にも、徳島までの途中にも合わせると七つほども教会があるけれども、遠い私たちのキリスト集会に参加されたことに、神の導きを思います。
帰国されても、その信仰がいっそう強められ、主に導かれて歩まれますようにと祈りをもってお別れ会を終わりました。

○私は聖書を日々読むと言うことがまだないので、皆さんの話、「はこ舟」や文集「野の花」等がすごく貴重なものになっています。時には幾度も読み返します。だから、少しでも多く、集まりに行ければと思います。イラクやアフガンで、当たり前のように、毎日、殺戮があること、同時テロのように、さっきまで元気だった人が一瞬にしてなくなる光景、おそろしいガンなどの事を考えると、少しぐらい具合いが悪くても守られて生かされていることに感謝だし、最後に残るのは「信仰」なのだなと思います、まだ信仰の弱い私ですがもっと神さまのほうを見て行きたいと思います。
(四国の方よりの来信)


返舟だより 2003年2月号

○「今日のみ言葉」一〇四 本当にありがとうございます。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。』 この短い聖句、なんて壮大で重い言葉なのでしょう。
私の人生もパンの奪い合いの人生であり、今もその延長線上にあります。目に見えない本当に大切なものを忘れがちであり、時には苛立ちや不安の中で生活している毎日です。
イエスが五千人にパンを与えた奇跡、その当時の人達は本当にイエスの言葉を聴き希望と喜びに満たされ、生きる力が湧き、あり余る程の充足感に満ち溢れた事でしょう。当時イエスの言葉を聴いた人達は誰も明日の糧を考えなかった事でしょう。そしてこの人こそキリストであると確信して家路に着いたでしょう。先生の短文を読んでいてそのような事を考え、言葉は神と共にあり、言葉は神であった事が実感として迫ってくるような気がしました。(近畿地方の方)

○はこ舟2004年1月号を読んで。
詩篇七十三篇については、悪しき者がなぜ栄えるのか、そのことに関しての我が悩み、そうした矛盾の解決の道はどこにあるかなどとありまして、はこ舟や元日礼拝のテープを参考に紙に写しながら読みました。
自分がふだん思っていることを語ってくれているなぁと思いました。ただ私の場合はまだ心が定まっていないと思います。
時に他人の行いに対して腹を立てている自分に気づき、ああ、こういうとき、相手の人がイエス様のことを知って罪が贖われます様に祈りなさい、と書かれていたなぁと思い出して心の中で静かに祈るようにしています。
どうかもっと聖霊が注がれて、イエス様を絶えず仰ぐことが出来ますように。
綱野さん、宮田さん、アシュレーをありがとうございます。毎月楽しみにしております。
集会の皆様に神様のご祝福がありますように。(関東地方の方)

○今月はいつもの、はこ舟、今日のみ言葉、に加えて野の花が届けられまして、御恵み
をたくさんいただきました。まことにありがとうございました。「野の花」の御一人一人の文章を丁寧に読ませていただきました。どのかたも、みな、人に格好よいところを見せた文章ではなくて、あるがままのご自分を神様に捧げていると思いました。
十字架にしかすがるものはない、とはっきりした信仰の原点に立っているのが感じられました。…心砕かれ、そして心洗われました。(関東地方の方)


返舟だより 2003年12月号

○私が毎月2回程度、希望者に送信している、「今日のみ言葉」に関する返信です。

・「今日のみ言葉」を、ありがとうございます。 この世ににいて、「神の国」が戴けたらすばらしいことです。
 私はいつも 「聖霊」を下していただけることを切望しています。
 「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈悲、善意、忠実、柔和、自制であってーー」(ガラテヤ5.22-)とあります。
 このような心の状態が得られたら、まさに「神の国」にいることになるでしょう。
 「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリント第一3.16)と言われていますが、そのような状態にはほど遠い自分を思います。
 「聖霊」が日々豊かに注がれることを祈るばかりです。
 添付の写真は、いつも素晴らしく心洗われる思いです。(関東地方の方)
・「み言葉」、ありがとうございました。
「神の国」とは、神のご支配そのもの・・・ほんとうに不思議に思います。そして、こういったカラスウリなどの叡智のかがやきのような色は、人の世における神のご支配への「入り口」のように思えます。
 以前は「地獄の入り口」みたいなものが見えましたが、この頃は消えてしまいました。なんという感謝でしょう。(四国地方の方)

○電話番号の追加
十二月二十四日から、私の家の電話番号をつぎの電話番号に変えて、電話していただくと、全国どこからでも、3分10.5円という低料金となります。現在のNTTの電話では、昼間なら、60キロを超えた地域との通話料金は、3分40円ですから、4分の1ほどになります。
 私(吉村)の家の新しい電話番号  050-1376-3017
なお、いままでの電話番号(08853-2-3017)も使えます。


返舟だより  2003年11月号

○…毎月「はこ舟」をありがとうございます。初めて手にしたときは、難しいなあと頭をひねりながら読んでいましたが、最近は「はこ舟」を読むのが楽しくて、意味深い事を教えて頂けるので、「そうなんだ」「そうなのか」と何かを発見する喜びのような感動が起こります。「聖書を一章ずつ」「今日の力」という本、そして「はこ舟」の一ページを最小限読むことにしています。楽しみの日課となっています。(近畿地方の読者から)

・私は、聖書の意味の深さをますます知らされているのですが、はこ舟においても、聖書が伝えようとしている真理のメッセージの一端を少しでも紹介できたらというのが、願いです。

○はこ舟十月号をお送りいただき、ありがとうございました。これほど私の心の痛みをとかしていただいたことはございませんでした。感謝でございました。…(関東地方の方)

・どの記事が印象に残ったのか、わかりませんが、主が用いられるとき、小さなものでも、予想していなかった働きをするのを感じています。

○…「はこ舟」八月号を読んで、特に「よきものを見つめること、否定すること」「人間の弱さ」の文章に心が動かされ、いままでに感じたことのない気持ちになりましたので、書かせていただきました。何か、すーっと入っていけるという感覚か、自分の力を抜いていけるという感覚かわかりませんが、いままで遠くに感じていたものが近づいたという気持ちにおおわれました。
放蕩息子の話はこれまで、何度か「はこ舟」のなかで読ませて頂きましたが、勧善懲悪の考え方がしみ込んでいる私には、(放蕩な限りを尽くした息子を、悔い改めたからといって罰することもなく、喜んで受け入れるというのは)、どこかで受け入れられないものを感じていました。それは悔い改めて帰って来た弟を受け入れようとせずに、父の愛にみちた対応を非難した兄の気持ちと重なるところです。
八月号のなかの「自分中心に考えることが、大切なことを見る目を曇らせてしまう」という一文が、深く心にしみました。
これまでどれだけ自分中心に生きてきたことか、自分を出すことが強く生きるということだと、真剣に考えていました。しかし、今、自分の力を抜き、他者にゆだねることによって、よき結果をもたらすことになるということがわかり始めてきました。そうした姿勢が、広く事物を見渡せることにつながると思えます。
自分は弱いものだと思っていましたが、年を重ねると強く生きられるとも信じていました。しかし、最近では六十歳を目前にしてますます弱くなっています。いろいろの不安に襲われます。一方で、草木やいきものに慰められるのも事実です。それらが、神によって造られ、神から人間に向かってある意図されたものが込められているのを知るとなんだか安心に変わるような気がします。…(四国地方の読者から)

○大変わかりやすい平易な言葉で、福音の真理が語られております御誌に、心からの感謝をもって、繰り返し読ませていただいております。「受け身に生きる」「語りかける神」など、聖書のみ言葉とその御心が直接に伝わってくるように思えます。私どもも、これから集会などで語りますときに、大いに参考にさせていただきたいと願っています。…(関東地方の方)

○大分の集会のときも、四曲ほど私が選んだ讃美をしていただきましたが、そのうち、讃美歌21469番「善き力にわれ囲まれ」という讃美の歌詞は何人かの方々に、とくに今回のテーマであった、「終わりなき希望」との関連で印象に残ったようでした。
ヒトラーの迫害によって、敗戦直前に処刑された、ドイツの牧師、ボンヘッファーの獄中での詩に基づく讃美でした。もうじき殺されるというような悪の力のただなかに置かれていても、彼は、つぎのように書いています。「善き力にわれ囲まれ 守り慰められて、世の悩み 共に分かち、 新しい日を望もう。 たとい、主から差し出されるさかずきは苦くとも、恐れず、感謝をこめて、愛する(神の)手から受けよう。善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。」私たちも、心を暗くさせるような出来事が多い昨今ですが、そうしたただなかで、神の善き力に囲まれているのを実感し、神の時を待ち望んでいきたいものです。


返舟だより  2003年10月号

○八月に行われた、京都桂坂での近畿地区無教会・キリスト教集会に参加できなかった人に、一部の録音(CDに書き込んだもの)を差し上げましたが、そのなかでつぎのような感想を書いてこられた方がいました。

…自己紹介と特別讃美のCDをいただきましたが、この方々の心の内には主が住んで下さっているのだろうと思わされました。また、プレイズ&ワーシップの156番の「(聖霊の)油を絶やすことなく」という讃美を聞いて涙とともに自分のごうまんさに気付かされ一杯反省させられました。
音楽は病人の心とからだを癒す力があると日野原重明さんが言われていましたが、本当にこの156番の讃美によって疲れすぎていた体もストレスだらけの心も何か軽減した気になりました。また、このCDにより、信仰に基づいてしっかり立っている人の生き方を学ばせていただきました。…

・また、別の入院している方ですが、「祈りの友四国グループ集会のテープ御送付下さり、お礼を申します。私たちには何よりのテープ、何度でも、聞ける利点に、落ちている記憶力にもテープによるみ言葉の説き明かしが心に良く入ってきます。…」と書いてこられた方もいます。

・録音したものは、会場の霊的な雰囲気や実際の参加者たちとの生きた交わりもなく、一方的に聞くだけですが、それでも主が用いられるときには、録音した一本のテープやCDも必要な働きをすることがわかります。入院している人や、老齢化や病気のため自宅で過ごしている人たちにとって、録音したものによって、参加できない集会の内容と共に時には、霊的な雰囲気も受け取ることになるようです。
私たちは主が用いて下さるのを信じて、どんな小さなものであっても、何かを生み出し、それを主のまえに差し出す心で用いていくと、実際に主が意外なところでその志を用いて下さるのを実感することができます。

○去る十月の十一日(土)~十三日(月)まで、偶数月の第二日曜日をはさんで、いつものように、阪神地方のいくつかの集会にてみ言葉を語る機会が与えられました。神戸市の夢野集会(上田宅)、大阪狭山聖書集会(宮田宅で、日曜日と月曜日の二回)、高槻集会(佐々木宅)、大阪府泉南市の川澄宅での家庭集会です。私たちの集会の三名の同行者とともに参加することができました。今回は、いつもの参加者の他に、山陰地方から初めての参加者がありました。その方は、ホームページやメールを通じて交わりが与えられるようになった、大学生で、神戸と大阪狭山での集会に参加されました。今回初めて会ったのですが、メールで何度か連絡を取ったり意見交換などして、ホームページも見ていたので、いろいろと話す機会ともなりました。このように、インターネットによって新たな交わりや働きが紹介されたり、学びの場となったりすることもあります。


返舟だより 20039月号

○静岡の集会との相互の訪問
八月二十三日(土)~二十四日(日)に、静岡の石川 昌治ご夫妻が来徳され、訪問や集会での聖書講話がなされました。土曜日の午後に徳島に到着されてから、徳大医学部付属病院にもう十八年間も、医療過誤によって入院している勝浦良明兄を訪ね、さらにその後は、やはり別の病院に長期入院されている、板東テル子姉も訪ねて主にある語らいと祈りをして下さいました。
病院で長い間単調な生活をしている方々にとっては、遠くからの信仰に生きるキリスト者の訪問は心に新しい風をもたらすものとなることが多いと思われます。二十四日(日)の主日礼拝では、旧約聖書のダニエル書の一章、三章によって、信仰の旗印をはっきりとさせること、そこに神の守りと力が与えられるということが語られました。四十二名ほどの参加でした。
こうした一年に一度の特別集会をすることによって、ふだんとは違った神の力がはたらき、初めての方や日頃あまり参加されない方もみえたりして、私たちの祈りを聞いて下さる神を思います。

私(吉村(孝))も、一年に一度、静岡を訪問して、聖書の言葉の真理を語っています。今年は、九月十三日(土)~十四日(日)でした。十三日の土曜日には、静岡に到着後、石川昌治ご夫妻と、西澤 正文兄とともに、清水市の水渕 美恵子姉と石原 正一ご夫妻宅を夜に訪ねました。水渕姉は、体調が十分でなく、集会にも出られないとのことで、短い時間ですが、聖書を読み、言葉を学び、ともに祈ることができました。石原正一ご夫妻宅でも、初めての訪問でしたが、ここでも主にある交流が与えられ、顔と顔を合わせて語ることの恵みを思います。
十四日の日曜日には、詩編の三十二編、三十三編を語りました。
その内の、三十二編が今回の「はこ舟」に掲載したものです。詩編は、単なる人間の感情でなく、神といかにふかく人が結びつくことができるのか、何が真の幸いなのか、世界を支配するものは何か、終末にはどうなるのかなどといった人間と世界の根本問題が記されています。多くは、深い苦しみや嘆きのただなかから、歌われたものですが、それらはそうした苦難のときであったゆえにいっそう激しく神を求め、その力を求める真剣な信仰の心がにじみ出ています。
静岡地方の方々だけでなく、下田や、千葉、東京からの初めての参加者もあって、み言葉がそうした人たちも引き寄せたのだと思ったことです。いつの時代にも、人の心を惹くものは数々ありますが、つぎつぎとそれらは消え去り、移り変わっていきます。しかし、聖書の言葉だけは、数千年を経ても、一貫して人間の魂を引きつけてやまないものがあります。

○今回の聖書講話のために、静岡に行くのは、車を用いることにしました。徳島から、高速バスや新幹線で乗り継いで行くのと、車でいくのとは、所要時間はそれほど変わりません。車で行くと、途中での立ち寄りができるという利点があります。「はこ舟」の読者とか「祈りの友」、あるいは以前からの主にある友人、知人が各地におられるので、そうした方々のところに帰途に訪問を少しでもできればと願って、道路事情などにも慣れておくためでした。
今回は、静岡からの帰途、浜松市の溝口 正兄をお訪ねすることができました。溝口さんは、長く盲学校教師を勤められたことで、私が盲学校で教えていたとき、ある大きな問題をともに担っていただいたこともあり、以前の四国集会の講師としても来ていただいたこともある方です。長距離運転のため、体調の問題もあり、寄り道できるかどうかは当日にならないとはっきりしなかったので、事前に立ち寄ることも連絡してなかったのですが、ちょうど、溝口さんだけが在宅しておられ、突然の訪問でしたが、主にある愛をもって迎えて下さいました。ちょうどその日の午後は、数十年の長きにわたって毎月一度続けておられる、「憲法を守る平和行進」をされたあとで、お疲れもあったと思いますが、主に支えられたお元気な姿で、午前中に主日礼拝が行われたというその部屋にて、主にある交わりのひとときを与えられて感謝でした。
もう三十五年以上も毎月一度続けておられるということ、キリスト者の方が八割ほどで、キリスト者でない方々も加わっておられるとのこと、このような平和への訴えを一、二回することはよくあっても、数十年も四百三十九回という長い歳月を続けるということのなかに、神の導きと支えを感じたことです。


返舟だより  20038月号

○近畿地区無教会集会
八月九日(土)~十日(日)の二日間、京都桂坂にて、大阪狭山聖書集会が中心となってお世話くださり、近畿地区無教会・キリスト教集会がありました。ちょうど台風の四国地方への上陸と重なり、愛媛県の南部や松山、徳島などの参加者は、フェリーがとまって、JRに変更して長い時間をかけての参加となったり、高速バスが出ないので、三時間ほどもバスを待つことになったり、いろいろの妨げがありましが、全員参加できました。ほかに、近畿外では東京や鳥取からの参加者もあり、五十五名ほどの集まりでした。講師としては東京から日永康氏が、内村鑑三についての講演、私(吉村(孝))は、旧約聖書の信仰、新約聖書の信仰について聖書講話を担当しました。若い人も参加がだいぶあったので、若者の集まりも設けられ、初めての方、日頃参加したことのない方も参加があり、み言葉の学びや主にある交わりが与えられて、新しいいのちを与えられた思いでした。主はいろいろの主にある集まりを祝して導いて下さることを実感したことです。


返舟だより   20037月号○毎月、「はこ舟」をご恵送賜り、ありがとうございます。私は一九五三年に、病気がいやされて上京しました。聖書を手にして間もない私が田舎から心に刻んできたのは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ福音書六・33)ただ一句でした。
学問なし、健康に自信なしの私を以来支えて下さった聖句でした。しかし、その意味はわかりませんでした。わからないけれども、神様、イエス様の存在を信じ、迷いながらも道草を食いながらも、信じる歩みを続けることができ、「これらのものはみな、加えて与えられる」恵みを体験できました。
それだけに、「はこ舟」五月号、六月号における「神の国」についての解きあかしを感銘深く拝読いたしました。三回繰り返し拝読しましたが、これからも読ませていただくことと存じます。
「復活も、十字架」での罪の赦しも、神の国(支配)が直接的に実現したことを意味している」、「神の国」の中にキリスト教のすべてが満たされているのだと思います。…(関東地方の読者から)

○お祈りと充実して深いみ言葉を有難うございます。本当にそうだなぁ!と、ハッと揺さぶられたり、四国の風に…当たりたいなぁ!!と、郷愁を覚えながら、ここで今できることを模索しています。
…濃霧がかかっても雨上がりには、なお一層さやかに、より近くに雄大な山々が姿を現します。そして 神様の御まなざしを想います。
…私は「はこ舟」のメッセージを重く受け留め、平和と反戦の課題を、地域の人たちと祈り、考えて行きたいです。(関東地方からのメール)

○毎号感銘を受けています。今月号、「神の国とは何か」に特に…。再読三読を誘われるほど。今回の記事は長文にもかかわらず最後まで休まず(小生は視覚障害者)読み終えました。(中部地方の方)



返舟だより   20035月号○ミレーとコローの画集を見ての感想を送って下さった方がいます。
 …ミレーの絵を通して堅実な静けさの世界を知ることができ、コローの絵を通して天上から来る光と力に照らされた物が天上に憧れ向かっている姿を知ることができました。 
 天も地も祝福された目で見るとこんなに美しく映ることを知りました。私もどんなところにも神の愛を見付けていきたいと思います。
植物にはこんな清い神様の愛が込められていて罪がないことを知らされてきましたが、どんな所にもこの愛を認めていけるようになったら人生観が変わると思いました。み言葉の中にこのような世界に開かれる鍵があると思います。み言葉をいつも「食べさせて」頂けることに感謝です。(四国の読者の方より)

○四月二九日に、東京でのキリスト教独立伝道会主催の講演会で、「悔い改めよ、天の国は近づいた!」という題で、一時間ほど話させて頂きました。講演というより、私はこの世で出会うさまざまの言葉のうち、最も大切な神の言葉についてその意味の深さの一端を何とか紹介できたら、そして、その聖書の言葉にこめられた、私たちへの神からのメッセージは何かということを伝えたいという気持ちがいつも心にあります。 人間のいろいろの知識や研究、社会的評論などは、一時的に興味深いものではあっても、決して闇にある人、絶望的な状況にある人を救うことなどできません。しかし神の言はどんな苦しみにある人をも、救う力があります。私自身も短い神の言によって、救い出され、今日あるを得ています。その大いなる神の力になんとか働いて頂きたいという願いをもって語りました。
 今回の講演会には、「はこ舟」の読者からも参加者があり、同じ神の言葉に支えられ、導かれているという思いを新たにして頂き、ともに祈りを合わせ、そこで神の言を共に深く受け止めることができ、感謝です。
 後で、何人かの若い人たちの希望があって、時間を過ぎていたのですが、語り合うひとときを与えられ、若い世代の人たちに主が働かれ、み言葉のために生きる人をさらに起こされますようにと願ったことです。 また、夜は埼玉県の栗原庸夫さん御夫妻のお家にて一泊をさせて頂き、主にある愛のこもったもてなしをしていただきました。翌日も羽田までも車で送って下さって、今回は私の体調が十分でなかったので助かりました。
○…先日は、「はこ舟」五〇八号をお届けいただき、嬉しく読ませていただきました。私も八十歳を越えていて、すっかり体力的にも乏しくなり、以前は教会に礼拝は出かけていましたが、脳梗塞の再発がいつあるやも知れない身体状況ですので、外出もままならず、信仰の寄る辺は、いただいている「はこ舟」が何よりの頼りで、毎回の発行を楽しみに待ちわびています。…会員の皆様によろしくお伝え下さい。(近畿地方の方より)

○…そしてずっとページを繰っていき、「闇の中の光」、私もあの旧約聖書の最初の家庭の、アベルとカインの兄弟殺しの記事は、今までいろいろと答えや教えも頂いたりしても自分で納得できずにいました。この十ページに書いて下さってあること、「…聖書が現実を決して逃げないで見つめるという鋭いまなざしを持っていることの一つの現れなのである。このような闇こそが、現実の世界の実態なのである。その実情に直面していかにして私たちは生きていったらよいのか、そこにどんな救いの道があるのか、それをまさに指し示している。…」と教えて下さってあり、私は、三十年間理解できなかった問題を今やっと見つけることができました。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 次のページの預言書ミカのところ、「…最も関わりの深い肉親同志すらその平和がくずれ、信頼が失われ、憎しみが取り巻いていく。」ここで、私は○○さん、○○さんのことを思いました。
 そして「しかし、私はそれらのあらゆる流れに押し流されずに…」ここもとてもよく理解させて頂きました。毎月毎月私は「はこ舟」によっていろんな疑問を答えて頂き、また友にも教えてあげることができ、これ以上の感謝はございません。そしてそのたび毎にほかのどんな書物よりも私の老いの頭にはっきりと教えて頂くことのできる「はこ舟」を毎月驚きのまなざしで読ませて頂いております。…(四国の読者の方より)
・以上ふたつの返信は、いずれも老齢の方々からのものですが、「はこ舟」を読んで、そこに述べられている、神の言葉の持つ力に惹かれていることがうかがえて、神の力はこうした人生の晩年におられる方にも不思議な力を与えるのだと感じています。いっそう主がそうした老齢の方々にも、み言葉の力を与えて下さいますように。

○「今日のみ言葉」のメールへの返信から
キリストの大きな愛を受けながら、自分の周りの人たちへの愛の足りなさを日々反省しております。
「愛にしっかりと立つ者としてくださるように」と祈っています。
 今年三月に、世界的な脳科学者(松本元さん)が、六二才の若さで昇天されました。一般紙でも紹介されたので、ご覧になったかも知れませんが、彼は「愛は脳を活性化する」という説を学会などで堂々と述べ、岩波書店からもこの題の著書を出しています。
 友人の子息が交通事故で脳をやられ植物人間になると宣言されたものがご家族の愛によって快復したのを目の当たりにしたのがきっかけでキリスト教に関心を持ち、熱心なクリスチャンになられ、深くキリストの愛のことを学ばれました。
 その告別式は、まさに「愛」のことで一杯でした。牧師さんの説教も、関係者の弔辞もそのことが中心でした。大変感動的な告別式でした。彼はエネルギッシュな研究者でありましたが、接する人すべてに明るく愛をふりまくタイプでした。
 日本の脳研究のリーダーの一人であり、新しい脳型コンピュータの開発構想の具体化に向けて邁進していた途中でありました。本当に残念なことをしました。今日のみ言葉に関連し、ちょっと書かせて頂きました。 主にあるお働きとご平安をお祈り申し上げます。(関東地方の読者より)

・確かに神からの愛は、脳という人間精神のもとを活性化するのだと思います。神の愛を受けて生きている人は、若々しい状態で保たれるのは多くの人が実感していると思います。脳を活性化することはまた心を活性化するし、からだも、活性化していのちに満たしてくれるのだと思われます。

○四国集会
 第三〇回のキリスト教無教会四国集会が、松山市で開催され、五十名あまりが参加できました。今回は、初めて松山聖書集会の代表者、冨永尚兄が責任者となって開催されたもので、従来とはちがった新鮮さと行き届いた配慮が感じられた集会でした。またこの四国集会のために、ずっと祈りをもってなされ、私たちの集会でも礼拝や各地の家庭集会でも祈りを合わせてきたことでした。参加者は、四国四県以外に、福岡、広島、鳥取、神戸、大阪などからでした。テーマは「神の国」ということで、この重要な言葉について、聖書ではどういわれているのか、現在の私たちへのメッセージは何かということで、四人の講話担当者がみ言葉の真理の一端を語りました。
 グループ別集会では、静かな落ち着いた雰囲気のなかで、特定の人の長話や、議論にたけた人の一方的な話しもなく、全体として参加者がそれぞれ信仰の歩みや証し、主からの恵みなどについて語り合い、今後も、ともに主を信じる者として、互いに愛し合う(祈り合う)ための基礎となったことと思われます。



返舟だより   20034月号主催県は四国の三県(愛媛、高知、徳島)が順番に交代していますので、三年に一度その地元に出向いて、その県の信徒の方達との交わりを新たにしていただけます。今回も、ずいぶん久しぶり、十年ほども会ってなかった方々やこれまであまり語ることもできなかった人とも出会う機会、語り合う機会も与えられ、主がそのように主にある親しい交わりへと導いて下さっているのが感じられました。
 使徒パウロは、ギリシャの都市コリントのキリスト者たちに、
「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。」と祈っています。(Ⅱコリント一三・13
 四国集会は確かにこうしたキリストの恵み、神の愛、そして聖霊の交わりを与えられた集会だったと思います。私たち一人の信仰生活でも日々こうしたものは与えられることですが、年に一度の祈りが込められ、多くの時間とエネルギーが費やされた集会においては日頃与えられないような賜物が与えられることもまた事実です。今後ともさらなる主の恵みと祝福が四国集会に与えられ、主の栄光があがめられますように。
○ミレーとコローの画集を見ての感想を送って下さった方がいます。
 …ミレーの絵を通して堅実な静けさの世界を知ることができ、コローの絵を通して天上から来る光と力に照らされた物が天上に憧れ向かっている姿を知ることができました。 
 天も地も祝福された目で見るとこんなに美しく映ることを知りました。私もどんなところにも神の愛を見付けていきたいと思います。
植物にはこんな清い神様の愛が込められていて罪がないことを知らされてきましたが、どんな所にもこの愛を認めていけるようになったら人生観が変わると思いました。み言葉の中にこのような世界に開かれる鍵があると思います。み言葉をいつも「食べさせて」頂けることに感謝です。(四国の読者の方より)

○四月二九日に、東京でのキリスト教独立伝道会主催の講演会で、「悔い改めよ、天の国は近づいた!」という題で、一時間ほど話させて頂きました。講演というより、私はこの世で出会うさまざまの言葉のうち、最も大切な神の言葉についてその意味の深さの一端を何とか紹介できたら、そして、その聖書の言葉にこめられた、私たちへの神からのメッセージは何かということを伝えたいという気持ちがいつも心にあります。 人間のいろいろの知識や研究、社会的評論などは、一時的に興味深いものではあっても、決して闇にある人、絶望的な状況にある人を救うことなどできません。しかし神の言はどんな苦しみにある人をも、救う力があります。私自身も短い神の言によって、救い出され、今日あるを得ています。その大いなる神の力になんとか働いて頂きたいという願いをもって語りました。
 今回の講演会には、「はこ舟」の読者からも参加者があり、同じ神の言葉に支えられ、導かれているという思いを新たにして頂き、ともに祈りを合わせ、そこで神の言を共に深く受け止めることができ、感謝です。
 後で、何人かの若い人たちの希望があって、時間を過ぎていたのですが、語り合うひとときを与えられ、若い世代の人たちに主が働かれ、み言葉のために生きる人をさらに起こされますようにと願ったことです。 また、夜は埼玉県の栗原庸夫さん御夫妻のお家にて一泊をさせて頂き、主にある愛のこもったもてなしをしていただきました。翌日も羽田までも車で送って下さって、今回は私の体調が十分でなかったので助かりました。



返舟だより  20033月号○私たちのキリスト集会では、もうずっと前から、クリスマスの特別集会とともに、復活祭(イースター)にも特別集会をするようになっています。それは、いつもの日曜日の礼拝集会とちがって、「子供とともに」とか、「讃美のひととき」、「証しと感話」、それから「食事と交流の会」などのプログラムをもうけて、とくにふだんは礼拝集会などに参加していない人たちにも働きかけて、最も重要な「復活」ということの真理に触れて頂くという目的です。
 特別集会とすることによって、一ヶ月以上前からそのイースター集会が祝福されるようにと、祈りをもってそのことを覚え、備えていくことで、主がそこに働いて下さり、ふだん参加していない人や初めての方なども参加されて、いつもそこに新たな神の恵みを与えられて感謝です。

○…ストー夫人の「アンクル・トムス・ケビン」の言葉のなかに、聖霊に導かれた言葉のあるのに今も心の糧を与えられています。フローレンス・ナイチンゲールについて、また内村鑑三の文語の文章を、現代文にわかりやすく直した文を読み、益を受けています。…(関東地方の方)

・この方は、八〇歳を越える方ですが、この方が、今年三月二四日に書いた原告意見陳述書を送って下さいました。これは、テロ対策特別措置法と自衛隊の海外派兵に反対する原告団、二百五十三人による訴えに伴って書かれたものです。
 自分はかつての日本軍人として誇りをもっていて戦争に加わっていたが、敗戦のときにいたベンガル湾の島から無事、生きて帰ることができた。二六歳までは、明治憲法のもとに生きて、それ以後は日本国憲法のもとで生きてきた。そのために、「このふたつの憲法の中に生きてきた者として最も深い印象は、日本国憲法がいかに優れた憲法であるかを身をもって体験したことであります。…」そのあとで、この二つの憲法の本質的違いを列挙し、とくに最近の自衛隊派遣や新しい法律制定のことへの強い反対を述べています。
「…この日本の自衛艦派遣を可能にした法律、テロ対策特別措置法を憲法違反と言わずして何を憲法違反というべきでしょうか。私たちの誇りとする平和を守ってきた憲法第九条が無視され、蹂躙されることにこれ以上黙することができず、テロ対策特別措置法海外派兵違憲訴訟の原告の一人に加わった次第であります。三権分立、司法の権威を守る裁判長が、この法律の違憲性を直視して、歴史に残る英邁(えいまい)な判断を下されんことを国民の一人として心からお願いするものであります。」
 一切の戦争に加わらないとする、日本の平和憲法の精神こそ、現代のような不安定な時代にいっそう重要性を帯びていると考えます。そしてこれは、聖書にあるキリストの精神にもかなうものであり、キリスト者としてもこの憲法をなし崩しにしようとする勢力に反対するものです。



返舟だより   20032月号

○文集「野の花」についての関西在住の読者からの来信です。この方は私の大学時代からの信仰の友です。

…野の花のように、さまざまの色あいと輝きに満ちた文章が、記されていて肝銘を受けました。心に播かれた良き言葉は、長く思いめぐらすうちにいつしか成長するもののように思われます。…日夜のみ言葉に関わる活動がそのような良き言葉の輪を周囲に広げている様子が文集を読むと目に見えるようです。
 イラク問題、北朝鮮問題、パレスチナ問題、その他各地で起こる爆弾テロと今の世界にはあちこち暗雲が漂っているようです。
 「はこ舟」で吉村さんがイザヤ書によって述べられたとおり、光を見いだすことがとりわけ大切であると思います。心に光が射し込んでくる言葉を探したいと願われます。そのような言葉をたくさん運ぶ「はこ舟」に感謝しています。…

・聖書はいつの時代の闇をも照らす光に満ちており、その光の幾分かでも受け取った魂は、やはり何らかの光を周囲に投げかけるものだと思います。
 私たちがキリストの光をさらに受けて、それをまわりにも分かつことができるようにと願っています。

○次は無教会のキリスト者で、関西の大学で長く教鞭をとってこられた方からの来信です。

…日本のマスコミは、拉致といえば拉致(それも公けになるまでは黙しておいて)、ノーベル賞といえばそのことばかり大騒ぎして、最も大切な戦争責任のことや仰せの科学者の責任のことは、語らずじまいで、これは昭和初期の満州事変に太鼓を叩いたのと同じやり方です。時ますます悪化、責任の重さを覚えます。…

・政府やマスコミがある特定の方向に引っ張っていこうとするとき、それに抗して真理の側につくことは、上よりの力を頂き、たえず神の守りの内に置かれていなければ困難であるのは、戦前のキリスト教界の状況を見るとわかります。 主よ、とくにキリスト者がつねに聖書の真理に固く立つことができるように、守って下さい!
 
○関東地方に在住の方からの来信です。
○文集「野の花」についての来信から
…「はこ舟」や文集「野の花」をお送り下さいまして本当にありがとうございました。読み通すのに日時がかかり、お礼の応答が遅くなり申し訳なく存じております。殊に、文集に収められた文の数々に表された、信仰の喜び、感謝、希望…が皆様お一人おひとりの文面に溢れ、小生も励まされ、喜び、反省することしきりでございました。…  (関東地方の方)

○会社を支えたもの(最近の来信より)

 …企業も私は根本精神は心をこめて、よき製品をつくり、それを廉価で販売すること、しかし企業努力、創意工夫は必要と思います。しかし、そうした縁の下の力持ちばかりでは、押しつぶされてゆくのでしょうか。私は私の里が、呉服の製造卸でしたが、親族の者が染め物の指導の方を担当し、心を込めていい商品を作ってきました。利益よりもまず、能力と体を精一杯使って心を込めて、いい色のいい製品を作ることにかけてきました。
 その結果、この不況下に昨年、黒字で借金も一銭もなく、(経営していた親族の者が高齢となったので)会社を終えることが出来、会社は○○会社や他の何社かが株を買って引き継ぐことができたのです。本当にこつこつと、ただ、みんなが着て喜ぶいい物をと、心をこめてしたことが神様が支えてくださったと嬉しいでした。(その着物は○○会社の全国のデパートでのブランド商品となっていたものでした)
 一人一人が、自分の利益、目先の利益よりも本質的なことに目を向けて、地道に働けばと思うのです。愛真高校の目標に心から同感しつつ、こうした小さな働きや動きがいつかみのる日を心から神様に祈ります。…(関西の読者の方より)

○会社や国家社会では、個人の真実な心などが通用しない、駆け引きや策略、偽りが当然なのだという議論はよく耳にします。現在のような戦争の前触れのような状況になってくるといっそう国同士もそうした不真実な駆け引きをもって自国だけの利益を第一にしようとしています。外交ではいかにたくみに嘘をも用いるかだなどということをいう政治家もいます。しかし、そうしたことはすべて神を知らないことからきます。主イエスはそうした言動について、「あなた方は聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」(マタイ二二・29)と言われるでありましょう。

…人生の目的と理想はキリスト信仰に生き、神の国に救われ、神の栄光を現すに在り。
「はこ舟」、「野の花」、メールの「今日のみ言葉」、集会のテープ、何もかもが私に語りかけてくれています。
 私一人が試練に置かれているのではないことを知ります。
今こそ、酸素は「生きよ! 生きよ!」と私に注いでくれています。すべては神の栄光のため。

・酸素吸入をしつつ、一人で自宅療養を続けられ、病気の重荷を主にあって担われている方です。私たちの礼拝集会のテープもこのような方に少しでもお役に立っていることは感謝です。いっそうの力を主が注いで下さいますように


返舟だより   20031月号

○「ことば」の欄に、ヒルティ著「眠れぬ夜のために」からしばしば用いているのは、それを各地の聖書をまなぶ家庭での集会において、聖書を学んだあとで、少しの時間をとって、大体はその日の一項目だけを読書会という形で短時間ですが、学んでいるからです。この書物は毎日の日付とともに短い文と聖書の引用などがあって、短時間しか充てられない場合には好都合なのです。聖書でわかりにくい内容であっても、ヒルティの著作であらたな理解が得られたりする方もあります。内村鑑三の著作は月に一度の読書会で学んでいるので、それも時々引用することがあります。

○来信より
…「はこ舟」を毎月拝読しております。
 お送りいただくようになって約一年になりますが、「はこ舟」を読むようになって(ホームページ含む)、聖書のこともさることながら草花や星々、野鳥などに興味を引かれるようになりました。今まではまったく気にも止めなかった家の周囲や職場(紡績工場)の中に咲く草花に目が引かれるようになり、名前を知りたくて図鑑を購入して調べたり、夜空の星を観察するために「星空ガイド」などを購入したりしています。
「はこ舟」十一月号を読んで明け方の空を見ると、本当に金星が美しい輝きを放っているのを見ることが出来ました。
 また、木星は昨年の今ごろは、夜オリオン座の近くに見られたのに今年は朝方に金星と一緒に見られるんですね。今の時期は星々がいちばんきれいに見ることが出来ます。(九州の読者から)