編集だより 2007年12月 562号
○活字
今月号から、読みやすくするため、活字を少し大きくしてあります。この「いのちの水」誌の紙面は、すべて私のパソコンで入力、編集、レイアウトしているので、活字を自由に変えることも簡単にでき、今までも、頁にきちんと収まらないときには、特定の部分だけ行間や、字間を変えたり、活字の大きさを変えたりしてきました。
このように自由にできるのは、パソコンによって机上で編集できるようになったからです。
○パーソナル編集長
この「いのちの水」誌は、「パーソナル編集長」という印刷ソフトを用いています。
こうした文章の入力というと、ワードとか一太郎というソフトをほとんどの方々が用いているようですが、そうした一般のワープロソフトより、編集、レイアウト専門のこのソフトがはるかに操作性が高いので、こうした印刷物を定期的に作っておられる方は、このパーソナル編集長というソフトを試して見られることをお勧めします。
○集音器について
いつもは県外への聖書講話に関する旅のことは編集だよりで書いていますが、今回は長くなっているので別稿としました。
今回、福岡のHさんが、若いときの薬の副作用によって難聴であるのが分かり、持参していた集音器を試みたところ効果的なのが判明してHさんは、その場でそれを購入されて、日曜日の教会の説教も聞くことができたとの連絡がありました。
また、やはり今回立ち寄った兵庫県のM・Hさんも難聴で祈祷会のときには離れたところにいる人の祈りが聞きづらいとのこと、それで私の持っていた予備のその集音器を試すと使えるのが分かり、それの商品名を告げてインターネットで購入できる旨を伝えておきましたが、私が帰ってすぐに息子さんが注文されて購入され、その後に開催された市民クリスマスでその集音器を用いたところよく聞くことができたとの連絡がありました。
一〇万、二〇万円といった高価な補聴器が一般的には知られていますが、私が紹介した集音器は通信販売では、一万円(送料、税込)程度で入手できます。(インターネットではもう少し安価で購入できる場合があります。)
耳に近づけて会話が何とかできる程度の難聴ならこの集音器が安価で効果的です。これは耳に入れる小型のものでなく、イヤホンと本体が分離しているタイプのものです。最近の高価な補聴器は小さくして耳の中にはいるほどですが、そのように小さくすると見た目には難聴ということが分からないようになって(特に女性は髪で耳が隠れるので)よく売れているようです。しかしこのような小さいタイプのものは、マイクとイヤホン部分が接近するので音を効果的に拡大するのは本来的に困難になるのです。
ですから、効果的に音を拡大し、入ってくる音量を自分で自由に調整できるためには、本体とイヤホン部分が分離した大きめの箱型のものが効果的なのです。難聴だと思われるのがいやだという場合には、高価な小型の耳に入るタイプの機種になりますが、難聴と見られても構わない、そのほうが相手も注意して話してくれるといった場合には、この集音器がよいのです。
私はかつて多くの聴覚障害者の聴力障害のレベルを機器で測定し、補聴器の調整をしていたことがあるので、少し対話したり聞き取りを調べるとこの集音器が使える人かどうかが大体分かるのでいつも県外に出向くときもこの集音器を持っています。
これは直接信仰のことと関係ないことですが、集会の聖書講話あるいは説教が聞きにくくて困っている方々は多いと思います。高価な補聴器を購入することも難しい場合もあります。またそれを購入してもそれほどよく聞こえないという方々にも何度か会ったことがあります。集会(教会)に行っても、肝心の聖書講話や説教が聞き取れないのなら、聞き取ろうとして疲れるだけです。
また病人とかの訪問でも、相手に大きい声で言ってもらわねば分からない状況では、相手の病人も疲れてしまいますし、その人も大きい声で話すと、部屋中の他の患者さんにも会話内容が聞こえてしまい、プライバシーの点でも不都合なことになります。
その他、耳が聞こえにくいことはいろいろな点で健聴者には分かってもらえない不便がありますので、こうした集音器を使って試みることができます。一般の補聴器店では置いていないと思われますので、もし希望される方があったら、左記に書いてある吉村まで連絡ください。 なお、インターネットを使える状況にある方は、 NH-880(スーパーサウンドハンター)という型番で検索すればその形も写真で見ることができ、購入もできます。
編集だより 2007年11月 561号○来信から
・長い間、お手紙も差し上げず、真実を欠く態度でした。 「いのちの水」誌は、とても平易な言葉で理解しやすく七〇歳の私にはとても助かります。これからもよく読んでいきます。
最近はすっかり、手紙を書くことができなくなりました。が、努力して一年に一度は(感想など)書くことにします。(関東地方の方)
・…(夫が)息つく間もなく、いろいろなことが飛び込んできますが、疲れた疲れたと言いながら何とか動くことができるのは、「神の国の いのちの水」を頂いて何とか働かせて頂いていることに気付かされました。
神曲についての文章も興味深く学びました。煉獄篇が「現代の私たちに関わるメッセージが深く折り込まれていること」を知らされました。「ミセレーレ」についても、最も深い思いをこめることのできる祈りの言葉であること、ルオーの絵画をもう一度鑑賞するときも、この想いが込められていることを想起することでしょう。(近畿の方)
編集だより 2007年10月 560号○礼拝の録音CDとMP3対応CDプレーヤ、ミニコンポなど
何人かの方々は、車での移動が、長時間にわたることが多いので、車の中で私たちの集会の礼拝CDやヨハネによる福音書のCDで学びたいので…とポータブル
MP3対応CDプレーヤ希望されてきた方もいます。
また、次のような来信もありました。
・…このたびは、MP3ミニコンポをお送り頂きましてありがとうございました。…なかなか音もよく、スタイルもハイカラなので気に入っています。…徳島の集会の光景や、教友たちのことを思いだしながら(礼拝の録音CDを)聞いています。もっと早く購入しておけばよかったとも思えますが、すべて神様のお計らいで導いて下さっていることを覚えて感謝しています。
(中部地方の方)
・…家事をしながら、仕事をしながら、ポータブル MP3対応CDプレーヤで、徳島聖書キリスト集会のメッセージを聞いています。プレーヤはいつもエプロンのポケットの中で働いていてくれています。…(同右)
○他の来信より
・…私も七〇歳を越してからというもの、我ながら驚くほどの体の不調を感じて、その迫りがはやいのにビックリしてしまいます。皆、老いてこの体験をされて生きているんだな、と改めて「老人」への同情と畏敬の念を持つようになりました。
私自身両親が老いるまえに世を去って老いのお手本がなく、自分が老いてきました。「ええっ、これ何?」なんて戸惑うことばかり。自分より年上の友人などが生きる上での先生となっています。…
(近畿地方の方)
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著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四 電話
050-1376-3017 「いのちの水」協力費 一年 五百円(但し負担随意)
郵便振替口座 〇一六三〇ー五ー五五九〇四 加入者名 徳島聖書キリスト集会 協力費は、郵便振替口座か定額小為替、または普通為替で編集者あてに送って下さい。
(これらは、いずれも郵便局で扱っています。) E-mail:pistis7ty@hotmail.com
http://pistis.jp FAX 08853-2-3017
編集だより 2007年9月 559号
○ 八月二十五日(土)~二六日(日)には、静岡から西澤 正文ご夫妻と水渕 美恵子さん、そして今回初めて長野県から、松下 道子さんが同行されて、土曜日の午後の手話と讃美、植物とみ言葉の集会に参加され、そのあと、大学病院に長期入院中の勝浦
良明さんを訪ねて主にある交わりを与えられました。
翌日の主日礼拝には、「神の憐れみによって」と題してローマの信徒への手紙十二・1~8から語られました。こうした特別集会にはふだん集会にほとんど参加していない方、また時折参加する方々も集められ、神の言葉を中心として集められてみ言葉が参加者の心に留まり、聖なる風を受けるときとなって感謝でした。千葉県から実家に帰省していた高崎
祥子さんのご夫君も初めて礼拝に参加できたのも主の導きと感謝、参加者は五〇名ほどでした。
○来信より
・…貝出姉の詩集はこの前のも大変感動しましたが、今回もそれぞれ主のご栄光を放ち居り心打たれます。
「いのちの水」誌七~八月号の「働くことの意味について」この解説を読み、主の御愛に涙流れました。私も次々と試練を通らされましたが、この晩年になって微力ながらも神のぶどう園の働き人とさせていただけました。感謝にあふれます。(次の方とともに中部地方の方)
・…「いのちの水」五五八号の中の、夕暮れまでなにもしないで立っていた者に対する神様のみこころに、涙がポロポロこぼれました。残された天に帰るまでの時間を一日一日大切に、従っていきたいと思います。
・詩集(「ここに光が」)のなかの「閉鎖病棟」、「心の病」に心打たれました。病中の患者のなかにいらっしゃるイエス様を看病する難しさを推察いたします。…
(関東地方の方)
編集だより 2007年7/8月号 558号○瀬棚、東北、関東、中部などでの集会
去年と同様に、七月十二日から十五日(日)まで北海道 瀬棚聖書集会が開催されました。(瀬棚とは、日本海側にあり、北海道の奥尻島の対岸にある海に望む町)
今回のこの集会のテーマは、「神から出たもの、人から出たもの」ということでした。 私はこの期間、日曜日の、日本キリスト教団 利別教会での聖書講話も含めて、五回ほどの聖書講話の中で、神のご意志と人の思いとの関わりについて、さまざまの観点から語る機会を与えられました。
この瀬棚七月の十日夕方から、二十三日の夕方まで、二週間ほど県外に出向いていたために、「いのちの水」誌を書く時間がなく、長距離にわたる車の移動のためもあって体調も十分でなく、七月号は発行できなくなり、八月号との合併号となりました。
去年や一昨年の場合は、北海道まで航空機、そこからはJRやバスなどを用いて、東北や関東の一部に立ち寄ってみ言葉を中心とした集まりが与えられてきました。
今回は、より多くの「いのちの水」誌の読者や「祈の友」の関係の方々ともお会いすること、ともにみ言葉を少人数であっても学ぶことを願って、今年は、徳島から京都府敦賀まで車、そこからフェリーで小樽に渡り、そこからは瀬棚、札幌、そして東北など各地に車を用いていくことに決めたのです。
毎年の瀬棚の集会は、三十歳代の青年が中心となって運営されていて、その方々の両親や、幼い子供たちも含めた、家族的な集会であり、期間中も牧畜や農業などの仕事をしながら瀬棚聖書集会に参加するというスタイルの集会は、ほかの無教会の集会でも見られないものです。
私はこの瀬棚聖書集会に参加して聖書講話を担当するようになって五回目となります。その間、若者たちも結婚する方もあり、その相手の女性は聖書は初めてであったけれども、だんだんとキリスト教や聖書に関心を持つようになっている例もあります。
また、今年の瀬棚聖書集会は以前にも増して参加者の方々の聖書やみ言葉への熱心が感じられる集会となり、ここにも主の見えざる御手の導きがあるのを感じたことです。
四国や関西では真夏にはあり得ない、寒く感じるほどの涼しい風、その風はまた聖なる霊の風となってこの瀬棚地方にもさらに強く吹きわたるようにと願いました。
瀬棚聖書集会の終わった翌日十六日(月)には、札幌市にて去年のような集会が持たれました。旭川からも初参加の人を含めて三名、釧路や苫小牧からも何人かの参加者がありました。
今年は初めて大塚 寿雄・正子ご夫妻宅に宿泊をさせていただき、札幌市での集会の後、大塚正子さんや、札幌集会の有志の方々とともに、札幌郊外の「祈の友」会員の矢部登代子さんをも訪問して、大宮司姉のキーボードによっていろいろな讃美をともに歌うことができました。
その後十七日(火)の夕方には、岩手のスコーレ高校の一室にて、田口さんのお世話によって短時間ではありましたが少数の人による聖書の学びの集まりがあり、校長さんや校外からも初めての参加者があって感謝でした。
翌日十八日(水)は午後から宮城県仙台市での集会があり、仙台市からは初参加の方、仙台からは五十キロ以上離れた石巻からの参加者数名、教会員の方も含めての参加者でした。仙台には去年初めてお訪ねしたのでしたが、今年は去年に参加した方々にさらに新たな方も加えられてともにみ言葉の学びのときを与えられました。
その日の夜は山形での集まりで、黄木兄他のお世話によって準備され、古くからの会員である赤間ご夫妻や小関ご夫妻、また数年前に加わった新しい会員の方など主にある学びのときでした。このときに、「山形聖書研究会の歩み」という冊子をいただきました。その冊子には一九三三年に始まった山形の集会の主による導きが記されてあり、今後ともその同じ主が山形のキリスト者の方々を導かれるように、また新たな働き人を起こして下さるようにと願いました。
翌日十九日(木)は、新潟に向かう途中、キリスト教独立学園を訪問、短い時間でしたが一部の先生方との懇談の機会が与えられました。学園を出ようとするころ、ちょうど学園の理事長となって多くの仕事を受け持っておられる武
祐一郎さんが学園に到着し、懇談の機会も与えられました。
そしてさらに、たまたま学園の事務室にいた武 義和さんとも出会い、彼の小国フォルケにも立ち寄り短時間でしたが、話す機会も与えられました。
こうした予定外のことがあったので、新潟に向かうのが遅くなりましたが、夕方六時過ぎには到着、十六年ぶりで山口 賢一兄ご夫妻や三浦姉ほかの方々との集まりが与えられました。
長い年月の空白はありましたが、折に触れて山口兄からの連絡があり、また「ディアスポラ」という
夏の集会の詳しい記録をも毎年送っていただいているので、主にあるつながりは保たれていたことです。
また参加者のうちの三浦さんは体調も十分ではなく、老齢ですが、MP3プレーヤを購入されて、私たちの集会の主日礼拝や夕拝の録音CDを希望されました。
集会の関係者の中には、重度の障害を持った方がおられ、また、「いのちの水」誌の読者の方で今回の集まりに希望しながら参加できなかった方々もおられたとのことで、そうした人たちとお会いする時間がなかったのが残念でした。主の支えと導きを祈ります。
翌朝二十日(金)は、新潟から栃木に向かい、一九九一年の徳島での無教会・キリスト教全国集会(第五回)が開催されたときに参加されていた大川 信夫兄宅での集まりがなされました。徳島に帰着してからその集まりに参加希望があった方からも電話あり、事前に連絡をしておくことを思いました。
その後は、時間的余裕がなかったのですが、そこから十キロ未満のところに「祈の友」の稲垣兄宅があるので、その場所だけでも知っておいたらと、探してそこを訪ね、奥様が在宅でしたので祈りだけを共にしてそこを後にしました。
その後はさいたま市の関根宅に向かい、聖書講話、そして食事を参加者でともにいただきながら懇談、それからとくに今回浜松から参加された松田さんのお話しも伺う機会が与えられました。弱いからだを持っていて本来はとても行けないような所であったけれど、いろいろと予想しない恵みと導きが遠い異国への旅においても与えられたことを思いました。
翌日は、所沢市の北田 康広・陽子御夫妻やお母様のところを初めて訪ね、短い聖書の話しのあと懇談、そしてお二人によるピアノと歌を間近に聞かせてもらいました。短時間の滞在しかできなかったのですが、北田さんの住む家を訪れるのは徳島でいたときから考えると、二十数年ぶりであったと思いますが、この長い間も、主が北田さんたちを導き、音楽、讃美の道を備えられたのだと感じたことです。
その後、山梨方面への途中ということで数年前から立ち寄って集会がなされるようになった八王子の永井さん宅に向かい、そこでの集会が午後一時から四時半頃まで持たれました。八王子の集会に参加される方々は比較的最近知り合った方々が多く、今回も数名が初参加ということで、神の言葉を中心とした交わりが広められ、強められることを願ったことです。
その後八王子を出発し、甲府市に向かい、その夜は、甲府市の「祈の友」の方々との集会が与えられました。集められた方々は初めての方ばかりとの集会でした。参加された方々は無教会の人は一人で、あとの方々は教会に集っておられる「祈の友」会員でした。「祈の友」に属するというだけでこのように全くの未知の者同士が集まり、主にあってみ言葉を学び、ともに祈り合うことができるのは主がそこにいて下さるからだと思われました。それまでは「祈の友」誌での名前だけでの知り合いでしたが、直接に顔と顔を合わせての出会いによって今後の祈りもより具体的になることも恵みです。
その翌日は、長野県伊那の有賀進さん宅にての主日礼拝で、ふだんは別々に集まっておられる方々も集められ、一六名ほどの集会で、緑に包まれた閑静な御家での集まりは主がそこにいて私たちを見守って下さっているようでした。
ここでも、MP3プレイヤーと徳島聖書キリスト集会の礼拝CD(MP3の形で録音)を希望される方がありました。
礼拝が終わって参加者との会食があり、よき時を与えられました。その後、私は一部の「いのちの水」誌読者や、岐阜県の「祈の友」会員などを訪ねて帰途につきました。
長い距離を車での移動を伴う旅であり、後半はやや体調に問題が生じましたが、帰宅まで無事守られ、初めての方々との出会いも多く与えられ、以前からの主にある兄弟姉妹方ともそのつながりを深められ、ともに神の言葉を中心としつつ各地で集まりが与えられたことは大きな恵みでした。
訪れた各地のキリスト者の方々がさらに主イエスからの恵みと祝福を受けてそこから福音が周囲の人に伝わっていきますようにと願っています。
○七月二十八日(土)~二十九日(日)の二日間、京都市の西部の山にある桂坂にて、第七回 近畿地区無教会 キリスト教集会が開催されました。今回のテーマは、イザヤ書五十三章の「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛み」でした。このテーマに沿って、宮田
博司、那須 容平、那須 佳子、宮田 咲子の四名の方々がそれぞれ十五分ずつ語り、その後、小舘 美彦兄が「罪と愛」と題してやはりこのテーマに沿った講話をされました。
夜は、グループ別に内村鑑三の言葉の抜粋を学び、あるいは聖書のみ言葉に聞く集まりでした。翌日の日曜日は早朝祈祷、ついで、一時間余りの時間で、讃美(手話讃美、デュエット、讃美の踊りなど)、三名による証しがなされました。
京阪神以外からは、東京、松山、広島、徳島などからの参加者があり、五十四名ほどの会となりました。 毎年新たな参加者も与えられ、主が導いておられるのを実感させていただいた集会でした。
編集だより 2007年6月 557号
来信より
○元号の問題、私の不注意というより、何の考えもないまま、使用しておれましたが、ご指摘のとおりで改めて元号制について学ばせられました。国の深淵な謀略?に何の抵抗感もなく、以前からそうであったからと従う安易な考えが大きな間違いを、また以前来た道に歩むような愚は絶対に避けねばならないと改めて考えております。そのためにも、身近な問題にも関心を持たねばと思います。(四国の方)
・全国的なキリスト教関係の団体の徳島支部からの連絡に、元号が用いてあったので、その問題性に関する以前の「いのちの水」誌を送付してあったところ、右のような返信が届きました。キリスト者でも元号制は、日本の文化だ、などと思っている人がいますが、それは元号制の問題点を聞いたことがないからです。
現在の憲法を改悪しようとしている勢力と、元号を維持しようとする人たちとは共通していることが多いのです。
○私は、キリスト者の仲間といっしょに「キリスト者平和ネット」などに所属し、運動にかかわっています。その過程で「いのちの水」五五一号の「平和への道」、五五六号「憲法九条の精神は変えることはできない」によって多くのことを教えられ、励ましを与えられました。
私たちが尊敬するガンジーの非暴力による戦いがキリストの教えとそれを熱心に説いたトルストイの影響を深く受けていたということ、そしてそのガンジーが、キング牧師の運動に強く影響を与えていたということを改めて教えられました。
そして憲法九条については「真理そのものに根ざしている考えなのである。…それゆえに排斥したり滅ぼすこともできない」と本当に心強く感じました。 …「いのちの水」に接して新たな勇気が与えられました。
憲法九条が守られ、自衛隊が海外に出かけて戦争することがないよう、ささやかですが、運動を進めていきたいと願っています。(関東地方の方)
編集だより
2007年 5月 556号
○五月十二日(土)~十三日(日)の二日間、高知で行われた、第34回キリスト教四国集会(無教会)は、高知集会の方々の祈りと、御愛労によって支えられ、学びと讃美、祈りを共にし、主にある交わりを与えられたことを感謝でした。
こうした一年をかけての準備と祈りが捧げられ、参加する方々の祈りも合わせられてなされる特別集会であり、やはりいつもの日曜日ごとの集会とは異なる恵みが与えられるのが毎回の経験です。
主はたしかにこうした私たちの祈りを具体的に聞き届けて下さり、
沖縄からの参加者三名も含め九州から五名、東京や岡山、鳥取、そして阪神地方からの方々も合わせ、また初参加の方々も集められて、五十名ほどの参加者でした。今後とも主が守り導いて下さってこの四国集会が御心にかなったものとして継続されていきますように。
来信より
○…二月号のアメイジンググレースはアメリカ人の愛唱歌であり、そしてその調べは台湾の聖詩(賛美歌)433首として歌われています。でもその歌の意義を深く解明なさった先生の文章には感動致しました。孫娘がたずねて参りました時、二人で歌いました。
(在アメリカの方)
○ (三月の長野県伊那の地での)ヨハネ伝二十章の講話は、鍵をかけて閉じこもっている場所にも、復活のイエスは入って来て下さる、人間が誰も入ることはできないと考えるところにもイエスは行かれるという内容だったと記憶していますが、私が限界を決めて、あれはだめだ、これは不可能だとしてしまっていることを気付かされました。
神には不可能なことはないということを心から受け入れる者となりたく思います。
「いのちの水」誌四月号の「ラ・マンチャの男」の記事の中で紹介されていた、「見果てぬ夢」 The
Impossible Dream は、キング牧師の 「私には夢がある」I have a dream に通じると思いました。キング牧師の夢も当時は実現不可能と考えられた夢であったと思うのですが、侮られ、傷つけられた一人の人がそれでも神を信じ、最後の勇気をふりしぼって到達し得ないと思われていた「星」に到達した、という事実を知っているゆえに、夢見ることができたのだと知らされました。
十二弟子すら十字架の意味を受け入れようとせず、人々からも見捨てられるという絶望的な状況の中で、神への信頼によって生きられた主イエスに従って行きたいと思います。…(中部地方の方)
・キング牧師やセルバンテスのいう、夢、それは神への信仰に基づく希望であるからこそ、必ず神ご自身が実現されるという確信を伴っています。(神とキリストへの)信仰と(神が成就されるという)希望、そして(神の)愛はいつまででも続く、と言われているとおりです。
編集だより 2007年3月 第554号
○三月一七日(土)に東京の今井館にて、S.A明さんとM.Tさんの結婚式が行われました。今後のお二人の前途が主によって導かれ、祝福されますよう、御国への道をともに歩んでいかれますようにと祈りました。司式は関根
義夫兄(浦和キリスト集会責任者)。
Sさんは、2年前の徳島での四国集会にも米子市から参加したことがあります。今回の結婚式の一週間前にも四日間ほど来徳して、主日礼拝や各地での家庭集会に参加して私たちとの主にある交流がなされました。その時はちょうど大阪の那須
容平さんも来徳中であったので、相互によい交わりの機会ともなりました。
なお、今井館とは、今から百年前の一九〇七年に大阪の香料商今井樟太郎夫妻の寄付に基づき東京柏木(新宿区内)に建てられたもので、内村鑑三がここで聖書講義をした所です。
○その後に、私(吉村)は、千葉県に出向き、十七日夜には九十九里浜近くの大網町のA.T兄宅での集会でみ言葉を語る時が与えられました。
その地域にも「いのちの水」誌の読者の方々がおられること、二〇〇五年八月から発行され、私どもの集会にも送られている「九十九の風」という伝道誌の編集責任者であるF.S兄とのつながりなどがあり、一度主にある交流が与えられればと願っていましたが、今回その機会が与えられ、主にあって働いておられる方々との出会いを感謝しました。
また、参加者の中には、全盲の新井さんがおられましたが、もう数十年前から私どもの徳島聖書キリスト集会が発行している伝道誌(「はこ舟」、現在は「いのちの水」誌と改称)の点字版の読者であり、その後は、集会員のT.E姉が毎月出すようになった伝道用テープ「アシュレー」によって「いのちの水」誌の朗読版を聞いている方でした。
小さな伝道誌によってこのようなつながりが与えられることも、主の導きと感謝です。
次いで、翌日の十八日(日)は、キリスト教横浜集会にて主日礼拝の聖書講話、その後一部の人たちとの会食。長い間、この集会の責任者であった、堤 道雄氏は、数年前に召されましたが、今から五〇年ほども前に、徳島でその伝道活動を開始され、「真理」という伝道誌も徳島で始められました。そのために、前の徳島聖書キリスト集会の責任者であった杣友豊市兄からもよく、堤さんの名前は聞いていました。
去年末、八六歳で召された徳島の板東姉が初めてキリスト教に触れたのは、堤さんの若きときの療養所伝道の時でした。そして私が教員を退職した時、私の働きを支えるために集会の方々が、「福音の種まき会」というのを一部の方々が起こして下さいましたが、横浜の集会の方々もそれに加わって下さり、現在も私のみ言葉のための働きに祈りをもってかかわって下さっています。
次いで静岡に向かい、夜に静岡市での聖書の学びを静岡聖書集会の方々と共にI.M兄宅で与えられました。清水聖書集会の方々も五人ほど参加されました。
ここでは、詩編九三編の「主こそ王」という詩を学びました。夜の静かなひととき、み言葉のゆえに集められた方々との礼拝は霊的な恵みを深く感じました。静岡の方も「福音の種まき会」に関わりを続けて下さっています。またここでは、「祈の友」の会員も多く、その方々との出会いも感謝でした。
その翌日十九日(月)は、山梨県のK.M兄宅での南アルプス聖書集会にての聖書講話、ここでの主題は「祈りの道」で、その内容を今月号に書きました。 K兄のお母様はすでに天に召されていますが、その記念文集を一読して、熱心なキリスト者で、その祈りが現在の南アルプス聖書集会にも流れているのを感じました。
奥様のM姉は、お母様がなさっていた「はこ舟」誌(「いのちの水」誌の旧名)の知人への郵送を受け継いで、さらに多くの方々に「いのちの水」誌を郵送して、み言葉の伝道に用いて下さっています。
加茂さん宅へ送り迎えをしていただいた車中からは、雪を頂いた南アルプスの山々、八ヶ岳の秀麗なすがたが望まれました。 かつて若いときに北アルプスを縦走したあと、今度は南アルプスに登る計画をたて、地図も購入して準備していたけれども都合でいけなくなったことがあり、その白く輝く山々に、心が引き寄せられる思いがしました。
その次の二十日(火)は、長野県上伊那郡の白鳥姉宅にての集会で、ヨハネによる福音書二〇章の一九節~二九節の主イエスの復活にかかわる内容について、み言葉を語る機会が与えられました。
近隣の伊那地方を主として二十名ほどの方々が集まり、多くは初めてお会いする方々でしたが、以前に神戸の集会でおられた小河和史さん、一九九一年の徳島での無教会のキリスト教全国集会のときに参加されたK.Sさんといった久しぶりに再会の機会を与えられた方もありました。
九六歳の高齢であってもみ言葉への熱心を持って参加された方など、主イエスのわざを感じさせられる集まりでした。
この地からは中央アルプスの山々(木曽山脈)が眼前に連なり、朝日を浴びた白い嶺はその山の清い世界を私たちに語りかけていました。
編集だより 2007年1月号 552号
○来信より
・十二月号「枯れ葉の道」… 自然を観察し、そこに神様の働きを感じ取られることは素晴らしいことです。 私も、今朝早く近くの山道を歩いて来ました。富士山とご来光が同時に見える高台があります。この光景は、昔も今も将来も変わらないものでしょう。
「平和への道」… 長文を読ませて頂きました。
永遠の平和への大道が、ずっと続いていることに感謝いたします。クェーカー、トルストイ、ガンジー、キング、 内村とつながる 命をかけた平和への道筋に神様のお働きを感じます。
私はいつも 「主にある平安」を 自分のためにもひとのためにも祈っています。(関東の方)
○毎回学ぶことが多く、励まされ、支えられています。神の平和は、人間がふつうに求めるような国家間同士の戦争のない状態だけにとどまらない、新しい天と地に希望を見出すことができること、この世において、神による平和を実感できるようにさせて下さっていること、また、具体的にも、神様はその意志に合った人たちを創り出すひとが連綿と続いているということなどを、教えられました。
自分が若いときは、気持ちが前へ前へと勢いよく進んでいくことができたのですが、周囲の老いを思うとき、自分のこれからのこと、日本の将来を思うときに、夜中に眠れなくなることがあります。そんな時、ただ祈って、イエス様を通して神様にすがって、眠りにつくことができます。…インターネットを使っていますので、徳島でなされている礼拝の聖書講話もダウンロードさせて頂きます。(関東地方の方)
○「いのちの水」誌の十二月号を読んで。
「平和への道」という文のもとになった大阪のクリスマス講演会の様子を那須君のホームページから聴かせて頂きました。
一人一人が求めるべきもの、それは「神の国と神の義」であること。そして神の言葉に聴き従うこと、これが大事。 闇と混乱の中で私たちが待ち望むものは、「光あれ!」と「いのちの水」。
・真の戦いは、神への信仰によって、神ご自身が戦われるということ。・滝廉太郎、彼がクリスチャンとは知りませんでした。 (関東地方の方)
編集だより 2006年12月 550号
○この一年も、主に導かれ、読者の方々、そして私どものキリスト集会の方々に支えられて、「いのちの水」誌の発行を続けることができたことを感謝します。この小さな印刷物ですが、タイトルのように神のいのちの水が少しでも注がれることに用いられますようにと願っています。
○今月号の「平和への道」という文は、十二月十日(日)の午後二時から大阪市中央区 アピオ大阪市立労働会館で行なわれた、クリスマス講演会で語ったことをもとにした内容です。
当日は、引用したキング牧師の、一九六三年八月二八日の、ワシントンD・C リンカーン記念聖堂での演説の録音の一部を聞いて頂きました。
I have a dream という有名な演説で、特にその終りの言葉、「ついに、自由だ…」の部分、「Free
at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last.」と語る彼の言葉には、あたかも背後に目に見えないお方がいて、彼に語らせているかのような力強さがみなぎっています。
今も、神は、私たちの背後にいて、「ここに真理が、自由がある」と語りかけて下さっているのを思います。
○来信から
・「いのちの水」11月号では漱石の「心」とトルストイの「アンナ・カレーニナ」が取り上げられていまして、懐かしく思い出されたことがあります。
高校時代に私はこの二作品を、文化祭で研究発表したことがあったのでした。両者とも 自殺 という悲劇で終わっていますが、その原因を考えるべく研究し始めたのでした。キリスト教にホンの少しふれていた時期でした。「心」には心の重荷から開放されるヒントは見出せなかったけれど、思春期の私には「心」の重苦しい心の内面に自分を重ねて惹かれるものがありました。
「アンナカレーニナ」ではレーヴィンこそトルストイ自身であるとわかり、光の道があることを知りました。 「いのちの水」を拝読し、後者を再び読み直したいと思いました。(関東地方の方)
・「いのちの水」誌から、私の今に呼びかけて下さいます様々の神様の細きみ声が、聞こえてきます。そして何よりも「祈りの心、祈りの手は生きている人間に…」との言葉を大切に心に受けました。
十月に日光に行ったとき、いろは坂を上るほどに深まる紅葉に、神様に導かれて歩む人生の秋の彩りを思いました。
そして「九十の坂は胸突き八丁」と言われながらも、「主に負われて百歳」を豊かに生きられたK先生のことを天国に偲びました。(関東地方の方)
編集だより 2006年11月 550号
来信より
○「いのちの水」誌の十月号拝読、「祈りの人・好本 督」を読みまして、心洗われました。祈りは力であり、必ず神の御心に届くことを教えられました。心を込め、誠実に、すべてを投げ出して祈ることの大切さ、また、そのような祈りを神様は求めておられ、その祈りには必ず応えてくださることを教えて頂きました。小生、もっともっと真剣に、また祈りの生活をしなければと、大いに反省させられました。
また、メールの「今日のみ言葉」一四九号の「イエスが真ん中に立ち」をありがとうございました。前記の「祈りの人」と相通じる内容であることを改めて知らされました。祈りはイエスを迎え入れることであり、常に心を開き、イエスをむかえる祈りをしていきたいと思います。「ツルボ」の写真の美しさに驚きます。青紫と緑の美しさに、神の御業の偉大さを思います。…(中部地方の方)
○「祈りの人、好本 督」のご本の紹介、本当に心打たれ、また、神への祈りの力、神の愛を心から知らされ、何度も拝読し、力を得ています。好本 督が、ウィリアム・オスラーと出会われたということも、何と不思議な神の摂理でしょう。(オスラーの「平静の心」という本の一部のコピーが私の手許にあります。)吉村様が、冨田先生から手渡された御本の著者のように、後になって視覚障害者の教育や伝道に関わられたことも、奇しき神の光、力が及んでいることを心から知らされました。(関西の方)
○今号は、好本 督の祈りと信仰に深く感動しました。真理を教えられました。このような人こそ、真のキリスト者だと思いました。…(関東地方の方)
○…今、祈る人の少なさを痛感させられます。祈りについて真剣に考え、神様に心をさらけ出して祈ることができる者になりとうございます。
十月号で紹介されていました好本 督(ただす)先生の衣服はいつもズボンの膝が一番先に傷んだそうです。膝をついて祈られたからです。
いじめについて多くの議論がなされていますが、その原因や解決の道について、信仰との関わりがあまりにも語られずにいます。
子供のころ、視覚障害のことでいじめられたという人が身近なところでも多くあります。信仰によって初めてそのようないじめられる苦しみを乗り越えることができたと申します。
失明を恩寵(おんちょう)ととらえることができた、新しくされた人たちは幸いでございます。
神の光が弱い魂に注がれますよう、祈っております。(関東地方の方)
○ ある県外の方から「二十四の瞳」という映画(DVD)について、次のような来信がありました。
「…この映画は全くみておりませんでした。その頃は、病気になっていたために見ることができなかった状況だったことを、今思いだしたところです。子供たちの純朴な魂、こどもは本来こういうものなのかとあらためて教えられる気がいたしました。
教え子のつらさや悲しさをともに泣くことができる教師。時代の背景も環境も超えて、示される心の真実をおもいます。また、初めから終りまで、讃美歌の「いつくしみ深き」の曲など、あんなに多くの歌曲が用いられていることにも驚き、印象深く心に残ったことでした。
すぎた歳月は次第に消えつつありますが、こうしたことを通して、当時のことを思い起こすとともに、私の歩みも常に善き力に守られ、支えられてきたことを、心に覚えることができました。とても不思議な気がいたします。…」
・今年の八月に、今から五十年程も前に映画となって広く知られてきた「二十四の瞳」のDVDが発売されました。私はまだ小さい子供のときに、父親に連れられて見たのですが、とても強い印象が残りました。主演の高峰秀子という女優と十二人の子供たちの織りなす光景はあれから半世紀を経ても消えません。純真な子供たちが成長していったのに、戦争によって次々と死に至っていく、その哀しさというのも感じたことです。それから、「♪からす
なぜ鳴くの…」という歌も、戦争によって次々と亡くなっていく若者たちへの悲しみと混じり合って同時に私の幼い魂に焼き付けられたように残っています。
編集だより 2006年10月 第549号今年の八月に、今から五十年程も前に映画となって広く知られている「二十四の瞳」のDVDが発売されました。私はまだ小さい子供のときに、父親に連れられて見たのですが、とても強い印象が残りました。主演の高峰秀子という女優と十二人の子供たちの織りなす光景はあれから半世紀を経ても消えません。純真な子供たちが成長していったのに、戦争によって次々と死に至っていく、その哀しさというのも感じたことです。それから、「♪からす
なぜ鳴くの…」という歌も同時に私の幼い魂に焼き付けられたように残っています。
ある県外の方から、次のような来信がありました。
…この映画は全くみておりませんでした。その頃は、病気になっていたために見ることができなかった状況だったことを、今思いだしたところです。子供たちの純朴な魂、こどもは本来こういうものなのかとしらためて教えられる気がいたしました。
教え子のつらさや悲しさをともに泣くことができる教師。時代の背景も環境も超えて、示される心の真実をおもいます。また、初めから終りまで、讃美歌の「いつくしみ深き」の曲など、あんなに多くの歌曲が用いられていることにも驚き、印象深く心に残ったことでした。
すぎた歳月は次第に消えつつありますが、こうしたことを通して、当時のことを思い起こすとともに、私の歩みも常に善き力に守られ、支えられてきたことを、心に覚えることができました。とても不思議な気がいたします。…
○…詩編とは、数千年も昔の人の心がそのままに残っている「心の化石」である。それは苦しい人が光を見出せる。今も生きて働く。悩める人に力を与えるものとして、詩編をじっくり味わって読みたくなりました。
叫ぶ相手がいる、そして罪を贖い助けてくれる相手(神)がいることの幸せ、喜びを教えて頂きました。
「聖書における平和」では混沌と、光との対比で、そのことが創世記のはじめに書かれていて、そして黙示録にも示されていることを知ったとき、本当に驚きでした。
聖書ははじめから終りまで、一本の幹のように「主の平和」が貫かれて示されていることを知りました。人生のそしてこの世の到達点、究極的目的地として「神からの光」を仰ぎ、そして求めていけばよいとの示しは、私の心に時々襲う不安や迷い、恐れの霧を消し去ってくれた思いがしました。力を与えられました。(中部地方の方)
編集だより
2006年9月 第548号来信より
○この一か月、「待ち続ける神」という言葉が絶えず心に浮かんでいます。この放蕩息子の話しを、これまで、いく度か耳にしていたけれど、あの父親の愛情を、待ち続けてくださる神の姿に重ねて考えたことがなかった私は、「これこれ、父親よ、あなたのその甘い姿勢が次男をスポイルしてきたんじゃないの?」と、長兄に同情していたものでした。恥ずかしいです。とても恥ずかしくて涙が出ました。
どんな罪人に対しても、こちらを振り向けばそこに待っている神がおられる、ということが、とても美しい音楽のように心に響きました。「待ち続けることができない私」を叱っています。
それと、「靖国神社」のこと、とてもすっきりしました。長年自分の心のなかで、迷っていた問題だったものですから。小学生の娘に質問されたのですが、スラスラ答えることができました。(近畿地方の方)
○…八月号で、「靖国の混乱」、神様の御前に許されない靖国の姿を浮き彫りにして下さって、感謝します。キリスト者はこのような靖国観を強く持つべきでしょう。…(関東地方の方)
編集だより 2006年8月 第547号○七月二九日(土)~三〇日(日)に、京都市の洛西にある、桂坂にて、第六回 近畿地区 無教会 キリスト教集会が開催されました。参加者は、大阪、京都、兵庫、広島、徳島などから、約四六名ほど。今回は、「道」というテーマでした。
開会礼拝では、「キリストの道」を主題として、大学四年の那須 容平兄が、プロジェクターを用いて、イエスの歩んだ道を、視覚的に分かりやすく解説、ガリラヤの道と題して、宮田
博司兄、十字架の道と題して那須 佳子姉、共に歩む道と題して宮田 咲子姉たちが語りました。
そのあと、坂岡 隆司兄が、「からしだね館」開設に関してみ言葉を引用しながら語り、夜はグループ別に読書会と夕拝とに分かれての集会となりました。
翌日の主日礼拝では、「神の道」と題して吉村(孝)が聖書講話を担当。 全体として、主の御手のはたらきを実感するよき集会となりました。
○高知の森下 貞猪姉が天に帰られました。八十一歳でした。
結婚後、小児麻痺の子供をなんとかよい治療をとあちこちの病院に連れていっているうち、ご自身が結核になり、徳島県の結核療養所に入院、そのゆえに離婚も経験され、さまざまの苦しみや悲しみを通って来られた方のようです。
しかし、その苦しみのさなかの闇のなかに、徳島の伝道者 杣友豊市や時々東京から来訪される政池 仁らによってキリストの光に触れるようになり、その後もずっとキリストの力により、歩んで来られたお方でした。
東京から高知に帰られてから、四国集会でお会いすることもあり、主にある交流がなされるようになりました。
また、折りにふれて葉書での通信もあり、きちんと毎年協力費とともに、そこに信仰に関わるコメントもいつも添えて下さり、そうした交流を通して離れていても、信仰によって固く立っておられる方、主をみつめて歩んでおられる方だと感じていました。
若いときから、晩年に至るまでの様々の苦しみや悲しみをも信仰によって乗り越えて来られた方であり、老年に至るまで、主に導かれ、主に担って頂いていると感じておりました。
・読者の方からの来信です。
○何年か前の住み慣れたところからの移住の際に、示されました、ヨシュア記の「…これまで通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道はわかる」
との約束のみ言葉は、この間、いつも私の心の中にとどまっていました。
今、改めて、ヨハネ福音書のCDで十三章36節~十四章(*)にかけて学び、「行くべき道」を確かに、そしてこれから将来も、いかなることに出逢おうとも、それは揺るぎなき道であるとの、聖書講話に慰められました。示されたみ言葉を思い起こしつつ、今日も感謝に満たされております。
(*)シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」…「 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
・私たちの人生の歩みの中で、何かに導かれ、支えられていきます。その際、神の言葉によってそのような導きと支えを与えられる人は多くいます。神の言葉はその奥に、神ご自身がおられ、神の言葉を胸に覚えて歩むことは、神ご自身の御手に引かれて歩むことになるからです。
○高槻での集会のこと
八月二〇日(日)の午後から行なわれた、高槻市の集会(那須さん宅)で、思いがけない人が参加していました。大学時代の同じ理学部、化学科の同窓生、しかも私は生化学の専攻でしたが、彼はそれと近い関係のあった、放射線化学の専攻でした。
卒業以来、何十年も経っていたために、すぐには思いだせなかったのですが、そのうちに記憶が部分的ですがよみがえってきました。
那須 容平さんが、最近はじめたホームページで、自宅での高槻集会を紹介していたのですが、それを見て、高槻市に在住であったため、電話で問い合わせがあったということです。彼は、キリスト教の集会や教会には参加したことはなかったので、今回が始めての参加ということでした。
しかも、彼は岡山県の高校卒業で、そこで、香西 民雄氏(岡山聖書集会)に、高校時代に教わったとのことでした。
主は必要なときには、予想もしてなかった人や書物、あるいは出来事に出逢わせて下さるのを実感しました。
また、ホームページが用いられていることをも感謝。私どもの徳島聖書キリスト集会のホームページも、東京や沖縄のそれまで全く知らなかった人との出会いにも用いられたことを思います。
編集だより 2006年7月 第546号○来信より
月の初め、「今日のみ言葉」(コリント人への手紙第一10:13)の配信を頂きました後、私は思いもかけず、仕事において大きな失敗をしました。
何度「今日のみ言葉」を読み返したか、わかりません。
しかし、先日「無から有を生み出す」神様は、やはり思いもかけない解決を与えて下さいました。
あの配信と、み言葉、家族の祈りに本当に支えられました。
いま、神様への感謝で胸がいっぱいです。
み言葉配信の働きをどうもありがとうございます。
栄光を全てイエス様にお返しします。(九州の方)
・神の言葉は、主がなそうと思われるときには、予想していないような働きをすることができます。私たちの努力とか熱心がいくらあっても、それは主が用いられなかったら何も生じませんが、小さなことでも主が用いられると不思議な働きをするのを感じます。
○七月十三日(木)~二十日(木)までの八日間、吉村(孝)は、北海道から東北、関東、中部地方などのいくつかの集会を訪問し、み言葉について語る機会が与えられました。
最初の十三日~十六日(日)までの四日間は、北海道南部の、日本海に面し、奥尻島の対岸にある瀬棚町において、去年と同様に瀬棚聖書集会が開催されました。今年で第三十三回となるこの集会は、酪農をしている人たちが多く、さらに米作農業、養豚などに従事している人たちが主となって開催されているものです。今回この聖書集会の開催の事務局となった野中
信成さんが生れて間もないころにこの聖書集会は始まったということで、ほかの人たちも幾人かは幼児のときから参加してきたようで、多くの人たちの祈りが注がれてきたゆえに、三十数年もの間、この瀬棚地区の聖書集会が続いてきたのが感じられました。また、三十歳前後の若者たちは多くは、山形のキリスト教独立学園の卒業生で、そこでのキリスト教に基づく教育も主に用いられているのを感じたことです。
参加者は部分参加の人も合わせて、名簿には四十五名ほどが載っていましたが、参加できなかった人もいるようなので、実際はもう少し少なかったはずです。しかし、名簿にない子どもたちも合わせると、五十人ほどが何らかの形で加わった集会になりました。
聖書講話は四回、最後の利別教会においての礼拝を合わせると、五回の聖書講話がプログラムに折り込まれ、座談会や感話、瀬棚の農家へ、北海道外からの参加者が別れて一日だけ宿泊することも、それぞれが恵まれたときとなり、「讃美」のひとときなどもあり、全体として地元の人たちの信仰と仕事、そして家庭に触れ生きた神の導きを実感することができました。
今回は、北海道以外からも、徳島聖書キリスト集会から七名、長野県、福岡市、横浜市などから各一名ずつ参加してより広い集まりとなったことも感謝です。
瀬棚での最後の日は、日本キリスト教団の利別教会においての礼拝でした。ここでも去年と同様に、主日礼拝の聖書講話(説教)の機会が与えられました。
・札幌での交流集会…これは瀬棚の聖書集会の終わったあとに、開かれるようになりました。もともとは、埼玉の関根 義夫氏が代表者となっている聖書集会に属していた中途失明者の大塚
寿雄兄が札幌に転居していて、その大塚さんと徳島聖書キリスト集会の視覚障害者の何人かの方々との交流があり、そこから札幌での集まりへと導かれたのでした。今回も、札幌聖書集会、旭川平信徒集会、苫小牧の集会、札幌発寒集会、そして札幌独立教会に属する方々が二十名ほど参加し、そこに徳島と福岡からの八名が参加しての集会となりました。この集まりも三回目となり、それまでは全く知らなかった札幌や苫小牧など各地のキリスト者の方々との出会いが与えられ、私どものキリスト集会とも新たな交わりが開けたことも大きな恵みです。
・吉村(孝)以外の徳島からの参加者は、その後徳島に帰りましたが、私は札幌での集会のあと、仙台、山形、八王子、山梨、静岡など各地での小集会にてみ言葉を語る機会が与えられ、また主にあるあらたな交わりも与えられました。
仙台は初めて訪れる土地でしたが、「いのちの水」誌の読者の方々がおられ、また私のみ言葉のための働きを覚えて下さる方々もいて初めてであっても親しみを感じるところでした。午後の集会開始までまだ時間があったので、迎えて下さった市川
寛治兄とともに、青葉城跡、その前の広瀬川の流れのほとりを散策、近くのキリシタンの殉教碑にも案内して下さいました。信仰を捨てない人たちをその川の水牢に入れて責めて迫害したこと、命に代えてもその信仰を守り通した先人の苦しみとそのような堅固な信仰を与えた神の力を、そしてその力は今も働いていることをも思いました。
午後からの集会には、十人未満の方々でしたが初めての方、仕事の合間に来られた方、高知の四国集会での私たちの仲間となっている原 忠徳さんが長くともに学んだ集会の方などとともにみ言葉を学びました。
夜は山形の聖書集会の方々、十名あまりの人たちと、石澤 良一兄の経営する「サヤカ」という場所で行なわれました。今回初めてお会いする何名かの方々も含め、長い信仰の歩みを持ったかた、最近この山形聖書集会に加わった方などここでもみ言葉の学びを中心にしての集会が与えられました。
翌日は八王子市での永井宅での集会で、八王子市の方々を中心として、川崎市、多摩市、相模原市、府中市などからの参加者でした。今回初参加の三名を合わせて十五名ほどの参加者でした。このみ言葉の学びのために特に会社の仕事を休んで参加された若い方もおられ、み言葉はいろいろな人たちを引き寄せる力があることを感じたことです。
夜は、初めて山梨県に出向き、夜に加茂 悦爾、昌子ご夫妻宅での集会となりました。加茂さんご夫妻は、今から七年ほど前に、徳島での四国集会に山梨から一日がかりで列車で岡山→高松まわりで参加されたことがありました。聖書は初めてという方、随分久しぶりの方、また参加するかどうかはっきりしなかった方なども参加して、初めて出会う方々との学び、賛美や交流を共にすることができて感謝でした。
静岡では、石川 昌治兄宅での集会、そして岩辺さん宅に移動して短い時間でしたがそこでも小集会を与えられて、帰途につきました。
以前からの知り合いであったり、「いのちの水」誌を通しての交わりがあっても、実際に顔と顔を合わせて見ることは、また異なる祝福が与えられることを実感しました。
聖書にも、使徒パウロが直接に会うことの重要性を書いています。
…兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので――心においてではなく、からだだけではあるが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。
だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうと思いました。ことに、このパウロは、何度も行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。(Ⅰテサロニケ二・17~18)
また、パウロは書いたものを送るだけでなく、直接に会って霊的な力を補いたいと次のように言っています。
…顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。
どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。
どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。(Ⅰテサロニケ三・10~12)
ここに、直接に会うことが、霊的な賜物、祝福を相手に伝えるものであることが記されており、パウロがどこかにみ言葉のために行くときにも、つねに真剣な祈りをもって、神の言葉、聖霊が伝わるようにと願いつつ行動していたのがうかがえます。そしてそれによって単なる知識でなく、人々の間に神の愛が満ちあふれるようにと、願っていたのです。
このように行く先々で神の愛が広まるように、それで満ちるようにという願いのみで働いていたのはまさしくパウロが神の僕であったしるしです。
私たちは不十分な者であるけれど、たしかに、主の名によって互いに交流することは、相互に足らないものを補い合うということが可能になります。それはそうした交わりの内にいます主がなして下さることなのです。このことは、今までの四国集会や小さな各地の集会などでも、たえず経験させられてきたことです。
今回も、徳島聖書キリスト集会の方々、そして集会を開いて下さった相手方の方々によって変ることなき祈りが捧げられ、そうした祈りに私も支えられての一週間であったことを思い、感謝でした。
編集だより 2006年6月 第545号来信より
・…私の手術のことで皆様方のお祈りをありがとうございます。一か月あまりの入院で退院できましたが、現在は近くの外科病院で手当てを受けています。もう大分よくなりました。「祈りの川」誌に出して頂き、多くの兄姉のお祈りを受けておったのかと感謝しております。
○○さんが遠路突然拙宅へお見舞いに来られまして大変驚きました。「祈りの川」誌で知ったとのことでした。全知の神様のお恵みです。数知れない兄姉たちのお祈りが私たちを取り囲んでおるのだと思い、改めて、怠惰に流れんとする愚か者ですが、信徒の方々のお祈りに参加して、いよいよ精進せよとの主の命令と拝受いたします。このたびの病のことを通して、主の道をまた、実体験させられました。…
(四国の方、健康なときには分かりにくいけれど、苦しいとき、病のときに祈りの中で自分のことを覚えていてくれる人たちがいる、ということは大きな支えになるものです。「祈の友」の祈りが今後とも一層強められ、主が聞いて下さる真実な祈りが捧げられますようにと願います。)
・四国集会のことはずっと○○から聞いていましたが、想像以上に暖かく感動で胸がいっぱいになりました。…徳島集会と関東地域で行なわれる集会の違いや無教会の歴史なども教えてもらい、とても内容の濃い集会参加でした。
みなさんの証しを聞いて、生きて働かれる神の姿を見ることができましたし、私自身の信仰の持ち方にも大きな変化がありました。 神様はありのままの私を愛し、すべての必要を満たして下さっている…ことを感じることができたのです。
松山での四国集会を準備して下さった方々に深く感謝します。
何よりも、すべてが神様の御計画されたことだ、という感動が今も私を包んでいます。
集会に参加しなかったら知ることのなかった人々、松山までの風景、すべて必要だったんだと神様に感謝です。これからの日々も、どこかで松山での四国集会で出会った人々が生きていると思いだせる喜びがあります。…
(初めて四国集会に参加された方ですが、短い期間の参加であっても、主が働かれるときには、心に何か忘れがたいものが残されるのを思います。ふだんの集会とはまた異なるかたちで、主のわざがなされるのを思います。)
編集だより 2006年5月第544号○五月、それは、新緑の最も美しい季節です。多くの樹木は毎年新たな芽を出して、初々しい黄緑色になり、内に込められた命を現してきます、日照時間も増え、気温が高くなることによって、植物たちは新たな成長をし、花を咲かせ、実を大きくしていきます。
主イエスは、ご自身をぶどうの木にたとえ、私たちはその枝だと言われました。
新緑の木々、その枝から、命に満ちた新芽を出して葉を繁らせ、花を咲かせ、実を付けていく、それは私たちが主イエスにつながっているときに、どのようになりうるかを指し示しているようです。
○今年で三三回目を迎えたキリスト教(無教会)四国集会は、最初は高知県の信徒の方々の発案で、一九七四年に高知で特別集会として開催されたもので、そのとき、記念の会だからと愛媛、香川、徳島からも数人ずつ招かれて開かれたのでした。それがとてもよかったから、次から各県が順に担当して開催しようということになり、その翌年の夏に徳島県小松島市の日峰山頂の野外活動センターで開催され、今日まで続いてきたものです。
この三二年間に、多くの方々が参加し、交流し、互いに交わりを与えられ、そして誰も予想しなかった新たなよきことを主は起こして下さってきたのを思います。かつて四国に在住していて、近畿など四国外に住んでいる方も参加し、そこからまた新たな交流が生れていきました。最近では、近畿以外に、九州、中国、関東地方、さらに去年は韓国からも参加者もあってより広がりが与えられてきました。
こうした長い継続した集会になるということは誰も予想できなかったことで、この間の歩みを振り返るとき確かに神が私たちのあらゆる予想を越えて導いてきて下さったと感じます。
今後とも、一層主の恵みが満ちあふれる集会となっていき、救いを受ける人、信仰を新たにされる人、さらに信徒同士のつながりが深められて日頃の生活においても互いに祈り合うことができますようにと祈ります。
来信より
○先日の四国集会では、皆さんと一年ぶりにお会いでき、また姉も共に参加できたので、とても嬉しかったです。イエス様を真ん中にして、皆さんと共に祈り、礼拝が持てた事は、神様の恵みでした。(九州地方の方)
・言われていますように、人間を中心とするのでなく、主イエスを真ん中にしてみんなが集い、語り、祈り、讃美すること、そこに天の国の味わいを感じさせていただいた二日間でした。
○…(今年の四国集会によって)多くの恵みを戴けたことに深く感謝いたしております。大きな励ましと主にある友との交わりの刺激を戴き、さらに前進できたと感じています。
「アンケート」のご意見のように「若者たち」への対応が、本当に重要との思いを強くしました。これからの大切な課題です。
二〇〇七年 高知での四国集会のテーマ「一人も滅びないで」(ヨハネ3:16)は、心のこもったよいテーマと存じました。(四国の方)
○朝ごとに、「いのちの水」誌を読みまして、新しい命の水を与えられます。何十年も聖書を読んでおりますが、「祈り」について、「復活」についてよく分かっていませんでした。今号(四月号)でくわしく教えていただき、ありがとうございました。特に、「祈りはどこにでも」によって涙の谷を歩んでいるような私には、深い感謝と慰めと希望が与えられました。貴誌には、季節の花のカットがあちこちにちりばめられているのは、大変よいと思います。(関東地方の方)
編集だより 2006年4月 第543号今月は、三月はじめから日本全国で映画が公開されている、「ナルニア国物語」について、今回は現在上映されている、第一巻の「ライオンと魔女」の部分でなく、そのナルニアという国が生み出される状況を描いた部分について、紹介のために書きました。
映画化されるようになって、第一巻についてはたくさんの「ナルニア国物語」に関する本が出版されているので、スペースの関係でそれについては省いたのです。
大型の書店やインタ-ネットが使える人は自由にこの物語についての解説書とか、原作を購入できますが、からだが弱い方々、インタ-ネットが使えない状況にある方々、田舎にいるとか入院とかで書店に行けない人たちも多いので、そのような人たちにとくに読んでもらえたらと考えたわけです。
それから、やはり、聖書との関連を示すことも重要と考えたので、具体的にどのような箇所と関係しているのかも書いてあります。
キリストの福音や聖書の内容をさまざまの方法で知らせることは大切だからです。 主はこうしたかたちをも用いられるからです。
このようなファンタジーの衣をまとった物語は、表面的に読むと、ただ空想の世界のことだと思われやすいのですが、著者のルイスは、そのような子ども向けのスタイルを用いて、真の実在である神とキリストを指し示そうとしたのです。
編集だより 2006年2月 第541号○今月は集会員のK姉のお母様が召され、キリスト教式で前夜式、葬儀が行なわれることになってその準備のために「いのちの水」誌の発行が遅くなりました。K姉のご父君も四年前に召され、そのときも、いろいろな困難はありましたが、キリスト教式で葬儀などを行なうことができました。
このように、もともと未信者であったご両親の葬儀を二人とも、キリスト教式ですることができるのは、一般的にはなかなか困難であり、神の導きを感謝したことです。 集会に属する人たちと一部その家族たちも参加し、前夜式、葬儀にはそれぞれ三五名、四〇名ほどが参加し、眉山のキリスト教霊園での納骨式にも十数名の方々が参加されました。 キリスト教には初めての親族、職場関係の参会者、近所の人たちなども二回にわたって聖書の話に接することになったので、そうしたみ言葉が主によって用いられますようにと祈ったことです。
○キリスト新聞二月二五日号に、私たちの集会員の貝出 久美子姉、伊丹 悦子姉の詩集の短い紹介がコラムで掲載されています。キリストの福音はいろいろな形で伝わります。この二つの詩集も主が用いて下さるようにと願います。
なお、聖書の中の最も重要な書物のひとつであるイザヤ書など多くの預言書や詩編、ヨブ記などは詩のかたちをとった神の言葉であり、聖書においては詩は特に重要なものと位置づけられています。
貝出さんの詩集のうち、在庫があるのは、第四集「ともしび天使」と第七集「天使からの風」(共に一冊百五十円)で、伊丹さんの詩集は、〇四年の「いつかの風」と〇五年の「朝の祈り」(共に一冊千三百円)がありますので、希望の方は申し込んで下さい。
○今月号の「神の意見と人間の意見」という文で書きましたが、この「いのちの水」誌も、第一の願いは神の意見(ご意志、言葉)を少しでも正しく伝えたいということです。私たち人間の意見や感想、あるいは学説などというのは実に変わりやすく、それをいくら戦わしてもまた変わっていくものです。しかし、宇宙を想像され、すべてを御存じの神のご意志を直接聖書に基づいて学びとることは永遠に変わらぬ真理に基づく意見を知ることになります。
○二月十三日(月)の夜、沖縄の友寄 隆静兄との交流会がありました。友寄兄は仕事の関係で徳島に来られたので、予定が終わって、夜の八時過ぎから徳島聖書キリスト集会の集会場に来ていただき、十一時ころまで、聖句についての短い話しと感話、意見、そして讃美などの交流会を持つことができました。十人ほどの集会でしたが、こうして集会場にて数時間の交わりを与えられることで、いっそう沖縄も近くなった感じがします。なお、弟さんの友寄
隆房兄は、一九九一年の徳島での、無教会・キリスト教全国集会のときに参加されたことがあります。
編集だより 2006年1月 第540号○ご講話「主の祈りとパウロの祈り」について、今まではその大切さ、すばらしさをよく知らないままでお祈りしておりましたことを思いました。
午後三時の「祈の友」のことも初めて知ったような者です。本当にありがとうございました。(九州の方)
・この講話というのは、去年、私(吉村 孝雄)が、祈の友四国グループ集会で語った聖書講話のことです。
編集だより 2005年12月
第539号
来信より
○…一度四国の集会に行きたいと思っています。今日の無教会はあまりにも知的になりすぎて、私は何となく違和感を感じています。四国の方々の信仰に共感しています。もっと素朴に平信徒として信仰を守り、小さな隣人に働きかけてゆきたいと思っています。(九州の方)
○いつもテープを送って頂いてありがとうございます。お蔭様で私たち、家庭集会を開くことができ、とても喜んでいます。家庭にいながらにして、徳島の皆様の祈りや聖書講話を聞くことができ、本当に感謝です。
(四国の方)
○「主にあって」という言葉をもっと大切にしていきたいと思います。忙しいという漢字にあるごとく、心が死んでしまう時があります。 働くことが単なる慣習になってしまっているとき、よくこのことを感じます。「主にあって」なされる働きは決して無駄にはならない。
イエス様から目を離さずに生きていけます様に。絶えず神様に立ち帰ることが出来ます様に。 (関東地方の方)
-----------------------
★二〇〇五年も多くの方々の祈りとご支援によって「いのちの水」誌を継続できたことを感謝します。 また、この「いのちの水」誌をみ言葉の伝道のために用いて下さる方々によってまだ福音を知らない方々、あるいは未知の方々にも届けられることもあり、主の御手の働きを思います。新しい年も、主の導きと祝福を祈ります。(吉村
孝雄)
編集だより 2005年11月
第538号
○来信より
…「はこ舟」(「いのちの水」の以前の誌名)三五四号の中に、「キリストを信じることができたら、一億円の宝くじが当選したよりも桁違いの収穫です」とありました。
私はいまから信じますと言うばかりです。以前から、「はこ舟」を読んだ方がいいと思いつつ、そのままにきました。忘れるほどに。
しかしそのような私であっても、神様は私のことを忘れてはいませんでした。○○県を出てからは涙がでませんでしたね。心から笑う事も出来ませんでした。
しかしそんな中にも神様がいたことが、今わかりました。悔い改めるばかりです。(教会に行ってもイエス様を知りませんでした)今はイエス様が信じられます。(関東地方の方)
・現在は五三八号なので、二〇〇号近く以前の「はこ舟」を読み返したいと希望される方もおられて、郵送したところ、ここに引用したようなことを書いてこられました。
たしかに、人は忘れても神は忘れない、人の心が変わっても、神のお心は変わらない、人は消えていくが、神は永遠に消えないお方、人間は不信実であるけれど、神はどこまでも真実…。
○日本に来ての印象
中国から、日本に来て一カ月になる中国の若い留学生(女性)に、あなたが中国でいたときに思っていた日本と、一カ月を日本で過ごして感じたことと何が一番印象に残っているか、を尋ねたところ、次のように言った。
第一に印象的なのは、自分が中国で日本語を学んでいたとき、ビデオや映画を用いたが、そこでは、日本人が中国人を軽蔑したりしている様がよくあった。しかし、実際に日本に来てみると、そのようなことはなくて、日本人はやさしいと感じた。
しかし、中国との戦争のときには非常に悪い、残酷なことをした。どうしてこんなに同じ民族が変るのだろうか。
また、日本に来て驚いたのは、新聞などが、世の中の悪いこと、犯罪などをたくさん書いている。中国ではこうした暗い記事は小さいこととして、どこにでもあることだから、書かない。そのようなことでなく、国の政治や社会的な問題を中心に書いている。
その人とは別に、ペルーから日本に学びに来ている人(男)に同様に尋ねたところ、彼はつぎのように言った。
まず、日本人は、正直だ。つぎには、安全な国だ。
ということであった。
お二人とも、日本に来て徳島大学で学んでいて、一日の多くの部分は大学生や教師たちとの交わりであり、それゆえに見下したりはしない。帰って親切なひとたちがいるし、正直だとうつったのであろう。
次には、日本は安全な国だということ、これは多くの外国人が感じている。
編集だより 2005年10月
第537号
○来信より
・私はキリストを信じて四十年近くなりますが、復活のことがなかなか分かりませんでした。聖霊を与えられているにもかかわらずです。しかし、「いのちの水」誌により、私の内に与えられている聖霊は、キリストの復活の御霊なのだと知らされたとき、復活は私にとって確かなものとなりました。感謝いたします。(関東地方の方)
○ 今月は、予期しないことが生じたり、集会関係の仕事がいろいろとあったため、また体調も十分とはいえなかったために、「いのちの水」誌を仕あげることがなかなかできず、遅れて発送することになりました。
十分な校正もできなかったので、思わぬ誤りもあるかとおもいます。 このような土の器にも主が真理を注いで下さり、それを用いて下さることを願っています。
編集だより 2005年9月 第536号
○八月号の、「ことば」の欄に、ルターの「我ここに立つ」という言葉とその説明を入れてありました。 それに関して関東地方の読者の方から、かつてドイツでルターの旅をしたが、そのとき、ウィッテンベルクにも訪れ、このルターの情景を絵にしたものに出会って感動した、そのことを思いだしたとのお便りがありました。
神という岩の上に立つ、その単純なことを命がけで守った魂の歩みは時代を越えて、影響を与え続けているのを感じます。
○やはり前月号ですが、テニソンの詩の一部を引用した記事についてもコメントを書いてこられた方がありました。
「Strong Son of God Immortal Love テニソンのこの詩の解説、深く心に響きました。…」
(東北地方の方)
・これは、テニソンの代表的な詩の最後の部分を引用したものでした。そこにはこの世のあらゆる混乱にもかかわらず、神はすべてを一つにまとめ、導いておられるという確信が記されていたところです。
○「…この弱くて歩みの遅い者、しばしば罪のゆえに逆戻りしたり、泥沼に落ち込んだりする者…」これは私のことみたいに思ってしまいます。アサギマダラのように神からの力とつばさを与えられ、神の国、清い世界に導かれたいと切に思いました。…」
(中部地方の方より)
○今月は、「いのちの水」の執筆、編集ソフトによるレイアウトなどと「祈の友」四国グループ集会、静岡での集会、そして日曜日の主日礼拝のテープの作成などが一度に重なったので、パソコン入力が多く、指や肩などの不具合もあってなかなか仕上げるのが困難でした。しかし、こうした不十分なものも主が用いて下さいますようにと願っています。
編集だより 2005年8月号
来信より
○…いのちの水は旧新約を伏流水となって流れており、時と、ところに応じてあふれだす、との言葉が大変新鮮に響きました。また、本誌七月号には、「あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる」というイザヤ書の言葉が引かれ、旧約聖書における「平和」とは、完全にされ、満たされた状態を意味しているため、いつかあふれ出して周囲に流れていく大きな河のようなものとの説明に感慨深くありました。
…キリスト者は平和をつくるために各自が器に応じた活動をされていますが、大切なことは、まず、自分が新しく創造されること、キリストにより、「神との間に平和を得」るものとさせていただくことを自分の問題として受け止めております。(七月の東京での集会に参加した方からの来信)
○…戦後60年を迎えましたが、最近は戦前復帰の風潮がみられ、憲法改悪など右傾化を憂えます。貧しくとも、平和を作り、愛する日本国、独立国でありたいものです。(北海道の方)
○ヨハネ福音書の講話CDはやさしい言葉で、深くわかり易く、真理の言を説き明かして下さり、感謝して聴き、歩ませて頂いております。徳島の集会の様子、四国から吹いてきます霊の風を感じながら…(関東地方の方から)
・ヨハネ福音書CDは以前にも紹介しましたが、吉村 孝雄による聖書講話の録音をCDに記録したものです。これは私たちの日曜日の集会で二年八箇月ほどをかけて学んだテープからCDに収めたものです。ふつうの家庭用のCDラジカセで聞くことができることもあって、希望者が多くありました。
パソコンではさらに取り扱いが便利で、途中で聞き直すこと、ある箇所のつづきを聞くなどが、簡単にできます。従来のカセットテープでは百巻にも達する分量となり、取り扱いは面倒で保存も大変ですが、CDでは、それらが一冊のブック状のケース(幅8cm×奥行15cm×高さ28cm)におさまるために便利だという側面もあります。なお、先に購入申込された分については元になるテープが見つからず、若干の欠けた部分がありましたが、それを現在補充したものを作成中です。それが完成すればさきにお届けした方々にも追加のCDをお届けしますが、そのための費用は不要です。県内の申込者の方々にはそれが完成してからお届けする予定です。
編集だより
2005年7月号
○北海道、山形、東京などでの集会。
七月十五日(金)~二十一日(木)まで、北海道や東北、東京などで、み言葉の真理の一端を語る機会が与えられました。北海道南部の日本海側にある、瀬棚郡の瀬棚町(奥尻島の対岸)というところでの聖書集会は、今年で三十二回を迎えるもので、参加者は酪農をしている人たち(一部に養豚)が主体でした。参加者は部分参加の人や子供も含めて三十人近い人たちが参加していました。そのなかには、日本キリスト教団の利別教会の相良牧師、教会員二名も含まれています。
金曜日の夜から開会式と自己紹介、翌土曜日には私は午前と午後の二回の聖書講話、利別教会の相良牧師は「信仰の継承」ということで話されました。日曜日には私が利別教会で、「平和は大河のように、義は海の波のように」と題して四十分ほどの聖書講話を受け持ちました。午後は、牧師の講話のつづきと信仰の継承ということについての座談会、夜は、感話会、交流会がなされました。土曜日の座談会では、「平和と宗教」というテーマで話し合いがありました。
平和ということについての、聖書そのもののメッセージは何か、武力を用いる戦争は新約聖書の内容にいかに反しているか、イスラム教(コーラン)の問題点、戦争は人間の自分中心という本質(罪)から生れるということなど、話しました。瀬棚聖書集会のように、幼児からその両親、さらにその親にあたる各世代が共に集まって聖書中心の集りがもう三十年以上も続けられてきたということのなかに、不思議な神の支えと導きを感じます。
札幌での集会は、19日(火)の午前10時~2時ころまでで、平日にもかかわらず、二十五名ほどの集会となりました。地元の札幌以外に、会場から三五〇キロも離れた釧路という遠隔地からもご夫妻で参加された方、苫小牧市からも、六名、旭川からも一名が参加され、北海道の各地集会と私どもの集会の三名との合同集会といったかたちになりました。
盛岡では、スコーレ高校の田口 宗一さんご夫妻のご協力もあって、事故で車椅子を使う障害者となった主にある友を訪ねることができましたが、現在の生活だけでなく今後も大きな困難が待ち受けていることを思い、主によるさらなるいやしと導きを祈りました。
山形では、初めて山形聖書集会の方々との集会でみ言葉を語り、その後の夜遅くまでの話し合いを通じて主にある交流を与えられました。
またその翌日は、東京の八王子市の永井宅では十三名の方々が集められ、足立区の越川宅においても七名ほどの家庭集会が行なわれました。
初めての方、また「いのちの水」誌を通して関わりのあった方、全国集会や「祈の友」、あるいは四国集会に参加された方々もおられて、ともにみ言葉を学び、交流が与えられました。
さまざまの地域で、いろいろなキリスト者の方々と出会い、ともに祈り、聖書を学び、讃美し、主を信じる者としての交わりが与えられることは本当に幸いなことと感じました。パウロも、顔と顔を合わせて会う、ということを願っていますが、そのことの重要性を感じ、すべての行程のなかに主が働いて下さり、この世の交わりとは異なるよきものを与えられました。
編集だより 2005年5月号
○キリスト教四国集会
徳島での四国集会のときに今まで使ってきた会場が使えなくなり、一年間、会場を探し決定することから始まって祈りをつづけてきた、キリスト教四国集会(無教会)が、多くの人たちの祈りと支えによって無事終わることができました。
多くの人たちの祈りが集められた特別集会には、いつも何か新しいこと、予想していなかったことが起こされてきましたが、今回も私たちの予想もしなかったような神の恵みのわざを起こして下さいました。
それは参加者があるとは思われなかった、遠い沖縄から二名の方が参加されたり、北海道の旭川や札幌からも参加していただくことができたこと、インタ-ネットや私たちの集会の主日礼拝などのテープだけで関わりのあった方が東京から参加されたり、若者の会に十七名ほどもあつまって若い人たちの独自の運営でなされたこと…などなどです。
○「祈りと讃美」このことは、いつでもどこでもできることです。そして信仰をまだ持っていないひとですら何らかの祈りのようなものを持っています。手紙などでも、「健康を祈ります」などと書くのも、祈りということがそれほど人間に深く結びついていることの現れです。
しかし、そうした心の表面での祈りから始まって、本当の祈りはどこまでも深いものがあります。見える世界を越えて、はるか雲のかなた、天空のかなたにまで通じる祈りもあるわけです。
幼な子のような心でまっすぐに神に信頼して祈る心に、神は天の宝を与えて下さり、そこに本当の讃美が生れると言えます。
主よ、私たちをそのようにどこまでも真実で深い祈りと、神への讃美の心へと導いてください。
○来信より
何か、目に見えない檻の中に自分はいて、脱出しようと遠くに行ってもその檻は、さらに先にある。もがけばもがくほど、縛っている目に見えない糸は、くもの巣のようにさらにきつく絡みつく、以前はそんな感じだったのを、四月号の文章にひどく共感しながら思い出しました。
渇き、私も朽ち果てる寸前でした。導き、支えてくださる神の強いみ手を思います。(四国の方)
編集だより 2005年4月号
○この「いのちの水」誌も小さなものですが、多くの方が用いて下さって、キリストの福音、聖書の真理を知らせるために用いて頂いていることを感謝です。私自身、印刷物(本)によって初めてキリスト教のことを知ったゆえ、またそのときにごく短い箇所を読んだだけなのに、キリスト教の中心にある真理が私の内部に入り、そのときからキリスト者となりましたので、この「いのちの水」誌ももし神が用いようとされるなら、同様にごく短い文であっても、また不十分なものであっても福音を伝えることができることを思います。
文章の巧みさとかでなく、神の御手が働くかどうかだと信じていますので、そのことを祈って書いています。
来信より
○前月号の「キリスト者の確信」を読んで、ヨハネ伝十六章33節(*)は、イエス様が私たちに対して励ましていることを強く感じました。希望の言葉ですね。自分の罪が神の愛によって赦されるという実体験を持ち、善の力は必ず勝利するという強い確信を持たれたことが、私にとっては新鮮な言葉でした。(関東地方の方)
(*)「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
・今日頂いた杣友豊市さんの色紙に書かれた毛筆、「神にとって不可能なことはありません」を何回も何回も唱えているうちに、主にあっては、「私にとって不可能なことは一つもありません」…という言葉が浮かんできました。そうだ、がんばろう、神様が守って下さる、八四歳が何だ、…という気持になりました。(四国の方)
・…詩編の中に、旧約聖書と新約聖書と共通するものが流れていること、ルターでしたか、詩編は小聖書であると言ったとか、本当に詩編があって、旧約と新約のキリストが結びつくのを覚えます。(関東地方の方)
編集だより 2005年3月号
○「はこ舟」から「いのちの水」という名前に変更されたことについて、関東地方の読者から、次のような来信がありました。
「救いの舟より、"いのちの水"へと導かれた、御誌のその深い意義に感銘深く読ませていただきました。この混乱の世にあって、一人でも多くの人が、真のいのちの水を求めて、主に立ち返り、主の御栄光があらわれますよう、お祈り申し上げます。」
私たちが何よりも必要なのは、主イエスが言われた意味での「いのちの水」だと言えます。
○来信より
・いのちの水を毎日いただけて、本当にありがたいですね。「いのちの水」無しには、生きていけないですものね。「野の花」(集会文集)に託された一つ一つのメッセージを重く、ありがたく読ませていただきました。苦しんでいる方、悲しんでいる方、その中から主に従うことを学んだ方々の御言葉は、本当に感謝だと教えられました。(関東地方の方)
・「いのちの水」誌、毎号御送りいただきありがとう御座います。五二九号「災害をどう受けとめるか」を読ませていただきました。
「今回のような事態が生じたから神がいないとかいう言う人もいる」について、確かに天災はもとより、不条理な人災、あるいは先の太平洋戦争に国民を指導していった政府を戦争当時は何故裁かれないのか等々。不満に思った人間の心を思います。
私の所属集会は、関東大震災によって当時鎌倉の自宅が倒壊して、乳飲み子を含む2人のお子様を残して最愛の夫人を失われた先生が、ペシャンコになった家の前に座って思い悩んで居られたとき、「神は愛なり」とのメッセージを受けられ、伝道生涯に入るべく神様に強要されて聖書講義を始められた集会で御座いました。
「聴講自由」のこの集会に、先生の晩年の集会に参列してお話を聞くことが出来ました。その後、先生のご著書により導かれました。多くの人がこの先生によって信仰に入れられ著名な聖書学者、伝道者も輩出されました。マルコ十三・7~8 に、地震、戦争などが生じるとあり、それと共にイエス様が大いなる力と栄光をもって来臨され、地の果てから天の果てまで四方から選ばれた人々を集められます。
不条理に見えるこの世の出来事、無慈悲と思はれる御仕打ちにも、再臨の遅れにも、そこに神様のご計画があることを思います。「福音は凡ての人に説かれねばならない」がその理由の一つであると思います。(関東地方の方)
・…詩編の中に、旧約聖書と新約聖書と共通するものが流れていること、ルターでしたか、詩編は小聖書であると言ったとか、本当に詩編があって、旧約と新約のキリストが結びつくのを覚えます。(関東地方の方)
・今日頂いた杣友豊市さんの色紙に書かれた毛筆、「神にとって不可能なことはありません」を何回も何回も唱えているうちに、主にあっては、「私にとって不可能なことは一つもありません」…という言葉が浮かんできました。そうだ、がんばろう、神様が守って下さる、八四歳が何だ、…という気持になりました。(四国の方)
編集だより 2005年2月号
○一月号の新しい誌名「いのちの水」を見て、魂をうるおす「いのちの水」という意味だと知って、サマリヤの女が水を汲みに来て、イエス様からいのちの水を教えられたことを思いだしました。
私は、讃美歌273番の四節を口ずさみました。(*)…(関東地方の方)
(*)君はいのちの みなもとなれば
たえず湧きいで こころに溢れ
我をうるおし、渇きをとどめ
とこしえまでも やすきを賜え。
○…私は、大学時代にヨハネ伝四章の、サマリヤ女のスカルの井戸での「いのちの水」の礼拝講話に打たれて無教会に導かれました。この時代に「はこ舟」から、「いのちの水」という誌名になりましたことは、まことに適切で時代の要請でもありましょう。…ヒルティの「力の秘密」という論文など何回読んだことでしょう。まさに若き日の羅針盤でありました。…(関東地方の方より)
返舟だより 2005年1月号
今月もクリスマス集会で今年の参加者に贈呈された本についての感想などをあげておきます。
○樫葉 史美子著の「十字架のメドを通って」の本は、私の心に深く浸透しました。とくに、112Pの「私は幸福者」という短文のところです。
「 頭が鳴るように痛い、目まいがする。…呼吸困難、何も考えることができない。でもこれも恩寵です。イエス様だけ、単純に信じ、従うことしかできない幸いを感謝します。言葉を選び、文を練る余地もなく、ただ、イエス様とたたえてゆけるのみの喜び。起きて動けばへとへとになります。倒れてしまいます。じっと寝てイエス様をあがめるだけ。…
」
こうした文面を読んでいて、とても感動しました。身体的苦しみをすべて主の恵みと受け止めて讃美されている姿勢。何という信仰だろうと思わされました。肉眼では何も見えない信仰の世界ですが、信仰が本当に心や魂の支えになっていると価値観がこのように変るのかなと思いました。苦痛のときには、いやして下さいと祈るのみの私に、この本は信仰者としてのあり方を示唆して下さった神様からのプレゼントだと思いました。…(四国の方)
○前号でも紹介した、北田 康広さんのCDを聴いた人から今月もその感想の一端をここに引用しておきます。
・…深い響きの歌声に奥様のピアノ伴奏もすばらしく、はじめての歌に、何度きいても美しいメロディーのなじみ深い歌といろいろ入っていて興味ふかく、またピアノ専攻だけあってピアノがすばらしく、北田さんの心が感じられました。
ピアノの曲の選曲がまたすばらしいと思いました。私もピアノをやっていたので、全盲の方がどうやってあんなにすばらしい域までになれたのだろうどうやって練習されたのだろうと思いました。…
暗い状況の中から北田さんを導き、証し人としてまた慰めや励ましを届ける人として尊く用いておられる神様を心から賛美します。これからも北田さんご夫妻が尊く用いられ良い活動が続けられますよう、お祈りします。(関東地方の方)
・…CDの曲はいずれもとてもよい曲ばかりで、CDのパンフレットの笑顔がとても明るく、イエス・キリストを見上げ、希望に歩んでおられるのを感じました。…バッハやヘンデル、ルターなど音楽を通して福音が静かに人々の心の中にしみ通っていくような気がいたします。よい音楽は神への祈りのように感じます。(四国の方)
○前月号の返舟だよりに引用した、読者の方からの来信を読んで、感想を寄せられた方がいます。
…『 改めて歌詞を見ながら聞くと、心の奥深くまでしみ込んでくるような、イエス様が手を握って「大丈夫だよ」と言って微笑んでくれているような気持にもなりました。…」(関東地方の男性)』
12月号の「返舟だより」でこの言葉を読んで、涙が止まりませんでした。
イエス様の「大丈夫だよ」との声が、私にも届きました。
キリスト者でありながら、不安も多くあって、私の将来を誰が見ても、明るいとは言えない状況のまっただ中にいますが、イエス様にすがろうという気持ちが改めて湧いてきました。
野村伊都子さんの詞にも感動しました。さわやかな詩です。
病者や障害者にしか出来ない役割があることを感じました。
生きて行けそうです。(四国地方の方)
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