編集だより 2011年12月来信より「原子力発電と平和」の本に関して・ある方から、これ読んでまわして、と手渡されたのが、「原子力発電と平和」でした。ほんとうに、よくお知らせ下さり、知らないことだらけでした。キリスト者にとっては初めであり、終わりである神のみ言葉の一つ一つは実現していくのですが、人間の側で神などいない、として生きていくとき、(どのようなことが生じるのか、今回の原発の事故は)その結果を刈り取る時が来ているのでしょう。何をなすべきか、毎日問われていますが、時がよくても悪くても福音を宣べ伝えよ、のみ言葉に従えない弱さを差し出すのみです。この本をクリスマスプレゼントに入れようと思いますので、同封した金額で本代と送料にしてください。(関西の方)・「原子力発電と平和」10冊をありがとうございます。心ある方々にお送りして読んでいただきます。私自身、原発については無知、無関心であったことを恥ずかしく思います。発起して原発関係の本を読んだり、テレビの関連番組を観ておりますが、視座が定まらずにおりました。このたびの冊子の副題(キリスト者の視点から)を大事に学んでまいります。(関東の方)・「原子力発電と平和」の本を、同じ集会の方々や、キリスト者ではないけれどキリスト教や憲法9条、原発問題に深い関心を持っておられる元の職場の方などにも届けさせていただきました。最後に収録されている「平和への道」以外は、ほとんど「いのちの水」誌で読んで学んだはずなのですが、こうして一つの書にまとめられると、新たな感銘と多くの気付き、示しを受けます。・また「地震と神の愛」、「平和への道」とを併せて学ばせていただく中で、どんなに暗く、苦しい事態の中にも、神様の愛の御心が秘められていることを固く信じて待つことの大切さをあらためて学ばせていただきました。(関西の方)
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○「原子力発電と平和」の本。第二刷を出したあとも、申込が続いていますので価格、送料などを書いておきます。10冊セットで購入される方が多いですが、ある方は20冊注文し、さらにまたしばらくして20冊、その後さらに40冊を申込されてきた方もおられます。原子力のことだけでなく、キリスト教の真理にも言及しているので、原発問題と福音伝道の双方の点から用いてくださる方が多くいます。価格は、1冊500円。送料は100円。3~5冊までの送料は300円。10冊セットで購入の場合は、価格は、3000円、送料は500円とします。
○12月11日(日)の午後からの大阪府高槻聖書キリスト集会での、主日礼拝では、兵庫県三田市の河野正道さん(関西学院大学経済学部教授)が、関西学院大学に半年ほど講義に来られているスイスのリーネマン夫妻たちを同行して参加されました夫君のウォルフガングさんはベルン大学で倫理学を、奥さんのクリスティーネさんも、バーゼル大学でエキュメニカルな宣教に関することに関することを教えておられるとのことで、その専門の関係から、無教会のことにも関心があるいうことで参加されたのでした。礼拝集会のあとの懇談で、クリスティーネさんが話されるには、ご夫妻とも、原子力発電は明確に廃止すべきだという考えを推進しているとのことでした。原発問題など話しはじめたら、すぐにクリスティーネさんが、私に「あなたは原発を廃止すべきと考えていますか、それとも継続すべきという考えですか」と単刀直入に言われました。私はずっと以前から原発の問題には廃止すべきだと考えている旨を伝えました。すると、彼女は、日本ではキリスト者が原発に反対するということを、公のテレビ、新聞などのマスコミでその意見を述べていますか…などの問いかけがありました。残念なことに日本ではキリスト者はわずか1%ほどで、テレビや一般の新聞ではキリスト者の原発に関する意見などはまったく取り上げられてはいない現状を話すと、残念そうでした。なお、この方々とともに、関西学院大学神学部の準教授の岩野祐介さんという内村鑑三や無教会に関心をもっておられる方も同行されました。
○聖書講話CD引き続いて、吉村孝雄の聖書講話CDも、申込があります。ヨハネ福音書CD5巻、詩篇CD
12巻、創世記CD3巻、ルカ福音書CDなどが発売中です。MP3対応の機器、またはパソコンによってきくことができます。それぞれ、2000円~3500円ほどの価格です。MP3対応ビクター製のCDラジカセも在庫あります。1台価格は8000円です。このヨハネ福音書や詩篇を、個人の家庭礼拝や、集会でも用いておられる方々もいます。また、福音ラジオのように聞いておられるという方もいます。
○クリスマスには、主が一人一人のところに来られ、その心の内に新たに生まれてくださいますよう、また、来るべき新しい年には、主が新たに聖霊を注ぎ、み言葉を賜ってくださいますようにと祈ります。
編集だより 2011年11月号
来信より
・「原子力発電と平和」の本は、全く知識のない私にも理解でき、どのページにも線を引きながら読ませていただきました。一度だけでなく、今後も何回か読みたいと思っています。
放射能を恐れてばかりいられず、ガンから身を守るため、免疫力をつける食事管理が今の私にできることかなと思っています。福島の果物は本当においしいです。幼い孫のところにも毎年桃、ブドウ、リンゴなどを送ってきました。今年も送りましたが、送った後で孫が 10年~20年後にガンになったらどうしょうと恐れます。
放射能を恐れていても、食べなければなりません。原発については政府の発表、新聞だけでは分からないものが、先生のこのご本によって、いろいろ学ぶことができ、感謝です。(福島県の方)
・いつも 聖書の学び、み言葉をありがとうございます。今日は、インターネットでの「今日のみ言葉」で、吉野川の写真を送っていただき 思わず見とれてしまいました。
私は吉野川に近い町で生まれ育ち、嫁いだので 日々の暮らしの中で 吉野川の風景は見慣れているはずなのに、改めてこの河川の大きさ素晴らしさに感動しました。
今年は水の災害が多く ご苦労なさっている方が大勢いらっしゃいます、一日も早い復興を願うばかりです。
いのちなる水による恵みと、人間の小ささ・・・豊かな吉野川を見ながらつたない知識でいろいろなことを思いました。(徳島県の方)
詩篇の録音CD(MP3版)
…過日、詩篇CDとMP3対応 CDラジカセをお届けくださりありがとうございました。以来充実した日々となりました。年を重ねると、頭に入るより、出て行くほうが多い現状ですが、恵みにより、御国への道をときめきながら歩ませていただいております。感謝です。(四国の方)
・この方は詩篇の録音は聞きたいという希望はあったのですが、MP3ということで、器械に弱いからは自分には関係のないことと思っていたのです。それで私が直接説明をしますと、簡単だとわかって購入されています。
次第に外に出ることが少なくなった現状でも、部屋にいて聖書の重要な内容である詩篇を学ぶ機会となっていることを感謝です。
・「原子力発電と平和」の表紙写真について
この本の、表紙写真は、2010年に、山形県の日本海側にある鶴岡市でのキリスト教集会の翌日、その日の夜の集会まで、時間が取れたので、月山の植物を調べたいと登ったときに撮影したものです。
原発にともなうさまざまの闇とそこから引き起こされた多大の苦しみや悲しみ、私たちの見つめるべき方向は、自然の姿に現れている清さ、御国の美しさを繁栄するこうした自然の姿だと思われるからです。
裏の表の写真は、徳島県の最南部、高知県まであと10キロほどの大里海岸です。ゴミひとつない美しい海岸が、2キロほども続いている海岸で、全国的にもこのような海岸はほかにはないのではないかと思われるほどです。
○無教会全国集会
11月5日(土)~6日(日)の二日間、千葉県にて、無教会全国集会が開催され、名簿では160名ほどの方が参加されました。今年はとくに大震災関連の内容があり、とくに池田献さんの東北のボランティア経験の報告や原発の被害を受けた村上真平さんの証しやチェルノブイリ原発に行かれた坂内義子さんの事故の映像と説明もあり、印象的でした。 この会のために注がれた多くの御愛労を感謝です。
編集だより 2011年9月 607号
来信より
・詩篇のCD(*)受領しました。創世記のCDは、家族で週に一回ずつ、ルカ伝のCDは、妻と二人で、ヨハネ伝はこども会の準備のときに、詩篇は、私一人で少しずつ。
聞く人にわかりやすくなるように、心がけておられるのがよく感じられます。
私も年に何回か、子供たちに話す機会がありますが、わかってもらえるように、と思いました。(関東地方の方)
(*)ここで言われている詩篇とか創世記CDというのは、徳島聖書キリスト集会から発行している、吉村孝雄による聖書講話CDです。不十分なものですが、み言葉のため、その学びのために用いられていることは感謝です。
・…「いのちの水」誌などは、聖書のみ言葉を学ぶだけでなく、社会状況の中での信仰のあり方なども学ぶことができますので、心より感謝しております。今回は、貝出姉の詩集や「集会だより」をも郵送くださり重ねてお礼申し上げます。今後も、「集会だより」をも送っていただければ幸いです。…
私はいまだに怒りを持ったまま生活をすることが折々にあるので、このような弱き信仰で大丈夫なのかと不安を覚えることが多々あります。
それゆえに少しでも多く学ぶことに努めておりますので、「集会だより」もその教材の一つとして読ませて頂きます。
私は以前より、無教会の方々の活動に大変興味をもっておりましたし、今でもその気持ちは全く変わりません。…
唯一の神様のもとにあれば、さまざまの方法での奉仕があるようですので、私のできる働きの道も絶対にあると信じております。…(四国の方)
・先の聖書集会にて、主イエスのゲツセマネの祈りのときに、弟子たちがみな眠っていたこと、それは「眠りこけている教会(集会)」の有り様を象徴しているとのご指摘に、共感させられています。
見るべきを見、語るべきことを語るため、主イエスからの聖霊の恵みを祈らずにはいられません。
このたびは、「光のかけら」(詩集)、「集会だより」をもお送りいただき、誠にありがとうございました。
また、「いのちの水」誌によっていつも新しく目を覚まされて、心から感謝いたしております。「集会だより」も今後ともお送りいただければ幸いです。(北海道の方)
・「放射能について無関心でいてはいけない」と皆に言いたく思います。万(よろず)の神々に手を合わせて何の疑問をも持たない人々が、真の生きて働く御神様に手を合わせることができますように願ってやみません。(東北地方の方)
・小出裕章著の「隠される原子力」など読んで、いろいろと知らないことが多くて、今までこんなにたくさんの事が知らされない間に原発が進められていたことを大変恐ろしく感じております。
今月「いのちの水」誌とともに同封されていた「電力不足は克服できる」という記事に勇気づけられました。何もできない私ですが、少しでも何かの力になりたいと祈り願っております。(関東の方)
・「いのちの水」誌に加えて集会だよりをお送りくださりありがとうございました。北海道の瀬棚は、現在では、第二世代に新しい入植者が加わって祝福を受けているようです。
1997~8年頃は、若者たちが結婚を前にして喜んでいましたが、現在では、今を背負う大人に成長し、一家をなしている様子は頼もしい限りです。 写真に写っている子供たち(集会だより8月号の)も第三世代へと成長するのがたのしみです。(関東の方)
・毎回、自然のすばらしさからいただく単純で美しい清らかさ、私も自然が大好きで、淡路島の見える明石海峡に沈む夕日から神様の愛と明日への希望をいただいております。
天国にいる主人とも会話できるひとときでもあります。 (関西の方)
編集だより 2011年8月 606号
○来信より
・このたびの地震と津波によって東北の方々の受けていられる痛みを共感いたします、私は「いのちの水」誌5月号によって「原発」のことを学ばせて頂きましたことを感謝します。
ご紹介の本4冊と岩波書店の月刊雑誌「世界」の5月号の記事を全部、図書館と購入で読みました。(関東地方の方)
○7月30日~31日の近畿無教会集会では、遠く青森からの高齢の参加者あり、その方の受けた重い苦しみを超えて信仰に歩まれた証しが多くの方々の心に残りました。
○7月下旬から二週間、北海道から東北などの各地での集会、訪問のことで、ちょうど出発のときに、台風が四国に上陸確実になったということで、いろいろな方が心配下さり、また祈りをもって支えてくださったことを感謝です。
編集だより 2011年6月 604号
○今月号には、5月に開催された、高知での四国集会における、キリスト者としての証言を掲載しました。これらの証しによって主が一人の人間を導いてこられたあとを感謝をもって振り返り、さらに私たちすべてをも今後とも導いてくださるようにと願い、祈ります。
○東北と関東の一部の方々が被災された大震災の復旧も、その道のりは険しい状態であることが、日々知らされています。とりわけ複雑かつ、困難にしているのは、世界の長い歴史上でも初めてという、四基もの原発が制御できなくなり、おびただしい量の放射線廃棄物が放出され続けている事実です。
私たちは、こうした現状についてできるだけ正確な事実を知るとともに―知らなかったからこそ、日本国民の圧倒的多数が原発は絶対安全だという嘘を信じてきたのです―それらの心を暗くする現実に打ち負かされないような新たな力を日々与えられていきたいと願っています。
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来信より
・各2011年5月号届きました。
ありがとうございました。原発の問題点がより具体的に掲載されていて、先月にもまして説得力があると思いました。
原発は現代のバベルの塔です。この世において人間が実行して良いこととしてはならないことがあるのです。
核分裂反応は神様の御心には受け入れられないことを素直に認め反省すべきと思います。
東電副社長、自民党国会議員、自民党支持ご用学者、NHKご用解説者達が今回の事故は想定外の事実と言い続けてきました。
しかし、この”想定外”とは全くの虚偽のだましの言い訳です。
その証拠に、3月27日の毎日新聞の第一面トップ記事に、「東京電力は2009年に経産省から大災害予知とその対策実施勧告を受けていたのに、具体的証拠が無いという理由でこの勧告を無視していた。」という大スクープが掲載されていました。”想定外”などではなく全くの人災です。
今回、福島原発の故障は津波では無くて地震被害であったという重大知見に併せて、対策事前勧告も成されていたのです。…(九州の方)
・先日、先生が同封してくださいました「原発関連の録音、録画集」を聞いて夫も私もとてもショックを受けました。「いのちの水」誌でもずっと取り上げていただいておりますので、福島在住ということもあり、3月11日以降、私達の食卓の話題はいつも「原発関連」です。
実は私も岩波書店発行の「世界」5月号は発売と同時にすぐ買って読んでいました。出版社と寄稿している方達が信用、信頼出来るからです。(若い頃もずっと定期購読していたのですが、ここ何年も読んでいませんでした。)
その他、文庫版で「いのちと放射能」(柳澤桂子著)、 「朽ちていった命 ー被曝治療83日間の記録-」(NHK 東海村臨界事故取材班)など、読むのに勇気のいるものばかりです。しかし目をそらさず「知らなかった」ではなく現実に何が起こっているのか、何故こんなに狭い国にもかかわらず「原発」だらけで、こんなに恐ろしいものを作ってしまったのか、個人レベルでも考える必要を痛感しています。
現在、創世記と並行してヨハネ福音書CD(*)を(このところ、ヨハネ福音に集中)拝聴させていただいているのですが、本当に「こころ揺さぶられる」想いで聖書の権威をしみじみ感じております。神様から信仰をいただけたことが今更ながら何にも代え難い宝と確信致しております。
(*)徳島聖書キリスト集会発行のMP3版のヨハネ福音書の聖書講話CD。
編集だより 2011年5月 603号
来信より
今までキリスト教関係の印刷物でも全くといってよいほど原発の危険性が語られたり、論じられてこなかったと思います。
こうした無関心や安全神話を信じきっていたということが、今日のような問題を生み出す土壌となっていたのです。
来信も次のように原発関係のことが多くありました。
・…このたびの震災については、地震と津波だけでも大変なのに原発という人災も加わり、現地の方のことを思うと、いたたまれない気持ちになります。…(原発の問題については)今からでも遅くはないと思って学んでいます。小出裕章さんの「非公式ブログ」のまとめなども、毎日目を通しています。誠実で原発のことに詳しい方なので、最も信頼できる情報源です。
先日、小出さんの研究室を取材した映像を見ていますと、聖書と思える本と田中正造の大きな写真がありました。神様を信じておられる方なのかも… と思いました。 「隠される
原子力と核の真実」小出裕章著を読みはじめました。 真実の情報源を得ながら、主に望みをおいて日々の生活を落ち着いたものにしたいと願っています。(関東の方)
・3・11大災害、特に福島原発災害に関する人災、安全デマについての私の感想や見解は全く吉村先生と同じです。全体を何度も熟読させていただきました。核兵器や原発は本当に現代のバベルの塔であると思います。
3・27毎日新聞1面に、09年6月経済産業省審議会で巨大地震「貞観(じょうがん)地震」の近未来再来が勧告されていたにもかかわらず、東電は反発し、無視を続けていた旨の記事がスクープされていました。原発事故はこれを今まで推進を続けてきた自民党と東電のエゴによる人災です。
現在我々日本人が、社会の価値観や仕組みを改め、神への愛と隣人愛(自由優先ではなく、収入格差の大幅縮小と助け合いの実行)の重要性を認識し、社会の仕組みの大きな変革を実行する絶好の機会が到来しているのに、これまで特権的に貧しい人々の犠牲に於いて自らの幸せを享受してきた一部の人々は原発社会を增税で復興して災害直前と全く同じ格差不平等社会を再建しようとしています。人間はなんと罪深いのでしょうか。…(九州の方)
・…インターネットのyoutubeで小出裕章氏の講演を聞いたり記事を読んだりして、原発の恐ろしさを改めて知らされていました。今まで自分が、いかに無知だったかも思い知りました。集会の人にも回して、少しでも共に学んでいきたいと思います。(関西の方)
・問題なのは、東京電力という企業だけではない。恥ずかしいことに、私は原子力発電所がいかに危険なものか知らないできたが、原子力を専門とする科学者は十分に理解していたはずである。
しかし、…原子力ムラと言われてきた原子力科学者の大部分の人たちは、原発には問題がない、と言い続けてきた推進派の人たちである。他方、原発は大きな危険を抱えていると警告し反対してきた科学者は昇進や研究費で差別を受けてきたという。…(東北の方、これは個人的来信でなく、印刷物の引用。)
・…今号は、特に、原発、放射能のことに関しての情報、過去における貴兄の論考が掲載されてありましたが、このような事態になったことを主の御前に畏れ、この重大性にふるえる思いがあります。
今月号の「憲法9条と原発」の記事を、集会の教友にもコピーをとって送りました。(関東の方)
・「プルトニウム」についての高木仁三郎著の本(*)を読みました。こんな重大事故が発生しなければ原発のことすら、無知のままでー 自分の生活に密着しているにも関わらずー生活していました。
「知らない」というのは、罪だなと思います。何に関しても…。
原発の危険性を語ってきた科学者たちの名前も教えてもらったので、調べて本を読んでみます。(関西の方)
(*)「プルトニウムの恐怖」岩波書店刊
訂正
・2頁4段目左11行 後半→広範
・30頁2段目左5行 意図的無私→意図的無視
編集だより 2011年3月 601号
来信から
以前の「いのちの水」誌や1月発行の「野の花」文集などについての来信の一部です。
○「いのちの水」誌11月号を読み始めました。晩秋ー本当の新しさを求めてー神への信頼と信仰ー主は待っていて下さるーまで、まるで一つの文を読むような気持ちで、一気に読みました。
季節も、世界も、アブラハムも詩篇もイエスも黙示録も一つにつながっていると思いました。
書いてあることが、何の無理もなく入ってきました。
こんな経験はめずらしいです。
昨年8月号(「いのちの水」誌)を友人から送られて来て、「聖霊ー生きた水」について読んだときから、私の中に生きた水が流れだしたような気がします。
この感動を伝えたくて思わずペンをとりました。…(近畿の方)
○「野の花」について
創造主を見上げて、自分を飾らず、誇らず、咲いている花から、確かにキリストの香りが漂ってきて、清められています。
高齢の方々、病気・障害を抱えた方々が積極的に投稿されたということで、励まされています。
「弱いところに働きたもう」主のご臨在を思います。年々、花の数が増え、「天の国の花園」の型になっているように思えます。
「上手に、格調高い文を書こう」と思う心を打ち砕いて、素直に、祈りの心で神様に捧げる文章で良しとされる「野の花」だから、毎年書けるのです。自分の文章を見せるのが恥ずかしいと思えば伝道になりません。人がどう評価するかなどと考えたら、書かない方がよいのです。
神様の御用に用いられるように、発行されたのですから、活用の際に祈ってお渡ししています。「水の上の」パンとして。(関東地方の方)
○以前の徳島聖書キリスト集会での夕拝の録音CDを聞いて。
…フィリピ書1章18~30の「生きることとは何か」の内容のなかで、①「あなた方の祈りと」②イエス・キリストの霊の助けによってこのことが私の救いとなると知っているからです。 パウロ自身の救いになることとして、この二つを並べている。共同体の祈りが大切であることを解きあかしてくださっています。
エクレシア(集会)の重要性は何度となく学び、また、自分でもつとめて集会などに参加しようと思いつつ過ごしてきました。
しかし、この聖句の解きあかしは初めて聞いたことに思えます。新鮮な感動を覚えました。(東北地方の方)
編集だより 2011年2月 600号
○今月号は、「いのちの水」(旧名「はこ舟」)が、六百号の記念号となりました。ここまで継続させて下さった主に感謝です。
長く「はこ舟」、「いのちの水」と読んでこられた方々も次々と天に召されて、最初の頃からの「はこ舟」などを知っている方はごく少なくなっています。そのため、初期の頃のことを記録に残して、神の導きを具体的に記しておくことの必要を感じて、今回初めて「いのちの水」誌に書いたこともあります。堤道雄と「はこ舟」、徳島聖書キリスト集会の関わりなどがそれです。
私たちもまた、私たちの気付かないところで用いてくださっていることを信じて、各自が与えられた場で主を仰ぎつつ進んでいきたいと願っています。
今までの長い年月にわたっての主の導き、そして多くの方々から寄せられた祈りと協力費、そしてまたそれらを福音のために用いてくださったことに深く感謝を捧げます。
編集だより 2011年1月 599号
来信より
○…忙しさから解放されて「いのちの水」誌十一月号を読み始めました。目次の順に、 晩秋ー神との出会い・人との出会いー本当の新しさを求めてー神への信頼と信仰ー主は待っていて下さる という内容まで、まるで一つの文を読むような気持ちで、一気に読みました。
季節も世界も、アブラハムも詩篇もイエスも黙示録も、一つにつながっていると思いました。
書いてあることが、何の無理もなく入ってきました。
こんな経験はめずらしいです。
昨年の「いのちの水」誌八月号を友人から送られてきて「聖霊ー生きた水」について読んだときから、私の中に生きた水が流れだしたような気がします。この感動を伝えたくて思わずペンをとりました。…(関西の方)
○…岡田利彦画伯の「黎明」を見ました。
"奇蹟をどう理解するか"という問いに、"神の全能を信じること"、吉村先生の明解な答え。
本当に、神を信じること、イエス・キリストの十字架の愛を信じること、信仰と愛と希望を与えられ、いかされて、祈ることをゆるされ、喜びと感謝が与えられていることを、深く実感しております。…(東北の方)
編集だより 2010年12月 598号
来信より
○597号の編集だよりは、同じく大阪の全国集会に参加したものとして、関心をもって読みました。
社会の問題に関心を寄せるというこは無意味だと言っているのではなく、結論として、福音に耳を傾け伝えてゆくという営みと、社会の問題に関心を寄せるという営みのバランスが大切と言っておられると受け取りました。
確かに、今回の大会は、吉村さんも言っておられるように、社会問題に偏重している構成であったことを私も感じました。
その意味で、私は昨年の大会で「平和問題」で発題してほしいと要請があったときに、少なからず平和問題に関わってきた自分として自戒もこめて「美しい楕円」すなわち、福音と社会問題に対しバランスある立ち位置が大切であることを述べました。
今後、全国大会の構成が、このことに配慮された大会になることを願っています。 (中部地方の方)
○…聖霊の働きは、証していかなければならないのですが、おっしゃるとおり無教会の近頃の集会では語られることが少なかったと思います。
三位一体の神、父、み子、み霊を信じるキリスト信徒は機会あるごとにこれを証ししたいものです。(関東地方の方)
○主にゆだねよ。主の御手から苦しみも喜びも安んじて受け、決して気を落としてはならない。主はあなたの運命をすみやかに変えて下さる。(「いのちの水」詩より)
「いのちの水」誌、どうぞ、読まして下さい。とってもわかりやすくて有り難く読みました。週報お送りします。(東北地方の方)
・「いのちの水」誌のことを、わかりやすい、と言って下さる方が多いのは感謝です。私は意識して、できるだけ一般によく使われていて、だれにでもすぐにわかる言葉や表現を、そして「いのちの水」誌はテキストファイルで視覚障がい者の方々にもメールでお送りしていますので、パソコンの音声で読ませても、聞き間違うことのない、わかりやすい言葉をと考えて書いています。
大山(だいせん 標高一七二九メートル)
鳥取の集会に向かう途中での撮影
編集だより 2010年10月 596号
来信より
○「核廃絶と憲法九条」について、戦争廃絶こそ、全人類の最大眼目である、日々、見逃している盲点を明示され、剔抉(えぐりだす)してくださり、ハッとさせられました。(関東地方の方)
○…岡田利彦さんの、「黎明」という絵をながめていると、何か平安に満たされるような(聖霊が降ってくるような)思いがします。…(九州の人)
・ 北海道・釧路の画家、岡田利彦さんはキリスト教のさまざまの絵を書いておられます。最近の絵に、「黎明」というのがあります。
キリストの弟子たちが、ガリラヤ湖上にて、夜通し逆風のために波に苦しめられ、夜明けごろになってもなお、目的地に着くことができなかった。
疲労困憊(ひろうこんぱい)していた夜明けころ、イエスが湖の上に現れ、歩いて弟子たちのところに来られた。 この絵では、夜明けの光を背後に受けつつ、弟子たちの乗っている舟に近づく姿が描かれています。
目的地に進んでいこうとしても、どうしても能力や堅固な意志の不足、この世の戦いや、病気、自分の内なる弱さ、罪深さ、周囲の人たちの反対や妨げなどによって進むことができない、ということはだれでもしばしば経験していることです。
そうした弱さに苦しめられて人生の大波のゆえに呑み込まれ、あるいは沈んでしまうことも多くあります。
そのようなところに、イエスが現れて下さる。それはまさに私たちの魂の夜明けです。私自身もそのような経験を与えられ、そこから生涯の方向が変えられました。
主イエスだけは、どのような逆風の中であっても、また荒波たける海でも、静かにそこに立って下さる。そして私たちのところに来てくださることを思いださせてくれる絵です。
編集だより 2010年9月 595号
来信から
○…四日ほどまえ、眠られないままに、木星のことが「いのちの水」誌に書かれていたのを思いだし、午前一時すぎに、私にも見つけることができるだろかと思いつつ、玄関の鍵を開けて、一歩外に出たところ、あっ!と声をあげてしまいました。
真正面、目の前にといってよいほどのところに星が輝いておりました。玄関がちょうど真南を向いているので、木星と分かりました。
澄んだ美しい光に何ともいえずしばらく見とれておりました。(中部地方の方)
○…深夜の明星(木星)は、何度も病気の息子と仰ぎ見ました。見るたびに感動いたします。 (関東地方の方)
・苦しみのときには、人間のなぐさめが与えられないときがしばしばあります。深い悲しみのときは、だれにもわかってもらえないという孤独があります。そのようなとき、静かに澄んだ光を投げかけている星のかがやきに深く慰められることが多いのです。 その星の光を創造された神の愛に触れることができるからです。
編集だより 2010年7月 593号
○今月号は、五月に徳島市で開催された、第三十七回 キリスト教四国集会(無教会)の記録を掲載しましたので、いままでで最も頁の多い号となりました。
この記録集に掲載された聖書講話やキリスト者の証言その他から、参加できなかった方々が、少しでも、当日の四国集会において吹いていた聖なる風を受け取ることができますように、そして、参加していた方々においても、再度あのときの内容に触れることによって、あらたなみ言葉と力を受けることができますようにと願っています。
録音や記録を書いて下さった方々の御愛労を感謝です。
なお、これらの内容を読んで、実際の録音や映像(DVD)を希望される方は、吉村孝雄まで申し込みしてください。音声録音に関しては、MP3形式では、二日間の全内容がCD一枚に収録されています。(価格は送料込で五百円)
なお、MP3形式で録音されたCDを再生する機器は、パソコン、MP3プレーヤなどがありますが、それらを使えない方は、一般のCDプレーヤでも聞ける形式に作ってお送りすることはできます。ただしその場合は、四人の聖書講話と六人のキリスト者の証言のみとなります。それらは、聖書講話、証言各々CD二枚ずつとなりますので合計四枚のCDをお送りすることになります。
なお、DVDは六枚となります。(価格は、一般のCDプレーヤで聞ける形式の四枚のCD、あるいはDVD六枚もいずれも送料込で千円)
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来信より
○「いのちの水」五九二号の「結果を出せなくとも」を読み、深い賛同の思いに満たされました。まことに今の日本の状況に対して重要な発言と思いました。
主よ、来たり給えと心より祈りました。
たとえ結果は出なくても、高い理想は常に掲げて理想に向かって努力していかねばならないと思います。(中国地方のOさん)
○「いのちの水」誌五月号を十冊送っていただきたく、お願いします。小さな集まりの人たちや、知人、地方にいる娘に読んでもらいたいと思いました。 (関東地方のYさん)
○主にある交わり、聖霊が人と人を一層強く結びつけ、この世のさまざまの困難にもかかわらず前進していくことができるよう導いて下さる、この箇所を繰り返し読み、実感しております。
(中部地方のKさん)
編集だより 2010年5月 591号
○今月号は、第三七回 キリスト教四国集会が五月中旬に開催されたため、そのためのさまざまの準備で時間が費やされ、「いのちの水」誌の発行が遅れました。
今月号の、「主を仰ぎ見ること、キリスト者の交わり」という文は、五月十六日(日)の主日礼拝で語った内容に書き加えたものです。
旧約聖書の時代から、数千年ずっと「私を仰ぎ見よ」という語りかけが続いていて、それは現代の混沌とした時代にますます必要なものとなっています。
現代にもこの言葉の大いなる力が今後もいっそう働いて、この単純な言葉の奥に秘められている真理が人々に受けいられ、救いを与えられる人たちが生み出されますようにと願っています。
○四国集会に参加された県外の方から。
・会場にキリストの霊が満ちている実感がしました。
・「四国集会はまさにカナの祝宴です。水をぶどう酒にしていただきました。…」との来信をいただきました。
ヨハネ福音書における最初に置かれている奇跡が、婚礼のときに、主イエスが水をぶどう酒に変えたということでした。 それから二千年ずっと世界の各地で、そしてまた現代の私たちの四国集会でもそのような奇跡がささやかながら行われたのを知らされて感謝です。
今後とも、聖なる霊がはたらいて、一人一人の生きる場において、「水がぶどう酒に変えられる」という神のわざがなされつづけていきますように。
(下の写真は、第三七回 キリスト教四国集会の全体の賛美、聖書講話より)
来信より 2009年12月 586号
○ニワトリと有機野菜で生計を立てているので、決まったお休みはないのですが、毎日たまごを詰める作業があるので、そのときに、創世記のCD(*)を繰り返し聞いています。
日曜日は仕事の合間に聞くので、細切れになってしまいますが、一日かけて主日礼拝のCDを聞きます。徳島の皆さまのおかげで、主と共にある日々が送ることができて、本当に、本当に感謝しています。(関東地方のOさん)
(*)編者注
徳島聖書キリスト集会の主日礼拝の録音記録である、創世記講話MP3版
・このように仕事をしながら、ラジオの代わりに私たちの礼拝のMP3CDを聞いておられるという方々から、今までにもいろいろとこうした応答をいただいています。
○「いのちの水」誌11月号を読んで。
「あなたの魂の方向転換をせよ。神の正義と愛による御支配は、もう来ているのだから」(マタイ四の十七)
また、「聖書の言葉の最も深い意味における原語は、ヘブル語でも、ギリシャ語でもなく、生きて働く来である」(二四~二五頁)この二つの箇所を最も大切なこととして、受けました。
そのような方向転換があって、私たちが真剣に求めていくなかで、それぞれの段階に応じての啓示を受け、魂の深い問題が解決されてゆくのを実感する…。
引用されているダンテの言葉のように、渇きがはげしければ激しいほど、飲む喜びも大きくなるように、真理が私に与えた喜びは本当に言葉に言い尽くせなかった、ということを実感しております。
…吉村さんは、自然科学のみならず、文学への心を開いておられ、リルケの詩などこの例です。
(二十一~二十二頁)
恩師の星野慎一先生がリルケの専門であられたことなど思いかえしました。
那須 佳子さんの教育現場の文、炭火のような信仰生活のなかで問われている現実、彼女の真摯さに打たれました。
炭火のような信仰、これは小池辰雄先生も言われた言葉でした。…(東京都のOさん)
○いつも「いのちの水」誌をありがとうございます。田舎に住む私としては、本当に神様に出逢う大切な機会となっています。(長野県Kさん)
○去る、十月十一(日)~十二日(月)の東京青山学院での無教会全国集会では、一緒に参加することができて感謝しております。
関東在住の実行委員の皆さまの御愛労によってすばらしい大会ができて、喜んでいます。
北田康広さんの独唱とトークはとても感動しました。
また、新しい出会いもあり、参加してよかったと思っています。
来年は大阪ということで、朝川さんはじめ京阪神の皆さまに上よりの祝福を祈ります。(沖縄のTさん)
☆来るべき新しい年、主の豊かな導きがありますように。
編集だより 2009年7月 第581号
○去年、十一月下旬、鳥取の小さな集まりを訪問した日は強い風と雪の降る日でした。初めての参加者もあり、主の導きを感じた集会でした。その翌朝は前夜の雪、風も止み、深い青色の空が広がっていて、砂丘には人がだれもいない静かな世界となっていました。40数年ぶりに歩いた砂丘でした。そのときに撮った写真を、はがきとし、「いのちの水」協力費などの返信用や連絡その他に使ったのですが、意外なことですが、いろいろな方からその写真のコメントをいただきました。
・…鳥取砂丘の写真を主人に見せましたところ、「この上の方まで登ったなあ。あの時の空のようだなあ」と涙を浮かべておりした。見えるところに置いてほしい、と言いますので、テレビの上に置きました。…
(中部地方の方で、ご夫君が現在は病気のために不自由な生活となっています。)
・…鳥取の砂丘のみ言葉を添えられてのまことに美しい写真、空と雲と砂丘だけなのに、こんなにも美しいとは、神様のみ業、お造りになられた大自然はまことに美しいと感嘆いたします。(四国の方)
・鳥取砂丘はとても思い出深い地であります。…従兄弟の後輩が砂丘を緑なすところとなすべく、研究をかさね、成果が中国の砂漠に採用されたと聞いておりました。 その実験中、矢内原先生が、その志の大なることを大いに喜んでおられたことを思いだしました。砂丘の絵はがきは、従兄弟が浜松で医師を開業していますので送ってやりたいと思います。(東北地方の方)
・神様の御栄光とみ業(詩篇19篇)をとこしえに
ほめたたえずには おれない―
静かにわき上がる感動を覚えます。(近畿地方の方)
・鳥取砂丘の写真、大空高くすばらしい写真です。私の昔の生徒がこの砂丘に魅せられてその地の大学に入った者がおります。アフリカなどのそれとはまた違ったものであると思われますが、人の心をとらえるものでございますね。…(関東地方の方)
・秋の晴れ渡った鳥取砂丘の写真、見事な出来ばえですね。集会のみんなに見せて上げます。(東北地方の方)
・鳥取砂丘の写真はすばらしく、神のみ業を感じました。(中部地方の方)
また、この写真を二〇枚ほど希望される方もあったり、一枚の小さな写真が見る人の心に、神のみ業の一端を伝えることになったことを感謝しました。
キリスト教の真理、聖書の核心に触れるためには、多くの本を読み、学問を積む必要もなければ、数々の人生経験を積む必要もない。ただ、わずかの文章やひと言の短い言葉であっても神の御手をもって用いられたときに、人に真理の核心が示されます。私自身がそうでした。そのために、「いのちの水」誌も書いています。 この「いのちの水」誌も、一行でもひと言でも、主が用いて下さって、神のみわざ、その愛のお心を知ることにつながればと願っています。
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編集だより 2009年6月 580号
○今月号に掲載した、「主の平和」は、去る五月十六日(土)~十七日(日)に、松山市で行われた第三十六回キリスト教徒無教会・四国集会で話した内容をより詳しく書いたものです。
主の平和は、議論したり、人間の努力や思索によっても与えられず、ただ私たちは主イエスが言われたような幼な子のような心で、静まって主を仰ぐときに与えられるので、そういう意味では、どんな人にも与えられるものという感じがします。
○「いのちの水」誌四月号の19頁に「老いの坂道」というタイトルの小文を掲載してありました。それを読んで、あの内容は私(吉村)自身のことだと思って、私の健康のことを案じて下さって、はがきや手紙、あるいは電話を下さった方々がいます。 しかし、あの文章は、その前の頁の「ロバの子と落穂」などとともに、17頁に書いた広島の谷口 与世夫さんの「落穂」という文章からの引用であり、谷口さんが、79歳のときの文章なのです。引用したほかの小文のタイトルをゴシック体にしてあったのですが、この「老いの坂道」という文のタイトルは、レイアウトの校正ができてなくて、ゴシック体でなく、明朝体のままになっていたために、私の文章だとまちがわれたのだと分かりました。ちょっとした校正ミスでまちがって受け取られることがあるのをあらためて知らされたことでした。
○「いのちの水」誌には、今月号の、ベートーベンに関する記述のように、引用した本をなるべく、出版社名や著者、頁も書いています。それは、最近のようにインターネットで洋書も含め、簡単に、さまざまの本が入手できる状況にあるので、余裕のある読者の人には、実際に私が引用した書物を購入してもらって確認し、読んでもらいたいと願うからです。以前のインターネットなどがないときには、外国の本の場合、丸善などの洋書店に電話し、目録を送ってもらったり調べてもらって在庫を確認し、ない場合が多くそのときには海外注文ですが、何カ月もときには一年近くも要していたし、価格も高価であったときと比べると比較にならないくらい便利になっています。
原文のちょっとしたひと言がとても強く心に残ることがあるために、短くとも原文を掲載することがあるのは、そのためです。
編集だより 2009年5月 579号
○今月号は、五月五日~六日に名古屋市で開催された、キリスト教・無教会青年全国集会で、テーマの「信仰とは何か」ということでお話ししたのでそのことについて書きました。
今回の準備を通じて、あらためて旧約聖書、新約聖書双方での信仰とは何かということを考えなおし、さらに他の宗教の信仰とは何かということをも考える機会となりました。
今月号に掲載したのは、信仰についての短い記述にすぎないものです。私たち一人一人が、聖霊を受けて信仰の本質に迫り、導かれたいと願います。
○来信より
・「いのちの水」四月号の十一頁の一段目にある問いかけ、「しかし、弱き者、苦しむ者、また社会的には小さき者たちへの愛は増え広がっているだろうか。」に強いインパクトを感じました。
つい最近のNHK・BS「未来への提言」で、USAの著名な経済学者が、「世界の人口は66億人、その中の14億人が極度の貧困で飢え死にの危険にさらされている。国連の定義における極度の貧困とは一日の生活費が25円以下の家族を言う。日本がGNPの僅か0.07%の拠出を継続すれば、14億人全員を飢餓から救出できるのに、日本政府はどうして実行しないのだろうか?
ドイツでも日本に同様の不満を持っている。日本は世界貢献をしている、していると繰り返し言うが一体どんな誇るべき貢献をしているのだろうか?
海上給油等一体誰のために何の意味があるのだろうか? 日本は自らの将来のためにも、世界からの信用を得るためにも 今こそ14億人の飢餓救済に立ち上がるべきである。
日本は伝統的に市民運動が弱いが、市民のNPO活動で政府を動かして行くことはできないものでしょうか。」と言っていました。(九州の方)
・エレミヤは神から御言を託されて、宣べ伝えるエレミヤの苦難と悲哀を思わされます。イエス様にあっては、なお深くあって、霊肉との痛みいかばかりだったことでしょうか。神のことを目標に歩むには、生半可ではいけないこと心に定めておりますが、弱く愚かな自分でございます。
徳島の集会の皆さまとともに、礼拝の録音CDによって聖書の学びと聖霊の交わりをさせていただこうと存じます。本当に嬉しく感謝いたしております。
(東北地方の方)
編集だより 2009年 2月 576号
○ダンテの神曲
今月号にも、ダンテの神曲の煉獄篇の一部についての感想、あるいは簡単な説明を書きました。不十分なものですが、神曲に関する解説の類は日本のキリスト教界でも、一般のキリスト者のためのものはごく少ないために、何かの参考となり、この大作を学ぶ人たちが起こされて私たちのキリスト教信仰や考え方を強め、あらたな力をも与えられることにつながればと願っています。
ダンテの神曲は、世界史の教科書にも出てくる有名な作品ですが、一般の人々にとってだけでなく、相当読書を重ねているような人であっても、あまりきちんとは読まれていないようです。その点では聖書も似たところがあります。有名だけれども心して読まれていないということなのです。それは、日本では、神曲全体の注解書というべきものが皆無に等しい状態であるということからみてもわかります。唯一とも言えるかなり詳しい説明がある本は、経済学者であった矢内原忠雄が、戦時中、土曜日に有志を集めて講義したものが刊行されたものくらいです。
来信より
○「いのちの水」誌一月号の「最も重要な課題」を繰り返し拝読して、教えられ感謝です。私の信仰の出発点が「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ六・33)でありましたから、感慨深く、初心にかえって学ばせていただきました。(関東地方の方)
○…毎月の礼拝CDでは、吉村さんの聖書講話が、実にありがたいことに丁寧で、信仰を持っている者にも、持っていない者にも、何とかみ言葉の深いところを分からせたいとの思いが伝わってきます。
日頃よく使われているみ言葉であっても、その内容とするところが、何となく分かった気持でいることがありますが、それを砕いて説明されていること、ひとつのみ言葉が聖書のあちこちのみ言葉と関連することを、じっさいに聖書のページを開く時間をも取って教えて下さることなど、大変ありがたく存じています。(東北地方の方)
・私たちの礼拝CDは、デジタル録音機二台によって日曜日の礼拝と火曜日の夕拝の二つの内容をすべて録音し、CDにMP3の形で録音したものです。毎月、八~九回の礼拝の録音です。祈りや讃美などもすべてそのまま録音されています。また、テープと違って、まず録音された音質が明瞭であり、○月○日の夕拝とか讃美、あるいは主日礼拝の祈りだけとか、必要な部分だけを取り出して聞くこと、つまり頭出しが即座にできること、一か月分の録音がCD一枚になって送付や取り扱い、保存もとても便利であること、また制作や発送の手間、送料など、どの点からいっても、テープよりずっとよいものです。
編集だより 2009年1月 575号
○十二月の「今日のみ言葉」にあった「主はすべて」のみ言葉と美しい砂丘の写真に、大きな神様の御愛に包まれていることを感じます。マルコ福音書などにあるように、多くの貧しい人たち、病める者たちがイエス様のもとに引き寄せられいやされていく様に触れて、私も大きくあいた風穴が少しずついやされていく御恵みを感謝しております。…(関東地方の方)
○集会に出かけていかない私たちのために、綱野さんを通して「天宝堂便り」とともに「いのちの水」誌や「今日のみ言葉」などを送られていますことをありがとうございます。集会の皆さまの暖かいお心遣いで読ませていただいていることを、感謝しています。十月の「今日のみ言葉」にあった「主を前に」は、書かれていること、すべてが本当にそうだとつくづく思い、心にしみ入りました。(四国の方)
○私は以前、誌名が「はこ舟」から、「いのちの水」になりましたとき、何か「はこ舟」という名の方が、真理の言葉が舟に盛られて送られてくるようで、いいように思いましたが、今は、かけがえのない、「いのちの水」に、本当に渇いた心身、魂をうるおされております。
旧約聖書の言葉を、折々に原書からひもといて下さいますこと、十月号の「忍耐と慰めの神」では、「忍耐」と「希望」という二つの言葉が、ギリシャ語訳の旧約聖書では共にヒュポモネーというギリシャ語であらわされることがあるのを知り、聖書の言葉の示す深い意味が、心のなかに刻み込まれました。
十一月号では、「真理の力」という文に、真理は水面に落ちて広がる波紋のように、二千年の歴史を通して、現在に続いておりますことを大切に受けました。
私たちも、受けましたその真理を、小さな小さな波紋でも、広げていくことができますように…。
「今日のみ言葉」「野草と樹木たち」も楽しみに、拝見しております。ときどき体調などで開かないことがありますが…。十二月の「今日のみ言葉」と、鳥取砂丘のハマゴウの写真にも、とても思いを深め、魅せられています。(関東地方の方)
○…十二月号の文の中で、ろう教育者「高橋 潔」についてお書きになった記事により、初めて、日本の聴覚障害者のこと、手話について知ることができました。私はうかつにも、聴覚障害者や手話についてはほとんど知りませんでした。吉村さんが熱心にろうあ者の教育に取り組んでおられた理由が初めて分かりました。(四国の方)
編集だより 2008年11月 第573号
○山の緑の木々のなかにあって、わが家の庭先の柿の木の実が次第に色づき、自然の色彩の美しさを日々見せてくれています。その熟していく色に誘われて小鳥がやってきます。先日は、エナガという軽やかな動きを見せる愛らしい小鳥がいくつか集まってさえずっていました。
この鳥は時折姿を見せるだけで、ふだんは見られないものですが、モズやヒヨドリは毎日のように大きな声で歌っていて、自然のなかでの神への讃美をゆたかにしてくれています。
○庭には以前に、愛媛県の佐田岬半島でたくさん群生していたリュウノウギク(竜脳菊)を採取して植えてあったのですが、それが白い美しい花を咲かせています。リュウノウギクはふつうは徳島の山では少ししかありませんが、愛媛県の大洲市あたりから佐田岬一帯には随所に見られてごく普通の野菊となっています。葉には独特のよい香りがあり、それが竜脳という東南アジアの樹木の香りに似ているということでこの名があります。野菊にはたくさんの種類がありますが、これは野菊としては大きい花で、その純白が心に沁みる美しいものです。
○インターネットがごく普通に用いられている時代となり、いまではさまざまの仕事をするには不可欠のものとなっていますし、ネットからよい情報もたくさん得られますが、インターネットが使えない人たちもかなりいます。病院や施設などでは個人的に使えないことが多いのです。しかし印刷物はどこにでも持っていけるし、落として壊れることもなく、十年二十年経っても使えます。また、病院や電車やバスの待ち時間、乗っている時間などにも使えることで、パソコン、インターネットなどとは異なるよさがあります。主がそうしたさまざまのものを用いて下さって、福音が伝えられますようにと願います。
編集だより 2008年10月 第572号
○八月に、韓国の朴 ワンさんと共に、私たちのキリスト集会の夕拝や北島夕拝に参加された、金 善美(ソンミ)さんが、徳島大学医学部にさらなる勉学・研究のために来られ、十月最初の主日礼拝に参加されました。 聖書を手にするのははじめてであり、キリスト教の集会としては、徳島聖書キリスト集会に八月に参加したことが初めてとのこと。これからも主が金さんを導いて下さいますように。
○神戸の、故上田末春兄の納骨式が、九月二八日午後、大阪府池田市の霊園にて行われました。東京や和歌山からの親族の方々も参加して行われました。山の稜線にあり、眼下に町々が見下ろせる陽光のあふれるところで、生前から上田さんが良いところを見付けてあると言われていました。一般の墓とちがってキリスト教式の墓で、それには十字架を刻み、神に希望を置いた上田さんの信仰をあらわす文字が刻まれていて、訪れる方々に、キリストの証しを無言のうちになし続けることと思います。
○文集「ともしび」は今回は、例年以上に内容的によかったためか、多くの方々からも申込あり、すべて在庫はなくなり、最近申込された方々にも希望数の一部しか送ることができませんでした。それらの「ともしび」が主によって祝福されて用いられ、その名のように、読む人々の心にともしびとなりますようにと願っています。
編集だより 2008年7月第569号
来信より
○五月の全国集会では…讃美とみことばの学びの中に包まれました。今日まで主がどのように愛をもって支え導きたもうたかを新たなる思いで感謝し、喜びに満たされました。
主のみ言葉をたのみて残る地上の歩みを感謝し、喜びの歌で続けていきたいと強く思います。…(近畿地方の方)
○…(家族の)手術直後は、心もからだも疲れ果てて聖書を開く気にもならず、自分の信仰なんてこんなものだったのか、と落ち込むばかりでした。しかし四月になって集会の方が「野の花」(徳島聖書キリスト集会発行の文集)をもってきて下さいました。そのとき、不思議に読んでみようという気持がおきました。
「野の花」を何回も繰り返し、ようやく聖書を開き、枕元にヨハネ福音書CDと以前の徳島での全国集会のテープを毎晩聞くようになりました。
あの時の気持の変化は、きっとあまりにひどい私の状態に神さまは、○○さんの手を通して救いの手を差し伸べてくださったと思っています。 集会讃美集CDは、夜疲れた心が安らぎます。…(中部地方の方)
・自分では気持の切り換えがどうしてもできないようになって沈んでいくばかりのとき、ふとしたときに開いた本とか、訪れた人、手紙、メール、電話といったもので、それまで立ち上がれなかったほどに弱っていた心に不思議な力が与えられて立ち直れたということは多くの人が経験していると思われます。こうしたことは、主のみわざで、主がときいたってそうした本、印刷物を人をつかわして下さって私たちを救い出して下さるのだと思います。それゆえに、私たちはたとえ小さなことでも、たえず他者に働きかけ、提供していくことの大切さを思います。それが主に用いられるときどんな小さなものも大きな力を発揮するからです。
○七月に見える星から
最近の夜、九時過ぎには、東には、だれでもはっとするような透明な輝きの星が見られます。深夜の明星とでも言うべき木星です。明けの明星のように早朝でなく、また宵の明星のように、帰宅時とか夕食の支度で見れないというのでなく、夜一〇時から深夜すぎても東から南の空にその澄んだ光りを見せてくれます。
木星の右下のほうに少しはなれて赤い輝きが、さそり座のアンタレスです。去年の同じ頃には、木星はそのアンタレスのすぐ側に輝いていましたが、一年でだいぶ東寄りに移動しています。
地球に近い金星などは、一か月も経てばだいぶ位置が変っていくのがよくわかります。さらに近い月は一日で、五〇分も遅れて出てきます。しかし、木星は遠く離れているので、一年経ってもこのように、前年の位置から少し離れて見えるくらいです。来年の今頃になると、もっと東よりに見えるようになります。
また、西のやや高い空に橙色で強い輝きが、うしかい(牛飼)座の一等星のアークトゥルスで、輝きは恒星のうちで、全天で四番目に明るい星で、春から夏にかけて、東から南の高い空において私たちを引きつける輝きをもっています。
編集だより 2008年6月 第568号
○今月号には、五月の全国集会でなされた第一目の三人による証しを掲載しました。全国集会の記録集には同じものが入る予定ですが、「いのちの水」誌に掲載することで、それとは別に伝道にも用いられるようにと願っています。
○神の憐れみを受けることは、魂にとってのいのちの水となることで、今月号にはそのことを少し詳しく聖書を元にしつつ書きました。読者の方々においても、日々神の憐れみによって、新たな力が与えられますようにと祈ります。
編集だより ・2008年 5月 567号「無教会全国集会特集号」
○この編集をしているときに、中国とミャンマーに生じた大きな苦しみが報じられてきました。そして世界の各地に以前からある飢餓や貧困、あるいは内戦や迫害など、この地上の闇と苦しみにあるところに、神の愛と導きがありますよう、その御手が差し伸べられますようにと祈ります。
○今月号は、五月十日~十一日に徳島市で開催された無教会全国集会の特集号として、五人の聖書講話の本人による要約を語られた順に掲載しました。ただし、吉村孝雄のものは、実際の講話より詳しくなっています。これらの聖書講話によって、み言葉の真理の一端が読者の方々に留まり、新たな力となりますようにと願っています。全国集会関係の仕事が次々と生じて、今月は発行が遅くなりました。
○全国集会で各地からのキリスト者の方々との出会い、主にある交流は今もよき余韻を残してくれています。今後とも聖なる風が各地に吹き続けますように。
編集だより
2008年1月 563号
来信より
○…メモしていただいた使い方に従ってなんとかCD、USBメモリも聞けるところへこぎつけました。
技術の進歩と申しますかどうか、あんな小さい物(USBフラッシュメモリ)に多数の曲が入るとは、私には考えが及びません。ただただ感心しています。 (中国地方の方)
・この方は、以前の「いのちの水」誌の十二月号で、MP3対応 CDラジカセを購入して、私どものキリスト集会でのMP3版 ヨハネ福音書聖書講話 を購入された方です。USBメモリに、私たちの集会のときに録音した讃美を入れてお届けしたのです。 二五六MBのUSBフラッシュメモリには、主日礼拝や家庭集会のときに讃美しているそのままの録音が、一三〇曲ほど入ります。健康上の理由とかで自宅療養している方とか、教会や集会に参加できない方々に、より多くの讃美をともに歌って覚えたり、新たな紹介したりする目的で録音し、それをUSBフラッシュメモリとかSDカードに入れてこのMP3対応 CDラジカセを購入された方々にお届けしています。
私が紹介していますMP3対応 CDラジカセには、USBフラッシュメモリを挿入するスロットがあり、USBメモリを使えること、またカードリーダを用いれば、SDカードも使えるからです。
その後も、MP3対応のCDラジカセを購入希望される方が何人かありました。若い人たちにはMP3といったらたいていの人が知っている時代になっていますが、中高年の方々には多くの人たちにとって聞いたこともないと言われる方が多いのですが、慣れたら何でもないので、最寄りの大型電器店に行ける人は行って調べてみるとよいと思います。
(なお、そのような電気店がない方々のために、私の方からお送りもできるようにしています。)
○「私も次第に耳が遠くなってきました、最近不自由を覚えるようになっております。二人で向かい合って話すときはよくわかりますが、テーブルを囲んで多くの方々と話すときには、聞き取りにくくて不自由を覚えています。また主日礼拝の説教を聞き取りにくくなってきました。補聴器は多く出回っているけれど、相当高額を出さないと満足できるものはないと聞かされて、あきらめかけていたところでしたので、大変嬉しいニュースでした。」(近畿地方の方)
前月号で紹介した集音器(価格は税送料共で一万円)の方も何人かの方々から新たに申込がありました。聞こえにくいことの悩みは健聴者にはたいていの場合理解されないのです。このように、数十万円もする高価なものでないとだめだと言われますと、あきらめるか、それとも貯えたお金で買うかということになりますが、簡単には購入を決め難い方も多いかと思います。関心のある方は電話または、FAX、手紙、メールなどで吉村(孝)まで、問い合わせください。
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