山・神の勝利の力 2001/12 先日、何年ぶりかで、徳島県南部で続けている集会の帰途に、山に上った。いつもはそうした時間的余裕がないので、できないことであったが、その時は少々の時間を取れるようであった。それで付近の植物を調べようと思ったのだった。県南部には私の住んでいるところとは違った植物がしばしば見られるからである。 しかし杉の樹林帯で日が当たらず、そのため野草がほとんどなく、もう少し上って調べて見ようと思い、進んでいってとうとう頂上まで上ることになった。 六百メートルにもならない山であったが、頂上からは延々と北方につらなる山がそれこそ波のようにうねってみえた。 快晴の秋空のもと、青くかすんだ山々、遠くに近くにと広がる山なみ、久しぶりにみるその揺るぎない壮大な光景に心が引きつけられてしまった。そのとき、私の心に浮かんだことは、神の力であった。悪に勝利する神の力がはるかな山なみと重なり合って感じられたのである。 山と神の勝利、それは本来何の関係もないことだ。しかし私の心には澄み切った大気のなかに海のようにひろがる眼前の山なみを目にして、そのように清い美しさは、神が悪や汚れに勝利した姿と浮かんだのであった。 私は大学一年の後半のころから山の深い味わいに目を開かれていた。その泰然としたすがたは、このすべてがうつろいゆく世にあって別世界の存在を暗示するものであったし、山々にみなぎる清い雰囲気と力ある姿は、弱く醜い人間の心やその世界とは際だった対照をなしていた。 あなたは大能を帯び、そのみ力によって、山々を堅く立たせられる。(詩編六五・6) 私は、山に向かって目をあげる わが助けは、どこから来るか 天地を創造した神より来る (詩編十二・1) 主よ来たりたまえ クリスマスから新年にかけての季節は、多くの人が何らかの期待をもって迎えることが多いだろう。何か新しいものが与えられたい、という願いをもってこのときを過ごすことも多いはずである。過ぎた年に心身を苦しめることがあった人はそれをぬぐいさってくれるものを求めるだろうし、今年こそは今までにないよきことが生じるようにとの願いをもっている人も多いだろう。 しかし、単に年が新しくなったからといって、よいことが生じるとは限らない。逆にいっそう不安や困難が待ち受けているかも知れないのである。 そうした不安定な状況にあっても必ずよいこと、新しいことが期待できることがある。それは、キリストが私たちのところに来て下さることである。主イエスが来て下さるとき、過去の失敗も罪も清めてくださるうえ、それらをも善きに変えてくださる。そしてどのようなことが生じようとも、それに耐える力、勝利する力を与えて下さるからである。 クリスマスも、じつは、そのキリストが世に来て下さったことを感謝し、受けた恵みを分かち合い、さらにいっそう私たちの苦しみや闇のなかに主イエスが来て下さるようにと願う時である。 年が改まったという一時的な新しさでなく、キリストが来られるとき、すべては本質的に新しくなる。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。」 (Uコリント五・17 ) 長く待ち望んでいた主よ、早く来て下さい 人々が罪に縛られているのを解放して下さい 主よ、主よ、人々を救って下さい! 主よ早く来て下さい。平和の花が咲く国を建てて下さい 主よ、主よ、人々を救って下さい! 万能の力をもった王である主よ、早く来て下さい 悪が支配しているかのようなこの世界にきて、御支配なさって下さい 主よ、主よ、人々を救って下さい! (讃美歌九十四番より) 報復戦争の波 飛行機を用いたテロで巨大なビルが破壊されて三千人余りが死んだことの報復として、アメリカはアフガン攻撃を始めた。それはまったく憎しみには憎しみをという感情をむき出しにしたものであった。そしてテロを支えていた組織と言われるタリバンを追いつめている。そして、一部の者はそれを見て、アメリカの武力攻撃は成功したなどと思っている。 しかし、そのアメリカの考え方と同様な考え方によって、イスラエルはパレスチナを攻撃し、戦車、戦闘機などを動員しての本格的な戦争の様相を帯びてきた。これを指導するイスラエルの首相は、その戦争を「テロとの戦いである」と言ったし、「これは容易な戦争ではない。短い戦争でもない。だが、我々は勝利する。」とも言ったと報道されている。直接にパレスチナ自治政府がテロをやったわけではないにもかかわらず、パレスチナへの戦争を始めたが、この考え方はアメリカが、タリバンが直接にニューヨークのビルを破壊したわけではないのに、タリバン攻撃をしているのと同様である。 シャロン首相は、アメリカのブッシュ大統領が言ったのと同様な言い方をし、武力攻撃を加えているのである。 憎しみは憎しみを生み、暴力は暴力を生む。アメリカのアフガン攻撃は、イスラエルとパレスチナにも新たな憎しみの火をつけたことになった。それだけでない。中国政府もチベット自治区や新彊ウィグル自治区の独立への動きを軍事力で弾圧しようとする動きをも正当化させたり、インドネシアでも、一部の州の独立運動を武力で弾圧する口実にされている。 こうして、憎しみには憎しみをもってし、テロにはさらなる軍事力という一種のテロで対抗するというアメリカのやり方は、世界のあちこちに憎しみや報復、武力弾圧の波となって伝わりつつある。 どのような理由があっても、暴力に対するに、暴力で向かうなら決して究極的に善きものは生まれないのである。 平和へのたゆまない努力、話し合いという方向を決して捨ててはならないのである。しかし、現実の世界を見ると国際連合とか国どうしの話しあいもなされてきたのに、いとも簡単に少数の人間によって武力への道が開かれてしまう。 暴力(軍事力)では本当の解決にはならないこと、さらに人間の話しあいですら、安心できる解決にならないことを知った者は、古くから聖書によって伝えられてきたキリストの道こそが究極的な平和の道だと知らされる。それがどんなに小さいことのように見えても、真理はそこにある。ここにこそ、あらゆる問題の解決がある。 奇跡について 奇跡とは、本来生じないようなことであり、だれにでも生じることがないこと、不可能なようなことが生じることだと思われています。例えば、水がぶどう酒に変わったり、水の上を歩くとか、天から火が降ってきたり、治るはずのない難病が突然いやされるとか、死んだ人が生き返ったりするなど、です。 しかし、聖書をよく読むと、キリストが行った奇跡というものは、実はほとんど生じることがないようなきわめて稀な出来事でなく、その逆であって、霊的なことに置き換えてみると本質的には誰にでも生じるようなことなのです。 例えば、五つのパンと二匹の魚しかなかったのに、主イエスが祈って、祝福すると、それが男だけでも五千人が満たされるほどになったという記事があります。 これなど途方もないことだ、普通なら絶対に生じないようなことだ、こんなことはあるはずがない、聖書は起こるはずがないことを書いているなどと思ってしまって、聖書を読む気がしなくなるという人もいるかもしれません。 しかし、これはよく考えてみると、歴史のうえでもつねに見られた出来事であったのです。 キリストの福音そのものが、このパンの奇跡だということができます。大工の息子として、暗く汚れた家畜小屋で生まれたイエスはまったく取るにたらない存在であったのです。しかしそのイエスが五千人どころか無数の人々を満たし、さらにそれが消費しつくされることなく、次の世代へと受け継がれて行ったのです。これはまさに、五つのパンと二匹の魚が男だけでも五千人という多数を満たし、残ったものでも十二のかごにいっぱいであったということを意味しているのです。 また、私たちがキリストの祝福を受けるとき、どんなに小さいものであっても、多くの人々に届くものとなることをも指し示しています。私たちが祈ること、書くこと、なすことが主イエスの祝福を受けるならば、だれも予測できないような大いなる働きをするようになるということなのです。 実際、キリスト教の二千年の歴史というのは、五千人のパンの奇跡の連続であったのだとわかります。小さな人物、無視されてしまうような出来事をも神は用いて、そこから数しれない人たちの救いと祝福につながっていったからこそ、キリスト教は厳しい迫害にもかかわらず決して滅びることなく続いてきたし、世界に広がってきたのです。 また、死人をよみがえらせるということも、本来絶対できないことだ、あるはずがないことだと思いこむ人がほとんどです。しかし、聖書では、ふつうの人間は死んだと同様なのだという見方を持っているのです。真実の愛や、正しさを持っているのか、ということを厳密に問いつめていくならば、だれもそうした真実な愛、貧しい者、醜い者、悪い者などへの心からの愛や祈りが持てない状況にあるからです。それは魂が死んだ状態にあるからであって、そうした愛とか、正義とかができないのです。 だから、そのような死んだ状態にある者がキリストの霊を受けるときには、その不可能であったことが可能となり、死んだ状態のものが、生き返ったことになるのがわかります。それが死人がよみがえるということが誰にでも生じるはずのことだという意味です。 キリストは実際に万能のお方であり、死んだ者をも生き返らせることができました。しかしそれはそのたった一人だけに生じることでないということを指し示すことが目的であったのです。 キリストが海の上を歩いたということも、キリストにだけ起こったことでなく、じっさい、ペテロもキリストをしっかり見つめているときには海の上を歩くことができたが、まわりの風と波を見たとたん、沈み始めたのです。海というのが、悪の力を象徴として意味されていることがわかれば、これは迫害の時代のキリスト者たちの経験を示していることだとわかりますし、またそれはあらゆる時代のキリスト者たちの経験ともなってきたことです。 キリストは確かに文字どおりに海をも歩くことができた。しかしそれはキリストだけがこんなわざができるといってその特別な能力を誇示するためでなく、キリストを信じる人がだれでも、それと本質的に同じことができるという約束であり、預言でもあったのです。 私たちもまた、キリストだけを見つめていると、たしかにこの世の悪を踏んで歩んでいくことができます。海の上を歩くとは、海によって現されている悪の力に支配されず、逆に悪の力の上を歩む、神の力によって前進していくことができるという約束です。 また、生まれつき全盲の人の目を開けたということも、私たち自身がキリストの力を受けるときには、神のこと、永遠の命のことなどに対しては全くの盲目であったのに、そうしたことが見える(分かる)ようになってくること、そしてさらに私たちがそれを他者に伝えることができると、その相手の人もまた霊的世界に対する目が開けていくことがあります。 このように、聖書で奇跡と言われていることは、じっさいに古い聖書の時代にその通りに生じたことであるけれども、私たちのただなかに、生活の中で生じるという約束なのだとわかります。 奪われること、与えられること この世では長く生きるにつれて、得ることも多いが、次々と奪われることも多い。その第一は、健康であり、体力である。職業も定年ということで止めざるを得なくなる。家族もまただんだん少なくなる。そして趣味とか娯楽などもだんだんとできなくなっていくし、食事などの楽しみもまた、次第になくなっていく。ことに病気の種類によっては、いちじるしい食事制限を強制されるし、病気が重くなると歩くことも、食事すらできなくなる。あげくの果てには、ベッドに縛られた状態になってしまうことすらある。 若いときのあれほどの健康、自由、楽しみ、旅行、友人、職業、家庭、遊び…等などはすべて徐々に奪われていく。自分がどんなにそれらをしっかり持っていたいと思ってもむりやりにもぎ取られていく。 老年になって病気で入院するとき、そうした喪失が一挙に押し寄せてくる。 その時、もし逆に与えられるものがなかったら、到底心を安んじて毎日を過ごすことはできないだろう。 聖書にある有名な言葉「求め続けよ、そうすれば与えられる。門をたたき続けよ、そうすれば開かれる。探せ、そうすれば見いだす。」は、こうした老年期になっていっそう光を帯びてくる。 つぎつぎと失われていくことばかり多い日々にあって、なお、新しく与えられることがあるのだ。「求めよ、さらば与えられん」という主イエスの言葉は、老年になったらこの言葉は通用しない、若いとき、元気な時だけに通用する約束だなどとは言われていない。奪い取られていくただなかにあっても、私たちが真剣に主を仰ぎつつ求めるときには与えられるものがある。目には見えない宝、神の国の宝が与えられる。 ああ、幸いだ、心の貧しい者は。 というのは、その人たちには、神の国が与えられるから。 と主は言われた。次々に奪われていくこの世にあって、心(霊)において高ぶりや自慢を持たず、人間の持っているものの限界を知り、幼な子のような心で主を仰ぐときには、最大の宝といえる神の国が与えられるという。すべてが失われ、奪われていく過程で、心が砕かれるとき、信仰なくば、絶望でありいい知れない悲しみや淋しさであるだろう。しかし、信じる者には神の国が与えられる。 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(ピリピ書四・19) 私たちが不十分と感じても神は十分なものを下さっている。パウロのような歴史上で最大のはたらきをしたキリスト者であっても、なお、自分に欠けたところ、病気の苦しみを訴えて求めたが、神からは「神の恵みはお前には十分である」との言葉があった。あれほど聖霊がゆたかに与えられた人であっても、なおそのようにいつも十分に神の答があるとは限らないのがわかる。長く、繰り返し祈り続けて、それが聞かれない苦しみをもさんざん味わったあげくにようやく神からの応答を受けたということである。 私たちもいくら祈っても聞かれないと思うような時でも、それが神の十分な恵みだと、神からの直接の語りかけを受けるとき、初めて主の平安を与えられるのだと思われる。 死に勝利すること 死とはどういうことなのか、単にすべてがなくなってしまうことなのか、私たちはすべて死というものに向かっていると言える。死とは何かを知らないで毎日を過ごすということは、いわば列車に乗っていてその目的地を知らないで乗っているということになる。目的地を考えないで、列車に乗る人などいない。しかし人間の最終駅と言える死ということを考えないで生きている人が実に多いのは不思議なほどである。しかもその目的地のことを間違って受けとめている人が圧倒的に多いのである。 列車の目的地が列車ごとすべて破壊されるような所なら誰も平気で乗ってはいない。しかし、死んだらすべてが終わる、身も心もなくなり、破壊されると信じていながらその重大性を心に留めないで生きている場合が多数を占めているようである。 哲学も宗教もみんな死とは何かということ、死を克服する道はあるのかという問題に特別な関心を抱いてきたのは当然である。 ギリシャ哲学の代表的人物であるソクラテスは殺される前につぎのように述べている。 死を恐れるということは、英知がないのに、あると思っていることにほかならない。なぜなら、それは知らないことを知っていると思うことだからだ。というのは、死を知っている者は、誰もいないからである。もしかしたら、それは一切の善いもののうちで、最大のものかも知れないのに、彼らはそれを恐れている。あたかもそれが害悪の最大のものだと知っているかのようにだ。 私は死後のことについてはよく知らないから、そのとおりに知らないと思っている。しかし、はっきり知っていることがある。不正なことをするということ、神でも人でも自分よりすぐれている者があるのに、これに従わないということは悪であり、醜いことであることを知っている。だから私は、はっきりとはわからない死を恐れたりは決してしない。(ソクラテスの弁明二九A〜B) このように、死ということを恐れず、死刑を受けたのは、死そのものが何であるか定かではないが、神からの指図というものに従った結果であるという。 そして、別のプラトンの著作では、ソクラテスはつぎのように述べている。 私がこれから行く死後の世界は、第一にこの世の神々とは別の賢明で善い神々のもとへであり、またこの世の人々よりもすぐれた、すでに亡き人々のもとへであると考えている。だから私は死を厭わないのである。・中ヲこの上もなくよい主人(神々)のもとへ行くということは、なにかこのようなことで断言できることがあるとすれば、これこそまさにそうだということを知っておいてもらいたい。私は死んだ人にとっては、何かがある、しかも昔から言われているように、善き人々にとっては悪しき人々にとってよりもはるかによい何かがあるという希望を持っているのだ。(「パイドン」63BC) このように言って、死の彼方にあるものを断言できないにしても、善き神々のもとへいくということへの強い希望を持っているのを現している。しかしこの死後どうなるかは、おぼろげで、ソクラテスやプラトンほどの天才的哲学者であっても、なお確言できないことであった。 こうした死に対する不明瞭な思いは、旧約聖書においてもみられる。 聖書においても当然死とは何かということは、最大の問題であった。しかし、旧約聖書においては、死とはなにか、死の彼方にはなにがあるのかということについては、驚くほどわずかしか書かれていない。旧約聖書の根本となっている創世記から申命記までの五つの書物はモーセ五書とも言われているがそこに現れる信仰の人たちは、死後の希望ということは何も触れていない。 最初の人間として名が知られているアダム、ノアたちも単に「死んだ」と記されているだけである。また信仰の父として現在まで計り知れない影響を及ぼしてきたアブラハムにしても、 アブラハムの生涯は百七十五年であった。 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。 (創世記二五・7〜8) と記されているにすぎない。現在では国や民族の名として知られているが、イスラエルという名はもともとヤコブの別名として神から与えられたものであったが、そのように重要なヤコブもまた、「ヤコブは、息子たちに命じ終えると、息を引き取り、先祖の列に加えられた」(創世記四九・33)と書かれているだけである。 また、旧約聖書最大の重要人物といえるモーセについては、つぎのように記されている。 モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。(申命記三四・7) このように活気ある状態であったにもかかわらず、モーセの死後はどうなったのかについては全く触れられていない。 つぎに旧約聖書の詩編のもとを書いたとされる武人であり、王にもなり、また音楽もよくしたダビデの最期も同様であって、つぎのように書かれている。 ダビデは先祖と共に眠りにつき、ダビデの町に葬られた。(列王記上二・10) このように、旧約聖書を読んで驚かされることは、死というものに対して、死後はどうなるのかという疑問とか記述がほとんどないということである。いかに優れた神の僕であってもみんな、先祖の列に加えられたとか、眠りについてという、死の別の表現をとっているだけである。 死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず、 陰府に入ればだれもあなたに感謝をささげない。(詩編六・6) このように、旧約聖書においては、死後の世界というのは、はっきりとはわからないが、何の希望もなく讃美も感謝もないような、影のような世界であると考えられていたのがこうした詩からもうかがえる。この点では、ソクラテスやプラトンらが持っていたような、何か善いことがあるという希望も記されていないほどである。 こうした死後の世界がどうなるのかわからないという状況から、次第にキリストの時代に近づくにつれて、死はすべてのことが終わる時でないということが示されてきた。例えば、キリストよりも一六八年ほど以前に書かれたというダニエル書には、死者の復活ということが記されている。 しかし、その時には救われるであろう、お前の民、あの書に記された人々は。 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々はとこしえに星と輝く。(ダニエル書十二・2) ダニエル書は、キリストより一六八年ほど昔に書かれた文書だとされている。当時、パレスチナ地方を支配したアンティオコス・エピィファネス四世は、ユダヤ人に対して厳しい迫害を加えた。(そのことは、ダニエル書以外では、旧約聖書続編のマカベア書に詳しく記されている。) そのような苦難の時期においてとくに死を越えた命ということが啓示されたのである。主イエスもダニエル書からの引用をしている箇所があり、主イエスが自分のことを人の子と言われたが、その表現もダニエル書に現れる。 このように、復活ということがだんだんと啓示されてきたが、そのことが、完全に啓示されたのが、キリストが現れて、復活したからであった。 人間は死んだら終わりでない、死後に復活するということは、新約聖書のあちこちで書かれている。 そしてヨハネ福音書においてはそのことがとくにラザロという一人の人物の復活のことを詳しく記すことによって、復活ということを読む人に証言している。 ラザロとはマリアとマルタの兄弟であった。病気が重くなり、マリアたちが人を遣わして、ラザロが病気だと言わせた。 しかし、主イエスは、「この病気は死で終わるものでない。神の栄光のためである。」と言われた。しかし、ラザロは死んだ。その後でイエスは、そのラザロのところにやってきた。 少し前に、マルタたちは、主イエスを信じて昔から預言されていたメシアであると信じた、そして主イエスから直接に、私を信じる者は、死んでも生きる、といわれ、このことを信じるか、と念を押されたのであった。そしてそのとき、マルタは「はい、主よ、あなたが、世に来られることになっている神の子、メシア(救い主)であると信じます」と言っている。 このように主イエスを何百年も昔から預言されていたメシアであると信じていても、マルタは、一度死んでしまった者が復活するということはとうてい信じられなかった。そこまでは信じることができなかった。マルタは、死んで四日も経っている人は復活することは有り得ないのは当然だと堅く信じていた。これは、主イエスをメシアと信じてもなお、変わらなかった。それほどに死というのは、メシアですらも取り返しのできないことだという思いが存在していた。 そのような考えは現在のほとんどの人間が持っている。死んだら終わりだ、死んだ者が復活するなど有り得ないということである。 主イエスはこうした世の常識を根本からくつがえす目的でこの世に来られた。死に対する勝利こそは主イエスが来られた最大の目的なのであった。罪の赦しということも、じつは罪に死んでいる人間の罪を赦し、清めてよみがえらせるためであった。復活も、四日も経って生き返らせることは不可能な状況から、神の命を与えてよみがえらせることである。このような最大のことをするために主イエスはすべてのものを奪っていく悪の象徴としての死への憤り(怒り)を持って墓に入って行かれた。 入り口は、石でふさがれていて、四日も経っている、死の臭いがする、それはいかなる観点からしても命があるなどとは考えられない状況であった。そのようなところにイエスは入って行かれる。 これは現在の世界がそうではないか。私たち自身の魂がそうではなかったか。石で塞がれているような、閉じこめられたところであるうえに、死の臭いがするような人間の心に、また人間社会のただ中に入って行かれる。そしていかなる人間もできないようなわざをして下さる。 主イエスがラザロのところに入っていくときに祈りがあった。死から生への大いなる奇跡をなすための準備というのは、悪の力への怒りを持ちつつなされた神への祈りであった。 「父よ、私にいつも聞いて下さったことを感謝します。また今もいつも聞いて下さることを知っています」と言われた。原文は単にこのように「私に聞く」という表現である。これはつぎのようにヨハネ福音書に繰り返し出てくるのと同様な表現である。 「羊は羊飼いの声を知っているから、ついていく。しかし、ほかの者には決してついていかない。その声を知らないからである。」「わたしの羊はわたしの声を聞く」(*)(ヨハネ十・4、5、27など) (*)羊とはキリストを信じる人、羊飼いとは、主イエスのこと。 このようにキリスト者とは、キリストの声を聞いてそれに従っていく者であると言われている。キリストご自身が、父なる神の声に耳を傾け、その声の語るままに、自分も語り、また神のわざをなす力も与えられていたのである。 人間は悩みや苦しみが深いほどに、だれに言っても聞いてはもらえないという気持ちになる。そして何も言わなくなる場合もある。しかし、主イエスは心から仰ぐ者を必ず聞いて下さる。 キリストが、死んで四日も経っているラザロをよみがえらせるという、最も困難なことをなすにあたって、つねに聞いて下さる神であることを確認している。 イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。」(ヨハネ十一・41〜42) この霊的なつながりがないところでは祈っても聞いてはもらえないだろう。 私たちも自分の心の願いや苦しみを神(主イエス)が聞いて下さっていると実感できていれば、すでにそのときに、何にもかえがたい神の愛を受けているのがわかるので、そのような愛を注いで下さる神だから、必ず私の願いも聞いて下さって、最善にして下さるとの安心感が生まれる。神が聞いて下さっているのを実感することができるということは、神と心のつながりが保たれているということであり、神からの静かな語りかけをも聞くことができているということである。 こうして私たちの心(霊)が神と結びついているとき、まちがったことを求めることがなくなる。こうした心持ちを、聖書では使徒ヨハネが神から受けた言葉として、つぎのように語っている。 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞いてくださる。これが神に対するわたしたちの確信である。 わたしたちは、願い事は何でも聞いてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かる。(ヨハネ第一の手紙五・14〜15) ラザロの復活に関する長い記述の最後はどんな内容で締めくくられているだろうか。それは、イエスの一言である。 「ラザロよ、出て来なさい!」 この一声によって、死んで四日も経って死の臭いがたちこめるような人間が、起きあがって出てきたと記されている。 ここには、私たちの世界の最大の問題がいかに解決されるかが、きわめて簡潔に、驚くべき単純さで記されている。 これは実際に二千年ほど昔に生じたことであった。 ほとんどの人は、こんなことは有り得ないと思っている。 しかし、キリストは二千年間、無数の人をたちかえらせ、新しい命を与えてきたし、今も与え続けている。キリストの存在は人類の歴史のなかで、最大の奇跡であり、そのキリストならこうした奇跡もできるはずである。神の子であるとはそういう意味なのである。万能の神と同じ力を持っているということなのである。 このキリストの一言が重要であるのは、それが昔起こった一回きりの奇跡でないという点にある。今もどうすることもできないほどに弱りきった魂、死んだも同然の人間に対して、個人的に名を呼び、その死のような世界から、「出て来なさい!」と力強い声で呼びかけられているのである。 その呼びかけは過去二千年にわたって、世界に響いてきた。そしてその呼びかけによって死んだ者が本当に新しい命を与えられて、墓場のような暗い世界から脱することができてきた。 自分は死など関係ない、という人もいるだろう。元気はつらつとして仕事に精を出している人も多くいるかもしれない。 しかし、人間は本当に正しいこと、真実なこと、無条件的な愛を持って生きているのか、と問われるとき、いったい誰が自分は正しい、神という絶対的な正しさや真実さを持った方の前でも正しい、正義の人だなどと主張できるだろうか。だれもできない。 そのことを、使徒パウロは彼の最も重要な著述、ローマのキリスト信徒への手紙の中で旧約聖書の記述を引用しながらつぎのように述べている。 では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのか。全くない。すでに指摘したように、・抽F、罪の下にある。 次のように書いてあるとおりである。 「正しい者はいない。一人もいない。 悟る者もなく、神を探し求める者もいない。 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。 善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ・三・9〜12) このように、誰もが、神の前では正しいとは言えない。それは善いことができない、どうしても不純なものが混じってしまう、自分中心という目には見えないもので縛られているという状態なのである。それは、死んでいるとも言える状態である。 このことを、パウロはやはり同じ手紙のなかで次のように述べている。 「死はすべての人に及んだ。すべての人が罪を犯したからである。」(ローマ五・12) このように、より深い観点から見ると、人間はみんな死を帯びている。そして戦争や殺人、性の乱れなど数々の悪事は、いわば死の臭の現れだと言えるだろう。 世界はいつの時代にもそのような意味では死の臭いがたちこめている。 キリストはそういうところに来て下さり、死という最大のものを克服し、勝利するために来られたのであった。死臭のするところから、出てきなさい! それがキリストの呼びかけでありその声を聞いて従っていく者がキリスト者だということになる。 ヨハネは自分の魂の奥深くにてイエスの声を聞き取り、その声こそは世界を死から救うということを感じとったのである。そしてこのラザロの出来事に託して、全世界の人、あらゆる人たちにそれを伝えようとしたのであった。 使徒パウロ自身が、やはり自分はどうしても善いことをすることができない、自分は死のからだであると嘆いているが、そこから主イエスによって「パウロよ、出てきなさい!」との呼び声を聞いて、その死の体に新しい命を与えられて、立ち上がることができたのである。 ラザロの復活ということが特別に詳しい記述がされているのも、すべての人間にとって根本的な死ということへの勝利はどこにあるのか、それはだれによってなされたのか、ということが内に秘められているからである。 「あなた方はこの世では苦難がある。しかし、勇気をだしなさい。私はすでに世に勝利している」 これは、十字架につけられる前夜の最後の夕食のときに語ったと伝えられている。ここで勝利しているとは、この世のさまざまの誘惑や憎しみ、敵意、本能的欲望などすべてに勝利したということであるが、究極的には、最大の破壊力を持っている死の力にも勝利して下さったことをも意味している。 いかなる絶望の状況にある人でも出てくることができる。死の世界から脱して命を与えられる。さらにイエスは、死を象徴する巻いた布をほどいて、行かせよ、との言葉でこの長いラザロの復活の記事が終わっている。私たちも罪の力にひどく縛られていた者であったが、その罪の束縛から解放されて、神の国目指して「行け!」と言われている。 ここに、死という最大の力に勝利するイエスの力が劇的に表現されているし、それが、死の世界のただなかに住む、私たちへのメッセージとなっている。 神、われらと共に キリストが生まれるとき、天使が父のヨセフに現れて、生まれる幼な子の名前についてつぎのように告げた。 主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ福音書一・20〜23) これはキリストが生まれるときに生じた最も重要なことの一つなので、クリスマスの時には必ずといってよいほど思い起こされます。 ここにキリストのふたつの名が現れます。それは、イエスとインマヌエルという名です。これら二つはいずれもヘブル語で、イエスの方は、「ヤハウェ(神の名)は救い」という意味であり、インマヌエルというのは、「神、我らと共に」という意味です。(ヘブル語でイムは「共に」、ヌーは「我ら」、エルとは「神」を意味する) この二つにキリストが地上に来られた意味が込められています。 イエスと言う名は、神は救いであるという意味ですが、救いとは、罪からの救いを意味しています。単に、苦しいことや、病気、人間関係からの目先の一時的な救いのためではないのです。いろいろの苦しみの背後には、人間の本質が真実なものに背を向けて人間の欲望とか自分の益を中心に考えてしまうということが罪であり、その根源的な傾向を改めて神中心に考えるようになることが、救いということです。 そのために、その罪を除くため、人間の罪を身代わりに背負うために、キリストは十字架にかけられたわけです。キリスト教のシンボルが十字架であるのは、このイエスの名前と意味を現しているのです。 このことがキリスト教といわれる信仰の中心であるために、聖書でも繰り返し強調されています。私たちのこの罪深い性質を日々思い知らされるとき、その罪の赦しがなかったら、前に進むことができないのです。 それとともにもう一つの、インマヌエルという名前は、一般の人には、ほとんど知られていないと言えます。 インマヌエルと呼ばれると旧約聖書で預言されているけれども、ふつうにはキリストのことをインマヌエルなどとは全く言わないし、キリスト者でもふつうには使っていない言葉です。 しかし、神が私たちと共にいて下さるということは、聖書全体を貫いている重要な真理です。 アダムは真実の神に対して不信実になったゆえに、楽園から追放されたとあります。それは神がともにいるという幸いな状態が壊されたということです。そしてその子供である、カインも神に背いて、自分の弟を理由もないのに殺害してしまった、その罰として地上をさすらう者となりました。 しかしそれでもなお、そのような重い罪を犯したカインに対してある守りを与えて、特別にしるしを付けて、カインに出会う者が彼を撃つことがないようにされたと書かれています。このような罪犯した者ですら遠くから見守り、完全には見放さなかったというのです。ここに、神がいかに人間と共にいて守って下さろうとするお方であるかが記されています。 アダムの別の子孫たちはすべて長寿を与えられたがみな、死んでいった。しかしエノクという人だけは、「エノクは神とともに歩み、神が取られたので、いなくなった」という特別な記述がされています。ここには、当時はまだ神とともに歩むということが稀であり、そのうちでも、人間が直接に死を見ないように「神が取る」というようなことはほかに例がなかったことと考えられます。 旧約聖書の代表的な出来事は、奴隷になっていて四百年も苦しんでいた人々が、モーセによってエジプトから脱出して、神の約束の地まで四十年もかかってたどりついたことです。 その間、砂漠のような乾燥した水も食物もほとんどないような荒野を数十万もの人々がどのようにして耐えて、前進することができたのか、どう考えても不可解なこと、謎のようなことです。その間のことを書いてあるのが、出エジプト記です。 困難な荒野の生活を支えたのは、神がともにおられたからでした。そのことを人々がつねに実感できるようにと、移動式の聖所である幕屋を造ることを神は命じています。 また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。(出エジプト記二五・8) 幕屋というのは一般には使われない言葉です。これは、聖書において、荒野をさすらう民のためのテント式の聖所を意味しています。困難を極める砂漠的な地方での長期にわたる生活の中心として、神がともにおられることを象徴するものでした。 そしてその書物の最後には、つぎのように書かれています。 旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れた。そして人々はすべてそれを見ることができた。(出エジプト記四十章より) この意味は、どんな時にも神が人々と共におられたこと、その神の導くままに移動していったということです。このように、出エジプト記に記されている神の民の特徴は、どんなことがあっても、共にいて導く神を与えられていたことです。 これが、いかなる困難にあっても神の民が滅びなかったことの最大の理由だと言えます。 新約聖書においては、神がともにいて下さるということは、一般の人にはわかりにくい表現ですがヨハネ福音書では第一章に書かれています。 言(ことば)は肉となって私たちの間に宿られた。(ヨハネ福音書一・14) この短い表現にはさまざまのことが含まれています。しかし、ふつうには使われない表現があって、初めて読む場合には意味がよくわからないのではないかと思われます。 言(ことば)とは、単なる私たちの会話の言葉とは違うのです。この原語はギリシャ語でロゴスといって、これは、宇宙を支配している目に見えないあるもの、理性というようなものをも意味する言葉でした。一般にはキリストというと、二千年前に生まれたイエスという人のことだ思われています。しかし、聖書では、キリストはそれ以前から、永遠の昔から存在していて神と共にあった、あるいは神であったと言われています。 そして二千年前に人間のかたちをとって(肉となって)、人々の間にこられて住むようになられたということなのです。 ここで、「宿られた」と訳されている原語(スケーノオー skenoo)は、ふつうに使われる「住む」という言葉でなく、じつは「幕屋を張る」と言う言葉です。(幕屋、テントは、スケーネーという)これは、黙示録以外の新約聖書ではほかには一度も使われていない言葉です。ヨハネがこのキリストの使命を一言で現すために特別な意味をこめて用いたのがうかがえるのです。モーセに導かれてエジプトから脱出した人々が死と隣り合わせていた砂漠地帯の困難な生活を支えていたのが、幕屋といわれる移動式の聖所(礼拝場)でした。それと同様に、キリストが人間のすがたをして来られたのも、私たちの数々の困難のある現実の生活のただなかに、宿って下さるためであったと言おうとしているのです。 黙示録では、この「幕屋を張る(スケーノオー)」という言葉は、最後に近いところに、あらわれます。 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・中ヲ そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み(幕屋を張り)、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録二十一・1〜4より) ここでは、この世の究極的なすがたが象徴的な表現で書かれています。聖書における最後の言葉とも言えますが、それが、神がかつての荒野のさすらいのときにつねに人々と共にいたように、世の終わりには、永遠に神が人とともに幕屋を張って住んで下さるということです。 こうして聖書は私たち対して、出エジプト記から黙示録まで、「神は、人々のただなかに住んで下さる」と言おうとしているのがわかります。 キリストの本来の名前はイエスです。この名はすでに述べたように、「救い」という意味を持っていますが、その救いとは罪からの救いです。キリストが十字架にかかって死なれたこと、それは人間の持っているどうしようもない深い罪を担って死んで下さった、それによって私たちを悪の力から買い戻したということであったのです。 それによって私たちは神とともにいることができるように整えられたと言えます。罪から救われた人間が、その後はどうなるのか、それが、神がともにいて下さるということです。 肉体をもって地上に来られたイエスが死んだのちに、復活して、聖霊として存在するようになったのも、信じる者すべてのところにつねにともにいて下さるためでした。肉体をもったままでは、ごく限られたところでしか存在できない、しかし聖霊は、いつでもどこでも存在できるからです。 さらに使徒パウロはともにいて下さる主イエスについて深い啓示を受けています。それは、私たちの生活のなかで共にいて見守り、導いて下さるだけでなく、私たちの内に住んで下さるということなのです。人間の一番深いところ、その魂をいわば宮としてそこに住んで下さるということほど、ともにいて下さる神を感じることはないと言えます。 あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である。(Tコリント 六・19) といい、また、つぎのようにも言っています。 生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられる。(ガラテヤの信徒への手紙二・20) このような直接的な表現のほかに、パウロが特別に用いているのが、「キリストの内にあって」とか「主の内にあって」という言葉です。これはパウロが実に一六四回も使っている表現なのです。キリストはたんにはるか昔に生まれただけのお方ではない、いまも生きておられ、そのキリストの内に自分は置かれているのだ、またキリストご自身も自分の内に住んで下さっているのだということがパウロを支えていたことであったのです。そのようにとくにキリストのうちにあったからこそ、彼の書いたものが、ほかの弟子よりも多く新約聖書に含まれるようになったと考えられるのです。 ヨハネ福音書でもこれと同様なことは、キリストこそがぶどうの木であり、その内に留まれ、そうすればキリストも私たちの内に留まって下さる(*) ことが繰り返し強調されています。これがよく知られたぶどうの木のたとえです。(ヨハネ福音書十五章) (*)なお、新共同訳では、ぶどうの木に「つながる」と訳しているがこの箇所の原語はメノー(meno)であって、これは、「留まる」という意味である。ヨハネ十五・4「わたしにつながっていなさい。わたしもあなた方につながっている。」という箇所の原文の直訳は、「わたしの内に留まれ、そうすれば私もあなた方の内に留まる」であって、単に平面的につながるのでなく、「内に」留まることが強調されている表現となっていて、パウロがよく用いている、「キリストの内にある」というのと同じ内容を持っている。 このように主は私たちといつも共にいて下さるけれども、しばしば神はともにおられるのだろうかと疑問になることもあります。つぎつぎと続く困難に直面したとき、耐え難い苦しみに出会ったときなどそうした気持ちになることはだれにでもあると思われます。そのようなときに、一人だけで祈るのでなく、二人、三人で祈ると主が共にいて下さるのを強く実感できることも多くあります。そのことを、主はつぎのように約束されたのです。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(マタイ福音書十八・20) 神が私たちとともにいて下さるということは、旧約聖書から新約聖書にいたるまで、以上のようにさまざまの箇所で、またいろいろの表現によって繰り返し強調されています。 神がともにいて下さるのでなければ、この、暗雲の漂う世界にどうして心安んじて生きていけるでしょうか。共にいる存在として私たちはたいてい、人間を求めます。幸福な結婚、家族、友人それは本当に得難い賜物であると言えます。しかし、それらがみな得られる人はごく一部に過ぎないのです。また、そうしたものを持っていても、病気や事故、人間の心変わりのためにいつ失われるかわかりません。さらに最も深い悩みや苦しみはどんな人にも本当にはわかってはもらえないのであり、ただ神のみ、生きて働くキリストのみがわかってくれるものです。 それゆえに、主イエスは聖霊として、また内に住んで下さる神として、私たちといつもともにいて下さることを約束し、聖書全体がそのことを証ししているのです。 お知らせ ○大阪の大川四郎さん他有志の人たちによって三十年ほども続けられてきた、中高生のための聖書の学びや交流の集いが来年もつぎのように開催されます。 第六十一回関西中高生聖書講座 期日 二〇〇二年三月二十三日(土)〜二十五日(月) 場所 奈良カトリック野外礼拝センター 講師 津崎哲雄 テーマ 「わたしの中のせかい、世界の中の私」 参加費 五千円(遠隔地からの参加は旅費一部補助) 申込先 〒五三二ー〇〇〇二 大阪市淀川区東三国三ー一〇ー三ー五〇九 大川 記代子 返舟だより ○今年も多くの読者の方々のお祈りと支えによって「はこ舟」が継続できましたこと、感謝です。また、友人、知人に送付、または紹介して、み言葉の伝達に用いてくださった方も多くおられます。限られた時間のなかで続けていることなので思わぬ見落としや不十分な点があるかと思われますが、それらの欠けたところも主がどうか清め、補って用いてくださるようにと願うばかりです。 ○ある読者からの来信です。 「毎月のはこ舟を心して読ませて頂いています。十一月号の『聞かれない祈り』は主人を入院させている今、つくづく身にしみて読んでおります。…」 何らかの重荷を背負ってこの一年を過ごされた方も多いと思います。どうか新しい年には、主イエスがいっそう近くに来て下さってその重荷を担ってくださいますように。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ十一・28)の約束が一人一人の上に実現するよう、祈ります。 ○今年は九月のアメリカで生じたテロ事件のために世界的に重苦しいものがたちこめた年になってしまいました。しかし、キリストはそうした闇にこそ来て下さる、求める者の近くに来て下さることが約束されています。過去二千年の間、たしかにそのような光として来て下さったのです。新しい年には、そうしたキリストによる平和が一人一人の心に与えられ、そこから人間社会の平和も来ますように。 H/P担当者より 今月の聖句は(内村鑑三所感集のページ)へ追加されました。 |
2001/12 |
聴かれない祈り 2001/11 私たちは日常の生活のなかで、祈りや願いを誰でも持っている。そしてその願いは時によっては切実なものになる。難しい病気や突然の事故に遭遇してで苦しむとき、身体の障害に悩まされている場合、主よ、癒して下さい、どうか健康を回復して下さい、と必死になって祈る。 また、とくに家族に困難な問題が生じたときも、他人なら時折思い出して祈るということで済んでも、最も身近な存在である家族に関する困難な問題は忘れることができないであろう。それが十年、二十年と続くこともある。 その問題が深いものであるほどに、日夜祈らずにはいられなくなる。 どうかこの難しい問題を解決して下さい。またともに祈ることができるよう、同じ方向、神を見つめて生きて行けるように、どうか主よ、あなたのわざをなして下さい・中ヲ等など、身近な者への祈りは、止むことがないであろう。 しかし、そのような切実な祈りであっても、私たちが願うようには聴かれないことも多い。そのような聴かれない祈りに耐えかねて、神に向かって祈り願う心が旧約聖書の詩編にも見られる。 主よ、帰って来てください。 いつまで捨てておかれるのですか。 あなたの僕らを力づけてください。(詩編九十・) いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。 いつまで、わたしの魂は思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。(詩編十三・2) 聴かれないように見える祈り、もう神は聴いては下さらないのではと思えるときでも、それでも私たちは祈り続ける。私たちの時と神の時が異なるゆえに。神は真実な神、憐れみの神であるゆえに。神の時が来るならば必ず、神は最善のことをなして下さると信じるゆえに。 真理への嘲笑 神に寄り頼むことは、神を信じない人からはあざ笑われることもある。 主イエスも、ユダヤ人の会堂の責任者の娘が死んだと知らされ、その娘を救おうとされたとき、周囲にいたユダヤ人たちはあざ笑った。また、捕らわれたイエスはつぎのようなひどい扱いをされ、嘲笑されたのであった。 そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、 茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。 また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。 このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。(マタイ福音書二七章より) 真理は救いを与え、主の平安を与える。しかし、真理につながろうとするとき、私たちは世の人から重んじられるどころかかえってこのようなひどい取扱いを受けることがある。歴史上を見ても、長い迫害の時代はまさにこのような状況が数百年も続いたのであった。 しかし、主イエスは言われた、 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ福音書五・10〜12) 悲しみを知って下さる神 (詩編五十六編より) 神よ、わたしを憐れんでください。 わたしは人に踏みにじられ、私に敵対する者が、絶えまなくわたしを苦しめる。 彼らの力をなぜ、私は恐れるのか。わたしはただ、あなたに依り頼めばよいのだ。… 彼らは、わたしの言葉をたえずあざけり、その計画はわたしを害なうことに向けられる。… あなたはわたしの歎きを数えられた。… あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください。 神を呼べば、敵は必ず退き、神はわたしの味方だとわかる。 神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。 神に依り頼めば恐れはない。人間がわたしに何をなしえようか。 神様、あなたに誓ったとおり、感謝の献げ物をささげよう。 あなたは死からわたしの魂を救い、 突き落とされようとしたわたしの足を救い、 命の光の中に神の前を歩かせて下さる。 私たちはどうすることもできない苦しみにあるとき、ただ、「神様、憐れんで下さい!」と祈るほかはない。その叫びを発する相手(神)を与えられていることが幸いなのだ。この詩の作者は、著しい苦しみと圧迫のただなかにいたのがうかがえる。 絶え間のない圧迫と苦しみにおいて、もう耐えられないと思うほどであった。この詩を作った人の周囲には、どのような理由かは分からないが、この作者に対しては絶え間なく攻撃がなされていた様子である。つぎつぎと混乱が生じ、そこに乗じて侮辱し、嘲笑する者がいる。 しかし、そのような誰一人わかってもらえる者がいないような状況において、この作者は、神に叫ぶ。神こそはそうした魂の孤独な戦いにおいて支えて下さる唯一のお方であるから。 そのことをこの作者は、神が自分の嘆きを数えて下さっている、と実感しているし、さらに私の涙を皮袋にたくわえて下さいと祈っている。 神と祈りのなかでの交わりを持つとき、ほかの人にはわかってもらえない心の奥深い嘆きと苦しみをも神は一つ一つ知って下さっている、という実感を持つことができる。日夜変わることのない苦しみであり、それが数えられぬほどのものであっても、なお神だけはその一つ一つを見ておられる。また、私たちの悲しみの一つ一つをも覚えて下さるお方でもあること知っていた。神の皮袋に自分の涙の一滴一滴をたくわえて下さいとの祈り、それはどんな奥深い悲しみもただ、神だけは知って下さっているという実感から生まれた祈りなのである。 そうした個人的にふかく神と結ばれた魂は、その時が来たならばその重苦しい闇から救い出される。この作者もまた神の言の力を知らされ、その言の通りに救いを受けて、神の言への深い感謝と讃美を捧げるようになる。 信仰に生きるとは、こうした経験を重ねていくことであるだろう。死ぬほどに苦しい事態から助け出された経験、もう闇に沈んでしまうという絶望的な状況から、命の光のなかへと移された奇跡を実感すること、それが神を信じる者に与えられた恵みだと言えよう。 キリストが変えて下さったこと 聖書は旧約聖書と新約聖書の二つがあり、その二つを合わせて聖書といいます。しかし、旧約聖書と新約聖書では大きく異なっている点があります。キリストによって変えられたことはきわめて大きいのです。 旧約聖書で言われている神と、新約聖書での神とはもちろん同一であり、その神の本質は変わることがなく、神への信仰の本質も変わりはありません。そのことはつぎのように表すことができます。 唯一の神がおられ、その神は、天地万物の創造者であり、愛と真実、そして正義の神であること。それゆえ、罪を悔い改める者は、赦しを与えるが、真実に背き続ける者に対しては必ず裁きを与えるお方であること。神は、永遠に存在すること。神は生きて働いておられること。 このことは、つぎのような箇所にもはっきりと記されていますが、旧約聖書の全体がそのことを示していると言えます。 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」(出エジプト記三十四・6〜7) 旧約聖書の神は、義の神であり、裁きの神であるが、新約聖書の神は愛の神であるなどということが言われたりします。しかし、旧約聖書をよく読んで見ると、すでに引用した箇所以外にも、神は愛の神でもあることがはっきりとわかるのです。旧約聖書の詩編はそうした神の愛に動かされた人の心が深く刻まれています。また、旧約の預言者たちは、神の愛と義を宣べ伝えていたといえるのです。 ここではどんなことがキリストによって変えられたのかを見ておきます。 (1)旧約聖書では、ただ神だけが崇拝の対象であったけれども、新約聖書においては、神とキリスト、そして聖霊も同じ神の異なる現れであって、同質であるということが啓示されました。このことを三位一体という言葉で表しています。 ですから、旧約聖書ではただ神だけが罪を赦すことができたのですが、新約聖書では、キリストも罪を赦すことができるお方であることが示されていますし、神に対して祈るのと同様に、主イエスに対しても祈ることができるようになりました。 このことはきわめて重要なことであり、キリスト教の根本をなすことでもあるので、ヨハネ福音書では、その冒頭にキリストが神と同質であることが明確に記されていますし、ヘブル書でもやはり冒頭にそのことを記しています。 初めに言(キリストのこと)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言は、自分の民(イスラエル)のところへ来たが、民は受け入れなかった。・中ヲ言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。(ヨハネ福音書一章より) この箇所は、マリアから生まれる前、永遠の昔からキリストは存在していたこと、キリストは神と同質であることが記されていて、そのキリストのことを「言」と言っています。これはギリシャ語ではロゴスと言いますが、これはロゴスというギリシャ語がもともと、単に「言葉」という意味だけでなく、「理性、万物を支配する根源的なあるもの」という意味を持っていたので、その言葉が使われたのです。この箇所はキリストは肉体をもって、普通の人間としてイスラエルの民のところに遣わされたが、人々はキリストを拒んで十字架につけて殺してしまったことを指しています。 つぎにヘブル書にもキリストが神と同質であることが記されています。 神は、御子(キリスト)によって世界を創造された。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられるが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座に着かれた。(ヘブル書一章より) このような箇所以外にも、パウロの手紙などでも多くの箇所で神とキリストの同一性が語られています。それほどにこのことは重要なことであったのです。 (2)救いはただ信仰による。 旧約聖書の時代には罪の汚れは、祭司が動物の血を用いた特別な儀式をしてはじめて除かれるということになっていました。 一般の人のだれかが過って罪を犯し、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、犯した罪に気づいたときは、雌山羊を引いて行き、その山羊を殺して祭司はその血を指につけて、・中ヲ祭壇四隅の角に塗り、残りの血は全、祭壇の基に流す。 捧げた人は雌山羊の脂肪をすべて切り取る。祭司は主を宥める香りとしてそれを祭壇で燃やして煙にする。祭司がこうして彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される。(レビ記四章より) このような複雑な儀式をして初めて罪が赦されたのです。 しかし、キリストの時代になってから、ただキリストを信じるだけ、キリストの十字架上での死によって私たちは罪の力から救い出されたと信じるだけで、罪からの救いが与えられるということになりました。旧約聖書の時代から比較すると考えられないほどに単純にして明確となったのです。 (3)復活について 旧約聖書の時代には死んだら黄泉(よみ)の世界に行って、暗く影のような状態でいると思われていました。死んだ後に復活するという信仰は、旧約聖書の大部分においては見られません。ただ、ダニエル書とか詩編の一部、ヨブ記など、キリストの時代に近い時期に書かれたと考えられている文書には、少し死後の復活ということが暗示されているだけです。 しかし、キリストが復活されてから、信じる者はすべて復活する、霊のからだに復活すると約束されています。 (4)旧約聖書の神はおそれ多い神であり、一般の人々は神のもとに出ることができなかった。モーセが十戒を受けるときも、民はモーセが神に近づくために上ったシナイ山に近づくだけでも、殺されると記されているほどです。また、人間は汚れているので、神を見ると死ぬとされていたのです。 しかし、キリストは神のことを「父」と親しく呼ぶことを示されました。これは、旧約聖書時代にはなかったことです。モーセもエレミヤやイザヤ、あるいはダビデなども神のことを「父」と呼んだことはなかったのです。 神を父と呼べるということは、それまでは遠い存在であった神を、最も身近な存在として私たちは祈り、語りかけることができる存在であることをキリストが初めてはっきりと示されたと言えます。このゆえに、日々の祈りでも、神に向かって親しく「天のお父さま」と呼びかけることができるようになったのです。主イエスが示された、主の祈りでも、その冒頭に、「天にいます私たちの父よ」という呼びかけから始まっています。 (5)旧約聖書では、一夫多妻が認められていたが、新約聖書では明確な一夫一婦となった。 旧約聖書の最大人物の一人、アブラハムはサラとハガイという二人の女性をめとったとあります。また、ヤコブもレアとラケルという二人の女性以外にも、レアの召使いであったジルパ、ラケルの召使いのビルハという女性たちも妻のようにめとったことが記されています。 そしてこのようなことは、悪いこととは言われておらず、そうした何人もの女性から生まれた子供は対等の存在であったことがわかります。またダビデも多くの妻を持っていました。 しかし、キリストの時代以降は、結婚とは、一人の夫には一人の妻が正しい関係となり、それはキリストとキリストの集会を象徴的に表すという重要な意味をもつようになったのです。 (6)前項と関係しますが、旧約聖書では、割礼をしていない者は断たれる。とはっきり言われています。割礼という、身体の一部を傷つけるようなことをしなかったら、神の民ではなくなるということでしたが、新約聖書においては、割礼は救いとはまったく関係がないという真理が明らかにされました。 (7)汚れとか、特定の食物の禁止について 豚やイカのような食物を食べたり死体に触れると汚れるとされ、その汚れを清めるためにはまた儀式が必要となったのです。 また、旧約聖書では、つぎのように書いてあります。 脂肪はすべて主のものである。脂肪と血は決して食べてはならない。これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである。(レビ記三・16〜17) 牛、羊、山羊の脂肪を食べてはならない。・中ヲ燃やして主にささげる物の脂肪を食べる者はすべて自分が属する民から断たれる。鳥類および動物の血は決して食べてはならない。血を食べる者はすべて自分が属する民から断たれる。(レビ記七章23〜27より) しかし、キリストはつぎのように言われました。 口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。・中ヲ すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。(マタイ福音書十五章より) このように、人間の汚れは、口から入る食物から来るのではなく、心にあるさまざまの悪い思いによって汚されるのだと教え、食物によって汚されるなどということは有り得ないことを指摘されたのです。これを見ても、いかに旧約聖書とキリストの教えが隔たっているかがわかります。 (8)武力による戦争 旧約聖書では、戦争は数多く記されています。神ご自身がそうした戦いを命じて、敵を滅ぼせと言われることもありました。 しかしキリストはそうした武力の戦争を全面的に反対され、キリスト者の戦いは、悪の霊との戦いであることを明確にされました。このことは、主イエスご自身の言葉に、「剣を取るものは皆、剣によって滅ぶ」(マタイ福音書二六・52)とあります。また、キリストは、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と、人間に対する究極的な姿勢を指し示されました。悪人を殺すことによってでなく、悪人の心に宿る悪が除かれ、聖霊が相手に注がれるように祈ることがキリスト者のあり方だと教えられたのです。そして、キリストの霊を最もゆたかに受けた使徒パウロは、今月号に詳しく書いたように、「キリスト者の戦いは、目に見える人間に対するものでなく、悪の霊に対する戦いである」と明言しています。 以上のように、旧約聖書と新約聖書では大きく異なっている点がありますが、それはキリストがそのすべてを変えられたのです。しかし、そのキリストの重要な変革を無視して、旧約聖書時代のことをそのまま、キリスト教だと言い出す人たちはいつの時代にもいました。 キリストと神が同一の存在であるのに、旧約聖書のように、神だけを崇拝するといい、キリストは人間だと称するのは、キリストと聖霊が神と同質であることを受けようとしない誤りです。現代のエホバの証人もその誤りを犯しています。 また、一部のプロテスタント教派には、豚とかタコを食べてはいけないなどという禁令を持っているのも、食物に関するキリストの変革を信じないからです。 またモルモン教のように、旧約聖書時代の一夫多妻を主張する教派もありますがこれも結婚に関するキリストの革命的な教えを受け取らないところからきています。 また、エホバの証人のように、血を食べてはいけない、そこから輸血をしてはならないなどというのも、全くキリスト教とは関係のない主張だとわかるのです。 さらに、善行とか特定の儀式をしなければ救われないというのも、救いに関するキリストやキリストの霊を最もゆたかに受けたパウロの信仰を正しく受け取らないところから生じています。 前号でも述べたとおり、キリスト教国といわれる国やイスラム教が戦争を肯定しているのも、旧約聖書の聖戦というのをそのまま受け入れているからですが、これもキリスト者の戦いが、特定の人間や国家に対するのでなく、悪の霊に対する戦いであり、敵のために祈れというキリストの真理を受け取らないところから生じたことです。 私たちはキリストの本当の真理を知るためにも、旧約聖書と新約聖書を共通して流れているものと、大きく変えられた点を正しく認識する必要があるのです。 そうでなければ、神の御意志でないことを、まちがって神の意志だとしてしまい、多くの罪を犯すことになるからです。 キリスト者の戦いと武器 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる(*)悪の諸霊を相手にするものなのです。 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 どのような時にも、霊(聖霊)に助けられて祈り、願い求め、すべてのキリスト者たちのために、絶えず眼を覚まして根気よく祈り続けなさい。 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。 (*)新約聖書の時代には、天といっても、単一でなく、さまざまの天が階層をなしていると考えられていた。ヘブル語やギリシャ語でも、「天」という語は聖書では複数で用いられていることも、古代人が天というのをさまざまの層からなっていると考えていたことを暗示している。「キリストもすべての天を越えて高く上った」(エペソ書四・10)と記されている。パウロも第三に上げられたと言っている。(Uコリント十二・2) この聖書の箇所で、キリスト者の戦いとはどういうものか、そしてその戦いに与えられている武器(武具)とは何であるかが詳しく書かれている。 まずはっきりしているのは、キリスト者の戦いは、「血肉に対するものでない」ということである。血肉とは、人間のことであり、個々の人間やその人間の集まりである社会、国家などであるがキリスト者の戦いはそうした目に見える人間ではないといわれている。 この聖書の言葉が明らかに示していることは、キリスト教は武力による戦争を否定しているということである。歴史の中で、多くの国々がキリスト教国と言われながら、武力の戦争を行ってきた。これらはみなこの聖書の言葉に照らすとき、キリスト教の教えに反する行動であったのがわかる。よく一般の人が十字軍などの例をとって、「キリスト教も戦争をしてきた」などというが、それは大きな間違いであるのがわかる。 キリストご自身も、「剣を取る者は剣によって滅ぶ」と言われ、弟子のペテロが剣を抜いて敵に切りかかろうとしたのを戒めて、剣を納めさせたことが記されている。 また「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えられ、自らもいかなる敵対者に対してもいっさいの武力を用いようとはせず、捕らえられて十字架刑にて殺されるに至ったのである。 これは、キリスト教の歴史で最初の殉教者となったステパノの例でもよくわかる。彼は、ユダヤ人の歴史上での罪を指摘したとき、彼らの激しい憎しみを受けて、町の外まで引きずっていかれ、ユダヤ人から石を投げつけられて死ぬほどになった。その時であっても、なお、ステパノは敵対する者たちを撃退しようとせずに、「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい!」と祈って息絶えたのであった。 キリスト教とはこうした生き方を究極的なものとして指し示している。 この時、ステパノは敵と戦わなかったのか、そうでない。彼らを支配する目には見えない力、悪の霊との激しい戦いをしていたのであった。悪の霊との戦いは、神を見つめて、悪事をなす人たちの心からその悪の力(霊)が除き去られるようにと祈ることである。ステパノはまさにそうした戦いを最後まで続けていたのであった。 そしてこのような憎しみのなかにあってもなお、神を見つめ、神の愛をもって祈りを注いだことで、悪の霊との戦いに勝利しつつ、天に帰ったのである。 ここでわかるように、初めての殉教者であるステパノも武器を持っていた。身を守る武具を身に着けていたのがわかる。 それはどんな武具であり、どんな武器であったのだろうか。 ここにあげたエペソ書でそれを見ていきたい。 まずつぎのように言われている。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。(エペソ書六・14) まず、衣服を身に着けるとき、帯をしっかり締めることが最初になすべきことであり、そのために、パウロは、真理の帯を締めよと言われている。ここで真理と訳された言葉は、アレーセイア(aletheia)といって、他の箇所では「真実」とも訳されているし、文語訳聖書では「誠」とも訳されている。(「汝ら立つに誠を帯として腰に結び・中ヲ」) 私たちが歩みを始めるときにまずなにをもって立つのか、それは真理であり、真実である。主イエスは別のところで、こう語っておられる。 まことの礼拝をする者たちが、霊と真理(真実、まこと)をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネ福音書四・23) このように、神を礼拝するということは、形式や特殊な宗教的な服装、あるいは場所とかが重要なのでなく、まず、真実の心をもって、神の霊を受けつつなすことである。 このような姿勢こそが、悪の霊と戦うときの出発点なのである。 つぎに、「正義を胸当てとして身に着けよ」と言われている。 このようなたとえは、私たち現代人にはわかりにくく、読み飛ばしてしまうことが多いのではないだろうか。なぜパウロがこうしたたとえで語っているのか、立ち止まって考える必要があるだろう。 正義の胸当てを着けるとは、人間の自然な正義感をしっかり持て、ということなのだろうか。そもそも、正義とは私たちが持っているものだろうか。 それに関しては、世の中で自分こそは正義の側に立っていると思っている人がいるかも知れないが、聖書の立場に立つときそうした自分の正義、人間が持っている正義などというものは根本から崩れ落ちてしまう。 パウロは旧約聖書を引用してその代表的な文書でつぎのように述べている。 「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。・中ヲ誰一人神の前では義とされない。(正しいとはされない)」(ローマの信徒への手紙三・10〜12) このように、正義の胸当てを着けるといっても、私たちは生まれつきの正義などは持っていない。生まれつきの正義感は、時代や状況によって大きく変化する。例えば、江戸時代であれば、親が不正な仕方で殺されたら、その仇討ちをしなかったら、正義感が許さないだろう。忠臣蔵が有名なのは、その正義感、忠実さに感動するからでもあるだろう。しかし現代において、仇討ちといってだれかを殺せば、それは殺人という最大の罪になる。また太平洋戦争では、ほとんどの人が、鬼畜米英といって、アメリカやイギリスなどを攻撃して多量に殺すことが正義だと思いこんでいたのである。 このように、人間の正義感などというものは実に当てにならないものである。だからパウロも、神という絶対的な正しいお方の前では、一人も正しいと言える人はいない、みんな不正なものにすぎないと言っているのである。 こうした事実を知っている者にとって、「正義の胸当て」を着けるとはどういうことなのかと戸惑うだろう。 しかし、私たちには、まったく別の正義があり、神の前ですら、正しいとして下さるような正義を与えられると約束されている。それは、キリストを信じることによって、だれもが神の前で、もうそれでよいのだ、正しいのだとされるというのである。それが「信仰によって、義とされる」という意味なのである。義という言葉は、聖書に特有のものであり、一般の人は現代ではほとんど、「義」などという言葉を使わない。しかし、このもとにある原語(ギリシャ語)は、「義」も「正義」も同じ言葉なのである。(ディカイオシュネー dikaiosune) 「信仰によって義とされる」という表現は、新約聖書で最も重要な言葉のうちに含まれるが、それは、キリストが私たちのために十字架で死んで下さった、それが私たちの罪をぬぐい去るためであったと素朴に信じるだけで、神は私たちの過去の罪をないものとして扱って下さり、私たちが、驚くべきことに、神の前でも正しいとみなして下さるということなのである。 私たちが正義の胸当てを着けるとは、キリストを信じる信仰によって、神に義とされたという実感を深く持って初めて、悪の霊との戦いが可能になると言う意味なのである。 私たちの心の奥で、やましさが残っていてそれが絶えず私たちの魂の奥で攻撃してくるとき、私たちの魂は揺さぶられ、到底悪との戦いにはならない。 つぎに、言われていることは、次のことである。 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。(15節) 平和という言葉は、国家どうしの戦争がない状態を連想させるだろう。とくに現在の世界情勢のようなときには、いっそう国家間の平和を思い出すと思われる。しかし、ここでは、そのような意味での平和を告げることは内容としては言われていない。キリスト教の福音でいう平和とは、第一義的には、神と人との平和のことである。(この神との平和があってはじめて、そのような人間の集まりも全体としての平和が生まれる。) このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており・中ヲ(ローマの信徒への手紙五・1) 神との間の平和とは、ふつうのマスコミや、一般の日本の文学などではまったく使われない表現である。私たちはふだんは、真実に反すること、愛に背くことを数々行っているし、そのようなことを実際に行っていなくても心の中で、行っていると言えるだろう。神とは、真実そのもの、愛そのものであるから、そうした人間の状態は神に背いている状態であり、神との戦いの状態にあると言える。そのような状態が変わるためには、人間の側の背きが根本から変えられねばならない。キリストを信じて、そうした背きが十字架でキリストが死ぬことによって変えられたのだと、信じて初めて、私たちの背きが赦されて神の前に正しいとされる。 そうして初めて私たちは神との間に平和を与えられたと言える。このような神との間の平和こそ、キリスト教が最も力を入れて宣べ伝えている内容だといえよう。 そうした神との平和、神によって罪が赦されて神を心から「父よ!」と言えるようになること、それが福音の内容なのである。 こうした神との間の平和を告げ知らせること、その準備をいつもしている。それがパウロがここで勧めていることだ。悪の霊との戦いのさなかにおいても、福音を告げる備えをしている、それほどに何が生じようとも、福音伝道を第一にしていたことがうかがえる。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができる。(16節) 盾とか、火の矢などという表現もまた、現代人にはわかりにくい。しかし、パウロが言おうとしていることは、よくわかる。悪をなす者たちは、つねに悪意の火の矢を射ようとして待ちかまえている。そしてその悪人や迫害する者たちの放つ矢は火の矢であるという、それは人間に当たれば、効果が大きく建物ならば、火で燃えてしまう強力なものとなる。 先ごろのテロ事件もイスラム原理主義の一部の人たちの激しい敵意や憎しみがアメリカの最大級のビルに、いわば火の矢となって打ち込まれた事件であった。そしてそのすぐ後、アメリカは逆に報復の火の矢、憎しみの火の矢をもって、テロを起こしたと見られる人々に向かって攻撃しているのである。 私たち一人一人の生活においても、憎しみの火の矢は信仰なければ、心の奥深く突き刺さって苦しみ続けることになる。聖書に現れる人たちは、神こそ、私たちの頼るべき岩であり、またさまざまの危害を防いで、私たちの心身に悪意の矢が当たらないようにして下さる。こうしたことは詩編にも多く歌われている。つぎのはその一つである。 主はわたしの岩、・中ヲわたしの盾、(詩編十八・3より) ここで言われていることは、悪の霊との戦いにおいても、つねに悪は人間を使って、その攻撃をしかけてくる。その時、神は万事を支配されているという信仰こそ、主が私たちの盾であることを知らされるのである。 次にキリスト者の攻撃の武器は何だろうか。 また、救いを兜(かぶと)としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。(17節) 救われたという確信こそが、兜(かぶと)となる。兜は最も重要な頭を守る武具である。救いを兜としてかぶるとは、救われたという確信をしっかりと持っていたら、私たち人間の中心にあるものは、破壊されない、ということであろう。主イエスによって救われたという確信がなかったら、到底悪そのものと戦うことはできない。それどころか、悪のただなかに引き込まれてしまうだろう。 それではキリスト者の攻撃の武器となるものは何であろうか。 霊の剣、だと言われている。それは神の言。どうして神の言が聖霊の剣だと言えるのだろうか。 剣とは最も攻撃的な武器である。剣で相手を一撃のもとに倒すことができる。それと同様に、私たちに悪の霊が襲ってくるとき、神の言にすがることによって、悪を撃退することができるという意味が含まれている。 このことで、よく知られた例は、キリストご自身が示されたことである。主イエスはその伝道の最初に、悪魔によって誘惑を受けた。そして神から与えられた力を自分の欲望のために使おうとするのか、あるいは神のため使おうとするのかが、問われた。そのとき、主イエスがその誘惑を退けたのは、複雑な議論とか、自分の考えとかでなく、神の言であった。旧約聖書で主イエスより数百年も昔に言われた神の言そのものであった。 イエスは答えた。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 (マタイ福音書四・4) このようにして、悪魔からの重ねての誘惑をすべて、旧約聖書に書かれた神の言をただ持ち出すだけで、悪魔は退いて行ったのである。ここにもいかに神の言が力あるものかがはっきりと示されている。 私たちにとっても、この世のさまざまの出来事や誘惑に動揺するとき、神の言にあくまですがっていくときには、そうした誘惑する悪の霊を退けることができるというメッセージが込められている。 このように、キリスト者が悪の霊との戦いをなすにあたって、自分を守る武具と、敵を攻撃する武器をゆたかに与えられていることを覚えて、戦いへと歩みだすよう、うながされている。 この霊の戦いの記述に並んで、次は何を書いてあるかというと、パウロは自分自身のためにも祈って欲しいと繰り返し求めている。 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。(19〜20節) パウロほどのキリスト教史上で、最も大いなる働きをした人であっても、なお人々に対して祈って欲しいと願っている。というより、そのようなキリストの霊を豊かに受けていたからこそ、互いに祈り、祈られることの重要性を深く知っていたのである。 キリスト教の集会や教会(エクレーシア)というのは、キリストのからだであると言われている。目には見えないキリストのからだであるからこそ、互いに祈り合うということが自然なはたらきとなる。 こうしてキリスト者の戦いという内容についての箇所は、祈りへの言及をもって終わっている。 祈りがいかに戦いにおいて重要であるか、それは、すでに旧約聖書にも記されている。 モーセが手を上げていたら、戦いに勝ったが、手を下げると敵が勝った。しかし、モーセの手が重くなったので、他の人が、モーセの手を支えた。(出エジプト記十七・11より) 手を上げているとは、神に祈っているという象徴である。神に祈り続けていることは、神の力を受け続けていることであるから、戦いに勝つ、しかし手を下ろすとそれは祈りを止めることであり、敵が勝ってしまう。そこでモーセの仲間がそのモーセの祈りをともに支えたということである。 また、イスラエルの人々が長い荒野での放浪を終えて、目的地のカナン地方に入っていくとき、エリコという町全体が、城壁に囲まれていてその門が堅く閉ざされ、だれも入ることができなかった。そのときに、主は民を指導していたヨシュアに言われたことが、つぎのようなことであった。 七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。 彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、ときの声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。(ヨシュア記六・3〜5) これは、驚くべき記述である。神への礼拝をつかさどる祭司の人たちが神の言をおさめてある神の箱を先頭にして進んでいき、七日目に七回、町を取り囲む城壁をまわって角笛を吹き鳴らすなら、ほかの方法では打ち破れない堅固な城壁が崩れ落ちるというのである。ここには、七人、七日目、七周というように、七という数字が繰り返し使われている。これは、神の御意志にかなうことを象徴している。私たちの祈りが神の言を第一に重んじる姿勢を保ち、神の力に全面的に頼る姿勢を持っているなら、大きな敵の力も神が崩されるということを意味している。 祈りと戦い キリスト者の戦いは、目に見える人間やその集まりである国家とかでなく、目に見えない悪の霊との戦いである。とすれば、すでに述べたように祈りはその戦いの最も重要な場になると言えよう。祈りなくば、戦えない。主イエスは、「つねに目を覚ましていなさい。」と言われた。それは、つねに祈れということでもあった。 これは、パウロの手紙を見てもよく現れている。 パウロはローマにいる信徒に次のように心からの願いを述べている。 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊(聖霊)が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。 わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように・中ヲ(ローマの信徒への手紙十五・30) ここで、「熱心に祈って下さい」と訳されている箇所の原文(ギリシャ語)は、 「祈りの内で、ともに戦って下さい」(*)であって、単に祈りが熱心であることを求めているのではない。 (*)この箇所の原語は、シュナゴーニゾマイ(sunagonizomai )であって、シュン(共に)と、アゴーニゾマイ(戦う)の二つから成っている言葉である。この後の方の、アゴーニゾマイ(戦う)という語は、実際に例えば、つぎの箇所のように、「戦う」と訳される言葉である。 わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。(ヨハネ福音書十八・36) このような祈りにおいて戦うということは、他にもみられる。 彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。(コロサイ書四・12) ここでも、「熱心に祈っている」と訳された原文は先にあげたのと同じ表現、「祈りの内で、戦っている」という表現なのである。 福音伝道はつねに戦いがつきまとう。それは自分の内なる罪、他の人間を動かしている罪との戦いであり、悪の霊との戦いである。キリストの生涯ははじめから悪との戦いから始まっていた。 主イエスが生まれたとき、当時の王は、イエスを殺そうとして、行方がわからないとみるやそのあたりの幼児を皆殺してしまったと記されている。このように生まれたときから悪はイエスに襲いかかってその力を失わせようとしているのがわかる。 そして、成人してこれから福音伝道の生涯に入るときには、故郷のナザレにて会堂で聖書を読まれが、その直後にユダヤ人から激しい憎しみを受けて、イエスを町の外に追いだし、山の崖まで連れて行き、突き落とそうとまでしたのであった。(ルカ福音書四章より) この事件も、主イエスが伝道をしようとしたら、たちまち悪の霊が働いて伝道の働きを破壊しようとしたのがわかる。 こうして主イエスは生涯の出発点か悪との戦いから始まっているのであって、決して自分だけの研究とか付近の人たちの歓迎するような状態ではなかったのである。 キリスト者とはキリストにつく者であるからには、キリスト者にもなんらかの戦いが生じるのは当然だということになる。しかし、その戦いには、武器もあるし、すでに勝利している保証すら与えられている。 あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ福音書十六・33より) 休憩室 ○十一月中旬に、松山を経て四国の西の端、佐多岬半島を経て大分から阿蘇を通り、熊本にまで初めて車で通る機会がありました。ちょうど、秋の紅葉の季節で、山々の随所に赤く、黄色、褐色の葉が見られ、彩りゆたかな行程でした。佐多岬半島の山間では、あちこちに真っ白い花びらをもつ、リュウノウギクが見られて目を楽しませてくれました。このキクは徳島ではわずかしか見られないのに、佐多岬半島では多くの群生が見られて、大分県に渡った所でも、海岸沿いの山肌にこの白いリュウノウギクがよく見えました。地域によってある野草の分布が大きく異なる例だと感じます。 ○冬が近づいて夜空は星たちの美しさが目立つ頃となっています。夜十時頃に東の空に向かって立つと、まず目に入る際だって明るい星、じっとまばたきせずに輝いている星が見えます。それが木星です。またその南(右方)にはオリオン座が見えています。そしてオリオン座の上方に雄牛座の一等星(アルデバラン)が赤く輝きそのすぐ横に並んで見えるのが土星です。土星はまはたきをしないこと、アルデバランは赤い星であることなどから、この区別はすぐにできます。一年中で最も明るい星が多く、しかも天の一部分に集まるようにして輝いているので、月のない澄んだ夜には壮観ともいうべき星の輝きを見ることができます。 ○柿の木 わが家にはもう五十年以上も実をつけ続けている渋柿の木があります。なにも肥料もやらず、剪定などもほとんどしないのに、毎年実をつけます。柿の実る頃は葉も色づき、実も秋の空や緑の山に映える赤い色となり、秋らしい雰囲気をたたえてきます。そのような中で、実は熟柿となり、甘く柔らかくなります。柿は葉が薬用ともなり、実は栄養豊かな食物、そして秋になると外観は秋らしさを添える木であり、日本で古来親しまれてきたのもうなづけます。また柿の学名は、Diospyros kaki(ディオスピロス カキ) と表され、その前半の Dios とは、ギリシャの神を表し、pyros とは、穀物(小麦)を意味します。それで、柿の学名は、「神の食物」という意味になります。このような学名がつけられたのはそれが栄養豊かで美味であるからだと思われます。 返舟だより ○九州への旅 十一月十六日(金)から十九日(火)まで、松山、大分、熊本、福岡県などにて聖書の言を語る機会が与えられ、広島県では二箇所の教友を訪ねて讃美や聖書の言とともに主にある交わりを与えられて感謝でした。また、最後の日には、以前から訪問したく思っていた愛媛県東部の若干の「祈の友」会員を訪ねることができました。 み言葉それ自身の力がはたらき、各地でいっそう神の言が一人一人の心に留まり、力を発揮するようにと願っています。 やはり、パウロも言っているように、手紙とか電話だけでなく、「顔と顔を合わせて見る」ことの大きい意義を感じます。主を信じる者が二人、三人と集まるとき、主がそこにいて、よきものをそれぞれに与えて下さるという気がします。し 大分市から、秋色濃い山々の連なるただ中にある、九州中央部の竹田市を通り、阿蘇方面に向かいましたが、途中で、気温の低さなどから竹田市が山々に囲まれたかなりの標高の場所だとわかりました。今年の三月号の「はこ舟」に書いたことですが、江戸時代のキリシタン迫害が厳しくこの山里の竹田の村にもなされ、つぎのような出来事があったと記されています。 大分県竹田のある村はキリシタンが多かった。村長もキリシタンで、二人の息子と長男の妻もその子たちも信徒であった。領主は、この一家がキリシタンをやめるならば他はみのがしてやろうともちかけた。村長はどうすればよいかと困り果て、家族の反対を押しきって、独自の判断でキリシタンをやめるという誓いの文を提出した。 村長である父は息子にいった。 「おまえたちは自分で誓いの文を提出したのではないから、知らぬふりをしておればよい。それが多くの人々を苦難に会わせないためなのだから」と。 しかし、二人の息子は承知せず、領主のいる城へ、わざわざ自分たちはキリシタンであると名のりでたのである。 幕府にキリシタンはいないと報告したばかりの領主は動揺し、二人を捕え、父にキリシタンを辞めるよう、説得させようとしたが、父は息子たちの真実な信仰に動かされて拒否した。こうして二人の息子は火刑に処されることになった。 けなげであったのは殺されることになった長男の妻である。彼女は役人の脅迫に従わなかったため、腰巻ひとつの裸にされ、ざらざらして肌を刺す俵の中に頭だけだして入れられ、七日間、部屋にとじこめられた。 七月の暑いさかりであった。それでも屈しない彼女を、役人は夫と義弟の処刑場に引きだし、かれらが火あぶりにされて殺されるすさまじい光景を見せ、背教しなければおなじ刑罰をうけることになろうと説きつけた。 しかし、彼女はただ、「どんなことがあってもキリシタンであることをやめはしない」と答えるだけであった。 役人は、いった。「もしおまえが死んだら、七人の子どもたちは身よりのない孤児になってしまうだろう。そんな不人情な母親になってよいのか」。 これに対して、その女は答えた。「無慈悲なのはあなた様方で、わたくしではございません」。 ついに問答に疲れはてた役人の手で、彼女は斬首された。首斬り役人が刀をふりあげてから二度、背教の意志はないかと聞いた。髪をたばねて首をすっかり見えるようにした女は、二度ともはっきりと「否」と答えた。(「日本の歴史・第十七巻」より。小学館刊) 私は竹田市を通る間、このキリシタン迫害のことが念頭から去りませんでした。数百年の昔、この美しい自然のなかで家族とともに平和に生きることより、キリスト信仰のために、苦しめられ、殺されることをあえて選んだ人たちのことがたえず心に浮かんできたのです。それで、その記事を再び引用しました。 ○この迫害の事実からもわかりますが、信仰を与えられたからといって、私たちの悩みや苦しみが消えるわけではなく、時には、また人によってはそのゆえにさらに大きい悩みや問題を抱えることになる場合があります。旧約聖書にもそのような例は多く見られます。もう、神は助けては下さらないのか、という深刻な悩みも生じることがあり、モーセやエレミヤ、エリヤ、ダビデなど、またヨブといった代表的人物にもそのようなことが見られます。それでもその困難な道を主がともに歩んで下さっていると信じて歩むとき、たしかに主はわが岩、わが助けとなって下さるのであろうと思われます。 ○読者からの来信より 季節によっていろいろの自然のことが述べられていて、そこに神様が創られた自然の美しさや、やさしさ、また偉大さが読んでいる文章のなかに現れています。神が言っていることや、救いのこと、気付かない点をいつもたくさん気付かされます。また聖書を読むときに以前よりもっとわかりやすくなりました。自分のなかに、神の言に関して知恵と知識が増し加わっていることにうれしく思っています。 私は盲人が見えるようになったという聖書の記述は、自分とは直接に関係のないひとつのイエス様の奇跡だとしか思っていませんでした。しかし、本当は私自身が目の見えない、また、足の悪い、耳の聞こえない者だったのですね。・中ヲ(最近「はこ舟」を送付希望されたある読者から) ・聖書はいつもほかの本やマスコミ関係の情報からは知ることのできない視点や英知を与えてくれます。書かれた神の言ですが、そこに聖霊の働きが加わると、生きて働く力となるのを感じる書物だといえます。しかし何らかの説明がなされないと分からない場合も多く、私自身も数多くの書物や人から聖書の真理を教えられてきたものです。日本に今後ともいっそうこの聖書の真理が広く知られて、唯一の神を知る人が起こされますように。 お知らせ ○来年の四国集会 来年度、徳島市で行われる、第二十九回 キリスト教四国集会(無教会)は、徳島市の眉山会館にて、五月十一日(土)〜十二日(日)までの二日間で行われることになりました。従来の会場は障害者用の設備がなく、不便なこと、やや狭くて収容人員を越えたことなどの理由から、会場を変えました。また、冷房で体調を崩す方もおられるので、冷暖房の要らない気候のよい時を選びました。予定に入れておいて下さい。詳しい内容は、来年にお知らせします。 ○毎年発行しています、文集「野の花」の原稿を募集します。 ・対象 集会員、「はこ舟」読者の方。 ・字数 原稿用紙で二千字以内。 ・内容 聖書の学びから、証し、信仰にかかわる体験、意見、今後の希望、集会のあり方等など自由です。ただし、内容や表現を若干縮小とか訂正することがあります。 ・提出方法 パソコンでインターネットに加入している方は、インターネットで送って下さい。(それと共にコピー紙に印刷して手渡して下さい。校正がはやくできるからです。) またワープロはできるがインターネットに未加入の人は、ふつうのコピー紙に印刷して提出してください。(原稿用紙よりもワープロで印字して頂いた方が好都合です。スキャナで読みとりできますので。)いずれも経験のない方は原稿用紙に書いて提出して下さい。 ・締切 十二月十六日(日) ・提出先 吉村まで 〒773ー0015 小松島市中田町字西山91の14 電話08853ー2ー3017 ○今年のクリスマス特別集会は十二月二十三日(日)午前十時からです。 |
2001/11 |
秋の美しさ 2001/10 秋は美しい。私はしばしば一年のうちで最も心ひかれる季節だと感じる。それは、一つには枯れていくときの美しさ。 木々や野草たちのなかには、その葉が枯れていくときに、かくも美しい色調と雰囲気を漂わせるのかと驚かされるようなものがある。 また、空気も清澄となり、夜空の星たちの輝きもいっそう澄んできて、夜空を見つめる一人一人への語りかけがよりはっきりとしてくる。 さらには、山には、多くの野草たちがつぎつぎと花を咲かせる。ヤマシロギクや、シラヤマギク、リュウノウギク、ノコンギクなど白や青紫のキクの仲間も秋に多く見られる。 オミナエシやリンドウは野生のものには最近は出会っていないが、かつて歩いた山において見つけたその場所とか状況が浮かんでくる。その仲間のアサマリンドウとかツルリンドウなどにはときどき出会うことがある。 もう現在では山を歩くことは、時間的に取れなくなり、ときどき山間部を越えてキリスト教の集会に参加する途中で、少し車を降りて観察する程度であるが、それでも秋の山は多くのことを語りかけてくれるし、かつて出会ったいろいろの野草の花たちを見つけると、私には何十年来の心の友と出会ったような気持ちになる。 厳しい冬の到来を暗示しつつ、実には赤や黄色などの色がついてくる。その実は実際に小鳥や森の動物たちの冬の食糧として自然によってそなえられたものだが、私たちにとっても、冬の厳しい時のために、美しい紅葉や実りによって私たちの魂への準備をしてくれているかのようである。 二つの道 一般の人と同様にキリスト者にもいろいろな考えがある。同じ聖書を読み、同じキリストを信じているはずであっても、その主張がはっきりと対立する問題がある。 その一つは戦争の問題、武力を使う戦いを肯定するかどうかという問題である。 いろいろな理由をあげて戦争を肯定する人がいる。現在の戦争に賛成しているアメリカの多くのキリスト者たちも同様である。 しかし、歴史を見ればすぐにわかることは、戦争によっておびただしい犠牲が生じているということだ。はじめはそんなにたくさんの犠牲が生じるとは予想されていなくとも、ひとたび始めると、つぎつぎとより大きい効果を求めて拡大していく。戦争を始めた者、指揮する者たちは、少し始めただけでは決して終えようとはしない。 日本が中国に攻撃して始まった中国に対する戦争もはじめはわずかの期間で中国を制圧するなどと言っていた。しかしそれは太平洋戦争へと拡大して十五年ほども継続する長期の戦争となっていったのである。日本も原爆や空襲を受けることになり、全体では数千万という膨大な人々が殺されたり、傷つけられたりする悲惨な結果となった。こうした事態になるとは、誰も予想していなかっただろう。 また、第二次世界大戦ののちも、一九六〇年代に十年余りにわたって行われたベトナム戦争では、死者は双方で百二十万人、負傷者は二百万人以上となった。こうした人たちの周囲には、家族を殺され、生涯自由のきかない体にされてしまった人たち、将来を破壊され、病気や障害に苦しむ数しれない人々を生みだしたのである。 また、現在の戦争の場となっている、アフガニスタンではすでに過去には二十年におよぶ内戦で百万人もの死者を出しているという。 今回のアフガニスタンへの攻撃もいつまで続くか分からないと、アメリカの大統領自身が言っている。 我々は歴史の大きい教訓を学んでいるはずであるのに、どうして再び戦争への道を歩もうとするのか。日本の首相は、つい今年の八月に靖国神社への参拝を強行するときの理由として、「二度と戦争しないと誓うためだ」などと言っていたが、その直後にいとも簡単にアメリカの戦争に加わる方針を明確に打ち出してしまった。 こうした戦争への流れに対して、キリスト者はどう考えるべきなのか。 キリスト者とはキリストにつく者、キリストに従おうとする者の意である。 そしてキリストは、つぎのような明白な基準を出された。 あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・43〜44) また、主イエスは誰が一番、神の国では大きいかという議論に答えて、つぎのように言われた。 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったい天の国では、だれがいちばん偉いのですか」と言った。 そこで、イエスは一人の幼な子を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「よく聞きなさい。心を入れかえて幼な子のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 この幼な子のように自分を低くする人が、天の国でいちばん偉いのだ。(マタイ福音書十八・1〜4) 私たちは、キリストにつく者として、幼な子のように、このキリストの言葉に従い、今回のような報復の戦争はまちがっていると信じる。このキリストの言葉を単純に幼な子らしい心で信じるほど真理に近づく。だが、いろいろ複雑に考えて戦争を肯定するほど、キリストの真理から遠くなっていく。 アメリカがなすべきことは、報復という名の戦争でなく、貧しい国、病気になっても医者にもかかれず、飢えて死んでいくような多くの人々に救いの手を差し伸べることだ。ニューヨークでは五千人以上の人たちが今回のテロで死んだとされる。しかし、世界では、八億の人たちが飢えに苦しみ、食べるものすらまともに与えられない状況で生きており、毎日四万人もの人々が飢えで死んでいるという。しかし、今回のような戦争となってわずか一、二発のミサイルを発射すればそれだけで、数億円は消えてしまう。しかもこのような莫大な戦費は人を殺すために使われるのである。 こうした世界の苦しみや悲しみに真剣に目を注ぐことこそ、アメリカや日本、ヨーロッパなどの豊かな国々が為すべき正しいことのはずだ。そのようなことに真剣に、英知を働かせ、力を注ぎ、費用を費やし、人間を派遣していく国に、どうしてテロをする必要があるだろうか。そのような方向こそ、テロをなくする根本的な道にほかならない。 見えること、見えないこと(ヨハネ福音書九章より) この世のたいていの問題は、「見えるか、見えないか」の問題に帰着すると言えます。 私たちが悩むのも、いま抱えている問題が将来どのように展開していくか分からない(見えない)こと、また現在の問題もそれがどのような意味を持っているのか、どう対処したらよいのか見抜くことができないこと、また過去のこともそれがどんな意味を持っているのかはっきりと分からないからです。このように、問題はすべて私たちには過去、現在、未来を通じて事柄の本質が「見えない」ということから生じてくるのです。 自分や家族の病気、家庭の問題、仕事の問題、あるいは将来老年になったときどうなるのかといった問題など、だれでも抱えている問題があります。 それが困難な問題であればあるほど、解決の見通しもたたず、どこにも逃れる道が見えなくなることがあります。そのような時には、前途が真っ暗で、過去も暗く、どうすることもできないあまり、自ら命を断とうとする気持ちにさえなる人もいます。 また、そうした問題とは別にとくに私たちは自分の罪が見えない、他人の罪もまた正しくは見えない。単に欠点はわかる。しかし、神の前にどんな罪を犯しているのかは分からない、見えないということがあります。 現在のテロ問題についても、テロを起こした人々はあのような行為がどんなに悪いことかが見えない、またアメリカも多くの国々も報復攻撃がどんなに大きい悲劇を生み出すか、真理はどこにあるかが見えない。 また、アメリカは圧倒的な富でゆたかな生活をしてきたが、そうした豊かさを地上の貧しい国々に正しく分配してきたのかという点についても、真相が見えていない。このように、この世の問題はすべて「見えない」ということ、とくに自分の罪が見えないことに原因があるのです。 それは根本的には、神が見えないことです。「見える」とはどういうことかという問題は、ヨハネ福音書においてとくに強調されています。 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 イエスは答えられた。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。・・わたしは、世にいる間、世の光である。」 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目に塗って言われた、「シロアム・・『遣わされた者』という意味・・の池に行って洗いなさい」。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。・・ 人々が、「お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」(ヨハネ福音書九章より) ヨハネ福音書においては、とくに「見る」という言葉が多く使われています。(*)生まれつき全盲の人が主イエスによって見えるようになったという記事は、驚くべき奇跡ですが、それもヨハネ福音書において強調されている、「見る」ということに関わることの一つです。 (*)例えば、ヨハl福音書で用いられている「見る」という意味の言葉はいろいろあります。そのうち、とくにヨハネ福音書で目立つのはつぎの三つの言葉です。これらが使われている回数をマタイ福音書と比較してみます。 ・ホラオー(horaw) マタイ ヨハネ 13回 28回 ・イデ (ide) 4 15 ・セオーレオー(theoreo) 2 22 このように、ヨハネ福音書が特別に「見る」という言葉を多く使っているのがわかります。 この箇所では繰り返し現れる言葉があります。それは、「見えるようになった」ということと、「主イエスが、神のもとからきた」ということです。 この二つは結びついています。私たちは、実は「見えない者」です。私たちは正しい道が歩めない足の悪い人であり、神の国が見えない盲人であり、神の言が聞こえないものと言えます。 そのような見えない者が見えるようになるということ、それがこの箇所の主題であり、「見えない」という状態を根本から変えて「見える」ようにするのがキリストの目的なのです。そして、さきにあげた聖書の文のうちで、「見えるようになった」という箇所の、「見える」という原語は、五千人のパンの奇跡がなされたときに、「天を仰いで讃美の祈りを唱え・・」(マタイ14:19)という箇所に用いられている「仰いで」と同じであって、それは「見上げる、上を見る」という意味を持っています。主イエスによっていやされた目は自然に上を見る。人間の心が本当に主イエスによって救われたなら、上なる神を仰ぐようになるという意味がこもっていると言えます。 つぎに、主イエスは神のもとから来たのかどうか、これは一貫してヨハネ福音書がとくに重要視していることです。それは、この福音書の冒頭に、キリストはロゴスとして永遠の昔から「神であり、神とともにあった」と記されていることからもわかります。キリストは神と同質のお方でなければ、キリスト教の根本である、罪の赦し、復活、再臨などはありえないからです。しかしキリスト者であると自称する人たちにも昔からこのことを信じないものもいます。現代のエホバの証人がそれです。 また、イスラム教もイエスを預言者であって神の子(単に、神が創った子という意味でなく、神の本質をそのまま持っている存在という意味)でなく、人間だと称するのです。そして自分たちの敵に対しては、武力を公然と認める姿勢があります。ここにも真理が見えない盲目があります。このような「見えない」世界全体にいまもキリストは自分のもとへと招き、来るものを見えるようにされているのです。 この箇所で、生まれつき目が見えない人は、昔から非常な苦しみを受けてきたのがうかがわれます。そのような特別な苦しみがあったからこそ、それは何が原因なのかと多くの人が考えるようになったのです。ここではそうした苦しみをじっさいの盲人の言葉を引用します。 つぎにあげるのは、一九〇〇年生まれの人で、各地を歩きながら旅をして、三味線を引いて民謡などを歌いお金をもらって生きていた盲人女性が書き残した文です。小林ハルさんという人で、九歳から親方にもらわれて三味線と唄を仕込まれ、旅に出て、五十年以上も東北地方を歩いた。ハルさんは一九七八年、無形文化財技芸保持者とされて、黄綬褒章も受けた人です。 私が盲(めくら)(*)だということは、九つになるまで、だれも教えてくれなかった。・・毎日一人で寝間におかれ、三度のご飯も運んでもらった。「お前はいい子だから、おとなしくしているんだぞ、名前を呼ばれなかったら声を出すんではないよ」と教えられた。寝間は家の一番奥にあって、窓は二重窓だし、用のないときは開けないように言われていた。あの家に盲(めくら)がいる、と言われるのがいやだったんだろう。おじいさんが村の区長などいろいろ役をしているのに、目の見えない子がいると世間体が悪いと、私をずっと家に閉じこめておいたようだ。私はものごころついてから母親に抱いてもらったことがなかったし、母の実家へも連れていってもらったこともなかった。人前に目の見えない子を連れていくのが恥ずかしいからだったのだろう。・・ 私が七歳のときから、瞽女(ごぜ)(**)の親方が家に来て、三味線や唄を教えてくれた。 ・・九歳になって家にばかりいると、三味線と唄を歌って歩く旅に出てからよく歩けないと困ると、少しずつ家の外に出してくれた。外に出るとすずめやらヒバリやらいろいろ小鳥の鳴き声がいっぱいする。空気はうまいし、外って本当にいいもんだなあと、そのうれしさは、言葉で表しようがなかった。ご飯時になっても家に入りたくなュなって、ハル、ご飯だぞと言われても、ご飯など食べなくってよいと思った。・・ 天気のよい日、ほかの子どもたちと花をつむ遊びをしていて、同じ色の花を取ってくるようにと言われたが、何度取ってきても花の色がいろいろなものが混じっている。子どもたちから、この花、色が違うぞと言われ、また取ってくるが、何度取ってきても色が混じってしまう。「ハルは盲(めくら)だもんで、色がわからないだわ」と言われた。 家に帰って、母親に「めくら」とは何か聞くと、母親は声を出して泣き出してしまった。しかし、私をみんなの遊んでいるところに連れて行き、「ハルは目が見えなくて色もわからないんだから、めくらだなんて言わないで、仲良く遊んでやってくれ」と頼んで言った。・・(***) (*)めくらという語は昔から目の見えない人を見下す気持ちで使われたことも多いために、現在では使うべきでない言葉となっている。目が見えない人というか、または盲人、あるいは視覚障害者という。 (**)瞽女(ごぜ) 三味線を弾き、唄を歌いなどして銭を乞う盲の女。 (***)「盲と目あき社会」169p〜 朝日新聞社刊 このハルさんは、九歳から三味線と唄をうたう旅芸人となって家から出ていったのですが、しばしば盲人はこのようにずっと家に閉じこめられたままで暮らしたという悲惨な状況であったのです。 また、キリスト教の精神をもとにした大学の一つである関西学院大学に盲人として初めて入学を許可されて、のちにキリスト教の伝道者となった、熊谷鉄太郎は、つぎのような経験をよくしたとのことです。 子供のころに、「座頭(盲人のこと)ほど、人間ににた虫はなし、昔は人か、目の跡がある」というようなひどい言葉を投げつけられた。 また、八歳のときに、ハリ治療師のところに弟子入りし、自分で一人歩きしようとして、戸外を歩く練習をしているとき、道に迷い、あちこちでどう行くべきか困り果てていると、付近の子供たちが、いじめてはやし立て、前にまわって顔をのぞき込んだり、後ろから背中をつついたり、見えない子供にとって大切な杖を奪い取るなどという仕打ちにあった。(「主はわが光」162p 日本キリスト教団出版局刊) そしてこのような悪質ないじめは以前は、日常茶飯事であったということです。また、昔はご飯を粗末にすると、「めくら」になるなどと言って親が子供を叱ったために、目が見えないという悲しい障害はなにか悪いことをした結果なのではないかという重苦しい気持ちにさせるものでした。 盲学校が始めてできたころには、戸外の日に当たったことがないことがすぐにわかるような、肌や顔色のしろい子どもたちが入学してきたと言われます。それも、やはり目の見えない子どもとして生まれたら、家の恥だと外に出してもらえず、閉じこめられた生活を余儀なくされていたからだったのです。 こうした深い悲しみに包まれた盲人の生活は、おそらくどこの国でも同様であったようです。ヨハネ福音書で今回取り上げた箇所(九章)でも、生まれつきの盲人が乞食をして生活していたとのことです。家でいても、邪魔者扱いされる、外に行くにもだれかの手引きがいる、乞食をするにしても、盲人の近くを歩く足音によって声を出して物を恵んでくれるようにと叫ぶ。ときにはお金や物を恵んでくれるだろう。しかしときにはあざけられ、侮辱されることも多かったと思われます。私が小さい頃、だいぶ離れた所で目にした光景ですが、足の不自由な障害をもった子どもが年の上の子どもたちから、あざけられながら帰っていたのを今も覚えています。なんとひどいことを、と思ってその状況はいまも目に焼き付いています。 日本ではとくに、全盲とか肢体障害者、あるいは聴覚障害者の人たちがよく、先祖の罪がたたっているのだなどと言われる理由として重要だと考えられるのは、つぎのような仏教の経典の記述です。 この法華経(*)を受けて唱え、正しく学んで筆写する者、そのような人は、釈迦にまみえて仏の口からこの経典を聞くのと同様になる。・・ しかし、この最高の経典を守る僧侶たちを迷わす者は、生まれつきの盲目となる。またそうした僧侶たちの悪口を言う者たちは、この世においては、白癩(びゃくらい)(**)の病気となる。また嘲笑する者たちは、歯が折れたり、抜けたりする。さらに、忌まわしい唇を持ち、手足は曲がり、目が逆さとなる・・(法華経・岩波文庫版下巻332p〜) (*)今からお謔サ、紀元前後の頃(二千年ほど前)に原型が書かれ、二世紀頃に出来上がった経典で、すべての仏教経典のうちで最も重要な経典の一つとされ、経典中の王とも言われる。数種の訳のうち、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」が断然群を抜いて広く読まれ、それが中国や日本の仏教に与えた影響、そしてそれを通じて文学などにみえる反映は、あらゆる仏教経典をあわせたもののなかで最大である。(日本大百科全書による) (**)ハンセン病。 このように、おびただしい仏教経典の中でもとりわけ重要な法華経において、目や身体に障害が生じたり、ハンセン病になったりするのは、法華経を尊重する僧侶たちを悪く言ったりすることへの罰だと記されているのです。これが仏教経典の代表的なものであり、権威ある著作とされていたからこそ、以後の日本にもこのような考え方が正しいとされていったのがわかります。 しかし、このようなことは、仏教だけでなく、ほかのいろいろの宗教でも言われてきたことです。わが国の盲人福祉の先駆者の一人、岩橋武夫(*)のこうした経験についての文を引用します。 岩橋武夫は早稲田大学の学生時代に失明した。医者に見放される。母親が観音様に二十日間の寒まいりをする。ご利益などなかった。その年の除夜の鐘が鳴り出すとき、彼は自殺しようと計画したが、母親の本能的な勘でみやぶられ、死ねなかった。そのあと親類から天理教の女性の布教師が、彼のもとに送られてきた。この布教師が彼の失明の原因についてこんなことを言った。 「あなたの目が悪くなったのは、ご先祖のお祭をおろそかにした結果です。あなたのおうちが、ご先祖の霊をおろそかにしているため、そのたたりを受けて、目が悪くなったのです。」 この奇怪な言葉に、私は黙っておられなかった。先祖というからには、私の親の何代もの遠くからの親たちであろう。それを祭れば幸福を与え、祭らねばたたるという祖先なら、こちらから縁をきる。・・この破滅のどん底の一家を少しでも救い出してもとの家庭らしい家庭にしようとする決意こそは、墓石を立てたり、祭壇に供物するより、はるかにまさる祖先への孝養だと確信していたからである。(「盲と目あき社会」196p) 現在でも、特別な身体の障害があったり、ガンとか事故、特別な病気や障害を持つようになると、先祖のたたりとかいうことはよく耳にすることです。そのような考え方は、非常に広く世の中に浸透しているのがわかるのです。 このような考え方、宗教的な見方によって、長い歳月にわたってどれほどの障害者やハンセン病患者、あるいは、結核やその他の苦しい病気に悩む人が、さらに宗教上での苦しみを受けてきたか、計り知れないものがあります。 こうした見方に対して、まったく異なる見方を与えたのが、キリストであり、とくに新約聖書の、すでに引用したヨハネ福音書の箇所だとわかります。 岩橋武夫は、盲学校に入学し、英語をふかく学び、外国に点字の書物を注文したとき、最初にロンドンから届いたのが、ヨハネ福音書でした。それを寝食を忘れて読んでいくうちに、それまで、ずっと心にわだかまっていたこと、つまり目が見えなくなることは、先祖のたたりだという問題についての究極的な解答が得られたのです。 それが、ここにあげたヨハネ福音書の箇所でした。自分が目が見えなくなったのは、先祖のたたりなどでは断じてなく、「神のわざが現れるため」なのだと。 こうして彼の後の大きな働きが生まれていくことになったのです。聖書の一言がいかに大きい力を持っているかの実例の一つと言えます。それは単なる書かれた言葉でなく、その言葉の背後に生きた神、全能の神、愛の神がおられ、その言葉を通して神が新しい世界へと導き、たえず神の力を注いでいったから、大きい働きを継続的に生んでいったのです。 (*)岩橋武夫は、大学時代に失明して中退。関西学院大学に転じ、エジンバラ大学を卒業。帰国後、関西学院大学などで教鞭をとる一方、一九三五年日本で最初、世界で13番目の盲人福祉施設、ライトハウスを大阪に創設した。その間二度の渡米により、ヘレン・ケラーと親交を結び、ヘレン・ケラー日本招待に尽力した。大阪盲人協会会長を務め、日本盲人会連合、日本盲人福祉協議会の結成に尽力、中央身体障害者福祉審議会、世界盲人福祉協議会の委員としても指導的地位に立って幾多の業績を残した。(平凡社刊 世界大百科事典による) また、このヨハネ福音書の箇所に支えられて、やはり全盲という重い障害が神のわざが現れるために用いられた有名な例は、日本点字図書館を創設した本間一夫ですB点字図書館は、現在では全国に見られるようになっていますが、その最初のものを一九四〇年、戦前の多くの無理解のただなかで開いた人です。彼は目が見えなくなってどのようにしたかを振り返ってつぎのように書いています。 「畑の神様、橋ぎわの仏様といったところにばあやに手を引かれて照る日も降る日も毎日毎日通いました。一日でも休むと、信心が足りないと言われるのです。短くお経をあげて、そのすぐあと、私の体をあちこちなでさするのです。私の家は禅宗なのですが、日蓮上人を信じるとなおるというので、私一人が法華宗に籍を移し、おばあさんに付き添われて寒い冬の本堂で「南無妙法蓮華経」の太鼓を打続けました。・・また、石狩川を小さな舟で渡り、観音様にばあやと一緒に一か月こもったこともあります。」(「指と耳で読む」本間一夫著 岩波新書13pより) こうしたことも、盲になることは、先祖へのおまつりが足りないために、たたっているという考え方からなされたことです。しかしいくらそのようなことをしても彼の心には新しい世界は開かれなかったのです。 彼の魂に光を与えたのは、函館の盲唖院(*)に入学したとき、そこの院長が無教会のキリスト者であったこと、そしてそこにおいて、無教会というキリスト教の流れの創始者となった内村鑑三の「後世への最大遺物」という本に出会ったことが大きいきっかけとなったといいます。 (*)(盲人とろう唖者が学ぶ学校、初期はこのように盲と聾唖の障害者を一つの学校にて教育していた) 点字になっている本は繰り返し繰り返し実によく読みました。なかでも内村鑑三の「後世への最大遺物」には、深く深く教えられました。これは「我々は何をこの世に残していくべきか、金か、事業か、思想かこれらはいずれも残す価値はあるが、誰でもが残すことができない。また本当の最大の遺物でない。誰にでも残すことができる最大の遺物、それは勇ましい、高尚な生涯である。」というのです。将来の方針に悩み始めていた時期だけに、私はこの本から決定的な影響を受けました。(前掲書27p) さらに、彼は前述した岩橋武夫を知り、盲人牧師の熊谷鉄太郎のキリスト教伝道においての力ある働きも知ることになります。その後、点字図書館というライフワークへと導かれます。そのきっかけとなったのは、やはりキリスト者で、内村鑑三の弟子であった、好本 督(よしもと ただす)(*)の著書です。 その著書には、ロンドンには世界一大きい点字図書館があって、その書だなを連ねると、五・六キロほどにもなるということが書いてあり、それに本間一夫は胸踊らせたのです。 このようにして、本間一夫が日本で最初の点字図書館の創設に向けての精神的な準備がなされていきました。このような盲人の力強い歩みを支えたものが、キリスト教であり、とりわけ、ヨハネ福音書のこの箇所であったといえます。 (*)好本 督は一八七八年生まれ。東京高商(現在の一橋大学)を卒業、のちにイギリスに渡り、オックスフォード大学に入学。若いときに、内村鑑三によってキリスト教信仰を得る。弱視となり、自分の行っていた事業の収益を盲人福祉にそそぎ込んだ。関西学院大学は、日本では盲人を始めて受け入れた大学であったが、この大学の門戸を盲人にも開かせたのも、好本 督の働きであった。そして本間一夫が大きい影響を受けた一人、熊谷牧師が関西学院大学に初めて盲人として入学したときに、その奨学金を提供したのもその好本である。盲人に対して、点字聖書が不可欠だとしてその出版のもとをつくり、また点字毎日という点字新聞の発刊も好本の発想と強い勧めによって始められた。このように日本の盲人福祉の父と言われるほどに大きい働きをした。 以上のように、盲人に深く広い影響を与えたヨハネ福音書九章の内容を考えてみます。 弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 イエスは答えられた。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ九・2〜3) ここでは、生まれつき目が見えないという特別な苦しみは、決して親とか本人の罪に対する罰ではない、それは、そのような苦しみを通して愛と真実の神がその働きを現すためだと言われているのです。 神はいろいろのことを通してその働きを現されます。能力のある人、例えば霊的に賜物が与えられて、病気をなおしたり、世のなかの動きを見抜いて指導したり、神の言もc`て警告を与える人、音楽や絵画を通して人々の心をうるおす人、また学問の研究によって病気や社会的な問題の解決に働く人等など。 このようなことなら、だれでもそれは重要だと思います。しかし寝たきりの障害者とか全盲の人のように特別に重い障害であると世の中に役立つことは何にもできないといって、見下され、嫌われ、さらに前述のように神仏のたたりだと言われてきました。 こうした社会の常識に対して、キリストはまったく違った視点を与えたのです。重い障害者もまた神の働きを証しする存在となるのだと。神は健康な人、能力のある人、活動的な人だけでなく、病人や障害者、また老人や子供、あるいは死に近づいたような人ですら、神のはたらきを現すために用いられるのだということです。 この聖書の箇所では、実際に目の見えなかった人が、主イエスの驚くべき力によって見えるようになっています。 土を唾液でこねてそれを盲人の目に塗った、そして「シロアム」という名の池に行くようにと命じました。周囲の人たちはそんなことで生まれてから目が見えないという長い苦しみがなくなると到底思われなかっただろうけれども、この盲人は、意外にも主イエスの言葉をそのまま信じて、その池に連れていってもらって洗ったところ、本当に目が見えるようになったのです。 もしこの盲人がそのような単純なことで治るはずがないと勝手に決めて、池に洗いに行かなかったら見えるようにはなっていなかった。その意味で、主イエスによるいやしを受けるためには、主イエスへの信仰が不可欠だと言えます。 この盲人は、いやしてもらった後で、当時の宗教熱心であり、指導的であった人々(パリサイ派の人々)に問いただされ、イエスは罪ある人、非難されるべき人間なのに、目が見えるようにできるはずはない、と言われます。 しかし、目が見えるようになった人は、つぎのように答えました。 「あの方が罪人かどうか、わたしには分からない。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということだ。」(ヨハネ福音書九・25) 当時の社会的に指導的人物であろうと、権力家であろうと、事実は変わらないことをこの人ははっきりと述べたのがわかります。どのような無学な人でも、また地位の低い人、見下されているような人でも、神から与えられた経験を持つとき、ひとは強くなる。 キリストの弟子たちは、主イエスが殺されてから、自分たちも捕らえられるのではないかとの恐怖におびえ、また指導者が犯罪人として処刑されたことへのショックから、家に鍵をかけて隠れていたほどです。 そのような弱気になっていた弟子たちが、力強く福音を宣べ伝えるようになったのは、どんな時であったか、それは、主イエスの復活を経験したこと、復活したキリストと同じ本質である聖霊を受けたことによってでした。 イエスは復活された、私たちはその証人なのだ!(新約聖書・使徒行伝二章) というのが、最初のキリスト教伝道の内容の中心にあったのです。学問もいらない、地位やいろいろの道具も要らない、多くの人間の力や武力も不要だった。必要なのはただキリストが自分たちに現れて下さった、聖霊が注がれたという素朴な実感であったのです。 聖霊によって、それまで見えなかった神の力、神の御支配、神の愛、そして悪が最終的には滅ぶのだということなどが見えてきたのです。 この盲人が見えるようになったという奇跡は、決して生まれつきの全盲の人だけに関係あるのではありません。私たち自身が、キリストの弟子たちもそうであったように、精神の世界での盲人であるからです。そしてその霊的な盲という状態を終わらせ、神と神の国が見えるようになるために、主イエスは来られたとも言えるのです。 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハネ福音書九・39) このように、この生まれつきの盲人の目が開かれたという長い章の最後に、この言葉があるのを見ても、この記事の目的が単に生まれつき全盲の人の奇跡を書くことにはないのがわかるのです。 パリサイ派の人々も自分たちにこのことが語られたのに気付いて、「それでは我々も目が見えないということなのか」と怒って言ったのですが、主イエスは、つぎのように言われました。 「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」 このように、盲人が目を開かれるという奇跡を伝えたこのヨハネ福音書の有名な箇所は罪を知るのかどうかというイエスの言葉で終わっていることにも注目させられます。実際に主イエスはこのような奇跡をされた、しかしそれだけなら、盲人の人たちだけにしかあてはまらない。ここで言われていることは、人間すべてに向けて言われたことだとわかります。人は、自分たちの罪が見えない、そこからあらゆる災いが生じるのだ、罪が見えないから、それを赦し、清める神もキリストも見えない。不要だと思ってしまう。 神の無限の力、大きさ、その愛や正義の力なども見えない。 私たちが罪を知るとは、自分の弱さ、醜さを知ることであり、自分中心に考えるという根深い傾向を知ることです。自分の心がそのようなみじめなものであることを思い知らされた心こそ、「心の貧しき者」です。 それは、キリストが山上の教えにて冒頭に言われた言葉、「ああ、幸いだ、心の貧しい者は!」ということにつながります。 罪を知り、悔い改め、心を神に方向転換するとき、「神の国はその人たちのものである」との主イエスの約束が事実であることを知らされるのです。 目が見えないということだけでなく、あらゆる苦しみや悲しみ、不幸とされることはすべて、「神のわざがその人に現れるためである」という真理があてはまると言えます。 前述の岩橋武夫のつぎの言葉は、彼もまたこのヨハネ福音書の箇所とマタイ福音書の山上の教えの深い結びつきを実感していたのだとわかります。 「幸いだ、心の貧しい者。天の国はその人のものである。ああ、幸いだ、悲しむ者。その人は慰められる。」 これは実に逆説であるが、また大いなる真理である。イエスは盲人を対象として、宿命観より、使命観へ帰れ、とわれらに教えているのである。苦悩、失敗、悲哀、罪、病気の苦しみなどを含む現実のいっさいは、昨日の単なる結果でなく、じつはよりよい明日のために用意されたものである。きのうは今日に葬らせ、今日を今日から救い出す。ここに、土くれの器(うつわ)も転じて神の栄光を現す器となる。 この霊感を与えられたとき、私は初めて、闇の問題がいっさい解決されたのを覚えた。私の一家は、じつに闇のゆえに、闇を転機として、よりよい生活を与えられたのである。(「盲と目あき社会」朝日新聞社刊198pより) ここで岩橋が述べているように、「宿命観から使命観へ」との考え方の転換は重要です。人間はともすれば、特別な障害や病気、事故、苦難などがあるとき、それを自分には先祖のたたりでこうなったのだとか、運命だ、もうどうすることもできないのだ、というような考えになることが多いのです。 しかし、キリストの言葉によれば、そうした苦難は決して先祖の罪とかたたりなどでなく、その苦しみや障害、病気などからよきものが生じるようにとの深いご計画によるのだ、特別な苦しみに会っている者はそれだけ特別な使命を神から与えられているのだというのです。 このように、聖書の短い一言がいかに深い闇をも照らしだすか、そして歩めなかった人生の足どりを前進させ、自分だけが立ち直るので終わることなく、数知れない同じ苦しみを持っていた人々への光となり、力となっていったかを知らされます。 それはたしかに神のわざが現されたのがわかるのです。そして今も、さまざまの困難や闇、悲しみが降りかかるただなかで、神はそれらを用いて神のわざを現そうとされているのです。 イスラム教とコーランについて 私たち日本人はイスラム教とかその経典であるコーランについてほとんど知らないのが実状です。ここでは、イスラム教やコーランについて本など購入して調べるということのできない人も多くいるので、そのような人たちのために書いてみます。 (なお、イスラムとは唯一の神、アラー(アッラー)に絶対に服従することを意味し、信者のことをムスリムという。) イスラム教の創始者であるマホメット(ムハンマド)は紀元五七〇年頃に現在のサウジアラビアのメッカで生まれ、六三二年に死去しています。コーランはマホメットが神から受けたと信じたことを語ったものが集められたものです。彼が最初にメッカで神の啓示を受けたと称するのは、四〇歳頃のことで、紀元六一〇年のことです。 マホメットが理想とするのは、旧約聖書の中心人物の一人、アブラハムの信仰です。日本人にとってイスラム教というのは、キリスト教、仏教、イスラム教と並べていうことが多いために、聖書の宗教、つまりユダヤ教やキリスト教とはまるで別のように思う人が多いのですが、この二つの宗教と深い関係があります。 アブラハムの信仰は、キリスト教においても、信仰の模範の一つとなっていますが、完全な模範はいうまでもなく、キリストです。 しかし、イスラム教はアブラハムの信仰を最終的な模範とし、アブラハムの宗教を復活させることが目標だとしています。 「アブラハムは、ユダヤ教徒でもなく、キリスト教徒でもなく、純正な人、帰依者であった。彼は多神教徒ではなかった。人々のなかで、アブラハムに最も近い者は、彼のあとに従った者、この預言者(マホメット)、信仰ある人々である。」(コーラン第三章67〜68) コーランの中には、アブラハムやモーセ、ヨセフといった旧約聖書の有名な人物の名前がしばしば現れます。その中には例えば「ヨセフの章」と題された章があり、それは旧約聖書のヨセフ物語の記事をもとにした内容だと直ちにわかるものです。ヨセフが兄弟たちのねたみを受けて野の井戸に投げ込まれ、兄弟たちが、父ヤコブに嘘を言うこと、エジプトに売られていったヨセフが、心のよこしまな女性によって、誘惑を受け、それを拒絶した結果、ヨセフは無実の罪を着せられたこと、投獄されたヨセフが夢を説いたことなどほとんど筋書きは同じです。その章は物語で終始している章となっています。これがコーランかと思うような旧約聖書のヨセフの物語の簡略版のような内容なのです。 マホメットが住んでいた地方にはすでにユダヤ人やキリスト者たちがいたし、彼の最初の妻の従兄弟であった人は、キリスト者であったと伝えられ、キリスト者たちが付近に隊商としてやってきたこともあると推測されています。 そうした人たちから聖書の話を聞いて知識としたようで、その知識はかなり不正確です。 例えば、コーランの第十九章は、「マリヤの章」と題されて、新約聖書のルカ福音書の一章をもとにして書かれているのがすぐにわかります。そこでは、ザカリヤやヨハネのこと、天使がマリヤにイエスの誕生を告げたこと、マリヤがそれに答えて「だれも私にふれたこともなく、不貞な女でもないのに、どうして私に子供ができるでしょうか。」と答えたと記されています。これは新約聖書の「どうしてそんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(ルカ福音書一・34)という、福音書の記述を借りてきて、それを少し変えたのだというのがはっきりわかります。 しかし、マホメットは聖書を直接にはよく知らなかった、読んでいなかったと考えられています。先ほどのマリヤの章の28節にはつぎのようにあります。 やがてマリヤはその子(イエス)を抱いて、一族のもとにやってきた。みなは言った。「マリヤよ、お前は大それたことをしたものだ。アロンの姉よ、お前の父は悪人でもなかったし、お前の母は不貞な女ではなかった」 この記述は、旧約聖書にアロンの姉がミリアム(マリアのヘブル語発音)であるという記述を間違って書いてしまったものと考えられています。(旧約聖書・出エジプト記十五・20)つまり、イエスより、千数百年ほども昔のアロンやモーセの姉と、イエスの母とを名前が同じマリヤであったために、混同しているのです。これは、マホメットが聖書を持っておらず、おそらく、旧約聖書や新約聖書の話を周囲の人たちから部分的に耳で聞いて、うろ覚えで書いたからこのような基本的な間違いをしていると考えられています。 また、ほかにもこのような間違いは見られます。 シナイの山で、モーセが十戒を受けている間に山の下では、人々が偶像崇拝をして神への背信行為を繰り返していたときのことがコーランでも書かれています。 「お前(モーセ)の去ったあとで、われらはお前の民(イスラエルの人たち)を試みにかけた。サマリヤ人が彼らを迷わせたのである。」(コーラン二十章85) と書いてあります。しかしサマリヤ人というのは、モーセよりはるか後の時代に出てくる人のことです。イスラエルの人々を迷わせたのは、サマリヤ人でなく、アロンであったのです。 また、キリスト教の中心的な教義でもある、神とキリストと聖霊が同じ本質であること(三位一体と言われる)を否定しているが、そのことをコーランではつぎのように書いています。 「まことに、神は三者のうちの一人であるなどという人々はすでに背信者である。唯一なる神の他にはいかなる神もいない。・・マリヤの子(イエス)はただの使徒にすぎない。彼以前にも多くの使徒が出た。また、彼の母(マリヤ)は誠実な女であったにすぎない。二人とも、食物を食べていたのである。・・」(コーラン五章73〜75より) このように、三位一体という、キリスト教では、きわめて重要な教義についても、なんとマホメットは、「神とキリストとマリヤ」の三者が一体であると思いこんでいたのがうかがえます。 このように、旧約聖書や新約聖書の引用があちこちで見られますが、このような初歩的な誤りが見いだされるのです。 コーランでは、預言者として、つぎのように、旧約聖書で親しみある名前と、新約聖書からも一部、例えばイエスといった名前があがっています。 「まことに我らがなんじに啓示したのは、ノアとそれ以後の預言者たちに啓示したのと同様である。われらはアブラハム、イシマエル、イサク、ヤコブと各氏族に、またイエス、ヨブ、ヨナ、アロン、そしてソロモンに啓示した。またダビデに詩編を与えた。・・モーセには神が親しく語りかけられた。」(コーラン第四章163〜164) このように、主イエスもコーランにおいては、預言者たちのうちの一人であって、人間のなかまにすぎないとしています。旧約聖書の神が預言者として特別に選んだ人物をコーランでもそのまま、預言者として受け入れているのに、どうして新しい宗教が必要であったのかと疑問になります。それをコーランではつぎのように説明しているのです。 「しかし、コーラン以前にも、導きであり、慈悲として授けられたモーセの経典があった。このコーランはそれを確証するもので、アラビア語で下され、悪い行いをするすべての者たちに警告し、善い行いをする者たちによい知らせを伝えるものである。」(コーラン四十六章12) つまり、旧約聖書は神からの書であることを認め、それをさらに確証するものがイスラム教では、コーランだというのです。コーランは新約聖書をも部分的に神から下されたものと認めます。 「このコーランは神をさしおいてねつ造されるようなものでなく、それ以前に下されたもの(旧約聖書と新約聖書)を確証するものであり、万有の主よりのまぎれもない経典をくわしく説明するものである。」(コーラン十章37) このように、コーランを究極的なものとして位置づけます。 そしてユダヤ教徒もキリスト教徒も、その神からの啓示をゆがめてきた、それをアブラハムの正しい信仰に復元するのがイスラム教だという主張なのです。 しかし、キリスト教の内容に影響を受けてつくられたと考えられる教義には、復活、天使や悪魔の観念、それから死後の裁き、天国と地獄などの観念があります。これらは旧約聖書にはないか、あってもごくわずかです。アブラハムの信仰を目標とするといえども、アブラハムにはそのようなことについての信仰内容は見られないので、こうした観念は、新約聖書に影響を受けて作られているのがわかります。 現在深刻な問題となっている、テロはいったいどのようなコーランの内容に基づくのか、それは多くの人にとって疑問となっています。世界宗教とも言われるものが、あのような大量の無差別殺人を教えているのかと。これはもちろん否ですが、聖戦、これはつぎの箇所がもとになっています。 神(アッラー)の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。・・お前たちの出会ったところで、彼らを殺せ。お前たちが追放されたところから敵を追放せよ。迫害は殺害より悪い。(コーラン第二章190〜191) このように、言って、イスラム教徒を迫害することは、殺すことより悪いとして、イスラムを迫害する敵がいる場合には、相手を殺すべきなのだとはっきり敵を殺すことを命じています。 こうした戦いのことを聖戦(ジハード)と言っています。そしてこうしたイスラム教徒以外の敵との戦いで死んだ者は、アッラーの神のもとで神からの恩恵を受けて生きている、とされています。(コーラン第三章169〜170) 今回のアメリカの高層ビルへの攻撃は、この聖戦と称する戦いだと信じてなされたのが推察されるのです。 マホメットは「剣とコーラン」をもって征服していったと言われます。イスラムの敵には容赦なく処刑するという姿勢、イスラム教の敵は殺すことをすら正当化すること、こうしたことが、現在の一部のイスラム原理主義の者たちが、無差別的なテロを行う宗教上での根拠ともなっています。 このように、イスラム教は、旧約聖書や新約聖書のとくに福音書をも神の啓示とみなし、ユダヤ教やキリスト教からもいろいろとコーランに引用していますが、つぎのような点でキリスト教と根本的に異なっているのです。 コーランはイエスをマホメット同様ただの人間の仲間であるとします。しかし、キリスト教はイエスは神と同質のお方であるということが啓示されるところから出発しています。イエスが人間なら、罪の赦しもできず、復活もありえず、死を超える力を与えることもできない。イエスを人間と同じだとするなら、それは、聖書を用いる宗教の一つではあっても、決してキリスト教とは言えないのです。 そして、信仰の究極的な模範を、イエスやモーセでもなく、アブラハムに置いています。それによって、神がキリストを長い間の預言の成就として、この世に送ったのに、それを無にすることであり、歴史を逆戻りにさせ、イエスより千七百年ほども昔のアブラハムを完全な信仰の模範として、それに帰ろうとするのです。 さらに、武力を用いることを当然とすることや、一夫多妻もキリスト教と根本的な違いの一つです。マホメットは、十数人もの妻を持っていました。その中には、政略結婚のようなものもあったり、わずか六歳の幼女と婚約し、その三年後に結婚しているような例もあります。 このようにつぎつぎとたくさんの女性を妻に迎えるなどということは、キリスト教では考えられないことで、武力の肯定、宗教上の敵を殺すべきだというような点とともに、キリスト教とはきわだった違いだと言えます。 主イエスは、敵に対する態度は究極的にはどのようであるべきか、このことについて、聖書を見てみます。 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。・・ 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・38〜44より) また、コーランが宗教上の敵には殺すこと(剣をとること)を命じているのに対して、キリストは、つぎのように言われました。 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。 そこで、イエスは言われた。 「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ福音書二六・51〜52) この言葉の通り、武力で敵を征服しようとするものは、必ずまた武力によって滅びていくということは、歴史のなかで繰り返し見られることです。 そして主イエスの霊を最も多く注がれた使徒パウロもつぎのように教えています。 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せよ。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書かれている。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマの信徒への手紙十二・19〜21) このような、明白なキリストの教えと、その精神に反して、アメリカやヨーロッパの主要国がいっせいにアメリカとともに武力での攻撃、戦争を始めようとしています。そのようなことは、決してよいことを生み出すことはできないのです。 イスラム教の大きい問題点は、このように、イスラム教に敵対する者を殺してもよいとする、マホメットの教えにあります。 主イエスは、こうした武力によっては決して問題は解決しないということを深く見抜いておられました。そして、そうした武力報復とはまったく異なる道で悪に立ち向かうことを教えたのです。 それは、神の前に静まり、敵のために祈り、あくまで真実な神の力に頼り、その神の裁きに委ねていくということです。ここにこそ、あらゆる紛争の根本的な解決の道があります。 ことば 愛と説得とは戦いの武器より大きな力を持つ。また、もっとも悪しき人間であっても、自分を真に愛していると思った相手には害を加えようなどとは、なかなかしないものである。愛と忍耐こそが、最終的にヘ勝利を得る。(ウィリアム・ペン) (*) (*)ウィリアム・ペンはキリスト教のクェーカー派の指導的人物の一人。現在のアメリカのペン・シルバニア州という名は、「ウィリアム・ペンの森」という意味である。シルバ(silva)とはラテン語で森の意。 返舟だより ○このところ、体調がとても悪く、家事もあまりできませんでした。そのおかげでテープを二度拝聴しました。もう一度聞きたいテープもいくつかあります。今までも聖書は新約、旧約を何度か読みましたが、どうも表面だけでした。このたびは、聖書の内容を歴史、社会の背景とともに教えて頂き、よく分かりました。私の人生のたそがれに一番大切な神様のみ言葉を聞くことができますことは、こよなき幸せと思います。私は幼児より、右眼の視力がほとんどありませんが、本を読むことはできます。しかし、み言葉をテープで聞くのはまた深い味わいがあります。(関東地方の方より。私たちの日曜日や火曜日の礼拝テープを聞いている人です。) |
2001/10 |
主の平安 2001/9 キリスト教が与える最大の賜物のひとつは、主の平安を与えられることだと言えよう。自分の罪赦され、しずかに語りかけて下さる主の愛を感じ、揺れ動く状況にあっても心の奥深い一点に、ある光のようなものを感じること、どんなに目に見える世界が動揺しようともどこか静かなものがある、と実感させて頂けることである。 主イエスは言われた、 「私は平安をあなた方に残し、私の平安をあなた方に与える。私はそれを世が与えるような仕方であたえるのではない。」と言われた。(ヨハネ福音書十四・27) この世は、武力とかでそうした平和や安全を得ようとする。しかしそれは新たな不安と恐れを生み出すだけだ。 本当の平安は、主への信仰の賜物として与えられるのであり、宇宙の創造主である神とキリストからくる。 無限の正義 アメリカは今度のテロ報復のための戦争を「無限の正義」と名付けた。しかし、その作戦によって、本来は今度のテロに無関係な人の命をも大量に奪うことが考えられるにもかかわらず、それをもって、しかもそれが全世界のどこまで拡大していくか誰も予測できないような重大な事態となる可能性があるにもかかわらず、そのような作戦を行っていくことは、それは「無限の愚かさ」であり、「無限の悪」に変身していくだろう。 かつての日本もまた、中国やアジアへの戦争を「聖戦」と言っていた。しかし、それはたしかに、数しれないアジアや日本の民衆を殺傷していく、無限の愚かさとなり、無限の悪となっていった。 今回のようなテロが恐ろしい悪であることはだれしも異論がない。しかし、それに対して私たちはこのような戦争を起こすことに対して強く反対する。 どこまでも正しいといえること(無限の正義)は、キリストが教えたように、神の裁きにゆだね、武力で報復することなく、敵のために祈る心にある。 復讐と祈り 現在の世界がアメリカの方針によって大きく揺り動かされている。六千人に及ぶと言われるニューヨークの高層ビルの崩壊に関する事が毎日のように報道されてその報復としての戦争が近いうちに開始されようとしている。 アメリカ大統領は敵に対して国民の憎しみをあおり、報復の戦争だと言っている。そして長期戦争になるから覚悟せよという。敵国とみなしている、アフガニスタンは国土の四分の三が標高四千メートルから七千メートルもある山岳地帯であり、かつてソ連は十年ほどもかけても目的を達成できずに、撤退した。 今回のアメリカの攻撃にしても、相当に困難な戦争になるとわかっているのであり、はじめから長期になるとアメリカ大統領が言っているほどだ。 長期になればなるほど、一般の人たちが多く犠牲になる可能性が高くなる。憎しみは憎しみを生み、報復は報復を生みだす。そしてどちらの側も自分たち以外の国の賛成と援助を求めて必死になる。そうしてできたつながりはますます増えていく。戦争を続けていくと、こうした敵対感情は増えていく一方となるだろう。捨て身で今回のような危険なテロが原子力発電所になされるなら、チェルノブイリ原発事故で推察できるように、おびただしい被害が生じる。 あの事故によって、一千二百キロも離れた北ヨーロッパや西ヨーロッパにも多量の放射能を持った物質が降り注いだ。わずか一基の原発によって北半球の相当部分が放射能で汚染されるほどなのであって、日本のような狭いところで原発の事故が起こったら想像を絶する事態となるだろう。 福井や福島などの原発に今回のような飛行機によるテロで爆発が生じると、日本の広大な領域が放射能で汚染され、その後も相当の年月にわたって住めなくなるだろう。 報復戦争を押し進めると、命がけで捨て身でテロを実行しようとする人たちをさらに押し進めるようになり、原発を攻撃するということまでやりかねない。。 こうして本来何にも関わりがなく、まったく敵対感情など持ったこともない人たちが互いに敵となり、殺し合うことを平気で実行するようになる。 日本も軍事面で具体的に協力すると言い出した。敵には敵対心をあおって憎しみを増大させて、その憎しみの心をもって、戦争に行く。 報復のための戦争ということがどんなに、悲惨な事態を招いたか、歴史を見ればすぐにわかるのである。 例えば、第一次世界大戦は、一九一四年、オーストリアの皇太子夫妻がセルビア人に暗殺されたということがきっかけで始まった。それに対して、オーストリアがセルビアに宣戦布告して、第一次世界大戦へと拡大していったのである。 ヨーロッパを巻き込んだ、四年間の激しい戦争の結果、戦死者は一千万人、病気や傷を負った人々は一千万〜三千万人、一般の市民の死傷者は五百万人という膨大な犠牲を生み出してしまった。 皇太子夫妻という二人の命への報復としてなされた戦争から、このように、おびただしい犠牲が広大な領域でなされた。もし、その場合、報復戦争でなく、忍耐強い話し合いをいろいろの国々と熱心になされていたなら、そうした無数の人々の死や苦しみ、悲しみは避けられたのである。 こうした歴史上の例をみても、いかに報復のための戦争が大きい犠牲を生み出すかがわかる。 私たちの世界では、個人的な場合や国家の場合でも、悪に対しては悪でもって報復するということが当たり前のように行われている。悪に対処するとき、このような憎しみと敵対心、武力攻撃といった方法しかないのだろうか。 キリスト教の経典である聖書にはまったく異なる道が記されている。 我々の戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪のさまざまの霊を相手にするものなのである。(新約聖書・エペソ書六・12) この言葉でわかるように、私たちキリスト者の戦いは、目に見える血肉でない、つまり特定の人間や人間の集団ではない。そうでなく、目には見えない悪のいろいろな霊だと言われている。 この深い洞察は使徒パウロがキリスト(神)から受けたものであった。 敵とは、自分たちに危害を加える特定の人間や組織、そして国家であるというのはふつうの人にとっては当たり前のことだ。そしてその敵に対しては、武力を用いて、戦いを勝利するのだと考えている。 この当たり前と思われてきた考えや感情を根本から変えるたがキリストの福音である。 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。(マタイ福音書五章より) このように、敵に対して、憎しみを燃やして、復讐するのでなく、敵のために祈れと言われている。それが敵を愛することに他ならない。 今回のアメリカ大統領の考えのように、敵を憎んで殺してしまおう、それをかくまっている国家そのものも大がかりな長期にわたる攻撃によって滅ぼしてしまおう、そのためにはまったく無実な人々を殺傷するのもやむを得ないといったアメリカの大統領とかそれを援助しようとする多くの国々の代表者たちの考えはキリストの言われた精神とはまったく異なる。 その代わりに、キリスト教を信じる者として、国民すべてが亡くなった人とその家族たちのために悼み、あのようなひどい悪をなした人たちの心が変えられるようにとの祈りを呼びかけ、国際的な話し合いや武力を決して用いない方法による解決方法を真剣に模索するなら、いま、生じようとしている戦争、その影響は場合によっては全世界にも波及しかねないほどの重大事態、そこから無数の人たちが苦しみ、殺され、傷ついていく、そのようなことを防ぐことができるのである。 大量の殺人にほかならない戦争をも決してしないという前提に立って、物事に対処すべきなのである。そうでなければ、報復戦争をして無実な無数の人たちを殺し、傷つけるならそれこそテロの一種であり、今回のビル破壊をした人たちと同列の罪にある者になってしまう。 キリスト者(英語ではクリスチャン)とはキリストにつく者という意味である。キリストにつく者なら、当然、キリストが教えられたことにも従おうとする者のはずだ。 そしてキリストの精神こそは、だれをも殺さず、神の力を待ち望みつつ、悪人を殺すのでなく、悪人を支配している悪そのものが滅ぼされて、その人間が、変えられるようにとの願いを持たせるものだ。 使徒パウロもつぎのように、キリストの真理を述べている。 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せよ。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてある。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(新約聖書・ローマの信徒への手紙十二章より) ロシアを代表する作家、思想家であり、宗教家でもあったトルストイの代表的作品、「アンナ・カレーニナ」という大作の巻頭にこの箇所からの引用が書かれてある。 「復讐は我にあり、我これ報いん」 というのがそれである。 トルストイはなぜ、この大著の巻頭にこの言葉をあげたのだろうか。それはすくなくともいかなる人間の考えをも越えて、神はすべてを見通し正義に反することには裁きを与える存在であることを言いたかったのであろう。 彼は、悪に対して、武力をもって報復することに対して、徹底して反対した。それはキリストの根本精神に反することだと一貫して主張していた。トルストイは彼のいろいろの著書でこうした考えを聖書に基づいて強い調子で述べている。その一部をつぎにあげる。 キリストは簡単明瞭に言っている。 「あなた方は武力や暴力を用いることで、悪をなくすることができると考えている。しかしそうしたことはただ、悪を増やしていくだけである。あなた方は数千年の間ずっと悪によって悪を滅ぼそうとしてきたが、滅ぼすどころか、増やしてきたではないか。 悪を本当に滅ぼす道は、ただ一つ、それはいっさいの差別なしに、万人に対して、悪に報いるに、善をもってすること、これである。 私が語り、行う通りにせよ、そうすればそれが真理かどうかがわかるであろう」と。 しかも、こう言っているだけでなく、みずからその全生涯と死をもかけて悪に対する無抵抗というこの教えを実行しているのである。(「わが信仰はいずれにあるか」河出書房新社刊 トルストイ全集第十六巻29p) このトルストイの聖書に基づく主張に共感したのが、インドのガンジーであり、さらにそのガンジーに影響を深く受けて、実践したのが、アメリカのマルチン・ルーサー・キング牧師であった。キング牧師は、あらゆる差別、暴力に対しても決して、暴力でもって復讐せず、一貫してキリストの言葉にあるように、祈りと神の力に頼ること、裁きは神がなされるという信仰によって、悪に対処してきた。そしてそれが大きい運動となって全アメリカに伝わっていったのである。 キリストは「誰に対しても悪に、悪を返してはならない」と言われた。それは悪に対して悪をもって報復すれば、ますます悪の力ははびこりその悪に多数の人たちが飲み込まれていくことにつながるからである。しかし、神の力とその裁きを信じて、悪に対して善をもって対処するなら、そこで悪の力にすでに勝利したことになる。ここにこそ、悪に対するための永遠の真理がある。 真理は、その時代の多数の人が認めるとは限らない。キリスト自身が、当時の宗教界、社会的な指導者たちによって憎まれ、ついに十字架上で処刑された。 それ以後の長い時代においても、キリストの真理はきわめてしばしば踏みつけられ、無視されてきた。 それにもかかわらずこのように少数の人によってその真理は保持され、伝えられ、信じられてきたのである。真理はそれ自身の力によってどんなにこの世がまちがった方向に押し流されていくようにみえても、なお、不動の岩のように存在し、この世の奥深いところを、時代を越えて流れていくのである。 私たちはそうした真理をとるか、真理に反した流れに押し流されるかのいずれかを選ばねばならない状況にある。 聖書における祝福と幸い 私たちが最も求めているのは、「幸福」であり、「幸い」です。どんな人でも、わざわざ不幸を求めてはいないと言えるからです。例えば、人間にはきわめてさまざまの行動をする人がいますが、わざわざ病気になる人、いやな皮膚病をもらいたいとか、エイズのような病気になりたいなどと願う人はありません。それは、そんな病気になるといかなる意味でも幸福ではないとだれもが感じるからです。 人間のいろいろの行動はみんな、その人にとっても一時的な幸いだと感じるものを求めた結果だと言える。勉強するのもよい会社に入りたい、研究するのもそこで知られるようになりたい、安定した生活がしたい、娯楽も旅行などもみんなそうすることで一種の幸福感があるとそれぞれの人が感じるからです。 幸福とか幸いはあらゆる人があらゆる方法で求めているように見えます。しかし幸福ということについて大多数の人たちにとって共通しているのは、健康、お金、よい家族たち、よい職業と、よい友達などだと思われます。 こうしたものが「幸福」であるということは、小さな子供たちでもわかります。病気になること、家族が仲たがいしていることなどだれでもいやなことだからです。 しかし、このような幸福はだれもが求めているものであるが、それはきわめて不平等に与えられているのがわかります。健康についても生まれつき病気の人、生まれてから自分の足で歩いたことが一度もない人もいます。生まれたときから病気で子供のときにすでに命を終える人もいます。 他方、何十年と病気の苦しみを知らないような人もたくさんいます。 また、金にしても何億という資産を持っている人も多くいる一方では、その日の食物すらないような人々が世界には数しれずあります。 家族関係にしても、生まれてから母親も知らない子供がいて家庭の味わいも知らずに大きくなったり、肉親から打たれ、苦しめられたりする子供もいれば両親や兄弟のいるあたたかい家庭に育つ人もいます。 まったくそれは、いかに見ても平等ではありません。このような運命的な差別ともいうべきことが、ふつうの「幸福」にはつきまとっています。そのために、英語の幸福にあたる言葉「happy」という言葉は、もともと、hap (運)という語から作られているほどです。幸福とは運だ、生まれつきだ、運が悪かったら生涯幸福ではありえない、事故が起こるとかガンになって途方もない苦しみを味わわされるのも運だ、というように考えていたのがうかがえます。 創世記における祝福 このような、ふつうの幸福についての考え方や感じ方に対して、聖書にいう幸福とか祝福はどのような意味を持っているだろうか、最も人類に大きい影響を与えてきた聖書はこの問題についても一般の考えとはまったく違った内容を私たちに示しているのです。 聖書は祝福と幸いをテーマにしている書であるとも言えます。聖書の一番初めから祝福という言葉は重要な意味をもって現れるからです。 祝福という言葉はもともと、「よき力を与える」という意味だといいます。(*) 神が海や空の生物を産めよ、増えよと言って祝福されたというのが、聖書において現れる最初の「祝福」です。この祝福は、確かに、生き物たちに産み増える力を与えたのがその内容となっています。 また、天地を創造されたとき、最初の創造されたものは、闇と混乱のただなかに創られた「光」であったのです。 初めに、神は天地を創造された。 大地は混乱を極めた状態であり、闇が深淵の上に立ちこめていて、激しい風が吹き荒れていた。 神は言われた。「光あれ!」こうして、光が存在するようになった。 神は光を見て、良しとされた。(旧約聖書・創世記一章より) このように、最初に創造された光も、その後の創造されたものも、神はみな「良しとされた」の言葉があります。完全な神の目からみて良きものとして創造されたということは、すなわち、祝福された状態として創造したということでもあります。 また、創世記の第二章には、第七日(安息日)を祝福したといわれています。それも、第七日に特別な力を与えたために、その第七日を守る者にも特別な力が与えられると考えることができるのです。 たしかに旧約聖書においても、イスラエル民族が長い歴史のなかで、周囲の大国による侵略や攻撃、捕囚などによっても滅び去ることなく、続いてきたのは、そうした大国の攻撃にも滅びることのない、ある力を与えられてきたということであり、それは、一つには安息日を厳守しようとしてきたからだと言えます。 そしてこの安息日の精神がキリスト教時代になってからは、主イエスの復活が日曜日になされたことから、日曜日へと移って、その日曜日が旧約聖書の安息日と同様なものとなっていきました。そして日曜日をも確かに神は祝福され、日曜日を守って礼拝に捧げる人たちが核となってキリスト教は続いてきたとも言えるのです。 つぎに、創世記には人間の創造のことが書いてあります。彼らにも祝福が与えられ、産み増やす力を与えられ、ほかの動物たちをも支配する力を与えられたのです。それだけでなく、人間が最初に創造されたところは、エデンの園と言われています。 そのエデンの園とは、どんな所であったでしょうか。 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせた。・中ヲ エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。(創世記二章より) このように、最初の人は何も努力もせずしてはじめから食べるのにふさわしい果実を豊かに与えられ、さらに見るにもよい美しいものを与えられていたのがわかります。水もエデンの園の源流となって世界をうるおす四つの大河となって流れて出ていたと記されています。これは実に大いなる祝福された状態です。 聖書が言おうとしていることは、この宇宙、自然や動物の世界、そしてそれらの創造の完成として創造された人間においても、本来はすべてが祝福されたものとして創られたのだということなのです。 しかし、そうした完全な祝福された状態を、人間が自ら破壊し、その祝福を捨て去ったというのが聖書の言おうとしているところであり、祝福から見放された人間がいかにして再び祝福を与えられるのかということが聖書のテーマとなっています。 その祝福の回復への道を、創世記において、アブラハムという一人の人間を通してくわしく述べています。 それはメソポタミア地方に住んでいた、多くの人たちのうちの一人でしかなかったアブラハムの受けた祝福への道です。 彼が受けた祝福は、まず神からの呼びかけを聞き取ったこと、そしてその声に従っていったことから始まっています。 そしてこの祝福が聖書全体を流れているのです。もし、アブラハムが神からの呼びかけを聞きながら、それを受けなかったなら、彼が受けた祝福は消えていったのです。 祝福の出発点は神からの一方的な声を聞き取ることだといえます。そして第二段階は、その声に従っていくことです。 つぎにアブラハムがどうしたか、彼は神の言葉に従って旅立って行った。創世記の十五章によれば「わたしは、あなたをカルデアのウルから導きだした」とあります。ウルとは、メソポタミア地方、現在のイラクという国の領域にあり、ユーフラテス川の下流です。 そこから、目的地のカナンまでは、途中でその川の上流のハランという所を経由して行ったために、直線距離にしても千五百キロほどもあるのです。 なぜ、アブラハムだけに呼びかけられたのか、なぜ、ほかの多くの者には呼びかけがなかったのか、アブラハムはメソポタミアに住んでいた多くの人間のうちの一人にすぎないのです。 これはアブラハムが熱心であったとか、まじめであったとか、信仰深かったなどというのではないのです。そうした理由は全くあげられていないからです。 それは、ただ、神の選びであり、ご計画なのです。 このとき、アブラハムに語りかけた神はつぎのように言われました。 主はアブラム(アブラハムのこと)に言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。 あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の民族はすべて、あなたによって祝福に入る。」 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。(旧約聖書・創世記十二・1〜4より) アブラハムがこの時、神の言葉に従わなかったら、彼は祝福を受けず、祝福の基(もとい)となることもなかった。聖書で言われている祝福とは、このように、神の言葉に従っていくということと結びついているのがわかります。 アブラハムが受けた祝福は彼自身の最も深い幸いとなり、喜びとなり、生きる力となったのはいうまでもありませんが、その後に続く無数の人々をうるおし、ほかのものでは全く与えられない心の平安と力を与えられてきたことがわかります。 アブラハムが、当時はだれも知らなかった、全世界、そして宇宙をも支配しておられる唯一の神がおられるということを示され、その神を信じて、その神の言葉に従っていったというその生き方は、後にキリストが現れてから、キリスト教という形になって受け継がれています。そして確かに、地上の民族はすべて、アブラハムが持っていたのと本質的には同様な信仰によって祝福されていったのです。キリスト教は、全世界のおびただしい言葉に訳されて、世界のいたるところに入って行ったからです。 しかし、このアブラハムはこの祝福を安易に受け取ったのではありません。彼は、すでに述べたように、現在のイラク地方、ユーフラテス川の下流地方に住んでいたごくふつうの人であったと思われます。そのアブラハムがともに住んでいたり、交わっていたいろいろの人たちのなかからただ一人、唯一の神からの呼びかけをはっきりと聞き取り、従っていく、その過程はたいへんな苦しみと迷い、悩み、悲しみがあったことと思われます。 なぜ、住み慣れた故郷を離れるのか、そこでは家族も友人も、慣れ親しんだ郷里の自然、風土がある。そこをどうして離れる必要があるのか、目的地はどんなところかも全くわからない。だれも知らないような遠い所だからです。出発するときまでのアブラハムの心の迷いはどれほどだっただろうか。どれほど遠い所かも最初はわからなかった。行くところを知らずして、アブラハムは出発したのです。それが実に千五百キロほどもある遠い所、砂漠地帯を超えて行かねばならない所であったのです。そして、そこにはるばる砂漠や乾燥地帯を超えてやってきて、初めて神から「あなたの子孫にこの土地を与える」との言葉がアブラハムに与えられたのです。 その途中も長い長い旅路において、きびしい暑さ、砂嵐など気候の変動による予期しない苦しみ、飲み水がない、食糧の確保などたいへんであったと思われます。そしてそのような未知の遠いところに行くにあたって、共に行った少数の人々からも強い反対や不安、攻撃が投げかけられたことと思われます。 アブラハムのずっと後の時代にモーセが砂漠地帯を通って人々を導いていくときも、人々から強い反対や攻撃があり、モーセは死を求めるほどに心は苦しみにさいなまれたことがあったのです。 目的地に行けとの言葉を聞き取ったのはアブラハムただ一人であって、同行した人たちにとっては、なぜそんな遠い所、何があるかわからないような所、さらに途中で事故や略奪などに遭うかも知れないのであって、途中ではアブラハムに対してもいろいろの非難や不満などもあったことが考えられます。自分たちが住んでいたところが災害があったとか、自然環境の変化などで住むのが困難になったということなら、一致して未知の所にでも行く合意があります。しかしアブラハムにとってはそのようなものはなく、ただ神が行けと命じる言葉を聞いたというだけです。 聖書には、そうしたさまざまの現実に起こったであろうことはいっさい書いてありません。そうした困難や苦しみは省いて、ただ出発のときに神の言葉を聞いたこと、アブラハムが実際にその神の言葉を聞いて未知の土地へと出発したこと、目的地に着いたこと、そしてその目的地でアブラハムが何をしたかということだけを書いてあるのです。 遠い目的地とは、カナン(現在のパレスチナ地方)であったのだとわかったのは、そこに着いたとき、神がアブラハムに「あなたの子孫にこの土地を与える」と語りかけたからわかったのです。アブラハムはその神の言葉でようやくそこが目的地であることを知り、長い旅の終わりを知ったのでした。 彼がそこに着いて最初に何をしたのだろうか。 アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、・中ヲ天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。(創世記十二・7〜8より) このように、彼がしたことは、神への礼拝であったのがわかります。それまでの長い困難な旅路を守り導いてもらったことへの感謝と、さらに今後の守りへの祈りであったと思われます。 しかし、このように神に聞き、神に従って現実の困難をも進んでいくアブラハムの前途には、決して安全な状況ばかりではなかった。せっかくはるばる砂漠を超えてたどり着いた目的の土地では、まもなく飢饉となり、そこでは生きて行けなくなったのです。そのため、そこから数百キロもあるエジプトへと食糧を求めて進んで行ったのです。 そこでアブラハムは意外な言動を見せています。 エジプトに入ろうとしたとき、アブラハムは妻サライに言った。 「お前が美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人がお前を見たら『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、お前を生かしておくにちがいない。どうか、わたしの妹だ、と言ってくれ。そうすれば、わたしはお前のお蔭で命も助かる。」 (創世記十二・11〜13) ここには、これまで、千二百キロを超えるような長い困難な旅を、主の導きを信じて歩んできた信仰の父というような立派な姿はまったく見られない。そこには、自分の安全だけを考えて、自分の命のためには長く連れ添ってきた妻ですら、捨ててしまいかねない自分中心の姿があります。これは驚くべきことです。 旧約聖書では、アブラハム、ヤコブ、エリヤ、ダビデなどといった人々は最も重要な人物です。イスラエル民族の根本的特徴となった、信仰の父であるアブラハム、以後の数千年にわたってユダヤ教、キリスト教だけでなく、イスラム教においても信仰の模範、預言者として敬われているほどの人なのです。 そのような歴史上で最も影響の大きかった人のうちの一人です。 そのような偉大な人物と見なされるような人のことを書くとき、聖書は彼の弱さをも何の遠慮もなく、書き付けたのがわかります。 ここに神の導きがあります。アブラハムはこの時、それまで最初に神の声を聞いてそれに従ったとき以来、ずっと神に祈り、導きをを受けてきました。カナンの目的地にも着いてすぐにしたのが神への礼拝だったのです。 しかし、それでもなお、自分の命が危ない状況となったときに、彼は自分中心になり、祈って神の導きを待つことができなかったのがわかります。 その結果、妻のサライは、エジプト王の妻として宮廷に入っていくことになったのです。こういう事態になったら、もうふつうの手段では王の妻となった人物を取り返すことはできないはずです。アブラハムは、後悔しなかったのか、祈って自分のやり方の間違いを示されたのではないのだろうか、妻の安否を気遣うことはなかったのか、妻を失ってどんなに異国にあって孤独であるかなどなどを思い知らされていたはずです。 もし、このままでいけば、「あなたを大いなる国民とし、・中ヲ地上の民族はすべてアブラハムによって祝福に入る」と約束してもらったことは、成就しないのです。 しかし、神はアブラハムの弱さのただなかに介入され、エジプト王や人々に苦しい病気が生じるようにされた。そうしたことを経て、王は、召し入れたサライはアブラハムの妹でなく、妻であったのを知らされたのです。そこで、何も罰することなく、アブラハムを立ち去らせたと記されています。 神の助けがなかったら、アブラハムの妻はエジプト王の妃(または側室)となってしまってして再びアブラハムのもとに帰ることはなかったと思われます。このように、祝福の基となったアブラハムも神への忠実を一貫して守り続けることができたのではなく、その弱さのために、神のご計画を無にしてしまうような罪も犯してしまったのがわかります。本来この時のアブラハムの罪は重いものだったのです。神の祝福をすべて無にしてしまいかねない事態になるからです。 こうして、神は、アブラハム自身の偉大さのゆえに、祝福の基となったのでなく、神ご自身の計画のゆえに、アブラハムを祝福の基としていったのだということを示そうとしているのです。どんな人間でも完全に神に従うことはできない、それでもなお、神はその弱く、不十分な人間を用いて、あるひとを祝福の基とし、それをさらに多くの人へとその祝福を広げていくのがわかります。 このような人間の弱さを持ち、罪を犯し、失敗をしながらも、なお祝福の基とされていったのは、ダビデやペテロといった重要な人物もその代表的な例と言えます。ダビデは若きときの信仰の勇者であり、いかなる迫害を受けてもなお、自分の主君であった王に武力で反撃したりせず、ひたすら神を信じて、逃げるというだけであったが神の驚くべき導きによって、自分では予想もしていなかった、王となった。しかし、その後に最も重い罪を犯し、神からきびしく罰せられることとなった。それでもなお、心から悔い改めたダビデはその子孫からイエスが出るというように、祝福の基となり続けたのがわかるのです。 ペテロについては、イエスが捕らえられたとき、三度もイエスなど知らないといって主に背いたにもかかわらずやはり、心からの悔い改めによって、以後二千年のキリスト教の祝福の一つの基ともなったのです。 このように、旧約聖書で最も印象的な箇所の一つである、アブラハムが祝福の基となり、全世界の民族の祝福もその祝福から出るとまで言われた理由は、神がまず選んだこと、そして神からのその呼びかけにアブラハムが聞いて、慣れ親しんだものと決別して従って行ったこと、その過程においても常に神に信じて、神への礼拝を基本としていったこと、時に恐れから罪を犯すことがあっても、神ご自身が介入され、正しい道へと連れ戻したこと、アブラハムも再び神に立ち帰っていったことなどがその理由だと言えます。 現在の私たちにとって、アブラハムの持っていた信仰を与えられるとき、私たちもまた祝福が与えられ、小さいながらも一つの祝福の基となると言えます。 罪を犯して自分の小さいこと、醜いことを思い知らされることがあっても、なお神は私たちを赦し、導き、神ご自身の計画のために用いようとされているのです。私たちは、自分自身がどんなに弱く、みじめなものであっても、神につねに立ち帰る心を持っているならば、なお、神が用いて、他者の祝福の基として下さるのを信じることができるのです。 詩にみられる祝福 旧約聖書で最も有名な箇所の一つは、つぎの詩編第一編です。 いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、 罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、 主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。 その人は流れのほとりに植えられた木。 ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。 その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(詩編第一編より) この詩は旧約聖書の詩集である詩編の冒頭に置かれています。全詩集のタイトルというべきものだからです。 ここで幸いなこと、祝福されたことと言われているのは、「神に逆らう悪しき人の考えに従って生きるのでなく、また罪ある人の道を行かず、傲慢な者と共に座らない。主(神)の教えを愛して、いつも神の言を心に置いている人」だと言われています。これはその通りだとたいていの人には納得がいく内容です。私たちが、真実でないことを言ったり、したりすれば、それは罪ある人の道を歩いたことになり、悪しき人の考え方に沿って生きていることになります。このように厳密に考えると、私たちはこの詩編第一編の通りには歩いていないことを知らされるのです。 もし、うっかりと悪しき者の道を歩いてしまったらどうするのか、どんな人でもそうした罪や失敗を数々犯してきたはずです。例えば、戦前のような軍国主義の時代にあっては、戦争という大量殺人を国家やマスコミ、教育などすべてをあげて賛成している状況であって、そのような状況にあって聖書のいうところに反する悪しき道をほとんどの人が歩んでしまったのではないか・中ヲ 打ち続く不幸なことが心を動揺させ、病の苦しみが恐ろしいほどに身を痛めつけるとき、私たちははたして元気なときのように、主の教えを愛することができるだろうか。旧約聖書にあるヨブという信仰の模範生のような人ですら、激しい苦しみと痛みに直面したとき、神のことがわからなくなってうめき、叫んだのではなかったか・中ヲ。 このように考えると、悪しき者の道を一貫して歩まないということは、だれにもできることでないのがわかるのです。 キリスト教史上で最も神の言を聞き取った人、パウロですら、自分が善いことができずに、よくないことをしてしまう、このような奥深い本性をどうしたらよいのか、とふかく嘆いている箇所があります。 このような私たちの弱さと罪を思うとき、この詩編第一編だけでは、私たちは幸いにはなれないのがわかるのです。 ここに至って、そのような弱い人間、罪を犯してしまう弱さと醜さにあってもなお、与えられる幸いと祝福を私たちは求めるのです。そして聖書はそのような求めにもはるか昔からすでに答えているのです。 何と幸いなことか、(神への)背きを赦され、罪をおおい消される者は。 何と幸いなことか、主がその人の罪を数えず、心に欺きのない人は。 わたしは黙し続けて、絶え間なくうめき、心身ともに疲れ果てた。・中ヲ わたしは罪をあなたに示し、隠さなかった。 わたしは言った、「主にわたしの背きの罪を告白しよう」と。 そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦して下さった。(詩編三十二編より) この詩において、最も深い幸いとは、神によって自分の罪が赦され、神がそれをなかったかのようにして下さることだと言われています。自分には罪などない、自分は正しいのだと言い張るときには、心は平安を与えられず、疲れはててしまいます。それは幸いな気持ちとは正反対です。私たちが最も苦しいのは、他人からの攻撃とか無理解、中傷でなく、じつは私たち自身のなかにある赦されていない罪だというのです。 自分が正しい道を歩けなかった、歩こうとしても途中でまちがった道に入り込んだ、あるいは、これは違った道だと感じていたが、どうしても正しい道に帰ることができなかった、そしてつぎつぎと罪にまみれてしまった・中ヲ。 そんな罪深い者にもこの詩は大いなる幸いを告げているのです。 このことは、私も聖書を知るまでは考えたことがなかった。自分の苦しみは自分の外にある何かである、○○という特定の人間、社会、政治、あるいは、病気、事故などなど、せいぜい自分の生まれついた性格など、とにかく自分のうちに気付かないほどに深いところにある神、完全な真実と清さを持った神への背きがあるからなのだということがわからなかったのです。 もし、そうした背きや罪がなくなったら、そのときには、何よりも幸いな「主の平安」に心は満たされます。それは神の国からのさわやかないのちの水が魂に流れ込んでくるからです。 人間の幸いで最もふかいものは、何かをもらったとか、文化やなんらかの領域で大きい業績を上げた、そして誉められたとか、あるいは心の合う異性に出会ったとか事業で成功したとか・中ヲそのような外的なことでなく、私たちの魂の最も深いところにて、真実に満ちた神への背きの罪がぬぐわれ、赦され、そこで神(キリスト)と出会い、神の愛に満ちたまなざしを受けること、そして新しい力を与えられることだと、この詩は言おうとしているのです。 新約聖書における祝福 罪の赦しを受けることの幸いは新約聖書の時代、キリストの時代に入っていっそう完全なものとなり、求める誰でもが与えられることとなりました。この罪の赦しの喜びと平安こそは、キリスト教が与える幸いの中心をなしていることなのです。新約聖書全体がその祝福と幸いを告げているのですが、ここでは新約聖書のはじめに出てくる最もよく知られた箇所をあげておきます。 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「何と幸いなことか、心の貧しい人々は! なぜなら、天の国はその人たちのものだからである。 何と幸いなことか、悲しむ人々は! なぜなら、その人たちは(神によって)慰められるからである。 何と幸いなことか、義に飢え渇く人々は! なぜなら、その人たちは(神の国の賜物によって)満たされるからである。」(マタイ福音書五章より) 新約聖書の初めに出てくるこれらの言葉は、聖書を少しでも手にとったことのある人はたいていの人が思い出す箇所です。最初の「心の貧しい者」こそは、聖書の祝福と幸福の基本になっています。すでにあげた詩編三十二編で述べたように、自分の罪のために打ち砕かれている心こそは、ここで言われている「心の貧しい者」です。 私たちが今、神を信じて、キリストによる罪の赦しを与えられているということは、神から特別に選ばれたということであり、神の呼びかけを聞いて、それを受け入れたということだといえます。 「私が示す地に行け」それは、現在の私たちにとっては、日常の具体的な生活の中で、どうしたらよいか、分からないときに示されることです。そのままにしておくこともできる、思い切って困難な道を取ることもでぎる。そのとき、神を見つめ、神の光のある方へと、歩んでいくこと、その道をとれば、どんなことになっていくのかわからなくとも、まず神の国と神の義を求めよといわれる主イエスの言葉に従っていく、そこに祝福がある。それが現在の私たちにも与えられている道なのです。 (*)Dictionary of New Testament Theology Vol.1 207P パウロの伝道の心 キリストの弟子たちのうちで、最も重要な働きをしたのはパウロであった。彼はどうしてそのような特別に深く、しかも広い領域で働くことができたのだろうか。それにはいろいろの理由があるし、神がそのように特別な器として選んだからだという他はない。 選ばれた器であったパウロの心の一端をうかがうことのできる言葉をつぎにあげる。 自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主に仕えてきた。・中ヲ 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのである。 そして今、わたしは、霊(聖霊)に促されてエルサレムに行く。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分からない。 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げて下さっている。 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思わない。(使徒行伝二十章より) 神の前に低い者、小さき者という実感を深く持っていること、それがパウロの原点でもあった。自分は罪人のかしらであるとすら感じていた。そのような心を聖書では、「心の貧しい者」と言っている。そうした心の貧しい者には「天の国はその人たちに与えられる」とのキリストの約束がある。その約束の通りにパウロはゆたかな天の国、神の賜物を受けたのであった。 そしてまた、キリストは「悲しむ者は幸いだ、その人たちは、神によって励まされ、慰めれるからである」とも言われたが、パウロはまた、悲しみを深く知る人でもあった。涙を流しながら主に仕えてきたと言っている。 自分の罪を知り、人間全体の罪、ユダヤ人の罪を知って、神に祈り願う心があり、深い悲しみを持ちつつ、その闇のなかに与えられる光なるキリストをいっそうはっきりと見つめていたのであった。 そうしてさらにパウロを動かしていたのは、自分の考えや人間的な勇気でなく、他人に動かされるのでもなく、聖霊によって導かれていたのである。その聖霊が導くならば、命すら惜しまないという心が常にあった。 使徒行伝全体が、たんに使徒たちの働きを記すのでなく、その背後にあって導いた聖霊のはたらきを記した書物である。パウロも彼自身の考えや人に動かされたのでなく、聖霊によって導かれた人であったのである。 ことば 戦闘の止むとき 勝つことは必ずしも勝つのでない。負けることは必ずしも負けることでない。 愛すること、これが勝つことであり、憎むこと、これが負けることなのである。愛をもって勝つことだけが、永久の勝利だ。愛は妬まず、誇らず、高ぶらず、永久に忍ぶ。そして永久に勝って、永久の平和をもたらす。世に戦闘の止むときは、愛が勝利を占めたときだけなのである。(内村鑑三・「聖書の研究」一九〇四年五月号 日露戦争はこの年の二月に始まっている) ただキリストに聴く トルストイ一人はロシアの一億三千万の民より大である。キリスト一人は世界の十三億の人よりも大である。アメリカのルーズベルトとイギリスのチェンバレンとは戦争の益を説くが、我らは彼らに聴く必要はない。全世界の新聞記者は筆をそろえて殺すこと(戦争)に賛成しようとも、我らは彼らに従う必要はない。 我らはただ、主イエス・キリストの言に聴けば足りる。世がこぞって戦争を賛美するときに、我らは天より下って来られた神の子の声に聴いて我らの心を静めるべきなのである。(同右・九月号) ・トルストイのことに特に触れているのは、本文にあげた彼の聖書に基づく徹底した、非戦論に内村が深く共感していたからである。 わが救いの神によって 私たちの近くに現在起こっている地上の強国間の争乱については、私たちはだれもそのために心を乱されることなく、これらすべての動乱も決して動かすことのできない、岩の砦(神、キリスト)に身を寄せ、また不滅の力である神に常に信頼するように望んでいる。・中ヲ真理に対して真実な心を持ち、心のなかに真理に従って生きることを待ち望んでいる人々は、困難な状況あっても喜ぶであろうし、つぎのような経験をすることになるだろう。 「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。(旧約聖書・ハバクク書三章より)」 (「ウールマンの日記」聖文舎刊46〜47P) ・ウールマン(一七二〇年生〜一七七二年)はクェーカーのキリスト者。クェーカーは奴隷制度に最もはやくから反対していたキリスト教の教派であり、またいかなる戦争にも反対したことで知られている。 あなたの敵を愛せよ 「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」 おそらくイエスのいましめのなかでこの命令に従う以上に難しいことはないであろう。ある人々はそれを実行することはできないと、感じてきた。・中ヲこのイエスの言葉に対してそんなことは実行できないという強い反対にもかかわらず、このイエスの命令は、新しい緊迫さをもって我々に挑戦してくる。動乱につぐ動乱は、近代人が憎しみという道を旅しており、破壊と滅亡へ我々を導く旅路にあることを思い出させてきた。敵を愛せよという命令は、ユートピア的夢想家の敬虔な指図であるどころか、我々の生存のために絶対に必要なものである。敵をすら愛するということは、我々の世界の諸問題を解くかぎである。(「汝の敵を愛せよ」マルチン・ルーサー・キング著 新教出版社刊 66P) ・キング牧師は、非暴力による戦いを徹底して実行し、黒人差別と戦った。一九六四年、ノーベル平和章受賞。 休憩室 ○シュウカイドウ(秋海棠〕 秋になって、日本的な落ちついた感じを漂わせる花、それがシュウカイドウです。この名前は秋になって咲く「海棠(カイドウ)」に似た花という意味です。やや日陰のしめったところによく育つもので、ベゴニアの仲間です。 (学名をベゴニア・グランディス・ドリィア Begonia grandis Drya.といいます。) ベゴニアは丈夫で一般の家庭や花壇にもよく見られるものですが、シュウカイドウは、少ししか見られません。 もともとは、中国からマレー半島に自生する植物。江戸初期の渡来とされています。 半日陰で多湿の所でよく育ち、東洋的感覚の草花で古来文学・美術の材料となってきたということです。中国の最初の花の事典である『秘伝花鏡』(1688)という本において「秋色中第一となす」とたたえられているということです。わが家にも以前からあって、毎年その控えめな花の色(うすい赤色)と姿がその名前とともに、秋の到来を感じさせてくれるものとなっています。 自然のたたずまいは、人間の世がどのような混乱や動揺、悲しみや苦しみがあろうとも、何千年もそれ以上も変わらぬ姿を私たちに示しており、人間にむかって、「静まれ、万物の創造の根源である神に立ち帰れ」と告げているようです。 ○松虫と鈴虫 現在では松虫は、チンチロリンと澄んだ声で鳴く虫のことで、鈴虫とは、リーンリーンと鳴く虫のことです。しかし、平安時代では、逆であって、リーンリーンという鳴き声は、松風の音に似ているということで、松虫と言われたといいます。たしかに、現在では松虫と言われるチンチロリンという鳴き声は鈴を振るような鳴き声でもあります。(なお、いまのキリギリスは当時ではコオロギを指していたと言われています) コオロギを捕らえてみた人は知っていると思いますが、あの薄い羽でどうしてあのように美しい鳴き声が出せるのか驚くべきことです。子供の時、エンマコオロギなどを飼育してその鳴く様子を観察したことがよくありましたが、捕らえてその羽をこすっても決してあのような音は出ないのに、といつも不思議に思ったのを思い出します。人間の作った楽器でも、あのように薄く単純なように見えるものでかなり大きい音を出すのはありません。神の御手によるならば、あのような薄い羽をも立派な楽器とすることができるのだとわかります。 夜の集会の帰りには、とくに大きい川の堤防道路において虫の音は最も豊かです。さながら、一大交響楽のようにさまざまのコオロギやクツワムシなどが讃美を繰り広げています。 返舟だより ○アメリカのテロ事件、それに続いて報復戦争のことが連日報道されています。しかし、聖書にある真理、「悪に対するに悪をもってしてはいけない、神のさばきにゆだね、私たちは敵に対しての祈りをもって対処すべきだ」という原則を述べているのはほとんどありません。歴史は繰り返す、人間の愚かさも繰り返されます。 しかし、主イエスが言われたように、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マタイ福音書二四・35)。 永遠の真理である、キリストの言葉にいっそう信頼していきたいと思います。 ○九月十六日は、静岡の中部の集いにて、み言葉を語る機会を与えられました。前日の十五日には、清水市の西沢 正文兄宅にて宿泊をさせていただき、何人かの静岡の集会のかたがたとともに食事とともに懇談の機会も与えられました。 この集いは、静岡聖書集会、清水聖書集会、志田聖書研究会、静岡聖書研究会の四つの集会の合同の集会だということです。ふだんは遠く離れていても、時折こうした機会が与えられてより広い地域のキリスト者たちと交わり、ともにみ言葉を学び、祈り、讃美する幸いを感じました。長い歴史をもってキリストの福音がこの静岡の地にも受け継がれてきたことを実感することができて感謝です。 なお、今月号の「聖書における祝福と幸い」という文は、静岡で語った内容です。 ○かねてよりご加祷頂いていました妻は九月十九日に退院しました。多くのかたがたの祈りとお支えをありがとうございました。県外の方からも、「毎朝、家内とともに祈っています」と書いてきて下さった方、「毎朝、恵美子さんのお体と貴氏の伝道活動を神様が守り導いて下さることをお祈りしています」と書いて下さった方、また日々祈りのなかに心を留めて下さった方、その他の多くの方々に心から感謝です。今後とも霊とからだが守られますように覚えて下されば幸いです。 ○今月は、いろいろの事情のために、「はこ舟」がなかなか出来上がらずに遅くなりました。 お知らせ ○十月五日(金)の午後七時三十分〜九時頃まで、前のキリスト教独立学園校長であった武(たけ)祐一郎氏の聖書講話があります。武氏はこの八月で七十六歳となり、体調も十分でないときもあるので、徳島訪問もあるいは最後かも知れないという思いで来訪して下さるとのことです。それて今回は「今、一番語りたいと思っていることを話させて頂きます」と言われています。都合の付く方はご参加下さい。 題は「預言と福音 政池先生から学んだことを中心に」です。 ○今年の市民クリスマスは十二月十日(月)です。私たちの集会では、毎年北島の教会のろうあ者のかたがたとともに手話讃美に加わっていますが、今年も手話讃美がなされる予定です。 |
2001/9 |
絶えざる前進 2001/8 私たちの前途にはたえず力を失わせること、落胆させるようなこと、疑問に思うことが生じます。それは、どんな人の毎日においても、自分自身の失敗や罪、この世の不正や悪の出来事、人間関係の困難さ、自分の病気、家族の問題、職業上の問題や経済的問題、将来への漠然とした不安や恐れなどが次々と生じてきます。 こうしたことばかり考えていると、私たちは前に進めなくなります。私たちに重りがまつわりついて、沈んでいくような気持ちになるのです。 この世はこうした妨げや重荷で満ちています。それを軽くしない限り前進できず、後ろに引き戻され、あるいは立ち往生してしまう。 この「はこ舟」という小さな印刷物にしても、私の前の編集者であった杣友(そまとも)さんがかつて、「もうやめようか、と何度も思ったことがある。しかしそのたびに祈りのなかから、止めるなとの声を聞き取ってなんとか続けることができてきた」と、言われたことがあります。 私も教員となって五年目から、勤務の場(高校)において印刷物を作って配布することを始めたのですが、それを続けていく過程で、いろいろ困難のためにもう止めようと何度も思いました。しかし、そのたびに私もまた「止めるな、続けよ」との細い、静かなみ声を聞き取って、再び立ち上がることができ、続けていくことができたのを思い出します。 私たちが直面する数々の悩みや心配ごと、罪、失敗など、どのようなことが起こっても、それでも前進を続けることができるのは、自分の努力や決心ではなく、私たちの心の中にいて励まし、立ち上がらせて下さるキリストだということを、私も日々実感しています。そのような、慰め主、励まして下さるお方を持たないことは、なんと孤独でさびしいことかと思います。 声を聞く 私たちは、毎日の生活で、どんな声に聞いて生きているだろうか。多数の人は新聞とテレビ、週刊誌、雑誌などの声を聞いて一日を始めているのではないでしょうか。そして、仕事が始まるとその仕事上のことだけに意識が集中してしまうと思われます。 仕事から、帰ると疲れて、のんびりと新聞やテレビを見て、一日が終わる、そうした状況で何十年が過ぎていくという人が多いようです。 しかし、聖書の世界では、まったく違った雰囲気が流れています。それは、新聞やテレビ等と違った神の声に聴くという姿勢です。 旧約聖書の初めに出てくるアブラハムもそのことから始まっています。アブラハムは今から三七〇〇年ほども昔の人ですが、彼こそは、現代のキリスト者の精神的祖先でもあると言えます。 アブラハムが、自分に語りかけられる神の声を聞き取って、その声に従っていくところから、以後数千年にわたって今日まで続いている精神的な大河が始まったのです。 今日のキリスト者も神に聴くというところが、その生命となっています。 主イエスも言われました。 門番は羊飼い(キリスト)には門を開き、羊(キリスト者)はその声を聞く。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 わたしの羊はわたしの声を聞く。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十章より) キリスト者とは、たんに口先で十字架を信じる、復活を信じると言っている人ではありません。日々、キリストからの御声(みこえ)を聴こうとし、その御声に従っていこうとする人なのです。そしてその声を聞き取るためには、私たちは幼な子のような心で、キリストを見上げている必要があります。そしてそのような姿勢を私たちが保ち続けるとき、罪の赦しを実感し、ほかの方法では得ることができない平安を与えられ、新しい力を与えられます。ここにこそキリストを信じる者の大いなる幸いがあります。 本当の自由を与えるもの さまざまの自由 自由とは何か、真の自由を持っているかどうか、それはあらゆる人間の問題の根底にある。小さな子どもから、大人、老人、そして一つの民族や国家に至るまで、すべて自由を求め、追求している。その過程で、争い、戦争が生じる、そして差別や殺人その他いろいろの罪も伴っていく。それは、自由をまちがったところに求めるからである。 自由とは、何かについてむつかしい議論をせずともだれでもすぐわかる一面を持っている。部屋に閉じこめられたら自由でないことはきわめて当たり前のことである。携帯電話も自由に話せる、距離や時間、場所の束縛から自由になって話できるということであって、自由を求める要求に応えるところがあるので、たちまち広がったのである。 科学技術も人間をある面で自由にしていった。例えば、病気は医学という科学によって相当克服された部分がある。しかし、他方では、薬剤の間違った投与、耐性菌の発生、まちがった診断、治療などによって新たな病気もたくさん作られることになった。 また、車社会となったが、それもどこにでも行けるという自由を与えていった。しかし、他方、車によって、よい空気の中で生きる自由が奪われ、道路建設のために、田園や田舎の自然がつぎつぎと破壊されていきつつある。戸外で自由に遊ぶという自由もなくなった。交通事故で1万人ほどが死んでいるか、怪我をして生涯を自由を奪われる人も、何万人となくいる。 そうした身近なところから、また世界の大事件となったこともある。いろいろな国で革命や反乱が起こることも何らかの自由を求めての動きである。例えば日本の明治維新も徳川幕府の支配が自由をあらゆる面で縛るものであったから、そのような束縛を脱して、自由を得たいという願いがあったはずである。 ロシア革命によって、ソ連となったのも、ロシアの皇帝政治の圧迫からの自由を求めるという意味があった。しかしそれはまもなく、新しい束縛、スターリンのはげしい弾圧となって以前にも増して自由を奪う状況となってしまった。 アメリカそのものの建国も、その出発点には、イギリスの迫害から逃れて、信仰の自由を求めて荒海をはるばる命がけで渡ってきた人たちがいる。わずか百八十トンの船に百二名が、二カ月余りもかけて、アメリカの北東部海岸にたどりついたのであった。そのようにしてたどり着いた人たちのうち、半数以上は、寒さと飢えのために、その年の冬を越すことができずに死んでいった。そうした犠牲の上に、それまでとは違って自由を重視する国が成長していった。 日本において個々の人間は、封建制度の束縛から自由となったし、豊かさによって貧困による束縛からの自由を得た。また女性は男性と対等となり、育児や家庭の束縛から脱していった。 また、そのように重要な「自由」は憲法によっても保証されることになった。現在の憲法において、思想及び、良心の自由、信教の自由、表現、学問の自由など、あるいは、居住・移転・職業選択の自由など多くの自由権が保障されている。 そうした自由権の保障のおかげで私たちは毎日の生活のなかで、戦前とかもっと古い時代と比べるとき、自由であることの幸いを十分に受けているといえる。 しかし、人間とは弱いもので、このように自由を受けていても、心から自由だと感じている人は、どれほどいるだろうか。戦前のように、平和主義を主張するだけで、危険な人物と見なされ、神社にいって神々を拝まねば日本人でないかのように非難される、そのような自由のない状況にあれば、何とかしてそのような不正な圧迫から逃れたい、そのような間違った法律などを変えて欲しいと切実な願いとなる。 しかし、日本では太平洋戦争の敗戦により、そのような状況が根本から変えられて、日本の歴史始まって以来の自由が保障されるようになった。そのような自由を日々心から感謝して生きている人はどれほどいるだろうか。ほとんどは当たり前として何にもその自由について感謝している人はいないのではないだろうか。 そしてなにか自分の心が縛られている、心からの自由が感じられないという人は実に多いだろう。そうした束縛を脱した人々は、そこで得た金や時間をあらたな欲望や快楽を得ることにも使うようになり、そうした欲望の奴隷となっていく人もまた増大していったからである。 例えば、離婚は相当自由にできるようになった。結婚関係が自由を束縛するものとして感じている人は相当に多いだろう。結婚とはある意味で束縛であり、当事者を縛るものだからである。特定の人間とずっと生涯ともに過ごさねばならないこと、これは考えてみるとずいぶん自由を縛るものだと思われる。そして離婚して勝手にまた別の異性と関係をもって自由に生きたほうが楽しいという人も多くなってしまった。 しかし、こうした方向を押し進めた結果、アメリカでは、夫婦の二組に一組が離婚し、子供の三人に一人が血のつながった父親と暮らしていないという驚くべき状況となってしまった。このような家庭の崩壊が生じるのは、夫婦の双方、または片方が自分勝手な自由を求めたからであると言えよう。結婚という束縛からの自由を求めていった結果、こうした家族の崩壊が進んでいくことになった。 このように、表面的な自由を求めていくときには、家族関係を壊し、その家族から成り立っている社会の基礎をも壊していくことにつながっていく。こうした家庭の崩壊が、若者の心をもむしばみ、暴力や異性関係の乱れ、そこで生まれる子供への非人間的な扱いなどとなり、それがまたその子供たちの将来に暗い影を投げかけていく。 このようにして、個々の家庭に属する者も、心からの喜びとはほど遠い心の状態となる。自由とは心の清い喜びがなければ感じないからである。心にさわやかな喜びがあるということは、自由を感じているということである。 しかし、自由ということを、自分の欲望や自分中心の考え通りにすることだとして、そのような行動をとるとき、たちまちそうした自由は束縛へと変わっていく。例えば、道。路を自分の自由に走りたいといって、速度を無視して、信号も無視して走ることを繰り返しているなら、たちまち逮捕されて、運転免許も取り上げられるだろう。 酒を自由に飲みながら楽しい気分でドライブしたいといってそのような自由をそのまま実行していたらこれも、まもなく逮捕されてやはり運転できなくなり、社会的にも職業をも止めさせられることになるだろう。 こうしただれでもわかる例で考えても分かるとおり、自由というのは、自分の思うまま、欲望のままにするとすぐにそのような自由もなくなるということである。これは、そうした自分中心に自由にすることがまちがっているからである。 こういう自由が真理でないのは、このように実際に実行していけば、たちまちそうした自由が奪われてしまうということからもわかるが、それとは別に、そうした自由からは決して心には清い喜びは生じない。それは、そのような自分中心的な自由は、もっと奥には、自分自身の欲望に縛られているからである。 アメリカの黒人奴隷と自由 アメリカの綿花栽培で白人たちが自分たちは苦しい労働をせずに、自由な生活を楽しみながら利益を得るために、アフリカの黒人を捕らえてきて、奴隷として働かせた。彼らはだまされ、脅迫されて捕らえられ、狭い船に乗せられて運ばれてきた。長い年月にわたって、アフリカから千五百万人もの黒人たちが、船に詰め込まれ、男は足をクサリでつながれて、動物のような扱いを受けて運ばれた。暑いところからであり、多くの黒人が病気で途中に死んだ。 そうしてたどり着いたアメリカで、長時間を奴隷としてこき使われたが、これも白人たちの自由を楽しみたいという欲望が根底にあった。このような間違った自由の追求も歴史には多くあるが、その一方で、真理から来る自由を求めて勇敢に行動した人も多くいる。 そのうちの有名な例として、黒人に自由をもたらすために命をかけて戦ったマルチン・ルーサー・キングのことを考えてみよう。 彼が、今から四十年近く前、一九六三年八月二十八日にワシントンで行った演説はあたかも神が背後にいて語らせたかのような真理と力がこもっている。そのとき、二十五万人もの人たちが行進をしてワシントンに集まってきたのであった。それはアメリカにおいて、人種差別を撤廃するための運動の歴史のなかで最も大規模なものとなった。そのとき、キング牧師は、つぎのような演説をした。(なお、引用した部分の訳文は一部省略、簡潔にした) 私はあなた方とともに今日の大いなる出来事に共に加わったことを喜ばしく思っている。今日のことは、私たちの国の歴史において、自由のための最も偉大な行動として、歴史を流れていくであろう。 ・中ヲ 今日もまた明日も我々は、困難に直面している。 しかしそれでも私は夢を持っている。 それは、いつの日にか、この国が立ち上がって、「すべての人間は平等に創造されている」という信条を生きるという夢を持っている。・中ヲ わたしは一つの夢を持っている。子供たちがいつの日か、その肌の色でなく、その品性によって評価される国で生活するときが来るという夢を持っている。 あらゆる谷は高くせられ、あらゆる山と丘とは低くせられ、 高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。 こうして主の栄光があらわれ、すべての人がともにこれを見る日が来る、(*) そんな夢を私は持っている。 これがわれわれの希望である。 この信仰をもってわれわれは絶望の山から希望の石を切り出すことができる。この信仰によって、我々の国の著しい混乱を変えて、兄弟愛の美しいハーモニーと変えることができる。この信仰によって、共に働き、ともに祈り、ともに戦い、共に獄に入れられ、自由のためにともに立ち上がろう。 私たちはいつの日か、自由になるということを、この信仰によって知っているのだから。 このアメリカのいたるところから「自由」を鳴り響かせよう。ニューヨークの山の頂上から、ジョージアの山から、テネシーの山から、丘という丘から、ミシシッピの小さな塚からも自由を鳴り響かせよう。 私たちがあらゆる町や村から「自由」を鳴り響かせるとき、私たちが待ち続けてきたその日を早めることができる。 その日には、黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、カトリックもプロテスタントも手を取り合って、あの古い黒人霊歌を歌うのである。 ついに自由になった! ついに自由になった! 全能の神様、ありがとう。 私たちはついに自由になった!(**) (*)イザヤ書四十・4〜5 (**) Free at last. Free at last. Thank God Almighty, we are free at last. この有名な演説はたしかに神が背後にいて、語らせた雰囲気がある。自由への激しい願い、そしてその願いは、神の言に重ね合わされて、神が必ず未来において実現して下さるという確信をもって語っているのが感じられる。 聖書ではこうした究極的な自由は「終わりの日」あるいは、「その日」という表現であらわれる。現実の世界でいかに時間を要するとも、神は必ず実現される。そしてその実現の状況を啓示によって仰ぎ見ることをゆるされたのがこのキング牧師であり、その啓示を神からの権威をもって語ったのがこの演説なのである。 このように、自由を求める祈りと願いは、神の言と結びついたとき、初めて強いものとなる。それは神がそのはたらきを助けるからである。 キング牧師が繰り返し強調していること、「自由」を鳴り響かせようとの呼びかけは、主イエスが、その伝道の生涯の初めにおいて、述べられたこと、「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせる」という内容と響き合っている。 キリストが宣べ伝えた、自由の宣言は、時代を超えて、最も苦しい差別に長く苦しんできたアメリカの黒人指導者によって同じキリストの権威をもって、再び宣言されたのであった。 ルターと自由 ルターの宗教改革もまた、信仰の自由を求める戦いが発展していったものであった。救いのためには、ただキリストに対する信仰のみでよいとする信仰上の自由が出発点であり、原点であった。ここから、ただキリストのみが真の大祭司(神と人を結び付けるお方)であり、キリスト者もそのキリストを信じて結びつくときに、だれでもが神と人を結び付ける存在(祭司)となるのだという真理を明らかにした。そうして人間であるローマ教皇の支配も受けることもない自由が与えられること、そのような真理を記している聖書こそが人間を自由へと導くのである。 彼は、宗教改革の代表著作の一つ「キリスト者の自由」という書物を書いてこうした、真の自由を告げ知らせたのであった。 キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人(なにびと)にも従属しない。 キリスト者はすべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する。 この意味は、キリストを信じて、キリストに結びついた者は、すべてのものに支配されないし、従属しない、かえって、あらゆるものの支配に影響されないで、すべてのものの上に立っている。そこに自由がある。 それは、キリスト者が結びついているキリストご自身が、いっさいを支配する力を持っておられるからである。たとえいかに地位が低くても、彼自身は、ほかの者に魂は支配されない。この最も代表的な例はキリストご自身であった。キリストは社会的地位は何もなかった。大工の息子としての三十年間ののちわずかに三年間を自発的な食物の提供などを受けて、福音伝道のために費やしたのであり、最も低いところで生活されたことになる。しかし、主イエスは、いかなる王や権力者の支配の上におられた。当時の領主であったヘロデに対してもある時には、つぎのように「キツネ」と呼んだことすらあった。 ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしている」。 そこで彼らに言われた、「あのキツネのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終える。しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。(ルカ福音書十三・31〜33より) また大祭司という宗教界の最も高い地位の者によって最高法院で尋問されたとき、つぎのように答えている。 イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」 イエスは言われた。「・中ヲわたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子(キリスト)が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。 そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。」(マタイ福音書二十六・63〜66) このように、いずれの場合も、主イエスは自分が殺されるほどに相手が敵意を持っているということを知っておられたが、なおこのようにはっきりと真理を語られた。これは、すべての上に立って支配されている王であることを示している。 そして、あらゆる病や死ですらも、支配されていることをしばしば示された。それゆえに、そのようなキリストを信じてキリストに結びつく者は、同様な力を与えられる。キリストはすべてのものの上に立つ君主のようなものであると約束されている。 他方では、キリスト者はすべての人に仕える僕(しもべ)であるという。本来、君主のようにすべての力の上にあるというのは、すべての人に仕えるというのと正反対であってとうていこの二つが結びつくとは思えない。 しかし、キリストご自身は、この二つを完全に備えたお方であった。たしかにキリストはあらゆる支配権力、死やサタンの力、罪の力にも勝利された。「私は世に勝利している」とヨハネ福音書で言われた通りである。 他方キリストは、つぎのようにも言われた。 人の子(キリスト)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。(マルコ福音書十・45) このように、人に仕えることは、支配とは逆のことであるのに、主イエスだけはこの二つを完全に調和させておられたのであった。 私たちがもしすべての上に立つ、霊的な力を与えられていなかったら、他の人に仕えるということは、自由のないこと、自由とは反対のこととなり、仕えることだけでは到底キリスト者として生きてはいけないだろう。 まず私たちは他者に仕える以前に、すべての上に立つ力を与えられ、従って自由なものとされているからこそ、その自由な心をもって他者に仕えることができる。 こうした自由を人間に与えるためにキリストは世に来られた。すでにキング牧師の項で引用した箇所であるが、再度つぎに引用する。 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ福音書四・18〜19より) これはイエスが自分が育ったナザレに来て、安息日に会堂に入り、そこで朗読された聖書の箇所である。これは預言者イザヤの言葉であった。そしてこの預言の言葉が、「今日、あなた方が耳にした時、実現した」と主イエスは言われた。これは主イエスの伝道の最初の出来事として、ルカ福音書に記されている。 人間はいたるところで自由を奪われ、束縛され、苦しんでいる。しかしその束縛の根源は何であるのか長い間わからなかった。その根源を示したのが、キリストであり、その福音であった。 人間を最も深いところで縛っているのは、不正な王や支配者、あるいは誰かほかの人間や差別的制度でなく、また病気や老年でもない。貧困ですらない。それは、罪である。 私たちはそんな罪などというものが人間を縛っているとは考えたこともないが、そうした思いもよらない根源的な問題をいつもキリストは人々に示してきたのであった。 罪が私たち人間を縛っている、そう言われてもすぐにそうだと思う人は少ないだろう。罪とは、神に敵対する思いであり、神とは真実や正義、そして愛であるから、それらに敵対する心のなかの思いが罪だといえる。私たちがだれかに対して不信実なことをしたり、憎んだり、また不正なことをして金を受けたりすれば、それは罪である。神が最も偉大で全能であるのに、自分をいつも一番大切なものと考えるときそこにも罪がある。自分中心に考えるとき、人は必ずだれかから認められなければ満足できない。いつもだれか他人の評価を一番に気にする。これが他人によって縛られるということである。 あるいは、清い正義などない、神を信じても喜びなどないと思う者は、自分中心の一つの道として快楽を求めるようになる。それは快楽というものに縛られることにほかならない。 こうした例でわかるように、罪は必ずなんらかのもので私たちを縛るようになっている。そしてそのような罪の思いそれ自体が私たちの心を狭く、汚れたものとするので、心に平安がなくすさんだ状態となる。それが私たちの魂の真の自由を奪ってしまう。 このように、人間はだれでも制度や他の人間、あるいは貧困や病気などによって縛られるのであるが、もし、人間が罪に縛られないなら、そのような苦しい状況にあって、本来なら自由を奪われたという渇きや不満、怒りしかないところでも、深い自由を実感させるものとなる。 これは、多くの重い障害者や病人、ハンセン病のような極限の不自由を味わわされた人であっても、なお、キリストに結びつくときには、深い霊的な自由を与えられ、実感していたのが、彼らの書き残した印刷物などによってうかがうことができる。 主イエスは言われた、 「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ福音書八・31〜32) この短い一言は、人類が数千年求め続けてきた自由へのはげしい願いを最終的に解決するものであった。 この主イエスの言葉と同様なことをパウロもこう言っている。 主の霊のあるところに自由がある。(Uコリント三・17) ほかの表面的自由は、すでに述べたように、いくら奴隷制度がなくなっても、こんどは、快楽や自分の欲望(罪)に従って生きることになると、そうした欲望の奴隷となり、霊的自由を根底から失ってしまう。日本においても、戦争中から、戦後にかけての貧困がなくなり、現在では世界でも有数の豊かな国となり、家庭や学校給食、レストランなどいたるところで食物は過剰となり捨てられている有り様である。 そのような豊かさがどれほど、心の自由となったであろうか。むしろ逆に自己中心の考えや欲望に動かされて生きる若い世代の人たちが急速に増え続けている。 科学技術により、病気なども多くのものが克服された。しかし元気になって自分の欲望中心に生きることで魂の奴隷状態となっていく傾向が強くなっている。 こうしたあらゆる外側の自由に対して、キリストは人間の根源からの自由を与える道を示して下さったのである。 最後は死の力からの自由である。死が近づくとその力にすべての人は縛られていく。死から脱することは本来不可能であった。しかしキリストはそのすべてを閉じこめる死の力すら打ち勝って、死から真の自由、究極的な自由への道を開いて下さったのである。死の後に、完全な自由を持っておられるキリストと同じ姿に変えられるということこそ、私たちの前途には完全な自由が待っているという約束なのである。 日本の宗教的伝統について 盆・供養・墓などについて 八月はお盆の月、日本では正月と並んで最大行事となっていますが、その起源や意味について考えてみます。 お盆は、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、略してお盆といいます。盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「(地獄や餓鬼道に落ちて)逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、そのために供養を営むのが、盂蘭盆会なのです。 釈尊(釈迦)の高弟であった目連(もくれん)という人が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は、餓鬼道に落ちて苦しんでいた。 何とかして救いたいと、水や食物を運んでも、その母の口元に運ぶがたちまち炎となって消えていく、そこで釈尊に尋ねると、「七月十五日に、御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えてくれた。その通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦しみから逃れて、無事成仏することができたという。この記述が、盂蘭盆会の始まりといわれています。 しかし、仏教の経典はきわめて多いにも関わらず、このお盆の起源を書いてある経典は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」ただ一つで、しかもこれは偽経の疑いがあり、おそらく中国で書かれたものと推定されている。そして、仏教の出発点であったインドの仏教教団ではお盆の行事を行ったという証拠もないとのことです。(「日本の仏教」110P 渡辺照宏著 岩波書店刊) このように、本来の仏教にはないような内容であるのにそれが、仏教行事の中心として日本では今も生きているという奇妙なことになります。 本来の仏教とは、「真理に目覚めた人になるための教え」です。仏陀とはサンスクリット語(古代インド語)の「ブッダ」という言葉をそのまま「仏陀」という漢字になおしただけの言葉です。そしてブッダというサンスクリット語は「目覚める」という意味です。だから仏(ぶつ)(*)というのも、本来は、生きているときに真理が何であるかを見きわめて真理に目覚めた人のことであって、死んだら自動的に仏になるというのは、仏教の教えではありません。先にあげた、「日本の仏教」においてもつぎのように書かれています。 また、死者のことをホトケ(仏)というのも、日本的な考え方である。この言葉は、サンスクリット語のブッダ、漢語の仏陀に相当することは間違いない。(*)すべての人が死んだら仏陀になる、(ホトケになる)ということは仏教の考え方にはない。(117P) (*)仏という漢字を「ホトケ」とも読むのは、ブッダというサンスクリット語と、それを漢字に移した仏陀という言葉とが結びついたことがその由来だと考えられています。ブッダのブがホとなり、ダがトとなり、それにケが加わってホトケとなったということです。 それは、日本の固有信仰が背後にあります。日本の固有信仰では、人間は死んだ後に十分にまつってもらった霊は、次第におとなしくなって個性もなくなり、ひとつの祖霊となっていくと考えられています。しかし、もしまつってもらえなかった死者は災いをもたらす死霊(しりょう)とか怨霊(おんりょう)といわれるものになってしまうというのです。このことからも、どんな悔い改めもしようとしない悪人でも人間が死んだら自動的に、同じような平和な「ほとけ様」になるなどというのは、本来の仏教でもなく、神道でもない、単なる通俗的な信仰だとわかります。このことについて、専門家の書いた文章から引用しておきます。 死んだ者の霊は、家族や子孫とかによって死者儀礼(食物などを供える供養)が定期的に行われた場合にのみ、その死者の霊は「祖霊」となって、死んだ人間は、名前や人柄、業績などは忘れられ、個人的特徴はなくなり「先祖」となる。・中ヲ しかし、死んだあと、子孫によってまつられなかった死者の霊は、どのようになると考えられているか。そのような霊は、死霊(しりょう)と呼ばれたり、「餓鬼」とも呼ばれる。なぜ、餓鬼というかといえば、そのような霊は、子孫に供養を捧げてもらわないために、常に飢えているというのである。 また、飢えた死霊をそのままにしておくと、災いをもたらすことがあり、病気になることもある。だから家族は定期的に死者供養をしなければならないと考えられていた。(「宗教と科学」第七巻110〜112Pより 岩波書店刊」) これでは生きているときの生き方がどうかでなく、死後の無意味なまつりごとによって「祖霊」(神)というものになるか否かが決まってしまう。金持ちとか子孫を多くもったものとかが、死後の供養を十分にしてもらえるので、祖霊(神)になるということになる。 だから、子供が生めなかった人などは、死後、まつってもらえないことになり、祖霊になれないで、怨霊となってしまうことになる。 このように、多くの死者儀礼(法事など)をし、金をかけるほど、死者の霊がおとなしくなって、祖霊になっていく、もし法事などしなかったら、怨霊となって生きている人にたたってくるという信仰から、貴族たちが時間と金をかけて死人の法事などに力を入れるようになってしまったのです。それが現在までずっと続いています。 現在も、仏壇で死者にご飯などをあげるのは、そうしないと怨霊となって生きている人にたたってくるからであったのです。これは本来の仏教でなく、日本の固有の宗教であり、古代の原始的な宗教のなごりだと言えます。 このように、法事は仏教の重要な行事と思われていますが、実は、古来の日本の神道の原始的な宗教がその内容なのです。ですから、ある仏教学者(*)もつぎのように述べています。 法事とは、葬儀が終わったあと、まだ不安定な状態にある死者の霊魂を、安定化させるために行われる儀式である。したがって、その背後には、死んだ直後の死者の霊魂は不安定であり、生きている者にたたりや災いをもたらすかもしれないといった感情があり、法事をすれば死者の霊魂は安定化し、たたらなくなるといった一般の感情や考え方がある。 しかしこのような考え方は、日本独特のものであり、本来のインド仏教にはなかった。それゆえ、「法事」というものは、きわめて日本的な仏教行事だと思ってまちがいない。 (*)増原良彦。仏教思想家、宗教文化研究所長。 また、京都での最大の夏の祭である祇園祭も、その起源は怨霊を鎮(しず)めるためでした。夏は、気温も湿度高く、台風襲来もあり害虫もはびこるために、さまざまの病気が広がる季節です。そして都市には人間が集まり、病気や災害の被害も集中します。昔の人は、そうした災いが起こるのは、怨霊のためだと信じていたのです。そこで、その怨霊を慰め、鎮めるために華やかな祭が行われるようななったのです。もともと、怨霊とは、死んだ人のうち、法事などをきちんとしてもらえなかった霊がうろついて生きている人に災いをもたらすと考えられていたのでいっそう華やかに大々的に祭を行うようになったわけです。 また、やはり京都の夏の風物詩のように言われる、大文字の送り火もその起源は、盆の期間に家に来ていた(と思われていた)祖霊を送り出すためです。祖霊を迎えるときも、暗いので、明かりを頼りに帰ってくるのだと考えて、迎え火をもやし、また帰るときも、暗かったらきちんと帰れないという発想から送り火を焚(た)いたということなのです。 これも今まで見てきたとおり、本来の仏教でなく、日本の昔の民間信仰がもとにあります。 祖霊は火を焚かねば暗くて家に帰ってくるいということを考えても、そのような頼りない祖霊なら、人間がすがって頼るなどとうていできないはずです。これは、古代の素朴な類推からでたものだと言えます。 このように、仏教でないものが仏教だとされ、しかもそれが一番大切な行事だとされ、日本人はそうしたあいまいな考え方や信仰をもって、仏教だと思いこんできたのです。宗教とは、そのようなあいまいなものだという観念がしみこんでしまったのです。 最近、マスコミを賑わした小泉首相の発言、「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。ひとにぎりのA級戦犯が合祀されているということだけで、死者に対してそれほど選別しなければならないんだろうか。」ということも、首相の宗教意識がごく表面的だということを示すものとなったのです。 亡くなるとみんな仏様になるなどというのは、すでに見たように、仏教の信仰内容にもなく、神道でもないのです。仏教では、真理に目覚めた人をブッダ(仏陀または仏)というのであり、神道でも、死後のおまつりなどをよくしてもらった場合にだけ、たたることをしない静かな祖霊になるという内容だからです。 こういうどの宗教でもないようなことが、日本人の国民感情だなどと、首相が公言するということは、日本人の多数が死とは何か、仏教とは何か、神道とは何か、ということをきちんと考えてこなかったということを示しています。 墓について また、こうした問題について深く考えてこなかったということは墓についても言えます。墓は仏教には絶対不可欠だと思いこんでいる人がほとんどです。この点について、最近多くの仏教の啓蒙書を出している仏教学者の考えを下に引用します。 本来、インドの仏教では墓は不必要であった。最近の日本人は、いささか異常なまでに墓にこだわっている。いっぽうで墓地不足がいわれているのに、他方では基づくりが奨励され、墓参りがすすめられる。 墓に対する基本的知識の欠除が、問題を複雑にしているようだ。仏教はインドに発祥した宗教であるから、仏教の葬法は基本的に火葬である。インド人は古来、火葬を採用しており、仏教は火葬をあたりまえのこととして採用したからであるところで、火葬というものは、ほんとうはいっさいの遺体をなくしてしまうのだ。遺体は肉と骨とから成るが、肉のほうは火葬にすれば消滅する。骨のほうは焼けずに残るが、インド人は焼け残った骨をすべてガンジス河に捨てた。 現在でもインド人は、いっさいの骨をガンジス河に流してしまう。だから、墓をつくる必要はないのである(余談ながら、現在の日本では、火葬をして遺骨を残すためによけいな苦労をしているらしい。火力が強いと、遺骨は全部灰になって残らない。そこで火力を調節して、わざわざ遺骨を残すように焼いているのである)。 インド人は遺骨をガンジス河に流し墓をつくらない。……… さて、問題は、われわれの日本である。じつは日本の伝統的な葬法は土葬であった。土葬の場合は、死体に対する恐怖の感情が抜きがたくある。いったん埋葬した死者が、ひょっこり起き上がってくるのではないか…といった心配がある。 それで、死体を縄で縛ったり、あるいは死体の手足の骨を折ったりする。さらには死体に大きな漬物石のような石を抱かせて埋葬したり、埋葬した上に大きな石を置いたりもする。死者が地上に出てこないようにするためだ。 じつをいえば、墓の起源はこの石なのである。… ところが、近年になって、日本では火葬が普及した。しかし、日本の火葬はインドのそれとはちがって、遺骨を残す火葬である。ほんとうは遺骨を残さず、すべてを焼き尽くしてしまえばいいのであるが、土葬の慣習のあるところに火葬が入ってきたものだから、遺骨を墓に埋めないと日本人は落ち着かないのである。それで、わざわざ遺骨を残して、墓に埋葬する「しきたり」になった。 そうなると、こんどは墓が大切にされる。墓参の習慣がつくられ、あげくは「墓相」といったものまでが登場する。馬鹿げた迷信である。… わたしは、このような迷信がはびこるのも、日本の火葬ではなまじ遺骨が残るからだと思う。遺骨を残さぬようにするか、インド人のように遺骨を海か川に捨てる「しきたり」に変えたほうがよいと思う。… 仏教は、死者が死後にどのような状態でいるかを、正しく啓蒙する義務を負っているのだ。 たとえば、浄土宗や浄土真宗であれば、死者は極楽浄土に往生したのであって墓の下にいるわけではないと、人々に教えなければならない。したがって墓をつくる必要はないと教えるのが仏教の役目である。ところが、日本の仏教は、そのような仏教本来の役目を放棄して、日本人の「しきたり」にあわせて教義をつくる傾向が強い。その結果、仏教は「葬式仏教」となり、また、寺院は墓の管理の仕事をするようになった。(「仏教のしきたりがわかる本」増原良彦(筆名 ひろさちや)著 なお、著者は、東京大学インド哲学科卒業、同大学院修了、仏教思想家、気象大学教授を経て、宗教文化研究所長。仏教に関するわかりやすい本を数十冊書いている。) 次にお盆には、僧侶が檀家を一軒一軒まわって御経を読む棚経(たなぎょう)といわれる習慣があります。これはどんのことから始まったのか、案外知られていません。現在では多くの人が盆に祖霊が帰ってくるからそのようにするのだと思われていますが、これは江戸時代に、キリスト教を徹底的に滅ぼすために、すべての家がどこかの寺が属するように命じ、家族の名前と属する寺の証印を押して代官所に提出しなければならなかったのです。そして、檀家が仏教徒にまちがいないかを僧侶に確認するように、命じたことから始まっているのです。要するにキリシタン迫害のために、監査する目的から、僧侶が一軒一軒をまわるようになったのです。 前述の仏教学者もこの習慣はキリシタン迫害から始まっているために、「この習慣の起源はあまり感心できるものではない。…夏の暑い盛り、全部の檀家を一軒一軒まわる僧侶のほうもたいへんだろうし、あまり意味のない習慣はやめてもいいのではないだろうか。」と言っています。そもそも祖霊が帰ってくるというように信じるのは、本来の仏教でなく、日本古来の神道の習慣であって、それを僧侶があたかも仏教の重要な仕事であるかのようにしていること自体も矛盾したものです。さらにこうした矛盾したかたちの上に、大急ぎで一軒一軒をまわって意味の説明もない御経を唱え、お布施を受け取って帰るというので、口には出さないけれども多くの人がこれが本当の宗教だろうかと疑問を持つことにもなっています。 また、盆のときには、精霊棚(しょうりょうだな)といって、盆の間、家に帰ってくるという死者の霊をもてなすために、臨時に作る供養棚があります。仏壇の前に置いたり、縁側に置いたりするのです。しかし、仏教といっても、日本で最も多くの信徒を持つ教派の一つである、浄土真宗では、死者は浄土に往生しているから、霊がお盆に帰ってくるなどということはないとして、精霊棚は作らないのです。 以上のような、仏教と神道の入り交じった習慣を信じるなら、たえず死人の霊という本当にあるのかどうかも定かでないものを信じて、そうした霊が悪いことをするのではないかとおびえることになります。そして供養されない死人の霊は、生きている人に病気や事故などでたたってくるというのです。そして金持ちが多くの費用を使って僧侶を呼んだりご馳走したりしてもてなすと霊はおとなしくなるなどということを信じるなら、いかにも金中心だということになってしまいます。そのような金によって動くような霊を信じて何の益があるでしょうか。 これに対してキリスト教では、死人の霊がたたるなどということはいっさいありません。人間はすべて生きていても、死んだ者もみんな、万能の神、愛と真実の神の御手の中にあって、生前に神の前に悔い改めたかどうか、どれほど神の御意志に従って生きたか、といったことによって、すべてを見抜いておられる神が裁かれるのです。そしてどのような罪を犯したとしても、心からの神への悔い改めによってその人は救われる、永遠の命を与えられて神とともに生きるようになることが約束されています。 ですから、日本では非常に多く使われる、「慰霊」ということ、死んだ人の霊を慰めるなどということは、新約聖書でもまったく記されていないのです。私たちは死んだ人については、愛と真実の神がその万能をもって、最善にして下さっているのだと信じて委ねることだけが必要なのです。 休憩室 ○血が固まりやすい 私たちは心配をしたり、恐怖を持ったり、あるいは不安や怒りが、体内の血の状態と関係があるとは、ほとんど考えてもみないことです。しかし、この点について、学生の試験などを用いて実験したところ、試験中には、血液が凝固する時間が非常に短くなっていたということです。また、ある人たちに検査、採血するといっておいたところ、不安を多く持った人ほど、血が固まりやすくなっていたとのことです。(*) ようするに、緊張したストレス状態では血が固まりやすくなっている、そのほかにも、こうしたデータがあるとのことで、私たちの心の動きと無関係なように思われる、体内の血液の状態が深く関わっているということに驚かされるのです。 血が固まりやすい状態となっていると、脳梗塞、心筋梗塞といった病気になりやすくなるし、老人性痴呆の多くは、血管性のものと言われており、血が固まりやすいという状態は、脳や心臓といったとくに重要な部分に大きな影響を及ぼすことがわかります。 しかもそれが心の状態と深く関わっているというのです。 こうした点を考えると、聖書で言われている、主にある平安、主にある喜びや感謝ということが心身によい影響を及ぼすことがわかります。 (*)「血液の不思議」70P 講談社刊 ○八月も終わりに近づき、ツクツクボウシが夏の終わりを告げています。都会でも公園などの木にはセミが多くみられて、日本ではどこにでもなじみ深い昆虫です。セミは、はかない虫の代表のように言われます。しかし、幼虫として土のなかで、数年から十七年も生きていると言われます。アブラゼミ、クマゼミなどなじみあるセミは、六〜七年、アメリカの十七年ゼミといわれるものは、その名の通り十七年も地中で過ごすのです。 このようなセミでは、地中が本当の生活で、わずか十日ほどの地上の生活はほんの仮の生活のようなものといえます。そのとき、自由に空中を飛びまわり、大きい声でなくのです。しかしそれは本当にはかない期間です。 私たち人間のことを考えてみますと、地上の生活はせいぜい七十年〜八十年ですが、神を信じて生きた者は、死後にキリストと似た姿へと変えられて天の国にて、神やキリストとともに永遠に生きると約束されています。この永遠の命に比べると、地上の生活はほんの短い一瞬で、仮の生活のようなものです。そして、この肉体という衣を脱ぎ去ったあとの、天での生活こそが、私たちの本当の生活でそこにいたるまでの準備期間が地上の生活だと言えます。天での生活はもはや終わることなく、苦しみや悲しみに悩まされることもなく、過ぎ去ることもないのです。 ことば 信者と不信者 神は存在すると言う者が、必ずしも信者ではない。神はなしと言う者が必ずしも不信者ではない。常に事物の光明的半面に着眼する者、これが信者である。 それに対して事物の暗黒的半面に注目する者、これが不信者である。常に病を語る者、常に失敗を嘆く者、常に罪悪を憤る者、これが不信者である。 常に健康を祝する者、常に成功をたたえる者、常に聖徳を悦ぶ者、これが信者である。 パウロは、言う「すべて神の約束は彼(主イエス)の中に然り(しかり)となり、また彼の中にアーメンとなる」と。神は然りであり、またアーメンである。神は万事において積極的である。 そして人は神を信じれば、必然的に希望の人、歓喜の人、満足の人、すなわち全く積極的な人物となる。コリント後書一章二十節。(内村鑑三著「聖書之研究一九一三・二月号」) ○口先でいくら、神を信じるとか言っても、その心のなかで、いつも暗いこと、希望のないこと不満なことを思っている場合、またそれを口に出しているなら、その人は本当に神を信じているとは言えないというのです。なぜかというと、神とは、光であり、希望であり、万能であり、愛であるので、その神を信じ、魂が結びついているなら、自然と物事の明るい側面に目を向けることができると言っているのです。 引用されているパウロの言葉の意味は、主イエスにおいて、神の約束はすべて実現したということです。神の約束とは、罪からの救いであり、悪の力に勝利すること、死に打ち勝つこと、神のいのちそのものと言える永遠の命を与えられること、そのような人間にとって最も重要なことがすべてキリストにおいて実現しているのであり、キリストを信じるときにはすべてよきことが実現するという確信を持つことができるようになるという意味です。 人を愛するの愛 私は人を愛すべきである。しかし、私には真実の愛がない。それをどうしたらよいのか。私は人を愛すべきであるのに、私は人を愛することができない。 私はこのことを考えると、悩み苦しむ。 しかしキリストに人を愛する真実な愛がある。そして、キリストが私の内にあって、私を用いて、真実に人を愛するのである。私はわが全身をキリストにゆだねて、キリストの聖(きよ)き愛をもって人を愛することができる。私は人を愛そうとして愛することはできない。しかし、キリストが、わが内にあって、人を愛するようにするならば、私は容易に人を愛することがてきる。ああ、私は何と幸いなことか。(同右書一九一三・三月) ○人は自分の感情とか意志によっては、反抗しつづける人や、悪意を持っている人に対して怒りや憎しみを抱いてしまい、愛するなど到底できません。しかし、もし私たちの内にキリストが住んで下さるなら、そのキリストがそのような敵対する人に対しても祈りの心を持ってすることができる、愛することができると言っています。ですからキリストを内に持っていないということが最も悲しむべきことであり、逆にキリストが内に住んで下さるということが最も喜ばしいこととなります。 自由なる私 私は万人を敵として持ってもよい。キリスト一人を味方として持つならば。 貴族を敵として持ってもよい。平民を敵として持ってもよい。金持ちを敵として持ってもよい、貧しい者を敵として持ってもよい。 キリスト一人をわが主として崇(あが)めたい。私はキリストの僕であり、何人にも左右せらるべき者ではない。去れよ、人よ、私は自由の主なるキリストの自由の僕なのである。人はなんらの束縛をも、私の上に加えることはできないのだ。(同一九一三・三月) ○神はわが砦、わが岩と旧約聖書の詩編でよく歌われていますが、新約聖書の時代になってから、それはそのままキリストに置き換えることができるようになりました。キリストがわが砦となり、わが岩となって下さるのであるから、どんなに敵対する人があり、どのような悪意が注がれようとも、キリストが楯となって守って下さる。どんなに自分を束縛しようとする者がいても、キリストと結びついているとき、魂の自由を実感する。 神の愛 愛とは、一切の生命がたがいにつながりあっていることを認めることである。だから、私が人を傷つけるなら、私は私自身を傷つけているのである。もし、あなた方が私を傷つけるなら、あなた方は自分自身を傷つけているのだ。(「自由への大いなる歩み」128P マルチン・ルーサー・キング著) ○ここで言われている愛とは新約聖書に出てくる、神の愛であり、ギリシャ語ではアガペーという言葉である。神からの愛を受けるときには、人間がみんな一つにつながりあっていることを実感するようになる。それゆえ、他の人間も霊的に深いところで自分とつながりあっているのであり、他人を愛することも、自分を愛することのように、自然な心の働きとなる。敵対する人間もまた自分とつながっている部分を持っているのを実感するゆえに、そうした人間のためにも祈ることが可能となる。 非暴力 暴力行為に訴えるのは、キリストの道ではない。キリストの道は十字架の道なのである。私たちはみずから求めたものでない苦痛には、私たち自身を救う力を持っていることを信じなければならない。(同書230P) 非暴力の抵抗の立場を取る者は、宇宙は正義に味方するという確信に基づいている。したがって非暴力を信じるものは、未来を深く信じている。(同書129P) ○主イエスは「剣を取る者は剣によって滅びる」という有名な言葉を言われた。武力も一種の暴力であるが、そうした方法では滅びへといくだけである。 返舟だより ○ある読者の方よりの来信です。 「・中ヲ私たち家族は心身ともに疲れはてています。信仰が弱いですから思いわずらってしまいます。はこ舟は信仰の助けとなります。これからも引き続きお祈り下さいますように心よりお願い申し上げます。」 私たちが、「心身ともに疲れはてている」、そのときには、どうしてそのように疲れはてているか、誰にも言えず、心の傷を抱えて苦しみ、痛むという経験を持っている方も多いと思われます。 そのようなときにはただ「主よ、憐れんで下さい!」という短い祈り(叫び)だけしかできないように思います。いくら祈っても事態が変わらない、いつまでこの苦しみは続くのか、もう祈ってもだめなのだと疲れて祈れなくなることもあります。しかしそのような時こそ、主はその御手をもって支えて下さっているのだと信じて歩みたいと思います。 ○関東地方のある方からの来信です。 ご多忙のところ、集会のテープをご恵送いただいてまことにありがとう存じました。以前に私ごときいと小さき者の書いた手紙をよく覚えて下さったことに大変驚きました。私自身はすっかり忘れていました。 最近、事情がありまして近くの教会をやめました。(以前からほとんど出席できていませんでした。)それから一週間ほどして、遠い徳島より、テープが送られて来ましたので、何だか不思議な気がいたしました。一通り聞かせて頂きました。大変役に立ちます。それで引き続き、聞かせて頂きたいと存じますので、申込書を送ります。・中ヲ ・だいぶ以前に、ある方から頂いた手紙の内容で心にかかっていたことがあり、何かの助けになるかとようやく時間をつくってテープを送ったところ、ちょうど教会をやめたところだったとのこと、会ったこともない遠い所の方ですが、主が集会のテープをもそのように用いて下さることを感謝です。今後のみ言葉の学びがいっそう祝福され、聖霊が注がれますように。 ○京都桂坂での集会 八月五日(土)、六日(日)の二日間、京都桂坂のふれあい会館にて、近畿地区キリスト教集会(無教会)が開かれました。私が偶数月に参加してみ言葉を語らせて頂いているいくつかの集会が合同して開いたもので、大阪狭山の宮田 咲子姉が中心になって企画されました。 京都、大阪、神戸、徳島などから四十名近い人たちの参加があり、ここでもまたキリストがともにいて下さって、み言葉の学びと主にある交わりのよき時を与えられて感謝でした。なお、この会場は、徳島で長くいて徳島聖書キリスト集会を支えて下さっていた杣友さんが転居されたすぐ所の近くで、杣友ご夫妻も参加できたことも主の不思議な導きと思われました。 ○妻の入院治療について多くの方々からのお祈り、またいろいろのご配慮をありがとうございます。九月には退院して自宅療養できるのではないかと思っています。この「はこ舟」の宛名貼り、封入などは従来はほとんど妻によってなされてきましたが、今回の入院でかわりに、集会の有志の人たちのご奉仕で続けられています。 また、妻のためにも祈りを共にということから、そのことを一つのきっかけとして「祈の友」に入会して下さる方もあり、主の導きと感謝です。 |
2001/8 |
待ち続ける神 2001/7 神は私たちが繰り返し断っても、なお待ち続けていて下さるお方だ。神が私たちを招かれているのに、なお、背を向けて、罪を犯し続けていた。 それは神からの招きを断っていたことだ。 それでもある時、ふと気付いて神に立ち帰ったら、神は喜んで迎えて下さった。大いなる愛を注いで下さったと感じた。 それによって、神は自分をずっと待ち続けて下さっていたのだと実感する。キリスト者はだれでもこうした経験を心に持っているだろう。 放蕩息子の有名なたとえ話も同様だ。父の心に背を向けて、長い間、悪い遊びに明け暮れし、どうにもならなくなったとき、やっともとの父親のところに帰ろう、たとい奴隷のようになってもかまわないと覚悟して帰った。そうすると、思いがけず、父は遠くから走り寄って、最大限の歓迎をして受け入れてくれた。 息子が父親の心に背いて放蕩のかぎりをしていたことは、父親の愛を断っていることであった。しかしそうして長く父の愛に背を向けていた息子をもずっと待ち続けていたのが父であり、神の心なのである。 だれからも待たれていない人は多くいるだろう。だれも遊び相手がない、親からも冷たくされる子供、あるいは家でこもりきりとなっている人、病気となり、老年となって帰るところもない、子供もいない、いても相手にしなくなった、だれも待っていてくれる人などいない、しかし、そのような人たちでも喜びをもって待っていて下さるお方がいる。それが神であり、主イエスなのだ。 仕事や学校が終わって帰宅したとき、だれも待っていない家、あるいは、家族はいても自分を待ってくれてはいない場合と、だれか待っていてくれている人がいる場合とでは大きく違った気持ちになるだろう。このごろの子供の心がすさんできているのも、一つには、夫婦がともに外で働いていて、家に帰ってもだれも待ってくれていないという状況が影響しているとも言われている。 地上の命が終わるとき、だれも知らない、死の世界へと一人引き離されていくような状況となる。しかし、そこでも神は大手を広げて復活の新しい命を与えようと待っていて下さる。 キリスト教にいう神は、どんな人でも、神に立ち返ってくるのを待っていて下さる神なのである。 神はわが力(詩篇四六編) 神はわれらの避けどころ、また力 苦しみ悩みのとき、必ずそこにいて助けて下さる。 それゆえに、私たちは決して恐れない。 地が姿を変え、 山々が海の深みに移るとも 一つの川がある。その流れは、神の都に喜びを与える。 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。 朝早く、神は助けを与える。 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。 神が御声を出されると、地は崩れる。 万軍の主はわれらと共におられる。 ヤコブの神はわれらの避けどころ。 来たれ、そして見よ、主のなされることを。 主は驚くべきことを、この地においてなされる。 地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き矢を折り、盾を焼き払われる。 「静まれ、そして知れ、わたしこそ神だということを。 わたしは国々において高く、この地で高くされる。」 万軍の主はわれらと共におられる。 ヤコブの神はわれらの避けどころ。 この詩は、百五十編が収められている旧約聖書の詩集(詩篇)の中でもとくによく知られているものの一つであり、「かつて書かれた最も雄大な信仰の詩の一つである」とも言われる詩です。 従来の讃美歌には、この詩を元にした讃美歌が二つ収められており、いずれもよく愛唱されているものです。そのうち一つは、宗教改革者、マルチン・ルターの作詞、作曲したものとして広く知られています。これは、命の危険にもさらされていたルター自身の信仰と確信がよく表されているものです。 「この詩はルターの讃美歌(「神はわがやぐら」讃美歌二六七番)によってキリスト教信仰の最高の反響を見いだしたばかりでなく、旧約聖書の詩と信仰を最も力強く証しするものに数えられる。」(ドイツ旧約聖書注解 ATD)とも言われています。 この詩は作られて以来、さまざまの人の心に触れて、こだまのように深い共感を生み出してきた。それらの内でルターの讃美歌はキリスト教信仰の形をとった最も価値ある表現となったということです。 これは、実際無数の人々の心を励まし、支えとなったと考えられます。ここでは、戦前の韓国において、キリスト教迫害を受けた韓国のキリスト者の文からあげておきます。これは、戦前において韓国で、学校の教員や生徒たちが神社参拝を強制されたとき、一人の女性キリスト者の教師がその強制を拒み、神社礼拝しなかったときの経験を記したものです。 突然大きなどなり声が上がった。「気をつけっ!」こだまとともに山の上の大群衆は、列に沿って直立した。号令はまた大きくひびいた。「まことの生き神であらせられる天皇陛下と、天照大神と、皇大神宮、八百万(やおよろず)の神に向って最敬礼!」 大群衆は・中ヲいっせいに最敬礼をした。一番前に立っている私は、だれもが見える所で、直立したままで顔を高く空に向けていた。 波立っていた不安のなやみや恐れは、いつの間にかきれいに去って、ただ静かである。はっきりした意識が「責任は果した」とささやぐように感じられた。…「イエスさま、すべてはこれで終りました。私は私としてせねばならないことをしました。このあとのことはみなあなたにおまかせします。ひたすらあなたにきき従う道しかなくなりました。」・中ヲしかし山をおりて来るにつれ、心にはまたいつのまにかやみが襲って来た。高官や、警官や刑事たちは、もちろん私の直立不動の姿勢をはっきり見たはずである。さて今から私を引っ張って行って、叱ったり、なぐったり、蹴ったり、目玉がとび出るほどほっぺたをぷんなぐったり、またきたない言葉でイエスのみ名をけがし、のろい狂うであろう。… あの威張りちらす男たちに、鞭でうたれて果たして忍ぶことができるだろうか。思わず身ぶるいがした。・中ヲ あの狼のように残忍な警官たちの鞭はどんなに痛いだろうか?果たして耐え切れるだろうか、死ぬことはすこしも恐しくない、しかし死なずに拷問を受け通して行かねばならないのだから怖い。このからだでどれくらい耐えられるだろうか、歩いている足もとがふらふらとなって、目まいがした。拷問のため半殺しのまま彼らにまいってしまうようなことになれば、どんなことになるだろう。目先がまっくらになって、道が見えなくなるような気がした。 しかしすでに戦いは始まった。今になってしりぞくことはできない。いやでもおうでも闘う道しかない。私は罪だらけの人間であり、弱虫である。私にいったいなにができるというのだろうか・中ヲ。 このとき、私は心をさらに開いて、イエスさまを仰いだ。そしてヨハネ福音書第十四章のお約東の言葉を思い起した。・中ヲこれらのみことばを暗唱しているうちに、私の心は真暗な闇に火がついたように、明るくなって来た。私はまた青い大空を見上げた、雲がいつもと違ってほほえむように見えた。そしてにわかに歌が心に湧きおこった。 いかに強くともいかでか頼まん やがては朽つべき人のちからを われとともに戦いたもうイエス君こそ 万軍の主なるあまつ大神(讃美歌二六七番二節) マルチン・ルターの作ったこの歌をうたいながら、私は彼の説教を聞いている気がした。彼の真理のための戦いは、当時最も勢力のあった法皇を相手どったものであった。虐殺と迫害のもっとも恐しい暗黒時代であった。…(「たとい そうでなくとも」安 利淑(アン イ スク)著 9〜10P) このように、迫害を受けることが確実な状況となってきて、今後身に受けるであろう、苦しみ、困難を前にして恐れでひるむときに、浮かんできたのが、主イエスの言葉であり、またこのルターの讃美歌であったのです。 長い歴史のなかには、現在のように、人権というものが認められていない時代が長く続き、そのような状況においては、支配者の間違った政治を批判すると、現実に命の危険が迫り、捕らえられ、長期にわたる暗くて陰うつな牢獄に閉じこめられ、ひどい扱いを受けることになるということが現実に多くみられたことです。 「神は私たちの避けどころ」と冒頭に言われています。ルターの讃美歌をもとにした、従来の讃美歌二六七番では、「神はわがやぐら」と訳されていましたが、「やぐら」といっても現在の多くの人々にとっては、「火の見やぐら」とか「やぐらこたつ」しか思い出せず、意味がよくわからないので、新しい讃美歌21では、最初に「神はわが砦」(三七七番))となっています。 なおこの讃美歌の英語訳も、砦とか要塞を表す fortress という訳語を用いています。ルターの讃美歌の原文は、Ein' feste Burg ist unser Gott で、「我らの神は堅固な城(または避け所、安全な場所)である。」 この詩で第一に言われていることは、絶えず敵が襲ってくる危険のただなかにあって、そうした危険から身を守り、避け所となってくれるのが神である、ということです。 また、砦とは、守りと攻撃の両方に用いられるものです。敵が遠くから近づいているときには、すみやかにその敵を発見し、味方を守り、適切な攻撃をするためのものです。 「神がわが砦」といえば神が、敵(悪)から守り、私自身が悪に攻撃されて滅ぼされないように、神ご自身が悪を攻撃して、私を守って下さるという意味になります。 聖書にいう神を信じるとは、つねに悪との戦いの日々となるということです。神ご自身が「万軍の神」といわれるように、万物を支配しておられ、その力をもって悪と戦うという性質を本質的に持っておられるのです。 宗教や信仰というと、単に一時的な個人的な安らぎを求めたり、自分の願いをかなえてくれるためのものだと考えている人が多いのです。しかし、そうした個人の平安も、じつは悪の力が克服されて初めて与えられるものです。私たちの心の内に、悪の力、罪の力が強い場合には、たえず、心は動揺するのは当然です。 主イエスも最後の夕食のときに教えた言葉の最後に、「これらのことを話したのは、あなた方が私によって平安を得るためである。・中ヲ私はすでに世に勝利している。」(ヨハネ福音書十五・33)と言われて、キリストが、すでにこの世の力(悪の力)に勝利しているからこそ、信じる者は、やはりその勝利を得て、平安を与えられるのだと言われています。 この世はいつの時代にもいたるところに悪があります。そうした悪を放置して、認める神であるなら、そのような神は不正な神であり、万能の神ではないことになります。 私たちが個人的な平安を与えられるためにも、まわりに悪があり、私たちの心のなかに憎しみや妬みや利己的な欲望などの汚れた心があれば、平安はないわけです。 だから個人的な平安を与えられるためにも、悪を滅ぼすことは当然結びついてきます。 「苦しみ悩みのとき、そこに神の助けが必ず見いだされる」(原意) これは、どこにも助けがないと思われるときに、主が最も力ある助けとなって下さるのが見えてくる。あるいは、具体的な助けを送って下さるというような意味です。 人間の助けは、しばしば失われ、頼りにならない。人間は弱く、不信実であるからです。しかし、神は変わることなき助けであり、力となって下さる。 アブラハムがかつて神の言葉に従って、イサクを捧げよと言われたとき、その言葉の意味がはかりかねましたが、それでもすぐ翌朝早く出発して、相当の時間をかけて、目的地にたどり着いたことが書いてあります。そこで、いよいよ息子を捧げようとしたとき、小羊がそばにいるのを見いだしたことが書いてあります。そこで、アブラハムは、その場所を「ヤーウェ・イルエ」(主は見ておられる、主は私たちが本当に必要とするものを備えて下さっているという意味)と名付けたと書かれています。 私たちは恐れない、 たとえ、地が変わり、山が海の深みに移ることがあろうとも 全地を創造した神に深く結びつくほど、私たちもまたそのような大きい力を受けて、この世につきものの恐れに押しつぶされないで生きていくことができる。天地を創造した神は、いかにこの世が動揺しようとも、神はそれらいっさいの上に立っておられる。それゆえ、もし私たちがそのような神に信頼し、結びつくときには、私たちもまた動揺することのない、力と確信を与えられることをこの詩は歌っているのです。 聖書の最初の言葉は、神が天地を創造されたということ、神の言によって創造されたということです。私たちは小さく狭い考えにとらわれますが、聖書はつねにこの世の根源の力、天地創造をもされた神の力へとさかのぼって見つめているのがわかります。 命まで奪われるというような迫害の時代には、だれしも恐れでいっぱいになっただろうと思います。少数の人たちがそうした恐れをも超えて、この詩にあるのと同様な力と勇気を与えられて進んでいったのです。 しかし、そのような強靭な勇気や恐れなき姿勢とまではいかなくとも、私たちの日常生活の中で直面するいろいろの恐れを取り除いて下さるということは、神を信じる者はだれでも、経験することができます。そしてたいていの人にとって、毎日のそうした恐れを除いてくれるお方がともに歩んで下さるということが、大きい平安を与えてくれるのです。 しかし、神を信じないなら、恐れるのが当然となります。自分の思ったことを言ったり行動したりすれば、どう言われるか、どんなに思われるか、友人や親族からも捨てられるのでないか、地位がなくなったり、生活できなくなるのでないか、また、周囲のどんな悪人に襲われるかわからないし、病気のこと、将来の老後のこと、また死の彼方には何があるかわからないからです。 そして人間の弱さのために、他人を助けることはごく少ししかできない、神を信じないなら、そのような弱々しい人間である自分や他人という人間にしか頼ることはできず、人間をはるかに超えた力にはひとたまりもありません。 このような、苦しみ悩み、混乱と、恐れの世界を示した直後には、まったく異なる情景が記されています。 それは、聖書の初めから終わりまで、さまざまの箇所で現れる川あるいは水の深い意味です。 一つの川がある。その流れは、神の都に喜びを与える。 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。 この世の混乱と恐れを引き起こすような出来事、悪の力が支配しているようなただなかに、それとまったく対照的な静けさがある。水の流れがある。それがこの節です。 それは神のいのちの世界であり、揺らぐことのない世界です。神は岩であり、不動のお方です。それとともに神ご自身がゆたかなうるおいと命に満ちた存在であることがこのような表現で示されているのです。 神の都、それはエルサレムを指しています。そしてエルサレムは標高八百メートルほどの山の上の町であり、雨量も少ない地方であり、六月から九月にかけては全く雨が降らない。そのような状況のただ中において、エルサレムに川の流れがあるというのは深い象徴的な意味を持っているのがわかるのです。 この水があふれ、流れるという記述は聖書では、創世記のはじめから見られます。エデンの園には、一つの川が流れ出て園をうるおし、さらにその川は四つの大きい川となって流れ出て、世界をうるおすようになっていることが記されています。(創世記二章) また、旧約聖書のエゼキエル書にはやはり、エルサレムの信仰の中心地(神殿)から水が流れ出るということが記されていす。 彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。・中ヲ 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。・中ヲ 川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水は聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。(エキエル書四七章より) ここで言われている神殿はエルサレムにあり、すでに述べたように、かなり高い山の上の町であり、雨量も少ない所であることを考えると、いっそう驚かされる記述です。エゼキエルは特別に深い神との交わりのなかで、霊的にたかく引き揚げられ、ふつうの目には見えない命の水の流れをありありと見ることを与えられたのです。 神とともにあるときには、神ご自身の源泉から、いのちの水が湧き出るという事実は、新約聖書でも強調されています。 ヨハネ福音書でも「私を信じる者は、その内部からいのちの水がわき溢れる」との主イエスの言葉が記され、聖書の最後(黙示録二二章)にも、「神と小羊(キリスト)の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。」とあります。 神がともにおられるならば、命の水にうるおされ、しかも動かされることはないけれども、真実の神、正義の神に従おうとしないで、不正なことを追求する国や人々にたいしては、動揺がその報いとなり、神の時が来るならその一声にてそれまでの悪への裁きが行われる、そして国々には大きい混乱が生じることになります。 朝早く、神は助けを与える。 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。 神が御声を出されると、地は崩れる。 神は、私たちを待っていて、神にすがろうとする者を助けられる。それをこのように、「朝早く助けを与える」と表現しています。 多くの他の民や国々は歴史のなかで、さまざまに揺らぎ、崩れていきました。神のさばきをうけて、どんなに強力な国であったようにみえても、歴史の中では裁かれ、溶けるように、また崩れるように消えていったのです。 そうした過去の歴史で生きて働いた神は、現実の敵の攻撃においても、また働いて下さる。過去だけの神でなく、今も生きた助けを与えられることが強調されています。 天地創造という究極の出来事へと立ち帰るまなざしを持っているこの作者は、また長い人間の歴史をもたえず振り返り、そこに神の導きと裁きを読みとることができたはずで、神の一言によって、そうした裁きは歴史のなかで現実に生じてきたし、今もそうであることをこの詩の作者は知っていたのです。 万軍の主はわれらと共におられる。 ヤコブの神はわれらの避けどころ。 神のことを「万軍の主」というのは、現代の人にとっては、不可解な言葉と感じられることが多いはずです。しかし、これは、旧約聖書では、二五〇回ほども現れるし、とくに預言者では、イザヤとかエレミヤなどはそれぞれ五十六回、七十一回など、驚くほど多く使われているのです。 この「万軍」と訳された言葉が最初に出るのは、創世記で「天と地のすべての万象」という語の「万象」です。それは、太陽、月なども含めた天の星々や天地に存在するいっさいをも含めた言葉として、さらにイスラエルの軍勢をも意味することがある言葉です。 この世は悪の力が満ちているように見えるが、本当は、神は天地万物を支配している万能の神であることを強調する表現なのです。 それらをも、悪との戦いの軍勢としている。天の星たちは単に輝いているだけでない、それは神のしもべとして、悪と戦う力を表しているものだこの時代の人々は信じていたようです。 こうした天地のいっさいを創造し、支配して悪との戦いをされ、勝利される神であるからこそ、万軍の主という言葉この短い詩のなかで、二回も繰り返されているのです。 来たれ、そして見よ、主のなされることを。 主は驚くべきことを、この地においてなされる。 地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き矢を折り、盾を焼き払われる。 「静まれ、そして知れ、わたしこそ神だということを。 わたしは国々において高く、この地で高くされる。」 神を信じる者は実際に神のなされる働きを見るようにと招かれています。過去になされただけでなく、現在も生きた働きをされる神は現実に働いておられるからです。 いつか神の時が満ちたときには、神は最終的には、地の果てまで、戦いを終わらせるし、あらゆる武器を廃絶されると言われているのです。 ここに、世の終末へのまなざしがあります。私たちのあらゆる願いや祈りが聞かれ、魂の深みに刻まれたような悲しみや苦しみなどもすべてが消えていくときを待ち望むのです。 「静まれ!」この神からの命令は、いまの私たちにも言われています。私たちは、日頃の目に見える世界の混乱したただ中から離れ、静まるときに初めて、過去や現在、そしてはるかな未来になされる神のわざをも示され、確信へと引き戻されるのです。 終末のときには、完全な平和が訪れ、神は全地においてあがめられると言われます。 新約聖書の最後の書物においては、それは新しい天と地の出来事であり、古い天地は過ぎ去ったのちのこととして記されています。 この詩はこのように、天地創造という根源にさかのぼり、歴史において働かれた神は現在においても働かれる確信を述べて、さらに終末への希望に満ちてこの詩を終わっています。 悪のいかなる強靭な力が襲ってこようとも、それにはるかにまさる神の力への不動の確信が、この詩の随所に刻まれています。 それは神があたかもこの詩の作者を用いて、後の時代のこの詩を読むあらゆる人に同様な確信と力を刻もうとしたかのようです。 この詩篇四十六編をもとにして作られたルターの讃美歌(讃美歌21の三七七番)をつぎにあげておきます。 (従来の讃美歌では、「神はわがやぐら」讃美歌二六七番) 1)神はわが砦、わが強き盾、 すべての悩みを 解き放ちたもう 悪しきもの おごり立ち、 邪(よこしま)な企てもて 戦いを挑む 2)打ち勝つ力は 我らには無し 力ある人を 神は立てたもう その人は主キリスト、万軍の君、 われと共に 戦う主なり 3)悪魔世に満ちて 攻め囲むとも 我らは恐れじ 守りは固し 世の力騒ぎ立ち 迫るとも 主の言葉は 悪に打ち勝つ 4)力と恵みを われに賜わる 主の言葉こそは 進みに進まん わが命 わがすべて 取らば取れ 神の国は なおわれにあり なお、ルターの原作に触れるため、最初の部分だけを参考にあげておきます。 これは、右にあげた讃美歌21の一節の初めから二行目まで「神はわが砦 わが強き盾 すべての悩みを解き放ちたもう」の原文です。 Ein' feste Burg ist unser Gott, ein' gute Wehr und Waffen, er hilft uns frei aus aller Not, die uns jetzt hat betroffen 堅き砦、それは我らの神 よき守りであり、武器となって下さる 神は我らを襲う、あらゆる困難から 我らを助けて自由として下さる 分かたれた人々 聖ということ 聖書では、「聖」という言葉が多く出てきます。書名からして、「聖」書という名がついているので、聖という言葉は、なじみがあります。 しかし、私たちはこの聖という言葉は、「聖人」という言葉を連想して、聖人とは完全無欠な人であり、儒教では聖人というと最高の人格者を意味する言葉なので、歴史のなかでもときどき聖人という人が出てくるのであって、私たちのまわりには、そんな人はもちろん見あたらない。だから、聖という言葉も同様に、私たちと遠く離れた言葉だというイメージがあります。じっさい、日常生活で、聖という言葉を使って会話するなどということはまずありません。 しかし、聖書のことを中国語では「聖経(sheng jing)」といい、日本と同様に聖なる書という名称です。 また、聖書には、新約聖書のパウロなどの手紙には、その冒頭に「コリント(ギリシャの地名)における聖なる人たちへ」などというように、しばしば見られます。 ここでは、聖とはどういうことなのかを考えてみます。 私たちに最もなじみのある、「聖」という漢字は、語源辞典を調べると、意味を表す「耳」と「口」と音を表す「王」(王でなく、テイ。この音の意味は、「通る」、または「聴く」)から成る。だから、この言葉の意味は、「耳の口が開いて、(通じて)普通の人には聞こえない神の声が聞こえる」という意味だと説明されていたり、「耳」と「呈」から成り、呈は、まっすぐに差し出すという意味であるから、「耳がまっすぐに通っていること」などと説明されています。(*) (*)「漢字源」藤堂明保著 学習研究社、「漢字の起源」加藤常賢著 角川書店、「漢字の語源」山田勝美著 角川書店などによる。 このように、中国では、「(真理を)聴く耳を持っていること、神の声が聞こえる」ことを聖と称していたのがうかがえます。言葉とは、宗教、思想や文化など人間の精神的なものの結晶であり、化石であると言われるのはこのように古代人の考えの一端をうかがうことができるからです。 これは、主イエスご自身も、「耳あるものは聴け」と言われたことがあり、また、神の声を聴こうとする姿勢が重要であることは、旧約聖書以来、多くの箇所で示されていることであり、人間にとって、人間の声や意見だけに聴くのでなく、人間を超えたものの声を聴こうとすることの重要性を示しています。 しかし、聖書において「聖とする」、あるいは「聖別する」と訳されている原語はそうした意味とは異なる意味を本来持っています。聖書でこの言葉が最初に現れるのは、創世記の初めの方です。 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。(創世記二・3) 聖という語を見ると、日本語では聖人との関連で、なにか完全無欠のものを連想しますが、聖書ではそういう意味が本来ではなく、「分けて置く」というのが原意だと考えられています。(例えば、BROWN,DRIVER,BRIGGS の ヘブル語辞書には、「離れていること、分離されていること」apartness という意味を最初に書いてあります。 ) このことは、すでにあげた、創世記の箇所を見てもうかがえます。第七の日を「聖」とするということは、それを普通の日のように仕事とか娯楽などに使うのでなく、別に神のために分けておくという意味です。そうした意味をこめて、新共同訳や口語訳では、「聖別」という訳語をつけてあります。なお、新改訳は「聖」とされたとしています。 また、現代の英語訳のなかにも、その意味をくんで、「神は第七の日を祝福した。そしてその日を特別な日として別に分けておいた。 He blessed the seventh day as a special day 」と訳しています。(Today's English Version) このように理解して初めてその意味がはっきりとしてきます。もし、この聖とするというのを、聖人というのが完全無欠な人だからといって「第七日を完全無欠な日にする」などというように思ったら何のことかわからなくなってきます。 また、「すべての初子(ういご)を聖別してわたしに捧げよ」(出エジプト記十三・2) という言葉も、初めて生まれた子供を神のために「特別に分けて置かれたもの」として、神に捧げよということです。 また、次のような例も参考になります。 あなた方はわたしのものとなり、聖なる者となりなさい。主なる私は聖なる者だからである。わたしはあなた方をわたしのものとするために、諸国の民から区別したのである。(旧約聖書 レビ記二十・26) ここでは、「聖とする」ということを、神がとくに「区別した」と言われています。この区別すると訳されている語は、分ける、分離するという意味を持った言葉です。アブラハム以来、次第に増えて広がった民の特徴とは、神がとくに一般の民と区別して、分離して神の特別な用に用いるためであったというのがこの箇所からもうかがえます。 このような意味が、新約聖書になっても、受け継がれています。多くのパウロの手紙が新約聖書におさめられていますが、そこでつぎのような言葉がしばしば見られます。 「神に愛されて召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ」(ローマの信徒への手紙一・7) 「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」(Tコリント 一・2) ここで、「聖なる人々」と言う言葉が出てきます。これは日本語では、この世の最高の徳を身につけたひとたち、つまり聖人たちというような意味に受け取ってしまう可能性が大きいのです。 しかし、例えば聖なる人たちと言われている、コリントの信徒たちがどんな状況であったかは、その人たちに宛てた手紙の内容を見ればわかります。 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされている。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているという。 キリストは幾つにも分けられてしまったのか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのか。(Tコリント 一・11〜13) また、別の箇所では「あなた方は、霊の人でなく、肉の人である。互いの間にねたみや争いが耐えないようでは肉の人であり、ただの人として歩んでいるではないか。」(同三・1〜3より) あるいは食事のときに、パンとぶどう酒でキリストが死なれたことを記念し、信仰によってパンをキリストのからだとして受ける際にも、ある人は勝手に先に食べてしまい、あるひとは、すでに多くのぶどう酒を飲んで酔っているほどであり、その状態をパウロは厳しく非難しています。(同十一章) このような箇所を読むと、この手紙が、コリントの「召されて聖なる者とされた者へ」と書かれていても、聖なる人々という言葉は、決して、私たちが想像するような「完全な徳に達した人々」などではなく、キリストから呼ばれたことを感じて、キリストの集会に集まるようになったけれども、まだまださまざまのこの世の汚れや習慣を持っていて、自分中心の考えに流されて、聖霊中心まで到底達していない人も含まれていることが分かります。 新約聖書で「聖なる人々」と訳されている言葉は、このように、およそ私たちの想像するような「聖人」ではないのです。 このように、聖書の日本語訳のままで理解しようとしても、どうしてもうまくいかない場合もあります。それは、もとの原語と日本語に訳された言葉の意味が必ずしも同じでないからです。場合によっは、相当違っていることがあるからです。 例えば、愛という日本語で思い出すのは、大多数の人たちは、男女の愛であり、それから親の愛であり、隣人への愛ということも思い出す人も少しはいるでしょう。 しかし、新約聖書で愛というとき、それか神からの愛、その愛を受けて、神を愛する愛を指しているのであって、男女の愛や親子の愛などはまったく現れてこないのです。 聖なる人々とは、神とキリストを信じて「神のために分かたれた人たち」ということです。召されて聖なる者とされたということは、とても不十分な人であっも、神(キリスト)から呼ばれて、(「召」すと訳された原語は、「呼ぶ」という意味」、神のためにとくに用いるべく、分かたれた人たちということになります。どんなに欠点が多くても、またいかに過去において、重い罪を犯したものであっても、そして人々から見下されているような病気や障害を持っているような人であっても、ひとたび神から呼び出されてキリストを信じるようになった人は、神のために分かたれた存在となったのです。 分かたれた者は、そのことを深く知るようになり、それとともにいっそう神を求め、神からの聖霊を受けたいとの願いを起こすことになります。そして与えられた聖霊こそ、私たちを内からも外からも変える力を与えてくれることになります。 新約聖書が書かれた時代は、キリスト者(原語のギリシャ語では、クリスティアノス christianos 英語では、クリスチャン)言葉はまだほとんど使われていなかったので、キリスト者のことを、「聖なる人々 ギリシャ語では、ホイ・ハギオイ hoi hagioi 」と呼んでいたのです。これは本来、「神のために分かたれた人々」というような意味だからです。 この言葉(ハギオス)とその関連語(聖とする ハギアゾーなど)についてイギリスの新約学者、W・バークレイの説明を参考のためにつぎに引用しておきます。 ハギオス(hagios)というギリシャ語は、ふつうは、「聖なる(holy)」と訳される。しかし、このハギオスというギリシャ語の元にある意味は、「他の物とは異なっている」という意味である。ハギオスである物とは、他のいろいろき物とは、異なっている物だということである。一人の人間がハギオスであるとは、他の人々とは分かたれている、分離されているということである。だから、聖堂がハギオスであるとは、それが他の建物とは異なっているからである。祭壇がハギオスであるとは、その祭壇がほかの通常の物の目的とは異なる目的のために存在するからである。神の日(安息日、聖日)がハギオスであるというのは、それが他の日々とは異なっているからである。聖職者がハギオスであるのは、その人がほかの人々とは区別され、分かたれているからである。(W. Barclay ;The Gospel of Matthew Vol.1 205p) 聖書という名前も確かに、この世のあらゆる書物から「分かたれた書物」だと言えます。この地上には、今までに無数の書物が書き残された。しかし、それらはほとんどみんな消えていった。ごく少数は残っていて一部の人たちに古典として読まれています。 しかし、それでも、全世界の人々が、無学な人も学者も病人も、未開といわれている地域の人たちも、天才的な学者も、あらゆる民族、能力の人たちがいまもなお、熱心に生涯の書物として読んでいる書物、そして二千を超える原語に訳されているのは、聖書のみです。 聖書のうちの旧約聖書にはカインとかダビデの罪、イスラエルの人々の背信行為とか、複雑な儀式などの、一般的の人にとっては読みたくないような内容も時には含まれています。それは聖なる本というイメージで浮かぶような、完全なよいこと、心をうるおすようなことばかりが書いてあるのでは決してありません。 しかし、そうした内容も含めて全体として聖書は驚くべき神の御意志を記してあり、書かれたことは何千年を経ても変える必要のない真理がその根本を流れています。そういう意味でたしかに、ほかのあらゆる書物と「区別され、分離された書物」であり、すべての滅びへと向かわせる力を超越している本だといえます。 神のご計画のために、とくにこの世から呼び出され、選び出されて、分かたれた人々、それこそ、キリストを信じる人たちです。キリスト者となるように呼び出された人たちは、決して人格者でも、心のきれいな人でも、愛のあるでもなかった。それどころか、重い刑罰を受けるほどの罪を犯した人もいました。 能力的にも、決して学者とか特別な音楽や絵画の才能がある必要もない、ただの漁師であっても呼び出され、神のためにこの世の人々から分けられていく人たちがいます。 聖書のはじめの創世記にも、最も劇的に神のご計画のために、呼び出され、分かたれた人がいました。 それはアブラハムであり、モーセであり、ダビデといった人々がそうです。 住み慣れた場所、親族、友人、仕事などいっさいを捨てて、ただ神から呼び出され、神が示す土地に向かって旅だったアブラハムは、神に呼び出され、神の特別な計画のために分けて置かれることになった。そしてそのアブラハムの魂の中心にあったのは、唯一の神からの声を聴き、その声に従って千五百キロにも及ぶような距離を旅し、目的地に到着した後も、その神への信仰を守り続けていったのです。 今日、ユダヤ人といわれる人々も、元はといえば、このように現在ではイラクという国の南部にあたる所に住んでいたありふれた人であった。 そのごく普通の人が、なぜそれから数千年もの歳月を経て、本質的な部分をキリスト者たちにも伝わっていくことになって、全世界に満ちるようになっのか、それは神のわざとしか言いようがありません。 旧約聖書は、神によってこの世から分かたれた人々の記録でもあります。そして新約聖書は、そうした人が全世界に広がっていく過程で書かれた書物なのです。 カトリック教会では、特別に認定された人だけが聖人とされます。しかし、聖書ではキリストを信じた人がみな、神のため、キリストのために分けられた人であり、この世から分離して頂いた者であるから、みんな、「聖なる人(聖徒)」と言えるのです。しかし、繰り返しますがそれは決して完全な人といった意味ではありません。 神とキリストを信じる私たちもまた、キリストの十字架によって罪を赦され、それによって清くされ、この世の汚れから分かたれ(キリストの聖性にあずかり)、導かれる日々となっていく、それが神の私たちへのご計画だと言えます。 伝統とそれを超えるもの(教科書問題 二) 多くの問題点を持ちながら文部科学省の検定を合格した「新しい歴史教科書」の問題点はいろいろあるが、ここではとくに日本の伝統と文化を強調していることの問題点をあげたい。 この教科書では、最初のカラーグラビアに縄文時代の土器や、半分以上を占める仏教関係の内容がある。そこですぐに気付くのは、つぎのような記述である。 「それらの形は、世界美術の中でも類例のないものである。」 「飛鳥時代は、ギリシャの初期美術に相当するといってよい」 「興福寺の・中ヲなどはイタリアのドナテルロや、ミケランジェロに匹敵するほどである。」 鎌倉時代の項には、「十七世紀ヨーロッパのバロック美術にも匹敵する表現力を持っている」 これらを見てすぐにわかるのは、何かというと、ヨーロッパの○○に匹敵するとか、相当するなどという言葉を使うことである。自分よりずっと能力のある人物に向かって、自分はその人に匹敵する、相当するのだと一生懸命に背伸びして言い聞かせようとしているかのような雰囲気がある。 この最初のグラビアの書き方でもうかがえるが、この教科書の底に流れている考えは、日本はこんなに立派なのだ、日本の伝統はこんなに優れているのだ、日本は悪くないのだ・中ヲという自画自賛である。 もし、ある人間が、自分はこんなによいのだ、自分は○○の有名な人と匹敵するのだ、などと繰り返し言っていたらどうだろうか。そして自分のかつての罪や失敗、欠点を極力伏せて、なかったことにすらして自分の自慢話ばかり言っていたらそのような幼い状態、狭い心では相手にされないだろう。 そしてこの教科書の最後には、つぎのように書いてある。 「日本人が外国の文化から学ぶことにいかに熱心で、謙虚な民族であるかということに気がついたであろう。外国の進んだ文化を理解するために、どんな努力もしてきた民族であった。」ここでも、やはり自画自賛である。 「・中ヲそれでも(日本は)自分の国の歴史に自信を失うということがずっと起こらない国であった。・中ヲところがここ半世紀は必ずしもそうとはいえない時代になってきた。なぜ・中ヲ自国の歴史に自信を失わないできた日本が、最近そうでなく、ときどき不安なようすをみせるようになったのだろうか。・中ヲ」と述べて、その理由として 「外国の文明に追いつけ、追い越せとがんばっているときには、目標がはっきりしていて、不安がない。・中ヲところが今は、どの外国も目標にできない。日本人が自分の歩みに突然不安になってきた理由は、たしかに一つはここにある。・中ヲ 本当は今は、理想や模範にする外国がもうないので、日本人は自分の足でしっかりと立たなくてはいけない時代なのだが、残念ながら戦争に敗北した傷跡がまだ癒えない。 ・中ヲ何よりも大切なのは、自分を持つことである。」 この教科書は、自信を持つとか、自分の足で立つということを、日本は優秀だ、日本は悪いことをしていないなどと、自らの弱さや、罪を見つめることをしないで、自分で自分を誉めて、日本はこんなに偉大なのだ、などと思いこませようとしている。 最近日本人が自分の歩みに突然不安になってきた、という。しかし、戦前はどうだっただろう。自分の歩みに不安であったからこそ、国民をあざむき、アジアの無数の人たちの犠牲を生みだすことになった戦争を始めたのである。 また、江戸時代にしても、キリスト教迫害のためにわざわざ、鎖国をしてオランダ、中国だけに限って、それ以外とは通商や来航も禁止してしまった。しかも、その二国とも、長崎一港だけに限ってのことであった。これは、著しい国家的不安からの政策である。それ以前においても、戦国時代といって、長い混乱の時代が百年も続いた。この時代に一般の民衆は到底自分の国に自信を持つなどという判断を持てなかっただろう。生活に必死にならねばならないのであり、多くの戦乱で生活が踏みにじられる人たちも多かったからである。 なにもこの教科書の著者が言っているように、一般の民衆が自分の国に不安を感じるのは、今に始まったことでない。いつの時代にも食物も十分でなく、病気になっても医者にもかかれず、そもそも外国のことなど、ほとんどわからないのが普通であった。 日本においても、せいぜい外国といっても、大多数の民衆にとっては、朝鮮半島や中国のことがごくわずか知られている程度であったろう。文字もわからず、新聞やラジオもなく、教育もない時代であれば当然であり、生きていくだけでも、たいへんであったのであり、一般の人々にとっては、自分の国は他の国と比べて立派なのだとか考えることもできなかったわけである。 個々の人間やその集まりから成る国家の不安、それは、自分の優秀性を知らないからでない。自信を持たないからではない。 それは確固不動の真理を知らないところから来る。永遠の真理を知った者は、いたずらに自分はこんなに優秀だなどと繰り返し言い聞かせる必要もなくなる。逆に、自分の弱さや欠点を深く知り、その上で、人間を超えた力を持っておられる存在である神からの力と導きを受けようとする。その上で自分に与えられた役割を知って果たそうとする。 こうした基本的な考えは、個人と国家であっても同様に成り立つ。個人にとって、真理であることは、その個人の集合体である国家、社会にとっても同様に成り立つというのは、聖書の一貫した主張である。 正義は国を高め、罪は民の恥となる。(箴言十四・34) この聖書の言葉は、国を偉大なものとするのは、自信を持つとか、伝統を重んじるとかでなく、正義だと言っているのである。そこに住む人々、指導的人物たちが、何が正しいことかを知り、それを実行していくところに、国が高められる道があると指摘しているのである。 伝統と文化というが、伝統にもいろいろある。人間にしても、昔からの伝統を守って、女は汚れていると見なすのがよいのか、また部落民とか障害者を差別して見下すのが従来からの長い伝統であったが、そんなことをしてよいのか、女性には教育させないというのが、日本の伝統ではなかったのか、女性は名前すら与えられない、金や権力のある男は何人の妻を持とうとも当然とされていたのも、日本の伝統的考えであった。人間は休みなく働かせる、それが日本の伝統ではなかっただろうか。死んだ者は汚れているという伝統的な考えが残っているが、それは全く根拠のない迷信にすぎない。 このように、昔からの伝統、文化を重んじるということをそのまま採用するなら、例えば、大相撲の土俵に女性が上がることを禁じるなど、それは女性は月経という出血があるから汚れているというおよそ、古代の無知な時代からの伝統的考えを守っているからそうなるのである。 そもそも、今の日本の伝統、文化を重んじるなどといっている人は、それなら日曜日を休むという基本的なこと、生活の根本にしみこんでいることは、日本の伝統でないことを知っているのだろうか。それは全く、キリスト教の伝統なのである。日曜日とは、キリストの復活の記念と安息日のふたつの精神が一つになって続いてきた伝統なのである。 また、ふだん圧倒的な人たちが用いて着ている洋服はその名の通り、西洋の服であり、西洋の習慣と伝統なのである。あるいは、椅子やテーブルでの生活、ガラス窓、カーテン、洋間・中ヲなどなど日本の伝統でないものばかりである。 それらを日本の伝統でないからといって、軽視したり廃棄する人がいるだろうか。今回の教科書で日本の伝統と文化をと繰り返し強調している人たちもやはり、日常生活では洋服を来て、椅子やテーブルを使う生活をしているのである。こうした生活の基本的なところで、わざわざ日本の伝統といって、学校でも畳でするなどという必要など全くないからこそ、圧倒的多数がそうした日本の伝統でないものを用いて生活しているのである。 日本の伝統、文化の代表的なものとして天皇制がよく引き合いに出される。しかし、これも、戦前のように、天皇を現人神だとして、ただの人間であるのに、神だとして崇拝を強要し、天皇の名によって戦争をし、多くのアジアの人々を苦しめることになったなど、単に伝統、文化などを重んじてもそれだけでは何にもならないということをはっきりと示すものである。 また、古くから日本に住んでいたのはアイヌ人である。現在もアイヌはごく少数になったが、日本を構成する国民の一部となっている。この国土にきわめて古い時代からある伝統といえば、、アイヌの伝統もそれに含まれることになる。 しかし、日本の伝統を重んじるべきだという人たちはアイヌを重要視するとかいった主張は耳にしたことがない。それどころか、天皇中心の政治を目指して日本の伝統を重んじた明治政府は、一貫してアイヌの人たちの伝統を奪う方式を取ってきた。男子の耳輪の禁止、アイヌ固有の生産方式である、狩猟、漁労法を禁止して、アイヌ側の反対を押して強引に実行され、日本語への移行と日本文字の使用が奨励された。そして、たびたびより悪い土地への強制移住をさせられ、対等に産物を売買できる関係から、漁場の労務者へと変質させられ、徹底的に酷使されるようになった。 そしてアイヌの人のことを、蝦夷地に住むゆえ蝦夷人という呼称から「旧土人」という差別的な呼称に変えた上、天皇の民(皇民化)とされて、アイヌとしての伝統や文化が否定されていった。 また、太平洋戦争のとき沖縄の地上戦においては、伝統や文化が相当違っている沖縄の人たちが日本軍人によって殺害されることも多かった。 このように、伝統と文化を重んじると称するが、そういう人たちは、他の伝統や文化を強引に踏みにじるといったことを伴ってきたことが多いのである。 また今回の教科書問題で批判の的になった教科書は、日本の伝統、文化を強調しているが、その教科書でカラーグラビアとして掲載されているのは、仏像や仏画など仏教関係が圧倒的に多い。グラビア全十五頁のうちで、九頁までが仏教関係なのである。そして本来の日本の伝統である神社関係のグラビアは一つもない。 しかしそうした仏像などはもともと日本の伝統になかったのであり、仏教そのものがはるか遠いインドの宗教として生まれ、中国にはいって、経典も漢訳され、中国文化の色を深く受けた上で日本に入ってきたのである。 キリスト教にしても、ヨーロッパの伝統とか文化だと考えている人がほとんどであるが、じつはキリスト教は、ヨーロッパで生まれたものでなく、アジア東部の乾燥した地帯、今日ではパレスチナと言われている地方で生まれたものであって、その砂漠的風土で生まれた本質を色濃く持っているのである。 このように考えてくると、日本の伝統、文化と思われているものも、実はインド、中国、朝鮮半島の文化、伝統が相当多くあるのがわかる。 アメリカの伝統、文化といっても、そもそも現在のアメリカ人というのは、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、ユダヤ、スペインなどヨーロッパのさまざまの人種、またアフリカの黒人やアジアの日本人やベトナム、中国、韓国人などじつにさまざまの人間の集まった集合体なのである。 もし、アメリカの最も古い伝統と文化というのなら、はるかな古代から住んでいた、インディアンと言われる人たちの伝統と文化ということになる。しかしまったく、習慣や風俗、宗教の異なった現代のアメリカ人たちに、そのような特定の民族の伝統や習慣をたんに、古いからといって現代住んでいる民族が重視してそれを取り入れる必要などどこにあるだろうか。 アメリカやロシア、中国など、多種多様な民族が集まった状態においては、ある人たちの伝統や文化は、他の人たちにとってはまったく異質の文化と伝統でしかないのである。 日本はたまたま大陸から遠く離れた東の果てにあり、しかも島国であったからこそ、昔から一つの民族のように錯覚してきたに過ぎない。日本には、すでに述べたようにアイヌ人が古くから住んでいたし、朝鮮半島や中国からも多くの人たちが入ってきて、日本人と結婚してきた。 そこにおいて固有の伝統、文化はじつに多くの種類があり、どれか一つを強調してそれがアメリカの伝統と文化だと主張することはできないのである。それぞれの民族によって全く伝統、文化が異なっているからである。 多くの宗教や伝統の違う民族が集まっているという点では、ロシアや中国、インドなどもそうであり、ほかの多くの国々においても、さまざまの民族が集まってできている国は多くある。 このように、多くの民族が混じり合って一つの国を作っているのが実態であって、初めから単一の民族でずっと現在まで続いてきたなどという国はそもそも有り得ない。一つの国もたえず、戦争や交流があって、国境自体がたえず変化していくし、いろいろの民族が混じり合っていくものである。そしてその混血や国土がどのように変わっていったか、厳密に確認や証明することなど到底不可能である。 そうした混じりあっているのが常である国家において、特定の伝統をとくに強調していけば、異なる伝統を持つ人たちは追いやられる。宗教にしても文化の一つの現れだが、それを絶対として他者を受け入れないときには、対立が生じてくる。 朝鮮半島を支配したとき、日本の伝統である、神社参拝や、人間にすぎない天皇を神とするような日本独自のやり方を朝鮮の人たちに強制したし、日本語をやはり強制的に使わせようとした。それは、深い対立を生みだしただけで、何のよいこともなかった。 そのような時代の一人の女教師、安利淑(アン・イ・スク)の実際の体験の記録が今から三十年ほど前に、出版された。彼女は、韓国のミッションスクールの女性教師であったが、周囲のキリスト者の教師たちもこうした圧迫のゆえに、神社参拝への押しつけに反対できずに、生徒たちとともに神社参拝ということを不本意ながらもするようになっていた。そして学校では、毎月の一日に神社に強制的に行かされて、神社参拝を強制されたのであった。 このとき、著者は、本当の神でないものに向かって最敬礼することを、偶像への礼拝であり、なんとしても避けなければならないとの確信が生じてきて、その最敬礼をしなかった。直ちに、捕らえられることがわかっていたので、自分の家からも出て行った。そしてさまざまの出来事ののち、東京において逮捕され、死刑の宣告を受けた。しかし、日本の敗戦によって、解放され、アメリカに渡り、現在はアメリカの韓国人の教会の牧師をしている。 この書物は戦前の韓国でどのような迫害が行われていたかがわかるが、次のように記されている。 「日本人は、その八百万(やおろず)の神々を偶像化して、それをアジア東部に強制的に広めるために、都市や郡や村々にまで、一番高くよいところに日本の神社を建てて、官吏たちに強制参拝させた。そして学校や官庁や各家庭にいたるまで、神棚を配り、強制的に拝ませているのである。 ついに教会の聖壇にまで神棚が置かれた。クリスチャンたちが、礼拝する前に、まず日本の神棚に最敬礼をさせるため、刑事を教会に配置した。日曜日になると、各教会に、刑事たちが鋭い目を光らせて、信者の行動を監視していた。ときには征服の警官が聖壇に立って信者たちを見おろしながら、タバコを口にくわえ目を光らせている。もし、牧師が反対するか、不遜な態度に出たらすぐ引っ張っていって、耐えきれないほどの拷問にかけて半殺しにするのであった。その牧師や伝道師が引っ張られていくと、その家族たちには食物の配給を全然与えずに飢えさせ、虐待を重ねている。・中ヲ」(前掲書 6P) このように自国の伝統や文化を特別に重んじるという傾向は、それが権力と結びつくと同じように別の伝統文化を持っている人々を平気で弾圧するという傾向を生むことが多い。 それゆえに、人間にとって、最も重要なことは、個々の伝統や文化でなく、そうした多様性のある伝統や文化を超えて、人間それ自体の本質にかかわるものこそ真に価値あるものなのである。 それこそ、聖書で一貫して言われている、真実や、正義、愛なのである。真実のないところで、また不正や殺戮を平気でしているところで、かつて、アジアの国々で行ったように、日本の伝統だといって、神社参拝を権力で強制していったい何の価値があろうか。 そんなことはなんの意味もなく、有害無益であったからこそ、戦争で日本が負けると、たちまちそんな強制は跡形もなく消えてしまい、それは愚かな政策の見本のようなものとして引き合いに出されるものとなってしまったのである。 最も日本の伝統と文化が強調され、英語ですら、敵の言葉だといって排斥すらされたのはつい、五十数年前である。 そのことを考えても、各国の伝統や文化をこえた、どこの民族や国においても、同じように通用する真理こそ、根本なのだとわかる。そのような普遍的な真理を知って始めて、各国の伝統や文化というものも正しく評価できるようになる。 そして聖書が初めて世界に示した唯一の神とキリストこそは、どのような伝統や文化の人の根源にある人間の本質に関わる真理である。だからこそ、キリスト教は世界のほとんどの地域と民族にわたって受け入れる人が生じてきたのであった。 この真理を知って始めて、それぞれの民族や国が持っている伝統や文化をも正しく位置づけし、はじめにあげたような、間違っている伝統(女性は汚れているとか、人間を神とするなど)を正し、人間にとってよき伝統や文化を育てていくことができる。そして、人間の本質に関わる真理であるがゆえに、そうした異なる伝統を持っている人々とも同じ真理を共有して交わりを持ち、共に歩んでいくことができる。 ことば ライを病む我が身かなしく事ごとに楯つきし日よ母も老いたり むらさきの花穂したしく手を触るる 垣根の下のヤブランの花 (宿里禮子) ・このことば(短歌)を残した著者は、十一歳の時に発病し、長島愛生園(ハンセン病療養所)に入所した。母もハンセン病者。自分のつらく悲しい運命を同じ療養所にいた母にこんな病気になるくらいなら生まれて来なかった方がよかったと言って何度も母に楯ついてことを深い悲しみをもって思い起こし、歌ったもの。そのような彼女を慰めたのは、夏に咲くヤブランであった。 神と悪魔 神は助け、悪魔は挫折させようとする。神は善を見るに早く、悪魔は悪を探ることに巧みである。善を残して悪に覆いをかけようとするのが、神である。悪をさらして善を追いだそうとするのが悪魔である。 神の前に出るならば、小さな善であっても植物の芽が日光を受けたように成長する。しかし、悪魔の息に触れるなら、小さな悪も大きい悪となって現れてくる。神は奨励する者であって、悪魔は望みを失わせる者である。(内村鑑三「聖書の研究」一九〇三年) ・これもまた、内村自身の経験に裏付けられた確信だと言える。自らが神の前には、小さき者、罪深き者であることを知っていた内村は、そのような小さき者を人間が攻撃するようには決して攻撃せず、自らの内にある小さき善、神を仰ぐ心をば取り上げて下さって、大きく育てて下さったのを実感していたのである。 神はたしかに私たちが望みを失い、自分の罪に倒れそうになっても、なお、そのような者を憐れんで下さり、「立ちなさい!」と励まし、力を与えて下さる。神はまことに、小さき善を認め、奨励して下さる方である。 信仰における三つの支え 私は聖書と天然と歴史を極め、それら三つの上に私の信仰の基礎を定めたい。神の奥義と天然の事実と人類の経験・中ヲ私の信仰をこれら三つの上に築くならば、誤りがなくなるであろう。科学をもって、聖書にまつわろうとする迷信を退け、聖書をもって、科学の傲慢さを退け、歴史が与える知識によって二者の平衡を保つ。これら三つは知識の柱である。そのうちの一つが欠けるなら、我らの知識は欠点あるものとなるし、我らの信仰は健全とはならない。(同右) ・聖書(神の言)と自然と歴史、この三つを内村はしばしば取り上げる。そして聖書そのもののなかに、この三つの重要性がつねに表されている。人間が神からいかに愛されているか、罪の赦し、聖霊、生きた導き等など。また何を為すべきでないか、罪の厳しい指摘等が聖書にある。そして、自然はその神が創造したものであるゆえに、神の心や御意志がそこに刻まれている。実験や研究のなかった古代において、素朴に自然を見つめるだけで、神の性質や御意志をそこに実感できる。大空や夜空の星、夕焼けや広大や海、山々、繊細な美に満ちている植物たち、これらはみな神の心と御意志の目に見える現れである。 そして、そうした自然の研究と実験によって見いだされた科学の法則もまた神のわざを表している。しかしそれはうっかりすると、その法則のあまりにも整然として驚くべきものを生み出すがゆえに、その法則を成立させている神そのものを見失って、科学を偶像化する。そうした傲慢さを聖書はまたつねに警告する。 また、神の御意志は、長い時間の流れのなかで、表されていく。それが歴史である。それゆえ旧約聖書の相当部分が歴史書となっている。真理でないもの、それは一時的には栄え、もてはやされることがあろうとも、必ず長い時間の流れの中で消えていく。 神の言と自然と歴史、この三つはたしかに私たちがつねに忘れてはいけないものである。 返舟だより ○来信から 内村先生の文章は心に深くしみこみますが、四十二歳の私が読んでわかりにくい言葉があったとき、どういう意味かわからずに困ることがあります。今回の、「はこ舟」による解説で「胸いっぱい」と書かれていますが、内村先生は、「満腔(まんこう)」と書かれており、私にはその意味が分かりませんでしたが、今回説明でよく分かりました。 今回のように現代の分かりやすい表現と照らし合わせると大変参考になりました。 六月号四八五号のロングフェローの「人生の詩」の第六連〜九連は本当にすばらしいと思います。英語の原文で読み、和訳で読むとさらに深みが湧いて本当に素晴らしいです。 ・このように、内村の文章は現在の一般的な人にはすでにわかりにくくなっていて、そのためにわかりやすく表現することの必要があります。 ○今日は、「はこ舟」六月号のハンセン病の所を読ませて頂きました。ふと、『肉体は朽ちても魂の上に人間の尊厳があると言う事です。』と言ったキリスト者で看護婦だった井深八重さんの事を思い出しました。わたしは高校を卒業した後、国立療養所長島愛生園附属看護学校に進学しようと思っています。しかし長島へ行くということはそれからの多難な人生を意味します。それでもわたしはキリストの内にあるならどんな苦しみにも耐えて行けると信じています。神様が長島への道をお開きになるならわたしその道を進んで行こうと思っています。どうか道が示されるようにお祈り下さい。(ある高校生からのメールより) ○ハンセン病者と、教科書問題に関する記事、どちらも強い関心を持ちました。特に前者については、小生も高校生の頃、青森県にあった療養所を訪問し、強烈な印象を受けましたので、内容がとても身近に感じられました。療養所で共にもった礼拝の折、彼らの讃美する歌声に込められた力と喜びと希望は、今も強く脳裏に焼き付いています。そして、仲間と讃美するとき、あの時聞いた歌声をいつも思い返します。小生の宗教的原体験の一つといってよいかも知れません。(中部地方の方) ○集会場の拡張工事が、部屋の内部の方は、ほぼ終わりに近づいています。今までは、狭い部屋に二十五人前後の人が入っていたので、真夏になると、クーラーもきかず、三十度にもなる部屋でいくつもの扇風機を回してしのいでいましたが、ようやくそうした状態も終わりになりました。 ○六月のキリスト教(無教会)四国集会は高知の方々の一年間にわたる祈りを伴う準備によって、恵まれた集会となりました。四国四県の他に阪神地方、広島、東京などからの参加者もあり、六十数名の参加でした。「祈り」という主題のもとで、学び、祈り、讃美できたこと、主にある交わりを新しく与えられたことなど、多くの恵みを与えられた集会でした。来年は、徳島での開催です。 |
2001/7 |
今月の聖句 「聖霊の火を消してはならない」 (Tテサロニケ五・19) 聖霊は自分一人がそれ楽しみのために用いるためならば与えられない。 聖霊はその力を用いて神の事業をなすために私たちに注がれるのである。 聖霊に接して、何らかの行動へと向かおうとしない者は、聖霊の火を消す者である。 神の恵みを拒む者である。 私は恐れる、聖霊がついに自分を離れ去って、 私が再び聖霊の賜物を受けられなくなる時が来るのではないかと。 (内村鑑三所感集より) 力ある一言 2001/6 この世には言葉があふれている。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、携帯電話などなど。そのような言葉の洪水のなかで、永続的な力を与え続ける言葉、正しい道を指し示し、その道を歩ませる力を与える言葉はどこにあるだろうか。 聖書には、そうした人間の言葉の洪水のただなかに、まったく違ったところから語りかけてくる言葉があることを、一貫して述べている。 聖書の巻頭には、完全な闇と深い淵、そして風が吹き荒れているような状況のただなかで、光あれ!との神の一言がすべてを変えていった。 新約聖書においても、主イエスこそは、その力ある一言を持っているお方だと啓示され、見抜いていた人がいたことが記されている。 「私の家に来てもらうには及ばない。ただ、イエスが一言、言われるなら、その通りになる」と確信していたローマの軍人がいた。 すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言を言って下さい。そうすれば、わたしの僕はいやされます。(マタイ福音書八・8) 当時のユダヤ人とローマ軍人とは対立関係にあったので、そうした状況を考えると、この百人隊長は驚くべき人間であった。征服した相手国の若い一人の人(イエス)を、神の言、すなわち神の力をもった言を持っているお方だ、と見抜いていたのである。 イエスの一言で、重い病気で死にかかっている者ですら、いやされると信じていた。 現在もそうした力ある一言がある。そしてそのような一言は、日常生活のただ中においても私たちの中に語りかけている。 天地に満ちているもの 主よ、あなたの慈しみは天に至り、 あなたの真実は雲にまでおよぶ。 あなたの正義は大いなる山のよう、 あなたの公正は深き淵のようだ。・中ヲ あなたの恵みは何と尊いことか 人の子らはあなたの翼の陰に身を寄せる。(旧約聖書・詩篇三十六より) 近ごろのさまざまの異様な事件は、私たちの心を曇らせる。 こうした出来事が大々的にマスコミや新聞で報道されると、いっそうそうした悪の霊的な力が国民に迫ってくる。こうしたニュースを見つめるほど、悪の力を人々は実感して、それに打ち勝とうとする力は弱められ、悪に勝利する力があるという確信などが打ち消される方向に働くだろう。 悪の力を弱めるには、それを見つめていても何にもならない。悪の力を弱くするには、悪と反対の真実や清いもの、真実なものを見つめることだ。このことは、私たちが日常の生活で実際に体験できることである。例えば、私たちに悪意をもってくる人のことを嫌悪や憎しみで見つめていても、その悪は弱くはならず、かえって私たちの心に巣くってしまう。 しかし私たちがそれと逆の方向、真実な愛と清さに満ちた存在(神)を見つめるとき、悪の力はいつしか弱まっていくのを実感できる。そうして神の力を受けて始めて悪にも動かされないように変えられていく。 この世の悪がこんなに蔓延しているのに、どうしたそんな清いもの、さわやかなものがあろうかと疑問を呈する人も多い。しかし、それは数千年前から同様であって、いつの時代にもそれぞれ悪ははびこり、弱い者は餌食とされ、病気に苦しめられてきた。しかしいかに闇が深くても、そのただ中から真実なもの、変わらぬ愛を見つめる人たちが起こされてきた。聖書はその記録である。 はじめにあげた言葉は、旧約聖書の詩集である詩篇という書に収められている。 神の慈しみは天に至り、神の真実は雲に至る。 今から数千年も昔にこのように深く、真実な愛、変わることなき心が天地に満ち、神の正義は不動の山、神の山のように変わることがないことを実感していた人がいた。それは驚くべきことである。 このようなことは目に見える世界をいくら見てもわからない。科学技術をどんなに学んだり、用いてもこうした方面の確信を与えることはできない。 しかし、神からの直接の示しを受けるときに、この作者と同じ実感を与えられるだろう。キリストが来られてからは、聖なる神の霊が与えられるようになり、その聖霊がこうした真理を教えてくれるようになった。 これからの時代は、マスコミやインターネットなどで以前よりはるかに、移り変わる情報や間違った情報、あるいは心に暗い陰を落とすような情報が飛び交う状況が作られていく。そして多くの人たちがそれらに揺り動かされるだろう。 そうした予測のつかない状況を前にして、そのような揺れ動いてやまないものでなく、動かない神の真実、天地に満ちている神の変わらぬ愛を、多くの人が実感しつつ歩んでいければと願っている。 パウロの祈り(その二) パウロはどんなことを祈っていたのか、それを知ることは私たちの日ごとの祈りが正しく導かれるためにも重要なことです。 新約聖書にはパウロの手紙が十三も収められています。それは十二弟子の代表的な人物であったペテロの手紙の十倍ほどの分量にもなっています。パウロの手紙以外の手紙を全部合わせてもパウロの手紙の三分の一程度にしかならないのです。それほどにパウロが書いたものは特別に神からの啓示がはっきりと示されていたということがわかります。他の弟子たち以上に神はパウロに多くの言葉を語りかけ、それを聖書として永遠に宣べ伝えるようにされたのがわかるのです。 恵みと平和を祈ること そのパウロの手紙の冒頭には、そのすべての手紙につぎのような言葉がみられます。 「父である神と主イエス・キリストからの恵みと平安(平和)があなた方にあるように。」 ほかの人が書いた手紙(ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ヨハネの手紙など)には、ペテロが書いた手紙以外にはこのような言葉は見られません。さまざまの状況のもとにある各地のキリスト者に宛てる手紙においてはその状況にふさわしい内容を書いたのですが、この「恵みと平和」ということを手紙の冒頭において祈ることは、すべてに共通しています。ここにも、パウロがいかにこの「恵みと平和」ということを重要視していたかがわかるのです。 これは単なる形式的な挨拶ではありません。 日本語では恵みといっても、とくに深い意味はなく、雨があまり降らないときに、降るとそれを恵みの雨だといったり、地位の高い者が低い者に何かを与えるときに「恵んでやる」というように使ったりするので、大した内容を感じないことが多いのです。 しかし、新約聖書では、とくに重要な内容を持っています。それは、とくにパウロがこの言葉に重要な意味を持たせて用いたからです。この恵みという言葉の原語(ギリシャ語)は、カリス(charis)といいます。 この言葉は、マタイ福音書やマルコ福音書では全く用いられていないし、ヨハネ福音書ではその第一章にだけ三回だけ用いられ、ヨハネの手紙でもほとんど用いられていないのです。 しかし、パウロの手紙では百一回も用いられているのです。 (なお、ペテロの第一の手紙と、使徒行伝ではやや多く、それぞれ十回、十七回用いられています。) なぜパウロはこのように「恵み(カリス)」という言葉を特別に多く用いたのか、それはキリスト教の根本にかかわる重要性を持っています。 私たちは、どんなによいことをしようとしても、できない、かえって自分中心に言ったり、行ったりしてしまう。愛や正義、真実などのことをいくら聞いても、そのような心で日常を過ごすことができない、なにか私たちの心には不純なものがあります。そのようなことを思ったら、心に深い平安やさわやかさもなく、新しい力も湧いてきません。 しかし、不思議なことに、そうした弱さや醜さをもったままで、キリストはそのような醜さ、すなわち罪のために死んで下さったのだと信じて受けるときには、そうした不満足や欠けた自分へのみじめな感情が消えて、心に自由と平安が与えられます。これがキリスト教信仰の根本にあります。 パウロ自身も、みずからユダヤ人として、律法を精いっぱい守ろうとしても守れない自分に気付いていました。キリスト教とは、自分たちが千数百年も前から神からの直接の言葉として何より重んじている、モーセの律法を軽んじて無視していると思いこんで、キリスト教を徹底的に迫害していこうとしていました。 そうした状況は大きい罪でありましたが、パウロはそれに気付かなかったのです。 そんな自分であるのに、意外にもキリストが自分のそんな罪を責めるのでなく、かえって、神とキリストに立ち帰れと呼びかけをして下さり、自分のためにキリストが死んで下さったということを信じて受け入れたときには、それまでにかつて経験したことのない平安が与えられたという実感が与えられたのです。 そのように、まったく自分には与えられる値打ちがないのに、ただで与えられたその平安や自由をパウロは「恵み」と言っているのです。 キリスト教の中心の真理を記しているローマの信徒への手紙につぎのように記されていることはそのようなことなのです。 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖い(あがない)の業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマの信徒への手紙三・23〜24) このパウロの表現はあがないとか、義とされるなどというふつう日本語としてはほとんど使われない訳語があるので、初めて読む場合には意味がよくわからないままになります。 しかし、これは要するに私たちは何にもよいことができないし、していないのに、それでもキリストが十字架で死んで下さって、神との平和な関係を与えられ、平安を与えられるということを述べているのであり、これはパウロを最も支えていた真理であったのです。 そのことはすぐに平和ということにつながっていきます。 普通、平和というと、戦争がないことをだれでも連想します。しかし、新約聖書では、そのような外的なことよりも、キリストによってなされた平和が中心にあります。人間が、不信実であり、憎しみとか自分中心に考えるのは、真実や愛そのものである神に背を向けているからだ、つまり神に敵対しているからだと言えます。そのように神に背を向けることは、私たちの本性に根深くあります。 そうした深い神への敵対の本質を罪といいますが、その罪がキリストの十字架の死によって打ち砕かれたのです。それを信じる者は、自ずから神への敵対の心が消えて、神との深い結びつきを実感するようになります。そのことをパウロはつぎのように述べています。 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており・中ヲ(ローマの信徒への手紙五・1) このように見てくると、新約聖書においてとくにパウロが「恵みと平和(平安)」と繰り返し述べている理由がはっきりしてきます。それはキリスト教信仰の中心にある真理なのです。パウロ自身がその生涯で最も深くキリストの愛を知らされたこと、赦しを受けて、新しい命に変えられたこと、それをこの二つの言葉で表しているのです。 だからこそ、彼はその手紙の初めにそれを読む信徒たちに必ず神からの「恵みと平和があるように」と祈っているのです。 このような意味での恵みと平和を祈ることは、その程度の多少はあれ、その後に続くあらゆるキリスト者の願いともなってきたのです。 各地の信徒のことを覚えて祈る パウロの祈りの特徴の一つは、いつも各地の信徒を思い出して、心に覚えて祈ることです。この祈りは新約聖書のパウロの手紙にもいろいろの箇所で現れます。 本来、神の愛は、一人一人に及んでいるはずのものです。雨や太陽は悪人にも善人にも同じように注がれると主イエスも言われた通りです。 悟りを開くといった抽象的な祈りでなく、具体的に人を思い起こしてその人のために祈ることの重要性をパウロは私たちに示しています。そうした心から個々の人の苦しみや問題をいつも覚えてその問題が神によって解決されるようにとの祈りへと導かれます。 そうしたパウロの祈りを新約聖書からつぎに取り出してみます。 神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし・中ヲ願っています。(ローマの信徒への手紙一・9) わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。・中ヲ監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。(ピリピの信徒への手紙一・1〜8) わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。(コロサイの信徒への手紙一・3) わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。(Tテサロニケ一・2〜3) このことのためにも、いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。(Uテサロニケ一・11) このように、各地の信徒のことを絶えず思い起こし、神に感謝し、そして神の恵みと平和が与えられ、さらに信仰が深められ、主の導きに歩むようにとの祈りであったのです。 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。(ピリピ 一・3〜4) パウロの祈りは、感謝をもって始めています。しかし、私たちの世の中には感謝できることもありますが、しばしば感謝どころかどうして自分にはこんなことが生じるのかと周囲の人や社会に対する悲しみや、神への不満、怒りなどが生じてくるものです。 パウロ自身、各地のキリスト者の集まりについても 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。(Uコリント十一・27〜28より) こうした心配や悩みをもっていたが、同胞であるユダヤ人についても絶えず心に痛みを感じていたのです。 わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。(ロマ九・2〜3) このように悩みや苦しみ、悲しみを持っていてもなお、パウロは各地のキリスト者のことを思い出すたびにすでにあげたように、感謝をもって手紙を書き始めているのです。 これを見ても、キリストに深く結ばれるときには、どんなに重い悩みを持っていてもなお、感謝とか喜びが主ご自身から直接に与えられるのだとわかります。 ああ、幸いだ、悲しむ者は! という主イエスの有名な言葉は、パウロのように、悲しみのただなかにおいて、主イエスと深く結びつくことを与えられていた人の経験なのです。 こうした感謝の心は、主から来るものであって、人間が創り出したりできないものです。私たちは誰かのことを思い出すとき、いつも感謝をもってすることができるだろうか。人間の感情は、感謝というものでなく、好感を持っている人は自然な喜ばしい感情が生じますが、何か心が合わない、という人とは、そのような感情は生じないし、また心でどこか反感を持っているときにはなおさら感謝などは生じてこないわけです。 またそうでない場合には、無関心であり、大多数の人に対する私たちの感情はそのようなものです。 しかし、パウロの祈りによって私たちが知らされるのは、人々を導く神に対して深い感謝を神に捧げていたということです。 パウロは各地にキリストの福音を宣べ伝え、それによってキリスト者となった人々も多く生じました。そうした人々はパウロにとっては、霊的な子供といえる人々であったのです。 パウロは復活のキリストから直接に導かれ、聖霊を豊かに注がれて、福音を伝えて行ったのです。そのようなパウロに比べると、各地のキリスト者たちは信仰を持ったばかりで、パウロとは霊的には親子のような大きい差があったのです。 しかしパウロはそのような信仰的にも未熟なと思われる人々にも、ある願いを持っていました。それは、自分のことを祈ってほしいと頼むことでした。 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。・中ヲわたしが語るべきことをはっきり語って、この(キリストの)計画を明らかにできるように祈ってください。(コロサイ書四・3〜4) 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊(聖霊)が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。(ローマ書十五・30) 右のような箇所は、いかにパウロがキリスト者たちの祈りを求めていたかを示しています。また、次の箇所はキリスト者の祈りがキリストの霊と並べられてあるというところに、パウロがいかにキリスト者の祈りを重要視していたかがうかがわれるのです。 あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。(ピリピ書一・19〜20) これは意外なことです。例えば、画家の大家がいるとします。その人が、まだ絵を描き始めたばかりの人に対して、絵のことで助けて欲しいと頼むことなど有り得ないと思われます。スポーツなどでも同様です。 しかし、キリスト教の世界では、信仰をもってまもないような人、信仰的にはまだまだ不十分であったはずの人からでも、祈りという最も重要なことをともにして欲しいとパウロは願っています。 ここに祈りの世界がほかの世界と違うところがあるのに気付くのです。それは、キリストを信じる人の集まりはキリストのからだであると言われているからです。一つのからだなので、例えば、指の先の小さなところを通る血液は全身を通っていくように、ある小さい指先が傷ついても全身でその痛みを感じるわけです。 同様に、私たちが本当のキリスト者であればあるほど、一人のキリスト者の痛みや喜びは他の人にも伝わるし、ある人の祈りはちょうど血液が全身をめぐるように、他の人にも伝わっていくのです。 パウロよりはるかに信仰的に遅れている人、まだまだキリスト者としては不十分であっても、その人たちの祈りは、パウロ一人で祈るよりずっと力あるものとなるのを知っていたのです。 祈りは呼吸のようなものであると言われます。また他方祈りは心臓のようなものでもあります。心臓が血液を全身に送り出しているように、祈りは目に見えないものを送り出していくからです。祈る人自身にも、また祈る相手に対しても。 人生の詩 ロングフェロー 未来をあてにするな、それがいかに快いものであっても! 死にたる過去にはその死にたる者を葬らしめよ! 行動せよ、生きている今、行動せよ! 内に勇気を持ち、高きにいます神を仰ぎつつ! 偉大な人々の生涯は教える、 われらも生涯を気高くして、 この世を去る時、時間の砂浜に 足跡を残していけることを。 その足跡を、おそらくは他の人が、 生涯のうちで厳粛な大海原に船を進めているとき、 孤独な、絶望的になった人たちが、 目にとめて、勇気を奮い起こすこともあろう。 だから私たちは、奮起して励もう、 どのような運命にも勇気をもって。 絶えず成し遂げ、絶えず追い求めつつ、 学ぼう、働くこと、そして待つことを。 ロングフェロー(一八〇七〜八二)は、アメリカの詩人の中では、世界で最も愛された詩人であったと言われている。母校の大学で六年、ハーバード大学教授を十八年勤めたが、詩を生み出すためには、教授の職が妨げとなることを知って、退職して創作に専念した。ヨーロッパ留学中に最初の妻を失い、その後、再婚した二度目の妻も、火傷で失った。そうした心の傷を受けつつも、ダンテの神曲の英語訳を完成した。ここにあげた「人生の詩」は、一八八二年に日本でも訳され、英語の教科書にもよく採用された。 なお、私は彼の長編詩「エヴァンジェリン」を三〇年余り前に岩波文庫で読んで、その自然描写の美しさが今も心に残っている。 私たちは学校教育のなかで、ヨーロッパやアメリカの詩などを学ぶ機会はほとんどなかった。ロングフェローとか言ってもたいていの日本人は知らないのではないかと思います。 ここにあげた詩は、彼の「人生の詩」の後半部です。これはキリスト教的な内容を持っていて、わかりやすい内容となっています。 冒頭の言葉、「未来を当てにするな、それがいかに快いものであっても」という言葉は、未来はいっさい信じるなということではありません。 現在のなすべきことをしようとしないで、いたずらに来るかどうかわからない将来の楽しげなことを思い浮かべて、それを当てにしている人への警告となっています。 私たちが与えられている三つの時間、過去(Past)、現在(Present)、未来(Future)を取り上げ、それぞれを詩人は末尾の原文でわかるように大文字で書いて、比較対照させています。人間はどうしようもない過去にとらわれ、また実現する何の根拠もない未来を勝手に都合のよいように作り上げてそれに期待し、肝心の現在をおろそかにすることを、この詩は強く警告しているのです。 人間の都合のよい未来を当てにするのでなく、未来をも神が最終的に最善になされるという信仰はキリスト教信仰の根本をなすことの一つです。 「死んだ過去は、死んだ者に葬らせよ」という言葉は、主イエスの、 私に従え。死せる者たちに、自分たちの死者を葬らせよ。(マタイ福音書八・22) という言葉を用いています。過去のことにとらわれて、自分の過去の失敗とか罪を見つめて苦しんでいても、そこからはよいものは生じない。また、過去のよき時代をいたずらに懐かしがっていてはなんの益にもならない。 私たちの「死んだ過去」、罪というものを最も根本的に葬ってくれたものは、キリストの十字架であったのです。十字架で私たちの死んだ過去が葬られたと信じるときに、私たちは実際にそうした過去からの自由を感じるからです。 現在を歩むこと、それもこの世の見せかけばかりの風潮に押し流されるのでなく、変わることのない真理、主イエスに従って前を見つめて進むことがここで言われています。 今できることを為せ、というのがこの詩のつぎに言われていることです。主イエスに従っていくなら、おのずから為すべきことが示されるものです。 心に勇気(heart)をもって、高きにいます神を仰ぎつつ この言葉は、私たちの内に主イエスが住んで下さるようになるなら、実現することです。私たちが主イエスを受け入れるとき、キリストは私たちの内に住んで下さると記されています。キリストは神の力であるゆえに、キリストが内にいるとき私たちは絶えず新しい心とされ、前向きの心を持ち続けることができます。 主イエスも、つぎのように言われています。 あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ福音書十六・33) 心の中に上よりの力を実感すること、それがなければ前進していこうとする気力は出てきません。内なるキリストを実感しつつ、あらゆるこの世の汚れに染まずにおられる神を仰ぎつつ歩むこと、それがキリスト者に与えられた大きい恵みだと言えます。 つぎにそのように生きるとき、私たちは時間という砂浜に足跡を残していくことになり、それは神によって用いられ、後から続く人々に励ましと力を与えることになるわけです。実際私たちは過去の信仰に生きた人たちのことを聞いたり、書物で読んだりして、多くの人が励まされ、新しい生き方を見いだして歩き始めたということは実に多いのです。 私も書物によって、そのときにはすでにこの世にはいなかった人の足跡を見いだして、そこから大きい励ましと導きを与えられたことが多くあります。 聖書という膨大な書物は、アブラハム、モーセ、ダビデ、預言者、使徒たちなど、「心に勇気を持って、高きにいます神を見つめて」歩んだ人々の足跡の集大成でもあります。 この詩の最後が「待つ(wait)」という言葉で終わっていることも、心に残ります。たしかに私たちの最後の試練は待つことができるかどうかだといえます。 私たちの家族から始まる身近な人たちの問題を神が最善にしてくださることを信じて待つ、キリストが再び来られることを待つ、神が最終的に悪を滅ぼされることを待つ、病の耐え難い苦しみのときにも、復活の朝を待ち続ける・中ヲ。 聖書の世界で「待つ」とか「忍耐」というとき、それは単に希望なくして時間の流れるのをいたずらに待っているのではないのです。それは、神が必ず最後にはすべてを最善にして下さるという壊れることのない希望をもって生きることです。 忍耐と待つと言う言葉はそのまま、神と結びついた希望に他ならないのであって、「信仰と希望と(神の)愛」はいつまでも続くと聖書にある通りです。 聖書の最後の言葉が、「主よ、来て下さい!」という言葉であり、不屈の希望をもって待ち続ける姿勢を表していることも意味深いものがあります。 Trust no Future, howe'er pleasant! Let the dead Past bury its dead ! Act, - act in the living Present ! Heart(*) within, and God o'erhead ! Lives of great men all remind us We can make our lives sublime, And, departing, Ieave behind us, Footprints on the sands of time ; Footprints, that perhaps another, Sailing o'er life's solemn main, A forlorn and shipwrecked brother, Seeing, shall take heart again. Let us, then, be up and doing, With a heart for any fate ; Still achieving, still pursuing, Learn to labor and to wait. (*)heart というと、たいていの人は「心」という意味を思い浮かべますが、 この言葉には「勇気」という意味もあります。 ハンセン病とキリスト教 先ごろのハンセン病訴訟の控訴を断念したというニュースは、特別な感慨をもって受けとめた人が多かった。このような苦しみに置かれた人たちの側に立って政府がはっきりと態度を示すということは、今までにほとんど見られなかったことだからである。水俣病に代表されるようないろいろの公害病などへの政府の対応は、たいていは患者の側に立つものでなかった。 例えば、瀬戸内海の長島は周囲十六キロメートルの小さい島であるが、そこに長島愛生園と邑久光明園という二つのハンセン病療養所がある。最も狭い所では対岸まではわずか三十メートルほどしかない。そこに橋を架けて欲しいという切実な願いが一九七〇年から始まって、何度も入園者が運動し、陳情に出かけ、厚生省の前で座り込みもして、厚生大臣に直接に訴えた。そのようにして陳情を続けて、架橋の予備調査の費用が認められたのは十年も後であり、橋が完成したのは、運動を始めて十七年もの後になっていた。 今回は、小泉首相が高い国民の支持があるということで、その支持を継続するためにも控訴断念ということになった。かつて小泉氏は厚生大臣であったが、そのときには今回のようなハンセン病についての議論などはまったくなかったのである。 政治というのは、昔から苦しむ人たちのために親身になって費用やエネルギーを注ぐということをしてこなかったのである。 ここでは、日本においてハンセン病の人たちにキリスト者がいかに関わってきたかの一端を記したい。そうしたことは、一連のハンセン病報道でもほとんど見られなかったからである。 ハンセン病とは、らい、らい病、天刑病、レプラなどと言われて、顔や手足の変形、そして手がなえて、脚をも切断に至る人もあり、重い皮膚の病状を呈する他、失明にも至るために、この世で最も不幸な病気であるとも言われてきた。紀元前二千四百年もの昔、エジプトの文書にらい病のことがすでに記録されているので、人類最初の疫病とも見られている。 この病気の病原菌は、一八七一年にノルウェーの細菌学者ハンセンという人が発見した。潜伏期間が五年〜十年以上と長いためにどこから感染したのかも特定しがたい場合が多い。一九四三年以降は、プロミンという薬がハンセン病に驚くべき効果があるのが発表され、治る病気となった。 なお、らい病という名は、長い間、いまわしい病気の代表のように用いられて、この病気の人たちを汚れたとか、見下すニュアンスがしみこんでいるので、最近は、菌の発見者の名をとってハンセン病と言われるようになった。 日本でもハンセン病は最も悲惨な病気とされて、家庭や社会から閉め出された、ハンセン病にかかった人たちは四国八十八箇所の寺などを遍歴したり、あちこちさまよっていた。明治になっても、この病気に対する偏見と恐怖は変わることなく続き、多くのハンセン病人は昭和初期までは、乞食の姿で、全国を放浪していた。このような悲惨な状況にあった患者を救う事業に最初に手をつけたのは外国人のキリスト教宣教師であった。 一八八七年(明治20年)、カトリック教会の神父であったテストウィドは静岡御殿場地方を巡回していたとき、夫に捨てられた女性のハンセン病患者が、水車小屋の中で手足の不自由なためにはいまわって泣いており、彼女は一日一椀のご飯を食べてかろうじて命をつないでいるのを知った。神父はこの女性をみて、驚き、悲しんだ。そして何とかして彼女を救い出したいとの熱情から、御殿場に一軒の家を買い求めて、六人の患者患者を引き取った。そこから二年後に、御殿場神山に病院ができて復生病院と名付けられた。これが日本で最初のハンセン病の病院であった。 その七年ほど後に同様なことは、プロテスタントでも生じて、東京で一八九四年にプロテスタントの女性宣教師、ヤングマンらの組織する伝道団体によって東京目黒にらい病院が作られ、さらに熊本においても、一八九五年にイギリスの女性宣教師であったハンナ・リデルによって回春病院が作られた。 そしてその数年後、新たに熊本に一人のカトリックの神父が家を購入して三〇人ほどの患者を収容する新しい病院が作られた。 一九一六年には、聖公会の女性宣教師コンウォール・リーは群馬県草津にらい病院を開設した。ここでは、有名な温泉があったので、ハンセン病にも効果があるとのことであったが、一時的的に病気が治ることはないので、そこで金を使い果たした患者たちは帰ることもできず、付近に仮小屋を建てて住み着いて苦しい生活を余儀なくされ、そこからさまざまの犯罪や乱れた生活に転落するものもいて、目を覆うばかりの状態であったという。それを何とか助けたいとの一心から、らい病院を作ることになった。 ハンセン病の人たちは、それまで社会的に放置され、国も社会もハンセン病の人たちを見捨てていたため、社会の冷たいさげすみと恐怖と嫌悪の目にさらされ、寺や神社をさすらい、そのあげくに病気が進行して苦しみと孤独のなかに表現しがたい闇のなかで死んでいく状態であった。 そのような時、彼らの友となり、その苦しみを共有しようとして病院を作り、そこで働こうとするキリスト者の医者や看護婦が現れた。 それは、この世的には暗黒の中へと入っていくことであり、人間的な栄達とかを求める感情では到底できないことであり、彼らの内に住んでいたキリストがそのように働きかけたのである。 今から七十年ほど前、東京のらい療養所であった全生病院では、患者数八百人ほどいたが、そのうちで、病気が原因で失明した人が驚くべきことに百七十人もいたという。それほどハンセン病が強くはびこっていた。 その頃その病院に医者として赴任した林文雄は北海道大学医学部出身のキリスト者であって自ら、父の強い反対を退けてそこに勤務した。(彼は、後に鹿児島に設立されたハンセン病院、星塚敬愛園長となった。富美子夫人も医者であり、林夫妻はともに生涯をハンセン病者のために尽くした。) この林文雄がハンセン病の病院にて何を感じて、何を学んだのか、その伝記から長くなるが一部を紹介したい。こうした書物に実際に触れることのできる人は少ないと思われるし、ハンセン病の治療に生涯を捧げたキリスト者の医者が何を感じたかを知る一端となるし、私たちにも学ぶところが多いからである。次の記述は、林文雄がハンセン病の病院に初めて赴任したときのことである。 ・中ヲ・中ヲ そこでは、膿にまみれた顔、鼻が欠けた異様な顔の人、病気のため目をえぐり取られた悲惨な顔、手や足のない人、全身が潰瘍(かいよう)で、包帯に包まれた人々の群れがひしめいていた。あまりの悲惨とこの世ならぬ光景にたじろぎを覚えた。独特の悪臭にも悩まされた。しかし、そう感じたのは少しの間で、その時の日記には、つぎのように書いてあった。「しかし、美しいが高慢な婦人、傲慢な態度の紳士を見るよりもはるかに心持ちがよい」と。 林文雄がそれまでに与えられていたキリスト信仰の目をさらに開くことができたのは、ハンセン病の患者たちの生活に直接に触れたからであった。そこは、前述のように恐ろしいまでの苦悩に満ちた世界であったが、他方では、互いに助け合い、ともに病気の苦しみを分かちあい、励まし合う人たちが多くいたということであり、またそこで働く人々が美しい心をもってただひたすら、ハンセン病の患者の喜びを自分の喜びとし、ハンセン病の人の悲しみを自分の悲しみとするような生活をしているのにも出会った。 さらに、「ハンセン病患者の末期にある人たち、手足がくずれ、顔もくずれ、目は見えなくなり、重症者の部屋の片隅に悩む病人、その人たちが私の目を開いてくれた」という。 林は医者であって、患者の治療をする役目であったし、精神的にも患者を教え導く立場であった。しかし、そうした患者との関わりのなかで、かえって自分が重症の病人たちから霊感を受けて、新しい世界に生まれ変わることになった。 彼はつぎのように書いている。 「一人の重病のらい者が机を前にすわっていた。彼はのどが狭くなって声を出すことができぬ病状が寒さのため進んだのであろう。一息一息が苦しい。あと何日もつかが問題である。 しかし彼はにこやかに笑っていた。そして机の上には大きな字の聖書がある。彼は静かに薄暗い室の隅で聖書に親しんでいた。私は非常にこれに打たれた。… 全生病院に八木というらい者がいた。やはり重症の病人である。しかし彼の顔は常に輝いていた。彼ののどは侵されていたが、なお大いに立派な声を出した。そして常に祈り、常に暗記して讃美歌を歌った。 彼は先日亡くなったが、皆に別れを告げ、葬式の聖歌をえらび、『おお感謝すべきかな、私の胸の中にはキリストの十字架の血が流れている』と叫んで召された。 多くのらい菌が巣喰うて、むしばめるだけむしばんだ肉体、世の人の目から見たら汚れたもの、最も汚れたものである、そのらい者が『私の胸には神の子の血が流れる』と叫んでにこやかに主のもとに帰った。 大田というらい者がいる。身に六十幾つの傷を持つ者で気管切開をし、カニューレ(挿入された管)で呼吸して十年以上になる。しかし今は全生病院の聖者である。 また、らい者の祈りを聞くものは胸打たれる。 『私が癩にかかったことを感謝します。もしかからなかったら、世の人と同じように自分のしたい放題のつまらないことをして一生を空しく終わったでしょう。しかしらいになり、肉体の頼りないことを示され、真の救い主を与えられたことを感謝します』、『らい者となりすべての人に憎まれたことを感謝します。すべての人に憎まれたればこそ、ただ一人愛し給う主を見出すことが出来ました』。 彼らの祈りはこのように祈られる」。 これは、今まで文雄の考え、見てきた世界とは全く別の世界であった。 らい病院の片隅に、世のすべてのものから引き裂かれて、ひとり病苦に苦しむらい患者が、ただ主イエスを信じる、ただそれだけのゆえに何人も奪うことのできない、あふるばかりの喜びを体験し、希望に眼を輝かせているのである。 そして、これこそ今まで文雄が願い求めて、得ることのできなかった世界の消息であった。しかし皮肉にも、それは文雄が求めれば得られるであろうと思って求めた場所とは全く反対の場所にあることを知ったときの文雄の驚きは大きかった。「私は太陽、星、花の美しさに神を見ていた。しかし、何も見ることのできぬ、また知覚を失って、何も感ずることのできぬらい者が『神は愛なり』と叫ぶのである。 私は立派な行ないがキリスト者的であり、また喜びであると思うていた。しかし、そうではなかった。一日何もできぬ盲人の重症者が動かない喜びにみちている。これはなぜであるか」。 文雄は今まで、大きいもの、美しいもの、明るいもの、そして何かキリスト教的徳目の実践こそがキリスト者であることの証しであり、信仰の徹底であると考えてきた。ところが、今見る世界はまさにその正反対であった。 小さいもの、弱いもの、醜いもの、動けないものの中に、「神の愛」が宿り給うているのである。文雄はこの現実の前に、従来持っていた価値観を根本的にくつがえされてしまった。これは文雄にとって大きな啓示的体験であった。 そして、よく見ると、これらの患者たちは、一様に、聖書をむさぼるように読んでいた。このことを発見して、文雄もまた、改めて聖書をとり、「同じ恵みを与え給えと祈りつつ」(同上)読みかえした。今までも聖書を何回も読んできたが、こんどは不思議なことに、目からうろこでも落ちたように、次々と新しい世界をそこに発見して驚くのであった。(「林文雄の生涯」おかの ふみお著 新教出版社刊より。表現を一部わかりやすくした箇所もある。) こうして彼は、キリストの十字架による罪のあがないの信仰の深い意味に霊の目を開かれ、新しい天と新しい地を見たというほどの経験を与えられ、それまでのキリスト教信仰が根本から新しくされたという。 このように、ハンセン病患者のために、自分の生涯を捧げたいと思って、赴任した一人の医者が、思いがけずに、その患者を通して自分の信仰に深い転機を与えられて生涯の感謝となったのであった。 人を真に助けようとするものは、その相手によって助けられるという真理を、林は深く体験したといえよう。 神がハンセン病という重い病の人をも「神のわざが現れるため」に、神の国のために用いておられるということを、患者たちの実態や、自分自身の魂における大きい変化によって知らされたのである。 このように、闇がいかに深くとも、そこに神の光が輝くのだと知らされる。その光のもとは、二千年前に地上に来られたキリストにある。キリストは、当時の社会がやはり同様に排斥し、汚れた者としていたハンセン病の人に、深い愛をもって接し、決して触れてはならない存在であったハンセン病の人に自ら手を触れていやされた。それは、キリストこそは、ハンセン病という最も苦しい病気、孤独な病気の闇にも手を差し伸べるお方なのだということを長い歴史にわたって預言するものともなったのである。 キリスト以前の時代には、旧約聖書に記されているように、神を信じる人たちもハンセン病の人には触れてはいけない、隔離して社会的にも排斥するということがなされていた。それを決定的に変えたのがキリストであった。 ハンセン病の病院にいる人たちは老齢化し、日本では次第に忘れられていくだろう。現在、ハンセン病の療養所にいる人たちの数は四千四百名、毎年二百人以上が死去している。そして、十二年ほどすれば、その数は二千人以下となる見通しだという。 しかし、まだ世界にはインドやアフリカなどを中心として一千万人を越えるという多数のハンセン病の人がいる。そしてハンセン病とは別のさまざまの病があるし、豊かな社会にも蔓延していく心の病がある。 最近の現在の日本はとくにオウム真理教事件以来、特異な状況が目立つ。それはそうした心の病が深く進行していきつつあるのを思わせる。 そのようなときに、何がいったい根本の解決の力を持っているのか、ほとんどの人たちは分からない状態である。二千年もの長い歳月を、いかなる闇にあっても光を照らし、魂をいやし、力づけるキリストの真理がこれからの世界に、いっそう貴重なものとなっていくであろう。それはハンセン病の人たちが直面させられた苦しみと深い闇をも、なお照らし続け、生きる希望と力を与え続けたという事実を知るときいっそう明確な確信となってくる。 教科書問題 「新しい教科書をつくる会」が、歴史事実を曲げて教科書を造りそれを、多額の費用を使って宣伝し、教育委員会が採用するようにと働きかけているとして大きい問題になっている。 中国やアジアの国々を侵略して、日本が支配しようとする目的のもとに戦争を始めたにもかかわらず、それをアジアの解放のためであったなどという主張は、事実を明らかに曲げたものである。 最近、日本が中国にしかけた戦争の実際の記録映画を見たが、上海事変といわれていたものがいかに本格的な戦争であったか、そして三五〇万人の大都市に、日本が航空機を使って爆撃し、多くのビルが倒壊し、家が焼かれ、数しれない人々が傷つき、死んでいったのを見た。その後で戦場となった所が、南京であり、そこで有名な大虐殺が行われた。 しかし、大虐殺は決して南京だけでなかった。上海を陸と空から攻撃し、大都市を飛行機で襲って火災にし、破壊していったことでどれほどの人たちの生涯が取り返しのつかない状態となり、また命も失われたことだろうか。そんなことはまさに虐殺に他ならない。手足は損なわれ、家は焼かれ、家族はばらばらになって、住む所もなくなった人たち。右往左往するおびただしい人たちの上に、倒れかかる高層ビル、燃え上がる町並み・中ヲそのような恐ろしい殺戮行為がなされていたのに、日本人のいったいどれほどがその真相を知っていただろうか。 虐殺とは辞書によれば「むごたらしい仕方で殺すこと」だと書いてある。とすれば、砲弾にあたって、手足を打ち砕かれ、内臓を損傷され、また建物の倒壊で体を挟まれたり埋まったりして、地獄のような苦しみにさいなまれつつ死んでいった人たちは、まさに虐殺されたことになる。南京だけでなく、上海でも大量の虐殺は行われたのである。 そしてさらに言えば、戦争とはそのように人間をどんなに苦しめて殺そうとも、平気になってしまうものであり、戦争そのものが、虐殺をさせるものなのである。 最近このような戦争のときのフィルムを直接に見ることができるようになってきたが、それでも実際に見る人はごくわずかであろう。 こうした激しい戦争であったことは、私なども最近までは知らなかったことであった。私は大学入試に日本史を選んだし、当時は理科系であっても数学、英語などと同じ配点であったために、相当に詳しく学んだつもりであった。 しかし、「事変」という呼称にごまかされて、その残虐性などもまったく教えてもらうこともなく、参考書も何冊か学んでもごく簡単にしか書いていないのであった。 ときどき言われるように、特定の場所でだけ、虐殺があったのでなく、戦争とは要するに他国の何も罪のない人々、本来は敵味方などなかった、たがいに知らない人々を虐殺することが目的の行為なのである。 兵士も普通の市民も同じ人間であり、一人一人は神の前に同じ重さを持っているはずである。だれがむごたらしく殺されても同じように虐殺である。 このようなことをほとんど何も知らないままで、日本人は成長している。つい五〇年余り前まで、そのようなことをしてしまったのに、そのような侵略行為をなんら反省も悔い改めもしないで、逆にそのような戦争を肯定し、自分たちは正しかった、アジアの解放のためだったのだなどということは、いかにも不正な態度である。 一九九五年八月十五日、当時の村山首相は、つぎのような談話を発表した。 「・中ヲ今、戦後五十周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。 私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧(ささ)げます。 敗戦の日から五十周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。・中ヲ」 この首相談話は、今から読んでも当然のことであって、こうした過去の罪を認め、それを反省し、悔い改めるのでなければ、かつてのようなおびただしい悲劇を生んだ戦争を再び始めるかも知れないということになる。 しかし、この「新しい教科書をつくる会」の会長は、この村山首相談話を「左翼容共政権の政治政策であるがゆえに偶然にできたものだから、破棄すべきだ」と言ったという。 ここには、罪を認めようとしない、従って悔い改めようとしないかたくなな、傲慢さがにじみでている。 キリスト教とは悔い改めの宗教である。罪を認め、その赦しを乞い、そこからのみ本当の新しい出発ができる。悔い改めて神に立ち帰ることによってのみ、私たちは正しい道を歩いていると言える。 しかし、この教科書を作って宣伝している人たちはそのような悔い改めを拒否する人たちである。 このような姿勢をもった人物が主導した教科書が文部省の検定に合格し、しかもそれを多くの自民党の人たちが後押ししているというような状況がある。 かつての戦争のようなあれほどの悲劇を起こしてもなお、そのことを深く認識できない人たちが多くいるのはまことに残念なことである。私たちは、あくまでキリストや使徒たちの教えを原点としつづけていかねばならない。 休憩室 ○ビワ 六月の果物のなかで昔から日本になじみが深いのが、ビワです。私たちの集会場の庭にあるビワも実を多くつけています。日本では、ただビワの実を食べるためだけの樹木として見られているし、その葉が大きいので嫌がられることも多いようです。 しかし、私の手元にあるアメリカ発行のある園芸図鑑を見ますと、ビワの園芸樹としての特質を次のような一言で説明してあります。 「立派な(美しい)葉をもった、常緑の木」(an evergreen tree with handsome foliage. なお、handsome という語は、普通に知られている美しいという意味の他に、堂々とした、立派なという意味があります。) またその用途としても「その装飾的な葉のゆえに、ほかの木とは隔離して用いられる。または温かい地方では果樹として」用いられると説明してあります。 このような記述からわかるのは、ビワはアメリカなどでは、その立派な(美しい)葉が主たる目的で用いられるということなのです。 ビワの木をこうした目的で植えるなどということは日本では聞いたことがありません。ましてビワの葉を立派とか堂々として美しいというようなニュアンスでは決して見ないのです。むしろ逆にその常緑の大きい葉が日陰を造るので嫌われることが多いのです。 同じ一つの植物であっても、いかに異なる受け入れ方があるかを知らされます。 一つの物事も同様で、ある人によっては全く違ったように受け取られることがあります。 ある習慣とか伝統も他国では、まったくなされないこともよくあります。 しかし、キリストの真理は、どんな風俗や習慣の人にも、またどんなに伝統や生活が違っている人にもそのままで全世界共通に通用するということは、驚くべきことです。人間にはじつに多様な性格や習慣があるのに、そうしたあらゆる伝統、習慣を越えて共通して伝わるものがある、それがキリスト教の真理だと思われます。 ○六月の野草 ・野山に咲く野草のうちでは、私にとってとくにウツボグサとオカトラノオが身近なものです。ウツボグサは、その青紫色の美しい花がその素朴な姿とともにだれにでも心に残る野草と思われます。咲けば心安らぐような美しい花ですが、それが終わって花が枯れるとその花穂(かすい)が、茶褐色となり、それ全体がその方面ではよく知られている薬草となります。それは夏に枯れる草という意味で夏枯草(かこそう)と言われます。 薬草というと、たいてい根や葉が多いのですが、このように花の終わった後の枯れたものが用いられるというのは少ないように思われます。 オカトラノオは純白の花が、トラノオのように美しい花穂となって次々に咲いていく花です。これも見つければ誰もが心に残る花だといえます。 こうした花を山野で見つけると、神の国の静けさや美しさ、あるいは清さなどをしのばせてくれるものです。 ○ホトトギス 五月の終わりから六月にかけて、わが家の裏山で、ホトトギスの印象的な鳴き声(キョッキョ・キョキョキョ)がよく聞こえてきました。小さな谷を越えて朝や夕方、そして時には夜でもその強い鳴き声は響いてきたものです。鳥には多くの種類があり、さえずり、鳴き声はいろいろですが、ホトトギスはとりわけ心になにかを訴えようとしているような力を感じます。 ホトトギスは、万葉集、古今和歌集、源氏物語、枕草子などにも取り上げられ、古くから特別な鳴き声が多くの人の心を引きつけてきたのがうかがえます。 近代においても、徳富蘆花の有名な長編小説「不如帰」(ホトトギス)の題名にも使われ、正岡子規が援助して創刊され、高浜虚子が継承した日本の俳句誌として広く知られている「ホトトギス」にもその名が用いられています。 返舟だより ○祈りによる支え 高齢であって、しかも以前に大きい病気をしてきた方が、最近入院され、一時は重い症状となって案じられましたが、最近退院されました。その方からの来信です。 「地上の命を延ばして下さった聖心を神様のご用と祈りで過ごしていきたいと願っております。 この度の病床で一番感じたのは、多くの主にある兄姉の方々の祈りに励まされたことで、祈りの大切なことを知らされました。」 病の苦しいときに、私たちは医者と身近な家族に頼ります。薬にも頼ることが多くなります。しかし、心の奥深いところでの支えはそうしたものでは与えられないのです。病気の痛みや不安は何ものも埋めることのできない闇ができることです。 そのような闇に光を与え、支えてくれるのは神であり、主イエスです。そしてその主イエスのお心を具体的に現している同じ信仰の友の祈りです。祈って下さっているという実感によって、自分は苦しくて祈れないけれども、友人のとりなしの祈りによって不思議な安心が与えられたことを私も記憶しています。 また、近畿地方のはこ舟読者の方からはつぎのような来信がありました。 「想像もしなかった苦難の日々でしたが、これも皆様がたの温かいお祈りと御支え、そして学びなどを通して、まず私がいつも主に結び合わされて支えられ、一歩一歩、歩んでこれましたこと、感謝いっぱいです。 まだまだ、さまざまの試練がありますが、・激D放さず、見捨てず、共に歩んで下さる主・を泣cいで祈り続けてまいります。」 自分の祈りが不確かなものに感じられるとき、他者の祈りにいっそうの確かさを感じることが多いものです。自分が非常な悩みとか苦しみにあるときには、十分に祈れない、祈りの気持ちになれないことすらあります。ただ叫ぶだけしかできない状態にもなります。しかし、そのような時でも、同じキリストにつながる人が祈ってくれているという実感があるときには、大きい支えになります。 キリストを信じる人はキリストのからだである、一つのからだであると言われました。これは決して言葉だけのことではありません。苦しみをともに苦しんで下さっている人がいるということで、その祈りが伝わってくることから、実際に一つの体なのだ、と実感するのです。 ○「今日のみ言葉」への来信から 何時も今日のみ言葉を有り難うございます。主人の方から社員にメールで送らせていただいております。聖書に接した事のなかった人々に、聖書の言葉を、眼にしていただくだけでも、意味のある事と、感謝申し上げております。 今回の、"今日のみ言葉"「立ち帰って」の箇所は、矢内原忠雄先生が、特愛の箇所と聞きました。先生の最期のご病室にはこの聖句が書かれていたと、聞いたように記憶しております。 戦時中も戦後も先生の心の中にしっかり置かれた聖句であると思いますし、今生きる私にも、「立ち帰って、静かに」「安らかに信頼して」と、平安と慰めと力を与えられる「み言葉」でございます。(東北地方の方から 「今日のみ言葉」への返信より) ・ここで触れられている「今日のみ言葉」は、一か月に数回希望の人にインターネットメールでお届けしているものです。聖書の言葉と、その英語訳、そしてその聖句への簡単なコメント、それに私が撮影した植物などの写真を添付しています。ご希望の方は、つぎのアドレスに申込していただければ、お届けします。(費用は不要です。) typistis@m10.alpha-net.ne.jp (なお、このアドレスのうち、TY は私の名前より、pistis とはギリシャ語で「信仰」という意味です。) 現在は、私からは九十名ほどに送っていますが、受け取った方の中にはここに返信をあげた方のご夫君のように、経営している会社の社員にそれを転送されている人、また自分の出している定期的なメールなどに転載して用いておられる方、あるいは個人的に知人、友人に転送しているとの連絡を頂いた方、印刷して別の人に手渡す人などもいます。 神の言こそ、過去から現代にいたるいかなる時代の混乱や闇にも光と命を与える唯一のものであり、インターネットという新しい手段を神が用いて下さることを祈っています。 |
2001/6 |
今月の聖句 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い。 (哀歌三・22〜23) 主の平安を基として 2001/6 私たちから出る不満、批判、動揺などはすべて私たち自身の内に確たる平安を持っていないことから来る。自ら揺れ動くことのない場に立ちつつ、他人や社会を見つめるのでなければ、そこに真によい何かを注ぐことはできない。 聖書に現れる旧約聖書の預言者や主イエスは、そのような確固たるものを持ちつつ、人々に向かい、社会の腐敗や誤りと戦った。 おお来たれ、来てキリストの僕となれ。何ゆえに世の罪悪を怒り、憤ったままで死のうとするのか。何ゆえに社会が冷たいことを怒るのか。 あなたは、自分自身の不安を周囲の社会や人間に向かって発し続けているのである。 キリストのもとに来て、主の平安を味わってみよ。そこれはすべての思いを越える平安なのである。 その平安を自分の心に迎え入れるなら、そのとき、まわりの木々はあなたに向かって手を打って喜び、周囲の人はあなたの志しを助ける者と変わる。(内村鑑三著「一日一生」より。) 使徒パウロも、 「神を愛する者には、万事がはたらいて益となる」(ローマの信徒への手紙八・298) と体験的に語っている。 そうした幸いなる所に私たちは招かれている。主イエスは最後の晩餐のときにつぎのような約束を語った。 「私は平安をあなた方に残していく。私の平安を与える。私はその平安を世が与えるような方法で与えるのではない。」(ヨハネ福音書十四・27より)この神からの平安こそ私たちの一番深いところに留まり、私たちの真の出発点となってくれる。それはこの世のように、妥協や駆け引きで与えられる見せかけの平和でない。それは神の国の平和である。 この平安よ来たれ!私たちの上に、そして苦しみ、動揺する者たちのところに 支持率 今度の新首相の支持率は八十%にもなるという。前の首相と比べると驚くべき変化である。不思議なことは、その新首相は前のきわめて支持率の低かった首相を一番に支えた人(森派の会長)であり、もし前首相と基本的に異なる考え方であるなら、そのような前首相を一番に支える行動は取れなかったはずである。 実際、憲法を変えようとする姿勢、防衛問題とか教育基本法への考え方、過去の歴史認識や靖国神社に対する考え方などは、みなよく似ている。そしてよどんだ自民党の体質のなかで長く政治家として生きてきたのであって、新しい党でも何でもない。にも関わらず、このように支持率が異常に上がるのはどういうことだろうか。 これは、いかに日本人の考え方が表面的であるかを示すものである。そしてこの高い支持率はそのうちに下がるのは目に見えている。人間の支持などというものは実にあてにならないものだからである。 以前にも細川の日本新党が出来たときには、細川への高い支持が見られたがまもなく消えていった。 こうしたこの世の状況のただなかにあって、支配者のなかの支配者、王の中の王であるお方、キリストへの高い支持率は二千年も続いている。どんな優れた指導者であっても、体力もすぐに衰え、死後はまもなくその影響力は消えていく。しかし、キリストだけはまったく別である。死後二千年も過ぎたのに、なお、無数の人たちがキリストを心から支持し、そのキリストのために生涯を捧げようとする人が後を断たないのである。 今月の「はこ舟」でも触れているが、中国などでは長くキリスト教が圧迫されていたのに、最近では、数千万の人々がキリストへの信仰を持つようになり、キリストを支持するようになった。死後二千年も経ってもなお、このようにおびただしい人々がその全存在をあげて支持するとは、実に不思議なこと、驚くべきことである。 キリストは新しい政策を訴えることもなく、身振りや手振りで演説することもない、キリストの言葉や言動、キリストが与えるものなどを記した聖書は二千年も変わらない。 それでもキリストを支持する人たちは生まれていく。ここに神の力がはたらいているのがわかる。 だれのところへ行くのか・u・u不信の海のなかで 私たちはいったいどこに行くべきか、何者のところへと赴(おもむ)くべきなのだろうか。この問は、はるかな古代から現代に至るまで、つねに人間の根本問題となってきた。 その答を与えようと、古来数々の哲学や宗教、思想が生まれてきたのである。 生まれてからすぐに人間は赴くべきところを求める。乳児は、それが母親であることを本能的に知っている。 少し成長しても幼少のときには鳥や他の動物であっても、行くべきところは母親なのである。母親は高等動物たちが行くべきところとして深くその内部に刻みつけられているのがわかる。 そして幼少の時をすぎると、今度は友達、異性、教師、先輩などさまざまの人間のところに行くようになる。そして自分が寄りすがることのできる存在を求めて日々を過ごすようになる。 しかし、なかなか本当に行くべき者は見つからない。多くはこの人こそはと思ってもまもなく期待はずれであったり、裏切られたり、相手の本質がわかってしまい、自分が行くべき相手ではないことがわかる。 そしてまたいろいろの相手を求めていくのである。 こうした探求は、人間はだれでも共通している。しかし、古来からそのような探求によっても本当に行くべき存在はなかなか見つからなかった。そのとき、二千年前に、イエスが現れ、自分こそ、あらゆる人間が来るべき存在なのだ、究極的な存在なのだと宣言された。 ヨハネ福音書ではそのことが第一章からはっきりと強調されている。 「来たれ、そうすれば見る!」あるいは、「来たれ、そして見よ!」(*)(ヨハネ福音書一章39節、46節)という言葉はまさにそうした人間のさまよう実態への呼びかけであり、それまでの長い年月の探求の終わりが来たという宣言なのであった。 新約聖書においても、主イエスは人々がキリストの語る言葉に対して反感を持ったり、受け入れようとしなくなり、多くの弟子たちが離れ去っていったとき、主イエスは十二人の弟子たちに問いかけた。 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 シモン・ペテロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(ヨハネ福音書六・66〜69) 主イエスが完全な真理を語っても、そして驚くべき奇跡を多くされてそれを見たような者であってもなお、信じるどころかイエスから離れていく者が多かった。これは何を意味するのだろうか。しかも特別に選んだ十二人のうちの一人すら裏切っていく。そうした事実によってこの世というものがキリストの真理を受け入れない強い力があるのだと知らされる。 また、イエスの兄弟たちすらイエスを信じていなかったと記されている。 このように不信のただなかにあって、少数の信じることができるのは、まことに、神がそのことを啓示した人だけなのだとわかる。 右にあげたペテロの告白は、ほかの福音書にある、ペテロの信仰告白のヨハネ福音書版であるとも言われている。 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 シモン・ペテロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン、バルヨナ、(*)あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」(マタイ十六・16) (*)シモンとは、ヘブル語の「聞く」という語から造られた言葉で、神の言葉を聞くことが繰り返し旧約聖書で命じられている。そのことを名前にしている。またペテロ(petros)というのは、ギリシャ語の「岩」(ペトラ petra)からつくられている。また、バルヨナとは、「ヨナの子」という意味。「子」はヘブル語ではベン(ben)であるが、アラム語では、バル(bar)という。メシアとは、ヘブル語では、マーシーァハ、アラム語では、メシーハーという発音になる。英語では Messiah と書き、メサイアと発音する。これは、「(聖なる)油を注ぐ」という動詞(マーシャハ)から造られた言葉で、「(聖なる)油を注がれた者」という意味。神から油を注がれるとは、大祭司や王などが神の本質を注がれるということの象徴的意味がある。そこから、とくにのちの世に現れる救い主を意味するようになった。 この信仰が与えられたからこそ、ペテロはどこまでも主イエスに従っていくことができた。この信仰によってペテロは永遠の命を受けることができた。その命によって多くのものを捨てたその損失をはるかに上回るものを与えられた。 私たちはどこへ行くべきか、どこに最大の信頼を傾けるべきか、どこに心の深いところでの悩みや苦しみ、痛みを訴えるべきなのか、この世のすべてが移り変わるなかで、なにが永遠に変わらないものなのか、どこから生きる力や目的を与えられるのか。まわりの人たちがつぎつぎに死んでいくただなかにあって、死を超える力を持っているのは何なのか。 そうしたあらゆる問題をもっていくべきお方はどこにあるのか。それは古代も現代も変わらない。それこそ問のなかの問である。 現代の日本の人たちはほとんどが唯一の神を知らない。それでは何者のところに行こうとしているのだろうか。 ここで、日本を取りまく国々の人々の心はどこに行こうとしているのか、それをうかがうためにそれらの国々のキリスト者人口の状況を見てみよう。 今日ではロシアもキリスト教が急速にかつての力を取り戻している。一九一七年のロシア革命以来、キリスト教はきびしい弾圧を受けてきて、多くのキリスト教指導者は逮捕投獄され、殺されるキリスト者も続出した。キリスト教会堂も多くが破壊された。 しかし、一九八八年にロシアがキリスト教を受け入れてから千年になる記念祭のとき、当時のゴルバチョフ大統領は、ソビエト時代のキリスト教弾圧を公式に謝罪した。そして国の支援も与えられるようになって、ロシアのキリスト教は活発になっている。現在では、ロシア人口一億五千万の半数を超える人がキリスト者となっいると考えられている。 中国もキリスト者の数は増加の一途をたどり、現在では数千万人になっていると考えられている。(中国には政府公認の三自愛国教会に登録されているキリスト者は一千万人、それとは別の「家の教会」のキリスト者が多数あり、合計では、四千万から、八千万人のキリスト者がいると言われている。・u・u「世界のキリスト教情報」98年9月7日による) 中国のキリスト者の増加はめざましく、一九九二年の三自愛国教会の信徒は、五百万であったのに、それからわずか五年後では、倍増して一千万人になったと発表されている。 また、韓国は、前大統領の金泳三もキリスト者であったし、現大統領の金大中氏は夫妻ともにキリスト者である。また、一九七一年〜一九七三年には、15万人の韓国軍人が信仰告白して、集団洗礼式が行われた結果、軍隊では、キリスト者の占める比率は一九七〇年には、12%であったのに、二年後には、三十五%にも急上昇し、一九七七年には、47%になるに至った。(「世界キリスト教百科辞典」教文館発行による) 現在では人口の25%を越えるキリスト者がいるとされている。韓国の人口は約四千万人であるから、一千万人を越えるキリスト者がいることになる。 それに対して、日本はわずかに百万人ほどである。 それでは、韓国、中国、ロシアについで近い国である、フィリピンでは、どうか。この国のキリスト者人口比率は約94%、その南のインドネシアはイスラム国として知られているが、そこでも10%余りのキリスト者がいる。インドはよく知られているように、ヒンズー教の国である。しかし、そこでもキリスト者の人口は4%ほどあって、比率では日本の四倍以上もある。また、ベトナムのキリスト者は7.5%である。 このように、東アジアの国々などを見ても、日本のキリスト者人口が0.8%というのは、際だって少ないのがわかる。 それでは、アフリカのキリスト者はどうであろうか。アフリカでは、いまから百年前には、キリスト者の人口は世界のキリスト者人口の2%にも満たない少数であった。しかし、二十年前には14%を越え、現在では世界のキリスト者人口の20%ほどになっていると考えられており、将来は中国とならんで重要なキリスト教の地域となるであろう。 ヨーロッパや北アメリカの国々はキリスト教が主体であることは 昔から知られている。南アメリカも同様である。ブラジルでは91%、アルゼンチンは95%ほどであり、一九五九年にキューバ革命が起こり、カストロ首相となってキリスト教を否定する思想のもとでの政治となって以来、キリスト教人口は減少していったが、それから四〇年ほどを経て、カストロ首相も初めてローマ法王を迎え、人口の40%足らずになっていたキリスト者は増加していくと見られている。 このように、世界の状況を見ても、長くキリスト教を否定する思想のもとで政治が行われていたロシア、中国、キューバなどですら、そのような政策の転換が行われ、キリスト教が認められ、大きい力を持つようになりつつある。 こうした世界の現状は、キリストが「あなたたちは、どこへ行こうとするのか」との問いかけに対して、やはり「主よ、私たちはあなたのもとに行きます」という流れを現していると言えよう。 そうした状況と比べるといっそう際だっているのが、日本の現状である。 キリストの力は、ヨーロッパやアメリカ大陸だけでなく、アジア、アフリカといった全世界に及んでいる。しかし、その中で日本だけは、聖書が毎年何十万部も発行され、信じることも自由であるにもかかわらず、キリストを信じて歩もうとする人がきわめて少ない。 そして、ふつうの人間にすぎない天皇を神としてもってきて、それを中心にすえようとしてきた。君が代の強制も、グローバル時代のためということはかくれみのであって、それなら、君が代の歌詞が多くの人たちに問題であったのに、その検討をもしようとしなかった。憲法については検討をする会をもうけている(ただし、改訂論者がずっと多くなっている)。 そのように、君が代についても新しい国歌にふさわしいものを時間をかけて議論し、国民の投票によって決めるべきであったのに、いっさいそのようなことをしようとはしなかった。それはグローバル化に対処することが目的でなく、天皇讃美の君が代を歌わせることが本当の目的であったからである。これは、憲法を改悪しようとする人たちが、よく環境問題が書いてないなどというが、じつはその目的は第九条を変えようとすることが本音であることと似ている。 田中正造や内村鑑三などは、今から百年も昔、明治憲法の時代であっても、足尾銅山の環境破壊問題に真剣に取り組んだのであって、それを封じ込めようとしたのは、憲法の規定がなかったからでなく、利権目的の権力者(経営者、政治家)たちが多くいたからであった。 現在でも環境破壊を見逃してきたのは、憲法のゆえでなく、経済界、政治家や自民党などの利権あさりのゆえであり、また将来への正しい展望がなかっからである。 現在の憲法のもとにおいても環境問題は対処できてきたのであり、むしろ環境問題などに関心を持とうとしなかっ人たちが憲法を変えることに熱心なのである。 戦後の環境問題として最も深刻な事態となったのは、熊本の水俣湾で生じた病である。それは一九五三年頃から水俣病として広く知られるようになった。その原因については、すでに一九五九年に、熊本大学医学部の研究者たちによって、工場から出されたメチル水銀が原因であると究明されていた。しかし、政府がそれを正式に認めたのは、九年も後の六八年であり、会社側も多くの犠牲者が出てもなお工場が原因であることをなかなか認めようとはしなかった。 こうした政治や企業の自分たちの利益を守ろうとする姿勢が多くの犠牲を生んだのであって、憲法に環境問題のことを記述するかどうかの問題ではなかったのだとわかる。すでに現憲法第十三条には、つぎのように記されている。 「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び、幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。」 水俣病など環境問題は、憲法に記されてている「国民を個人として尊重」しないところから生じているのである。すでに明確に記されているこの憲法の精神を徹底させることで、環境問題のことも含まれてくるのである。 日本はどこに行くのか、憲法の平和主義の源流をたどると、は聖書・キリスト教の精神に行き着く。日本は数百万人の犠牲と、アジア諸国の数千万の犠牲のゆえに、今の平和憲法が与えられ、その方向へと曲がりなりに歩んできた。しかし最近ではその憲法の平和主義を変えようとする動きが次第に強くなっている。そしてその方向は、日本の歴史や伝統重視という名のもとに、天皇中心として戦前の日本のような状態へと方向転換しはじめている。君が代の強制、教育基本法を変えて、日本の伝統、文化を重んじることを強調する。(日本の伝統文化の根本に天皇制があると改悪論者は考えている) その平和主義を捨てることは、キリストの方向から転じることなのである。 我々はどこに行くべきなのか。聖書とキリストこそ私たちがどのようなことがあっても変わることのない目的である。 こうした国際的、または社会的問題から転じて、個人的な苦しみや悩みに直面したとき、どこに行くべきだろうか。 重い病気のとき、死が近づいているとき、将来の不安のとき、孤独のとき、仕事で失敗して見下されたとき、職場、家庭その他の人間関係で苦しむとき、どこに私たちはいくことができるだろうか。 一番簡単なのは、飲食や性など本能的な快楽を満たすことである。酒がいつの時代にもどこの国でも人気があるのはそこにある。もやもやした心を一時的に忘れるために酒に行く。酒が介在する人間の交わりに行く。 どんな人でも人間に頼ろうとする。人間からの励まし、語らい、愛を受けることで自分の闇を解消しようとする。病気の重いときにも医者という人間に行く。たしかに多くの苦しみは医学によって取り去られた。しかし心の苦しみは取り去ることはできない。また、どんな医者も死を取り去ることはできない。 いかなる世の変化、私たちの変化があろうとも行くべきところは、はっきりと示されている。それがキリストである。「はじめに言(キリスト)があった。」とあるように、ヨハネ福音書では冒頭から、キリストが時代の流れとは無関係に永遠に存在し続けていることが強調されており、そこにこそ、私たちは行くべきことが示されている。 キリスト教の人だけが救われるのか。 この問いかけは、よくあります。キリストを信じる者だけが救われるのなら、他の宗教を信じている人はどうなるのかと。 ここで、救いとはどういうことを指しているのか、その意味をはっきりさせておかないとそれぞれが救いという意味を勝手に使っていたのでは、この問題も正しく扱うことができません。 キリスト教でいう救いとは何かを考えるまえに、人間とはどういう実態を持っているかを知る必要があります。 例えば、正しいことを常に行うことができるか、自分の生活、職業の場、友人たちとの関わりにおいて自分の利益とは関係なく正しいことをつねに行ったり、言ったりできるか、また、戦前のように、国全体がまちがった戦争に駆り立てているとき、それを見抜くことができるか、見抜いたとしてその誤りを命がけで発言したりできるか、純粋な愛をだれにでも持つことができるか、ことに病人、老人、死が近づいているような重い病人、ハンセン病とか重い皮膚病で外見でも目をそむけたくなるような人に心からの愛をもって近づけるか、また、自分の悪口を言う人、敵対する人、陥れようとする人をも愛してその人たちのために心から祈ることができるか、朝起きてから、夜床につくまで、ずっと真実なもの、他人の幸いなどを願いつつ生きていけるか、嘘を言うのはよくないとは誰でも知っているが、真実を通すことができているか、病気や苦しみのときにも、どんな苦しみがあっても、いつも堅固な希望をもって前進できるか・中ヲ。 このような事実を考えると、人間はきわめて不信実で、愛がなく、もろいもの、頼りないものだとわかります。ことに、どんなに学問や、芸術、あるいは仕事に有能、スポーツなどができる人であっても、正義は伴わないことが多いし、すでに述べたような弱い者、醜い者、敵対する者への愛などというのは、それらとは何の関係もないのです。学問や芸術、スポーツができるからといってすでに述べたような愛があるなどとはだれも考えてはいません。 こうした人間の弱く醜い本性がある限り、人間には本当の幸いは有り得ない、だからそのような人間の根本的な本質を変えることこそ、真の幸いなのだ、それを受けることが救われるということなのです。 このいわば当然のことのために聖書という本は記されているし、キリストはそのために来られたし、十字架にかけられたのです。 ですから、キリスト教以外の人でも救われるのかという問は、キリスト教以外でもそのような人間の本質を変えることができるのかという問でもあります。 たしかに仏教でもとくに、鎌倉時代の法然、親鸞、道元、日連などといった人たちの生きた姿、あるいはその書いたものなどを調べるとき、じつに真実な生き方をしているのがわかります。これらの人たちのあとに出来た宗派とか大きい教団は、人間的な権力や金の力が入り込んだりして彼らの信仰的な真実をもみ消しているところがあります。 このことを考えると、たしかにキリスト教以外でも人間を変えることができてきた宗教もあると言えます。 そしてキリスト者であると口では言っていても、変えられることなく信仰なき人と同じような状態の人もいます。 聖書はこうした問題をどのように見ているだろうか考えてみます。 まず、自分でキリスト者である、といっているからと言って、あるいはどこかのキリスト教会に属しているからとか、洗礼を受けたからといってそれで救われているとは限らないことです。それは、主イエスはつぎのように言われたからです。 「主よ、主よという者がみな、天の国に入るのではない。天の父(神)の御心を行う者だけが、入るのである。」(マタイ福音書七・21) とすれば、天の国に入れるかどうか、すなわち救われるかどうかは単に、言葉で表面的に主よ、主よと言ったり、教会に属しているとかではわからないのです。父なる神の御意志を行っているかどうかによって、神が決めることなのです。 ですから、他の宗教でも、キリスト教を知らないままで真剣に真理に従って生きようとしている人は、それが神の御心にかなう程度に応じて神が救いを与えることでしょう。 しかし、キリストのことを知らされているにもかかわらず、それより内容の低い宗教にあえて属していようとするならば、それはなぜなのか、その理由が神によって問われるでありましょう。 宗教は決してみな同じではありえません。その内容に当然のことながら、真理が完全に含まれているもの、真理の一部が含まれているもの、真理がないものなどいろいろとあります。 例えば、オウム真理教や、集団自殺したような新興宗教などもありますし、戦前のように天皇を現人神とする宗教、統一協会のようなまちがった宗教もあります。また、文化の進んでいない国には、かつて人間を生きたまま殺して捧げる風習をもっていたような宗教もあります。そのような宗教が救いを与えるというのは考えられないことです。それは神の本質である真実や愛、正義に反するからです。 真理の度合いがどれほどか、それはやはりその永遠性と、普遍性によって客観的に知ることができます。その点では、キリスト教は、二千年の長きにわたって、全世界にあらゆる状況にある人間をその信徒としてきたのです。真理の度合いは群を抜いて高いといわざるを得ません。 キリストが「私につながっていなければ、投げ捨てられて焼かれる」と言われたので、キリストを知らなかった昔の人も、現代のキリスト者以外の人も、いかに真実に生きた人でも、クリスチャンだと自称する人以外はみんな同じように滅びるのだと主張するような人もいます。 しかし、神の愛や真実はそのような性格のものとは到底思えません。単にキリストの名を知らず、従って信じていなかったといって、悔い改めもしない人殺しや裏切り者たちとともに、闇に投げ込まれて滅びるということは考えられないことです。 このキリストの言葉の意味は、キリストによって完全に表された真理につながっていなければ、最終的には滅びるということです。ギリシャ哲学や、仏教などにも真理のある部分があるはずです。それはキリストの本質のある部分ともいうことができます。 ですから、ソクラテスやプラトンのような真理を求め続けた人、あるいは真実な仏教者などであっても、キリストを全くしらなかったという、ただそれだけで闇に捨てられて滅びるというのでなく、彼らは真理そのものであるキリストの真理のある部分を示されてその真理に忠実に生きたゆえに、神がそのことを見られて何らかの救いに入れられると思われます。 しかし、私たちは、そうした他人の救いについては、確実なことは分からないのですから神にゆだね、私たち自身の救いの確信を与えられることが必要です。そしてその確信を他に知らせることによって他の人の救いがなされるようにと心から願うものです。 カール・ヒルティ ヒルティについて カール・ヒルティが日本に紹介されてから百年ほどになる。 ヒルティは、一八三三年スイスに生まれた。父も祖父も医者であったが、母方の祖父も医者であった。ヒルティの母親は、信仰の深い女性であって、「彼女の顔は、心の透明な窓であって、そこから、柔らかな輝きをおびてその気高い魂が現れていた。彼女の清く青い眼には、やさしさと平安が満ちていた」と伝えられている。ヒルティの信仰はそうした母親の信仰によってはぐくまれたのがうかがえる。 一八五四年、法学博士の学位をとり、卒業後は弁護士となった。かれは、信仰あり、正義の心に富んでいたためにたちまち人々の尊敬をあつめて、まもなく州の最も重要な事件はことごとく彼のところに持ち込まれるようになったという。 その後、彼は四十歳のときに、スイスの首都にあるベルン大学の国法学教授となり、その大学の総長にも二度選ばれている。 彼の代表著作の「幸福論」の第一部は、ヒルティが五十八歳の時の著書であって、彼は、若いときにはあえてこうしたキリスト教的内容とか、思想的な内容のものを書かなかった。それは、若い時に書いて、その後に考えが変わったときに、かつて書いた不十分なものによって人々がまちがった道に引き込まれることがないようにするためであったという。 現在、日本で手にはいるヒルティの代表著作(幸福論全三巻、眠れぬ夜のために上下)は最晩年の十年ほどの間に書かれたものである。いかに、かれが、物を書くということに慎重であったかがうかがえる。 ケーベル博士 ・u初めて日本にヒルティを紹介した人 ヒルティを初めて日本に紹介したのは、ケーベル博士であった。ケーベルは、一八四八年ドイツ系のロシア人としてロシアに生まれた。十九歳のとき、モスクワ音楽院に入り、ピアノを専攻した。そこで学んだのは有名な作曲家のチャイコフスキーによってであった。そこを優等の成績で卒業して、ピアノの専門家となるはずであったが、公衆の面前で演奏するということを嫌って、方向を転じ、ドイツに行って哲学を専攻することになった。 しかし、以後も音楽の研究は熱心に続けられた。東京大学の依頼によって日本に来たときには、東大にて西洋哲学やドイツ文学、ギリシャ語、ラテン語などを教え、さらに上野の音楽学校(後の東京芸術大学)においてもピアノを教えた。 ケーベルは、ヒルティについて、つぎのように述べている。「・中ヲ今の世界は、無信仰であり、物質的であり、キリスト教の真理に背いている。そのような世界において、ヒルティのような、その信仰や人生に関して私にきわめて縁の近い作家に出会ったということは、私にとっては大いなる幸福であり、慰めであった。」 また、つぎのようにも述べている 「朝食をとりながらいつもは聖書のなかの二、三章か、またはヒルティの・磨[れぬ夜のために・を塔kむ。この・磨[れぬ夜のために・cw、私がいつも手近に置いて、また夜よりもむしろ朝、よく休息がとれたきわめてはっきりした頭の状態のときに読みたい書物なのである。」(「ケーベル博士随筆集」岩波文庫) なお、夏目漱石はケーベルが日本に来た際、彼の初めての講義(美学)を受けた。その漱石は、「ケーベル先生」という短い随筆を書いている。そのなかにつぎのような一節がある。 「東京帝大の文科大学(文学部)に行って、ここで一番人格の高い教授は誰かと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずケーベルと答えるだろう。それほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始変わらざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生がとっくにさくばくたる日本を去るべくしていまだに去らないのは、じつにこの愛すべき学生あるがためである。」(夏目漱石小品集より) ヒルティの著作の特徴ほか 私が初めてヒルティの名前と「眠れぬ夜のために」という書名を知ったのは、中学生の時であった。一人の国語の教師が、授業のときに、一冊の文庫本を持ってきて、授業の前に紹介されたのであった。「私は眠れないときがよくある。そのとき、この本を読むのです。」と言われた。「体が丈夫でないので、椅子に腰掛けたままで授業をします。」と、病弱そうな痩身(そうしん)の体を椅子に腰掛けて話された光景をいまも思い出す。 その時から、七、八年の後に、私はキリスト者となり、ヒルティをキリスト者としての目で読むようになった。 最初に読み始めたのは、「幸福論」全三巻であったが、第一巻にストア哲学者であった、ローマの哲学者エピクテートスの教えがそのまま掲載されてあって、キリスト教信仰以前にギリシャ哲学に深く共鳴した私にとっては、こうした哲学的な教えにも心がひかれた。ヒルティの著作の特徴は、ケーベルが語っているように、「ヒルティの著書のどこを開いても、どの書物においても、またほとんどどのページにおいても、我々は、明晰に単純に、そして決然として述べられた、卓越した思想に出会う」ということである。 ヒルティの書いたもののなかには、「○○ではないだろうか」とか、「○○かもしれない」といった、自分が確信できないことや、単なる意見はほとんど述べられていない。信仰と、体験から生じた確信をもって書かれているのである。 この点では、私は、内村鑑三の著作、ことに彼の信仰と考え方が端的に表現されている「所感集」のような短文について同様な印象を持っている。そこにはやはり確信のあることがらだけが、簡潔に表現されている。その短文は、かれが月刊で出していた「聖書之研究」誌の巻頭に置かれてあった文章であって、あのように真理を凝縮してわずか数行で表現するのは至難のわざである。 ヒルティのキリスト教信仰の特徴は、神との深い直接的交わりを重視するということにある。そのような、キリストとの霊的な交わりが与えられるようになったのは、キリストが十字架にかかって死んで下さったからであり、ヒルティが強調する神とともにあることは、十字架信仰によって罪をゆるされた者に賜物として与えられることなのである。 十字架信仰によっていかに罪が赦されるか、キリストの十字架の深い意味については、日本の著作としては、内村鑑三のものがとくに深い内容を持っているといえる。そしてそうした赦されたものがいかに歩むべきか、神とともにあることの深い意味、神に導かれる生活とはなにか、真の幸いとは、また日常生活の具体的な問題の対処はいかにすればよいのか、などを求めている者にはヒルティは得難い助け手となってくれる。 ケーベルが、「眠れぬ夜のために」はその題名に反して朝の最も頭がすっきりしているときに読むと言っているのは、当然だといえる。朝の一日の方向を決めるときにあたって、聖書やヒルティのような真理の言葉によって出発することはそうでない場合とは大きい違いを生じるからである。 ヒルティは、ドイツ語圏の国々で広く読まれただけでなく、「幸福論」の内容の抜粋集は、やがてヨーロッパのほとんどすべての言語に訳されたし、日本語にも訳された。ロシアではとくに早く読まれるようになって、幸福論第一部の全訳の初版は二カ月以内に売り切れたという。現在でもヒルティの著作は発行されていて、例えば私の手もとにも、ドイツのヘルダー社から一九九一年に発行された、「眠れぬ夜のために」(Fur Schlaflose Nachte)である。 私たちの夜の定期的な集会(夕拝)や、いくつかの家庭集会において、聖書の学びのあとで、岩波文庫本のヒルティの「眠れぬ夜のために」や「内村鑑三所感集」の一項目ずつを学んでいる。そうすることによって、それらの著作の内容がいかに聖書と関わっているか、かれらが聖書をどのように読んでいるのかも学ぶことができるし、聖書の学びをより深めることができるからである。 つぎにその「眠れぬ夜のために 第一部」から、いくつかを引用して、短いコメントを付けてみる。 ○おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。 おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。 彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。 その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」(エレミヤ書十七・5〜8、同書二十二・5〜8) この言葉は、最初考えるよりも、多くの真実をふくんでおり、これを信じる者はさまざまの悲しい人生経験を味わわなくてすむ。 すくなくとも私は、これまでの生涯で、人間をあまり頼りとした時は、そのつど、まもなくその支柱をとりはずされてしまった。 これに反して、神への信頼が十分であったとき、それが裏切られたという場合を、私は一度も思い出すことができない。 このことがほんとうに信じられるようになるには、長い時間がかかる。そして、それができる前に、人生はほとんど終りかけている。しかし、そのとき初めて人間を真に愛しはじめる。(十二月六日の項より) ・ヒルティは、家庭環境には幼少時から恵まれ、母親も信仰あつい人であったし、十四歳という子供のときからすでに神の声を聞いたと述べているほどである。そして若いときから一貫してキリスト信仰に生きて、神と人のために生きた人物であったが、それでもなお、右のように、「神への信頼は決して裏切られないこと、人間にあまり信頼したときには必ずそれが取り除かれてしまった」というような真理が体得されるまでに人生の大部分を要したという。 聖書の箇所がいかに深い意味をもち、いかに長い歳月のさまざまの苦しみや困難を経てようやくその意味が明らかにされるかがわかる。 ○ひとは他人からなにも得ようと思わないなら、全く違った目で彼らを見ることができ、およそそのような場合にのみ、人間を正しく判断することができる。(四月二十一日) ・私たちはつねにまわりの人間を正しく判断する必要がある。どんな性格なのか、長所、短所、あるいはどんな悩みや問題を抱えているのかなど、できるだけ正しく知らねばならない。それによって私たちがいかに関わるべきかがまったくちがって来るからである。 その際に、ヒルティは、正しい洞察力とは、相手からなにも得ようと期待しないところに得られるという。それは、なにかを期待している、例えば、相手から誉めてもらうとか友達になりたいとか、地位を得る助けにしようなどと考えていると、そのようなことが期待できない人間に対してはそっけなくするだろうし、相手の優れたところも見ようとしないし、悩みなども見抜くこともできない。それに対して何も期待しない心をもって向かうと、相手のありのままの姿が入ってくる。 しかし、人間はなにかをいつも期待している。だから、相手が自分を誤解したり、見下したりすると、とたんに非常な溝が生じてしまう。それは知らず知らずのうちに、相手から認められること、相手からのよい評価を期待しているからである。 まったく何も期待しないなどということが有り得るだろうか。 それは、ただ、私たちが人間から受けるよりはるかに大きいもの、よいものを受けているときにだけ、そのように周囲の人間から期待するものを持たないようになれる。 そしてそれは、新約聖書で記されているように、キリストから満ち満ちたものを豊かに受けて初めて可能となる。キリストが言われたように、ぶどうの木であるキリストにつながっていることによって私たちはキリストからのゆたかな栄養を受ける。そしてそのとき人間から受けるどんなものにも増して魂を満たすものだと実感する。そのとき初めて私たちは、何も期待しないで人間と関わることができる。 靖国神社はなぜ問題になるのか 靖国問題とはなにか、どうして靖国神社に首相などが公式に参拝すると問題があるのか、多くの人にとってはよくわからない問題だと思われる。外務省に不正な金の使用があるといったことは、だれでもすぐにその大体の意味がわかる。こまかなことでなくとも、おおよそのイメージが浮かぶ。不況だから経済のかじとりが重要であるとか、国が莫大な借金を持っているから改革せねばいけないなどという主張も、だいたいはわかる。 しかし、なぜ戦没者を祭ってある靖国神社に首相が公式参拝するといけないのか、その理由についてあまりよくこの問題について聞いたことのない人のために書いてみる。 靖国神社とは、一八七九年六月四日に東京招魂社を改革して、靖国神社と改称したもので、一八五三年以来の国事殉難者、戊辰戦争(ぼしん)の戦没者に加え、西南戦争の戦死者をはじめ、以後日本の対外戦争における戦死者を「靖国の神」となして国家がまつった神社である。 靖国神社は、戦死者を国のために犠牲になったものとして「靖国の神」とし、肉親を失ったことへの悲しみや国家への怒りなどをしずめ、戦死者の遺族には、肉親が「靖国の神」となることによって「靖国の家」という優越感を抱き、誇りとするむきもあった。こうして、戦争を引き起こした責任者である天皇や政治家、軍部への怒りが打ち消されて、逆に靖国に現人神である天皇が参拝してくれるのだ、感謝するべきなのだなどという、逆の感情をすら育成する施設となった。これは日本の軍国主義が考え出した巧妙な施設なのであった。 靖国神社とは、数百万という膨大な人間を「祭神」としている、ほかには類のない神社なのである。これが政治的な大きい問題となるのは、そこにひそかにA級戦犯十四人(東条英機、広田弘毅、板垣征四郎ら)が一九七八年に、ほかの人たちとともに一緒に「神」として祭られたからである。 こうした太平洋戦争での最高責任者たちが、英霊として、神として祭られている神社に、国の代表者である首相が公式に参拝することは、あの戦争がまちがった戦争であるということを、認めないということになる。 英霊とは、本来の言葉の意味は「すぐれた霊(魂)」ということである。アジア、とくに中国のおびただしい人たちの命を失わせ、傷つけてその生活を破壊した侵略戦争を指揮した人たちが「すぐれた霊」であるというのは明らかに、間違ったことである。 そうした過去の侵略戦争への反省と悔い改めがあるのかということと関連しているが、もう一つは、憲法二十条の「国およびその機関は宗教活動をしてはならない」ということに違反するという問題である。 なぜ、このような憲法の規定が生まれたのだろうか。それは、戦前には、天皇が軍隊の最高指揮者でもあり、現人神として崇拝され、その天皇への忠誠を利用して国民を戦争に駆りたてたことへの反省から生まれた。 戦前は、教育勅語への礼拝、皇居への礼拝、神社への参拝、祈願などを国やその機関、とくに教育の場においても強制した。そのことが中国との戦争や太平洋戦争などへと駆り立てていく力ともなったために、国が特定の宗教を国家権力とともに用いて国民を引っ張っていくことを禁じたものであった。 首相として公式に参拝するということは、日本国民の代表者として参拝することであり、太平洋戦争を引き起こした人たち、彼らは無数の人たちが殺戮されたことへの重い責任を持つのであるのに、その人たちの霊を慰め、感謝するということになる。それは、日本の国がそのような姿勢を持つということにもなってしまう。 また、そもそも政府や軍部によって戦地へと引き立てられ、なんの罪もないアジアの人たちを殺し、もともと全く知らないはるか遠くにいた人である、アメリカなど外国の人たちも殺傷し、自分たちも多くが死んだり傷ついた、そのような事態にどうしてなったのか、それは国のほんのひとにぎりの人たちの会議で戦争が決まってしまったからである。戦死者の霊をもし慰めるというのなら、過去の過ちを認め、そのような戦争が二度と生じないようにすることこそ、ふさわしいことである。 さまざまの政治的な打算とか思惑をもって、政治家が靖国神社に参拝したところで、どうして戦死した人たちの霊が慰められるなどということがあろうか。 また、そもそも参拝によって死者の霊が慰められるというのは、まったく根拠のないことでもある。そこには、死者というのは、恨み、苦しんでいるということが仮定されている。しかし、死んだ人間がいまも恨んでいるとか苦しんでいるなどと、どこに根拠があるのか、それはまったく根拠のない思いこみにすぎない。 なぜ、あんな戦争が生じたのか、その反省も悔い改めもしないで、たんに参拝したところで、もし、死者に意識があるとしても、そんな浅い考えで参拝する者を喜ぶこともないであろう。 そんな根拠なき想像でことをするのでなく、明確なことは、戦争があのように膨大な死者を生みだしたということであり、そのような戦争を二度としないあらゆる方策をとるべきことである。そしてそのためにこそ、憲法第九条が作られたのであり、その精神を守ることこそ、戦死者の死を無駄にしない最も確実なことである。 キリスト教においては、死者の霊のために祈ったり、死者の霊を慰めるということは、新約聖書には現れない。励ましとか愛は、生きている者に対してなされるべきものだということははっきりとしている。 死者は神の御手に委ねられたのであって、どのような死に方をしようとも、神の御心にしたがって生きた者は、神のもとに帰って大いなる祝福を与えられているし、神に背き続けた者(真実や憐れみを持とうとせずに偽りや悪意をもち続けた者など)は、生きている時からすでに真の平安をもてないというさばきを受けるのであるが、死後もそうした裁きの続きを受けることになるであろう。 また、靖国神社は、自民党政治家が、選挙のときに票を獲得するための手段としても用いられてきた。靖国神社には二五〇万人余りの人がまつられていて、その遺族たちは日本遺族会を作っている。その会員がおよそ百万人ほどいる。この日本遺族会は、選挙のときには重要な票を集める組織と変貌する。 そのために靖国神社に参拝する議員たちがぞろぞろと合同で参拝したりするのである。それはマスコミを通じて自分たちは靖国に参拝しているのだと報道させることで、日本遺族会などの支持を得ようとする意図がある。もし本当に死者への哀悼の気持ちを参拝によって表したいのなら、朝早く行って個人的に静かに参拝すればよいのである。 戦死者がもし、口があるなら、自分たちの死をそのように利用するなと叫ぶであろう。彼らは、若くして悲惨な侵略のための戦争に聖戦だと偽り称して駆り立てられ、死んでいったのであるからだ。 こうしたさまざまの問題が靖国神社問題にはつきまとっている。過去の戦争の反省、平和憲法との関わり、自民党政治の選挙の道具、死者をどうみるかの宗教問題などなどである。 靖国神社問題は国民を間違った方向へと向けようとする動きである。戦争を引き起こしたことへの悔い改めをせず、戦死した人を神々として英霊としてまつるということが、戦争の反省とは逆の方向へと引っ張っていく力になりかねない。戦死すると天皇や大臣などが参拝するほどの、偉い存在になるのだ、などという受けとめ方になり、戦死がきれいなこと、よいことと感じさせ、そこから戦争そのものの悪魔性をあいまいにさせてしまうことになるのである。 休憩室 ○火星の接近 夜中頃には、南の空に夏の代表的な星座であるさそり座が見えてきます。そのさそり座には、赤い一等星が見えますが、その左(東)の方には、赤くて強い輝きの星が見えます。それが火星です。火星は二年二カ月ごとに地球に近づきます。今年の六月二二日が最も近づく日なのです。さそり座の一等星はアンタレスという名です。これは、アンチ+アレス という言葉であり、いずれもギリシャ語でアンチとは「反対、対抗」、アレスとは、火星のことです。それで、アンタレスとは、「火星に対抗するもの」という意味になります。火星に対抗するように赤く、明るい星ということから名付けられています。 ○明けの明星 去年の秋から今年の二月頃までは宵の明星として、夕方に目だった輝きを見せていた金星は、現在では朝に東の空で明けの明星として輝いています。夜明け前に東の空を見れば、だれでもただちにわかるすばらしい輝きの星です。 金星のあの強い輝きは、何によってあのように光っているのかといえば、それは太陽の光を反射して輝いているわけです。金星には、とくに濃硫酸の厚い雲が被っていることが分かっており、太陽の光は直接に金星の大地から反射しているのでなく、雲からの反射の光です。 金星の強い輝きは聖書の時代から注目されていました。昔は、電気もなく、夜の闇は現代とは比較にならないほどであり、その闇のただなかに目立つ大きな星は、聖書を書いた人たちにもことに印象的であったのがうかがえます。 返舟だより ○青空が広がり・中ヲ(最近の来信から) 私は周りの目や評価を気にしすぎでした。そのために自分で苦しんでいました。 でも今日神様は見ていてくれていると思っていたら、そして私は一人ではないイエスさまがいてくれていると急にひらめきました。そしたら急に青空が広がりました。 自分が自分がと思っていたことすら分かりませんでした。神様を信じているといって神様の方を向いてなかったのです。向いているつもりだっただけでした。 でも今日それが分かって良かったです。 ・この来信にあるように、私たちがキリスト信仰を与えられてよかったと思うことは、苦しみや悩みはいろいろとあるけれども、ある時にそれが急に晴れて、光が射してくるという経験が与えられることです。聖書には何についても、「時」があることが強調されています。神がすべてをご覧になって下さって、神のご計画にしたがって物事をすすめておられるのだからこれは当然のことだと言えます。 旧約聖書のヨブ記もそうした内容です。長い苦しみと闇があるとき、突然にして晴れて、神からの光と言葉が注がれた、それによって苦しみから導き出されたというのです。 ○ヒルティ 今月は私が学生時代の終わり頃に初めて読み初めて、卒業後も教員となったとき、生徒の希望者とともに読んだり、キリスト集会の仲間たちとも読書会という形で学んできたカール・ヒルティについて簡単に紹介しました。現代の日本は、何が真理なのか、次第に揺れ動く状況となっていますが、そうしたなかで、聖書の真理へと導く人の一人としてヒルティは今も変わらぬ重要性を持っていると感じています。ヒルティのように、論文でなく、どこを読んでも、どこからでも真理、とくに聖書の真理へと導くことのできる書物はごく少ないのです。 ○憲法学者も聖書を知らない? 平和憲法を変えて正式の軍隊を持とうとする動きが強くなっています。先ごろ、早稲田大学教授のM教授の憲法講演を聞く機会がありました。平和憲法の精神を守るべきこと、自衛という名の戦争を認めるとどんな問題が生じるのか、また最近のコソボ問題など人権侵害を守るための戦争だと言い出す人が出てきたが、そのような主張の問題点は何かなど、考えさせる内容がありよかったと思います。あのような考え方を多くの人が知るようになればと願われたことです。 ただ、残念であったのは、あらゆる戦力を放棄するという平和憲法の理念の源流について、質問を受けたときの、その講師の答からすると、どうも聖書のことは知らないのではないかと思われました。すでに旧約聖書に平和主義を思わせる記述があるということ、キリストの有名な言葉や新約聖書の内容についても一般の人はもちろん、学者といわれる人でも聖書の知識はたいへんに少ないことを感じます。日本では聖書はよく売れていても、その内容はごく一部の人にしか知られていないのです。 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4) これは今から二千七百年ほども昔に書かれた書物ですが、神の御意志はこのように、武力による戦いを止めることだとはっきり記されています。キリストの有名な言葉、「剣を取る者は皆、剣によって滅びる」(マタイ福音書二十六・52)も、そうした言葉の延長上にあります。そしてその言葉通りに、主イエスは敵対する人たちにいっさいの武力を用いず、自らは十字架上で殺されることで、神の御意志を全うしました。そして弟子たちも、使徒たちのはたらきの記録の示すように、いろいろな危険のときにも、いっさいの武力をもって反撃することをしなかったのです。 追記 神の言葉 聖書は神の言葉だと言われる。それは変わることのない言葉だからであるし、どんな人にも通じる言葉であるという意味がこもっている。さらに、その言葉が持つ意味が限りなく深いという意味もある。 三十年も読んでいる箇所であっても、ある時には、まったく新しい言葉のように、新しい意味をもって私たちの心深くに入ってくることがある。それは神がその言葉に生きていて私たちに働きかけるからだ。 先日もイエスは言われた、「起き上がり、床をかついで家に帰れ」(マルコ福音書二・11) という言葉が心に新しい意味をもって感じられた。これはもともと中風の寝たきりの人に言われた言葉である。表面的によめば、健康な私とは何の関係もない。 しかし、ある問題で心が沈む思いをしていた私にとって、それは直接の主イエスからの励ましの言葉のように聞こえてきたのであった。祈りをもって読んでいたときに与えられるとき、それは生きておられる主イエスが私に直接に語り掛けて下さった言葉として感じられた。 聖書の言葉はそのような不思議な力を持っている。印刷された古い時代に書かれた書物にすぎないのでなく、必要な時には、求める者に対して紙面から生きた言葉、神の力を帯びた言葉が私たちの内に飛び込んでくる不思議な書物なのである。 |
2001/6 |
今月のみことば 主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。 (詩篇一〇七・31) トップを選ぶ 2001/4 自民党の総裁選挙のことが連日報道されている。選ばれた人が日本の首相になるのだから、その重要性は当然である。日本の前途を任せる人であるから、少しでもましな人が首相になってほしいというのはごく自然な願いである。 韓国や中国、アメリカ、ロシアといった国々との関係も首相の考え方次第でずいぶん変わってくる。 戦前では、悲惨な戦争にすらなってしまったし、現在もイスラエルのように、首相が変わると地域での紛争がとみに激しくなってきた国もある。 しかし、いかにそうした外部の状況が変わろうとも、私たちの真の幸福そのものは変わらない。 私たちが自分中心の考えで生きている限り、そして唯一の神がおられるということを信じようとしないかぎり、いつの時代にあっても、真の深い幸いは与えられないからである。 私たちが実感できる真の幸いは、首相がだれであっても、また社会がどのように変化しようとも、キリストが私たちとともにおられるその実感にあるからである。 神とともにあること、キリストが私たちの内に住んで下さること、それがキリスト教が約束している幸いであり、それは外側の事情には関わらない。 最近の十年ほどでは、首相は一年余りで一回代わっている計算になる。だれがなったからといって日本人の幸福の実感はたいした変化はなかったはずである。 しかし、キリストが私たちの内にとどまって下さることによって、どのような悲しみの折も、苦しむときも、ほかの手段ではかえることのできない平安が与えられる。 だれが国のトップになるかは私たちが決められない。たとえ首相公選制となっても、わずかに一票しか投票できない。 しかし、私たちの心の内で、何者がトップになるかは、私たち自身が今すぐにでも選ぶことができる。金や地位か、自分自身か、他人か、それとも主イエスか。 ここでは、そうした内容の基本的精神が現れている序文について考えてみる。 新聞報道によれば、その教科書の序章にはつぎのような内容が書いてあるという。 「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」
こうした考え方は、キリスト教の考え方と本質的に異なる。キリスト教はまさに善悪について、幸福について永遠に変わらないとのべ、その永遠の真理と幸いを伝えるものであるからだ。 善悪の基準は現在と昔では同じでない、それは部分的に言えることである。例えば、親が不正なことで殺されたなら、仇を討つのが正しいこととされていた時代があった。しかし、現在ではそんなことをしたら殺人罪となる。また、江戸時代においては身分差別は当然のことであったが、現在ではそれは悪であることはだれでも知っている。 このような例を考えると、この歴史教科書を作った人たちの考えは当たり前と思う人もいるだろう。過去のことだけでなく、現在のことも、人によって善悪の基準は違うのだなどと考えている人も多い。 しかし、この教科書においては、このような考え方を最初に持ち出すことによって、過去の日本が行った侵略や戦争などを正当化しようという意図が見えている。 このような考え方で過去のこと、歴史を見ていくということは、いったいどのようなことが生じるだろうか。 そもそも過去とは、いつなのか。今からわずか一時間前でも厳密に言えば過去である。一年前のことは過去であるとはだれもが認めるだろう。しかし、その過去のことを現在の善悪の基準で判断することができないなどと言うのなら、あらゆる過去のことについて善悪はいっさい言えないことになってしまう。そんな無意味なことをだれが言うだろうか。 それとも一年前は、「現在」だというのであろうか。それなら十年前は、どうか、五十年前でも現在というのであろうか。 このように、過去のことを現在の基準で判断するなというとき、現在とか過去をどんな意味で使っているのかも不明である。数百年前だけが過去でないのである。 過去を現在の基準でその善悪を判断することを放棄するならば、およそすべての過ぎ去った事柄の善悪は判断出来ないことになる。 このような矛盾があるにもかかわらず、深く考えない一般の人たちには、過去のそれぞれの時代には、特有の善悪や幸福があった、現在はそれとは違うのだという考え方は、受け入れられやすい。 このような善悪や幸福は時代や国とともに変わっていくのだという考え方は、よく検討してみると大きい矛盾を持っているのがわかる。 例えば、「人を理由なくみだりに殺してよい」とか、「男女の不正な関係をいつでも誰とでも自由に持ってもよい」などというきまりはいかなる国でも成立したことはなかった。 先ほど例にあげた、仇討ちが認められていたような時代でも、「みだりに人を殺してよい」などという法律は全く有り得なかったのである。 また、「嘘をいくらでも言ってもよい」とか「他人のものでも何でも盗んでもよい」「親をバカにしてもよい」などというのも同様である。 こういうことを考えてもすぐにわかることは、どこの国でも、いつの時代においても、永遠にかわらないある種の決まり(真理)があるということである。 善悪の基準が時代とともに変わるとか、人によって違うなどという人は、こうしたことを考えたことがあるのだろうか。 善悪の基準というものが、永遠に変わらない内容をもっている、それこそ聖書が力をこめて語っていることである。 今から三千数百年も昔にモーセが受けた、神からの十カ条の基本的な言葉(十戒)は、そうした永遠の真理だと言える。さきほど述べたことも、すでにそのなかにすべて含まれているのがわかる。 真実で正義の神のみを拝せよ、ということから、嘘をついてはいけないというのも自然に含まれてくる。殺すな、不正な男女関係を持つな、盗むな、などもみな人間がどのようにあっても変わらない真理である。 モーセが受けた真理をさらに完全なものとしたのが、キリストが示した真理であった。「神を愛し、隣人を愛する」「敵を愛し、敵のために祈る」「弱い者を心から愛する」といったような規定は、それを超えるものがないということは明らかであり、だからこそ、二千年ものあいだ、一貫してキリストの示した真理は受け継がれてきたのである。 キリストの真理を超えるものは、この二千年の間、現れたことがないし、今後も現れることはないであろう。なぜなら、キリストは永遠の真理たる神ご自身と同質のお方であるからだ。 こうした永遠の真理に照らして歴史の出来事も考えて判断するべきなのである。キリストやパウロ、ペテロといった初期の弟子たちはまったく武力や権力などを使わなかった。そして他人の命をどこまでも大切にした。その結果自らは殺された。 しかし、数百年してからキリスト教が国教となってくると、権力や武力をもった人たちが表面はキリスト者だといいながらも、武力や権力をもって人々を苦しめるということも生じた。 これは、すでにキリストによって示された、永遠の真理に背くことであった。戦争が宗教の名によって行われたこともあった。しかし、そのようなときでもキリストが「敵を愛せよ、敵のために祈れ」と言われたその内容は永遠の真理であり続けた。 時代によって善悪の基準が変わるのでない。移りやすい人間の心が、すでに示された善悪の究極的な基準を無視しているだけのことである。 真理とは、時代の変化にも場所にも変わりなく通用する力をもったものである。そしてその真理と一つになることこそ、人間の究極的な幸福であることは当然の結論となる。 こうしたことを知らない人たちが、過去のことは現在の善悪の基準で判断できないとか、幸福は時代によって変わるなどという主張をする。 こうした主張をする人は、自分が言っていたことも簡単にくつがえすだろう。そしてそれもなんとも思わないということになる。彼らの言い分のように、善悪は時とともに変わるのだと釈明するだろう。 確実なことは、そのような考え方は真理を知らない者であり、そこには深い平安や心の潔められるという喜びを知ることができないということである。 私たちは、このような間違った考えを日本の「国」が認めていること、そして歴史を歪めてでもこのような間違った考えを教科書として採用していこうとするその発想に強い警戒心をもたなければと思う。 キリストが復活しなかったら、キリスト教はなく、キリスト教がなかったら、ヨーロッパや南北アメリカ、そして世界の国々の状況はまったく異なるものとなったであろう。 そして、いたる所の国々で弱い者は圧迫され、踏まれ、苦しめられる状況がずっと後まで続いていたと考えられる。 キリスト教から、障害者や一般に弱い者への配慮を重んじる福祉という考え方も生まれた。 その例として盲人福祉(教育)や、女性の教育などとキリスト教との関わりを取り上げる。 日本では、盲人やろうあ者、肢体不自由など、障害者の人たちへの見方は、何かがたたっているとか、先祖が悪いことをしたとか、先祖への供養をしなかったからだとか言われて、放置されていたばかりでなく、いまわしい存在としてさえみる人が多かった。 そのような状況のなかで、キリスト教はまったく新しい見方を人々に示した。それは、そのような障害者もまた、神の栄光をあらわすための存在であり、神がとくに慈しまれる存在であるということであった。キリストご自身がそうしたハンセン病や重い病人、障害者といった人たちに特別な愛を注がれたことがその源流にある。 視覚障害者の福祉の方面では、日本で初めてライトハウスを大阪に創設した岩橋武雄や一九二二年以来、現在も発行が続けられている点字毎日という世界でも珍しい点字新聞を作った人々はキリスト者たちであった。点字毎日は、内村鑑三によって信仰に導かれた好本督(ただす)やそのキリスト者仲間が創刊したものであった。 ライトハウスはその後、つぎつぎと作られて現在では名古屋、京都など九箇所に作られている。東京には、内村鑑三の信仰の弟子であった秋本梅吉が、東京光の家を創設した。 明治の後半になっても、盲人教育がいかに遅れていたかは、つぎの数字が示している。一九〇一年(明治三四年)には、一般の小学校の就学率はすでに九〇%に達していたが、盲ろう児の就学率はわずか二%でしかなかった。 また、日本の盲人教育の中心となった東京盲学校もそのもとは、一八八〇年という古い時代に、アメリカの宣教師や津田仙(津田塾大学の創設者である、津田梅子の父)などキリスト者によってつくられた楽善会という組織が建てた、訓盲院であった。(訓盲とは、盲人を教えるという意味) 女性の高等教育ということも、以前には考えられないことであった。それは女性は男性とは一段低い存在として考えられていたからである。そのような女性の高等教育は、明治になってから外国のキリスト教の宣教師などが始めたものであった。 日本で最初の女子高等教育は、江戸時代の末期(一八五九年)に来日した、ヘボンの夫人がはじめた塾に始まる。それを引き継いで、一八七〇年にヘボンの治療所において始まったのが、日本の近代女子教育の出発点となり、それは後のフェリス女学院となった。 また、そのすぐ後、一八七三年に神戸にて、アメリカからの女性宣教師が日本の女性への伝道と教育のためにつくった学校が現在の神戸女学院である。 津田塾大学は、津田梅子が、自分が幼少のときと、成人してからも受けたアメリカでの高等教育を日本の女性にも受けさせたいと、一九〇〇年に始めたのがその始まりであった。 東京女子大学は、一九一八年に、キリスト教の女子高等教育を授ける目的で設立された。それは、アメリカとカナダのプロテスタントの六つの教会代表と日本側の有志によって設立された。そしてその初代学長には、現在、五千円札に写真が入っている新渡戸稲造がなった。 また青山学院大学も、一八七四年にアメリカの女性宣教師であったスクーンメーカーという人が、前述の津田梅子の父、津田仙の協力を得て、創設した女子小学校がその出発点となっている。 日本女子大学はキリスト教主義の大学ではないが、それを設立したのは、牧師で、女子教育につよい関心のあった成瀬仁蔵であった。彼が日本女子大学校を創設したのは、一九〇一年。 以上のように、現在も知られている女子の高等教育はキリスト教の強いリーダーシップによって始められていった。 ハンセン病の施設とキリスト教 ハンセン病(らい)の病院の設置もまた、明治になって外国のキリスト教の人たちによって始められている。 一八八七年(明治二〇年)にカトリックの神父がハンセン病の女性が極貧の生活をしているのを見て、引き取りそこから出発してその二年後には、静岡県御殿場に病院が作られた。その後も、東京、熊本、群馬など各地に、キリスト教宣教師たちがもとになってハンセン病の病院が造られて行った。 また、小さい者への特別な愛は、幼稚園創設となって現れた。これは、ドイツのフレーベルという教育学者が、一八四〇年に世界で初めて設立したものである。今でこそ幼稚園などの幼児教育はごく普通となっているが、当時は、幼児を集めて教育する必要などは考えられなかった時代なのである。 その名前は、フレーベルが植物についてとくに深い関心を持っていたために、キンダー・ガルテン(Kindergarten)と名付けた。キンダーとは、子供たちという意味で、ガルテンとは、英語のガーデン(garden)であり、植物が人の世話を受けて庭園で育つように、幼児の教育もそのようになっていくことを願って付けられている。 ガンジーはインドを独立に導いた類まれな人であったが、彼がそのような大きい働きをしたのは、真理の力を信頼する非暴力の信念であった。ガンジーはその基本的な考えを学んだのは、新約聖書の「山上の垂訓」のおかげであったと語っている。彼が一九三五年以降に住んでいた住み家には、十数冊の本があったが、それにはインドの宗教書とともに新約聖書のヨハネ福音書が含まれていて、壁には、キリストの絵が掛けられ、文鎮には、「神は愛なり」が彫り込まれていたという。 また、ガンジーは、「私が宗教に関心を持つようになったのは、ひとえにキリスト者たちのおかげであった。今後永久に彼らとの交わりを忘れないつもりでいる。それ以後は彼らとの交わり以上の喜ばしい交わりを経験することはできなかった。」とも言っている。 (「マハトマ・ガンジー」スタンレー・ジョーンズ著。なお、著者はアメリカの宣教師。日本にも来て、大きい影響を及ぼした。榎本保郎が始めたアシュラム運動もスタンレー・ジョーンズが始めたものであった。 また、黒人の自由のために大きい働きをしたマルチン・ルーサーキング牧師はアメリカの黒人差別を撤廃させる運動の歴史においては、リンカンの奴隷解放宣言と並んで最も重要なものとなっている。 このような、政治的にも大きい働きも、たどってみると、キリスト者、あるいは新約聖書がそのもとにあり、究極的にはキリストが動かしたと言える。 また、日本の士農工商という身分差別や人権無視の考え方は、従来の日本の伝統でもあったが、そうしたまちがった考え方を撤廃させていったのが、ヨーロッパから伝わった考え方であり、その背後にキリスト教がある。 アメリカ合衆国も、イギリスから渡ったピューリタンと言われるキリスト者たちがその出発点の精神を刻みつけた。 一六二〇年、102名がメイフラワー号というわずか180トンの船に乗って、二カ月を超える困難をきわめた船旅の後に北アメリカの大西洋岸に着いた。上陸前に作ったのが、有名なメイフラワー契約であって、そこには、「神の栄光のため、キリストの信仰の増進のために」そこに住み着こうとしているのだということが記されている。こうした信仰をもとにして、一人一人が平等であり、尊重されるという考えがそこにあった。この考え方が、以後のアメリカ社会のなかに深く流れていくことになったが、こうした形で国家や社会の形成にもキリストが働いている例といえよう。 こうした絶大な影響力は、例えば世界的に日曜日を休むのは、じつはキリストの復活を記念する日から始まっているし、年号を数えるのもキリストが生まれたとされる年を基準にしていることにも現れている。この二つだけとってみても、世界中の人々がいまもキリストの大きい影響のもとに置かれているということができる。 こうした比類のない影響を及ぼすことになったがゆえに、世界歴史での最大の出来事は、キリストの復活であるということができる。 このような人類の歴史においても比類のない重大な出来事を知らせるのに、どんな方法を主イエスは用いたであろうか。 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。(ルカ福音書二十四・13〜16) > しかし、そうはならなかった。復活のキリストは、クレオパという人と、もう一人は聖書には全く名もあげられていない弟子に現れたのである。クレオパにしても、ほかの福音書や使徒たちの記録、使徒の書いた書簡などどこにも記されていない人物であった。 名も知られないような人のところに、いつのまにか近づいて共に歩まれるイエス、それこそ、復活のキリストを象徴していると言えよう。 このことは、ヨハネ福音書においても見ることができる。 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。(ラボニとは、「わが主」、とか「先生」という意味) <
イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。 七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、・・それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(ルカ福音書8:1-3) べつの聖書の箇所では、ある悪霊につかれた人の状態が記されているが、それはつぎのようである。 この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足かせをはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。(ルカ福音書八章より) このような絶望的な状態になっていた女性に、復活のキリストが初めて現れたということに、意味深いものがある。 このことは、復活したキリストがとくに心を注いでおられるのが、このような苦しみから救われた人、弱い立場の人であるということを暗示している。 マグダラのマリアは、復活したキリストが現れてもそれが、キリストだとわからなかった。ほんの数日前まですぐそばで主イエスに仕えていたにもかかわらず、そのキリストがそばにいて「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」と語りかけているのに、それがイエスだとはわからなかった。それは不可解なことである。 それならいかにしてマグダラのマリアはこのように語りかけたお方が、復活したイエスであるとわかったのだろうか。それは、主イエスが、「マリア!」と彼女の名を呼んだときであった。 その時、マリアは、イエスに向かって「ラボニ」(*)と呼んだ。 その一声によって、その直前までまったく信じてもいなかったし、目の前にイエスが復活してもわからなかったマリアが、イエスは復活したのだ、とはっきりとわかったのである。 ここで、名前を呼ぶということは魂の深みに語りかけることを意味している。復活したイエスが私たちの心の深いところに個人的に呼びかけること、それによって私たちはキリストが今も生きて働いておられる、しかもどのような人間よりも深いところに呼びかけることのできるお方であると実感する。 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞く。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 わたしの羊はわたしの声を聞く。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。(ヨハネ福音書十章より) しかし、この世には、さまざまの声があふれている。それは、洪水のように、毎日テレビ、新聞、ラジオ、雑誌、インターネットなどという形によって押し寄せている。それらの声は多くの場合、人間を本当に正しい道に導くよりは、間違った道へ引っ張るものとなっているといえよう。だからこそ、そうした雑多な声があふれるにつれて、人間の心が荒廃していくのである。 そうした人間の声にくらべるとまったく違った清さを持っているのが、自然の奏でる声である。風に吹かれる樹木の葉の音、谷川の水の音、小鳥のさえずりなどはさながら天からの響きのようである。 しかし、自然は破壊されることがあるし、都会の人々には近づけないとか、病弱な人はそうした自然の豊かなところにも行けない。そしてそのこととも関連しているが、悩み苦しむ人を立ち上がらせ、導いていくことのためにはもとより不十分なものである。 後の多くのキリスト者たちは、復活したキリストの個人的な呼びかけによって、どんな理屈や反論や攻撃をも超える確信を与えられていった。 復活したキリストの実在は、いかに議論しても納得するものでもなく、またキリストが地上で生きていたときに、どんな奇跡やよい教えを聞いたからといって信じられるものでもなかった。十二人の特別に選ばれた弟子たちも、主イエスが殺される前から、「自分は十字架につけられて三日目に復活する」と預言したにもかかわらず、まったく信じなかったことが記されている。 すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マタイ福音書十六章より) これは、第一の弟子であったペテロですら、主イエスが十字架で殺されること、復活することなどをまったく有り得ないことだと思っていたのを示している。 議論とか奇跡を見たとかではキリストの復活を信じることができず、個人的な語りかけによって初めてわかるということは、最大の使徒であったパウロの回心をみてもわかる。 パウロは、ステパノというキリストの弟子を殺すことに加担していたことが記されている。ステパノが最後まで主イエスを見つめてまわりの人たちへの罪の赦しを祈りつつ息絶えたことも目の前で見ていた。しかしそのような実例を見てもなお、パウロはキリストの復活を全く信じることはなかったからこそ、つぎの箇所で見られるようにその直後も迫害を続けていたのである。 しかし、信仰深い人々がステパノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。 一方、サウロは家から家へと押し入ってキリストを信じる人たちの集まりを破壊しようとし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。(使徒行伝八章) しかし、そこへいく途中の路上で天からの光がめぐり照らして、復活のキリストの一声によってパウロは、キリストの復活を信じて、それまでの考え方が根本からまちがっていたことに気付いたのであった。 > ところが、サウロ(パウロの以前の名)が旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。(使徒行伝九章より) > このパウロの回心ということは、復活したキリストが「サウル、サウル!」と語りかけたことが決定的となった。その点では、マグダラのマリアに対して復活したキリストが一声「マリア!」と個人的に呼びかけただけで、マリアは、復活のキリストを認め、いっさいを悟ったのと共通している。 キリスト教は、単なる教えではない。弟子たちは、いかにキリストがなさる大いなる奇跡を見ても復活は信じることはできなかった。そういう意味では、思索も伝統も、教えも、また不思議な現象を見ることもすべて、キリストの復活への確信にはならなかったと言えよう。 ルカの書いた福音書ではどうだろうか。 ここでは、名の知れないような弟子(一人だけはクレオパとわかっている)に静かに現れたキリストが、復活したキリストであるとは、弟子たちはわからなかった。十キロを越える道を、いろいろと聖書のことを聞かされて歩いたがそれでもそのお方が復活したキリストであるとは、わからなかった。 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かった・・。(ルカ福音書二十四・28〜31より)
ここでは、もし弟子たちが無理に引き留めなかったなら、復活のキリストは通り過ぎてしまい、弟子たちもそれがキリストだとはわからないままになっていたところであった。弟子たちは、ふしぎな力にひかれるように、その未知の人だと思われた人を無理に引き留めて、自分たちとともに留まることを求めた。そしてともに食事をするとき、イエスがパンを取って祈り、それを裂いて弟子たちに渡したときに二人の目が開けて初めてそれが復活のキリストであるとわかったというのである。 これは不思議な記述である。数時間も歩きつつ、話を聞いてなお、イエスだとわからなかったのに、イエスがパンを裂いて渡したときに目が開かれて復活のキリストだとわかったというのは何を意味するのだろうか。 少なくともそれは、イエスからのパンを頂いて初めてわかったということである。イエスはいのちのパンであるといわれている。ルカ福音書と同じ著者が書いた使徒行伝には、弟子たちが新しい力を受けたのは、みんなが集まって真剣な祈りを捧げていたときに、聖霊が注がれ、そのときから弟子たちもまったく別人のように変えられたことが記されている。 このような記述から、私たちが復活のキリストがおられるということが本当にわかるのは、神(キリスト)からの賜物によってであること、それは聖霊であり、それを頂いてはじめて復活ということも本当に体得することだということである。 そのために弟子たちがしたことは、「キリストに留まって頂くために、無理に引き留める」ということであった。 私たちもまた、そのことが求められている。現在の私たちにとって、復活のキリストを引き留めるとは、個々の人の真剣な祈りであり、キリスト中心の集会である。「二人、三人が私の名によって集まるところには私もいる」(マタイ福音書十八・20)と主が言われたことは、この主を引き留めることは数人が主の名によって集まることによって、そして互いに祈り合うことによってなされるということを示している。 日曜ごとの礼拝集会を軽視することは、たいていの場合、信仰の減退を伴うことはしばしば見られる。 以上のように、復活というのは、確かな事実として記されており、そこからキリスト教は宣べ伝えられるようになった。 もしキリストが復活しなかったらキリスト教というものは消えていたのである。 主イエスが十字架で処刑されるとき、民衆はみな、イエスを殺せとわめいて、重大犯罪人であったバラバという男を赦してもイエスは殺せというほどに生前のイエスは受け入れられなかった。 その上、弟子たちもみんな逃げてしまったし、筆頭弟子のペテロはキリストにどこまでも従っていくどころか、三度もイエスなど知らないといって強く否定したこと、そしてその弟子たちは、自分たちも捕らえられるのでないかと恐れて、部屋にこもっていたという状態であった。 わずかに少数の女性たちが最後まで十字架の近くで見守っていたという。 もし、イエスの復活がなかったら、このままイエスの宗教は消滅していただろう。教祖が捕えられ、悪人として処刑され、弟子たちも逃げて、民衆も処刑に賛成したという状態からいかにしてそのようなイエスをもとにした宗教が存続していくことができようか。 しかし、そのようなまったくイエスの宗教は断絶したと思われたただなかにキリストは復活された。そして恐れて隠れていたような弟子たちに聖霊が注がれ、まったく人が変わったようになってペテロたちは、キリストの復活を証言しはじめた。それがキリスト教が広く世界に伝えられていく始まりでもあった。 主イエスが地上に生きておられたときには、「私はイスラエルの失われた人以外には遣わされていない」と言われ、その働きを限定されていた。復活によってそれが無制限に世界に宣べ伝えられるようになったということができる。 パウロもすでに述べたように、復活のキリストがなかったら、回心もしておらず、キリストの伝道にも加わっていなかったのである。 復活とは、キリストが死というあらゆるものを飲み込んでしまう力に勝利したということであり、そこに希望の源泉もある。 キリスト教で復活と並んで重要なことがある。それはキリストの十字架による死である。その死は、キリストが、人類の罪を担って死んで下さったということであり、それを信じる者は、罪の赦しを受けて新しい命を与えられるということである。 しかし、このことは、もしキリストが復活しなかったのなら、有り得ない。復活できないキリストなら、死というものに飲み込まれたのであり、キリストを殺した人たちの悪意によって滅ぼされたことであり、それは結局、悪が勝利したということである。 もしそうであれば、悪そのものである罪の力が打ち破られるということもまた有り得ないことになる。 しかし、復活したゆえに、あらゆる悪の力、死の力に勝利することを証明したことになった。だからこそ、十字架の死も敗北や滅び去ったことでなく、それは罪をそこで滅ぼしたしるしともなったのである。 このような点から、使徒たちの最初の宣教は、つぎのように復活の証言から始まった。 神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。(使徒行伝二章より) このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現された。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっている。わたしたちも、あなたがたに福音を告げ知らせている。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのである。(使徒行伝十三章より) このように述べて復活こそが、福音の原点であることを明言している。この後、パウロは、復活したからこそ、旧約聖書でも預言されている通りのメシアであり、イエスの死は、それによって罪の赦しを与えるものであったことを続いて証言している。
だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのである。(使徒行伝十三章より) それはキリストが復活したこと、そこから十字架による罪の赦しが与えられ、それを信じて実感するところにある。キリストが復活していまも神と同じ存在として生きておられるからこそ、パウロにも現れたのであった。パウロは、生前のイエスには会っていなかったと考えられる。それは聖書にもそのようなことを暗示する箇所がまったくないからである。 そのパウロをキリスト教の迫害者から百八十度転換させたのは、人の説得でも書物でもなかった。それは、復活したイエスからの直接の呼びかけであった。だから、パウロも復活のキリストがいないキリスト教などというのは考えられないのは当然であった。 こうした観点から、キリスト教の福音として最も重要なことは何であるか、それについて、パウロはこう述べている。 パウロがつぎのように、強い調子で復活が不可欠だと主張しているのも彼自身の経験に基づくものであった。 < キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄である。 更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされる。なぜなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからである。・・キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになる。 そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々(死んだ人々)も滅んでしまったのである。 この世の生活で(死んで滅びてしまった)キリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最もみじめな者である。(Tコリント十五章より) 復活によってキリストはイスラエルという地上のきわめて狭い領域でだけ働くのでなく、全世界のどんな場所においても働く神と同質のお方となった。それによって確かに以後の二千年という長い間、無数の人々はその復活したキリストに出会い、救いを与えられ、その復活のキリストの声を聞いて導かれてきたのである。 復活ということは、肉体の死からの復活だけではない。新約聖書においては、人間が永遠の真実な実在であり、愛そのものであるお方(神)に背を向けている状態は、当然不信実で、自分中心の生き方であるゆえに、それはいわば死んだ状態だとしている。パウロ自身、「死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるのか!」(ロマ七・24)と叫んでいるが、そうした死んだも同然のものを救うために来て下さったのがキリストであると悟ったのがパウロであった。 真実そのものである神に背いている状態は死んだも同然という見方は、べつの福音書にも見られる。 それは放蕩息子のたとえとして有名なものである。
このように悔い改め、すなわち父なる神に立ち帰ることが、死から命への転換であり、万人が神への方向転換をするためにキリストは十字架で死なれた。 現在の私たちが新しく生まれ変わって、日々生きていくことができるかどうか、それはまさにキリストの復活によっている。それはつぎの言葉にも現れている。 神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて、生き生きとした希望をいだかせ・・(Tペテロ一・3)
このようにキリストの復活は、それがなかったらキリスト教なるものも存在せず、キリスト教が世界に伝わることもなかったし、したがってキリストの復活がなかったら世界の歴史はまったく異なるものとなっていただろう。 このような意味で、世界史の最大の出来事は、まさにキリストの復活であった。 今日では日曜日を世界的に休む日となっているのも、もとはキリストの復活が日曜日であったからである。金曜日に殺され、三日目、すなわち日曜日に復活したからこそ、その日曜日を「主の日」として集まるようになった。主の日という言葉は、黙示録に現れるが、それ以後のキリスト教の文献に見られるようになる。 旧約聖書以来の土曜日を安息日として休むその精神と、キリストの復活を記念する日曜日の精神が合わさって、週に一度、日曜日に仕事を休んで、キリストの復活を記念し、礼拝を捧げるのが日曜日となった。 しかし、日曜日のこの意味を日本人はほとんどの人が知らないままで今日に至っている。これは、この日曜日に休む制度を取り入れた明治政府が、一八七三年(明治六年)までは、江戸幕府と同様に、厳しくキリスト教を邪教として迫害していたのであって、そのようなキリスト教の根本制度を取り入れるにあたっても、人々に日曜日の意義を知らせることをしなかったので、それが現在にいたるまで、日曜日の意義についてなにも知らないという状態を作り出してしまったのである。 聖書においても、復活の重要性ははっきりと記されている。多くの人は、キリスト教で最も重要な行事はクリスマスだと思っている。しかし、聖書を見ればわかる通り、クリスマスの記事、イエスの誕生の記事よりもはるかに復活に関係した記述が多く、かつ詳しいのである。クリスマスの記事は、マタイ福音書とルカ福音書の二つだけである。 しかしすでに述べたように、使徒たちのはたらきをくわしく述べた使徒行伝においては、その最初に、復活のキリストが弟子たちに命じた言葉が記されているし、復活のキリストのべつのあらわれである、聖霊のはたらきを中心に記されている。 ペテロや、パウロも復活の証言をその伝道の中心においたし、彼らの経験の出発点でもあった。 それゆえ、使徒パウロの書いた手紙のうち最も重要なローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙、ガラテヤ書、エペソ書、ピリピ書、コロサイ書などにもすべて復活の重要性が記されている。 復活があるからこそ、信じる者はいつまでもすたれることのない希望を持つことができる。信仰と希望と愛とはいつまでも続くとパウロは言った。この三つはいずれも復活とかたく結びついている。キリストの復活を信じる信仰、そこから、キリストは神の子であり、その十字架の死により、私たちの罪が赦されたという信仰も生じ、どんなことがあっても、たとえ死ぬことがあっても、復活があるのだからという強固な希望となり、それは、神の愛ゆえにそのようにして下さるということである。そして最終的に私たちは神の清い愛の満ちた神の国へと招き入れられるのである。 春の代表的な野草として、スミレがあります。わが家は低い山の斜面にあるために、こどもの時からスミレにはなじみがあります。また大学時代には京都北山から福井、滋賀県にかけての山々のかなり広い領域をよく歩いたので、その折にもスミレをあちこちで見かけたものです。 山を歩いていて、一番多いのは、タチツボスミレです。山道に群生しているのはほとんどこの種です。スミレはこれとは違って多く群生はしないのが普通です。わが家のすぐ裏にもタチツボスミレの自生が見られます。 また、白いスミレとして比較的多く見られるものには、ツボスミレがあり、山道に時折一つ二つと見られるのは花が赤紫で美しいシハイスミレです。また、稀なものとしては、葉が深く分かれている白いスミレであるエイザンスミレがあります。これは野生のものとしては七百メートルほどの山で一度見ただけです。 スミレは雑草として繁ることなく、またいたるところにあるわけでなく、思いがけないところの山道や山の斜面に少し見られること、その濃い紫色がことに印象的なこと、その自然に見られる姿がひかえめで、花の咲いたあとも地味なものです。しばしば野草は、夏には背も高くなって、生い茂ったり、種が衣服にくっついたり、あまり見よいものでなくなりますが、スミレはそうした点でも万事ひかえめです。 こうした点からも、芭蕉が「山路きて なにやらゆかし すみれ草」と歌ったのも共感できます。自然のままの山道でスミレを見つけたときには、たしかに、何となく心ひかれるし、なつかしいような気持ちにさせてくれるものです。 この芭蕉の句は、多くの人のスミレに対する気持ちをいわば代弁して歌ったもので、日本人の心にスミレが深く刻まれていることの証しとなっています。 ブルームハルトは、一八〇五年生まれ。ドイツの宗教家、牧師。病気をいやす賜物を与えられていた。 ○集会場を少し広げるための工事が集会員のH.N兄によってすすめられています。クリスマスとかイースター、外部から講師が来られての特別集会のときなど、部屋が狭くて入りきらなかったのですが、これが完成すれば、そのようなことがなくなります。 今年の四月十五日に行われたイースター特別集会は、大人、子供併せて六十名余りの人が参加しましたが、初めて部分的に使えるようになった拡張された集会室を使うことができました。 ○「はこ舟」は伝道のため、み言葉の学びや、キリスト教に関する知識を提供するために作っていますので、用いようとされる方には複数をお届けします。(費用は自由献金です。) ○最近聖書を読むようになった方からの来信です。
こういったことに付随して、まだはっきりとわからない様々なことが同時進行しながら、深くこころが満たされていくように思えます。自分にとっては奇跡かも。奇跡です。
・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。 (一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。 (二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます) ・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で毎月場所が変わります。(現在の移動夕拝は、板野郡藍住町、徳島市国府町の二箇所で行っています。) ☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町、徳島市住吉、徳島市応神町などで行われています。また祈祷会が月二回あります。 それらの集会についての問い合わせは下記へ。 ・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017 |
2001/4 |
春 2001/3 時は流れ、再び春がやってきた。春が来るたびに思うのは、日本はいかに自然が豊かであるかということである。野山に少し出て注意して観察すれば、いたるところに初々しい若葉が出てくるし、それにつぎつぎと花が咲き始める。 花壇に咲く大きくて見事な花だけでなく、道ばたや、野原、山々には小さくてもじつに可憐な花、また繊細な美しさをたたえた花が見られる。 主イエスが「野の花を見よ、ソロモン王の栄華を極めたときも、野の花の一つにも及ばない」(マタイ福音書六・28)と言われた意味が理解できる。 植物は沈黙のなかに、芽を出し、成長し、そして花を咲かせ、実をつける。じっとその場を動くことなく、太陽の光を受取り、沈黙のうちにすべてをなしていく。 置かれた場にじっととどまりながら、そこから、美しさや香りを放ち、その葉や果実は野菜や、米麦や果物として私たちの不可欠の食糧となり、雑草の類も家畜の食物となり、それがミルクや肉などとなって私たちを支えている。また、木材は家を作り数々の家具の材料となり、紙という不可欠なものの原料ともなる。そして、綿や麻のように私たちにとってなくてはならない衣類の原料でもある。さらに植物の作り出す酸素によって私たちは生きている。 私たちは単に人間の力で生きているのでない。沈黙のうちに祈るかのように生きていく植物によっても日々支えられているのである。 これは、私たち人間へのメッセージを含んでいるといえよう。 私たちもまた、沈黙のうちに、神の光を受けて、祈りによって神と交わりを続けていくときに成長し、花を咲かせ、実りをつけると言えよう。 確信なき時代 現代の日本はとくに確信を持って言う人が少ない。首相そのものがほかの国々の大統領とか首相と比べてまるで確信を持っていない。国の最高責任者という立場でありながら、辞める、辞めないということすら、明確に言わずにもやがかかったような発言を繰り返している。 未来の人間を作り出す役目をになう、学校の教員たちも確信もって生徒たちに真理を語ることができる人が少なくなった。それが、学校での学級崩壊とか、教師の権威の崩壊となっている。真理について確信なき教師は、いったい何を生徒たちに与えることができるだろうか。 一方では、雑誌、新聞やテレビなどは洪水のごとくにあふれ、さらにインターネットによって情報はおびただしく生み出されている。 しかし、真の確信は生まれない。それは、知識や情報をいくら多くしても生まれるものではない。かえってそうした雑多な情報によって確信を失わせていく傾向すらある。 確信なき世代とは、流され、動揺する世代である。 こうした時代には、まちがった確信のようなものも生まれる。戦前もそうした確信がはびこり、そして崩れて行った。はかないものであった。 しかし、ここに三千年を超えて本質的に変わることのない確信がある。そしてそれは数千年もの間、ずっと受け継がれてきた。それこそ、聖書が指し示す確信であり、求める者はだれでも与えられるものである。 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり・中ヲ(ヘブル書六・19) こうした確信なき時代において私たちに、動揺することを止め、時代とともに変わることのない真理に結び付けるものこそ、唯一の神への信仰であり、その神がすべてを善にされるという希望である。 キリスト者たちの受けた苦しみ わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になれ。 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行け。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人が悪魔と言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。(マタイ福音書十・16〜25) ここで言われているようなことは、現代の私たちにはあまりにもかけ離れていると思う人が大部分であろう。しかし、キリスト教の二千年の歴史には、事実ここで記されているようなことが生じたし、この箇所はそうしたときに神の声となってキリスト者たちを励ますものとなった。これは、まもなくキリスト者たちを襲った厳しい迫害の状況を思い起こさせるものがある。 なぜここで「へびのように賢く、鳩のように素直であれ!」と言われているのだろうか。狼の群れのような危険に満ちたところに羊を送り出すのであるなら、常識的には武力での装備が最も重要だということになるはずだ。 しかし、主イエスは、武力などではなく、「純真さをもて、素直であれ」と言われている。狼のような悪意や策略のあるところにおいて、このような素直さがなぜ、言われているのだろう。 それは、神の霊を十分に受けるためであった。迫害を受けるのは、そこにおいてキリストを証しするためなのだと主は言われた。苦しみを受けて尋問されるとき、聖霊が注がれて真の証しができるためには、神の前に素直でなければならないのである。 ステパノの受けた迫害 事実、聖書に記されている最初の殉教者であった、ステパノはユダヤ人たちが、神から送られてきた預言者たちをずっと迫害してきたという歴史的事実を述べて、人々の心のかたくなさを指摘したために群衆から憎まれ、石で打たれて殺された。 しかし、そうした激しい群衆の怒りや憎しみを受けて、石で死にいたるほどまでに打たれていながら、彼の生涯の頂点というべき経験を与えられた。 それは、その悪意と憎しみのただなかで、天が開け、主イエスが神とともにおられるのを明らかに見るという恵みを与えられ、そこから自分を殺そうとしている群衆たちのために祈り続けて死んでいったのである。 これは、主イエスが言われたことがそのまま実現したのである。すなわち、信仰のゆえに捕らえられるのも、そこで聖霊によって証しするためなのであった。 ステパノのそれまでの生涯においても経験したことのない、深い神との交わりと神と復活のキリストご自身をありありと見るということは、聖霊によらなければ、到底そのようなことは経験できなかった。そのような周囲が敵ばかりという状況のなかでも、平静な心と祈りに満ちておることができたのは聖霊がほかのどんなときにもまさって豊かに注がれていたからなのであった。 このステパノの経験は、のちの数しれない殉教者においても、同様に生じていったのである。 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(22節) キリストを信じるだけで、このように家族から激しい敵意を受けるなどは、現代の日本では見られないだろう。しかし、迫害の時代には、キリストを信じるだけで、家族もろともにたえがたい苦しみを受けて、社会的にも生活できないほどになるし、殺されることすら生じるとなれば、キリストを信じるようになった家族の一員を激しく責めてその信仰を捨てさせようとすることも生じた。 キリストもユダヤ人の多くから憎まれ、家族からも誤解され、最後には、群衆がみんな敵となってイエスを十字架につけよ、との怒号のもとで処刑されることになった。 また、先ほど述べたステパノも、真理を述べただけで、周囲のすべての人に憎まれた結果そのように石で打たれて殺されてしまったのである。 古代のキリスト者たちの受けた迫害 そして、新約聖書に書かれている時代のすぐあとにはどのようなことが生じたであろうか。それを、つぎに引用する。 これは紀元一七七年の頃にローマ帝国のある地方での、大量虐殺から生き残った人々が、別の地方のキリスト者にその迫害の状況を伝えるために宛てた手紙である。それが、エウセビウス(*)という歴史家によってかなり詳しく記されている。 (*)エウセビウス(263ころ―339)。主著《教会史》は使徒の時代から303年までのキリスト者たちのさまざまの活動を詳しく記したもの。現存しない他の著作家からの引用が多く、古代教会に関する最も貴重な史料となっている。ここに引用した記述は、その第五巻にある。ロエブ古典双書シリーズ(LOEB CLASSICAL LIBRARY)で読むことができる。以下に引用したのは、「ヨーロッパキリスト教史」第一巻(中央出版社)を主としつつ、LOEB 版を参照して部分的に補ったもの。 キリスト者たちは、全く根も葉もない虚偽の訴えをされ、いまわしい罪を犯しているのだと偽りを言いふらされた。それに扇動された群衆や支配者、あるいは軍人たちが怒りに燃えて、キリスト者たちを迫害し始めた。 ここに現れる一人のキリスト者にブランディナという女性がいる。 彼女は弱い女の身であったから、まわりの者たちも、彼女がキリストを信じていることを告白することも到底できないのではないかと思われた。しかし、彼女は、神からの大いなる力に満たされていた。朝から夜まで交代して現れる牢獄の番人によってもう他の手段がないほどにありとあらゆる拷問を受けた。彼ら自身がそのようなことを続けて疲れ果ててしまったほどであった。獄吏たちは、それほどまでしてもなお、彼女が生きていることに驚嘆した。それは、そうした拷問の一つを受けても、死に至るほどであったからである。彼女のからだは打ちのめされたために、傷口が開き、見るも無惨なすがたとなった。 しかし、彼女は、そのような苦痛にあっても、なお、神からの力を与えられて、「私はキリスト者です。私たちの中には、人々が言いふらしたような何ら悪しきことは行われてはいません」と真実を告白してやまなかった。 また、別のキリスト者(名は、サンクトス)に対しては、続けざまのきびしい拷問によって口を割らせ、何か悪いことをしていると言わせようとする試みが繰り返された。しかし、彼は、名前も、民族の名も、どこの出身であるか、また奴隷か自由人であるかなど一切答えようとしなかった。そしてそれらすべての問いかけに対してただ一つの答えをした。「私はキリスト者だ」と。(*) (*)xristianos eimi 彼は、この言葉に出身地とか、名前、奴隷か自由人かなどのすべてをこめてこう言ったのであった。この原語は、「キリストにつく者」という意味であり、それだけあれば、他の一切の自分についての肩書きとか説明は不要と考えたのであった。 こうした態度は、使徒パウロがその書いた手紙の冒頭に「キリストの僕(しもべ)」という一言で自分の肩書きとし、自分の本質を表そうとしていたことを思い起こさせるものがある。(*) (*)使徒パウロは、その代表的な手紙である、ローマの信徒への手紙の冒頭で、自分のことを「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから…」と言っている。この「僕」という語は、原語のギリシャ語では「奴隷」という意味で、真理そのものであるキリストに全面的に従う者という意味が込められていた。 こうした揺るぎない信仰を見て、総督や拷問を加えていた者たちは、ついに灼熱した真鍮板を彼のからだの最も柔らかい部分に押しつけた。彼の手足は、焼けていった。しかしそれでもなお屈服せず、彼らに従おうとはせず、キリスト者であることを告白し続けた。彼はキリストのからだから注がれてくる天の命の泉によって力付けられ、命を与えられていたのであった。彼の体は全身焼けただれて、傷だらけとなり、もはや人間の体でないほどになった。 それでもなお彼は、固く信仰を守り続けた。数日後、そのひどい傷に腫れ上がって、手で触れられただけでもその痛さに耐えられないだろうと思われるほどになった。 彼を痛めつけていた者たちは、サンクトスのひどい姿を見て、今度こそ拷問を加えれば、キリスト教を捨てるだろうし、もしそうでなくても拷問のために死んでしまうだろうと考えた。そしてそうなると、他のキリスト者たちに恐怖を起こさせるだろう考えた。 しかしいくら拷問をしても、彼は屈服もしなかったし、キリスト教信仰を捨てようともしなかったうえ、死ぬこともなかった。彼はさらなる拷問を受けると、あらゆる人間的な予想を越えて、彼は立ち上り、体はまっすぐとなり、手足も動き出した。これは、キリストの恵みを豊かに受けていたからであった。 このように拷問の責苦が全く効果をあげないので、不潔な牢獄の暗闇に閉じ込めて苦しめる方法が考えられた。広げられた足かせにキリスト教徒の脚をしめつけ、股裂きの形にしたまま放置したり、その他いろいろの野蛮なことが、牢獄の番人によって行われ、多くの人々が暗い牢獄のなかで、ひそかに殺されていった。 このように、密室に幽閉されて生命を落すもの、暴行、虐殺によって死んで行くものの数は増した。 その中に九十歳を越した老司教ポティノスも含まれていた。法廷に引き立てられた老司教は、浴びせかけられたあらゆる種類の怒号と罵倒に対して、静かに高貴な証言を繰り返すだけであった。 総督の「いったいキリスト教の神とはどんなものなのか」との問に、彼は「もしあなたがそれに値するなら、あなたはそれを知るであろう」と答えた。この答を聞いて、人々は怒り狂い情容赦なく老人をひきずり廻し、近くにいるものは手で打ち足で蹴り、遠くのものは手当り次第に石などを投げつけた。息もたえだえになったポティノスは、牢獄に戻され、二日の後息をひきとった。… 拷問の責苦、牢獄でのむごたらしい扱いの次に待っていたのは、闘技場での試練であった。闘技場に引き出された、トゥロスとサンクトスは、今までなにも苦しめられていなかったかのように、改めてあらゆる拷問を加えられた後、野獣をけしかけられた。 野獣の牙に噛み裂かれる凄惨な光景に興奮した群衆は、それでもなお二人のキリスト者が死なないのをみると、いっせいに大声でさまざまの種類の責道具を要求した。ついに赤く焼かれた鉄の椅子が持ち出されて、彼の体が焼かれる異様な臭いがたちこめた。それでもなおサンクトスの口からは、信仰告白の言葉以外は何も聞くことができなかった。その言葉は、最初から一貫して言い続けてきた言葉であった。そして最後まで苦しめられて、ついに息絶えた。 女奴隷であったブランディナは杭に吊され、それに向けて野獣の群が放たれた。ところが不思議にも野獣は一匹もブランディナに触れようとしなかった。そこで彼女は杭から下され、再び牢獄に戻された。もっと素晴しい見世物にとっておくためである。ブランディナの体は、小さくて弱く、その身分は奴隷であったけれども、杭に吊された彼女の姿を信者たちは十字架の主を仰ぐ思いで眺めた。… 皇帝は、拷問などの苦しい目に会わされて、キリスト教を捨てたものは釈放すべきことを命じていたが、総督は直ちに釈放しないで、もういっぺん問いただしてみた。ところが彼らの大多数はかつていったんキリスト教を捨てたのに、殉教者たちの雄々しい姿に打たれて、再び信仰を告白し、そのために処刑されて殉教者の列に加えられていった。 その尋問の場にいた、医者アレキサンドロスは、再び問いただされていた信者たちを目つき身振りで励ましていた。しかし、そのようなことが起こるとは全く思ってもいなかった群衆の憎しみと怒りが、彼に向けられた。 総督の「お前はだれか」という問に、彼は「わたしはキリスト者」と答えた。逆上した総督は直ちにアレキサンドロスを野獣と戦わせる判決を下した。 翌日アレクサンドロスともうひとりアッタロスは野獣と戦わされた後、ひどい拷問を受け、アレクサンドロスは身をよじる苦しさにもうめき声一つあげず、静かに心の中で神と語りながら死んで行った。 ブランディナと十五歳の少年ポンティコスの二人は毎日闘技場に引き出され、目の前でキリスト者たちが,拷問され、野獣に噛みさかれるのを見せつけられた上、偶像を崇拝するようにと強要されていた。しかし、この二人は信仰を固く守り、群衆たちのすることに動じないのであった。 これを見て総督や群衆たちは、怒りに燃えて、少年がまだ子供なので憐れみを持つとか、ブランディナが女性であることへの配慮など全く持たなくなってしまった。人々は、二人にあらゆる恐怖を見せつけ、拷問をつぎつぎと実行して偶像を崇拝させようとしたが、ついにそれはできなかった。 少年は信仰の姉であるブランディナの励ましと慰めに力づけられ、ありとあらゆる拷問に耐え抜いてその魂を天にゆだねた。こうした苦しみにあっても、なおブランディナが少年を励まし、力づけているのは、群衆たちにさえ見て取れたのであった。 残ったブランディナは鞭で打ちのめされた後、野獣に噛みさかれ、ついで熱いなべであぶられ、さらに網にくるまれて牛の前に投げ出され、長い間繰り返し牛の角で空中に放り上げられては地面に叩きつけられたので感覚をまったく失ってしまった。 しかしそのようであってもなお、彼女は、復活の希望とキリストと共にいることによって耐え抜いて、地上の命を終えた。 以上のような厳しい迫害は、ローマ帝国でつねに生じたのではなかった。皇帝によって厳しい迫害をする場合もあれば、またかなり寛容な皇帝もあった。しかし、全体としては厳しい迫害が波状的に繰り返し行われて、多くのキリスト者たちが殉教していったのである。 日本における迫害 この点では、日本の状況もその迫害の厳しさにおいて劣るものではなかった。 一五八七年に豊臣秀吉によって「バテレン追放令」が出されて以来、キリスト教は禁止されることとなった。しかし、一時的には、その禁令はゆるやかになっていたこともあったが、徳川家康は、一六一二年に禁教令を出して、全国的にキリスト教を禁止する命令を出し、翌年には、僧崇伝にキリスト教の禁止令を書かせて徹底的に弾圧する方針を公にした。 京都でも、迫害が始まり、宣教師たちは追放され、キリスト信徒たちは厳しい探索を受けた。迫害者たちは見つけしだいに捕らえて二重の俵に入れ、縄で縛りあげてこれを四条や五条の河原に積み上げて、食物も与えず、放置して見せしめにしたのであった。あまりの苦しさに耐えかねて信仰を捨てたものは助けられたが、信仰を捨てなかった者たちは、木を燃やして焼き殺されてしまった。 家康のつぎに将軍となった秀忠は、さらに厳しい迫害を始めた。外国の宣教師や日本人伝道士、その人々をかくまった人やその家族など、五五人が捕らえられ、処刑されることになった。そのうち、宣教師や伝道士など二五名は火で焼かれて処刑され、残りはその前で、首を切られることになった。 柱に結び付けられて火に焼かれることになった人たちに対しては、わざわざ炎に焼かれる苦痛を大きく、しかも長引かせるために、火は五メートルも体から離して燃やされた。しかしそうした身を焼かれる苦痛の中においても一人の宣教師は、目の前で別のキリシタンたちが首を切られて処刑されているにもかかわらず、説教を続け、詩篇を歌い、信徒を激励し、祝福を与えて、さらに「われら一人が死ねば、百人の宣教師が立ち上がるであろう」と言って迫害者たちの非を説いた。そしてそのうち火が服に燃え移り、最初に殉教した。のこった人たちも天を見つめ、不動の姿勢を崩さずに苦しみに耐えつつ死んでいった。 また、つぎのような記録が残されている。 大分県竹田市のある村はキリシタンが多かった。村長もキリシタンで、二人の息子と長男の妻もその子たちも信徒であった。領主は、この一家がキリシタンをやめるならば他はみのがしてやろうともちかけた。村長はどうすればよいかと困り果て、家族の反対を押しきって、独自の判断でキリシタンをやめるという誓いの文を提出した。 村長である父は息子にいった。 「おまえたちは自分で誓いの文を提出したのではないから、知らぬふりをしておればよい。それが多くの人々を苦難に会わせないためなのだから」と。 しかし、二人の息子は承知せず、領主のいる城へ、わざわざ自分たちはキリシタンであると名のりでたのである。 幕府にキリシタンはいないと報告したばかりの領主は動揺し、二人を捕え、父にキリシタンを辞めるよう、説得させようとしたが、父は息子たちの真実な信仰に動かされて拒否した。こうして二人の息子は火刑に処されることになった。 けなげであったのは殺されることになった長男の妻である。彼女は役人の脅迫に従わなかったため、腰巻ひとつの裸にされ、ざらざらして肌を刺す俵の中に頭だけだして入れられ、七日間、部屋にとじこめられた。 七月の暑いさかりであった。それでも屈しない彼女を、役人は夫と義弟の処刑場に引きだし、かれらが火あぶりにされて殺されるすさまじい光景を見せ、背教しなければおなじ刑罰をうけることになろうと説きつけた。 しかし、彼女はただ、「どんなことがあってもキリシタンであることをやめはしない」と答えるだけであった。 役人は、いった。「もしおまえが死んだら、七人の子どもたちは身よりのない孤児になってしまうだろう。そんな不人情な母親になってよいのか」。 これに対して、その女は答えた。「無慈悲なのはあなた様方で、わたくしではございません」。 ついに問答に疲れはてた役人の手で、彼女は斬首された。首斬り役人が刀をふりあげてから二度、背教の意志はないかと聞いた。髪をたばねて首をすっかり見えるようにした女は、二度ともはっきりと「否」と答えた。(「日本の歴史・第十七巻」より。小学館刊) ほかにも多くの殉教の人たちの堅固なキリスト信仰の多くの実例が、「日本キリシタン宗門史 全三巻」(岩波文庫)に掲載されている。これは、あるフランス人の書いた綿密な日本の歴史書の一部であった。宣教師たちが本国に書き送った書簡や報告などの膨大な資料を駆使して書かれたものである。 こうした迫害は、明治政府になってすぐに停止されただろうか。そうではなかった。明治政府が最初に力を入れて実行したことの一つがキリシタンへの激しい迫害であった。古くからの悪いしきたりを打ち破ったはずの新しい政府であれば、江戸幕府が行ったような残酷なことは決してしなかったのではないかと思う人が多い。しかし、事実は逆であった。 一八六八年に明治政府は、五カ条の誓文を出した。そこには「広く会議を興して万機公論に決すべし」と、会議をもっていろいろの考え方を出し合うというような新しさが見えている。しかし、その翌日に出された、五枚の立て札には、「上に立つ者とそれに従う者、親子、夫婦などのあり方を正しくせよ」といった常識的な戒めだけでなく、「キリシタン邪宗門は従来通りにこれを厳禁す」とか、「集団を作って強訴するな(一揆を禁止)、また集団で自分の住んでいる地域を離れるな。」といった民衆を押さえつける方針も同時に示したのである。こうした民衆の自由を奪い、権力で押さえつけようとする姿勢は、その後の明治政府の本質をはやくも指し示すものとなった。 このうち、「キリシタン邪宗門は、江戸時代と同様に、厳禁する」という方針とその背後にある考え方は、きびしく実行に移されることになった。 明治の新政府になって、キリスト教の迫害はただちに行われた。木戸孝允(桂小五郎)らが長崎に派遣され、キリスト教の指導者たち百十四名をいっせいに検挙し、それを長州藩、津和野藩、福山藩の三つの藩に分けて投獄した。その獄中の取扱いは過酷を極めた。木戸孝允は、西郷隆盛や大久保利通らとともに維新三傑とも言われたほどの人物であったが、信仰の自由とかいうことに対しては全く考えを持っていなかったのである。 さらに、その翌年の一八六九年(明治二年)には、浦上村の全部の住民をキリシタンであるというだけで、三千四百人ほどを逮捕して、彼らを九州、中国、四国、近畿地方などの十九の藩に分けて投獄した。 そしてキリシタンたちは、信仰を捨てさせるために、食物も与えられずに飢えに苦しめられ、拷問をも受けて、死の苦しみをなめさせられたのであった。かれらは何にも悪いことをしたわけでもない、ただ信仰を持っているというだけで、一つの村全部の住民を遠い他の藩へと送って投獄し、さんざんに苦しめたのである。 こうしてキリシタンの中心地であった浦上地方のキリシタンを徹底的に排除するという方策をとった。浦上村は全部の村人たちが、移送され無人の村となってしまった。 それからおよそ五年間、浦上の人たちはあちこちの県においてさまざまの拷問や苦しみにさらされ、六六四名もの犠牲者をだした。 こうした非人道的な政策に対して、外国からの非難がはげしくなり、一八七三年(明治六年)になってようやくキリシタン厳禁という命令を撤廃することになったのである。 ここで、各藩に送られたキリシタンたちがどんな仕打ちを受けたかの例をあげる。 浦上村の百姓、仙右衛門や甚三郎らは、明治元年津和野に流された指導的人物だったが、改宗をせまる彼らへの弾圧は陰惨をきわめた。 山口藩にも食物をあたえないで改宗をせまる「勘弁小屋」というのがあったが、津和野藩では足をのばすこともできなければ立つこともできない、約九〇センチ四方の三尺牢がつくられた。 これは約三・六センチの厚い松板でかこまれ、ただ一方のみに約六センチ角の柱が格子状に一寸おきに打たれていた。そして屋根にあたる部分には小さな穴があけてあった。 そこから食物がわずかに差入れられるのである。この三尺牢は三つ作られた。取調べに答えなかったらたちまちこれにおしこまれた。それは人間の箱詰めにひとしい。仙右衛門らの仲間、和三郎や安太郎はこの三尺牢で死んだ。 明治二年十一月二六日、大雪の日だった。風邪で寝ていた仙右衛門らは呼び出された。そして役人は、彼らに着物をぬいで凍り付くような池に入れと命じた。ただちに従えなかった二人は、丸裸にされ、池に突っ込まれた。池はふかい。頭まで没してしまう。かろうじてまん中の浅瀬に立つと、水があごまでくる。 役人はそばにズラリと並び、さも気持ちよさそうに見物している。時々長い柄のついたひしゃくでザアザア水をかける。 二人は天を仰ぎ両手を合せた。仙右衛門は「天にまします我らの父よ」という主の祈りを、甚三郎は「身を献ぐる祈祷」を一心に祈り続けた。 役人等は座敷から「仙右衛門、甚三郎、デウス(神)が見えるか」とあざける。両人はひたすら祈り続けていて何とも答えない。もうこれが最後だと覚悟して一心に祈っている。彼等の落ちつきはらった態度が、役人たちには腹立たしくなり、「顔にもっと水を掛けい、水を掛けい」と叫び、さんざんののしりの言葉を浴びせた。 時間はどの位経っただろうか、ずいぶん長かったように思われた。寒さは体のしんまでしみとおった。身体がふるえて止まらない。ことに仙右衛門は老体である。数日来熱を病み、疲れ果てていたので、苦しさがひとしお強く身にこたえる。 両手を堅く組み合せて天を仰ぎ、一心不乱に祈っているが、しかし身体はしだいに感覚を失った。両手はだんだん下って来た。心もぼんやりしてきた。 役人は相変らず水をザアザアと浴びせる。それが目に入り、耳に入り、キリで刺されるように思われる。今はもう顔色が青黒くなってきた。 甚三郎は気づかって「仙右衛門さん」と声をかけた。もう舌の根がこわばっている。「甚三郎、、もう世界がキリキリまわる。おれはこのまま行くが、お前は覚悟が出来たか」と言う。実際もう数分もすれば生命はないものと思われた。 役人はそれを見て、「甚三郎、仙右衛門上れ」と大声でいった。・中ヲ こうした驚くべき苦しみにあってもなお、信仰を捨てようとせず、神に心を向けて祈り続けることができたというところに、ステパノが味わったような経験、天が開けて神の世界を見つめていたのがうかがえる。そのように命のかぎりに神を見つめて生き抜いたということが、キリストを証しすることになった。ここでも、迫害を受けるのは、キリストの証しのためであると言われた主イエスの言葉が実現しているのがわかる。 また、九州の西部、五島列島地方では、明治になってもつぎのような迫害が行われた。 一八六八年(明治元年)十月に六メートルと、四メートル足らずの小さな家が牢屋とされた。狭い獄舎に男女別々に二百人ものキリシタンを閉じこめて、ぴったりと戸が閉め切られたのである。人がとうていじっと座れる空間でないために、人間の上に押し上げられて足が地につかない状態となった。宙に浮いたまま眠る者さえあった。子供などはこの密集した人間のなかに踏みつけられると上に上がれない状態であった。 食事としてはわずかにイモを朝と夕方に一切れずつ投げ込むだけであった。それは到底休めるような状況ではなく、人間がひしめき合い、便も尿も垂れ流しという状態なのであった。しかも、それらの人々を青竹や生木で打ちたたき、死んでも何日もそのままにしておいたため恐ろしい不潔と臭気によって苦しめられた。さらにその上、死体からウジ虫がわいて、その虫のために下腹を食い破られた女児もでた。 以上のような迫害の実態を知るとき、はじめにあげた新約聖書の記述はそれが書かれてから二千年もの歳月を通じて現実に生じていくことの預言であり、そのような地獄の責め苦のなかにあっても、神はともにいるのだという、強い励ましの言葉として言われたのだとわかる。 こうした長い歴史をもキリストはすべて見通しておられたのである。キリストは決して安易なことを約束しない。時としてこの世の現実はいかに厳しいものがあるか、私たちの想像を絶するものがある。 しかし、そのような暗黒の力が吹き荒れるときであっても、その背後には神がおられる、神はそうしたいっさいのことをも私たちには分からないような大きいご計画をもって導かれているのだと信じる道がキリストの道なのであった。そしてその信仰にこたえて、神はきびしい迫害のときにも安全なときには決して経験できなかった神との深い交わりと励ましと力を与えられていったのが、こうした記録からうかがえる。 このような厳しい道を正しく歩むことができるのは、だれなのか、それはだれにもわからない、本人にもわからない。ただ、神がそのご計画に応じて呼び出され、聖霊を特別に注いだ者だけがそのような過酷な状況にあってもなお、いのちをかけてキリストに従っていったのであろう。そして神はそのような人たちを二千年の長い歴史のなかでつぎつぎと起こしてこられたのである。その大多数は記録にも残されず、死んでいった人たちである。しかし、神のいのちの書にはっきりと記されている。そしてそのように生き抜いた無数の人々の祈りと生涯をキリスト教の真理はうちに包んでいる。 彼らの苦しみは過去のものとなって、消えてしまったのでなく、今も生きて働いている。その一例をあげる。 ある牧師が受けた感動 榎本保郎は、最近のプロテスタントキリスト教の指導者(牧師)としては特に広く知られて、多くの人に深い影響を与えたと思われる。自分が神にいかに導かれてきたかをわかりやすく書いた「ちいろば」は、キリスト者のあいだで広く読まれて、強い印象を残してきた。三浦綾子も同様でそのために日本各地はもとよりわざわざアメリカまでいって取材してそれを「ちいろば先生物語」という書にまとめたほどである。また、榎本の「新約聖書一日一章」と「旧約聖書一日一章」は今日でも多くの人によって愛読されているし、彼の起こしたアシュラムという祈りの集まりは現在も各地で続けられている。 その榎本がキリスト教に引き寄せられたのは何であったか、それは以下に引用するように、江戸時代のキリスト者たちの迫害に耐えた姿を知ったからであった。 榎本保郎は、敗戦とともに満州から引き揚げてきた。戦争中は天皇のため、日本のため、東洋のためなどということを教え込まれ、それを目標として生きてきた。しかしそうしたことを教えていた連中が国民を欺き、おびただしい犠牲を出したのだとわかって、榎本は生きる目標をまったく見失ってしまった。心は暗く、わが家にせっかく無事で帰ったのに、毎日悩み苦しんでいた。 何か生きる目標がほしい、自分のいっさいをささげつくせるような目標がほしい、それが彼の切実な思いであった。満州から引き揚げて、淡路島に帰り、我が家の家族と再会しても、どうしても心は明るくならなかった。まわりの人たちは、食べること、金を稼ぐことに一心になっているのに、彼はいつまでたってもそのような気持になれなかった。 毎日部屋にこもって、「おれはこれからいったい何のために生きたらいいんだろう?ということばかりを考え続けていた。ある日のことである。何もかもわからなくなって、天井を見ながら横になっていると、「保郎はどうしてる」という心配そうな父の声が聞こえてきた。すると母がすすり泣きながら「お父さん、保郎は気が狂ったのではないかしら」とつぶやいているのが聞こえた。たまらなくなった私は、トントンと二階から降りていって、「ぼくは気が狂ったのではない」とどなりつけて、また二階にかけあがり、身をもてあましてねころんだ。しばらくして、下から「あれが気が狂った証拠だよ」といっている声がきこえてきた。だれも理解してくれないつらさ、淋しさ、どこにもぶっつけていけないもどかしさ、私にとって苦しい毎日がつづいた。 このようないらだちの毎日を送っていたある日、私は一冊の書物にめぐりあい、むさぼるようにして読んだ。それは「キリシタン宗門史」というような題の本であった。キリシタンが迫害を受け、殉教していく記録であった。 いっさいを神(天主)にささげきって死んでいくキリシタンの姿は、その時の私にとって大きな光明のように思えた。 これだ、これだ、ここにこそ自分のいのちをささげるものがある。何度もなんども泣きながらそれを読むうちに、私の心は久しぶりに平静をとり戻し、はじめて心のなかが明るくなるのをおぼえた。喜びは爆発した。 「おれはキリシタンになる!」この突飛な宣言に、父も母もおどろきあわてた。周囲の者も心配した。ある者は弘法大師の教えをもって私のまちがいを指摘し、ある者はキリシタンのおそろしさを語って私の決心をひるがえそうとした。 しかし、私ははじめて死に場所を見つけたと思いこんでいたのだから、そのような反対や説得で動くはずはなかった。どんなにいわれてもがんとしてそれらの忠告を聞きいれなかった。 祖父は「わしの孫にこんなものが出てご先祖さまに申しわけがない」と泣いた。「戦争に行って戦死したと思ってあきらめます」母はこういって集まってきた親戚の人たちにあやまってくれた。親が諦めるのなら仕方がない、というわけでみんなは帰っていった。 しかし、「キリシタンになる」と宣言したものの、そのキリシタンになるにはいったいどうしたらよいのか、さっぱりわからず、私は途方にくれてしまった。 思案にくれた私は、こっそりと当時同志壮大学の神学部長であったA先生宛に手紙を出した。そのときどうして同志杜に手紙を出したのか、どこからA先生の名前を知ったのか、今はどうしても思い出せない。とにかくキリシタンになりたい一心だった。まもなくA先生からいちど同志社に来てみなさい、という便りが届いた。私は天にも昇る思いで京都へ出かけ、同志社を訪ねた。 ・中ヲ(「ちいろば」聖燈社刊 9〜11Pより) こうしてキリスト教の力をキリシタンたちが迫害に耐えたその証しによって知った榎本は、同志社大学の神学部にて学ぶことになった。彼の信仰は同志社では育たないのが後になってわかって直接に主イエスに従う道に生きるようになっていく。 このようにして、江戸時代から明治の初めのキリスト者たちの大きい苦しみは、現代に生きる人々にも働きかけているのがわかる。彼らを支えた力は今も信じる人たちにその程度の多少はあっても与えられるのである。 私たちに告げられていることは、キリスト教というのはそれほどまでの大きい苦難、迫害に耐えて、それらすべてに勝利したゆえに、現在まで全世界に広がってきたのだということである。そのような比類のない力をもっているのが、キリストの真理であり、キリストはそのような無限の力を与えるためにこそ、私たちの弱さのただなかへ来て下さるのだと言えよう。 教育基本法を変えようとする動きについて 現在の政府、自民党は、さまざまの失態を重ねる首相を支えてきたが、それは決して首相だけの問題ではない。 しかし、首相を辞任させて別の人が首相になったからとて、なにも変わらないだろう。そういう首相を選んだ自民党の問題であり、またそのような腐敗がずっと重ねられているにもかかわらず、自民党を選び続ける日本人の体質の問題でもあるからだ。 いろいろな不可解な発言を繰り返している首相であるが、前にも日本は天皇を中心とする神の国であるなどと公言したこともあった。 天皇中心の神の国という考え方が、戦前にどんな悲惨な事態を招いたか、それが全くわかっていない。普遍的な真理を中心とするのでなく、弱い人間にすぎない天皇中心にすべてが動いたからこそ、教育でも、天皇のために生きるとか死ぬということが教え込まれ、外国への侵略戦争も天皇の命令だからといって盲従する、そしてそのために相手国の計り知れない多くの人が死ぬことになっても、かえってそれを勝利だとして喜ぶといった状況になった。 そうしたまちがった考え方は教育で培われたからこそ、教育基本法によって、戦前のような天皇とか国家中心でなく、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を願い求めるということが、教育の基本方針とされたのであった。 こうした反省の上にたって、教育基本法の精神はつぎのように定められたのである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。(教育基本法の前文) こうした基本的な考えのもと、第一条に「教育の目的」として、つぎのようなことがあげられている。 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び、社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神にみちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」 このような重要な内容を持っている教育基本法を変えようとする動きが出てきた。 最近も、一部の人々たちが「新・教育基本法私案」なるものを出した。その第一条にはつぎのようである。 「(教育の目的)日本の教育の目的は、人間が潜在的に有する道徳的・知的能力を発揮させ、わが国の歴史・伝統・文化を正しく伝えることによって立派な日本人をつくることにある。」というものである。 現在の教育基本法と比べるとそのちがいがはっきりとわかる。それはすでに述べたように、「平和的な国家を目指す」こと「真理と正義を愛する」「個人の価値を尊ぶ」といったことが削除され、そのかわりに、「わが国の歴史、伝統、文化を正しく伝える」ということが強調されているということである。 憲法を変えて、軍事力を持つことができるようにしようとする動きとこの教育基本法を変えようとする動きは結びついているために、「平和的な国家をめざす」という項目が削られたのである。 また、「真理と正義を愛する」のはきわめて当然であるのにそれをわざわざ削除したのはいかなる意図によるのだろうか。 それは、わが国の歴史、伝統、文化を強調するときには、単なる神話にすぎないこと、事実でないことであっても、それをあたかも事実であるかのように主張してくることをしばしば伴ってくる。 例えば、太平洋戦争のときの日本の中国への侵略を、侵略でないと強弁するのは、歴史的事実に反することである。あの中国との戦争のときに中国の解放のため、中国人への愛のためであったなどといったいだれが考えて戦争をしただろうか。日本は中国を徹底的に攻撃して支配下に置くために戦争を拡大して十五年ほども戦争を続けていったのである。 また、ふつうの人間にすぎない天皇を、偽って現人神として教え、崇拝を強要したことも伝統や文化を強調するときに生じた偽りの例であった。 戦前は、最も伝統や歴史を重んじると称した時代であったが、それがいかに個人の自由を縛り、国家が偽りを国民に指示してきたか、少し歴史を調べればわかることである。 また、最近では、不正な金を受取り、国会を舞台にして自分の利益を計ったとして逮捕された村上という参議院議員は、参議院議員会長であり、参議院憲法調査会長でもあった。そして以前の元号法制化のときにも積極的に関わり、憲法改正や君が代、日の丸などの法制化をも押し進めた人物であった。 彼は、日本の歴史とか伝統、文化とかいうことをとくに強調していた人物なのである。そのような人物が不正な多額の金を受け取って、国会を自分の利益を得る場として利用してきた人間なのであった。 新・教育基本法案なるものに、「真理と正義を愛する国民の育成」ということを削った精神とどこか通じるようなものがある。 (*)元号法制化によって天皇の事実上の個人名を時間を使うときに使うようにさせることになった。このような不合理で、民主主義に反し、かつ不便なことは世界ではどこもやっていない。 教育基本法を変えると主張する人たちは、これに環境問題への教育をも加えるなどと言っているが、彼らの本音はそこにはない。 環境問題は、なにもわざわざ基本法を変えなくとも、現在の教育基本法にある真理と正義を愛すること、個人の尊厳を重んじるということから、自然に導かれることである。ぜいたくや、何をしても、とにかく儲かればよいという考え方、過度の享楽などによって環境を破壊することは、多くの人々に健康を害することになってはねかえってくるのであって、他人の尊厳を重んじ、正義を愛する精神から、環境問題を正しく考えることができるものである。それは現在の教育基本法の精神を生かすなら十分できることである。 じっさい、足尾銅山の公害問題は、今から百年以上も前の、初期の環境汚染問題であったが、それは真理と正義を愛し、重んじた田中正造や内村鑑三らによって、その非人間的な実態にたいしてはげしく抗議がなされたのである。 教育基本法を変えて、日本の伝統と文化の重視をというが、その日本の伝統の代表的なものが天皇制だ、と彼らは考えている。だからこそ、天皇讃美の「君が代」を多くの反対を押し切って、十分な審議もせずに法律をつくって、強制的にうたわせたり、日の丸も強制的に使わせようとするのである。戦前は日の丸も天皇を象徴的にあらわすとされていたのであって、こうした一連の動きは、日本に天皇というただの人間を中心にしようとする根強い考え方から生じている。 こうした人たちが教育の基本をかえようとしているのである。しかし、何年もにわたって特定の団体から十五億とか二十億円という巨額の不正の金を受けとったと言われるような政党がそもそも教育の基本法を変えるなどという資格があるのかということである。 こうした政治の貧困のただなかにあって、私たちはその波に飲み込まれないようにしなければならないと思う。 祈り 主よ、われらの神よ、あなたは私たちの助け、また励ましです。 私たちはあなたを、あなたのいろいろの約束を希望をもって見つめています。 個人的なことがらにあっても、常に強く、勇気を持ちつづけ、われらが不平不満を言う者でなく、 地上におけるあなたの大いなる勝利をいきいきとして、喜びをもって待つ者として下さい。 あなたは、 私たちをご自分の民にしようとされる。人々に聖霊を与えて下さい。 少しの者たちだけでなく、多くの者に与えて、私たちがみんなあなたのものと言えるようにして下さい。 主よ、地上に、さまざまの人々のなかに御心が行われますように・u・uこれこそ私たちの願いです。 (ブルームハルトの「夕べの祈り」より) ことば (108)人が自分でも、または他人についてでもただす力を持たないような欠点は、神がなされるまで忍耐強く待たねばならない。 ・中ヲもし、一度か二度忠告しても聞き入れられないときは、その人と言い争わずに、全てを神に委ねよ。神は悪を善に変える道をよく知っておられるのだから。 他人の短所や弱点についても忍耐強くあるように努めよ。なぜなら、あなたもまた他人から当然忍んでもらわねばならぬたくさんの短所を持っているのだから。(「キリストにならいて」一・16より) 休憩室 ○北斗七星と北極星 春になれば、北の空には有名な北斗七星が上ってきます。三月の下旬の夜七時頃に、北の空を見れば、はっきりとわかる柄杓(ひしゃく)の形をした七つの星が上ってきているのが見えます。 こどもの頃から、北斗七星はなにか心ひかれる星の集まりでした。それは昔よく使っていた柄杓(ひしゃく)の形そっくりであり、どうしてあんな夜空にきれいな形をしてあるのだろうと思ったものです。まだほかの星座のことは知らなかったときからすでにこの七つの星たちは宇宙の無限の世界へと誘うものがありました。 北斗七星の七つの星のうち、六つは二等星で一つだけ三等星なので、北の空が見えるところなら、だれでも見つけるのは容易です。 その北斗七星の柄杓の先端の部分を五倍延長したところに北極星があります。これは二等星なので、北斗七星からたどっていかないと、すぐには見つけられない人が多いと思います。 北斗七星と北極星は、世界中で、はるかな遠い昔から人々のつよい関心を集めてきました。北極星は動かないように見えるので、方角を知るためにきわめて重要であったのです。じっさいは動いているのですが、数百年といった時間ではほとんど動かないように見えます。 北極星を見つめていると、太古の昔から、無数の人々がさまざまの思いをこめてその星を見つめてきたその歴史が感じられるようです。ことに、船で航海する人たち、砂漠を行く人たちなどにとっては、きわめて重要なものだったのです。彼らはどのような思いでその危険で長い旅をしていたでしょうか。星の正体は古代には全くわからなかったので、光輝く神秘とその清い光は、人々の心を清め、また大きく広げる役目をもしたと思われます。 北極星はあまり明るい星ではないのですが、太陽より八十倍ほども大きく、数千倍も明るい星です。地球からの距離は、およそ八百光年ですから、今見た北極星の光は、八百年前、つまり鎌倉時代の初め頃、源頼朝のころに出た光だということになります。 地球は少し遅くまわるようになったコマのように、首ふり運動をしています。そのために、だんだんと北極を指す星も変わっていくのです。いまの北極星は、今から一千年もすれば、北極からだいぶ離れてしまい、北極星としての意味はなくなります。 また、今から四千年ほど経つと白鳥座のデネブが北極を指すようになり、さらにそれから四千年ほど経つと、こと座の一等星であるベガ(織女星)が北極を指すようになります。現在はこのベガは、夏の夜にはちょうど頭上に輝いているのですが、長い期間にはそのように大きく位置が変化していくのです。 こうした現象の原因は、地球の首ふり運動なので、二万六千年ほどでふたたび、現在の北極星が北を指すようになるのです。 ○春の植物 春にまだほかの植物がほとんど眠っているような頃に咲き始めるのは、ウメやフキノトウです。ウメが大多数の日本人にとって親しい花であるのは、まだ雪が降るような季節からすでに咲き始めること、その姿や形、そして香りです。冬の厳しい寒さにも負けないで咲いているその姿にだれでも心ひかれるものです。 それからトサミズキの控えめな花があります。うすいきみどり色で、葉も出ないうちに花が咲き始めるので好む人も多い花です。 春先の花で、香りの強い花として広く親しまれているのは、ヂンチョウゲ(沈丁花)です。一枝を小さな花びんにいけてあるだけで、部屋中がその香りで満たされます。人工的なもので満ちているなかに、この自然の香りは神の国の消息をなにか告げてくれているように感じます。 内村鑑三も、つぎのように述べています。 神はすべての道をもって私たちを恵もうと願っておられる。心の内において福音によって恵み、目からは、美しい風景や草花や小鳥など自然の風物をもって、耳からは音楽をもって、また匂いをも用いて私たちを恵もうとされている。私たちは神からの恵みの道をどれもふさいではならない。私の机の上には聖書があり、野草の花あり、造花あり、絵画あり、また香りを出すものもある。私はこれらのすべてを喜ぶ。私はこれらのすべてによって神を知る。(「一日一生」より) お知らせ ○第二八回 キリスト教(無教会)四国集会が今年は、高知聖書集会の主催で行われます。 この会が神の栄光を現すものとなり、み言葉と聖霊を参加者の一人一人が 受ける会となりますように祈って備えたいと思います。 申込書は近日中に送付される予定です。 ・日時 二〇〇一年六月十六日(土)12時受付 六月十七日(日)十二時閉会(一泊二日) ・場所 高知市 国民宿舎 桂浜荘 ・会費 一万円(当日受付で納入) ・内容 聖書講話、近況報告、証し、懇談会、早朝祈祷、特別讃美など。 ○イースター(復活節)特別集会 今年の復活節の特別集会は、四月十五日。開会は十時からです。 遠くの人も、久しぶりの人、そして初めての参加者もともにキリストの復活を記念し、 キリストの復活の力をともに受けられますようにと願っています。(会費 五百円) 徳島聖書キリスト集会集会案内 場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。 (一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。 (二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます) なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で毎月場所が変わります。 (現在の移動夕拝は、板野郡藍住町、麻植郡山川町、徳島市国府町の三箇所を移動しています。) その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。 また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、 板野郡藍住町、徳島市住吉などで行われています。 また祈祷会が月二回あります。問い合わせは下記へ。 代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017 |
2001/3 |
今月の御言葉 イエス・キリストは きのうも今日も永遠に変わることがない。 (ヘブル書十三・8) あらゆるときに 2001/2 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと、見張っている。」(旧約聖書・エレミヤ書一・11) 国が滅びようとするとき、その原因は、人々や王が神でないものを神として拝み、真実な神への信仰を失ったからだと神は指摘する。 見よ、今日、あなたに、諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために。(エレミヤ書一章より) 真理そのもの、正義そのものである神に背くことは、必ずさばきを招く、滅びるのだということを自分の国だけでなく、さまざまの国々、民族に対して警告し、真の神に立ち帰るようにと、警告し続けるのがエレミヤの生涯の目的であり、そのために神は青年エレミヤをとくに呼び出されたのであった。 エレミヤが神から知らされた真理は、たしかにあらゆる国々、人々にあてはまるものであって、人間や国家が立つか、滅びるかの根本原理を含んでいたのである。 そうした重い真理を、神は、早春に咲くウメのような白い花に託してエレミヤに語った。神をあなどり、さばきなどない、やはり力なのだ、武力であり、国家の富や広大さに頼るのがよいのだ、などといった考えは必ず滅びるということ、神はそのために目を覚ましている。真理をたえず預言者に与えるため、人々がいかにそれに耳を傾けるか、あるいは背を向けるか、それをじっと見守っておられるのである。 エレミヤが住んでいた地方の所々に咲く白い花、それはほとんどの人にとっては単にその美しさに心を留めたり、春が近づいたことを感じさせるだけのものであっただろう。 しかし、神はその白い花をも、人間や国家にかかわる重大な真理を告げようとする神の心を表すものとして用いられたのであった。 日本では、一月から二月にかけて、ウメがその花をほのかな香りを漂わせて咲く。また、ウメと並んで、真冬に咲く花として人の心をひく、水仙がある。それらの花を見るたびに、そうした花の美しさや香りだけでなく、みんなが眠っているときでも、主によって目覚めている姿を思い起こすようでありたい。
彼は、一五〇六年にスペインのナバラ地方、バスク系貴族の家に生まれ、パリ大学に留学中にイグナチウス・ロヨラを知り、イエズス会創立に参加した。 一五四一年リスボンからインドに向けて、キリスト教伝道に出発、一五四二年インドのゴアに着き、南インド、マレー半島、モルッカ諸島に伝道した。マレー半島南部のマラッカで日本人アンジローを知り、その案内で一五四九年に鹿児島に上陸、キリストの福音を伝えた。日本には、三年足らずしかいなかったが、鹿児島、長崎県平戸、山口などで伝道した。中国伝道の必要を知って、中国に渡ろうとしたが、上陸目前で熱病のために没した。 彼は、スペインから、ポルトガルのリスボンを出発してから、遠くアフリカの南端をまわって、五カ月かかって、アフリカのモザンビークに着き、さらにそこから八カ月ほどを要してインドのゴアに到着。その後、インドの海岸沿いの各地をまわり、マレー半島から今のインドネシアになっている島々に渡ったのであった。そこにいたるまでにも、数々の困難があり、死に迫られたことも多かったが、つぎにあげた彼の手紙には、そうした危険のただなかにあって、神のみを信じて進んで行った彼の信仰が伝わってくる。 こうした勇気と決断を与えて、困難きわまりない状況のなかへと進んで行かせたのは、主イエスであり、その点で使徒行伝に記されているパウロの心と通うものが見られる。 ザビエルはヨーロッパの信徒たちに宛てた手紙を多く書いている。つぎの手紙はそのうちの一つである。日本に来る三年ほどまえに書かれたものである。 ************************************** このモロ島(現在のインドネシアの島の一つ、セレベス島の東にある)は、非常に危険で、住民は陰険なこと甚だしく、飲食物に毒を混ぜたりすることがよくあるので、ここに伝道をしようとする者は一人もいなくなった。 つまりここにいる信徒に、キリスト教の教えを説明する者も、洗礼を施す者もない。私は彼らを助け、彼らに永遠の命を得させるために、自分のこの世の命を失うことを覚悟し、このモロ島に行く決心をした。 私が、信頼も希望もことごとく神の上に置き、あらゆる死の危険に身をさらすのも、私たちの救い主であるイエス・キリストの教えに従うことを熱望するからである。主は、「自分の命を救おうとする者は、それを失い、私のために命を失う人は、かえってそれを得る。」と言われた。(マタイ福音書十・39) この主の教えは、わかりやすいけれども、いざ、具体的に多くの恐ろしい危険が迫ってくるとその意味がわからなくなる。 例えば、そこに行くと確実に自分の命を失うという時になり、神のなかに永遠の命を見いだすために、主のために、自分の命を失う覚悟をしなければならない時が来ると、その時、突然すべては真っ暗となり、その分かりやすいと思われたみ言葉の意味すら分からなくなる。 この時にあたって、神の言葉の真の意味を知ることができるのは、学問があるかどうかにかかわらず、私たちの主なる神が、計り知ることのできない愛をもって、魂を照らして下さる者に限られている。 こういう場合になると、自分の体がいかに弱くて頼りない存在であるかを知るのである。多数の友人や、私に忠実な人々は、このような危険きわまりない島に渡ることを思いとどまらせようとして、ありとあらゆる解毒剤を持ってきてくれた。 しかし、私は恐怖を持っていないのに、ことさらにこんな恐怖を作りだそうとは思わなかったし、神にのみ置いている希望を少しも失いたくなかったから、親切と涙とをもって提供されたこれらの薬剤を、一つも受けなかった。 私は、これらの人々に、祈りのなかで、私のことを思ってくださいと頼んだ。祈りの力は非常なものであるから、これにまさる解毒剤はない。 ************************************** 以上のような、ザビエルの信仰は、新約聖書に現れている使徒パウロの信仰を思わせるものがある。神を信じて、あらゆる危険にもかかわらず、進んで行ったパウロは、つぎのようにその危険に直面したときの心にあったことを書いている。
兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまった。 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いであった。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになった。 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださるだろう。これからも必ず救ってくださると、わたしたちは神に希望をかけている。 あなたがたも祈りで援助してほしい。(新約聖書・コリント地方の信徒への第二の手紙一章より)
とくに、パウロもザビエルも、祈りで支えて欲しいと願っていることは、注目すべきことである。まだ神の力や愛を少ししか信じていないときには、祈りなど、空を打つようなもので、なにか捕らえどころのない、本当に聞いてもらえるのだろうかといった疑いがつきまとう。 しかし、自分が祈りによって危険から助けられた経験を持つものは、祈りこそが神の力を呼ぶものであり、たとえ祈る者が非力なもの、弱いものであっても、大いなるわざがなされる道であることを知っている。 パウロの大きい働きの背後には、かれ自身の祈りとともに、背後にあって祈り続けていた信徒たちの祈りによる支えが大きいのであって、ザビエルもまた、そのパウロによって道がつけられた同じ祈りの道を歩んでいたのがわかる。 そして祈りとは時間と空間を超えているゆえ、祈りの力は現在も変わることはない。 パウロやザビエルからはるか遠い時代にいきる私たちもまた、そのような祈りの道を主によって歩ませて頂きたいと思う。 人間の大脳は、二つの大脳半球からなっていて、それは右脳、左脳と言われています。その二つは同じ働きをしているのでなく、違った働きを受け持っているということがわかっています。それは、一八三五年頃にフランスの外科医が脳の損傷のために話すことができなくなった人たちの記録を集めて、それを検討したところ、全員が脳の左側に損傷を受けていることがわかりました。 このことが、左右の大脳の働きが違うということがわかるきっかけとなり、その後二五年ほどしてやはりフランスの神経学者によって、言葉を失った人々が死んだ後で研究したところ、すべての例で左の脳の部分に損傷があったのがわかり、これが初めて一般に認められる証拠となったということです。 いろいろの実験から、右の脳は、図形や立体的なものの認識とか音楽的能力、直感的な思考に深く関わっていて、左の脳は、言葉を使うこと、筋道をたてて考えることなどに関わっているのがわかっています。 話したり、字を書くこと、特に考えをまとめて書いたりするときには、左の脳がよく働いています。しかし音楽を味わったり、図形や立体的なものの形を把握したり、形あるものに作り上げたりすることは、右の脳が多く働いているということです。 それなら文を読むことはどうでしょうか。当然、言葉に関わるのだから、左脳が働いていて、右脳は働いていないと予想されます。 しかし、実験の結果、たしかに左脳は働いているけれども、右の脳も働いていて、科学関係など専門的な書物を読んでいるときよりも、民話を読んでいるときの方が、右の脳が活性化されたのです。 これは、民話では、論理的に考えるということより、わかりやすい内容で想像をめぐらせたり、登場人物の喜びや悲しみなどの感情をともに味わうことがあるからだったと考えられています。 このような脳の働き方を知るとき、信仰を持って生きること、旧新約聖書を研究的にあるいは、味わって、祈りつつ読むということは左右の脳に活性化を与えるというのがわかります。 信仰とは、目に見えない神とキリストを仰ぎ、主からの愛を受けることであり、これは、著しく直感的なことです。信仰生活にふかく結びついている祈りは、目に見えないお方との深い交流であり、心からの叫びであり、対話であり、また神の国からの音楽に耳を傾けることでもあります。 また、信仰とは、神からいのちの水を頂くことであり、それは心をうるおし、善いこと、美しいこと、清いことに敏感に感じる心を育ててくれます。 それは右の脳をつねに活性化していくことだと言えます。 キリスト教信仰から、世界で最も広く、しかも永続的に愛好されているバッハやモーツァルト、ベートーベンなどの音楽が生み出され、絵画や彫刻、建築でも永遠的な美しさを持つ作品がつぎつぎと造られていったのも、キリストは右脳をつよく働かせるからだと言えます。 そして最も重要な神の愛を受けること、その愛を働かせることもまさに直感的なことであり、右の脳が深く関わっていると言えます。 他方、キリスト教は、論理的、科学的な思考をも刺激するのであって、キリスト教の歴史の最初からパウロやアウグスチヌス、トマス・アクィナス、パスカルなど、論理的、哲学的な思想家をもつぎつぎと生み出してきました。 また、ケプラー、パスカル、ニュートン、ファラデー、パスツールなどというきわめて重要な働きをした科学者たちもまた、聖書で示されている神を信じていた人たちです。 科学史上の最大の天才と言われるニュートンの光学や、微積分学、万有引力などに関する重要な研究成果は二十三歳から二十四歳にかけてのわずか二年ほどに集中して生み出されたものでした。 他方、彼は聖書の研究には生涯のはじめから一貫して晩年に至るまで強い関心を持ち続け、キリスト教や聖書に関する論文は、小型本で五十冊にもなる分量だというし、当時はなかなか手に入らなかった聖書であるのに、十二種類もの聖書を持っていたということです。さらにキリスト教関係の有名な著作家(教父と言われた人たち)の膨大な書物を持っていたということです。 このように、キリスト教信仰を与えられるとき、左右の脳がそれぞれに働くように仕向けてくれるのです。その上、右脳は死ぬまで壊れていく度合いが左脳より少ないとも言われています。 キリスト教信仰を与えられるということは、このように科学的な方面から考えてみても、深い意味があるのがわかります。二十一世紀は、何の時代か、それは一つには、老年の時代だとも言われるほどに、かつて人類が経験したことのない、高齢化社会が訪れると考えられています。 老年に至るまで人間の心を高め、深め続けるもの、それは私たちの心の内に住んでくださって、左右の脳をそれぞれに刺激し、活性化しつづけるキリストに他ならないのです。 いつの時代においても、「いのちの光」こそ、最大の問題だと言えます。 なぜかと言えば、だれでも、生きるエネルギーを求めているからであり、しかも積極的に、生き生きとした心とそのような日々を生きていく力を求めているからです。それこそ、新約聖書で言われている「いのち」なのです。 どんなに知識があっても、また金や家などの財産があっても、生きていく力がなくなることがある。病気に倒れてもう生きていく気力が失せてしまうことがある。老年になって、前途は死と病気、孤独ばかり、そうした状況を見つめるとき、生きて行けない。 また、私たちの数々の苦しみや失敗、罪などは、なにが本当なのか、何が真に価値あることなのかが見えないから生じてきます。 現代に最も必要なのは、このような意味での「光」と「命」なのです。 光が欠けているとき、どのようなことが生じるでしょうか。さまざまの新興宗教のように、自ら光を与えると称しているが、実際は、かえって闇を与えるようなものが実に多いのです。 信者から金をまきあげたり、精神的にも異常な考え方になってしまうようになる宗教もオーム真理教のようにいろいろとあります。 戦争も大昔から現代にいたるまで、つねに生じていますが、それも大量殺人であるのにその悪魔的な本質が見えない人たちがたくさんいるために、戦争が絶えないのです。 私たちが罪を犯すのも、それが罪であることが見えないから、またその罪を犯すとあとでどんな苦しみや悲しみが自分や周囲の人々に生じるか見えないからだと言えます。 また、本当に大切なものが見えないから、価値の低いもの、いろいろなまちがった遊びや誘惑に引っ張られてそこでますます心が汚れ、壊れてしまうということもあります。 最近の若い人たちの大きな問題は、性に関わる間違いが心を汚し、精神的にも打撃を与えていくということが見えないということだと言えます。 また、最近も自民党の多数の政治家に不正な金が流されたということや、外務省に関わる金にまつわる不正など、たえずこうした暗い事件が報道されますが、それもこのように不正な金でものごとを隠れてすることがどんな結末を招くのか、そうした行為の行き着く先は何であるのかが見えないということなのです。 今年度末の国・地方の債務残高が六百六十六兆円にも達するような状況であるのに、真剣に対処しようとしないのです。これもこのままいけばどうなるのかということが見えない、見ようとしないところにあります。 私たちはだれでもいろいろの悩みや苦しみに直面します。そうした悩みも、いま直面している問題の本質や、その解決方法が見えないからです。もし、はっきりとそうしたことが見えているなら、悩むこともないはずだからです。 このように見てくると、いたるところで「見えない」ということこそ、あらゆる問題の根本にあるとわかります。
こうした問題はもちろん今に始まったことでなく、人間の歴史とともにあったのです。世界の大思想家、宗教家などと言われている人は、みなこうした問題に真正面から対決し、その解決を求めてきたのです。 日本において仏教より古く、四世紀頃から大きい影響を与えてきた儒教はどうでしょうか。孔子は、神(の霊)に仕えることについて尋ねられたとき、人に仕えることもできないのに、どうして神(の霊)に仕えることができようか。」と答えたし、死とは何かと問われたとき、「生きるとはどういうことかがわからないのに、どうして死のことがわかるだろうか。」と答えたのです。(「論語」巻六より) このように、中国最大の宗教家、哲人とされている孔子も、死後のことや、目に見えない神に仕えることについては、それがどういうことか見えなかった、理解できなかったゆえに、語ろうとしなかったのです。 また、あるとき、弟子の一人が、物事を本当に知るということはどんなことかと尋ねられて、「人として正しい道を歩み、神の霊には大切にしながらも、遠ざかっている、これが知っている人のあり方だ」と答えています。 (原文は、「鬼神を敬してこれを遠ざく」であり、鬼神というのは、日本でいう角のある怪異な鬼ということでなく、神々のことを古代中国ではこう表現していた。) このように、儒教のもとになった孔子は、神の霊とか死後の命については、見えなかったことがうかがえるのです。 つぎに、キリスト教と並んで、ヨーロッパの思想を支えてきたといわれるギリシャ哲学はどうでしょうか。ソクラテス、プラトンやアリストテレスなどは、善とは何か、真理とは、美とは、勇気とは、死とは、教育とはなどといった多方面のことにわたって綿密な思索をしました。アリストテレスは、そうした人間に直接関わること以外にも、天体の運動や、生物など多方面で哲学的な思索を展開していきました。それは、今日まで二千数百年にわたって、大きな影響をもたらしてきたのです。私自身、善とか真理、美、永遠、命など、そうした問題を哲学的に考えるということを、こうしたギリシャ哲学によって初めて知らされたのです。 それほど人間のきわめて多方面の精神生活に大きい影響を及ぼしたにも関わらず、ギリシャ哲学の天才たちすら、その重要性が見えなかったことがあります。 それが、弱い者への愛とか小さい者の持つ意味です。プラトンの膨大な著作には、弱さの意味、小さい者の持つ重要な意味などについては、全く語られていないのです。これは、聖書と比べると一層その違いに驚かされます。 ギリシャ哲学では、弱さというものが何か意味があるようには全く書かれていない。プラトンの全著作の語句索引は岩波書店から出版されていますが、その七百ページ余りある分厚い本には、「弱さ」という項目すらないのです。 プラトンは主著と言われる「国家」において、人間は、細長い洞窟の奥にいる、そして明るい洞窟の入り口からもれる光に背を向けている、しかし、その中から、一人が光の来る入り口に方向転換して、暗い洞窟から出てくる、そうしてその光の世界を知らせようと洞窟に入って呼びかける、しかし彼らは光の世界があるなどと信じることもせず、光を告げ知らせようとする人を殺そうとまでする。そのようなことが記されています。 プラトンは確かに、周囲の大多数の人間が知らなかった新しい光を受けたと確信していたのがわかります。しかし、彼が受けた光も、弱い者、傷ついたもの、小さい者といった人たちの意味を知らせることができなかったのがわかります。 芸術についても、絵画や音楽、建築、彫刻や文学といったものであっても、それは人間の本質や美しいものへの感覚を鋭くし、人間性を深めるという長所がある反面、それらが、金や権力と結びつき、あるいは、一部の絵画や音楽、文学のように人間の悪い方面を刺激し、罪へと誘惑するようなことにもなっています。 科学技術も多くの出来事に光を当ててきました。太陽や月、星の正体は長い間まったく不明でした。何千年も全くその位置や形も変えない、夜空の大部分の星、それと少数の位置を変えていく星の正体はいったい何であるのか、なぜ落ちて来ないのか、どうして輝く光は消えることがないのかといった点については、古くから天才たちが思索をめぐらせてきたのですが、実験機械もほとんどなかったこともあって、まったくといってよいほどわからなかったのです。しかしそれが、ガリレイ、ケプラー、ニュートンなど科学者によって明らかにされてきました。そして現在に至るまで、天体のことだけでなく、人間を取りまくあらゆる方面の現象について、それらの意味が次々と明らかにされてきたのです。 しかし、そのようななかにあっても、科学技術が持っている光は、科学技術の害悪をも照らし出すということはできなかったのです。 放射線の持つ驚くべき性質には光を当てても、それが人間にどんな悲劇的な出来事を引き起こすかについては、光は当たらなかったと言えます。それはほかの科学技術の多くの発見についても同様です。 このように、人間は光を求め続け、その努力は一部分ではかなえられてきました。しかし、哲学や宗教、芸術、科学技術、政治などの方面にいかに光が当てられてこようとも、それらすべてには大きい限界があるのがわかります。 このように、人間の活動は絶えず何らかの光によって導かれる必要があるのですが、完全な光というのは、今から二千年ほど前までは地上の大多数の人間にとっては、ずっと伏せられたままであったのです。 完全な光とは、聖書のなかに記されています。人類が長い間、知らずしらずのうちに求めてきた完全な光は、数千年前に地上のごく小さい集団に示されたのです。そのことを宣言しているのが、聖書の巻頭の言葉です。 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深遠の面にあり、…神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(旧約聖書・創世記一章より) この時から、地上でごくわずかのしかも取るに足らないような狭い領域に住んでいた人々にその完全な光が照らすようになったのです。 しかし、そうした光が太陽のように注がれていたのに、その選ばれた人々はそれを拒み、わざわざ闇の方へと進んでいってしまった、そこで神の光を受けた特別な人々が必要なときに立てられて人々に真の光は、これだ、あなた方はその光に背を向けて歩んでいるから、闇に赴き、滅んでしまうと命をかけて警告したのです。こうした人々が預言者といわれる人々なのです。 そうしてさらに、神の完全な光を持った方が、人間の姿となって、地上に来られ、自ら光となったのです。この完全な光の方は、生きること、死ぬこと、死後のこと、歴史、愛とは、裁きとは罪とは何かなど人間が直面する根本問題について完全な光となって下さったのです。 このような光は人間に分かち与えられました。その中で、最もその光を豊かに受けたのが、使徒パウロだったと言えます。それは、彼の書いた手紙が聖書として新約聖書の相当部分を占めているという事実を考えてもわかります。 ここではそのパウロが光を受けてどのように変革されたのか、どんな考えを持っていたのかを聖書をもとにして考えてみます。 パウロはまず、人間がどうしても、善いことや真実に背くことが深く宿っていることを知らされ、それは自分自身がそうであったように、どんなに学問や当時の宗教生活を真剣にしても、なおすことができないことを知らされたのです。それは、神の光がなかったら、分からなくて、他人は間違っていても自分は正しいという考えがしみこんでいたのです。 そうした状況の中で、光、しかもいのちの光を知らされたのです。そこからパウロがどのように変革されていったか、それは世界の歴史の歩みにも重大な影響を持つほどのことになったのです。 彼がどんなに変えられたか、そのさまざまの点については彼が書いた手紙と、その言動を記した使徒たちの行動の記録によって知ることができます。ここでは、そうした中からいくつかを取り上げてみます。 パウロの心を知るには彼の祈りを知ればよい。祈りとはなにが心にあるかを示すものだからです。口先だけの祈りでなく、心からの祈りをパウロはしていました。 わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることであるが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがある。 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っている。(ローマの信徒への手紙九章より) 彼は、ユダヤ人に対しては、自分がのろわれて捨てられてもよいからユダヤ人が救われるようにと強く願っています。この自分の気持ちを語るとき、ほかの聖書の箇所では使ったことのない強い表現を用いています。 キリストと一つになっている者として真実を語る、自分の良心も聖霊によって証ししているなどと、これ以上はないほどの強い表現を用いているのです。これは、このユダヤ人に対してのパウロの心がいかなる意味でも誇張でも作りごとでもないと言おうとしているのです。 キリスト者であっても、自分たちに対して敵意と憎しみをもって、迫害してくるユダヤ人たちを嫌ったり、憎んだりする人たちも多かったかも知れないのです。そのために、パウロはこのように特別な表現をもって自分のユダヤ人への気持ちの真実性をつよく述べていると考えられます。そしてそのような心に変えたのが、キリストであり、自分がある時に突然受けたキリストのいのちの光であると言おうとしているのです。 ユダヤ人たちはパウロに対してどんなにひどいことをしたかは使徒たちの記録に詳しく記されています。ある時は、石で打たれ、意識不明になって郊外に引きずり出されたこともあったし、またある時には、殺そうとする人たちの手から逃れて危うく一命を取り留めたこともあったのです。 しかし、そのような激しい敵意にもかかわらずパウロは、ユダヤ人を憎むとか報復するということは決して考えず、逆にユダヤ人のためなら自分がのろわれて捨てられてもよいとまで心を注ぎ出しているのです。 これは驚くべき心です。キリスト教徒は、ユダヤ人に対してこのようなあつい祈りの心をもって対処するというのが聖書に記されているあり方なのです。しかし、現実には、それとは逆に長い間ユダヤ人はヨーロッパにおいて迫害されてきたのでした。それはキリスト者としてのあり方、聖書の示すあり方とは真っ向から対立するものでした。 当時の人々を指導していたカトリックの宗教指導者たちも、パウロがどんなにユダヤ人に対してあつい祈りを注いでいたかわからなかったのだと思われます。 人々もまた、聖書がラテン語で書かれていたこと、聖書は一人一人が持つということはできなかったことなどから、ユダヤ人に対する正しい姿勢というものを学ぶことがなかったようです。 いのちの光を受けたパウロが啓示されたのは、弱さが持つ意味です。 私たちはどのようなところにいても、やはり弱さは何の役にも立たないと思っています。学校でも、弱いといじめられる、学力が弱いなら見下される、進学も希望通りにいかないし、スポーツのように体力や、運動神経の弱さがあると、初めから相手にされない世界も多いのです。 意志の弱さ、能力的な弱さなどなど、どのような方面でも弱さはマイナスでしか有り得ないと思っています。 健康第一であり、病気はいまわしいものである、成績の競争においても強いものが賞賛され、成績が低い者は見下されるのは当然という風潮がどこにでもあります。 企業においても同じであって、業績がよければ、力があり、赤字転落では見放される。政治でも同様、権力者が首相をも作り出しています。 キリストの時代においても、 そのようなただなかにあって、キリストは弱さを全面に出してこられたお方でした。生まれたところが、家畜小屋の真っ暗な、汚い所、臭気に満ちた、飼料の散らばったところであったのです。 十字架のあがないということも、人間がいかに弱いかを知らなかったら与えられない。弱いから、あがないが必要なのです。そしてそのあがないということも、最も弱いように見える出来事、十字架で無惨にも殺されるということを通して行われました。 主イエスも十字架上で、「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」と言って神がどうして私を捨てたのかという叫びをあげたほどでした。 パウロは、どこを見ても強さがもてはやされる状況のただなかにおいて、弱さが持つ深い意味を、キリストご自身から直接に、いのちの光によって、示されたのです。 それはつぎのような言葉からうかがえます。 自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはない。… (パウロを苦しめている、ある病気を)離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願った。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われた。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足している。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからである。(同十二章より) このように、ギリシャの都市コリントの新しいキリスト者たちに対して、パウロは、弱さの持つ全く新しい意味を告げたのです。 ギリシャはホメロスやソクラテス、プラトン、アリストテレスなど多くの偉大な人物が現れたところです。 世界歴史での代表的詩人の一人と言われるホメロスのなかには、「神に愛されたアキレウス(英雄の名)」といった表現がよくみられます。神々も、人間と同様に、強い者、英雄的な者を愛するというのは自明のように書かれているのです。 プラトンやアリストテレスの著作の中にも、弱い者を神が愛されるとか、弱さに深い意味があるなどということは全く書かれていないし、善悪とか真理、美などについて秩序正しく思索するという、哲学そのものが、そうした論理的な思索能力がなかったら近づけない本質を持っています。そうした思考力に乏しい弱い者は、はじめから、哲学の世界からは見放されているということになります。 このようにこの世のほとんどが顧みようとしない、弱さということ、弱い人間という存在に最も光を当てたのが、キリストの光であり、それをパウロを豊かに受けたわけです。 具体的に数字をあげると、新共同訳の訳語で調べると「弱い、弱さ」という言葉は、ほぼ四十六回ほど用いられています。そのうち、四つの福音書や使徒行伝を合わせても四回ほどしか使われていないし、ヨハネの手紙とか、ペテロの手紙などには合わせてもわずか一回しか使われていないのに、パウロが書いた手紙には、三十三回ほども用いられているのです。 パウロは、自らは、家柄もよく、高い教育を受けて、現在でいうエリート教育を受けてきた人物でした。そしてそうした強さを武器として、キリスト教を滅ぼそうと行動していたのです。 しかし、そうした強みは真の救いには何等役に立つものではなかったことを思い知らされることになりました。むしろ、自分の弱さを深く知るところにこそ、神の力が豊かに注がれることを知ったのです。 キリストが十字架上で処刑されるという、最も目をそむけたくなるようなこと、人間の弱さの極みのような出来事も、その弱さのなかに神は最も大いなる力を注がれ、人間全体の罪を十字架上であがなうという最大のわざをされたのです。 弱さの意味が深く啓示されたということだけに留まることなく、十字架による罪のあがないを信じてパウロは、新しい命に生きることができるようになりました。パウロが受けた光はいのちの光であったからです。 また、祈りという方面においても、彼の祈りは、とくに共同の祈りを強調していることが目立ちます。これも彼が受けた光によるものであったと言えます。 私たちは、祈りというと、自分だけが祈るというように考えることが多いはずです。祈りとは自分の苦しいこと、悲しみや悩みを神に訴えることだから、他人はわからない、ともに祈れないというのが多くの人の気持ちです。しかし、パウロは、キリストを信じる人とたえず共に生きているという実感を持っている人でした。キリストを信じる人同士は、「キリストのからだである」という、だれもが想像もしたことのない真理へと導かれたのです。 あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。(ピリピ書一・27〜30より) つぎに、当時の大多数の人たちがキリストと魂の一番深いところで結びつくということは、考えることもできなかったのに、パウロは、そのことがいかに重要であるか、旧約聖書と決定的に違った経験を与えられることになった。キリストの光を突然受けて、その光によって、それまでの自分の誤りと罪がまざまざと照らされ、ユダヤ教の律法を誇りに満ちて守ってきたという自信家から、キリストの光を受けた罪人として、再出発することになりました。そのとき、たんに自分の罪と誤りが見えてきただけでなく、パウロはそれまでほとんどだれも深くは知らなかったこと、自分の存在がキリストの内にあるという想像もしたことがなかった経験を与えられたのです。 遠く敵対していた者が、神と同じ本質をもったお方である主イエスの内に導き入れられ、すべてを主イエスから与えられるようになったことがパウロにとっては、最大の体験となったのです。 だからこそ、パウロは、「主にあって」「キリストにあって」(*)(en kuriw または、en
christw)という表現を、ほかのいかなる使徒や文書より、圧倒的に多く使っています。 その他、キリストのことを代名詞を用いて「彼にあって」などとなっている箇所も合わせると、新約聖書全体では、パウロは、このような表現をダイスマンの「パウロの研究」によれば、百六十四回も使っているのです。 それこそ、パウロが「いのちの光」を受けたということを、指し示すものなのです。「キリストにある」とは、霊なるキリストの内に置かれることであり、神と等しい本質を持つお方のなかに結び付けられることなのです。 キリストは命そのものであるお方であり、彼のつぎにあげるような厳しい状況のもとでの絶え間のない活動は、ひとえにこの「キリストにあって」という事実から生まれてきたのです。 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。(Uコリント十一章より) パウロはキリストの内にあって、またキリストがパウロの心の内に住んでいたゆえに、このパウロの行動は、キリストがなさしめたものだと言えます。 さらに、パウロは、キリストの福音が世界に宣べ伝えられることを神の光によって知らされていたのです。だから、彼は、多くの信徒がいる小アジアとかギリシャ、あるいは、当時のローマ帝国の首都であったローマにすら滞在することを望まず、当時では、世界の果てであったスペインにまで、キリストの福音を伝えるために行くことを望んでいたのです。 聖書全体のなかで、スペインという言葉が使われたのは、わずかに二回だけですが、それはパウロが福音宣教の目的地として使っている箇所なのです。 パウロが見つめたスペイン伝道のそのはるかな延長上に、ザビエルによる日本伝道があったのであり、神の大いなる計画は、パウロがすでに予感していたかのように感じられます。 キリスト教がいかに伝達していくか、その前途を予感していたパウロは、さらに宇宙の前途についても、光を受けていました。 それは、万物が神に向かっていること、そうして究極的には、一つになるということであったのです。 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰する。(ローマの信徒への手紙十一・36) このように、命の光を受けた人として、パウロは、最も人間の精神の奥に潜む罪に深い洞察を与えられ、そこからの救いの道、敵をも愛する愛、逃げてきた奴隷をも兄弟として愛し、キリストに導いたこまやかな心を与えられていました。 また、彼の洞察は、そうした個人的な世界からはるかに遠く、時間的にも遠い未来をも見通すものでした。 キリストを拒んだユダヤ人の前途はどうなるのか、さらに、キリスト教の福音が世界に伝わっていくことへの展望をもち、宇宙の前途をすら、見通す深く鋭い洞察を与えられていたのがわかるのです。 そして、数々の命の危険にさらされつつも、キリストの命を生き続けて、生きて働くキリストを証ししていったのです。 いのちの光を受けた人、それは実はキリスト者がみな、そのいのちの光を受けていると言えます。そしてそれは、求めよ、さらば与えられるとの約束の通りに、真剣に求めるならば、だれでもが与えられるこの世における最高の賜物であると言えるのです。 ○心に残っている音楽家から キリスト者にとって音楽といえば、讃美歌や聖歌、ゴスペルソングなどが不可欠なものです。それらは魂を養い、力付ける働きを持っています。 また、音楽の素人にすぎない私にとっても、今から三百年ほど昔の音楽家、バッハの音楽は深いキリスト教信仰を響かせているのを感じます。 バッハの音楽のうちで初めて耳にした時から心に残っているのは、中学のとき聞いたトッカータとフーガです。それは、子供の心にも強い印象を残したものです。そして何十年の後の現在でもやはり、ト短調小フーガや、バッハのマタイ受難曲のような作品は、目には見えない世界の扉を開いてみせてくれるようなところがあり、心に霊的な養分を与えてくれます。ベートーベンやモーツァルトなどのピアノ曲ととにも、礼拝講話の準備とか原稿を書くのに疲れた頭を少しの間聞くだけでも、しばしいのちの泉から汲むように休ませてくれる場合が多いのです。 バッハについて、二十世紀前半を代表するドイツの音楽史家の一人と言われる人がつぎのように書いています。 バッハは、「自分の時代を超えて立つように見えて、あらゆる人々のうちで最も偉大な、最も不可解な音楽家は、バッハである。・・バッハは一つの時期を完成した者にとどまるのでなく、数世紀わたる(音楽の)完成者であり、成し遂げた者なのである。」 彼は、・・ロ短調ミサを書いた。この作品は決してカトリック的創造ではなく、プロテスタント的創造でもない。これは神への信仰告白であり、神を描き出した作品なのである。・・バッハは五百年後の音楽においても、たとえば五百年後、六百年後のイタリア文学におけるダンテのように、偉大で究めがたく、生き生きとして、汲みつくしがたく立っていることであろう。・・彼はいっさいの国民的限界を打ち破るほどに偉大である。彼はドイツ音楽を代表するのでなく、音楽そのものを代表するのである。(白水社「バッハ」の中のアルフレッド・アインシュタインの文より) パソコンはますます一般的となって、パソコン販売の店には、老若男女のさまざまの人たちが見られるようになりました。十四、五年前に初めてパソコンを使い始めたころとはまったく様子が変わってきました。 パソコンがなくても生活はもちろんできます。しかし、キリスト者の方でつぎのような目的を持っている人には、とくに役立ちます。 キリスト者で聖書をとくに原語を学びたい、原語を参照しつつ、日々聖書を読んで行きたいという人。この場合には、書物とは比較にならないほどの有用なものです。私は、ギリシャ語研究には、以前はアメリカやイギリスで発行されている行間逐語訳(INTERLINEAR版)と、やはりアメリカで発行されている分厚いギリシャ語辞典とか、逆引き辞典を用いて四苦八苦しつつ、その変化形を知り、意味をたどっていたものです。しかし、パソコンによってそうした各種の分厚い辞典をいくつも机に広げる必要がなくなり、原語と、訳語の意味の差、どのように聖書で用いられているかなどが断然はやく、簡単にできるようになりました。聖書のそうした研究的な学びをパソコンを用いてぜひと希望している人で、近くに相談できる人がいない方は筆者までご一報下さい。 ○ 一月号の中、「二つのいのち」は特別に強く感銘を受けて、あれからずっと胸中に温めております。 ・・目の手術のため、片方が失明し、片方も視力が落ちて身体障害者の認定を受けています。読むことが困難の度を増しています。 今、八十歳をすぎて余命のことで思い悩むことがしばしばですが、「はこ舟」の記事を読んでハッと目がさめる思いが致しました。 二つの命のうちの一つのいのちにとらわれていました。もう一つの命のあることに気付かされました。新たな希望が芽生えました。感謝。(中部地方の読者の方) はっきりと君が代が天皇讃美の歌だからと歌うのを拒むならば、法律で決まった国歌を歌わないのはけしからんといって、処罰されることを覚悟しなければならなくなってしまいました。思想、良心の自由が憲法で保証されているにも関わらずです。 こうした状況になっても、なお、君が代とか日の丸がかつてどのような目的で用いられたのか、そして現在、教育においても強制しようとするその目的はいったい何なのかということを学び、生徒たちに教えることの重要性はなくなるものではありません。 ○去年(二千年)五月号の「無教会とは何か」をたいへん興味深くアーメンと、共感をもって読ませて頂きました。私は、○○年のイースターに何もわからないままに、受洗したのですが、以来「教会」とはいったい何なのだろうかと悩んで来ました。現実の教会はこれが教会なのだろうか。これで救われるのだろうかといつも礼拝に出席するたびに思わされました。 ある時、「裸の王様」のことをふと思いました。・・現在の教会はこの通りだと思います。主の臨在を感じられないで何が讃美でしょうか。口先だけの祈りや讃美を神様は喜んで下さるでしょうか。・・主の祈りもお題目を唱えるように、その意味も考えないで、早口で唱えられていたので、そのときには黙っていました。・・ こんな時、ヘブル書十三・5「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」というみ言葉に望みをおいてきました。・・(四国の方) しかし、私には、その健康や仕事を用いて、神のために働くことを神様が期待しておられるからだと思われるのです。 パウロもどうしてもいやして欲しいと願っていたある種の病気をもっていたようです。しかし、もし、病弱で歩くことも十分できないほどであったらあのように、小アジアやギリシャ地方の広大な領域を、船の危険、山道の危険、迫害される危険をもこえて、福音伝道のために歩き続け、前進を続けることはできなかったのです。パウロにそれほどの体力が与えられていたのは、神がそれを用いて福音を伝える働きに用いるためであったのです。 先日は「み言葉」に添付されていた美しい野花のお写真の紫がとてもあざやかで見とれました。どんなものにも聖手の業を思うと感激も一入(ひとしお)ですね。 1日1日が奇跡のように思われます。神のお導きの中に、到底人智では及ばないことがなされていることを感じます。 いかに己を低くするか、砕かれるか、祈る毎日です。 これからもよきお働きをお祈り申し上げます。 こちらは大雪で、一面真っ白の世界です。 聖言葉はコピーして、お配りしたいと思っております。(東北地方の方)
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2001/2 |
今月の聖句 主はすべてを喪失された者の祈りを顧み、その祈りを侮られなかった。 (詩篇一〇二・18) 聖書と新聞 2001/1 最も人々がよく読んでいる印刷物は新聞である。そのために新聞は現代人の聖書だと言われることすらある。新聞は同じことを書けば新聞ではない。その名の通り、新しい情報を伝えるものなのである。 新聞は、社会の状況や、世界の動きを知るには不可欠のものである。新聞があれば、私たちはどんな田舎でいても、日本や世界の動向を相当に詳しく知ることができる。 しかし、新聞はたえず新しいことを目標としている。それがどんなに悪いことであっても、また人の心に闇をもたらすことであっても、ただ新しいこと、珍しいことなら新聞は大々的に取り上げる。そうして善いことより、ずっと悪いこと、闇に属することがニュースに取り上げられてしまう。強盗、殺人とかまた誘拐など、珍しいこと、昨日はなかったことがあると人々は読んでしまう。 しかし、そこには真理はない。かえって新聞やテレビなどで大々的に悪の事件を取り上げるからいっそう人々の心が悪の力を受けやすくなってしまう。 それに対して、聖書の真理は数千年も変わることがない。聖書は変わったことを告げず、珍しいことを告げようとせず、ただ山のように静かで変わらない。そして伝えられることを待っているかのようである。 主イエスも、パウロも、ヨハネもルターや内村鑑三などもみんなこの二千年という長い間、同じことを告げ続けてきた。十字架に現れた神の愛、永遠の命、復活、生きて働く神、聖霊の導き、再臨、悪の最終的な滅びなどなど。 神の霊がそこに働くとき、いかに同じ内容であっても、不思議な新鮮さを人に感じさせ、新しい力をそこから受けるのである。 それは聖書の言は神の力であり、いのちだからである。 私たちも、単に珍しいこと、新しい出来事でなく、古い古い時代から伝えられてきた真理の言葉に触れ続けたい。それによって現代のさまざまの問題の本質が見えてくるようになる。 それゆえに、いかに繰り返しであろうとも、また人々が聞こうと聞くまいと、神の手がそこにあるのを信じて、聖書にある真理の言葉を語り続けたい。神は現代の混乱の中か らも、そうした永遠の神の言に聞こうとする人たちを必ず起こされるのだから。 切れようとするとき 私たちの日々のなかで、病気や家庭の問題、あるいは職場や周囲の人間関係のあつれきのなかで、もうどうにもならないという時がある。太平洋戦争のような時にはそれは数しれない人たちの中にそんな思いが立ちこめていただろう。あるいは、飢餓や伝染病の蔓延、大地震とかの自然災害で家も家族も失われてしまったときなど、また、重い病で回復不能であると言われたとき、人間の弱さを痛切に思い知らされ、自分をそ れまで支えていたあらゆるものが切れていくような気持ちになるだろう。そしてどんなにあがいても、叫んでもその恐ろしい闇から出ることができないという気持ちに捕らわれてしまう。 聖書にもそのような追いつめられた人の叫びがしばしば記されている。 主よ、なぜわたしの魂を突き放し なぜ御顔をわたしに隠しておられるのか。 わたしは若い時から苦しんで来た 今は、死を待つばかりだ。 あなたの怒りを身に負い、絶えようとしている。 あなたの憤りがわたしを圧倒し あなたを恐れてわたしは滅びる。 それは大水のように絶え間なくわたしの周りを渦巻き いっせいに襲いかかる。 愛する者も友もあなたはわたしから遠ざけてしまわれた。 今、わたしに親しいのは暗闇だけだ。(詩篇八十八より) このような深い苦しみの叫びはこの世には、昔から今に至るまでずっと続いている。 神を信じる者であっても、なお、このように神から突き放されたのではないのか、という深い悩みが襲ってくることがある。 聖書はこのように現実の世において私たちが直面する苦しみをもそのままに表している。 そして同時に、いかに苦しみが深く、助けがないように見えても、必ず求め続ける者に助けを与えられるということが記されている。 主は労苦を通して彼らの心を挫かれた。 彼らは倒れ、助ける者はなかった。 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、 主は彼らの苦しみに救いを与えられた。 闇と死の陰から彼らを導き出し、 束縛するものを断ってくださった。 主に感謝せよ。主は慈しみ深く、 人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。・・ 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。 主は御言葉を遣わして彼らを癒し、破滅から彼らを救い出された。(詩篇百七編より) 私たちは現実の困難な問題に直面するとき、言葉を失う。ただ祈りだけが私たちにできることだということがある。 しかし、そのような苦しみも闇も聖書の世界にはすでに克服されているのを知ることができる。 キリストの愛の一側面 私たちは、愛というと、なにか甘いものを感じます。世にあふれているからです。それらの愛は、自分中心であり、すぐに憎しみとか怒りに変わることはだれもが知っています。そして、そのような愛は、差別的です。例えば、自分の子供ですら、ある子供だけをとくにかわいがって、別の子供を嫌うということもあります。 そして最も頻繁に小説とかドラマで現れる男女の愛こそその差別的な愛の最たるものです。相手の異性のためならば自分の家族すら捨てて顧みないし、社会の状況とか苦しんでいる人のこととかそんなことよりただ、相手の人のことだけが心を占めてしまうし、その人が他の人を大事にしていたら嫉妬するという状態になり、特定の人間だけを寝ても覚めても思っているが、他の人間のことは、まったく思い出さないし、邪魔者とすら感じるほどになったりします。 そして、そのような愛は、自分だけが相手を持っていたいという独占的な気持ちがつねにあります。 しかし、聖書でいう愛は、そうした「愛」とは根本的に違っているのに気付かされます。 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださった。そのことによって、わたしたちは愛を知った。(Tヨハネ三・16より) イエスが十字架上で処刑されたということは、二千年も昔の遠い外国の出来事であって、現在の私たちには全く関係ないことと思われます。しかし、その十字架上での死が実は私たちのためであったこと、私たちの心の最も奥深いところでの不信実や愛がないこと(罪)を赦し、清めて下さるための出来事であったことだとわかること、それを信じることによって、初めて私たちは神の愛というものを知ったと言われています。 神の愛を知るには、どんなに親の愛や友情を受けても、また熱烈な異性との愛を受けたところでわからない。私たちが自分の罪を知って、それがどんなに学校の勉強をしても、性格を変えようとして努力してもどうにもならないものであることを思い知らされ、そこからそのような罪に縛られた自分を赦し、救い出して下さったという神の愛にふれて初めて私たちは愛というものを知るのです。 これは驚くべきことです。愛などだれでも知っていると思っているからです。たしかにふつうの意味でも、愛されているかどうか(好かれているかどうか)は、すぐにわかります。 だれかが自分に好意をもってくれているか、無関心か、あるいは、無視や敵意かはすぐにわかるものです。小さな子供や犬、猫すら感じとることができます。 しかし、そのような愛はだれでも知っているのに、不思議なことに、神の愛を最初から知っている人はだれもいないのです。 現在の日本語では愛という同じ言葉で言われるけれども、そうした愛と、神の愛とはつながってはいないのです。 愛という言葉がこのように全く本質がちがうものに対して使われることは、たえずこの重要な問題について誤解を生んできました。 仏教においても、この二つの全く性質のことなる愛を別の言葉で表してきました。 「愛」という言葉は、仏教ではつぎのような意味に用いられています。(岩波仏教辞典による) 「人間の最も根源的な欲望。のどの渇いた人が水を欲しがるような激しい欲望、盲目的な衝動、満足するまで激しい渇き、満足するまでやまない激しい欲望、かたくなな執着を言う。広くは煩悩を意味し、狭くはどん欲と同じ意味に用いられる。」 これは、キリストのいう愛とは根本的にちがったものです。このような大きな違いのために、キリスト教が初めて日本に入ってきたときに、聖書でいう愛をどう訳すべきかに困ったのです。そして聖書に記されている神の愛を「ご大切」と訳したのです。 キリシタン時代に発行された書物に、例えば、現代訳では「賢い思慮の人はその贈り物よりも、贈り手の愛に重きを置く。」という文を、「かしこき思ひ手は、与えらるる引き出物(贈り物)よりも、与え手の大切と心ざしを感ずるなり。」というように訳しています。(「こんてむつ むん地」巻三・第5より 一六一〇年発行)。(*) (*)これは、「キリストにならいて」という書名で広く知られている。このなじみのないキリシタン本の書名は Contemptu Mundi(コンテンプツ ムンディ) という語からきている。 これは「この世(的な虚栄)の蔑視」という意味だがその読みをそのまま書名としたもの。 ) このように、今から四〇〇年ほど昔には、神の愛を「ご大切」と訳したは、神の愛とは、弱い苦しんでいる者を大切に思うという意味から来ています。こうしたとらえかたは現在のように、愛という言葉がちがった意味ではんらんしている状況にあっては、かえって新鮮に感じられます。神の愛とは、神が私たちを大切に思って下さっているということですし、主イエスが敵をも愛せよと言われたのは、敵を好きになるということでなく、敵対する人をも、大切に思うということになります。 このように、愛という一つの言葉で、内容が全くちがう意味で用いられているのです。 一つの愛は執着であり、独占欲であり、そのためにはどんな悪事をもしかねない妄執(もうしゅう)であり、欲望を意味しています。 他方の愛は、そのためには自分の命さえも捨てるほどのものともなり、敵をも愛するほどの広さと、深さをもったものです。 私たちをとりまく人間社会で生じるたいていのことは、この執着とか欲望といった意味での愛がからんでいます。いろいろの犯罪もそうです。経済問題、社会問題、あるいは民族や国家間の戦争などすら、そのもとをたぐっていくと、民族や国の指導者が自分の地位や権力、財産、特定の人間への執着や欲望といった意味の愛によって生じているのです。 例えば、第二次世界大戦は、一九三九年九月一日のドイツのポーランドへの突然の攻撃によって始まりましたが、それはヒトラーという一人の人間が周到に、計画し、準備して引き起こしたという側面を持っています。彼の悪魔的ともいうべき激しい権力欲、支配欲から生じたものであったのです。 愛という名を持ってはいるものの、その内奥の本質は、奪い取ろうとしたり、独占したり、わがものとするという性格をもっているのです。こうした執着心は、個人的には恋愛とか親子愛などというレベルから、国家間の戦争に至るまで人間のあらゆる領域をおおっているということができます。 こうした意味の愛(欲望、執着)は、最後は枯れていくのです。 しかし、神が私たちに注いで下さっている愛は、罪を知り、その罪を赦し、そこから救いだして下さるという単純な事実を信じる必要があるという関所があります。それが狭い門ということです。 これに対して、欲望や執着という名の愛は、広い門であって、至るところにころがっています。それは主が言われたように、滅びに至る門は、広く、その道も広いのです。 「愛とは、他人に対して言わなければならないと思うことを言わないことだ」とあるキリスト者が書いていました。すべてがこのことで言い尽くされているわけではないけれども、聖書にある愛の一側面を表しています。 言わなければいけないと思うことすら、あえて言わない、それは言うのが恐いからでも、面倒だからでもなく、あるいは自分に確信がないから言えないのでもなく、神の万能と愛への揺るぎない信頼のゆえなのです。神が必ず最善にして下さる、導かれるという確信があるときには、沈黙して神の御手に委ねることができるからです。こうした沈黙は、深い祈りを伴っているのが感じられます。 聖書にも、神とともにある沈黙のことがしばしば見られます。 わたしは黙し、口を開かない。あなたが計らって下さるのだから。 (詩編三九・10) 敵対する人とは、私たちの真意を知ろうとせずに、意図的に私たちに危害を加えようとする人のことです。そうした人に言葉で説明しても通じない。しかし、神は相手の心に手をふれることができる。神は御心ならば、すぐにでも相手の心を変えることができる、そう確信できるときには、私たちは沈黙して神に委ねることができます。 主イエスが捕らえられて裁判にかけられたとき、つぎのように記されています。 祭司長たちや長老たちから訴えられている間、(イエスは)これには何も答えなかった。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。 しかし、どのような訴えにもイエスが答えなかったので、総督は非常に驚いた。(マタイ福音書二七・14) ふつうの考えでは、全くの無実の罪で訴えられて、まさに死刑にされようとしているのであるから、当然言わなければならないことが多くあったのです。しかし、主イエスは、神のご計画をはっきりと知っていたゆえに、その御意志が成るようにとの深い祈りをもって、沈黙されていたのだと思われます。 言わなければならないときに、あえて神に祈って沈黙をすること、そこには、誤解からくる非難や不都合、あるいは、低い評価などをも甘んじて受けねばならないことがあります。それをも相手がよくなるために甘んじて受けようということなのです。 パウロもこうした沈黙について述べています。 あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することができるほどの知者は、ひとりもいないのか。なぜ兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。 そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。(Tコリント六・5〜7より) 言わねばならないことをあえて言わず、自分が神への信仰のゆえに不利益を甘んじて受けるということ、そして言わねばならないと思うことを互いに訴えること自体が敗北だという。なぜなのか、それは神がすべてを最善にして下さるという信仰を失って物の取り合いになっているからだというのです。神への信仰的姿勢を失った者こそ、敗北者だという姿勢がここにあります。 キリストがだまって十字架刑に死んだこと、それは私たち人間に言わねばならない多くの罪を指摘して、裁くことをせず、あえて沈黙を通し、だまって私たちの汚れた心、罪といった不義をわが身に担って下さったからでした。そのイエスの驚くばかりの沈黙のなかに、計り知れない神の愛があったのを感じます。主の深い沈黙は、そのまま神の無限の愛を表していたのです。 この世での沈黙には、いろいろあります。無関心のゆえ、また見下したり、無視しているがための沈黙があります。敵視や憎しみの沈黙もあります。 しかし、キリストの沈黙は、二千年にわたって人類を救い続ける神の愛そのものであったのです。 私たちも黙して祈る愛を神から頂きたいと思うのです。 短歌による聖書のことば (次にあげる短歌は「短歌で読む新約聖書」からの引用です。) 聖霊は泉となりて溢れ出ず 渇きたる者来たり飲むべし 心に渇きを感じる人は、だれでもキリストのもとに行けばよい。そうすれば目には見えない水、命の水が与えられる。キリスト教とはいろいろの決まりとか戒め、あるいは教会の規則に縛られるところではなく、この命の水を頂くことがその中心にある。 そのためは、私たちの心の汚れを潔めねばならないので、主イエスは十字架にかけられて人間の汚れ(罪)を担って下さった。 私は、学生時代にあちこちの山を歩いた。そして渓流を長い時間をかけ、ときには二日がかりで川をさかのぼっていき、その源流の流れが尽きていくのを見届けたことがあった。 その中でも、京都府と福井県境付近に広がる由良川源流地帯はことに深い印象を受けた。あの深い谷であった渓流が、長時間歩いて日本海を望む稜線にある峠に近づくとき、ついに小さな流れとなり、山肌からあふれでる静かな水の流れとなったのを今も思い出す。 山からたえず音もなく水は湧き出している。しかしその小さな流れはだれも気付かない。 聖霊の泉となってあふれでている、しかしほとんどの人はその静かなる水の流れには気付かないし、そのようなものがあるなどと夢にも思わない。 しかし、神の見えない山から今も聖霊は溢れている。そしてそこに近づいて飲む者を待っている。 二つのいのち 谷川の流れの音、それはだれもが心安らぐような音です。山の静けさ、谷川の水の清さ、しかも水は私たちに不可欠なもの、そうしたことが私たちにとくに谷川の水の流れの音に心安らぐものを感じさせています。 そこにはふるさとに帰ったようなものがあります。そこに神のいのちの一部を感じさせてくれるのです。 私たちはふつう命には二種類あるとは考えてもみない。小さい刃物で胸を刺されたり、ピストルで一発撃たれたらただちに命はない。命とはそういうものだと考えています。 それはだれでも最も大切なもの、地球より重いと言われたりします。それはなんともろいことか、元気な者であっても、乗っている車が衝突したら、瞬間的にその命は消えてしまうほどです。私たちがもしこのように命とは一種類だと考えていると、この世で最も大切なものはきわめてもろいもの、そして必ず消えてしまうものだということになります。 私たちはすべてガンの宣告を受けた者と同様に死ぬのは確実なのですから。 だから、生きること自体がはかなく、空しくなってしまうのです。最も重要なものである命が手のひらにのせられる小さい刃物一つで簡単に消えてしまうのですから。 このはかない生物としての命、ほとんどの人が命だといえば、それだけしかないと思いこんでいる命は、人間だけでなく、犬、ネコや魚などのいっさいの動物や植物、そして昆虫や、細菌などの命とも共通したものがあります。それらはほとんど、外部からぶどう糖を取り入れ、細胞のなかで、TCAサイクルという、連続した化学反応によってエネルギーを取り出しているのです。そのエネルギーによって、生物はさまざまの活動をすることができているのです。そのエネルギーを取り出す際の複雑な化学反応は、酵素というタンパク質でできた物質が関わっています。ですから、例えば銅イオンはその酵素と結びついて、壊してしまい、化学反応が起こらないようにしてしまいます。だから銅イオンは、細菌のような原始的な生物から、植物、昆虫、動物などさまざまの生物に有毒なのです。 私たちの命というものが、このように細菌や植物と同じものだということを本気で信じるなら、それらが絶えず、殺されたりするのが自然現象であるように、人間もそのような殺すという最大の罪を犯しても自然なのだということにもなりかねません。 人間にはほかの動物とか植物とは違った命があるということを信じるのでなかったら、他の動物は強いものが弱いものを襲って食べるということは、悪でも何でもない自然の営みであるように、人間も強いものが弱い者を殺したりすることも自然なのだということにもなってしまいます。 二つの命があるということは、主イエスの次の有名な言葉が示しています。 「人は、パンだけでは生きることはない。神の口から出る言葉によって生きる。」 これは、人間が生きるということは、口から入る食物を取るだけではできないということなのです。 このことは、すでに旧約聖書でも、神が人間を創造したときに、ほかの動物はただ、「地はそれぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに生み出せ。」と言われて、創造されたのですが、人間については、神にかたどって、神に似せて創造されたと記されています。(創世記一・24〜26) このように、古くから、普通の生物としての命とは別の命があることが暗示されています。しかし、その別の命とはいったいどのようなものなのか、それが真に与えられたのは、主イエスによってだったのです。 私たちはそのような命を与えられるために、どこへ行くべきなのか、自分の考えか、身近な両親とか友人の考えか、それとも現代のマスコミの有名人か、スポーツ、芸能、学者など有名人か、それとも過去の思想家といわれる人でしょうか。 自然の命とはちがった命を知るためには、そうしたどんなところに行っても与えられない。ただ主イエスのみがそのような命の言葉を持っておられる。 ペテロのつぎの言葉こそは、現代の私たちにとっても、そのままあてはまる言葉と言うことができます。 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。(ヨハネ六・68) 二つの命の特質 普通の人間の命は必ず終わると言えます。もし、人間の寿命がみな数百歳になるなら、そのときこそ、人間で地球はいっぱいになり、食物不足で人間は生きてはいけなくなるというのは明かです。 また、そのようなこととは別に、地球上のすべての生命は、数億年後には、太陽の膨張によって地球の表面温度が百度を超えるようになるために、地球上の水分は蒸発してしまう。そして地球上の生命は永遠に失われてしまいます。 このように考えると、普通の生命は必ず消えていくという事実を受け入れざるを得ません。。 たしかに科学技術によって、私たちのさまざまの病気が治るようになったこと、千差万別の機械によって、人間ができなかった多様な仕事ができるようになったことがあるし、車イスとか、パソコンによって盲人がふつうの文字の書物を読めるようになったとか、補聴器、呼吸器などなど多くのものが身体の障害や病気をいやしあるいは軽くして社会生活をすることに貢献してきました。 しかし、他方では、公害、大気汚染、水汚染、自動車の交通事故による家庭破壊や健康破壊、有害印刷物、ビデオ、映画の類、薬剤耐性菌の増大、避妊技術の発達による不正な男女の関係の激増、堕胎など、科学技術は多くのよくないことにもつながってきたのです。 そして、原爆とか水爆などのように、たった一発で数百万の命をも奪うような巨大殺人装置まで作られてしまいました。二十世紀が最も多くの大量殺人がなされた時代となってしまったのは、この科学技術の発達と深く結びついています。このような第二次世界大戦だけでも、数千万という膨大な人が殺され、またそれをはるかに上回る人々が傷つき、家庭を破壊され、生涯を苦しみと悲しみへと変えられてしまった人たちがいることを考えると、科学技術がしてきたよいこともかすんでしまうほどです。 このように見てくれば、私たちの幸いは決して、科学技術にはよらないということがわかってきます。 ふつうの生物としての命は科学技術が操作できる部分があります。手術とか延命装置、薬などによって死にかかった場合でも命を取り留めて生きながらえることも多くあります。 しかし、もう一つの命は、科学技術とは全く関係のないところから得られます。科学技術の産物がほとんどなにもなかったキリストの時代でも、やはりこの命を与えられていた人たちがいたことを聖書を読むことによって知ることができます。 生物としての命は重要であることは、いうまでもありません。しかし、聖書、キリスト教は生物としての命より根本的に重要な命を告げている点でまったく科学技術の生命論と違っています。 それでは聖書、キリスト教が説いている命とは何か。それは生物としての命とどう違っているのかを考えてみます。 主イエスは言われた、 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書四・4) 人間は、口から入るパンだけでは人間として生きることができない、神の口から出る言葉、真理の言葉によらなければ、生きていけないというのです。 このことは、キリスト教徒だけに当てはまることでなく、だれでもこれに類することを知っているはずです。 例えば、私たちが嘘ばかりを言うとします。先日大きい問題となった、旧石器を自分で埋めてそれがそこにもとからあったなどといって大きい嘘を言ってきた人がいます。 そんな嘘を続けていたらあのような大問題となり、自殺しようかと思ったと言います。生きる気持ちを無くしてしまったようです。 真実に反する最も大きいことは、殺人です。そのようなことをしていたら逮捕、死刑となるか無期懲役となり、動物以下のような強制された労働ばかりの生活となり、人間として生きることはできなくなるのです。 神の言葉によって生きるとき、私たちはそれまでと違ったものが心に生じてきます。そしてこれこそ生物的な命とは別の命だと直感します。 その命こそ聖書で永遠の命と言われているものです。これは、単に長い命という意味ではありません。神の命ということです。そして神は愛と真実であり、決して滅びないお方です。それゆえ、永遠の命もまた愛と真実という最も私たちに必要なものそのものだと言えます。そのような命を頂くことができるということです。 私がキリスト者になったのは、キリストの教えを実行したからでなく、ただ、キリストが私たちのために十字架にかかって死んで下さったということを信じただけでキリスト者となったのです。そしてその時からたしかに以前は心に深い憂い、闇、無力感などが立ちこめていたのに、それらが無くなっていったのを感じるのです。 そして私だけでなく、そうした命があることは、少数ですが他の人にも伝わっていきます。私は高校や盲学校、ろう学校などの教員として三十年近く勤めましたが、その間にも少しずつ、聖書のいう命に目覚めていく人たちが与えられていきました。 その人たちはやはりキリストを知るまでとは違った歩みをするようになり、性格も変えられていくのを見てきました。それは実際に目で見て確認できたことです。 それは永遠の命が与えられたからです。 この命は、現在の生活に安らぎと、感謝を伴い、将来の生活への深い信頼を感じさせ、死後をも最も清められた人たちとの生活を約束するものです。 キリストの教えはその永遠の命が与えられて初めて実行できるようになるものです。 「敵のために祈れ」と主イエスは教えられましたが、それは永遠の命(キリストの命)が少しでも与えられていなかったら到底不可能なことです。 二人の科学者 天才的学者であり、しかも人間や社会に深い関心を持っているような科学者であっても、神への信仰がなければ、晩年は表情が暗くなっていきます。 例えば、今日の原子力科学の先駆けをなした、キュリー夫人は、夫が死んでから、以後はずっと喪服のような黒い服を着て笑顔がなくなった。笑うことをしなくなったといわれています。 彼女は、ノーベル物理学賞を受けた八年後には、化学賞をも授賞し、科学上の業績で、ノーベル賞を二つも授賞するというおそらく今後もないであろうと思われるような天才的な女性でした。そしてそのような世界的な名声にも毒されなかった人だと言われています。 真理のために科学の研究をすることを目的としていたために、ラジウムの発見により、その製法に関して特許をとれば、莫大な富が得られるにもかかわらず、そうした富を得る道をすべて断ったのです。 そのような真理探求者として生きていた彼女でしたが、彼女は心のなかに泉のように湧いてくる幼な子らしい喜びというのは持つことはなかったようです。 キュリー夫人が、五十三歳頃、アメリカからの大きな雑誌の女性編集者であった人と面会したとき、その編集者はこう書いています。 扉が開いて、今までに見たことがないほど悲しそうな顔をした、青ざめたキュリー夫人が入ってくるのを見た。彼女は黒い木綿の服を着ていた。・・私の方がキュリー夫人よりもっとおじおじしてしまった。二十年も前から記者を職業としている私であっが、その黒い木綿服を着た弱々しげな夫人に質問一つ出すことができなかった。(エーヴ・キュリー著「キュリー夫人伝」第二十三章より) 新渡戸稲造も国際連盟にてキュリー夫人と直接に交流していたのですが、やはり彼女の黒い服と、暗い表情が印象的だったようです。 彼女の母は信仰深い人でしたが、キュリー夫人は母が亡くなって信仰を失った、しかし、自分の娘には、もし信仰を持ちたいと思うならそれは全く自由なのだと言っていました。 キュリー夫人は自然科学に非常に優れていたけれども、社会学や文学にも科学と同じようなつよい興味を感じていて、すでに子供の時から詩が好きで、祖国ポーランドの偉大な詩人たちの詩を多く暗記していたと書いています。また、後に結婚して、子供が大きくなって読書をよくするようになり、ユーゴーとか、キップリングなどの詩人の詩を暗唱していると、それについてわざわざ意見を述べたり、娘が借りてきている書物がいつのまにか見えなくなって、母であるキュリー夫人の机にあったことがよくあると娘が思い出のなかに書いています。 こうした文学や社会学方面への深い関心があったので、人間社会のこと、歴史や人間のあるべき理想などについての鋭い洞察を持っていたのだと思われます。しかし、このような人であっても神への信仰を持たない人においては、晩年になるにつれてある種の暗さが漂ってくることが多いのです。 日本で最初にノーベル章を授賞した湯川秀樹も同様でした。晩年になると、その表情は暗く、憂うつそうで、幼な子らしい喜びをずっと味わったことがないのではないかと思われるような表情をしていたのをはっきりと思い出します。 実際、湯川氏は、今から三十数年前に書いた書物のなかで、科学技術と人間の前途について触れたのですが、その書物の最後の部分において、科学技術によって人間は滅んでしまうのでないかという内容のことを、江戸時代の怪異小説の作家、上田秋成からの文を引用してこう言っています。 月が照って、松には風が吹いている。いい景色や。人間はもうそこにいないかもしれない。それは何者の所為(せい)か。どう考えたらいいのか。 考えれば考えるほどわからなくなる。わからんけれども、それを不断に問うていかなければならない。その結果は骨だけが残ることになりはしないか。 私はそれが科学だと断定するわけではない。もっと明るい科学の未来像が考えられないというわけではない。ただ科学とはそんなものかもしれないという、いやな連想を消しきれないのです。(「人間にとって科学とは何か」中央公論社・一九、 湯川は、科学者としては稀な博学であって、科学以外のさまざまの方面の書物も多く読み、日本、中国、朝鮮の歴史や文化にも深い関心を持ち、多くの短歌をも作るという幅広い教養を持っていた学者でした。そして平和運動にも熱心で、科学者京都会議を二十年ほどの間に四回も主催したり、世界平和アピール七人委員会にも参加するなど、科学者の平和運動の中心人物の一人として働いた人でした。 そのような広範囲の学識、教養にもかかわらず、彼が晩年に到達した科学技術と人間という問題については、驚くべき暗い予想なのです。私は大学四年のときに間近に見た湯川氏の表情の暗さが今も印象に残っていますが、それはいったいどうしてなのか、最初は不可解でしたが、この書物を見てその深い理由がわかったような気がしたのです。 科学技術が人間を悪い方向へと引っ張っていくのでないかと考えだすと、「私自身、 少しおかしな気になりそうですが・・」とも言っています。 二十世紀の科学者の内でも、とくに良心的であり、人間と科学の関わりに真剣に考え、しかも行動してきたキュリー夫人と、湯川秀樹の二人が、ともに子供のときから文学にもつよい関心を持ち、幅広い関心を培ってきたという点は、よく似ています。 それにもかかわらず、ともに暗く、憂うつな、そして悲しげな表情となっていったのが、私にはとくに心に残るのです。 天才的な頭脳や、優れた業績、広い教養、学識、名声なども、心に深い平安と喜びをもたらしてはくれないのです。 むしろ、そのようなものがありながら、神への幼な子らしい心をもって仰ぐ眼差しを持っていないときには、暗い影がその人の魂を包んでいくということに気付かされるのです。生まれつきの才能などに根ざすものをいくら持っていても、それだけでは、本当の命には至らないということなのです。 そのような暗い影を取り除き、逆に光を持つには、別の命の源を与えられねばならなかったのです。 聖書といのちの光 聖書そして、キリスト教はそのような命の源について、私たちに多くの箇所で、繰り返し告げ知らせています。 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ福音書八・12) イエスを信じ、イエスに従っていくときには、そのような命が与えられるというのです。ヨハネ福音書が書かれた目的は、何だろうか。 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。(ヨハネ二十・31) このヨハネ福音書の実質的な最後に、ヨハネ福音書が書かれた目的は、「命を受けるため」だと書いてあります。自然の命はこの地上に生まれたときに与えられています。 しかし、それは動物や昆虫などとともに、自然のままの命であり、はじめに述べたようきわめて簡単に失われます。 しかし、聖書でいう命(永遠の命)は、決してそのようなことがなく、いかなる不自由や、苦しみに会ってもなお、輝いているような命です。 キリストというお方は、生物としての生命の重要さではなく、もう一つの命の重要性を一貫して説き続けたのがわかります。 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 狭き門という言葉は有名です。フランスの作家がこの言葉を題名にした本を書いています。その作家のように、これを禁欲的な生活であって、自然の人間を抑圧するとかいった誤解がよくなされます。しかし、狭い門から入るとは、キリストが私たちの罪を担って十字架で死なれたのだということを信じることであり、細い道とは、主イエスに導かれ、主イエスを仰ぎつつ歩むことです。 それは、たしかに狭い門から入ることだし、道も細いし、それを見いだす人は少ないといえます。なぜなら、世間の人々の会話や、学校教育あるいは会社、またテレビ、新聞などどこを見ても、こうした罪の赦しを受けて歩むことは見られないからです。 しかし、この道は、決して歩めない困難な道でなく、かえって歩きやすさを伴っています。どんなに弱くとも、学問もなくとも、また年をとっても、この十字架のイエスを信じて主イエスに従う道は奪われることがないからです。一人孤独に悩み、深い悲しみに沈むときでも、なおこの道を歩むことができます。否、健康なとき以上に歩きやすくなると言えます。そうしたときには、ただ主イエスを仰いで生きるほかはないからです。 そこから入っていくとき、私たちは「命」に至るという約束があります。 私は道であり、真理であり、命である。(ヨハネ十四・6) 私たちは、小さいときから生命というと、生物としての命だけだと繰り返し聞かされてきたため、死んだら終わりだという考え方がしみこんでいます。二千年も昔に十字架で処刑されてしまった、キリストが命そのものだなどということは、自然のままの人間にとってはまったく思いもよらないことです。 しかし、驚くべきことですが、キリストは、「私が命そのものだ!」と言っておられるのです。そして、神を信じ、イエスをわが救い主と信じるだけで、生物としての命ではない神のいのちを下さるという約束が与えられています。 わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。(ヨハネ福音書十・10より) わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十章27〜28) このような主イエスの約束にまさって喜ばしいものはないのです。永遠の命であるゆえに、それは神が永遠であるように、決してこわれることなく、いかなる天災異変にも動じることなく、太陽や地球がどのように変化しようとも、なんらの影響を受けないような命なのです。 休憩室 水と酸素、植物 植物には水がなければ育たないということはだれもが知っていることです。しかし、なぜ水がなかったら植物は生きられないのかと問われると、さて?と首をかしげる人も多いと思われます。 水は植物が地中から取り込んだ栄養分を溶かし、それを植物体内に運びます。また細胞内でさまざまの複雑な化学反応をするためには水がなければ反応は起こらないのです。例えば、私たちが毎日不可欠のものとして食べているご飯やパンなどは植物が作ったでんぷんを利用しています。そのでんぷんは細胞内の水のなかで複雑な光合成という反応があってはじめてできるのです。 さらに、私たちは生きていくためには酸素を取り込み、体内で生じた二酸化炭素を外に出す必要があります。しかしそうした反応もまた水がなければ生じないのです。生き ていくには酸素が必要だ、これはだれもが知っていることです。しかし、その酸素はいったん水に溶けてから、細胞内に入るのです。水がなかったらいっさいの反応は生じないので、生きられないのです。 水の役目はそれだけではありません。じつは、私たちが呼吸している酸素は、植物が地中から吸収する水が分解されてできた酸素なのです。水(HO)は水素と酸素とが結びついた物質ですが、その酸素が植物体内で引き離されて外に出され、それを私たちが利用しているのです。 このように、私たちが無意識で吸って生きている酸素はじつは植物が地中の水を吸い取ったものから生じたのです。いかに、植物が重要であるかがこうした点を考えてもわかるのです。 野や田畑、あるいは山々に無数にある植物、それらの体内において水が重要なはたらきをしたあとで、分解されて、外に出て、それが私たちの呼吸する酸素になって私たちの体内に入り、今度は私たちの体内で私たちが取り入れた食物を燃焼させて、私たちは生きるエネルギーを得ているのです。 そしてそのような驚くべき仕組みを創造された神の無限の英知の深さを知らされます。 今から二千五百年ほども昔の預言者がつぎのように、水がつぎつぎと自然のなかをめぐって大きい役割をはたしていることを指摘して、さらにそのように、神の言葉も着実にそのはたらきをしているのだと言っているのです。 物質の世界もよく見てみると、精神の世界、目に見えない世界のことをしばしば象徴的に指し示しているのに気付くのです。 雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。(イザヤ書五十五・10) ○冬の星座 今年の冬の星空は、三つの特に明るい惑星が見えるために、いっそう目を引く夜空となっています。夕暮れには、西の空に強い光で金星が宵の明星として輝き、夕方に南西の空に目を向ける人には必ず著しく明るい星として目に止まります。ことに、冬の冷たい風が吹きつのる日が暮れてまもない頃に、冷たいけれども澄み切った大気のなかに、私たちの心を引きつけてやまない星です。 そして南から東の方に目を転じていくと、やや高いところに土星、木星の二つが並んですぐに目をとらえるような目だった明るさで輝いています。木星と土星を南西へと延長して下ろしていくと金星に届きます。 木星と土星のすぐ近く(東側に見える)には、最も有名な星座であるオリオン座があり、それは、ベテルギウスという赤い色の巨星と青い色のリゲルという一等星を持っています。その近くには、大犬座があり、それはシリウスという恒星のうちでは最も明るい星が輝いています。オリオン座を見たことがないという人もいますが、青い星と赤い星の一等星と、二等星を五つも含むので、すべての星座のうちで、最も明るい星を多く含む星 座であり、最も見つけるのも簡単です。見たことのない人は、ぜひこの冬の間に見つけて欲しいものです。 その他にはつぎのような明るい星を持つ星座があります。(かっこ内はその星座に含まれる一等星またはそれに準じる明るい星です。) 大犬座の上の方には小犬座(プロキオン)、そしてその上には、双子座(カストルとポルックス)といって、二つの明るい星が並んでいるのです。オリオン座の上の真上に近いところでは、五角形をしたぎょしゃ座(カペラ)も見えます。 このような夜空の星を見ることによって、私たちは神の創造の力の大きさと広大さを強く感じることができるからです。 神である方、天を創造し、地を形づくり、 造り上げて、固く据えられた方、 混沌として創造されたのではなく、 人の住む所として形づくられた方、主は、こう言われる。 わたしが主、ほかにはいない。(イザヤ書四五・18) このように、旧約聖書の預言書も、しばしば神を思い起こすときに、天地を創造されたお方であるということを同時に思い起こすようにうながしています。この無限に広がる宇宙をも創造されたのが私たちの信じる神であるならば、どんなことをもなすことができるという確信を強くされるのです。 聖書における「憲法 最近は、憲法論議がいろいろなされるようになった。憲法とは国家の根本法であるが、その内容のうち、とくに憲法第九条を変えて、軍備、軍隊を持つ国家としたいという人たちが以前からいて、そうした人たちがかなり以前から議論していたものであった。 憲法に関する議論は、複雑で難しいものとなりやすい。戦力をどう認めるのか、自衛のあり方、集団的自衛権を認めるのかどうかとか天皇制の問題点、基本的人権の尊重と責任や義務とのあり方などなど。 一つ一つの条文を検討して議論していたら、いくらでも時間がかかるだろう。 大多数の人々にとって憲法とか法律全体はじつにわかりにくい表現であり、読む気がしないようなものとなっていると言えよう。 教育基本法を変えるべきだと主張していた自民党国会議員が、じつはその条文も読んでおらず、前文を見て、なかなか良いことが書いてあるともらしたとか、そんな話が新聞に書かれるほどに内容も知らずに、戦後五〇年経ったから変えようなどと、周囲に押し流されている人が多数を占めていると考えられる。 こうした複雑で難解な憲法議論に対して、聖書は国の根本的法律をどう規定しているのだろうか。 神の民の憲法、それは「十戒」である。分かりやすく言えば、つぎのようなものである。 天地万物の創造者である唯一の神のみを神とせよ。偶像を造るな。神の名をみだりに唱えるな。安息日を聖とせよ。両親を敬え。殺すな。まちがった男女関係を持つな。 盗みをするな。他人のことについて嘘の証言をするな。他人の持ち物を欲しがるな。 ここで言われているわずか十か条が、神の民の憲法というべき根本規定なのである。 なんと単純明快なことか。たしかにここにある内容を本当に守ることができれば、人間どうしの争い、民族間や国家間の戦争も生じないだろう。 唯一の神を神とするなら、すなわち真実と清い神、正義に満ちていてしかも、愛に満ちた神のみを何よりも重んじるなら、盗みとか殺人、不正な男女関係など生じることはないからである。この世のいろいろの犯罪とか争いはみなこうした基本的なことを守らないことから生じると言えよう。 主イエスはそれらの十戒をさらに簡潔にわずか二条に凝縮した。 神を愛せよ。 隣人を愛せよ この二つに旧約聖書のすべての法の内容が込められていると明言された。たしかに、すでに述べたような意味での神を私たちが愛するなら、つまりそのような真実で愛に満ちた神に心を注ぎだすなら、おのずから隣人への心も清められ、愛することができるようになっていく。その二つの心があったら、あらゆる紛争は根本のところで消えていく。 聖書の「憲法論」はきわめて単純明快であり、かつどこまでも深い。 返舟だより ○インターネットメールから 私がときどきインターネットメールで希望の人に送っている、「今日のみ言葉」を読んで感想を書いて送ってこられる方、またそれを経営している会社の社員に転送されるようになった方、印刷して読まれる方、またご自分のホームページに転載される方などいろいろおられます。 メールで送られてきた返信から一部をあげてみます。短い聖書からの言葉であっても、神の言は私たちの思いを超えた力があり、その働きをするのだと思われます。 ☆「今日のみ言葉」のなかにあった「日々、わたしたちを担い救われる神」が私の神様であると思い心強く思いました。日々、というところが特に心に迫ります。つらい時も、悲しいときも、うれしい時も毎日毎日主のみ手の中にあると思うととても平安です。(四国の方) ☆今メールを開いて、「今日のみ言葉」が送られているのを見つけて、大喜びで、プリントアウトしました。有難うございました。家内と繰り返し読みます。孫がやっと帰ったので、落ち着いて自分の時間が持てるようになりました。・・徳島の集会に参加させていただくのを楽しみにしています。シャローム(中国地方の方) ☆「今日のみ言葉」は、いつも神様の優しさを知らせてくれる御言葉で、本当に読むたびに心が軽くなるようです。特に今日の御言葉は、涙が止らないほど嬉しかったです。 自分ではどうしようもない欠点、なんでこんな性格に生まれたのかなとか思ったこともあったけど、神様が作ってくださったから神様が責任も負ってくださる、って思いました。 何か新しい人生が、また始まるような気分です。残りの人生が神様とともに、信仰によって歩めたらいいなぁと思います。(近畿地方の方) ○次は、やはり「今日のみ言葉」を送っている方からの返信の一部です。私はこのドキュメントを見ていないのですが、NHKがこのようなキリスト教に関わる内容を紹介するのは珍しいことだと思いました。 ☆NHKのドキュメントをみてたら戦争で戦闘機を作り戦後は新幹線の仕事に携わった人が若くして特攻隊で散っていった人のことでずっと苦しんで、キリストに入ったという話、アサヒビールを立て直した樋口さんも京大の時、ある神父さんに巡り会って信仰を続けているとか。 また企業戦士だった人が五十一歳でアルツハイマーになった奥さんのために社会的な地位を全て、捨てて、奥さんの看病一筋になったきっかけもキリストへの信仰に巡り会ったことが要因だったとか。 そしてその方が奥さんを置いてガンで急逝したとき、息子さんがお葬式にあまりにたくさんの市井の人たちが来たので驚いたと言ってました。たて続けに、こんなドキュメントを見て改めて「信仰」ということに感動と驚きを感じました。(四国の方) ○以上のように、最近は、インターネットメールの普及でいろいろの方々からメールでの通信があります。まもなく、ほとんどの家庭でインターネットが使われる状況となるようですが、そこで単なるおしゃべりとかの人間の言葉だけがはんらんするのでなく、キリスト者は神の言を中心としての会話であり、情報交換の場となり、交流の場となれば、神からの祝福も受けることができると思われます。 ○去年の十二月二十四日のクリスマス特別集会には、大人、子供合わせて六十八名の参加があり、久しぶりの人、初めての参加者も十名ほどありました。クリスマスメッセージの他に、子供向けの聖書の話や、歌、器楽、手話讃美、コーラス、それから二人の方による証しと数人の人による感話があり、その後で会食をしました。また、中国と韓国からの留学生も二人加わり、その内の中国からの方には、証しもして頂きました。キリストを中心とするときには、国や民族の隔てが感じられなくなるということは神の恵みの一つだと思われます。 なお、このような特別集会のときには、集会場が狭くて入りきらない状態となったので、少しだけ建て増しています。この集会場が神の言を聞く場となり、キリストによる交わりが深められる場として用いられればというのが願いです。 |
2001/1 |