自然界の調和    2003/12

音楽の世界で、例えば、ドミソの音を同時に鳴らすと、あたかも一つの音のように溶け合って聞こえる。しかし、ドミファを同時に鳴らすと、音が溶け合わないで、不協和音として響いてくる。この世にも、さまざまの響きあう音と、そうでない不協和音とがある。
先日も、夜の大きな川の岸辺に立って、初冬の空に輝く真っ白い月と、東の明るい一等星のいくつかの強い輝きを、川のながれの静かな音や川面(かわも)を吹き渡る風を受けながら見ていた。それらは実に一つに溶け合っているのを感じた。月の白い光、風の音、星の輝き、そして眼前に流れる川の流れ、それらはそれぞれが一つのようになっていた。
主イエスはご自分を、ぶどうの木とたとえられた。それぞれはその枝であるという。
それと同様なことを、この神の創造された自然の中で感じていた。夜の川辺にて取り巻いている自然は、さまざまの現れ方を見せてはいても、それらすべては、キリストという幹につながる一つのものなのだと。
今から二千年も昔、神の霊をゆたかにうけた使徒は、キリストがこうした自然の創造にかかわっているということを啓示されていた。
‥・神は、この御子 (キリスト)

を万物の相続者と定め、また、

御子によって世界を創造された。

 (へプル喜一・2より)

 自然の世界にも不協和音を感じさせられることもある。しかし、全体としてみるとき、旧約聖書の詩人が、創造されたこの世界の奥から、ある種の協和音を聞き取ったように(*)大空の青い色や白い雲、時として西の夕空全体を茜色に染める姿は、たしかに霊的な協和音を響かせている。

(*)話しすとも、語ることもなく

声は聞こえなくても
その響きは全地に

その言葉は世界の果てに向かう。

(詩編十九・4〜5)

人間も、自分中心の思いやそこから来る怒りや憎しみ、ねたみなどを持っているとき、そこからは協和音は響いてこない。

周囲にも暗い不協和音を暗黙のうちに響かせているといえよう。

それに対して、私たちが主イエスの恵みをうけて、神の霊を注がれるとき、そうした暗い心はいつしか退いて、神への感謝と静かな平安が訪れる。そうした心は協和音を周囲にも注ぎだしているであろう。

主に結ばれての祈りは、清い協和音の響きを世の中に生み出す。

祈りがなければ、人間の心は知らず知らずのうちに、自分中心となり、不協和音の響く心をもって生きていくことになるだろう。

「これらすべてに加えて、愛を着なさい。愛は、すべてを完成させる帯である。 (コロサイ三・14)

 神の愛をうけるとき、初めて私たちは、魂の深いところにおいて、協和音が響き始める。


image002.gifキリストが来られた意味

クリスマスとはキリストが地上に来られたことを記念し、感謝する日です。しかし、一般的には、サンタ・クロース(*)の日とか、クリスマスプレゼントをもらう日、クリスマスケーキ、クリスマスツリーを飾るなど、肝心のキリストの誕生の記念日だということすらかすんでいるほどです。

(*)サンタ・クロースというのは、「サンタ(聖)ニコラウス」のことで、その発音がすこし変化して、サンタ・クロースといわれている。サンタとは、「聖」を意味する言葉で、英語では、セイント(saint) 、フランス語ではサン(サント)、seint(e)スペイン語やイタリア語では サンタ、サント santa(o) などとなる。

聖ニコラウスとは、キリストより三〇〇年ほど後の人で、現在のトルコ地方に実在していた人です。ふりかかる悪から人々を守り、子どもを保護し、また貧しい人への施しをしたこと、その他にも多くの伝説が生れていった人で、そのようなことから、現在のようなクリスマスにプレゼントをするサンタ・クロースの伝説にとつながっていったのです。
よくサンタ・クロースはいるのか、という話になります。実際に以前、アメリカの新聞でもこのことが取り上げられ、その説明が本にもなって広く知られたこともありました。
煙突から入ったり、トナカイに乗ったりするサンタ・クロースは想像上のものです。しかし、サンタ・クロースの精神、その心は実在しているといえます。それはこの伝説のもとになった聖ニコラウスはキリストの心を頂いて、多くの不思議をなし、施しをする愛を神から授かったのであり、そのように分かち与える力と心は現在も実在するからです。
今年、東南アジアのタイ国に住んでいる人から送られてきたクリスマス・カードに下のような言葉がありました。
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A time of joy(喜びの時)
A time of sharing(分かち合う時)
A time of give generously.
(快く与える時)

主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように…
(使徒言行録 二十・35)
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喜びの時、それは「主イエスが私たちのところに来て下さった喜びの時」という意味です。また、分かち合う時とは、主イエスによる救いや新しい力を与えられたその喜びを分かち合うことであり、主イエスから下さったもの、神からの数々の賜物を自分だけが持っているのでなく、共有し、分かち合う時ということです。また、そのような分かち合いということは、与えることにつながっています。私たちが神から多くのものを、受ける値打ちがないのに受けている、与えられていると実感するとき、自然に他の人たちにも少しでもそれを与えたいと願うようになるものです。水が満たされて内部からもあふれてくる泉は自然に周囲にもその水を注ぎだすのと同様です。
クリスマスとはそのように、キリストが私たちのところに来て下さったことを感謝し、喜び、私たちが受けたものを分かち合い、与え合うということなのです。
キリストはこの世界に光として来られました。そのことは、新約聖書のヨハネ福音書にもその最初に書いてあります。

…言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ福音書一・4〜5)

ここでいわれている「言」とは、単なる会話のときの言葉でなく、神の「言」としてのキリストのことを意味しているとともに、この原語はロゴスというギリシャ語で、これはまた、単なる言葉という意味だけでなく、宇宙の根源にある理性といったような意味をも持っていて、それらを重ね合わした意味を持っています。ギリシャ哲学で考えられていたような理性と、旧約聖書で一貫してその重要性が言われている神の言としての双方の本質をもっているのが、キリストであると言おうとしているのです。
キリストというお方は、この世の闇を照らす光として来て下さった、その光は、単なる光でなく、いのちの光、神のいのちをもっている光である、それがヨハネ福音書で最も言おうとしていることなのです。
クリスマスの意味、それは闇の中の光として、キリストが来られたということです。それは、キリストが生れるよりずっと昔から預言されていたことです。

…それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。…
「暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(マタイ福音書四・14〜17より)

この世は、闇である、それはたいていの人が感じていることです。闇とは、それをずっと見続けていたくないこととも言えます。例えば、病気とくに末期ガンのような死に結びつくような病気、ハンセン病のような差別や孤独など肉体的にも精神的にも大きな苦しみをともなう病気、人の命を奪うような犯罪、その巨大化したものである戦争、飢饉、一般に死そのもの…そうしたものを見続けていたいと願うような人はまず、いないのです。どんな人でも自分がそのような苦しみの激しい病気にかかりたいなどと願う人はいません。
そんなものを見続けていられない、闇にはそうした恐ろしさがあるからです。
それに対して、例えば、高い山から望む美しい山々の連なりや、野草の素朴な美しさ、それは誰もがずっと見続けていたいと願うようなことです。それは、なぜか、そこに光があるから、神の創造された直接の光があるからです。
この地球の世界そのものも、太陽が最終的に消滅に向かう途中で、消滅していくのであって、そんなことを見つめていたら、いっさいが空しくなってきます。ここにも、闇があります。戦争や飢饉などが仮にないとしても、このようなことだけを考えても、目に見える世界をそのままずっと延長していくと、いつのまにか滅びという闇の世界に入ってしまうのです。
現在を見ても、将来を見ても、何十億年というはるかな未来を見ても、闇は広がっています。そうしたあらゆる状況における闇の中に光を投げかけるために、主イエスは来られたのです。
このように、イエスが地上に現れたのは、暗闇に住む人への大いなる光として、また、死の陰の地、すなわち、死ぬかと思われるほどの苦しみ、絶望的な状況にいる人への光として来られたのです。そのことは、今から二五〇〇年以上も昔にすでに預言されていたのです。
私たちが最も必要としているのは、このような意味での光です。
今は、明るくバラ色に輝いていると感じる人であっても、そのうち、突発的な事故や病気などによってどのような闇が迫ってくるか、だれも分かりません。 闇それ自体はいつまで続くのかという疑問も持たせるものです。しかし、その闇があたり一面に存在しながらもその直中に光が差し込んでいます。
キリストが闇のなかに輝く光であり、そのために来て下さったことは、さまざまのところで強調されています。それは、クリスマスの讃美にも多くみられます。
例えば、クリスマス讃美のうちで最も有名なものの一つである、「もろびとこぞりて」(讃美歌112番)にもつぎのような言葉があります。

♪この世の闇路を照らし給う
妙なる光の 主は来ませり

また、やはりクリスマスによく歌われてきた讃美につぎのようなものがあります。

♪永遠の光 暗き世を照らし、
闇に住む民の 上に輝けり (讃美歌21-二五五 3節より)

このように、私たちの現代の闇においても、光なる主を仰ぐとき、その光を受けるとき、私たちの抱えている問題の解決やそこに至る道が与えられ、同時に歩んでいく力も与えられます。そこにキリスト者の幸いがあります。

…太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず
月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり
あなたの神があなたの輝きとなられる。
あなたの太陽は再び沈むことなく
あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり
あなたの嘆きの日々は終わる。(イザヤ書六十・19-20)

このようにして、キリストの光を受けるとき、初めて私たちはもともと闇であったのに、あらたな光となる。それゆえ聖書ではつぎのように記されています。

…あなた方は、地の塩である。…あなた方は世の光である。 (マタイ福音書五・14より)
…あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。 (ピリピの信徒への手紙二・15より)

私たち自身は決して光でも、星でもない。それにもかかわらず、神の光を受け、そのいのちの光を魂に与えられるとき、私たちはそのゆえに小さくとも、闇のなかの光となるのです。


image002.gif水仙  
ワーズワース作

私は雲のようにひとりさまよっていた、
谷や山を超えて高く浮かぶ雲のように。
その時、突然にして私は花の群生を見た。
金色の水仙の無数の花の群れであった。
湖のほとり、木々のもとで
そよ風に吹かれ、揺れ、踊っていた。

銀河にちりばめられた星のきらめきのように、
水仙の花はどこまでも続いていた。
入り江にそって縁どるかのように。
一目見て、一万株にもなろうか
それが皆顔をあげ、喜ばしく踊っていた。

入り江のさざ波も踊っていた。
しかし、水仙の花たちの喜びは、
きらめく波にもまさっていた。
このような喜びにみちた花たちに出逢って
詩人もまた心喜ばしくなってくる。
私は、見つめた、じっと見つめていた。
しかし、その光景がどんな恵みを私にもたらしたかは、
その時にはまだ気付かなかった。

その後、心のなかが空しく、淋しい思いに沈んで、
身を長椅子に横たえているとき、
その花たちは、しばしばわが内なる眼にひらめくようによみがえる。
内なる眼、それは孤独のときの祝福。
そして私の心は、喜びに満たされ、
水仙とともに踊りはじめるのだ。

(*)ワーズワース (一七七〇〜一八五〇)イギリスを代表する詩人の一人。八歳の頃に母を、その五年後には父を失う。自然への深い直感を歌っている詩が多い。

○ここで言われている水仙とは、黄色のラッパズイセンである。日本で海岸に近いところで、多く野性的に咲いているのは、それとは違うもので、日本水仙といわれるものである。現在の日本においては、湖の湖岸一帯に群生しているこうした水仙に遭遇するということは、まずないだろう。 しかし、スイセンでなく、他の花ならこれに類する経験をしたことのある人は多いと思われる。それが、群生でなくわずかに一株の野草であっても、付近の情景とともに鮮やかに心に刻印され、ずっと後になっても、ふとした時にそれがひらめくように、心によみがえるのである。
 私にとってはそうした野草や植物はいろいろ思い出される。以前に本誌に書いた、由良川源流の原生林地帯で見つけたリンドウもそうであった。また、徳島県の奥深い祖谷の山で、もはや廃道となってしまった古くからの峠に至る山道を迷いながら登ったことがあった。とある谷川は天からの流れかと思われるような、清い水が流れていた。そして、その谷のすぐ傍らで幾百年の歳月を見守ってきたと思われる、まれにみるようなトチノキの大木が沈黙のまま、私を見下ろしていた。そこに、はじめて見るジャコウソウが、いくつか水際で咲いていた。
 この野草を見かけたのは、この一度だけであった。もうそれは二〇年以上も昔のことであったが、今もなお、その清い流れと堂々たるトチノキ、美しい野草の花が一緒になってよみがえってくる。
 それは植物だけでなく、あるときの空の夕日と大空一面の夕焼けや、海の激しい波と音の情景、あるいは、山を歩いているときに眼前にひらけてくる雄大な展望なども心に深く残って後々まで、ふとしたときに心にある種の栄養を与えるのであった。
 これはどうしてなのか、そのような心に深く影響を残す自然はその背後に神がおられ、その神の愛がそこに込められているからである。
 神は、清いものには、清く、邪なものには曲がったものとなられる。(詩編十八編)といわれる。私たちが神に向かって、その創造された自然に向かって心を空しくし、心を開いて受け入れるとき、神がもっておられる清さや、美、そして力が、それらの自然を通して私たちに流れ込んでくる。それはそのようにして神の本質を分け与えようとされる、神の愛の働きそのものなのである。
 自然だけでない。私たちの暗い心のとき、憂うつなときに、思いがけなく私たちの心を照らしてくれるもの、それは神の言葉であり、神の光である。
 迫害に全力をあげていたパウロに、そうした神の光が突然ひらめいた。そしてそのときからキリスト教の迫害者のリーダーは、その光を魂にふかく受け取って、光を伝え、分かち与えるリーダーとなった。
現在の混乱した世に生きる私たちに必要なのは、そのような闇のただなかに、輝く光なのであり、それと共に伝わってくる神の命なのである。


image002.gifマリアの讃美

新約聖書のなかに、マリア讃歌といわれる有名な神への讃美の言葉がある。それは、イエスの母マリアが歌ったものとして記されている。

…そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしため(*)にも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。

その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。」ルカ福音書(一・46〜53)

(*)「はしため」という言葉は現代では、ほとんど使われていないし、この言葉を会話や文章で用いたことがあるという人はほとんどいないだろう。これは端女と書き、召使の女を意味する。原語は、ドゥーレー(doule)であり、ドゥーロス(奴隷) doulos という言葉の女性形なので、「奴隷の女」というのが原意である。なお、使徒パウロは、新約聖書に収められた彼の手紙の冒頭には自分を「キリスト・イエスの奴隷(ドゥーロス)と言っている。主イエスのいわれるままに、すべてを従って生きるという姿勢がそこには表されている。」

イエスが生れることになると、天使から知らされたマリアは、親族のエリザベトに会いに行った。彼女も老年になっていたのに、神の御手が触れて身ごもっていることを知らされたからである。そのとき、エリザベトは聖霊に満たされて、喜びにあふれてマリアに祝福の言葉を与えた。そのとき、エリザベトの胎内にいた子どもが、喜びおどったと記されている。
イエスの誕生はそれほどまでに大きな喜びを与えるものだということがここに象徴的に示されている。聖書における喜びは、目に見えるものにとらわれている人にはわからない。
例えば、天で最も大きな喜びが、生じるのは、一人の罪ある人が悔い改めて、神に立ち返ったときであると書かれている。この世では、スポーツである球団が優勝したとか、給料が増えたとか、結婚とか就職で希望がかなえられたとかいうときに大きい喜びがある。
しかし、聖書ではそうした通常の人たちの喜びと全く違った喜びを伝えている。
ここでのマリアや、エリザベト、そして胎内の子どもの喜びはそうした喜びである。
その喜びは、マリアの言葉にあるように、「神を喜ぶ」ということである。私たちがもし、神を喜ぶことができるならば、どのような時にも逃れる道が備えられているということになる。清い喜びこそは、安全な逃れ場であるからだ。そうした喜びを実感しているとき、私たちは他の汚れたもの、悪いものに誘惑されたりしない。
新約聖書には、神を喜ぶということが、はじめから記されている。
主イエスが、教えられた本当の幸いということ、そのなかに含まれている。

ああ、幸いだ、心貧しき人たち、
天の国はそのひとたちのものである。
ああ、幸いだ。悲しむ者たちは。
なぜなら、その人たちは(神によって)慰められるからである。(マタイ福音書五章より)

この有名な言葉は、神を喜ぶということを別の表現で言っているといえよう。心貧しき人とは、心に何も自慢や高ぶりを持たず、目に見えるものによっては本当の満足が与えられないと思い知らされた心の状態である。
天の国が与えられるとき、それは私たちの魂に神の御手が臨むことであり、悪の力が追い出されるのであるから、当然喜びが自ずから生じることになる。
また、悲しみのただなかにあって、神との結びつきが深くなるとき、神による慰めが与えられるとあるが、そうした慰めは深い喜びであるだろう。
こうした、主イエスの教えで約束されていることは、このように、神を喜ぶということに他ならない。

このマリアの讃歌は、ラテン語で最初の言葉をとって、「マグニフィカート」(*)といわれている。この讃美は、歴史的に有名である。

(*)この讃歌の最初の「わたしの魂は主をあがめ」の原文(ラテン語)では、その最初の文が、 Magnificat anima mea Dominum (マグニフィカート アニマ メア ドミヌム)となっている。 magnificat とは、magnus(マーグヌス)「大きい」という語と、facio(ファキオー)「作る」から成っている言葉で、もとの意味は、「大きくする」。そこから、「重んずる、称賛する、あがめる」といった意味になる。アニマ(魂)、メア(私の)、ドミヌム(主を)という意味なので、「わが魂は主をあがめる」と訳されている。「古くからこの讃美は礼拝に用いられ、カトリック教会で、毎日捧げられる祈りに用いられ、聖公会、ルーテル教会でも、夕べの礼拝に用いられる。ことばが美しいので、名曲が多い。バッハのものが特に有名。」(「キリスト教大事典」教文館)

マリアがこの讃美で最初に、主を讃えると言っているが、この本来の意味は、「主を大きくする」というもので、聖霊に導かれるほど、神が大きくなって見えてくる。神を信じないほど、神は小さく感じる。日本人は、神の大きさをいわばゼロと見なしているからこそ、聖書で記されている神を信じないのである。
人間はどれほど神を大きく実感しているだろうか。天地創造ということを本当に信じるとき、神はどこまでもおおきい存在として実感されてくる。
マリアの喜びは、自分の低いところ、弱いところに神様が、じっと見つめて下さったこと、そこに大きい喜びがあった。それが新しい時代の喜びであり、それはマリアの挨拶を聞いただけで、親族のエリサベツにも、喜びの波動が伝わっていく。それはエリサベツの胎児にまで伝わっていった。
そしてその波は二千年の歳月を通して、現代にも伝わっていく。聖書とはそうした目には見えない波動を伝えるものである。
福音とは、まさに喜びのおとずれという意味である。そのおとずれは時代を越えて、地域を越え、年齢や職業などを越えて伝わっていった。
マリアのこの讃美は、マリアの時代から千年ほども昔に現れた一人の女性、ハンナの歌と内容的に深い共通点がみられる。

主にあってわたしの心は喜び…
御救いを喜び祝う。
聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。…
驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。…
主は貧しくし、また富ませ
低くし、また高めてくださる。
弱い者を塵の中から立ち上がらせ
貧しい者を芥(あくた)の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ
栄光の座を嗣業としてお与えになる。(サムエル記上二・1〜8より)

このように、重要な共通点をもっている。それは、「主による喜び」が特別に大きく深かったために讃美せざるをえなくなったということ、そして高ぶるものは引き下ろされる、弱く貧しいものを見つめて下さり、高くあげて下さる…といった点である。
マリアの讃歌はこのハンナという女性の讃美を知っていたと思われる。知っているから同様の歌を歌ったということでなく、神による喜び、取るに足らないような者すら顧みて下さる神の愛を深く実感したものは、おなじことをやはり語らずにはいられないのである。
また、旧約聖書の内容、とくに詩的表現の部分には、預言が多い。例えば、詩編二十二編は、キリストが経験することの預言ともなっている。

わが神、わが神、
なぜわたしを見捨てられたのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。(詩編二十二・2)

このはじめの言葉は、主イエスが十字架上に釘づけられたときの叫びそのものであった。主イエスが最も苦しい叫びをあげたその言葉が、旧約聖書の詩編のなかの詩人の叫びとまったくおなじであったことは何を意味しているのだろうか。その詩編の言葉をたんに思い出して言ったということなのだろうか。そうではない。それは、詩編の言葉はキリストより五百年以上昔のある人間の叫びであったが、それはまた、預言ともなっているのである。それとおなじことが、将来生じるという預言であり、神の言葉なのである。そして主イエスがそのとおりに叫ばれたということは、その預言がそのとおりになったということを示している。預言そのものが含まれており、また神の救いのたしかなこと、神のなさることの表明など神の語ること、なされることが含まれているゆえに、本来は人間の言葉である詩が、神の言葉とされているのである。
この詩編二十二編には、ほかにも、キリストの最後の十字架にて処刑のときに生じたこととの、驚くほどの一致がある。

わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い
唇を突き出し、頭を振る。
「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら
助けてくださるだろう。」(詩編二十二・8〜9)

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイ福音書二十七・39〜40)

わたしの着物を分け
衣を取ろうとしてくじを引く(詩編二十二・19)

この記述は、主イエスが十字架にかけられたときに、同様なことが生じたことを思い起こさせる。
彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、(マタイ福音書二十七・35)

このように、旧約聖書の詩編というのは、ふつうに詩と言われているもの、日本の万葉集や古今和歌集なども含めて、そうした詩のように、決して単なる個人の感情を記したものではない。それは、千年、二千年という時の流れを越えて、変わることのない真理をそこにたたえており、預言ともなっているのである。
それゆえに、人間の詩でありながら、神の言葉とされ、聖書に収められているのである。
マリアの讃歌は、それより千年も昔の、旧約聖書の一人の女性の喜びと感謝の讃美(ハンナの讃美)と深い共通点があるのも、ハンナの讃美が単なる詩でなく、預言となり、またそれは数千年を経ても変わることなき、真理をそこにたたえているからであった。
数に足らぬ、奴隷のように最も低い地位にあるような女であるにもかかわらず、神はまさにそのような低いところに来て下さって、大いなる恵みを注いで下さった、ということ、それは旧約聖書、新約聖書を通じて一貫して流れている真理である。
主イエスが生前に、ハンセン病の人や、長い間苦しんできた病人、盲人やろうあ者のような、昔は特別に苦しい状況におかれていた人、あるいは重い病人といった人たちのところに行かれたこと、さらにキリストの十字架での死も同様である。罪を犯してどうすることもできないような人間のことを深く思って、そのような人間の心に来て下さり、その罪を赦し、いやしてくださる、それは何よりも大きい恵みとして実感されるものである。
このマリア讃歌が、多くの讃美歌となっていろいろの作曲家によって、曲がつけられてきたのも、この讃美が深い意味をもっているからにほかならない。二十一世紀に向けて、従来の「讃美歌」に変わるものとして、発刊された「讃美歌21」には、この讃美の重要性のゆえに、「頌歌 マリアの賛歌」一七四番から、一七九番までの六曲も取り入れられている。その内の一七五番は、讃美歌では九五番の讃美として、従来の讃美歌でもよく知られていたもので、その一部を引用する。

(一)わが心は 天つ神を 尊み
わが魂 救い主を ほめまつりて 喜ぶ

(二)数に足らぬ 我が身なれで 見捨てず
今よりのち 万代(よろずよ)まで 恵みたもう うれしさ

(三)低きものを 高めたもう み恵み
おごるものを 引き降ろして 散らしたもう み力

今から三〇〇〇年も昔に、一人の苦しみと悲しみにうちひしがれた一人の女性の祈りが聞かれたその喜びと感謝は、多くの人の深い気持ちを表すものとしてうけつがれ、それが作られてから一〇〇〇年のちに、イエスの母マリアの讃美へと受け継がれ、さらに、それは二〇〇〇年もの間、世界で広く歌いつがれてきたのであった。
これは、ハンナ以来三〇〇〇年にわたって、世界に響いてきた讃美なのである。ここには、神は苦しむものの祈りや叫びを聞いて下さり、弱いものを愛をもって顧みて下さるという深い実感がある。
現代の私たちにおいても必要なのはまさにそのような、弱き者、失敗を重ね、罪を犯したくなくとも、罪を犯してしまう弱い私たちの祈りを聞いて下さる神なのである。


image002.gif人の計画と神の導きと

私たちの現在かかわっている仕事、職業や人々との出会いなど、自分がかつて考えた通りになっているというような人はほとんどいないと思われます。
私自身、高校教員をしていたが、大学の三年の終わり頃までは、教育関係の仕事にかかわりたいというようなことは、全く考えていなかったし、たえず人間を相手にする仕事にはかかわりたくなくて、自然科学の研究的な仕事を求めていました。
しかし、ギリシャ哲学を知り、その一年後にキリスト教を知って決定的な精神的転機を与えられてからは、だれにも勧められなかったし、反対すら受けたけれども人間相手の高校教員になりたい、そして理科教育に携わることで、神の創造された自然に関する不思議を教えつつそのような大きな転機を与えてくれた、哲学的に考えることや、キリスト教の福音を伝えたい、そのような導きを与えてくれた、書物を紹介していきたいという願いが何よりも強くなって、教員になりました。これも全く考えたこともなかったことです。
また、その過程で、プラトン哲学やキリスト教は書物によって知ったのですが、そうした書物も自分が見定めて買い求めたものでなく、何気なく手にとった書物でした。
一つは、姉が購入していた、河合栄治郎の「学生に与う」です。それは、ファシズム批判のゆえに、東京帝国大学教授の職を負われた著者が、若い世代への情熱を傾けて書き下ろしたものでした。 当時大学二年の頃、私は精神的に非常な苦しみにさいなまれていたのです。
以前に、その本は姉が在学中の大学の先生からよいと言って勧められた本だというのだけは覚えていたので、書棚から何気なく手にとって見たのが、私がおよそ哲学というものを知った最初であり、ギリシャ哲学とかプラトンとかの思想の世界の深い意味に初めて触れることになりました。
この哲学との出会いは、後にキリスト教に出会う伏線ともなったのです。
その後、その哲学の限界を思い知らされて再び精神の苦しみに落ち込んでいたとき、古書店でふと手にして立ち読みした本が、矢内原忠雄の「キリスト教入門」でした。この本のわずか数行で私はキリスト者となったのです。それは神の御手が私の魂に触れて下さったというような出来事でした。
それから、私がキリストの十字架の死の意味を知らされ、それを信じてキリスト者となったのは、大学四年の六月ですが、どこかの教会に属することなど考えたこともなかったのです。しかし、たまたま大学食堂に啓示してあったビラで、「矢内原忠雄記念講演会」があるのを知り、そこで話すのが、最も親しかった友人の所属するゼミの物理の教授で名前を聞いていた人であったので、生れてはじめて宗教関係の会に出てみたわけです。そこでの講演が心に残ったので、すぐにその教授を大学の部屋に訪ねたところ、家に来るようにとすすめられ、集会もしていると知りました。理科系で実験を主体とする学科であったので、連日夜遅くまで実験をしていたから日曜日に集会に出るなどは考えてもみなかったので、聖書の参考書を紹介してもらいたいと言ったのですが、一度だけ出てみようと思って参加したのが、
高校教員となって、この仕事が私に向いていることがよくわかり、そこでキリストの福音を伝えることができるのもわかり、ずっと若い人を相手に仕事をしたいと願いました。
そうしたとき、県外の人から一人の視覚障害者を知らされ、そこから少しあとに、また別の視覚障害者も紹介されて、続けて二人の視覚障害者との関わりができ、そのことから神がその方向に行くようにと示されたのだと直感して、盲学校の教員になったのです。
しかし、私は障害者とのかかわりは、大学卒業するまでにもまったくなくて、そうした教育にかかわるということは私の念頭には全然なかったのです。しかし、そこに神が思いがけない人を介して障害者の方々との関わりへと導かれたのです。
その後に出会った人たち、そしてずっと続いているのは、どの人たちも自分が交際を求めてつながりができたというのはなくて、みんな聖書の学び、キリスト教信仰を与えられてから私の希望とかと関わりなく、与えられていったのです。
また、私は高校教員として定年まで勤めたいと思っていたし、退職後も講師とかの立場で山間部の高校などに勤めて続けられる限り若い人たちの教育にかかわりたいというのが私の計画でした。
しかし、私の予想とは違って、集会にかかわる時間が次第に増えていき、両立がだんだん困難となってきて、十年近くまえに高校教員を辞めなければどうしてもできないという状況となり、退職したのです。
高校教員の仕事を辞めてまでして、聖書の言葉の説き明かしや、キリスト教の真理を伝えることに生活のすべてを費やすようになるということは、以前には、まったく私の計画になかったことであったし、そのようなことを願ったこともなかったのですが、自分の計画や予想を超えた神の御手によってそのように導かれたのです。

人の心には多くの計画がある。
しかし、主の御旨のみが実現する。(箴言十九・21)

私たちは何かを将来のことで、計画し、また予想するのは自然なことです。しかし、そうした計画はたいてい無残にも壊れ、まったく違った結果になることが多いのです。そしてそれを運が悪いとか、周囲の人や社会のせいにします。
けれども、神を信じるときには、自分の計画が成就せず、思いがけないことが生じることを感謝をもって受け止めることもできます。それはもし、自分自身の思うままに事柄が進めば、私たちは自分を一番大切なものと思い、自分の判断をいつのまにか頼りにしていくからです。そうした考えこそが、私たちを間違った道に連れて行くものです。
聖書には、人間の計画や予想がいかに成り立たないか、もろく崩れてしまうかを随所で記しています。それと同時に、私たちを自分の考えや計画を越えた神のご計画に従うように導かれる神のなさりかたが繰り返し記されています。
聖書に詳しくその信仰の歩みが記されている最初の人物であるアブラハムも、自分の予想では、ずっとユーフラテス川下流地域に住むことを考えていたと思われます。しかし、全くアブラハムの予想や計画を超えたところから呼びかけがあり、まったく知らないところへと導かれたのです。
神を信じない立場の人も、予想しないところへと人生が進んでいくのを感じているのですが、それはどこへいくのか、わかりませんし、最終的には死によって滅んでしまうわけです。
私たちは絶えず、まちがった方向、自分の人間的な考えによって進もうとしますが、神はそれを苦しみや困難な事態を起こすことによって妨げ、神の国に向かって進ませようとして下さっているのがわかります。
聖書には、預言ということがしばしば書いてあります。例えば、新約聖書の最初の書物である、マタイ福音書には、その冒頭から預言ということが繰り返し現れます。
マリアが聖霊によってイエスをみごもったときに、

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ福音書一・22〜23)

イエスが生れたとき、ユダヤの国のヘロデ王がイエスを殺害しようとしましたが、そのときに、天使が現れてエジプトに逃げるようにと教えた。このことについても、

ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(マタイの福音書二・15)

…(イエスの父、ヨセフに対して)夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ二・22〜23)

このように、聖書には、主イエスの誕生そのものも、偶然的に生じたことでなく、はるか昔から特別に神に選ばれた人によって預言されていたことだと記されています。預言されていたこととは、神の御計画があるということです。預言が実現したとは、神の御計画の通りに歴史のなかで進んでいったということにほかなりません。
人間が、どのように権力や武力、策略を用いて、その計画を実現しようとしても、最終的にはそれらは壊れていく。そしていかなる妨害や悲劇的だと思われる事件や、動きにもかかわらず、神の御計画は成就していく。歴史とは、人間の計画や野望によるのでなく、神の御計画がなし遂げられていく過程そのものなのです。
新約聖書の最初に、「系図」と称する名前の羅列があります。これはほとんど誰でもがまず聖書を手にとったときに、目にするものですが、なぜこんな無意味な名前が書いてあるのだろうかと疑問に思うものです。
日本で系図というと、貴族や大名などがどんなにすぐれた家柄であるかを示し、それを誇示するために持ち出すということが多いようだし、一般の人でもやはり自分の家柄を誇るために出してくることがあるので、普通の人にとってはつまらないものです。
そのような見方があるので、新約聖書のような心の問題を書いてあるはずの書物になぜ、こんな無意味なことが書いてあるのかと、疑問に思うのです。
しかし、この系図は決してそうした家柄を誇るためでなく、アブラハムからイエスまで、いかに神が導いたか、神の御計画を表しているものなのです。
アブラハムから、民族の頂点とも言える状況になったのは、ダビデ王のときで、ここまで十四代、そこからダビデの重い罪のゆえに王国は転落し、民もまちがった道を転げていくように堕落し、ついに周囲の大国に攻撃され、滅ぼされて遠い異国に捕囚となってしまう、バビロン捕囚までも十四代、その深い闇の中から神の憐れみによって奇跡的に、およそ、半世紀の後にバビロンから帰ることができ、その救い出された民の子孫としてイエスが生れたのですが、そのバビロン捕囚からイエスまでも十四代だと記されています。
このように、信仰の父であるアブラハムからイエスまで、三つの大きな歴史上の区切りがあり、その一つ一つが十四代、すなわち、七×二という数となっています。そして三とか七というのは、一種の象徴的な数であり、神の御旨にかなった完全なという意味があります。
神は歴史のなかの数々の動き、悲劇や混乱、戦争、分裂などありとあらゆる出来事の背後におられて、それらすべてを最終的に支配され、大きな御計画をもって動かしている。そのただなかに、イエスは生れたのだと言おうとしているのです。
こうした神の御計画のことは、聖書に記されている重要なことです。使徒パウロもつぎのように述べています。

こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのである。(エペソ信徒への手紙一・9〜10より)

神を信じ、キリストを信じるというのは、たんに自分だけの心の平安を与えられて、他の人や世界がどうなっていくか関心がないということでなく、この世界全体における、神の壮大な御計画を知らされ、それを信じて生きることでもあります。
聖書に含まれる最後の書物である、黙示録というのも、なにか不可解な神秘的なことが書いてあるように思っている人が多いのですが、そうでなく、歴史を通じて実現されていく神の大きな御計画を記した書物なのです。
最終的には、歴史というのは、真実と正義の神に敵対するような悪の力や、死そのものも滅ぼされる。そして「新しい天と地」にされるということを指し示している内容となっています。
パウロはその代表著作である、ローマの信徒への手紙において、ユダヤ人問題を取り上げ、どうして本来は、まずユダヤ人の救いのために遣わされた主イエスが彼らによって受け入れられなかったかについて説き明かしています。
それは、ユダヤ人が受け入れなかったのは、広く世界に伝わっていくためであり、そうした後に、時至ってユダヤ人も受け入れるようになるとの啓示を述べています。
いかなる不幸なように見える出来事も、どんな偶然的なことと思えることでも、人間の願いなど聞いてもらえていないと思われるような事態のなかであっても、いっさいが、神の御計画のままにすすんでいると、そしてそれは深い愛ゆえのことであることを知って、パウロは、深い讃美の声をあげずにはいられなかったのです。

ああ、神の持つ豊かさや英知はなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。(ローマ信徒への手紙十一・33)

そしてさらに次のように述べて、神の壮大な御計画への讃美をもって、この手紙における大きな区切りとしています。

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのである。栄光が神に永遠にあるように。(十一章の最後の節)

この世の情報では、いかに人間の計画がさまざまの方面にわたってなされているか、それは個人や会社、国家、国際社会などさまざまのところで、つねに計画がなされ、またそれが挫折していく過程や出来事が報道されています。
それはまさに、混沌としています。そのようななかに、神の御計画だけが最終的には成るということを信じて生きることができるのは、今後の動揺し続ける社会にあって、大きな慰めであり、励ましです。


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海外派兵に反対する

戦後六十年近くなかったことであるが、日本の事実上の軍隊といえる自衛隊が、外国の戦争状態の続く地域に派兵されることになった。このようなことは、今後の日本の進路に重大な変化を来らせることになるだろう。

しかもそれは日本にとつて暗雲のかかる状況への変化である。

首相は、人道支援だ、戦争に行くのでない、国際協調だということを強調する。

しかし、装輪装甲車や無反動砲、軽装甲機動車などを装備し、重機関銃は毎分五百発前後を連射できるという。これは、過去の国連平和維持活動(PKO)とは比べようのない厳重警備下の行動になる。

のような、装備は、攻撃を受けたときに、身を守るためだという。しかし、自衛隊が給水や施設の復旧などに従事中、テロリストなどが攻撃してきた時、装備している重機関銃を発射すればたちまち相手には死傷者が出る。それがさらに相手の敵意をあおって、さらなる攻撃を受けるようになれば、それを防ぐとか事前に守るとかいって、相手を攻撃することになる。それはまさに戦争である。

 このようなことは、すでに繰り返し指摘されている。にもかかわらず、首相が強行しようとするのはなぜか。それは、いくつか理由があるが、とくに北朝鮮の脅威があるからだ。イラク問題でアメリカの希望に沿うように行動するから、そのかわり北朝鮮問題で日本の意向を取り入れてもらいたいという駆け引きからやっていることなのである。

しかし、北朝鮮問題においても、こうした軍事力を用いて解決をはかろうとすれば、いっそう新たな問題が生じる。それはアメリカに日本の都合のよいように、はからつてもらうというにとどまらず、日本独自に、さらに軍事力を増強して、さらには核兵器までもって、北朝鮮に対抗するべきだという方向に進んでいくからである。

 アメリカは、広島型原爆の三分の一程度の小型核兵器の研究開発を、過去十年間禁止してきた。それはそのような小型核兵器は通常の兵器との差が小さくなり、かえって、核兵器を拡散させ、それを使うことが広がることになるからであった。

しかし、今回、小型核兵器の研究開発をブッシュ大統領が承認した。こうした軍事力に頼ろうとする傾向は日本にも直接的な影響を及ぼすことになるだろ。
このように、軍事力によって国際紛争を解決しようとする方向は必ずさらなる軍事力の競争、肥大化をともなっていく。そしてそうした増大した軍事力を持つようになると、必ずそれをつかうようになる。自分の国を守るためと称して、相手を攻撃し、そこから大きな戦争となり、数知れない人たちが殺され、傷ついていった。このことは、過去の歴史のなかで、繰り返し経験されてきたことである。

また、国際協調のためというが、国連加盟の百九十余りの国の中で、イラクに派兵しているのは37カ国であり、ドイツ、フランスも派兵していない。アメリカの隣国であるカナダはわずか輸送機三機しか送っていないという。

北朝鮮問題で都合のよいことをアメリカにしてもらいたいとの発想が根底にありながら、イラクの人道支援のために行くのだ、などというのは、国民を欺くものである。本当に人道的な支援を考えているのなら、世界の八億人もの人たちが、いまも学校や病院の復旧以前の問題である、食べ物がなくて、飢えている状態であり、飢えのために数知れない人たちが死んでいるという、驚くべき実態の方がより深刻な問題である。そうしたことに日頃から、力を注いでいくことがずっと人道的な姿勢だといえる。

今年度の防衛関係費は、4兆9265円という膨大なものであり、世界有数である。この金額は例えば毎年百億円ずつ使っても、五百年近くも使えるほどである。そして今回の自衛隊派遣の準備費だけでも数百億円が予定されている。今後自衛隊が続いて派遣されていくことなれば、ますます費用は多額になっていく。年金とか福祉予算をつぎつぎけずっていくという状況にあるのに、このような防衛予算の削減をまるでしようともしないし、国民もどうもそのことを指摘しないのが不可解である。

そしてこうした防衛関係費を縮小して、そのかわりに、貧しい国々への文化、教育、穀物生産などに、人を派遣し、イラクでは自衛隊員が死ぬ危険もあるのに送り出そうとしているが、そうした真剣さを貧しい国々への援助や福祉に注げばどれほどか世界的に信頼され、国際的な平和を築く国となることだろうか。

現在すでにある世界の貧困、飢餓状態がたいへんな状態であるのに、そのようなことを放置しておいて、アメリカの圧力によって、始めようとしていることを、人道支援だなどというのは、国民を欺くものと言えよう。

 こうした一種の偽りをもとにし、軍事力をもとにした国際紛争の解決策というのは、必ず将来に大きな問題を残していく。だからこそ、日本国憲法では、つぎのように述べているのである。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国埠の発動たる戦争と武力による威嚇、または武力の行使は、国際覇争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」(第九条)

国際平和を誠実に希求し…とあるのは、国民とその代表者たる、政治家が偽りのない姿勢で平和問題にあたっていかねばならないということである。個人の間で悪であるにもかかわらず、国民に対し、また国際間では欺くことがしばしば当然のようになされる。それは敗戦以前の政府や軍部がいかに中国など特にアジア諸国に対して、また国民に対しても偽りの言動をなしたかをみればわかる。

例えば、一九三一年に奉天の北方、柳条溝で満鉄の線路が爆破された。そのとき、軍部は、それは中国軍の攻撃だと発表した。これが、十五年も続く中国との戦争の始まりとなり、のちの太平洋戦争にとつながり、日本だけでなく中国や東南アジアのおびただしい人たちが犠牲となっていく発端であった。それは、このように偽りから始まったのである。一度、戦争が始まり、それが大規模なものとなっていくと、事実を隠し、偽りが堂々とまかり通るようになってしまい、破局にまで突き進んでいく。
 こうしたことにならないために、この憲法が制定されたのである。その憲法を事実上骨抜きにして、今回のような自衛隊の海外派兵となった。
しかし、状況がどのようであろうと、真理は変わらない。この憲法九条の精神こそは、平和への最もたしかな礎であり続ける。


image002.gif休憩室

○冬の夜空
現在、日暮れ時に西の空を仰ぐと、天気のよい日にはめざましい輝きでだれもがすぐに見つけることのできる星があります。これが金星で、宵の明星と言われて有名なものです。これから数か月は、日暮れ時の西空に輝き続けるのがみられます。月もなく、雲もない晴れた夕暮れにはことに、その輝きは印象的で、郊外の河原や、人影の少ない堤防上などではいつまでも見つめていたくなるような輝きです。はるか二千年も前の、深い啓示を受けた黙示録の著者は、主イエスのことを「明けの明星」と記しているほどです。夜明け前の夜の闇を貫いて輝く金星の姿は、この世の闇に不滅の光として来られる主イエスを思い出させるものとなっていたのです。
また、夜明け前の午前四時半ころに、南の高い空を見上げると、透明な美しさで強く輝く星が見えます。これも特別に明るいので、だれでも直ちに見つかります。これが木星です。これはまだほとんど人が動き始めない時刻なので、その静かな、しかし強い輝きは地上の人々を見つめる神のまなざしのようです。
また、深夜に頭上を見上げると、双子座が見えますが、その星座のなかに星座図にみられない明るい星が輝いていますが、それが土星です。


夕方に輝くとき以上に、金星が夜明けに輝くすがたは心惹かれるものです。
夜中に外に出て、空を


image002.gif返舟だより

○私が毎月2回程度、希望者に送信している、「今日のみ言葉」に関する返信です。

・「今日のみ言葉」を、ありがとうございます。 この世ににいて、「神の国」が戴けたらすばらしいことです。
 私はいつも 「聖霊」を下していただけることを切望しています。
 「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈悲、善意、忠実、柔和、自制であってーー」(ガラテヤ5.22-)とあります。
 このような心の状態が得られたら、まさに「神の国」にいることになるでしょう。
 「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリント第一3.16)と言われていますが、そのような状態にはほど遠い自分を思います。
 「聖霊」が日々豊かに注がれることを祈るばかりです。
 添付の写真は、いつも素晴らしく心洗われる思いです。(関東地方の方)
・「み言葉」、ありがとうございました。
「神の国」とは、神のご支配そのもの・・・ほんとうに不思議に思います。そして、こういったカラスウリなどの叡智のかがやきのような色は、人の世における神のご支配への「入り口」のように思えます。
 以前は「地獄の入り口」みたいなものが見えましたが、この頃は消えてしまいました。なんという感謝でしょう。(四国地方の方)

○電話番号の追加
十二月二十四日から、私の家の電話番号をつぎの電話番号に変えて、電話していただくと、全国どこからでも、3分10.5円という低料金となります。現在のNTTの電話では、昼間なら、60キロを超えた地域との通話料金は、3分40円ですから、4分の1ほどになります。
 私(吉村)の家の新しい電話番号  050-1376-3017
なお、いままでの電話番号(08853-2-3017)も使えます。
2003/12

聖なる大路    2003/11

この世には、さまざまの道がある。どこに続いているのかわからない。その道を歩いていけば、行き着く先は、闇であり、抜け出すことのできない迷路や出ることのできない沼のようなところに続くのもある。崖から転落するような道もたくさんある。オウム真理教のような新興宗教などもそのようなものが多い。組織の奴隷のようになったり、金やエネルギーだけでなく、心まで奪い取られることもある。
また、目に見えないものは信じないという道を日本人の大多数は歩んでいるが、その道の行き着く先は、滅びしかないということになる。死後は目には見えないものになるのであり、目に見えないものは存在しないと信じて生きていくなら、当然、死後は一切が無となり、それは滅びに他ならないからである。
名誉や事業の成功、遊びや快楽を求める道も、いずれそれらは行き詰まり、道はなくなっていく。人間は老年になるとともに、能力は衰え、病気がちとなり、事業も、遊びも名誉も追求できなくなっていくからである。
そうしたこの世の道とまったく異なる道が、聖書では古くからはっきりと示されている。

…荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。…
そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ
汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ
愚か者がそこに迷い入ることはない。(旧約聖書 イザヤ書三五・6〜8より)

この言葉は、神によって救いを受けた者が歩む道を指し示している。そこには、この世の荒野のただなかにあって、天よりの水が流れ、うるおされる。そしてはるか前方へと続くまっすぐな大路がある。そこにはこの世の混乱した道、さまざまな悪しきものが入り込む道と違って、神に導かれる者だけしか入ってこない。
それは人間的に見れば、主イエスが言われたように、狭き門から入る道であり、その道は細いと見える。しかし、それは霊的には何者も破壊することもできない大路であり、神の国へとまっすぐに続いている道である。
時代がどのように変わろうとも、政治や社会のしくみがどうなろうとも、この道は過去数千年の間、変わることなく人間の前に、与えられ、存在してきたし、これからも存在し続ける道である。魂の目にこの聖なる大路を見つめて、歩ませて頂きたいと思う。


st07_m2.gif目を覚ましていること

この世は、絶えず何かを拝もうとさせる。それは、地位の高い者や有名人という人間であったり、権力や、金であったり、人からの評価や生活の安定、あるいは人間との表面的な和であったりする。それらを重要なものとして、第一にすることをたえず、求めてくる。ときには強要してくる。
こうしたことは、家庭や、学校、また社会のなかでも至るところにある。
現在の学校教育では、成績という数字であらわされるものが第一であるかのように思い込まされるし、自分が一番大切だといって、自分を第一にせよと言われたり、「君が代」という天皇讃美の歌を歌うことを強要されているのもそうした一例である。
戦前は日本では、天皇を現人神(あらひとがみ)として拝むことを強要された。また、現在では、国際的には、アメリカはイラク戦争など、自国のやり方を何でも正しいと言わんばかりに他国にも迫ってきて、日本も含め、多くの国々がアメリカの力を第一に置くように仕向けられている。
また、現在でも地域では、近くの神社の一員であることを当然のごとくにしようとし、それを拝むようにと仕向けられる。会社でも、その会社の不正や間違ったことをも利潤のためならば、それを拝め、すなわち黙認せよと迫ってくる。
世の中は、たえずこうした一種の偶像を拝むようにと圧力をかけてくる。
それゆえに、主イエスはその伝道の生涯のはじめにつぎのような試みを受けたのであった。

…更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』
と書いてある。」(マタイ福音書四・8〜10)

新約聖書のなかで、主イエスがたえず目を覚ましておれ、と言われたこと、また使徒パウロがしばしば、たえず祈れと教えているのは、このような誘惑に負けないためである。


st07_m2.gif海と風を静める

聖書において、海というのは特別な意味をもっている。
新約聖書で、「海」と訳されている原語は、サラッサ(thalassa)というが、これは、一般的な海を表す言葉であるが、地中海や、紅海をも指すこともある。また、広大な水のひろがりをも意味するので、湖にも用いられる。
海であっても大きな湖にしても、嵐が生じて波が激しくなると船も人をも呑み込んでしまう。ひとたびそれに呑み込まれるならば、二度と帰って来ないのがほとんどで、どこまで深いのか昔は全く分からなかったし、深い海の底は真っ暗な闇が包んでいるということから、海はラハブという悪魔的なものが住んでいると思われていた。旧約聖書で、次のような箇所は、それを示している。

…あなたは海の荒れるのを治め、その波の起るとき、これを静められる。
あなたご自身が、ラハブ(*)を殺された者のように打ち砕き、あなたの敵を力ある御腕によって散らされた。(詩編八九・10)

(*)ラハブとは、古代の神話に出てくる海に住む怪獣で、神に敵対する悪の力の象徴として言われている。

また、黙示録では、「私はまた、一匹の獣が海の中から上ってくるのを見た。…頭には神を冒涜(ぼうとく)するさまざまの名が記されていた。…竜(サタン)はこの獣に自分の力と王座と権威を与えた…」とあって、海に悪魔的なものが住んでいることが暗示されている。そして黙示録においては、つぎのように記されている。

…わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。(黙示録二十一・1)

このように、特に海も存在しなくなっていると記されていて、ここにもサタン的なものの住む海が新しい天と地には存在しないことが示されている。
海の持つ力、それは人間を捕らえ、闇に引き込んで滅ぼしてしまう力の象徴である。そうした闇の力に打ち勝つのが、神であるということは、すでに引用した箇所が示している。

…あなたは海の荒れるのを治め、その波の起るとき、これを静められる。(詩編八九・9)

これは、単に自然現象としての海の荒れた状態を静めるということにとどまらず、海の荒れた状況は、そのままサタン的な力を表していて、それをも神は支配し、静めることができるということである。
そしてこのような、神の力を全面的に受けてこの世に来られたのが主イエスであった。
それゆえ、主イエスもこの詩編の引用文にあるように、海で象徴される闇の力、悪の力を支配するお方であることが記されている。つぎの箇所はそうした例である。

…その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
イエスは起き上がって、風を叱り、海に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や海さえも従うではないか」と互いに言った。(マルコ福音書四・35〜40)

主イエスが共にいても、嵐は生じる。突然に突風は吹いてくる。これは、当時のキリスト者たちの実際の経験であった。このような嵐で激しい波が生じ、かつ風に吹きあおられて、弟子たちも大声で叫び、慌てふためいている。
すべての弟子たちが、はげしい波に襲われて、舟が転覆して、今にも死ぬかもしれないという動転した気持ちになっているのに、主イエスはなんと眠り続けていたという。これは私たちなら、眠り続けるなど到底考えられない状況である。
これは、荒海にたとえられるこの世において、まさに沈んでしまおうとするほどに、困難な状況を示している。そして弟子たちは必死で主イエスに助けを求めて叫んでもイエスは眠っている。
このことは、現実のキリスト者たちの置かれた状況をよく表している。この福音書が書かれた時代にすでにキリスト者たちは厳しい迫害を受ける状況となっていた。その困難は、激しい突風が起こり、船は波をかぶって水浸しになり、波にのまれそうになった状況にたとえられる。そして弟子たちは「主よ、助けて下さい。舟が沈んでしまう!」との叫びをあげる。そうした追いつめられたなかで、必死に助けを求めるとき、主がようやく起き上がって、彼らを脅かしていた、風と海を叱った。するとたちまち静まったという。
ここに、キリスト者たちを襲ってくるさまざまの迫害の嵐や心の激しい動揺の嵐において、必死で主に助けを求めて叫ぶときに、主イエスの力が働いて、悪の力が退けられ、そこに大いなる平安が訪れたことを暗示している。
また、もう一つの海の力と弟子たちの動揺に関する記事がある。
それは、「海(湖)の上を歩く」として知られている。

夜が明ける頃、イエスは海(湖)の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。…イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。(マタイ福音書十四・25〜32より)

ここにも、海の力を支配し、その上を歩くイエスの姿がある。世の中に働く悪の力がいかに大きくとも、その上を歩まれるのが主イエスなのであり、それゆえ、弟子たちももし主イエスに従って、ただ主イエスのみを見つめていくなら、この世の力に引き込まれて沈むことなく歩むことができるということなのである。 また、この世は海のように、サタンが支配しているようにみえる。そしてどんなに叫んでも神は何も助けてくれないというようにも見える。しかし、ひと度神の力が発揮されるならば、荒れ狂う海の力はただちに治められるということである。
海とは、イザヤ書や詩編などに見られるように、聖書の民にとって、また広く世界的にも恐ろしいもの、底知れないもの、闇などといったものを象徴的に現すものとみなされていた。
そしてこの世が、動揺し混乱に陥るのは、そうした悪が働いている業であるとの見方がある。しかし、神は、そのような闇の力、混乱を起こし、この世を悪の支配に呑み込もうとする力を、打ち砕き、静めることができるという確信がここにある。
新約聖書の主イエスが、波を静め、吹きすさぶ嵐をとどめる力があるのは、このような旧約聖書の預言の完全な成就者であるということが示されているのである。

この世とは、海に象徴される、サタンが働いているところである。そこから私たちを揺り動かし滅ぼしてしまおうとする力がある。じっさい、マタイ福音書では、嵐と訳された言葉は,セイスモスと言って、もともとは、セイオー(揺れ動かす)という言葉の変化形なのである。この世はたえず揺れ動かすものに満ちている。そのただなかで、イエスはまったく沈黙して、眠っているかのごとくである。しかし、それは決して私たちを放置して、滅びにまかせるためではない。

マルコ福音書五章において、主イエスは一人の人間と出会った。その人は、精神的には極限状態に追い詰められていた人であった。その人とは、

この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。(マルコ福音書五・3〜5)

これを見てもいかにこの人が驚くべき悲惨な状況にあったかがわかる。
心の働きが全く破壊されていて、自分で自分を打ちたたき、足枷でつながれ、鎖で自由を奪われてもなお、それを断ち切ってしまうほどの異状な力をもっていた。しかしその力は悪から来ていたので、どんな人もこの人を静めることができなかった。そのような人でも、かろうじて生きていたのは、誰かがこの人に水や食物を与えていたからであったろう。それはおそらくは親であったと考えられる。そのような異状な状況に置かれてしまった人間を親以外には誰も継続的に面倒をみることはしなくなるだろうからである。
このような生きていてももはや死んだような人間、それゆえにこの人は墓場を住まいとしていたと書かれているが、そうした人間に主イエスは真正面から立ち向かわれた。
そしてそうした恐るべき状況になっていた人が驚くべきことに、主イエスに対して、「神の子」と言っていることである。神の子というのは、単に神が創造したというのでなく、神と同質であるということである。それは弟子たちですら、なかなかわからなくて、嵐や海を静める御方だと分かってもなお、「一体、この御方はどういうお方なのか?」(マルコ四・41)と驚きと疑問の声を発したほどである。
そしてもっと後になって、主イエスが、私のことを何と思うか、預言者エリヤとかヨハネの生まれ変わりだとか言っているが、あなた方は何と思うか、との問いに対して、ペテロが「あなたこそは、神の子です。」と言ったとき、それは、人間の知恵や考えではそのことはわからない。父なる神の直接の啓示によって、そのことが示されたからわかったのだ。と言われたことがある。
そのように弟子たちですら、主イエスのいろいろの奇跡や力を見て、またその教えを知って、ようやくイエスが神の子であると知ったほどであるのに、この心の病にとりつかれていた人は、一見してただちに主イエスを、神の子だと見抜いたのである。このように、サタンは独特の鋭さをもって神の世界のことを見抜く。そして見抜いたうえで、その力を振るおうとするのである。
しかし、ここでは、悪の霊は主イエスの力に恐れをなして、どうか豚の中に逃がしてくれと頼んだ。主イエスがそれを聞いて許可すると、悪の霊は一斉に豚の中に入り込んで、海になだれ込んだ。これは不可解な記事であるが、ここで言われているのは、悪の霊が退けられてサタンのいる場である、海に戻されたということである。
そしてその悪の霊が追い出されたとき、その人は、それまでとはまったく打って変わって見違えるようになった。かつての混乱と激しい異常行動、叫び、わめくような行動がすべてなくなった。そして静まった。
これは主イエスの驚くべき力であった。主イエスは、いかなる混乱や闇の力をも静める力がある。人間の手では回復はあり得ないという絶望的状況にあってもなお、そのただなかに力を注ぎ、そうした悪を支配している力をとどめ、退け、静める力がある。
そのようにして与えられた、静けさこそ主の平安である。これこそ、主イエスが最後の夜に、弟子たちに約束したことであった。
現代の世界も、外においても、内においても大いなる混乱が満ちている。若い人たちの心にも、至るところに悪がはびこり、混乱が満ちている。そうした悪の力を静めるのは主イエスの力であり、主イエスの言葉であり、主イエスの御手による他はない。そしてその御手の働きを心から待ち望む者には、必ず主の平安が与えられる。
そこから私たちの本当の人生が始まる。


st07_m2.gif渇きを満たすもの 詩編四十二編

この詩は、詩編の第二巻の最初に置かれている詩である。なぜこれが最初に置かれているのか、そのことを考えるときに、その前の四十一編の終わりの言葉は、第一巻の最後の言葉ともなっているが、「主をたたえよ、代々とこしえに。」という言葉で終わっていることに気付かされる。
こうした締めくくりの讃美の後に、この四十二編がある。その最初に置くべき讃美はどのようなものであるべきか、祈りと熟慮の上でこのように配置されたと考えられる。
詩編の第一巻の最初の第一編の内容が、詩編全体の要約と考えられるものが置かれているように、詩編の第二巻の最初にも冒頭に置かれた意味がある。

涸(か)れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て神の御顔を仰ぐことができるのか。
昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う
「お前の神はどこにいる」と。…
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。(詩編四十二・1〜6より)

ここでは、まずこの詩の作者の強い渇き、神への渇きの思いが記されている。この詩の作者は、今から二千数百年以上昔の人であると考えられている。そのようなはるかな古代に生きた人間の魂の最も奥深い部分がこの詩に現れている。この詩の私たちへの意義は、単に、そうした古代の人間の心の状況を知るためだけでは決してない。この作者の経験した苦しみや叫び、そしてそのただなかでの神への飢え渇きこそは、神が背後におられて導かれたことを示している。そこに神のご計画があり、この詩は神の深いご意志が表されているゆえに、こうした詩が人間の詩であるにもかかわらず、神の言葉として旧約聖書に収められているのである。

鹿が谷川の水を求めるというのは、日本とこの聖書が書かれたユダ地方では全く状況が異なっている。日本のような雨の豊かな、至る所で谷川のあるところでは、鹿は必死になって飢え渇くということがない。それゆえ、私たちはパレスチナの状況をまず心に留めておかねば、この箇所にある鹿がいかに必死で水を求めているかを思いみることもできない。
それは命懸けである。広大な領域において、わずかに水が出ているところは数えるほどしかない。木一本もない乾燥した地方で、水がなかったらそのまま直ちに死につながる。ここで水を求めるというのは、死か命か、という二者択一なのである。
人は何を求めているだろうか、人間は、何かに飢え渇いている。それは幼い頃は、母親の愛である。友人の友情である。また認められることである。そして、人間だけでなく、動物にも共通なという意味で最も根源的なのは、本能にかかわる食物や、性に関わる飢え渇きであろう。
私の高校時代を考えてみると、それは成績をあげることに飢え渇いていた。また、スポーツの選手とか企業、政治家などもみんな成績を上げることに飢え渇いている。その度合いがひどくなると、争いとなる。奪い合いとなる。他人の持ち物を奪い、不正な方法によって金を得ようとしたり、他人の配偶者を奪っていこうとする。
また、動物として最も強力な飢え渇きは本能にかかわるものであり、食物と性に関わる飢え渇きはそれを求めて激しい戦いとなることがある。それは、社会的、国際的なレベルとなると、戦争となる。かつての日本は「満蒙(満州と蒙古)は日本の生命線」などといって、他国の領土を飢え渇くように求めて 、その結果、戦争を中国にしかけて太平洋戦争となっていった。
また、現在の深刻な問題の一つは、男女の性にかかわる飢え渇きが不正な方法で満たそうとされていることである。そのために、本来新しいいのちが生まれるという深い意味のある、性ということが、一時の性に対する飢え渇きを満たすために用いられ、それが、人工妊娠中絶という形で胎内の赤ちゃんの命を奪う事態となっている。
十一月に行われた無教会のキリスト教全国集会において、ある産婦人科医が告白したように、ある時期までに、勤務医として、つぎつぎと、堕胎を担当させられて、そのことに耐えられなくなって、スタッフに集まってもらって、祈った。そしてその後は、そうしたことを一切しないようになったという。現在はその医者はキリスト教の病院に勤務している。しかしそれまでに、一千もの胎児の命を奪ってきたという。一人の産婦人科医でもこのようなおびただしい数であるから、全体では恐るべき数となるだろう。実際、人工妊娠中絶で失われていく胎児は、年間で百万人を超えるという。(*)

(*)厚生省発表の人工妊娠中絶件数と出生数という統計報告では、一九九七年の中絶件数は、約三十四万人であった。しかし、闇中絶を望む人が多いので、中絶の正確な実数はつかめていない。中絶に必ず使われる薬の年間使用量から推測すると、数百万件にも及ぶとも言われている。

このように飢え渇きというのが、正しく満たされないときには、戦争や堕胎のように多くの人たちを犠牲とするような不幸な結果を招くことになっていく。
それらの飢え渇きが満たされないときには、不満や怒り、また妬み、不安などいろいろな感情が生じる。さまざまの社会的な不正、汚職、犯罪などは、すべて、人間の本能を満たしたい、上になりたい、認められたい、力をふるいたい、安楽な生活をしたい、といった飢え渇きを間違った方法で満たそうとするところから来る。
宗教の世界でも、上になりたいという飢え渇きは、キリストに三年間も従った弟子たちですらそれに打ち勝てなかったことが記されている。主イエスがもうじき、自分は十字架につけられると予告しているのに、弟子たちはだれが一番えらいかとか、イエスが王となったときには、自分たちをその右左において下さいなどと願う始末であった。それは、いかに人間は、信仰をもってもなお、人の上に立とうとするような、飢え渇きから自由にはなれないかを示している。
そうした間違った飢え渇きがいやされたのは、キリストの復活のあと、聖霊が注がれることによってであった。聖霊が注がれなかったら、彼らのそうした飢え渇きはいやされることがなかった。
正しい飢え渇きとは何か。それは、神に、神の愛や、清さ、そして神の真実や、義に飢え渇くことである。
義とは、正しいことである。しかし、人間はすべて正しさを持っていない。使徒パウロが述べているように、絶対的な正義である、神の前では正しいものはいない。一人もいない。

…次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。(ローマの信徒への手紙三・10〜12)

自分自身を振りかえってみても、確かに正しい者でなかった。しかし、キリストを信じることによって驚くべきことに何も正しいことができてなくとも、神の前に正しいとして下さるのだと知らされた。
主イエスが言われた、「義(正義)に飢え渇く者は幸いだ」とは、どういうことだろうか。それは、ふつうなら、「正義」を行う人間は、幸いだ、というだろう。しかし、主イエスは、そうはいわれなかったのである。義に飢え渇くということは、自分は正しいことができずとも、正しいことを心からねがうことであり、自分自身が、汚れていても、その汚れ、罪が清められて正しい者とされたいという強い願い、飢え渇くを持っていることである。
また、自分の家族、また集会、職場の人たちや組織、さらには日本や世界、それらが神の前にて正しいものとされるようにとの飢え渇きである。
新聞やテレビのニュースを見ると、数々の犯罪が行われているのがわかる。それを私たちはどう見るか。単に驚いたり、おそれたり、あるいは嫌悪感を持つだけで終わるのでなく、そこに神の国が来ますようにとの飢え渇きをもって、祈りをもって見つめるのが正しいあり方だと言えよう。
義に飢え渇くとは、神の正しさを飢え渇くように求める心である。それは、言い換えれば神の国に飢え渇くことである。神の国とは、神のご支配である。神が私たちの魂の罪を支配することで、私たちは清められる。また神の国が私たちの家庭や集会に来ることによってそこは清められる。
ここから、主イエスがなぜ、たえず祈るべき内容として、「御国が来ますように」との祈りを教えられたかがわかる。この祈りは神の国に飢え渇く心があればあるほど、日毎の祈りとなる。
また、主イエスが教えた内容でやはり重要なものとして、山上の教えというのがある。そこではキリストの教えのエッセンスが記されているが、その冒頭に「心の貧しいものは幸いだ!」というのが記されている。これは、飢え渇く心とは、心の貧しい状態に他ならないからである。心が自分の安楽や誇り、自分の力に満足していれば、それはここでいわれている、心の貧しい状態ではない。心貧しいとは、心に飢え渇きをもっている状態である。自分は何一つ持っていない。しかしそのなかに、神の力や神の清さを心から求める渇きがある。
ダビデはかつて、サウル王のねたみのゆえに、王から追われて命をねらわれているときには、必死で神にすがり、そこから多くの詩も作られた。その詩が数千年の歳月にわたって、無数の人間の魂をうるおし、力づけ、また預言ともなってきた。
しかし、そのようなダビデであったが、国を平定し、支配領域が広大となるにいたって、慢心し、昼頃起き出すという状況にすらなったとき、バテセバという女性の美しさに惹かれて大いなる誘惑に引き込まれた。ダビデは最も恐るべき罪を犯して、しかもその罪の重さには、その女性が妊娠して子供を生んだあと、ナタンという預言者によって直接に指摘されるまで気づかなかったというほどであった。
飢え渇く心は、当然のことであるが、いろいろなことが満たされているときには生じない。ダビデも安全なく、孤独でさまようときに最も神の力を、神のはげましを飢え渇くように求めていた。
キリストの第一の弟子であったペテロは、自分は殺されることがあっても、イエスに従っていきますと、力強く約束したのであったが、いざ、イエスが捕らえられていくと、他の弟子とともに逃げていき、その後三度もイエスなど決して知らないとちかくにいた人に誓って言ったほどであった。それほどまでに自分というのが弱く、もろいものだと思い知らされ、自分の罪を深く知らされた。その罪をイエスによって赦され、イエスが「約束された聖霊を祈って待ちなさい」という命令に従って、ほかの人たちとともに真剣に祈り、待ち続けた。そこには、必死に神を求めて飢え渇く心があった。こうした飢え渇きの心に応えて、主イエスは、聖霊を注ぎ、裏切ってしまったペテロを再び立ち上がらせ、キリストの死後最初に、キリストの復活の福音を宣べ伝えるものとならせたのである。
しかし、そうしたペテロであったが、初期のキリスト教指導者としての地位が確立されて、安定したためか、キリストの福音の根本問題で大きなつまずきをして、後からキリストの弟子となり、伝道者となったパウロに面と向かって叱責されたほどである。
このことも、神への飢え渇きがなくなったときに、人はいかに信仰を持っていたとしても、神からの新鮮な命が注がれなくなって、大きなまちがいを犯し、誤った道へとはまり込むということを示している。
神への飢え渇きは、終わりがない。神とは無限の愛や深さ、清さ、正しさに満ちたお方であるゆえに、もう自分は十分にそんなものを持っているという人はあり得ない。
アッシジのフランシス(イタリア語読みでは、フランチェスコ)という人がいる。(*)彼はとくに学問もなく、権力もなく、姿も美しいわけでもないのに、世の多くの人が従おうとする。それはなぜなのかと、一人の弟子が尋ねた。そのとき、フランシスは、つぎのように答えた。

「あなたは、世の人が私の後を追うわけを知りたいのか。それはどこにおいても、善悪をごらんになる、神の目によるのである。その聖なる目は、罪びとの中でもわたしより悪い、わたしより役立たぬ、わたしより罪深い者を見出さなかった。
 主はご計画のふしぎなわざを実現するのに、わたしより悪い被造物がないのでわたしを選び、世の貴い人、偉大な人、美しい人、強い人、賢い人を恥ずかしめ、それによっていっさいの力と善とは、主から出て被造物からは出ず、また 何ものも主のみ前には優れたことのないことを、悟らせてくださるのである。
 まことによきものを与えられた者は、主によってそのよきもの(栄光)が与えられて栄えるのであって、すべての栄えと誉れは永遠にただ主ひとりに帰せられる。」(「聖フランシスコの小さき花」第九章より )

このように、後の時代に、キリストにとくに似た人と言われて、聖人と言われた人であるが、自らは、最も低い者にすぎないというはっきりとした自覚を持っていた。これは、パウロがキリストの事実上最大の弟子であったが、罪人の頭であるとまで言っていることに共通している。
このように自分を低く実感すること、それは神のまなざしを与えられていてはじめてできることであろう。人間的な目で見れば、人間の優劣とか上下などが大きいものと見えてくる。しかし神の目を与えられるとき、そうした人間的なものは消えていく。そして自分の小さいこと、弱いことがはっきりと見えてくる。それによってその貧しさを満たして下さる神を切実に求めるようになる。同時に、神の無限の豊かさがありありと示されてくる。
このように、聖人とまで言われて特別なへりくだった心にされて、神の豊かな賜物を受けた人とは、決して生まれつきそうであったのでも、人間的な努力でそのような聖性を獲得したのでもなく、ただ自分の小さきことを深く知って、そこから他の何ものにもまして、真剣に神を求めた人なのであった。そのような飢え渇きに応えて、神がご自身の持っておられる無限の豊かさを与え続けたのだといえよう。
パレスチナの荒野では、水を求めるのは命がけである。見渡すかぎりどこにも木も草も生えていないような砂漠のようなところで、水がなければそのまま死に至る。日本では、どこにいっても、谷に水が流れているのとは全く異なる。魂にいのちをもたらす、いのちの水は、ただ聖書で示されている神のところにしかない。それのみが命を支えるのであって、ほかは精神の荒野が見渡す限り広がっているのである。
そうしたことをはっきりと知らされたとき、私たちも一頭の鹿のように、全力をあげていのちの水を持っておられる神を探し、キリストを求め続けていきたいと思う。

(*)今から八〇〇年ほど昔の人で、フランチェスコ修道会の創立者。イタリア中部アッシジ生れ。謙遜と服従、愛と清貧の戒律によって修道生活の理想を実現した。アッシジの聖フランシスと言われる。アメリカの大都市、サンフランシスコとは、聖(サン)・フランシスコという意味で、彼の名前がその都市の名前の起源になっている。ここに引用した「小さき花」は、彼の弟子が記した伝記で、小鳥への説教など、フランシスコの生涯の驚くべきことも記されている。

求めよ、さらば与えられる、という有名な言葉は、もし私たちが正しい方向に、神とキリストに求めていくならば、こうした魂の飢え渇きが必ず満たされるということである。それはルカ福音書に示されているように、聖霊が与えられるときには私たちは満たされる。そのことは、ヨハネ福音書にとくに印象的な言葉で記されている。それは永遠の命であり、満ち満ちているものからくみ取ることであり、私たちの魂からいのちの水が流れだすことである。


st07_m2.gif政治と信仰

先頃の、無教会の全国集会で、平和憲法を守るといったことは、政治問題か信仰の問題かという議論があった。政治の問題はキリスト教の全国集会では取り上げるべきでないという人もいた。しかし、そもそも政治とは何か。一般的には、衣食住の問題が中心にあるように思われている。しかし、本当は、政治とは人々の集団を正しく導くことでなければならないのであって、単に衣食住を整えることであってはならないはずである。しかし、実際には、食べさせること、政治とは、要するに国民を食べさせること、経済問題だといった意見もよく言われるし、今回の総選挙で、一番の関心事は、年金問題とか経済の問題であったといわれるのもそうしたこととつながっている。
しかし、現在の日本は食物も有り余るほどである。しかし、国民全体が、とくに若い世代の心が善くなっているとはほとんどの人が感じていないはずである。
経済問題がうまくいくとは、要するに十分な衣食住があるということだ。日本は世界では最もその方面ではうまくいっているといえる国の一つである。アジア、アフリカなどを中心として世界には飢えに瀕している人たちが八億にも達するとも言われている。そうした状況に比べるなら、日本の状況は彼らにとっては信じがたいほどの豊かさである。
しかし、そうした豊かさがあれば、それでよいのか。現在の日本のとくに精神的状況は、暗雲が漂っている。今月号でも触れたが、ことに若い世代の人たちの性に関する乱れとその結果としての、人工妊娠中絶が年間百万件にも及ぶという状況は、何を意味しているのだろうか。それは、人間が闇の世界に落ち込んでいることを如実に示している。殺人とは最も重大な悪であることは誰もが認めている。しかし自分たちの快楽を楽しむために胎内の生命を断つことは、殺人と全く関係のないことであるかのように、現在は公然と行われている。しかし、現実に胎内の顔も、手足もある赤ちゃんが取り出され、それを目のまえにして、その命が抹殺されていくのを見て、平気でいられる人はほとんどいないであろう。
これは、いくら食物が十分であっても、今後の日本は人間の最も大切な部分で崩壊していくのではないか。
そしてこのようなことは、いくら軍事力を増強しても、どうすることもできない。軍備を整備したところで、また、何らかの方法でテロを抑止させることができたとしても、やはりこのような人間の深い内面の崩壊は止めることができない。
また、経済問題がいくら向上してもこうした問題には何ら改善することはできない。
それは、政治の根本は、経済問題や安全保障問題でなく、国民を正しく導くということだということが忘れられているからである。
この点で、今から二五〇〇年ほども昔の中国の思想家(*)が、「政とは正なり」と簡潔に述べているのは印象的である。(**)
人間が正義にかなったものとなるのが本来の姿であるから、自らがまず正しいことを求め、そこから他者を正しく教え、導くこと、それが「政」の根本だというのである。
また、つぎのようにも記されている。

もし、不正な者を殺して正しいことを守らせるようにしたらどうか、と問われて、孔子は答えた。「政治をするのに、どうして殺す必要があるのか。あなたが善くあろうとするなら、人民も善くなる。上に立つ者は風であり、人々は草である。草は風にあたれば、必ずなびくものだ」(「論語」顔淵第十二)

(*)孔子(前551〜前479)中国、春秋時代の学者・思想家。その言行録は「論語」に記されている。
(**)政治の「政」という漢字の左部分は、「正」であり、右の部分は、「打ちたたく」という意味をもっている。この漢字そのものが、「政」とは、「正しく打ちたたく」という意味を持っているのがうかがえる。

罰を厳しくしても悪そのものはなくならない。政治にかかわるもの、上に立つ者がまず善を求めていくなら、自ずから人々もそれになびくという。
テロについても、相手がテロをやったから、こちらもテロの一種ともいえる武力攻撃をやるのだということでは、よくなるはずがない。これは悪には悪をもって対するということだからだ。
論語に書かれているような考えは、聖書には一段と深い視点から、よりいっそう明確に記されている。この孔子が生まれる五十年ほど前に、ユダの地で、祖国が滅びようとするときに現れた預言者がエレミヤである。彼は自分の国が外国(バビロン)の攻撃を受けて滅びようとしているときに現れ、それが単なる軍事的な装備や経済問題で滅びるのでなく、国民の心が真実の神から離れて、まちがったものに結びついているからだと示された。
つぎにエレミヤ書の中から、国家の災いは、真実な神に背くことによって生じるということが、神からの言葉として、繰り返し告げられているのを示しておく。

…「立ち帰れ、イスラエルよ」と主は言われる。
「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」
もし、あなたが真実と公平と正義をもって
「主は生きておられる」と誓うなら
諸国の民は、あなたを通して祝福を受ける。(エレミヤ書四・1〜2より)

…エルサレムの通りを巡り
よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか
正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。(エレミヤ書五・1)

…主はこう言われる。ユダの王の宮殿へ行き、そこでこの言葉を語って、
言え。「ダビデの王位に座るユダの王よ、あなたもあなたの家臣も、ここの門から入る人々も皆、主の言葉を聞け。
主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。…
もしこれらの言葉に聞き従わないならば、この宮殿は必ず廃虚となる。」(エレミヤ書二十二・1〜5)

聖書においては、個人としての人間、その人間の集合体の国家も、滅びるのか祝福されるのかは、まったく同一の原理、すなわち真実な目に見えない存在たる神を第一に重んじるかどうかなのである。
そしてこれは現在においても、いっそう切実な問題となっている。
政治においても個々の人間においても、原理は同じである。人間の集団だからといって、どうして正しいこと、真実なことがないがしろにされていいか。個人において悪であるならば、個人の集合である国家においても悪であることは必然的である。例えば、嘘をつくこと、盗むこと、殺すことなど、個人が行えば、犯罪である、それならば、国家が行っても同様に悪である。
聖書はこうした基本をじつに明確に述べている。人間が真実な神を求めるべきであるなら、国家も同様なのである。人が、まず神の国と神の義をもとめるべきならば、国家も同様だというのである。
このように考えてくれば、信仰と政治ということは決して別々のことでないことは、明らかである。エレミヤ書などはまさに、信仰と国家、社会の政治がいかに不可欠に結びついているかを一貫して述べている。
私たちは、憲法問題にしても、永遠の真理に照らして考えるとき、はたして武力を増強させ、海外にも自衛隊という武力を派遣していくことが日本や世界にとって、真によきことに結びつくのか、熟慮せねばならない。
そうした道とは全くことなる方法によって、国民の正義に対する感覚を鋭くし、その感覚の上に立って、世界の福祉や平和に貢献し、それによって自ずから世界の国々に信頼されること、それが最も国を守ることになるのである。
神は万能であり、人間や国家の根本がまちがっていたら必ず何らかの方法をもって裁きを与えるお方である。私たちは世の風潮に揺り動かされることなく、千年、二千年の歳月をも生き抜いてきた真理に従いたいと思う。
「まず神の国と神の義を求めよ、そうすれば衣食住のことはそれに添えて与えられる」と主イエスは言われた。神の国とは、愛と真実の神の御支配をもとめることであり、敵のために祈れる心をもとめることでもある。この言葉は、個人にとっても、国家にとっても変わることなき永遠の真理なのである。


st07_m2.gif休憩室

○佐多岬半島と大分での植物
返舟だよりで書きましたように、去年と同様に、十一月の中旬に四国を横断し、松山を経て、九州に向かって長く伸びている、佐多岬半島を通って、大分に渡り、そこから、九州の山地を横切って、熊本に行きましたが、佐多岬半島と大分から阿蘇山にかけての山地にいろいろの秋の植物が見られて、秋の紅葉ととも、神の芸術品を味わうときともなりました。
秋の山には、野菊のたぐいが多く、植物に関心のある者には同じ道であっても、喜ばしいものです。そのなかでも、佐多岬半島にとくに多いのは、リュウノウギクで、真っ白いやや大きめの花を咲かせて、よく目立ちます。徳島県ではあのような群生は見たことがなく、ときたま少し見かけるくらいですが、佐多岬半島では、山の道路の両側にあちこちに群生しており、道行く人に秋を告げ、神への讃美をたたえているように感じました。
また、九州の大分から阿蘇へ通じる山道、竹田市に至る高原の道では、四国ではあまり見かけない黄色の野菊、シマカンギクがあちこちに見かけました。また、赤いカラスウリが手の届かないところに、美しい色を見せていました。その他にも、ヤマシロギクやノコンギク、シラヤマギク、ヤクシソウといった野菊の仲間も見られました。
野菊というと、一つだけと思っている人もいるようですが、野に咲くキクの仲間は数十種類もあって、秋に多くみられます。
また、やはり佐多岬半島の山道で、車道から少し入ったところの自然の水が流れているところで、オランダガラシがあり、だれにも気付かれていないようですが、そのワサビに似た味を久しぶりに味わったものです。
秋の山道は、車で走る場合でも、そうした野生のキクなどの花々とともに、空の青と山の緑と紅葉や褐色や黄色に色づいた木々、そして時折みかける色づいた赤や黒の実をあちこちに目にすることができて、自然の豊かさを強く感じさせてくれるものです。同じ道であっても、植物は絶えずことなる姿を提示していて、飽きることがありません。
時折、車を止めて少しだけ山道を歩くといっそう周囲の草木が近づいて語りかけてくるように感じるものです。
聖書と、歴史と天然、この三つはつねに神の大きな御手のわざを私たちに知らせてくれています。


st07_m2.gifことば

(169)単純な生活
…これから後、あなたの生活は、「祈り願い、受け取り、与えること」であり、考えることや行いにおいてもひたすら単純さを目ざすことになる。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために・下」 11月2日の項より)

・神に祈り、神より受け、神から受けた愛をもって与える。 この三つのことからなる単純な生活が私たちの最終的な生き方となるという。新約聖書にはそのことがすでにはっきりと記されている。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛せよ。隣人を自分のように愛せよ。(マルコ福音書十二・30〜31)
求めよ、そうすれば聖霊が与えられる。(ルカ福音書十一章9〜11参照)

人間の生き方は実にいろいろとあるようにみえる。けれども、究極的な生き方はヒルティがのべているように、とても単純なものだと言える。私たちの現実は弱く、あるべき姿にはるかに遠い。しかし、そのような私たちができることは、神を信じて、その神がもっているあらゆる豊かさ、聖霊を少しでも分かち与えていただくことである。そしてその与えられたものを他者に分かつことなのだという。

(170)祈りの人
祈りの人とは、単に祈りをする人ではない、祈りによってすべての事をなす人である。
更に進んで、祈りによるのでなければ、何事もすることができない人である。祈りによって学ぶ人である、祈りによって戦う人である。
すなわち自分の力によってするのでなく、神の力によって万事をなす人である。…
祈りの人とは、祈りは真実の力を持っていることを確信している人である、これに天地を動かすに足る力があることを信じて疑わない人である。
宇宙において最大の力を持っているのは、霊である神であることを知り、霊の誠実によって神に近づき、神から超自然的の力を受けようと願う者である。(内村鑑三・全集 第18巻 199〜200頁 口語的表現に変えてある。)

・主イエスは「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。私につながっていなさい。つながっていなければ、自分では実を結ぶことはできない。」と言われた。主イエスにたえず結びついているとは、ここで内村が言っているように、たえず祈りの心をもっていることと同じである。


st07_m2.gif返舟だより

○…毎月「はこ舟」をありがとうございます。初めて手にしたときは、難しいなあと頭をひねりながら読んでいましたが、最近は「はこ舟」を読むのが楽しくて、意味深い事を教えて頂けるので、「そうなんだ」「そうなのか」と何かを発見する喜びのような感動が起こります。「聖書を一章ずつ」「今日の力」という本、そして「はこ舟」の一ページを最小限読むことにしています。楽しみの日課となっています。(近畿地方の読者から)

・私は、聖書の意味の深さをますます知らされているのですが、はこ舟においても、聖書が伝えようとしている真理のメッセージの一端を少しでも紹介できたらというのが、願いです。

○はこ舟十月号をお送りいただき、ありがとうございました。これほど私の心の痛みをとかしていただいたことはございませんでした。感謝でございました。…(関東地方の方)

・どの記事が印象に残ったのか、わかりませんが、主が用いられるとき、小さなものでも、予想していなかった働きをするのを感じています。

○…「はこ舟」八月号を読んで、特に「よきものを見つめること、否定すること」「人間の弱さ」の文章に心が動かされ、いままでに感じたことのない気持ちになりましたので、書かせていただきました。何か、すーっと入っていけるという感覚か、自分の力を抜いていけるという感覚かわかりませんが、いままで遠くに感じていたものが近づいたという気持ちにおおわれました。
放蕩息子の話はこれまで、何度か「はこ舟」のなかで読ませて頂きましたが、勧善懲悪の考え方がしみ込んでいる私には、(放蕩な限りを尽くした息子を、悔い改めたからといって罰することもなく、喜んで受け入れるというのは)、どこかで受け入れられないものを感じていました。それは悔い改めて帰って来た弟を受け入れようとせずに、父の愛にみちた対応を非難した兄の気持ちと重なるところです。
八月号のなかの「自分中心に考えることが、大切なことを見る目を曇らせてしまう」という一文が、深く心にしみました。
これまでどれだけ自分中心に生きてきたことか、自分を出すことが強く生きるということだと、真剣に考えていました。しかし、今、自分の力を抜き、他者にゆだねることによって、よき結果をもたらすことになるということがわかり始めてきました。そうした姿勢が、広く事物を見渡せることにつながると思えます。
自分は弱いものだと思っていましたが、年を重ねると強く生きられるとも信じていました。しかし、最近では六十歳を目前にしてますます弱くなっています。いろいろの不安に襲われます。一方で、草木やいきものに慰められるのも事実です。それらが、神によって造られ、神から人間に向かってある意図されたものが込められているのを知るとなんだか安心に変わるような気がします。…(四国地方の読者から)

○大変わかりやすい平易な言葉で、福音の真理が語られております御誌に、心からの感謝をもって、繰り返し読ませていただいております。「受け身に生きる」「語りかける神」など、聖書のみ言葉とその御心が直接に伝わってくるように思えます。私どもも、これから集会などで語りますときに、大いに参考にさせていただきたいと願っています。…(関東地方の方)

○大分の集会のときも、四曲ほど私が選んだ讃美をしていただきましたが、そのうち、讃美歌21の469番「善き力にわれ囲まれ」という讃美の歌詞は何人かの方々に、とくに今回のテーマであった、「終わりなき希望」との関連で印象に残ったようでした。
ヒトラーの迫害によって、敗戦直前に処刑された、ドイツの牧師、ボンヘッファーの獄中での詩に基づく讃美でした。もうじき殺されるというような悪の力のただなかに置かれていても、彼は、つぎのように書いています。「善き力に われ囲まれ 守り慰められて、世の悩み 共に分かち、 新しい日を望もう。 たとい、主から差し出されるさかずきは苦くとも、恐れず、感謝をこめて、愛する(神の)手から受けよう。善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。」
私たちも、心を暗くさせるような出来事が多い昨今ですが、そうしたただなかで、神の善き力に囲まれているのを実感し、神の時を待ち望んでいきたいものです。
2003/11

風にあたる    2003/10

秋の風が吹き渡る。川岸にてその風を受けているとき、それは天来のものだと感じる。
この世の汚れた世界には決して染まらない世界からの風と感じる。それに気付くもの気付かないものの別なく、風は吹き渡る。そして心開いているものの中に入っていき、汚れたものを一掃してくれる。
主イエスが言われたように、善人にも悪人にも太陽の光は注がれ、雨も降り注ぐ。
天来の風もまた同様である。
聖書にもこの世と異なる風が吹いている。新聞や雑誌、テレビなどとはまったく違った世界からのメッセージをたたえて、静かにそよいでいる。ときには激しく私たちの心に吹いてくる。
寒い日にたき火にあたってぬくもりを与えられるように、私たちもこの世の塵にまみれた冷たい風でなく、秋の空に吹き渡る風、神の国から吹いてくる風にあたってそのぬくもりと清めを受けよう。


st07_m2.gif勝つことがすべて

あるスポーツの有名な人が、監督を辞めた。それを評して、別の監督が我々の世界は勝つことが第一だ、負ければ辞めるのも仕方がないと言ったという。
勝つことがすべて、これは、なにもスポーツの世界だけのことでない。信仰の世界も実は勝つことが第一なのである。
私たちが勝利を得るために、神は信仰を与えられた。
十字架にてはりつけの刑に処せられたが、それはじつは罪の力に勝利されたということであり、完全な善の敗北と思われる出来事が実は、最大の勝利なのであった。
キリスト教において勝つということ、それは、ふつう世の中で言われている勝利とは大きく異なっている。世の中の勝利は、スポーツの世界で典型的にみられるように、数である。得点をどれだけとったか、打率やホームランがどれほどあるかということが決定的である。また、会社などでも、どれだけ収益をあげたか、これも金額であり、数である。
入試でも、得点で合格が決まり、敗北とはすなわち得点が少ないことである。
スポーツでも、入社、入試などのテストでも、わずか一点低ければ負けということになるし、不合格になる。勝った人と、負けた人の差が一点しかない、それでも、勝利したものは、大学入試であれば大学生となっていくし、スポーツでは、優勝となると、多大の名誉や報奨金なども伴う。しかし実際は、一点しか差がなく、気候や体調などほんの一時的なことでも決まったということも多い。
そうした得点をとるためには、生まれつきの能力が必要だし、健康も必要である。ベッドに寝ているような病人では、スポーツそのものがはじめからできないし、会社勤めも、勉強もわずかしかできないから大学入試もきわめて難しくなる。さらに天候とか体調など偶然的なこともかかわってくる。
しかし、キリスト教信仰の世界で、勝つということは、そうした「数」とはまったく異なる意味を持っている。わずか一点で決定的に勝利と敗北が決まったり、 天気や体調によって決まるというものでない。
それは、人間との戦いでなく、悪との戦いである。キリスト教にいう、勝つことがすべてというのは、悪との戦いに勝つことがすべてということである。
しかも、その勝利のためには、人間はただ信じる心があればよいというのである。私たちの生まれつきの能力や努力、健康や偶然、あるいは金の力といったものによらず、すでに勝負はついているというのであり、その勝利を得るためには、人間はただ、神を信じ、神を仰げば足りるというのである。
人間は、その内に働く、罪の力に負けていて、死んだも同然の状態になっている。
 罪の力とは、神の持っているような究極的な真実や正しさ、あるいは、愛ということに反するようにさせる力である。はじめからすでに敗北しているのであるがその中に主イエスが来てくださって、負けている者を新しく立ち上がらせ、本来は決して持つことのできない勝利を与えられるということである。
 キリスト教信仰の根本的な内容とは、罪の力に勝つことである。そして、それがすべてであるとすら言えよう。
 旧約聖書からすでにそのことは、重要な内容となっている。アダムとエバの物語は、罪の力に敗北した人間の根源的な姿が表されている。また、モーセが受けた十戒という神からの戒めは、罪の力に負けないようにとの戒めであると言える。偶像崇拝してはいけない、というのも、真実と愛に満ちた神以外のものを大切にするとは、すなわち悪に負けることであるし、安息日を守れというのも、それによって悪の力に負けないようにするためである。
 しかし、十戒のような戒めをいくら繰り返し言われても、悪の力に勝つことはできない。預言者がいくら警告しても民は聞き入れなかった。そのゆえに、神はキリストを地上に送ったのであった。キリストは、人間を罪の力に勝たしめるために送られてきたお方であった。
キリストは罪の力に勝利したお方であるということは、死にも勝利したということになる。

…死はすべての人に及んだ。すべての人が罪を犯したからである。(ローマの信徒への手紙五・12より)

多くの場合、人は死ということを、肉体の死とだけ考えて、罪と何の関係もないことと思っている。けれども、使徒パウロは、人間にとって死という最大の暗い出来事は、実は罪の結果なのだと示されていた。これは驚くべき洞察である。死はごく自然な現象として自然界には、至るところに見られる。人間に限らず、動植物全般にわたって、死ということがある。それは罪となんの関係もないように思われるからである。
しかし、そうした表面的な見方と全くことなる見方をパウロは神から示されていたのである。
そこから、キリストは罪の結果である死に対しても勝利したのだということが弟子たちにも次第に明らかになってきた。
罪の力(悪の力)と死の力に勝ったキリスト、そのキリストを信じることによって、私たちもその勝利を受けることができる。
この二つに勝つならば、私たちはどんなことが降りかかってきてもそれに負けずに勝利する道が開かれていると言えよう。
それゆえに、ヨハネ福音書において、キリストがとらわれる直前の夕食の時に述べた最後の言葉が、
「勇気を出せ、私はすでに世に勝っている。」
(ヨハネ福音書十六・33)
ということであった。ここで言われている「世」とは、この世であり、この世を支配しているかのように見える悪の力を指している。神などいないとするこの世の霊的な力に勝利しているということなのである。それは、イエスを殺そうとするような力にもすでに勝利しているということであった。だからこそ、十字架上で殺されるという最も敗北のようなことのただなかに、勝利が得られたのである。
私たちを打ち負かそうと押し寄せてくるこの世の力、闇の力そして死の力に対して、自分の考えや意志の力では到底勝利などできない。科学技術がいかに発達したからといってもそうしたものに勝つ力とか方法は全く与えることはできない。それは人間を超えた力によって初めて勝利ということが視線に入ってくる。
さらに聖書の最後の書物である、黙示録というのも、その内容は要するに、悪の力との戦いにおいて、最終的に神が勝つということがテーマとなっていると言えよう。

…世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。 (Tヨハネ五・5)

まことに、キリスト教とは「勝つ」ことがすべてなのである。


st07_m2.gif受け身に生きる

聖書を読んでいると、気付くのは受け身の生き方が目立つということである。聖書やキリストのことを知るまでは、自分で主体的に能動的に生きることが一番よいというように思わされてきた。自分で考え、自分で行動するのが何より大切なのだというようにである。
しかし、聖書では、自分で考えるとか自分で主体的に生きるということが、いかにもろいかをすぐに教えられる。聖書の最初に置かれている書、創世記には、アダムとエバの話が出てくる。神の最善の戒めに背いたのは、自分の考えに従ったからである。このくらい背いてもよいだろう、といった考えは自分で判断したのである。ヘビにそそのかされたことがきっかけであるが、そそのかされたとき、自分で考えた上で、神に背くことを選んだのであった。
ここでも、自分で主体的に考えて行動するということが、いかに誤りを含んでいるかが示されている。
これは特にパウロの書簡でも示されている。

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ…(ロマ書一・1)

使徒パウロは、自分のことを現代の我々からみると驚くべきような言葉で表している。
僕と訳されている原語とは、奴隷のことである。奴隷はまったく受け身で生きる。自分で考え、自分で行動などしていたら、厳しい取り扱いをうけるか売り飛ばされてしまい、生きられないからであった。
命じられるままに、行動する、これが奴隷なのである。
また、次には「選び出された」という言葉も同様であって、自分の意志で使徒になったのでない、そのような特別な職務にはとても自分の意志ではできないという意識がある。理由は分からないがとにかく全能の神が深い理由によって自分を選んで下さったという、神への深い畏れを伴う感謝の心がここには感じられる。
かつてキリスト者を迫害して殺すことまでしたような人間であるのに、なにゆえに、自分がとくに福音を伝えるという重要な職務に選び出されたのか、それは全く分からない。わかるのは、ただ、神の全能とその全能の神がすべてを知っておられるのに、それでも自分を選んで下さったということへの深い感謝の念なのである。それはかつての自分の重い罪を赦して下さったのでなければ選ばれることはあり得ない。あのような自分をも赦し受け入れて下さったということを深く実感させるものである。こんな自分をも選んで下さったという深い感謝の念がここには現れている。
つぎに、「召されて」という言葉である。これは、原語では、「呼ばれた」(*)というごくふつうの言葉である。英語でいえば、called であり、どこにでも聞かれる言葉であるが、日本語訳のように、「召された」などというと、日常ではほとんど使われない言葉になってくる。要するに、神あるいは、キリストから呼び出されたということなのである。
また、「使徒」という語も、原語では、「遣わされた者」(**)という意味であって、これもまた、受け身の意味を持っている言葉である。

(*)ギリシャ語では、クレートス(kletos)という言葉で、「カレオー kaleo(呼ぶ)」という語から作られた言葉で、「呼ばれた」という意味で受け身の意味を持っている。
(**)この語の原語は、apostolos といい、「遣わす、派遣する」(アポステロー)apostello という語から作られた言葉で、「遣わされた者」という意味になる。

こう見てくると、使徒パウロは自分のことを、つねに受け身の存在として深く感じていたのが分かってくる。キリストに敵対していた自分を愛し、十字架によって救って下さった、なんと自分は神に愛されている存在なのかという実感が感じられる。
このような、受け身のあり方は、聖書には基本的なあり方なのである。聖書の一番最初の書物である、創世記で最も重要な人物はアブラハムである。そのアブラハムの信仰のあり方がのちの聖書に記された信仰のあり方の基本となっているほどであり、それゆえに「信仰の父」と言われる。そのアブラハムも、やはり自分の意志でそのような信仰の先達となったのでなく、まず、神がアブラハムを呼び出し、その呼びかけに応えて神の導きに身を委ねたことが出発点にあった。パウロと同様に、神から「呼び出された」経験がもとになっているのである。そしてその後もいろいろと失敗もあり、人間的な考えにとらわれたこともあったが、その都度、神からの呼びかけによって立ち直っていった。
モーセも同様で、初めは自分で同胞の苦難を救おうとしたが、かえって殺されそうになり、遠くの地まで命からがら逃げて行った。そのところで、結婚し、子供も生れて、羊飼いの平和な生活を送っていたとき、モーセは神から呼び出されたのであった。モーセが自分で考えてエジプトから奴隷のように扱われている同胞の苦しみを救おうとしたのではなかった。そんなことは考えることもできない不可能なことであったからである。
そうした羊飼いという生活の中において、神からの呼び出しをうけたことが、彼の生涯にとって決定的なことになったし、彼の同胞にとってものちの世界の歴史にとってもきわめて重大な影響をもたらすことになった また、旧約聖書に見られるが、戦いは主の戦いであり、主が戦われるということが重要な真理であった。

モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。
(出エジプト記十七・11)

これも、ふつうの戦いとまったく異なるものである。普通の戦争は、自分の武力に頼んで先制攻撃を加えようとする。太平洋戦争でもそうであった。しかし、この出エジプト記の例では、モーセは武力や兵士の数に頼んで攻撃するのでなく、モーセはただ神に祈り続けるだけであった。手を上げているとは、神に必死に祈るその姿を象徴的にあらわしている。神が戦い、勝って下さるのを待つばかりなのである。ここにも受け身がある。戦いすらも、本質的に受け身なのである。
このように、受け身の生活はよくないとか、つまらないと思っているのは、大きなまちがいであって、世界の決定的な重要な出来事も実はこのように、自分以外のところからの呼びかけを聞き取ることにあった。

主イエスのような方ですら、自分では何もできないと言われた。

…イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子(イエスのこと)は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。」…
わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。(ヨハネ福音書五章より)

このように、二回も繰り返して、主イエスは自分からでは何事もできないと強調されている。ここにも受け身の生こそ、究極的なものであることが示されている。主イエスは、
「私は道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ十四・6)
と言われた。主イエスが真理そのものであるが、それは完全に神に対して受け身であり、神からの真理や命がすべて流れ込むようになっていたからであった。神の真理や命は神ご自身のものであるから、当然、力も含まれている。受け身というとなにか、弱々しいものを連想する人があるであろうが、それは全く逆なのである。
主イエスがいかに敵対する人が取り巻いても、また十字架に架けられるという事態になっても、なお、周囲のものが驚くほど沈黙を守り、泰然自若としておられたのは、周囲の人々の敵対心に対しても動揺させられない力を持っておられたからであり、それは神に対して完全に受け身であったゆえに神の力が注がれていたからであった。
主イエスは「私はすでに世に勝っている」と言われたが、私たちはただそれを信じるだけで、その勝利にあずかることができるのである。
信仰を持って生きるとは、神に導かれて生きるということである。自分の意志で切り開いていくというのではない。「自分の意志で道を切り開いていく」というと、聞こえはよいが、実際には、至るところで切り開けない状況に直面して、だれかの助けを与えられるのを待つしかない。
自然の風物はなぜあのように、美しいのか、なぜ人間とは全くことなる純粋さを持ち、それゆえに一層の美しさを保っているのか。それは、自然の風物が、人間の前に提示され、人間が受け身になって、それら神のわざを受け取ろうとするかどうかが問われているのである。
虫が美しい声で歌っている、私たちが受け身の心になって、それに対して心を開くと自然にそれは心に流れ込んでくる。神ご自身の作品である、大空や星、山々やその渓谷の美しさ、雄大さ、あるいは野草の繊細な美しさ、などなどすべては、神がすでに創造されてあり、私たちの眼前に繰り広げられている。ただ私たちはそれを心を空しくして受け入れるだけでよいのである。自分で作り出して味わうことなど不要なのである。
福音書の最初のところで、本当の幸いについて記されている。それは、「心の貧しいものこそ、幸いだ」(マタイ福音書五章)というのである。心の貧しいということは、すなわち、心になにも自慢や誇り、金や能力など、頼むものを持っていない状態であり、神に対して全くの受け身の心を指している。そのような心にこそ、神の国が与えられるという約束である。
そして、私たちの日々の生活も自分の意志や努力で切り開いていく必要はなく、主によって導かれるままに生きていくことが求められている。信仰を持って生きるとは、大いなる御手によって導かれて生きるという受け身の生なのである。
そして私たちの肉体の命が終わるときには、神によって復活させて下さることが約束されている。復活ということなど、まったく人間の力とか意志、金やいかなる権力によってもできない。それはただ、神がしてくださることであり、それを待ち望むことだけが私たちにできることであり、そうした受け身の姿勢だけが必要とされているのである。
自分の力に頼って生きること、それは、主体的に生きるとか言ってこの世のほとんどの人たちがそれこそが一番よい生き方なのだと思っているが、それは実に危ないし、不安や心配に満ちた道である。自分そのものがいかに頼りない存在か、いったん事故や難しい病気になったりするとたちまち自分の意志や働きなどきわめて限定されてしまうからである。
神に対して受け身に生きるという、弱いように見える生き方が実は最も強い力を発揮する生き方であるのは、歴史を見ても、また本当にキリスト信仰に生きた人をみてもその強さがわかる。それは神の力がそこに注がれるからである。


st07_m2.gif語りかける神 創世記三十四章より

旧約聖書のなかには、どうしてこんな内容が載っているのかと、不思議に思われる箇所がときどきある。数千年も昔に書かれたものだから、現在の基準で考えてはいけないことは当然だが、それにしてもなぜ、こんな記事がわざわざ残されてきたのかと読む者にとって不可解な内容がある。
創世記の三十四章のような記事もその内の一つである。なぜこのような事件が生じたのか、それは、ディナというヤコブの娘が、その土地の娘に会うために出かけたということであった。そのような単純なことから、大きな事件となってしまった。その土地のヒビ人のシケムという男が彼女を辱めた。そのような事態になって、どう解決するのか、どのようにしたのが最もよい道なのか、ヤコブもはっきりとは示されなかったし、動揺のために祈ることもできなかったようである。ヤコブはただ事態を見守るだけのようであった。しかし、ヤコブの息子たち、とくに二人の子供、シメオンとレビは、激しく怒って、復讐を計画した。ちょうど、シケムと父親がディナを嫁にもらいたいとの申し出をしてきた。シケムたちは、どんな高額の結納金でも出す、贈り物も差し出すと言って、ヤコブたちを金品で引き込もうとした。もし、ヤコブや息子たちが、そのような物質的なことに惑わされていたらそのまま彼らの言うままにして、ヤコブたちの一族はヒビ人と合体してしまっただろう。
ヤコブや、息子のシメオンとレビは、そうした誘惑には負けなかったが、彼らがとった方法は、決して神に選ばれた者のすることではなかった。彼らはシケムとその父親をだまして、その求めに応じるといい、そのかわりに、シケムの属するその土地の人全部が、全員割礼をせよといったのであった。それは、割礼を受けさせてから婚姻関係を結ぶためではなく、その後で襲撃して復讐するためであった。
シケムたちはだまされて、その要求に従った。ヤコブの息子、シメオンとレビは、 正しいことに反することをしたから、それに対する義憤と、人間的な復讐の感情が入り交じっていた。そして復讐の感情が聖なる契約のしるしであったはずの割礼を、欺くという悪に用いてしまった。彼らが全く物質的なことへの欲望から自由になっていなかったのは、ヒビ人たちを襲ったときに、シケムとその父親を殺しただけでなく、町中を略奪してヒツジ、牛、ろばなどみんな奪い取ったということに現れている。こうした暴虐のゆえに、後になって、ヤコブは彼らの行動を強く非難して、彼らに神の裁きが下ることを預言している。

…シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。 わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。
わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。
呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。(創世記四十九・5-7)

実際に、後の歴史において、シメオンは、シケムの土地から追い出され、カナン地方では最も砂漠で人が住めないような、ユダの南部が割り当てられ、レビは定住の場を持つことがなくなったのである。
この事件は忌まわしい事件であって、読む者を不快な気持ちにさせるものである。本来は、ヤコブと息子たちが、シケムとその親に対して、毅然たる態度で臨み、彼らに厳重に抗議し、謝罪を要求すべきであった。そうした正しい道をとらなかったがあえてこのような内容が聖書に記されているのはなぜか。
それは、彼らの罪ですらも、神は結果的にそれを用いて、ヤコブ一族が土地の人たちと混血して、偶像崇拝をするようになり、部族としても消えていくことから守られるということにされたのであった。
ヒビ人たちは、多額の金や物をヤコブ一族に与えるといったが、それはそのうちに、すべて自分たちのものになると考えていたのであり、自分たちと同化してしまうと考えていたからである。(二十三節)
神は、人間が大きい罪を犯しても、それをもご自身の御計画に用いていかれる。罪を犯したものは、裁かれる。しかし、いかなることが生じようとも、神の全体としての計画は揺るぐことなく進んでいくのだということがここには示されているのである。
こうしたヤコブの弱さのただなかに、神は語りかけて下さった。それが三十五章にある。

…神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」(創世記三十五・1)

この短い言葉、「神は○○に言われた」ということが、創世記の重要な内容でもある。人間はカインのことでもわかるように、はじめから罪深い存在である。いつも真実なものに背き、離れていく傾向がある。しかし、そのような罪深い人間に、たえず神が語りかけるということが、大いなる光となっている。この混乱と汚れた世界のただなかにあって、神が私たちの魂に語りかけるという事実、それは奇跡として感じられる。人間の声、不信実な言葉や事件が横行するただなかにあって、それらと全くことなる世界からの語りかけがある。
箱船で知られているノアにしても、周囲の人々の状況はつぎのようであった。

…主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを見た…この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地上を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべての人は堕落の道を歩んでいた。
(創世記六章より)
こうしたただなかではみんなその悪に染まってしまうと考えられるだろう。しかし、そのような悪に染まったただなかにおいて、神はノアに語りかけられた。
神はノアに言われた。「すべての人を終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。… 主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。…」(創世記六章、七章より)

この世では、悪は裁かれることもないと思っている人は実に多い。聖書で言われている神などいない、と考える人にとっては、裁きなどは存在しないことになるだろう。死んだらそれで終わりで、地獄も天国もなくみんな無になるというのが一番多くの人の漠然とした考え方だと言える。
しかし、悪は必ず裁かれる。 裁かれないように見える悪の力が世に満ちていると思われても、そのただ中に、神が語りかける。現在においても、さまざまの悪によってこの世はおびやかされ、真実に生きていくことができないように見える時がある。しかしそのようなどこにも神はいないと思われるようなただ中に神は語りかける。
ノアの後の時代、アブラハムやヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデなど、重要な人物は多くいる。彼らはみんな、何らかの悪意や敵意などのただなかで生きていた。もしそのような悪意ばかりしかないのなら、彼らもついに倒れてしまったであろう。預言者のうちで、最も力ある人の一人であったと思われる、エリヤという預言者ですらも、厳しい迫害に直面して、もう生きる気力をも失ってしまったこともあった。しかしそのような絶望的なほどに悪に追い詰められたときでも、そのただ中に、神が語りかけて、再びエリヤは力をうけて、自分に課せられた使命のために立ち上がることができたのである。(旧約聖書・列王記上十九章)
神の生きた語りかけ、それこそは創世記全体においても、とくに重要なテーマなのである。失敗や、罪、思いがけない事件、それらからの悲しみや苦しみ、そうしたすべてを主はご存じであって、そのような闇のただなかに神の語りかけが与えられる。ディナの事件は大きな闇である。ヤコブ一族を覆う暗い陰となった。しかし、そのような闇のなかに差し込む光があるということをこの記事は語っているのである。


st07_m2.gif神への讃美のために戻ってきた人

聖書には、旧約聖書から現在のハンセン病と思われる病気のことが記されている。ハンセン病はこの世で最も不幸な病気といわれ、また人間が認識した最初の病気であるともいわれる。すでに前二四〇〇年ころのエジプトのパピルス文書にハンセン病は記録されており、ペルシアでは前6世紀に知られ、インドや中国の古い文献にも記されているという。
当時は病原菌のことももちろんわからなかったので、現在のハンセン病以外の皮膚病も含まれていたと考えられる。
新約聖書のキリストの時代になっても、ハンセン病の人たちの状況の苦しみは非常なものであった。そうした恐ろしい苦しみ、それは肉体的にも、精神的にも耐えがたいものであったであろう。ハンセン病以外の皮膚病であれば、そのうちに治って、社会生活に戻ることもできたが、ハンセン病そのものに冒されていた場合には、汚れているとされ、治ることなく次第に病状は進行していく。家族からも社会からも放逐され、体も心も深く傷つき、そのゆえにこの世で最も不幸な病気と言われるほどであったと考えられる。
そうした恐ろしい闇のなかに放置された人たち、そこにはだれも何の救いの手もさしのべることはできなかった。世間の人たちと交際することすらできず、人のなかに入っていくこともできない状態であったからである。
そのような極限状態に置かれた人たちに、深い信頼を呼び起こしたお方が、主イエスであった。
それはつぎのような記事によってもうかがうことができる。

…イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。
ある村に入ると、らい病(*)を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、
声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。
イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・11〜19)

ハンセン病の人たちは、一般の人々との交際を禁じられていた。人混みのなかに出て行くこともできなかったようである。だからこそ、ここの記事にあるように、「遠くの方に立ち止まったまま」、大声で叫ばねばならなかったのである。

祭司が調べて、確かに発疹が皮膚に広がっているならば、その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。それはらい病である。…らい病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者だ。汚れた者だ」と叫ばねばならない。(旧約聖書・レビ記十三章8、45節など)

このように、ハンセン病がひどくなると、その苦しみに全身をさいなまれつつ、さらに、家族や周囲からも排斥され、どこにも安住の地はなくなる。そうした絶望的状態にあったにもかかわらず、すでに引用した十人のハンセン病者たちは、イエスはそのような状況から救い出すことができると確信していた。
そのような信仰はいったいどこから生じたのか。とても不思議なことである。主イエスのすぐ近くにいて、数々の教えを聞き、その奇跡を目の当たりにしてきた者たちであっても主イエスが絶大な力を持っていることがわからず、主イエスに信頼するどころか、ねたみや悪意を持ちはじめる者も多くいた。
弟子たちですら主イエスに対して、なかなか絶対の信頼を持つことができなかった。そういう中で、ほとんどだれからも注目されず、その存在すら無視されていたと思われるハンセン病の人たちがこのように全身でイエスへの信頼を表したのは驚くべきことであった。
信仰というのは、私たちが求めて与えられると言えるが、他方では本人がまったく思いもよらない場合でも一方的に与えられる場合もある。私自身はキリスト教という信仰を全く求めてはいなかった。しかし、神の不思議な導きによって、一冊の本から信仰が与えられた。
このハンセン病の人たちは、文字も読めず、主イエスがなさっている数々の奇跡も見ることもなく、またその教えを直接に聞いたこともなかったであろうと考えられる。外に出た人からの情報としてイエスという人がなにか、今までとは全く異なるお方であるという、直感が与えられたのであろう。それゆえに、人がたくさんいるにもかかわらず、遠くに立って、「声を張り上げて」叫んだのであろう。それまでの苦しみのすべてを、渾身の力をこめて、イエスへの叫びとなしたのであろう。周囲のものがどう思うか、邪魔者扱いにされるだろうとか、ほかのことはいっさいかえりみないで、ただ主イエスだけを、主イエスが持っていると信じられるその神の力と憐れみに全幅の信頼をおいて叫んだのであった。
当時は、意外なことに、ハンセン病だとされた人がいやされたかどうか、それは医者でなく、祭司が判断するのであった。しかもほかのいろいろの病気については、祭司がそのような判別をするのではない。それほど、ハンセン病というのは、宗教的な病であったのがわかる。祭司に見せるために行くとは、癒されたということである。彼らは、イエスが触れることも、手をおいて祈ることもしないのに、癒されるのだろうかと信じがたい思いがあったのではないか。しかし、そうした疑いの念を超えて、彼らは、主イエスの言葉を信じた。ほかのいかなる者に対しても持ったことがないような、絶対の信頼をイエスに置いていた。そのゆえに、彼らはそのイエスの言葉の通りに、まだ治ってはいないがともかく、祭司のところへ行こうと歩き始めた。治ってないのに、祭司のところに行ってどうなるか、祭司に追い返されるのではないか、なぜ、イエスはまず病気を治した上で祭司のところへ行けと言ってくれなかったのだろうか、などなど、さまざまの思いが生じてきただろう。
 しかし、それら一切の揺れ動く心に、主イエスへの信頼が打ち勝った。
 そしてそのような主イエスへの無条件的な信頼こそが、求められていることであった。
 彼らは、そうした信仰を持って祭司のところに歩いて行った。どれほどの時間を歩いただろうか。主イエスは彼らの信仰を見届けて、彼らは歩いていく途中でその病気を癒された。「あなた方の信仰があなた方を救った」ということが成就した。
 これは、思いがけない人が、だれも予想できないような、主イエスへの信仰を持つのだということが言われようとしている。文字が読めるかどうかとか学識や、社会的地位、それまでの罪があるかどうか、などそうしたことと一切関わりのない、主イエスへのまっすぐのまなざしがここでは重要なものとされているのがわかる。人間が追い詰められたとき、どこにその必死の気持ちを持っていくか、その方向が問われている。現在なにも苦しみもない、悠々と暮らしているといった人も、いつそうした追い詰められた状況に陥るか分からない。人間は自分でそれらを自由にはできないのである。そして、私たちの霊の目が清められるほどに、私たちの現状は、いろいろの意味で危険に満ちたものであって、私たちがそれぞれに力を込めて叫び、祈る相手を持っていることが必要なのが分かってくる。
 この聖書の箇所で、もう一つ言われている重要なことがある。それは、彼らは主イエスへの絶対の信頼を持つ者たちであったし、それほどの大きいいやしを受けたにもかかわらず、主イエスのところに戻ってきて、イエスに感謝を捧げたのは、わずかに一人であったということである。

…その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を讃美しながら戻ってきた。そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人であった。
そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・15〜19より)

少しまえには、大声で叫んで主イエスからの助けを求めた。どうか私たちを憐れんで下さい!という必死の叫びであったが、彼らの信仰によって癒されたこの人は、他の人たちがいやされたのを知ってもイエスに感謝のために戻ってくることはなかったが、この人だけは他の人たちとは逆にわざわざイエスのもとに戻り、大きな声で感謝したという。すべてに見捨てられていたゆえに、イエスに向かって必死の大声で、神からの救いをもとめ、それが与えられたとき、大声で神に感謝する…そうした光景を思い浮かべるとき、何ごとにつけ、全身で主イエスに表すという姿勢が見られる。いやしてもらうために叫ぶときは大声であっても、いやされたときは、そのうれしさのあまり何をしようか、どんな仕事ができるだろうか、今まで行けなかったところへ行こう、楽しみがたくさんある…などなどと自分の前途のことで心がいっぱいになってしまうことが多いであろう。
わざわざいやされたことを知って、喜びと感謝をもって主イエスのもとに戻ってきて、その感謝を全身で表したのは、ただ一人で、しかもその人は、当時のイスラエルの人たちから見下されていたサマリア人であった。
神の御心にかなったことは、人々の予想することとしばしば大きく食い違っているということの例である。
かつて、結核で苦しみ、死の恐怖にさいなまれ、家族からも捨てられたような人が多く療養所にいた。そうした困難な状況のもとで、信仰を真剣に求めた人が治って郷里に帰ると音信がない、それで遠いその人のところまで訪ねて行ったら、その人は信仰を全く捨てていた。とても残念であったと、私たちのかつての集会の代表者であった杣友(そまとも)豊市兄からも聞いたことがある。
ここで、主イエスがとくに言われているのは、神への感謝と讃美ということである。「大声で神を讃美しながら…」とある。神を讃美するということは、神様はすばらしい、とそのなされた働きのことを心から喜ぶことである。それがなかったら讃美などできない。そしてそのなされたことが、自分に対してなされたことであれば、神への讃美とともに喜びと感謝の心が伴う。神のなされた働きに無感覚であるほど、神への讃美や感謝は生れないのは当然のことである。
私たちが絶えず霊的に目覚めているならば、神のなされる働きに敏感となり、それが自分と関係のないことでなく、自分に絶えず関わっているということが感じられる。
使徒パウロが、つぎのようにのべているのは、やはり私たちにはともすれば神への感謝や讃美が乏しくなって逆に不満や不平が多くなりがちであるから、それを戒めているのがわかる。

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平安があなた方の心と考えを主イエスによって守ることになる。
(ピリピ 四・4〜7より)

だれでも子供のときから、人からなにかをもらったら「ありがとう」と言いなさいと教えられてきただろう。しかし、それは一種の礼儀として当然のことだと思うだけで、そこに喜びや本当の感謝の心がない場合でも、形式的にそう言うようになることもある。
感謝や喜びというのは、この聖書の箇所にあるように、長年の苦しい病気から開放をしてもらったというような特別な場合であっても、なお一時的な感情に終わって、その喜びを神に向かって表し、神への感謝を捧げるということに結びつかないことが多い。
たえず神に向かって感謝し、神を讃美するところに、神からも新しい祝福が注がれる道がある。このハンセン病の人のいやしの記事においても、いやされた喜びと感謝を神にささげ、イエスにひざまずいてそれを表したのは十人のうちの一人だけであったが、その人に対して主イエスは、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われた。直接にこうした力づける言葉、励ましの言葉を受けることができたのであった。
パウロがいろいろの箇所でこのように、感謝をこめて神に祈れといっているのも、そのように神への感謝や讃美をもってするとき、神からも絶えず新たな恵みと祝福が注がれてくるからである。すでに引用したピリピ書で「神の平安」が与えられて心が守られる、ということはそうした一例である。

ここで記されている十人のハンセン病が癒された人たちはその後どのような生活に移っていっただろうか。それは記されていないが、受けた恵みを大声で感謝し、神への讃美するために戻ってくる心が継続されるとき、主イエスからも絶えざる恵みが注がれていったと想像できる。しかし、自分が受けた恵みを神への感謝と讃美にあらわさないでそのままになっていくとき、神との生きた関わりは乏しくなり、上よりの祝福や恵みもまた乏しくなっていくことであろう。
私たちも日常生活において出逢う、さまざまの出来事をことあるたびに神のわざとして受け止め、神への感謝と讃美のために神のもとに立ち返るようでありたいと思う。
「神を讃美するために帰って来た者は他にいないのか」と主イエスは今も問うておられる。

(*)らい病、らい病人に関する訳語について。同じ新共同訳でも、最初に出版されたものは、「らい病」と訳されているが、現在発行されているものは、「重い皮膚病」となっている。これは、当時、この病気のなかには、現在のハンセン病(らい病)以外の皮膚病も含んでいたと考えられるからである。なお、一九九六年四月、「 らい予防法」 が廃止されると国・ 厚生省は公的に「 ハンセン病」 の病名に改めた。
レビ記にはその病気が治ったら祭司に見せて一定の清めの儀式をした後に、一般の人と同様な生活にもどれるとある。(旧約聖書・レビ記13〜14章) 治る場合もあるのがこの記事からうかがえるから、その場合にはハンセン病とは違った病気であったのがわかる。しかし、ハンセン病は、聖書の世界だけでなく、世界的にいかなる病気よりも恐れられ、中国でも天の刑罰をうけた病気などとまで言われたのも、その病気の恐ろしさにある。顔や手足の著しい変形や麻痺、さらに手足を切断せねばならなくなる場合もあり、患部がひどくなると、ひどい悪臭を生じたりということもあった。しかも昔は遺伝すると思われたりして、ハンセン病は、特別に恐れられ、忌み嫌われた病気であった。聖書に出てくるハンセン病患者は、こうした悲惨な状況に置かれた人であったと考えられる。新しい訳のように「重い皮膚病」と訳すると、なぜ、他にも重い病気は結核や心臓などの内臓や強い伝染性のペストなどいくらでも病気があり、それらはみんな重くなると耐えがたいものとなり、死に至るのに、どうして重い皮膚病だけがとくに聖書に出てくるのかが分からなくなる。今年十月発行の新改訳聖書の改訂版では、「らい病人」という言葉を使わず、原語のヘブル語のツァーラアトを用いて、「らい病人」は、「ツァラアトに冒された人」と訳が変えられた。しかし、これでは、一般の読者にとっては、何のことか分からない。各種の外国語訳聖書ではどうか、多数は、「らい病人」にあたる言葉を用いている。(leper(英語)、Aussatzige(ドイツ語) lepreux(フランス語)など。英語訳の一部には、「らい病」は、virulent skin-disease (悪性の皮膚病)と訳している New Jerusalem Bible 、 infectious skin disease (感染性の皮膚病)としている、New International Versionなどもある。)


st07_m2.gif休憩室

リンドウ
秋の山にて野草は多く咲き始める。そうしたなかでとくに多くの人たちに親しまれ、愛されてきたのは、リンドウではないかと思います。しかし、ほとんどの人にとっては、リンドウとは、花屋さんにあるリンドウで
あり、それが購入されて会場や家庭で飾られているリンドウではないかと思われます。
花屋で見られるのは、多くはエゾリンドウといって、北海道などに自生しているものです。多くの花をつけ、その飾られたところに秋を感じさせる、青い美しい花です。しかし、徳島の山でみかけるリンドウには、花屋さんでは見られないような素朴な美しさを感じさせられます。

宮沢賢治の、「銀河鉄道の夜」という作品の中に、次のような箇所があります。

…その小さなきれいな汽車は、空のすすきの風にひるがえる中を、天の川の水の中をどこまでもどこまでも走っていくのでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネラが窓の外を指さして言いました。
線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。…(「銀河鉄道の夜」岩波文庫255頁)

車窓から見えるものは数々あると思われるのに、とくに、このリンドウが記されているのは、それだけリンドウが山野に群生しているのが、著者にとってもきわめて印象的であったからだと思われます。
私にとっても、数十年昔の大学時代に、京都の郊外からずっと何日も山を登り始め、峠をいくつもいくつも越えて、だれもほとんど通らないような道をたどって、日本海に流れ込む由良川の源流地帯へと歩いていったとき、その川の岸辺のところどころに、小さいながらも澄みきった青さの花があり、それがリンドウでした。そのリンドウは、ワーズワースの「水仙」という詩のように、ふとしたときに思い出されて、その山の奥深い原生林帯を思い出すのです。
ほとんど人も訪れない京都府と福井県境付近の深い山中を流れる渓谷、そこはさながら別世界でした。それは信仰を与えられる少し前であってまだそうした自然を創造した神のことは知らなかったのですが、その人間の手の加えられていない自然そのものの渓谷の流れと付近の樹木、紅葉しかけた美しい葉、だれも斧を入れたことのないような原生林に深く心を動かされたのです。一日中十時間ほども歩き続けても一人も人間に出会うこともなかった深い山中にあって、その清い水の流れは、私の魂のなかに流れ込み、リンドウの深い青色は心のなかに彼方の世界を指し示すものとなって刻まれたのです。
そしてそれから一年あまりたって、人間の罪を赦し清めるキリストの十字架の意味を神は私に啓示されたのでした。
秋がめぐってくると、あのはるか遠い昔のリンドウと水の流れを思い出すのです。そしてあの遠くて長い山道は二度と歩けないけれども、神の国への道が示され、いのちの水の流れを与えられ、神の国に咲く花を知らされてきたことを思います。


st07_m2.gifことば

(166)楽(音楽)は、万物に通じる。…楽をさかんにするのは、人間の風や俗(態度や習わし)を変えるためであって、楽器の音を極めるためではない。
…楽は上下を一つにさせる。
…天地の気は流れてやまず、楽は万物を和同させる。
…仁は楽に近く、義は礼に近い…(司馬遷「史記」楽書第二より。世界文学体系 筑摩書房刊130〜131頁)

今から二千年あまり昔の中国の歴史家であった、司馬遷は音楽の深い意味についても語っている。楽とは単に一時の楽しみでなく、宇宙に流れているある霊的な本質を持っていることを言おうとしている。旧約聖書の詩編には、つぎのような詩があるが、それと共通したところがある。

話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。(詩編十九編より)

旧約聖書のこの詩を書いた著者は、いわば、霊の耳、魂の耳で聞き取る響き(音楽)がこの世界に流れているのを感じ取っていたのがうかがえる。
司馬遷も、楽は万物につうじるといって、霊的なものであると言う。
それゆえ、どのような音楽であるかによってそれがよいものであれば、人間を変える力を持っている。それは霊的なものであるから、さまざまの表面的な差別をおのずから感じなくさせる力をも持っている。それがここでいう、万物を和同させるということである。
「仁は楽に近し」、仁とは、現代の我々の言葉ではキリスト教でいう「愛」に近い意味を持っているが、それがどうして「楽」に近いのか、それは、音楽は霊的なものであり、万物を流れ、一つにするはたらきを持っているからである。怒りや憎しみは分裂させ、滅ぼそうと働くが、愛は敵対するものもその荒れた心をも一つにしようとする働きを持っており、こうした面で共通していると言える。
キリスト教では、音楽は不可欠なものとなっている。世界中でおびただしい音楽がキリスト教礼拝や信仰の助けのために生み出されてきた。今も世界の至るところで神をたたえ、祈りを運ぶ音楽が響いている。私たちの心を神へと運び、神の国の賜物を私たちの心に注ぎ入れる働きをしつつある。そして本当に音楽がその適切な働きをするときは、単にその人の一時の気分転換となるのでなく、司馬遷が言っているように、その人の精神を清め、その行動のあり方をも変えていく力を持っていると言えよう。
(167)もし、我々が人間の手中のなかにおちいり、人間の暴力によって苦難と死がふりかかってこようとも、「すべては神から来る」と我々は確信している。
神の意志と判断なしには、一羽のすずめでさえも地に落ちることはないからである。
この神こそは、この神に属する人々のために、また彼らが立ち向かおうとしている事柄のために、「最良のこと」あるいは、「役に立つこと」以外のことをすることはない。
我々はこの神の御手のなかにいる。だからこそ、「恐れてはならない」のである。
(ボンヘッファー (*)一日一章221頁 新教出版社刊)

どのような悪や困難が私たちにふりかかってきても、それらはすべて神の支配のなかにある。いかに私たちとしては理解できないようなことであっても、だからこそ、すべては神の御手のうちにあると信じる信仰が必要とされている。最終的には神がそうした悪そのものを滅ぼされるのだ、と信じてさまざまの出来事を見ることの必要性をこの言葉は語りかけている。

(*)ドイツのプロテスタントの牧師、神学者。精神病理学教授の子として生まれる。チュービンゲン、ベルリン両大学で学び、ニューヨークのユニオン神学校に留学、帰国後、ベルリン大学私講師、学生牧師、世界教会協議会役員などを歴任した。第二次世界大戦中はヒトラーのナチスに対する抵抗運動に加わった。一九四三年四月に逮捕され、二年程の投獄生活ののち、終戦直前の一九四五年四月九日に処刑された。獄中で多くの書簡や遺稿を残した
。(「日本大百科全書」による)

(168)私は彼がその双肩に負った大きな責任をいかにして果たしてきたか尋ねた。「それは全く簡単ですよ。神を讃美し、神に祈ることによってです。私はあらゆる試練に遇いました。しかし、神は常に真実であるということを知りました。…私たち自身のなかに、どんな善いことがありますか。私も無価値な人間です。しかし、そのような者であっても、キリストの名によって祈る私の祈りは聞かれるのです。大切なことは、主を信じる信仰と信頼です。…毎日聖書を読むことは、祈りにとって非常に大切な条件です。」と言って結んだ。 (「主はわが光」50頁 好本 督(ただす)(*)著 日本キリスト教団出版局)

(*)好本督(一八七八〜一九七三)は、日本盲人の父と言われた人。日本ライトハウスの創設者である岩橋武夫や、点字毎日の初代編集長の中村京太郎ら、多くのすぐれた盲人のキリスト者がいるが、好本だけは、別格の先覚者だと言われる。それほどに、日本の盲人の霊的な支えとなり、土台となる働きをした。例えば、日本盲人キリスト教伝道協議会の創設、点字毎日の設立、日本語の点字聖書の出版などがある。好本は、数々の困難な道を、神とキリストへの信仰と深い祈りによって導かれてその大きな働きをすることができた。


st07_m2.gif返舟だより

○八月に行われた、京都桂坂での近畿地区無教会・キリスト教集会に参加できなかった人に、一部の録音(CDに書き込んだもの)を差し上げましたが、そのなかでつぎのような感想を書いてこられた方がいました。

…自己紹介と特別讃美のCDをいただきましたが、この方々の心の内には主が住んで下さっているのだろうと思わされました。また、プレイズ&ワーシップの156番の「(聖霊の)油を絶やすことなく」という讃美を聞いて涙とともに自分のごうまんさに気付かされ一杯反省させられました。
音楽は病人の心とからだを癒す力があると日野原重明さんが言われていましたが、本当にこの156番の讃美によって疲れすぎていた体もストレスだらけの心も何か軽減した気になりました。また、このCDにより、信仰に基づいてしっかり立っている人の生き方を学ばせていただきました。…

・また、別の入院している方ですが、「祈りの友四国グループ集会のテープ御送付下さり、お礼を申します。私たちには何よりのテープ、何度でも、聞ける利点に、落ちている記憶力にもテープによるみ言葉の説き明かしが心に良く入ってきます。…」と書いてこられた方もいます。

・録音したものは、会場の霊的な雰囲気や実際の参加者たちとの生きた交わりもなく、一方的に聞くだけですが、それでも主が用いられるときには、録音した一本のテープやCDも必要な働きをすることがわかります。入院している人や、老齢化や病気のため自宅で過ごしている人たちにとって、録音したものによって、参加できない集会の内容と共に時には、霊的な雰囲気も受け取ることになるようです。
私たちは主が用いて下さるのを信じて、どんな小さなものであっても、何かを生み出し、それを主のまえに差し出す心で用いていくと、実際に主が意外なところでその志を用いて下さるのを実感することができます。

○去る十月の十一日(土)〜十三日(月)まで、偶数月の第二日曜日をはさんで、いつものように、阪神地方のいくつかの集会にてみ言葉を語る機会が与えられました。神戸市の夢野集会(上田宅)、大阪狭山聖書集会(宮田宅で、日曜日と月曜日の二回)、高槻集会(佐々木宅)、大阪府泉南市の川澄宅での家庭集会です。私たちの集会の三名の同行者とともに参加することができました。今回は、いつもの参加者の他に、山陰地方から初めての参加者がありました。その方は、ホームページやメールを通じて交わりが与えられるようになった、大学生で、神戸と大阪狭山での集会に参加されました。今回初めて会ったのですが、メールで何度か連絡を取ったり意見交換などして、ホームページも見ていたので、いろいろと話す機会ともなりました。このように、インターネットによって新たな交わりや働きが紹介されたり、学びの場となったりすることもあります。
2003/10

ひとみを守るように    2003/9

 旧約聖書には、神の示した正しい道に従えなかった人々がきびしく裁かれる状況がしばしば記されている。そうした印象によって旧約聖書の神は裁きの神であると漠然と思っていて、新約聖書で初めて愛の神としてのすがたが現れると思っている人が多い。しかし、すでに旧約聖書においても、神の愛は特別な表現で記されている。 

…主が、あなたたち(神の民)を略奪した国々に、こう言われる。
あなたたちに(危害を加えようと)触れる者は
わたしの目の瞳に触れる者だ。(ゼカリヤ書二・12)

人間は他人の苦しみや悲しみに対しては鈍感である。自分の親しい人、肉親であったら、その苦しみなどは身近に感じるが、それでも本人が感じている苦しみのごく一部に感じている程度であろう。身近な人であってもこういう状態であるから、どんな悲劇が新聞などで報じられていても、ほとんど何も感じないことが多いし、ときたま感じてもすぐに忘れてしまうというのが私たちの実体ではないだろうか。
しかし神は、どんな小さいことでも感じて下さる。神の愛の敏感さ、繊細さ、それは、私たちを目の瞳のように敏感に守って下さるほどのものだということが、記されている。瞳というのは、人間のからだのうちで、最も敏感に反応するところである。ほんのわずかのゴミでも、近づこうとするとただちにまぶたが閉じられて、瞳は守られる。
このように瞳はきわめて小さな攻撃にも守られているが、神がそのように敏感に私たちを守ってくださっているというのは、驚くべきことである。神の愛が人間の苦しみに対してとくに敏感に感じて守って下さるということが、このような箇所に見られる。
それは、この預言を受けた預言者自身の経験であっただろう。神の言葉を受けるということは、神の近くに引き上げられることであり、神のご性質をいっそうはっきりと示されることである。

主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけ
これを囲い、いたわり
御自分の瞳のように守られた。(申命記三十二・10)

このような繊細な愛のことは、すでに旧約聖書の古い時代、モーセが神から受けたと伝えられてきた文書(申命記)にも記されている。水や食物のない砂漠地帯において、最も必要であったのは、そのようなこまやかな神の配慮であり、守りであったのである。私たちも人生の荒野において、心を病むことがさまざまのところで生じているのを知っている。
けれども、もし、私たちがこうした心の奥深いところまで届くような愛を受けるならば、そのような心の病に陥らずにすむだろうし、そのような心の病も、瞳を守るような神の愛に触れるならいやされることであろう。
日本も、世界も現在の状況は、外見的にも、内的、精神的にも荒廃の中にある。
東京都知事が、T外務審議官の自宅に発火物をしかけられたことについて、T氏や、外務省の北朝鮮外交を批判して、「当たり前の話だ。良識ある国民の不満、怒りだ」などと公言した。北朝鮮は拉致という一種のテロをやっていると批判する一方で、気に入らないやり方をするものは、爆発物を仕掛けるというテロ行為をしても当然だというのは、もし、適当な機会があれば、自分もそれと同種のことをやるということになる。こんなひどいことを公然と言う危険な人物が、日本の首都の代表者だとは驚き入る。
二年前のアメリカの世界貿易センタービル爆破事件や、現在のパレスチナ紛争はまさに、こうした考え方によって双方が攻撃しあっているのである。
こうした考え方は、今に始まったことでなく、人間の攻撃的な本性のゆえに昔からどこにでもあった。子供が誰かにいやなことをされたから、仕返しをするというのと同様な考え方なのである。それが、規模が大きくなると、そのまま戦争の肯定になっていった。
相手が気に入らないことをやっているなら、武力で攻撃して殺しても当然だということになり、そのとき、関係のない一般市民が巻き添えになっても構わないという考えである。
私たちがそうした精神の荒野にあることを痛感するとき、今から数千年前に書かれた、この申命記の言葉に記されているような神の愛こそ、荒野をうるおすいのちの水となってくれる。


st07_m2.gif終わることなき希望  ヒルティの詩から

  これまでわたしは十分自分のために生き、
  その悲しみを味わいつくした。
  自分で造った家はくずれ落ち、
  そのあとから新しい家が建てられた。(*)

  永遠をめざして立てられた家、
  時間の流れによっても壊されない家、
  天の火はそこに燃え立ち、
  捧げ物の煙は 日ごとに立ちのぼる。

  神の怒りは解け―戸は開かれた―
  貧しき魂は解き放たれた!
  わたしの前途にはかぎりない希望と
  驚きに満ちた時とが続いている。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」上 九月一日の項より)
(*)以下の箇所の原文
Ein Haus,fur Ewigkeit gegrundet,
Das keine Zeitflut untergrabt,
Aus dem,von Himmelsglut entzundet,
Ein taglich Opfer auswarts strebt

Der Zorn ist aus− die Tur ist offen−
Die arme Seele ist befreit!
Vor mir liegt ein unendlich Hoffen,
Und eine wundervolle Zeit!

○この詩は、古い自分が滅び、そこから新しい人間とされたとき、その魂のうちになにが生じてくるのかを印象的に描いている。ヒルティ自身の長い生涯の実際の体験が背後にあるのを感じさせる。
 長く自分のために生きてきた、そうして築き上げたすべては崩れ落ちていった。それがすべて崩壊していくのは、当然のことであった。神に根ざしていないものは遅かれ、早かれ壊れていくものだからである。
 しかし、神を信じ、神に頼っているものには、その崩れ落ちたところから、新たな家が建てられていく。それは神ご自身がなさること、自我の崩れ去ったところに、新たな芽が出るように、神と結びついている魂には必ず新芽が萌え出ずる。
 そしてそこには自我の欲望の炎でなく、天来の火が燃え始める。そして自分に取り込むことでなく、神への捧げ物が日ごとになされていく。
 そのような変革をとげた魂は、神のさばきとは無縁のものとなる。狭い自分というなかに閉じこもっていた魂はようやく自由な世界、霊的な世界に羽ばたくようになる。
 前途にはもはや、闇や混乱がみえるのでなく、逆にどこまでも続く希望、永遠の世界へと通じている希望があり、この闇の世界のただなかにあっても、時の流れすら驚くべきものとなる。その時間の流れのなかで、驚くべきことが生じていくのを霊の目によって実感するゆえに。


st07_m2.gif謙遜について

傲慢とは、自分を力あるものとし、他人を見下すような態度であり、謙遜とは言葉使いとか態度がそのようでないことと思われている。しかし、単にそうした外に現れた態度だけをいうのでない。
自分が小さいと感じるのは、いろいろの能力が欠けていることで小さいと感じることもある。例えば、数学ができない、英語がわからないといったことから、自分はわずかの能力しかない、小さいものだと感じる。大人になっても、毎日の生活のなかで、自分自身の性格を変えられない、仕事ができない、思ったことが表現できないなど、いくらでも自分が小さいと感じることはある。ことに病気になると、それが苦しいものであるほど、自分が小さいことを痛切に感じさせられる。このように、この世にはだれにでもいろいろと苦しいこと、困難な問題が生じて、自分の力がないことを思い知らされることはたくさんある。
それにもかかわらず、人間は傲慢であるのはなぜだろう。自分が小さいと感じても、自分より小さいとか、劣ったと思われる人間にはすぐに傲慢になる。 それはやはり、本当に自分の小さいことがわかっていないことと、愛を持たないことにある。
小さな存在に対して見下すのでなく、慈しみをもって、またその小さな存在が支えられるようにと願う心をもっているなら、そこには傲慢な心は出てこない。
真の謙遜とは、神の前にどんなに自分が小さい存在であるかを実感するところにある。単に小さいと感じるだけでは、十分でない。その小さいと実感するにもかかわらず、その取るに足らない自分に、神が顧みて下さり、力を与えて励まして下さり、ともに歩んで下さることを知ることにある。
どんなに能力があり、仕事ができても、本当にだれに対してでも愛をもっているのか、生活の場において、正しいことがいつもできているのか、いうべきことを言い、言うべきでないことを言わないという基本的なこともできているのか、自分中心でなく、真理をまず第一に考えているのか、などといったことを考えるとき、私たちはそうした真実のあり方からははるかに遠く離れていること(罪)を感じる。
そうした罪を知って自分の小さいことを知り、そこに、罪の赦しという神からの力が注がれることを経験するとき、初めて私たちは本当の謙遜へと近づく。人間の心の最も奥深いところのできごとである罪ということを赦したり、取り除くことができるのは、どんなに権力があろうとも、金があろうともできないのであって、そうした罪を除くことこそ、人間を超えた力のはたらきである。それゆえ、そのような罪のゆるしを経験した者は、この世には、生まれつきの能力や金などどんな力も及ばない、神の力が存在することを知らされる。
キリストの弟子たちは、すべてを捨ててキリストに従ったし、三年の間、間近にキリストの言動、大いなる奇跡を目の当たりにしてきた。それでも、なお、キリストがもうじき十字架にかけられるという時であっても、だれが弟子たちのなかで、一番偉いのかとか、キリストが王となったときには、自分をあなたの右において下さいといった願いをするような、自分中心的な考えであった。だれが一番大きい存在なのかということを問題にする心は、小さいものを見下し、自分が他の者よりも大きいのだという意識にとらわれていることになる。
そして、ペテロはたとえイエスが殺されるようなことがあっても、従っていくと明言したのに、その直後のゲツセマネの園における祈りのときには、イエスと共に祈ることができず、ほかの弟子たちと共にみんな眠ってしまった。そのときの主イエスの祈りは、生涯のうちで最も真剣なものであって、苦しみもだえつつ祈り、そのときには血の汗がしたたり落ちたと記されているほどであった。
しかも、そのすぐあとに主イエスが捕らわれたときにはみんなが逃げてしまったこと、ペテロは三度もイエスを知らないと否定したことが書かれている。それは、どんなに人間が小さいか、を思い知らせることであった。
しかし、それだけで終わらなかった。そうした心に刺さる深い痛みを味わったあと、主イエスによる赦しを受け、そこから復活のキリストに出会い、さらに、そのキリストから命じられた通りに、みんなで祈っていたときに、大いなる力が上から注がれた。それは聖霊であった。この聖霊が与えられてはじめて弟子たちは本当の謙遜なものとせられていった。
パウロも、こうした本当の謙遜を知っていた代表的人物であった。

しかしわたしたちは、この宝(キリストの福音、真理)を土の器の中に持っている。
その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。(Uコリント四・7)

パウロは自分は土くれのようなものだと感じていた。それが「土の器」という言葉に表れている。しかしそのような小さい存在であるにもかかわらず、そこに計り知れない神の力が与えられているという確かな実感があった。
謙遜とは、英語で humility というが、この言葉は、ラテン語の humus に語源があり、これは、「土」を意味する。パウロは文字通り自分が土のごとき存在であることを感じていたのである。
「真の謙遜とは、自分以外のところから来ている力を実感することだ。」とヒルティは簡潔に述べているが(*)、たしかにそのように自分が小さいと感じ、そこに神からの力が与えられるという経験をすることで初めて私たちは謙遜ということを知る。
新約聖書のはじめのところで、主イエスの教えの最初にある、「心の貧しい者は幸いだ。天の国はかれらのものである。」ということもこの真の謙遜あるところに、天の国が与えられるという約束なのである。

(*)眠れぬ夜のために 第一部 9月6日の項


st07_m2.gif止むにやまれぬ心

現在、聴覚障害者が手話を用いることはごく自然なこととして、多くのひとたちや学校でも手話が学ばれている。しかしそれは最近二十年ほどのことで、それ以前は、手話といってもまだまだ奇異な目で見る人も多く、全国のろう学校でも、ほとんどすべてが手話を禁止していたのであった。私がろう学校の教育にかかわっていた当時、全国でわずかに数えるほどのろう学校が手話をろう教育のなかで取り入れていただけであった。手話を用いないで、唇の読み取りを重んじ、残されている聴力を補聴器を使って発声できるように訓練していく口話教育が全国のろう学校に浸透していた。
それは、ろう児に手話だけで教えると、正しい日本語が身につかない、言葉を発することができなくなる、残っている聴力を訓練しなくなる、補聴器をつけなくなるといった弊害が案じられてのことであった。確かに、幼いときから手話だけで教育して、発声の練習とか聞き取り、唇の動きで言葉を読み取る訓練などしないなら、ろうあ者の能力は相当制限されてしまうだろう。
しかし、ほとんど全国のろう学校で手話を全面禁止するようになったことで、ろうあ者には、楽しく会話するということが禁じられる結果となった。唇を凝視して、読み取ることは至難のわざで、そこにはリラックスして会話を楽しむといった雰囲気とはほどとおいものになる。たえず、読み取り間違いをしつつ、前後の文や発言から類推をしつつ、唇の動きを読み取っていかねばならない。それは非常に疲れることであり、そのような会話は到底たのしい会話とはなりえない。
発声や聴力の訓練、読み取りなどとともに、手話を併用していくのが正しいあり方であると私はじっさいにろう教育にかかわってはっきりと知らされたのである。
戦前において、全国のろう学校で、手話が禁じられていくなかで、ただ一つだけ手話の重要性を見抜いて、それをあくまで守り通したのが、大阪私立ろう学校であり、当時の高橋潔という校長であった。彼は、いかに周囲が口話教育へと全面的に移っても、自分が経験的に知った、手話の重要性を決して見失わなかった。それで、手話を重要視して教育でも用い続けたのであった。
その高橋潔は、キリスト者であって、彼のそうした信念は、キリスト教信仰に基づくものであったし、彼は、それだけでなく、人間として生きるためには、宗教教育が不可欠であるとしてそれを行ったのであった。高橋の宗教教育に関する考え方をつぎに引用する。

… 音楽の世界から絶縁された淋しい人生を明るく生きてきた、そうしてまた、生きていくであろうところの彼らろうあ者が淋しいこの世から再び明るい世界へと旅立つとき、すべての子等がかくあってほしい 。
身の障害を恨み、悲しむ心は露ほどもなく、まず、生きているということに感謝し、人生の終わりにおいて、悲しみの中にもなお、感謝と希望の心に満たされて皆と別れ、よりよき世界へと旅立つように、これが私のろう教育における宗教教育の念願なのでございます。
そうした大願望の止むにやまれぬ心から、あるいは、省令に反し、あるいは訓令に反きつつ、自己流の宗教教育を行ってまいりました。
宗教教育は、実にかくあらねばならない、またかくあるべしと指示されてなさるべきものに非ずして、あの子たちの持つ魂を尊重してそれをはぐくみ、育てんとする、止むにやまれぬ心からのものでなければならぬと信ずるものであります。(「手話は心」377頁〜 全日本ろうあ連盟発行)

高橋は「止むにやまれぬ心」というのを強調している。当時の文部省の省令や命令などに背いてでも、自分の内に起こってくる、止むにやまれぬ心からの動きを重んじたのであった。それが当時の日本全国の流れに逆らって手話をあくまで重要視し、また人間を超えた存在へと心を向けさせる宗教教育をなさしめたのであった。
また、生活の身近ななかからもつねに神の存在に触れるようにと心がけたのはつぎのような文からもうかがえる。

「…校庭に散るプラタナスの落葉もまた、私には尊い宗教教育の材料でした。…来年の春の新芽を立派に残して枝を離れ、安心して再びもとの土に帰るのです。家や世界を一つの樹木とするとき、お互いは一枚の葉でなければなりません、と。そこには実に意義ある人生を教えられ、不可思議な自然の妙味を知らされます。かくて、一枚の落葉も神の摂理、宇宙の神秘を教えるには十分であり…」(同354頁)

こうした身近な現象も何とかして万物の背後におられる存在を知らせたいという、止むにやまれぬ心を持つとき、よき宗教教育の材料となる。
キリスト教の長い歴史においても、つねにこの止むにやまれぬ心をもってキリストの福音をつたえようとする人たちがあとを断たなかった。それを新約聖書では、聖霊にうながされてのはたらきだと記している。聖霊が働くとき、人はそれがどのような結果をもたらすか、周囲から見下されるかといったことを超えて、自分でも止められないようなある力を内に感じ始める。そしてそのあとは、神がなさるという信頼の心も同時に生じてくる。
今も生きて働くキリスト、そして聖霊は神の御計画に従って、そうした止むにやまれぬ心を起こし、真理の福音を伝えるようにと働いているのである。


st07_m2.gif聖書の示す幸い

幸いとはどんなことか、それには多くの意見があるし、千差万別である。だれでもすぐに思い浮かべるのは、健康であり、お金であり、また家族の愛、安定した仕事、といったことだろう。それらは、子供から老人まで、おそらく圧倒的多数の人たちが思い浮かべることだと思われる。
じっさい、健康でなかったら、絶えず体に痛みや苦しみが続いていたら幸いだというような感情は到底生まれないだろう。その痛みがひどければひどいほど、日夜その苦しみでさいなまれるからである。
その苦しみを取り去ってほしい、何とかしてその痛みから抜け出したいという気持ちでいっぱいになり、他のことは思わないほどになるだろう。
家族の不和で悩むときには、それは日夜忘れることもできない。職場の問題ならそこを離れるときにはまだしもその重荷は軽くなる。しかし家庭の問題は深刻になるほど他人に話すこともできず、話してもどうにもならず、日夜忘れることはできないだろう。
それゆえ、家族が平和で暮らしているということもだれにとっても無条件的に幸いだと感じ、それを願うことになる。

こうしたわかりやすい幸いは不思議なほどに聖書では書かれていない。それは驚くべきことである。幸いなことという、だれにとっても当たり前と思われていることが、聖書では想像もできないような内容で示されているからである。

次の旧約聖書の詩編三十二編に表されている幸いということは、こうした聖書の見方をはっきりと示す箇所の一つである。(以下の詩編の訳文は、現代の各種外国語訳も参照して、現代の日本語としてすぐに分かる表現にした箇所がある。)


いかに幸いなことか。
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は!
いかに幸いなことか。
主に咎(とが)を数えられず、心にいつわりのない人は!(旧約聖書 詩編三十二・1〜2)

人間の幸いの最も根源的な内容は、人間の精神の最も奥深いところにある。もし、人の心の意識していないほどの奥底で、真実に反した思いや考えが潜んでいるとき、それはどこかで必ず現れるであろう。自分中心に考え、自分のことを第一にしてしまう言動となって現れる。そこから他人が自分を損なうようなことをしたらそれに怒り、不満や憎しみを感じたり、見下したりする。そうしたところには静かな平安はない。揺るがない心の平和はない。私たちの内から、いのちの水というべきものが溢れ出てくるには、私たちの魂の根源にて清められていなければならない。そこが濁っていたら、その濁りはつねに私たちの思いや行動に現れてきて、平安を乱すことになる。
聖書はこうした真理を深く見抜いている。それゆえに人間の魂の根底が清められることを第一に置いている。
この詩は、そうした作者の気持ちが数千年という時間を超えて伝わってくる。
本当の幸いとは、真実そのものであられる神に背く本性(罪)が変えられることだと知っていたのである。そのために、その罪が赦される(*)ことを幸いの根底にあることだと見抜いていた。
 この詩の冒頭にある、「いかに、幸いなことか!」と訳された原語は、アシュレーという言葉で、この言葉は、詩編全体のタイトルともなっている第一編の最初にも置かれている。詩編はこのアシュレーという言葉を全体のタイトルとしているとも言えるのであって、これは、「ああ!」とか、「おお!」のような感嘆詞の仲間で、「なんと幸いなことか!」という感動を表す表現である。
 この表現は、旧約聖書全体では、四十回ほど現れるが、詩編だけで、二十八回現れる。詩とは本来感動から生まれるものであるから、この言葉が多く用いられているのも当然であろう。詩編とは、ほかの国々の詩集にみられるような、たんに人間的な感情を表現したものでなく、神への信仰の中から生まれた深い感動が中心となっている。

(*)「(背きを)赦され」と訳されている原語(ナーサー)は、「上げる、取り去る、運ぶ」といった意味がもとの意味で、そこから罪を取り去る→罪を「赦す」という意味にも用いられている。「わたしは手を天に上げて誓う。『わたしの永遠の命にかけて…」(申命記三十二・40)において、「(手を)上げる」と訳されている原語が、ナーサーである。

私たちの心の奥にある、汚れや自分中心の本性、そうしたものが、取り去られるということは、人間のあらゆる幸いの根底を与えてくれることなのである。
私たちが、この詩がわからないというとき、それはこの詩が最も重要視している罪の重さということが、わからないからだと言えよう。それを深く感じるほどに、この詩が言おうとしていることが人間の根本問題なのだと感じられてくる。
私たちが、夕日や広大な海や、山々の美しさ、あるいは植物のさまざまの姿など、自然の世界に触れるとき、人間に触れるのとはどこか大きくことなったある感じ、または安らぎを感じるのは、それらが、罪というものを持っていないからである。
罪を取り去る、あるいは、罪を覆うという表現には、神は私たちのさまざまのよくないところをあえて見ようとせず、それが清められ、それを取り去ることに心を尽くして下さっているのを感じる。人間はその逆が多い。よいところがあっても、それが見えず、かえってよくないところを見ようとする。そこからさまざまの紛糾が生じてくる。

私は、罪を告白しなかった。そのため、私は苦しくて、一日中叫び続けて疲れ果ててしまった。(*)
昼も夜もあなたは私を罰し続けられた。
私の力はまったくなくなってしまった。
あたかも、夏の暑さによって水分が渇ききってしまうように。
そうした苦しみの後に、ようやく私は罪を告白した。
私は自分の悪しきことを隠さなかった。
罪をあなたに告白しようと思いを定めた。
そのとき、あなたはあらゆる私の罪を赦して下さった。

(*)この箇所は、新共同訳などの邦訳では「絶え間ない嘆きに骨まで朽ち果てた」というような訳文となっている。しかし、骨まで朽ち果てるというのは、地中に埋めた骨が長い年月によってくち果てるというような場合しか使われない表現であり、「嘆きによって骨までくち果てる」などということはあまりにも、誇張した表現と感じられる。数千年前のヘブライ人がこうした表現を使っていたとしても、現代の言葉としては意味不明になる。そのため、外国語訳にもよりわかりやすい表現にしてあるのもいろいろある。(RSV,NRSV,TEV,Living Bible,Einheits Ubersetzung,Truduction Oecumenique de la Bibleなど)下はその例であり、ここでの邦訳はその英語訳に従った。 When I did not confess my sins, I was worn out from crying all day long.
Day and night you punished me, Lord; my strength was completely drained, as moisture is dried up by the summer heat.
Then I confessed my sins to you; I did not conceal my wrongdoings. I decided to confess them to you, and you forgave all my sins.(Today's English Version)

自分に罪がないとして、自分が正しいのだと考えている間は、苦しみはなくなることがない。自分が正しい、という感じ方は、他者が間違っているとかそのゆえに、見下したりする。そうした間は、自分の罪は分からず、なぜ苦しいのかもわからない。しかし、時がきて自らの罪に気づき、そこからその罪の深さを知らされたとき、初めてそのどうすることもできない心の奥底にある罪を取り去って頂きたいと願うことになる。
他者の罪でなく、自分の罪に気付くこと、そこから私たちの本当の歩みが始まり、揺るがない幸いへの出発点となる。そのようにして神に罪を告白するとき、神は意外にもそうした長い間気付かなかった罪であるにもかかわらず、それらをすべて取り除き、それらをあえて見ないようにしてくださる。
ひとたび人間の根源の問題にまで下って行った者は、あらゆる表面的な幸いとは異なる幸いがそこにあるのに気付く。それが、この罪の赦しということなのである。

このようにして罪に気づき、その罪を赦された者は、強固な精神的な基盤を持つことになる。罪赦されるということは、神との結びつきが与えられるということであり、それは神の力が注がれることになる。ひとたびこの罪の赦しを経験した者は、人生の困難において、祈りという力の秘密を知らされたのである。
しかし、もし罪を認めず、自分を正しいとするかぎり、神との結びつきが回復されず、神からの力もまた注がれない。
私たちの力の根源とは、生まれつきの意志の強固さや決断力でもなく、また人生経験が多いということでもなく、読んだ書物の多さでもない。それは健康、病者、年齢や民族の違いとか時代などあらゆることとは違った、すべての人間の内部にある罪に気づき、それを赦されるということなのである。
ここに聖書の中心があるゆえに、パウロもその代表的な手紙でこの詩を引用している。

同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえている。
「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。
主から罪があると見なされない人は、幸いである。」(ローマの信徒への手紙四・6〜8)

そして、宗教改革者として広く知られている、ルターもまた、この詩をすべての詩編のなかで最もすぐれているいくつかの一つだといった。(ルターの卓上語録より)
 それらは、とくにパウロの手紙にはっきりと記されている、信仰による救い、罪の赦しの幸いを強調している詩であり、その第一にこの詩編32編をあげ、さらに51編、130編、143編をあげたという。(**)

(**)この詩はまた、アウグスチヌスが特別に愛した詩でもあり、彼の最後の病のときに、そのベッドの向かい合った壁にこの詩を書かせたという。 そしてこの詩は、古代のキリスト教会によって、七つの悔い改めの詩とされた中にも含まれている。ドイツの有名な旧約聖書注解(ATD)では、つぎのようにこの詩について述べている。
「この詩は神から逃れることのできない人間が自分の良心の苦闘と苦難について証しした詩のなかでは、その経験の直接的な力によって、最も力強いものの一つになっている。良心とはいかなるものであるかを感得させてくれる迫真の描写のうちに、この詩の特質と永続的な価値とが秘められている。」
 また、十九世紀の世界的な大説教家であった、スパージョンは、詩編に関して全三巻千五百ページにもなる書物(THE TREASURY OF DAVID )を書いたが、その注解において、この三十二編を、「すばらしく福音的 gloriously evangelic」と評している。

あなたの慈しみに生きる人は皆、
あなたを見いだした時、あなたに祈るべきなのである。
そうすれば、大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してない。
あなたこそ、わが隠れ場。
苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって、わたしを取り囲んでくださる。

罪を知り、その赦しを与えられて初めて、人は神との結びつきを与えられる。そして祈りによってその近くに感じられる神と語り、神からの力を与えられるようにと絶えず祈ることができるようになる。祈りの道がそこから開けてくる。
そうして困難のときに絶えず祈ることを忘れない者は、この世の大波が襲ってきても、打ち倒されない力を与えられる。罪赦されることからこのような生きた隠れ場を与えられ、安らぎの場が与えられる。こうして、かつては苦しみと他者への怒りや不満があり、世界もそうした暗いもので満ちていると感じていたのであるが、ここに至って、「救いの喜びをもって、私を取り囲んで下さっている」とまで、実感するようになる。
この作者は最初は、自分の内なる力がことごとく夏の太陽で水分が渇ききってしまうように、失せてしまったとの実感があった。なんと大きい変化であろうか。至るところ、砂漠の大地のように、渇ききっていのちも失われている世界から、神の慈しみが取り囲むと感じるほどにうるおいに満ちていると感じるのだから。
こうしたゆたかな神の恵みに目覚めた体験は、有名な詩編二十三編でもうかがうことができる。

主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。…
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。…
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。(詩編二十三編より)

この最後のところにある、「恵みと慈しみは私をいつも、追いかけてくる」という言葉は、いかにこの作者がゆたかな恵みを実感していたかがうかがえるものとなっている。かつては必死になって神の恵みや慈しみを求めても得られなかったのに、今では神の恵みや慈しみの方が私を追いかけてくるほどに、もはや神の恵みは失われることのない生活へと変えられたというのである。
神の慈しみが取り囲み、あるいは、追いかけてくるという、特別な表現は、神を信じる者の生活がどのようなところへと続いているかを指し示すものとなっている。御国への道、それはこのような祝福の道なのである。

神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

この詩の最後の部分で、再びこの作者は自分を取り囲む神の大いなる慈しみを強調し、そこからおのずから神への讃美となっている。神を讃美することこそ、人間の究極的な目的なのである。
私たちは、旧約聖書の詩の世界に触れることによって、神がどのような高さと深さにまで、私たちを導こうとされているかがうかがえる。あたかも彼方の、雪をいただいた高い峰を仰ぐように、私たちはこうした詩編に記されている世界を望み見る。今はそうした状況にはほど遠くても神はそのような祝福に取り囲まれた世界へと導いて下さると信じ、確たる希望を持つことができる。そうした希望はすでに与えられたと同様な喜ばしい気持ちにさせてくれるものである。そしてどうかそうした慈しみが取り囲む世界へと私たちを導きたまえと祈り願うようになる。

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st07_m2.gif祝福を求め続ける歩み ―ヤコブとエサウ

創世記に、ヤコブとエサウという兄弟の記述がある。私は子供のときにそれをふつうの小学生向けの月刊雑誌で物語として書いてあるのを読んだことがあった。子供向けの聖書物語にもこの内容はたいてい書かれている。それらは、単なる興味深い物語として読まれているようである。ここでは、このよく知られた物語が現代の私たちに何を告げようとしているのかを考えてみたい。
ヤコブは、かつて兄を欺いて長男の権利を奪い取ったことがあった。それを兄のエサウが怒って、ヤコブを殺そうとまで考えた。そのために、ヤコブは母親のいう通りに、遠い親戚のところまで逃げていき、しばらくのあいだそこで留まっていることになった。兄の怒りがとけるまでの少しの間というつもりであったが、滞在先の親族の者によって期間が引き延ばされ、二十年ほどもそこに留まることになった。そして時がきて、ようやく故郷に帰ることになった。そのとき、ヤコブの最も恐れたのは、兄のエサウが自分に対する怒りを持ち続けているかどうかであった。郷里が近づいたとき、兄が四百人もの人々を引き連れてヤコブのところに向かっているということを知らされた。それは何の目的なのか。砂漠のような乾燥地帯を、わざわざそのような多くの人間を伴って来るということは、単に自分を迎えるためでなく、自分のかつての欺きを今も憎んでいて自分たちを攻撃してくるためではないか、といった不安と恐れがヤコブにはたちまち生じてきた。それで、人間的に考えてそのような状況となっても、いずれかが助かるようにと、連れている人々を二組に分けた。
そうした上で、ヤコブは必死になって祈った。

「主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。
わたしは、あなたが私に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。
どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。
あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」(創世記三十二・10〜13より)

この祈りには、ヤコブの恐れと不安、そしてその中から神に必死で祈る姿がある。殺されるかも知れないという、彼の生涯での最大の危険が間近に迫っているときにヤコブがなしたことは、こうした真剣な祈りであった。その祈りのあとで、兄エサウへのたくさんの贈り物を準備した。それらは山羊やヒツジ、牛などたくさんの家畜たちであった。そのような多くの贈り物を準備して、近くの川を渡ったのであるが、ここでヤコブは不思議な行動をとっている。それは、そのような危険を前にして、わざわざすべての家族やヒツジや牛などきわめて多数の家畜たちなど持ち物をもすべて川を渡らせたが、わざわざ一人後に残った。それは何のためか、目前に迫った危険のなかで、一人だけで真剣に祈るためであったろう。
たくさんの財産や多くの家族、最愛の妻からも離れて、一人で神に向かった。そのような神に向かう姿に、主は応えられたのであった。それが、何者かが現れてヤコブと格闘をしたということである。もし、他の家族や従っている人々とともに眠っていたらこうした出来事は起こらなかった。
その者の正体が何であるか、組み打ちしているあいだに、ヤコブは徐々にわかってきたようである。それは、夜明けまで何時間もの長いあいだの格闘の後で、その何者かが、去っていこうとしたとき、ヤコブは「私を祝福してください。祝福して下さるまでは、離さない。」と強く求めたのである。もし、相手がただの人間ならば、このように必死になって「私を祝福して下さい!」と食い下がって願うことはあり得ない。早く行ってしまえ、と自分の方から追い出すだろう。このように考えるとこの何者かとは、神あるいは神の使いだとヤコブは直感していたのがうかがえる。
ヤコブの決してあきらめようとしない姿勢によって、その何者かは神ご自身がすがたを変えて現れたのだということがわかってきた。そしてその者は、名前をヤコブから、イスラエルに変えることを命じた。ここで初めてイスラエルという言葉が現れる。現在では国家または、民族の名前だとたいていの人が知っているが、もともとはこのように、ヤコブの祈りのなかでそれに応えて現れた神ご自身が、ヤコブに与えた新しい名前であった。
ヤコブの生涯においてこの川における、神との格闘は象徴的な意味を持つものであった。このとき、格闘をした相手(神)は、ヤコブの祝福を求める切実な懇願によって、祝福の約束を与えた。
このとき、神は「お前の名はヤコブでなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからである。」と言われた。人間と闘って勝つというのは分かりやすい。ヤコブは叔父からいろいろと約束を破られたり、欺かれたりした。しかしそうした試練に打ち勝って乗り越えてきたことである。しかし、神と闘って勝ったとはどういうことか。本来、万能の神とたたかって勝つなどということはありえない。ここでは、神の与えたさまざまの試練をも信仰によって乗り越えることができたことを象徴している。ヤコブは、決して模範的な人間ではなかった。しかし彼はどんなことがあっても、あきらめずに求め続けた。
20数年前に、両親のところから逃げていくとき、途中で現れた神からの啓示によって、この世界の背後には神がおられて、導かれているのだとはっきりと知って以来、困難なときには神に祈り、助けを乞う姿勢があったと思われる。それは夜中に現れた何者か、それは神的な存在だと直感したヤコブが祝福を与えられるまで決して離そうとしなかったところにもみられる。
こうしたことが、「神と闘って勝った」という表現で記されている。
しかし、このような神からの祝福を受けるということは、何らかの痛みを受けることを伴う。それが「腿を痛めて足を引きずっていた」という記述で表されている。キリスト以降では、書いたものが、聖書にたくさん収められるほどに大いなる祝福を受けた使徒パウロは、数々の迫害を受けて苦しんだし、そのうえ、繰り返し必死で祈らずにはいられないような、身体の病気をも持っていた。神からの祝福を多く受けるということは、こうした何らかの痛みをひきずっていくことと結びついているのは、歴史における大きな働きをしたキリスト者や、書物、あるいは私たちの周囲にも多く見いだすことができる。
ヤコブが大きな戦いをしたあと、「太陽は彼の上に昇った」と記されている。これも、数々の試練、困難に信仰をもって打ち勝った者の上には、神の光が射すようになるのだということを象徴的に表しているのが感じられる。
このようにヤコブの祈りは二つに分けて記されている。その一つははじめにあげた祈りであり、もう一つがヤボクの渡しでの何者かとの格闘であった。そのことから、ヤコブはようやく神からの励ましを受けて、自ら先頭に進んでいくことができた。そして可能な限りの敬意を示して、エサウに向かって行った。エサウも、四百人もの多勢の人間を引き連れてくるということは、単なる歓迎ではなかった。通常の考え方からいうと、それは攻撃と受け取らざるをえなかった。それゆえ、ヤコブは非常な恐れを感じたのであった。もしかしたら、攻撃をうけて、殺され、家族も財産もうばわれるかもしれないという極度のおそれがあった。
エサウにしても、自分の弱点に乗じて欺いたヤコブを、かつては殺そうと考えたほどであり、そのヤコブは以来まったく音信もなく、赦せないという気持ちが残っていたであろう。もしも、ヤコブが威圧的な態度を取るならば、攻撃も辞さないということから、四百人もの多勢を引き連れてきたと考えられる。
しかし、ヤコブはそうした窮地にたって、可能な唯一のこと、必死に祈ることをした。それは、わざわざ深夜に、家族やすべてのものを先に川を渡らせて、自分だけ一人で残って祈ったことで現れている。家族とともにわたり、そこで一人テントの外に出て祈ることもできたのである。ここに、このときのヤコブの祈りの真剣さがうかがえるし、じっさいその真剣さに応えて、神が現れ、霊的な試練を与え、ヤコブの祈りが自分の力でなく、ひたすら神の祝福を願う心を確認することになった。そして祝福を与えた。
この祝福とは、直接的には、目前に迫っている、命が関わるような危険から守られることであった。 その祈りの結果、祝福を与えられた。その祝福の内容はまず、困難に立ち向かう力が与えられたことであった。 ヤコブはそれまで恐れおののいていたにもかかわらず、自分から先立ってその危険と思われていたエサウに向かっていくことができたし、そこで、エサウもそれまでのまったくの未知数であったヤコブの気持ちがはっきりとして、ヤコブへの全面的な好意となった。 ヤコブの真剣な祈りと粘り強く神からの祝福を求める姿勢によって、エサウの心も変えられたと考えられる。
エサウは、ヤコブを見ると「走ってきて、ヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口づけし、共に泣いた」と記されている。それは、新約聖書のルカ福音書で、主イエスの放蕩息子のたとえで、長いあいだ行方不明であった放蕩息子をむかえる父親の描写ととてもよく似ていて、主イエスはこのエサウの態度を用いたのではないかと思われるほどであり、心広くあたたかい出迎えであった。
ヤコブが数百頭もの家畜をエサウに差し出したいと言っても、エサウは驚くことに、「自分はたくさん持っているから、それらすべてはお前が持っていてよい」と言って、かつて自分を欺いて長男の権利を奪った弟であるのに、そうした過去のことはいっさい触れることなく、ヤコブが持参したものまで、受け取らずともよいといったのである。ヤコブがそれでも強いて受け取って下さいと願ったのでようやくエサウはそれを受け取った。さらに、エサウは自分が先導してやろうと言ったし、それに対してヤコブがそれには及ばないこと、自分は多くの家畜を引き連れているからと辞退すると、エサウは、それに気を悪くすることなく、「では、私が連れてきた者たちのうちの何人かをお前のところに付けて残してあげよう」とまで言ったのである。ここには、全面的な好意以外のなにも見られない。このような過去にこだわらず、かつて自分を欺いた者に対してもすべてを赦し、好意だけを注ぐというエサウの態度は、ヤコブの祈りによって神がそのように変えられたということも考えられるが、ひとたび、ヤコブが自分に好意的でかつてのような欺く態度をまったく持っていないことがわかると直ちに態度を好意的に変える、性格的にこうしたこだわらない性格であったと考えられる。
主イエスが放蕩息子の父の姿にこのエサウの態度を用いたとも受け取られるほどに、エサウはここで好感のもてる人物として描かれている。人間的には、ヤコブよりもずっと付き合いやすい相手であったと思われるほどである。
しかし、それでもなお、神はエサウにその特別な祝福を与えず、ヤコブに特別な祝福を与えたのであった。ここに、神の祝福が人間の予想や人間的に素直だとか、あっさりしているとか、やさしいといったような性格的な長所といったことを基にして与えられるのではないことがうかがえる。
ヤコブにはいろいろと欠点もあった、人間的な考えによって事を運んでいく抜け目のない態度もあった。しかし、それでも彼の特質は、困難なときに神に立ち返ることであった。神に祈り、神にすがろうとすることであった。
そうした特質も、神から与えられた。自分が兄を欺いたために、殺されそうになって遠くまで逃げているその途中で、神はとくにヤコブに現れて天に通じる階段とそこを上り下りする天使を見るという特別な体験が与えられた。
これはヤコブにとって、以後の生涯を神への信仰に生きるということにつながった決定的な体験であった。それはヤコブがなにかよいことをしたからでも、性格的によかったからでもなかった。逆に、ヤコブは自分の行動のゆえに、兄に憎まれて逃げていくところであって何もそこにはよいところはなかった。しかし神はそうしたヤコブを選んで、とくに神の国を見させたのであった。
それ以来、ヤコブは自分を導くものは、神であることを知らされた。そしてその神に祈る姿勢をずっと持ち続けることができ、エサウとの対面のときに考えられた危険においても、その祈りを第一にした。まさにそのことが、神の祝福を受けているしるしなのであった。
神の祝福は人間のあらゆる予想を超えたところで、神の一方的な選びによって行われるということを、このエサウとヤコブの記事は伝えようとしているのである。
ある人が神を信じ、キリストを信じることができるようになったということは、その人がとくにまじめであったからとか、何かに優れていたからでもなく、ただ一方的な神の選びによる。人間のあらゆる計画をも超えて働く神の御計画によって、人は神に呼び出され、神に導かれ、そして神の言葉を担うものとされていくのである。


st07_m2.gifことば

(164)…そしてこの信仰をもって私は出かけていき、絶望の山に希望のトンネルを掘ろうと思う。(「マルチン・ルーサー・キング 説教・講演集」90頁 新教出版社)

・前途に立ちふさがる絶望の山、それはキング牧師の時代だけでなく、はるかな古代から現代に至るまで、どこにでも見られる。そうした絶望の山を前にしてそこから前に進めなくなることは実に多い。
しかし、二千年前に、キリストはそうした絶望の山にだれもがたじろいで後ずさりせずによいように、大いなる希望のトンネルをすでに掘って下さった。主イエスは、「私は道であり、真理であり、いのちである。」といわれた。その道は、絶望の山のただなかを通って神の国の希望へと続いているのである。

(165)我々は、人と一緒のばあいにも、一人の場合にも、神を讃美したり、ほめたたえたり、その愛を数え上げるべきではないだろうか。畑を掘っているときも、働いているときも、神への讃美歌を歌うべきではないだすうか。
「偉大な神、神はわれらに道具を与えて下さった。偉大な神、彼は私たちに手を与え、喉をあたえ、胃をあたえ、知らぬ間に成長させ、眠りながら呼吸できるようにして下さった。」と。
…多くの人々は盲目になっているのだから、誰かがその埋め合わせをして、みんなのために神への讃美歌を歌うべきではないのか。
老人になり、足も不自由になった私は、神を讃美するのでなければ、他の何ができるだろうか。…私は理性的存在である。私は神をたたえねばならない。これが私の仕事である。私はそれを行っていく。私はこの仕事を離れないだろうし、また、あなた方をも同じこの歌をうたうようにと勧める。「エピクテートス 語録」上岩波文庫(「人生談義」) 70〜71頁より)

・たえず神への讃美ができること、それは私たちの最終目標である。私たちが罪赦され、聖霊を受け、神の愛を受け、その愛を分かつといった道を歩むことができるほどに、その心からは自然な神への讃美が生まれるであろうから。私たちの現実はいかにそうした状況に遠くとも、そうしたところへと道は続いている。
旧約聖書の詩編にも、その150編にわたる最後には、神への讃美詩篇が集められていること、新約聖書においても、神に感謝せよ、と繰り返し教えられていることもこのことを指し示すものとなっている。


st07_m2.gif休憩室

○夏から秋の夜空
我が家から二キロほど離れたところに、かなり大きい川があります。夜の集会が終わって家に近くなるのは、夜のだいぶ更けた時間となり、その川のほとりでは通行する車も少なくなり、人はほとんど通らなくなります。夜の集会からの帰りに車をとめて歩くには恵まれたところです。河川敷に短い遊歩道があり、そこで川の静かな流れを前にして、ほとんどさえぎるものもないところなので、全天の星空が望めます。
夏から秋にかけては、やはり、南のアンタレスとか頭上に輝く、わし座のアルタイル、こと座のベガ、白鳥座のデネブといった一等星たちが目につきます。それらが大きい三角形をつくっていて、夏の大三角と言われています。そのなかで、白鳥座とその中のデネブは天の十字架とも言われる大きい十字架を形作っており、白鳥座を見ると、聖書の十字架を思い出すのです。
なお、こと座のベガは恒星では四番目に明るい星なのでよく目立ちます。
今年はそれらから近いところに火星がみえていて、強い輝きを保っていて、夜空を見るたびに火星を見て、さらにほかの明るい星々を見るのが常でした。この世がいかに混乱し、揺れ動くとも、夜空の星は変わらぬ光を放って地上の私たちに上を仰げと語りかけています。星空は人間の存在がいかに小さいか、そして永遠的に輝く光、それらを創造した神の御手の大きさを直接的に感じさせてくれます。
ことに川のほとりで、だれ一人いないところで仰ぐ夜空は、音もなく流れていく水はいのちの水を思わせて聖書の世界が身近になるひとときです。


st07_m2.gif返舟だより

静岡の集会との相互の訪問
八月二十三日(土)〜二十四日(日)に、静岡の石川 昌治ご夫妻が来徳され、訪問や集会での聖書講話がなされました。土曜日の午後に徳島に到着されてから、徳大医学部付属病院にもう十八年間も、医療過誤によって入院している勝浦 良明兄を訪ね、さらにその後は、やはり別の病院に長期入院されている、板東 テル子姉も訪ねて主にある語らいと祈りをして下さいました。
病院で長い間単調な生活をしている方々にとっては、遠くからの信仰に生きるキリスト者の訪問は心に新しい風をもたらすものとなることが多いと思われます。二十四日(日)の主日礼拝では、旧約聖書のダニエル書の一章、三章によって、信仰の旗印をはっきりとさせること、そこに神の守りと力が与えられるということが語られました。四十二名ほどの参加でした。
こうした一年に一度の特別集会をすることによって、ふだんとは違った神の力がはたらき、初めての方や日頃あまり参加されない方もみえたりして、私たちの祈りを聞いて下さる神を思います。

私(吉村(孝))も、一年に一度、静岡を訪問して、聖書の言葉の真理を語っています。今年は、九月十三日(土)〜十四日(日)でした。十三日の土曜日には、静岡に到着後、石川 昌治ご夫妻と、西澤 正文兄とともに、清水市の水渕 美恵子姉と石原 正一ご夫妻宅を夜に訪ねました。水渕姉は、体調が十分でなく、集会にも出られないとのことで、短い時間ですが、聖書を読み、言葉を学び、ともに祈ることができました。石原 正一ご夫妻宅でも、初めての訪問でしたが、ここでも主にある交流が与えられ、顔と顔を合わせて語ることの恵みを思います。
十四日の日曜日には、詩編の三十二編、三十三編を語りました。
その内の、三十二編が今回の「はこ舟」に掲載したものです。詩編は、単なる人間の感情でなく、神といかにふかく人が結びつくことができるのか、何が真の幸いなのか、世界を支配するものは何か、終末にはどうなるのかなどといった人間と世界の根本問題が記されています。多くは、深い苦しみや嘆きのただなかから、歌われたものですが、それらはそうした苦難のときであったゆえにいっそう激しく神を求め、その力を求める真剣な信仰の心がにじみ出ています。
静岡地方の方々だけでなく、下田や、千葉、東京からの初めての参加者もあって、み言葉がそうした人たちも引き寄せたのだと思ったことです。いつの時代にも、人の心を惹くものは数々ありますが、つぎつぎとそれらは消え去り、移り変わっていきます。しかし、聖書の言葉だけは、数千年を経ても、一貫して人間の魂を引きつけてやまないものがあります。

今回の聖書講話のために、静岡に行くのは、車を用いることにしました。徳島から、高速バスや新幹線で乗り継いで行くのと、車でいくのとは、所要時間はそれほど変わりません。車で行くと、途中での立ち寄りができるという利点があります。「はこ舟」の読者とか「祈りの友」、あるいは以前からの主にある友人、知人が各地におられるので、そうした方々のところに帰途に訪問を少しでもできればと願って、道路事情などにも慣れておくためでした。
今回は、静岡からの帰途、浜松市の溝口 正兄をお訪ねすることができました。溝口さんは、長く盲学校教師を勤められたことで、私が盲学校で教えていたとき、ある大きな問題をともに担っていただいたこともあり、以前の四国集会の講師としても来ていただいたこともある方です。長距離運転のため、体調の問題もあり、寄り道できるかどうかは当日にならないとはっきりしなかったので、事前に立ち寄ることも連絡してなかったのですが、ちょうど、溝口さんだけが在宅しておられ、突然の訪問でしたが、主にある愛をもって迎えて下さいました。ちょうどその日の午後は、数十年の長きにわたって毎月一度続けておられる、「憲法を守る平和行進」をされたあとで、お疲れもあったと思いますが、主に支えられたお元気な姿で、午前中に主日礼拝が行われたというその部屋にて、主にある交わりのひとときを与えられて感謝でした。
もう三十五年以上も毎月一度続けておられるということ、キリスト者の方が八割ほどで、キリスト者でない方々も加わっておられるとのこと、このような平和への訴えを一、二回することはよくあっても、数十年も四百三十九回という長い歳月を続けるということのなかに、神の導きと支えを感じたことです。
2003/9

よきものを見つめること、否定すること    2003/8

私たちは日々の生活の中で、たえずいろいろの出来事に出会う。そのとき、そうした出来事や人のことで、まず、よい面を見ようとしているか、それともまず悪い面を見ようとしているかいずれかである。何かをだれかが始めた、それをまず批判してしまおうとするのか、それともそれのよいところを見つめて一層それがよくなるようにと願う心で対処しようとするのかになる。
なんでも否定してしまう霊はサタンから来ると言われる。
新約聖書に出てくる有名な放蕩息子のたとえがある。父が生きているうちから、自分のもらうはずの財産の分け前をくれるように願って、それをもらうと、その金をもって遠いところに遊びに行ってしまった。そして放蕩のかぎりを尽くして、豚のえさをすら求めるほどになって、いよいよ死にかかった。そこまで追い詰められて初めてその息子は、自分の罪に気がつき、罪を告白して神に赦しを祈った。自分はもう息子と言われる資格もなくてもよい、父のもとに帰ろうと思って、帰って行った。
そのようなどこにもほめるところもないような息子が帰って来たとき、その父親は、放蕩息子が、かつて犯した数々の悪いことを思わず、今悔い改めたというただ一点のよいことを見つめて喜んで受け入れた。
しかもそれまで一度もしたことのないような、盛大な食事を準備させて息子の帰ったことを喜んで迎えた。
これは驚くべき心の広さである。我々なら到底そんな態度は取れないだろう。「いままで何をしていたのか、どうしてこんなひどい状態になったのか、お前に与えた財産の多額の分け前はどうしたのか、なんと役に立たない息子なのだ…」などなど、まず悪い点を見て、非難や叱責の言葉が出てくるのではないだろうか。
他のあらゆる悪いことがあっても、なおそれらの悪いことを見るのでなく、悔い改めたということ、すなわち善き方向に心を向け変えたというそのただ一つのゆえに放蕩息子を最大の喜びを表して受け入れたということ、そこには、神のお心が感じられる。神が見られる善きことの中心にあるのは、多くのみせかけの善行をすることでなく、それまでの至らぬこと、罪を知って悔い改め、神に心を向け変えるということである。
このように、神はいかに多くの罪が過去にあってもなお、悔い改めという一つの善きことがあれば、過去のさまざまの悪かったところがあたかもなかったかのように、私たちを受け入れて下さる。
なんと不思議なことだろう。我々なら相手がいかに悔い改めたといえども、それがひどい罪なら過去のことがやはり心のどこかに残って赦せないとかいう感情が残るのではないだろうか。
しかし、放蕩息子の兄は、弟が心を入れ替えて帰って来たというのに、その弟のそれまでの悪い行動が心にあって赦すことができなかった。それで弟が帰ってきたのに喜びもしなかった。弟は、悪いことをして、財産を使い果たしたではないか、といって、弟の悪いところだけを見つめて非難したのであった。それだけでなく、そのような弟に最大級の喜びを表して大いにもてなしている父に対しても不満の矛先を向けた。そして、自分は今までずっと父の言いつけに背くことなく、働いてきたのに子山羊一匹もくれなかった、それなのに、放蕩の限りを尽くしたこの弟には自分よりはるかによいもてなしをしてやっている、と言うのであった。
ここには、まじめに働いてきたと思われる兄の心にあった大きな問題が鮮やかに記されている。それは弟や父親のよい点を見つめることができなかったということである。そして双方の悪い点だけを見ようとしている。
弟は自分はもうどうなってもよい、息子と呼ばれなくても使用人同様でもかまわないとすら考えるようになった。しかし、兄は、自分のためにしてくれなかった、自分はよく働いてきたなど、「自分」が中心にあった。
自分中心に考える心は、このように本当に大切なことを曇らせる。そして他者の悪いことのみを見ようとする心になりやすい。
こうしたことが、否定する霊はサタンから来ていると言われる理由である。
自然の美しさや力強さ、西の空いっぱいに染まった夕焼けや広大な海原、山々の連なりなどを目にするとき、また、可憐な野草の花を見るとき、それは私たちのうちにある善きものを助け、励ましてくれるように感じる。夜空の星が私たちに語りかけるとき、それらは私たちの内なるなにかに語りかけ、呼び覚まそうとするかのようである。星に無関心な人はいても、星の光が私たちを否定しようとするように感じる人はまずいないであろう。
私たち自身が、もし神によって、悪いところ(罪)だけを見つめられ、それをもとにして裁かれるというのなら、到底生きていけないだろう。神は私たちのわずかなよきところを見いだし、ほかの悪いところを見逃して下さり、赦して下さる。それによって私たちは新しい力を与えられ、生きる力を与えられる。
さまざまの罪を持ち、闇を持っている人間のなかに、善いものを見いだしてそれを見つめようとする心は、この世で神を信じる心に通じるものがある。
この世で神を信じるとは、さまざまの暗いこと、闇のようなことにも関わらず、完全によいもの(神)を見つめようとすることだからである。それは存在しないものを見つめようとすることでなく、実際に存在するものを見つめることなのであるゆえ、ときにはそんなものは見えないように思われることがあってもあきらめないで、見つめ続けようとする。そのとき、確かにその輝きが見えてくる。彼方に光が目を閉じても感じられてくるのである。
「求めよ、そうすれば与えられる」という主イエスの言葉は、このような闇のただなかになお輝く「善きもの」が与えられるということなのである。


st07_m2.gif神が聞かれる祈り

私たちの祈り、願いは聞いていただけるのか。それはだれもが大きい関心を持っていることであろう。聖書にはこのことについてどう書かれているのだろうか。
ヨハネの手紙に次のように記されている。

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対するわたしたちの確信である。(第一の手紙五・14)

ここではっきりと言われているのは、何でも願ったら聞かれるというのでなく、神の御心、すなわち、神のご意志(*)にかなったことを願うときには、かなえられるということである。そこで、私たちがまず求めるべきは、自分の願いや祈りの内容自体よりも、神のご意志であることになる。

(*)各種の日本語訳聖書では、ほとんど「御心」とか、「御旨」と訳されているが、原文は、セレーマ(thelema)であって、「意志」という語である。日本語訳では、古い永井直治訳、最近の岩波書店から出ている訳などが、「意」と訳している。しかし、外国語訳では例えば二十種類ほどの英語訳をみてもすべて「will」と訳している。ドイツ語訳では、Willen フランス語訳では、volonte を用いていて、これらの外国語訳もみな「意志」という意味の語。
日本語の「心」という語は心やさしいとか、心惹かれる、あるいは心を痛めるなどのように、「意志」よりも感情を表す語として使われることが多い。

神のご意志がわからなければ、私たちは神のご意志に反することを願うことが多くなるだろう。
例えば、職場で嫌いな人間がいる。その人を除いて下さいというのは信仰があるなしに関係なく、だれでもが願うことだろう。また、自分が人からほめられたり、人が注目するような人になりますようにとか、もっと容姿がきれいになりますようにといった願いは、やはり神を知らない人でも子供でもだれでもが持つような願いである。
しかし、例えば職場で信頼できないようないやな人がいるとする。その人をすぐに除いてもらおうという願いは神のご意志にかなうことなのか、それとも、その人とともにいるのにも耐えられる忍耐を与えようと神は意図されているのでないだろうか、さらにそのいやな人が真実な人になるように神に祈ることが求められているのではないだろうか。
また、人からほめられたり、外見の容姿がきれいになりたいという願いより、内面の心が清められ、真実な心になって神に喜ばれる人になることを主が求められているのでないかと考えると、どちらが神のご意志なのかということは、はっきりしてくる。
また、苦しみや悲しみのときに、死にたいというような気持ちになる場合も、長い人生の間には生じることがあるだろう。そのようなときにも、今死にたいというのは、自分の意志や願望であるが、神のご意志はそのように死ぬことを望んでおられるのか、神は私がその苦しみに耐えて、神への信仰を一層深くすること、その苦しみによって自分の心が耕されることを望んでおられるのではないか…と考えるときには、やはりいずれが神のご意志なのかが分かってくる。
それゆえ、主イエスは、私たちがまず求め、祈るべきこととして、主の祈りにおいて、「御旨(ご意志)がなりますように」ということをあげておられるのである。これは、まず神のご意志を求める祈りである。
このように、私たちの願いをまず出すこと以上に、神のご意志を求めることの重要性がわかる。

それから、つぎにヨハネ福音書で言われていることを思い出す。

わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。… わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。(ヨハネ福音書十四・13〜14より)

これはわかりにくい言葉である。単にイエスの名前を使ったら何でも願いが聞かれるということでないのはすぐにわかる。「あんないやな人を除いてください、イエスの名によって祈ります」、などという祈りが聞かれるはずがないことは誰でもわかる。
イエスの名とはイエスご自身であり、イエスご自身が神と同質であり、イエスは何でもできることを心にはっきりととどめた上で祈るということである。
それは、マタイ福音書の八章(*)に書いてあるように、イエスのただ一言でもいやされると信じることである。


イエスはすべてをなすことができると信じた上で祈るとき、私たちは主の名によって祈ったということになるし、当然イエスが私たちのとりなしもして下さるという意味も含んでいる。私たちの祈りの後に、「イエスの名によって祈ります。」というのもそれである。主イエスへの絶対の信頼をもって祈りますという意味なのである。
さらにヨハネ福音書では次のように記されている。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。
そうすればかなえられる。(ヨハネ福音書十五・7)

ここにも、はっきりとどんな祈りが聞かれるのかが示されている。それは、主イエスに留まり続けること、主イエスの言葉がつねに私たちの内に留まっていることである。私たちの心はいつも何に留まっているか、それは自分自身が知っていることである。日常の家族のこと、仕事のこと、特定の人間それは、人間的な意味での愛を注いでいる人間、あるいは赦せない相手とか憎しみとかでいつも忘れられない人間である場合もあるだろう。また、音楽や自然、書物などであるかもしれない。しかしそうした一切のことに優先していつも主イエスが心にあるのかどうか、主イエスの言葉とはすなわち、神の言葉であるから神の言葉がいつも心にあるかどうか、生きておられる主イエスからの語りかけがいつもあるかどうかをここでは指摘されている。
私たちが祈るときに聞き入れて下さる祈りとは、こうした条件にかなった祈りであるということになる。


st07_m2.gif人間の弱さ

人間は弱い。私が子供のとき、四十歳、五十歳にもなる大人は強いと思っていた。力も強いし、考えもしっかりしていると何となく思っていた。
しかし、自分がそのような大人になり、自分自身や他の大人を見てもはっきりとわかることは、人間はいつまで経っても弱い存在であるということだ。最近も、ある人と話していて、一般的な話をしていたのに、その人が突然涙を流し始めたことがあった。心にずっとたまっていた問題についての悲しみがふとあふれてきたようだった。
何十年と経験を積んだからといって、人間は強くなるというのではない。かえって、生きることの難しさに打ちひしがれて心が弱くなっていく場合も多い。友人や家族など信頼していた親しい人から裏切られ、また別れて孤独になることも多い。そのような経験を重ねると強くなるどころかかえって自分を支えていたものが次々となくなって、頼るものを失い、弱くなってしまう。
さらに、若い間は仕事や育児など、子供や仕事のことで気がまぎれることもあるが、老年になるとそうした支えになっていたこともなくなる。
そうした弱さは、人間の体がふとしたことからも病気になったり、異常を生じたりすることとも関係がある。体の具合がわるいと、少しのことにも耐えられなくなるからである。ずっと気分がわるく、体調が不全であるときには、心も弱くなりがちで、ちょっとしたことにも揺り動かされやすくなる。
それから、人間の弱さは、人を恐れるということと深く関わっている。私たちは、自分の弱さゆえに他の人間を恐れる。自分がこのことをしたり、発言したら周囲はどんなに言うか、それを気にするから思うこともできない。そうした人間を見て恐れるとますます私たちは弱くなる。
地位が高かったら人を恐れないかというと、そうでない。例えば地位が特別に高いのは天皇とか総理大臣である。地位が高いということは、その部下や周囲の人間の支持が必要である。だからたえず周りの人間の意見や考えを恐れることになる。地位が高いほど、多くの人の注目するところとなる。だからこそ、一言を発するにもいつも細心の注意をしていかねばならない。不用意な一言が大変な問題を引き起こすことがあるからだ。天皇は形式的には最も地位が高いところにあるが、最も人を恐れていなければならない。だから自分の思ったこと、したいことすら何もできない。いつも周囲の厳重な監視のもとに置かれていて、それを無視しての言動があればたちまちそのようなことを言わさないようにされてしまう。
また、暴力をふるったりする人間は強そうに見える。 しかし、暴力をふるう心は、相手を恐れる心である。恐れているからこそ、暴力で倒さねばということになる。戦争も、相手国を恐れるからこそ、巨大な暴力(軍事力)をもって相手を倒そうとする。
個人的な憎しみもまた、弱さの現れだといえる。相手からの不当な言動、見下したような言葉や仕打ちに対して、憎しみが生じる。しかし、もし私たちが、本当に強いならそうした不当な言動を気にすることなく、見過ごし、または忍耐をする力があるはずである。私たちがそうした他人の悪に耐えられないからこそ、憎しみが生じる。そういう意味で、人間関係に憎しみが生じるのも、悪しきことを言う人間の弱さとそれに耐えられない人間の弱さが絡み合って生じることである。
主イエスが、「敵を愛せよ、あなた方に悪をなそうとするもののために、祈れ」と言われたのは、こうした弱さからくるさまざまの問題の解決の道を指し示したのであった。
そしてそのためにこそ、キリストは来られた。
学校教育とか一般の道徳教育では、人間が努力して、意志の力で強くなれと言う。しかし私たちの現実を見るとき、どのような意志の強そうな人間でも、やはり内に弱さを持っているのである。意志の力が強そうに見えるのも、弱さを見られないように隠しているだけなのである。人間の弱さは、そのような内面的なことだけでなく、事故やガンなどの病気によっていかに弱いかだれでも思い知らされるものである。さらに死ということの前には、どんな意志の強そうな人間や暴力、武力あるいは権力を持っている人間もみな同様に無力であって、死の力にはみんな飲み込まれていくほかはない。
このようにどこから見ても人間の弱さはどこにでもみられるし、私たち自身が日々痛感していることである。
その弱さという事実から、キリスト教の信仰は出発している。心の内面の弱さ、それが人間の根本にあるが、それを罪という。正しいことやよいことがどうしてもできない弱さ、それが罪なのである。その弱さそのものである、罪を認め、それを赦して下さるお方としてキリストが来られた。私たちの弱さを代わりに担って下さるために主イエスは来られた。
そのような内面の深い問題を解決できるということは、キリストがただの人間でないこと、神と同質のお方であるということになる。それが、キリストを神の子と信じるということである。そのことを信じるときに、ただその信仰だけで、私たちに新しい力が与えられ、神の子どもになることができる道を開いて下さった。神の子どもとは、この世の悪に染まらず、負けないで、神の清めと力を受けて生きる人間ということである。
キリスト教とは、弱いものへの福音に他ならない。新約聖書の最初にある有名なキリストの教えはそれを示している。

ああ、幸いだ、心の貧しい者たちは!
天の国は彼らのものである。
ああ、幸いだ、悲しむ者たちは!
彼らは(神によって)慰められるからである。

心に何も誇るもの、頼るものもなくなった状態、それを「心の貧しい者」と言われている。それは自分の弱さを深く自覚した心である。そうした心をもって、そこから神に求めるとき、神は天の国という最もよいものを与えて下さる。天の国とは神の支配のうちにあるあらゆるよきものを指している。愛や真実、力、清さなどなどをすべて含んでいる。
また、自分の愛するものを失い、あるいは信頼していた者から背かれ、また老年になってすべてを失っていくことへの悲しみ、病気や事故によって働くことも、かつての元気な生活も二度とできない状態になっていく悲しみ、自分の罪によって他者を苦しめ、悲しみをあたえてきたこと、そうした二度ともとに戻せないことへの深い悲しみなどなど、この世界では生きるかぎりそれぞれの人がそれぞれの悲しみをもっている。
そうした悲しみもまた、人間の弱さから生まれるものであって、キリストはまさにその弱さから、神の国へと通じていることを、この有名な教え(山上の垂訓)で語っているといえよう。
パウロのような、キリストの最大の弟子もその弱さを深く知っていたし、弱さからくる痛みを日々実感していた人であった。


わたしの身に一つのとげが与えられた。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願った。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われた。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足している。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからである。(Uコリント十二章より)

この弱さのなかにこそ、神の力が与えられるということ、それは旧約聖書にもたくさん書かれているが、詩編にはそれが具体的にどんなに苦しみ、弱さに打ち倒されそうになっているか、そのなかからいかに神に向かって祈り、叫んだかが多くの箇所で示されている。
そうした人間のさまざまな意味の弱さからくる悲しみ、それは自分自身にもあり、他人や、社会全体にもその弱さがいたるところにある。その悲しみはキリストによって確かにいやされ、また最終的にはこの世界の悲しみもいやされると聖書は約束している。この約束からくる希望はどれほど多くの人を力付けてきたことだろう。
私は、草花にどうしてあのような美しい花、しかもきわめて変化に富んだ花を咲かせるのかと不思議に思われることがしばしばある。柔らかな草花、それは足で踏んだだけでも倒れてしまい、花も失われてしまう。そのような弱くはかないものなのに、見事な花をつけている。これは弱さのただなかにも、神の持っている美しさを持つようにと創造された神のお心ではないかと思われる。
聖書の最後の黙示録の終わりの部分で、そうした弱さとそれと不可分に結びついている悲しみが最終的にいやされるということが記されているのも、神は私たち人間の悲しみを深く知っておられ、それの最終的な解決を示そうとされているのである。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(黙示録二十一・3〜4より)


st07_m2.gifすべては過ぎ去る中で

古い中国の詩につぎのようなものがある。原文は一般にはもはや使われていない漢字が多いので、現在のわかりやすい日本語にしたものをあげる。

玉華宮 杜甫(*)

谷はめぐって流れ、松風は吹きわたる。
老いた鼠は人に驚いて古い瓦のかげにかくれる。
ここは、何という王の宮殿だったのか。
絶壁の下に、荒れ果てた建物が崩れかかって残っている。
暗い部屋に鬼火が青く燃え、
こわれた石だたみの道には、水が浅瀬になって、
悲しく、むせび泣くような音を立てて流れている。
松風の音、水のせせらぎがが笛の音のごとくに響く。
あたりは一面に清くさわやかな秋の色だ。
その昔、ここに仕えた美人たちも、みなすでに黄土と化した。
当時のものを残すのは、ただ石で刻んだ馬があるばかり。
旅の道すがらここに立ち寄り、今昔の感に堪えず、
さまざまの憂いが胸に満つ。
草をしいて座し、声高く歌をうたえば、涙は手にあふれるばかり。
ああ、思えば、しばし、とどまる時もなく、歩み続ける人の世の旅路にあって、
誰が一体永き命を保ち得ようか。
わが命も、世のすがたも、すべては滅び去るものではないか。(「唐詩選」新釈漢文体系明治書院版)

(*)杜甫(712年〜770年)は、中国、唐代盛期の詩人。杜甫自身の語るところによれば、すでに少年にして千余編の詩を有していたという。中国最高の詩人としては「詩聖」と言われ、李白(りはく)と並称されては「李杜」と呼ばれる。一貫してその詩を成立させるものは、人間に対する大きな誠実である。人間は人間に対して誠実でなければならないとする中国文学の精神は、この詩人の詩のなかにもっとも活発に働いているということができる。(「日本大百科全書」より)

この詩には、深い悲しみが漂っている。それは、すべてが流れ動いていくことへの悲しみである。杜甫の詩は著者の説明にあるように誠実ということであったとされるが、誠実であるからこそ、この詩には深い悲しみと憂いが込められている。人間というこの深い意味を持つ存在がかくもすみやかに、跡形もなく消えていくのに、いのちを持たない石の像が長く残り、松風や谷川の流れの音が響き続ける。これはどうしたことか。なぜこのように人間は消えていくのか。かつては生き生きした心を持ち、戦い、愛し、そして心動かしてその感動を分かち合った者同士、それらすべてはとどまることなく流れ去っていく。
周囲の自然の清さと美しさがいかに心を動かそうとも、こうしたはかなさのゆえに哀しみが深くなるのみ、という気持ちが伝わってくる。中国の最高の詩人と言われるほどであるから、深い直感によって事物の本質をみつめることができたと思われる。しかし、そうした大詩人であっても、流れ動く万物の背後にある存在には達することができなかったのを、この詩はあざやかに示している。
人間の直感がいかに深く、鋭くとも、それが深ければ深いほどますますこのような哀しみに満ちた見方となっていく。
ここに、なぜ聖書の示す真理が「啓示」であると言われるのがわかる。神によって、「啓(ひら)かれ、示される」のでなければ、この世はすべて消えていくという実感で終わるほかはない。
こうした人間の現実に対して、聖書では一貫して過ぎ去ることのない存在を指し示している。すでに旧約聖書の古い時代に、モーセに現れた神は、神の名(本質)は何かとの問いに答えて、「在りて在るもの」、すなわち、「存在」こそ神の本質であると記されている。神とは永遠の存在であり、神のみがこの万物が流れ動いていくなかで変わることなく在り続けるのである。
そしてその神がすべての人間のために「永遠のいのち」を与えようとして、送られたのが、イエス・キリストであった。そして永遠の命とは、単に長い命というのでなく、それは真実と慈しみに満ちた神のいのちそのものなのである。
ヨハネ福音書の最後の部分で、「これが書かれたのは、あなた方が、イエスが神の子であると信じるためであり、信じて永遠の命を受けるためである。」(ヨハネ二十・31)と記されているのは、この中国の大詩人が書いているような癒しがたい悲しみを克服し、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(黙示録二十一・4)ためなのであった。
そして、神と同質であるキリストも永遠であり、そのキリストの言葉もとこしえに続く。
「天地は過ぎ去る。しかし私の言葉は決して滅びない。」(マタイ福音書二十四・35)
これらの聖書の言葉こそ、この杜甫の詩で表されている悲しみに最終的に答えるものなのである。


st07_m2.gif信仰とは何か(旧約聖書の信仰)

聖書全体が信仰とは何かを語っている書物であり、それが実に多様な内容をもっているからこそ、聖書は小さな字でぎっしりと印刷されても、二千ページにもなる。そのどこをとっても、信仰のある側面が記されているといっても過言ではない。そのような豊富な内容からここでは一部を取り出して見たい。

聖書の最初の書物は、創世記である。ここには、信仰がいかなるものか、とくに一部の個人の生き方をたどることによって明らかにされている。
他方では信仰の道がいかに誤りやすいかも示している。聖書の最初の書物がそのような、信仰の道からそれていくことの危険さをまず書いてあることに、気付かされる。

アダムと信仰ということは、ほとんど言われることがない。アダムといえば、人類最初の人間、罪を犯して禁じられた木の実を食べて、エデンの園から追い出されたことしか印象にないという人も多い。
しかし、アダムは神から直接に創造されたのであり、神のことは信仰というより、何よりも身近な存在であった。神は、人間が語るように親しく、アダムに語りかけている。「エデンの園の他のすべての木から取って食べてよい。しかし、中央の木の実は決して食べてはならない。必ず死ぬのだから」と言われたり、神が女であるエバを創造してアダムのところに連れてきたとも書かれている。こうした密接な関係があったのに、それでもなお、アダムは、神に従い続けることができなかった。
 ここに、信仰をもって生活することにおいて、いかに正しい道を歩き続けることが困難であるかがはっきりと示されている。聖書の最初にこのように、信仰の困難が記されていることは、驚くべきこととは言えない。それ以後のイスラエルの民の歴史がまさにそうであったからである。
 アダムについで、聖書を読むものに印象的であるのは、神とともに歩んで、神がとられていなくなったというエノクの記事である。信仰によってこのように、死が克服されるということがこのエノクの記事で暗示されている。
 ノアについては、その「はこ舟」のことでとてもよく知られている。周りの人がすべて、神の裁きなどないと思い込み、間違った生活にはまり込んでいた。そのただなかで、ノアは主の前に恵みを得ることができた。そして神とともに歩み、神への信仰をもって生きた。そこから全地への滅びから逃れることになった。
 神とともに歩むとは、信仰の姿をよく表している。単に信じているということでなく、日々の生活のなかで、いつも神の言葉を聞き、神の示しを受けて生きることである。
 そのようなノアであったからこそ、大洪水で一年もの長い間、「はこ舟」にて漂流していたが、その後ようやく水が引き始め、ついに陸地が現れ、ノアたちが陸地に降り立ったとき、最初になしたことは、主のために感謝しての礼拝であった。 しかし、そのようなノアであったが、生活が安定してきたときには、ぶどう酒に酔って裸で寝ていたところを子供に目撃されるとか晩年になって信仰にゆるみが生じてきたことが記されている。
 こうした信仰の生活が途中で揺らぐことがあるのは、ノアよりずっと後の人間であるが、ダビデにおいてとくにはっきりと示されている。子供のときから神を信じ、武力や詩作、音楽などいろいろの方面に恵まれていたダビデは、さまざまの困難に出会ってもつねに神への信仰を中心として生きてきた。自分が仕えていたサウル王に対しても、王がどんなに理不尽な攻撃をしてきても、なお、正しく信仰の道からはずれることはなかった。しかし、生活が安定してきたとき、重い罪を犯すことになった。それは取り返しのつかない大きい問題を生んだ。 
旧約聖書において、決定的に信仰の重要性を示したのが、アブラハムである。アブラハム以前の、アダム、エノクやノアの場合と同様に、信仰は彼らが求めたというより、神から与えられている。

アブラハムの信仰
アブラハムは人生のある時に、神からの呼びかけを受けて出発した。アブラハムにおいて、とくにはっきりと現れているのは、信仰とは、神に導かれる生活だということである。信仰を持っているというと、しばしば、ある信仰箇条を信じているという意味にとられる。復活を信じるとか、万能の神の存在とかである。しかし、ノア、エノクやアブラハムにとって、信仰とは、生きて働く神とともに日々を示されて生きることであった。
 ハランからカナンまでは直線距離でも、五百キロもある遠いところである。しかも全くアブラハムにとって未知のところであった。しかし、アブラハムにとっては、信仰とは従うこと、未知の世界へと神の導きを信じて歩むことであった。

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。(創世記十二・1-4)

こうして神に従っていったアブラハムではあったが、子供が与えられなかった。もうアブラハム夫妻は子供のことをあきらめていた。しかし、あるとき、神が現れて子供が与えられること、そしてさらに夜空の星のように、増え広がることが言われた。こうした神の約束の言葉をすぐにはほとんどだれも信じられないだろう。しかし、アブラハムはそうした信じがたい言葉を信じた。神の全能と導き、そしてアブラハムへの愛を信じた。そのような神の御計画を信じるという、ただそれだけで、神はアブラハムを義とされたとある。このような言葉は聖書においてはここで初めて現れる。

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。」…
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみよ。あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記十五・1〜6より)

 アブラハムは初めからこのように神のことをすぐに信じるものであったのではない。この箇所の直前には、神が現れて、アブラハムの受ける恵みが非常に大きいと言われたが、彼はそれをすぐには信じることができなかった。しかし、神がアブラハムをテントの外に連れ出して、夜空の星を見させて神の大いなる祝福を告げたとき、アブラハムはその神の祝福の言葉を信じた。それが、神によって、義と認められたという。
義とされるとはどういうことなのか、これには、少しも説明がない。またこの「義とされる」という表現は、旧約聖書の膨大な内容にもかかわらず,他では現れない。旧約聖書の言葉の海のなかに、一つだけ浮かんだ木の葉のように感じるものであるにもかかわらず、この一言が新約聖書では実に重要な意味を持つようになる。
 ちょうど、「自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という戒めは、レビ記十九章十八節に現れるのみで、分厚い旧約聖書の他の箇所には出てこない。これもそこだけに一言出てくる言葉であるが、主イエスはそれを、神を愛することと並んで、最も重要な戒めと位置づけられた。
 使徒パウロはこの創世記にある一言のなかに、キリストの福音の核心が込められているのを、啓示によって悟ったのである。それが彼の書いたローマの信徒への手紙の四章に詳しく記されている。
 アブラハムの以後、ずっと後にモーセが現れ、神からの直接の言葉を受け取った。それが十戒であり、そこからじつに多数の戒めが付け加えられた。それが、旧約聖書の申命記、レビ記、民数記などに詳しく記されている。
 こうした戒めによって、旧約聖書では戒めを守ることが救いになるとの考え方が当然になっていった。そしてこの「信仰によって義とされる」という真理は、いわば、地下水が大地の表面から深いところで流れているように、旧約聖書の表面から隠れたところで、保たれていたのである。
 それが、キリストによって導かれた使徒パウロによって、取り出されたのである。
 このように、旧約聖書のうち、創世記では、とくにアブラハムの詳しい記述によって、信仰とは動的なものであり、導かれていくものであるということが最初から記されている。神は私たちが神を信じてじっととどまっていることでなく、神が示す新しい場へと導こうとされる。同じところに止まっていない、たえず前進していく姿勢がある。信仰のない人にあっても、そうした前進を心がけている人も多いだろう。しかし、信仰との違いは、必ず目的地に着くことができるということである。信仰なければ、途中に生じるさまざまの妨げによって最終的には、その前進は阻まれてしまう。いかに目的に近づいたといっても、最後は死によってすべては失われてしまう。
しかし、現代の私たちの信仰は、死を超えた神の国への前進であって、私たちの方で信じることを捨てないかぎり、必ず神の国へと導かれる。
こうした動的な信仰のあり方が示されているとともに、アブラハムにおいては、信仰によって義とされること、すなわち罪赦されて神の子どもとしていただける道がすでに暗示されている。このことは、神によって導かれるための出発点にあることであり、信仰に生きるための原点なのである。信仰によって義とされるという真理の重要性は、キリストによって光が与えられ、使徒パウロがそれを前面に出してくるまで、いわば地下水のように気づかれないところで流れ続けていたといえる。

 
詩編における信仰

 創世記における信仰が、動的であり、導かれて未知のところへと歩んでいく姿が示されているのに対して、詩編における信仰は、応答して下さる神が強調されている。詩編の作者の信仰とは、苦しみのとき、敵に追い詰められ、あるいは病気の痛みにさいなまれるとき、神にむかって叫び、神への助けを懇願するときに神が応えて下さったという実際の経験が根底に流れている。それは詩編の随所で見られるが一つふたつ例をあげてみる。
 詩編十三編を見ると、いつまでこの苦しみは続くのか、悲しみはいつ終わるのかという激しい叫びがある。死ぬかと思われるほどの苦しみがこの詩の作者の経験としてあった。しかし、そこから最後には、答えが与えられたという全身にしみわたる幸いがこの詩の内容となっている。
 
いつまで、主よ
わたしを忘れておられるのか。
いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い
日々の嘆きが心を去らないのか。
いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え
わたしの目に光を与えてください
死の眠りに就くことのないように
敵が勝ったと思うことのないように
わたしを苦しめる者が
動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。

あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います
「主はわたしに報いてくださった」と。(詩編十三編より)


詩編十八編もそうした内容である。

死の波が私を囲み
滅びの大水がわたしを襲った。
陰府の縄がめぐり
死のわなが私を襲う。

苦難の中から私は主を呼び求め
わたしの神に向かって叫ぶ。
神はその宮よりわが声を聞き、
叫びは、御耳に届く。
… 主は高きより御手を伸ばしてわたしをとらえ
大水の中から引き上げてくださる。
敵は力があり
わたしを憎む者は勝ち誇っているが
なお、主はわたしを救い出される。
彼らが攻め寄せる災いの日
主はわたしの支えとなり
わたしを広い所に導き出し、助けとなり
喜び迎えてくださる。(詩編十八・5〜20より)

いずれの詩も、悪に追い詰められ、その苦しみと危険はただならぬものがあった。ただ必死に叫び、神の力にすがる他はない状態だというのがうかがえる。死の波、大水が私を襲い、死の縄が、私を襲うという表現には、もう死が間近に迫っているという緊迫した状態を感じさせるものがある。こうしたぎりぎりのところから、この詩の作者は神に叫ぶ。その必死の祈りと叫びに神は答えて下さる。いかなる人間も助けを与えてはくれないような状況にあって、ただ神のみが変わらぬ助けと力を与えて下さるのを信じて呼び求めたのであった。こうした祈りや叫びには神は必ず答えて下さる。その確信が信仰なのである。信仰とは、なにもないときに、神を信じていますと、いうだけのものでなく、人生の最大の危機、それは病気や人間関係であったり、老年の危機であったり、また戦争など社会問題と関わっていることもある。しかし、どのような状況にあっても、必ず求めるものに答えて下さるというのが、こうした詩編の私たちへのメッセージなのである。
 このように、応答して下さる神ということは、詩編によってとくにはっきりとわかる。
しかし、この世の現実は、どんなにしても神からの応答がないと感じられ、恐ろしい苦しみにあえぐこともしばしばある。そうした沈黙している神を前にして、もう信じていくことができないほどの苦しみに直面することがある。そうした信仰の危機は、詩編にも多く見られる。「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」に始まる詩編二十二編はその代表的なものの一つであり、そうした信仰の危機的状況を一つの長い詩に表したのが、ヨブ記である。
 こうした信仰の危機においても、神は最終的には顧みて下さり、救いへと導かれることがヨブ記の内容となっている。
 しかし、迫害の時代には実際に望むような助けも与えられないようなことが生じる。
そのようなときでも、信仰に踏みとどまるという強固な信仰も記されているのが、ダニエル書である。この書物では、迫害における個人の信仰とはどのような内容でありうるかを次のような言葉で記している。それは、バビロンの王が、金で造った偶像を拝めとの命令を出した。しかし、三人の神を信じる者たちは、つぎのように答えた。

シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。
わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。
そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル書三・16〜18)

 このように、いかなることがあっても、信仰を捨てないという毅然たる姿勢が表明された。実際、これはローマ帝国や日本の江戸時代の厳しい迫害、あるいは、世界の多くの地方でも初めてキリスト教が入っていったときにはこうした迫害がつねにあった。そのとき神に立てられたキリスト者たちは、このように命をかけて神を信じてその信仰を貫いた。それは人間の意志や努力ではなく、神がそのような人を起こされ、特別に力を与え、導かれたのである。
 ダニエル書には、こうした極限状況における信仰が記されているだけでなく、そうした神の真理を迫害し、その真理につく者たちを滅ぼそうとする悪の力、その悪の力によってたてられた国家や社会がいかに動いていくか、それらは個人の信仰などと関わりなく偶然によって、悪意や武力によって動いているように見える。しかし、そうした個人を超えた大きな世界的な動きすらも、実は背後に神の大きい御手があり、御計画がある。そして最終的には、神のいっさいの力を与えられた人の子のような存在が現れて、支配するということが暗示されている。
 このように、ダニエル書では信仰ということが、単に個人の平安とか救いにとどまらず、全世界を支配し、歴史を導いていく神への信仰が記されている。そしてそのことは、主イエスによってさらに完全なかたちを与えられることになる。
以上のように、旧約聖書における信仰は、神によって導かれていく信仰であり、それは未知の世界へとどこまでも導かれていく信仰だといえる。そうした導かれていく過程で、さまざまの苦難や悲しみに出会う。そうした苦しみのときに、必ず応答して下さるという信仰もとくに詩編において繰り返し記されている。そしてさらに自分や自分の国だけでなく、世界全体が大いなる御手によって導かれているのだという信仰へとつながっていく。


st07_m2.gif戦争の悪

八月は多くの人が太平洋戦争の敗戦のこと、そしてあの戦争全体のことを思い出す月となっている。そして広島、長崎に原爆が落とされ、何十万という人の命が失われ、傷つき、命が助かった人たちも長い間放射線のための病に苦しむ人を生み出した。ガン治療のために、放射線を体のごく一部に照射しても後遺症で苦しまねばならない状態になる人もいる。そうしたことから考えても、全身に多量の放射線を浴びた人たちが、その後どれほどの苦しみにさいなまれていったか、私たちの想像をはるかに超えるものがある。
一瞬にして十万、二十万もの人の命を奪い、後々までも、多大の苦しみの後に死んでいく人たちのことを知らされるにつけても、核兵器の恐ろしさを思い知らされる。
このような惨状を与えた、アメリカが非難されるべきなのは当然である。しかし、およそ戦争という大量殺人や破壊行為は、どちらかだけが正しくて、他方が悪いということは単純にはいえない。それぞれが相手の命を奪い、傷つけあっていくゆえに、双方が殺人という重い罪を犯していくのが戦争である。
私たちはなぜあのような悲劇が生じたのか、どのようないきさつと状況があったのか、少しでも正しい認識を持つために、いつも歴史のなかで考えていくことが必要である。
あの悲劇はアメリカが何もしていない日本にいきなり落としたのではない。まず、日本がアメリカやイギリスに対して戦争を始め、真珠湾に奇襲攻撃を与えて、多大の命を奪い、損害を与えたことへの報復の結果であった。
さらにさかのぼると、そのような戦争への道は、日本が一九三一年に、中国に対して戦争をしかけたことに出発点があった。これは満州の奉天近くで満鉄線の線路が爆破されたことからであるが、その爆破は軍部が計画的に行ったことであり、それを中国が攻撃してきたと偽って、戦争へとつきすすんでいくことになったのである。このように、中国にも、アメリカに対してもまず、日本が戦争をしかけたのであった。
 終戦の五カ月ほどまえ、一九四五年三月十日には東京大空襲が行われ,三〇〇機のB29が東京に爆弾を投下し、強風で燃え広がって、死者は約10万人に達した。その後もわずか十日ほどの間に、大阪、神戸、また名古屋が焼夷弾で焼き払われた。さらに五百機ものB29が大都市を爆撃し、京浜、中京、阪神の都市を焼き尽くした。六月中旬からは地方都市への夜間焼夷弾爆撃が始まり、つぎつぎと焼き払われていった。
 沖縄での地上戦では、一九四五年四月からのわずか三カ月ほどで、沖縄の人々は十万人もの死者を出し、日本軍人も十一万人もが戦死した。それほどに攻撃はすさまじいものであった。アメリカ軍は約千五百隻の艦船と、延べ54万八千人もの兵をもって攻撃をしたのである。
 こうした大軍が、沖縄戦のあと、空襲とともに九州や四国、そして全国に襲いかかるなら、各地で無数の死者や傷ついた人で埋まっていっただろう。
 原爆が落とされる少し前、七月二六日に出されたポツダム宣言は,日本が非軍事化と民主化を二本の柱とする対日処理方針を受け入れて、即時無条件降伏することを求めていた。これに対し日本では,その二日後に鈴木首相が軍部の圧力に屈してポツダム宣言を黙殺して「断固、戦争を完遂することに邁進する」と発表した。これはポツダム宣言を拒否したことであり、その後わずか十日もたたない八月六日、広島に原爆が落とされたのであった。それはポツダム宣言が言っていた、「日本が無条件降伏しないかぎり、日本は、迅速かつ完全な壊滅があるのみ」ということの驚くべきはやい結果であった。
そして当時のアメリカのトルーマン大統領は「もし、日本がポツダム宣言を受け入れないなら、日本国内のどんな都市も、その機能を破壊し、戦争能力を根こそぎ抹殺する準備を整えている。」と言明していた。こうした、状況から、日本の指導者たちは、予想していたよりはるかに早く現実に「完全な壊滅」が行われることを目の当たりにしてようやく、本気で降伏を受け入れようとし始めたのである。
そして数日後、さらに長崎への原爆、ソ連の参戦という決定的なことが生じた。
しかし、それでもなお、陸軍大臣は「一億マクラを並べて倒れても、大義に生くべきなり」として徹底抗戦を主張し、参謀総長、軍司令部総長なども同調していたのであった。
このように、広島や長崎への原爆投下がなく、一般的な空襲などの攻撃では、日本はまだまだ戦争を継続していただろうし、ポツダム宣言のいうように、日本全土が壊滅的打撃を受け、数知れない人たちが死んでいっただろう。その意味では、原爆投下によって生じた数十万の人たちの死や言語に絶する苦しみは、ほかの地域の人たちのいわば身代わりとなったのであった。
いずれにしても、政府の指導者、軍人、そして最終的な決定者である天皇の判断の間違いゆえに、日本にはおびただしい人が犠牲になる道しか残っていなかったのである。
ポツダム宣言が出されたとき、ただちに受け入れていたら、広島の原爆はなかった。天皇がもっと半年ほど早く戦争を終わらせることに全力を尽くしていたら、やはり広島、長崎、沖縄、東京大空襲、そしてその後の全国の空襲もなかったのである。
さらに、そうした戦争自体を始めなかったらやはり、広島や長崎どころか、中国やアジアの人々、そして米英の兵隊たちなど、すべて合わせて数千万にものぼる人々の悲劇もなかった。
ヨーロッパにおける第二次世界大戦も、一九三九年九月、まずドイツがポーランドに戦争をしかけたことから始まった。そしてヨーロッパ全体にわたって、無数の人々の命が奪われ、さまざまのものが破壊された。そして攻撃を始めたドイツの降伏で終わった。ドイツが戦争をしかけてなかったらそうした一切は生じていなかったのである。
ベトナム戦争は一九六〇年頃からアメリカが始めたもので、十数年のはげしい戦争の結果、アメリカが敗北し、戦争の誤りはアメリカも公式に認めるようになった。戦争の犠牲者はアメリカとベトナム双方で、およそ、一二〇万人、負傷者は二〇〇万人以上といわれ、使用した弾薬や爆弾は第二次世界大戦をはるかに超えたという。
アメリカ軍はベトナム戦争においてゲリラの隠れ家と食糧源を破壊する目的で枯葉作戦を実施し、大量の除草剤(枯葉剤と呼ばれた)を散布した。このため熱帯の密林に長期間の生態系破壊をもたらしたほか,ダイオキシンと呼ばれる化学物質による強力な発癌性,胎児への催奇性などが,多くの住民に対して、また散布に参加した米兵にも悲惨な災害を与えていった。
これも結局は、戦争をはじめたアメリカがこうした甚大な被害を生み出したのであった。
戦争ということは、まずどちらかの国がしかけると、攻撃をうけたほうは反撃する、そこで双方のおびただしい人が死んでいく。政府の指導者や軍部は人間が大量に死んでいくことであるから、国民の非難を避けようと、一度始めたら何とか勝利をえようとして簡単には止めようとしない。
その意味で、まず戦争を決して始めないことが根本的に重要になる。
現在の平和憲法はそのような深い反省から、まず戦争を絶対に始めないという精神が根底にある。このような歴史の無数の悲劇を教訓として作られたものを、変えてしまおうというのは、そうした無数の人々の命や苦しみから与えられた教訓を捨てようとすることであり、聖書に記されている究極的な真理(*)に反することである。

(*)・あなた方が聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・44)
・ …こうして彼らはその剣を打ちかえて、鋤(すき)とし、その槍を打ちかえて、鎌とし、国は国にむかって、剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書二・4)

一度戦争をはじめてしまうと、双方は愛する家族や友人が殺されたということで、憎しみが増幅されていく。もともと全く憎しみなどもっていなかった、遠い未知の人たちを憎み、殺すことを願うようになる。それは大きな罪である。何も知らない人、本来何ら敵意ももっていなかった人を無差別に殺すようなことは深い罪であり、戦争はそうしたことをどこまでも追求するものである。
現在もアメリカがイラクにまず、戦争をしかけたことから、新たな難問が生じている。
だからこそ、戦争を始めてはならないのであって、そのために、戦争の深い傷をうけ、また他国にも与えた日本が平和をあくまで守り、武力をもって活動しない方針を守ることが重要なのである。こうした考え方が、戦後五〇年を過ぎたころから次第に軽視されるようになりつつある。
しかし、時代や社会的状況に関わらない永遠的真理は、いつの時代にも少数の者が守り、主張していくのである。

st07_m2.gifことば

(161)向こうのくぐり門が見えますか。あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。(「天路歴程」新教出版社版 42頁 バニヤン著)

・聖書以外では最もよく読まれた本の一つとされるのがこの書物で、それは数々の苦しみを経て、目的地なる神の国に導かれていく歩みを記したもの。その出発点に書かれているのがこの言葉である。信仰を持つとは、ここで言われているように、彼方へ続く道とその方向に輝く一点の光を見つめて生きていこうとすることである。

(162)信仰は冒険である。富や名誉を得るための冒険ではない。理想を行うための冒険である。良心に響く神の声に従おうとする冒険である。(「聖書之研究一九二七年七月」内村鑑三著)

・冒険とは、未知のところ、何らかの確実でないところに向かって踏み出すことである。そこにおのずから信仰が必要となってくる。周囲の人の歩むままに流されていく歩みには冒険はなく、信仰は力なきものとなるであろう。

(162)私の生涯で、最も助けとなったことは、朝目覚めるごとに、まず最初に、魂で神を仰ぎ見なさい、と訓練学校で教え込まれたことです。(これは、ナイチンゲールが、直接ある訓練学校で学ぶ人から聞いたとして引用している言葉。「ナイチンゲール書簡集」現代社 8頁)


st07_m2.gif返舟だより

近畿地区無教会集会
八月九日(土)〜十日(日)の二日間、京都桂坂にて、大阪狭山聖書集会が中心となってお世話くださり、近畿地区無教会・キリスト教集会がありました。ちょうど台風の四国地方への上陸と重なり、愛媛県の南部や松山、徳島などの参加者は、フェリーがとまって、JRに変更して長い時間をかけての参加となったり、高速バスが出ないので、三時間ほどもバスを待つことになったり、いろいろの妨げがありましが、全員参加できました。ほかに、近畿外では東京や鳥取からの参加者もあり、五十五名ほどの集まりでした。講師としては東京から日永康氏が、内村鑑三についての講演、私(吉村(孝))は、旧約聖書の信仰、新約聖書の信仰について聖書講話を担当しました。若い人も参加がだいぶあったので、若者の集まりも設けられ、初めての方、日頃参加したことのない方も参加があり、み言葉の学びや主にある交わりが与えられて、新しいいのちを与えられた思いでした。主はいろいろの主にある集まりを祝して導いて下さることを実感したことです。
2003/8

終わることのない対話    2003/7

神との対話は長く続く。信仰を与えられて以来、もう三五年以上になる。
 この長い歳月、一日中、神または主イエスとの会話を忘れていて、一度も神との対話をしたことがなかったという日はなかった。たとえ、山々を何日も超えての山旅をしているときでもそうであった。人の住んでいるところから離れて、山里や海の波の聞こえる浜辺に立つときなど、いっそう主イエスのほうから、神様のほうから私に語りかけて下さるように感じてきた。
人間との会話、それは会っているときだけのことが多いし、離れても語りかけているのは、特別な事情がある人、祈りという形で語りかける必要があるとき、神とその人をみつめて祈るときである。問題がある程度解決されたときには、波が引くように心のうちにおける、その人との対話は少なくなる。
また、人は、時と状況によっては、よき語りかけでなく、憎しみとか妬みのまじった語りかけ、非難や怒りの声で特定の人に心の内で語っていることもあるかも知れない。
そうした人間への語りかけとは全く違ったものが、神への語りかけであり、神からの語りかけを聴こうとする姿勢である。
若き日に、神を知らされ、キリストが十字架で死なれた意味を示され、それを信じて受け取ったときから、始まった神(キリスト)との対話、それは止まることがなかった。
苦しみのとき、追い詰められたとき、また病気のとき、なすすべもない八方塞がりのとき、またもう祈る気にもなれないという気分が心をかすめるとき…などなど、そのようないかなる時であってもなお、神との対話は止まることがなかった。
もう止めようと思ってもうちに促すものがある。そして神に向かって語りかけている。答えのようなものもない、ずっと膠着状態で、もう祈っても神は答えては下さらない、無力感が覆いそうになるとき、そう感じてもやはり、しばらくするといつしかその苦しみや心が雲のかかったような状態になってなお、神を仰ごうとする心を感じる。
神は私の祈りの心をしっかりと捕らえて下さっているのである。祈りが小さく、浅くなることもある。それでも、消えてはしまわない。風に揺られ、吹き消されそうになりつつも、なお祈りのともしびは燃え続けてきた。
それは神は祈りを求められ、その祈りを聞いてくださるのがその御心だからである。
旧約聖書の創世記に、神は人間に、神の息を吹きかけたとある。また、神のかたちに創造されたという。それゆえに、私たちは、神との対話すなわち神への祈りは魂のふかき所からの願いであり、魂の本能というべきものなのである。
悲しみや苦しみ、悩みを訴える祈り、将来への不安を訴える祈り…それらの傷ついた心から発せられる祈りは、最終的にはすべて一つにまとめられて、神への感謝と讃美となっていくように、主が導かれる。
旧約聖書の詩集である詩編が、神への讃美を重ねて波のように注ぎだす内容のもので終わっているのも、私たちの祈りが、最終的には神への讃美となることが期待されているからである。


st07_m2.gif何をしているか分からなかった

わずか十三歳なのに、小さな子供の命を奪った少年が、どうしてあのようなことをしたのかと言われたら、「何をしているか分からなかった」と言ったという。何をしているか分からない、それはあのような特殊な事件を起こしたからそう言ったのだと思うかもしれない。しかし、人間はいつでも、自分が何をしているか分かっていると言えるだろうか。
主イエスは、自分が十字架につけられたとき、そのようなことをする人々のことを、次のように言われた。

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ福音書二十三・34)

心の目がくもっていて、自分がしていることがどんなに罪深いことか、それが自分に必ず裁きとしてもどってくることが分からないのである。人間はじつにしばしば自分がやっていることが分からない。
聖書でもそのことは最初の書である創世記から強調されている。アダムとエバがヘビの誘惑によって、食べてはいけないと言われた木の実を食べて、エデンの園から追放されることが書いてある。それも彼らは自分たちが何をしているか見えなかったからであった。それがどんなに恐ろしい結果を招くか、一時的なことだ、どうでも大したことでないなどと軽く考えていたことが、いかに重大なことにつながるか全く見えなかった。
この創世記の記事は単に神話的なものにすぎないと思い込んでいる人が多い。しかし、これは現在もつねに生じていることなのである。食べてはならないもの、つまり、してはいけないことであるのに、それが分からない、自分が何をしているか分からないために、人生の道を誤って重い苦しみを背負って生きなければならなくなるのは実に多い。
モーセに導かれた人々が、モーセに逆らおうとして神のさばきを受けて滅んでしまったこと、それも彼らが自分たちが何をしているか分からなかったのである。
ダビデのような信仰深くて勇気と決断の優れていた人であっても、心がゆるんだときには自分が何をしているのか分からなくなって、重い罪を犯してしまったのである。
このように、人間は頭が働いて動物と異なるといっても、動物すらしないようなひどいことをして重い罰を受け、自分も家族も生涯続く苦しみへと投げ込まれる人たちもいる。
キリストですら、こう言われた。

そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。(ヨハネ福音書五・19)

自分からは何事もできないとは驚くべき言葉である。キリストですら、というよりキリストだからこそ、自分からは何もわからず、父なる神を見て初めてなすべきことが分かると言われる。主イエスはそれほど、父なる神のことがはっきりと見えたのであった。
人間は自分が何をしているか、その本当の意味がわからないものであるからこそ、神は主イエスと聖霊を人間に与えて下さって、主イエスに従い、聖霊によって霊の目を開かれる必要があったのである。
聖霊が注がれて初めて、私たちは何をしているかはっきりとみえるようになる。

主よ、いつも私たちに聖霊を与えて下さい。そして自分が何をしているのか、神の前に正しいことなのかどうかがわかるようにして下さい。


st07_m2.gif大いなる導き

私たちが生きるということは、導かれるか、それとも自分の考え、意志で生きていくか、それとも他人、周囲の考えに従って生きていくかということになる。かつて私は自分の考えや周囲の考えによって生きていた。周囲から認められること、認められるような何かができることをいつも目標としていた。それは私にとって、勉強であった。学校の成績をよくすることであった。
その後徐々に自分の考えというのが、どんなに頼りないか、思い知らされていくことになった。今から思ってみても、真実なものはどこにもなかった。みんな一時的なものであって、その場限りの考えで動いていたのであった。
聖書の世界に眼を開かれてみると、そこには、私が二十年あまり生きてきたなかで、知ったどんな考え方よりも、広く、深く、かつ、堅固なもの、動かないものがあるのに気づいた。

私たちは自分の考えで生きていけると思っている。しかし、聖書はそうした常識をはじめから一貫して打ち破っている。
それは、エデンの園の記事にも見られる。人間の周囲にはあらゆるよいもので満ちていた。しかしそれを感謝することもなく、それを創造した神に心を結びつけることもしなかった。
そこに、誘惑する者がやってくる。ヘビとされているが、それはこの世の神に敵対する力を象徴している。
神があらゆるよいもので満ちているようにして下さっているにもかかわらず、ヘビの言葉でエバはただ一つ食べてはいけないという実を食べてしまう。さらに夫であるアダムにも働きかけアダムも同様な罪を犯してしまう。
この記事は、自分の考えで物事を決めようとする場合、つねにこうした真実なものから引き離そうとする力(誘惑する力)によって判断の誤りを生じる。それは神のご意志に背く方向である。
聖書は、どのような理性的な人でも、またいわゆる頭のよい人でも同じように誤りを犯してしまうことを指し示している。
私たちは、何者に導かれているのか、それは子供のときには両親、まもなく、幼稚園や学校の先生、友達、そして周囲の考え方、会社の考え方などである。また新聞やテレビなどによっても大きく引っ張られている。
自分はどんなものにも導かれたり、引っ張られたりしないという人もいるかも知れない。しかし、それは錯覚にすぎない。自分の判断ということ自体、周囲の人たちによって左右されているからである。
例えば、太平洋戦争のときなど、ほとんどの国民が天皇を現人神だと信じ、アメリカは悪い国だ、鬼畜米英などといっていた。それらを自分の考えだと思っていた人も、それからわずか数年後の敗戦となった後には、アメリカやイギリスを鬼畜米英などという人はほとんどいなくなった。このように自分の考えといったものも、他人の考えのコピーにすぎないことが実に多い。
そのような実態があるから、人間は厳密にいうと自分の考えで動いているなどとはたいてい言えないのである。自分の考えとは実は他人の考えにすぎない。
となると、私たちが生きる頼りとなるのは、自分でも他人でもない存在、すなわち人間を超えたお方ということになる。それは聖書でいう神であり、キリストのことである。
アブラハムははるかな古代において、導かれて生きるという人生を最も明確に表した人のうちに数えられる。
導きは、突然にやってくる。アブラハムにおいても親族や住み慣れた故郷を離れて、神が示す新しい土地に旅立てという言葉が聞こえた。それはそれまで自分の考えで生きてきた人生が全く転換する言葉であった。自分が住んでいたところから、遠く離れたところに行け、という命令、それはアブラハムだけのものでは決してない。
人間は本質的に、動物とちがって、このように人生のある時に、神の言葉に従って、導かれていくという歩みをするように創造されているのである。それが罪を犯した者を導く神の愛なのである。罪の本性が入り込んだ人間にとって、そのままでは、必ず自分中心の罪の歩みをしていく、それは滅びへと向かうのみ。
それを滅びから救う道へと引き戻すために、神は呼びかけ、神の呼びかけに従って歩む生活へと導くのである。
神が導かれる生活に入ったからといって、安楽ばかりでは決してない。アブラハムにおいても、神が示した土地に行ったのであったが、飢饉によってそこでおれなくなったり、エジプト王に危うく妻を奪われてしまうところであったり、アブラハムの妻サラと、その仕え女であったハガルとの間に深刻な争いがあって、サラが、ハガルを追い出したために、ハガルは死ぬ寸前までになったこともあった。
 このように、神に導かれていく生活といっても、危険や困難、そしてさまざまの悲しみも生じていく。そのただなかで、神はそのわざをなされていく。
 モーセも同様である。イスラエルの男子として生まれたが、不思議ないきさつから、エジプトの王女に拾われ、王子として育てられた。しかし、大人になって、同胞のイスラエルの人間が苦しみに遭遇しているのを見て、自分の力と判断で助けようとした。しかしそれは無残にも砕かれて、助けるどころか自分の命が危なくなって、はるか遠くのミデアンにまで、生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよいつつ逃げていかねばならなかった。そうした経験によって自分の意志や判断で生きることがいかに、力ないことか、実を結ばないことかを思い知らされる。
 その後に、神が現れ、そこからモーセは神の導きを受ける人生へと変えられていく。
 自分の力や判断で生きていこうとすることは、このように、むしろ神から離れていくことが多い。自分の意志や善意がすべてであるが、それがいかに弱いか、またいかに善意が報いられないか、悪が強いかを思い知らされる。そうして次第に理想など持ってもなんにもならないとか、人間嫌悪や、自分だけが正しい人間なのだといった高慢な心になっていく。
 パウロはそうした例であった。自分の考えや判断で生きていこうとしたが、それは真理とは正反対であり、真理を与えられたキリスト教徒を迫害して殺すことまでした。それでもなお一直線に迫害への道を歩んでいたとき、神からの直接の語りかけによって、パウロは方向転換をさせられた。そして自分の学識や考え、判断で生きていくのでなく、神の導きによって生きていく新たな道を歩み始めたのである。
 ダビデも元々は羊飼いであった。羊飼いのままなら、自分の考えや家族の考えの通りに生きていっただろう。しかし、ある時に神によって招かれ、王となる道へと導かれていく。そして当時王であったサウル王からのさまざまの迫害を受けて危うく殺されそうになることも何度もあった。そのような苦難のなかで、詩が生まれ、それが旧約聖書のハートといわれる詩編の母体ともなった。そして彼の信仰がますます試練にあって深められていく。そして彼自身はまったく王になろうという気持ちはなかったにもかかわらず、王となっていく。彼のような、数々の危険をも主に導かれ、信仰も深められたものであっても、心が緩んだときに、大罪を犯してしまう。それは神の導きに背いて自分の本性に引っ張られたからであった。人間はどんなに長く信仰に生きていても、なお神に背いて神の導きから背き去ることがある。ダビデの大きな罪はそれを物語っている。
しかしそこからでも、なお立ち返ることによって再び神の導きに入れていただくことができる。ダビデは家庭の深刻な騒乱を招き、そのために、甚だしい苦しみを受けたが、悔い改めによって神の導きに再び入れていただいた。
しかしそうした苦難と悲しみによって、一度神の特別な導きの生活を歩んでいた者が、その神の導きに背いて、人間の欲望に従おうとすることがいかに重大な結果を招くかを思い知らされたのであった。
 預言者とは、偶像崇拝に伴う堕落を警告し、偶像崇拝がいかに人々を迷わせ、社会を腐敗させるかを警告するために遣わされた人々であった。この預言者と言われる人たちは、人生のあるときに徹底して神の導きに従って、神の言葉を語るように命じられた人である。
その間の状況はとくに、エレミヤにおいてよくわかる。エレミヤは、青年時代に突然神からの呼び出しを受けて、どんなに自分は神の言葉など告げられないといっても辞退することは許されず、神の言を担って語る者とされた。それ以後は、命を狙われるような困難、危険のただなかであっても、そして周囲がまったくエレミヤの預言を聞き入れず、かたくなな心によって彼を迫害し続けてもなお、神の導きのままに周囲の支配者たち、民衆の考えに対抗して神の言葉を語り続けたのである。
 
 新約聖書においても、神の導きに生きる姿ははっきりと記されている。ヤコブやペテロ、ヨハネたちの召された記述にも、それは明らかである。漁師としてその仕事中において主イエスの呼び出しを受け、その言葉に従って、主イエスに従うようになった。
ペテロについては、主の導きに従っていきつつも、主イエスが再び来られるときには、私をあなたの右、左において下さいとか、だれが一番偉いかとかの議論をしていて叱責されたこともある。また、主イエスが十字架に付けられるということを予告したとき、そんなことがあってはいけないと、主イエスをいさめることすらしたが、そのときには主イエスから「サタンよ退け!」ときびしく叱責された。そして主イエスがいよいよ捕らえられるというとき、自分は死んでもあなたについていく、とまで確言したのに、逃げてしまい、三度も主イエスを否認したこともあった。こうしたことは、人間が神の導きに生きるようになっても、絶えず気をつけていなければ、自分の考えや周囲の考えに従っていくようになる危険性を表している。
 それだけでない。復活のキリストに出会い、聖霊を豊かに受けてもなお、割礼問題で、大きなつまずきをして、信仰によって救われるという基本的な真理からそれることすらあって、パウロから面と向かって叱責されたこともある。
 そして、ペテロの最後は、新約聖書には書いてないが、新約聖書から少し後に書かれた文書には、そのことが記されている。
 ネロ皇帝の迫害を逃れて、ローマから逃げていくことを信徒たちから勧められ、逃げていく途中、主イエスが現れた。ペテロは、「主よ、どこへ行かれるのですか」(クォ ヴァディス ドミネ Quo Vadis Domine ) と尋ねた。主イエスは、「お前が、ローマのキリスト者たちを捨てて、迫害を恐れて逃げていくから、私がもう一度ローマで十字架にかかるために行くのだ」との答えがあった。それを聞いたペテロは、自分の非を悟って、ローマに引き返し、逆さ十字架にかけられて殉教したと伝えられている。(*)
 このペテロの生涯は、導かれる歩みであった。人生のある時期に主が現れ、個人的に呼び出しを受け、主に導かれる歩みを始める。しかしさまざまのこの世の誘惑によって主の導きから離れて自分や周囲の人たちの考えに従おうとする。しかし、主はそのようなときにも警告を与え、適切な機会を与えて主に導かれる歩みへと引き戻される。

(*)このことは、新約聖書の外典に含まれる、ペテロ行伝(紀元180〜190年頃に書かれたという)に記されている。ペテロが逆十字架に処刑されたということも、この書にみられる。これは、後にポーランドの作家、シェンキェヴィチによる大作、「クォ・ヴァディス」(一八九六年)に心を動かす記述で描かれて世界的に広く知られるに至った。この作品は、日本でも今から百年ほどまえから紹介されている。彼は、一九〇五年、ノーベル文学賞を受賞した。

 聖書以外にもこうした導きについては、大文学にも見られる。ダンテの神曲はそのような導きの生涯をテーマにした深遠な作品である。地獄編はたんに地獄に落とされている描写が興味深いといったものでなく、神の道からはずれるとき、どのような目に遭うのか、それを理性的に深く知ることを意味している。私たちの人生においても、神を知らなかったときにいかに苦しんだか、それを思い起こさせるものがある。そのようにして、神に背いた生活の苦しみを徹底的に思い知らされて、神を知らされ、罪の赦しと清めを受けていく生活となる。そしてさらに、御国への歩みへと続き、聖書にあるように、神とキリストとの深い交わりがどのようなものであるかを、ほかにはだれもなし得なかったような表現でなされていく。それが煉獄と天国である。
 ダンテの神曲の冒頭で、人生の半ばにおいて、暗い恐ろしい森にあったこと、思い返すだけでも、身震いするほどであった。そこからようやく光に包まれている丘に着いて、そこからその煉獄の山に上ろうとしたが、そこに人間の古い欲望や高慢など古い人間そのものといえる、妨げるものが行く手を阻んだ。そしてダンテは登るのをあきらめようと、後ずさりしていった。
 その時、何者かが眼前に現れたため、ダンテは、「憐れんで下さい!」と叫び、その現れた人こそが、ダンテを導く人だとわかった。ダンテは自分のうちに潜む貪欲とか本能的な欲望や高慢などに、立ち向かおうとしたができないのを思い知らされ、人間を超えるより高い力によって導かれるのでなければ正しく歩めないのを悟ったのである。
 ダンテを導く者は、ダンテよりも千三百年ほども昔の、ウェルギリウスという古代ローマ最大の詩人であった。このウェルギリウスは、神のご意志を受けた者からの命令でダンテのもとに遣わされる。
 このように、ダンテのような意志強固だと思われるような人であっても、自分の力で光の射す清めの山に登ることはできない、ただ引き返すのみであった。
 天国にしても、神の導きを象徴するベアトリーチェという女性によって導かれていく。そして神の愛をしばしば天的な響きの音楽のなかで、知らされていく。
 このようなダンテの神曲と共に、導きをテーマにした世界的に知られたキリスト教文学は、ジョン・バンヤンの「天路歴程」である。この世の罪から救われたいと、家族やまわりの人たちが引き止めるのを振り切って旅立った人が、途中のいろいろの困難や試練に出会いつつも、キリストの十字架によって重荷を下ろすことができ、神の導きによって滅びの世から、天の国へと歩んでいく過程を記したものである。
 また、旧約聖書の最も有名な詩として知られているのは、詩編二十三編であるが、これも、神による導きによって生きることの幸いを歌っている。

主はわが牧者である。
私には乏しいことがない。
主は私を導いて緑の野に伏させ、
憩いのみぎわに伴って下さる。
そして魂を生き返らせて下さる。
主は御名にふさわしく
私を正しい道に導かれる。
たとい、死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。
あなたが私と共にいて下さる。

これは、詩編のなかでも最も有名な詩であるが、それが、神の導きをテーマにした詩であるということは、暗示的である。やはり人が最も心に求めているのが、こうした生きた導き、万能の神の御手による導きに生きるということなのだと思わされる。
こうした重要なことを示しているのが、使徒への呼び出しであった。主イエスは、「私についてきなさい。」と言われたが、そのことに従って、ペテロやアンデレ、ヨハネたちは、イエスについて行った。すなわち、主イエスに導かれる生活へと転じたのである。
使徒ペテロ(シモンとも言う)に対して、主イエスが語りかけた最後の言葉は、やはり導きということであった。
イエスは、ペテロに三度も「シモン、私を愛しているか。」と繰り返して問われたあとで、つぎのように言われた。

はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。
しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(ヨハネ福音書二十一・8)

これは、若いときには、人間はだれでも自分の意志や考え、希望で生きている。しかしキリストの弟子となり、聖霊を与えられて生きるようになったからには、自分の意志とは別の意志、神の意志により、神に導かれて生きるようになるということを表している。

使徒パウロもキリスト者の生き方というのは、導かれて生きるのだということを強調していて、その導きは神の霊によるということがはっきりと言われている。

神の霊によって、導かれる者は、みな神の子供たちである。(ローマの信徒への手紙八・14)

使徒たちの伝道の記録である、使徒言行録にはいかに弟子たちが聖霊によって導かれていたかが、具体的に記されている。

彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロ(パウロの別名)をわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」(使徒言行録十三・2)

主が決めておいた仕事とは、異邦人への伝道である。パウロのようなキリスト教界で最大の働きをした人物は、決して自分の希望や意志で異邦人への伝道という大仕事に志したのではなかった。この箇所が示しているように、聖霊によって命じられ、それに従ったのである。
このように、聖書によれば、信仰をもって生きるということは、単に復活や十字架ということを言葉のうえで信じているというのでなく、そうしたことを信じた上で、神あるいは聖霊に導かれて生きることなのである。
そうした導きを受けるために第一に必要なことは、私たちの罪が赦され、そこに聖霊が注がれることである。
日本の代表的作家とされる、夏目漱石の「心」という作品がある。
これは、自分が愛する女性を自分の友人にとられそうになった先生といわれる人物が、その友人に対して心ない言動をとる。それによってその友人は自殺してしまう。その原因をただ一人知っている先生はだれにもそのことを話すことができず、一人悩み苦しみ、その解決ができないことに追い詰められ、ついに自らの命を断つという内容である。自分の犯した罪、それが赦されない罪として人を苦しめていく様が描かれている。
罪の赦しへと導かれない人間は、良心的であろうとするほどこのように追い詰められ、苦しみは深まる。
しかし、漱石の「心」は、どこにもその解決が示されていない。このような作品を読んだだけでは、人は自分の内なる赦されない罪によって苦しめられるのみである。
使徒パウロが、自分はどうしても善いことができない。してはならないと思っていることをしてしまう、自分は死のからだを持っていると、深く嘆いている箇所があるが、まさに、罪に苦しめられた人はだれでも、こうした自分自身への絶望のようなものを感じたことがあるだろう。
だからこそ、人間は人間を超えた存在によってまず、罪の赦しへと導かれる必要が生じる。

導きということは、単に個々の人間だけについていえることでない。それは、キリスト者全体が、キリストによって導かれていくことである。

わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。…
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ福音書十・14〜16より)

このように、羊飼いであるキリストがすべてのキリストを信じる人たち、その集まり全体を導いて一つの群れとすると言われている。こうした全体としての導きは、人間だけでなく、この世界のすべてが一つとされることが約束されている。

こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのである。(エペソ書一・10)

神の導きということは、この世界や宇宙全体にもかかわっているものであって、たんに偶然的にこの世界が動いているのでもなければ、悪や人間が動かしているのでもない。それらすべてを超えた神が導き、最終的に一つとされるのである。このような大いなることは、人間が考えて生み出したことではない。ただ、神が選んだ人に啓示したことであり、私たちキリスト者もそのような大いなる導きの世界へと招かれているのである。
(なお、これは、七月二十日の主日礼拝に日本キリスト教団・利別教会で話した聖書講話(説教)とほぼ同じものです。)


st07_m2.gif北海道でのこと

瀬棚聖書講習会について

七月十八日(金)の夕方から二十一日(月)の昼まで、北海道の日本海に面した瀬棚郡瀬棚町にて、第三十回瀬棚聖書集会が開催され、今回初めてその集会にて聖書の講話を担当することになりました。北海道は三十八年前に学生のとき、山ばかりを登ろうと考えてテントなども携行して一人で出かけて以来のことでした。
今回の聖書講習会では、天の恵みを数々受けて祝福された数日間でした。多くの人たちによる準備や当日の私たちへのお世話、また徳島聖書キリスト集会の人たちには私の体調が最近すぐれなかったこともあって、とても心にかけて祈りをもって備えて下さって、主にある愛を感謝でした。
一週間前には、阪神方面での聖書講話を三日間かけて担当する予定でしたが、二日間に短縮したり、北海道に旅立つ一週間ほどは、一〇日ほどは集会も休み、体調がもとに戻ることを第一にして備えることにしました。この数日間、主がともにいて、支えて下さったのを感じています。
私たちの集会員あるいは参加し始めている人、それから県外にいるかつての集会員も加わり、五名がともに参加できたことも感謝で、埼玉県から参加された栗原庸夫(つねお)兄たちとともに、瀬棚の人たちとの合同の集まりのような面もありました。
 数カ月まえにはそういった町の存在さえも知らなかったところでしたが、今回のような聖書を中心とした集会が三十年ほども続けられていることに驚くとともに、それが酪農をやっている人たちが大部分を占めていると知っていっそう意外な気がしていました。
全国にこうした夏期の聖書講習会のようなものは多く開催されており、農業をしている人が多く加わっている集会も知っていますが、酪農業をしているひとがほとんどであるような集会というのはきいたことがなかったからです。
 北海道に着くと、肌寒く、体調が十分でなかったこともあって、その気温の低さが予想外でした。これは例年にまして寒いとのことでした。
 車で今回の集会の責任者である西川 譲(ゆずる)兄が迎えに来ておられ、私たち四国からの参加者五人と、埼玉県の栗原兄たちを車で運んで下さいました。走り出してまもなく、湿地の原野に、アヤメかノハナショウブと思われる野草の花が点在していて、他にも関西では見られない花があちこちに見られ、山間部になると、オオウバユリの野性的な姿も多く見られました。
北海道の瀬棚町といっても、四国の人にとってはほとんどが知らないと思われます。この日本海側の人口三千人ほどの町に、いまから百年余り前に、同志社大学出身の一学生(志方之善)がこの地方に入ったのが、キリスト教が入った最初で、その後、その志方(しかた)と結婚した、日本で初めての女医となった、荻野吟子(おぎの ぎんこ)もキリスト集会であったので、この夫妻によってキリスト教の種が蒔かれました。それ以来、この地方や隣接する地域にキリスト者の開拓者が入ってきて今日に至るまで、キリスト者たちの多い集落となって続いてきたということです。 
 今回の集会にて印象的であったのは、酪農業をしながら三十年という長い間を、最初に開拓に入った人たちとそのつぎの世代の人たちが一緒になって開催していること、夏の聖書集会の責任は、次の世代の人たちにゆだねられて、若い世代が去年から企画運営しているということでした。開拓した世代の人といっても、まだまだ現役で酪農をやっておられる人たちであり、十分に聖書集会も企画運営できる人たちであるけれども、若い人たちへの信仰的訓練と、信仰の受け渡しという意味を兼ねてなされていることと思われ、このことも異例のことだと感じました。
 今年はとくに寒くてセーターなどが不可欠の状態で、外には真夏とは到底思えない春先のような冷たい風が強く吹いていて、夕日の射す瀬棚の町の風景と周囲に広がるうねうねとした丘陵とあいまって日本ではない、どこか外国にいるような感じがありました。
 集会は部分参加の人が大部分で、乳牛に関係した仕事を朝に夕にしつつ、集会に参加するという状態で、これも他ではない形です。何らかの形で参加していた人たちは連れてきていた子供も含めると四十人ほどはいたように思います。子供たちと、その若い親、さらにその親と三代の世代が集まるという集会で、もとは、ある方の孫が生まれたときに、若い世代に何とかキリストの福音を伝えたいという願いから始まったとのことで、長く横浜の堤道雄氏が年に一度瀬棚町に来られて聖書講話をされていたということです。
 関西では考えられない、広大な森林や原野、点在する酪農家、となりの家が時にははるか遠くにあるという環境のなかで、自然一色に包まれて、そこでキリストの福音を信じて信仰を続けて来られた人たち、素朴さと生活に密着した力が感じられ、その背後にそうした人口三千人ほどの小さな町にも長い年月を導かれたキリストの力が実感されたことです。 
 今回は、ちょうど、四十年前に地元教会のワークキャンプ(キリスト者の若い人たちが何らかの仕事を泊まりがけでする。この地域ではとくに酪農を実際に手伝いをする)に参加していた人たちが今は全国に散在しているが、その人たちが四十年ぶりに一種の同窓会をすることになって、その八人ほどの人たちとも教会の礼拝や食事など部分的にともに参加することにもなりました。
 今回は聖書講話が中心で、土曜日から月曜日まで七回ほど(主日礼拝説教も合わせて)、合計時間では、七時間ちかい時間がそれにあてられていましたので、なるべく変化をつけるために、旧約聖書と新約聖書の双方を用いることにし、旧約からは創世記と詩編、新約からはマタイ福音書とパウロの手紙から選びました。
二十日の日曜日には、日本キリスト教団の利別(としべつ)教会の主日礼拝での聖書講話(説教)を担当することになっていて、創世記からの聖書講話を三十分ほど語りました。その日は、前述の四十年ぶりのワークキャンプの同窓会に参加した人たち(東京や埼玉など)、そして私たち、それから地元の教会関係の信徒とその子供たちも集まったために、全部合わせると六十人以上は参加していたようでした。
礼拝のあと、そのような遠くいろいろの地方から参加した人たちを歓迎するために、教会にて特別なメニューでの昼食となり、交流の機会ともなりました。
この瀬棚地方といっても、大多数の「はこ舟」読者の方々には未知のところと思いますので、少し説明をしておきます。北海道南部の日本海側にあり、函館と札幌のほぼ中間部といえる位置にあります。
札幌からでも、一部(札幌-小樽間)高速道路を用いても四時間半ほどもかかるところです。
瀬棚という所は、広大な北海道のなかで私たちには全く未知のところでしたが、そこにおられた人々のうちには、以前から私たちの集会のテープや「はこ舟」誌を毎月一度お届けしていた方のご子息や孫にあたる方々が参加されていると知って、神の導きの不思議を感じたことです。ことに、今回の聖書集会の責任者であった、西川譲さんの祖母であった、西川 ことさんは、今から一年半あまり前に、私が静岡での合同集会に聖書講話に出向いた際に、会場となっていた二階にも上がれない状態であったけれども、熱心な方で参加の気持ちが強く、何人かの人が車椅子に乗せて運び上げて参加されたのでした。その後数カ月で、西川ことさんは九十歳で天に召されたのです。そのようなわけで、特別に印象に残っていたのでした。
また、この瀬棚聖書講習会で以前の責任者であった野中正孝さんのご両親は一九九五年からの「はこ舟」の読者で、時々来信あり、奥様はすでに四回も脳の切開手術をされたこと、その後も後遺症や糖尿病など病気の苦しみのこととともに、「はこ舟」を楽しみに待っていると書いてこられたのを覚えています。(九九年十一月の来信)
そうした方のご子息やその孫に当たる若い人たちが何人も参加されているのを知って、とても思いがけないことでした。
また、日曜日の礼拝のあとで、会場となった利別教会に属している方が来られて、「祈の友」会員であることを言われ、このようなところにも祈りの友としての結びつきが与えられていることも感謝でした。
 
礼文島でのこと

今回は、聖書の講習会の後で礼文島を訪れることができ、いっそう強い印象を与えられて帰途につくことができました。
四十年近くまえに、学生時代に礼文島で数日間とてもお世話になったKさんのところにできれば行きたいと願っていました。Kさんご夫妻はたまたま山道で出会った行きずりの山登りしている学生にすぎなかった私に、それまでの経験では考えられないような親切と好意を注いで下さったのです。
 私はどうしてこんな全くの他人にこんなにしていただけるのかわかりませんでした。日本の最北の島では自然の人間に与えられている、神のかたちとしての善意がそのまま保たれているのかと強い印象を受けたのです。
 礼文島から始まって二〇日あまりを一人で、テントも持って、大雪山とか十勝岳、羅臼岳、雌阿寒岳など、北海道の山々に登り、また人の行かない湖や海岸などをたずねて歩き続けたので、その印象は今もそのままに鮮やかですが、そのような自然とそこに住む人間の真実な心が織りなされるときにはいっそう深いところに刻まれるものです。礼文島でのKさんご夫妻との出会いはまさにそのようなものでした。
今回は健康上の問題もありましたので、無理かもしれないと思っていました。しかし、数十年も機会はなかったのですから、今回を逃せばもう二度とその機会はないと思われました。わずかの時間でも…と考えて、思い切って予定に組み込みました。
私が教員を十年ほど前に退職したときに、記念の旅行券を支給されていたのですが、いままではずっと夫婦で旅行するといった機会がなく、そのままになっていました。しかし、今回初めてその機会が与えられ、旅行券も使うことができることになり、それを用いて、わずかの時間でしたが、礼文島を訪れ、三十八年ぶりに再会することができました。
 大学二年のときに初めて訪れてからもう何十年にもなりますが、それ以来しばしばKさんご夫妻は私に礼文島にくるようにと招いて下さっていました。しかし、日本の最北の島でもあり、はじめからそんな機会はないだろうと思ってあきらめていたのです。
今回せっかく訪問できても、午後五時すぎに着いて、翌日の朝十一時にはもう離れるということで、かつてお世話になった人と会うことだけできたらと思っていましたが、その人の家に着くと驚いたことに、その方のご子息夫妻や孫など親族の方々が集まっていて、私たちを歓迎して下さり、その地方の珍しい海の幸などたくさん用意して待っていて下さっていたのです。Kさんのお孫さんもすでに結婚されている方が多いようでしたが、一人のお孫さんは、ボーイフレンドとともにその場に加わっていました。
 全くの他人にすぎないし、もう四〇年ほども会ったこともない、ゆきずりの旅人であった私に対して、そのような形で迎えて下さることが驚きでした。
その人の前述の人とは別の孫であるYさんがお母さんとともに夕方近いのに、私たちを車に乗せて下さって、高山植物が咲き乱れる美しい場所へとつれて行ってくれました。そこからは、海を隔てて、富士のような美しい姿で利尻岳(標高千七百メートル余)が海の中にそびえているのが正面に見えて、それを見ている足元には、数々の高山植物群落が四国では考えられないほど豊かに咲き誇っている光景が広がっていました。
それは、他では見られないような静けさに満ちた光景であり、ほとんど人もおらず、海中に浮かぶ雲をまとった神秘的な山と海、そして九州、四国、近畿地方などでは決して見ることのできない高山植物の大群落は、神の創造された特別な園に置かれた感がありました。
それは三八年前に初めて見て以来、ずっと心に焼き付けられていた光景でしたが、前回はゆたかな植物群落のことは少ししか見ることができなくて、知識もわずかであったのですが、今回はそれ以来四〇年ちかく、いろいろの地方の植物に接してきて、植物に関する知識もはるかに増加していたので、いかにこの地域が、貴重な植物たちが一面に広がっているか、その豊かさに息をのむほどでした。
これは、私にとっては、たしかに「神の言葉」でありました。神の国のことをいろいろと私に語りかけてくるものであり、それはいまも心に響いているのです。この世の汚れと不真実に満ちた世にあって、神は自然のなかに御国のおもかげを刻みつけておられるのでした。
他の地域なら、高い山を長時間かけて登り、ようやく一部の地域にて見いだせる貴重な植物たちが、ここではあふれるばかりに育っていて、私に語りかけてくるのです。そしてまだ、一〇代であった頃、山という自然によって初めて目に見える世界と異なる清い世界、力に満ちた世界をほのかに感じた私にとって、今回の礼文島で接した自然は、神の国を思わせる美と清いものに満ちた世界を新たに刻みつけてくれた思いでした。
夕暮れ近くであったゆえに、他の人もほとんどおらず、火山特有の一面に広がるなだらかな草原状の山にあって夕日が射していて得難い美しさのひとときを恵まれたのです。
 瀬棚という地では神とキリストを信じる人たちの織りなす場にて新しい息吹を受け、神がいかに歳月を超えて人間を導き祝福を与えられるかを目の当たりにして、神の生きた導きを知らされました。
また、礼文島においては、かつて何のゆかりもない他人にも、心からの親切をもって対して下さり、四〇年近く一度も会ってなくともなおつながりが消えることのなかった人間の好意、そしてそれを包む美しい自然がやはりともに神の愛や万能の力を指し示してくれたのです。


st07_m2.gif休憩室

○火星
空の星もほとんど見られないような都会にいても、今回の火星の大接近によって、とくに明るく見えるので容易に観察できると思われます。深夜十二時頃に南東のほうの空を見ると、とても明るい、赤い星が見つかります。それが火星です。地球の仲間である惑星であのように赤いのは、火星だけで、そのために火星という名称がつけられています。火星は二年二カ月ごとに接近するので、二年前の六月二十二日にも接近していたし、また二年後の二〇〇五年十月三〇日にも再び接近します。しかし、今回のように近づくのはおよそ六万年ぶりで、再び今回のように近づくのは二八四年後ということです。
今回の明るさは、最大のときで、マイナス2・9等で、木星が最も明るいときでも、マイナス2・5等、恒星のうちで、最も明るい大犬座のシリウスは、マイナス1・5等なのですから、その明るさが想像できると思います。なお、宵の明星とか明けの明星として知られている金星はマイナス4・4等の明るさで、これは別格です。
現在では、夜空の星や野の花といった、神の創造の雄大さや美しさに直接に触れる機会がますます少なくなりつつあり、それが子供の心の荒廃にも関係しています。子供に伝えるためにはまず大人がそうした自然に心を向ける必要があると思われます。

○礼文島で見られた植物たちのうち、いくつか印象に残った花を書いておきます。
・レブンウスユキソウ(礼文薄雪草)これは、有名なヨーロッパアルプスなどで知られているエーデルワイスとよく似た花です。美しさの点からいえば、ほかにたくさんの花があるのですが、この花は高山の厳しい気候のなかで咲き、白い星のように見えるので、とりわけ有名になっています。
この名前のエーデル(edel)とは、ドイツ語で「高貴な」という意味、ワイスとは、weis で、英語のwhite 、つまり「白」の意。ドイツ語では、ヴァイスと発音します。それで、この名前の意味は、「高貴なる白」という意味になります。この花はスイスの国花であり、また世界的に有名となった、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中の曲の名としても知られています。

・エゾニュウ…これは、礼文島の山地にとりわけ目立つ大型のセリ科の植物です。春の七草の一つである、セリの花をぐんと大きくしたようなものです。高さは一〜三メートルにも達するものです。ニュウとはアイヌ語だといいます。アイヌの人たちもこの花に関心を持っていたのがうかがえます。これは、東北地方から北海道、そして樺太や千島の山中に生える野草です。
・イブキトラノオ…徳島県では剣山やその近くの塔ノ丸などの高い山で見られる、長い穂の様な形をした花ですが、礼文島ではたくさん咲いていました。しかも剣山周辺のものよりも、大型で花も大きいものでした。
・エゾカワラナデシコ…四国では山を歩いていてもごく少数しか見られないカワラナデシコですが、礼文島では、平地に近いところでも咲いており、少し山道をあがると、たくさん咲いているのが見られます。草丈は低いのですが、美しさは変わりません。中国のナデシコであるセキチクやアメリカナデシコと区別して、日本のナデシコなので、ヤマトナデシコとも言われますが、この花の持つ雰囲気はたしかに日本女性の本来のよさを感じさせるものがあります。


st07_m2.gifことば

(160)
善は一つも失われない
かつて存在したものは、存在し続ける
悪は空であり、無である
善は善として存在し続ける
地にてはきれぎれの弧であっても
天にては完全な円  (ブラウニングの詩より)

・これは、キリスト教における基本的な確信です。神はいっさいの善いことの源であり、神ご自身は永遠の存在です。それゆえに、善そのもの、善きことそのものは、人の目には一時的に消えたように見えても決して消えてはいないのです。善いことはごく断片的にしかない、いくら善いことがあっても、じきに消えていくように見えます。それがここでいう、「きれぎれの円弧」のように見えるということです。しかし神の国においては、つねに完全な円として、すなわちいかなるものも害することもできない完全なものとして存在し続けているのです。
 神の愛や、美そのもの、清いもの自体は、地上でどんなに小さなものに見えようとも、また時に消滅していくように見えても、完全なかたちで存在しつづけているわけです。


st07_m2.gif返舟だより

○毎月、「はこ舟」をご恵送賜り、ありがとうございます。私は一九五三年に、病気がいやされて上京しました。聖書を手にして間もない私が田舎から心に刻んできたのは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ福音書六・33)ただ一句でした。
学問なし、健康に自信なしの私を以来支えて下さった聖句でした。しかし、その意味はわかりませんでした。わからないけれども、神様、イエス様の存在を信じ、迷いながらも道草を食いながらも、信じる歩みを続けることができ、「これらのものはみな、加えて与えられる」恵みを体験できました。
それだけに、「はこ舟」五月号、六月号における「神の国」についての解きあかしを感銘深く拝読いたしました。三回繰り返し拝読しましたが、これからも読ませていただくことと存じます。
「復活も、十字架」での罪の赦しも、神の国(支配)が直接的に実現したことを意味している」、「神の国」の中にキリスト教のすべてが満たされているのだと思います。…(関東地方の読者から)

○お祈りと充実して深いみ言葉を有難うございます。本当にそうだなぁ!と、ハッと揺さぶられたり、四国の風に…当たりたいなぁ!!と、郷愁を覚えながら、ここで今できることを模索しています。
…濃霧がかかっても雨上がりには、なお一層さやかに、より近くに雄大な山々が姿を現します。そして 神様の御まなざしを想います。
…私は「はこ舟」のメッセージを重く受け留め、平和と反戦の課題を、地域の人たちと祈り、考えて行きたいです。(関東地方からのメール)

○毎号感銘を受けています。今月号、「神の国とは何か」に特に…。再読三読を誘われるほど。今回の記事は長文にもかかわらず最後まで休まず(小生は視覚障害者)読み終えました。(中部地方の方)
2003/7

愛とさばき    2003/6

キリスト教は愛の宗教だと言われる。そしてそれは事実である。どんな罪悪を犯した者でも、ただ心から赦して下さる神の愛、十字架にキリストが死んで下さったと信じるだけで、すべてが赦され、神の国のよき賜物が与えられるというのは、人間の社会では考えられないことである。殺人のようなひどい犯罪を犯してしまえば、どんなに悔い改めても、裁判で重罪とされ、周囲の人々からは生涯冷たい目でみられるだろう。しかし、神はそうしたあらゆる人間の感情や人間の愛とは本質的に異なっている。
放蕩息子という有名なたとえ話しがある。生きているうちから財産の分け前をもらい、父から遠く離れて放蕩の限りを尽くしたが、その挙げ句に食べるものもなくなり、最も汚れたとされていた豚の餌すら求めるほどであった。そのような状況に陥ってもうそのままいけば死ぬ他はないというところまで追い詰められたとき、初めてその息子は自分の罪に気づいた。そして天に対しても父に対しも罪を犯したと深く悟って、もう使用人でもいからと父のところに帰って行った。そのような息子であったが、父親は遠くからその息子を見つけて、走り寄り、大いに喜び、抱きしめて最上のごちそうをしてやったとある。ここにも聖書でいう神がいかに愛の深い御方であるかが示されている。 また、いつの世でも見下され、苦しめられる貧しい人、重い病人、障害者、ハンセン病の人たちをまず第一に省みて慰め、力を与えられた。この世からは極刑にしてさらしものにするしかないとみなされ、十字架につけて殺されていくような重罪人にすら、主イエスは愛を注がれて、その人が最期のときに主イエスを信じたことによって、最初にパラダイスに行くようにされたほど、その死んでいく罪人を愛されたのである。
こうした記事はそのまま現代の私たちにも経験できることである。神に背き、罪を犯して神を忘れていてもただ神を仰ぐだけでたしかな赦しを受け、十字架のキリストを仰ぐだけで、罪赦され、心の平安を与えられることを実感することができる。キリスト者とはまさにそうした神の愛を実感した人だといえる。
このような愛の神であるが、他方キリスト教では神のさばきということもはっきりと記されている。ただ神に心を向けかえるだけで、何にも代えがたい主の平安を与えられる道が備えられているのに、それをあえて意識的に拒み、真実なものを踏みにじることを続けていくならば、さばきが必ずある。また主の名を用いていながら、じつは自分の利益を求めていくような偽りの心を続けていくなら、やはりさばきは必ず生じる。それは何かの事故や病気ということで、その警告やさばきが行われることもあるだろう。しかし、そのようなことは真実に生きる人にも生じることであり、さばきとはいえないことも多い。
さばきはもっと身近に実感できることである。私たち自身においても、他人に不信実なことをいったり、したりすれば何か心が穏やかでない。清い喜びは確実に消えていく。そこにさばきがある。逆に他人にたいしてそれがよくない人であっても、もし祈りをもって対することができたとき、どこか心にさわやかさがとどまる。
神がもっておられるような真実を軽んじ、自分中心に汚れた考えや行動を続けていくときには、その人は必ず心が濁り、それはよどんだ目や表情、濁った声などとなって自然に外にも現れてくる。そこにさばきがある。そしてそのような場合には心のなかに決して澄んだ喜びや深い平安は与えられず、真実な友人などが確実にいなくなっていく。
このように、さばきはいわゆる不幸とされるようなことでなく、私たちの日常の心の世界に確実になされているのである。
旧約聖書の預言書において、つぎのように記されていることは、いまから二五〇〇年以上も昔に書かれたことであるが、そのまま現代に生きる私たちに、神のさばきがとんなことであるかを告げている。

…その心が主を離れ去っている人はのろわれる。彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく、人の住めない不毛の地、暑い荒れ野を住まいとする。(エレミヤ書十七章より)

そのよう者は、深い平安なく、心にうるおいなく、真に心を結び合う友も与えられない。
しかし、このような状態に陥って神の御手にかかることがいかに重大なことかを思い知らされて、神に立ち返るとき、そのような状態からでも人は再び神の愛を受けて生きることができるようになる。ここにも神の愛がある。
神の愛は、果てしない。しかしまた神のさばきも、たんに個人にとどまらず、家庭や社会、国家全体、そしてその背後にある悪そのものにも及ぶのである。神への愛が聖書のいたるところで示されているとともに、しはしば神をおそれよと言われているのはそうした愛とさばきを同時にもって、すべての人、全世界に及ぼすことができるからである。


st07_m2.gif海の深みに

 日々の生活のなかで、私たちの心の内には、なにかすっきりしないものが残ることが多い。それはたいてい、毎日の生活、職業でのこと、自分自身があるべき生き方ができていないとか、家族であれ他人であれ、他者が言ったことが気になる、心が重く傷ついているといったことのゆえであり、また健康上の不安などであることも多い。さらにこれからの社会はどうなるのかといった、将来への漠然とした暗雲を感じることもある。
 こうしたさまざまの憂うつや重い心は、時としてどうすることもできないほどにもなる。
 このような心の重さや憂うつ、不安はどこから来るのか、それは周囲のせいなのか、確かに周りの人間や社会が間違っていることから来ているということも多い。
 しかし、そうした事態に対面する私たち自身にも常に問題がある。それは私たちの心の深いところで、真実なものに従えない、自分中心のすがたが根強く残っているからである。それを聖書で罪と言っている。
 病気の苦しみですら、その苦しみを耐えがたいものにしているのは、実はその人の心の内奥にある罪なのだということは、主イエスも指摘されたことがある。
 それは、つぎのような記事である。

…人々が中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(ルカ福音書五・18〜20)

 病人や周りの人たちが心から願っていたのは、長く苦しい病気をいやしてもらうためであって、罪を赦されるために来たのではなかった。しかし主イエスは、その苦しみの根源には赦されない罪があるということを見抜いておられた。罪が赦されるのでなかったら、もし病気がいやされても今度は健康になったからだで新たな罪を重ねることになる。人間の最も重要な問題は、からだが癒されること以上に、その心であり、魂が罪赦され、清められることなのである。
 事実、この世の大きな犯罪はからだが健康な人たちによって起こされているのであって、病気に苦しむ人によってではない。健康はそのままでは決して、真実な生活へとつながってはいないのである。
 こうした点から、聖書では心のなかの深い問題、罪を赦されるということが、最も重要なこととして記されている。

見よ、わたしの受けた苦痛は
平安のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びに陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに投げ捨ててくださった。(イザヤ書三八・17)

 これは、死の病にかかった王が心を注ぎだしての祈りによって、神からの力を与えられ、命を与えられた後で神に感謝して作った詩である。そこには、病気のいやしにとどまらず、魂の病気といえる罪を投げ捨てて下さったことへの深い感謝と喜びがある。 
 キリスト教信仰もこのことが根本にある。
 キリスト教のシンボルとなっている十字架は、まさにそのことである。主イエスが十字架で死んで下さったことにより、私たちのどうすることもできない罪そのものを、後ろに投げ捨てて下さったのである。

…あなたのような神がほかにあろうか
咎(とが)を除き、罪を赦される神が。…
神はいつまでもご自分の民の残りの者に
いつまでも怒りを保たれることはない
神は慈しみを喜ばれるゆえに。
主は再び我らを憐れみ
我らのすべての罪を海の深みに投げ込まれる。(旧約聖書・ミカ書七・18〜19より)

 ここにも、神のご性質がどのようなものであるかが、心に残る表現で言われている。旧約聖書の神はしばしば怒りの神、裁きの神といわれる。しかし、決してそのような単純なものではない。ここにあるように、神の本質的なご性質は、憐れみの神であり、赦しの神なのである。そのような神のお心を完全に持たれて地上に現れたのが、キリストであった。
 私たちのさまざまの心の重さや憂うつや暗い気持ちの根本にある罪、それはただキリストが、十字架にかかって私たちの罪を身代わりに負って下さったと信じるだけで、その罪が「海の深みに投げ込まれる」という実感を与えられる。
 人ではない、神ご自身がそのようにして私たちが罪によって沈んでいくことから救い出して下さる。罪が赦されずに残っているかぎり、私たちの存在は次第に沈んでいく。老年が近づき、死が近づくのはだれでも同様であるが、それとともに次第に罪が私たちの存在を死という闇に引き下ろし、海の深みに我々自身が沈んでいくのである。
 罪赦されて初めて、魂の深いところでも重荷が軽くされ、光が臨み、この世には助け主がおられ、死のなかに沈んでいくのでなく、逆に光にみちた天の国へと引き上げられていくのだという予感が与えられる。

…そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。…死も火の池に投げ込まれた。(黙示録二十・10〜14より)

 聖書の最後に近いところで、このように、この世の悪そのものと死が火の池に投げ込まれたという表現で、それらが永遠に滅ぼされたことが力強く記されている。私たちを悩ますもの、それは罪であり、罪を起こさせる悪そのものであり、あらゆるよいことすべてを飲み込んでいく死の力であるが、それらが永遠に消滅させられるということは、私たちの最終的な希望である。
 この世で生きるということ、老年に近づくことは、つぎつぎとよいものが投げ捨てられて、なくなっていくということのように見える。しかし神とキリストを信じるとき、逆に私たちを縛る最も重いものを神ご自身が海の深みに投げ込み、天の国の賜物をもって私たちを導いて下さるのである。


st07_m2.gif集会の重要性について

 毎年の四国のキリスト者(無教会)の合同の集まりが、今年もこの6月に行われた。信仰に生きることは、一人だけでももろろん可能である。
 しかし、他方で、このようなキリストを信じる人たちの合同の集まりによっても神は働かれる。もう幾年にもわたってわが家に月に一度、神戸からわざわざ来て下さって、集会のテープのダビングを主としてその他の伝道にかかわる仕事を手伝って下さっている神戸のUさんは、四国集会で出会った方である。このテープダビングで私自身もずいぶん助けれらてきたし、またこのテープによって集会や学びをしておられる方々もある。四国集会がなかったらこうした出会いもなくテープダビングもわずかしかできていなかった。
 また、私は高校の理科教員として、理科を教えながら自然の世界に現れた神のわざを紹介しつつ、放課後などで希望者には読書会という形で、聖書やキリスト教関係の書物を語り、み言葉を伝えることを目的として生涯を送るつもりであった。
 しかし教員となって十年ほどたった頃、四国集会で知り合った大阪のある方からの紹介で全盲のTさんとの関わりが与えられて、聖書の世界をその人に紹介するべく、定期的に訪問するようになった。それが視覚障害者の方々との関わりの最初であり、その少し後に、別の全盲の人を紹介されて、点字の教育を個人的に依頼されることになった。
 そのことから、神が私に盲学校への転勤を望んでおられるのを直感し、盲学校に転勤希望を出したのであった。そこでは困難な問題が生じたが、主の驚くべき助けによって乗り越えることができた。ついで聴覚障害者の学校へと転じることになった。
 そうしたことから私たちの集会ではいろいろの障害者の方が増えていくことになった。今日まで私はそうした障害者の人たちとの関わりで書物からは決して学べないいろいろのことを学んできたし、その方々によって実に多くの祈りや支えを与えられてきた。
 四国集会がなかったら、私と障害者の関わりもなく、私たちの集会の状態もずいぶん変わったものになっていただろう。主イエスが病気の人や障害者との関わりを重視された意味が、私たちの集会に集っておられる障害者の方々との長年にわたる関わりによって示されてきたのも大きな収穫であった。
 これは一例であるが、こうした合同の集会がなかったら私たちの主にある兄弟姉妹との交流はずっと貧しいものになっていただろう。主にある交わりはそこに主がはたらく場となるのである。エクレシア(信じる人たちの集まり)はキリストのからだであり、聖霊が働く場なのである。
 私たちはこうした集会によって生きた証人に出会うことができる。単に書物のなかで記されている聖徒たちと出会うのでなく、いまも生きて働いている現実の人間によって、その人を動かす生きた神のはたらきに接することができ、私たちの信仰も強められる。
 書いたものにしても同様である。優れた書物は過去二千年のあいだに山のように積み重なっている。それらを読めば十分だという人もいる。しかし、今、み言葉を委ねられ、いま主の霊によって動かされている人の書いたものも大いに必要なのである。主がいまも生きて働いていることを証しすることになるからである。
 日曜日の主日礼拝や他の日の家庭での集会においても同様で、一人で学ぶのでは与えられない、霊の賜物と主にある交わりによって私たちは励まされ、祈りが集中される。 み言葉中心に集まることそこで、主が働かれるのを、私は長い年月で経験してきた。
 今後とも私たちは個人の学びや祈りとともに、集まってする礼拝、集会、交わりにもいっそう力を注ぎ、ヨハネの手紙で、繰り返し強調されている、「互いに愛し合う(祈り合い、助け合う)」ということに少しでも近づかせていただきたいと願っている。


st07_m2.gif神の国とは何か

 キリスト教において神の国とは最も重要な言葉の一つである。
 なぜか、それは主イエスが、宣教を始めたとき、その宣教の要約ともいうべき内容を、つぎのように言われたからである。

…そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国(神の国)は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(マタイ福音書四・16〜17)

…洗礼者ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ福音書一・14〜15)
 このように、今日までの二千年にわたるキリスト教伝道の長い歴史において、その出発点におられたキリストの伝道を一言でいうと、このように、神の国が近づいた。イエスを信ぜよということであった。
 そのように重要な意味を持っている「神の国」とはいったい何を意味しているのだろうか。
 そのためには、やはり日本語の神の国ということと、聖書の原語であるギリシャ語ではどんな意味を持っている言葉なのかを少しでも知っておくことが大切となる。
 ギリシャ語では、「国」ということは、バシレイアであり、これはバシレウス(王)という言葉から作られていることからわかるように、「(王の)支配」といった意味なのである。そこから、その支配が及ぶ領域という意味も持つようになった。
 このように、神の国とはその根本の意味は、神の御支配ということである。マタイ福音書では天の国という言葉が使われているが、天は神という言葉の代わりに用いただけで、意味は神の国と全く同じである。
 そこで、神の御支配ということが旧約聖書ではどう記されているのかを見てみよう。
 こうした原語の知識がまったくないときには、旧約聖書には神の国というのがない、新約聖書で初めて現れるのだというように考えてしまう。
 しかし、神の国というのが神の支配だとわかると、これは決して新約聖書で初めて現れるのでないことがわかる。

…初めに、神は天地を創造された。地は混沌として、闇は深淵の面にあり…。神は言われた、「光あれ!」 こうして光があった。(創世記1:1〜3より)

 この聖書の巻頭の言葉は広く知られている。これは単に昔のことを言っているのでない。神が全世界、宇宙を支配されているという宣言なのである。宇宙を支配しているのでなかったら、宇宙のさまざまの天体を創造することができない。また、闇が深淵の面にあって、強い風が吹き荒れているような状態のただなかに、光を創造して闇の支配を打ち砕くというのも神の支配を表している。
 闇を支配するものこそ、本当の支配である。神は万物を創造されたお方であるが、それにとどまらず、人間が最も悩まされる闇(悪)を支配し、そこに光を与える存在であることが、聖書の冒頭に記されている。 それは、神こそがすべてを支配しておられるお方であるということなのである。
 また当時の世界ではたいてい太陽を一種の神としてあがめ、礼拝していたのに、聖書においては、まず神が闇のなかに光を創造し、植物をも造り出し、太陽にすでに創造した光を与えて光るようにしたのだと記されている。これは太陽とかさまざまの霊的なものがこの世界を支配しているのでなく、あの絶大な働きをしている太陽すらも、神が支配しており、神がその光を与えたものにすぎないということを表している。
 また、詩篇にはつぎのように、神が王として世界を支配されているということが記されている。

・王権は主にあり、主は国々を治められる。(詩篇二二・29 )
・栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。(詩篇二四・10)
・主は、全地に君臨される偉大な王…、神は全地の王、讃美を歌って、告げ知らせよ。神は諸国の上に王として君臨される。聖なる王座についておられる。(詩篇四七編3〜9より)

 私たちはふつう、神のことを「王」だというようには思わないことが多い。愛の神、正義の神ということが多いが、聖書ではこのように、世界を支配しているという意味で、王である神という見方が根底に流れているのがわかる。
 このような、旧約聖書の流れのなかで、新約聖書とも深いつながりのある箇所はつぎのところである。
夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
「日の老いたる者」(永遠に生きておられる者、神)の前に来て、そのもとに進み
権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない。(ダニエル書七・13〜14)

 これは、神から、その王としての権威、支配の力をうける、人の子のような者を、ダニエルが啓示のうちに見たのである。新約聖書にたびたび現れる言葉、主イエスが自分のことを「人の子」といわれたことや、世の終わりに、再び天の雲に乗って来るといわれた表現は、のちに主イエスが用いられた。

…イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見る」(マタイ福音書二六・64)

 このように、ダニエル書の著者は深い霊感を受けて、のちに神からその権威や力、支配を受ける永遠の存在者が人の子のようなすがたで現れるということを示されたのである。ここで預言者ダニエルがとくに強調しているのが、その人の子は、愛や憐れみといったこと以上に、神の権威と支配を受けるということ、しかもその支配が永遠であるということである。このダニエル書は、厳しい悪の支配、迫害の時代を背景として書かれたものであったから、とくにそうした支配のことが前面に現れているし、そうした悪の支配に打ち勝つ神の支配のことが啓示されたのである。
 このように、旧約聖書でも最初から神の支配のことは一貫して言われている。そのような意味で、神の国(支配)ということは、聖書の最初からの基本のテーマなのである。

新約聖書における神の国
 こうした神の御支配という意味は新約聖書でももちろん見ることができる。
 主イエスのたとえで、天の国(支配)というのはよく出てくる。これらは、まさしく地上における神の御支配のなされ方を意味している。

…イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていない」
 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、毒麦も現れた。…僕たちが、『行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておけ。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

 ここでの天の国とは、死後の世界でなく、この地上での悪の問題であることは明らかである。それはまさに神のこの地上での御支配のなさり方を意味している。悪をただちに滅ぼさないで、あえてそのままおいてある。それはよい麦をも刈り取ってしまう危険性があり、神の定めた時(世の終わり)に初めてそうした悪そのものが、滅ぼされるのだ、そのようになさるのが、この世界を創造された神の御支配のなさり方なのである。
 
…イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」(マタイ福音書十三・11〜32より)

 このたとえも、神の御支配は、わずかなもの、小さいとるに足らないようなものから始められる、真理の種というべきものが人の心に播かれるとき、それは弱い人、地位のないような人、病気などで死にかかっているような人であって、世の中ではまったく相手にされないような者であっても、そのような小さきものを用い、そこから始めて人間がだれも予想できないような形へと増し加えられていく。人間の支配はまず、権利や金の力、数の力をもって弱いものを犠牲にして行おうとする。戦前の日本の天皇を現人神とした支配の仕方はそのようなものであって、日本だけでなくそうした支配の仕方をアジアの国々まで広げていったものであった。そうした間違った支配の仕方と、神の御支配の仕方とはいかに異なったものであろうか。

…天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書十三・44〜46)

 ここでは、神の御支配の仕方は、まず大いなる宝や高価な真珠を与える、それによって人は喜びの余り持ち物をすべて売り払ってその宝のある畑を買うのだと言われている。たしかに、私自身をふり返っても、何一つ要求されたことはなかった。まずわずか数行の短い言葉、キリストの十字架による罪の赦しという、絶大な宝であり、高価な真珠というべきものを与えられたのである。そのことがそれまでのいかなることよりも大きな出来事であり、平安と喜びを与えてくれたので、私はほかのものでなく、まさにそのことを伝えたいと心から願うようになった。高校の理科教師となろうと思ったのも、若い世代に理科を教えながら、その宝を伝えたいという気持ちがほかのどんなことよりも強く生じてきた。
 この主イエスのたとえは、私自身のうちに実感されたものであり、たしかにイエスのたとえのように、神は私の存在を御支配されているのがわかる。それは私がかつてどんなにしても達することのできなかった最善の道なのであった。

 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」(マタイ福音書十三44〜50)

 このたとえでは、この世の悪をどのように御支配されるのかということが言われようとしている。世の終わりには悪いものは必ず裁かれるということである。神とは正義の神であるゆえ、悪に対しても必ずその裁きがあるというのは当然のことである。ここでも神の御支配ということがこのたとえではっきりと示されている。
 また、神の国とはどのようなものであるか、主イエスは次のようにも言われた。

…人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。
 実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ福音書十七・20〜21)

 イエスの生きておられた時、ユダヤ人たちは、神がローマ帝国の支配、偶像崇拝している異教の人間の支配をくつがえして、ふたたびダビデのような王を立てて支配されるときが来る、それはメシアの現れるときでもあると信じていた。だからそうした民族が待ち望んでいる支配の時はいつなのかということが、重要な問題なのであった。
 そのような問いに対して、主イエスは、「いつ」来るとは答えず、神の御支配はあなた方の間にある、と言われた。
 この意味は、神の御支配は、あなた方の生活のただ中にすでにあるということである。霊的な目をもって見るならば、神の新しい支配はキリストとともにすでに来ているのであって、パリサイ人たちのように敵対しようとする人々の間に、悪が支配しているとか、神はいないのではないかと思われるような出来事が多く生じている私たちの社会のただなかに、神は支配なさっているのだという意味である。
 また、この表現は、「神の国はあなた方の内にある」とも訳することができる。(*)この場合には、私たちの内に、神の国はあるということになる。それは、神の国とは「義と愛と平和」であると言われた通りに、私たちの心の内にすでに与えられている、神からの義や愛、平和だということになる。
 このような神の御支配は、主イエスの力によって悪の霊を追いだして頂くことによって私たちのところに来ていることになる。

…わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。(ルカ福音書11:20)
 
 こうして私たちの願いは、神の国が来ますように、神の見えざる御手によって神の国を来たらせたまえという内容になる。

(*)「間に」と訳された原語は、エントス(entos)という言葉で、これは新約聖書では二回しか使われていない。あと一箇所は、パリサイ人たちへの警告として言われた、 「まず杯の内側をきれいにせよ。そうすれば外側もきれいになる」(マタイ福音書二十三・26)という箇所である。また、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、「心は内に(entos)熱していた…」(詩篇三十九・4)、「私の内なるものはすべて聖なる神の御名をたたえよ(詩篇百三・1)」などのように使われている。

賜物としての神の国
 新約聖書においては、最初に述べたように、主イエスが宣教の最初に述べたと記されていることであって、その重要性ははっきりとしている。
 私たち自身のことをふり返っても、人間は何かを求めている。求めなくなったら生きてはいないのである。まず幼児はミルクを求める。そしてまもなく、母親の愛や友達、遊びや快楽などを求め、さらに人より上に立つこと、勉強やスポーツができること、よい大学とか会社、健康、家、地位…などつぎつぎと求めていく。
 そうしたものは与えられないことが多いし、与えられてもふとしたことで失われ、変質したり壊れてしまう。しかもそれらは他に分け与えることができない。この世の宝といったものは、与えるほどなくなってしまうものである。
 そのようなものと全く異なるものが、聖書では約束されている。それが神の国である。これこそ、人間がだれでも求めるべきものであり、最もよいもの、分かち与えることができるものであり、永続的な賜物だからである。
 それゆえ、主イエスも人間が共通して第一に求めるべきものとして、「神の国」をあげている。 

…ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。(ルカ福音書十二・31)

 また、私たちがつねに祈り願うべきこと、最も大切な願いとは何かということについて、弟子たちが尋ねたときに、答えられたのがやはり、神の国のことであった。

イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。…』(ルカ福音書十一・1〜2)

 これは、弟子たちもどんな祈り、願いが最も神に喜ばれるのか、どんなことをいつも願っていたらよいのかという疑問を持っていたのがわかるし、それに答えて、人間がいかなる状況に置かれようとも、共通して持つべき願い、祈りはこれであるとはっきりと示されたのがこの祈りであった。この祈り、願いこそは、私たちが健康なとき、病気のとき、また困難や悩み、悲しみのとき、そして老年や孤独、さらに死が近づいたときでも、つねに一貫して祈り願うことができるものなのであった。また、そこで与えられる神の国というのは、祈った自分だけでなく、まわりの人にいくらでも分かつことができ、分かつほどに増えていくものなのである。それこそ、五千人のパンの奇跡で言われていることでもあった。(*)

(*)空腹になったたくさんの群衆に対して、弟子たちが持っていたのは、五つのパンと二匹の魚しかなかったが、主の祝福を受けると、五千人をはるかに越える人々が満たされ、さらに余りも十二のかごいっぱいになった。すなわちこれは完全数であり、残ったものにも完全な神の祝福が宿っていて、無くならないといった意味が込められている。

 神の国というと、何か遠いこと、私たちの現在の生活と関係があまりないように思われがちである。それは新聞やテレビなどでまったく現れないし、学校教育でも耳にすることがないからである。
 しかし、ひとたび聖書の世界に入るときには、日常で最も関わりの深いことのひとつとなってくる。私たちが朝起きてから夜やすむまで、たえず心にて願い、祈るべきことが、神の国だからである。
 自分の心が暗い、憂うつである、それなら神の国が自分の心に来るようにと祈ればよいし、自分の家族の問題があるならそこにも神の国を来たらせて下さいと祈ることができる。職場や人間関係において、また病気になっても神の国、すなわち神の愛の御支配が臨んで、自分も含めて人間の悪しき本性が変えられ、からだにおいても神の御手が臨んで癒しを願うことができる。
 あらゆる私たちの願いは、つきつめるならば、神の国を求める願いと祈りなのである。それに目覚めていないだけだと言える。
 多くの教会で、「主の祈り」を唱えている。しかし、主イエスは、弟子たちが本当の祈りを教えて下さいという願いに答えて、このように祈れと言われたのであって、たんに唱えるようにとは教えられなかった。唱えることと、祈ることとは大きな違いである。いくら唱えていても祈っていないことはいくらでもある。祈りとは心を注ぐことであるし、魂を尽くし、精神を尽くして神に訴えることである。
 最近もある教会の信徒の方から、御国が来ますようにという意味を知らずに祈っていたと言われたことがあった。
 主イエスは、まず神の国と神の義を求めよと言われた。そしてそれらは求めるなら必ず与えられると約束された。神は真実なお方である。真実とは、約束したことは必ずかなえられるということである。求めよ、そうすれば与えられるという有名な言葉もそれを意味している。
 ルカ福音書では、求めよ、そうすれば与えられるという言葉の後で、必ず与えられるのは、聖霊であると記されている。

そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカ福音書十一・9〜13より)

 このように、主イエスは、わかりやすいたとえをもって、求めたら必ず与えられるということを強調している。弟子たちに、「あなた方は悪い者でありながら…」と言われたのには意外な気がする。これは罪を持ち、過失をたえず犯してしまう者でありながら、という意味である。そのような罪深いものであっても、求めてくる自分の子供には、よいものを与える。それならば愛に満ちた天の父がどうして、求めるものを拒むことがあり得ようかと言われている。必ず賜物のうちで最もよいもの、すなわち、神ご自身ともいえる聖なる霊を与えられるという約束なのである。
 このように、神の国をまず求めよといわれた主イエスが、信じて求める者には必ず聖霊が与えられると言われていることからも、神の国は聖霊と同じものを意味しているということがわかる。
 こうした点からも、神の国とは今求めたら与えられるものなのである。
 求めたら与えられる賜物としても、「神の国」という言葉は用いられている。

…「ああ、幸いだ、心の貧しい人々は!
なぜなら、天の国(神の国)はあなたがたのものだからである。(マタイ福音書五・3)

 このように、マタイ福音書では主イエスの教えの冒頭に、神の国が与えられることが記されている。キリスト教のメッセージとは、福音である。福音とは、ギリシャ語のユウアンゲリオンであり、これは「よき知らせ」という意味である。打ちひしがれている者、闇にあるものへの救いのメッセージだからである。
 そして神の国が心貧しき者に与えられるとはどんな意味だろうか。それは神の御支配そのものが与えられることであり、神の御支配のうちにあることが与えられることである。聖霊が与えられることであり、主イエスご自身が与えられることである。
 これこそは、この世で与えられる最高のもの、最もゆたかなる賜物である。
 そうした神の国が与えられるとき、私たちは悪に打ち倒されないで、立ち上がる力が与えられ、御国へと歩み続けることができるようになる。  

…ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ福音書十二・31〜32)

 また、このような神の国は求めたら必ず与えられるということは、すでに述べたが、この主イエスの言葉でも、神の国は神ご自身が喜んで与えて下さるのだという。
 私たちが神の国を求めることも、神が喜んでくださる。それは主の祈りで示されているように、御心にかなった祈りであり、願いであるからである。だからこそ、そのような求め、祈りには、喜んで神の国を下さるのである。
 また、これと関連しているが、現代の私たちにも、同様に神の権威や力が与えられるからこそ、この世の悪に染まることなく、信仰を持ち続けていくことができるのである。生きた信仰が続いているということはすなわち、その人に神の国(御支配、権威)が与えられているということの証拠なのである。
 そして神の国とは神の支配のうちにあるものをも意味するから、それは愛、平安、勇気、真実等なども含む。使徒パウロが、神の国とは、平和や喜びであると言っているのもそういう意味である。

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びである。(ローマの信徒への手紙十四・17)

 神の国とは、このようにすでに私たちのただ中に与えられている。神の御支配は私たちのこの悪に満ちたように見える世界のただ中に行われている。これは主イエスがこの世界に来られてからそれが全世界の無数の人々によってはっきりと自覚されるようになった。

未来に与えられる神の国
 他方、神の国は未来において完全に実現されるものとしても、聖書には記されている。それは、今は悪が多く支配しているように見えるこの世であるが、霊の目で見るときには今も神の御支配はなされている。
 しかし、将来において完全に神が支配されるときが来ると言われている。
 そのことを、主イエスご自身が、世の終わりに関する教えで述べている。

…人の子が力と栄光をもって、天の雲に乗って来るのを見る。
…人の子は思いがけないときに来る。(マタイ福音書二十五章より)

 人の子とは、キリストのことであり、未来のある時にキリストが、神の力をもって来るといわれている。そしてその時にすべての悪が裁かれて、究極的な神の国が実現する。
 このようなことを詳しく書いてあるのが、黙示録である。黙示録は、迫害の時代に書かれた。そして迫害を受けるということは、実に苦しいときであり、悪が謎のように力を振るい、弱い人々を捕らえて殺し、残酷な刑罰を与えるのであった。キリスト者たちもライオンの餌食にされたり、道路の横に十字架を並べ、そこで火を燃やして苦しめられたこともあった。
 このような、考えられないようなひどい悪の支配に苦しめられた者にとって、最大の願いは、神の御支配によって、そのような悪が一掃され、悪の根が断たれるということである。それゆえ、黙示録は神の支配がいかに、悪の支配よりも強いかということが内容の根本をなしている。
 黙示録の最初には、主イエスが私たちを「王」として下さったという箇所がある。それは支配するものということである。キリスト者たちは、ローマ皇帝なる王からさんざん苦しめられてきた。しかし神はそのキリスト者たちをこそ、王として下さるというのであった。
 そして黙示録の最後、すなわち新しい天と地についての啓示の最後の部分で、黙示録の著者はこう述べている。

…そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、…神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
…もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく支配(統治)するからである。(黙示録二十二・5)

 ヨハネの黙示録での長い啓示が終わるとき、その最後にヨハネが書き記したのは、キリスト者たちが永遠に統治(支配)する者となったことであった。それほどにこの著者にとって、神が支配されるということは重要なことであったのがわかる。
 このように、未来のいつか神が定めたとき、そのときは人の子も知らないと、地上に生きておられたときの主イエスが言われたほど、人間には分からないことである。しかしそれがいつ来るのかだけでなく、どんな形で来るのかも全くわからないが、そうした神の国と言われている霊的世界が必ず来ることをキリスト者は信じている。それは神の万能という性質、完全な正義、創造主、その約束が変わることがないことなどから、必ず実現されると信じることができる。
 それゆえ聖書の最後の部分は、そのような究極的な神の国が来るようにとの願いと祈りで終わっている。
主イエスよ、来て下さい!(黙示録二十二・20)


st07_m2.gif二種類の方向転換

 日本は今大きい方向転換をしつつある。というよりも、すでに転換した方向をさらに決定的なものとしつつある。それは増大した軍事力を海外へと派遣していく方向である。
 これは、日本の憲法が規定することとは、まさに逆の方向である。
 自衛隊は国を防衛するためのみに用いるというのであったはずだが、自衛隊が創設されてまもなく、その増強の一途をたどるようになった。そして、現在では世界有数の軍備を持つ事実上の軍隊となった。そして、自衛隊を海外に派遣する法律が、九二年の国連平和維持活動協力法(PKO)、〇一年の、テロ対策特別措置法、そして今回のイラク復興法案と続いていく。
 また、それとともに九九年の周辺事態法によって、アメリカが海外で戦争を起こしたときに米軍への支援をすることになったし、先頃の有事三法によって、日本が武力攻撃を受けたときの、国や地方の任務、国民の協力、自衛隊の行動を円滑化することなどを定めた法律ができた。
 最近こうした自衛隊が活動することに関連する法律や議論、それと関連して憲法第九条を変えてしまおうという議論が多くなされるようになっている。
 このようにして、アメリカが持っているような軍事的防衛を日本が肩代わりするとなると、ますます自衛隊は規模を大きくしたり、その活動範囲も大きくなっていかざるを得ない。
 ことに北朝鮮問題がこうした傾向に拍車をかけている。
 だが、この武力によって守り、あるいは守ることを口実に、アフガニスタンでの戦争のように攻撃するという道は、正しい道なのか。いつの戦争もこのように、守るということを口実に起こされてきた。
 実際、一九四六年の憲法議会において、首相吉田茂は、つぎのように述べたことはよく知られている。
「…近年の戦争の多くは自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜戦争またしかりであります。…」この吉田首相の考えはまもなく、次第に変質していく。
 戦争が自衛の名においてなされることは、最近のイラク戦争も同様であった。アメリカの中心部の巨大な建物が航空機によって崩壊させられたことから、さらなる攻撃から自衛するためと称して戦争が行われた。 こうしてタリバンによるアフガニスタン支配はくつがえされた。しかしそれで解決はしたかというと、最近のアフガニスタンでは、政権を追われたタリバンが再び勢力を回復してきて、各地で政府軍やアメリカ軍をねらった攻撃が相次ぐなど、国内状況はかえって悪化傾向にあり、内戦に逆戻りするのでないかとの不安が高まっているという。
 武力によって解決したように見えてもそこにはまた新たな武力による混乱が生まれていく。武力は一時的な解決にみえることをするだけである。
 また、戦争という大量殺人を始めるには、よほどのことがなければできない。それだけの理由がない場合には、不真実なこと、嘘を用いて戦争を始めようとする。かつての日本も、中国兵が満州鉄道の線路を爆破したといって日本軍がただちに攻撃を始めた。これが中国との長い十五年戦争となり、さらに太平洋戦争ともなってアメリカやイギリスなどとの戦争へと突き進んでいくことになった。そして数千万の人々が殺傷されるかつてない悲劇が生じることになった。
 しかし、これは日本軍の一部指導者層がたくらんだことであった。じっさいに爆破したのは日本の関東軍の中尉が数名の部下を使って爆破したので、ただ口実のためにやったために、その直後に満鉄の列車は無事通過できたほどであった。
 今回のイラク戦争の開始においても、イラクが大量破壊兵器を持っていると断定して、その兵器からアメリカを守るためだというのが理由であった。しかし、その断定には根拠がなかったことが明らかになりつつある。アメリカの国防情報局は、昨年九月の内部報告書で、イラクの化学兵器の存在を断定するための信頼できる情報はないと結論していたのに、大統領は国連やホワイトハウスで、それらの大量破壊兵器の存在を断定したという。アメリカの大統領は自分たちが始める戦争を正当化するために、大量破壊兵器に関する情報を意図的に操作していたのではないかという疑惑が次第に膨らんでいる。
 イギリスでもそのブッシュ大統領に一貫して協力したブレア首相に対して、イラク戦争を始めた根拠を追求されている。イギリス政府が、イラクの脅威について出した報告書は、核兵器とか生物化学兵器に関するイラクの脅威を偽物の文書によって造り出したとか、脅威があるように書き直したものであったという。
 日本政府は、やはりアメリカの大量破壊兵器が存在するという断定をそのまま信用して、明確な国連決議も基づかないのに、アメリカによってはじめられた攻撃を早い段階で支持した。
 もしこのまま見付からないときには、アメリカの大統領は自国民だけでなく、国連をはじめ世界人たちを欺いたということになる。
 そもそもイラク戦争はアフガニスタンへの攻撃の延長上にある。そのアフガン攻撃は、アメリカの中心部へのビルの攻撃にあった。それはイスラエルとパレスチナの対立が重要な原因ともいえる。あの攻撃を計画した首謀者とされている人物は、パレスチナ紛争でイスラエルに味方するアメリカを制裁するためだと示唆していたという。 
 アフガン戦争、イラク戦争がアメリカによってなされた。しかしイスラエルとパレスチナの対立抗争は止む気配がない。
 アメリカが世界に示したことは、国連の決議がなくとも、武力で攻撃するという、話し合いより武力を前面に出す方式であった。しかしそのような武力で解決しようとする考えが根本的に問題なのであり、イスラエルとパレスチナの対立抗争を生んでいるのである。
 アメリカは一時的にはアフガンやイラクの政権を崩壊させたと言えても、武力という危険なものをもって世界の紛争に介入するという発想を刻み込んだのである。それは今後世界の紛争や内戦、あるいはテロにおいて武力をもって解決を図ろうとする傾向を強めることになっていくであろう。 実際、二〇〇二年度の、世界の軍事費は前年に比べて六%も増加して、九十三兆円にもなるという。アメリカがこうした軍事費の増大、武器の高性能化と増加を引っ張っている状態となっている。さらにアメリカは、小型核兵器の研究を再開することも決定した。日本も、福祉や医療、教育などの費用はつぎつぎと削減されていくのに、軍事費は巨額のままである。
 このような方向は人類が無数の人々の犠牲を払い、つい六十年ほどまえにも、数千万もの人が殺され、傷つき、生涯を破壊された世界的悲劇から学んだ、外交的な努力、平和的な話し合いで問題を解決するという方向に逆行するものである。
 日本はドイツ、イタリアと同盟して、その世界大戦で最も害悪を与えた国の一つであり、また核兵器の恐ろしさを身をもって体験した唯一の国であるゆえにこそ、ほかの国々とは違った根本的に異なる対処をするということで、一切の戦争には加わらない、とする平和憲法(*)を受け入れたのである。

(*)「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 どの国も自国を防衛するためと称して軍備増強をしていく、その方向で世界大戦は生じた。だから、日本はそこから全く方向転換をして、軍備を持たない方向に向かって国の歩みを進めていくということであった。
 この方向転換は、世界に類のないものであった。わずかに、コスタリカという国がこのような徹底した平和主義の憲法を持っているだけである。
 しかし、このような方向転換はまもなく終わりを告げる。一九五〇年の朝鮮戦争がきっかけとなって、自衛隊が生まれたからである。そしてその後は肥大を続けて、現在では世界四位の軍事力を持つにいたっている。表面では憲法があるゆえに、平和主義への方向を維持できた。しかし実質は再び軍備増強という方向に向かっていったのである。
 日本の憲法の徹底した平和主義の精神はキリスト教から来ている。「剣をもってするものは剣によって滅ぶ」という主イエスの言葉、「敵を滅ぼすための復讐や攻撃はしてはならない。かえって敵のために祈れ」、「キリスト者の武器は、武力でなく、神の言葉であり、聖霊であり信仰なのだ」という新約聖書にあるイエスやパウロの言葉は、いかにみても武力攻撃を支持する言葉ではない。
 じっさい、キリストも、使徒の代表であったペテロも、ペテロの兄弟であったヤコブ、そしてステパノといった弟子たちも殉教した。書いた手紙が新約聖書の相当な部分をしめるほどに神との深い交わりを与えられていた使徒パウロも、意識不明になるまで石で打たれてほとんど死ぬほどであったが、かれらはみな、武力の助けを借りて相手を攻撃することはまったくしなかった。
 こうした聖書に記されている平和の精神は二千年経った今も変わらない。人間の考えは変わる。国家や教育、また新聞などマスコミの意見や論調もたえず変わっていく。
 イラク戦争のときには、アメリカの世論も戦争反対の意見に対して圧力がかかって自由にものが言えない風潮となった。日本も戦前は政府の戦争政策に反対して、平和主義をとなえようものなら、厳しく弾圧された。そして数千万の死傷者を生みだし、原爆のすさまじい被害を経験し、アメリカの指導のもと、平和主義を基調とする憲法が生まれた。そして政府も国民もそれに賛成した。しかしまもなくアメリカの考えも変わり、日本政府の考えも変質していく。国民の考えもとくに最近の国際情勢によって大きく変わっていきつつある。そして平和憲法を変えてもよいという考えが増えていく。このように、人間の考えはたえず変化していく。
 残念なことだが、キリスト者だと称する人たちであっても、時代の状況に押し流されて変質することがしばしばある。そうしたすべてが移り変わっていくただなかで、決して変わらないものがある。
 それは聖書の真理である。キリストが言われたこと、そのキリストから直接に教えられた使徒たちの記した真理である。
 この世はたえず、流れゆく世論や周囲の状況に押し流されていく。そしてもと来た道へと逆戻りをしていく。
 しかしキリストにつながる者は、たえずそうした流れに抗して、新約聖書に記されている、キリストやパウロの言葉へと方向転換をし続けて行かねばならない。
 私たちは世論によらず、国際的な風潮にもよらず、政治や教育などの指導者、評論家にも頼らない。ただ永遠の真理の書たる神の言葉に頼る。聖書こそは、主イエスが言われたように、天地が滅びようとも、神の言葉は変わらないからである。

天地は滅びる。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。(ルカ福音書二十一・33)


st07_m2.gif休憩室

○五月末から六月にかけて、わが家の裏山では毎年ホトトギスの声が聞かれます。それは何かを呼び覚まそうとしている声のように感じます。小鳥たち自身はその本能に応じてさえずっていても、人間にはさまざまの意味と情感をもって受け止められるのです。五月二十九日に、徳島県の中央部に近い山地で、家庭集会が行われたとき、集会をしている間すぐ近くでホトトギスの声の強い声が聞こえていました。ほかにヤマガラやウグイスの美しい声も聞こえましたがこれは、天の国からの清流のようなものでした。私たちにはたえず目覚めさせ、呼び覚ます声と、汚れを洗い流してくれる清い命の水が必要ですが、これらの小鳥はそのようなはたらきをしてくれます。
○ホタルが、最近わが家の付近に見られるようになり、今年はある日の雨あがりの帰宅時には二十匹ほどもが家の付近に点滅していました。どこからやってくるのか、生れたのか不可解なのです。かなり離れたところに小さな谷がありますが、そこからはかなり距離もあり、途中の山にはそうしたホタルがほとんど見られないからです。ホタルの光は弱く、点滅し、わずかの間だけですが、そこから私たちは永遠の光へと思いを引き上げられるものです。闇の中の光はキリスト者にとっては、とくにヨハネ福音書の、「光は闇に輝いている」という言葉を思い起こさせるものです。


st07_m2.gifことば

(158)私たちは祈るべきである。もし、人が神と正しい関係にあり、心から神を愛しているなら、呼吸と同じように自然に祈るであろう。私たちの中にも、神と正しい関係にあって、祈りが自然のすがたになっているゆえ、祈りを強いられる必要のない人々がいて欲しいのである。(「祈り 十二の鍵」C・H・スパージョン著 173頁)

・このような祈り、呼吸のように自然な祈り、それは自分の思いをもつねに神に注ぎだし、新鮮な空気を吸って生きるように、神の国の霊的な賜物をたえず受け取って生きている状態だと言える。こうした状態に近づいた人は、周囲の人のために自然に祈り続け、あたかも心臓がからだに血液をおくり続けるように、よきものを注ぎ続けていく。
この言葉は、つぎのマザー・テレサの言葉を思い起こさせる。
「祈ることを愛しなさい。日中にたびたび祈りの必要を感じるようになさい。いろいろの妨げを乗り越えて祈りなさい。祈りは心を広くして神ご自身という贈り物を受け入れることができるようにする。」

(159)正しいキリスト者は絶え間なく祈る。彼らは、必ずしもその口をもって祈らなくとも、彼らの心は眠っているときも、覚めているときも、絶え間なく祈る。真のキリスト者のしるしは祈りであるからだ。同様に、真のキリスト者は、つねに十字架を担う人である。(「ルターの卓上語録」グロリア出版 177頁)

・絶え間なく祈ること、それは自分に本当によいものがないことを深く知っている心から生まれる。自分が何かを持っている、力をもっていくなどと思っているときには、深い祈りは生まれない。自分のなかになにもよいものがないと自覚した、マタイ福音書にある「心貧しい者」でなければ、そのような祈りは生まれない。また、絶えず祈ることは、神を愛しているのでなければできない。愛とは心を注ぐことであるから。 そして本来、キリスト者とはそのような心貧しき者、たんに神を信じるだけでなく、神への愛を持つようになった者だと言えよう。


st07_m2.gif返舟だより

○…先日は、「はこ舟」五〇八号をお届けいただき、嬉しく読ませていただきました。私も八十歳を越えていて、すっかり体力的にも乏しくなり、以前は教会に礼拝は出かけていましたが、脳梗塞の再発がいつあるやも知れない身体状況ですので、外出もままならず、信仰の寄る辺は、いただいている「はこ舟」が何よりの頼りで、毎回の発行を楽しみに待ちわびています。…会員の皆様によろしくお伝え下さい。(近畿地方の方より)

○…そしてずっとページを繰っていき、「闇の中の光」、私もあの旧約聖書の最初の家庭の、アベルとカインの兄弟殺しの記事は、今までいろいろと答えや教えも頂いたりしても自分で納得できずにいました。この十ページに書いて下さってあること、「…聖書が現実を決して逃げないで見つめるという鋭いまなざしを持っていることの一つの現れなのである。このような闇こそが、現実の世界の実態なのである。その実情に直面していかにして私たちは生きていったらよいのか、そこにどんな救いの道があるのか、それをまさに指し示している。…」と教えて下さってあり、私は、三十年間理解できなかった問題を今やっと見つけることができました。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 次のページの預言書ミカのところ、「…最も関わりの深い肉親同志すらその平和がくずれ、信頼が失われ、憎しみが取り巻いていく。」ここで、私は○○さん、○○さんのことを思いました。
 そして「しかし、私はそれらのあらゆる流れに押し流されずに…」ここもとてもよく理解させて頂きました。毎月毎月私は「はこ舟」によっていろんな疑問を答えて頂き、また友にも教えてあげることができ、これ以上の感謝はございません。そしてそのたび毎にほかのどんな書物よりも私の老いの頭にはっきりと教えて頂くことのできる「はこ舟」を毎月驚きのまなざしで読ませて頂いております。…(四国の読者の方より)
・以上ふたつの返信は、いずれも老齢の方々からのものですが、「はこ舟」を読んで、そこに述べられている、神の言葉の持つ力に惹かれていることがうかがえて、神の力はこうした人生の晩年におられる方にも不思議な力を与えるのだと感じています。いっそう主がそうした老齢の方々にも、み言葉の力を与えて下さいますように。

○「今日のみ言葉」のメールへの返信から
キリストの大きな愛を受けながら、自分の周りの人たちへの愛の足りなさを日々反省しております。
「愛にしっかりと立つ者としてくださるように」と祈っています。
 今年三月に、世界的な脳科学者(松本元さん)が、六二才の若さで昇天されました。一般紙でも紹介されたので、ご覧になったかも知れませんが、彼は「愛は脳を活性化する」という説を学会などで堂々と述べ、岩波書店からもこの題の著書を出しています。
 友人の子息が交通事故で脳をやられ植物人間になると宣言されたものがご家族の愛によって快復したのを目の当たりにしたのがきっかけでキリスト教に関心を持ち、熱心なクリスチャンになられ、深くキリストの愛のことを学ばれました。
 その告別式は、まさに「愛」のことで一杯でした。牧師さんの説教も、関係者の弔辞もそのことが中心でした。大変感動的な告別式でした。彼はエネルギッシュな研究者でありましたが、接する人すべてに明るく愛をふりまくタイプでした。
 日本の脳研究のリーダーの一人であり、新しい脳型コンピュータの開発構想の具体化に向けて邁進していた途中でありました。本当に残念なことをしました。今日のみ言葉に関連し、ちょっと書かせて頂きました。 主にあるお働きとご平安をお祈り申し上げます。(関東地方の読者より)

・確かに神からの愛は、脳という人間精神のもとを活性化するのだと思います。神の愛を受けて生きている人は、若々しい状態で保たれるのは多くの人が実感していると思います。脳を活性化することはまた心を活性化するし、からだも、活性化していのちに満たしてくれるのだと思われます。

○四国集会
 第三〇回のキリスト教無教会四国集会が、松山市で開催され、五十名あまりが参加できました。今回は、初めて松山聖書集会の代表者、冨永 尚兄が責任者となって開催されたもので、従来とはちがった新鮮さと行き届いた配慮が感じられた集会でした。またこの四国集会のために、ずっと祈りをもってなされ、私たちの集会でも礼拝や各地の家庭集会でも祈りを合わせてきたことでした。参加者は、四国四県以外に、福岡、広島、鳥取、神戸、大阪などからでした。テーマは「神の国」ということで、この重要な言葉について、聖書ではどういわれているのか、現在の私たちへのメッセージは何かということで、四人の講話担当者がみ言葉の真理の一端を語りました。
 グループ別集会では、静かな落ち着いた雰囲気のなかで、特定の人の長話や、議論にたけた人の一方的な話しもなく、全体として参加者がそれぞれ信仰の歩みや証し、主からの恵みなどについて語り合い、今後も、ともに主を信じる者として、互いに愛し合う(祈り合う)ための基礎となったことと思われます。
 主催県は四国の三県(愛媛、高知、徳島)が順番に交代していますので、三年に一度その地元に出向いて、その県の信徒の方達との交わりを新たにしていただけます。今回も、ずいぶん久しぶり、十年ほども会ってなかった方々やこれまであまり語ることもできなかった人とも出会う機会、語り合う機会も与えられ、主がそのように主にある親しい交わりへと導いて下さっているのが感じられました。
 使徒パウロは、ギリシャの都市コリントのキリスト者たちに、
「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。」と祈っています。(Uコリント一三・13)
 四国集会は確かにこうしたキリストの恵み、神の愛、そして聖霊の交わりを与えられた集会だったと思います。私たち一人の信仰生活でも日々こうしたものは与えられることですが、年に一度の祈りが込められ、多くの時間とエネルギーが費やされた集会においては日頃与えられないような賜物が与えられることもまた事実です。今後ともさらなる主の恵みと祝福が四国集会に与えられ、主の栄光があがめられますように。


著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四 電話08853ー2ー3017
 はこ舟協力費 一年 五百円(但し負担随意)
郵便振替口座 〇一六七〇ー六ー五六五九〇
 加入者名 徳島聖書キリスト集会 郵便振替口座か編集者あてに九十円など少額切手で送って下さい。
E-mail:typistis@m10.alpha-net.ne.jp  http://www.home.cs.puon.net/ksyhon/WWW/default.htm
2003/6

何かが起こる    2003/5

 私たちが手がけることが本当によいことならば、そしてそのことをなしていく心がまっすぐであり、さらにそのことをずっと続けていくときには神は必ずそのことを祝福される。そこに何かよいことが生じる。
 この世にはそうした不思議な法則のようなものがある。まず「神の国と神の義を求めよ」とか、「求めよ、そうすれば与えられる」という主イエスの有名な言葉は、原文のギリシャ語のニュアンスからいえば、単に一度求めるのでなく、「求め続けよ」という意味を持っている。(*)
 どんなに苦しいことが起ころうとも、また神が聞いてくれないように見えることが続こうとも、あくまで、愛と真実の神への信仰を持ち続けること、神の言葉に信頼し、聖書を読み続けること、ある特定の問題を持っている友人への祈りを続けること、そして主の名によってなされる集会を続け、あるいは主日礼拝や家庭集会、県外の集会などに参加し続けること、印刷物や本、テープなどを必要な人を見いだして、与え続けること、敵対する人にも反感や嫌悪感を持たずに、主から受けた愛をもってそうしたことがなかったような心で対して、祈りを続けていくこと、自分の関わる特定の人が集会に参加するよう、祈り続けていくこと等など、こうしたことを、漫然と続けるのでなく、神へのまなざしを持ちつつ、神の助けを借りつつ続けていくとき、主は何かよきこと、思いがけないことを起こして下さる。
 祈り願ってきたこと、それ自体は聞き入れられないこともいろいろとあるが、それと全く別のこと、または意外なところでよきことを主がなして下さることを経験させて下さる。
 キリスト者は、日曜日ごとに礼拝集会に参加する。一般の人がするような単なる飲食の会とか遊び、行楽に日曜日を使わないのが、本来のあり方となっている。それは一般の人からみるとじつに単調で、せっかくの日曜日を楽しまないのはつまらないと思うかも知れない。
 しかし、こうした地味なことを続けていく人に与えられる、不思議なよきこと、驚くべきことを体験していくと、そこに与えられる喜びや満足、あるいは生きた神の御手をまざまざと感じるがゆえに、この世の遊びなどが与える満足とは比較にならない魂の満たしを実感するようになる。 
 ここにキリスト者の心の世界がある。
 谷川の流れは、ただ同じ水が同じように流れ続けている。じつに単調にみえる。しかしそこに主の御手を感じ、天の国の水の流れを実感するときにはその単調な流れの側で立ちつくしていても深い満足がある。心がうるおされる。
 この世においても、単純にみえる生活のただなかにあって、神の生きたわざに触れることこそ、一番の深い心の満たしがある。
 神の国の「満ちあふれる豊かさ」(ヨハネ福音書一・16)の中からくみ取ることだからである。

(*)例えば、英語のNew Living Translation や、THE AMPLIFIED NEW TESTAMENT 訳では、このギリシャ語の「…し続けよ」というニュアンスを生かして、「求めよ、さらば与えられる…」の箇所を次のように訳しいる。
Keep on asking, and you will be given what you ask for.
Keep on looking, and you will find.
Keep on knocking, and the door will be opened.


st07_m2.gif真理と繰り返し

 キリスト者は同じことを繰り返し、他者に伝えようとしてきた。話すことも、書くことも、祈ることもである。キリストが復活したこと、そして死の力に勝利されたこと、キリストは神と同質のお方であり、十字架で万人の罪を担って死なれたこと、それをただ信じるだけで心のなかに積もりつもった罪が赦され、清められ、憂い、悲しみなどが驚くべきほどに軽くされること、信じるだけで、聖なる霊、神の命そのものである永遠の命が与えられること、そして最終的には、この世の悪は滅びて、神の真実と正義に包まれた愛の力が勝利して、「新しい天と地」が訪れること…。 
 この「はこ舟」誌にも本質的には同じことを書き続けてきた。
 二〇〇〇年という歳月、キリスト者たちはこの単純な真理を信じて、繰り返し述べてきたし、それが真理であることを繰り返し体験してきた。
 私たちは、啓示により、神からの一方的な恵みによって、この真理を信じるようになった。それはすでに信じてキリストを受け入れている人によって知らされることもあるし、すでにこの世にいない著者の書物によって知らされ、信じるに至った人もいる。 
 ある人は、この真理を死ぬほどの苦しみを通して、また再起できないと思われるほど深い悲しみを通して またある人は、生涯の人生を通して徐々に知らされてきたであろう。
 讃美歌にしても、同じ讃美を百年も歌ってもなお、飽きずに愛唱されている讃美はたくさんある。日曜日ごとに歌う讃美はある讃美集に含まれる讃美の繰り返しである。ほとんどの教会は、伝統的な「讃美歌」あるいは「讃美歌21」、「聖歌」、「新聖歌」などを基本としている。それらを何十年も繰り返し歌ってきても、なお味わいは尽きないのである。
 そこで歌われている歌詞はやはりすでに述べたように、十字架の罪の赦し、復活の信仰などが基本の内容となっている。
 なぜこのように、長い年月にわたって繰り返してもなお飽きることがないのだろうか。
 それは、同じ聖書の言葉であっても、それを語る人、書かれた文章、書いた人に神が働かれるからである。そしてそれを聞く人、読む人に対して神がその魂を動かし、聖霊が働くからである。聖なる霊が働くとき、どんなに単純なことや繰り返しであっても、そこに豊かさと変化を感じさせてくれるからである。
 逆に神の国からの賜物が働かないとき、どんなに変化のある題材であっても、興味を引く筋書きの小説であって、魂を満たすことはなく、それらはつぎつぎと時間というふるいにふるい落とされて消えていく。
 また、この世でどんなに誉められても金があっても、健康と家庭も恵まれてもなお、それだけでは深い魂の満たしは感じられない。
 私たち人間は、天地の創造主である神のもとに魂を休ませて初めて満たされるように造られているからである。
 それゆえに、私たちは語る内容が同じであろうと、用いる讃美が昔からのものであろうと、また用いる聖書が同じ箇所であろうとも、神のはたらきを願いつつ、その同じことの繰り返しを続けていく。
 その繰り返しのなかに、神は新たな芽を出させ、聖なる霊がはたらき、心にゆたかな流れ、神の国からの命の流れを注いで起こして下さるからである。
 主イエスが言われた次の言葉はこうした内面の満たしを指している。

わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ福音書七・38)


st07_m2.gif悔い改めよ、天の国(神の国)は近づいた!

この主イエスの福音伝道の最初に記されているメッセージは、短い言葉のなかに多くのことを暗示している。また私たちにさまざまのことを関連して思い起こさせるものがある。伝道ということは、何を心にいつも思っておらねばいけないのか、何を伝えるのかといった点についてこの短い言葉によって考えてみたい。

この言葉は二つの部分から成る。まず、「悔い改めよ」である。この原語は、メタノエオーというギリシャ語である。これはメタという接頭語と、ノエオーという言葉から成る。メタという接頭語は、転じるという意味を持っている。(*)ノエオーという言葉と語源的につながっている語はヌースであり、これはプラトンやアリストテレスの著作の日本語訳では、しばしば「理性」と訳されている。

(*)メタという語は、ほかに、「〜と共に」、「〜の後で」などという意味もある。

そういう意味から考えると、メタノエオーというのは、理性的転換と言えるのであって、感情的に何かの罪が悪かったと思うことではないと考えられる。
さらにこのギリシャ語の背後にある、旧約聖書の言葉は、シューブというヘブル語であって、これは、「転換する、方向を転じる、戻る」といった意味を持っている。(英語では、turn , return)
まず、旧約聖書において、神への方向転換ということがどのように記されているかを見てみたい。
 聖書の最初に創世記がある。そこに、「天に通じる階段」のことが記されている。信仰の父といわれるアブラハムの孫にあたるヤコブが、兄を欺いて長子への祝福を奪ったので、兄が怒り、憎しみのあまり、ヤコブを殺そうとまで考える。そのときヤコブは、母親の助言ではるか遠い親族のところへと一人旅立っていく。その途中の砂漠のような荒野にあって、ヤコブは驚くべき夢を見た。それは、つぎのように記されている。

 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは…神、主である。この土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」(創世記二十八・12〜17より)

 この箇所は、多くの人の関心をひいてきたところである。何もよいことをしたわけでもなく、かえって兄を欺いたことで憎しみを受けてたった一人で前途の不安や危険を胸一杯に感じながら、旅していく、そうしたただなかにこのような驚くべき啓示が与えられた。これは、神ご自身がヤコブに迫って、ヤコブの魂を神の方向へと方向転換させた出来事であった。聖書の記述でみるかぎり、ヤコブはまだ、危険な前途の旅に出るにあたっても祈りもなく、神への信仰ははっきりしたものとなっておらず、ただ人間の考えや計画などにとらわれていたと考えられる。ヤコブの魂は、この出来事によってはじめて神への方向転換をすることが与えられたといえる。
 神の国は、どこにも見えなかった。しかし神が彼の魂に働きかけて方向転換させ、ヤコブもそのときにはっきりと目覚めて、荒野のただなかにおいてすら、「天への門」がそこにあるのだと実感したのである。
 
旧約聖書のなかの預言書などで、多くもちいられているが、方向を転換する、という言葉は、すでに述べたようにヘブル語では「シューブ」という。この言葉は新共同訳続編も含むと、九十回ほども、「立ち帰る」と訳されている。
このような多くの用例は、この語の重要性を意味しているし、それはすでに旧約聖書から根本的に重要な内容を持っていることがうかがえる。この語は聖書全体にわたってたくさん用いられている。ことにイザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言書に多く、エレミヤ書だけでも十七回ほども使われている。
 ここでは、イザヤ書の箇所をあげておく。

まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と。(イザヤ書三十・15)

このイザヤ書の言葉は、旧約聖書のなかでもとりわけ多くの人の心にとどまってきた言葉の一つである。深い霊感によって与えられたこの真理は、キリストが来られて以後も、ずっとその重要性は変わらない。この、「立ち帰って」とは、もちろん神に魂の方向を転じてという意味である。神が私たちに求めていることは、きわめて単純、明快である。
 複雑な儀式とか組織に加わることも必要なく、金や物がなければいけないのでもなく、よい行いをたくさんしていかねばならないのでもない。
 ただ、信じて、神へ心の方向転換をすればよいのである。そうすれば、救いを与えられ、力が与えられる。ここに、信仰者の基本がある。そこで与えられた、救いと力をもって私たちは新しい道を歩むことができる。そして、その救いと力を受けるとき、黙っていることができなくなる。それがおのずから伝道ということにつながる。

こうした精神と同じ本質が、主イエスの最初にあげた言葉、「悔い改めよ、神の国は近づいた!」にある。悔い改めよ、という言葉は、個々の罪を悪かったとしてそんなことをしないようにしようというような意味でなく、神に立ち帰れ、ということであり、私たちの魂の方向そのものを、人間的なものから、神に方向転換せよ、ということなのである。
 そして、それは決して洗礼者ヨハネや主イエスが初めて言ったことではない。
創世記や出エジプト記、レビ記などにはこの、「立ち帰れ」、という命令は現れない。しかし、歴史書になって見られるようになり、先にみたように預言書には多く出てくる。
このきわめて重要な真理、すなわち、救いと力を与えられるというために、ただ方向転換すればよいということは、自分自身の経験でもあった。私が救われ、新しい力を与えられたのは、何もよいことをしたわけでも、金を捧げたとか組織に加わったとかいうのでない。ただ、十字架の真理を知らされ、十字架の主イエスに、心を転じ、信じただけであった。それ以来、たしかにそれまでまったく知らなかった救いを知らされ、力を与えられてきた。ここに伝道の根本がある。それなくしては、伝道はできない。それなくしては、決して犠牲を払っても伝道しようという心にはなれない。それなくしては、周囲の反対を押し切っても伝道を続けることはできない。
悔い改めよ、すなわち、神へ方向転換せよ、という一言は絶大な意味を持っているのである。パウロが、ガラテヤ書で、力を込めて、ただ信じるだけで救われると語っているのも、この神への方向転換だけで救われるという真理にほかならない。

これだけでも、救いと伝道の関わりは明確である。しかし、さらに、主イエスは「天の国は近づいた!」といわれる。
そこには、神への方向転換をした、魂に何が与えられているかという、約束がここに込められている。「天の国」とは、神の御支配であり、その神の御手のうちにあるものすべてが暗示されている。それはキリストそのものであるし、キリストが与える罪の赦しであり、新しい命であり、神の愛など、神の手にあるあらゆるものが含まれている。
 先程の悔い改めよという言葉と同様に、ここでも原語の意味を考えたい。
 天の国という言葉にある、「国」とは、原語のギリシャ語では、バシレイア(basileia)という。これは、 王(バシレウス basileus )に由来する言葉であって、「王の支配、王の権威」といった意味がもとにあり、そこから、その支配や権威が及ぶ領域ということで、「国」という意味も持っている。
 このように、御国とか天の国というとき、それは、「王の支配(*)、王の権威」といった意味が背後にある。

(*)実際、新約聖書のなかでも、例えば次のような箇所は、「国」と訳さないで、「国を治める」とか「支配権」などと訳されている。

・ …彼らはまだ国を治めていないが、ひとときの間…受ける。(黙示録十七・12)
・…自分たちの支配権を与えるようにされた…(同右十七・17)

 ヘロデ王の残虐なことは(*)、新約聖書の中にも記されている。キリストが、誕生したときに自分の王位をねらわれるのではないかと邪推して、イエスが誕生したベツレヘム付近の二歳以下の男子を皆殺しにしたと書かれている。

(*)この王が闇に取り囲まれていたことは、肉親への疑いを深く抱いて、いろいろの噂に惑わされ、自分の妻や義母を殺し、別の二人の王子も投獄したのち、処刑し、また長男をも王位をねらっているとして処刑してしまったほどであった。

 こうしたヘロデ王の支配していた世の中は、悪がまさに支配していると思われた状況であった。しかし、そうしたただなかにおいて、じつは神が支配されているということが示されているのである。
 そしてそれを現す明確な事実がある。それがキリストが来られたということである。キリストが来られてから、たしかに、この世は悪が支配しているのでなく、神が支配しているということが明らかになっていった。ハンセン病や生まれつきの盲人やろうあ者への癒し、また悪霊にとりつかれていた人たちから、悪霊を追い出すといったことも、神の国、すなわち神の支配がそこに来たことを示している。
また、当時はまったく放置され、捨てられていた罪の女、ハンセン病の人、異邦人、障害者たちを深い愛をもって受け入れられた。それは、すでにイザヤ書で言われていた、消えかかっている灯心を消さず、折れかかっている葦を折らない、という預言の成就なのであった。 そうしたところにまさに神の御支配が目に見えるかたちで到来したのである。

また、主イエスはすでに霊の目によって、サタンが天から落ちるのを見たと言われている。

彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。(ルカ福音書十・18)

 主イエスは、神の御支配(天の国)をまざまざと霊の目で見ることができたのである。
そればかりか、十字架で殺されたという、最も悪の支配とみえたことが、じつは神の支配そのものであった。それは罪の力を十字架で釘づけにして滅ぼしたということであった。罪の力とは悪の力である。十字架とは、悪への決定的な勝利を象徴しているのであった。
 天の国(神の国)とは、すでに述べたように、「神の御支配」というのが元の意味であるが、この言葉は、新約聖書のうちでは、福音書にことに多く用いられている。新共同訳で見れば、神の国という言葉は、新約聖書では六八回出てくるが、そのうち五四回が福音書である。なお、マタイ福音書だけは、神の国という言葉のかわりに、天の国という表現を多く用いていて、三二回ほど現れる。
 しかし、他の書簡では意外なほどにすくなく、パウロにおいても、その手紙(*)で少ししか用いていない。それはなぜだろうか。
 パウロにおいては、神の国(神の王としての御支配)については、自らが復活のキリストに出会い、大きな罪を十字架のキリストによって赦されたという実際の経験が根本をなしていた。 復活も十字架での罪の赦しも、神の国(支配)が具体的に実現したことを意味しているのである。パウロは、神の国が近づいて、そこにあり、自分にはまさにその神の国が与えられたと実感していたのである。
 それゆえ、パウロの生涯も、「悔い改めよ、天の国は近づいた!」ということに尽きるといえよう。

(*)「神の国」という言葉は、ローマの信徒への手紙には一度のみ、あとコリント書など合わせて十回ほどしか用いられていない。

また、主イエスの一つ一つの奇跡、五つのパンと二匹の魚の奇跡もまた、神はこのような小さなものを用いて、悪の力に打ち勝って、その祝福を永遠に与え続けていることができるということであった。
神の御支配が近づいて、すでにそこにあるということは、ヨハネ福音書においてとくに強く感じられる。

イエスは彼女に言われた、「わたしがよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。…」(ヨハネ福音書十一・25〜26より)

 この言葉は、神の御支配は、死の力にも打ち勝っているので、今、信じるだけでその勝利の力が与えられるということである。神の国(支配)は、このように、単に近づいただけでなく、すでにそこにある、だから、真剣に求めるときには、私たちにそのまま与えられると言われているのがわかる。
神の国が近づいているということは、初代のキリストの弟子たちの共通の実感であった。主イエスは、終わりの時が近づくときには、愛が冷え、戦争とそのうわさを聞く、飢饉や地震が生じる、と言われた。これはこうした混乱と神不在のように見えるときのただなかに神の最終的な支配が近づいているということを示している。
聖書のなかで、復活という最も重要なことは、一方では世の終わりに実現すると言われていることが、キリストを信じて結びつくときには、今、実現するといわれているように、神の御支配全体についても、キリストを信じるときには、すでに実現しているのをすこしずつ実感できるようになる。

…ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ福音書十二・31〜32)

 神の国が近づいたということ、それは、すぐ近くにあるということであり、だからこそ求めるだけで与えられるのである。
 「求めよ、そうすれば与えられる」という有名な言葉は、神の御支配がそこにあるからである。
神は与えることがそのご意志なのである。神は喜んで与えて下さる。ルカ福音書によればこのとき、求めて与えられるものは、聖霊であると言われている。目に見えるもの、地位やお金、持ち物、健康、友人や家族といったものはいくら求めても与えられないことは多い。けれども、神の国のもの、それがすべてを含むといえる聖霊を求めるときには必ず与えられると約束されている。
 このように、主イエスの宣教の最初に記されている、「悔い改めよ、天の国は近づいた!」という言葉は、主イエスの伝道、さらに使徒たちの伝道をきわめて簡潔に言い表したものだとわかる。
 現代に生きる私たちにとっても、この短い言葉を生きることが、与えられている。 


st07_m2.gif一つのビラと神への方向転換

 四月二十九日に、キリスト教独立伝道会主催の講演会にて、右にあげた内容「悔い改めよ、天の国は近づいた!」という題で話をする機会が与えられました。
 その話を聞いた方から、来信と「ともしび」という伝道誌が送られてきて、その方の若いとき、今から四十年ちかく前の経験と、今回の話しとの関連について書かれてありました。
 その方は、有名大学への進学を最高の目的とする高校で、みじめな経験をし、大学受験にも失敗し、仕事についた、その時に思いがけなく与えられた聖書の言葉を見て、大きな変化が後に生じていきました。この文章は、そうした人生の重要なとき、与えられた経験について書かれたものです。 これは証しとして書かれているので、神の不思議な導きの一端に触れて頂きたいと、少し長いのですが、引用をさせて頂きました。

…生徒同士の人間関係も冷たいものであった。受験競争で勝ち抜く、それには自分の点数をあげなければならない。他人のことなど考えている暇がなかった。自分のことさえ考えていればよかったのである。他人に勝って、自分の点数をあげる。これが生徒の本分であり、これ以外何もなかった。私は落ちこぼれの生徒になっていった。
 そんな中で、私は友人を失い、精神的にも不安定な状態になっていった。今まで考えてきた自分の価値観が、足元からガラガラと崩れていくのを感じた。ああ、何でこんな学校に入ったのだろうという後悔がおそった。
 やがて、三年生になり、私は地方の大学を受験したが、失敗してしまった。予備校に通えるような経済力もなく、職を転々として、三山電鉄(現在廃止になっている)に勤務するようになった。…私はそのある駅に勤務することになった。駅長と私の二人勤務で、仕事は何でもしなけれぱならなかった。…
 ある日のことだった。昼頃だったと思う。私は、プラットホームの掃除をしていた。ふと、線路を見ると一枚の広告紙(ビラ)が落ちていた。掃除をしなければと思い、線路に降りて、そのビラを拾い上げた。B5程度の大きさのビラだったと思う。それを見て驚いた。それには大きな字で次の聖書の言葉(黙示録二十一章からの言葉)が書いてあったのである。
「涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや苦しみも労苦もない」
 私が見た文には確か、「苦しみの叫びもない」とあったと思う。
 私は背筋に電気のようなものが走るのを感じた。いままでの苦しみがスーウッと体中から抜け去っていくのを感じたのを覚えている。
 あの当時は無我夢中であった。聖書も読んでおらず、自分の心中に何が起こったのかもわからなかった。 しかし、あれから四〇年あまり、今考えると、人間の世界で四面楚歌の状態にあった当時の精神状態が、神の国、つまり天の御国に心が向けられたのではないか、と思う。この世がすべてだ、と思っていた私の心に、神の国が映し出されたのではないか、と今は考えるのである。
 今年の四月二十九日に「キリスト教独立伝道会総会」で、吉村孝雄氏の講演があった。演題は「悔い改めよ。天の国は、近づいた!」であった。その折、吉村氏から「悔い改める」とは、この世のことから神の国に心の向きを変えることだ、と教わった。
 私は思った。なるほど、これが、救いなのだと。それまで何回か「コンバージョン」という言葉でこういう類のことを見聞きしたことはあった。しかし、このたびほど私の心に響いたことはなかった。それと同時に、あの十八歳の時の体験は、「天の国」に目を向けることであったのだといまさらながら自分でも気づき、驚いたのであった。…(「ともしび」二〇〇三年五月号より 山形県寒河江船橋町四〜四 黄木 定 氏発行)

・この証しを書かれた黄木さんは、最近教職を辞して、福音伝道のための歩みへと決断された方です。この文を読んでいて、星野富弘さんのことが思い出されました。彼は、体育教師であったときに転倒し、以後、首から下が動かなくなる重度の障害者となったけれども、後にキリスト信仰を与えられ、さらに口で描いた絵と詩で知られるようになった人です。つぎに彼がはじめてみ言葉との出会いが与えられた時のことが書かれている箇所を、その著書の中から一部引用しておきます。
 
 …たしか高校生のときだった。豚小屋の堆肥を籠に背負い、畑に運んでいた。暑い日であったうえに、堆肥の熱が背中に伝わり、汗びっしょりになっていた。…細く急な坂道を上っていると、突然真っ白な十字架が目の前に現れた。そこは小さな墓地で、十字架は建てられたばかりの真新しいもので、花束も添えられてあった。その十字架のおもてには、つぎの短い言葉が記されてあった。
「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」
 思えばこれが、私と聖書の言葉との最初の出会いであった。
しばらく立ち止まり、声に出して読んでみた。心に何かひびくものを感じた。…
 「我に来たれ」とはどういう意味なのだろう…。畑仕事をしながらも、それからずっと後まで、その疑問が私の頭から離れなかった。…(「愛、深き淵より」一三三〜一三四頁 立風書房刊)

 こうした全く人間の側からは偶然としか思われないようなことが、実は後になって生涯のきわめて重要な転機であったと知らされたのです。それは神ご自身が、私たちの生活のただなかに来て下さって、私たちの魂の方向を、神の国へと向け変えて下さったことだと知るのです。
 こうしたことは、社会の状況や本人の心がどこを向いているかということすら関わりなく、ただ神の憐れみと恵みにより一方的に与えられた方向転換であり、本人がまだ目覚めていないときからすでに方向転換への啓示がなされていたのがわかります。
 私自身も、自分ではまったくキリスト教など関心なく、求めてもいなかったときに、たまたま立ち寄った大学の裏通りの古書店で見つけた一冊の本、何気なく手にとった本のあるページのわずかの言葉から、人生で最大の方向転換をさせて頂いたのです。 
 こうした呼びかけや光は、人間の予想を超えたところで働くこと、そこに私たちの大きい希望があります。神は過去数千年にわたって、こうした呼びかけを送り続けてこられたし、 今後もどんなに社会状況が混乱に陥ろうとも、また時代が大きく変わっていこうとも、神はその御心によって、予想しなかったような人を呼び出し、救いを与え、さらにその福音を宣べ伝えさせるのだとわかるのです。

あなたを創造された主はこう言われる。
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」(イザヤ書四三・1より)

 このような神からの呼びかけが、闇のひろがるこの世の生活のただなかに突然聞こえ、すでに信仰を持っている人にも、困難なおりや動揺するときに、このような励ましが響いてきますように。


st07_m2.gif闇の中の光

 いつの時代にも、周囲の実態を知るほどに闇は覆っているのに気付かされる。戦争、飢餓、地震や洪水などの自然災害、さまざまの犯罪、政府の圧政と迫害、さらに個々の人々においても、病気の苦しみ、老年の痴呆や家庭の深刻な分裂や対立等など、地上に住むどんな人であっても、さまざまの闇に悩んでいる。
 いま、楽しくてたまらない、闇などどこにあるのかなどと思っている人もいるかも知れないが、そうしたひとは、単に近づいている闇を知らないだけなのである。
 聖書はこのような現実を深く見抜いていた。聖書ほどに現実のあらゆる闇を見抜いている書物はないだろう。見抜いた上でそれを克服する道を一貫して指し示しているのが聖書なのである。
 それは聖書の最初の書である、創世記を見てもわかる。そこではその冒頭からつぎのような記述で始まっている。

神が天地を創造した初めに、
地は荒涼、混沌として、闇が淵を覆い、暴風が水面を吹き荒れていた。(*)
「光あれ」と神が言った。
すると、光があった。(創世記一・1〜3)

(*)これは、前田護郎訳。(中央公論社刊の「世界の名著」第十二巻所収)
 従来の多くの訳は、「神の霊が水の表面を動いていた」というような訳になっている。ここで「神」という言葉の原語である、エローヒームは形容詞と解して、「大きい」とか「激しい」といった意味にとり、「霊」という原語は、ルーァハであり、これは「風」という意味が本来の意味なので、右にあげたような訳文となっている。エローヒームが、「大きい」といった形容詞に用いられている例としては、例えば「恐怖はその極に達した」「非常に大きな恐怖になった」(サムエル記上十四・15)とかの箇所で見られる。 
 また、聖書学者として著名で、学士院会員でもあった、関根正雄氏の訳でも、「神からの霊風が大水の面を吹きまくっていた」となっている。
 なお、この訳者であった前田護郎は、無教会のキリスト者で、東京帝国大学文学部言語学科卒業、聖書学、西洋古典学専攻。ボン大学、ジュネーブ大学講師を経て、東京大学教授を務めた。

 この創世記の最初の記述が、このように、恐ろしい闇と混乱、そして吹き荒れる風という、どこにも静けさや光のない深い闇から出発していることは、深い暗示が込められているのを感じる。それはこの創世記の言葉が書かれてから数千年を経て現代においても、やはりこの言葉は、至る所にみられるからである。
 しかしそうしたただなかに、神は「光あれ!」とのみ言葉を出された。するとその一言で、その恐るべき闇と混乱のただなかに、実際に光が差し込んできたのであった。
 この創世記の冒頭の短い内容が、じつは聖書全体のメッセージとなっているのに気付いたのは、私がキリスト者となってから、何年か後であった。

 このテーマは繰り返し聖書であらわれる。
 聖書における、最初の家庭は、じつに兄弟殺しという、目をそむけたくなるような記述から始まっている。どうして聖なる書という書物にこんないまわしいことが書いてあるのだろうかと、最初のころはよく思ったものである。
 しかし、それは聖書が現実を決して逃げないで見つめるという鋭いまなざしを持っていることの一つの現れなのであった。そのような闇こそが、現実の世界の実態なのである。その実情に直面していかにして私たちは生きていったらよいのか、そこにどんな救いの道があるのか、それを聖書はまさに指し示しているのである。
 詩篇は、旧約聖書のなかの重要な部分であるが、それを愛読しているキリスト者は案外少ないのではないかと思われる。それは日本語訳にすると、どこか力強さに欠けたり、簡潔なひきしまった表現にはなりにくいこと、書かれてある内容や表現が、いまの私たちの生活とだいぶ距離があるように感じるからではないだろうか。
 しかし、この詩篇は心して祈りをもって学びつつ読んでいくと、あらゆるキリスト者にとっても深いメッセージをたたえた書物であるといえよう。
その中心になっているメッセージとは、闇の力のただなかに与えられる光なのである。現実には敵が激しく迫ってきていることへの恐れや苦しみ、実際に敵(悪)によってふみにじられ、苦しめられること、あるいは病気の苦しみ、罪への罰を受けた苦しみや悲しみ、等など現実の厳しい状況が随所に見られる。そうした現実の深い闇、恐ろしい状況のただなかで、神に叫び、祈ることによって光が射してきて、じっさいにその大いなる苦しみから救い出される、そして讃美をおのずからあげざるを得ないほどに満たされる…という内容が多くみられる。

主よ、わたしを苦しめる者は
どこまで増えるのか。
多くの者がわたしに立ち向かい、わたしに言う
「彼に神の救いなどあるものか」と。

しかし、主よ、
あなたはわが盾、わが栄光
わたしの頭を高くあげてくださる方。
主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださる。
私は、身を横たえて眠り、また、目覚める。
主が支えていて下さるから。(旧約聖書・詩篇第三編より)

 この詩の作者が置かれていた状況は、周りに敵対する者、神などに頼っても救われるものか、とあざけり続け、苦しみを与える人たちがいた。そうしたどこにも光のない状況にあって、作者は、あるとき、突然に神からの答えを聞き取る。闇でしかなかったところに、驚くべき光が射してきたのである。そのとき、あれほど助けもなく、ただ一人敵対する者の悪意に踏みにじられていた自分に新しい力が湧き出て、立ち上がることができた。そして生きた神からの生ける応答をはっきりと聞き取ったのであった。

 このような闇のなかの光ということは、預言書にも多く記されている。


…主の慈しみに生きる者はこの国から滅び
人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい
互いに網で捕らえようとする。…
今や、彼らに大混乱が起こる。…
息子は父を侮り
娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。人の敵はその家の者となる。

しかし、わたしは主を仰ぎ
わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。
わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても
主こそわが光。(ミカ書七章より)

 預言者ミカが、啓示のうちに見ることができた荒れ果てた状況はまさに深い闇に包まれ、最も関わりの深い肉親同士すら、その平和が崩れ、互いに信頼が失われ、憎しみが取り巻いていく。
 そんな状況にあったら、ふつうは自分もまたその闇に飲み込まれ、力を失い、希望もなくなっていくであろう。絶望的な状況が周囲にあるとき、人はそこに一人立ち上がることなどできないことである。
 けれども、いかに闇が深く、希望は断たれた状況にあろうとも、必ずそのなかから、主に従う人は起こされる。
 右に引用した箇所の後半にみられる、「しかし」という言葉は、実に重い意味を持っている。
 どんなに暗くとも、絶望的状況が取り巻いていても、「しかし」私はそれらのあらゆる流れに押し流されずに、主を仰ぎ、救いを与える神を待ち望む。そうした心が神によって注がれるのである。周囲のいかなる悪い影響にも巻き込まれないで、独立して光を待ち望み、そして実際に光が与えられる人がいるのである。 闇のなかにあっても、主こそ、わが光という確信が与えられる。この確信は、すでに述べた創世記の冒頭の言葉、光あれ! とのみ言葉が響いていると言えよう。
 こうした、深い意味をもつ、「しかし」という一言は、別の預言書にも見られる。

いちじくの木に花は咲かず
ぶどうの枝は実をつけず
オリーブは収穫の期待を裏切り
田畑は食物を生ぜず
羊はおりから断たれ
牛舎には牛がいなくなる。

しかし、わたしは主によって喜び
わが救いの神のゆえに踊る。
わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし
聖なる高台を歩ませられる。(旧約聖書・ハバクク書三・17〜19)

 この短い詩の中に、深い絶望と現実の恐ろしい混乱のただなかにあって、何一つよきものが見えず、期待できないような状況におかれてもなお、「しかし」と言って、希望の光を見いだすことのできた人の魂の軌跡を見る思いがする。
 そのような魂が起こされることは、まさにおどろくべきこと、奇跡というべきことである。
私たちの希望は、目に見えることによって大きく影響される。よいことが続いておこるといよいよ希望を強くするが、マイナスのことが続くとたちまち希望は失せていく。力も出なくなる。
 しかし、神の御手が触れた魂にとっては、いかなる現状の絶望的状況にあっても、なお「しかし」といってそこに希望の光を見いだし、新しい力を天よりくみ取ることができるのであった。
 喜びはこうして、目にみえる出来事や物、あるいは他人の評価や物質的な生活の豊かさなどまったくなくとも、それらと全く無関係に、天から、神の国から注がれるのがわかる。
 こうした、通常の喜びとは本質的に異なる喜び、天に由来する喜びを、使徒パウロはいつも信徒たちにも与えられるようにと願っていたのである。それが、つぎのようなパウロの手紙に見られる。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。(Tテサロニケ五・16〜17)
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。(ピリピの信徒への手紙 四・4)

 迫害のすでに激しかった時代、キリスト者たちはこうした天からの喜びを与えられていた。それがキリスト者たちを憎しみに駆り立てることなく、み言葉にしっかり立って、その真理をあとの時代へと語り継ぎ、また世界の各地へと伝える原動力にもなっていったのである。天から来る喜びこそは、私たちを動かすものだからである。

 こうした光の存在とそれが実際に、与えられることについては、別の偉大な預言書にも記されている。

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ九・1)

 聖書の世界、キリスト教の流れには、いかなる闇であっても、そのなかに光が差し込むのであって、その光の一筋を受けるだけで、闇の力に勝利したことが実感される。

…悪魔のすべての仕業を水泡に帰せしめるには、ただ一度だけ神を仰ぎ見るか、呼びかけるかすれば十分である。これは実にすばらしい事実である。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」上・五月十七日の項)

 これも、闇の力がどんなに大きくとも、神への真剣なまなざしへの応答として、神からの光の一筋を受けるだけで、悪の力に打ち勝てることを指している。実際にこのように、闇のなかに、光は差し込んでくるのである。求めよ、さらば与えられん、という言葉はこうしたことも意味している。
 ここに引用したイザヤ書の言葉は、大いなる喜びのおとずれ、すなわち福音である。私自身、この聖書の言葉のように、かつて闇のなかを歩んでいたものであったが、そこに大いなる光を見させていただいたのであった。それは死の陰の地に住んでいたと言えるほどであったがそうした中に、光が輝いたという実際の経験が与えられたのである。それから私の魂には、それまでにはどうしてもできなかった、まったく異なる変化が生じていった。
 新約聖書において、使徒パウロもやはり同様であって、学問を積んで、当時のすぐれた教師について学んだし、社会的にも地位の高い家柄であった。しかしそれでも闇は消えなかった。キリストの真理に輝く光は見えなかった。そこでキリスト教徒を厳しく迫害していた。
 そのような闇を歩いていたパウロに、突然光が臨んで、彼は百八十度転換して、今度はキリストの最も大いなる弟子と変えられていったのである。
 こうした経験は、キリスト以後の二千年の間に無数に生じていったのがわかる。
キリストが現れたとき、すでに引用した、イザヤ書の箇所を用いてその光とはキリストなのだと、言われているがそれは、以後生じる無数の例を予告したものとなったのである。

 主イエスが、育った土地ナザレを離れて、ガリラヤ湖畔の町に来たとき、その言葉が実現したと述べている。

イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にあるガリラヤ湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ福音書四・12〜16より)

 キリスト教といわれる信仰のかたちは、この単純な事実を受け入れることである。現実は闇である、しかしそこに、輝く大きな光がある、ただそのことを信じてその光を見つめ、受け入れることなのである。
 ヨハネ福音書においてもやはりキリスト教がいかに単純で明快な内容を持っているかが、その冒頭に記されている。

光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…
(洗礼の)ヨハネは証しをするために来た。光(キリスト)について証しをするため、また、すべての人が信じるようになるためである。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。(ヨハネ福音書一・5〜9より)

 ここでも、最も重要であるからこそ、闇という現実のすがたと、そこに差し込む神の光なるキリストのことを、簡潔に述べている。それはヨハネ福音書の総結論ともいうべき内容であるからこそ冒頭に記されているのである。
 闇ということ、それは身近な人間関係や自分の心のなかという最も近いところから、周囲の人間やその集まりである社会にもはびこる、嘘やいつわり、憎しみやねたみ、そして人の命を奪い、物品や地位を奪うこと、自らの利得のためには他者を傷つけても平気であること、人の貴さを踏みにじり、差別をし、飢えや貧困、国家同士、民族同士の対立、戦争などなど、個人的レベルから国家社会的レベル、国際的な問題に至ってかぎりなくある。
 一見きれいなようなものでも、その内部まで見抜くときには、深い闇が取り囲んでいるということはよくある。
 そうした現状は科学技術や政治政策、道徳的な努力などいかに積み重ねても、表面的力は変わっても、根本的にはどうにも変わらない。変わらないどころかますます悪くなって闇が深まって行きつつあるのではないかということも言われている。
 そうした現実の世界に生きる私たちにとって、聖書のこのメッセージはまことに貴重なものである。たしかに光は注がれている。その光を見つめているだけで、私たちはこの深い霧のかかった世からたえず引き出され、導かれて清い神の国への道を歩むことができる。 


st07_m2.gif心のうた  水野源三の短歌から

かぎりなき 主の御恵みを指し示す 窓からのぞく柿の若葉よ

・寝たきりの作者にとって、家に車がなかったので、今のように車に乗せて遠くにつれて行ってもらうこともできず、車イスもなかったので、家族などが周囲から採取してくれる野草や樹木の花などを見るのが精一杯というところで、ふだんはただ窓から見える単調な景色に触れることでしかできなかった。
 そうしたきわめて変化の少ない窓からの風景も、春になって柿の若葉が見えるようになった。それまで枯れたようになっていた木に小さい若芽が現れたと思うとつぎつぎとあちこちから芽を出して、それが初々しい新緑の葉となっていく。
 そうした小さな自然のたたずまいを見るだけでも、作者にとっては主の恵みを指し示すものとして感じられた。
 柿の若葉は、適当な光と温度によってぐんぐんと成長していく、それを見て、私たちも枯れたようになっていても、主の力を受けるとき、あのようにいのちに満ちた姿を現すことができるのだということ、主によって造りかえられるとき、日々新しくされていくのだという思いが重なる。
 感じる心、見る目さえあれば、どんな小さな出来事も、主の恵みを指し示すのである。

スズランが今年も咲きし庭の隅 永久(とわ)に尽きるなき主のいつくしみ

 人が忘れていても、毎年スズランは今年も咲き始める。ここにも変わることのない主の慈しみが指し示されている。もし、主イエスからの恵みを感じないときには、スズランが今年も咲いた、ただそれだけしか思わないだろう。しかし、春になって当たり前のように咲き始める花を見てもそこに、神の愛と変わることない神の真実を感じるのである。


st07_m2.gif休憩室

○春の花
  暖かくなって、野草や樹木たちもいっせいに芽を出し、花を咲かせていきます。それまでおさえていたいのちの力が泉となって湧き出るように、枯れたようになっていた樹木からもにわかに新しい芽が伸びていき、地面からは草も育ち、つぎつぎと花を咲かせていきます。
 みんな、それらは背後の見えざる力によってうながされるようなめざましい変化です。
 この世には、よきものを壊したり闇で覆ってしまおうとする力もたしかに働いています。しかし、そのような暗い力とはまったく逆に、天をめざし、清いものをたたえ、美しさを花開かせる力がある、それは野草や樹木たちの春のたたずまいによっても知らされるのです。
 アケビの花を、インタ−ネットメールで「今日のみ言葉」とともに配信しましたが、その美しさに初めて接したという人が多かったようです。アケビの実が食べられることは知っていても、その花は知らないのは、その時期にちょうど山に行かねばならないし、気付かないことも多いからです。
 アケビの木そのものは、目立たないつる植物です。樹木の花の内では五指に入るほどの名花だといいますが、その気品ある美しさには誰しも惹かれると思われます。

○目覚めていること
 目覚めているというギリシャ語は、グレーゴレオーといいます。この言葉は、新約聖書・福音書のなかに特に多く現れる言葉です。キリスト教の事典で見ても、グレゴリオというローマ法王は十六人もいるほどです。その中でも、グレゴリオ一世は、グレゴリオ聖歌をまとめた人として有名です。
 また、グレゴリオ歴は現在世界で用いている太陽暦です。つぎに事典からの引用をしておきます。
「これは一五八二年、ローマ法王グレゴリウス十三世により施行された。当時使用されていたユリウス暦は1年の平均日数が三六五・二五日であったため、この暦法に従って閏(うるう)日を置いていると、百年間で十八時間、千年で八日近く、実際の季節と相違をきたす。十六世紀終わりころになると、三二五年にニカイアの宗教会議で定められた三月二十一日の春分は三月十一日となり、十日も早まった状態となった。復活祭は、春分の日の後に起こる最初の満月のあとの日曜日と決めていたから、これは大きな問題となっていた。そのため、ときのローマ法王グレゴリオ十三世は、一五八二年の春分が三月二十一日となるように十日間を省いて十月四日の次の日を十五日とし、将来も相違がおきないようにするため四年に一度閏年を置いた。これが現在、世界で用いられている太陽暦である。」
 このように、現在私たちが使っている暦はグレゴリオ暦であり、「目覚める」という言葉を連想させるものなのです。また、讃美歌、聖歌などは私たちが繰り返し用いるものですが、それらキリスト教の讃美の源流といえる、グレゴリオ聖歌にも、やはり「目覚めよ」という言葉に由来する人名が刻まれています。 
 福音書で繰り返し、主イエスが強調した「目覚めていなさい!」という戒めの言葉は、このような人名や暦名、聖歌の名ともなって根強く生きてきたのです。


st07_m2.gifことば
(156)私の秘密はとても簡単です。それは祈ることです。…
実を結ぶ祈り、それは心からのもの、神の心に触れるものでなければなりません。…
私たちは多くのことを複雑にしてしまうのと同様に、祈りも複雑にしてしまいます。しかし、祈りとは、誰に対しても分け隔てなく愛を注がれるキリストを愛することなのです。(「祈り」マザー・テレサ、ブラザー・ロジェ著 サンパウロ刊 54〜57Pより)

・マザー・テレサのあのような、激しい活動と愛に満ちたはたらきの源泉は祈りにあった。そしてそれはキリストへの愛そのものであった。祈りとはキリストへの愛を注ぐことであり、そこからキリストの愛を受けることであったのがうかがえる。私たちも本当の力の秘密である、祈り、単純な祈りへと導かれたいと思う。

(157)人間はただより多くの愛によってのみ、しかも、だれでもみな直接にその「隣人」から始めねばならぬあの個人的な、本当に強い愛によってのみ、救われるのである。この愛の精神こそは、また真のキリスト教の精神でもあるが、これが世を救うのであって、その他のすべてはこれと反対に、やたらに声のみ高い無用事にすぎないことが多い。(「眠れぬ夜のために・下」四月二日の項 ヒルティ著)

・主イエスはたしかに、この神の愛をもって世に来られ、私たちを救い、私たちもその愛をもって生きるようにと指し示された。私自身も、かつて学生運動にも関わりを持ったこともある。しかし、そうしたことによっては全く救いは与えられなかった。いよいよ悩みは深まるばかりであった。 私は自分自身の活動とか友人たちとの長時間にわたる議論、あるいは大学の学びなどでもなく、ただ一方的な神の愛によってそれまで知らなかった平安を得た。 神の愛、それこそが、私たち自身をもうるおし、周囲をも救う道なのだということは、聖書がはっきりと告げている。私たちはこの単純な道を間違うことがなんと多いことであろう。


st07_m2.gif返舟だより

○ミレーとコローの画集を見ての感想を送って下さった方がいます。
 …ミレーの絵を通して堅実な静けさの世界を知ることができ、コローの絵を通して天上から来る光と力に照らされた物が天上に憧れ向かっている姿を知ることができました。 
 天も地も祝福された目で見るとこんなに美しく映ることを知りました。私もどんなところにも神の愛を見付けていきたいと思います。
植物にはこんな清い神様の愛が込められていて罪がないことを知らされてきましたが、どんな所にもこの愛を認めていけるようになったら人生観が変わると思いました。み言葉の中にこのような世界に開かれる鍵があると思います。み言葉をいつも「食べさせて」頂けることに感謝です。(四国の読者の方より)

○四月二九日に、東京でのキリスト教独立伝道会主催の講演会で、「悔い改めよ、天の国は近づいた!」という題で、一時間ほど話させて頂きました。講演というより、私はこの世で出会うさまざまの言葉のうち、最も大切な神の言葉についてその意味の深さの一端を何とか紹介できたら、そして、その聖書の言葉にこめられた、私たちへの神からのメッセージは何かということを伝えたいという気持ちがいつも心にあります。 人間のいろいろの知識や研究、社会的評論などは、一時的に興味深いものではあっても、決して闇にある人、絶望的な状況にある人を救うことなどできません。しかし神の言はどんな苦しみにある人をも、救う力があります。私自身も短い神の言によって、救い出され、今日あるを得ています。その大いなる神の力になんとか働いて頂きたいという願いをもって語りました。
 今回の講演会には、「はこ舟」の読者からも参加者があり、同じ神の言葉に支えられ、導かれているという思いを新たにして頂き、ともに祈りを合わせ、そこで神の言を共に深く受け止めることができ、感謝です。
 後で、何人かの若い人たちの希望があって、時間を過ぎていたのですが、語り合うひとときを与えられ、若い世代の人たちに主が働かれ、み言葉のために生きる人をさらに起こされますようにと願ったことです。 また、夜は埼玉県の栗原 庸夫さん御夫妻のお家にて一泊をさせて頂き、主にある愛のこもったもてなしをしていただきました。翌日も羽田までも車で送って下さって、今回は私の体調が十分でなかったので助かりました。
2003/5

もう一つの戦い    2003/4

 イラクでの戦争は終わりに近づいているという。しかしその後にどのような地域的な紛争や、混乱が生じるかはだれも予見できない。人間は本質的に自分中心であり、自分の民族や自国に益となること、自分の支配権、自分の権力などを欲し、奪おうとするからである。
 日本は国内では表面的には内戦もなく、平和である。しかしそれで問題は解決はしない。小さな人間の集団において、議論や権力である種の戦いに勝ったようでも、精神的な意味において、また霊的には敗北ということはいくらでもある。
 最近の日本人の心がだんだんよくなっていると感じる人はどれほどいるだろうか。ごく少ないのではないだろうか。自殺も年間に三万人もあることもそれを暗示しているし、若い世代の人たちの行動を見ても、人間の心に巣くう闇を感じさせられることが多く、それは内的な戦いに破れていく姿を現していると言えよう。
 キリストはいとも簡単に、当時の権力者たちによって捕らえられ、処刑されてしまった。そこにはなんら勝利のようなものはなく、全面的に敗北と思われたであろう。
 しかし、キリストは実は、決定的な勝利を得ておられたのである。だからこそ、それ以後、キリストを迫害したローマ帝国の体制が崩壊し、キリスト教を受け入れることにもなったのであるし、キリストの真理を否定しようとする力に対して、徐々に勝利を世界的におさめてきたと言える。
 私たちの心の中には、つねに悪が戦いをしかけている。その戦いに負けるか、それとも勝利していくか、それは外側の世界がどのようになろうとも、つねに続く戦いである。そしてその内面での戦いに勝利するものこそ、本当の勝利者と言える。
 そしてそうした勝利を得る者となるには、権力も金も学識や健康ですら必要でない。ただ、主イエスを信じるだけでよい。それはキリストがすでにそうした内面の戦いの勝利者だからである。

神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからである。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰である。(ヨハネの第一の手紙五・4)


st07_m2.gif最も大切なもの

 私たちが最も大切なものということで、何を思い出すでしょうか。まず、命、家族、お金、健康、仕事、…といったものがほとんどの人で共通していると思います。それらは子供でもだれでもわかる大切なものだと言えます。
 しかし、それらは大切なものですが、 共通していることとしては、いとも簡単になくなってしまうということです。人間の命は、一瞬の事故で失われ、弾丸のような小さな鉄の塊によってすら、瞬時に破壊されてしまいます。家族も同様です。事故や病気で、またそうでなくとも、ちょっとした一言でも心が通わなくなり、冷たい関係になってしまい、そういう状態がひどくなっていくと、大切だという気持ちどころか、いなくなったらよいとすら思うようになるほどです。それが離婚といった形にも表れていきます。 
 それらのもう一つの特徴は、簡単になくなるというだけでなく、心の深いところを満足させないということでもあります。どんなにこの命があって健康であっても、心が感謝や喜びで満たされているということにはなりません。
 逆に貧しく、健康でなくとも、感謝をいつも持って生きている人もいます。
 このように、最も大切なものと思われているものも、それがあまりにもはかなく、消えていくということのゆえに、人間生活全体にはかなさや空しさを感じさせるものとなっています。
 最も大切なものと思われている命や家族、友人の愛や健康…すべてが死とともに消えていく、それなら今の生活も崩れ落ちる寸前だと言ってもよいわけです。あと五〇年、六〇年あるといっても、それらは永遠の時間から見れば、一瞬のようなものです。過去の無数の人間たちもみんな消えていったのです。
 そのような、死によってよいものも悪いものもすべてが消えてしまうという常識に対して、全く逆に最もよいものに変えられて永遠に続く存在とされる、という驚くべきことを啓示して下さったのが、キリストの復活です。復活とは死に打ち勝つ力が存在するということです。
 死とはあらゆる権力や金、人間的な愛や仕事など一切を滅ぼしていく力です。そのような根源的な力に勝利する力ということですから、この世のあらゆる困難な問題にも打ち勝つことができるわけです。それは私たちの力でなく、神の力であり、天地万物をも創造した神の万能の力だからです
 死という最大の力に打ち勝つということは、死に至らせる悪(罪)の力にも打ち勝つということです。
 それゆえ、パウロがなぜ、聖書のなかで、「キリストが私たちの罪のために死んで下さったこと」と「キリストの復活」を最も大切なこととして伝えたと言っているのかが分かります。

最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、…また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと…(Tコリント 十五・4)

 罪とは真実と愛の神に背くようなあらゆる心の動きを含みます。その罪の行き着く先は、滅びです。自分中心の心はその人自身の魂のよい部分を次第に滅ぼしていき、ついには真実な存在からも自ら離れていってしまいます。それは生きているときからすでにその人の目の輝きがなくなり、声や語ること、その表情などにも生き生きしたものが消えていくことで、その人が滅びに向かっていることを暗示させる場合があります。
 
 復活という言葉は、私たちの日常生活ではほとんど聞くことがありません。死人の復活などおよそあり得ないことだ、と思いこんでいるのが大多数の日本人の実態だと思います。
 しかし、私にとっては、自分自身のなかで、新しい命を実感してきたので、最も身近なことでした。また、現在の私たちのキリスト集会の人たちにおいても、以前は闇であった人たちが復活の主の力を受けて、新たにされていったのを目の当たりにしてきたこともいろいろとあります。
 こうしたことは、つぎの聖書の言葉を思い起こさせるものがあります。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は決して死ぬことはない。」(ヨハネ十一・25〜26)

 悩みや罪のゆえに、死んでいるのも同然になっていた心の状態が、主イエスを信じて新しい命に生き始めたからです。「死んでも生きる」という言葉は、すでに死んでしまった者も、よみがえるという意味のほかに、そうした意味をも含んでいるのです。
 こうした経験を与えられた人は、無数におり、そうした人々によって復活は最大の重要事となって伝えられてきました。それゆえおのずと復活の日、つまり日曜日に集まるようになり、それが今日では世界的に日曜日が休みとなることにつながったのです。日曜日とは、復活の記念日とし、復活の主に礼拝を捧げる日として休みとなってきたのです。
 このように、復活ということは、自分の内的な経験や周囲のキリスト者たちの経験で身近なものであり、また日曜日が休みとなっているその出発点でもあるゆえに、制度的な方面からいってもごく身近なものといえます。
 復活を信じるとき、私たちの将来はどうなるのか、そのことについて聖書のメッセージを見てみます。

キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。(ピリピ 三・21)

 ここに私たちが最終的にどのように変えられるかということが、記されています。私たちが幼い頃から聞いてきた言葉は、「死んだら終わりだ」ということです。これは死んだら何にもなくなるということです。しかし、それなら人間はみんな死んでしまうのだから、最終的にはみんな終わりだ、ということになってしまいます。
 しかし、聖書では、神とキリストをただ信じて罪赦されて生きた者は、最終的には、キリストの栄光ある体と同じ形に変えて頂けるということです。キリストのからだとは、神と同じような体です。
 人間は罪深く、かずかずの過ちを犯し続けるものであるのに、そのような汚れた者、弱き者を、根本から造りかえて、キリストと同じように変えられるということは、真に驚くべきことです。それは、万物を創造し、支配している無限に大きい力によるからです。
 私たち人間が欲しているのは、力です。赤ちゃんが本能的に母親にすがるのは、幼児にとって母親が絶対的な力を持った存在だからです。子供になって、友達に頼るのはその友達が力を持っているからです。あるいはグループで上に立ちたいのも力を求めるからですし、学校で成績やスポーツに力を入れるのも、やはり上に立つことが力とつながっているからです。
 また、少しでも大きい会社に入ろうとするのも、そのような会社がより力があり、報酬も多くもらえる、金もまた人間を支配したり、物を購入することができるので、力を持っています。それゆえに人はだれでも金を求めるわけです。
 このような力を求めるという、人間の幼児からの本能というべき傾向は、国際的な問題でも現れます。今回のイラク戦争も軍事力という力を重要視し、それを用いることを強硬に求めたからでした。戦争は、武力という力を双方が用いようとする戦いだといえます。そして太平洋戦争では、そうした武力の究極的のものといえる、原爆が使われ、たった一発で二〇万もの人が死んでしまったのです。
 このように、地上では力を求め、力に頼ることからあらゆる紛争、戦いが生じるのがわかります。地位が高いことを求めるのも、高い地位が力を持っているからです。
 こうした地上のあらゆる力とまったく異なる力があります。それが神の力であり、死にも打ち勝つ力です。そのような力は当然、悪にも打ち勝つのです。
 こうした絶大な力を世に現して、それを信じる人がだれでも受け取れるように道を開いて下さったのが、キリストの復活ということでした。だからこそ、キリストの弟子たちが最初にキリストを宣べ伝え始めたとき、その内容は、キリストの復活であったのです。

…すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。…… ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。
 神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と驚くべきわざとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。
このイエスを…、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。
 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。(新約聖書・使徒言行録2章より)

 これは、使徒の代表的人物であったペテロの初めての伝道の言葉として聖書に書かれているものです。以後二千年にわたって続いていくキリスト教伝道の、第一声ともいうべきものは、きわめて単純な、「イエスが復活した」という証言であったのでした。
 ここには、隣人を愛せよとか、敵のために祈れ、あるいは偶像を信じてはいけない等などにはまったく触れられていません。それはいくらよい教えを聞かされてもそれだけでは、力は与えられないからです。実行していく継続的な力が与えられるのでなければ、こうしたキリスト教の教えなど到底永続的に実行できるものではありません。
 このことは、ペテロ自身、キリストから三年もの間、親しく教えを受けて、その奇跡を数多く目の当たりにしてきたのに、主イエスが捕らえられるとき、ひどい裏切り行為を犯してしまったのを見てもわかります。
 単なる教えでなく、教えを実行する力が与えられるのでなかったら、いかに多くの教えを受けても実を結ぶことはないのです。
 私たちは、復活の力を与えられているゆえに、今のこの世においても神の力を与えられつつ生きることができるし、さらに肉体の死のあとでは、キリストの栄光のすがたと同じ姿に変えられるという比類のない約束を与えられ、必ず実現される希望を与えられています。キリストの復活こそは、私たちの生きた希望の源なのです。


st07_m2.gif鹿のように谷川の水を求めて

 私たちのキリスト集会でもう十数年前からよく用いてきた親しみやすい讃美に、「鹿のように」というのがあります。
 この讃美の歌詞は、旧約聖書の詩がもとになっています。

涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て
神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩篇四二・2〜3)(*)

 聖書が書かれた地方ではいかに水が貴重であるか、谷といってもふだんはほとんどは水のない涸れたものばかりで、いつも流れている川らしい川といえば、日本であれば小川のようなヨルダン川があるだけです。水を飲まねばすぐに死が待ちかまえています。水は生命線なのです。日本のように至る所に小川や谷川があるのとは全く異なっている厳しい状況なのです。そうしたところで必死に水を求めてさまよう鹿のように、私は必死で神を求める。ただ神のみが私の魂を満たすお方だから…  こうした内容の詩で、主イエスの言われた、「飢え渇くように、正しいことを求める」心がこの詩には表されています。

(*)この詩には、作曲家のメンデルスゾーンも曲をつけて、ちょうど詩篇と同じ番号の作品番号四二となっています。また、讃美歌21の一三〇番(涸れたる谷間に)、一三一番(谷川の水を求めて)一三二番(涸れた谷間に)も、やはりこの詩篇四二編を内容とした讃美歌ですし、新聖歌にも二曲が取り入れられています。

 この詩篇には多くの曲が付けられていますが、讃美歌などに採用されている曲よりも、おそらくだれの心にも親しみやすいのは、はじめに述べたゴスペル的讃美だと思われます。
 この曲は十年余り前の、徳島で開催された無教会のキリスト教全国集会においても、聴覚障害者とともに手話讃美にも用いた讃美ですし、県の郷土文化会館での市民クリスマスでも、私たちの集会員と他の聴覚障害者の多い教会の人たちとともに手話讃美をしたことがあります。
 さらにこの讃美は去年二〇〇二年の十二月に徳島市文化センターで行われた、市民クリスマスにおいても、鳴門教育大学の音楽の教授が、よい曲だとしてコーラスの曲目に取り上げ、さらにその教授の定年退官記念の演奏会にも曲目の一つとされていました。
 そうしたことからも、私たちにはいっそうなじみ深い讃美となっている曲です。
ここでは、紹介のためにその讃美の訳と原文を書いておきます。

鹿のように

鹿が水を求めてあえぐように
私の魂はあなた(神)を求めています。
あなただけが、私の心の願い
私はあなたを拝することを心から願っています。
あなただけが、わが力、わが盾
あなたにだけ、私の霊が従うように。…
私は金銀よりも、あなたを求める。
あなただけが、私を満たすことができる。
あなただけが、本当の喜びを与えるお方
そして私の瞳(といえるほどに大切な存在)
あなたは私の友であり、兄弟です。
本当はあなたは王であるのに。
私はあなたを、愛しています。ほかのどんなもの、いかなるものよりも。

As The Deer  (Marty Nystrom)

As the deer panteth for the water 
So my soul longeth after Thee
You alone are my heart's desire
And I long to worship Thee
(chorus)
You alone are my strength my shield
To You alone may my spirit yield
You alone are my heart's desire
And I long to worship Thee

I want You more than
gold or silver
Only You can satisfy
You alone are the real joy-giver
And the apple of my eye

You're my friend
And You are my brother
Even though You are a King
I love You more than any other
So much more than anything

 この讃美を作詞作曲したのは、マーティ・ニストロムという人です。この作者自身が、多くの自作の讃美のなかでもとくにこの「鹿のように(AS THE DEER)」を、心に大切に思っている作品であったのがうかがえる次のような文を書いていますし、そのCDのタイトルにも、この讃美の歌詞の一節を用いています。
 それは「私の心の願い(My Heart'Desire )」というタイトルです。日本では現代のアメリカの讃美作者の信仰に触れることは少ないと思われるので以下にこの作者の短文をあげておきます。なお、作者の生の声に触れるために一部の原文を添えておきます。
………………
「あなた(イエス)だけが私の心の願い」(You alone are my heart's desire) この神に向かってなされた告白は、「鹿のように」という讃美の歌詞の中に含まれています。この歌を書いたのは数年前のことですが、これらの言葉は、私にとっては、イエスを私の心の王座(最も重要なところに)留めておくために絶えず思いだすものとして留まり続けてきました。
 私はこの言葉を私の重要な決定をしなければならないときに、個人的な基準として用いてきたのです。生きることや伝道の必要からくるいろいろの求めによって心が動揺するときに、この言葉によって心が呼び覚まされる思いになったのです。
 私はこれらの言葉によって、私の心や考え、あるいは行動が神から迷い出たとき、それは罪だと知らせてくれたのです。
 あらゆる人間の心には渇きがありますが、それはただイエスだけが満たすことができます。
 しかし私は、この渇きをいろいろの物事や人間関係やキリスト教関係の奉仕によっても満たそうとしてきました。
 そうした時いつも、忍耐強く、恵み深い救い主イエスが私を主のもとに引き戻して下さったのです。
 これらの礼拝の讃美があなたを創造し、あがなって下さったお方(神とキリスト)との親しい交わりを求める心をさらに新しくしますように。
 あなたが「神ご自身の心にかなった」者となりますように。

(なお、この讃美の曲を知りたい方は、末尾の住所かメールで連絡下されば、インタ−ネットメールでこの音楽ファイル(MIDIファイル)をお届けできます。)
ホーム・ページ係りのもの付加メールで希望の場合は、右よりお申し込みください> 鹿のように・・・MIDファイル希望メール。


st07_m2.gif価格と価値

 この世的な人間とは、「この世のいろいろのものの価格(値段)を知っている、しかしそれらの価値を全く知らない人間」だと言われる。
 価格と価値、このふたつの言葉は、文字も発音も似たようなところがあり、意味も部分的に重なっているところもあるために、この違いがはっきりと知られていないと言えます。
 たしかに価値があるから価格(値段)がたかくなるわけです。そのために価格と価値を同じものだと錯覚してしまうことが非常に多いといえます。
 しかし、さきにあげた言葉の意味は、価値という言葉を、神の前での価値というようにより正確にいう必要があります。真実で愛の神がどのように価値あるとみなすかということです。
 この世的に生きるのが上手な人間とは、その価格を知っている、計算で考える。これをすればどれほどの金が入るか、どんな名誉が入るか、といったことをまず考えてしまう。
 ものを見ても、例えば家を見るとそれがどれほどの価格なのか、衣服や車など、また出世や仕事でも、いくらの収入があるかといったことです。
 世の中はそうした「価格」で動いているといえるほどです。毎日、株がいくらになったということが報道されているのも、株の価格の如何によっては、会社の存亡にかかわってくるからです。何かをする場合でも、金にならなければやらない、というのは当然のこととなっています。
 しかし、ここでそうした金に関係のない、いや、金に決して換えられない価値の世界があることに気付くとき、ものごとを価格でなく、価値という面から見ていくことに変えられていきます。例えば、空の青い風景やそこに浮かぶ真っ白な雲は、価格は何もない。値段などそこには議論にもなりません。
 しかし、そうした自然の風景は、私たちの魂にとってそれをよく用いる人にとっては大いなる価値をもってきます。それはたった一つの聖書の言葉も同様です。わずか数行の聖書の言葉など、価格はなにもつけられません。しかし、その価値は時として絶大なものがあります。それは人間の一生を変え、その変えられた人間の生涯の活動によってその人の周囲にも大きな変化がもたらされることがあるからです。
 私自身にとっても、その人生の歩みを根本から変えられたのは、わずか数行の聖書の言葉であり、その聖書の短い言葉についての説明でした。それは私にとってはほかのどんなものにも変えられない価値を持ったことになります。
 路傍の小さな野草の花であっても、それは価格という面からみれば何の値打ちもない。しかし、それが心開かれた人にとっては、大いなる価値を持つのであって、心の栄養となっていくのです。
 キリストは、当時の人たちにとって何らかの物を生産するのでもなく、何も価格のあるものを生み出すことはないと思われました。それどころか当時の学者や指導者たちの腐敗や間違いを厳しく指摘したために、自分たちの地位とそこからくる権威やもうけなどを奪われると思って、キリストを捕らえ、とうとう殺してしまったのです。
 金になることに使えない人間、自分たちが金を獲得しようとして不正なことをやっていることを指摘するような人間は邪魔者だということになったのです。わずか三年の活動で十字架にかけられて処刑されてしまったキリストは、この世の価値としてはいわばゼロだとされてしまったわけです。
 しかし、そのようなキリストがどれほどの価値を人類全体に対して持っていたかは、その後の歴史が証明していきました。キリストは、本当の愛とか真実とかについて、その最も深い意味を人間に教え、それをこの歴史のなかに刻んできたし、今日では当たり前となっている福祉といった考え方もキリストのなかから生じてきたわけです。
 また、この世においては、まず健康で、知的にも優秀な人間が価値あるものと見なされます。だからこそ、有名大学へと多くの人は目指すのであり、企業も有名大学出身者を採用しようとするわけです。
 病気や障害者であって、ふつうの会社の仕事もできない状態であればそれだけで、この世では価値のないものと見なされることがあり、就職もできなくなってしまいます。
 学校の教員になるにも、大学を卒業して、教員免許を持っていなければもちろん教員としては価値なきものとされて採用の範囲外に置かれてしまいます。
 しかし、ひとたび神のみまえでの価値はどうかということになると、この世とはまったく異なってきます。それは、どんな人でもかけがえのない価値を持っていると見なされるからです。
 ある人が重い犯罪を犯して、死刑になるとすれば、その人はこの世では価値はゼロどころかマイナスであるからその存在を抹殺してしまうということです。しかし、神はそのような人であっても、神のみまえに悔い改めることを望んでおられます。キリストは、そうした重い犯罪人であって、もう殺されてしまうという寸前の人が、悔い改めてキリストへの信仰を表したとき、その人に「あなたは今日、パラダイスに入る」と約束されたのです。
 これはこの世の価値と、神のみまえでの価値とがいかに異なるかをはっきりと示す例です。
 また、つぎのような主イエスの言葉も同様です。

悔い改める一人の罪人については、悔い改めの必要がない(と思っている)九十九人の正しい人たちよりも大きな喜びが天にある。(ルカ福音書十五・7)

言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。(ルカ十五・10)
 これらの箇所は、神がどんなことに価値を見いだしておられるかを示しています。人間に関して大いなる喜びが天にあるのは、人間がいろいろのよい行いを重ねることや、有名になること、あるいは地位が高くなったりすることでもない、ただ私たちが、心から悔い改める心だと言われています。それは私たちが、自分の心がどうしてもよくならないことを思い知って、神に心の方向を転じ、それを赦して下さいと、主に祈り願う心、その単純なことが一番喜ばれるというのです。
 天や天使たちのところで大きい喜びがあると特に記されているほどに、この悔い改めの心、神に立ち帰る心は価値あるものだということです。
 この世では、このような心は金の計算にはならず、なんの価値もないとみなします。だから新聞、テレビなどでもそんな罪からの悔い改めなどということはまったく相手にされていないのです。そうしたマスコミで大々的に取り上げるのは、金の関わること、つまり政治や経済、また金のからむ犯罪や事故、またプロスポーツなどのことなどです。
 有名になること、地位があがること、財産がゆたかになることなど何の関係もない人々、病気やからだの障害、あるいは老齢などで、価格(金)に関わるようなすべてが失われてしまった人たちはこの世では価値なきものと見なされることが多いのです。
 しかし、神はそうした人たちが、日々神に立ち帰り、主を仰ぎ見ることを一番価値あるものとして喜んで下さるという、その証しとして、そのような単純な心で神を仰ぐ者には、生きているときから天の国の賜物が与えられると約束されています。

 ああ、幸いだ。心の貧しい者たちは!(マタイ五・3)

 私たちはどんなに信仰をもっていても、信仰の歳月を重ねてもなお、心のなかでふとした罪、愛でなく怒りとか無関心や憎しみを心によぎらせたりすることがあります。そのような弱いものであっても、そのときに気付いて、キリストの十字架を仰ぐとき、そのような私たちをも愛するものとして受け入れて下さる神の愛を実感することができます。まわりのすべての人から見下されようともなお、神のそうした愛の一瞥があるなら私たちはそれに耐えることができ、かえって人間の無理解のただなかにいっそう深い平安を感じることができるものです。
 人間はその弱さのために、価格のあるものに目が奪われそうになりますが、神は一貫してこの世の価格とはまったく異なる、真に価値あるものを大切にして下さっています。私たちも主イエスにつながるとき、価格でなく、神のみ前での価値あるものを見つめて生きるように導かれるのです。


st07_m2.gif聖書の詩から(詩篇第一編より)

いかに幸いなことか…
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、栄える。

神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。(詩篇第一編より)

 旧約聖書における詩は、詩編と称されるものだけでなく、イザヤ書やエレミヤ書などの預言書にも多くみられる。詩経、文選、唐詩など中国の詩、万葉集、古今集などの日本などにも残されている詩との大きな違いは、単に人間の感情にとどまらず、神との関わりのなかで生み出された詩であるということである。
 私たちの心はさまざまのことによって動かされる。そしてその心の動き、感動ということは、身近な植物のすがたや夕日や青空、雲の動きによっても生じるし、また人間同士の関わり、親子、友人、異性などによっても生まれる。ことに異性によって心が動かされるということは、古今東西を問わず、日本や中国の詩集を見ても実にたくさん見られる。
 しかし、聖書にみられる詩はその点において、根本的な違いがあるのに気付かされる。聖書に収められた詩集である詩篇には、単なる恋愛歌や、親子、友人との愛情のようなものは一つも収められていない。
 詩篇の冒頭の第一編には、詩編一五〇編全体の精神が込められた詩が置かれている。
 ここには、単に花鳥風月のすがたに感じるというのでなく、神の厳然とした摂理への感動がある。この世界は表面的には偶然から成っていて、強いものが弱いものを餌食として成り立っているように見える。しかし、その背後には、科学的法則のように不変の法則がある。そうした法則への感嘆の心と讃美の心がここにある。人間は何に心を動かされるか、乳児のときにはミルクを与えてくれる母に心が動かされ、ひかれるのであって、これは野生動物と同様なところがある。そこから、次第に食物といった本能的なものから広がって、人間関係の中で自分と共通の楽しみを与えてくれる心通う友、同性、異性を問わず心動かされるようになる。さらに、そうした目にみえる益を与えてくれる人間だけでなく、花や山川、小鳥などの存在によっても心が動かされるようになっていく。それが広がって、国家社会などの問題にも心の関心は広がっていく。
 しかし、もし私たちが天地創造の神、無限の深みをもった真理と愛の神を知らなかったら、そこまでで止まってしまう。
 世のなかの詩はみんなこうした段階にとどまっているのを感じさせるものである。人間の世界ばかり、目に見える世界だけで動いているという感がある。
 こうしたこの世の詩と根本的に異なる詩こそが、聖書の詩である。
 それはこの詩篇第一編にもみられるように、神中心とした心の感動である。それは平板な記述ではない。この世というのは、一見不正と偶然、強いものの支配といった状況が目にとまる。しかしひとたび心の目、霊的な目をもって見るとき、愛と真実にみちた神は存在し、その神がいっさいを支配しておられる、そこにこの詩の本質がある。
 こうした驚くべき神の御支配とその力の世界全体への浸透に対して、そのことを知らされた者は、沈黙していることができない。またそのような生きてはたらく神への呼びかけを止めることができない。その神からの語りかけ、神に示されること、神によって変えられたこと、それらが波が押し寄せるように人の心にうち寄せ、また人の心からも神にむかって送り出されていく。それがこの旧約聖書の詩である。
 神が天地万物を支配されている、そのことを最も深く実感させるのは、人間の精神の世界、心の問題においてであろう。いかに驚くべき花の美しさがあっても、悪がはびこり偽りが最終的に勝利してしまうのだとしか思えない心にはその花の美しさもある種の哀しみをもよおすものとなりかねない。こんなにも美しい花、純粋な自然であっても空しく悪によって滅びるのだ、悪が自然を破壊していけば最終的には消滅してしまうのだという気持ちになってしまう。
 しかし、悪が勝利するのでなく、最終的には愛なる神が勝利するのであれば、自然の美しさもそのような神を象徴的に表しているものとして受け取ることができる。はかない美しさということでなく、永遠の神の美しさの象徴として感じることができるのであって、それは花のはかなさとかでなく、神の岩のごとき永遠不動性とともに、美と清さの究極的存在としての神をも思い浮かべることができ、それに接する私たちの心をも清めを受けることができる。
 こうした、神の悪への支配と勝利ということは、もっとわかりやすい言葉で言えば、完全な善きこと、美しきこと、きよいこと、また真実なことが、憎しみや殺意、ねたみ、不真実、自分中心的欲望などなどにうち勝つのだということである。しかもその勝利は一時的とかだれかの空想などでなく、いかなることにもまして確たる真理であるということなのである。
 このことに気付かされた者は、心を動かされずにはいられない。それが自然科学の法則と同様に不動の法則であるということで、そこに心動かされた人は、詩篇の作者にとどまらず神を信じ、主イエスを受け入れた人たちのなかから数かぎりなく現われていった。
 そしてキリスト以後は、十字架で主イエスが死なれたということが、人間の罪をあがなうことであり、それを信じるだけで、罪が赦され、清められるということがわかった。その罪は、私たちの心に長く積もっていた不快なもの、重苦しいものであり、それを放置しているとだんだんと人間そのものを圧迫していくものとなのである。
 キリストの十字架の死が、罪というまったく一見関係のないようなことに、深くつながるのだと実感しとき、そこに驚くべき法則を見ることができる。それは信じたらただちに、罪の赦しを与えられ生活が変わっていくという事実がある。そしてその事実は千年、二千年の歳月が流れても変わることがない。
 その十字架によって罪赦されるという簡明な真理への驚きは以後無数の詩を生みだしていくことになった。それは曲が付けられて、多種多様の讃美歌、聖歌、ゴスペルソングなどとなって現在もつぎつぎと生み出されている。
 このように、聖書に関わる詩というものは、神中心に生み出されていく。
 
 この詩篇第一編において、真の幸いとは、み言葉を中心にすることだと言われる。

いかに幸いなことか…
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。(詩篇一・3)

…their delight is in the law of the LORD,
and on his law they meditate day and night.(NRS)

 ここで、主の教えと訳された原語(ヘブル語)は、トーラーという。この語は旧約聖書では二二〇回ほど用いられており、律法、おきて、教え、規定、教訓などと訳されている。現代の私たちに入ってくる訳語は「神の言葉」であろう。その人の喜びが、神の言にあるとき、その人は大いなる幸いにあるといわれている。神の言葉を喜びとするとは、神の言を愛していることであるから、ここでは「主の教えを愛する」と訳されている。またその神の言葉を昼も夜も口ずさむとは、神の言がいつも魂の奥深くにあって、離れることがない状態を表している。私たちの心には、何がいつもあるだろうか。多くは、日常の生活のなかのことであろう。子供のときは食物、遊び、あるいは勉強のこと、友達のこと、大人になれば仕事のこと、家族や職場の同僚、地位役職のこと、そして世間の出来事のこと等などがつぎつぎと心に流れこんでくる。そうしたことはすべてこの世のことであり、移り変わるものである。
 しかし、この詩篇第一編においては、神の言が第一の関心事となっており、周囲の人間のこと、仕事のことを考える場合でもまず神の言をめぐってそれらが考えられるのである。主イエスが、まず神の国と神の義を求めよといわれた精神がここにある。
 しかもそれは喜びが伴っている、それは神の言葉への愛があるからである。神のおきてなどというと到底喜びなどが沸いてくるようには思えない。日本語の訳語一つでまるで感じが変わってくるのである。
 神の言葉は愛なる神のお心の現れであるなら、その神の言葉を思うことは、喜びとなるのが本来だと言える。神の言葉が喜びに感じられないということは、すなわち神ご自身をも喜びをもって思うことができないということになる。
 神を喜ぶ、これこそは私たちの究極的な目標である。人間の目的は神を喜ぶことであり、これが与えられている人はすでに人生の目的を達していると言われているほどである。神を喜びとすることは、その人の心のなかで、神の勝利がなされていることであり、悪への誘惑にうち勝ったしるしであり、たえず光に向かって日々を過ごしていくようになった魂を現している。
 この詩篇の冒頭にそのような、神を喜び、神の言葉を喜びとする魂のすがたが描かれているのは詩篇全体を思い浮かべるにおいてもとてもふさわしいものとなっている。
 ここで、口ずさむと訳されている原語は、「思う、考える、瞑想する、黙想する」などという意味にも訳されている。英語訳では、ここにあげた新改訂標準訳(NRS)も meditate (黙想する、瞑想する、十分に考える)と訳しているのが、多数を占めている。
 神の言葉をいつも心に思い、神の言葉に沿って物事を考え、神の言葉によって力を与えられ、神の言葉によって前途への希望を抱きつつ歩む、そうしたみ言葉中心の生活の祝福は主イエスも語られた。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。(ヨハネ十五・7)

 望むものが何でも与えられるという約束はすばらしいものである。しかしその前提条件がある。それが、主イエスにいつもつながっていて、主イエスの言葉がつねに私たちの内にとどまっているということとされている。これは、詩篇第一編の、主の言葉をつねに思っているということと同様な意味を持っている。
 このように主イエスの内にとどまるときには、私たちが望むものが与えられる。それは霊的な賜物であり、目には見えない天の国の良きものである。それがこの詩篇では、「実を結ぶ」と言われている。実とは、何か。それらはパウロが、愛、喜び、平和…と言ったが、そうしたものは神の持ち物であって、天の国にあるものと言える。そうしたものが、確かにその程度は人によっていろいろであろうが、与えられるようになる。
 
 一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ十二・24)

 一粒の麦が死ぬということ、それはみ言葉がその人の魂に深くとどまっている姿である。私たちが人間的なものに深く結びついているとき、自我が私たちのうちに大きく居座っているときには、神の言葉はとどまることができない。そこにはいつも自分の人間的な願望や他人からの言葉、マスコミや新聞、雑誌にあらわれている多種多様な人間の言葉ばかりがとどまってしまう。
 み言葉が心につねに宿っているとき、いのちの水がその魂を浸し、そこに緑の木が生えてきて、実を結ぶ。
 大地からは春になると、つぎつぎと草木の芽が出てくる。雨が降り、水にうるおい、地中の養分があり、太陽の輝く時間が長くなり、温度が適当になるときにそのように成長がみられる。私たちにおいても、み言葉をいつも思っているときには、そのみ言葉が、養分であり、雨水であり、暖かさだといえる。
 預言者という人たちは、そうした神の言葉に深くとらえられ、いかなる批判や中傷に直面しようとも、神の言葉から離れずに、み言葉によって生じた正義や忍耐、同胞への愛をもって語り続けた人だったのである。
 こうしたみ言葉によって祝福された状態は、いのちの水にうるおっている状態として記されている。これは、私たちの言葉で表現するとすればこのようにしか表せないのであろう。
聖書の最後に置かれている、黙示録においても、最終的に悪が滅びたのちに来る世とは、やはり、命の水でうるおされ、そのゆえに実り豊かな状況だと象徴的に記されている。

天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。(黙示録二十二・1〜2)

 このようなうるわしい姿と鋭い対比が、この詩篇の後半部でみられる。

神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。(詩篇第一編より)

 すなわち、神に逆らう者のたどり行く道が記されている。悪人とか神に逆らうということは、聖書においては、真実と正しさに満ちた神に逆らうということであり、純粋な愛に反対の心ということである。それは不正であり、不真実であり、憎しみや高慢、あるいは無関心ということである。こうした心を抱いているとき、最終的には当然その人の心はすさんで、固くあるいは汚れてしまうということは容易にわかることである。嘘をついて、人を欺いていてそのような人の心が清く、愛に満ちたものになるなどだれも考えたりしないだろう。
 しかし、日本人はほとんどが唯一の神などいないと思っているので、神に逆らうとかいっても何ともないという人が多い。しかし、それは単に神を言葉の上で信じないということでなく、真実そのものを否定して、嘘や不真実であることを平気でやるということである。こうした心を持っている者、しかも悔い改めも受け付けないような人は、その人間そのものが軽くなってしまう。
「風に吹き飛ばされる籾殻」のようになるという。真実を与えられている人ほど、どこからともなく、その人から重みが感じられるようになる。旧約聖書で「栄光」と訳されている原語(ヘブル語)は、「重い」という言葉から作られている。神の栄光を知るとは、神の霊的な重みを実感するということでもある。神のもっておられる果てしない多くのものを知るのは確かに重みを与えられることになる。
 しかしそうした真実を原理的に否定するような心は、確実に軽くなり、神の重みとは正反対の状態となっていく。それがここにいう、「風に吹き飛ばされる」ということである。
 そしてそのような人間の魂は最終的には、滅びてしまうのである。人間はすべて滅びるものだと考える人は多くいる。しかし、キリストの復活がなされたということは、こうしたあらゆる滅びへの力に抗して、いかなることによっても決して滅びない神のいのちが与えられるということなのである。


st07_m2.gif休憩室

復活祭について
 日本ではキリスト教の最大の祝日である復活祭(イースター)はほとんど知られていません。
 クリスマスすなわち、キリストの誕生を祝うということは誰にでもわかりやすく、また普通の人も誕生祝いということは広く行われていてなじみがあります。またプレゼントをしたり、子供の心にも入りやすい上、サンタクロースやクリスマスツリー、クリスマスソングなど、神やキリストを信じない人たちにもなじみやすいものが多いからです。ことに、日本では、クリスマスプレゼントやクリスマス商戦、クリスマスパーティといったキリストや聖書と直接に関係のないことで用いられ、最近ではお正月以上に店も繁盛するとのことです。
 しかし、復活祭ということはそれに比べて比較にならないほど知られていません。それは誕生というだれにでもわかりやすいことに比べて、復活ということはふつうにはおよそあり得ないこととして受け止められているからです。その上、復活祭が毎年その日が変わる移動祝日であるということもなじみを薄くしています。
 これは旧約聖書にある過越の祭りが、春の満月の夜に守られていた地方があり、
(*)またローマ地方ではその満月の次の日曜日に復活祭を守っていたので、古代において、いろいろと議論が重ねられた結果、現在では、「春分の日(三月二十一日頃)の後の、最初の満月のつぎの日曜日」という分かりにくい決め方になっています。

(*)
小アジア地方(トルコ半島)では、旧約聖書に由来する過越を、キリスト教の過越として守っていたキリスト者たちがいた。それは旧約聖書にあるように、ニサンの月の十四日(満月の夜)に守られていた。ニサンの月とは旧約聖書に出てくるユダヤ人の暦の月で、現在の私たちの暦の正月のような、第一の月である。いまの太陽暦では三〜四月の頃に対応している。過越の祭りとキリストの復活がどうして関係づけられているかというと、キリストが十字架で処刑されたのは、ユダヤ人の過越の祭りの時であり、その祭りのときに捧げられる小羊として、主が死なれたと信じられたからである。

 また、キリストの復活が日曜日であったことから、世界的に日曜日が休みの日となっていますが、その制度を初めて日本が取り入れたときは、明治政府ですが、その政府はその成立の時から、江戸幕府と同様に厳しくキリスト教を迫害していたのです。しかし外国の強い抗議に直面して、ようやく一八七三年(明治六年)になってキリスト教を邪教と見なし、迫害する姿勢を止めたのでした。
 そしてその翌年に文部省は官立学校の日曜休日制度を定めたのです。その後一般にも日曜日の休日制度が徐々に広がっていくことになったのです。
 キリスト教を全面的に否定して迫害していた政府であったゆえ、そのキリスト教の中心となる日曜日の休日制度を取り入れるという際に、キリストの復活のゆえに日曜日が休日となっていて、それは復活の主への礼拝の日なのだというようなことを、国民に説明することは到底できなかったわけです。
 現代の私たちにとっても、二千年前にはじまったように、日曜日ごとに、主イエスの復活を記念し、その復活のいのちを新しく受けるということができれば、最も望ましいことと思われます。

春は、キリスト者でなくとも、死んだようになっていた冬枯れの木々がいっせいに芽吹き、野草も花を咲かせ、花壇にも色とりどりの花が咲いて、復活させる神の力を視覚的にも感じさせてくれる季節です。植物は季節によって定期的に新しくよみがえったような新緑や花を咲かせますが、人間は、そのように定期的に季節によって新しい命を与えられることはありません。私たちが心から求めるのでなかったら、神の復活の命は与えられないからです。「求めよ、さらば与えられん」(マタイ福音書七・7)という言葉の通りです。

聞き取ること、読みとること
 手話にしても英語のような外国語にしても、自分の思っていることを手話で現したり、英語で話し、書くことは何とかできても、手話を読みとることや外国人の英語を聞き取ることはまた別の難しさがあります。 手話も一つの外国語のようなものですが、自分の思っていることを手話で表すには、数ヶ月時間をかけて手話表現を覚えていけば相手に手話で通じるようになりまが、ろうあ者が話している手話を読みとるのは、人によって地方によって、異なる表現や省略もあり、また手話のはやさが早いこともあり、とても難しいものです。私も手話を長く使っていても、初対面のろうあ者の場合など、なかなか読みとりができない場合があります。これは英語などでも同様です。英語を読み話すことと、聞き取ることは別のことで、耳が慣れていないといけないし、国によって、また人によってアクセントも違っていたりで難しいことです。
 主イエスや神に対しても、私たちが思っていることを話す、祈ることは簡単です。そこに心も込めずに習慣的に主の祈りを唱えることもあります。
 しかし、神からの語りかけを聞き取ることは全く別のことです。 神はいろいろの場合に、いろいろのものを用いて私たちに語りかけておられます。時には個人的な祈りのなかで、また歩いているとき、本を読むとき、礼拝集会や祈祷会のとき、さらに病気や何らかの苦しみのときなどいろいろの状況にて語りかけておられます。また、樹木や野草などの花など、植物の姿や、夜空の星や夕焼、山の谷川の流れなど、神は万能であるゆえ、また霊的存在でどこにでもおられるゆえに、そうしたものを通して語りかけておられるわけです。私たちも一層そうした神からの語りかけを聞き取ることができるように、霊の耳を敏感にしていただきたいものです。


st07_m2.gif人の考えと真理

 人の考え、意見といったものは、時代や状況によって実に目まぐるしく変わる。一人の人間をとってみても、十年前、二十年前とではずいぶん考え方や行動は違ってくる。
 国や社会も同様である。文部省の方針もゆとり教育の重要性を説くかと思えば、基礎学力の不足だといって、今度は予備校的な競争教育が重要だといったりする。六十年ほど前は、天皇は現人神だといって、全国の教育の場でも教えていたが、敗戦の後には、当たり前のことであるが、自ら人間宣言をした。
 また、その頃は、アメリカやイギリスのことを、鬼畜米英などと言っていた。敗戦とともに今度はアメリカ追従となって、アメリカがなにか一番良い国であるかのように言われるようになっていった。
 憲法第九条も、成立したときには、毎日新聞の世論調査(一九四六年五月)では、七〇%が戦争放棄条項に賛成しているので、大多数はこの平和主義憲法に賛成していたのである。
 「聖戦」ということは、イスラム原理主義者と言われる人たちがよく口にすることであるが、日本も今から六〇数年前には、有名な学者たちもそんなことを言っていたのである。一九四一年十二月に出された米英への戦争開始のときの天皇の文書(詔書)の解説書にはつぎのように書いてある。
「世界戦史の上での真の聖戦というべきものは少ない。そうした中で、皇国日本が米英に対してなした宣戦こそは、大義名分の旨に合致し、東亜共栄圏の確立、世界新秩序の創建に邁進する上において、まさに真の聖戦である。」(一九四二年三月発行の「宣戦大詔謹解」序文)
 しかも、これは、久松潜一、平泉澄といった東京帝国大学教授ら有名な学者の執筆になるものである。
 こんな意見が、日本の代表的学者が書いていたし、それを日本の代表的新聞も掲載していたのであった。しかし、その後わずか四年も経たないうちに訪れた敗戦によって、このような考え方は根本から否定されていったし、国民も大多数は米英との戦争が聖戦だったなど、だれも本気で言う人はなくなった。
 こうしたさまざまの変化はつねに見られる。そうした変化の著しい人間の意見や考え、世論といったものに対して、全く変わらないのが、聖書にある真理である。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。(旧約聖書・イザヤ書二・4)

 ここに記されたことは、今から二七〇〇年ほども昔の預言者が、神から直接に啓示された真理であり、主イエスが次のように言われたことも、同様な究極的真理であって、この真理性は、数千年を経ても変わることはない。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・43〜44

 世論や政治家たちがどのように考えを変えようとも、こうした聖書の真理はそれらに全く影響を受けずに、輝いている。それがどれほど現在の人が実行できるか、だれがその真理を信じているかということでなく、いかに少数の人しか信じていなくとも、真理は真理である。
 それはちょうど、夜空の星が人間のいかなる変化や混乱にいっさい影響を受けないで輝いているのと同様である。 


st07_m2.gifことば

(154)ひとは他人からなにも得ようと思わないなら、全く違った目で彼らを見ることができ、およそそのような場合にのみ、人間を正しく判断することができる。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」上 四月二十一日)

 このような態度を他人に対して持つためには、自分が精神的に満たされている必要があります。自分の内にいつも不満や満たされるものを感じていないなら、どうしても他人に求めることになります。
 神によって、キリストによって霊的に満たされているときに初めて私たちは、他人に何かを求めるということがなくなっていきます。私たちは、たいてい特定の人からの好意、愛、評価を求めてしまいます。そうなると、どうしてもその人に気持ちが引き寄せられ、正しい判断や理性的に考えられなくなっていきます。私たちが間違った判断や行動をしてしまうのは、人間関係において、いつも他人から何かを得ようと、無意識的にすら考えてしまうからと思います。そんなことは思っていないという人でも、他人から批判の言葉や、見下されたら腹を立てます。それは、その人が他人からのよい評価を求めているからです。

(155)愛からなされることは、いかにそれが小さく、また取るに足らないものであっても、全く実り多いものである。神は人がいかに多くのことを成し遂げるかというよりも、いかに大きな愛をもって働くかを見られるからである。
 多く愛する者は、多くのことをなす。(「キリストにならいて」第一編十五・1〜2より)

・ここで言われている愛とは、もちろん人間の自然に持っている愛でなく、神からの愛を指している。人間が持っていると思われている愛は、必ず自分への見返りを期待するものであり、それは愛でなく自己愛の一種といえるからである。
 この言葉は、主イエスが言われた、「人が、私につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ福音書十五・5)を思い起こさせる。主イエスにつながっているとは、主イエスの内にとどまっているといしことであり、それは右の言葉のすぐあとで、「わが愛のうちにとどまれ」(同9節)と言われているように、主イエスの愛、神の愛のうちにとどまることである。主イエスの愛のうちにとどまって、何かをなすときには、主が働かれる。
 「多く愛する者は、多くのことをなす」これは、神の愛をもってなす者は、外見ではいかに小さいわざのように見えても、神の目から見れば多くのことをなしているとみなされるし、逆にいくら社会的に目だったことをしても、自分の利得とか名誉のためになしているときには、愛からなされておらず、神の目からはそれはとるにたらないことと見なされる。


st07_m2.gif返舟だより

○私たちのキリスト集会では、もうずっと前から、クリスマスの特別集会とともに、復活祭(イースター)にも特別集会をするようになっています。それは、いつもの日曜日の礼拝集会とちがって、「子供とともに」とか、「讃美のひととき」、「証しと感話」、それから「食事と交流の会」などのプログラムをもうけて、とくにふだんは礼拝集会などに参加していない人たちにも働きかけて、最も重要な「復活」ということの真理に触れて頂くという目的です。
 特別集会とすることによって、一ヶ月以上前からそのイースター集会が祝福されるようにと、祈りをもってそのことを覚え、備えていくことで、主がそこに働いて下さり、ふだん参加していない人や初めての方なども参加されて、いつもそこに新たな神の恵みを与えられて感謝です。

○…ストー夫人の「アンクル・トムス・ケビン」の言葉のなかに、聖霊に導かれた言葉のあるのに今も心の糧を与えられています。フローレンス・ナイチンゲールについて、また内村鑑三の文語の文章を、現代文にわかりやすく直した文を読み、益を受けています。…(関東地方の方)

・この方は、八〇歳を越える方ですが、この方が、今年三月二四日に書いた原告意見陳述書を送って下さいました。これは、テロ対策特別措置法と自衛隊の海外派兵に反対する原告団、二百五十三人による訴えに伴って書かれたものです。
 自分はかつての日本軍人として誇りをもっていて戦争に加わっていたが、敗戦のときにいたベンガル湾の島から無事、生きて帰ることができた。二六歳までは、明治憲法のもとに生きて、それ以後は日本国憲法のもとで生きてきた。そのために、「このふたつの憲法の中に生きてきた者として最も深い印象は、日本国憲法がいかに優れた憲法であるかを身をもって体験したことであります。…」そのあとで、この二つの憲法の本質的違いを列挙し、とくに最近の自衛隊派遣や新しい法律制定のことへの強い反対を述べています。
「…この日本の自衛艦派遣を可能にした法律、テロ対策特別措置法を憲法違反と言わずして何を憲法違反というべきでしょうか。私たちの誇りとする平和を守ってきた憲法第九条が無視され、蹂躙されることにこれ以上黙することができず、テロ対策特別措置法海外派兵違憲訴訟の原告の一人に加わった次第であります。三権分立、司法の権威を守る裁判長が、この法律の違憲性を直視して、歴史に残る英邁(えいまい)な判断を下されんことを国民の一人として心からお願いするものであります。」
 一切の戦争に加わらないとする、日本の平和憲法の精神こそ、現代のような不安定な時代にいっそう重要性を帯びていると考えます。そしてこれは、聖書にあるキリストの精神にもかなうものであり、キリスト者としてもこの憲法をなし崩しにしようとする勢力に反対するものです。
2003/4

応答して下さる神    2003/3

 聖書に言われている神、唯一で天地創造の神を信じる人は、日本ではごく少ない。世界的にみても異例のことである。
 どうしてそんな神を信じられないかというと、この世の数々の矛盾や戦争、暴力などがあるのにそんな神がいるはずはないという気持ちも一因である。このように、目に見える出来事を見ているだけでは、私たちは決して唯一の神を信じることなどできないだろう。
 逆に神などいないと思わせるようなことはいくらでもある。
 しかし、そのような悪や混乱のただなかで、どうして世界の数知れない人々が唯一の神を信じることができるようになったのだろうか。
 それは私たちに答えて下さる神を実感したからである。もともと、信仰の父と言われるアブラハムも、神からの語りかけをはっきりと感じて、その神に応えて従ったのであった。応答して下さる神を実感したとき、人はいかなる矛盾や混乱にもかかわらず神を信じるようになる。それは当然であろう。神からの語りかけ、神の平安、神の国の喜びを実際に感じるのであるから神がおられるのを疑うことができなくなるのである。
 そうした応答して下さる神ということは、すでにキリストより五〇〇年以上昔から旧約聖書(イザヤ書)に記されている。ここではそうした箇所から学んでみたい。 

イザヤ書とは、今から二五〇〇年以上も昔に書かれた書物である。イザヤという人物が神の言葉を受けて、語った期間(預言者として生きた期間)は、紀元前七四〇年からおよそ六〇年ほどにもわたると言われる。しかし、以下にあげた、六五章を含む五六章以降は、内容や言葉、書かれている状況などからもっと後期の、キリストより、五百三十年ほど前に特別に神の霊を受けた人によって書かれたものと考えられている。
 旧約聖書には民族としての苦難に直面した状況がしばしば生々しく描かれている。外国の大国が責めてきて、それによって町々は破壊され、多くの人は傷つけられ、殺された。その上、数知れない人々が遠い異国であるバビロンへと連れて行かれたのであった。そのような事態になって、どうして神は聞いて下さらないのか、という深刻な疑問が人々の間に生じてきたのである。

…神はどこにおられるのか。
モーセによって海のなかにも道をつくって、襲ってくるエジプトから救い出された神、
そして民のうちに、聖なる霊を置かれた神、
その神は、どこにおられるのか、…

どうか主よ、天から見て下さい。
わなたの熱情と力ある御業、
あなたのあふれる思いと憐れみとは
いま、抑えられていて、示されていない。 (イザヤ書六十三章11〜15より)

私たちの聖なる町々は荒野となった。
私たちの輝きであり、聖所であり、先祖が神を讃美した所は、
火に焼かれ、廃墟となった。
それでもなお、主よ、
あなたは、黙して私たちを苦しめるのですか!(同六四・9〜11より)

 このように、苦難のときには神がおられるということがわからなくなる。かつては海に道をつくってその万能を現された神、その神の働きは今はまったく見られない。どうか主なる神よ、私たちにあなたの御業を示して下さい! あなたの憐れみや愛がどこにも感じられないのです!

 こう神に向かって叫ぶ心の状態がこの箇所ににじみ出ている。
 私たちもまた、しばしばこの著者と同様に、神に向かって訴えることがある。「神が私のこの苦しみをどうして見ては下さらないのか、神は愛であると言われているのに、そしてかつてはその愛を実際に感じていたのに、今は私にはその憐れみすらも抑えられて感じることもできない…」と。
 このように、神を信じる人があまりの苦しみや悲しみに打ち倒されそうになりつつも、必死で神に、み姿が見えるように、そのわざが分かるようにと、懸命に神に向かって叫ぶ姿がある。
 こうした叫びは旧約聖書の詩集といえる、詩篇にも多く見られる。
 そしてそのような叫びと祈りこそは、神のみ許に届けられる。このイザヤ書においても、つぎのような神からの応えが記されている。
 それが次の聖書の言葉である。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。

 背く民、思いのままに良くない道を歩く民に
絶えることなく手を差し伸べてきた。(イザヤ書六五・1〜2)

 人間がまず働きかけたのでなく、まず神の側からこのように、たえず働きかけておられるのであった。聖書においては、このことが基本的な事実となっている。神など存在しないと考える人にとっては、人間か、偶然か、あるいは運命などのいずれかが人間を動かしていると考えている。
 しかし、神を信じる者にとっては、その神は生きて働いておられる神であるゆえに、必ず聞いて下さっているし、その応答を与えて下さる神なのである。
 人間でなく、神の方からまず、働きかけていて下さっている。ここに神の愛がある。神の生きた命がある。人間であっても、心が愛にうるおされているとき、苦境にある者を放置しておくことはしないであろう。相手が来るのを待つのでなく、こちらから出かけていくだろう。それと同様に、神は完全な愛のお方であるから、人間が求める先から私たちに働きかけてくださっている。
 まだ尋ねようという意思がないような者にすら、神は現れて下さるのである。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さった。(Tヨハネの手紙四・10、19)

 ヨハネの手紙が繰り返し強調しているのは、このことである。これは一見意外なことが言われているようであるが、これは神の愛にふさわしいことなのである。
 愛するとは大切に思うということである。キリシタン時代には、「愛」という言葉は、「執着」というニュアンスが強いために、聖書に現れる神の愛のことを、「ご大切」と訳した。それは、神の愛のある側面を言い表している。あるものを愛するとは、それを大切に思うことである。私たちは神を大切な存在としては、だれでも全く思ってもいなかっただろう。私自身、愛や真実に満ちた神が存在するなどとは夢にも思わなかったし、周囲の生徒や教師たちも同様であった。私は神を大切なものとはまったく思っていなかったのである。しかし、驚くべきことに、一見いないと思われる神が、私のことを「大切に思ってくれていた」ということに気付いたのは、ずっと後であった。
 
 このように、神の方から私たちに絶えず語りかけてくださる、応答してくださる神の姿は、つぎの箇所にも印象深いかたちで記されている。

彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。 (イザヤ六五・24)

 神の定めた時至れば、新しい天地が創造される。そのときには一切が新しくされる。その重要な内容がこの言葉で現されている。それは魂の深いところで応答して下さる神ということである。
 私たちは人間関係でも、応答の欠如によって悩まされていると言えよう。
 だれかに何かを話しかけても、その人が返答もしないとき、その人間関係は成り立たない。同様に、手紙を出しても返事も来ないという状態になると、その両者の関係はすぐに冷えていくだろう。
 山や川、大空など自然に対しても同様であり、私たちがそうした自然に呼びかけるとき、自然が応えてくれると実感するとき、その人はますます自然との対話、交わりの世界へと進んでいく。実際はしばしば逆であって、私たちが呼びかけるよりずっと先から、自然の方からありとあらゆる変化や美しさ、力、壮大さ、清さなどをもって、私たちに語りかけているのである。しかし、私たちの方がそれに全く反応せずに、答えもしない。そのような状態では自然と人間との関わりは深まらず、消滅してしまう。
 また、応答があってもそれが不真実なもの、愛のない応答であればいっそう互いのつながりを弱めたり、断絶したりすることになる。例えば悪口、非難の言葉の応答となると、そのような応答などはしないほうがよい。結局私たちが求めているのは単なる応答でなく、愛と真実のある応答だということになる。
そしてそうした応答を人間は十分になすことは到底できない。精一杯真実に応答したと思っても、自分の弱さが分かっていないからそれが大きな嘘となり、不真実となる場合がある。
 聖書の例でいえば、ペテロは主イエスがもうじき殺されるとほのめかしたとき、「死んでも従っていきます!」と勇気ある応答をした。しかしそのすこし後になって、主イエスが捕らわれていった後で、三度も激しく主イエスと関わりある人間でないと言ってしまったのである。
 このように、命がけで、主に従っていく、という真実にみえる応答は嘘となり、不真実な応答にすぎなかったことになる。
 人間同士で真実な応答を求めていっても、このように誰もがおそらく私たちはすべて不真実な応答関係にあることを思い知らされるであろう。人は未来に生じることは分からないし、現在生じていることにも考えが様々であり、また見抜くことができないために間違って事態をとらえていることも多い。そうなるとやはり不真実な応答だということになってしまう。
 こうした中で、ただ神、あるいは主イエスの応答だけが、真実なものだと言えよう。このイザヤ書の箇所は、私たちの前途がこのような生き生きとした神との応答があるものに変えられるという約束である。そしてその約束は、はるか未来とか世の終わりなどの、いつか分からないような遠くのことでなく、私たちが生きている今、部分的にせよ与えられるという約束でもある。
 福音書において、こうした神の応答、主イエスの応答ということはどこに記されているだろうか。
 応えて下さる神がもし、はるか彼方にのみ存在するのなら、十分な応答は期待できない。しかし私たちのすぐ近くにいて下さるならば、すぐに答えて下さるであろう。
 キリストの復活以後は、そうした応答してくださる神は旧約聖書のときと比べると比較にならないほど近くに来て下さった。それは、パウロが述べているように、私たちの内にキリストが住んでくださっているほどである。私たちのからだは、神が住んでいるのである、あなた方はそれが分からないのか、とパウロがギリシャのある都市の信徒たちに教えている箇所がある。

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのか。…あなたがたは神殿なのである。(Tコリント 三・16〜17より)

 また、私たちの存在の中心にキリストが住んで下さっていることについてはつぎのように言われている。
信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。(エペソ書三・17)

 また、次の箇所はよく知られている。

生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられる。(ガラテヤ人への手紙二・20より)

 これらに共通しているのは、キリストは旧約聖書の時代と違って、いかなるものよりも近いところ、すなわち私たちの魂の内に住んで下さっているということである。
 私たちの内に住んで下さっているのなら、最も近い存在であり、いつでも会話ができる状態にある。
さらに、キリストは最後の夕食のときに、聖霊を待ち望む者すべてに与えると言われた。
 その聖霊による新しい交わりこそは、ヨハネがその手紙で述べているように、神の命との交わりなのである。

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの、(神のいのちによる)交わりを持つようになるためである。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりである。(Tヨハネ一・3)

 このような、神とキリストとの交わりとそれを基にした他者との交わりにおいては、いつもふさわしい応答が与えられる。応答の欠如に悩む現代、愛の冷えてきつつある人間関係のただなかにあって、真に私たちを満たしてくれるのは、このような生きた応答の世界であり、それが聖書の約束していることなのである。


st07_m2.gifナイチンゲールの苦しみ(伝記からの紹介)

 看護の世界で、ナイチンゲールと言えば、現在でも世界的にその名を知られている。しかし、彼女の心にどのような世界があったかは、日本ではほとんど知られていないと思われる。
 彼女の伝記は、子供用の伝記やマンガなどではよく見かけるが、以前には正式な伝記は一般出版社からは出ていなかった。しかし、一九八一年に上下二巻で、計八〇〇頁を超える詳しい伝記が出版された。(*)
 私はそれによって初めてナイチンゲールの歩んだ跡を詳しく知ることができた。ここでは、こうした本に親しむ機会がない多くの人たちに、ごく一部であるがとくに彼女の若いときの内面の戦い、苦しみなどを中心にして紹介したいと思う。

(*)「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」現代社

 ナイチンゲールは一八二〇年、家族が旅行中に、イタリアで生まれた。生まれた地名をとって、フローレンスと名付けられた。彼女の両親は豊かな家に育った人たちで、何年でも外国旅行する余裕があるような人であった。家族で、晩餐会、舞踏会などをして客をもてなして過ごすような社会階級の一員であった。
 ナイチンゲールはこのような華やかな家庭に育ったが、その心の内にはそうした華やかさにうち解けない全く別の風が吹いていた。
 彼女は、まだ十六歳のとき、神の声を聞いた。彼女は、若い頃から個人的なメモ、日記のようなものを書き留める習慣があった。彼女の家庭は、家族同士の対立と性格の対立などから穏やかなものではまったくなく、家族のなかにうち明ける相手がいなかったことも影響して、フローレンスはことあるごとに、自分の本当の気持ちや考えを書き留めていったのである。それは小さい紙切れや、吸い取り紙、カレンダーの裏、手紙の余白など手当たり次第に用いたという。それらが残されているために、ナイチンゲールの若いときからのさまざまの苦しみや悩みをつぶさに知ることができる。
 彼女が受けた、決定的なことであった神からの呼びかけということも、その私的なメモの中に書かれている。
「一八三七年二月七日、神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた。」
 このとき、彼女は、十六歳であった。そしてこのような「神の声」は、生涯のうちで、四度語りかけてきたという。そしてそれは初めて病院勤務の職に就く前や、彼女を看護婦として世界的に知られるようにしたクリミヤ戦争の前など、彼女の人生のうちで、とくに重要な時に語りかけてきた。
 しかし、初めて神からの語りかけを聞いた時には、どのようにして神に仕えるのかはわからなかった。彼女がそれ以後、耐え難いようなさまざまの苦しみに遭遇しながらも、看護婦の道へと進むことができていったのは、その「声」の主である神への信頼と、神からの見えざる導きによっていたのである。
 看護婦の道に進むことがどうして耐え難いような苦しみを伴ったのか、それは現在の看護婦(看護師)の社会的地位を見ていてはまったく分からない。
 以前からナイチンゲールは悩み続けていたことがある。それは自分の罪であった。
 「私はあらゆることを他人からの賞賛を得るためにやっている」と書いて、自分は人間の集まりのなかで、注目の的になっていないと気がすまないところがある自分に気付いたと述べている。神から、「私に仕えよ」との声を聞いたが、それが具体的に何を意味するのかなかなか分からなかった。神からの答えを与えられるためには、こうした社交界で人に目立ちたい、誉められたいといったような気持ちにうち勝たねばならないのだと悟った。

二十四歳になる少しまえに、つぎのようなことを書き残している。

「私のように二重、三重もの罪を犯した人間が、さらに罪を犯すとどうなるか、この苦しみはだれにもわからないだろう。神をこれほど苦しませた人間はいないだろう。誰にもまして恵まれた環境にありながら、私は罪を犯してしまったのだ。」

 ここでいう罪がどのようなものであったのかは分からない。罪とは心の汚れであり、不純な心であり、愛のない心、自分中心の心である。それは聖書やキリストの言動に示されているどこまでも高い標準と比べるようになると、自分の罪ふかさが浮かび上がってくる。
 彼女が二十四歳のころに書いた手紙にはつぎのように記されている。
「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思うとき……農民たちの小屋という小屋には、同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にするとき ― そうしてこの世はすべてあいも変わらず朝ごとに同じことを繰り返している。 ― そしてこのさまよえる地球は永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間を、その単調な軌道のうえを、容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方がいっそうわびしいというものです。」
 目覚めてきた魂にとって、苦しみがかくも至るところにあること、そしてそれがどうしようもなく存在して続いていること、人間はそうした広範囲の苦しみに対してほとんど何もできないこと、この広大な宇宙のなかで、地球や星々はそうした苦しみをまったく知らないかのようにまわっている。こうした何の言葉も暖かみもない、星々の世界にそのまま飲み込まれていくのか、この人生が謎のようなものを含んでいるということを、ナイチンゲールは若きときからこのように深刻に悩んでいたのがうかがえる。
 その一年ほどあと、彼女は、ある社会的地位もある人から結婚の申し込みを受けた。彼女は、ふつうの上流階級の人生を送ることを断念していたために、その申し出を断った。しかしそれによって相手の人は打撃を受け、その家の人とは絶交になった。それまでにも数々の悩みと苦しみにさいなまれていた彼女は、そのことによっていっそう苦しみもだえた。
 
「ああ神様、神様、どうしてあなたは私を見放されたのですか!」という以外に言葉もありません。もう私にとっては人生は真っ暗闇です。このようなとるに足らないことでどうして私たちはこんなに苦しまねばならないのか。…」と、このころの手紙には書かれてある。

 ここで、少し病院に関わる歴史的なことに触れておきたい。
 ヨーロッパの病院は、中世において、キリスト教の愛の精神によって、貧しい人々、病気の人々などを、収容して世話をする施設にその起源がある。日本における病院(*)もそのヨーロッパのキリスト教精神から生まれた制度をモデルとして造られていったものである。

(*)日本では、「病院」という言葉は、一七八七年刊の森島中良編の「紅毛雑話」にオランダの病院の紹介がなされたときに用いられたのが最初である。

 ナイチンゲールの生きた時代は、日本では江戸時代にあたるが、その頃は、病院で病気治療を受けるどころか、たべる食物すらないという大飢饉が、寛永の飢饉、享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉など、四回も発生している。天明の大飢饉の時など、東北地方では、飢え死にや栄養不良からくる多数の病死などで、村の人口の三分の一にまで、減少してしまったところもあるほどであった。徳川幕府は農民に対して「生かさぬように、殺さぬように」圧制を続けていったから、病院のような施設を造って病人を集めて治療しようというような発想はとても出てこなかった。
 このような日本の状況に対して、ナイチンゲールの時代のイギリスにはすでに各地に病院があった。しかし、病院の状況は現代と比べると考えられないほど劣悪なものであった。
 それは悲惨と堕落、不潔の巣窟のようなところであった。部屋は現代のような電灯がなかったから、薄暗く陰気で、汚物と衛生設備が整っていないために生じる病院特有の悪臭は当然のこととして放置されていて、その臭気があまりにも強烈なために、初めて病棟に足を踏み入れた人は吐き気を催すほどであった。さらに、床は掃除もされず、患者の屎尿設備もないために、汚れがべっとりとしみつき、それを洗うととても石鹸水と思えないような悪臭を放つのであった。
 冬は暖房のため何ヶ月も窓を締め切ってしまうので、壁は冷やされて生じた水滴がしたたり落ち、カビやコケが生えてきて、異様な臭気が出てくる状態となる。
 患者はコレラがひそむ貧民窟といわれるようなところや家畜小屋、地下室などから続々と来て、いろいろの酒類も持ち込まれ、目を覆うような凄絶な光景が繰り広げられ、半死状態の患者同士が争ったり、警察が呼ばれたりすることもあったという。病人は汚れきって入院し、からだを洗うということはほとんど全くなされなかった。ベッドもまた不潔で、新しい患者が入ってきても、前の患者が使ったままのシーツをそのままにして寝かせるのが当たり前で、洗濯などまずされなかった。
 しかしこのような驚くべき状況すら、ナイチンゲールを妨げるものではなかった。それ以上に困難な障害となったのは、当時の看護婦たちの不道徳さにあった。社会的身分のある子女が看護婦になるということは当時はあり得ないことであった。彼女たちは、病棟のドアの外の階段の踊り場にある木製の檻(おり)のような部屋で寝泊まりしていたが、ふつうの女性なら到底寝られるような場所でなく、騒音もひどく、夜勤の看護婦が昼間に休憩するなど不可能であり、光もなく風も通らない。また看護婦たちは、病室以外に住居を持たず、病室で生活し、眠り、そこで炊事することもあったほどである。
 一名の看護婦がおびただしい患者を受け持ち、夜勤看護婦一名が、四つの病棟を受け持っていた例もあったという。
 しかも、看護婦たちは大酒のみで、婦長も同様であった。また、看護婦の寝泊まりする場も男子患者の病室で一緒に寝泊まりするようなことも公然と行われていて、品性の堕落したような女が多かったという。
 このような状況を知れば、当時のふつうに育った女性が看護婦になるということがいかに考えられないことであるかがわかる。ナイチンゲールの場合は、上流階級の人で、いわゆる貴婦人たちの社会にいたので、そのような人が、こうした職業に就くことはいまわしいこと、考えられないことであった。「病院」の看護婦になるということは、当時は「世にも恐ろしい言葉」であったという。
 ナイチンゲールが二四歳になったとき、アメリカの社会事業家で盲学校も初めて創設したサムエル・ハウ博士と会う機会があった。そのとき、彼女は自分のような、上流階級にある若い女性が病院などで看護婦の仕事に一生を捧げることについてどう思うか尋ねた。そのとき、ハウ博士はつぎのように答えた。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。
 もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていくかぎり、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしょう。
 たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしょう。」 

 ナイチンゲールの後の生涯はこの言葉に沿っているのがわかる。彼女が看護婦として歩もうとする道にいかに多くの障害があったか、それを詳しく知るにつけても、まったく道のないところをある強い力に引かれて行ったという感を受ける。彼女はときには動けなくなり、またときには後退し、ときにはいわば迷路にはまりこむというような困難な歩みを続けていったのである。そして確かに神は彼女とともにおられて、最終的には彼女のはたらきを用いられたのだとわかる。
 このような励ましの言葉を受けたこともあって、彼女が神からの声を聞いてから七年の歳月を経てようやく、自分の天職は、病院に収容されている病人のなかにこそあるという認識に達した。 彼女が看護婦になることを両親に言ったときに、当然のことながら両親は嫌悪感とともに激しく反対したのも、当時のこうした看護婦社会の実態を見ればうなづける。
 翌年二五歳のとき、彼女は両親や家族に自分の希望を言った。母親は驚きと恐れのために、震え上がった。それは病院のむかつくような面より以上に、医者や同僚看護婦たちの品性によって汚されるという思いであった。なおも彼女が自分の希望を主張したとき、母親は恐れから怒りに変わった。そして娘が品性卑しい医者と隠れた恋に陥るような恥知らずなことに心を奪われているとか、社会の下層階級から来ている看護婦たちによって汚されるというようなことを言った、そして母親は激しく泣いた。母親にとって、娘のフローレンスは自分がながらく築いてきたものを根底から打ち壊していくように見えたのであった。
 母親は看護婦になるなどは恥ずべき願いだとし、父親も「看護などという愚かなことを!」と軽蔑をこめて語った。
 こうした強い反対にあって、ナイチンゲールは家族のなかでも全く孤立し、彼女は敗北感と、無力感にうちひしがれ、何をする元気もなく、ふさぎ込んでしまった。「年ごとに若さを失っていくだけで、私が生き続けていても何に得るところもありません。…私は塵芥(ちりあくた)ほどの価値もない人間です。ああ、何か、強い力が働いて、このいまわしい人生を過去に押しやってくれないものでしょうか。」とこの頃の手紙に書かれている。
 この頃の彼女がいかに、精神的に打撃をうけ、悩み抜いていたかはこの頃のメモなど書かれたものによく表れている。

 やはり二十五歳のころ、彼女はつぎのように書いているという。

「…私はどん底まで落ち込んだ。私のみじめさと心の空しさはとても筆舌に尽くせるものではない。」
「…今朝の自分は、涙に魂までも流れ果てる思いである。胸をえぐる悲しみ、孤独の苦しみ、このどうしようもない淋しさ、……」
「もう私は生きていけない。主よ、どうかおゆるし下さい。そしてどうか今日私に死を与えて下さい。」
「…黄泉(よみ)の悲しみが私を取り巻いている。どうか神様が私の魂を黄泉の世界に捨ておかれませんように。」
「…鋤で魂をえぐられる思いだ。」

 こうした苦しみはなおも続いていく。彼女が三十歳になったころに彼女はだれにも言えない心のなかの叫びや苦しみを書き記していた。それは鉛筆のなぐりがきで、筆跡も不安定、判読できないほどのものであった。
「三月七日 神は朝、私を呼ばれて、神のために、ただ神のためだけに、わが身の名声を顧みずに、善をなす意志があるかと問われた。」

三月八日 つぎの質問についてじっくり考える。女子修道院長はこう私に問うた。「あなたは、全世界を支配されている神と、あなたの小さな名声との板ばさみになって、万が一にも迷うのですか。」

五月十二日 今日で私は三〇歳、キリストが伝道を始められた年だ。もう子供っぽいことはたくさん。人を好きになることも、結婚ももう結構。
 主よ、どうぞ御心のみを、私への御心のみをなして下さい。主よ、御心を、御心を。

五月二十一日 私は三〇歳。…ただ神の御心のみを全うし、自分の栄光を願うことのないように…。

六月七日 …こんな最悪の状態に落ち込んだことは初めてだ。三〇歳になったら、自分の魂はいやされると思っていた。もう八ヶ月間も…ただの一日たりとも私は罪を犯さなかった日はない。…この実に憐れむべき私を、この死のからだから救い出してくれるのは誰であろうか。
六月一七日…一晩中眠れず、肉体も精神も衰えきって、もうだめ…。私は奴隷同然。…ただもう眠ること以外にこの世では望むことはない。
七月一日 寝床に伏し、神に救いを求めて祈る。

 以上のような記述は、だれにも見せるということがないはずの紙切れやノートの端などに自分の心の叫びとして、また孤独な彼女が書くことによって気をまぎらわせ、倒れそうになっている心、誰とも深い交わりのできない苦しみをただ書かずにいられない気持ちから書き続けたその内面をよく表している。
 こうした深い苦悩と悲しみ、孤独のなかで、彼女は三〇歳を過ぎても苦しみ続けたのである。貴婦人といった生活を約束されていた時代において、そこから自由に出て、自分の天職だと信じる方向に進むことがきわめて困難であって、そのために家族とも周囲の人たちとも大きな分裂や戦いを余儀なくされていったのがよくわかる。
 そしてそのような苦しみと孤独のなかから、どこかにその倒れそうになる心を抱えて書かずにはいられなかった気持ちが、彼女のこうした私的メモには赤裸々に現れている。
 死ぬほどの苦しみ、死んだほうがましだというほどの苦しみと絶望感は、聖書における、ヨブを思い出す。ヨブは信仰深き人間であったが、突然のおそるべき不幸というべき出来事がつぎつぎと生じて、自分自身のからだにも、ハンセン病のようなたえがたい病気が現れ、耐え難い苦しみとなった。そのときに、ヨブは自分が生まれたことも忘れられたらよいのにと強い願いを持つようになった。

…わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。
その日は闇となれ。
なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
静けさも、安らぎも失い
憩うこともできずに恐れふるえる。(旧約聖書・ヨブ記三章より)

 こうした深い苦しみは、旧約聖書の詩篇二三編にある、「死の陰の谷」を思い起こさせる。
 また、中世の大詩人ダンテは、やはりさまざまの大きな苦しみをなめた人であった。彼の詩「神曲」が、七〇〇年にわたって、大きな影響を与えてきたのは、なぜか。それは一つには彼の深い苦しみがもとにあったからである。そのことは、神曲の冒頭の部分でうかがうことができる。

人生の道のなかばで
正しい道を見失い
目覚めたときには暗い森のなかにいた。
その森が、いかに厳しく、荒れ果てていたか、
そのありさまを語ることが、いかに難しいことか!
その森のことを思い出すだけでも、恐れが新たとなり、
死の苦しみにも劣らないほどの苦しみとなる。(神曲・地獄編第一歌より)

 ナイチンゲールの味わった苦しみはこのような苦しみと同様なものであったのが推察できる。
その深い闇を通っている間は、私たちはそれが後になってよい実を結ぶのだなどとは到底考えることができない。ただ、襲いかかる苦しみや痛みに必死に耐えて、一日一日を過ごすのが精一杯なのである。耐えきれないと思う心も押し寄せる。そのようなとき、「主よ、どうして私たちを捨てられるのか、どうして来て下さらないのか!」という深刻な疑いが生じることになる。
 しかし、神は人間に数々の重荷や苦しみを与えることによって、人間の考えや計画をはるかに超えたところで、神が導いておられるのを学びとるようにされる。
 ナイチンゲールはこのような長い孤独な苦しみと戦いに耐えつつ、看護婦を目指して歩んでいった。その結果、彼女の歩みは看護という世界にまったく新しい世界を示していくことにつながっていった。 神が何か大いなることを人にさせようとするときには、まずその人を深い苦しみに落とすといわれるが、ナイチンゲールの場合もまさにそうであったのである。
 聖書にも、使徒パウロが神の光を受けて、キリスト教の迫害者から突然変えられたとき、パウロに新しい使命が告げられた。その時に、主の言葉が次のように告げられた。

… すると、主は言われた。「あのパウロは、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」(使徒行伝九・15〜16)
 
 私たちはこうした歴史における実例を知ることによって、神の導きがどのようなものであるかを改めて知らされる。


st07_m2.gif愛と時間

 愛とは時間をかけることである。ふつうの人間的な愛で愛しているものにも、時間を注ぐ。心でいつも思うということは、いつも時間をそのためにかけているということである。
 何かを、私たちが愛しているかどうか知りたかったら、そのためどれほど時間をかけているかを見ればわかる。
 主イエスは、夜を徹して祈られた。それは神からの力を受けるため、そしてその神の力によって周囲の人間のために祈りを注いだからであった。
 愛はまた祈りと結びついている。私たちが神の愛をもって、ある人を本当に愛しているときには、絶えず祈る心で見つめることになる。祈る時間を持たないということは、愛する程度が少ないということになる。
 神を愛し、人を愛せよと言われた。自然のままの人間は、自分のために時間を使う。自分だけを愛しているからである。そうした本性から脱して、自分の外側にある存在、神と他者に心のエネルギーを注げと言われている。
 神に心を注ぐとき、私たちはたしかに力を受け、平安を与えられる。たとえそのような力や平安がすぐに与えられないような時でも、あきらめないで神に心を向け続けているとき、時がくると新しい力が与えられる。さらに不思議なことが生じたり、必要な人との出会いが与えられたりする。
 老年や病気になると、ふつうの仕事はできなくなる。しかし、時間が与えられる。それはまず病気がはやく治るための休養のためであるが、それはまた他者への祈りのためにも与えられているのだと言えよう。
 今から七〇年ほどまえに始まった「祈の友」という集まりが、いまも続いている。それはもともと結核の重症患者から生まれたもので、病気が重くてふつうの仕事はできなくとも、隣の病棟の病者のために祈ることができるということから始まったのであったのも、病気が祈りの時間を与えるものだということを思い起こさせる。
 神への愛のために時間を用い、人に対しても神から受けた愛をもって時間を用いること、そこに祝福がある。


st07_m2.gif悪を滅ぼすもの

 今度のイラクに対する戦争はテロの悪魔との戦いだという。ここには、悪は武力でなくすことができるという考え方がある。
 しかし、そもそも悪は武力によってなくなるのか。悪そのものと悪人とは、全く異なる意味がある。 誰か悪人がいるとして、その悪人を死刑にしたところで、その悪人が持っていた悪はなくなるだろうか。決してなくなりはしない。その悪は形を変えて別の人間や国を動かしていくだけである。
 それは、具体的にはより広範囲のテロや混乱が生じること、あるいは、軍備のさらなる拡大競争という形となる可能性が高い。それとともに、国々が正義を軽んじ、目にみえない真理を無視して、武力に頼ろうとし、必要なときには相手を武力攻撃しても構わないといった発想がはびこることである。また、一般の民衆のなかに、戦争を引き起こすことになった当事者であるフセインとかアメリカへの怒りや憎しみを造り出して、不安な暗い心を生み出すことである。
 個人の場合について考えても、死刑をどんなに増やしても、やはり悪はなくならない。死刑を増やして悪が一時的に減るようなことがあるとしても、それは恐怖からであり、悪を内在化させただけで、悪そのものも滅ぼすことにはつながらない。
 逆に善もまた、死をもってする迫害によっても滅ぼすことはできない。江戸時代はキリスト教徒であるというだけで、死刑にすることが行われたほどであったが、ついにキリスト教を滅ぼすことはできず、そのような政策を実行していた徳川幕府が滅んでいったのである。
 戦争によって一時的に悪い支配者を倒すことはできるかも知れない。しかし軍事力という人の命を奪う力によって悪人や悪い政府を倒しても、彼らを動かしていた悪そのものを倒すことはできない。
 また、戦争になると、弱い立場にある、子供や老人、病人や障害者の人たちが犠牲となったり、大きな苦しみを受けることになる。そのようなことを引き起こすこと自体が大いなる悪である。悪を滅ぼすといいながら、一般の市民を無差別的に殺傷するというひどい悪を犯していくのである。こういうことだけ考えても、武力が本当に悪そのものを滅ぼすことはあり得ないのがわかる。
 悪とは霊的なもの、目には見えないものである。人間が悪いことをするのは、悪の霊がその人間に入って悪をさせるのである。このことは、ときどき普通の生活では到底犯罪など犯さないような人が、思いもよらない悪事をして明るみに出るということからもわかる。そうした悪事は、人間を動かして悪へとさし向ける目に見えない力(そうした力を聖書では悪霊とかサタンといっている)がなさしめているのである。
 同様に善というのも、霊的なものである。究極的に善きものは、聖書では聖霊と言われている。
 聖書の真理は、悪の問題についてどう言っているだろうか。ある種の人間だけが悪人であって、あとは善人であるなどとはまったく言っていない。人間はもともと、悪の霊にとりつかれている。それゆえ、真実なことに背き、自分中心に生きている。そのことを罪といっている。
 罪があるかぎり、人間はいつ突然に変わってひどいことをするかも知れないのである。
 今回のような戦争を起こす考え方の誤りの第一は、このように、悪は武力によっては滅ぼされないという事実を知らないことである。
 つぎに明白な間違いは、自分たちアメリカは正しい、相手だけが悪いのだという発想である。この点もキリスト教の教えからいうと、本来人間はみんな悪いのであって罪を犯している存在なのである。このことを知らず、間違っている点を悔い改めようとせず、相手だけを悪人だとして攻撃することは無知以外のなにものでもない。アメリカも奴隷制度や、ベトナム戦争など、多くの点で歴史的にも間違いを犯してきたし、現在も地球環境の改善に真剣に関わろうという国際的な努力からはずれていったり、罪深い国家なのである。
 こうした間違いに関してキリストの言葉、すなわち神のご意志を記している新約聖書は全く新しい道を指し示している。それは悪人を殺すことでなく、神の愛の力によって内部から悪を滅ぼす道であった。
 その出発点として、キリストは自ら十字架にかかり、万人の罪を身代わりに負って死なれたのであった。その十字架の死を自分の罪のために死んで下さったのだと信じて受け取ることによって私たちは、自らのうちに巣くう悪の力に勝利するようになる。そしてさらに聖霊という善き霊を受けることが約束されている。
 その聖霊によって私たちは、敵対する者にも、彼らが死んで滅びてしまえという心でなく、彼らの心から悪の霊が追い出されて、代わりに善き霊によって変えられて善き人になるようにとの祈りが起こされる。そうした祈りによって、神が相手の心の根源を変えられるのである。それが本当の意味で、悪を滅ぼすことになる。
 キリスト者とはこうした道をキリストにより、聖書によって知らされた者である。それゆえいかに少数の者しか賛成しないとしても、悪を滅ぼす究極的な道を変わることなく、掲げていきたいと願う。


st07_m2.gif戦争と平和について   
内村鑑三(*)の言葉から

 現在のような世界の各地で動乱が発生している状況のもとで、私たちキリスト者はいっそうこの世が与えることのできない平和、主の平和(平安)を保っていることが必要であるし、またその平安をもってさまざまのことを見つめていくことが求められている。
 今からおよそ百年ほど前、日露戦争の始まったとき、日本中が戦争をあおる雰囲気で満ちていた。しかし、そのただ中にあって、内村鑑三という一人の真理の証人がいかにそのような状況を受け止めていたか、その一端を学びたいと思う。
 なお、内村の文は百年ほど前の力強い文語であるが、現在では使われない表現や言葉もあって、意味がよくわからないという声をたびたび聞いてきたので、現代のわかりやすい言葉にして記し、そのあとの○印は筆者の補足説明、感想などを記した。内村の原著を持っていて、原文がよくわかるという人は原文のままがよいのは当然であるが、これからの世代の人に対しては、もはや一種の翻訳が必要となっている。ここでは文語表現のよくわかる人だけでなく、だれでもがわかる表現で紹介したいと思う。

(*)内村鑑三(一八六一〜一九三〇)は日本の代表的なキリスト者。無教会といわれる、聖書の原点に立ち帰ることを強調する信仰のあり方は彼によって始まった。高崎藩士の長男として江戸に生まれ、札幌農学校(現在の北海道大学)に入学。ここで「少年よ、大志を抱け」という言葉で有名なクラーク博士によってキリスト者となった。卒業後は水産研究に従事したが、結婚に破れて深刻な悩みと苦しみを抱えて渡米し、アマースト大学に学んだ。そこで総長のシーリー博士と出会い、十字架の信仰による救いを得て深い平安を与えられた。そのことが以後のかれの生涯を決定付けたほどに重要な出来事となった。帰国後、旧制一高の教員のとき、教育勅語に敬礼を拒んだことが不敬事件として大きな問題となり、大きな苦しみとなった。これは内村鑑三不敬事件として知られている。しかしその間に「基督信徒の慰め」「求安録」「代表的日本人」などの名著が生まれた。さらに「万朝報」(よろずちょうほう)「東京独立雑誌」によって社会評論に健筆をふるい、足尾銅山鉱毒事件にかかわり,あるいは日露開戦に際しては非戦論を貫くなど、広い分野で神の言葉に立った言動を続けた。一九〇〇年創刊の「聖書之研究」誌によって、内村の信仰と、彼の聖書の深い読み方が全国的に知られるようになり、キリストの福音伝道に大いに貢献し、今日まで永続的な影響を与えてきた。

静けさのあるところ

 静けさは天然にある。神の造った天然にある。静けさは聖書のなかにある。神が伝えた聖書にある。
一輪のオダマキが露に浸されてその首(こうべ)を垂れているところにある。
 一節の聖句がわが心中の苦悶をなだむるところにもある。怒涛四辺に荒れるときに、私は草花に慰めを求め、聖書にこの世が与えることのできない平安を求める。

○聖書の言葉は、過去数千年を通じて、変わることなき真理を保っている。過去の歴史のなかには、戦争、飢饉、自然災害、病気、あらゆる事態が生じてきた。しかしそのようないかなる動揺と混乱においても、聖書の言葉は永遠に不動の神の言葉であるがゆえに、揺るぐことはなかった。現代の私たちもその歴史のなかを生き抜いてきた神の言に頼ることによって、この世の新聞や雑誌、テレビなどの与えることのできない平安を与えられる。
 また、身近な自然のすがたも同様で、それもこの世の人間社会が持っていない清さと平和を宿している。数千年といわず、何万年も変わることのないような静けさが小さな野草の花にはある。空のしずかな広がりや夜空の星の輝きもまた変わることなき平安を目で見えるかたちで私たちに示してくれている。そうしたところにつねに私たちの魂はとどまって平安を与えられる。

戦闘の止むとき

 勝つことが必ずしも勝つことでない。負けることが必ずしも負けることではない。
 愛すること、これこそ勝つことである。憎むこと、これ負けることである。愛をもって勝つことだけが永久の勝利なのである。愛はねたまず、誇らず、おごらず、どこまでも神への希望をもって忍耐をする。そして永久の勝利を得て永久の平和を与えられる。世に戦闘の止む時とは、愛が勝利を得たときだけなのである。

戦時の事業   

 今や世に「燃える木」を投げ込む者は多く、静けさを世に提供する者は少ない。戦争を勧める者が多く、平和をうながす者は少ない。この時にあたってわれらは主の静けさの内にとどまり、この主の平和のうちにあって戦争に向けて熱している同胞に主の清涼を分かちたく思う。敵対心のゆえに心が渇いてしまっている者たちに、平和と友好の清水を提供したいと思う。戦争に関わる騒がしさを静めるために福音の清い音楽を提供しよう。
 平和はこの世から出ることなく、天より来る。天の神を世に知らせて、地は初めて平和に回復するのである。

騒乱にいかに対するか

 戦争などの騒乱はこの世では常に生じている。波は海にはつねに見られるのと同様である。この世にあって騒乱を避けようとするのは、海上に浮んでいながら揺られまいとするのと同様である。
 もし私たちが、この世とともにありつつも、騒乱に巻き込まれないようにしようとするなら、岩に頼らねばならない。「幾千年を経てきた岩」に頼るのである。
 この世はこの世にとどまっていたままでは救うことはできない、世を離れ、自分の身を「永遠の静けさ」(神のもと)に置いて、上と外からこれを救おうとするのである。それゆえに聖書は言う、「あなた方は、かれらの中より出で来なさい」と(コリント後書六章十七節)。

喜びの由来

 喜びは勝って来るのではない。また負けて来るのでもない。
 喜びは神がつかわされたそのひとり子を信じて来る。キリストの福音は戦時となっても必要である。また平常のときにも必要である。
 世に死と涙とのある間はその必要がなくなるという時はない。ゆえに「私たちは道を宣べ伝えなければならない、時を得ても時を得なくても励んで福音を伝えようと努め、さまざまの忍耐と教えをもって人をさとし戒め勧めなければならない」(テモテ後書四章二節)。

我々の非戦論

 非戦を論理的に説くことはむつかしい。しかしイエスキリストを信じることによって、あらゆる争闘は私たちが忌み嫌うものとなったのである。私たちの理性が納得させられる前に私たちの心が感化されたのである。どうしてそのような変化が生じたのか、その理由は説明できない。しかし私たちが、ひとたび心にイエスキリストを宿してからは、怒りや憎しみの角(つの)はことごとく折れて、柔和を愛する人と変えられたのである。私たちの非戦論はこの心の大いなる変化の結果にほかならない。

○非戦論は、現在の日本の平和憲法というかたちで、具体化されている。しかしこの憲法にも反対論があとを断たないことでもわかるように、だれもが納得するような論理的説明というのはなかなか難しい。
 それはこの非戦論というのが、愛と真実の神が正義の神でもあり、万能でもあるゆえに必ず神が最善になされるということ、また悪は時が来れば裁かれるという信仰から来ているからである。そしてキリストを信じてそれまで経験できなかった魂の平安を与えられた者は、そのような比類のない価値あるものを与えたお方が、決して武器をとらず、みずから十字架にかかって死なれたことを知るとき、他者への怒り憎しみといった感情はおのずと鎮められる。
 さらにキリストの霊である聖霊を少しでもうけるとき、武器をもって相手を殺害するなどという戦争行為には自ずから加わらなくなる。キリストによって私たちの心情の根本的変化が生じ、おのずから戦争への反対の心を生み出すのである。

イエス・キリストの御父

 神は昔は万軍の主として現れた。しかし今は十字架上のキリストとして世を悔い改めに導かれる。昔は正義の剣をもって背信を重ねる民を罰せられた。しかし今は愛の心をもってかたくなな心を砕かれる。さきには外より責められた神は今は内より説き勧められる。さきには厳格なる主であった神は今は柔和なる夫として現れてくださった。
 わが神は剣を抜いて異教徒を滅ぼした旧約聖書のヨシュアやギデオンたちの神ではない、世の罪を担って十字架に釘づけられたイエスキリストの父なる御神なのである。

○旧約聖書に現れる神と新約聖書にキリストによって現された神の性質とを比べると、重要な違いを見せることの一つが、戦争にかかわることである。旧約聖書においては神ご自身が偶像を拝む民と戦い、滅ぼすことを命じておられる。
 しかし、新約聖書にあらわれるキリストは武器による戦争とか戦いを全面的に退け、神の愛の力によって神が働かれることを待ち望むのである。それはまた、祈りの力でもある。キリストの精神を最もふかく受けついでいる使徒パウロも同様である。

 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。」悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマの信徒への手紙十二・18〜21)

愛の十字軍

 私は何によってこの世界を救おうか。武力によらず、天国の喜びを世に提供して救いたいのである。すなわち新しい愛の心の力をもって、世のすべての低く卑しい心を排除し、これに代えて天の高き心を用いようと思う。異端を撲滅するための十字軍を起こすのでなく、痛める者をいやすためのよき香りともいうべきものを提供したい。私は愛と喜びと希望とをもって世を征服したいと願うのである。

○この世で真に力あるものは、武力とか憎しみや敵対心ではない。最もこの世で強力なものは神であり、その神が送って下さったキリストである。そのキリストの心に信頼し、すがる心は神の力を呼び覚ますゆえに最も強いものとなる。そしてキリストの心とは、神の国にある愛や喜び、希望であり、それらこそが真に力あるものなのである。御国を来たらせたまえ!という、主の祈りにある言葉は、この願いにほかならない。


st07_m2.gifキリストから呼ばれた人    
水野源三 詩
一、
キリストのお召しを 受けしひとびとは
まる木橋をわたり ほそき山道行き
何よりも尊き 失われたものに
めぐみふかき神の 御救いを伝える

○キリストから呼び出された人は、たとえ困難があっても、み言葉を伝えるべく前進していく。丸木橋とはうっかりすると転落する危険がある場所であり、そうした場面は一人一人にも生じるものです。昔から、困難と危険のただなかを通って御国のために進んでいく人が絶えなかったし、キリスト者はすべてそのような細い道を、主の導きによって進むようにと言われています。
 この詩に現れる、「お召しを受ける」といったような表現は現代では使わないために、意味がはっきりとれないという人も多くなっています。日常のふつうの会話の中では、ほとんどだれも「召す」などという言葉は使わないと思われます。
 これは邦訳聖書にもよく出てくる表現ですが、 この言葉のもとにある原語(ギリシャ語)は、ごく普通の「呼ぶ」という言葉です。ですから、「キリストのお召しを受けた人々」とは、「キリストから呼ばれた人々」という意味です。これは現在のキリスト者(クリスチャン)といった意味で使われていました。ですから、キリスト者はだれでも、神から呼ばれた人、召された人だと言えます。つぎの箇所はその一例です。

神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。(ローマの信徒への手紙一・7)
 
 この箇所でもわかるように、ローマにいるキリスト者全体が、神から呼び出された人たちだとされているのです。
 この詩はそういう意味で、特別な伝道者だけを意味するのでなく、キリスト者みんながこのように変えられていくことが目標とされているのです。

二、
キリストの御愛を 受けし人々は
風そよぐ木の下 星あかりの部屋で
何よりも尊き 失われたるものが
恵み深き神へ かえるよう祈る

○キリストを信じた者とはすなわち、キリストの愛を実感した者。そして、キリストの愛を受けるとき、祈りが、その人たちの自然な姿となっていきます。その祈りは失われた者、傷ついた者、そしてみ言葉のために働く者のため注がれるようになっていきます。祈りが呼吸のごとくになって、日々を生きつつ、祈りによって神の国の命をたえず受けて他者へと送り出すように導かれていきます。

三、
キリストの恵みを 心に宿すひとびとは
おのれすてさりて 愛のわざをばなし
なによりも尊き 失われたるものに
めぐみ深き神の 慈愛を証する

○「失われたるもの」、それは苦しみと闇にある者、道を見いだすことができずに、立ち上がれない者。キリストの恵みを受けたとき、その心はそうした失われた人にまず向けられていきます。
 キリストの恵みを受けた心とは、主の愛を注がれた心であるゆえに。キリストの心はまず元気で思うままに過ごしている者や、能力があって周囲から賞賛されているような者でなく、まず失われた者に注がれるからです。


st07_m2.gif返舟だより

○文集「野の花」についての来信から
…「はこ舟」や文集「野の花」をお送り下さいまして本当にありがとうございました。読み通すのに日時がかかり、お礼の応答が遅くなり申し訳なく存じております。殊に、文集に収められた文の数々に表された、信仰の喜び、感謝、希望…が皆様お一人おひとりの文面に溢れ、小生も励まされ、喜び、反省することしきりでございました。…  (関東地方の方)

○会社を支えたもの(最近の来信より)

 …企業も私は根本精神は心をこめて、よき製品をつくり、それを廉価で販売すること、しかし企業努力、創意工夫は必要と思います。しかし、そうした縁の下の力持ちばかりでは、押しつぶされてゆくのでしょうか。私は私の里が、呉服の製造卸でしたが、親族の者が染め物の指導の方を担当し、心を込めていい商品を作ってきました。利益よりもまず、能力と体を精一杯使って心を込めて、いい色のいい製品を作ることにかけてきました。
 その結果、この不況下に昨年、黒字で借金も一銭もなく、(経営していた親族の者が高齢となったので)会社を終えることが出来、会社は○○会社や他の何社かが株を買って引き継ぐことができたのです。本当にこつこつと、ただ、みんなが着て喜ぶいい物をと、心をこめてしたことが神様が支えてくださったと嬉しいでした。(その着物は○○会社の全国のデパートでのブランド商品となっていたものでした)
 一人一人が、自分の利益、目先の利益よりも本質的なことに目を向けて、地道に働けばと思うのです。愛真高校の目標に心から同感しつつ、こうした小さな働きや動きがいつかみのる日を心から神様に祈ります。…(関西の読者の方より)

○会社や国家社会では、個人の真実な心などが通用しない、駆け引きや策略、偽りが当然なのだという議論はよく耳にします。現在のような戦争の前触れのような状況になってくるといっそう国同士もそうした不真実な駆け引きをもって自国だけの利益を第一にしようとしています。外交ではいかにたくみに嘘をも用いるかだなどということをいう政治家もいます。しかし、そうしたことはすべて神を知らないことからきます。主イエスはそうした言動について、「あなた方は聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」(マタイ二二・29)と言われるでありましょう。
2003/3

祈りをもって見る    2003/2

 ある方からかなり長い文を頂いた。そこには興味深いことも書かれていた。しかし、なにかが流れていない感じがあった。それはそこに祈りの心がないからだと気付いた。祈りなき心は自分や人間しかみることができない。そこには人間の感情や意図しかなく、狭さがあるばかりで、清い世界がない。彼方の永遠の世界に向かって流れているものがない。
 人間はみな小さいものであり、何かにいつもつまずいている存在であっても、祈りを知らされているときにはその人からどこか永遠につながるものを感じる。祈りとは遠くを見つめるまなざしである。大空や山のさまざまのもの、草木など自然の世界はその永遠につながっている実態をまのあたりに見せてくれている。私たち自身が狭く限定された存在であっても、私たちの魂が無限の世界である神を見つめるとき、その魂には永遠的な何かが与えられる。
 人を見るときでも、祈りなくば、好きか嫌いか、傾倒するか、見下すか、もしくは無関心かといった心で見ることになる。しかし、祈りの心があれば、そうした感情のいずれでもないところから見つめることができる。それは使徒パウロが繰り返し語っている、「主にあって」見つめることである。主イエスの心を頂いて見つめるとき、どんな人にも好きとか嫌いとかでなく、また無関心でもない心で対するようにと導かれていく。そのときにはみんな罪をもった弱い人間だということが見えてくる。
 神を信じないとき、理性的存在としては人間しかいないことになり、人間だけを見つめることになる。そうなると人間には、じつに大きな差があるというのが見えてくる。ある人は素晴らしい能力や力を持っているが、別の人は、見るも無惨な生き方をしていたり、何一つ仕事もできないほどに体も弱いとか能力もない、というように見えてしまう。そして自分が何とか上になりたいというような欲求が伴ってくる。
 しかしキリストの父なる神をいまも生きておられると信じるときには、その無限の愛や真実、広大さ、万能の力などの前には、どんな人間の力も無に等しいほどのわずかなものでしかないし、その力や能力すらも、神がその人にある期間委ねているにすぎない。それは死によって、すべて失われる。
 大空や星たち、山の渓流のせせらぎの音、風の音、野草や樹木たち、それらが私たちの心を広げ、深めてくれるのは、それらが祈らずして神と結びついているからだ。
 私たちもたえず祈りによって神を仰ぎ、神と交わりつつ生きるとき、この小さな存在から広がり、永遠の御国へと流れていく存在と変えられていく。

わたしたちはみな、…主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。(Uコリント三・18)


image002.gif愛が冷える

 戦争をやっても構わないという考え方は、相手の国の貧しい庶民がどのようになっても構わないという考え方が背後にある。それは主イエスが言われた、「愛が冷える」ことである。

…戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、気を付けて、うろたえないようにしなさい。そういうことは起こらねばならないが、まだ世の終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。…
そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(マタイ福音書二四・6〜14)

 一昨年のアメリカの世界貿易センタービルの破壊事件の報復として、アメリカが武力報復を唱えて実行したために、いっそう武力報復ということがあちこちでなされるようになってきた。
 イスラエルとパレスチナとの相互の武力報復とテロの悪循環はいっそうそのひどさを増しているし、ロシアとチェチェンとの紛争も同様である。
 さらにイラクに対する報復戦争が行われようとしている。こうした一連の動きの行き着く先はどうなるのか、何が待っているのかだれも知らない。
 もしこのような武力による報復ということを世界の国々が同様にやっていったらどうなるのか、日本の政府を代表して発言する立場にある官房長官が、日本も核兵器を持つようになることも考えられるなどと、言ったことがある。平和憲法とそれに深く結びついている非核三原則を真っ向から破るようなことを、こともあろうに政府の代表者がごくさりげなく言うのである。 
 このようにしてつぎつぎと核兵器を世界の国々が持つようになったらどうなるのか、何が生じる可能性が濃厚になるのか。
 核兵器を持つとか武力をいっそう整えるといった主張は、もし外国が攻撃してきたらどうするのかという恐れがつねにもとにある。しかしその危険性と、武力をどんどん貯えて、それを他国も真似て世界が核兵器を装備した軍備拡張の競争となっていったときの危険性といずれが大きいのか、ということである。
 何もしていない国、平和を実践すべく、核兵器も持たず、いかなる戦争行為も行わないことを国是とし、他国の平和や教育、医療や、生活一般への援助を絶えず強力に押し進めている国があるとして、そのような国に、現在の世界の状況からみて、いったいどのような国がミサイルを撃ち込むというのか。
 武力報復は間違っているという主張がどうして通らなくなるのか、それは戦前と似ている。相手をできるだけ悪い者とみなし、それによって人間の攻撃心を刺激し、武力攻撃を正当化しようとする。
 しかし、実際に大きな悲劇的事態に直面するのは、政治の表面に立っている政治家でなく、一般の庶民、貧しい人々なのである。
 ある国が攻撃してきたらどうするのか、軍備を整えていなければ滅びるのではないか、といって軍備、ことに核兵器を持とうとする考え方をどの国も持つようになったらどうなるのか。こういう考え方を延長していくとどうなるのか。それはますます世界が核戦争の脅威にはまりこむということである。アメリカのビル爆破は通常の飛行機でなされた。しかし核兵器があの場に落とされたら、その被害の甚大なことは、到底あのようなビル爆破とは比較にもならない。
 ある国が危険だといって核兵器をますます世界の国々が持っていく方向はそうした危険な方向に進むことに他ならないのである。そうした核兵器は絶対に用いてはならないものであり、そうした方向でなく、たえずよきことを計り、国際的に発言し、そのために多くの労力と費用を用いていくこと、それが危険の伴わない、双方の国の庶民にとっても一番よいことなのである。
 戦争が起こるのではないか、たえずそのことが議論される今の時代を、二千年前にすでにキリストは預言していたと言える。
 すでにあげたように、キリストは「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。」と言われた。どの時代にもこうした状況は見られたのであるが、現在の日本や世界においても、国は国に敵対して起こるとか、地震や飢饉などが生じるといったことは、あたかも今言われたかのように現実味を帯びてきている。
 こうした危険性の到来も必ず起こることだと言われているが、他方で、神を信じて最後まで希望をもって耐え忍ぶ者は救われるという約束もまたなされている。
 神を信じるとは、朽ちる希望でなく、神に根ざす希望を与えられていることであり、どのような事態があってもなお、過去の二千年の間もそうであったように、キリストを信じる者には必ず救いの道が示され、この世界が最終的には光が支配するようになるという希望に満ちた世界を知らされているのである。
 そして周囲にいかに愛が冷えていくことがあろうとも、人間を越えた神からの愛をうけて生かされる道が示されている。


image002.gif私たちを担って下さる神

 私たちは日々何らかの重荷を背負って生きている。その重荷は、病気であったり、家族の問題、また仕事上でのこと、あるいは友人や異性などの人間であったり、また、世界の多くの国々では貧しさや内乱などで、生きることそれ自体が困難な重荷であったりする。
 地位がなくて、いつ辞めさせられるか分からない状態も重荷であるが、地位が高くて責任ある場合にも別の重荷がある。職業生活にはそれぞれに苦しみもあり重いものを背負っているが、その職業を辞めたら重荷がなくなると思っても今度は、退屈とか病気、将来への不安など老年のさまざまの重荷がやってくる。
 こうしたさまざまの出来事のゆえに生じる重荷とは別に、もっと内的な重荷がある。それは自分が正しい道から外れているということである。過ぎ去った日々を思い起こすとき、あの時には○○すればよかったとか、○○したのは大きな間違いだった、もう一度やり直しがきけばよいのだが…などといった過去に犯した罪ゆえの苦しみと重荷がある。それは過去にとどまらず、現在の自分についてもどうしても除けない自分の内なる罪ゆえに、生きることが重荷となってくる場合がある。それは朝目覚めたときに、そうした重荷が自分を覆ってしまいそうになり、これからまた背負わねばならない重荷を思って苦しい思いで起きあがる人も多いだろう。
 また重い病気で、苦しみにさいなまれ、治らないのではないかという恐れを伴った不安は生きること自体を重くしてしまうだろう。
 このように、この地上で生きるかぎり、私たちにはさまざまの重荷があり、その重荷を除くことはできないのである。
 私たち自身が自分の背負わねばならない重荷で日々苦しめられている。そのような私たちの実態を知ってくださっているのが、すべてを見通し、憐れんで下さる神のまなざしであり、その重荷を担って下さるためにキリストは来られたのである。
 キリストは救い主だと言われる。何からの救いなのか、それはこうしたさまざまの重荷からの救いである。病気や人間関係、家族問題などいろいろの問題を、根本から重くしているのが、私たちの罪であるが、それに私たち自身は気付いていない。
 私自身、キリストを信じるまでは、他人や社会の罪は絶えず思い起こされても自分の罪というのは分かっていなかった。
 福音書に書かれていることであるが、中風で起きあがることもできず、長年寝たきりであった人を運んできて、どうしてもイエスに会わせたいとの熱意から、入る場所もない状態だったので、家の屋根をもはぎ取ってイエスのいる場所の前につり降ろしたという人たちがいた。そのような主イエスへの絶大な信頼に応えて、イエスが言われた言葉は、その病気をいやしてあげよう、というのでなく、「あなたの罪は赦された」であった。中風の苦しみと差別に耐えかねてきたであろう病人や運んできた人たちへのねぎらいや癒しでなく、彼らがだれ一人気付かなかった罪、真実なる神から心が離れていることを見抜き、それが中風の苦しみを救いがたいものにしていたことを知っておられたのである。
 このように、重荷の根源が罪にあることを知っておられたがゆえに、キリストがこの世に重荷を取り去るために来られたとき、それは罪を取り除くためというのが第一の内容になった。そして十字架上にて死なれたのもその罪の力を取り除くためであった。罪の力は最大の重荷であるからだ。
 主イエスは罪の重荷を取り除くという大変なわざを、ただ信じるだけで可能な道を開いてくださった。これは驚くべき道である。どんな学問や経験、あるいはよい家庭などであっても除けない、人間の奥深い本性を、何一つ償いとか、修業、費用などをかけずに、それぞれがただ心の真実をもってキリストの十字架を罪の赦しのためと信じて受けるだけでよいのである。私自身がそのようなきわめて単純な信仰によって、罪の重荷を軽くして頂いたのである。
 しかし、その赦しが与えられてからも、人間には病気や家族、また職場などでさまざまの重荷が残っている。それをどうするかということになるが、そのことについても主イエスは、重荷を取り除いてくださる道を備えてくださった。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの首木(*)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの首木は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ福音書十一・28〜30より)

(*)首木(くびき)とは、丈夫な横木で造られた道具で、二頭の家畜の首に固定させ、車やすきを引かせた。軛とも書く。

 この主イエスの言葉は、罪赦された者が日々の生活で出会うどんな種類の重荷であっても、主イエスを仰ぎ、私につながっていなさいとの言葉の通り、主イエスにいつも心をつないでいるかぎり、その重荷は必ず軽くされるという約束だと言える。
 そのようなことはない、重荷はいっこうに軽くならないと言う人もいるだろう。長く続く病気や人間関係からくる苦しみからいかにしても解決の道が見えないときには、たしかにそのような気持ちにもなる。しかし、そのような時にそれなら他のどんな解決の道があるだろうか。人間の重荷や苦しみには金や医者や家族、友人などによってもどうすることもできないことも多い。
 そのような重荷を主イエスのところに持っていくだけで、担って下さるという約束である。持っていくところのない重荷を、主が共に担って下さる。解決の道がいつまでも見えないときであっても、それでもなお主イエスの約束を信じ続けるとき、神の力はそこに必ず現れる。
 こうしたこの世の重荷を担うことについて、すでに主イエスより五百年ほども昔に書かれたといわれる書物では、神ご自身がそのような重荷を負いきれないで苦しむ者を、担って下さることが書かれている。

同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ四十六・4)

 苦しみのときに助けて下り、また、共に歩んで下さるということを約束して下さっている。その上に、私たちがもはや歩けないといったような弱り果てたときでも、神はさらに深い配慮をしてくださる。それはつぎの聖書の言葉にあるように、歩けなくなった者をそのままで担って下さるというのである。

彼らの苦難を常に御自分の苦難とし
御前に仕える御使いによって彼らを救い
愛と憐れみをもって彼らを贖い
昔から常に彼らを負い、彼らを担ってくださった。(イザヤ書六三・9)

 そしてこうした「担う」神のすがたは、別の箇所でもこのように記されている。旧約聖書の神とは、しばしば裁きの神とか、怒りの神などと言われることがあるが、決してそのような単純なものではない。そうした裁きとか怒りといったことも、まちがった道に行くならば必ず破滅する、本当の幸いから引き離されてしまうという強い愛の心からの警告であり、裁きといわれるものも、そのような苦しみを与えて本当の道、神を信じる道に立ち帰らせる目的があった。
 人間には、だれにでも最後にだんだん重い荷となってくる、老年と病気、そして死ということがある。とりわけ死ということはいかなる人もだれかの死を代わりに担うことなどできない。死という厳粛な事実に対しては、いかなる権力者や科学技術、人間の助言や働きかけもすべて力なくうなだれるばかりである。
 このような死という事態が襲ってきたときでも、神は私たちを担って、本来ならだれもその重荷のゆえに越えることのできない川のごときものを越えて、神に担われて神の国へと、キリストのおられる光と愛に満ちた世界へと導いて下さるのである。私たちが地上にある間は、最も重荷となる罪を赦し、罪への罰を身代わりに担って下さり、さらに私たちが死を迎えたとき、本来なら命を失って闇のなかに沈んでいく存在であったものを担って御国にへと導いて下さる。
 私たちの信じる神とはこのように、最も困難な重荷を最後まで担い続けて下さる神なのである。


image002.gif主があなたの永遠の光となり

太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず
月の輝きがあなたを照らすこともない。
主があなたのとこしえの光となり
あなたの神があなたの輝きとなられる。
あなたの太陽は再び沈むことなく
あなたの月は欠けることがない。
主があなたの永遠の光となり
あなたの悲しみの日々は終わる。(イザヤ書六〇・19〜20)

 太陽は永遠の存在だと古代の人々には思われていた。しかし、ガリレイが一六〇九年に、望遠鏡で月のような天体も地上の物体と同様な物質だということを観察して、ようやく天体も特別な、地上のものとは本質的に異なる物質ではないと考えられるようになった。
 しかし聖書の民は、太陽の光も神が与えたものにすぎないとの啓示を受けていた。そして天体ですら寿命があることの予感を与えられていた。
 
天の万象(太陽、星などの天体)は衰え (*)
天は巻物のように巻き上げられる。ぶどうの葉がしおれ
いちじくの葉がしおれるように
天の万象は力を失う。(イザヤ書三四・4)

(*)万象とは、あらゆる事物をいう。聖書では最初の書物である創世記の二章に初めて現れる。
「天地万物は完成された。」この箇所では「万物」と訳されている。また、次の箇所のように、太陽、月、星などの天体を意味するときもある。「また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。」(申命記四・19)

 この箇所では、永遠に変わらないもののように思っている天体ですら、衰え、巻き上げられるかのようになって消えていくということが啓示されている。
 しかし、世界のたいていの民族では太陽を永遠のものとみなして、それを神と崇めていた。エジプトやインド、そしてインカ帝国でも太陽を神と崇めていたし、古代ギリシャでも、アポロンという神は太陽神である。ローマのアポロはそのギリシャの神の名前のラテン語形である。日本でも天照大神(あまてらすおおみかみ)は太陽の神である。
 こうしてどの民族も太陽を神としているただなかで、聖書の民だけは、太陽のような絶大な存在すらも、神が創造した被造物の一つにすぎず、さらにその光も神がまず光を創造して、その光をもらっただけのものだと知らされていた。(創世記第一章)
 このように太陽や星々さえも、被造物であるゆえに、それらは神の御計画によって巻き取られ、消え失せるとすら言われているのである。それは例えば、人間が建物を造ったらそれを壊すこともできるのは当然であるのと同様である。
 太陽や星々が消えてしまうといったことは、現代の天体物理学でも明らかになっている。例えば太陽も宇宙に誕生してからおよそ四六億年、あと五〇億年余りは寿命があるとされている。最終的には太陽は白色矮星から小さな黒色矮星となり、銀河系のゴミのごときものとなって果てる。
 聖書ではこのような物理学的なこととは全く異なるが、その有限性を明確に述べている。
 宇宙物理学では、地球もいずれはるかな未来には、太陽が赤色巨星となっていくにつれて、地球は太陽に飲み込まれ、その高熱のために宇宙空間に蒸発してなくなるということしか分からない。それは実に空しい結論である。
 人間が死んだら体を構成していたタンパク質や脂肪、水、無機質などは、火葬にせよ、土葬にせよ、水中葬にせよ最終的には、二酸化炭素やイオウや窒素の化合物、水、あるいは金属化合物となって大気中や地中に帰っていく。太陽や地球も最終的には宇宙に帰っていくのも、人間の体が変化していく状態と似たところがある。
 要するにみんな消えていくということになる。科学が結論できるのはこのように、希望のまったくあり得ない未来像なのである。
 聖書ではそのような何の力にもならない未来像とは根本的に異なる未来を約束している。
それがこのイザヤ書の箇所にも見られる。
 太陽や星々、月などはすべて一時的な光である。永遠の光は神ご自身なのだということが力強く宣言されている。
 科学という学問によっては人間はこの大いなる宇宙の中で、将来は消滅してしまうという結論しか得られない。これこそ、神が私たち人間に、科学やその他の学問と異なる方向へと方向転換するようにとの強い促しなのである。
 聖書に記されている神の言葉は、あらゆる目に見えるものが最終的に私たちの光となるのでなく、神ご自身が光となって永遠から永遠に至るということである。なんと希望に満ちた未来観であろう。
 ここで注目すべきことは、神が光となるということに加えて、

「あなたの悲しみの日々が終わる」と言われていることである。
 この地上に生きる限り、私たちは数々の悲しみに遭遇する。外見からみて分からなくとも、心の奥深くに秘めた悲しみを持ちつつ、心にて涙を流しつつ生きてきた人々は数知れないだろう。人間関係の悲しみ、生まれ落ちたときから親もいないような人、親子や兄弟同士の反目、離反、そして職場や友人同士の中での無理解、中傷、さらに病気という重い荷物、ことにもう治らないと宣言されて痛みと苦しみのみが増し加わっていく絶望的な悲しみ、また老年の孤独と不自由、死に向かう悲しみもある。そして国家の内部での戦争や外国との戦争のゆえに傷つけられ、愛するものを奪われた悲しみ…、さらに、こうしたいわば外から来る悲しみと違って、自分の犯した罪によって取り返しのつかない事態になってしまったこと、あるいはそのようなことを引き起こしてしまう自分の罪深い本性のゆえの悲しみもある。
 こうした悲しみをまったく持たずに年齢を重ねていくことは一人もないであろう。
 身近に自分のことをかまってくれる人がいてもなお、いやすことのできない悲しみを抱えて沈むような心をもてあます人々もあるだろう。
 人間として生きる限り、だれもが直面せざるを得ない深い悲しみ、それを神が最終的に終わらせてくださるという。ここには、すでに述べたようなありとあらゆる悲しみをすべて見抜いておられた神のお心の一端を感じさせるものがある。

 主が永遠の光となり、
 あなたの悲しみの日々は終わる!

for the LORD will be your everlasting light,
and your days of mourning shall be ended.(NRS)

 これは万人の心の深いところでの願いを成就して下さる神の愛を表している。どうしようもない暗い心、どのような慰めも人間の交際や娯楽もいっさいをもってしてもどうすることもできない人間の深い悲しみ、そのただなかに神は来て下さり、光を投げかけてくださり、いかなる深い悲しみをも終わらせて下さるという。何と喜ばしいこと、感謝すべきことであろう。
 悲しみの日が終わること、それは主イエスもはっきりと約束して下さったことである。

ああ、幸いだ悲しむ人々は。
その人たちは(神によって)慰められるから。(マタイ福音書五・4)

Blessed are those who mourn,
for they shall be comforted.

この短い主イエスの言葉、約束のなかに、人間の持っているあらゆる悲しみに、御手を伸べてくださる神の愛が背後に感じられる。イザヤが世の終わりに成就すると預言したことは、キリストがこの世に来て下さったことによって、すでにそのことを信じる人にはその約束が成就されてきたのである。

 信じる者に悲しみへの深い慰め、励ましが与えられても、なおこの世には至るところにそうした悲しみを持つ人々はいるし、あらたな悲しみを生み出す戦争や貧困、飢餓、病気がつねに生じている。そうした世界の悲しみを最終的に決着させるために、キリストは再び来られるという約束が与えられている。このことを信じる信仰なくしては最終的に悲しみは終わらないからである。
 そのゆえに、聖書の最後の書である黙示録に、やはりこのことがはっきりと記されている。

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。…
更にわたしは、聖なる都が神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。
…「見よ、…神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(黙示録二十一・1〜4より)

 この世にはどんなことがあっても修復されない悲しみがある。そのことを神はご存じである。それゆえにこのように今から二五〇〇年ほども昔から、そうした悲しみが終わる日が来ることが預言され、それはキリストによって信じるものに成就し、さらにこの世全体が造りかえられて、悲しみが終わる日々が来ると約束されて聖書はその結びとなっているのである。
 どのようにしてそんなことが生じるのかわからない。人間が死んでどのようなかたちで復活して、キリストと同様にされるのかわからないのと同様である。
 ここに信仰が必要とされる。信仰があれば、そうしたすばらしい約束を内に持つことができ、実際に深い悲しみに今、慰めが与えられることによって、世の終わりにも確かに聖書に書かれたようなことが実現するのだと予感することができる。
 主よ、そのような御国を来たらせたまえ!


image002.gifイエスのまなざし

 新約聖書で、ルカ福音書にだけ記されている、徴税人ザアカイの記事がある。現代の私たちの生活のなかで、徴税人といっても、今で言えば、税務署長といった仕事の人であり、大して関心もわかないであろう。どうしてこんな税金を集める人のことがとくに書かれているのか、初めて読む場合には疑問に思う人も多いと思われる。 この徴税人の記事を通して、現代の私たちにどういうことを告げているのか、考えてみたい。

…イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の長で、金持ちであった。
 ザアカイはイエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
 これを見た人たちは皆非難して言った。「あの人は罪深い人のところに行って宿をとった。」
 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ福音書十九・1〜10より)

 当時のイスラエルの国では、税金を集めるという仕事が現在の日本とは大きく異なる意味があった。 この時代には、イスラエルはローマ帝国の支配下にあった。税を徴収するという仕事を、その支配下においていたユダヤ人を選んでさせていた。税をいくら徴収されるのか、現在のような広報や新聞などもなく、一般の人々にははっきり分からないことが多く、そこから不正をして、収める額以上の金額を自分のふところに入れるという徴税人が多くいたと考えられる。同胞がローマ帝国に侵略され、支配されているのに、その支配者の側に雇われ、命じられ、しかも自分のふところに勝手に税金からの金を取り込んでいるということになると、当然同胞のユダヤ人から強く憎まれることになった。
 それゆえ、当時の聖書学者たちからは徴税人は盗人と同様なものとみなされ、社会的にも公的な仕事からは徴税人とその家族たちは除外された。そのことは、福音書にあらわれる徴税人という存在が、盗人のような罪人や娼婦と同様に並べられていることからも推察できる。

…イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に…。(マタイ福音書二一・31より)
…人の子が来て、飲み食いすると、「見ろ、…徴税人や罪人の仲間だ」と言う。(マタイ十一・19)

 また、当時のユダヤ人は、ユダヤ人以外の人(異邦人)と交際することすら律法で禁じられていた。それは次のような箇所からもうかがえる。

…彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。」(使徒言行録十・28より)

 そしてユダヤのすぐ北のサマリア地方の人とも交際していなかったことも新約聖書にみられる。「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。」(ヨハネ四・9より)

 このように異邦人は神の言(律法)を知らず、従ってそれを守ることもしない。そのため偶像を神とあがめているし、ユダヤ人の律法で禁じられていた豚などの動物も自由に食べる。だから異邦人は汚れており、交際してはいけないというのであった。
 しかし、徴税人はこうした規定にも背くことになる。異邦人であるローマ人と日常的に交わるからである。その上、彼らから徴税人という仕事をもらい、さらにユダヤ人から金をだましとったりして金持ちにまでなっているということであったから、ユダヤ人からは憎しみと軽蔑の対象になっていた。
 こうした背景を知っていなければこのザアカイの記事の意味は分からないのである。
 このような同胞からは見下され、憎まれていて誰が心の平和を感じるであろうか。徴税人という嫌われる仕事を選んだのは何か特別な理由、家庭の貧しさとかどうしても収入が必要な窮地にあったとかがあったのであろう。そしてその職務に忠実であったから、徴税人の長になっていた。しかしそうした地位が与えられるといっそう同胞のユダヤ人たちからは憎まれることになる。
 周りのユダヤ人の人々から日常的に見下され、社会的にも見放されていた状態からくる淋しさ、孤独、あるいは悲しみが彼の心を支配していたであろう。こうした心の問題は、おそらく彼の家族からもたえず持ち出されていたと考えられる。しかしそういう状態から脱出する道はまったく見えなかった。もしその徴税人という職業を辞めたとしても、到底まわりのユダヤ人たちは赦してはくれないだろう、収入は無くなる上にどこにも仕事をする場もないとなれば、生きていけない。とすればいまの職業を憎まれつつも続けるほかはない。それは将来にまったく展望もなく、希望もない生活であった。
 こうしたザアカイの心に、おそらくかつて耳にしたであろう、マタイ(レビ)という人のことがふとした折りに浮かんできたと思われる。マタイも同じ徴税人であった。しかし彼はその仕事中に、イエスという人から、「私に従って来なさい!」という一言で、徴税人の仕事を辞めて、イエスに従って行った。こんなことは前代未聞であり、同じ徴税人仲間の驚くべき出来事として、ザアカイのところにも届いていたと考えられる。
 それまでの収入や仕事そのものをも、ただ一言のもとに捨てさせる人間とはいったいどんな人間なのか、自分の現在のこの平安のない生活からの転換をさせてくれるような人かも知れないと淡い期待を持って、何とかしてイエスという人を見たい、と強い願いを起こした。
 しかし、人々はザアカイというと、自分たちから不当な税金を徴収して異邦人たるローマの人たちに収めている汚れた人間なのだと知っていたから、ザアカイを中に入らせるということもしなかった。彼は背が低かった、とわざわざ書いてある。背が低いということは、ただそれだけでも、見下す人ができるものである。ザアカイは政治社会的な意味においても、また宗教的な意味からしても、さらに体の特徴からしても背が低いということもあり、何重にも周囲の人から見下されていたのだとわかる。
 こうした状況にあったから、ザアカイが何とかしてイエスを見たいと思っても、イエスを取り巻く人混みのなかに入っていくこともできなかった。
 普通ならば、それであきらめるだろう。しかし、ザアカイの心の内に引き起こされたイエスを見たいとの強い願いは、手段を選ばなかった。彼は人に道を空けてくれ、自分も見たいのだといっても相手にされないのが分かっていた。それで周囲を見渡した。前方には一本の木があった。彼はそれを見て、唯一の手段としてその木に登ることをただちに決断した。それは徴税人の長としての振る舞いとしてはふさわしくないものであったといえよう。大人が、大勢の人たちのいるところで、木に登るなどということ自体が恥ずかしいことで決してできないようなことであったはずである。
 しかし、主イエスが持つ力に引き寄せられた魂は通常のあり方、常識といった枠にははまり切らなくなる。
 福音書の中に、中風で寝たきりの人がいて、その長い間の苦しみに接していた友人がなんとかイエスという驚くべき力をもったお方のところに会わせたいと熱望し、重い病人の体を担架のようなものに載せて運んできたことが書かれている。
 しかし群衆にさえぎられてどうしてもイエスに会わすことができない。それで彼らは、雨量の少ない地方ゆえに屋根の構造が簡単であったので、その屋根をはいで、イエスの前につり降ろすという常識では考えられないような手段に訴えた。するとイエスはそうした行動を責めるのでなく、そうまでしてイエスへの信頼を表した人たちのその信仰をほめられ、罪の赦しといやしを与えられたのであった。(マタイ九・1〜8)
 この人々と似たような心がザアカイのなかにはあったのであろう。主イエスが持っている、目には見えないある力によってザアカイは木の上に引き上げられるように登っていった。 イエスは自分とは遠いところにいる。すぐ側でイエスに触れている者、話しを交わしながら歩いていく多くの群衆たち、しかし自分はただ木の上から見るだけだ、そういう思いもつかの間であった。誰一人予想してもいなかったことであるが、イエスの方から目ざとくザアカイを見つけたのである。近づけないほど人が周囲を取り巻いていたから、ザアカイが走っていくのも目にとまらなかったはずである。まわりの人々からおそらくひっきりなしに問いかけられる言葉もあっただろう。そのようなイエスが、たった一人離れた場に行って、木に登った男などまるでわからなかったと思われる。しかし、意外なことはそのようなみんなが顧みなかったたった一人の人間を主イエスだけは鋭くとらえ、その心に長年積もってきたであろう孤独と悲しみをも見抜かれたのである。これは驚くべき愛の現れという他はない。人間らしい扱いを受けてこなかった一人の苦しみや悩み、社会から見放され、盗人のような罪人扱いをされてきて、まともな仕事にももはやつけなくなっていた人間、そこからどのようにしても脱することのできない袋小路にはまりこんだ人間の抱える重荷を、主イエスはいち早く見抜くことができたのであった。主イエスのまなざしこそは、すべてを越えて本当に必要なところを見抜くのである。
 そして木の下から、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい。」と呼びかけた。そのイエスの一言が、それまでのあらゆるザアカイの苦しみや重荷を解決するものとなった。自分の過去の罪、それは人間にはどうしても赦してはもらえないものゆえ、前進することもできず、立ち往生していた一人の人間に、明確な道を指し示し、そこにいっさいの解決があることをたった一言で分からせることができたのである。
 主イエスの愛のまなざしを受け、その個人的な呼びかけを聞き取った者は、ザアカイのように、主イエスが自分のところにきて、留まって下さるのを実感する。ヨハネ福音書で、「私の内に留まっていなさい。そうすれば私もあなた方の内に留まっていよう」(ヨハネ福音書十五・4)と言われているとおりである。
 私自身、キリストの福音を知るまではどのように考えても、学生仲間と議論しても、教授の話や講演などを聞いても道が見えてこなかった。周囲の者たちもそうした問題の解決をまったく知らなかったのである。そのような私にやはり、わずかの言葉で主イエスは根本的な転換を与えて下さった。
 そうした自分自身の経験から、このザアカイがイエスの一言で変えられたのも共感できる。それほどイエスの一言は力がある。それは神の言葉であるから。イエスの個人的な呼びかけによって、ザアカイは周囲の非難のまなざしを浴びせる人たちのただなかで、新しく生まれた宣言をすることができた。

…ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(ルカ十九・8)

 財産とは長い間かかって造ったものであり、それをたいそう重要だと考えていたからこそ貯えてきたのである。現在の私たちの感覚でいうと、財産とは土地建物や預金などを含むのであるから、相当な金額になるだろう。その半分をただちに他人に与え、さらに残った金額をも、不正な取り立てをしていた場合には、四倍にして返すとまで、宣言するというのは、驚くべき転換である。よほどの力が魂にはたらかないとこんな決断はできない。その財産に結ばれていたザアカイの魂は、主イエスの一言によってその金や地位の引力から断ち切られ、主イエスに結ばれたのであった。私たちに必要なのはこうした力ある言葉なのである。人間同士の議論は、雑誌、新聞やテレビなどに日々満ちあふれている。しかしそれらは知識は得るであろうが、生きる力は与えることができない。困難や苦しみのただなかにあっても、なお希望を持ち続けることのできる精神の力はそうした人間の議論では得ることができないのである。それはただ、真実な力の源である神から、そしてその神が私たちに送られた主イエスから来る。
 ザアカイは何もよいことをしたわけではない。それどころか、同胞から非難され、後ろ指をさされるような生き方をしてきたのである。にもかかわらず、主イエスは彼をだれもが見下すただなかで、神の愛をもって見つめ、名をもってザアカイを呼び出し、無条件で救いを与えられた。ここにキリスト信仰の本質がある。キリスト教という信仰は、なにかよいことをたくさんしなければ救われないというのではない。どこかの組織に加わらないと救いが与えられないというのでもない。あるいは多額の寄付金を献金しなければいけないというのでもない。病気で何もできなくても、また老年であるとか、貧しさや無学、過去に犯した罪がいかにあろうとも、ただこうしたキリストからの呼びかけを感謝して受けるだけで、救いへと、すなわち本当の幸いへと入れていただけるのである。
「今日、救いがこの家に来た!」 この主イエスの宣言によってザアカイの救いは家族の救いへの第一歩となったこともうかがえる。
 キリストによる救いは、このように不連続的なのである。いろいろとよい行いを積んで、経験を重ねて、あるいは宗教的修業をやってからようやく救われるのでない。今も活きておられる、キリストからの呼びかけを感じてそれを受けるとただちに救いはそこに来たのである。これは私自身が、ある日突然にして信仰を与えられたという経験があるゆえに、その真実性をいっそう強く感じる。
 もちろん徐々に救いの確信が与えられることも多い。しかし基本的には救いとはイエスの言葉、そしてイエスの力によってつねに不連続的に与えられるものなのである。キリスト者となってからも、私たちは罪を犯したり、意気消沈したり、力を失ったりする。しかしそこから主イエスをしっかりと見上げるとき、直ちに私たちにそこからの救いが与えられる。自分ではどうしたらよいのか分からないほどに苦しいときもある。それでも私たちが立ち帰れ!との促しにしたがって、主イエスを、神を見上げるときには、私たちの感情や気分の如何を問わずすでに救われているのである。
 「人の子は、失われた者を捜し出して救うために来た。」と言われた。イエスは捜しておられる。ザアカイのように、過去の罪によって苦しむ者、病気やさまざまの問題で疲れ、歩けないようになっている者たちを。主イエスの捜されるまなざしを感じて私たちがふり返るとき、私たちを神の愛をもった御手でとらえてくださり、御国へと歩む者として下さるのである。


image002.gifことば

(151)絶え間なき祈り
‥‥キリスト者は絶え間なく祈るべきである。まさにキリスト者の命は祈りである。もし私たちが不完全であるならば、祈るべきである。もし信仰が足りないというなら祈るべきである。よく祈ることができないからこそ祈るべきなのである。恵まれても祈るべきであり、呪われても祈るべきである。天の高きに上げられるような時にも、陰府(よみ)の低きに下げられる時であっても私たちは祈る。私は力なき者、それゆえに私ができることは祈ることのみ。(「内村鑑三全集」第二巻249頁)

・日本において、内村鑑三は明治になってから以降、最近百数十年において最も力あるキリスト者であったと言えるだろう。その内村の力はどこから来ていたか、それはこの文章でみられるように、深い祈りにあったのがわかります。真に力ある人とは、このように自らの弱さを自覚し、そこから神に向かって心こを尽くし、精神を尽くし、理性的なものもすべてをあげて神に祈るとき、人間が持っていない力を与えられるのである。

(152)…ただ、イエスの御名を繰り返し唱えることだけでも、神との交わりへの渇きを満たすのに十分なのです。…
 神はすべての人間の言葉を理解してくださいます。神のそばに黙ってとどまること、それはすでに祈りです。くちびるは閉じたままでも、心は神に語りかけています。そして聖霊によってキリストは、創造をはるかに超えて、あなたの内で祈ってくださいます。」(「テゼ その息吹と祈り」八九頁)

・主は私たちの心をすべて見ておられる。私たちが、イエス様、イエス様とか、主イエスよ、主イエスよ、または、主よ憐れんで下さい!といった最も単純な祈りを心から繰り返し祈るだけでも、聖霊を注いで下さる。わが内に留まれ、そうすれば私もあなた方の内に留まると主は約束して下さった。聖霊がとりなしをして下さるという使徒パウロの言のように、私たちかただ主の許にとどまるだけで、聖なる霊がとりなして下さる。


image002.gif休憩室

○現在(2月下旬)では、だいたい夜九時頃以降、頭上を見上げると、木星の強い輝き、そして澄んだ輝きがいつも見られます。金星、火星、木星、土星など惑星の名前は小学校のときからすでに、ほとんどの人は知っています。しかし、意外なことに、ほとんどの人がそうした星を見たことがないのです。これら惑星は、その強い輝きのゆえに見つけることも容易だし、宇宙への関心を呼び覚ますものです。夜の大空に輝くこうした星たちを見つめることは、その背後にそれらを創造された、神への思いへと結びつきます。地上の自然とちがって、いかなる人間の科学技術によっても破壊も汚しもできない宇宙の星たちは、数千年前と変わらぬ深い味わいのある輝きを放ち続け、心を開いて見つめるものに、言葉ならぬ言葉で語りかけています。

神が光を送ると、光は進み、
一声命ずると、光はおそれつつ従う。
星はそれぞれの場にて、喜びにあふれて輝き
神が呼ぶと、「ここにいます」と答え、
喜びつつ、自分を創造した神のために輝いている。(旧約聖書続編バルク書三・33〜35)(*)

 今から二千年以上も昔に書かれたこの文書にも、星の光も神がそのご意志に従って送っているのであり、その星は神の愛に満ちたご意志を受けているゆえに、喜びにあふれて輝いていると記されています。星を見てもただその無言の輝きを見るだけ、あるいはほとんど星を見たこともない人も今日の都会の人には多いと思われます。しかし、このはるかな昔の詩人は、星の光のなかに、神に結ばれている喜びを感じ取っていたのです。そのような喜びを感じる魂には、自ずからその喜びが自分にも伝わってくるでありましょう。共鳴するのです。

○先日、かなり遠距離の聖書集会に参加しての帰途、夕方に車のフロントガラスをう通して、前方に光を心を引きつけるような色合い、雲の形と動きに出会ったのです。そこからこの地上に沈黙のうちに、神の国からの光が放射されているかのようでした。神からの聖言も同様、目には見えないけれども、あの光のように私たちの世界につねに放射されているのだと感じました。

(*)バルク書とは、旧約聖書の続編に含まれる書物で、バビロン捕囚とされた人たちの中で、バルクという人物が、バビロンにいる同胞たちに宛てた励ましや祈り、真理への讃美の書。


image002.gif返舟だより

○文集「野の花」についての関西在住の読者からの来信です。この方は私の大学時代からの信仰の友です。

…野の花のように、さまざまの色あいと輝きに満ちた文章が、記されていて肝銘を受けました。心に播かれた良き言葉は、長く思いめぐらすうちにいつしか成長するもののように思われます。…日夜のみ言葉に関わる活動がそのような良き言葉の輪を周囲に広げている様子が文集を読むと目に見えるようです。
 イラク問題、北朝鮮問題、パレスチナ問題、その他各地で起こる爆弾テロと今の世界にはあちこち暗雲が漂っているようです。
 「はこ舟」で吉村さんがイザヤ書によって述べられたとおり、光を見いだすことがとりわけ大切であると思います。心に光が射し込んでくる言葉を探したいと願われます。そのような言葉をたくさん運ぶ「はこ舟」に感謝しています。…

・聖書はいつの時代の闇をも照らす光に満ちており、その光の幾分かでも受け取った魂は、やはり何らかの光を周囲に投げかけるものだと思います。
 私たちがキリストの光をさらに受けて、それをまわりにも分かつことができるようにと願っています。


○次は無教会のキリスト者で、関西の大学で長く教鞭をとってこられた方からの来信です。

…日本のマスコミは、拉致といえば拉致(それも公けになるまでは黙しておいて)、ノーベル賞といえばそのことばかり大騒ぎして、最も大切な戦争責任のことや仰せの科学者の責任のことは、語らずじまいで、これは昭和初期の満州事変に太鼓を叩いたのと同じやり方です。時ますます悪化、責任の重さを覚えます。…

・政府やマスコミがある特定の方向に引っ張っていこうとするとき、それに抗して真理の側につくことは、上よりの力を頂き、たえず神の守りの内に置かれていなければ困難であるのは、戦前のキリスト教界の状況を見るとわかります。 主よ、とくにキリスト者がつねに聖書の真理に固く立つことができるように、守って下さい!
 
○関東地方に在住の方からの来信です。

…人生の目的と理想はキリスト信仰に生き、神の国に救われ、神の栄光を現すに在り。
「はこ舟」、「野の花」、メールの「今日のみ言葉」、集会のテープ、何もかもが私に語りかけてくれています。
 私一人が試練に置かれているのではないことを知ります。
今こそ、酸素は「生きよ! 生きよ!」と私に注いでくれています。すべては神の栄光のため。

・酸素吸入をしつつ、一人で自宅療養を続けられ、病気の重荷を主にあって担われている方です。私たちの礼拝集会のテープもこのような方に少しでもお役に立っていることは感謝です。いっそうの力を主が注いで下さいますように。
2003/2

厳しさの中から   2003/1

 星は一年中見られる。しかし、冬の厳しい寒さと北風に肌を刺すような風に吹かれつつ、見つめるとき、星は最もその清い美しさを私たちに伝えてくる。
 同様に、神の愛と清さ、その力などは、私たちが厳しい状態にさらされているときにこそ、いっそうはっきりと実感できる。
 心がゆるんでいるときには、私たちは神の力や清さを感じにくい。苦しみの中から、また悲しみに傷ついた心の中から神を仰ぐときに、最も明らかに神の愛を感じる。


image002.gifたった一人の愛によって

 人間はたった一人の愛を受けても生きる力が与えられるというところがある。逆にいくら多くの人と交際していても、たった一人の愛も受けていないときには、その人の心は荒れてくるし、だんだん枯れて固まってしまう。
 確かに愛はそれが、人間的な愛であっても、人を生かす力を持っている。
 しかし、誰でもが感じるそのような人間的な愛は、時には激しいものがあり、人間を生かすどころか、滅ぼしてしまう力を持っている。こうした滅ぼしてしまうほどの愛は、男女の愛に見られることがある。
 親子の愛もそれが人間的な愛であると、その強さに応じて子供を強制して、塾などに行かせることになる。しかしそのような自分中心の気持ちからの愛からも真によきものは生じてこないであろう。
 たった一人の愛、純粋な愛があれば、人間は生きることができるといっても、それが人間的な愛であれば、総じてはかないものであり、致命的な結果となる場合もある。
 人間から受ける愛はこうして祝福されないことが多い。しかし、神から受ける愛はまったく異なる。どんなに他人に誤解中傷されていても、その本当のことをだれも知ってはくれなくとも、心に主イエスの愛が注がれているのを実感することのできる魂は決して損なわれない。
 最初の殉教者であったステパノという人はどんなに周囲の者たちが、憎しみをつのらせても、彼らを憎み返したり、恐れたりすることもなく、キリストが神の右に座しているのをまざまざと見ることができた。ステパノは自分に注がれたキリストの愛を深く実感していたゆえである。

 愛を持たないで人とたえず交際するのは、魂をそこなうものである。だから、やむをえない場合には、むしろ交際をへらすか、それとも全くそれを絶つべきである。(ヒルティ著 眠れぬ夜のために上 一月三〇日の項)

 愛を持たないで、人間と交際を持つことは、今日では避けることができない。会社、学校、その他のさまざまの場面で、私たちは多くの人間と関わり合う。昔は例えば農業の人が圧倒的に多く、その農業をしているとほかの人と交際することはそれほど多くなかっただろう。
 なぜ、愛なくして人と交際することで、その人の魂がそこなわれるのだろうか。
 愛なくしてということは、無関心や憎しみ、ねたみ、あるいは競争心とかその人たちを利用しようといった気持ちから交際することになる。こうした心の傾向こそが罪と言われる気持ちであり、そうした気持ちは次第にその人のよき部分を壊していく。
 だれに対しても愛をもって関わるということは、自然のままの人間には不可能なことである。 そうした不可能なことに唯一道を開くのが、キリストという、今も活きておられる方の愛を受けることである。たった一人の愛を受けるだけであっても、生きていける。それが最もはっきりといえるのは、キリストというお方の愛を受けて生きることである。
 ほかのすべてから誤解され、受け入れられなくとも、キリストが受け入れてくださり、自分を愛して下さっていると実感できれば、私たちはすでにキリストの愛を受けているのであり、その愛を持っていれば他人を恨んだり、憎んだままで生きるということから免れていく。
 たった一人の愛も受けていないと思うときには、主イエスに心を向け変えて、主にむかって叫ぶとき、たった一人のお方である主イエスからの愛を感じることができ、そこから神の国へと歩み始めることができるようになってくる。


image002.gifあなたの上には主の光が上り

起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、
主の栄光があなたの上にのぼったからだ。
見よ、闇は地を覆い
暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。

 起きよ! と呼びかけられているのは、直接的には、シオンです。エルサレムにある丘の一つですが、これをエルサレム全体、それから神に導かれる人々をも指していることがあります。
 起きよ!と呼びかけられているということは、この呼びかけを受けているシオンあるいは、神の民が、倒れてしまっていることを暗示しています。悪の力によって、敵対する人々あるいは国々によって立ち上がることもできない状態にあることがうかがえるのです。
 現代の人々も、精神的に見れば、起きあがれない状態にある場合が非常に多いと言えます。そのような倒れ臥した人々に対してこの言葉は言われているのです。
 預言書という書物は驚くべき書物です。それは、今から二五〇〇年から三〇〇〇年近く昔の社会の状態に即して言われている言葉であるのに、はるか後の現代に生きている私たちと同様な問題を提示しているのですから。
 しかし、起きよ!と、呼びかけられても、どうして起きるのか、また、光を放て!と言われてもいかにして光を放つことができるのか、おそらくほとんどの人は、「光を放て!」などと言われてもおよそ場違いな感じを受けて、自分とは何の関係もないと感じるのではないかと思います。
 人間が光を放つなど、ふだんの私たちの会話では話題にもならず、考えたこともないからです。
 これは聖書の世界においても同様です。聖書ほど人間のうちにひそむ暗いもの、悪魔的なもの、汚れたものを鋭く指摘している書はありません。ほかの古代文書にもいろいろありますが、例えばギリシャの神話には神々がいろいろと人間を誘惑したりすることが書いてありますが、これは日本の古事記などにも当たり前のようなかたちで現れます。例えば、有名な日本の神々の一つである、スサノオノミコトというカミが乱暴狼藉を働いた様が驚くほど赤裸々に書いてあります。これらは罪を犯すことが当たり前のような感覚で書いてあるのではないかと思わせるほどです。
 ここには、そうした悪しき心の動きに対しての深い悲しみや嘆き、そのような悪に支配されることへの苦しみなどはまったく感じられないのです。
 これに対して聖書では、いかに人間は罪深い存在であるか、ということが鋭く指摘されています。そしてその罪がなにをもたらすのか、どんな裁きがそこに下されるのかも書かれています。
 真実なもの、正しいものへの背きは人間に深くしみこんだ本性だと記されているので、そのような人間が光を放つなどとは考えられないことです。
 しかし、ただ一箇所、人間が光を放つようになったことが記されている箇所があります。それが、モーセの例です。

 …モーセは主と共に四十日四十夜、シナイ山にとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる神からの契約の言葉を板に書き記した。
 モーセが神から受けた十戒が記された石の板を持ってシナイ山を下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔が光を放っているのを知らなかった。人々がモーセを見ると、驚くべきことに、彼の顔は光を放っていた。(出エジプト記三四・29〜30より)

 四〇日もの長い間、神とともにあって神と交わり、それによってモーセの顔は光を放つようになったのです。モーセ自身は罪ある人間にすぎなかったけれども、神との深い交わりによって神の光を与えられたのだとわかります。
 このイザヤ書の箇所も同様です。

起きよ、光を放て!
なぜなら、あなたを照らす光は昇り、
主の栄光はあなたの上に輝いているから。

Arise, shine;
for your light has come,
and the glory of the LORD has risen upon you.(NRSV)

 この英語訳にあるように(for が理由を表しています)、ほかの英語、独、仏語などの外国語訳でも参照した限りはほとんどはっきりと理由を現す言葉があります。それは原文ではその言葉があるからです。すなわち、「起きよ、光を放て! なぜなら、あなたの光が上ったからだ。」
 という意味なのです。私たちに起き上がれ、と命じられているのはどうしてかというと、神からみるなら、すでに述べたように(霊的にみると)人間はみんな倒れ伏した状態だからです。
 これらの言葉は、今から二五〇〇年ほども昔に言われたとされています。そして預言書というのは、もともとは当時の社会的な混乱や悪に対して、神からの警告であり、神に立ち返るべきであるというメッセージであるのですが、それが驚くべきことに、その後のあらゆる時代の人々にもあてはまり、現代の私たちにもそのまま言われていると受け取ることができる真実性を持っているのです。
 当時、この言葉が言われた相手は、半世紀の間遠い異国バビロンで捕囚となり、ようやくその生活から解放され、祖国に帰ることができて、生活を再建したユダヤの人々であったのですが、聖書の言葉は、そうした時代や地域をはるかに越えて、万人にいつの時代にも生きてはたらく言葉であり続けてきました。
 人間が倒れ伏している状態だということは、外見を見るだけではわからないことです。ある人は、とても元気よく働いているし、ある人は重い病気などで弱って動けない人がいる。ある人は天才的な才能をもって世界的に活躍している、その名声は世界に響いている。ある人はひどい犯罪を犯して何十年も牢獄に入れられている…こうした千差万別の人間の状態をどうして、人間はみんな倒れ伏しているなどと言えるのかと、反論する人は多いはずです。
 これは、そうした人間の能力だけに目を取られて、真実なものや、弱く苦しむ人間への愛や清い心を持っているのか、何を見つめて生きているかという観点から見ないからです。いかに科学や芸術、スポーツなどの能力があっても、真理を愛し、人間の苦しみに共感し、そこに愛を注ぐといった心があるのかという面からみると、きわめて多様な人間がいるにもかかわらず、とたんに同じようになってきます。
 学者としてはすぐれていても、数学などはごく初歩しか知らない人以上に愛があり、真実であるとは限らないし、マスコミなどでもてはやされている人たちも同様です。
 聖書にいうような愛や真実があるのかという観点からはだれもかれも同じように、できていないのに気付きます。
 それが倒れている、伏しているという状態です。これは新約聖書においてさらに、死んだと同様な状態だと言われます。

・このようなわけで、…死はすべての人に及んだ。すべての人が罪を犯したからである。(ローマの信徒への手紙五・12より)
・ 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和である。(同八・5)
 
 ここで言われている、霊の思いとは、聖霊を与えられ、聖霊に導かれた思いということです。それは神の命を実感し、その命をさらに豊かに受けることにつながり、それは神の平和を実感することです。
 しかし、聖なる神の霊を受けていないときには、人間は当然自分中心の思いとなります。自分の力を自慢する心、他人を無視する気持ち、ねたみ、憎しみ、自分の好きなものだけを大事にするような「愛」、仕事をしても自分のため、何かでとても努力しても自分が認められ、自分が人より上に立つため、あるいは自分を目立たせ、支えるために最も役に立つと思われている金や財産を持っていること、そうしたことを第一に心で思うのが、ここで「肉の思い」と言われていますが、それは「死」だと明確に述べています。そのような思いを延長していけば、清い喜びや揺るがない平安は決して与えられず、目に見えない聖なる力を実感することもあり得ず、死ということによってすべて消えていくしかありません。それは死んだような状態です。
 冒頭にあげた聖書の箇所で、私たちが励まされるのは、私たちの上にすでに光が上っている、今その光は私たちを照らしているということです。周囲の世界はこのイザヤ書の言葉にもあるように、「闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる」という状態であり、いろいろの人たちが、武力に頼り、軍備増強を声高に唱えるようになっています。このような闇のただなかにあっても、私たちが神を仰ぐそのときに、神の永遠の光はすでに私たちの上にのぼって輝いているということに気付くのです。
 こうした周囲の闇のただなかに輝く光というのは、聖書全体を貫くメッセージとなっています。
 聖書の最初の書、創世記において、「闇が深淵のおもてにあり…」(創世記一・2)とはじめに記されています。しかしそのような闇のただなかに、神は命じるのです。
「光あれ!」と。その神の言の一言によって、闇のなかに光は生まれ、その光はいかなる闇に対しても勝利し続けてきたと言えます。

(*)バビロンとは、古代メソポタミアの首都を指す。現代のイラクの首都バクダッドの西南にある。バビロン捕囚とは、紀元前五八七〜五三八年まで、ユダの人々がバビロニア(現代のイラク地方)に奴隷状態の者として連れて行かれた出来事を指す。

 このような闇のなかの光を受けた者はどうなるのか、それがイザヤ書の冒頭の箇所のつぎに記されています。

国々はあなたを照らす光に向かい
王たちはその輝きに向かって歩む。
目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから
娘たちは抱かれて、進んで来る。
そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き
おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ
国々の富はあなたのもとに集まる。
…若いらくだがあなたのもとに押し寄せる。
(異国の)人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

これらは誰か。雲のように飛び、巣に帰る鳩のように速い。
それは島々がわたしに向けて送るもの
タルシシ(*)地方の船を先頭に
金銀をもたせ、あなたの子らを遠くから運んで来る。あなたの神、主の御名のため
あなたに輝きを与える
イスラエルの聖なる神のために。

あなたの城門は常に開かれていて
昼も夜も閉ざされることはなく
国々の富があなたのもとにもたらされ
その王たちも導き入れられる。

(*)スペイン南部の地中海の最西端にあったとされる町。「世界の西の果て」という響きを含む表現としても用いられている。

 こうした記述はいったい何を意味しているのか、これは一見現代の私たちと何の関係もないように見えます。これはかつて真実な神に背き、正義に反することを行い続けたために神の裁きを受けた民に、時がきて彼らが神に立ち帰り、神の恵みを受けるようになる、その時には、このようにかつてとは逆に、あらゆるよいものが周囲の世界から流れ込んでくるというのです。タルシシとは地中海西端の町を指しており、当時知られていた世界の西の端です。そのような世界の果てからもよき物が運ばれてくる、ここには神の光や神の力を受けたものがいかに周囲からよいものを引き寄せるかということが記されています。
 神に逆らい、不真実と不正を重ねるときには、よきものが次々に奪われ、侵略され人間も遠くへと連れ去られていく、それが実際に紀元五八七年頃に行われたバビロンへの捕囚であったわけです。そのような悲劇はどこの国々でも見られたことです。強力な軍事力をもった国に、侵略され、よいものが略奪され国のよいものも破壊されていく。
 しかしこのイザヤ書にある箇所では、神に本当に立ち帰るときにはいかに良きものがつぎつぎと流れ込んで来るかを詳細に記しています。それほどこのことは実際に生じることであると強調されているのです。
 私たち一人一人にとっても、同様なことが言えます。神(真理)に背を向けている間は、努力しても努力しても何かが抜けていく、渇くという気持ちになります。 穴のあいた器に水を満たそうとするようなものです。しかし、神に立ち帰るとき、私たちの心にはある良きものが流れ込んでくるという感じが生まれてきます。それは神から注がれるものであり、私たちのほうで拒むことがなかったら注いで下さるものです。

「私は…あなたの神、主である。あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。」(詩篇八一・10)
 とある通りです。
 また、それは私たちの心に向かって戸をたたくというたとえでも記されています。

見よ、わたし(キリスト)は戸の外に立って、たたいている。
だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にする。(黙示録三・20)

 復活されたキリストがこのように一人一人の魂の扉をたたいていると言われています。私たちが心の戸を開くなら、キリストご自身が心に入ってくださって、食事を共にする、すなわち祝福を共にして下さるということです。
 
 神の光が私たちの上に上った、だからこそ私たちもその光を受けて立ち上がることができる、このことこそ、新約聖書の中心にあるメッセージです。キリストが十字架で死んで下さったゆえに私たちは、どうすることもできなかった罪を赦されている、これも私たちの魂の上に神の光が上ったと言えることです。罪が赦されていない魂は、正しい道へと立ち上がって歩むことができないからです。

御父(神)は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。(コロサイの信徒への手紙一・13)

 このことも同様な内容を表しています。いつの時代にも私たちを取り巻くのは、闇であったわけです。聖書の最初にも、「闇が深淵の表面にあった」とあり、新約聖書のマタイ福音書のキリストの伝道の最初の記述のところにも、
「暗闇に住む民に大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ福音書四・16)
 と記されています。
また、ヨハネ福音書の最初にも、「光は闇のなかに輝いている。 闇は光にうち勝たなかった」とあります。(ヨハネ一・5 口語訳)

 こうしたすべてによって、聖書はキリストこそ私たちの最終的な光であり、その大いなる光が二〇〇〇年前にこの世界に輝き始めたのであり、万人のうえにその光が上ったのだ、だからその光の方向へと向きを転じて、その光を受けるようにと勧められているのがわかります。これこそ旧約聖書から新約聖書にいたるまで一貫して言われているメッセージなのです。


image002.gif目に見えないものを受け取るために

 今回ノーベル賞を受賞した学者の研究が、ニュートリノという素粒子に関することであった。この素粒子は例えば地球の表側から裏側に抜けることができるくらい物質との相互作用が弱く、宇宙に充満しているという不思議な物質である。
 そのような素粒子を観測するために地下一〇〇〇メートルに、三〇〇〇トンの水を蓄えた巨大な水槽が作られ、それに特別な検出装置を付けて研究されている。
 これが有名になったのは、この装置が作られてからわずか四年ほど後に、まれにしか遭遇しない超新星爆発が地球から十六万光年離れたところで起きた。超新星爆発のときには大量のニュートリノが生じるがそのときに、その装置ではニュートリノ十二個を観測したという。肉眼でわかるほど近くで、この超新星爆発が起こったのは、四百年ほども昔の一六〇四年にあっただけというから、今回受賞した学者の研究結果は幸運に恵まれたといえる。 
 しかし、ニュートリノを観測したということは、基礎科学では重要な研究であっても、そのこと自体は、人間の心の苦しみや悲しみには何ら力になるところはないであろう。
 それどころか、物理学の最先端であった核物理学の応用として、原子爆弾や水素爆弾が作られてしまった。科学技術の行く先をどこまでも延長していくと、一発で数千万人が死傷すると考えられるような巨大な殺人兵器へとつながってしまったのである。 
 ニュートリノを検出するには、前述の巨大な地下水槽の中にきわめて多くの光電子増倍管を設置することが必要となり、装置全体でははじめのものには数億円、現在使っている改良型には百億円という巨費をかけて特別に制作された。 ラジオ電波を受け取るには安価なラジオがあればよい。テレビ電波もやや費用のかかるテレビ受信機があると足りる。しかしニュートリノという素粒子を受け取って観測するためには、巨費を投じた設備が必要である。
 しかし、こうした科学技術の産物がまったくなかった二〇〇〇年ほど前、キリストが伝え、キリストが聖霊というかたちでこの世にもたらしたものは、革命的なものであり、キリストを受け入れ、聖霊を注がれるときには、人間は根本から変えられる。
 現在の宇宙では一立方センチメートルに約100個(一立方メートルでは一億個にもなる)の非常にエネルギーの低いニュートリノが充満しているという。
 他方、使徒パウロが引用しているように、「我らは神の中に生き、動き、存在する」(使徒言行録十七・28j
 ということができるし、神から風のごとくに注がれている聖霊を受けるには何らの費用も要らない。神から注がれている光や聖霊に気付くには、そうした科学技術やそのための巨額の費用、あるいはそうした学問はいっさい必要ではない。
 神からのいのちの光、あるいは聖霊や神の言は、時代を超え、人間のあらゆる妨げを越えて、今も放射されている。それを私たちの魂が目覚めているときには、聖霊が注がれているのをその魂において感知することができる。
 物質世界には数々の不思議があるが、それにもまして驚くべきことは、目には見えない聖なるあるもの(聖霊)が実際に存在して、それを人間の魂が受け止めて導かれるようになるということである。そしてこの聖霊こそは、人間の最も深い心の渇きを癒し、平安を与え、清い喜びを与えてくれるものである。
 私たちが心を開いているならば、物質世界の不思議は、目にみえない世界の不思議へとつねに連れ戻してくれるものとなる。


image002.gifノーベル賞と平和

 昨年は二人の科学者(技術者)が、相次いでノーベル賞を受賞したというので、マスコミでも大々的に取り上げられ、とくに田中氏の庶民的な態度に人気が集中していた。
 しかし、彼らのことがずいぶん詳しく報道されていたにも関わらず、核兵器と平和の問題について、またそれと密接に関連している原子力発電の危険性などについて全く二人とも触れていなかったのは残念であった。
 核兵器は科学技術の生みだした究極的な兵器である。原爆の数百倍の破壊力を持っている水爆など一発が東京などで落とされたらおびただしい犠牲者が出るばかりでなく、激しい放射能汚染による多数の障害者や病者を生じ、関東一円が大混乱に陥ることになり、日本全体がかつてない状況になるだろう。
 こうした危険性をもつ核兵器の問題について、科学技術者はつねに本来は発言していく義務があるはずである。
 日本で初めてノーベル賞を受けた湯川秀樹博士は、そうした点では、今回の二人の姿勢とはまったく異なっていた。平和への願いを強く打ち出し、核兵器への反対をはっきりと表明し続けたのである。

 …湯川博士は一九五四年の水爆実験に激しい衝撃を受ける。そして翌年ラッセル=アインシュタイン宣言に署名し、そこで呼びかけた世界の科学者のカナダにおけるパグウォッシュ会議に参加、六二年から八一年にかけて四回の科学者京都会議を主催して、核兵器の全廃と戦争廃絶を訴えつづけた。さらに世界平和アピール七人委員会にも積極的に参加し、世界政府・世界連邦運動の熱心な推進者でもあった。(平凡社・世界大百科事典より)
 
 湯川氏は、科学者として、ただ研究だけしていればよいのだと思っていたが、原爆や水爆ができてからは重大な考え方の変化をもたらすことになったと次のように述べている。

 自然現象に関する最も基礎的な研究をする物理学者の間では、社会的な責任などということは考えず、ひたすら科学的真理のために真理を探求するのが、最も尊敬すべき態度だと認められてきたのである。
 実際、私自身も原子力の実用性が問題となるまではそれでよいと思っていた。
…ある学者が理論物理学を研究することと、他の多くの人々の生命や健康との間に、何のつながりもないように見えていた。しかしそれ以後、今日までの間に、私どもの考え方は変わらざるを得なくなった。…
 最も著しい例は、人間の日常生活と非常に縁の遠い研究だと思われていたアインシュタインの相対性理論が、あらゆる原子力の研究に共通する基本原理の一つであることがわかったことであろう。
…今や原子物理学者の研究は、間接的であるにしても、一人の医者の診察を受ける患者の数とは比較にならない多数の人々の命と関係を持ちうることになったのである。少し大げさに言えば、「人類の存続」とさえ関係を持ちうるようになったのである。…(「現代科学と人間」湯川秀樹著 101〜102Pより 岩波書店刊)

 今回の受賞者に限らず、ノーベル賞は最も注目される賞であるが、近年受賞した日本の科学者たちも、科学技術と平和、あるいは科学技術と人間の精神的進歩との関連などについての発言はなされていない。たんに専門の科学技術の領域についての発言に留まっている。
 科学技術がいかに進歩したところで、人間の精神面が進まなければ人間の滅びを促進するために用いられる可能性が大である。
 現代の世界の危機は核兵器によって最も鋭く実感されている。もし、アメリカとロシアのような二つの大国が核戦争を起こして、相互に核兵器で攻撃したときには、双方が最低一億人もの死者が生じると言われるから、負傷者、病人を合わせるとおびただしい人間に被害が生じることになる。また、爆撃の基地とか大陸間弾道弾を収めてある場所などへの限定した攻撃の場合でも、一千万単位での死者が双方に出るという。
 こうした恐るべき核戦争以外にも、原子力発電所への攻撃が行われて、爆発事故が生じるなら、あのチェルノブイリの原発事故でも想像できるように、その国に致命的な打撃を与えかねない事態が生じるであろう。
 こうした核兵器のもとは、原子物理学の研究にある。その原子に関わる物理学に関わって、有名な業績をあげた科学者の相当の人物が、ノーベルを受賞している。
 有名なキュリー夫妻、アインシュタインなどもそうした原子力物理学に多大の貢献をした人物であった。
 一九三二年のノーベル賞を受けたハイゼンベルクは第二次世界大戦中はドイツの原爆計画に参画していた。
 また、チャドウィックは一九三二年に中性子を発見した。この中性子を用いることによって今日の原子炉が作られたしこれによってプルトニウムが抽出され、それを用いて長崎に落とされた原爆が作られた。彼もまたノーベル物理学賞を受けた。チャドウィックは,第二次世界大戦中はアメリカのロス・アラモス研究所で原子兵器の研究に従事していた。
 また、ニールス・ボーアは原子の構造の解明に特に重要なはたらきをした物理学者で、一九二二年にノーベル物理学賞を受賞した。彼は優れた物理学者であって、世界から有能な物理学者が集まったが、日本の仁科芳雄もその一人であった。ボーアは一九四三年、第二次世界大戦のドイツ占領下のデンマークを脱出してアメリカに渡り、原子力計画(マンハッタン計画)に参加し、原爆開発計画に協力した。
 また、カール・アンダーソンはやはり一九三六年にノーベル物理学賞受賞して、原爆開発の責任者となるよう依頼されたが、断ったのであった。その代わりにやはり著名な物理学者であったオッペンハイマーが就任した。

 これらは一例であるが、当時の世界的な大物理学者というような人の多くが原爆につながる原子物理学者なのである。日本の湯川秀樹もやはり原子物理学者であった。こうした人々の天才的な頭脳とその研究によって残念なことに、人類最大の破壊兵器である、原水爆が作られる道が備えられていったのである。
 ノーベル賞の第一号の受賞者は、レントゲンである。彼は真空放電の研究をしていて、たまたま近くに置いてあった化学物質が蛍光を発しているのに気付いた。それが未知の目には感じないある放射線であることを発見し、そのゆえにX線と名付けた。(一八九六年)
 これが目に見えない放射線への関心を強くすることになり、そのころ、フランスの科学者ベクレルが、やはり目に見えないウランからの放射線に気付いたのであった。その正体を研究していくことによって、その放射線は、ウランという原子核が、壊れて別の原子になっていくときに放出されるのだということが判明した。そうした研究から原子核を人工的に壊す(分裂させる)ことへと進み、原子核の分裂という現象の本質がつぎつぎと明らかになっていった。そしておよそ五〇年後には、その究極的な産物が、ウランやプルトニウムという原子核の分裂を用いた原爆となってしまったのである。有名なキュリー夫妻の研究も、この放射線に関する研究であり、その結果、ラジウムやポロニウムという新しい元素の発見につながった。
 そういった意味では、キュリー夫妻も、原子物理学を耕す重要な科学者の一人であったから、原子爆弾へ道を備えた重要な人物の一人ということになる。夫妻は誠実な人たちであり、本人たちがそうした研究を始めたときには、未知の放射線へのひたむきな探求の心からなされたのであって、その研究が原爆のような恐るべき兵器につながっていくとは全く想像もしなかったのであるが、結果的にそのようになったのである。今日広く用いられている「放射能」という言葉を提唱したのもキュリー夫人であった。
 このように、今日の最も輝かしい賞であるノーベル賞の出発点が、X線という目には見えない放射線を発見したレントゲンに与えられることから出発し、そのすぐあとにやはりノーベル賞を受賞したベクレルがやはり放射線の研究からノーベル賞を受賞したこと、そしてその研究によって開かれた道は、およそ五〇年後の原子爆弾の製造へとまっすぐに進んでいったのであった。
 ノーベル賞という科学技術の最も栄光ある賞が、原子爆弾への道を最も備えた科学者に多く与えられたということになっているのである。
 このような歴史的な事実を前にして直ちに分かることは、科学技術が進んだとかノーベル賞を多く受賞したといって、単純に喜ぶことはできないということである。
 ノーベル賞を創設したノーベルの業績についてみても、彼が発明したダイナマイトに類する技術が単に土木や鉄道工事だけでなく、爆薬製造にも用いられ、戦争に用いられて数え切れない人々を殺傷することにもつながったのである。
 ノーベル自身は平和を愛した人であったと言われ、そうした状況を悲しんでノーベル賞を創設したといわれているが、彼が一八六六年頃にダイナマイトを発明してわずか七年ほどの後には、ヨーロッパを中心に十五もの爆薬工場を建設し、約三五五種もの特許をとり、それによって巨万の富を得た。そこでそれを用いてノーベル賞受賞者に賞金を与えることになったのであった。
 このように、今日では世界的な栄光のシンボルともなっているノーベル賞であるが、その賞が生まれた出発点のダイナマイト製造から原爆まで、戦争と深く関わることになってしまったのである。ことに最も脚光を浴びてきた物理学賞を受けた科学者たちは多くが原子爆弾への道を備える結果となってしまったのである。
 このように見ても、この世の賞というものが持つ大きな限界を見ることができる。
 主イエスが「人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。」(ルカ福音書一六・15)という、きびしい言葉を出されたのを思い出す。
 私たちはこの世で栄誉を受けるものが決して究極的な真理ではないということ、むしろ真理そのものをもっておられた主イエスが、この世の指導的な人たちから憎まれ、殺されてしまったほどであったことを思い起こす。
 その主イエスがいかなる真理を持っておられたのか、天地の創造主である神の究極的な真理とは何なのか、それは聖書にはっきりと記されている。聖書を表面的に読んだり、またはある一部だけを全体の、とくに新約聖書の光に照らさずに読むときにはまったく間違った結論を引き出すことがある。例えば、アメリカの黒人差別とか、戦争肯定などである。
 私たちは現在ますます武力や戦争を肯定する考え方がマスコミなどに増えている状況にあっていっそうそのようなこの世の流れに押し流されないような確たる土台に立っていることが求められているが、そのためには聖書を深く、正しく読むこと、そして祈りをもって読むことによって正しい土台が据えられていくことになる。


image002.gifことば

(148)真の聖職者
…いつの時代にも、またどの民族にも、自己と世界との縁を絶ち、自分自身のためにはなんの願望をも持たず、ひたすら正しい道で人を助けるためにのみ生きる幾多の人がいる。これこそ真の「聖職者」である。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」上 一月十五日の項より)

○この文章の前に、ヒルティは、ふつうは牧師などの聖職者は、教会のなんらかの聖職授与式などによって、資格が与えられるとされる。しかし、真の資格は「学んで得られるものでも、そうした授与式によっても与えられることはない。それはただ神の直接のゆるしによっているのであって、それは昔も今も変わりがない」と述べている。
 キリスト者は本来、すべてがそのような「聖職者」となるようにと呼び出された者だといえる。それは聖なる霊が与えられることによってそのように変えられる。聖職者とは聖書の用語でいえば、「祭司」であり、ルターに始まる宗教改革の中心にあったことの一つが、「万人祭司」ということであったが、それはすなわち「万人聖職者」ということになる。だれでも、主イエスが約束されたように、「求めよ、そうすれば聖霊が与えられる」。(ルカ福音書十一・10〜13) 真剣に求めることによって聖霊が与えられるゆえに、万人聖職者への道がみんなに開かれているといえる。

(149)より善くなるとき
他のある者は自分の田畑をより立派にしたときに喜び、また他のある者は、生まれより善くしたときに喜ぶように、私は毎日私自身がより善くなるのがわかる時に喜ぶ。(エピクテートス(*)「語録」第三巻五章より)
 何に喜びを感じるか、それによって私たちは自分の精神の成長を知ることができる。食物に喜び(快楽)を感じるのは、人間も他の動物にも共通している。人間は、財産や物、お金を増やして喜びを感じることもある。また、何かを学んで喜びや楽しみを感じるのは、人間の特質だといえよう。人から誉められたり、認められることも喜びになる。
 しかし、物はなくとも、食物も乏しくとも、また人から誉められたりしなくとも、単独でも喜びを感じることができる驚くべき世界が人には与えられている。それがここでいう、自分自身がより善くなることを喜ぶことである。
 聖書で約束されているように、私たちのうちに主イエス(神)が住んでくださるとき、その内なる主によって、直接に
「あなたの罪は赦された」とか
「恐れるな、私が共にいる」
などの静かな語りかけを感じるようになり、そのことで私たちは実際に自分が善くされたことを感じて喜ぶのである。 
 罪赦されることは、罪が清められることであり、確実に私たちは善くされたからである。
 また、恐れるなとの励ましで力を受けるとき、やはり私たちはこの世の悪に負けないで歩みを続けられるということで、たしかに善くされるからである。 このように、主からの語りかけを感じることは私たちを必ず善くする。それはその静かなみ声そのものが、私たちの魂を清め、新しい力をも与えてくれるからである。

(*)ローマのストア哲学者。(AD五五〜一三五年頃)奴隷の子として成長したが,向学心があったため,主人は当時の有名なストア哲学者のもとに弟子入りさせ,後に解放して自由人としてやった。真理への愛(哲学)を教えて生涯を終えた。生涯,著作を書かなかったが弟子が書き残した語録などがあり、それは後のローマ皇帝マルクス・アウレリウスに大きい影響を与えた。

(150)深く学べよ、そうすれば、あなた方は単なる批評家でありえなくなる。深く感ぜよ、そうすれば不平家ではなくなる。
 真理は謙遜であり、沈黙が必要である。宇宙は調和であり、騒がしいことを憎む。深く真理の泉に飲み、近く宇宙の琴線と触れて、われらは、軽薄であることはできなくなる。単なる批評家とか、不平家であるのは、その人が浅薄なる確証である。(内村鑑三「聖書の研究」一九〇三年)

○これは、すでに旧約聖書から、真理の泉に飲むものは、深く満たされるということを述べているがそのことである。「主は、私を緑の原に休ませ、憩いのみぎわに伴い、魂を生き返らせてくださる。」(詩篇二三編より)というのも、こうした深く満たしてくださる神の実感を表している。


image002.gif返舟だより

○「ことば」の欄に、ヒルティ著「眠れぬ夜のために」からしばしば用いているのは、それを各地の聖書をまなぶ家庭での集会において、聖書を学んだあとで、少しの時間をとって、大体はその日の一項目だけを読書会という形で短時間ですが、学んでいるからです。この書物は毎日の日付とともに短い文と聖書の引用などがあって、短時間しか充てられない場合には好都合なのです。聖書でわかりにくい内容であっても、ヒルティの著作であらたな理解が得られたりする方もあります。内村鑑三の著作は月に一度の読書会で学んでいるので、それも時々引用することがあります。
○来信より
…「はこ舟」を毎月拝読しております。
 お送りいただくようになって約一年になりますが、「はこ舟」を読むようになって(ホームページ含む)、聖書のこともさることながら草花や星々、野鳥などに興味を引かれるようになりました。今まではまったく気にも止めなかった家の周囲や職場(紡績工場)の中に咲く草花に目が引かれるようになり、名前を知りたくて図鑑を購入して調べたり、夜空の星を観察するために「星空ガイド」などを購入したりしています。
「はこ舟」十一月号を読んで明け方の空を見ると、本当に金星が美しい輝きを放っているのを見ることが出来ました。
 また、木星は昨年の今ごろは、夜オリオン座の近くに見られたのに今年は朝方に金星と一緒に見られるんですね。今の時期は星々がいちばんきれいに見ることが出来ます。(九州の読者から)
2003/1
2003/1