日は昇る 2004/12 今日も夜明けの太陽を見た。毎日闇を貫いて現れる。いつも同じように光に満ちたその姿、もうどれほど目にしてきたことだろう。しかし見飽きることがない。 夜明けとともに一面にひろがっていく青い空。その大空もいつも私たちの頭上にある。その青い色も見飽きることがない。神の直接の宇宙的なわざに触れるとき、神ご自身が私たちの心に触れるためにつねに新しく心が動かされる。 聖書の言葉も何十年と同じ言葉を読んでもあらたな気持で受けとることができる。その言葉の背後から神が私たちに語りかけてくるとき、どんなに同じ言葉であっても飽きることもなく、新たな励ましや力が与えられる。 「ああ、幸いだ。悲しむ者は!彼等は(神からの)慰めを受けるからである。」この主イエスの一言はどんなに深い悲しみ、絶望的な悲しみであっても、そこに神からの慰めが注がれるとき、立ち上がることができる神秘な力を指し示している。 私たちの心の世界にも神という太陽が昇ってくる。そして常にその光は私たちに注がれている。 しかし、太陽もときには雲のためにさえぎられて見えないこともあるように、内なる太陽もまた、私たちの心の思いにさえぎられて昇ってくるのがわからなくなってしまうこともある。 けれども、雲が晴れるのを待ち続ける者には必ず再び私たちのうちに太陽が昇ってくる。 成長させる力 山の樹林のなかを歩く。谷には水が流れている。周りには至るところでさまざまの植物が生えている。光の当たらないところにも小さな苔、シダのなかま、また草木の小さな芽があちこちに生えている。岩のすきま、道端、山肌のどこであってもさまざまの植物が生え、成長している。 そこにはとどまることなく、成長させようとするある力がかんじられる。 枯れた葉もそれが微生物によって腐敗し、大地にその成分が溶けていき、新たな植物のための養分となっていく。 朽ち果てたもの、枯れ葉、昆虫など動物の朽ち果てたものも何もかもがまた新たな生命を養うものと変わっていく。 この世界は、そのようにして新しい命へとうながし、成長させていく力で満ちている。 目に見えない世界においても、同じような命へと導くもので満ちている。私たちの周りの自然のさまざまの風物はたいていどれもが、私たちを成長させようとするうながしであり、命へと導こうとするものである。 小鳥のさえずりも、それは単に小鳥同士の呼び掛けにとどまらず、人間に向かっての神の形をかえた語りかけだと感じられる。 樹木のさまざまの形もそれ自体が、人間への無言の語りかけである。そして力をも与えようとしている。 表面的にみると、人間もつぎつぎと死んでいくし、環境もしだいに悪くなっていくので、この世のものは死へと向かっていると思われがちである。 しかし、神はその死を越えて、命へと向かわせようとされているのである。 聖書に記されているように、肉体の死の後に復活のいのちが与えられるという約束、さらに神のいのちにあふれた新しい天と地が与えられるという約束はそのような目に見えない成長、永遠へと向かう限りのない成長を指し示している。 私たちに与えられるもの 聖書には、簡潔に神の本質を表している言葉がいろいろある。 神は愛である。(ヨハネ第一の手紙四・16) これはその中でもとくによく知られたものである。そしてこれは二千年の間、どれほど多く引用され、どれほど多くの人の心を動かしてきたことだろう。 しかし、これはさらに別の真理をも指し示している。神は愛なら、神の最もよい御性質を私たちに分かち与えて下さるであろう。愛とは、最も大切なものを分かとうとするからである。神は愛だからこそ、最も大切な一人子を私たちのために与えて下さった、十字架に付けることで、私たちの罪の罰を身代わりに受けて赦して下さった。 それゆえに、神は愛なら、その愛自体を私たちに与えようとして下さる。そして最終的に、私たち自身が愛でありうるように導いて下さる。 「神は愛である」ならば、究極的には「人は愛である」と言えるように導いて下さる。 また、神は光である。 主イエスも次のように言われた。 「わたしは世の光である。」 (ヨハネ福音書八・12) とすれば、私たちにもその光を分かち与えて下さるであろうことが、予想できる。 そして確かに、主イエスは言われた。 わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。(ヨハネ八・12) それゆえ、「神は光である」とともに、「人も光である」と言えるようにならせて頂けるというのであり、だからこそ、主イエスは「あなた方は世の光である」(マタイ五・14)と言われたのであった。 さらに、神は不滅の栄光をもっている。それゆえ私たちにもそれを分かち与えて下さる。 わたしたちは皆…、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく。(Uコリント三・18) 罪にまみれ、愛も正義もきわめて弱い程度にしかできていない者であり、たえずつまずいたり、自分中心となったりしてしまう者であるにもかかわらず、そのような人間が、驚くべきことに、主と同じ姿に造りかえられていくという。主は神と同じ姿となっておられるゆえ、私たちは神と同じすがたに造り変えられていくということが言われている。 神は栄光に満ちた存在である、そして私たちもまたそのような栄光に満ちた存在と変えて下さるということになる。 また、罪の赦しということは、旧約聖書以来ずっとただ神だけが赦しの力を持つということは明確に言われている。しかし、ヨハネ福音書には、驚くべきことに、キリストと深く結びついた魂には、罪の赦しの権威すら与えられると言われている。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。 (ヨハネ二〇・23) また、神は永遠である。人は草のように枯れる、と言われている。 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。(イザヤ書四十・7) しかし、新約聖書の時代になってから、そのようなはかない存在である人間に永遠の命が与えられて、死んでも死なない存在になると約束されている。 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。(ヨハネ五・24) イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ十一・25〜26) このように、人間のはかなさや汚れ、あるいは弱さにもかかわらず、キリストが地上に来られてからは、その取るに足らぬ人間に絶大な賜物が与えられることが約束されている。この世は自然のままでは、次第に持っているものが失われていく。若さ、力、健康、家族、職業、友人等々年齢と共に次々と失われていく。 それはもの悲しく憂いをもたらすものである。 キリストはそうしたあらゆる悲しみや闇に打ち勝って変えていくことを約束して下さっている。聖書はなぜ偉大なのか、キリストはなぜ永遠に続くのか、それは枯れ草のように、あるいは土くれになってしまうものでしかない人間に無限の賜物、神だけが持っていたような数々のよきものを下さるからである。 たしかに新約聖書では、人間にあらゆる良きものを与えて下さるということが記されている。 …すべては、あなたがたのものである。…世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのものである。(Tコリント三・21〜22) こうした箇所はあまりに内容が私たちの予想を越えているために話題にすらならないことが多い。キリスト教というと、何となく押しつけがましい教えだ、実行もできないような教えを持ち出されるなどといってそのような教えがキリスト教だと思っている人が多い。しかし、そのような単なる教えでどうして人間の深い魂の飢え渇きが満たされようか。 キリストを信じることにより、限りなく与えられるゆえにそこから離れようとはしなくなるのである。私自身の経験から照らしても、信じてまず与えられたのは、罪の赦しであった。それまでの憂うつな重い心が軽くなったことである。そこから今日までどれほど多くのものが与えられてきたことであろう。 キリスト教といわれる信仰は、このように、あらゆるよきものをただ、キリストを信じてその言葉に従っていく願いを持っているだけで与えられるという深い内容を持っている。たしかに長くキリストを信じて生き抜いた人ほど、このように次々と与えられていくのがキリスト者としての生活だと実感できるようになる。 …わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒に万物をわたしたちに賜らないはずがあろうか。(ローマ八・32) 導きの星 十二月はクリスマスと結びついた月である。クリスマス(*)とは、キリストへの礼拝の日であり、二千年あまり昔に、キリストが地上に来られたことを記念し、さらに現在の私たちのところにも来て下さっていることを感謝し、さらに現在の世界のあらゆるところにキリストが来て下さるようにと祈り願う日である。 このような本来の意味においては、キリストが来て下さることを祈り願うことはキリスト者の絶えざる祈りであるので、十二月だけでなく、一年を通して、クリスマス(キリストへの礼拝)の意義は生きていることになる。 主よ、来てください!という願いが実は、クリスマスの中心にあるのであって、単に過去にイエスが生れたことをお祝いするのではない。どんな人間が過去に生れてもそれが現在の私たちに直接にかかわっていないなら、それを祝ったところで大した意味もない。クリスマスが現在の私たちにとっても、大きな意義を持つのは、イエスが家畜小屋で生れたということは、現在の私たちの最もくらいところ、汚れたところ、人が目をそむけようとするところにもイエスは生れて下さるということである。 さらにこの、「主よ、来てください!」という願いは、旧約聖書の預言書からはじまって、新約聖書全体を貫いているきわめて重要な願いとなっている。 こうした願いはクリスマスの讃美歌にも表されている。 久しく待ちにし 主よ疾く来りて み民の縄目を 解き放ち給え 主よ主よ み民を 救わせ給えや 明日の星なる 主よ疾く来りて お暗きこの世に 御光を賜え 主よ主よ み民を救わせ給えや (讃美歌九四番より) この讃美歌は、中世から歌いつがれてきた讃美であって今から千年も前から歌われてきた。それは単にイエスの誕生を祝うというのでなく、今、来てください、はやく来てください!という切実な願いであり、祈りである。 こうした祈りと願いは、聖書の一番最後の黙示録の最後の部分にも現れている。 主よ、来てください!(マラナ・タ) がそれである。 (*)英語では、Christmas と表記し、 クリスト(キリスト)のマス(英語で mass ミサ)という意味。ミサという語は、プロテスタントでは使わないで、礼拝というので、クリスマスとは、キリストへの礼拝 というのが、その語の表している意味と言える。 キリストの誕生のことは、二つの福音書で見ることができる。家畜小屋で生れたこと、羊飼いたちに初めて知らされたことなどはルカ福音書に記されている。 それともう一つの記事は、マタイ福音書にあるもので、東方の博士たち(*)が不思議な輝きの星を見て、はるか千キロを越えるところからやってきたのが記されている。星に導かれるという非現実的に見えることが実はさまざまのことを暗示しているのである。ここでは導きについて考えてみたい。 (*)原語は、マゴイ(magoi) で、magos の複数形となっていて、ここでは特に星のことについて研究している人であったと考えられるので、新共同訳では、「占星術の学者」と訳されている。口語訳、外国語訳では、英語訳は多数が、「賢者」wise men と訳しており、一部が 原語をそのまま採用した、magi を用いている。ドイツ語訳でも、同様で「賢者」die Weisen の訳が多数であるが、新しい訳である Einheits Ersetsung では、「占星術師」Sterndeuter と訳してある。 私たちは、はじめは親によって導かれて生きる。自分自身では何もできない。起き上がることはもちろん、立つことも歩くことも、考えることもできない。自分で食べものを獲得することもできない。親がすべてを導いていく。何をしたら危険であるか、どんなところがよいか、食べ物は何がいいのか、また保育園とか幼稚園、学校に行くことも自分で判断して入園とかの手続きをするなどという幼児はいない。すべて親またはそれに代わる大人によって導かれていく。 それからだいぶ年齢が大きくなると、今度は自分の考えで行動したり、親以外の友達や先生の考えによって導かれるようになる。 そしていろいろの遊びや世の中のこと、また昔の歴史や科学の知識、文学や社会の知識を得るようになる。さらにもっと成長するといっそう自分の考えがしっかりしてきて、他人の導きでなく自分の考えで生きようとするようになる。 そしてこのことの重要性は繰り返し言われる。自分で考えて行動しなさい、と。それは当然のことで、他人の考えのままに動かされて生きるのであれば、それはロボットのようなものであり、あやつり人形のようなものである。人間と動物との根本的な違いの一つは、考えることができるということであり、それゆえにこの自分で考えて生きるということが重要視されるのである。 しかし、このことは果たして人間の最終的なあり方であろうか。数々の頭脳の優秀な人間たちであっても、時と状況によってはいとも簡単に他人の考えに動かされてしまうことを私たちは周囲の出来事や歴史上の事実によって思い知らされている。 例えば、ある自動車会社が本来は届けねばならない技術上でのミスを隠し、それを会社の方針としたために、それがもとで重大事故が次々と生じ、その結果そうした隠蔽の事実が発覚して会社に甚大な被害をもたらすことになった。これも一部の人が考えたことに、その他の会社の首脳陣も盲従してしまったのであって、自分で考えることをしなかったためである。 さらに、今から六〇年余り以前には、一部の人が天皇を現人神だと強調し、それを利用して、アジア各地への侵略戦争へと駆り立てていった。全く間違った戦争であったのに、それをこともあろうに聖戦だと主張し、数々の中国などの人々を殺したり傷つけたりしたことを、最大の喜ばしいことであると、学校教育でも指導するという、驚くべき間違いがなされていた。 これも、政治家や軍人、そして学者や国民たちがみんな自分で考えることをせずに、一部の人たちが主張することをそのまま信じていったからであった。とくに大多数の国民には真実が知らされず、上層部の人たちが、偽りを発表し、それをマスコミも伝え、国民も欺かれていった。 いずれにしても、いかに人間は自分の考えに従うといっても、それが頼りにならないか、もろいかをはっきりと示すことになった。 このような歴史的な大きな出来事でなくとも、私たちの身の回りの至る所で自分の考えでなされていないのを見聞きすることができる。自分の考えと思っていたことが、実はそれは他人の考え、他人が書いた新聞や雑誌、あるいはテレビなどの意見や考えをそのまま信じ込んでいるにすぎないことが多い。 また、いかにしても、自分で考えて証拠をつかむとかできないようなこともたくさんある。 例えば、科学技術に関する知識など、ほとんどはだれもが自分で考えて、その証拠をつかむことはできない。地球がまわっているとか、月も地球と同じような物質でできていると言われてもそれをほとんどの人は自分の考えで確証することはできない。だからこそ、人類が始まって以来、何千年もそのことはいかなる天才も気付かなかったのであり、ようやく技術的なことが進んで、望遠鏡の制作と観察の技術などがすすんだために、月や天体も地球と同じような物質であろうと推測されるようになったのである。 すべての緑色植物の葉で行なわれている極めて重要な化学反応である、光合成についても同様である。普通の温度で、しかも小さな葉のなかで、本来なら広大な科学工場でもできないような複雑多様な化学反応が行なわれているということも、個人の力でそれを考えて見出すなどということはできないことで、そのしくみが判明したのも、多数の科学者たちの研究の積み重ねがあったからである。そしてそのようなことは個人の考察では到底できないことである。 このような例にとどまらず、私たちの科学技術や歴史、あるいはその他の知識など、自分の考えだけで確証するなどということはたいていできないことである。特別に能力のある人が考え、実験し証拠を積み重ねていって初めて判明していったからである。 このように、人間はどんなに自分の考えで判断するなどと言ってもその考えるもとになる事実はどこから得たかというところまでさかのぼっていくとたいてい、他人の考えた結果によっている。 このように考えていくと、いかに私たちは、自分の考えや人間の考えで生きていくことができないかを知らされるのである。 これは、人間の生き方の領域についても同様である。私たちがどんなに考えても、明日のことすら分からないのである。明日も多くの人たちが交通事故などで命を落とすだろうし、突然予想もしていなかったガンの末期だと宣告されて非常なショックを受ける人もいるであろう。しかし今日はそのようなことをだれも予想できないのである。 自分が正しいと信じてやっていることがどのような結果を招くかも分からない。何が、一番大切なのかということも、自分で考えてもしばしば間違っている。 このように、人間は自分の考えで生きようとしても、とても確固たる歩みはできない。職業や結婚にしても、いくら自分の考えで好きな人と結婚したらいいと思っても、実際に結婚したら、たちまち相手の本当の性質が分かっていなかったと思い知らされて、まもなく離婚するといった人も多い。 このように、自分の考えで生きなさい、と言われてそのように試みたとしても、とても自分の考えだけでは生きていけないし、間違ってしまうということに気付いてくる。 そうなると、私たちは一体どうしたら間違わない生き方ができるのだろうかと疑問になる人もいるだろう。 そこから私たちは人間を超えた存在によって導かれる必要が生じてくる。 意志の強いしっかりした人は、自分の力で生きてきたというように言うことが多い。自分で判断し、自分で選びとり、自分で耐え忍び、道を切り開いてきたというのである。 たしかにそのような人もいるだろう。しかし、その人は、自分で考えるということ自体が、他の無数の人々の考えたことや、考え方を知らずしらずのうちに用いているのであって、それらに導かれてきたのである。 そして考えるもとになっている、知識、書物、人間関係、また世界の状況などもすべて自分で獲得したというが、それらの知識も本などから導かれて知るようになったということなのである。 聖書に現れる信仰の人々は、私たちの得ることすべては、神から来るということを確信していた。 それゆえに、聖書は一貫して自分の考えとか意志で生きることの空しさと、その限界を強調し、人間が本当に生きる道は、神のご意志に従って生きること、神に導かれることを強調している。聖書で記されてている神こそは、いかなる汚れも、またその限界も持たない永遠の真理だからである。 キリストの誕生のときに、星が昇り、それによって新しい王が生れたと確信した博士たちが、はるばると千qを越える遠いところから砂漠地帯を越えてやってきた。そしてエルサレムに到着したがどこで生れたのか分からないので、人々に尋ねたところ聖書学者たちからベツレヘムで生れると預言されていたことを知らされる。 彼等は当時の王、ヘロデにも会った。その王は、新しく生れた王に会うことができたら自分に知らせてくれ、拝みに行くと言った。しかし、それはその赤子の命をねらう目的があったからである。 王のところを出たとき、驚くべきことに東方で見た星が再び現れて博士たちを導き、イエスの生れたところでその星はとどまった。それを見て長い命がけの旅がようやく終り、新しい王として生れた方に会えるとの大いなる喜びが博士たちを満たした。 この喜びは、マタイ福音書では特別に強調されている。原文のギリシャ語の表現をほぼそのまま訳したつぎの英語訳でもそれがうかがえる。 When they saw the star, they rejoiced exceedingly with great joy.(Revised Standard Version) (直訳すると、「彼等が星を見たとき、彼等は、非常な喜びをもって、この上もなく喜んだ」。) このような特別な表現はほかの聖書の箇所でも見られないものであって、この福音書の著者がいかに喜びが大いなるものであったかを特別に強調したかったのがうかがえる。それはその著者の背後にあって導いた神のご意志でもあった。 すなわち、星に導かれ、イエスに出会うということが最大の喜びなのだと言おうとしているのである。 しかし、たいていの人はこのような記事を見てただちにこんな昔話のようなことは到底信じられない。単なる子供向けの話だろうなどと思ってしまう。 そのような読み方しかしないで聖書の深い意味をさぐろうともしないのが一般的である。 しかし、神は万能の神であるゆえに、万能ということをそのまま信じるときにはこのようなことも当然可能だと信じることができる。そんなことはあり得ないというのは、神を信じるといいながら万能の神を信じていないからである。天地宇宙を創造した神、現在もその天地宇宙を支配しておられる神、万有引力の法則とか数知れない科学上の法則などもすべて創造された神が、奇跡的なことを起こせないなどというのは、人間の狭い判断で神をそうした万能の神だと信じないで、人間の理性とか科学的な思考という狭い枠内にはめ込んでしまうからである。私たちの周囲では現在はそのようなことは見られない。だから過去にもそんなことはなかった、あり得ないというのは人間の判断や考えを神という無限の存在にあてはめるという間違いをしているのである。 私自身もずっと以前にこの箇所を初めて読んだときには、単に昔の不思議な話が書いてあるという感じだけで、現在の自分に何の関係もない特殊な記事だと思っていた。 しかし、今は、私はたしかに聖書にある奇跡はそのようなことが生じたのだと信じている。万能の神を信じるなら、それは論理的に必然のことである。 聖書に書いてあるとおりの奇跡はたしかに極めて稀であろう。しかし、その奇跡で言われている本質的なことは、本来だれにでも生じることなのである。 聖書での奇跡はそうした内容と目的があって記されている。 導きの星についても、それはあり得ないことでは決してない。私自身そのような導きの星によってイエスに出会ったのである。私にとってはその星にあたるものは、一冊の本であった。その中のごくわずかの言葉であった。それが私をキリストのもとに連れていってくれたのである。暗闇のなかに突然輝いた星であった。 そしてその導きの星(一冊の本)の背後には神がおられ、神がその著者をも導いてその本を書かせたのであった。 現在信仰を与えられている人たちも同様で、だれかによって、あるいはある出来事とかの際にイエスと出会ったのである。それは私のように書物や印刷物、チラシなどであったり、両親や兄弟の誰かであったり、また友人知人であったりする。それらはみんな一種の導きの星として用いられたと言えよう。 神は太陽のように誰にでもその光を投げかけておられるし、雨のように善人にも悪人にもその愛を注いでおられると主イエスは言われたのであるから、導きの星も同様に、だれの上にでも輝いていると言えよう。 しかし、太陽の光や夜空の星を感謝をもって心開いて受け止める人が少ないように、私たちの上に輝く導きの星を知らずに光なき地上ばかり見てさまよっているのが人間の多くの姿ではないだろうか。 私たちが聖書に記されている愛と真実な神、正義そのものである万能の神の導きを受けないならば、別のものが人間を引っ張っていこうとする。 それはたいていの場合、特定の人間である。人間はさまざまの弱さをもっている。その最たるものは自分中心の本質である。それゆえ人間を導き手とするとき、どうしてもその人間の自分中心的な考えにも巻き込まれることになり、いつも正しい道へと導かれるとは限らない。人間はどんなに注意していても、この自分中心性という本能的なものから完全に脱却することは困難である。水も食物もとらないでいれば飢えと渇きが襲ってくる。そのときには必死で飢え、渇きを満たそうとする。それはまさに自分中心となることであるし、病気や怪我の痛みが心身を圧倒するときにはその痛みに耐えることで疲れ果てるし、何とかしてその痛みから逃れたいという切実な願いでいっぱいになる。それもまた自分中心となることである。このように、いかに善い人であっても、他者中心に生きようとしている人であっても、それは時と状況によってたちまちくつがえされる弱さをもっている。新約聖書にもキリストの最も重要な弟子の一人として現れるペテロが、キリストが捕らわれる直前までは、命をかけてイエスを守ると確言していたのに、実際にイエスがユダの裏切りによって多くの兵士たちによって捕らわれていくとき、三度もイエスなど知らないといって否定したのであった。 人間は自分がどれほど自分中心になってしまうか、自分でも分からないのである。 そのような人間に頼っていると、ときには大きな災いをもたらすことになる場合がある。それは、オウム真理教のような新興宗教を見れば分かることであり、間違った人間の導きに委ねることは、自分だけでなく他人にも最も不幸なことになる。現在はインタ−ネットやさまざまのよくない雑誌や印刷物その他によって、かつてよりはるかに間違ったものに引き寄せられる危険性が多くなっている。そのような時代だからこそ、いっそう決して間違ったところには行かないで、究極的な真実な世界(神の国)へと導かれることが願われる。それこそ、聖書の導きであり、聖書が指し示すもの、あるいは聖書に記されているキリストの光を受けている人が指し示すものに導かれることである。 導きに委ねるまえに、神からの語りかけがなされる。それは今から三千五百年以上も昔のアブラハムにおいて特にはっきりとなされた。 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたは祝福の基となる。(創世記十二・1〜2より) このようにして、アブラハムに呼びかけた。その呼び掛けを受けて、アブラハムは神の導きを信じて出発した。それは主イエスの誕生のときに、東方で星を見たと言って、未知のはるかな目的地へと旅立った博士たちと同様である。彼等に現れた星は、アブラハムに「指し示す地に行け」と命じた神と同じような働きかけをしたのであった。 聖書に現れる人々はすでに触れたように、この二つのこと、神からの個人的な呼び掛けを受けることと、それを信じて受けて神の導きに委ねて行動するということが特質となっている。 旧約聖書では最も重要な人物である、モーセも同様である。彼は自分で同胞を助けようとしてまったくそれができないことを思い知らされ、命がけで遠くへと逃げていった。そこで結婚もして羊飼いをしていたが、そこに神からの呼び掛けがあった。 それは「エジプトへ行ってイスラエルの人たちを救い出せ」という命令であった。その呼び掛けに対して、はじめはどうしてもそのような困難なことを受け入れることはできなかったが、ついに神からの命令を受けて、その後は神の導きに委ねて生きることになった。 権力、武力、兵力など何も持たず、ただ神への信仰と神の言葉、そして全面的に神に委ね、神の導きに委ねるという神への信頼だけがモーセのもっているものであった。 それだけをしっかりと持っていたのである。その後、数々の危険に満ちた旅路を神の導きによって四十年もの間、砂漠地帯を生きたのであった。しかし、その行程は困難に満ち、せっかく助け出した人々から感謝されるどころか、砂漠での生活のきびしさに耐えかねて、人々はモーセを激しく憎み、殺そうとまでしたこともあった。 孤独の耐えがたい思い、心の休まるときもない厳しい砂漠の生活と、信仰のない人々からの敵視という、生きてはいけないような困難のなかで、神はモーセを導かれた。 …主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も進むことができた。(出エジプト記十三・21) 雲の柱、火の柱によって導かれたという。この奇跡的なことも、象徴的な意味においてやはり現在の私たちにも生じることであって、決してモーセというはるかな古代の人物だけに生じたことではない。 私たちが本当に神を信じてそのために安楽を捨ててまで神の導きに委ねていくとき、そこには不思議な守りと支えが与えられるということなのである。 そしてそのような導きの途中において、神の律法(神の言葉)を直接に神から受けて、それを人々に伝え、それが旧約聖書の母体となり、新約聖書にもその基本的な精神が流れて行って三千年以上も世界中の人々に絶大な影響を与えることになったのである。 これを見ても神の声に聞いて、それに従っていくこと、神の導きによって歩むことがいかに大きいものをもたらすかが分かる。 旧約聖書からすでに神は単に存在しているのでなく、あたかも限りなく深い愛をもった方として、私たちの一人一人を導いて下さるお方だと言われている。旧約聖書で最も親しまれている詩編二三編の冒頭で、「主はわが牧者である。私には欠けることがない。」と言われているのもそれを指している。 神は単に存在しているのでもなく、また○○せよ、といって命令したり裁いたりするだけのお方でもない。最善のものを与えて下さる存在であり、どのような暗い状況に置かれてもなお、私たちの導きの星となって下さるお方である。 主イエスは「良き羊飼い」と言われている。羊飼いとは羊を導く者であるゆえ、主イエスは信徒たちを強く導く存在だと言える。この世で最も大いなる導き手とは、だれか。それは主イエスにほかならない。 靖国神社について 中国や韓国との交流のうえで重要な問題となっているのが、靖国神社への首相の参拝問題である。なぜ、多くの神社があるのに、靖国神社への参拝が問題になるのか、そのために靖国神社とはどういう神社なのかを考えてみたい。 この神社はできてからまだ百数十年しかならない新しいものである。その起源は、江戸時代の終りころ(一八六二年)、京都で安政の大獄以来、権力者の弾圧によって死んだ人たちの霊を祭ったことに始まる。 その後まもなく江戸時代は終り、明治となってすぐ(一八六九年)、それは東京九段の地に、東京招魂社となった。この招魂という名称は、戦死した魂を神社に招いてそこに神としてまつるということであるが、こういうことが国家の中心的なことの一つとしてなされたということに驚かされる。死者の魂を動物を招きよせるように自分かってにすきな場所に招いたりできるなどということは本来ありえないうえに、それを神としてまつるということで二重に不可解なものになっている。 この招魂社は十年ほど後(一八七九年)になって靖国神社と改称した。そこには、安静の大獄(一八五八年)以来の戦死者二百四十六万人を神として祭ってある。(*) (*)靖国神社で神として祭られている内訳は、主なものをあげると、明治維新前後の内乱 七七五一名、西南戦争など 六九七一名、日清戦争 一万三六一九名、日露戦争 八万八四二九名、満州事変など 一万七一六一名、日中戦争 一八万八一九六名、太平洋戦争 二一二万三一九九名などとなっている。 このようにこの靖国神社というのは、戦死した人を無制限に神として加えていくというおよそ世界にも類の無いものである。戦争で相手国の無実な人々を多数虐殺したような人々もみな神として拝まれる対象になっている宗教施設などというのは不可解きわまりないものなのである。 これはなにが人間として大切なことであるかという道徳的感覚を破壊するようなことである。 靖国神社の問題は、中国や韓国などが不満をつのらせ、批判をするから問題なのでなく、このようにおよそ崇拝したり神とまつるべきものでない人間を神と祭って拝むというその出発点からして問題なのである。 しかも、とにかく戦争で死んだ兵士なら悪人でも誰でも、現人神とされた最高の地位にあった天皇が礼拝して下さるのだ、だから、天皇のため、お国のために戦死することはこのうえなくありがたいことなのだ、ということになる。 キリスト教ではその教典たる聖書のはじめのほうですでに、唯一の神以外のものを神としてはいけない、拝んではいけない、と記されている。(*) これは、究極的な真実や正義、そして愛を持っておられる神以外のものを一番大切なものだとしてはいけないということである。 こうしたあり方と比べるとき、靖国神社が戦争にかかわった軍人なら何人でも神にしてしまうという特異性が際立ってくる。 (*)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。(出エジプト記二十・3〜5より) 戦前の国定教科書(修身)にはつぎのように靖国神社のことが記されていた。 靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社には君(天皇)のため、国のために死んだ人々をまつってあります。春と秋の祭日には、勅使をつかわされ、臨時大祭には、天皇皇后両陛下の行幸啓(**)になることもございます。 君のため国のためにつくした日々をかやうに社に祭り、またていねいな祭りをするのは、天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御めぐみの深いことを思ひ、ここにまつってある人々にならって、君のため国のためにつくさなければなりません。 (**)行幸とは、天皇の外出、行啓とは皇后や皇太子が外出することで行幸啓はそれら二つを意味しており、ここでは天皇皇后が靖国神社に参拝に行くということ。 このようにして、教育の方面からも靖国神社が特別に重要なもので、天皇のため国のために戦争に勝利することへと子供を教え込むという方針が見て取れる。 靖国神社は別格官幣社(臣下をまつる最高の神社)であり、天皇が参拝する特別の神社となった。 驚くべきことだが、一般の数え切れないほど多い神社は内務省所管であるのに、靖国神社だけは陸軍海軍省の所管となり、守衛に憲兵がついていた。 しかも宮司(最高の神官)は陸軍大将であり、運営費は陸軍省から出て、さい銭は陸軍省に入っていた。すなわち靖国神社は宗教施設であると同時に、軍事施設なのであった。 一九七八年十月には、A級戦犯十四名をひそかに英霊と称し、神として祭ったのである。 何も悪いことをしていないアジアの人々を日本軍が侵入していき、そこで戦闘を始め、おびただしい人々が死んでいった。その戦争を引っ張っていった人々を英霊とし、神としてまつってそこに国家の政治の中心になる大臣たちが、拝みにいくということは、太平洋戦争そのものを肯定することであり、日本軍が中国、東南アジア一帯で殺傷した数千万という人々への責任を何と考えているのであろうか。 六十年あまりまえの太平洋戦争において靖国神社はどんな役割をはたしたであろうか。 戦争が始まると一般の人々にとっては、家庭の働きの中心である男たちを失う。死んだり、半身不随となったり生涯仕事ができなくなったりする。そのため戦争がひどくなると、戦争への激しい反対運動が生まれることが多い。 そうした反対が広がると戦争を遂行してきた政府は倒れたりする。そのために、政府はその戦争を反対する人たちを封じ込めるために、靖国神社を利用していったのである。戦争で殺された家族の悲しみ、怒りと不満に対して、靖国神社に祭られるということは、天皇からの一種のほうびであり、恩恵なのだということになった。そして天皇が靖国神社にいるあなたの夫やお父さんを神としてお参りしてくれるのだといって、怒るどころか、感謝すら要求される事態となったのである。 こうして靖国神社は戦争反対の心情を根元から打ち砕く一種の軍事装置として造られた。だからこそ、靖国神社は陸軍省の所管となり、膨大なさい銭も陸軍の収入となっていたのであった。 各都道府県にも、靖国神社と同様な宗教施設が作られていた。それが、護国神社である。これは、靖国神社を全国に小分けしたものなのである。 このように、靖国神社とは、戦前のあの大きな過ちである侵略戦争を実行していくための精神的な推進役をになっていたのであって、積極的に戦争に関わって大きな罪を犯したと言えるのである。それゆえ、そのような神社に日本の政治を担う大臣、さらに国を代表する首相が参拝に行くということは、かつての戦争を何等反省していないばかりか、かつての戦争を肯定することになりかねない。 また、日本の国のために死んだ人々というが、多くの兵士たちは政府や一部の軍人たちの判断によって心ならずも戦争に行かされたのであり、太平洋戦争などそれが侵略戦争という悪事に加担することであることも知らされずに、聖戦だとされて戦場に赴いたのであった。多くの兵士たちはその犠牲者であり、また日本の国内にあって、必死に働いてそうした軍人を支えた国民も同じく戦争の本質を知らずに支えていたのであった。 また、次のようなことはとくに軍人と一般の人との扱いの差別をはっきりと示すものである。 一九四三年に台湾への定期航路の高千穂丸がアメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈没、多くの死者をだした。そのとき、学年末の休暇で台湾の親のところに帰省する陸軍幼年学校の生徒もいた。靖国神社にはこれら生徒たちだけが祭られ、一般の乗客は除外されたのである。 あるいは、太平洋戦争末期に、太平洋に面した兵器工場がアメリカ海軍の艦砲射撃を受けて多くの死傷者が出た。そのときも、同じような死に方をしたのに、軍人の死者だけが靖国神社に祭られ、遺族にも政府から年金が出されるようになった。 このように靖国神社はとくに直接に戦争にかかわった兵士、軍人たちが特別扱いされる施設なのである。それは戦争という最大の悲劇であり、また大量殺人という最大の悪事を覆い隠すための手段として使われたからである。戦死した人を神にまでまつりあげ、英霊と称して学校教育でも一般社会でも最高の栄誉のように扱うことで、戦死という悲劇をなにかたいへんありがたいことのように錯覚させていく手段となったのである。 そのような靖国神社は、戦争を推進していった施設なのであり、平和を祈るとかいう場所では到底あり得ない。にもかかわらず、日本の首相はそこで平和の祈りをすると称している。 また、戦死軍人を次々と数百万もの神々として祭るということは、それらの戦争をじっさいに行なった人たちを神として敬うということになるが、それは朝鮮半島の人たちや、中国、東南アジアなどで殺害されたり傷つけられたおびただしい人々から見れば、それは自分たちを殺したりした人を神として敬っているという実に不可解な行動をしていることになる。 平和の祈りをするというのなら、最も悲惨な被害を受けた広島や沖縄の平和記念(祈念)公園などでするのがその願いにふさわしいものとなる。 もし何らかの施設を造るのなら、戦死した軍人を神として拝むのでも、戦死者をたたえるのでもなく、平和そのものを祈り願うような祈念施設が望ましい。 ただし、もしそのような施設をいくら造っても、日本人の心が変わらなければそれは、記念式のような形式的な行事をするだけになってしまうだろう。 究極的には、日本人一人一人の心が敵をつくったり、武力攻撃をしようと考えず、あくまで良きことを相手の国に対しても行い、平和的な話し合いによって平和を造り出そうとすることが重要になる。そしてそのためには、歴史の長い流れのなかで、平和に関しても究極的な真理を指し示しているキリストを受け入れることこそあらゆる状況にある人間や国のとるべき道なのである。 ことば (201)泉のような祈り 彼は全く打ちのめされたのではなかった。 彼の堅固な心が彼を支えた。 そして絶えることのない祈りが 彼の魂をいのちあるものとした。 その祈りは、心の内部の いのちの源から湧きだしてくるものであったし、 さらにそれは辛い世の中をも つらぬき溢れてやまない祈りであった。 それは、あたかも海のただ中に湧き出る 真清水の泉のようであった。(「イノック・アーデン」795〜800行 テニソン作) He was not all unhappy. His resolve Upbore him,and firm faith, and evermore Prayer from a living source within the will, And beating up thro' all the bitter world, Like fountains of sweet water in the see, Kept him a living soul. ・この詩は、イギリスの代表的詩人の一人であるテニソンの900行を越える長編詩の一部。私は中学一年ころにこの詩を少年向きにわかりやすく訳したものを読んで、強い印象を受けて心に残っている。 祈りはこの詩にあるように、魂の最も深いところからあふれてくるもの。そしてこの世の厳しさ、荒涼とした現実のただなかにあって、魂にそれをいやす泉のごとく働くのである。祈りなき魂は、深く傷ついたときにはいやされることができない。それゆえ私たちの魂の深みからいつも祈りが湧き出てくるような状態でありたいと思う。 (202)「主はその愛する者に、眠っている時でも、なくてならぬものを与えられる。」(詩編一二七・2) 神およびキリストとともに生きることは、この世で最も容易な生き方である。それは、一種の気軽さをさえ生み出す。 そしてこのような気軽さは、この世のどんな享楽にもまして人間の生活を喜ばしいものにすることができる。 しかもそうするためにお金はほとんど、いや、むしろ全然いらない。そのような生活に必要なものは、ただ神とのゆるぎない交わりだけである。 このような生活は、苦しみ悩める人びとにとってまことの救いである。実際、彼らがこのような救いを知って、それを求めるならば、必ずそれは与えられるからである。(ヒルティ著 眠られぬ夜のために上 十二月五日の項より) ・幼な子のような心で神を信頼し委ねていく者には、本当になくてならぬものが与えられる。どんな状況にあっても、どんな人にでも与えられる。不平等に満ちていると見えるこの世に、このようなある種の平等性があるのは驚くべきことである。 (203)あの青い空へ あの碧蒼な空へ 帰れるのだと思ったら 今日もほんとうに いい一日だった 私から何もかも 取り上げてしまわれた 神様はいい方 神様ご自身を下さった! もうすぐ あの雲のように 自由になれるのね ああ お父様 ありがとう! (「祈の友」信仰詩集 180Pより 野村伊都子の詩 一九五四年静岡市 三一書店刊) ・青い空、白い雲、それはこのような死が近いと思われるほどの苦しみの中にある者にも、神の国へと魂を引き寄せるものとなる。そのような青い空や雲こそは神の心を表しているものであるから。 ・この詩の著者である、野村伊都子は、若くして腎臓結核となり、苦しみにさいなまれたが、そこから生み出された詩、文は結核などで苦しむ人たちを力づけた。作家の三浦綾子もその一人で、次のように書いている。 「世には血のしたたるような本がある。私が十三年の療養中によんだ『静かなる焔』はそのような本であった。言語に絶する腎臓結核の苦しみ、その苦しみと戦うキリスト者野村伊都子さんの生々しい記録―。当時、この一冊に奮い立たされた療養者のいかに多かったことか。」 返舟だより ○二ヶ月に一度、(偶数月に金〜月の三日間)阪神方面にてみ言葉を語る機会が与えられています。今回もいつものように、神戸市、大阪狭山市、大阪府の高槻市、泉南市、奈良市などで、集会を持つことが出来ました。四、五名から十数名の小集会ですが、毎回どこかの集まりで新しい人や、久しぶりの人、また問題をもった人、あるいは以前の問題が信仰によって良き方向に向かっているという方などもいて、主の背後の導きを感じます。 高槻市では以前は佐々木宅で集会がなされていましたが、高齢のために難しくなり、今回からは地域の小規模の公民館を借りて集まることができて感謝。また難病で若くして召された京都のBさんのお母様もずっと集会への参加を続けられて、召されたBさんの信仰を受け継いでおられるのも主の導きと感じます。奈良市では、老齢と病気のために参加が危ぶまれていたNさんも当日は守られて参加でき、「祈の友」でもあるので、ともに祈りを合わせることができたのも感謝でした。 私たちがなすことは本当に小さなことですが、その小さなことを主が用いて、主ご自身が働いて下さるようにと祈るばかりです。 また、十二月十七日には岩手県盛岡市のスコーレ高校でのクリスマス礼拝の聖書講話ということでお話しさせていただきました。 この高校では毎週二回、五五〇人の生徒に対して全校礼拝として聖書講話がなされているということです。このようなかたちで礼拝がなされているのは、現在ではごく一部の高校だと思われますが、それを継続していく困難さもまた思わされたことです。 主がそうした困難さにもかかわらず、教職員の方々の熱意を用いて、祝福して若い魂が永遠の真理にと導かれますようにと祈り願いました。 ○今年の十二月のクリスマス特別集会は十九日(日)に行なわれました。以前から祈って備えることで、主がその祈りを祝福して下さり、いつも参加できない方々、一年ぶりの方、また初参加の方、あるいは予想してなかった突然の参加者もあり、祈りを主が聞いて下さっていろいろの人たちを導いて下さったことを感じます。ふだんの日曜日の主日礼拝にはその祝福があり、一年に一度の特別集会にはまたふだんにはない祝福があります。参加した八〇名あまりの人たちの上に注がれた祝福が、いろいろの事情で参加できなかった人たちの上にも同じように注がれ、ともに御国へと歩んで行けますように。 ・今月は返信のなかに、讃美や音楽に関しての内容のものが多くありました。そのなかからあげてみます。 ○「恵みの高き嶺」の入った聖歌のテープ、聞かせていただきました。歌詞を見ながら聞いていると、なんだか青空の中へ吸い込まれていくような、心洗われるような感じでした。 涙が出てきて何とも感激でした。 私の父は、数年前に召されましたが、父の持っていた聖歌の五八九番「恵みの高き嶺」にも赤鉛筆で○印がついていました。 改めて歌詞を見ながら聞くと、心の奥深くまでしみ込んでくるような、イエス様が手を握って「大丈夫だよ」と言って微笑んでくれているような気持にもなりました。…」(関東地方の男性) ・一つの讃美がこのように心を動かすことは、不思議なほどです。よい讃美は、神の言葉とメロディー、そしてそれを歌う人間の心とが溶け合って、時として大きな力を与えることがあります。 ○次は十一月号に同封してあった、北田 康弘さんのCDの紹介に関しての来信です。 「はこ舟」、まくらもとのテーブルにいつでも置いてあって、繰り返し読ませていただいて感謝です。…このたびは北田 康弘さんのCD紹介などの印刷物をお送りくださって感激しています。さっそくお店に注文しましてCDが今週届きました。心を熱くして一気に聴きました。感動しました。私の日々のさまざまの思い煩いもなくなったように、喜びが心に満ちました。神様からのプレゼントだと今思っています。昔若いころ、点字をならって点訳のお手伝いをしたこと、いまも全盲の方との関わりがあることなどを思うとき、決して偶然ではない、天から見守り導いて下さっているお方の御愛があたたかく心にしみ入ります。…CDを聴かせていただいて、自分にばかりとらわれている心がどんどん開放されてイエス様の方へ引き寄せられていきました。(中部地方の方) 休憩室 スイセン 冬の花のうち、最も愛されてきた花の一つはスイセンだと思われます。その清楚な花の姿と香りは誰にでも愛されるものです。よき香りを周囲に放つ花というのは、幾千とある野草のうちでも少ししかありません。 スイセンはほとんど野生状態で増えていくので、栽培にとくに手間も要らず、花の少ない冬にいのちに満ちた葉と花を見せてくれます。 夏の間は、草が生い茂っていたところは今は冬枯れとなり、代わってそこにスイセンがたくましく緑の葉を伸ばして次々と花を咲かせています。 スイセンの花とその姿、香りも私たちに、聖書にあるメッセージを思い起こさせてくれます。 聖書のなかで、香りに関して印象的な箇所があります。 …わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りである。 (Uコリント二・14〜16より) 使徒パウロはこのようにのべて、キリスト者は良き香りを放つ存在であって、その香りを感じた者は救いへと招かれる、そのゆえに、命から命へ至らせる香りなのだといっています。たしかに私たちはだれかの祈りによって救いへと導かれたということがいえます。書物によってまた人によってキリスト者となりますが、その本を書いた人も生きているキリスト者も絶えず他者のために祈り続けるようになっているのであり、その祈りによって本も生み出され、またほかの人への働きかけもなされるからです。 聖書からは豊かな神の香りが永遠に周囲に出されています。聖書を心して読む者にはその香りが伝わり、その人からも、本人はそれに気付かなくとも、神の国の香りが放たれるようになるわけです。 スイセンが常に良き香りを周囲に放っているように、いまも生きて働くキリストは良き香りを世界に漂わせており、心を開くものにはその香りを実感できるようになっています。 スイセンの心を清めてくれる香り、それは神の国からのものであり、私たちの魂にたくわえられるような感じがします。 天の国の花園には、すでに召された信仰の勇者たち、愛と信仰に生き抜いた無数の良き香りのする花々が咲いているといえます。 私たちも心を高くあげて天の国の香り、キリストの香りを日々に受けて、よき香りある花のようにならせていただきたいものです。 お知らせ ○今年のキリスト教 四国集会(無教会)は、五月十四日(土)〜十五日(日)の二日間、徳島市で開催予定です。 ○十一月号で紹介した北田康弘さんのCDを購入ご希望の方は、左の徳島聖書キリスト集会の郵便振替番号を用いて三千円送金して頂くとお送りします。(送料は当方で負担) |
2004/12 |
変わらぬ流れ 2004/11 台風の大雨が過ぎて数週間が過ぎた。小さな山であるが谷からあふれ出るような大量の水の流れもおさまり今では澄んだ水が天然の音楽を奏でながら流れている。 これらの水は昼夜を分かたずどこからともなく水が集められて流れる。それをたどれば樹木の生い茂る山々の大地を通って流れてきたのである。音もなく木々やその下の土の中を通り、地下にある固い岩に沿って下へと少しずつ流れ、それがこのような清い谷川となっている。 この流れは何か月も雨が降らなくとも、止まることがない。山々を見てもただ、樹木が生い茂り、野草が覆い、山肌にはどこにも水は見えない。 しかし、それらすべてを支えている山の深いところで水は流れている。 それは、真理の流れと似ている。 「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。」(創世記二・10) この聖書の最初に現れる記事は、神の国から今もあふれ出ている命の水の流れを象徴的に指し示すものなのである。 この世界にはどこにも神がいるようには見えない。それどころか混乱や悲劇、苦しみが至るところにある。 それでも、そうした表面の人間の姿の背後には、神のいのちの流れがある。そしてそれに目を開かれてそこから汲み取るものに、神の国を見させ、私たちの内部を清め、力を与えられる。 愛と視力 神からの愛は視力を与える。それは見えないものを見る視力である。 こうした愛なき者はわずかしか見えない。深くは見ることができない。人間が自然に持っている愛といわれているものは、逆に霊的な視力を狭める。「愛は盲目である」などといわれるのはそれである。 聖書に言われているような愛がなければ、人は、自分の気に入るもの、力強いもの、有名なものあるいは美しい者だけ、しかもその表面だけをみようとする。 そして弱い者、傷ついた者、あるいは敵対する者たちの背後にある神の御手が見えない。 主イエスが言われた、敵を愛し、迫害する者のために祈れという言葉は、彼等がもし立ち返るときにはどんなに人間に変ることができるかを見つめて言われた言葉である。 主イエスが裏切ったペテロをも深い愛のまなざしで見つめていたのは、そこからどのように変わることができるかを見つめていたからでもあっただろう。 聖書にはそうした神の愛を注がれた人たちがどのように見つめ、生きたかが記されている。 主イエスより六百年ほども昔に現れたエレミヤもその一例である。彼は、大国の攻撃によって国が滅びようとする危機的状況にあって、その原因を深く見つめて神の言葉をもって警告した。真実に背き、神の言葉に従わずにまちがったもの、偶像に従いつつある人々に対して、エレミヤが深い悲しみを持って語ったのは、彼等の前途にある大いなる裁きを見つめていたからであった。 そしてさらに彼は、その裁きのはるか彼方にある救いをも見つめていた。 神の深い愛を与えられていたエレミヤはその双方を見つめることができた深い霊的を与えられていた。 私たちが神からの愛を受けているほど、身近な人間や日々に接する雲や青空、雨や風、あるいは草木などの本性を見る視力を与えられる。それは時間を超えて未来のことすら見える視力ともなることがある。使徒パウロの手紙などにはそのような遠大な前途のことが見えていたことがうかがえる記述がいろいろと見出される。 主イエスがこの世に来られたのは、「見えない者が見えるようになるためだ」(ヨハネ九・39)と言われている。それゆえ、私たちが絶えず幼な子のように主に向かって求めていくとき、いっそう霊的な視力を与えられると信じることができる。 思いがけないところに 山道を歩いていると、思いがけないところに草や木の芽が出ているのに気付く。自分で種を蒔いてもなかなか出てこないような野草や草花が、石垣の間、岩間などの条件の悪いところ、あるいは草の繁っているただなかから芽生えたり、またどこにも見られない珍しい木が芽生えていることもある。 また、めったに見ることができない野草が、一つだけ谷間に育っていたりするのに出会うこともある。 小鳥に食べられた種が落ち、また水の流れで移動し、風に種が飛ばされるなどして、種は運ばれ、その場所の土や水などの有無、土質などさまざまの条件が重なって種は芽生える。しばしばそれは意外なところで芽生えてくる。 かつて、徳島県の中央部に近い千メートルあまりの山頂付近にだけ群生しているカタクリに出会って予想してなかっただけに、とても意外で驚いたことがあった。カタクリは、植物図鑑のうちには本州と北海道というように自生地を書いてあるのもあり、四国ではかなり高い山々を歩いても見たことはなかった。それが、突然目の前に現れたあの時のことは忘れられない。 と同時に、どうしてこの山のこの付近だけにあるのだろう、いつから、どのようにしてここに育つに至ったのかと、興味深く感じたものである。 福音も同様で、思いがけないところに、また予想しないような人のところから芽を出して、育っていく。主イエスがこうした種と発芽のことをたとえに用いられたのが意味深く感じられる。 新約聖書においても、十二弟子たちのうちには人を宗教的に指導するなど思いもよらなかったはずの漁師たちが何人も選ばれた。 また人々が汚れているとして見下していた、異邦人の女性が驚くべき真実な信仰を持っていたり、キリストのことなどほとんど伝わっていないと思われるハンセン病の人や、周囲の人たちとの交際もごく狭かったと思われる全盲の人たち、あるいはユダヤ人を抑圧して支配しているローマ人の兵隊の幹部のような立場の人が、主イエスに「主よ」と言ってひれ伏してその信仰を表すなど、種が落ちる不思議さをそのまま表していると思える例が多く記されている。 キリストの最も重要な弟子パウロがまさにそうであった。キリスト教徒を迫害しているさなかに、天からの光を受けて突然変えられたのである。そしてパウロのうちに蒔かれた福音の種はいかなる困難に出会っても成長し続けていき、広く世界に伝わることになっていった。 現在においても、私どものキリスト集会に集うようになっている人たちはそれぞれ本人も思いがけないことから集うようになったと感じているであろうし、私自身もそうである。キリスト教などおよそ私の心のなかにはなかったのであったが、不思議ないきさつから福音の種が蒔かれて芽生えたのである。 またこれは個人だけでなく広く世界の国々を見ても同様なことが言えるだろう。どの地域にキリストの福音という種が落ちて芽生えるか、それは分からない。現在では中国とかアフリカなどで多くの種が芽生えている。それも数十年前ならだれも想像しなかったことである。ことに中国は神の存在そのものを否定する思想のもとで国が動かされているのであったから、そのうちわずかに残るキリスト教も消えてしまうのでないかと思われていたほどである。 しかし、現在では中国は世界的に見ても最も多くの人たちがキリスト教信仰へと導かれつつある状況だという。 聖霊は、風のように、どこから来てどこへいくのかだれも知らない。しかし一度聖霊が与えられるなら、その人は魂の内からいのちの水が流れだすようになる。聖霊という風を用いて、神は今後とも福音という真理の種を蒔き続けて下さり、人間の予想もしないような人や場所において芽を出し、力強く成長を続けることを信じることができる。 私たち個人の心の中にも、苦しみと悩みの暗い状況のただなかに、思いがけないときに、祈りや集会のとき、あるいは人からの言葉や出会いなどを通じて、天からの福音の種を蒔いて下さり、その重苦しい心を一掃して下さる。 人間の予想を超えていることだからこそ、私たちはこのことを知って平安を与えられる。私たちがどんなに道がふさがっていると感じて、希望がないと思われても、神がひとたびそこに福音の種、あるいは平安の種を蒔かれるならただちにそこから芽が出てくるからである。 私たちは、それぞれの人たちが自分自身の苦しみの中に、そして周囲の世界にある暗闇に、神がその全能の御手によって光の種を蒔き、多くの人たちが救われるようにと主の御手の働きを待ち望んでいる。そして私たち自身もひとたび真理の種を蒔かれた者は、少しでも主に用いられて福音の種まきを続けていきたいと願っている。 伝道について 吉村 孝雄 伝道とはキリストの福音を伝えることである。福音とは、十字架による罪の赦し、死の力に勝利する復活、この世のあらゆる問題の最終的解決としての再臨、これがその基本にある内容である。これらはすべて、人間の直面する根本問題への解決を指し示すものであり、それゆえにこそ、喜びの知らせ、すなわち福音なのである。 私はこれを大学四年の時に知らされて、それまでの闇と苦しみの生活から引き出された。それがそれまでのどのような経験にもまして深く魂を揺り動かすものであったので、将来の方向も転換し、一年後から職場となった高校で、放課後の自由参加の聖書の会などで伝え始めた。そのとき、私は信仰の経験もなく、聖書に関する知識にもわずかであった。しかし、神が働かれたために、最初の年からその後次々と転じた学校においても信仰を持つ人たちが現れた。 こうした自分自身の経験から、そして聖書の記述から言えることは、み言葉を伝えることはキリストがあれば足りるということである。キリストによって自らが闇の中から救われ、新しい力を与えられ、この世に神の愛が実際に存在し、生きて働くキリストがおられるということを魂において深く確信し、キリストに導かれつつ伝える。そしてそこにキリスト(聖霊)が働いて下さるなら、それだけで伝わる。他にはなにもいらないのである。それがあれば、思いがけないときに必要な人や書物、あるいは費用なども備えられる。まことに「主の山に備えあり」(創世記二二・14)である。 主イエスの弟子たちはきわめて重要な時にイエスなど知らないといって逃げてしまったため、自分たちの弱さ、主を裏切った罪というものに打ちひしがれていた。 しかし、祈って待てという、復活のイエスの言葉を信じて待っていたときに、聖霊が突然注がれたのであった。そこから彼等の伝道が始まった。聖霊こそは伝道への原動力なのである。 パウロにおいても、旧約聖書の多くの知識を身につけ、すぐれた教育を受けたがキリストの真理は全く分からなかった。むしろキリスト者を迫害するばかりであったが、そこに復活のキリストが現れ、パウロに聖霊を注いだ。そのときからパウロはキリストを宣べ伝える者と変えられたのである。 彼には十二弟子たちのようにキリストからの詳しい教えというのは受けてはなかった。 しかし、生けるキリストが働きかけたゆえに、後の大いなる働きがなされることになった。 聖霊とはキリストの霊である。キリストはどのような人にまず近づいたか、それは失われた一匹の羊であり、当時だれも相手にしなかったような重い病人や障害者、そして悩みや悲しみに打ちひしがれている人たちであった。 現代の私たちにおいても、キリストをまず身近な弱い立場にいる人にまず伝えようとすること、それは主の御心にかなったことであるがゆえに祝福される。主はそうしたことをともに導いて下さる。 福音伝道こそは、キリスト者に与えられた最大のつとめであり、また特権であり、また戦いであり、喜びでもある。 キリストの福音こそはあらゆる問題の根本的解決を与えるものであるからだ。 その福音を伝えることにおいては、キリスト者すべてが招かれている。キリストの罪の赦しに、また生ける神が現実におられるということに心揺り動かされた経験を持つならば、それをもとにして各人が可能な方法で伝えることができる。 重要なことは、周囲の人がどう言うかとか、自分には経験があるか、聖書の知識、聖書の原語であるギリシャ語などを理解しているか、等々そうしたことを考える以上にまず自分のうちに働くキリストがどう言われるか、を聞き取ることである。 福音が絶えず命の水の川のように流れ続け、伝えられていくということは、神のご意志である。それはすでに旧約聖書にもしばしば見られる。 「…今に至るまで、私は驚くべき御業を語り伝えてきた。…御腕のわざを、力強い御業を来るべき世代に語り伝えさせてください。(詩編七一・17〜18)」 福音を伝えることは、深い神の御計画であり、神のご意志である。それは世の終わりまでなされていく。 「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられる。そしてそれから最後が来る。」(マタイ二四・14) 私たちが幼な子のような心をもって神を仰ぎ、その心をもって福音伝道にかかわるとき、それは神のご意志にかなったことであるゆえに必ず祝福される。福音を受けるもの、伝えるものの双方に恵みを受けるこの福音伝道へと神は私たちすべてを招かれている。 真理は単純である。それゆえ真理を伝えること、福音伝道もまた単純である。 生きるはキリストとパウロは言った。キリストが私たちに罪の赦しを与え、心動かし、キリストが力を与え、なすべき道を教え、必要な人やものに出会う機会を与え、闇にある人の心に触れさせる。み言葉を伝えることもまたキリストである。(これは、今年の十月十日に福岡市で開催された無教会のキリスト教全国集会における発題で語った内容の要約です。) み言葉に聴く 聖書は二千ページにも及ぶ書物である。その最初に「神が言われた」として記されているのは、何であろう。そこで神の言葉として作者にだれが聞いたのか。現場にだれもいなかったのにどうしてあのようなことがわかったのか。それは聞き取った人がいたからである。神にとくに選ばれた人が、神に近づけられ、天地創造という本来だれも見たことも聞いたこともない全くの神秘の事柄について、神から告げられたのである。 それは言い換えると、特別な霊的な耳が与えられてそのようなことを聞き取ることができたと言えよう。 地が混沌であり、闇がすべてを覆っていたこと、神の霊(風とも訳される)が一面を動いていた。(吹きつのっていた)といったことも、神から告げられたからこそ、それが単に大昔の想像の話というのとは全くことなる深い意味を持ち、人間の歴史において測り知れないインスピレーションを与えてきたのであった。 そしてこの創世記を記した人には、神が明確につぎのように言うことによって、宇宙の根本問題の解決の道が開かれることを知らされた。それが次の言葉であった。 光あれ! この一言で光が闇と混乱と底知れない深淵で覆われた世界に革命的な変化を与え、いのちを与えることになった。 こうして、聖書という書物は、聞き取ることから出発していると言えるのである。 人間の声以前に神の声がいつも語りかけている。それは、主イエスが、神の愛は太陽のようにまた雨のように万人に降り注いでいると言われたことでも示されている。それは言い換えると、神の愛から出た言葉は万人に語りかけられているということでもある。愛は無関心ではない。いつも他者に働きかけるのが愛の本質であり、いつも語りかけようとするからである。 そのことをよく表しているのが、星や太陽、山々や海などの自然である。 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。(旧約聖書・詩編十九・2〜5) ここでは、星や太陽など天体をとくに取り上げて、それらに神の栄光(力や永遠性、美しさや清さなど)が現れていること、そして、天体はかわることなく沈黙の言葉で世界に語り続けていることが書かれている。 自然の世界はいつも我々に語り続けている。風の音、波や木々の奏でる音、そして谷川の流れ、さらに植物の一つ一つもまた私たちへの神からのメッセージがたたえられている。巨木はことに沈黙でありながらそのかたわらに立つ者に不思議な力をもって語りかけてくる。長い歳月を幾多の風雨や寒さに耐えて 数百年を成長し続けたゆえにそこにはまた他にはない独特のものがあり、それはおのずと私たちに語りかけてくる。 人間は変わりやすい。しかし、そうした大木からの語りかけは、変わることのない存在の力が感じられ、無言でありながら、私たちをほっとさせ、力づける。 またそれと対照的なわずか1ミリ前後しかないような小さな花を持つ小さな野草においても、それぞれに、私たちへの語りかけを持っている。 野草のなかには花壇にあるような大きな花を咲かせるものもあり、目を覚まさせるような深いブルーの色を持つ花、カラスウリのように複雑なレース模様の花など、実に千差万別であるが、そうした花や葉の形、さらに全体としてのすがたにおいても心して見つめる時にはさまざまの語りかけが感じられる。 主イエスが、「野の花を見よ」と言われたのは、野の花からも神のメッセージが私たちに向けてなされているからである。 また、雷のすさまじい音や稲妻の光は、たんに恐いという感じで受け止めている人が多数を占めているであろうが、聖書の世界では、そのような恐れをもたらすような現象も、神のご意志の現れなのである。 神は御手に稲妻の光をまとい 的を定め、それに指令し、御自分の思いを表される。(ヨブ記) 三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み… モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。(出エジプト記一九章) 有名な十戒が与えられる前には、このように神が近づき、稲妻や雷をもって神は答え、その後、十の最も基本的な戒め(教え)を与えたのであった。 このように、野の花のような可憐なものとは全く異なる荒々しく恐怖を呼び起こす雷や稲妻といった自然現象も神のご意志と深い関わりがあるものとされている。 神は愛である、神はやさしいお方であり、慰めの主であるというイメージからは、あの雷の轟音とか稲妻がその神のお言葉を象徴するものであり、ときには神の言葉そのものでもあるといったことは、多くの人たちにとっては到底想像できないことであろう。 しかし、自然の全体が神の御手のわざであり、すべてに神はそのご意志を表しているのが、特別に聖霊を注がれた人には分かっていたのである。 神の言葉は常に語りかけている。それはすでにあげた詩編十九編で表されているように、とくに自然において見ることができる。 「語ることもなくそれでも神の栄光を語り続けている。」 そしてその語り続けられている神の言葉はつぎの主イエスの言葉からもいえる。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイ五:44〜45) 敵対するもの、自分に対して悪意を持って向かってくる者に対しても祈ること、その人が神のよきもので満たされるようにと祈ることは、太陽の光や雨がどんな人にも注がれているのと同様だと言われている。主イエスは最も身近な自然をもこのように、深い神の愛を象徴的に表しているものとして見ておられたのである。 そのような無差別的な愛をもって注がれているのが神の愛であるならば、当然その愛はまた語りかけておられるといえる。愛とは、無関心や放置するものでなく、絶えず語りかけるという本質を持っているからである。 青い空や雲、夜空の星や風のそよぎ、動くことなき山々の連なり、またさまざまの野草たちの花等々それらは心開いて見つめる者には常に言葉を語りかけているのを実感することができる。 「聞け、あなた方、私の創造のわざがその栄光を語るのを!」と。 同様に神はまた人間の理解できる言葉をもって語りかけておられる。それが最も明らかに示されたものが、聖書だと言えよう。 聖書には、神がいかに人間に語りかけたか、そして人間がいかにそれを聞き取り、それに従ったか、また聴こうとせず、背いたか、が記録された書物なのである。 旧約聖書に現れる最初の人間として描かれているアダムとエバは神の声をはっきりと聞かされていて、そこにはあらゆる良い木の実があり、自由に食べて生きることができるようになっていた。にもかかわらず、エバはヘビの言うことを聞いて、そこからアダムも神の声に反対する内容にもかかわらずエバの声に聞いて、楽園から追われることになったのである。 このように、私たちが本来約束されているよきところから追われるのは、実は神の声に聞かないところに原因がある。このように聖書は創世記という最初の書物から、神に聞くことと人間あるいはサタンに聞くことの二つを並べて置くことによって、いかに神に聞くことが決定的に重要であるかを浮かび上がらせている。 「箱舟」と大洪水でよく知られているノアにおいても、周囲の人がみんな人間の声に聞いてまちがった道を歩んでいたのに、一人神の声に聞いてそれに従った。それが救いにつながったのである。しかし、救われてから安定した生活となってからノアは油断して神の声に聞かなくなって、醜態をさらしたことが記されている。 いかに、特別に神によって選ばれ、特別に神の声を聞いた人であっても、絶えず目を覚ましていなかったら神の声でなく自分の声、人間的な声に聞いて神から離れていくことが示されている。 モーセは歴史のなかでも最も神の声を聞いた一人であった。自分の考えで人を助けようとしたが、それはもろくも崩れて遠く離れたところへと命からがら逃げていくしかなかった。そこで結婚もし、羊飼いとしての静かな生活をしていたモーセに神が語りかけ、それとともにエジプトにあって、絶滅の危機に瀕した同胞を救い出し、「乳と蜜の流れる地」へと導いていくようにと使命が与えられた。羊飼いというまったく政治的なこととは無関係な生活をしていた時であっても、神は風が思いのままに吹くように思いがけない人間を選んで語りかける。 モーセは自分はエジプトの王に対して何ら力もなく、武力もなく、対抗するような兵力、部下もない、語る言葉もないと強くしり込みするが、神は助け手を与える。このように、神が語りかけるときには、それに聞いて従うだけの必要な力をも共に与える。力以外に必要なもの、人間やお金、場所、ものなども与える。 エレミヤは、旧約聖書に現れる最も偉大な預言者の一人であって、祖国がまちがった道を歩み、神でないものに従ったために、当時の大国であった新バビロニア帝国に滅ぼされようとしていた。このような国が滅びるという重大なときに、エレミヤは神からの声を聞いた。 エレミヤもまた、その声に最初はとまどった。 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。 その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。 しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。 彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。 そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、 「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。 見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。(エレミヤ書一・5〜10) このようにして若者であったエレミヤは、神からの語りかけを受けると同時にそれを実行するための言葉を与えられ、この世の権力者や周囲の人間に抗して立つ力を与えられた。神が語りかけるのは、無駄に語りかけるのでない。それが全く従えないようなことなら、語りかけることに意味がない。人間は何かを命じたり語りかけてもそれを実行する力をも与えることはできず、強制的になるばかりで反発を生じさせることが多い。 神によって召された預言者であったらいつでもそのような神の力で満ちているかというとそうではない。 例えば、キリストよりも八百年以上も昔に現れた預言者エリヤは、神からの言葉を受け、貧しさのために死ぬばかりになっていたある女とその子どもを助けた。エリヤはその女のもとに残っていた一握りの小麦粉とわずかな食用油をもとにして、驚くべきわざを起こしてその女が日々食べていけるようにした。その子どもが死んだときにも、神からの力によってよみがえらせることすらできたと記されている。 そうして、偽預言者たち、人々をまちがった道に連れていって大きな災いを国に起こした偽りの宗教家を集め、彼等の無力と腐敗ぶりを、天からの火を呼び寄せて神の力を示すこともできたのであった。 そのような聖書全体を見ても異例な力を与えられていたエリヤであったが、当時の悪にとらわれた王妃がエリヤを激しく憎み、今日明日中にエリヤを殺すと宣言して迫害をはじめたとき、エリヤはそれを聞いて、遠く直線距離でも、一五〇キロも離れているベエルシバまで逃げて行った。そしてさらにそこから従者をおいて、一人砂漠のようなところを一日歩き、とある木の下に来て、「主よ、私の命をとってください。」と苦しみのあまり祈って神に訴えた。これはもう死にたい、という意気消沈したうめきと言えよう。 あれほどの力を与えられながらこのような弱さのなかに陥っていくのは意外な気がするが、これは聖書という書物が人間の本質を深く見抜いているからである。人間とはこのように本質的に弱く、悪に立ち向かってはいけないようなものなのである。しかし、そのような人間の弱さのただなかに、神が来て下さるというのが聖書の一貫して告げている真理である。 このエリヤの精神的な危機にも、神は驚くべき方法によってエリヤを救い、体力を与え、そこからかつてモーセが神の言葉を受けた遠い山にまで行くことになった。そうした長い旅をも主が支え、導かれた。目的地の山に着いたエリヤはまだ霊的な力は与えられておらず、自分の使命も分からないままであった。 神から、「エリヤよ、お前はここで何をしているのか。」と問われた。それはエリヤが霊的に立ち直っているかどうかを問いただしたのであった。 しかし、エリヤは神の山(ホレブの山)まで、はるかな遠いところまで来ることができても、まだ自分のなかには悪の力への恐れが依然として根強く、今後どうしたらいいのか分からない状態であった。それは次のような答えに現れている。 …エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」(列王記上十九・14) こうした不安のなかにあったエリヤの前に嵐のような風や地震などが生じたがそうした荒々しい状況のなかからは神の声はなかった。その後に静かな細い声が聞こえてきた。その声によってエリヤははじめてひそんでいた洞窟から出て神の御前に立った。 神はそのときはじめて新しい使命と、それに従う霊的な力ををエリヤに与えたのである。あれほど弱気になって死を求めて死は確実にすぐ間近に迫っていたほどのエリヤが、別人のように立ち直ったのであった。 ここに、人間の声に聞くことがいかに人を弱くさせ、この世の力に押し流されていくか、そしてその逆に、神の声に従うことがどのように人間を変えていくかが印象深く描かれている。 現代の私たちにおいても、周囲のさまざまの混乱に満ちた出来事、外面的に大きな変動などを見つめているだけでは私たちは決して新たな力を得ることもできず、立ち直ることはできない。私たちの心のなかにいろいろの声が鳴り響いているときそれらに巻き込まれてしまうと、人間的な感情で他人を非難したり、自分の弱さに落胆したり不安や不満が生じたりするばかりである。 しかし、大きな混乱に巻き込まれてもそれが過ぎ去るのを待ち、一人神の御前に立って静まるときに、このエリヤが聞いたような、「静かな、細い声」を聞くことができる。そうしてその声は霊的に立ち上がる力を与えてくれるものとなる。 この箇所について、ヒルティは次のように述べている。 いわゆる「神の探求」については、列王紀上第一九章、特にその11〜12節(*)にこの上なく見事に描かれている。それには、人生目的に対する絶望や火や嵐がつねに伴いがちである。 しかし、正しいものは静かな説き勧めの声をもって訪れてくる。… パウロのように、かすかな神の声に向かって開かれた耳を獲得するまで、忍耐し抜く者はきわめてまれである。 けれども、あらかじめ疾風怒涛の苦悩の時期を経なければ、人の心は十分に開かれることがない。(「眠れぬ夜のために」第二部 五月九日) (*)主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。 使徒パウロは、主イエスの光を直接に受けた後、キリストの福音を伝えるものとしてとくに選び出された。しかし、人生の新しい方向を目指して歩むことを、家族親族のだれにも相談もせず、またすでにキリストの使徒としてキリスト者を指導していた主イエスの十二弟子たちのところに行って教えを受けようともしなかった。一人アラビアに退いたのであった。(ガラテヤ書一・16〜17) そこでパウロは、主に導かれて一定の期間を、新しい使命について主イエスからの直接の示しと力付けを受けていたと考えられる。それは自らのそれまでの激しい動き移る人生の雑音から離れて、静かな細い主の御声に聞き入るためであったろう。 私自身の現在までの歩みのなかでも、信仰を与えられてから何度か大きな分かれ目に立たされてきた。教員になること、それから全日制高校の教員から、夜間定時制教員に転勤希望を出すこと、また激しい暴力と混乱の夜間高校に勤務してそれにいかに対処するか、そのまま他の教員のように、彼等の想像をはるかに超える暴力や荒れ果てた行動を見過ごして、ただ時間が過ぎるのを待つだけ、そして転勤を待ち続けるといった姿勢をとるのかどうかという大きな問題があった。さらに盲学校に転勤してからそこでの驚くべき長い年月にわたる不正なことに直面してそれを黙って見過ごすか、明るみに出すかの問題、また、ろう学校に勤務して半世紀を超えて手話を禁止し、手話を罪悪視してきたろう学校教育に手話を導入することの必要性を日増しに痛感してそれを実際に何十年というろう教育のベテラン教師の反対のただなかで、手話を教育に導入すること等々、それから個人的な問題においても、困難な決定をせねばならないようなこともあった。 それから、私の決定によっては一生の方向が変るというようなことが迫ってきた。それは、教職を辞めてみ言葉を伝えることに専念することを決めるときであった。教員としての仕事の他に、日曜日の礼拝集会とともに、週に何回か持つようになっていた集会があり、それとの兼ね合いが次第に困難になってきていた。教員を一度辞めたらもう再度戻ることはできない。 このような様々の状況において、自分がこうしたい、といった自分の願いを第一に持ってきていたら、それはたいてい安易な道、反対を受けない道であったが、そうすれば私の人生は全く異なるものとなっていただろう。それは今日までに与えられた数々の祝福や恵みが与えられなかったということである。神からの祝福を受けるということはどんなことなのか、それはこうした現実の困難に直面して、人間の声でなく、神からの静かな細い声に聞いて、神を信じて決断したことがその祝福を受けることと深くつながっているのが分かった。 静かな細い声に従うと本当に困難な事態となり、心身ともに疲れるような状況にと巻き込まれたこともあった。しかしその困難を経て最終的には、はじめには予想しなかったような助けが現れたり、荒々しかった人間が急に変化して私を受け入れるようになったこととか、意外な人が現れて助けられたり、それは実際に決断してみないと決して分からないことであった。神のなさる事はまことに深く、だれも予想も考えもしないようなことなのだと知らされた。 神の声かどうかはっきりとは分からないこともある。そのような時には、決断せねばならない最後のときまで祈り求めて神の示しを受けようとする。それでもはっきりとした応答を感じられないときには、思い切って困難な方を選んだこともあった。どちらが神の声の示す方向か分からないときには、このようにいずれか一方を信じて選ぶことで、そのようにすればたとえまちがっていてもあとから主イエスが軌道修正して下さるのである。 天よ、耳を傾けよ、わたしは語ろう。地よ、聞け、わたしの語る言葉を。 わたしの教えは雨のように降り注ぎ わたしの言葉は露のように滴る。若草の上に降る小雨のように 青草の上に降り注ぐ夕立のように。(申命記三二・1〜2) モーセは神から示されて、人々に対して神がいかに真実と慈しみに満ちたお方であるかを語る。それとともに彼等の不信とそこに下される神からの裁きをも予告する。 神からの言葉は、霧のように、若草の上に降る小雨のように注がれる。モーセは自らが受けた言葉はこのような命を与えるものであると知っていた。ここで、雨とか霧、あるいは夕立といったような多様な言葉で言われている。それは神の言葉がしずかに注がれ命を与えるものだということが暗示されていると言えよう。 たしかに、静かに語りかけられる神からの御声に耳を傾けるとき、それは私たちの魂を生きかえらせる雨となる。 現代において、新聞やテレビ、雑誌などの内容は騒然としたもの、混乱を究めた世の中の状況をそのまま写したようなものである。それらは私たちに、降り注ぐ雨のようにいのちを与えるものでない。 しかし、自然も聖書も歴史も、そして現代に生きる私たちに日々告げられているニュースや出来事も実は、そうした神からの語りかけに満ちている。それを聞き取るかどうかである。 すでに述べたように、真に神の言葉を聞き取るならそれとともに、力が与えられる。立ち上がるようにと仕向けられる。 主イエスも、父から聴いたことでなければ何一つできない、と言われた。 「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。…私は自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。(ヨハネ五・19〜30より) 私たちは神に聴く。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛しているのなら、そのような者は自然に神の言葉に聴こうとする。人は、見下している者、無関心な者、あるいは嫌悪感を持つ者の言葉には耳を傾けない。しかしだれでも愛する者の声には耳を傾けるからである。 そしてみ言葉とは、愛する神からの言葉であるゆえに、それは単なる命令だけでは決してない。聖書にも、「み言葉は蜜よりも甘い」(詩編十九・10)と言われているとおりである。 聖霊に従って歩む、それは生きて働くキリストに聞くことと同じである。使徒言行録においても、パウロが異邦人への伝道を志したのは、彼自身の意図ではなかった。それは祈りにおいて、心を一つにしていたときに注がれた聖霊が語りかけたのであり、その聖霊の声に信徒が聴いたのである。 さらに、パウロは現在のトルコ地方にみ言葉を伝えたいと考えていたが、それを禁じた声があった。それに従って彼はヨーロッパ(マケドニア)にと転じたのであった。それがキリスト教がヨーロッパを中心にして世界にひろがっていく最大のきっかけとなった。 このように、まず私たちは神からの語りかけ、主イエスからの語りかけに耳をすませて、聞き入ることの重要性を知らされるが、そのことを印象深い筆致で私たちの前に置かれているのが、マルタとマリヤの記事である。 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ十・38〜42) いくら自分でよいと思うことをしていても、まず主に聞き入ることがなければ、周囲の者の無理解やその他そのうち不満が生じてくる。マルタがこのような不満を言ったのは、彼女が主イエスの声に聴こうとしていなかったことがもとにある。主イエスが何を一番求めておられるのか、その声なき声に心の耳を澄ましていたなら、マリアが一生懸命に主イエスに聞いていることを見て、いっそう深くイエスの言葉がマリヤの魂にしみわたるようにとの祈りをもって台所仕事をしたであろう。マルタは自分の内なる声、すなわち自分を第一にしてもらいたいという人間的な声に聞いたのである。そこから、イエスとマリアに対して不満を持ったのである。 このように、人間的な自分中心の願望に聞くことは、霊的な力を失わせるものとなる。マルタはこのように不満を両者に向かって言うことによって、妹のマリアをもイエスをも本当には愛していなかったことが明らかになったのである。 第一に必要なことであるとともに、はじめから終りまでもずっと必要なのが、このマリヤのように主の膝もとにて、主の御声に聞き入ることだと言えよう。そこからすべてが始まる。 その御声を聞き取ったとき、それを実行するための力をも添えて与えられるし、神がそのことを通してさまざまの導きを示し、具体的に助けられるからである。そして全体として、神の国のための働きへと導かれることになる。 平和への道を妨げる動きー武器輸出解禁の動きー 首相の私的諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」は十月四日、武器輸出の一部解禁を含む報告書を発表した。 武器輸出三原則とは、次の内容を指している。 (1)共産圏向けの場合、(2)国連決議により武器などの輸出が禁止されている国向けの場合、(3)国連紛争当事国またはそのおそれのある国向けの場合。 このような場合には、武器を輸出しないというものである。 その後、一九七六年になって三木武夫首相が、対象地域以外への武器輸出も「慎む」、かつ、武器製造関連設備も武器に準じて扱うなど、より厳しい規制を設けたことで、三原則以外の国にも武器を輸出することは慎むということになり、事実上一切の武器輸出が禁じられたことになった。 そのような三木内閣の政府統一見解は、「平和国家としての我が国の立場から、それによって国際紛争等を助長することを回避するため」、「憲法の精神にのっとり」、武器輸出を慎む方針を明らかにしていた。 一九八一年には衆参両院本会議が、政府に武器輸出3原則のための実効ある措置をとるよう求める決議を全会一致で可決したが、一九八三年、中曽根康弘内閣になってから、アメリカに対してだけは日米同盟上この三原則を緩め、武器技術に限って供与する途を開いた。 そして最近では、財界(*)からも自民党からも、この三原則をなくそうという動きが次第に強くなっていた。 (*)財界の代表的な団体、日本経団連の会長は自動車産業で世界第二位のトヨタの会長であり、副会長は、日本のトップ財閥三菱グループの中心企業で日本の軍需産業のトップでもある三菱重工業の会長である。なお、日本の軍需産業は、九九年の契約額上位から順にあげると、三菱重工業、川崎重工、三菱電機、東芝、石川島播磨重工、日本電気、日立造船、日産自動車などとなる。軍需産業は、発注者が国であるから、安定している上に、不況のあおりを受けにくいということで、企業としては経営上有利となることから、これらの会社が利益を重視するために関わりを深めていこうとしている。 今回の報告書はこれを更にゆるやかにするものであるが、最終的にはこれらの三原則を排除してしまおうとする意図が感じられるものである。そして企業が軍事産業にさらにいっそう関わり、利潤をさらに多くあげようとしたいのであり、政府やアメリカも日本の軍事産業が増大し、日本の武器輸出が自由にできるようになった方がさらに日米の軍事的な同盟を強固にするためには、利益があるとみなして、このような武器輸出三原則を緩和する方向へ向かおうとしているのである。 これは、平和憲法をもって、世界の平和にどの国よりも貢献しようという旗印をもっている日本が、武器を輸入したい紛争当事者の国にも輸出することに道を開くものである。こんなことになれば、平和主義という最も世界で貴重な原則をもってそこに世界で、独自の地位を占めて活動すべきなのに、他方で、武力を用い、戦争で相手国を破壊しようとする人たちにその武器を売って利益を得ようとするなど、日本の正しい進路を誤らせるものである。 財界は、こうした軍事産業を増大させるために、武器輸出三原則をなくそうとしているが、その三原則を生み出した元に、平和憲法があるため、財界は平和憲法を変えてしまおうという意見が強くなっている。 このようなさまざまの方向から、平和憲法をなくしてしまおうという動きが見られる。しかしこうした動きは、世界全体の平和や、人間の過去の武器を使った大きな罪、あるいは、実際に用いられた武器によってどれほどの弱い立場のアジア、アフリカあるいは中南米の人たちが苦しめられてきたかについて、全く見つめようとはしていない。 私たちは、武器を取らない国という真理を維持するためにも、このような間違った動きに注目し、真の平和の道を見失ってはいけないと思う。 ことば (198)私が固く信じていることは、神はあらゆる人々に日々ご自身を啓示しておられるということである。 しかし、私たちはその「静かな細い声」(*)に自分たちの耳を閉じており、目の前にある「火の柱」(**)にその目を閉じているのである。(ガンジー著 「若きインド」一九二五年五月二五日(***)) My firm belief is that He reveals Himself daily to every human being but we shut our ears to the 'still small voice.' We shut our eyes to the Pillar of Fire in front of us.(Young India ) (*)今月号の「はこ舟」でも触れた、列王記上一九・12に見られる言葉。 (**)主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記一三・21) (**)インドの政治家・思想家。(一八六九〜一九四八) イギリスに学び、弁護士を開業。初め南アフリカでインド人に対する人種差別政策の撤廃運動に従事。一九一五年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に腐心したが、インド独立後まもなく狂信的ヒンドゥー教徒に射殺された。アメリカのキング牧師は、ガンジーの非暴力の精神に深く影響されて、黒人差別撤廃運動にその精神を取り入れた。 ○今月号で述べたように神の愛は太陽の光あるいは、雨のように万人に注がれているゆえに、万人に語りかけておられると言える。そうした神ご自身に私たちがいつも接しているために、私たちは「目覚めていなさい」、と主イエスからも繰り返し教えられている。(マタイ福音書二四・42、二五・13) (199)もしあなたが、誠実であろうとするならば、だれがあなたにそれを許さないだろうか。…人間は誠実(*)のために生れてきたのであって、それを覆す者は、人間固有のものを覆すのである。(エピクテートス「語録」第二巻二、四章より) (*)「誠実のために」pros pistin 。誠実と訳された pistis は真実、信仰とも訳される語。地位を高めるということ、財産家になるとか有名になることは、無数の妨げがある。何かの事故や病気となっても直ちにそれはかなえられなくなる。しかし、私たちが真実なものになろうとすることは、たしかにどのようなものも妨げることはできないはずのものである。不正を受けても相手のために良きことがあるようにと祈る心は真実な心であるが、そうした心の方向は私たち自身が決めることができるし、力足らなければ神に求めていくことができるようになっている。人間とは単に享楽や飲食などのために造られたのでなく、「真実」というものに向けて創造されたというのは動物との根本的な違いの一つといえる。 私たちが本当に真実であり得るのは、不信実な本質たる罪赦され、完全に真実なお方である神にたえず導かれるときである。 (200)伝道は忍耐のわざである。福音の種を蒔いてその生育を待つことである。雄弁でもなく、交際でも、なく、学識でもない。忍耐であり、忍耐をもって待つことである。 すべての才能において欠けることがないほどであっても、忍耐という一つのことにおいて欠けているものは、この聖なる働きに入ることはできない。(内村鑑三「聖書之研究」一九〇五年一〇月) 休憩室 ○冬の季節となり、夜空には最も親しまれているオリオン座が東から上ってきて、夜の九時ころには東に見えています。 この数か月、明け方には、金星と木星が上下に並んでとりわけ美しい輝きを見せています。六時ごろでも、夜明けが遅いので、これらの星がはっきりとみえています。この時刻には、最近では、火星が東から上ってきて、東から順に、火星、金星、スピカ(乙女座の一等星)、木星、レグルス(しし座の一等星)、土星とずっとほぼ一列にならんで輝いています。この列の最後になっている土星は、もう西よりの高い空にみえるようになっています。 そしてその列の左側(北東の空)には、北斗七星が立ち上がってきてその広く知られた姿を見せています。 今年は、金星を第一として木星、土星、そして火星といった強い輝きの惑星が次々と夜明け前の夜空を飾るように現れるので、夜明け前に起きることの多い人にとっては朝一番に心に天来の光を受けるような気がすることと思います。 返舟だより ○十一月十九日(金)から二十三日(火)まで、松山、熊本、福岡、大分、別府、広島(二箇所)、岡山などでの集会と訪問を与えられ、み言葉を語る機会が与えられました。松山では二宮さん宅での山越集会があり、神奈川県からの参加者もありました。み言葉を中心として様々の方々との交わりが与えられて、ともに歩んで行けることを実感し感謝でした。 また、熊本では、ハンセン病療養所である国立療養所・菊池 恵楓園(けいふうえん)からの参加者が二名ありました。そのうち、Nさんは全盲となり、また全身の感覚もなくなっており、両手も不自由となってものをつかむこともできない状況ですが、霊的には主によって支えられ、力を与えられておられるのが分かりました。ほかに全盲の方が四名と、遠く福岡からも二名の参加者があり、健常者の参加者とともにこのようにキリストをもとにして一つにならせて頂ける幸いを思いました。 なお、このときに、松山市から熊本に渡る途中の、愛媛県佐多岬半島や、大分県竹田から阿蘇に至る山道では、晩秋の野菊(リュウノウギク、シマカンギク、ヤマシロギク)や、ヤマハッカなど、いろいろの植物が見られたので、その一部を採取して持っていきました。病気のために視覚とともに、手の感覚や嗅覚もなくなっているNさんは、その植物を舌で触れたり歯で噛んで植物の感触や味わいに触れておられました。神様の御手のわざをそのようにしてわずかにでも感じ取ろうとされる方もおられるので、目もみえて、手でも触れ、香りも味わうことのできる者は、それらの感覚を十分に生かして神の御手のわざであり、み言葉の一つの現れである自然に対していっそうの愛をもって接すべきことを思いました。 土曜日の夜は、福岡県宗像郡福間にお住まいの、大園兄宅にてお世話になり、よき交わりの機会となりました。日曜日は、福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の集会で、み言葉を語る機会が与えられました。その後、短い時間でしたが、一部の参加者とともに昼食をいただき、主にある交わりのひとときをも与えられて感謝でした。 午後は、大分市に移動し、盲人信徒修養会での聖書講話を受け持ちました。視覚障害者の方々以外に、別府聖書集会の方も数名加わっておられ、会の後に、その方々も含めて夕食のときを与えられ、ここでも交流がなされました。 その翌日は別府市の教友を訪問し、そのうちの一箇所では短時間でしたがともに祈りとみ言葉と讃美のときが与えられました。その後広島県の宮島におられる谷口 与世夫(よせお)兄を訪ね、そこで四人の小集会となりました。参加者の一人Mさんは、以前高松市在住で、その方のところで四年ほど私が毎月一度訪問して集会がなされていたのですが、二年ほどまえに広島に移られた方でした。 谷口兄は奥様を天に送られても霊的にはともにおられるご様子で、主からの御力を頂いて支えられておられるのを感じました。谷口兄は、時々に発行されている「落ち穂」という印刷物を、最近合本にされて多くの人たちに喜ばれているようです。 谷口宅での小集会のあと、そこから一四〇キロほど離れた、広島県比婆郡東城町の沖野利之兄宅に移り、夜の集会がなされました。今年は初めての参加者も三名ほどあり、また沖野兄のお孫さんである、小学校四年の子どもも参加してともに学びと讃美、感話がなされました。初めての参加者のうちの一人は、はじめのみんなの一人一人の祈りのとき、このように祈るのは何十年ぶりと言われていました。沖野兄の祈りを主が聞かれて、主がそのように引き寄せられたことを思って感謝でした。その日は沖野宅にて宿泊、翌朝は、澄み切った秋の冷気が周囲を覆っていて気温は二度しかなく、徳島では真冬のような厳しい寒さでした。 その後は岡山市の香西兄宅を訪問して短い時間でしたが、み言葉をともに学び、祈りのときが与えられました。 なお、比婆郡東城町の沖野宅から岡山市に行くとき、国道でない山の中を通る道に入ったため、急な狭い山道を深い谷に降りていくことになって、時間がかかりましたが、思いがけず中国山地の奥深くにある晩秋の美しい紅葉や黄葉の自然林の中を通ることができました。その多様な色彩と樹木の立ち並ぶ沈黙の讃美は心に迫るものであり、山々から無数の讃美の声がそこから発せられてくるように感じました。 人間の意見や議論もそれなりに私たちの必要とするものですが、しかしそれらは救いをもたらしたり、絶望的な悲しみや苦しみ、あるいは孤独にある人の魂を立ち上がらせることはできないことです。それはただ、神のみ、神の言葉のみがなしうることであり、各地で語らせて頂いたいのちのみ言葉が参加者一人一人の心のうちにとどまり、さらにそれが他者にも伝わっていきますようにと祈り願うものです。 |
2004/11 |
のみなもと 2004/10 私たちが日々の生活において、力は人間からは来ない。人間や人間がなしたことを見つめるとき、かえって力は失せる。 まず神を見つめるとき、自ずから力を与えられる。人の書いた物、意見なども知識を増やし助けられる。しかし内なる力は別のところにある。幼な子がまっすぐに母親を見つめるように、私たちもまっすぐに神を見つめるときに力が与えられる。青く澄んだ大空も夜空の星も、その澄み切った色や輝きは神に近い。神の直接の御手のわざであるゆえ、そうしたものを心から見つめるときに、やはり天よりの水を受け、力を与えられる。 聖書は神の言葉だと言われる。それはまっすぐに神を見つめ、神から言葉を直接に受けたその記録だからである。それゆえそこには力がこもっている 。 私たちも人よりの一時的な、移ろいやすい力でなく、永遠的な神の力をうけるために、単純にしかも真剣に幼な子のように神を仰ぎ続けていきたい。 心の清いもの、その人は神を見る 神を見る、それは旧約聖書では禁じられていたことであった。神を見ると死ぬといわれていた。モーセだけが神に近づくことが許されたこと、イザヤのような特別の預言者だけが、神を見たと記されていることからもわかる。(出エジプト記二四章、イザヤ書六章) しかしキリストが来られて私たちは罪の汚れを取り去られ、赦されて神との障壁がなくなり、それによって神を見ることができるようになった。 神を見るとは神の心を見ることである。人を見るとはその人の心を見ることである。外見でない。神を見ることが許されたとき、私たちは神の心が少しでもわかるようになり、神は苦しむ人、闇にある人に向かっているのがわかる。それゆえそうした状態の人に心が向けられるようになる。 神を知らないとき、だれでも楽しげな人、外見のよいひと、能力をもっている人などに心が向かうものであるが、それが変わってくるのである。 神を見ることができるのはどのような人と言われているか、それは心に何も誇ったり、頼るもののない人、聖書の用語で言えば、心貧しき人である。自分の心にすがる気持ちがあれば神への心が育たない。主イエスが「山上の教え」で、言われた、「幸いだ」という一連の言葉は、後のほうに書かれている神を見るということとつながっている。 ああ、幸いだ。心の貧しい人たちは。神の国はその人たちのものである。 ああ、幸いだ、悲しむ人たち。その人たちは神によって慰められるから。… ああ幸いだ、心の清い人たちは。その人たちは神を見る。(マタイ福音書五・3〜8より) 悲しみを深く抱く者、そしてそこから神を仰ぐ者は、それによって神からの慰めを受ける、神の心がみえてくる、神からの励ましの言葉が聞こえてくるのである。 神を見るとはまた神の被造物である天然そして人間の心もわかるようになるということである。自然にこめられた神の心、それは至るところにある。人間の心にある罪や悩み、苦しみも神の心をとおしてみえるようになってくる。 神を知らない人にも人間の心は見えるという人もいるだろう。しかし、その場合にはしばしば人間の内なる弱さや自分中心の心など、醜さばかりが浮かび上がってくるであろう。 日本の代表的な作家であった、夏目漱石の作品は晩年になっていくにつれてますます暗くなっていった。岩波文庫で最もよく読まれてきた作品が「心」と題するものであるが、それはその作品名で読者が期待するような心の励ましとか力を与えられるような内容では全くない。逆に、人間関係のもつれから自らの命を断った人の手紙のかたちで記された実に暗い内容なのである。古今東西の文学に通じた晩年の漱石の「心」とはそのように深い影が射してきたものなのであった。 漱石と並び称される作家、芥川龍之介もまた、最後には自分の命を断った。 このように、いくら才能豊かで、思想や文学、芸術に通じているからといって、神は見えてこない。生まれながらの人間はいかに能力が高くても、そのままでは人間の悪や醜さ、はかなさが見えてくるのである。 これとまったく対照的なのが、ここでいう、神によって心清められた者の眼である。神を信じ、キリストによる罪の赦しを受けることで、私たちの眼が新たにされ、汚れたものでなく、神の清いお心がみえてくるようになる。そこからその神の光をもってみるとき、この世や人間にも清いものが浮かび上がってくる。 神を見つつ人間の苦しみをみるとき、そこに何か引き寄せようとする力を感じ、そのような弱さの中にある人へと向かう心が生じる。ここに神の愛のはたらき、聖なる霊のはたらきがある。 聖霊を与えられるとすべてが教えられる、それは神の心がみえるようになるということである。 二種類の喜び 今年はオリンピックがあり、また野球で大記録を作った選手のこともあり、新聞やテレビのニュースでも金メダルをいくつ取ったとか、記録があといくつで達成とかいうことが繰り返し報道された。 日本の選手がアメリカで稀な記録を達成したことは、喜ばしいことであろう。 しかし、こうした喜びとまったく本質的に異なる喜びの世界があるが、それらは決してそのように新聞やテレビなどのニュースでは扱われることがない。 それは天における喜びである。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にある。(ルカ福音書十五・7) よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがある。(同、10) このように、神が特別に喜ばれることは、真実なものに逆らい続けてきた人間が、そのことに気づき、神に向かって自分のそうした罪を悔い改めること、そこに天の国で大いなる喜びがあるといわれている。 これは、よく知られた放蕩息子のたとえ話でもさらに強調されている。 ここに書かれている息子は、父親の財産を父が生きているうちから分け前を受けとって遠いところまで出かけて放蕩のかぎりをつくした生活をし、もう生きていけなくなるまで、落ちぶれてしまった。そこで初めて自分の罪に気づき、どんな仕打ちを受けてもいいから帰ろう、罪を悔い改めて父のもとに帰ることにした。 …そこで息子は、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼を見つけ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうお父さんの息子と呼ばれる資格はありません』。 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせよ。そして、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて喜ぼう。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。(ルカ福音書十五章より) ここでの父親とは神をあらわしていて、神はどんなことを最も重要なこととしているかが明確に記されており、神が最も喜ばれることは何であるかが印象に残る描写で描かれている。 スポーツ界の人たちがもたらす喜びというのと、このような聖書で記している喜びとの違いはどこにあるか、それはつぎのようなところにある。 まず、オリンピックでの金メダルとか、スポーツ界で一位となるということは、他の大多数の人たちにはまずできないことである。 生まれつき病弱な人、歩けないような障害のある人、また貧しさのなかにあって、スポーツをするどころでなく、学校を卒業したのちすぐに一日中働かないといけないような多くの人たちには、特別なスポーツの練習する団体に高額の費用を払うゆとりもない。 またアジアの貧しい国々では、生れてから学校すらまともにいけない、病気すら治してもらえない、食物すらまともになく、おびただしい人々が飢えと貧困に今も苦しんでいる。そこでは、一日中ボールを追いかけてするスポーツなどは夢のなかの世界でしかない。 オリンピックで金メダルをもらう選手、あるいは大記録などをつくるような選手の背後には莫大なお金が動くために、その金にむらがる人たちも生じる。そこにはドーピングといった不正な方法ででもメダルを取れば、自分の国からは莫大な報奨金をもらえるという欲望が巣くうことにもなる。 このように、大々的に報道されるたぐいの喜びは、本質的に普遍性をもっていないのであって、時間的にも場所的にも、ごく限られているし、そこにはしばしば金にまつわる暗い影がつきまとっている。 金メダルを取ったという喜びは、敗者の人には分かつことができない。いわんや貧困にあえぐ国の人たちと共有することもあり得ない。日本人が金メダルをたくさん取ったといって喜んでいるその様子を、アジアの飢え苦しむ人が見れば何を感じるだろうか。 それに一番を取ったといって喜ぶその心は、成績がわるいものを無視し、見下すことにつながる。 またそうした喜びはたちまち時間とともに色あせてくる。だれかが金メダルを取ったとかいう喜びは、ほとんどの人にとって数か月もしたら何の喜びにもならなくなっているだろう。 しかし、聖書に言われている悔い改めに伴う喜びは、勝ち負けによる一時的なものではなく、神の喜びであり、それは悔い改めた本人も最も深い喜びを実感するものとなる。放蕩息子の父は最大限に喜びを現したが、その息子はもう奴隷同様に扱われても仕方がないという覚悟で帰って来たのに、かつてないような喜びで受け入れてくれたということは、この息子にとっても初めての深みある喜びであり、かつてまったくそうした喜びがあるとは知らなかったのである。 そしてこのような、悔い改めに伴う喜びは、天の国の喜びであるゆえに、だれにでも分かつことができる。他の人に悔い改めを指し示して、その人が神に心を方向転換するとき、その人も同様な喜びを持つことができる。神が喜んで下さっているという実感がさらにその人の喜びをも新たにしていく。 悔い改めの喜びは、本人にも最大の喜びであり、周囲の人たちにも大きな喜びとなるばかりか、その喜びは他者にも伝わっていく。 私たちが罪赦された喜びの実感は、はるかな古代にペテロやパウロが自分たちの裏切り行為やキリスト教徒を迫害したような重い罪を赦されて感じた喜びと同質のものなのである。それは連綿と二千年もの歳月を超えて、大河のながれのように人類の魂を流れ続けてきたのである。 スポーツや芸能の世界で一番を取るなどはきわめて少数の生まれつきの能力ある人にしか与えられない。しかし、悔い改めて神のもとに立ち返る喜び、そして神からさらにゆたかな霊の賜物を与えられる喜びは、いかなるひとでも、またどんな社会的状況であっても与えられるものであり、他者にも分かち与えることのできるものである。 私たちはこうした静かな、しかし神に根ざす力強い喜びを求めていくものでありたいと思う。 キリスト者の願い キリスト教の最大の使徒というべきパウロは、新約聖書に収められた彼の手紙につぎのように自分が何者であるかをはっきりと記している。 …人々からでもなく、人を通してでもなく、キリストと神によって使徒とされた…(ガラテヤ書一・1より) パウロは、人によって任命されたのでもなく、人間的血筋とかも関係なく、直接に神によって「召された」(*)と強調している。召されたという原語の意味は、「呼び出された」という意味である。 彼が呼び出されたのは、何のためか、それはユダヤ人以外の人々をキリスト信仰に導き、信仰による従順、すなわち、原語のニュアンスをとって言えば、主イエスに聴き従う(**)ようになるためであった。 …私たちはこの方(キリスト)により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされた。(ローマ書 一・5) (*)・神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ、…(Tコリント一・1) ・キリスト・イエスの僕、神の福音のために選ばれ、召されて使徒となったパウロから…(ローマ一・1) (**)従順とはギリシャ語で、ヒュパコエー hypakoe であり、これは ヒュポ hypo(〜の下) と、アクーオー akouo(聴く)から成っており、「〜の下で聴く」という意味。 人間は、神に聴くという姿勢をはじめからだれも持っていない。神などいないと思っているから当然である。ただ自分の欲望、本能、考え、感情などで動いている。それに聞いているのである。そのような人間の根本的な方向を変えて、神に向き直り、神に聴こうとする姿勢へと転換させるために、パウロは呼び出されたのである。 私たちもキリスト者となったのは、そのためであって、日々の行動や考えることが自分という人間、あるいはほかの人間の言うままに従うのでなく、神、あるいは主イエスに聞いてそれに従おうとする姿勢を持つようにと呼び出されたのである。集会の参加においても、他人との交わりにあっても、自分が○○したいとかでなく、神はどちらを喜ばれるだろうか、と考えること、まず神に聴こうとする姿勢である。 そしてまたそれをパウロは言い換えて、「あなた方がキリストのものになるように、キリストに属するものとなるように、呼び出された」とも言っている。 私たちは、自然のままでは、罪のとりことなっている。罪というものの奴隷だと言われているように、自分中心に万事を考えていく。そのような状態から解放して、キリストのものとならせるためだというのである。 私たちはそれぞれ日本という国に属しているし、それぞれ会社や家庭に属している。しかしキリスト者となったということは、そのように属していながら、魂はキリストに属するようになったのである。私たちの国籍は天にある、とパウロは別のところで言っているがそれと同様である。 次にパウロは、キリスト者とは、神に呼び出されて「聖なる者となった」と言っている。これも、神から呼び出されて、直ちにいわゆる聖人になったというのでなく、「神のために分かたれた者になった」という意味である。 日本語の聖人というのと、聖書の書かれたギリシャ語において、「聖なる者」(ハギオイ hagioi) というのでは意味が大きく異なっている。どんなに不完全な者であっても、私たちがキリスト者となったということは、神から呼び出されたということであり、それはすなわち神のため、神の国のためにこの世から分けられた存在になったということなのである。 キリスト者というのは、器なのである。土で作られた汚れた、しかももろい器なのである。 欠点はある、人間的なところもいろいろと残っている。それはたしかに壊れやすい土の器でしかない。しかしその土の器に、神の国の大いなる宝を盛ってそれを神は他者に分かち与えようとされているのである。 このことを私たちが深く知らされるとき、自分の欠点とか罪、弱点などにいつまでもこだわることはない。ただそのような器にも高価なる真珠にたとえられる天の国の宝を盛ってくださった神に感謝し、その宝を他者に分かち、伝えていけばよいのである。 パウロはローマに行きたいという強い願いを持っていた。しかしそれは、もちろん自分の楽しみのためでなかった。ふつう、人間がどこかに行きたいのは、ほとんどが単なる会社の用事であったり、観光や気晴らしなど、自分の希望や楽しみのためである。 そこには自分というのが中心にある。自分がそこに行きたい、見たい、遊びたい、等々である。 しかし,パウロは、聖霊によって与えられた力や真実、愛、洞察、預言などの賜物をローマの人々に少しでも分かちたい、与えたいということが目的であった。人間は、キリストに導かれるときこのように、人に会う時でも、自分が気の会う人だから会いたい、といった自分中心でなく、相手の人に分かちたいという気持ちになる。 病人に会うということも、そのように会いたいというより、その人に何か力を与えたい、分かちたいという気持ちなのである。 あなたがたにぜひ会いたいのは、(神の)霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからである。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのである。(ローマの信徒への手紙一・11〜12) 私たちの究極的な生き方がここにある。それは「神から霊の賜物を受けて、それを他者に分かつこと」である。 神からの霊の賜物のうち最高のものは、愛であるから、これを言い換えると、神から愛を受けて、その愛を他者に分かつということである。 ここにキリスト者の最終的な願いがある。 人生の生き方などというと千差万別のように思われているし、実際人間の数だけ生き方はある。 万人にとって共通して一番よい生き方などない、と思っている人が多数ではないだろうか。しかし、神のご意志ははっきりとしている。 霊の賜物の最高のものが神の愛であることは、他の聖書の箇所ではっきりと言われている。 あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。… 信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 愛を追い求めなさい。(Tコリント十二・31〜十四・1より) このようにパウロは自分が受けている神からの恵みをローマのキリスト者たちに分かちたいという切実な願いのゆえに、彼等に何とかして会いたいとねがっていた。それほどパウロには神からの賜物があふれていたのがうかがえる。旧約聖書の詩集(詩編)に、つぎのようなのがある。 …神はわが牧者なり、我には乏しきことなし。 神は我を緑の牧場に伏させ、憩いの水際に伴われる。 …わが杯はあふれる。(詩編二三より) これは神から与えられた賜物を豊かに与えられていた魂の声である。同様にパウロはさらに深くキリストの恵みと賜物で満たされていた。それゆえこのように、「互いに励まし合いたい」と言っているのである。互いによきものを与え合う。私たちもこのような生き方をすることはできる。その第一歩は、互いに祈り合うことである。 キリスト者たちが日曜日ごとに、あるいは他の曜日に持たれる家庭での集会なども、それはパウロが言っているように、互いに霊の賜物を分かち合うことであり、励まし合うことがその目標となる。 主がそれらの集会のうちにいますとき、必ず参加する者たちは互いに励まされ、各自の受けた賜物を知らず知らずのうちに分かち合うことになっていく。 「二人、三人私の名によって集まるところに私はいる」と主イエスが約束してくださったとおり、その集まりのうちにいます主が、そのように賜物を与え、分かちあえるように目に見えない力で導いてくださるのである。 しかし、もし人々の間に主がいてくださらないならどうであろうか。人間同士は互いに自慢しあったり、他者のわるいところをいったり、あるいは互いのうさばらしなど意味もないおしゃべりに時間を費やすことになりがちである。 しかし、主がそこにいて下さるときには、天の国がそこに実現しているのであって、そうした集まりのなかに命の水が流れはじめる。一人で家にいるときには与えられないような平安や魂の満たしを実感することができる。 「ローマにいるあなた方にも、ぜひ福音を告げ知らせたい」とパウロはまだ会ったことのない、ローマのキリスト者たちに、神からの愛と情熱をもって語ろうとする。 福音とは、その原語の意味は、「よき知らせ」である。(*)(実際、そのように「聖書」のタイトルを「Good News」と付けた聖書も外国にはある。) (*)福音とは、ギリシャ語で、ユウアンゲリオン euangelion という。ユウ eu とは「良い」という意味、アンゲリオンは、アンゲロウ という「知らせる」という動詞がもとになっている。この言葉かは、英語のevangel(福音)とか、人名の エヴァンジェリン(Evangeline)などが作られている。この人名は、エヴァと短縮されたりして、ストー夫人のアンクルトムの小屋とか、ロングフェローの長編詩「エヴァンジェリン」の主人公の名としても使われている。 この世は新聞やテレビ、あるいは、周囲の人間は、本当によき知らせというのを持っていくことはできない。だれかが優勝したとか、試合で勝利したとか、よい人と結婚したとか、出産したとかも一種のよい知らせではある。しかし、次に負ければたちまちわるい知らせとなり、結婚後に悲劇的な離婚となったり、子どもが成長して親に限りない苦痛を与える場合もあり、それらを見てもわかるように、この世のよい知らせはたちまち悪い知らせともなってしまうもろいものである。 パウロが情熱をもって告げようとしている、キリストの福音こそ本当の意味で良き知らせなのである。それこそは、使徒たちの時代から今日まで良き知らせであり続けている。 それはどんな絶望の人、重い罪を犯したり、死の病にある人、孤独な人、貧しいひとたち、そのような最もくらい状況に置かれ、もはや何のよい知らせもないと、絶望しているひとたちにすら、良き知らせであり得るのである。 そのような驚くべき永遠性をもった良き知らせ、だからこそパウロはそれを命がけで人々に伝えようとしたのであり、以後二千年にわたって世界中でその福音は語り続けられてきたのである。 今日も、それはよき知らせであり続けている。神は太陽の光のように、絶えずよき知らせ、罪の赦しと、死に打ち勝つ力の存在(復活)、そしてこの世は最終的に新しい天と地になるという永遠の良きニュースを神の国から私たちへと送信しつづけてくださっているのである。 この世は何が支配しているのか 旧約聖書にはダニエル書(*)というわかりにくい書物があるが、そこには一読して分かりやすいと思われる内容もある。 例えば、王を神のように拝めという命令に従わなかった三人の若者たちは、火に投げ込まれるが、驚くべき神の守り、すなわち御使いたちによって救い出されたこと、また、ダニエルが、王の命令に背いて、自らの信じる神に毎日祈りと讃美を捧げていることが見つかり、ライオンのいる洞窟のなかに投げ込まれる。しかし、そこでも神の守りによって危害を受けなかったことなどが書かれている。 (*)ダニエルという名前は、有名な指揮者かつピアニストのダニエル・バレンボイムのような人名としてなじみがあり、私もキリスト者となるずっと以前からダニエルという名前は知っていた。ダニエルとは、ディン(裁く)と、エル(神)とから成っており、「神は裁く」という意味をもっている。 このような内容は、子どもの日曜学校のテキストにも書かれてあり、あまりにも非現実的だということのためか、単に興味深い昔話として読まれてしまい、現代の私たちと関係のないものと思われがちである。 けれども、このような驚くべき奇跡によって、このダニエル書は永遠のメッセージを神から私たちへ伝えようとしている。それは、この世は悪が至るところにあり、その悪が支配しているように見えるし、実際に悪しき権力者やその部下たちによって正しい人たちが実に無惨に捕らえられ、苦しめられ、殺されていく。 しかしいかに現実の世界で神などいないと思われるような暗い状況においても、背後には、神の驚くべき守りがあり、御計画があるということへの確たる証言なのである。 信仰のゆえに、神を信じる者が著しい苦しみを受けるということ、それはこのダニエル書の時代だけでなく、ずっとはるかな古代から今に至るまで続いている事実である。 ダニエル書が書かれた時代は、この書物のさまざまの記述を綿密に研究することによって、紀元前一六八年頃といわれている。それは、その頃にイスラエルに激しい迫害を起こした、アンティオコス・エピファネス四世(**)の時代の頃に書かれた書物だとされる。このことは、旧約聖書続編(***)の、マカバイ記という書物に詳しく記されている。このマカバイ記は、新共同訳では87頁にわたっており、創世記とほぼ同じ分量で、当時のアンティオコス・エピファネス四世の迫害の状況が具体的、詳細に記されている。 (**)アンティオコス・エピファネス四世とは、在位 BC175〜163。アレクサンドロス大王の死後、創設されたセレウコス王朝の支配者のうちの一人。マカバイ記には直接彼の名前が何度か記されている。「そしてついには、彼等の中から、悪の元凶、アンティオコス・エピファネス四世が現れた。…」(マカバイ記一・10) (***)旧約聖書続編とは、外典とも言われる。ヘブル語旧約聖書に含まれていない文書で、キリスト教会によって、尊重され、正典ないし、それに準ずる位置を与えられてきた諸文書をいう。有名な古代教父たちの間でもその位置づけについては意見が分かれていて、ヒエロニムスは旧約正典と外典を区別したが、アウグスチヌスは正典と外典を区別しない立場を取った。旧約聖書から新約聖書の間には大体において数百年の隔たりがあり、その間に書かれた文書は、その頃の歴史や当時の人たちの信仰を知るためには不可欠のものである。 ここでは、とくにその七章について見てみよう。 ダニエルは、一つの夢を見た。それは次のような内容である。 … 天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。 すると、その海から四頭の大きな獣が現れた。それぞれ形が異なり、第一のものはライオンのようであった。… 第二の獣は熊のようであった。 次に見えたのはまた別の獣で、豹のようであった。 第四の獣は、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには十本の角があった。 その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて、先の角のうち三本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた。…(ダニエル書 七章より) このような記述だけをみれば、全くなんのことか分からない人が多数を占めるであろう。ダニエル書は当時の世界の歴史的な状況を描いているのである。海から四頭の獣が現れたという。現代の私たちと異なって、聖書の時代には、海はその深い闇と大量の水によって舟でも人間でも呑み込まれたら二度と帰っては来れないということなどから、得体の知れない恐いもの、サタンがそこに住んでいるとみなされていた。黙示録にも、悪魔から力を受ける一頭の獣が海から現れることが記されている。(黙示録十三・1〜2) ここで言われている四頭の獣とは、バビロン、メディア、ペルシャ、ギリシャとされている。 そして、第四の獣の十本の角から、一つの小さな角が生えてきて、ほかの角は引き抜かれ、傲慢な態度であったという。 この小さな角こそ、ダニエル書の書かれた時代に最も厳しい迫害をして、民を苦しめた、アンティオコス・エピファネス四世であり、ダニエル書全体がこのときのはげしい迫害を背景として記されている文書なのである。 この支配者がいかに神の民を苦しめたかについては、さきに述べた旧約聖書の続編に含まれるマカバイ記に詳しく記されている。その一部をここに記す。 …そしてついに彼等の中から、悪の元凶、アンティオコス・エピファネスが現れた。彼はエジプトを侵略し、その後で、イスラエルへの攻撃に転じて、エルサレムに大軍とともに進軍した。そしてこともあろうに、人々が最も神聖だとする聖所に入り込み、金の祭壇、燭台、その他の神への礼拝に用いる用具などを奪い、金の装飾とか金銀の貴重な祭具類をはぎ取り、略奪のかぎりをつくして国に帰っていった。 数年後、再び大軍をともなってアンティオコス・エピファネス四世はエルサレムに来て、イスラエルの人々をだまして、平和交渉と称して襲いかかり、多くのイスラエル人を殺した。そして略奪をした上で、都に火をつけて、家々や都を取り囲む城壁を破壊した。女、子どもは捕らえられた。… 聖所での焼き尽くす献げもの、いけにえ、なども中止し、安息日や旧約聖書にもとづく祝祭日も中止、聖所を汚し、そのうえで、異教の祭壇や偶像を作り、人々がながく守ってきた割礼を禁止した。要するに神からうけたとして守ってきた律法を忘れさせようとした。そして律法の巻物を見つけるとそれを引き裂いて火に焼いた。それを隠していたのが見つかったり、律法に従って生活を続けている者は、見付け次第処刑された。子どもに割礼を授けた母親は、王の命令で殺し、その乳飲み子を母親の首につるして、その家族の者たちまでも命を奪った。(旧約聖書続編 マカバイ記T一章より) この記述と、旧約聖書のダニエル書にある次のような記述を比べてみれば、それが共通した内容を持っていることに気付く。 その上、天の万軍の長(神)にまで力を伸ばし、日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した。 また、天の万軍(イスラエルの人たち)を供え物と共に打ち倒して罪をはびこらせ、真理を地になげうち、思うままにふるまった。 わたしは一人の聖なる者が語るのを聞いた。またもう一人の聖なる者がその語っている者に言った。「この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか。」(ダニエル書八・11〜13) また、このことは、さらにダニエル書の十一章においても再び記されている。 彼(アンティオコス・エピファネス四世)は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。 契約に逆らう者を甘言によって棄教させるが、自分の神を知る民は確固として行動する。 民の目覚めた人々は多くの者を導くが、ある期間、剣にかかり、火刑に処され、捕らわれ、略奪されて倒される。(ダニエル書十一・31〜33) 以上のように、マカバイ記に記されている迫害の背景を知ってはじめて、ダニエル書がそれと同時代に書かれた文書であるということがはっきりと感じられるようになる。 つぎに、マカバイ記Uの六〜七章の中からより詳しい記述を引用する。 息子に割礼をしたという理由で、二人の女が引き出され、その胸に乳飲み子をかけられ、、彼女たちは町中引き回されたあげく、城壁から突き落とされた。また近くの洞窟にて、秘かに安息日を守っていた人々があったが、密告され、みな焼き殺されてしまった。… 律法学者として名声のあったエレアザルはすでに高齢であったが、口をこじ開けられ、律法で禁止されている豚肉を食べるように強制された。しかし、彼は神の律法で禁止されているものを食べるよりは、むしろ死を受け入れることを選び、それを吐き出してすすんで拷問をうけようとした。そのとき、彼と知り合いの者が豚肉の代りに清い肉を食べて、豚肉を食べたようにみせかけることをひそかに連れ出して勧めた。しかし、エレアザルはそれを断ってこう言った。 「我々の年になって嘘をつくのは、ふさわしいことではない。そんなことをすれば大勢の若者が、エレアザルは九〇歳にもなって、異教に転向したと思うだろう。そのうえ、彼等は、ほんのわずかの命を惜しんだ私の欺きの行為によって道を迷ってしまうだろう。また、私自身、わが老年に泥を塗り、汚すことになる。たとえ今ここで、人間の責め苦を免れたとしても、全能の神の御手からは、生きていても死んでも逃れることはできないのだ。」このようにして進んで責め苦を受けて、世を去っていった。 また、七人の兄弟が母親とともに捕らえられ、律法で禁じられている豚肉を食べるよう強制された。しかし、彼等は「律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできている」と言って、拒んだ。王は激怒して大鍋を火にかけさせ、兄弟のうちで代表的な者をまず母の面前で王に逆らったゆえにその舌を切り、頭の皮をはぎ、からだのあちこちをそぎ落とした。見るも無惨になった彼を、息のあるうちにかまどのところに連れて言って、焼き殺すように命じた。このようにして、次々と殺されていった。しかし彼等は、王に対して次のように言って世を去っていった。 あなたは、この世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王は律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせて下さるのだ。 たとえ、人の手で死に渡されようとも、神が再びよみがえらせて下さるという希望をこそ選ぶべきである。(「マカバイ記U 七・9〜14より) このように、最も厳しい迫害のさなかにおいて、旧約聖書でははっきりとは言われていなかった復活ということが明確に確信をもって言われている。 そしてダニエル書においても、つぎのように、旧約聖書では復活のことが唯一明確に記されている。 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く。(ダニエル書十二・2〜3) 旧約聖書の長い時代において、死者からの復活ということは記されなかった。神の霊を豊かにうけたアブラハム、モーセ、サムエルなどの数々の預言者たちも、死の力に勝利する復活の力が与えられるということは啓示されなかった。それゆえ、創世記などでも、ヤコブは自分の子どもがエジプトから帰らなくなるかも知れないことを知ってつぎのように言っている。 …何か不幸なことがこの子(ベニヤミン)のうえに生じたら、お前たちはこの白髪の父を、悲しみのうちに、陰府に下らせることになるのだ。…(創世記四十二・38) このように、単に死後の暗い陰府と言われたところに下るとしか思っていなかったのであるし、モーセのような旧約聖書の最大の人物、再び彼のような預言者は現れなかったと記されているほどの人物でも、「主の僕モーセはモアブの地で死んだ」と書いてあるだけで、天に昇ったとか、神のところに帰ったといった記述はまったくされていない。(申命記三十四章) 復活という、きわめて重要なこと、それがなかったらキリスト教という信仰のかたちもあり得なかったのであるが、それは、キリストより百七十年ほど昔のダニエル書において初めて明確なかたちで記されているのである。多くの人たちが神の律法のゆえに命を落とし、拷問され、苦しめられた。それは民族の危機であり、それを支えてきた信仰の存亡の危機であった。 けれども、神はそのような苦難をも決して無駄にすることはなさらない。この苦難の時期において記された、マカバイ記やダニエル書によって、復活というキリスト教の柱となる真理が明らかに示されたのである。 さらに、こうした苦難によって、打ち倒され、神への絶望に打ちひしがれるのでなく、ダニエルを通して、いかに悪魔的な支配をふるうものであっても、それらはすべてある期間までのことであって、それが終わればたちまち神の裁きを受けて滅んでいく、という神の支配がこれも明確に示されることになった。 そして最終的には、神の全面的な力と支配の力をうけた「人の子のようなお方」が現れてすべてを神の善きご意志のままに愛と真理の支配をなされるということなのである。 この「人の子」という表現は主イエスも用いられた。そしてイエスの再臨のときに語られた主ご自身の表現でも、ダニエル書の表現とはっきりした類似点がある。 夜の幻をなお見ていると、 見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り 年を経たと見えるお方(神)の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。(ダニエル書七・13〜14) ダニエル書で言われている、「人の子のような者が天の雲にのって…」という表現は、つぎの主イエスご自身が言われたことを思い起こさせる。主イエスはこのダニエル書の言葉にさらに新しい意味づけをされ、世の終わりに現れるご自身を表す言葉として用いられたのである。 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見る」。(マタイ福音書二六・64) また、人の子のような者が、神の前に来て、永遠の支配権、力を受けて、諸国はみな彼に仕え従うということは、新約聖書の黙示録で言われている、次の表現と同様な内容を持っていると言えよう。 …小羊(キリスト)は、主の主、王のなかの王であるから、彼ら(神に敵対する王たち)に打ち勝つ。(黙示録十七・14より) ここでいわれていることは、小羊といわれるキリストは、あらゆる上に立っている者(主)たちの、さらに上に立っておられる存在であり、この世のあらゆる支配者(王たち)のはるか上にあって、それらの権力者たちを支配なさっているお方だとということである。 このような人間を超えた力、支配力は、人間が持つことはできない。それはダニエル書でいわれているように、神から直接に受けなければ持てない力である。 ダニエル書は旧約聖書にあってすでにキリストが神と同質のお方であるということを預言しているのであって、キリスト教の時代になって明らかにされていった、三位一体という真理を暗示していると言えよう。 このように、ダニエル書は、特別に残酷な迫害をもって人々を苦しめたアンティオコス・エピファネス四世の時代に書かれて、そこから悪魔の支配がはびこっているただなかであったゆえに、この世は何が本当に支配しているのか、という問題をとくに焦点をあててダニエル書全体にわたってさまざまの内容、表現をもって答えようとしているのがわかる。 ダニエル書のはじめの部分にあり、この文のはじめに引用したことをここで思い起こしてみよう。 偶像礼拝をしないという罪のために、燃える火の中に投げ込まれた三人の人たちが、神の助けによって不思議に助け出されたこと、またライオンの餌食に投げ込まれた洞窟で、驚くべき守りによって命を長らえたという二つの出来事は、ありもしない昔話とか、子ども向けのお話などいうことでなく、命をかけて唯一の神への信仰を守り抜こうとしたときの驚くべき助けの経験をふまえていわれているのである。恐ろしい迫害の時代にも、通常の平穏なときには想像を絶する責め苦に遇いながらも、そこに向かっている人たちが絶えなかったのは、このような奇跡ともいうべき助けが与えられたからであっただろう。外見的には助けなく、殺されていったように見える人であっても、その心の中に、御使いが現れて火の中、ライオンの中のような厳しさのただなかに、神の御手が伸ばされ、自らの魂が守られているのを実感したと考えられる。 火の燃える炉とは、すなわち激しい敵意であり、憎しみであるし、飢えたライオンとは、食いつくそうとするようなこの世の力、権力を象徴的に表している。私たちが神の御手にしっかりと捕らえられているかぎり、この世の力がいかに私たちを食いつくそうとして襲いかかってもなお、私たちはふしぎな守りを与えられてその魂が導かれていくのである。 ダニエル書とはこの世の悪との戦いについての勝利を述べた書だと言える。そのために、神とはどんなお方であるかということについても、そうした側面から強調されている。 ダニエルが見た神のすがたは次のように記されている。 … なお見ていると、王座が据えられ 長く年を経たと見える者(神)がそこに座した。その衣は雪のように白く その白髪は清らかな羊の毛のようであった。その王座は燃える炎 その車輪は燃える火 その前から火の川が流れ出ていた。…(ダニエル書七・9〜10より) ダニエルが見た神の姿は、何よりも罪の汚れの一切なく、完全な清いお方であるということ、そして永遠の存在者であることであった。さらに強調されているのは、神の王座は燃える炎であり、神は自由に動くことができるので車輪のようなものの上に座しておられるという見方がここでなされており、その車輪そのものが燃える火であったという。さらに神の前からは火の川が流れだしている…ここでは「火」ということが繰り返し強調されていて、それは裁きの象徴として用いられている。 この書物が書かれた時期は、悪の力が支配して神に従おうとする人たちをふみにじっていたゆえに、いつまでこのようなことが続くのか、との真剣な問いかけに答える内容がこのダニエル書には満ちている。 悪がいかにはびこって支配しているように見えようとも、神はそうした悪を滅ぼす火のような力で満ちた存在なのである、だから悪を働く者たちの運命もごく限られているのであって、時が来たら、神から出る火の力によってたちまち滅びていくのだ、というメッセージが込められている。 このように、ダニエル書においては、神の愛という言葉は現れないで、神の悪への支配の力が強調されている。そして神が悪を滅ぼすのも、苦しめられている人たちへの愛ゆえであると言える。 現代に生きる私たちにとっても、悪の問題はつねに最大の問題であり続けている。アメリカのイラク攻撃、またイスラム原理主義の人たちによる無差別的テロ攻撃、あちこちで生じる犯罪、悲劇などなどすべては要するに悪の問題であり、この世を悪が支配しているのではないか、神などいないのではないかという深刻な疑問を抱かせるような事態が次々と生じている。 こうした中において、ダニエル書の私たちへのメッセージは闇に輝く光のように浮かび上がってくる。悪に対する神の力の勝利、その確信こそは最も私たちに必要なことなのである。 休憩室 ○秋の山 最近の山は春以上に野草の花が見られる季節です。先日九州の全国集会のおりに、妻の実家に寄ったがそこから別の訪問先へと車で移動していたとき、とある山道にさしかかりました。初めての道でしたが、ちょうどその山道の両側には、小さい青紫色の花をたくさんつけるヤマハッカと、秋の七草に含まれる有名なフジバカマとほとんど花自体は同じであるヒヨドリバナ、そしてその仲間であるサワヒヨドリ、黄色い花をつけるヤクシソウ、それから山の野菊として代表的なヤマシロギク、シラヤマギクなどが次々と咲いていて、花の道のようでした。関西、四国、九州などは大体このような似た野草が見られ、これらを覚えるとどこに行っても友達がいるような親しみを感じつつ、そして神の創造のゆたかさを味わいつつ道を進むことができます。 秋の山のこうした花の季節には、それらの色やかたち、その群生の姿、周囲の樹木や草のたたずまいなどが全体としてハーモニーを奏でているのを感じます。 ○明け方にみえる金星(明けの明星)のことを何度か紹介したので、初めて明けの明星を見たとか、あんな強い輝きとは知らなかったといった連絡を何人かから受けました。今年は台風が多く、前線の活動も活発で曇り空が多くせっかく早起きしたのに見られなかったとの声も聞きました。もうじき見えなくなるので、まだ見たことのない人は、天気予報でよい天気だと確認して早起きしてぜひ見ておくとよいと思います。早朝四時ころには、金星は東から上がってきていますが、東から南東の空にかけては金星の上方に、しし座の一等星レグルスがあり、そのさらに上方には土星がふつうの一等星の明るさで見られます。さらに上方には双子座という名前のもとになっている二つの明るい星のポルックスと、カストルがあり、それをもっと北よりに真上の方向には、御者座の一等星カペラが強い輝きを見せています。また南東には、シリウスの強い輝き、小犬座の一等星プロキオン、オリオン座の二つの一等星などがきらめいています。このように明るい星が明けの明星を第一として、一度にたくさん集まって見られるのはあまりないので、そういう意味でも今の機会に見ておかれることをお勧めします。 ことば (195)人の生涯には、いつか突然、単純な信仰の境地が訪れて、神への真の愛がなければ、どんな信仰も、教義的な知識も、魂の向上に役立たないことがわかり、反対に、心のなかに神への愛があれば、一切が明らかになり、容易になり、単純になる、ということを示される。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」 上・八月二日の項より) Einmal im Leben des Menschen kommt plozlich das Einfach und zeigt ihm,das ohne die rchte Liebe zu Gott aller Glaube und alle dogmatische Kenntnisnicht vorwarts hilft,warend mit dieser Liebe im Herzen alles klar,leicht und einfach wird. これは、主イエスが、一番大切なことは、神を愛すること、それと同様に隣人を愛すること、と言われたことに通じるものである。神への真の愛、それはいつも主イエスによってうるおされているものであるが、それがなかったら、いろいろの学問的な知識も、それをもって誇り、他者を裁いたり、見下したり、自分を正当化したりするのに使われてしまう。また神への真の愛があるなら、神もその聖霊と愛を注がれるゆえに、主イエスが約束されたように、「聖霊があなた方にすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせて下さる」(ヨハネ十四・26)となる。神への愛があればあるほど、神と一つになるということであり、神のお心、ご意志も伝わってきて、隣人への愛も与えられ、いろいろの出来事、自然のたたずまいなどにもその背後に神の愛の御手を実感できるようになっていき、ただその愛を日ごとに受けて、またそれを他者に与えるという単純な生活へと導かれる。私たちもそのような聖なる単純さを与えられたいと思う。 (196)この逆境の中にもいいことがある。私たちの眼と耳とがだんだん開かれてきているんだ。神が私たちに語られるとき、神の声など聞こえっこないようなところから、静かな小さな声で神は話しかけておられるんだ。(「死の谷を過ぎてークワイ河収容所」) ・この本は、今年五月号の「はこ舟」誌で紹介したことがある。太平洋戦争のときに日本軍は、タイとビルマを結ぶ密林や山岳地帯という困難な場所に430キロメートルに及ぶ鉄道を建設した。あまりにも苛酷な労働酷使のために、毎月二千人を超える人たちが死んでいくというおびただしい犠牲者が生じた。その地獄のような生活を強いられた人たちのなかで、驚くべきことに神への信仰を強く持ち続け、キリスト者としての生き方を貫き、他者のために犠牲になる人、死に瀕している人たちへ献身的な愛を注ぐ人たちが現れた。この本の著者も同様であった。自分が置かれている恐ろしい状況、毎日やせ細った人たちが病気の苦しみにさいなまれ、死んでいくという光景を目の当たりにしながら、それでも神からの語りかけが一層よくわかるようになっていくという驚くべきことが生じていった。神はたしかに、思いも寄らない苦しい状況、敵対する人、あるいは病気で寝たきりの人、また野の花や空にひろがる青い空、吹く風の音など、またそれとはまったく異なる都会の喧騒のただなかなど、さまざまのことから神は語りかけておられる。私たちが心の耳をすまし、静かな小さい語りかけに耳をすますことが求められている。 (197)弱い者が強い者を必要とするだけでなく、強い者もまた弱い者なしには存在しえない。弱い者を排除すればそれは交わりの死である。(「信じつつ祈りつつーボンヘッフアー短章366日」 70P 新教出版社 ) ・病気や性格、または能力、老年などでさまざまな意味で弱い者は強い者が必要だというのはすぐにわかる。医者とか健康な者、能力のあるもの元気なものがそうした人たちを支え、いやし運ぶからである。 しかし、強い者が弱い者なしには存在できないのだ、というのは多くの人たちにとって不可解であろう。それは新約聖書のなかに深く見られる。パウロが「弱いところに神の力は完全に現れる」(Uコリント十二・9)と言ったが、弱さのなか、弱い者と自覚するところや、そのような弱さを持った人たちとの関わりによって神から力を与えられて強い者も支えられる。それゆえ弱い者を排除しようとするような人間の交わり、集まりは神の命を与えられなくなって、枯れていく。 返舟だより 今月もいろいろの方から読後感とか励まし、また祈りを届けて下さった方々があります。その中からの一部です。 ○確かに、私どもは、この地上での暗く不健康な面を目にしがちですが、そうした中に「主の慈しみ」のあることをあらためて思わざるをえません。混乱の世界を通して、みことばが今日まで語りつがれ、そして今後もまた語りつがれようとしているところに、新たな力のわき起こるのを覚えます。感謝と希望をもってこれからの毎日を歩みたいと存じます。そのことをはっきりと示して下さいましたこの度のご文章に、心から感謝申し上げます。(関東地方の方) ○九月号にあった「私たちが召されたのは、苦しみを受けた時でもキリストを思って甘んじて受けるため、また祝福を受け継ぐためである。」何と直截(ちょくせつ)(*)で、身のひきしまるおことばでしょうか。それと同じ思いで、「相手によきことがあるようにとの祝福の祈りにも似た気持ちがなければ平和な関係とは言い難い」という言葉にも共感しました。(関東地方の方) (*)表現がまわりくどくなく、きっぱりしていること。「ちょくさい」とも読む。 ○…私の心のなかの聖霊が曇りを取り去られ、新しくなるのを覚えます。これからも御誌を愛読させていただきたくお願いします。(東北地方の方) ・今後とも、神の言葉が、私たちの内なる曇りを取り去って下さり、新たな力を受ける一つの手段としてこの「はこ舟」が用いられますようとねがっています。 ○先日は、「はこ舟」誌とともに「ともしび」をお送りくださってありがとうございました。「ともしび」は皆様の証しとして、掲載された内容は、はじめから終りまですべて、老齢になって何もできない私には心に残ることばかりでした。今日もまた、開いては読ませていただきました…。(中部地方の方) ○「今日のみ言葉」(*)は、今月のみ言葉として繰り返し読ませて頂き、励まされております。また野草と樹木たちの珍しい写真と解説はとても嬉しく慰められております。先生のお宅の近くの山には神様のお造りになって見事な草花やきのこなどがたくさんあり、御業の素晴らしさをいまさらのように思いながら眺めております。(関東地方の方) (*)「今日のみ言葉」とは、インタ−ネットメールで希望者に私が毎月二〜三回程度送付しているもので、短い聖書の言葉とその説明、そして「野草と樹木たち」というタイトルで、わが家のある山や、各地の集会で聖書の学びをしていますが、そこへ行く途中で写した野草などの写真を入れてその解説を付けてあるものです。希望者は、私、吉村(孝)宛てに申込んでいただきますと、お送りします。 ○偶然のように、徳島聖書キリスト集会のHP(*)に導かれ,はじめて「今日のみ言葉」を読み,命の水に心洗われる思いが致しました。メールですべての項目を定期配信していただけることに感謝します。(近畿地方在住で、ホームページを見て申し込まれた方です。) (*)http://pistis.jp ○「はこ舟」九月号の中で、特に「平和の原点」の論考に同感、共感をもって読ませていただきました。キリストにあってまず本当の平和を持つこと、それが社会的平和以前に求められている。このことを人類全体が、いや私自身が忘れている、そのことが根源的な「罪」なのではないかと感じさせられます。 人間の最終的な目標は、神への讃美にある、 アーメンであります。(関東地方の方) ○全国集会 十月九日(土)〜十日(日)に福岡市で、キリスト教(無教会)全国集会が開催されました。今回は、韓国、中国の参加者も交えて、聖書講話、発題などもなされ、夜の自由参加のプログラムとして教育基本法と平和憲法に関する有志のがなされたことが従来になかった内容でした。ただ、中心となるべき主日礼拝の聖書講話が二人によってなされましたが、配当された時間が長すぎた上に、その内の一つはとくに、学者の研究発表的な内容であって、苦しむ人、問題をもった人への福音とは言い難いものがあったのは残念でした。 学者のようにでなく、主イエスが語られたように神の権威と聖霊とによって、しかもだれにでもわかる言葉で、今苦しんでいる人、闇にあるひとたちを見つめ、福音そのものを語る人が起こされますようにと特に願われます。 しかし、全体としては、会場には神の霊、いのちの水というべきものが注がれ、それにうるおされた人たちも多かったと思われます。そしてこのような機会でなければ与えられない、中国や韓国からの参加者による発題や、久しぶりの方々との出会い、主にある交流が与えられて、今後も共に歩むための基礎が与えられました。また、多くの資料の作成など、それらの担当にあたった方々の主にある御愛労に感謝です。そうした働きが今後もよき実りを結ぶようにとねがっています。 また、インタ−ネットのホームページを通じて、「はこ舟」や「今日のみ言葉」の読まれるようになったある方が福岡に在住で、その人も初めてこの全国集会にも土曜日だけ参加。集会の終わった翌日に、私たちの集会から参加した有志の人たちがその方を訪問して、そこに信仰を求めている未知の方も参加していて、予想していなかった交流も与えられました。 私は福岡からの帰途、広島に立ち寄り、私どものキリスト集会とも関わりのある谷口 与世夫兄を訪問しました。谷口さんは足が弱くなって歩くのも不自由でしたが、霊的には主からの力を与えられ、支えられているのを実感して私にとっても恵みのひとときを与えられ、感謝でした。 |
2004/10 |
祝福を受け継ぐために 2004/9 これだけ世の中に不合理なこと、暗いことが多いのに、愛の神が本当におられると信じることができるようになる、これは実に不思議なことである。 自分自身のことを考えても、キリスト教とか神とかには全く関心がなかったのであるが、前号に書いたようにある日突然にして私は神とキリストが私たちのために働いて下さっているということを知らされた。そしてそれを今から思っても不思議ないほどにすぐに受け入れることができた。 これは自分の意志でもなければ他人からの誘いもなく、ほかの人間や組織の意志でもない。人間を超えた神からの呼びかけだということをはっきりと感じたのである。 この世は、偶然と金や権力などの力、あるいは悪の力しかないように見える。しかし、その中にあって、生きて働く神がおられ、その神が私を呼んで下さったのであった。 聖書においても、私たちを呼び出される神のことがしばしば現れる。呼び出すという言葉に対して「召される」という訳語が多く使われている。しかし、これは現代の私たちにはどうも親しみにくい言葉である。ふだんの日常生活で、召されるなどという言葉を耳にすることはまずない。せいぜい、キリスト者が死んだときに○○さんは召された、ということを聞く程度である。 この「召す」という日本語は、古くからさまざまの意味に使われる言葉で、「御覧になるとか、治める、呼び寄せる、取り寄せる、食べる、飲む、服を着る、乗り物に乗る」などなど多方面に使われる。 それだけに、私たちが聖書を読むときに、原語の持っている明確な意味、「呼ぶ」という意味があいまいになってくる。 使徒パウロはその代表的な手紙においても、その冒頭に、「パウロ、キリスト・イエスの僕、福音のために選び出され、召されて使徒となった…」(ローマ一・1)のように、神から呼び出された(召された)ということを記している。それはパウロの心にいつもあった原点であったからである。キリスト者とは神が呼んで下さったと実感した人たちであるということができる。 なぜ神は私たちを呼び出して下さったのだろうか。それは私たちが単に自分だけの安楽な生活をするためでない。 …悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。(Tペテロ三・9) 私たちが召されたのは、不当な苦しみを受けたときでもキリストを思って甘んじて受けるため、また、祝福を受け継ぐためである。私たちは苦しみとか悪意とかに反発して憎しみを返すことなく、相手のために祝福を祈るために神から特に呼び出されたと言われている。 この祝福ははるか数千年も昔から、受け継がれてきた。祝福が受け継がれていくということが最初に出てくるのは、創世記のアブラハムの記事である。 … 主はアブラムに言われた。 「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。 あなたを祝福する人をわたしは祝福し… 地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」(創世記十二・1〜3より) ここで繰り返し祝福という言葉が現れている。アブラハムは信仰の父と言われる。後のユダヤ教やキリスト教など、世界の極めて多くの人たちの信仰の模範となったからである。そのような信仰と祝福とが結びつけられているのである。 アブラハムは神の言葉に従って遠い神が指し示す地へと旅立った。そしてそのように従うという信仰の姿勢によってその後も一層の祝福を受けるようになった。 後にイサクをも神の言葉に従って捧げるという決断までしたことでその祝福の約束はさらに固くされた。 …御使いは言った。 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。… 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。 あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(創世記二二・16〜18より) このように聖書に記されてから実際に、その後アブラハムの信仰の祝福は子孫までずっと及び、キリスト教にもその祝福は受け継がれ、全世界にと広がって行った。悪が広がるという観念が強いこの世にあって、驚くべきことに、聖書は神の祝福がいかなる時代の変化や迫害や困難にも関わらず、着々と伝えられて行ったのである。 ペテロが述べたように、聖書の神を信じるものは皆、こうした不滅の祝福を受け継ぎ、まず自らがその祝福を与えられ、ついで周りの人にその祝福を手渡し、さらに次の世代へと受け渡していくようにと、この世から呼び出されたのである。 世界は主の慈しみで満ちている 現代の私たちの世界をみるとき、そこが神の愛で満ちているという実感を持っている人がどれほどいるだろうか。新聞やテレビなどで報道される内容からはおよそ、そうした神の愛とはほど遠い現実がある。 ことに最近はテロ事件があちこちで頻繁に発生し、日本でもその可能性が高まるなか、今年は台風が前例のないほどに多く上陸し、地震も発生、ということで全地に神の愛があるとは考えたこともないという人が大部分であろうし、キリスト者であっても心配ばかりが先に立っているという場合があるだろう。 しかし、こうした目にみえる世界の状況のただなかに、神は私たちに詩篇を指し示されている。 旧約聖書の詩編とは、どこの国にもある古代詩集とは本質的に異なる内容と目的を持っている。それは詩編を初めて見たとき、今から三〇年以上前にははっきりとは分からなかった。しかも訳語が口語訳ではあまりにも冗長で力が感じられず、誇張した表現とかまるで現代とは関係ないといった用語、言葉などのために、違和感が先に立って、詩編二三編などのわかりやすいものなど一部の詩以外には深く心に入ってくるものもなかった。 しかし、年を経るにつれてこの詩編というものが、神からの私たちへの直接的なメッセージを深くたたえているのに気付くようになった。用語や訳語など、また表現の不適切さなどを超えて、その背後にある永遠の神からのメッセージを知るとき、ここにはだれもが本来入っていける神の大きなご意志と憐れみの世界があると分かってきた。 ここでは、世界を慈しみで満たして下さっている神とはどんなお方であるのか、そして人間はどのように神とこの世の認識へと導かれるのかについて印象に残る表現である、詩編三三編について学びたい。 主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。 琴を奏でて主に感謝をささげ 十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。 新しい歌を主に向かってうたい 美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。 讃美こそは人生の目標 主に従う人、正しい人(心の直き人)とはだれか、それは神への讃美をもっている人だといわれている。人間は誰でも生まれつき正しい人とか悪人というのはないのであって、誰しも罪深い存在である。しかしそこから神を信じ、神からの赦しと清めを受けて、神に従う人となることができる。そのような人が正しい人、直き人と言われている。 神を知らないときには、うつろいやすい人間に従うしかない。自分という人間、あるいは周りの人、世の中の人間に従うことになる。新聞、雑誌、テレビなどもみんな人間の産物であり、それらに従うことは人間に従うことと同様である。 しかし、一度私たちが神を知らされて、罪深い者でありながら神からの憐れみを受けて罪赦されるのを実感したとき、私たちはそのあまりの大きな変化によって人間より神に従いたいという自然な心が生じる。そしてそこから神への讃美が生れてくるのである。神に従う心をもって歩むとき、周りの何の変哲もないと思われた光景や出来事などが一つ一つ神のわざと感じられてくるからである。 人間の最終的な目標は神への讃美である、それはことにこの旧約聖書の詩編を読むときに繰り返し現れる内容である。こうした詩編によって私たちは、日常生活のなかで立ち止まり、私は神への讃美の心を持っているだろうかと考えさせられるのである。 もし神への讃美を持っていないのがわかれば、その心の奥には、自分の考えや思いで生きていく姿勢、人間への讃美、あるいは人間的な欲望や願いがあったり、神への不満、不安、将来への絶望など讃美の心を妨げるものがある。 讃美などできないと思わされたときこそ、静まって、神に目を上げ、詩編のこころに立ち返っていくとき、再び神は私たちの心に、新しい讃美を与えて下さる。 多様な讃美 この詩では、ついで多様な讃美がすすめられている。 「琴を奏でて、主に感謝を捧げ、十弦の琴、新しい歌、美しい調べ」などといった言葉が重ねられている。 心にあふれるものがあるとき、それはおのずと多様な讃美へとうながされる。楽器が弾けるものは多様な楽器をもって、それができない者であっても、声という神から与えられた楽器がある。声は声帯といういわば一種の弦楽器のようなものである。 わたしたちは楽器がなくても、声を持って、どこにいても讃美をすることができる。 現代の私たちにとっては、可能な楽器を用い、声をもって讃美し、さまざまのタイプの讃美へとうながしていると言える。こうした多様な讃美へのすすめは、新約聖書にもみられる。 …キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして…、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ三・16) ここでいう「詩」というのは、旧約聖書の詩篇を歌う讃美であったと考えられ、讃美とは当時のキリスト者たちによって生み出された新しい讃美であったと考えられる。 そして「霊の歌」というのは、とくに聖霊が注がれて作られた即興的な讃美ではないかと推測されている。いずれにしても言えることは、このような多様な讃美が最初からキリスト者の間には歌われていたということである。 主イエスも最後の夕食のあとで、讃美を歌ってから祈りの場へと赴いたと記されている。これからゲツセマネにて血のような汗を流して必死に祈り、そのあと捕らえられて十字架につくことになるという緊迫したときにあってもなおこのように讃美を歌ったということからしても、讃美というのが現代の我々が考えがちな、心楽しいから歌うなどといったものとは本質的にことなる意味を持っているのがわかる。それは単なる形式とか聖書講話の付け足しなどでなく、それ自体が深い意味を持っているのである。それは祈りであり、困難なときにあって神からの力ある霊を受けることでもあった。 主の慈しみに満ちている世界 …主の御言葉は正しく 御業はすべて真実。 主は義と公正を愛し(*) 地は主の慈しみに満ちている。 御言葉によって天は造られ 主の口の息吹によって天の万象は造られた。 (*)新共同訳では、「恵みの業と裁きを愛し」と訳されているが、「恵みの業」と訳された原語は、セダーカーであり、セデクとともに、「正義」と訳される言葉である。創世記にメルキゼデク という人物が現れるが、メルキとは王の意、ゼデクとはセデクと同じで、それゆえこれは「正義の王」という意味だとしてヘブル書の著者も引用している。(ヘブル書十一・2) また、「裁き」と訳された原語は、ミシュパートであり、これは、裁きという訳語のほかに、旧約聖書では正義、公正、公平などとも訳されていることが多い。現代の日本語では、「裁きを愛する」というと、人間を罪あるものとして断罪することを愛するというように取られる可能性が高い。なお、関根正雄訳では、「義と公平を愛で給う」と訳されている。英語訳などもたいていは、He loves righteousness and justice のように訳されていて「神は正義と公正を愛する」という意味に訳している。 この詩の作者の讃美のもとになっているのは、神は正義の神であり、悪をそのままに放置しておくことなく、必ず正しく裁かれる、その確信がもとにある。神の言葉がいかに力強いものであるかという実感である。 それがこれらの言葉に現れている。 私たちがこの詩の作者の信仰で驚かされるのは、全地が神の慈しみ、神の愛で満ちているという表現である。この文章のはじめに書いたように、このようなことを現代の人がどれほど深く実感しているだろうか。世界は混乱と悪や不安、飢饉などで満ちているというのが多くの人の実感であろう。 この詩編が作られたはるかな昔も決して平和で、何も苦痛のない時代であったわけではない。現代のように病院もないから、病気になっても医者もおらず、また国家や部族同士の戦いはいつの時代にもあった。人権などというものも認められておらず、福祉制度もなく、特に女性は夫が戦死または病死や仕事中での事故死などに遇えばたちまち生活もできないほどに困窮することも多かった。そうした苦しみや悲しみのただなかにあってもこの詩の作者は「地は主の慈しみに満ちている!」 と感謝しつつ歌うことができた。 それはなぜなのだろうか。それは神から与えられた、新しい心と目で世界を、また現実を見つめていたからである。 預言者たちが国の滅びと荒廃のただなかで、未来に訪れる救いのときを霊の目でみることができ、黙示録の著者が、迫害の暗黒のなかで、天上の清められた人たちの大いなる讃美の声を聞き取ったように、この詩の作者もまた、通常の人たちには見えないし感じることもない、神の愛が地を満たしているのを実感したということなのである。 この詩の作者のように、この世界はいかに混乱や悪がはびこっているようにみえても、私たちの魂が、神(キリスト)に深く結びつくほど、地にはよきものが満ちていると実感されてくる。 ヨハネ福音書の冒頭で、次のように言われていることも、こうした「満ちている」という実感を表したものにほかならない。 …わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ一・16) 使徒パウロもこうしたキリスト信仰によって、満ちあふれるものを深く体験したがゆえに、つぎのように述べている。 …また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。(エペソ三・18〜19) これらはすべて、この詩の作者が言っている、「地は主の慈しみで満ちている」ということと共通した実感である。新約時代のヨハネやパウロにおいては、旧約聖書における詩人が感じた以上の豊かさとあふれるものを 魂において実感していたのがうかがえる。それが彼等が生涯、キリストを証ししていこうとする原動力にもなっている。 私たちは日常の変化のない生活が当たり前と思ってしまって、それを超えた世界があるということに気付かずに生きていることが多い。 そのような動きの取れなくなっている世界に生きる私たちにとってこの詩の作者のように、神に引き上げられて、通常では見ることのできないところを見た人たちの証言は貴重なものであり、それによって私たちもまた引き上げられるのである。 しかし、こうした特別の霊的な恵みが与えられていなくとも、周囲の身近な自然の姿を見つめることによって私たちは神の慈しみが随所に現れているのを感じることができる。明け方近く、闇に輝く金星の強い光は私たちへの光のメッセージであり、私たちに語りかけようとして下さっている神の愛を感じさせてくれるし、山野の野草たちは、その花や姿の一つ一つが私たちにやはりその純粋さや創造の多様性をもって、私たちの狭い心を広げ、創造の大きな神の御手へと導こうとする神のお心を感じさせるものである。 神の言の力 この詩の作者はこの広大無辺の天地宇宙が、神の言葉によって創造されたという確信をもっていた。私たちの通常の受け止め方は、一五〇億年ほど昔に、無から、ビッグバンという大爆発によって突然に、しかも偶然にできたというものである。しかし、その大爆発以前はどうだったのかと問われても、無であったとしか言いようがないのが現代の科学のいうところである。 そして将来はどうなるのかということについても、どこまでも膨張するのか、それとも収縮をはじめていくのかも分からない。 こうした万事が究極的には分からない、ということに行き着くのが科学であり、ここに大きな限界を持っている。 究極的にはっきりしたことは何も言えない、ということからは、確たる希望は生れない。平安も与えられない。そもそもこのような科学上の理論を理解できる人はほとんどいないのであって、天文学の研究者という極めて一部の人だけということになる。ほかの人はみんなそれを信じているだけなのである。 こうした科学の力を信じることによっては悩みや苦しみ、絶望といった人間の深い闇には何も力を与えることができない。たった一人との人間関係で複雑にもつれてしまった心、憎しみや怒り、ねたみなどの心はこのような科学上のことではどうすることもできない。 しかし、聖書に現されている信仰は、万人に開かれており、しかも苦しみや悲しみのただなかにいる人に深い支えと力を与えるものである。 ここで作者が述べていること、「神の言葉によって天地が創造された」ということは、神の言葉が絶大な力を持っていることを実感している心がそこにある。 キリスト者のものの考え方の基本はやはり、聖書の最初に書かれているように、神が天地万物を創造されたということであり、今もその創造の力を維持し続けており、万物を支えておられるということである。 その万物を創造されたお方であるからこそ、私たちの周囲の悪をも究極的には滅ぼすことができるお方であると信じることができる。 歴史における神 主は大海の水をせき止め 深淵の水を倉に納められた。… 全地は主を畏れ 世界に住むものは皆、主におののく。 主が仰せになると、そのように成り 主が命じられると、そのように立つ。 主は国々の計らいを砕き 諸国の民の企てを挫かれる。 主の企てはとこしえに立ち 御心の計らいは代々に続く。 私たちが神のわざをみるとき、現在みえる世界のことだけを考えていてはいけない。なぜなら神ははるか昔から歴史を動かし、導いておられる神だからである。聖書にはそのために、周囲の暗黒と混乱、またそれと対照的な自然の雄大さや美しさなどをたたえる言葉とともに、過去から現在へと導く神のこともしばしば記されている。 ここでも、この詩の作者からはるかに昔のことである、モーセによるエジプトからの脱出へと思いをめぐらしている。 そして時間の流れの中で、すべてが権力者や武力、あるいは偶然的なことで生じていると思われている歴史においても、この作者は天地を創造し、今も支えている神の万能の力がやはり働いていると知っていた。 私が高校などで学んだ歴史とは全くの暗記物であって、教える教師は何かというと、「これは○○大学の入試に出された」などということを口癖のように言っていたので、さすがにそれにうんざりしてしまったのを思い出す。そこでは目先の有名大学入試に少しでも多く合格させるということだけが至上命令であって、歴史が何なのか、何のために私たちは歴史を学ぶのか、日本人として歴史を知った上で、未来をどのように考えていくのかなどといったことは全く一言も触れることはなかったし、当時の教師はそのようなことを考えたこともないような状態にみえた。 そのように歴史など単なる暗記物だとほとんどの生徒たちが見くびっていたし、試験が迫ってきたら集中的に覚えたらいいのだと考えていた。 しかし、歴史とはそのようなものでなく、はるかに深く重要なものであることが、大学に入学して当時の学生たちと議論し、彼等がたえず口にしていたマルクス・レーニン主義関係の本を読むようになって気付いたのである。歴史というのは、その背後に法則がある、その法則にしたがって動いていくのだといった考え方は初めてのことであって、驚かされたものであった。そしてそのように歴史を見る考え方のもとは聖書にあるということも分かってきた。 聖書でははじめから歴史は極めて重要なものとなっている。アブラハムという個人が神の祝福を受けるとき、その子孫は空の星のようになる、そして子孫は外国に長い間奴隷となって苦しんだあとで、救い出され大きな民族として発展していく、ということが創世記に記されているが、ここにもすでに歴史とは神の御計画そのものであるということが暗示されている。 歴史は神の導きそのものであり、神の万能が現れるところであり、また時間を通して神のわざが表されるところなのである。 それゆえ、この詩においても、モーセを遣わして、エジプトにいた民を救い出し、そこから周囲の国々に神の力を証しさせ、将来神のことが世界に知らされていく予告となっていく。 そしていかに権力や武力があろうとも、またいかに広大な地域を征服しようとも、神がひとたびある国の支配や権力を打ち破ろうとされるとき、必ずそれは成る。 主が仰せになると、そのように成り 主が命じられると、そのように立つ。 主は国々の計らいを砕き 諸国の民の企てを挫かれる。 これはそのような確信を表している。神への信仰とは、単に個人的な悩みとか願い事を聞いてもらうための存在でなく、世界の歴史全体を支配し動かしておられるお方への信頼も含まれているのである。 このような社会的、政治的な領域における信仰はよく分からないという人がいるかも知れない。しかし、自分の心の内だけの平安を思っているだけでは、どこか漠然とした暗さが心深くに残る。それは周囲の社会や人々はどうなっていくのだろうという疑問がついてまわるからである。そうした世界全体に関する闇を克服するのが、ここに現れているような信仰なのである。 個人を見つめる神 いかに幸いなことか 主を神とする国 主が相続地(嗣業)として選ばれた民は。 主は天から見渡し 人の子らをひとりひとり御覧になり 御座を置かれた所から 地に住むすべての人に目を留められる。 人の心をすべて造られた主は 彼らの業をことごとく見分けられる。 ここで、一五〇編ある詩全体のタイトルともなっている詩編第一編の冒頭にあるのと同じ言葉、「いかに幸いなことか」(原文では、「アシュレー」という一語)が出てくる。 当時も現代に至るまでも世界のあらゆるところで、様々の神々がいる。しかし、聖書で言われている神、天地創造された神を信じることこそ、あらゆる幸いの原点であることが言われている。 天地宇宙を創造された神であり、歴史を導くという壮大な神でありながら、そのまなざしは一人一人を見つめて下さっているという。その著しい対照がここにある。 原文では、この詩編三三編の六節から十五節までに、「すべて」という言葉(コール kol)が次のように五回も繰り返し現れる。日本語の聖書では、その言葉が省略されたり、「皆」とか「一人一人」とかいろいろに訳されているので、そのことに気づきにくいが原文ではその繰り返し強調されていることがはっきりと浮かび上がってくる。 ・主の息吹によって、すべての星々(万象)が造られた。(六節) ・すべての地は主を恐れ(八節) ・世界に住むものは全て主におののく(八節) ・主は、天から人の子らすべてを見つめ(十三節) ・地に住むすべての人に目を留める(十四節) ・人の心をすべて造られた主は…(十五節) このように何度も「すべて」が繰り返されているのは、この詩の作者がそれほどに神が全世界、宇宙、人間、歴史を総合的に支配なさっているというのを深く実感していたからである。この点において、日本も含めさまざまの民族の神々は、それぞれの土地の神、山の神など、ごく狭い領域の神にとどまっているのと著しく対照的である。そうした神々を信じるということは、この世界の背後に薄暗いもの、不気味なある力を感じていたのを示していると言えよう。 現代の私たちはどうであろうか。神など信じないという人たちも、会社の力、金の力、権力や政治、大国の力あるいは武力、さらに偶然や悪意、死の力等々、得体の知れない力をいくらでも信じていると言えよう。 私たちはすべてを、正義と真実な神の支配下にあるものとして、統一的にみつめることがここでも求められている。 真の安全と勝利 …王の勝利は兵の数によらず 勇士を救うのも力の強さではない。 馬は勝利をもたらすものとはならず 兵の数によって救われるのでもない。 見よ、主は御目を注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。 彼らの魂を死から救い 飢えから救い、命を得させてくださる。 今から二千数百年も昔から、はやくもこのように武力や権力、軍備増強の限界をはっきりと知っていたことに驚かされる。馬とは古代世界にあっては軍備の象徴的なものであった。 日本でも、すぐれた騎馬隊は戦さを支える重要な存在であった。一五七五年五月、長篠の戦で武田勝頼の優秀な騎馬隊が、織田・徳川の連合軍に大敗したのは、兵力な差もあったが、決定的な敗因は鉄砲隊の攻撃によるものであった。鉄砲が登場するまでは馬に乗った勇敢な武将たちの戦いが勝利を導く重要な要素となっていたのである。 この詩の作者は、兵の数や馬の効果的な利用も、勇敢な勇士がいてもそれらは決して勝利につながらないという。このようなことは、現代で言えば、いかに軍隊を強力にして、軍備を最新の強力な破壊力のあるものにしてもだからといって勝利を得ることはできないということになる。 このような驚くべき発想はどこから生れたのだろうか。 それは歴史を導き、国々すべてをも背後で支配している神への絶対的な信頼の心であり、信仰であった。そしてそれは頭のなかで漠然と神の力を信じているというのでなく、この詩を造った人のいわば血となり肉となっていて、毎日の生活においてもそうした神への深い信仰に生きていたからであろう。さらにそれに加えて神の霊的な啓示によって、このような真理が示されたのである。 このような確信は、ほかにも見られる。 … 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を呼ぶ。 彼らは力を失って倒れるが 我らは力に満ちて立ち上がる。(詩編二十・8〜9) ここでも、この詩の作者は当時の戦力を誇り、それに頼る姿勢とは全く異なって、神に頼り、神を呼ぶことこそ、勝利の基であり、そして軍備に頼るものが祝福を受けず、最終的には倒れていくことも知っていた。 このように、信仰の確信は神との深い交わりから本人の平安、そして天地宇宙の創造への神、社会的政治的な問題へとつぎつぎと広がっていく。 そして最後に現在と未来をみつめるまなざしが置かれる。 …我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。 我らの心は喜び 聖なる御名に依り頼む。 主よ、あなたの慈しみが 我らの上にあるように 主を待ち望む我らの上に。 私たちは現代の問題に直面してどのような手段もその解決に即効性のある方法などないのを知っている。個々の人間の悩みや苦しみ、悲しみに対してなすすべのないことが多い。 さまざまな病気の中で、医学もどうすることもできない重症の癌や、エイズなどの重い病気に苦しむ人においては日夜その心身への負担、苦痛はたとえようもないことも多いし、また飢餓や貧困の苦痛、戦争のために家を追われた人たちの苦痛もはかりしれない。 しかし、また、それらの方々を少しでも援助しようと、それぞれの状況に赴いて苦闘されている人たちも多い。 そうした中でそのようなところに実際に関わっておられる方々とともに、誰でもが可能な道は、ここにあるように、神を待ち望み、祈りを続けることである。神は真実なお方であるゆえ、真実な祈りはどこかで必ず聞かれるからである。そして神の慈しみが太陽の光や雨がすべての人に及んでいるように、世界の人たち、そのような広いところでなくとも、身近なわずかな人たちのために祈ってその上に注がれるようにと願い続けることができる。そしてそうした祈りの心を持ちつづけるときには、神が聖霊を注いで下さって、闇のただなかにあっても、主にある喜びや平安を与えて下さるということを、この詩は最後に指し示しているのである。 平和の原点 三年前、アメリカで、テロによって世界貿易センタービルが破壊された事件以降、平和のためと称してアフガニスタンやイラクへの戦争が始められた。しかし、それが世界平和につながったであろうか。最近の世界で生じているテロ事件の頻発をみても、決して平和になったとは言えない。 平和のためと称して武力、戦争に訴えること、それははじめから一般の人々、とくに女性、老人や子ども、病人や障害者といった弱い立場の人が犠牲になることが明らかである。 よく、武力が必要な理由として、警察と同じだなどという反論をする人がいる。しかし、警察力は、その目的が国民の生命や財産を守ることであり、そのため悪をなした人を捕らえることになる。それは悪人の犠牲となる弱い立場の人を守るということにつながる。 しかし、戦争は、太平洋戦争とか、今回のイラク戦争を見ても明らかなように、はじめから弱い立場の人を大量に巻き添えにして殺してしまうことを当然のこととしている点において、根本的に異なる。 さらに、戦争は今回のことでも見られたように、他国をも巻き込んで多数の国々や人間を互いに全く知らない人たちを殺したり、傷つけたりする。警察は国内に限られて、他国をも巻き込んでの無差別的殺傷を引き起こすということはない。 武力を用いるという問題の多い方法と違って、真の平和に向かう確実によい一歩がある。そしてどんな長い距離も小さな一歩から始まるように、ここでいう一歩とは、きわめて小さいものとみえるが、これこそが確実な一歩なのである。 それは、まず自分が本当の平和を持つこと、しっかりと揺るがない平和を持ち続けることである。 そのためにはどうするか。それが主イエスの来られた目的でもあった。 それは私たちの本当の平和とは、魂の内なる平安であり、それは自分の考えや他人からの説得などにはよらない。私たちの心の動揺や混乱などは魂の奥深いところで、自分は悪いことをしたのだという意識からくることがある。だれしも人間を超えた正しい存在、清い存在、そして愛のお方を前にして、うしろめたい気持ちにならないという人は少ないだろう。 まず私たちの過去の罪をぬぐい去っていただき、今、現在の心の罪を清めて頂いていて初めて、私たちは主イエスを真正面から仰ぐことができる。 私たちが神との平和を与えられるとき、それが一人の人間の魂の平和の根源であり、出発点である。神との平和とは神と人間とを阻む罪の問題がなくなると、すぐに実感できることである。 たった一人の心の平和が何が世界の平和と関係があるのか、という人もいる。しかし、そのたった一人が集まって世界があるのであって、私たちもそうした人間のうちの一人なのである。だからたった一人でも確実な平安を持っている人は確実にこの世界に平和を生み出したことになる。 主イエスの言葉に、つぎの有名な言葉がある。 ああ、幸いだ、 平和を実現する人々は! その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ福音書五・9) このところで言われている平和という意味を、現在私たちが新聞やテレビなどで耳にするふつうの社会的平和だと考えられる場合が多い。しかし、主イエスが福音書においても戦争を無くそうとか、政治的、国際的な平和を樹立しようとされたというような記述は見られない。それはなぜかというと、社会的な平和以前に一人一人のうちに確固たる平和がなければならないからである。 目にみえる戦いがなくとも、人間の心が傲慢で、自分中心に生きていて、聖書に示されているような愛の神を否定し、真実を愛することのない心があるなら、その人の心には揺るがない清い平和はないし、そのような心をもった人間同士では、何かのきっかけで争いがたちまち生じるからである。 日本においても、六十年近く外国との戦争をしなかった。しかし、だからといって日本人の心はより清く、真実になったであろうか。 自分の心の内にすら、確たる平和を持てないならどうして他者との関わりで本当の平和、神が喜ばれるような平和を持つことができようか。 人間的な遠慮や妥協、相手に対して気を悪くさせてはならないといった感情的なレベルでの平和は聖書でいわれている平和ではない。 それは次の主イエスの言葉によってもうかがえる。 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。(マタイ福音書十・34) これは、古い人間的なもの、目に見えない真実や清いものを求めるのでなく、目にみえるもの、金や快楽あるいは汚れたものや人間的な感情を重んじるようなあり方の中にくさびを打ち込み、そうした心の姿勢が間違っていることを思い知らせるために来たという意味である。実際、主イエスは、当時の偽善的な宗教家や人々の形式的なものに堕落した宗教的姿勢を厳しく指摘した。その指摘を神からの警告と受け止めず、そのために、人々は激しく怒ってイエスに対して 敵意を持つようになった。しかし、他方ではそのようなイエスを神の子、救い主として受け入れる人もあり、そのような人には、神の力と祝福を与えられたのであった。 このような主イエスの態度は、神への悔い改めなくしては真の平和はあり得ないという確信から来ている。 主イエスが剣を投げ込むために来た、といわれたように、キリストの弟子たちもたとえ周囲に混乱が生じようとも、真理を伝えることへと導かれた。使徒言行録にはそうした大きな混乱や騒動、迫害がいろいろと記されている。キリストの使徒として最も大きな働きをしたパウロについても、そのことが記されている。当時の大祭司たちは、パウロのことを訴えて、つぎのように告発した。 この男(パウロ)は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。(使徒言行録二四・5) また、パウロは、ギリシャの町フィリピでは、彼をねたむ人たちのために捕らえられ、つぎのように訴えられた。 そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。」(使徒言行録十六・20) このように、パウロは平和をもたらすどころか、騒ぎと混乱をもたらすものとして訴えられている。これは主イエスご自身が神殿において、いろいろなものを売り買いしていた人たちの椅子などをひっくり返し、人々がいかに見せ掛けの宗教に生きているかを厳しく指摘したり、当時の指導者であったパリサイ派の学者や祭司たちにはっきりと彼等の偽善を指摘したために、彼等が怒り始めたということが聖書には書かれているが、そうした真理のために語る姿勢を弟子たちも与えられていたからである。 こうした聖書の記述を見ても明らかなのは、キリストの福音こそは、真の平和をもたらす根源であり、それなくば平和というのは単にみせかけのものであり、砂上の楼閣のようなものだという認識である。 それゆえ、使徒たちは例えば次ぎのように、その手紙の冒頭で、「あなた方に平和があるように」という祈りを繰り返し強調しているのである。 私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和(平安)が、あなた方にあるように。(ローマの信徒への手紙一・7など多数) 平和の根底には、私たち一人一人のうちに、神との平和がなければならない。パウロはその点を明確に述べている。 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。(ローマ五・1) 信仰によって、義とされる、すなわち救いを与えられ、神との霊的な交わりを与えられたということは、神との平和を与えられたということなのである。この平和こそが人間同士や、人間の集まりである社会的平和の揺るぎない原点となる。 この神との平和がないということは、すなわち、真実に背いているということであり、赦しや相手のために祈る愛をも持たないということである。なぜなら、愛や真実の完全な総合された存在が神だからである。 キリストこそ平和の源であるということは、新約聖書ではとくに強調されている。 …実に、キリストはわたしたちの平和である。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄された。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされた。…(エペソ書二・14〜16) この文は初めて読む人にはわかりにくい表現もある。「肉において敵意の壁を壊した」といっても何のことか分からないだろう。これはキリストが自分の肉体に十字架刑を受けて、血を流して死なれたが、それによって、さまざまの敵意を滅ぼしたということなのである。キリストの十字架の死を自分の罪のためになされたことだと心から信じて罪の赦しを実感した者は、それまで持っていた他者に対する何らかの敵意や見下すような感情は壊され、相手に神の国がきますようにとの祈りの心が芽生える。 また、この時代には、ここに書かれているように、戒律ずくめのユダヤ人の旧約聖書(律法)のこまかな規定を守らなければ救われないとして、そうした規定を守らないユダヤ人以外の人々を見下し、彼らを汚れているとしていた人たちが、そのような傲慢さや異邦人への敵意を完全にぬぐい去ることができた。それはそのような規定とは全く別に、キリストの十字架による赦しを信じるだけで、赦され救われるからである。 このようにして、キリストの十字架は多様な敵意や傲慢が作っていた壁を取り壊して、どんな民族であっても信じるだけで救われ、またどのような敵対者同士も片方が救いを実感したときから、祈りという道が開けて和解の道が開けるということなのである。 平和とは単に敵意を持たないということでない。人間が互いに愛もなく、無関心なのを平和な状態だと錯覚したりすることが多い。しかし、そうした無関心、あるいは冷たい平和というものは何かあるとたちまち敵意となってくる。日常の生活のなかでもそうしたことはよくある。だれかが自分の悪口を言っているということが伝わったとたんに、その人とは平和な関係は失われてしまう。 イラク戦争が始まったとき、アメリカではその戦争に反対した人は強い圧力がかかってきて、それまで平和な友人同士であったと思われていた関係がたちまち崩れた人も多かったようだし、イラクでの日本人人質事件のとき、それまで平和そうにみえた人間がとたんに人質になった人を攻撃しはじめたのであった。 その意味で、単に争っていないというだけでなく、相手によきことがあるようにとの祝福の祈りにも似た気持ちがなければ、本当の人間同士の関係は平和な関係とは言い難い。そしてそのような静かな持続的な祈りをなさしめるのが、私たちの内に住んで下さるキリストであり、聖霊なのである。 個人的なレベルにおいても、また社会的な広い範囲においても、確かな平和を造り出すための基礎は、やはり聖書にいうように、まず一人一人がキリストの十字架によって罪赦されて神との平和を与えられることなのである。 ことば (192)私が今死ぬことになれば、私の死後、友たちがみ言葉を熱心に求めることしか彼らには勧めない。 なぜならまず神の国を求めるべきであり、私たちは自分が死ぬときに、妻や子どもたちのことを心配すべきでないからである。 「これらのものはみな与えられる」とある。神は私たちを決して見捨てない。(「卓上語録」 ルター著 教文館) ・ルターは最期のときであっても、周囲の人々に対して「み言葉を熱心に求めよ」というのが願いであったのがわかる。まず家族のことでなく、まず周りの人たちを支える神の言葉を求めるべきとした。現代の私たちも同様に言える。まずみ言葉を求める、それは生きたキリストから直接に与えられる霊的な言葉であるとともに、聖書に書かれた神の言葉をも意味する。 (193)… 稲光がするどく光った。こだまする雷鳴の響きで 天には神がいまして、神が創造した世界を支配していると思わせられた。 その時、かつて聞いたことのある、天の正義の話しを思い出して、 悩む心も、なごみ和らぎ、朝まで平和の眠りについた。 (「エヴァンジェリン」ロングフェロー作 (*)岩波文庫版48P ) Keenly the lightning flashed;and the voice of the echoing thunder Told her that God was in Heaven,and governed the world He created; Then she remembered the tale she had heard of the justice of Heaven; Soothed was her troubled soul,and she peacefully slumbered till morning. ・エヴァンジェリンが、悩み悲しめるときに雷鳴がひとときの平安を与えた描写。重荷をかかえた心にとっても、ときにこのような稲妻と雷鳴が神の力と支配を思い起こさせる。そしてその苦しみを鎮める働きをする。自然は不思議な力をもっている。多くの人にとっては単に恐れでしかないような雷の現象や、そのほかの様々の自然のすがたや現象も、神に向かうまなざしを持った者には、新しい啓示や神からのメッセージとして実感する。この詩は私が三十五年以上も前に読んだが、そのときに美しく静かな自然描写、そして人の心の動きに強い印象をうけたのを思い出す。 (*)ロングフェローは、一八〇七年アメリカ生まれ。「エヴァンジェリン」は十八世紀の半ばから終わりにかけて、イギリスとフランスが新大陸の支配を争った時代の長編詩。フランス系の移民村の若き女性エヴァンジェリンは生き別れとなった夫の跡を尋ねて広いアメリカのあちこちをさすらった。著者のロングフェローは、ハーバード大学で教鞭をとった学者であったが、アメリカの生んだ最初の大詩人として知られている。この詩は私が三十五年以上も前に読んだが、そのときに美しく静かな自然描写、そして人の心の動きに強い印象をうけたのを思い出す。 (194)…私は今度のマラッカ(*)への旅に、神が絶大な恵みを与えて下さることを希望している。どうしてかというと、私をあの国々に送るのは、神ご自身であることが私には示されたが、そのとき、私に深い平安とあふれるばかりの慰めを与えて下さったからである。 私は神が私の魂に示して下さったことを、必ず実行しようと固く決心している。… 万一今年中に船がマラッカに行かないようならば、敵対するような者の船に乗ってでも、あるいは不信の者の船に乗ってでも出発する。またもしここから今年中に出発する船が一つもなく、ただ漁師の小さい舟しかないとしても、神の愛のためにのみマラッカに行く私は、その小舟に乗ってでも行こうと考えている。 それほど私は神に絶大な信頼を置いている。なぜなら、私の希望はことごとく神にあるからである。(「フランシスコ・ザビエル書簡抄 」上巻210P 岩波文庫 」) (*)マラッカとは、マライ半島南部の町。これは日本に初めてキリスト教を一五四九年に伝えたフランシスコ・ザビエルがインドから書いた手紙の一部。ザビエルがどのような気持ちではるかヨーロッパから、アフリカを周り、インドなど東洋にまでキリスト教を伝えようとしたかがうかがえる。使徒言行録におけるパウロのように、ザビエルは自分を遣わしたのは神であるとの確信を持っていたのが分かる。そしてそのゆえにインドから、三千キロ近くも離れた遠い地(マラッカ)へと、どんな危険が伴おうとも、その神の言に従おうと決心している。神への愛のために前進し、神にすべてを委ね信頼して進んでいくキリストの使徒としての姿が浮かび上がってくる。 休憩室 ○明けの明星 七月頃から明け方の東の空に強い輝きの星がみえてます。現在でも、まだ夜が明ける前、午前三時半ころから東の空には輝き始めて、それは思わず心を引きつけられるような強い輝きです。 しかし、夜明け前であるために仕事とかで早起きする人以外には気付かれることが少ないと思います。 この星が金星で、明けの明星といわれるものです。 このような強い輝きのために、昔からどの民族でも注目をしてきた星で、聖書にも何度か現れます。 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。(Uペテロ一・19 ) 同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。(黙示録二・28 ) わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(黙示録二二・16) このように、明けの明星として現れる金星は、キリストを象徴するものであって、それを見るたびに古代のキリスト者は、心を引き上げられ、キリストが再び来られることを待ち望む心を強められ、喜びを新たにしていたのがうかがえます。 星は人間には決して届かないもの、人間によって汚されたり、破壊されたりしないもの、そして永遠に光り続けているその有り様は神の光を連想させ、神の清さや美、そして永遠を目にみえるものとしては最も神に近いと感じさせられるものです。 明けの明星は朝早いときであり、また東の空が妨げのあるところや、都会では明るすぎてよく分からないこともあり、またちょうど晴れていなければみえません。それで実際はなかなか見たことがないという人が多いのです。それゆえにまだ見たことがないという人にはぜひ天候のよいことを確認して早起きして見ておいてほしいものです。 しかし、私たちの心の内に主イエスがおられるとき、いかにこの世が闇であってもその闇のなかで輝く光をみることができます。それは夜明けを告げようとしている神の心の現れでもあります。 ○ヒガンバナ 九月に咲く秋の野草というと、まず思い出されるのはヒガンバナです。現在ではその特別な美しさのゆえに、あちこちで植えられたりすることが増えていますし、品種改良で違った花色の美しいものも作られています。しかし、私が子どもの時などは、触れてもいけないなどと言われて棒でヒガンバナの花をなで切りのようにしたものでした。確かにヒガンバナには、リコリンやガランタミンという有毒物質を含んでいます。 しかし、ヒガンバナと同じ仲間(ヒガンバナ科)の花は、スイセン、アマリリス、ハマユウ、スノードロップなど昔から愛好されてきた花がいろいろとあり、それらも同じ有毒物質を含んでいるのです。しかし、スイセンやアマリリスがヒガンバナ科だから有毒だなとど思って毛嫌いするなどということは聞いたことがありません。 またツツジ科の植物にもジテルペン系の有毒物質が含まれているので、葉や花を食べると中毒症状を起こします。(私が子どものとき、飼っていた山羊がツツジの葉を多く食べて中毒症状を起こし倒れたことが何度かあり、ツツジは毒だから注意せよと言われていました。)しかし、それもほとんど話題にされずそのことを知らない人が多数を占めています。 また根拠もなく、植えたらいけない木だといったりするのもありますが、人間の植物に対する言い伝えには、迷信や気まぐれなものがたくさんあります。 ヒガンバナはその美しさのゆえに、手元にあるアメリカの図鑑では園芸植物として扱われており、「花壇の縁取りや切り花として用いる」と記されています。この花は、球根にデンプンを多く含むので、飢饉のときには水でさらして食用にしたとか、むくみを取ったりする薬用にも遣われてきました。 わが家の庭でも、ずっと以前に近くの小川の縁から採取したヒガンバナが毎年美しく咲かせています。都市部に近いところではだんだんこのヒガンバナも少なくなっています。 野生の花としては特別にはなやかな美しさを持つこの花は、緑一色の九月の野をひときわ変化あるものにしてくれるものです。 神の創造されたこの世界には、植物の花にもいろいろあり、わずか一ミリにも満たないような小さな目立たない花から、イネ科の花のようなに花びらを持たない花、そしてサクラのように大きい木全体が花で覆われるようなもの、さらにボタンのような大きいどっしりとした花などもあり、ヒガンバナも特定の時期に一斉に赤い花を開き、葉が後から出てくるなど、その花の姿だけでなく特異なところがあっていっそうこの創造された世界に変化を与えています。 返舟だより ○私は、聖書を読み始めてまだ一年余りです。全く思いがけない救いの体験をしたことをきっかけに、松山市のカトリック教会で約半年間、毎週司祭から個人指導を受けるとともに、ミサにも欠かさず参会させていただきましたが、受洗を前にして指導をお断りいたしました。 それは『キリスト教の歴史』(小田垣雅也著、講談社学術文庫)を昨年暮れに読み、信仰のみによって義とされるということをなぜカトリック教会が嫌うのか、それまでの疑問が氷解したことによります. 実は、私は自分で云うのもおかしいのですが、浄土真宗の熱心な信者でありましたので、信のみによって救われる、行いはいらない、行いはできないのだ、という真理は体験的にも教学的にも、たとえローマ教会がどう言おうとこれだけは絶対譲ることの出来ない明らかなことだったのです。 …(浄土真宗とキリスト教の)両方から信を賜るというそんな不思議があり得るのかどうか、それが知りたいとカトリック教会の門を叩いたのがそもそもの始まりでした。その結果は、前述のとおりカトリックから離れることとなりましたが、一方では、本願寺派の御同行、御同朋にも別れを告げることとなりました。 この上は、信仰義認の立場に立つプロテスタント教会を訪ねるべきなのでしょうが、数や種類があり過ぎて、かえっていずこにも足が進まず、そんな時に内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』『一日一生』に出会い、無教会に関心を持つようになったのです。 特に、『一日一生』に抜粋されてある内村師の言葉は霊感と力に満ちています。この他、『キリスト教問答』『後世への最大遺物』『代表的日本人』を読み、現在は『ロマ書の研究』を読みつつあるところです。なお、ヒルティの『眠られぬ夜のために』を毎日読むこととしています。(四国地方の方) ○八月号の「詩編百三編より」は魂が揺すぶられました。キリストよりはるか以前の詩人の信仰、罪を赦された人の喜びと讃美、とても深い味わいでした。詩編に対して更に更に強く心が引きつけられます。(関東地方の方より) ○八月に札幌での交流会がありましたが、その時の参加者から、「はるばるお出で頂いた皆様方から元気と信仰的な力を頂きました。コンピュータを効果的に使っての活動にも目を見張る思いでした。…」とのおハガキがありました。私とともに同行した何人かの視覚障害者が、聖書を読んだり讃美をパソコンを用いてできるようになっていることが特に印象に残ったようです。 |
2004/9 |
の慈しみ (詩編百三編より) 2004/8 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。 Praise the LORD, O my soul; all my inmost being, praise his holy name. Praise the LORD, O my soul, never forget all his acts of kindness. この詩は、百五十編が収められている旧約聖書の詩集(詩編)のなかでも、とりわけ印象的な詩の一つです。 まずこの詩の作者が冒頭にて言っていることは、神への讃美で、自分自身に呼びかけて、主を讃美せよ、主をたたえよという短い言葉の中に、作者の気持ちが凝縮されています。 主を讃美することこそ、私たちの人生の目的と言えます。主を讃美できるということは、自分の現在の生活において、不満がいろいろとあったら到底できない。身近な家族のこと、あるいは職場のこと、自分の病気のこと、将来のこと、また、自分が置かれているところでの人間関係の悩み等々…さまざまのことで私たちは問題を持っています。それらが心を占めているときには、到底神を讃美したりできないことです。 讃美とは、心から満たされているときに生れるものであって、魂の深いところでの満足を神が与えて下さったと実感しないかぎり、神を讃美することはできません。 この詩の作者は、そのさまざまの経験のなかで、最終的にこのように神への深い感謝とすべてが神によってなされたこと、いろいろの苦しみや悲しみもそれらが転じて善きことにつながっていったことを深く実感することができたことがうかがえます。それゆえにこそ、このように、自分の歩みを振り返り、 それらによって神への讃美の心がわき起こってきたのだと分かります。 そのことは、 「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。 (そのすべての恵みを心にとめよ)」 という言葉にもうかがえます。神が自分に対してして下さったこと、それは限りなく多くあり、それを一つ一つこの作者は思い起こし、それらがすべて神の大いなる愛の御手によってなされたことを感じているのです。 ここには、使徒パウロが述べた有名な言葉と同様な信仰的経験があったのがわかるのです。 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙八・28) 一つ一つの出来事が、偶然であるとか単に運がよかったとか悪かったと考えているかぎり、このような大きな感謝や讃美の心は生れてきません。過去を振り返り、そして現在を見つめてなお、数々の困難や苦しみにもかかわらず、それらの一つ一つの背後に神の深い愛の御手があると実感できるようになることこそ、私たちの最終的な到達点だと言えます。 そのようなところを目指していたがゆえに、使徒パウロも、繰り返し次のように書いたのです。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。 これこそ、神があなた方に望んでおられることです。(Tテサロニケ五・16〜18より) このようなパウロの言葉のもとにある神への感謝の心は、それより数百年以上も昔に、すでにこの詩の作者の心にもあふれていたのだと分かります。神が私たち人間に望んでおられることは、ずっとそれ以来数千年を経た今も変わらないのです。 主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け 長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。 この作者は、信仰において最も重要なことを述べています。それは、つぎの三つに要約することができます。 罪の赦し、病のいやし、復活の命。 自分が正しい道からはずれているということ、過去に犯してしまった罪のこと、どうしてもあるべきすがたになれないこと、それは罪ということです。その問題こそがすべての根源にありますが、この詩の作者はそのことを深く見抜いていたのがうかがえます。そしてこのような罪と、病気と、死という人間の直面する最大の問題において神こそがその根本的な解決を与えるものであると知っていたのです。 この詩は、キリストよりはるか昔、数百年以上古い時代に作られたものです。 そのような時代にあって、はやくも信仰の上で最も重要なことが体験として記されていることに驚かされます。この作者が神に感謝し、神を讃美できるということは、この三つのことにおいて神が働いて下さった、そして今後も働いて下さるという確信があったからだとわかります。 この作者がまずあげているのが罪の赦しです。キリストが来られたのも、罪の赦しのためであると記されており、聖書全体を通じて深く流れていることだといえます。 心の問題の根源は、人間がすべて罪を持っているということであり、また体の苦しみは病気であり、最終的な闇は死ということです。これら三つのことはこの世のあらゆる苦しみや悲しみ、人間関係の悪化の根源にありますがそうした最大の問題のただなかに神がきて下さって解決の道を与えて下さったというのがこの詩の作者の実感であったのです。 長らえる限り、良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにして下さる 私たちが聖書を手にするとき、しばしば感じるのは、戦争や病、また敵対する者たちなどに絶えず悩まされ苦しめられているそのただ中にあったにもかかわらず、このように「良いもので満たされる」という実感が記されていることです。 有名な詩編二三編においても、 主はわが羊飼い 私には何も欠けることがない 主は私を緑の野に伏させ 憩いのみぎわに伴われる… 私の敵の前であっても 私の杯をあふれさせて下さる。(詩編23より) これは、深く満たされている魂のすがたです。この地上の生活で、一体誰が何事もすべて思いのままになり、満たされていると言えるでしょうか。どんな人でも絶えず不満や足りないところを感じています。多くの人が望む生活の安定にしても、これで満ち足りているということはなく、絶えずさらなる安定や豊さを求めてやまないものです。金や権力があっても、さらに上を望み、またそこでは絶えず争いや地位の奪い合いもあります。 そうした地上の生活において、これらの詩にあるように、「生きている限り良いもので満たされ」、「欠けることがない」というような実感は、驚くべきことです。すでにキリストより千年ほども昔からこうした深い満足を与えるのは、神であるという事実を知っていたのです。 主はすべて虐げられている人のために 恵みの御業(義)と裁きを行なわれる。(*) 主はご自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子たちに示された。 (*)ここで、「恵みの御業」と訳されている原語は、ツェダーカーで、従来の訳では「正義、義」と訳されていた。新共同訳ではじめてこのように「恵みの御業」と訳された。しかし、英語訳でも righteousness、または justice (いずれも 「正義」の意) と訳されているのが多数を占めている。この箇所は日本語の口語訳、新改訳も「正義」と訳している。 なお、ドイツ語訳も同様で多くは「正義」を意味する訳語が用いられているが、中には新共同訳のように訳しているのがある。Der Herr vollbringt Taten des Heiles,(主は救いの業をなし遂げる)( Einheitsubersetzung )。 当時から今に至るまで不正は至るところにあり、ことに古代のように人権とかが認められていない時代にあっては、人間の差別、権力や武力による抑圧、不当な裁きなど、現代よりはるかに不正が横行していたと考えられます。 にもかかわらずこの詩の作者は、神が虐げられ、圧迫されている人を正しく扱い、不正を裁くお方であると確信していました。なぜそのような信仰を持つことができたのか、それは歴史の流れを見るときに正義の神の姿がはっきりと示されてきたのだと言えます。 それゆえ、この言葉の後に過去の歴史への記述があるのです。一つ一つの出来事や個々の人間をみているだけでは分からないが、歴史の流れを通して見るとき、全体として神は弱き者、圧迫されている者を守り、導いてこられたのを感じているのです。 現在においてもこうした圧迫されている人たちが正しく扱われているのか、という問題は常に心にあります。この問題は、死後のことを考えて初めてたしかに解決がされるので、地上の生活だけを見ているならばどうしても、弱い者たち、圧迫されている者たちが正義をもって扱われているとは思えないことになります。 その意味においても、死後の生活、また地上の命が終わった後における裁きというものがないならば、不正が横行しているだけだという感じが残るのです。 しかし、キリストの時代以降においては、神の本性をもって地上に来られたキリストが目に見えるかたちで弱い者、圧迫されている人たちのところに来られ、そのような人たちに救いを与えてこられたのがわかります。 そして実際にそのような弱い苦しむ人たちが力を与えられ、新しい命を受けてよみがえったようになって歩み始めたという事実が生じました。 その意味で、この詩で言われている言葉は、キリストの時代を預言するものともなっていて、キリストよりはるか昔から神の正義とは弱い者のためになされるものだと言われています。 神の愛の本質は、私たちの過失や欠点、罪全体に対しての赦しだというのをこの詩の作者は深く実感していました。 それはつぎの言葉を注意深く見るとわかってきます。「罪に応じてあしらうことなく、私たちの悪に従って報いることもない」というのは、まさに罪の赦しにほかなりません。 主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。 永久に責めることはなく とこしえに怒り続けられることはない。 主はわたしたちを 罪に応じてあしらわれることなく わたしたちの悪に従って報いられることもない。 主は憐れみ深い、何に対してか、それはさまざまのことに対してですが、とくに私たちの罪、本来なら責めて罰せられるような罪に対してです。それゆえ「永久に責めることなく、怒り続けることはない」とあります。 さらに、この詩の作者が神の赦しの愛をいかに深く実感していたかは、次の言葉に鮮やかに表されています。 天が地を超えて高いように 慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。 東が西から遠い程 わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。 ここには、人間の慈しみ(愛)と、神の愛がいかに無限にかけはなれているかが印象的な言葉で記されています。天は地より無限に高い、そのように、神の慈しみ(愛)は、人間のあらゆる思いや背きを越えて無限に高いというのです。この意味がわかりにくいなら、人間同士の愛がいかに低く、限定されているかを考えるとこの詩の意味がはっきりとしてきます。人間の愛は、肉親とか好きな人や気の会う人といった特定の相手にしか及ばない上、相手を独占したいという欲と結びついていることが多いし、ちょっとした一言や、態度でも簡単に冷えてしまい、憎しみに変ったりするものです。それはいわば、地面にくっついているような低い感情です。それに対して神の愛はいかに人間が背いてもまた気付かなくとも、また、どんなに小さい存在であって弱く病気などで人から無視され、退けられているようなものにも、変ることなく注がれているものです。それは主イエスがたとえたように、太陽のようなものです。万人に無差別的に注がれています。そのような愛だからこそ、それは天が地を越えて遥かに高いのと同様だと言われているのです。 そして神の愛がそれほどまでに測り知れない高さと深さを感じさせるのは、この詩の作者が自分の深い罪が赦されたということがもとにあったのです。主イエスはつぎのように言われました。 少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。(ルカ福音書七・47) このことから、深い愛を持っている者は、多く赦されている者だと言えます。罪の赦しのことを、東が西から遠いほどに赦されていると表現したのは、それほどの深い赦しの実感があったのだということです。罪を遠ざけて下さる、それはあたかも罪などなかったようにみなして下さるということです。このような深い罪の赦しの実感は、はるか後になって、キリストが十字架にかかって万人に開かれたのですが、それよりはるか昔にすでにこのように、罪が完全に赦されたという体験を深く味わっていた人の証しがここにあるのです。 それほどに人間の汚れや闇が洗い流され、清められたときには、そこに神の新しい力と祝福が注がれてきます。人間は本来は、土のように汚れた存在、そして聖書の書かれた地方においては、砂漠地帯がすぐ側にあり、草が乾燥した初夏の熱風にたちまち草も枯れてしまうように、人間もごくかんたんなことで死んでしまう。そんなに取るに足らない存在であるにもかかわらず、神は測り知れない慈しみを注いで下さる。しかも永遠にそれを注ぎ続けて下さる。 人間のはかなさに比べていかに神の慈しみは無限であるか、永遠的であるかを深くこの詩は告げています。 そのように神の永遠を知った者は、その神の支配の力が全世界に及んでいるのに気付くのです。 主は天に御座を固く据え 主権をもってすべてを統治される。(19節) 悪のはびこるこの世にあって、権力や武力をもったものが支配しているかのように見えるにもかかわらず、この詩の作者は、その背後に神が厳然と支配の力を保持して、全世界を支配されているのを知らされたのです。 それゆえ、この詩の作者は、自分の罪の赦しという極めて個人的なところから出発し、そこから歴史のなかにおける神の導きと慈しみ、さらにその神の愛の無限に高く広いことへと導かれ、全世界の支配をいまもなさっている神を知らされていくのです。 そして人間の最後のあり方ともいえる、神への感謝と讃美へと導かれていくことでこの詩が結ばれています。 御使いたちよ、主をたたえよ… 主の万軍よ、主をたたえよ(*) 御もとに仕え、御旨を果たすものよ。 主に造られたものはすべて、主をたたえよ 主の統治されるところの、どこにあっても。わたしの魂よ、主をたたえよ。 この最後の部分に見られるように、この詩の作者は、世界のあらゆるものに向かって主への讃美を呼びかけています。それはこの世の被造物のすべて、夜空の星々や太陽、地上の草木や山々、空の雲や大空などいっさいが神への讃美を歌っていることを作者が何らかのかたちで実感していたからだといえます。 それらが単なる物体だとか思っているときには、このような神への讃美を呼びかけるということはあり得ないことです。天地のさまざまのものが、この詩の作者と魂が響き合い、通じるものがあり、すでにこの作者が宇宙万物が神への讃美を歌っていることをほのかに実感していたからこそ、このように呼びかけることができるのです。 闇と悪のただなかの現実の世界にあってこのように、真実なる神への讃歌を歌うことができるのは、まことに神がこの作者の魂のなかに深く入り、その罪を赦し、それを純化し、神への讃美の霊を注いだからだといえます。 現代に生きる私たちにおいても、この作者と同様な歩みが与えられることが可能であり、それゆえにこそ、この詩編は永遠であり、神の言葉だと言われているのです。 (*)万軍とは、万象(あらゆる事物)とも訳される。天地のすべてのものを表したり、天使たち、または夜空の星々なども表す言葉。万軍の主という表現は旧約聖書では255回も使われている。これは、軍という言葉があるために、なにか軍隊にかかわるかのような誤解をまねきやすいが、「宇宙の万物を創造し、支配されている神」という意味。 出会い 私たちが小さいころから実に多くの人に出会ってきた。第一の出会いは母であり、その体内に10か月ほども住んでいたのである。そして生れてからはまず、両親、医者や看護師たちと出会う。 それから無数の人々と出会いつつ、大人になっていく。 しかしその間、いったいどれほどが私たちの魂の成長によい影響を及ぼしているだろう。 いじめをする同級生もある、そうした人間に出会って、一生が変わってしまう人もいる。 私たちはそうした無数の出会いがありながら、自分の魂にいつまでも印象に残るよい影響を与えたという出会いは、数えるほどしかないであろう。 私は小学校時代には心に残る出会いはあまり思い出すことができない。しかし、中学のとき、国語の物静かな先生が、ヒルティの「眠れぬ夜のために」という本を紹介して、自分が眠れないときにこの本を読むのです、と言ったことが今も頭に残っている。 そして大学に入学してからは、たくさんの学生との出会いがあったなかで、同じ理学部のある友人とは特別に親しくなり、なんでも話せる間柄となった。当時激しい活動が繰り広げられていた学生運動や政治社会的な問題についても、専門の学びについても下宿に相互に行っては長時間語り合った。彼の異性の友人のことなども話されたし、一緒に何週間もかけて、隠岐島に滞在、山陰の大山登山もしたりした。しかし、後に私がキリスト信仰を持ったとたんにそれまでの親しさにもかかわらずたちまちその友人とは話しが合わなくなってしまった。 大学三年のとき、私は激しい学生運動に次第に関心を深めて行ったが、そのとき、一人の同じ理学部化学科の学生運動にかかわっていた一人の女子学生Mさんから熱心に理学部学生自治会委員になって欲しいと頼まれた。彼女が継続してやりたいのだが、病気がちになってどうしてもできなくなった、それで私にぜひともなって欲しいというのであった。 私は当時のまじめな理学部の学生に多かった民青系でも、その他の左翼系でもなく、当時の学生としては珍しくギリシャ哲学に傾倒しつつあった学生なのにどうして私に繰り返し依頼してきたのか不思議であった。彼女はそれまでの、学生間のいろいろの議論や討議での私の発言などに関心を持つようになっていたようだ。 私はアルバイトと奨学金で学生生活を送っていたから、実験や勉強の時間がほかの学生と比べていつもかなり少なくなっていたので、時間がなく、そんなことはできないと断ったが、何回も、しかも何時間もかけて話しをもちかけられた。彼女は左翼(民青系)の学生でその真実な姿勢が心に残っている。私は彼女のその熱意によって1年間だけ、自治委員として学生運動にかかわることになった。なお、Mさんは理学部卒業の後に、法学部に入学していまは弁護士となっている。 こうして私は学生にも教授たちにも本当の出会いがなく、心の出会いのある真の友を求め続けていた。そのとき私は主イエスに出会った。その当時はしばしば左翼系の学生と議論しなければならないので、マルクス主義関係の本も読んでいたのだが、そのとき、「マルクス主義とキリスト教」という本をたまたま古書店で見出した。その著者が矢内原忠雄であった。そのとき初めて矢内原という名を知った。その名を覚えてしばらくしてやはり本を探していて古書店でたまたま同じ矢内原忠雄の小さい「キリスト教入門」という本を何気なく手にとっていくつかのページを何の気もなく立ち読みしていたとき、十字架のキリストのことを書いたわずか数行で私はキリスト者になった。 私の魂に突然なにかがひらめき、不思議なインスピレーションともいうべきものがあったのである。 私は当時、キリスト教とか宗教全般にわたってまったく関心もなく、学生や教授たちも誰一人キリスト教のことを話題にするものなどいなかった。 マルクス主義など無神論の洪水のような状況のただなかで、私はそれと真っ向から対立するキリスト信仰に出会い、神を信じるように呼び出されたのであった。 あのMさんが私に嵐のような混乱のただなかの学生運動をリードする自治会委員になって欲しいと不思議に思うほどに嘆願してきたのは、なぜだったのか、ずっとわからなかった。 しかし、現在ではそれらもすべて驚くべき神の御手によってなされていたのだということを感じるようになった。 こうして私はまもなく、今も生きておられる方であることを確信するに至った。 そしてそのキリストを伝えるべく、高校教員となって生きたいと願うようになった。それまでは人類の将来と科学技術の問題がどうしても頭にあって将来をどう考えたらよいのかわからなくなって悩み抜いていたのであった。 それからさまざまの信仰の人に出会い続けて今日に至っている。 キリストは出会いをあたえて下さる御方である。 私は高校教員として、定時制高校(昼間、夜間)、全日制高校に勤務し、また導かれるままに盲学校やろう学校などの教員ともなって、さまざまの障害者とも出会いが与えられ、同僚の教員や生徒たちにもキリスト信仰を中心としてさまざまの出会いが与えられてきた。 キリスト信仰を与えられるまでは、いくら求めても真の出会いはなかったのに、神を信じるようになってから、求めずして次々と与えられていった。 まず神の国と神の義を求めよ、そうすれば必要なものは添えて与えられる、という主イエスの約束はこのような方面においても真理なのである。 そして身の回りの自然においても、以前には感じなかった出会いを、感動を与えられることが続いている。自然との真の出会いは、その背後におられ、それらの自然を創造された神とのいっそう親密な出会いにもつながっていく。 そして最終的には、私たちは万物の根源であり、あらゆるよき人間や美しい自然の根源である神とキリストに顔と顔をあわせてお会いできるということが約束されている。 聖書に示された希望― 詩編より わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。(詩編六二・6) わが魂は黙してただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。(口語訳) For God alone my soul waits in silence, for my hope is from him.(NRS) この短い言葉が、旧約聖書における希望の本質を表している。この言葉の前に、「あなた方はいつまで人に非難を浴びせ、傾いた石垣を倒そうとするように、一緒になって倒そうとするのか」という言葉がある。この詩の作者がこのように真剣に神を仰ぎ望み、神を待ち望むのは、この人の周囲に作者を滅ぼそうとする敵意に満ちた状況があったからである。 切実な希望はこうした苦しみや悲しみに打ち倒されそうになっているときに、輝き始める。 本来ならば、望みが消えてしまいそうなときにこそ、聖書における信仰者はその希望にどこまでもすがろうとする。 この箇所で「希望」と訳された原語は、「待つ、熱心に期待して待つ」といった意味がもとにある。この箇所のギリシャ語訳が、「忍耐 hupomone」と訳される言葉を用いていることも、この原語のニュアンスを補うものである。 どのようなことがあっても、神への信頼をやめない、苦しみのなかであっても、忍耐をもって神を待ち続ける心がここにある。 このような揺るがない希望、忍耐とむすびついて待ち望む姿勢は、旧約聖書のなかではとくに詩編にはっきりと見られる。詩編は具体的な地名や人名、時代、社会的状況などのことが分からなくとも、その直接的な言葉によって数千年を経た今日でも私たちの心に近く呼びかけるものとなっている。 深い淵の底から、主よ、あなたを呼ぶ。 主よ、この声を聞き取ってください。 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。… 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええようか。 しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬う。 わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望む。 わたしの魂は主を待ち望む。 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして。 イスラエルよ、主を待ち望め。 慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。 主は、イスラエルを すべての罪から贖ってくださる。(詩編一三〇編より) このように、この詩においても、この作者は深い淵に置かれ、希望が消えてしまうような時に、そこから神に向かって叫び、祈り語りかけている。 ここで深い淵とは何を意味しているであろうか。 それはこの詩にあるように、重い罪を犯したということである。人間はだれしも罪を犯している。この世のさまざまの問題は、罪を犯したことにある。新聞やテレビで報道されるような犯罪から国家間の戦争、あるいは、個人の間におけるさまざまの問題、それらの紛糾はみんな究極的には人間の罪にある。 神の前で、真実であり得なかったこと、自分の欲望や人間的な考えのゆえにまちがったことを言ったり行なったりしてしまうこと、そうした罪があらゆる問題のもとにある。 この詩の作者がどんな罪のゆえにこのような、深い淵にいると感じたかは分からない。しかし正しい道から遠くはずれていることに気付いたとき、それが人間関係にも致命的な問題を起こし、もう二度と元にもどらなくなったことがあるとも考えられる。そこからかつてない苦しみと悩み、悲しみの淵に陥っていく。そしてその苦しみの中から、いかに自分が犯した罪が重く深いものであるかを思い知らされていく。 もし健康であり、家庭や職場での人間関係もうまくいっていたり、職業的にも恵まれていたらこうした深い罪の意識は生れなかったであろう。 人間はやはり何かの大きな苦しみや悲しみに出会ったとき、はじめて真剣に自らの問題をも考えはじめるからである。 それは新約聖書においてペテロが、キリストとともに三年間を過ごし、主イエスの数々の奇跡を見たり、教えを実際に身近に聞いていたときには、自分の罪が分からなかった。福音書においてもペテロなど十二弟子たちが主イエスが捕らえられて十字架につけられる時までは、彼等が罪を深く知ったということは、書かれていない。逆に自分をイエスの右左において欲しいといったこの世の欲望と同じ地位の高さを求めるなど、それが罪だということすらわかっていなかった。 このように、いかに偉大な教師の側でいたとしても、罪を深く知ることはできるとは限らない。奇跡を見たからといってやはり自分の罪を深く知るようには必ずしもならない。 ペテロたちが実際に自分たちの罪を知ったのは、主イエスが捕らえられるときに逃げてしまったこと、ことにペテロが三度も主イエスを知らないと言ってしまったときに初めて深く自分の罪を思い知らされたのであった。 真理や愛、正義などを十分に三年間も直接にイエスから学んでもなお、それまで受けた大いなる導き手であるイエスを全く知らないなどと言ってしまうほどに、人間は自分で自分の罪の深さが分からないのである。 そしてもう二度と元に戻せないような結果を生んでしまう。自分が何年間も絶大な恩を受けた人を全く知らないなどと、いえばふつうはその人とはもうどうすることもできない溝を作ってしまうであろう。 私たちの場合も人生の歩みのなかで、数々の問題や苦しみが生じるのは、たいていはそうした罪の問題があるからである。 罪こそは私たちの歩みの中に、自分や他人に対して落とし穴を作り、脇道を作り、深い淵へと落ち込ませるものである。例えば、ある重要なことで嘘をついたなら、その嘘が重大なものであるほど、双方の人間関係は致命的となって破壊される。罪はこのように、自分の内なるよきものだけでなく、他人との間にある善きものをも壊していく。 こうしたどうにもならないところをこの詩の作者は「深き淵」と言っている。 しかし、このような深き淵にいるのは、この詩の作者だけであろうか。 そうではない。人間はみんなこのような罪を犯したゆえの深い淵にいる。パウロがローマの信徒への手紙で述べているように、 では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるだろうか。全くない。ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にある。 次のように書いてあるとおりである。 「正しい者はいない。一人もいない。 悟る者もなく、 神を探し求める者もいない。 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。 善を行う者はいない。…」(ローマ三・9〜12より) こうした見方は私たちの常識ではない。世間の常識では、悪い人、罪人もたくさんいるが、よい人もたくさんいるのであって、みんなが罪を犯しているなどということは全く言われないことである。 たしかに人間的な見方からすれば、そのように言える。しかし絶対的な正しさや無限の神の愛、清さという点から見るとき、人間のなしていることは罪にまみれている。心の奥深いところまでそうした清さや愛で満ちているとか正しさばかりであるなどということは考えられないことである。 人間は自分や他人のこと、社会や世界のことで何が正しいのか、間違っているのかということすら、正しくは分からないのであるから、本当に正しいことを考え、感じ、それを行なうということは本来できないことなのである。 このような罪ふかき本性をもった自分はどうしたらいいのか、そのまま裁かれ、滅びていくほかはないと思われる、それがこの詩の作者の深き淵にいるということである。それは正しい神からどこまでも離れてしまっているという意識である。 しかし、この詩が私たちに告げているのはそのような深い淵から私たちは叫ぶことができる、そしてどんなに深い罪を犯して取り返しのつかないことになっても、それでもそこから叫ぶことができるということである。 聞いてください、私のこの叫びを、罪を犯したこの私を、他人にも取り返しのつかないことをしてしまったこの私をどうか赦してください、と叫ぶことができる。 それは聖書の世界に住むことを許されたもののいわば特権である。 もしこのような叫びをあげる相手をもたなかったら、私たちは犯した罪の重さのゆえにどこまでも深い淵のなかを落ち込んでいくしかないであろう。 主よあなたが罪をすべて心に留めるなら 主よ、誰が耐えることができようか しかし、罪ゆえに魂が縛られ、深い淵に沈んでしまい、心が前に進むこともできなくなったときであっても、赦しは神にある。赦しによって私たちの心を縛っていたものはなくなっていく。そこに自由が与えられる。それは縛られた魂がたしかに解放されたという実感である。 このような古い時代において、神は私たちの心の最もどうにもならない問題を解決して下さる御方であるということがはっきりと記されていることに驚かされる。 赦しを神から与えられるとき、人間からは依然として評価されず、憎しみや軽蔑を受け続けているとしても、深い安らぎの心が与えられる。それは何にも代えることができない。それはどんな地位や権力、金の力をもってしてもできないことと実感する。 それゆえに、神への畏れはここから生じる。神の絶大な力を実感することがなかったら、神への畏れは生れない。ここでいう神への畏れとは、恐怖とは全くことなる感情であって、絶大な力を持つ御方への深い敬意と愛の溶け合った感情である。魂の最も深いところでの出来事がなされてはじめてそのような感情が生れる。 そして罪の赦しという深い体験から、どのようなことに対しても希望を持つ心が生れる。罪の赦しこそは、人間が神の力を実感する最も深いものであるからである。それゆえ、この詩にはつぎのような強い希望の心が繰り返し記されている。 わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望む。 わたしの魂は主を待ち望む。 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして。 私たちが弱くつぶされそうになったときにも見捨てないで、赦し、力を与えるという神の愛を本当に知ったとき、私たちには希望が生れる。この世はたしかに闇があり、苦しみがあり、どこに行っても悩みがある。そして最後には病気や死が待ち構えている。 そこには希望が次々と壊れ、消えていくしかないように見える。そのただなかに神は希望を見出すようにして下さっている。 いかなることがあっても壊れないような希望、それはこのように罪赦されたという実感から自然に生じるのである。 これは通常の希望といかに異なっていることであろうか。ふつうの希望は、自分のうちなる深みからでなく、外側をまず見ることから生じている。友達をもちたい、容姿がきれいになりたい、パイロットや野球の選手になりたい、いい大学に入りたい、健康とかよい結婚への希望などなど、それらはみんな自分の心の深いところとは関係なく、外側のものを見てそれをたんにほしがるという気持ちなのである。 しかし、外側のそうしたものは時間が経てば消えていくし、たいてい自分の手の届かないところにある。またそれらは偶然や他人の意志で変わってしまう。 しかし、罪赦されたところから出発する希望は、自分という最も身近なところから出発するゆえに、強固なものとなる。 罪を赦すような愛、万能の力それを自分にもまた他人にも豊に与えられるようにとの願いが生じる。そしてそのような万能の神が自分の直面する病気や人間関係、また将来のことなどさまざまの問題についても希望を持つようにとうながしてくれる。 他人のこと、世界のことについてもその万能のゆえに希望を失うことがない。それゆえこの詩の作者も、自分の罪赦された経験から、他者へとその心が広がっていく。 イスラエルよ、主を待ち望め。 慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。 主は、イスラエルを すべての罪から贖ってくださる。 自分の同胞にも、豊かな罪の赦しを与えられる神を待ち望め、と呼びかける心が生れる。それは深き淵にいて、もう絶望的な苦しみにあえいでいた魂といかに異なる状況であろう。 深き淵、それはこうした罪のゆえでない場合も多くある。病気や事故、あるいは家族の離反、そして職業上での困難や、人間との対立などなどである。 ことに病気が重くなってくればそれは耐えがたい苦痛と将来への不安、すべてが失われるという悲しみ、他人に大きな負担をかけるという心の重さなどが幾重にも取り巻くことで深い淵に落ちていくように感じることであろう。 こうしたとき、本当に神への叫びをあげるときに主は聞いて下さる。 しかし、そのときでも、そのような苦しみを通して自分の罪を知ることが求められている。 主イエスも、中風で寝たきりの苦しい生活をしてきた人が担がれて主の前に、家の屋根をもはいでつり降ろしたとき、意外にも「あなたの罪は赦された」と言われた。彼等は自分たちの仲間が中風で苦しんできた、もう絶望的なほどの苦しい生活のゆえに必死でイエスを信頼して遠くから運んできた、そこには彼等自身の罪の意識はなかったであろう。しかし主イエスは彼等の主イエスへの信頼のゆえに、彼等自身も気付いていなかった人間の根本問題に御手を触れて下さったのである。 また、サマリアの女が井戸のそばでイエスと話して、永遠の命の水を下さいと求めたとき、主イエスは彼女の過去の罪を明らかにされた。罪を犯してきたということに立ち返ることなしに、いのちの水は与えられないからである。 私たちがいかに深い淵、暗黒の淵に置かれようとも、主は必ずその愛する者のためにそこから引き戻してくださる。そのとき、私たちが自分の罪を深く知れば知るほど、そこに与えられる赦しをもいっそう深く感じ、そこから生れる希望も揺るぎないものとなるのである。 人間の力の過信(原子力発電のこと) 関西電力の原発、美浜三号機の配管破断事故で、死者四人、負傷者七人という日本の原発史上最大の事故が生じた。そうした事故はアメリカで、一九八六年にすでに生じており、美浜三号機と同様に、配管が破断して高温の蒸気が噴出し、四人が死亡、八人がやけどをしたことがあった。 しかし、その後関西電力は報告書で、「日本の原発では徹底した管理が行なわれており、そのような事故は生じないと考えられる。また、配管が磨耗して薄くなってしまっているかどうか膨大な箇所の検査をした」という内容の報告書を国に提出していたという。 かつて、阪神大震災のときにも、その一年程前にアメリカのロサンゼルスでの大地震で高速道路の橋桁が崩壊したとき、日本の技術者は、日本ではあのようなことは決して起きないと自信にみちた調子で語っていた。しかし、現実にはそれよりはるかに大規模に高速道路の橋脚が倒壊し、橋桁が落下して甚大な被害が発生したのであった。 今回の原発の事故に、アメリカのスリーマイル島原発の事故のように、さらに別の安全システム上の事故が重なったなら、重大事故である炉心溶融(*)ということにまでつながりかねない重要な事故であった。 このように、科学技術への過信は場合によっては取り返しのつかない事態を招くことになる。 多くの科学技術者や、それを用いる政治に関わる人間たちは、人間のすることはすべてきわめて不完全であるという基本的な認識ができていないことがしばしばある。今回の破断事故も、破断したところが点検リストに入っていなかったということであり、ほかにもそうした点検リストからもれている箇所が多数見つかっている。 厳密に正しく検査をしようとすれば、膨大な数の点検をしなければいけないのであって、それらを完全にするかどうかは、下請けの会社の誠実さにもかかわっている。いくら電力会社の首脳部や技術者が命令したところで、最終的に保守点検をするのは人間であり、その人を動かすのも人間であり、その人間は疲れも生じるし、勘違いもある。またときには嘘もつくし、安楽を求め、楽に収益を得ることを考える傾向がある。 それゆえ、どんな精密な科学技術であっても、個々の人間のなかに宿るそうした不真実な本性があるかぎり、今後もいかに検査などを徹底すると言ってみても、絶対安全などということはあり得ないのである。 このようなことはごく当たり前のことであり、だれでもわかっているはずのことであるが、いつのまにか、「絶対安全」だとかいう言葉が発せられるようになっていく。そして事故が起こってからいろいろの間違いや手抜き、嘘などが発覚する。 もしも、日本の原発でチェルノブイリのような重大事故が生じたら、日本では人が狭い国土に集中しているために、死者や病人がおびただしく発生し、国土は放射能で汚染され、大混乱に陥って農業などの産業、経済や交通などにも致命的な打撃が生じることが予想されている。 また、日本ではロシアのように別のところに大挙して移住するところもなく、住むところもなくなる人が多数生じるという異常事態になるであろう。 だが、日本ではそんなことは生じないなどと、何の根拠もないのに、断言するような電力会社や科学技術者、政治家もいる。しかし、過去の原発事故の歴史や、今回の事故を見てもそのような断言は虚言に等しいといえる。 そうした綱渡りのような危険な原発を止めることを真剣に取り上げ、そのためにはどうすればよいのかということを真剣に考えていくべき時なのである。 人間の弱さがこうした社会的な問題にもその根底にあり、その弱さや不真実、利益、金第一主義といった本性をいかに克服できるのか、それが根本問題である。 このような人間の奥深い性質に関わることは、どんなに科学技術が発達しても少しも変えることはできない。 社会的な汚れと混乱を声高(こわだか)に非難してもそれを言う人自身のなかにも同様な汚れ、罪がある。 現代の科学技術は、はるか数千年の昔に書かれた創世記にある、バベルの塔を思い起こさせる。 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。」(創世記十一・4より) この素朴な言葉を表面的に読むだけでは、単なる神話か、昔の空想的物語にすぎないと思う人が多いだろう。 しかし、創世記は随所に以後数千年にわたって真理であり続けるような内容が、それとなく秘められている。 ここでも、数千年前のメソポタミア地方で最も貴重な技術的産物が、大きな塔であった。それがバベルというところにあったために、バベルの塔というように言われるようになった。 当時の技術がすすんで、石の代わりに、自然にある土を用いて建築材料とするレンガを造り出し、アスファルトをも得て、高い塔を作り、天にまで届かせようと考えたという。 現代でこれにあたるのは、科学技術のさまざまの産物であり、それらは、人類を破滅に導くような核兵器や、、クローン人間を造るとか、自然界にない動植物を造り出すことなど、危険なものも今日では数多く現れている。人間の精神まで、科学技術が進んだら左右できるのではないかなどということすら言われている。 しかし、そうした科学技術とその産物はいかにもろいものであるか、また人間がそうした科学技術の産物に頼り、それらは絶対安全だなどと言い出したとき、人間がみずからの醜さ、弱さや無力を忘れて、何となく神の座に座っているのと同様である。 私たちはつねにまず第一の出発点は私たち自身にあることを知り、私たちの内部のそうした不純、罪を赦され、清められ、そこから新しい力を受けるという原点に立ち返ることこそが、基本になければならないと思う。 キリストが来られたのは、まさにこの最も困難な問題の解決のためなのであった。 自分自身がまず、そのようにして内部の罪から解放され、神の国のために生きるようになっていくこと、それが私たちのなすべきことであり、また信仰によってなすことができることである。 この世の全体としての状況は、最終的には神ご自身が導かれるのであってそれを私たちは信じて生きることが求められている。 キリストが人間の罪の赦しため、罪の力から引き出すために地上に来られたという意味は、現代の世にあってますますその意義を深めているのである。 (*)炉心の核燃料が融点を超えて溶融する原子炉の重大事故。一九七九年三月に米国スリーマイル島2号機で起きた事故では、原子炉炉心の約半分が溶融した。さらに一九八六年にソ連のチェルノブイリ原発で起こった原子炉の炉心溶融(メルトダウン)は、全ヨーロッパに放射能をまき散らした。この事故以降、この原発周辺の広大な地域で、数万人が放射能に関係のある病気で死亡している。この事故によって生じた甲状腺ガン患者は二千人近いと言われている。またこの原発事故により広島原爆の六〇〇倍ともいわれる放射能が北半球全体にばらまかれ、日本の国土でいえば五〇%にも及ぶ広大な地域が汚染され、数多くの人が放射線を受けることになった。被災三国(ベラルーシ、ウクライナ、ロシア)だけでも九〇〇万人以上が被災し、四〇万人が移住。六五〇万人以上が汚染地に住み続けている。 福井県の原発で炉心溶融のような大事故が生じると、京阪神の大都会をすぐ近くに控えていることから、ロシアのチェルノブイリ事故をはるかに上回る死者と、一〇〇万人を越えるガン患者が生じるとも想定されており、その場合の被害の甚大さは、阪神大震災などとは比較にならない。 委ねる この世は偶然が支配している、神などないと思っている人が大多数を占める日本においても、一五四九年にキリスト教が初めて日本に伝えられてから、神とキリストを信じる人はこの四五〇年あまり途絶えたことがない。 それは確かに神がおられるという実感を与えられる人がいかなる時代になっても変ることなく生れてきたからである。どんなに悪がはびこり、また迫害が厳しく、背教する人も次々と生じてもなおキリストを信じる人がたえることなく続いてきたのは、神がおられるという実感を与えられるからである。 そのためには、祈り、学び、礼拝集会などいろいろがそのような実感を与えるのに役立ってきた。それとともに委ねるということの重要性がある。私たちがいるかいないかわからないように感じても、思い切って真実なる神に委ねて決断したとき、予想していなかった神からの助けや道が開かれることを私は経験してきた。 そのたびに神が生きて働いておられるという確信が深められてきた。 委ねるとは、目をつぶって飛び下りるような気持ちでもある。その決断をすればどうなるか分からないが神のみを見つめて決断をする、そこにだれもが予想していなかった道が開けていった。 これは書物では学べないところがある。その決断をせねばならないような状況は、各人によって異なる。それぞれが置かれた状況での決断はただその人だけがその困難さを知っているし、あとに続く苦しみなども自分が背負っていかねばならない。 そうした決断をする心を神はじっと見ておられる。私たちが真実な心でなせばなすほど、神の国をまず見つめて自分のことを第一にしない心であるほどに、神は私たちを未知のところ、神のわざを実感できるところへと導いて下さるのである。 ことば (191)病気や高齢の人のなかには、「私は人の役に立つようなことは何もしていない」と言って心を痛める人がいる。しかし、彼らは忘れてしまったのであろうか、その祈りはいつも神に迎え入れられているということ、その祈りは彼らの思いをはるかに超えて何らかの事を満たしているということを。(「信頼への旅」ブラザー・ロジェ著 149P) ・私自身、このような嘆きの言葉をよく耳にしてきた。しかし、弱き者を慈しまれる神、キリストに従う者だからといって差し出す水一杯にも豊かな祝福を約束された主は、病の人、老齢の人の小さき祈りをも決して無にされることなく、それを必ず何らかのことを満たすために用いられる。それはだれかの心の平安を満たすことであったり、社会のどこかにいのちの水を、平和をもたらすことであったり、病の人の苦しみを軽くすること、家族のなかに恐れを神への信頼に変えることであったりするであろう。 (192)あなたが神の導きに身を委ねるならば、いろいろと「計画」を立てることを差し控えなさい。あなたを前進させるすべてのものが、はっきりとした必要が生じたり、適切な機会が与えられたりして次々にしかも正しい順序で、あなたを訪れてくる。(「眠れぬ夜のために上 五月五日の項より」) ・これは生きた神の働きを実感した人の言葉である。私自身、必要なときに思いがけない人から必要なものが与えられたこと、重要な岐路にあるとき、予想もしなかった人が現れて助けてくれたこと、また予期していない助けが与えられたことも、みな自分の計画や予想してなかったことであった。偶然ばかりがあるようなこの世界において、私たちが委ねていく心があるとき、神はそれに応えて不思議を現して下さる。 返舟だより ○八月七日(土)〜八日(日)の二日間、京都桂坂のふれあい会館にて、近畿地区無教会 キリスト教集会が開催され、京阪神のほかに、奈良、愛媛県、徳島県、広島県などからも参加者があり、五〇名ほどが集いました。 年齢的にも高校生から、九五歳の方までいろいろの方が参加して、「希望」をテーマに聖書を学び、講演もあり、特別讃美や証し、早朝祈祷、読書会もありました。今回も土曜日と日曜日の二回の聖書講話は吉村 孝雄、講演は、山形謙二氏(神戸アドベンチスト病院長)が担当。 なるべく多くの人に司会など何かの役割が与えられるように配慮されていて、全体として今回の集まりもキリストのからだであるとの感じを与えられたことです。 聖書やキリスト教に全く初めての若者も、大阪狭山集会に属している人の紹介で参加したのですが、そのような人にこそ、主が天の国の何かをその魂に刻んで下さったことを思います。 日曜日ごとの集会が基本ですが、その上にこうした合同の特別集会が与えられることは、大きな幸いです。日頃出会うことのない、キリスト者たちとの出会いからまた新たなつながりが与えられ、学びがあり、ふだんの集会では与えられない霊的な飛躍が行なわれてそれから新しい成長が始まることも実際にあります。 来年の桂坂の集会もさらに祝福され、闇に打ち勝つ光としての役割がなされますように。 ○八月十三日(金)〜十六日(月) 北海道の南西部にある日本海側の町、瀬棚町(小樽から百七十キロほど南)にて第三十一回の、瀬棚聖書集会が行なわれ、去年に引き続いて、吉村(孝)が聖書講話を担当することになり、私たちの徳島聖書キリスト集会からも四名が同行し、また兵庫県の方も一人参加して部分参加を含めて三十名ほどの参加で行なわれました。 三泊四日という聖書集会としては長い日程で、地元の参加者は酪農家の方々で、参加できる日とか時間帯に聖書集会に参加するといったかたちで、また、その家の家族で参加するといったかたちになっている人たちもあり、ほかの地域の聖書講習会とはかなり異なる集会です。 聖書講話は新約聖書と旧約聖書の双方を用い、聖書全体のメッセージを見つめることができるようにと考えました。また、日本キリスト教団利別教会での礼拝説教は、詩編のなかから選びました。それは、詩編の特別な重要性にもかかわらず、教会、無教会を問わず、概して詩編がわずかしか取り上げられていないと感じていたからです。 瀬棚聖書集会が終わってから、札幌に行きましたが、そこで私たち徳島からの参加者との交流会が準備されていました。そこでは、旭川や苫小牧からも参加者がありました。旭川から札幌まで百四十キロ、苫小牧市からでも九十キロほどもあるのに、幾人もの方々が参加して下さって感謝でした。そして地元の札幌市内の方々も十六名ほど、さらに神奈川県から札幌にちょうど来ていた方も参加され二十一名の方々が私たち徳島聖書キリスト集会との交流会に参加して下さいました。 はじめは、中途失明された大塚さんご夫妻とお会いするということから始まったのですが、札幌の方々にも紹介していただき、さらにそのことが旭川や苫小牧のキリスト者にも広がって今回の交流会となりました。 その後、私は青森県、岩手県、山形県と立ち寄り、それぞれ数年〜十年ぶりの再会を与えられました。弘前では以前徳島にも来ていただいた斉藤さんを訪ね、いままでの歩みなど、またキリスト者が町立の病院長として歩む際に直面する困難も知らされました。岩手県盛岡市では、キリスト教を学校の基本においている高校の教員をしている田口さんが、学校を案内して下さり、その後自宅にてご夫妻と主にある交わりが与えられました。最近は「農夫」という四ページほどの印刷物によってその考えておられることや信仰が伝わっていました。 奥さんは、静岡県清水市での集会のときにいつもお目にかかっている、石原 正一さんの娘さんということで、私が北海道瀬棚町で、一日を宿泊させていただいた野中 正孝さんとキリスト教独立学園時代に同級であったとのことで、いろいろとつながりがあることがわかり、主の見えざる御手を思いました。 ついで、山形県の寒河江市(さがえし)の、黄木 定(さだむ)兄を訪ね、いろいろ山形の地における無教会関係の人たちのことをうかがいました。そして翌日は、黄木さんの車で、長い年月、山形無教会を支えてこられたキリスト者の方々を訪ねることができました。いずれの方々もご夫妻で迎えて下さり、短い時間でしたが主にある交流が与えられ、それまではお名前だけ、あるいは全国集会で挨拶だけしたことがあった程度のことでしたが、今回は親しくお話をうかがうことができました。 そのうち、小関さんは以前からこの「はこ舟」と、「今日のみ言葉」というインタ−ネットで送付している伝道用のメールを通じての交わりがありました。小関さんは、ホームセンターを経営され、多くの支店をもつ大きな会社となっていますが、つねにキリスト中心に歩んでこられたことを以前からも知らされていました。今回は親しくご自宅にうかがって主にある交流のひとときを与えられました。 その際、奥さんから、意外なことを聞きました。それは、私は大学四年のときに初めてキリスト教を知って、無教会の京都北白川集会に短い期間参加しましたが、そのとき、富田 和久、塩谷饒(ゆたか)の 二人の方が聖書講義を担当されていましたが(現在はお二人とも、召されています)、そのうちの塩谷氏の奥さんが、小関さんの奥さんの姉だと知って、三十五年以上も前のことが目の前に鮮やかに浮かんでくるような気がして、その長い歳月も主が見えざる御手をもって導いて下さったことを感じました。 ときどき主はこのように、この広い世界で無数の人たちが無秩序に生きているように見えるにもかかわらず、主が生きて働いて私たちを必要なときに、その導きを知らせるために意外な出会いを与えて下さることを思いました。 徳島では考えられない東北地方の涼しい大気のなかに、青い空、白い雲が浮かび、主への感謝をあらたにしたことです。 |
2004/8 |
本当の教育 2004/7 教育ということは、ほとんどの人が経験する。だれでもどこかで、いつかは教育され、また教育する立場となった経験がある。学校教員でなくとも、家庭において、子どもや家族への教育、会社やサークルなどでの教育などなど、教えはぐくむということや、教育を受けるということは随所にある。 教育とは引き出すことだといわれる。(*) 生まれつき持っている能力を引き出すという意味である。たしかに音楽や英語、数学などの学びにかかわること、またスポーツや、例えば家を建てたりするなどのさまざまの技術は、引き出すことができる。適切な教師によって助言や働きかけ、訓練によってそれらは見違えるような状態となる。 (*)「教育する」という英語 educate とは、ラテン語の e(〜から) と、 duco(引く、導く)という語から成っていて、「引き出す」という意味を持っている。 しかし、神が持っておられるような愛や真実、正義は引き出すことができない。なぜならもともと人間はそういうものをもっていないからである。人間の魂の深いところから、引き出してくれば、それは自分中心という醜いものが出てくるだけであろう。だから、いくら成績がよくなっても、また何かの技術やスポーツなどができるようになっても、それらができればできるほど、それを自慢に思ったり、できない者を見下したりする、傲慢さや高ぶりが伴うことが多い。 人間から引き出すことができる愛は、自然のままの人間的なものであり、どこまでいってもやはりどこかで自分というものと結びついている。自分が心惹かれるものを愛する、自分によくしてくれるものを愛する、自分への何らかのお返しを期待するような愛というようなものでしかない。 神の愛、それは上から与えられねばならない。次ぎの聖句にあるように、すべてよいものは上から下ってくる。 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。(ヤコブの手紙一・17) そういう意味では、真の教育は人間にはできないのであって、神によって、キリストによって直接的によきものを与えられ、導かれ、造られていくしかないのである。 それが、主イエスがあのぶどうの木のたとえで語った意味でもある。 わたしにつながっていなさい。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネ福音書十五・4〜5より) 単に知識や技術、考え方などを身につけるにとどまらず、人間の一番深いところがよくなっていく(実を結ぶ)ことは、人間は自分でもそれができないし、当然それは他人にもできないことである。それはただ、神に、キリストに結びついて始めて可能となっていく。 神の御手 私たちのこの世界には、思いがけないこと、また不幸としか言いようのない出来事も生じる。病気とか突然の事故、戦争、自然災害などなど。そのような時に、神がいるのならどうしてそんなことが起きるのか、そんなことが生じるから神など信じないという人たちもたくさんいる。 しかし、この世に生きて働く神を信じること、その神が愛の神、真実の神であり、天地をも創造され、造り変えることのできる神であると信じることは、まったく別のところからくる。 人は不幸なことが生じなかったら、自然にそのような神を信じるようになるだろうか。 そんなことは決してない。健康で、生活にも何不自由なこともなく、家庭もみんなが元気に生活している、だからといってスムーズに神を信じるようになったりはしない。かえって、そのような苦しみも悲しみもない生活では、いっそう自分中心になっていくことも多い。 神が生きて働いておられる、ということがわかるようになるのは、そうした外部のことによってではない。 実際、遠い昔、モーセがエジプトから奴隷となっている同胞を救い出そうとしたとき、神の力が与えられて、モーセはエジプト王の前で数々の奇跡を行なって、同胞を解放するようにと迫った。しかし、どんなに奇跡を見ても、王は神を信じることはしなかったし、逆に心をかたくなにしたと記されている。 また二千年前にもキリストが数々の奇跡をされたが、だからといって民衆はそれらの奇跡を見て、キリストを信じたり、神への信仰が深まったということもほとんどなかった。弟子たちも三年間そうした数々の奇跡を目の当たりにしていたのに、自分たちの地位を求めたりキリストが十字架で死ぬと言われてもその意味も理解できなかった。民衆もイエスが十字架にかけられることを望んだのであった。 それなら何によってキリスト教の真理が信じられ、父なる神のこと、愛の神のことが信じられるようになったのか、それは時代がよくなったからとか、自然災害が起こらなくなったからとかでもない。 それは、神が直接に一人一人の魂に働きかけたからである。言い換えると神の聖なる霊が働きかけたからである。神の御手は万能であり、いかなる周囲の状況にもかかわらず神を深く信じる魂を創造しうる。聖なる霊は風のごとく、思いのままに吹く、と言われている。まさにその通りであって、神が直接にその見えざる御手を伸べるとき、いかなる状況にある人でも神を信じ、神の愛に感じるようになる。 使徒パウロもキリスト教徒を迫害するリーダー的存在であったのに、神の御手が働き、その光が臨んだときに、たちまち変えられたのであった。 自然の中にも神の御手の働きが随所にみられる。というより、自然はすべて見る目をもってすればすべてが主の御手の働きだと言える。人間の世界では、しばしば神の御手の働きがわかりにくいし、はじめに触れたように、全くそんなものはないと思う人も多い。そのかわりに神は、だれでもが人間を超えた驚くべき御手によって造られたのではないかと、感じるような被造物(自然)を至るところに置いて下さっている。 旧約聖書の詩人もそうした自然のなかに、大いなる神の御手を深く感じていた。 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。(詩編十九・2) 日々に異なる大空のありさま、青い空のさまざまの色調、また白い雲も刻々とその形を変え、色合いも変わっていく。朝夕にはその茜色の空や雲などとともに雄大な光景を現してくれる。 夜になれば、目に見えるものとして最も崇高な星の群れが広がる。 こうした自然の無限の多様性をたたえた姿において、私たちは神の御手をつねに感じるように導かれているのである。 私たちの内なる目、霊的な目が開かれるほど、そうした自然の世界だけでなく、人間の世界にも神の御手があり、その御支配がなされており、それは宇宙の創造以来、長い歴史のなかにもその御手は働いてきたのだとわかるようになる。 大いなるは神の御手! いかなる時代にも決して衰えることなきその御手の働きを信じて生きるところに私たちの希望があり、平安がある。 主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。(民数記十一・23) ヨセフの涙 旧約聖書の創世記の後半に現れるヨセフに関する物語は、子どものときから学習雑誌で読んだことを覚えている。そのときは単なる昔の物語としてであって、中学以上になるともう全く思い出すこともなかった。 そしてそのような昔話が現代に生きる私たちに何らかの関係があるなどということも思いもよらなかった。 しかし、聖書の内容が次第にその深い意味を現してくるにつれて、こうした過去に読んだ単なる物語だと思ったものが、現代の私たちにも深い意味を持っていることに気付いてきた。 創世記四十二章以降もヨセフに関する記述が続いているが、その中で、ここではヨセフが涙を流したことが、繰り返し八回ほども記されていることの意味を考えてみたい。 ヨセフの兄弟たちは、かつて弟のヨセフを殺そうとした。そしてそれはいけないという者もいたので、結局通りがかった商人たちに売り渡し、ヨセフはエジプトへ売られていった。 ヨセフは王の宮廷の役人の家で働くことになったが、そこから無実の罪によって捕らえられ、牢獄に入れられた。しかし、そこで神の力を受けて様々の不思議なこと、驚くべきことが起こり、獄中の人間から、エジプトの最高の実力者の地位にまで上がったのであった。しかもヨセフは地位をあげるためのいかなる運動めいたこともしなかった。ただ、不思議な導きによってそうなったのである。 さらに意外なことが続き、かつてヨセフを殺そうとまでした兄弟たちが飢饉のために、エジプトにやってきて穀物を購入しようとした。そのときヨセフは直ちに兄弟たちに自分の身を明かそうとはしなかった。全く素知らぬ顔をして、兄弟たちの心がよくなったかどうか確かめようとしたのである。 そのためにあえて難しい要求を出した。それは父が最も愛している末の子(ベニヤミン)を、父のいるカナンから連れてくるように命じたのである。兄弟たちは驚き、苦しんだ。長い間、かつての自分たちの重い罪をわすれて生きてきたと思われるが、この苦しみに出会って彼らはその罪を思い起こしたのであった。 彼らは、 互いに言った。 「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」 すると、ルベンが答えた。「あのときわたしは、『あの子に悪いことをするな』と言ったではないか。お前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ。」(創世記四二・20〜22より) この兄弟たちの言葉を聞いて、ヨセフは彼らに遠ざかって涙を流した。それは何の涙か。兄弟たちが、自分たちの罪に気づき、その罪の重さに目覚めて悔い改めをはじめたのがわかったからである。ヨセフが涙を流したのはそのことのゆえであった。 新約聖書においても、天において最も大いなる喜びがあるのは、罪人が悔い改めたときだと記されている。 罪人がひとりでも悔い改めるなら、(悔い改めを必要ないとして、自分を正しいと思い込んでいる)九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にある。(ルカ福音書十五・7より) ヨセフが涙を流して深く心を動かされたのは、単なる再会の懐かしさのためではなかった。自分をかつて迫害した兄弟たちのはるか上の立場となって兄弟たちがかつて自分が見た夢のように、自分の周りにひれ伏しているという驚くべき夢の実現の喜びのためでもなかった。ふつうなら、子どものときに見た夢がそのまま、おそらくは二〇年近く経ってから実現したことに驚き、喜ぶかも知れない。 しかし、神に導かれて生きてきたヨセフはそうした人間的な優越感から喜ぶなどという感情は生じることがなく、罪の悔い改めという一点において深い喜びを感じて、思わず人知れず涙を流したのであった。 兄弟たちはエジプトの最大の実力者が自分たちに命じるゆえに、やむなく遠い父親の住んでいる国に帰り、末の子ベニヤミンを連れて再びエジプトに戻ってきた。 そして穀物を購入したのち祖国への帰途についた。そのとき、ヨセフが用いていた高価な銀の杯をだれかが盗んだとの疑いをかけられて兄弟たちは再びエジプトのヨセフのもとに呼び返された。そしてその銀の杯が、ベニヤミンの袋から見つかった。そのために、ベニヤミンは、エジプトで奴隷にならねばならないと宣告された。 こうしたことは、すべてヨセフが兄弟たちの真実さを試みるためになされたことであった。 兄弟たちはかつてヨセフのことで自分たちがはかりごとをして弟のヨセフが死んだと偽って父親に報告し、父ヤコブを深い悲しみに陥れた。今度は最愛のベニヤミンまでも失えば、父ヤコブの悲しみは耐え難いものとなり生きていけなくなるかも知れないと兄弟たちは思った。 そのような窮地に追いつめられて彼らのうちの一人、ユダ(*)は次のように言った。 ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。 この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」(創世記四四・16) (*)このユダはヤコブの子どもであり、アブラハムの子孫の一人。イスラエルの十二部族のうちで、このユダ部族だけが残ったので、後にユダヤ人という名称が生れた。創世記では、ユダという名は、「主をほめたたえる」という意味だとされている。ユダというとキリストを裏切ったユダがあまりにも知られていて、一般的にはこの創世記のユダのことはあまり知られていない。 このように、ユダはかつての自分たちの罪を思い知らされ、それを神が明るみに出したのだと知った。 彼は、ほかの兄弟たちに罪を転嫁したり、自分だけでなく兄弟たちとともに悪事を働いたのだとか言い訳をもせず、そこに神の御手の働きを知らされ、神ご自身が罪を明らかにされたのだと悟った。 このように、このヨセフや兄弟たちの記述は決して単なる話しのおもしろさなどを目的として書かれたのではない。新約聖書の時代にも共通して流れている真理である、罪を知ること、そしてその悔い改めの重要性を指し示しているのである。そして本当に自分たちの罪がわかったとき、その罰をも逃げないで甘んじて受けるという姿勢をユダは持っていた。 そしてもし父がヨセフの代わりに特別に愛しているベニヤミンを失ったら、父ヤコブを苦しめて死なせることになる、そのようなことにならないために、ユダは言った。 …何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。 この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」(創世記四四・32〜34) このように、父を苦しみと悲しみにあわせないために自分が奴隷となって一人エジプトに残されてもよい、そのようにして欲しいと懇願した。自分たちが受けている疑いは根拠のないことだと全力をあげて反論しようともせず、甘んじて、自分が遠い異国で奴隷になるということまで覚悟した背景には、ユダがかつて兄弟たちとともに父を欺いて苦しめたことが念頭にあり、そのようなことを自分の命にかけても繰り返さないという決意であった。 このようなユダの心は、すでに引用したように「神がかつて弟たちにした悪事のことで裁きを受けているのだ」(四二章21)というところから来ていると言えるであろう。 自分が犯した罪の重さを知る度合いが深いほど、私たちが直面する思いがけない苦しみであってもそれは、その罪の罰であり、また、その罪の重さを知らせていっそう正しい道に立ち返らせるための神の導きなのだと受け入れることができる。 ユダの心にはそうした罪の悔い改めがあったからこそ、こうした自らの苦しみをすすんで受けようとまでしたのであった。 ヨセフはそのユダの決意を聞いて、そばに仕えている家臣たちを退かせ、大声で泣いた。ヘブル語原文では、「エジプト人は(それを)聞いた。ファラオ(王)の家(の者たち)は聞いた。」(*)とあり、 ヨセフが声をあげて泣いたことが周囲にいたエジプト人にも聞こえたほどであり、そのことが宮廷全体にも伝わったと強調されている。 (*)英訳の一つをあげておく。And he wept so loudly that the Egyptians heard it, and the household of Pharaoh heard it.(New Revised Standard Version) ヨセフが、大きな声をあげ涙を流したほどの深い喜び、それは兄弟たちの真の悔い改めを知ったからであり、それがユダの自分を犠牲にしても父を守ろうとしたほどにその悔い改めが疑いないものであることがわかったからである。 そのことは、創世記の最後の部分で、ヨセフの兄弟たちが、父ヤコブが亡くなった後で、さらにその悔い改めの心を現したときの描写でも表されている。 兄弟たちはもしかしてヨセフがまだ自分たちがかつて犯したヨセフへの罪を赦さず、仕返しを受けるのでないかと案じた。 …そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。 『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」 これを聞いて、ヨセフは涙を流した。(創世記五〇・15〜17より) ヨセフの涙、創世記では繰り返しそのことが記されている。(*) それは八回にも及んでいる。このような記述のなかに、創世記を書いた人が特別にヨセフの涙について動かされたのがうかがえるし、それは書いた人の背後におられる神のお心を映し出しているものだといえよう。 (*)最初は二〇年ほども経って、かつて自分を殺そうとし外国人に売り渡した兄弟たちが、自分たちの罪に気付き、いまの苦しみはその罰だと気付いた時(四二・24)、ついで、まだ自分のことを明かしてはなかったときに弟ベニヤミンを初めて見たとき(四三・30)、それから兄弟たちに自分のことを明かしたとき(四五・2)、そして初めて兄弟としてベニヤミンを抱いたとき(四五・14)、兄弟たちをも抱いたとき(四五・15)、さらに長い歳月を経て、父ヤコブと再会したとき(四六・29)、さらにその後父の死去のとき(五〇・1)、そして最後に、さきほど引用した兄弟たちが赦しを乞う願いを聞いたときである。 しかもこのヨセフの涙は、どれも喜びの涙であって、孤独のゆえに流す悲しみや悔しさの涙ではない。彼が兄弟たちに憎まれ、殺されそうになってついに外国に売られたときや、無実の罪で牢獄に入れられたとき、そしてようやくそこから出られると希望をもったときにも忘れられてしまったこと…そうした数々のことにおいてもヨセフが涙を流したとは書かれていない。 こうした涙の最初と最後の記述が、いずれも兄弟たちの罪の悔い改めに関することであった。そこに聖書がどのようなところに心の深い感動があるかを示そうとしているのがうかがえる。 ヨセフの涙は喜びの涙であった。それは単に再会したことでなく、かつて自分を売り渡した兄弟たちが、その罪を知りはじめたこと、そして悔い改めへと導かれていく道にあることを知ったことによる。神が最も喜ばれるのは、表面的によいことをしたことでなく、こうした自分の罪を知ることである。人生の本当の喜びはなにか楽しいことをしたとか、自分の目的通りになったとか人々が認めてくれたとか、でなく、自分の罪を知って悔い改め、そこから神につながり、神からの平安を与えられ、神の国の賜物をいただくようになったときである。 それは九十九匹の羊をおいて、一匹の見失われた羊を探し求め、見出して喜ぶ神の愛、悔い改めた一人の罪人に喜ぶ天使たちの心(ルカ十五・10)であり、放蕩息子の父親が、悔い改めて帰って来たその息子のために、最大限に喜ぶ心として聖書では繰り返し記されている。 人間の喜びはしばしば単に飲食とか名誉、称賛を受けること、金や物などが手に入ったときに生じる。 しかし、神の心はどんなことに喜び、深く心動かされるのかが、ヨセフの涙を通して示されている。 罪を知らず、悔い改めと、赦しのないところでは私たちの本当の平安もなく、力も与えられない。このヨセフと兄弟たちとの出会いの場面そのことを表している。 ヨセフが自分もかつて兄弟たちに誇ったりする人間であったのが、苦難によって砕かれて神中心に生きるようになったこと、悔い改めがいかに重要であるかを知らされたがゆえに、そこから兄弟たちをもその悔い改めへと導こうとしていることが書かれていて、ここに神のお心が示されている。 預言者の孤独 預言者とは、その字のように神の言葉を預かった者、神の言葉を受けた者のことである。神の言葉は黙って受けとるだけのために与えられるのでなく、外部に語るように絶えず仕向ける力を持っている。 預言者エレミヤは、今から二六〇〇年ほど昔の人であるが、そのような古代の人間の心、考え、気持ちが旧約聖書を見るとありありと伝わってくる。 人間が話をするのは、自分が話したいからであり、自分のことを聞いてもらおうと話す場合が多い。 老人になると昔のことを繰り返し同じ言葉であっても長々と話す傾向が強くなる。老人でなくともたまった何かを発散したいかのように、何時間もとりとめもないおしゃべりをする場合もある。 しかし、同じ言葉であっても、預言者の言葉はそのような、自分が話したいから語るといったものとは本質的に違っている。 エレミヤはまだ若いときに、いかなる人間の意見とも、考えとも異なる、真理そのものを語るために、神から特に呼び出されたのであった。そのとき、彼はそのような特別な使命を直ちに受けるということは到底できなかった。それはエレミヤの次の言葉によく表れている。 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知らないのです。 わたしはただの若者にすぎないのですから。」(エレミヤ書一・6) このように言って神からの使命を辞退しようとした。 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。 わたしがあなたを、だれのところへ 遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」と主は言われた。(エレミヤ書一・7〜8) このような厳しい言葉であったが、エレミヤは自分の考えでは到底神の言葉を、当時の社会的な地位がある人、国王や高官たち、宗教家たちに向かって語り、彼らの誤りを直言するということはできなかった。しかし、神からいわば無理に呼び出され、そして神の言葉を与えられ、神によって後押しされて語りはじめたのであった。 そういう意味で、ふつうの人間が自分が話したいから話す、といった人間的な言葉とはまったく異なるのがよくわかる。 これと同様なことは、旧約聖書で最大の人物といえるモーセについても記されている。 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオ(エジプト王)のもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」(出エジプト記三・10〜11) このように、モーセも自分の考えや思いでエジプトで奴隷労働を強制させられている同胞を助け出そうとしたのではなかった。むしろそのようなことは言われても到底できない、考えられないということであった。それで神がモーセに語りかけてエジプトに赴かせようとされるが、モーセは従おうとはしなかった。 それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」(出エジプト記四・10) このように神に反論して、自分にはどうしても行けそうもないこと、人々の前で語ることは全くできないと強く辞退した。 それゆえ、神はモーセに特別な奇跡を行なう力を授けたのである。そしてその奇跡が実際に起こることを眼の前で見せた。しかし、モーセはなお強く辞退した。 主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」(出エジプト記四・10〜12) このように、預言ということは自分がしたいからとかしゃべりたいからしゃべるといったのと全く異なるのがわかる。それは場合によっては非常な苦しみや孤独が襲いかかってくるからである。 そのような状況にあっても神のうながしによって強い力が臨み、モーセも最終的には神の力によって導かれ、エジプトから同胞たちを救い出すという仕事に着手することになっていく。 神の言葉はこのように、自然のままの人間には到底語ることができない。 学問的なこと、技術的なことは、自分中心の考えで生きているような人間でも優れた業績をあげることは可能である。自分の名声のために研究をするということもよくある。現にある有名な学者は、競争心がなかったらこのような業績をあげることはできなかったと言ったことがある。 原爆は完成までに数十年もかかると当時の世界的な物理学者が言っていたし、日本の科学者たちも開発をはじめようとしていたが、あまりの技術的困難さから不可能としたほどであったのに、アメリカが巨額の費用を注ぎ込んで、ノーベル賞を受けた科学者を十名ほども含む優秀な研究者を多く集めて開発に前例のないほどのエネルギーを注ぎ込むとわずか数年で完成してしまった。このように学問とか技術なども費用と時間を注ぎ込めば結果はえられる。 しかし、神の言葉を語るということは、そうした金の力や人間的な権力による強制などによっては全くできない。 ただ、自分や周囲の人間を超えた神の力が注ぎ込まれて初めて可能となる。 地上で最も完全な人間として神から送られた主イエスも同様であって、三〇歳になるまではそうした力が与えられていなかったようである。三〇歳になって天からの聖霊が注がれて初めて神の言葉を語る者となった。 パウロも同様であって、彼はキリスト教に心惹かれていたどころか、キリスト教そのものを滅ぼしてしまおうという激しい意図をもって、それに情熱を燃やし迫害をする人たちの急先鋒となっていたのである。 そうした彼の意志とは全く逆の神の意志によって突然、天からの光と復活したキリストの呼びかけによってパウロは神の言葉を宣べ伝える人に変えられた。その後も、パウロは自分の希望とか考えでなく、生きて働くキリストにうながされ、聖霊によって神の言葉(福音)を伝え続けていった。 「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。」(Tコリント九・16) しかし、このように神に呼び出されたような人間であったら、ずっと神の言葉を伝え続けることはできるのだろうか。 神の力によってのみ神の言葉は語られる。それゆえその神の力が取り去られるとき、いかに力強い働きをしていた者といっても、ふつうの人間と同様に弱いものとなる。 旧約聖書の預言者のなかでも、とくに驚くべき力を発揮したのがエリヤという預言者であった。偽りの預言者たちを集めて、真正面に対決し、民衆の前にて彼らに神の言葉を告げ、さらに天からの火を呼び出して偽りの預言者たちを滅ぼしてしまうという他に例のないような驚くべき神のわざをなすことができた。 しかし、悪意に満ちた王妃によって追われ、命の危険が間近に迫ってきたとき、エリヤはそれまでの大胆な神の僕という姿とは想像もできないほどに力を失い絶望的になってしまった。 彼は王妃を恐れて、遠く砂漠地帯へと逃げて行った。 …エリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバ(*)に来て、自分の従者をそこに残し、彼自身は荒れ野(**)に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。 彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。 「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。」(列王記上十九・3〜4) (*)砂漠のなかにあるオアシス。 (**)「荒れ野」といっても、日本でいうような、畑として利用されていない放置された荒れ地とか、草木が生い茂っているようなところでなく、草木もほとんどない砂漠状態の場所を指している。 特別に神の力を受けた預言者として旧約聖書全体でも重要視されているエリヤであるが、ここに見られるように、もう死にたいと願い、死の寸前までいっていたのである。 この地域のような砂漠地帯で水も食物もない状態でいれば、激しい直射日光と暑さ、乾燥した大気によって人の命はすぐに失われる。彼はもう生きていけない、力は尽き果てたという疲労感と挫折感に襲われていたのである。 この記事の直前でエリヤがいかに神の僕として著しい力を受けていたかが詳しく記されていたので、そのすぐ後に書かれているこの記事との落差に驚かされる。 聖書は人間崇拝を許さない唯一の書であると言われるが、このようなエリヤの記述はエリヤを過度に重視したり、その人間に注目することでなく、背後でエリヤを動かしている神に注目させるという意味がある。 どんなに勇気ある人間のように見えても、またいかにあるときに力強く働いているように見えても、またどんなに能力に満ちた有能な人間だと思えるような働きをしていたとしても、人間はみんな例外なく弱い存在であり、支えがなくなればたちまち生きていく力を失ってしまう。 エリヤはこのようにして、死の直前にまで追いつめられたがそのぎりぎりのところで、神の奇跡的な力によって命を支えられ、再び立ち上がる力を与えられた。 このことによってエリヤは自分の力では何もできない、神の言葉を語ることも生きていくことすらもできないということを痛切に思い知らされたのであった。 そして彼はまた深い神との一体感によって生きていたが、それは他方では深い孤独の中に置かれていたということでもある。エリヤは、繰り返し一人になったことをのべている。 民に対しては、 「私はただ一人、主の預言者として残った。」(列王記上十九・22) と述べ、神に対しても次の言葉を繰り返し強調している。 「私は神に情熱を傾けて仕えてきました。しかしイスラエルの人々は神との契約を捨て、預言者たちを殺してきたのです。私一人だけが残り、彼らは私の命をも奪おうとしているのです。」(同10節、14節より) こうした孤独は神の言葉を受けた人の担うべき重荷だといえよう。それはその孤独のなかで神の言葉の鋭い意味とその深さを真剣に神に求め続けていかねばならないからである。 この点については、初めに記した預言者エレミヤ(エリヤより三百年ほど後の時代に現れた)も同様であった。彼もまた、神の言葉を与えられ、著しい孤独のなかで神の言葉を語り続けていった。それは一般の人々に対してだけでなく、国の支配者階層に対しても向けられた。 神がエレミヤを呼び出し、特に神殿の門に立って、神の言葉、真理の言葉を語れと、命じられた。当時の神殿とは、人々の信仰の中心であり、多くの人たちが多方面から集まってくる最も重要な場であった。そのような、支配者たちや社会的な地位のある人、また一般の人々が集まる場において、次のように語れといわれた。それは驚くべき厳しい言葉であり、単刀直入の言葉であった。そのような厳しい言葉はだれも語ったことがなかったし、たちまち世の指導者たち、地位の高い人たち、権力者たちの憎しみをかって、捕らえられるということは予想されたことである。 神はエレミヤに次のように命じた。 主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。…主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。 主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。… そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地に、永遠に住まわせる。 …わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。(エレミヤ書七・2〜11より) エレミヤはたった一人で、人々に向かって当時の人たちの不正を指摘し、真正面からそれを神の権威をもって叱責し、真の道を指し示した。 地位の高い人々から低い人々までだれもが、最も重要な宗教施設としてみなしている上、多くの人々が出入りしているその神殿の門に立って、このような厳しいことを単独で言うということがどんなに大変であったかを知らされる。 「主の神殿…という空しい言葉」とは、人々が、神殿があるから他国に侵略もされない、平和が保たれるといって形式的、儀式的な宗教にとどまることで偽りの安全を説いていたことを指している。 宗教家たちが、神聖な場としているところを、エレミヤは、「強盗の巣」と言った。しかもそれは神がそのように告げたと大胆にも述べたのである。 強盗の巣といえるほどに、神殿が本当の神への信仰の場でなく、礼拝の場でもなく、人々の心を神に向かって引き上げ、清め、正しいことへと立ち返らせる働きもせず、かえって、集まる人々からの献金や捧げ物などをふところに入れて自分たちの安楽や権力のために用いている状態であった。 そうした長年の不正と堕落をだれもが何も感じないほどに正しい感覚が麻痺していたときに、エレミヤは神からの言葉を受け、また神からの力を与えられて真理を述べたのである。 主イエスもまた、そうした深い孤独のただなかで神と交わり、神の言葉とその力を受けていた。 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ福音書一・35) このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。(ルカ六・12) このような記事によってイエスは十二弟子たちと共におられたが、その魂の深いところにおいていつも神とともにある単独を保っておられたのがうかがえる。そして、最後の十字架の刑を受けるに至るまでも、弟子たちも周囲のだれもその意味がわからず、主イエスただ一人の全く孤独な歩みを続けられたのであった。 このように、神の言葉は数でなく、それがゆだねられた少数の人によって苦しみと孤独のただなかで保たれ、その力が発揮され、伝えられていったのである。 愛国心 以前から教育基本法の改定の重要な内容に、愛国心とか伝統、文化を重んじるということがある。 そもそも国を愛するとはどういうことなのか。 愛という名が付けば、何でもよいことだと思う人が多い。だから国を愛するというと、その内容をよく考えることなく、当然だという主張が出てくる。 しかし、人間同士でも、特定の人間を愛するというとき、そのほかの人間には全く関心がないということがよくある。例えば、自分の子供を愛していると思っていても、他人の子供には全く関心がないということも多いし、社会的な地位もなく、貧しい子供、勉強のできない子供などになるとまるで相手にしないことが多いと思われる。 特定の異性を愛するというときも、その愛が強くなるほど他の人間には関心がなくなってしまうし、相手が心がわりするととたんに憎しみに変ってしまうことが多い。要するにそれらの愛に共通しているのは、自分中心ということである。 自分の好きな人間を愛する、そしてその愛のお返しが欲しいのである。相手を愛するといいながら、実は自分を愛しているのであって、自己愛の変形にすぎないと言えよう。 これと同様なことが、国を愛するということにも見られる。 日本を愛するというが、最も日本で愛国ということが強調された戦前の時代は、最も日本が自国中心になった時代であって、朝鮮併合などにみられるように、他国を自分の領土としたり、中国への戦争を始めて、おびただしい犠牲者を出したりした。 それは国を愛するとは、国を武力で守ることだとされ、相手国が攻撃してもいないのに、こちらから攻撃をしかけて、それは日本を守るため、祖国愛のためだと教えてきたのである。このように、 愛国心と戦争とは深い関わりをもってきた。特に日本では、愛国と天皇への崇敬とが結びつけられてしまったのである。 そしてこのようなまちがった「愛」は祖国によいものをもたらすどころか、日本においても、主要な都市が爆撃され、数百万の人間の命が奪われ、あるいは爆撃による火災や崩壊のため体がそこなわれて病気となったり、生涯にわたって手足がなくなったりする苦しみを持つ障害者が生じたし、外国では日本よりはるかに多く、一千万をはるかに越えるほどの膨大な犠牲者を生み出した。 このような残酷なことが、国を愛するという美名のもとに行なわれた事実を見るとき、現代において愛国心というものを声高にとなえる人たちが再び日本をかつてのような大きな過ちへと引っ張っていこうとしているのではないかという危惧を抱かざるをえない。 最近は天皇讃美の歌である「君が代」を有無をいわせず強制的に歌わせようとする傾向がますます強まってきた。そのようなことをして子供たちの心を天皇に結びつけようとしているのである。戦前はそれを極めて強圧的に行い、愛国と天皇への崇拝を結びつけ、ふつうの人間にすぎない天皇を現人神だといって神の地位にまでまつりあげた。 そして愛国ということも強制的に教え込み、その上で戦争を推進していった。 現在の君が代の強制も、戦前のあの大きな間違いを再び犯そうとしているようにみえる。 正体不明の愛国心が強調され、軍備をますます増強しようとし、外国へ軍隊を派遣することに力を入れ、そうした方向に反対するものへの圧力を強めていく。 これは人間にもともとある、自我欲の変形であり、自分中心の考えが「愛国心」という衣をかぶって肥大していったものである。 本当の愛国心とは何か。国を愛するというとき、例えばスイスを愛するというとき、その国の自然の美しさを愛するという気持ちの人もいる。しかし、人間への関心がなくては、国ではなく単にその地方の自然を愛するということでしかない。 現在愛国心ということで言われているのはそうした自然を愛するとか、そこに住む人間への愛とかでもなく、単に国の支配の組織に従えということなのである。 愛とは本来、自発的な心の動きであり、慈しむ感情である。だから罰をちらつかせて命令通り従わせてそれで国を愛する心ができているなどというのは、まったく意味のないことである。 「君が代」を強制的に歌わせることが国を愛することになるなどという主張は、要するにそうした命令をだす組織、文部科学省や政府の方針に黙って従えということなのである。 どんなに違った意見を持っていてもそれを出さずに、ただ命令通りに従うとそれが国を愛しているとみなされるから、「戦争は人を殺すことだ、だから悪だ」、と主張すると、国を愛していないと決めつけられる。 こうした事実をみても、国を愛するといっても、実は強制と盲従によって生れたものにすぎないのであって、実体はない。 それゆえ、なにかあるとたちまち瓦礫のようにそのような愛国心は崩れ落ちてしまう。それは、太平洋戦争が終わるとあれほど日夜強調されていた愛国心はたちまち消え失せていったのを見てもわかる。 ロシアの大作家であって思想家でもあったトルストイはこうした、愛国心の本性を鋭く見抜いて次のように述べている。 … 愛国心とは、その最も簡単明瞭で疑いのない意味では、支配者にとっては、権力欲からくる貪欲な目的を達成する道具にほかならない。 また、支配されている国民にとっては、人間の尊厳や理性、良心を捨ててしまうことであり、権力者への奴隷的服従にほかならない。 愛国心とは、奴隷根性である。…(「キリスト教と愛国心」トルストイ全集第十五巻 428頁 河出書房新社刊) 人間を愛するというとき、まったくの偽の愛と真実の愛がある。映画などでいう純愛などというのは特定の人にだけ集中するような心であり、他人はどうでもよいという本質を持っているのであって、みんな偽りの愛、もしくは実体を持っていないという意味で、本当の愛の影のようなものでしかない。 同様に、現在言われているような、愛国心というのも、本当の愛とは似ても似つかないものである。本当の愛、キリストが言われたような愛は、まず人間を大切にする。ことに病気やからだの障害のために弱っている者、傷ついた者、罪に悩み悲しむ者、孤独な者といった人への真実な心である。 そうした弱っている者を慈しみ、そこに上よりの力が注がれるようにと願う心である。 国を愛するというその愛が本当のものであるかどうかは、この面から考えるとわかる。だれかが日本という国を愛するというとき、その愛が本当ならやはり日本の貧しいひと、苦しむひと、弱い立場にある人たちへの深い関心を持つであろう。そのような人間への無差別的な愛があるなら、当然その人間たちをはぐくむ自然をも愛するであろう。 そしてそうした愛の心は、当然日本だけでなく、外国の同様な人たちへの関心ともなる。真の愛は当然自分の国だけに限られたものでなく、政府や天皇に盲従する心などでなく、祖国に住む人への人間愛である。 そのような祖国愛の心は、どうして自分の国の利益だけを考えて、他国に戦争をしかけたりするだろうか。 真の祖国愛は人間への愛に基づくゆえに、戦争などは決して推進しない。しかし、偽の祖国愛は、愛とは似ても似つかない権力への盲従があり、中身のないものであるゆえに、権力者の命令によって簡単に戦争への道を歩んでいく。 現在の政府、自民党などはこうした空虚な愛国心を強調しようとして、教育基本法の改定を計画している。 しかし、真に必要なのは、聖書にあるところの真の人間愛であり、それは神から与えられるものであってこれこそ、人間や国家、社会などあらゆるところでその基礎になるべきものである。 ことば (189)苦難のとき 私はいっさいの人間的なものを見る冷静な目を、だが、その人間的なところから人間を高めるものを見る目をも、失わないでいたい。…しかし、いずれにせよ、私は恐れを和らげてくれる最後の力を知っている。 大きな彫像のように、聖書(詩編)の言葉が心に浮かんでくる。今、それがかつて思いもよらなかったほどに意義深いものとなって現れてくる。 「陰府(*)に身を横たえようとも、 見よ、あなたはそこにいます」(旧約聖書 詩編・一三九・8) 心静めている厳粛な時に、私は周囲の友にこの言葉を言い、さらにつぎの別の言葉を添えた。 「しかし、私はつねにあなたと共にある。」(詩編七三・23) (「ドイツ戦没学生の手紙」108頁 一九五四年 高橋健二訳 新潮社発行) (*)陰府とは、旧約聖書で、死者が行くとされていた所で、地下にあり、闇にあるとされていた。旧約聖書には後期に書かれたもの以外には、復活するという信仰はまだなかった。 ○これは、第二次世界大戦において、ドイツとソ連との戦争のときにドイツ兵として戦場に向かい、捕虜となって衰弱していくなかで妻に宛てて書いた手紙である。この一年後に死亡。戦後になって帰還兵によって妻のもとに届けられた。 この兵士は従軍した医者であった。自分の最期が近づいてくる深い闇と絶望的な状況にあっても、どっしりとした彫像のように浮かび上がってくるもの、それが聖書の言葉であった。ほかの一切がもはや頼りにならないとき、そのような時にいっそう眼前に揺れ動くことなきものとして見えてくるのが神の言葉なのである。 死においても、どのような状況に置かれようとも、神は私たちと共にいて下さるという確信がそこから再び強められる。 (190)アシジのフランチェスコの平和の祈り 主よ、私をあなたの平和の道具とし、 憎しみのあるところに愛を 傷つけあうところに、赦しを、 誤っているところに、真理を 疑いのあるところに、信仰を、 絶望のあるところに、希望を、 暗闇に、光を 悲しみのあるところに、喜びを蒔くものとして下さい。 聖なる主よ、慰められるよりは、慰めることを、 理解されるよりは、理解することを、 愛されるよりは、愛することを、 私が求める者となりますように。 なぜなら、私たちが、受けるのは与えることによってなのです。 私たちが(神から)赦されるのは、(人を)赦すことによってなのです。 そして私たちが永遠の命に新しく生れるのは、死によってなのです。 (これは、フランチェスコの名と結びつけられて伝えられた祈りであり、彼の精神をよく反映しているとされる。この祈りは、直接のフランチェスコの書いたもののなかには見られないということであるが、第一次世界大戦中の一九一五年にこの祈りが見出され、以後、「フランシスコの平和の祈り」として広く引用されるようになった。原文を次に掲げておく。) Lord make me an instrument of your peace Where there is hatred, Let me sow love; Where there is injury, pardon; Where there is error, truth; Where there is doubt, faith; Where there is despair, hope; Where there is darkness, light; And where there is sadness, Joy. O Divine Master grant that I may not so much seek to be consoled As to console; To be understood,as to understand; To be loved, as to love. For it is in giving that we receive, It is in pardoning that we are pardoned, And it is in dying that we are born to eternal life. (89)幼な子のように 神の国は 幼児のごと、己を低くして 信頼一途 受くる者ならでは入ること能わない 人はこれ所詮幼児にすぎず 思いわずらい嘆くは止めて 信じ委ねてただ受けん哉 神は必ず善きものを賜う(内田 正規著「帰りなむ、いざ」17Pより キリスト教図書出版社) ○内田 正規(一九一〇〜一九四四)は「祈の友」を起こした人。三三歳で召されたが教派を超えた「祈の友」という集まりは今も続いている。「帰りなむ、いざ」とは、今から一六〇〇年ほど昔の中国の詩人の、陶淵明の言葉であるが、内田はそれをキリスト者として、天の国、魂のふるさとに帰ろうという意味で用いている。結核の重い患者として、日毎の病気の苦しみ、家族への負担、将来の不安などさまざまの悩み悲しみに包まれているただなかで、まっすぐまなざしを神に向け、神の万能に信頼していこうという著者の心がここにある。 休憩室 ○緑の葉 夏は、緑一色。野山に花はわずかです。そして暑く、雨も多い季節。その緑の葉でとくに赤い光、青紫の光を多く吸収して、ブドウ糖を造っています。それをもとにして、人間や動物に不可欠な米や小麦のような穀類やさまざまの果物などに含まれるデンプンや糖類を造り、さらにタンパク質や脂肪など、いろいろの栄養物質も造られています。それは大規模な工場でもできない複雑な化学反応です。そして、その葉の内部の工場の排気ガスが酸素なのです。 また使わない光は、反射してそれが緑色となって私たちの目と心をいやしてくれます。 また秋になって、葉が枯れ落ちるとそれは微生物によって分解され大地に養分として入っていきます。 リサイクルという点からも驚くべきしくみです。私たちがただ暑いと思っている間も、黙々と植物たちは葉という工場で複雑な化学反応を続けています。 神が創造されたものは、かくも無駄なくすべてがよく用いられています。 実は人間の社会も、大きな視点から見れば、もし、私たちが神にすべてを委ねていくなら、無駄なものはなく、万事がよきになるように動かされているのだと言われています。「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。」(ローマ書八・28より) ○夏の夜空 このごろの夜の空でまず目立つのは、サソリ座とそこにある有名なアンタレスです。夜の八時〜九時ころには南の空のやや低いところに赤い星が輝いています。まだこのアンタレスを見たことがないという人は、ぜひ見ておいてほしいものです。冬のオリオン座とともに、サソリ座は最も簡単に見つけることができるし、真冬に輝くオリオン座のリゲルや大犬座のシリウスなどの青白い輝きに対して、アンタレスの赤い輝きは印象的です。太陽の二三〇倍という巨大な星で、太陽のところにおけば、地球や火星などもすっかり収まってしまうほどです。なお、リゲルやシリウスの表面温度はそれぞれ約一万 、一万二千度と極めて高温ですが、アンタレスは三千五百度ほどなので、あのように赤く見えるのです。夜空の星を見つめていると、私たちの世界のいかに小さいか、人間がいかに空しいことに明け暮れているかを感じさせてくれるものです。 返舟だより ○屋根造りの細腕職人ですが、仕事中に足を捻挫して自宅療養の身となりました。いままで、じっくり読んでいませんでしたが、じっくり読ませて頂きました。ともかくさわやかな感じを抱きました。聖書と今の時代とがよく溶け合って決して神学、学者じみた文の構成がなく、本当にわかりやすく説いておられ、学ばされること多しであります。とかく聖書の真理ということで、やや高いところでふりかざして日曜日の集会で講義をする傾向があるゆえに学ぶこと多しと述べたわけです。 …キリストの十字架の道は素晴らしいです。私のいるところは、小松島市から何百キロも離れていて、会ったことも話したこともないのに、何の違和感もなく、いつの日だったか話したねと言える感じが起こるのですから不思議です。 「はこ舟」518号の感想、それはすべて神様にイエス様の御名を通して捧げられて、何一つ異なるものない、と感じました。本当に感謝であります。そして愚生も良きことをしっかり学んでごくわずかでも十字架の道に役立つことができるように祈り求めたいと思います。(関東地方の方) ○「はこ舟」を読み、主の生命あふれるみ言葉をわかりやすく伝えて下さり、ありがとうございます。「天路歴程」、「神曲」、ゴードンの著書「死の谷をすぎて」などの内容も紹介されていますが、そこには聖霊の啓示とそれによる啓発、そこにしっかり根源的な伝道の姿勢をもっておられると感じます。立花隆著「イラク戦争・日本の運命・小泉の運命」(講談社)について、著者の立花はキリスト者ではないのでしょうが、的確な歴史への目を持っており、「平和憲法が最大の資産である」と書いてあり、教えられました。(関東地方の方) ○聖言を日々の生活に生きる上で心すべき様々の点を平易に、多様な方向からしかも、中心につねに収斂(しゅうれん)させて述べて下さり、心充たされます。(近畿地方の方) ○いつも御地でのお集まりの様子をお知らせ下さいましてありがとうございます。「はこ舟」、集会だよりなどを嬉しく拝受しました。お集まりのご様子を偲びつつ繰り返し拝見しております。そして「はこ舟」からはみ言葉の学びについて、多くのことを学ばせて頂きました。伝道とパウロのことなど、あらためて眼を開かれる思いがいたします。これからも再読三読して歩みの指針とさせていただきたいと存じます。私の方も、日曜日の礼拝集会(聖書の学び)のほか、月に一度の集まりを都内で持っていますが、いずれも豊かなお恵みの内にありますことを感謝しております。(関東地方の方) ○毎月「はこ舟」、集会だよりなどまた、インタ−ネットでは「今日のみ言葉」に加えて美しい山野草の写真もお送り下さっていつも感謝です。インタ−ネットでお送り下さったものは、各店にネットで配送しております。店によって対応は違っていますが、植物の写真もカラーでコピーして掲示板に張り出している店もあります。日本にはまだまだ聖書に接したことのない人が多いと思いますが、こうして少しでも聖書を知る人が多くなれば有り難いことです。…(東北地方の方) お知らせ ○はこ舟協力費を送っていただくときに、従来は切手で送って下さる方も割合いたのですが、最近は、クロネコメール便 に変更したため、切手を使わなくなっています。それで、切手以外の方法(郵便振替または定額小為替)でお送りいただくと好都合です。振替番号は、「はこ舟」の末尾に書いてあります。また小為替はあまり使ったことのない人が多いようですが、どこの郵便局でも取り扱っていますし、普通の封筒にて手紙文や連絡文とともに送付できます。 (なお、もし古い切手があるとか何らかの理由がある方は切手でも結構です。テープ発送などに用いていますので。) ○八月七日(土)〜八日(日)は、京都の桂坂にて、例年のように近畿地区無教会集会が開催されます。私たちの集会からも参加者があり、吉村(孝)は次の瀬棚聖書集会とともに聖書講話を担当しています。 ○八月十三日(金)〜十六日(月)まで、吉村(孝)は北海道瀬棚での瀬棚聖書集会に参加。瀬棚とは、奥尻島の対岸にある日本海側の町で、札幌から二百キロ余りの距離にあります。 ○静岡市の石川 昌治氏が、八月二八日(土)午後に来徳され、翌日二九日の主日礼拝にて聖書講話をして下さいます。主題は「ガラテヤ書を学ぶ」(ガラテヤ書二章19〜20節)です。 ○「祈の友」四国グループ集会。九月二十三日(木)秋分の日に開催予定です。 去年は松山にて、今年の会場は、徳島聖書キリスト集会場。 |
2004/7 |
目には見えない 2004/6 美しい夕焼けがある。山にも清い風がふき、谷川にはこの世のものでないような音楽を奏でながら水が流れている。 また、所々には心惹かれる野草たちの群生がある。 しかし、そうしたすべてがみえても、その背後でそれらを創造し、支配されている神の御手は見えない。 それを見るのは心の目、霊の目であり、神によって新しく作られた心である。 自然は壊されるし、またその美しさも永続的ではない。しかし、その自然を支える神の御手は永遠である。 神の言の学び 神のことばを学ぶ集まり、日曜日ごとの礼拝集会や家庭集会がある。そこでの目的は単に聖書の内容に関する知識の習得ではない。 その学びのとき、集まりにともにいて下さるキリストから目には見えないものを受けるためである。それは聖霊といわれる。聖霊は魂の平安を与え、また静かな神の国の喜びや力をも伴う。 それゆえ同じ讃美を歌い、同じようなことを学んでいるとしても、新しさを感じさせてくれる。 神の霊が働くとき、わずか一枚の葉であっても、一輪の野草の花であってもまたいつも目にする夕日の輝きや雲の流れであっても、そこに私たちは新鮮な何かを感じる。そして御国へと引き寄せられる。それらの自然もまた神の言葉によって創造されたものであり、聖霊が働くことによって神の言葉の持つ力の源へと招かれるのである。 神の言葉の学びについても、ギリシャ語などの聖書の原語あるいは歴史や地理などいかに多くの聖書知識を学んでも聖霊が働かないなら、かえって負担になることもある。神の見えない力が注がれ、聖霊の祝福があるとき、わずかの知識であってもみ言葉が力となり、光となる。 神のわざ この宇宙を創造し、いまも生きて働いておられる神が存在するかどうか、このことは人間にとって最大の問題である。 生きて働いている神とは、弱い者への愛に満ちた神であり、求める者に力と愛を注いで下さる神である。そして死の力や悪をも支配し、最終的に悪を滅ぼす力をもった神のことである。そのような神がいるか、それともいないのかによって、私たちの人生は全く違ってくる。 そのような神などいないと信じる人生はなんと味気ないことであろう。それは人間しかいないということであり、人間の愛や真実しかよいものはないということである。しかし、人間が持っている愛など、いかにもろくはかないことであろう。いかに真実そうにみえる人間もふとしたことからどんなに心のなかで不信実な思いを抱いたり、実際に不信実な言動をしてしまうことか。ことに、重い病気、死の近づく状況にあって一体人間に何ができるだろう。 そのようなことは、自分の心のなかを見つめるだけでわかる。人を愛するなどといっても、数知れない病人や苦しみのただなかにある人がいる。自分の周りにもいろいろといるが、もっと広くみれば日本のどこにでも、また世界では食べ物もないような飢えている人が何億人もいる。そのようなすべてに私たちが愛を抱くなど到底できないことである。 それどころか、苦しむ人や死に近い状況の人にそれがたった一人であっても、どれほどの心からの愛を抱いてなすことができるか、を考えても人間の愛の無力さを思い知らされる。 神がいないなら、人間はどんなに努力してもよいことをしてもみんな死に呑み込まれていくのであって、要するにすべては消えていき、空しい。 けれどももしすでに述べたような生ける神がおられるなら、それは全く異なってくる。万能でしかも愛に満ちた神がおられるなら、いかなる状況に陥っても私たちが心から神の助けを求めて叫ぶとき、必ず顧みて下さる、死がおそってきても死を超えた命をあたえて下さって、神のもとに導いて下さるのである。 神を信じられないという人は、よく周りの悪のはびこった状況をいう。こんなに世界に悪があるのにどうしてそんな神がいるのかと。神のわざなどどこにもないと言うのである。 たしかに私たちの周囲や新聞のニュースなど、目にみえる状況を見るだけではどこに神がいるのかと思う。 しかし、一度神を信じるとき、そのようなただなかにおいても、たしかに神は私たちの魂に近づき、私たちの心にほかでは与えられない平安を与えられ、支えられる。ことに私たちの弱さ、醜さなど私たちの罪への赦しを実感した者は神のわざを疑わなくなる。 神のわざは私たちが信じて、その方向に進めばますます明らかに示される。踏み出さない者にはいつまでも分からない。しかし、神を信じないなら、何かよいことをしても、心の奥では自分がしたのだという誇りのようなものが生じてしまう。そして他人の評価を求めてしまう。しかし、キリストを信じてキリストと結びついているとき、初めて私たちは自分の弱さを深く知っているために何かよいことができてもそれは神の助けによると実感するようになる。そのような主に結びついた心でなすとき初めて、神のわざが身近なところになされているのがわかってくる。 魂を燃やすもの この世ではいろいろの火が燃えている。それは競争心という炎であったり、金や名誉、権力欲であったりする。特定の相手への憎しみであるということもある。そうしたものが複雑に混ざり合ってこの世のさまざまの出来事が生じているし、大規模となると国家間の戦争という悲劇も生じる。 無数の人々が生活しているところに、爆弾を投下してそれによって人々がどんなに苦しまねばならないか、そんなことを一向に考えないほどに、戦争を推進したりするときにはいわば悪魔の火が政治家や軍人、そして国民にも燃えているのである。 先頃生じたわずか十一歳の女子児童が計画的に同級生の命を断つなどという考えられないようなこと、それもまた、そのような恐るべきことをしてしまった女の子の心のなかに、ある不気味な火が燃えていたからだといえよう。 そのような、闇の火も燃えているが、また、神の火もまたこの世にあって燃えている。 聖書にも人間を深いところで動かすものを「火」と見ている。 主イエスは次のようなことを言われた。 …わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 (ルカ福音書十二・49) この言葉には二つの意味が重ね合わされていると考えられる。ほかの箇所を参照することで、主イエスが言おうとされていることが浮かび上がってくる。 それは、キリストの先がけとして来た、バプテスマのヨハネは、自分は水で洗礼を授けているが、キリストは「聖霊と火によって」洗礼を授けると預言した。たしかにキリストは火のような激しさをもって、真実なものと不真実なものを明らかにし、悪への裁きをされる御方である。別のところで、主イエスが、「私は剣を投げ込むために来た」という驚くべき言葉を出されている。それも「火を投げ込むために来た」というのと、通じるものがある。 しかし、他方では火とは、聖霊を表している。キリストが十字架で処刑されたのち、弟子たちがそれまでは自分たちも捕らわれることを恐れて、何をする気力もなくおびえていたのが、まったく新しい人間になって、力強くキリストのことを宣べ伝えるようになったのは、聖霊が注がれたからであった。その聖霊のことを、「炎のような舌」と記している。これは今月号の別の文に記したような意味があるが、聖霊とは火のごとくに燃えるもの、そして他へと燃え移っていくといえるような本質があると言おうとしているのである。 パウロが、「(神の)霊の火を消してはいけない。」(Tテサロニケ五・19)と言っているのは、私たちが人間的な考えになったりするとき、神からの火を消すことになってしまうからである。 私たちの内に燃えるものがなかったら、生きていても何か空しいと感じるであろう。人間は動物と違って、目には見えない水によってうるおされ、また目には見えない火によって燃やされていなければならないのである。 私たちの内部に点火するのは誰か、それこそキリストである。 復活したキリストが、ある村へと急ぐ弟子たちのそばにいつのまにか静かに立って歩いていた。そのとき、弟子たちはそれが復活したイエスだとはとても分からなかった。不思議な力に押されるように彼らは共に歩んできた人を引き止めて、一緒に食事をした。その時、弟子たちの目が開けてイエスだと分かった。そしてこう語り合った。 …二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ福音書二十四・32) この二人の弟子たちは、イエスが神の子と信じてずっと従ってきた。しかし、イエスは十字架にて無惨にも処刑されてしまった。そのため暗い表情で心は闇と悲しみで包まれて歩いていた。そこに復活したイエスが近づき、語りかけた。 弟子たちはまだそれがよみがえったイエスであるとは、分からなかった。しかし、彼らの心はイエスの語りかけを受けただけで、燃え始めた。イエスが近くにいて下さること、それが私たちの心に点火することになり、イエスの個人的な語りかけこそは、私たちの魂を燃えたたせる力を持っているのである。 私自身もかつてはさまざまの問題をかかえて、自分自身のことだけでなく、人間や将来の世界がどうなるのか、それにまったく希望がもてなくなって心は闇に閉ざされていた。 そのようなときに、キリストを知らされ、聖書の内容が初めてわかり始めた。それはまさに闇に点火されたのである。そしてそれまでどんなに人間同士で語り合っても決して満たされなかった心の奥深い部分がうるおされ、満たされて何かが燃え始めたのを感じた。そしてそれは数十年を経た現在も燃え続けている。 ♪御恵みの高嶺に ついに登りたる身には 見渡すかぎり ただ 神の御栄えのみ 日々主イエスと歩み ややに御姿を映し ただ神より来たる 愛に満たされつつ 心は燃ゆ 心は燃ゆ 御霊の火にて燃ゆ(新聖歌 411より) 成功と失敗 私たちはよく成功したとか失敗だったという言葉を耳にする。 自分の思い通り、あるいはそれ以上にものごとが進んだときには、成功というし、自分の予想通りにならなかったときに失敗という。それは表面的な結果に基づいて言われることが多い。人々の評価や自分自身の気持ちをもとにしていうのである。 キリスト教の伝道においても、成功と失敗ということが言われる。たくさん人が集まったら成功だと思われている。たしかに、せっかくの特別集会をして、ほとんど人が来なかったら失敗だと思うのは簡単だ。 しかし、だからといって多く人が集まったらそれだけで成功とかいう言葉を使えるだろうか。新約聖書には、新共同訳、口語訳、新改訳など代表的な日本語訳のいずれにも「成功」という訳語が一度も使われていない。 だれでも、うまくいくか、結果が悪いかは大きい関心であるにもかかわらず、新約聖書の四〇〇頁にもなる文書ではそうした言葉が出てこないのは、新約聖書の著者は「成功」といった世間の人たちが最大の関心事とすることと全く異なる考え方を持っていたからである。 人間の計画や事業については、成功か失敗かということがいえるが、神の事業ならば、失敗というものはなく、すべてが神の御計画通りにすすんでおり、最終的には、次の聖書の言葉で記されているように、すべてはキリストのもとに一つにまとめられる。 …神はこの恵みを私たちの上にもあふれさせ、…秘められた計画をわたしたちに知らせて下さった。… こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる。 天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのである。(エペソ信徒への手紙一・9〜10より) 私たちも信仰によってなすとき、それは神の事業と変えられる。たとえ悪人であっても、悔い改めて、信じるだけで正しい人間であると認めて頂けるのと同様である。 キリストはどうであったか。 わずか三年の伝道の働きは最後は大多数の人によって見捨てられ、あざけられ、極悪人同様の刑罰を受けた。 主イエスは、ハンセン病や盲人をもいやし、死人すらよみがえらせた。そのようなめざましいわざをしたにもかかわらず、だんだん地位の高い指導者的人物から嫌われ、憎しみを受けて神を汚すという重い罪を犯したとして十字架刑にされた。 三年間ずっとそばにいてイエスの働きを見続け、その奇跡を目の当たりにした弟子たちもみんな逃げてしまった。そうした状況を見るとき、イエスの伝道は成功などというものとは全く異なるものであり、だれが見ても失敗としか言いようがないような出来事であった。 しかし、そのような失敗と見えるただなかに、神の勝利があった。それゆえに主イエスは息を引き取るときに、「すべてが全うされた」と言われたのである。そして以後二〇〇〇年にわたって、イエスのなされたことは全くの勝利であり、神ははじめからイエスの働きが「成功」となるようにと計画されていたのである。 このように、新約聖書においては、成功か失敗かでなく、勝利かそれとも敗北かということが問題とされている。 神に結ばれているものは、いかなる事態が生じようとも、必ずすべてが最善になされる、言い換えれば勝利となる。だから、それはどんなに失敗のように見えても「成功」なのである。 この世的には全くの失敗として見えるようなことであっても、霊的にはまったき勝利でありうる。あの、十字架でイエスとともに釘づけられた重罪人も、彼の人生は全くの失敗であっただろう。しかし、息を引き取る間際にイエスを信じて悔い改めたことによって、それ以後今日に至るまで、ずっとキリストの証人として世界に知られるようになり、勝利の人生と変えられたのである。 私たちもこの世的には失敗と見えようと、神の勝利を与えられてこの地上の生活を歩みたいし、また、最終的には、そこから御国へ必ず入れていただけるという希望が与えられている。 一つになる目的 …ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、…わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。… つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。 あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。(ピリピ信徒への手紙一・27〜30より) 「キリストの福音にふさわしい生活をせよ」この日本語の訳を見るだけでは、ごく当然のことを言っているようにみえる。 しかし、「生活を送れ」と訳されている原語(*)は「市民として生きる」という意味であって、ここでは、天の国の国民(市民)としてふさわしい生活をすることが求められている。 同じフィリピの信徒への手紙の少し後の方で、次のように書かれている。 私たちの本国は天にあります。 (フィリピ三・20) (口語訳では、「私たちの国籍は天にある。」と訳されている) この本国とか国籍と訳された原語(**)は、さきほどの「生活を送る」と訳された言葉とよく似ている。新約聖書では、この箇所だけに使われている言葉であり、さきほどの「生活を送る」と訳された原語もこの箇所以外には使徒言行録で一度だけ使われている言葉である。 このような新約聖書ではめずらしい言葉があえて使われている理由は、私たちは天の国の民であり、国籍は天の国にある。そこからこの地上に派遣されていると言える状況なのである。だから、私たちは天の国の人間らしく生きるように、というのがこの箇所でのパウロの意図であっただろう。 外国に行ったとき、そこではたった一人の日本人であっても、その人の行動で、日本全体のイメージが変ることがある。 私たちのキリスト集会に、一年ほど参加された南アフリカの方があった。それまで集会の多くの人にとっては、遠い南アフリカのイメージというのはほとんどなかったと思われるが、参加していたその二人の人を通して南アフリカのイメージを抱く傾向ができる。 そのように、私たちキリスト者は天の国の民なのであって、周囲の人たちも私たちを見ることで天の国を類推することになる。 (*)ポリテュウオマイ(politeuomai)という語。これは、都市とか町を意味するギリシャ語のポリス(polis)から作られた言葉で、「市民として生きる」という意味がある。 (**)ポリテュウマ(politeuma)といい、「国」の意。 それではその天の国の市民としての生活の具体的なあり方とはなにか、 それは、一つの霊によって、一つの心になって、共に戦うことであった。その戦いは、人間や組織に対するものでなく、その背後にある悪の霊に対する戦いである。ここにパウロの強調点がある。 キリスト者とはなにか。それは信徒同士、また他者に対しては互いに赦し合うこと、互いに仕えあうということが第一に言われている。それとともにもう一つ重要なことがある。それがここで言われている、一つの心、一つの霊となって固く立ってともに悪の霊と戦うことなのである。 キリスト者の生活にこうした点がどれほど意識されているだろうか。私たちの相互の愛はうっかりするとなれあいになる。自分の気に入った者同士の「愛」に終わってしまう。しかしそれでは、通常の人間の愛と同じような次元になってしまう。 キリスト者の愛は、まず弱い者や滅びようとするものに向かうべきだし、さらに敵対する者や悪しき者にまで及ぶのがキリスト者としての愛だと言われている。 そして、そこからさらに、ともに戦うという姿勢が生じる。自分の気に入った者だけと仲良くするという次元にいる者はとても、共同して悪に対して戦うというところまでいかないだろう。それは自分の内なる自我、人間的な感情に負けているからである。 パウロはこの手紙において、「共に戦う」という言葉を繰り返している。キリスト者は、哲学的に深く自分が理解できたからそれで解決したとかあるいは仏教的な悟りを得たとかいうのでなく、救われた者はほかの同じように救いを受けた人たちとともに、一つになって、悪そのものとの戦いに加わるのがあるべき姿だからである 伝道について 伝道というと、キリスト教伝道であって、キリスト以後のことと思われている。しかし、すでに旧約聖書の詩編においては多くの箇所で、神の真理を宣べ伝えようというあふれ出る心が記されている。 …地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。… わが魂は必ず命を得 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせる。(詩編二十二・28〜32より) ユダヤの小さな民族だけが唯一の神を知らされていた。しかしその真理を知らされた人はそれが現在の自分たちだけの狭いところにとどまるものでなく、世界の人々への普遍的な真理であることを知っていたのがこの詩によってもわかる。 …わたしの口は恵みの御業を 御救いを絶えることなく語り なお、決して語り尽くすことはできない。 しかし主よ、わたしの主よ わたしは力を奮い起こして進みいで ひたすら恵みの御業を唱えよう。 神よ、わたしの若いときから あなた御自身が常に教えてくださるので 今に至るまでわたしは 驚くべき御業を語り伝えて来た。 わたしが老いて白髪になっても 神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。(詩編七十一・15〜18より) 旧約聖書は民族的で狭いと受け取られることが多いが、詩編やイザヤ書などには神の真理が世界に伝わることを確信して、そのことを願い、祈る心がはっきりと見られる。 それらの書は霊的なもので、直感的に神から啓示を与えられているものがしばしばあるゆえに、数百年という時間を超えて真理を知らされているのがうかがえる。 このように、神の真理を知らされた者は黙ってはいられない、内にうながすものによって語らずにはいられないというように働くのである。それがみ言葉の力であり、神のなされる働きだと言えよう。 このような内面から動かす力について、使徒パウロはつぎのように述べている。 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはならない 。そうせずにはいられないからである。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸(*)なのです。(Tコリント九・16) (*)新共同訳では「不幸だ」と訳しているが、原語(ギリシャ語)は、「ウーアイ ouai」という語で、間投詞。英語ではよく似た woe(悲しむべきことだ!)をあてている。日本語でも言葉にならない、悲しみのとき「ああ!」と思わずうめくような声である。 パウロはキリストのことを深く直接に知らされた者として、黙ってはいられなかった。せずにはいられないのである。もしその内なるうながしに逆らっていくならそれこそ、悲しむべき事態となるというのをパウロははっきりとわかっていた。 このように、「せずにはいられない、キリストのことを語らずにはいられない」というように動かすのが、主イエスの霊であり、聖霊なのである。 新約聖書では福音書の次ぎに置かれている使徒言行録には聖霊がいかにキリスト者を動かしていったかが最もはっきりとしたかたちで記されている。 弟子たちはイエスの母マリアたちとともに、熱心に心を合わせて祈っていたとき、「炎のような、舌が一人一人の上にとどまった」という。 それは、聖霊の働きがとくにみ言葉の伝道ということに関係してどのような性質を持つかが示されている。それは、火のような力があり、燃えるような本質だということである。使徒パウロも、「霊の火を消してはいけない。」(Tテサロニケ五・19)と言っている通りである。 霊の働きは、火のように燃え広がっていくものであり、また火が物を燃やしてまったく異なる灰にしてしまうように、聖霊も古い人間を燃やしてしまって、新しい人間にする働きがあるといえよう。 また、「舌が一人一人の上にとどまった」とは、聖霊が福音を語らせるものである、だまっていられないように、それぞれの言葉で語らせるという側面を表している。これは、使徒行伝の記述では、さまざまの国々の言葉で語りだしたということであり、それはキリストの福音が世界の国々に伝わっていくということを預言的に表すものとなっている。 そして個人においても、病気の人、健康な人、社会的に地位の高い人、あるいは貧しく地位もなにもないような人、それぞれが独自の言葉で語るようになるとの預言とみることができる。 事実、これ以後のキリスト教の進展は、あらゆる国へと広がっていったし、地位の高い人や低い人、病人、健康な者、障害者、大人や子供、老人などあらゆる階層の人を含むようになった。 聖霊を受けたということが、福音伝道の出発点となった。単に主イエスの教えを聞いたり、共に生活したり、さまざまの奇跡を見たりしただけでは、福音伝道の力を与えられなかった。主イエスが地上に生活していたときには、イエスから直接に送り出されたことがあった。しかしそれはまだ、聖霊を受けたのではなかった。聖霊とは、キリストの復活以降に与えられるようになった霊である。イエスに命じられて、一時的に悪霊を追い出したり、病人をいやしたり、神のわざをなすこともできた。 そのようなわざを一時的にできたとしても、永続的に続けていくことはできなかった。それをなさしめたのが、聖霊である。 ペテロたちは、イエスを殺すことすらしたユダヤ人たちのただなかで、イエスの復活を宣べ伝えはじめた。これはとても危険なことであった。うっかりすれば自分たちもキリストと同様にとらえられるかもしれないからである。 しかし、そのような恐れをも超えてペテロはキリストの復活を証しした。それは自分の内から出てくる人間的な意志ではなかった。人間的な考えでは到底イエスに従っていくことはできない、かえって裏切ってしまったという苦い経験がペテロの心のなかには常にあったであろう。 ペテロをうながしたのは自分の考えや他人からのうながしや勧めでもなければ誰かの強制でもなかった。ただ聖霊のみが臆病になっていたペテロを押し出したのである。 そして神殿といえば地方からでも多くの人たちが集まってくるところであり、人々の注目するところであった。そのような場所で、少し前に重大犯罪人として処刑された人のことを宣べ伝えるということは当然危険が伴うのが予想される。しかしペテロはそのような危険や困難を思って恐れるのでなく、聖霊のうながしのままに語った。このようなペテロの姿を見て、いかに聖霊が人間のあらゆる思いを超えて働くかがうかがえる。 神の言葉を語らせるのも、また聖霊である。つぎのような聖句はそのことをはっきりと表している。 …祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。(使徒四・31) また、パウロがヨーロッパ(マケドニアやギリシャ)に伝道をしようと思ったのでなく、トルコ半島で伝道を続けようと思っていたのに、聖霊、イエスの霊がそれを許さなかったと記されている。(使徒言行録十六・6〜7) 危険を犯してエルサレムへ献金を届けるために出発するときも、「霊にうながされて行く」(同二〇・22)とある。 パウロの伝道の根本にあったのは、未信仰の人への愛であった。神を知らず、苦しみと闇のなかにある人への深い悲しみであったし、キリストを知らされたらいかに生活が変るかを自分自身で知っているだけに、その変換をなすことのできない人への深い悲しみがそこにあった。 …だから私が三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。… (同二〇・31) このような、愛があるだろうか。自分の党派を拡大したりするのが秘かな目的であったりすることがあまりにも多い。 しかし、パウロは彼らが神を知らなかったら思い知らされるであろう苦しみやなやみ、暗い状況、そして最終的に受ける裁きのことを思って涙が自然に出てくるのであった。 信仰と希望と愛、そして主イエスも一番大切なことは、神を愛し、人を愛することだといわれた。 伝道の基本もここにある。 私においても、キリスト教に対して自分で入りたいと思ったこともなく、宗教全般を無視していたし、何ら心惹くものも感じていなかった。私には、子供のときから大学四年の六月にキリスト教に出会うまで、宇宙を支配したり、創造したり、人間を愛をもって導くような存在のことなど全く頭に浮かんだことすらなかったし、そのような話は学校教育では全く耳にしたことがなかった。 そのような私を駆り立てたのは、まさしく聖霊であり、生きて働くキリストであった。そうした自分自身の経験から、伝道とは聖霊が、またキリストが直接に人間に働きかけてなされることだと分かる。 神の言葉が伝わっていくのは、聖なる霊の働きによる。聖霊とは、またキリストの霊であり、神の霊でもある。(*)それゆえ、神の霊が導き、力を与え、福音をうける人をも備えられるのである。 パウロはキリスト教がヨーロッパの宗教となるにあたって、最も大きな働きをした人物と言える。そのパウロが出発するときは彼自身がそのように伝道に行きたいと思って計画を立てて実行したのでなく、意外なことに、聖霊が祈っている人々に告げたと記されている。 …彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロ(パウロ)をわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた(み言葉を伝えるという)仕事に当たらせるために。」 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。(使徒言行録十三・2〜3) これが、使徒パウロが初めて本格的な伝道に出発するときの状況であった。このように、パウロ自身の気持ちでも計画でもなかったのであって、人々が真剣に祈っているときにその人々に聖霊が告げ、人々は祈ってパウロたちを送り出したのが伝道の出発点であった。 ここにも伝道というのが、一人がするものでなく、キリスト者の共同のはたらきの内になされるものだということが示されている。 また、第二回目に再びパウロは伝道の旅に出発するが、それは第一回の伝道の旅のときに訪問した町へもう一度行き、キリスト者となった人たちを励まし、信仰のすすめをするというのがパウロの目的であって、パウロはその他の地域には行くつもりはなかった。 しかし、その伝道の途中で、パウロが目的としていた小アジア(現在のトルコ地方)地方をさらに訪問しようとしていたとき、意外にも聖霊がパウロたちの行動を禁じるということが起こった。これはパウロが初めてヨーロッパ伝道へと赴くきっかけがなんであったかを示す重要な出来事であった。 …さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた…。ビテニア州(小アジアのある地方)に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。 それでトロアスに下った。その夜パウロは幻を見た。そのなかで一人のマケドニア人が立って「マケドニアに渡ってきて私たちを助けて下さい」と言ってパウロに懇願した。パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐに マケドニアに向かって出発することにした。マケドニア人に福音を宣べ伝えるために神が私たちを呼ばれたのだと、確信したからである。 (使徒言行録十六・6〜10より) そして初めてキリスト教がヨーロッパに渡ることになり、それはマケドニア(現在のギリシャ)のフィリピであった。 現在ではキリスト教はヨーロッパの宗教だと思われているが、たしかにヨーロッパに伝わってから全世界に伝わることになった。日本にもヨーロッパに伝わったキリスト教の伝道者が、遠くアフリカやインドをまわって日本に達して初めて日本にキリスト教を伝えた。そしてそのカトリックのキリスト教が迫害されてごく少数となっていた江戸時代の末期に、ヨーロッパからアメリカ大陸に伝わったキリスト教がアメリカの宣教師によって伝えられることになった。 このように、キリスト教は現在のイスラエル地方において生れたのちに、西方に伝わって全世界へ広がったのであって、東あるいは北にあるロシアやイラン、イラク地方やインド方面へとはわずかしか伝わっていかなかったのである。(*) (*)東方にはキリスト教の一派であるネストリウス派が伝わった。それはイラン、インド、中国へと伝わり、中国では景教として知られている。しかし、14世紀後半に起こった明の時代になって厳禁されて後を断つに至った。 このような、キリスト教のヨーロッパへの広がりはとくにパウロの働きによってなされたが、それはすでに見てきたように、パウロ自身の計画とか周囲の人たちの派遣といったものではなく、直接に神からの啓示によってうながされたのであった。 このようにキリスト教伝道をなさしめる原動力は聖霊であったが、それは神の霊であり、キリストの霊であり、生けるキリストのことなのである。(*) (*)それは次のような箇所をみればわかる。 …神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいる。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していない。 キリストがあなたがたの内におられるならば、…。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら… (ローマ八・9〜11より) このように、キリスト教の広がっていく原動力となったのは、人間の計画や意図ではなく、そうしたあらゆる人間の思惑を超えた神の御計画と神の力が注がれてなされていったことなのである。 そのような神の計画を担うのは人間であって、特定の人間だけでなく、複数の人間の共同の働きとして行なわれていく。 すでに主イエスは自分単独でなく、十二人の弟子たちとともに行動され、また女性たちも加わっていたことが聖書には記されている。 パウロも最初の伝道の旅には、バルナバと共に行動し、第二回目の伝道にはシラスや医者であったルカという人物をも同行した。ルカは三回目の伝道の旅にも同行したことが、使徒言行録によって知ることができる。 伝道に同行するというだけでなく、パウロの伝道によってキリスト者となったフィリピの信徒たちはパウロに対して同じ主にある深い共感と祈りをもって霊的な戦いを共にしつつ、パウロの伝道を助けたのである。 キリスト者となるということは、目に見えない悪との戦いに入ることであった。 そしてその戦いとは特定の人間とか組織への戦いでなく、それらを動かす悪の霊との戦いであるなら、キリスト者の戦いはいつも共同の戦いとなる。 それゆえ、今月号の「一つになる目的」の文でも引用したように、フィリピの信徒への手紙においても、パウロは信徒たちが自分の戦いと同じ戦いを戦っていると述べているのであるし、また次ぎのように信徒に自分を祈りをもって支えてくれるようにと願っているのである。 …兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、 また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。(テサロニケ信徒への第二の手紙三・1〜2より) パウロの伝道がこうした信仰を与えられて間もない人たちによって、その未熟な信仰からくる祈りによっても支えられていたのがうかがえる。そしてそれは祈りだけでなく、パウロが困難な状況に置かれたとき、とくにフィリピの信徒たちは具体的な援助、すなわちお金や生活を支える物をもってパウロを助けたことが記されている。 …フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。 (フィリピ信徒への手紙四・15〜16より) このようにパウロはキリストの福音を人々に伝えたが、そこでキリストを信じた人は、パウロを祈りと献金などによってたえず支えていったのがうかがえる。こうして神はキリストの福音がさまざまの人たちの共同の働きとして伝わっていくようになされたのである。 またパウロはエルサレムにいるキリスト者たちを助けるために、わざわざ献金を集めるという働きもした。それは遠い地域にあっても、互いに祈り会い、助け合うことが不可欠であったからである。このような具体的なことも新約聖書には記されている。 パウロはまた、み言葉を伝えるためには何でもすると言っている。 …わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、…ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。 律法のない人には律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 …福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。 (Tコリント九・19〜23より) 現代の私たちにとっても、キリストの福音を伝えるためにどんなことでもするという人は少ないだろう。しかし、一度キリストの福音が魂に根ざすとき、その福音のために何かをしたいという気持ちになっていく。それは貧しい人たち、病気の人たちへの何らかの配慮や奉仕となったり、献金や捧げ物となったり、あるいは讃美を歌うことであったり、福祉的な仕事であったりする。 私たちができること、それは各人にとっていろいろである。職業を持っている人なら、その職場においてキリスト者であることを周囲の人たちに告げておくだけでも伝道になるし、キリストに従う者としての心をもって職業にかかわることで、周囲の人たちにもキリストを指し示すことになる。また、必要なときにキリスト教の印刷物や書物を紹介したり、集会の案内をしたりできる。 そして自宅や病院にて過ごす人であっても、自分の友人や知人などに印刷物や手紙、メールなどによって知らせることが可能となる。 そうしたことが十分にできないという人は、祈りができる。一人一人名を思い起こして祈ることが相手の人に神からの祝福を近づける働きにつながっていく。 キリストのことを伝えるのが伝道であるが、牧師でなければできないとか、聖書の詳しい知識がないといけない、信仰生活の経験がないとできない…などという先入観を持っている人もいる。 しかし、新約聖書において、キリストのことを伝えた人はだれであったか。キリストがとくに選んだ十二人のうちで、最も重んじられたのは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネたちであったが、彼らはいずれも漁師であって、学問的な知識など一切なかった。宗教的な経験を積んだということでもなかった。ただ、主イエスに呼び出されたということだけであった。そしてキリスト者とはキリストに呼び出された人たちである。それゆえに、キリスト者となったらだれでもキリストのことを伝えることができるようになっている。 このことは、新約聖書の他の箇所を見てもうかがえる。キリストの誕生のとき、当時の宗教家とか社会的指導者とか知識人とかでなく、無学な羊飼いにまず知らされた。そして羊飼いたちは自分達が知らされたイエスの誕生のことを、黙っていることはせず、すぐに「羊飼いたちはこの幼な子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」(ルカ福音書二・17)と記されている。 また、当時差別されていたサマリア地方の女が水汲みに来ていたが、その井戸のところで主イエスに出会った。そしてイエスによって自分の過去のことを見抜かれ、またかつて経験のない権威を持っていること、また直接にメシアだと言われて、水汲みの仕事をおいてすぐに町に帰っていき、人々にイエスのことを伝えた。それによって人々はイエスのもとに来て、多くの人々がイエスの言葉を聞いて信じた。(ヨハネ福音書四・28〜41より) このようにして、福音のために何かできることを各人がなしていく時、それによって真理が伝わっていく。しかし、一度聞いて信じたとしても、それを持続していかねば意味がない。聖書の神を信じるということは、永遠の真理を信じるということであり、最も純粋な愛や正しさ、清さといったものが、決して壊されることなく存在しているということを信じることである。神とはそのようなものをすべて完全に持っておられる方だからである。 このような究極的に良いものの存在を信じることは、周囲と対立していくこともある。そうした対立に負けないで、あくまで真実な神を信じ続け、キリストによる罪の赦しを常にうけつつ歩むことは、自分一人だけでは難しいことがしばしばである。 だからこそ、聖書でも、すでに述べたようにつねに共同の働きのなかで生きていくことがすすめられている。信じる者たちとは、本来は兄弟姉妹であるならば、当然ともに支えあうことが重要となってくる。 ここから日頃の集会、共同の礼拝がいかに大切かが浮かび上がってくる。 集会を持たなければ、聖書の真理を伝えること、伝道は難しい。それは継続ができないからである。一度あるときに神を信じたといっても、それを継続するためにはたえず新しく聖霊やみ言葉を受ける必要がある。 それについて最も重要なのはやはり日頃からの日曜日ごとの礼拝であり、またその他になされる聖書の学びの集会である。 聖書という書物は数千年も昔に書かれたものであるから、まず、聖書が書かれた原語がまったく日本語とは異なるために日本語の意味がすべてだと思って読んでいると実は原語の意味やニュアンスがかなり違っていたということもある。 また、自分だけで読んでいたのでは、本質的な意味を取り違えることもしばしばあること、また重要でないと思って軽く見過ごしている言葉のなかにも重要な意味があることもしばしばである。私自身、初めて大学四年のときに京都の無教会のキリスト教集会に参加したとき、創世記の一頁ほどを一時間以上もかけて説明されたのに驚いたのである。聖書とはこんなに意味が深いのかとその時初めて知らされた。 また、集会によって信徒相互の交わりが与えられる。これは特に重要なことである。ヨハネ福音書でまず、言われているのは、信徒たちが互いに愛し合うということである。それによって私たちは神を無視するこの世の流れに押し流されずに、兄弟姉妹たちによって支えられて、信仰の道を歩んでいくことができるようになる。 またそのことによって周囲の人たちにも私たちがキリストに従っているものであることを示すことになり、それがキリストを伝えることにつながるといえよう。 …あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。 (ヨハネ福音書十三・34〜35) そして集会に継続して参加することによって、信仰を持っている人たちの歩み方、苦しみや困難にも打ち負かされないで生きていくのを見て、そこにも神の導きと見えざる神の御手の働きを知らされるのである。 キリストを信じる人たちは、キリストのからだである、と言われている。それほどまでにキリスト者は一つなのである。 このように一つのからだとしてキリスト者たちは歩んでいくのがあるべき姿なのであり、み言葉を伝えるという働きもそのなかでなされていく。 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えよ。(テモテへの第二の手紙四・2) どのように人々がかたくなに見えても、一度キリストの言葉を本当に受けたものは、それを伝えずにはいられなくなる。相手がそれを受け入れないことはよくある。しかし、相手の受け入れがよいとか悪いとかに関係なく、究極的な真理はいつも前進していく。世の終わりまで。 主イエスの種まきのたとえにあるように、キリストの福音という種を蒔き続けると、ときには荒野に落ち、藪や岩石などの上に落ちたり、鳥が来て食べてしまうことがある。 しかし、そうした状況においても、良き地に落ちて豊かに実を結ぶのも必ずある。福音が全世界に宣べ伝えられることは、神ご自身の計画だからである。 自衛隊の多国籍軍への参加 これは、憲法第九条をさらに骨抜きにするまちがった決定である。このような重要な問題を国会でも議論せず、また国民全体に直接に説明をしようともせずまず、与党にすら先立って、アメリカの大統領にまず、参加を表明したという。 しかも、日本が独自の指揮権を持つことができるという、了解を米英政府からとったというが、それはたんに、在米、在英大使館の各公使による口頭での確認にすぎなかったという。 そして通常国会が終わるという国会での議論の余地もない時期に決めてしまった。こうしたあまりにも拙速なやり方は、首相の目が国民でなく、アメリカにばかりむけられているのがはっきりとしている。イラクの捕虜虐待のような世界の世論が厳しい批判を浴びせているときであっても、日本の首相はアメリカに対してはっきりとした批判もしようとしなかった。 多国籍軍といえば、十数年前の湾岸戦争のことを思い出す人も多いだろう。一九九一年一月、アメリカ軍中心の多国籍軍は60万人に達していたが、それが砂漠の嵐作戦を開始した。アメリカ軍戦闘機部隊及び艦船からの巡航ミサイルが首都バグダッドの他イラク全土の拠点を空爆し全面戦争状態に突入したのであった。それ以外にもソマリア、ルアンダ、アフガニスタンなどにも多国籍軍が派遣された。こうした軍事行動は当然、次のような憲法第九条の精神とは全く相いれない。 「日本国民は、…国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」 それゆえ、従来の日本政府も一九九〇年十月に当時の中山太郎外相は国会での答弁で、「多国籍軍への参加は憲法上許されない」とした。 それを人道支援に限るとして、突然参加を表明した。日本がすでに単なる人道支援にとどまっていないで、アメリカ兵の輸送を支援しているのであって、それは間接的ではあっても、すでに軍事行動の一貫をなしているのである。 こうした方向の行き着く先は何であるのか、首相や与党はまるで見ようとしない。アメリカに追随しなければ日本の経済が立ち行かないといった恐れから何でもアメリカのいう通りに従っていくような方針は大きな災いを将来に残すことになる。 日本はその豊かな経済力を用いて、あくまで軍事力を行使しない支援活動をイラクだけでなく、世界の貧しい国々や問題をかかえている国々に行なうべきであって、それこそが将来的に最も国際的に信頼されることになる。 ことば (186)…フランシスコは常に進歩しなければ、退歩するだろうと恐れ、すべての時間を心を高め、英知を得るために与えられた聖なる時として用いた。 (「アシジの聖フランシスコの第二伝記」第61章94 チェラノのトマス著 ) ・私たちは前に進むのでなければ、後退する。日々の生活のあらゆる時がそのまま前進の時となるようでありたい。 (187)神を求め、神を見出し、神をあなたの力にしてほしい。 もし神がおられなければ私たちの努力はことごとく空しくなり、私たちが夜明けだと思っていても闇夜となってしまう。神がおられないなら、人生は決定的な場面のない無意味なドラマとなってしまう。 しかし、神がおられるなら、私たちは絶望的に疲れた状態であっても、希望の力を取り戻すことができる。 神がおられるから、私たちは真夜中のような暗い状態から喜びの夜明けへと起き上がることができるのである。(「キング牧師の言葉」72頁 日本キリスト教団出版局) ・キング牧師は黒人への差別との戦いに生涯をかけた人であった。恐ろしい憎しみを受けて命の危険を感じさせるような状況にあって、彼はこの言葉にあるように、つねに神への信仰によって新たな力を得てきた。私たちも真剣に求めさえすればどんな状況にあってもそこから光を見出し、立ち上がる力を与えられるであろう。 (188)神への愛だけが、われわれを徹底的にエゴイズムから解放することができ、またすべての本当の自己改善の始まりである。 この神への愛がとりわけ強くならないかぎり、人間愛、人道、倫理などといっても、そのうしろになんらの力も持たない空語にすぎない。(ヒルティ・「眠れぬ夜のために上六月13日」) ・私たちが神を愛するとき、初めて私たちは他者を愛する力を与えられる。そのことは、愛は聖霊の実であると聖書に記されている。単なる人間的な愛は真の愛の影にすぎないゆえに、何の力もないと言われている。 休憩室 ○六月の花といえば、私には野草ではウツボグサ、樹木の花ではクチナシがまず思い浮かびます。両方とも野生のものはあまりみられないのですがいずれも自然の中で咲いている姿は心惹くものがあります。インターネットで希望者に送付している「今日のみ言葉」にも、私の撮ったこの二つの写真を入れましたが、クチナシの野生などあるのですか、とか、もう何十年も見たことがないとか、全然野生のものは知らないといった人たちが多かったのです。 私は子供時代からわが家のある山に自然に生えたクチナシはその純白の花が目立っていたし、香りの優れていることと、花をとってカザグルマのようにしたりして親しんできたのです。 また、やはり家の周辺の山でときおり見かけたのは朱色のツツジです。これはふつうのツツジがすべて咲き終わった六月ころに咲くので何というツツジなのかと名前が知りたかったのですが、ずっとのちになってヤマツツジだとわかりました。このような幼少の頃に刻まれたものはいつまでも心に残っていて、それが心の土壌となっているのを感じます。 ○蛍 わが家に帰る少しの山道に六月の短い間、蛍が見られます。年間を通して水が流れているごく小さな谷はだいぶ離れたところにあるのでそこで育ったと考えられますが、そのような小さな流れでよく絶滅せずにいるものだと思います。闇夜に光る蛍、そのゆったりした点滅は心に柔らかい光をも投げかけてくれるものです。 こうした植物や虫たちの、しかも清い美しさを伴う姿と、子供たちのゲームなどに見られる騒々しく闘争的な内容といかにかけ離れていることかと思います。 自然が失われた都会において、人間がこうした自然の単純な美しさや清い姿に触れる道は失われてしまいましたが、私たちが生ける神と深く結びつくときには、そのような自然そのものを創造した神に結ばれることになるので、おのずから自然のもつ静けさや清い美にも触れることになると思います。 返舟だより ○六月十二日(土)〜十三日(日)の二日間、高知市桂浜にて、第三十一回のキリスト教・無教会四国集会が、高知聖書集会の主催で行なわれました。四国四県と神戸大阪などから四十三名ほどの参加でした。今回はテーマが「伝道」ということで、四県の担当者による聖書講話もそのテーマに沿ってなされました。また証しも六人の人によってなされました。 そのほかには特別讃美や朝の祈祷や全員が集まっての感話、意見などを出し合う集まりも夜のプログラムにありました。 この二日間の集会で初めての参加者や久しぶりに出会う人など主にある交わりも与えられ、新たな霊を受けたことを感じました。日曜日ごとの集会では与えられない神からの恵みと横のつながりを与えられるので、やはりこうした特別集会、合同集会の祝福を改めて感じた二日間でした。 来年は徳島の主催ですので、今から祈りをもって準備していきたいと願っています。 ------------------------ 来信から ○数年前に夫が召され、またこのごろの世相に心が重く沈みがちな時に「はこ舟」に勇気づけられてまた立ち上がることができます。神の愛がいろいろな形や方法でいつも変ることなく注がれていることを思います。 五月号の「休憩室」、若い頃に歌った「夏は来ぬ」のうたを懐かしく感銘深く感じながら自分の伴奏で一人歌いました。何もかも自然が輝いて見えました。 (関東地方の方) ○遠い遠い昔、「神曲」、「天路歴程」に感動しましたものの、未熟で不信仰で不消化でありました。ただいま、ほんの一部とはいえ、まるで深く再読しているようにいきいきと思い出しました。 クワイ河鉄道のこと、その当時のイギリス人捕虜の四名、生き残りの人々と日本人の和解運動がなされ、私も一度出たことがあります。戦争の恐ろしさと年を経ての和解の赦しの美しさを心から味わい感謝でした。 (関東地方の方) ○梅雨に入り、持病の耳鳴りが強く、激しく鳴り響きます。…毎月の「はこ舟」、「今日のみ言葉」それに集会だよりなどを楽しみに読んでおります。いろいろな方々の集まりで、そこでの雰囲気が伝わってきます。… (四国地方の方) |
2004/6 |
忍耐と希望 2004/5 聖書においては、「忍耐」と「希望」とは不可分に結びついている。この点では日本語の「忍耐」という言葉とは大きく異なっている。 日本語では、困難な状況にある人に対して「忍耐しなさい」と言えば、それはがまんする、がんばってそれに耐える、という意味になる。国語辞典にも「じっと我慢すること」(学研国語辞典)とあり、広辞苑では、「こらえること。たえしのぶこと。」と説明されている。 ここには希望というのはない。希望はないがただ我慢するだけだということで、事態がよくなることへのあきらめがそこにある。 しかし、聖書において「忍耐」というとき、それはたんなる我慢やこらえるというようなことではない。 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。(Tテサロニケ一・3) ここで、パウロが絶えず覚えているのは、信徒たちが信仰によって働き、愛ゆえに苦しみつつ働き、希望と結びついた忍耐ということであった。このように忍耐は直接に希望とつながっていることが示されている。 また、 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。(ルカ福音書八・15) このたとえにおいても、私たちが実を結ぶのは、み言葉を心して受け入れ、どんなことがあっても、神に希望をおきつつ耐えていく、それが実を結ぶことにつながると言われているのであって、単に苦しみを我慢していたら実を結ぶというのではない。 やはりパウロのよく知られた忍耐と希望に関する言葉にはつぎのような箇所がある。 わたしたちは、キリストのお蔭で、いまの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 それだけではなく、患難をも喜んでいる。(*) なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐はよい品性の者とし、さらに希望を生み出すことを、知っているからである。(ローマの信徒への手紙五・2〜4より) (*)「患難をも喜ぶ」という表現で多くのキリスト者によく知られた言葉であるが、右の聖書の文で「喜んでいる」と訳された原語(kauchaomai ギリシャ語)は、「誇る」という意味も持っているので、新共同訳では、「患難を誇る」と訳している。しかし、日本語では、「誇る」というと、例えば学歴を誇るといった具合に「自慢する」というニュアンスになるが、パウロがこのような意味で患難を自慢しているなどとはもちろん考えられない。 パウロが、何事が起ころうとも、「いつも喜べ、常に感謝せよ」(Tテサロニケ五・16〜18参照)と、教えていることからしても、ここでは「喜ぶ」というのが、日本語としては、パウロの心にあった気持ちに近いと思われる。なお、口語訳、新改訳、文語訳などは「喜ぶ」と訳している。英語訳では、プロテスタントとカトリックのそれぞれ代表的な訳の一つとして知られるつぎの訳はいずれも、「喜ぶ」という訳語を使っている。 ・Not only so, but we also rejoice in our suffering. (New International Version) ・Not only that;let us exult, too, in our hardships. (New Jerusalem Bible) 患難(苦しみ)に会うことによって、私たちは精神が鍛えられ、いっそう真剣に神を求めるようになる。そしてその真剣に求める心が神によって祝福されて、困難のただなかにおいても神からの喜びを感じることができる。 それは、苦しみは忍耐を生じる、すなわち、神を待ち望むという心を生み出す、そしてそれがその人の性格となり品性となっていく。どのようなことがあっても、神は必ず最善に導くという確固たる希望へとつながっていく。 このように、忍耐という言葉は、単なるあきらめや我慢では決してなく、神を信じ、神に心を注ぎ、神からの助けを待ち望む姿勢なのである。神がおられ、弱きところにかえってその力を注いで下さるのが神であり、愛の神であるならば、その神が単にあきらめと結びついた我慢を求めていることはあり得ない。 このように、聖書においては忍耐とは希望と結びついているがそれは、言葉の面でも明らかである。 主よ、わたしが声をあげて叫ぶとき、聞いて、私を憐れみ、私に答えて下さい。… わが救いの神よ、私を捨てないで下さい。 たとい父母が私を捨てても、 主が私を迎えて下さる。 私は信じる、主の恵みを見ることを。 主を待ち望め、強く雄々しくあれ! 主を待ち望め!(詩編二十七より) この詩には、苦しみの中から全力をあげて神を見つめ、神に叫び、救いを求め続ける魂のすがたがある。作者はたとい最も身近で関わりの深い父母が捨てるほどのことがあろうとも、神は見捨てないという確固たる希望を持っている。この詩の最後が、「主を待ち望め!」(*)という言葉で終わっているが、この言葉こそ、「忍耐」という訳語で表されている内容なのである。 (*)このギリシャ語訳(七十人訳)は、「hupomeinon ton kurion」(主を待ち望め)であり、「待ち望む」と訳されるギリシャ語は動詞であり、その名詞形(hupomone)が、新約聖書で「忍耐」と訳されている。 主イエスは、「最後まで忍耐するものは救われる」と言われた。ここでも、単に我慢するというのでなく、最後まで神への希望を失わず、神に待ち望む者こそは、救われる、という意味なのである。それほど、キリスト教における希望は重要なものであるし、そのようにいつまでも、世の終わりまでも続いていくものなのである。 それゆえにつぎのように言われている。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(Tコリント十三・13) 地の塩・星のように 人間はだれでもさまざまの汚れをもっている。正しいことがなしえない。清い心を持続することもできないし、真実な愛を隣人に注ぐこともできない。 このような状況はキリスト者となっても続いていく場合がいろいろある。それを見ていたら、私たちが地の塩だとか光だとか言われても到底そのようには思えない。 しかし、聖書においては主イエスや最大の使徒パウロがつぎのように述べている。 ・あなた方は信仰によって義とされた。(ローマ信徒への手紙三・22、五・1、9など) ・あなた方は地の塩である。(マタイ福音書五・13) ・あなた方は以前には闇であったが、今は主に結ばれて、光となっている。(エペソ書五・8) ・あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(ピリピ書二・15 口語訳、NRS、NIV など) ・あなた方は自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。(Tコリント三・16) すでにこのように、事実として語られている。未来に、正しい(義)とされるだろうとか、将来そのうちに、地の塩となるとか、もっと完全になったら光となるであろうというのでない。今すでに光となっており、塩となっているというのが聖書に繰り返し現れるメッセージなのである。 主イエスは、つぎのように言われた。 …あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、「わたしどもは役に立たない僕です。しなければならないことをしただけです」と言いなさい。(ルカ十七・10)」 このように私たちが何かよいことをしたとしても、自分を振りかえって何にも取るに足らない僕だと感じる、それが正しい感情だと言われた。 それは神の無限の偉大さの前には私たちのよい行動などまったく取るに足らないし、また罪深い私たちのなすことであるから神の祝福なくば何の役にもたたないと感じるのである。 しかし、そのような役に立たないような者でありながら、それでも、神は私たちを正しい人間(義とされた)とみなして下さる。私たちがそのようにして神の前に正しいとされたのなら、それゆえに私たちは自ずから光となり、地の塩となり、神の霊のやどる神殿となる。 それは私たち自身が光であるのでなく、パウロが「あなた方は、主に結ばれて光となっている」と言っているように、私たちが義とされ、主に結びついているがゆえに、そして与えられた神の言葉や神を仰ぐ心(信仰)、聖霊のゆえに私たちは光となるということなのである。 それゆえ私たちは、地の塩、闇に輝く光だとみなして下さることを感謝し、喜びをもって受ければよいのである。 パウロが、「あなた方は自分が神の霊が宿る神殿であることを知らないのか」と言っているが、人々は自分のことであっても、神が宿る神殿であることに気付かないということがわかる。 同様に、私たちが自分を調べてみて、自分は地の塩だなどと納得するのではないし、また逆に自分は地の塩でない、星のように光ってもいないなどというべきでもないというのがわかる。それはあなたは義とされたのだ、ということと同様に感謝して受け取るべきことなのである。 それは神から見た事実なのである。いかに初歩的な信仰であれ、ひとたび私たちがキリストを信じて、キリストの赦しを受けたときから私たちは地の塩として主が用いて下さるのである。 しかしそれも注意していなかったら、私たちが神から離れて、信仰が変質したり、与えられている神の言葉が失われて人間の言葉や意見、私たちを取り巻く伝統や習慣、あるいは神学のようなものが次第に私たちに与えられた神の言葉を変質させていくのである。それが、主イエスの言われた、地の塩でありながら、その塩が味を失うということである。 じっさい、そのような例を私もいろいろと知っている。若いときには信仰に熱心であったにもかかわらず、次第にその信仰があいまいになったり、伝統的な日本の神社宗教のようなものに近づいていったりしてしまう。戦前の日本のキリスト者が天皇を現人神とする一種の偶像宗教に引っ張り込まれたのもそうした例の一つであった。 復活はキリスト教では、十字架と並んで最も重要なことである。これについても同様なことがいえる。 ふつうには、復活は将来に生じることと思われているが、現在すでに実現しているということが強調されている箇所がある。 それはマルタとマリヤという姉妹との会話のときである。 …マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは知っています。」と言った。 イエスは言った。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ福音書十一・24〜26) ここでも、マルタが信じていたのは、世の終わりのときの復活であったが、主イエスが言われたのは、そのような未来のときでなく、今すでに信じるだけで、復活の命を与えられるのだと言われたのである。 さらに、悪との戦いについても同様なことがいえる。キリスト者とは単に自分だけの安らぎの中に安住していることが目標でなく、この世の悪そのものとの戦いの生活を送るようになった人でもある。その意味で、私たちの戦いは最終的に敗北するのか、勝利なのかということは極めて重要なことといえよう。この点についても主イエスはつぎのように言われた。 あなた方には世では苦難がある。しかし、勇気をだしなさい。私はすでに世に勝利している。(ヨハネ福音書十六・33より) キリストがすでに世の悪に勝利しているゆえに、私たちキリストに結びついている者もまたすでに勝利している。だからこそ主イエスは、勇気を出せと、励ましたのであった。 このように、聖書においては、通常の考え方では未来のこと、しかもいつになったら実現するかわからないはるか未来のことと思われることが、すでに現在のこととして言われている。 そうしたすべてのことは、信仰によって、すでに今、神の御前で義とされているということに出発点がある。それほどにキリストの十字架での死は大きな意味を持っているのである。 「天路歴程」について 私たちのキリスト集会では、毎月一度、日曜日の午後に礼拝集会が終わった後に読書会をしていてもう三十五年以上昔から続いている。今までにカール・ヒルティの著作、「聖潔のしおり」(救世軍の出版物)、ダンテの神曲、ジョン・ウールマンの「日記」、内村鑑三の著作などを読んできた。「神曲」は、長編であるため、毎月一歌ずつ学んでいったが、時折集会の都合などで、読書会を持てないこともあったので、地獄編から天国編までを学ぶのに十二年ほどの歳月を要した。そして現在は一年ほど前から始めた「天路歴程」の学びを続けている。 「天路歴程」とは、今から三百数十年ほど昔にイギリスで書かれた。これは中国語の書名をそのまま日本でも使っているので、わかりにくい題名である。原題は、「巡礼者の前進ーこの世から来るべき世へ」(The Pilgrim's Progress from this world to that which is to come)というもので、神を信じ、キリストを信じる者がいかにして、罪ゆるされ、力を与えられ、守られ、導かれて天の国へと歩んでいくか、その歩みを書いたものである。 著者は、バニヤンといって、とても貧しい家庭に生まれ育った。父親は鋳掛屋をしていた。これは、鍋・釜などを修理する職業で、それは動物を使う興行師や行商人と同様な扱いを受けていて、社会的地位はことに低かったという。イギリスの文学者、作家でバニヤンほど低い地位にあった人はなかったと言われるほどであった。 そのような低き地位にあった人が、世界的な文学作品、しかもキリスト教信仰の上でもとくに重要な内容のものを生み出すことができたのは、神の導きという他はない。 彼は牧師でないのに、説教をしたということなどの理由で、三回にわたり入獄を経験し、合わせると十二年半もの獄中生活を経験している。 そうした経験をもとに、キリスト者であってもたいていの人が共通して経験すること、神の導きと助け、また罪との戦い、さまざまな霊的な困難や試練など、だれも書いたことのないような表現で著者は表現した。 バニヤンは生涯に六十冊にも及ぶ多くの本を書いたが、そのうちで最も重要なのが「天路歴程」でこれは聖書についでよく読まれてきて、過去三百年ほどの間に、百数十国語に訳されてきたという。 バニヤンは、獄中にあっていつ解放されるか分からない、最悪のときには獄屋で病気となり、死んでしまうかも知れないし、六年もの間獄屋に閉じ込められたことが、二回もあったことからして、判決で二度と獄から出てこられないような重い刑になるかも分からない。 こうした不安や苦しみ、孤独、そして真っ暗で、不潔な牢獄での夜の長い苦しみ…こんなただなかでバニヤンは「天路歴程」という名作の着想を与えられていったのである。しばしば偉大な作品は著者自身も思いも寄らない状況のときに作られる。それはいわば神ご自身が人間の予想をこえてなされるということを示すためであろう。 キリスト教の文学作品(詩)としてとくに重要なのはダンテの「神曲」である。これは邦訳で五百頁を超える長編で内容的にも実に深く、しかもキリスト教の重要な内容をもとにしつつ、哲学や歴史、当時のキリスト教界の腐敗、ことにローマ教皇の問題、人間の愛、深い霊的な体験、自然への深い洞察等々、実に多様な世界を詩のかたちで描いたものである。 これは、今から七百年ほど昔、イタリアのフィレンツエという町の政治家であったダンテが自分の町から追放され、家族からも離れ、各地をさすらい、財産も失われてしまったそのような放浪のただなかで神曲は書き始められた。 このように、キリスト教の詩としては聖書を除いて、最もその内容の深さや広さをもって大きな影響を与えてきたダンテの神曲は、著者自身予想もしていなかった苦境のなかで、書き上げられていったのであった。それは神がそうした命の危険が伴う状況のなかで、それまで大切にしていたものをほとんど失った状況のなかで、ただ神への切実なまなざしが生れるようにと、神がダンテに苦難を与えたと考えられるのである。 また、旧約聖書の詩集である、詩編の多くを作り、それらの詩がさらに新たな詩を生み出すことにつながっていったと考えられるダビデも、かれの受けた苦難の数々とそこから真剣に神にすがり、神への叫びが生まれ、それが多くの詩を生み出す原動力になったと言えよう。 詩というものは、深い感動がなければ生れないし、また心がまっすぐに向いていなければ他人の心に響くようなものは生れない。 中国の哲人が言ったように、詩を生み出す心の特質は、「思い邪なし」(*)である。すなわち、自然であれ、人間であれ、見つめるものに対する心がまっすぐでなければ、他者の心を打つ詩は生れない。 (*)子の曰く、詩三百、一言もってこれを覆う、曰く、思い邪なし。…この意味は、「詩経三百編を一言で総括するなら、心の思いに邪なしだ。」(「論語」為政第二の2) ここでは、バニヤンの「天路歴程」という代表作の中から内容の一部を取り出して、読んだことのない方のために紹介をしたいと思う。ここで「キリスト者」とは、この本に登場する主人公のことである。 キリスト者は人生のあるときに、自分がいかに正しい道からはずれていたか、どんなにさまざまの罪を犯してきたかを思い知り、このままでは自分は滅びていくことをはっきりと知ることになった。その滅びから救われるためには、どうしたらよいのか、それが最も重要な問題となったのである。 キリスト者は野を歩いていて、一冊の書物を読みながら、心に悩み苦しんだ。そして彼から出たのは「救われるためには、私は何をなすべきなのか」という叫びであった。このように目覚めた人間がまず考えることは、自分の現実を知ってそれで絶望したり、それをまぎらわそうとして快楽に走ったりするのでなく、何をなすべきか、ということであった。 聖書においても、キリストへの道を備えるためにあらわれた洗礼のヨハネ(*)は、人々に自分たちがいかに正しい道からはずれて生きてきたか、かれらの罪を自覚させた。すると、人々は初めて目を覚ましたかのように次のように口々に言った。 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。…取税人も来て「先生、私たちはどうすればよいのですか。」…兵士も「この私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。(ルカ福音書三・10〜14より) こうして、そのキリスト者が「何をなすべきか」という強い叫びをもっていたとき、導き手に出会った。その導き手(伝道者)は、聖書を手渡した上で、つぎのようにキリスト者に勧めた。 向こうのくぐり門が見えますか。 あの光から目を離さないで、まっすぐにそこに行きなさい。そうすればその門が見える。そこで門をたたけば、どうすればよいかわかる。 こういわれてキリスト者はその光を見つめつつ出発したが、たちまちひきとどめようとする者が現れて何とかして行かせまいとした。それを振り切ってキリスト者は出発した。 しかし、「背負っている重荷」のために早く前進できなかった。この重荷とは、罪の重荷であった。私たちは罪という重荷を軽くしていただかない限り前進が困難だということを表している。 しばらくして彼は同行していた人とともに、沼に落ち込む。 …二人は野原の真ん中にある非常に泥の深い沼地に近づいた。そしてその中に落ち込んでしまった。その沼の名前は「落胆」であった。そのためかれらはしばらく苦しみうめき、ひどく泥まみれになった。キリスト者は背中に背負っている「重荷」のために泥沼に沈みかけた。… この「落胆の泥沼」にはだれでも落ち込んでしまう。バニヤン自身がそうした中に入り込み、神を信じて這い上がろうとしてもどうしてもできず、苦しみもがいたという経験があったのである。 私たちもまた、信仰をもっていても、なお意気消沈したり落胆して祈る気力もなくなってしまうようなこともある。それはこのキリスト者のように、背中に負っている「重荷」があればなおさらそうである。自分は罪深い者だと知ったとき、さまざまの苦しみや悲しみ、弱気な気持ちがあふれてきて、立ち上がって前進する力をなくしてしまうことがある。 罪人がその堕落した状態に目覚めるときには、いつでもその心に自分はさばかれるのでないかという恐れや神は本当に助けてくれるのか、人間の悪の方が強いのではないのかなどの疑いが生じたり、憂うつな気持ちや無力感が襲ってくる。そうした状態を泥沼にたとえている。 そこから自分の力で出て行くことができず、泥のなかにはまり込んでいきそうになったとき、意外な助け手が現れ、かろうじてキリスト者はそこから這い上がることができた。この泥沼にはまったのも背中の重い荷物のせいであったから、キリスト者はそれをなんとかして降ろしたいと願っていた。 …この重荷を捨てるということは、それこそ私の求めていることです。しかし、自分では捨てることができないのです。私たちのところの人たちにはこのような重荷を私の肩から取りのけてくれるような御方は一人もいません。 それで私はこの重荷を捨ててしまうためにこの道を歩いているのです。… 天路歴程、すなわち天の国への歩みはその最初の段階で、罪の重荷を取り除くということが極めて重要なことになっている。これは重荷があるままでは、旅を到底続けられないし、その重荷のゆえに歩き続けられずに引き返してしまうし、落胆の泥沼に落ち込むし、その上、目的の光も見えなくなってくるからである。 それゆえキリスト者はさらに次のように言う。 背中のこの重荷は、道を歩くときの苦痛や疲れ、飢え、あるいはほかのさまざまの苦難などどんなことに比べてもこの重荷の苦しみが大きいのです。この重荷から解放されさえしたら、途中でほかのどんなことに出会おうがかまわないと思えるほどです。… 私は自分が手に入れたいと願っているものが何であるかわかっています。それはこの重荷がとれて楽になることなのです。… こうしてキリスト者はその最大の願いであった重荷を取り去っていただくために旅を続けていく。そしてさまざまのところを経てようやくとある上り坂にたどり着く。そこには十字架がかかっていた。キリスト者がちょうど十字架のところに来たとき、彼をあれほど苦しめた重荷は肩からほどけて背中から落ちて、転がりだして近くにあった墓の中に落ち込んでもはや見えなくなった。 十字架を仰いだだけでこのように長い間の重荷から解放されるとは思いもよらなかったことであった。彼は、涙があふれ出て止まらなかった。それは今までのどんなことよりも深い喜びだと感じた。 そのとき、3人の輝く人が彼のところにやってきて、一人は「あなたの罪は赦された」と言い、第二の者は彼のぼろになった衣服を脱がせて着替えの栄光の衣を着せた。また第三の者は彼の額に印を付けて、封印された巻物(聖書)を与えて今後の旅のためになるようにとのことであった。 こうしてキリスト者は、旅の最大の問題であった重荷を解決することができた。それは罪赦されて新しい歩みを始めるということであり、私たちにとっても三百年の歳月を経ても少しも変わらない真理なのである。 私自身、キリストの十字架を仰いで、ただそれだけでキリスト者となり、それまでの重荷を軽くしていただいた。そこから私のキリスト者としての生活が始まったのを思い出すのである。 それはこの本に出てくる、「キリスト者」(バニヤン)の経験と同じであって、同様の経験をした人たちは数知れないであろう。 こうして、重荷を十字架を仰ぐことによって取り去ってもらったキリスト者は天の国への旅を続けていく。そのとき、悪魔がキリスト者を激しく攻撃してくる場面がある。そこでキリスト者は恐ろしくなって、引き返そうか、それとも踏みとどまろうかと激しく動揺しはじめた。 しかし、キリスト者が落ち着いて考えてみると、彼は前には鎧を来ていて攻撃を受けても防ぐことができるが後ろからの攻撃には、一つの矢を受けても倒されると気付いた。それは背中にはよろいを着ていなかったからである。そこで思い切って踏みとどまろうとした。攻撃をしてくる悪魔に打ち勝つには、後ろをみせて退くことが最も危険だとわかったからである。 このことは、著者であるバニヤン自身の経験であった。 神の国への歩みはただ、前進しかない。 しかし、踏みとどまったキリスト者に対して悪魔は襲いかかり、キリスト者が持っていた剣は手から振り放され、まさに殺されそうになった。キリスト者は生きる望みも失いかけた。 そのような時、神の憐れみによって彼は剣をふたたび手に取ってし悪魔に攻撃をかけて退けることができた。キリスト者の剣とは、聖霊の剣であり、神の言葉であった。 悪魔を神の助けによって退けることができたとき、キリスト者は神への感謝と讃美を捧げた。そのとき、彼は傷をいろいろと受けていたが、思いがけず、命の木の葉を幾枚か持った手が彼のほうへと届いたので、それを取って傷につけると、直ちにいやされた。(この命の木の葉のことは、黙示録に書かれてある。) 神を信じて、神の助けと導きを受けて生きてきても、時に押しつぶされそうな苦難や悩み、神はもう自分を助けてはくれないのではないか、そもそも神はいないのではないか、などという深刻な疑問が生じることがある。「天路歴程」においても、すでに見たように、悪魔の激しい攻撃を受けようとしたとき、真剣に天への道を行くのを止めて引き返そうかと悩んだとある。 このことは、ダンテのような、力強い生き方をした人物であっても、同様であった。彼はその人生の途上においてあまりの困難のゆえに、正しい道から引き返そうと思ったことがある。彼はその主著「神曲」のはじめの部分に、彼自身が人生の半ばで深い悩みと苦しみに出会ったことが記されている。 人生の道の半ばで 正しい道を踏み外した私が 目を覚ましたときは、暗い森の中にいた。 その厳しく荒涼とした森が いかなるものであったか、語ることは実に難しい。 思い返すだけでも、その恐ろしさが戻ってくる。 このような苦しい経験をしてそこから辛うじて脱出することができた。そして、彼方に光に包まれた山が見えた。 しかし、そこに登ろうとすると、途中に恐ろしい三匹の獣がつぎつぎと現れてその山に登ろうとするダンテに襲いかかろうとした。それに直面したダンテは、あまりの恐怖のために、光のさす山に登ることをすらあきらめて再び暗い谷の方へと退いて行った。 それは自分の今まで生きてきたように自分の力や意志で光の山に登ろうとしても人間的な欲望や高ぶり、野心のようなものが頭をもたげてきてどうしても登れないという、ダンテ自身の精神的体験をあらわしていると考えられている。 そのように、前進しようとしてもどうしても進めない、引き返そうとするような弱気、落胆、自分の罪に前途をとどめられてしまうということが、この大作にも最初から描かれている。 そのようなダンテに近づいて新たな道を示してくれたのが、神からつかわされた導き手であった。その導き手に導かれて歩んで行く道筋が神曲の内容となっている。 このように、私たちが正しい目的地を目指して進んでいこうとするときには、必ずさまざまの誘惑が入り込んで私たちを正しい道からそらし、あるいはそこからこの世の世界に引き返そうとさせる。 聖書にある、ユダという人物はそのような闇の力に敗北した例であったし、現在でもひとたび正しい道を歩み始めてもそのうちにこうした苦しみや罪のなやみなどでこの世に引き返してしまうことがしばしば見られる。 そうした誘惑に打ち勝つためにも、絶えることのない祈りやみ言葉の学び、そして自分以外の同じキリストにつながる人たちによる祈りの支えや励ましなどが不可欠なものとなってくるといえよう。 死の谷をすぎて イラクでの捕虜虐待事件のことが、世界的に報道されている。あの報道に見られるようなことは、イラクだけでなく、アフガニスタンなどでたくさん行なわれているという。 捕虜虐待については、日本が太平洋戦争のときに建設した「死の鉄道」とも呼ばれる泰緬(たいめん)鉄道にかかわることが特に広く知られている。 この鉄道は、アジア侵略を押し進める日本軍がインド侵攻のための軍需物資の陸上輸送ルートを確保する目的で敷かれた軍用鉄道である。タイ(泰)とビルマ(緬甸)を結ぶ415kmに及ぶ鉄道は密林のジャングル、山岳地帯を通り、かつてイギリスが計画を断念したほどの険しい地形の中に建設された。 一九四二年に日本軍が建設を始めたとき、最低五年はかかると考えられた難工事であったが、日本の戦局の悪化に伴い急ピッチで工事を進めるよう命令が下り、一九四三年十月十七日、工事開始からわずか一年三カ月という驚くべき早さで泰緬鉄道は完成する。 工事には連合軍捕虜約6万人、ほかにアジア各国から募集、強制連行された労働者推計20万人が投入された。地理的な悪条件に加え工期の短縮により労働は苛酷をきわめた。猛暑の中、人海戦術でクワイ河沿いのジャングルを切り開き、国境山岳地帯の岩を削る作業が連日長時間続き、追い打ちをかけるように激しいスコールが襲った。 重労働、日本軍による虐待、食糧・医療品の不足、マラリアなどの伝染病によって莫大な数の死者を出していった。その数はイギリスなど連合軍捕虜約一万二〇〇〇人、アジア人労働者数万人。死者の正確な数字は定かではなく、特にアジア人労働者はジャングルの奧に眠る死者の数が二万とも三万ともそれ以上ともいわれる。 このようにわずか一年三カ月で、四万を超えるほどの死者を生み出したのである。これは毎月、二五〇〇人以上も死んでいったことになり、毎日七〇〜八〇名ほどもが命を失っていったことになる。 重い病気になったり、戦争終了後も重い後遺症に苦しんだ人は数知れないであろう。 これはいかに当時の虐待がひどいものであったかを如実に表している。 この事実は、当時捕虜になってこの鉄道建設に従事したイギリス兵が、文字通り死の淵から助かって後に、その体験を発表したことでも知られるし、それを基にして最近ビデオやDVDが発売されて、その生々しい状況をいっそう知ることができるようになった。 その体験を記した書物は、「死の谷をすぎてークワイ河収容所」(*)であり、著者はアーネスト・ゴードンである。 (*)新地書房 一九八一年発行。犬養道子氏はこの本の読後感を「多くを考えさせられる前に、神への感謝がまず湧き、かくも大きな神的なものを悪のさなかにも準備なさる神さまのすばらしさと、それを受けて、生き、死ぬ一人の人間にとって何が可能かを再び見たような気がします。」 なお、犬養道子は、ボストン、パリで哲学、聖書学を学び米国ハーバード大学研究員を経て在欧30年以上に及ぶ。1979年以降は世界の難民、飢餓問題に深くかかわり、各地のキャンプに単身毎年のように飛び回り、1992年以降は戦火のボスニア・ヘルツェゴビナに入り、サラエボに孤児となった青年男女のために奨学金援助やコンピュータスクールを開く。現在も『犬養基金』で旧ユーゴ難民に奨学金を送り続けている。 祖父は犬養毅(元内閣総理大臣) その収容所においては、さまざまの拷問、射殺、銃剣による殺害、溺死をさせ、強制労働、食物を与えないで苦しめること、疫病にかかっても放置するなどおよそ人間のなすことでないようなことが行なわれていった。さきにあげたおびただしい捕虜の死者はそうした非人間的な扱いを受けた上に、熱帯のジャングルや山岳地帯、危険の伴う河川での鉄橋架設工事などでの過酷な労働のためにおびただしい人間が命を落としていった。 食事もきわめてわずかで副食を与えず米のみ、しかも病気になるといっさい食事を与えないで飢えさせて死に至らせるというものであった。この本には捕虜になった人のうち絵のよく描ける人の書いた挿絵があるが、それには限界を超えたやせ細った捕虜の姿がある。 ソ連に抑留された日本人捕虜は冷遇されたと言われるが、その死者は10%以下、ドイツとイタリアの収容所の連合軍捕虜の犠牲者は4%であったが、このクワイ河収容所では、連合軍の捕虜は10人のうち、2名〜3名、つまり30%近い死者が生じたという。 このような恐るべき捕虜への虐待は、現在のイラクなどで行なわれてきたという虐待とは比較にならない状況であった。 なぜこのような捕虜虐待が起こるのか、それは戦争というものが相手を多量に殺すということを目的とするからである。たくさん殺害することで勝利となるのであって、生かすことが目的にないから、こうしたひどいことが公然と行なわれるのである。 イラクの場合もあのような捕虜虐待が大きく世界的に報道されているが、アメリカがイラクの町を攻撃して、一般人含めて六〇〇名もの人の命を奪ったということは、はるかに大きな問題である。捕虜虐待より、ふつうに生活している人の命を奪い、家族を奪われ、あるいは死は免れても手足を失ったとか、耳や目の機能を破壊し、今後の生活も著しい困難に陥れることがはるかに悪質なことである。 そうした目に遭った人たちは、あの報道であったような虐待よりはるかにひどい状況で今後も生活を続けていかねばならない。 捕虜虐待を問題にする以前にそれを引き起こす戦争そのものを止めるべきであり、そのことを日本の首相もアメリカにはっきりと進言すべきであるのに、イラクで何が起ころうと、日本の首相、政府、与党の人たちは明確な抗議や進言をまったく行なおうとしない。 そしてアメリカの戦争を支持し続けている。それではあのような捕虜虐待を支持していることと同じになる。 太平洋戦争での目を覆うようなひどい捕虜虐待も、結局は戦争の一つの結果なのである。人を殺すことを目的とし、それを公然と認めるような考え方からは当然そのような非人間的なことが生み出されていく。 聖書の精神は、たった一人の命、病気でなんの仕事もできないような人、死を前にしたような人、世の中で何も役に立たないように思われている人をすら、神が深い意味をもって造られた存在として重んじる。そうした聖書の精神といかにかけ離れていることであろう。 戦争になると人間は多くが正気を失う。しかし、さきほどあげた「死の谷をすぎて」という書物のなかで、それほどの暗黒と悲惨のただなかにあって、一部のキリスト者たちが、なお希望と光を持ち続け、生きる力を与えられ、それが捕虜たちにも伝わっていったことが印象深い筆致で書かれている。それは実際にそのような死の谷を通って、キリストによって命を救われてきた人のみが語れる力をもって迫ってくる。 この書物をもとにして作られた、「死の谷をすぎて」という映画を最近見た。捕虜たちの虐待のことと共に、敵をすら愛するというキリストの力が捕虜以外のところにも働くという内容である。そして、この映画にも現れるが、日本軍の通訳をしていた日本人通訳者(長瀬隆)が、一部の捕虜たちの深い信仰に感化され、戦後20数回もタイ地方を訪れて、かつてそこで命をうしなった人たちをしのび、敵同士であった連合軍と旧日本軍の人たちを、そのクワイ河鉄橋で再会させた。そして後に彼はキリスト者となったという。 戦争や恐るべき捕虜収容所の中においてすら全身をもって求める者に働くのは、キリストの力であり、その福音であり、聖書(神の言葉)なのであった。 捕虜の待遇をよくせよ、ということよりはるかに重要なのは、戦争そのものを止めることである。そしてさらに、戦争がないだけでは人間は別の悪に捕らわれていくであろう。私たちの目標は、人間世界をこえた、神のいのちに生かされることなのである。 そしてこの戦争のような文字通りの死の谷は一部の人が体験したことであるが、精神的な意味において、あるいは病気や老齢による「死の谷」は誰もが通っていくのである。そうしたいかなる意味の死の谷をも神によって導かれ、そのかなたの光ある世界へと歩んでいくことこそ、過去から現在までのあらゆる人間の目標だといえよう。 主が共におられる ヨセフの歩み(創世記三十九章より) エジプトに売られたヨセフは、エジプト王の宮廷の役人で、侍従長に買い取られた。家族から離れてはるかに遠い異国にあって、奴隷のように売買されたヨセフは、その間どんな気持ちで何を考えていただろう。 創世記では、この間、ヨセフが神に祈ったとか、神からの力づけを受けたとか一切記していない。売られて行ってどうなるのか、それにははっきりとした神の答えもなかった。ヨセフもおぼろげであったと思われる。しかし、神はそうしたヨセフの苦しい歩みのただなかに共におられた。 悲劇的なことが生じようとも、苦しい孤独な状態に置かれようと、主はそうしたことに関わりなく、信じる者と共におられるし、信じる人たちのために働かれる。 神がいるのならどうしてこんなことが生じるのか、というような苦しいことが起きることがある。しかし、他方、神がその困難や苦しみのただなかで働かれる、そして神の業を深く理解できるようになる。 ヨセフは異国の人間に買い取られた人間であったのに、それを不服に思ったり、怒ったり、悲しんだりすることなく、仕事に励むことができた。家族もおらず、兄弟に売り飛ばされたという特異な出来事に対して自分の前途を嘆いたり、兄弟のことを憎んだりして過ごすのでなく、このように前向きに生きることができたのは、なぜか、それは単にヨセフがそのように考えるようにつとめたとか、ヨセフの性格であったとかいうことではなかった。 その理由はただ一つ、主が共におられたということである。この創世記三十九章だけで、つぎのように繰り返しこのことが強調されている。 「主がヨセフと共におられたので、うまく事が運んだ」(二節) 「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれる」(三節) 「主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された」(五節) 「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し…」(二一節) 「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。」(二三節) これだけ、「主が共におられる」という事を重複をいとわずに書いてあることは聖書のなかでも他にはみられない。創世記を書いた著者がいかにこのことを強調しようとしていたかがうかがえるのである。 神を信じていたら困難なことは生じないということではない。ヨセフのように兄弟からも憎まれ、売られ、そしてこのように誘惑された上でそれに打ち勝ったが、全くの無実の罪で獄屋に入れられてしまうこともある。 しかし、神はそのわざをなさろうとするとき、まずこのように苦しみを与えてから行なわれることが多い。 ヨセフはこのように奴隷として売られてもその事態を甘んじて受けて、それを神からのものとして歩んで行った。それによって主人に認められ、家の管理や、財産のすべてを任せられるほどになった。他国から買い取られた奴隷にこのような特別な信頼を寄せるということは、人間のなすわざではなかったゆえ、聖書はそれをすでに述べたように「主がともにいて主が栄えさせた」とあるように、それらすべては神がヨセフとともにいてなしたことだと記されている。 このようなふつうでは考えられないほどの恵みを受けたヨセフは、そのような幸いなことばかりが生じたのではなかった。 ヨセフが直面したつぎの大きな試練は、女性から来た。しかもヨセフを全面的に信頼している主人の妻がヨセフを誘惑しようとして、それがヨセフによって退けられるのがわかると、その女はヨセフの衣服を捕らえて引き入れようとした。しかしヨセフは衣服を残して部屋の外に逃れた。そのことで女は怒り、そのヨセフの衣服を証拠のようにして、夫の主人に、ヨセフが自分を誘惑しようとしたのだといって告げ口した。それによって主人は激怒してただちにヨセフを牢獄に入れてしまった。 こうしたいまわしい事件の直前に繰り返し、主はヨセフと共にいたと記されているのに、このようなひどい災難に陥れられるとは、一体神が共にいたのであろうかと思わされるほどである。 しかし、聖書で神が共にいるというとき、決して苦しいことや悲しみがない安楽な生活が約束されているなどとは記されていない。むしろ、神が共にいた人として最も大いなる人物であった、アブラハム、ヤコブ、モーセ、エリヤ、ダビデ、預言者のエレミヤなど、いずれもいろいろの苦しみや困難につぎつぎと直面していった人たちであった。 神がともにいるとは、困難に出会わないことでなく、困難によってさらに深い洞察と力を与えられ、その困難を乗り越えていくことであった。 ヨセフは自分の主人であり、全面的に財産など一切を任されていたほどの信頼を受けていた主人の妻を誘惑するという、最も恥ずべき罪を犯した者として牢獄に入れられた。そのくやしさや、怒りはふつうなら耐えがたい屈辱であったであろう。しかし、ヨセフはこのようないまわしい事態にもなお、前向きに生きることができた。その主人やその妻への怒りや憎しみを持ったままであれば、その背後におられる神を忘れているということになる。神はどのようなことが生じても必ず、自分と共にいて最善になるようにされるということを信じて生きていこうと決心したと思われる。それはかつて、自分は兄弟によって危うく殺されそうになったがそれでも不思議ないきさつで助けられたという事実もヨセフに力を与えたであろう。ヨセフは牢獄に入れられてもなお、無実の罪で牢獄にあるということへの不満や怒りをもって生活することなく、そのようなことがあってもなお、神はおられる、それでも神は働いておられるとの確信をもっていたようである。 与えられた場所が、金持ちの家であろうと、奴隷としてであろうとも、また牢獄という暗くて不潔で死に至る場のようなところであっても、ヨセフの神への信頼は揺るがなかった。 かえって、その与えられた牢獄という場において、真剣に生きるようにした。そこから、獄屋の番人はヨセフにすべての囚人の管理をゆだねるようになった。 このようなことも、ヨセフの能力とか生まれつき、やさしかったとかいうようなことには決して関連づけられていない。ヨセフが困難に出会って心身共に打ちのめされそうになったこともあるだろうが、それでも彼は神に心を向けることを止めなかった。 それは神がそのように背後で働いていたのだ、というのがヨセフの実感なのであった。私たちにおいても、自分がなにかできても、また周囲の状況で認められ、賞をもらっても、また失敗したり、病気となって仕事ができなくなっても、なお、このヨセフのような心で出来事に対処することができるのだと言おうとしている。 主が共にいてくださることから生じる神の祝福、それはこのようにいかに思いがけない事故や人間関係の困難があろうとも、変ることなく続いていく。 人間にとって最も必要なこと、それはこの創世記で見られるように、「主が共にいて下さること」である。そのためにこそ、私たちの方で妨げとなるもの(罪)があってはいけないのであって、キリストはその罪を除くために来られたと言われたのである。 罪が除かれるとき、それは私たちの心で主に背いて生きようとする心が除かれることであり、そのような心に主は来て下さって共にいて下さる。 このような意味のゆえに、主イエスの誕生の記述に際して、マタイ福音書ではこう言われている。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ福音書一・23) キリストが来られてから確かに、それまでの遠い存在であった神が著しく近くに来て下さった。それは主イエスご自身、「疲れている者、重荷を背負っている者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われているし、キリストが私たちのうちに住んで下さることになり、これこそ、神が共にいて下さるということの最も成就したかたちだと言える。 マタイ福音書の最後の言葉は、「世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」(マタイ福音書二八・20)であったが、世の終わりまでしか共にいないのでなく、さらに世の終わりを超えて新しい天と地においても、神は共におられる。 それは使徒パウロが述べているように、この世を去るとは、消滅することでなく、信じる者にとっては、「主とともに住むこと」(ピリピ書一・23)なのである。 聖書は、神が私たちとともにいて下さることをその冒頭の書である創世記からずっと一貫して最後まで説き続けている書である。エデンの園において神がともにいて守り、すべての必要を満たしていたのに、あえて人間は神の愛に背いて神とともにいるという最大の恵みから引き離されていった。 しかし、後に現れたアブラハムという人物において、神が共にいるということはどういうことなのか、そのことを実例をもって人間に示したのであった。アブラハムの子孫が夜空の星のようになるとは、神が共にいる人々が世界に無数にできていくということの預言であった。そしてそれはキリストによって実現されていった。現在も、そして未来にいかなることが生じようとも、神が共にいて下さる人々は限りなく生れていくことであろう。 ことば (183)(悲しみからの脱却) まことに人間の魂は、神に向かわないかぎり、どちらに向いても、他のどこにおいても、悲しみに釘付けされるだけだ。(「告白」四・10 アウグスチヌス著 (*)) ・これはあまりにも悲観的な見方だというかもしれない。この世にはいくらでもよいもの、美しいものはあるではないか…と。たしかによい人もいれば、美しい自然もあります。しかし、よい人と見える人にも意外な弱点があり、思いがけない病気で弱々しくなってしまい、あるいは、老年となりやがては死にいたる。 そうした将来をも見つめるとき、悲しみが自然に生じる。美しい自然も、それらはいとも簡単に破壊されていくし、またそれを味わう自分もいつかは病気になり、それらをじっさいに味わうほどの健康も失われていく…そこに悲しさがある。それゆえ、ものごとをつきつめて考えるとき、神に向かわない限り、他のどこに向いても悲しみから離れることはできない。それゆえにこそ、私たちは神に向かおうとする心が生じる。 (*)アウグスチヌス(AD354〜430)は、キリスト教会の初期(二〜八世紀)を代表する著作家として最も重要な人物で,かつヨーロッパのキリスト教を代表する一人。「告白」は、三四歳までの生きてきた自分を告白し、自らの回心を神に感謝する内容で、五世紀の作。 (184)(悪を取り去るためには) …その老漁師は、儀式になれているどこかの宗教家のようでなく、素朴な老人で非常に威厳のある証し人で、真理を説くために遠くからやってきたのであった。 彼はその真理を、眼に見て、手に触れて、現実のことのようにそれを信じ、かつ、それを信じるからこそ愛している人のようであった。その額にも真理そのものが持っているような確信の力があった。… 聞いていたローマの将軍の一人が、最も大きな驚きをもって聞いたのは、その老人が、神は完全な愛であるから、人々を愛する者は神の最も高い戒めを果たすものであると教え始めたときである。… 善人を愛するだけでは足りない。悪人のために祈り、愛さねばならない。愛によってのみ、悪人から悪を取り去ることができるからである。… (「クォ・ヴァディス」シェンケビッチ著(*)上・270P )著 岩波文庫) (*)クォ・ヴァディスとは、ラテン語(古代ローマ語)で、「Quo(どこへ) Vadis(行くのか) Domine(主よ)」を短くしたもの。これは(主よ、どこへ行かれるのか )という意味。この作品は、新約聖書の少し後の時代に書かれた「ペテロの言行録」に出てくる内容を、ポーランドの作家シェンケビッチが用いたもの。 。 ・ここには、ペテロがローマの町でキリストの証言をしている状況が描かれている。当時キリスト者はローマ帝国によって迫害のただなかにあった。キリスト者の集まりのなかにも、キリスト者を捕らえるために潜入してきた者、信仰もなくして欺くために入り込む者もいた。そうした敵はうちにも外にもいて、キリスト者の安全をおびやかしていた。そうしたなかに使徒ペテロがきて、キリストの証言をし、キリストの教えを伝えている様子が、ノーベル文学賞を受賞した作家のペンによって生き生きと表されている。 (185)私は聖なる波から帰り 新緑の木の葉を新しくつけた 若木のような清新な姿となり 天上の星へと登ろうとする。(「神曲・煉獄編33歌142行以下」) ・これは煉獄編の最後の言葉。原文では disposto a salire alle stelle (ready to mount to the stars)であり、「星」という言葉が最後に置かれている。原文ではこの短い箇所に「新しい」という言葉が三度も用いられている。神によって清められ、罪をぬぐい去られ、善きことをゆたかに思い起こすようにして頂いて、さらなる高みへと導かれていく。 休憩室 ○春の野草たちの花が咲き終わり、緑の若葉がいっせいに大きくなっています。周囲は緑一色となり、「天路歴程」に現れる、命の木の葉を思い出します。それは、本文で紹介したように、私たちの傷をいやそうとしてどこからともなく、差し出されたものだと書いています。緑だけでなく、青空や白い雲、風の音、そして谷川の水音などいずれも、神が私たちの心の傷をいやすために神から差し出されたもののようです。 ○ウツギ(卯の花) 五月に山の多い地方を車で移動していると時折目にとまるのは、ウツギの仲間です。ウツギには、ガクウツギ、マルバウツギ、バイカウツギ(梅花空木)など、いろいろあります。 そのなかで、ウツギは純白の花が、半開きのように咲き、新緑の中にあって目をひくものです。 これは有名な「夏は来ぬ」という歌によってひろく知られています。それは曲がだれの心にも自然に入ってくる親しみやすいよい曲であるとともに、その歌詞が、後に古典文学の権威となった佐佐木信綱による五七五七七の短歌であり、それに「夏は来ぬ」をつけたものであること、その歌詞の内容が初夏のおとずれを印象深く表していることにあります。 最近は静かな自然の清さや美しさを歌ったこのような歌が若い人の心になくなっているようです。このような自然のかおりがたたえられた歌が今後とも人々の心に流れていくようにと願われます。 一)卯の花の 匂う垣根に ほととぎす 早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ(*) 二)さみだれの そそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ 三)橘のかおる軒端の 窓近く 蛍飛び交い おこたり諫むる 夏は来ぬ 四)楝散る 川辺の宿の 門遠く 水鶏声して 夕月すずしき 夏は来ぬ(**) 五)五月闇 ほたる飛び交い 水鶏鳴き 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ (*)「卯の花の 匂う」とありますが、ウツギには匂いはなく、これは古語として用いてあり、ウツギの花の「あざやかな白い色が美しく映える。美しく目立つ。」といった意味。 (**)楝(おうち)とは、センダンのことで、初夏にうす紫色の美しい花を咲かせる。 返舟だより ○昨日は集会で使徒言行録2章聖霊降臨により、弟子たちがキリストの復活の証人とされる力を与えられたことを学びました。今日は私たちが心から喜べる憲法記念日です。しかし、ご存知のように厳しい状況にさらされています。世界の平和を祈りつつ、午後の憲法講演会に家族で出かけます。山野には美しいゲットーの花が一杯咲いています。(九州の方) ○「はこ舟」は主人と朝読むことにしています。「はこ舟」はわかりやすい言葉でみ言葉を説き明かして下さいます。私などは、何十年聖書を読んできましたが、最近ようやくイエス様のこと、十字架や復活のことをわからせていただいたように感じます。…私は毎月、治療に行きますが、そのときに受ける特別な治療が涙の出るほど、また死ぬかと思うほど痛いので、イエス様の十字架と自分の罪を思い、祈ります。 病院の待合室で「はこ舟」読む 注射の痛さしばし忘れて 病院に行くときにも御誌を持っていきます。(関東地方の方) ・他にも、このように、ご夫妻で朝に「はこ舟」を読んでいると書いてこられた方があります。この小誌が、朝にみ言葉を届けることができるようにと願っています。 ○…「はこ舟」や「野の花」(集会文集)によって見えないイエス様が共に歩いておられるのを感じます。「野の花」のお一人お一人の文章を拝読しながら、皆様が福音を正しく理解され、心からイエス様へ信従されている姿に打たれます。(九州の読者) ○…四月号の、創世記における人物たちの描写のうち、? と思われる内容についての聖書としての意義の説き明かしは、ありがたく伺いました。 真正面から扱って深くえぐったテロ問題については、「善をもって相手に対処する」以外、やはり解決策はないと確信! (関東地方の方) ○毎月わかりやすく、み言葉をお伝えくださりありがとうございます。今は、「はこ舟」が届くのを心待ちにしております。四月号の創世記に登場するタマルやハンナの姿から、真実な祈り、ひとすじに神に求める心の大切さを強く感じました。私はある病気を持っていて、次第にからだが侵されていく精神的な痛みをつねに感じながら、週三回の通院をしております。「はこ舟」を読ませていただいて、慰められ、元気をもらっています。(北海道の方) |
2004/5 |
野の花を見よ 2004/4 主イエスは当時の人々のまちがった形式的宗教を根底からの改革を指し示したお方であった。社会的指導者に対しても遠慮なくそのまちがいを指摘した。そして祖国が真の神に立ち返らないことから、裁きが間近に迫っていることを見抜き、深き悲しみをもってそれを見つめた。主は、社会的、政治的にも深い洞察をもっておられた方である。 そのようなイエスが言われた有名な言葉がある。 …野の花がどのように育つのか、注意して見よ。 働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(マタイ福音書六・28〜29) ソロモンとは、イエスより千年ほど昔の王で、英知においても優れていたが、神殿や宮殿を二十年もかけて築き、おびただしい富をもっていたことで知られている。さまざまの金銀の道具もゆたかに備えていた。 彼らの民族の歴史上でもかつてないほどの栄華を極めた王であっても、それは路傍の野草の一つにも及ばないと言われたのである。 野草を心して見るときには、どんなこの世の豪華なものよりもすばらしい美と驚くべき仕組みが見出せるというのである。 同様にもし、私たちが見る目をもっていたら、世の中で目立つ俳優、スポーツ、政治などの人々よりはるかにすぐれたものを、身近な人々、また小さき人々のなかに見ることができるであろうし、さまざまの出来事においても、その背後の神の導きを見るとき、そこにも驚くべき御手のわざを感じることができるであろう。 平和への道 現代の世界は、平和への道を見失っている。国連も、アメリカが始めたイラク戦争についてもリーダーシップをとることができなかった。アメリカもようやくみずからの過ちに気づき始めている。 日本も真の平和への道が六〇年前に明確に憲法第九条となって、示されたにもかかわらず、その道を見失いつつある。アメリカやイギリスはイラク戦争を始めた根拠に対して重大な疑いが国民の間にもだんだんと大きくなりつつある。そしてそれに同調したスペインは撤退することを決定した。 しかし、日本はそのまちがった方針で始めたイラク戦争を率先して同調したにもかかわらず、首相を支持する人が驚くほど多い。 これは日本の政府や国民が真の平和への道が分からなくなっていることをはっきりと示していると言えよう。 すでに今から二〇〇〇年も前に、主イエスはつぎのように言われた。 …エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。 しかし今は、それがお前には見えない。…」(ルカ福音書十九・41〜42より)こう言われて、エルサレムが敵によって激しい攻撃を受けて廃墟となることが預言された。そしてその預言通り、主イエスが十字架で処刑されてから、四〇年もたたない紀元七〇年にローマの将軍ティトスは、皇帝から全権を託されてエルサレムを攻撃し、神殿を炎上させ、当時の歴史家のヨセフスによれば、捕虜になった者は九万七〇〇〇人、ローマ軍の攻撃によって生じた死者は一一〇万人にも達したという。(ヨセフス著「ユダヤ戦記」第三巻192頁)こうしてエルサレムは徹底的な荒廃にさらされ、主イエスの預言が驚くばかりに成就したのであった。 このような滅びの原因は何か、それは主イエスの言葉によれば、「神の訪れるときを知らなかったから」である。それは、キリストが神の真理をもって、神の訪れとして来たのにそれを拒み、その真理を知ろうとしなかったからである。 現在の私たちにおいても、同様なことが言える。平和への道、それは太平洋戦争のおびただしい犠牲者によって、いかなる武力をも国際間の紛争を解決する手段としては用いないという原則である。それは遠く旧約聖書にすでに源流がある。(*)そして 主イエスによって確固とされた真理である。 日本の憲法の平和主義はその延長上に生み出されたものだと言えよう。 この平和への道を無視し、まちがった道に踏み込もうとしているのが現在の日本である。 私たちは聖書によって真の平和への道を証し続けなければならない。 (*)見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る… わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ。(旧約聖書・ゼカリヤ書九・9〜10より) このように、真の王とは、武力や豪華な外見をもって飾るのでなく、みすぼらしいロバに乗ってくるような謙遜なお方である。そしてそのような王によって、武力による戦いは終わり、真の平和がもたらされる。そしてその平和は世界に及ぶ。 この預言は、今から二五〇〇年ほども昔に言われたものであって、目に見える世界では、それに反することが続いているが、キリストによってたしかに霊的に成就されていきつつある。 苦しみの後に (近畿地方のある方より送られた詩) 後ろを見ないで 前を見よ 自分を見ないで キリストを見よ 人を見ないで 造り主を見よ、と教えられて なるほど 本当にそうだと 思い、けんめいにそうしようと つとめているのだけれど 性懲りもなく その反対を 繰り返しているわたし 果てしもない 私の愚かさ みにくさ こんな私なのだから 死んでも当然と 思うのだけれど その先に 両手を広げて 待っていて下さる キリストの姿が見えるのだ 骨の痛みに耐えがたい思いをしながら 十字架のキリストを思っている 十字架に釘づけられたキリストは、 手も足も全く動かすこともできず 息することもままならない その苦しみの中で イエス様は 「罪を彼らに負わせないで下さい」と 父なる造り主に祈ったという なんという大いなる愛であろう しかし、私は手も足も動かすことができている 三度の食事も運んでもらっている… その私がどうしてキリストの愛を拒むことが できるだろうか。… そう思う一方で、なにかにふれると すぐ舞い上がり さまよい出る 浅はかな私 私のすべてを十字架につけ 「どうぞ あなたの御手で私をとらえ 離さないで下さい!」と祈るのみ。 ○これは、四月中旬にある方からFAXで送られてきたものです。(一部省略) 脊椎の圧迫骨折で二カ月ほど入院されていたとのこと。その間のきびしい試練に耐えかねる思いであったが、そこから苦しむ者、重荷を負う者は私に来たれ、との主イエスの言葉のように、キリストへと心を向け、痛みに耐えながらキリストの十字架の苦しみと痛みを深く思ったようです。 十字架は、私たちの生き方の模範でもありますが、それ以上に私たちの魂の深いところで巣くっている罪を明るみに出し、その罪を赦して下さる象徴ともなりました。そしてさらに、私たちが苦しむときに思い浮かべることによって苦しみを耐える意志と力を与えられるというような、さまざまの意味において十字架が大切に思われています。 聖書の中にも、著しい苦しみに耐えがたく、神に日夜叫び続けている魂のすがたが記されているのがあります。長いので一部省略し、また一部表現をわかりやすくしてつぎに引用しておきます。 主よ、わたしを救ってくださる神よ、 昼は、助けを求めて叫び 夜も、祈り続けて御前にいます。 わたしの祈りが御もとに届きますように。 わたしの声に耳を傾けてください。 わたしの魂は苦しみを味わい尽くし、 死ぬばかり。… あなたは私を、影に閉ざされた所、暗闇の地に捨ておかれる。… あなたはわたしから 親しい者を遠ざけられた。… 苦しみに目は衰え 来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び あなたに向かって祈りの手をあげる。… 主よ、わたしはあなたに叫ぶ。 朝ごとに祈りを捧げる。 主よ、なぜわたしの魂を突き放し なぜ御顔をわたしに隠しておられるのか。 わたしは若い時から苦しんで来た。 今は、死を待つばかり。… 主よ、あなたは、愛する者も友も わたしから遠ざけてしまった。 今、わたしに近いのは暗闇だけ。…(詩編八十八編より) こうした激しい苦しみと耐えられないほどの孤独が襲ってくることがある、それをこの詩は明らかに示しています。事実長い歴史のなかで、このような恐ろしい苦しみに打ち倒され死ぬばかりとなり、ついにいのちをも失った殉教者も数多くいます。 主イエスご自身が、十字架にかけられたとき、「主よ、主よ、なぜ私を捨てたのか!」と激しい叫びをあげられたことが二千年の間、人々の心に響いてきました。 神がおられても、また神は愛の神であってもなお、こうした苦しみが襲いかかることがある。そしてキリスト教の真理はそのような暗い谷間をも通って伝えられてきたのです。 それはこの真理がいかなる事態にも耐える力を与え、それに勝利していくということを実際に示すためでもあったようです。 そして地上ではついに得られなかった安住の地を、かなたの国、神の国に得たいという希望を持ち続けていく、力強い信仰と希望を与えられていったのです。 現代に生きる私たちもまた、それぞれが大きな重荷や苦しみに直面していくことはだれにも起こりうることです。 そしてそのときにこそ、こうした詩を書いた人の苦しみや、十字架の主イエスのになった重荷と苦しみの意味が深くわかり、同時に主イエスからの力をも受けることになるのです。 祝福の源 創世記に見るユダのすがた 旧約聖書にあらわれるユダとは、アブラハムの子孫の一人である。(*)ユダヤ人という名前のもとになった人物であり、キリストも十二弟子や使徒パウロもユダヤ人であった。そして彼らの行動や神から受けた言葉を書いた新約聖書は旧約聖書とともに全世界に広がっていった。そして全世界に今もその影響を及ぼし続けている。 そのユダというのはどのような人物であったのか、創世記を通して学んでみたい。 (*)アブラハムの子がイサク、そのイサクの子がヤコブであり、そのヤコブの子供のうちの一人がユダである。キリストを裏切ったユダというのが知られているが、そのユダよりも千数百年昔の人物である。ユダという名は、聖書においては、ヤーダー(感謝する、讃美する)という語と関連があるとされ「主を讃美する」という意味と説明されている。(創世記二九・35) 旧約聖書の巻頭の書、創世記におけるユダに関する最初の記述は、弟ヨセフが見た特別な夢に怒り、自分たちがあたかもヨセフにひざまずくような内容であったため、またヨセフの父親からも年寄り子ということで、特別に大事にされていたことから、強くねたむようになって、ほかの兄弟たちとともにヨセフをひどい目に合わせようとした。他の兄弟たちはヨセフを殺そうとしたが、「そんなことをしても何の得にもならない、外国人に売ろう」と提案し、通り掛かった外国人に売ってしまうことにしたのであった。(創世記三十七章) このように、ユダの最初の記述は人間として何にも優れたところのない人間、ねたみゆえに弟をすら外国人に売ってしまうような人間として記されている。 つぎの記述は、彼の結婚と家庭についてである。ユダの子供は何人も生れた。長男の嫁はタマルという名であった。しかし、長男は罪のゆえに神に罰せられて死んだ。当時は長男が子供が生れないで死んだときには、次男と結婚して子供をつくり、長男の子として扱うということになっていたから、タマルは次男と結婚した。しかし次男は自分の子にならないのを知っていたので、子供が生れないようにした。そのような態度は神のご意志に背くことであったために、次男も亡くなった。こうしてタマルという女性は結婚した二人の夫に次々と死なれてしまった。 ユダは、自分の長男や次男もタマルと結婚したらつぎつぎと死んでしまったので、三男をタマルに与えるのを恐れた。内心は三男とは結婚させないつもりでいたのに、結婚させるようなことを言って、三男が成人するまでタマルには実家に帰っているようにと言った。 かなりの年月が経った。その間タマルはずっと三男と結婚して子供をつくることを待ち望んでいた。しかし義父であるユダはそのことを放置したままにしてあった。 そしてユダの妻が死んだとき、タマルは義父のユダが近くにやってくるのを知った。彼女は、妻を失った義父によって、子をもうけようとしたのである。 タマルは未亡人を示す着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ヤコブを待ち受けた。三男が成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かっていたからである。 ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは妻を亡くした後の淋しさからか、嫁のタマルだとは気付かず、タマルを求めて関係を持った。そのとき、タマルは、自分と関係を持つなら何を報酬としてくれるのかと求めた。ユダは、小羊をやろうといい、その保証としてタマルの求めるままに、自分の印章と杖を与えた。 ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。 数カ月経って、ユダは嫁のタマルが何者か男と関係をもって妊娠したということを知らされた。 ユダは激しく怒って言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」 ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルは義父のユダに使いをやって言った。「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」 ユダは調べて言った。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を三男に与えなかったからだ。」(創世記三十八章より) この章は、ほとんどの人にとって読んで心の休まるとか励まされると感じる箇所ではないだろうと思われる。ここに現れるのは、世継ぎという重要なことにおいて、結婚したのに人為的に子供をつくらないようにした次男、そして、やはり重要なことにおいて約束を破ったユダ、そのユダはさらに、道端で出会った女が娼婦だとおもって、その娼婦と交わった。これは非常に罪深いことである。 しかし、ここではタマルの真剣な、そして大胆な行動が特に目を引く。ここに書かれているようなことをすれば、彼女の希望通りにいかないことは十分にあり得ることであった。彼女は、もはや自分には夫が与えられないと知ったとき、じっと手をこまねいて悲しんだり、憎んだりしてはいなかった。普通ならこのいずれかになるだろう。 彼女は、全く異なる方法、だれもが考えることもしないようなことを考え出した。それは、神殿娼婦のようになってユダを誘い込むことであった。 タマルはもしも失敗したら、自分は焼殺される、または致命的な悪評がたって、生きていけなくなるのいずれかとなってしまう。万一そのようになってもタマルは構わないと考えたようである。 ユダは、嫁のタマルに、三男が成人するまで、自分の実家(両親のところ)に帰っていなさいと言って、三男が成人すればタマルをその妻にする予定を告げていたにもかかわらず、その約束を守らずに放置しておいた。タマルは、三男が成人するまでの何年もの間、待ち続けたが全く顧みられなかった。それでは自分はこのままくち果てていくしかないと思った。現代なら、言葉で抗議するであろうが、このような古代においては、出された嫁が義父に対して約束不履行だといって抗議することなどできないことであったと考えられる。 それゆえ、タマルはこのまま老齢化して、子供をつくれずに空しく死んでいき、神から託されたものを受け継ぐことなしに死んでしまうのか、それともすべてをかけて子供を得るために自分に与えられた機会を用いようとするのかの二者択一に迫られた。そしてタマルは後者を決断したのである。 こうした、必死の思いというのはかなえられる。この旧約聖書に記されていることは、三千数百年も昔のはるかな古代のことであり、タマルがとった手段そのものはもちろん現代にはとてもあてはまるものではない。しかし、なぜ聖書はこのような記事をあえて載せているのであろうか。 それは、タマルのように真剣にすべてをかけて求めるその心の激しさを、私たちに示しているのが感じられる。主イエスも、求めよ、さらば与えられる、と約束された。神の国を求める熱心が現代のキリスト者に最も求められていることである。 このタマルの例だけでなく、旧約聖書には、ラハブとハンナという二人の女性の例がある。いずれも今から三〇〇〇年以上昔の人であるが、その真剣な願いが主によって聞かれたのである。 ラハブは遊女であったが、神の僕であったヨシュアの率いるイスラエルの人たちが自分の町に入ってくることを知って、命がけで彼らを守ったのである。その町の人たちはすでに、モーセに率いられた人々が、彼らの信じる神の力によって、大国エジプトの軍の攻撃に対して、葦の海の水を干上がらせて軍を滅ぼし、民を導いたことなどを聞いて知っていた。 しかし、ヨシュアや彼とともに進んでくる民に敵対し、彼らの信じる唯一の神を信じようとしなかった。そのようなかたくなな民族のうちにあって不思議なことであるが、遊女という卑しめられた立場にあった一人の女が、ヨシュアやその人々の信じる神を信じたのであった。そして失敗すれば自分が殺されるという危険をも顧みず、神につく選択をしたのであった。そのことが、神の大いなる祝福を受けて、キリストの先祖の一人となったのである。 まず、神の国と神の義を求めよ、という主イエスの言葉は、そのように求めていくとき、どのような困難からも救い出される、死という最大の危険からも救われて永遠の命を与えられるということである。 そしてこのような唯一の神を見出すこと、その神への信仰は、だれもが予想できない人に与えられる、そこに人間の予想をはるかに超えた神のご計画があり、神の御手が働くということも暗示されている。 また、ラハブよりも後の時代に現れたハンナ(*)という女性も重要である。 当時は一夫多妻は許されていたときであり、ハンナの夫は、もう一人の妻を持っていた。その妻は子を生んで、ハンナを見下し、苦しめた。その苦しみと悲しみの中から、ハンナは神の宮に行ったときに、必死になって長時間心を集中して祈り続けた。子供を与えられるのなら、自分のものとせず、神に生涯を捧げる子供にしますと言って神に叫び続けたのである。 そばにいた祭司が酒に酔っているのかとまちがったほどであった。しかし彼女の思いのすべてを神への祈りに注いでいるその真剣さに祭司も彼女を祝福して、そこからハンナは子供を生むことになった。そしてその子供が偉大な預言者サムエルであった。彼の名前が、旧約聖書のサムエル記につけられている。そしてそのサムエルは、イスラエルの最初の王、サウルを王となすべく聖なる香油を注いだ。さらに、サウルが神から退けられた後、ダビデに香油を注いで王としての権威を与える人物となった。(サムエル記上十章、十五章) このようにして、ハンナの悲しみの中からの真剣な祈りは後の歴史においてきわめて重要な人物を生み出していくのにつながっていったのである。 このように、この創世記のタマルやラハブ、そしてハンナという地位が高くもない、ただの女性がその命がけの決断や祈りによって、大いなることが起きるように神はなされた。タマルやラハブのことは、新約聖書の最初の書物である、マタイ福音書の冒頭にその名が記され、この女性たちの意義が歴史に刻まれていることを指し示している。 そしてこのような内容は、現代に生きる私たちにとっても暗示的である。 いかに地位もなく、また見下されている存在であり、とるに足らないと思われる者であっても、真実な祈りやただひとすじに神に求める心があるとき、神はそのような心を覚え、祝福してくださるということである。神の祝福には外見的な力、権力、富などは何の関わりもない。主イエスの、「貧しき者、悲しむ者は幸いだ!」という言葉の意味が、こうしたタマルやハンナの姿を見てもうかがえる。 (*)ハンナとは、「恵む」または「憐れむ」という意味のヘブル語(ハーナン)から作られた人名。これにヤハウエという唯一の神の名の省略形(ヤーとかヨという語になる)が合わさると、ヨ・ハナン「ヤハウエは、恵み(憐れみ)である」という意味になる。ヨハネという名前はこのギリシャ語形。新約聖書に現れるキリストの弟子に、ヨハネがいたことで、世界的にこの名が広く用いられることになった。英語では、ジョン(John)、ドイツ語では、ヨハン(Johann)とかヨハンナ、ヨハンネス、フランス語では、ジャン(Jean)などという人名となって刻まれている。 タマルは命をかけた決断をしたがもしも、証拠となる印章を持っていなかったら、義父によって処刑されていたのであった。そのようなユダ自身、大きい罪を犯しているのがこの三十八章だけでもわかる。 しかし、彼は自分で、焼き殺せとまで命じた女が、自分よりも正しいと率直に認めたところに、救いがあった。多くの人の前で、自分が恥ずべきことをしたのが、さらけ出される。ふつうなら、自分はそんなことをしていないともみ消したり、あるいは、その印章は、自分が落としたのだとかいって罪を認めなかったら、ユダはのちに書かれたようには決してならなかったであろう。 犯した罪を認めること、それがきわめて重要であるということが、創世記のこうした記述のなかにも示されている。 ユダについては、つぎに現れる内容は、弟ヨセフとの関連である。 ヨセフがエジプトに売られていった後に、さまざまの不思議ないきさつを通り、神の守りと祝福によってエジプトの王に次ぐ総理大臣といったような高い地位につくことになった。そしてヤコブや子供たちは飢饉で苦しみ、そのためにカナン(今のパレスチナ地方)の地から エジプトまで行って食物を購入に出た。そのときにかつて自分たちが売り渡して、父のヤコブは死んだと偽っていた弟のヨセフがエジプトの最高権力者となっているのを知らずに、出会った。そのとき、ヨセフは兄たちが昔のように兄弟を売り渡したりするような心を持っていないかどうか、正しい人間になっているかどうかを試すために、計画をたて、ヤコブの末っ子のベニヤミンを連れてくるようにと命じた。そうでなければ、再び会うことを許さないとして、カナンに帰した。 ヤコブの息子たちはエジプトから持ち帰った穀物を食べ尽くしたとき、どうしても再びエジプトに行って、穀物を購入しなければならなくなった。しかし、それには、ヨセフが命じたように、末っ子のベニヤミンを連れて行くのでなかったら、穀物を再び購入もできないのである。そのとき、ユダは父のヤコブが、非常に苦しみ悲しむのを見てこう言った。 あのベニヤミンのことは私が保証します。その責任を私に負わせて下さい。もし、あの子をお父さんのもとに連れ帰ることができなかったら、私が生涯その罪を負い続けます。 こう言って、父親を慰め、多くの兄弟がいたが自らが全責任を持つからと、ベニヤミンを連れてエジプトに出発することになった。 エジプトに着いて穀物を多く持って帰途についたが、思いがけずベニヤミンの袋のなかに、宰相ヨセフの使っている銀の杯が見つかり、盗みだと疑われた。ただちに引き返して尋問されることになった。 そのとき、兄弟たちの中からユダが深い悲しみをたたえて宰相のヨセフに言った。 「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」(創世記四十四・16) この言葉のなかに、かつて自分たちが兄弟であるヨセフを殺そうとし、売り渡すことまでしたこと、そして父にはヨセフが野獣にかまれて死んだと偽って、おおきな悲しみを与えていたことなど、はるか昔の罪がよみがえり、その罪のゆえにこうした苦しみに会うのだと思い知らされたのである。 ここに、ユダの特質として、罪の認識が示されている。これはたしかに聖書の特徴であって、人間が真実であるかどうかは、自分の罪をどれほど自覚しそれを悔い改めようとしているかにかかっているとの見方が底流にある。 そしてヨセフは、さらに兄弟たちの心を試すために、他のものは帰り、ベニヤミンだけが奴隷となれと命じたのである。 このとき、再びユダは言った、 「…もしこの末っ子のベニヤミンを残して帰れば、父はこの子と深く結びついているから、あまりの衝撃に死んでしまうでしょう。それはわたしどもがそのように追いやったことになるのです。ですからどうかこのベニヤミンの代わりに、私を奴隷として残し、ほかの兄弟たちとベニヤミンを父のもとに帰らせて下さい。どうして私は父のもとに帰れましょうか。父に襲いかかる苦しみを見るに忍びないのです。」(四十四・32〜34より) このように、ユダは全身全霊を注ぎだして宰相となっているヨセフに訴えた。自分が生涯奴隷となってもよい、その代わりどうかベニヤミンを帰らせ、父を苦しめないで下さいと、必死で願うユダの心には、かつての罪のためにこうなったのだと深く自覚している姿がある。 このように、罪を知り、深く悔い改めるという姿を、創世記ではとくに強調しているのがわかる。 ユダはもともとは最初に書いたように、兄弟を売り渡す計画に加わり、また、成人しても嫁のタマルのことで偽り、娼婦と交わるというような罪を犯した人物として描かれている。 それが、このように自らを犠牲として父を守り、父の最愛のベニヤミンをも守ろうとするように変化しているのには驚かされる。こうした深いところでの変化をもたらしたのは、彼の悔い改めにあったのである。 罪を知り、神に向き直ってその罪の赦しを求める心、それは過去のどのような罪をもぬぐうものであると言おうとしているのが分かる。 キリスト教の特質は新約聖書に入り、キリストが来られて完全に現れる。しかし、ここで見たような罪への悔い改めとそこに与えられる祝福ということは、すでに旧約聖書の最初の創世記からこのように記されているのである。 このようなユダの大きい変化があればこそ、創世記の終わりに近いところで、つぎのようにユダが特別に祝福された者といわれている。 ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。あなたの手は敵の首を押さえ 父の子たちはあなたを伏し拝む。 ユダは獅子の子。… 王権はユダから離れず 統治の杖は足の間から離れない。 ついに…、諸国の民は彼に従う。(創世記四九・8〜10より) これは、不思議な驚くべき預言である。これが言われたときから数百年も後に、実際にダビデ王がユダの子孫から現れることになって、多くの周辺の国々がダビデの王権に服することになった。 それだけではない。新約聖書にはこの箇所はキリストをも預言するものだと受け止められている。 ユダ部族から出た獅子、ダビデのひこばえ(*)が勝利を得た…(黙示録五・5) とあり、キリストのことをこの創世記の箇所で「獅子の子」と書かれてあるのを引用してある。 (*)ひこばえとは、切った草木の根や株から出る新しい芽のことで、キリストはダビデの子孫であることを示す言葉。 そしてユダの子孫からキリストが生まれ、たしかにキリストは、王としての権威を持って、霊的に現在も支配されている。ユダというただの人間、大きなあやまちを犯し、罪深い人間であった者が、その罪を知って悔い改めるときには、大きな器として用いられることを示している。 今日の私たちにおいても、神の用いる器となること、それは自分の努力や生まれつきの能力とは異なる神の選びによるが、他方人間の側から見るなら、深い罪の認識とその悔い改めの心、赦しを感謝をもって深く受けとるところに祝福の源泉があると言えよう。 テロとの戦い アメリカの大統領や日本の首相が繰り返し口にする言葉は、テロとの戦いということだ。しかしそもそもテロとは何なのか。(*)個人が爆弾を抱えて人込みのなかにて爆発させるとテロといって、犯人と言われる。 しかし、アメリカの軍隊が攻撃して六〇〇人もの人々を死に至らせたらそれは軍事攻撃という。そして彼らを犯人とは言わない。 こんな奇妙なことはない。テロとの戦いをする、テロをなくすると言いながら、その当事者が相手をはるかに上回るテロをやっているのだからである。 さらに、大規模な戦争となって、国家が大々的に敵国に爆弾を雨のように降らせ、ビルを爆破し、無数の人々を殺傷しても、軍事行動とかいったり、太平洋戦争のときの日本もそうであったように、そうした大規模なテロ行為を国中が喜んだりする。 (*)テロとは何かについては、いろいろの定義や説明が行なわれてきた。 広辞苑では、テロを「暴力或いはその脅威に訴える傾向。暴力主義。」と説明している。 また、大日本百科全書では、次のように説明している。(部分的な抜粋、要約) 「強制の手段として恐怖もしくは暴力を系統的に用いる考え方ないし行動。フランス革命期のジャコバン派の恐怖支配(regime de la terreur)に由来するとされているが、テロリズムの実践は人類史上きわめて古い。 第二次世界大戦のとき、ユダヤ人が、ヒトラーによる命令のために、大量虐殺されたこともテロである。しかし、これら歴史上の例からもわかるように、権力を持つ側が、それに反対する人たちを弾圧するときに行なうテロがあるのに対して、逆に政府や権力者に対してその支配をくつがえそうとして行なうテロがある。テロリズムの語の意義はかならずしも一元的ではない。」 また、欧州連合(EU)は、テロを「一国または複数の国、そしてその機関や国民に対し、それらを威嚇し、国家の政治、経済、社会の構造を深刻に変容させる、あるいは破壊する目的をもって、個人または集団が故意にはたらく攻撃的行為」と定義している。 また、「人命または器物への脅威をもって、政治的意図を達成しようとする行為」と言うように定義されたりもする。 二〇〇一年九月十一日にアメリカの世界貿易センタービルが破壊されたとき、ブッシュ大統領は「これは戦争だ」と言って、その攻撃にはアフガニスタンという国家の後ろ楯があるとし、そこからアフガニスタン攻撃を正当化した。このように、九月十一日の事件の最初から、テロと戦争とは区別をつけることができないものであったのがうかがえる。 ここにあげたような定義に見られるように、政治的意図をもって他者の命を奪おうとするような行為がテロであるなら、戦争こそは、最大のテロである。 テロとの戦いとはテロをなくするための戦いである。それなら、戦争という行為をなくすような働きこそ、テロとの戦いの最大のものとなってくる。 憲法第九条の平和主義は、そうした観点から暴力、武力をもって他国の人間の命を奪うことを永久に放棄するということなのである。それは国家的テロである戦争行為から、どれほど多くの人命が失われ、それをはるかに上回る人々がからだを壊され、家庭も破壊されて苦しみ続けることになったか、そのことを深く受け止めたからこそ、日本人も制定当時、全面的に賛成したのであった。 テロとの戦いと称して軍事力にまかせて相手を攻撃することによっては、テロを誘発しているのと同じである。事実、イラクでのテロが一層激しくなったのは、アメリカが自国の兵が殺されたということで、激しい攻撃をして六百人もの人々の命が奪われたからであった。 テロとは暴力であり、武力であるから、それをなくするのには、武力や暴力を使っていてはなくなるはずがない。こんな当たり前のことが日本の首相や与党には分からないのである。 今回の人質事件にしても、テロをなくすためには自衛隊とかの軍事力では役に立たないだけでなく、逆効果であるからあのように、個別に小さい働きながら地道にやっていこうとしたのであろう。 テロに屈するとは、自衛隊を撤退させることでなく、憎しみを相手に持つことである。テロとは憎しみであり、テロに屈するとは憎しみという感情に屈して相手を憎むようになったとき、テロを一番深いところで押し進めている闇の力に屈してしまったことになる。 テロに屈しないとは、あくまで相手を憎むことなく、従って暴力、武力で復讐しようとせずに話合いで解決しようとすることである。 かつて、黒人差別の激しいとき、マルチン・ルーサー・キング牧師は、クー・クラックス・クランのような、激しいテロ集団の暴力による攻撃に対しても、決して相手に暴力で仕返すことをしないという方針で運動を続けた。 そうした態度を堅持することこそが、テロに勝利することである。 相手のテロに対して復讐すること自体、すでにテロに敗北しているということになる。 こうした基本的なものの考え方は、すでに二千年も前に新約聖書に明確に記されている。 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマの信徒への手紙十二・20〜21) テロという悪に勝つ唯一の道は、暴力や武力でなく、武力以外の善をもって、相手に対処していくことである。 この非現実的と思われるようなことこそ、究極的な対処の道である。アメリカやそれに協力している三十カ国以上の国々はアメリカのまちがった武力による対処を応援するかたちとなったが、それによって一層イラクはテロという暴力が双方で横行する事態となってしまった。それは彼らの考えが間違っているということを示すものである。 キリストは「私の国はこの世のものでない」と言われた。キリスト者の真の祖国は、使徒パウロも言ったように、日本でもアメリカでもなく、天の国である。その国から派遣されたかたちになっているキリスト者は、地上のまちがった方法でなく、いかに地上の人たちに受け入れられなくとも、最も賢明な天の国の方策をつねに指し示すことが求められている。 ことば (180)(キリスト者の)最悪の罪は祈らないことである。キリスト者のなかにも、だれの目にも明らかな罪、言動が一致していない状態を見ることはまことに意外なことであるが、これは祈らない結果であって、祈らないことへの罰である。… 祈りは食物と同様に、新鮮な力と健康の感覚をもたらす。人は飢え渇きを覚えて祈りへと駆り立てられ、祈りによって、戦いのために新たにされ、力が与えられる。精神もからだも常に活ける神を求め叫び続けている。(フォーサイス著(*)「祈りの精神」13、15頁より) ・キリスト者は神を知った者、そしてその神はいっさいのよいことを持っておられるお方。とすればその神に祈り、求めることはごく自然で当然のことになる。 自分のうちなる汚れや罪を清める力もまた神が持っておられるし、神もそのことを願っておられるのだとしたら、その神に求めようともせず、自然のままの悪に心をゆだねていることはたしかに、キリスト者がなおも犯していく罪、悪の源だと言えよう。そこから不和や愛の欠如、正しい感覚がなくなること、この世の快楽や娯楽に負けることにもつながっていくといえよう。 祈りによって私たちはたしかに心が清められ、それによってからだも力づけられることをしばしば経験する。祈りがなければ心もよどんだままであり、人間的なものに惹かれやすくなる。 人間とは心身ともにその深いところで神に向かい、神からの力を受けようとしている存在と言える。 (*)一八四八年イギリス生まれ。牧師、神学者。ここに引用した書は、一九一六年にイギリスで発行され、一九三三年に日本でも翻訳が出版されている。彼の記念碑には、彼の十字架信仰を記念して、「十字架によって光へ」(Per Crucem Ad Lucem)と記されているという。 (181)この世界におけるただ一切の善き事だけを報道して、悪だの、くだらぬ事柄には見むきもしないというような新聞なり、評論誌なりを、われわれは持つべきである。それを読めば、この世には一体どれほど多くの善事がなされており、特に最初は邪悪だったものが善に転じたり、善に仕えるようになるものがどれほど多いかも、はじめて分るであろう。 「神は、神を愛する者たちとともに働いて、万事を益となるようにして下さる」(ローマ人への手紙八の二八)。これこそ、正しく、しかも永続的な楽観主義である。このようなことを、われわれは生涯において、それが単なる「偶然」とは思われないほど、たびたび経験するものである。(ヒルティ著・眠れぬ夜のために下 四月二十日の項より ) ・このような新聞とかはごく小さな規模のものでしか存在できないであろうが、キリスト教関係のさまざまの印刷物は本来はそのようなものを目指して作られ、発行されていると言えるだろう。このことは、また私たち一人一人が、たえず「善きこと、美しいこと」に目を留め、悪しきことに直面してもそこに神の御手が触れて、それが転じて善きになると信じること、そしてそのようにする神の御手を見つめていることの重要さを示している。 悪を見つめてばかりいたら私たち自身もいつのまにか悪に呑み込まれてしまい、染まっていくであろう。 すべてを転じて善きに変える神の御手を思っているなら、実際にそのように悪いことやよくないことが転じて善きに変えられていくのを見ることができる。またはそのようになることを信じて待つようになる。 聖書はそうした意味で、最善の書であり、聖書に書かれている人間の罪や悪も最終的には滅ぼされ、善きことに変えられていくことを克明に記してある書である。 そうした本当の楽観的な見方へと指し示すように、そしてつねに清いこと、良いこと、美しいことを発信する情報源として、青く澄んだ空、夜空の星の輝き、野草などはその単純な美しさを人間に向けている。 (182)われらはこの世の旅路の途上で ただ休むように生まれてはいない。… (この世的な)安らぎに心をだまされてはならない、 この世での真の安らぎはただ一つ、 大いなる目標への確信にある。 願うのは、ただ勇者の力が与えられることだけです。 地上では敵のさなかにあって 困難な働きにおいて戦いをさせてください。 天上の救われた人びとの家に行ってから、 私は平和のナツメヤシの枝をかざしたい。(ヒルティ著 眠れぬ夜のために上 三月二十五日の項より。) ・人間はたえず娯楽などの安楽を求める。しかし、この地上ではそうした安楽に身をゆだねていたら滅びへと向かっていくであろう。私たちの安らぎは、信仰のうちにある。神の国に導かれているということ、神の国のためのはたらきに召されているという確信のうちに憩いがある。 私たちの願いは、それゆえに困難から逃れて安らぎを得ようとすることでなく、そうした困難に向かう力であり、この世の力と闘うことが私たちの地上のつとめなのである。 そしてそのような歩みのなかにこそ、主イエスが約束された、「主の平安」が与えられるし、さらに神を信じる者には必ず究極的な平和がある。それは地上の生活を終えて天の国に帰ったとき。そのときこそ「主の平和」を心かぎり喜ぼう。 休憩室 ○植物のすがたと人間 春は花や樹木、野草の季節です。だれもがそれらがいっせいに芽を出し、花を咲かせる姿に接します。それらは単に自分自身のために咲いているのでなく、また私たちの心の世界、精神の世界や霊的なことをも暗示するものです。 初々しい新緑のすがたは、私たちに常にいのちの世界を知らせてくれます。枯れたようになっていた木がめざましく芽を出して(*)、生き返ったような姿となるのです。それは復活のいのちを私たちに告げている姿でもあります。キリスト教で最も重要な復活ということを、春の樹木、野草たちは私たちに告げているし証ししていると言えます。 また、花を咲かせること、その後で実を結ぶことも聖書に出てきます。 …わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである。わたしは…露のようになる。 彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張り…(ホセア書十四・4〜5) これは、私たちが罪を知り、悔い改めるとき、神の愛と恵みは露のように注がれ、それによって私たちは花咲き、根を張るようになる、ということです。人間がその内面において花のようになるためには、心の方向転換が基礎にあるということなのです。 花の後に実がなります。その実はよき影響を世界に及ぼすシンボルだと言われています。 …後になれば、ヤコブは根をはり、イスラエルは芽を出して花咲き、その実を全世界に満たす。(イザヤ書二十七・6) 私たちも実をつけるとは、自分だけの幸福を求めるのでなく、神によって花開いたものは、他者にも何らかのよきものを提供できる存在と変えられるということです。 …荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。(イザヤ書三十五・1〜2) ここでは、神の祝福を受けた魂は花を咲かせる、それは喜びの花であると言われています。しかも、砂漠に花咲くといわれているように、もともと何のうるおいもなかった荒れ果てたところであっても、ひとたび神のいのちの水を受けるときには、喜びの花を咲かせるというのです。花は、主にあっての喜びを象徴しているといえます。 以上のように、植物のすがた、花などはすべて霊の芽を開いて見るのなら、多くの霊的な暗示に満ちているのがわかるのです。 (*)聖書にも、神が選んだ者の杖は枯れたものであったのに、御手が触れることによって「芽を出して、つぼみをつけ、花を咲かせて実をつけた」と記されています。 (民数記十七・20〜23) ○いつくしみ深き 讃美歌のうちで最も多く歌われてきたのは、おそらく「いつくしみ深き」(讃美歌312番)でありましょう。それは日曜日ごとの礼拝や夜の家庭集会、あるいはキャンプとか聖書講習会、さらに結婚式や葬儀や記念会(死後1年目とかに行なわれる召された人を記念する会)などにも用いられます。厳粛な礼拝から野外の集会や葬儀、結婚と性格の異なる集会においても、すべて使うことができる讃美というのはそう多くありません。 それは、友となってくださる主イエス、罪赦してくださるイエスのことをだれの心に入るようなわかりやすい言葉とメロディーで歌っているからだとおもいます。 この曲は、「星の界(よ)」という題名で、一九一〇年四月、「中学唱歌」に発表されて以来、今日まで九〇年以上にわたって親しまれてきたものです。 月なき み空に きらめく光 ああその星影 希望のすがた 人智は果てなし 無窮の遠(おち)に いざその星影 きわめも行かん 百年近く前の言葉なので、わかりにくいところもありますが、讃美歌で最も日本で親しまれている曲が、同時に星を歌った唱歌として広く歌われてきたのも、神の導きのひとつのような気がします。 ○春の代表的な野草としては、ほかにいろいろ美しいものもありますが、高山や海岸などとか特殊なところでなく、まれにしかないものでもなく、生活している場の近くで見られるものとしては、やはりスミレがあげられると思います。 それゆえに、芭蕉も「山路来て なにやらゆかし すみれ草」と詠んだのであり、この句がとくに有名なのも、スミレそれ自体が多くの心を惹くものであり、その心をこの句が適切に表現していると受け止められてきたのだと思います。 最近では、スミレの見つかるような山路もだんだん少なくなり、スミレそのものもなかなか見つからなくなっています。 しかし、私たちの心がスミレを創造された神と結びつくとき、この世の生活が「山路」を歩むことであり、いかに問題が多いこの世であっても、そこに「なにやらゆかし」と感じるような出来事に出会うものです。 聖書のなかで、使徒パウロが、「つねに喜べ、感謝をせよ」と勧めているのも、こうした経験があるからだと思われます。 返舟だより ○南アフリカに帰った、メギィ・マルレケさんから、メールが届きました。彼女は、お別れ会のときに、今後も私たち徳島聖書キリスト集会のことを覚えて祈りますと言われましたが、その後も私たちを覚え、祈りを続けておられることを書いてこられました。訳はなるべく日本語として普通の表現にしてあります。原文を添えてありますから、メギさんのニュアンスを汲み取ることができると思います。 ------------------------ こんにちは、先生! メギィです。私は、無事祖国に着き、私の家族たちも守られていてよき状態です。私は、先生と、奥さんと、集会全体のことを忘れてはいません。私はみなさん方の暖かい歓迎と、善意についてこちらで語ることを止めることができませんでした。 私は、私たちがどこかでなんらかの形で会うという感じがしています。でもそれがどこで、またどのようにしてなのかは分かりません。神だけが、私たちが再会するための適切な時をご存じです。 あなたの奥さんと集会の人たちに、よろしく伝えて下さい。そして、私が約束を今もなお守っていて、あなた方集会の人たちのために祈っていると伝えて下さい。 私はみなさんを愛しています。それは、みなさんが、私の皮膚の色に関わりなく、愛して下さったからです。 善き神が、あなた方と、あなた方の手のわざを豊かに祝福して下さいますように。そしてあなた方の健康を守って下さいますように。私はみなさんがとても私によくして下さったので、忘れることができません。言葉ではよく表せないのですが、あなた方は確かに私の人生にとってひとつの祝福となっています。 メギィ ************************* Hello Pastor! Maggie desu, I arrived well and safely at home and my family is happy and fine. I did not forget about you, your wife and the whole congregation. I could not stop talking about your warm welcome and the goodness you showed us. I still have the feeling that we will meet somewhere somehow but I do not know where and how only God knows the right time for us. Say hello to your wife and the church and tell them I am still keeping the promise, I am praying for the church and I love them all for you have shown your love regardless of my colour. May the good God richly bless you, the works of your hands and keep you in good health, I miss you people you have been so good to me I do not know how to explain it but it is true you are really a blessing in my life. Maggie ○つぎは関東地方の方から、インタ−ネットで寄せられた感想です。 聖書における「仕える」意味…「はこ舟」を1回目読んだときはまだよくわからなかったです。テープ(*)が送られてきて、コロサイ書の箇所を聴いていたところ、この「仕える」意味について講話の中で解き明かしがありました。これを聴いて理解することが出来ました。もう一度はこ舟に帰って読んでみたところ、今度はよくわかりました。 「仕える」とは、相手にとって最もよきものを提供する心。また憎しみの対象となってしまった人に対しても、その人に善きものが与えられるように祈ること。 ただ一時的な憎しみの対象に対してはすぐにこのような気持ちに切り替えることが出来るのですが、数十年の憎しみの対象に対してはなかなか簡単にはいきません。いくら頭でそう思おうとしても、心の隅に必ず黒い点があるのを私は否定することが出来ません。主よ、お赦し下さい。どうぞ少しずつでも結構ですから、私の中のこの黒い点を小さくして下さい。 聖書は自分勝手に解釈してはいけないことを痛感しました。また、はこ舟とその月の講話は密接につながっているのだということが今年の元日礼拝以後やっとわかりました。 (*)「テープ」とあるのは、私たちの日曜日の主日礼拝と火曜日夜の夕拝のテープを定期的に購入して聞いておられることを指しています。もう八年ほど前から、希望者には、日曜日と火曜日の礼拝テープを郵送しています。一カ月では、約8〜10本となり、その他に、綱野 悦子さんが主として視覚障害者のために作成している毎月一回発行の「アシュレー」というテープも希望される方もおられます。費用はテープを聞いたあと返送する場合と、送られてくるテープを購入する場合とに分かれます。返送するときには、送料として一カ月五百円、テープを購入する場合は、テープ代金と送料共で一カ月千五百円程度です。 ○最近の世界及び国内の動きに目を向けるとき、魂の救いの重要性と共に、救いにあずかった者として歴史に責任を負わされているという意識を強く持たされます。 その意味で、先月号の「日露戦争百年」と今月の「教育基本法改定のこと」というメッセージは深く考えさせられました。(中部地方の方) ○年を寄せて、あまり聖書も簡単に読めなくなりましたが、吉村様の文章で若い頃に読んでいた箇所が頭によみがえってきて、親しみを覚えています。 そして全文を読み終わって、「休憩室」のところへ来ると、花とか小鳥などの何気ないありさまが心に満ちてきて喜ばしくなって参ります。 近頃の私は、ほとんど聞こえなくなって、どこへ行っても耳が一番辛い不自由さに、時々やり場のないのをどうすることもありません。でも、耐えていきます。私のためにお祈りお願いします。(四国の方) ・この方は、耳がだんだんと聞こえなくなり、今では、ほとんど聞こえないために、人間の交わりのなかに入っていくことが苦痛となり、老齢とも重なって一人でいなければならない状況のようです。テレビやラジオ、美しい音楽など一切を味わうことができないため、また人間との会話もできないため、心が沈みがちとなっています。一般の人は、人生の途中で耳が聞こえなくなるということが、どんなことか、ほとんど考えたこともない人が多いと思います。盲人は出歩くことや室内での動作などきわめて不便、不自由になりますが、人のなかに入っていきますと、目が見えないことを忘れるほどに自由に心おきなく話ができます。しかし、聴覚障害者は、人の中に入っていくことが著しい苦痛となるのです。 こうした孤独な戦いを日々背負わされている人にとって、ただ神とキリストだけは、心おきなく語り合える相手だと言えます。 ○十年の歩み この四月で、私が教員を退職して、み言葉を伝えるための働きのための生活を始めてからちょうど十年になります。この間、とくに徳島聖書キリスト集会に集う人たちから絶えざる祈りと支えをいただき、また県外においても、集会の有志が「福音の種まき会」というかたちで支えて下さるということもあり、また、この「はこ舟」誌の読者の方々も私の働きを覚え、祈りやはこ舟協力費という形でともに歩んで下さったことを思います。 日曜日ごとの集会、ほかの日の各地での家庭集会、県外での集会などそうしたいろいろの場でみ言葉を語ることが継続できたのは、ひとえに神の導き、そしてそうした多くの方々の祈りと支えによるものでした。 今後とも、このキリスト教の真理が伝えられ、かつて私もそうであったように、真の光がわからずに苦しみのさなかにある人たち、病や孤独にある人たちのところに、神の言葉がとどくよう、そして罪の赦しを与えられ、救いを実感することができますようにと願っています。 そしてそのために、いままでもそうであったように、共に福音のために歩んで下さいますようにと祈り、願っています。 |
2004/4 |
常に流れているもの 2004/3 早朝、小さな谷の流れのそばを歩いた。雨は最近ほとんど降っていない。しかし、清い水のせせらぎが響く。この水は、ずっと以前に降った雨が、山の土の深いところにまで入り、長い時間をかけて地中をとおり、この谷川に流れてきた。そしてつねにほとんど一定の水が日夜を分かたずに静かに流れている。 こうした水の流れは神の国よりながれる命の水を思い起こさせてくれた。それはいつも変ることなく、この世の深いところを通って流れ続けている。 この世に何事が生じようとも、霊的な深みを流れるこのいのちの水は、絶えることがない。 谷川の水、かつて私が若い日、山によく出掛けていたときにはそこに口をつけて飲んだものであった。しかし現在ではいろいろの汚れがあって安心して飲めなくなっている。 しかし、御国から流れる命の水は、いかなる時代の変化にもかかわらず、よごされることなく流れ続けている。そしてだれでもそれを口をつけて飲むことができるようになっている。 「さあ、かわいている者はみな水にきたれ!」(イザヤ書55章) 祈りを欠くとき 聖書の最初の人物であるアダムとかエバは祈ったとは記されていません。アダムはエバが与えられたとき、本当の助け手が与えられたとして喜んだと記されていますが、神への感謝を捧げたということはなかったのです。 また、エバにおいても、ヘビの誘惑に出会って神の戒めを破ってしまったこと、アダムにも罪を犯させたことに対して、神からその罪を指摘されたにもかかわらず、なおも自分を正当化しようとしました。そして神にその罪の赦しを願ったことも記されていません。 そしてエデンの園から追放されたときにも何らの神への祈りもなかったのです。 また、箱船で有名なノアは、当時の人たちがみんな悪に染まり、真実に背き続けて改めようとしないために、神の大いなる裁きがなされようとしたとき、ただノアだけはその神への従順のゆえに救われたのです。 そしてノアはその大洪水が長い間かかってようやく引いたとき、最初に舟から出てしたことは、周囲の見知らぬ光景に驚いて歩き回ったりすることでなく、神への感謝の祈りを捧げたということでした。 このように神に従い続けたノアでしたが、生活が安定しぶどうの栽培もして安楽に暮らせるようになってから、ぶどう酒に酔って裸で寝てしまうというようなことも生じました。 これは、安楽な生活が続いて祈りを忘れたからだと思われます。 同様なことは、ダビデにも見られます。旧約聖書の詩編は、後世の讃美歌、聖歌などの源流となり、きわめて重要なものとなりましたが、その詩編は多くはダビデの詩に由来すると言われています。そして当時の王から命をねらわれて迫害されつつも、武力でもって復讐しようとはせず、神に必死で祈り続け、神からの助けを受けて生き、のちにその神への忠実が祝福されて王となったのです。しかしそのようなダビデですら、王となって周囲の国々を平定し、支配を十分にするようになって、はなはだしい罪を犯してしまいました。それは後々まで取り返しのつかないような混乱をもたらすことになりました。 これも祈りがなくなったからだと思われます。物質的にも地位の上でも安定したものとなると、祈りに切実さがなくなります。そこから祈りそのものも次第になくなっていくことになり、そうしたところに悪の力が入り込んできたわけです。 ここに、神の園から締め出されていく魂が象徴的に記されています。神への祈りを持たなくなったとき、私たちはアダムのように、食べてはいけない木の実を食べようとする傾向を生じがちです。 他者のために祈るとは霊を注ぎだすことであり、そのためには神からの霊を受けていなければできないことです。そのために主イエスもまず神を愛し、隣人を愛せよと言われたのです。それは、まず神に祈り、神からの霊と力そしてみ言葉を受けて、その後に隣人のために祈れ、ということでもあります。 祈りを怠るところから、魂はさまよい始めるのです。 復活の重要性について 四月十一日はイースター(*)(復活祭、復活節)です。クリスマスと並んでキリスト教では最も重要な記念日(祝日)です。イースターは毎年固定した日でなく、「春分の日の後の最初の満月の後に来る日曜日」と定められているので、毎年変わっています。 クリスマスはキリストの家畜小屋での誕生や一般的にも誕生祝いというのは受け入れられやすいこと、またサンタクロースやクリスマスツリー、ケーキ、あるいはクリスマスプレゼントということで広く知られています。 しかし、キリスト教信仰にとってはクリスマスよりずっと重要な復活を記念するイースターのことは一般の人にとってはほとんどなじみがないという状態です。 復活ということがいかに重要であるかは、キリスト教の伝道そのものが、キリストの復活がなかったら行われなかったと考えられることからもわかります。 キリストの教えや奇跡をいくら目で見て体験しても、キリストが捕らわれるときにはみんな逃げてしまったり、一番の弟子であったはずのペテロすら、キリストの弟子でもなんでもないと、固く誓ってしまい、その後も逮捕をおそれて家にて潜んでいた、などからもわかります。 また、イエスの誕生は二つの福音書だけにしか書いてありませんが、復活はすべての福音書、使徒言行録、パウロの書簡など聖書のほとんどどの部分にも記されているのです。 弟子たちの最初のキリスト教伝道のときに語った内容は、「イエスは復活した」という単純な証言であったほどです。 このような重要性のゆえに、私たちもまた復活についてはつねに思いを新たにして学ぶ必要があると思われます。 復活とは死んだものが生き返ること、さらにキリストのように完全なものにされることです。さらに、罪のため死んだ状態といえる人間が罪の赦しを体験し、そこから新しく生まれ変わることをも復活と言われています。 死んだ者が生き返る、そんなことはあり得ない、と一蹴してしまうのがおそらく大多数の人の考えではないかと思います。 復活がないならどういうことになるかを考えてみます。そのときには、死んだらそれで終わりであり、人間とは年齢とともに体はあちこち故障ができて、ますます不完全になり、病気になり、体も精神も衰え、最後に滅んでしまうということになります。 しかし、もし復活があれば、どのような事態になっても希望はあり、闇は決して光に勝つことはできません。復活があるかないかで全くこの世に生きるということは違った世界になります。 復活がなく、死んですべてが終わるのなら、この世のあらゆる善いもの、美しいもの、愛のようなものも最終的にはみんな消えていくのです。それは希望が絶えることであり、すなわち絶望です。 また、キリスト教でいう復活とは単に弱さに満ちた肉体の命よきもや汚れたままの人間の心がそのままよみがえるのでなく、清く、永遠的なもの、神のような存在によみがえるということです。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる。(フィリピの信徒への手紙三・21) ですから、復活があるというとき、永遠に滅びない真実や愛、清さや正義があるということは前提となっています。それは当然のことで、自然に復活するのでなく、神が復活させて下さるのであり、そのような力を持つ神は当然永遠に存在するお方であり、究極的な愛や真実、あるいは正義といったあらゆる善きものを持っておられる方であることが根本にあります。 最も大切なもの、それは永遠的なものです。ですから神が持っておられるような愛や真実、正義といったものがこの世で最も大切なものとなります。そうしたものをはぐくむことが最も重要な仕事になり、それを破壊しようとすることは、永遠の秩序に背くことであり、神からの裁きを受けてそこには祝福もなく平安もなくなるのです。 このことは、神の存在を信じない人でも、自分の心や周囲の人間を見ればだいたいわかることです。心に愛や真実に反対の憎しみや怒り、あるいは他人への中傷などをいつも持っていればそうした人の表情は曇り、目にもまた、その声にもある種の濁りが生じているのを感じることができます。 だからこそ、人を憎んだり、傷つけたり、その最もひどい形である命を奪うということが悪であり、決してしてはならないことになるのです。 なぜ人を殺したらいけないのか、ということに答えられない教師がいるといいます。もし、復活があり得ないで、すべては死んで消えていくのなら、殺すというような悪も、清い心もみんな最後は消えて同じになるのなら、少しはやく命を断っても同じということになってしまいます。 天才的数学者で物理学者であった、パスカル(*)は復活があるかないかで、人間の生き方にも決定的な違いをもたらすことをつぎのように書き記しています。 魂が死すべきものであるか、死なないものであるかを知るのは、全生涯にかかわることである。 魂が死すべきものであるか、死なないものであるかということが、道徳に完全な違いを与えるはずであるのは疑う余地がない。 どんな理由で、彼らは、人は復活できないというのか。生れることと、復活することと、かつてなかったものが存在するようになることと、かつて存在したもょが再び存在することと、どちらがいっそう困難なのか。存在し始めることのほうが、再び存在することよりも困難なのかどうか。(「パンセ」218〜222より)(**) (*)一六二三年〜一六六二年。フランスの科学者,宗教思想家,文学者。16歳で、すでに数学者の仲間入りし、19歳で計算機を史上初めて考案した。23歳のときに今日「パスカルの原理」として学校でも教えられ、広く知られている物理学の法則を見いだしたという天才であった。 (**)パンセとは、フランス語で「思想」という意味の語。これは「考える」(penser パンセ)というフランス語の動詞の名詞形。 聖書においては、単に肉体が死んでも魂は残るとは言われていません。悪人も善人も同様に、死んだら魂が同じように残るといったことではないのです。悪事を重ね、悔い改めることもなくして死んでいった人、それは主イエスの言葉でいえば、「ぶどうの枝から切り取られて捨てられて焼かれる」というように表現されています。さきほど述べたように、悪をいつも心に抱いていればその人そのものからそうした善きものが焼かれて、よどんだ雰囲気が出てくることはそのような裁きを暗示するものです。 これは究極的な真実なものに意図的に逆らい続けていった人間の本質(魂)は、裁かれ滅んでいくということであり、逆にそのような真実な存在(神)に心を向け、犯した罪をも悔い改めて神に従おうとする人間の本質(魂)は、生きているうちからすでに永遠的なものに変えられる、そして肉体の死後もキリストに似たものに変えられるということなのです。 イエスは彼女に言われた、「わたしがよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。(ヨハネ福音書十一・25〜26) 復活については、主イエスの生きていた当時も、世の終わりには復活がある、と一部の人々は信じていたことが聖書にも書かれています。 しかし、このように、世の終わりに初めて復活があるのではなく、イエスを信じたときからすでに復活したのだと言われているのです。 人間とは、心にどうしても真実な思いや相手への本当の愛を持てずに自分中心に考えたり行動してしまうということでもわかるように、霊的に深くみると死んだも同然だと言えるのです。 新約聖書に表れる最大の使徒パウロには、自分は死んだもの同然だという強い意識があります。 …善を行おうとする自分にいつも悪がつきまとっている。 …善きことをなそうとする意志はあっても、それを実行する力がない… わたしはなんと惨めな人間なのか。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるのか。(ローマの信徒への手紙七・18〜24より) こうした記述をだれが自分とは縁のないものだと言えるでしょうか。 「自分は正しいことができているし、悪がつきまとってなどいない、人からもたいてい好かれている。生き生きと毎日生きている… 」などと思う人もいると思われます。 しかし、そうした人であっても自分に敵対する人のために心から愛の心をもって対することができるだろうか。非行少年やわるい道に落ち込んだ人、自分の子供や家族にひどい害悪を与えたような人を好意をもって見つめることができるだろうか。 また、日本では食物を贅沢に食べ散らしているが、現在も飢えて死に瀕している世界の無数の人が目の前に置かれるとしたら、そうした生活の不正はすぐに感じられると思います。 あるいは、会社や職場で、正しいことが行われていないのを知って果たしてそれをはっきりとその悪を止めるように言えるだろうか。 こうしたことはきりがないほどあります。このように考えればすぐにわかるように、人間の正しさとか自然の愛などというものは、影のようなもので、実態がなく、不正や冷たさで満ちているのです。こうした状況をキリストやキリストの霊を受けた人たちは何人にも増して鋭く見抜いていました。だからこそ、人間の自然な状態は死にたとえられているのです。 …死はすべての人に及んだ。すべての人が罪を犯したからである。(ローマ五・12より) …自分自身を死者のなかから生き返った者として神にささげ…(同六・13より) あなた方は以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのである。(エペソ信徒への手紙二・1) このように死んでいた自分を救い出し、憐れんで下さって新しい命に生きるようにして下さったというのが、本当のキリスト者たちの共通の実感だと言えます。それは教えられてわかることでなく、そのように魂の深いところで感じることなのです。このようにして、肉体の死後の復活ということが、すでに地上に生きている間からその前味ともいうべきかたちで体得させて下さっています。 こうしたきわめて重要な意味を持っているからこそ、使徒パウロは、キリストが私たちの罪のために十字架で死んで下さったことと共に、復活を最も大切なこととして伝えたと言っているのです。(Tコリント十五・3〜4) 復活には「信仰と希望と愛」が固く結びついています。 信仰というのは、まずこのことは信じることから深い意味が示されていくことで、目で見てから受け入れるということではいつまで経ってもわからないままになるということです。 そして希望というのは、復活があるからこそ、どんな事態になっても私たちは希望を持ち続けることができるのです。死んでも終わりでなく、死とともに完全な復活へと変えられると信じることができます。 さらに、愛というのは、死ですらも私たちを呑み込んでしまわないようにして下さったということであり、それは、神の私たちに対する深い愛の表れなのです。 復活は、信仰と希望と愛という最も重要な三つのことの結晶だと言えます。 こころのうた 詩とは心に吹いてきた霊の風、あるいは心からあふれる水を言葉にしたもの。キリスト者の詩は神の国からの風をいわば他の人にも聞こえる音にしたものと言えます。ここには、私たちの徳島聖書キリスト集会に参加している方二名の詩をあげて短いコメントを付けました。そのうち、貝出さんの詩はここに収めたのとは別の詩が無教会の全国集会において、自作の詩と曲を歌って参加者の心に残されたこともありました。伊丹さんの詩は、「美研インターナショナル社」から発売された単行本に収められたものです。(なお、○を付けた短いコメントは編者吉村のものです。) 時 貝出 久美子 祈っても 祈っても 全く変わらないと 思えるときでも 静かに 静かに 神様の時は 満ちている ○神は私たちの考えや祈りを超えて、その御計画をなされている、これは私たちのキリスト教信仰の根本にあるべきことです。隣人を愛せよ、真実であれ、といった人間にかかわる教えだけがキリスト教でなく、宇宙全体を御支配なさっている神が、その大きな御計画をはるかな昔から現在にいたり、はるかな未来に向けて、大いなる計画を実現していくその過程なのだと信じることも、キリスト教信仰の重要な部分といえます。 野に咲く花は 野に咲く花は ひとすじに 神の御旨を聴きて咲く 赤と聴けば主のために 白と聴けば主にならい 聖なる清らかな白に咲く 青と聴いた花たちは 天を仰いで祈りつつ 空ほど深い青に咲く (詩集 「灯火のひとしずく」より) ○自然のたたずまいが私たちの心を惹くのはそれが神の御心のままに生き、また、御心のままになされているからです。神の真実や美しさ、清さ、力などが直接的に反映されているのが山や渓谷、大海原やその波、また野草や樹木などです。小鳥や犬、ネコのような動物もそれらの純真さのゆえにしばしば人間以上に私たちの心を慰めることがあるのも同様です。 ************************************* 新しい歌 伊丹 悦子 私はしに歌を歌います。 主が私を豊かにあしらわれたゆえ。(詩編一三・6) 心の絃よ 鳴れ あたなの 指が触れたから 傷んだままで錆びついて 死のうとしていた わたしの心のの竪琴よ 久しく歌うことのなかった絃よ 鳴れ しずかにそっと あなたのみ手が触れたから ふるえて鳴って行け あなたの後を そして歌え 新しい歌を あなたへのほめ歌を そのもろもろの くすしきみわざを (詩集「いつかの空」より) ○自然の世界もそれ自体がしばしば竪琴となって、その音楽を響かせています。風の音、波、小鳥、風にそよぐ木々の音など。さらに星の光、雲の動き、青く澄んだ大空なども沈黙でありながら、そこに天の国の竪琴を響かせているのです。私たちの心もまた、神の御手が触れるとき、ひとつの竪琴となります。古びてしまい音の出なくなったのもあり、また弦が切れてしまったのもあり、あるいはもうかすかな音、響きの濁ったものしか出なくなったのもあるように思います。 主よ、私たち一人一人の魂に触れて下さって、私たちの心がみんな天の国の音楽を奏でる竪琴とならせたまえ! 聖書における「仕える」意味 キリスト教では、人間関係の本当のあり方をどのように記しているのだろうか。それは聖書によって知ることができる。 それはよく知られた「あなたの隣人を愛せよ」という一言に尽きると言えよう。しかし、ここで言われる「愛する」ということは、私たちが日常よくドラマや、会話、あるいは歌とか小説などで耳にする「愛」とは本質的な点で異なっている。 世間で話題になる愛とは、たいてい男女の恋愛のようなものか、親子愛、あるいは友情や自分の好意のもてる相手への気持ちなど、これらに共通しているのは、自分の心に合う相手への自然な感情を指している。だから自分を見下す者とか、差別や敵対する者への愛などはあり得ないということになる。 しかし、キリスト教での愛とはそうしたもともと人間に備わっている感情としての愛でなく、相手に最もよきものを提供する心を指している。だからそのような心は相手を選ばない。自分に好意をもってくれる人にも、また優れた人にもそうした愛は生じる。それはそのようなよき人がさらに善いものを与えられるようにとの心だからである。 さらに、そうした相手に最善のものが与えられるようにとの心は、自分によくないことをする人、間違った道に落ち込んだ人、あるいは敵対してくるような人にも働いてその人に善きものが与えられるようにとの祈りの心となる。 このような心によって人間に対することが愛であり、それを言い換えれば「仕える」ということなのである。 この点ではっきりとした意味がつぎの箇所でうかがえる。それはキリストは何のためにこの地上に来られたのかについての主ご自身の言葉である。 人の子(イエス)がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。(マルコ福音書十・45) このように述べて、キリストの地上の使命は、人々に仕えるためであったと言われている。 しかし、 仕えるために主イエスは来られたといっても人間の言うままに何でもするというのでは決してなかった。かえって必要なときには人々の過ちや罪を厳しく指摘し、それゆえに激しく憎まれたほどであったし、弟子たちにも神の道に反する思いにははっきりと指摘して叱ったこともある。 こうした言葉の使い方から見てわかるのは、この箇所で使われている「仕える」という言葉は、神の愛の表れそのものだということである。 新約聖書で「仕えよ」と言われるときは、最も大切なものを相手に与えるという意味がこめられている。 例えば、主イエスにとっても重要なものはその命であった。それゆえに人間に仕えるために、来られた主イエスは自らの命を十字架にて捧げられたのである。 このように、聖書においては、仕えることと、愛することとが深いところで同一の内容を持っているのである。キリストが私たちのために死んで下さったことは、「仕える」ためであると言われるとともに、つぎのように私たちへの愛のゆえだと言われるのもこうした同一性がわかる。 …しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ローマの信徒への手紙五・8) 以上のような「仕える」という意味を知った上で初めて、人間関係の最も基本的なものといえる夫婦の関係について、聖書では次ぎのように言われている理由がわかる。 …キリストに対するおそれをもって互いに仕え合いなさい。 妻たちよ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。…夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためご自分を与えたように、妻を愛しなさい。(エペソ信徒への手紙五・21〜25より) 人間関係についての基本的な心がまえをパウロはここにあげたエペソ信徒への手紙やコロサイの信徒への手紙などでも具体的に述べている。 まず、社会の最も根本にある夫婦の関係についてである。ここでは、妻に対しては夫に「仕える」ということ、それから、夫に対しては、妻を「愛する」ということが言われている。 しかし、「仕える」というとなにかマイナスのイメージしかないのが現代の状況だといえよう。仕えるということからは、自由がない、いやなことをさせられる、喜びもない、よいことがないというようなことを連想する。しかし、キリスト教において、仕えるということは、決してそのようなマイナスの内容でないのはすでに述べてきたとおりである。 そのことを考えるときに、不可欠であるのが、主イエスのことである。主イエスは、最後の夕食のときに、まず何をされただろうか。それは意外なことに、弟子たちの足を洗うことであった。足を洗うということは、当時は奴隷のする卑しい仕事ということになっていた。それは足は汚れている大地に触れるものであるが、その大地とは死人がいたり、偶像崇拝をする人たちの歩いたところであり、そのようなけがれた大地を直接に触れる足を洗うことは、一番身分の低い者がする仕事とされていたからである。 しかし、そうした奴隷がするようなことをあえて主イエスが最後の夕食をとる直前になさろうとしたから、ペテロはとても驚いた。「私の足など決して洗わないで下さい!」と強い調子で言ったのはそうした意味からであった。しかし、主イエスはもし私が足を洗わなければ、ペテロはイエスとは何の関わりもなくなると、言われた。それは、足を洗うということは汚れ、罪を清めるということであり、もし主イエスが私たちの罪の汚れを洗わないなら、私たちは汚れたままで滅んでしまうということなのである。 こうしたことは、私たちのふつうの人間関係についてもいえる。もし私たちが、自分の利益ばかり考えて行動していたら誰とも深い関わりはできない。相手に対して最もよいことを提供しようと思って行動してはじめて相手との関わりが生れる。真実な深い人間関係は、相手に対して主イエスがなさったように、本当に必要なこと、よいことをなそうとしないかぎり、生れない。相手から利益を得ることだけを考えると人間関係を分断させてしまう。主イエスが十字架にかかってまで私たちの罪の清めのために苦しまれたことは、仕えるということの究極的な姿なのであった。ここでパウロが言っているように、人間になにかをする場合でも、主に仕えるような心で行うことが、祝福の基となる。そのような心を主は見られているからであり、それは主が必ず祝福されるからである。 このように考えてみると、主イエスが言われているような意味において「仕える」ということは、古い道徳などでなく、自分自身のためにも相手のためにも、要するに人間関係において不可欠なこと、最も重要な姿勢であることに気付く。 教育基本法の改定のこと 最近、憲法と教育基本法の改定がよく議論に上るようになった。これは多くの内容を含んでいるが、ここでは、とくに戦前の教育の基本になっていた教育勅語と現在の教育基本法の精神の違い、なぜ、どのようなところを変えようとしているのか、それがなぜ問題なのかを考えてみたい。 教育によって日本人の考え方を変えようというのは、明治以来つねに政府が力を入れてきたところである。実際、戦前は教育勅語という教育の基本方針を作っていた。その教育勅語の冒頭の部分はつぎのように記されている。 朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克く孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々ソノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体の精華ニシテ教育の淵源亦実ニ此処ニ存ス… このような文は現在の多くの人にとっては、意味不明になっていると思われる。これは要するに、教育の淵源(根本)は、天照大神ら神々や歴代天皇によってつくられた日本独自の国柄、あるいは国の成り立ち(「国体」)にある。それがあるから日本人は忠孝に励むなどの美点を持っているのだなどと言おうとしている。 教育の源が歴代の天皇にあり、という考え方から当然のことであるが、天皇が現人神として人間以上の存在として崇められた。しかし、現実には天皇といっても、ただの人間であり、歴史のなかを見ても、戦争などで人を殺すなどさまざまの悪をなしたことが記されている。(*) それゆえ、教育勅語のはじめの部分にある、「皇祖皇宗(こうそ・こうそう)」というのが、天皇の誰を指すのかという議論がいろいろとあって、皇祖というのは、天照大神であるとしても、皇宗とはどの天皇を指しているのかがはっきりしないままに、これが絶対的なもの、永遠的なものとして唱えられてきた。 (*)例えば、有名な大化の改新とは、中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我蝦夷・入鹿の親子を殺して政権を握ったのであるし、十三世紀後半の亀山法皇が伏見天皇の暗殺をはかったりして、大きな混乱が生じて後の持明院統と大覚寺統の皇位争いのもとになったこともあり、またその後の南北朝の天皇をもとにした政権の争いは六十年も続いた。それは北は陸奥から、南は九州にまで及んだ大戦争となり、京都や近畿一帯で戦乱が行われたところでは寺院などだけでなく、何万もの民家も焼かれ、作物も荒廃した。双方の軍による略奪もひどく、白骨や死体が重なるといった状況を呈した。 これに対して、現在の教育基本法は、次のような内容がその冒頭にある。 我等は個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にして、しかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 これが教育基本法の精神となっている。明治の教育勅語の精神と大きく異なるのは、個人の尊厳を重んじること、真理と平和を願いもとめる人間ということが掲げられていることである。 これは、日本が引き起こしてアジアにも数千万の犠牲者を生み出した太平洋戦争への強い反省から生れているのはすぐに理解できる。 戦前の教育勅語では、天皇中心であり、天皇が父親となった国家が第一に重要なのだという考えがあった。そのために、個人の価値の尊いことなどは粉砕されてしまうことも生じた。それが戦争である。 また、教育の根源は天皇中心の国体(国のかたち)にあるということから、学問もその国体のためだとされた。 「わが国のあらゆる学問は、その究極を国体に見いだすと共に、皇運の扶翼をもってその任務とする。…今日の学問においては知らず識らずの間にこの中心を見失うおそれなしとしない。明治天皇の五カ条のご誓文のなかに、 智識ヲ世界ニ求メ 大イニ皇基ヲ振起スヘシ と仰せられているのであって、如何なる学問に従事するものも、常に思をこの根本の目的に致し…」(「國体の本義」118〜119頁) 明治政府は国民を強力に支配する方法としてこのように、天皇を前面に持ち出すことにしたのである。それは現在ですらも一部に残っていて、君が代の強制や公務員などに対してなされている元号(*)の事実上の強制などがそれである。 またさき程引用した文のあとには、教育に関してつぎのような文が続く。 わが国の教育も、また一(いつ)(**)に国体に基づき、国体の顕現を中心とし、肇国(ちょうこく)(***)以来の道にその淵源を有すべきことは、学問の場合と全く同じである。 わが国の教育は明治天皇が「教育ニ関スル勅語」に訓へ給うた如く、一に我が國体に則り、肇國の御精神を奉戴して、皇運を扶翼するをその精神とする。(同121頁) (*)明治、大正、昭和、平成といった一世一元制の元号は天皇を現人神であることを国民の意識のなかに浸透させる目的で、明治になって考え出されたものであって、個人の名前を時間の単位としたのは、世界に例のないものである。 (**)ひとえに、専ら、全く (***)国のはじめ このように、学問も教育も天皇や皇室中心の体制をよくすることが究極的な目的とされ、そのような天皇中心の体制こそが教育の根源なのだとされていたのである。 ここには何かが中心になければ人間を引っ張っていくことができないために、天皇を持ち出したのであった。人間では絶対的な力に乏しいゆえに、生きている神(現人神 あらひとがみ)だという説明を作り上げてしまったのである。 こうした単なる神話、人間が造り出した物語を根拠として国の教育や学問、そして国家の方針までそれに従ってやっていくということは、そもそも無理なことであった。 砂のうえに建てた家のようなものだといえる。 事実そうした人間の作り事を基とした国家計画は挫折したが、単に国家の体制が壊れたというにとどまらず、おびただしい犠牲者が出る戦争を引き起こしていったのであった。 このような挫折から、新しい憲法やそれに基づいて教育の基本になる法律が作られた。それゆえ、平和を願い、個人の大切さを前面にだしたのである。 明治憲法のもとでは個人は大切なものとされず、国家というもののために個人がどのようにでも犠牲として使われるという体制であったからである。 それがはじめにあげたように教育基本法の精神をあらわす前文となっているし、さらに第一条に次のように記されて、重ねて強調されているのがわかる。 (前文より)我等は個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する… 第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の尊厳をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神にみちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われねばならない。 日本がたどってきた戦前の道を考えるとき、こうした平和を重んじ、真理と正義を愛することを前面にだすべきことは当然なことであったし、天皇を現人神とする国家宗教が教育をも支配し、国を破滅に追い込むことになったことから、特定の宗教的なものを教えないということにもなったのであった。 このような考えから生れた教育基本法は、憲法の第九条の平和主義と密接な関係にあるのは直ちにわかる。 そして現在の自民党などが憲法とともに教育基本法を変えようとしているのは、太平洋戦争という大きな犠牲をはらって学んだはずのことをかなぐり捨てて再び、間違った道を歩もうとしている表れである。 教育基本法を変えようとする人たちは、日本の伝統や文化を重んじるように仕向けるということを繰り返し言っている。しかし、真理や正義以上に、日本の伝統や文化を重んじることによって何が生じたかは、戦前の状態がよく示している。日本の伝統や文化の代表的なものが天皇制だという主張はしばしばなされる。 日本には教育や人間のあり方の基本的なものがない。それゆえに、戦前は天皇というただの人間を現人神にまで持ち上げ、その天皇を教育の淵源であり、目的であるとして、国民を無理やりそのような偶像に結びつけていくというまちがいを犯してきた。 そして現在、ふたたび教育の場において、「君が代」のような天皇を祝う歌を強制していくということで、戦前と似たような状況を一部に作り出そうとしている。 また、武力を大きくして、敵を憎み、戦争をして弱い国を従えるということは、日本だけでなく、どこの国にもあるもので、いわば伝統である。それは自然のままの人間にきざまれた本性のようなものである。 しかし、こうした人間の罪深い本性であり、伝統ともいうべき傾向にまったく異なるあり方を指し示したのが、キリストであった。それゆえに人間の古い伝統的なあり方とは鋭く対立し、ついにキリストは十字架に付けられたのであったし、それ以後の歴史においても同様で、つねにキリスト教が初めて入っていくときには迫害が行われてきた。そして現代でも、キリスト教に属する発想はつねにこの世から好まれず排斥されようとしている。憲法の平和主義や教育基本法のなかに見られるキリスト教的な平和主義や真理をまず第一に置こうとする考え方を退けようとしているのが、現在の教育基本法の改定のうちにも見られる考えなのである。 日本の伝統や文化を真理以上に重んじていた戦前はどうなったのか、を考えて私たちは主イエスが言われたように、まず伝統とかでなく、まず神の国と神の義を第一とすることこそあらゆる場での目標となるべきなのである。 南アフリカからの二人の参加者の言葉 一年あまり前より、南アフリカ(*)からの参加者が短い期間でしたが共に礼拝集会に参加することができました。一人は、シポさん(男性)、もう一人は今年になってですが、メギさん(女性)の方です。いずれも鳴門教育大学への留学生でキリスト者の方でした。 そのお二人が、私たちの集会宛にお別れの言葉を書いて下さったので、ここにその訳文と原文を掲載します。南アフリカの黒人のキリスト者の方がどんなに感じられたのかに少しでも直接に触れて頂いてキリストにある人たちのひろがりとその共通性に少しでも触れて頂きたいと思うからです。 思いもよらない、地球の反対側にある国、南アフリカの黒人のキリスト者とこのように、ともに私たちのキリスト集会で礼拝を捧げることができるという恵みを頂いたことは、まことに神の計らいであったと感じます。いままではもちろんつながりは全くなく、私たちの多くの人とって南アフリカといっても、金やダイヤモンドの産地であるとか、アフリカの先端の国だとかいうおぼろげなイメージしかなかったし、現実的なイメージが湧かないはるかな遠い国に過ぎなかったのです。 しかし、お二人の参加によって、南アフリカという国が身近に感じられるようになりました。 (*)人口は約四三〇〇万人内訳は黒人(77%)、白人(11%)、カラード(混血)(9%)、インド系(3%)。 宗教は約八割の人がキリスト教。あとは、ヒンズー教、イスラム教、他 私が日本に来た最初の年は、(自分が参加できるような適切な)教会を強く願い続けた年でした。 私はこの教会(徳島聖書キリスト集会)に参加し始めてから、自分自身のなかに平安を感じるようになりました。 吉村先生が用いる教え方やその方法によって私はこれは、キリストの教会だということに気付いたのです。 神が吉村先生を祝福して、この教会がより賢明に啓発されますように。(光を与えられますように、導かれますように) 日曜日の礼拝のあとの説教(聖書講話)の後の短い英語による要約は非常に驚くべきものでした。私は、聖書講話の内容をすべて理解するために、時々日本人でありたいと願ったものでした。私は、日本語の聖書講話の内容のようには十分に得ていないことを感じました。 この教会(徳島聖書キリスト集会)のキリスト者たちの態度は皆同じように思えました。この集会の人たちは私に対してきわめて親切で、私への愛に満ちたものでした。 (この徳島において、私が)キリスト者としての生活を送ることができて感謝です。 私にして頂いたような親切を他の人たちにも続けて下さい。 この集会の特質はつぎのような点です。 1)聖書講話(教え)が、光を与えるものであること。 2)吉村先生を通しての神が語りかける仕方。 3)このキリスト集会はあらゆる人のために開かれていること。私は、身体障害者のために払われている特別な配慮に感動しました。私の教会では、そのような強い関心が障害者に対しては向けられていないのです。 この三つのことによって私はいっそうこの集会を愛するようになりました。そしてさらに愛することを学んだのです。 神は私たちすべてを愛して下さっています。私はあなた方すべてを愛し、そしてあなた方と別れてしまうのを寂しく思います。 私の心のうちで、いつかあなた方と再び合うこと願っています。 さようなら、クリスチャンのみなさん。さようなら! My first yesr in Japan had been longing for church.I came to peace with myself since I started to come to this church. The teaching and the way Yoshimura sensee gives us made me realize that this is the church of Christ. May God bless Yoshimura sensee to enlighten this church wisely more and more. The short summaries at the end of the sermon were very amazing. I had to admitt that sometimes I wished to be a Japanese in order to understand everything. I felt I do not get more like the Japanese sermon. The behaviour Christians of this church seems the same to me.This congregation were quite kind and loving to me. Thanks for living the Christian life. Keep it up to others too. Uniqueness of this congregation; 1)enlightment of the teachings. 2)The way God speaks through Yoshimura sensee. 3)This congregation for everybody. I was touched by the high attention given to the physically challenged(disabled). In my church such people are not yet given this much attention. This 3 things made me fall in love with congregation more and more. Hence I learned to love more and more. God loves us all.I love you all and I shall miss you all. In my heart I hope we shall meet someday. So long fellow christians so long! ************************************* (以下は、メギィさんからの言葉です。) 初めに、私の主であり、救い主であるイエス・キリストの素晴らしい名によって挨拶します。 あなたがたと共にいることは、わたしにとって、驚きに満ちたことであり、祝福に満ちたことでした。 わたしは本当に喜ばしく思いましたし、祝福され、感動しました。それは、あなたたちがわたしをキリスト者の友として受け入れて下さったその仕方によってなのです。 善き神様があなたがたを豊かに祝福し、あなたがたの手の働きを祝福して下さり、あなたがたが、出るときも入るときも祝福してくださいますように。 ありがとう。 メギ Firstly, Greetings in the wonderful name of my Lord and Savior Jesus Christ. It has been wonderful and full of blessings for me to be with you. I really enjoyed and I was blessed and touched by the way you welcome me as a fellow christian. May the Good God richly bless you and bless the works of your hands, bless you when you go out and in. Lastly, As I will be going home, I will think of you and I will pray for you. If it happens that we do not meet again in this world, I hope to see you there where all the saints will be. Thank you Maggie ことば (177)人間の生きる正しい目的は、絶えず神の慈愛を受け、それを他に分かち与えるということでなければならない。…多くの苦難を経験して、最後にようやく本当の生きる目的を悟る人たちもいる。しかし、生涯の終わりになってもそのような自覚に至らない人は、一生を半ば、あるいは全く踏み誤ったことを嘆かねばならない。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために・上 八月二八日の項より」) ・Die Menschliche Leben,muss ein bestandiges Empfangen und wieder Ausgeben der Freundlichkeit Gottes. …(初めの部分の原文) ・人間の生き方といったことについては実にさまざまの生き方がある。しかしだれもが可能で、しかも最善の生き方はここにヒルティが述べているような生き方であって、それこそ聖書が一貫して述べていることである。神は万能であるとともに愛であるゆえ、私たちがその弱さのなかから真剣に求めさえすれば神はその愛を下さる。そしてそれを生活のなかで分かつことが日々の目標となるという。このような生き方は才能とか地位、財産の有無、または健康か病弱かに関係なくだれにでも開かれている。 (178)十字架 それから彼はしばらくの間じっと立って十字架を見つめ、そして驚いた。十字架を見たために、このように重荷から楽になろうとは実に驚くべきことであったからである。それで彼は何度も見ているうちに、ついに頭の中の泉から涙が湧き出て頬を伝わった。 彼が涙を流しながら十字架を見つめていると、見よ、三人の輝ける者が彼のところにやってきて、「平安あれ」と挨拶した。第一の者は彼に言った。「あなたの罪は赦された」。第二の者は彼のぼろの服を脱がせて着替えの衣を着せた。(「天路歴程」86頁 新教出版社刊 参考のために、英語の原文を添えておきます) He stood still awhile to Iook and wonder,for it was very surprising to him that the sight of the cross should thus ease him of his burden. He looked therefore, and looked again, even till the springs that were in his head sent the waters down his cheeks. Now as he stood looking and weeping, behold three Shining Ones came to him and saluted him, with "Peace be to thee." So the first said to him,"Thy sins be forgiven." (Mark 2:5) The second stripped him of his rags. and clothed him with change of raiment. ・人間にとって最も重荷となるのは何か、それは本人が気付いているかどうかに関わらず、赦されない罪こそその重荷のもとになっている。人間はふつうの動物とちがって何が正しいか、真実かを直感的に感じ取る能力を与えられている。それゆえ、自分や他人が正しくないと感じること、すなわち罪の意識ははっきりと分からなくとも奥深くに眠っているように存在し続けている。その罪の意識は隠れたまま、人間を苦しめ、重荷と感じさせ、心に晴々とした軽い心を与えないようになっていく。それが人間の根本問題だと感じるときに、それを逃れさせてくれるものこそ、最大のもので、それこそ罪の赦しなのであった。この天路歴程においても、その罪の赦しこそが中心に置かれているのがわかる。ただ、十字架を仰ぐだけで、赦しを受けて心は軽くなるという実に不思議な体験をこの著者も与えられて、それこそが人生の転機となった。 (179)平和 二人または三人の間での平和からのみ、私たちが希望するような大きな平和が、将来成長することが可能なのである。 (ボンヘッファー「信じつつ祈りつつ」83頁 新教出版社) ・主イエスは、「二人三人が私の名によって集まるところには私はいる」と約束された。ここでボンヘッファーが言っていることは、主イエスこそ真の平和の源であり、主イエスがなされることによって本当の平和がもたらされるということを思い起こさせる。罪赦され、神との平和を与えられて初めてそこに永続的な平和の基礎が作られたことになる。 休憩室 ○セントウソウとセリ科の花 野草はたいてい二月の終わりになってもまだほとんど花は咲かせないのですが、まだ寒いうちからまず咲き始める木や草花もあります。梅や水仙、ジンチョウゲなどは香りもよく、話題にされて有名ですが、まったく話題にもならないけれども、心惹かれるようなセリ科の花もあります。 それはセントウソウ(仙洞草)で、白い小さな花を咲かせます。春のセントウ(先頭)に咲くと覚えると記憶に残るという人もいます。これはセリ科のうちで最も小さいものに入ると思われますが、純白のごく小さい花はルーペでみると、その可憐な美に驚かされます。山のやや日陰のところにひっそりと咲いているので、ほとんど気付かない人も多いと思われます。しかし、この花は「山路来て何やらゆかし」という感じをもたらしてくれるものです。 セリは春の七草として有名だし、多くの人が食べた経験もあると思いますが、セリ科には、私の手元にある図鑑でも四十種類を超えています。このような多様なセリ科のなかで、最大のものは高さが一〜三メートルほどにもなる、エゾニュウという植物です。これは、昨年北海道の礼文島を訪れたときに見たもので、人の背丈を超えた堂々とした姿となり、海に向かって広がる山の斜面のあちこちに咲いていました。それはたくさんの白い花をセリ科独特の線香花火のような放射状に咲かせます。 徳島の高山で剣山やその周辺の山でも、シシウドというやはり二メートルほどになる大型のセリ科の植物があり、夏の高山の目を楽しませてくれています。 大きいものも小さいものもそれぞれに独特の味わいをもって生きて、花を独自に咲かせる、そうした植物のすがたに接して神のなさり方の一端を学ぶ思いがします。 ○春の星座 春になると、オリオン座も西に傾いていきますが、その代わり東からは、しし座や乙女座、牛かい座があらわれます。金星はまだ夕方の空に輝いて見えます。そして北斗七星は北空によく目立つ姿となってだれでも直ちに見つけられます。夜10時ころには、しし座の一等星であるレグルスがほぼ真南の高い空に見え、そのすぐ左側に特別に明るい星、木星が見えます。そして目を東に転じると、明るい二つの星が見つかります。青く強い光の星は、乙女座の一等星スピカで、表面温度は二万度、太陽が六千度ほどなので、はるかに高温で、そのために強い白色に輝いて見えます。その北寄りには、オレンジ色でやはり強い輝きの一等星、アルクトゥルスが見えます。これは牛かい座の一等星です。これがオレンジ色に見えるのは、表面温度が四千度あまりで低いからです。北斗七星の弓なりになっている星を伸ばすと、アルクトゥルス、スピカへと達します。こうした星座のごく基礎的な知識をもって夜空を見るとそれだけでも、星の世界により身近となり、それを創造された神の偉大さに心動かされます。 返舟だより ○この三月に、三人の外国からの参加者がそれぞれ自分の国に帰って行かれました。そのうち、中国の許 英美(*)さんは、鳴門教育大学への留学生として来日され、二〇〇一年一月七日に初めて参加されてから、三年二カ月の期間、私たちの徳島聖書キリスト集会に参加されました。 (*)日本語風に読んで、「きょ えいみ」さんと呼んでいたが、中国語では 許(xu)英(ying)美(mei) シゥ イン メイ と言う。 許 英美さんは、中国の瀋陽(昔の奉天)に在住ですが、コリアン系(朝鮮民族)の方でしたから、時々韓国語の祈りや讃美もしていただきました。また、とても積極的に私たちの集会員の方々とも交わりを持ち、 四国集会にも参加していただいて、英美さんの属している中国の教会でもよく歌われるという「鹿のように」(リビングプレイズ69番)を韓国語で讃美してもらったこともありました。 英美さんは、私たちの集会に参加し始めた頃から日本語はかなりよくできていて、日常的な会話はほとんど不自由なくできていたので、交わりも多くなされました。 また南アフリカやザンビアからの留学生を私たちの集会に紹介して連れてこられました。 そのうち、南アフリカからの二人が許 英美さんの紹介で私たちとの集会に関わりができ、日曜日の礼拝集会にも参加されるようになっていました。 その二人のうち、シポさん(Sipho Dlamini シポ・ドゥラミニィ)も、やはり鳴門教育大学への留学生としてこられた方で、帰国すると教育指導主事の仕事をすると言われていました。シポさんは、去年二〇〇三年一月十二日からの参加で、一年二カ月ほど、私たちの集会に参加されました。 メギさん(Maggie Maluleke メッギィ・マルレケ)は今年に入ってから参加しはじめた黒人女性の方で、やはり鳴門教育大学への留学生で、自然科学の教師をしているとのことでした。 徳島では、黒人の方に出会うことは稀であり、そうした中でお二人の参加は私たちの集会にも、遠い南アフリカからの不思議な空気を運んで下さったし、キリストの大きな御手の広がりを感じさせてくれました。 地球の反対側にあり、はるかに遠く、皮膚の色もまったくちがっていても、同じキリストを信じる兄弟姉妹としての交わりが与えられることは驚くべきことでした。 鳴門教育大学から、私たちの集会場までは二十キロ以上あり、交通も不便なので、車を持っていない留学生としては普通ならなかなか来ることはできないのですが、集会の姉妹たちが送り迎えの奉仕をして参加できたのでした。 南アフリカからの二人は、日本語が少ししかわからなかったので、会話は少ししかできなかった人が多かったのですが、お二人が参加されているだけで、いつもの集会とは違った雰囲気になっていたものでした。 また、主日礼拝での私(吉村)の聖書講話のあとで、その内容を私が要点をまとめて短く英語で話していました。それは、何もわからないまま帰るのでは、遠くから参加しているのに申し訳ない、しないよりはましだろうという程度の気持ちで話していたのですが、とてもその聖書講話の英語要約を熱心に聞いていただいて意外なほどでした。 鳴門にも、徳島までの途中にも合わせると七つほども教会があるけれども、遠い私たちのキリスト集会に参加されたことに、神の導きを思います。 帰国されても、その信仰がいっそう強められ、主に導かれて歩まれますようにと祈りをもってお別れ会を終わりました。 ○私は聖書を日々読むと言うことがまだないので、皆さんの話、「はこ舟」や文集「野の花」等がすごく貴重なものになっています。時には幾度も読み返します。だから、少しでも多く、集まりに行ければと思います。 イラクやアフガンで、当たり前のように、毎日、殺戮があること、同時テロのように、さっきまで元気だった人が一瞬にしてなくなる光景、おそろしいガンなどの事を考えると、少しぐらい具合いが悪くても守られて生かされていることに感謝だし、最後に残るのは「信仰」なのだなと思います、まだ信仰の弱い私ですがもっと神さまのほうを見て行きたいと思います。 (四国の方よりの来信) |
2004/3 |
見つめること、見つめ返されること 2004/2 冬は最も塁の美しいときです。湿気も少なく、大気は澄んでいるし、北風の強いときにはいっそう透き通るような夜空となり、澄んだ星の光が私たちに注がれてきます。ことに最近の夜空は、夕方には金星が見られ、それが沈んでまもなく東からは木星の透明な光が強く私たちを見つめています。南にはオリオン座の明るい星やシリウスや小犬座の一等星もあり、頭上には御者座のカペラや双子座の明るい星もあります。星をじっと見つめていると、ちょっと見たところでは何の心もない冷たい輝きのような星の光が私たちを見つめているように感じられてきます。 これは星にかぎらず自然の物は概してそのような性質を持っています。例えば、海の大波が寄せる音に聞き入ると、それは私たちに向かって語りかけるものとして感じられるし、山に入って大木のもとでたたずむとき、その樹木がやはり私たちに向かってなにかを語りかけてくるように感じるのです。これは神ご自身がそのような御性質を持っておられるからです。聖書のなかで、繰り返し神は、つぎのように「立ち返れ、私に帰れ」とか、「悔い改めよー」という表現で、神に魂の方向を向け変えるようにと語りかけておられます。わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。(イザヤ書四四・22) 悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。(エゼキエル書十八・30) 他の果てのすべての人々よ、わたしを仰げ、そして救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。(イザヤ書四五・22) また、新約聖書においても、主イエスは神が最も喜ばれるのは、よいことをしたといって高ぶったり誇ったりすることでなく、自らの弱さや足りないこと、罪を悔い改めて神に立ち返ることだと言われています。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にはある。(ルカ福音書十五・ユこのように、旧約聖書から新約聖書に至るまで神は繰り返し、悔い改めること、神に立ち返ることを特別に望んでおられるのがわかるのです。 私たちがこうした神のお心に従って神に立ち返り、神を仰ぎ、見つめるとき、神ご自身もまた私たちを見つめて下さっているのが感じられてきます。 求めよ、そうすれば与えられる、という有名な言葉はこうしたことについても言えることです。 人間は社会的動物であると古くから言われています。それは単独では生きていけないこと、たえず人間同士の交わりが必要だということです。それは物質的な面でも言えます。衣食住のすべてにおいて、自分だけでそうしたものを作っていくことなど到底できません。私たちが使っている食品や住居、日用品などすべては他の人のさまざまの働きによって生み出されているものです。 しかしそうした物質的なことだけでなく、精神的なこと、霊的なことにおいても、人間は単独では生きていけない。それはだれでも感じていることです。一人でいるのがよいといっている人も、それは他者との交わりで傷ついたとかいやな思い出があるからに過ぎず、そういうことがなかったらよき人間同士の交わりを求めているのです。しかしそれでもこの世には実に多くの人間同士の行き違いがあります。他者とともに生きること、交わるということは、絶えざる誤解やつまずきを経験することでもあります。そうした現状においてこそ、私たちは私たちがどんなに罪深いことになっても、誰も赦してくれないような大きい失敗をしても、仰そたびに愛のまなざしをもって見つめてくれる存在があればどんなによいことかと思います。 聖書が指し示す神、そして主イエスはそうした存在だと感じます。 私たちが真実な心をもって仰ぎ、見つめるときには必ず見つめ返して下さるお方だということなのです。そうした神が創造した自然だからこそ、その多くは私たちが見つめるとき、やはりどこか私たちを見つめ返してくれるなにかを感じるのです。 自然のそうした雰囲気は、その創造主である神の愛を指し示しているということができるのです。 ヨセフの歩み 創世記三十七章から、最後の五十章まで、ヨセフの歩みが詳しく記されている。それは十三もの章を費やしている。アブラハムの記事は二十四ページを費やしているが、ヨセフの歩みについては、三十ページを超えている。 このような詳しい記述は何のためであっただろうか。それは、ヨセフの歩みが、後世にとってきわめて重要なことにつながっていくからであった。 それは、エジプトへの移住、そこで初めて民族としての増加、そして迫害、ついでモーセによる出エジプト、その途中において、神からの言葉、十戒というきわめて重要な内容をもったものが与えられた。 そのようなすべては、ヨセフの誕生とかかわっている。もし、ヨセフがなかったらこうしたすべてはどうなっていただろうか。 そしてその大きな歴史の出来事にかかわっていくはじめは、人間の弱さと罪が明らかに記されている。まず、父のヤコブは長い信仰生活にもかかわらず、最晩年になっても自我が抜けきれない人間であることが、ヨセフへの特別な偏愛に現れている。それはルカ福音書に現れるような、放蕩息子の父親とはまったくちがったごく普通の老人のようである。放蕩息子の父親は、自分の好みに合うからといって特定の息子を大切にするのでなく、かえって道を踏み外した者に深い愛を注ぐのであった。 また、ヨセフにしてもその生涯の出発点においては、兄たちのことを告げ口したり、両親や兄たちが怒るようなことを平気で話すような無遠慮な子供、得意がる子供として描かれている。ここには両親や兄弟たちへの尊敬の念に欠けるような分別のない子供のようである。また、兄たちも、ヨセフの年齢からすればそのような夢を語ったとしても、殺そうなどとまで考えるのはふつうでは考えられないほどであり、あまりにも大それたことである。 このように、ここに現れるヤコブ、ヨセフ、多くの子供たち、それらすべては信仰者としての強さや正しさ、勇気などに欠けているただの人間として描かれている。聖書はだれをも英雄とはしないのがこの長いヨセフの歩みの記事においてもはっきりと記されている。 ヤコブは人間的情愛でもって、ヨセフを愛していた。ヨセフもまた人間的な気持ちで得意になっていた。そうした情愛や高慢を打ち砕くことが必要であった。神に用いられる人間はつねにそのような苦しみや悲しみを主が与えることによってその自我を砕いていかれる。 なぜこのような不正やねたみ、依怙贔屓(えこひいき)などが書いてあるのか。それはそうした人間を用いて神は大いなるわざをなされるということであって、いかなる意味でも人間の功績でないということを示そうとしているのである。 人間が歴史を作っていくのか、それとも神がすべてを支配し歴史を動かしていくのか、これが根本問題なのである。すべての栄光を神に帰すること、そこにいっさいがかかっている。それができれば、私たちは永遠の祝福を受ける。しかし人間に栄光を帰する姿勢で生きていくとき、すべては消えていく。それはちょうど正反対の結果となる。 ヨセフの夢、それは預言であった。人間の心の告白であり、叫びであり、感動であるはずの詩が聖書では、同時にまた預言ともなっているのは驚くべきことである。 詩編二十二編などはことに、主イエスの最後の恐るべき苦しみの状況が、あのエリ、エリ、ラマ・サバクタニという叫びをはじめとしてさまざまのことを預言するものとなっているのがその典型的な例である。 そして、このヨセフの記事もヨセフ自身はまったく自分の気持ちで抑えられなかったから両親や兄弟に夢を話したのであったが、それは背後のおおきな神の御手による歴史の導きを表すものであった。神はいかなる妨げや人間の悪意や時代や社会状況の変動にもかかわらず、その御計画を成就していかれる。 新約聖書においても、最大の働きをしているパウロは、かつてキリスト教徒を迫害し、殺すことさえもしたというし、十二人の弟子たちのうちの一人は金でイエスを売るという裏切りをした。主イエスと最もちかくにいた弟子であったペテロは、こともあろうにイエスが捕らわれた後に動転し、三度もイエスなど知らないと激しく言う始末であった。ほかの弟子たちも逃げてしまった。 このような記述も、キリストの福音はごくふつうの人によって、あるいは重い罪を犯した人によっても伝えられていくということを象徴的に示している。 このことは、現代に生きる私たちにも大いなる希望を与えてくれるものとなっている。どんなにこの世が変ろうとも、また人間が弱々しくなろうとも、そうしたただなかに神はその御計画を行う器ともいうべき人間を起こし、弱い人間、罪深い者であってもその人間を造り替えてその御計画を担う者とされるのである。 この世のはかなさについて わが国で古来広く読まれてきた文学のひとつは、平家物語である。そこに、平家がいかにして勢力を増大させて栄華を極めたか、それにもかかわらずいかに急速に権勢を失っていくか、また平家を滅ぼした源義仲や義経、頼朝らもまた短期間で消えていくことが記されている。 その長編歴史物語の冒頭につぎのような言葉がある。 祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり。(*) 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。(**) おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。 (*)祇園精舎とは、古代インドのコーサラ国の首都郊外にあった仏教の寺院。諸行無情とは、すべては移り変わるものであって、常であるもの(不変)は何もないということ。 (**)沙羅双樹とは常緑高木。インド北部原産。高さ40メートル。仏教では聖木とされる。 古代インドの寺院で響く鐘の音は、万物は移り変わるという言葉(詩句)を流し、川辺に咲く沙羅の花は釈迦が死んだときに、たちまち花が白色に変じて、盛んなるものも必ず衰えるときがあるという人生の道理を示したという。… このように述べて始まる平家物語は、私の手元にあるもので小さい字で四百ページほどになる大作である。今から八百年ほども昔にこのような長編が書かれたということは驚くべきことと言えよう。 常人をはるかに超えた記憶力、構想力、知識や文学的感性、そして宗教的な感性を持っていた人だと考えられる。 この著者がこの長い物語の最初にこのような文章を持ってきているということのなかに、著者が何をこの物語に託そうとしたかがうかがえる。 それはこの世のはかなさであり、すべては、移りゆくということであり、そこからくる悲しみである。それは目の前の小さな出来事や自然界のことだけでなく、国家社会のような大きな場であっても、それは共通している。狭くもひろくも、一切はこのはかなさに覆われているということが根底に見られる。この平家物語には、悲しみとか涙といった言葉が数多く現れるがそれはこの冒頭のはかなさと通じるものがある。 そしてこのはかなさを表す第一として、祇王・妓女という二人の白拍子(*)のことが現れる。 彼女たちは、数年の間は世をときめく平清盛の寵愛を受けたが、仏御前という別の白拍子を清盛が気に入ったときから捨てられ、死ぬことを考えたが母親の説得で辛うじて死を思い止まり、二十歳前後でこの姉妹は尼となって、京都の嵯峨の奥にある山里の庵にて、母親とともに念仏生活に入ったと記されている。(**) … そして夕日が西の山の端に沈むのを見ると、「日の沈むのは西方極楽浄土である。私たちもはやくあの浄土に生れたい。」 そう思うにつけても、過ぎた日の悲しいことが次からつぎに思い出され、ただ尽きせぬものは涙なのである。… そうした涙のなかで過ごす母子三人のもとに訪ねてきたのが、かつて祇王のかわりに清盛の寵愛を受けた、仏御前であった。 彼女が言うには、「この世の栄華は夢の夢、富み栄えたところでなんになりましょう。…かげろうや稲妻よりも、もっとはかないのが人生です。一時の栄華に誇って来世のことを知らないとしたら、それは悲しいこと…。」 と言って、自分のゆえに、清盛のもとから追い出された祇王に赦しを乞い、ともに極楽往生の願いをとげたいと申し出たのであった。もし赦されないなら、どんな深い山のなかの苔の床や、松の根元にも野宿して、命あるかぎり念仏して極楽往生の願いをとげたいと必死に涙ながらに訴え、それによって祇王姉妹とその母らとともに、山里のさびしい庵で女ばかり四名が念仏によってその生涯を終えたという。 (*)白拍子とは、平安時代末期におこり鎌倉時代にかけて盛行した歌舞、およびその歌舞を業とする舞女。 (**)祇王寺として京都市右京区の嵯峨にある。 このように、哀れな女性の姿が記されているが、平清盛自身も、短い間の栄華ののちに、激しい熱病にかかって苦痛にさいなまれつつ死んだ。そして、平家はたちまちほろび、かつて清盛が一時的に都とした、福原(*)を平宗盛が最後にそこを去って逃げていくとき、かつての都を焼き払って西へと下っていく。ここにも、かつて栄華をきわめた平家が無残にも落ちていく様が哀しみをたたえてつぎのように記されてている。 (*)現在の神戸市兵庫区。平安末期、福原荘(しよう)として平清盛が領有、ここに別荘を営み、わずかの期間であったが、都とした。 …折から初秋の月は下弦の弓張月である。静かな夜は更けるにつれていよいよ静かに、住み慣れた都を離れてのこの旅寝に、夜露と涙は枕にその露けさを競うほどであった。 ただ、何もかも悲しいのである。 今はなき清盛が造ったいろいろの建物を見ると、それらは、どれもこれもここ三年ほどの間に荒れ果てて、年を経た苔が道をふさぎ、咲き乱れる秋草が門を閉じるばかり。 瓦にははやくもシダが生えて、垣根には蔦(つた)が繁っている。高い建物は傾き、苔むして、通うものはただ松風ばかりである。また、宮殿のすだれも落ちて寝所もあらわとなり、射し入るものはただ、月の光だけである。… 翌日にいよいよ福原の建物に火を放った。…この福原もさすがに名残おしかった。暁かけて峰になく鹿の声、渚(なぎさ)に寄せる波の音、袖に宿る月の影、千草にすだくこおろきの声、目に見、耳にふれるもの、ひとつとして哀れを誘い、心を悲しませないものとてない…。つい昨日のこと、木曽義仲の追討に向かったときは、兵は十万余騎もあったが、今日西海の海に舟をだそうとしている者はわずかに七千余り、…人里離れた海の波を分け、潮のまにまに流されていく舟は、さながら空の雲に漕ぎ消えていくかのよう。こうして日を過ぎて都ははるか雲のかなたとなってしまった。はるばる来たと思うにつけても、尽きせぬものはただ涙である。…一一八三年、平家はすべて都を去っていったのである。(「平家物語」巻第七より) また、木曽の山中で成人した源義仲(木曽義仲)は、めざましい働きをしてわずか三年足らずで平家を打ち倒して、支配権を得たが反対勢力となった源義経らによって追撃され、わずか三十一歳で討ち死にした。ここにも急速に勢力を伸ばしたものが驚くばかりの短期間で没落していく様がやはり哀しみをもって記されている。 そのときから義経は平家追討を指揮して、屋島の合戦で闘い、壇の浦に追いつめて平家を滅ぼすという武士としては並びなきほどの働きをした。 しかし、それもたちまち兄頼朝の怒りとねたみを受けて、今度は追われる身となり、ついに東北の地まで逃げていったが頼った有力者の死後にその息子に攻撃されて自害して果てる。義経もまた三十歳ほどで世を去っている。 そのようにして日本を支配することになった頼朝もまた、征夷大将軍となってから七年足らずで落馬がもとになって死んだ。 義仲、義経、頼朝らは平家を滅ぼすという目的では同じであったが、互いに闘い合って勢いを消耗し、まもなく滅びていった。 勇ましい武士たちも、可憐な女たちも共通しているのは、地位が高かろうが低かろうが、また男女の区別もなく、みんな移りゆくものという認識であり、悲しみである。 この平家物語の最後の部分には、平家一族のうち、わずかに生き残った清盛の娘、建礼門院徳子が、京都大原の寂光院にこもって平家一門のための祈りで生涯を終えたことが記されている。 寂光院は、屋根瓦は壊れ落ち、そのために霧が入ってきて常に香をたいているようであり、雨戸ははずれてしまって、そのために月が常住の灯明をかかげているようであるというほどであった。近くの小川には、山吹が咲き乱れ、幾重にもかさなる雲の切れ目から、山郭公(やまほととぎす)の声が響いてくる。 古びた岩の間から落ちてくる水音さえも、意味深い。緑の薄絹のようにみえる蔦葛(つたかずら)のしげる垣根や、緑の眉墨(まゆずみ)のような緑の山々に囲まれて、建礼門院の住家はあった。 それは軒には蔦や朝顔がしげり、忍草(しのぶぐさ)(*)、にまじって、忘れ草(**)が生えている。屋根をふいた杉板もくされ落ちて、その葺いたところもまばらとなり、月の夜など、時雨も霜も、露さえも、月光とともに入り込んでくる。 このようなところに住んでいる、建礼門院は、そこを訪ねてきた後白河法皇に語って、悲しみの涙にむせび、ちょうどそのとき啼いた時鳥(ほととぎす)にあわせて次のように詠んだ。 いざさらば 涙比べん ほととぎす われもうき世に音(ね)をのみぞなく (ほととぎすよ、さあ、お前と涙を比べあおう。私もこの憂いの世にただ悲しく声をあげて泣いて暮らしているのだから) こうした悲しみの言葉が記されているが、その後病気になって息を引き取る。そのときに、西の方に紫の雲がたなびき、たとえようもない香りが部屋に満ちて、来迎の音楽が空に聞こえる… こうして平家物語は閉じられている。 最後に浄土宗の教える浄土のことが現れるが、それまでの地上の生活は涙と悲しみ、寂しさで包まれている。 人間の世はどんなに地位が高くとも、低くともこうした万物の流転のなかにおいては悲しみしかない、死後の浄土からの迎えを待つだけなのだという教えが刻まれている。 日本で最も広く知られている文学のひとつがこうした悲しみと淋しさに包まれていることは、大学卒業してから平家物語を知るまでは予想しなかったところである。子供時代から、平清盛や義経、弁慶、また頼朝などの活躍を本で見ていてそうした悲しみとは反対の勇ましさやおもしろさが印象にあったからである。 浄土教という信仰もその悲しみをいやすものでなかったことは、すでに述べた平家物語の一部であっても、そこに流れている悲しみを見てもわかる。 しかし、この点において、キリスト教信仰は、人間の世のはかなさを思い、この世の悲しみを深く知っていることで共通しているが、たんに来世の浄土を願っているのみでなく、すでにこの地上において、深い喜びと力を与えられるという点で決定的な差があるといえよう。 それは、すでに旧約聖書の困難な時代に書かれた詩編に、神への大いなる讃美や喜び、感謝のあふれるものが多く含まれていること、最後の詩編が神への壮大な讃美(ハレルヤ)で終わっていることがそれを指し示している。 また新約聖書においては、そのはじめのところで、主イエスの誕生が天使によってつぎのように記されている。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。(ルカ福音書二・10) キリストが来られたのは、人間に大いなる喜びを与えるためということが最初からはっきりと告げられているのがわかる。 また、キリスト教信仰によって人間に与えられる最も重要なものは、聖なる霊(神ご自身の霊)であるが、その聖霊がもたらすものは喜びである。 御霊(聖なる霊)の実は、愛、喜び、平和、…(ガラテヤ五・22) あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。(ピリピ 四・4) キリスト者にとくに与えられる喜びとは、なにかが自分の思うままになったとか、人から認められたという通常の喜びでなく、「主にあって」の喜びだと言われている。それは聖なる霊から与えられる喜びということと同じである。 また、主イエスが最後の夕食のときに教えた言葉にも、次ぎのように喜びの約束がある。 …わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。(ヨハネ福音書十五・11) ここにも、主イエスが来られた目的が「わたしの喜び」すなわち、神の国にあるような清い喜びを与えるためであることが約束されている。 さらに聖書の最後の書である黙示録にも、暗黒の迫害時代にあってもなお、天の無数の天使たちの讃美を聞きながら生きることができるのが暗示されている。 そしてこの聖書が記されて以後二千年にわたって、世界の無数の人たちが主イエスを信じて、この世からは決して与えられない、魂の平和と喜びを与えられてきたという事実がある。こうした深い喜びがなかったらどうしてキリスト信仰を続けていく気持ちになるだろうか。 キリスト教信仰が世界に伝わった原動力は、罪赦され、主の平和を与えられる喜びであったのである。 人間の武力による勇ましさ、支配や栄華など、じつにはかなく、一時的なものである。それは現代においても同様であろう。 イエスからの聖なる霊を与えられなければ、この世はいかに力あるもの、権力ある国家であっても、すべて流れ去り、消えていくものでしかない。 いかにこの世を揺るがすような出来事であってもそれらはすべて過ぎ去っていく。ただ過ぎ去らないのは神の国であり、神の言葉であり、主イエスそのものである。 (*)シノブ・ノキシノブなどのシダ植物。 (**)ヤブカンゾウの別称。 パウロと彼を助けた人たち パウロとはどんな人物であったのか、どんな心を持っていたのか、どんなことを見つめていたのか、そして何をしたのか、パウロの心は現代の私たちに通じるものがあるのだろうか。 それは新約聖書のなかのいろいろの書かれたものを見るとあらゆるキリスト者のうち最も高く引き上げられた人物としてのパウロが次第に浮かび上がってくる。 ここでは、ローマのキリスト者へ宛てた手紙(*)の一部からパウロの心がどのようなものであったかを調べてみる。 彼の書いた長い手紙の冒頭で、つぎのように書いている。 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――(ローマの信徒への手紙一・1) このようにまず自分のことを「キリストの僕」である、と言っているが、この「僕」という言葉は、現在では私たちの生活の中ではほとんど使われない言葉です。そのために、まず第一にパウロが自分のことをこの言葉で表しているのに、その意味がはっきりしないので、読む者への印象がうすくなっている。 しかし、原文ではこの言葉は「奴隷」を表す言葉であり、じっさい次ぎのような箇所では奴隷と訳されている。 召されたとき(キリスト者となったとき)に奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけない。(Tコリント七・) その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてである。(ピレモン一・11) これは、奴隷の所有者に対して、そこから逃げ出した奴隷がパウロと出会ってキリスト者となったので、パウロがその奴隷の主人であった人物にその奴隷を罰することなく、兄弟として扱うようにとすすめた箇所である。 このように、実際に奴隷という言葉であるから、パウロがそのような言葉をあえて用いたということの中にパウロが自分をどのような存在であるかをこの一言のなかに込めているその気持ちが伝わってくるように思われる。 キリストの奴隷、それはキリストを主人とし、キリストの言われるままに生きて、キリストのためには命をも捨てようとしている、それほどにキリストに忠実に生きたいという彼の願いが現れているし、そのようにキリストの持ち物として下さったことへの感謝も同時に込められている。 私たちは奴隷などという言葉は、アメリカの黒人奴隷の悲惨さを思い出すだけで、いまの自分とは何の関係もない言葉だと思っている人が多いだろう。しかし、私たちはつねに何かにとらわれている。それは人間であったり、金や健康管理であったり、また周りの評価であったりする。言い換えれば何かにとらわれていて、それがひどくなると何らかの奴隷となっていると言えよう。 私たちが何かに結ばれているというとき、一番よいものと結ばれていたらそれが一番幸いなことである。そして一番よいものとは、清さ、愛、正しさ、永遠性などすべてにおいて最善のものである神とその神と同質のキリストである。それゆえ、キリストと結びついていることが最高の幸いであり、そのような最善のお方の言われるままに従って生きることは最善の生き方だということになる。 パウロはそのことを、「キリストの奴隷」という独特の言葉で言い表しているのである。 その冒頭でこのように、自分がいかなる人間であるかを述べたが、この重要な手紙の最後の部分においても、彼がどのような心を抱いていたかを映し出す内容がある。 …あなたがた(ローマのキリスト者たち)のところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、…何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、 イスパニアに行くとき、訪ねたいと考えています。その途中でローマにいるあなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。 しかし、今はすぐにはそちらには行かないで、エルサレムにいる聖徒たち(キリスト者たち)たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。 マケドニア州とアカイア州(*)の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。… それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。 (*)マケドニアとは、ギリシャの北部の地域、アカイア州はその南部地方。 ローマは当時の地中海一帯の広大な領域を国土としていたローマ帝国の首都であった。パウロがふつうの人間であったら、そうした大都市に行ってそこでの伝道に加わってリーダーとしての経験を広くしておきたいと思ったり、そこで大都市の人々によって評価を高められたいと願ったかも知れない。 しかし、キリストの第一の使徒であったパウロは、そのような人間的な気持ちを全く持たなかった。彼は、「キリストの名がまだ知られていないところで福音を告げ知らせようと、熱心に努めてきた」(ローマ十五・20)と言っている。 この方針に沿って彼は、すでに福音が伝えられているローマにはわずかに立ち寄ることだけしか考えていなかった。パウロはつねに霊的なパイオニアを目指していたのである。 しかし、これは決してパウロだけのことではない。キリストを信じたときから、人は何らかの形でこうしたパイオニア的なスピリット(精神、霊)を与えられるのである。 キリストご自身が最高のパイオニアであったからである。全人類の歴史のなかで、最大のパイオニアは主イエスであった。すべての人間が持っている最大の問題である、罪ということ、魂の最も奥深いところにて持っている真実に背く傾向をいかにして除き去るのか、そうしたことは不可能であるとだれしも思った。だから旧約聖書の時代には動物のいのちを象徴する血によってでなければ罪の赦しや清めはあり得ないとされていた。 しかし、そのような最も人間の深い問題である魂の罪を除き去るという前人未到の領域に主イエスは入って行かれた。しかもそれは、十字架刑につけられるという考えられないような残酷な刑罰を受けることによってであった。 パウロは、キリスト教が生れた現在のイスラエル地方にとどまることなく、また、当時の世界の中心であったローマにも住む心もなく、彼が目指していたのは、当時の世界の果てといえるスペインであった。 しかし、パウロはローマやスペインにキリストの福音を伝えるために行くという前に、エルサレムにいる、ユダヤ人の貧しいキリスト者たちへの援助を届けるために行くのを優先させた。そして、万難を排してそのためにエルサレムに行こうとしたのが聖書の記述からうかがえる。 そのことは、使徒言行録に詳しい。 私は(神の)霊にうながされてエルサレムに行く。そこでどんなことがこの身に起こるか、何もわからない。投獄されることなど、苦難が私を待ち受けていることは、聖霊がはっきりと告げている。しかし、福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思わない。(使徒言行録二十・22〜24より) そしていよいよ地中海を渡り、エルサレムに近い地中海沿岸の都市に着いたとき、そこでキリスト者となった人々から涙を流し、強くエルサレム行きを反対された。それはその人々が聖霊によってパウロがエルサレムで危険な状態に陥るということを示されたからであった。 しかし、それでもパウロはつぎのように言ってエルサレム行きをあくまで実行することを告げた。 そのとき、パウロは答えた。「あなた方は泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟している。」(使徒言行録二一・13) このような命をかけてもエルサレムの貧しいキリスト者たちに、ギリシャ地方で集めた献金を手渡すために行こうとしたのであった。彼には、ローマやスペインという地の果てにまで、キリストの福音を伝えるという使命を持っていたにもかかわらず、そして彼がローマに宛てた手紙を書いたのは、ギリシャの都市であって、そこからなら、ローマも近いにもかかわらず、そこからローマに行くよりはるかに遠いローマとは逆方向のエルサレムに行くというのである。 こうしたパウロの歩みを見ると、キリストの福音を最初に伝えたエルサレムのキリスト者となったユダヤの人々に対していかにパウロが深い感謝をもっていたかがうかがえる。どうでもよいと思っていたら決してこんなにまで多大の労力を払い、命をかけてまで、献金を持っていこうとは考えなかっただろう。 そして、パウロが、「互いに愛し合え」という主イエスの教えをこれほどまでにして実践しようとしていたのがわかる。エルサレムでは、ユダヤ人からの迫害を受けて職業的にも安定せず、貧しく苦しい生活をしていたキリスト者たちのことがパウロの心深くにいつもあったのであろう。マケドニアとかギリシャの都市の人たちが会ったこともなく、千五百キロ近くも離れたエルサレムのキリスト者たちに多くの献金を捧げるということは、当時のキリスト者たちがいかに信徒相互の間での深いつながりをもっていたかを推察させる。 パウロと人々との関わり キリスト教の二千年の歴史では、じつにさまざまの傑出した人たちが現れている。キリスト教が伝わっていく過程で、ローマや日本、そして世界の各地では激しい迫害があり、そうした時に命を捨ててキリストに従った人たちは数知れない。 ほんの一例をあげれば、哲学の方面ではアウグスチヌスやカント、科学者ではファラデーやパスツール、音楽や美術では、バッハ、ベートーベン、モーツァルト、ミケランジエロなど、文学では、ダンテやトルストイ、政治の方面ではグラッドストンとかリンカン、福祉的方面では、ナイチンゲールとかマザー・テレサといった人々など、あげればきりがない。 こうしたきら星のような人々がキリスト教信仰のゆえに歴史に不滅の位置を残してきたが、そうした一切の人々にはるかにまさった位置を与えられているのが、パウロである。 主イエス以外にパウロほど、歴史のなかで絶大な働きをしてきた人はいないといえよう。それは彼が受けた神の言葉が聖書となり、すでにあげたような無数の人々の魂を生き返らせ、導いて、それがそうした大きい働きをなす基となったからである。彼らの働きを支えたのが聖書であり、パウロが受けた神の言葉がそうしたなかできわめて大きい働きをしたのである。 宗教改革者のルターや内村鑑三もまた、パウロの書いたローマの信徒への手紙によって、決定的な影響を受けた。 このようなパウロの働きを支えたのは、主イエスであったが、人間もまたパウロを支えたのである。そのことが、ローマの信徒への手紙の最後の部分(十六章)からうかがえる。(読みにくいので人名は○○としたのもある。) …教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介しよう。 どうか、…主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてほしい。彼女は多くの人々を助けたし、特にわたしをも助けてくれた人なのである。 キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。 命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝している。… わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛する○○によろしく。… 主のために苦労して働いている○○と○○によろしく。主のために非常に苦労した愛する○○によろしく。 主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのである。(ローマの信徒への手紙十六・1〜13より) この手紙を見て、私たちはパウロを取り巻いた人々の働きやその人たちの心の動きをいくらかは実感することができる。 パウロはまず、女性であるフェベという人を第一に紹介している。古代において、否、ごく最近まで女性の地位は世界的に低く、男性がまず第一に念頭に置かれるのが一般的であった。日本でも系図にも名前すら女性には記されないという状態が長く続いた。そうした状況を考えるとき、三十名近い人たちの名をあげているのに、その第一に女性をあげるということは、異例のことであった。それほどに、フェベという女性は多くの人々を助け、パウロをも助けたのがうかがえる。迫害が始まっていた時代であり、キリストを信じるということは白眼視され、生活にも苦しみをもたらしつつあったと考えられる。 そのようななかで、黙って主への奉仕の心でそうしたキリスト者たちの困難を助けるということは神のなさるわざとして記憶されていたのであろう。 パウロは可能なときには、テント造りもしたとある。しかし、迫害され逃げていった見知らぬ場所で材料もなく、未知の人ばかりなのであるから、ただちにテント造りといった仕事で生計をたてられるなどということは考えられないことである。 そうした困難な折りにもフェベのような助け手から受けた献金などによって窮地を切り抜けられたということがあったと考えられる。パウロが困難な状況に置かれたことは使徒言行録に見られるとおり再三あったが、そうしたときのパウロの気持ちはつぎのような箇所からもうかがえる。 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいた。外には戦い、内には恐れがあった。(Uコリント七・5) そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安であった。(Tコリント二・3) 苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々であった。(Uコリント十一・23) こうした困難は数々あったが、そうした追いつめられた状況を多く経験したからこそ、そうした窮状を助けた人のことをいっそう感謝をもって記したのだと考えられる。 もちろん、フェベという女性はその一例であって、別のところでは、ギリシャの都市(ピリピ)の人たちに宛てた手紙において、つぎのように書いている。 ピリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもなかった。(あなた方だけが私を助けてくれた。) また、テサロニケ(ピリピに近い都市)にいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれた。(ピリピの信徒への手紙四・15〜16) このように、パウロの遭遇したさまざまの困難において、思いがけない人物やキリスト者の集まりによって彼は支えられたのがわかる。 また、このローマの信徒への手紙の最後の部分で、フェベという女性に次いで書かれているのが、「プリスカとアクラ」という二人であるが、この二人は夫婦であって、プリスカの方が妻である。ここにも、意外なことに女性の方を先に書いている。つまり、使徒パウロの最大の重要な書簡で最後に名をあげて感謝を記している人たちの最初の二人がいずれも女性であったということなのであり、聖書においては、このように女性の果たす役割がいかに大きいかが暗示されているのである。 これは、福音書においてもみられる。 主イエスが復活したとき、最初に知らされたのは、意外にも十二弟子でなく、罪の女と言われていたマグダラのマリアやほかの数人の女性たちであった。復活とはキリスト教史上で最大の出来事といえる。それがあったからこそ、逃げてしまった弟子たちも新しい力が与えられ、キリスト教徒を迫害していたパウロもその復活の主イエスによってキリスト者と変えられたのである。 そのようなきわめて重要な出来事に女性が第一に接したということのなかに、当時低い存在だとされていた女性の存在そのものへの深い洞察が感じられる。 また、「主にある、選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです。」と言っていることからすると、ルフォスという人の母は、パウロには特別な関わりのあった女性であったのがうかがえる。 またこのローマの信徒への手紙の十六章の三十名近いリストのなかには、明らかに奴隷であったと推察できる名前もいくつかあるという。 こうした名前の列挙によって、パウロがさまざまの人たちによって、経済的にも支えられ、また命の危機があったときにも、助けられ、また母親のような愛をもって対した老婦人もあったのがわかる。 このように、多くの人たちがパウロという一人の使徒を支え、助けたのであって、決してパウロ一人の超人的な活動で福音が伝わったのでなかった。多くは名も知られてない人であったが、また地位の高いひと、奴隷のような人もいた。老人から若者、さまざまの人がパウロの周辺に置かれて全体として、ひとつのからだとなり、福音が宣べ伝えられていったのがわかる。 信じる人たち、キリスト者たちは「キリストのからだである」という特別な表現がなされる。これはこうしたパウロの具体的な関わりの記述からもうかがえるのである。 こうした状況はパウロだけでなく、それ以後のキリスト者たちの活動においても、ずっと見られたことであろう。キリストを信じる一人一人が、大きな木の一つ一つの枝のように用いられ、それが全体として一本の木となって、神の国に成長していったのである。 日露戦争から百年 朝鮮半島と中国の満州の支配権をめぐってロシアと闘った、日露戦争(*)から百年が経った。戦争はおびただしい人々が命を落とし、また重い傷を受ける。わずか一年半ほどの間に、戦死した人は八万八千名、傷ついた人三十七万名という多くの人たちが生じた。これは日本だけの数字であって、ロシア側でもきわめて多数の戦死傷者をだした。 このようなおびただしい人々を苦しめ、命を奪った戦争の目的はというとそれは満州や朝鮮を自分の勢力下に収めようとすることなのであった。自分の国でなく、他国の独立をふみにじって軍事的に圧力をかけ、朝鮮を日本の植民地にしていくひとつの行程となった。 この日露戦争は、日本が大国ロシアに勝ったとか、講和条約が不十分な内容であったといった観点からだけ日本人の記憶に残っていくことが多いが、この戦争の勝利は、朝鮮にとってみれば、他国が自分の国の支配権をめぐって戦争し、その結果は他国(日本)の植民地とされることにつながっていった。 このように戦争は、自国の膨大な人命や戦費の消耗だけでなく、相手国も同様なおびただしい犠牲を生じたし、さらに戦争の相手国でなかった朝鮮の人々には以後の長い植民地への歩みを決定づけるものとなったのであった。 日清戦争や日露戦争で、朝鮮を戦場および基地として戦い、一九〇五年には韓国の外交権を奪い、その権限は日本が派遣する統監が管理することになって、韓国は独立を失った。以後、日本の保護国としてしまった。さらに一九〇七年には朝鮮の軍隊を解散して抵抗勢力を解体し、ソウルに日本軍を配備した占領状態で併合を強行した。 そして、中国の東北部満州にも、勢力を伸ばし、中国から切り離して日本がその勢力範囲のなかに置いて、以後の進出を増大させ、彼らから不当な利益を奪っていくことになったのである。 そしてそれがのちの、太平洋戦争につながっていくことになった。 このような点を考えるとき、戦争は戦争を生み、弱い立場の者の命を奪い、何ら不当なことをしていない、朝鮮の人や満州に住む中国の人たちを長期にわたって苦しめ、さらに太平洋戦争に至っては日本や朝鮮半島の人たちだけでなく中国の広範囲にわたって侵略し、大都市を爆撃し、数知れない人々を死に至らしめ、フィリピンやインドネシア、ビルマ、タイなどといったアジアの国々まで戦火を拡大していくことになった。 このようなことを考えるとき、いっそう戦争ということの悪魔性を思わされる。戦争は本来なら何の関係もなく、互いに顔を合わせたこともなく、もちろん不正なことも互いにしたこともない人たちに激しい憎しみを引き起し、大量に殺害や略奪を生じていく。 このように、日露戦争は、太平洋戦争というアジアの歴史では最大の戦争を引き起こすことにつながっていったのであるが、当時は大部分の人たちが戦争に賛成し、戦争に勝利したときにも有頂天になる人も多かったのである。 こうした真理のみえない状況において、一部の人たちはその戦争の不正を鋭く見抜いていた。 ここでは、日露戦争が開始された直後(一か月後)に出された内村鑑三の「聖書之研究」での文章をあげる。 ああ、私はいかにして戦争を止めさせることができようか。私はいかにして人々を敵の弾丸にさらす惨事を止めさせことができるのか。彼らを失って孤独に泣く老いた母があるではないか。彼らが死んで飢えや寒さに叫ぶ未亡人と孤児があるではないか。これを見て、涙を流さないのは人にして人ではない。私は人が戦争万歳を歓呼するのを聞いて、到底その声を共にすることはできない。 私がもし、王ならば私は無理にも戦争を止めさせよう、また私がもし政府の要人であり、天皇に重んじられているような者であるならば、戦争を止めるよう諫(いさ)めてやまないであろう。 しかし、弱き私はただ、泣くに涙あり、祈るに言葉あるだけである。ああ、私はいかにして戦争を止めさせることができようか。 私はただ福音を説き、キリストの平和の福音を説き続ける。そして一日も早くこの世に天の国が来るようにと願う。これが私のなし得ることである。… 人々がその心に神の霊を宿すにいたるまでは、戦争の声は止むことはない。キリストにあって一人を救うことは、戦争の危害を一人だけ減らすことなのである。そして戦争はたんに非戦論を唱えて止むものでなく、キリストの福音を伝えてはじめて止むものである。 ああ、私は悟った。はるかな将来を見つめ、私の目前に目撃する戦争の惨事を根絶するがために、私が世にあるかぎり、さらに熱心にキリストの福音を伝えることに従事しよう。 (「「聖書之研究」一九〇四年三月」平易な現代文に直してある。) この内村の文章が書かれてから百年、現代の私たちもやはりキリスト者として同じように思う。キリスト者の固有の使命は、永遠の真理たるキリストの平和(平安)を罪赦されることによって受け、敵のためにも祈れる心を神から頂いて、その真理を伝えるところにある。 わたしは、平和(平安)をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。 わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。(ヨハネ福音書十四・27) たしかにキリストが与える平安(平和)は、この世が与えるような仕方とは全く異なっている。それは人間の努力とか話し合い、あるいは、武力によってではない。それはまず人間の根本にある闇である罪を知ってそれを赦されるところにあり、神の聖なる霊を受けることによって与えられるものである。 休憩室 ○小鳥たち わが家の前に、直径八〇センチ、高さ五〇センチほどの円柱状の水槽があります。そこに金魚を飼っているのですが、そこに水がいつも上まで入れてあります。 わが家の裏山は標高二〇〇メートルほどの低い山なので、谷にも水がほとんどない今の時期には、小鳥たちが朝から入れ代わり立ち代わり水を飲みにやってきます。 風もなく、暖かい日のときにはことにいろいろの小鳥がつぎつぎに来ます。キジバト、メジロ、ヒヨドリ、ヤマガラ、そしてふつうはなかなか人前に姿をみせないウグイス、それからこの辺では珍しいエナガなどです。 家に居るときは多くはないのですが、集中的に原稿を書いたりする日は終日在宅することもあり、そのときにはこうした小鳥たちが間近につぎつぎに見えるのはありがたいことです。 ウグイスは今は、ジッジッという地鳴きをして、低い茂みのなかを飛び回っているので、なかなかその姿は見えません。しかしこの水槽にはそばの茂みから突然現れてはひとしきり水を飲み、気持ちよさそうに水浴びをしてそれからさっと茂みに入っていきます。 また、ホオジロは水飲みにはまだ来ていないようですが、すぐ近くの木の梢にとまって、美しい歌を朝から歌ってくれることがときどきあります。 こうした小鳥たちの姿やたたずまいは、おそらく誰にとっても心あたたまるもの、安らぐ風情があります。翼を与えられ、軽やかに飛び、そして美しい歌を歌うものもあり、私たちが神への信仰に生きるすがたを表しているように感じることがあります。 ことば (174)何にも目的がなく、いかに思索をしても決して、大いなる思想を持つことはできない。 大いなる思想は、人を助けようとする愛に燃えるとき、自ずからわき上がってくるものである。(「ロマ書の研究」内村鑑三著 第58講より) ・人を助けたい、苦しむ人、闇にある人に何とかして助けになるものを提供したい、との真実な願いのあるところ、何か道は示される。そしてそうした思いが神によって燃やされるところに、深い思想、信仰は生れる。それは論理的な精密さとか体系の大きさといったものとは違って、神からくる深さである。それは、神の愛に基づく心であり、それゆえに神ご自身が深める。 (175)彼は、自分の魂を知っていた。それは彼にとって尊い者であった。彼はそれを、ちょうど瞼(まぶた)が、眼を保護するように、護っていた。 そして愛という鍵なしには、何人も自分の魂のなかへは入れなかった。(「アンナ・カレーニナ」河出書房版 トルストイ著 392頁) ・人はだれでも自分の心、あるいは魂といったものにたいてい鍵をしめて他人が入らないようにしていると言えよう。トルストイが書いているように、心のなかに入るためには、愛をもってしなければできないというのは多くの人が感じているだろう。 人間を創造された神ご自身にもいわば鍵がかかっていて、自然のままの人間にはそれを開く鍵を持っていない。 人の心だけでなく、神の心にもそして神が書かせた私たちへの言葉といえる聖書も、また神のこの世に関する大いなる御計画もまた、同様である。さらに私たちの周りにある自然の世界も同様で、それらにははある種の眼にはみえない鍵がかかっていると言えよう。 黙示録では「封印された巻物」(黙示録五・1)と記されている。 私たちはまず信仰によって、さらに神への愛によってのみ、こうしたさまざまの世界へのとびらを開くことができる。 「 門をたたけ、さらば開かれる。」 (176)イエスは「求めよ、そうすれば与えられる」と言われ、すべての必要なものを求めよ、と言われた。イエスは繰り返し私たちを祈りへと招き、導き、励まし、勧め、また祈るように命じられる。祈りは救われた人にとって、生命の心臓の鼓動である。(「祈りの世界」38頁 ハレスビー著 「日本キリスト教団出版局」) 返舟だより ○「今日のみ言葉」一〇四 本当にありがとうございます。 『人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。』 この短い聖句、なんて壮大で重い言葉なのでしょう。 私の人生もパンの奪い合いの人生であり、今もその延長線上にあります。目に見えない本当に大切なものを忘れがちであり、時には苛立ちや不安の中で生活している毎日です。 イエスが五千人にパンを与えた奇跡、その当時の人達は本当にイエスの言葉を聴き希望と喜びに満たされ、生きる力が湧き、あり余る程の充足感に満ち溢れた事でしょう。当時イエスの言葉を聴いた人達は誰も明日の糧を考えなかった事でしょう。そしてこの人こそキリストであると確信して家路に着いたでしょう。先生の短文を読んでいてそのような事を考え、言葉は神と共にあり、言葉は神であった事が実感として迫ってくるような気がしました。(近畿地方の方) ○はこ舟2004年1月号を読んで。 詩篇七十三篇については、悪しき者がなぜ栄えるのか、そのことに関しての我が悩み、そうした矛盾の解決の道はどこにあるかなどとありまして、はこ舟や元日礼拝のテープを参考に紙に写しながら読みました。 自分がふだん思っていることを語ってくれているなぁと思いました。ただ私の場合はまだ心が定まっていないと思います。 時に他人の行いに対して腹を立てている自分に気づき、ああ、こういうとき、相手の人がイエス様のことを知って罪が贖われます様に祈りなさい、と書かれていたなぁと思い出して心の中で静かに祈るようにしています。 どうかもっと聖霊が注がれて、イエス様を絶えず仰ぐことが出来ますように。 綱野さん、宮田さん、アシュレーをありがとうございます。毎月楽しみにしております。 集会の皆様に神様のご祝福がありますように。(関東地方の方) ○今月はいつもの、はこ舟、今日のみ言葉、に加えて野の花が届けられまして、御恵み をたくさんいただきました。まことにありがとうございました。「野の花」の御一人 一人の文章を丁寧に読ませていただきました。どのかたも、みな、人に格好よいとこ ろを見せた文章ではなくて、あるがままのご自分を神様に捧げていると思いました。 十字架にしかすがるものはない、とはっきりした信仰の原点に立っているのが感じら れました。…心砕かれ、そして心洗われました。(関東地方の方) |
2004/2 |
心を与える神 2004/1 人間は心を与えることはできるだろうか。金は与えることはできる。地位も与えることもできる。技術も与えることができよう。しかし、心は与えることはできない。清い心や真実な心あるいは正義に従う勇気などを与えようと思っても、自分の最も身近な家族にも与えられないのに気付かされる。 それは当然だろう。もともと私たちはそうした本当によいものを持ってはいないのだから。私たちは自分自身にすら、清い心を造り出したりできないのである。 しかし、神はできる。神こそは、私たちにそのような心を与えて下さるお方である。 わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。 わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。(エレミヤ書三十二・39〜40) わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。(エゼキエル十一・19) ここに引用したエレミヤ書、エゼキエル書はともにいまから二千五百年以上も昔の預言者である。このような古い時代から、神は私たちの生まれつきの心を鍛えるとか成長させるというのでなく、新しい心を新たに与えて下さるということが記されている。これは驚くべき深い見方である。 自分という人間そのものと分かちがたく結びついている心、それと全くことなる神の国のものといえる清い心を与えていただけるというのである。 そしてこうした預言の言葉のとおりにそれから五百年以上のちになって、心を与え、新しい霊を与えて下さるお方が現れた。それが主イエスであった。 心が壊れてしまったとか、心が汚れてどうしようもないように感じる人、暗い心がどうしても変わらない人、あるいは生きる力が出てこない心をもてあましている人、そうした人は、まったく新しい心を共に神からいただこう。そうしたすべての人々に、主イエスは、「求めよ、そうすれば与えられる」と今日もうながしつづけておられる。 雪のように白く 水は不思議な性質を持っています。人間の体重の60%以上を水が占めていることからもその重要性がうかがわれます。栄養分を溶かして体全体に運び、酸素も全身に運んでいます。さらに筋肉で生じた熱を運び、また体内で生じた不要物や有害なものも水に溶ける形にして排出されるということで、体内から十二%の水が失われたら死んでしまうと言われています。 そのため、水だけあれば、食物を摂らなくても人間は30〜40日程度生きられるが、水がなかったら、二週間も生きられないといわれています。 そのように私たちが生きていくにも絶対不可欠な水ですが、その水はまた、地球上の植物や動物などの生命を支えています。 このように人間だけでなく、地球全体を見てもきわめて重要なものですが、さらにその現れ方も不思議なものです。 空気中には水がたくさんあります。しかし目には見えません。それは気体(水蒸気)の状態で存在しているからです。 その水が、温度が下がると気体のままでいられなくなって小さな液体の水、水粒になります。それが雲です。雲の白い姿、その形は無限な多様性を持っていますし、夕暮れや朝などの太陽の光を受けるときには、驚くばかりの色合いにもなって壮大な芸術作品が大空に展開されます。 そのような美しさとともに、膨大な水の集まりである海は深い青色となり、大空の青とともに私たちの心を引きつけ、清めまた高めてくれる働きを持っています。 さらに、大気中の水蒸気が冷えてできる雪は、それが液体のときに見られるような白とか海などの青い色とはまったく異なる純白となります。 このように、水は目に見えない形、雲の白やグレー、夕日などの赤や赤紫、川や海の青や緑、そして雪の純白と、その色彩も実に多様なものとして私たちの前に現れます。 このように、水は私たちに最も身近なもので、自分のからだを維持し、命を支えてくれていることから始まって、地上の生物を支え、また芸術的な点でも、空の雲や川、海、そして雪などのように実に深いものを与えてくれています。 そうしたなかで、聖書において、雪の白さというものが、罪との関連で特にあげられています。 古代の中国人が考えた、雪という漢字を見てみます。彗星の彗という漢字は、細い穂や竹枝をそろえて手で持つさまを示したものであり、雪という漢字の下の部分は、この彗の下の部分と同じであるとされています。そのため、雪とは、「雨+彗(すすきなどの穂でつくったほうき、はく)」の会意文字で、「万物を掃き清める」という意味を持っていると、漢字の字源辞典で説明しています。 すべてを純白にし、汚れたものも、見にくいもの、古びたものもみんな覆ってしまう、雪が一面に降ると、確かに万物の汚れが掃き清められたような状態にしてくれます。数千年も昔の中国人は、雪を、あらゆるものの汚れを清めるものというイメージを持っていたのがうかがえるのです。 聖書においても、雪の白さは、罪からの清めと関連したつぎの箇所が知られています。 …主は言われる。 たとえ、お前たちの罪が緋(ひ)(*)のようでも、雪のように白くなることができる。 たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる。(イザヤ書一・18) … わたしを洗ってください雪よりも白くなるように。(詩編五十一・9) (*)緋とは、鮮やかな朱色のこと 雪を見てまず美しいと感じるのが暖かい国の人の受け止め方ですが、ここでは、神の愛を深く感じることに関連して思い出されているのです。 ことにはじめに引用した箇所は、今から二千七百年ほども昔に書かれたと考えられている書物であるのに、神が人間の重い罪を赦して下さるお方であるとはっきりと記されています。 緋色のような罪と言われているのは、朱色のように著しく目立つ罪、どこから見てもその罪がはっきりわかるほどの明らかな罪、といった意味あるいは、人を殺すときの血の色を連想することから、最も重い罪といったことが含まれていると考えられます。そのようなひどい罪であっても、人が立ち返ることによって神に従うことによって一方的な赦しを与えられるということです。 それはその後七百年ほども後になって現れたキリストの赦しの愛を予告するものとなっています。 どんなに過去に、だれの目にも明白な汚れた罪、また重い罪を犯していても、ただキリストがそれらを赦して下さるために十字架について下さったと信じて仰ぐだけで、それが赦され、雪のように純白にしていただけるというのです。人間の努力では到底、過去のさまざまの罪を消すことも清めることもできないのであって、それは本当に驚くべき神のわざです。 私たちも雪を見るとき、こうした数千年前の預言者の心に投じられた神の愛を思い起こし、いっそう神からの清めを受け、雪のように白くしていただきたいものです。 愛と悲しみ キリストの福音(*)とは、その名のとおり、喜びのおとずれであり、知らせである。私たちの最大の問題である、心の中の問題、そのなかでも一番奥深いところにある罪に苦しむ人間に対して、その根本的な解決の道を知らされた者は、どのような状況にあっても、深い平安と喜びを感じる。そこから自然にその喜びを伝えようという気持ちになる。 そのような心に真正面から対立してくるのが、現実のまわりの厳しい状況である。キリストの十字架の死が、私たちの罪を赦すこと、あがなうことだと、単純に信じるとよいのであるが、それをどうしても受け入れず、罪などないとかキリストの十字架は罪をあがなう力などないといって、受け入れない人がきわめて多いことに気付く。 それはパウロの時代から見られたことであった。 …何度も言ってきたし、今また涙ながらに言うが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多い。 彼らの行き着くところは滅びである。彼らは…、この世のことしか考えていない。(ピリピ書三・18〜19より) キリストの十字架に敵対するとは、ふつうには耳にしない表現である。十字架とは私たちの罪を担って死なれたということである。それに敵対するとは、そうした死は必要ない、キリストは十字架にかかってまで、私たちの罪を清めようとされたが、罪そのものがないなどという場合である。 しかし、自分の罪を認めようとしないで、歩むときには必ずその人の心は次第に固くなり、よきものを感じたり、心動かされることがなくなっていく。それは滅びという状況である。 そのような人々に対してパウロは、涙ながらに言うと書いている。神の愛に敵対する者に対してもそういう人々を憎むことなく、また見下すこともなく、深い悲しみをもって見つめていたことがうかがえる。 また、他の箇所でも次のように、パウロの涙を見ることができる。自分が去ったあと、キリスト教の真理を曲げて真理でないものを教えて人々を惑わす者が表れることをパウロは予見していた。そしてさらにこう言っている。 …あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。だから、目をさましていなさい。 そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。(使徒言行録二十・31〜32) 涙をもって、それは単なる一時の感情ではない。それとは逆に、相手がどのようであっても、変ることなき愛のしるしであった。背く者にさえも心からの愛をもってする、それこそ神の愛であり、それは神とともに永遠的な起源をもっている。そのような愛から注がれる心からの涙であった。 主イエスも、自分を受け入れようとしないエルサレムの人たちを見て、涙を流された。 …いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら......しかし、それは今おまえの目に隠されている。 いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来る。(ルカ福音書十九・41〜43) この主イエスの深い悲しみは、まもなく歴史の中で実際に生じたことによって、イエスが時間を越えてその背後にあるものを見抜いていたことを示している。 紀元七十年に、ローマの将軍によって、エルサレムは攻撃され、数えきれない人々が殺され、最も重視していた神殿も破壊され、炎上してしまった。 こうした事態をそれが実際に生じる四十年も前から、はっきりと予見されていたのである。そして数知れない人々の命が失われ、神の約束の地であった場所から追い出され、以後は国なき民となり、そこで生じる人々の悲しみを主イエスは何十年も前から、それを自分のことのように、実感して、深い悲しみにおそわれたのだとわかる。 人間は、他者によくないことがあったらすぐに怒ったり、見下したりする。それでもどうにもならないときには見捨ててしまう。 パウロは、さらに、キリストを信じる者が、怒り、憎しみ、悪口などよくない言動をすることによって神の霊(聖霊)が悲しむことを知っていた。 …悪い言葉を一切口にしてはいけない。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されている。 (エペソ信徒への手紙四・29〜30) 愛は、高ぶらず、ねたまず、すべてに対して希望をもって見つめると言われている。そうして愛はまた、悲しむということができよう。愛なき者にも悲しみはある。しかし、神を信じる者の悲しみは、人間の悪に対してそれが除かれるようにとの祈りをこめた悲しみであり、神の力がそこに働くようにとの願いを伴った悲しみであるだろう。 このような、涙と悲しみは、旧約聖書から見られる。そのなかでとくに読む者の心に深く残るのは、預言者エレミヤの涙である。 わたしの頭が大水の源となり、わたしの目が涙の源となればよいのに。そうすれば、夜も昼もわたしは泣こう、娘なるわが民の倒れた者のために。(エレミヤ書八・23) エレミヤとは、キリストよりも、六百年ほども昔の預言者である。国が真実の神でない偶像を拝むことに傾き、宗教的指導者、政治家たち、また民衆の心も荒廃してついに神のさばきを受けて、滅びることになる。それは当時の大国、バビロン(新バビロニア帝国)が攻撃してきたことによって現実となった。そのときに神によって神の言葉を語り、警告し、本当に歩むべき道を指し示したのが、エレミヤである。 当時の荒れ果てた社会の現状を神がいかに見ているか、それをエレミヤはまっすぐに人々に語った。しかし、そうした神からの直接的な警告の言葉をも、人々は聞き入れず、背くばかりであった。エレミヤはその状況を目の当たりにして彼らが滅びていくのが確実に霊の目で見えたのであった。そのとき、エレミヤは怒り、汚れた行動に走る人々を見下し、見捨てるのでなく、深い悲しみをもって見つめ、祈り続けたのであった。 そのエレミヤの愛ゆえの悲しみがここに引用した言葉に表れている。今から二千六百年ほども昔に、このように一人の人間の深い悲しみ、滅びゆく人々への深い愛ゆえの悲しみが記されているのは驚くべきことである。 あなたたちが聞かなければ わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。 涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。 主の群れが捕らえられて行くからだ。(エレミヤ書十三・17) ここには、神の言葉に聴こうとしなかった、神の民の都が滅ぼされ、人々は多くは殺され、町や精神的な中心であった神殿も焼かれ、多数の者は遠いバビロンへと捕虜となって連行されていったことを悲しむエレミヤの心が表れている。 彼らがエレミヤを通して語られる神の言葉を聞かないなら、ふつうなら怒り、彼らに絶望して見捨てる気持ちになるだろう。しかし、エレミヤは彼らの傲慢と背信に涙をもってした。 私たちの心が固く浅い場合には、愚かなことをしている人を、見下したり、そのために苦しみにあったりすると、いい気味だと思ったりする。しかし、神の愛は、そうした人から悪の力、悪の霊が追い出されて、そのような悪人の心が清められ、罪赦されること、そこから神を信じる人間として生まれ変わることを願う。 キリストの教えとして最もよく知られていることの一つは、つぎの言葉である。 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・43〜44) エレミヤは、隣人である同胞の人々に対して、かれらが救われるようにと繰り返し語ってきた。しかし人々は従わなかった。そればかりか、エレミヤに敵意を抱き、エレミヤを殺そうとまでするほどであった。 それにもかかわらず、エレミヤは彼らを愛し続けて、この主イエスの言葉のように、敵対する人々を愛し続け、祈りをもって見つめ続けたのである。 「父の涙」という讃美がある。その折り返しの部分をつぎに引用する。 十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙 十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛 この讃美においても、父なる神の涙は、イエスの愛、神の愛のあらわれだと歌われている。 神の愛をもって、背く者たちを見つめ、正しい道に立ち返らせようとする。しかしその愛にもかかわらず背き続ける者が実に多い。そしてその背きの結果は、自分自身が苦しみ、平安なく、喜びなく、生きる力も失われていき、心の清さもなくなって、最終的には死とともに滅んでしまう。そのことをすべてを見抜くまなざしで見つめる神は、深い悲しみをもち、涙をもってそれを見ておられる。 深い愛は同時に深く悲しむ。このような人間の最も深いところでの心の動きについては、今から二千五百年ほども昔にすでに、聖書に記されている。 彼は卑しめられて人に捨てられ、悲しみの人(**)で、苦しみを知っていた。また忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの苦しみを負い、われわれの悲しみを荷なった。ところが、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。(イザヤ書五十三・3〜4より) この有名な箇所は、はるかな古代から、神の特別なしもべは、世間からは評価されず、棄てられる。しかし、そのしもべは、悲しみの人であり、深い悩みと苦しみを知った人であり、それは、我々人間の苦しみ、悩み、悲しみを荷なったのであった。そのような驚くべきしもべが存在することを、類まれなほどに霊的に引き上げられた魂が、神より直接的に示されたのであった。神の愛とは、人間の悲しみや苦しみをあたかも自分のもののように感じて荷なって下さるものである。そのような愛を一身に受けて、人間の悲しみと苦しみを荷なって軽くすることのために、地上に現れたのがそのしもべなのである。 (*)「福音」とは、中国語の訳で現在の中国語聖書もこの語を用いている。日本語と思い込んでいる言葉が実は中国語であり、それをそのまま日本に持ち込んで日本語とし、本来の中国の発音とは異なる、日本的な発音で用いているのである。例えば四福音書の一つである、ルカ福音書は医者のルカによって書かれた。そのルカは中国語では、「路加」 と書く。もちろん中国語であるから、これは日本語のように、「ロカ」とは、読まない。しかし、聖路加病院のことを、まちがって「せいろか」と読んでいる人が多い。病院関係者や、有名出版社の人ですら、まちがって読んでいるのに、驚かされたことがある。また、これを中国語だと知らず、当て字と思っている人もいる。これはキリストの弟子の名前であるから、日本語として読む場合には、当然「せいルカ」と読むのが正しい。キリストのことを「基督」と書くことがあるが、これも中国語の表記であって、「きとく」などと読んだら間違いであるのと同様である。この中国語の発音は、チィートーであるが、日本語風にしてキリストと読んでいる。なお、「耶蘇」も、「イエス」の中国語表記であるが、これも当て字のように思っている人がいるが、これも中国語で、yesu(イェースー) と発音する。それをその漢字のまま日本語の発音にして、ヤソと読んで日本語であるかのように用いている。 (**)悲しみの人と訳された原語(ヘブル語で、マクオーブ makob)は、「悲しみ、悲哀」の他に「苦しみ、痛み」などとも訳される。口語訳、新改訳、関根訳などは、「悲しみの人、悲哀の人」と訳しているし、外国語訳のうち、英語訳についていえば、KJV、RSV、NIV、NJBなども、「悲しみの人」 a man of sorrows と訳している。新共同訳は、「痛みを負い」と「人」を入れずに訳している。 苦しみを通って(詩編七十三編より) この世に生きるかぎり、私たちはだれでも悩み、苦しみを持っている。一見そうしたものがなにもなさそうに見える人であっても、その心の奥に取り去りがたい問題を抱えているものである。そのような問題はないという人もいるかも知れない。しかしそうした人の傍らにこそ、困難な問題が待ち伏せているかも知れないのである。 この世で生きるかぎり、どこまで行ってもそれはやはり何か心を曇らせたり、悲しみに沈むようなこと、落胆させることにつきまとわれるであろう。 旧約聖書の詩編はさまざまの詩が集められている。そのなかには、そうした苦しみと悩みのゆえにあやうく道を誤りそうになった一つの魂の歩んだ道がありありと見えるような詩もある。ここではそうした内の一つをあげて、遠い昔に生きた人間の足跡をたどってみたいと思う。 神は正しい者に対して、また心の清い者にむかって、 まことに恵みふかい。 それなのにわたしは、あやうく足をつまずかせて まさに倒れるばかりであった。 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、 その高ぶる者をねたんだからである。 彼らは死ぬまで彼らは苦しみを知らず からだも肥えている。 だれにもある労苦すら彼らにはない。 だれもがかかる病も彼らには触れない。 高慢は彼らの首飾りとなり… 心には悪だくみが溢れる。… そして彼らは言う。 「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」 彼らはいつまでも安らかで、富を増していく。 わたしは心を清く保ち 手を洗って潔白を示したが、むなしかった。 日ごと、わたしは病に打たれ 朝ごとに懲らしめを受ける。 「彼らのように語ろう」と望んだなら 見よ、あなたの子らの代を 裏切ることになっていたであろう。 わたしの目に労苦と映ることの意味を 知りたいと思い計り ついに、わたしは神の聖所を訪れ 彼らの行く末を見分けた あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え 彼らを迷いに落とされるのを 彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし 災難によって滅ぼし尽くされるのを… わたしは心が騒ぎ はらわたの裂ける思いがする。 わたしは愚かで知識がなく あなたに対して獣のようにふるまっていた。 あなたがわたしの右の手を取ってくださるので 常にわたしは御もとにとどまることができる。 あなたは御計らいに従ってわたしを導き 後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。… わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが 神はとこしえにわたしの心の岩 わたしに与えられた分。 見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。 御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。 わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。 わたしは御業をことごとく語り伝えよう。 ************************************* 「私は危うく足をすべらせ、まさに倒れるばかりであった。」 この詩の作者は、あるときに信仰の危機に陥ったことがある。それはもう少しで、信仰を失い、滅びに落ちていく寸前まで行っていたのがうかがえる。どのような人であっても、時として大きな動揺に落ち込むことがある。 例えばモーセのことを考えてみる。彼は歴史のうちで最も大きな足跡を残した一人であり、深い信仰と勇気によって耐えがたい困難にも屈することなく、エジプトという大国の権力のもとにあった民を導きだし、砂漠でのあらゆる困難にも耐えて多くの民を約束の地まで、導いた人であった。そのようなモーセですら、その信仰が動揺したことがあったため、そのことで、目的の地、神の約束の地に入ることができないと言われたのである。(*) (*)主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」(民数記二十・12) こうした動揺は、この詩の作者の場合は、何によって生じたのだろうか。それがつぎのことである。 「悪しき者が栄える」というこの世の現実によってである。これは私たちの身近なところから、社会的な問題や、国際的な状況を考えても至る所で見られる。心に神を信じないで、嘘や不真実な態度をもってしている者がかえって楽しく、幸福そうに生きていることはいくらでもある。真実に生きようとしてかえって苦しめられ、痛めつけられ、悲しみや悩みに生きなければならないということは周囲にも見られるし、どこの国にもあった、迫害のきびしい時代にはキリストを信じるだけで、大きな苦しみに直面して、命さえ奪われることにもつながっていった。 神が愛であるなら、そうして真実であるなら、どうしてこうした不可解なことが生じるのか、それがこの詩の作者にも切実な問題として浮かび上がって行ったのである。 安楽に過ごし、幸福そうに見える者たちは、つぎのように見えたのである。 「死ぬまで彼らは苦しむこともなく、肥え太っている。誰にでもあるはずの労苦もなければ、病気にすらかからない。そして心には悪いことを考え、弱い者を見下し、暴力、武力をもって人に偽りを言う。」 その上、彼らは信仰とか神の導きとか支配ということについては全く問題にせず、そうした信仰をあざけり、神は何を知っているのか、何も知らないからこそ悪をこんなにのさばらせているし、よい事も悪いことも同じように起こるのだ…などと神をあなどり、神を信じる者たちを見下している。 このような悪しき者たちが悪を重ねても何の罰もないということ、そしてそのような人たちから、神などいない、神は何にも見ていないのだ、神を信じるなど無意味で愚かなことだと見下される。信仰をもって生きようとする者に対して、このように嘲られるということは、はるか昔から絶えず、つきまとってきたことなのである。 この問題は、聖書では、とくに旧約聖書のヨブ記という書物に詳しく記されている。神を信じる者にふりかかる理由なき苦難や悲しみ、それは一体どんな意味があるのか、神がおられるのならどうしてそんな理不尽なことがおきるのか、神を信じる者には幸いが注がれるというが、まったくその逆だと思えるようなことが実に多いというこの世の現実をいわば命がけで体験させられた人の内面的な記述であるといえる。 このような他人からのあざけりに出会ったとき、それに耐えることができなくなって、信仰が揺らぐことがある。そしてその揺らぎが大きくなり続けてついに信仰を失い、サタンの力に取り込まれてしまうこともある。そのよく知られた例が、ユダである。ユダは、キリストの十二弟子の一人として、数えきれないような人間のなかからとくに選ばれてキリストの弟子となった。しかし、現実の数々の不可解な出来事、主イエスが、いつまで経っても社会的には、まったく力もなく、改革などもできるような人間でない、ハンセン病や目の見えない人、耳の聞こえない人、重い病人たちを重視して彼らとのかかわりを重んじられた。そして、ユダヤの国の再建といった大きいと見えることについては、いっこうに口にされない。おそらくは、そうしたいろいろのことへの疑問がふくらんで、ついにキリストへの信仰を失い、こともあろうに、そのキリストを計画的に裏切り、金で売り渡すというような、神を信じない者でも簡単にはできないようなことを犯してしまった。 このように、信仰の動揺はどこまで堕ちていくかわからない。 この詩の作者も、現実の不可解な悪がはびこっている出来事、自分がどのように願っても聞き入れないように見えるなどのことが続くとますます神の存在そのものがわからなくなってくる。 この詩の作者は、病気にもさいなまれていたことはつぎの言葉からもうかがえる。 日ごと、私は病に打たれ、朝ごとにこらしめを受ける。(14節) この点でも、旧約聖書のヨブ記に表れるヨブという人物と同様である。病気はいつの時代でもその病状がひどくなればなるほど、耐えがたい苦しみとなり、祈ることも他人の話を聞くことも受け入れることもできないほどになる状況となることが多い。 このような時、神を信じない、善の力をも信じないで、不正を働き、弱い者を苦しめている実態にふれるとき、人は最も動揺する。病気の苦しみがひどいとき、それが治らないときにはそれだけでも、神はおられるのか、どうしてこの苦しみはいやされないのかと神への疑問、不信となりがちである。 このように、精神的にも、肉体的にも打ちのめされたこの詩の作者は、もう少しで、「神などいないのではないか、神に頼っても助けてはくれないのだ。神が善人を助け、悪人を裁くなどといっても、そんなことは見られないではないか…」と、周囲の人に言ってしまうところであった。 そのことを、次のように言っている。 …「彼ら(神を否定する人々)のように語ろう」と望んだなら、 見よ、あなたの子らの代を裏切ることになっていたであろう。(15節) このような、神に対する疑問や不信は、聖書そのものにも記されている。旧約聖書の伝道の書にもつぎのように記されている。 すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。(伝道の書九・2) また、やはり旧約聖書のヨブ記において、一人の心身ともに苦しみにさいなまれる人間の告白を聞くことができる。ヨブという人は、日々神に祈りを捧げる信仰あつい人であったが、突然に家族の死や財産を失い、さらに自分も苦しみのはなはだしい病気になってしまう。どんなに祈っても平安がえられず、訪ねてきた友人も自分の苦しみを理解せずに、かえってヨブは罪あるからそのような苦しみに遭うのだと叱責する。 ヨブは妻からも棄てられ、友人たちからも理解されず、病の苦しみに耐えがたい状況となり、神などなにも助けてはくれない、正義の神などというのはないのだという心の動揺に揺さぶられていく。そこからつぎのようなうめきが生じたのであった。 …皆同一である。それゆえ、わたしは言う、「彼は罪のない者と、悪しき者とを共に滅ぼされるのだ」と。(ヨブ記九・22) このような信仰を揺るがすような誘惑にかられて、もし自分が周囲の人々に、神などいないとか神がいるかも知れないが、悪をも裁くこともせず、真実な人にも何も報いてはくれないなどと、言ってしまったら、それこそ、長い歳月を受け継がれてきた、神の民の神への信仰をも揺るがすことになってしまっただろう。それは、未来の世代に最善のものを受け渡していかねばならないのに、まちがったものを受け渡すことになり、それでは未来の世代を裏切ることになっただろう…と言っているのである。 しかし、こうしたいろいろの心の動揺を、神にすがり続けることにより、辛うじてこの作者は、乗り越えることができた。それは、つぎのように記されている。 わたしは神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を悟った。 あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え、彼らを滅びに落とされるのを 彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし、災難によって滅ぼし尽くされるのを(17〜19節) これこそ、この作者の決定的な転機であった。長い間の苦しみや悩み、そして神などいないのではないか、という黒い雲がその心をおおうとき、最大の危機が訪れた。そしてそのぎりぎりのところで、神にすがり続ける心が、神の憐れみを受けて、この作者は、「神の聖所」に入ることができた。それは、実際の聖所であったかも知れないが、霊的な祈りのうちでの聖所でもあったであろう。現代の私たちには、後者の意味となる。 祈りのうちに、また時が来て、この作者は神よりの啓示を受けたのである。それは、悪の滅びであった。それまで自分をあれほど苦しめ、悪の力が神より強いのではないかとすら思わせ、信仰そのものが崩壊の危機に瀕していたほどであったが、そこまで動揺させる悪の力に支配されようとしていたが、この作者は、時が来て一瞬にしてそれまでの深い謎から解き放たれたのである。神は現に存在しておられる。その神は悪をいとも簡単に崩壊させることができる。そして悪の最後がどうなるかを、まざまざと霊的な目で見ることができたのである。 先にあげた、ヨブ記という書物も、長いヨブの苦しみに対して、どんな宗教的な議論や説得、あるいは、過去の経験もなんにも役に立たなかったが、苦しい長い日々ののちに、時至って神がヨブに直接に答えられた。その神からの語りかけによってヨブはようやく悪との戦いから開放されることになったのである。 このようにして、窮地を脱した作者は、かつての自分を思い起こす。 わたしは心が騒ぎ、はらわたの裂ける思いがする。 わたしは愚かで、(神がいかにこの世をご支配されているかについての)知識がなく、あなたに対して獣のようにふるまっていた。(21〜22節) 実際、かつての自分を振り返るとそれは獣のようであったことを思い知らされる。獣、それは神を知らない。祈ることも、目に見えないお方に信頼することも知らない。そして自分の欲望や本能、あるいは目先のことだけに動かされている。神によって目に見えない力の存在を明らかに知らされたとき、かつての自分がいかに愚かであったかがはっきりと分かってきたのである。 ひとたび神からの啓示を明確に受け取ったこの詩の作者は、新しい歩みへと進む。それは、それまでどうしても分からなくなっていた神の生きた導きにあるという確信であり、実感であった。現実の世の中において、数々の混乱や汚れ、不信や悪があっても、たしかなある力が自分をとらえ、その生きた御手が自分を彼方の御国へと導いて下さっているということである。このような、生ける導きこそが、キリスト者がつねに必要としていることであり、それこそが、私たちに平安を与えてくれるものである。 しかし、私は常にあなたと共にあり、 あなたは、わたしの右の手をかたく取られる。 あなたは御計画に従ってわたしを導き 後には栄光のうちにわたしを受け入れて下さる。 私にとってあなたの他に、天には誰もなく、 地には、あなたを離れて私の慕う者はない。 わが肉とわが心は衰える、 しかし、神はとこしえにわが岩、わが命である。 見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。 御もとから迷い去る者をあなたは滅ぼされる。 しかしわたしは、神に近くあることを喜び、 主なる神に信頼し、 そのすべての御業を宣べ伝えよう。 この詩の作者は、長い苦しみの後にようやく神の固い導きの手を自らに感じて、この確かな御手の実感から、これは永遠まで、なくなることはないことを知った。いまだ復活という信仰はほとんど見られなかったキリスト以前五百年以上も昔の時代にあって、この作者は、「後には、栄光のうちに私を受け入れて下さる」という確信を持つに至った。深い生ける神との交わりは、死によってそれが失われるものではないという啓示を伴っていたのである。 たとえ自分の肉体や心が老齢のゆえに衰えようとも、神は岩のごとく私の救い主であり続ける。 そして悪を放置する神でなく、繰り返し神からの語りかけを受けてもなお、それを拒み、受け入れようとせずに、悪の道を歩み続けるかたくなな心に対しては、神は必ずそのことを罰せられる。これは単なる信仰でなく、現実に私たちの周囲でいくらでも見ることができることである。悪の道、不信実な行為を続けていたらその行き着く先は滅びであること、心がだんだん壊れていくか、それとも老化して生きた喜びや感動をまるで感じなくなっていく。これこそ、裁きである。 神の近くにあるという実感は、それが何にも代えがたいことを知る。それとともに、そのような生きて働く神、私たちを導き続ける神のことを何とかして伝えたいと願うようになる。それゆえ、この詩の作者は、最後に「神のみわざをことごとく語り伝えよう」との言葉で結んでいる。 自分が神から与えられた経験が奥深いゆえに、それを黙っていることができない。聖書には、この内部から動かすエネルギーを神が与えること、そこから聖書の唯一の神への信仰が伝わっていくことが示されている。 これは聖書の特質だとも言えよう。詩編だけを見てもこのような箇所はつぎのようにいくつもある。 わたしの口は恵みの御業を 御救いを絶えることなく語り なお、決して語り尽くすことはできない。 しかし主よ、わたしの主よ わたしは力を奮い起こして進みいで ひたすら恵みの御業を唱えよう。 神よ、わたしの若いときから あなた御自身が常に教えてくださるので 今に至るまでわたしは 驚くべき御業を語り伝えて来た。… 私が老いて白髪になっても、私を捨てず、御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。(詩編七十一・15〜18より) この詩には、神がなさったこと、神のみわざを今までも絶えることなく語ってきたが、今後とも、老年に至るまでも語り続けていきたい。どうか、神よ、私を助けてください、という切実な願いがにじみ出ている。 わが神、主よ あなたは多くの驚くべき業を成し遂げられる。 あなたに並ぶものはない。 わたしたちに対する数知れない御計らいを わたしは語り伝えて行こう。(詩編四十・6) ここでも、神の驚くべき、不思議なわざを経験したということがもとにある。自分が何ごとであれ、深く経験したことがすばらしいこと、喜ばしいことであればあるほど、それを黙っておれなくなるだろう。これは信仰と無関係のことでも同様である。しかし、それと聖書の語り伝えようとする心との違いはどこにあるだろうか。それは、信仰と無関係なことなら、相手が関心を示さなかったり、時間が経つと気持ちが変わっていつかなくなってしまう。しかし、神によって動かされた感動は、また神がうながして語り伝えようとされる。それゆえに伝えようとする心が弱まることがない。人がもう伝えまいとしても内なる何かがうながして伝えさせようとするからである。 こうした、内なる働きかけによって、すでに旧約聖書の時代から神がなさる大いなるわざを経験し、苦しみにある者への助けの体験はずっと語り伝えられてきた。 新約聖書の時代になり、そうした流れの上に、さらにキリストが十字架による罪の赦しと、復活という他にはなにものも代えることのできない大いなる出来事が加わり、それを体験した者はさらに新しい力とうながしを内に持つことになったのである。 キリストの十字架と復活以前に、キリストが誕生したとき、最初に知らされた羊飼いたちは、その驚くべきイエスの誕生のことを人々に知らせた、と記されている。(ルカ福音書二・17) また、いのちの水ということは、永遠の命、あるいは聖霊を言い換えた言葉として、ヨハネ福音書ではとくに重要な言葉であるが、そのことについて、井戸端で主イエスとの会話のときに、そのいのちの水を与える者こそは主イエスであるということを知らされたサマリアの女は、そのことと共に自分の過去を鋭く見抜いたことに、非常な驚きを覚え、せっかく運んできた水瓶や汲んだ水をそこに置いたまま、告げ知らせに行ったことが書かれている。 …女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。 「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」 人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。(ヨハネ福音書四・28〜30) この何でもないような記事は、すでに述べてきたように神によって起こされた感動はだまっていられないものであり、それはただちに外部に向かって告げ知らせたいという強い衝動を引き起こすものだと言おうとしているのである。そして実際に多くの人たちがその女の生き生きとした証言に動かされてイエスのもとにやってきたのであった。 基本的にはこれと同様のことが、以後もずっと全世界で生じていったのである。 イエスの十字架と復活、そしてそれに続く聖霊の注ぎはその深い感動の原点となった。 聖霊が注がれるまでは、十字架の処刑のときも逃げてしまい、イエスの弟子ですらなかったと強く言い張ってしまったペテロたちであったが、聖霊が注がれることによって別人のようになった。 そして多くの人々の前で、イエスの復活を驚くべき力をもって証言しはじめた。 …しかし神はこのイエスを復活させられた。私たちは皆、その証人なのです。… そしてイエスは神の右に上げられ、私たちに約束のとおり聖霊を注いで下さった。… だから皆ははっきりと知らなくてはならない。 あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(使徒言行録二章より) このようにしてキリスト教の伝道は始まったのである。これを見てもわかるように、キリスト教伝道ということは、決して組織が命じたり、強制したり武力で制覇したりすることとはかかわりのないことであった。たんに、無学な漁師であったペテロが我が身に生じた決定的な体験、罪赦され、新しい神の力を与えられ、生きた主イエスのみ声を聞いて導かれるというただ、それだけのことでなされていったのである。 その後、パウロというユダヤ人はキリスト教徒たちを激しく迫害して殺すことまでしていた。しかし突然、天からの光を受けてそれまでの一切が砕かれ、自分の重い罪を知らされた。そればかりか、その罪を赦され、力を与えられたという点ではペテロと同様であった。そしてその経験をもとにして、生きたキリスト、聖霊によって導かれて、ただちにキリストのことを証言する生涯へと変えられたのであった。 歴史はこうした人間がつぎつぎと二千年にわたって生み出されてきたことを記している。私たちがいま、キリストの福音を知らされているのも、過去の長い歳月、途絶えることなく、泉がわくようにしてこうした人々が生み出されてきたからである。それは人間の努力によらず、組織の力でなく、また偶然でもなく、ただ神ご自身が人を動かし、証言する人たちを絶えず生み出してこられたからなのである。 そしてこれからも、いかなる時代になろうとも、神はその御計画に従ってそうした人間を生み出し、キリストの福音を世の終わりまで伝えさせていくことであろう。 憎しみが消える道 テロとは憎しみである。その憎しみを滅ぼす方法を世界は考えているはずだ。そのための方法として、テロを武力で攻撃することが最善だとアメリカや多くのアメリカに加担する国々は考えている。 そして日本も、人道支援だなどと表面をとりつくろって、そのアメリカに率先して協力してきた。 そしてそうした日本の行動を首相や自民党が強く推進している。自民党のなかでも、イラク派兵に反対するかつての有力者を、党内の結束を乱すとして、非難する動きが強まっている。 特定の考え方に従わない者を糾弾し、排除しようとするのは、とくに、戦争にかかわる場合はその傾向が強まる。 戦前には、政府の方針に逆らう者、平和主義を主張するものを、危険思想と称して弾圧していった。戦争を推進する考えこそ、測り知れない人々の命を奪うものであり、それこそ最大の危険思想であるのだ。 今回もすでにマスコミに報道を自由にさせないようにしようとする動きが見られる。 石破防衛庁長官が陸上自衛隊先遣隊のイラク派遣を命じた九日、防衛庁は主だった報道機関に対し、自衛隊に関する現地からの報道を「可能な限り控えるよう」申し入れた。続いて十三日には、自衛隊の三幕僚長による定例の記者会見を廃止する意向を明らかにした。 このような相次ぐ動きは何を意味するだろうか。戦地での活動となると、敵とみられる相手への武器使用、あるいは自衛隊員の被害などで、国民の監視があると都合が悪いようなことが生じる可能性が高い。もし、そうなると、イラク派兵への反対が強くなる。それは政府や自民党など派兵を推進した側への批判となり、つぎの選挙での影響が大きくなる。こうした観点から事実から目をそらせようということなのである。 これは、戦前には重大なことにつながっていった。国民に真実を知らさず、大敗を喫しているのに、勝利だとかまったくの嘘の報道を繰り返ししていった。そして国民を欺きつづけ、ついにおびただしい犠牲を生んでいったのである。 このような戦前の動きの後を追っていくようなことが続いている。国民も次第にイラク派兵の危険性を思わずに、慣れていく傾向が生れるであろう。 しかし、イラク派兵とは要するにアメリカの軍事攻撃、イラク戦争の後始末の一環にすぎない。全体としてアメリカの戦争行為を支持し、加担していくことである。これは今回の戦争が開始されたとき、首相はいちはやくそれを支持したことからもわかる。 このような戦争行為やそれを支持する活動によってテロはなくなるのか。それが根本問題である。はじめに述べたように、テロとは憎しみが根源にある。テロとの闘いとはそれゆえ、憎しみとの闘いである。それならば、憎しみは、武力攻撃という憎しみによってなくすことができるだろうか。決してそうでない。かえってその憎しみに火をつけ、一層憎しみを先鋭化し、内にこもらせていくだけである。 それが、イスラエルとパレスチナのテロと武力攻撃のの応酬や、現在も止むことなきイラクでのテロに表れている。 憎しみを滅ぼすことは、決して武力ではできない。一時的に武力で押さえつけることはできよう。しかしそれは憎しみを滅ぼしたのではない。新たな憎しみの種を蒔いたのであり、さらに新たな憎しみに点火したのにすぎない。 憎しみを消すには、憎しみとは正反対のものによってしかできない。それが武力をとらないでする方法である。そのことを日本の平和主義憲法は指し示しているのである。 平和を主張する憲法のおかげで、日本は過去六十年近くどこの国をも武力で攻撃をもせず、また攻撃もされなかった。そして日本は世界的には、この六十年近く、他国を武力攻撃するようなイメージはなかったと言えるだろう。科学技術が盛んな国、経済の豊かな国、独自の文化を持つ国としてイメージではなかったか。そしてそうした、平和主義の憲法をを六十年近く持ってきた国、その間どこにも軍隊を派遣したことのない国、平和を目的とする国連を資金的に強く支えてきた独自の平和主義を実践する国として浸透してきたのではないか。だからこそ、目にみえない守りの壁が世界のなかで作られてきたと言えるだろう。 そうした世界的な信頼を今回のイラク派兵によって投げ捨ててしまったと言えよう。日本独自の平和主義を世界に指し示し、実践していくことによって目に見えない平和の砦をつくるという道があったのを、今の首相や与党はいとも簡単に打ち壊してしまったのである。 しかし、真理は真理である。そしてキリストの時代から真理は世の多くの人たち、ことに権力者には受け入れられないという実態がある。その意味では現在の首相や自民党などの動きは目新しいものではない。 こうした状況において、多くの人が受け入れないとしても真の道は聖書とくにキリストやパウロの言葉のなかにあることを繰り返し主張していかねばならないと思う。 休憩室 冬の星、カノープスなど 冬は寒くてゆっくり夜の星を観察するのにはふさわしい時ではないかもしれませんが、一年のうちで、最も美しい星々が数多く見られる季節です。オリオン座、大犬座、小犬座、双子座、雄牛座、御者座などにある一等星たちが、せまい範囲に集まっていて、私たちの心をはるかな大空へと引き上げてくれるばかりか、それらの神秘な輝きを与えた創造主へと呼び寄せられる気持ちになります。 今年の冬の空には、双子座のなかに、土星が見えるし、深夜ころには、東から恒星で最も明るいシリウスよりもさらに強い光で輝く木星が昇ってきます。というわけで、目で見えるものとしては、ほかの何ものよりも私たちの心を清め、引き上げるものである星が心にも刻まれるような季節です。 オリオン座のなかの一等星である、ベテルギウスという赤い星は、赤色巨星で、太陽の八百倍ほどもあるという大きさです。夜空に輝く星たちのうちでも、最も大きい星ではないかと言われているほどです。 また、私の住む徳島県小松島市では、天気がよく、北風の吹く夜には大気が澄み切っていて、南の空低いところに、シリウスに次いで明るい恒星として知られている、りゅうこつ座(*)のカノープスという一等星が見えます。このカノープスという星は、関東あたりでは、地平線近くになり、建物のかげになったり、大気の汚れのために、めったに見られない星で、それを見ることができたら長生きするとかいう言い伝えがあるほどで、老人星とか、寿星などという名前もあります。淡黄色で光度マイナス○・七等。 この星は、わが家からは割合よく見えて、中学生のころ、このカノープスという星を何とかしてみたいと思って、冬の星空の南の低い空を晴れているときはいつも探していたら、あるとき、南の低いところ、遠方の低い山なみのすぐ上に、明るい星を見つけ、これがもしかしたら、あの探していたカノープスかと胸をおどらせて星座で正確な位置を調べたところ、やはりそうであったので、とてもうれしく思ったのを覚えています。それ以来、冬の木枯らし吹く月のない夜にはおのずと、南の正面の空に輝くオリオンや、シリウスなどと共に、低い空のカノープスを探しています。今年ももう何度か目にとまったものです。 (*)龍骨とは、船底の中心線を船首から船尾まで貫通する、船の背骨にあたる材。 ことば (171)私たちはかぎりある失望を受け入れねばならない。しかし、限りない希望を決して失ってはならない。(「キング牧師の言葉」32頁 日本キリスト教団出版局) ・この世ではつねに何らかの失望を私たちは経験せざるをえない。というより、自分の周りで生じること、世の中の出来事は、子供のときからずっと絶えざる失望の連続であるとも言えるだろう。希望をもてるようなことがあると思ってもそのうちにそれも失望になることが多い。 しかし、そうしたなかで、万能であり、愛の神を信じるときにのみ、私たちは決して壊れることのない希望を持つことができる。「信仰と希望と愛はいつまでも続く」と言われているとおりである。 (172)すべての行為の前に、神のみ言葉を思い浮かべることは、なんと大切なことであろう。そのような人はどんなに試みられても心配はない。 み言葉のない人は、天から声が届かないゆえに、最後には絶望に陥る。 ただ、空虚な心に駆り立てられる。(ルターの「卓上語録」167頁 教文館) ・神の言葉によって導かれることは、神の祝福を受ける。まず神の国と神の義を求めよ、そうすれば他のことは添えて与えられると主イエスは約束された。このルターの言葉は、何かを行おうとするとき、まず自分の考えや知識、欲求で行動しようとするのでなく、神の言葉を思い浮かべることによって、神のご意志を知った上で、神ご自身に導かれていくことの祝福を説いている。 (173)良心の曇った者たちは、お前の言葉を厳しすぎると思うだろう。しかし、お前は一切の偽りを捨てて、 お前が見てきた一切の姿を明るみに出せ。… お前の言葉は、はじめは苦いかもしれない。(*) しかし、ひとたび体内に取り入れられるならば、 それは命の糧となるものを後に残すはずだ。 お前の叫びは、さながら疾風のごとく鋭く、 高い頂きを強く打つ。(ダンテ「神曲」天国編第十七歌より) ○ダンテは自らの著作の重要な使命の一つは、高い頂き、すなわち当時のローマ教皇など、地位高い人々の不正、さらには当時の多くの人たちの間違いを明らかにし、神の真実を指し示すことだと知っていた。彼は永遠の真理を語ることが自らに託されていることを自覚していた。ダンテが語る言葉は、それゆえに預言者的であり、聖書における預言者のように、聞く者に苦みを感じさせるであろう。しかし、それを心開いて聞き取ろうとする者には、霊的な栄養となり、新しい歩みをもたらすことになる。 神の言葉、真理はこうした特質を持つ。はじめの苦い味わいを退けて、表面的にあまい言葉を追いかけ、取り入れようとする者は、そこに魂の栄養はなく、害悪を取り入れたことを知らされていくであろう。 しかし、真理の言葉を取り入れ、内に消化する者は、たしかに命の糧を得ることになる。 なお、ヒルティはこのダンテの言葉を、最晩年の著作である、「眠れぬ夜のために」の扉に掲げていて、彼がその著作の真理性を確信して世に送り出したのがうかがえる。 (*)参考のために、以下三行の原文と、英訳をあげておく。 ・Che se la voce tua sara molesta nel primo gusto,vital nutrimento lascera poi ,quando sara digesta. ・If thy voice is grievous at first taste, it will afterwards leave vital nourishment when it is digested… 返舟だより ○「はこ舟」読者の方々からの来信です。 * …語られる一言一言が私の魂に響きます。いのちの力を与えられます。 「歌いにくい」と言われる讃美歌21のなかに、すぐれた讃美があることご紹介下さりありがとうございます。 少しでも歌えたらいいなと思います。毎号書いて下さる自然を通しての神への思いは全く共感、同感でたのしみにしています。 吉村さんの平和への思いと反戦の信条、教えられます。憲法がなしくずしにされているいま、すごく無力感にとらわれますが、歴史を支配される神により頼み、希望を抱きます。…(関西地方の方より) * …「はこ舟」十二月号を読んで、いろいろな人生体験を通し、すべてが神の御計画が成就されていくことが分かりました。吉村様が自分の希望でなかった道につぎつぎと導かれて現在に至っている様子が手にとるごとくに知らされ、神の御手によって生かされていること、神の導き給う恵みを感謝申し上げます。…(関東地方の方) *… 暮れに十二月号が届かなかったので、案じておりましたが種々のご都合でしたとのことで安堵いたし、うれしく拝読致しました。…(関東地方の方) ・この方のように、十二月号の発行が遅れたのでいろいろの方がご心配くださって、電話やハガキなどで問い合わせもありました。日頃からの変わらぬご加祷とご支援を感謝です。 * …自衛隊の海外派兵には反対、同感です。ネオコンのブッシュ氏に追随して天与の平和憲法を改悪しようとしている、タカ派の小泉政権、また野党の民主党までが憲法を改悪を企画していることに、心痛みます。神の御憐れみを祈り続けます。…(北海道の方)2004/1 |
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