巻頭言 聖霊の導きの下に祈りなさい。 神の愛によって自分を守りなさい。 (ユダの手紙20〜21より) 平和への道 新しい年に、何より願うことは、平和である。国の平和、世界の平和、それらの根底にあるべき心の平和。 日本においては、かつての大戦争が甚大な悲劇を生じたことへの強い反省から、平和主義の憲法が与えられた。戦前は、 国を守るという言葉のもとで、軍備の拡張がなされ、そのあげくに戦争が生じた。 そのゆえに、軍備を持つというのとは異なる方法によって平和への道を歩むことになり、日本は六〇年間曲がりなりにもその道を歩んできた。 今後は、それを変えるのでなく、いかにその道を補強するか、堅固な道にするかということである。そのために、軍備にかかる莫大な費用の相当部分を、とくに外国の貧しい国々に人手と物資、技術などを提供することである。 最新鋭の護衛艦であるイージス艦一隻は、千四百億円もするし、戦闘機は一機百億円ほどもかかる。このような費用を、海外への青年の奉仕、あるいは貧しい国々を実際に体験する研修に送り出すための費用として、また、そうした国々の医療や教育、水道など、不可欠なものの援助に充当するといった道こそは、国を本当に守る道である。 平和は汗を流すことなくしては得られないとして、外国に軍隊を派遣することを主張する人がいる。しかし、同じ汗を流すにも、軍隊でなく、奉仕ということで汗を流していくならば、どこの国にも認められるようになるであろう。 爆撃機や潜水艦、兵隊などを送り出し、武器弾薬などを提供することによって国際紛争を解決しようとするのでなく、あくまで飢えや貧困、医療や水問題などの解決のための奉仕に経費をかけることを継続していくことである。 このように、武力を持たないと国の最高法規で規定した上で、他国への奉仕ということによってその平和への道を強固にしようというような道は、どの国も歩んだことがない。 現在の憲法第九条は、本来そうした道による平和を指し示しているのである。 このような社会的、国際的な平和の根底にあるのが、一人一人の人間の魂における平和(平安)である。 目に見えるものだけを重要だと思ったり、自分中心に考えたり、自分のことを正しいと自負したりする傲慢さを持っていたり、弱い者を抑圧、差別したり、 憎しみを抱いたりするなら、それは心の平和を持っていないことであり、そのような人間が権力を持つなら容易に社会的な平和を破って自分の欲望のために、他の民族を抑圧したり、反対意見の者を権力で封じ込めたりするであろうし、そこから戦争ということにもつながる。 聖書ではこうした社会的な平和の根源にある霊的な平和への道を明確に告げている。しかし、そのような平和はただ何もせずに来るものではない。確かに血と汗を流して与えられるものである。 しかし、軍隊による侵略、軍事行動という形での血と汗でない。 主イエスは、その険しい道を歩むことを選ぶ際に、血のしたたるように汗を流して祈り戦い、自ら十字架にかかって血を流された。まさに、血と汗によって真の平和への道を切り開かれたのであった。 たしかにそのような方法により、永遠の平和への大路が開通したのである。その大いなる道は、天の国へと通じており、いかなる人間も組織もその道を破壊することも縮小することもできない。 「私は道であり、真理であり、命である。」と主イエスは言われたが、それは、真の平和、すなわち武力とか権力をもってするまちがった道でなく、永遠の平和への大路の開通を宣言する言葉なのである。 こうした平和への道は、イエスより七百年ほども昔の預言書によっても啓示されていた。 これは直接的には、シオンへの道を示すものであるが、現在の私たちにとっては神の国への道を指し示すものなのである。 そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。(イザヤ書三十五・8) 主イエスによって開かれたこの聖なる大路は、二千年の歳月を経ても変質することがない。ただし、それは主が言われたように、「入口は狭い門であり、細い道」である。 神を信じ、主イエスを救い主として受け入れるという狭い門がある。そしてまず神の国と神の義を求めていく細い道である。しかし、それは強固な道、永遠に破壊されない道であり、神の国へと続く道である。 そのような平和への道を歩む者こそが、人間の集りの平和、社会的な平和を人間の最も深いところから推進すると言えるだろう。そのような意味において、主イエスは、言われたのである。 平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ福音書五・9) イエスが来られた意味 わが国の大多数の人にとって、イエスがこの世界に来られた意味、などに関心はないだろう。しかし、実は逆にほとんどの日本人が、実はイエスが来られたことに関する記念日を祝っているのである。それがクリスマスである。 クリスマスというと十二月だけのことだと思われている。しかし、キリストがこの世に来られたこと、その意味については、いつの季節にも、否千年、二千年経っても変わらぬ重要な意味がある。 しかし、最近では、とくに日本ではクリスマスはキリストよりはるかに、サンタクロースやクリスマスプレゼントのことが思いだされる状況である。 しかし、クリスマスの行事のもとになっている聖書の記述はどうであろうか。クリスマスという言葉がいかに日本で広く知られていても、肝心の聖書でどのように記されているのかを正しく知っている人はごく少ないであろう。 クリスマスとは、その言葉の意味からしても、クリスト(Christ)のマス(mas)であり、キリストのミサなのである。(*)言い換えれば、キリストへの礼拝であり、毎日曜日にしている礼拝の特別なものといえよう。 (*)ミサは、ラテン語ではmissa スペイン語では misa(ミサ) ドイツ語で Messe(メッセ)、英語では、mass(マス)という言葉になる。なお、キリストというのは、 ギリシャ語のクリーストスの日本語の発音であるが、外国語では、クリストという音になるのが多く「キ」と発音するのは日本だけである。 それゆえ、人間の誕生日のように、単に○月○日に生れた、おめでとう、といったお祝いの日ではない。クリスマスは、キリストの誕生を思い、キリストが私たちのために来て下さって、私たちに本当の幸いの道を開いて下さったことを感謝し、さらにこの世の至るところに広がる闇の世界に、主イエスよ、来てください、と祈り願う日なのである。 キリストが開いて下さった幸いの道とは何か、といえば、それは一言で言うと、人間をその罪から救い出す道を開いて下さったということである。そのことは、極めて重要なので、新約聖書の最初に置かれた福音書のはじめの部分に次のように記されている。 …マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ福音書一・21) 罪というのは、人間の魂の一番深いところでの問題であり、からだの病気や政治体制、環境問題、飢餓やテロの問題等々より深いところにある。病気がなくても、民主主義の国にいても、憎しみや差別はなくならない。教育でもなくならない。飢餓のない豊かな国であっても、やはりこうした心の問題は解決されない。 また、環境問題が解決されようともこの心の問題は解決されない。 環境が破壊されていなかった古代からずっと、人間どうしの争いや憎しみはあったからである。 それは自分中心の考えが深く宿っているからである。 このように、いかなる社会問題が解決されてもなお厳然と存在するのが、心の奥深いところでの、真実を欠いていること、高ぶりや自分中心の考え、愛のなさ、心の汚れ、不正、等々である。 それらを罪というがそうした根本問題の解決の道を開くために来られたのがキリストであった。 政治や科学技術、あるいは習慣や制度、それらは時代とともに次々と変化していく。いまいくら大問題だと思っていても、数年先にはほとんど忘れ去られることが多い。 人間がどんなに経験を積んでも、いかに天才的な学者であっても、またいかに文字もない未開の国の人であっても、あるいは死を間近にした重い病人であっても、すべての人間にとっての根本問題は、すでに述べたような意味での罪の問題なのである。 経験を積んだから罪がなくなることもないし、学問ができる、ノーベル賞をもらったからといって罪は消えることはない。新たな高慢という罪が生じることもある。 キリストが来られたのは、内なる悪、霊的な悪である罪からの救いのために来られたのであるが、そのこととつながっているのが、この世に至るところにみられる目に見える悪の支配、死の支配に打ち勝つ神の力を与えるためであった。 それは、新約聖書の最初のマタイ福音書に記されている。 イエスは、ヘロデ王の時代に生れた、とイエスの誕生の記述の最初に記されている。なぜこのことが冒頭に記されているのだろうか。ヘロデ王とは、どのような王であったか。 ヘロデは、十人もの妻があり、十五人の子どもがいた。しかし、その家庭は混乱の極みとなっていた。自分の王位がねらわれると恐れて、義母や叔父を殺し、その子や、最愛の妻の二人の王子の命も奪い、別の妻から生れた長男をもいろいろないきさつの後に殺し、みずからの最愛の妻をも疑ってその命を断ってしまった。 このような王であったから、新しい王(イエス)が生れたことを知らされると、赤子のうちに殺そうとしたが、エジプトに逃げてしまったため見つからなかった。そこで、その付近に生れた二歳以下の男の子を皆殺しにしていった。(マタイ福音書二・16) このような暗黒に包まれたような王のもとにイエスが生れたと言おうとしているのである。 生れた時からすでにイエスは闇の力との戦いに置かれていたのである。 悪の力のただなかに、イエスは生れた。それはいつの時代にも見られる悪の力そのものに勝利するために来られたということを指し示している。 いずれにしても、イエスの誕生は、決して単に甘い楽しいものでなく、暗く重い人間の現実の状況のなかに、光をもたらし、悪との戦いに勝利する道を指し示すものであった。 イエスの誕生については、もう一つ、ルカ福音書が記している。 マタイ福音書がヘロデ王の時代ということをまず書いているのに対して、ルカ福音書では次のように記されている。 …そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。… 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 ヨセフもユダヤのベツレヘムという町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ福音書二・1〜7より) ルカ福音書においては、二つの王権が対照的に記されている。それは、ローマ皇帝の王権と、キリストの王権である。 ルカ福音書においても、当時の支配者の名前が記されている。それは地中海を取り巻く広大な帝国であったローマ帝国の皇帝、アウグストゥスである。 これは、最初の皇帝で、キリストの誕生と同時代なのである。アウグストゥスは皇帝として豪華な宮殿にいて、当時としては世界を支配していると思われていたであろう。 そのような最高権力者と、イエスが対比的に記されているのである。 イエスは家畜小屋で生れた。家畜小屋とは、まっ暗で不潔な、家畜の排泄物などの臭いのするところである。 人間が生れる場所としては最悪のところであろう。 それとローマ皇帝が住む豪華な建物とは際立った対照がある。 ローマ皇帝は弱い者を支配し、抑圧することによってその領域を拡大してきた。 他方イエスは、家畜小屋のような最も貧しい人のいるところ、文字通り闇のただなかで生れた。これは、主イエスはどんな暗いところにいる人、貧しい人、あるいは人間扱いされていないような人のところにも来て下さるということを指し示すものである。 イエスは、年若くして十字架で処刑されたが、三日後に復活し、聖霊として弟子たちを動かし世界にその福音を伝えるようになった。 ローマ帝国は三百年近い間、キリスト教迫害を続けたが、福音の力によって、ついにキリスト教を認め、受け入れるに至った。 この福音書が書かれたときにはそのような数百年後のことは分かっていなかった。しかし、啓示によって著者はイエスこそ、真の王であり、ローマ皇帝の強大な支配権すらもキリストの力の前には何の力もないことを知っていたのである。 そのことから、さらに私たちは現実の世界でどんなに大きいように見えても、武力や国家権力、あるいは経済力等々、それらはみんな移り変わり、時が来たら消えていく。 しかし、キリストの力や、その力に支えられた言葉は決して消えることがない。主イエスが言われたように、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ福音書二四・35)のである。 このように、イエスの誕生の記述は、マタイ福音書とルカ福音書の二つであるが、そのいずれにも、イエスは何のためにこの世に来られたのか、という意味が込められている。 マタイでは、悪の力のはびこるただ中に、悪との戦いに勝利するために、そして人間にそのような勝利の力を与えるために来られたことが記され、ルカでは、貧しさや弱さ、闇のただなかにて苦しむ人のために来られたということなのである。 このような意味があるからこそ、クリスマスはいつの時代にも、そして単に十二月だけのことでなく、つねに私たちにとって重要な意味を持ち続けていると言えよう。 悪に勝つ力が与えられること、主イエスが私たちの闇と貧しさ、そして弱さのなかに来て下さること、これだけあれば、だれもが満たされるのである。 それゆえに、聖書の最後にも記されている「主よ、来てください!」という願いはそのまま現代に生きる私たちの切実な願いなのである。 祈りの家 キリストは、柔和な愛のお方であるということは、全世界的に知られている。 しかし、ある時のキリストの言動は、そうしたイメージと大きく異なる。 それは、つぎのような記事である。 …それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』 ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている。」(マタイ福音書二一・12〜13) 主イエスは、自分が十字架刑に処せられることを知った上でエルサレムに入ったが、そこで出会った神殿での状況に直面したとき、このような激しい主イエスの言葉が出された。 なぜ、柔和なイエスがこのような激しい態度を表されたのか、私たちにはとても不思議なことに思える。新約聖書の主イエスの言動を記した内容を見ても、このようなことは他に見られない。 ここに主イエスが特別にこの問題を重視し、それゆえに異例の行動を示し、それによって周囲の人々にこの問題の重要性を刻みつけようとされたと考えられる。 しかし、これは、単に昔のイエスの時代の神殿についてだけ言われているのではない。とくに新約聖書における大部分の内容は、そのような、特殊な国のある時代にしかあてはまらないようなことでなく、誰にでも、またいつの時代にもあてはまることなのである。 「わたしの家」それは、ここでは神殿という特別な建物を指して言われている。それゆえに、そんなことは日本にいる自分たちには関係がない、と思い込む人が多い。 しかし、私たちそのものが、神の霊あるいはキリストがやどる神殿である、と言われているのである。 … 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり…(Tコリント一・19より) このように、神を信じ、キリストを救い主として受け入れた者は、その人のうちに聖霊が住んで下さっている神殿となっていると言われている。しかし、その重要なことを気づかずにいる者が多いために、パウロは「あなた方は、知らないのか」と、この重要な事実に気づかせるようにとうながしている。 …あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。(Tコリント三・16) …わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。「わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(Uコリント六・16) こうしたことは、旧約聖書の時代には、考えられなかったことである。神は人間と無限に離れた聖なるお方であり、その御前に出ることすら、裁かれ、罪のゆえに殺されると信じられていたほどであった。 イザヤ書の著者として重要な、預言者イザヤは、神の言葉を告げるべき者としてとくに選ばれたとき、神の御姿を見る、という特別な経験が与えられた。それをイザヤは喜ぶどころか、大いに恐れた。 「ああ、私は滅ぼされる!罪深い者なのに、神を見た。」(イザヤ書六・5より) このように、新約聖書のなかで、繰り返し強調されているように、私たち自身が神の霊がやどる「神殿」なのである。 使徒パウロは、自分のうちにはキリストが住んでいることを特に重要なこととして述べている。 …生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられる。(ガラテヤ書二・20) その私たちの内なる神殿も、目を覚ましていなかったら、やはり祈りの家でなく、自分のもとに評判や金などを他者から集めようとする「強盗の巣」にすらなってしまう。 なぜ、主イエスは、両替人の机をひっくり返し、追いだすという特異なことをされたのだろうか。 それは、人間というものは、祈りが究極的な姿であり、信仰に関わる施設にはこのような祈りが中心に置かれていなければならないということを強く示すためであった。 祈りとは、神に向かう心であり、神からの賜物を受けることである。そして神から受けた力、愛、清さなどをまた周囲の人に分かとうとすることである。 御国がきますように、という祈りは、この双方を含んでいる。自分の魂のうちに、御国が来るとき力と平安が与えられ、神の愛が生れる。そして他者にも、周囲の社会にも御国がきますようにと祈ることは、まわりの人々についても最善を祈ることである。 こうした祈りがないところでは、キリスト者であっても、また何らかの宗教的施設であっても、その施設は宗教を利用して何かを集める、それは強い表現で言えば、主イエスが用いたように、盗みということになりかねない。 人間は神からよきものを受けて、それを分かとうとするか、もしくは、他者から自分へと集めよう(奪おう)とするか、の二つの方向のいずれであるかということなのである。 他者から評価されたいと願う心は、他者の評価を奪ってきたいという心である。 また、会社にしても、よいものを分かとうとすることが第一の目的でなく、いかにたくみに他者から収益を奪ってくるか、ということが第一の目標となりがちである。 学校時代に成績に一番の重きをおいて勉強に力を入れる、それも勉強で得た知識や技術を他者に分かつことが第一の目的でなく、やはりそれで安定した企業に就職して、多くの報酬を得たい、社会的な評価も受けたい、よい結婚をしたい、健康な生活をしたい…というごくふつうの願いが第一にあるだろう。 こうしたごく自然だと思われる願いにおいても、その心の奥にはやはり、何かを無理にでも自分のところに集めたい、奪ってきたいという心がある。 このように見てくると、この世の印刷物やテレビ、雑誌などがいかに「祈り」とは無縁の世界であるかが浮かび上がってくる。それは「奪おう」とする意図が随所に見え隠れする。スポーツにしても、人々の支持と金を集めようとするし、オリンピックなどのような大規模なスポーツの祭典においては、莫大な金が集められようとする。実際そこから不当な巨額な金が一部の人によって奪おうとされることがよくある。 アジアの貧しい国々に日本の会社が出て行ってそこで、日本の工場を建設し、安い賃金で長時間働かせて商品を作る、またそこで日本の商品を売る、そして彼らの苦労して稼いだ金を得る、それは法律的に何ら問題のない商行為であっても、やはりどこか彼らの労働力とか長時間にわたる労働時間などを奪ってくるという側面がある。 かつて、フィリピンやインドネシアで生い茂っていた森林を日本の企業が材木として大量に購入し、ラワン材が次々と切り倒されて消失していったり、フィリピンで緑の山々がはげ山になっていったという事実がある。 こうしたことも一種の奪っていく行為である。 戦争というのは、奪うという行為の最たるもので、人間の命、家、財産、領土までも次々と奪っていく。 こうした自分が生きていくために、奪っていく行為は、動物はみんな持っている。それが自然の行動なのである。肉食獣はより弱い動物の命を奪って生きる。しかしより弱い動物はそのかわり繁殖が容易で、食物も草食獣のように、より簡単に見出せるようになっている。 また、大きい魚は、小さな魚の命を奪って生きる、その代わり小さな魚は大量に幼魚が生れるようになっている。 このように、他者から何かを奪って生きていくということは、動物の世界ではごく自然な営みである。 そのような動物的な状況は前述したように、人間にも多く見られる。宗教という人間特有の領域においても、「奪う」ということがしばしば生じていく。 そこから主イエスは、全く異なるあり方を力を込めて指し示されたのが、はじめに引用した記事である。 祈り、それこそはこの奪い合うという、動物にも人間にも共通して見られる姿からの脱却の道である。その祈りにおいてどのようなことを第一に祈るべきか、それを主イエスご自身が示されたのが、「主の祈り」と言われるものである。そこには第一に、「御名があがめられますように」、次に、「御国がきますように」という祈りがある。 これは、まず人間が神を人間とは全く異なる存在とみなし、あがめること、奪い合う姿から解放されるためにはまず聖書で言われているような、唯一の神を信じ、あがめることである。 そして、そのような神の御支配がきますように、と願って、神の国を受けることである。 イエスが十字架で処刑されてからは、いなくなったのでなく、目に見えない存在、つまり聖霊となられたゆえに、御国が来ますようにという祈りは、聖霊が来てくださいますように、という祈りをも含むものとなった。 祈りが私たちの生活の中心にあるかどうか、ある組織や集り、教会などの中心にあるのかどうかが、いつも問われている。 新聞、雑誌などいろいろな出版物やテレビ、ラジオ、ビデオやDVD、あるいはインターネットなど、それらは、何かを奪おうとする精神なのか、それとも、祈りの心があって、よきものを与えようとの意図があるのかどうかに分かれる。 書物や雑誌などにおいても、多くのものが、内容のよくないもので満ちている。それは、そのように内容を引き下げることによって、売れ行きを増やそうとすることであり、そこには読者から収益を盗もうとするような精神を含んでいる。 しかし、それが「祈りの家」そのものであるような書物もある。それが聖書である。聖書は巻頭から、ずっと祈りが満ちている驚くべき書物である。この書物だけが、「神の霊によって書かれた」と言える書物であり、登場人物や、聖書を書いた人たちの祈りがほとんどどの頁を開いても感じられる。 また、神の直接の被造物である、自然の風物もまた、祈りで満ちている。身近な草花、野草の花々も、そこには祈りが花開いているかのようであり、大木などはまさに、いかなる風雨にもかかわらず、祈り続けているようである。 夜空の星、夕闇に驚くべき明るさで輝く金星の光も、その光に祈りが託されているように感じるし、朝早いときの赤く大きい太陽や、朝焼けの空なども深い祈りをそこに感じさせるものがある。 私たちの日毎の人間関係においても、相手から何かを奪おうとするか、あるいは祈りをもって関わろうとするかである。相手から愛や慰め、あるいは感謝やお返しを受けようとする心で関わっているか、それとも、祈りをもって、相手に良きものが神から与えられるように、と願い、祈りによって相手との関わりのなかに神が共にいて下さることを願っているか、である。 私たちの心が、「祈りの家」となるとき、それは主のみこころにかなうことであるゆえに、そこには不思議な祝福が注がれ、神がそのような祈りを聞き届けて下さるようになる。 神がそのわざをなされるとき ―ルツの歩み― 旧約聖書のなかで、わずか七頁にも満たない小さな書がある。創世記は九〇頁を越えるし、イザヤ書は一〇〇頁もの分量があるし、旧約聖書全体では一五〇〇頁にもなる分厚い書物であるから、ルツ記はごく小さな書である。しかし、このルツ記は重要な意味を持っている。 今から三〇〇〇年以上も昔、現在パレスチナ地方と言われているところに、ユダの国があった。そこでは飢饉が激しくなり、ある人が妻ナオミと二人の息子を連れて、外国(死海の南東部のモアブ)に移り住んだ。 しかしそのようにしてたどり着いた外国の地、モアブの地にて、その人は二人の息子を残して死んだ。 二人の息子はその後、外国人であるモアブの女と結婚した。ところがその二人の息子もまた、死んでしまった。 妻のナオミは、飢饉のゆえに住み慣れた祖国を離れて、遠い異国まで逃れていったのに、そこで夫が亡くなり、途方に暮れているときに、さらに二人の結婚していた息子たちまで、相次いで死んでしまった。 古代において、夫が亡くなり、その後に二人も続いて息子たちが亡くなるということは、特別な悲劇であり、それは神からの何らかの罰を受けているからだと思われたのである。しかも、息子たちの嫁は、外国人であり、自分の祖国に連れて帰ることもできないと考えられたから、なおさらのことであった。もし、息子の嫁たちが、同じイスラエルの民ならば、祖国に帰ってから結婚をさせて、夫の持っていた土地を確保することができると思われたが、異国の女であれば、当然その女たちは誰一人知り合いもいないイスラエルに行くことは考えられないことであった。ナオミは文字通り、すべてを失ってしまったといえる状況に置かれたのであった。 夫を失った女(やもめ)は、特別に社会的な弱者となった。昔は仕事というのは、農業、漁業などにしても機械がなかったゆえにほとんどが力を要するものであったから、男手がなければどうにもならない。 …支配者らは無慈悲で、…孤児の権利は守られず、やもめの訴えは取り上げられない。(イザヤ一・23) …彼らは弱い者の訴えを退け わたしの民の貧しい者から権利を奪い やもめを餌食とし、みなしごを略奪する。(イザヤ十・2) このような聖書の記述は未亡人たちが、特に弱い立場に置かれていたかを示すものである。 このように、ルツ記は、一人の女性の家族も財産も失われた絶望的状況から始まっている。 しかし、何一つ希望がないと思われる状況にあっても、神は人間の予想を超えたことをされる。 それは二人の異国の嫁たちが、ナオミに従って、誰一人知り合いもなく、差別されるであろうイスラエルに帰るナオミに従っていこうとしたことである。ナオミは故国に帰る道の途中で、自分について来てくれるのは嬉しいが、ユダヤ地方に帰っても嫁たちには何のよいことも期待できない、だから自分の里に帰るように、と諭した。 モアブの地を出発するときには、ナオミも傷心のあまりであろう、二人の嫁たちにあなた方は私について来なくていい、自分の国に留まりなさい、そうして新しい夫を見出しなさい、と諭すことはしなかった。 しかし、三人で故国に帰るその道すがら、二人の嫁の前途を思うと、自分のことばかりを悲しんでいてはいけない、この二人も不幸な自分の道連れにして苦しめることになるのだ、そんなことをしてはいけない、という気持ちに駆られた。 … ナオミは二人の嫁に言った。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。 どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、「いいえ、ご一緒にあなたの民のもとに帰ります。」(ルツ記一・8〜10) ナオミは、自分は神からの恵みを受けるどころか、神によって不幸にされたと考えていた。それでもこのように、「主があなた方に良き報いを与え、慈しみを注いで下さるように、主が新しい嫁ぎ先を与えて下さるように」と願っていることでわかるように、神への信仰は捨てることはなかった。 この二人の嫁(ルツとオルパ)は、非常な困難が予想されたにもかかわらず、ナオミに従って行こうとした。 モアブの二人の嫁たちは、前途の多大な苦しみや貧しさが予想されるにもかかわらず、ナオミに従っていこうとするほど、ナオミを慕っていた。それを見ても、彼女が愛の深い女性であったのが分かる。 そのような真実な信仰深い女性であっても、すべてが奪い去られるということになったのである。それでもなお、ナオミは神への信仰は失わなかったし、モアブの二人の女、オルパとルツはそのようなナオミの信仰と真実を見て、異邦の国であるのに、ナオミに従って、祖国を離れようとした。 ナオミにしてみれば、彼女たちがついてきてくれれば心強いことであったろうが、途中でやはり自分中心でなく、神と他者中心に考えてみるとき、夫を失った二人の嫁たちを連れてくることはできないと考えたのである。 しかしルツは、前途の希望もなく、親しい人も一人もなく、どんな土地かということもわからないにもかかわらず、すべてを捨てて、ナオミについていこうとした。ここには、愛と神への信仰、そして神がきっと助けて下さるという希望があった。ナオミはすべてを失ったが、そのかわりこのようないつまでも続くものをしっかりと保持している一人の女が与えられたのであった。 目に見えるものは失われても、そしてその苦難や悲しみのただなかではわからなくとも、最終的にはこのように、神は必ずそれに代わるものを与えられる。 このような、姑思いの嫁は現代ではあまり見られないのではないだろうか。このような決断をさせたのは何であっただろう。 それは、自分の前途をまず考えるという自分中心の考えよりも、姑であるナオミへの愛によって決断したのである。 それはまた、ナオミとの今までの生活が、真実なものであったゆえに、嫁たちもその真実によって動かされ、遠い異国への何の希望もないところへと共に歩んで行こうとしたのだと思われる。 しかし、ナオミは自分が彼女たちを幸いにできることは考えられないと言って、さらに強く帰るように勧めた。 そのために、一人の嫁(オルパ)の方は涙を流して分かれを惜しみつつ故国へと帰って行った。 それを見て、ナオミはルツに、さらに勧めて「あなたも、自分の国に帰りなさい」と言った。このような状況となれば、いよいよルツはたった一人外国人として習慣も風俗も違っているうえ、親も友人も一人もおらず、万事において貧困と孤独、あるいは周囲の好奇の目にさらされての苦しい生活が待っているのであるから、それでは自分も帰ります、と言って帰ることになってしまうのが予測される。 しかし、ルツは違っていた。驚くべき決断をする。 …ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。 あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。 死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」(ルツ記一・16〜17) ここには、人への真実とともに神への真実な心がうかがえる。ルツはモアブという偶像を神とする国に育った女であったが、ナオミたちとの生活によって、聖書に示されている唯一の神を信じるように導かれたのが分かる。 ルツがナオミについてユダの国に行ったとしても、何一つ希望が持てる状況ではなかった。まず、男手のいない中で、女が二人だけで生きていくのが大変であった。周囲からの差別や無理解があるだろうし、全くの異国における生活は万事が異なるゆえに困難なものとなるであろう。そうしたことはルツも十分に分かっていたはずである。 そのような困難な生活を、あえてナオミへの忠実とその背後におられる神への信仰のゆえにルツは選び取った。二つの道があるとき、どうすべきか分からないことはしばしばある。そのような時、より困難な方を選ぶときにそれが正しい道であった、ということがしばしばある。 より難しい道は、神を見つめ、神の導きと守りを信じなければ歩んで行けないからである。神にゆだねなければならないからである。そして神にゆだねる道こそは正しい選択だといえる。 ルツはまさにそのような、より困難な道を自らの決断で選び取った。 ここまでに現れる三人の女性たちは、それぞれ自分のことを中心に考える人でなかった。ルツとオルパたち嫁二人は、もし自分のこと、自分の幸いを考えたら、夫がいないのに、わざわざ外国まで行こうとは決して考えなかっただろう。しかし二人共まず自分でなく、義母のことを第一として、ついて行こうとした。 そして姑であるナオミも、自分のことを第一に考えると、二人の嫁に「私について来て助けてほしい」と願っただろう。ナオミは夫も息子二人にも先立たれ全くの孤独と貧困に置かれることが確実視されていたからである。 そうした困難が待ち受けているにもかかわらず、ナオミは自分のことより、嫁たちの前途を思って強く彼女たちに自分の国に帰るように、と勧めたのであった。 このように、三人共、自分中心でなく、他者のことをまず考えて行動しているのが分かる。 こうしたうるわしい心の動きは、聖霊の風が吹いているかのようである。 この世は自分中心であり、しばしば悪意や中傷、裏切りなどという暗い心が人間の内に巣くうことがある。そのようなものがふくらんでくるときに、戦争といった多くの人々が互いに憎み合い、殺し合うというような悲劇が生じる。 しかし、聖なる霊が風のように吹いてくるとき、人間のそうした自分中心の心は枯れ、愛の行動へとうながされていく。 ルツは真実な心をもって、義母に従い、異国へとたどり着くことになった。 しかし、そのようなルツが共にいても、ナオミの絶望的な暗い心は変わらなかった。長い孤独な旅を経てようやく故国に帰り着いたとき、町中の人たちは驚いた。そして「ナオミさん!」と声をかけてきた。それに答えた言葉がつぎのようであった。 …ナオミは言った。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。 出て行くときは、満たされていたわたしを 主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ 全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」(ルツ記一・20〜21) このように、ナオミの心は、神によって自分は苦しめられた、と受けとっていたゆえにその苦しみや悲しみはなおさらのことであった。神は絶大なお方であり、その万能をもって自分を苦しめているのなら、どんな方法でもってしてもその苦しみから抜け出すことができない、と考えていただろう。 自分はかつてユダの国を出たときには、夫と二人の息子に恵まれていた。それは祖国の飢饉にもかかわらず「満たされていた」と言える状況であった。 しかし、それから十数年を経て、ナオミは、神が自分を「空ろなもの」にして帰らせたと言う。何のゆえか分からないが、神がその大いなる力をもって自分を苦しめ、三人の男手をすら奪ってしまわれた。 こうした何の光もなく、貧困と孤独が待ち受けているというその中に、神はルツという光を与えたのである。 ルツはかつてアブラハムがそうであったように、自分の愛する祖国や友人、肉親たちをすら捨てて、神を信じて姑の後に従って行った。 このナオミとルツという二人の地位も力も財産もなく、家族も失った女たち、そこから何のよきことも生じないと思われたであろう。しかし、神は人間のあらゆる予想を越えて、そうした貧しさや弱さのなかにその業を起こされるのである。 落ち穂拾い ルツはそうした絶望的な状況のなかであったが、姑ナオミの故郷に帰ると、すぐに自分ができることを手がけようとした。それは収穫のときに、落ち穂を拾って生活を助けようとしたことである。現代の多くの者にとっては、落ち穂拾いというと、何のことか、分からないだろう。落ち葉拾いと同様なことと思うかも知れない。 しかし、これは聖書に記されている意外な記述に由来することである。 …畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。わたしはあなたたちの神、主である。(旧約聖書 レビ記二三・22) こうした貧しい人たちへの配慮が、数千年も前からすでにあり、当時の法律(律法)にこのように記されているということは、四百年足らず前の日本の状況(*)と比べるとき、その大きな違いに驚かされる。 (*)日本においては、貧しい農民たちから農産物を徹底して取り上げ、凶作であっても、厳しい取り立てが続いたために、生きることも難しいほどに追い詰められ、厳しい処罰を覚悟で一揆を起こしたりした。 江戸時代の島原の乱も、そうした農民への弾圧がもとにあった。年貢を納められない農民は、迫害を加えられ、妻・娘などは捕らえられ、水攻めなどを行ったり、あるいは、逆さにつり下げたりして苦しめた。さらに蓑踊りと称してミノを頭と胴に結びつけ、両手を後ろ手にして縛り、このミノの外側に火をつけて燃やしてもだえ苦しませたほどであったという。このようなきびしい年貢の取り立てによって農民生活が窮迫したあげく、逃散という捨て身の手段までとるほどであった。これは一つの村全体が団結して、耕作を放棄し、他の領内に逃げることであった。逃げ込んだところでも、監視も厳しく、耕作によい土地はすでに他人が住んでいるのであるから、一つの村全体が移住してきても、そもそも住む家も衣服も金もなく、農具もなく、種もなく、また開墾や耕作をゼロから始めなければならないなど、生活は困難を極めたのは容易に想像できる。 広い農地を、落ちた麦の穂を手で拾う、それは一日そのようなことを続けてもおそらく、わずかしかなかったであろう。しかし、貧しい農民はそのようにして何とか生活をしていったのであろう。 このルツがまず生活のために行なった落ち穂拾いのことを題材にしたのが、有名なミレーの「落ち穂拾い」という絵である。(*)聖書のなかには、穀物の収穫の際に落ち穂拾いができるように落ちた穂を残しておけ、との前述の戒めは記されているが、女性が落ち穂拾いをしている情景は、このルツによるものだけである。 それゆえミレーが、落ち穂拾いをする女性をテーマに描いたとき、このルツの姿が第一に浮かんだであろうことは、容易に推察できる。 (*)ミレーの「落ち穂拾い」の絵は有名であって、この絵はたいていの人が学校教育の場で学び、一般の家庭でもよく飾られている。しかしこれを、「落ち葉拾い」と間違って受けとめ、落ち葉を拾っているのだと、思い込んでいる場合もある。 ルツは、まずこのように自分ができることをしていこうとした。悲嘆にくれているナオミの気持ちに引き込まれることなく、全く知人も親族もいない外国の地にあって、信仰によって与えられていることと受け取り、冷静に自らのできることを手がけていった。 ルツは、姑に向かって次のように言った。 「あなたの神は、私の神、あなたがどこに行こうとも、あなたが亡くなるときまで従って行きます。もしあなたを離れるようなことがあったら、主よ、どうか私を罰してください。」 これは、姑のナオミの信仰をそのまま自分の信仰とするということである。ナオミによって知らされた唯一の神への信仰は、ルツに宿って、行動する信仰へと成長していった。 ルツはナオミの故郷に帰って、姑に命じられることなく、自分から申し出て、「畑に行ってみます。だれか厚意を示して下さる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます。」と言ったのである。 ルツは場合によっては、異邦人ということで、差別されたりいじめられるかも知れないと予測していた。それゆえ、だれか厚意を示してくれる人がいるだろう、との期待だけで出かけたのである。このように、何の助けも希望をも持てない状況であっても、じっとしていることはなかった。姑から受けた神への信仰によって、まずできることへと一歩を踏み出したのである。 今まではそのような落ち穂拾いというようなことはしたことがなかったであろうが、夫を失った自分と、姑という二人の女が生きていくためのさしあたり唯一の道と思われたのがこの落ち穂拾いであった。 そうしたルツの信仰的な決断は、神によって祝福される。ルツは出かけて行って、誰か分からない人の畑で拾い始めた。 それが、たまたまナオミの親族の畑であった。 神を信じて、止まることなく、前向きに歩んで行こうとするときに、神はこのような思いがけない出会いや、助けを与えられるということは、私自身も幾度も経験してきたことである。 そのナオミの親族とはボアズという名で、信仰深い人であった。彼がその畑に来たとき、農夫たちにした挨拶の言葉は、「主があなた方と共におられるように」という祈りのこもったものであった。 そうすると、農夫たちも、また「主が、あなたを祝福して下さいますように」と言った。 このように、畑の持ち主も耕作する者たちも、互いに主が共にいることを願って、神の祝福を祈り合う、という祈りの共同体のような間柄であったのがうかがえる。 こうしたうるわしい人間関係のある人たちというのは、いつの時代にも珍しいことである。この特別なよい状況にあった人たちが耕作している畑に、たまたまルツは何も知らずにやって来たのであった。ここにも、真実な心で身近なこと、たとえいかに小さいことであっても、手がけていくところに、神の祝福の御手が臨むということを示している。 もし、ルツが落ち穂拾いというようなことをしようとしなかったら、このようなよい出会いはなかったからである。 ボアズは、ルツに目を留めて、それが自分の親族のナオミの嫁であるのを知って、特別に落ち穂を拾うことが容易にできるように配慮した。それに気づいたルツは、問うた。 …ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して言った。「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。厚意を示してくださるのは、なぜですか。」(ルツ記二・10) このルツの姿には、自分が最も低いものであることを自覚しているのを示している。こうした自らを低くし、なすべきことを確実に手がけていく姿勢がここにも表れている。 ボアズは、ルツのことをすでに聞き知っていることを話した。 …ボアズは答えた。「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。 どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。 イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」(ルツ二・11〜12) 故国に帰ったナオミとルツは自分たちの苦しい生活のことで誰かに援助を願うということはしなかった。ルツはただ黙って落ち穂拾いという最も貧しい人たちのする仕事をしただけであった。それにもかかわらず、このようなよきことは本人たちの予想を越えて周囲に知られるようになっていた。隠れたことは現れないことはない、という主の言葉は、悪いことにもよいことにもあてはまることである。 ボアズも単に心のやさしい人間であったとは書かれておらず、神への信仰に生きる人であって、ルツに対しても、自分が何かをしてやろう、と言わず、「主が豊かに報いて下さるように」と神からの祝福を祈り願うのであった。 私たちが他の人に対する最善の持つべき心とは、このボアズの祈りの心である。これこそ、主イエスが教えられた、「御国がきますように」という祈りの心に一致するものである。 このように、ボアズの特別な、主にある厚意を受けたルツは十分な麦を拾い集めてナオミの待つ家に帰ることができた。 ナオミは、ルツが予想をはるかに越える多くの落ち穂を見て、驚いて目をみはった。ナオミは言った。 …「今日は一体どこで落ち穂を拾い集めたのですか。あなたに目をかけてくださった方に祝福がありますように」… 「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように。」(ルツ二・19〜20より) ボアズが、ルツに対して、神の祝福を祈り願ったが、ナオミもまた、ルツに示された特別な厚意を見て、神の祝福を心から祈り願っている。 このように、この書物において、ルツがまず、ナオミの神を私の神とすると固い決心をもって告げたことから始まり、ボアズが畑に来たときには農民とも主からの祝福を祈り合うことが記され、さらにボアズ、ナオミもその祝福を互いに祈るのであった。 そして、絶望的であったナオミはルツの毅然たる態度と信仰によって励まされ、新たな力を与えられて、立ち上がることができた。 そして今度は積極的に、ルツのためにその道を開こうとする。ナオミはルツのために、夜になって、ボアズのところに行かせ、いかに自分がルツの前途に対して強く願っているか、を実際の行動によって知らせようとした。 もしも、それが失敗すれば、ナオミもルツも苦しい立場になることをも覚悟の上であった。彼女はいわば非常手段ともいうべき思い切った手段をとって、ボアズが近親者であるゆえに、ルツに対して家を絶やさないようにする責任があることを知らせた。 このナオミのまっすぐにルツの前途を見つめた行動は、ボアズによって受け入れられ、適切な配慮がなされたのちに、ボアズ自身がルツと結婚することになったのである。 こうして、ルツは遠い異国に来て、誰一人知る者もない状況のなかで、ただナオミの信じた神を自らの神としつつ、姑への忠実という一点に集中した。 そこからナオミの暗く沈んだ心にも光が点火され、力がわき起こることになり、新しい道をナオミ自身が示され、たしかにそこから以前には予想もしなかった道が開けていった。 ルツはボアズと結婚し、子どもが生れたが、それは単にルツやボアズ、ナオミたちの家族問題にとどまらず、次に見るように、イスラエルの民全体、否、世界の歴史に重大な関わりを生み出したのであった。 …主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ。 女たちはナオミに言った。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。…ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。 近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。(ルツ記四・13〜17より) ルツに子どもが生れたことについても、周囲の女たちは、主がなさったこととして、主を讃美した。ルツ記全体がこのように、神に向かうまっすぐなまなざしで満ちているのを感じさせるものがある。 この書物の最後の部分には、ルツに子どもが生れたことを記し、ダビデへとつながったことが特記されているが、さらに、最後の22節にも「…エッサイにはダビデが生れた」と書かれていて、ダビデがルツの子孫に生れたということが二回繰り返され、強調されている。ヘブル語の原文では、ルツ記全体の最後の言葉は、「ダビデ」という名前なのである。 こうした書き方は何を示すか、それは、ルツというすべてを失った異邦の女、神と人への忠実に生きた貧しい女から何が生じたか、それはダビデというイスラエルにとって最高の王につながったということを言おうとしているのである。 しかし、ルツの重要性はダビデ王につながったというだけで終わらない。それは新約聖書の最初の記述を見ればわかる。 …ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデをもうけた。…ダビデはソロモンをもうけ、…マリヤの夫ヨセフをもうけた。このマリアからイエスが生れた。(マタイ福音書一・5〜16より) 新約聖書の最初に置かれたマタイ福音書はその冒頭に、一般的には無味乾燥だと思われる「系図」から始まっている。これはたいていの初めての聖書の読者の首をかしげさせるものである。何の意味があってこんな名前ばかり書いた系図が出てくるのか、と誰しもが思う。私も初めて新約聖書を見たときに不可解に思ったものである。 しかし、このマタイ福音書の著者は、ルツの重要性をはっきりと知っていた。 ルツとボアズとの結婚によって子孫にダビデが生れ、イスラエル史上に決定的な重要人物へとつながり、それがさらに、完全な霊的な王としてのイエスへとつながっていった、ということを示しているのである。 イエスは全世界の歴史にとって最大の大きな変動をもたらした人であり、神の子である。 こうして、誰一人注目もしない、異邦の女、どんな家柄か血筋なのかも分からない、一人の女性が、世界の歴史を動かす人物を生み出す基となったのだと言おうとしている。 それをなしたのが、神であり、神はそのようにして弱い者、取るに足らない者を用いて大いなることをなされ、歴史の流れに組み込んでいかれるのである。 ルツ記という書物は単なる嫁と姑の美談でない。 それは、神は弱き者、とるに足らぬ者を用いて、神の雄大なる御計画を実行されていくということ、さらに、主イエスがたとえで言われたこと、カラシ種のような小さなものが、大いなるものとなって、何十倍、何百倍の実を結ぶというような、聖書全体にわたるメッセージがそこにある。 このルツ記という書物では、ルツという一人の異邦人の女性が重要な役割を果たしているが、それはルツの子孫として生れた主イエスが異邦の世界、すなわち全世界に神の言葉を伝え、弱き者、苦しむ者への喜びのおとずれを告げることへの預言ともなっているのである。 ことば (221)聖霊が花開く場としての集会 すべての信徒は、朝眠りから覚めたら、仕事にとりかかる前にまず神に祈る。それから仕事に取りかかる。神のことばの講話がある場合は、講話を行なう者を通して神に耳を傾けるのだと考えて、そこに出かけていくことを優先させる。 キリストの集会で祈る者は、その日の悪を避けることができる。神を敬う人は、講話が行なわれる所へ出かけていかないことを大きな悪だと思うものである。… 聖霊が花開く場所である集会に熱心に行くように各自が努める。… 家にいるときには、第三時に祈り、神を讃美しなさい。この時刻に他の場所にいる場合には、心のなかで神に祈りなさい。この時刻にキリストが木にかけられたからである。(「使徒伝承41」ヒッポリュトス著(「原典古代キリスト教思想史一」・159頁 教文館刊) ・ヒッポリュトスとは、紀元170年頃生れたとされ、古代から高い評価を受けてきたキリスト教思想家で多くの著作がある。 (222)さあ、切符をしっかり持っ ておいで。 おまえはもう夢の鉄道でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股でまっすぐに歩いて行かねばいけない。 天の川のなかでたった一つのほんとうの切符を決しておまえはなくしてはいけない。 (「銀河鉄道の夜」三〇三頁岩波文庫) ・キリスト者が受けた切符、それはイエスを主と信じる信仰であり、キリストの十字架によって罪赦されたという実感であり、そこから与えられる聖霊である。 聖書にも、「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」という言葉がある。(イザヤ書四三・2) 宮沢賢治はキリスト者ではなかったが、「銀河鉄道の夜」という作品の中には、一九一二年のタイタニック号の沈没のときに歌われたという讃美歌「主よみもとに」が何度か現れたり、十字架に向かって祈る人たち、ハレルヤなど、キリスト教にかかわることが出てくる。 (223)あなたが神の導きに身を ゆだねるならば、いろいろと計画を立てることを差し控えなさい。 あなたを前進させるすべてのものが、きわめて明白な要求、あるいは機会という形をとって、次々に、しかも正しい順序で、あなたを訪れてくるのである。 (「眠られぬ夜のために上 五月五日より」) ・聖書において、これは聖霊によって導かれる生活と言われている。私たちが神に心からゆだねるほど、不思議なこと、予想もしていなかったことが生じる。それはその程度の多少はあっても、思い切ってとるべき道を信じてゆだねる経験をした者は誰しも実感してきたであろう。 内容・もくじへ戻る。 休憩室 ○わが家のすぐ裏の山の斜面にあった竹が家に迫ってきていたので、伐採してもらったのですが、そうすると、そこからは、今まで竹藪で見えなかった四国山地の遠い山々、剣山に至る山並みが見えるようになりました。遠くの山々、ことに冬の雪を頂いた山々には厳しさと清さを伴う独特の美しさがあり、天の国へと思いを引き上げられます。 聖書には、実際の山でなく、目には見えない霊的な高い嶺(天)へと使徒パウロが引き上げられたことがされています。(新約聖書・Uコリント十二章) 白く輝く山の連なりを見つめ、静かに流れる雲や大空に耳を傾けるとき、かつていた魂のふるさとからのおとずれを聞くような思いになります。 編集だより 来信より ○…一度四国の集会に行きたいと思っています。今日の無教会はあまりにも知的になりすぎて、私は何となく違和感を感じています。四国の方々の信仰に共感しています。もっと素朴に平信徒として信仰を守り、小さな隣人に働きかけてゆきたいと思っています。(九州の方) ○いつもテープを送って頂いてありがとうございます。お蔭様で私たち、家庭集会を開くことができ、とても喜んでいます。家庭にいながらにして、徳島の皆様の祈りや聖書講話を聞くことができ、本当に感謝です。 (四国の方) ○「主にあって」という言葉をもっと大切にしていきたいと思います。忙しいという漢字にあるごとく、心が死んでしまう時があります。 働くことが単なる慣習になってしまっているとき、よくこのことを感じます。「主にあって」なされる働きは決して無駄にはならない。 イエス様から目を離さずに生きていけます様に。絶えず神様に立ち帰ることが出来ます様に。 (関東地方の方) ----------------------- ★二〇〇五年も多くの方々の祈りとご支援によって「いのちの水」誌を継続できたことを感謝します。 また、この「いのちの水」誌をみ言葉の伝道のために用いて下さる方々によってまだ福音を知らない方々、あるいは未知の方々にも届けられることもあり、主の御手の働きを思います。新しい年も、主の導きと祝福を祈ります。(吉村 孝雄) お知らせ ○主日礼拝や夕拝のCD 従来は、カセットテープで希望の方々に郵送してきましたが、十一月より、CDでの配布を並行して行なっています。テープなら八〜十本になりますが、MP3ファイルにしますと、一カ月分の主日礼拝(4〜5回分)と夕拝(同)がそれぞれ一枚のCDに収められていますので、一カ月分の主日礼拝と夕拝全部収めても二枚のCDになります。 十一月分の主日礼拝なら、一枚のCDに五回分約八時間半の内容が含まれています。ただし、MP3ファイルでのCDはパソコン用です。(テープからCDに変更、あるいは新規にCD希望の方、あるいはCDについての問い合わせは吉村まで) ○一月一日午前六時三〇分より、例年のように、元旦礼拝があります。 |
2005/12 |
巻頭言 私は確信している。死も支配するものも…どんな被造物も、 私たちの主キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできない。 (ローマ書八・38〜39より) めぐみの深みへと 聖書には、それを読むだけでだれにでも何が書いてあるか、一応分かると思われるような内容がある。例えば次のような箇所である。 …イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。(*) するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。(ルカ福音書五・3〜6) (*)「深み」と訳された箇所は、新共同訳では、「沖に」と訳しているが、原語はバソス(bathos)で、「深み」という意味の名詞であるために、例えば英語訳では、「沖」を意味する offing とか offshore といった訳語を用いずに、ほとんどが、「深み」depth あるいは、 「深い水(海)」deep water を用いて Go into the depth のように訳されている。 なお、潜水艦として有名な、バチスカーフとは、バチュス bathus(深い) + スカフォス skaphos(船)というギリシャ語を合わせて作られた言葉である。 このような記事は、ただ読むだけでは、「こんなことがあるはずがない」と思ってすぐに読み過ごしてしまうか、それともすでにキリスト者となっている人なら、「こんなことがあったのか、イエスは、やはり特別な御方だ」と、昔の主イエスに感心してそれだけで終わってしまう。 しかし、この記事は決して過去の主イエスのなさったことを単に書いているというのではない。これは、現代の私たちにもかかわっている内容を持っている。 「夜通し働いたが、何も収穫がなかった」だけでなく、漁師は疲れ切っていた。徹夜で漁をするということは、実に体力を消耗することであり、しかも、その収穫が何もないということであったから、一層疲れは大きかったであろう。 長い間働いたのに、何も残らなかった、という意識は十年、二十年と働いてきたが何も残らなかったという気持ちに通じるものがある。私たちが、もし、目で見えるものを目的として働くなら、ついにそれは消えていくであろう。どんな大きな業績も、何かのきっかけによっていとも簡単に崩壊していくからである。そのことは、旧約聖書の創世記のバベルの塔の記事によっても明らかである。人間が傲慢さをもって何かを作り出したとしても、それは時がきたら簡単に崩れ去っていく。 いくら働いても収穫がない、実りがない、あるいは、何か空しい、心に残らないということは、多くの人が経験する感情である。ことに老年になって自分の過去を振り返ってみるとき、そのことを痛切に感じるようになる人が多いだろう。 実際この感情は、私自身すでに大学のときに感じ始めたことであった。何をしても、空しいのではないか、人間は最終的には滅びるのだ、 実りというのはないのだ、といった考えが頭をもたげてきた。そのような空しさは、青年時代からすでに生じるのであって、壮年期の働き盛りであっても同様である。それゆえに、老年になってからはいっそうその空しさが深まることが多い。自分の生涯は何をしてきたのだろうか。何が残るのか、といった疑問である。 そのような空しさと、実が残らないという実感こそは、私たちの魂の平安や喜び、生き生きした感情をかき消していくものとなる。 このルカ福音書の記事はそうしたさまざまのことを思い起こさせるものを持っている。 「夜通し働いたのに、なにもとれなかった」、この感情を根本から克服するものは何か、それが聖書の大きなテーマともなっている。 この空しさのただなかから、人が予想もしなかった道が続いている。それは、主イエスのみ言葉に聞き、従っていくという道である。とはいえ、そのようなことが、人生の根本的な空しさを克服するなどと到底思えない、という人が多い。 しかし、ペテロは、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。ここに大きな分かれ道がある。夜通し働いたということは、相当の疲労がある。揺れ動く舟の上で、夜も眠らず働いたからである。 しかし、それでもなお、主イエスの言葉はその疲労と無力感にもかかわらず、そこから立ち上がらせる驚くべき力を持っていたのである。 そして一見関係がないようであるが、これは、聖書全体を貫いている内容と結びついているのである。それは神は無からの創造ができるということである。 長い間働いて、何も得ることがなかった、収穫は無であった。しかし、無からの創造をなされる神は新たな収穫を生み出すことができる。ここに希望がある。 私たちの過去を振り返って何もよいことはなかった、どんなに努力しても実りはなかった、と思うとき、前途を見つめると無力感にとらわれる。 しかし、そのような過去の状況からは何もよいものが期待できないときであっても、無からの創造をなされる神に希望を持つことができる。 無からの創造など信じられないという人は多い。しかし、無からの創造ができないなら、この地球も十億年も超えたはるかな未来には、最終的には太陽の膨張によって高熱になり、蒸発して無になるという科学的予見を考えたら空しくならないだろうか。それよりもたいていの人にとってはあと七十年、八十年以内に訪れるであろう死の後に、無になってしまうのなら、私たちの努力とか働きとは何になるのか。 後世の人々のためといっても、その後世の人たちも最終的にはみんな死んでいく、とすれば最後には無になっていく、そんなことを考えたらどうして力強く生きて行けるだろうか。 無からの創造がないのなら、私たちの人生は最終的に無になってしまう。何十年の働きも消えていくのである。 この「無から造りだす」ということは、聖書には数多く見られる。 十字架上でイエスと同じように釘打たれた重い犯罪人が、死の直前に、主イエスに心を向けた。主イエスはそれだけで、この犯罪人に主イエスとともに最初にパラダイスにはいることができると約束された。 これも無からの創造である。この重罪人には過去を振り返ってもなにもよいことはなかっただろう。人生の最後が、人々の目にさらしものとなって十字架での処刑ということになったが、それだけならこの人のすべては無になっただろう。しかし、神はこの人がただ主イエスに心を向けただけで、消えてしまおうとする魂を引き上げ、最もよきところへと導いて行かれたのであった。 キリスト教の最大の使徒といえるパウロにしても、キリストの真理がまったく分からずにキリスト教徒たちを激しく迫害して殺すことにまで加わっていた。彼のなかにはキリストの真理は無であった。しかしそのようななかに神は光を与え、キリストの言葉を与え、聖霊を与えてキリストの使徒として新たな創造をされた。ここにも無からの創造があった。 主イエスはヨハネ福音書において、「人は、聖霊によって新たに生れなければ神の国を見ることはできない」と言われた。(ヨハネ福音書三・3〜8を参照) 新たに生れるとは、新たに創造されるのであって、現状がどんなにみじめなものであっても、どんなに罪深いものであったとしても、あるいは以前はどんな状態であってもそれとは全く別に、聖霊によって創造されるというのは、最大の希望となる。 死はふつうには無になることだと思われているし、科学者もそのように考える人が多い。しかし、無からの創造を信じるときには、まったく異なる意味が現れてくる。死という無になることのただ中から神は、人をよみがえらせ、キリストに似たものとして新たに創造されるのだからである。 今まで生きてきたのに、収穫が無であったと感じている人であっても、無のなかから命を創造してくださる神を信じるとき、神は新しく祝福に満ちた収穫を与えて下さるのである。 み言葉に従う つぎに、このルカ福音書の記事が告げようとしていることは「み言葉に従う」ということである。人間はだれでも、自分の考えに従うか、他人の考えあるいは他人の集合である周囲の人たちや伝統、習慣などに従っている。 いつもおびただしい量の情報が、テレビ、新聞雑誌、インタ−ネットなどで流されている。そこでの言葉は圧倒的多数が、人間の言葉であり、意見や感情である。それらはみんな時代とともに、否、新聞雑誌などであれば、一日のうちに捨てられてゴミとなっていく。 そうしたはかない影のような人間の言葉と違って、永遠に残り続ける言葉がある。いかなる時代の変化や戦争、伝染病、飢饉、災害などいかなる事態が生じようとも、決してその力を弱めることなく続いてきたもの、そして弱った人間に力と救いを与えるもの、それが神の言葉である。 この聖書の箇所でペテロが言った短い言葉は、そうした不滅の言葉の重要性とそれに従う人間のすがたを強調している。 ペテロは漁師としての自分の長い経験があった。夜通し働いて何も収穫がなかったときにはもう体力的にも無理であるし、漁にいっても無駄であると知っていた。しかしペテロはそうした自分の経験を第一にはしなかった。 「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」という決断は、人間の言葉でなく、神の言葉に従う姿勢をはっきりとさせたのであった。そしてこれこそは、以後地上を去るときまで、ペテロの魂の中心にあったことと言えよう。 クォ・ヴァディスの有名な物語には、終りに近い部分に次のような内容がある。 ローマのキリスト者たちは、ペテロが迫害の激しいローマから逃げていき、別のところで福音を伝えてほしい、と願った。彼は信徒たちの懇願に従って、ローマを後にしていったがそのローマから続く道の途上でキリストが現れ、こう言うように聞こえた。「お前が、わが民を捨てるこの時、私はローマに行って再び十字架につけられるのだ」 ペテロは、それを聞いて深く心を刺され、顔を地に埋めて、身動きも言葉もなく地面に身を伏せていた。そして、恐れは主に会えた喜びに変わり平安をもって再びローマへと道を転じた。 たとえ、キリスト者からの助言や願いであろうと人間の言葉や意見、あるいは願いに聞くよりも、主イエスの言葉に聞いて従っていく、それがここにも見られる。 神の言葉に従ったら明白なよいこと、例えば人々からの称賛や豊かさ、健康、家族の平和、よい職業などが与えられるという保証はない。何が与えられるのかは分からない。歴史的にも、キリストに従ったがゆえに、そうした豊かさや安全、家族との平和などすべてを奪い去られた例は無数にある。 前月号でもそうした一部を紹介したが、日本においても江戸時代には恐ろしい迫害があった。 キリストの言葉、神の言葉に従うことは、何かこの世的によいことを期待してすることでなく、未知の世界に飛び込む決断なのである。 それは神の言葉が何ものよりも強く魂を導き、やむにやまれぬものが内からうながすのである。 パウロもキリストの愛が私に迫っている、と書いている。 こうした神の言葉に従うことの重要性は、聖書では最初に置かれた創世記から一貫して述べられている。聖書とはまさにそのことを説いている書物なのであり、神はそのことを私たちに告げているのである。 そしてまた聖書は最初からいかに人間が、神の言葉に従えないか、という実態をもはっきりと記している。 それはエデンの園におけるアダムとエバの記事である。み言葉に従っていれば生きるのに不可欠のよい食物や見ても美しいものに取り巻かれていた。しかし、人はそうした愛の注がれた神の言葉に背いて食べてはならない唯一のものに誘惑されてしまったのである。 このように、神の言葉に従うことから与えられる恵みの深みということが繰り返し強調されている一方では、そこからはずれ、み言葉に背くことから生じる罪の深み、裁きの深みということもまた聖書では克明に記されている。 キリストに従って、その言葉を聞き取り歩んでいくときには、どこまでも続く恵みの深みの世界へと導かれ、想像することもできない霊的な世界へと導かれる。このことを、パウロは、つぎのように述べている。 …信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。(エペソ書三・17〜19) これは、恵みの深みの世界である。キリストが私たちの内に住んで下さるということから、そのような目には見えない深みへと導かれていく。キリストが私たちの内に住むということは、キリストの言葉に聞き、従うということがまずなされねばならない。 それゆえにここに引用したパウロの言葉は、たしかに人間が究極的に到達するべき深い霊的世界を指し示していると言えよう。 旧約聖書の古い時代からこうした恵みの深みは繰り返し記されてきた。 ノアは「箱舟」で有名であるが、彼と他の人々との違いは、どこにあったかといえば、日々の生活を神に従ったこと、そして雨のわずかしか降らない乾燥地帯であるにもかかわらず、巨大な舟を造れという一見空しいこと、無意味なように見える神の言葉に従ったことであった。 それによって大洪水という神の恐るべき裁きが降りかかってきたときにもノアは守られ、大いなる神の恵みの道を歩むことになった。 また、アブラハムも同様であって、「私が指し示す土地に行け」という神の言葉を聞いて、それは大いなる力をもって迫ってきたゆえに、住み慣れた故郷を捨ててわざわざはるかに遠いカナンの地に行くようにとの神の言葉に従った。 アブラハムが入っていった恵みの道はたしかにどこまでも奥深いものがあった。そこから、全世界に祝福があふれ、無数の人たちが祝福を受けるという絶大なものであった。 そしてさらに彼は、子供が与えらないという長い間の苦しみの末に、やっと与えられた愛する子供を神にささげよと言われた。そのような考えられないような神の言葉に対してすら、アブラハムはすべてをゆだねて従った。 そうして驚くべき神のわざを体験するに至った。 …あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。 あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。(創世記二二・16〜17) この恵みの深みとは、全世界に、はるかな未来にわたって及んでいくほどの広く深い恵みであったのである。 また、イスラエル民族をエジプトから救い出したモーセにおいても、王子として育てられたが、自分がエジプト人でなく、ヘブル人であることを知って、同胞であるヘブル人がエジプト人によって苦しめられているのを見て助けようとしてそのエジプト人を殺すことになった。そのことが原因となってエジプト王から命をねらわれているのを知り、はるかな遠いところまで砂漠地帯を越えて逃げていった。そこで結婚し子どもも与えられて、羊飼いとしての生活をしていた。そこに神が現れ、再びエジプトに行け、との命令がなされた。ただの羊飼いにすぎない自分がどうして巨大な権力を持った王とおびただしいエジプトの人たちのただ中に行けるのかと、モーセは強くしり込みした。モーセは、かつてエジプトにいたとき、自分の王子としての地位を犠牲にしても同胞のヘブル人を命をかけて助けようとしたにもかかわらず、まったくよいことにはならず、自らそこを逃げ出していくしかなかったのである。 自分の意志の力、行動力でもって助けようとしても、はじき返されてしまったのである。 それはペテロが一晩中漁の仕事をしても何も得られず疲れ果てて帰って来たのを思い起こさせる。 そのような自分の力の無力さを思い知らされたところに、神の言葉が働いたのである。神はそうしたモーセにその言葉をもって強く迫った。 モーセはついにそのみ言葉に従うことを決断した。そして数々の困難を経てイスラエルの人たちはエジプトから導き出され、途中のシナイの山にて永遠の神の言葉となった、十の基本的な戒め(十戒)を神から受けたのである。 その十戒は現在においても、人間のあるべき基本的なあり方が示されている。この十戒に含まれる精神は、モーセから三千数百年を経てもなおその真理性が変わらないほど、人間の魂の深いところを流れているのである。このような永遠の真理を受けてそれに従って歩むというところに、恵みの深みがあった。そしてそこからはずれ、意図的に背くときどのような滅びの深淵に落ち込んでいくかということも、荒野での四十年の間にイスラエルの民は深く学ぶことになったのであった。 自分の楽しさとか、したいことを追求するのでもなく、単に本で学ぶということでもない。また安全とか安楽を求めていくのでもなければ、自分がそこで幸福になるといった期待でもなく、ただ神からの止むに止まれぬ強い働きかけのゆえに、モーセもまた「お言葉ですから、従っていきます」との心に変えられたのである。 そうしてそこから十戒をはじめとして、神の民の長い歴史があり、旧約聖書が生み出され、それは後にキリストに至るのであって、モーセがもし神に従わなかったらこうしたヘブル人(イスラエル人)の歴史はなく、キリストもなかったのである。 そしてキリストこそ、現実がいかに空しいように見えてもあくまで神の言葉に従うという最大の模範となった。主イエスは、三年間の伝道を通して十二人の弟子たちに多くの奇跡、神のわざを見せた。彼らは主イエスの霊と権威に満ちた教えと行動につぶさに触れることになった。 しかし、それでもなお、弟子たちの代表的な存在であったペテロたちや一般の人々は主イエスが逮捕されたときには繰り返し、イエスなど知らないといい、人々も重罪人のバラバを赦せ、イエスをはりつけにせよ、と迫っていった。そしてイエスは処刑された。 ここにも、三年間の愛と真実をもってなされた行動がすべて無に帰したかと思われるほどの状況があった。しかしそのような現実のただ中にあって、ゲツセマネの園で全身全霊を傾けて祈り、主イエスはあくまで神の言葉、神のご意志に従う道を選ばれた。 そしてそこから計り知れない恵みの深みへと、以後の無数の人たちが導かれていったのである。 私自身もその一人であって、自分の考えや願いだけで行動しているときにはつねにつきまとったある種の不満足、満たされないという気持ち、どこか得体のしれない暗い深みに落ち込んでいくという気持ちがあった。 しかし、ある時、主イエスの語りかけを聞かされた。その言葉に従っていこうとしたとき、今まで、どのようにしても自分の力では消えることのなかった闇の深みは解消され、初めて恵みの深みという世界が存在しているのに目を開かれたのである。 この世にはたしかに、恐ろしい滅びの深み、裁きの深みがある。それは耐えがたい苦しみであり、孤独である。 しかし、そこから神は人間の言葉や考えでなく、み言葉に従う道を啓示して下さったのである。そしてさらに他の人々に伝えるという心を起こして下さった。 このような、一人の魂における根本的な転換は、無数の人々において生じてきたのであった。キリストの力は個人を変え、個人の集りである社会、国家のかたちすら変えていったのである。 み言葉に従うことは、このように単に自分だけの平安や満足で終わるのでは決してなく、必ず他者に波及していくのである。しかもそれは民族を越え、国を越え、時代を越えて波及していく。 罪を知ること この聖書の箇所で、さらに驚かされる内容が続く。それは、キリストの言葉に従って驚くべき大漁を得たときの使徒ペテロの反応である。一般的には、たいへんな奇跡が目の前で生じたら、それに圧倒され、そのような奇跡を起こした人をまざまざと見つめ、どうしてそんなことができたのか、とかこれは素晴らしい、もっと奇跡を見せてほしい、などという気持ちになるだろう。 特別に珍しいことには人々はいつも群がるものである。野球やゴルフ、あるいは映画スターなど有名人が来たら、多くの人たちは押し寄せる。その心はそのような特別の力を持った人に引きつけられていく。そして少しでもそばに近寄りたいと思って熱心に徹夜で待ったりする。 しかし、ここでは、この予想もしなかった奇跡的出来事を目の当たりにしたペテロは、そのような反応とは全く逆であった。 イエスのもとにひれ伏した。そしてこう言ったのである。 …これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。(ルカ福音書五・8) ひれ伏すとは、最大限の敬意の現れであり、彼は自分の罪深さを直ちに知らされたのであり、恐れたのであった。それは罪深い者が神のもとに出ることは裁きを受ける、ということを深く知っていたからである。ここでペテロはイエスが神の子であり、神と同質のお方であり、神のように裁きをもなさる方であることを直感的に知ったのであった。 かつて、旧約聖書の預言者イザヤも、神の姿を見たことがあった。それは彼が預言者として呼び出された時であった。 …わたしは、主を見た。主は高く天にある御座に座しておられた。…上の方にはセラフィム(天使)がいて、…彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」… わたしは言った。「ああ、わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(イザヤ書六・2〜5より) イザヤの最初の反応は、やはり自分の罪深さであり、そのゆえに裁かれてしまう、滅ぼされるという気持ちであった。 このように、神を見る、という極めて特別な恵みを与えられた者であっても、それを誇ったり、好奇心をもって近づこうとしたりするのでなく、自らの存在が罪深いということを光に照らされたように鮮やかに知ったのである。 ここに聖書の深い見方がある。私たちが前進するにはまず私たちがいかなる存在であるのかを深く知ることが出発点になる。 それがなかったら、私たちは神をも本当には知ることができない。この宇宙を支配している神は、私たちが罪深い本質であるということを知った上で、神にその赦しと清めを求めるように導かれる。そしてそれを幼な子のように受けとるとき、私たちは初めて前進できるようになる。 ペテロもイエスに従い、大いなる神のわざを直接に経験し、自分の罪深さに光が当てられ、そこから赦しを受けた。そうして初めて彼は使徒として歩み始めたのであった。 イエスはペテロに、「恐れるな、今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。(ルカ五・10〜11) 人間をとる、などという表現は現在の私たちにはなじみにくい。これは、人間を集めて、キリストのもとに連れて行くということである。キリストに従うとき、人は新たな力を与えられる。それは人間の魂に対する力であり、バラバラになっている人間の魂を集めてキリストに結びつけるという力が与えられる。 この世の状況は一つになる方向でなく、次々に壊れて、結びつきが離れていく本質を持っている。一本の木が倒れて放置されると、次第に微生物による分解が進み、風雨により、太陽光線によっても分解が早められ、ついには朽ち果ててしまう。 人間関係も似たところがある。いかにある時期に結びついていても次第に緩くなり、壊れていく。 死によってその破壊はさらに徹底的になされていく。 しかし、主に従う者たちは主と主を信じる人たちの関係が深まり、死後は永遠に結びついているであろう。 キリストの弟子たちは、神の力を受けて、そのように人間を集めてキリストのもとに連れて行き、結びつけていくという働きをすると言われているのである。 困難な時にも、苦しみのときにも、主は言われる、そこから主に信頼して深みへと漕ぎ出せ、と。 その時私たちが従うならば、この世の闇や死の力にさえ打ち勝つ、恵みの深みへと導かれることになるのである。 闇のなかの光 宇宙というと何を思い浮かべるであろうか。果てのない空間、真空、極低温、星…、といろいろあるだろう。 もし、地球からはるかに遠く離れて恒星の散らばるようなところにまで行ったとしたら、そこには全くの闇とその闇の中に輝く星々の光しかないだろう。それはたしかに闇のなかに光が輝いているという状況であろう。 この世もそれと似ている。至るところで闇がある。いつの時代にも、どのような地域にもさまざまの悪があり、病気や戦争、憎しみや悲しみ…闇がある。 しかし、そのような霊的な闇のただ中に光がある。 …光は闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ福音書一・5) この福音書を書いたヨハネはあたかも暗夜における星を見るように、キリストの光が輝いているのをまざまざと見ることができていたのであった。 使徒パウロは、「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ書二・15)と言っている。私たちがこの世の悪に従わず、神に従っていくときには、私たちの内なるキリストが、また私たちの心にあるみ言葉がそのように光を発するのである。 人間はみな死んでいく。そして見えない存在となる。万能の神の愛と力を信じないとき、死によってみんな無になって消えていくとか、生きた人間をおびやかす正体不明の霊的なものになると信じることになる。 しかし、神はその万能によって信じる者をキリストと似た栄光あるものと変えられる。 「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる。」(フィリピの信徒への手紙三・21) このように生きているときには、み言葉により、内に住むキリストによって私たちは一つの光となり、地上の生活を終えたときにも、キリストの栄光のような光に満ちた存在に変えられるという驚くべきことが約束されている。 そしてこのことは、主イエスの言われたように、幼な子のような心をもって主を信じるだけでだれにでも与えられるのである。 主イエスの祈り 祈りはだれでもできる。苦しいとき、追い詰められたとき祈らずにはいられないという心になる。十年ほど以前に、北海道でハイジャック事件があって多くの人質がとられたとき、当時の首相は神を信じる人でなかったが、犯人たちの言うままにするのか、特別警備隊を突入させるべきか、多くの人の命がかかっているゆえに、追い詰められた心になった。それが解決された後に、「あの時は、祈るような気持ちであった」と述懐していた。 本当に苦しいとき、人間の力ではどうすることもできないときには、人は祈るような心になる。 それは動物と根本的に異なるところである。 そのように、祈りはだれでもする。人間は動物とは根本的に異なる存在として造られたことは、次の記述に表されている。 …神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。(創世記一・27より) 神とは目に見えない、霊的な存在である。それゆえ神にかたどって創造されたとは、人間は霊的な存在であるということになる。だからこそ、目には見えない存在との交流ができるのである。それが祈りだといえる。 しかし、こうした人間の本性に由来する祈りは自分中心になる。いつも祈りは自分という存在を中心になされる。 この大きな壁を打ち破るような祈りを初めて明確に示されたのが、主イエスであった。それが主の祈りとして、全世界のキリスト教会で今も祈られているし、個人的にもこの祈りを軸として祈る無数の人たちがいる。 世界で最も繰り返し言われてきた言葉とは、この「主の祈り」であろう。多くの教会では毎日曜日の礼拝のはじまるたびにこの主の祈りがなされるから、世界中の教会を合わせたら、何百万、何千万回もこの祈りは、無数の人たちによって祈られていることになる。 この祈りはなぜ、そのように二千年もの長い間、民族や習慣、伝統の異なる人々に共通して祈られてきたのか、それは、それほどにこの主の祈りが、万人の祈りであり、いかなる時代になっても、この祈りの内容を変ることなく祈ることができるからである。 御国が来ますように。 主の祈りが万人の最も高くて深い内容を込めた祈りであるのは、この一つの祈りをみても分かる。この御国を来たらせたまえ!という祈りは、あらゆる場面で、あらゆる人の願いでもある。御国とは、神の御支配であり、その御支配とは完全な真理、そして真実な支配であり、愛であり正義そのものであるような御支配である。そのような愛と真実が自分の心にも、また他人の心にも、また敵対する人、悪意や中傷をする人たちにも来ますように、という祈りは、すべての人が持つことを本来は願っているはずのことである。 神の御支配の力が自分の心に与えられるなら、いろいろの悪や困難、病気などにも打ち負かされないであろうし、そうした状況に陥ってもその神の御力によってそれらをかえって前進のためのよき経験となし、その神の力によって相手をも変えていくほどになるであろうから。 また敵対する人に、神の国がもたらされるならそのような悪意も滅ぼされて、清い心へと作り替えられるであろう。 人間の集団である社会にあっても同様である。憎しみと不信、差別と搾取などが渦巻くこの社会に神の御支配が来るならば、そうした憎しみに代えて愛が、不信や差別に代えて、兄弟としての交わりへと変えられるであろうから。 私たちはつねに祈る、御国が来ますように、と。 こうした主の祈りの重要性のゆえに、全世界で今日もまたどこかの教会で、だれかがこの祈りを祈り続けているのである。 この主の祈りとは別に、主イエスがなされた祈りがある。それはヨハネ福音書にて詳しく記されている、最後の夕食(*)のときの祈りである。 (*)通常は、「最後の晩餐」と言われることが多い。しかし、「晩餐」とは、日本語では、「豪華な夕食」を意味するのであって、主イエスや弟子がとった食事は、パンとぶどう酒などのごく質素なものであったから、「晩餐」でなく「夕食」というべきである。 そこでは、イエスご自身が最後のときを直前にして祈ったことが記されている。新共同訳聖書では、「イエスの祈り」と題されている。 主の祈りは、イエスが弟子たちの求めに応じて教えた祈りであり、最後の夕食での祈りは、主イエスご自身が祈った祈りである。 そこには、次のような祈りがある。 …世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。(ヨハネ福音書十七・13) …父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。… あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。(同21〜23より) このように、世を去るにあたってキリストを信じる者が一つになるということを特に祈り願っている。それは、キリスト教の歩みとともにさまざまの信仰の形が生れ、その違いを互いに尊重するということでなく、互いに退けあうという風潮があったことが推察される。 このことは、神は愛であり、愛こそが神の根源的な本質であるということと結びついている。憎しみや怒り、妬み、あるいは傲慢や無関心といった感情は、人間を引き離してバラバラにしていく。しかし愛は一つにする。 主イエスが最後の夕食の席で、遺言のようにして語ったと伝えられてきた教えの後の最後の祈りで、このように一つになることが繰り返し強調されているということは、愛の神ゆえのことであった。 神の愛を受けている者ほど、多くの人たちを霊的に見つめる。あたかも高い山の頂上から見つめるように、多くの人たちを翼のもとに集めようとするかのごとくに見つめるであろう。 真理に背くもの、悪を行なっている者、弱っている者、死に瀕しているものなどなどありとあらゆる人間が地上にはいる。そのような千差万別の有り様を示している人間に無関心であるのか、愛を持って見つめようとするのか、それとも敵視したり、軽蔑したり、恐れたりするのか、と問われている。神はそうした一切の人間が織りなす状況を見つめ、絶えず神に立ち返るようにと、語りかけておられる。 こうした祈りの後、イエスと弟子たちはゲツセマネというところに行く。 …それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。 そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。 それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。(マタイ福音書二六・36〜46より) 主イエスがいかに必死で祈られたか、それはこの福音書の記述でよみがえってくる。そしてその祈りには苦しみだけでなく、深い悲しみが宿っていた。何故の苦しみか、それは十字架で釘打たれるという極めて激しい痛みをまざまざと感じたからであろうし、自分がその苦しみから、できることなら逃れたいという気持ちがあって、そこに激しい苦しみがあったからだと考えられる。 このゲツセマネの祈りの中心は、二度繰り返されていることでも分かるように、「御心が行なわれますように」ということであった。御心とは、情緒的な心ではない。日本語では心というと、心やさしいとか、心が動かされるといったように、感情を表すというニュアンスが強い。 しかし、この原語(ギリシャ語)は、セロー(thelo qelw)であって、感情でなく、「意志」を表す言葉である。 それゆえ、つぎに引用したように、英語訳では will が大体において用いられ、あるいはそれに代わる表現が使われている。ドイツ語訳なども同様である。 Yet not as I will, but as you will.(NIV) Aber nicht wie ich will, sondern wie du willst.(Einheits-ubersetzung) 人間の戦いとは三つある。一つは自然との戦い、二つ目は、他の人間との戦い、そして三番目は最も困難な戦い、すなわち自分自身との戦いであると言われる。 その戦いの本質はこのゲツセマネの祈りで主イエスが祈られたように、自分の意志や願いを第一にするか、それとも神のご意志を第一にしてそれに従うかということである。あらゆる犯罪や社会の悪、人間同士の争いや憎しみ、分裂などはみなこの、自分の意志、まわりの人間の意志に従っていくところにある。私たちが愛と真実の神、永遠に存在する万能の神のご意志を第一としないかぎり、つねに私たちは人間的な意志、願望を第一にしてしまうのである。 この問題は聖書の最初の書物である創世記から記されていることから分かるように、人間の根本問題なのである。アダムとエバは、神のご意志をとらずに、人間的な意志を第一にしてしまったのである。 このことがあらゆる人間の罪の根源だからこそ、聖書では巻頭に置かれた創世記の最初の部分にあのように記しているのである。 何をするにも、私たちは常に、まず神のご意志を尊重するか、それとも自分の意志、欲望や願いを第一にしようとするかが問われている。 主イエスは十字架を前にしてこの根本問題に真っ向から立ち向かわれたのであった。 このような霊的な激しい戦いをされていたにもかかわらず、弟子たちはみんな眠ってしまっていた。 大いなる試練のときがすぐそこに来ているゆえに、目覚めていなさい、と命じられていたにもかかわらず、弟子たちはみんな眠っていた。そしてイエスが祈りをして弟子たちのところに戻ると共に目覚めて祈っているというのとは正反対の状態、眠りに陥っていたのである。 主イエスが殺されるとまではっきり言ったにもかかわらず、そしてイエスが血の滴るように汗を流して全霊を傾けて祈っているのに、弟子たちはみんな眠っていた、さらにイエスが「目を覚ましていなさい」と命じたのに再び彼らは眠ってしまった。このようなことが三度もあったという。 十一人もの人間がこれほどまでに眠りに負けてしまったということは、意外なことである。誰か一人くらいは起きていたのではないのか、三度もイエスが起こしに来たというのは、あまりにもひどい眠りだ、と感じる。 しかし、ここでは弟子たちとは人間を象徴的に表している。現実の弟子たちがこのようであったということは、人間とは霊的に見れば、みんな眠っている、と言おうとしている。 そのような大いなる眠りのただ中において、主イエスは祈られた。現代の私たちもまた、霊的に見ればみんな眠っていると言えよう。 それは使徒パウロがローマの信徒への手紙で述べているのと同様である。 …次のように書いてある。 「正しい者はいない。一人もいない。 悟る者もなく、 神を探し求める者もいない。 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。 善を行う者はいない。ただの一人もいない。…」(ローマ信徒への手紙三・10〜11) こうした状況は人間の心の状態を深く見つめるとき、神の真実や正しさを基準とすればみんな不純であり、霊的な眠りに陥っているということなのである。そのような状況であるからこそ、キリストが来られて眠り続ける人類のために、自ら十字架にかかって人々を目覚めさせ、罪を知るように導き、その罪をみずからが担って死に至ることを考えていたのである。 人間を目覚めさせるために、主は来られた。神ご自身のねがいは、人間が罪に目覚め、キリストを受け入れて罪を赦され、新しい力を得ることであったと言えよう。 バッハが作曲した、キリスト教音楽の代表的作品「マタイ受難曲」に付けられている歌詞は、ゲツセマネの祈りの部分につぎのように記されている。 …わたしは、イエスのもとに目覚めていよう。 そうすれば、我らの罪は眠り込む。(マタイ受難曲Nr.20) Ich will bei meinem Jesu wachen. So schlafen unsre Sunden ein. これは、マタイ福音書には記されていないが、現代の私たちの日毎の祈りとなり得る。作詩者は、その点をくみ取ってこのような詩を付けたのであろう。 主イエスは必死で祈りつつ、三度も弟子たちが眠っているのを目撃した。三とは特別な数であり、象徴的な意味を持っている。完全なものを意味しているだろう。それはもう弟子たちの眠りは完全なもの、どうすることもできないほどの眠りであったということなのである。 そうした眠りが世界を覆っているゆえに、どこの国々でもさまざまの犯罪や戦争、憎しみや敵対する心などが絶えないのである。 しかし、そのような眠りの蔓延するただ中に主イエスは来て下さった。このバッハの受難曲の歌詞にあるように、その主イエスのもとで留まるならば私たちは目覚めていることができ、罪が眠り込むのである。 主イエスはこの祈りのとき、深い悲しみに包まれていた。それはほかでは全く記されていないことであって、特異なものと感じられる。 …「わたしは死ぬほどに悲しい」と言われた。苦しみと悲しみが深く刻まれた祈りがゲツセマネであった。その悲しみは自分が十字架につけられる悲しみではない。そうではなく、弟子たちや人間たちのあまりにも罪深い姿のゆえであった。主イエスは神の子として未来のこともまざまざと見ることができた。主イエスが、十字架の処刑を覚悟しつつエルサレムに入ってくるとき、イエスは、つぎのように深い悲しみを表された。 …エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて言われた。 「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。 やがて時が来て、敵が周りに砦を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。(ルカ福音書十九・41〜44) この預言は、実際に紀元七十年にローマのティトス将軍に率いられた兵隊たちによって実現した。おびただしい人々がエルサレムにおいて殺され、神殿は破壊され、ユダヤ人は追放されてその後二千年近くにわたって、世界に離散していくこととなった。 こうした神の民への深い悲しみがあった。ゲツセマネの祈りにおいても、同様に人々のかたくなな心、そのままでは滅んでいくのをはっきりと見抜いていたイエスが深く悲しんだのであった。 このことは、すでにイザヤ書五十三章において預言されている。 …彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。… 彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。(イザヤ書五十三・3〜4より) He was despised and rejected by men, a man of sorrows, and familiar with suffering. …he was despised, and we esteemed him not.Surely he took up our infirmities and carried our sorrows,…(NIV) イエスはこの祈りのときに、苦しみもだえた、と訳されているように、はげしい苦しみに襲われた。そこに天使が現れてイエスを力づけた。そしてさらに必死になって祈られた。汗が血のしたたるように落ちた、と記されている。 こうした霊的な厳しい戦いをされているとき、サタンがイエスを何とかしてこの世の道に引き戻そうとしていた。その悪の霊との戦いのゆえにこのように苦しまれたのである。映画「パッション」において、その冒頭の画面でゲツセマネの祈りのイエスが現れ、そこにサタンが近づいている状況が示されていた。そしてイエスが最終的にサタンを踏みつけて勝利するのであった。 祈りとは霊的な戦いであるということを、このゲツセマネの祈りほどまざまざと示すものはない。 武力や人間の策略あるいは金の力などによらず、ひたすら霊の力によりイエスは悪に勝利された。それゆえに私たちが主イエスを信じるだけで、その勝利の力を与えられるのである。 祈りは、戦いである。私たちの祈りも単に何かの願いごとをするだけのものにとどまってはいけないのであって、目には見えない悪との戦いということがなされねばならない。 使徒パウロも、キリスト者の戦いとは、目に見える人間や組織に対するものでなく、悪の霊に対する戦いであると述べている。 そしてこの戦いの中心は、はじめに述べたように、神の意志をとるか、自分の人間的な意志をとろうとするかである。それゆえに、最も重要な祈りとして主ご自身が教えられた、「主の祈り」においても、この祈りが中心にある。 「御国がきますように。 御心が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように」 というのがそれである。すなわち、ゲツセマネの祈りの核心は、主の祈りと同じ内容を持っているのである。 それゆえに、私たちにおいても、この主の祈りを日々の祈りとして御国への道を歩ませて頂きたいと思う。 …まことに、まことにあなた方に告げる。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。(ヨハネ福音書三・3)(**) (*)一般的には、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」という絵で知られているので、晩餐という言葉から、キリストと弟子たちとの最後の夕食は豪華な食事であるかのように、思われているかもしれない。しかし、パンとぶどう酒などのごく質素な食事であって、日本語の晩餐といった意味にはあてはまらない。 (**)新共同訳では、「はっきり言っておく」と訳されているが、原文は、アーメン、アーメン、レゴー ヒューミーン であり、アーメンが二回繰り返されている。アーメンとは、「堅固にする」という意味のヘブル語「アーマン」と語源的に関連していて、「真実に」といった意味である。はっきりこれは特別な強調である。 三つの福音書 主の祈り、そして最後の夕食での祈り。そして十字架の直前のゲツセマネの祈り、 御旨が天に行なわれると同様に、地でも行なわれますように、という祈りは、ゲツセマネの祈りと共通している。 私たちの最大の困難な戦いは、自分の意志か、それとも神の意志に従うか、である。 弟子たちがみんな眠っていたとは、何を象徴するのか。 ゲツセマネとは、戦いである。キリスト者の生涯も戦いである。 共同の祈りと単独の祈り 共に目覚めていなさい →グレゴリオ1世 (グレゴリオ聖歌 その様式 を完成させた教皇グレゴリウス一世(在位590〜604)の名にちなん で「グレゴリオ聖歌」) 土台と柱 耐震データ偽造問題で、多数のマンション、ホテルなどが多額の費用を費やして完成しすでに使っているものもあるのに、壊して建て替えるなど多大の迷惑と莫大な費用が無駄になるという事態が生じている。 建築主の業者に、もっと鉄筋を減らせ、そうしないと他の設計事務所に変える、などと言われたから、それに従ってしまったという。 震度三程度でも、扇風機が倒れそうになるほど揺れたので不審に思った入居者もいたとのことである。 このような事件で考えさせられるのは、根本問題は、そうしたことにかかわっている人間に、しっかりした「鉄筋」が入ってなかったことにある。 人間も建物も同様で、やはり土台が弱かったり、鉄筋が十分に入っていなかったりすると、少しの揺れで倒れてしまうことになる。 人間にとっての堅固な土台とは何か、それは聖書において明確に述べられている。 それは神である。神こそは永遠の土台であり、不動の柱である。このことは、すでに聖書の詩にしばしば歌われている。 …主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ… 主は命の神。わたしの岩をたたえよ。わたしの救いの神をあがめよ。… 主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。(詩編十八編3、47、32より) このように、私たちにとっては意外なほどに、神とは岩なり、という言葉が多く使われている。キリスト者であっても、神とはどんなお方かというイメージを描いてもらえば、多くは愛の神、やさしい神、赦しの神、導きの神、といった姿を思い起こすのではないだろうか。 神は万能であり、すべてのよきものを持っておられる方であるゆえに、それもすべて真実な神の姿である。 しかし、この詩ではとくに「岩なる神」ということが強調されている。この世の支配や国々、金持ちなど、人間のなすことはみんな揺れ動き、そのうち衰え、消えていく。 しかし、荒野にそびえる岩山のごとく、いかなる雨風や苛酷な状況にも動かされず幾千年でも変ることなき不動の存在として神を実感していたのがわかる。 わたしは山に向かって目をあげる。 わが救いはどこから来るのか。 天地を創造された神より来る。(詩編一二一・1〜2) 山々、これは、この詩の作者が永遠の存在である神の本質に触れていたこと、この世の揺れ動く実態の背後に、確固不動の存在がおられることを深く知っていたことを示している。 この世界には何も「鉄筋」というべきものが入っていない、どちらにでも進んでいく、悪もはびこる、環境も汚される、戦争や混乱は多発する、どこにも脊椎骨のようなものはない、と思っている人が大多数ではないだろうか。 しかし、この詩の作者は、今から数千年も昔にすでにはっきりとこの世界の根本的な構造を見抜いていたのである。それはまさに啓示であって、神から直接に示されたものであった。それゆえにこそ、このように聖書としておびただしい人に読まれ、励ましを与え、光となってきたのである。 私たちも目に見える世界の激動やはかなさに心奪われそうになるときに、この詩の作者のように、岩のごとく動かない神、永遠にこの世界の柱となり、鉄筋となって存在し続ける神を仰ぎ、信頼して歩みたいと思う。 堤 道雄氏、召される キリスト教横浜集会の責任者として長く伝道にたずさわってこられた堤 道雄氏が、二〇〇五年一〇月六日に召され、十一月二三日に横浜で告別式が行なわれました。八六歳でした。 堤さんは、徳島と関わりが深く、一九四九年頃に県の徳島学院(救護院)の院長として赴任、そこで毎日曜に日曜学校を開き、讃美歌を教えていました。そのことが原因で、後に県から解雇されることになりました。また、堤さんが院長であったとき、政池 仁(内村鑑三に学んだ伝道者)も初めて徳島を訪れ、堤夫妻に迎えられて徳島学院に泊まったこともありました。 堤さんは徳島で、伝道誌「真理」を発刊され、以後長く継続されました。 一九七一年、五一歳のときに中学の英語教師を辞して、み言葉の伝道のために捧げる新しい生活を始め、八〇歳で「真理の会」から引退されるまで全国各地、そして韓国や台湾、ロシアまで伝道のために行かれました。その後も、キリスト教横浜集会にて聖書講話を続けられました。 堤氏が提言してはじまった全国集会は、もう二〇年近くになります。今年は東京での開催でしたが、その二日前に召されたことも、いっそう印象に残ることでした。 真理の福音の種を蒔き続けて生涯を終えられたその歩みを思い、後に続く私たちも長く記憶に留めていきたいものです。そして堤さんのようなお方がさらに新たに起こされ、闇にある人たちを救う福音の伝道がなされるようにと願っています。 ことば (220)自分の道は、巡りめぐって、いつも自分に帰ってくる。しかし神が我々の道を導いてくれるときは、その道は神へと通じるのである。… 過去の出来事がわれわれに負わせた傷に、神は触れて下さる。そして傷口はふさがる。それはもはや痛まない。それはもはや、われわれの魂を傷つけることはできない。… あらゆる痛みがなくなり、過去のものとなり、われわれが愛する者のそばにいるかのようになる。 休憩室 ○十一月中旬に松山から大分に向かうとき、佐多岬半島を通りました。この半島は九州に向かって差し伸べるように長くのびています。そこには白い野菊、リュウノウギクがとても美しく、しかも多く見られます。この植物の名前は、竜脳というボルネオやスマトラに自生する樹木があり、香料や薬用になる物質を含み、この物質もリュウノウといいます。この香りに似ているところからリュウノウギクという名がついています。 この野菊は、関東地方から南の本州や四国、九州の一部にあると記されています。徳島でも見られますがどこにでもあるわけではなく、たまに見つかるとその香りや、野生のキクとしては大きく美しい花によろこばしい気持ちになります。 しかし、佐多岬半島では山道のあちこちに多く咲いていて、その群生に驚かされます。 秋の山道を彩る花で、こうした自然に昔から咲き続けてきた花は、神が種をまき、育てて増やし、神の御手によって花開いている感じが強くするもので、目と心を楽しませてくれたことです。 ○アサギマダラ 十一月の中頃に近くの花にアサギマダラという美しい蝶がとまっているのが見つかりました。毎年数回わが家のある山付近にも訪れるのです。花の蜜をすってしばらくしてひらひらと周囲を飛び、どこへともなく姿は見えなくなりました。あのようなゆったりした飛び方で弱々しく見える羽でありながら、二千キロもの距離を海を越え、吹きつけてくるであろう風雨にも耐えて飛んでいくということがマーキングによって確認されています。 あの蝶を見たことのある人は、それがそのように長距離を飛んでいくということはとても信じがたいことです。 弱いものにも、神はそのように不思議な力を与えているのを感じます。 私たちも、実に弱いものでありながら、神によって支えられ、力を与えられて霊的な高みへと、地上の汚れからはるかに遠くの清い世界へと導かれるのを思ったのです。 日々見ることのできる、白い雲の浮かぶ青い大空、夜のまたたく星などは、私たちが最終的に導かれていくところを指し示しているように思われます。つねに私たちのまなざしを天に向けるように、との神の私たちへのお心がこもっているようです。 天に宝を積め、といわれた主イエスの言葉も思いだされます。 編集だより ○来信より …「はこ舟」(「いのちの水」の以前の誌名)三五四号の中に、「キリストを信じることができたら、一億円の宝くじが当選したよりも桁違いの収穫です」とありました。 私はいまから信じますと言うばかりです。以前から、「はこ舟」を読んだ方がいいと思いつつ、そのままにきました。忘れるほどに。 しかしそのような私であっても、神様は私のことを忘れてはいませんでした。○○県を出てからは涙がでませんでしたね。心から笑う事も出来ませんでした。 しかしそんな中にも神様がいたことが、今わかりました。悔い改めるばかりです。(教会に行ってもイエス様を知りませんでした)今はイエス様が信じられます。(関東地方の方) ・現在は五三八号なので、二〇〇号近く以前の「はこ舟」を読み返したいと希望される方もおられて、郵送したところ、ここに引用したようなことを書いてこられました。 たしかに、人は忘れても神は忘れない、人の心が変わっても、神のお心は変わらない、人は消えていくが、神は永遠に消えないお方、人間は不信実であるけれど、神はどこまでも真実…。 ○日本に来ての印象 中国から、日本に来て一カ月になる中国の若い留学生(女性)に、あなたが中国でいたときに思っていた日本と、一カ月を日本で過ごして感じたことと何が一番印象に残っているか、を尋ねたところ、次のように言った。 第一に印象的なのは、自分が中国で日本語を学んでいたとき、ビデオや映画を用いたが、そこでは、日本人が中国人を軽蔑したりしている様がよくあった。しかし、実際に日本に来てみると、そのようなことはなくて、日本人はやさしいと感じた。 しかし、中国との戦争のときには非常に悪い、残酷なことをした。どうしてこんなに同じ民族が変るのだろうか。 また、日本に来て驚いたのは、新聞などが、世の中の悪いこと、犯罪などをたくさん書いている。中国ではこうした暗い記事は小さいこととして、どこにでもあることだから、書かない。そのようなことでなく、国の政治や社会的な問題を中心に書いている。 その人とは別に、ペルーから日本に学びに来ている人(男)に同様に尋ねたところ、彼はつぎのように言った。 まず、日本人は、正直だ。つぎには、安全な国だ。 ということであった。 お二人とも、日本に来て徳島大学で学んでいて、一日の多くの部分は大学生や教師たちとの交わりであり、それゆえに見下したりはしない。帰って親切なひとたちがいるし、正直だとうつったのであろう。 次には、日本は安全な国だということ、これは多くの外国人が感じている。 |
2005/11 |
つばさの蔭に 2005/10 数々の問題や悩み、不安を抱える私たちを、なにが包んで下さるのか、生活に疲れた魂はそれを尋ね求める。 そのような人間の弱さに対して、古くから聖書は、神が鳥が翼の下に雛鳥を呼び寄せるような愛を表して下さることを知っていた。 神は羽をもってあなたを覆い 翼の下にかばってくださる。(詩編九十一・4) 慈しみの御業を示してください。 あなたを避けどころとする人を 立ち向かう者から 右の御手をもって救ってください。 瞳のようにわたしを守り あなたの翼の陰に隠してください。(詩編十七・7〜8) 神の愛は、いわば巨大な鳥の翼のようなもので、全世界のあらゆる苦しむ人、力なき人をその蔭に招き寄せて、その傷をいやし、新たな力を与えて下さる。 現実のこの世は、どこにも蔭のない、危険や困難に覆われているかのように見える。あるいは、自然の偶然的な出来事によって弄ばれているだけで、人間を守るものなどどこにもないように見える。 しかし、そうした表面的な状況の背後に、この詩の作者は、この世界を包む、神の大いなる翼、目には見えないけれども、たしかな守りがあることを知っていたのである。 神の言葉はつながれてはいない 人間の世の中においては、つねに何かにつながれ、あるいは縛られている。家族や学校、あるいは会社などどこかに属しているが、そこでも何らかのかたちで縛られている。私たち自身が、自分の罪や周囲の人々の考えや習慣、伝統などにとらわれている。 そして、人間の生活全体が、この地球という狭いところに縛られているのである。宇宙飛行士が宇宙を飛行したというが、地球のほんのわずか上空を飛んでいるにすぎない。地球の半径の二十分の一程度の高さ(地上からの高さ三百キロ程度)を飛んでいるにすぎないのである。 光の速さなら、わずか千分の一秒ほどしかかからない距離である。 そのような小さな地球のうちに縛られているのが、人間である。 また、私たちは肉体の弱さがあるゆえ、いつもある範囲内のことしかできない。荷物を運ぶことも、歩くこと、走ること、また睡眠時間もとらねばいけない。 そして、生きている時間も、せいぜい百年という時間内に縛られている。 また、真理に基づいて生きていこうとしても、さまざまのこの世の力が私たちを迫害し、そうさせないように働くことが多い。日本でも六十年あまり前までは、日本の方針を批判するだけで職業も辞めさせられ、逮捕されることもあった。天皇の批判などとうてい許されてはいなかった。 キリスト教が初めてヨーロッパに広がっていったときにも、迫害がなされ無実の罪であるのに、殺された人も多かった。キリスト者は絶えず迫害され、文字通り鎖につながれ、縛られていった。 このような、状況のもとで新約聖書はかかれたので、次の箇所もそうした背後の状況を思い起こさせるのである。 … この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれている。 しかし、神の言葉は(鎖で)つながれていない。(Uテモテ二・9) ここで、パウロは、自分は鎖につながれ、何もできないようにされても、決してつながれることがあり得ないものがあるのを知っていた。彼の世界の各地でのめざましい活動は、そのような確信に支えられていた。つながれることのない「神の言葉」、それは、文字通り聖書の言葉であり、キリストの言葉であり、また生きて働きかける主の言葉であり、またそれに導かれて生きる人たちの働きでもある。聖書に表されている真理そのものなのである。 真理は単純である。その単純な内容をそのまま信じること、それによって新たな力が与えられる。迫害のゆえに鎖につながれたとき、もし神への信頼を堅く持っていなかったら、神に捨てられたのではないか、神などいないのではないか、などといろいろの疑いが生じ、不安にかられる気持ちになるだろう。 しかし、神の霊によって導かれていたパウロにおいては、いかに人間が縛られようとも、神の言葉はつながれることはない、という確信を持っていた。これは、主が彼に語りかけることによって得られた確信であっただろう。 どんな迫害も、時代の流れも、神の言葉を鎖でつないで、その働きを止めることはできない。日本においても豊臣秀吉が、キリスト教を禁じたのは、一五八七年で、それ以来、一八七三年(明治六年)まで、三〇〇年にわたってキリスト教は厳しく弾圧されてきた。 その迫害の様子は、すさまじいもので、これが人間のすることかと思われるようなひどいことをしたことが記録に残されている。 厳しい真冬のさなかに、キリストを信じる者(キリシタン)を裸にして一部が凍結している池に投げ込み、また引き上げて気を失うまでに苦しめる。 また、別府にある、地下から絶えず高温の熱湯が湧き出ている長崎の雲仙地獄でキリスト者たち苦しめる方法を考え出した。着物を脱がされ、首に縄をかけられて熱湯のなかに投げ込み、それを引き上げ、体中がただれた上で息絶えていった。(「長崎の殉教者」一九七頁 片岡弥吉著 角川書店 一九七〇年刊 ) …一六一四年十一月一日、将軍が駿河から大坂に向かおうとするに先立ち、八箇月ほど幽閉されていた七人のキリスト者たちは役人の前に引き出された。…彼らは手足の指を親指から初めて、切っていくなどという言語に絶する苦しみを受けた。 …暴君は、殉教者たちの指を切り、額に十字架の焼き印を押せと命じた。…まず十字架の烙印が額に押された。肉は骨まで焼かれた。ついで大路を引き回された。しかし、そのうちのある者が「もろびとこぞりて、主をほめたたえよ」を歌いだすと、引き回されている他の人たちもそれを共に歌いだした。その状況は、彼らが入ると信じていた、永遠の夕の如くであった。彼らは、安倍川(あべがわ)の岸に立てられ、両手の指を片方三回ずつ、六回で切り落とされた。そして突き転がされて脚を痛めつけられた。こうして、彼らは地面に倒されたままで放置され、しかも、だれも彼らをかばうことは禁じられ、傷の手当てをすることも禁じられた。しかし、夜になると、キリシタンたちが、この殉教者たちを引き取って、らい病者たちが生活していた洞窟へと連れて行き、傷を洗ってやった。ある者はその夜の間に息を引き取り、また別の者は翌日の明け方死んだ。(「日本切支丹宗門史」(*)上巻 三五七頁 レオン・パジェス著 岩波書店刊 一九三八年初版 なお、一部わかりやすい表現にしてある。) (*)現著者レオン・パジェスは、一八一四年生れのフランス人。日本に関する膨大な資料を駆使して全四巻からなる日本史を書いたが、そのうちの第三巻の部分にあたるのが、岩波書店から刊行されたこの著作である。この書は、一五九八年から一六五一年までの、徳川家康、秀忠、家光らの時代のときにキリシタン迫害の実態を詳しく著述した。日本の宗教学者として有名な姉崎正治博士は多数のキリシタンに関する著作を書いたが、彼は「パゼスが、あれだけの著作を残しておいてくれなかったら、到底企て及ぶ事業ではなかった。この点については、パゼスの忠実細密な働きに対して篤く感謝の意を表せざるを得ない」と述べたという。 それほどまでに苦しみを与えたのは何のためか、いろいろ理由はあげられているが、とくにそれはキリシタンたちが、いかなる権力者、たとえ領主や大名であっても、こと信仰に関するかぎり、そうした権力者たちの命令以上に、神の命令を重んじるというその姿が、いっそう当時の支配者たちをして、苛酷な弾圧へと向かわせたのである。 地上の何者よりも、まず第一に神に仕える、という姿勢はそれほどまでにこの世の権力者たちには驚くべきことであり、かつて彼らが経験したことのない何かを知らされたのであった。 こうしてありとあらゆる苛酷な拷問がなされ、かれらの信仰の息の根を止めようとした。それは、文字通り彼らを縛りつけ、彼らの信じていた信仰そのものをも権力という縄で縛りあげて、葬り去ろうとするものであった。 そして多くのキリシタンたちは殉教し、またあまりの苦しさに信仰を捨てるものも現れていった。そして三〇〇年の長い迫害によって、キリシタンは根絶されたかと思われるほどであったが、それでもなお、江戸幕府が倒れた一八六七年になってもなお、長崎県大村地方では、厳しい弾圧(木場村四番崩れと言われる)が行なわれ、一二五名が投獄された。そして夏着のままで獄に入れられたために冬の寒さと飢えに苦しめられ、三年ほどの間に半数近くが殉教の死を遂げていった。 このように三〇〇年ほども続いた迫害であっても、なお、キリシタンたちは根絶されずに残っていた。これは神の言葉はつながれることがないということの証しともなった。 これは、ローマ時代の長い迫害においても同様であった。コンスタンティヌス皇帝が、紀元三一三年に、ミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認するまで、皇帝によってその厳しさの程度は違っていたが、三〇〇年近い年月にわたって、キリスト教の迫害が続けられた。 しかし、最終的にいかなる迫害もキリストの真理を鎖でつないで、その働きを止めたりできないことが歴史的に明らかにされたのである。 神の言葉はつながれない。それは神の言葉は神ご自身が支えておられるからである。悪は決して万能でなく、その背後で神が支配されている。それゆえに神の言葉はいかに悪の力が強大なように見えてもそれは一時的なのである。 どのような権力者も、時間の流れと共に消えていく。時間というものによって一時的なものとしてつながれていると言えよう。徳川幕府の権力が大きくとも、時間が経つとそれもある一時期の間だけのものであり、そこにつながれていたにすぎない、と分かってくる。 ローマ帝国の皇帝や、徳川幕府の権力者たちの支配の力が今日も続いているなどと、感じる人はだれもいない。 しかし、キリストの力、キリストによって語られた神の言葉の力は現在も続いている。二〇〇〇年前と同じく無限のエネルギーと力を持っている。私は自分がこのような力に直接に触れたのでなかったら、到底信じなかっただろう。しかし、若き日のあるとき、突然この驚くべき力に触れて生涯の方向が変えられたことによって、神の言葉の力は山のごとく不動であることを知らされた。 現在では、文明国といわれる国では、昔のように、単にキリストを信じているというだけで苛酷な迫害をするという国はほとんど耳にしない。 しかし、新たな思想や間違った解釈、学問と称する真理に背くような考え方によって、キリストの真理、神の言葉をその狭い人間の考えに縛っておこうとすることは随所でみられる。 三位一体ということ、すなわち神とキリストと聖霊の本質が同じであるという、キリスト教真理は、新約聖書のなかで数多くの箇所で明らかに、それを見ることができる。 しかしこの真理に対してもさまざまな人間の狭い考えでその真理を昔のものだ、と称して閉じ込めようとしたりするのは、現在でもよくみられる。 あるいは、復活などない、精神的なよみがえりのことなのだと言い換えようとする学者、また、十字架は罪の赦しなどでない、敗北なのだ、などと言い出す異端というべき宗教もある。 しかし、聖書で記されているこうした真理こそ、キリスト教の力の根源である。これらを信じないとき、長い目で見るなら、確実に永続的な力はうせていく。 神の言葉を人間的な意見や解釈に置き換えていこうとすること、それはそのような人間の考えの内側に閉じ込めよう、縛っておこうとすることである。 しかし、神の言葉はたしかに、縛られることはあり得ないのである。 「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」(マタイ福音書二四・35) 悪の霊を追いだす力 聖書のなかには、現代の私たちが読んで違和感を持つような箇所も多い。そのような箇所は、一読するだけでもうあまり読まないということになる。 しかし、聖書、とくに新約聖書はどこをとっても一見あまり我々と関係のないような内容であっても、その奥に重要な内容が秘められていることがしばしばある。 つぎのようなもその一つである。イエスがユダヤ人の会堂で教えておられたときの記述である。 …人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。 ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。 「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。 人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」(ルカ福音書四・31〜36) 現在では、悪霊とかそれを追いだすなどといった言葉は一般の人はほとんど使わないし、そんな現象を身近に見たことのない人が圧倒的に多いだろう。 しかし、悪の霊、あるいは汚れた霊とかサタンとか言われている、目に見えない悪の力というのは至るところで見ることができる。 新聞やテレビで報道される事件、一人や二人の人間が引き起こす特異な事件や国家的規模でなされる内戦やテロ、戦争などすべて悪の力がなしていることであって、繰り返し日常的に報道されている。そしてそのようなマスコミで取り上げられるのはほんの一部で、悪の力の働きは私たちの身近な家族や職場、近所などなど至るところでも見られる。 それどころか私たちの心のなかにもそのような悪の力がはびこり、それに負けているのが現状である。 私たちが人を嫌ったり、憎んだり、あるいは傲慢になったり、嫉妬や悪口を言い合うなどごく身近なところで日々生じていることも、その背後にはそれを抑えることのできない悪の力がある。 キリストの最も重要な弟子とも言える、ペテロは、三年も主イエスに従った人であったが、彼ですら、イエスが自分の十字架での処刑が近いこと、そして復活することなどを告げたとき、ペテロは「そんなことがあってはならない」と言ってイエスを諌めようとした。そのとき、主イエスは、「サタンよ退け、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」と厳しく叱責された。このように、サタン(悪の霊)はごくふつうに見える考えのなかにも、心のなかにも入り込んでくる。このような厳しい基準で見るなら、人間はだれでも何らかのかたちで、悪の霊あるいは汚れた霊といわれる悪の力に支配されているということになる。 それゆえに、人間は純粋に他人のためとか真理のためなどといって生きることができないのである。他人のために純粋な気持ちでしている、といっても、もし相手が非礼なことをしたら、すぐに腹をたてたり、憎んだりすることになるのは、それはやはり自分へのお返しを期待する心があるからである。主イエスが、相手が自分にお返ししないから、憎むなどということは全くなかったのと比べると人間の不純さがすぐに分かる。 ここで言われていることは、主イエスは悪の力そのもの(悪霊)を追いだす権威を持っているということである。これは新約聖書において一貫して現れるテーマである。主イエスの働きのすべてはこの主イエスの比類のない権威、力が主題となっている。それゆえ、ルカ福音書においてもこのテーマがイエスがなさった最初のわざとして記されているのである。ここには、この世が悪の霊の支配下にあること、それゆえそれに負けて人間が悪に陥り、本当の幸いから遠く離れていく。主イエスはそのような人間の状況を根本から変えるためにこの世に来られた。 この世が悪の霊の支配にあることは、エペソ書2章にあるし、主イエスが来られた目的が、聖霊を注ぐことにあったのは、このようなことと関連している。主イエスは悪の霊、汚れた霊を追いだし、聖なる霊、清い神の霊を人間に与えるために来られたのである。 この世は、複雑なようで実は単純である。それは、神の霊と悪の霊のいずれに支配され、いずれに導かれて生きているかということである。 この箇所のような内容は、現在ではまるで私たちとは異質な世界のように見えるので、こうした箇所を引用する人は少ない。 しかし、このような記事がなぜルカ福音書やマルコ福音書で最初のキリストのわざとして特筆されているのであろうか。その理由は、人間にとっての根本問題の解決がそこにあるからである。 私たちが罪を犯し、人間関係が壊れ、争いや憎しみ、妬み、そしてそれが国家的規模となって戦争などがあるのは、すべてこうした悪の霊に支配されるからである。 そうしたすべては私たちからその根源を除き、聖霊を与えられることによって解決の道が開けている。 主イエスがこの世に来られたのは、単によい教えを与えるためでない。キリスト教という言葉が一般の人々には誤解を与えている。このキリスト信仰の根本は、○○しなさい、といったよい教えなのだ、というように受け止めていることである。 しかし、単なる教えはいくら受けてもそれを実行する力がなかったら何にもならないし、そんなことは聞きたくないという気持ちになるだろう。 しかし、キリスト信仰の本質は、力である。神の力そのものであるからこそ、人間ではどうすることもできない心の中の悪い思い、つまり憎しみや不正なこと、妬みや怠惰などなどの汚れた思いを追いだすというのは、力である。人間の力ではなく、神の力によってのみそれがなされる。 イエスがほかのあらゆる人間と根本的に異なるのは、そうした力を与えられていたところにある。それゆえにこそ、最大の力である死の力に対しても勝利して復活をされたし、人間の根源にある罪の力を滅ぼすこともできた。 この箇所はマルコ福音書とほぼ同様であるが、参考のためにマルコ福音書の部分をあげる。主イエスが汚れた霊に向かって、「黙れ、この人から出て行け!」と叱ると、ただちに汚れた霊が出て行ったという記述に続いて次のように人々の反応が記されている。 …人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」(マルコ福音書一・27) A new teaching--with authority!(New Revised Standard Version) 主イエスが全く新しい、だれもかつて見たことも聞いたこともないようなお方であるという、その本質は、力と権威をもって語り、その力をもって悪の霊を追いだすことができるお方であるということであった。 学問しても、経験を積んでも、また家柄や財産、社会的地位などあっても、ここで言われているような力や権威は生れない。 …人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。(マルコ福音書一・22) 主イエスの持っていた力と権威は神に由来するものであった。 その力によって私たちの罪が赦され、死の力をも超えて復活をされた。 単なる新説ではない、また面白いと言える教えでもない。聖書講義と称する長い時間の話しにおいて、いかに複雑な学問的な内容であっても、まるで力がないということがある。単にイエスとパウロの所説の相違とか、原文の解釈のさまざまの多様性を列挙して一つ一つ議論していくなど、それは知的賜物が与えられ、時間を費やせばできることである。しかし、そうしたことによっては、悪に打ち勝つ力は与えられない。 いかに人生経験を積んでも、それだけではそのような力は伴わないし、かえって世の中の悪に染まって懐疑的になり、幼な子のように神を仰ぐことをしなくなる、そして力を失っていく人も多い。 善き力の欠乏、そのことにあらゆる問題の原因がある。キリストはまさにその善き力をこの世にもたらすために来られたのである。 それが、悪の霊を追いだし、神の力と権威をもって語ることであった。 キリストが初めて弟子たちを遣わすとき、キリストの教えと同じようなことを教えるようにと派遣されただろうか。それは当然そのように言われたであろう。 しかし、キリストの十二弟子が初めてキリストから派遣されるとき、聖書に記されているのはそのような教えを忠実に語るように、との命令でなく、次のようなことであった。 …イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。(マルコ福音書十・1) このように、イエスがつねに考えておられたことは、人間を迷わせ、苦しませ、悪事へと誘う悪の力に勝利する力であったのがうかがえる。主イエスが教えられた祈り(主の祈り)には、「御国がきますように。」というのがある。御国とは、神の御支配であり、その御支配のうちにある善きものすべてを指す。それは悪の霊が追いだされ、代りに聖なる霊がきますように! との祈りに他ならない。 こうした悪の力(霊)は、どこにでも入っていく。キリストのわずか十二人の弟子の中にも入っていく。キリストのような完全なお方がリーダーであっても、それでもなお悪の霊は忍び込んでいく。 これが現実の姿である。それゆえ教会であっても、親しい仲間であっても、なおそこに破壊をもたらす力は存在する。そのようなことは、すでに旧約聖書にも記されている。 わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえも わたしにそむいた。(詩編四十一・10) こうした現実だけならば私たちは前進する勇気をついには失ってしまうだろう。しかし、神はそのような現実のただなかに、主に従う者には、そうした悪の力(霊)を追いだす力を与えて下さったのである。 そしてさらに、悪の力を追いだした後に、聖なる霊を与えて下さる。 このことの重要性は、主の復活が最初に知らされたのは、十二弟子でも、パウロでも宗教学者でも指導者でもなく、どうすることもできない絶望的なほどに悪霊に支配されていた一人の女性(マグダラのマリア)であったことにも現れている。 彼女は七つの悪霊を追いだしてもらった、と特に記されている女性であった。 … イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。 これがキリストが来られた目的であることは、例えばマルコ福音書でもこのことが最初に記されていることからも分かる。 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方(キリスト)は聖霊で洗礼をお授けになる。(マルコ福音書一・8) 一般の人々は、キリスト教というと水の洗礼を思いだす。しかし、キリストの本当の目的は水による洗礼でなく、聖霊を注ぐことなのであり、最初にあげた、一見奇異に見える箇所、現代の私たちには全く関係のないように見える内容の奥に、当時だけでなく現代に至るあらゆる世界において、根本的に重要な問題の解決の道が示されているのである。 平和主義の流れ 現在の平和憲法を変えて、軍隊を持つと規定し、自国の防衛のため、また他国が起こした戦争に武力を用いて加われるよう、道を開こうとしている勢力が多くなりつつある。 聖書は武力を用いることが危険であることを遠い昔から説いている。「王は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ちなおして鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(旧約聖書・イザヤ書2章より) イザヤとは今から二千七百年も昔の預言者である。日本では縄文時代であって、文字もなく、一切の書物もなかった原始時代のころだ。こんな大昔にすでに聖書では、武力による戦いを止め、戦力を持たないことが望ましいあり方であると記されている。これはおどろくべきことだ。「助けを得るためにエジプトに下り馬に頼るものはわざわいだ。彼らは戦車の数が多く騎兵の数がおびただしいことを頼りとしイスラエルの聖なる方(神)を仰がず、主を尋ね求めようとしない。(イザヤ書三〇章より) ここにも武力に頼ることの間違いが言われている。武力ではなく、目にみえない真実なお方である神に頼ることこそが、最善の道と記されている。 イエス・キリストはこのイザヤからおよそ七百年の後に現れた。イエスを捕らえようと剣をもって来た者たちに対して弟子のペテロが剣を抜いて切りかかった。その時、主イエスは言われた、「剣をもとのところにおさめよ。剣をとる者はみな、剣によって滅びる。」この主イエスの精神はイザヤ書ですでに言われていることを明確にしたものであった。 そして世界の歴史において徐々にこの精神が浸透して、武力に訴えることをやめようとする傾向となってきた。例えば一七九一年のフランス革命後の憲法では「フランス国民は征服の目的で戦争に訴えることを放棄し、いかなる国民の自由に対しても決して兵力を使用しない」と決定された。 また一九三二年のスペインの憲法においても、スペインが君主制から共和国となったとき、人民戦線政府の採用したもので、「国家政策の手段として戦争を放棄する」とされた。また同年のシャム憲法でも「国際連盟規約に反するような戦争は行わない」とする規定がなされたという。 一九二八年の六三か国加盟の不戦条約(戦争放棄に関する条約)には、第一条に「締約国は国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段として戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する。」とされた。 また国際連合の基本的な原則の中にも「紛争はすべて平和手段によって解決すべし」とか「いかなる国の領土保全と政治的独立に対しても脅威または兵力行使に出たり、そのほか連合の目的に反する態度に出ることを避ける」と規定されている。 日本の平和憲法は、こうした流れの到達点といえる。これははるか昔から聖書のなかで言われていた平和主義が、憲法として制定されたものであって歴史的な意義を持っている。 日本の憲法は日本が自主的につくったものでないといって、変えようとする動きがある。しかし敗戦当時の日本の指導者が提出した憲法の草案は一体どんなものであっただろうか。一九四六年一月に出された日本側の改正案(松本案)の一部についてみてみよう。 ・第三条 天皇は至尊にして侵すべからず。 ・第十一条 天皇は軍を統帥す。 ・第五七条 司法権は天皇の名において法律により、裁判所がこれを行う。 これを見ればこれらの内容は明治憲法と本質的に同じものだというのがうかがえる。例えば明治憲法の第三条の「天皇は神聖にして侵すべからず」とか第十一条の「天皇は陸海軍を統帥す」といった内容とほぽ同じであり、五七条の「司法権は天皇の名において法律により裁判所がこれをおこなう」などを比べてみてもわかる。裁判が天皇の名によつて行われるということから、どんなに不正な裁判が行なわれていったか考えても、何らの戦争に対する反省が成されていなかったのがはっきりとしている。 日本人がもし自主的に憲法を作っていたら、明治憲法とほとんど同じになり、あいかわらず天皇の絶大な力が残り、強い軍事力を持つことへの反省もなく、国民の基本的人権などということは到底保障されてはいなかっただろう。日本の歩みは全く違ったものとなっていたはずである。そしてあの太平洋戦争におけるおびただしい犠牲は空しかったことになる。 天皇を神聖化して絶大な権力を与えたことから、あのような戦争での多大な犠牲となったのに、そのことに関して日本の指導者は全くわかっていなかったのである。 これは太平洋戦争の末期、一九四五年の八月になってもなお、日本の軍部の指導者であった陸軍大臣は「一億まくらをならべて死んでも大義に生くべきである。あくまで戦争を継続すべきだ。」と御前会議で発言している。天皇のためにどこまでも戦え、日本が焦土と化してもなお最後まで戦争を続けるというのであり、全く国民の苦しみや悲しみを考えもしない発想であった。 また日本に無条件降伏を勧告するポツダム宣言の受諾に関しても、当時の外相は「国体(天皇が日本の中心として支配する体制)の保持さえあればあらゆる苦痛も我慢する。」といった考えであった。無条件降伏を受け入れるという指導者たちも、それを拒否して戦うという指導者も、共通していたのは天皇制を最も重要なことだと考えていたことである。 それゆえに、敗戦後において新しい憲法をつくるときになっても、天皇を中心に置く考えの根本は全く変わっていなかったのだ。 私たちは現在の憲法が持つ平和主義はすでに見たように、長い人類の歴史のなかで、その到達点を示しているのであって、おびただしい犠牲を払って日本に与えられたものなのである。だからこそその平和主義を守り、軍事力を用いないで世界に貢献する道に徹しなければならないし、そうすることが日本独自の本当の国際貢献だと言えよう。 英知の言葉から 旧約聖書のなかに「箴言」と題する書物がある。しかし、現在のたいていの人にとって、箴言といってもその内容、イメージがつかめないのではないかと思われる。 キリスト者であっても、旧約聖書をわずかしか読まない者も相当いるようである。ある教会に所属するキリスト者が、旧約聖書の神と新約聖書の神は違うというようなことを言っていたのを聞いたことがある。このような人にとっては旧約聖書は単なる参考として読むだけであろう。 しかし、旧約聖書は主イエスが例えば荒野の試みにおいて、サタンを退けるときに旧約聖書の言葉をもってしたことを見てもその重要性はすぐに分かる。 また、隣人を愛せよ、という有名な言葉はたいていの人がイエスの教え、イエスが初めて教えた言葉のように思っているが、それは旧約聖書のあまり読まれない書物である、レビ記に記されている。 また、十戒(*)は単に映画で有名な過去の出来事でなく、現代のキリスト者にとっても、そのままあてはまる基本的な神のご意志が表されている。 (*)十戒(じっかい)とは、モーセが今から二千数百年昔に、シナイ半島の高山で受けた啓示。神以外のものをつくって拝むな、ただ神のみを礼拝せよ、父母を敬え、男女の不正な関係を待つな、盗みをするな、安息日を特別に神に捧げた日とせよ、などなどの教えが含まれている。 この禁止命令については、その原文からすると、ふつうの禁止を表す表現でなく、「…しない」という否定を表す表現が使われているので、原文の本来の意味は、「あなたは、…偶像を礼拝することはないであろう。」という、神の期待の言葉であるともいわれている。(「聖書大辞典」キリスト新聞社などによる) このように、旧約聖書は新約聖書の源流にあり、新約聖書の意味をより深く知るためにはなくてならないものである。また詩編のように、新約聖書にはごくわずかしか見られない、個人の深い感動、苦しみや悲しみ、賛美というものの集大成によって私たちは、神を信じた古代の人たちの心の深いひだにまで入ってその心を共に感じることができる。 箴言とは、古代の人たちが生きるうえでの、心の世界において成り立つ一種の法則というべきものを集めたものである。ここには、詩編と違って、個人の激しい感情や讃美、苦しみや悲しみの叫びというのはない。箴言にはそうした経験を通して成り立つと確定されるようになった精神世界の法則が書かれてあるといえよう。 箴言はあまり読まれない書物であるが、そこには私たちの信仰の心を耕し、明るくする言葉が随所にある。そうしたものから一部を選んでその意味を考えてみたい。 主を畏れることは知恵の初め。(箴言一・7) この言葉は、箴言の第一章の初めの部分にあり、全体の要約でもあるので、よく知られている。しかし、この重要な言葉において、肝心の「知恵」という言葉が、日本語の「知恵」という言葉のニュアンスとは相当にずれている。 日本語の知恵といえば、 例えばつぎのような用例を考えてみればそのニュアンスが分かる。 「知恵を付ける」というのは、他人にうまい方法や策略を授ける。入れ知恵をする。といった意味であるし、余計な知恵を付けるな、というように、よくないニュアンスでも使われる。さらに、小さな子どもが少し大人びたことを言うようになったら、知恵がついてきた、などとも言われる。 また、「知恵の輪」というのは一種の遊びであり、そのようなことにも日本語では「知恵」という言葉は使われる。 こうした「知恵」という言葉の使われ方が一般によく知られているために、聖書で「知恵」の初め、などと書いてあっても、大したことでないという感じで受けとられることが多いと思われる。 入れ知恵するなどというような、知恵の初めだと思ったら、それは有害なものですらある。 しかし、聖書でいう「知恵」というのは、そのようなこととは根本的に異なる意味を持っている。 新約聖書において、「知恵」と訳された原語(sophia ソフィア)がどのように用いられているかを見てみよう。 ・イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ二・40) ここでは、主イエスの精神的特質が、ただ一言「知恵が増した」ということで表されている。これは真理を直感し、見抜く力が増していったということである。 ・人の子(イエス)が来て、飲み食いすると、「…徴税人や罪人の仲間だ」と言う。しかし、知恵の正しいことは、その(知恵の)すべての子が証明する。(ルカ七・35) ここでの「知恵」とは、キリストが与えられていた真理であり、キリストの働きやキリストご自身をも意味している。 ・神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦された。これは、神の豊かな恵みによる。 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださった。(エペソ書一・6〜9) この言葉によって、「知恵」とは、神の秘められた計画(奥義)を知ることであるのがわかる。 このように、新約聖書において、「知恵」という訳語で表されている内容は、日本語の持つ「入れ知恵する」とか「知恵がついてくる」といったニュアンスとは根本的に異なるのがわかる。 それは、永遠の真理を知り、また見抜く霊的な力であり、一般の人には隠されている神の深いご意志やご計画をも洞察する英知のことなのである。 現在の日本語では、「知恵」というとき、「物事を適切に処理する能力」意味し、何かの問題において「知恵を働かせる」といったり、身の回りのことをいろいろ判断できるようになると、「知恵がつく」といったりする。そこから入れ知恵するなどという悪い意味にも使われる。 しかし、聖書での訳語である「知恵」はより適切には、「英知」というべきで、この言葉は、広辞苑などでは、「深遠な道理をさとりうるすぐれた能力」というように説明されている。 箴言は「知恵」の書である、というとき、この知恵という言葉を、日本語のニュアンスでなく、聖書の世界の特別な意味によって読まねば本来の意味がくみ取れなくなる。 「神を畏れることは、知恵(英知)の初めである。」というとき、物事の真理を深く知るためには、神を畏れることがその出発点となるということである。 しかし、現代の大多数の日本人にはこのようなことはまったく考えたこともないだろう。私自身も長い学校教育を通して、聖書でいうような英知というべきものは全く教えられたことがなかった。 学校教育で学び、大学にてさらに多く学ぶと、いろいろの書物に接するし、それによってさまざまの方面における知識はつく。しかし、英知は身につかない。最も価値あるものは何か、死によっても滅びない真理はあるのか、ないのか、あるとすればそれは一体何であるのか、この世の表面的な出来事を全体として支配し、導くような力はあるのか、私たちの人間そのものに宿る不信実、悪そのものはいかにして追いだすことができるのか…などなど、そのようなことにかかわる深い判断こそ、英知である。 神を畏れるとは、神を信じ、その神が万能であって、真実と正義をもって宇宙を支配されていることへのおそれ敬うことである。神に従えばよき報いがあり、背くなら、必ず何らかの裁きがあることを知っている心である。 英知は真珠にまさり、 どのような財宝も比べることはできない。(箴言八・11) このような、神の真理を知ること、それによって生きることは、いかなるこの世の宝にも勝る。私たちにとっての最大の宝は、神の真理を与えられることである。 英知ある人は、沈黙を守る。 誠実な人は、事を秘めておく。(箴言十一・12〜13より) これは、この世の処世訓としての、「沈黙は金、雄弁は銀なり」ということとは違う。神の力と、神の愛を深く知っているとき、そしてその生きて働く神が私たちを導いてくださっていることを深く実感している者ほど、言うべきこと以外は、沈黙を守るようになるだろう。だれかの不当な悪口を聞いたりしたとき、また自分が不当なことを言われても、また間違った評価をされても、神が必ずそこに働いてくださり、時が来たら本当のことを明らかにして下さると、信じて待つからである。 これは、うっかり言えば問題が起きてかえって損をするといった、打算的な考えから、言うべきことも言わないということがじっさいは非常に多い。 しかし、聖書における沈黙の指示は、その背後に深い祈りの心がある。議論や説得ではどうにもならないことは多い。かえって対立を深めてしまうこともある。 そのような時、黙して神の力に頼り、神が働いて下さることを待ち望む。 私たちの日常の生活の中で、じっさいの人間関係や、テレビや雑誌などで、無用な言葉があふれている現在において、本当のよき言葉のはたらきも、箴言において言われている。 神に従う人の口は、命の泉。(箴言十・11) 他者にとって災いの言葉は実に多い。その言葉によってなにかざらざらしたもの、汚れたものをその辺りに漂わせるような言葉が私たちの周囲にはあふれている。 人間は自然のままでは、主イエスが次の箇所で言われているように、よくないものが出てきてしまう。 …口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。 これが人を汚す。(マタイ福音書十五・18〜20) また、主イエスが神の力で、悪の力を追いだして人々をいやし、死んだような状態にあった者を新しい命に生きるようにしているのを見た当時の宗教的指導者が、イエスの力を、悪霊の力だと断定したとき、つぎのように言われた。 …蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。 善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。(マタイ十二・34〜35) 人間の心には驚くべき悪の力が支配して、口から出る言葉もそのような神の真実を全面的に否定し、踏みつけるような言葉も出てくる。 しかし、主イエスは、人間の心がもしも清くされるなら、その心からは良きものが出されるようになる、その言葉はよきものをたたえ、神の国の香りを持つものになると指し示されている。 たしかに、ある人の言葉から命があふれているような、なにか清いものが流れ出てくるような言葉もある。それを聞く者に命を与えるような言葉がある。 私たちが、苦しみや悲しみのときに主に向かって祈り叫ぶとき、主は私たちに声にはならないような、静かな細い声ではげまし、私たちの悲しみを受けとって下さるのを感じる。こうした経験は本当にキリストを信じ、神に導かれている人ならその程度の多少はあれ、みな感じてきたことであろう。それがあるからこそ、信仰を続けていくことができるのである。 その意味で、生きて働くキリストこそは、私たちにとっての「命の泉」である。またそのようなキリストと深く結びついている人の言葉もまた、命の泉となるだろう。 次の主イエスの約束はこのようなことを指し示している。 … しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。 わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ福音書四・14) このように、キリスト(神)からいただくいのちの水を受けてはじめて、箴言で言われているように、「神に従う人の口は、命の泉」ということが成就するであろうし、次の言葉で言われているようなことが実現する。 人の口の言葉は深い水。知恵の源から大河のように流れ出る。(箴言十八・4) 聖書は究極的な真実や正さの源である神を信じ、見つめる。それゆえに神のご意志に反することを罪と言って、罪がいかにして清められるかということを特別に重視している。次の言葉はそうした罪に関するものである。 背き(過ち)を赦すことは、人に輝きを添える。(箴言十九・11より) 自分に対して何らかの罪を犯したもの、悪口や不当なことをした者を赦そうとするか、それとも忘れようとするか、憎むか、私たちはつねにそのいずれかを取ることになる。 だれかが自分に不当なことをしたなら、それを憎むとか仕返すというのが多くの人の気持ちとなるだろう。そのようなときに相手に憎しみを持つなら、私たちの心からは輝きが失われ、醜いものが生じる。憎しみはそれを抱く本人に最も害を与える毒であるからである。 これに対して、もし私たちが相手を、主にあって赦すことができるなら、それは私たちの魂を美しくし、輝きを添える。 そしてさらに、主イエスが言われたように、その赦す心がさらに深くされて、相手の悪しき心がよくなるようにとの祈りを持って相手を見ることができるなら、その輝きはさらに強くなるだろう。 このような魂こそ、主イエスが言われた、「地の塩」なのだと思われる。 人間関係のもとは、不当なことをしてくる相手にどう向かうかということになる。それゆえ、主イエスも、弟子が、だれかが自分に罪を犯したら、どうすべきか、七回赦すべきか、と尋ねたのに対して、主イエスは、七回を七〇倍するまで赦せ、と言われた。これは、人間関係でたえず生じてくる憎しみや妬み、中傷などに対して、ふつうの人間的感情とは全く異なる方向からの対処を指し示したものであった。こうした主イエスの示す方向こそ、私たち自身も清くなり、相手もまた正される唯一の道なのだと知らされる。 箴言のこの短い言葉は、新約聖書のキリストによってさらに深い意味が与えられ、罪の赦しということの重大さがはっきりと示され、私たちが他者の罪を互いに赦しあうことができるように、自ら十字架にかかってまで、その道を開かれたのであった。 中国の詩から (山中の月) 山中月 わたしは 山中の月が、 明るく葉の落ちた林の上を照らすのを愛する。 月は、一人住む人の心を憐れむかのように 流れる光は、襟のあたりを照らす。 我が心の本来の姿は月のごとく、 月もまた、わが心のようだ。 心と月が二つながら相照らし、 清い夜をいつまでも相語らう。 我は愛す 山中の月 炯然(けいぜん)(*)として疎林にかかるを 幽独の人を憐れむが為に 流光 衣襟(いきん)に散ず 我が心 本(もと) 月の如く 月もまた 我が心の如し 心と月と二つながら相照らし 清夜 長(とこ)しえに相尋ぬ (*)光輝くさま。 この詩を作った人は、中国の南宋の時代(一一二七年〜一二七九年)の人で、姓名も分かっておらず、真山民と言われるが、その姓とされる「真」も推定される姓で、自分で「山民」を名乗っていたという。この詩には、自然のただ中で、木々や月の光との清められた交わりが歌われている。 月や樹木を創造された神を心に信じる者にとっては、この詩人のいう、心と月が相照らし、語り合うということがさらに深められ、そうした自然を創造した神からの光を受け、逆に自分の心を神に注ぎ、こうして神との霊的な交わりの世界を思い起こさせるものである。 罪深い私たちの心も、そうした汚れのまったくない自然のすがたに深く接するとき、それは神のお心の一端に触れることであり、それによって私たちは神との清い交流がはじまる。 私たちが星をじっと見つめるほど、星もまた私たちをじっと見つめるように感じられてくる。同様に、神を心を尽くして見つめるとき、神もまた私たちを見つめてくださっているように感じられてくる。 創世記において、兄から命を奪われそうになって、親たちのいるところを離れて遠く未知の土地へと旅立ったヤコブが、荒れ野のただなかで、驚くべき啓示が与えられた。それは天にかかる階段であり、そこを天使が上り下りしているのであった。 これは、ここで述べたようなことを指し示すものである。神からのよきものが天から下り、また私たちの思いが天へと運ばれていく、両者の交流というほかには代えがたい経験が与えられるということなのである。 ことば 巻頭言 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、 我らの歩みを平和の道に導く。(ルカ福音書一・78〜79) 休憩室 ○宇宙の広大さ 秋の空はことに澄み切って見えるときが多い。ことにこのところ、夕方には南西の空に金星の目を見張るような輝きが私たちを見つめているし、日が暮れてからしばらくすると、今度は東の空から赤い大きな星(火星)が私たちを見つめています。 そしてそうした特別に明るい星以外に、無数の星たちが輝き始めます。この星たちはどれくらい遠いところからその光を送っているのか、知れば知るほど宇宙の広大無限に比べて、人間のいかに小さいかを知らされます。 宇宙という言葉で連想する夜空の星はどのくらいの距離なのか。 夜空に見える恒星のうちで、最も近い星はケンタウルス座アルファ星ですが、それは光の速さでも四・四年もかかる。これは、四十兆七千億キロメートルにもなる距離です。 このような想像できないような遠い星が、宇宙にある最も近い恒星です。そして太陽系を含んでいる銀河系宇宙のとなりにある、肉眼でも辛うじて見える星雲は、アンドロメダ星雲であるが、そこに至る距離は、二百三十万光年もあります。 光が四年あまりかかって到達する距離でも、私たちは到底その長さがわからないほどであるのに、その光が二百三十万年もかかって到達する距離というのは、もはや我々には漠然としたとてつもなく遠いという感じしか分からない。 しかもそのような星雲が無数に宇宙にあるというのです。 このような広大無限のような世界が宇宙なのであるが、神はそのような宇宙そのものを創造されたのであって、いかに無限に壮大なお方であるかが感じられます。 そのような神が小さな人間一人一人を愛をもって見守り、導いて下さるということは、奇跡のようなこととして感じられるのです。 昔は、巨大なビルもなく、また、車の走行がもたらすおびただしい微粒子状のゴミや、排気ガスもなかったので、大気の透明感は現在とは到底比較できないものがあったと思われます。 そのような澄み切った大気のなかを貫いて輝く金星は強い霊感を与えるものとなったであろうことは容易に考えられます。 じっさい、聖書の最後の書である黙示録には明けの明星としての金星が、主イエスを象徴するものとして現れます。 …わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16) 明けの明星の輝きを見て、そこに主イエスがその光の背後から語りかけているように感じたからこそ、このように記されているのだと思われます。 自然の何にも汚されない清さと光は、このようにはるかな昔から人間に神の世界や神の言葉を暗示し、指し示してきたのです。 現代は都会ではますますこのような心を惹く星の姿はなくなってしまいましたが、そのときでも、霊の星たるキリストは、いっそうの輝きを、求める人に明らかにしていくことでありましょう。 ○秋の野山 私は山を歩く時間は近年ではほとんどなくなってしまいましたが、県の内外をキリスト教の集りで聖書講話のために移動 るので、その時に車を降りて付近にある野草を見付けて調べることがあります。 山間部では、ヤマシロギク、シラヤマギク、ノコンギク、ヤクシソウ、リュウノウギク、シマカンギクといった、野菊の仲間が一〇月も下旬になると次々と咲き始めます。これらは花の美しい野草がなくなりつつある最近であっても、少し山路をいけば見出すことができます。 山の緑一色を、その山道を飾るようにこれらの可憐な野菊たちが咲きます。 私たちの御国への道においても、このような白や黄色、あるいは青紫などさまざまの色合いの花が咲いています。それはよき書物との出会いであったり、各地での新たなよきキリスト者たちとの出会いや、罪深い人間の働きが祝福されて、意外なところで新たな働きをする人が与えられたり、小さな印刷物がどこを通っていったか、新たな人が読者として加えられたりします。 こうしたことはすべて、日々の私たちの歩みの道における野菊のようなもの、香りあり、周囲につねに神のお心をあふれるように語り続けています。 編集だより ○来信より ・私はキリストを信じて四十年近くなりますが、復活のことがなかなか分かりませんでした。聖霊を与えられているにもかかわらずです。しかし、「いのちの水」誌により、私の内に与えられている聖霊は、キリストの復活の御霊なのだと知らされたとき、復活は私にとって確かなものとなりました。感謝いたします。(関東地方の方) ○ 今月は、予期しないことが生じたり、集会関係の仕事がいろいろとあったため、また体調も十分とはいえなかったために、「いのちの水」誌を仕あげることがなかなかできず、遅れて発送することになりました。 十分な校正もできなかったので、思わぬ誤りもあるかとおもいます。 このような土の器にも主が真理を注いで下さり、それを用いて下さることを願っています。 |
2005/10 |
秋 2005/9 九月も終りに近づき、朝夕の冷気が心地よく、季節の移り変わりのよさを感じるこのごろである。真夏の暑さに疲れた心は、秋の朝夕の風にことに癒しを感じる。 秋の風の到来とともに、山にはさまざまの野生のキクの仲間が咲き始め、葉の色も黄色や褐色、また赤い色に色づきはじめ、いろいろの実をつけていく。 私たちもこの世のさまざまの問題にかかわって疲れた心に、神を仰ぐときには、神の国からの風が吹いてくる。聖霊の風の一吹きによって私たちの問題は洗い流され、なえていた心に力が与えられる。 風が思いのままに吹くように、聖霊も神の思いのままに吹くという。 この世に聖なる風よ、吹け。 汚れを洗い流す清めの風よ、この大地に吹き渡れ。 病室にも、また孤独な一人の生活の部屋にも、 悩みの重さに倒れそうになっている魂の世界にも、 聖霊の風よ、吹け。 平和への道 民主党の新しい党首は、憲法九条の改定を主張し、集団的自衛権をも認める考えを持っている。自民党のなかにすら、日本を戦争に巻き込むことにつながる集団的自衛権は認められない、とする人たちもいることを考えると、野党といっても、憲法問題においては自民党と変わらない考えを持った人が党首となったのである。 集団的自衛権を認めるなら、例えば、アメリカがアジアや南アメリカなど世界のどこかで攻撃を受けたら、日本の自衛隊もアメリカと共同して戦争に加わるということになる。攻撃を受けなくとも、攻撃を受ける可能性が高いということで、アメリカがイラク戦争のような自衛のための攻撃・戦争を始めたらそれにも日本が加わるということが生じてくる。現在の憲法では集団的自衛権は認められないというのが広く認められている考え方であるにもかかわらず、自衛隊をイラクに派遣していることを考えると、公式に集団的自衛権を認めたなら、いくらでも深入りして本格的な戦争に加わることになるだろう。 このような状況にあって、キリスト者は平和ということをどのように聖書が言っているかを常にはっきりと知っておかねばならない。 キリストは武力をもって敵に対抗せよ、とは決して言われなかった。それは敵を愛せよ、迫害するもののために祈れ、という主の教えでも明確である。またペテロがイエスを捕らえようとする人たちに対して剣を抜いて切りかかったとき、「剣をおさめよ、剣をもってするものは剣で滅びる」という言葉をもって、武力によって対抗することの無益を示された。 また、使徒言行録にはキリストの弟子たちの行動が記されているが、そこにはステパノやパウロたちが迫害を受けて、石で打たれることもあったが、一切それに対抗して武力などで対抗しなかった。 このように見てくると、敵対するものであろうととにかくだれかを殺して何かを守る、という発想はキリストやその最も忠実な最初の弟子たちにはなかったことが分かる。 こうした武力を用いない精神と相通じるのが、憲法第九条である。 しかし、キリストが平和について言われたのは、このような目に見える戦争と平和ということだけでは決してない。 武器を使う戦いとは別に、目には見えない霊的な戦いが常に人間をおびやかしていることをキリストははっきりと見抜いていた。 それゆえ、平和憲法とか何もなかった時代においてもそのような霊的な戦いはあったし、その戦いに勝利せねば私たちは滅びるのであって、その勝利の道を主イエスははっきりと教え、指し示している。 平和憲法があっても、このような内面の戦いに破れ、次々と滅びに陥る魂が後を断たない。この戦いにはいかなる法律や権力、あるいは憲法もどうすることもできず、ただ、私たちが神の力、キリストの罪の赦しの力を受けることによって初めて勝利できる。 これこそが、どんな時代、いかなる政治的状況にあっても、与えられる魂の平和であり、これをこそキリストは「主の平和」と言われて、十字架につけられる直前の最後の夕食にて約束されたことなのである。 また、新約聖書には、次のように記されている。 …私たちの戦いは血肉を相手にするものでなく、…悪の霊を相手にするものである。…だから、信仰を盾とし、平和の福音を告げることを履物とし、神の言葉を霊の剣として用いなさい。…(エペソ信徒への手紙六・11〜17 より) キリスト者の戦いというのは、目に見える人間や組織、国家ではない、目に見えない悪の力との戦いである、だからこそその武器も神の力であり、神の言葉という霊的なものなのである。 神を信じない者は、社会的平和しか知らないであろう。しかしその社会的平和だけでは人間が悪との戦いに次々と破れて滅んでいくのをどうすることもできない。 キリスト者は二つの平和への道、すなわち、武力によらない社会的平和とキリストによる霊的平和を知らされている。そしてこの二つの道を繰り返し主張していくことこそ求められている。 そうした平和への道を確信し、それを周囲の人々に知らせること、それが主イエスの言われた次の祝福を受け継ぐことになる。 「ああ、幸いだ、平和を造り出す者たち! かれらは神の子と呼ばれる。」(マタイ福音書五・9) 価値と価格 この二つの言葉は、よく似ている。そして同じような意味があると思われている。 しかし、この世の人は、「あらゆる物の価格を知っている。しかし、何の価値をも知らない。」(He knows the price everything and the value of nothing. )という言葉がある。 価格(値段)と価値というのは、密接な関係があると思われている。たしかに、新車は中古車より価値があり、新しい家は、古い家よりも価値があるから、価格も高いというのはごく当然のことである。身の回りの物はこのようにたいていが新しい価値あるのは価格も高いということで、この二つが同じだと錯覚している場合も多いだろう。 しかし、例えば、太陽は絶大な価値がある。もし太陽が光を失ったら、地球はたちまち暗黒となり、すべてが凍結した世界となってしまう。太陽が輝いて月を照らしている現在でも大気のない月では、昼間の気温は一三四度にも達するが、夜はマイナス一七〇度にも下がることを考えても、太陽がなくなったら地球がどのように恐るべき状態になるかがうかがえる。 このようなことを考えれば、目に見えるものとして太陽はあらゆるものにまさって価値があると言えよう。 しかし、太陽に価格があるだろうか。 また、酸素と窒素が適当に混じって私たちの地球を取り巻いている大気がなかったら人間は生きていけない。人間も植物も大多数の生物も生きてはいけない。 このことを考えても大気もまた絶大な価値がある。 このように考えると、雨も同様で雨がなかったらたちまち水不足となり人間は生きていけなくなるし、植物も枯れてしまい、食物も生産されなくなる。 植物全体も、単に米や小麦や野菜だけが必要な植物でなく、地上の植物があるからこそ、酸素が提供されているのである。 こうしたことを考えると、計り知れない価値があるにもかかわらず、価格がまったくつけられないものもたくさんあるのが分かる。 また、星や雲、夕日や夕焼け、あるいは渓谷や山々など自然の美しさはどうか。それらも人によってはどんな芸術にもまして心を打つものであって、それらがすぐれた芸術家に最大の影響を与えてきたのである。著名な画家の絵が何億円という価格がつくことがある。しかし、その絵画よりはるかに壮大で、無限の深さをもった大いなる自然については全く無関心であるということも多い。 芸術家は単なる人間であり、自然のある一部を深く受けとってそれを音楽や絵画、あるいは文学に表したものにすぎない。彼らがそうした創作をなしえた源泉である自然そのものは、無限の英知を持ち、あらゆる美や力を持っている神の芸術作品なのである。 一本の野草の花であっても、その精緻な美しさや多様性はいかなる芸術家もはるかに及ばない。そう考えてみると、この世には計り知れない価値がありながら、価格のつかないものは至るところにあるのだと分かる。 同じように、清い心や真実な心、あるいは誰にでも及ぶような愛、それは価格をつけることができない。 この世のさまざまのものは、価格のつくものを中心に動いていると言えるが、神の国は価格の付けられないもの、価値あるものを中心に動いていると言える。 そして神の前にはだれでもが、いわばVIP(Very Important Person 「重要人物」の意)としてみなして頂ける。実際、聖書には次のように記されている。 …あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの…(イザヤ書四十三・4) と言われている。 聖書において最も大切なもの、永続するものは、「信仰と、希望と(神の)愛」であると言われている。これらはいずれも、価格の付けられないものであって、無限の価値あるものである。 この三つをしっかり私たちが持っているとき、身近な雲や植物、夕日や川の流れなどのなんでもないようなもののなかに神の国の大いなる価値が込められているのを感じることができる。 そしてどんな人間も死んだら無になり、価値はなくなる、と思われているなかで、キリストにつながっているだけで、私たちは死んでもキリストと同じような存在に変えられ、最も価値あるものに変えられるという約束を信じることができる。 民意と神意 今回の選挙で、ほとんど郵政改革だけを繰り返し主張した首相が、だれも予想しなかったようなやり方で反対派をつぶしていくという目立つことをしたこともあって、若者の浮動票のようなものも流れて、小選挙区制度のゆえに自民党が大勝した。 そしてそれまで郵政改革に反対を強く主張していた人たちまでも、「民意」だと称して、いとも簡単に自分の主張を撤回して、よらば大樹の陰、ということで、首相の側についていった。 本当は民意を重んじるということでなく、自分の利益がある方についたということであろうが、それを民意に従うなどと、いかにも国民本位であるかのように言っているだけである。 民意とは何か、多数の人々の意見ということであるが、それは実に簡単に動き、また間違っていく。 実際、4年前の九月に生じたアメリカ同時多発テロ事件以後、テロとの戦いということで、アフガンやイラク攻撃がなされた。そのときにはそうした軍事行動に反対することを堂々と主張できないほど、国中が武力攻撃を支持する意見が多数を占めていた。 しかし、それからわずか数年で、現在のイラク戦争は間違いであったというのが、アメリカの世論(民意)でも多数を占めるようになっている。 民意の大きな変動は歴史を振り返ってもすぐにいろいろの国々において見られるところである。 第一次世界大戦後、一九一九年のベルサイユ条約は重い戦争賠償をドイツに課した。その巨額の賠償のゆえに、ドイツの経済が悪化し、それがヒトラーの支配を生み出すことになった。そしてドイツ人の民意はヒトラーの悪魔的なやり方すら受け入れていった。そしてそれは世界を巻き込む戦争となって数千万の人々のいのちを奪い、無数の人たちを計り知れない苦しみや悲しみに陥れることになった。 ドイツ人は哲学的な民族で、ライプニッツ、カント、ヘーゲル、ショーペンハウエル、マルクス、エンゲルス、ゲーテ、ニーチェ等々、きら星のような世界に影響を与えた哲学者たち、あるいはバッハ、ベートーベン、ヘンデル等々、古典音楽にその重厚な味わいを与えた人たちが数多く現れた。 そのような伝統を受けているドイツ人であっても、ヒトラーのゆえに戦争に駆り立てられ民意もそれになびいていった。 アメリカが引き起こしたベトナム戦争についても、米軍が本格的にベトナム戦争にかかわっていった一九六六年では、戦争に反対するのは三十一%ほどしかなかった。一年後には四〇%を越え、さらに二年後に五三%に上昇し、一九七一年には六〇%にと上昇を続け、数年後にベトナム戦争は終結したのであった。 このように、「民意」の変動ははっきりと示されている。民意というものは実に変わりやすく浮動的なのである。 日本でも六十数年前には、米英との戦争を始めたときには、人々は米英に激しい敵意を抱くようになっていた。鬼畜米英という言葉がそれを象徴している。 しかし、戦後はその鬼畜とされたアメリカが進駐してきても、そのような野蛮なことをするのでなく、当時は手に入らなかったチョコレートなどをくれたりしたので、国民はたちまちアメリカへの好意と転じたし、政府もアメリカこそが最も重要な友好国と位置づけるようになった。 憲法にしても、戦後六十年その平和主義によって世界のどの国の人をも武力をもって殺害することもなく、軍事兵器を多量に生産して外国に売って戦争に手助けすることもせずにすんできた。あるいは軍事費をGDP(国内総生産)の一%程度に抑えることができてきたのも、憲法九条の平和主義の精神があったからである。 また、日本が最近まで大きなテロ事件に巻き込まれないできたのも、やはり平和憲法のゆえに他国と連合して戦争をしたりしなかったという過去の歩みが大きな理由となっている。 しかし、最近の「民意」は、そのような平和憲法のよさを忘れて憲法を変えようとする人たちが多くなってきた。 このように変動するのが民意の特徴であるゆえに、民意が常に真理であるのはあり得ないことになる。真理とは変わらないのがその本質にあるからだ。 従って、移り変わる民意ではなく、揺るがない真理をこそ、私たちは常に見つめ、それを求めていかねばならない。 それは、永遠に変ることのない真理を持った神のご意志であり、「神意」というべきものである。 新聞やテレビなどマスコミは、たいてい民意に迎合しようとする。そうしなければ売れないし、テレビ局も雑誌社もやっていけないからである。 現代は、情報がはんらんする時代である。今回の選挙のように目立つことをやればたちまちそれが全国に繰り返しその映像が報道され、首相の人気が上がったりする。 そのゆえにこそ、そうした営利にも報道などにも関係なく、時代の流れにも影響されず、国家や民族の特質にも関わりのないような、普遍的な真理、永遠的な真理がますます重要になる。 この点において、数千年あらゆる民族、国家の最も多くの人たちに受け入れられてきたのは聖書であることはその歴史が明らかにしている。 キリストは「まず神の国と神の義を求めよ」と言われた。まず「民意」なる移ろいゆくものを求めるならそれは真理と大きくはずれていくからである。 特に憲法の平和主義については、神意と民意の隔たりがますます大きくなりつつある。そのような時であるからこそ、私たちは聖書によって永遠の真理である神のご意志を学び、そこに立ち続けることが求められている。 主よ、共にいて下さい 私たちが第一に望んでいることは、いろいろあるだろう。たいていの人にとってはまず健康であり、またお金であり、安定した職業、社会的地位、あるいは家庭の平和、そしてよき友人等々であろう。 このようなことを望むのはこれらがなかったら、毎日の生活が楽しくない、ということが多い。好きなことをして楽しむためには、まず健康、そしてお金が必要だからである。金が安定して入るのは、安定した職業であるからそれを望むということになる。 しかし、何か楽しいことをしたい、というのでなく、何か善きことを、と願う心にとってはこうしたことは重要ではなくなってくる。たとえ健康でなくても、病弱なままでも、他者のことを思いやり、祈りをもって身近な人たちを覚えることは、かえって弱い人たちがよくなすことができるだろう。お金がなくとも、与えられたものを感謝して受け取り、そこでできることをしていくことは誰にでもできる。 しかし、この何かよきことをしていくために、まず必要なのは、そのような貧しさや病気、あるいは問題をかかえた状況にあっても、つねに心がしっかりと支えられ、力を与えられている状態である。 そのために、力あるものが側に共にいて絶えず支えてもらう必要がある。 何か楽しいことをするためには、支えなど不要である。力を要しないからである。しかし、何かよいことを持続的にするには、力が必要である。まず楽しいこと、自分が好きなこと、したいことを止めて、何か善きことをするには、そうした楽しいことを捨てる力が必要であり、また継続するにも力が要る。 絶えず何かよきことをしていくために、人はどうしているだろうか。神を信じない人は、自分の固い意志でやっているという人もいるだろう。しかし、神を信じないなら、どうしても目に見えない最善のもの、滅びることのない正義や報酬を望まないような愛を持続的に持ち続けることは極めて困難である。 そのような時、最も私たちに必要となってくるのは、何が私たちとともにあって、絶えず何か善きことへと向かわしめるかということである。 聖書において、この問題が最初から一貫して記されている。 いつも共にいて下さる神が存在する、それは、聖書で言われている神が、万能であってしかも愛の神であるからである。 聖書全体について多くの箇所でこの「共ににいて下さる神」のことが記されている。ここでは、とくにこの意味ではあまり取り上げられていない箇所を通して学びたいと思う。 イエスが復活したとき、最初にこの復活という世界史上で最も重要な出来事を知らされたのは、七つの悪霊にとりつかれていたと記されている、マグダラのマリアなど一部の女性であった。これは驚くべきことで、七つの悪霊とは、その悪霊の支配が途方もないようなひどい状態であったことを示している。そのような人に示されるというところに、キリストの真理がどのようなところに及ぶかが象徴的に示されている。 それと、その他に男性の弟子としては最初に出会ったのは、意外なことに十二弟子ではなかった。それは、クレオパを含む二人の弟子であった。もう一人の弟子、それは名前すら記されていない。 クレオパという弟子も、この箇所のみで他の福音書や使徒たちの記録である使徒言行録やパウロなどの手紙にも記されていない。ここにも、主は聖霊を風のようにその御心のままに吹かせるように、重要なことを知らせる相手もまた、だれも予想できないような人が選ばれている。 彼らは、イエスが処刑されて三日目、イエスが受けた残酷な処刑のことを語り合っていたら、何者かが近づいてきて共に歩き始めた。 …しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 イエスは、何について話しているのか、と尋ねた。二人は暗い顔をして立ち止まった。二人はナザレのイエスのことだと説明し、彼は神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者であったが、祭司長たちや議員たちは、十字架につけてしまったこと、しかし、自分たちはイエスこそ真の解放者だと信じていたと話した。 そして今日で三日目になるが、朝早く墓へ行った仲間の女性たちに、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言った。 このようにして十字架につけられたイエスのことをその未知の人に説明していると、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ福音書二十四章より) この復活直後の出来事は、いろいろなことを私たちに指し示している。 …何者かが近づいてきて共に歩き始めた。 意気消沈した弟子たちのところに、キリストご自身が近づいて来られた。共にいて下さる主、知らないうちに身近なところに来て下さっている主を暗示している。 …二人は暗い顔をして立ち止まった。… 弟子たちはイエスこそ、解放者だ、メシアだと信じていたにもかかわらず、そのイエスはあえなく処刑されてしまった。そこには全く光がなかった。夕暮れに向かって歩む二人の弟子、希望が無惨にも打ち砕かれてだんだんと暗くなっていく道を歩んでいく、それは神の愛を信じない人間の状態を象徴している。 彼らの表情は「暗い顔」であった。ここで、「暗い顔をして」と訳されている原語は、新約聖書全体でも、わずか二回しか用いられていない。それは、また「悲しげな」とか、「憂鬱そうな、意気消沈した」とも訳される。 このように他ではほとんど用いられていない言葉が使われているということは、この福音書の著者ルカがとくにこの言葉の持っている内容を強調したかったからであろう。 私たちもまた、この世の現実を知れば知るほど、暗い顔になり、また悲しみのこもった心になっていくことが多い。それは私たちはだれでも人生の夕暮れに向かって歩んでいるからである。その道には光もなくだんだん暗くなっていくばかりだからである。 こうした闇が迫ってくる状況のただなかに、復活したキリストが近づいて来られた。 このことも、多くのキリスト者の心の出来事を象徴している。私自身もまた闇の迫るような道を日々苦しみつつ歩んでいたのであった。そこにやはり復活のキリストが近づいて下さった。それはキリストが一冊の本を私に遣わすというかたちをとった。その本の背後に復活のキリストがおられたのであった。それゆえ私はその一冊の本のわずかの部分でキリスト者となることができた。 二人の弟子たちは、暗い顔をしつつもイエスのことについてずっと語り合っていた。イエスが殺されてもなお、イエスへの愛を持っていたことがうかがえる。そのような弟子たちのところに現れたキリストは、そのかなりの道のりをずっと彼らに旧約聖書の全体にわたって、キリストについて書かれていることを説明された。 エルサレムからエマオという村までは、およそ十一キロメートルほどであったという。それを起伏の多い道をゆっくり話しながら、また聞き直したり、疑問をだしたりしつつ歩むとなると、三時間ほどもかかると考えられる。 復活したキリストとどのくらい共に歩んだのかははっきりわからないが、「聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」とあったことからもかなりの長時間であっただろう。 ここで聖書全体というのは、新約聖書はまだなかったのであるからもちろん旧約聖書である。旧約聖書は単に古い時代の記録ではなく、それは全体としてキリストを指し示している、という重要な意義を持っている。それは聖書を説き明かしてもらって初めてよくわかる。 復活されたキリストが弟子たちに、直接に、「私は復活したイエスである」、と言わなかったのはなぜだろうか。 復活のキリストに対しては、だれでも徐々に目が開かれるのだということを示そうとしている。 まずキリストが弟子たちに近づき、聖書の言葉の説き明かしを受け、さらに、次にはキリストが通りすぎて行こうとされるのを、無理に引き止めたとある。もし弟子たちが夕暮れに、キリストを強いて引き止めなかったら復活されたキリストはそのまま通りすぎて行かれたのであった。 弟子たちは、 道の途中で出会ったこの不思議な、驚くべき御方がそのまま夕闇の中をどこへともなく歩いて行こうとされるのを見て、次のように懇願した。 …一緒に泊まって下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから。 これは一見ただ一夜の宿を勧めているだけの言葉だと思われるだろう。しかし、この弟子たちの強い願いに応えて、「イエスは、共に泊まるために家に入られた。」のであった。 しかし、実際はイエスは宿泊はされなかった。食事のとき、パンを裂いて弟子たちに渡したとき、二人の目が開けてそれがイエスだと分かった。そしてその時、驚くべきことだが、イエスの姿は見えなくなったのである。 このことを見ても、イエスが、弟子たちのつよい勧めで家に入ったのは宿泊するためでなかったのが分かる。それは、イエスが復活したことを知らせるためであったし、いかにして復活のキリストを知るに至るかということを示すためであった。 弟子たちが、自分がそのまま通りすぎるままにしておくか、それとも自分を引き止めて共に宿ることを強く求めるかどうかを試すためでもあった。 ここで無理に引き止めること、強く共にいて下さいと願うこと、それが重要なこととなっている。現代の私たちにおいてもこのことは同様である。復活の主に共にいていただこうと願うなら、強く願わなければならない。それは復活の主の別の現れである聖霊について、主イエスご自身が、次のように言われたことと同様である。友達が夜中に訪れた。しかし、何も食物として出すものがない。そこで夜中に友人のところに行ってパンを貸してほしいと願った。その友人は夜中だから難しいと一度は断った。そのことについて主イエスは次のように教えられた。 …しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。… あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ福音書十一・) 聖霊を与えられるためには、強く求め続けることが言われている。聖書の言葉のなかで最もよく知られている言葉の一つ、「求めよ、そうすれば与えられる」という言葉で、与えられるものとは、聖霊であるのがここに記されている。 このように、復活のキリストも切実に求める魂に与えられる。 他方、このエマオ途上のキリストの記述のなかで、最初に記されているのは、復活のイエスの方から弟子たちに近づいて下さるということであった。 しかし、その一方では、人間の方からの切実な願いの必要性が示されている。 使徒パウロは、キリスト者になる前には、ユダヤ人としてモーセの律法を最高のものとしていたから、割礼などの儀式や律法なくして救われるというキリスト者たちを迫害し、彼らの信仰を打ち壊そうとしていた。 少なくとも彼の方からは、全くキリストに近づこうとする気持ちはなかった。しかし、キリストの方から近づき、彼に光を与えたのであった。夕闇に向かって突き進んでいたパウロに、突然、夜明けの光が射したのである。 ここにもエマオ途上での二人の弟子たちと同様なことが生じているのが分かる。 そしてひとたび主イエスが近づいて下さって光を体験して、まったく別の世界を知らされたパウロは、今度は激しく求め始めた。彼は、キリストの光を知ってすぐにエルサレムの使徒たちのところに行くこともせず、自分の家族親族に相談したりもせず、一人アラビアに出向いたと書いている。(ガラテヤ書一・17) それは、それまでの自分が全く間違っていたこと、真理そのものが見えなかったこと、キリスト者を迫害していたという重い罪の悔い改め、今後いかになすべきか、ユダヤ教の指導的な人物としてキリスト教を迫害していたのに、今度はキリストを宣べ伝えるということになったら、どのような困難が生じるか、今度は自分にユダヤ人からの迫害を受けるであろうこと、家族はどうなるのか、等々パウロの心のなかには、さまざまのことが浮かんできたことであろう。そうしたことを一つ一つ新たに自分の主となった復活のキリストに尋ね、今後の歩み方を深く示されたいと願って、アラビアに出向いたのであろうと考えられる。 こうした新しい世界を真剣に求めるようになって、すぐにキリストを宣べ伝え始めた。しかし、このような百八十度変えられた歩みはたちまちユダヤ人の憎しみを受けることになった。 …ユダヤ人はサウロ(パウロの以前の名)を殺そうとたくらんだ。…ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。(使徒言行録九・23〜25より) このように、キリストの福音を伝えることは、命がけであった。ユダヤ人から裏切り者と言われることも甘んじて受け、生活の安定やユダヤ人からの評判などをすべて捨てて、当時生れたばかりのキリストを救い主と信じる道に生涯をかけていったのは、非常な熱心があったのが分かるし、そのような危険な歩みをするために真剣に主に求める生活となったのがうかがえる。 キリスト教の信仰はこのように、つねに神の方から一方的に近づき、恵みを与えて下さること、神があらゆる人に呼びかけをされていることが強調されているとともに、それを一度知った者は激しく求め続けるようにと導かれる。 エマオの村に着いた弟子たちが、まだ復活のイエスとはわからなかったが、不思議な力を感じて強く引き止めて、「共に宿って下さい」と懇願したこと、それは単に一晩の宿泊を強く勧めたということにとどまらず、ここには復活のキリストに対するキリスト者の心が表されていると言えよう。 それゆえに、次の有名な讃美にもこの弟子たちの言葉が組み込まれて愛唱されることになったのである。 これは、「私とともにとどまってください」(Abide with me)という讃美歌で、日本語訳では、「日暮れてやみは迫り」というタイトルになっている。しかし、原詩で見ればすぐに分かるし、後で述べるようにこの詩の主題は、「闇が迫っている」ということでなく、「主よ、共にいて下さい!」という切実な願いと祈りなのであって、日本語訳のタイトルは残念なことに内容を的確に表していない。 この讃美歌は、十九世紀の代表的な讃美歌の一つで、英語を使う国々で最も愛唱される夕べの讃美と言われてきた。この歌詞は、ヘンリー・フランシス・ライトという人の作詩による。ライトは、学者であり、また詩人、音楽家でもあった。彼は、幼な子のように清くやさしい心を持っていた。 イギリス国教会の牧師として働いたが病弱で、結核の影が生涯をつきまとった。そして教会での最後の説教を終えたあと、家族に一つの讃美の詩を手渡した。それがこの讃美歌であった。これは、彼が召されて八年ほど経って、ヘンリー・ワード・ビーチャ(有名なアンクル・トムス・ケビンの著者であるストー夫人の弟で、著名な伝道者)によって紹介され、結局作詞者ライトの死後十四年ほどしてはじめてこの讃美が知られるようになった。また、曲の方は、ライト自身が作ったものと違って、別の作曲家(ウィリアム・ヘンリー・モンク)が作った曲がこの詩にふさわしいものとして広く愛唱され、この詩の不滅の価値を現していった。(「The Story of the Hymns and Tunes」218〜219P AMERICAN TRACT SOCIETY 1908年などによる) 1 日暮れて やみはせまり わがゆくて なお遠し 助けなき身の頼る 主よ ともに宿りませ 2 いのちの 終わりちかく 世の栄え うつりゆく とこしえに 変わらざる 主よ ともに宿りませ 3 うつりゆく世にありて 誘惑は なお強し ただ主こそ わがちから 主よ ともに宿りませ 4 死のとげ いずこにある 死のちから せまるとも 主に依れば 恐れなし 主よ ともに宿りませ(讃美歌21-二一八番より) この讃美歌のもとの詩(一節と三節)は次の通りである。なお、原詩の訳も付けておく。 Abide with me! fast falls the even tide; The darkness depens; Lord, with me abide! When other helpers fail; and comforts flee, Help of the helpless, O abide with me! とどまって下さい、私と共に! 夕暮れは間近です。 闇は深まる。主よ、私と共にとどまって下さい! 他の助け手が失われ、慰めも消え去る時、 助けなき者の助けよ、ああ、共にいて下さい、私とともに! I need Thy Presence every passing hour. What but Thy grace can foil the tempter's power ? Who like Thyself my guide and stay can be ? Through cloud and sunshine, O abide with me ! 私はあなたが側にいて下さることを、絶えず必要としています。 あなたの恵みの他に、何が誘惑する者の力を挫くことができようか。 誰が、あなたのように、私の導き手、また支えとなり得ようか。 雲が覆うときにも、また日が照るときにも、ああ、私と共にとどまって下さい! この原作で分かるように、この詩の一節には最初に、「とどまって下さい、私とともに!」という強い願いがあり、途中にも一度現れ、そしてその最後にも、「ああ、とどまって下さい、私とともに!」 となっていて、この詩の一節だけで、三度も繰り返し言われている。 この原作者は体の弱い人であったが、その弱さからさらに死の近づくのを予感し、切実な願いをこの詩に託したのであった。 それゆえに、この讃美歌は、決して単なる「夕暮れの歌」で終わるのでなく、人生のあらゆるときに祈りとともに歌うことのできる賛美なのである。私たちがいろいろの悩みで追い詰められたとき、窮地に置かれた苦しみのとき、とくに死の近づくときなど、さまざまのときに主に叫び、主よ、共にいて下さいと祈り願う讃美なのである。 もう一つやはり同じ箇所をもとにした讃美をあげておく。 共にいてください、主イエスよ。 闇のなかのひかり、主イエスよ。 Stay with us O Lord Jesus Christ, night will soon fall. (*) Then stay with us O Lord Jesus Christ , light in our darkness. (*)ルカ福音書二十四・29の、「私たちと共に留まって下さい」という箇所は、英語訳では、stay with us という訳と、 abide with us のほぼ二つに分かれている。前にあげた讃美歌では、後者の訳、この訳では前者の訳になっている。 この讃美は、ルカ福音書二十四章の29節を引用したものであって、この場合も、単に「私たちと共に泊まって下さい」という、宿泊を依頼するといったものでなく、霊的な意味をとって用いられている。夕方になったから、泊まって下さい、ということだけなら、単に昔の話しであって、今の私たちとは何の関係もないことになる。しかし、「夕闇が迫る」ということは、日々の生活のなかで、闇の力、あるいは死の力がひしひしと迫ってくるのを暗示している。そのことを実感するとき、どうかそのような力から守って下さい、という真剣な願いが生れる。この讃美は、フランスにある、テゼ共同体(*)で作られたもので、そこに加わっている人々が歌っているものだという。 (*)フランスのロジェによって始められた共同体。彼は一九四〇年にフランスの村テゼに住み始め、一日三回の祈りと労働の生活を始めた。その後プロテスタント教会の出身者が加わり、一九四九年にテゼ共同体 が始まった。まず迫害され苦難のただなかにあったユダヤ人難民をかくまい、孤児たちを迎え入れた。しだいに彼のまわりにはさまざまの人たちが集まってきた。ヨーロッパでは毎年一〇万人規模の大会が開かれるようになっている。讃美歌21には、テゼ共同体で生み出された讃美が十五曲も取り入れられている。ここにあげたのはその中の一つ。 二人の弟子たちが強く引き止めたゆえに、そのまま通りすぎていこうとしていたイエスはそこに留まり、食事を共にされた。 …一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈り(*)を唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ二十四・30〜32) (*)「賛美の祈り」と訳されている原語は、ユーロゲオー(eulogeo)であり、eu は「良い」 logew は logos(言葉)や lego(言う)と関連した言葉。日本語訳では、塚本訳、フランシスコ訳などが、「讃美する」という訳語を用いている。 しかし、多くの訳は「祝福して」としている。英語訳もほとんどが、bless(祝福する)と訳するが、ごく一部に、give thanks (感謝を捧げて)の訳がある。またルター訳も、danken(感謝する)を用いている。 イエスが旧約聖書全体にわたって長い時間をかけて、かなりの道のりを説明しながら歩いてきたにもかかわらず、弟子たちはそれが復活したイエスとは気づかなかった。ここを読む者にとってはそれは不思議なほどである。しかも彼らはそのイエスの聖書の説き明かしを聞いていて心が燃えたという。それでもなお分からなかった。 しかし、食卓について、イエスがパンを感謝し、祝福して与えたときに、初めて弟子たちの目が開かれたという。 ここには、復活されたキリストに対して目が開かれるということは、時があること、そしてイエスによって祝福されたパンを受けとったとき目が開かれたということは、単に考えたり、知識を増やしたり、あるいは現在のように数多くの情報を得たり、また経験を増やしてもなお、復活のキリストに対しては目が開かれることにはならないこと、ただ、一方的にキリストから霊的なものを受けて初めて目が開かれるということなのである。 現在の私たちにおいても、自分の悩みのこと、他の人のいろいろの問題、社会的な問題、死後のこと、将来のこと等々、私たちはどうしたらいいのか、どのように考えるべきなのか分からなくなることもしばしばである。それは私たちが目がふさがれているからだと言えよう。 使徒パウロにしても、若いときから特別な教育を受けて、律法の世界に通じていたようであるし、ローマの市民権を持つ社会的にも上層部の家庭でそだったと考えられる。そして神の律法のためには犠牲を払って邁進するといった性格であった。にもかかわらず、彼はキリストのことが全く分からなかった。ステパノのように、石で打たれていのちをキリストのために捧げる人を目の当たりにしてもなお、復活のキリストには目がふさがれていた。キリスト者の柔和や真実さに触れてもなお変わらなかった。 そのようなパウロの目を開いたのは、一方的に注がれた神の光であり、復活のイエスからの呼びかけであった。それがなければどんな学識も経験も、霊の目を開くことにはつながらなかったのである。 私たちにおいても同様であって、どんなに大学などで研究しても、また職業的に成功しても、あるいは有名になっても、なお復活のキリストが分かるということとは関係がない。それは至る所で私たちが実際に経験することである。復活のキリスト、生きて働くキリスト、そして私たちのなかに住んで下さるキリスト、そのようなキリストがおられるということ、それを経験させていただくことは、この世の最も大いなる宝を与えられるということであるが、それは、たしかに神からの一方的な恵みなのである。 使徒パウロは私たちの救い自体が、私たちの意志や願い、あるいは知識や経験などによるのでなく、一方的な神の恵みによるということを次のように強調している。 …罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。…事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(エペソ書二・5〜8より) 復活のイエスであることが分かった弟子たちは、せっかく十キロを越える道のりを歩いてきたにもかかわらず、ふたたび夕闇迫る同じ道を引き返して、エルサレムに戻ってほかの十一人の弟子たちに復活という驚くべきことを実際に体験したことを語った。 エマオに着いたときすでに夕暮れであったから、そこでイエスとともに食事をし、それから歩いて二時間以上もかかる道を引き返した。しかもエルサレムは山の頂きにあるので、引き返す道は登り道であったはずであるから、エルサレムに着く前からもう暗くなっていたであろう。夜道になったエルサレムへの登り道を息をはずませて他の人たちになんとしても伝えなければ、急ぎ足で歩いていく二人の弟子たちの姿が浮かんでくる。 いかにこの二人の弟子たちの感動が大きかったかを知ることができる。 復活という大いなる出来事、それはさまざまのことを生み出す。死んだような人間を生かし、すべての人間が呑み込まれていく死ということをも越える力を与えられ、絶望ということを克服させ、いかなる重い病人や障害者、また見捨てられた人をも希望へと導く力をもった出来事であった。 このエマオへの道に関するルカ福音書の記事は、そうした復活にかかわる出来事を私たちにありありと思い起こさせるのであり、その復活のイエスが現在の混迷する時代に生きる私たちにとっても、いかなる他のものにも増して、私たちを励ましてくれるものとなっている。 ことば (216)不幸な人々の面倒を見るよりも、人を愛することが大事だ。(マザー・テレサ) この言葉はすぐには納得しがたいかもしれない。 しかし、使徒パウロもどんなよき行為、例えば全財産を貧しい人に施し、我が身を焼かれるために渡しても(殉教のようなことを指していると考えられる)、愛がなかったら一切は無だと言った。ということは、愛なくしてそのようなことをすることがあり得るというのである。 いろいろと病人や一人暮らしの人をみることはある。しかしそこに、聖書が言っているような愛をもってなされているだろうか。例えば看護師やヘルパーはいつも病人や苦しむ人、悩み、孤独にある人たちの面倒を見ている。しかしそこにそうした人々が本当によくなって欲しい、何とかしてその人たちの苦しみや悲しみ、孤独が癒されますようにとの愛を、いつも持ってしている人はわずかではないかと思われる。 (217)この信仰のなかでは、いっさいのわざが等しくなり、互いに同等のものとなる。わざが大きかろうと小さかろうと、長かろうと短かろうと、あるいは多かろうと少なかろうと、そうしたわざの区別はいっさいなくなってしまう。 わざが神に喜ばれるのは、わざそのもののためではなく、信仰のためであり、そしてその信仰はわざがどんなに数多く、またどんなに異なっていようとも、すべてのわざの一つ一つの中に、唯一のものとして存在し、生きて働くからである。(「善きわざについて」ルター著 聖文舎刊 ルター著作集第一集第二巻15頁) ・私たちが何かよきことをしようとするとき、それがどれほど目に見える効果があるかとか、相手や周囲の人々に評価されるか、などを考えてするなら、それは自分の判断や人間の評価を重んじてやっていることである。 しかし、自分のなそうとすることが神の御心にかなうという確信があり、万能の神、真実の神の力を信じて、その神が用いて下さるなら、無から有を生じさせるのだから、小さくとも神は必ず祝福して用いて下さる、と信じてすることは大きなわざと同じ意味を持ってくる。 重い犯罪人であっても最後のときに、イエスへの信仰をあらわした人は、キリストとともに今日パラダイスに入ると、約束されたが、ここにも信仰がどんなわざにもまして神に喜ばれることを示している。 神はどれだけ多くをなしたか、でなく、どれほど、神への愛と信仰をもってなしたかをみておられる。 (218)…この世に存在する、あらゆる種類の、おびただしい量の悲惨事は、社会的ないろいろな活動などによってほとんどなにほども減らないだろう。 結局、人類はただより多くの愛によってのみ、しかも、だれでもみな直接にその「隣人」から始めねばならぬあの個人的な、本当に強い愛によってのみ、助けられるのである。 この愛の精神こそは、また真のキリスト教の精神でもあるが、これが世を救うのであって、その他のすべてはこれと反対に、やたらに声のみ高い無用事にすぎないことが多い。 (ヒルティ著 「眠られぬ夜のために」下 四月二日より) ・ここでヒルティが述べている、愛とは、神から受ける愛、聖霊の実としての愛を意味している。平和運動をしているといいながら、自分の心の深い平和を持てないとか、身近な人の魂の平安のために祈ることも、病気の人を見舞うこともしないといったことでは、その人の平和運動も実りが期待できないということであろう。 主イエスも、弟子たちに、「私の平和を与える」と言われて、霊的な平和、魂の平和を第一とされた。罪の赦しとはそうした主の平和を意味する。 しかし、社会的な平和運動に召されたような人もいるものであって、神はさまざまの人を、いろいろなかたちで用いられるのである。 編集だより ○八月号の、「ことば」の欄に、ルターの「我ここに立つ」という言葉とその説明を入れてありました。 それに関して関東地方の読者の方から、かつてドイツでルターの旅をしたが、そのとき、ウィッテンベルクにも訪れ、このルターの情景を絵にしたものに出会って感動した、そのことを思いだしたとのお便りがありました。 神という岩の上に立つ、その単純なことを命がけで守った魂の歩みは時代を越えて、影響を与え続けているのを感じます。 ○やはり前月号ですが、テニソンの詩の一部を引用した記事についてもコメントを書いてこられた方がありました。 「Strong Son of God Immortal Love テニソンのこの詩の解説、深く心に響きました。…」 (東北地方の方) ・これは、テニソンの代表的な詩の最後の部分を引用したものでした。そこにはこの世のあらゆる混乱にもかかわらず、神はすべてを一つにまとめ、導いておられるという確信が記されていたところです。 ○「…この弱くて歩みの遅い者、しばしば罪のゆえに逆戻りしたり、泥沼に落ち込んだりする者…」これは私のことみたいに思ってしまいます。アサギマダラのように神からの力とつばさを与えられ、神の国、清い世界に導かれたいと切に思いました。…」 (中部地方の方より) ○今月は、「いのちの水」の執筆、編集ソフトによるレイアウトなどと「祈の友」四国グループ集会、静岡での集会、そして日曜日の主日礼拝のテープの作成などが一度に重なったので、パソコン入力が多く、指や肩などの不具合もあってなかなか仕上げるのが困難でした。しかし、こうした不十分なものも主が用いて下さいますようにと願っています。 お知らせ ・従来は日曜日の主日礼拝や火曜日夜の夕拝のテープの希望者には、カセットテープで配布、郵送してきましたが、近いうちに、パソコンをもっている方々には、CDにMP3というファイル形式で録音したものを配布できるようになる予定です。カセットテープと比べると、取り扱いがはるかに楽であり、郵送や保存にも便利、またテープのようにカビが生えたり、テープが切断されたり、ラジカセの回転部に巻きついたりすることがないし、頭出しも簡単です。なお、パソコンを使っておられない方々には、従来通りテープで配布します。 |
2005/9 |
待ち望む 2005/8 今年は梅雨においてもほとんど雨が降らず、水不足が次第に深刻なものになっている。科学技術がいくら発達しても雨のようなきわめて身近なものもどうすることもできない。水こそは、生活に不可欠な最も基本的な重要性を持つものであるけれども、台風や梅雨前線のような大量の雨を降らすことなど人間の技術ではもちろん不可能なことで、ただ、待つしか方法がない。 これは心の問題、霊的な問題においても同様の側面がある。単に知識を覚えたり、技術を習得するのは強制したり、一定の時間をかけて訓練すればだれでも次第に身についてくる。 しかし、人間そのもの、その魂が新しくされるような重要なことは、どのように強制しようともできないことである。それはただ、神の御手が望むのを祈り、待ち望むしかない。 神の力、神ご自身そのものとも言える聖なる霊についても同様で、復活された主イエスも次のように言われた。 「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(使徒言行録一・4) 主イエスは、世を去る前に自分が十字架にかかって処刑されいなくなるがその代わりに、聖霊を与えるという約束をされていた。 そして、共に集り、祈りをもって待ち望んでいた人々に時が来て、聖霊がゆたかに注がれたのである。 私たち自身が新しく創造されること、この世が神の国へと変えられること、復活のこと、悪が滅んで善が勝利すること、この世の苦しみや悲しみからの究極的ないやし…等々、重要なすべてのことについて最終的に神がすべてを成就されると信じつつ、私たちは待ち望む。 詩 その神こそは、永遠に生き、愛し続ける神、 唯一の神であり、唯一の法、唯一の源である神、 そして唯一のはるかな、聖なる結末。 その神に向かって、すべての被造物が動いていく。 (テニソン著 「イン・メモリアム」の最後の節) The God,which ever lives and loves, One God,one law,one element, And one far-off dvine event, To which the whole creation moves. ・この詩の作者、テニソン(一八〇九年生れ)は妹の婚約者でもあり、無二の親友であった友人が若くして急死し、それが強い動機となってこの長編詩を作った。テニソンはブラウニング、ワーズワースらと共にイギリスを代表する詩人の一人。 この詩では、得難い親友を失って深い悲しみや絶望的な感情にとらわれていた詩人が、次第に信仰に基づく希望を与えられ、愛の神への信仰に導かれていく過程が歌われている。 なお、この詩の序文は、「つよき神の子、朽ちぬ愛よ」ではじまる讃美歌として取り入れられている。(讃美歌二七五番) この詩は、一五〇ページほどにもなる、長編詩の最後に置かれた一節である。この最後の部分は、この詩のよく知られた序文(*)とともにイギリスの代表的詩人の一人とされ、桂冠詩人となったテニソンが何をこの詩において歌おうとしたかがはっきりと示されている。 (*)この詩は、Strong Son of God,immortal Love,(強き神の子、不滅の愛よ)… という言葉から始まっている。 神とは永遠に生きておられる存在であり、しかも単に生きているのでなく、それは愛し続けて生きている存在だということ。そしてその神こそは、宇宙における唯一の神であり、人間の歩むべき真理(法)そのものであり、あらゆるものを生み出す源である。 さらに、この世界はどうなるのか分からない偶然的なものでもなく、自然に消滅するのでもなく、輪廻のような繰り返しでもない、明確な結末がある。それは聖なる結末を持っている。 万物は神に向かって動いているのである。 深い悲しみと絶望感が色濃くにじんでいるこの詩が最後にはこのような確信で終わっていることに驚かされる。 ここに引用したこの長編詩の最後の部分は、聖書のつぎのような箇所を詩的に表現したものである。 ・すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられる。(エペソ書四・5) ・こうして、時が満ちるに及んで、…あらゆるものが、…天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる。(エペソ書一・10より) ・すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。(ローマの信徒への手紙十一・36) このような詩に接するとき、日本の詩(和歌、俳句など)に全く見られない雄大さと深さがたたえられているのに気づかされる。永遠の神によって触発された魂はまた、永遠的な真理の歌を歌おうとするのがわかるのである。 アサギマダラ アサギマダラという蝶は その小さな羽根で こんなにはるはる空をとぶという 神様に言われたとおりに 疑わないで飛んでいく 花に羽根を休めても 立ち止まらずに飛んでいく 大雨の日も風の日も 荒れ地の上も、山中も 神様は、必ず守ってくださるのだと 疑わないで飛んでいるのだ(貝出 久美子 詩集「天使からの風」より) ・二〇〇四年一〇月一七日に小松島市の日峰山からマーキング(しるし付け)をした上で放たれたアサギマダラが、直線距離にして約七百七十キロ離れた鹿児島県喜界町の喜界島まで飛んでいたことが同年一〇月三〇日に確認された。こうした実験は各地で最近は行なわれている。この蝶は平地では私は見たことはない。四国なら夏に剣山の標高一七〇〇メートル前後の花にいるのをよく目にする。わが家は低い山にあるが、一年に一〜二回程度見かける。ひらひら、ゆらゆらとその美しい羽根をゆっくりはばたかせながら飛ぶので、このようなマーキングの証拠がなかったらそんなに遠いところまで飛んでいくなどとは到底信じられないだろう。この蝶はアメリカ大陸でも数千qを渡るので知られている。 すぐ近くの山々でいくらでも花はあるにもかかわらず、なぜこのような長距離を飛んでいくのか、驚かされる。 強い風が吹いたらどこを飛んでいるのか分からなくなるだろう。海の上では海に風や雨でたたきつけられるかも知れない。数多いチョウの中でもとりわけゆったりと飛ぶチョウが何故このような遠距離を飛んでいくのだろうか。 神から与えられた不思議な力によって、支えられまた導かれて飛んでいくようだ。 人間が神の国に達するというのもどこか似ているところがある。この弱くて歩みの遅いもの、しばしば罪のゆえに逆戻りしたり、泥沼に落ち込んだりするもの、そのようなものがどうしてはるかな神の国、清い世界に到達することができるのだろうか。 ただ、神からの力とつばさを与えられ、不思議な力によって導かれるとしか言いようがない。 旧約聖書における神の愛 聖書において、「愛」が言われるときには、ほとんど新約聖書の内容からである。主イエスの「隣人を愛せよ、敵を愛せよ、まず神の国と神の義を愛せよ」、という言葉や、「人間の罪の赦しのために十字架にかかって血を流し、いのちをささげたほどの愛」といった言葉などがまず思い浮かぶであろう。 また、ヨハネ第一の手紙にある「神は愛である」、使徒パウロの手紙にある、「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛である。そのうち最も大いなるものは愛である」という言葉なども必ずあげられる言葉である。 しかし、旧約聖書の神も新約聖書の神も同じであるゆえ、新約聖書の神の本質である愛は旧約聖書にも随所に記されているのであるが、一般的には旧約聖書は義の神、裁きの神というように受けとられていることが多い。 しかしこれは大きな誤りである。ちょうど、アメリカの大統領がイラク戦争を旧約聖書の戦いを持ち出して正当化したように聖書のある一部を取り出すと大きな間違いをすることがある。旧約聖書では神が戦いを命じている。しかし新約聖書においては、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」、と言われているほどである。武力をもって敵を攻撃し、滅ぼせなどとは全く言われていないのは新約聖書を見れば明白なことである。 それと同様に、旧約聖書というと義の神、裁きの神というイメージしか浮かんでこない、という人が多い。それは聖書そのものの内容を深く知らない、ごく表面的に一部を読んだだけ、あるいは他人が書いているものをそのまま鵜呑みにしているからである。 旧約聖書の最初の書である、創世記にも神の愛ははっきりと記されている。というより聖書の巻頭に置かれたこの書は聖書全体のメッセージともなっているのである。 聖書の最初におかれた創世記には、まずこの世には完全な闇と果てしない混乱とがあったことが記されている。そしてそのただなかに、神が「光あれ!」と言葉を出された。それによって、深い闇の中に光が現れ、神の言葉に従って混乱の極みであった暗黒世界が秩序あるものとして整えられていった。 これは人間の心の状態を映し出している。私自身、この箇所はキリスト者となる前には、現在の自分とか世界とは何の関係もない古代の話だと聞き流していたであろう。実際、私の大学時代、キリスト者となって間もない頃、親しかった理学部の友人にこの創世記の話を少ししたが、彼は「古代の神話だね!」といって笑って聞き流したのみであった。 しかし、この創世記の最初に実は聖書全体のメッセージが凝縮されているのである。この世は闇であり、何が正しくて歩むべき道なのか、まるで分からなくなった無数の人たちの群れがある。そうした闇と混乱のただなかに光が差し込むとき、まったくそれまでと異なる状況が訪れる。 闇にあるときにはどう考えたらいいのか、この深い悩みと苦しみからいかにして脱することができるのか全く分からなかった。そして周囲の友人や親、大学の教師たちもそのような答えはまるで持っていなかった。そこから私は引き出されたのであった。それは光が闇に閃光のように差し込んだのであり、この世を貫いている真理の流れが初めて感じられるようになった。 そこに深い神の愛を実感した。それまではどんなにしてもその恐ろしい闇から抜け出すことができず、どんな人間もどうすることもできなかった闇から救い出して下さったのは、人間の愛でなく、神の愛そのものであった。 キリストのはたらきもまさにそのような闇から救いだすことであったし、そのためにこの世に使わされたのである。 このように、聖書の冒頭にある有名な言葉、闇と深い淵、あらゆる混乱のただなかに「光あれ!」と言われて、そこに光が存在しはじめた、という記述は、聖書全巻を貫く神の愛を宣言しているものなのである。 人間の苦しみや悲しみはいろいろな場合に生じるからだれでも何らかの形で持っている。愛する者が奪われた、人から認められず、愛されず無視されたり見下される、差別される、貧困や病気、物質的には豊かであってもなすべきことが分からない、希望がない、生きる支えがない…等々。そのようなときには心に闇があり、考えるべきこと、生きるべき道が混乱して分からない、ということである。生きていく力もなく、そのような気持ちにもなれない、という状況である。 「光あれ!」という聖書の最初に出てくる言葉は、そのようなあらゆる状況から導き出すものと言えよう。 愛とは苦しみや悲しみの中においてこそ、いっそう深く感じるものであり、そのように光を与える神の愛が全巻の最初のところに与えられるところに、聖書が愛をメッセージとしているのが浮かび上がってくる。 次に、旧約聖書における神の愛は、導く愛というかたちではっきりと示されている。 創世記で重要な人物は、アブラハム、ヤコブ、ヨセフたちである。これらの人物はさまざまの困難を経て、すべてよりよきところへと導かれていったのであり、その導きのなかで、神の愛を深く知らされていった人たちであるが、 そのような、神の生きた導きによって神の愛を知らされていくということは、現代の私たちにも常に経験されることである。 アブラハムは最初は現在のイラクの南部地方に住んでいた。そこから導き出されて、遠いカナンの地へと旅立った。それは、その長い旅路を導かれる過程で、当時は誰も知らなかった唯一の神を知らされ、その目的地においての生活において深く神を知らされて生活するためであった。 これは私たちにおいても、自然のままの状況においては神も知らず、歩むべき道や目的地も分からないままであったのを、唯一の正しい道へと導かれることの重要性を示している。 周囲の人々は唯一の神がおられるなどと全く知らなかったのに、アブラハムはとくに選び出されて唯一の神を知らされた。彼にとって、それは驚くべきことであったし、そのことに深い神の愛を知らされたのである。 愛というのは、長い期間にわたって持続しているものほど真実な愛である。人生の数々の波の中、嵐が吹きつける中で一貫して自分に注がれている愛を受けていくときに、その深い愛をいっそう感じるようになる。 導きのうちに実感する愛はそのようなものである。それはこの世でふつうに言われている愛のように一時的なものと本質的に異なるものだと言えよう。 アブラハムは文字通り全く未知の世界へと導かれ、距離的にいっても、はじめに住んでいたカルデヤのウル(現在のイラク地方で、ユーフラテス川の河口に近い所)から、目的地のカナンまで千五百キロ以上あり、さらにエジプトまでも飢饉のときには旅立っていったが、それは全体では二千キロを越えるような距離である。砂漠のような乾燥地帯においてこのような長い距離を移動し、さまざまの困難に直面しつつ、アブラハムは神の導きを実感していった。その長い歩みのなかで神が個人的に親しく語りかけ、本当の歩むべき道を指し示したのであった。 アブラハムの孫にあたるヤコブにしても、兄からいのちを狙われるといった危機的状況のなかで、遠くへ親もとを離れて旅立っていった。その過程で、彼は自分自身の欠点にもかかわらず、神が現れ、天に通じる階段が現れ、天使が上り下りしているのを見るという得難い経験を与えられた。ここにも一人で未知の土地へと歩むものを、愛をもって見守り導く神の姿がはっきりと表されている。 そして目的地に着いたのちにさまざまの苦労を経て、妻にも恵まれ子供も次々と与えられて、それが結果的に神を信じる大きな民族のもとになったのである。 その後、ヤコブの子供のヨセフが兄弟たちの悪意により、隊商に売られ、遠くエジプトに連れ去られた。彼は、家族から引き離され、ただ一人エジプトで生活することになった。彼は勤勉で英知に富んだ人間であったが、悪しき女に謀られて牢獄に入ることになった。そのような苦境にあっても神は一貫してヨセフを導き、その苦しみのただなかに大いなる業をなし、ヨセフはただ神からの啓示によって、となり人の悩みを解決し、牢獄から出ることができた。その後もやはり神の英知を受けていたので、エジプト王にも認められるようになり、政治の最高の地位にまで上ることになった。しかしヨセフはそのようなことによっても傲慢になることもなく、神のしもべとして歩んだ。そのとき、かつて自分を殺そうとまでし、外国の商人に売り渡してしまった兄弟たちが飢饉のために食物を求めてエジプトにやってきた。そして、弟のヨセフに出会った。兄弟たちはかつての弟がそのような高い地位にあるとは夢にも思わなかった。ヨセフは兄弟たちが悔い改めているかどうかを調べようと考え、彼らを試みた。そうした過程で、兄弟たちのなかのユダは深く悔い改め、自分がどんなに苦しむことになっても、末っ子や年老いた父のことを考えるという姿勢があるのがはっきりとし、かつそのような苦しみに遭うのはかつての自分たちのヨセフへの罪のゆえだと気づいたのであった。 このようにして、兄弟たちはかつての罪を悔い改め、和解も与えられ、長い間会うこともできなかった父との再会をも果たすことができたのである。 創世記の最後の部分で、ヤコブは次のようにヨセフを祝福して言っている。 …わたしの生涯を今日まで 導かれた牧者なる神よ。(*) わたしをあらゆる苦しみから 贖われた御使いよ。 どうか、この子供たちの上に 祝福をお与えください。(創世記四八・15〜16より) (*)「導かれた牧者(なる神)」の原文は、「養う、草を与える、飼う」といった意味の動詞の分詞形が使われている。参考のため、英語訳のいくつかをあげておく。(なお、詩編二三編の、有名な、「主はわが牧者」という箇所にもこの箇所と同じ動詞の分詞形が使われている。) The God who has been my shepherd all my life to this day,(NIV,NRS) The God who has led me all my life long to this day,(RSV) The God which fed me all my life long unto this day,(KJV) このように、私たちを長い人生を通して一貫して導き、生かし、霊的な養分を与え、導いていくところにヤコブは生涯を通して働く神の愛を感じ取っていたのである。 ここから、私たちは詩編二三編の有名な詩が実はそのような導く神の愛を内容としていたのに気づくのである。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。(詩編二三編より) 神の愛の内に置かれている人であっても、苦しみや死に瀕するような艱難に直面することもある。その点で、安楽や苦痛のないものを与えようとする人間の愛と大きく違っている。 しかし、そうしたすべてを通して神は導かれる。敵対するものが周囲にいて苦しめることもある。しかしそのような状況にあってもなお、霊的には満たし、力を与えて下さる。 そしてよきものであふれさせて下さるという。生涯自分に恵みを与え、慈しみを注いで下さる。そこに確かな愛がある。 こうした導きの愛は、旧約聖書の預言書である、ホセア書にも、「私は愛のきずなで彼らを導き…」(ホセア十一・4)と記されている。 (参考 I drove with a harness of love, Moffat訳) このような導きの愛こそ、出エジプト記や、サムエル記などの歴史書にはっきりと記されている。出エジプト記は、エジプトの奴隷となっていた民がいかにして神の導きの愛を受けて、エジプトから脱出し、砂漠地帯をいかにして、神が導き、助けたかが記されている。 また、旧約聖書の後半部を占める預言書はどうか。それは、間違った道を歩もうとする人々に対して、預言者を遣わし、何とかして正しい道に引き戻そうとする、神の愛の現れと言える。 ユダの人々は神の言葉を知らされているにもかかわらず、神に背きまちがった道を歩もうとした。それゆえ、神は預言者エレミヤを遣わし、人々の間違いを指摘し、神に立ち返るように繰り返し教えた。しかし人々はまったくそれを意に留めず、背き続けたためについに、エルサレムは焼かれ、略奪され、多くの人たちが殺され、多くが遠く離れたバビロンへと捕囚となって連れて行かれた。 しかし、そのような悲惨な事態となっても、なお、神は人々を愛して、その捕囚も永続的なものではないと言われた。 …それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、 わたしに出会う、と主は言われる。 わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。(エレミヤ二九・11〜14より) このように、数々の困難や危険な状況に陥ったのは、決して単なる裁きではない。そうした厳しい状況を通って罪を知り、本当の悔い改めに至るようにとの神の愛が背後にある。 預言書というと、正義の神が人々の現状を見て警告し、厳しく裁くことを書いてあると思われていることが多い。しかし、エレミヤは神の深い愛を一貫して告げたのであった。 …しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。 そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。 わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す。(エレミヤ書三十三・) かつての背信行為にもかかわらず、時がくれば、神は彼らを赦し、繁栄を回復させる、そしてすべての罪に赦しを与えるという。 このような神は愛の神であって、決して単なる裁きの神ではない。 次に、神の愛は、旧約聖書の詩編にしばしば表されている。 詩編の最初に置かれている詩は、つぎのような内容である。 ああ、幸いだ 悪しき者のはかりごとに従って歩まず… 主の教えを喜び その教えを昼も夜も心にとどめる人… そのような人は、流れのほとりに植えられた木のようだ。 時が来れば実を結び、その葉もしおれることがない。(詩編第一編より) これは、悪に従うのでなく、真実の神に従うときに豊かな恵みが約束されていることが全体の詩編の総括のようにして語られている。一見したところでは、神の愛がここに言われているとは感じられないという人もあるだろう。 しかし、本当の幸い、心の深い満足や喜びが、生まれつきの健康や能力、あるいは境遇や血筋といったことでなく、ただ「主の教え(神の言葉)を喜び、それを絶えず心に持つ」ところにある、ということは、万人にとって、特に弱い立場に置かれている者にとっては大きな福音である。 というのは、このようなことは、本来だれでもできることである。 大きな会社の経営とかスポーツで優勝、音楽で演奏会をする、学者になる…等々は、だれでもができるわけでは決してない。ごく一部であるし、生まれつきの知能、能力とか天分といったものが大きく影響する。それらができるものほど幸いだ、というのなら、生まれつき、幸いな者とそうでない者が決まっていることになる。それではそのような能力のない者は幸いから見捨られたようなものである。 私たちの幸いは、神の言葉への心の態度によって決まる、という、本来なら考えたこともないようなところに、幸いの中心を置くということは驚くべきことである。 人間の社会ではどんなに真実にしていたからといって報われるとは限らない。不信実なものがかえって多くの報酬を受けたり、もてはやされたりすることも多い。 ただ、神の言葉を喜び、それをいつも心にかけているだけで、私たちは魂がうるおされ、よきものがそこから生れる、それは神が私たちを愛して下さっているからであり、ここに神の愛がある。 神に従わない、言い換えると不信実で悪に加わるなら、当然よきことはない。これは聖書にかぎらず、常識的にも当然のことである。しかし、神の言葉を心にいつも愛し、喜んでいるだけで、金では買うことのできないよいものが与えられる、心がうるおされるといったことは、この世では考えられないことである。 それは神からくる祝福であり、神の「いのちの水」が与えられることであるから、神などないという人には、経験できないことになる。 また、詩編においては、次のように、非常な苦しみにある状況から救い出されたという経験が多く記されている。 …主よ、憐れんで下さい。 私は嘆き悲しむ。 主よ、癒して下さい。 私は恐れおののく。 主よ、いつまでなのか。 主よ私を助けて下さい。 私は嘆き疲れ、夜ごとに涙はあふれる…。 苦しみのゆえに私の目は衰え、 私を苦しめる者のゆえに、老いてしまった。 … 主は私の泣く声を聞き、 私の嘆きを聞き、 主は私の祈りを受け入れて下さる。(詩編六編より) この詩に表されているような耐えがたいと思われるような苦しみや悲しみから救い出されるという経験、それが詩編の中心にある。そのような苦しみは人間によっては救われない。どうすることもできない。それができるのは、神であり、神の愛である。 人間が協力して一つの仕事をなし遂げるということはよくみられる。一般的に会社などでの仕事とは大体そのようなものであるし、チームで力を合わせて行なうスポーツとか器楽演奏、演劇なども同様である。しかしそこには互いに愛があるかというと、そのような仕事と個々の人間への愛ということとは別であって何の関係もないということが多いだろう。 医者や看護師にしても、病人の苦しみや悲しみをいやすことも部分的、あるいは表面的にしかできない。ガンの重度の患者の痛みや苦しみを薬で一時的に弱めてもその患者や家族を包む絶望や不安や悲しみといったものはどうすることもできない。 苦しみや悲しみが大きいほど、人間はますますどうすることもできなくなっていく。しかし、神はまさにそのような人間が手を触れることのできないような深い苦しみや悲しみに御手を差しのべて下さる。 それが神の愛である。 この詩においても、人間が自分の悲しみや苦しみを聞いてくれた、人間がいやしてくれた、というのでなく、神だけがその祈りを聞いて下さり、その深い悲しみのもとをいやして下さるという経験がある。 この「いのちの水」誌にも何度か取り上げてきた、次の有名な詩はどうであろうか。 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。 (詩編十九・2〜3より) これは、一読しただけでは、神の愛とはとくに関係がないと思う人が多いだろう。 しかし、これは星や月など天体や大空のさまざまの雄大で美しい姿が神の御手のはたらきを示している、というだけではない。星や、夕焼けや白い雲、青い空といったものだけでなく、野草の清い美しさやとくに大きい樹木の祈るような姿、それらは神がいかに絶大な力を持った存在であるかを示すとともに、神の人間への愛をも示しているのである。 私たちが、闇に苦しみ、人間の汚れに心が痛むとき、「人間から離れよ、ここに神の国の美しさや清さがある、それに接して心を癒されるように」と私たちを導こうとされているのが自然の美や力なのである。 私自身、かつて人間の罪や汚れのなかでどうにもならないとき、しばしば山を歩いた。山の世界のもつ清さと揺るぐことのない姿、ところどころの野草などにどれほど心が癒されたことであろうか。山々の連なりのただなかに身を置くとき、大きな見えざる手に包まれるような、人間世界の汚れがすべて洗い流されるような気持ちになったことは幾度あっただろう。 物言わずただ沈黙をもって、その存在を続けている山々が実は目には見えない神の大きな愛の表現であると感じたのであった。 … 昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。(同3〜5) このような表現も、神がさまざまの手段を用いて、その真理を人間に伝えようとされていることが暗示されている。このように真理が絶えず世界に伝えられようとするのも、人間が闇のなかにあり、真理を知らず歩んでいる状態であり、そのような人間の現実に向かって心を注ぎだそうとする神の愛の表れなのである。 主イエスも言われた、 …あなたがたの天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、 正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる…。(マタイ福音書五・45より) この言葉には、敵対するものも、神に従おうとする者にも同じように包み込む神の愛を指して言われている。主イエスは神がそのような御方であり、ご自身もその神のお心をそのままに行なう御方であった。そして太陽が万人を照らし、雨がすべての人に同様に降るのも、神の愛を指し示すものだと言われた。 このように、自然の現象のなかにも、よく見つめるときにはそこに神の人間への愛が込められており、神の愛を何らかのかたちで指し示すものとなっている。 これが旧約聖書に収められた詩集(詩編)と他の国々の詩集との大きな違いである。他の詩集、中国や日本、あるいはギリシャなどの古代の詩集は、自然を歌うものや、苦しみや悲しみを歌うもの、男女の普通の愛情の歌、戦いを主題としたものなどいろいろあるが、どれにおいても、神という永遠の存在からの人間への愛などというものを見出すことはできない。それはそのような神がおられることを知らないのであるから、当然だと言える。 そしてこのように愛によって導く神は、人々を最終的に神の国に導くためには、まったくそれまでの方法とは異なる道を新たに導入して下さった。それが、イザヤ書の五三章にある。 神が特別な人をこの世に遣わし、その者に他の人間の罪を担わせ、そしてそれらをすべて担って誤解と中傷のただなかで殺されていくという、かつてない道がそれであった。そこにはいかなる方法をもってしても、人間を救い出そうとされる神の愛がある。 このように闇に光を与える神は、またいかに歩むべきか分からない人間を導き、その罪を赦し清めつつ、導いていかれる神である。そしてその愛に応えることなく背き続ける人間に対してさえも滅ぼしてしまうことをせず、さらに全くあらたな道を備えて下さったのであった。 そしてこの愛が実際に歴史のなかで現れたのが、イエス・キリストであり、その十字架による罪のあがないであり、復活であった。 このようにして旧約聖書における神の愛は、はじめはイスラエル民族に示されたのであったが、そのまま新約聖書のキリストにおける神の大いなる愛、全世界をうるおす愛へと流れていくのである。 創世記における最後の言葉 創世記という書物は、その書名が「世界の創造に関する記述」という内容のように思わせるために、ほとんど聖書を読まない人には、天地創造のことが書いてあるのだと思われている。 しかし、創世記の全体では五十章あるが、そのうち天地創造のことを書いてあるのは、わずかに最初の一章と二章の二つの章だけである。 これを見ても創世記が天地創造のことを書いた記録だというのは間違いであることはすぐに分かる。それでは創世記とは何が目的なのか、その主たる内容は何であるのだろうか。 ここでは創世記の最後の章をとくに取り上げてこのことを考えてみたい。 創世記の最後の章の内容には、二つの重要な内容が記されている。 それは、「罪の赦し」と、「究極の目的地を目指す」ということである。 ここではまず、罪の赦しということについてどのように扱われているか、見てみたい。 創世記は全体で五十章あるが、そのうちの十四章もの分量はヨセフについての内容が記されているし、ページ数でも三分の一にも及ぶ分量になっている。このことだけを見ても、とくに重要視されているのがわかる。 ヤコブ(*)の子供であるヨセフは子供のときに、兄弟たちに憎まれ殺されそうになったが辛うじていのちは助かったものの、遠いエジプトに連れて行かれた。 その後、無実の罪で牢獄に入れられたり、神からの特別な力を発揮してそこから出ることができたり、いろいろの驚くべきことがあって、ついにエジプトの王に次ぐ、高い地位にまでなった。 (*)遠い昔のことで、確実なことは言えないが、ヤコブはキリストより、千五百年以上昔に生きた人だと考えられている。ヤコブの父がイサク、その父がアブラハムである。 そのころ、ヨセフの兄弟達が住んでいるカナンの地(現在のパレスチナ)に飢饉が起こった。神がヨセフに示した預言によって、エジプトには食料があった。兄弟達は、ヨセフが権力者となっているとは夢にも思わずに、はるばる食料を求めてエジプトにやってきた。 兄弟たちがエジプトにやってきたとき、ヨセフは彼らが自分の兄弟たちだと直ちに分かった。しかし、ヨセフは直ちに自分の身分を明かすことなく、彼ら兄弟がかつての罪を悔い改めているかどうかを、最大の関心をもって調べようとした。 その結果、兄弟たちはかつての自分たちの罪の重さを知り、その罰として苦しみを受けるのだと気付いていることがヨセフにはわかった。 そうして兄弟たちを父親のヤコブとともにエジプトに呼び寄せ、彼らの生活を支えた。歳月は過ぎ行き、 ヤコブが地上のいのちを終えたときに、兄弟たちは、ヨセフが父親のヤコブが生きていたから助けてくれたのであって、実際にはヨセフはまだ自分たちを赦していないのではないかと不安に思って、赦しを願った。 …お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの罪を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。…(兄弟たちは)ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、 ヨセフは兄たちに言った。 「恐れることはない。わたしが神に代わることができようか。あなたがたはわたしに悪をたくらんだが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださった。(創世記五十・17〜20より) このように、罪の赦しの問題が、創世記の長い書物の最後に現れる。ここにも聖書の基本的な特質が見られる。兄弟たちが、かつて殺そうとしたヨセフに心からその罪の悔い改めをして、「どうか、私たちの罪を赦して下さい。!」と願ったことは、そのまま、無数の人の心の願いである。 正しい道から大きくはずれてしまった、その罪はその当時はそれほど深く分からなかったとしても、後になってからどうしても消すことができない魂の重荷となってくる。そしてその罪の重荷を背負って生きていかねばならなくなる。そのような魂に、「あなたの罪を赦す」とのはっきりとした声を聞くことは最大の慰めとなり、励ましとなる。 そして悪を受けた者にとっても、相手がそのように心から悔い改め、赦しを乞う姿は最もよろこばしいものになる。 ヨセフにとっても同様であった。兄弟たちの悔い改めの心を知ったとき、エジプトという大国の最高権力者の地位にあった人が、「涙を流した」と記されている。これはつぎのように新約聖書において、一人の罪人が悔い改めるとき、天において大きな喜びがあると記されているのと同様である。 …言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない(と思っている)九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ十五・7) 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ十五・10) このように、真の悔い改めは最も神に喜ばれるものであるが、そのような悔い改めをした者は、自分がどのように扱われてもかまわないという気持ちになる。それは兄弟たちの次のような言葉にも現れている。 …やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言った。(創世記五十・18) ここで「僕」と訳されている原語は、「奴隷」をも意味する。現在の日本語では「しもべ」といってもどんな類の人間なのか、イメージが浮かびにくい。どこにも「しもべ」などという職業の人はいないからである。 しもべとは、召使というのと同じ意味であるが、古代においては召使というような一応人権も認められている人だけでなく、しばしば奴隷を意味していたと考えられる。 それゆえ、「私どもはあなたの僕です」という部分は、英語訳でも次のように、「奴隷」(slave)と訳しているのも多い。 We are here as your slaves.(NRS, NJB,NAB 他) 真に、悔い改めた魂は、自分のためには何をも要求しなくなる、それは自分の罪の深さを知らされたゆえ、本来ならば厳しい裁きを受けて滅んでしまって当然だと感じるからである。兄弟たちも、もう、自分たちは、奴隷同様となってもかまわないと、いうほどにかつての罪を深く知らされたし、その罰としてどんなことを受けても当然だと感じるほどであった。 このことは、新約聖書の有名な放蕩息子の記事と共通したものがある。放蕩息子も、父親から受けた財産を遊びに使い果たし、豚のえさででも生きていくほどになって死ぬほどの苦しみに陥った。そうなって初めて自分の罪を思い知らされ、父親のところに帰ろう、自分は息子の資格もない、奴隷のような雇い人として扱ってくださってもよい、という気持ちになったのである。 ヨセフの兄弟たちは自分が本当に赦されているのかと、不安になった。あまりにひどいことをした兄弟たちであったからである。犯した罪が重いとき、本当に赦されているのか、赦されるのかと不安になる。赦された確信がなかなか与えられないことがある。 それゆえ古代においても、高価な牛を殺してその血を注いで罪の赦しの確証を得たかったのである。大きな犠牲をはらって初めて罪が赦されるというのが実感であった。菊池寛の「恩讐の彼方に」(*)というのもそうした気持を描いている。 (*)江戸時代の中頃に、父を亡くし、母との貧しい生活のゆえに誤って人を殺した男が、その罪の償いをしようと、耶馬渓の危険な道にトンネルを掘り始めた。長い苦しい時間のはじまりであった。その作業がおわりに近づいた頃、殺された人の息子がそこに来て、仇を討とうとした。しかし村人に説得されて見張るうち、一緒にかつての仇とともにトンネルを掘り始めた。そして三十年もの歳月ののちに、ようやくトンネルが完成した。それはひとえに、罪の償いのためであった。 しかし、どんなに苦行をしても、それで他人のいのちを奪ったという罪はつぐなえるだろうか。そのいのちは二度と帰ってはこないのであるし、その人が殺されたことによって破壊された家族の苦しみや痛みはいかにしても元に戻ることがないからである。 すでに赦しを与えられという気持ちはあったが、どうしても確信が与えられなかった兄弟たちが、ヨセフに心から赦しを求めることによって、ヨセフは彼らの悔い改めの心をくみ取り、赦しの確証を与えた。 赦されない者は、恐れる。 そのためヨセフは兄弟たちに「恐れるな」といった。そして神は赦しを受ける者、赦すものを祝福して、「すべてをよきに変える」と言った。ここにすべてを良きに変えていく神の万能があり、神の愛がある。 それは人間では決して不可能なことである。 人間がいかに悪事をたくらんでも、神を信じるものには、それらの悪を善に変えられるのである。赦そうとする神に代わって、私がどうしてあなた方を罰したりするだろうか、とヨセフは言ったのである。 ここに赦しの重要性がある。赦しを受け、赦すことの重要性である。新約聖書においてもペテロが、何度赦すべきかと問うたが、主イエスは七回を七十倍まで、といわれた。赦すことをしないとき、私たちも神から赦されず、心に平安はなく、神の国の賜物は与えられない。 このように、創世記の最後の部分に、罪の重さを感じ、悔い改める魂に深く心動かされるヨセフの心が記されているが、これは主イエスの心、神の心を反映したものである。悔い改めこそ、神が最も喜ばれることなのである。 創世記の最後の章は、この罪の悔い改めと赦しが大きな意味を持つことがその背後に記されている内容となっている。 それと並んでこの終りの章には、重要なことが言われている。それは真の祖国へのまなざしということである。 ヨセフの父、ヤコブはアブラハム以来の先祖の地を一貫して見つめてきた。それゆえに、死のときにも、そのアブラハムからずっと続いている信仰の人の流れのなかに置いてもらうことを最後の願いとした。 人間の最後の言葉は、何であるのか、誰しも関心のあるところである。 ヤコブの最後の言葉は、自分をエジプトでなく、先祖のアブラハムが埋葬されているカナン地方の洞穴に葬ってほしいということであった。 これは何でもないことのように見える。しかし、聖書においてはエジプトというのは特別な意味をもっている。このヤコブが死ぬときには息子のヨセフはエジプトの王に次ぐ、高い地位にある者となっており、どこにでも立派な埋葬をしてもらえる状況にあった。しかし、そうしたことには全く目もくれずに、信仰の人アブラハムが埋葬されたところを希望した。エジプトから自分の遺骸を運んで神の約束の土地であった、カナンの地へと運ばれることを最後の言葉としたのである。 そして、この願いはヨセフにも共通して流れていった。ヨセフの最後の言葉、これは、長い創世記の最後の言葉でもあるが、ヨセフは息子たちにいつかカナンの地に導かれて帰るときが来る。そのときに、自分の骨を携えていって欲しい、ということであった。 このようにヤコブ、ヨセフは、共にどのような状況であっても、最後まで本当の目的地を見つめ続けるまなざしを持っていた。 単に遺骨を神の約束の地に持ち帰って欲しいというのでなく、ここには、究極的な祖国をつねに見つめて生きる姿が表されているのである。私たちはさまざまの事情のもとでこの地上に生きている。清い心などかき消されるような状況にあったり、苦しみのあまりもうこの世にいたくないという気持ちになったりする人もある。 あるいはこの世の快楽や人間的なさまざまの誘惑に負けて、見つめるものを見失っていくことも実に多い。 そのような中でも、どんなことがあっても私たちは究極の祖国(ultimate Homeland)を見つめ続けることこそ、永遠の祝福を受けるための最も大切なことである。 創世記の最後のところで、ヨセフが自分の遺骨を、ヤコブと同様に、神の約束の地へと持ち帰って葬って欲しい、と強く希望したのは、彼のまなざしが、この世のいかなる安楽や地位、名誉にも関わりなく、神の約束を見つめていたことを示している。 ヨセフにとっては、神の約束の地といっても、子供のときに兄弟たちから殺されそうになったあげくに、隊商たちに売り渡されたのであって、それ以来何十年という歳月はエジプトで生活していた。ことにそのうちの後の少なくとも十五年ほどは、エジプトでの王に次ぐ最高の権力を与えられて、自由で豊かな生活をすることができていたと考えられる。 そのような富も権力も健康をも与えられていたエジプトでの生活はきわめて満足すべきものだったと言えよう。 しかしそれでもなお、ヨセフはそうした物質的な豊かさに惑わされることなく、彼の霊のまなざしは、つねに神にあり、神の約束された地に向けられていたのである。 創世記の最後に表れるヨセフの言葉が、つぎのようであった。 「神は必ず顧みて下さる。そのときには私の遺骨をエジプトから携えて、神の約束の地カナンへと持ち帰るように。」 このヨセフの遺言が実現されたのは、それから数百年も経った後のことであった。ヤコブやヨセフの子孫たちがエジプトでめざましく増え広がり、それとともにヨセフの偉大な働きを知らない王が起こって、イスラエル人の類のない力に恐れて、彼らを滅ぼそうとするようになった。そこから長い迫害がはじまり、イスラエル人は絶滅の危機に陥った。そのようなとき、神がモーセを遣わして、人々を救い出すことがなされた。 そのとき、ようやくヨセフの遺骨がエジプトから、カナンの地へと運ばれたのであった。 … 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。 モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。(出エジプト記十三・18〜19) ヨセフは、息を引き取るときに、「神は、必ずあなたたちを顧みてくださる。そのときには、わたしの骨をここから携えて上るように」と言った。それは神が歴史を導く神であるということを、神からの直感で知らされていたのである。今すぐでなくとも、たとえ数百年後であろうとも、神はその万能の御手をもって、イスラエルの民族を動かし、エジプトを動かし、世界の歴史の流れのなかで神を信じる民を用いてその業をなさっていく、そのような壮大な歴史を導く神、を示されていたのであった。 神はヨセフを導いた、驚くべき出来事を起こして、殺されそうになり、遠くに一人売り渡されて絶望に瀕する状況になった。にもかかわらず、神はそれらすべてを導いて最善にされた。それはヨセフの生涯を通じての経験であった。 しかし、神の導きは決して特定の個人にだけ起こるものではない。それは一つの民族、国家をも導き、支配しておられるのである。 創世記の最後の章は、一見単なる遺言とか兄弟たちの罪の赦しを願うだけの記事のように思われがちであるが、実はこのような深い意味と、大きな展望をもって記されている。 そして、罪の赦しの重要性、個人と世界を導き、歴史を導く神は、キリストによって世界に啓示され、現代に生きる私たちにも同じようにその真理が迫ってくる。創世記というはるかな古代、数千年前に記された文書に流れている真理は、いまも流れ続けているのである。 ことば (214)我、ここに立つ。私はこうするより他ない。神よ、私を助けたまえ! Hier stehe Ich.Ich kann nicht anders. Got hilffe mir. (R・ベイントン著「我ここに立つ」聖文社 234頁 ) ・宗教改革者、ルターがドイツ国会で審問されたとき、自分の書いた書物を間違っていたと認めるかどうかを迫られた。ルターに対して激しい敵意を持った人たちもいる中で、ルターは、次のように語った。 「私は聖書と明白な理性によって確信するのでない限り、私は教皇と教会会議の権威を認めない。…私の良心は神のみ言葉にとらわれているのであるから。 私は何も取り消すことができないし、取り消そうとも思わない。なぜなら、良心に背くことは正しくないし、安全でもないからだ。」 その後で言われたと伝えられている言葉が、ここで引用した言葉である。 私たちは、「我、ここに立つ」と言えるほどの強い基盤をもっているだろうか。私たちは一体どこに立っている、といえるだろうか。 また、日本人の代表が集まった国の政治は、どこに立っているのか、あるいは、代議士たちもどこに立とうとしているのだろうか。 唯一の神を知らないときには、だれでも、自分の利益、自分の考え、特定の人間、あるいは金や地位の力、組織等々の上に立っている。しかしそれらがいかにもろく弱いものであるか、それは生きていく過程のなかで、思い知らされることである。 旧約聖書の詩編において、しばしば「神はわが岩、わがとりで」という言葉が表れる。それは不動の土台を知っていて、私はここに立つ、ということが確言できるひとの言葉である。 (215)(神の)摂理は倒れた者を起こし、くずおれた者を立ち上がらせるために、千もの手段を持っている。ともすれば我々の運命は冬の果樹のようにも見える。その憐れな様子を見るとき、このこわばった大きい枝やぎざぎざした小枝が次の春にはふたたび芽を出し、花咲き、それから実をつけることができようと、だれに考えられるだろう。しかし、我々はそれを期待している。我々はそれを知っているのである。(「ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代」第一巻12章より ゲーテ著 筑摩書房 世界文学体系 411頁) ・これは第一巻の最後の言葉であり、著者がこの言葉に特別な重要性を与えているのがうかがえる。人間は突然、事故や災害、病気に会い、または人間関係が壊れたりして、もう将来は絶望的だ、幸いは永久に去ってしまったと思われるような事態に直面することがある。 しかし、冬の枯れたように見える樹木はまた芽を出し、花咲き、実をつけることができる。 人間の世界も同様で、いかに人間の考えでは苦しく悲惨なように見えても、万能の神は我々の到底想像もつかないような手段を持っておられ、私たちを導かれる。 それを、あるかどうか分からないが単に信じるというのでなく、「知っている」という。知っているからこそ、確固とした希望がある。そのような希望こそ、聖書に言われている、いつまでも続く希望、決して壊れることのない希望なのである。 編集だより 来信より ○…いのちの水は旧新約を伏流水となって流れており、時と、ところに応じてあふれだす、との言葉が大変新鮮に響きました。また、本誌七月号には、「あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる」というイザヤ書の言葉が引かれ、旧約聖書における「平和」とは、完全にされ、満たされた状態を意味しているため、いつかあふれ出して周囲に流れていく大きな河のようなものとの説明に感慨深くありました。 …キリスト者は平和をつくるために各自が器に応じた活動をされていますが、大切なことは、まず、自分が新しく創造されること、キリストにより、「神との間に平和を得」るものとさせていただくことを自分の問題として受け止めております。(七月の東京での集会に参加した方からの来信) ○…戦後60年を迎えましたが、最近は戦前復帰の風潮がみられ、憲法改悪など右傾化を憂えます。貧しくとも、平和を作り、愛する日本国、独立国でありたいものです。(北海道の方) ○ヨハネ福音書の講話CDはやさしい言葉で、深くわかり易く、真理の言を説き明かして下さり、感謝して聴き、歩ませて頂いております。徳島の集会の様子、四国から吹いてきます霊の風を感じながら…(関東地方の方から) ・ヨハネ福音書CDは以前にも紹介しましたが、吉村 孝雄による聖書講話の録音をCDに記録したものです。これは私たちの日曜日の集会で二年八箇月ほどをかけて学んだテープからCDに収めたものです。ふつうの家庭用のCDラジカセで聞くことができることもあって、希望者が多くありました。 パソコンではさらに取り扱いが便利で、途中で聞き直すこと、ある箇所のつづきを聞くなどが、簡単にできます。従来のカセットテープでは百巻にも達する分量となり、取り扱いは面倒で保存も大変ですが、CDでは、それらが一冊のブック状のケース(幅8cm×奥行15cm×高さ28cm)におさまるために便利だという側面もあります。なお、先に購入申込された分については元になるテープが見つからず、若干の欠けた部分がありましたが、それを現在補充したものを作成中です。それが完成すればさきにお届けした方々にも追加のCDをお届けしますが、そのための費用は不要です。県内の申込者の方々にはそれが完成してからお届けする予定です。 お知らせ ○前月号で紹介した、伊丹悦子詩集「朝の祈り」、今月紹介した貝出久美子詩集「天使からの風」などを希望、あるいは複数部を追加購入される方は吉村(孝)まで申込んで下さい。 「朝の祈り」は一冊1300円、貝出詩集は一冊150円です。いずれも送料は当方負担します。 ○第32回四国集会の記録ができました。郵送分は来月号にてお届けできると思います。 ○現在でも時々、5月に行なわれた第32回キリスト教四国集会 (無教会)のテープ10巻の申し込みがあります。これは送料共で1500円です。 ○九月二十三日(金)祝日ですが、この日に高知市で「祈の友」四国グループ集会が開催されます。問い合わせは、高知市の福家 真知子姉。電話088-845-6098 どなたでも参加できます。 |
2005/8 |
真理の共鳴 2005/7 七月下旬から一週間ほど北海道や東北、東京などのキリスト者の方々とともに聖書を学ぶ機会が与えられた。その交わりを通して、真理はさまざまの場所で、いろいろの人たちによって保たれ、いのちを与えているということを感じた。 これはかつて私たちのキリスト集会に参加していた、韓国や中国の人、あるいは南アフリカの人たちにも言えることで、聖書の真理、キリストの真理を心の内にしっかりと持っているときにはおのずから初めて会う人たちとも旧友のような感じがする。 それは信じる人、相互のうちにいますキリストが同じであるからである。人間の精神の一番奥深いところで同じものを持っているときには、無理に合わそうとしなくとも、おのずから一致するものがある。 音叉の共鳴ということがある。同じ振動数の音叉なら、近くで鳴らした音叉の振動が、もう一つの音叉にも伝わり、鳴り始める。これは考えてみれば不思議なことで、音とは空気中の酸素や窒素などの分子の振動である。その極めて小さいものの振動が空中を伝わって、鉄でできた別の音叉を振動させるなどとはちょっと考えただけではおよそ起こりそうもない現象である。しかし、振動数が少しでも異なる音叉なら共鳴は生じない。 私たちが同じキリストを信じるとき、初対面であっても、不思議と共鳴し始めるのである。 その共鳴のもとは天にある。天の国のいのちの水が私たちに注がれるとき、私たちの魂は天の国のことに共鳴し始める。 私たちを取り巻く自然の世界は、大空の青いひろがりや真っ白い雲、夕日や朝焼けの美しさ、樹木の沈黙して風雨にさらされつつたち続けるすがた、可憐な野の花など、すべてそれは人間の意志とは関係なく存在している。人間が存在する前からそれらはある。それゆえ、そのような自然の風物は神のご意志、神の清さと愛を映し出している。 私たちが罪赦されて、いくらかでも神のお心、聖霊を受けるときには、そうした身近な自然も私たちの魂と共鳴し始めると言えよう。 祈りとは神の心との共鳴である。神の愛や真実が私たちの心と響き始めるとき、私たちは長く、かつ深く祈ることができる。そして私たちの心のうちにさらにその共鳴の響きを強めて頂くことができる。 縦と横のつながり 私たちはまず神との関係、縦の関係を深め強めたいと願う。あらゆるよきものは神から来るからである。祈りもそのことを第一の目的とする。 私たちのなすことも、祈りのうちに、神を見つめてするとき、神からの賜物である力や清さ、愛や平安が与えられ、それは、この世の何にも代えることができない。 主イエスも夜通し祈られたことが記されている。 しかし、それにもかかわらず、私たちはまた横のつながり、とくに信じる人同士とのつながりや交わりによって大いに強められ、励まされる。そしてそれによってさらに神への感謝や神のわざについて新たに目が開かれる思いがする。 私たちがすべての創造主である神をしっかりと見つめている限り、横のつながりはさらに私たちを豊かにし、それらすべてのことを支配なさっている神への気持も強められるのである。 キリストを信じる者の集り(エクレシア)は、キリストのからだ(*)であるという。 (*)エペソ書一・23、同五・23、コロサイ一・18、24などを参照。 この深い意味を持った表現は、いかにキリストを信じる者同士の集りが重要であるかを示すものである。 キリストの集会(エクレシア)の中にいるとき、キリストのからだとして一つに結ばれているのであって、一人の体において血液が全身に流れてからだ全体を保つように、主の名によって共に集まるときには、互いにキリストの霊的な力や賜物が交流しあって、互いによきものが与えられるのである。そしてその集会が祝福されたものであればあるほど、ひとつのからだとして、一つの部分が痛めば、ほかの部分(人)も共に痛み、ある人が主にある喜びを与えられれば他の人たちもともに喜ぶことになる。 教会という訳語について 前の文で用いた「エクレシア」とは、聖書では「教会」と訳されているが、原語は、エクレシアで、ek(〜から)と kaleo(呼ぶ)から成っている。それゆえ、エクレシアとは「呼び出された者の集り」というのが元の意味。そのため、この語は、一般的な人々の集会や、議会のように正式な招集を受けた集りを意味する。 新約聖書においても、このような一般的な意味で使われている箇所もあるが(使徒言行録十九・32など)、そこから、とくに、「神から呼び出された者の集り、キリストの集会」という意味で用いられるようになった。 なお、日本語では「教会」と表されているが、これは中国語の表現を、そのまま取り入れたものである。使徒行伝、基督、耶蘇、路加なども同様に中国語の表現である。基督とはキリストのことで、中国語では、チートゥーと読む。「耶蘇」はイエスのことで、イェースーと読み、「路加」はルカのことで、ルーチアと読む。 中国語では「会」という語は、「集会」「会議」を意味するから、「キリスト教の集会」という意味で、「教会」と訳されたと考えられる。 しかし、現代では、一般の人にとって教会というと、「このあたりに教会はない」といったように使われるから建物を連想することが多く、教会という原語の本来の意味は、「キリストを信じる者の集り、集会」であることが知られていない。無教会では、「○○教会」という用語を使わず、「○○集会」と言うのは、こうした原語の意味を汲んでいるからである。 金持ちと神の国 金持ちは神の国に入れないのか、ということについて福音書につぎのように書かれている。 一人の金持ちの男がイエスのところに来て「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのか」と尋ねた。イエスが「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」と言われたところ、その男が、「殺すな、盗むな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛せよ」というような教えはみな守ってきた、と言った。そしてさらに、「まだ何か欠けているのだろうか」とイエスに尋ねるほどであった。そこでイエスは「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施せ。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と厳しく言われたところ、この青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。 このとき主イエスは、 「金持ちが、神の国に入るより、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」 (マタイ十九・24) と言われたのである。 これを読んで、自分とは関係ないことだと思う人が大部分だろうと思う。金持ちとは、何億もの金を持っている人、大会社の社長とか一部の政治家を思いだす人もあるだろう。自分はふつうの人間だからそんな金持ちの話しは関係がないと、思ってしまうのである。 しかし、そもそも金持ちとは、どこに基準を置くのかで全く違ってくる。日本にいて、華やかなスターとかプロ野球選手、大会社社長などと比べて自分は金持ちでないなどと考えていても、世界全体を視野に入れてみるとき、日本人はほとんどが、大金持ちの部類に入ってしまう。 そうすればもし、この主イエスの言葉をあてはめるなら、日本人はほとんどみんな神の国に入れないことになる。そんなことは誤りであるのは直ちにわかる。 聖書においても、金持ちであっても神の国に入れていただいたという例がある。 …ザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 イエスを見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 それで、イエスを見るために、いちじく桑の木に登った。… イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。…そして、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。」(ルカ福音書十九・1〜9より) この記事のように、金持ちであったが、それを全部売り払わなければ神の国に入れない、救われないとは言われなかった。金持ちではあったが、主イエス自らがとくにザアカイを呼んだのであった。そして主に呼ばれたザアカイは喜んで直ちに主イエスを受け入れた。そして主はただそれだけでザアカイが救われたこと、すなわち神の国に入れられたことを告げた。 このように、金持ちとは一体だれのことなのかということ自体、だれもはっきりとは言えないし、金持ちだからといってただちに神の国に入れないということは聖書そのものも言ってはいないことなのである。 それならば、この箇所の本当の意図はどこにあったのだろうか。 それは、この金持ちの青年が、律法(神の命令)は何でも子供のときから行ってきたという気持を持っていたからである。律法とは、偶像を崇拝してはならない、唯一の神のみを礼拝せよ、隣人を愛せよ、殺すな、不正な男女の関係を持つな、盗むな、偽りを言うな、父母を敬え、などたくさんある。これらをすべて子供のときから守ってきたということは表面的には言える人もいるかもしれない。 しかし、神だけを敬うということは、果てしない内容を持っているのであって、どんな時でも神ご自身の本質である真実や、愛、絶対の正義、清さ、などなどをいつも最も重要なものとして尊重してきただろうか。そんな人がいるだろうか。人間はどんな人でもとくにまだ信仰的に深められていないときには、たとえキリスト者であっても、自分中心に考えている。他人が困っていても、それを助けることなどほとんどできない。わずかの時間やエネルギー、金などを使うのが精一杯である。神を第一に敬うということは、神の本質である愛や正義を第一にするということになり、それは具体的には出会う人間が誰であっても、相手に対して愛や正義を第一にして交わるということである。 そのようなことは到底できるものではない。まず自分が会いたい人、行きたい場所に行こうとするし、休みや娯楽を求めることは誰にでもある。それはしかし、愛や正義とは何の関係もない。 父母を敬うということにしても、それが全部できているなどとは到底言えない。敬うということも深く考えたら奥がいくらでもあるからである。 隣人を愛せよ、という戒めも愛というのはどこまでも深いから、どのように隣人のために尽くしたとしても、それでその隣人への愛が完全であったなどとは到底言えない。主イエスの言葉のように、友のために命をも捨てるほどの愛まで深まるからである。 このように、もし真剣に神の戒め(律法)を行おうとするなら、全部子供のときから守ってきた、などと到底言えるものではない。子供など、そもそもこうした戒めの深い意味は理解できないからである。 しかし、ここで現れた金持の青年は、こうした神の戒めの深い意味を考えようとせず、全部子供のときから守ってきたと、言い切ったのである。 このような、心に「持っている」という状態、自分は律法を行なってきた、という誇りがこの青年にあった。このような誇りこそ、最も神が退けられる。自分は金を持っているという意識以上に、自分は道徳的にもすぐれている、ほかの者はだめだ、といった意識、それこそ、心の内に「持っている」状態である。 金持となって、生活に不自由がないと、このような傲慢な考え方に傾きやすいと言えよう。 行いや学校の成績、社会での勤務先、地位、家柄や持っている車や家、そうしたものを持っているという意識があればあるほど、神の国には入れないと言われている。地位や経済的豊かさ、あるいは家柄がよくても、それらが神の前では何の意味もないと知っていればいるほど、神の国には入りやすいということになる。 ザアカイは、金持ちであったが、それらによっては深い心の満足が得られないことを思い知らされていたのがうかがえる。だからこそ、多くの人々を不思議な力で引き寄せているイエスという人物に特別な関心を抱き、なんとしてでも会いたい、見たいと思ったのであろう。もし彼が、地位や金で満足して高ぶる気持があったら、そもそもイエスにどうしても会いたいなどという気持が起こらなかったと考えられる。子供のように、木に登ってまで、イエスを見たい、という切実な願いはイエスによって直ちに知られていた。そしてそのゆえにイエスは多くの群衆が取り巻いているにもかかわらず、みんながローマ帝国の手先であり、汚れているとして見下していた取税人をとくに見つめられ、呼び出されたのであった。 何かを持っていても、それに満足したり、誇ったりするのでなく、それは自分のものでなく、神からゆだねられたものと受けとっているときには、神は私たちに目を留め、呼びかけて下さる。 神の裁きについて 新約聖書の世界では、キリストの愛、神の愛が中心であるから、裁きなどはない、と思う人もいる。 しかし、愛が最も重要なものとして記され、また神の愛はすべての人に及ぶからといって神の裁きなどないということはない。新約聖書においても、はっきりと神の裁きは記されている。つぎの箇所はキリストの言葉としては、最初に現れる裁きに関する言葉である。 あなたがたは地の塩である。 だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。 もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。(マタイ福音書五・13) 地の塩とはどういう意味か。それは塩があると腐敗するのを防ぐこと、わずかの塩で味わいをひきしめ、よくすることである。主イエスがこのことを教えられた当時、弟子たちはまだ主イエスを神の子として十分に信じることもできないし、十字架にかけられて処刑され、復活するといったキリスト教の根本の真理も受け入れることができない状態であった。これはとても不十分な状態だった。しかしそれでもなお、主イエスは「あなた方は地の塩である」と言われた。それは、人間がどれほど完成しているかでなく、人間が完全な賜物である福音を受け、キリストに不十分ながら従っていこうとするだけで、地の塩になりうるというのである。 私たちの行動ではなく、私たちの内にいますキリストのゆえに、また信じて受けた神の言葉のゆえに、地の塩と言われている。 しかしそうした地の塩という状態であっても、そこで私たちが油断して神の言葉を捨て、人間的な考え、自分中心の考えになるとき、私たちは塩気がなくなった、ということである。そのような場合には、「外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられる」と言われている。 これはまさに裁きである。最もよきものを受けたにもかかわらず、その大いなる価値を捨てて、別のものを、真実でないもの、偽りのものを一番よいものとして取っていくようなときには、神から捨てられるというのである。 このようなことは、他の有名な箇所においても述べられている。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。(ヨハネ福音書十五・5〜6) このぶどうの木のたとえは、キリスト教世界では特によく知られた内容である。この主イエスの言葉のゆえにぶどうがキリスト教ではしばしば用いられるし、現代でも絵や写真、カットなどでよく見かける。 そしてたしかにぶどうの木は、厳しい乾燥地帯においても成長して、実ができるとその外観も美しく、水分も多く、甘みもつよい果物として貴重なものである。キリストの教えも連想され、食べてよし、また果実を踏みつぶして密閉しておくと、自然に発酵して、ぶどう酒という長くもつ飲み物となる。 そのゆえにこのぶどうの木のたとえも農村ののどかな風景、美しい色に熟したぶどうの実を連想させるのどかな情景がある。 しかし、このことはこのたとえが厳しさを含まないのではない。それは、この後半を見れば直ちにわかることである。もし私たちがキリストにつながっていないならば、投げ捨てられ、枯れるだけでなく、火に投げ込まれ、焼かれてしまう、という。これは裁きである。こんな裁きがあるはずがない、などと思う人が実に多い。 しかし、このことは至るところで見られる事実である。 例えば、私たちが真実そのものの御方であるキリストから離れ、嘘をつき続けるなら、すぐに人から信用されなくなる。あるいは、互いに愛し合え、との戒めに背いてだれかの悪口、中傷を続けるならそのような人間は警戒され、真実な友はいなくなるのは確実である。そしてその人自身、心に平安がなくなっていく。 私たちが、愛や真実に反する思いを持っていれば必ず、心のさわやかな喜びや平安はなくなる、という日常的に経験できることがまさにこのヨハネ福音書で言われていることなのである。 愛や真実そのものであるキリストと結びついていないなら、人間は自分中心となり、他者への愛や祈りがなくなり、平気で他人の悪口や中傷をし、心は汚れていく、それがまさに、「外に投げ捨てられ、枯れていく」ことである。心のなかのよいものがなくなり、心が枯れていくのである。そして最終的に火で焼かれてしまう。人間も実際、そのような真実に反することを続けていく人生を送れば、最後はその人間そのものが死によって焼かれて消えていく。 神に結びついた人間は、たとえ肉体が死んでも、キリストに似たすがたによみがえる、と約束されていることと何と大きな差ができることであろう。 また、つぎのようにも言われている。 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。(マタイ福音書七・26〜27) 主イエスの言葉、例えば、「となり人を愛せよ、悪い者に対しても敵視したり、憎むな。かえってそのような人間のために祈れ」といった精神に反して、身近な者を憎んで、自分の好感が持てる人だけを大事にするといった狭い心を持ち続けていたら、何か大きな悩みや苦しみが生じたら、そのような狭い心では到底対処できず、その困難な問題に打ち倒されてしまう。 神の国と神の義をまず求めよ、と言われているのに、まず金とか自分の利益を求めていく生き方を続けていけば、心に堅固な柱となるものが生れないから、大きな苦しみが襲いかかるときには、たちまち動転してどこに安らぎの場があるのかもわからず深い闇に落ち込んでしまうであろう。 最近、いろいろの犯罪があり、小学生ですら他人の命を奪うような驚くべきことまで生じている。それもみな、相手に対してよき心を持とうとせず、憎しみという力に身をゆだねてしまったこと、言い換えれば、キリストの教えのように「まず神の国と神の義」を求めなかったゆえに、心が枯れて、倒れてしまった姿に他ならない。これらは聖書の言葉の真理性を示すものである。 しかし、キリストの山上の教えなど、到底実行できないとはじめからあきらめてしまう人も多い。また、裁きとして、火で焼かれるなどというのはあるはずがない、などと反論する人もいる。というより、大多数がそのように考えるからこそ、新約聖書を心を入れて読もうとする人がきわめて少数であり続けているのであろう。 しかし、その山上の教えにある、「隠れたところにおられる、父なる神に祈れ」(マタイ六・6)とか、「地上に富を積むのでなく、天に富(宝)を積め」(同六・19)などということは、本来だれにでもその程度の多少はあれ、できることである。それは何も特別な善行とか、社会的に目立つことではない。神への祈りの心、身近な人のために祈ること、感謝の心を持とうとするだけでも、天に宝を積むということになるからである。 次のような箇所も、神の裁きについて言われている。 主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。(ルカ福音書十九・26) これは一見とても不可解な言葉である。この言葉だけを読む人は、これは現代の社会的状況を言っているのだとまちがって受けとる人もいる。資本家のように持っている者はますます豊かになって、アジア・アフリカの貧しい人たちは一層貧しくなっていくことを述べているのだと思うのである。 しかし、この主イエスの言葉はそのような社会的問題を単に説明するような意味とは全くことなる。これは、 神の国を求めていく心を持っている人は、ますます与えられていくが、神を信じない人、信じているとしても、真剣に神の国を求めようとしないならば、すでに与えられているよきものまでも失っていくということを述べているのである。 ここにも裁きがある。神の国とは神の御支配であり、神の御支配のうちにあるものであるから、それは真実なもの、清いもの、敵対する人、悪いことをしかけてくる人への祈りの心といったものである。そのような心をもって求め続けていく人にはさらに清いもの、真実なものが与えられるということである。 求めよ、そうすれば与えられる、という有名な言葉も同様な真理を述べていると言えよう。裁きとは、何か、絵で見るように、死んでから地獄に投げ込まれる、といった形で想像している人が多い。しかし、本来のさばきはそのように死後初めて生じるのでなく、今も至る所で、生じていることなのである。私たちの心の世界で、また周囲の人間、社会の出来事はそのことを日々実感することができる。 主イエスが、次のように言われたのも裁きが未来のことでなく、今すでになされていることを示している。 彼(キリスト)を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。(ヨハネ三・18) この世で最も真実でしかも神の力を持っている御方、死の力にも打ち勝つ御方を信じないとき、その御方から来る最善のものを拒むことになってしまい、この世で最善のものを受けられなくなる。それがすなわち裁きである。 愛とか正義、真実などといっても、どこにそのようなものを完全なかたちで持っている人がいるだろうか。完全な愛とは、無差別的にいかなる悪人にも、遠くの人にも、近くの人にも及ぶものである。そして一時的なものでなく、永遠的である。今の刻々にも無数の人に同時に及ぶような愛、そのような愛を人間が持つことなどはあり得ないことである。しかし、キリストだけはそのような愛を持っておられる方である。それゆえに、キリストの愛は全世界におよび、今も無数の人たちに何にも代えがたい感動を与え続けている。 私自身、この世で受けた最も真実な力、愛の力は、キリストを信じるようになってから経験した。それまで受けたいかなる人間の愛とか真実なども、魂に迫ってくる力や人間そのものを根底から変革する力において到底比較にならないのを知った。 だからこのような大いなる御方を退けること自体が大きな裁きをすでに受けていると感じざるを得ない。そしてキリストをそのように最善の御方であると信じるかどうかは、各人に任されているのである。自分で信じない方を選ぶとき、信じれば得られる計り知れない宝を自ら拒むことであり、神の裁きとは、その最初において、各人の選択、決断がかかわっている。 さらに、この世の最善のものを信じないで、裁かれた者にとっても、そこからいつでも大いなる恵みの世界、赦しの世界へと移されることができる。それはすでに旧約聖書から繰り返し言われているように、ただ、神を仰ぎ望むだけでよいのである。 … 地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五・22) そのような意味において、地上の生活における神の裁きは、単なる罰でなく、真理に立ち返らせようとする神の愛の現れでもある。しかし、もし私たちが長い人生があるにもかかわらず、立ち返ろうともしないときには、その裁きもまた続くであろう。 そうならないように、私たち自身もつねに神に立ち返り、また身近な人が神とキリストを知るようにと願うものである。 聖書における平和について(とくに旧約聖書の平和) アメリカの大統領がイラク戦争などを旧約聖書を用いて正当化することがあった。 そのため旧約聖書では戦争が肯定されているのだと、安易に考える人がいる。 ここでは、とくに旧約聖書において、平和とはどのような意味で言われているのかについて考えてみたい。 聖書においては平和ということは、随所に記されている。聖書とは平和をもたらす書物であるからそれは当然と言えよう。 しかし、聖書のはじめの部分には深い意味における平和ということは見られない。それは、復活とか、一夫一婦制とか、悔いた砕けた心こそ、最も神が喜ばれる捧げ物であるというようなことがやはり聖書のはじめの部分には見られないのと同様である。 普通、平和とは戦争がない状態を言うことが多い。旧約聖書のとくにヨシュア記やサムエル記などの歴史の部分では、神ご自身が、戦うことを命じられ、ペリシテ人、アマレク人たちを打ち破るべきことが記されている。旧約聖書においては、神が戦争のない状況を初めからは示していないのがわかる。 しかし、預言書においては武力によって戦うことは、一時的なことであり、究極的なあり方は、そうした武力が全くなくなることが指し示されている。 終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。 国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。… …彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・2〜4より) これは今から二千七百年ほども昔の書である。戦乱の時代のただなかに、このようにはっきりとさまざまの国民が唯一の神の真理に向かって流れ込むように、引き寄せられることが象徴的に記されている。現実の世界がいかに荒れていて、平和への希望などないようであっても、そうした外的状況と関わりなく究極的真理は示される。ここに聖書の深い意味がある。 新聞やテレビ、雑誌の評論をいかに多く読んでもそのような視点からの記述は全くない。聖書の永遠性、独自性はこうしたところにある。 平和という原語は、旧約聖書が書かれたヘブル語では、シャーロームという。この言葉の動詞の形はシャーレームであり、これは次の箇所に見られるように、「完成する」「満たす」、「完全にする」といった意味を持っている。 …こうして彼は神殿を完成した。(列王記上九・25) このことからも、その名詞形である、平和(平安)が、完全にされた状態、満たされた状態という意味を含んでいるのがうかがえる。 日本語で「平和」という言葉は、「戦争がなく穏やかなこと」という訳語のみをあげている国語辞書もあるように、社会的な状態、人間が争いのない状態を連想する。 しかし、「平安」と言えば、「無事で穏やかなこと」という意味で、普通には社会的な状況よりも個人的な心の状態をあらわす。 旧約聖書においても、後半の部分にある預言書には、平和というのは、単に「戦争がない状態」といった消極的な表現でなく、神によって完全にされた状態、満たされた状態を暗示している箇所がある。それは旧約聖書でも後期に書かれた文書に多い。 …わたしの戒めに耳を傾けるなら あなたの平和は大河のように 恵みは海の波のようになる。(イザヤ書四八・18) 平和が大河のようになる、といった表現はたいていの人にとっては耳にしたことがないであろう。すでに述べたように、平和とは戦争がない状態といったイメージで理解していることが大多数を占めていると思われるからである。戦争のない静かな状態というのと、このイザヤ書で言われているような、大きな川のように流れるもの、ということとはまったく異なるニュアンスがある。 この訳文で、「大河」と訳されているが、原語は、普通の川をも意味するナーハールである。ここでは、とくにユーフラテス川に代表されるような大きな河を意味していると考えられて、大河と訳されている。 平和が川のように、というのはどういう意味なのか、それはこの原語の意味から浮かび上がってくる。旧約聖書において、平和とは完全にされた状態、満たされた状態を意味しているゆえに、それはとどまることなく、あふれだすものであり、周囲に流れていく大きな川のようなものなのである。 戦争がない状態、あるいは一時的に病気や争いのない個人の心の平和といっただけでは、それはあふれて流れだすようなものとはなり得ない。自分の家族の平和がいくらあっても、それは周囲にその祝福は流れだしていくこととは直接に結びつかない。かえって、家庭の分裂に悩み、家族の深刻な病気や罪があるときには、家族の平和を楽しんでいる家庭とは近づきたくないという気持になるだろう。特定の平和な仲むつまじい家庭というのは、闇に苦しむ家庭を持つ人には妬みや嫌悪の対象にすらなりかねない場合がある。 しかし、聖書で言われる平和の究極的な姿は、このイザヤ書にあるように、西アジアで知られる大河、ユーフラテス川のような大いなる流れであり、それはとどまることがなく、流れ続け、周囲をうるおし続けるものなのである。 こうした類のない平和の内容は、まさに神からの直接の啓示によって知らされたのである。こんな壮大な平和があるとはだれも考えて思いつくようなことではない。イザヤ書、とくに後半部にはこのような他では見られない、深くて広大な内容が多く見られるが、それはキリスト以前の人類の歴史のなかで、特別に深遠な内容を持っていると言えよう。 私たちのうち、誰がこのような大河のように流れてやまない平和を知っていたか、そんな平和は現実の社会にはどこにも見られない。かえって、戦争と混乱と貧困は随所で見られたはずである。人間の歴史とは戦争の歴史であると言えるほどであるのは、身近な日本の歴史を調べてもわかる。古事記、日本書紀にでてくる伝説上の日本武尊(やまとたけるのみこと。古事記の表記では倭建命)にしても、彼の生涯は戦争そのものである。 旧約聖書においても同様で、アブラハムやヨシュア、ダビデ、ソロモンといった人たちも戦いから免れることはできなかった。ソロモン以降の歴史も絶えざる戦いがあった。 そうしたのちにアッシリアや新バビロニア帝国という大国との戦いに破れ、滅ぼされ、あるいは捕囚となってしまう。そうした後にも、またアレクサンダー大王の各地での戦い、その後にも次々といろいろの地方で戦争が生じている。 このように、人間の歴史は実に戦いと動乱の歴史とも言える。しかしそのようなただなかにあって、イザヤ書では、そのような戦争という混乱の地平の彼方に、はっきりと驚くべき平和を神から示されたのであった。 いかに混乱と不正、憎しみのうずまく戦争があろうとも、そのかなたには神ご自身が大いなる平和をもたらすのであって、それは何人も止めることのできない、大河のごとくであった。 人間の作った平和とは、個人的な平和にせよ、民族や国家の平和にせよ、妥協や駆け引きの産物であることが実に多い。それゆえそのような人間的な平和はとてももろいのである。 次に「恵みは海の波のようになる」と言われているが、これもまた、普通には見られない表現である。ここで恵みと訳されている原語は、ツェダーカーであり、「正義、義、公正」という意味の語である。 信仰によって義とされるという有名な箇所の元になっている、旧約聖書の箇所、「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記十五・6)というところで用いられているのが、このツェダーカーである。 これは旧約聖書では一六〇回ほども使われている重要な言葉である。なお、この語とほぼ似た意味を持っている、ツェデクという語も一六〇回ほど使われているから、これらの言葉は合わせると三二〇回ほども使われている。 新共同訳では、この正義をあらわす言葉が、「恵み」と訳されているが、外国語訳を含め、ほとんどの訳は、原語に即して、「正義、義」と訳している。 あなたの正義は海の波のように…(新改訳) あなたの義は海の波のようになり…(口語訳) 義は海の波のごとく…(関根訳) 人間の正義といっても、それは罪赦され、神からの恵みとして与えられる正しさであるから、新共同訳では「恵み」と訳していると考えられる。 いずれにしても、この箇所は、もとは神の民たるイスラエルの人たちの平和や義が川のように、また海の波のようになるというのである。もし彼らが神に聴き従っていたら、そのようになったであろう、という意味と、今後もし聞き従うならば、そのようになるという約束が重ね合わされて表現されていると考えられる。 この表現には、絶えずあふれてやまないもの、押し寄せてとどまるところがないという豊かなものが感じられる。 イスラエルの民とは、新約聖書の時代になって、実際のイスラエルの民族でなく、神を信じる人は霊的なイスラエル民族であるとされるようになったから、現代の私たちにとって、こうしたイザヤ書の言葉は、そのまま、神の民となった私たちに向けて言われていると受け止めることができるのである。 海の波とは、遠くから繰り返し押し寄せてくるものであって、神によって罪あるものが正しいとされる恵みがあとから後から押し寄せてくるというのである。 こうして流れてやまない平安の流れや打ち寄せるように絶え間なく与えられる義ということは、現状からは到底考えられないものであっただろう。それどころかどんなに平和を求め、義を求め、恵みを求めても得られないで戦いや混乱にまきこまれて滅びていくというのが多くの人たちの実感ではなかったか。 「山の彼方の空遠く」という詩も、そのような哀しみのこもった内容を持っている。 山の彼方(あなた)の空遠く 幸い住むと人のいふ。 ああ、われひとと尋(と)めゆきて、 涙さしぐみかえりきぬ。 山のあなたになお遠く 幸い住むとひとの言ふ。 (カール・ブッセ、上田敏訳) Uber den Bergen, weit zu wandern ゆ Sagen die Leute, wohnt das Gluck. ゆ Ach, und ich ging im Schwarme der andern, kam mit verweinten Augen zuruck. (*) Ueber den Bergen, weit weit druben ゆ Sagen die Leute, wohnt das Gluck. ゆ これは幸福というものが、身近にないこと、非常な努力をして求めても、時には気の合った人とともにそうしたよきものを目指していっても結局はそんな理想的な幸福をつかむことはできないというのである。身近なところに幸福はなく、探し求めてもやはりないのだ、という悲哀の情がある。 これは翻訳の巧みさと、物哀しい調子が日本人に受けてこの詩は学校教育でも紹介されていて、私も頭のなかに残っている。 しかし、このような詩を読んで励まされるという人はまずいないのではないか。私自身も何ら力付けられることもなく、何か不可解なものを感じただけである。 これと、部分的に似た内容を持っているものとして、「青い鳥」の物語もよく知られている。 貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルは「青い鳥」を探しに出かける。「思い出の国」「夜の宮殿」「未来の王国」などを探しまわるが、どこにも「青い鳥」は見つからない。ようやく自分たちの家に帰ってきたとき、すべては夢だったことがわかる。そして「青い鳥」(幸福)は家で飼っていたキジバトだったことを知る… このメーテルリンクの物語を読んで、力を受けたり希望を与えられた人はいるだろうか。幸福は身近なところにある、などと言われて、家でいつも飼っているハトだとか、庭とか、日毎の食事、与えられている健康だ…などなどといわれて、本当にそうだと実感して、自分は究極的な幸福を見付けたと永続的に感じ続けることができるだろうか。そのように頭で考えて永続的に幸福を感じ続けられるなら、だれでも幸福だと思うだろう。 しかし、実際はそんなに簡単に幸福だという実感は与えられないのは誰もが知っていることである。 なぜかと言えば、そのような幸福は自分で考えて、身近なものが幸福なのだと言い聞かせて一時的に頭で納得するだけだからである。内から溢れ出るものでないからである。人間が自分の頭で考えて納得したといっても、別の大きな問題、病気や事故、家庭の問題、職業上の失敗などが生じたらたちまちそのような頭で考えた幸福などは消え去ってしまう。 真の幸いは、「山の彼方の空遠くに尋ねて」も、身近なところにあるのだと自分で自分に言い聞かせたところで、得られないのである。 聖書においては、本当の幸い、揺るぎない幸い、本来だれにでも与えられる幸いは、神が私たちの魂の内に新しく創造して下さるものである。そのとき、渇ききった心の砂漠にも、水が流れ、花が咲き始める。 …そのとき、見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。… 荒れ野に水が湧きいで 荒れ地に川が流れる。 熱した砂地は湖となり 乾いた地は水の湧くところとなる。… そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれる。(イザヤ書三五・5〜8より) 永遠の平和が訪れる神の時がある。それは「そのとき」といわれている。旧約聖書では、「主の日」とか「終りのとき」といった表現で預言書によく現れる。 これは世界にそのような「時」があるということであるが、私たち一人一人においても、そのような「時」がある。私自身も、それは二十一歳のときに初めてそうした経験の一端を与えられたのである。それまでの私の心の世界は、まさに荒れ野であり、水のない渇ききった状態であったし、この世の幸いをあちらにあるか、こちらにあるのかと、尋ね探していたのであった。しかし、どこにもない、といった暗い気持があった。それはさきにあげた、ブッセの詩や青い鳥の話に通じるものがあった。 しかし、実際にそのような影のような幸いでなく、実体がある幸いを知らされたのである。それ以来いろいろと心を暗くし、悩み、倒れそうになることもあったが、たしかに荒れ野であった心に水が流れだしたという実感を持ち続けて今日に至っている。 山の彼方にもなく、また単に身近なものをそうだと思い込むことでもない。神ご自身が私たちの魂の奥深いところに、いのちの泉を作り出して下さるとき、そのとき初めてこれこそがこの世の幸福なのだと、実感することができる。 聖書は実に不思議な書物である。二千五百年以上も昔に書かれた旧約聖書の内容が、さんざん苦しんだあげくに出会った聖書の真理によって初めて理解できるようになったのである。そしてそのようなことは、学校教育をいくら受けても与えられなかったものであった。 そしてこのように、流れてやまない良きものというのは、聖書ではいろいろの箇所で見られる。何度か以前にもあげたことのある、最も有名な次の詩にもそれは示されている。 主はわが牧者、私には乏しきことがない。… わたしを苦しめる者を前にしても 主はわたしに食卓を整えてくださる。… わたしの杯を溢れさせてくださる。 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追いかけて来る。(詩編二三より) この詩の作者が言おうとしているのは、主なる神が自分とともにあり、導いて下さるようになったとき、内にはあふれる泉が与えられたのと同様であり、乏しいと思うことがなくなったということである。たとえ敵対する者、苦しめる者が現れてもなお、神はそうしたことにかかわらず、大いなる恵みを与え魂を満たして下さるという。しかも、神の国の恵みと慈しみという他では代えがたいもの、最大の賜物が自分が必死に探して求めるというのでなく、自分の後から追いかけてくる、という驚くべき実感を記している。 これは、最初にあげた、平和が大河のように流れてやまない、恵みが海の波のように力強く自分に打ち寄せてくる、といった表現と共通したものを持っている。 聖書においては、究極的に私たちに約束されているものは、それが無限に豊かで、満ち満ちたものであるからあふれでるもの、流れだしていくものとして言われている。それは聖書の最初にある、創世記のはじめの部分にすでに記されている。 エデンの園という人間に与えられるものが象徴的な表現をもって記されているが、そこでの特徴は、あふれでる水、周囲に流れだす川の流れということである。 エデンの園はおそらく、禁じられた実を食べたということだけが、クローズアップされている。しかし、それはたしかに聖書全体にとっても、極めて重要なことであるが、マイナスの側面であって、エデンの園にすでに約束されたこと、預言されていることのよき内容のことはどうもあまり知られていない。 エデンの園が大いなる水源であって、そこから流れ出る河はこのように、あふれでる水をたたえたもの、そしてそれが近くだけを流れる小川のようなものでなく、全世界をうるおす大河となっていることは、たいていの人が気づいていない。 このイザヤ書で言われているように、神が約束する平和とは、大河すなわちユーフラテスの川のようにあふれ、流れてやまないものなのである。平和というと静かなもの、流れるというイメージとはまったく異なるものとして私たちは受けとっている。しかし、聖書においては、平和を語るときでも、自分だけにとどまっているような平和でなく、溢れ出て周囲をうるおすものと言われている。こうしたつねに溢れ出てやまないという真理の特質は、詩編十九編の有名な箇所でも言われている。それは、真理が音もなく、溢れ出ていくということである。 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。(詩編一九編より) この詩において、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送るという。それは人間がどのようであっても、夜も昼も絶え間なく、真理を送り続けているというのをこの詩の作者は啓示されたのである。この世界の中心にいわば目には見えない心臓のようなものがあって、心臓が体全体に昼も夜も血液を送り続けているように、真理を送り続けているのである。 そして、神の国の響きは地上の世界の腐敗や混乱にもかかわらず、常に全世界に送られている。星や太陽、あるいは大空の青いひろがりや白い雲、夕日や朝焼けの美しさ、力強さなどすべての神の創造のわざそのものが 絶えず神の本質を伝え、語っているというのである。 ここにも真理というのは溢れ出るもの、世界へと絶えず流れ出ていくものであることが記されている。それを抑えたり、せき止めてその力をなくそうとしても到底できないのである。 このように、溢れ出るほどの豊かさをたたえたものこそが、聖書に約束されている平和である。それは、当然新約聖書にゆたかに見られる。旧約聖書は新約聖書において実現されることの預言とも見られるのであるからこれは当然のことといえよう。 こうした溢れ出るものがとくにヨハネ福音書において強調されている。 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ福音書四・14〜15) この水、普通の水を飲んでも魂の渇きはなくならない。この水、とはふつう人間が求めるものを象徴的に述べているのであって、物や金、人間などどんな目に見えるものによっても深い心の平安は与えられないということである。 しかし、キリストが与える目に見えない水によって、人間は最終的な平安を与えられる。旧約聖書のシャーロームという言葉が持っている意味、完全にされた状態、すなわち満たされた状態を与えられる。 私たちが自分の考えで無理に、身近なものが幸いだ、と思い込もうとしてもそれは一時的なことであって、到底、深い永続的な満足はない。 私たちが深く満たされるのは、私たちの魂の内に「泉」がうまれることによってである。そこからは絶えず天の国のよきものがあふれてくるのであるから。キリストの言葉はそのような、人間の与えられる究極的な賜物を示している。 このいのちの水こそは、主イエスが最後の夜に語ったと伝えられてきた次の言葉へと結びつく。 わたしは、平和(平安)をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。(ヨハネ福音書十四・27) このように見てくれば、旧約聖書から一貫して預言されてきた、流れ出る平和、満ちあふれるよきものは、聖書の最初から告げられ、ずっと旧約聖書をも流れ、そして新約聖書のキリストによってそれが成就されているのが分かる。 そこから、このような内なる平和を確固として与えられたものは、武力によってあるいは敵意によって、敵を討ち滅ぼそうとはしなくなる。相手にもいわば宇宙に流れているいのちの水が流れ込むように、そして泉が相手の心に生れるようにと祈るようになるであろう。 それが、主イエスや使徒パウロが教えた、「あなたの敵を愛し、迫害するもののために祈れ」ということであった。内なる泉からあふれる流れは敵対するものにも流れだすというのである。 この現代の闇の世にあって、私たちはそのような泉がまず私たちの内に生れ、それがあふれだし、周囲の人々にもそれが流れていくようにと祈るものである。 この世は悪が満ちているし、それが次々と純真な若者の心にも流れ込んでいくように見える。しかし、そのような世であるからこそ、神の国にその源がある、いのちの水が存在し、だれにでも求める者に与えられることを証ししていくことを願っている。 WONDERーFULL なんて不思議なこと あなたは漆黒の天に星を ちりばめられたと同じやり方で わたしたちのこころにも宝玉を ちりばめていかれます ときにそれは 石火のよう まだ誰も知らない方法で発火し しずかな確かさで あたりを照らし 満たします わたしは 終り近くなった人生の途上で そのことに気付き 黙って大きく目を瞠る (伊丹悦子詩集「朝のいのり」より。) 休憩室 ○北海道の植物 北海道南部の日本海側にある、瀬棚(奥尻島の対岸)というところで、瀬棚聖書集会が三泊四日で開催されました。そのうちの一日、夕食前の短い時間でしたが、生出正実(おいで)兄が近くの小高い山にある灯台まで車で案内して下さいました。徳島とは全く異なる涼しい海からの風、波、野草などに触れることができました。百年以上前に、函館から舟でこの地方に初めて本州からの人々が定着して、漁業や酪農などをはじめたときの困難さが偲ばれ、長い冬の厳しい気候と、店も医者もなく、食物の生産だけでも並大抵のことでなかったと思われます。 普通なら生活はできないような状況のなか、そうした人々も不思議な力に支えられて、今日の状況へと続いてきたのだと思います。 人間の出会う戦いは、自然との戦い、外部の人間との戦い、そして自分自身との戦いという、三つの戦いがありますが、北海道のような寒さの厳しく、長い期間続く土地においては、自然との戦いも現代の私たちには想像もできない困難なものであったと思われたことです。 そうした北国の生活の厳しさとは関わりなく、自然の、ことに植物の可憐な姿は神の人間への愛の配慮のように思われました。 海岸から切り立った崖に風に揺られて咲いていた薄黄色のキバナカワラマツバ(黄花河原松葉)、それは厳しい風の吹きすさぶところですが、そこでも夏のわずかの暖かいときに成長し、花を咲かせています。また、四国では見られない、オニシモツケという、小さな白い花をたくさん茎の先に咲かせる大型の野草、それからやはり白い花を多数つけるヤマブキショウマも時折車窓から見かけることができました。 またその四百メートル余りの山地付近で、ヨツバヒヨドリが咲いていたのも印象的でした。この植物は徳島県では、標高二千メートル近い剣山に近い山でわずかに見られる程度で、徳島では高山植物という感じを持っていました。ほとんどだれも目にとめる人もいない北国の山地で、こうした花は神の国を映すかのように咲いていたのです。 また、森林帯では、ところどころに大型の特徴ある葉をつけるホオノキが見られ、これは二十〜三十メートルの巨木にもなるもので、これも四国では少ないのですが、北海道、東北ではあちこちに見られました。 それから、北海道の山あいの道で目立つのは、大型の植物です。ヨモギもオオヨモギが方々にあり、それは高さが二メートルほどにもなり、葉も大型です。イタドリも、オオイタドリといって、葉も四国で見るのよりはるかに大きく、草丈も二メートル〜三メートルほどにもなっています。さらに、ウバユリもオオウバユリがよく見られます。それは全体に大型ですが、花も10〜20個も付けるので、四国のウバユリと違って元気に満ちた姿として感じられるものです。 ことば (212)信仰とは、神へ向ってひたすら努力することではなく、神に己れをゆだねることである。…そうすれば、万事が順を追うてまったくひとりでに行われる。まず、青々とした畑、つぎに、実りを約束する穂、やがて、実った見事な穀物、そして生涯を無駄でなく、立派に過ごしたあとで、最後に安息のための収穫。「神を愛する者たちには、すべてのことが益となる。」(*)(ローマ人への手紙八・28)。 このことを信じる人にとっては、普通の意味での「幸福」や「不幸」の観念は、もはや存在しない。(ヒルティ著眠られぬ夜のために上七月一五日の項) ・確かに、もし私たちがすべてのこと、―病気や家族の不和や死別、事故、職業上の困難などいろいろのことをも、私たちが神の愛と万能を固く信じ続けるかぎり、すべては益と変えられていくと信じることができるなら、神はそうした信仰を祝福し、実際にそのようにして下さる。これこそ、道のないところに新しい道を開き、水のない荒れ地に水をあふれさせて下さることである。 (213)ハイジはクララに問いかけた。 「星はどうしてあんなに輝いて私たちを見下ろしているのか知っている?」 「知らないわ。どうして?」 「それはね、お星さまは天国に住んでいて、神さまは何でも私たちのためによくして下さることを知ってるからよ。こわがったり、苦しんだりしないで、何でも最後にはよくなるのだって信じて、喜んでいなさいと、言っているのよ。 だから私たちは神さまにすっかりお任せして、いつまでも心にかけて下さるようにお祈りすればいいのよ。」 (ヨハンナ・スピリ著 「アルプスの少女ハイジ」角川文庫 二四二頁) Why do you think the stars twinkle so brightly at us? asked Heidi. "I don't know.Tell me" Clara replied. "Because they are up in Heaven and know that God looks after us all on earth so that we oughtn't really ever to be afraid,because everything is bound to come right in the end.That's why they nod to us and twinkle like that. Let's say our prayers now Clara,and ask God to take care of us." 「ハイジ」の物語は、アニメになってテレビでも広く親しまれてきた。私はそのアニメはわずかしか見てはいないが、愛らしい登場人物と美しい山の風景によって心のなごむ内容であったように思う。しかし、その子ども向けのアニメでは、この物語の中に深く流れている神への信仰がほとんど削除されている。 著者のスピリは、牧師の娘で、ハイジの物語を原作の訳で読むと、著者が何とかしてこの本を読む人たちにキリスト信仰を伝えたい、という情熱と、アルプスの自然への深い愛が伝わってくる。 ここに引用した箇所も、上の「ことば(212)」の(*)の聖句(信じる者にはすべてが益となる)をわかりやすく言ったものである。 なお、著者の墓には、次の聖句が刻まれているという。 主よ、われ今なにをか待たん。 わが望みはなんじにあり。(詩編三九・8) So now, Lord, what am I to hope for? My hope is in you. 星や山々、草木など自然のさまざまのものは神が創造されたものであり、そこには神の私たちへの愛、その万能の力や美などさまざまのものが刻まれている。 著者が、ハイジに託して述べているのは、神と心がひとつに結ばれるほど、周囲の自然の世界からも、私たちへの神からの生きたメッセージが実感されるということであり、自然を通し、そして神の言葉を用いて、読者に語りかけているのである。 編集だより ○北海道、山形、東京などでの集会。 七月十五日(金)〜二十一日(木)まで、北海道や東北、東京などで、み言葉の真理の一端を語る機会が与えられました。北海道南部の日本海側にある、瀬棚郡の瀬棚町(奥尻島の対岸)というところでの聖書集会は、今年で三十二回を迎えるもので、参加者は酪農をしている人たち(一部に養豚)が主体でした。参加者は部分参加の人や子供も含めて三十人近い人たちが参加していました。そのなかには、日本キリスト教団の利別教会の相良牧師、教会員二名も含まれています。 金曜日の夜から開会式と自己紹介、翌土曜日には私は午前と午後の二回の聖書講話、利別教会の相良牧師は「信仰の継承」ということで話されました。日曜日には私が利別教会で、「平和は大河のように、義は海の波のように」と題して四十分ほどの聖書講話を受け持ちました。午後は、牧師の講話のつづきと信仰の継承ということについての座談会、夜は、感話会、交流会がなされました。土曜日の座談会では、「平和と宗教」というテーマで話し合いがありました。 平和ということについての、聖書そのもののメッセージは何か、武力を用いる戦争は新約聖書の内容にいかに反しているか、イスラム教(コーラン)の問題点、戦争は人間の自分中心という本質(罪)から生れるということなど、話しました。瀬棚聖書集会のように、幼児からその両親、さらにその親にあたる各世代が共に集まって聖書中心の集りがもう三十年以上も続けられてきたということのなかに、不思議な神の支えと導きを感じます。 札幌での集会は、19日(火)の午前10時〜2時ころまでで、平日にもかかわらず、二十五名ほどの集会となりました。地元の札幌以外に、会場から三五〇キロも離れた釧路という遠隔地からもご夫妻で参加された方、苫小牧市からも、六名、旭川からも一名が参加され、北海道の各地集会と私どもの集会の三名との合同集会といったかたちになりました。 盛岡では、スコーレ高校の田口 宗一さんご夫妻のご協力もあって、事故で車椅子を使う障害者となった主にある友を訪ねることができましたが、現在の生活だけでなく今後も大きな困難が待ち受けていることを思い、主によるさらなるいやしと導きを祈りました。 山形では、初めて山形聖書集会の方々との集会でみ言葉を語り、その後の夜遅くまでの話し合いを通じて主にある交流を与えられました。 またその翌日は、東京の八王子市の永井宅では十三名の方々が集められ、足立区の越川宅においても七名ほどの家庭集会が行なわれました。 初めての方、また「いのちの水」誌を通して関わりのあった方、全国集会や「祈の友」、あるいは四国集会に参加された方々もおられて、ともにみ言葉を学び、交流が与えられました。 さまざまの地域で、いろいろなキリスト者の方々と出会い、ともに祈り、聖書を学び、讃美し、主を信じる者としての交わりが与えられることは本当に幸いなことと感じました。パウロも、顔と顔を合わせて会う、ということを願っていますが、そのことの重要性を感じ、すべての行程のなかに主が働いて下さり、この世の交わりとは異なるよきものを与えられました。 お知らせ ○特別集会のお知らせ 八月二七日(土)に、静岡から西澤 正文兄が他の数名と共に来徳され、二十八日(日曜日)の主日礼拝の聖書講話を担当して下さいます。前年までは、石川 昌治兄が来徳されていましたが、体力の衰えのために今年から西澤兄に交代されることになりました。主が守られ、祝福された集会となりますように。 ○本文にも紹介しましたが、集会員の伊丹 悦子さんの詩集「朝のいのり」が出版されました。挿絵は、去年のクリスマス集会にも参加されたことのある、,木村代紀氏。発行 美研インターナショナル。発売 星雲社 定価 一三〇〇円。 ○全国集会 今年の無教会(キリスト教)の全国集会が、十月八日(土)〜九日(日)に東京の青山学院大学で行なわれます。テーマは、「今、生きるとは―キリストにある愛のはたらき―」です。今年はとくに、発題や意見発表や讃美に例年より多く若い人も加えられています。発題としては六名がそれぞれ三〇分を与えられて、テーマに沿って、愛と性、愛と伝道、そして神の愛をもたらすために不可欠な信仰についても、信仰と政治、教育、福祉、職業とのあり方を内容とする発題がなされる予定です。 また、翌日の午後のグループ別集会では、それらの発題についてより深める話し合いがされ、その後、「私の信仰と、意見」として五名が語ることになっています。 なお、一日目の夜は、パイプオルガンによる讃美の夕べというのも自由参加のプログラムとして組まれていること、主日礼拝には、聖書講話の前に讃美による礼拝を初めて三〇分組み入れているのも新しい内容です。 期日…10月8日〜9日(日) 8日 受付開始 12時 開会 13時 閉会 20時30分 9日 受付開始 8時30分 開会9時 閉会 17時 会場…青山学院大学 青山キャンパス内・ガウチャーメモリアルホール(記念礼拝堂) |
2005/7 |
閉じられていくこと、開かれることと 2005/6 私たちはすべて老年に向かっていく。老年とはさまざまのよきものが次々と閉じられていくことである。健康で自由に仕事や遊び、趣味、旅行などできていたのが、次第に一つ一つできなくなっていく。車にも乗れなくなり、歩くことすらままならないようになる人も多いし、寝たきりとなっていく場合もある。 そしてついにはこの命さえも閉じられていく。 しかし、このような現実にあって、開かれていく世界がある。それは目には見えない天の世界である。 閉じられていくのは、目に見える世界であって、目には見えない天の世界はだれも閉じることはできないし、究極的なよきもので満ちている世界であるゆえに、古びることも変化することもない。 そこに通じる道は、過去の経験でもなければ、経歴やこの世の業績、健康、病弱、あるいは過去の罪や善行ですらない。ただ幼な子のような心をもって、罪の赦しを受け、神を見つめることである。 実際、老年にならなくとも、病気になって動けなくなっていけば、娯楽やこの世の楽しみは確実になくなっていくのであって、何か本当によいものを見つめようとすれば、いやおうなく、天の国へとまなざしを向ける他はなくなっていく。 神は病気や老年ということを用いて、この世のものを閉じていき、人間が、神を仰ぐという狭き門から入り、天の国への細い道を通っていくように仕向けておられる。ただその単純なことによって、天から神の国のよきものが流れてくるようにしてくださる。そしてその彼方には、無限の清い世界、苦しみも悲しみもない世界、もはや決して閉じられることのない世界が開けていて私たちを待っているのである。 何か美しいことを 私たちは、周囲の世界に対して何か善いことをするか、あるいは何かよくないことか、それとも無関心であるかである。 満員の通勤電車に乗っているとき、あるいは無数のひとたちが行き交う朝のラッシュ時のときに、周囲の人たちに対して最も多くの人が互いに抱いているといえるのは、互いに知らない者同士なのであるから、おそらく無関心であろう。 しかし、会社なり、学校なり、勤務先についた途端、そのような無関心ではなく、出会う同僚や人々に対して何か善いことを思うか、よくないことを思うかいずれかになる。 自分に対して好意的な人には何かよいことを考え、無視するような人、敵対的に出てくるひと達には何か悪しき感情をもつようになるのが多いだろう。 しかし何か善いことといっても、自分の好意が持てる人だけに何か善いことを考えるのは、主イエスによれば、それも何の善いことでもないという。 …敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。…自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(マタイ五・46) とすれば、本当の意味で「何か善いこと、なにか美しいこと」というのは、実はだれでもなかなかできていないということが分かる。 自分に悪意を持つ人にも、無関心な人、攻撃的な人にも、相手を選ばないでなされる善きことこそが、本当に神の前でよきことになる。このようなことが一体できるのだろうか。 そういうことは、人間にはできないことである。私たちはある人の苦しみに感じて祈りを込めていれば、またある人に時間をかけてかかわっていたら他の人のところには行けないし、同時に多くの人のことを祈り、考えることもできないから、ある人にかかわっているときには別の人のことは忘れていなければならない。 このようにいかにしても人間の愛などは限定されているし、偏ったものでしかない。 しかし、自分の好き嫌いでなく、どんな人であっても、自分の身近にいる人、たまたま出会う人、それは行きずりの人であったり、会社の同僚や知人、あるいは外国の人であったりするだろう。そのようなさまざまの人たちをだれでも同様に善き心をもって見つめようとすること、それは可能だという。 不可能なことなら、主イエスもこのように「隣人を愛せよ、敵を愛し、そのために祈れ」などと命じたりしないからである。 このような無差別的な愛は、自然の人間にはない。ただ神からの恵みとして与えられるのだと聖書では記している。 そしてそれが可能であることを示すかのように、神は「何か美しいもの、何かよいもの」を数知れないいほど多く、身の回りの自然のなかに刻み込まれている。夜空の星のまたたきは、いつも何か美しいものであり、何か人の心に清いものをよみがえらせるものである。白い一片の雲であっても、風のそよぎも、川の流れにしても、それらはみんな、何か美しいものをたたえていて、心して見るときには、私たちにもそれを注いでくれる。 山川、植物など自然の純粋さは、神のお心が、絶えず何かよいもの、何か美しいものを私たちに与えようとしておられるそのお心を表している。 これらの自然の風物は、神から創造されたそのままの姿であるゆえに、何かよいものをたたえているものが実に多い。 私たちも神に創造されたままのようにまっすぐにされるとき、つねにそうした状態になるだろう。それが主イエスの言われた幼な子のような心で神を仰ぐような心である。そしてそれは神から新しく、造りかえられることによって初めてできるようになる。 そしてそのとき、私たちは聖書にあるように、キリストが内に住んで下さるゆえに、そのキリストがたえず何かよいものを私たちに提供し、それを私たちも外部に向かって注ぎだすようになる。 それは祈りの心がもとにある。何か美しいもの、よいもの、それは祈りからなされる。寝たきりの人であっても、周囲にそのような祈りを注ぐことによって何か美しいものを絶えず提供することになる。 こうしたことについて、つぎの言葉をあげる。 ヒューマニズムだの、永遠の平和だのについて、あまり多く語らないほうがよい。 あなたは出会う人ごとに、「なにか善いこと」があるようにと願っているか。もしそうならば、あなたは人間らしい親切な心の持主だが、そうでなければ、あなたの言葉はただ口先きだけのことである。(「眠られぬ夜のために下・六月五日」 Reden Sie nur nicht so viel von Humanitat und ewigen Frieden.Wunschen Sie jedem Menschen,dem Sie begegnen,etwas Gutes? Dann sind Sie human und freundlich gesinnt,sonst aber sind das blosse Redensarten,… 主イエスは、隣人を愛せよと教えられた。遠いどこかの国のことばかりをいくら議論しても単なる議論で終わることもあり、自分がそのような遠いところにまで配慮しているといった秘かな虚栄心から言う場合もある。そしてすぐ近くにいる私たちの隣人に対しては祈りや必要な見舞いとか訪問もしない、といったことになることがしばしばある。 「巧言令色 少なし仁」、という有名な言葉がある。(「論語 学而第一の三」)これは、言葉づかいがうまく、表情も人を引きつけるような人が、かえってその中には本当の仁(愛)がない、という意味である。この箇所を註解した、今から八〇〇年余り昔の、中国の高名な儒学者である、朱熹(しゅき)は、そのような口先や表情だけよいものには、愛は少ないどころか、「絶無」であると註解している。 たしかに、主イエスはいつも人を引きつけるようなにこやかな表情をしていたとは書いてない。むしろ哀しみの人と言われたほどであったし、代表的な預言者の一人であったエレミヤなども、その心を表しているとされる哀歌には悲痛なものが流れている。 深い真実な愛とは、そのような表面の言葉や表情ではなく、その内面にたたえられたものなのである。 また、ここで、「何か善いこと」(something good)を出会う人ごとに願っているか、ということが問われている。自分の気に入った人にだけ、善いことを考えても何にもならないと、主イエスも言われた。出会う人、それが敵対するような人であっても、利己的な人であっても、その人間がどんな人かにかかわらず何かよいことをその人のために願うことのできる心、これこそ、キリストの愛が注がれた人の特質だと言えよう。 これに似た言葉につぎのようなものがある。 Something beautiful for Gott.(何か美しいことを神のために) これは、マザー・テレサについて、あるイギリス人によって書かれた一冊の本のタイトルであり、その本のはじめにある著者の60頁ほどの文章のタイトルにもなっている。(「Something Beautiful for God」 Malcolm Muggeridge著 Collins 一九七一年 ) 彼女の生き方がこの一言によって表されている。マザーは、主イエスが言われた、福音書の言葉をそのまま生きていった人であった。 …そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ二五・40) これは主イエスが、世の終わりのときに祝福される人と裁かれる人に分けられると言われたが、その時の言葉にある。人知れず、飢えている人に食べ物を与え、獄にいるような暗い恐ろしい状況にある人には訪ね、病気のときに見舞い…そのような弱い立場にある人はごく小さい存在とみなされ、周囲からも注目もされない。しかしそのような小さき人々への愛をもって助けるが、そのようなことをなしつつも、本人はそれを覚えていないほどに自然になされることがある。そのようなことこそ、「神のためになされた、何か美しいこと」である。 「私に結びついていなければ、あなた方は何もできない。」(ヨハネ福音書十五・5より)この、主イエスの言葉は、キリストにつながっていなければ、私たちは何か美しいこと、何かよいことはできない、ということである。 この世には、そのようなことと逆のことが実に多い。ニュースなど見てもいつも何かよくないこと、何か汚れたことが降り注いでいるように見えるほどである。 老年の人からせっかくよい本を読んでも、また聞いてもすぐに忘れる、とか礼拝集会に参加して学んでもすぐに忘れてしまう、と嘆きの声を聞くことが折々にある。しかし、結局のところ私たちがいろいろ覚えても、そこから何か美しいもの清いものをくみ取るのでなかったら究極的には役に立たないといえよう。 礼拝にしても書物や学びにしても、どれだけ覚えているかということではなく、何か清いもの、なにか美しいものを神から受けとるためなのである。 賛美を歌う、祈る、ただそれだけでも、神は私たちに天の国の何か聖なるもの、清いものを注いで下さることがよくある。神は私たちにそうしたものを与えようといつも待っておられる方なのであるゆえにそれは本来だれにでも、心から求めるものに与えられる。 この暗い出来事の多い世にあって、陽の光りがいつも降り注いでいるように、何かよきもの、美しいものが天から注がれているのをつねに実感できるようにならせていただきたいと思う。 器なる人間 私たちは何かを独自にできるものではない。単なる器である。しかも壊れやすく、よごれた土の器である。しかしそのようなものに、神は天の国のよきものを盛って下さる。そしてそれを他者に提供するように仕向けて下さる。 その最たるものは福音である。信仰であり、それに基づく希望であり、神からの愛である。 それらはみんなもともと自分にはなかった。いまも私は壊れやすく、よごれた器である。しかしそれでも主は私を愛して下さるのを感じる。二十一歳のときから、そのような神の愛というものがあるのを突然知らされて以来、今日までの数十年をも、壊れた器がさらにひびが入り、欠けたようになってもなおそこに天の宝を置いて下さる。そしてそれを使うようにと言われる。 世界的に有名な人物であっても、その人間それ自体が罪がないとかいうのでなく、やはり罪人であり、汚れたものであり、弱い土の器にすぎない。 モーツァルトは多くの人によって親しまれ、愛されている。モーツァルト自身は聖なる人間といった人とはほど遠く、ごく普通の人間にすぎなかったようである。そのようなどこにでもいるような人間のどこからあのような天使が歌うような音楽が生み出されるのか、不思議に思われる。 また、ベートーベンもおそらく最も多く演奏される作曲家ではないかと思われるが、彼もときには激しい感情をもって怒り、悲しみ、悩んだ普通の人間であり、およそ聖なる人というタイプではない。にもかかわらず、彼の音楽がいかに多くの人たちを力づけ、奮い立たせたか、またこの世の、よごれて混乱した世から引き上げて別の世界を展望させるように導いたか、計り知れないだろう。 こうした人々、それは神がその土の器にすばらしい音楽を注がれたのだ。 欠点がある、未熟である、罪を犯す者でしかない…そのような者は神が使われないのだろうか。そうでない、もしそうなら、地上には誰一人使われるものがいなくなる。パウロが述べているように、神の目から見るなら、「私たちには優れた点は全くない。みな罪のもとにある。」(ローマ三・9)という状態だからである。 主イエスが最初に行った奇跡は、婚礼の席にあって、ぶどう酒が使い果たされてなくなった、そのとき、僕たちに、空の水瓶に水をいっぱい満たすようにという命令であった。その意外な言葉に驚きつつも、僕たちはその大きな水瓶に水を満たした。そうしてそれを運んでいった。すると、それらはぶどう酒に変わっていたというのである。(ヨハネ二章) これは、主イエスの言葉に信頼してゆだねるとき、土のみずがめに入れたただの水が、香り高いぶどう酒になったように、私たちも土の器であるにもかかわらず、そこにキリストの香りのあるものを注いで下さるのである。 病身のからだであっても、しばしば健康なものにまさるものをそこに盛って下さり、それをこの世に証しとして用いることができるようにして下さる。 …わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。 わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。(詩編二三・5) この有名な詩において、旧約聖書の詩人が歌っていることも、同様である。敵対するものに囲まれたただなかにあっても、なお、土の器なる私たちに豊かなよきものを注ぎ、あふれるほどに与えて下さるということである。 この世の闇と嵐のなかで この世は闇であり、また嵐が吹き荒れて私たちをまっすぐに歩けないようにしてしまうことが多い。新聞に出てくるような犯罪や、事件、社会問題などはみんなそうした嵐に吹きさらされ、よき心もどこかに吹き飛ばされてしまって考えるだけでも恐ろしいようなことをしてしまうのであろう。 この世はそのような闇と嵐、波の荒れ狂う海のような状況にたとえられることが満ちている。平穏な生活を送っていると思われる人もいるであろうが、いつ交通事故や事件、あるいはガンなどで突然にしてそのような吹き荒れる嵐、波風に呑み込まれるか分からない。電車の脱線衝突事故で多数の人が亡くなり、重い怪我をしたことなど、その直前まで平和な生活をしていた人も誰一人予測できないままにあのような事態となった。 この世の荒波に呑み込まれるということは、聖書の最初から見られる。アダムとエバという最初の人間が、せっかく神がこの上もないよい状態になされたエデンの園において、食べるものも、見るものもすべて美味で、美しいという何不自由ない生活を与えられていたのに、アダムとエバを呑み込もうとする波が襲ってきたとき、いとも簡単にそれに呑み込まれ、みずからその恵まれた生活から追い出される原因を作ってしまったと記されている。 それが、食べるなと、言われていた園の中央の木の実を食べることであった。 そのように一度闇の力に呑み込まれた人間の心の中にどんなに恐ろしい暴風が吹き荒れるか、それはやはり聖書においても、最初から記されている。 それは聖書で最初の家族の中で、カインとアベルという兄弟がいたが、その弟アベルが、恵まれているということのゆえに、カインが怒り、アベルを撃ち殺すといった恐ろしい出来事である。このような読みたくもないような出来事がなぜ聖書の最初から書いてあるのかと、初めて聖書に触れたときに思ったものである。 聖書における最初の人間関係である、アダムとエバが、愛と真実の神に従おうとせず、エバがまず闇の力に引き込まれ、アダムもそのエバによって同様に引き込まれてしまったこと、また最初の家庭の記述が、兄が弟の命を奪うというような内容であること、それはいかに人間がこの世の闇の力、荒波に呑み込まれていくかという現実をリアルに記していると言えよう。 こうしたこの世の嵐や波、あるいはさまざまの苦しい問題に対して、聖書はどのように言っているのであろうか。 それは聖書全体にわたって述べられている。 最初に現れるのは、「主の名を呼ぶ」ということである。 「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」(創世記四・26)という一言の記述が、そのことを表している。この世の闇の力に呑み込まれないようにするために、主の名を呼ぶということ、それはまず、主なる神を信じて、主を仰ぐということである。 そしてやはり創世記の初めの部分、その五章につぎの言葉がある。 「エノクは神とともに歩み、神がとられたのでいなくなった。」(創世記五・24) このように、すでに創世記のはやい段階から短い言葉ながら、はっきりとこの世の荒波からの救いの道が暗示されている。主の名を呼び、主とともに歩むということこそ、あるべきすがたであり、そこにこそ人間の生きるべき道があるということなのである。 その後、創世記に記されているのは、ノアの洪水のことである。人間が増えていくにつれてさまざまの罪を犯し、真理に背く生き方をするために、神がそうした悪を滅ぼそうと大洪水を起こされた。しかしそのなかで、ノアだけは異なっていた。 「ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」(創世記六・9) ここにノアの正しいというのは、神と共に歩んだことと結びつけられている。神と共に歩むことにより、悪から守られ、悪の攻撃を受けても神からの導きと力によってそれに引き込まれないようになる。 その後、旧約聖書でとくに重要な人物の一人である、アブラハムもこうしたこの世の闇に引き込まれないようにするために、神はとくにアブラハムを選んで、その歩むべき道を示した。神は、現在のイラク地方に住んでいたアブラハムを呼び出し、はるか遠くのカナンの地(現在パレスチナと言われている地方)に行くようにと命じた。アブラハムは、そのような驚くべき言葉に対してそれを拒絶するのでなく、それが神からの言葉だと信じて受け入れ、自分のすべてをかけて神の言葉に従って旅立った。 アブラハムのその姿勢は、つぎの言葉に表されている。(なおアブラハムは以前の名をアブラムと言っていた。) 「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。…アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。…主の御名を呼んだ。」 このように、神からの呼びかけに従って、未知の場所であり、途中が危険なことも予想される上に、目的地に着いてもどうなるか分からない、しかし神の導きを信じてそこに向かっていくこと、このことが、この世の荒波に打ち勝つことにつながる。 私たちには神からの語りかけか、もしくは偽りやすい人間からの語りかけを信じてそれに従っていくか、いずれか二つなのである。人間からの語りかけは、どこに導いていくか、それは空しいところ、滅びの場である。 動揺して終わることがないところである。 人間はじっとしていたら、この世の波に呑み込まれないのではない。それは逆である。 人生の海には嵐があり、深淵があり、闇がある。そこを歩んでいくことができるのは、ただ神からの導きを受け、その導きの言葉を信じて前進する者だけである。 このように、闇の力である波が襲いかかろうとするとき、たいていは恐れる。そしてその恐怖こそが最も波に呑み込まれることにつながるのである。 聖書には、このような世の荒波にほんろうされた例も多く記されている。モーセによって導き出された人々は、長い荒野の旅路をしばしば悪の力にさらされ、引き込まれてしまうことが多くあった。そのような中でも神の憐れみによって襲いかかる波にも風にも動かされないで前進した人々も起こされていった。 また、滅びようとしたときに罪を悔い改め、ふたたび神の御手によって守られて歩む人たちもあった。こうして神を信じる人々は数千年を経ても滅びることなく今日に至っているのである。 しかし、聖書には最も重要な人物の一人であり、大いなる働きを神の力によってなしつづけた人であっても、闇の力にのみこまれ、重い罪を犯してしまった人の例も赤裸々に記されている。 それは今から三千年ほども昔のダビデの例である。神のしもべとして、神のみ言葉のままに生きて、王となった人でありながら、生活が安定したときにとりかえしのつかない罪を犯してしまった。 しかし、そのような者でも、悔い改めによって赦された。若いときから仕えた王にかえって迫害され、命をねらわれて放浪したときの苦しみ、その間は一貫して敵であっても憎しみを返さず、神の導きに従った。そして罪を犯し、悔い改めて以後は、その罪の罰として家族に大変な混乱と悲しみが生じ、その苦しみをになって生きなければならなかった。 ダビデの生涯はこの世の闇の力との戦いであり、それに危うくのみこまれ、滅びるかと思われるほどに深い淵に落ち込んだ者の歩みであり、そこから神の憐れみにより、引き上げられた記録である。 その後に、王国は分裂し、人々の信仰も不純となり、真実な神への信仰が忘れられ、偶像崇拝が起こり、その結果として多くの不正が行われるようになった。すなわち世の荒波につぎつぎとさらわれていったと言えよう。 このようなときに、闇の力に引き込まれた人々を救うため、遣わされた人たちが預言者であった。どこからまちがったのか、どうしたらその闇の中から救われるのかを命がけで伝え、警告したのである。彼等の働きによって滅びの波間から辛うじて救われる人たちもあったが、多くは預言者たちの警告と悔い改めの勧めにもかかわらず、そのままこの世の滅びの波に呑まれていった。 そして国も滅び、多くの民が遠い外国に捕虜として連れ去られていくことにもなった。 しかし、いかにこうした事態が繰り返されようとも、預言者たちが語った神の言葉は押し流されることはなかった。世の荒波にも呑まれず、国々の移り変わり、制度や国境の変化、天災、飢饉、戦争などありとあらゆる荒波にもかかわらず、生き続けてきた。 それはまさしく奇跡である。 こうした数々の歴史の果てに、キリストがこの世に遣わされた。キリストは、この世のあらゆる闇の力、荒波に打ち勝つ力を与える存在として来られた。私たちのうちに内在する、闇の力、すなわち罪の力を自らが十字架にかかることによって滅ぼし、私たちが罪の力という波に呑み込まれないようにして下さったのである。 こうした主イエスの姿は、福音書においてつぎのような記事にも表れている。 夕方になったとき、弟子たちは海(*)ベに下り、 舟に乗って海を渡り、向こう岸のカペナウムに行きかけた。すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。 その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。 四、五キロメートルほどこぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。 すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。 そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ(**)、彼らが行こうとしていた地に着いた。(ヨハネ福音書六・16〜21) (*)海と訳されている原語は、サラッサ (thalassa)である。これは地中海など、一般の海を意味するが、海だけでなく、水の大きなひろがりをも指す言葉であって、この箇所では、ガリラヤ湖を意味しているので、新共同訳では「湖」と訳してある。 しかし、外国語訳では多くが、「海」(sea)を用いている。 なお、湖というギリシャ語は、別にあって、リムネー(limne)というのがあるが、この箇所ではこのサラッサが使われている。ルカ福音書では、リムネーという語が五回ほど用いられているが、ヨハネ福音書では用いられていない。 とくに「海」という言葉がここでは、人間を滅びに引き入れようとする力を持ったものだということが暗示されている。日本でも、「うみ」という言葉は、水の広大なひろがりを指していう言葉であったのは、水のうみを「みずうみ」(湖)と言い、塩分を含んだ海を、しおうみ(潮海) といっていたことからもうかがえる。 (**)「すぐに」と訳されている原語は、エウセオース eutheos であり、新共同訳では「まもなく」と訳しているが、ほとんどの英語訳では、immediately (直ちに)と訳している。岩隈直訳、岩波書店から発行の新約聖書でも同様に「直ちに、すぐに」と訳している。イエスを迎えようとしただけで、ただちに導かれることの不思議さが強調されていると考えられる。 これは、おそらく初めて読む人にとっては奇妙なおよそありそうもないことが書いてあると思って、気にもとめずに読み進むのではないかと思われる。実際私が初めて聖書を読み始めたとき、何ら説明もなく、註解書のようなものも参照せずに読んでいったがこのような箇所は、何か不思議な思いがしたが、ほとんど深く心には留めないで過ぎた。 しかし、ヨハネ福音書には、最後に書かれた福音書だということもあり、キリスト教が告げ知らされるようになって、五十年ほども経っていたこともあり、単に主イエスの言動を書き記したというのではないのが感じられる。 それは、半世紀にわたるキリスト者の信仰の体験、霊的な喜び、平安、忍耐、勇気などが背後にあるのがわかる。それらをこの福音書を書いた著者自身が深く体験してきたことであり、さらにそれについて神、聖霊からの霊感があったのが感じられる。 ここにあげた箇所も同様で、ここにはキリスト教が宣べ伝えられて五十年ほど経ったときの、当時の深いキリスト者の魂の経験が感じられる。 聖書で海という言葉を使うとき、現代の私たちのイメージとは全く異なるものが含まれている。 現代の私たちは、海というとどこまでも広がる青いひろがりであり、美しさの満ちた風景であり、またさまざまの種類の船が行き交う場であり、また泳ぎなど遊びの場でもある。 そのようなイメージのどれとも合わないのが、聖書における海である。海はどこまで続くか分からない広大さと無限の深みがあると古代では考えられていた。そしてひとたび荒れ狂うとき、船もその大波にのみこまれ、二度と帰って来ることはできない。そして海の中は少し深くなると暗くなる。深いところでは真っ暗な恐ろしい世界だと考えられていた。 それゆえに、旧約聖書ではサタン的な存在が、海にいると暗示する箇所がある。 その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって、逃げる蛇レビヤタン…海にいる竜を殺される。(イザヤ書二十七・1) ここで言われているのは、神の定めたときには、神に敵対する勢力を大いなる力をもって滅ぼされるということである。「海にいる竜」とあるように、そのような闇の力を持ったものが、海にいるとされている。 さらに、旧約聖書のダニエル書にも、大海が波立ったときその海の中から、現れた獣がいくつかあった。それらは当時の世界を支配しようとした国々を表していたが、そのうち最後の獣から出た角で象徴されている、強い力を持った王は、サタン的な存在であった。その王について次のように言われている。 …彼は、いと高き方(神)に敵対して語り いと高き方の聖者らを悩ます。…(ダニエル書七・25) このように、神に敵対視、神を信じる真実な人たちを迫害する者もまた、海の中から出てきたと記されている。 こうしたことを受けて、新約聖書の黙示録でも、次のように記されている。 …わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。…(この獣の)頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。(黙示録十三・1) このように、神に敵対する闇の力をもった存在が、やはり海から上がってくるというように記されている。 これらの箇所からもうかがえるように、古代人には海というのはその無限の広さと深さ、一度荒れ狂うとき、何者もそれに抗することができず、のみこまれていくということを知っていたのである。 主イエスが、海の上を歩くといった記述は、そうした背景を知った上で受け止めるとき、これは闇の力、私たちをのみこもうとする力をも支配されているということを暗示しているのである。 たしかに、キリストの力はそのような驚くべきものであり、私自身、かつて二十歳を過ぎたころからますますさまざまの苦しい問題に悩まされ、どうしてもその闇の中から脱することができずに深い闇に落ち込んでいくという実感を持っていたが、それはまさに底知れないところに落ちていくとか、人間の力を超えた荒波にのみこまれていくということであった。 キリストはそこから私を引き出して下さった。それが現在までずっと私の原点となり続けている。私たちは自分を超えた得体の知れない力に引き込まれて沈んでいく。それは人間ではどうすることもできない。しかし、そこから、また人間を超えた力で引き出されるのである。 闇のただなか、海が荒れ狂い、風が吹きつのるなかに、何者かが現れたものだから、弟子たちは恐れた。彼等を滅ぼそうとする嵐や海の力と同様な霊的な何かではないかと恐れたのである。 しかし、そうした闇の力におびえる弟子たちに、主イエスは言われた。 「恐れるな、わたしである!」 この言葉は実際に、その時、弟子たちに言われたのであるが、後に続く無数のキリストの弟子たち、キリスト者たちに向けて言われたものであった。私たちはいつも何かに恐れている。子供のときから、夜が恐い、夢を見ておびえたり、悪いことをする同級生を恐れ、また今日では戸外で遊ぶこともままならない。誰かが誘拐するかも知れないなどと恐れなければならなくなってしまったからである。 そうした単純な恐れから、精神的な恐れ、人間から冷遇され、見下され、あるいは仲間外れにされることを恐れる。社会に出ても同様である。これは地位が低くても高くても同じで、いかなる場にあっても人間は何かをいつも恐れている。大会社の社長とか国の代表者、首相とかであっても同様で、地位が高くなるほど、一言言うにも、周囲がどういうか、といちいち恐れながら言わねばならなくなる。 地位が低いときも、周囲の冷たい仕打ちや将来のことを思って恐れがあり、職業生活がやっと終わっても老後の恐れ、健康不安やガンなどへの恐れ、死という得体の知れないものが近づくという恐れがある。 それらはすべて、この世の荒波、夜の闇、荒れ狂う嵐のなかにある人間の恐れだと言える。こうしたすべての人の、あらゆる種類の恐れに対して、この主イエスの言葉は発せられている。 「わたしである!」という言葉は、単に夜の闇に誰か分からないから、主イエスが私だ、と名乗ったというだけのものではない。この原語は、エゴー(わたし)・エイミ(〜である、存在している) (ego eimi)であり(*)、単に、ふつうの私たちの会話で、「私です」といった簡単な意味ではない。これは、すでに旧約聖書の出エジプト記に、モーセが神から召されたとき、神の名を「在りて在る者」だと言われたが、そのギリシャ語訳聖書では、このエゴー・エイミという表現が用いられている。(**) (*)「エゴー」は、エゴイズムという言葉で知られているし、エイミ(eimi)は、英語の 「am」と語源的につながっている。 (**)「エゴー・エイミ・ホ・オーン (ego eimi ho on)」となり、英語訳では、I AM WHO I AM.と訳されている。 ここには神とは、永遠の存在者だという意味が込められている。ヨハネ福音書におけるこのエゴー・エイミという表現は、そのことを暗示するものである。 この特別な表現は、ヨハネ福音書に多く用いられている。マタイ、マルコ、ルカなどの福音書ではそれぞれ三〜四回用いられているだけだが、ヨハネ福音書では、二十四回も現れる。それはこの福音書では、冒頭から、キリストが神と同一であることを宣言し、それから福音書が始まっていることと同じように、キリストの神性を強調する意味を持っている。 次の箇所もそうした一例である。 ユダヤ人たちが、主イエスを憎み攻撃してきたとき、主イエスは次のように答えた。 …イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」(ヨハネ八・58) ここで、特に「わたしはある」という特異な表現で訳されている原文が、この「エゴー・エイミ」なのである。この箇所はそれがはっきりとわかる。主イエスは、単に家畜小屋で生れてから存在し始めたのでなく、キリストより千五百年以上も昔の、アブラハムが生れる前、永遠の昔から存在し続けていたのであり、それは人間でなく神であるからである。 これはヨハネ福音書冒頭の、「はじめに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。…言は肉体をとって私たちの間に宿った」という記述と、キリストの神性を強調しているという点で、相通じるものがある。 荒海にほんろうされ、夜の闇に嵐が吹きつけるといったどうすることもできない状況のなかに、キリストがそのただ中に現れ、「恐れるな、神である私がいる!」と語りかけて下さるというのである。 私たちは結局本当に苦しいときには難しい本とか議論は何一つ役に立たない。単なる腹痛や歯痛でもひどくなればじっとしておれないほどになる。そのような苦しみのときにだれが難しい研究や議論を読もうとするだろうか。 どうすることもできない苦しみや痛み、絶望のなかにおいては、私たちはただ、「主よ、助けて下さい、憐れんで下さい!」と叫ぶしかできないのである。そしてそのような人間の心を深くご存じである神は、またこの主イエスの言葉をもって語りかけて下さる。「恐れるな、神なるわたしが共にいる!」と。 そしてこの語りかけは、キリスト以前ずっと前から、しばしば神から人間に対してなされていた。 …恐れるな、わたしはあなたと共におる。(イザヤ書四十三・5) …恐れるな!あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記一・9) Do not be afraid, for the LORD your God is with you wherever you go. この世は恐れで満ちている。だからこそその恐れを取り除く御方が必要なのである。それはいくら学校、大学で学んでもそのような恐れを除く力は与えられない。それは、万能の神、天地創造の神であって、しかも私たちのその弱さをすべてご存じであり、さらに私たちを愛をもって導いて下さる御方にして初めてその恐れが除かれる。 主イエスも、こうした恐れを除くために、しばしば恐れるな、と諭された。 …体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイ十・28) 真っ暗な夜の海、そこでの嵐と荒波にもまれるということは、比喩的にみれば、今も無数の人々が、病気や飢餓、人間関係、職業上の問題などで、日々経験していることである。 そこから脱する道を見出すことができないとき、私たちは生きる力を失う。 しかし、そこから脱する道は驚くほど単純なのであった。それは、次の表現に表されている。 …彼らは、イエスを舟に迎え入れようとした。するとすぐに彼らが行こうとしていた地に着いた。(ヨハネ 六・21) 弟子たちは、荒海にあって近づいて下さったのが主イエスであると分かって、舟に迎えようとしたら直ちに目的地に着いたという。このとき舟は、まだ闇のなかを、湖の中程であり、まだ数キロは目的地までにあったと考えられる。それでも、すぐに着いた、と記されている。しかもそれは嵐のような風、荒れる海、暗闇のただなかである。いかに、主イエスの力が大きいものか、そして弟子たちとしては、ただ迎え入れようとしただけ、キリストを仰ぎ、心から信頼して仰ぐだけで、そのような闇と荒波を越えて導かれていくということなのである。 目的地、すなわち神の国であるが、日々の困難や悲しみをも越えて主イエスは私たちを導いて下さる。それはなんと感謝すべきことであろう。苦しみを耐える力を与えて下さること、それを次のように主イエスは言われた。 …小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ十二・32) 神の国とは、神の御手にあるもの、神の愛による御支配のうちにある、あらゆるよきものを意味している。そこには忍耐する力もあれば、希望もある、神の愛もあり、心に吹き込むさわやかな風もある。いのちの水の流れもある。 それらすべては神の国であるが、私たちが恐れのうずまくこの世にあっても、ただ幼な子のように神を仰ぎ、キリストに信頼していくとき、滅びるほかはなかったこの身が導かれていくのである。 このような、神による平安がこの世の嵐のただなかで与えられるという経験はキリスト者が共通して与えられてきたものである。それゆえに、つぎの讃美歌はそのふさわしいメロディーとともに、愛唱されてきた。 しずけき河の きしべを すぎゆく ときにも 憂き悩みの 荒海を わたりゆく おりにも、 こころ安し、神によりて安し(讃美歌五二〇番より) 神によりて安し、という。それは主イエスが、「私の平安を与える」と最後の夕食のときに約束されたものである。この世のいかなるものによっても与えられない、神のもとにある平安、それをこの讃美は歌っている。 もう一つ次の讃美も聖歌のうちでも特に広く親しまれてきたものの一つである。 人生の海の嵐に もまれ来しこの身も 不思議なる神の手により 命拾いしぬ 悲しみと罪の中より 救われしこの身に 誘いの声も魂 揺すぶること得じ いと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し(新聖歌二四八番より) 主イエスこそは荒波と嵐を越えて私たちを守り、導き、魂の港へと伴って下さるのである。 靖国神社の問題点について(その2) 首相の靖国神社参拝のために、中国や韓国との関係が悪くなっているため、さまざまの方面から中止するようにと働きかけが生じている。首相経験者たちが、そろって小泉首相の靖国神社参拝を中止するようにと呼びかけたという前例のないようなことも生じている。 自分の個人的な気持とアジアにおける日本はいかにあるべきかという大きな視野とを混同してしまって、いっそうアジアの国々との関係を悪化させ、戦後六〇年を経ても、なおアジアから親しみと尊敬などを得られない日本の状況が今回の問題でいっそう明らかになっている。 靖国神社の歴史とか問題点については、本誌の二〇〇四年十二月号に書いたが、さらに前回のものを補う目的でいくつかの点を書いておく。 靖国神社は、もとをたどっていくと、徳川幕府と尊皇攘夷派との抗争が激しくなっていた頃にその源流がある。その頃、幕府の井伊直弼が、反対派を弾圧し、多くの尊皇攘夷派の指導者たちを処刑した。それが大きなきっかけとなって、幕府打倒の動きが激化していった。そうした状況のもと、尊皇攘夷派は、自分たちの同志の名誉回復のために動きだした。 それが、一八六二年に、孝明天皇が、尊皇攘夷派の志士たちの霊魂を招いて、祭をし、子孫にも祭らせるという布告をだし、その年末に実際に京都東山で、初めての全国的な招魂祭が行われた。 明治維新になる前から、すでにこのような天皇側につくものを特別に祭るということが行われるようになっていたのである。 その後、徳川幕府が倒れ、天皇制の新政府がまず手がけたことの中につぎのようなことがある。 それは、祭政一致である。政治と天皇を現人神とする宗教が一つであるとし、神祇官(じんぎかん)という官庁を特設し、神々を祭ることを政治の中枢においたのである。これは神道を国教とする方針を明確に示したものであった。そこから、続いて江戸幕府の厳しいキリスト教禁制をそのまま踏襲し、キリスト教を厳しく禁じる政策を継続することにした。 このように、江戸時代から新しい明治の時代になったのであるが、その本質は、ただの人間である天皇を現人神とし、古代の神々を重んじ、キリスト教の真理を全面否定するというおよそ誤ったものであった。 キリスト教は、ヨーロッパの歴史を支え、弱者を重視し福祉の源流となり、また、敵をも愛するという人間関係の究極的なあり方を示し、真理探求の精神を大学という形で世界に広めていくことにもつながったものであり、愛や真実、清さという人間の最も根源的な要求を満たしてきたものであったにもかかわらず、その真理をまったく認めることができなかったという、極めて狭い認識から出発していた。 これが誤ったことであったのは、その後六年ほども経って、諸外国の激しい抗議によってようやくキリスト教禁止という方針を撤回したのであったが、祭政一致という誤りはその後もずっと受け継いでいった。そしてそれが太平洋戦争において、日本人だけで二五〇万人(*)、中国やアジアの人については、二〇〇〇万とも言われる膨大な命を奪うような悲劇を起こしたのであった。 局地的な紛争が暴走してあのような大戦争ともなっていったのは、天皇を現人神だとして、その命令を絶対視させていくことと深く結びついていた。現人神なる天皇が戦争を開始決定し、戦争へと駆り立てていくはたらきをしたのである。 (*)日本人だけでも、15年間で二五〇万人もが死んだということは、平均すると毎年十七万人近くとなり、毎月一万四〇〇〇人ほどものひとたちの命が十五年間も続けて失われていったことになる。アメリカで、航空機が乗っ取られて、高層ビルに激突され数千人の命が失われて、世界に衝撃を与え、現在もその影響が続いているが、それと比べてもいかに戦争の犠牲が途方もなく大きいものであるかがうかがえる。 このことは、一九三七年五月に文部省から発行された「国体の本義」という本にも書かれている。この頃はすでに中国との戦争を始めており、太平洋戦争へと徐々に向かっている時代であった。そのようなときに政府がどのような考えを国民に押しつけようとしていたかが分かる。 この本に次のようなことが記されている。 …祭祀(さいし)(*)と政治と教育とが根源において一致するわが国の特色をよく明らかにしている。わが国は現人神(あらひとがみ)にまします天皇の統治したまう神国である。天皇は、神をまつり給うことによって天つ神と御一体となり、ますます現人神としての御徳を明らかにし給うのである。」(「国体の本義102頁、ここでは現代表記にしてある」) (*)祭祀(さいし)とは、神や祖先を祭ること。 このように、次第に戦争が激しくなりつつあるときに、政治と、天皇を現人神とする宗教、そして教育が根源において一致するというような本を政府が出すというところに、中国戦争、太平洋戦争といった戦争がこのような発想が根底にあって押し進められたということが分かる。 そしてこうした一連の動きを助け、強化するために靖国神社も大いに用いられたのであった。 一般の神社は、内務省が管轄するにもかかわらず、靖国神社だけは一八八七年から、内務省から離れて、陸・海軍省の管轄となったことを見ても分かるように、本質的にこの神社は軍事的な目的にそっていたのである。 それは、この神社はもとは東京招魂社と言われていたのを、靖国神社という名前に変えたがその名前そのものが国家的、軍事的な意味合いを持っている。招魂社という名前は、文字通り、すでに死んだ人間の魂を呼び戻して、それを祭るというものであった。そこでは国家的な色彩はまだ希薄であったといえる。すでに述べたように、招魂社というもののもとは、孝明天皇が尊皇攘夷派のゆえに命を失った者たちの名誉を回復させるという党派的な発想から生れたのである。 しかし、それでは政府の都合のよいように用いるためには不十分だということで、陸軍省で議論が始まり、その結果、中国の歴史書「春秋」の中から、「国を靖(やす)んじる」という言葉を選んで採用し、一八七九年に靖国神社となった。靖国という用語は日本では大体において使われていなかったのであり、この意味には、「安国」という言葉があった。「立正安国論」という日蓮の一二六○年の著にある通りである。 あえて、そうした日本の言葉を使わずに、中国の言葉を持ち込んだのは、「安国」というのが、仏教でよく用いられていたからだという。 このように、国を靖んじるという目的を鮮明に打ち出して、いっそう、軍事目的にかなった神社としての様相を呈していった。 尊皇攘夷派の志士たちの名誉復帰のためといった、党派的な目的から、大きく変質して国を動かすいわば道具、手段として存在し始めたのである。そのためには、内容を選ばない。それゆえに、戦争で死んだ者だけを特別にして、それを神々として祭り、際限なく増やしていくという、世界にも前例のない宗教施設となっていった。 戦争の犠牲者全体を記念するのでなく、軍人を圧倒的に重視し、それを神としてあがめるということ、それは戦争を押し進めようとする発想から出ているというのはすぐに分かることである。 また、一八八二年に靖国神社境内に遊就館というのをつくり、そこに刀剣や軍人らの遺品などが置かれ、日本最大の刀剣の陳列場となり、国民に軍国主義を鼓舞する施設となった。 現代ではその遊就館はどうか。やはりその性格は変わっていないといえる。そこには、まず玄関ホールには零式艦上戦闘機ゼロ戦を展示し、大展示室では、艦上爆撃機「彗星」、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、九七式中戦車などの大型兵器が置かれてある。 神社にこのような巨大な戦争用の兵器が陳列されているということからも、この靖国神社が平和を祈念するというのでなく、戦争を肯定して美化する方向を持っているのがうかがえるのである。 首相は、平和を祈るために靖国神社に参拝するというが、靖国神社の歴史とどんな目的でそれが作られ維持され、用いられてきたかを知れば、そのような首相の言葉がいかに無意味であるかが浮かびあがってくる。 首相の靖国神社参拝が、現在のように大きな政治、経済問題になっていても、それでもなお参拝を支持する国民が多いのは、中国や韓国の強い姿勢に反発するといった表面的な理由によることが多いと考えられる。 また靖国神社は、太平洋戦争が中国などへの侵略戦争であったことすら認めようとせず、 次のような驚くべき見解をもっている。 「大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)は、日本の自衛のために行われたのであり、東アジアを自由で平等な世界を達成するためのものであった。 日本は中国・韓国に対して謝罪するべきではない。」 もし、ここに述べたような事実や、去年の本誌十二月号に述べたような靖国神社の本質を知っていたら、真の平和を願い、かつての戦争の悲劇を深く知るほど、そもそも靖国神社に参拝するということ自体、考えられなくなるであろう。 それは政治や経済問題以前の問題なのである。 戦争で捕虜に対して死に至るような拷問をやり、一般の女子や子供を襲ったり、どんな残虐なことをした兵士も、死んだらみんな同じように「神」となって、尊敬し拝む対象になるということは、理性的な判断では到底受け入れられないことである。 そもそも二四七万人にも及ぶ、正体不明のどんな善人か悪人かもわからない人たちをみんな同様に扱って、これら膨大な人間を神としているのである。 そしてそれらのうちの二百十三万に及ぶような「神々」が、六〇年あまり前の太平洋戦争での死者であり、その圧倒的多数が軍人なのである。 こうした混乱はそのもとをつきつめると、人間を簡単に神々とする発想にある。人間がいかに醜く、また弱いものであるかは、日常的に自分自身や他人で明白だと言えよう。しかしそうした事実にもかかわらず、人間を神々として崇拝するというようなことが、日本の代表者である首相や多くの国会議員たちによって行われているほどに、日本においては、目には見えない問題に対しては真理が見えていないのである。 聖書においては、驚くべきことに、すでに三〇〇〇年以上も昔から、人間やほかの者を神々として崇拝することは、明白な悪として記されているのと大きな違いである。 ただ、神だけを崇拝すべきこと、そしてその神の御性質がだれにもはっきりと分かるように、神はキリストを送られ、キリストの言動を見れば、私たちが崇拝すべき神とはどんな御方であるかが明らかになるようにして下さった。 しばしば宗教の名において、まちがったこともなされてきた。しかしそれらはどこがまちがっているのか、人間の狭い視野からの議論でなく、キリストの言動に照らしてみる時明白である。 現在の靖国神社参拝問題も、来年九月に首相の任期が終われば、次の首相になる人によってはすぐに参拝中止するであろう。しかし、そうなっても、問題の根本は少しも変わらない。 私たちが真に重んじ、礼拝する対象は人間でなく、唯一の神であり、キリストによって表された愛と真実をもった神であるということであり、それが受け入れられないかぎり、いつまでも日本と中国や韓国の問題は続くし、霊的な意味において、日本人の前途にも暗雲が常に垂れ込めていることになるだろう。 ことば (210)愛によってのみ「見える」ものが世の中にある。だから私たちは聖書のなかに出てくる盲人と同じく、「主よ、見えるようにして下さい。」と祈らなければならないのだ。日常生活の随所にいらっしゃる主のお姿に気づくように。(「愛をつかむ」渡辺和子著) この世では逆に「愛は盲目」であるという。それはこの世の人間的な愛、自分中心の愛はまさにそうである。ふつうの男女の愛というのはたしかにほかのことが分からなくなるようになってしまうことが多いし、親子の愛なども同様にほかの子供は見向きもしないで、ただ自分の子供だけが成績がよかったらいいなどと願う、狭いものである。 しかし、神からの愛を受けるとき、それはすべてを見通す神に由来する愛であるから、そのような愛を受けるほど、燃えるような心であると共に理性的となり、また相手の心を理解し、あるいは見抜き、本当に大切なことが見えてくる。また周囲から無視されているような人や敵対するような人間の中にすら、そこに大切なものが神のお心を通して見えてくる。 たしかに学問などを通しても、また経験を通しても見えてくるものがあるであろうし、それは数々の自然現象を科学的に説明できるようになったことでも分かる。 しかし、病気や障害のために弱い人、老齢のため死が間近にせまっている人や、苦しみや悲しみにうちひしがれている人、あるいは敵対する人、さらには自分自身にふりかかってくるさまざまの苦難のなかに大切なものが見えてくるというようなことは、学問をいくらしても、経験がいくら豊かであってもそれだけでは決してできないことである。 それはただ神の愛によってのみ可能となってくる。 (211)モーツァルトへの感謝の心は、次のことにつきる。彼の音楽を聴くとき私はいつも、夜であっても昼であっても日の光を受けているときも、嵐のときも、いつでも、善にして秩序ある世界の入り口に立たしめられる。そして聴くたびに、勇気を与えられ、純粋さと平和を贈られるのを実感する。(「モーツァルト」カール・バルト(*)著16頁 新教出版社 ) (*)バルトは、宗教改革を導いたルター,カルヴァン以来最大のプロテスタント神学者といわれ,その影響力は世界の教会に及んでいる。 ・音楽のよさは、バルトが述べているように、この世のよごれたところから別の世界へと導いてくれるところにある。キリスト者とは聖霊によって導かれる者だと言えるが、キリスト教をその源泉として持っている古典音楽もまた、私たちの心を引き上げ、導いてくれるものとなる。 お知らせ ○吉村(孝)は、七月十五日(金)〜七月十八日(月)まで、北海道の瀬棚郡にて、去年と同様に聖書講話を担当します。 今回は、「平和」と「信仰の継承」がテーマ。社会的な平和と、主イエスが約束された、神から与えられる霊的平和があります。 また、信仰の継承ということにも、家族への継承と、周囲の未信仰の人たちへの信仰の継承(伝道)という意味があります。 帰途は、七月十九日(火)は札幌にて集会があり、二十日(水)の夜は、山形で小集会、二十一日は昼前から午後にかけて、東京八王子市にてやはり小集会の予定です。こうした各集会についての問い合わせは吉村(孝)まで。 著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四 電話 050-1376-3017 「いのちの水」協力費 一年 五百円(但し負担随意) 郵便振替口座 〇一六七〇ー六ー五六五九〇 加入者名 徳島聖書キリスト集会 協力費は、郵便振替口座か定額小為替、または普通為替で編集者あてに送って下さい。 (これらは、いずれも郵便局で扱っています。) E-mail:pistis7ty@ybb.ne.jp http://pistis.jp FAX 08853-2-3017 |
2005/6 |
すべてを持つ 2005/5 新約聖書のなかには時々、とくに初めて読む人にとって、驚くようなこと、そんなことがあるはずがないと思われるような表現がある。 キリスト者はすべてを持っている、という次のような箇所もその一つであろう。 …(私たちは)悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべてのものを持っている。 (Uコリント六・10) 世の人たちが苦しみ、まちがった方向に向かって歩み、さまざまの罪を犯して互いに苦しめあっている。そのような現状を見てパウロは深い悲しみを持っていた。それは「哀しみの人」と言われた主イエスも同様であった。しかし、そのような悲しみを持ちつつも、深い喜びを同時に持っていた。それはこの世から来るのでなく、上から、天の国から来るからであった。 また、何も持たないようであるにもかかわらず多くの人たちの心を豊かにし、神の賜物によって満たすようにと導いた。 そして権力や金、持ち物は何も余分に持たないようであるのに、「すべてのものを持っている」ということができた。それは、神の国の目には見えない賜物を受けたときには、実際にそのようにすべてを持っている、与えられているという実感を与えてくれるのである。 逆に、いくらこの世の宝である権力や金や名声を持っていても、神の国にある目に見えないよきものを知らないときには、心のなかに深い空白があってそれを埋めることができないという感じが残るであろう。 このような天の国の宝こそ、主イエスが真珠にたとえたのであった。 …高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 (マタイ福音書十三・46) それほどに天の宝、神の聖霊は大いなるものであり、人間に深い満足を与えてくれるものなのである。そのようなものをこそ、求めるなら必ず与えられる。 「求めよ、そうすれば与えられる。」(マタイ七・7)という有名な言葉の意味するところはこの天の宝が与えられることを意味しているのである。 低きを歩む 人は、できるだけ、高いところ、目立つところ、人からほめられ、注目されるような歩みをしたいと願う。何かでがんばる、立派な持ち物、車や家、あるいは服を着たい、成績ができるようになりたい、スポーツでも遊びでも人の上に立ちたい、などなど子供から老人になるまで、ほとんどだれでもがそのような願いをもっていると言えよう。 しかし、主イエスは逆に最も低いところを歩まれた。それは生れたときにも、家畜の飼料入れの中で生れたし、伝道の出発点においては、罪人でないにもかかわらず、罪を犯した人間と同じように、汚れたものと同じ低いところまで降りて行かれ、その汚れを清めるための水の洗礼をバプテスマのヨハネ(*)から受けられた。ヨハネは、イエスが罪のないことを知っていたゆえに、「私こそあなたから洗礼を受けるべきなのにどうしてあなたが…」、といぶかった。 (*)バプテスマのヨハネとは、イエスのさきがけとなった人物。バプテスマ(洗礼)を授けていたので、バプテスマのヨハネ、洗礼のヨハネと言われている。 最後の夕食のとき、主イエスは、弟子たちの足を洗うという意外なことをされた。足は汚れた大地を歩くので汚れている、それに触れて洗うということは最も低い地位である奴隷のすることであった。主イエスは弟子たちの足を洗うという奴隷のようなところまで降りて行った。 主イエスが弟子たちの足を洗おうとしたとき、弟子のペテロは、驚いて「私の足など決して洗わないでほしい」と言った。 最後の道であった十字架への歩み、それは最も重い犯罪人の受ける刑罰であった。主イエスは全く罪もないにもかかわらず、そのような重い罪人と同じところまで降っていかれた。 主イエスの歩みは世の人の歩みとは全くことなる最も低いところを歩む道であった。 そしてそのような道は、限りなく高い天の国へと続いていたのである。 第32回 キリスト教四国集会(無教会)について 祈りと讃美というテーマについて 五月十四日(土)〜十五日(日)の二日間、徳島市において、第三十二回の四国集会が行われました。今回は、「祈りと讃美」というテーマが与えられ、それに従って聖書講話やグループ別の集会も行われました。 それは聖書にあるとおり、どのようなときにもキリスト者は祈り、感謝し、主にあって喜び、主を讃美する、というのが目標であるからです。 無教会の百年にわたる歴史のなかで、各地で数々の聖書講習会とか講演会、全国集会などが行われてきましたが、「祈りと讃美」という主題でそのような特別集会が行われたということは、私はいろいろな印刷物においてもかつて見たことがありません。 しかし、聖書には祈りと讃美は、きわめて重要であり、聖書全体にみられるものです。祈りはキリスト者の呼吸であり、讃美は聖書の神を信じる者にとって、自ずから湧き出る泉のようなものと言えます。祈りも讃美もない、キリスト者というのは考えられないことです。 しかも、祈りと讃美は神を信じ、主イエスを救い主として信じることができるようになった者はだれでもできるように導かれます。 祈りと讃美を通して私たちはキリストと交わり、神の国へとさらに導かれていくのです。全国集会などでは、一部の知的な訓練を受けてきた人だけを念頭において、無学な庶民などまるで、講話者の頭にないと思われるような、長時間の研究的な聖書講義なるものがしばしば行われてきました。 祈りと讃美は初めての人も、まだ信仰のない人も、何十年の信仰の経験がある人も、また所属している教派が違ってもだれでも、どこでも一致して祈り、讃美することができるのです。 そして祈りと讃美によってかつて、使徒言行録にあるように、牢獄に鎖でつながれていても、なおその鎖を断ち切る力を与えてくれるのです。 ここでいう牢獄や鎖を象徴的に受け止めるなら、私たちはこの世の闇の力に閉じ込められ、目に見えない鎖のようなもので縛られている状況です。 しかし、祈りと讃美はそうした鎖を断ち切る力があるのです。 今回の集会は内外の闇の力が押し迫るとき、私たちにとって最も必要な神の力を受けるため、それを伝える力を与えられるために、少しでも祈りと讃美の重要性を指し示し、参加者に上よりの力が与えられ、悪の力に打ち勝つことができるようにとの願いが込められています。 今回は、このような目的のために、各プログラムの前後には従来よりやや長めの黙祷の時間をとり、二日目の午後には、グループ別集会のときにも後半で祈りの時間をとくに設けました。 また、讃美を多様な讃美集から採用し、特別讃美として、手話讃美、コーラス、独唱、讃美を体で表現する讃美の踊り、10人ほどが次々に讃美する特殊なかたちの讃美など、讃美歌だけでなく、讃美歌21、新聖歌、リビングプレイズなど多様な讃美集を用い、全体では30曲ほど用いたのです。 聖霊の風 今回の四国集会で、これまでの四国集会とは違って、とくに多くの方々から言われたのは、四国集会全体に、「聖霊が感じられた」ということでした。 私自身も確かに、この世の会合とはまったく異なるある目には見えない何かにひたされているという感じを受けたし、聖霊の風が柔らかく吹いていると言える状態でした。 それは、二日間のプログラムにおいて、時間を大きく越えるものは皆無であったし、どれもほぼ時間通りに終えられ、ゆったりとした主にある交わりのときが与えられ、会場のあちこちで、主の名によって集まっての交わりがなされていました。「二人三人、私の名によって集まるところには、私はいる」という主イエスの約束の言葉の通り、あちこちに主がおられ、聖なる霊が包んで下さっていたように思われたのです。 み使いらも、神の民も 無限の愛をほめたたえて 天に響かせ地に満たせよ 聖霊来たれり (新聖歌四一六より) さまざまな障害者の参加 そのようにある種のあたたかい何かを感じた方が多かったようですが、それは神の一方的な恵みであり、絶えず満たして下さろうとする神のわざに他ならないのですが、一つには多くのハンディ(障害)をもった方の故でもあったと思います。 視覚障害者の方々は、全盲五名、弱視四名の九名が参加され、聴覚障害者の方は三名、肢体の障害を持たれた車椅子または歩行器での方は二名、知的障害者は二名で、十六名の障害者の参加がありました。さらに、かつて心の病となって入院されたことがあるが、現在は退院されている方も何人かおられました。 重いからだの障害を持った方の参加は、集会全体の雰囲気を真剣なものとし、重みのあるものにしてくれます。軽薄に流れようとする傾向をおのずと引き締めることにつながるのです。元気な者たちだけの集会はともすれば一種の遊びや娯楽的な方向に進み、あるいは学問的な知的に優れた人たちだけの集会は、一般のごく普通の庶民が加われない何かがかもしだされることも多いのです。 遠隔地からの参加 今回の四国集会は、今までになく多方面の方々が参加されました。外国人としては、韓国から、朴さんと、徳島に住んで三年ほどになる若い女性(ご両親がイギリスと、イタリアの人)、それから北海道から三名、九州二名、沖縄から二名、関東地区からも七名、中国地方からは六名ほど、近畿地方からも十数名の参加がありました。こうした四国外の遠いところからも参加されたのはどうしてなのかといえばそれはキリストが招かれた、引き寄せたのだと言うほかにはありません。 私どもとは全く会ったこともない、沖縄の若い方が、私どもの集会のホームページを見て参加を決め、だれも知った人もいないにもかかわらず、参加されました。 もう一人、やはり沖縄からはるばるこの徳島での四国集会に参加された方がいます。 また、北海道からは、全盲でしかも透析を徳島に来てからも受けなければならないような方もご夫妻で参加されましたが、この場合は、昨年の夏に、私が北海道の瀬棚郡に聖書講話のために出向いたときに、同行した全盲や弱視の方々との出会いからでした。 東京からは、やはり私たちのだれも会ったことのない人で、私たちの集会のテープを聞いて礼拝をまもっている人が初めて参加されました。 このように、遠いところであるにもかかわらず、不思議な力で招き寄せられた方々が参加されましたが、そのような遠隔地からの参加者は時間もエネルギーや費用も多くかかるために真剣な心で参加されたと思います。その主にある熱心がまた四国集会全体によき影響を与えていたと感じます。 幼な子たちの参加 今回の集会では、小学校四年以下のこどもが(生後九ヶ月の乳児を含めて)、五名ほど参加しました。そのうち三名は二日間参加しましたが、そうした幼な子たちの参加はいわば天使が加わったようなところがありました。 新約聖書のなかに、人々が祝福の祈りをしてもらおうと、子供たちをイエスのもとに連れてきたことが書いてあります。しかし、弟子たちはわずらわしいこととみなして、こどもの親たちを叱ったのです。 しかし、主イエスは「子供たちを来させなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」といわれて、子供たちを祝福されたのです。(マタイ福音書十九・13〜14) 大人も子供も、八〇歳を超えた高齢者、若人たちも、また重度の障害者も軽度の障害者も、健康な者も、さらに、日本人だけでなく外国の方も含めて、老若男女さまざまの人たちがキリストの名のゆえに一つに集まり、大きな家族のように交わることができるのは、まさにそれは神の恵みであり、神のわざであると感じたことです。( 今回は、何人かの子供も含めて、全体では152名の参加者がありました。) 聖書における祈りと讃美 一般的に言えば、宗教というイメージで連想されるのは、祈りや願いということであろう。困ったときの神頼みという言葉もあるし、映像などでも教会などでの祈りの風景がよく見られる。 そして病気や事故など難しい状況に追い込まれた時にはいろいろな宗教の人が勧誘に来ることが多い。 このようなことから、自分にはそんな願い事を宗教に頼る気持などない、という考えの人には宗教そのものに関心がないと言われることもしばしばである。 しかし、聖書においては、祈り、願いとともに、讃美という側面がある。それは一般の人には分かりにくいことである。困った時にはだれでもそれが深刻な状況であればあるほど、何かにすがりたくなる。その意味で祈りということは、自分はするつもりがなくとも、そのような心情は理解できる人が多いだろう。 しかし、この悩み多く、悪のはびこる世の中、さまざまの問題が内外に満ちている中にあって、どうして神を讃美できるのか、全く不可解だというのが多くの人の気持だと思われる。 ここに聖書の信仰が一般の理解を超えたものであることが示されている。 祈りとは、神への願いであり、神からの言葉を聞き取ろうとすることであり、神の霊にいわばひたされている状態でもある。新約聖書で、次のように言われているのもそうした意味での祈りである。 …これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子(キリスト)の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい。(ルカ福音書二一・36) …絶えず祈れ。すべての事について、感謝せよ。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。(テサロニケ第一の手紙五・17〜18) これらの聖書の箇所において、「絶えず祈れ」と言われているのは、絶えず何らかの願い事をせよ、という意味ではなく、絶えざる神との霊的な交わりを持ち続けよ、という意味である。 神を信じない人にとっては、そのような対話や交わりはあり得ないので、祈りは何か困ったときの願い事といった意味であり、また形式的に葬儀などのとき手を合わせるということが祈りのようになっている。 しかし、すでに述べたような意味における祈り、すなわち神との対話、交わりは、聖書において、当然のことながら旧約聖書の最初にある創世記から現れる。 …その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。…」(創世記三・8〜10) 神は言われた。「…取って食べるなと命じた木から食べたのか。」 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」(創世記三・11〜12より) しかし、この聖書における最初の祈り(神との対話)は、ここに引用したように意外にも真実な神への赦しを乞うものでもなく、願いや感謝ではなく、神から逃げようとする人間の言い訳であり、罪をさらに重ねるものとなった。 ここに、人間の祈り、神への語りかけというものがいかに誤りやすいかが象徴的に示されている。このあと、創世記で続いている記事においても、弟の命を奪うというような重い罪を犯したカナンという男のことが書かれている。彼もそのような取り返しのつかない罪を犯したとき、神からの呼びかけがあった。そのときにも、カナンは、悔い改めることなく、自分を神のまえに罪を犯したものとせず、心をかたくなにするばかりであった。 こうした祈り(神との語り合い)の最初の記述はいかに人間が間違っているか、罪深い存在であるかを示すものとなっている。 そしてさらに、その後も数々のあやまちが人間の側からの神への願いのなかに入り込むことになった。その願い事を、神に対してせず、神でも何でもない偶像に対してすら行うようになる者が多く現れていった。 そしてそれを正しい神への祈り、悔い改めの祈りとなすために、後の時代に預言者が神から遣わされることになる。 しかし、そうした神へのかたくなな姿勢がまず記されているがそれと並行するように、神への正しい祈り、呼びかけ―「主の名を呼ぶ」こともなされるようになる。それは、創世記第四章の最後の部分に初めて現れる。 …主の名を呼び始めたのは、この時代のことである。(創世記四・26) 主の名を呼ぶとは、人々が主ご自身を仰いで、神の本質たる力や清さを願い、全能の存在に向かって心を注ぎだしていったことを意味している。 つぎに、聖書で神への祈りが暗示されているのは、大洪水のなかから救われたノアの記事のなかである。真実なものに背きつづける人間たちが洪水によって滅ぼされたあと、水が徐々にひいていった。ノアは箱船から出て、最初にしたことが、周囲の景色を見ることでなく、神への祭壇を築いてささげものを神に捧げることであった。このとき、ノアは祈りをもってしたであろうがその祈りの言葉は記されてはいない。 聖書において信仰の父とも言われる、重要な人物であるアブラハムから、詳しい信仰の歩みが記されている。アブラハムについても、神が彼に呼びかけた言葉は、有名である。 あなたは、生れ故郷、父の家を離れて 私が示す地に行きなさい。 私はあなたを大いなる国民とし あなたを祝福し、名を高める。 祝福の基となるように。…(創世記十二・1〜3より) このような大いなる祝福の言葉を神から聞き取るということは、アブラハムが深い祈りの心をもっていたことを示している。しかし、アブラハムからの神への祈りの言葉は記されておらず、アブラハムが神の言葉に従って故郷を出発し、長い旅路を経て目的地にようやく着いて後、つぎの記述がみられる。 …アブラムは、…天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。(創世記十二・8) 主の御名を呼ぶとはすなわち、祈りである。 このように聖書では信仰の人の祈りの原型が「御名を呼ぶ」という表現でなされている。その後の祈りもその内容の本質は、結局はこの「主の御名を呼ぶ」ということだとも言える。 しかし、創世記においても、アブラハムのような重要な人物であり、信仰の模範となるべき人であるが、それでも、彼の神への語りかけとして最初にその内容が具体的に記されているのは、神の祝福の約束への疑問であった。神がアブラハムへの祝福の報いを告げたとき、彼は、「私には子供がないのに何を下さるのか」という疑問の言葉が、アブラハムの最初の神への言葉として記されている。(創世記十五・2) それに次いであげられているのは、やはり土地を継ぐことへの神への問いであり(同十六・8)、神がアブラハムに老齢になっているが子供が与えられるという約束について信じないでそれを笑ったという記述である。(創世記十七・17) このように、意外なほど聖書の最初の創世記ではアブラハムのような信仰の人であっても、そして神が繰り返し大いなる神の約束や祝福を告げているが、アブラハムの側からは、神への感謝や喜び、あるいは讃美というものが記されていない。 それはアブラハムの子孫であるイサク、ヤコブ、ヨセフに関する詳しい記述においても同様である。 神からの語りかけや命令は記されていても、それを受ける人間の側からの神への生き生きした感謝や讃美は創世記には現れないのである。 讃美の生れるところ それでは、聖書における讃美はどのようなところから生れているだろうか。 旧約聖書で初めて神への讃美が現れるのは、アブラハムやヤコブたちになされた個人的な出来事でなく、イスラエル民族全体の最大の出来事があったときであった。それは長いエジプトでの奴隷の生活から、神の力を受けたモーセによって導きだされ、前方は海、後ろは敵の精鋭部隊が大挙して襲ってくるという、絶体絶命のときに神の力が現れ、海に道が現れ、滅びのなかから救い出されたときであった。 苦難から、共同体がともに助けられた経験こそ、聖書における神への讃美のもとになったのである。このようなことの中にも、聖書の信仰のあり方が、個人にとどまるのでなく、神を信じる人たちの群れと共に歩むという姿を見ることができる。 ずっと後のキリストの時代になって、「キリストを信じる人たちの群れは、キリストのからだである」という驚くべき表現がなされ、主イエスご自身も、「私の名によって二人、三人が集まるところに私はいる」といわれたのはそうした信じる人たちの共同体の重要性を指し示すものであるが、それは讃美を生み出した最初の記述が共同体の救いであったことと関連していると言えよう。 …モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。 主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し馬と乗り手を海に投げ込まれた。 主はわたしの力、わたしの歌 主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。 わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。 主こそいくさびと、その名は主。 主はファラオの戦車と軍勢を海に投げ込み えり抜きの戦士は葦の海に沈んだ。… 主よ、神々の中に あなたのような方が誰かあるだろうか。 誰か、あなたのように聖において輝き ほむべき御業によって畏れられ くすしき御業を行う方があるだろうか。… 女預言者ミリアム(*)が小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。(出エジプト記十五・1〜21より) (*)このミリアムという名前は、後に新約聖書の時代にイエスの母の名前のマリアと同じであり、英語のメアリー、フランス語のマリーなどにもなって広く知られ、世界で最もよく知られている女性の名前となった。 これが、聖書の中で神への讃美が表れる最初の記述である。 主こそはわが歌。主と結びついているとき、私たちの内には自ずから歌が生れる。主に向かっての歌である。ここで分かるように、最初の讃美は、踊ること、体を動かして全身で表すことと結びついていた。(*)それは当然であった。心からなる喜びや感動はからだ全体で表すようになるからである。 (*)言葉から見ても、歌うことと踊ることの関連は、コーラス(合唱)という言葉にも見られる。この言葉は、語源はギリシャ語の コロス(choros) であるが、この言葉は、もともとは「(輪になっての)踊り」という意味であり、そこから現在のコーラスという言葉が生じている。また、バッハの曲にもよく見られるコラール(ドイツのプロテスタント教会の讃美歌)という言葉もここから出ている。 このように言葉の上からも歌うことと踊ることは本来は分かちがたく結びついていたのがうかがえる。なお、踊るというギリシャ語の動詞は、コリューオー choreuo 。 聖書における最初の記述ということは、それが現在のキリスト教世界においておびただしい讃美歌や聖歌、さらにバッハやヘンデルほかのキリスト教音楽があるが、それらあらゆるキリスト教音楽の最初がこの歌だということになる。 なぜこの出来事が讃美の最初になったのか、ここには、はっきりとした理由がある。それは、滅びから救い出されたという決定的な体験である。 人々はエジプトで長い年月にわたる奴隷の生活を強いられ、しかも子供が生れたら男の子はナイル川に投げ捨てて殺せと、命じられ民族としても絶滅の危機に瀕していた。 そのような危機のなかに神がモーセを遣わし、数々の驚くべきわざを神の力によってなし、それでもエジプト王はイスラエルの人々を解放しようとしなかったために、神ご自身が特別な方法を用いて人々を解放することになった。 そのような長い苦難の後に、ようやく解放され、モーセに導かれて「乳と蜜の流れる地」に向かっての長い旅を始めた。しかし、まもなく、エジプト軍が大挙して襲いかかってきた。そのとき前方には海が広がり、絶体絶命という状況であった。人々は救い難いような状況に直面して、こんなことなら、エジプトでいたほうがましだ、我々を死なせるつもりか、といって激しくモーセに迫ってきた。 このように状況ではたしかにふつうの方法では助かることはない。しかし、モーセはそれほどの危機に直面し、人々の殺気だった激しい動揺のただなかにあって、神への信頼を貫くことができた。 …モーセは民に答えた。「恐れるな。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見よ。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静まっていなさい。」(出エジプト記十四・13〜14) この確信に答えて神は、驚くべきわざをその御手によってなされた。このような神の守りとその万能を固く信じるところに、神への讃美が生じる源泉がある。 自分たちを滅ぼそうとする、敵が神の力によって滅ぼされたこと、そのときに神の力をまざまざと体験したということが、今も全世界に響きわたるキリスト教の賛美という大河のみなもとになった。 そしてこの讃美はだれに向かうのかと言えば、それは神である。ふつうの歌は自分の気晴らしとか、他人に聞いてもらおうとして歌うものが多い。 詩編と讃美 旧約聖書のハート(心臓)とも言われる、詩編は、まさに祈りと讃美の結晶である。 詩編こそは、祈りと讃美の融合した最も高い内容を持っている。それゆえに、主イエスの最も苦しいとき、最後の危機的な状況において、詩編二十二編の冒頭の言葉がそのまま叫びとなって現れたのである。 それは、「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!)という激しい苦しみの中からの叫びであった。そしてこの詩のタイトルとして、「"暁の雌鹿"に合わせて。賛歌」という指定がある。このような恐ろしい苦しみからの叫び、それが、どうして歌になるのか、と疑問に思う人もいるだろう。 それは、当然である。一般の人々にとって、歌とは楽しいときに歌うものというイメージが強い。だから悲しいとき、ことに人が亡くなったときのキリスト教での葬儀に参加した人から、「人が死んだというのにどうして歌など歌うのか」と、とても不思議そうに言われたことが何度かある。 しかし、聖書においては、楽しいから歌う、心がうきうきしているから歌うというものではない。 最初の神への讃美は、敵に追いつめられ、もう滅ぼされるという危機一髪の状況からの救いのときに自ずから生れた。それは、楽しいとかいった感情でなく、魂を揺り動かすような深い感動から生れたのである。 そのような神への激しい心、深い心の動きこそが詩編の中心にある。それゆえそれは苦しみの心であっても、悲しみや、神への懇願、また神のわざやみ言葉の力への感動など、広い範囲の内容が含まれる。それは楽しいから歌うというのでなく、神が人の心を動かし、それが言葉となり、さらにそれを多くの人が共有して体験をともにするために歌われるようになっているのである。 人間的感情からの歌でなく、背後に神がおられて神がそのような苦しみや悲しみ、喜びや感謝という神に関わる数々の心の感動をつづらせ、歌わせているのである。 さきほどの、エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(わが神、わが神…)という叫びも、そのような絶望的にみえる状況に置かれてもなお、そこにも神の御手があるのだ、そして最終的にはそこから救い出されるのだという意味が込められている。そのような耐えがたい苦しみをも通って、神は救いへと導かれるという驚くべき神のわざがそこにある。その神のなさることへの深い感動があるゆえに、詩となり、讃美となって後の時代の人たちにも受け継がれていったのである。 詩のかたちになると、私たちに不思議な働きをして心に残ることがしばしばある。 例えば、「カエルが古い池に飛び込んで水の音がする」などという文ならだれにとっても何の印象もなく、そのまま流れ去っていく。しかし、「古池や かわず飛び込む水の音」という五七五の言葉をもって俳句になると、にわかに余韻を与え、そこに込められた著者の宗教的あるいは哲学的な思いまでも感じられてくる。 詩という形になればこのように、単にふつうの文で書いたより以上に多くの人の心の部屋にとどまり、共有されることが多くなる。 それがさらに適切な曲がつけられるといっそうその詩は豊かになり、幅ひろくなり、今度は詩の言葉を十分に理解できないものにすら伝わっていくことがある。 おそらく日本において最もよく親しまれている讃美歌といえる、「いつくしみ深き友なるイエス」(讃美歌三一二番)についても、それが次のような詩のみでは到底多くの人に伝わらず、また感動も与えなかったであろう。 いつくしみ深き 友なるイェスは 罪とが憂いを とり去りたもう。 こころの嘆きを 包まず述べて、 などかはおろさぬ、負える重荷を。 適切な詩にふさわしい曲がついて、その詩は一段と時代や場所を越えて共感できるものとなり、人々の心に響くようになる。 音楽はそれ自体、人の言葉とはちがった人間の魂の深いところに届くことがあるからである。そのような音楽の意義は古くから言われている。 旧約聖書でもつぎのように、音楽がとくに悪の霊を追い出す働きがあることが記されている。 …ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。(Tサムエル記十六・23 ) また、古代中国の代表的な思想家である孔子にも次のような音楽についての言葉がある。 子曰く 、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。(「論語」泰伯第八) 孔子は言う、正しい詩によって、その言葉がわかりやすく、繰り返し歌っている間に、心が動かされる。そしてそのような、よい詩によって善を好み、悪を憎む心を奮い立たせる。 礼によってそれが安定する。 さらに、音楽によって完成する。音楽は人の心を養って汚れたものを追い払い、正しいことがわかり、愛がわかり、人間の正しいあり方に従うように仕向けるからである。(中国の学者、朱熹1130〜1200 の集註 しっちゅう による説明より。) このように、人間のあり方、性格という奥深いものを完成させるのが、音楽であるというほどに孔子は音楽の重要性を知っていた。 そして、詩を学ぶことの重要性をつぎのように述べている。 子曰く、何ぞかの詩を学ぶことなきや。詩はもって興すべく、もって、観るべく、もって群すべく、…多くの鳥獣草木の名を識る。(「論語」陽貨第十七・9) ここでも、孔子は、詩が、人の心を興す、つまり感動させ奮い立たせるということを第一にあげている。さらに、「観る」とは、詩にはさまざまの人間のことが書かれているから、人の考え、感情、昔のしきたり、文化も見ることになるというのである。そして「群すべく」というのは、詩によって心が耕され養われるために、他の人とも和らぎ交わることになる。そして当時の詩はそこで歌われている内容が広く鳥獣草木の名の学びにもなると説いている。(ここでの詩とは中国最古のいまから三千年ほど昔の詩集である詩経を指している。) こうした詩の持つ意味については、本質的な点で聖書の詩篇にもあてはまるといえよう。 聖書の詩を正しく読むときには、たしかに私たちの心は動かされ、心に波紋がひろがり、弱っていた心もしばしば奮い立つ。数千年という時間を越え、国や民族、国土を越えて、聖書の詩は私たちの心に流れ込み、そこで枯れていたものを生かし、立ち上がらせる力がある。主イエスが十字架上で最後の激しい苦しみのとき、詩編の言葉のままで、叫び、祈ったということ、それはいかに詩編の言葉が主イエスの心に最後まで存在し続けたかの証しである。 そしてその詩編の言葉が唯一の天への絆であるかのように、その一点に主イエスはその苦しみをゆだねた。 このような音楽の重要性については、やはり中国の歴史家である、司馬遷がその大著「史記」のはじめの部分に、数千年前の皇帝とされる、舜(しゅん)について次のような記述を残している。 … 舜は、指導者階級の者たちの子供たちに、音楽を教えさせることにした。そして「詩は人のこころを述べるもの、歌は、詩のことばを長くしたのもので、…高低の音がよく調和すれば、神も人もこのためによく調和するのである。」(「史記 五帝本記第一」筑摩書房 世界文学体系 第五巻より) このように、詩と音楽とは深く結びついていることを述べた上で、正しい音楽それ自体が、人間と神が一つになることを助けるのだと知っていたのがうかがえる。 詩編や預言書を見れば、深い祈りがそのまま神への歌となっているのに気付く。さきほどの詩編二二編は全体の一五〇編の詩のなかでも、とりわけその苦悩が激しいことが記されており、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか」に始まる必死の祈りであり、叫びである。 しかも、そのような厳しい内容の詩がそのまま賛美となっている。この詩のタイトルとして、「"暁の雌鹿"」に合わせて、賛歌。…」とある。そして実際この詩編二二編の著者は激しい苦しみと苦悩の後に、そこからの絶望の淵からの救いを体験し、大いなる讃美が生れている。 私は兄弟たちに御名を語り伝え、 集会のなかで神を讃美します。 主をおそれる人々よ、主を讃美せよ。(詩編二二・23〜24) こうした苦難の叫びとか苦しみがいやされ、讃美となる。 …声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパ、シンバルなどの楽器と共に声を張り上げ、「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と主を賛美すると、雲が神殿、主の神殿に満ちた。(歴代誌下五・13) ここには、心を合わせ、声を一つにして主に讃美することによって、雲が満ちたという。これは、神が間近に迫り、神の力で包まれたということを意味している。神への心からの讃美は、神を近くに引き寄せる力があることを示している。 …主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。(詩編三十四・2) このように、神の大きな御手のうちに入れていただいたとき、私たちの心は、神の大いなる力とそのわざに心が開かれ、それに対する深い感動のゆえに、讃美が生れるようになる。どのようなときにも、主をたたえることができる。絶えることなく、讃美が歌えるということは、何にもまして素晴らしいことであろう。というのは、神の偉大さや愛、苦しみが襲いかかるときですらそれが実感できるとき、神への讃美が生れる。 旧約聖書には、エジプトにおける長い年月にわたる苦難があり、そこからようやく解放されるが、さらに敵に追い詰められ滅ぶ寸前になって神の力によって救い出され、そこから、初めての神への讃美が始まる。 それまでは神に従うということ、神の呼びかけに従うということがあったのみであって、ノアにしても、アブラハムやヤコブ、ヨセフのような劇的な歩みを与えられた者であっても、神への讃美は生れなかった。それは一つには時間が必要だということである。神を知ったとは、神を信じるようになって罪の赦しを実感したことである。次に、神に導かれ、み言葉に聞くことが続く。そして数々の苦しみを通って、忍耐を経て、希望へと結びつく。そこに讃美が生れる。 新約聖書の祈りと讃美 そして、主イエスも、最後の夕食の後、もうこれから捕らえられ、十字架にかけられ、侮辱され恐るべき苦しみを受けねばならないことを知っていたその直前においても、讃美をもって夕食の会場を後にした。 …一同は讃美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。(マタイ福音書二六.30) そしてそこからゲツセマネでの祈りへと続いていった。 また、使徒パウロは迫害を受け、捕らえられて衣服もはぎ取られ鞭打たれ、厳重な監視のある牢獄に入れられ、足にも足かせをつけられた。 驚くべきことにそのような状況に置かれても、パウロたちは真夜中ごろでも讃美を歌い、祈っていたとある。 …群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。 そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。 この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。…(使徒言行録十六・22〜25) そしてそこに神の驚くべきわざがなされ、パウロたちは解放されることになった。 このように新約聖書においても、祈りと讃美は深く結びついているのがわかる。 現在の混乱した状況にあって、私たちの魂を正しい場へと引き戻すのは、神の言葉と結びついた、祈りと讃美なのである。しかもそれは、難しい議論や学問、講義などと違って、まったくキリスト教を知らない人や悩める人、病の人、学問的なことは分からない人、どんな人にとっても本来共に持つことができるものである。 祈りと讃美によって私たちは神の愛を受け、神からの力をいただくことができる。まだ信仰を持っていない人も讃美の歌によって励まされ、神の清い霊的なものに近づく助けとなるのである。 私自身が、初めてのキリスト教の集会で、自分がもっていた心の問題と何の関係もない、ヘブル語がどうの、ヤハウエ資料がどうのという講義などは全く心に残らず、かえってそこで歌われていた讃美が祈りのこもったものであったために、心に深く残されたのを思いだす。 私たちが悪の力に負けないでそれに打ち勝つために、最も必要なのは、真剣な祈りである。そのことは、すでに述べたように、主イエスが捕らえられ、鞭打たれ、ののしられ、ひどい侮辱を受けてそのあげくに十字架につけられるという恐ろしい状況に向かう直前に、何をなしたか、と言えば、それはゲツセマネにおける血の汗がしたたり落ちるとまで表現されているような真剣な祈りであったことからもわかる。 そこでサタンの力に勝利したのであった。 主イエスの深い祈りは、三年間の短い伝道の日々においても、つねに持たれていた。しばしば夜を徹して祈ったということが記されている。 弟子たちの上にも主イエスのまなざしは常にあり、彼等の信仰がなくならないように祈ったと言われている。 そのような祈りによって主イエスの三年間の伝道の生涯は支えられ、十字架の死はその祈りの延長上にあった。 さらにイエスの死後、弟子たちは主の言葉に従って祈りをつづけていた。そこに聖霊がはげしく下り、それまでの恐れにおののいていたような態度から一転して、命がけでキリストの復活を証ししていく人間となった。 ここにも、祈りが中心にあるのがわかる。 十字架による罪の赦しを受け、復活のキリストである聖霊を注がれたこと、そこから新しい時代の讃美が泉のように生み出されることになった。 使徒パウロは、そのことをつぎのように書いている。 …霊に満たされ、 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。 そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。(エペソの信徒への手紙五・18〜20より) 聖霊に満たされるとは、言い換えれば、ヨハネ福音書で「ぶどうの木」とたとえられるキリストに深くつながることである。 …わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。 人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネ福音書十五・5) ここで言われている「豊かに実を結ぶ」、それは神への感謝と讃美が生れてくるということも意味している。キリストが宣べ伝えられるようになって、まもなく厳しい迫害の時代が来る。そこでは苦しめられ、飢えたライオンのような猛獣にキリスト者が襲われ、大群衆の前で死に至る様が繰り広げられていった。 そのような時代に記された、聖書の最後の書物である黙示録には、そのような悪の力が神に裁かれることが象徴的な言葉で記されている。 そしてそのただなかで、天上では大いなる讃美が神に捧げられる。 …彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 全能者である神、主、 かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(黙示録四・8より) 私たちの目に見える世界の状況がどうであろうとも、聖霊によって神に感謝し、讃美することができるように していただけるという約束が聖書に記されている。それはどんなに雲で空が覆われていようとも、その雲のかなたには、太陽の光が変ることなく輝いているのと同様である。 そのような絶えざる祈りと讃美を目に見えるかたちで、私たちのまわりに備えて下さった。それが、自然の世界である。樹木は、それが大木であるほど、いかなる風雪にも揺るがずに黙して立ち続けてきたことを示すと同時にそれは祈りの姿を私たちに指し示すものとなっている。また野草の花たちは、土から生じた弱いものでありながら、その色彩や花の姿、かたちによって神の素晴らしさを思わせ、神への讃美がそこに感じられる。 うるわしい夕焼けも壮大な神への讃美であり、波の打ち寄せる姿はそのまま讃美である。 神は、私たちの身近なところに、祈りと讃美のすがたを日々現して下さっている。それは私たちをどのようなときであっても、祈り、讃美することのできるものへと導こうとされている神の御心の現れなのである。 ハレルヤ、 新しい歌を主に向かって歌え。 主の慈しみに生きる人の集いで讃美の歌をうたえ。(旧約聖書 詩編一四九・1) 元号の問題性について 現在は、グローバルな時代である。どこかの国で大きな事件が生じたら、ただちに全世界に伝わる。インタ−ネットを用いれば、世界の現在の状況についての情報はいくらでも手に入る。こうした国際的な時代にあるにもかかわらず、日本しか通用しない、そして日本しかやっていないようなことがある。 それが、一世一元制度である。天皇一代の間にただ一つの元号を用いて改めないことである。この制度は、一八六八年九月八日の改元の詔(しょう・天皇の言葉)によって制度化された。 それまでは、元号はあったが、それは天皇が死んだら変えるというのでなく、一人の天皇の在世中でも地震、暴風、火災、飢饉、戦乱などの特別な出来事の生じたとき、あるいは逆にめでたいことがあれば変えるということがしばしば行われた。 例えば、一八四六年から一八六七年の二〇年間に、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応などと七回も変えている。これは、アメリカからペリーが来て動揺しているので、政治が安泰となるようにということで、安政と変えた。しかし安泰とならないので、万延とした。さらに井伊直弼が殺害されたので、すぐに一年で文久と変えた。それでもまた動揺が続くので元治と変えさらに、喜びが応じるようにと、慶応とするなどと、実に気まぐれで、迷信的であった。 このように明治より前の元号は天皇の時間支配と迷信との合体したものであった。しかし、明治時代になって、最初に制度化したことの一つが、この一世一元制度なのであった。 このようなことをなぜ、考え出したのか、それはふつうの人間にすぎない天皇を現人神としてまつりあげ、その天皇への忠誠を強制していくために、時間を考える際にいつも天皇の名前を用いるように仕向けて、天皇の支配を人々の心にしみ込ませ、その天皇の権威によって自分たちの支配を安定化するという目的のためであった。 そのような意味では、靖国神社が、天皇が戦死者を神として拝んでくれるのだと称して、天皇と関連させて戦争への反対を封じ込め、政治支配がやりやすいようにする道具として用いたというのと本質は同じなのである。 徳川幕府を倒したのは、かつては身分の低い武士、しかも年齢も若い人たちが中心となったが、彼等だけの力ではかつての自分たちの主君である大名に命じたりすることは到底できない。しかし、天皇を現人神としてしまえば、自分たちの意見をも、天皇の名によって布告することで、大きな力を持たせることができるというわけである。 こうした全く政治的な発想から一世一元制度も取り入れられたのである。 このような一世一元制度は、世界では、中国では明・清両朝で行なわれていただけで、ほかにはどこにもなく、今日では世界で唯一なのである。(*)このようなことは、世界の常識から考えても、まちがったことであるにもかかわらず日本ではそれが官公庁、学校、病院などではあたかも正式であるかのように用いられているという奇妙な状況となっている。歴史のなかの悪名高いヒトラーのような独裁者でも、年を数えるのに、自分の名をもって年を数える基準にしようなどとはしなかったのである。 (*)中国では漢の武帝が元号制度を始めた。その後、十六世紀になって明の洪武帝のとき、一世一元制が作られて、次の清朝においても続けられた。しかし、辛亥(しんがい)革命で一九一二年に中華民国が成立して、清朝が倒れると元号制度は、皇帝の支配の象徴であったから当然廃止された。それに対して日本では天皇の支配が一九四五年に終わったにもかかわらず、今もなお一世一元制が続いている。 世界には数々の特別な制度を持つ国があるが、なぜ、このような一世一元制度は日本だけなのであろうか。 それは、一人の人間が生きているか、死んだのかということをもとに全国民の時間を考えるということは、だれが考えても不合理なことであるからである。例えば、徳島県で飯泉(いいずみ)という人物が知事になったとたんに、それ以後の全文書の日付を飯泉元年とか二年とかに変えるというようなことをだれが考えるであろうか。そんなことを命じたら、そのようなことを言い出した人間の常識が疑われるだろうし、たちまち猛反対を受けるであろう。 ところが、日本国全体が、そのようなことをしているのである。天皇が変った途端に、それ以後は全文書の日付を変えているのだ。これは実に無意味で間違ったことなのに、天皇というのが結びつくと、途端に事の善し悪しが見えなくなるのは不思議なことである。 これは例えば病院に長期入院している人がいつからそういう状況かを知ろうとするときとか、何かの有効期間とか、過去からの時間の経過、歴史とかを考えるときには極めて不便となる。例えば、昭和六二年から、平成一五年までといっても、ほとんどの人にとっては、何年間なのか直ちには分からない。 また、平成十六年などといって、インタ−ネットで世界に発信しても外国人は何のことか分からない。世界には全く通用しないからである。 年齢にしても、大正十二年生まれだといわれても、大正、昭和、平成と数えねばならないので、一体何歳なのか、たいていの人にとってはすぐには答えられない。しかし、一九二三年生まれだと言えば、直ちに年齢は分かる。 現在の天皇も当然死が訪れるときが来る。その時には元号が代わり、一切の公文書、印鑑などもすべて変更され、そのために要する費用や事務的なエネルギーは非常に大きいものとなる。 そして、全世界で通用しないし、どこにもやっていないこの一世一元制度を事実上学校教育でも強制しているが、そのようにして一体何の利益があるのであろうか。 それは何もないのである。だからこそ、敗戦後まもなく日本学術会議(*)が創立された一九四九年の翌年五月の総会で、「元号廃止、西暦採用について」という決議を採択しているのである。その理由としてはつぎのことがあげられていた。 1)科学や文化の立場からみて元号は不合理である。…西暦は何年前、何年後ということが一目してわかるうえに、現世界のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは日本だけにすぎない。歴史上の事実でも、今から何年前にあるかを容易に知ることができず、世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつごろに当たるのかをほとんど知ることができない。…天文、気象などは外国との連携が緊密で世界的な暦によらなくてはならない。したがって、元号は、非合理的、非科学的、非文化的である。能率のうえからいっても、文化交流のうえからいっても、すみやかに西暦を採用することが適当である。 2)新しい民主国家の立場から言っても、元号は適当ではない。元号は天皇主権のひとつの現れであり、天皇の統治を端的に表したものである。…新憲法の元で、天皇主権から国民主権に代わった現在では、元号を維持することは、意味がなく、民主国家の概念にふさわしくない。 (*)日本の科学者,研究者の内外に対する代表機関として1949年に設立された。学術会議は,その第1回総会で「これまでわが国の科学者がとってきた態度について強く反省し,今後は,科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に,わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献することを誓うものである」との声明を採択した(一九四九年一月二二日)。 このように、純粋に学術的に考えても、元号を用いることが何の長所もなく、間違ったことであるのは明らかにされていたのである。 それにもかかわらず、官公庁や学校で元号を事実上強制のようにしているのは、何の目的か。それは単に人々を天皇と結びつけようとしているのにすぎない。 このような考え方は最近、憲法や教育基本法を変えようとする人たちが口癖のように言う、日本の伝統、文化を重んじるということにつながっているのである。 こんな不可解なことはない。日本人にも、外国人にも一世一元制度を使って何の益もないことを、日本の伝統などというのなら、そんな伝統は無意味な伝統だと言わねばならない。 平成十六年とかいう言い方は、(平成)天皇の支配(統治)の十六年目という意味なのであって、天皇が絶対的な権力者であった戦前においては、支配者にとっては、天皇の名をしみ込ませる都合のよい表現であった。平成というのは、現在の天皇の死後の贈り名(諡)であるから、時間を言うのに、事実上、天皇の名によって言っているということになる。 自分の年齢を昭和○○年と言わねば、ぴんとこないという人が多数を占めているのは、この一世一元制度が目的としたことが達成されているということである。すなわち、天皇の名前が日本人にしみ込まされた結果このように、自分の年齢や出来事を言うにも、天皇の名前を言わないではおれないようにされてしまったのである。 最近の教育現場で、「君が代」を強制しようとする考えがますます強くなっているが、この考えと、一世一元制度を強制する考えとは、天皇という存在を、日本人のに植えつけようとすることにおいて共通であり、同じ土壌の上にある。 しかし、本来あるべき姿は、天皇のような単なる人間に若い生徒たちの心を結びつけるのでなく、教育基本法が述べているように(*)、真理と正義を愛する人間、真理そのものに心が結びつく人間の育成こそ重要なのである。 (*)教育基本法 第一条 真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 こうした方向を明確にするためにも、日常的にそのことを意識していくためにも、平成という元号でなく、世界共通の西暦を用いるべきなのである。 四国集会に参加して ○今回、四国集会に行く事を迷っている時に与えられた御言葉が「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます。」-士師記18:6-でした。 この御言葉によって決断すると、不思議な事に全ての必要が神様によって整えられました。神様の約束通り、旅中にあっても集会の最中にあっても神様が側にいて下さり、一人ではないことを強く感じることができ、とても平安に満たされていました。 やはり、神様には神様の時というものがあり「神のなされることは皆その時にかなって美しい」という御言葉は真実だと実感しました。 神様は美しいと感動し、また出会ったみなさんのかっこつけない、正直な信仰に心うたれました。本当に感謝しています。 これからも良き交わりが持てるよう、皆さんの上に絶えず祝福と平安があるようにと祈ります。(沖縄からのTさん) ○四国集会に 参加させていただき 皆様とお会いでき また お話を聞く事が 出来て本当によかったです ありがとうございました。 徳島は27年ぶりでしたが 吉野川が やはり印象的でした。(四国の方) ○四国集会では大変お世話になりました。参加出来た喜びの余韻に未だ浸っています。集会のメンバーに喜びを伝えまくっております。多くの人が感じましたように、私も、2日間、聖霊に満たされた集会であったと、実感しました。主は、私のうちにも内在してくださったと、はっきり言うことが出来ます。 まず四国集会に導かれたことから始まって、「人」の中にイエスさまだけしか見えなかったことです。 また、思いがけず、徳島聖書キリスト集会の集会場まで連れて行ってくださり、感謝でした。主に遣わされた方(*)によって、増築され、多くの人々が集められて、祈りと賛美をささげる場所を拝見して、やはりここは天国、天の国だと思いました。 四国集会で祈りと賛美の回数が多かったことは、徳島の集会ではごく当たり前のことなのだと教えられました。ほんとに信仰は賛美と祈りに尽きる。難しい講義を聞いたり話すのが集会ではないことを、この目で確かめてきました。 勝浦さんにお目にかかれたこと、生きた信仰の証をお聞きできて、自分がなんとちっぽけな人間か思い知らされました。… 障害者の方々全員とはお話できませんでしたが、皆様のことを祈りに覚えて参ります。(関東地方の方) (*)集会員で、建築関係の仕事をしているNさんによって集会場が増築されたことをさしています。(編者注) ○この四国集会の数日、神様にもみくちゃにされた感じで、でもそのおかげで今朝は清々しく脱皮できた感じです。神様はすごい! 四国集会のうえに神様が豊かにお働きくださり、感謝します。(四国の方) ○今回、四国集会への参加について、Tさんが○○さん(今回初参加した人)に呼びかけてくれて、本当に、本当に良かったです。その方は、「四国集会の最初はとても緊張して、カチンカチンだったけれど、夜には心もだんだんほぐれてきて、夜中に目が覚めたとき、何でこんなにうれしいんだろう、って、喜びいっぱいになりました。」と、話してくれました。 Tさんが、一人一人のことを覚えていて、呼びかけてくれたように、私も、もっともっと一人一人のことを覚えて、呼びかけていこうと思います。 こんな新しい思いが与えられ、感謝です。(近畿の方) ○この二日間の大いなる恵みを感謝しております。心を込め 祈りを込めて全てのことを準備してくださってほんとうに素晴らしい四国集会だったと思います。お独りお独り心から喜びを持って主を賛美しておられたことが伝わってきましたし,私も心から満たされています。(四国の方) ○ホテルの窓から見える眉山(びざん)。美しい新緑が私たちと一緒に主を賛美しているようです。 二日目になって気がついたことなのですが、この集会は障害がある人もない人も、同じように集会運営をしています。それがとても自然体なのです。また手話通訳があふれていることも新鮮でした。 賛美は二日間で30曲ほど歌っています。賛美歌、新聖歌、讃美歌21、こどもさんびか、リビングプレイズなど実に多様な歌集を使用しています。 二日目は賛美のひとときで始まりました。証しの時間もあり、脊髄損傷で人工呼吸器なしには生きられない方のお話がありました。彼の「いま幸せです」というその方にキリスト信仰の生きた実物を感じ、信仰がとても励まされました。 主日礼拝がその後引き続き行われました。聖書講話(説教)が二つあり、韓国からの方が旧約聖書を、埼玉からの精神科医師が新約聖書から話をされました。 二日目午後の部はグループ別に分れて感話と祈りの会です。後の部は幾つかの小グループに分れて、感話と祈り会です。私は和室の部屋でした。10人程度が集まり、それぞれ今回の集会で得たことなどを述べます。私は聖霊の風が吹き抜ける暖かい雰囲気が嬉しかったことと、若者が多いので、これからも四国では若者が集まれる機会を作り続けて欲しいと話しました。 写真は(*)、四国集会最後のイベント、閉会集会での賛美の様子です。閉会集会では全国各地から代表の方々が選ばれて、一人二、三分の感想。そして次回開催地である愛媛県の方のあいさつ。 最後に賛美をして、主催集会である徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄さんのお祈りがありました。 これで今回の四国集会のレポートは終了。このような記事を書く気持ちを与えてくれた主に感謝。集会への道を備えてくれた主に感謝。集会を同じ信仰の者同士の交わりの場としてくれた主に感謝。若者の会を立ち上げてくれた主に感謝。そしてみこころの全てにアーメン! (鳥取県、佐藤明さんのホームページ「一粒のぶどう」より、許可を得て転載。(*)ホームページには写真が入っています。編者注。) ○今回は天気にも恵まれて 素晴らしい集会に参加出来感謝しています。大変お世話になりました。 一杯お土産を頂きました、そしてイエス様の福音に与ることの素晴らしさを目の当たりにしました。 私もいろいろ見習いたいと思って帰りました。 今度の集会で皆さんに四国集会のことを報告します。 私の頭の中には古い不便な時代の記憶がありましたが、今度参加して古い壁がなくなりました。 色々奉仕していただきました皆様に感謝します。 それから徳島の水は美味しかったです。(九州の方) ○母も弟も四国集会に参加できた事は大変よかったみたいで後でみんなでいろいろな出来事やお話の内容を話し合いました。また生後九カ月の乳児を同伴していましたが、その乳児を皆様が受け入れてくださりとても嬉しかったです。東京の難しい講義中心の集会ではとても子連れ参加は困難だと感じていただけに感謝に思います。 今回の集会でその乳児が賛美歌のメロディーにあわせて声を出していたのにびっくりしました。一緒に賛美していたのでしょうか?(他にも気付いた人が何人か声をかけてくださいました。マタイ二十一・16の言葉を思い出しました。)(東京の方) ○神様の祝福に満ちあふれた素晴らしい四国集会、さまざまなこまやかな配慮が行き届き徳島の集会のかたが大変な準備を祈りをもってなされてきた事がわかります。感謝です。 来年も1人でも多くのかたが参加して交わりが持てますように、ますます神様の栄光を示す場となりますようにお祈りしております。(東京の方) ○四国集会では、同じ信仰の仲間と時を共に過ごすことで、エクレシアをより強く実感することができました。難しかった集会参加が、○○さんを通して主が働かれることで可能となったこと、○○さんと主に感謝しています。 集会では、特に賛美でエクレシアを感じることができたことは、感謝でした。また若者の会も非常に恵み多い時間でした。同じ無教会というキリスト教信仰を与えられて生きている同時代のクリスチャンがいるということ、そのことを知ることができて私は非常に励まされました。(中国地方の方) ○本当にテーマどおりで、恵まれました。徳島の方々の熱い祈りと準備、当日の奉仕を心から主に感謝します。(近畿地方の方) ○聖霊に満たされた四国無教会キリスト教大会をありがとうございました。徳島聖書キリスト集会の教友のお一人お一人の愛によって、身の震えるような喜びと恵みに満ちた素晴らしい時を過させていただきました。 札幌に帰った今も、打ち寄せる波のように喜びの余韻に浸っています。 また、徳島市の集会場での交流会(*)は、徳島の信仰の原点、神との交わりの場であるので、そこでの賛美と感話会はいっそう徳島を身近にしました。神に栄光を帰すと共に皆様の上に神の祝福がありますようにお祈りします。主にあるご平安を。(北海道の方) (*)四国集会が終わった十五日の午後七時三十分〜十時三十分まで、徳島聖書キリスト集会場で、その日も会場のホテルで宿泊する方々の自由参加で十四名ほどの交流会が行われました。(編者注) ○四国集会でたくさんのクリスチャンの兄弟姉妹と出会えたこと感謝です。 色々と気にかけていただき、ありがとうございました。 日曜日、集会後、友人の教会にも参加しました。 そこに来ている若者にも、今回の四国集会がどんなに素晴らしかったかを話しました。 勝浦さんや鳥羽さんの奥さんや、障害をもった方が、神様と共に生き、今が一番幸せとおっしゃっていたことが本当に印象的でした。 自分の信仰のあり方、祈り、讃美のあり方を考えさせられました。 本当にありがとうございました。(近畿からの参加者) ○待ちに待った四国集会本当に恵まれました。 親しい人々に再会でき 力いっぱい 賛美と祈りの時が もてました。それにしても大変な準備 お疲れが 出ませんでしたか。…(中国地方の方) ○二日間イエス様と共に聖霊に満たされ良き讃美と祈りの時を与えられ感謝でした。ありがとうございました。細部にいたるまでいろいろなご配慮をありがとうございました。感謝です。 (同行者も)帰りのバスの中でずっと「よかったなあ、よかったなあ。」とふりかえりつつ話していました。 …これからもこの罪の多い私たちですがイエス様に支えられて信仰のともし火をもやしつづけていけたらと祈ります。(近畿の方) ○今回の四国集会のように主の御恩恵に満ち溢れた集りはかつて無かった! と感じるほどに、写真を見ながら感激を思い起こしております。復活のキリスト・イエスがともにいてくださったからと存じます。…(四国の方) ことば (209)祈りは力である。また、祈りは働くことである。私たちは生きて働く神に向かい、行動へと送り出される。…祈りは、ことばを最高に用いることである。(フォーサイス著 「祈りの精神」26頁 ) ・祈りは、神からの力を与えられ、その力によって働くことへとうながされる。神はむだには力を与えられないからである。そしてそれが小さな行動であっても、そのことを通じて新たな力を与えられる。 人間の言葉の最もよき使い方は、祈りだと言われている。神に向かう言葉、人への愛のこもった祈りこそは、言葉が最高に用いられていると言える。 編集だより ○キリスト教四国集会 徳島での四国集会のときに今まで使ってきた会場が使えなくなり、一年間、会場を探し決定することから始まって祈りをつづけてきた、キリスト教四国集会(無教会)が、多くの人たちの祈りと支えによって無事終わることができました。 多くの人たちの祈りが集められた特別集会には、いつも何か新しいこと、予想していなかったことが起こされてきましたが、今回も私たちの予想もしなかったような神の恵みのわざを起こして下さいました。 それは参加者があるとは思われなかった、遠い沖縄から二名の方が参加されたり、北海道の旭川や札幌からも参加していただくことができたこと、インタ−ネットや私たちの集会の主日礼拝などのテープだけで関わりのあった方が東京から参加されたり、若者の会に十七名ほどもあつまって若い人たちの独自の運営でなされたこと…などなどです。 ○「祈りと讃美」このことは、いつでもどこでもできることです。そして信仰をまだ持っていないひとですら何らかの祈りのようなものを持っています。手紙などでも、「健康を祈ります」などと書くのも、祈りということがそれほど人間に深く結びついていることの現れです。 しかし、そうした心の表面での祈りから始まって、本当の祈りはどこまでも深いものがあります。見える世界を越えて、はるか雲のかなた、天空のかなたにまで通じる祈りもあるわけです。 幼な子のような心でまっすぐに神に信頼して祈る心に、神は天の宝を与えて下さり、そこに本当の讃美が生れると言えます。 主よ、私たちをそのようにどこまでも真実で深い祈りと、神への讃美の心へと導いてください。 ○来信より 何か、目に見えない檻の中に自分はいて、脱出しようと遠くに行ってもその檻は、さらに先にある。もがけばもがくほど、縛っている目に見えない糸は、くもの巣のようにさらにきつく絡みつく、以前はそんな感じだったのを、四月号の文章にひどく共感しながら思い出しました。 渇き、私も朽ち果てる寸前でした。導き、支えてくださる神の強いみ手を思います。(四国の方) お知らせ ○四国集会のテープ、ビデオなど 今回の四国集会のテープ、ビデオなど希望の方は、編集者(吉村 孝雄)宛てに申込をしてください。テープは十本前後で千五百円(送料込み)、ビデオは120分 VHS で 二〜三本で、送料とも、二千円です。 ○ヨハネ福音書CD なお、四月号に掲載した、ヨハネ福音書CDは、送料を書いてなかったので問い合わせがありましたが、送料込みで一万円です。(私たちのキリスト集会で、約二年半ほどをかけて学んだ記録です。一般のCDラジカセで聞くことができるもので、CD約五十枚です。)前月号で紹介してから十名余りの方々から申込がありました。四国集会があったため送付には少し待っていただかねばなりませんが、近いうちに発送予定です。 |
2005/5 |
キリストを証しするもの 2005/4 私たちのふだんの生活では、「証し」といった言葉はあまり使わない人が多数を占めているだろう。しかし、聖書においては証しということは重要な意味を持っている。 ヨハネ福音書において、とくにこの「証し」という言葉が多く使われている。(*) マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書を合わせてもわずか二回しか用いられていないのに、ヨハネ福音書では三十三回、ヨハネの手紙を合わせると、四十三回も用いられている。 なぜ、このように多くの「証し」をするという言葉がほかの三つの福音書と比べて格段に多く用いられているのか、それは、著者が証しということをとくに重んじていたからである。 ほかの三つの福音書では、主イエスが何を教え、何をなさったかということをできるだけそのままに書こうとする姿勢がある。ことに最初に書かれたマルコ福音書にはその特色がはっきりしている。 しかし、ヨハネ福音書は最後に書かれた福音書であるために、単に事実を書くということなら、すでに三つの福音書にあるので、それらを基礎とした上で、神からの聖霊による示しを受けたことが書かれているという特質がある。 それは、ヨハネ福音書の冒頭からすでにあらわれている。「はじめに言があった。言は神であった。…」ということは、イエスが行ったこととか、直接教えたこととは違って、著者のヨハネが神から啓示されたこと、聖霊によって示されたことを書いていると言える。 このことがすでに「証し」である。ヨハネが神の霊によって、キリストこそは、永遠の存在であり、万物の創造にもかかわり、現在も生きておられるといったことは、肉体をもっていたときのイエスが教えたことでなく、復活して天に帰った主イエス(復活したキリスト)が、教えたことである。 そしてそれを実際に霊の耳で聞き取ったゆえに、「キリストは永遠の存在であり、神と同質である」と証言しているのである。 ヨハネ福音書はこのように見てくると、著者が受けたキリストの証しで満ちている書であると言えよう。 キリストは光である、それが暗闇のなかで輝いている。暗闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ福音書一・5) これも、キリストがいかなるお方であるかという証言である。 そして、 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。(ヨハネ一・16〜17) これも同様なキリストについての証しである。考えたことを議論したり、意見を言っているのでなく、ヨハネや彼と同様にキリストを信じるようになった人々が、ほかでは決して与えられなかった、深い恵みを受けたということなのである。 そのことを証ししているのが、この文である。 そしてそのようなキリスト者たちの証しがなぜ、神の言葉と言えるのか、と思われるかも知れない。 それは、人間の祈りや叫び、あるいは讃美を集めた旧約聖書の詩編が神の言葉として聖書に収められているのは、それが確かに人間の祈りや讃美であっても、その背後に神がおられて、神がそのような祈りや讃美へと導かれたのであるから、それらは単に人間のきままな考えや感情でなく、神のご意志、お心の反映であるとみなされるからである。 キリストのさきがけとして現れて、人々の心を神の方向へと向け変えることになったヨハネも、キリストのことを証言した。 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」(ヨハネ福音書一・15) さらに、このヨハネはキリストの本質を証言してつぎのように言った。 見よ、世の罪を取り除く神の小羊!(ヨハネ一・29) この短い言葉は、一見なんでもないように見える。しかし、これは実に広く深い内容をわずかの言葉に凝縮したものである。罪とは人間がだれでも持っている深い不信実な情でもある。それがあるから、自然のままの人間は、主イエスが言われたような、「敵対する人を愛し、その人のために祈る」というようなことはだれもできない。自分中心に考え、思い、そして行動することが罪であるゆえ、そのような深いところにある罪の問題をきびしく扱う。 人間がどれほどそのような深い罪を持っているか、本人も分からない。自分はそんな罪など持っていないと思い込んでいても、ふとしたときにそれが現れ、自分の罪深さを思い知らされる。 聖書にもそうしたことは多く記されている。苦難の折り、敵対するものが次々現れてくるときには、ただ神に依り頼み、復讐とか憎しみなどの感情を相手に持つこともしないで、神の助けを祈り願う人であったが、そのダビデがそのような数々の困難のすえに王となって周囲の敵をも平定して安楽な生活となったとき、重大な罪を犯してしまった。ダビデは自分がそんな罪を犯してしまうとは夢にも思わなかったであろうと思われる。 また、新約聖書ではキリストの弟子ペテロのことも思いだされる。 主イエスが、まもなく自分が捕らえられ、十字架にかけられて処刑されると予告したとき、弟子のペテロは、自分は死ぬことがあっても、イエスに従っていくと、断言した。しかしそれはまもなく全くの偽りの言葉になってしまった。命がけで従うどころか、イエスが捕らえられたあと、あまりの動転のゆえに三度もイエスなど知らないと否認してしまったからである。 このように、人間は自分の限界、罪ということすら分かってはいない。それゆえ、自分の罪を取り除くということは不可能であるのがすぐに分かる。他人の罪を除くことなど到底できないのはなおさらである。 しかし、洗礼のヨハネは、キリストだけは、世の罪、すなわちあらゆる世界のすべての人たちの罪を取り除くことを確信していた。世の罪とは現在の世界に生きる人たちだけでなく、現在の生きている人々、将来の人間など一切の罪を除くことができるということである。何という大きなわざであろう。 驚くべきわざであり、これは人間がすることはありえないことである。 洗礼のヨハネは、そのことを自分の修行でも学問や他人からの教えでもなく、ただ神からの直接の啓示によって知ったのである。 さらに、そのヨハネの言葉にある、「世の罪を取り除く神の小羊」という言葉の後半のことも意味深い。「神の小羊」とは何を意味するのだろうか。 この一言を理解するにも、旧約聖書で「神に捧げられた小羊」というのがどんな意味を持っていたかを知る必要がある。聖書はたしかに、より正確に理解しようとすれば、旧約聖書が不可欠になる。旧約聖書において、小羊とは、次のような意味をもって記されている。 エジプトの奴隷の生活から解放されるという前夜の最後の食事としてとったのが小羊の肉であったが、その血を、家の入り口の柱と鴨居に塗った。それによって神のさばきが過ぎ越したという故事があった。これは、きわめて重要であったからこの月を正月とした。そして以後の歴史を通じてこのことが過越の祭として行われることになった。 キリストはまさにこの小羊の役割を果たして、信じる人が罪のために受けるはずの裁きを赦され、義とされる ために来られたということを証言している。 …また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。(ヨハネ五・36) このように、神ご自身が、イエスに特別な力を与え、神の子であることを証ししている。それは次に言われているように、イエスが行っている業によって示されている。 …しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。(ヨハネ福音書五・36) このように述べて、主イエスのなさっている業(はたらき)は、神から来ていることを表していると言われている。 イエスの行った業、それはいろいろとあった。しかしそれは当時の人たちが、メシア(救い主)というものに期待していた業とはあまりにもかけはなれていた。それゆえ、イエスのことを証言した洗礼のヨハネですら、後になってイエスは本当に預言されていたメシア(救い主)であるのか、と大きな疑問を抱いたほどであった。 イエスはご自身の業の特質をつぎのように言われた。 …目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病(ハンセン病が多かったと思われる)を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。(マタイ福音書十一・5〜6) このように最も苦しむ人たち、さげすまれている人々、闇にある人たちが新しい力を与えられ、救われているという実体であった。このような何の権力も社会的な地位もないような、無視されている人間が生きかえったようになったといっても、そんなことで、国全体がよくなったり、ローマの圧政から救われるのか、といった疑問がだれの心にも根ざしてきたのであり、それが洗礼のヨハネですらそのような疑問を持つに至ったということである。 このように、主イエスの業は開かれた目を持った人にはたしかにそれが、神の業であるということを示すものであったが、当時の旧約聖書の学者たちも理解できなかった。そしてそのあげくにイエスを殺そうとまで考えるようになった。 さらに、主イエスは、つぎのように言われた。 …あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。(ヨハネ五・39) ここで言われている聖書とは、旧約聖書のことである。旧約聖書は、キリストについて証ししているという。このことは、表面的に旧約聖書を読んでもとても気付かないことである。 しかし、何年も読み続け、いろいろと必要なことも学んだり、経験していくとき、次第にこのキリストの言葉が実感をもって感じられてくる。 このことは、新約聖書をよく読むと、主イエスだけでなく、パウロや他の弟子たちも旧約聖書がいろいろな意味でキリストを指し示していることが分かる。 例えば、旧約聖書の冒頭にある、闇と混乱のただなかに、「光あれ!」と神が言われたら光が生じた、という記述は、ヨハネ福音書で言われているように、キリストご自身がたしかに闇に輝く光そのものであったことを指し示すものである。 …言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ一・4〜5) また、マタイ福音書においても、光とはキリストのことであるとして、預言者イザヤの預言を引いて次のように記されている。 …暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。(マタイ四・16) また、使徒パウロも次のように述べて、創世記の記述はキリストにある新しい時代を前もって証していると 受け止めていたのが感じられる。 …「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さった。(Uコリント四・6) また、創世記の終りのほうに、次のような記述がある。 ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。あなたの手は敵の首を押さえ 父の子たちはあなたを伏し拝む。 王笏(おうしゃく)はユダから離れず、 統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て諸国の民は彼に従う。 彼は、ロバをぶどうの木につなぐ。 彼は衣をぶどう酒で洗う。(創世記四九・8〜11より) こうした文章は分かりにくいが、全体として言われているのは、つぎのようなことであろう。 ユダで表されるその子孫には特別な力と祝福が与えられ、その子孫から現れるメシアは、敵(悪)の力を支配し、王権が与えられ、世界の民がそれに従う。 そして、そのメシアの時代には、貴重なぶどうの木の実をロバに食べさせるほど、服をぶどう酒で洗うという象徴的表現で言われているほどに、豊かなめぐみのあふれる時代になる。これは、ヨハネ福音書の冒頭で次のように言われていることを、遠い昔から証ししていると言えるのである。 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ一・16) このように、一見関係なさそうに見える箇所であっても、よく考えながら読むと、驚くべきことにそれらはキリストを証ししているのが浮かび上がってくる。 まだメシアのことなど、ほとんど誰も意識しないような時代にあっても、神から特別に引き上げられた人には、闇のなかにきらめく光を見るように、はるかな将来に実現させようとする神の御計画の一端、しかも本質的な内容の一端が啓示されるのがわかる。 旧約聖書がキリストを証ししているということは、詩編やイザヤ書にもしばしば見られる。 主イエスが最期に息を引き取る直前に叫んだ言葉、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!」(*)(わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!)という言葉は、そのまま旧約聖書の詩編の二二編の冒頭に現れる言葉である。 (*)エリ、エリは、ヘブル語。レマ、サバクタニは、アラム語。マルコ福音書では、エロイ、エロイ、となっていて、前の部分もアラム語。このように、旧約聖書の原語であるヘブル語や、イエスの時代に使われていたアラム語でこの主イエスの叫びが記されているのは、それほどに当時の弟子たちや人々の心にその叫びが深く刻み込まれたということであり、しかもその言葉が、イエスより数百年も昔の詩編の作者の叫びとまったく同じであり、その詩編がイエスのこの最後の叫びの預言となっている。 この詩編二二編は、ほかにも、人々があざける言葉なども、驚くほどイエスの十字架処刑のときの周囲の人たちのあざけりと共通している。 …わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。 「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」(詩編二二・8〜9) これは、先ほどの「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか」という叫びの後に現れる内容であるが、これは、次のように、新約聖書でキリストが受けた侮辱を予告するかのように似た内容となっている。 …そこ(イエスが十字架にかけられている場所)を通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」 同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」(マタイ福音書二七・) さらに、詩編二二編にある、つぎのような小さいことに見える出来事すら、キリストの十字架のときに同様なことが生じているのに驚かされる。 …彼らは私をさらしものにして眺め、 私の着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。(詩編二二・18〜19) これは、福音書の次のように記された出来事を預言するものとなっている。 …それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、 その服を分け合った、 だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。(マルコ福音書十五・24) このように、詩という本来は個人の苦しみや嘆き、讃美や祈りを内容とするものが、キリストのことをそのまま指し示すものとなっているのである。詩編が書かれて数百年という歳月が経った後で、このように実際にキリストに関することが現実にそのように起こるということは、到底偶然とかいったものでなく、時間を超え、歴史の流れのなかで御計画をなされていく神の御手を感じさせることとなっている。 さらによく知られているように、旧約聖書のイザヤ書では、いろいろの箇所でキリストのことが預言されていて、全体としてキリストを証しするものとなっている。 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い…。 わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。… 彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの罪のためであった。 彼の受けた苦しみによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。… わたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。… 彼は口を開かなかった。… 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。… 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。(イザヤ書五三・3〜12より) このような言葉が、実際にキリストの受難より五〇〇年あまりも昔にすでに言われていた。これはキリストの受難とその意味を深くとらえている。それは現代のキリスト者の心の深いところにある霊的な体験であり、またキリストを信じるに至ったのは、まさにこのイザヤの預言したキリストのことを信じて受け入れたからに他ならない。 これは、旧約聖書がキリストを証ししている、預言しているということのいくつかの例であるが、これら以外に全体としてみれば、旧約聖書は随所でキリストを指し示している、キリストのことを証ししているのが感じられる。 この世はまったく真実も愛も通用しないように見える場合も多い。武力や金の力、権力などで多数の人間を支配し苦しめることは、古来数知れない。またそれらとは全くことなるが、病気とか飢えによる苦しみや悲しみによってもどこに神がいるのか、と深刻な疑問を抱かせることも随所に見られる。 しかし、こうした混乱と闇と疑いのただなかで、一冊の書物が星のように輝いてきた。それこそ聖書であって、それはすでに旧約のときから今まで述べたように、キリストへとレンズで光を一点に集めるように、キリストのところへと焦点が合わされているといえよう。 ヨハネ福音書において、主イエスが、「聖書(旧約)はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネ五・39)と言われたのは、このような意味であった。 現在の私たちには旧約聖書とともに、キリストを直接に証しする文書である新約聖書が与えられている。それゆえ、このキリストの言葉は、そのまま全部の聖書についてあてはまることとなった。 そして新約聖書を知らされている私たちには、さらに聖書だけでなく、神の創造された自然の広大な世界もまた、キリストを証ししていると言える。 それは、キリストとは単なるよい教えを説いた人間というような存在でなく、神と本質が同じであり、神とともに永遠から永遠へと存在しているお方である。 …はじめに言があった。言は神であった。万物は言によって成った。(ヨハネ福音書一・1〜3より) ここでいわれている言とはもちろん、私たちがふつう使っている言葉という意味ではない。今から二〇〇〇年ほど前に、人間の姿をして現れ、イエスと名付けられる以前から、実は存在しておられたのであって、その永遠の存在を、ギリシャ語でロゴスという歴史的にも重要な意味深い語を用いたのである。 ロゴス logos とは、ギリシャ語では、哲学における最も基本的な用語の一つである。それは、理性、原理、言葉、理(ことわり)など多くの意味がある。 すでに紀元前五〇〇年頃のギリシャの哲学者であったヘラクレイトスは、「万物の生成はロゴスに従っている」(「ギリシア思想家集」32頁 筑摩書房)と述べて、万物の根源にある目に見えない法則のようなものをロゴスと言っている。 こうした考え方は、後の時代にも受け継がれていったが、ヨハネ福音書の冒頭の言葉は、このようなギリシャの最高の知性が考えていた宇宙の根源たるロゴスが、実はキリストであったのだと言おうとしているのである。 そしてそれに加えて、旧約聖書の冒頭からいわれているように、神の言葉が持つ、創造の力を重ね合わせたものとして、ロゴスという言葉を用いている。 こうした点から、キリストは単なるよい教えを説いた古代の教師というような存在ではなく、永遠の昔から存在していた宇宙万物の創造者でもあるというのが本来のキリスト信仰なのである。 これは、ヨハネ福音書だけでなく、ヘブル書にもやはり重要なので、その冒頭に記されている。 …この終わりの時代には、御子(キリスト)によってわたしたちに語られた。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造された。(ヘブル人への手紙一・2) このように、キリストによって世界は創造されたということであるから、私たちの周囲の自然もまた、キリストの本質がそこに刻まれていることになる。 新緑の初々しさ、野草の繊細な美しさ、そして年月を経た樹木の堂々たる姿、あるいは、はるかに連なるやまなみの持つ静けさと力、そして、海の押し寄せる大波の力強さ等々すべてそれはキリストを指し示し、キリストを証ししていると受けとることができる。 私たち一人一人が、聖書の言葉やそれについての印刷物、文章などによって、それまでの神を信じない生活から根本的に変えられ、自分の罪深さを知り、そこからの救い主を知らされて新しい生活へと導かれていくのも、キリストの力であり、キリストを証ししている出来事である。 以上のように、ヨハネ福音書がとくに「証し」という言葉を多く用いているのは、実に多様なものがキリストを証ししているからである。それは、開かれた目をもって見るほど一層キリストを証ししているのに気付くようになってくる。 (*)「証しをする」というギリシャ語(動詞)は、マルテュレオー martureo というが、この言葉は、つぎのように、福音書によって著しく用いる頻度が違っている。 マタイ 一、マルコ0、ルカ一、ヨハネ 三十三、ヨハネの手紙 一〇 「証し」(名詞)というギリシャ語は、マルテュス martus であるが、これについても、ヨハネ福音書とヨハネの手紙で二十一回も使われているのに対し、ほかの三つの福音書を合計しても四回ほどである。 解放と導き 旧約聖書の出エジプト記十三章では、神の特別な導きが強調されている。イスラエルの民は、エジプトにおいて奴隷とされ、長い苦しみがつづき、滅びる寸前までいっていた。そこから神の大いなる御手によってその奴隷状態から解放され、目的の地を目指して導かれていく。 この章を一部抜き書きしてみると、それがいかに「導き」ということが繰り返し述べられ、また「力強い御手」が強調されていることに気付くであろう。 …モーセは民に言った。「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。主が、乳と蜜の流れる土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月にこの儀式(過越)を行わねばならない。 あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。 あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。 主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、 将来、あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。… … あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。 主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。(出エジプト記十三章より) 主の力強い御手(出エジプト十三・3)、それこそは聖書が一貫して述べていることである。聖書とは、そのことを証言している書物だと言えよう。アブラハムは自分の考えや希望、意志でカナンの地に行こうとしたのではなかった。それは、神の導きであった。神があらわれ、カナンへ行けと命じた。アブラハムがそれを信じて、その導きにゆだねたのが決定的なことであった。 ふつうには、自分で考え、行動することが一番重要だと考えられている。 しかし、それは神などいない、自分の考えが一番頼りになるといったことを前提としている。最善に導く神がいないのなら、当然他人の考えをもとにして生きることより、自分の考えを元にしなければならない。 だが、その自分というのが、いかに誤りやすく弱いものか、だれでも思い知らされるときがある。事故で、大怪我して動けなくなったら、ガンの末期になってしまったのが判明して自分がそれなら一体何ができるのか、自分の家族が道を誤ったと知って、その心を必ず変えるなどと言えるだろうか。 自分で考えて行動することが一番大切ということは、自分がいかに弱く頼りないか、また真実を見通すことができないか、未来のことも何一つ見抜くこともできない、明日のいのちもあるかどうか断言もできないほどに先は分からないのである。 そのことを知ったら、自分で考えて行動することが一番重要だとは到底言えないのが分かる。 聖書では、人間の弱さ、罪を深く見抜いているので、自分で考えてやると全く間違った道へと進んでいくことが最初から記されている。 それが、エデンの園で食べることを禁じられていた木の実を食べたということである。 自分の考えでやると、たちまち間違った方向に入り込むというのが人間の実体なのである。 そこから、私たちの常識と根本的に異なること、神の導きによって歩むことが極めて重要になる。 聖書ではその後、ノアもだれも神の裁きなど信じないただなかで神を信じ、神に導かれてその裁きに備えたので救いを得たのであった。 アブラハムはキリスト者にとっても重要な人物である。キリスト教の信仰の中心をなしている、信仰によって救われるということも、すでにアブラハムにおいて言われていたことで、それを使徒パウロが引用しているほどである。驚くべきことであるが、パウロよりも一七〇〇年ほども昔にすでにパウロがキリストから啓示された最も重要なことが預言的に啓示されていたのである。 その啓示は、神の導きに身をゆだねた結果として与えられたものである。もしアブラハムが現在のイラク地方で住んでいてそのままそこに留まることを選んだならそのような啓示も与えられなかったのであり、その後のヤコブやユダヤ民族もなく、神の言葉に生きる神の民もなかったことになる。 それはユダの子孫としてのキリストもなく、キリスト教もなかったことになる。 このように、導きに生きることは、極めて大きなことにつながる。 アブラハムに次いで、導きに徹底してゆだねた人物はモーセである。 彼においては、自分の考えや人間愛、あるいは自分の力で同胞のイスラエル人を助けようとしても全くそれは通用しなかった。かえって、直線距離でも四〇〇キロも遠くの地へと命がけで逃げていかねばならなかった。そこで自分の力のもろさと弱さを思い知らされたのである。そうした日々のなかで、神が現れ、神の導きに生きる歩みへと変えられていった。 モーセ自身が神に導かれ、かつてはそこで殺されそうになったところであり、そこから逃げてきたその恐ろしい場へと、今度は神の導きによってふたたび戻っていくことになった。 私たちは自分の考えでは逃げ出したいところであっても、神が導かれるときにはそこに向かっていくことができる。自分を憎む者であったらそのような者から逃げ出したいと思う。しかし、神に導かれるとき、そのような者のところにすら心は帰っていく。 導きにゆだねたとき、初めて神はその大いなる力を表し、その力を与える。導きにゆだねるとは、古い自分に死ぬことであり、心に誇るものを捨て、自分が頼るものを捨てることであるゆえ、主イエスが約束されているように「心の貧しいものは幸いだ、天の国は彼等のものである。」という言葉が成就するのである。 イエスよりはるかに昔であっても、この真理は変わらない。 神の導きにゆだねるとき、モーセは自分の考えで行動したときとは全く異なる力を与えられ、エジプトの王ですらどうすることもできないほどの権威をもって語ることができた。 そしてさまざまのいきさつの後にイスラエルの人々を導いてエジプトから出て行くことになった。 そのことを特別に重要なことであったから、詳しく記念すべきことが言われている。それが出エジプト記の一三章に記されている。 ここでは、繰り返し、神による「導き」という言葉、そして「力強い御手」ということが出てくる。そしてこの繰り返し強調されている言葉は、現代の私たちにもそのまま働きかけてくる。 私たちが必要としているのは、そのような導きと力強い御手であるからである。 神による導きが最大のもの、最も深い意味を語りかけるのは、奴隷の家から導きだされたということである。この出来事はずっと後世まで、数千年も記念され、覚えられているが、それは聖書に記されてている神とは、確かに奴隷の家から導きだす神なのである。 これは自分自身が一種の奴隷状態であったことを深く思い知らされたものは数千年の時間を超えて、深い共感を持つ。 私もかつては、目に見えないなにかに強くつかまれてどうしてもそこから逃れることができない、という実感があった。どんなにそこから逃げ出そうとしても、かえって深みに落ち込んでいく、というのをありありと思いだすことができる。ふつうの奴隷も逃げ出そうとしたらかえってより厳しい労役にさらされるだけであるが、それと似たようなものであった。 使徒パウロもモーセより千数百年も後の人物であったが、やはり自分が神に敵対する力(罪)の奴隷であることを痛切に思い知らされていた。 しかし、そこから解放され、今度はそうした闇の力と逆の、愛と真実の力に仕える身となった。それをパウロは、キリストの奴隷(ギリシャ語で、ドゥーロス doulos )になったと言って、自らの存在を一言で言い表す肩書のように、彼の手紙の冒頭に用いている。 例えば、ローマの信徒への手紙の書き出しは、原文の順に訳せば次のようになっている。そのため、一部の英語訳聖書でも、slave (奴隷)と訳している。 パウロ、キリストの奴隷、呼び出されて使徒となった…(ローマの信徒への手紙一・1) Paul, a slave of Christ Jesus,(The New American Bible) Paulos doulos Cristou Iesou kletos apostolos… (ギリシャ語原文をローマ文字表記にしたもの) このように、当時たくさんいた奴隷たちを表す言葉を、自分の肩書としてつねに使うようになったほど、パウロにとっては、それはキリストに結ばれた自分を簡潔に表す言葉なのであった。 ふつうの奴隷は、主となる人間に仕え、その命令通りに動かされる。また罪の奴隷というのは、目には見えない悪の力、罪の力に縛られて純粋な愛と真実の心で行うことができない。 しかし、キリストの奴隷というのは、そうしたあらゆる束縛から解放され、無限の愛と真実なお方であるキリストに結ばれ、キリストのいわれるままに動くことができる、その力をも与えられている魂の状態を表している。 キリストの奴隷、この特異な表現は、初めて接する者には、不可解な表現と感じるが、キリストという完全な愛のお方に全面的に結びつき、仕えていくことを、以前の罪の奴隷と際立った対照的な表現として、パウロはこのように言ったのである。 日本語訳では、キリストの「僕 しもべ」と訳されている。しかし現在で「僕 しもべ」といってもどんな人間なのかイメージがはっきりする人は少ないであろう。広辞苑では、「身分の低い者、雑事に使われる者」といった説明がなされている。また別の辞書では、「召使」とされている。 こうした訳語では、パウロが対照的にあげている、罪の奴隷か、キリストの愛のままに生きるキリストの奴隷かという二つのことが分かりにくくなっている。 出エジプト記を読むとき、それは遠い異国の三千年以上も昔のことだと思って、現代の私たちと何の関係もないと思いがちである。しかし、この出エジプト記の記事は、「奴隷からの解放」ということであり、使徒パウロがそのように受け止めたように、まさに自分たち一人一人の問題がそこにあるということができる。 人間はみんな奴隷である。何かの力のままに生きている。他人や国家の権力、あるいは金の力、また自分の欲望や自分中心という考え、それらはすべて罪が関わっているが、そうした一切の奴隷からの解放がキリストによってなされたというのが新約聖書のメッセージなのである。 人は罪など感じない、そのようなものに縛られてなどいないと言う人もあるだろう。 そのような人においても、人間の状態はどのような人であっても、極めて限定された、縛られたものなのである。それを次に見てみよう。 ある狭い範囲に縛られてそこから出られない、そうした状況は、この地上に生きるなら必然的に生じる。人間は地球や太陽の動くままに縛られてそこから出ることはできない。物体を投げあげても、地球の引力によってひき戻される。まさに地球に縛られているのである。 そしてその地球もまた、太陽に縛られて、決まった道筋以外を動くことはできない。 宇宙船に乗って出られるという人がいるかも知れない。しかし、あのような宇宙船などというものは、極めて不自由な、狭い空間に閉じ込められ、飲食もままならない奴隷状態といえる。狭い船内に持ち込んだ水や食糧が亡くなったらそれで終りであり、また精密機械の満ちた船内が何かの致命的な不具合が生じたら、そして人間の体調が狂ってしまっても、それですべて万事休すである。 一歩宇宙船から出るなら、そこは真空の、すべてが凍りつく世界であり、恐るべき死の世界である。 このように、私たち人間は空間的にみても、何かに縛られているのであって、この地上に生きるかぎり、地球と太陽にしばられて生きているのである。太陽の衰えとともに必然的に地球もその運命を共にせざるをえない。 このように、人間は内的にみても、外的に見ても、どこから見ても、つねに縛られた状況にある。 こうしたすべての縛られた状態からの解放はあるのだろうか。 先にあげた出エジプト記において、注目すべき記述がある。それは神がその愛する民を導くとき、あえて、地中海沿いの近道をとらせなかったということである。 エジプトから、乳と蜜の流れる地、カナンへは地中海沿いなら、三百キロメートル程度で、毎日五時間、二〇キロ前後歩くとすれば、わずか数週間で到着する距離なのである。 しかし、それをわざわざ遠い迂回路をとらせ、さらに砂漠のオアシス(カデシュ・バルネア)で長期間留まったりして、四〇年もの歳月を要して目的地に達するという、ふつうなら考えられないような導きがそこにあった。 …神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。(出エジプト記十三・17〜18) このような遠い距離を長い年月、困難な砂漠的の土地を歩ませ、数々の苦難を体験させるという、まわり道のようなことを神はあえてなされる。 現在の私たちにおいても、神は私たちを愛するといっても、簡単な道をあえて歩ませないことに気付く。それは病気であったり、人間の不和、や憎しみ、家庭の崩壊、大きな罪、戦争、飢えと貧困などなど、今も人間世界ははるかな迂回路をたどっている。 しかし、そのような困難な、はるかな道のりであっても、かつての出エジプトの民がそうであったように、それは必ずよき地、乳と蜜の流れるところすなわち神の国へと導かれるということははっきりとしている。 このような人間世界を導く、神の最終的な御計画は、再臨という言葉で表される。 キリスト教という信仰内容の中心的内容の一つであるキリストの再臨ということは、こうしたあらゆる困難や束縛をも解放するものなのである。 そのような世界はどのようなものか、それは時間をも空間をも超えたようなものであるゆえ、言葉では言い表すことができない。 それを聖書では新しい天と地といった表現で象徴的に表しているが、そのことはすでに旧約聖書のイザヤ書において預言として記されている。 …見よ、私は新しい天と地とを創造する。(イザヤ書五一・17) そして新約聖書において、キリストの再臨ということが、はっきりと主イエスの言葉にも、使徒たちの言葉にも表れている。 … そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。(マタイ二四・30) …しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいる。(Uペテロ書三・13 ) 救いの単純さ しかし、主の御名を呼ぶ者は救われる。(ヨエル書三・5) 救いのために必要なことは何か、ここには、キリストより四百年ほども昔からきわめて簡潔にそれが述べられている。儀式も、組織や、お金、あるいは善行を積むこと、また人生経験や年齢等々それらはすべて、救いのためには不要なのである。ただ主の御名を呼ぶこと、主を信じ、主を仰ぐだけで救われる。 すなわち、本当の幸い、いかなることによっても壊されないような幸いはそのような単純なことから与えられるというのが聖書の主張である。 パウロが後に信仰によって救われると確信をもって述べ、それがキリスト教信仰として世界を動かすことにつながり、ルターが、信仰のみによって救われるという単純なことを根本に据えて、宗教改革という世界的にも重大な改革をなすに至ったこと、また内村鑑三の深く広範な影響力なども同様にこの一点から出発していた。 この重要な真理、それは旧約聖書から実は言われていたのである。このヨエル書という一般の人にはほとんど知られていない書、キリスト者でも心して読んだという人、少なくとも注解者をひもときながら、一句一句を考えながら読んだという人はごく少ないだろう。しかしそのようななじみの少ない書に実に重要な救いの根本が記されているのである。 そして同様なことは、イザヤ書にも、「私を仰ぎ望め、そうすれば救われる」(イザヤ書四五・2)と記されているし、さらにさかのぼって、旧約聖書の巻頭の書たる創世記にも、「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記十五・6)とあり、聖書の最初からこのような救いに関する単純な真理は示されていたのである。 真理は数千年の昔から、深い大地の底を流れるように、この世を流れ続けてきたのである。 変えるべきもの、変えてはならないもの―国歌と平和憲法 最近は、憲法を改正すると称して、とくに第九条を変えようとする動きがある。しかし、太平洋戦争という数千万の人たちを殺し、あるいは傷つけた恐るべき悲劇の反省の結果としてつくられ、当時の日本人も喜んで受け入れた平和憲法はあくまで変えてはならないものである。 その理想に近づけようとするのが、日本人のとるべき姿勢なのであって、その特色をなくしてしまうなら、今後の歴史の歩みのなかで、日本は間違った流れに簡単に呑み込まれていく可能性が大きい。 歴史のなかで無数の人たちの犠牲をもとにして与えられたあるべき姿としての憲法を守るのが、日本人のつとめである。 さらにキリスト者としては、非戦平和主義というのは、人類の最も共通した真理の書である聖書にすでに数千年前からそれこそが最終的なあるべき姿であると記されているのを知っている。 キリストより数百年も昔に、イザヤ書でもすでにそうした非武装こそ本当の人間社会のあり方だと、示されているのである。弱い者への配慮の重要性もまた聖書ではそのような数千年も前からはっきりと記されているが、それと同様なのである。 戦争は弱い者を踏みにじり、また殺傷して弱者を多量に造り出す。そのようなことは間違ったこと、真理に背くことである。 変えるべきものは、国歌である。「君が代」は一体愛唱されるような歌であろうか。 戦前は明らかに現人神とされた天皇を讃美する歌として歌われてきた。 君が代は、千代に八千代にさざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで これは、「天皇の御代、天皇の統治が永遠に続いて、小さな石が、岩となって、苔が生えてくるまで」という意味で歌われた。 この、「君」というのを、「あなた」(you)だと思って歌え、などという説明を、以前教育委員会が指導したことがあり、学校教育でもそのように教えたらいいのだというように校長などが言ったことを覚えている。 しかし、クラスメートのだれかに向かって、「あなたの御代(時代)が永遠に続きますように、小さな石が岩となって苔がはえるまで…」などと一体だれが本気で歌う気になるだろうか。 この歌詞は岩石が風化するということを知らなかった、一〇〇〇年も昔の歌なので、科学的な見地から見ると、逆なのである。岩が風化して数千年もすれば小さな石(さざれ石)となるのであって、小さな石が自然に風化して岩になって苔が生えてくるということにはならない。 そして苔というのは、何も千代に八千代に(数千年)も経たなくても、日陰で湿っていたらじきに生えてくるのである。 このように、常識的に見ても、君が代、さざれ石が岩となること、苔が生えることなど一つ一つ心を込めて歌うなどしがたいことである。 しかもその上に、戦前の歴史的に侵略戦争に駆り立てるためにも悪用されたという負のイメージを持っているし、その上、歌詞それ自体が実にわかりにくい。意味のわからぬ言葉を、一生懸命歌え、などと強制的に命じても何のよいことも生じない。歌というのは、メロディーや歌詞が、人間の心のなにかに触れないなら歌う気持になれないものだからである。 このような理由から、その歌詞を考えるなら、これからの世代にも、到底、「愛唱される」ことにはならないだろう。 国歌こそ、音楽の専門家や国民の多数の意見を集約し、公募するなり、いろいろな方法を用いて、新しく作りかえる必要がある。これこそ、若い人から老人までだれでも、歌詞とメロディーを聞かせれば、どれがいいかは直感的にもわかるはずだからである。 そしてこうした議論によって、現在の「君が代」の歌詞の無意味なことが明らかになっていくだろう。 現在の他国の国歌は、戦争や勝利がテーマになっているのがしばしば見られる。しかし、そのような戦争の時代に生れた歌でなく、今後の世界の平和、グローバルな時代を見つめた、広い視野からの新しい国歌こそが求められている。例えば、今の平和憲法の精神を盛り込んだような国歌がこれからの世界に必要なのである。そのような国歌は日本の先進性を他の国にも指し示すことになるであろう。 真理は生きている 新聞やテレビにさまざまの世の中の悪や混乱がつねに報じられているからといって、真理の力が地に落ちたのではない。 それは見る目が私たちに欠けているだけである。 春になって、枯れたような木々から初々しい新緑が芽生えていくように、今も神は、枯れたような人間や世界に新しい命を吹き込み、世界のどこかで今も霊的な新緑が芽生えているのである。 私もかつては、自分自身の問題、この世のあまりの難問と苦しみに人間など無力でどうにもならない、と打ちひしがれていたのであった。それは枯れたようになっていた。 しかし、そこに神は突然、だれも予想しなかったことだが、その枯れ木に命を吹き込んで下さったのである。 その神のなさり方は、周囲の状況や時代の状況などとかかわりなく、ただ神のご意志であったとしか言いようがない。私がキリスト教などを欲していたわけでも、周囲のものがそのように仕向けたのでもなく、辺り一面に無神論の洪水のような状況のただなかで、私は神を信じ、キリストの十字架の死の意味が魂に深いところに入ってきたのである。 こうした経験は人知れず、現在も世界の各地で起こりつつある。 それは時代がどのように変ろうとも、神ご自身が無から有を生じさせる力をもってそのようになさるのである。 新緑の美しさ、それは神に由来する真理が今日もどこかで芽吹いていることの象徴でもあるのだ。 ことば (208)愛というのは、力であって、使えば使うほどあふれてくる。泉のように汲めば汲むほど湧き出てくるし、使えば使うほど育ってくるものなのです。(「人間としてどう生きるか」渡辺和子著) ・ここで言う愛とは、自然のままの人間が持っている親子や友人、男女に生じる人間の愛でなく、神からの無差別的な愛を指している。人間的な愛は、この言葉に言われているような本質がなく、特定の人にだけ自分の感情を結びつけるために相手の態度で大きく左右されるし、裏切られたりすると憎しみになる。さらにこうした愛はそれを持てない人からのねたみを引き起こすことも多い。 神からの愛は、特定の人でなく、だれにでも及ぶ本質を持っていて、それゆえ主イエスは、隣人を愛せよと言われた。神の愛を受けるならそれが可能になるということである。 自分の近くに置かれた人、それがどのような人であっても、また自分の好き嫌いの感情で対処するのでなく、その人が最善になるようにとの願いの心が、神からきた愛だといえる。そのような愛については使えば使うほど、増えてくる。愛に限らず、神が持っておられる真実や正しさ、あるいは清さなども同様で用いるほど、自分の内にもまた相手や周囲にも増えるという本質がある。 キリストの愛はたしかに、無数の人によって用いられ、泉のように世界にあふれてきた。それが世界にキリストのことが伝わっていく原動力になっている。 編集だより ○この「いのちの水」誌も小さなものですが、多くの方が用いて下さって、キリストの福音、聖書の真理を知らせるために用いて頂いていることを感謝です。私自身、印刷物(本)によって初めてキリスト教のことを知ったゆえ、またそのときにごく短い箇所を読んだだけなのに、キリスト教の中心にある真理が私の内部に入り、そのときからキリスト者となりましたので、この「いのちの水」誌ももし神が用いようとされるなら、同様にごく短い文であっても、また不十分なものであっても福音を伝えることができることを思います。 文章の巧みさとかでなく、神の御手が働くかどうかだと信じていますので、そのことを祈って書いています。 来信より ○前月号の「キリスト者の確信」を読んで、ヨハネ伝十六章33節(*)は、イエス様が私たちに対して励ましていることを強く感じました。希望の言葉ですね。自分の罪が神の愛によって赦されるという実体験を持ち、善の力は必ず勝利するという強い確信を持たれたことが、私にとっては新鮮な言葉でした。(関東地方の方) (*)「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 ・今日頂いた杣友豊市さんの色紙に書かれた毛筆、「神にとって不可能なことはありません」を何回も何回も唱えているうちに、主にあっては、「私にとって不可能なことは一つもありません」…という言葉が浮かんできました。そうだ、がんばろう、神様が守って下さる、八四歳が何だ、…という気持になりました。(四国の方) ・…詩編の中に、旧約聖書と新約聖書と共通するものが流れていること、ルターでしたか、詩編は小聖書であると言ったとか、本当に詩編があって、旧約と新約のキリストが結びつくのを覚えます。(関東地方の方) お知らせ ○キリスト教四国集会(無教会)締め切りが間近ですので、参加希望の方は、直接に、この「いのちの水」末尾の連絡先(吉村 孝雄)までメールまたは電話などで連絡ください。 ・日時…五月十四日(土)午前十時〜十五日(日)午後四時 ・場所…徳島市 センチュリープラザホテル ・内容…聖書講話の主題は、「祈りと讃美」講師は、四国の香川を除く三県から一人ずつと、埼玉県の精神科医師。それと韓国の自然科学の大学教授。 証しあるいは、聖書の言葉についての感話は、北海道、四国三県、近畿からの参加者による。 ほかに早朝祈祷、さらに小さく別れての祈り会、特別讃美など。 ・会費は全日程参加の場合、一泊四食付きで一万二千円。 ・詳しいことを知りたい方は、ホームページのお知らせ欄を参照するか、問い合わせてください。 ○ヨハネ福音書CD 私たちの徳島聖書キリスト集会で、二年八カ月ほどをかけて主日礼拝で学んできたヨハネ福音書の吉村 孝雄による聖書講話が、数度勝茂兄の御愛労によってCDに録音され、希望者に分かつことができます。一般の家庭用のCDラジカセで聞くことができます。CDは約五十本で、一本には一〜二回分の聖書講話が収められています。各巻二百円、全巻CDブックの形で、価格は九千六百円(送料別)。購入希望者は、吉村 孝雄まで申し込んで下さい。 代金支払いは、この「いのちの水」の末尾にある郵便振替にて。 ほかに、杣友豊市文集や集会文集(「野の花」)、詩集(貝出 久美子、伊丹 悦子両氏のもの)なども購入できます。詳しいことは、ホームページをご覧ください。 |
2005/4 |
確信の必要性 2005/3 この世で生きるときに、持っているべき確信がある。それは正しいこと、善きことは必ず悪に最終的に勝利するということである。 表面的に見れば、この世はそれと逆の状況になっているように見えることが多い。 真実を求めて発言したり、行動したりしても、権力や金の力によって押しつぶされるということはよく見られる。弱い立場にある者が、強い立場の者に苦しめられ、ときには命さえ奪われるということも歴史のなかでは繰り返し見られてきた。 しかし、そうした表面における出来事だけでなく、目に見えないところでの出来事がある。 正義とか悪とかいうことは、その本質は目には見えない。それゆえ、善が悪に勝利するというときも、それは目には見えない世界のことなのである。実際、主イエスが地上に生きているとき、捕らえられ、悪の力によって無惨にも殺された。それは目に見える世界では、どう見ても善の敗北だと見える。 しかし、敗北したはずのキリストの弟子たちは、それからしばらくしてから、目ざましい力を与えられ、迫害を受けつつも、世界へとキリストの福音を伝えるようになっていった。そして全世界にキリストの信仰は広がっていった。 それは、目には見えない世界において神の力が悪に勝利したからである。 そのことは、主イエスが、最後の夕食で、捕らえられる直前に語ったと伝えられてきた言葉に示されている。 「あなた方は、この世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハネ福音書十六・33) この預言的な言葉を裏付けるように、キリストが処刑されて以来も、キリストとその真理は敗北して消滅することなく、ずっと二千年の間、人々の心のなかで勝利し、信仰を受け継ぐ人たちが続いてきた。 善が悪に勝利するという確信は、論理や科学では得られないことである。学校教育でいかに多くの学びをしたところで、この単純で奥深い確信は与えられない。 この確信はまず自分の内なる悪である罪が神の愛によって赦されるという経験をしてはじめて善の力が悪に勝利するのだということが実感できる。 そこから、この世界全体においても、善の力が悪に勝利するというのを信じることができるようになる。善の力とは、神の力にほかならない。そのような万能の神であり、あらゆる悪に最終的に勝利される神を信じるかどうかで私たちの歩みは大きく異なってくる。 キリスト教のシンボルである十字架は、罪の力に神が勝利して下さったことであり、復活は、死の力にも勝利されたことを指し示すものである。キリストの福音とは、そのような勝利の力を信じる者にはだれでもその力が与えられる、ということなのである。 復活祭(イースター) キリスト教で最も重要な祝日は、復活祭です。主イエスは、十字架で殺されたけれども、三日目によみがえって、死に勝利する力を持っていることを実際に示し、さらに神のところに帰って神とともにおられ、聖霊というかたちでいつも信じる人とともにおられるようになっています。 その重要性のゆえに、復活のことは、新約聖書のほとんどの書物にあらわれます。 四つの福音書はすべてキリストの復活を記しています。とくに最後に記されたヨハネ福音書には、日本語訳で、四ページにわたって詳しく書かれています。 使徒言行録では、復活からその記述が始まり、復活があったからこそ、弟子たちが力を与えられ、復活のキリストそのものである聖霊が注がれて、キリストの伝道が始まり、最大の使徒パウロもその聖霊によって、アジア(小アジア)、ヨーロッパ(ギリシャ)へと送り出されました。 新約聖書の他のところで、どのように復活のことが記されているか、その一部を次にあげてみます。 …わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。(ローマの信徒への手紙四・24〜25) …最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと…(Tコリント十五・3〜4) …罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。(エペソ信徒への手紙二・5〜6) …キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。(ピリピ 三・21) …キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。(コロサイ書二・12) …この御子(イエス)こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒り(神の裁き)から私たちを救って下さる方です。(Tテサロニケ一・10) …イエス・キリストのことを思い起こしなさい。私の宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。(Uテモテ二・8) …死者の中から最初に復活した方、地上の王たちを支配される方、イエス・キリストから恵みと平和があなた方にあるように。(黙示録一・5より) 以上は一部にすぎません。これを見てもわかるように、新約聖書の全体にわたって、キリストの復活はその根本をなすことになっているのがうかがえます。 それに対して、クリスマスのもとになっているキリストの誕生のことは、マタイとルカの二つの福音書だけにしか記されていないのです。このことからも明らかなように、クリスマスよりも、復活祭の方が、聖書的にみても、信仰上からみてもはるかに重要なものなのです。そしてクリスマスが祝われるようになったのは、キリストの死後三百年以上も経ってからでした。 パウロが指摘しているように、もしキリストの復活がないのなら、キリスト者の信仰も空しく、いのちがけでキリストのために生きることも無意味になってしまうわけです。(Tコリント十五・12〜) 復活のキリストがおられるということは、本当かどうか分からないことを信じているというのでなく、私にとっては動かすことのできない事実であり、真理となっています。 私自身は誰からもキリストのことをすすめられたのでもなく、全く突然に偶然的にみえること、古書店での一冊の本を立ち読みしたことからキリスト者となったのですが、これはまさしく、復活したキリストによってそのように信じるようにうながされたのでした。 復活などということは、最も信じがたいことだと一般的には思われるのですが、私自身はその復活のキリストが私の魂に触れて下さったことからキリスト信仰を持つようになったわけで、それが以後の人生の決定的な分かれ目となりました。 このように重要な、キリストの復活であるために、キリスト教の最も重要な祝日として最初から重んじられてきました。キリストの復活が日曜日であったために、日曜日を「主の日」(黙示録一・10)として集まり、礼拝を捧げるようになったのです。最初のうちはユダヤ教の土曜日の安息日と主の日(日曜日)を二つ守っていたのですが、後に土曜日の安息日の内容が、日曜日の主の日に統合されて、日曜日を主の日として守るようになったのです。 旧約聖書で、主の日というと、裁きの日という意味で使われており、新約聖書でも主イエスの再臨の日として用いられることがあるので、それと区別するために、日曜日のことは、主日(しゅじつ)という言い方を用いています。日曜日の礼拝を主日礼拝というのはそのためです。 このように重要な復活祭ですが、一般にはクリスマスよりはるかに知られていません。それは復活という、信仰の中心に直接に関わる内容で、キリストを信じない人にはなじめない祝日と言えるからです。それに対してクリスマスは、誕生というだれでもなじみやすいこと、プレゼントやサンタクロースなど、子供にも、また信仰を持たない人にも親しみやすいことが結びついているからでもあります。 また、復活祭の決め方も、「春分の日の直後にくる満月の次の日曜日」といった分かりにくい決め方になっていて、毎年日が変る移動祝日となっていることもいっそうなじみにくいことになっています。 しかし、復活の重要性は、毎週の日曜日が世界的に休みとなっていることで、歴史的に刻みつけられてきたと言えます。日本人で、日曜日が休みになっている理由が、キリストの復活によっているということをどれほどの人が知っているでしょうか。大多数の人は知らないと思います。私自身、キリスト教を知るまでは、日曜日が休みであるのは当然のように思っていて、それがキリストの復活が日曜日にあったから、主イエスへの礼拝の日として、世界的に休むようになった、などとは考えてみたこともなかったし、周囲の誰一人そんなことは言わなかったのです。 神は人間の思いを超えて、働かれる。それは世界の時間の数え方(西暦)も、キリストの誕生をもとにして数えているし、毎週の不可欠の休みである日曜日も、キリストの復活をもとにして生れていることを考えてもわかります。 このようにして、歴史のなかで、キリストの大いなる力が、世界を導いてきたのを感じさせられます。私たちも求めよ、さらば与えられん、との主イエスの約束によって、そういう大きな翼のように私たちを覆っているキリストの力を受けることができるわけです。 内なる真珠 黙示録には、世の終りにすべての悪が滅ぼされることが記され、その時、天から下ってくる神の都がさまざまの宝石でたとえられている。 …都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。… 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。 都の城壁の土台石は、碧玉、サファイアとエメラルドなどのあらゆる宝石で飾られていた。 …また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。(黙示録二十一・11〜21) このような描写は、あまりにも現実離れしているように思えて、軽く読み流すことが多いのではないかと思われる。しかし、現実の悪が横行し、醜いこと、戦争や、飢餓、貧困、病気など、目をそむけたくなるようなことが、至るところであるこの世において、黙示録の著者には、それと全く異なる神の国の世界が示されたのである。 これは、ヨハネが神から直接に示された究極的な世界である。人間の言葉では到底表現できない有り様が、宝石のたとえで言われている。それは、永遠性、美、強固さ、透明さ、清さといったものである。宝石だからこそ、そのような特質を持っているのであり、それゆえに宝石のたとえで言われている。 「都は透き通ったガラスのような純金であった」という。金属はすべて不透明なものであって、金、銀も同様である。しかし、それがあえてガラスのような透明な純金だと言われているのは、何ものによっても汚されない清さと純金の持つ永遠性や美で包まれているということを表している。 これは、人間の前途に最終的に何が約束されているかということが、ここに記されている。 このような、驚くべき宝石のたとえは、黙示録の記者が独自に示されたのでなく、すでに、旧約聖書続編のトビト書に見られる。 エルサレムのどの門も、 サファイアとエメラルドで、 そのすべての城壁は、 高価な宝石で飾られる。 エルサレムのもろもろの塔は、黄金で その壁は純金で造られる。 エルサレムの通りは、 ルビーでちりばめられる。(旧約聖書・続編トビト書十三・16-17) このトビト書の記述を見れば黙示録との共通のものがあるのはすぐに分かる。トビト書は、紀元前一七〇〜二〇〇年頃に書かれたとされているので、黙示録よりも二五〇年ほど前の書物である。黙示録の著者も神にとくに引き上げられた人物であり、このようにかつての文書に霊的な刺激を受け、そこからまたあらたな啓示を受けて書いたと考えられる。 エルサレムという具体的な都市の名が用いられているが、これは象徴的なものであって、完全に清められた、霊的な神の都を表している。だから、黙示録ではそのようなエルサレムは、「天から降ってきた」と記されている。 そしてこのような象徴的な神の都エルサレムは、現代に生きる私たちにも部分的にせよ実現すると言えよう。 そのことを、次の讃美歌は表している。 一、主を仰ぎ見れば 古きわれは 移し世と共に 疾く去りゆき 我ならぬ我の 現れきて 見ずや天地ぞ 改まれる 二、美しの都 エルサレムは 今こそ降りて われに来つれ 主共に在せば 尽きぬ幸は きよき河のごと 湧きて流る(讃美歌三五五番) 私たちが、罪赦されて主を仰ぐだけで、まわりの天地が新しくされたように感じるし、さらに、天からの神の都、神の清い霊で包まれたもの、それは神の国といえるが、そのような霊的なものが、私たちの魂の世界へと流れ込んで来ると歌われている。 そのときに私たちの心の世界に訪れるのが、天のエルサレムであり、黙示録やトビト書の著者が神から直接に示されたような、美と清らかさ、そして強固さ(永遠性)に満ちたものだと言えよう。 主イエスも人間に与えられる究極的真理を、宝石のたとえで言われた。 …高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書十三・46) この高価なる真珠とは、聖書の真理であり、聖霊であり、キリストご自身である。もし、私たちが主イエスを信じるなら、主イエスは私たちの内に住んで下さる。それは、私たちが高価なる真珠を内に宿すことと同じである。そのことをより詳しくさまざまの宝石のたとえで表しているのが、黙示録などの記述であり、そこで言われているような、数々の宝石でできた都が、私たちの内に宿ることでもある。 これは単なる想像の世界でも、夢物語でもない。非現実的なことを言っているのではないのであって、それはだれの心にも生じるたとえようもない現実を、可能なかぎり言葉で表そうとしていることなのである。 使徒パウロは、このようなことを、次のように述べている。キリストこそは、黙示録などで言われているあらゆる宝石の永遠性や美、清さなどをすべて持っておられる方だからである。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる。(ピリピ 三・21) 復活したらどうなるか 死は終りではない。キリスト教では死後に復活するということは、根本的に重要なことである。復活がないのなら、キリストも死んだままであり、比類のない純粋な愛と正義の御方もわずか三年の伝道で、ローマの権力者やユダヤ人の指導者たち、さらに人々からも見捨てられ、弟子たちにも裏切られ、無惨に殺されてしまった、ということになる。 それは最大の悲劇であり、そのようなことだけが事実であるなら、この世はまったく絶望的なものとなる。いかに私たちが善きことを目指し、行動によってもそれを証し、純粋な愛をもって生きても、もし最後は周囲からも誤解され、中傷され、死んでいくだけだ、善などというものは伝わらないのだということなら、何のために善いことを目指していかねばならないのか、そんなことは一切意味がなくなってしまう。 だからこそ、新約聖書で、キリストの最大の弟子といえるパウロが、次ぎのように述べている。 …キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄である。 …キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになる。…(復活もなく、この世だけの希望しかないなら)わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者だ。(Tコリント十五・14〜19より) 仏教や神道では、死後は不安定な、人間に災いなどを与えるような恐ろしいものになるとみなされているからその霊魂をしずめるためにさまざまの法事や死者へのまつりごとがなされている。 仏教では人間の死後はたとえ生きているときにはすぐれた人であっても、魂は非常に不安定であって、生きている者にたたりや、災厄をもたらす恐ろしいもの。不自然な死に方をした者はことに大きな災いを生きている人間にもたらすと信じられ、だからその霊魂を安定させて、人間に危害を加えないようにするために子孫が祀りをしなければならないとされる。そのような祀りごとによって霊魂が次第に安定してきて、その期間が死後33年から50年とされてきた。法事ということや各家庭での仏壇に食物などを備えるしきたりもこうした観念から続いている。しかしこれはもともと仏教でなく、日本人独特の神道的な考え方がもとになっている。それと仏教とが組み合わさったもの。日本に伝わるもとの中国の仏教では三回忌までしかなかったのに、日本では、その後に、七回忌、一三回忌、一七回忌、二三回忌、二七回忌、三三回忌などと次第に増やされていった。仏教は日本にきてからこのように、時代とともに法事の数が増やされ、現在も増え続けて五〇回忌が言われるようになったのは、今から五〇年ほど前、一九五五年頃からという。「日本の仏教」(渡辺照宏著・岩波新書)「仏教のしきたり」(ひろ・さちや著)などより。 要するに現代も日本の多くの家庭で行なわれている死者へのまつりごとは、死んだ人の霊魂への恐れからしていることであり、それは原始的な宗教感情が今も続いているということになる。 七月に現在では、観光の祭として有名な京都の祇園祭も、もとはといえば、平安京ができて七〇年ほど経ったころに都で疫病が大流行して、それが恨みをもって死んだ人の霊が祟っているのだとされ、その霊をなだめ、しずめるために始まったものである。 全世界を愛と正義をもって支配されている神がいないということになれば、さまざまの霊的なものがうごめいているということになり、それらに対する恐怖が自然なものになってくるのは必然である。 しかし、キリスト教では、死後はそのような恐ろしいものになったり、生きている者にたたったりするようなものではなく、生きていたときのその人の心が何を見つめていたのか、そのうえでどんな言動をしてきたのかといった観点から、神の御前で裁きをうけるとされている。 神はそれぞれの行いに従って報いられる。 忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命を与え、 真理ではなく不義に従う者には、裁きを行なわれる。(ローマ書二・6〜8より) ただし、「行い」といっても、それは心のうちでなされることも含んでいる。例えば、十字架でキリストが処刑されたとき、その横でやはり十字架刑にされた重罪人の一人は、その最期のときに主イエスに立ち返ったが、それによって主から「あなたは今日、パラダイスにいる」との言葉を受け、裁かれることなく、救いに入れられることが示されている。そのような重い犯罪人は、処刑されるまでの行動といえば、神から厳しい裁きをうけるようなことであっただろう。しかし、息を引き取る間際であっても、心からの悔い改め、主イエスに帰依することによって、その悔い改めという「行い」によって救いへと入れていただけるということなのである。 このようにただ、神とキリストの力を信じ、キリストの十字架によるあがないを信じて、悔い改めるというだけで、裁きを受けることなく、救いをうけるというのが、キリスト教の根本にある。 肉体が死んだ後には人はどうなるのか、それについては昔からいろいろと想像されてきた。人間の意見や想像はじつに千差万別であるが、このことについて聖書はどのように記しているのかを調べてみたい。 その際、すでに述べたように、真実や正しいこと(その究極的な存在が主イエス)に全く背き続けて、嘘をいったり、人を欺いたり生命を奪って何ら悔い改めもないような人間については、どのように言われているか。 イエスにつながっているとは、イエスの本質である、神に根ざす真実や正しさ、あるいは愛につながっているという内容を含んでいる。 それゆえそのような真実などに意識的に、背きつづけるならばそのような人間の心は次第に枯れていき、心の中のよいものが焼かれていくということは容易に推察できる。 実際、私たちの周囲においても、ひとをいじめたり、間違ったことをしたり、快楽を追求ばかりしているような人の表情には冷たいもの、人を射すような何かがにじみでてきたり、その眼にも暗いものが宿ってくる。これは内なる善きものが、焼かれ、枯れていくということにあてはまると言えよう。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。(ヨハネ福音書十五・6) この言葉は、生きているときのこともすでに象徴的に表しているが、死後のことも含んでいると考えられる。この言葉は、表面的にキリストを信じていますという人だけが救われて、キリストを信じていなかった人はすべて焼かれるのだというような意味にとる人もいる。 しかし、主イエスは、別の箇所で「主よ、主よという者がみんな救われるのではない。」と明白に言われたのであって、言葉だけで主を信じていると言っている人がそのまま救いに入るとは言われていない。 ヨハネ福音書は全体としてとくに霊的なことを強調して記されているので、ここで書かれていることも人間そのものについての記述だと受けとることができる。「わたしにつながっている」ということは「永遠的な(神の)真実や愛につながっている」という意味をも含んでいるのであって、そうした真実や愛を受け入れないなら当然その人の心のなかは暗く、枯れていくことになる。 またほかの箇所でも死後のことを暗示する表現がある。 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもはそこで泣きわめいて歯ぎしりする。(マタイ十三・49〜50) あるいは次のような記事もある。 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによってアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、アブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。(ルカ十六・19〜25) このような記事は、愛好されて読まれるといった箇所ではない。 しかし、こうした箇所によって、もし私たちが生前に真実なものと結びつこうとせず、この世的な快楽に身をゆだねて生き続けるとき、地上に生きている時からすでに心は荒れて枯れていくが、死後もそのようなことが確実に生じるということを感じさせられる。 このように、悪をなし続けた者が死後において裁きを受けるということは、聖書に限らず、さまざまの宗教において言われていることであって、聖書のこうした記述は特異なものではない。 こうした厳しい裁きを受ける死後の状況に対して、もし私たちが自分の罪を知り、悔い改めつつ、神とキリストの真実と愛に心を向けるとき、ただそれだけで私たちは全く異なるところにと導かれるということは、すでに述べた、十字架の上でイエスと同じように処刑された重罪人への約束でもうかがうことができる。 どんなにひどいことをしてきた人間でも、ただキリストに心から向かうというだけで、かつての重い罪も赦され、さらにいろいろの苦行や善行を重ねたりせずとも、ただちに「キリストと共に楽園にいる」と約束されている。 これは、ただ信仰によって救われるのであり、水の洗礼とか善行や、何かの組織に加わったりといった条件など全くないということがはっきりと示されている例である。 そしてここで、死後は「キリストとともに楽園(パラダイス)にいる」 と言われている。パラダイスとはどういうところかについては説明されていないが、確実なことは、「キリストとともにいる」という言葉によって、救いの十分なる確証を与えられているのである。 さらに聖書はもっとはっきりとしたことを死後のことについて私たちに指し示している。 それはヨハネ福音書において、永遠の命ということが特に強調されているが、永遠の命が与えられるならば、私たちの死後も当然その延長上にあって完全な命が与えられることになる。永遠の命とは単に長い命というのでなく、神の命を指す言葉だからである。 御子(キリスト)を信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネ三・36) 死後も裁かれず、この地上にあるうちにすでに永遠の命を与えられる。それは神の命であるゆえに死後も朽ちることなくその命は続く。死後はどうなるのか、という問いかけに対して、ヨハネ福音書では、信じる者は神の命を受けて死ぬことのない存在に変えられると言っている。 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。(ヨハネ五・24) このようなヨハネ福音書の表現に対して、最大の使徒パウロはどのように死後の命を表しているだろうか。 私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは益なのです。この二つの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。(フィリピ一・23) このようにパウロはこの世を去る、すなわち死によってキリストと共にいることを念頭においていたのがうかがえる。死んだらどうなるのか、それは神と同じ存在となっておられるキリストとともにいることなのである。 キリストは霊的存在となっているのであるから、キリストとともにいることが許されるということは、私たちも死後は霊的な存在となる。 このことについて、パウロはかなり詳しくのべている。 当時の人たちのなかに、復活などといっても眼には見えないではないか。そんなものはない、と強く主張する人たちが多く現れた。今も昔も同じである。 それに対してパウロは、つぎのように説明している。 …しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれない。 …(からだにも)天上の体と地上の体がある。… 死者の復活もこれと同じである。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活する。 つまり、自然の命の体で蒔かれて、霊の体に復活するのである。自然の命の体があるのだから、霊の体もあるわけである。…(Tコリント十五・35〜44より) 復活などないという人たちへの反論は、このように、神はわたしたちに自然のままの体だけでなく、霊の体を与えられた。私たちの復活のときには今の肉体がそのまま復活するのでない。そうでなく、目には見えない霊のからだとなって復活するというのである。 その典型的な例は、イエス・キリストである。主イエスは、十字架で殺され、この世からいなくなったと誰もが思った。しかし、キリストは神のような霊のからだとなって今も生きておられる。使徒パウロも、生前のキリストには出会ったことが記されていないが、復活のキリストに出会い、根本から生きる方向を転換することになった。私自身もその霊のキリストによってまったく関心のなかったところから、復活されたキリストの僕へと強い御手で引き出されたのであった。 そしてさらにパウロは私たちの死後の状態は単にキリストとともにいるだけでないという。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる。(フィリピ三・21) このように述べて、キリストを信じる者の死後とは、驚くべきことであるが、神と同質の存在となっているキリストと同じ形に変えられるというのである。復活されたキリストは、神と同じ万能であり、永遠の支配を持っておられる御方である。そのようなキリストと同じような栄光ある形に変えられるというようなことは、ふつうに考えればおよそ信じがたいことであり、どんなに修養など努力しても到底そのような変化などは起こりようがないと思われるであろう。 しかしそれほどまでに、神が私たちに与えようとされている恵みは測り知れないということなのである。すでに私たちは心の汚れや真実に反する数々の思いや行動によって本来は滅ぼされるべき存在であったのに、それをただキリストの十字架を信じるだけでその滅びから救い出されるという。 死後はどうなるのか、それに対して、「キリストの栄光あるからだと同じかたちに変えられる」と言っているのである。 それはキリストが神の力をうけているように、神のもとにあるあらゆるよいものが与えられるということであり、それは、地上で人間が味わうことを許されているよきことの完全なものが与えられるということでもある。 私たちは地上で生きているかぎり、罪を犯したり、弱い存在であるにもかかわらず、神への悔い改めと、神を仰ぐ心だけあれば、死後はキリストと同じ、栄光あるからだにしてくださる。 それゆえに、夫婦愛、兄弟愛、友人やキリスト者同士の愛など、神によって清められたような愛がすでに地上生活ではじまっていたら、それが完全なかたちで与えられる、成就されると信じることができる。それゆえ、私たちは死後に、かつて先立って召された人たちと会うことができると信じることができるのである。 私たちはだれでも次第に老齢化していく。そしていろいろの病気や孤独という恐ろしい苦しみが増えてくる。あるいは職業も退職してなくなり、することがないということのためにも苦しまねばならなくなる。そのようなことは、二〇代、三〇代のときには考えてもみなかったであろう。 そうして、だれもが確実に死を迎える。死の前には苦しい病気、耐えがたいと思われるさまざまの病気を経てからようやく死に至る場合が多い。そして、死後は、暗い、不気味な世界に行ってしまうとか、生きている人の祀りごとがなかったら荒れ狂う霊となってたたるとか考えられている。 死後の命も地上の命の延長上にあると漠然と思う人も多いし、いや何にもないのだ、一切が無になるのだ、と人間の浅い考えや想像で断定的に信じている人も多い。 しかし、死んだらそれで終わりといった世界が本当なら、なんとそれは空しいことであろう。 それなら私たちの人生などというものは、無に向かって進んでいるのだ。それを本当に突き詰めて考えるとき、人生に目的もなく、すべて死によって崩れ去っていく夢のようなものとなってしまう。 このような死後の世界と、キリスト教が指し示す死後の世界はいかにかけ離れていることであろうか。 私たちは現在の世界が闇であるのに、死後もさらにその闇がもっと深い闇へといくのではないのである。ただ、真実な神とキリストを信じること、仰ぎ見るだけでそうした闇でなく、光に包まれた死後の世界へと導いて頂けるのである。そして、神と同質のキリストが持っておられる完全なよきもの(栄光)を持ったような存在に変えられるのである。 誰にも壊されることのない、そして必ず与えられる消えない希望がここにある。 主イエスこそ我らの希望。栄光とこしえに神にあれ。 神はわが力、わが岩(詩編四六より) キリスト者の戦いとは、目に見えない悪の力との戦いのことである。この世には、至るところにそうした戦いが生じる。一人一人の心の中に、家庭や職場の中に、あらゆる人間関係の中に、また病の苦しみや死の近づいたとき、いっそうそのような悪の力が迫ってきて、それまでの信仰とか理想とかを突き崩そうとする。 こうした戦いのときに何より重要なことは、私たちが神によって固く立っているかどうかということである。このことにおいてとくに有名なのは旧約聖書の詩編四六編である。 神は私たちの避け所、そして私たちの力。(*) 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。 わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、泡立ち その高ぶるさまに山々が震えるとも。 (*)「力」と訳された原語(オーズ)は、新共同訳では、「砦」と訳しているが、口語訳、新改訳、関根訳などもすべて「力」と訳しているし、大部分の英語訳でも「力」(strength)、ギリシャ語訳旧約聖書でも、デュナミス(力)と訳している。 この詩において、神は避け所であり、力であり、助けであると言われている。私たちに常に必要なもの、そして正しい道、本当の幸いへの道を歩むために最も重要なことは、つまづき、倒れる私たちを常に助け、悪から守って下さる力である。悪の攻撃から身を守るための避け所なのである。 この詩の作者にとって、神は○○せよ、と教えを迫ってくる姿でなく、正しく道を歩むときの決して欠くことのできない存在、不動の岩のようなお方なのであった。 この詩の作者は、自分の周囲がいかに混乱し、また世界において山々や海などに大いなる異変が生じようとも、という大きな視野に立ち、天地創造のときにまでさかのぼって見つめている。なぜ、この作者はこのような不動の確信を持つことができたのか。それは、神がともにいるという実感が深くあったからである。そしてそれと結びついているのが、天地創造の時の神が自分をも支えて下さるという確信であった。人間がなにかに頼るとき、それがもろいものであればあるほど、そのようなもろいものに頼ったなら、頼る者も共に倒れてしまう。 この作者の心にはっきりと現れたのは、最も重大な異変が生じたときである。それは地震や大波、天災のようなものであるかも知れない。 そのようなことが大規模に起これば起こるほど、私たちはそれまでの信仰も揺らぎそうになる。神がおられるならどうしてこんなことが生じるのかと。 しかしこの詩の特に心に残るところは、いかなる大きなことが生じようとも、決して動かされることのない、作者の強固な信仰の姿である。 私たちの心は海の水のように、少しのことで揺れ動く。人間はそのようなものでそこからどんなにしても不動の確信など生じないとあきらめている人も多いかと思われる。 天地創造の神を見つめ、その万能の力を実感していなければこのような信仰は生れないだろう。人間の信仰がどこまで固くされるか、それをこの詩は指し示している。 このような海の水の混乱と動揺を極めた状況は、この世の現実を思い起こさせる。 次の段落で、この詩は一転する。 川とその流れは、神の都に喜びを与える。(*) いと高き神のいます聖所に。 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。 夜明けとともに、神は助けをお与えになる。 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。 神が御声を出されると、地は溶け去る。 (*)「川」を新共同訳は、「大河」と訳しているが、この原語 ナーハールは、ユーフラテスのような大河をも意味することがあるが、普通の川をも意味する。ほとんどの英訳では、river と訳されている。関根訳、新改訳、口語訳も「川」と訳している。 ここでは、それまでの海の荒れ狂うような状況とは大きく変わって、静かな川の流れの光景が歌われる。 同じ水の集まりでも、このように、全く対照的に並べられている。古代人にとって海の水は人間や船を飲み込み、底知れない深い闇を思わせるものであった。とりわけ、嵐のときには、猛烈な力をもって荒れ狂うので、船などひとたまりもないほどになる。 しかし、もう一つ、全く別の水があり、それがここに言う神の都に喜びを与えるものである。 神の都、それはエルサレムのことであるが、この町は、標高八百メートルほどの山の頂上の台地にある町であって、川は流れてはいない。 それにもかかわらずこの詩の作者は、豊かな川の流れを啓示されたのであった。それは旧約聖書の最初から言われているエデンの園から流れていると記されている川をも思い起こさせる。 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。(創世記二・10) また、預言書にもこのような流れが、エルサレムの神殿からあふれ出るという内容が見られる。 …彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。 …川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。(エゼキエル書四七・1、9) このような記述は、一見したところ、一体何の意味があるのかと、心に残らないかも知れない。 しかし、これは聖書の最初からずっと一貫して示されてきた、いのちの水のことなのである。 この有名な詩の作者もまた、そのいのちの水をまざまざと示されたゆえにこのように詩に組み込んだのである。 山の上の台地、そこには、少し下ったところに泉があって水が時々あふれ出るというところはある。しかし一つの川もないようなところであるにもかかわらず、この詩の作者には大いなる川の流れを見ることができたのである。 いかなる敵が取り巻いても、また天地異変が生じようとも決して恐れない、という強固な信仰だけなら、心は硬化してくるかも知れない。それは冷たく、固い信念に終わるかも知れない。 それがさらに道をそれると、預言者を迫害したり、キリストも同様に迫害された。 強固な信仰をうるおす、いのちの水が流れているのでなかったら、信仰も恐るべきものとなる。 「川とその流れは、神の都に喜びを与える」という一言は、その意味で重要なものを持っている。 神はその流れのある都にともにおられる。夜明けとともに助けを与えて下さる。それは神の助けがそれほどまでにすみやかだと言おうとしている。 この詩は内容的に三つの部分に分かれているが、第一の部分は、天地創造の神であるゆえに、自然や宇宙のどんなことが生じようとも恐れないという確信を見ることができる。 自分の足元だけを見るのでなく、広く天地を創造し支配されている神を見つめること、それがこの詩人の確信の根拠の一つとなっていたのがわかる。 しかし、このような記述から、この詩が作られた状況が穏やかな世界のなかで作られたと思ってはいけないのであって、それは次のことでわかる。 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。 神が御声を出されると、地は溶け去る。(七節) 周辺の国々からはしばしば攻撃がなされ、そこに住む民には危険が迫ってくることが繰り返し生じた。そのような危機的な状況であっても、神はいのちの川を流れさせ、多くの支流によってそこに住む人たちをうるおし続ける。そして確かに人々を守られる。 敵の攻撃がいかに大きくとも、神の一声で「地は溶ける」という。しかし、このような表現を私たちは使うことがないから、何を意味しているのか分かりにくい。これは、神の声によって強固と見える大地が震えること、何の力もなくなってしまうことを意味していると考えられる。 「溶け去る」と訳されている原語は、ムーグであり、これは、つぎのように「震えおののく」と訳されている箇所がある。「土地の住民は皆、我々のことで震えおののいている。」(ヨシュア記二・24) 国々が騒ぎたち、攻撃をしてくるということは歴史のなかでは常に生じてきたことであった。そしてそのたびに国の支配者は恐れ、武力で対抗し、周辺の国々に頼ろうとしたり、恐れにとりつかれることが多く見られた。しかし、神はいかなる事態となっても常にその守りの御手をそこにおいておられるというのがこの詩の作者に示されたことであった。 それは、歴史の流れの中での神の大いなる働きを作者が実感していることがこの詩の第二の部分に記されていることからもわかる。 国々がいかに攻撃を加え、危機に陥って滅びようとすることがあろうとも、神の都には一貫して神のいのちの水が流れ、歴史の混乱にまきこまれずに支えられているのである。 こういう詩編の記述は、現代の私たちにとっては、神を信じる人々、そしてその集まりが、いのちの水によってうるおされるさまを描いていると受けとることができる。 …万軍の主はわたしたちと共にいます。 ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。 私たちの住んでいるこの天地、それを支配する神は、また、長い時間の流れのなかにおいてもその支配を持ち続けておられる。 「万軍の主」という表現はこれも現代の私たちにはわかりにくい。「万軍」と訳された原語は、創世記二章 一節では、「すべて」という語と合わせて用いられ「万物」と訳されている。 万軍の主という表現は、すべてを支配されている主、万物をその支配下に置いて、それらをご自身の悪との戦いの軍として用いる主という意味がある。そこから、この表現は、「全能の主」という意味にも使われることになった。(*) 万軍の主(神)という表現は、聖書においては、とくに預言書などに多く、三〇〇回以上も用いられていることからもわかるように、旧約聖書の神に呼び出された人たちにとって、神とはいかなる神かを明確に表すことのできる表現であった。 それは万物を創造し、それゆえに現在もすべてを支配する神、悪と戦う神、といった力ある神を表す言葉であったのである。そしてそのような神は決して現在は無縁になったのでなく、今の私たちにおいても、そうした力ある神への信仰がいつも求められているのである。 (*)「万軍の主」という言葉は、現代英語訳聖書にも、The LORD Almighty という訳も見られる。(New International Version 他) しかし、どの訳語も不十分ということで、現代の代表的英訳聖書の一つも、原語のまま、Yahweh Sabaoth(ヤーヴェ・ツェバーオース)としている。(New Jerusalem Bible) 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。 主はこの地を圧倒される。 地の果てまで、戦いを断ち 弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。 「心を静めて知れ、 わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。 万軍の主はわたしたちと共にいます。 第三の段落では、未来に向けた作者のまなざしが感じられる。世の終わりを見つめ、神は最終的に何をなされるのかということを常に聖書を書いた人たちは思い描いていた。いかに現実の世の中が、混乱と不正がうずまいていても、またいかに人間の努力や武力などでできないことであっても、神はその全能の力をもって最終的には必ずよき世界を造られるという啓示である。 神はこの世界の悪の力を最後には圧倒し、神のご意志に背く人間同士の権力争いの道具である武力を断つ。このような、世の終わりにおける平和については他の預言者たちも同様に啓示されていた。これは現実の武力や権力、そして貧困や病のあふれる状況をみているだけでは決して生れることのない見方である。まさしくそれは人間社会や思想などとは全く異なるところから、光線のように投げかけられて生れた見方である。 終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい… 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・2〜4より) この詩は最後に、人間の力で解決しようとかいう考えを捨て、心を静めて神に向かうことをすすめている。心をむなしくして神を仰ぐとき、そうした宇宙や歴史、そして将来をもすべてその御手のうちに置かれて支配されている神の絶大なる力を実感してくるからである。そのような神の力は、必ず、国々に知られ、あがめられることを予感していた。 そしてこの詩が作られてから数千年を経て、確かに現代の世の中もいかに混乱があろうとも、そこで心静め、人間の力を捨てたところに、この詩人と同様な、神への固い信仰と、いのちの水にうるおされた人たちが世界に現れ続けているのである。 最後の節に、作者の確信はふたたび繰り返されている。 …万軍の主はわたしたちと共にいます。 ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。 この言葉の意味を現代の普通の言葉にわかりやすく言いなおすと次のようになる。 「全能のゆえに、宇宙万物を支配し、悪と戦う主は、我らと共に永遠にいて下さる。 歴史を通じて無数の人たちに信じられてきた神こそは 、私たちをあらゆる危険から守り、悪の力から救って下さる。」 ことば (207)人を説得しようとすれば、あなたはまず彼らに物質的「利益」を示すか(これはよくない方法である)、それとも彼らの心を獲得するかでなくてはならない。 これをなしとげる最上の道は、神に聞きいれられる祈りによることである。なぜなら、神はどんな人の心をも、その時どきに、以前とはまるで別物に変えることができるからだ。しかもこの心の変化は不思議なほど突然で、しかも決定的なことがある。 いずれにせよ、あなたはある人のため真剣に、くり返し祈ることもしないで、その人に絶望することがあってはならない。(ヒルティ著眠られぬ夜のために下 二月十九日の項) Wenn Sie Menschen uberreden Wollen,so mussen Sie ihnen entweder materielle "Interessen"zeigen,was ein schlechtes Handwerk ist ,oder ihre Herzen gewinnen. Der beste Weg hiezu ist ist das erhorige Gebet; denn Gott kann jedes Herz von Stunde tu Stunde zu etwas andern, als dem bisherigen gewinnen, und diese Ubergange sind oft merkwurdig plotzlich und entscheidend. Jedenfalls verzweifeln Sie an keinem Menschen bevor Sie Gott ernstlich und wiederholt fur ihn gebeten haben. ・他人の心を獲得する、それは金や物を与えることで最も容易にできる。しかし、それは一時的なものであり、不純なものがそこにとどまるから、そのようにして獲得した心などは、すぐに変質する。 また相手の気持を惹くような言葉や行動で相手を得ようとすることも多い。それもまた一時的なものにすぎない。 しかし、神が働いて相手の心を変えるときには、それは永続的なものとなる。私たちはそのために祈るという道が与えられている。 編集だより ○「はこ舟」から「いのちの水」という名前に変更されたことについて、関東地方の読者から、次のような来信がありました。 「救いの舟より、"いのちの水"へと導かれた、御誌のその深い意義に感銘深く読ませていただきました。この混乱の世にあって、一人でも多くの人が、真のいのちの水を求めて、主に立ち返り、主の御栄光があらわれますよう、お祈り申し上げます。」 私たちが何よりも必要なのは、主イエスが言われた意味での「いのちの水」だと言えます。 ○来信より ・いのちの水を毎日いただけて、本当にありがたいですね。「いのちの水」無しには、生きていけないですものね。「野の花」(集会文集)に託された一つ一つのメッセージを重く、ありがたく読ませていただきました。苦しんでいる方、悲しんでいる方、その中から主に従うことを学んだ方々の御言葉は、本当に感謝だと教えられました。(関東地方の方) ・「いのちの水」誌、毎号御送りいただきありがとう御座います。五二九号「災害をどう受けとめるか」を読ませていただきました。 「今回のような事態が生じたから神がいないとかいう言う人もいる」について、確かに天災はもとより、不条理な人災、あるいは先の太平洋戦争に国民を指導していった政府を戦争当時は何故裁かれないのか等々。不満に思った人間の心を思います。 私の所属集会は、関東大震災によって当時鎌倉の自宅が倒壊して、乳飲み子を含む2人のお子様を残して最愛の夫人を失われた先生が、ペシャンコになった家の前に座って思い悩んで居られたとき、「神は愛なり」とのメッセージを受けられ、伝道生涯に入るべく神様に強要されて聖書講義を始められた集会で御座いました。 「聴講自由」のこの集会に、先生の晩年の集会に参列してお話を聞くことが出来ました。その後、先生のご著書により導かれました。多くの人がこの先生によって信仰に入れられ著名な聖書学者、伝道者も輩出されました。マルコ十三・7〜8 に、地震、戦争などが生じるとあり、それと共にイエス様が大いなる力と栄光をもって来臨され、地の果てから天の果てまで四方から選ばれた人々を集められます。 不条理に見えるこの世の出来事、無慈悲と思はれる御仕打ちにも、再臨の遅れにも、そこに神様のご計画があることを思います。「福音は凡ての人に説かれねばならない」がその理由の一つであると思います。(関東地方の方) ・…詩編の中に、旧約聖書と新約聖書と共通するものが流れていること、ルターでしたか、詩編は小聖書であると言ったとか、本当に詩編があって、旧約と新約のキリストが結びつくのを覚えます。(関東地方の方) ・今日頂いた杣友豊市さんの色紙に書かれた毛筆、「神にとって不可能なことはありません」を何回も何回も唱えているうちに、主にあっては、「私にとって不可能なことは一つもありません」…という言葉が浮かんできました。そうだ、がんばろう、神様が守って下さる、八四歳が何だ、…という気持になりました。(四国の方) お知らせ ○第三二回 キリスト教四国集会(無教会)が次のような日程、内容で行われる予定です。 四国集会という名称ですが、従来から、京阪神あるいは、中国地方、関東地方からの参加者もあり、どなたでも自由に参加できます。部分参加も可能です。 ある地域や特定の先生の流れを汲む人たちだけが集まるのでなく、多様な人たちが、ともに主の御前に集められ、ともにみ言葉を学び、讃美し、祈りを捧げ、主にある交流をも深めることができますようにと願っています。 今回のテーマは「祈りと讃美」で、これは、聖書に記されているように、どのような時にも、祈りかつ讃美できる信仰を与えられるようにとの願いから生れたものです。 参加希望者は、申込書に必要事項を書いて郵送するとともに、会費 一万二千円(一泊四食付き)を郵便振替で送金して申し込んで下さい。申込書がない場合は、下記まで電話、FAX、E-mailなどで連絡くださればお送りします。なお、遠隔地からの参加の場合に、前日や15日(日)の宿泊が必要な方は、直接に会場のホテルに、四国集会の参加者だと告げて申し込んで下さい。 ・申込先 〒773-0015 小松島市中田町字西山91の14 吉村 孝雄 ・電話 050-1376-3017 ・FAX 08853-2-3017 ・E-mail:pistis7ty@ybb.ne.jp ・郵便振替番号 〇一六七〇ー六ー五六五九〇 ・日時 五月十四日(土)午前十時〜十五日(日)午後四時 ・会場 徳島市 センチュリープラザホテル (電話 〇八八ー六五五ー三三三三) ・プログラム 五月十四日(土) 九時 受付 10時〜10時40 挨拶 開会礼拝 聖書講話 聖書における「祈り」と「讃美」 吉村 孝雄(徳島) 10時50〜11時40 証し(1) 黄木 定(山形)、 大塚 寿雄(北海道・札幌市) 11時50〜13時50 昼食 自由時間 13時50〜14時20 讃美の時間 全体での讃美、手話讃美、コーラス他 14時20〜14時50 聖書講話 旧約聖書における祈りと讃美 原 忠徳(高知) 14時50〜15時20 聖書講話 新約聖書における祈りと讃美 冨永 尚(愛媛) 15時20〜15時50 会場準備 15時50〜17時50 自己紹介・近況報告 18時00〜19時30 夕食・自由時間 19時40〜21時00 証し(2) 甲藤 浩三(高知)、那須 容平(大阪府高槻市)、鳥羽 勝(東京都多摩市) 21時〜 有志(若者)の交流会 五月十五日(日) 6時30〜7時00 早朝祈祷会 グループ別 7時30〜9時00 朝食、自由時間 9時00〜9時20 讃美の時間 (2) 9時30〜10時20 証し・聖書の言葉に関する感話(3) 勝浦 良明(徳島)、宮田 咲子(大阪狭山市)、 10時30〜11時40 主日礼拝 (題 未定) 朴 ワン(韓国) 新約聖書における祈りと讃美(その2) 関根 義夫(埼玉) 11時50〜13時20 昼食・自由時間 13時20〜14時50 グループ別感話と祈り会 15時00〜16時00 閉会集会 ・各地方からの感想 ・次回開催県より ○なお、前回の徳島での開催のときと同様に、前日から宿泊の方、また会が終了した15日も宿泊する方がおられる場合には、希望によって自由な交流の集まりを持っています。 |
2005/3 |
私たちを見つめるまなざし 2005/2 この世には何も私たちを見つめているものはないのだろうか。私たちの日々の生活を見つめ、罪を犯したときも、また苦しみのとき、悩みのときも深い愛をもって見つめるまなざしなどあるだろうか。 自分を愛してくれる人間はそのような気持で見つめていてくれると思うが、そんな人はいないから自分のことを愛をもって見つめてくれる存在などないというのが、多数の人たちの実感ではないかと思われる。 小さな子供を思う母の心、とくにその子供が病気となり、その原因も分からないときには日夜その子供を見つめ、離れているときもそばにいても、忘れることなく心で見つめ続ける。 しかし、そうした人間の愛情深いまなざしは、一時的なものでしかない。 病気がなおればそうした愛の注ぎは少なくなり、また成長していくにつれて、親子の衝突もあると今度は逆に怒りや反感すら生じてくることもある。 親子の愛でなくとも、人間同士の愛や友情などは概して一時的であり、深いところまで見つめることもできない。たとえ人間的な愛情で結ばれていても、私たちが苦しみ悩むときには、また病気で痛みの激しいとき、それをだれが本当に実感できるだろうか。それぞれの心の奥に宿るものはだれも分からない。 人間の世界ではこのように私たちの魂の深みまで見つめてくれる永続的な存在などは到底持つことはできない。しかしそうした人間の孤独に対して、聖書に記されている神、そしてキリストこそはそのような存在だといえる。 聖書には、そのような神のまなざしが満ちている。というより苦しみや悩みに満ちたこの世の人間に対して愛をもって見つめている存在があることを知らせるための書が聖書なのである。 …しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ローマの信徒への手紙五・8) この言葉を言い換えると、私たちが正しいことに反し、真実なことを求めないで自分中心に生きていたとき(罪人であったとき)からすでに、神はその愛をもって私たちを見つめ、さらに神の子キリストを私たちのために地上に送り、十字架にかけて私たちのそうした罪をも身代わりに罰して私たちを救い出して下さった。 そしてキリストの死と復活のあとは、聖霊となり、生きて働くキリストとなって私たちを見守り、助けて下さっている。 聖書にはそのような神のまなざしがたくさん記されてている。以下に述べるペテロについての記事もその一例である。 ペテロは漁師であって仕事をしている最中にキリストによって呼び出されてその弟子となった。そして三年間、キリストに従った。 しかしイエスが捕らえられていくとき、彼としては死に至るまで忠実に主イエスに従っていくと言っていたが、三度もキリストなど知らないと言ってしまった。最初にペテロが思わずそういったのは、年若い女のしもべに「この人もあの人(イエス)と一緒にいた」と言われたときであった。(*) 命をかけても主イエスに従うといっていた者なのに、何の権力も地位もないそのような少女に言われて、三年も仕えてきたイエスなど知らないと言ってしまったのである。 (*)若い女のしもべとは、原語のギリシャ語では、パイディスケー paidiske といい、これは、子供 パイス pais から作られた言葉であり、少女を意味する。 ここにはいかに人間の決心とか意志、感情などが移ろいやすいものであるか、がまざまざと記されている。 こうした弱さ、醜さというのが、罪であって、これはペテロという人物を通して人間とはそのようなものであることを示しているのである。 このように罪深い存在だからこそ、その罪にもかかわらず私たちを見つめ、その罪を赦し、導いて下さるお方が必要になる。 このとき、主イエスは背いたペテロをも見捨てず、一貫して愛のまなざしをもって見つめ続けておられた。 ペテロの裏切りのまえ、主イエスが十字架に付けられる前日の夜、最後の夕食をしたとき、イエスは、弟子たちのうち、特にペテロに対して言った。 …私はあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だからあなたは立ち直ったとき、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ福音書二二・32) ここには、弟子に対して彼等がこれからどのようになるのか、すべてを見通しておられたのがわかる。その上で、主イエスは、ペテロの信仰がなくならないようにと祈ったと言われている。 それはペテロを見つめることである。だれかのためになされる祈りとは心で相手を見つめることだからである。 そしてイエスはさらにペテロが立ち直った後に他の親しい信徒たち(兄弟たち)をも力づけるような働きをすると予見していたのである。 そうした上で、三度もイエスなど知らないと言ってしまったようなペテロを、見つめられた。そのイエスのまなざしを受けて、ペテロは「激しく泣いた」と記されている。 それは自分の恐ろしい罪の深さ、自分でも全くわかっていなかった弱さ、それにもかかわらず見つめて下さっているキリストの愛に触れたからであった。 私たちもまた同様な状態であるのに気付かされる。いかに正しく生きようと思っても、また自分にはそんな罪などない、他人のことだと思っていても意外な弱さや罪を見出して罪深い本性を思い知らされる。 しかし、そこに注がれるものがある。それは神のまなざしであり、主イエスが私たちを見つめる目である。 目に見えるもののうちでは最も神秘的な存在といえる夜空の星は、そうした神の私たちへのまなざしを暗示するものと言えよう。 大詩人ダンテが、その主著「神曲」において、地獄編、煉獄編、天国編の三つの最後の言葉を「星」(イタリア語でステレ stelle)という言葉で終えているのは深い意味を持っている。(*) ダンテもまた、星をこの厳しいこの世において、神の愛のまなざしと感じていたことをうかがわせるのである。 (*)あるアメリカのダンテ注解者がそのことについてつぎのように述べている。 Each of the three great divisions of the poem ends with the sweet and hopeful word stelle.(「La Divina Commedia」Charles H.Grandgent 308P Harvard University Press ) 星は確かに、いかなることがあろうとも、変わらない神の愛を象徴しているからこそ、神曲の注解者が言っているように、心にやさしく(sweet)、希望を与えるもの(hopeful)と感じられるのである。 そしてそれは夜空の闇のただなかに輝いているように、この世のどんなに暗い状況のなかにあっても、なお私たちに神の愛のまなざしが確かにあることを指し示している。 災害の意味 去年から今年にかけてだれもが驚くような災害が次々と生じた。私の住む徳島でも、台風が前例のないほどに襲来し、かつそのたびに激しい雨、そのため何十年も耳にしたことがないような大水が出て、かつてない状況が現出した。また、川が氾濫して国道のバスまで屋根近くまでつかったり、新潟では今もなお多数の人たちが厳しい寒さと雪のなかを、仮設住宅など不便な生活を強いられている。そのうえに、インド洋での巨大地震と津波がおそったために三十万人以上の人たちのいのちが失われ、まだまだ病気などのために亡くなる人も予想される。 このような災害をどのように受け止めるべきであろうか。 まず私たちが考えておくべきことは、スマトラ沖の巨大地震、大津波は、昼間の行楽地であったためにその生々しい津波などがビデオで撮影されていて、かつて見たことのないような津波の恐ろしさがまざまざと人々の前に浮かび上がったことがある。 それから行楽地であったために、ヨーロッパやアメリカなどの国々からも多くの人たちが犠牲となったことで一層関心が高められた。また、インド洋沿岸地域の広大な地域となり、多くの国々が関連しているために、政治的にも関心が高く、世界の国々から多数の募金が集められた。 しかし、多数の人たち、貧しい人たちが苦しみ、死んでいくという事態は、あのような地震や津波があったから、今回だけそうであったのではない。 ずっと以前から日常的に、極めて多数の人たちが食物すら欠いていることは、例えば国連の機関の出している記事を調べるならすぐに分かることである。 現在、世界で八億人以上が慢性的な飢えに苦しんでおり、毎日餓死している人数二万五千人にも達しているという。(*) (*)(「日本国際飢餓対策機構」や「世界食糧計画 WFPによる。後者は飢餓撲滅を目的として設立された国連最大の食糧援助機関。) 二万人以上もの人が日々飢えで死んでいくということは、一か月で六〇万人以上もの人たちが亡くなっていくということである。この数字は、今回のスマトラ沖の大津波の犠牲者数の二倍以上であり、いかに多くの人たちが貧困で亡くなっているかがわかる。 このような悲劇的事態があっても、そのために日本やアメリカ、ヨーロッパの国々やマスコミはどれほど報道しているだろうか。そんなことを知らない人がむしろずっと多いはずである。 このような食べ物がない、という人たちはそれだけで病気になりやすく、やせ細って医者にもかかれずに、生きていくのすらままならないのであるから観光地などへの旅行どころではない。 このような世界的な飢餓の状況は、もうずっと以前から一部の人たちには知られていたことであるが、新聞やテレビなどではわずかしか報道されないし、政府も力を入れないから一部の人にしか知られていない。 また、南アフリカはアフリカの中でも、大国の一つであるがそこはエイズの人たちが多数苦しんでおり、多くが死んでいくところでもある。毎日六百〜七百人もの人たちがエイズで死んでいるのであって、年間では二十二万人〜二十六万人ほども死んでいることになる。 これは南部アフリカではますます深刻な問題となっており、このままいけば滅んでしまう国もあるのでないかとすら言われているほどである。アフリカ南部の国(ボツワナ)には、エイズ感染者が二五%にも及び、妊娠している女性のうち四三%もの人が、感染していたという。 また、アフリカの二〇年ほども続いてきたスーダン内戦によって、およそ二〇〇万人にも及ぶ人たちが死んでいった。 こうしたスーダンの悲劇などは、ごく一部しか知られていない。マスコミでもほとんど報道しないのはなぜか。それはこのような資源も大してないために国際的に重要視されていないからである。 日本の首相が、平和憲法からしても、イラク派兵ということは間違ったことであるのに、それを人道支援のために行くのだという言葉を繰り返して平和憲法の精神を破ってきた。 もし人道などというのなら、すでに述べたように毎日数えきれないような人々が飢えで死んでおり、エイズで子供や青年のころに死んでいくという悲劇をなぜ、助けようと言わないのか。 私たちもテレビや新聞で報道されることだけが、真実だと思ってはいけないのであって、そうした報道のかげに隠れた部分が必ずある。自分たちの国の利益に関係がなかったら、いかに死者が多くとも放置しておく。そしてマスコミも同様である。 地震や津波で、毎日繰り返し報道されている何分の一かでも、そうした貧困、飢えやエイズなどの悲劇を強調して報道すること、政府もそのようなことにこそ、海外援助協力隊のようなものに力を入れて国際的に実行していくことが、どれほどか世界の平和に貢献するか分からない。 私たちもマスコミの報道からしか判断できないのでなく、いつの時代にも、報道されている悲劇はごく一部なのだということを念頭において置かねばならないと思う。 こうした状況は、今に始まったことでない。 九〇年ほど昔の、第一次世界大戦では、ドイツなどの同盟諸国は死者338万人、英仏などの連合諸国は515万人の死者を出したし、そのときにちょうど流行したインフルエンザは世界で二五〇〇万人もの死者を出している。 第二次世界大戦では、第一次大戦よりはるかに多い数千万の死者を出している。 また、古くは中世には、ペストの大流行があり、わずか五〜六年の間に、ヨーロッパ全人口の二五%ほど、二五〇〇万人を超える人たちが命を落とした。 このような特別な事態でなくとも、またそのような記録になっていないアフリカやアジアなど世界の各地でどんな多くの死者や病人、自然災害が生じたか分からないことがずっと多いのである。 こうした現在の世界各地、そして歴史的に見てみるとき、今回のようなことは特別でなく、たえずこうした大規模な悲劇は生じてきたし、現在は飢え、貧困とエイズということで毎日驚くべき人たちが死んでいるのである。 今回のインド洋での巨大地震関係だけが注目を特別に浴びているが、それは政治やマスコミの扱い方に因っているところが多い。 それゆえ、今回のような事態が生じたから神がいないとか言う人もいるが、実はそういう疑問や議論ははるか昔から言い古されてきたことであり、それをキリスト教は克服してきたゆえに、今日まで続いてきたのである。 キリストはどんな目に会ったか、完全な愛と真実によって生き抜いた人が、あのようなひどい仕打ちを受けて、釘で張り付けられて殺されたということ、それだけ見ても普通の考えからでは、どこに神がいるのか、ということになる。 そのような残酷な光景をまのあたりにし、さらに「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのか!」と叫んで息を引き取ったイエスを見れば、どこにも神はいない、神の助けなどないと思われるのに、そうした一部始終を見ていたローマの兵隊の百人隊長が、「本当にこの人は、神の子だった」と深く心を動かされイエスを信じるようになったのである。 キリスト信仰というのは、いかに目にみえる状況がひどいものであっても、そのただなかに神は啓示を与えられ、神の愛と正義を信じる人を起こされるということなのである。 逆にいかに奇跡を見ても、信じない人は信じないのである。だからこそ、イエスを迫害した人たちは、そうした奇跡を見て、イエスの驚くべきわざを目の当たりにしても信じるどころか、かえってイエスを憎み、迫害するようになったのである。 神を信じることは、いかなる外的状況の中でも生じることである。それは神がそのように導き、啓示を与えるからである。それはキリストの最大の弟子であったパウロの例を見てもわかる。彼は、キリスト教徒を迫害して殺すことにも加担し、その迫害のさなかで、キリストの光を受けて変えられたのである。 パウロはまわりの状況によって信じたのでなく、人の説得にも関係はなかった。どこから見ても信じるような理由はなかったが、神はそこに啓示の光を与えたのである。神が光を与え、人はそれを受けたら信じるようになるのであって、そこには周囲の状況とも関わりなく神は呼び出されるというのをはっきりと示している。 この世は昔から悲しみと苦しみが至る所で存在してきた。それがあるから神がいないというのでは全く人間は神を信じることはできなかったし、神のことが分からなかっただろう。しかし、逆にそのような悲しみや苦しみがあるそのただ中において、神は信じる人を生み出して来られたのである。 また、人間にとって最大の不幸は死ぬことではない。 死が最大の不幸だと考えるのは、死んだら終り、死のあとにはなにもない、と考えるからである。しかし、もし本当にそうなら、私たちは事故に遭っても遭わなくても必ず死ぬ。死が最大の悪なら、人間はいかなる人でも最大の悪に向かって進んでいるということになる。それでは、生きることにどんな意味があるだろうか。どんなに善く生きても、すべて最大の悪に向かっているのが事実ならば、善く生きるということ自体が意味を失ってしまうのである。 このようなことはキリスト教に限らず、すでにギリシャの哲学者も指摘していることである。正義のために迫害され、自ら死刑になることを受け入れたソクラテスは、まわりの人たちに向かって、自らに降りかかった死刑ということは決して災いではないと、つぎのように述べている。 …私の身に降りかかったことは、きっと善いことであると思われる。それで私たちのなかで、死を災いであると信じる者は皆たしかに間違っている。 このことについて私は有力な証拠を持っている。私が出会おうとしているもの(死)が幸いなものでなかったら、いつものあの警告のしるし(*)が私を差し止めないはずは決してないのである。(「ソクラテスの弁明」四〇・C) (*)警告のしるしとは、ソクラテスがすでに子供のときからしばしばあったもので、なにかよくないことをしようとしたら、たとえそれが小さなことがらであっても、必ずそれを差し止める声がするというのであった。ソクラテスがギリシャの悪意ある人々によって死刑が宣告されたとき、それを甘んじて受けようと決断したときに、その声がなにも差し止めなかった。それゆえに、そのことは善いことなのだとソクラテスは確信を持つようになったのであった。 このこと以外に、ソクラテスは、死後に生涯を正しく送った人たちと交わることができるならそれは言葉に言い表せない幸いであると言う。また、 「善き人には生きているときにも、死後にも、悪しきことはひとつもない。」と確信していた。(同41D) キリスト信仰にあっては、死は最悪のものでないことは、当然のことであるが聖書にははっきりと書かれている。だからこそ、キリストもあのように若くして命を終えたが、それによってキリスト教は全世界にひろがることになった。パウロも、死とは、主イエスと永遠にともにあることで、それを本来なによりも望んでいると述べている。 悲劇はいつの時代にもある。そこから神は招いておられる。どんな深い悲しみも、もしそこから神に立ち帰り、主イエスによる罪の赦しを経験し、生きて働く神の御手によって導かれるようになったなら、いのちの水を与えられて新しく生まれ変るなら、そこにこそ永遠の幸いがある。 主イエスが、このように祈れと教えられた主の祈り、そこにもこのようなこの世の厳しい現実に向けた祈りが含まれている。 御国がきますように。この祈りは、神の御支配が来ますようにという祈りであり、正義と愛に満ちた神がこの世を支配し、導いて下さいますようにという祈りなのである。そしてそれは神の御手のうちにあるあらゆる良きもの、愛や真実、正義、清さ等々をも意味する。 私たちが身近な人たち、あるいは日本や世界のさまざまの苦しみに満ちた状況を知らされるにあたっても、そのところに御国がきますように、神の御支配がきますように、と祈ることは、神の愛の御手が悲しみを負った人たちのところに差しのべられますようにという祈りにほかならない。 また、私たちの日毎の食物を今日もお与え下さい、という祈りは、自分の食物を下さいという祈りでなく、「私たち」の食物であり、そこには、豊かな日本であっても、食事もできないような方々、それは病気が重度になった場合には、食物の有り余るただなかにて食物を取り入れることができないのである。そのような人たちにも食物を与えて下さいという祈りも含むことになる。 また、世界のおびただしい貧困と飢えに苦しむ人たちに食物が与えられますようにとの祈りともなり、この祈りは著しく広い範囲を含んでいるのである。 さらにまた、主イエスは「人はパンだけで生きるのでない。神の口から出る言葉によって生きる」と言われたし、ご自分のことを、「私は命のパンである。」と言われ、「このパンを食べるならば、その人は、永遠に生きる。」(ヨハネ福音書六・48〜50より)と言われた。 主の祈りに含まれる「日毎のパンを下さい」という祈りは、通常は口から食べる食物のことを意味しているとされることが多いが、こうした主イエスの言葉を考えるとき、私たちはこの主の祈りが、霊のパン、命のパンであるキリストを私たちすべてに与えて下さいという祈りへと導かれる。 ルカ福音書では、「ああ幸いだ、貧しい者は!」と言われている。なぜ、貧困が幸いなのか、それはそのような中から、神に真剣に求めるときに初めて、命のパンである霊のキリストを魂に受け入れて、そのキリストによって力と慰め、そして永遠の命を与えられることにつながるからである。 「ああ、幸いだ、悲しむ者たちは。彼等は神によって慰められるから」という主イエスの言葉はいつの時代にも生じるそうした数知れない悲しみを背負わされている人への深いメッセージが込められている。 「重荷を負う者は私のもとに来なさい。私がその重荷を軽くしよう」という言葉も同様である。 私たちの世界に満ちている苦しみや悲しみといった状況はつねに存在してきたのであり、そのような闇であるからこそ、神はそこに光を投じて下さったのである。 さまざまの災害や事件という形で現れているように、闇は確かにある、至る所にある。しかし、光も確かに存在する。やはり太陽のように至る所に注がれている。その光を実際に受けたものは、聖書に言われているように、「闇は光に打ち勝つことができなかった」という事実をも体験する。この二つは明確な事実である。私たちは闇の事実の前におののいて打ち倒されてしまってはいけないのであって、もう一つの事実である、光がそこに射しているという事実に固くすがっていくことこそ、求められている。 私たちは、災害などで苦しみにある人たちのことを覚えて祈り、主の御手が触れてくださいますようにと願い続けると共に、身近な人たちで苦しみに遭っている人たちを覚え、できることをなすことの重要性を思う。 そしてどのような苦しみや闇にあっても、光が届かないところがないということを、つねに証ししていきたい。それによって悪に苦しむ人たちが、永続的な光を見出すことを願い続けたい。 讃美の心 キリスト教信仰においては、讃美というのは不可欠なものとなっている。それは聖書においては、その最初の書である創世記にはあらわれない。ノアが長い洪水の期間における箱船の生活からようやく解放されたときでも、神への感謝をあらわすために祭壇を築いたとあっても、讃美の歌を歌ったとは記されていない。 また、その後のアブラハムやヤコブ、ヨセフといった詳しい記述がなされている重要な人物には苦難も降りかかったが、大いなる喜びもあった。しかしそのときでも、祈りや感謝はあっても、讃美を歌ったということはなかった。 聖書で初めて、神への讃美を歌ったと記されているのは、出エジプト記である。モーセが民を導いてエジプトから脱出したあと、敵がエジプトの戦車すべてを動員して追跡し、間近に迫り、前方は海であり、もうそのままでは全滅するかと思われたとき、大いなる神の御手によって道が開かれ、人々は救われたという記述がある。 その直後に、記されているのが聖書における初めての讃美となっている。 モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。 「主に向かってわたしは歌おう。 主は大いなる威光を現し 馬と乗り手を海に投げ込まれた。 主はわたしの力、わたしの歌 主はわたしの救いとなってくださった。 この方こそわたしの神。 わたしは彼をたたえる。 わたしの父の神、 わたしは彼をあがめる。…」(出エジプト記十五・1〜2) 滅びが確定的であったような状況から、神の力によって救われたという疑いようのない事実、そのことへの抑えることのできない感動から初めての神への讃美の歌があふれ出たのであった。 そしてこの讃美に続いて、ミリアム(*)もまた、つぎのような讃美を歌った。 …女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。 「主に向かって歌え。 主は大いなる威光を現し 馬と乗り手を海に投げ込まれた。」(出エジプト記十五・20〜21) (*)このミリアムはヘブル語でより正確にはミルヤームといい、アラム語では、マルヤーム。ギリシャ語では、マリア(maria)となり、イエスの母の名前がこの名であり、また新約聖書には七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリアという女性もキリストに救われた重要な人物としてあらわれる。ここから、英語のメアリー(Mary)、フランス語のマリー(Marie)となって広く人名にも使われるようになった。 このように、聖書においては讃美はなんとなくメロディーにひたったり、現代の若者の音楽によく見られるように激しいリズムや音にひたるというのでなく、救いの体験ということ、神のめざましい力と愛への感動が元になっている。 こうした讃美の重要性のゆえに詩編という形になって旧約聖書に多くのページをさいて納められた。 その詩編の成立にはとくにダビデという一人の人間の果たした役割が大きかったと思われる。彼は、すでに子供のときから勇敢であって、だれも向かうことのできない敵の巨人に対して素手同然で向かっていって勝利したり、軍の指揮においてもすぐれた手腕を発揮した。また若いときから楽器(竪琴)の演奏もできるという音楽的な能力にも恵まれていたうえ、詩という形で深い心の経験を表すことができる人物であった。 詩編とは人間の苦しみや悩みを神に訴え、その苦しみから神の測り知れない力と、神の愛や真実によって、救われたということを述べたものである。それはおのずから曲が付けられ、その感動を多くの人たちが歌うということによって共有することになった。 この詩編の讃美がのちのキリスト教の讃美にも流れ込み、それ以後今日まで無数の讃美がなされ、また生み出されていった。 このようにキリスト教の讃美というのは、まず言葉、詩(歌詞)があったのであり、その歌詞の意味をよく知った上で讃美するということが不可欠になる。 もちろんメロディーやハーモニーだけでも私たちの心に安らぎとか喜びを与えるものであるが、それだけではキリスト教信仰の上からは核心を欠いていることになる。 このことに関連して、祈りにおいても似たことがある。 それは異言といわれている祈りである。何を言っているのか分からない霊的に高揚したときに舌が動くというのが異言といわれており、そのことは、新約聖書ではギリシャのコリントという都市のキリスト者に見られた。 意味不明の異言で祈ることが霊的な賜物としてそれをあたかも特別に大事なことのように言い出す人たちがあらわれたため、パウロは、次のように言ってそのような傾向に警告した。 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。(Tコリント十三・1) だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つか。(同十四・6) このように、意味不明の祈りは、自分自身を霊的に高揚させることにはなっても、他者には何にも役に立たないと言って、意味のわかる言葉で、神からの真理を語ることを強くすすめている。それが次の言葉である。ここで「預言」とは、未来のことを言い当てることでなく、その字のように、神の言葉を預かること、神の言葉を受けて、それを誰でもがわかるように語ることを指している。 皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。(同十四・31) このようなパウロの精神は当然、讃美についても同様であったからつぎのように言っている。讃美とは祈りの延長であり、かたちを変えた祈りに他ならないのである。 では、どうしたらよいか。霊で祈り、理性でも祈ることにしよう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしよう。(同十四・15) こうした記述から、私たちの讃美も単に音楽的に安らぐとか波立った心を静め、気分転換といったことにとどまらず、神への祈りであり、それが他者にも同じように祈りの心を呼び覚まし、ともに祈り合うことにつながっていくことが求められている。そしてそこに、「二人三人私の名によって集まるところに、私はいる。」との主イエスの言葉にあるように、その讃美と祈りのなかに、主イエスはとどまって下さり、聖霊を注いで下さることが期待できる。 休憩室 ○この頃の星(二月下旬) 夜十一時頃に、東の方をみますと、やや南よりにだれでもすぐに目に入る特別に明るい星が上ってくるのが見えます。それが木星です。木星のすぐ右下に見える明るい星は、乙女座の一等星スピカで、木星の左(東)にはやはりかなり明るい星があり、それは牛かい座のアークトゥルスです。これらの星は、よく目だつので、木星をまず見付けると他の星はここに書いた順で探せばすぐに見つかります。そして、北東の空からは、北斗七星がひしゃくを立てた形になって上ってくるのが見えます。 木星は、マイナス二・五等ほどの明るさを持ち、恒星のうち最も明るいシリウスがマイナス一・五等なので、それよりもかなり明るく、とくに「夜半の明星」と言われたりするのです。 これらの星は夜明けの五時ころになると、木星は、南西の空に動き、乙女座のスピカは木星のすぐ左に見えます。そしてアークトゥルスは、木星の上方、天頂(真上)に近いところに見えます。 都会ではこうした星も建物の照明などのため見えにくいし、高層ビルに囲まれて視界も狭い上に、地上の人工的な光がたくさんあって星の清い輝きがかき消されています。 しかし、そのようななかであっても、これらの明るい星は、見ることができるので、しばし地上の世界から離れて天地創造の神を思い、心を高みに引き上げることはできると思います。 ことば (205)あらゆる種類の失意について心の準備をしておきましょう。私はそのような準備が必要であることがわかるのです。 自分がなすべきことをしてその結果は神にゆだねること、これより他に私たちに何ができるでしょうか。また何をするつもりでいられるでしょうか。 神の御心は、天に行なわれると同様に地にも行われるのです。(「ナイチンゲール言葉集」124頁 現代社) ・私たちがなにかをなそうとするとき、その最悪のことが生じるときの心の準備をいつもしておくということである。一生懸命にやったのに、全く理解も評価もされない、あるいは逆に悪く言われるなど、失望落胆するような事態が生じることをあらかじめ覚悟しておくように言われている。 実際、そのようなことが生じるかも知れないからである。例えば、人にキリスト教のことを紹介しようとするとき、そのために悪く言われることがあり得ると心の準備をしておくことである。また、私たちに何ができるかを祈り、考えてなしたあとは、それがどのように受けとられようと、誤解されようとそれをすべて神に預けておく。これは神を信じることから自ずから生じる姿勢となる。 ナイチンゲール(1820〜1910)は、イギリスの看護婦。イタリアのフィレンツェ生れ。クリミア戦争に際し多くの看護婦を率いて傷病兵の看護に当り、「クリミアの天使」と呼ばれた。 (206)…この一つのことをこそ、真理と認めることが必要である。ー それは善き人に対しては生きているときにも死んでからも、いかなる災いも起こり得ないこと、またその人は、何と取り組んでいても、神々の配慮を受けないということはないということである。(「ソクラテスの弁明」41D) ・この言葉は、ソクラテス(前470〜前399)が死刑の判決を受けて、死を前にして語った最後の部分にある。これは「弁明」というタイトルで知られてきたが、内容は、弁明というよりは、彼が何を考え、いかに生きてきたかの力強い証言である。彼に言われた罪とは、自分が子供のときから神の霊の語りかけを受けて、間違ったことならどんな小さいことでもそれを差し止める声が聞こえてきた。その導きに従って彼は人間のまちがった考え方をたえず話し合いによって正しい方へと導いていったが、そうしたことが「国家の認める神々を認めないでその代わりに新しい神の霊を信じるようにと教えた」として、青年たちを腐敗させたというのであった。 このように、聖書の世界を知らされていなかったところにも、正義の永遠的な力を信じ、いかなることがあろうとも、悪が正義に打ち勝つことはあり得ないという確信を持った人が起こされていたのである。 私は大学時代の後半期にプラトンの著作を初めて知らされ、その深い洞察に魂の目を開かれていった。そしてそうした心の準備を経てキリスト教へと導かれた。歴史的にみても、ローマ帝国の精神的土壌は、ギリシャ哲学がもとにあり、それによって耕されたところに、キリスト教が入っていったのであった。 編集だより ○一月号の新しい誌名「いのちの水」を見て、魂をうるおす「いのちの水」という意味だと知って、サマリヤの女が水を汲みに来て、イエス様からいのちの水を教えられたことを思いだしました。 私は、讃美歌273番の四節を口ずさみました。(*)…(関東地方の方) (*)君はいのちの みなもとなれば たえず湧きいで こころに溢れ 我をうるおし、渇きをとどめ とこしえまでも やすきを賜え。 ○…私は、大学時代にヨハネ伝四章の、サマリヤ女のスカルの井戸での「いのちの水」の礼拝講話に打たれて無教会に導かれました。この時代に「はこ舟」から、「いのちの水」という誌名になりましたことは、まことに適切で時代の要請でもありましょう。…ヒルティの「力の秘密」という論文など何回読んだことでしょう。まさに若き日の羅針盤でありました。…(関東地方の方より) お知らせ ○四国集会…五月十四日(土)午前十時〜五月十五日(日)午後四時まで、キリスト教四国集会(無教会)が、徳島市で開催されます。徳島での開催のときには、近畿、中国、関東地方などからの参加者もあり、どなたも自由に参加できます。テーマは「祈りと讃美」です。今月号に書きましたように、この二つは本来一つのものです。苦しみのときにも祈りによって力を与えられ、また他者とも祈りによって深いところでともに歩むことができます。「祈り、かつ働け」という有名な言葉がありますが、その二つのことによって神は私たちにそのわざを示して下さり、そこから神に感謝と、讃美が生れます。この世の闇にあっても、なお神を讃美することができるならそれは人生の目的を達していると言えます。 ・聖書講話は 関根 義夫(浦和聖書集会)、冨永 尚(松山聖書集会)、原 忠徳(高知聖書集会)吉村 孝雄(徳島聖書キリスト集会)の四名。 ・証し(信仰の歩みの証言)は、四国内外から五名前後の方々にしていただきます。 ・特別讃美として、独唱、コーラス、手話讃美、楽器演奏など。 また今回のテーマに合わせて、小グループに別れての祈りの集まりもあります。祈りについては、議論とか講話以上に、まず祈り合うことが重要だからです。 徳島聖書キリスト集会案内 ・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。 (一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。 (二)夕拝 毎火曜夜七時30分から。 毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。(場所は、板野郡藍住町の奥住宅、徳島市国府町のいのちのさと、吉野川市鴨島町の中川宅)です。 ☆その他、読書会が毎月第三日曜日午後一時半より、土曜日の午後二時からの手話と植物、聖書の会、水曜日午後一時からの集会が集会場にて。また家庭集会は、板野郡北島町の戸川宅(毎週月曜日午後一時よりと水曜日夜七時三十分よりの二回)、海部郡海南町の讃美堂・数度宅 第二、第四火曜日午前十時より)、徳島市国府町(毎月第一、第三木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、徳島市応神町の天宝堂(綱野宅)、徳島市庄町の鈴木ハリ治療院などで行われています。また祈祷会が月二回あり、毎月一度、徳島大学病院8階個室での集まりもあります。問い合わせは次へ。 ・代表者(吉村)宅 電話 050-1376-3017 |
2005/2 |
主にあって喜べ 2005/1 地上に生きるかぎり、私たちの生活にはさまざまの心配や苦しみ、また悩みは終わることがない。ある大きな問題が解決されたらどんなにいいだろうと思っていても、それが実際に解決されてもまた新たな問題が生じてくるものである。 それは個人的には病気や、家族の問題、また職業や経済的な問題、人間との関わり、あるいは将来の問題など、また一度目を外部に向けても、災害や飢え、貧困、あるいは戦争など世界の国々においてもつねに見られる。 どのような人でも、こうした何かの悩みをかかえている。それらがないという人がいるとしても、それはただ目先のことを考えているからにすぎないとか、何かが生じるその直前の状態である場合が多い。 そしてこれらの問題を自分の力で解決しようとしても、とうていできないというのを感じるからこそ、それが重い問題となり、心に暗い雲となってくる。 また、次々と生じる世界や日本の災害などに直面して、神などいないのではないか、と考える人もいる。 しかし、このような状況はいつの時代にもあった。神はその暗闇のただなかから、光を投げかけておられるなである。私たちは、ただ神を見上げることによってその光を受けることができ、この闇のただ中にあっても不思議な力と前方に輝く光を見ることができるようになる。 光を与えようとされるのは、神の愛のご意志なのである。 この光を受けるとき、私たちは悲しみのなかにあっても、ほかでは感じなかったある主の平安を与えられる。それが新約聖書で言われている、「主を喜ぶ」ということである。 苦しい出来事そのものを喜ぶことなど到底できないが、そこからの逃れの道、救いの道として神を喜ぶことができるという、まったく意外な道を神は備えられたのであった。 キリスト教の生命はそこにある。罪という暗闇や死に至る道程に呑み込まれそうになっても、そこから立ち止まって主を仰ぎ見るだけで、あらたなところに移されるのである。 主イエスは、「悲しむ者は幸いである」と言われた。なぜそんなことがあり得るのか、それはその悲しみの中から主によって喜ぶことができるからである。 涙のなかから仰ぐときにこそ、主の御顔を最もはっきりと見ることができる。 楽しいこと、遊びや飲食などに心が一杯になっているときには、そうした深い喜び、主がともにいて下さるというしみ通るような実感というのは決して感じられないのである。 この世は深い謎に包まれている。何の罪もないような人、貧しさにあえぐ人がさらに困難な目に遭って苦しまねばならないこともある。神がいるのになぜ、悪がはびこり、正義が踏みにじられているのかと、強い疑問の声をあげる人もいる。 しかし、主が私たちの魂の近くにきて下さり、主にある平安と喜びを感じたとき、初めて、主はたしかにこの混乱の世にも変ることなく生きて働いておられることを実感する。そしていっそう神などいないという世の人々の声は過ぎ去った風のように力なきものとして感じられる。 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。(ピリピ 四・4)(*) 喜ぶというようなことは、命令されてできるのか、と不思議に思う人も多いのではないかと思う。およそ、喜べ、というような命令は考えられないことである。しかし、キリストを信じることの本質的な意味はいつどんな時にも喜ぶことができるような賜物を与えられるということである。それは高い目標であり、究極的な状況だと言えよう。 こうした主にある喜びは、別の箇所では、聖霊による喜びとも言われている。「聖霊の実は愛、喜び…」と言われている通りである。 この箇所についてある注解者はつぎのように記している。 あらゆるところで、またどんな状況のもとでも喜ぶ! ここに、この手紙の基調がふたたび響いている。(一・4、一・18、二・17〜18、三・1などを参照)そしてそれはこの手紙を読む信徒たちに、聖なる命令(divine imperative)として伝わってくる。 「喜ぶこと、自らを励ますこと、力付けること、元気を出すことなどは― キリスト者の理解するによれば―ほかの命令と同様な命令なのである。(カール・バルト)」 周囲の状況が喜びがあるかどうかを決めるのでない。主にあって、主との生きた交わりによって、信徒はいかなる状況のもとにあっても喜ばねばならないし、また喜ぶことができるのである。それゆえに、ここに使徒は繰り返し命じている。「喜べ!」と。(THE NEW INTERNATIONAL COMMENTARY ON THE NEW TESTANENT/ PHILIPPIANS 140P) 「福音」とは、「よき知らせ」というのがもとの意味である。よき知らせとは、喜びの知らせであるからこそよき知らせなのである。イエスが誕生したときにも、天使たちが讃美した内容はまず、第一に喜びであった。 天使は言った。 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。…」(ルカ福音書二・10〜11) また、主イエスも、迫害され苦しめられるということは、耐えがたいことであるのに、つぎのように命じられた。 …わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 喜べ。大いに喜べ。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ五・11〜12) しかし、そのような命令は、できないことを命じているのではない。敵を愛し、敵のために祈れということも、同様で、自然のままの人間はできないが、主イエスと深く結びつくことで可能となっていく。 同様に、この命令も、主と深く結びつくことによってのみなしうることであり、こうした命令は、主と深く結びついてあれ、ということを言い換えたものとも言える。 遠くの高い山々を見つめるように、私たちはこのような、困難のただなかにすら与えられる主にある喜びを思う。現状ではそれがとても経験できないという者であっても、見つめて求めていけばそうした天の国の喜びは必ず流れてくる。 (*)このパウロの言葉は、印象的な言葉であり、参考のために他の訳をあげる。 ・汝ら、常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんじら喜べ。(文語訳) ・Rejoice in the Lord always. I will say it again: Rejoice! (NIV) ・Freut euch im Herrn zu jeder Zeit! Noch einmal sage ich: Freut euch!(Einheits-ersetzung) (このように、感嘆符をつけて、パウロの強い気持を表現しようとしている訳は英、独、仏、スペイン語など各種の外国語訳に見られる。) 語りかける神 人間の声、意見しかないようにみえるこの世にあって、神は生きて働いておられるゆえに、私たちが予想もできないような状況において、また思いがけない場所や時を選び、人を選んで、神は呼びかける。 去年、カナダに英語の学びに行った県外のある青年が、そこにおいて、キリスト信仰の重要さを深く感じる経験を与えられたということで、予定より早めに帰国して、二週間ほどということで私たちの徳島聖書キリスト集会の各地での集会(家庭での集会)に参加している。 こうしたことは本人もその家族もまわりの人も予想しなかったことであろう。 思いがけないことは、この世にはいくらでもある。しかしそれは私たちの予想を超えたよい方向へというのでなく、しばしば望んでもいないこと、予想もしないよくないことである場合も多いし、よいことと思えても、その後別の事情によってよくないことに変わってしまうことも多い。例えば、よい相手だと思って結婚してもひどい人間だったとか、子供が生れて喜んでいても、その子供に生涯苦しめられるとかいったことも多いと考えられる。 しかし、今も昔と変ることなく、神は人に対して必要なときに思いがけない呼びかけをされ、その呼びかけを受けた者は、いかに周囲の者がその経験を無視または否定しようとも動かされない精神の基盤を与えられる。 そしてその呼びかけに従っていくならば、あとで悪い結果になるということなく、必ずよい方向へと向かわしめるものなのである。 キリスト教の最大の使徒パウロは、キリスト教徒を迫害しているそのさなかにキリストからの呼びかけを受けて、キリストの使徒となった。ほかのヨハネとかペテロ、マタイなども、漁師や徴税人として仕事をしているそのときに、突然思いがけない呼びかけを受けたのであった。そしてこれらのことは、単に昔そんなことがあった、ということでなく、現在も生じていることなのであって、その預言ともなっているのである。 この世には思いがけない苦しみや悲しみがよく起こるし、新聞などでもよく報道されている。しかし、愛の神がなされる思いがけない呼びかけや喜び、あるいは平安などが現在も変ることなく、神の御計画にしたがって人々に与えられているということは二〇〇〇年の間、変ることがない。 私たちが開かれた耳と目を持っているなら、周囲のさまざまの出来事、それは個人的な出来事、周囲に起きること、あるいは風にそよぐ木々の音や雲の動きなど自然の風物なども、そこに神からの愛の呼びかけがあり、神の国へと招き、導こうとしておられるのだと感じられてくる。 聖書で言われている神は、愛の神であり、愛はつねに語りかけて止むことがない。 いのちの水 水はいのちを支えるものとして広く知られています。食物は食べなくても水さえあれば、一カ月ほども生きられるが、水がなかったら、三日ほどしか生きられないと言われています。 なぜ、水がなかったら生きていけないのか、それは水はからだに酸素や栄養分を運んでいるので、水が十分になかったらそれが運べないし、ことに脳に酸素が行かなかったらすぐにその働きは止まってしまい、それは心臓や肺の動きも支配している中枢が動かなくなるということであり、生きていけなくなるわけです。 水は、体全体に、養分を送り、酸素を送って支えていますが、それだけでなく、筋肉で生じた熱を全身に伝えたり、細胞内での複雑な化学反応なされるためにも水は不可欠です。また体内で不要となったものを排出するためにもなくてはならないものです。 また、私たちの目にする動植物もすべて水がなかったら生きていけないのであって、イスラエルのような乾燥した地域でも、古代からブドウやイチジク、オリーブなどが知られていますが、それらは地中深く根を降ろしてわずかの水分を取り入れて生きているのです。 さらに、地球全体を考えてみると、水は広大な海、川、そしてそれらが蒸発して雲となり、雨となって大地をうるおし、そしてふたたび、川や海に流れ…と循環して地球上の生物全体を支えています。 こうした極めて重要な性質ゆえに、古代から水は根源的なものだとみなされ、すでに紀元前六世紀のころにギリシャの哲学者、ターレスは、万物の根源物質(元素)は、水だと考えていたし、その後の哲学者たちもやはり水は根源物質とみなしたのです。 私たちに毎日身近なものとなっている、火曜日、水曜日といった曜日の名前のうち五つは、中国の五行説(*)からきていますが、そこにも古代中国の思想家たちも、やはり火や金(金属)とともに、水も根源的なもの、重要なものとみなしていたのがうかがえます。 この水の重要性は精神的な世界、目には見えない世界においても同様です。人間はふつうの水がなくては生きていけないけれども、精神的にも目には見えない水がなかったら生きていけないのです。 それは聖書の世界では古くから、旧約聖書の最初から強調されています。 ふつうの水と同様に、全世界に流れていくべき霊的な水があるということは、すでに創世記によっても預言的に記されています。 …主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。(創世記二・4〜6) こうして、創世記の天地創造の記述のもう一つの伝承(*)によれば、創造の最初には渇ききっていた状況がまず記されていて、そこに最初の重大な現象として、水が地下から湧き出たということ、それによって地上の全世界がうるおされたというのです。 そして、さらに、つぎのような記述が続きます。 …エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川は…で、第二の川は、クシュ(エチオピアとも言われる)…第三の川は、チグリス、第四の川は、ユーフラテスであった。(創世記二・10〜14より) ここで言おうとしていることは、その重要な水はエデンをうるおしたのちに、四方へと流れだし、全世界をうるおしていったということなのです。古代文書において「四」という数は、全世界を象徴的に意味していたのです。 神が完全な園として造られたエデンの園を特徴付けているのは、全体をうるおす水であり、それが流れ出た水がさらに全世界へと流れて行ってうるおすというのです。 この記述から見てもいかに、水の重要性、それは神の楽園だけでなく、全世界へと流れてやまないものであり、世界をうるおし、生かすものだということが強調されているのです。 このような、万物を霊的に支える水があるということを、その創世記の著者は驚くべきことに今から三〇〇〇年近く昔にすでに知っていたのです。それは単なる哲学的考察とかいったものでなく、神からの直接の啓示でそのとようなことを知らされたからでした。 (*)創世記はいろいろのもとになる文書を組み合わせて構成されている。ヤハウエ資料による天地創造の記述では、現在の創世記の二章四節後半からがその始まりとなっている。そこでは、まず人間が創造されている。また創世記第一章から二章前半までは祭司的資料がもとになっていて、独特の荘重な記述になっている。このほかに、エロヒム資料というのがある。ヤハウエ資料というのは、神の名を使うときに、ヤハウエという名称を使っているからである。これは、紀元前九五〇年ころに書かれたと考えられている。エロヒム資料というのは、神の名を使うとき、エロヒムが用いられているからであり、紀元前八五〇年〜七五〇年頃に北王国で書かれたとされている。また祭司的資料というのは、紀元前五八七年に、当時の大国バビロニア帝国が攻めてきて、ユダの多くの人々が遠くはなれたバビロンに捕囚として連れて行かれた後に、名の分からない祭司が神の霊を受けて書き記したと言われているもの。 さらにこうした啓示は、今から二五〇〇年あまり昔の預言者であった、エゼキエルも受けています。 …彼(み使い)はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。… 更に四五〇メートルほど行くと、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。 …これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返る。…この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。(エゼキエル書四七・1〜9より) この心を惹く驚くべき記述は、神のいます神殿からいのちの水が湧きあふれ、それがたちまち大いなる川となり、世界へと流れ出ていくというのです。それは周囲のものにいのちを与える水であると言われます。 このような記述は単なる空想でなく、神がたしかに生じることとして、創世記の著者やエゼキエルという預言書に特別に示したということができます。 そしてそのことは一種の預言でもあったので、それはキリストによって成就されることになったのです。 これは、聖書においてはつぎのような箇所をあげることができます。 …祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ福音書七・37〜38) ここでは、とくに主イエスが特別に力を込めて強調していることが分かります。それは「最も盛大に行なわれる最後の日に」、とくに「立ち上がっ」て、しかも「大声で」というように記されています。 それはこのことが、キリスト信仰の中心にあるからです。キリストを信じることで何が与えられるのか、それは、ここで言われているような「いのちの水」が与えられて、それまでの魂の渇きがいやされ、さらに、周囲にもそのいのちの水が流れだしていき、まわりをもうるおすというのです。 そのためにこそ、キリストは十字架にかかり、私たちの罪を赦し、清めて下さったのです。 このいのちの水とは、神の聖なる霊、聖霊であるとこの箇所のすぐ後で言われています。 たしかに、キリストを裏切り、逃げてしまった弟子たちが再起して、力強くキリストの復活を証ししていき、キリスト教が世界に伝わっていったのは、まさにこのいのちの水である聖霊を受けたからでした。 このように、いのちの水としての聖霊は、キリストの福音を全世界に伝えていく原動力となりました。たしかに、キリストを裏切り、逃げてしまった弟子たちが再起して、力強くキリストの復活を証ししていき、キリスト教が世界に伝わっていったのは、まさにこのいのちの水である聖霊を受けたからでした。 このいのちの水については、もう一つとくに有名な箇所があります。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ四・14) この主イエスの言葉は、さきほど引用したエゼキエル書の言葉がイエスによって霊的な意味で実現したということを示しています。 つぎの讃美歌はこのことを歌っています。 天つ真清水(ましみず) 流れ来て あまねく世をぞ 潤せる 永く渇きし わが魂も 汲みて命に 帰りけり 天つ真清水 飲むままに 渇きを知らぬ 身となりぬ 尽きぬ恵みは 心のうちに 泉となりて わき溢る(讃美歌 二一七番) この「いのちの水」の重要性は、聖書の最後の書である、黙示録にもその終りの部分で現れます。 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。(黙示録二二・1〜2) このように、キリストの福音の約束する究極的な世界もまた、いのちの水の流れる光景として描かれています。 聖書の巻頭にある創世記から、黙示録に至るまで、神に動かされた人たちは、一貫していのちを与える水、神の聖なる霊が注がれる世界、その霊の満ちた世界があることを示され、それを人々に指し示したきたのです。 人間は水がなければ生きていけない。しかし、それは人間だけでなく、動物も植物も同じです。 主イエスは、「人は、パンだけでは生きられない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ福音書四・4)と言われましたが、それと同様のことが水についても言えるのです。 人間に特別なことは、口から入る水だけでは生きてはいけないのであって、神から与えられるいのちの水が不可欠です。どんなに口から入る食物や水があっても、心は満たされるということとは別です。日本は水は豊かに恵まれています。食物も同様で、学校給食や宴会場、コンビニなどから捨てられている食物はおびただしい量にのぼります。しかし、心が満たされているかというと決してそうではないは多くの人が感じているところです。 どんなにふつうの水があっても、心まではうるおされない。魂の深い渇きを満たすものこそは、キリストが与えて下さる「いのちの水」にほかならないのです。 すべてに打ち勝つもの どのような困難や事故、苦しみにも打ち倒されず、かえってそうした困難を霊的な栄養として受け取り、より力を与えられて前進していく(勝利していく)ためには何が必要なのか。それについてはいろいろなことが言われてきた。 一般的には、そうしたことに対して、お金とか他人の助けも必要、だが根本的には、自分の意志や努力、考え方を変えることなどが、重要だと言われている。それはそれで重要なことには違いない。しかし、本当に苦しいときというのは、お金の力も助けとなる人間もいない、自分の考えすらまとまらず、またその意志すら落胆や苦しみのあまり、何をなす力もなくなってしまうのである。 聖書はまさにそのような勝利の道を随所に明確に指し示している。ここでは、ヒルティの著作からその聖書の示す道を彼の言葉で学びたい。 愛をもってすれば、あらゆるものにうち勝つことができる。(*) 愛がなければ、一生の間、自己とも他人とも戦いの状態にあり、その結果は疲れてしまい、ついにはこの世を嫌うようになるか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。 しかし、愛はつねに最初は困難な決意であり、つぎには神のみ手に導かれてそれを行いうるまで長い間たえず学ぶべきものであって、愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。 人が、愛を持ったときには、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。 なぜなら、愛は永遠の実在と生命の一部分であって、これは、すべての地上のものとちがって、老化することがないからである。(「眠れぬ夜のために」下巻 一月九日の項) (*)ヒルティのドイツ語原文では、Mit Liebe ist alles zu uberwinden. 彼の墓碑銘に刻まれたラテン語では、AMOR OMNIA VINCIT. [アモル(愛) オムニア(すべて) ウィンキット(勝つ)] ・ここでいわれている愛は、もちろんこの世で歌やドラマなどでいわれている愛とは本質的に異なる、神の愛である。それゆえヒルティが言っているように、それはだれも生まれつき持っているものではない。聖書はこのことをはっきりと述べている。 あなた方も、私につながっていなければ、実を結ぶことはできない。(ヨハネ福音書十五・4) 霊(聖霊)の結ぶ実は、愛であり、喜び、平和…である。(ガラテヤ書五・22) だれでもキリストに結びついていなかったら、愛という実を結ぶことはできないのである。それはキリストから、神から与えられるものだからである。 また、私たちは日々勝利していくか、敗北していくかである。その勝利のために、神の愛こそが不可欠である。ヒルティは、このはじめの短い言葉が、人生の結論的なものであったから、この言葉を墓碑銘に選んで、彼の墓にはこの言葉がラテン語で書かれている。なお、だいぶ以前に発行された白水社からのヒルティの著作集(全十二巻)の各巻の目次の手前のページには、その墓碑銘の部分が写真で取り入れられている。 ヒルティはとくに、「あらゆるものに」という言葉を強調している。それは人間の生活で直面する、孤独や誤解や中傷、不和、罪、心配や不安、病気、貧しさや他者からの軽視等々、私たちがそれらに出会うと怒ったり、落胆したり、憎んだりするようになるのはそれらに対して勝利できず、敗北したためであると言えよう。 勝利するとは、そうしたあらゆる不快なことに対して、その背後に神の御手を感じ、そうした不快なことやそれを起こした人間への静かな祈りを持つようになることであるし、神を見上げ、神からの無限の力の一端をも頂くことである。悲しむ者は幸いだ、との主イエスの言葉は、悲しみのままでいるのでなく、悲しみの中から神の力を与えられて、そこに大きな幸いがあるということであり、それこそ、その悲しみに勝利したということである。 この世の愛は、盲目にする。自分の子供だけ、自分の好きな人だけに向かうような感情をふつうは愛といっているが、そういう愛が激しくなるほど、相手しか見えなくなる。そしてひどい犯罪すら犯すことがある。 それに対して、神からの愛は、冷静に人間や事態を洞察するので英知を伴う。また、相手がひどいことをしてもだからこそ、そのような悪にとらわれた人間の魂がよくなるようにとの祈りを持つようになる。それゆえ、忍耐するようになる。 神は愛である、といわれるように、神の本質の一部であるからこそ、そのような愛はすべてに勝利する。最も奥深い妨げである、悪そのものにも勝利させる力があるゆえに、現在の苦難、災害や事故、病気などの苦しみや悲しみに打ち倒されず、最終的に勝利することができるのは、やはりこうした神からの愛によってのみ打ち勝つことができる。私たちはただそのような豊かな神の愛をわずかしか与えられていないことが問題なのである。 主イエスが、「求めよ、そうすれば与えられる」と約束して下さったのは、このような愛に対してもいわれているのである。人間の愛は、求めても与えられないことが多い。しかし、神の愛は、真実な求めに対しては必ず与えられるという約束なのである。 日々新たに 私たちは、日々老化している。五十歳を過ぎれば、そのことは、次第に実感されてくる。最初に感じるのは、視力の衰えであり、はやい人は、四十歳代から老眼の傾向が生じる。 しかし、ほかのことでも、若い間はそのことを感じないが、自分の体調だけでなく、まわりの人の状況などからも確実に衰えていくのを感じるようになる。 そのようなごく当たり前のことと全く違って、日々新しくされるということが聖書では言われており、しかもそのことが数知れない人たちによって実感されてきたのである。 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っている。… だから、わたしたちは落胆しない。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていく。(Uコリント四・16) 使徒パウロが落胆しないといっているのは、復活の確信があったからである。そしてその復活とは、世の終わりのときだけに初めて生じるのでなく、すでにこの世に生きているときから、新しい命で生かされることによって味わうことができるようにされている。 そのことを、「私たちは日々新たにされていく」と言っている。 当時、使徒は、不信実な人たちから攻撃され、彼等は、パウロに対して本当の使徒でないなどと中傷し、パウロとコリントの集会の人たちとのつながりを壊してしまおうすずくような隠れた悪事が彼になされていた。 しかし、そのようなことがなされても復活のいのちにあふれているときには、気力を失うことがなかった。 落胆しない、そのことは、この言葉の少しまえにも、言われている。 主は、霊である。主の霊のあるところに自由がある。 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく。これは主の霊の働きによる。 こういうわけで、私たちは、憐れみを受けた者としてこの務め(福音を宣べ伝える務め)をゆだねられているのだから、落胆しない。 (Uコリント三・17〜四・1) このように、繰り返し、「落胆しない」という言葉を述べている。パウロが生きていた時代にも、パウロでさえも気持ちをゆるめていたら落胆するようなことがたくさんあったからである。このような現実に直面しているただ中で書かれている。 現代に生きる私たちにあっても、たえずそのような状況に直面する。誰でもこの世で生きていく過程の中で、自分が思っているような方向や希望、期待から大きくはずれてしまうことがしばしばある。期待はずれどころか、全く予想していなかったような病気や事故、家族の問題、様々な苦難に逢って、落胆してしまう。 その落胆がひどいと生きていけなくなり、自ら命を断つことさえある。 このように落胆することがたくさんあるなかで、パウロはどのようにして力を得ていたのかが今日の箇所である。 「闇から光が輝き出よと命じられた神は、私たちの心の内にもその光を照らしてくださった。」 闇から光が出よという言葉は、創世記の最初のところにある。創世記の言葉をパウロは私たち一人一人の心の闇のなかに、またこの世の闇のなかに「光あれ。」と言って、光を下さる神のご意志を表していると受け取っていた。 人間の心は闇である。そしてその人間の集まったこの世も闇である。だからこそ、光あれと言っていただく必要がある。その光が与えられた。 この光が落胆することから立ち上がる力になる。私たちが落胆するときは、心は真っ暗な闇である。そこに光がなければ生きていけない。そうした光を与えて下さったとパウロは言っている。 この光をパウロは特に「キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光」とある。 神からの光が与えられたのである。その光によってキリストが単なる偉大な人間、というのでなく、神と同質のお方であり、キリストにあらゆる神の本質があるということがわかるようになるのである。 この光をパウロは、「宝」と言っている。彼は、かつてはキリストこそ、真理を妨げる最大の存在であるとみなし、そのキリストを伝えようとしているキリスト者たちを激しく迫害していたのであった。 神からの光が与えられなかったら、宗教熱心であった人でも、学問的に優れた人であっても、かえってキリストを迫害してしまう。当時、キリストを捕らえようとし、重い罪人だとしたのは、ユダヤ人のうちで宗教熱心とみなされる人たちであった。 現在の私たちは歴史のなかでキリスト者たちが、測り知れないよき働きを重ねてきたゆえ、たいていの人はキリストはすぐれた第一級の人間だと知っている。しかし、やはり神の光が与えられなかったら、そのキリストもただの過去の人、偉人の一人だとしかわからない。 天地創造のときの、「光あれ!」というのは実は、単に昔の宇宙の創造のときにだけ言われた言葉でなく、あらゆる時代に生きる人間に対して言われた言葉であった。そしてその言葉を受けるときには、私たちがどのようなみじめな者であっても、キリストのことがわかり、そのキリストからパウロがそうであったように、神の力を受ける。しかも永続的にである。 この宝が土の器に与えられている。(Uコリント 四・7) パウロは、自分に与えられた大いなる賜物を宝と言ってそれが、「土の器」に与えられたと言っている。宝とはすでに述べたように、神から与えられた光であるが、それは他のあらゆるよきものを含むと見ることができる。その光によってパウロは福音を宣べ伝えるという働きをも与えられた。そのような使命もまた大いなる宝であった。 そして、キリストがどういうお方であるかが啓示されたということは、キリストが自分のうちに住んで下さるという驚くべき事実、キリストの復活の力、キリストの愛、キリストから与えられる罪の赦し、そして日々の導きなど、すべてそれらを通してキリストが神の力をすべて持っているお方だと実感していったのである。 キリストにかかわるこうしたすべてが、「宝」であると言えよう。 主イエスご自身が、福音の真理を宝と言われている。 天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。 見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 パウロはこの主イエスのたとえで言われている、宝を見出したのであり、それゆえにイエスの言葉通りにすべてが不要となってその宝だけをしっかりと持ち、それをさらに宣べ伝えるために生涯を費やしたのであった。 また、次のたとえも同様な内容であって、この宝がほかのあらゆる地上の財宝にも増して人の魂を深く満たすということが示されている。 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。(*) 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書十三・44〜46) (*)真珠とは、新約聖書の書かれているギリシャ語では、マルガリテース(margarites)といい、これから、英語やフランス語などの人名としてよく見られる、マーガレット(Margaret)、マルグリット(marguerite)などができている。また、花の名前としても、マーガレットは広く知られているが、この言葉が「真珠」というギリシャ語に由来していて、主イエスのたとえに現れるということは知られていないようである。 ここでも、「宝」は真珠と言い換えられているが、内容的には似たことであって、神の地上の人々を導くその仕方(ご支配なさるその仕方)は、このような絶大な宝を見出すように導くのであって、一度その宝を見出した者は、自然にほかのものが要らなくなるのである。 パウロが、「宝」を与えられていると言ったのは、直接的には、キリストに神様のあらゆるよいものが与えられていることがわかる光のことである。キリストにすべてのよいものがあるとわかれば、愛であり、万能であるキリストに求めていく。そして愛であるキリストは与えてくださる。 キリストがすべてであるとわからなければ、罪の赦しもわからない。キリストが光であることがわかれば、罪の赦しも、十字架のあがないもすべてのことがわかる。 土の器 パウロはそのよう神から受けた良きものを「土の器」に受けている、と言っているところにとくに多くの人たちの心を捕らえてきた。土の器とは、汚れていることと壊れやすいということを示す。 自分はいつも清い心を持っているとか、自分は何事が生じても打ち倒されないとか自分で何でもやってきたなどと言って自分自身に強い自信を持っている人には、こうした宝は与えられない。 主イエスも、 「貧しき人たちは幸いだ。天の国はその人たちのものであるから」と言われ、「悲しむものは幸いだ、その人たちは慰められるから。」 と言われた。自分が弱く、貧しい者であり、悲しみに打ち倒されているような者であるということ、それは私たちが土の器であることにほかならない。この「宝」は強いと思っている人に与えられるのではなく、すぐに壊れるような、とてももろい者と自覚している人にこそ与えられる。 私たちは自分がとても弱くてもろいしぐらぐらしているから与えられないということではない。そのようなものこそまさに土の器なのである。 弱さと貧しさを知っているからこそ、幼な子のようにまっすぐに神を仰ごうとする。そのような心にこそ天の国が与えられると主イエスも言われた通りである。 この世では、よいもの、宝や賞のようなものは、立派だとされている者、能力のある者にしか与えられない。それが評価の高い賞であればあるほどそうである。国内での文化勲章、世界でのノーベル賞とかいった賞は、生まれつきの特別な才能とそれを発揮できる機会や環境、そして健康も恵まれた人が受けるものである。 それは十分な能力のない人や、病気で学校にいくこともままならないなどの弱い人たちには夢の世界でしかない。 しかし、そうした地上のどんな宝にもはるかにまさった宝、天の宝は驚くべきことに、「土の器」に与えられるという。 パウロのような意志の強靱な人であっても、実は自分は「土の器」なのであると深く自覚していた。この弱くてもろい、汚れた土の器であるのに、神の力をもらった、それは自分が獲得したものでなく、神から与えられた力であることを自覚するためであり、周りにも知らせるためであると知らされていたのである。 それゆえ、どのような苦しい状況にあっても、この宝を受けているので、最終的には滅ぼされないのである。 このようにパウロは自分が出会う様々な苦しみは、イエス様の苦しみをもう一度経験させていただいているのだという意味に受け取っていた。 「わたしたちは、いつもイエスの死をこの体にまとっている」と。 このように私たちが出会う苦しみは一つには主イエスの苦しみを私たちが少しでも同じように経験しつつ生きていくためであり、それは苦しみで終わるのではなく、「イエスの命がこの体に現れるため」なのである。 このことは、とくに繰り返し強調されている。 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっている。イエスの命がこの体に現れるために。 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされている。死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。 こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いている。(Uコリント 四・10〜12) 彼等にどうしてこのような苦しいこと、落胆するようなことが起きるのだろうか。それはイエスの死を自分たちも同じように経験して歩むためであったが、それで終わるのではなかった。 パウロはこのような激しい苦しみや誤解や中傷のなかで主に支えられて、いかなる困難があろうとも、またいかに死が近いような苦しみを受けようとも、それらを通して復活の命が与えられることを知っていた。 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っている。(Uコリント 四・14) このように、地上で生きている間にもイエスの命があふれるほどに与えられ、肉体が死んでもイエスの復活の命がいただける。 この新しい命への確信が不動のものであったゆえに、ふたたびパウロはつぎのように言っているのである。 だから、わたしたちは落胆しない。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていく。(同四・16) 「外なる人」とは、自然のままの人間の体や記憶力などで、これはただちにわかるように、年とともに弱っていく。 しかし、「内なる人は日々新しくされる」と言う。内なる人とは何か。それはキリストによって新しく生れた魂であり、キリストと結びついている魂のことである。このことは、単にからだの老化を防ぐというのでない。肉体は老化していっても、イエスの光を受けているなら、苦しみにも喜びにも絶えずイエスの命が流れていくゆえに、その度に私たちの内なる人は日々新たにされ、また新たな力を得る。 そのことは、どのようにしてわかるか。 もし、私たちが、日々新たにされているなら、野草の素朴な花や、夜空の星の清い美しさとか、夕焼けや青い空、遠くのやまなみからの語りかけ、白い雲など、身近な自然に接して、たえず新たな感動を覚えるということになるだろう。 また、聖書の言葉が飽きてしまうということなく、以前に繰り返し読んだところ、よく知っている言葉であっても、あらたな霊的な何かを感じ、心が動かされるということによっても私たちは内なる人が新しくされていることを実感できる。 しかし、そうした感動があったとしても、現実の悪のはたらくこの世において、その悪に負けてしまうということがある。自然の美しさに感動しても、簡単に嘘を言うとか、他人にどのように思われるかをいつも気にしているとか、まず神の国と神の義を求めていかずに、安易なほうを選ぶなどがあるならば、それは本当に内なる人が新しくされているとは言い難い。 神の国は言葉ではなく力にある。(Tコリント四・20) このように、悪に対して負けないで、正しい道に立つということは、力がなくてはできない。勇気とは正義に向かう力であると、ギリシャの哲人が述べているが、日々新しくされていることは、周囲の被造物への感動とともに、悪に負けない力を日々与えられているということが不可欠になる。 このような、霊的な新しさは、旧約聖書のうちから一部の人たちは神から直接に示されていた。 主はあなたの罪をことごとく赦し 病をすべて癒し 命を墓から贖い出してくださる。 慈しみと憐れみの冠を授け 長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。(詩編一〇三・3〜5) 新たにされるためには、まず私たちの心の一番奥深いところに潜む罪が明らかになり、それが赦され、清められねばならない。そうした後に、死の力から救い出され、さらに良きもので満たされる。その結果、鷲のような若さを新たにされるという。鷲はいつも力強いものの象徴として言われている。神によって日々新たにされることは、このように、力を日々与えられるということが含まれているのである。 疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが 主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書四〇・29〜31) このイザヤ書には信仰によって日々新しくされるということがどんな意味を持っているのかが、はっきりと示されている。ここには、神からくる新しさとは、新たな力を絶えず与えられることだということが言われている。 日々新しくされた完全なお方は、主イエスであった。イエスは、どのような困難があろうとも、また周囲が無理解と攻撃であっても、たえず神からの新たな力を与えられていた。十字架につけられる前夜には、最後の重大な試練を乗り越えるために、全力を尽くして祈り、神の力を求めたことが記されている。 そうして日々新しくされ、新たな力を与えられる者には、直面する困難は重いものにみえるが、実際は軽いものだという。それに比べて与えられるものは、比較にならないほどの重みのある永遠の栄光だと記されている。(*) 私たちの直面する困難はときとして重く耐えがたいものがあることは、老年に近づいているものはだれでも知っているだろう。あまりの重さに心身ともに耐えられないほどに感じて、主よ、この命をとってください、そして身許に行かせてください!と、祈らずにいられないような状況にも陥ることがある。 老年でなくとも、事故や災害、ガンなどの病気、あるいは突発的な出来事のために、非常な苦しみと悩みにうちひしがれている人たちはいつの時代にも、数知れないほどにある。新聞やテレビに出てくるのはそうした苦難のほんの一部にすぎない。 しかし、そうした状況に置かれているすべての人に対して、その前方には、永遠の重みのある栄光が待ち受けているのだと聖書は告げている。 (*)旧約聖書において、栄光という言葉は、カーボードというが、それは、「重い」という意味を持っている。その動詞形は、カーベードであり、「重さがある」という意味の動詞。これは、英語のweigh は、「重さがある」という意味の動詞で、weight は、その名詞形であるのと似ている。パウロはこの言葉から、神の栄光というのを、「重みがある」という意味を感じながら受けとっていたのがうかがえる。 日本語でも、精神的な中身の乏しい人を、あの人は軽いとか、逆に小さなことで動じないし、さまざまの精神的な深みを持っている人を、重みがあるとかいうように使う。神は最も実質が豊かで無限であり、それはしばしば「岩」にたとえられる。そうした不動の重みのあるものが神の栄光だといえる。 人間はだれでも新しいものを求める。新しい家、新しい服、新しい友、新しい観光地等々、さまざまの新しいものを求める。 しかし、聖書の新しさはいままでみてきたように根本的に違う新しさである。 キリスト者は主にある新しさを、主からの光を受けた新しさを求める。 この新しさを受けた者は、人と競うことはもはや必要なくなり、毎日新しい力を受ける。 それによっていろいろなものが新しく見えてくる。空の星や野山の木々や草花など、自然のなかの小さなものに新しさを見つける。日々の人との出会いのなかにも、神様からの新しい意味を知らされる。 そうした日々の新しさとともに、神からの新しい力を日々受けて、落胆するような状況に陥っても、その神の力を与えられ、御国への道を歩ませて頂きたいと願っている。 (二〇〇五年元旦礼拝の聖書講話より) 「はこ舟」から「いのちの水」へ 「はこ舟」は今から五十年近く前(一九五六年)太田米穂よなお(故人)さんたちによって伝道と集会員の自由な聖書研究の二つの目的を合わせ持つものとして始められたものです。太田さんが一九六五年に逝去したのち、その後、すでに七十歳だった杣友(そまとも) 豊市さんが編集を受け継ぎました。そのときは、隔月に一度の発行でした。私が大学を卒業後、徳島に帰ってきたのはそれから三年後の一九六八年です。 それからも、「はこ舟」という題名で発行されてきました。これは、ノアの箱船に乗った人だけが救われたということから、救いの舟となるようにとのことで名付けられたようです。 「はこ舟」も一種の「船」であるから休憩するための部屋があるということから、「休憩室」という、ほかのキリスト教伝道誌にはない項目があったこと、また「編集だより」と書くべきところを、あえて、舟に関連付けて、「返舟(へんしゅう)だより」という造語を用いていました。これらも、かたい雰囲気になりがちなキリスト教の印刷物を少しでも親しみやすいものにしようという意図が最初に創刊した人の心にあったようです。そうしたことも、私が責任者となってからもそのまま継続してきました。 「はこ舟」は確かに、創刊以来、その題名のように多くの人たちを「はこ舟」に乗せて、神の国へと運ぶ役目を小さいながらも受け持ってくることができたと思われます。 しかし、私はかねてから伝道のための印刷物としての名称としては、「はこ舟」という題では何が書かれてあるのかイメージしにくいと感じてきました。聖書を全く知らないのがほとんどの日本人の現状ですから、「はこ舟」といっても、何のことかわからないという人、昔あった新興宗教のこととか、子供用の物語が思い出される人がいるくらいではないかと思います。 それで二〇〇五年より、「いのちの水」と改題することにしました。この題名の持つ意味については、今月号に書いてありますので参照してください。これからも、主が許して下さるならこの新しい「いのちの水」誌が続けられ、その名の通りに「いのちの水」を少しでも提供することができればと願っています。 ことば (203) 老いゆく母を楽します 言葉知らぬにあらねど 明日知らぬ露の命 ただ、天の国の喜びのみを語るを 母は喜ぶか、喜ばぬか。… さわれ主イエスよ、 君のみ言葉つゆ違わねば まことの仕合わせ つきぬ喜びをこそ 母に賜うは君なるを知る たとえわが家絶え果つるとも 君が御国は永遠に栄えん (「祈の友」信仰詩集 48Pより 三一書店 一九五四年刊) ・この詩をつくった、内田 正規は、夫のいない二五年の生活を続ける母の一人子であった。母は唯一の望みとして内田が元気で働くことを望んでいたが、それもかなわず、息子は結核に伏せる身となった。母は病院の板の間に座って夜遅くまで、息子の入院治療のための金の工面する手紙を書きつつ、「お前が元気になったら自分はころりと逝くだろう」というのであった。 いかに苦しみが大きく、またこの世の安楽や楽しみは得られなくとも、主イエスがともにあるとき、この作者は、不思議な力を与えられ、その苦しみに耐えて希望を持ち続けることができたのがうかがえる。 右の引用は詩の一部である。この詩全体として悲しみが流れているが、その悲しみに打ち倒されない力をも与えられているのが感じ取れる。 内田は結核であった上に、耳も難聴であったため、当時の性能の著しくわるい補聴器を使っていたことが彼の書いたものにみえる。若くして病に倒れたが、二二歳のころから全国の結核患者の魂とからだの救いのために祈り始め、午後三時に祈り合う「祈の友」を形成した。通信誌を発行し、十年あまり主幹として祈りを深めたのち三三歳で召された。当時最も恐れられていた結核の病という闇のなかにキリストの光を見出した「祈の友」の祈りは七〇年を経て今日も続けられている。 (204)神に向かって旅を続ける人は、だれでも、一つの始まりから新しい始まりへと歩みます。 そしてあなたは、勇気を出して、自分にこう言い続けるのです。 「もう一度始めよ。失望は置き去るのだ。おまえの魂を生かすのだ!」(「信頼への旅」ブラザー・ロジェ著 一月一日の項より。)(*) 私たちは日毎の生活のなかで、しばしば信頼や期待が破られ、心ならずも間違ったことを言ったり行なったりしてしまう。そうした罪や、また不信の人たちからの攻撃、周囲のさまざまの暗い出来事などを思うと、意気消沈してしまう。しかし、そこからつねに私たちの前には、新しい道が続いている。 こうした自らを励まし、新しい始まりへと立ち上がろうとする心は詩編にも見られる。 …なぜうなだれるのか、わが魂よ なぜうめくのか。 神を待ち望め。 私はなお、告白しよう 「御顔こそ、わが救い」と。(詩編四二・11より) (*)ロジェは、テゼ共同体(修道会)の創始者。彼はスイスの改革派(プロテスタント)の牧師であったが、教派を超えた和解を生きる共同体への願いを持っていた。彼は一九四〇年にフランスの村テゼに住み始め、一日三回の祈りと労働の生活を始めた。その後プロテスタント教会の出身者が加わり、一九四九年にテゼ共同体 が始まった。まず迫害され苦難のただなかにあったユダヤ人難民をかくまい、孤児たちを迎え入れた。しだいに彼のまわりにはさまざまの人たちが集まってきた。ヨーロッパでは毎年一〇万人規模の大会が開かれるようになっている。讃美歌21には、テゼ共同体で生み出された讃美が十五曲も取り入れられている。そのうち、「グローリア」(38番)「共にいてください」(89番)などは私たちの集会でもよく用いてきた。 編集だより 今月もクリスマス集会で今年の参加者に贈呈された本についての感想などをあげておきます。 ○樫葉 史美子著の「十字架のメドを通って」の本は、私の心に深く浸透しました。とくに、112Pの「私は幸福者」という短文のところです。 「 頭が鳴るように痛い、目まいがする。…呼吸困難、何も考えることができない。でもこれも恩寵です。イエス様だけ、単純に信じ、従うことしかできない幸いを感謝します。言葉を選び、文を練る余地もなく、ただ、イエス様とたたえてゆけるのみの喜び。起きて動けばへとへとになります。倒れてしまいます。じっと寝てイエス様をあがめるだけ。… 」 こうした文面を読んでいて、とても感動しました。身体的苦しみをすべて主の恵みと受け止めて讃美されている姿勢。何という信仰だろうと思わされました。肉眼では何も見えない信仰の世界ですが、信仰が本当に心や魂の支えになっていると価値観がこのように変るのかなと思いました。 苦痛のときには、いやして下さいと祈るのみの私に、この本は信仰者としてのあり方を示唆して下さった神様からのプレゼントだと思いました。…(四国の方) ○前号でも紹介した、北田 康広さんのCDを聴いた人から今月もその感想の一端をここに引用しておきます。 ・…深い響きの歌声に奥様のピアノ伴奏もすばらしく、はじめての歌に、何度きいても美しいメロディーのなじみ深い歌といろいろ入っていて興味ふかく、またピアノ専攻だけあってピアノがすばらしく、北田さんの心が感じられました。 ピアノの曲の選曲がまたすばらしいと思いました。私もピアノをやっていたので、全盲の方がどうやってあんなにすばらしい域までになれたのだろうどうやって練習されたのだろうと思いました。… 暗い状況の中から北田さんを導き、証し人としてまた慰めや励ましを届ける人として尊く用いておられる神様を心から賛美します。これからも北田さんご夫妻が尊く用いられ良い活動が続けられますよう、お祈りします。(関東地方の方) ・…CDの曲はいずれもとてもよい曲ばかりで、CDのパンフレットの笑顔がとても明るく、イエス・キリストを見上げ、希望に歩んでおられるのを感じました。…バッハやヘンデル、ルターなど音楽を通して福音が静かに人々の心の中にしみ通っていくような気がいたします。よい音楽は神への祈りのように感じます。(四国の方) ○前月号の返舟だよりに引用した、読者の方からの来信を読んで、感想を寄せられた方がいます。 …『 改めて歌詞を見ながら聞くと、心の奥深くまでしみ込んでくるような、イエス様が手を握って「大丈夫だよ」と言って微笑んでくれているような気持にもなりました。…」(関東地方の男性)』 12月号の「返舟だより」でこの言葉を読んで、涙が止まりませんでした。 イエス様の「大丈夫だよ」との声が、私にも届きました。 キリスト者でありながら、不安も多くあって、私の将来を誰が見ても、明るいとは言えない状況のまっただ中にいますが、イエス様にすがろうという気持ちが改めて湧いてきました。 野村伊都子さんの詞にも感動しました。さわやかな詩です。 病者や障害者にしか出来ない役割があることを感じました。 生きて行けそうです。(四国地方の方) |
2005/1 |