枯れ葉の道 2006/12 晩秋から初冬にかけて、わが家に至る山道には、クヌギの木の葉が敷きつめるようになる。道のそばにある、かなり大きいクヌギの木は、他の木々の紅葉が終わる頃に、その葉を落としていく。その役目を果たした後に、しずかに地面に落ちてくる。茶褐色のその大小さまざまの枯れ葉、目立つ鋸歯(きょし)は、ほかの木々の枯れ葉と異なる特徴をもって、道に広がる。 その一枚一枚が異なるかたちであって、道一面に落ちたその葉は、あらたな役目をするべく待機しているかのようである。 そしてその葉それぞれが、枯れ葉であるのに、生きているように感じるほど、その一枚一枚が自然の美しさ、緑色のときの葉とはまた違ったよさをたたえているのに気付かされる。 春の芽を出す時、長い穂のような花、そしてそれらの成長や結実をささえる緑の葉のはたらき、役目を終えて、枯れ葉となるが、それはまた、微生物のはたらきによって分解され、二酸化炭素などの気体となって大気中にかえるものもあれば、また葉の成分のうち、灰分(金属化合物)は地中に戻っていく。そしてまた新たな植物の栄養分となる。 静かな人知れないところでの循環が続いていく。 私たち人間も、年老いて枯れていくようになる。しかし、そこにもまた別の美しさがあり、つとめがある。この世から去ったあと、見えなくなったようでも、何かを後の世に残していくのである。 クヌギの葉で敷きつめられた道を歩きながら、私たちの道もまた、過去の無数の人たちの生み出したもの、残したもの、さらには、神によってさまざまの必要なものが敷きつめられた 道を歩いているのだと思った。 到来ということ 主イエスが伝えたことを一言で表すと「天の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マタイ四・17)ということであった。 天の国ということは、神の国と同じであり、主イエスが言われたことは、神の御支配は近づいた、もうそこに来ている。という意味である。 この世はだんだん暗いものが近づいているのでないか、環境問題や世界の核兵器の増加、テロや人間不信、戦争の危機等々、ニュースの報道だけを見ていると、そのような気持ちになりかねない。 しかし、聖書はそうした闇が近づいていると見えるこの世のただ中に、「神の国が到来したのだ!」と、力強く私たちに告げている。 いつ来るのか、どこにそのような神の国があるのか、と問う人に対して、主は、「あなた方のただ中に、すでに来ている」と言われる。(ルカ福音書十七・20) 新約聖書にはこうした到来の足音が満ちている。主イエスの誕生そのものが、神の国の到来なのである。そのことを受け入れるとき、さらにこの世界に神の国が来ますように、と祈り願うようになる。 それゆえに主イエスは、何を祈るべきかとの問いに、「御国が来ますように」との祈りを、私たちの究極的な願いであると示されたのである。 クリスマスの前の数週間をアドベントという。この語の原意は「到来」ということである。日本語では「待降節」と訳されるが、降誕を待つというのでなく、すでにキリストが到来して下さっていることを感謝する日なのであって、クリスマスとは、人間の誕生日祝いのように、イエスに向かって「誕生日、おめでとうございます」という日なのではない。 主イエスがすでにこの世界に来て下さっていることを覚え、「ありがとうございます。」と心からの感謝を捧げる日なのである。 さらに、そのキリストが一層私たちの一人一人の魂の内に、世界の人々の集まりの中に来て住んで下さるようにと、待ち望み、祈り願う時なのである。 キリストはすでにこの世に来て下さっているゆえに、私たちはただ心の扉を開けばよいのである。 そしてその「到来」を待ち望む心は、どこまでも広がっていき、世の終わりにキリストが再び来られる、との約束が成就しますように、との祈りへとつながっていく。キリストがこの世に再び来られること(再臨)のことも、アドベントというのも、私たちの心が見つめるべきものが、キリストが来られること、であるのを示すものである。 夜空に輝く星、夕日の輝かしい姿、茜色に染まった朝焼け、野草たちの花の美しさ、大波の打ち寄せる音とその姿等々、身の回りのさまざまの自然の姿は、神の国がそこに来ているのだということを指し示すものだと感じられてくる。 いつどのような時代にあっても、私たちが心の耳をすませば、時代の崩壊の足音ではなく、神の国の到来の静かな響きが聞こえるように、この世は造られているのである。 到来(アドベント) 主イエスが伝えたことを一言で表すと「天の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マタイ四・17)ということであった。 天の国ということは、神の国と同じであり、主イエスが言われたことは、神の御支配は近づいた、もうそこに来ている。という意味である。 この世はだんだん暗いものが近づいているのでないか、環境問題や世界の核兵器の増加、テロや人間不信、戦争の危機等々、ニュースの報道だけを見ている と、そのような気持ちになりかねない。 しかし、聖書はそうした闇が近づいていると見えるこの世のただ中に、「神の国が到来したのだ!」と、力強く私たちに告げているである。 いつ来るのか、どこにそのような神の国があるのか、と問う人に対して、主は、「あなた方のただ中に、すでに来ている」と言われる。(ルカ福音書十七・20) 新約聖書にはこうした到来の足音が満ちている。主イエスの誕生そのものが、神の国の到来なのである。そのことを受け入れるとき、さらにこの世界に神の国が来ますように、と祈り願うようになる。 それゆえに主イエスは、何を祈るべきかとの問いに、「御国が来ますように」との祈りを、私たちの究極的な願いであると示されたのである。 クリスマスの前の数週間をアドベントという。この語の原意は「到来」ということである。日本語では「待降節」と訳されるが、降誕を待つというのでなく、すでにキリストが到来して下さっていることを感謝する日なのであって、クリスマスとは、人間の誕生日祝いのように、イエスに向かって「誕生日、おめでとうございます」という日なのではない。 主イエスがすでにこの世界に来て下さっていることを覚え、「ありがとうございます。」と心からの感謝を捧げる日なのである。 さらに、そのキリストが一層私たちの一人一人の魂の内に、世界の人々の集まりの中に来て住んで下さるようにと、待ち望み、祈り願う時なのである。 キリストはすでにこの世に来て下さっているゆえに、私たちはただ心の扉を開けばよいのである。 そしてその「到来」を待ち望む心は、どこまでも広がっていき、世の終わりにキリストが再び来られる、との約束が成就しますように、との祈りへとつながっていく。キリストがこの世に再び来られること(再臨)のことも、アドベントというのも、私たちの心が見つめるべきものが、キリストが来られること、であるのを示すものである。 夜空に輝く星、夕日の輝かしい姿、茜色に染まった朝焼け、野草たちの花の美しさ、大波の打ち寄せる音とその姿等々、身の回りのさまざまの自然の姿は、神の国がそこに来ているのだということを指し示すものだと感じられてくる。 いつどのような時代にあっても、私たちが心の耳をすませば、時代の崩壊の足音ではなく、神の国の到来の静かな響きが聞こえるように、この世は造られているのである。 クリスマスと新年 キリストへの礼拝の日、それがクリスマスである。 マタイ福音書では、東の博士たちがはるかな遠くで星を見たということから始まっている。星を見た、そして未知の遠いところへと旅を始め、ついに到着したということ、それは一見こどもの物語のような雰囲気がある。じっさい、この東方の博士たちが、馬小屋で生れたイエスのもとに来る、ということは、子供の絵本に繰り返し描かれてきた。それだけに、何か現代の複雑極まりない世界には関係のない架空の物語のように受けとる人も多いだろう。 しかし、このことは、さまざまのことを私たちの心に投げかけてくる。想像の世界のことでなく、現実に私たちが経験する喜ばしい事実、そしてそれと並んで厳しい現実をも指し示す内容なのである。 私たちは、このような「星」を見るまでは、闇の中をさまよい、歩むべき道も分からず、疲れ果てていく。しかし、突然私たちの生活の闇のなかに、天からの光が射してくる。そしてそ の光は私たちの魂を導く力をもって迫ってくる。 その力によって私たちは、その光のみなもとへと、歩み始めるのである。 旧約聖書の預言者と言われる人たちがいる。キリストが現れる五百年以上も昔から、将来において民を救う神の人が現れること、その人は特別に神の霊にあふれ、その神からの力によって支配し、弱きものを助け救うことが特別に知らされ、それを予告したのである。 このような預言者と言われる人々もまた、時代の闇のただ中で、「星を見た人」なのである。 そうしてその星をいわば胸に抱いて語り続け、ときには命をも犠牲にしてその星の光の示す道を歩んで行ったのである。 今も、星は神のご意志に従って、私たちの全く予想もしないところに輝くのである。ここに私たちの希望がある。 私たち自身の心にも、もうどうにもならない、という倒れてしまいそうになる時にあっても、きっとそのような星が再び輝き始めるであろう。 この世の不幸の極みにあるような人の心にも、どんな方法もないような、遠い国の虐げられた人たちにも、このはるかな東方で輝いたという星は、だれも予想できないような場所で輝き始めることが期待できる。神の御手は万能であるからだ。 新しい年、それは単にカレンダーが二〇〇七年になった、ということにとどまるなら、そのような新しさは、日常の生活の中では、たちまち数週間もすれは消えていく。 しかし、このような星が私たちの魂の内で輝き続けるとき、日々新しいものとして感じられるようになる。 「 私たちは聖なる霊の導きによって生きているなら、そのような霊の導きにしたがって前進しよう。 」と使徒パウロは呼びかける。私たちを導き、迫ってくるのは、この世の闇でなく、キリストの愛なのであり、それゆえにパウロは「キリストの愛が私たちを駆り立てている」(Uコリント五・14)と言うことができたのである。 平和への道 平和はだれしも望むところである。平和という言葉でまず連想するのは、戦争がないこと、である。戦争によっておびただしい人命が失われ、傷つき、また自然も破壊される。ベトナム戦争の時のように、大量の枯葉剤が使われたり、劣化ウラン弾など放射性物質などが使われることもあり、そのような場合には、戦争が終わったあとも、長期にわたる苦しみを戦場となった地域の人たちに与え続けることになる。 それゆえ、戦争を好む人はだれもいないはずである。自分の家や家族が好んでそのような戦争に巻き込まれたい、などという人はまずだれもいないだろう。 にもかかわらず、戦争は古代から数知れず生じている。民族間、国家間といった広範囲の戦争はどのような民族においても生じてきたと考えられる。 古代ギリシャの特に重要な作品はホメロスのイリアスであるが、これも戦争の文学である。 それに対して、平和ということはどのように考えられてきたのであろうか。そのことについて聖書の記述を見てみたい。 まず、創世記においては、例えば新共同訳では、創世記からレビ記まで、一度も平和という訳語は使われていない。つぎの民数記でようやく一度あらわれる。 平和という言葉の原語(ヘブル語)は、シャーロームである。このシャーロームという原語自体は、創世記でも十五回ほど使われている。しかし、それらは、「安らかに先祖のもとに行く(死ぬこと)」とか、「彼らは安らかに去って行った」「彼らは、元気(無事)か」といったように、社会的平和といった意味では用いられていないのである。 このように、旧約聖書においてはその最初の重要なモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)にも、一度も社会的平和、戦争のない平和といった意味では出てこない。 その後の、ヨシュア記、士師記、サムエル記に至る書物においてもほとんどみられない。 わずかに、以下のような箇所があるだけである。 ・イスラエルとアモリ人との間は平和であった。(サムエル記上七・14) ・ヨアブは彼らを殺し、平和なときに戦いの血を流し、腰の帯と足の靴に戦いの血をつけた。(列王記上二・5) ・ソロモンはティフサからガザに至るユーフラテス西方の全域とユーフラテス西方の王侯をすべて支配下に置き、国境はどこを見回しても平和であった。(列王記上 五・4) ・見よ、あなたに子が生まれる。その子は安らぎの人である。わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える。それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる。わたしは、この子が生きている間、イスラエルに平和と静けさを与える。(歴代誌上二二・9) 新共同訳の訳語として、「平和」というのが使われていても、それは、ほかの訳で、「元気に、穏やかに」と訳されているような場合であり、社会的な平和を指してはいない。 例えば「アブネルは平和のうちに出発した。」(サムエル記下三・21)というのは、口語訳、新改訳では「アブネルは安心して出発した」というようになっている。 このように、旧約聖書では全体として見るとき、現在私たちが絶えず目にするような社会的な平和という言葉はわずかしかない。 戦争とは何が原因で生じるか、それは権力や物に関する欲望が背後にある。それゆえ、聖書は戦争の根源にあるものに最初から集中しているのである。 そして、シャーロームという言葉そのものも、戦争がない、何も混乱がない、といった否定的な表現を持っているのでなく、そのもとにあるヘブル語の動詞、「シャーレーム」とか、「シャーラム」という語は、「完成する、満たす、全うする」というように訳されていることからもわかるように、戦争がない状態というのは、そうした完成された状態からおのずから生じる状態だと言える。 聖書は、「まず国家や民族同士の戦争のない平和な状態を求めよ」というようには記していない。それは、そのようなことは、人間の力によっては実現されないからである。人間が求めるべきこと、そして地上の人間に与えられることは、一人一人がまず神の国と神の義を求めていくことなのである。そして、真剣に求めるものには必ず与えられると約束されている。 創世記からはじまる旧約聖書のはじめの方に置かれている内容、それは現在の日本語訳聖書では五百頁ほどにもなるが、そこで一貫して言われているのは、国々の戦争を止めよ、ということでなく、神の言葉に聴き従うということである。 闇と混沌、混乱のただなかに、神が「光あれ!」と言われたことが聖書の最初に書いてあるが、これが平和についてもその根源的真理を深くついたものとなっている。 どんなに闇が深くとも、神が「光あれ! 」と言われるなら、そこに光が存在し、秩序が生れていく。それはまさしく本当の平和への道が暗示されていると言えよう。 闇と混乱とは、そのまま人間の心の深いところでの状態であり、その闇や混乱から戦争へとつながっているのであるから、そこに光が臨むことによって真の平和がもたらされる。 その意味で、真の平和への道はすでに創世記から記されているのである。 この究極的な平和への道は、人間の努力とか計画、会議、あるいは武力などによってはなされない。ただ、神が時至って、「光あれ!」と言われたとき、神の御手が働いたときに、いかなる闇であってもそこに光が及ぶ、ということなのである。 そしてそれによって、混沌から秩序へと向かうことが創世記第一章では示されている。 戦争とは、大量殺人、強盗、欺き、破壊、暴行などありとあらゆる悪がそこから生じる。それはまさに闇とその果てしない深み、そして混沌とした状況である。しかし、そこに光が与えられることにより、闇の力は退き、混沌は、秩序となっていく。これこそは、神に由来する平和である。 創世記にはもう一つの天地創造に関わる啓示が記されている。それは、第二章である。そこでは、最初にあったのは、渇ききった状況であり、草木もまったくなかった。それはこの地方のあちこちに広がる砂漠地帯の状況を反映している。 このように、創世記の第一章〜二章にかけて、人間の最も困難な状況は、闇と混乱、あるいは水がない渇ききった状況ということで描写されていると見ることができる。 そして闇と混乱のただなかに光あれという神の言葉によって光が生じたように、第二章では、砂漠の状況のただなかに水が地下から湧き出て、潤すようになったと記されている。その水は、エデンにその源があり、エデンに造られた園を潤し、さらに、四つの川となって世界を潤していった。(*) (*)四という数は、全世界を象徴するものであり、四つの川が流れていくということは、世界中を潤すという意味がこめられている。 憎み争う心、復讐やねたみといった心はうるおいがない。人間が闘争的になるのは、渇いているからである。深いところで満たされないからである。こうした渇きこそが、人間同士の争いの根源となる。もし、私たちが、魂の深いところで神からのいのちの水によって満たされ、潤されているなら、他人からの攻撃や不正を受けても、打撃を受けず、それを静かな心をもって受けとることができるだろう。 このように、深い闇の心、そして渇ききった心こそは、戦争の根源であるといえるが、その二つの究極的な解決の道があることを、聖書はその巻頭にはっきりと示しているのである。 そしてそれははるか後になって、キリストが現れるときまで、地下深くに流れる水のように時折表面に現れるものの、大多数の人間にはなかなか気付かれないものとなった。 神による平和への究極的な道を人間は拒み、神に聴き従うことをせずに歩んできた。そのことは聖書にもはっきりと記されている。それが、最初の家庭の状況である。 アベルとカインは、アダムとエバの間に生れた、初めての兄弟であったのに、カインはアベルを殺してしまった。兄弟の命を奪うという悲劇は、これから歩む人類がいかに神の光とあふれる水を無視していくかの象徴として記されている。それは、憎しみやねたみ、あるいは欲望のゆえに、武力、暴力によって相手を打ち負かすことであり、それが肥大したのが部族や国家の間の戦争なのである。 その後、ノアの記事によって記されているのは、「地上に悪が増して、常に悪いことばかりを心に思い計っている」ということであった。 こうして平和の道は閉ざされ、多くの人間が裁かれ滅んでいく。しかし、神の光を仰いで信仰によって生きたノアからは、その信仰を受け継ぐ人達がつづき、聖書の記述はアブラハムへとつながっていく。 そして神は、カナンという特定の地を選んで、そこへとくに選んだ人間、アブラハムを導くことによって、神に導かれる人間の生き方を後の人類に指し示したのである。アブラハムはもともとは、今のイラク地方にいたと考えられる。そこで、最初にカナンへ行くようにとの示しを受け、さらに、そのカナンへの旅の途中にあるユーフラテス川の上流へとさかのぼったところにあるハランという所まで来てはっきりと神の祝福と導きの言葉を聞き取った。このアブラハムに語りかけられた神の言葉、そしてそのみ言葉に従って祖国や慣れ親しんだ人達、総じて古いものを離れて、神の示すところへと歩んでいくこと、それは、あらゆる人間の地上での歩みのあるべき姿を指し示すものとなった。 アブラハムは、自分自身も神による豊かな祝福を受けるが、アブラハム自身は他者の祝福の基にもなると約束されている。神からの祝福を豊かに受けることこそ、本来、シャーロームという言葉が内に持っている内容である。シャーロームとは、すでに述べたように、「完成された状態、満ち足りた状態」を表す言葉だからである。人間が完成された状態になる、それは自分の努力や生まれつきの才能でなく、神からの祝福を受けることによってである。 アブラハムが受けた祝福は、その子孫に及んでいく。 子孫は飢饉のためにエジプトにわたってそこで大いなる民族となるほどに増えていった。しかしそこでの四百年にわたる奴隷の苦しみからの解放はモーセによって行なわれることになった。 何一つ武器を持たず、兵力を持たずにモーセはただ神の力、神の祝福と導きだけを信じてエジプトへと向かった。当時の最大の帝国に向かってその圧倒的な力と戦うのに、素手で立ち向かったのである。 ここに、武力によらずに大いなることがなされるということがはやくも示されているのである。この世の巨大な力と戦うために、武器、そしてそれを使う人間の数が多いほどよいというのが、普通の考え方である。しかし、聖書においては、真の戦いは、そのような人間の数や武器によるのでなく、神への信仰によって、神ご自身が戦われるということが繰り返し現れる。 実際、モーセはエジプトの権力や武力などを前にして、ただ信仰のみによって近づいていった。そしてその信仰によって不思議なわざが行なわれ、ついにモーセは何一つ武器を使うことなく、この世の最強の権力や武力に勝利して民が解放されることになったのである。 これは、はるか古代の単なる物語ではない。この基本的な信仰的姿勢こそ、永遠なのであり、現代まで無数の真剣なキリスト者たちがその道を歩んできたのである。 さらに、モーセが、アマレクという民族と戦ったとき、モーセは神の杖を手に持って、丘の頂上に立った。そこで、彼が手を上げている間は、優勢になり、手を下ろすと敵が優勢になったとある。(出エジプト記十七・11) この記事も戦いに勝利するのは、武器や兵士の数ではなく、神への信頼と祈りであることが暗示されている。神の民が勝利するのは、神の力によってなのである。 また、ヨシュア記においては、エリコに初めて攻撃するときに、神は、あらかじめその町をモーセたちに渡すと約束した上で、七人の祭司が七日間、神の箱を前にしてエリコの町の城壁のまわりを回ること、その七日目は、町を七周回ることなどが命じられた。町はこの城壁に囲まれているので、この城壁を崩すことは最大の戦いなのであった。その城壁を崩すのに武力とか人間の数でなく、ただ神の言葉を納めた、神の箱を七人の祭司に先導させて町を回るという、驚くべき仕方を命じられたのである。そして、その言葉に従ったとき、エリコの町の城壁は神の力によって崩された。 ここにも、本当の戦いは、神の力による、ということが素朴な形で表されている。 それから後の時代になって、まだ王が現れていない頃、ギデオンという人が特に神から召されて、指導者となった。彼は、ミデアン人たちと戦うために呼びだされたのであったが、いざ戦いがはじまろうとするとき、神はとくにギデオンに言われたのである。 …あなたの率いる民は多すぎる。そのままでもし戦いに勝利すれば彼らは自分の手で勝利したと考えて高ぶるであろう。それゆえ、兵士たちの数を減らせといわれたのである。そしてもともと集まっていた兵士たちの百分の一という少ない数に減らした上で、戦うように命じられた。神は、ギデオンに、「私があなた方を救うのだ」と繰り返し約束された。そしてその少数の兵士たちによって、たしかに神は勝利を与えられたのである。 ここにも、武器、兵士たちの数や策略によって勝利するのでなく、神の力によることが示されている。 また、ダビデはイスラエルの歴史では最大の働きをした王であったが、彼もその王位を獲得したのは、まったく自分の武力とか部下を統率する能力などではなかった。彼が仕えたサウル王は、ダビデが並外れた勇者であり、多くの敵に次々と勝利していくのを目の当たりにして、ダビデに強い憎しみを持つようになった。そして繰り返しダビデを攻撃し、殺そうとする。しかしそのようないかなるサウルの悪意ある攻撃にもかかわらず、ダビデは一切武力で対抗しようとはしなかった。ただ、神にゆだねて自分は殺されることすらも覚悟して、荒れ地をさまよった。あるときには、敵地へと入り込み、気の狂った真似をして、敵の警戒心を失わせ、それによってサウル王からの迫害を逃れたことすらもあった。 そうして長い忍耐と苦しみの生活は、ついにダビデが何一つ武器や人間を用いて攻撃することもなく、敵対するペリシテの軍によってサウル王は殺害され、その王子も死んでいく。 そしてダビデは、ただ神に頼り、神に叫ぶのみであったにもかかわらず、サウル王の長い執念深い攻撃から逃れて、ダビデが新しい王となったのである。 ここにも、武力によって敵を滅ぼそうとするのでなく、神への信仰によって待ち望むという姿勢がはっきりと示されている。 旧約聖書においては、戦いを神ご自身が命じられているところも、モーセからダビデに至る記述の中にしばしば見られるし、敵を滅ぼし尽くせ、といった命令もあり、私も数十年前に初めて聖書を通読していったときにも、驚かされたものである。 このような記述があるゆえに、旧約聖書は聖戦を神が命じている、ということだけが取り上げられ、一般的にもそのような内容だけだと思われている傾向がある。 しかし、一方では、すでに見てきたように、そのような聖戦の記述とともに、武力によらない神の力による霊的な戦いが示されており、モーセの時代、すなわちキリスト以前千数百年も昔から、すでに神ご自身が戦うゆえに、ただ信頼をしていることの重要性が記されているのであって、それは、聖書を一貫して流れる川のようなものである。 この流れが、ダビデより数百年あとの預言者にも流れ込み、イザヤ書やミカ書という預言書につぎのように記されている。 終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。 「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書二・2〜5) このように、かつて創世記で預言的に記されていたこと、エデンから一つの川が流れ出て、園をうるおし、さらに全世界をうるおす流れとなっていくということ、その流れに浸された人々は、世界の各地からエルサレムに向かうという。エルサレム、それはそこに神の言葉があり、神がおられるところだとされていた。 要するに、世の終わりには世界の民が神の言葉へと、神へと集められてくる大いなる流れがあり、そこに身を浸す者たちは、もはや武器をとらず、戦争によって互いに殺し合うということを廃し、主の光の内を歩むようになるというのである。 神の言葉が中心になって、そこに向かう大いなる流れが生じるという。 この大きな流れは、形を変えながらも現在も見られるのであって、一部の人たちには、特にその啓示がはっきりと示され、歴史のなかにも刻まれている。それは、例えば、クェーカーやトルストイ、ガンジー、マルチン・ルーサー・キング、そして無教会の内村鑑三などに啓示され、現実の世界のなかで、武器をとらず、もはや戦うことを学ばないで、主の光の内に歩んだのであった。 そのうち、クェーカー(*)のキリスト者たちにおいては、新約聖書の非暴力による戦いを支持する箇所(**)を根拠としているが、それとともに、抵抗することなしに、十字架の道を歩まれたキリストの模範と、キリストを信じる人に同じように歩むことを指し示す新約聖書の精神全体が、この平和主義の根底をなしている。 彼らは、周囲の状況や意見などよりも、新約聖書そのもの、キリストご自身を単純率直に受け入れたのである。 真理は、つねにキリストにあり、キリストからの啓示を書き綴ったのが新約聖書であるから、彼らの主張は単に一つの教派の主張というのでなく、キリストご自身、新約聖書それ自体に根ざしている。それゆえにその平和主義の主張は、迫害に遭っても消滅することはなかった。 (*)クエーカー(Quaker)は、キリスト教の教派の一つであるキリスト友会(-ゆうかい、Religious Society of Friends)に対する一般的な呼称。この派の創始者は、ジョージ・フオックス(一六二四〜一六九一)。クエーカーというのは、神の言葉(キリスト、聖霊)によってふるえる(quake)ほどの感動をしたからと言われている。会員自身はこの言葉を使わずに、主イエスが、「あなた方を友と呼んだ」と言われたことから、友会徒(Friends)という呼称を用いている。 (**)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ(マタイ五・44) 、「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ二六・52)他。 彼らの考え方をさらに引用しておく。 … 友会徒(クェーカーのキリスト者)は、平和の世界をもたらす唯一の方法は、たとえそれが危険をはらんでいてもそれを恐れず、今、ここで始めることだ、と信じている。 ホーグという一人の友会徒が、その平和の原理を説いたとき、聞いていた人が、「もし、世界があなたのような心がけだったなら、私はその考えに従おう」と言った。そのとき、ホーグは「それなら、あなたは一番最後によい人になろうと考えているのです。私はいち早くよき人になって、他の人に模範を示したいのです。」と言ったという。 大きな問題を照らす光は、まず、はじめに、自分の確信に従って生きようとする個々の真実な人々の中に起こって、そこから徐々に広まっていくということは、無限の英知のお方である神の御旨なのだと思われる。(*)(ハワード・ブリントン著 「クェーカー三百年史」212P〜213より) (*)It seems to be the will of Him who is infinite in wisdom that light upon great subjects should first arise and be gradually spread though the faithfulness of individuals in acting up to their own convictions. (Howard H. Brinton 「 Friends for 300 years」162p ) 真理は、まず一人の中に示され、さらに、そうした一人一人の、真実さ、ーそれは神、主イエスと結びついて与えられるものであるがーそれによって波のように広がって伝わっていく。これは、主イエスが、パン種のたとえで言われたことを思い起こさせる。 … イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 …天の国はパン種に似ている。女がこれを取って粉に混ぜると、やがて全体が膨れていく。(マタイ福音書十三・31〜33) たしかにこの真理のパン種、あるいはからし種のような小さな、目に見えない真理は、まずキリストのうちに明確に宿り、それをはじめは理解できなかった弟子たちのうちにも伝わり、さらに次々と厳しい迫害と苦しみを受けるなかにおいても、広がっていった。そして、その流れは、このクェーカーのキリスト者たちにも及んでいったのがこのような記述を見てもうかがえるのである。 そしてこの真理は、歴史の中では目立たないようになることもあるが、神の定めたときに再び歴史の前面に現れてその流れを世界に知らせることがしばしば生じる。クェーカーのキリスト者たちが命がけで主張し、その真理を生きた非暴力ということは、意外なところへと伝わっていった。それはロシアのトルストイである。 トルストイは、一八八四年に書いた「わが信仰はどこにあるか」という著書のなかで、次のように述べている。 … 私は五十五年間、この世に生きてきた。そして幼年期を除いては、…一切の信仰を失ったという意味での、ニヒリスト(*)として生きてきた。 五年前、私はキリストの教えを信じるようになり、私の生活は突如として一変した。… 十字架にかけられた盗人がキリストを信じて救われた。…私もちょうどこの十字架上の盗人のように、キリストの教えを信じて、救われたのだ。… 私にとって一切の鍵であったのは、マタイ福音書五章39節の「目には目、歯には歯をと言われている。しかし、私はあなた方に言う。悪しき者に手向かうな」という箇所であった。 私はいきなり、しかも一度でこの一節をじかに、素直に理解できた。…この言葉は、突如として私には、まるで今までついぞ読んだこともなかったような、全く新しいものに思われてきた。… キリストは決して頬を差し出せ、苦しみを受けよ、と言っているのではなく、「悪もしくは悪しき者に逆らうな」、と言っているのである。この言葉こそ、私にとっては、一切を啓示してくれた真の鍵であった。これらの言葉を素直に理解しただけで、キリストのすべての教えの中で、もやもやしていたことがことごとく理解しやすくなったのである。… 幼少のときから私は教えられたーキリストは神であり、その教えは聖なるものであると。しかし、同時にまた、悪しき者には抵抗すべしと教えられ、悪しき者に対して忍耐するのは恥ずべきことと吹き込まれた。戦うことも、すなわち、殺人によって悪しき者に反抗することも教えられた。… しかし、悪への無抵抗ということこそは、人間の共同生活の基礎たるべきものであり… キリストは、言う、「あなた方は、法律が悪を矯正するものと思っているがーそれはただ、悪を増大させるだけである。悪を根絶する道は、ただ一つ、一切の差別なしに、万人に対し、悪に報いるに善をもってすることである…。」と。 …悪に対する無抵抗というキリストの教えは、私がそれまで全く知らなかったもの、全く新たなものとして私の前に立ち現れたのである。(「わが信仰はどこにあるか」トルストイ全集第十五巻6〜34Pより) (*)真理・価値・権威、制度、超越的なものの実在などをすべて否定する考え方。 この文章は、いかにトルストイが福音書の主イエスの言葉のうち、とくに「悪人に手向かうな、敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉から、革命的な変化を受けたかを情熱的に表している。 彼は、十字架による罪の赦しということは十分な啓示を受けなかったとみられるが、この悪への無抵抗ということについては、当時の多くのキリスト教の指導者以上に、特別な啓示の光を受けたのがこうした著作ではっきりと示されている。 神は、とくにご自分のご意志をはっきりと人間に示すときに、特別にその目的に合った人を選び取る。トルストイはこの悪への無抵抗ということに対する、神の特別な選びの器であったと言えよう。 その著作から、七年ほど経って書き始められたのが、「神の国はあなた方の内にあり」という著作である。この書の冒頭に、次のようにある。 …私の著書に対する最初の反響の一つは、アメリカのクェーカー派からの手紙であった。クェーカーは、これらの手紙の中で、キリスト教徒においては、あらゆる暴力や戦争をしてはならないという、私の主張に対して共感を表しつつ、二百年以上も事実上、暴力をもって悪に抵抗するな、というキリストの教えを信じ、過去においても、現在においても、自分を守るために武器を用いたことがないという自分たちの派の方針の詳細を私に知らせてきた。…(「トルストイ全集第十五巻158頁より」) このように、トルストイの前述の著作にいち早く反応し、その共感を示したのがクェーカーであった。 そして、さらにトルストイは、ロシアにおいて生れたキリスト教の一つの教派で、徹底して非暴力を主張した人たちが、迫害され、千人あまりも処刑され、さらに彼らは、国外追放されることになったことに強い関心を示した。彼が、最後に書いた大作、「復活」は、このドゥホボール教徒二万人以上をロシアからカナダに移住させる費用を生み出すために書かれたほどであった。トルストイは、五十七歳のときに、著作物に対する印税を受けとらないという決断をしたが、それをあえて破って印税を受け取り、それを彼らの移住資金にあてたのである。 このような、全く芸術とは無関係の、社会的な援助という動機で書かれた世界的な名著というのは、古今を通じてこのトルストイの「復活」しかないであろう。そうした目的での著作であったにもかかわらず、この作品は、高い評価を受けることになった。(*) (*)ロマン・ロランは、次のように評したという。 「…『復活』は、ある意味でトルストイの芸術的聖書である。それは最後の華であって、恐らくは最高峰であり、その見えざる山嶺は、雲の中に没している。」 また、ロシアの思想家クロポトキンは次のように評した。「七十歳にも達したこの作者が、この小説において示した力と若々しさに接して、単に、驚嘆すべきものがあると言っただけでは言い足りない。もし、トルストイが『復活』以外に何も書かなかったとしても、なおかつ,彼は大作家の一人として認められたであろうと思われるほどに、この作品の絶対的な芸術性は高いものである。」(世界文学全集第二八巻「復活」 一九二七年 新潮社刊 より」) こうして、全身全霊をあげてというべき、驚くべき情熱をもって、トルストイはキリストの無抵抗のあり方を主張し、擁護し、そのために、新たな大作を生み出したのである。彼の著作はロシアでは次々と発行禁止となっていったが、そうした弾圧にもかかわらず、次々と写本などによって広がり、国外にも知られるようになった。トルストイが広く世界的に知られるようになったのは、「戦争と平和」とか、「アンナ・カレーニナ」といった大作によってより、まず、こうしたキリスト教に関する著作によってであったという。 内村鑑三もトルストイの持つ深い意味を、とくに彼の非戦の立場からも特別な共感をもっていたのは次のような言葉からうかがえる。 トルストイ一人は、ロシアの一億三千万の民よりも大である。キリスト一人は世界十三億の人よりも大である。米のルーズベルトとイギリスのチャムバレーンとが戦争の利益を説いても、我々は彼らに聴く必要はない。全世界の新聞記者は筆を揃えて戦争に賛成をしても我らは彼らに従う必要はない。われらはただ主イエスキリストの言に聴けば足る。世がこぞって戦争を讃美するときに、われらは天よりお降りになった神の子の声に聴いて、我らの心を静めるべきなのである。(「聖書之研究」一九〇四年九月) 今の世界に二大偉人がいる。その一人はロシアのトルストイであり、他の一人は米国のカーネギーである。前者は終生、非戦を主張し、後者は廃戦を生涯の業としている。この二人に比べるならば、法王は光を失う。もしキリストの弟子であるにもかかわらず、戦争を認めるというのなら、その者はどんな罪悪をも認めることになる。…今のいわゆるキリスト教の指導者たちは戦争を認めて、軍旗を祝福して恥じるところがない。 ここにあげた二人のような人物は、誠に人類の現在の王と称することができよう。(同一九〇九年 九月) トルストイ翁逝く。…彼の存在によって日露戦争に破れたロシアはなお、世界に重要な位置を占めることができた。彼のような者がいない日本は、戦争に勝利したといえども、なお戦いに勝ちし日本になお劣った点を感じさせる。そして、今やこの人は逝(い)った。 トルストイが忌み嫌ったものが二つあった。その一は戦争であり、もう一つは教会であった。かれは戦争を嫌ったゆえに戦争を助けた教会を嫌ったのである。ロシア正教会はかれを破門した。… ロシア正教会はトルストイを破門したが、神はその正教会を破門されたのである。(一九一〇年一二月) このように、内村鑑三は、周囲のあらゆる政治的、宗教的な圧力にもかかわらず、非戦を貫いたトルストイの姿に深く共感しているのがわかる。最後に引用したのは、トルストイが死去したのが、その年の十一月二十日であったから、ただちに内村はこの文章を書いたのがうかがえるし、そこに彼のトルストイへの強い関心が現されている。 このトルストイの著作に強い影響を受け、世界的に大きな影響を与えたのが、インドのガンジーであった。 彼は若いとき、アフリカにいるときに、ひどい人種差別を受け、その撤廃のために非暴力の方法によってそのような差別的法律に反対する運動を始めた。ガンジーは、イギリスで学んだときにキリスト教に触れていたが、その後も南アフリカで、クェーカーのキリスト者たちとも強いつながりを保った。差別に非暴力の手段で抵抗するうちに多くの人たちが逮捕され、その家族を支えるための場としてつくられた施設が、「トルストイ農場」と名付けられたことをみてもトルストイの影響の大きいことがうかがわれる。 彼は、次のように言っている。 …新約聖書からは、(旧約聖書とは)全く違った印象を受けた。とくに山上の垂訓(マタイ福音書五章〜七章)は、私の心に直接に通じるものがあった。…「しかし、私はあなた方に言う、悪しき者に逆らうな。もし人があなたの右の頬を打つなら、左をも向けよ。」という一節は私の心をこよなく喜ばせた。このような態度は、宗教の最高のあり方として、非常に強く私の心に訴えるものがあった。… トルストイの著作「神の国は汝らの内にあり」は、私をとりわけ惹きつけた。それは私に永久的な印象を残した。」(「ガンジー」89頁、131頁 スタンレー・ジョーンズ著 一九五五年刊) ガンジー自身は、ヒンズー教徒であると言っているが、このように彼の生涯を決定的にした非暴力による戦い、ということは新約聖書のキリストの教えと、それを情熱的に説いたトルストイの影響が最も大きく働いたのであった。 彼は、非暴力の教えを、インドの書物からも学んだが、こう言っている。 「その教えー悪に対するに善をもってなすーが、私の指導的原理となった。私はそれに強い熱情を感じた。…私の心の中にしっかりとこれを結びつけたのは、新約聖書である。」(同右 ) また、ガンジーに最大の影響を与えた書物、または人物は誰か、との問いに答えて、 「書物では聖書、人物では、ラスキン、及びトルストイ」と答え、後年になってインドの古い書物であるギータを付け加えたという。 そして彼が終生の住み家とした小屋のような家には、電気もなく、小さな机、書棚があり、そこには、インドの古い書物ギータと共に、ヨハネ福音書が置かれ、文鎮には、「神は愛なり」という、ヨハネの手紙にある言葉が刻まれていた。また、壁の一方には、キリストの絵がかけられていた。 (「ガンジー」カルヴィン・カイトル著 二二四頁 一九八三年刊) このようにして、キリストの非暴力による戦いの精神は受け継がれ、さらにこのことは、アメリカの黒人の差別撤廃運動に決定的な足跡を残した、マルチン・ルーサー・キングにつながっていく。キング牧師は、ガンジーの影響を強く受けたことを繰り返し述べている。 こうした大きな流れ、もとをたどっていくと、結局はキリストにその源がある。そのキリストに二千年を超えたそのような現実的な力を及ぼすのは、「悪人に手向かうな。敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言われた主イエスの教えが、単なる教えでなく、背後に神の力と権威があるからである。大地の下を地下水が流れているように、この世界の奥深いところに神の真理がその力とともに流れているからである。 主イエスが、「天地は滅びるであろう。しかし、私の言葉は滅びることがない。」と確言された通りである。 アメリカはキング牧師の働きを国家的重要性を持つものとし、永久的に記憶に残すべきとして、彼の誕生日(一月十五日)を記念して、一月の第三月曜日を国家の祝日にしている。誕生日が祝日になっているのは、他にはワシントンとリンカーンだけだから、アメリカの歴史で特に重要な位置づけがなされているのである。 キング牧師は、その短い生涯の終りに近い頃、はっきりと平和への道を聖書にあるように、啓示されていた。 …今日も、そして明日も困難に直面するとしても、私にはなお夢がある。それはアメリカの夢に深く根ざした夢なのだ。 つまり、いつの日か、この国が立ち上がり、 「我らは、これらの真理を自明のものとして承認する。すなわちすべての人間は平等に造られている」(独立宣言の一句)というこの国の信条の持つ真の意味を生きるようになるという夢なのだ。 … 私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。 So even though we faces the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream. I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed. "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal." I have a dream that one day out in the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood. I have a dream ! …ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか! すべての山々から、自由の鐘を鳴らそうではないか! そして、私たちが自由の鐘を鳴らす時、 私たちがアメリカの全ての村、すべての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴らすその時、 全ての神の子、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、 皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。 「自由だ!ついに自由だ!全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由になったのだ!」と。 Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi and every mountainside. … When we let freedom ring, when we let it ring from every tenement and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old spiritual, "Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last." このキング牧師の演説には、彼が、すでに引用した、旧約聖書の次の箇所と相通じるものがある。 終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。 「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」(イザヤ書二章より) キング牧師のあの数々の危険に直面してもあくまで、キリストの精神に従って非暴力の抵抗を示したその背後には、このように、神からの啓示を受けていたという事実がある。啓示は単に未来のことを知らされるということに終わるのでない。それは、力を伴うのである。 このように、聖書の表現では、啓示を受けた、ということを、キング牧師は、より一般的にわかりやすい言葉、「夢がある」という表現を用いた。旧約聖書では、しばしば、「幻」と訳されているが、これは適切な訳語ではない。原語としては、ハーゾーンが、主として用いられていて、ハーザーという「見る」という動詞の名詞形であって、英語訳聖書では、vision と訳されている。これは、日本語の「幻」という語は、「実際にはないものが、あるように見える」 のであるが、聖書に言う預言者が見ることを許された「幻」はそのようなものではない。 例えばイザヤ書の冒頭に、「イザヤの見た幻(ハーゾーン)」とある。これは、イザヤが霊的に引き上げられて、普通の人には見えないものが、見えるようにされたのである。これは霊的な現実のことを、ベールをとって見させていただいた、ということなのである。 キング牧師は、一九六八年四月三日、暗殺される前夜におどろくべき演説を行なっている。 …私自身、自分の身の上に何が起こるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。しかし、私はそんなことはもう気にならない。 私はすでに山の頂きに登ってきたからだ。…今はただ神の意志を現したいという気持ちでいっぱいだ。神は私を山の頂きまで登らせて下さった。その頂きから約束の地が見えた。 …分かって欲しいのは、私たちは一つの民として約束の地に行くのだということだ。だから今私は喜んでいる。私はどのようなことにも心は騒がない。 主が栄光の姿で目の前に現れるのをこの目で見ているのだから。 この生涯で最後の演説は、差別と悪に満ちた現実と、神の究極的な喜ばしい世界とが重なり合った緊張ある内容となっている。暴風雨警報の出ている中、立錐の余地もない一万一千人の人たちを前に、準備する時間もなく、原稿も用意することなく、彼は演説に臨んだ。そして霊に導かれるままに語ったのであった。 彼は、「すでに山頂に登ってきた」といった。これはモーセが、約束の地を前にしてヨルダン川の東の山の頂きからその場所を見つめたという聖書の記述が背景にある。しかしそれにとどまらず、預言者たちが霊によって引き上げられたということと同じであって、彼の魂の目は、はっきりと神の約束の地、そして世の終わりのときに、すべての差別もなくなって、真理のもとに流れてくる、という預言者イザヤと同様の啓示を受けていたのであった。 この神の国を目指す流れが歴史の中においても確固として存在し、それは多くの名も知られない人々の心の中を流れ、適切なときにすでに述べたような特別な証し人が起こされてきた。 しかし、それが地上において現実になるためには互いに憎み合い、攻撃しあうような本性そのものが打ち砕かれねばならなかった。その目的のために、人々の罪を担って、自らの命を捨てるようなお方が現れることが預言された。このような人間が現れることが、不可欠であるのを、イザヤ書五十三章は述べている。 彼は軽蔑され、人々に見捨てられた… 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(*) …わたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。 屠り場に引かれる小羊のように 彼は口を開かなかった。 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。 彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。… わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。 彼が自らをなげうち、死んで 罪人のひとりに数えられたからだ。(イザヤ書五三章より) こうして真の平和のためには、特別なお方の犠牲による死があるのだということが預言され、ずっと後になって、たしかにキリストが現れ、この預言通りに生きられたのであった。 イザヤ書で預言され、キリストにおいて完全に実現された平和への道、それは、他者の罪を担うために、自ら命を捨てるというキリストの犠牲によって成就された。 さらに、イザヤ書には、最終的な平和ということも記されている。それは、世の終わりを見つめてのことである。 それは新しい天と地という言葉で表現されている。 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。 初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして その民を喜び楽しむものとして、創造する。(イザヤ書六五・17〜18) わたしの造る新しい天と新しい地が わたしの前に永く続くように あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと 主は言われる。(イザヤ書六六・22) しかし、このイザヤ書の箇所とその前後を読むと、「新しい天と地」は、まだイスラエル民族や彼らの信仰の中心であったエルサレムのことと結びつけられて記されている。しかし、この箇所は、将来の全世界、さらに宇宙に生じる最終的な状況を預言するものとなった。 このことは、主イエスが次のように言われたことと深くつながっている。 …その苦難の日々の後、たちまち 太陽は暗くなり、 月は光を放たず、 星は空から落ち、 天体は揺り動かされる。 そのとき、人の子の徴が天に現れる。(マタイ二四・29〜30より) このように、すでにあるこの世界(宇宙)が過ぎ去るということが言われている。主イエス自身も、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(同35)と言われた。 この目に見える天地宇宙は滅びる、と言われる。しかし、滅びないものがある。ここでは、キリストの言葉である。キリストの言葉とは、神の言葉であり、神のご意志に他ならない。そしてその神の万能のご意志によって、世の終わりには新しい天と地が創造されるということが、聖書の最後の巻である黙示録に記されている。 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。 (黙示録二十一・1) これは、主イエスの言われた言葉、「太陽も月も暗くなり、星も光を失う」ということは、「天地が滅びる」ということであり、その上で、新しい天と新しい地が生じる、ということである。 ここに、聖書における平和の究極的な姿がある。今の人間や世界をどれほど改善しようとしても、人間の本性はよくならない。これは、戦後六〇年を振り返ってもわかる。教育は戦前よりはるかに普及し、物質的にも世界最高レベルといえるほどに豊かになっている。しかし、だからといって平和が来るのではない。 イザヤ書や黙示録で言われているように、この世の延長上に究極的な平和が人間の努力や会議などで来るのでなく、神の万能の力によって新しい天と新しい地がもたらされることによって来るのである。それは、キリストが来られてからは、キリストが再び来ることによってであると記されている。このように、世界の平和というのは、信仰によって啓示されるものなのである。 そのように、究極的な平和ということを指し示しつつ、この世に生きる人間にその平和の本質的なものを実感することができるような道を開いて下さった。それが次のよく知られた意味深い言葉である。 、 …わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心配するな。恐れるな。(ヨハネ十四・27) この、主の平和を与えるという約束と、主イエスこそが闇に輝く光である、ということとは深くつながっている。神の光を受けるならば、私たちの魂は平和を与えられるからである。 …わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。…(ヨハネ福音書八・12) これは、この同じ福音書の最初にある次の言葉と響きあう言葉である。 …光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ一・5) 光はいかなる闇にあっても、そこに注がれることができる。聖書の最初にある、果てしない闇が混沌と深淵を覆っていたがそのただなかに「光あれ」との神の一言によって光が生じたという箇所は、このキリストの存在によって完全なかたちで成就したのである。 平和への道、それは聖書の最初から、一貫して示され、いかなる時代の変革や状況にもかかわらずに続き、存在してきた。私たちはこの永遠の平和への大道を示されているのであって、私たちの真剣な求めによって、それは今後とも、消えることなく、はっきりと示され続けるであろう。 ことば (249)神の愛の種から この世に、真実にまさって確実なものがあろうか。 救世軍はただ、世の中の貧しく、あわれな人々を助けたいとの一念から、生れたものである。救世軍は造り出したものではなく、進化してできたものであり、また成長したものである。 救世軍(*)は、ただその初めは、私の小さい胸の中に置かれた、神の愛と名付ける種子が成長し大きくなったものに過ぎない。(「ウィリアム・ブース」36P 山室武甫著 玉川大学出版部) ・主イエスが、種まきのたとえで言われたことが、実現している例の一つであるが、このように広く知られるようになったことだけでなく、あらゆる真によきことは、そのたとえで言われていて、ここでもブースが述べているように、一人の小さな胸の中に蒔かれた神の愛という種から始まる。 そのことは、私たちを励ます真理となっている。 能力とかお金、あるいは人間などから出発するのでなく、どんな状況であれ、神の愛の種はいかなる人の胸にも蒔かれ得るのであり、そこからたえずよきものが成長していくと約束されているからである。 (*)救世軍は、一八六五年にイギリスのメソジスト派の牧師、ウィリアム・ブースと妻キャサリンによって、ロンドン東部の貧しい労働者階級に伝道するために設立された。当初は「キリスト教伝道会」と称したが、キリスト者とは目に見えない悪との霊的な戦いに召された兵士であるという聖書の教えによって、一八七八年に「救世軍」と改称した。 現在では、救世軍はイギリスで政府に次ぐ規模の社会福祉団体であり、伝道事業とともに、百十一の国と地域で一万二千ヵ所近くの社会福祉施設、教育機関、医療施設を運営する、キリスト教(プロテスタント)団体となっている。) ヒルティも彼と同時代に生れたこの救世軍をいち早くその真価を認めて、その著書でもしばしば触れている。 なお、創始者のウィリアム・ブースは、救いについて 「我々は主張する、主イエス・キリストにより、信仰、希望および愛は、何らかの決まりや洗礼などの儀式などの有無にかかわらず、人を天国に送る。」と述べている。これは、ローマ書、ガラテヤ書などに強調されている、「人が義とされるのは、信仰による」や、「尊いのは愛によって働く信仰である。」(ガラテヤ書五・6)、「割礼の有無は問題でない。ただ新しく造られることこそ、重要なのである」(同六・15)、「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなた方はまもなく聖霊による洗礼を受ける」(使徒一・5)などに根拠をもった主張であり、この聖書的根拠と、禁酒をとくに強調してアルコール中毒から立ち直ろうとする人への誘惑とならないために、そして形式主義に流れることを排するために、救世軍では、水の洗礼、ぶどう酒を使う聖餐などの儀式は行なわない。 ブースは、「救世軍に属する人は、あらゆる点で宗教的でなければならない。彼がとるすべての食事は一つの礼典であるべきである。そしてすべての思想も行いも、神に対してなされる働きであるべきである。」と述べている。(同書一三〇頁) (250)主イエスが祈って下さる 時間になっても祈りに集中できないとき、簡単な解決方法があります。 私の心の中におられるイエス様に、どうか、私のために祈って下さい、私の心の静けさの中で、どうか天のお父様にお話しください、とお願いすればよいのです。 (あなたが神に)話すことができないときは、イエス様が私のために話して下さいます。祈れないときには、イエス様が祈って下さいます。ですから、私たちはこう言うのです。 「私の心におられるイエス様、私はあなたの真実な愛を信じています。」(「マザー・テレサ 日々のことば」五四頁) When the time comes and we can't pray, it is very simple : if Jesus is in my heart let him pray,let me alow him to pray in me,to talk to his Father in the silence of my heart. if I cannot speak,he will speak for me; if I cannot pray, he will pray. That's why we say : "Jesus in my heart , I believe in your faithful love for me."(「THE JOY IN LOVING」98P) ・私たちが祈れないときがある。心が重く、あるいは魂の疲れや動揺のために祈る心すら失いそうになることがある。そのような時に、私たちの意志や気持ちに頼るのでなく、主イエスに頼ることができる。主イエスご自身、弟子たちのために祈った、と記されている。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」 (ルカ二二・32) キリストは完全な愛のお方であるゆえに、私たちが霊的に立ち上がれないような時にこそ顧みて下さる。キリスト者同士でも、祈られ、祈る関係であるなら、主イエスも私たちのために祈って下さることを信じることができる。 日常のいろいろの心にかかることも主イエスに委ねるように、祈れない私のために祈って下さい、と委ねることができるのも大きな恵みである。 (251)奇跡 驚くべきこと、救いへと召されたことは。 心が揺るがないのは、ただ奇跡による。 夜から光にいたる道は すべての段階が奇跡に満ちている。 (ヒルティ著 「眠られぬ夜のために」第一部 12月20日の項より」) Wunderbar zum Heil berufen, Nur durch Wunder wankst du nicht; Wunderbar sind alle Stufen Auf dem Weg von Nacht zum Licht. ・この短い詩において、原文では「驚くべき、奇跡のような」という意味の wunderbar や、その名詞 Wunder(英語の wonder に相当するドイツ語) が三回も用いられている。それは私たちが個人的に神から呼ばれ、救いへと導かれたことは、奇跡としか言いようのないことと実感するからである。 いろいろこの世には、次々と心を暗くするような意味での驚くようなことが生じる。しかし、一度、魂の深いところで、ここに言われているような「驚くべきこと、奇跡」を体験した者は、周囲でのどのようなことが生じても、動かされなくなる。それは、人間の意志の力とか学識や経験などから来るのでなく、この詩が言っているように、やはり神の力による支えであり、「奇跡」なのである。 さらに、私たちがかつての闇の生活から、こうした光ある世界へと導かれたこと、そしてその歩みの一つ一つに、神の御手が働いていることを実感するゆえに、奇跡だと感じる。 休憩室 ○滝廉太郎 「荒城の月」は昔から特に有名な曲ですが、これを作曲した、滝廉太郎とキリスト教との関係は、最近までほとんど知られていないことでした。 滝廉太郎は、二十一歳の時、すなわち一九〇〇年十月七日に、東京の麹町下二番町にあった博愛教会で洗礼を受けています。津田塾大学の創設者として有名な津田梅子は、この教会員でした。 「荒城の月」は、滝廉太郎が受洗した年に作曲されたということで、この曲は彼のキリスト信仰の心を反映しているのではないかと考えられています。 キリスト者となった翌年、日本人の音楽家として二人目で、ドイツのライプチヒ王立音楽院に留学しましたが、二ヶ月後に肺結核を発病し、帰国。一九〇三年、二十三歳で死去しています。 カール・ヒルティを日本に初めて紹介した、ケーベル博士は、キリスト者で、東京帝国大学で哲学を教えるとともに、音楽家(ピアニスト)で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学の前身)でも教え、そこで、滝廉太郎にもピアノを教えました。 なお、荒城の月の作詩者である、土井晩翆自身はキリスト者でなかったけれども、彼の妻と長女は熱心なキリスト者であったということが分かっています。そのために、荒城の月の歌詞にも、この世が移り変わるのに反して、天の光の永遠を歌っているのはそのようなキリスト教的な影響があったのではないかとも考えられます。 (土井晩翆は、東京帝国大学英文科卒業後、詩集「天地有情」を発表。仙台の第二高等学校教授。文化勲章受章。) 三)いま荒城の夜半の月 かわらぬ光誰がためぞ 垣に残るはただ葛 松に歌うはただ嵐 四)天上影はかわらねど(*) 栄枯は移る世の姿 写さんとてか今もなお ああ荒城の夜半の月 (*)ここでの「影」とは、古語としての意味で「光」という意味で、天にある光は変ることがないが、この世はたえず栄えまた衰える、ということである。なお、広辞苑にも、「影」の説明の第一に、「日・月・灯火などの光。」と記して、その本来の意味をあげている。星影とか、月影などという言葉は、古くから使われているがこれらも、星の光、月の光 という意味。 この荒城の月は、キリスト教とは関係のない歌と思われてきましたが、最近になって、すでに述べたように滝廉太郎自身がキリスト者であったこと、さらに、この曲が、日本人のある神父の紹介からベルギーの修道院の聖歌隊の指揮者の心に残り、そこでの聖歌として祈りの歌となって用いられていることが判明しています。その聖歌を含むCDも日本で販売されており、私はその一部を聞いてたしかに静かな祈りをうながす曲として用いられているのを感じました。 (この記事は、「讃美歌・唱歌とゴスペル」二〇〇六年十一月 創元社発行 などによる紹介です。) 全く日本的な作曲家だと思われていた滝廉太郎にキリスト教の命が流れていること、また作詞者の土井晩翆にもその家族にキリストの光が射していたことなどを知ると、いかにキリストのいのちの水が、多方面に深く浸透しているかを改めて知らされる思いです。 編集だより ○この一年も、主に導かれ、読者の方々、そして私どものキリスト集会の方々に支えられて、「いのちの水」誌の発行を続けることができたことを感謝します。この小さな印刷物ですが、タイトルのように神のいのちの水が少しでも注がれることに用いられますようにと願っています。 ○今月号の「平和への道」という文は、十二月十日(日)の午後二時から大阪市中央区 アピオ大阪市立労働会館で行なわれた、クリスマス講演会で語ったことをもとにした内容です。 当日は、引用したキング牧師の、一九六三年八月二八日の、ワシントンD・C リンカーン記念聖堂での演説の録音の一部を聞いて頂きました。 I have a dream という有名な演説で、特にその終りの言葉、「ついに、自由だ…」の部分、「Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last.」と語る彼の言葉には、あたかも背後に目に見えないお方がいて、彼に語らせているかのような力強さがみなぎっています。 今も、神は、私たちの背後にいて、「ここに真理が、自由がある」と語りかけて下さっているのを思います。 ○来信から ・「いのちの水」11月号では漱石の「心」とトルストイの「アンナ・カレーニナ」が取り上げられていまして、懐かしく思い出されたことがあります。 高校時代に私はこの二作品を、文化祭で研究発表したことがあったのでした。両者とも 自殺 という悲劇で終わっていますが、その原因を考えるべく研究し始めたのでした。キリスト教にホンの少しふれていた時期でした。「心」には心の重荷から開放されるヒントは見出せなかったけれど、思春期の私には「心」の重苦しい心の内面に自分を重ねて惹かれるものがありました。 「アンナカレーニナ」ではレーヴィンこそトルストイ自身であるとわかり、光の道があることを知りました。 「いのちの水」を拝読し、後者を再び読み直したいと思いました。(関東地方の方) ・「いのちの水」誌から、私の今に呼びかけて下さいます様々の神様の細きみ声が、聞こえてきます。そして何よりも「祈りの心、祈りの手は生きている人間に…」との言葉を大切に心に受けました。 十月に日光に行ったとき、いろは坂を上るほどに深まる紅葉に、神様に導かれて歩む人生の秋の彩りを思いました。 そして「九十の坂は胸突き八丁」と言われながらも、「主に負われて百歳」を豊かに生きられたK先生のことを天国に偲びました。(関東地方の方) お知らせ ○十二月三十一日(日)は今年最後の主日礼拝で、いつもと同様に午前十時三十分からの開催です。また、その翌日の一月一日は、二〇〇七年の元旦礼拝で、例年のように午前六時三〇分から始まります。三十一日の礼拝が前日にあって、礼拝が続きますが、新しい年を神の言葉によって始めることができる恵みを共にできますようにと願っています。 ○一月の、鈴木宅での小羊集会は、いつもの第一水曜日でなく、第二水曜日の一月十日午後三時三十分からとなります。 ○以前にも紹介したことがありますが、パソコンでインターネットを用いている人は、つぎのサイト(高槻市の那須 容平さんによる)によって、私たちの徳島聖書キリスト集会の日曜日の礼拝の聖書講話をそのまま、ダウンロードして聞くことができます。http://www.geocities.jp/ekklesiajapan/ ○二〇〇七年の四国集会の予定が高知県の甲藤 浩三兄から送られてきました。 ・主題「一人も滅びないで」 ・日時 五月十二日(土)十二時〜十三日(日)十二時まで。 ・場所 高知共済会館 〒780-0870 高知市本町五丁目三〜二〇(高知市役所の西隣り。玄関前の道を隔てた前方に駐車場がある。) この四国集会も主の祝福と導きを受けて、御心にかなうものとなりますようにと祈ります。 |
2006/12 |
秋の山 2006/11 中国山地を車で南下していたとき、周囲の山全体に広がる鮮やかな黄葉、紅葉に心動かされた。前方の全体に巨大なキャンバスがあるかのようであって、そこに見えざる手によって創造され、描かれた一大芸術が次々と現れた。 夏には緑一色であったはずの樹木の葉は、茶褐色や黄色、赤色などさまざまの色合いとなっていた。神の御手に触れるとき、無数の木々の葉があのように変化ある色彩となる。人工的な杉の植林がないところでは、かくも美しい秋となるのかと驚かされる時となった。 人間も、ひとたび神の御手が触れるなら、その折々に多様な輝きと色合いを持つ存在となるのだろう。 生きている人のために 自らの命を断つ子供たち、亡くなった子供に手を合わせる姿がよく報道される。しかし、死んだ者に手を合わせ、祈るとももはや帰ってくることはない。 祈りの心、祈りの手は、生きている人間に向けられねばならないのである。 いじめを受けている人、いじめをしている人の双方に対して、彼らの心が支えられ、また悪しき心がなくなるようにとの、祈りの手と心が向けられることこそが、必要なのである。 今日の学校において、目先の成績をあげることばかりであって、祈りの心が全くない。祈りの重要性など教えられることは皆無なのである。 しかし、祈りなくば、人間の心は静まることがなく、人間を超えた存在からの力を受けることもできないのである。 教育の基本の真理 一九四七年三月から施行され、六〇年ほどの間日本の教育の根本指針とされてきた教育基本法は、その前文に、「真理と平和を希求する人間の育成を期する…」とあり、その第一条にも、「真理と正義を愛し、個人の価値を尊び…心身ともに健康な国民の形成を期して行なわれなければならない。」とある。 しかし、私自身の学校教育のなかで、中学や高校、大学を通じて、教育の場で「真理を愛する心」などということは耳にしたことがない。このように基本法の根本精神を表す前文や最も重要な第一条の双方に重ねて書いてあるほどであるにもかかわらず、真理とは何か、正義とは、平和とは、といった基本的な意味すら考えるように仕向けられたこともなく、授業でも語られたことがないのは実に奇妙なことだと言えよう。 それは教育基本法の前文や第一条の精神が無視されているのであって、そこから、高校での社会科の必修科目である世界史などを教えずに放置しておくなどという発想が生じているのである。 真理そのものを重視するなら、長い人間の歩みでどんなことが真理として重んじられたのか、どのような人が、いかに困難な状況にあって真理に従って生きたのか、といった歴史や倫理はおのずから重要な教科となるし、世界のさまざまの動きのなかにいかに真理が働いているか、といったことを知るためにも世界史は不可欠な教科となる。 真理に背を向け、目先のことや、生徒や保護者に迎合し、教師や校長の側もそれで評価されることを願っているからこそ、点数をあげることを至上目的とする受験教育に最大の重点を置くということになっていく。 しかし、いかに教育基本法を変えようとも、本当に人間を造る真理そのものは変えることができない。人間の目に見えない奥深いところでその魂を真に良くすること、造り上げることは、法律とか人間の強制では決してできないのである。 それは、この世のさまざまの議論とは全くちがって、神が私たちの魂に触れるのでなければ人間は本当にはよきものへと教育されないからである。 教育とは、その言葉は、教え、育むということであり、英語では、educate であり、それはラテン語の educo(エードゥーコー) に由来する語であり、「引き出す」という意味を持っている。人間を、真に内にあるよきものを引き出し、育て上げることができるのは、いったい何なのか。 英語や数学、音楽などの教科においてはたしかに教える教師がすぐれていたらその生徒に与えられている能力をより効果的に引き出すことができるのは容易にわかる。しかし、引き出そうとしても元からないものは引き出せない。誰であっても人間を兄弟として愛する、たとえ敵対するような者であってもその人のためによきことを祈る心、などといったものは生まれつき持っていないのであって、引き出すこともできない。 そしてそのような無差別的に人間を大切にし、愛をもってする心こそ、最も重要なものであり、そのような心こそ、どんなことよりも価値あるものである。 しかし、それはいかにすぐれた教師といえども、またどんな設備や法律を作っても引き出すことができない。 それは、人間を超えたところから与えられなければならないのである。 そのことを、聖書においては、すべての人間は罪あるものであり、神とキリストへの信仰によりその罪が除かれ、神からの聖なる霊を受けて初めて、人間は真になるべきものへと変えられ、造り上げられていくと、明確に主張している。そしてこのことは、二千年の間、無数の人たちがこの真理を体験してきたことである。 教育基本法の条文は変えられようとも、教育の基本となる真理そのものは、神とキリストによるのであって、決して変えることはできないのであり、今後どのような状況が訪れようとも、人間を本当に育み、造り上げるのは、神とキリストであり、上より与えられる目には見えない力(聖霊)であり続けるのである。 いじめの背後にあるもの 最近毎日のようにいじめの記事があり、自殺までするということが繰り返し報道されている。そしてそうした記事から受ける印象は、いじめる子供は悪く、いじめられるこどもは弱い、犠牲者だ、というものである。 最近、京都大学大学院の木原助教授らのグループが全国の高校生六四〇〇人を対象にして、いじめの実態調査を発表した。それによると、いじめと、いじめられることの両方を経験したのが、男子では、二八・七%、女子でも十六・七%で、いじめられただけ、とかいじめをしただけ、というのを抜いて最も多かったという。 そして、小学生のときに「いじめをした経験がある」子供は、六三・四%もあり、「いじめられた経験がある」のは、五五・六%、女子でもいじめた経験を持っているのは、五八・一%、いじめられたのは、六二・七%だという。 これを見ると、相当数が、いじめられるだけでなく、ほかの子をいじめたことがあり、被害者がまた加害者となっている実態が浮かび上がってくる。こうした調査は今回のが初めてだというが、この調査をした木原助教授自身が、これほどまで両方を経験している子供が多いとは予想外であったと言っている。 この数値は、実際に見えるいじめをしたり、されたという経験の調査であり、心の中で他者をいじめたいという気持ちははるかに多いと考えられる。 これは、制度とか環境などによらない、人間の深いところにある、自分中心の考えや感情によっていじめが生じているからである。 いじめるとは、愛とは正反対の感情であり、相手の苦しみを少しでも軽くして共に担おうという心とは逆に、相手に心の重荷を押しつけよう、苦しめようという心であり、人間の心の深いところに働く闇の力からきているのを思わせる。 こうした他人を苦しめようという心は、何も子供だけでなく、大人の世界にも至るところにある。国家、民族同士といった大きな規模においても、はるか昔から続いている。戦前の政府が、治安維持法で逮捕した思想犯や戦争に反対したキリスト者などをさまざまの方法で苦しめたが、それは国家権力によるいじめであったし、さらにさかのぼって江戸時代ではキリストを信じているというだけで捕らえられ、厳しい拷問がなされた。それは厳しい寒中に氷の張る池に投げ込んで、また引き揚げるといったことを繰り返したり、水牢に入れる、人が重なり合うような狭い牢獄に何十人も閉じ込めて飢えと排泄物の汚れで苦しめる等々、すさまじい迫害を行なった。これらもいじめの極限状況であった。 つい六〇年あまり前にも、日本は中国や韓国に行って、戦争で捕らえた人たちを命を失うほどに苦しめたことがあった。戦争とは大規模な、国家的いじめなのである。 これらはすべて人間がその奥深いところに愛を持っていないこと、それゆえに状況の変化でどんなことを他者に対してしてしまうか分からない。 結局、いじめの根本問題は、人間の魂の変革なければいじめはなくならないということである。子供の世界だけでなく、大人になっても、否、死に至るまで、何らかのいじめを受け、また他人にいじめをするのが、この世の実態なのである。 これは、他者の本当の幸いのために、祈り、祈られること、互いに他者の重荷を負う、という姿勢といかに違っていることだろう。 このような暗い現実からの救いのために、主イエスは来られたのだと分かる。キリストが一人一人の内に住むようになるとき、私たちはいじめ、いじめられるという世界から、祈られ、祈るという神の御手に置かれる世界へと移っていくことができる。 真の伝統と文化 今回の教育基本法の改訂で繰り返し強調されたのは、「伝統と文化を尊重し、わが国と郷土を愛するとともに…」(与党の改訂案の第二条第五項)ということである。 そのように特別に尊重すべき伝統とは何かが問題である。これは戦前に実に熱心に、厳しい強制をもって尊重させたことである。伝統の最たるものとして天皇を現人神とまで持ち上げて、国民に強制的に最敬礼することを命じた。そしてそれと関連して君が代や日の丸を戦争を遂行していく上での重要な手段の一つとして用いた。 日本の文化と伝統を重んじるということから、英語まで敵性言語だとして禁止するようなところまで行ったし、日本が征服した領地、例えば朝鮮半島の人たちにはわが国の伝統と文化であるとして、神社参拝をも強制した。障害者差別や部落差別も、男尊女卑ということもなども当然のことのように行なわれてきたゆえに一種の伝統ということになるが、このように間違ったものもいろいろとある。 日本という小さな国にしか通用しないものは真の価値ある伝統や文化とは言えない。 我々の本当の伝統や文化は、そのような小さく狭いものではない。 それは天にある。神の国にあるもの―神の愛や正義、真実、清さ等々、そしてそれらをもとにして生み出されたものこそ、真の人間全体の受け継ぐべき伝統であり、文化なのである。 光射す道 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 これは、聖書の根本的な真理を述べたものである。天地を創造された時には、混沌と空虚、闇と得体の知れない深淵があった。しかし、そのような暗黒と深淵のうえに、神からの霊は吹いていた。今も、同様である。どのような暗黒であっても、計り知れない深みであっても、そこには神からの風が吹いている。霊の風が吹いている。 そして、光あれ、と神が言われる。このように、聖書は最初から、人類全体に対しての永遠のメッセージを告げることからはじまっている。 そしてその光は、深い闇によって覆い隠される。それが、カインとアベルの事件である。最初の家庭が兄弟殺し をするという目をそむけたくなるようなことをする。そのような闇はノアの記述においても、みられる。 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを見て… (創世記六・5) ここに記されているように、光が射しているのに、それをさえぎってその光を受けようとしないのが人間なのであった。そうした闇にあっても一人の人間がその神の光を十分に受けようとした。それがノアである。「ノアは、神と共に歩んだ」とある。これは、光なる神と共に、ということであるから、光を受けて歩んだのを示している。 こうした光を受けた人が次の世代への大きな橋渡しとなっている。神の言葉、命と光を受ける者こそは、同時代の人達に神への橋渡しをするだけでなく、未来の世代へと橋渡しをするものとして用いられる。祭司とは、ラテン語では、「橋を造る」(*)という意味の語である。 (*)ラテン語の祭司という意味の言葉は、ポンティフェックス pontifex であるが、これは、ポンス pons (橋)という語と、ファキオー facio (作る)という語からできた言葉であり、「橋を作る」という意味になる。 その後、長い世代がすぎて、バベルの塔が建てられたことが記されている。 …世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東の方から移動してきた人々は、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。…降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」(創世記十一・1〜7より) 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。それゆえ、人々の間には、一つの言葉で通じ合えるゆえの一致があったと言えよう。しかしそうした一致を覆したのは、人間の傲慢さであった。「天まで届くような塔のある町をつくって、有名になろう。」という一言が記されている。 このような、人間の技術の力で大きなことができる、天にまで届かせるといった考えは、現代でいえば、科学技術など人間のわざで特別に人間を惹きつけるものを造り、そうしたものによって人間の心を一つに結びつけようとすることに相当する。 科学技術でなくとも、さまざまの人間の文化、例えば、スポーツ、音楽などの芸術、学問もそれぞれに人間を一つにするところがある。例えば、ベートーベンの第九交響曲の歓喜の歌のコーラスを共にすることによって、関係のなかった人達が一つになる、というようなことは多くある。スポーツの観戦で、同じチームを応援することによってやはり子供も大人も、性格が全く異なるような人も、一つになってくるというようなことである。 しかし、そうしたことが、人間の力に頼って人間の力によって一つになれるのだと、思うとき、そこに大きな誤りが生じる。確かに前述のような人間の営みによって部分的、あるいは表面的に、そして一時的に一つになることはある。しかし、一度病気になってそのようなコーラスができなくなった途端に一つと思っていたことが実は影のようにはかないものであったことに気付くのである。 世界中が、同じ言葉で、分かり合える状況にあった。しかし、そのような一致を真理のために用いるのでなく、人間を統合して、どこまでも大きなものをつくること、そしてその権威、力を誇示するために一つの言葉を用いようとした。日本など、戦前は、となりの国を占領して自分の国とし、自分の国語を強制的に使うようにした。このように、一つになるということは、しばしば悪用される。 レンガを用いて造った、そこにももろさが象徴的に現れている。エジプトのピラミッド、イスラエルの神殿などの例でもうかがえるように、この地方の建物は概して石によって造る。しかし、このバベルの塔は土を焼いたものであるレンガで造られたと記されている。 現在においても、強固な石であるキリストの代わりに、もろい単なる日本の伝統とか文化というものを土台としようとしている。例えば、戦前の日本では伝統の根源は天皇だとされていて、かつての教育勅語は、教育の根源は天皇にあり、という内容であった。 天皇というふつうの人間を神だとして、祭り上げることによってその天皇の名によって強制的に、人間を一つにしようとした。八紘一宇(*)というのが戦前の合い言葉のようなものであったが、それはバベルの塔に関して書かれていることが現在においても行なわれていることを示す実例だといえよう。 (*)八紘一宇という言葉に含まれる、「紘」とは、「(張りわたした)つな」のことで、「八紘」とは、「大地にはりわたした八本のつな」の意味となり、「大地の八方のはて」を意味する。また、「宇」とは、「大きな屋根、家」を意味する。それゆえ、八紘一宇とは、「世界を一つの家にする」という意味となり、その家長に天皇がなるのだ、といったことが言われていた。太平洋戦争のときに、日本のアジアへの侵略戦争を正当化するためにこのような言葉が標語のように用いられた。 このような、状況を見抜いてこの個所は書かれているといえる。創世記には素朴な神話的なように見える表現の中に、こうした深い洞察が随所に折り込まれている。強制的に権力や武力で一つにされたとき、その集団は国家であれ民族であれ、自由を失う。そして方向が間違っていく。これは、戦前においても、日本やドイツ、イタリアなどでとくにみられた現象であるし、戦後には、ソ連や中国、東ヨーロッパなどで、そのようなかたちで一つにされていった。また、現在では、イスラム原理主義と称する人達の一部が、暴力、テロをもって、異なるあり方をしようとする人達を締め出していこうとしている。 現代では、核兵器がこうした「バベルの塔」のごときものになっている。核兵器を造り、それによって世界をこのような、権力やそこから作り上げた組織、王、支配者などによって一つにしようというのである。核兵器を持った国が中心となって一つにしようというわけである。日本もいわゆるアメリカの核の傘の中にいることで安全を保っているのだ、だからアメリカとの同盟が重要なのだ、といわれる状況がある。 再び、バベルの塔の記事に戻ると、このような人間のやり方を神は見つめておられる。そして時至ってその間違った動きにさばきを行なわれたと記されている。それが、「言葉を乱す」ということであった。人間的な考えや組織といったもので一つにしようということは、必ず壊れていく。その最初の現象は、「言葉が通じなくなる」ということである。戦前のような権力で支配しようとすること、天皇を現人神として礼拝を強要していくこと、そこから日本しか通じない状況となっていった。八紘一宇、天皇が現人神である、聖戦、鬼畜米英、一億総玉砕、等々といった言葉は、日本しか通じないものであって、そのようなことを国民全体が常にふりかざしていくという異常な事態となった。 現在において、イラク戦争という世界的な問題において、アメリカが突出してそれを正義の戦争だと言ってきたが、アメリカがその軍事力や富の力という、バベルの塔のようなものをバックにして強引に事をなそうとすることによって、次第に世界の国々と言葉が合わなくなっていった。言葉とは、心の外に出たものであって、心が一致しなくなっていったと言えよう。 このようなことは、こうした日本や世界の歴史や社会的状況だけでなく、もちろん個人においても成り立つ。自分が、目立つこと、注目されることをして有名になろうといった心は、必ずさばきを受ける。そして他者との心の真実な交わりは必ず壊れていく。それは神がなされることである。 自分中心の心を第一にする、これは神からの光を妨げることになる。 そうしたあり方に対して、光を受けた道を歩む場合には、武力や権力なくして一つになる。キリストの弟子たちは、主イエスが逮捕されたとき、自分たちが逮捕されるわけではなかったにもかかわらず、主の後についていくこともせず、逃げてしまった。しかし、その後、復活されたイエスの言葉を思いだして、一つになって真剣な祈りを捧げていた。復活のキリストを一番大切な存在として受けとる心は、おのずから一つになっていく。 そうしてそのような一つになっての熱心な祈りによって聖霊が授けられ、その聖霊はさらに信じる人達を一つに結びつけ、財産をも捧げ、共有しての生活という驚くべき状況がはじまったのであった。 それゆえ、一つになるのは、神によってであり、神の光を受けるときに、永続的な関わりが生れる。 聖書においては、バベルの塔の建設が神のさばきを受けて、人々は通じ合うものを失ったという状況になった。そうした人間の歩みのなかに、神の時が訪れて一人の人間(アブラハム)にとくに光が当てられた。 その光は、神を示し、神の言葉だと確信させるものであった。光のゆえに周囲の人達が分からなかったことをアブラハムだけが理解し、その確実さをもその光のゆえに悟ることができた。それゆえに彼は旅立った。神の言葉が聞こえた、ということは、霊の目でその言葉を語りかけたお方を見たということでもある。 アブラハムに語りかけた神は、彼が親族とともに留まろうとしていたところで、アブラハムに語りかけた。そこに安住してはいけないこと、神の指し示す地に行かねばならないことを語りかけた。そしてアブラハムはその言葉に従って出発した。 アブラハムの孫であったヤコブにおいては、ヤコブを殺そうとする兄から逃れ、遠く離れた土地へと旅立っていった。そのときには、彼はただ自分の命を守るため、母親の命令に従って出発した。また、この遠い地への旅立ちは、エサウが神を知らない民族の女と結婚したゆえに、ヤコブには同じ神を信じる親族と結婚させたいとの願いもそこにあった。 いずれにしても、一人で親元から旅立って未知のところへと赴くとき、神が現れたのである。それはそこに光が射してきたことを意味する。未知の道であっても、そして、まだ信仰といってもごく未熟な者であっても、天来の光が注がれる。 …ある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。…彼(ヤコブ)は夢を見た。 先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。 見よ、主が傍らに立って言われた。 「わたしは、…主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記二八・11〜15) 危険と孤独、そして不安をかかえての道において、このような天の世界が開かれ、そこからまざまざと神の祝福を見て、神からの祝福と約束の言葉を受けた。これこそ、現代の私たちにとっては、御国への道を象徴するものである。 このような聖書の記述に対比して、日本の作家の世界を見てみたい。 光なき世界 夏目漱石は、日本での代表的作家である。彼が書いた作品のうち、「こころ」は、死の二年前に書いたものであって、晩年の漱石の精神的な世界が現れている。そしてこの作品は、岩波文庫のうち、最もたくさん読まれてきた本である。 しかし、それは、そのタイトルが、だれにでも関心のあるものであるからだろう。「こころ」といえば、だれにでもイメージが湧く。心に喜びや不安、安心、怒りなどを感じるのは人間ならだれでも持つ感情だからである。 しかし、この作品の内容は、私たちの心を強くしたり、明るくしたり、あるいは清めたりするであろうか。私は中学から高校にかけての年代に読んだとき、何か暗くてもやもやした心になったことを覚えている。それは当然であった。 男女の心の問題で、自分の心の中を遺書というかたちで書き綴ったものであるが、それはごく親しい存在であった友人が、自分の心を惹いていた女性と心が通うようになったことを知り、その友人を裏切るようなかたちで、自分がいわばもぎ取ってしまったように結婚したことから、その友人が、自殺してしまう、そこからその女性と結婚した人が長い苦しみをその心に持つようになり、ついにその重さに耐えられなくなって、自らの命を断ってしまうというものである。人間の心がいかに罪深いものであるか、そしてその暗い力に勝つことができずに打ち負かされていくか、またその罪を感じて苦しむ心をだれにも訴えることができない孤独と重苦しさが一貫して漂っている。 これはまさに光なき道である。友人もその闇を脱することができなかった。遺書を書いた当人も同様である。 この本の中に、罪の根の深さを記したところがある。善良に見える人間が、突然悪人になる、という。 …しかし、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。 平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。…(「こころ」二八より) 「こころ」の主人公そのものが、そうした人間であること、また作者の夏目漱石自身が自分の内にそうした本性があることを知っていたことを示している。主人公の「先生」が、友人が自らの命を断ったのを知ったとき、その主人公の心が次のように書かれている。 …私は棒立ちに立ちすくみました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまた、ああしまった、と思いました。 もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。そうして私はがたがた震え出したのです。…(「こころ」四八より) 自分の奥底にあった自分中心の考え、それが親しかった友が命を自ら断ってしまうという重大なことへとつながってしまったのだと分かったときの内面に生じた世界がリアルに表現されている。 それまで自分がこんな悲劇の引き金を引くようになるとは全く考えてもみなかった。 「先生の前途には、黒い光が未来を貫いて全生涯をものすごく照らした」という表現のなかに、人間が心ならずも犯してしまった罪によって取り返しのつかない事態が生じ、そのために、自分の生涯は黒い光で照らされてしまうという意味が含まれている。 これは赦されない罪を犯して取り返しのつかない事態を招いてしまった人間の心の世界の断面を鮮やかに浮かび上がらせている。このような黒い光に照らされ、以後真実な喜びを感じることができなくなった人、生きる力を失い、ついに生きていけなくなった人が数知れずいることであろう。 漱石の作品にあるのは、人間の中に潜む自分中心という悪、すなわち聖書でいう罪ということであり、気付かないような心の奥底に潜む暗いものをこのような形で、明るみに出したのである。 しかし、そうした人間の罪を知ることだけに、心を鋭くしても、そこから出て行くところがない。そのような重苦しい人間の奥深いところの現実を明るみに出され、登場人物の内に、そして著者の心の内にある深い闇を知らされ、さらにそれが自分の内にもあることを知らされる。その闇を照らす光がないなら、その自分中心という罪を深く知れば知るほどますます人間の心は立ち上がれなくなっていく。 今もそうした黒い光に自分のこれからの道を照らされ、どうすることもなく崩れ落ちていく魂が無数にいるであろう。 つぎにもう一人の文学者をあげよう。それは石川啄木、教科書で必ず出てきた人物である。 はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る という詩は今も覚えている。しかし、この有名な詩のすぐ手前には次のような詩がある。 どんよりと くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな 一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと 初めてこの詩を目にしたとき、教科書に必ず掲載される明治時代の代表的詩人の一人というような人の内面がこのようなものを持っていたのかと驚かされた。これは、真の光を知らなかった詩人が、人間がその奥深いところで持っている暗い罪をリアルに表現したものだと感じたのである。啄木は、生活を正しくすることができず、「その経済生活は無茶なもので、家族を友人の手にまかせたまま、送金もせずに放置するなど、無軌道放縦をきわめた」という。(伊藤整の「詩人の肖像」による) それは、繊細な感受性が光を受けなかったゆえに、満たされることがなかったゆえであろう。 しかし、このような暗い心情が人間のなかにあるのをすでに聖書は数千年も昔に明確に記している。聖書で初めての家族であるアベルとカインの間に生じたことである。カインはねたみから、アベルの命を奪ってしまったという記述である。 人間は相手を愛することができず、ねたみや憎しみを持つような心、相手が気に入らないと、その存在を抹殺してしまおうとするような心が潜んでいる。 こうした暗い心がだれにでもあるが、それは幼いときには目立たずにいるが大人になるにつれてそれがふくらんでくる。そこからさまざまの犯罪やよくないことが生じていく。 最近のいじめの多発ということ、子供の自殺などということも、じつはそうした内にひそむ人間の闇の部分が、ゲームや俗悪な番組などによって早くから触発されてきたことにある。 それゆえ、法律とか制度とかがどのように変えてもだからといって、そうした人間の内に宿る深い闇が消えることはない。 日本の文学にはこうした死の力、闇の力を越えることのできない暗さがたちこめているのが多い。すでに芥川龍之介、川端康成、有島武郎、三島由紀夫、太宰治、最近では江藤淳など、自らの命を断った著名な文学者、作家が多い。漱石のような博学多才な人であっても、その作品には死の力、罪の力を越えることのできない暗さが漂っている。 「アンナ・カレーニナ」が指し示すもの 以上のような、日本の代表的作家の内面の世界と対比して、ロシアの思想家、文学者でもあったトルストイの作品について見てみよう。彼の代表作の一つ、「アンナ・カレーニナ」は、まさにこの黒い光に照らされ、生涯を照らしだされて生きていけなくなった一人の女性の魂の風景が描かれている。 「…愛の終わるところには、もうきっと憎しみがはじまっているものだから。…どこまで行っても家ばかりだ…そして家の中には、どこへ行っても人がいる…。どれくらいいるのか見当もつかない。そしてそれがみんな憎み合っているのだ。…いったい、私たちはみんなお互いに憎み合い、そして自分をも他人をも苦しめ合う、ただそれだけのためにこの世に放り出されているのではないだろうか? 」… そして彼女は愛と名付けていたもののことを、嫌悪の情をもって思い起こした。 「…みんな同じことなんだわ。どこへ行っても、いつの世にも。」 …もう何も見るものがないという時に、なぜロウソクを消してはいけないのだろう? だけどどうして消したらいいだろう。…何もかもみんな本当じゃないわ、みんな嘘だわ、みんな偽りだわ。みんな邪悪だわ…」 このように、自分がそれまで愛だと思っていたものが、まったくそうでなく、憎しみに容易に転化することを知ったとき、一番大切に思っていたものがそんな本性を持っているのだとわかり、この世に絶望していく。この世のものがみんな嘘なのだ、真実などあり得ない、と思うようになったとき、生きていく力も失せていく。まわりの人からうらやまれるようなこの世のはなやかな生活や生まれつきの美貌などは、そうした闇の力には何の対抗する力も与えることができなかったのである。そして、ついに走り来る列車に身を投げてしまう。 …彼女は、車輪の下に倒れ込み、すぐまた立ち上がろうとするように膝をついた。とその瞬間に彼女は自分のしたことにぞっとした。 「私はどこにいるのだろう。私は何をしているのだろう。何のために?」 彼女は身を起こして飛び去ろうとした。だが、巨大な、無慈悲なものが彼女の頭をぐわんと突いて、その背をつかんで引きずった。「神様、お赦し下さい!」と彼女は口走った。 不安と、欺きと、哀しみと邪悪に満たされた書物を彼女に読ませていたロウソクが、いつにも増してぱっと明るく燃え上がり、今まで闇に包まれていた一切のものを彼女に照らして見せたと思うと、たちまち音を立てて暗くなり、そして永久に消えてしまった。(「アンナ・カレーニナ」トルストイ著 第31章より」) アンナが読んでいた書物とは、この世であり、それを読むために彼女が用いていた「ロウソクの光」とは彼女の理解力や判断力であった。しかし、そのような光によっては世の中の不安や哀しみ、そして悪しか目には入らなかったのである。それは、すでに述べたように夏目漱石が「黒い光」といっているものと似通ったことだと言えよう。それは、最終的には人間の命を支えるものでなく、ついには滅びへと向かわしめるものでしかなかった。 しかし、こうしたアンナの悲劇的な最期後は、人間に深くまとわりついている闇の力の延長上にあるゆえに、単に小説上でのことでなく、いつでも人間が直面することを暗示していると言える。 トルストイのこの作品では、このアンナの闇に向かう歩みと平行して、もう一組の男女が対照的に描かれている。それは、レーヴィンとキティである。 このレーヴィンこそが、この「アンナ・カレーニナ」という作品の本流なのである。この世には、二つの大きな流れがある。一つはアンナとウロンスキーという一組の男女に象徴された流れ―これは、すでに述べたように最終的には破滅へと向かう流れであり、そしてもう一つがレーヴィンとキティという一組の男女に象徴された流れであって、それは、神の国へと向かっていく。 レーヴィンの心には、アンナの死後に大きな変化が生じていく。彼は、「自分とは何であるのか、また何のためにこの世に生きているのであるか」ということが次第に大きな問題となっていく。 …終日レーヴィンは、管理人や百姓たちと話していても、家で妻や子供たちなどと話していても、この、ただ一つのこと―そればかりを考えていた。そして、「自分とは何者か、自分はどこにいるのか? 何のために自分はここにいるのか?」こういう自分の疑問に答えになりそうなことを、あらゆるものの中に求めていた。 結局みんな死んでしまうのだ。自分も埋められてしまって、何も残らなくなってしまうということなんだ。こうしたすべての仕事など、何のためなのだ …という疑問である。そのようなとき、ある農民との会話のなかで強く引かれる言葉があった。その百姓が知人の老人フォカーヌイチについてこう言った。 …「フォカーヌイチこそは、まっとうな年寄りだ。あの人は、魂のために生きている。神様を覚えている。」 どんな風に神様を覚えているのだ? どんな風に魂のために生きているんだ?」とレーヴィンはほとんど叫ぶように言った。「分かりきったことじゃありませんか。真理に従って、神様の言葉に従って、生きていくだけですよ。」 「そうだ、そうだ、じゃさようなら!」とレーヴィンは向きをかえて急ぎ足でわが家に向かった。 「フォカーヌイチが魂のために、真理に従い、神の言葉に従って生きている」と言った、農民の言葉を耳にすると同時に、おぼろげではあるが、意味深い考えが群れをなして、今まで閉じ込められていたところから、急に飛び出して来たかのようであった。 そしてそれらの考えは、みな一様に、一つの目的に向かって突き進みながら、その光で、彼の目をくらませながら、彼の頭の中で渦巻き始めた。 レーヴィンは、これまで一度も経験したことがない精神の世界に聞き入りながら、広い街道を歩いていった。 農民の言った言葉は彼の心に、電気の火花のような作用を起こして、これまで一時も彼を離れたことのない、断片的な、力のない、ちりぢりばらばらのおびただしい考えを、突如として変形させ、一つのものに結合した。(*)(「アンナ・カレーニナ」第八編12より) (*)印象的な個所なので、一部の英訳をあげておく。 The words uttered by the peasant had acted on his soul like an electric shock, suddenly transforming and combining into a single whole the whole swarm of disjointed, impotent, separate thoughts that incessantly occupied his mind. ここには、トルストイ自身の大きな魂の突然の変化を背後に感じさせるものがある。彼自身、若いときからさまざまの罪、欲望に悩まされ、魂はさまよってきたのであったが、あるときから根本的な変化を遂げて、それまでとは全くことなる内容の作品を書き始めた。それは、福音書の山上の教えにあるような内容に沿ったものとなった。 目に見える財産、地位、名声あるいは自分の考えや欲望のために生きるのでなく、目に見えない魂のため、神のために生きるということに、決定的な転換を遂げたのであった。 … 自分たちのためでなく、神のために生活する。いったいどんな神なのか。あの男は自分たちの必要のために生きてはならないと言った。…そして神のために生きなければならないというのだ。しかも、どうだろう。この無意味に見える言葉を私は理解しなかっただろうか。あいまいな不確実なものとでも思っただろうか。 いやいや、私はあの男の言ったことを、彼が理解していると全く同じに、完全に理解したのだ。…真理のため、神のために生きなければならない、と言った。すると私は、ただその短い言葉だけでそれを理解してしまった。…私は過去において自分に生命を与えていてくれるその力を理解したのだ。 私は虚偽から解放されて、主人を認識したのだ。… 今や彼には、自分が生活を続けることができたのは、ただただ自分が育まれた信仰のおかげにほかならないことが明らかになった。 『もし自分がこの信仰を持たず、自分の必要のためでなく、神のために生きねばならないということを知らなかったら、私はどんな人間になっていただろう。略奪したり、嘘をついたり、人殺しなんかもしたかもしれない。現在自分の生活の喜びとなっているものが、一つも自分のためには存在しなかったかもしれない。』… 私は、あの農民と共通のこの喜ばしい知識(神と魂のために生きること)を、私の魂に平安を与えてくれる唯一のものであるこの知識を、いったいどこから得てきたのだろう。どこから取ってきたのだろう。…そうだ、私が知っているこのことは、理性によって知っているのではない。それは自分に与えられ、自分に啓示されたのだ。… こう言って、レーヴィンは長い魂の遍歴についに終りを告げて、明確な目標を与えられ、生きる意味を確信するに至った。そしてそのような重要なことを、学者や宗教家、あるいは芸術や政治などの有名人からでなく、学問もなにもない庶民である老人の農夫との対話から得たのであった。 真理はこうして幼な子のような心もて神を仰ぐ者に啓示されるということを示している。 この作品の最後は、自分が今までと同様にいろいろと罪も犯し、感情的になるかも知れないが、これからの全生活は、自分に今後何が生じようとも、生活の一つ一つの時が、今までのように無意味でなくなり、良き意味を持ってくるのであり、その意味を自らが与えることができるようになるということで終わっている。神と、人間の魂のために生きることこそ、人間の目的だという真理を見出したとき、生活のあらゆることが良き意味をもって迫ってくる。そうした深い魂の感動とそこに与えられた力が、その後のトルストイの三〇年余りの驚くべき著作活動、しかもそれが、しばしば国家的、宗教的な権力との戦いともなっていくのである。 そして、トルストイは、この作品を完成させた後、翌年にそれまでの自分の生きてきた道を鋭く見つめて、告白をし、「懺悔録」を書いて、その後新約聖書の福音書の精神をもとにした民話などを書くようになった。その福音書の精神によって、戦争への反対を強力に主張するようになった。 そしてこのキリストを模範とする非暴力、非戦の思想が後に、ガンジーに大きく影響を与え、そのガンジーの思想と生きた歩みが、アメリカの黒人牧師、マルチン・ルーサー・キングを非暴力の抵抗運動の指導者とするのに強力な導きとなったのであった。一人の人間の魂に示された光の射す道、それはこのように、単に個人の平安を得るという狭いところにとどまるのでなく、広く世界へと広がり、現在もその余韻を残し続けているのである。 このように、トルストイが福音書の中に見出した光は、その後も世界的に重要な社会的、政治的な動きのなかにも、射していったのである。アンナ・カレーニナという作品は、闇の道、死に至る道と、光射す道とが徐々にはっきりとその違いをあらわしていくその道程を指し示しているのであり、単なる恋愛文学とは全くその性質を異にしている。 そして自らの歩みをそこに投影させ、それゆえにさまざまの登場人物が読む者にありありと生きて働いているように感じさせることになっている。 日本の文学者、詩人たちが光の射す道を見出せなかった人が実に多いのに対し、米英やロシアの文学にはトルストイのように光射す道を知ったものが多い。それはいうまでもなく、聖書とキリストがあったからである。 旧約聖書においてすでに、この闇と混乱の世界に光が射している、しかもそれは神の光であり、永遠の光なのである。 イスラエルの民がエジプトにて苦しい労働を強制され、それにもかかわらずに増え続けるために、生れた長男はナイル川に投げ込めとの命令が下され、民族が滅ぶという瀬戸際に追い詰められる、闇に包まれた状況におかれた。そのとき、神の強力な光がモーセという人間に注がれ、彼は万難を排してエジプトからイスラエルの人々を救い出すという大事業に着手する。神の光が射した者には、だれも考えたことのない力と独創的な考えが与えられるからである。そして生きることの困難な砂漠地帯を、昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを守り、導いたと記されているように、光射す道を、「乳と蜜の流れる地」へと神に導かれて人々と歩んで行った。 そしてさまざまの苦難を経て、ついに目的地について民はしばしば大きな罪を犯す。しかしそれにもかかわらず、神は特別な人を選んで、光の道を示し民を警告し、神の道の歩みをさせたのであった。 キリストより千年ほども昔、羊飼いの息子であったダビデは数々の苦難を経て王となり、多くの詩編のもとになったと思われる重要な詩の数々を作り、光を受けた魂がいかなるものであるかを示し、以後三千年にわたって絶大な影響を世界に与えたのである。 そのなかで最もよく知られた詩編と言えるものは次のような内容を持っている。 主はわが羊飼い、 私には乏しいことがない。 主は私を緑の牧場に伏させ、 憩いのみぎわに伴って下さる。 たとえ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れない。 主が共にいて下さるから。 これは、まさに光射す道を歩んでいる魂の姿である。死の苦しみが襲いかかってくるようなときであっても、神からの光を受けるゆえに恐れないで歩み続けることができる。 たとえ敵のただ中であっても、その中で心によき賜物を与え、満たして下さるという言葉がこのあとに続く。 死の陰の谷、それは黒い光の射す道であり、そこを歩くときに天よりの光なければ、すでにあげたトルストイの作品の中のアンナのように、また漱石の「こころ」の主人公のように、ついに倒れてしまうであろう。 しかし、そこに主の光あるゆえに、そのような暗い道がうるおいある道となり、憩いの水ぎわへと導かれる道となり、よき魂の食物を与えられ、新たな力を与えられて歩むことができる。 この詩編とともに、主イエスの十字架上での出来事をリアルに預言している詩編二二編について見てみよう。 わが神、わが神、 なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。… わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、 「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」 わたしを遠く離れないでください 苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。 あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。 骨が数えられる程になったわたしのからだを 彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。 主よ、あなただけは わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ 今すぐにわたしを助けてください。(詩編二二・1〜20より) もう生きる希望もないほどに激しい苦しみの連続から神に向かって叫び続ける魂の姿がここにある。神が見捨てたのだとしか思えないほどの恐るべき状況に投げ込まれた姿は、十字架上でのキリストが受けたあざけりの一部がそのままであるし、ことに冒頭に置かれた、「わが神、わが神、どうして私を見捨てたのか!」という叫びは、そのまま主イエスの最期の叫びとなっている。それほどにこの詩は果てのない闇に置かれた人間の状況を表している。 しかし、そのような死の淵にあって、どれほどの歳月が経った後であろうか。神からの光が射してこの作者は救われ、次のように神の力と愛を広く伝えずにはいられなくなったのであった。 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え 集会の中であなたを賛美します。 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。主は貧しい人の苦しみを 決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく 助けを求める叫びを聞いてくださいます。… 地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせるでしょう。(同25〜32より) このように、いかに深い闇と絶望的状況に置かれていても、神を信じて叫び続ける者に神は光を与えられ、その人は滅びから救い出され、新たな光の射す道を歩み始める。 こうした光の道は、さらに旧約聖書の預言書にもはっきりと見ることができる。とりわけ、イザヤ書の後半には旧約聖書全体で最も意味深い光を預言者に注ぎ、そこからキリストの受難という福音の中心にかかわることが示されている。これはその預言から、五百年余りも後になってイエス・キリストがこの世に生れて実現するような遠大な出来事が預言されている。いかに大いなる光が注がれたかがうかがえる。時代を越え、あらゆるこの世の転変を越えて光は射しているのがわかる。 また、そのイザヤ書の最後の部分には、「新しい天と地」ということが啓示されている。この世の腐敗や混乱と闇はいつまでも続くものではない。それは神の定めたときまでであり、時至ればすべてのものが新しくされる。 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。 初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。…(イザヤ書六五・17〜18より) このイザヤに与えられた光は、世の終わりまで照らしだしてその結末を指し示すほどの力を持っていたのである。このような不滅の光によって照らされて歩むのが、神を信じる人たちである。 さらに、旧約聖書の最後には、次のようにある。 …しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには 義の太陽が昇る。 その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように 躍り出て跳び回る。(マラキ書三・20) ここには、創世記の冒頭にあった、闇に光あれ、との言葉に呼応するように、悪へのさばきが行なわれるそのただ中に、正義の太陽が昇る、と預言されている。神を信じて歩んできた者たちには、永遠の光が射してくるということなのである。 それはまた、旧約聖書においてもすでに、その巻頭から、終りまで、光ある道を宣言しているといえよう。 このような光の預言は、キリストにおいて完全に実現されることになった。それゆえ、ヨハネ福音書の冒頭に、創世記の光こそは、キリストであると記している。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ福音書一・4〜5) ここで「言」と訳されているのは、イエスが地上に来るまでの存在を表しているゆえに、霊的なキリストとして受けとることができる。キリストこそ神のすべての本質を受けて、地上に来られたのであり、まさに闇に輝く光そのものであるとこのヨハネ福音書の冒頭は宣言しているのである。 それゆえ、キリストと共に歩むことはそのまま、光射す道を歩むことになり、主イエスが、「私に従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ八・12)と言われたのであった。 そして新約聖書の最後には、キリストご自身が次のように語ったと記されている。 …私は、ダビデのひこばえ、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16) このような存在であるキリストを待ち望むということこそ、キリスト者の願いとなる。いかなる混乱や戦争、飢饉、ひどい感染病等々がいかに襲ってこようとも、神とキリストの光はいつもこの世界に輝き続けていく。そして再び新たな光たるキリストが来られてすべてを完全になされることを信じて歩みを続けさせていただきたいと思う。 「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」 (詩編一一九・ 105 ) 詩の世界から 星の光を 貝出 久美子 雨のように降り注ぐ この清らかな星の光を 天を仰いで両手に受けよう あふれるほどに光を受けたら この世の闇に届けに行こう。 夜空の闇の深いほど この世の闇の深いほど 星の光は強く輝く キリストの光は強く輝く(詩集第四集 「ともしび天使」より) 星 伊丹 悦子 ひとつの星を 胸に抱いて生きる だれに言われたことでもないけれど しずかに しずかに しずかに だれの心にも 澄んだ かすかなあの声が きこえるように ひとつの星を 胸に抱いて眠る くらい夜にも輝きわたるように 真(まこと)に美しいものよ だれのこころの内側にも 宿ってください (貝出、伊丹両氏とも徳島聖書キリスト集会員) 星は輝く …星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、 神が命じると、「ここにいます!」と答え、 喜々として、自分の造り主のために光を放つ (旧約聖書・続編 バルク書三・34〜35) The stars shone in their watches, and were glad; he called them, and they said, "Here we are!" They shone with gladness for him who made them. ・星の輝きを見てこの著者は、輝かしい喜びがそこにあるのを感じ取ることができた。ふつうに見ていればそのような喜びなど、到底星の光のなかに感じられないだろう。神の御手に触れていただいた魂は、星にすら、神の喜びが満ちているのを知っていたのである。 煉獄の旅を終えて 私は新緑の木の葉を新しくつけた 若木のような清新なすがたとなって、 聖く尊い波の間から戻ってき、 星をさして昇ろうとしていた。(ダンテ作 「神曲」平川訳 煉獄編の最後の部分) さて、かのいとも聖なる波より引き返したる我は、 あたかも新しき葉をもて 新しくされたる新しき草のごとく、 天上の星にのぼりゆくにふさはしく、 清らかなりき。(「神曲」生田長江訳 一九二九年 新潮社版 世界文学全集より) 休憩室 ○レクイエム クラシック音楽とくに、キリスト教音楽を愛好する人たちによく聴かれているのは、レクイエムという音楽で、特にモーツァルトやフォーレ、ヴェルディのものが有名です。レクイエムという言葉は、「鎮魂曲(ちんこんきょく)」と訳されています。しかし、鎮魂とは、「魂を鎮める」 ということで、これは、死者の魂がそのままにしておくと、祟りや自然災害などを起こすというように信じられていました。そのために、遺族たちがいろいろな供え物を捧げるなど儀式を続けて、それを鎮めるということが行なわれていたのです。これは現在でも、死者に食物を供えるのはそうした意味があります。とくに、災害や戦争、事故など突然の死においては、肉体と魂が突然切り離されるので、魂が不安定で落ち着き場を求めて、他人を苦しめたり、天地異変とか疫病の流行となったり、作物の害虫がはびこったりすると考えられていました。そうした、落ち着き場のない魂を、中世では、御霊(ごりょう)、怨霊(おんりょう)、物の怪(け)などと言い、近世では、無縁仏(むえんぼとけ)、幽霊などといいます。 こうした魂を鎮めるのが、鎮魂(たましずめ、ちんこん)ということであり、これはキリスト教とは全く無縁の日本の古代からの宗教的考えに由来するのです。 レクイエムという語は、ラテン語の requiem であり、これは、requies (静まること、休養)の対格(英語でいえば、目的格)の形です。なぜ、対格なのかと言えば、レクイエムという音楽は、「永遠の安息を彼らに与えたまえ 、主よ」という言葉から歌い始めるので、安息という語は対格となります。そしてこの歌の最初の出だしが原文では、requiem aeternam dona eis,… となっているからです。この語は、re (繰り返しや強調を意味する接頭語)と、 quiem から成っていて、後者は、ラテン語の quiescere(クイエースケレ 休む)、 quies(クイエース 休息、安静)などの関連語で、休む、静まる という意味を持っています。これは、英語の quiet(静かな)の語源にもなっています。 このようなことから、レクイエムという言葉は、「死者に永遠の安息が与えられますように」、という祈りのなかの、「安息」と訳された原語なのです。 キリスト者は死ねば、主イエスと同様に神のもとに帰るという信仰があります。神のもとでの永遠の安息を祈り願うのがこの、レクイエムという音楽なのです。 それゆえ、魂が荒ぶって、人間に祟り、病気や天地異変などを起こすからその魂を鎮める、という意味の鎮魂とは、意味が全く違うのです。 このように、日常的にごく普通に音楽の世界で使われている語が、本来の意味と全く違う意味の言葉に訳されてそれがマスコミでも文化人の世界も使われています。 これも、こうした鎮魂といった言葉の意味について学ぶところがなく、だれかが訳せばそのまま間違った意味のままに広がっていったといえます。 ○晩秋の山野 秋になると野山には、ヤマシロギク、リュウノウギク、ノコンギク等々のキク仲間や、ツリガネニンジンやリンドウなどのようなさまざまの美しい野草が花開きます。 そしてさらに秋が深まってくると、人間は、寒さによっては動きが鈍くなってしまうだけですが、植物は、晩秋になるにつれ、その寒さによってカエデのなかまやヤマハゼなどの葉は美しい赤色となり、さらにクヌギやコナラなどは黄色や褐色のさまざまの変化に富んだ色となります。 また、冬の寒さによって水粒は美しい氷の結晶となって雪を降らせ、山々は真っ白い姿となって見る人の心を清めます。春の温かさによって芽生え、花咲き、その新緑と花の美しさを繰り広げます。夏の暑さや雨によって植物たちは成長し、果実や種を成熟させます。 雨風も暑さ寒さもすべてを取り入れて、植物はその多様な姿を生み出しています。 使徒パウロは、「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っている。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている。」と言っていますが、これはどんなことが降りかかってきてもそこから何かよきものを受けとっていき、実を結ばせていくことと似たところがあります。 ことば (246)いまだ道を知らざれば、夢見て覚めざるがごとし。 心を正しくする道は、まづ善を好み、悪を嫌ふこと、真実なるを本(もと)とすべし。(貝原益軒著「大和俗訓(やまとぞっくん)」岩波文庫 81P 、86P) ・これは、儒学者の言葉であるが、キリスト者にとっては、道とはキリストである。何が正しい考え方なのか、何が価値あるものなのか、その道の行き着く先は何であるのか、その道を歩むときに何が与えられるのか等々、すべてキリストが示し、与えて下さる。それを知らなかったときには、私自身、どんなに高校や大学で学んでも、魂に力を与えてくれないものであった。その時の状態はまさに夢の世界に生きているような空しさがあった。 心を正しくする道とは、まず善を好み…とある。 まず何かをする、ということでなく、まず善を好む、すなわち、善を愛するということ、それによっておのずから悪を(悪人でなく)憎むことになり、真実をもとにすることになる。主イエスが、まず神を愛せよ、と言われたことに通じるものがある。 ここに引用した大和俗訓は、「誰にでも分かるようにやさしく説いた教え」、という意味で「俗訓」という題名となっている。一七〇八年刊行。貝原は、江戸前期の学者。(1630〜1714) 彼は、ここにあるような人間のあり方に関する著書だけでなく、植物、薬草などに関する学者でもあって、「大和本草(ほんぞう)」という著書では、一三六二種の植物を主とする薬物を記載した。 (247)聖句を暗唱することは、力を得ることである。詩編七三編の聖句を暗唱していると、急に力が心からわき上がって、私は力強く空を見上げた。… …私はもうすっかり疲れ切り、空気のもれた風船玉のようになった。それで、心に力をつけようと思い、聖句を暗唱した。聖句はいつでもすばらしい霊の食物であった。 (「たとえそうでなくとも」安利淑著 102、475頁) ・安利淑という女性は、韓国生れ。日本の統治中の韓国では、神社参拝が学校でも強制的に行なわれた。キリスト者であった安女史は学校の教師であったが、生徒や教職員全体の学校行事としての神社参拝のときに、天皇や天照大神に向かっての最敬礼をしなかったがゆえに、教師を続けることもできなくなり、いろいろな迫害を受けた。その時の詳しい記録が、「たとえそうでなくても」である。 その書物には困難な生活の中で、聖句や讃美の歌詞が力づけてくれたことを随所に記している。聖書の言葉はとくに主のために困難な歩みを始めた者にとって一層の力を与えてくれるのがよくわかる。 編集だより 来信より ○「いのちの水」誌の十月号拝読、「祈りの人・好本 督」を読みまして、心洗われました。祈りは力であり、必ず神の御心に届くことを教えられました。心を込め、誠実に、すべてを投げ出して祈ることの大切さ、また、そのような祈りを神様は求めておられ、その祈りには必ず応えてくださることを教えて頂きました。小生、もっともっと真剣に、また祈りの生活をしなければと、大いに反省させられました。 また、メールの「今日のみ言葉」一四九号の「イエスが真ん中に立ち」をありがとうございました。前記の「祈りの人」と相通じる内容であることを改めて知らされました。祈りはイエスを迎え入れることであり、常に心を開き、イエスをむかえる祈りをしていきたいと思います。「ツルボ」の写真の美しさに驚きます。青紫と緑の美しさに、神の御業の偉大さを思います。…(中部地方の方) ○「祈りの人、好本 督」のご本の紹介、本当に心打たれ、また、神への祈りの力、神の愛を心から知らされ、何度も拝読し、力を得ています。好本 督が、ウィリアム・オスラーと出会われたということも、何と不思議な神の摂理でしょう。(オスラーの「平静の心」という本の一部のコピーが私の手許にあります。)吉村様が、冨田先生から手渡された御本の著者のように、後になって視覚障害者の教育や伝道に関わられたことも、奇しき神の光、力が及んでいることを心から知らされました。(関西の方) ○今号は、好本 督の祈りと信仰に深く感動しました。真理を教えられました。このような人こそ、真のキリスト者だと思いました。…(関東地方の方) ○…今、祈る人の少なさを痛感させられます。祈りについて真剣に考え、神様に心をさらけ出して祈ることができる者になりとうございます。 十月号で紹介されていました好本 督(ただす)先生の衣服はいつもズボンの膝が一番先に傷んだそうです。膝をついて祈られたからです。 いじめについて多くの議論がなされていますが、その原因や解決の道について、信仰との関わりがあまりにも語られずにいます。 子供のころ、視覚障害のことでいじめられたという人が身近なところでも多くあります。信仰によって初めてそのようないじめられる苦しみを乗り越えることができたと申します。 失明を恩寵(おんちょう)ととらえることができた、新しくされた人たちは幸いでございます。 神の光が弱い魂に注がれますよう、祈っております。(関東地方の方) ○ ある県外の方から「二十四の瞳」という映画(DVD)について、次のような来信がありました。 「…この映画は全くみておりませんでした。その頃は、病気になっていたために見ることができなかった状況だったことを、今思いだしたところです。子供たちの純朴な魂、こどもは本来こういうものなのかとあらためて教えられる気がいたしました。 教え子のつらさや悲しさをともに泣くことができる教師。時代の背景も環境も超えて、示される心の真実をおもいます。また、初めから終りまで、讃美歌の「いつくしみ深き」の曲など、あんなに多くの歌曲が用いられていることにも驚き、印象深く心に残ったことでした。 すぎた歳月は次第に消えつつありますが、こうしたことを通して、当時のことを思い起こすとともに、私の歩みも常に善き力に守られ、支えられてきたことを、心に覚えることができました。とても不思議な気がいたします。…」 ・今年の八月に、今から五十年程も前に映画となって広く知られてきた「二十四の瞳」のDVDが発売されました。私はまだ小さい子供のときに、父親に連れられて見たのですが、とても強い印象が残りました。主演の高峰秀子という女優と十二人の子供たちの織りなす光景はあれから半世紀を経ても消えません。純真な子供たちが成長していったのに、戦争によって次々と死に至っていく、その哀しさというのも感じたことです。それから、「♪からす なぜ鳴くの…」という歌も、戦争によって次々と亡くなっていく若者たちへの悲しみと混じり合って同時に私の幼い魂に焼き付けられたように残っています。 お知らせ ○林 恵兄、召される。 無教会高知集会の代表者であった、林 恵兄が、十一月二十日(月)に召されました。八五歳でした。同志社大学文学部神学科を二年中退され、一九八〇年まで、高知県内の小中学校の教諭、校長を歴任され、そのかたわらで、キリストの福音を伝えられました。近年は高知無教会集会と、加茂キリスト教会の代表者としてみ言葉を語り、信徒を支えての日々でした。林兄は、「ちいろば先生」で広く知られている榎本保郎の親友でその交わりは終生続けられました。今は、天の御国において地上での働きを主によって導かれて走り通したその平安を与えられていることと思われます。 残された方々、そして高知聖書集会の上に今後とも、変ることなき主の導きを祈ります。 ○一二月の私(吉村 孝雄)の予定。 ・12月10日(日)、大阪市にて、「平和への道」と題して語ることになっています。会場は、アピオ大阪市立労働会館(大阪市中央区森の宮中央 1-17 電話 06-6941-6331 JR環状線・地下鉄「森の宮」 下車三分) 午後二時からの開会で私の前に狭川育久氏の講演があります。 問い合わせ先 072-879-2613(藪本氏) ・12月17日(日)午前10時〜12時 神戸市上田宅での集会。 ・同日午後 二時〜 高槻市の那須宅での礼拝集会。 ○クリスマス特別集会 12月24日(日)午前10時〜午後2時 場所は徳島聖書キリスト集会の集会場です。 |
2006/11 |
主はわが命、そして光 2006/10 この世には、光と命はどこにでもある。昼間は外は明るく太陽の光でいっぱいであるし、人間や動物など、そして植物のいのちは至るところにあふれている。目には見えないところでも、地中にも細菌という微生物たちのいのちが無数に活動している。 しかし、そうした目に見える世界から、心の世界に目を転じるとき、逆にいたるところに闇があり、生き生きした命、真実に生きている命は本当に少ないのに驚かされる。 光と命、それは目に見えるもの、また目には見えない霊的な意味においても、だれにとっても最も重要なものであるということはただちに分かる。そして光は、人間だけでなく、動物や植物にとっても、命と直結している重要なものである。 光なくば、植物は育たない。植物の緑の葉は、白色光の内、赤や青紫の光を吸収するから、緑色に見える。その光のエネルギーによってブドウ糖をつくり、それをもとにして、植物の細胞壁をつくり成長し、またさまざまの果実の甘さやデンプンなども造っている。 身近にあるコピー用紙や新聞紙などを見て、ここに太陽の光のエネルギーを感じる人は少ないだろう。しかし、紙の原料は木である。木は、その緑の葉のなかで、光合成によって水と二酸化炭素をもとにして、太陽光のエネルギーによって、水を分解し、そこでできた水素原子と二酸化炭素を構成する炭素と酸素を結合させて、ブドウ糖をつくり、そのブドウ糖分子を多数結合させて紙の本体であるセルロースが造られている。 私たちの食物はもとを正せば太陽の光のエネルギーによっている。 このように、目に見える世界において光はきわめて重要であることはすぐにわかる。光がなかったら植物の光合成は行なわれず、植物は成長することができない。人間の食物は相当部分が野菜、果物といった植物に由来するものである。牛や羊など動物の肉ですらも、さかのぼって考えると家畜が草やとうもろこしなどを食べて成長していくことによっている。植物に貯えられた光のエネルギーを私たちの体に取り入れて活動しているのであって、太陽のエネルギーで私たちは手足を動かし、考えたり行動したりしていると言えよう。 こうした太陽の光のエネルギーは絶大なものであることはすぐにわかる。それゆえに多くの国々では太陽を神として拝むことが行なわれてきた。日本も初日の出を見て、太陽を拝む人が多い。 しかし、聖書はそのような絶大なものである太陽の光が最初にあるのでなく、太陽や星の光よりも根源的な光があることを冒頭に示している。そしてその光こそが決定的に重要だと暗示している。 創世記では、太陽が第一に造られたのでなく、まず光が最初に創造されたとある。そしてその光こそがあらゆる存在の根源にあると言おうとしている。太陽や星、月なども、さきに創造された光を分け与えられて光っている、という。神は光を創造され、それを太陽や星など天体に与え、さらに霊的な光を人間にあたえようとされる。 聖書において、最初に混沌と闇、そして深淵があった。そこに第一の創造として光の創造が記されている。ここに神の本質がすでに表されている。神は闇と混沌のただなかに光を創造しようとするのが、その本性なのである。 この世はさまざまの悪がいたるところにある。私たちの心にすでに存在している。清い愛がないこと、正しいことを主張したり実行できないこと、自分中心に考えて行動してしまうこと、自分の感情に引っ張られて周囲の人に真実な愛をもって対処できないこと…、そのようなだれの心にも生じる闇の部分が、膨らんでいくとき、それは大きな犯罪となったり、分裂、テロや戦争となっていく。 それがこの世なのだとあきらめる人が多数を占めているであろう。 しかし、そのような中で、聖書においては光を創造することが第一であったことの意味を考えたい。光は人間が努力して造り出すものでなく、闇のただなかに神ご自身が創造されるのである。 聖書全体がそうしたメッセージに満ちている。 エデンの園、それは創世記の二章において水の豊かに流れるところとして描かれている。そして水とは、命のシンボルのように用いられることが多い。これらのことを考えると、創世記の一〜二章ですでに、光と命が与えられているのが分かる。 また、創世記一章には、神が光を太陽や星々に分かち与えることが記されている。太陽の光が地球上において、生物のエネルギー源になっている。私たちがこうして動き、考え、物事を処理していくことができるのも、そのエネルギーは太陽から来ている。 旧約聖書のヨブ記には、深い嘆き、苦しみがある。彼は突然、まったくの闇の中に突き落とされた。そこから必死に光を求めようとあえぎ苦しむ姿が描かれている。聖書の中では、ヨブ記においてとくに「光」という言葉が最も多く用いられているのはその恐るべき闇のゆえに、そこから光を求める切なる心が全体にあるからであろう。(*) どうして光を下さらないのか、ヨブの深い嘆きは、そのまま現代に生きる人々の嘆きと重なる。 (*) ヨブ記 35回(口語訳36回、新改訳29回。)、詩編 32回(口語訳 28回、新改訳25回)、イザヤ書22〜23回 創世記4回(一章のみ)、出エジプト記 4回、レビ記 3回、申命記 1回、ヨシュア記、士師記共に 0。サムエル記は上下合わせて1回、歴代史上下も合わせて1回。エレミヤ書 4回、エゼキエル書4回、アモス書〜マラキの小預言書を合わせて14回程。 このように、旧約聖書において、「光」という語は、ヨブ記が特に多く、詩編、イザヤ書と合わせて三つの書が群を抜いて多く現れるのが分かる。 ヨブ記のテーマは、神を信じ、神への畏敬を持ちつつ日々を過ごしていたにもかかわらず襲ってきた苦難についてである。ヨブは、七人の息子、三人の娘という豊かな祝福にも関わらず、神を忘れることなく、また神に背くことの罪の重さに鈍感になることもなかった。 また、息子たちが心のなかで、万能の神、正義の神などいないと思ったかも知れないことを思い、息子たちの罪を赦してもらうため、家畜などを焼いて神に捧げるという当時の儀式をおりにふれて行なっていた。そしてそのような罪を犯していたらそれを清め、赦されるようにと願ったのである。 そのように、信仰深い生活をしていたヨブに、誰一人想像もしなかったような事件が突然生じて、ヨブには激しい苦難が襲いかかり、財産も失い、子供たちも失った。さらに自分は 耐えがたい病苦にさいなまれ、妻からも「神をのろって死んだらいいのだ」とののしられる事態となった。 …すると彼の妻が彼に言った。 「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」 しかし、彼は彼女に言った。 「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」 ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。 (旧約聖書・ヨブ記二・9〜10) そのような状況に追い詰められてヨブは、それまでどんな苦しみに遭遇しても神から来たこととして甘んじて受けていたが、いよいよ体の絶えがたい苦しみに日夜さいなまれるようになって次のような激しい言葉を出すに至った。 …やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。 わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。 その日は闇となれ。神が上から顧みることなく 光もこれを輝かすな。 暗黒と死の闇がその日を贖って取り戻すがよい。 密雲がその上に立ちこめ 昼の暗い影に脅かされよ。 闇がその夜をとらえ… 喜びの声もあがるな。… その日には、夕べの星も光を失い 待ち望んでも光は射さず 曙のまばたきを見ることもないように。… なぜ、わたしは母の胎にいるうちに 死んでしまわなかったのか。 せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。(ヨブ記三・2〜11より) このように、闇、夜、暗黒、死、暗い影、といった様々の言葉がこれほど連ねられているのは聖書全体のなかでも、この個所だけである。自分が生れてきたことをこれほどまでに嘆き、のろい、叫ぶほど、ヨブの信仰が根底から動揺し、自分が何のために生れてきたのか、生きる喜びも信仰による心の平安もみんな失ってしまった一人の信仰者の赤裸々な姿がここにある。 これほどまでにこの世の現実の苦しみは不可解であり、また耐えがたいことが生じるということがこのヨブの叫びに表されている。 このようなこの世の闇は、どうしてそのようなことが生じるのか全く見当もつかない。真実なもの、清いもの、そして宇宙の創造主たるお方をみつめて、そのために生きてきたのに、どうしてこのような理不尽なこと、恐ろしい苦しみが襲ってくるのか、愛と正義の神、真実な神がおられるなどというのは、幻想にすぎなかったのか等々とつぎつぎと疑問がもたげてくる。それゆえに一層光を求める祈りは切実になる。 このような闇にかかわるさまざまの言葉が連ねられているのは、この世の現実の状況を見ると、こうした恐ろしい闇に包まれてどうしようもない人は数限りなくいるという実態が背後にある。 ヨブ記と同様に、旧約聖書の詩編にもやはり闇のなか、苦しみのなかに置かれた魂の叫びはたくさん含まれており、そのためにこれらの書物で、「光」という語が最も多く用いられていると考えられる。 その詩編のなかから、光を求め、神が光であることを確信する詩をあげてみよう。 …主はわたしの光、わたしの救い わたしは誰を恐れよう。 主はわたしの命の砦 わたしは誰の前におののくことがあろう。 (詩編二七・1) この世は恐れで満ちている。何が生じるかだれもわからない。病気や事故、家族その他における人間同士の争い、憎しみ、事件、戦争や自然災害などなど、どんな人でも、またいつの時代でもこうした予期しないことによっておびやかされている。 旧約聖書の詩編はそうしたさまざまの恐れのただ中から、神への切実な祈りが集められている。 ここにあげた、詩においても、恐れが取り巻いていることは、上の言葉のすぐあとに続くこの詩の作者の置かれている現状によってわかる。 …悪をなそうとする者が迫り、私を食いつくそうとする。陥れようとする者、貪欲な敵対者、群がる敵、偽りのことを、私に関して言い広める者等々がいる…(詩編二七の2〜12節より) このように、悪意をもって迫ってきて苦しめようとする闇の力に囲まれるなら、ふつうなら、そのような敵対する者たちに対して、人間的な敵意や復讐あるいは、恐怖の心で圧迫されるという状態になるだろう。 しかし、この詩の作者は、そのような人間的な袋小路に陥らなかった。もし自分が相手を憎しみや敵意をもって対するなら、自分はまさにそのゆえに闇に引き込まれ、敗北していくこと、滅びに至ることを知っていた。 そのようにこの詩の作者を支えたのが、神の光であった。 この詩の冒頭に、「主はわが光、わが救い、私はだれを恐れようか」という確信からはじまっているのは作者の心の内での激しい戦いを通しての確信なのである。憎しみや敵意という闇を受けて、自分も憎しみをもって返すなら、新たな闇を自分の内にまねき入れることになる。それこそが悪の力への敗北に他ならない。 そうした状況においての真の勝利の道は、ただ一つである。それこそは、神の光を受けることである。神の命を頂くことである。そのような光を受けることによって、恐れは消えていき、敵意や憎しみという闇のなかにひとすじの道があることを示される。そして神のいのちを受けることによって、そのような道を歩いていく力が与えられる この道は、はるか後になって、主イエスが明確に指し示すことになった。 …イエスは再び言われた。 「わたしは世の光である。 わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ福音書八・12) この主イエスの言葉も、すでに引用した詩編二七編の最初の言葉と同様に、光と命とが深くかかわっていることが示されている。 暗闇、すなわち敵意や憎しみ、ねたみ、疑いあるいは不安や恐れ、さらにいろいろの欲望に引っ張られて歩むという光なき道でなく、神の命と愛を頂いて、闇の力に縛られている他者のために祈り、いのちが注がれるようにと祈ること、それこそは闇のなかに輝く光に導かれて歩む道。 それが命の光であると言われていること、これにもさまざまの意味がこめられている。 私たちが真実と愛の神を信じないなら、この世の中には本当の真実や愛はない、結局は、悪の力が強いのだと信じることにつながる。そのような考えであれば、行き着く先は当然、善よりも強い悪に呑み込まれ、死に至り、滅びることになる。 しかし、いのちの光を信じることによって、私たちは、神からの愛を受けて、その愛を働かせることによって悪のなかを通り抜けて歩む道を開かれる。そして導かれていく。それは、最終的には神の命を受けることであり、復活の命が与えられることになる。 主イエスはそのような命の光を与えられる道を私たちに指し示して下さっているのである。 聖書の詩編には、光に満ちた詩が多くある。その中に書かれている詩の内容は、単に人間の個人的な悲しみや苦しみを歌ったのではない。それだけなら、私たちにはその悲しみや苦しみに共感して、ともに悲しみや苦しみに浸るだけで、そこから立ち上がる力を与えられることはない。日本の万葉集や古今集その他の歌集は古い時代から流れている日本人の心の世界を知るために不可欠の詩集である。それらによって、私たちは古代人の心にある繊細な感情やゆたかな表現を知り、私たち自身の心の感性を養う一助にすることができる。 しかし、それらによって深い悩みや絶望から救われた、といった人がどれほどいただろうか。それらの歌自体がそうした救いや光を知らない人達の作品なのであるから、それを読む人達が絶望から救われるというようなことが起こりそうもないのは予想できる。 しかし、聖書の詩は、全くそれらと異なる本質を持っている。それは個人の心の苦しみや悲しみ、叫びあるいは神への讃美などでありながら、それがその背後に神の愛や真実、力を感じさせ、神がその背後で語らせているのを実感し、神がそれらの詩の作者を通して語りかけているのがわかる。すなわち、旧約聖書の詩(詩編やイザヤ書、その他の預言書などに多く含まれる詩をも含めて)は、神からの永遠の真理のメッセージなのである。 こうして見るとき、次の詩編は最も有名なものであるとともに、神の光と命をたたえたものであると気付く。 …主はわが牧者、私には欠けることがない。 主は私を緑の牧場に伏させ 憩いの水際に伴われる。 そして魂を生きかえらせて下さる。 主は御名にふさわしく、 私を正しい道に導かれる。 死の陰の谷を歩むとも、 私は災いを恐れない。(詩編二三・1〜4より) 冒頭の短い言葉がこの詩のすべてを凝縮したものである。主は私の牧者である。それゆえに私は欠けることがない、という。これは、すでにあげた詩編二七編の最初の言葉と共通するものを持っている。 「主はわが光である」ということは、この第二三編の「主がわが牧者である」ということと同じような意味になる。光であるからこそ、人間的な憎しみや絶望、敵意などという闇の道に迷い込むことなく、神の国への道をその光に導かれて歩むことができる。それは、「主はわが牧者」であるということである。 「私の命の砦である」ということは、主が、憩いの水際に伴って、緑の牧場にて食べさせて下さるということに対応している。そして、このあとに続く、「死の陰の谷を歩む」という状況は、詩編二七の著者が敵意のただなかを歩むということに通じる内容となっている。 神からの光こそは、私たちが正しい道を歩むときの導きとなることは、キリスト教の古典として有名な、バンヤンの「天路歴程」にもみられる。この本の最初のところで、自分の魂にどうすることもできない重荷を感じて、そのままでは滅びてしまうことを強く感じていた一人の人間が現れる。彼は、救われるためにはどうしたらいいのだろう、と真剣に求める。そのとき、一人の伝道者と出会い、助言を与えられる。 …伝道者「向こうのくぐり門が見えますか。」(*) 男は言った、「いいえ」。 それから相手が言った、「向こうの輝く光が見えますか。」(**) 「見えるように思います」と彼は言った。 そこで伝道者は言った、「あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。そうすればその門が見えるでしょう。そこで門をたたけば、どうすればよいか聞けるでしょう。」(「天路歴程」42頁 新教出版社刊) Do you see yonder wicket-gate? The man said,No. Then said the other, Do you see yonder shining light ? He said , I think I do. Then said Evangelist, Keep that light in your eye, and go up directly thereto:so shalt thou see the gate; at which when thou knockest,it shall be told thee what thou shalt do. (原著者のバンヤンによる引用聖句) (*)「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ七・13〜14) (**)あなたの御言葉は、わたしの道の光、 わたしの歩みを照らす灯。(詩編一一九・105) この助言を受けた男は、落胆の沼に落ち込んだり、さまざまの不安や誘惑にさらされ、道をはずれたりしつつも、かろうじてその門のところに達することになる。そしてそこで新たな導きを受けて狭いがまっすぐな道を歩んでいく。そうして様々の困難を乗り越えて、キリストの十字架へと導かれていく。そしてその十字架をみつめることによって長く苦しんできた重荷が落ちてなくなってしまうのを経験したのであった。 このように、人間が正しく道を歩んでいくには、前方の光をみつめていくことが出発点にある。十字架によって重荷を除かれた後も、やはり前方には光がある。いろいろな疑いや困難、弱さなどが打ち倒そうとすることがある。しかし、そのような闇のなかにも、一度神とキリストを信じて歩み始めたものには、どこか魂の奥に一つの光るものを感じることができる。 著者のバンヤンは、前方に輝く光の関連個所として、「あなたのみ言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯」という詩編一一九編の105節を引用している。この聖句は、讃美にも取り入れられ、多くの人に愛されてきた言葉である。天の国を目指して歩むものにおいては、キリストを信じたときから魂の奥の一点で光り続けているその光をどんなに苦しくとも、見つめ続けていくことが求められている。 聖書の巻頭に、神の光が射してくると、混沌が変えられ、闇が失せていくことが記されている。 たしかに天よりの光は、私たちの心にある汚れたものを、吹き去らせる力を持っている。使徒パウロの劇的な回心は、まさにそうであった。律法とユダヤ人としての誇り、伝統、みずからの人間的な思いなどなどが混沌として混じり合っていた。そしてキリスト者をどこまでも迫害していくという闇があった。しかし、キリストの光が突然射してきたときから、そのような混沌がみるみるうちに整然とした世界へと変えられていった。そして彼の前途には、キリストという命の道がまっすぐに神の国に向かって続いているようになった。 パウロにあっては、神からの光は、そのまま新たな永遠の命を与えられることと結びついていたのである。 そしてこのことは、主イエスが、「私に従ってくる者は、命の光を持つ」(ヨハネ八・12)と言われたように、パウロだけに限ったことでなく、イエスを信じ、従っていこうとするものすべてに約束されたことなのである。 そして、神を信じ、キリストが私たちの罪を赦し、永遠の命を与えて下さるお方であると信じることによって最終的にこの世の闇から私たちは解放されることが約束されている。 新約聖書に最も深いつながりのある旧約聖書・イザヤ書の後半の部分に次のような個所がある。 …太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず 月の輝きがあなたを照らすこともない。 主があなたのとこしえの光となり あなたの神があなたの輝きとなられる。(イザヤ書六〇・19) このような深い意味をたたえた言葉が、今から二五〇〇年ほども昔に語られていたことに驚嘆させられる。神ご自身が、あの絶大な光を持った太陽すら及ばないような光となられるという。それほど神の光はまぎれもないもの、決して消えることのない永遠の輝きをもったものとなるというのである。 歴史や科学、政治経済や教育などのあらゆる方面において、世の中の考えで突き詰めていけば何か薄暗いもの、闇の力が働いているようなものを感じざるを得ないのであるが、それとはいかに大きく異なっているかを知らされる。宮沢 賢治の「銀河鉄道の夜」という作品は有名であるが、そこには何か悲しい雰囲気と暗いものが立ち込めている。主人公のジョバンニとカンパネルラの二人が乗った銀河鉄道の旅の終りのところで、次のような個所がある。 …「あ、あすこ石炭袋だよ。空の孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。 ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一(ひと)とこに大きなまっくらな孔(あな)がどほんとあいているのです。 その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。 「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」… 「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。 ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。 もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。… ここでジョバンニは目を覚ます。(そしてその後、カンパネルラは友を助けようとして自ら溺れて行方不明になったことが続いている。) この銀河鉄道の旅の終りにこのような、前方に果てしないまっ暗な深い闇があるのが示されている。その闇を見つめようとしたら目がしんしんと痛む、という。これはこの世の闇のことを考えていたら、胸をさすような痛みがあるということを暗示するものである。 そしてジョバンニがそんな闇はこわくない、どこまでも一緒に行こうと友達のカンパネルラに語りかけたが、そのカンパネルラは突然消えてしまい、ジョバンニは一人ぼっちになる。その孤独に激しく泣き始めた、そこらがまっ暗になったような気がしたというので、銀河鉄道の旅が終わっているのは、象徴的である。 どんなによいことを考えてもどこか前途には暗いものがあり、どこまでも一緒にいて共に進みたいと思っていてもそれが引き裂かれ一人になってしまう、といった淋しさ、この世の悲しさがこの物語には漂っている。 ここにははっきりした光がないのである。日本の文学には夏目漱石とか森鴎外、芥川龍之介といった人達の作品においても、やはり闇に輝く光というのがない。私自身中学から高校時代に漱石とか森鴎外などの作品を次々と読んでいったがまったく光は与えられず、かえって漱石の晩年の作品になるにつれて重苦しい雰囲気がたちこめていて、何等力も光も与えられなかったのを覚えている。 それに対して、聖書にはさきほどあげたイザヤ書の個所など、なんと聖なる光に満ちていることであろう。そこには永遠の光がしずかに射しているのを実感させるものがある。こうした光を受けているからこそ、ダンテの名作の神曲では、地獄篇、煉獄篇、天国篇の三つの大きな内容の最後にすべて、永遠の光を象徴する「星」という言葉で終えられているのである。(*) 私たちがたとえ地獄のような苦しみや闇の中に置かれることがあっても、なお、そこから出てくるときには前方の高みには永遠の光が輝いていることを指し示すものとなっている。 それはまた、すでに述べたように、「天路歴程」の著者のバンヤンがその著のはじめのほうで、前方に輝く光を見よ、との勧めを書いているのとも共通している。 創世記の最初に、そのような闇に勝利する光の創造がこの世への宣言のように記されているし、新約聖書で最後に書かれたヨハネ福音書にも、その創世記の記事と並ぶように、闇に打ち勝つ光が存在することが、冒頭に記されている。 聖書全体の基本的メッセージが、ここにある。 これこそ、ますます闇の力が押し迫るように思われる現代への福音なのである。 (*)日本語訳では、「星」が最後にならないが、原文では次のように、星 stelle が最後に来る。 参考のために、イタリア語の原文と英語訳(J.D.Sincleir訳)、原文の逐語訳などを付けておく。なお、イタリア語の星(stelle)は、ラテン語のstella が語源になっている。ギリシャ語では、星のことを asterとか、 astron という。これらは英語の star という語の語源にもなっている。 ・(地獄篇の最後の行)そして私たちは外に出て、ふたたび星を見た。 (原文)E quindi uscimmo a riveder le stelle.(逐語的な訳…そして、出た、ふたたび見る、星) ・(英語訳)and thence we came forth to see again the stars. --------------------------------- ・(煉獄篇の最後の行)清められ、星々をさして昇ろうとしていた。 (原文)puro e disposto a salire a le stelle.(清い、準備できている、上る、星) (英語訳)pure and ready to mount to the stars. --------------------------------- ・(天国篇の最後の行)愛、それは太陽と他の星々を動かす (原文)l'amore che move il sole e l'altre stelle. (愛、動かす、太陽、他の、星) (英語訳)the Love that moves the son and other stars. 次の言葉は、聖書の最後の巻である黙示録の終りに近いところに現れる言葉である。 …もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。 神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。(黙示録二二・ 5) これは、すでに述べたようにこの黙示録が書かれるより五〇〇年以上前からすでにイザヤ書によって記されており、神の啓示が一貫してこのことを人間に告げようとしているのがうかがえる。 ここに、「主はわが光、そして命」ということが完全に実現された状況が啓示として記されている。目に見えるところをみていたら、どこに光があるのか、朽ちることのない命などどこにあるかと思われるであろう。しかし、私たちが信仰の目をもってこれらの聖書の言葉を読むときには、たしかに、すでに現在においても、万能の神とキリストこそが永遠の光で私たちを照らしているのを感じることができるし、世の終わりにおいてこのことが完全なかたちで実現されるのを信じることができる。 主はわが光、そして命 祈りの人 好本 督 以下の記述は、「主はわが光」という書を紹介するために書いたものである。この本は好本 督著で、一九八一年 日本キリスト教団出版局から発行された。しかし、大分以前から絶版となっており、インターネット古書店でも見つからない状態である。 私は、今回一〇月八日に福岡市で、文中にも出ている、盲人の平方龍男の創設した信愛ホームの九州地区の卒業生たちの集まりで話すことになり、あらためてこの本を読み直したが、好本督の信仰と祈り、それに応えて下さる生ける神に心を動かされた。そしてこの今は手に入らない書物にこめられた真理を少しでも紹介したいと願い、ここにそのごく一部であるが掲載した。 なお、この書は、一九六七年に待晨堂から出版された好本督著の「わが隣人とは誰か」という内容を活字を少し大きくしてそのまま収録し、その後に、「好本督の信仰と生涯」という六〇頁ほどの文を合わせた書となっている。「わが隣人とは誰か」という本は、私が大学四年のとき初めて参加した京都の北白川集会の責任者であった富田和久氏が私に「この本を書いた好本督さんに私がイギリスに留学していたときお世話になったことがある人だ」と言われ、個人的に私に下さった本である。 現在もその本は手許にある。この本が出版されたと同じ年に私はキリスト教信仰に導かれたこと、とくにその本を好本督と直接に交わりのあった冨田氏から手渡されたこと、そして当時は盲人とは全く関わりがなかったが、十三年ほど後になって、予期していなかったことから盲学校に転じることになり、現在の私たちのキリスト集会に多くの視覚障害者が加わるようになったのも神の導きと感じている。 キリスト者は祈りの人である。生きてはたらく神がおられ、またキリストが生きて今も私たちを愛をもって見つめておられる、と信じる者がキリスト者であるならば、その生きた神とキリストから絶えず励ましを受け、罪の赦しを受け、自らの痛みや悩みを訴え、また神からの語りかけを聞き取ろうとするようになるからである。 キリスト者として知られた人の伝記を読むとほとんど例外なく、彼らは祈りの人であったのがわかる。キリストご自身が、しばしば人を退け、弟子たちとも離れて一人で祈った、あるいは、夜を徹して祈った、などと記してあることから、イエスこそが最大の祈りの人であったことを知らされる。 また、パウロも絶えず祈れ、と説いて、祈りが特別な時だけでなく、朝から晩まで絶え間なくなし得ることであると言っている。 このような祈りに包まれた人達のなかで、ここでは、日本の盲人の福祉のために多大のはたらきをした好本督(ただす)という人のことについて紹介しておきたい。 好本は、一八七八年大阪で医者の長男として生れた。東京高商(現在の一橋大学)に入学、このころ聖書と内村鑑三に出会ってキリスト者となった。大学を卒業後、ヨーロッパに出向き、イギリスのオックスフォード大学に入学。そこで多くの信仰深いキリスト者と出会い、自らも聖霊に導かれ、讃美歌を愛好し、祈りと思索を深めた。この頃、オックスフォード大学の医学部主任教授であった、ウィリアム・オスラー(*)と出会う機会があった、オスラーから、「平静(tranquility)」(原題はラテン語)という題の本が贈られた。この本の内容は、好本の信仰的あり方と重なるものであった。 (*)カナダ生れの医学者。(一八四九〜一九一九)牧師の子として育ち、聖職者を目指したが、すぐれた医学者の影響を受けて、医学者への道を歩む。一八歳のとき、ある牧師から紹介されたトマス・ブラウン著の「医師の信仰」という本を購入し、生涯その書を座右に置いた。晩年になり、命の終りが近づいたときに、自分の柩の上にこの本と白い百合を置いてほしいと希望したというほどであった。彼は、ジョンズ・ホプキンズ大学の医学部の内科教授となり、そのときに新しい構想の医学教育を打ち立てた。それは、医師となるためには、カレッジ卒業生が、四年間の医学教育を受けることを提唱し、臨床教育を病棟で行った。近代医学教育がここに始まったと言われる。それが日本にも伝わり現在までの医学部教育につながっている。また、一八七四年に今日では広く知られている血小板の血栓形成作用を発見した。上述の「平静の心」という著書の中で、医学生にとくに推薦すべき書物として、第一に聖書、そしてシェークスピアの著書、モンテーニュ、プルターク、マルクス・アウレリウス、エピクテートスなどのストア哲学者のもの、セルバンテスのドン・キホーテなどをあげている。 なお、このオスラーの「平静の心」という本に敗戦直後に出会って、オスラーを知り、以後ずっと大きな影響を受けて、「オスラーを師として私は生きてきた」と記し、その著書でも繰り返しオスラーに言及し、日本オスラー協会長となって、オスラーの思想を広めているのが、聖路加(ルカ)国際病院の日野原重明氏である。 このような勉学の後に、帰国し早稲田大学で教鞭をとっていたが、二八歳頃の若いときから、彼はすでに盲人全体の福祉のために、「日本盲人会」をつくっていた。そしてこの会の存在によって、戦後、岩橋武夫らの努力によって、日本盲人会連合という会の結成へとつながっていった。 なお、岩橋武夫は、日本ライトハウス(「光の家」の意)を創設したが、この岩橋が一九二五年にイギリスの大学に留学するときに、とくに便宜をはかり援助したのも、好本 督であった。 好本は、この日本盲人会とは別に、盲人キリスト信仰会(*) という団体をつくった。一般の盲人の福祉のためには、日本盲人会、そして盲人福祉の根幹をなすと確信していたキリスト教信仰を広めるための団体を別個につくるという視野の広い見方を持っていたのである。 (*)この盲人キリスト信仰会は、戦後、日本盲人キリスト教伝道協議会となり、その初代委員長に好本 督が選ばれた。この盲人伝道協議会は今日も続いている。 このために、好本は、とくに信仰的にすぐれた人達を集めた。それらの人達とは、中村京太郎、平方龍男、秋元梅吉らである。 中村は、盲人として初めて公費での留学生としてイギリスに学んだが、そのときに生活の面倒を見たのが好本 督であった。中村は現在も発行が続けられている「点字毎日」の創刊のときの編集主任となった。これは毎日新聞社の発行によるもので、一般の大新聞社がこのような点字の新聞を発行することは異例のことであった。当時世界では点字新聞は二つあり、それはいずれもイギリスであったが一般の新聞社が発行するのは点字毎日が初めてであった。 こうした異例のことが生じたのは、好本の祈りの結果であった。当時の毎日新聞社の外信部長が次のように語ったという。 「…好本さんは自分の使命は盲人に尽くすにあり、と考えるようになった。その一つが点字新聞に現れただけである。 …朝から晩まで機会あるごとに、いつもお祈りをしていた。その祈りに応える神様からの声の一つの現れがこの点字新聞になったのだ。」 そして、平方龍男(たつお)は、後に鍼医(はりい)として広く知られる人物となり、東京に信愛ホームというキリスト教精神によって鍼(はり)治療のより高度な学びと訓練をする施設を創設し、それは今日まで続いている。 また、秋元梅吉も、盲人の福祉のために、一九一九年、「盲人基督信仰会」を創立。これも現在も「東京光の家」と改称されて続いている。 このように、神の光が内村鑑三に臨み、それがさらに好本 督にもその光は照らし、そして前述の中村、秋元、平方らにも神の光は照らしていき、その人達へと盲人への働きは受け継がれ、現在まで脈々として続いているのであり、神の光の力の広がりとその永続する力に驚かされる。 光あれ! との創世記最初の言葉は、このように、永遠性を持っているのである。 それは闇に輝く光であるが、それは一時の闇やある特定の場所だけに輝く光でなく、その光をいかなる社会の変動も消すことはできない。 これは内村鑑三や好本 督らの大きな人達だけにその光が及んだのではもちろんない。無名の数知れないキリスト者たち、盲人の信徒たちにも同じような光がその魂に射し込み、それによって動かされ、こうした永続的な事業となっているのである。 さらに、好本が力を注いだ事業として、点字の聖書を全巻刊行するということであった。これは、 亜鉛板に点字を脚の力で製版機のペダルを踏んで一字ずつ打っていくのであり、相当な体力が要求される。このために信仰のしっかりした一人の盲人の青年が選ばれ、彼は二年がかりで、毎日のように打ち続け、六〇〇万字に及ぶ聖書全巻の点字製版を完成させた。好本は、その青年を励まし、その間の生活費をもひき受けるなど経済的な援助も惜しまなかった。 このように、盲人の福祉においてとくに選ばれて多くの働きをした好本 督は、若き日に死を思うほどの苦しみと悲しみの体験を通ってきたのであった。そこから上よりの光を受け、キリストの導きを受けるために、祈りに徹してその苦しい状況を乗り越えていくことができたのである。 彼にとって若き日のとくに重要な出来事は、次のようなものであった。 盲人の福祉のために、 事業を起こしたとき、彼がイギリスに滞在中に、好本が会社を任せていた支配人が富を急増させようとし、ある詐欺師にだまされて投機に手を出して、多額の損失を出したのであった。そのため、神戸の彼の会社を破滅に導いただけでなく、好本の父の財産まで使い果たしてしまったのであった。この大きな災難のために、病気がちであった父が急に悪化し、危篤状態に陥った。 そのことを好本は、イギリスにいたときに知らせを受けて、大きな衝撃を受けてただちに日本に帰ることになった。それは、一九一三年の十二月であり、まだ、日本へ帰るには、極寒のロシアを通って帰らねばならなかった。その途中、ロンドンで買った切符が無効だと言われ、先への旅行はできないと言われた。駅長に懇願してようやく難を超えたと思ったのも束の間、今度は、スリによって財布と旅券が盗まれ、途方にくれた。もはや異国でどうすることもできない。このとき、病床にて苦しむ父のことが思い浮かび、寒さにふるえつつも、彼がしたことは、ひざまずいて長い間祈ることであった。そのような状況において、ただ一つなし得ることは、一羽のスズメをも忘れることもないと記されている全能の神に頼ることだけであった。熱心に長い間祈り続けたとき、彼は平安を取り戻した。そうしてようやく眠りにつくことができた。翌朝、彼がまずしたことは、祈ることであった。 そしてまず心に浮かんだのは次の聖句であったという。 …イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。(マタイ福音書十四・31〜32) … 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言三・5〜6) このようにして、祈りによって途中の長い旅路をも無事に乗り越え、ヨーロッパを出発して二週間後にようやく日本(門司)に着いた。そこで彼がまずしたことは、近くの丘に登り、祈ったことである。 そして、「お前が信仰さえ失わなかったら、災いは転じて幸いとなり、すべてのことはお前の周囲の者に益となるのだ」という神からの安心が与えられた。そうして神戸の家に着いたが、家は深い悲しみに沈み闇に包まれているような状態であった。父はやせ衰え、母は看病で疲れ果てていた。彼は自分の部屋に退いて、ふすまを閉めてひざまずいて祈った。 父のいのちは二ヶ月ほどしかもたないだろうと医者が言った。 好本は、それから毎日さまざまの関わりある人達との交渉にエネルギーを費やし、身も心も疲れ果てて帰って来るという状態を繰り返した。彼は、そのようななかでも、わずかの夕食をとると、自分の部屋に退き、数時間を思索と祈りに費やす、そうした日が続いた。死が間近いといわれた父は大切にしていた書画をすべて、ある人から提供せよと言われた。破産という状態であれば相手の申し出に逆らうことができず、長い間手許において愛着のあった書画をすべて失うことになり、父は非常に悲しんだ。しかもその一つ一つを父以外の家族が、数台の荷車に積んで遠いところまで運んでいくことになった。その様子をみていた病床の父の落胆は大きかった。形ある宝に執着するわけではなく、地上の命の終りが近いといわれている父を苦しめその寿命を短くすることが好本には耐えがたかったのである。 そのような状況にあって、彼はどうかこの場を救って下さいと祈らずにいられなかった。何時間祈ったか分からなかった。ところが彼がまだ祈り終わらないうちに、電話がかかってきて、運ばれた荷物をすべてお返しするから、というのであった。 そのことから一か月ほど後のことである。彼は巨額の手形を支払わねばならなかったがその費用がなかった。銀行からは矢のような催促がある。その銀行員は好本たちが被った多大な苦しみに大いに責任があった人なので、そのような人物に支払いを延期してくれるように懇願するのは耐えがたいことであった。 このような苦しい状況に陥ったのは、好本の責任ではなかった。彼はイギリスにいて、その不祥事の直接の責任者でなかったからである。しかし、彼が会社の最終的責任者であるゆえに彼が全責任を負っていかねばならないのであった。 このような事態に直面して彼はあまりの苦い杯のためにあらゆる人に反抗したい気持ちとなった。 そのようなとき、彼は部屋に入って、聖書を読んだ。そのとき、神の言葉から流れ出てくる聖霊の光に照らされて、心に広がっていた闇は朝霧のように晴れた。すべてのことは、主がよしとされるときに解決し、現在の苦難は両親にとってもまた関係者にとっても、祝福に変るにちがいないということが、彼にははっきりと分かった。 自分たちを耐えがたい苦痛の深淵に投げ込んだ者たちに対して、彼は怒りの心をおさえることが難しかった。好本とその家族たちはまったく何の悪いこともしていないのに、彼らは平和の家であったものを悲惨と苦悩の家に変えてしまった。 「主よ、あなたは友に裏切られることがどんなものであるかを、よく知っておられます。あなたを見上げることによって、平和を持てるように助けて下さい」と祈った。 ある人々は、そのようにひどい目に陥れた犯罪者たちを訴えるようにと、好本に、強く勧めた。しかし、ひざまずいて祈って考えるとき、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ二三・34)と主が十字架に付けられたときに祈ったあの言葉を思いだして好本は自分を苦しめた人々に対して、憐れみの情を禁じ得なかった。 そして好本は、彼らを赦すことができるように、また彼らが救われるように、恵みを願った。もし彼を苦しめた人々を訴えていたならば、一層悪意を引き出すばかりであったろうし、誰にも決してよい結果をもたらさなかったであろう。 また、ある友人はそのような不正なことをした者たちを会社から放逐するようにと忠告してくれたが、キリスト者として好本は、自分が彼らの責任を負うべきだと考えた。彼は彼らのために祈り、間違った道から彼らを連れ戻したいと思った。 真夜中に一人外に出て、夜空に光る満月を見つめ、近くのせせらぎの音を聴いていると、心には主にある安らぎが与えられた。月をじっとみていると、次の聖句を聞くようであった。 … しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(マタイ五・44〜45) 彼がそうした日々を送っているとき、深刻な会社の状況を立て直すための連日の悪戦苦闘の日々に疲れ、ある墓地まで来た。そのとき、「ここにこそあらゆる悪人も疲れた者も休みがある」(ヨブ記三・17)との言葉が思いだされた。彼は、もし自殺が罪でなかったなら、自分の生命を断つこともためらわなかっただろうと書いている。それほどに当時の苦しみは大きく、前途への道が開けてこなかったのであった。 しかし、それは無責任であり、悪魔の誘惑に屈することであると知り、全力を尽くしてこの窮地から脱するべく生きていかねばならない、との思いへと変えられた。 彼はこのときほど熱心に祈ったことはなかった。 そして「キリストを信じて従え、戦い続けよ、そしてその結果を神に委ねよ、『神は、神を愛する者たち、すなわち、御計画に従って召された者たちとともに働いて、万事を益となるようにしてくださる』(ローマ八・28)のだ」これが彼の必死の祈りに対する神からの答えであった。 次の年になり、少し前までは彼の最も手ごわい敵であって彼を苦しめることに関わった数人の人達から、心のこもった感謝の手紙と盲人福祉のための多額の献金が送られてきた。しかも彼らのある者たちは聖書を読み始めているということであった。これらすべては神のすばらしい恵みによるものであった。 もし、この世の方策をもって彼らに対処していたら、彼はきっと打ち負かされていたという。しかし、自分の利害を顧みないで事にあたったために、大きく状況が変わり、神の力によって彼らの心まで変化していったのであった。 好本はこうした出来事の背後に祈りがあったことを述べて次のように言っている。 …祈りとは、私たちのうちにはたらく聖霊を通して、主のみまえに私たちを引き寄せる神のわざである。だからそれは神の愛のあらわれ以外の何ものでもない。それは私たちが神をとらえるということではなくて、神が私たちをとらえて下さることである。 祈ることは、私たちが神の「静かな細い声」を聞くことであり、私たちの態度は、「しもべは聞きます。主よ、お話下さい」(サムエル記上三・9)ということになる。 ルターが言ったように、「神が私たちの願いを聴いて下さるということは、すばらしいことである。だが、それよりはるかにすばらしいことは、神が私たちに語りかけて下さることであり、また私たちが神に聞くということである」 しかし、神の声を聞くというだけでは十分ではない。私たちは神の御心を行なうように心がけねばならない。聖霊によって導かれ奉仕することは、すなわち隣人に仕えることを通して、自ずから、神のみわざにたずさわるという計り知れない特権に他ならない。助けてやるというような精神でなく、それを喜びと思い、彼らに仕えることを特権と考えるのである。 御心を行なうことは、私たち自身の力ではできないことであるが、しかし、パウロも言っているように、「私を強くして下さる方によって、何事でもすることができる」(フィリピ書四・13)し、また「私の力は弱いところに完全にあらわれる」(Uコリント十二・9)のである。… ここには、彼が死を思うほどに追い詰められた困難な状況から脱することができた、その理由が語られている。 このような真実な祈りは必ず何かが周囲で起こってくる。それは彼の死に近かった父が元気を取り戻し、二か月の命といわれていたほどに病状は重かったにもかかわらずその後も二年を生きることになり、その晩年になって聖書を読み、キリスト信仰へと導かれていったことであった。 そしてその父の最期をみとった彼の母から聞いたことでは、父の語った最期の言葉は、彼や家族をほとんど破産状態に陥れたその災難の責任者である男に、送金するように頼んだことであったという。 そして父の葬儀は、不思議な導きによって関西学院大学の礼拝堂で行なわれることになった。さらにそのときの弔辞を読んだのは、好本とその一家をどん底に突き落とした人であった。その人はそれを読みながら、途中で感極まり、泣き崩れてあとを続けることができなかったという。 この短い紹介によっても、好本 督が盲人の福祉において実に多方面に渡り、それらが盲人のさまざまの方面において計り知れない益をもたらすことになったのがわかるが、それは彼自身が述べているように、神の愛と真実をどこまでも信じ続け、そこに身を委ねることであり、それをなさしめたのが祈りであった。祈りこそは神の御手が働く場を生み出すものなのである。 平和主義と啓示 北朝鮮が地下の核実験をしたという。それに対して、自民党の幹部が「日本が攻められないようにするために、その選択肢として核(兵器の保有)ということも議論としてある。議論は大いにしないと(いけない)」と述べた。また、外務大臣が、核兵器を持つ議論をやるべきだといったニュアンスの発言をし、さらに首相も、こうした発言に対して、「議員個人の発言まで(抑制できない)。日本は言論が自由だ」として暗に認めるようなことを言っている。こうした議論の背景には、自民党がずっと以前から持ってきた核武装に関する考え方がある。 岸信介は、今から四〇年以上前に、すでに防衛のため核保有は可能と述べ、佐藤首相は「日本の核保有が妥当と確信する」が本音だったいう。 また、安倍首相も、二〇〇二年に当時官房副長官であったが、「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と発言して問題になったことがあるし、当時の福田官房長官も非核三原則の見直しにつながる発言をしている。 このように、核武装ということは、自民党においては相当以前からの考え方であったのがわかる。戦前に戦艦大和のような世界一という巨大な軍艦を建造して、他国への攻撃に備えるという発想はかたちを変えて、核武装への願望という形となって、自民党に流れていると言えよう。 しかし、その世界一の戦艦も何等日本を守ることはできなかった。かえって大和に象徴されるそうした武力増強路線は世界戦争への道を開くものとなり、おびただしい人の命を奪う事態へと進んでいったのである。 北朝鮮が核兵器を持つ、だから日本も持つべきだ、それは一見わかりやすく見える議論である。自分と相手国だけを見つめての判断だからである。外側に現れた現象をみて、目先の判断で事柄を決めようとする。それがこれからの世界全体にとってどういうことを意味するか、過去の歴史はそのようなことに対してどのような方向を指し示しているかというような大局的な視野を全く持たないのである。 目に見える現実だけをこのように見つめるだけでは、決して真理は見えてこない。 死んだ人間のからだという目に見えるものだけを見ていたら、復活などという真理は到底入ってこないし、無惨にも血が滴り落ちるほどに鞭打たれ、そのあげくに、十字架ではりつけられたキリストだけを見ていれば、どこにもそれが罪の赦しだとか勝利などとは見えてこない。 平和主義の考えも同様である。他国のミサイルや核兵器などとその威力だけを見ていたら、恐れを抱いてそれらを自分たちの国も持つのが当然だ、という考えは起こっても、だから武力はいらない、といった考えは生れない。 復活にしても、十字架による罪の赦しの福音、あるいは平和主義などの真理は、この世的には到底受け入れられないのは共通している。それらは、二千年前からキリストがあざけられ、またパウロも言っているように、世間の人間からは愚かなものと見えるのである。(Tコリント一・18) 平和主義は聖書のキリストの言動に深く根ざした考え方である。 それゆえ、それは人間の議論や思索の結果でなく、天からの啓示なのである。 それは、愛の神が生きておられるとか、復活や十字架による罪の赦しの真理、あるいは、キリストが神と同質であると知ること同様に、次の言葉があてはまる。 「あなた方にそうした真理を現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」(マタイ福音書十六・17) 詩の世界から 水野源三の詩から(*) ○生かされている 梢で百舌が鳴き 庭に菊が香る 昨日も今日も 私は生かされている 神様に愛され 人々に愛されて (*)水野源三(一九三九〜一九八四)九歳のときに、赤痢にかかり、命はとりとめたが全身が動かなくなり、言葉も出なくなった。後にキリスト信仰に導かれ、まばたきをもって、母親が示す五十音図の単語を示して詩を作るようになった。 彼の詩は、新聖歌には、「朝静かに」三三四番、「もしも私が苦しまなかったら」二九二番が収められている。 静かな日、寝たきりの作者は、近くの木のこずえに鳴くモズの強い呼びかけのような声を聞く。それと対照的に静かに秋を表して咲いている庭の菊。その色彩が心に喜びを与え、手にとるものには香りをもって迎える。私たちが神に深く結びついているほど、なんでもない普通の日常的なことの中に、深い神の愛を感じるようになる。神は万事にいのちを与えるお方であり、私たちの心の感性にも鋭敏さを増し加えるからである。 そのような神の御手のわざである自然の生きた姿に触れて、自分もまた神の生きた御手によって支えられ、生かされているのに改めて気付かされる。神の愛と、人の愛という最も大切なものによって包まれている自分を新たに見つめて感謝へと導かれる。 ○キリストを知りたい願い あの胸に 起こしたまえと ひたすら祈る ・私たちがいくら言葉で語っても、また働きかけても、キリストを信じ、罪の赦しを受けるということ、そしてそこに神の愛を実感できるようになるのは、神ご自身の御手がのぞまなかったらできないことである。主よ、そのようにあの人の魂に触れてください、という願いこそ、他者への主にある愛のあらわれだと言えよう。私たちの願いもまたこの歌の願いと重なる。 テニソンの詩から 私は、これまでに出会ったものすべてのものの一部分である。(「ユリシーズ」第18行 )(*) I am a part of all that I have met. 老年になった古代の英雄(オデュッセウス)が、その年に至るまで数々の劇的な経験を経てきたゆえに、自分はこれまで出会ったあらゆるものからいろいろなものを得て、それが現在の自分を形作っているというのがこの言葉の直接的な意味であるが、この短い言葉はさまざまの人によって引用されてきた。 私たちは自分の能力や努力で現在を勝ち得たのだ、などと言ってはならない。私たちが過去に出会ったあらゆる人、書物、経験などが私たちの内に流れ込み、それらが現在の私たちを作り上げている。自分の努力で成し遂げたのだ、という人がいるかも知れない。しかし、そのように仕向けた人や書物、あるいは直接的な人との出会いの経験があったのであり、それによって努力していこうとする気持ちになったのである。 そしてその努力の過程でもさまざまの人と出会って導かれていったのである。 この詩句ははじめの方にあるが、終り近いところに次の言葉がある。 さあ、友よ、 さらに新しい世界を求めるのに遅すぎるということはない。 出発するのだ、整然と部署につき、 波音響く海を超えて行くのだ。 私の揺るがぬ目的は、死に至るまで、 星の沈む西の海のかなたまで、 進んでいくことなのだから。 … 時と運命によって弱くなったが、我が意志は固く 戦い(努力し)、求め、見出していく、 屈することなく。(「ユリシーズ」より) …Come, my friends, 'Tis not too late to seek a newer world. Push off,and sitting well in order smite The sounding furrows; for my purpose holds To sail beyond the sunset ,and the baths Of all the western stars,untill I die.… … Made week by time and fate,but strong in will To strive,to seek,to find,and not to yield. (*)テニソン(一八〇九〜 一八九二)イギリスの代表的詩人の一人。一八五〇年ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。 このユリシーズとは、ホメロスの作と伝えられるオデッセーに登場する人物、オデュッセウスのラテン名ウリッセースの英語読み。 ここに一部を引用したのは、そのオデュッセウスという人物をタイトルにした短い詩。テニソンが親友の死の少し後に書いたもので、特別に親密であった友の死という精神的な打撃にもかかわらず、前進しようとする力強い心を、古代の老英雄に託して表現したもので、年老いても家族との安全な生活にひたることなく、人生の戦いに勇敢に立ち向かっていき、さらなる未知の世界へと踏み出していくという内容になっている。 私たちの目的地は神の国であり、いかに年老いても、この世の荒波を超えたところにある神の国を目指して進むことにあり、それを目指すのには遅すぎるということはない。それぞれの部署(与えられた状況)に就いて、そこから主の導きによって出発し、進んでいくのである。 ことば 祈り―その中心は「主の祈り」である―は、隣人との交わりのなかで、その衝動を覚えるのである。祈りにおいて、いかに卑しいものであっても、そこでキリストの働きにあずかるこの上なき特権を得る。(「主はわが光」19頁 好本 督著 日本キリスト教団出版局 一九八一年) ・祈りとは他者への祈りがここではとくに重視されている。私たちは自分自身の苦しみや痛みのなかから、その痛みや苦しみをいやして下さいと祈らずにいられない。しかし、それはキリストの愛がその人に注がれていなくてもできることである。神を信じていない人すら、困ったときの神頼みと言われるように、自分のことならどんな人でも祈る。 しかし、他者への祈り、ことに自分に対して害悪をなした人がよくなるようにとの祈りは、キリストの愛が私たちに注がれていなかったらできない。 隣人との交わりの中で私たちは自分が罪を犯し、また他者が私たちに罪を犯す。そうしたとき、自分自身の弱さ―罪―そのものについて神に祈り、力を与えて下さいと祈らずにいられない。 神を愛し、隣人を愛することが最も重要なこと、と主は言われた。それはそのまま祈りについていうことができる。神を愛するとは、神に心を注ぎだすことであり、それはそのまま神への祈りとなる。そして隣人を愛するとは、感情的に好きになることでなく、その人の前途が最善になるようにと祈ることであるからだ。 休憩室 ○次の記事は、定期的に送られてくる国際的なニュース記事のコラム的な記事にあったものです。 …オーストリア国で薬局名を見ると、「慈善深い兄弟の薬局」「聖母の薬局」「神のまなざしの薬局」「3位1体の薬局」など、キリスト教と密接な関係のある薬局名が多いことに気が付く。当方が以前住んでいた近くには、「神の摂理のための薬局」という名前がついた薬局があった。 オーストリア薬局会の広報担当者は「昔は医薬メーカーなどは存在しなかった。カトリック教会側が修道院で薬草を調合して、病の信者たちに与えていた。薬局は修道院内の薬草保存場所を意味した。だから、その伝統を受けて呼称する薬局が多い。オーストリアだけではなく、ドイツなどキリスト教文化圏では神の名がついた薬局名が少なくない。もちろん、現代的な薬局名もある」と説明してくれた。 同広報担当者によれば、ヨーロッパでは、病気を治療するのは薬ではなく、「神の癒し」によるものだという捉え方が依然、強いという。… ・薬がなおすとか医者がなおす、あるいは自然治癒力がある、自分の努力でなおす、といった様々の表現があります。しかし、医者の能力、化学的に合成された薬や薬草の力といっても、そうした能力や力を与えたのは、神なのです。 神が万能であると信じるなら、それゆえに万物を創造し、今も支配していることは当然になります。現在支配していないような神なら、万能ではないからです。 人間の能力も化学反応を起こす物質の本性、あるいはそれらを支配している科学的法則もすべて神が創造し、いまもそれを支配しているわけです。だから、医者の技術であろうと、薬や薬草、あるいは自分の努力であろうとそうした力を与えた神がもとにあると言えますから、究極的には神の力によっていると言えます。 ○地名とキリスト教 アメリカ大陸にある地名を見ると、キリスト教と関係のある地名が多いのに驚かされます。 ロス・アンジェルスという地名は、Los Angels (ロス・アンヘルス)であって、スペイン語の 「天使たち」(英語では、the angels) です。 (los は、英語の the にあたる定冠詞で、複数形の男性名詞につく。女性複数名詞には、las となる。) 同じく、カルフォルニア州の都市で有名な、サンフランシスコは、キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来となっています。 また、チリの首都でもあり、他にも十ほどもの地名となっている、サンティアゴ( Santiago) とは、スペイン語で聖ヤコブ(San Jacob)のことですが、発音が大きく違っているので、ヤコブとは思えないほとです。ブラジルの大都市サンパウロは、キリストの最大の弟子と言える、聖パウロのことです。 また、中央アメリカにある、エル・サルバドル(El Salvador)という国の名は、スペイン語で「救い主」を意味する語で、キリストのことなのです。(El は男性名詞単数につける定冠詞、Salvador は救い主の意で、英語には、語源的に関連した salvation 「救い」という語がある。)そして、この国の首都は、サン・サルバドルで、これは、「聖(San)救い主」という意味なのです。 また、キューバの南にある島国で、ドミニカという国があります。このドミニカという名は、後述するドミンゴと同様に、「主の日」という意味を持っています。そしてドミニカ共和国の首都は、サント・ドミンゴ(Santo Domingo)であり、Santoは、聖、 Domingo とは、「日曜日、主日」という意味ですから、この首都の名の意味は、「聖・日曜日」ということになります。この日曜日とか主日を Domingo というのは、ラテン語の「主」という言葉が、ドミヌス Dominus であり、それから生じた言葉だからです。 以上のような例はほんの一部にすぎません。最初に町を造ろうとした人達が、どんな名前を付けるか、それは人々の理想とか期待を象徴するものです。 次々と新しい町をつくるときに、キリストと関連ある名前を付けていったのは、キリストの祝福を求める心の一つの現れであったと思います。現代に生きる私たちも、日常に出会う物事、自然の風物にも絶えず、キリストとの関連を見出し、神の祝福を願う気持ちを持っていたいものです。 編集だより 今年の八月に、今から五十年程も前に映画となって広く知られている「二十四の瞳」のDVDが発売されました。私はまだ小さい子供のときに、父親に連れられて見たのですが、とても強い印象が残りました。主演の高峰秀子という女優と十二人の子供たちの織りなす光景はあれから半世紀を経ても消えません。純真な子供たちが成長していったのに、戦争によって次々と死に至っていく、その哀しさというのも感じたことです。それから、「♪からす なぜ鳴くの…」という歌も同時に私の幼い魂に焼き付けられたように残っています。 ある県外の方から、次のような来信がありました。 …この映画は全くみておりませんでした。その頃は、病気になっていたために見ることができなかった状況だったことを、今思いだしたところです。子供たちの純朴な魂、こどもは本来こういうものなのかとしらためて教えられる気がいたしました。 教え子のつらさや悲しさをともに泣くことができる教師。時代の背景も環境も超えて、示される心の真実をおもいます。また、初めから終りまで、讃美歌の「いつくしみ深き」の曲など、あんなに多くの歌曲が用いられていることにも驚き、印象深く心に残ったことでした。 すぎた歳月は次第に消えつつありますが、こうしたことを通して、当時のことを思い起こすとともに、私の歩みも常に善き力に守られ、支えられてきたことを、心に覚えることができました。とても不思議な気がいたします。… ○…詩編とは、数千年も昔の人の心がそのままに残っている「心の化石」である。それは苦しい人が光を見出せる。今も生きて働く。悩める人に力を与えるものとして、詩編をじっくり味わって読みたくなりました。 叫ぶ相手がいる、そして罪を贖い助けてくれる相手(神)がいることの幸せ、喜びを教えて頂きました。 「聖書における平和」では混沌と、光との対比で、そのことが創世記のはじめに書かれていて、そして黙示録にも示されていることを知ったとき、本当に驚きでした。 聖書ははじめから終りまで、一本の幹のように「主の平和」が貫かれて示されていることを知りました。人生のそしてこの世の到達点、究極的目的地として「神からの光」を仰ぎ、そして求めていけばよいとの示しは、私の心に時々襲う不安や迷い、恐れの霧を消し去ってくれた思いがしました。力を与えられました。(中部地方の方) お知らせ 吉村 孝雄の県外集会の予定を書いておきます。問い合わせは、集会場の連絡先か吉村まで。 ○十一月十七日(金)午前十時〜十二時 松山市の山越集会(二宮宅)TEL 050-1288-6075 ○十一月十七日(金)大分市東津留の梅木宅にて家庭集会 午後六時三十分〜八時ころ。TEL 097-552-8235 ○十一月十八日(土)熊本市の河津 卓宅にての集会に出向きます。場所 熊本市水前寺町4丁目2-7 TEL 096-383-0437 時間は、午後二時〜四時です。 ○十一月十九日(日)午前十時より、福岡市での集会です。 ・場所 福岡サンパレスの4階第一会議室。〒812-0021 福岡市博多区築港本町2-1 TEL:092-272-1123(代) ・礼拝(聖書講話)十時〜十一時 ・感話会(お茶)十一時〜十一時四十五分 *引き続きご希望の方と昼食懇談会 十二時〜十三時三十分 ・連絡先 福岡市 秀村 弦一郎氏 TEL(092-845-3634) 福岡県福津市 大園 正臣氏 TEL(0940-43-6515) ○十一月二十日(月)午後七時三十分より広島県での集会。 庄原市東城町 沖野宅 TEL 08477ー2ー4983 ○集音器 以前にも集音器を紹介したことがありますが、今度紹介するのは、それとは別のものです。老人性の難聴であれば、とくに日曜日の聖書講話のような、特定の人の講話を聞いたり、一対一で話すときなどは、この集音器が効果的です。 病院などで、難聴の人と個人的な話しをするとき、大きい声で言わねばならない人がいます。大部屋ですと個人的な話しなのに周囲の患者さんにも聞き取られてしまい、不都合が生じることがあります。そんなとき、この集音器があると、ごく小さい声で話しても、相手に聞き取ってもらえるので、便利です。 新聞などで広告に出ている補聴器はデジタルのものが多く、数十万円もする高価なものもよく見られます。 しかし、この集音器は、新聞の通信販売で時折見かけるものは、本体、送料、税込みで一万円余りになっています。 しかし、インターネットでは現在のところもう少し安価(八千円程度)で購入できるのを確認済みです。 補聴器や集音器は人によって使う状況が違っていること、その人の聴覚障害の状態によってもそれらの器具が合わない場合もあり、実際に使ってみないとはっきりしたことはいえないという不便さがあります。しかし、この集音器で相手の会話がよく聞き取れるようになったという人もいろいろありますので紹介しておきます。問い合わせは吉村 孝雄まで。 < 製品仕様 > 品名 小型多目的集音器「スーパーサウンドハンター」NHC NH-880 サイズ(約):全長10×幅4×厚さ1.7p×重さ55g(電池含む)/電源:単4乾電池×2本(付) 付属品:片耳用イヤホン、単4アルカリ乾電池 |
2006/10 |
闇と風の湖上をも 2006/9 私たちがこの世のさまざまの困難や希望を失うような事態に直面して、そこから助けのないと思われる状況に陥ることがある。だれもこの困難にはどうすることもできない、助けも与えられない。医学も科学技術も人間も、どんなこともこの苦しい状況を解決できない、そのような事態に陥っている人達はたくさんいると思われる。ただその苦しみがあまりにも重く、深いためにだれにもいえず、またそうした人はたいてい孤独であって訴える相手もいないことが多い。 そのような状況にあっても、ただ主イエスだけは、近づいてきて下さる。 それが、海(湖)の上を歩いて弟子たちのところに来られたという記事の意味することである。 夜通し主イエスは山に登って一人祈りを続けられた。マタイ福音書によれば、その夜を徹した深い祈りのあとで、海の上を歩いて弟子たちを助けに行くという記述が続いている。(マタイ福音書十四・22〜33) 弟子たちは逆風のために深夜の大きな湖の上をどうしても目的地にいけずに苦しんでいた。しかし、イエスだけは、どんな風があっても、海のような湖であっても、ふつうなら決して行けないところでも行くことができる。 主イエスの夜通し続けられた祈りのあとに、この湖の上を歩いた記事があるのも、このような祈りをもって私たちの闇に近づいて下さろうとしているのを暗示している。 人々は、病気や孤独、あるいは罪のなやみ、職業上での苦しみ等々、私たちを苦しめ、悩ませる数々のことを持っている。人間は相手のその苦しみの心のただなかには入っていくことができない。 しかし、主イエスは闇の波立つ海の上でも歩んで弟子たちのところに行き、船に乗り込むことができた。そうするとたちまち風は静まり、波もおさまっていった。 イエスが処刑された三日後、弟子たちは部屋に鍵を閉めて閉じこもっていた。しかし、イエスは入って来られ、彼らの真ん中に立って、「あなた方に平和があるように。」と言われた。(ヨハネ福音書二十・19) このことも、イエスはいかに人間が入れないところであっても、驚くべきことに入っていくことができるということを示している。 祈られ祈る 私たちはまず他人のことを深く祈るためには、自分自身が祈られているという経験が必要である。私自身も体調を崩して起き上がれないようなことがあり、体調がすぐれないことが何か月か続くということがあったとき、祈って下さっている、祈られているという実感を持った。 それは何か支えられるといった実感であり、心に平安を与えてくれるものであった。それがあって他者のために祈るということもより真剣になったと思う。 祈りだけでない、他者を愛する前に、私たちは愛されているという実感が必要である。愛というのはエネルギーを注ぐことであり、祈りも同様であるから、まず私たちのうちに愛するエネルギーがなければならない。それは愛されているという事実が必要となる。 この世には至るところで「愛」という言葉がはんらんしている。 しかし、人間の愛は、永続的な愛でなく、また特定の人にしか及ばないという致命的な限界を持っている。そのような人間の愛であるから人間から愛されても必ずその愛はいずれ消えていく運命にある。 私たちが永続的に愛されること、それは神からでしかあり得ないが、その神の愛、キリストの愛を受けて、愛されているという実感をもってはじめて私たちは他者を愛することができるようになる。 それゆえ、ヨハネの手紙で、「イエスは、私たちのために、いのちを捨てて下さった。(それほどに愛して下さった)そのことによって、私たちは愛を知った」(Tヨハネ三・16)と言われている。 自分で福音伝道しようと人間的な計画や意図ではできない。遣わされているという実感が必要なのである。 平和を造り出す者は幸いだ、と言われている。しかし、まず私たち自身が平和を与えられていなければならない。それゆえに、主イエスは、最後の夕食のときに、「私の平和をあなた方に与える。これは世が与えるような仕方で与えるのではない」と特に言われたのであった。 同様に、絶えず神から聖霊から教えられているのでなかったら、人に教えることはできない。 神からの赦しを絶えず受けている者だけが、他者をたえず赦し、祈りをもって対することができる。 こうしたすべてのために、主イエスは、私にとどまっていなさい、と繰り返し言われたのである。 …私につながっていなさい。私もあなたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、実を結ぶことができないように、あなた方は私につながっていなければ、実を結ぶことができない。 (ヨハネ福音書十五・4) 谷間にある者を この世は、どのような世界であっても、強い者が評価される。典型的なのはスポーツである。大新聞でも最も大きく繰り返し報道するのは、スポーツである。それも人間の行動の一つの形であるから、報道されるのは当然であるが、ほかのどのような文化が、あのようにわずかの特定の人間を毎日のように大きな写真とともに報道するであろうか。 学問、医療、福祉、文学、あるいは音楽などの芸術の世界であっても、あのように毎日毎日同じような人間が大量の紙面をつかって登場するということは、あり得ないことである。 強い、力がある、ということはそれほど人間にとって魅力的なのである。 弱いものはたちまち相手にされない。 学校でも、勉強もできない、スポーツも、芸術も何もできない、となると、相手にされないということになりかねない。何かができない、という弱さは谷間に落ち込んでいくようなことである。 強いと思われている人でも、例えば飲酒運転を少ししただけで、懲戒免職になったりすると、とたんに周囲の者からは見下され、収入はなくなり、否応なしに弱さを思い知らされるだろう。今、周囲から注目されるところにいて活躍しているように見えてもいつ深い谷底に落ちていくか分からない。病気や最後に訪れる死ということは、深い闇につつまれた谷間となりうる。 しかし、どんな人生の谷間に置かれても、大きな失敗や罪を犯して見下されて誰からも相手にされなくても、真剣に求めるときに必ず愛をもって相手にして下さるお方がいる。それが聖書に記されている神であり、主イエスである。 これはたしかな事実である。そしてこの一点があるからこそ、キリスト教という信仰のかたちは続いてきた。死んだような者すら、最大の力を注いで生かして下さるのである。この世のいかなる変動にもかかわることなく、このことは変わらない。ここに、神とキリストを信じる者の平安があり、心の土台がある。 無事でいる九九匹の羊をおいてでも、いなくなった一匹の羊のために探して下さるとは、そうした暗い谷間に落ちた者を探し出して下さり、引き上げて下さる神の御性質を表すたとえなのである。 川となって流れる ―祈りの川― 聖書では、最初から祈りが流れている。 しかし、祈りの川というような表現は、一般には耳にすることはほとんどないように思われる。 祈りとは、静まってすることだというイメージがある。個人的な、一時的なものだとも考えている人は多い。困ったときに、あるいは形式的に一時的にするのが祈りだと思っている人々が多数を占めているのではないだろうか。 しかし、聖書には最初から祈りがこめられている。光あれ、と神が言われた。すると、ただちに光が生れた。徹底した闇と混乱のただなかに光を来たらせる、それはキリストの祈りである。 人間と動物との根本的な違いの一つは、祈りをすることができるということである。祈りとは目に見えないものへの語りかけであり、その見えざる存在からの語りかけを聞き取ろうとすることであるが、動物には目に見えず、嗅覚や聴覚に入らないものには、反応できないからである。(*) (*)私が小学低学年のころ、ニワトリをたくさん飼育していたことがある。そのとき、ひよこを卵から育てることもしばしばあり、親鳥がひよこの鳴き声を聞くと、たちまちその声のする方にとんでいく、ということをよく目にした。しかし、ずっと後になって、ひよこを大きなガラス製の容器にいれて、片足を棒に結びつけて実験したところ、ひよこが目の前で口を大きく開けて鳴いているのに、親鳥は何事もないように、通りすぎて行くのを見て、親鳥はひよこの苦しそうな姿でなく、その鳴き声で反応するのだとわかったことがあった。ニワトリは視覚も優れていて小さな米粒を投げても目ざとく見付けて走り寄って拾うが、自分のひよこが、病気とか怪我で苦しそうにしていても何にもないように通りすぎていくのもしばしば見たことがある。 真実な「祈り」とは流れていくものである。大きな河の流れはどこまでも続いていき、その先々の所をうるおし、よき実りを与えていくが、その水の流れのようである。 「祈の友」という集まりがある。(**)これは数知れずあるキリスト教関係の団体や組織のなかで、ただ祈りだけを中心にすえるというもので、特異なものと言えよう。この「祈の友」は、今から七〇数年前に、一人の結核で苦しむ青年に示された祈りから始まった。次の文は、その青年が三十歳のころに書いたものである。 …病苦を負わされ、貧苦に閉じ込められ、人には見捨てられ、おのれにもまた絶望する…こうした涙と呻吟のなかにあるとき、私の身代わりに死にたもうたというキリスト、私が永遠の祝福を受け継ぎうる証拠によみがえりたもうたというキリストの福音はじつにおどろくべき歓喜のおとずれであった。 主は私のためにいのちを捨てられた、この私のために。私は初めて真実の愛というものを知った。露ほども報いを求めない愛というものを。… かつての私と同じように、いまなお、病床に身悶えする二〇〇万の結核病者(***)()のうめきが聞こえて、私がこの病苦によって神の福音に接し得たごとく、彼ら一人一人が神の子の生涯に新生させられるようにと祈らずにいられない。 「祈の友」はこの祈りを使命とするものと考える。肉のことより、霊のこと、自分のことよりも友のこと、何より神のことを祈って、導きあらば、友のため、自分の命を捨てるを光栄とする者の群れである。どうして自分の病状、境遇または自分の信仰のことばかりを祈ることができようか。… もとより、人間には神の愛を実行する力がなく、それは全く不可能なことである。しかし、心の方向を神に向けることだけはできる。実行はできなくとも、気持ちだけは、祈りだけは清き、高く、神の子の生涯を目標とすべきである。(内田 正規著「午後三時の祈り」15頁 創言社刊) (*)一九三五年〜一九四五年ころは、結核で死亡する人達は、年間十二万人〜十七万人にも及んでいた。そのため、結核はかつて国民病、亡国病と言われ、しかも死者、患者とも青年層が多く、国の基盤にも影響を与えかねない状況であった。 (**)正確には、「午後三時祈の友会」という。かつて、結核患者が、キリストが十字架上で息を引き取った午後三時にときを合わせて祈ろうという会であった。現在は、結核患者以外の病者、健康な人も含まれ、職業を持つ人、あるいは何らかの事情のために午後三時に祈れない人も多いから、時間も午後三時でなくとも、各人が祈れる時間を自由に決めて祈るようになっている。 この著者である内田 正規(まさのり)は、この文章を書いて三年後に三十三歳で地上の生涯を終えた。彼のはじめた「祈の友」の祈りは現在も引き続いてなされている。祈りとは川のように流れていく、という証しでもある。そして川は周囲の植物をうるおし、芽生えさせ、育てて成長させ、花を咲かせて実を結ぶように、この「祈の友」の祈りは過去七十数年の間、何の力もないような病気の人達を主体としつつ、ずっと流れてきた。 これは、人間の意図したところでなく、神が流れさせてきたからである。「祈の友」を始めた、内田が召されたのは、敗戦の一年前であった。日本が無謀な侵略戦争の泥沼に入り込み、数知れない人達のいのちを奪い、生活を破壊していた暗黒の時代であった。しかしそのような光の見えない時代であってもなお、この祈りの川の流れを止めることはできなかった。 言論は弾圧され、平和を口にするだけでも非国民とされるような基本的人権も踏みにじられた時代、それでも祈りを弾圧することはできなかった。食物も十分にないほどに国民が貧しい状況になってもなお、そのような貧しさを貫いて祈りは流れて行った。 もとより、この祈りはキリスト者ならみんなが与えられているものである。キリスト者とはキリストに属する者、キリストにつく者、といった意味を持っている。(***) (***)新約聖書が書かれた時代は、まだ、クリスチャン(キリスト者)という呼び方は、一般的でなかった。クリスチャン(Christian)とは、ギリシャ語の christianos(クリスティアノス) の英語の表現である。これは、「クリスト(キリスト)に属する者」という意味を持っている。この原語は、新約聖書ではわずか三回しか用いられていない。(使徒言行録十一・26、二六・28 、一ペテロ四・16) なお、クリスチャンという言葉は、英語の Christian をそのまま用いたものであるが、これは、「キリスト教徒」と訳されることもある。しかし、本来は、罪の赦しを実感することによって生きて今も働いておられるキリストに属するものであって、ヨハネ福音書で言われているように、ぶどうの幹なるキリストに結びついている者のことであり、霊的な神と同様な存在であるキリストの内にとどまり、またキリストが、人間の魂の内に住んでいる人のことをいう。だから、単に、「キリストの教え」を信じている人ではない。 そのために、「キリスト教徒」という語よりも、「キリスト者」(キリストに属する者)というのがより原語の意味に近いと言えよう。 それならば、パウロなど初期のキリスト伝道にて命がけで働いた人達は、キリスト者にあたるどのような言葉を使っていたのであろうか。 それは、パウロの手紙の冒頭によく見られる言葉がその名称を指し示している。それは、「聖徒」(hoi agioi)という言葉である。「信徒」、「使徒」 などに使われている「徒」は、この場合は「人」といった意味で用いられているから、聖徒というのも、聖人 と同じだと考える人がいる。しかし、聖人とは、「知徳が最もすぐれ、万人の仰いで師表とすべき人」(広辞苑)である。新約聖書でいう、聖徒はそういう聖人とは全く異なる。 信じてまだいろいろと欠点もあり、キリストの教えも十分に分からないような、ごく未熟な信徒であっても、そうしたとにかくキリストを信じるようになった人を聖徒と言っている。これは、神のために分けられた人 という意味を持っているからである。どんなに未熟であっても、キリストを信じて罪の赦しを与えられた者は、この世から分けられて神の国のために用いられるようになったという意味を持っているのである。罪深い者であっても、キリストを信じたことによって聖霊の導きと力を受けて変えられていくからである。 しかし、どんな祈りでも流れていくのではない。自分だけのための祈り、自分の子供など家族だけの祈りは決して未来へと流れていくことはないし、周囲をうるおすものともならない。例えば、息子が希望の大学に入学しますように、というのは、もし希望の大学と学部に入れなくて、希望していないところに入ることになると、場合によっては生涯の方向が変るから家族にとっては切実な願いであるから、祈らずにいられないだろう。 しかし、もしその願いがきかれたらたちまちそのような祈りはそれで終りとなる。このような目先のことについての願い、祈りはそれがどんなに当事者にとって重要な問題であっても、他者にはほとんど関わりがないゆえに、ただそれだけで終わってしまう。 しかし、どこまでも流れていく祈りがある。この世には、さまざまの出来事があり、祈りの流れをせき止めようとする力が働く。戦争も貧困、天災も、科学技術の進展、あるいは、豊かさ等々次々といろいろな状況や出来事が祈りの川を止めようとする。 しかし、静かなこの流れは、何者も止めることはできない。主イエスはしばしば夜を徹して一人で祈られた。その祈りの静かにしてしかも力ある祈りの流れは、以後流れ続けている。 ゲツセマネで燃えるような祈りを捧げられたがその後とらえられ、十字架で処刑された。それはイエスの存在そのものを抹殺しようとするものであったし、イエスの死と共にその祈りなど消滅すると考えられたであろう。あるいはそんな祈りなど全くほとんど誰も心に留めもしなかったかも知れない。 しかし、主イエスは復活し、聖霊を送り、その聖霊にうながされた人達は自ずからイエスの深い祈りの心がよみがえったようになった。そしてその祈りとともに、力強い福音伝道を始めることができた。 主イエスは、祈りの中心を「主の祈り」として教えられた。イエスご自身は、罪なきお方であったゆえに、ご自身の罪を赦してください、という祈りはなく、人の罪の赦しをのみ祈られたのであるが、その他の祈りはイエスご自身の祈りでもあったと考えられる。 それは、「御心が天に行なわれるとおり、地でも行なわれますように。」という祈りは、最後の夕食の後でゲツセマネに行ってなされたつぎの祈りと共通した内容を持っている。 「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。 しかし、私の願いどおりでなく、御心のままに。」(マタイ福音書二六・39) この「御心がなされますように」、との祈りこそは、イエスが最も苦しい十字架の処刑の前夜になされた祈りであり、この祈りの心によって主は、神の道からイエスを引き離そうとするサタンに勝利することができた。 御心とは、原語は セレーマ qelhma であって、意志のことである。人間の意志、欲望でなく、神のご意志がなるように、との祈りである。 この祈りは、そのまま弟子たちに受け継がれ、その後無数のキリスト者たちによって祈られてきた。それはまさに、二千年を超えて流れ続けている祈りの川である。 この祈りはたしかにこの長い間のいかなる戦争や飢餓、ペストなどの恐るべき病気、科学技術の発達など、あらゆる激動にもかかわらず川のように流れてきた。 この祈りは、主イエスが人間関係のうちで最も高い段階の祈りとして言われた、「敵を愛し、敵のために祈る」ということも含んでいる。神の国がきますように、ということは、敵対する人には、その人の心に神の国がきますようにということであり、それは敵対する者への愛の心からの祈りである。 主の祈りをここでふりかえってみよう。 ・ 御名があがめられますように。(御名が聖とされますように、神のご性質が、この世とは全く別のものとしてあがめられますように。) ・ 御国がきますように。(神の愛と真実のご支配が私たちの心に、社会に、そして世界にきますように)、 ・御心が天に行なわれるとおり、地でも行なわれるように。(神の愛と正義に満ちたご意志がこの世でも行なわれますように) ・私たちの日毎の食物を与えてください。(私たち、ということは、これは日本だけでなく、世界の人々のことを思い浮かべて祈ることになり、また日本においても、病気の苦しみのために食べられない人もいる。そのような人に食物が与えられますように、また人はパンだけでは生きられない、神の口からでる一つ一つの言葉で生きるのであるから、そのような霊の食物を与えられますように。) ・私たちが他者の罪を赦したように、私たちの罪をも赦してください。(人間関係の根本は罪深い人間同士がいかに赦し合うかにかかっている。それは神の愛をいただいて初めてできていくことである。罪を赦し合うことがなければ、人間は互いに非難したり憎しみや無関心、あるいは見下すことになる。) ・私たちを誘惑に遭わせないで、悪から救い出してください。(これは、どのような人にとっても、生涯の最後まで祈るべき祈りである。) この祈りのような、だれにでも及び、どんな状況の人にでも祈ることができ、またあらゆる人に及ぶというはてしない広さを持った祈りはない。それゆえにこのような祈りは、時間を超えて歴史のなかを流れ続けていく。そして学識ある人、貧しい人、権力ある人もない人も、能力のある人も乏しい人も、みんな同じ線に立って祈ることができる。 これは、自分の子供が健康であるように、という誰もが祈る願いとは全くことなる深さと広さ、そして高さを持っていると言えよう。 このような祈りは必然的に時間を超えて流れていく。そして周囲をうるおしていく。 これは、祈りだけではない。真理そのものが、どこまでも流れ続けていくという本質を持っている。聖書にある神の愛、真実は、数千年も昔のアブラハムやモーセの時代から、ずっと今日まで続いている。歴史のなかを流れ続けているのである。そしてその流れを何者も妨げることはできない。 神の本質は、すでにモーセの時代にはっきりと啓示されていた。 … 主は彼(モーセ)の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」(出エジプト記三四・6〜7より) この個所で言われている神の本質は、何よりも罪の赦しの神ということである。憐れみ深いとか、忍耐強いといったことも、罪の赦しと結びついている。忍耐強いのでなければ、人間が罪を犯せばただちに罰する、ということになる。それでは人間はだれもみんな裁きを受けて滅ぼされてしまうであろう。それから千数百年を経たキリストの時代になっても変ることはなかった。 日毎の食物が与えられること、体が健康であること、家庭が恵まれていること、作物などを作る仕事がうまくいくこと等々どれもみんな恵みである。しかし、そうしたことが与えられていてもなお、それらを当然と考えてしまったりする心ができてしまう。そのような心こそ罪であるから、人間の心からそうした不純なものを取り去って頂かないかぎり、私たちの心は深いところで満たされることがない。 そして、そのような罪を赦されるのでなければ、私たちは滅ぼされてしまう。 罪を赦す神、その本質はこのように、旧約聖書によれば、すでにモーセの時代から啓示されていた。これは、一般的に思われていること、旧約聖書の神は裁きの神だ、といった理解はかたよったものであることを示している。 そしてこの罪を赦す神が人間のかたちをもって現れたのがキリストであり、それゆえにキリストも罪を赦すということをその基本的な本質としている。 これは、福音書の最初に置かれているマタイ福音書がその第一章でこのことをイエスという名前と関連させて記している。 …マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ一・21) このように、人間にはすべて正しい道からはずれている、という罪があること、そしてその罪があるかぎり人間には本当の幸いはなく、平安もない、それゆえにその罪の赦しを受ける必要があり、神はそのための赦しを与える方である、ということ、この真理はどこまでも続いているのが分かる。 それゆえ、真理のうちに含まれる「平和(平安)」もまた、周囲を満たしつつ流れていく。 …わたしの戒めに耳を傾けるなら あなたの平和は大河のように 恵みは海の波のようになる。(イザヤ書四八・18) ここで言われていることは、平和(神からの祝福で満たされた状態)は、大いなる川のように流れ続ける。そして神からの恵み(*)も、流れ続け、押し寄せ続けるものとなる。 (*)ここで恵みと訳されている言葉は、従来の訳語では、「正義、義」と訳される言葉である。(原語は、ツェダーカー) 神によって罪赦され、神の言葉に聞き従う者は、神との結びつきが生きたものとされる、それはまさに最大の恵みである。そのような意味での恵みが海の波のように押し寄せてくる。 耳を澄ませば、今もなお私たちに与えられる平和が川のように流れ続けているのが感じられ、また恵みも押し寄せているのを実感する。じっさいに、そのような流れがあり、海の波のように押し寄せてくるからこそ、過去数千年の間、どのようなことが生じてもこの流れはとどまることなく、信じる者、神の言葉に聴こうとする者には流れ続けてきた。そして罪赦されて神との霊的結びつきもたえず押し寄せてきた。 私たちは、これだけは今後いかに時代が変化しようとも変ることがないと信じることができる。 こうしたすべてのことを来たらせる祈りの川、それは流れ続ける。 十字架の道は くるしいけれども 行き着くところは 安らかな園だ 祈りの川は いつも流れ 賛美の泉 たえずあふれる(「友よ歌おう」31番より) 神は愛であると聖書にある。そして愛とは祈りと深く結びついている。それゆえ、主イエスが弟子たちに、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ福音書二二・32)と言われたが、その祈りは今も続いている。 すでにイエスより五百年ほども昔の詩篇とされている、次の詩にあるように、神は昼も夜も眠ることも休むこともせずに私たちを見守って下さっている。愛をもって見守るとはすなわち祈りの心をもって見るということである。 … 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。(旧約聖書 詩編一二一・4) 新約聖書でキリストの最大の弟子、パウロが、「どのようなときにも 霊に助けられて祈り、すべての聖徒たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けよ」(エペソ書六・18)と言っている。 聖霊なるキリストが私たちの不十分な祈りを支え、導いて下さるのである。祈りも聖霊の導きがなければ、自分中心の人間的なものになって祝福の流れとはならないのである。 また、次のようにも言われている。 …同様に、霊も弱いわたしたちを助けて下さる。 わたしたちはどう祈るべきかを知らないが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さる。(ローマ人への手紙八・26) ここでの「霊」とは、聖霊のことであり、やはり右と同様に生きて働くキリストと同じであり、私たちは行動においても、また考えたり祈ったりすることにおいても常に誤りやすいゆえに、聖霊なるキリストが助け、とりなしをして導いて下さることが記されている。 この世には仕事や毎日の生活のなかで、私たちに敵対したり、理由なく憎んだりする人に出逢ったり、日本や世界の中で不正なことがなされる状況に直面することはしばしばである。 そのようなときに、私たちのとるべき態度はいろいろに分かれる。 一つはそんなことは考えても無駄だから、放っておくという無関心という道。 あるいは、言葉や印刷物でやりかえす、ときには武力、暴力という手段で報復する。 つぎは、それらの問題を困ったことだ、間違いだと思い、それに暴力以外の手段で抗議する。 そうした問題の困難さと人間の弱さを知るゆえに、神の力を待ち望む… このようにいろいろに対応は分かれるであろう。 キリスト者とは、みずからの罪を知った人であり、その赦しという最大の賜物を受けた人である。そして神がすべてをこの世の背後で御支配なさっていると信じる人のことである。それゆえに、私たちの取るべき基本的なあり方は、そのような神の力が働くことをつねに祈って待つ、ということである。 それは「静かなる抵抗」である。祈りの川を常に流させることである。 …どのような悪に対しても、静かなる抵抗が最もよく勝利をおさめる。 Allem Bosen gegenuber ist ruhiger Wiederstand das Siegreichste. (ヒルティ著「眠られぬ夜のために」上 九月二一日より) ヒルティの言う、「静かなる抵抗」、それが最も強力に働くのは、聖霊によって導かれる祈りである。 過去のあらゆる偉大なキリスト者たちはすべてこの聖霊による祈りによって、この世の悪の力と戦い、勝利してきた。こうした最もおどろくべき例が、十字架にくぎづけられてまで、この静かなる抵抗に生きられたキリストである。 祈りによる抵抗、それは静かであり、むざむざと悪の力に踏みにじられていくように見える。しかし、そうした祈りの道こそは、ヒルティの言うように、確実な勝利への道なのである。 これらはすべて、私たちの祈りが正しく流れていくよう、そしていつまでも祝福の流れとなり、周囲にもよきものをもたらすようにとの神のご配慮に他ならない。 日本の根本問題 九月二一日、東京地方裁判所で、君が代、日の丸を強制し、従わない教員を罰するという東京都教育委員会のやり方は許されないとして、原告らの主張を認めた判決が出された。このような訴えは、数多く出されているが、はっきりとこのように、「憲法が定める思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ」としたのは初めてのことである。 このような、君が代と日の丸の強制へと方向づけたのは、一九八五年四月、当時の高石邦男初等中等教育局長名により、各都道府県の教育委員会教育長宛に出された通達であった。 これは、戦後初めて全国の公立小・中・高校すべてについて、入学式や卒業式における、君が代や日の丸について回答を求めるという極めて異例なものであった。 当時の、その高石初等中等教育局長は、愛国心の名のもとに、こうした調査結果を公表し、君が代、日の丸をわずかしか用いていなかった、沖縄や京都、関東の一部の都県などに強い圧力をかけるようになる。 この通達の背後には、自民党の強い働きかけがあった。 そしてこの時以来今日まで二〇年あまりの期間において、次第にこうした強制が全国へと広まっていく。 そして愛国心の育成のため、などと主張していたこの高石初等中等教育局長は、そのとき政財界を揺るがしたリクルート事件での罪を問われ、逮捕された。そして懲役2年6月・執行猶予4年の有罪判決が出た。 このような人物であっても、「国を愛する心」を育てるなどということを日本全体の教育委員会に命令するというのだから、彼らのいう「愛国心」なるものには信頼がおけない。 国歌と国旗を掲げ、歌うということ自体は一般的に言えば、国歌も国旗もあるのが好都合であり、それをみんなが何のこだわりもなく歌えるようであったらそれにこしたことはない。 しかし、今から二〇年あまり前から始まった、権力による強制ということは、そもそも一体何が目的なのか。戦前は、日の丸と君が代を前面に押し出して、戦争にかりたてる道具としてきたことはたしかである。その戦争がいかに悲惨なことになったかを、深く知るゆえに、憲法も全面的に改訂し、教育基本法も変えたのであった。とすれば、本来は、戦前の侵略戦争のときにふさわしいものとして用いられた君が代、日の丸も、広く国民のさまざまの人達の議論を集め、かつ学識者たちによって検討し、また新たに一般から公募するなどの方法をとって戦前のまちがった国の体制から全面的に決別するのが本来なすべきことであった。 憲法や教育基本法は根本的に新しくされたのに、古い憲法や教育勅語と深くむすびついて教育の現場でも用いられてきた日の丸、君が代はそのままで残るということ自体が矛盾したことであった。 このうち、日の丸は言葉ではなく視覚的なシンボルであるので、まだしも抵抗感は少ないと言える。しかし、君が代は、歌であり歌詞を持っているから、その歌詞の内容が当然問題とされねばならない。 君が代は、千代に八千代に さざれ石の 巖となりて 苔のむすまで という短いものである。これは、戦前では、天皇の支配する時代は、何千年でも(永久に)続くように、との意味を持っているとして歌われたものである。この歌詞の意味が何であるのか、そのことを戦前の解釈も含めてはっきりと教えられないから、いつまで経っても国歌とされても、大多数の国民が何かあいまいな気持ちでこの歌詞を歌うということがずっと続いている。この歌を歌っている人は、どのような内容のものと考えて歌っているだろうか。天皇の御代(支配する時代)が永遠に続きますように、といった内容と解釈するなら、これはまるで、心から歌えないものとなる。現在は、天皇は単なる象徴であって、戦前のように日本は、天皇の支配する国家ではないからである。 また、君が代というのを、「君」を「you」のことだ、と曲げて意味づけ、「あなたの時代」などと解釈するなどというのは、あまりにもいい加減な解釈と言わざるをえない。明治維新から八〇年近い年月を、もっぱら「君が代」とは、「天皇の支配する時代」という意味で使ってきたものを、突然、それを「あなたの時代」だなどと言い出しても、それが千年も八千年も(永遠に)続くように、などと誰が一体本気で歌えるだろうか。 とすれば、これは天皇の御代(みよ・治世)が永遠に続くようにという解釈にならざるをえない。そしてそうなれば、このような事実に合わない内容を歌えといわれても、心から歌う気持ちになれないのが本当であろう。 なぜ、文科省はこの内容をきちんと戦前にいかなる意味として歌われたのか、その歴史からきちんと教えるように指導しないのかと疑問に思う人も多い。それは、そうすれば生徒たちも、いかにこの歌が戦前の軍国主義を引っ張っていくのに大きな役割を果たしたかを知ることになり、一層歌うのを躊躇するようになるだろう。そこで文科省はきちんと内容を指導するようにとは言わないのだとも言われている。 私が教員をしていたとき、県の教育委員会の何人かが、学校視察に来たことがある。放課後に全教職員を集めて、対面で県教委の話しを聞くことになった。そのとき、私が、「君が代」を強制しようとするが、その歌詞の意味をどのようにとらえておられるのかと、県教委の人達の見解をただしたことがあった。意味も分からない歌を強制することは無意味だからである。「君が代」の歌詞の意味をどう考えているか、その説明を聞きたいと言ったところ、「我々は専門家でないから、君が代の意味について十分な答えができないから、後日、回答したい」、などといって何人もの教育委員会の人達が一人も答えられなかったのに驚いたことがある。 それほどこの君が代という歌の意味については、きちんと教育の場でも教えられなかったし、教えようともしなかった。そして結局その回答は教職員には何等連絡がなかったから、学校には後日送られてはこなかったようである。 ずっと以前から、疑問だとされてきたのは、高校の日本史の授業で、太平洋戦争など戦前から現代に至る歴史をほとんどきちんと教えないことについて、教育委員会や文科省は何も指導しないことである。君が代、日の丸などの強制の根拠として、学習指導要領にあるからということを根拠にしてくる。しかし、日本史で教科書を現代史の重要部分を省略しないで、現代まできちんと教えるということもまた、本来学習指導要領の基本にあることなのである。 それは、その時代の歴史を詳しく教えると、生徒たちが、日本の犯した罪の深さに気付くから、教えないようにと仕向けるためでもある、とも言われている。 靖国神社問題も前回と前々回で詳しく述べたように天皇が戦前は深く関与していて、国民を戦争にかりたてる道具としていた。 また、全世界で日本だけにしかない、特定の人間の名前を時間を数える際に使っている、元号制度もまた、天皇とかかわっている。天皇の事実上の名前を時間を数えるときに、用いるということだからである。自分の誕生日を明治○年、昭和○○年などとしか言えない日本人が多いが、それは明治政府が、天皇の名前を使うことによって日本人の魂の中に、天皇の名を刻みつけようとしたのが出発点にある。昭和天皇の本来の名前は、ヒロヒトである。昭和とは、そのヒロヒト天皇の死後の諡(おくりな)であるから、昭和○○年と言うことは、天皇の個人名を使って時間を数えていることになる。さらに、昭和○○年ということは、昭和天皇の治世(支配)の○○目、ということであって、現在の主権在民という理念にも矛盾するのである。 また、日の丸の旗は、太陽が中心に描かれている。天皇が天照大神の子孫だという神話を大まじめに受けとる立場にとっては、日の丸の旗は天皇を象徴していることになって、天皇を現人神として敬うことは、日の丸の旗を敬うことと同一線上にあるということになっていた。 自民党の憲法改悪の議論も、伝統、文化を大切にする、というのがある。ここでいう伝統の代表的なものが、天皇制であるというのである。このように、日本の政治や社会で大きな問題はその背後に天皇ということが深く結びついている。 靖国神社の参拝がなぜ国際問題にまでなるのか、それは天皇のために死んだ軍人たちが、神として祀られ、天皇が特別に参拝していた神社であるからである。だからこそ戦前で特別に重要視され、現在でもほかの神社と異なる政治的問題をもっている。 現在政権党である自民党の最大派閥の領袖(りょうしゅう)である、森喜朗元首相は、今から六年半ほど前、神道政治連盟国会議員懇談会(会長・綿貫民輔)でのあいさつで、「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてきた」と述べ、「神社を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえる」と言って大きな問題になったことがある。 このような考えは、戦前の教科書に出てくる文言(*)を思いださせるものがある。 小泉、安倍両氏は、この森派に属していた人物であり、このような間違った考え方の流れを受け継いでいる側面がある。単なる人間(天皇)を現人神として崇拝し、その命令を絶対視していくことは、太平洋戦争の遂行を支えるものとなっていた。 (*)『日本ヨイ国キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国』『日本ヨイ国ツヨイ国。世界ニ輝クエライ国』(小二年用修身教科書) 東京裁判(*)がよく問題になる。原爆投下の責任が問われなかったことやA級戦犯のことはよく問題になるが、この裁判で、本来は最高の責任者であるはずの天皇の責任が最終的には追求されず(一部の国がきびしく天皇の責任を問題にしたが)、退位すらなかったということは、後々まで大きな問題を残すことになった。太平洋戦争は天皇の名によって開始され、また終結したのであり、会社でも、部下が大きな罪を犯せば、社長が辞任することになる。そうしたこの世の常識的なことすらなされなかったために、太平洋戦争という甚大な悲劇を起こした罪というのが全体としてあいまいになり、それが太平洋戦争を実行していった最大の責任者たちを神と祀る神社で彼らをも崇敬することになり、それが現在の靖国神社参拝問題にもなっている 。 (*)日本の戦前・戦中の指導者二八名の被告を〈主要戦争犯罪人〉(A級戦犯)として,彼らの戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。(「世界大百科事典」による) 憲法とともに、教育基本法を変えようとする動きが大きくなっているが、とくに「日本の伝統」を重んじることが強調されようとしている。ここにも、こうした人達によってしばしば最大の伝統とされるのが、天皇の存在である。 そうした人達は教育勅語を持ち出してくる。しかしこれは、やはり天皇中心の発想が根本にある。これは、この勅語自体を見ればすぐに分かることであり、文部省が書いた次の表現にもはっきりと表わされている。 「…わが国の教育は、明治天皇が『教育ニ関スル勅語』に訓へ給うた如く、一に我が國体に則り、肇国(ちょうこく)の御精神を奉体して、皇運を扶翼(ふよく)するをその精神とする。」(「國体の本義」一二一頁 一九三七年三月 文部省発行) このように、この勅語の精神は、第一に、「国体」に則る、すなわち、国体を基準としてするということである。国体とは、次のように規定されている。 「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これは我が、万古不易の国体である」(「國体の本義」九頁) このように、教育勅語とは、天皇が神であって永遠に統治するという発想を根源に置いているのであり、そこから教育も、その皇室の運を助けるのがその精神だ、というのである。いかに、教育勅語が、国民中心でなく、天皇中心であるかがこれを見れば明らかである。 このように、日本では明治維新以来、国家、国民にとって重要な関わりをもってきて、現在もそうであり続けるのが天皇のことであり、天皇を基本的人権すら奪うような状況に閉じ込めておいて、神にまで祭り上げ、その存在を利用しようとすることが間違いの根本にあった。 現在も、教育や政治、そして国際問題にまでなっているのは、その元をたどればこの問題なのである。 天皇という存在自体は、一種の王であり、それがヨーロッパの一部の王政の国のように、神に仕え、国民に仕えるべき存在というのがはっきりしていれば特別に問題にはならないだろう。王政がなくなったら、国の問題は解決するとは限らない。現在では王制を持たない国が圧倒的に多い。王政がなくとも、問題はいたるところにあるのは絶えずニュースなどで報道されている。 しかし、ヨーロッパの王政の国々では決して起こらないこと、それは、王を神とするような発想が日本にはあるから問題なのである。それは、古代において、ローマ帝国の皇帝が自分を神としてあがめるように命令したような、時代錯誤的発想である。 聖書にも王制は旧約聖書にある。しかし、それは、次の詩にあるように、神こそ王であり、その神は愛と正義に満ちて真実なお方であるという信仰が基本にある。地上の王はその神から力と英知を与えられ、民に仕える存在なのである。 …神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。(詩編四七・9) このように、明治になってから、現在に至るまでの様々の問題の背後に、天皇という人間を神としてあがめるという間違った宗教的発想がある。 どの国々にもいろいろな問題があるが、日本にはとくにほかの国には生じない特殊な問題があると言えよう。そうした人間を神とするような発想こそ克服されねばならないのであって、それこそ聖書に記された真理、キリストによる罪の赦しに表された神の愛に導かれることがこうした問題の究極的な解決の道なのである。 終わることのない讃美 現在の日本では、神を賛美するということは実に分かりにくいことである。キリスト者は一%にも満たないという。万物の創造者としての神とキリストを信じない人達が九九%を占めているとすれば、その神に讃美するということはさらに不可解なことになる。これだけ世界に不合理なことが生じているのに、どうして神がいるといえるのか、その神に讃美などいかにしてできるのか、と多くの人は考える。 見える世界をいくらみつめても、そのような万物を創造した神、しかも愛と真実の神がおられるなどということは分からな い。私自身も学校教育をいくら受けても全くそうした神に近づくこともなかった。 私が神のことをじっさいにおられると実感し、キリストの過去の人物でなく、人間を超えた神のごとき存在であるということが分かったのは、考えた結果でなく、不思議な力で受け入れるように導かれたからであった。 そうして自分の魂のうちに、神の存在を感じ、キリストの愛を知るようになって、はじめて神を賛美するということが分かってきた。 そして神に感謝し、その愛のみわざと万能をたたえるということははるかな昔からなされてきたことだと分かった。 さらにそのような讃美がつねになされている世界があるということも。 黙示録に次のような記事がある。 …天が開け、そこに神がおられるのが示された。そしてその神のまわりに四つの生きた天使的存在がいた。この四つのものには、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 全能者である神、主、 かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(黙示録四・8より) 神のまわりにいた天使的存在が、夜も昼も絶えることなく、神への讃美を歌っているということ、そしてその生き物は翼があり、そこには一面に目があったという。それはこの天使的存在が、自由自在であり、すべてを見通す力を与えられていたことを示している。(翼と目がそれを表す) ことに特徴的なのは、神に対して、いかなるものにも汚されず、動かされない永遠の存在であることを、「聖、聖、聖、」という三度の繰り返しで表していることである。いかにこの世が悪がはびこり、迫害のさなかであろうとも、霊的に神に引き上げられた魂は、そのような永遠の讃美を聞き取ることができたのであった。 そして、その神は、永遠の昔から存在し、今もおられて導き、悪をさばき、従うものにめぐみを与え、さらに時至れば、悪を(悪人でなく)根底から滅ぼす力を発揮される、ということがありありと示されたのである。 いかに雲が厚く地上を覆っていても、その上方には太陽が輝き続けている。同様に、いかにこの世が混乱し闇の力が覆うように見えても、それは一時的、表面的なことにすぎない。あくまで天の世界では神の聖なる存在は力をもって存在し続けている。 自然のさまざまの現象はそうした天の国の聖なる讃美を指し示すものとして創造されている側面がある。秋になると空はひときわ青く澄み、雲の白さも清く、草むらの虫の歌も聖なる讃美である。 秋の野山に咲き始める野草たちもまた地上の汚れに染むことなく、何千年となく咲き続けている。そうしてこの黙示録にあるような神への讃美へと見る者をつねにうながしているのである。 ことば (242)存在するもののなかで、最も古いものは神である。神は創造されたものでないからである。 最も美しきものは、宇宙である。神の創造したものであるゆえに。(*) 最も速いものは、知性(心)である。あらゆるものを貫き走るがゆえに。(**) 最も賢きものは時である。あらゆるものを明るみに出すがゆえに。(タレースの言葉より) (*)ここで「宇宙」と訳された原語(ギリシャ語)は、コスモス(kosmos) 。これは、「秩序」といった意味があり、宇宙は最も秩序ある美しいものであるから、宇宙という意味にも使われ、そこから、秩序あるものは美しいから、英語のcosmitic は、美容、化粧という意味にもなり、秋に咲く美しい花、コスモスという植物名にも用いられるようになった。 (**)ここで知性と訳されている原語は、ヌース(nous)であって、「理性」とも訳される語である。 原文は、詩的な表現で簡潔である。例えば、右の注をつけた原文は次のようになっている。 kalliston kosmos poihma gar theou 最も美しい 宇宙 作品 なぜなら 神の tachiton nous dia pantos gar trechei 最速 理性 通す 全て というのは 走る ・ヨハネ福音書には、はじめにロゴスがあった。ロゴスは 神であった。---とある。この地上に生れてイエスと名付けられたお方は、永遠のはじめから神とともに、また神であられた、という表現を思わせるものがある。 すべてのものは移り変わり、生れては消えていく。宇宙の星々も同様である。しかし、ただ神のみはそうした移り変わりとはいっさい関わりなく存在しておられる。 最も美しいもの、それは宇宙だという。それは、宇宙にある星々、そして大空の美しさ、星々の動きなどを総称して言っていると思われる。 旧約聖書にも、つぎのように記されている。「天は神の栄光を物語り 大空は御手のわざを示す。」(詩編十九・2〜3)人間によって決して変えられない、汚されないゆえに、神が創造されたままの美しさを保っている。 最も速いものとは、心(知性、理性)である、このような表現は意外に思われるだろう。現在では、光が最も速いというのは、常識のようになっているし、人工的なものについても、地上の新幹線とかジェット機、ロケットなどを連想するからである。 私たちの、心(判断力、知性)は、確かに、一瞬にして遠い星のことへと思いを馳せることができる。最も速いという光でも、太陽系のある銀河宇宙に最も近いアンドロメダ星雲まで、二三〇万年もかかる。 しかし、私たちの知性は、一瞬にしてアンドロメダ星雲まで思いを馳せることができる。タレスは、今から二六〇〇年ほども昔のギリシャの哲学者。 (243)人間の精神は平常の時には、浅薄な考えや興味の言わば厚い被いにつつまれているが、苦しみのときには、その被い(おおい)がことごとく取り除かれて、その代わりに純精神的なことを容易に理解でき、一切の人間関係を正しく評価し、また感情が真実になってくる。しかもこれらは、以前どんなに努力を積んでも得られなかったものである。 この点において、苦しみはすべての善い行いよりもまさっているとさえいえる。苦しみに満ちた日の間に、生まれつきの素質からすればとうてい超えられない内的進歩の限界を乗り越え、ふつうでは決して退散しそうもなかったさまざまの性癖(せいへき)が苦しみの灼熱のなかで溶かし去られるのである。(「幸福論」第三部一四五頁より) ・たしかに私たちは、苦しみを経験しなかったら、どんなに年齢を重ねても、また学問ができても人間が何であるか、また神の愛とは何かといったことは表面的にしか分からないだろう。 病気もしていないし、家族もよい、何も苦しみはない、という人がいる。しかし、そのような人がもし、主イエスの言われたように、「まず神の国と神の義を求める」という生き方へと踏み出そうとするとたちまち苦しみは生じる。例えば、毎週やってくる日曜日の過ごし方一つをとっても、まず神の国を求めるために、会社の仕事があっても、また家族との旅行や遊びなどの娯楽をおいて日曜日の礼拝集会に行く、ということを始めるとたちまちそれまで和気あいあいの家族であっても、家族の反対に直面するであろうし、職場でも評価を下げられることにつながるだろう。そしてそれはその後もずっと何らかの苦しみをもたらすことにもつながりかねない。 みんなが黙っていることを、神の国を求める心から、間違いだ、と指摘したらその職場や集団から排除されることにつながりかねない。そこから苦しみは始まる。 「それぞれが自分の十字架を背負って、私に従え」(マタイ十六・24)と言われた。 それぞれが何らかの十字架を負いつつ、従っていくとき、私たちは苦しみに出逢ってもそのなかで神の助けと導きをじっさいに知ることができ、生きた神ということを実感させて下さるようになる。 休憩室 ○九月に入って、風はそれまでの蒸し暑さが消えていき、さわやかな風を感じるようになりました。湿気の多い風と高温につけられたような日々であったから一層このさわやかな風が心地よく感じます。 温度が同様であっても、太平洋の湿度の高い風と、大陸からの湿気の少ない風とではまるで異なるものとして感じます。 ちょうど、新聞やラジオやテレビ報道に乗ってくるこの世の風は犯罪や暗い出来事が多くて気持ちを暗くするようなものが多いけれども、天を仰ぐときに感じられる霊的な風は、まったく異なるものがあります。 エアコンは、夏の蒸し暑さから一時的に解放してくれますが、その部屋だけのことです。しかし、天からのさわやかな風は、地上のどこにいても、私たちの心をまっすぐに神に向けるだけで与えられるという、他には代えがたい特質をもっています。 偏西風というのは常時吹いている西よりの風です。天の国からも常時地上に向かって吹いている風があります。私たちが天の国からの風を感じ取ろうとするとき、聖書、空の青さ、白い雲、夕日、夜空の星、川の流れ、そして樹木、野草といったものがそれを助けてくれます。 ○セミたちの元気のよい鳴き声がいつしか聞こえなくなったこのごろですがそれに代わって、たくさんの虫たちのコーラスが野山に響くようになっています。とくに誰の耳にもなじみあるのが、エンマコオロギの澄んだ流れるような響き、マツムシのチンチロリンといった鈴をころがすような声、それからスズムシのリーン、リーンという声です。 ツヅレサセコオロギのジィッ、ジィッという地味な鳴き声も草むらや石垣などのどこからともなく聞こえてきます。 小さな柔らかい羽をこすり合わせてあのような美しい響き、しかも大きな音が出るのは奇跡のようなことです。子供のときエンマコオロギを飼育してその鳴き方を観察し、あとで羽をこすってみたが全く音も出ないので、とても不思議だったことを覚えています。 神がなそうとすれば、不可能だと思われるようなことを簡単になされるという例だと思います。 私たちもまた、小さな罪深いものに過ぎないのですが、神の御手がはたらくとき、神の証し人としてささやかながら、この世に讃美の歌を響かせるものへと変えられるといえます。 詩から ○(水野源三の詩) 神様 今日もみ言葉をください。 一つだけで結構です。 私の心は、 小さいですから たくさんいただいても あふれてしまい もったいないので ・たった一つのみ言葉であっても、それが直接に神から、主イエスから与えられたと実感するとき、大きな 力となる。人間同士でも、一言の愛のこもったまなざしや言葉で支えられるのであるから。 ○大海(おおうみ)の 水底(みなそこ) 響(とよ)み 立つ波の 寄せむと思へる 磯のさやけさ (万葉集 巻七・ 1201) ・大いなる海の底までとどろかせて、波が岩肌荒い磯に打ち寄せている。何と清々しいことか! この詩人は、重々しい波音を聞きつつ、真っ白い波を打ち寄せている海、その磯全体に何ともいえない清々しいものを感じたのである。大海原の真っ青な深い色、そして力をもって打ち寄せる白い波、そこに心をも澄み渡らせるようなものを感じ取ったのである。自然の光景や色彩、音は私たちの心にこのような天来のものを注いでくれる。 編集だより 来信より ○この一か月、「待ち続ける神」という言葉が絶えず心に浮かんでいます。この放蕩息子の話しを、これまで、いく度か耳にしていたけれど、あの父親の愛情を、待ち続けてくださる神の姿に重ねて考えたことがなかった私は、「これこれ、父親よ、あなたのその甘い姿勢が次男をスポイルしてきたんじゃないの?」と、長兄に同情していたものでした。恥ずかしいです。とても恥ずかしくて涙が出ました。 どんな罪人に対しても、こちらを振り向けばそこに待っている神がおられる、ということが、とても美しい音楽のように心に響きました。「待ち続けることができない私」を叱っています。 それと、「靖国神社」のこと、とてもすっきりしました。長年自分の心のなかで、迷っていた問題だったものですから。小学生の娘に質問されたのですが、スラスラ答えることができました。(近畿地方の方) ○…八月号で、「靖国の混乱」、神様の御前に許されない靖国の姿を浮き彫りにして下さって、感謝します。キリスト者はこのような靖国観を強く持つべきでしょう。…(関東地方の方) お知らせと報告 ○八月二六日(土)〜二七日(日)には、静岡市から、西澤 正文兄ご夫妻やほかに水渕 美恵子姉、石原みつ子姉のお二人で合わせて四名の方々が、徳島聖書キリスト集会に来訪され、土曜日集会(手話と讃美、聖書の集会)と大学病院に入院中の勝浦 良明兄を訪ねました。翌日の日曜日、主日礼拝では、吉村 孝雄が「主よ来てください」(黙示録二二章から)と題して短い講話をし、そのあと、西澤兄によって聖書講話 「私は主である」がなされました。そしてご自分の最近の体調の異常にかかわる経験を率直に話され、弱きところに神の力があらわされること、その経験を通して学んだことなどを語られました。 参加者は四〇名余り。日頃集っていない方、初めての参加者などもあり、み言葉と讃美、祈りを共にすることができ、神の国からの新たな風を受けることになって感謝でした。 ○九月一七日(日)の礼拝が終わって、眉山のキリスト教霊園にて、故杣友めぐみ姉の納骨式が行なわれました。ご両親である杣友 進平、益子ご夫妻はじめ、ご家族、親族の方々も、主日礼拝から参加され、納骨式も二〇人ほどの方々が集まってなされました。地上の生活においては、苦しいことも多かったかと思われますが、今はすべてが主の愛によって包まれていることを信じて感謝です。ご遺族の方々の上にも主の導きがありますように。 ○九月一八日(月)午前十一時〜午後四時まで、松山市にて、「祈の友」四国グループ集会が開催されました。参加者は四国と兵庫県からの二〇名ほどが参加して、み言葉に聞き、祈りと讃美、そして交流の時間が与えられました。聖書講話は「祈りの川」と題して吉村 孝雄が担当。今月号にその内容を掲載しました。 ○礼拝CDを聞くためのプレーヤ 先月号にも紹介しましたが、私たちの徳島聖書キリスト集会での日曜日の聖書講話と火曜日夕拝の聖書講話をMP3という形式でCDに録音したものを希望者に配布、送付しています。(一か月の約八回〜一〇回分の集会記録が一枚のCDに入っています)しかし、MP3のファイルを聞くことができるためには、MP3プレーヤかDVDプレーヤがないと聞けないのです。最近発売されたMP3プレーヤは、従来の携帯用のCDプレーヤと同じ大きさで、直径十四センチ、厚さ二センチほどです。価格は、三九八〇円(税別)です。近くに大型の電器店があるところでは問い合わせたらこれと似たものがあるかも知れません。これがあると、私たちの集会で作っている聖書講話のCDが聞けます。もちろん普通の音楽CDも聞くことができます。重さは乾電池除いて約二〇〇グラム、リモートコントローラー、イヤホン、乾電池、交流電源用のアダプター付きです。問い合わせても電気店にない場合には、購入希望者は吉村(孝)まで連絡ください。 ○十月八日(日)は、吉村 孝雄は、福岡市での、第十二回信愛ホーム九州地区同窓会集会にて、「主はわがいのち、そして光」と題して語る予定です。14時〜15時30分。「信愛ホーム」とは、視力に障害を持つ人のための施設。創立者は内村鑑三の信仰の弟子であった平方龍男(ひらかた たつお)。ハリ治療の学習と実技指導を行うとともに、キリスト教信仰にもといを置いた、精神的な成長をも重視している施設です。 ○十月二九日(日)には、東京聖書集会の代表者である、塩澤 潤氏が来徳され、特別集会の予定です。主日礼拝の聖書講話を担当してくださいます。時間は、いつものように、午前一〇時三〇分より午後二時ころまでです。 |
2006/9 |
抜き取られることはないものとして 2006/8 私たちは、いつかはこの世界からいなくなる。植物でいえば、枯れて引き抜かれる。あのようなよい人がどうして若くして逝ってしまったのか、いつまでも生きていてほしいと願うような人も次々といなくなっていく。 この世では、良きものも、時がきたらいつのまにか変質したり、消えていく。 人間同士の関係も、どのように親しく信頼しあっているようでも、ふとしたことから壊れることがある。どうしてそのように受けとるのか分からないような誤解が生じてしまうこともある。 旧約聖書の古い時代から、かつて「共にパンを食べた者、神への礼拝に加わった者」であったのに、全く態度が変わり、自分を攻撃するものになった、という哀しみの心が次のような詩となって残されている。(詩編五五・14〜15 も参照) …わたしの信頼していた仲間 わたしのパンを食べる者が 威張ってわたしを足げにします。(詩編四一・10) このように人間同士の友情も思いがけないことから簡単に抜き取られることがある。 しかし、それはこの目に見える世界での出来事である。目に見えない世界があるということを本当に信じる者、そのような世界を実感する者にとっては、決して消えないもの、引き抜かれたりしないものがあることを知っている。 旧約聖書には、いろいろな預言者が現れる。その預言が、記述された文書となっている最初のものであるアモス書の最後の言葉は、次のようなものである。 … わたしは彼らをその土地に植え付ける。 わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してないと あなたの神なる主は言われる。(アモス書九・15) アモス書全体は、神の強い警告であり、真理に背き続ける人々や国々への裁きの予告である。預言者アモスは、羊飼いであった。宗教家でもなければ、学者や社会的な指導者でもなかった。 しかし、神はそのような全く社会や国家の動きとは関係のない人をも呼び出して、鋭い真理を示されている。 その預言書の最後が、このように決して引き抜かれることはない、という確信の込められた預言で終わっていることは、現代の私たちにも強く語りかけるものがある。 アモスとは、今から二七〇〇年以上も昔の預言者である。そのような古い時代から、神の民はさまざまの裁きや苦難を受けても、最終的には神の力によって回復される。そしていかなるものもその祝福を取り去るものはないという確信が記されている。 このような、不滅の希望と確信は、聖書が一貫して私たちに伝えているもので、新約聖書にあっても次のように言われている。 …わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十・27) イエスを信じて救い主として受け入れる者には、永遠の命が与えられる。それは神の霊的な畑に植えられたと言えるであろう。それゆえに、そこから抜き取られることはないという約束なのである。この世の闇の力は、イエスをも抜き取ろうとして、さまざまの悪意を重ねてイエスを神を汚したという罪を作り上げ、十字架で処刑してしまった。目に見えるもの(体)は、この世から確かに抜き取られてしまった。しかし、イエスは復活し、神が植えたものはいかなることがあっても、抜き取られないことが明らかになった。そして以後の二〇〇〇年の歴史は、世界中の人々にそのことを証明してきた。 このような確信は、さらに使徒パウロの次の言葉にも現れている。 …だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。 私たちは確信しています。死も支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも…いかなる被造物も、私たちの主、キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。(ローマ信徒への手紙八・35〜39より) だれでも、この世に生きている過程で、さまざまの出来事や病気や老齢化のゆえに、よきもの、かつては喜びであったものが次々と抜き取られていく哀しみを味わうであろう。 しかし、私たちが主イエスというぶどうの樹につながっているかぎり、私たちの魂は決して抜き取られることはなく、この霊的宇宙に永遠に植えられたものとなり、神のいのちと愛のうちにとこしえに置いて頂けるということは、他には代えることのできない希望である。 風の道 台風が四国沖を通過したとき、近くの小さい谷川を歩いた。そこには、風が止むことなく吹いていた。その谷川のところから、三つの方向に細い山道が続いていた。しかし、涼しい風がたえず吹き続けているのは、その一つの道だけだった。 その小道の両側は、樹木の繁った山が迫っており、またその風の吹いてくる方向は、二〇〇メートルほどの高さの山の稜線へと急な山道が続いている。 風が吹くにも樹木や前の山に妨げられて吹いて来ないようなところであった。 しかし、不思議なことに、その小道は、風の道でもあった。そしてかたわらには、小さな谷に水が流れていた。 三〇度を超える暑さに毎日閉口していたとき、思いがけないこの風の涼しげな道にしばしたたずんだ。 この小道と風は自然に祈りへと導いてくれるものであった。 低い山の登り口でほとんど平地の道で、このように真夏に涼しい風が、しかも何かがそれを引き寄せるように吹き続けるというのは、珍しいことであった。 真夏とは思えない、どこか高原の風を受けているような、久しぶりの心地よさのなかで、天の風もこのように、ある道にはいつも吹いているのだろうと思った。 間違った道を行くとき、どんなにしてもさわやかなこの風は受けることができない。 心のなかにも、道ができる。人間の思いに気をとられ、込み入った迷路のようなものができてしまっているとき、どこからも風は吹き込んでは来ない。 しかし、ほかのことは脇において、幼な子のような心もて神をみつめるとき、天からの風が吹いてくる。 そしてそれとともに、今日の谷川のように、いのちの水も流れているのが感じられる。 幸いの原点 ―詩編32編 人間はだれでも幸いを求める。人間にはいろいろの幸福に関する考えがある。しかし、大多数の人たちには共通している。この世には実にさまざまの人がいて、考えられないような行動にはしる人たちもいる。しかし、わざわざ苦しい病気になろう、などという人はいない。それはどんな人でも、苦しくて痛みの激しい病気などなりたくはない、それは幸いなことでないということでは一致しているからである。 こうしたことからすぐに分かるように、人間の幸いには健康ということが不可欠だということは、ほとんどどんな人、いかなる民族や年齢にも関わらず、共通しているといえよう。 このような一般的な常識に対して、聖書は驚くべき見方を「幸い」ということに対して持っている。 それは、健康が人間の幸いに不可欠であるといった表現は全く見られないということである。 このことだけとっても、いかに聖書が一般的な常識と異なる視点から書かれているかを思わせる。 何が幸いだと言っているのか、それは聖書全体がいたるところで告げている。ここでは、その内で、旧約聖書の詩編に記されていることから、見てみよう。以下の引用は、詩編三十二編である。 なお、この詩は古代から多くの人たちに愛されてきた詩である。アウグスティヌス(*)は、この詩を特別に愛して、死の近づいた重い病気のときに、自分のベッドの近くの壁にこの詩を書かせていたということであるし、ルター(**)も悔い改めの詩編として、この詩編とともに詩編五七、一三〇、一四三をあげ、それらのうちで、この詩編三二が最もよいものだと記しているという。(「THE INTERPRETER'S BIBLE」 Vol.四 168頁) (*)A.D 三五四〜四三〇年。 初期キリスト教会最大の思想家。「告白」「三位一体論」「神の国」などの著作で有名。 (**)ルターは、ドイツの宗教改革者。(一四八三〜一五四六年) 聖書を深く読んだルターは、カトリック教会の特に贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符とも訳されてきた)等に関する不合理を知って、一五一七年に、抗議書九五ヵ条を公表、歴史上できわめて重要な宗教改革の始まりとなった。彼は、新約聖書に基づいて救いは行いによらず信仰のみによることを強調した。一五二二年、聖書のドイツ語訳を行い、音楽を愛し、多くの讃美歌をも作った。 …いかに幸いなことか。 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。 いかに幸いなことか。 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。(旧約聖書 詩編三二・1〜2) ここには、幸いということが、罪を赦されることである、とはっきりと示されている。正しい心のあり方からはずれた状態が、「背き、罪、咎、欺き」などと、四種類の表現で記され、またその赦しについても「赦し、覆う、数えられない」などさまざまの表現で言われている。ここに、この詩の作者の罪の問題がいかに重要であったかをうかがわせるものがある。 現在の私たちの生活において、「幸い」ということと、ここで言われている「罪の赦し」ということとをまず結びつけて思い起こすという人はどれほどいるだろうか。 すでに述べたように、一般的には体の健康、お金、よき家族や友人といったものが幸福だと考えられているが、それらがあっても、幸福を実感しないということはこれもまたたくさんある。本当にこうしたもので幸いだと心から感じていれば、不満はないし、恐れることもないはずであるが、実際にはそうでなく、健康な人、お金のある人でも不満や心の悩みといったものはだれにでもある。 そしてその原因を他人に求め、また自分自身の能力の欠如や社会の仕組みや政治のあり方に求めていく。 そこから、幸福は心の問題である、と言われることにもなるし、そのように実感している人も多いだろう。 聖書はこの心の問題というのを徹底して追求していると言えよう。 罪というのは、日本人にとってはやはり具体的な犯罪、盗むとか傷つけるとかを連想する。しかしそのように表面に現れる以前の心の状態があるからそうしたいわゆる犯罪になるのであって、その犯罪を犯す心そのものを問題にするとき、憎しみがつのっていくと、その人の存在をなくしてしまいたいと思うようになり、極端な場合には実際に殺すところまでいくので、そのような心の動きそのものを聖書では問題にする。 人を悪く思う、それが正しいあり方からはずれているので、それを罪と言っている。正しいあり方とは、人のことをよく思う。その人によいことがあるようにと願う。悪い人なら、その悪い心によい心が与えられるように、またよい人であっても心にはさまざまの不純な思い、自分中心の思いがあるから、それが清められて、より純粋になるように、と願うのが正しいあり方ということになる。 そう考えると、人間は至るところで正しいあり方からはずれているのが分かる。何が究極的なよいことであるのか、分からないうちには知らず知らずに自分中心に考えて行動するのが当然になる。そのこと自体が罪となる。 善の究極は神である。あらゆる清いもの、善きこと、美しいもの、しかも生きて働いているもの、そしてあらゆるものを支配する力をもっているし、万物をも創造し、支えている…等々、これほどよいものはない。そうしたすべてのよきものをもった存在が神なのであって、それゆえに、日本の神社でいう神とは根本的に異なっているのである。 このように、だれもが正しい心のあり方からはずれているのがわかったとき、それを正さなければ心の深い平安や幸いはないと感じるようになる。 この人間の深い要求を満たすべく、神がイエスを地上に送って、私たちのそのような心の重荷(罪)を取り除いて下さったのであった。このことは、この詩が作られてはるかに後のことである。 … わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てた。 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てた。(3〜4節) これは、この新共同訳の文では分かりにくい。「骨まで朽ち果てる」などといった表現は、現代の文章や会話では、だれも目にすることも使うこともないだろう。今日の私たちには全く違和感がある。 これは、旧約聖書では、骨はからだを支える中心にあるものだから、体の奥深くというニュアンスがあり、ここでは、体の奥まで消耗し疲れ果てた、といった意味なのである。 つぎの英訳の方が分かりやすい。 When I declared not my sin, my body wasted away through my groaning all day long. (RSV) 「私が罪を告白しなかったとき、一日中うめき苦しんで、私の体は、弱り果てた。」 そしてその苦しみは、神が私を苦しめているのだと感じた。植物が夏の日照りにあって枯れるように、私の力も失せてしまうほどに衰え、弱ってしまった、という。そしてそのような苦しみは、この詩の作者が自分の罪を深くわからずに、神に告白することもしなかったゆえであった。 ここに、人間の深い苦しみは、だれかによって苦しめられるとか病気の苦しみ、水や食物のないこと、戦争などの苦しみなど以外に、より深いところ、すなわち自分自身の奥にある罪に気付かないところからくるという見方がある。 たしかに、自分の罪を深く知らないときには、他人すなわち家族や周囲の人、あるいは、世の中の人間、政治や時代が悪いからだ、と考えたり、金がないからだ、など自分以外のところに原因があると考えてしまう。そこからは神に真剣に求めることがない。他者への非難の心、裁く心や、体の病気のいやしだけを求める心が奥にあるからである。 このような心が内に潜んでいるかぎり、私たちには深い平安がない。 このことに気づき、罪を告白することで、初めて心の平和が訪れる。そのことをこの詩はみずからの経験として記している。 …わたしは罪をあなたに示し 咎を隠さなかった。 わたしは言った。 「主にわたしの背きを告白しよう」と。 そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦して下さった。(5節) ここに、この詩の作者の決定的な転回点(ターニング・ポイント)がある。 人間の決定的な問題は、進学でも、就職や結婚でもない。特定の思想を持つことでもないし、何かの賞をもらうことでもない。 この詩の作者と同様に、自分の罪を知り、そこから神へと心の方向転換をなすことなのである。 罪とは正しい道からはずれている状態であるから、究極的に正しい道が何であるかを知らないときには、罪をも感じない。すなわち、時代が変わり、周囲の状況がいかに変わっても変ることのない、真実や正しさ、あるいは愛といったものを知っているのでなかったら、罪を深く知ることはできず、単にこの世の法律的なことに反しているかどうかしか分からなくなる。 そうした永遠に変ることなき真実な存在とは、宇宙を創造された神であるから、そのような神を知らないと罪も分からない。 そして人生の最大の転回点を得るためには、経験とか知識、金などのようなものは何も必要なものはない。ただ、心の方向を転換するだけでよい。この魂の方向転換こそ、この詩が作られた時代からはるか後になって、主イエスが伝道の最初に強調したことであった。 …神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。(マルコ福音書一・15より) 神の国とは神の愛によるご支配であり、どんな罪をも赦すことのできる力、すなわち罪の力をも支配するような神の力が近づいてそこにある。だから方向転換をせよ(悔い改めよ)、そしてこの喜ばしいおとずれを信ぜよ、と言われたのである。 その意味で、この詩は、ダビデのものとすればキリストより千年も昔に作られたものでありながら、すでにキリストが宣べ伝えた福音の本質を語っていると言えるのである。 旧約聖書の古い時代では、祭司が牛や羊を殺し、その血を注ぐことによって赦しを受けるとされた。このように、キリスト教の核心である、罪の赦しということは、初めてキリストが言い出したというようなものでなく、とくに詩編においてこのように、罪赦されることがどんなに大きな幸いであるか、それこそが人間の与えられる最大の幸いであることを早くも経験を通して、また啓示を受けて知らされていたのである。 その罪の赦しの福音は、イスラエルの特に啓示を受けた人たちの心の深いところを流れ続けていたが、それがキリストによって完全なものとなった。すなわち、イエスが十字架にかかることによって、そのことを罪の赦しのためと信じる人はだれでも罪の赦しが受けられるという福音となり、特定の民族のものでなく、全世界の民族に与えられた福音となった。そしてこの真理の流れは、永遠の流れとなって現在に至っている。 …あなたの慈しみに生きる人は皆(*) あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。 大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。 救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。 (6〜7節) (*)「あなたの慈しみに生きる人」とは、原語(ヘブル語)では、ハーシード という語で、ヘセド(慈しみ)という語と関連した語。「敬虔な者」(関根正雄訳)、「神を敬う者」(口語訳)、「聖徒」(新改訳)と訳され、英語では、faithful(真実な、忠実な) (NRS, NJB)という語を用いて訳するのが多い。 罪を深く知らされ、その罪を神に告白することによってこの詩の作者は、長い苦しみから解放され、新しい祈りの生活へと移されることになった。その祈りによって、罪赦された魂は、絶えず新たな力を受けていく。それゆえに、この世の悪意や攻撃、病気やそのほかの苦難など、人生の大水が襲いかかっても、その人の魂の深みには達することがなく、おし流されることがない。 絶えざる祈りによる生活は、神の守りをつねに実感することができる。それゆえ、「あなたこそは、わが隠れ家」と言うことができる。 それだけでなく、この悪の広がる世において私たちも悪の力に覆われそうになるが、この詩の作者は、その闇のただなかで、救いの喜びで囲まれている、という実感を持つことができるようになった。 …わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。 あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。(8節) 救いの喜びが取り囲んでいるといえるまでに、救いの確信を与えられたとき、その事実を他者に伝えずにはいられなくなる。それがこのように、隣人に対して、このような救いの世界があるということに、目覚めてほしいとの願いをもって勧め、その救いに至る道を証しするようにと導かれる。 他の人に救いはここにある、と確信をもって指し示すことができるためには、本人がそのような深い救いを与えられていなければできない。罪赦されたという救いの深い体験こそ、この詩の作者の原点となり、他者をも教え導くことが自然になされるようになったのである。 … 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。 すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。(*) (*)「神に逆らう者」とは、原語では、ラーシャー であり、これは、「悪い」という意味を持っているので、英語訳ではほとんどすべて wicked(悪しき者) と訳され、他の日本語訳聖書では、「悪しき者」(関根訳、口語訳)、「悪者」(新改訳)と訳される。新共同訳では、「悪い」とは、「神に逆らうこと」だ、との解釈から、「神に逆らう人」というように訳している。 「神に従う者」と訳されている原語は、サッディーク であって、「正義の、正しい」という意味が本来であるから、「義しい者」(関根訳)、「正しい者」(口語訳、新改訳)と訳され、英語訳聖書では、righteous という訳語をあてているのがほとんどである。 「喜び躍れ」と訳された箇所の原語の表現は、「躍る」という語は含まれておらず、「喜ぶ」という意味の二種類の語が使われている。それゆえ、関根訳は、「ヤハヴェにあって喜び、悦べ」と、二種類の「よろこぶ」という意味の漢字を用いて訳し、口語訳、新改訳は、「主にあって、喜び、楽しめ」と訳している。英語訳でも、Be glad in the LORD and rejoice, O righteous, のように、 be gladと rejpiceという二種類の「喜ぶ」という意味の言葉をもちいている。 この詩の作者は、苦しい人生の経験を通して、何がこの世で根本問題であるかを深く追求して自らの魂において実感したことを記している。それは、最終的に悪しき者、神に逆らう者は、苦しみ悩みから去ることはできないが、主に罪赦され、そこから主に従っていく者は、この暗い世においても、慈しみで囲まれる、と断言することができたのである。 すでにこの前にも、「主は救いの喜びをもって、私を取り囲んで下さるお方!」との喜ばしい声をあげたのであったが、さらにもう一度、主に信頼する者は「慈しみに囲まれる」と強調している。このように、二度までも、慈しみや、喜びで囲んで下さる、という体験的な事実を証ししているのである。 ここにいかに、この詩の作者がこのことを大きな体験として受け止めているかがうかがえる。 このように、絶望的な苦しみと悩みにさいなまれていた一つの魂がいかにして、そこから解放されていくのか、解放された人は、さらにどのようなところへと導かれていくのかをこの詩は鮮やかに示している。 暗闇や疑い、苦しみのもとは、自らの罪にあり、それに気付かないところにあり、それが取り除かれないゆえに苦しむのであった。そこから目覚めて、罪を知り、神に告白するとき、赦しを受けた。 この詩の作者にとって、罪が赦される、という言葉そのものはなじみ深いものであったであろう。イスラエル民族は世界で最初に、唯一の神が存在することを知らされた民族であり、動物の血を注いでする罪の清めの儀式は広く知らされていたであろうからである。 しかし、言葉の上で知っている、聞いたことがある、儀式は知っている、ということと、実際に罪の赦しを受けるということとは全く異なることである。罪赦されて初めて神は愛であり、愛の神だと分かる。しかし、単に言葉のうえで知っていても、聞いたことがあっても、それでは神の愛は分からない。 この詩の作者は、みずからの魂のうちでなされた深い実感があって、初めて罪の赦しということがいかに大きなことであるかを悟ったのであり、そこに最大の感動を覚えたゆえに、このような詩を書かずにはいられなかったのである。 新約聖書において、罪の赦しと神の愛は、つぎのように深く関わっていることが記されている。 放蕩息子が、父親の財産をもらって遠くに行ってしまい、それを遊びに使い果たし、食べ物もなく、生きることも難しくなった。そのとき初めて自分の大きな罪を知り、どんな仕打ちを受けてもかまわない、方向転換をして父のもとに帰ろうという気持ちになって帰途についた。家に近づいたとき、父親は、走り寄ってその放蕩息子を首を抱いてこのうえない喜びを表し、よい服を着せてさらに子牛を料理しかつてしたことのないごちそうを与えた。それは「死んでいたのに生きかえったのも同然だから」という理由からであった。 この有名なたとえで、主イエスは、罪を犯してきた人間が、悔い改め、神への方向転換をするということが、いかに喜ばしいことか、神が特別にそのことを喜ばれるということを、印象的な手法でたとえで語っておられる。それは父なる神のお心を最も深くわかっておられた主イエスご自身の思いでもあったであろう。 さらに、この放蕩息子のたとえの直前に記されているのが、やはり悔い改め(神への心の方向転換)がいかに、神の世界にとって大きな喜びであるかということである。 それは、羊の一匹がいなくなったとき、九九匹の羊をおいてその一匹を探しまわるだろう。そして見つかったら、友人や近所の人たちを呼び集め、共に喜んでくれ、と言うだろう。悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要などないと考えている九九人の人たちについてより大きな喜びが天にある。 また、銀貨一〇枚を持っている女が、一枚の銀貨をなくしたとき、見付けるまで探しまわるだろう。見付けたら、友達を呼び集めて、「なくなっていた銀貨を見付けた。ともに喜んでください」というだろう。このように、一人の罪人が悔い改めたなら、神の天使たちの間に喜びがある。(ルカ福音書十五章より) これらのたとえで、主イエスは、罪からの悔い改め(神への方向転換)が、人間にとって根本的に重要であることを示し、それゆえに、その罪を告白し、心の方向転換をした人には、神も天使たちも特別に大いなる喜びがあると言われた。 そして、この喜びこそは、詩編三二編の後半で強調されている次のような喜びに通じている。 …あなたは、救いの喜びをもって私を囲んで下さる方 …主に信頼する者は慈しみに囲まれる。 …神に従う人よ、主によって喜び、悦べ。 すべて心の正しい人たちよ、喜びの声をあげよ。(詩編三二・7〜11より) 神は、このような喜びを(これがダビデのものとすれば)主イエスより千年ほども昔からすでに、一部の真実な信仰者に与えていた。それが、一種の預言となり、このような喜びの世界があるのだということが、ずっと指し示されてきたと言えよう。そして主イエスが、その悔い改めと罪赦される喜び、さらにそこから聖霊が与えられ、新たな力が与えられて生きるという道を完成させ、以後の人類の歴史を通じて大いなる道として開かれたのであった。 ある日の思いから 待ち望む 待ち望む。真実がそのまま真実として受けとられる時を。 真実を言っても、真実な心でしても、疑われ、まったく異なることを言われるようなこの世。 主イエスは、神からの言葉を語った。 だが、多くの人たちから受け入れられず、神を汚す者、悪霊の力でやっているとまで言われた。 長い歴史、それはこのような無理解で満ちている。 幼な子のような心、それが一番重要だと主イエスは言われた。 それは、まっすぐに真理そのもの(神)を仰ぐ心、まっすぐに受けとめる心。 神は、私たちの小さくとも真実な心をそのままに受けとって下さる。 なんというありがたいことだろう。 そのような真実が伝わる世界を待ち望む。 キリストの奥に 誰も知らない。 キリストの奥にどれほどの平和があり、 どれほどの愛があるかを。 「父のほかに子を知るものはいない」とイエスは言われた。 その限りなく深い海のような、キリストの平和と愛、 私たちが受けとってきたのはそのわずかな部分なのだろう。 主よ、その満ちみちたものの中から、 さらなる恵みを私たちに注いでください。 水と風のように 水のように、あるいは風のように流れていきたい。 水も風も、さまざまのところを通っていく。 妨げられても、わずかなすき間から、流れていく。吹いていく。 私の分身が、どんなさまたげに出会ってもそれらを貫いて流れていけばよい。 主によって砕かれた私が、さまざまの壁をも通り抜けていけばよい。 主イエスが初めてユダヤ人の会堂で語られたとき、 その真理を真っ向から反対し、 崖から突き落とそうとする人たちが現れた。 しかし、イエスは、そうした人々とその敵意を風のように通り抜けて行かれた。 真理は、あらゆる壁をも通り抜け、吹いていく。 動かすもの 世の中がどのように変わっていこうとも 変わらないものがある。 私を数十年前に、その魂をとらえ そしてさまざまの罪を犯し、足りない者であるにも関わらず、強い御手で導かれた何者かがおられる。 自分の考えでもない。身近な者の影響でも、世間に流されたのでもない。 ただ、見えざる御手が私を引いて下さった。 そして今日のところまで、歩んでくることができた。 そのような力がある。 それを私は知ってもらいたい。 その力を知ることこそ、この世に生れた意味を知ることになるのだから。 生きる意味が分からないという人、 かつては私もそうであった。 なぜ自らの命を断ったらいけないのか、 その理由が分からないという。 分からない、つきつめたら他のすべても分からないことばかりだ。 なぜ、こんなに悩みがあるのか、どうしてこんなに悲しむべきことがあるのか。 どうして罪を犯すまいと思っても罪から離れられないのか、 なぜこんなひどいことをする人間がいるのか、どうして破滅と分かっていることをするのか。 どうして、戦争や犯罪、テロが絶えないのか。 なぜ、この地球が存在しているのか、 いつか、これは消滅するという。 そのとき、人はどうなるのか…。 どんなに考えても分からない、こうした問題の解決はだれも知らないのだと思った。 その疑問、難問、回答不能のようなこの世にあって ただ一つの道が通っていた。 そうした疑問や心を暗くする問いかけが、氷の溶けるようにその重苦しさが消えていく道がある。 私はかつてこうした重い問いかけを持って、どうすることもできなかった。 しかし、そうした一切のからみつく暗い力を打ち破る力があり、 はるか昔から、永遠の未来へと通じている道があるのを知らされた。 今も、その道は通っている。 そして神の国への旅路を歩む人たちが次々と見えてくる。 遠い御国へとどこまでもその歩む人たちは続いていく。 私たちはそのうち目に見えるすべてを失っていく。 この道は、自分に何もなくなった時でも、不思議にも歩んでいける。 何も持たないでも、この旅はどこまでも続けていくことができる。 見えない手によって引かれ、この世のものでない翼を与えられ、 内に神の言葉という永遠のエネルギーを貯えているから。 清くないものにも 人間は弱く、真実に反することがあまりにも多い。 しかし、そのような人間に、神は驚くべき真理を与えた。 真理が与えられても、なお、人間は変わらずに自分中心であったりする。 しかし、それでも神はそのような人間に神の国の大いなる賜物を預けることがある。 キリストの十二弟子たちは、主がとらえられるときには、みんな逃げてしまったし、 弟子の代表ともいうべきペテロは三度も、イエスなど知らないといって激しく否定した。 そのような自分中心の汚れた者に、尊い神の力、悪霊を追いだす力、病をいやす力など与えられるはずはないと思うだろう。 しかし、キリストは、そのような弟子たちの最初の派遣のときから、すでにそうした驚くべき賜物を与えていた。 神にとっては、どれほど人格を磨いたか、どれほど経験を積んだか、いかに強い信念があるか…等々は問題ではない。どんなに不十分であっても、主イエスはそのご計画に従って、思いがけない人を呼びだされる。 どんなに未熟でも、不十分でも、罪の赦しを受け、イエスに従っていきたいという小さな願いがあれば、主はそうした人をも用いられる。否、敵対していたような人間も用いる。 私もごく不十分な者でしかない。 それでも、たしかに主はその大いなる賜物の一部を委ねて下さった。 これからどのようなことが起きるか分からない。 人の心は変わりやすく、動きやすい。 しかし、父なる神だけはいかなることがあっても、私を見放すことがない。 そしてそのように信じて神のもとに行こうとする人は誰でも、拒まれることはない。 神とキリストだけが、究極的に変ることのない道であり、命なのだ。 靖国の混乱 前回に続いて、重複する内容もあるが、再度靖国問題について考えてみたい。 ここでいう混乱とは、靖国神社が、戦死者は誰であっても神であるとし、それを崇敬の念をもってすべし、という発想のことである。戦争でどんなひどいことをした者でも、一律に神となって崇拝される対象となる、などということは、善悪の根本を混乱させることである。 中国との十五年にわたる戦争、太平洋戦争などで日本人がどのようなことをしてきたか、何ら攻撃もしていない農民たちを襲い、食物を奪い、また女性を襲い、家に火をつけて焼き払う、南京の虐殺のことがよく言われるが、上海などの大都市に対しても大規模の空襲がなされた。戦争そのものが、本質的に虐殺を目的としていることなのである。 沖縄においても、日本の軍人が多くの沖縄の人を助けずに、かえって死においやったことはよく知られている。そのような数々の悪事をしてきた人、それらをみんな一律に、神として敬え、ということは、そうした悪事それ自体を敬まっているような錯覚に陥り、善悪の観念、罪の感覚がマヒしていくことにつながる。 すでにこのようなことは、一九二〇年「中央公論」において、はっきりと気付いて指摘していた、吉野作造のような学者もいた。 「何んなやくざ者でも戰爭で死にさへすれば以前の罪は全部帳消しになつて神樣になれる、…少くとも戰爭で死んだだけといふだけでやくざ者を神として崇めるといふ事は、少くとも平和時代の良民を薫陶する所以ではない。」 靖国の宗教的混乱は、次のような点にも見られる。 この神社の出発点は、江戸時代の終り頃(一八六二年)京都東山で、幕府と戦って死んだ尊皇攘夷派の武士たちの魂を招いて、慰めたということにある。人間がある種の儀式をして、死者の魂を靖国神社に呼び出す、などということを信じるということから出発している。そのため、靖国神社の前身は「招魂社」と言っていた。 このような、目に見えないものを、簡単に特定の人間が儀式で呼び寄せたのだ、といってももちろんそんな証拠はどこにもない。ただ、その儀式をやっている者が、呼び寄せた、というのを周りの人が信じているだけなのである。 人間は本来自分の心すら自由に動かせない。そのような儀式をする人間も一人の弱い人間にすぎないのであって、自分の心も自由にならないだけでなく、他人の心をも到底支配できない。ある人に自分を愛するよう、あるいは自分を尊敬するようにさせよう、などと考えてもとてもできないことである。 そのようなこともできない人間が、死んだ人間の霊を呼び出したりできる、というようなことを信じるというのは、いかにも不可解なことである。 招魂社は、天皇側について武士たちが、志半ばで殺されたために彼らの「魂を招いて慰霊をする」ということがそもそもの目的であったが、それと共にもう一つの意味が付加されていった。それは、呼びだされた霊は、単に嘆いているのではない。国民を教化し、国を護るような神々になったのだということにされた。 慰霊ということは、特別な死に方で天皇の側に立って戦っていたのに、不当に殺された。だからその霊は嘆き悲しんでいる、あるいは怒ったり、うらんだりしているということになる。そのような魂を放置していると、生きている者にもたたってくる。だからそのような霊を慰めることが重要だとなってくる。それが「慰霊」ということである。 しかし、そのような怒ったり、嘆いたりしているだけの魂ならば、国家のためには使えない。そこで、そうした魂は、国を護る力をも持っている神なのだということにされた。靖国神社の地方社という性質をもっている、全国各地の護国神社という名称はこうした国を護る、とされたためにその性質をその名前にはっきりと示している。 靖国神社という名称も、日本ではもともと、「安国」という用語を用いていたが、これは日蓮系の仏教で用いていることや、寺の名前にも使われているので、あえてこれを使わず、中国の古典(「春秋」の左史伝)の、「吾以て国を靖んずるなり」というところから採用したものであった。 このように、魂を一時的に招いた神社という素朴な名前から、一転して、国家を安んじるという著しく国家的、政治的な名前になった。このように、靖国神社の出発点から、天皇のために戦って死んだ者を神として祀る、という政治的な色合いが著しい神社であったが、それがさらに、明治維新の戦争のような内戦から、外国との戦争の時代になって、他国との戦争において、天皇のために死んだ人たちを神々として祀るというようになっていった。 こうして、最初から、この靖国神社は、政治的な内容を深くもっていたのである。 それゆえに、太平洋戦争という最も重大な戦争が生じたときにも、この靖国神社がその戦争の遂行のために強力な道具とされた。靖国神社に神として祀るかどうかは、最終的には天皇が決める、そしてそこに祀られた場合には、天皇が拝んでくれる、この上ない名誉だ、ということになった。 戦争によって若い命を失った人、これはその相当部分が間違った支配者の命令で殺されたも同然であるのに、その悲しみをぶつけることもできず、天皇から靖国神社に祀られるという最高の名誉を与えられたのだと、感謝を天皇に捧げねばならない、ということになった。 このようにして、本来は戦争に対して反対する最も強力な力となるはずの、戦死者の家族たちが、靖国神社や天皇に取り込まれて、それに対して批判、抗議するどころか、感謝すらせねばならない状況となった。 こうして靖国神社は政治に利用され、国民を惑わす宗教的装置となった。それは現代においてもそうであり続けている。 靖国神社は誰でもどんな悪事をはたらいた者でも、戦死したものはみんな神になってあがめられる存在になる、ということだけでも、日本人の宗教的、かつ道徳的なあり方を混乱させてきたが、靖国神社に併設されている遊就館には、艦上爆撃機彗星や戦車、いわゆる人間魚雷として知られる特殊潜航艇回天、特攻ロケット、戦艦陸奥の副砲や砲弾、機銃、精巧な軍艦模型なども展示されている。 こうして日中戦争や太平洋戦争が、正しい戦争であったという考え方が宣伝されている。 こうした様々の方向に影響を及ぼす靖国神社の問題はもとを正せば、すでに述べたようにその宗教観にある。 人間が勝手に死者の霊を呼び出すことができると信じること、しかもその霊が、たとえ殺人者であっても、国を護るような優れた霊となり、神となっているのだ、などとする宗教的考えである。 そもそも靖国神社で祀られてきたのは、厚生省が特定の人間の名前を書いて、それを靖国神社に送付し、合祀のための儀式を行なったらそれで死者の霊が招き寄せられた、と信じるのである。靖国神社には、戦死者の遺骨・位牌などはなく、霊璽簿(れいじぼ)に氏名を記入してあるだけである。 靖国神社の神体としては、神鏡、神剣に加えて、祀られたとする人たちの名簿を霊璽簿として祀っている。 要するに、神として祀ってあるといっても、実質的には、ただ死者の名簿があるだけである。こうしたいかにも人間的なやり方で、神社側は、二四六万もの人間の魂が神社に招き寄せられて神となっているとする。このような信仰が、日本の代表的な神社の一つでなされているのであり、何百万人がそこに参りに行く。 しかし、魂とか霊といわれているものは人間の根源であり、特定の人間が何百万もの魂を簡単に左右するなど決してできるものではない。生きている人間の魂をわずかの儀式で、だれが一体、千も万も動かせるであろうか。 死んだ人間の魂を動かして、思うように特定の場に呼び寄せるなど、本来こうしたことから考えると到底あり得ないことである。 生きた人間のたった一つの魂をすら、呼び寄せたりできないのに、生きた人間よりずっと得体の知れない、死者の魂、それがどこにいるのか、そんな勝手な人間の思惑で招き寄せたりできるという根拠も全くないのに、呼び寄せたりできるはずはないと言えよう。 靖国神社とは、このように、単に死者の名簿にすぎないものを、儀式をして神体としてあがめ、戦争に乗じて、虐殺などどんな悪い行いをした人間であっても、それらの魂から何百万もの神々を造り出すという、実に奇妙な装置なのである。 このように簡単に人間を神とするのは、実は、現代に始まったことでなく、その最初からその傾向を色濃く持っている。 神道には、教典や教義がないが、古事記、日本書記が教典に準じるものとされてきた。「…古事記や日本書紀の神話は,たしかに神道的な諸観念をよくあらわしている…。古語拾遺や風土記も教典とされ…」(「世界大百科事典」) それでは、古事記にはどのようなことが記されているであろうか。部分的に省略しつつ口語にして引用しておく。 … 最初の神々の一人である、イザナギの命が、黄泉の国から帰って「私は醜い汚い国に行ったことだった。私は禊をしようと思う」と言って、筑紫の日向のアハギ原にて、禊をした。そのとき、投げ捨てる杖によって現れた神は、フナドの神、投げ捨てた帯で現れた神は、ナガチハの神、投げ捨てた袋でできた神は、○○の神、投げ捨てる衣で現れた神は、○○の神、…以上フナドの神から○○の神まで十二神は体につけてあった物を投げ捨てたので、現れた神である。(「古事記 上巻」より ) このように、汚れたと思った衣服などを投げ捨てたものから次々といろいろな神が生じた、というのは、現代の靖国神社が明治維新の戦争以来、天皇の側について戦死したとみなした人間を次々と神々にしていったという発想と似たものがある。 要するに、神は簡単に生れるのであり、汚れたはずの衣服からも生じる。これは、中国との戦争、太平洋戦争などで罪もない中国などの人たちを殺したり奪ったりしたような人でも簡単に神にしてしまう発想と似通っているのである。 それゆえに、明治政府にとって都合がよい場合には、特定の人間を神にしてしまう。明治政府が、豊臣秀吉を神だとして祀る豊国神社はどうか。 日本全国を統一した秀吉は、中国大陸までも支配しようと考え、そのためまず朝鮮に対して、日本に服従させようとし、秀吉の軍隊が朝鮮国内を通行するとき、その道案内をするように要求した。 当然のことながら、朝鮮側がその要求を断ると、十五万の大軍を送りこみ、七年近い戦争をはじめたのである。(一五九二年〜一五九八年)この戦争で延べ三十万人ほどもが日本から朝鮮半島に進軍し、侵略戦争をしたのであった。それによって朝鮮の国土と人々の生活は著しく荒廃してしまうことになった。 秀吉没後に、神社が造られたが、豊臣氏が滅亡した後は、社殿が破棄されていた。しかし、隣国に対してこのような害悪を及ぼした人間を神として祀る豊国神社を、明治の維新政府は、一八六八年(明治元年)、はやくもこの神社の再建を決定したのであった。こうして、特定の人間を次々に神として祀る先例を開くことになった。 この後、楠木正成を神とする湊川神社、藤原鎌足を祀る神社、織田信長を祀る神社、新田義貞、名和長年などを祀る神社など次々と明治政府の都合のよい人間を神として祀る神社を造っていった。 靖国神社に、大量の人間を次々に神として祀ることは、このような人間を神としていく延長線上にあった。 単に大木や岩、山々などの自然を神々としているときには、そしてそうした周囲の世界に神秘的なものを感じていたのだ、と言っている間は、その問題点はあまり感じられないであろう。しかし、特定の人間を、政治的意図から神々とするときに、にわかに生々しい政治性を帯びてくる。投げ捨てるものからでも神々が生じるというものであり、教典も教義もないとなれば、時代の状況によって特定の権力ある支配者が、都合のよいように神々を造り出すのは必然のことであった。 靖国神社の問題点は、戦死者が単に死んだのでなく、神々になったという点である。だから慰霊をするだけでなく、英霊として崇敬すべきものとなった、それゆえ首相までがその神々に礼拝に行くというから問題になるのである。戦前は、天皇が現人神であり、その現人神のお方が、死んで神々となった、戦死者をあがめるのだ、だから最高の名誉なのだ、とされるようになった。 これらすべては、このように死んだ者や生きた人間を神々と安易に作りだしていく発想にその原因がある。 神々ですら、簡単に造れるのだから、その神々を呼び寄せたり、その神々にどのような性質を与えるかということも、人間が決めることができるとされてしまう。 これが、太平洋戦争のときには、天皇を神とし、その神の名によって戦争を推進していくことにもなった。 キリスト教では、本来は武器をとる戦争ははっきりと否定している。旧約聖書では、神が戦いを命じることが記されているが、新約聖書においては、そのような武力による戦いは全面的に否定されている。旧約聖書には、キリスト教の中心である復活という信仰がまだ啓示されていなかったり、一夫多妻が当然のように書いてあったり、神への牛や羊の捧げ物をする、食べると汚れる食物がいろいろある、血を食べるな、出血の病気は汚れている、あるいは具体的な敵を攻撃することを祈ったりする等々、まだ神からの啓示が完全でなかったことがあちこちに見られる。 その旧約聖書の時代の後に、キリストが現れ、こうした不完全な内容がすべて完全な教えと啓示へと高められたのであった。敵は憎んだり攻撃したりすべきものでなく、その敵の心から、悪の力が追いだされ、その心が善くなるようにと祈るべきであり、死の力に勝利する復活があることを自らの復活で明らかにし、食物などによってはいっさい汚れることはない、汚れは特定の病気や死人に触れることなどによってでなく、人間がだれでも心にすでにもっていること、それゆえに、キリストを信じることによってその汚れから清められねばならないこと等々である。 主イエスご自身が、剣をとる者は剣によって滅ぶと言われ、自ら武力ではいっさい攻撃せず、かえってあらゆる中傷、攻撃をすべて身に受けて、十字架にかかって死んでいかれた。そして使徒たちの働きを記した、使徒言行録においても、全く武力による戦いとか攻撃などは書かれていない。最大の使徒パウロも、「私たちの戦いは、目で見える敵に対する戦いでなく、目に見えない、悪の力との霊的な戦いである。」 と明言していて、新約聖書では、武力の戦争とか攻撃は一切認めていないのは、調べればすぐにわかることである。 それゆえ、キリスト教が戦争をするのでなく、新約聖書とキリストの教えに従っていない人たちが戦争をしてきたのである。 最近の靖国に関する議論のなかには、A級戦犯を分祀して、国立の追悼施設を造ろうという動きがある。 そして、その目的は、首相や、天皇が自由に参拝できるようにするためだという政治家たちがいる。 もしそのような方向にいけば、人間、特に戦争で戦った軍人を神として祀るという特異な信仰が一層クローズアップされ、宗教的な混乱が増大するであろう。そして将来、平和憲法が改変されて、自衛隊が戦争に加わったりしたとき、その戦死者を天皇が特別に敬うというようなことになり、戦争そのものへの批判が薄れていくようになるであろう。それは戦前のような方向である。そして靖国神社という、数百万もの人間の魂を呼びだすと称する特異な神社を重要視する傾向が強まるばかりになる。 しかし、重要なのは、国民一人一人が、戦争の計り知れない害悪をつねに新たに記憶し続け、思いだすことなのである。 そのためには、日中戦争や太平洋戦争などの戦死者全体、日本人だけでなく、戦争に巻き込まれて死んだ韓国、中国、東南アジアの人々を記念する国立の記念の施設を設けて(単に悼む、悲しむという追悼の施設でなく)、宗教的な要素を除き、そこに首相や天皇が、平和祈念(記念)式典を、すればよいのである。わずかの例外はあっても、大多数は日本人の軍人の戦死者だけを神々として祀って崇敬するなどということから、問題が生じるのである。 そしてそれらすべての戦死者、犠牲者のことを心に刻み、平和を侵そうとするあらゆる動きに反対するための行事として、八月十五日を平和祈念日として、休日とするようにすればよいのである。 そしてより根本的には、人間を政治的な思惑で次々と神として崇拝する、という信仰から、脱却して、この世界、宇宙を愛と真実をもって支配されている唯一の神を信じること、その愛をうけて、互いの罪を赦し合い、ともに神の愛を受けて生きることこそ、さまざまの混乱をしずめ、真の平和へと通じる道なのである。 ことば (240)神を信じる人々にとっては、すべての憂いが次第に消えて、その代わりに、ある確かな信念が生れる。 すなわち、一切のことが必ず良くなるに相違なく、そして何ごとも、たとえば不幸にせよ、人の悪意や怠慢にせよ、自分の過ちにせよ、本当のわざわいをもたらすことはない、という信念がわいてくる。(「幸福論」第三部 ヒルティ著101頁) ・この確信は、愛の神であって、かつ万能の神を信じるときに与えられるものだと言えよう。そのような神だけが、あらゆるこの世の悪しき出来事をも善きものへと変えることができるからである。 (241)われらキリスト教徒であって、遍歴の騎士たるものは、この世の空しい名声ではなく、至高の天国において永遠に続く、後の世の栄光を求めねばならない。この世の名声などは、いかに持続しても、定められた終りのあるこの世とともにいずれは滅び去ってしまうのだ。 したがって、我らが殺すべきは(敵対する人間でなく)、たかぶり、傲慢、気高い胸にも宿るねたみの心、落ち着いた心にも宿ろうとする怒り、食事をとりすぎること、寝ないで番をするときの眠気、…さらに、われらキリスト教徒として、優れた騎士となさせて頂くための機会を求めて、この世の至るところを遍歴するときの、怠惰である。(セルバンテス著「ドン・キホーテ」後編第八章より)(*) (*)セルバンテス(一五四七年〜一六一六年)の主著である、「ドン・キホーテ」は、聖書の次に世界的に出版されており正真正銘のベストセラー小説だと言われている。二〇〇二年五月八日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者百人の投票による「史上最高の文学百選」で一位を獲得したという。(インターネットの辞典による) このドン・キホーテという小説は、「近代小説の嚆矢(物事のはじめ)となる壮大な試みだったのである。」とされ、「『ドン・キホーテ』のもつ深い意味が認識され始めたのは19世紀に入ってからで,その先駆者はシェリングやハイネであり、フローベールやツルゲーネフであった。」(「世界大百科事典」平凡社) ・一般の人には、この「ドン・キホーテ」という本は、風車に向かって突進していくなど、単なる変わり者のことが書いてあるのだと思われていることが多い。しかし、この書は、決してそのようなものでなく、キリスト教の深い真理を内に秘めた作品である。スイスのキリスト教思想家 ヒルティも、この作品について「真理をユーモアの衣を着せて述べることはとくに困難なことであるが、セルバンテスの作品はこれを成し遂げている」と高く評価している。 ドン・キホーテは、「遍歴の騎士」であるが、これは、この世を神の国を目指して旅していく者を象徴しており、その過程で、戦いが必ずある、それを騎士ということで表している。その戦いとは、ここに引用したように、悪人そのものを殺すことでなく、私たちの内に宿る妬みや怒り、高ぶりなどであり、飲食などの欲や、なすべきことができるのに、しようとしない怠惰の心との戦いであり、霊的な目を眠らせようとする悪の力に対するものだと言っているのである。 つねに霊的な目を覚ましていることの重要性は、主イエスが繰り返し警告されたことであり、私たちの戦いは、血肉に対するものでなく、霊的な悪の力との戦いであるということも、エペソ書において詳しく記されている。 なお、次のような言葉もある。 「お前がだれと歩いているか、言ってみろ。お前がどんな人間か言ってやる。」 「お前が誰のところで生れたかじゃない。誰と一緒に草を食べているか、だ。」(同右第10章より) キリスト者とは、今も生きて働いておられる、主イエスとともに歩み、イエスとともに霊的なパン、神の言葉を食べている者だと言えるが、ここに引用した言葉はそのことを指していると言えよう。 休憩室 ○先日、裏山の小さな谷川沿いの朝に歩く道で、ハンミョウという昆虫を、数十年ぶりに見ました。これは、タマムシと並んで、特に美しい昆虫として知られています。小学校のころ、私の家のある標高二〇〇メートルほどの日峰山で時々見かけたものですが、最近はどこにおいてももう長い間見たことがなく、私の住んでいる付近では絶滅したのかと思っていたほどです。しかし、どこでどのように生き延びてきたのか、ただ一匹だけがその美しい彩りをもって私の前にいたのです。子どものとき、とらえようと思っても、近づいたらすぐにごく身軽に2メートルほど前に飛んでしまうので、素手ではとてもつかまえることが難しかったものです。 背に橙赤色の十字状の区切り模様があり、その両側は濃い紺色、そこに白い斑点の模様があり、それらが光沢をもっているので、誰しも見た人は思わず目を留めるような昆虫です。 このような見事な色彩、模様をどのような目的があって創造主は造られたのか、と思うとともに、絶滅したように思われたものが、現れることの不思議さを思います。 このような不思議は、植物にはさらに多く見られます。この付近では全くないと思われていた植物が一つだけ芽ばえているとか、それが成長しているのに出会います。たくさんの種が生じてもほとんどは芽生えないけれども、近くにまったくそのような植物がないのに、意外なものを見付けることがあります。 私たちの心のなかにも、長い間、浮かんだこともないことが、ある時突然心に浮かんでくる、ということがあります。これは、神が私たちの心のなかに投げ入れるのだと言えます。 インスピレーション(inspiration) という言葉がありますが、まさに、スピリット spirit(霊)(*)が私たちの心に入り、動かすわけです。 もうだめだ、と思われるようなことが続いても、神に期待をかけることができます。神は無から有を生じさせことができるのだから。 何十年も希望の光がなくなっているような人の心の中にも、神の力によって、光がそこに突然現れるようになって欲しいと願います。 (*)spirit という言葉は、ラテン語の、spiro (スピーロー)から来ています。この言葉は、本来は「(風が)吹く」という意味を持つ言葉であり、人間も生きているときは、一種の風(息)が出入りしているので、「息」という意味にもなり、さらに、息がなくなると、死ぬので、「生きている」という意味もあります。そこから「霊感を受ける」というようにも使われます。その名詞形が、spiritus(スピーリトゥス)で、「風」「呼吸」「命」、「霊、魂」といった意味を持つ言葉です。 お知らせ ○「祈の友」四国グループ集会 九月十八日(月)休日(敬老の日)に、松山市のJR松山駅前の「スカイホテル」にて。午前十一時開会。会費千円。問い合わせは、松山市の二宮 千恵子氏。TEL 050-1288-6075 ○九月二三日(土)〜二四日(日) 吉村(孝)は、静岡市に出向きます。 二四日(日)の静岡での会場は、「清水テルサ」(勤労者福祉センター)の7階会議室 C です。 JR静岡駅東口から徒歩 7〜8分。開会は、午前十時より。連絡先 清水聖書集会の西澤 正文氏 TEL 0543-63-0456 ○貝出 久美子さんの詩文集 第八集「十字架からの風を受けて」59頁。残部がありますので、希望の方は申込あればお送りします。一部 一五〇円(切手でも可)。送料は当方負担します。 ○聖書講話、礼拝の録音CD 今までには何度か紹介しましたが、最近も数人の方々から問い合わせ、申込がありましたので書いておきます。ヨハネ福音書CD(約58枚)をブック型ケース入りで、希望の方にお分けしています。この内容は、二〇〇〇年の六月十八日から二年半ほどの期間で、徳島聖書キリスト集会でなされた吉村 孝雄による聖書講話の記録です。 これは、テープに録音されていたものを、デジタル化してCDという形で聞けるようにしたものです。(なお、一部の録音テープが欠けていたりしたため、それらはこのCDに収められていないのもあります。) このCDは、音楽を聞くための普通のCDラジカセで聞くことができます。価格は、CD、ケース、送料共で、一万円。申込は、メール、電話、はがきなど。 ○毎週日曜日の主日礼拝と火曜日夜の夕拝の内容をそのまま録音したCDも希望者にお分けしています。これは、聖書講話だけでなく、祈りや讃美、感話なども含んだもので、テープでは、八〜十本になるのですが、MP3ファイルにしてあるので、CD一枚にこれらが収まっています。パソコンで使うと最も便利に使えます。これは、普通のCDラジカセでは聞けませんが、DVDプレーヤー(ただしMP3対応のもの)などでも聞くことができます。 ○北田 康広さんの新しいCD 全盲の歌手、ピアノ奏者である北田 康広さんのCDが八月二日に発売されたことは前月号でお知らせしました。 北田さんは、私(吉村)が高校の理科教員から希望して盲学校(高等部)に転勤したとき、担任したクラスにいた生徒で、音楽に特別な才能があり、聖書にも関心を持っていたので、放課後など、しばしば音楽とキリスト教の関わりや、聖書の内容などについて話したり、集会にも連れてきたことがあります。 わが家にも来て、ベートーベンの熱情ソナタを引いてくれたこともありました。 その内容について、CD付録の記述をも引用して少し詳しく紹介しておきます。 曲目順に説明します。(1)「一つだけの命」・これは、二番目の曲目である「さとうきび畑」の作詩、作曲者として知られる、寺島尚彦の作詩作曲の作品。「空は星たちの遊び場だから、戦のための炎で焦がしてはならない、…海は命のふるさとだから戦いのための船を浮かべてはならない」といった歌詞で想像できるように、静かな反戦歌。 (2)次の「さとうきび畑」も同様に反戦歌であり、森山良子が歌ったのがよく知られているが、このCDではまた異なるアレンジがなされて印象的。 (3)「心の瞳」これは飛行機事故で亡くなった坂本九の遺作。 (4)「千の風」これはアメリカ・インディアンの死者から生者へのメッセージだという。悲しむな、私は、墓の中で眠っているのでなく、秋の雨となり、星となり、朝の光となり、千の風となっているのだから…といった内容の歌詞である。 (5)「平和の扉」これは、イラクのフセイン政権崩壊後に愛唱されてきたという平和の歌。 (6)「死んだ男の残したものは」これは、一九六五年に東京で開かれた「ベトナムの平和を願う市民集会」のために作られた。武満 徹作曲、谷川俊太郎作詩という、著名な人による作品。 こうした社会的な平和を願う歌とともに、(8)「安かれ わが心よ」のような、シベリウス作曲の霊的な平和を歌った讃美歌もある。これは、讃美歌21の五三二番。 (9)「鳥の歌」これはスペインのカタロニア民謡で、キリストの降誕を鳥たちが歌って祝う、というクリスマスの讃美。スペインの世界的なチェロ奏者、カザルスが、ケネディ大統領の招きで、国連でこの曲を演奏し、その時、私の国の鳥は「peace, peace, (平和、平和)」と鳴くと言って、平和を強く訴えた。この歌は、新聖歌九四番に収められています。(10)「勝利を望み」キング牧師の公民権運動のテーマソングとして歌われた。讃美歌21の四七一番。 北田演奏のピアノ曲としては、(14)バッハの「来れ、異教徒の救い主よ」、(11)メンデルスゾーンの「慰め」、(13)バッハ作曲の「シチリアーノ」。これは、バッハの作として知られるフルートソナタの数ある楽章の中でも、もっとも親しまれてきた名曲。なお、シチリアーノとは、地中海のシチリア島に起源を持つ民族舞曲の名称で、独特のリズムを持っているもの。(15)リストの「祈り」など。 全体として見ると、社会的平和と心の平和に関する曲、さらに「心の瞳」や、「千の風」のような叙情的と言える歌なども交え、また、イラク、ベトナム、インディアンの関係する歌といった、グローバルな内容で、曲の選択に苦心した後が伝わってきます。 このような、社会的な平和を求め、多方面の広がりをたたえつつも、信仰的平和の曲をも含め、大衆的な歌手であった坂本九の歌とともに、バッハの宗教音楽も同時に収めていて、しかも、一人が歌を歌うと共に、ピアノ演奏もしているCDというのは珍しく、得難い内容のCDと思います。 主がこのCDを、御国のため、平和のために用いられますようにと願います。 このCDの定価は三千円(送料当方負担)。近くに店がないとか、何らかの理由で購入するのが難しい方は、吉村(孝)まで連絡頂けば、お送りできます。 CDのタイトルは「心の瞳」 CDのNO.AECC-1008 ・ 発売元(株)アットマーク 販売元(株)ユニバーサル・ミュージック 編集だより ○七月二九日(土)〜三〇日(日)に、京都市の洛西にある、桂坂にて、第六回 近畿地区 無教会 キリスト教集会が開催されました。参加者は、大阪、京都、兵庫、広島、徳島などから、約四六名ほど。今回は、「道」というテーマでした。 開会礼拝では、「キリストの道」を主題として、大学四年の那須 容平兄が、プロジェクターを用いて、イエスの歩んだ道を、視覚的に分かりやすく解説、ガリラヤの道と題して、宮田 博司兄、十字架の道と題して那須 佳子姉、共に歩む道と題して宮田 咲子姉たちが語りました。 そのあと、坂岡 隆司兄が、「からしだね館」開設に関してみ言葉を引用しながら語り、夜はグループ別に読書会と夕拝とに分かれての集会となりました。 翌日の主日礼拝では、「神の道」と題して吉村(孝)が聖書講話を担当。 全体として、主の御手のはたらきを実感するよき集会となりました。 ○高知の森下 貞猪姉が天に帰られました。八十一歳でした。 結婚後、小児麻痺の子供をなんとかよい治療をとあちこちの病院に連れていっているうち、ご自身が結核になり、徳島県の結核療養所に入院、そのゆえに離婚も経験され、さまざまの苦しみや悲しみを通って来られた方のようです。 しかし、その苦しみのさなかの闇のなかに、徳島の伝道者 杣友豊市や時々東京から来訪される政池 仁らによってキリストの光に触れるようになり、その後もずっとキリストの力により、歩んで来られたお方でした。 東京から高知に帰られてから、四国集会でお会いすることもあり、主にある交流がなされるようになりました。 また、折りにふれて葉書での通信もあり、きちんと毎年協力費とともに、そこに信仰に関わるコメントもいつも添えて下さり、そうした交流を通して離れていても、信仰によって固く立っておられる方、主をみつめて歩んでおられる方だと感じていました。 若いときから、晩年に至るまでの様々の苦しみや悲しみをも信仰によって乗り越えて来られた方であり、老年に至るまで、主に導かれ、主に担って頂いていると感じておりました。 ・読者の方からの来信です。 ○何年か前の住み慣れたところからの移住の際に、示されました、ヨシュア記の「…これまで通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道はわかる」 との約束のみ言葉は、この間、いつも私の心の中にとどまっていました。 今、改めて、ヨハネ福音書のCDで十三章36節〜十四章(*)にかけて学び、「行くべき道」を確かに、そしてこれから将来も、いかなることに出逢おうとも、それは揺るぎなき道であるとの、聖書講話に慰められました。示されたみ言葉を思い起こしつつ、今日も感謝に満たされております。 (*)シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」…「 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 ・私たちの人生の歩みの中で、何かに導かれ、支えられていきます。その際、神の言葉によってそのような導きと支えを与えられる人は多くいます。神の言葉はその奥に、神ご自身がおられ、神の言葉を胸に覚えて歩むことは、神ご自身の御手に引かれて歩むことになるからです。 ○高槻での集会のこと 八月二〇日(日)の午後から行なわれた、高槻市の集会(那須さん宅)で、思いがけない人が参加していました。大学時代の同じ理学部、化学科の同窓生、しかも私は生化学の専攻でしたが、彼はそれと近い関係のあった、放射線化学の専攻でした。 卒業以来、何十年も経っていたために、すぐには思いだせなかったのですが、そのうちに記憶が部分的ですがよみがえってきました。 那須 容平さんが、最近はじめたホームページで、自宅での高槻集会を紹介していたのですが、それを見て、高槻市に在住であったため、電話で問い合わせがあったということです。彼は、キリスト教の集会や教会には参加したことはなかったので、今回が始めての参加ということでした。 しかも、彼は岡山県の高校卒業で、そこで、香西 民雄氏(岡山聖書集会)に、高校時代に教わったとのことでした。 主は必要なときには、予想もしてなかった人や書物、あるいは出来事に出逢わせて下さるのを実感しました。 また、ホームページが用いられていることをも感謝。私どもの徳島聖書キリスト集会のホームページも、東京や沖縄のそれまで全く知らなかった人との出会いにも用いられたことを思います。 |
2006/8 |
巻頭言 常に喜べ、絶えず祈れ、すべてのことに感謝せよ。これこそ、神があなた方に望んでおられることである。 (Tテサロニケ五・16〜17より) 待ち続ける神 2006/7 仕事が終わって夜帰宅するとき、家がまっ暗で誰もいない、待ってくれている人はいないという状態と、妻なり夫なり、あるいは子どもたちが待っている状態とは大きく異なる。待っていてくれる人がいないとき、帰宅もわびしいものになるだろう。人間は本質的に他者とのつながりを求める存在であり、一人きりというのは必ず心にも影を投げかけてくる。待っている人、それがあるから心の支えになるということも多い。 聖書に記されている神、そのお方は、私たちを待っていて下さるという。 …主は恵みを与えようとして あなたたちを待ち それゆえ、主は憐れみを与えようとして 立ち上がられる。まことに、主は正義の神。 なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。(イザヤ書三十・18) 私たちがどのようであっても、愛の神であるゆえに、祈りの心をもって待っていて下さる。社会的に活躍していても、神の正義や真実とは相いれない心でやっているということもよくあるだろう。人間の道はつねに間違って、それていく。それゆえに神は正しい道に立ち返るのを待っておられる。 このような神がいて下さるゆえに、私たちの心の家はまっ暗な人気のしないものではない。そこには神が、主イエスが待っていて下さる。 人間の愛も誰かを待ち続けることがあるだろう。しかし、ある人があまりにも背き続けているなら、もう立ち返るのを待つことができなくなり、悲しみのうちにあきらめるか見捨てるかということになる。 しかし、神は無限の愛であるゆえに私たちを見捨てることがない。 新約聖書で最もよく知られたたとえのひとつといえる、放蕩息子のたとえはこのような待ち続ける神の姿を表している。 …ある人に息子が二人いた。 弟の方が父親に、まだ父が生きているのに財産の分け前をもらって遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。… 彼は豚の餌を食べたいと思ったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 そこで、彼は我に返って言った。『…ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』(ルカ福音書十五・11〜24より) このたとえには、何一つよいことをせずに金を使い尽くしてしまった息子ですら待ち続け、心を入れかえて帰って来たら直ちにその息子を責めることもせずに受け入れる心が見られる。 しかし、この兄は帰って来た弟を喜ぶこともせず、そのような人間に最大級のもてなしをした父親を責めて、非難した。ここに待つことのできない人間の姿が、父の心と対照的に示されている。 人間は、悪いことをした者に対してどこまでも待とうとする姿勢はない。悔い改めを待ち続けることをしない。すぐに非難し、裁き、あるいは見下し始める。 このように、人間がよくなることを待ち続けることをしない人間と、どこまでも、十字架上で最後に悔い改めた重い犯罪人のような人をも待ち続けておられた神の愛がうかがえる。 …あなたが呼べば主は答え あなたが叫べば 「わたしはここにいる」と言われる。(イザヤ書五八・9) 神がこのように私たちを待っていて答えて下さるということを、この書を書いたイザヤという預言者は深く体験していたのである。 通常の私たちの経験はこのような待っていて下さる神、というのは信じがたいかも知れない。待っても待っても何にも答えもなく、祈りを聞いてもくれない、といった不満や不信があるからである。 しかし、そうした多くの人たちの反論を越えて、神はこのように待っていて下さるのだ、ということを預言者は啓示されて私たちに示している。聞いて下さらないように見えるのは、それは神の深いご計画のゆえであり、じつは聞いて下さっているのだ。 神は愛であるという。そして愛とはまさに、どこまでも待ち続ける本性を持っている。新約聖書の最後の書である黙示録にもこのような神の待ち続ける愛が記されている。 …悔い改めよ。見よ、私は戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者とともに食事をし、彼もまた、私とともに食事をする。(黙示録三・19〜20) 先にあげた放蕩息子とその帰りをどこまでも待ち続けた父親の姿は、この黙示録の言葉にかなったものである。父親は金を持ってどこへともなく行ってしまい、すべてを使い果たしてしまったような役立たずの息子の魂の戸口に立って彼の魂の扉をたたき続けていたのであった。 そして息子が心を開いて父親に向かってきたとき直ちに父親はこの黙示録の言葉どおりにその息子とともにゆたかな食事をしたのであった。 入口に立って戸をたたき、中から戸を開く者を待ち続けている神がおられるということは、いかに私たちの心の間近におられるかということである。私たちはたとえ目に見える家では待つものがなくとも、この世で自分を待っていてくれる者がもはやなくなったような状況に置かれても、神だけは待っていて下さるのを信じることができる。そして私たちのところに来て下さり、霊的な賜物を豊かに与えて下さるのである。 この世の生涯はいずれ終りを告げる。しかし、死の後には永遠の無や冷たい墓が待っているのでなく、愛と真実に満ちた父なる神が待って下さっているのである。 赦しと導きの神 この世で生きるときには誰でもさまざまの間違い、罪を犯していく。本当に正しい道が示されているのに、一時の感情から間違った道を選ぶということもよくある。犯罪などたいていそんなことをしたらいけないのはよく知っているはずなのに、一時の感情に引きずられて間違った道に入り込んでしまう。 実際にそのような間違ったことをしなくても、心の中で、よくない思いを抱いたり、憎んだり、真実などない、などと考えて嘘をしてもいいだろうなどと考えてしまうこと、周囲の人間に対して不適切な言動をしてしまうことなど、後からそれは悪かったと思うようなこともたくさんある。言ってはいけないことを言ってしまって取り返しのつかないことになることも多い。 こうしたすべてに悩まされて生きるのがこの世である。前をまっすぐに見つめられないで、何が神の国と神の義なのかを思わず、自分の感情や考えを第一にしてしまう。それに引きずられていく。 このようなすべてに対して、自分の言動の結果、こんな困ったことになった、大きな罪を犯した、迷惑をかけた、など考えているとますます心は萎縮していく。 こうした人間の心の世界に、神は赦しという世界があるのを教えて下さった。そうしたすべての失敗や罪、不適切な言動など、すべてが赦されるのだ、ということ、しかもそれはただ、神を仰ぐだけ、キリストの十字架を仰ぐだけでよい、キリストが十字架にかかったのはそうした私たちすべての日常的な罪のゆえなのだと信じて十字架を仰ぐとき、私たちは、キリストがその十字架の上から、「もうそのことはいいのだ、赦してあげよう」という静かな細い声を聞くことができる。 これこそ福音である。万人にとっての喜びのおとずれである。 そしてただ、赦されただけで終わることなく、そこから新たなところへと導いて下さるのが、聖書で示されている神であり、キリストである。 人間はこうした愛を持たないゆえに、しばしば赦さない。責めて、攻撃し、あるいは見下すことが多い。しかし神は愛であるゆえに、どんな大きな失敗ですらも赦し、慈しみをもって近づいて下さる。 そして赦された者は、神の愛とは何であるかを知らされる。そしてその愛を知った者は、おのずから前進しようという気持ちになる。そのような愛を受けたときには、同時に前進の力が与えられる。 罪のことをずっと思い続けていると、心身は消耗して弱ってしまうが、赦された魂は、新たな力を与えられる。 …しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。 走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ書四〇・31) その与えられた力によって私たちは主の道を歩むことができるようになる。それはしかも導かれる道である。この世にもいろいろの道があって、例えば東京に至るまでには実に多様な道を通って行くことができる。 しかし、最もはやい道は航空機だというように決まってくる。 人間の歩む道も、さまざまある。脇道から入り込んで迷い、泥沼に陥りつつ進む道、曲がりくねっていてさんざん苦労してどこに通じているのか分からない道、傲慢な心をもって歩む道、また悲しみばかりの道、あるいは赤穂の浪士のように敵を憎み仕返そうとすることを考えての道、そのような特別な例でなくとも、人間的な敵対感情とか、怒りなどを持ちつつ歩むことも実に多い。 そうした中で、真っ直ぐな道、神の国へのひとすじの道はある。神はそのような道を歩むようにと絶えず私たちの心の手を引かれる。 旧約聖書の最初、アブラハムもそのようにして、数々のこの世の道とは全くことなる道、神に導かれる道を歩み始めたことが聖書に記されている。「あなたの故郷、親族、家族などを離れて、私が示す地に行け」という神の言葉を受けたアブラハムは、その言葉に従って歩み始めた。その歩みは以後数千年にわたって無数の人々の導かれていく歩みを預言するものとなった。 アブラハムは、神の約束の言葉をそのまま信じてそれによって義とされた。神の道を歩むためには、信仰によって、神から義とされることが必要である。すなわち、神から罪深い私たちが、それで正しいのだ、よいのだとみなして頂いた上でなければ歩みは続かないことがこのような古い数千年も昔の文書にすでに記されているのに驚かされる。 この世の道は、赦しがない。競争の道であり、弱いものが踏みつけられ、罪を互いに非難しあい、攻撃しあう応酬の道である。それは、国際社会の数々の紛争にも見られ、個人的な狭いところでも至るところで見られる。そしてそれによって落ち込み、他者を妬み、また怒ったり、憎んだりする道である。そしてその行き着く先は、だんだんと魂が枯れていく。滅びていく。 よりよい存在によって導かれることがなかったら、自分の努力、能力で必死に競争して生きる、ついにはそのような力は必ず失せていくのであるから、そのような道は最終的には消えていく道である。 しかし、神に赦され、主に導かれていく歩みこそは、この世が決して知ることがなかった道である。それゆえに、次のように言われている。 …わたし(神)の思いは、あなたたちの思いと異なり(*) わたしの道はあなたたちの道と異なると 主は言われる。 天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ書五五・80〜10) 数千年の歳月、無数の人々がこの道を人生の途上に発見して、そのときからその道を歩み始めた。そしてこの日本にも世界の至る所にもこの道は伝えられた。 この道は、目には見えない水が流れている。そして緑豊かな道、命に満ちた道でもある。 とはいえ、キリストの受難、あの激しい苦しみの道のかたわらにどうして水が流れているといえようか、と反論する人も多いだろう。 しかし、キリストの十字架の死とともに、神殿の垂れ幕が真っ二つに引き裂かれる驚くべきことが起こった。神殿の垂れ幕の奥に最も重要な至聖所というのがあり、そこで罪の赦しの儀式が行なわれるのであった。それは一年に一度、大祭司が入って行なうものであった。神殿の垂れ幕が二つに裂けたということは、そうした動物の血や特別な建物や職業的宗教家などによらず、罪の赦しが万人に向かって開かれたということの象徴的出来事であった。 これは、イエスの受難のかたわらに流れている命の水が、そのような歴史的な幕を引き裂くほどのエネルギーをもっていたことを示すものである。 さらに、あのキリストの十字架の苦しみを見て、神などいないと思った人がいる反面、唯一の神を知らないはずのローマ人が、次のように言ったのはまさしくキリストがあの受難の道のただ中を歩んでおられたその時においても、そのかたわらに命の水が静かに流れていたのを示すものである。 その命の水は、いかなる障害にもかかわらず、それが流れていくところの人間をうるおし、変えていく力をもっているからである。 …百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マタイ福音書十五・39) キリストが、「私は道であり、真理である」と言われたのは、こうした道がキリストそのものであり、キリストを信じてキリストに結びつくとき、私たちの歩みはそのままイザヤが預言している、天が地を越えているように、はるかに高い道を導かれて行くことが約束されている。 私たちは現実の力や弱さに引き込まれ、しばしばつまずき、倒れたり、脇道に入り込むことも多い。しかしそれでもなお、私たちがキリストに繰り返し立ち返るとき、それはこの世の汚れに染むことなく、またこの世の流れに押し流されることなく、死の力にさえも打ち勝つ道であり、そのゆえにこそ、永遠の命に至る特別な道なのである。 救いについて 救いということについて、聖書の基本にある主イエスの言動を記した福音書ではどのように記されているか見てみたい。 救いとは、悪の力に勝利することであるから、主イエスの場合にも、まずサタンからの試み(誘惑)に勝利することが記されている。悪魔の誘惑に敗北するなら、それは滅びであるからだ。 主イエスがサタンの誘惑を撃退することができたのは、旧約聖書においてすでに記されていた神の言葉によってであった。悪魔に対抗するとき、主イエスが第一に用いられた言葉は、「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということであり、さらに、「主を拝み、ただ主に仕える」などの言葉であった。 これらが悪魔の誘惑に打ち勝つための指針であり、これらを守るときに悪魔は退けられ、救いへと導かれるということが、福音書の最初の部分に記されている。 そして次に聖書で記されているのは、イエスの宣教を一言に凝縮したものである。 「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ福音書四・17) このことについては、先月の「いのちの水」誌の六月号にかなり詳しく書いた。 悔い改めと訳された原語(メタノエオー)の意味は、以前にも書いたことであるが個々の罪のことを思い起こして反省する、といったことでなく、神への魂の方向転換に他ならない。この方向転換こそは、天の国すなわち神の御支配を受けることである。そしてそれこそ「救い」なのである。 主イエスの教えとしては最も広く知られている「山上の説教」(マタイ福音書の五章〜七章)は、普通にはイエスの道徳的な教えのように受けとられていることが多いが、これも実は、救いを指し示しているのである。 以下にその一部を引用する。 …心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。 義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。(マタイ五・3〜6より) 心貧しき者たち、彼らは、天の国を自分のものとするという。天の国、すなわち神の国であり、神の御支配を自分のものにするとは、救われたことに他ならない。 悲しむ者、それがひどくなると、パウロが述べたように、死に至る。(*)しかしもしその悲しみの深い淵から、神へと心を方向転換するときには、彼らは神によって慰められると約束されている。 神の慰めを受けるとは、これもまた救いである。 (*)神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらす。(Uコリント七・10) さらに、正しいことを実行する人が幸いだ、と言われておらず、正しいこと(義)に飢え渇く者こそ幸いだ、といわれている。そしてそのような飢え渇くように正しいことを求める者は、満たされると約束されている。何で満たされるのであろうか。それは、ヨハネ福音書の最初の部分で強調されているように、キリストご自身が神の国のあらゆるよきもので満たされているのであって、そのキリストから私たちは目には見えない霊的な賜物を与えられて満たされるということである。 この世は欠けたところで満ちている。至るところで健康が欠けて病気の苦しみがあり、平和が欠乏して戦争や憎しみがあり、食物が甚だしく不足して飢えが広範囲にある。あるいは、愛情が欠けていて、それを無理やりもぎ取ろうとしてさまざまの悲劇が生じる。配偶者以外の異性を求め、また不正な男女の関係を若者が求めていく、あるいは親子であっても、通じるものがなく、双方が満たされないものを抱き続けていく。そうしたこともすべて魂の深いところで満たすものがないからである。 聖書においては、そのような人間の奥深い欠乏感を満たすものがある、ということが繰り返し強調され、記されている。 よほど深い満足を与えるものでなければ、人間の奥底にある欠乏感を満たすことができないが、それができるのは、万能の神でありその神と同質のキリストである。 … イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。 わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ福音書四・13〜14) 人間の魂の奥から、目に見えない水、神の国のいのちそのものが溢れ出る、ということは、その人間の魂が最も深いところで満たされているからである。欠乏があるなら、到底そこから周囲によきものが流れ出るには至らない。 このように、山上の説教は単に教えでなく、救いはどのようなものであるかを指し示すものとなっている。 主イエスご自身が、救いということについてどのように言われたか。それは次のような箇所をみるとはっきりしてくる。 マタイ福音書では、五章から七章までの主イエスの山上の教えの部分が終わると、八章から新しい部分に入る。イエスが具体的に何をなさったか、という記述である。その最初に出てくるのは、らい病(*)の人のいやしであった。イエスが山を下りると、大勢の群衆が従ったが、そのとき一人のらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った。 「主よ、御心ならば、私を清くすることができます。」 (*)古代において、らい病と訳されてきたされた病気の記述から、治ったときには祭司に見せるなどと書いてあることからも、従来らい病と訳された箇所は現代で言われるらい病とは違った皮膚病も含まれていたことが考えられること、またらい病という言葉には、長い間にしみ込んだ観念があるとのことで、新共同訳のように、「重い皮膚病」とか、日本語に訳さないで、原語のまま、「ツァラアト」とした新改訳もある。しかし、このようよ→ように、「重い皮膚病」と訳すると、なぜ他にもいろいろ重い病気があるのに、聖書で重い皮膚病だけがとくに取り上げられているかの理由が不明となる。 主イエスの前に全面的にひれ伏す姿勢、そしてこのただ一言によって主イエスはその病人の信仰を見て取り、救いを与えられた。当時は誰もらい病の人には手を差し伸べることをしなかったのに、、そしてその一言とともに、群衆がたくさんいるにもかかわらず、そして当時はらい病の人は汚れているので人との接触を禁じられていたというが、そのような状況であっても、なおこのらい病の人は、周囲の人がどう言うか、どんなに思われるか、汚れていて人との交際もできない状況であったのに、群衆の中にでてきたということがどんなに人々から裁かれるか、といったことを考えず、ただひたすらに主イエスにその心を注ぎ、ひれ伏したのであった。人がたくさんいる前で、ひれ伏す、ということはよほどの信仰があったのがうかがえる。もしイエスのことを単なる預言者だと思っていたら、決してひれ伏したりはしなかっただろう。 当時だれもがいやすことのできなかった、らい病を主イエスはいやすことができるという、イエスへの絶対の信頼こそがこの救いのもとになった。こうした深い信頼をいかにして閉鎖的な隔離された生活をしていたはずのらい病人が持つことができたのであろうか。 それは主イエスの恵みであり、神ご自身が引き寄せられたというほかはない。このことを、エペソ信徒への手紙では、次のように述べている。 …あなた方は、恵みにより、信仰によって救われた。(エペソ書二・8) 神はそのご計画に従って、思いもよらない人たちを引き寄せ、イエスと神への信仰を持つようにされる。 らい病人のいやしの次には、ローマの百人部隊の隊長の僕が中風で寝込んでひどく苦しんでいる状況である。そのような苦しみに対して、主イエスがすぐに行っていやしてあげようと、言われたが、この百人隊長は、次のような意外なことを言った。 …主よ、わたしはあなたを私の家に来てもらう値打ちもないような者です。 ただ、ひと言おっしゃってください。 そうすれば、わたしの僕はいやされます。 このように言ったが、それは、百人隊長自身の経験として、自分が一言部下に命令すれば、部下はそのとおりに従うということをあげたのであった。イエスは絶大な力と権威を持っているのであるから、医者にもなおせないような重い病気に対してもその一言でいやすことができると確信していたのである。 イエスはこれを聞いて心を動かされ、従っていた人々に言われた。「はっきり言う。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」(*)(マタイ八・5〜10より) (*)「はっきり言う」と訳された原文は、アーメーン レゴー ヒューミーン (amen lego humin)であって、直訳すれば、「真実に私は言う あなた方に」である。アーメーンという言葉は、ヘブル語の副詞で、「真実に、まことに」といった意味を持つ語である。なお、この語のもとにある動詞は、アーマン aman であって、これは、確認する、確立する、固く立つ、真実である、などいろいろに訳されている。 それゆえ、この語の本来の意味は、明瞭性でなく、真実性であり、事柄が重要だということを意味しているのであって、「はっきり言う」という訳語のニュアンスとは異なる。例えば子どもが発音をあいまいにしたり、答える内容に確信がないときには口ごもったり、あいまいな言い方になる。そのとき、教師が、「はっきり言いなさい」と言うだろう。この場合、「はっきり」とは明瞭性に関する言葉であって、真実性や重要さとは関わりがない。 それゆえ、新改訳では、原語のニュアンスをくんで「まことに、あなたがたに告げます」と訳され、前田護郎訳でも、「本当に私は言う」とある。カトリックのバルバロ訳でも「まことに私は言う」と訳され、文語訳も「まことに汝らにつぐ」である。 岩波文庫の塚本虎二訳や最近出版された新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店刊)では、適切な日本語はないと判断されて、原語のままに「アーメン、私は言う」となっている。 カトリックのフランシスコ訳では「あなた方によく言っておく」口語訳は、「よく聞きなさい。」と訳されているが、この訳語ではイエスが言おうとされていることが真実だというニュアンスがあまり感じられない。 なお、英語訳では、次のようにやはり「真実」(truth)という語やその関連語を用いた訳が多数を占めている。 ・Truly I tell you,(New Revised Standard Version) ・In truth I tell you(New Jerusalem Bible) ・I tell you the truth (New International Version) イスラエル人は、信仰の民族であった。地上の数知れない人々のなかで、最初にこの宇宙に存在する唯一の神を啓示された特別な民であった。しかし、そのようなイスラエルの民のうちにすら、この異邦人のように主イエスの絶対的な力、その言葉への無条件的な信頼を持つ人はいない、とのことである。こうした信仰深い人が、イスラエル人以外にいるということは主イエスご自身すら思いがけないことであった。 彼はたしかに信仰の人であった。その信仰のゆえに主イエスは言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」 また、次のような箇所も、主イエスへの信仰が救いにつながることがはっきりと示されている。 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。…そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。… 会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」(ルカ八・40〜50より) ここでも、死という万人に襲いかかる力に打ち勝つものは、信仰であり、その信仰によって死に打ち勝つ力が与えられる、すなわち救いが与えられると言われているのである。 この記事と結びついたかたちで、さらに次のことも記されている。 …イエスがそこ(会堂長の家)に行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。 イエスは、「わたしに触れたのはだれか。だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(同右) このように、長い苦しみにさいなまれてきた女が救いを与えられたのは、イエスへの絶対の信頼であった。それまで医者や宗教指導者などあらゆる人によってもいやされなかった難病でも、主イエスこそはいやすことができる、という信仰であった。それはイエスのことを単なる人間とは考えていなかったのがうかがえる。人間以上の存在と信じていた。そのような主イエスへの信頼こそが、大いなる報いを与えられるということなのである。 さらに、こうした信仰による救いが、単にからだの病気が治ったということでなく、もっと奥深いものであることは、次の箇所がそれを示している。 … すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。 しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。 イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。 ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜(ぼうとく)するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。… 人の子(イエス)が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。 その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。(ルカ福音書五・17〜25より) この記事では、病人自身の信仰は一言も言われていない。病人の友人たちの一途な信仰が主イエスに認められたのである。そして人々は中風をいやしてもらおうとしてきたのに、主イエスは、意外にも「あなたの罪は赦された」と言われたのである。当時は、神のみが罪を赦すことができると信じられていたために、主イエスが罪を赦すなどというのは、神を汚すことだと、激しく怒るようになった。 しかし、主イエスは、友人たちがひとすじにイエスの計り知れない力を信じて屋根をはがしてまで、病人をイエスの前に持ち出したというその信仰を認められたのである。 このような、信仰のみによって救われる、ということがとりわけ印象的に書かれているのは、十字架でイエスとともに処刑された犯罪人のことである。 …十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ福音書二三・39〜43) ここには、二人の重い罪人がいる。そして生涯の最後において、全く異なる道に別れていく。一つは最後まで神とキリスト、そして神の愛などを信じないで、イエスをのろい続けた。そして滅びていく人の姿がある。 もう一人は、最期のときにイエスこそは救い主だということを信じた。そして彼の重い罪をも赦されるようにと魂の方向をイエスに向けて転換し、何もよいことはしなかったであろうのに、ただ、心からイエスを信じ、イエスの復活を信じ、しかも十字架に付けられたイエスこそが救い主であると信じて救われた第一号となったのである。この福音こそは、後にパウロや他の人たちが命をかけて伝えた十字架の福音であり、それによってキリスト教のシンボルともなったのである。 救いを受けた罪人は、「…我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、(十字架で処刑されるのも)当然だ」と言っているように、特別に重い罪を犯したのであろうと推察される。しかしそれにもかかわらず、ただ十字架のイエスを仰ぎ、信じるだけで、ただちに救いに入れられたのである。 これは、だれにとっても、救いはどのようにしたら与えられるかを、実にはっきりと示すものとなっている。 この記述は、十字架上の犯罪人ということで、我々とは関係のない特別な人のことを書いてあるのだと思われやすい。しかし、そうでなく、この二人こそ、あらゆる人間の前に置かれている二つの道を象徴的に指し示すものとして記されているのである。 人間は、ふつうの常識的な意味で盗みとか殺傷するとかの罪でなく、神の御前に正しいのか、神の愛の道にかなっているのか、という基準に照らされるなら、どんな人でもおよそその基準に従えていないということが明確になる。神の愛とは無差別的であり、悪人にも敵対する人、中傷する人、悪意を持って倒そうとする人などすべてに及ぶものであるし、周りの偶然的に出会う人もみんな隣人であり、そうしたすべての人への愛、祝福の心をもって対するのが神の愛の道である。 このような高い観点から見られるなら、いかなる人もそのような道からはるかに遠いということになる。それゆえに、人間はすべて罪人だ、といわれるし、使徒パウロは、旧約聖書にある言葉を引用して次のように書いている。 …では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのか。全くない。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にある。 次のように書いてあるとおりである。「正しい者はいない。一人もいない。…」(ローマの信徒への手紙三・9〜10より) このように、人間は誰しもかつて行なったこと、言ったこと、なすべきことをしていないこと、なすべきことすら知らなかったこと、言うべきことを言わなかったこと…などなど罪はいくらでもあり、そのような罪を一つ一つ罰せられ、裁かれるのなら、みんな滅ぼされてしまうだろう。 神の前に大きな罪を犯したものであり、他者に対しても数々の罪を犯してきたことを思いだすだろう。そのような者であっても、ただ、主イエスを救い主として仰ぐだけで、罪の赦しを受けるのである。それはすべての人間のいわばモデルとしてこの一人の犯罪人のことが記されているのである。 そしてそのような単純明快な、信仰によって救われるということを信じないで、愛の神ご自身を信じることをせず、背を向け続けていくこと、そこには何らの平安もなく闇のなかに沈んでいくのが見えるようである。 私たちは皆、同じような罪を犯してきた人間にすぎないが、主イエスを仰ぎ見るかどうかで決定的な分かれ目になる。 信じるだけで救われるということは、新約聖書の福音書全体にさまざまの実例をあげて記されているのがわかる。現在の教会でよく言われる、水の洗礼を受けないと救われない、などということは、全く言われていないのはこのように福音書を調べるとすぐにわかることである。 そしてこの福音書にある、主を仰ぐだけ、ただ信仰によって救われるということは、すでに旧約聖書にもその本質的な真理が示されている。 …地の果なるすべての人々よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五・22) イザヤ書はキリストより四五〇年から七〇〇年以上も昔の預言を集めた書物であるとされているが、その後期のものにはとくにキリストの福音や新約聖書に通じる深い内容が多く含まれている。キリストの十字架の受難をありありと預言する内容もイザヤ書の五三章に見られる。 この四五章もそうした深い真理をたたえたもので、そこにこの救いの本質に関する言葉も現れる。 この真理は、後にキリストによってはっきりと語られ、証しされることになった。そして最後にあげた、十字架上の罪人の救いにみられる、十字架のキリストによる救いこそは、キリストの処刑とその後の復活後に特に呼び出されてキリストの使徒となったパウロが命をかけて伝えたのもである。 この、ただ信じることによって救われる、という真理は、このイザヤよりはるかに古いアブラハムのときにすでに閃光のように与えられている。それは十字架のイエスを仰ぐだけで救われるという真理の預言ともなっている。これは使徒パウロにとっては、十字架のキリストを仰ぐだけで救われるという真理そのものを指し示すものであったから、救いの根本を書いている、ローマの信徒への手紙に、そのことを力を入れて取り上げている。 …アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記十五・6) このように、ただ信じるだけで救われる、ほかには何もいらない、という単純明快な真理は、私自身が深く体験させられたことである。私はこの十字架のキリストを仰ぐだけで、救いを受けてそれまでの深い闇から救い出され、新しい命を与えられた。そして何を将来の仕事にするかということについての考えも根本から変えられた。これは議論とか意見、あるいはだれかの受け売りといったものでなく、動かすことのできない事実なのである。 そして私の生涯を変えることになった救いに関する真理は、このように、アブラハムという三千七百年ほども昔の人においてすでに示されていたが、その後もすでに述べたようにイザヤ書などの旧約聖書にも部分的に示されてきた。 そのうち、旧約聖書の詩集であり、預言の書という性質ももっている詩編もまた、単純な救いの真理を述べている。 …いかに幸いなことか。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。… 「主に私の罪を告白しよう。」 その時、あなたは私の罪と過ちを赦して下さった。… あなたは私の隠れ家。 苦難から守って下さる方。救いの喜びをもって 私を囲んで下さる方。(詩編三二より) ここにも、救いが神に向かい、ただ罪を告白するだけで、それまでの苦しみから解放され、救いの喜びによって囲まれている、と言えるほどになったのである。 この詩はダビデの詩とされているが、ダビデのものならば、キリストよりも千年も古くからすでに罪からの救いは、儀式によらず、組織や善き行いを積むことでもなく、ただ神を信じて、その罪を告白するだけでよいという救いの根本がはやくも経験されていたのが分かる。 こうした流れは、キリストにおいて完全なものとなり、救いはただキリストが神と同じ力を与えられている神の子だと信じるだけで、救われるようになった。さらに、キリストはその死が深い意味をもっていることを示された。 …人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。(マルコ福音書十・45) キリストは神の子であり、神と同じ本質を与えられているからこそ、死に打ち勝つお方であり、復活したし、その死そのものも万人の罪をあがなうというかつてない意味を持っていることを示されたのである。 このキリストの十字架での死の深い意味は、使徒パウロが聖霊の教えを受けて、この主イエスの言葉をさらに詳しく述べて世界に伝えることになったのである。 慰霊を越えるために 毎年七月、八月になると日中戦争や太平洋戦争の何百万人という死者のための慰霊という言葉をよく目にする。 最近つねに問題となっている、靖国神社の問題もまた慰霊ということが根本にある。 「…本来、靖国神社問題とは戦没者に対する慰霊の問題であったのに、外交問題となってしまった」とか、「戦没者の慰霊の中心的施設は、靖国神社で ある」というような表現や主張がよく見られる。 しかし、慰霊とはどういうことなのか、現在生きている人間が死者の魂を慰めたりできるのか、そもそも死者は悲しんでいるなどと決めてかかって、それを慰めなければなどということが本当なのか、そのような考えに何の根拠があるのか、そのようなことの議論は全く見られない。 靖国神社に首相が参拝することによって中国との間に大きな問題が生じ、二国間に相互に相手国を非難するような心情が生れているのは悲しむべきことである。この根源をたどると、靖国神社が、日中戦争、太平洋戦争という侵略の戦争を引き起こした人たちを「神」としてまつり、それを国家を代表する首相が参拝するから問題になる。もし、戦死者などを単に「記念」するという施設ならばこのような問題は生じないのである。 神として祀り、参拝するということは、そこで祀られている戦争責任者をも敬い、あがめる、ということになる。それはかつての侵略の戦争を肯定することにつながるから、中国などは強い非難をするようになった。 しかし、戦没者を記念するということは、それを神として礼拝するというのとは全く異なる。記念するとは、間違った人間なら、そのようなことが生じないように、よき行動をした人たちならそのことを覚えて模範とする、また、関わりある人たちは亡くなった人たちのことを心にずっと覚えるということになる。平和記念館のような施設は、そこで戦争を讃美する施設でなく、戦争の悲劇をあらわす資料を置いて、それを覚えて間違ったことをしないように、平和への心を強めるという目的になる。 このように、靖国神社問題はつきつめてみれば、死んだ人間を神々として祀り、その霊を慰める、といった宗教的発想にある。 宗教といえば、多くの人が思いだす言葉は、この「慰霊」ということで、霊を慰める、ということである。戦争でなくなった人たちの霊を慰める、あるいは、飛行機の墜落による事故死の人たちの慰霊のために、山に登る、ということをよくニュースや新聞などで聞いたり読んだりする。 しかし、聖書では意外なことに、旧約聖書、新約聖書を含めると二〇〇〇ページを越えるような分厚い本であるが、死んだ人の霊を慰めるといったことは全くといってよいほど記されていない。 慰霊という言葉には、その背後には、死んだ人が悲しんでいる、恨んだり、悔しい思いをしている、だからそのような霊を慰めるのだという考えがある。 ことに、事故や戦争とか、人間同士の争いで死んだとか、畳の上でなく、野外で死んだとかになると一層その人は死後も悲しんだり、怒ったりしている、と思われて、そのような霊を慰めないと、生きているものに祟ってきて悪いことをするというのである。 しかし、聖書においては、死者に対する祈りの必要性は意外なことに、記されていない。 祈りというのは、自分自身を含め、生きている者に対するものとしてなされている。旧約聖書には一五〇編から成る詩集(詩編)があるが、そこでは単に自然を歌うとか、人間の愛情を歌うというのは全くなくて、常に生きた人間の苦しみや悲しみに手を差し伸べる神を待ち望むこと、そのような神の助けと愛を経験した喜びと讃美、悪が除かれること、神が創造した自然を讃美すること、神は従おうとする者を必ず恵み、真実に逆らって生きようとする者には必ず裁きがあることなどがテーマとなっている。ここにはどこにも死者への祈りというのがない。 現在の仏教で、死人に対する祈りというのが前面に表れるのは法事などで、それは次の仏教学者の言葉にあるように、生きている人への祈りでなく死者をなだめる行事なのである。 次に仏教関係の書物を多く出している仏教学者の書物から引用する。 「法事とは、葬儀が終わったあと、まだ不安定な状態にある死者の霊魂を、安定化させるために行なわれる儀式である。 従って、その背後には、死んだ直後の死者の霊魂は不安定であり、生きている者に祟りや災厄をもたらすかもしれないといった感情があり、定められた儀式(法事)をすれば死者の霊魂は安定し、祟らなくなるといった一般通念がある。」 (ひろさちや著「仏教のしきたり」70頁 著者は、東大文学部インド哲学科卒後、気象大学教授を経て宗教文化研究所長。仏教思想家) 盆踊りの起源についても、現在ではどこに起源があるのかほとんど考えたりしないで、はなやかな夏の行事となっているが、これすらも、もとは、死者への供養から始まっている。 七月は祖先の霊が家を訪れるものとされ、盆棚で帰って来た祖霊を歓待し、その後子孫やこの世の人とともに踊ってあの世に帰ってもらうのであり、 祖霊を慰め、死者の世界にふたたび送り返すことを主眼としている。 七月に行なわれる京都の祇園祭は数十万人もの観光客が訪れる華やかな祭である。 この有名な祭の起源もまた、死者の霊を慰めるということなのである。平安時代のころ、しばしば疫病が流行したが、その原因は菅原道真(すがわらのみちざね)などの政治的な争いで失脚して、恨みを現世に残して死んでいった人々の怨霊(おんりょう)の祟り(たたり)であると考えられた。この怨霊を御霊(ごりょう)ともいう。そこで神仏に祈りをささげて怨霊を慰め、鎮めることを目的に市中を練り歩く御霊会(ごりょうえ)が度々行われた。祇園祭はこうした行事のひとつ、祇園御霊会を起源として始まった。 このように、現在京都の三大祭として全国的に知られている大きな行事が、怨霊を恐れ、それを慰め、鎮めることから始まっているということは、いかに日本人がこのような死者の霊を恐れていたか、それを鎮めることにエネルギーを注いできたかを象徴的に示すものである。 なぜ、このように日本では、死人の霊を恐れてきたのだろうか。 それは、この世界を支配する唯一の神が存在しないと信じているからである。人間が死んだら一種の霊となって、不気味な恐いものとなる、それぞれの霊が何をするか分からない、という恐れがある。伝統的宗教では、どんな人間でも死んだら神になっていくのであり、恨みを残して死んだり、事故などで不本意ながらいのちを亡くした人はとくになだめられないならば、幽霊のようなものとなって生きている人間にたたってくる、というように考えられている。 しかし、キリスト教はそのような、さまざまの霊などは、神のまえに何の力もなく、神がすべてをご支配なさっているという信仰がもとにある。万能の主、万軍の主といった表現もすべてを支配なさっていることと結びついている。 また、事故や悲劇的な出来事でいのちを奪われた者であっても、その人の生前の心、何に心を向けていたか、この世の真実なもの、清いものにまなざしを向けていたか、自分の罪を知ってみまえに悔い改める姿勢を持っていたならば、その人の霊は神のもとにて復活する。それゆえに、そのような人の死後の魂を慰めたり、恐れたりするということは無用なことになる。 キリストは実に残酷な刑罰で殺されたから、ふつうの日本の伝統的な宗教では、その霊は恨みを持っているとか悲しんでいるということになるが、事実は全く逆で、神のもとに帰り、あらゆる罪の力をあがない、神と同じ存在となって私たちを見守っておられる。 最初の殉教者ステパノもその信仰のゆえに石で打たれたが、死ぬ直前に自分を迫害する人たちへの祈りをなし、天にいるキリストをまざまざと見ることが許されていた。そのような人が死んだら、恨むということはあり得ないのであって、逆に地上に残された人間を見守り、励ましている存在となっていると考えられる。パウロやペテロなど、あるいはそれ以後の迫害されていのちを奪われた無数のキリスト者たちも同様である。 彼らの霊に対して、生きている人が供養したり、なだめたり、あるいは慰めたりするということは全く無意味なのである。そうでなく、そうした人たちを私たちは思い起こし、記念とし、私たちの歩みを正しくすることにつなげるのである。 だから、キリスト教では、死者への慰霊というものはなく、覚えて、よきところを思いだす、記念するというのである。 そして、悪を行なった魂は万能の神が必要な裁きをなさるだろう。しかし、だれがどのような悪によって裁かれるのか、表面的には分からない。息を引き取る最期のときに悔い改めたかも知れないのである。あるいは重い病の床で言葉にならない悔い改めをしたかも知れず、冷たい独房のなかで、重い自分の罪の重さに打ちのめされて悔い改めの涙を流したかも知れない。そうした最後の時までどんなことが魂において生じたか分からないゆえに、私たちは悪いことをした人であっても、だから地獄に行くのだなどと断定は決してできない。それはあくまですべてを見ておられる神にゆだねたらいいことなのである。私たちとしては、すべての人に善きことがあるように、御国を来らせたまえ、と祈り願うことが求められている。 死者の霊だけでなく、この世は私たちに恐れをもたらすもので満ちている。病気や人間関係、あるいは将来の不安、老後の自分、世の中の変動、仕事のこと等々。さらに、死者の霊とは異なる、さまざまの悪の力(霊)が、至る所で私たちを間違った道に誘い込もうとしている。 そうした恐れに満ちたこの世界にあって、闇の力を打ち砕いてくれるのが、聖書で数千年前から示されている神への信仰である。 …あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。 …恐れるな、わたしはあなたと共におる。(イザヤ書四十三・1、5より) このイザヤ書の言葉のように、私たちが生きた神からの直接の励ましや語りかけを受けるとき、目に見えない悪の霊的な力は退けられ、たしかに恐れは消えていく。そして新たな力が与えられる。 また、新約聖書には、このようなさまざまの目に見えない悪の力(霊)との戦いの重要性が記されており、そのためにこそ、神は私たちに信仰を与え、神の言葉を武器として戦うことが求められている。 …わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、…悪の諸霊を相手にするものである。 だから、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、…信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができる。 霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 どのような時にも、(神の)霊に助けられて祈り、願い求め、…絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エペソ書六・12〜18より) ここに記された道こそ、死者の霊やそのほかのさまざまの悪の力に取り巻かれつつも、それらを恐れたり、打ち負かされたりすることなく、かえって勝利していく道なのである。 詩の世界から 一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは 年深みかも (万葉集 巻第六 一〇四二) 松の老木、それは大木になるほどに風吹きわたる音は他にはないような、重々しい、そして清い音を奏でるようになる。最近では、松の古木が少なくなってしまい、松に風が吹くときの音に接することはますます少なくなっている。私が子どもの時代には、まだ、海岸にもまた山々にも松の古木が多く見られたものである。そして三〇年ほど前くらいまではまだ松の木が多くあったので、わが家のある山に登ったとき、時々風の強い日には、この独特の松風の音に聞き入ったことがよくあった。 「松風さわぐ 丘の上 古城よ一人 何しのぶ…」という、昔広く歌われた歌謡にもあるが、大きい松に風の吹く音は人を立ち止まらせ、人の心を引き寄せるものがある。 松に風の吹きわたる音の響きは、とくに「松風」とも「松籟(しょうらい)」とも言われる。それは昔からこのように、独特の感慨をもって聞かれてきたからであろう。なお、「籟」には、竹かんむりが付いているが、それは「竹で作った笛」の響きを表す言葉であったからで、そこから「ひびき、風の吹き通る音」を意味するようになった。 松の葉、それ自体は、見栄えのしない針のような細い単調なつくりのものでそれをこすり合わせたところでよい音楽を奏でるなどとは到底想像できない。しかし、神は最高の音楽家でもあり、あらゆる音楽家にその才能を与えたお方であるから、松の葉と、目に見えない風という、いずれもきわめて単純にみえるものを用いてどんな管弦楽も生み出せない深みをたたえた、単純でありながら重々しく、しかも清い音楽を奏でるようにされたのである。 年を経るほど、人間の声はよどんでくることがある。人間の心も生き生きした感動もなくなってくることが多い。木々もまた老化して枝も枯れていく。しかし、この万葉の詩人は歳月を越えて生き抜いてきた松からは清い響きを感じ取ったのである。 人間もまた、自然の樹木がそうであるように、神に導かれるままに生きていくとき、老年になって、何か清いものを周囲に流れさせるようになる。老年の清さ、それは苦しみや歳月の流れに動かされない神の賜物を内に持っているときに表れてくる。 ○苦しみの きわまる時し むらきもの 心は澄みて み顔を思ふ (「真珠の歌」20頁) この歌集は、「祈の友」の人たちによるもので、結核で日夜苦しめられ、家族とも分かれ、死が間近に感じられるような状況にあって作られたのがうかがえる。苦しみや悲しみが強いほど打ちのめされるが、そのときに主を仰ぐとき、かえってほかの様々のことがぬぐい去られ、主のみ顔がはっきりと感じられる。なお、「むらきもの」とは、「群肝の」、で多くの内臓を意味し、そこから心にかかる枕詞となった。、 ことば (238)神と正しい関係にある人にとっては、結局、敵というものはもはや存在しないのである。すべてのものが神のしもべにすぎない。(ヒルティ著 眠られぬ夜のために下 七月二十二日の項より) ・…Der mit Gott ganz richtig steht, gibt es uberhaupt schliesslich keine Feinde mehr;es sind alles nur Knecht Gottes. 神は、万物を支配しておられるゆえに、敵対する人をすら神がその御計画のために用いられる。神は、敵だけでなく、すべてを最終的にはよきに転じることができる。このことを、使徒パウロは、「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマの信徒への手紙八・28)と言った。私たちが神にしっかりと結びついているならば、生じる様々のことがすべて益となるように働くのなら、このような実感を深く持つときには、そのように感じさせてくれる神への感謝と讃美が生れるだろう。そしてこれこそ、「常に喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」(Tテサロニケ五・16)ことができる境地であり、そのようなところへと私たちは招かれていると言えよう。 (239)神の純粋な精神は、人間の生命の中よりも、自然のなかにこそ、より純粋に、より明確に現れている。いや、単にそれだけでない。人間は、自然のなかに純粋に現れているこの神の精神のなかにこそ、人間の本質や品位や高貴さを、鏡に映して見るように、まったく明瞭に、かつ純粋に、また全く根源的な姿において、観るのである。 …自然のあらゆる事物のなかで、草や木、ないし植物、とくに樹木ほど、その沈黙の思慮深さと、その内的生命の明瞭な表現とのゆえに、真実で、明瞭で、かつ完全で、しかも単純な現れ方をするものは他にない。(「人間の教育」上巻 二一三〜二一四P フレーベル著 岩波文庫) ・神の純粋な精神、すなわち清さ、力、無限の多様性、雄大さ、美しさ等々は、たしかに人間よりも自然の世界がずっと豊かにもっている。樹木、とくに大木のもっている沈黙の力、その姿は、それに触れるものにふしぎな感動を与える。他の動物にない、人間の最も霊的ないとなみは、目に見えない神を仰ぐことであり、祈りであるが、樹木の姿はその沈黙の姿が祈りを象徴していると言えよう。 ・フレーベルは、一七八二年ドイツ生れ。父親は牧師。ペスタロッチの深い影響も受けた。生後九か月で母をなくしたこともあって幼児教育の重要性に目覚め、Kindergarten (キンダーガルテン)という名称の施設を作ったことで有名。なお、「幼稚園」はその訳語で「子ども達の庭」を意味する。植物に水や肥料をやり、育つのを助けるように、幼児に対しても自然的な成長、発育を助けるべきことを説いた。 編集だより ○来信より 月の初め、「今日のみ言葉」(コリント人への手紙第一10:13)の配信を頂きました後、 私は思いもかけず、仕事において大きな失敗をしました。 何度「今日のみ言葉」を読み返したか、わかりません。 しかし、先日「無から有を生み出す」神様は、やはり思いもかけない解決を与えて下さいました。 あの配信と、み言葉、家族の祈りに本当に支えられました。 いま、神様への感謝で胸がいっぱいです。 み言葉配信の働きをどうもありがとうございます。 栄光を全てイエス様にお返しします。(九州の方) ・神の言葉は、主がなそうと思われるときには、予想していないような働きをすることができます。私たちの努力とか熱心がいくらあっても、それは主が用いられなかったら何も生じませんが、小さなことでも主が用いられると不思議な働きをするのを感じます。 ○七月十三日(木)〜二十日(木)までの八日間、吉村(孝)は、北海道から東北、関東、中部地方などのいくつかの集会を訪問し、み言葉について語る機会が与えられました。 最初の十三日〜十六日(日)までの四日間は、北海道南部の、日本海に面し、奥尻島の対岸にある瀬棚町において、去年と同様に瀬棚聖書集会が開催されました。今年で第三十三回となるこの集会は、酪農をしている人たちが多く、さらに米作農業、養豚などに従事している人たちが主となって開催されているものです。今回この聖書集会の開催の事務局となった野中 信成さんが生れて間もないころにこの聖書集会は始まったということで、ほかの人たちも幾人かは幼児のときから参加してきたようで、多くの人たちの祈りが注がれてきたゆえに、三十数年もの間、この瀬棚地区の聖書集会が続いてきたのが感じられました。また、三十歳前後の若者たちは多くは、山形のキリスト教独立学園の卒業生で、そこでのキリスト教に基づく教育も主に用いられているのを感じたことです。 参加者は部分参加の人も合わせて、名簿には四十五名ほどが載っていましたが、参加できなかった人もいるようなので、実際はもう少し少なかったはずです。しかし、名簿にない子どもたちも合わせると、五十人ほどが何らかの形で加わった集会になりました。 聖書講話は四回、最後の利別教会においての礼拝を合わせると、五回の聖書講話がプログラムに折り込まれ、座談会や感話、瀬棚の農家へ、北海道外からの参加者が別れて一日だけ宿泊することも、それぞれが恵まれたときとなり、「讃美」のひとときなどもあり、全体として地元の人たちの信仰と仕事、そして家庭に触れ生きた神の導きを実感することができました。 今回は、北海道以外からも、徳島聖書キリスト集会から七名、長野県、福岡市、横浜市などから各一名ずつ参加してより広い集まりとなったことも感謝です。 瀬棚での最後の日は、日本キリスト教団の利別教会においての礼拝でした。ここでも去年と同様に、主日礼拝の聖書講話(説教)の機会が与えられました。 ・札幌での交流集会…これは瀬棚の聖書集会の終わったあとに、開かれるようになりました。もともとは、埼玉の関根 義夫氏が代表者となっている聖書集会に属していた中途失明者の大塚 寿雄兄が札幌に転居していて、その大塚さんと徳島聖書キリスト集会の視覚障害者の何人かの方々との交流があり、そこから札幌での集まりへと導かれたのでした。今回も、札幌聖書集会、旭川平信徒集会、苫小牧の集会、札幌発寒集会、そして札幌独立教会に属する方々が二十名ほど参加し、そこに徳島と福岡からの八名が参加しての集会となりました。この集まりも三回目となり、それまでは全く知らなかった札幌や苫小牧など各地のキリスト者の方々との出会いが与えられ、私どものキリスト集会とも新たな交わりが開けたことも大きな恵みです。 ・吉村(孝)以外の徳島からの参加者は、その後徳島に帰りましたが、私は札幌での集会のあと、仙台、山形、八王子、山梨、静岡など各地での小集会にてみ言葉を語る機会が与えられ、また主にあるあらたな交わりも与えられました。 仙台は初めて訪れる土地でしたが、「いのちの水」誌の読者の方々がおられ、また私のみ言葉のための働きを覚えて下さる方々もいて初めてであっても親しみを感じるところでした。午後の集会開始までまだ時間があったので、迎えて下さった市川 寛治兄とともに、青葉城跡、その前の広瀬川の流れのほとりを散策、近くのキリシタンの殉教碑にも案内して下さいました。信仰を捨てない人たちをその川の水牢に入れて責めて迫害したこと、命に代えてもその信仰を守り通した先人の苦しみとそのような堅固な信仰を与えた神の力を、そしてその力は今も働いていることをも思いました。 午後からの集会には、十人未満の方々でしたが初めての方、仕事の合間に来られた方、高知の四国集会での私たちの仲間となっている原 忠徳さんが長くともに学んだ集会の方などとともにみ言葉を学びました。 夜は山形の聖書集会の方々、十名あまりの人たちと、石澤 良一兄の経営する「サヤカ」という場所で行なわれました。今回初めてお会いする何名かの方々も含め、長い信仰の歩みを持ったかた、最近この山形聖書集会に加わった方などここでもみ言葉の学びを中心にしての集会が与えられました。 翌日は八王子市での永井宅での集会で、八王子市の方々を中心として、川崎市、多摩市、相模原市、府中市などからの参加者でした。今回初参加の三名を合わせて十五名ほどの参加者でした。このみ言葉の学びのために特に会社の仕事を休んで参加された若い方もおられ、み言葉はいろいろな人たちを引き寄せる力があることを感じたことです。 夜は、初めて山梨県に出向き、夜に加茂 悦爾、昌子ご夫妻宅での集会となりました。加茂さんご夫妻は、今から七年ほど前に、徳島での四国集会に山梨から一日がかりで列車で岡山→高松まわりで参加されたことがありました。聖書は初めてという方、随分久しぶりの方、また参加するかどうかはっきりしなかった方なども参加して、初めて出会う方々との学び、賛美や交流を共にすることができて感謝でした。 静岡では、石川 昌治兄宅での集会、そして岩辺さん宅に移動して短い時間でしたがそこでも小集会を与えられて、帰途につきました。 以前からの知り合いであったり、「いのちの水」誌を通しての交わりがあっても、実際に顔と顔を合わせて見ることは、また異なる祝福が与えられることを実感しました。 聖書にも、使徒パウロが直接に会うことの重要性を書いています。 …兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので――心においてではなく、からだだけではあるが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。 だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうと思いました。ことに、このパウロは、何度も行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。(Tテサロニケ二・17〜18) また、パウロは書いたものを送るだけでなく、直接に会って霊的な力を補いたいと次のように言っています。 …顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。 どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。 どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。(Tテサロニケ三・10〜12) ここに、直接に会うことが、霊的な賜物、祝福を相手に伝えるものであることが記されており、パウロがどこかにみ言葉のために行くときにも、つねに真剣な祈りをもって、神の言葉、聖霊が伝わるようにと願いつつ行動していたのがうかがえます。そしてそれによって単なる知識でなく、人々の間に神の愛が満ちあふれるようにと、願っていたのです。 このように行く先々で神の愛が広まるように、それで満ちるようにという願いのみで働いていたのはまさしくパウロが神の僕であったしるしです。 私たちは不十分な者であるけれど、たしかに、主の名によって互いに交流することは、相互に足らないものを補い合うということが可能になります。それはそうした交わりの内にいます主がなして下さることなのです。このことは、今までの四国集会や小さな各地の集会などでも、たえず経験させられてきたことです。 今回も、徳島聖書キリスト集会の方々、そして集会を開いて下さった相手方の方々によって変ることなき祈りが捧げられ、そうした祈りに私も支えられての一週間であったことを思い、感謝でした。 お知らせ ○祈の友四国グループ集会 今年は祈の友のグループ集会も愛媛県の「祈の友」が担当です。近いうちに、松山市の二宮 千恵子姉からの案内がなされる予定です。従来は九月二十三日の休日でしたが、今年は、九月十八日(月)の祝日(敬老の日)になっていますので、間違わないようにして下さい。 ○北田 康広さんの、二つ目のCDが八月二日に発売されます。今回のものは、とくに、平和への祈りが感じられる曲目になっています。内容は次のようなもので、北田さんの歌と後半はピアノ演奏です。1、一つだけの命 2、さとうきび畑 3、心の瞳 4、千の風 5、平和の扉 6、死んだ男の残したもの 8、やすかれ我が心よ(讃美歌)9、鳥の歌 10、勝利をのぞみ(讃美歌21の471番)14、来たれ異教徒の救い主よ(バッハ)15、祈り(リスト)他 ○八月二六日(土)〜二七日(日)静岡の西澤 正文兄が来徳され、去年と同様に、特別集会がなされます。 ○集会名 『無教会全国集会二〇〇六 さっぽろ』 日時 二〇〇六年九月九日(土)〜十一日(月) 開催場所 北海道 札幌 申込期限:8月21日(月)連絡先 黒川清孝 〒064-0915 札幌市中央区南15条西14丁目2-7-106(? 011-562-7145, E-mail: kurokawa@car.ocn.ne.jp)、 主題:「無教会の源流を求めて−札幌バンドの信仰とその系譜」 会場:北星学園大学(札幌市厚別区大谷地2−3−1 ? 011-891-2731) 参加費: 2日間6,000円(1日のみ 3,000円、学生半額)外に昼食代 1,000円 バス・ツアー参加料:1,000円 口座記号番号02730-3-77350 加入者名:無教会全国集会2006さっぽろ プログラム 第1日(9月9日)(土) 講演:井上 猛(札幌独立キリスト教会)「独立の源流としての札幌バンド」 講演:山城俊昭(森の家の教会) 「世の光」に接する−『後世への最大遺物』を英訳出版して」 分科会(各教室)自己紹介 講演I, IIについての懇談 ………………………………………………………… 第2日(9月10日)(日) 聖書:ローマの信徒への手紙3章21-31節 説教:千葉 恵(遠友聖書集会) 「『ローマ書』における神と人の信実」 講演III (チャペル)講演:田村光三(東京聖書集会)「開拓者・浅見仙作翁」 全体会(チャペル)「札幌バンドについての所感」:大島智夫(海老名 聖書集会) 講演I-IIIを巡る意見交換 分科会(各教室):14:45-15:45 今回主題について語り合う 各分科会からの報告等 第3日 9月11日/(月)バス・ツアー |
2006/7 |
神の国への門 2006/6 この世には思いがけない事故、病気、あるいは災害、そして職場や家族の人間同士の問題などが生じてくる。それらが生じなかったような人でも、最後に老年という重荷が迫ってくる。そのいずれも状態がひどいときには生きていけないほどになるだろう。 なぜこのような目に会うのかと、やり場のない怒りや悲しみ、あるいは絶望感にひしがれることがある。 どうしてこの世はこれほど不公平なのか、ある人は生涯元気で家族も恵まれているのに、ある人は病気や家族などで重い荷物を負っている、なぜなのか、との疑問、運命への不満、悲しみや怒りなどが生じてくる。 しかし、そのようなどこにも道がないように見える状況にこそ、神の国へのひとすじの道が静かに続いている。かつて元気なときには全く道など見えなかったのに、苦しみの経験をした後に、いつしか自分のすぐそばから、道がはるかな高みへと道がつけられているのに気付く。 この世のどこにも平安の道がない、隠れ場もない、どこへ行っても安住の地はない、という時にも、神はそのような打ちひしがれた魂のすぐそばから、御国への道をつけて下さっているのである。 真理の永遠性 この世は、真理そのものを見つめようとしないで、その周りをぐるぐるまわることを好む。新聞やテレビ、映画、雑誌などの類でキリスト教に関することが取り上げられるときには、ほとんどそうである。キリストの深い言葉の意味、その永遠の命、罪の赦しの深い意味と聖霊の力、そうしたことなどは全くといってよいほど触れられない。 特殊な内容の写本を見付けたとか、ノアの方舟探しのこと、あるいは、聖地巡礼とかローマ教皇のこと、ゴシップ的なフィクションである映画など、真理そのものの力を知らないゆえにそのような真理の周辺、しかもはるか遠くをまわるだけでなく、キリスト教の真理に傷を付けようとするようなことがマスコミでもてはやされる。 そうしたことが真理でない証拠、それはそのようなことを心に信じて、またはそれらの知識を貯えたとき、心が清められるのか、絶望に追い詰められた魂が力を与えられるのか、自分の犯した罪の赦しを与えられて平安を得、新たな力を与えられるのか、などなどを考えればすぐに分かることである。 キリストの十字架による罪の赦しとか復活の真理は、体験されるものであり、しかも魂の最も深いところに働きかけるものである。そうした真理そのものは、決して破壊されることも、傷つけられることもない。 ちょうど、夜空の星がどんなに近代的な武器弾薬をもって破壊しようとも、いっさいそれらからは傷を受けないのと同様である。 真理は真理であるからこそ、いかなる時代の状況や、悪意、あるいはサタン的な力によっても変質させることはできず、真理の度合いが減少したり、傷を受けることもない。 聖書ですでによくたとえられているが、それは不動の岩のごときものなのである。 この動揺して止まることのない現代、そしてインタ−ネットや映画、印刷物などによって間違った情報が乱れ飛ぶ世界にあって、そうした一切によっていかなる傷も受けない真理こそ、ますます必要となるし、そのような確固として存在し続ける真理を求める人もまた起こされるであろう。 真理それ自身がそのような人を生み出すのである。 すべてを知っておられる神 ― 詩編一三九編― 日本人にとって、神という名は、何か遠い存在である。神社に行って自分ととても近いという実感を持った人はどれほどいるだろうか。戦前は、天皇が現人神とされたが、天皇が自分の心のすぐそばにいるように感じる経験を持った人はほとんど聞いたことがない。それも、ヒロヒトという名前すら言ってはいけない、近くに来訪しても最敬礼して、通りすぎるまで顔を上げてはいけないという状況であったから当然であろう。 最近よく問題になっている靖国神社にしても、そこに祭られているおよそ二五〇万人の人間はみんな神々だとされていて、拝む対象であるが、戦争でどんな残虐なことをした人でも一律にみんな神々なのである。 有名な北野天満宮で祭られている神は、菅原道真であるが、もともと、彼は学者であり、政治家であったが、政敵によって太宰府に流された。その頃京都で落雷など異変が続いて生じたため、道真の怨霊の祟りだと恐れ、それを鎮めるため九五九年に作られたのであった。 また、京都の八坂神社は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)他の神々をまつり、伏見稲荷大社は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が主祭神だという。こうした古い時代の人間や神話の神々に心で親近感を感じることも難しいだろう。 一般の神社には、鏡や玉、剣、あるいは石や人間のからだの一部まで御神体としているところがあるという。 だれでも、身近にある神社では何という神々をまつっているのか、ほとんどの人は知らないのではないか。知らないものに対して親近感を抱くことはできないことである。 そのような得体の知れない神々に親近感を感じるという人はごく例外的ではないだろうか。 こうした日本の神社の実体と非常に対照的なのが、聖書にあらわれる神である。 ここでは、今から数千年昔の旧約聖書にあらわれた詩のひとつを学んでみたい。なお、この詩は、旧約聖書の詩編のなかでも特に高く評価されているもののひとつである。 アメリカの有名な聖書注解シリーズのなかで、つぎのように言われている。 …この詩は、詩編のなかでも特に優れた詩のひとつであるだけでなく、その信仰にかかわる洞察と敬虔な熱心は、旧約聖書の偉大な箇所のなかでも顕著なものとなっている。」(*) また、イギリスの十九世紀の大説教家であった、スパージョンも、この詩は、詩編のなかで最も注目すべき詩のひとつであるとしている。 (**) (*) This poem is not only one of the chief glories of the Psalter, but in its religious insight and devotional warmth it is conspicuous among the great passages of the O.T. (「THE INTERPRETER'S BIBLE Vol.4 712P」) (**)One of the most notable of the sacred hymns.(「THE TREASURY OF DAVID」Vol.3 258P) …主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。(詩編一三九・1〜6) この詩の作者はまず、神がとても身近に感じられるゆえに、神に向かって一貫して、親しく「あなた」と呼びかけ、私との関わりを述べている。神は宇宙を創造されたほどの無限に大きい存在であり、それは私たちにとって遠くの存在と感じる。しかしこの詩の作者はそのような遠い存在であるはずの神が土くれにすぎないような自分のすべてを見つめておられる。まだ言葉を出さない前からその思いを見抜いておられる、という実感を持っていた。 一般の人間にとって家族は最も身近な存在である。しかしその家族であってもまた特に親しい友人であっても、自分の思いをすべて見抜き、言わない前から自分の思いを知っているなどとどうして思うことができようか。 神の御手などどこにあるのか分からない、そんなものなどない、という気持ちを持つ人が多数を占めると考えられるが、この作者は、その見えざる御手が自分の上に置かれ、取り囲んでいるというのを実感していた。 …どこに行けば あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。… 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも あなたはそこにもいまし 御手をもってわたしを導き 右の御手をもってわたしをとらえてくださる。 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち 闇も、光も、変わるところがない。(同・7〜12) ここには、いかなるところに隠れようとも神はすべてを見られているということから、罪を犯してそのことを隠して置こうとしても決してできないこと、裁きから逃れようとしても不可能であることが語られている。たしかに、これほどまでに神が至るところで自分を見つめ、そばにおられることを実感している者にとって、罪を隠すなどは思いもよらないし、それはまさに神への畏怖である。 そしてこの詩の作者は、そのような万物を見抜く神の本質は裁いたり滅ぼすために見つめているのでなく、私たちを正しい道へと導き、救いを与えるためであることを知っていた。神の右の手は、その力によって滅びようとする私たちを捕らえ、引き上げて下さることを実感していたのである。 すべてを見ておられる神を実感するものは、このように、神への信頼と愛とともに、神への畏れをも同時に深く抱くものなのである。 自分がたとえ神から隠れようとして闇に入ったとしてもそこもすべて神は一瞬の光をもって照らしだし、すべての隠れたものを明らかにする。 この神の光の特質は、またこのように罪をも照らしだすとともに、闇にある者への光としても臨むのであって、ここにも厳しさのなかに愛をたたえた神の姿が記されている。 …あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 わたしはあなたに感謝をささげる。… 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。(同・13〜16) 次にこの詩の作者は、自分の原点に立ち戻る。自分の存在を創造して下さったのは神であり、胎児であるときからすでに見守って下さっていたという実感である。この広い天地のどこに行こうとも神は自分を愛と正義のまなざしをもって見つめ、さらに生れる前から見つめておられたのだと感じるのである。空間的にもまた時間的にも自分という存在を取り囲んで下さっているのが神なのである。 生れない前から、神はその書に自分のことを記して下さっている、つまり、自分を愛をもって神は心に留めて下さっているのを知っていた。それほどまでにこの詩の作者は、神のお心が手にとるように感じられたのである。 現代の多くの人は、どこにも神などいない、という。この詩の作者の心の経験といかに異なることであろうか。 人間は誰でも愛なくば、生きていかれない。誰かから愛されていると感じるからこそ、生きていく気力が生じる。全く愛されていないと本当に感じるとき、表面的には生きていても、内なる人間は死んでいくであろう。それゆえ、本当の愛がどこにあるか分からないときには、無理やりにでも愛のように見えるもの、愛の影にすぎないものをもぎ取ろうとする。それがこの世にいつの時代にも見られる男女間のさまざまの問題である。 …あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる。(同・17〜18) この詩の作者にとって、神の考え、神のお心は計り知れないものであった。たしかに歴史の動き、周囲の自然の動き、雲や大空、星、野草や樹木、海や川の一つ一つの姿、それらはみんな神の御計らいであり、神のご意志そのものの表れなのである。 そのような無数の神の御計らいは、私たちにおいても見られるのであって、偶然に見えることもみんな、神の御計らいのうちの出来事なのである。 私たち人間を日々導いて下さっていること、一つ一つの私たちのからだを支えて下さっていること等々すべての周囲の出来事はみな神の御計らいとして、この詩の作者には実感されているのである。 神はいるのかも知れないが、何も自分にしてくれるなどということはない、というのが多くの人の気持ちであろう。しかし、この詩の作者にとっては、自分になして下さっている神のわざを数えていくならそれは限りなくあることを知っていた。 どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、流血を謀る者。 たくらみをもって御名を唱え あなたの町々をむなしくしてしまう者。(同・19〜20) 作者は、自分と神との間の深い交わりを破壊しようとする力があるのを知っていた。この世の悪の力、それはどんなところにも進入してくる。最も価値ある神との個人的な交わりという霊的なところにも悪の力は忍び込んできて、神が近くにいますという実感を壊そうとしてくる。そして神への疑いを持たせようとする。 それゆえこの作者は、そのような悪の力に対して強い調子で神に訴える。どうか主よ、悪の力を滅ぼして下さい!と。こうした激しい悪への憎しみは、新約の時代に入って、より霊的なものへと高められ、悪人そのものへの憎しみでなく、霊的な悪そのものへの憎しみとなった。それゆえ、悪人に対しては憎しみでなく、その人から悪が除かれるようにとの祈りをもってせよ、それが敵をも愛するという意味なのだ、迫害する者ののために祈れ、と主イエスは言われたのであった。 …神よ、わたしを探り わたしの心を知ってください。わたしを調べ、私の悩みを知ってください。 見て下さい、わたしの内に迷いの道があるかどうかを。 どうか、わたしを とこしえの道に導いてください。(同・23〜24) 最後の段落で作者は、再び祈りをもって神に向かう。いかに深く神との交わりを実感している者といえども、人間はもろく揺さぶられる。どんなに意志を堅固に保とうとしても、悪からの攻撃や誘惑に倒れることがある。 それゆえこの詩の作者は、自分の内に間違った道がひかれていないかどうか、を見て、どうか自分を正して下さいと願うのである。ここには、自分はずっと神の国への道を正しく歩めるのだ、といった自信や誇りはない。前半で述べているように、著しく神の近いこと、神が自分のすべてを取り巻き、ともにいて下さるのを実感しつつ、なおこのようにそこから迷い出ることがあり得ることを自覚していたのである。 それゆえに、永遠の祝福である神の御手の内に置かれていること、そこから絶えず神の国のよきもの、神の平和を与えられることを願い続けるのである。 種まきのたとえ 主イエスは、福音を伝えることを種まきにたとえられた。私たちは何かをいつも蒔いている。 子どものときからすでに、親や周囲の人たち、また学校などにおいて数知れないものが、子どもの心に蒔かれていく。言葉を覚えるということも、言葉が知らず知らずのうちに、子どもの中に蒔かれていった結果である。 三〜四歳ともなると、日本語を自由に話すことができるようになる。しかし、英語を中学、高校、大学と八年も学んでも、たいていの人は自由に読み書き話すなどはできない。 これを見ても、いかに子どものときに大量の情報が頭(心も含めて)のなかに蒔かれているかがうかがえる。 私たちは、毎日の生活の中で、絶えず周囲から何らかのものを種蒔かれていると言える。 よい種が蒔かれるとき、例えば、数学や英語、音楽といった学校の教科などでもめざましく進歩することがある。人間の性格や精神的な成長もどんな教師からどのように蒔かれるかが決定的になることもある。 そして私たちもまた、周囲に対して常に何かを蒔き続けているのである。 このように、種まきの比喩的な意味は、我々にとって身近なことであるが、主イエスは、人間にとって最も重要な真理の種まきについてたとえで話された。 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。 ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。 ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。 (ルカ福音書八・4〜8) このたとえは、現代の私たちの知っている種まきとは様子が違う。日本では、このように種まきをする人が、道端に種を落としたり、石地や茨の中に落としたりすることはほとんどないだろう。 ていねいに畝を作ってそこに種をまくからである。 しかし、古代のイスラエル地方では、種を畑に手でばらまくという形で蒔いた。それゆえにこのような道端や石地、あるいは草が少々生えているところにも種が落ちるということがあったのであろう。 山道でツツジの美しい花が、崖に咲いていたのを見たことがある。人間の判断ではあのような場所に種を蒔こうとは決して考えないようなところに種が落ちて立派に成長し、花を咲かせていた。 こうしたことは、少し植物を観察していると随所に目にすることである。 人間が蒔いてもなかなか芽生えないものが、思いがけないところにめったにない植物が生じているのである。 野山における種まきは、自然に行われる。すなわち神ご自身が何億年も前から行って来たと言えよう。植物は、たくさんの種をつける。シダ植物のようにおびただしい胞子をつける植物なら、たくさんあちこちに芽が出るかといえばそうでない。無数の胞子が地面に落ちても、そこから芽生えるのはきわめて少数である。そしてそれは、また植物によっても異なる。あるものは、たくさん種が落ちてあちこちにごく普通に増えるのに、別の植物は、ほとんど新たな芽生えがなく、広がらない。驚くほどわずかしか見られないのもある。 落ちて芽生えなかった種はどうなったのだろうか。適切な水分が与えられないなど、落ちた環境が悪かったり、または土がないため、あるいは、乾燥のため、発芽能力を失っていくもの、また細菌などによって腐敗してしまうものなど、実にさまざまの理由があるだろう。 このように自然の世界においても、種の芽生え、成長の仕方は実に千差万別である。 福音の種が蒔かれることについてはすでに引用したように、ある種は、道端に落ちる。別の種は、石地に、他のものは、茨の中に落ちる。それらは、人々に踏みつけられ、あるいは動物が食べてしまい、またあるものは水がないために枯れるのもあり、別のものは、いろいろな雑草が繁っているために芽が出ても成長できないままとなり、枯れていく。 こうした状況は、福音の種という目には見えないものであっても、自然の状況と似たところがある。主イエスは、自然の現象の背後にも、霊的なこと、精神的なことが暗示されているのを深く見抜いておられた。 キリストの福音は、人々に踏みつけられ、悪の力によって倒されていくものもある。あるいは、一度は福音を受け入れて、心に信仰がめばえ、み言葉によって励まされて生きていく人であったのに、家族やいろいろなこの世の問題の悩みのために、神からの励ましを受けることができなくなり、福音から離れていく場合もある。 主イエスがこのように福音の種が育たないような状況を一つ一つ述べているのは、この世の現実を鋭く見抜いているからである。 聖書はいつもこのように、単なる表面的なこと、きれいごとを述べるのでなく、現実の厳しい状況、実際の姿を描いている。 そのような現実があるが、他方、必ず福音の種が落ちて芽生え、成長していく「良き地」がある。しかし、良い地とは、人間が見てこれは良い地だと思うようなものではないことが多い。 それは、主イエスの十二人の弟子たちや後に最大の働きをすることになった使徒パウロについてもいえる。 真理そのものであるキリストの福音にとって、良い土地が、社会的にはほとんど無視されていた漁師たちであるとは、いったい誰が考えただろうか。ペテロやヨハネ、ヤコブ、アンデレの四人もの漁師がキリストの弟子となった。 特にはじめの三人は、十字架上での死が近づいてきたころに、特に連れられて高い山に上り、キリストが太陽のように輝き、服が真っ白に輝いて神と同じお方であることが示された。このような重要なときにもこの三人が選ばれたのであった。 なぜこのように、ペテロ、ヨハネ、ヤコブたちが特に選ばれたのか、それは分からない。彼らは、良い地であったということになる。しかし、彼らがどうして良い地であるのかは、人間の側からは理由がはっきりとはしないのであって、神の側において、良い地としようとされるなら、どんなに人間が見て悪い地であっても良き地へと変えられるのである。 この主イエスのたとえを表面的に読んで、自分は茨の地、Aさんは石地に落ちたのだとか、Bさんは道端に落ちたのだとか、いろいろと他の人のことを裁いたり、人間の評価をしたりすることに引用されることがある。しかし、本来このたとえの意味するところは、決してそのように人間を分類することではない。 キリスト教が広がっていく過程で数々の苦しみがあり、迫害のひどい状況が生じて命すら奪われることも多かった。新約聖書にも、キリストの十二弟子のうち特に重んじられた一人であったヤコブは、使徒たちが聖霊を豊かに受けて、キリスト教伝道を命がけで始めてあまり経たないときに、ヘロデ王によって剣で殺害されたことが記されている。良い地であったはずのヤコブがこのようにキリスト教のごく初期にすでに殺されたが、ほかの重要視されていたペテロはもっと後まで生きたし、ヨハネはさらに長く生きてキリスト伝道に捧げたと伝えられている。 このように「良き地」に落ちたと思われていた人であっても、その働きの期間には大きな差がある。 しかし、その良き地であったヤコブの殉教によって、それを知らされた人たちはまた新たに信仰に生きる決意を奮い立たされたのであり、そこからさらに別の人たちを良き地となるように導くことにつながっていった。 このように、特定の人間が最初から良き地だというのでなく、さまざまの人間が神によって真理を受けとる器とされるのであって、荒れ地であっても良き地にされていくのである。 いかに迫害の時代であれ、また真理に反した教えが茨が繁るようにはびこるようになっても、そのような良い地はなくなることがない。よい地は神ご自身が創造されるからである。 主イエスは、このたとえの最後に、必ずよい地に落ちる種があると、次のようにのべている。 …ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。(マタイ福音書十三・8) 様々の悪がこの世には満ちている。そしていろいろの問題を深く知れば知るほどその解決には途方もない困難が伴っているのが分かる。一人の人間がどんなに訴えてもどうにもならない。しかし、この主イエスの言葉は、決定的な希望のメッセージである。 いかに、悪いところに落ちて次々と種が枯れてしまおうとも、それらを補って余りある収穫がとれる道がある。迫害のただ中であっても、病気や苦しみに悩まされるときであり、なぜこんなことが生じるのかと神への疑いが頭をもたげてくるようなとき、そのような時にまさにそこに良き地が準備されつつあると言えよう。悲しみや苦しみこそは、人間の魂を深く耕す鋤のような役割を果たすからである。 旧約聖書にヨブ記という書物がある。神を信じ、正しい生活を続けていたが、息子たちが罪を犯したかも知れないと思い、彼らの罪の赦しのために、朝早くからいけにえを捧げていたという。そのような人であったのに、突然大きな苦難が降りかかって、財産や家族を失い、妻からも見下され、耐えがたい病気にもなってしまった。 これは、すでに良き地であったヨブがさらによい地となるようにと、神がなさったことであった。 このように、最初から、ある人間が良い地であって、ある人は悪い地、石地であるといったことをこのたとえで言おうとしているのではないのである。 すでに良き地となっている場合には、さらにそれをよくするために神はその人を導かれる。 神がこの世を御支配なさるその方法は、悪がはびこり、悪が支配しているように見えるその中にあって、絶えず新たな良き地を準備され、そこに真理の種が定着し、三十倍、六十倍、百倍となっていく。主イエスがこのたとえで告げようとされた根本のことは、この増え広がるエネルギー、生命力が、どのようなものであるかということである。 そのことは、この種まきのたとえのすぐ後に置かれているからし種のたとえでもうかがえる。 …イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」(マタイ 十三・31〜32) これは、天の国、すなわち神の御支配の特質は、小さなものを用いて、そこから限りなく増え広がるということである。増え広がる、神のわざのこの特質は、すでに主イエスより千七百年余りも昔のアブラハムの記述にも、次のようにある。 …主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。 あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」(創世記十二・1〜3) このように、神に呼び出され、神の御手が臨んだアブラハムにおいては、その祝福のしるしとして周囲の様々の困難にも関わらず、「大いなる国民となる」ということが約束されている。神の真理のエネルギーは、じっと同じ状態で留まっているのではなく、それを受けとる人を限りなく増やしていき、また個々の人もその真理によって自分の本質がいわばふくらんでいくのである。何がふくらむのか、それはよい部分である。それまでになかったものが新たに芽生え、そして増大していく。 このことは、さらに別のたとえで言われている。 …彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記十五・5) 実際に、アブラハムの子孫はユダヤ人という民族となり、世界中に広がってこの預言が成就していったのが歴史のなかで示されていった。さらに、アブラハムの信仰の本質はキリストによって完全なものとされ、キリストを救い主と信じる人たちは、全世界に広がっていった。そのことは、霊的なアブラハムの子孫が文字通り、空の星の数が数えられないのと同様に増え広がっていったのを預言したことになっている。 主イエスも先にあげたたとえの他に次のようなたとえをも言われた。 …また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」(マタイ十三・33) このたとえではっきりと分かるように、ここで主イエスが言われた「天の国」とは、いわゆる天国(死者が行く場所)のことを言っているのではない。これは、死んだ後の世界のことでなく、神がこの地上の世界をいかに御支配なさっているか、ということなのである。(「天」とは、神を言い換えた言葉で、「国」とは、新約聖書の原語であるギリシャ語では、「王の支配」という意味。) これは、すでに述べたように、神がこの地上を御支配されるのは、まず小さなものから始められる。それとともに神はどんな小さなものでも、取るに足らないものでも用いられてそこに神の祝福を置かれる。それによって、目に見えないパン種(酵母菌)によって粉が膨らんでいくように、神の愛と真実による御支配を膨らませていかれる。 キリストは処刑された後、三日後に復活されたが、そのキリストの福音はとくにペテロ、ヨハネ、ヤコブという漁師三人が中心となって伝道が開始されることになったというのは驚くべきことである。古代の漁師たちは、獲った魚を保存する施設もなく、大量に獲れたときには、価格を安くしてでも早く売りさばかねば腐ってしまう。天候などによって魚がまるでとれないこともある。そうしたことから、金が豊かにたまる、というようなことはあり得ず、貧しい暮らしが多かったであろうし、当然社会的な地位も低かった。学問などとは無縁であり、政治や社会的な変革運動とも関わりは生じなかったと考えられる。 こうして最も地味で自然のなかで働く素朴な人たちであったと思われる人々が、世界にその働きや書いたものが伝わっていき、それによって世界の変革につながり、計り知れない影響を及ぼすことになった。 福音書によってキリストの真実の姿が伝えられ、それによって無数の人たちが救いを経験し、さらにいかに生きるべきかも示されていった。そして福音書に示されたキリストの信仰や教え、考え方、実践そうしたものが後の時代の学問、哲学、宗教、音楽や美術、文学、政治、福祉等々あらゆる人間の活動分野へと影響を大きな波のように伝えていった。 これは、まさに、目には見えないパン種が粉全体を膨らませていくという分かりやすいたとえで表されていることなのである。 真理の種まき、それは人間を用いて神ご自身がなされる。小さなもの、取るに足らないものを用いて、大きく膨らませていく。その驚くべきエネルギーをこの種まきのたとえで表しているのである。 キリストを信じて受け入れるときに、その、いのちのエネルギーと言うべきものを受け取ることができる。 その溢れ出る豊かさを、ヨハネ福音書では次のように表している。 …祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ福音書七・37〜38) On the last day, the great day of the festival, Jesus stood and cried out: 'Let anyone who is thirsty come to me! Let anyone who believes in me come and drink! As scripture says, "From his heart shall flow streams of living water." ここで、祭の最後の重要な日に、イエスが立ち上がり、大声で叫んだ、と特に記されているのは、イエスが与えようとする真理の種をひとたび与えられるなら、いかに大いなるものが与えられるかを強調しているからである。 他のいかなるものにも代えられない命のエネルギーが与えられるということを指し示している。 福音の種が、三十倍、六十倍、そして百倍になる、という主イエスの言葉が示そうとしているその内なるエネルギーは、溢れ出る命の水という言葉で表されているように、限りなく人をうるおし、死んだような状態からよみがえらせるものなのである。 愛国心 教育基本法の改定にあたって、愛国心に関する記述を入れるということが大きい問題となった。 結局、政府案は、「我が国と郷土を愛する態度を養う」と記された。他方、民主党が示した対案は「日本を愛する心を涵養する」という内容となった。 政府だけでなく、野党の一部などがなぜ、このように愛国心にこだわるのであろうか。そしてなぜ、この問題は重要なのか。 それは、すでに卒業式などにおいて「君が代」の強制が行なわれていることからうかがえるように、愛国心を養うことが法律で規定されるなら、一層こうした国家への忠誠が強要されることになると考えられるからである。 実際、一九九九年に成立した国旗・国歌法に関連して、当時の小渕首相が「児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と国会で答弁していたにもかかわらず、現在では、特に東京都などで顕著に見られているが、卒業式での国歌斉唱での起立が事実上強制されているからである。 教育基本法に「愛国心」の記述を入れると、そのための教育が強制される可能性が濃厚となる。 何のために、愛国心教育を強調しようとするのであろうか。 これは、要するに、自民党や政府の命令どおりに従うような人間を養成したいということがその背後にある。 現在、ますます日本はアメリカの軍事的な協力国家への歩みを強めている。 最近も、神奈川県横須賀市の市長が、米海軍横須賀基地への原子力空母の配備を容認する考えを表明したが、それによって、日本は、日本の心臓部である首都圏に危険な原子力空母の母港を持つことになる。これはどこかで戦争状態となったりすると、この空母が支援することになり、日本も事実上、戦争への強力な支援をすることになる。 そして原子力空母に搭載されている原子炉の危険性も同時に抱え込むことになる。もし炉心溶融などの大事故が生じたときには、神奈川県や東京都、千葉県など日本の中枢部に深刻な被害が生じ、百万人以上が被爆して一〇年以内に死ぬ可能性があるという。(「東京新聞」六月一四日の記事による) こうした危険性にもかかわらずアメリカの言うがままに、危険な空母の配置を受け入れている。 受け入れを認める政府などの説明では、原子炉を搭載しているが、核兵器ではないなどといっているが、長い間、当然のこととして言われてきた、非核三原則、「核兵器は作らず、持たず、持ち込まない」という国是をも事実上踏みにじるようなことである。 こうしたアメリカとの軍事的な一体化は、アメリカが戦争を起こすとそのまま日本にもかかわってくる。そして政府の命令どおりに忠実に従うようにと強制されてくる。政府などが考えている愛国心教育はこうした事態になると、命令どおりに従う人間を作ることになって好都合になるのである。 そのため、表面的には、若者の精神的な堕落は、愛国心教育がなされないからだ、などという理由を持ってくる。 しかし、国を愛するというようなことは、強制してできることなのか、そもそも「愛する」ということは、その対象が何であれ、強制したり、法律で規定してできることだと本当に考えているのだろうか。 例えば、愛国心教育が最も厳しく行なわれた戦前を考えてみる。国が本当によくなるようにと、人々は考えたのか、そうでなく、単に戦争に勝つということへの強い関心にすぎなかったのであり、偽りの情報に踊らされ、政府の言うがままに従っていくような状態へと落ち込んでいった。 日本は隣国に侵略して、上海のような大都市にも大規模攻撃を加えて計り知れない打撃を与えていったが、そうした大量殺人がその本質であった戦争を、聖戦と信じ込み、天皇のために命を投げ出す、などという考えをもって、敵の艦船に体当たりしていく、こうした精神は正しく成長したと言えるであろうか。 そのような大きな間違いを犯すこととなった理由のひとつは、真実を知らされずに、偽りの情報によってあやつられた結果であった。愛国心教育の結果は、世界大戦に積極的に加わり、率先してアジアの侵略をしていったことであった。そして他国の数千万の人たちを殺傷し、自分の国の人たちも三百万人を越える人たちが死ぬことになった。 これが愛国心教育が強力に行なわれたゆえの結果であった。 こうした歴史の事実を振り返ってみても、愛国心教育なるものが、いかに実体のないものであり、それがむしろ戦争を助長していったことがわかる。 ロシアの大作家であって思想家でもあったトルストイ(*)した、愛国心の本性を鋭く見抜いて次のように述べている。 … 愛国心とは、その最も簡単明瞭で疑いのない意味では、支配者にとっては、権力欲からくる貪欲な目的を達成する道具にほかならない。 また、支配されている国民にとっては、人間の尊厳や理性、良心を捨ててしまうことであり、権力者への奴隷的服従にほかならない。 愛国心とは、奴隷根性である。…(「キリスト教と愛国心」トルストイ全集第十五巻 428頁 河出書房新社刊) (*)トルストイ(一八二八年〜一九一〇年)ロシアの作家、思想家。十九世紀を代表する作家のひとり。代表作は、「アンナ・カレーニナ」、「戦争と平和」、「復活」など。晩年にはキリスト教の福音書の教えをもとにした民話集をたくさん書いた。また、キリストの非暴力、無抵抗の精神を受け継ぐ平和主義者としても知られ、インドの指導者ガンジーの非暴力の精神はトルストイに深く影響されたものであった。そしてそのガンジーの思想が、さらにアメリカの黒人牧師であったマルチン・ルーサー・キングに受け継がれていったことをみても、トルストイの影響は、単なる作家としてでなく、政治や社会的にきわめて大きい影響を与えることになったのがわかる。 こうしたトルストイの批判は、戦前の日本の状況を考えるとよくあてはまる。愛国心を鼓舞して要するに、自分たちの命令どおりに従う国民となるように教育などを用いて造り替えていき、戦争という目的に都合のよいように駆りだすために用いたのであった。 そして国民もまた、愛国ということのために、大事な息子も犠牲にし、働くことも戦時体制となり、戦争の助けをするための労働となり、言論の自由も奪われ、奴隷的な状態へとおとしめられていったのであった。 本当の愛国心 そもそも愛国とはどういうことなのか、国を愛する心というが、国とは何を指しているのか、愛するとはどういうことを意味するのか、そうした基本的なことが明確にされずに、各人がそれぞれにイメージを持って、それをもとにして議論していることが多い。 国とは、そこに住む人間、その人々を統治する組織、その人たちが住む国土などの全体を言う。国を愛するとは、そこに住む人間を愛し、その政府をも愛し、さらに国土をも愛するということになる。 それでは、「愛する」とはどういう意味のことを指しているのか。この場合も、実に曖昧である。 例えば、サッカーの国際競技で日本の旗を持って、応援したり、「君が代」をうたっていると、それで愛国心がある、などと言われる。しかし、そんなものが「愛」であるはずがない。単に自分の国が勝った方が何となく優越感を抱ける、ということにすぎない。 それは、日常生活のなかでも、人より金を多く持っていたり、大きい家、車を持ったり、自分の息子や娘が有名大学や大会社に入ったりすると、周囲に対して優越感を抱くことになるのと同様な感情にすぎない。 自分の国のチームが勝つと、何となく自分が偉くなったように感じる、だから応援を必死になってする。 もしも、弱い者への配慮を持つなら、勝利などたちまち消えてしまう。相手が弱いチームだ、それは気の毒だから、手抜きをして負けてあげよう、などと考えていたらたちまちスポーツの世界では、負けてばかりになり、排除されてしまうだろう。 相手に勝ったら喜ぶ、それは、子ども同士のけんかや、ゲーム、遊びも同様である。そこには、弱者への愛などというものは生れようがない。スポーツは本質的に強者のものだからである。 このような子どもの時から存在する心情が大人になっても続いていく。戦争という事態の背後にも、強者でありたい、という個々の人間の強い欲求がある。戦争となると、国民全体が自分の運命も関わってくるので、自国の勝利を目指し、相手を徹底的に打ち負かすことだけに必死になる。 国を愛するとは、どういうことか、 国(国家)とは、すでに述べたように、領土・人民・主権がその概念の三要素とされているが、第一に重要なのはそこに住む人間である。人間がいなかったら、それは自然の世界にすぎない。人間がいるからこそ、その人々を治める人たち、組織が必要となる。そうした組織が根本でなく、人間が元なのである。だから国を愛するというとき、そこに住む人間を愛するということが、出発点になければならない。そして人間を愛するとは、単にサッカーなどが他国に勝った、などというものではあり得ない。 ボールを小さな枠の中に蹴り込む、それがうまくできたからといって一体どうして日本の人間を愛する心につながり得ようか。それは本来子どものボール遊びの拡大したものにすぎない。 日本はこんなに強いのだ、という感情をくすぐり、自分もその強い一員だ、という一種の優越感を抱くことにすぎない。 しかし、本当の愛とは弱い者、苦しむ者、さらに敵対するものがよくなるように、と願う心であり、そうした優越感とは何の関係もない。むしろ、自分は偉いのだと思って喜ぶ心情は、本当の愛とは対立する感情なのである。 サッカーの応援を必死になってする、そこに愛国心が現れている、などというのは、このように国とはなにか、愛とは何かを深く考えないからである。 本当の愛国とは、そこに住む人を愛すること、言い換えると、そこに住む人間がよくなるようにと心を注ぐことである。偽の愛国心、実体のない愛国心とは、政府のいうがままになることであり、スポーツその他自国のことで優越感を抱くことである。 戦前のように、政府が強制的に天皇のために死ね、といわれれば、そのように行い、この戦争は聖戦だと言われれば、そのままそうです、といって従う、そうした政府への忠誠が愛国心とみなされている。 しかし、これがさらにすすめば、単に政府、権力者への奴隷的心情になる。健康な若者が、飛行機ごと、アメリカの艦船に体当たりして死んでいく、こんなことが全く無意味であることが分からなくなり、それがあたかも愛国心の極致であるかのように錯覚させられた、それは奴隷的と言えるほどに、政府の言うがままになっていった結果である。 愛国心といいながら、愛とは最も反対である、奴隷的な服従を強制させられている状態を、愛国心があるなどということになってしまう。 「君が代」の斉唱を強制する、これも政府の愛国心教育の一環なのである。しかし、「天皇の支配している時代が永遠に続くように」、といった意味の歌を強制させてそれで、日本の人々への愛が増大すると本気で考えているのだろうか。単に教育に関わる人たちは、上からの命令を聞いておかねば、自分の地位に関わるという自分中心の考えからなされていることが多いのではないか。そのようなことを強制している、教育委員会の人たちが、「君が代」をうたってどれほど日本の人たちへの愛を強めたりしているのか、と問いたい。 それならば、本当の愛国心とは何か。これは、愛とは何か、ということをはっきりさせておくことが不可欠である。愛とは、相手が本当によくなることを願い、祈る心である。単にひいきしたり、優越感などではない。 聖書における愛国心 この点で、聖書に現れる真の愛国者を見ればその違いがはっきりとわかる。 旧約聖書における真の愛国心をもった人を幾人かあげると必ず含まれるのは、エレミヤである。彼は、自分の国の人たちを愛し、彼らの生き方が間違っているゆえに迫っている大きな苦難、滅びようとしているのをはっきりと神から知らされ、命がけで人々への警告を発し続ける。その罪の根本は、正義と真実なる神を仰がず、別の神々を敬うということにある、と知った。それゆえ、そのままでは、人々は多数が死に、国も滅びるということが分かっていた。それゆえこの国の人々が救われるためには、正しい道に立ち返ることが不可欠だと、命がけで神の言葉を宣べ伝えたのである。 …主はこう言われる。 お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。 主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。… この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。(エレミヤ書七・3〜6より) …わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない。 むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。 「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。 わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」(同七・22〜23) これらの言葉は、当時の人たちが、真実な神の示す道を歩もうとせず、弱者を圧迫し、不正なことを重ね、そのようなことをしながら、他方では、神殿での儀式や捧げ物などの目に見える宗教的なことには力を入れている、そのような偽善的な宗教は何の役にも立たない。神からの語りかけに耳を傾け、正しい道に立ち返ることこそ、国が滅びないための道だと、人々に説いた。 エレミヤの目には、自分の国の人々が間違った道へと進み続けているその実体がありありと見え、その末路もはっきりと示されていた。それゆえに、彼は深い悲しみを持っていた。 娘なるわが民の破滅のゆえに わたしは打ち砕かれ、嘆き、恐怖に襲われる。… わたしの頭が大水の源となり わたしの目が涙の源となればよいのに。そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう 娘なるわが民の倒れた者のために。(エレミヤ書八・21〜23より) … あなたたちが聞かなければ わたしの魂は隠れた所でその高ぶり傲慢に泣く。 涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。 主の群れが捕らえられて行くからだ。(エレミヤ書十三・17) エレミヤはこのように、真実な神に立ち返らないゆえに、間近に迫っている滅びとバビロンへの捕囚ということをまざまざと神から啓示されたのである。そして痛みと悲しみをもってこれらの言葉を語り続けた。 見せかけの愛国心というのは、自分中心であり、自分を誇り、自分の益を求める。しかし、真の愛国心とは、このように、祖国の人々への愛であり、真理の道に立ち返るようにという強い願いを持っているのであって、他者中心、神中心なのである。 このように深く国を愛する預言活動の結果、エレミヤは、人々から憎まれ、殺されそうになる危険の中に生きていかねばならなかった。 祖国は、攻撃してきた新バビロニア帝国に滅ぼされたが、その国へと連れていかれること、つまり「捕囚」となる道こそは唯一の生き延びる道であり、神の御手がそこに及び、時至れば救いのときがくる、ということを述べ続けた。それは神からの真理の言葉であり、人々の方向を指し示す言葉であった。 しかし、人々はそのような真理を宣べ伝えたエレミヤを憎み、捕らえ、殺そうとまで謀った。そして最後はエジプトへと連れて行かれたという。 このように、身の危険をも顧みず、ただ人々が正しい道(神の言葉)に立ち返ること、それによってもたらされる国の平和と救いをのみ願い続け、生涯をそれに捧げたのであった。 このような、預言書の心を受け継いだのが、主イエスであった。主は、ご自身が最も深い、真の意味での「愛国心」の持ち主であった。 …エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。 「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。 それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」(ルカ福音書七・40〜44) … だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。 こうして…地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。 はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。 だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。(マタイ福音書二三・34〜38より) 主イエスは、エレミヤがそうであったように、神からの啓示によって国が滅びようとしているのをはっきりと知っていたのであった。ここに引用した言葉は、イエスがいかに深く人々の現状を悲しみ、その前途を深く憂えているかを映し出している。ここに一人一人の救いと神による平和を願い続ける主イエスの真の「愛国の心」がある。 事実、イエスが十字架で処刑されて四〇年ほど後、紀元七〇年に、ローマの将軍ティトスがエルサレムに攻め込み、人々の精神的な中心であった神殿も焼かれ、無数の人たちは殺され、民は世界に散らされ、祖国なき民となった。 主イエスは、最も重要なことは、「神を愛すること」、「人を愛すること」だと言われた。神とは、万能であって天地の創造主、しかも善き正しきこと、真実なこと、美しいものの究極的な存在である。善き存在であるゆえに、小さく弱い者への愛を本質として持っておられるお方であり、罪深い者をも赦し、導いて下さる。 そうした神であるからこそ、その神を第一に重んじ、心を向けることが万人にとって最重要なことになる。そしてその愛の神から受けた賜物を他者へと分かとうとする心が、人への愛である。 こうした神への愛、人への愛こそが、愛国心の根元になけれぱならない。そのような心こそが、いつの時代にも、またどのような状況に置かれた国や人々にとっても最善のものとなる。 ことば (236)雑用 東京神学大学の学生たちが、卒業しようとするときに、よく言います。雑用を軽んじる伝道者になるな、と。うっかりするとそういう人が出てくるのです。 私は少しも説教させてもらえない。雑用ばかりさせられると。 私は教会に雑用などないと言います。皆、神様の役に立ち、主イエスの役にたち、人々の役に立つものに雑用というものはない。 その雑用といわれるもの、一つ一つを大切にしない人に、説教はできはしないと教えるのてす。(加藤常昭説教全集第十四巻 248頁(*)) (*)加藤 常昭は、一九二九生れ。東京大学文学部哲学科や東京神学大学で学び、後に東京神学大学教授。一九九七年まで、日本キリスト教団鎌倉雪の下教会牧師。 ・このことは、主イエスが、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」(ルカ福音書十六・10)と言われたことである。神は、種まきのたとえにあるように、ごく小さなことを用いられる。大きなことは、この小さきことにいかに忠実に真実な心をもってなすか、ということによって任されるようになる。神の国のためには、小さなことはというのはなく、どれも大きなことなのである。また、逆に、次の主イエスの言葉にあるように、人の目に大きなことのように見えることは、神の目には小さなことになる。 …イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。」(ルカ福音書十六・15) (237)「真実にして最大の喜びは、被造物から受けるのではなく、造物主から授けられるものである。あなたが一旦この喜びを所有すれば、だれからも奪われることはない。これに比べると、どんなこの世の快楽や喜びも苦痛であり、苦いものであり、どんな栄華もつまらないものとなる。」(クレルヴォーの聖ベルナルドの言葉) 「神がある人に神みずからを愛するという恵みを与えたならば、その人は十分な幸いを授けられたのである。」 この聖ボナヴェントゥラの言葉は、宗教もしくは神学と呼ばれるものの最も簡潔な要約である。この領域での最もすぐれた学識も、要するにこれ以上のもの、あるいはこれ以外のものを含まない。これ以外にふくんでいるすべては、真の幸いにいたるために必要なものではない。 神への愛だけが、われわれを徹底的にエゴイズムから解放することができ、またすべての本当の自己改善の始まりである。この神への愛がとりわけ強くならないかぎり、人間愛、人道、倫理などといっても、そのうしろになんらの力も持たない空しい言葉にすぎない。(「眠られぬ夜のために上・ 六月十三日より」) ・ヒルティは、本当の幸いに関する真理を、ベルナルドやボナヴェントゥラという中世の有名なキリスト者の言葉を引用して述べている。人間の究極的な幸いは、人間や目に見える物などからでなく、神から与えられるということは、聖書が一貫して述べていることであり、また約束でもある。心に何も誇ったり頼るものを持たず、幼な子のような心をもてまっすぐに神に向かう心、そこにこそ、神の国が与えられると主イエスは言われたが、このヒルティの文はそのことを言い換えたものである。 内容・もくじへ戻る。 休憩室 ○六月になると野山は緑一色になります。野草や樹木などの花は少なくなりますが、そうしたなかで、ガクウツギの仲間や、ネズミモチ、クチナシなどの白い花が目立つ時でもあります。 特に野生のクチナシの花は、周囲の緑のただなかに純白の花びらと黄色のめしべが目立つ花です。とくに咲き始めた頃の花びらは、その真っ白の花びらがとりわけ印象的で、その花の他には変えがたい香りとともに六月の野生の花としては多くの人に愛されているものです。 姿とその色彩、そして香り、さらにその実もすぐれた染料として古代から用いられ、薬用にもされてきたという植物です。このクチナシは、植物が人間に向けて、さらにその心に向けても創造されたということを感じさせてくれる植物です。 編集だより 来信より ・…私の手術のことで皆様方のお祈りをありがとうございます。一か月あまりの入院で退院できましたが、現在は近くの外科病院で手当てを受けています。もう大分よくなりました。「祈りの川」誌に出して頂き、多くの兄姉のお祈りを受けておったのかと感謝しております。 ○○さんが遠路突然拙宅へお見舞いに来られまして大変驚きました。「祈りの川」誌で知ったとのことでした。全知の神様のお恵みです。数知れない兄姉たちのお祈りが私たちを取り囲んでおるのだと思い、改めて、怠惰に流れんとする愚か者ですが、信徒の方々のお祈りに参加して、いよいよ精進せよとの主の命令と拝受いたします。このたびの病のことを通して、主の道をまた、実体験させられました。… (四国の方、健康なときには分かりにくいけれど、苦しいとき、病のときに祈りの中で自分のことを覚えていてくれる人たちがいる、ということは大きな支えになるものです。「祈の友」の祈りが今後とも一層強められ、主が聞いて下さる真実な祈りが捧げられますようにと願います。) ・四国集会のことはずっと○○から聞いていましたが、想像以上に暖かく感動で胸がいっぱいになりました。…徳島集会と関東地域で行なわれる集会の違いや無教会の歴史なども教えてもらい、とても内容の濃い集会参加でした。 みなさんの証しを聞いて、生きて働かれる神の姿を見ることができましたし、私自身の信仰の持ち方にも大きな変化がありました。 神様はありのままの私を愛し、すべての必要を満たして下さっている…ことを感じることができたのです。 松山での四国集会を準備して下さった方々に深く感謝します。 何よりも、すべてが神様の御計画されたことだ、という感動が今も私を包んでいます。 集会に参加しなかったら知ることのなかった人々、松山までの風景、すべて必要だったんだと神様に感謝です。これからの日々も、どこかで松山での四国集会で出会った人々が生きていると思いだせる喜びがあります。… (初めて四国集会に参加された方ですが、短い期間の参加であっても、主が働かれるときには、心に何か忘れがたいものが残されるのを思います。ふだんの集会とはまた異なるかたちで、主のわざがなされるのを思います。) お知らせ ○メールアドレスを変更しましたので、お知らせします。 pistis7ty@ybb.ne.jp(旧アドレス)→pistis7tywol@ybb.ne.jp(新アドレス)以前からのアドレスに、wol を加えています。これは、water of life(いのちの水)の頭文字を取ったものです。 ○七月の県外集会の予定 吉村 孝雄の七月の県外の集会参加について。去年とほぼ同じ所ですが、今回初めてのところもあります。これらのいずれの集会においても、聖書講話を担当することになっています。これらの集会は、み言葉をもとにしつつ、感話、讃美、祈りなどによる交流が内容となっています。 七月十三日(木)〜十六日(日)北海道久遠郡せたな町 第33回 瀬棚聖書集会(連絡先 野中 信成氏) 七月十七日(月)午前十時より、札幌市北二条クラブにて(連絡先 大宮司 信氏) 七月十八日(火)昼前から午後にかけて 仙台。(連絡先は、市川 寛治氏 ) 夜は、山形にて。(連絡先 黄木 定氏) 十九日(水)八王子市(連絡先 永井 信子氏)。夜は、山梨県南アルプス市。(連絡先 加茂 悦爾氏) ○新しいホームページ 大阪府高槻市の那須 容平兄(大学生)によって、新しいホームページ「無教会キリスト集会」が作られています。近畿地区集会のこととか、徳島聖書キリスト集会の「いのちの水」が印刷されて郵送されているかたちで読めること、主日礼拝などの聖書講話が、そのままの形で聞けるようになっています。まだ、始めたばかりですが、従来の徳島聖書キリスト集会のホームページとともにそれぞれに特徴があり、用いられ方も違ってくると思いますが、共に神の言葉である聖書の真理が伝えられ、救いを与えられることに用いられますようにと願っています。 アドレスは、次のとおりです。 http://www.geocities.jp/ekklesiajapan/ 内容・もくじへ戻る。 ○礼拝CD 徳島聖書キリスト集会の主日礼拝、夕拝などの全体の内容(聖書講話、讃美、感話、祈り)などを含んだMP3のファイル形式で録音したCDを希望者に配布、郵送しています。一カ月分(主日礼拝と、夕拝がいずれも四〜五回ずつなので、八〜十回分の集会の内容が、CD一枚に収まっています。従来のカセットテープでは、一回九十分一本で、八〜十本を要したものですから、とても扱いが簡便になりました。)集会の内外からの希望がありますが、随時新規の希望を受け付けていますので、希望の方は「いのちの水」の末尾の吉村宛に申込をしてください。一カ月分の記録を収めたCDは、送料共で一カ月五百円です。 |
2006/6 |
なくてならないもの 2006/5 先日、朝にホトトギスの鳴き声を聞いた。ただ一声であったが、私の心の中に漂っていた雲のようなものを吹き去るような働きをしてくれた。何かさわやかなものが心に入ってきたのである。 人間の心には、このようにしてごくわずかなものがそれまでのもやもやしたものを一掃してくれることがある。 友の一言、あるいは、聖書の短い言葉、またふと流れてきた音楽、風にそよぐ音、あるいは水の流れの音…そうした短いもので私たちの心の風景がさっと変ることがある。 聖書のなかに、キリストの弟子ペテロが、主イエスが逮捕されたときに、三度もそんな人は知らない、と強く否定した。そのときの主イエスのことが次のように記されている。 …主は、振り向いてペテロを見つめられた。 ペテロは「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」と言われた主イエスの言葉を思いだして、外に出て激しく泣いた。(ルカ福音書二二・61〜62) 主イエスのまなざしと少し前に聞いていた短い一言が、ペテロを深く悔い改めさせることにつながった。 私たちが道にはずれたこと、言ったりしてはいけないことをしたとき、何らかの誘惑に負けたようなとき、主は私たちの方を振り向いて見つめておられる、そのまなざしを、この福音書の著者であるルカ自身がはっきりと体験していたのであろう。 そしてそのようなまなざしの背後に、神のまなざしがある。 最大の働きをした使徒となったパウロ、かれはかつてはキリスト者に対して激しい迫害をしていた人物であった。しかし、突然の光と復活したキリストの直接の呼びかけの一言によって決定的に変えられた。 私たちが神から求められているのも、幼な子のようなまっすぐな心で神を仰ぐただひとつのことであり、私たちが必要なものも、私たちに語りかけられる上よりの一言であり、神のまなざしである。 …無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。(ルカ福音書十・42) 低きところに 谷川のほとりを歩いていてふと思った。水は低いところへと流れる。 この世で与えられる最善のものである、聖なる霊も同様であり、神の前に自分を低くするところに自然に天からの水が流れてくる。 高ぶるところ、自分を第一とする心には流れてこない。自分には与えられるという自信のようなものがあっても難しい。 心の貧しい者、悲しむ者、正しいことができず、しかし真実な正しさそのものに飢え渇く者、自分は罪を犯した者にすぎない、土の器でしかない、と自覚する低い心に主の霊は注がれてくる。 これは、低いところへと水が流れていくように、必然的なことなのである。 可能なかぎりのことを 私たちがなすことは、わずかなことでしかない。よいことだと思ってしても誰からも評価されずかえって悪く言われることもある。人に精一杯の祈りと善意を尽くしても、あるいは印刷物をたくさん作って配布しても何の反応もない、何らかのよき運動のようなことをしても何にも現実は変わらない。そのようなことはよくある。 しかし、結果を見ないで続ける。ほめられてもけなされても、やっていること自体がよいことならば、続けていく。それは時として「水の上にパンを投げる」(コヘレトの言葉十一・1)ようなことだ。全く無駄なようなことに見えることがある。 しかし、内なるものにうながされるなら、無駄にみえることも続けることができる。 そうして続けるとき、意外なことが生じる。思いがけない出来事、予想しなかった出会い、また突然の事故や苦しみ、分裂、そうしたすべてを通して神が働かれていたのが後から分かってくる。 イギリスの広く知られたキリスト教伝道者のスパージョンが次のように言っている。 「海上に風が全く吹かなくとも、帆を降ろしてはならない。 そうすれば風が吹いたとき、あわてて準備せずにすむからである。 恵みが伴わないように見えても、手を尽くせ。 そうすれば恵みが訪れたとき、それを受け止めることができる。 一回の好機を逃してしまうよりは、五〇回の徒労の方がよい。 しばしば祈ることができない、などと考えてはいけない。朝に、昼に、夕に、魂を神に向かわせよ。 望みを失って願うことをやめてはいけない。鳥の声にさえ耳を傾けて下さる神は、時至って、あなたの願いを聞いて下さるはずだから。 神が願いを聞いて下さるまで、あきらめてはならない。…」 主イエスが、「求めよ、そうすれば与えられる」と言われたのは、こうした持続する祈りと願いなのである。 イエス・キリストの福音 福音という言葉は、日本語としてもキリスト教と関係のない領域においても広く用いられている。新約聖書に現れるこの語の原語は、ギリシャ語では、ユウアンゲリオン(euaggelion)であり、これは、「喜びの知らせ」という意味である。(*) (*)euとは、「良い」という意味の接頭語、 aggelw とは、「知らせる」という動詞。 この世において、喜びの知らせとはどういうことを指しているだろうか。それは結婚、出産、あるいは、大学合格とか、大会社に就職できた、あるいは自分のひいきするチームが優勝したなどといったことが一番ふつうに連想されるだろう。 しかし、そうしたよい知らせを全く生涯受けとることのない人も相当いる。生まれつきからだが弱いとか、重いからだの障害があって、病院で多くを過ごさねばならない人、あるいはスポーツの勝ち負けなどに関心が持てない状況にある人などにとっては、そうした喜びのおとずれなどはまったく関係のない別世界のことだといえよう。 また、世間の喜びの知らせを受けた人であっても、その後にどんな悪い知らせを受けるかは誰も予測できない。例えば合格した喜びはまもなく、勉強とかサークル活動についていけないとか、健康を害するとか、あるいは人間関係がうまくいかないなどで、まもなく苦しい生活になるということもよくある。 子どもに恵まれなかった夫婦がやっと子どもに恵まれた、しかしその後病気になったとか、少し成長して親に逆らうようになったり、問題を起こして心配の種になることもしばしばである。 このように、この世の喜びの知らせは、たいていが一時的である。 しかし、聖書が示している喜びのおとずれは、本質的に永続的であり、だれにでも本来与えられるものなのである。 聖書全体が、いわばこの喜びの知らせをたたえている。それは、すでに旧約聖書の巻頭にみられる。 天地創造のときには、この世界、宇宙全体がおそるべき混乱と、深い闇のなかであったが、そこに「光あれ!」 という神の言葉ひとつで、すべてを包んでいた闇に光が生じた。これはすでにあらゆる困難な問題への喜びのおとずれなのである。 戦争、飢饉、憎しみ、絶望、差別、貧困、老年の孤独と病気、天災や事故等々、この世には心を暗くし、希望を失わせることで満ちている。しかもそうした闇を解決する根本的な方法はだれもが知らないのである。 しかし、神はそのはてしない闇と混乱のただなかに、根本的な解決の道をはっきりと示したのである。 それこそは、神の言葉であり、光をもたらす神の力である。 このことは、信じるかどうかである。どんなひどい闇や混乱があっても、そして人間の努力や対策、運動が無力に見えても、そのなかに神の言葉が注がれるなら、たちはだかる壁を越えることができる。 ここに喜びの知らせの原点がある。 また旧約聖書における最も重要な人物の一人である、アブラハムについて見てみよう。それは神が人間に呼びかけ、約束の地へと導くということであり、さらに、星のように子孫を増やすということであったが、それもまた、喜びのおとずれである。 どこにいくのかわからない、最終的には死という闇へと向かうのだという一般的な常識は、喜びどころか心を憂鬱にするものである。 しかし、アブラハムを未知の地ではあるが、そこに導き、大いなる祝福を与える、という約束を与えられたこと、それはまさに喜びの知らせであった。 喜びの知らせ、その特質は、一方的に与えられるという点にある。もし私たちの側にいろいろな条件が必要とされるのなら、それは何か苦しいもの、努力を要するもの、あるいは生まれつきのものであったりする。そこからは、自分には喜びの知らせではないのではないか、という恐れや不安がある。 しかし、アブラハムにとっての最大の喜びの知らせは、突然、一方的に神から告げられた。 「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えよ。あなたの子孫はこのようになる。 …私はあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」(創世記十五・7) このように、アブラハム自身がなにか優れたところがあったとか、何かの特別な善行をしたとか、そういうことが全く言われていない。ただ一方的に祝福の源になり、星のように子孫が増やされ、よき土地を与える。」と言われたのである。 このことが、時代がすすむにつれて、祝福の源になるということよりもさらに深いところへと進んだ。それが、人間の根本問題である、罪の赦しのことである。 これが何よりも、深い意味において、喜びの知らせとなることは、すでに旧約聖書の詩編においても、示されている。 いかに幸いなことか、主に罪を数えられず、心に欺きのない人は。 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てた。 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は夏の日照りにあって衰え果てた。 わたしは罪をあなたに示した。 わたしは言った、 「主にわたしの背きを告白しよう」と。 そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦して下さった。… あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。 救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。… 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。 すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。(詩編三二より) ここに、深い喜びの声をあげるのは、罪赦された人である。多くの人々に喜びの知らせを告げることができるのは、罪赦され、それまでのどんなことをしても解決できなかった罪ゆえの苦しみから解放された人なのである。 この詩は、喜びのおとずれをキリストより何百年も昔にすでに知らされていた内容を持っている。 こうした罪ゆえに縛られた状態からの解放が最大の喜びとなり、解放を告げるもののうちに与えられる喜びが、イザヤ書にも記されている。 いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げる… 主は聖なる御腕の力を 国々の民の目にあらわにされた。 地の果てまで、すべての人が わたしたちの神の救いを仰ぐ。(イザヤ書五二・7〜10より) このイザヤ書の箇所は、もともとは、イスラエルの民が彼らの罪ゆえに、新バビロニア帝国に攻略され、滅ぼされて多くの民が遠くバビロンに捕囚として連れて行かれた。そのときから半世紀を経て、新しくペルシア帝国が起こり、その王が意外にも捕囚となったイスラエルの民を解放し、祖国に帰ってもよいとの許可を与えたことが背景にある。 罪ゆえにとらわれていた人たち、その人たちが帰ってくる、という喜びの知らせを指しているものであった。しかし、聖書の箇所は、そうした特定の時代に関して与えられた言葉であっても、驚くべきことに、はるか後の時代のことを預言するものであることが実に多い。というより、聖書とはそうした言葉が収められたものであって、それゆえに神の言葉と言われるのである。 神の言葉とは、永遠性、普遍性を持つものだからである。 実際、パウロは、この箇所を福音を宣べ伝える者を預言した箇所として、その書簡の中に引用している。 …遣わされないで、どうして(福音を)宣べ伝えることができよう。 「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」 と書いてあるとおりである。(ローマの信徒への手紙十・15) この福音とは、パウロがその主著であるローマの信徒への手紙の冒頭で書いているように、神の子キリストに関するものである。 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、 御子に関するものである。 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって神の子と定められた。この方が、私たちの主、イエス・キリストである。(ローマの信徒への手紙一・2〜4) 福音とは「キリスト」であり、復活したゆえに「神の子」と定められたと言われている。ここで、神の子とは、単に神が造った子という意味でなく、神と同質という意味である。 この短い表現によっても、福音とは復活したキリスト、神の子キリストに関するものであることが分かる。 そしてそのキリストの福音の中心は、人間の最も深い問題、すなわち罪の問題の解決であった。人間世界の根本問題とは、戦争や、資源やエネルギー問題、あるいは環境問題、人口や貧困の問題でない。それらすべての問題の根源にあるのが、人間が正しい道を歩けず、自分の欲望や意志どおりにしようとする人間中心、自分中心の考えにある。そのことが罪というものである。罪こそは、あらゆるこの世の問題の根本に横たわっている問題である。 それを解決するために来られたのが、キリストであり、キリストそのものがまさに福音なのである。それゆえ、過去から現代に至るあらゆる問題の根本的な解決には、つねにキリストの福音が働いてきた。 そのことは、具体的には、キリストが私たちのどうすることもできない罪そのものを身代わりに背負って死んで下さったということである。これは、あまりにも予想できないこと、人間のそれまでのどんな哲学思想や経験にもなかったことであるゆえに、自然のままの人間には到底信じられない、受け入れられないことなのである。 そのことを、聖書において初めてはっきりと記しているのは、次の箇所である。 … かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように 彼の姿は損なわれ、人とは見えず もはや人の子の面影はない。 それほどに、彼は多くの民を驚かせる。 彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、 一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。(イザヤ書五二・14〜五三・1より) このように、神のしもべとして来られた方であっても、前代未聞のかたちでの生き方のゆえに、その人を受け入れられないと記されている。 キリストの時代より、五〇〇年以上も昔に預言されたこのことは、キリストがこの世に来られたことによって実現することになった。福音はその内容があまりにも予想外であるゆえに、まず第一にユダヤ人の救いのために来られたはずのメシアであったが、ユダヤ人そのものがほとんどが受け入れようとしなかった。 そして現在も特に日本において、この簡単な福音を受け入れることができない人がきわめて多い。 このような喜びの知らせが全く予想外のことであるのは、次の言葉でもうかがえる。 …これから起こる新しいことを知らせよう 隠されていたこと、お前の知らぬことを。 それは今、創造された。 昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。 それをお前に聞かせたことはない。(イザヤ書四八・6〜7より) この記述は直接的には、新バビロニア帝国が滅び、新しく興ったペルシア帝国の王によって、捕囚となっていた民が解放されるということを指している。しかし、預言書、とくにイザヤ書にはそうした時代的な状況を越えてはるか先のことをも預言するものとなっていることがしばしばある。預言書というのは本質的にそのような真理を内に持っているのである。 これは、これが書かれてから五〇〇年ほども後に生じる、キリストによる罪からの解放を預言するものなのである。罪の力、人間を自分中心という力に縛られた状態、囚われた状態から、キリストが十字架にかかって死ぬことによって、解放するということは、全く誰も考えたことのないことであった。 また、同じイザヤ書の最後の部分には次のような記述がある。 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして その民を喜び楽しむものとして、創造する。 わたしはエルサレムを喜びとし わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。(イザヤ書六五・17〜20より) 現在、私たちが生きているこの天地と異なる新しい天地、それはどのようなものか、描くことは困難であるが、はっきりしていることは、その新しい天地は霊的なものであるということだ。そしてこの書を書いた人が、神から直接に受けた深い啓示によってこのような新しい天と地が必ず来るということを、世界の人々に伝えようとしていることである。 そして人間も、新しく創造されるという。その特質は、ひとつ、喜びに包まれた存在として創造されるのである。 これは、単にイスラエルの人たちのことを預言しているのでなく、全世界の人たちに向けてこの言葉がある。 このような、全く新しい霊的な世界と、新しく創造される自分とを知るとき、これはまさに喜びのおとずれである。 この預言書の著者、イザヤは神から直接にこの喜びのおとずれを聞き取り、それが永遠的な意味を持っていることを知らされていたであろう。 このことは、当時としては多数の人たちからおよそ信じがたいとして受け入れられなかったであろうが、現在の私たちへも届く光に満ちたメッセージとなっているのである。 人間は、罪深い存在であるゆえ、何か自分にとって気に入らない言動がなされると、相手にも不満や怒り、憎しみとか軽蔑といった様々の感情を持ってしまう。 しかし、そうしたあらゆる暗い感情を越えて、喜びのおとずれがある。 このように、旧約聖書ですでにごく一部であっても、人類に与えられる「喜びのおとずれ」が告げられていたのであるが、それが決定的になったのが、主イエスによってであった。 新約聖書において、キリストの福音とは何か。 キリストご自身は、どのようにこの福音という言葉を用いたであろうか。 福音書の最初のもの、マルコ福音書で福音という言葉はつぎの箇所で現れる。 イエスは、神の福音(喜びのおとずれ)を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。心の向きを変えて、福音(喜びのおとずれ)を信じなさい。」(マルコ福音書一・14〜15) ここで福音(喜びのおとずれ)と言うが、なぜ、どのような意味においてそれが喜びのおとずれなのであろうか。また、旧約聖書ですでに見られる喜びのおとずれとどのように違うのであろうか。 それは、神の国が近づいた、すでにここにある、ということである。神の国とは、何かということが次の問いになる。日本語で「国」といえば、日本とかアメリカといった国を連想する。そして、王という意味が入っているなどということはない。しかし、新約聖書の原語であるギリシャ語では、「国」と訳された原語は、バシレイアであり、それは王(バシレウス)という語と関連している。すなわち、単に目にみえる国というのでなく、王の支配といった意味を持っている。それゆえ、主イエスが、神の国は近づいた、といわれたのは、神の王としての支配が近づいたということになる。そして単に近づいただけでなく、すでにそこに来ているという意味が込められている。 それは、原文の表現が、単に近づいたという過去でなく、近づいた、そして今そこにある、といったニュアンスを持っているからである。(*) 日本語訳をそのまま受けとると、神の国、すなわち神の御支配が近づいた、しかし、まだ来ていないというように受けとられるかも知れないが原文はそうでなく、現に神の愛と真実の支配がそこにあるのだ、という意味を持っている。 (*)「近づいた」と訳されている表現は、ギリシャ語で、「(現在)完了」といわれる時制である。これは、単なる過去でなく、「完了した行為の結果としての現在の状態を表現」している。 …完了時制は、動作を、いわばひとつの完成した製品のように目の前において眺める時制である。言い換えると、その動作の生起や遂行そのものに注目するのでなく、完成の極点への到達と完成の結果そこに存在する事態を総合して眺め、その時点で現にどうなっているかを表現する。この時制のギリシャ語名は、parakeimenos は、新約聖書の本文にも現れる動詞の分詞形で、「側に来ている」「現に目の前に置かれている」時制を意味する。…完了時制の主要な表現機能は、動作が完結して、「現にどうなっているか」にスポットを当てることである。 (「新約聖書ギリシャ語構文法」一七五頁 岩隈直他著、「新約聖書のギリシャ語文法」第一巻一〇五頁 織田昭著 などより」) そのことを裏付けるように主イエスもつぎのように言われている。 …ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。 「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。 実に、神の国はあなたがたの間(ただ中)にあるのだ。」( ルカ福音書十七・20〜21) ファリサイ派の人たちとは、旧約聖書に記された律法を厳格に守ることを重んじた人たちであった。彼らも神の国が来ることを待ち望んでいた。それは旧約聖書に預言されていたからである。 メシアではないかとうわさされているイエスならば、神の国のことについても答えるだろうと考えてこのような質問をしたと見える。 神の国は、どこか別のところにあるのでなく、「あなた方のただ中」すなわち、私たちが生活し、さまざまの問題を抱えて悩み苦しみつつも、生きている私たち自身のただ中にあると言われた。どんなに悪がはびこり、また神がいないように見える困難な問題が生じようとも、それでもなお、神の国、つまり神の王としての御支配は、そのようなただ中にある、といわれたのである。 イザヤ書の預言から数えるとおよそ七〇〇年ほども昔から、神に特別に選ばれた者が現れるとされてきた。そうした身近なものとなった神の国はじつはそこに来ているのである。 この地上の状況は、昔から今に至るまで変ることがない。聖書にもその最初の書物である創世記に、初めての家庭であった、アダムとエバの家庭に、兄のカインが弟のアベルを妬んで殺すというようないまわしいことが書かれてある。初めて聖書を読み始めたときにはどうしてこんな暗い記事が書いてあるのかと思ったが、それはこの世の現実の状況を鋭く現しているものなのである。 カインが弟を殺したのは、妬みが憎しみへと深まったためである。そのような感情は自分中心の心から生じる。この自分中心という人間の本性のゆえにこの世はさまざまの苦しみや悲しみが生じる。どんなによいことをしてもどこかに自分への報いを期待する心があり、よいことをしていない人を見下したりする心が隠れていたりする。 聖書における放蕩息子のたとえに出てくる兄の態度がそうした人間の本性をよく現している。兄の方は仕事熱心で、落ち度もなかった。長い間怠けることもせずに働いてきた模範的な息子と思われていた。しかし、放蕩のかぎりを尽くしたが、心を入れ替えて罪を告白して帰って来た弟に対してはまるで愛を持てなかった。父が大いに喜んでかつてないほどのご馳走をして、その放蕩息子を迎え、死んでいたのに生きかえったと、その喜びを表したのに対して、兄の方は、あんなに遊び暮らしてきた人間をどうしてあのように迎えるのかと、父への不満と弟や父への怒りでいっぱいになってしまった。ここには、どんなにまじめに働いているようであっても、その心は自分中心であるという人間の現実の姿が描かれている。 人間の善い行いというのも、このように実は自分中心の心がその奥にひそんでいる。しかし、本人ですらそれには気付かないほどに奥に隠されているのである。 このような人間世界の現状のただなかに、神の新しい御支配が近づいた、すでにそこに来ているというのである。それは、悪の支配でなく、神の全く新しい御支配がそこにある、というのである。 人間がどんなにいろいろと努力しても、本質的に自分中心という本性は変わらない。そのただ中に突然、天から入り込んできたのが、神の御支配の新しい世界だという知らせである。 主イエスは、悔い改めよ、福音を信ぜよ、といわれた。この悔い改めと訳されている原文の表現は日本語とはニュアンスが異なっている。このところの言語は、ギリシャ語ではメタノエオーであり、これは、旧約聖書のヘブル語の、シューブという言葉で現わされる意味が背後にある。 そして、シューブというヘブル語は、「立ち返る」とか「悔い改める」、「向きを変える」「心を変える」といった訳語に訳されている。 英語では、このシューブは、英語訳としては最も広く用いられてきた、 (きんていやく)聖書(*)でみると、return(「戻る、帰る、復帰する」という意味) と訳されたのは三九一回、turn(「回転させる、変える、裏返す、方向を帰る、向ける」)と訳されたのは 一二三回というように、合計すると五〇〇回以上も、転じるという意味をもった言葉に訳されているのが分かる。 悔い改めるという日本語は、日本語訳よりも先に訳された中国語聖書からそのまま引き継いだ訳語である。中国語聖書(**)では、手許にある五種類ほどのものは、四〇年ほど前の翻訳から最近の翻訳まですべて「悔改」と訳している。 (*)イギリス国王ジェームズ1世の命を受け,五十数人の聖職者,学者たちによって訳され、一六一一年に刊行された英訳聖書。その文体は優れていて、刊行以来今日に至るまで3世紀半以上にわたり広く国民の書として愛誦され,英・米人の精神,思想,感情生活をはぐくんできた。シェークスピアの英語と並び,むしろそれ以上に,近代英語の形成に大きな役割を果たした。それは翻訳であるにもかかわらず,一つの文学作品として,後の英・米文学に与えた影響も絶大であり,日常英語に引用ないし言及される作品として最も広く知られてきた。 (**)例えば、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」というイエスの言葉は、新しい中国語聖書では次のように訳されている。 神的国近了! …当悔改、信福音。 日本語の「悔い改め」という言葉は、ある具体的な罪を犯したことに対してそれを反省して、止めようと思ったというニュアンスを感じる。例えば、以前に盗みをしたことを悔い改めた、という用い方である。けれども、このような個々の罪を悪かったと悔い改めるというのでは、人間の本質は何も変わらない。私たちは、日々、数知れない罪を犯しているからである 罪を犯していない、正しい生活をしている、という人もいるだろう。しかしそれは、仕事もまじめに熱心にする、人間関係もよい、悪い遊びもしていない…そのようなことをふつうは正しい生活というだろうし、周囲の人もよい人だとみなし、罪があるなどとは考えない。 しかし、主イエスの指し示された人間のあり方は、そのような表面的なあり方でなく、心の奥の状態まで言われている。それは、この世の標準からみて正しいかでなく、正しさや真実の根源である神を愛し、隣人を愛しているか、ということが問われている。 神を愛しているなら、自分のため、家族のためだけに生きるということは、正しい生き方でないと分かる。神とは万物を創造されたお方であるから、どんな人間をも愛をもって造られている。それゆえ自ずからどんな人間にも同じような心で対することが求められてくる。 それゆえ、主イエスは、神を愛することと並んで、人を愛することが、人間の基本的なあり方であると教えられた。 このような、誰にでも及ぼす愛を持って生きているか、という点からみると、いったい誰がそのような愛を持って日々生活していると言えるだろうか。 何か気持ちが向かない、合わない人、病人、障害者に対して自分の家族に対する心と同じように愛を持っているだろうか、あるいは敵対する人、意図的に悪意を持って攻撃してくる人、欺いた人、裏切った人、等々そのような人たちへの愛はどうか。 さらに、誰にでも及ぼす愛を持っているというなら、通りで出会う一人一人、通りすぎる家々の一人一人、通勤で出会う数知れぬ人たち…そうした人たちへの愛をいったい誰が十分に持っているなどと言えるだろう。 主イエスが言われたような、誰でもに及ぶ愛はあるのか、神が求めるような正しさや真実をもって生きているか、と問われたら、そのようなことはとてもできていない、すなわち神が示されている正しいあり方から遠くはずれた者でしかないのが分かる。 このように、もし私たちが個々の罪を悔い改める、などということをするなら、それは無数にある罪を一つ一つ悔い改めていくなどということは到底できないことである。 主イエスが、「悔い改めよ、福音を信ぜよ」と言われたのは、そのような個々の罪を思いだして悪かったと反省することでないのはこうした事実を考えても明らかである。 すでに述べたように「悔い改める」と記されていても、本来のギリシャ語やヘブル語では、そのような個々の罪を犯したことを反省するといったことでなく、「転じる」という意味がある。 神の新しい支配がそこに来ている、だから今までは、この世の罪深い出来事や、戒め、その罰等々社会の表面ばかり、目に見えるようなものばかりを見ていたのを、全身で方向転換して、すでに私たちのただ中にある神の新しい御支配(神の国)を信じ、それを受け入れよ、というのである。 一般の考え方の場合、私たちに近づいているのは、ますます広がる環境汚染、原発やそれと深い関係がある核兵器の危険性、地震などの天災、テロや戦争の広がりといったもので、何もよいニュースではない。それどころか、心を暗くする、悪いニュースが毎日告げられている。 「神の新しい御支配のときは近づいた、そしてすでにそこにある。今までの方向でなく、その神の支配を信じよ」ということは、より具体的に言えばどういうことであろうか。 それは、悪の霊が退けられるということにはっきりと現れている。悪の力が追いだされることである。次の主イエスの言葉がそのことを示している。 …しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。(ルカ福音書十一・20) また、主イエスが、弟子たちを派遣するときの記述も、次のように記されている。 …イエスは、十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権威を与えた。 汚れた霊を追いだし、あらゆる病気や患いをいやすためであった。 …イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。 「…イスラエルの失われた羊のところへ行きなさい。行って『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、…悪霊を追い払いなさい。」(マタイ福音書十・1〜8より) このように、汚れた霊(悪霊)を追いだすということ、悪の力が退けられることは、天の国(神の国)が近づいてすでにここにある、ということをはっきりと示すものである。 悪の霊の力、働きが追いだされることは、イエスの地上での働きのときに始まった。そして、主イエスが十字架にかけられて処刑されたということも、善の敗北でなく、それによって人間の罪の力が十字架にかけて滅ぼされたという象徴になった。 罪が赦された、ということは何にも代えることのできない喜びであり、平安をもたらすものである。人は自分の過去の長い間にわたる言動や、心に思ったことなどを静かに振り返るとき、じつにたくさんの罪を犯してきたことに気付くだろう。過去の罪によって誰かを傷つけたり、苦しめたことはどうすることもできない。それによって相手がどのような打撃を受け、場合によっては生涯にわたる影響を受けたかも知れない。それはいかにしても償うことはできない。 しかし、そのような赦されない罪の苦しみから解放される道が開かれた。それはそのような罪を赦し、主の平和を与えるために、キリストは十字架にかかったのだと信じて受けいれることである。 それこそ、まさに「喜びのおとずれ」(福音)である。 これが喜びの知らせであることを次のようにパウロは記している。 …神は、私たちを愛して、聖なる者、汚れなき者にしようと、キリストによって選ばれました。 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちが称えるためです。 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるのです。 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせて下さいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。(エペソ信徒への手紙一・4〜9より) ここには、罪の赦しがいかに大きな喜びのおとずれであるかが記されている。その計り知れない大きな喜びのゆえに語らずにはいられない、という著者の熱心が感じられる表現である。 そしてこの罪からの救い、罪の赦しということから、復活ということにつながっていく。 罪赦された者、罪からあがなわれた者は、死からよみがえったものなのである。 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。… しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。… 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(エペソ信徒への手紙二・1〜6より) ここで、私たちは罪ゆえに死んだと同然な者となっていたと言われている。罪とは人間を死に至らせるからである。しかし、死の根本的原因である罪が赦され、罪からあがなわれたゆえに、死の原因が除かれた。それゆえに、キリストを信じて赦しを受けた者は、死から復活したと言えるのである。 キリストが復活したのはわかる、しかし、罪深い私たちがキリストと共に復活する、などということがあるのだろうか、と信じきれない者もいるだろう。 しかし、そのような本来なら信じられないような恵みが与えられるというのが、一貫した神の言葉なのである。それが喜びでなくして何であろう。 十字架と復活は、このように「喜びのおとずれ」の最たるものなのであり、それこそキリストの福音なのである。 神が、この世の悪の霊的な力に勝利する(悪霊を追いだす)ということは、このように、十字架の罪の赦し、復活ということにも内的につながっていく。 これらすべてがイエス・キリストが地上に来られて、たしかに「神の国」が近づいて、私たちの生活のただなかにある、ということを指し示すものである。 神の国などどこにもない、あるのは、人間の国、人間のさまざまの思惑や計画、策略などなどの混乱した世界しかないのだ、と考えている人間のただなかに、いわば雷が落ちるように、稲妻が闇夜を貫いて大空から光を放射するように、「否、神の国は、そこに来ている、もう来ているのだ」という大いなるメッセージがここにある。 教育基本法について 憲法の改定、さらに教育の根本方針を定めた教育基本法をも変えようという動きが強まっている。ここでは教育基本法について考えてみるが、その改訂の主たる目的は、「愛国心」という言葉を入れることと「歴史・伝統の重視」である。自民党などには、従来から、この教育基本法が「愛国心教育の足かせ」になってきたなどと不満を持ってきたという。 現在の教育基本法の根本的な精神が現れている前文をあげる。 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」 この目標を箇条書きにすると、、 一、個人の尊厳を重んじる。 二、真理と平和を願い求める人間の育成。 三、普遍的かつ個性的な文化の創造をめざす教育。 この前文の精神は、十五年ちかくにわたる中国との戦争と太平洋戦争がこの三つを否定し、または著しく軽んじたことの反省から生まれたものである。この戦争においては、個人の尊厳が驚くべき仕方で、無惨に蹂躙された。戦争とは、なんの危害も加えたことのない、一般の住民に対しても、無差別に爆弾を落として、殺害し、住居を破壊し、生活を根本からくつがえすものであって、最も個人の尊厳を否定していくものだと言えよう。 一人の人間は無限の価値があるという考え方からは、到底戦争という発想は生じないはずである。国家の利益と称して、一人一人の人間の自由や権利、尊厳を平然と奪い、侵していく全体主義が戦前は堂々とまかり通っていたのである。 つぎに、戦前は、天皇というただの人間にすぎない人物を現人神とし、その天皇がアジアを支配するのを目標とするまでに到った。人間を生きている神だなどという偽りを日本の国全体に強制的に教え、信じ込ませ、その現人神の命令ということでアジアへの侵略を行っていったのである。 このような考え方は、真理とするどく対立するものであり、その偽りの本質は中国やアジア諸国への侵略行為によって、明らかになったし、敗戦によって世界中にそのことを示すことになった。 戦前の日本は、戦争を正しいこととし、自国を守り、平和のためと称して、近隣諸国への侵略戦争を繰り返していった。 一九三一年九月の柳条湖事件に始まる、中国満州への侵略戦争である満州事変、また、一九三七年七月の蘆溝橋事件から引き起こした北支事変(のちに支那事変)、さらに、上海への大規模な攻撃である上海事変などがそれである。 このように、日本は中国に対して、つぎつぎと戦争をしかけていき、それらを○○事変と称して、○○戦争という呼称を用いず、戦争であったのに、たんなる衝突であるかのように見せかけようとし、次第に国民が大規模な戦争へと飼い慣らされていくようになっていった。 こうした戦争に明け暮れた戦前の状況は、戦争が大量殺人という意味で、最悪のことであるという感覚を失わせていくものとなった。教育において戦争が悪であるということを教えることなく、逆に戦争をする職業(軍人)が最も重要な職業であるというように教える状況であった。 以上のような戦前の教育を根底から変えるために、教育においても平和を愛し願い求める教育を根本においているのである。 そして「普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」とある。 これは、戦前の文化は天皇を中心とした日本の伝統ということを極度に重視するようになり、(とくに日中十五年戦争以降)世界のどこにも通用しないような、著しく普遍性を欠いたものであった。 そして同時に、自由な言論は禁じられ、みんなが天皇に向かって生きるような画一的な人間を養成しようとする状況となり、個性的人間の育成とは逆の方向であった。このようなまちがった教育方針を根本的にあらためる観点から、この「普遍性」、「個性的」ということが言われている。 そして、さらに「個性的な文化の創造を目指す」という表現は、日本固有のよき文化をも育てるという意図も含まれているのである。 戦前は、教育においても、天皇からの言葉だと称する教育勅語が国民道徳の絶対的基準とされ、それが教育の最高原理ともされて、それに向かって最敬礼を強要するほどに、神聖化されていった。 このように、万事において天皇が中心とされ、天皇に仕える人間を育成することが目標とされた。 英語すら敵の言葉だといって排斥するような、著しく狭い考え方が支配するようになっていた。 こうした戦前のまちがった教育方針を根底から除いて正しい方向を指し示している基本的精神から、それをさらに詳しく述べたのが、つぎの第一条である。 第一条 (教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的な精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない。 このように教育基本法の前文と第一条を見れば、なにを目的としているかがはっきりとわかる。この新しい教育の方向を決めることになった、この基本法はどのような人たちが作ったのであろうか。 これを少し詳しくみると、この基本法の背後にどのような精神があったのかが浮かび上がってくるのである。 敗戦後にあらゆる社会のしくみが再検討され、変えられていく過程で、当然教育についても根本的に見直すことが考えられた。日本の教育の民主化を積極的にすすめるために、アメリカの教育施設団が来日し、その人々に協力して日本の教育の方針を決める重要な委員会が作られた。それが一九四六年二月に発足した日本教育家委員会である。 その委員長は南原繁(東大総長)で、その下に、山崎匡輔(成城大学長、東大教授、文部次官)、天野貞祐(第一高等学校長)、田中耕太郎(学校教育局長、後に文部大臣、最高裁判所長官)、長谷川如是閑(芸術院会員、文化功労者)、柳宗悦(日本民芸館長)などのメンバーであった。 このうち、南原繁は内村鑑三門下の無教会キリスト者であったことは広く知られている。 山崎匡輔も、「内村の著書によって救われた一人であった」と言っている。そして「私は、内村先生の弟子としては、あるいは正統派に属しないかも知れないが、ひそかに内村鑑三先生の本当の弟子の一人である言っても、今は天にある先生は、おそらくそれをきっと許して下さるものと信じるものである。」と書いているような人物であった。(「回想の内村鑑三」岩波書店刊254頁) そして天野も、またキリスト者にはならなかったが、若いとき、内村の門をくぐったことがあり、長谷川も、内村の創刊した「東京独立雑誌」の読者の一人であった。 また、田中耕太郎も最初は熱心な内村の弟子の一人であって、彼のキリスト教信仰の元は、内村から学んだと言えよう。 この少しあと、一九四六年八月に、教育刷新委員会ができ、その委員長は、安倍能茂、副委員長に南原繁(後に委員長)がなり、その委員会の審議を経て今日の教育基本法の制定へとつながっていった。 また、戦後の三人の文部大臣は前田多聞、安倍能成、田中耕太郎たちであった。田中はすでに触れたが、前田多聞はやはり内村鑑三の日曜集会で学んだキリスト者であり、安倍はキリスト者にはならなかったが、岩波茂雄(岩波書店の創設者)のすすめで、毎日曜日の内村鑑三の聖書講義に一年ほど出席していた人である。 このように見てくれば、戦後の新しい教育がいかにキリスト教、とくに内村鑑三の深い影響のもとにあったかがよくわかる。 そして、これは、内村鑑三がキリスト教の本質、真理そのものを最も鋭く見抜き、それを体得していたからであったと言えるし、彼らの弟子たちもそのキリスト教の真理を深く受け継いでいたことがうかがえる。 南原繁は戦後教育の方向の決定に最も大きい役割をはたしたが、彼は、こうした戦後教育の基本を決める全過程で、そうした委員会や審議会に占領軍の介入があったりしたことは一度もなかったと再三にわたって言明している。(小学館版・日本の歴史・第31巻による) こうした事実を知らない人たちが、アメリカの押しつけであるなどと言ったりしているのである。 キリスト教こそ最も普遍的な真理をうちに持っているものであり、そのゆえにこそ全世界に広がり、老若男女のあらゆる年齢層に、また職業や身分的なもの、貧富の差や、健康と病弱などあらゆるものを越えて広がっていった。 教育基本法の前文において、「真理と平和を希求する人間」、「普遍的にしてしかも個性的な文化の創造をめざす」と言われているのは、以上のような背景を考えると、キリスト教の精神がそこに深く流れているのが感じられる。 これは、人間を天皇と教え、侵略戦争をも正義の戦争などと教える偽りの教育を根本から変える方針を明確に持っているのである。 このように考えると、そのような過程を経て作られた基本法をなぜ変えようとするのか、変えてどのようにしようとするのだろうか。 改訂しようという人たちは、「日本の歴史・伝統」を重視する方向へと大きく曲げようというのである。しかし、その日本の歴史・伝統を徹底的に重視した教育とはすでに実験済みである。それは戦前の教育である。 その戦前の教育の根本方針は教育勅語に表されている。ここではくわしくは触れないが、教育勅語では、教育の根本は日本の国体にあるとされていた。それは天皇を現人神として絶対的な位置におく国家体制を指している。 そのような天皇というただの人間を絶対的な存在として位置づけることは、世界に通用しないものである。 現在の日本の動向は、教育という次の世代の人々を形作る重要な領域においても、真理に反する動きがしだいに目につくようになった。 人間に本当に必要なのは、一国だけにしか通用しない伝統や歴史でなく、万国にわたって、しかも永遠に通用する真理である。そうした真理とは、二千年の歴史を見ても証しされているように、聖書に記されているのであって、教育の基本も当然そのような永遠の真理に基づかねばならない。 現在、憲法と教育基本法の二つを改定しようと考える人たちが増えている。憲法の改定の中心となっているのが、第九条の平和主義であり、教育基本法においては、その普遍性である。 憲法の平和主義は、この「いのちの水」誌でも何度か述べてきたが、その根源は、聖書にあり、すでに旧約聖書の古い時代からそれはみられる。そして、新約聖書に現された武力を否定して、神の愛と力に頼る平和への明確な真理こそは、平和主義憲法の背後にある真理なのである。 また、教育基本法の前文に、「真理と平和を希求する人間の育成」を掲げ、その第一条に「真理と正義を愛する」人間を目指すことが明記されている。真理を愛するというのは、その背後に究極的な真理である、神への愛、ということにつながる内容を含んでいる。これは、すでに述べたように、教育基本法を作成するにあたった人たちが、内村鑑三を通して、聖書の真理の影響を深く受けてきた人たちが多数を占めていたからであり、太平洋戦争を生み出したのは、そうした聖書的真理を無視したことによるのが明らかであったからである。 このように、現在大きな問題となっている、武力を持たず、武力に訴えないという平和主義の改定や、教育基本法にある、真理と正義そのものを愛するということから、自分の国中心の愛国心の強調へと改定しようというのは、聖書に示されている永遠の真理に背こうとする動きだと言える。 こうした、究極的真理である聖書やキリストの真理に背こうとする動きは、いつの時代にもあったのであって、それらは繰り返し歴史のなかで生じてきた。しかし、それにもかかわらず、そうしたあらゆる真理への敵対にもかかわらず、キリストの真理は変ることがない。 私たちは、憲法の平和主義や教育基本法の背後に込められた、聖書的精神、真理をあくまで主張し続けるものである。そしてその真理はそれが真理であるがゆえに、いかなる表面的な動きにもかかわらず、滅びることなく続いていく。 私たちの必要とされているのは、そのような真理への確信であり、それぞれの場においてこの真理を証ししていくことである。 四国集会について 五月十三日(土)〜十四日(日)は、松山市で、松山聖書集会の主催で、第三十三回 キリスト教(無教会)四国集会が開催されました。今回は、これまでの会場を初めて変更することになり、去年の徳島での四国集会の参加者百五十名あまりの人たち全部に、あらかじめハガキを出して、参加希望するかどうかを問い合わせて会場の宿舎が十分かどうかを検討されました。このような手数のかかることをされたのは、長い三十三年に及ぶ四国集会の歴史でも初めてのことでした。このことをみても今回は特別な労力を注ぎ、祈り、また具体的な準備をなされたのがうかがえます。 実際、今までの松山での四国集会のうち、私は今回の四国集会が最も霊的雰囲気がよかったと感じたし、それから一週間を過ぎてもなお、心の奥にその余韻が残っています。 去年の四国集会で初めて参加された沖縄の方が、去年の集会がよかったからとお姉さんをも同伴して参加されたこと、やはり去年参加された大分の方が、全盲のご夫妻を初めて同伴して参加されたこと、また広島県の北東部からの参加者が、やはり初めての方を同伴して参加されたこと、そしてまた関東地方からも二人の参加者がありました。 それから、去年Aさんが、遠く北海道の旭川から参加されました。そのために、Aさんの数十年前の教え子が、長くキリスト教集会から離れていたのですが、去年の四国集会に参加されていました。そのAさんの教え子の方が、今年もまた松山での四国集会に参加されました。 このように、去年の参加者が新たな人と共に参加され、あるいは長い空白の後に再びキリスト教の集会に参加されるようになる契機を与えられた方、これらは主がこの四国集会を用いて下さっていることを実感させてくれるものです。 神との縦のつながりと、信徒同士の横のつながりは、縦糸、横糸の関係で、その二つが共になかったら布ができないように、キリスト者の本当の生き方は生れないように思われます。 縦の関係が深まれば、おのずから横の信徒同士の関係は深まり、また逆に信徒同士の主にある交流が深められると、互いに学びあっていっそう神との縦の関係も深まります。聖霊による交わりというのが実際に存在することを思いました。 祈り、祈られた四国集会だと感じています。 次に第三十三回 キリスト教(無教会)四国集会の松山聖書集会からの案内文と、プログラムの要約を書いておきます。 ---------------------- 春暖の候、主にある兄弟姉妹のみなさまにはその後、いかがお過ごしですか。松山聖書集会では、今年の四国集会を別紙の要領で開催させて頂くことになりました。会を開くにあたって、私たちの救い主イエス・キリストにあって自由に、神の御名が賛美できればよいと願っております。イエス・キリストにあって、喜び、悲しみを、苦しみ、慰めをそして希望を、聖書を通して語り、お交わりができることを望んでいます。 この世的には、力なく、貧しく、見ばえなく、みすぼらしく無力であっても、そのありのままの姿をもって、神に感謝を、祈りを、願いをもって共にお交わりができることを念願しております。主の御前に心をひとつにして、み言葉をまなび、祈りをともにして、主のご栄光を讃美いたしたく存じます。みなさまの御参加を心よりお待ちいたしております。日々の歩みのなかにみ恵み豊かにとお祈り申し上げます。 「主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(ピリピ書四・5〜7) ○会場 JR松山駅前 スカイホテル 五月十三日(土) 13時開会 開会礼拝 13:10〜14:00 聖書講話 「悪人に手向かうな」(マタイ五・38〜42) 愛媛 冨永 尚 聖書講話 「一度も聞かされなかったこと」(イザヤ書五十二.13〜15) 高知 原 忠徳 信仰感話 T 14:10〜15:10 「よいサマリヤ人」 岡山 香西 民雄 「エレミヤから私たちへのメッセージ」 福岡 大園 正臣 「信じること、生きること、伝えること」大阪 宮田 咲子 自己紹介 15:30〜17:50 夕食・自由時間 小グループ感話会 19:10〜20:10 自由感話「福音の受け入れ」20:10〜21:00 ----------------------------五月十四日(日) 早朝祈祷 6:30〜7:30 朝食・自由時間 主日礼拝 9:00〜9:50 「キリストにある喜びの知らせ」徳島 吉村 孝雄 特別讃美(オルガン演奏、手話讃美、コーラスなど) 9:50〜10:20 信仰感話U10:30〜11:30 「主のまなざしは苦しみの中に注がれて」 徳島 貝出 久美子 「祈りに支えられて」 徳島 熊井 ちづ代 「人知を超えた愛」 高知 甲藤 浩三 閉会礼拝 11:40〜12:20 四国外からの参加者の感話 奥津満(広島)、菊池誠(東京)、宮田 博司(大阪)、池辺 秀成(大分)、梅木 龍男(大分) ことば (234)悪魔のすべての仕業を水泡に帰せしめるには、ただ、一度だけ神を仰ぎ見るか、神に向かって叫ぶかすれば十分である。これは実にすばらしい事実である。(ヒルティ著 「眠られぬ夜のために」上・ 五月十七日の項より) Ein einziger Aufblick,oder Ausschrei zu Gott genugt,um alle seine Arbeit zu nichte zu machen.… 私たちがひどい打撃を受けたとき、あるいは罪を犯したとき、それゆえに他者にも大きな傷を残したと感じるとき、意気消沈する。済んでしまったことをどのようにしようとも元通りにはすることができない。そのような心の重荷や沈む心を取り返すためには、ただ神への真剣なまなざし、神への叫びだけで十分だという。 たしかに、聖書においても長い間苦しめられてきた人が、イエスに向かってただ、「主よ、憐れんで下さい!」と叫ぶだけでキリストの大いなる恵みが与えられたことが記されている。 その単純な叫びに応えて下さることは、すでにキリストより五百年以上も前から、次のように言われている。 …地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五・22) (235)…かならず、常に浩然の気を養うことをつとめねばならない。…浩然の気とは、いかなるものよりも大きく、どこまでも広がり、何物よりも強い。正しい道をもってこれを養い、そこなうことがなければ、この気は、ますます広く行き渡り、天地の間に満ち満ちるようになる。 この気は、正義と道から離れることができない。もし、離れるなら、それは弱って滅びてしまう。(「孟子」公孫丑こうそんちゅう章句 上 より) ・ここで言われている「気」とは、単なる空気ではない。日本語にも、「元気」とか「気を吐く」といった言葉に現れているように、生命の原動力となる力とか、 万物が生ずる根元といった意味がある。「浩」という漢字そのものに、「水が豊かで、ひろびろとしているさま」という意味があり、そこから一般に、広く豊かで大きいものにも用いる。浩然の気とは、このように、私たちが正しい道を歩んでいるなら、私たちの内にも与えられるものであり、天地のどこまでも広がっている目には見えないある力のようなものを指している。それは海の広がりのような、深くすべてを満たすようなものである。 孟子は、キリスト以前三七〇ほど前に生れた。キリスト教の真理は全く知られていないとき、中国にもこのような、個々の人間だけでなく、天地に満ちる正義の霊のようなものを感じていた人がいた。 聖書には、次のように記されている。 「主よ、あなたの慈しみは天に あなたの真実は大空に満ちている。」(詩編三六・6) これはダビデの作と伝えられているが、そうでないとしても、大多数の旧約聖書の詩篇は、新バビロニア帝国に捕囚となる以前のものとされているから、キリスト以前六〇〇年よりも以前の作だと考えられる。 このように、この世は悪いものがたくさんあるように見えるが、他方、このように古くから私たちの心が清められるならば、私たちの心にも、天地にも満ちる清く広大なもの、力あるものが感じられることが示されている。 孟子は自分の努力でそのような「気」を養おうとしたが、人間の本質的な弱さを思うときにはそれはきわめて困難なことであり、誰にでも与えられるなどほとんど不可能なことである。 しかし、キリスト教においては、ただ、幼な子らしい心で神を仰ぐことによってそのような「気」を越える聖なる霊を与えられる。 詩の世界から 一) 知性に光をあらしめよ、いよいよ明るく 心には敬虔の念を宿らしめよ、いよいよ深く。 知性と霊性とが階調を奏でて、 昔の通りに、そしていっそう響きも大きく、和音をならすために。(テニソン著「イン・メモリアム」13頁 入江直祐訳 岩波文庫) Let knowledge grow from more to more, But more of reverence in us dwell; That mind and soul, according well, May make one music as before. ・as before =as in the ages of faith(Tennyson) (上の訳文は、今から七〇年あまりも前の訳文であり、現代の人には分かりにくいところがあるので、次にこの詩が言おうとしているところを説明的に記しておく。) 正しき知識(知性)は、間違った考えや無知を破り、新たな洞察を生み、力となるゆえに、健全な方向へと成長していって欲しい。しかし、それ以上に、万物を創造し、正義と愛をもって支配されている神の御前にひざまずいて、畏れ敬う心こそ、いっそう人間に宿るようにと願う。そうすれば、古き信仰の燃えていた時代のように、知性と、霊的な働きが私たちの中で美しいハーモニーを奏で、真の成長がなされていくであろう。 --------------------------------- 二) 雨注ぐ 花橘に風過ぎて 山ほととぎす 雲に鳴くなり(新古今集 巻三 夏歌二〇二) ・タチバナの花が咲いて香りを放っている。雨がそこに降り注いでいるが、風はその香りを運んでいる。その時、山のホトトギスの鳴く声が雨雲の中から聞こえてくる。 わが家においても、五月の中頃から六月にかけて、何度かホトトギスの印象的な鳴き声が響いてくる。何かを訴えようとしているような、独特の鳴き声である。 タチバナとは日本原産の柑橘類をいう。雨、花と香り、そして風とホトトギスの強い鳴き声、それらの自然の交差する状況がこの歌に現されている。神の創造された自然にはそれぞれに深い意味が込められているゆえ、私たちもさまざまの自然に対して敏感でありたいと思う。 三) 苦しみは とこしえならず 耐えしのび待たば ついには過ぎゆくものぞ 星月夜 悠久の空目前にして 大きみわざに言うこともなき (「真珠のうた」より) ・重い病に苦しむゆえに、狭い病室にこもる他ない作者にとって、夜空を仰ぐときにその広大無辺の星月は日々の重荷をしばし忘れさせ、心に翼を与えられる思いであったであろう。 編集だより ○五月、それは、新緑の最も美しい季節です。多くの樹木は毎年新たな芽を出して、初々しい黄緑色になり、内に込められた命を現してきます、日照時間も増え、気温が高くなることによって、植物たちは新たな成長をし、花を咲かせ、実を大きくしていきます。 主イエスは、ご自身をぶどうの木にたとえ、私たちはその枝だと言われました。 新緑の木々、その枝から、命に満ちた新芽を出して葉を繁らせ、花を咲かせ、実を付けていく、それは私たちが主イエスにつながっているときに、どのようになりうるかを指し示しているようです。 ○今年で三三回目を迎えたキリスト教(無教会)四国集会は、最初は高知県の信徒の方々の発案で、一九七四年に高知で特別集会として開催されたもので、そのとき、記念の会だからと愛媛、香川、徳島からも数人ずつ招かれて開かれたのでした。それがとてもよかったから、次から各県が順に担当して開催しようということになり、その翌年の夏に徳島県小松島市の日峰山頂の野外活動センターで開催され、今日まで続いてきたものです。 この三二年間に、多くの方々が参加し、交流し、互いに交わりを与えられ、そして誰も予想しなかった新たなよきことを主は起こして下さってきたのを思います。かつて四国に在住していて、近畿など四国外に住んでいる方も参加し、そこからまた新たな交流が生れていきました。最近では、近畿以外に、九州、中国、関東地方、さらに去年は韓国からも参加者もあってより広がりが与えられてきました。 こうした長い継続した集会になるということは誰も予想できなかったことで、この間の歩みを振り返るとき確かに神が私たちのあらゆる予想を越えて導いてきて下さったと感じます。 今後とも、一層主の恵みが満ちあふれる集会となっていき、救いを受ける人、信仰を新たにされる人、さらに信徒同士のつながりが深められて日頃の生活においても互いに祈り合うことができますようにと祈ります。 来信より ○先日の四国集会では、皆さんと一年ぶりにお会いでき、また姉も共に参加できたので、とても嬉しかったです。イエス様を真ん中にして、皆さんと共に祈り、礼拝が持てた事は、神様の恵みでした。(九州地方の方) ・言われていますように、人間を中心とするのでなく、主イエスを真ん中にしてみんなが集い、語り、祈り、讃美すること、そこに天の国の味わいを感じさせていただいた二日間でした。 ○…(今年の四国集会によって)多くの恵みを戴けたことに深く感謝いたしております。大きな励ましと主にある友との交わりの刺激を戴き、さらに前進できたと感じています。 「アンケート」のご意見のように「若者たち」への対応が、本当に重要との思いを強くしました。これからの大切な課題です。 二〇〇七年 高知での四国集会のテーマ「一人も滅びないで」(ヨハネ3:16)は、心のこもったよいテーマと存じました。(四国の方) ○朝ごとに、「いのちの水」誌を読みまして、新しい命の水を与えられます。何十年も聖書を読んでおりますが、「祈り」について、「復活」についてよく分かっていませんでした。今号(四月号)でくわしく教えていただき、ありがとうございました。特に、「祈りはどこにでも」によって涙の谷を歩んでいるような私には、深い感謝と慰めと希望が与えられました。貴誌には、季節の花のカットがあちこちにちりばめられているのは、大変よいと思います。(関東地方の方) お知らせ ○六月十一日(日)は、神戸の夢野集会、高槻市の高槻集会に吉村 孝雄は聖書講話に出向きます。神戸は神戸市兵庫区菊水町十丁目39-11-1-417の上田 末春氏宅(電話 078-531-1365)にて、午前十時より十二時三十分ころ、後者は、高槻市塚原5-8-5 那須 佳子氏宅にて、午後二時〜四時ころ。(電話 050-1331-7174) 問い合わせはこれらの連絡先か吉村 孝雄まで。 ○主日礼拝や夕拝の録音CD(MP3形式で録音)は引き続いて希望の方は申し出て下さい。九十分テープなら十本にもなっていたのですが、CDでは一枚に収まるので、DVDプレーヤかパソコンがある場合にはとても便利です。 なお、マザー・テレサの「日々の言葉」そしてその英語の原書(合計で三千円)は集会の内外から多くの希望がありましたが、まだ若干の余分がありますので希望者は連絡下さい。 |
2006/5 |
復活の重要性について 2006/4 春、それは誰にとっても待ち望まれる季節であろう。その第一の理由は厳しい冬の寒さに終りを告げて暖かくなることであり、次にはそれによって次々に木々や野草、草花たちが蘇ったようになり、花を咲かせていくからである。 こうした春の喜ばしさは、復活の喜びへと指し示すものがある。 けれども「復活」ということは、一般的にはほとんど話題にならない。そのようなことはおよそ問題外だという雰囲気があって、新聞、雑誌、テレビなどでも論じられるというようなことはほとんどない。 このような日本の状況とは全く違って、新約聖書では、復活の重要性は一貫して記されている。 復活ということがいかに世界全体において重要であるか、それは復活を記念する日が、主の日として毎週記念され、礼拝の日となり、それが現在の日曜日を休むという世界的な習慣として定着していったことにも現れている。 日本ではキリスト者はわずかに一%にも満たない少数派である。しかし、キリスト教の中心にある、キリストの復活の記念日と関わりのない人はだれもいない。知らず知らずのうちに、「キリストの復活」は、日本人全体の中に切り離すことができない状況となっているのである。 キリスト教が世界に伝わっていくそもそもの出発点は、イエスの単なる教えでなく、キリストの復活があったからであり、復活したキリストの別の現れである聖霊が注がれたからであった。 ヨハネ福音書においては、とくに復活した主イエスが、恐れている弟子たちの真ん中に立って、「あなた方に平和があるように」と語りかけたということが、次のように特に強調されている。 … その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。… イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」… さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (ヨハネ福音書二十・19〜20) このイエスの復活の記事は、ヨハネ福音書の事実上の最後の部分にある。そしてその重要な部分において、「平和があるように!」との主イエスの言葉が三回も繰り返し言われている。ここに、この福音書を記したヨハネがとくに啓示を受けたことが感じられる。そして十一人の弟子たちは、ユダヤ人たちを恐れて部屋に鍵をかけてこもっていたとある。そのことも、二回繰り返し記されている。 ここには、キリストと共に三年間、ずっと共に生活し、あらゆる主イエスの驚くべき働き、奇跡、その教えに親しく接していたにもかかわらず、主イエスが逮捕されたときには、みんな逃げてしまったし、弟子たちの代表的存在であったペテロすら三度も、イエスなど知らないと主を否認する状態であった。また十字架にて処刑された後も、このように、自分たちも逮捕されるのではないかとユダヤ人を恐れ鍵を閉めて部屋にいたとある。 こうしたヨハネ福音書の書き方によって、いかに人間は単なる教えや奇跡を見たとか、偉大な人と生活した、というようなことでは力が与えられない、本当には変えられないというのがわかる。 人間はどこまでいっても、人を恐れ、親しかった人や恩人さえも裏切るような弱さがあり、それは鍵をかけてこもっているような束縛感を持っていると言えよう。 人間はもともとそのように真理に対しては、鍵をかけている。それがいくら教えを聞いたり、奇跡を見てもイエスの復活を信じようとしなかった弟子たちや、若いときからすぐれたユダヤ教の教師について学んだパウロのような人でも、キリストの真理を全く受け入れられなかったこと、また、実際に現代の日本人も、キリストの十字架による罪の赦しや復活というキリスト教の中心的真理を全く受け入れようとしない人が圧倒的に多いということからも、人々は真理に対して鍵をかけているという状況がわかる。 しかし、このような状況においても、復活のキリストは、入って行かれる。たしかに、部屋の鍵をかけていた、ということはその文字通りの意味であったが、それとともに彼らの心にも鍵がかかっていたのに、そこにキリストが入って行かれるという、霊的な事実、霊的な真理をも重ねて書いてあると言えよう。 私自身もそうであって、およそ、敵のために祈るとか、愛するなどといったことには全く考えたこともなかった。せいぜいクラスのよくない人間に対して無関心であるとか、反発や嫌うという感情やあるいは見下すといったことでしかなかった。どのような人間に対してでも、その人が本当によくなるように、といった心で対するということは、はじめから思い浮かぶこともなかったのである。 そしてさまざまの苦しい問題が生じて、行き詰まりますます心に鍵がかかってしまう状況のただなかに神は、まずギリシャ哲学という心の世界に目を開かせてくださった。その後に、キリストの十字架による罪の赦しや復活ということ、再臨というキリスト教の中心にある真理に対しても、私の魂の狭い部屋、そこに鍵がかかっていたのに、それを砕いて、その真理が入ってくるようにして下さった。 この世界全体がたしかに、鍵がかかっていた状態になっていた。それは、一人の人間アダムによって罪が入り込んだ、という表現であらわされていること同じである。 …一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだ。すべての人が罪を犯したからである。(ローマの信徒への手紙七・13) 世界に鍵がかかっていたが、その中に復活のキリストは入って来られたのである。 もう一つ、キリストの復活に関する箇所で強調されているのが、「あなた方に平和(平安)があるように!」という言葉である。ヨハネ福音書には、短い箇所に三度も繰り返し言われているし、ルカ福音書においても、復活のキリストが現れたということを弟子たちが話し合っていたとき、その復活したキリストが彼らの真ん中に立って、「あなた方に平和があるように!」と言われたことが記されている。(ルカ二十四・36) このような特別な強調と繰り返しは、復活のイエスが与えようとしていたものが何であるかを指し示すものである。それは、すでにヨハネ福音書では、最後の夕食のときに、やはり特別に強調されていたことであった。 …これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。 あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ福音書十六・33) 主イエスが最後の夕食のときに、ヨハネ福音書においては詳しくいわば遺言のように最後の長い教えが含まれている。それは十四章から十六章の三つの章であり、六ページにわたって詳しく書かれている。その最後に書かれているのが、右にあげた言葉である。そのように詳しく教えたその目的が、「イエスによって平和(平安)を得るため」なのである。 それは社会的な平和とは大きく異なる本質を持っている。一般のニュースやテレビ、新聞や印刷物で言われているのは、戦争がない状態を指していることがほとんどである。 しかし、ここで主イエスが言われているのは、「私によって平和を得るため」である。このことは、同じヨハネ福音書の十四章でも強調されている。 … わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。恐れるな。(ヨハネ福音書十四・27) ここでも、平和といっても、この世が与えるように、軍縮会議や法律、国連のような国際的組織 、あるいは表面だけつくろうといった仕方で与えるのではない。キリストによってであり、キリストの平和であると言われている。 平和という言葉のもとにあるのは、ヘブル語のシャーロームであるが、これは日本語とは大きく異なっている。日本語は国語辞典を調べるとすぐわかるように、「戦争がなく穏やかな状態」を指しているが、旧約聖書においてシャーロームは、本来は、「完了、完成する」、という動詞、シャーレームの名詞形である。 それゆえ、シャーロームとは、「完成された状態、満たされた状態」といったニュアンスを持っているのであって、「戦争がない状態」という意味が中心にあるのではない。それゆえ、聖書では、平和とか平安という訳語の他にも、勝利、安心、穏やか、勝つ、勝利、繁栄、好意、幸福、善、無事等々、三十種類ほどの訳語が用いられているほどである。(口語訳) こうした訳語は、原語が、「完成された状態」というニュアンスを持っていることから説明できる。私たちの魂の世界が、完成された状態とは何か、私たちをそのようにするのは神だけができることである。神が私たちの内面を神のよきもので満たすとき、完成する。そのとき、周囲の状況が揺れ動いてもそれに動じないであろうし、さまざまの真理ではないものによっても誘惑されないと言える。また、神に従い、真理に従っていくときに初めて人間の内面は完成する。悪口を言われても、怒らず、かえって神の愛をもって祈るであろう。ほめられるようなよきことがあっても、それは自分でなく、神の力ゆえにそのようになったことをはっきりと実感しているとき、私たちはほめる言葉によっても動かされないだろう。 このように、神のよきもので満たされている状態こそが、完成された状態であり、シャーロームとは、本来はそうした状態を意味する。 だからこそ、次の箇所のように、神ご自身がシャーロームと言われている場合もある。 …ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。(旧約聖書 士師記六・24)(*) (*)士師記という名称は、ほとんどの人が、書物や新聞でも見たことがないと思われる。私もずっと以前に初めて聖書を手にしたとき、士師とは一体何なのかと思ったものである。士師とは、「中国古代の、刑をつかさどった官。」だと辞書には書いてある。中国語聖書で、士師記というように訳したのをそのまま日本でも受け継いだ名であるから大多数の人にとっては意味不明なのである。文語訳聖書では、中国語訳の聖書名をそのまま受けて、マタイ福音書のことを、馬太福音、ルカを路加、マルコを馬可などと書いていたし、使徒行伝という書名にしても、行伝などという日本語としては使わない言葉も、それが中国語訳の書名をそのまま取り入れたからであった。 そのうち、全うされた状態ということから、戦いに「勝利する」という意味でも用いられている例をあげておく。 …「わたしがアンモンの人々に勝利して帰るときに、わたしの家の戸口から出てきて、わたしを迎えるものはだれでも主のものとし…」(士師記十一・31)(*) (*)代表的な英語訳聖書でもそのように訳している。 ・…when I return victorious(NRS) ・…I return in triumph(NIV,NJB) このように、ふつうは「平和、平安」と訳されることが多いから、シャーローム=平和だと思っていたらいけないのであって、聖書の元の言葉の意味は、ずっと幅広いのである。 こうした、広く深い意味をたたえたシャーロームという語は、神が人間に与えようとしておられるすべてを含んだ言葉としても用いられている。それは例えば次のような箇所である。 …たとい山々が移り、丘が動いても、 わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、 わたしの平和の契約は動かない。」 とあなたをあわれむ主は仰せられる。(イザヤ書五十四・10) Though the mountains be shaken and the hills be removed, yet my unfailing love for you will not be shaken nor my covenant of peace be removed," says the LORD, who has compassion on you.(NIV) 神の平和の契約、それは信じる人たちに、いかなることが起ころうとも、今までのべてきたような意味における平和(平安)、原語で言えば、シャーロームを与えるということである。それがいかに固い約束であるかということ、「山が移り、丘が揺らぐことがあろうとも…」と言って、そうした天地異変のようなことがあっても、変わらないというのは、そのまま現代の私たちへの言葉でもある。 この部分のイザヤ書は、今から二千五百年ほども昔に書かれたと考えられているが、そのようなはるかな古代からずっと神の平和を与えるという契約(約束)は変ることがない。 それは、このイザヤ書が書かれて五百年ほど後のキリストによって、一層固く約束されたのが最後の夕食のときの言葉である。 主イエスは、最後の夕食のときに、とくに「私の平和をあなた方に与える」と約束された。このことが何カ所かでとくに強調して言われているし、それは主イエスの最後の遺言のようにすら感じられるほどである。 そして、実際に復活のキリストは、「主の平和を与えるために復活された」と言えるのである。また、それは永遠の命とも言われる。永遠の命とは単に長い命でなく、神が持っているような命であるから、それは神の平和そのものである。 ヨハネ福音書、ルカ福音書にはともに、復活したイエスが「弟子たちの真ん中に立ち…」と強調されている。ヨハネ福音書では二回繰り返されている。ここには、復活のイエスは、信じる人たちの集り(エクレシア)のただ中に来て下さるということが暗示されている。主イエスご自身が、弟子たちに、次のように言われたことと共通した内容が感じられる。 「二人または三人が私の名によって集まるところに、私もその中にいる。」(マタイ十八・20) ここには、個人の内にも復活のイエスは来て下さることは言うまでもないが、イエスを信じる者たちの集りの中にとくに来て下さるということが、約束されているのである。 このことは、キリストの最大の弟子といえるパウロの次のような言葉においても表現されている。新約聖書においては、キリストを信じる人たちの集り(エクレシア、集会、教会)というものが、「キリストのからだ」であるという驚くべき表現がなされているが、それはいかに信じる人の集りが重要であるかを示すものである。 …あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分である。(Tコリント十二・27) …私たちはキリストの体の一部なのである。(エペソ書五・30) また、復活のキリストのことを知らされた弟子は、走って行ったと強調して記されている。走っていく時には、迫り来る時間を後にしつつ一心に前を見つめている。私たちは、そのように真摯に前方を見つめているだろうか。 死があたかも後から追いかけてくるかのように、そしてそれを振り切って復活のキリストに出会いさえすれば、もはや死は自分を追跡することはない。 この世においては、すべてのものを死というものが追いかけていく。そしてその巨大な口に、権力者や金持ちも王たちも、そして天才や一世を風靡したようて才能ある人たちも、みんな呑み込まれていく。人間の集りである国家も同様である。 二千年という歳月を振り返るとき、実にさまざまの国々が起こっては消えて行った。それはこの「死」というものに次々と追いつかれ、押しつぶされていったからである。 …わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。(Uコリント四・8〜10) ここに使徒パウロがなぜ、どのような困難に会ってもそれに打ち倒されなかったかということが記されている。それは、復活の力を受けていたからである。キリストを信じるだけで、打ち倒されることがあった。しかし、滅ぼされることはない。また見捨てられ、さげすまれることがあった。しかし、そのただ中から新たな力が与えられて、立ち上がることができていった。 そのような苦しみは、何のためか。それは、イエスの命が現れるため、である。イエスの命、それは復活の命、死という最大の力を持ったものに打ち勝つ力である。 そしてこのようなキリストのゆえに受ける苦しみは、パウロのような迫害ということだけではない。病気とか人間関係とか、事故や災害など、キリスト信仰を持ったからそのようになったということでない苦しみや悲しみがはるかに多い。こうした苦しみも、それがキリストのため、神の国のために用いていただくための器になるための訓練であると受けとるとき、それはキリストのゆえの苦しみになる。自分の苦しみも悲しみも神の国のためなのだと、受けとるときには、そこから新たなキリストの復活の力が与えられる。そして、自分だけにとどまらない。 「こうして、私たちの内には、死が働き、あなた方の内には命が働いている」 と言っている。それはキリストのための苦しみや悲しみは、決してそれだけで終わることがなく、周りの人に新たな力、命が働くようになるというのである。 キリストのための苦しみや喜び、あるいは祈り、働きというのは、自分だけに留まらないで絶えず周囲にひろがっていこうとする本性をもっている。それが「キリストを信じる者たちは、キリストのからだである」、と聖書で言われているのはこうした意味も持っている。 ここでも、パウロはそのことを繰り返し強調している。 「すべてこれらのことは、あなた方のためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰するようになるためである。」(四・15) このように、キリストの復活のいのちというのは驚くべき性質をもっているのが明らかにされている。だれかがキリストのゆえに苦しみを受けるとき、他の人に復活のいのちが伝わるというのである。 この最大の実例がキリストであった。キリストの苦しみによって、他の無数の人たちに復活のいのちが伝わる道が開けたのであった。 また、殉教者の血は、新たなキリスト者を生み出してきたのも、このことと関連している。 古いラテン語のことわざに、メメントー・モリー(memnto mori)というのがある。メメントとは、メミニー(覚えておく、忘れない)(memini)の命令形である。この言葉は、いろいろなところで引用されてきた。 私たちがもし、あと一カ月しかいのちがない、と宣告されたとき、どうするだろうか。なすべきことを、できることを精一杯しようと思う人もいるだろう。 悲嘆に打ちひしがれてしまって何も手がつかない人もあるだろう。 あるキリスト教著作家が、「私たちはみんな死んでいくことを忘れるな。自分を苦しめてきた人も、そのうちに死んでその遺骨の上に墓石が乗せられるだけになってしまうと考えるとき、自分を苦しめている人間に憎しみをもっていた人でもその憎しみは和らぐはずである。」と書いていたのを思いだす。 死が近いと感じるときには、私たちの考え方、もののとらえ方は相当異なるものとなってくる。 聖書にもその二つが対照的に記されている。 多くの場合、死んだらもう何もない、それで終りだと考える場合には、つぎのような傾向を生じることが多い。 …単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったか。もし、死者が復活しないとしたら、 「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになる。 (Tコリント十五・32) こうした考え方と正反対の生き方が、聖書には記されている。例えば、聖書にある例で言えば、使徒パウロは、野獣と戦わねばならないような危険に襲われたり、さまざまの迫害を受けた。それを切り抜けて勝利しつつ歩んで来ることができたのは、死んでも復活する、という確信があったからだ。 …兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまった。 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いであった。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになった。 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださるであろう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけている。(Uコリント一・8〜10より) このように、復活があるからこそ、いのちにかかわるような危険をも犯して神に従っていこうとする力を生み出してきた。キリスト教が伝わっていく過程でほとんどどこででも生じたのは、このような迫害であった。家族からは切り離され、牢獄に入れられ、拷問を受け、そのような数々の苦難をもあえて受けていくようになったのは、まさに復活の力をいただいていたからであり、死後にキリストの栄光が与えられて復活するという確信があったからである。 人間が死んだらこの世から消えてしまう、というのは多くの人の考え方である。しかし、そのような考え方では、大きな苦難を平安をもって耐えていくことは到底できないであろう。なぜ苦しみを耐えていかねばならないのか、そのまま死んでしまってどうしていけないのか、どうせ死んでしまって、忍耐も善行も悪も正しい考え、悪い考えなどみんな、死とともに消え失せていくと考えるようになり、困難を乗り越えて行こうという気持ちがなくてってしまう。 魂が死すべきものであるか、死なないものであるかを知るのは、全生涯にかかわることである。 魂が死すべきものであるか、死なないものであるかということが、道徳に完全な違いを与えるはずであるのは疑う余地がない。(「パンセ」二一八〜二一九 パスカル著)(*) (*)フランスの思想家・数学者・物理学者。流体の圧力に関するパスカルの原理の発見は有名。真空の存在を実験によって証明したこと、初めて計算器を発明した。確率論や微積分学の先駆的な業績等々がある。キリスト教思想家としてもその著「パンセ」などで有名。(一六二三年〜一六六二年) 著者パスカルはこの文章のすぐあとで、復活について述べているので、ここでは、魂が死すべきものであるとは、復活がないと信じることを指している。死んだらそれで終りで何もなくなる、ということを信じている人たちは、すでに述べたように、悪事をしても善きことをしてもみんな死んでしまうのだ、ということなら、人間は本気で善いことをしようとしなくなる。死んだら無になるのなら、今、苦しみながら少しでも善い事をしようなどと考えるだろうか。 どうせ死んだら終りなら、遊んで楽しんだ方がましだ、と考える傾向を生むだろう。 そのことを、パスカルは、復活があるのかどうかが、人間が正しく生きるそのあり方に決定的な違いを生むと言っている。そして、死とともにすべてが消えてしまうのか、それとも復活があるのかは、全生涯にかかわることであるという。 それは当然である。もし復活がなく、死とともにすべてが失せてしまうのなら、生涯の目標もまた、失せてしまうであろう。 世のために尽くすという、しかし、その世もまた、みんな死んでいくのであって、地球すら消滅してしまうはるかな未来を考えるとき、究極的にはみんな消滅してしまうからである。 こうした問題が解決されるのは、死によってすべてが終わったり消え失せたりするのではないという真理によってである。 人間が死んでもその本質は霊のからだとして復活し、この地球や太陽、宇宙なども、新しい天と地として再創造されるということを信じることができるとき、初めてそのような重苦しい未来から解放される。 …見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。 初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。(イザヤ書六五・17) この新しい天と地への信仰こそ、このすべてが移り変わり消えていく世界にあって、私たちに与えられる究極的な信仰である。それゆえこのことは、聖書の最後の黙示録にも示されている。 …私はまた、新しい天と地を見た。最初の天と最初の地は去っていき、もはや海もなくなっていた。…この都にはそこを照らす太陽も月も必要でない。 神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。(黙示録二十一・1節、23節) 古代にあっては海というのは、得体の知れない深淵であり、少し海を深く沈むと暗黒の世界になり、一度荒れると恐ろしい破壊力を発揮することなどから、悪が霊的に存在しているという見方があった。それゆえに、新しい天と地においては、「もはや海もない」と記されているのである。 春になると、一斉にそれまで枯れたようになっていた木々からも初々しい新芽が伸びていき、黄緑色の葉がぐんぐん伸びていく。 宇宙の終りとかいった遠大なことでなく、ごく身近なところを見ると、春になれば、固い幹から次々と新芽が出てきて、花を咲かせていく。またごく小さい種からさまざまの形をした葉をつけ、それぞれに異なった形や色を持つ花を咲かせる。 このような身近なところでの変化、それは神が全く異なるものを、不連続的に創造する、その典型的な形として、復活するのだということを指し示すものとなっている。 使徒パウロも、蒔くときはただの小さな種粒であるが、一度蒔かれると、そこから種の姿とは全く違った植物として成長し、花を咲かせ、実を結んでいく。 人間の復活もそれと同様で、いまの私たちのからだは、復活のときには、「霊のからだ」を神から受けるのである。 復活ということは、単に死のかなたの出来事でない。すでにこの世にあるときから、そのことを体験させてくださる。それは、死んだようになっていたものが、キリストの十字架の罪の赦しを与えられて、新たないのちに生きるようになることである。 … あなた方は罪のゆえに、死んでいた。…しかし、憐れみ豊かな神は、私たちをこの上なく愛して下さり、その愛によって罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かし、キリストによって共に復活させ、共に天の王座に着かせて下さった。(エペソ信徒への手紙二・1〜6より) このパウロの言葉にあるように、将来死ぬというだけでなく、今すでに霊的に見れば死んでいたとさえ言われているような者がキリストを信じることによってキリストと共に復活させていただき、死にも打ち勝つ神の力を与えられて復活したのが、キリスト者だというのである。 しかも、肉体の死後でなく、今すでに天の王座に着かせて下さったという。それはそれほどに神の力といのちを受けた者だと言われている。 こうした人間の魂をよみがえらせてこの世で全く新しい生きる道を見出し、それを歩み始めるということもまた、復活のキリストの力である。このような意味での復活は、ルカ福音書の放蕩息子のたとえで印象深く記されている。 そして復活という言葉とともに思い起こさせるのは、ロシアを代表する大作家トルストイの最後の長編「復活」である。 これは、一人の女性を深い堕落へと突き落とすことになった重い罪を犯した一人の人間が、その罪の重さを知らされ、神の国に目覚め、悔い改めとともに全く新しい生き方へと変えられていくことをテーマとしたものである。 この作品の最後の部分に次のようにある。 「この晩からネフリュードフにとってまったく新しい生活がはじまった。」 「彼の生涯におけるこの新しい時期がどのような結末を告げるかは、未来が示してくれるであろう」という文で終る。 復活という最も信じられないようなことが、実は最も現実を支え、悪に勝利させる力を与え、現在から世の終わりに至るまでの最大の希望となって今後も闇に輝くともしびであり続けるであろう。 祈りはどこにでも 言葉は、しばしば正しく伝わらない。かえって誤解や行き違いが生じたりすることもよくある。遠くの人にも手紙やメールという手段で届けることはできるが、それも同様である。 手紙などであっても、本当の思いはしばしば書けない。 しかし、祈りには本当の思いを託することができる。 会うことは、遠い外国の人とは難しい。 自分を誤解し、また敵視する人には、言葉をかけても受け入れられない。何かを与えようととしても受けとられない。 しかし、神から受けた愛を送ることはできる。祈りは相手が受けとろうと受けとるまいと関わりなく相手に注ぐことができる。 重い病気の人、死に瀕した人に対するとき、もはやかける言葉もないことがしばしばである。しかし、心をこめて祈りを注ぐことはできる。 ふつうの言葉は目上とか目下など、社会的な上下関係や年齢のことなどによって言い方を変えなければいけない。しかし、祈りはそのようなことと関係なく、注ぐことができる。祈りにおいて私たちは対等の存在、兄弟姉妹となることができる。 主イエスは私たちのために祈りをもって見つめて下さっている。イエスが生きている、導いて下さるということは、言い換えると、絶えることなく祈って下さっているということである。本当の導きは祈りが伴うからである。 祈りこそは、人間を超えた神からの言葉や音楽、霊をも受けとるし、また人間以外の植物や山々、海、雲、水の流れなどからも、祈りによってそれらから心の養分、霊的な栄養を受けることができる。 そしていよいよ死の近づくときにも、苦しいさなかでも、その苦しみを神に訴えて叫ぶという祈りができるようになっている。 私たちは、年齢や健康や経済問題、地位など、さまざまの点で束縛されている。そうした人間に、あらゆる方面への見えざる翼を与えてくれるのが祈りである。 新しい歌―ファンタジーの装いをした真理 映画「ナルニア国物語」は世界で六七カ国で、公開されているという。そして、この物語は日本でも、今から四〇年ほども前、すでに岩波書店(*)から発行されていた。 (*)岩波書店は、日本を代表する書店の一つとして数々の重厚な学問的著作が刊行され、特に重要とされる著作家の全集なども出版されてきた。 キリスト教に関しては、とくに無教会のキリスト者の者が多く選ばれてきた。内村鑑三、矢内原忠雄、南原繁、藤井武、高木八尺、江原万里、大塚久雄など、多く無教会キリスト者である学者、著作家、キリスト教伝道者たちが岩波書店から全集という形で刊行されてきた 。 とくに内村鑑三については、次のように異例ともいえるほどに、繰り返し全集や著作が刊行されてきた。 『内村鑑三全集』岩波書店、1932-1933 鈴木俊郎編 『内村鑑三著作集』岩波書店、1953-1955 『内村鑑三全集』岩波書店、1980-1984 亀井俊介訳『内村鑑三英文論説翻訳篇 上』岩波書店、1984 道家弘一郎訳『内村鑑三英文論説翻訳篇 下』 岩波書店、1985 鈴木範久編『内村鑑三選集』岩波書店、1990 キリスト教についてはとくに無教会のキリスト者への重視が岩波書店の刊行物に見られるが、他方では、「ナルニア国物語」のような物語が早くからその真理性を見抜かれて出版されていた。 「ナルニア国物語」の第七巻がイギリスで発行されたのは、一九五六年、日本では、岩波書店からその一〇年後の一九六六年に発行されている。 ちょうど四〇年が経つが、これまでは地味な子どものための物語として一部の人たちには広く知られてきたものの、特別に大きな話題になることはなかったといえるだろう。 しかし、今回、世界的に映画として公開されるようになって、単に子ども向けと思われていた物語が一挙にキリスト者以外の人たちからも、大人かさも注目されるようになり、その物語に秘められた深い意味、とくにキリスト教の真理にあらためて注目されるようになったのは、不思議な神の導きといえるだろう。 一九四〇年代の後半に、C・S・ルイスが、「ナルニア国物語」の第一巻の「ライオンと魔女」を書き始め、一九五〇年に刊行された。そして一九五六年に最後の「さいごの戦い」が刊行されている。 今回の映画化は、第一巻であり、それについては多くの人が知るようになったと思われる。 「ナルニア国物語」の第一巻の最初は、第二次世界大戦の空襲から逃れた子どもたちから始まる。今回公開された映画ではそれがとくに激しい空襲の場面からとなっていて、強い印象を与えるものになっている。それは「ナルニア国物語」というフアンタジーというイメージとは全く異なる現実の世界の暗く、厳しい状況である。 しかし、そうした現実のただなかに、「衣裳だんす」というごく身近な扉を開けばそこから全く別の世界が開かれている。中心的な役割を果たしている少女や子どもたちは、その衣裳だんすの扉を開いてそこから、思いがけない世界「ナルニア国」へと導かれていくのである。 それは現代の私たちにおいても、汚れ、混乱した悪が至るところにあり、戦争のうわさが絶えずあるような世の中に生きる者であるが、そのごく身近なところから、キリストの真理の世界という大いなる世界が開けているということを指し示すものとなっている。 この世界は、霊の目を開いて見るならば、いたるところに、この物語での「衣裳だんす」のような、未知の深い世界への入口があるということなのである。 そして、このキリストの真理の世界へと導かれ、天からの清い音楽といのちの水に浸されるとき、憎しみや争いは自然に消えていく。 それは主の平和であり、そこが真の平和の原点となることを著者は知っていたのであり、そうした意味でこの「ナルニア国物語」は若い世代から、幼な子らしさを失ってしまった老年の世代に至るまであらゆる世代のひとたちに、真の平和へと心を向かわせるものとなっていて、それが戦争のような悪や憎しみなどの混乱への強い防護壁となることが期待される。 批判と非難、あるいは攻撃し合うことによって、または人間的なかけひきのつまった会議や取引によってでなく、一人一人の魂に天来の美しいもの、よきもの、力あるものを注ぎ込み、それによっておのずからいろいろの人間関係の悪化、不信、争い、また国家間や民族の間の戦争の根源でもある憎しみをなくしていこうとするものを持っており、人の魂をふるさとへと招きよせるものなのである。 第一巻の「ライオンと魔女」という作品では、罪をあがなう、身代わりの死と復活というキリスト教の中心にある真理が、一見するとファンタジーのような映画の中にあって、重要なものとして位置づけられている。 この二つの真理は、すべてのよきことの出発点にあるゆえ、この第一巻に記されているのは意義深いものがある。 そしてライオンによって、キリストが象徴され、魔女によってサタンがあらわされていて、善と悪との戦いという聖書全体に一貫して見られるテーマがこの物語を流れている。 以下の文はその「ナルニア国」という国ができるようになったいきさつが記されている、「魔術師の甥」(The Magician's Nephew)という作品から、その内容の一部を紹介したいと思う。 「ナルニア国物語」は七冊にわたるシリーズであるが、それぞれに独立していて、ある著作家が、次のように述べている。 「何より重要なことは、どの本にも隠された美しい驚くべき真理が盛られていること、全体が善と悪との戦いに関わる壮大な物語であるということである。」 ナルニアという国がまだできていないとき、そこに入り込んだ子ども、大人、そして魔女たちがいる。 そこは何もない世界であった。それだけでなく、風も吹かず、お互いの様子すらわからない闇であり、草もなく木も生えていなかった。 そのような不気味な世界に突然入り込んでしまった幾人かの人たちのなかで、馬車屋が言った。 …人間はいつか死ぬ。しかし私たちがきちんと暮らしてれば、死ぬのをこわがることは少しもない。 こんな時、時間を過ごすのに一番いいのは、讃美歌を歌うことだ。そして馬車屋は讃美歌を歌った。…彼はよい声を持っていた。子どもたちもそれに加わって歌いだした。それは非常に元気づけるものとなった。… (・原文の雰囲気を感じてもらうために以下に一部の原文を引用。 …I think the best thing we can do to pass the time would be to sing a 'ymn.…He had a fine voice and the children joined in; It was very cheering.) 神への讃美は、たしかに暗いとき、道が見えないときに不思議な力を与えることがある。それを作者はこのような形であらわしたのである。 そしてそのような讃美を歌うことによって引き出されたかのように、暗闇の中から歌が聞こえてきた。 新しい国が造られるというときの情景が、音楽的な内容とともに描き出されているので、やや詳しく引用する。 ************************************* …暗闇のなかで、何かが起ころうとしていたのです。 歌をうたいはじめた声がありました。とても遠くの方で、歌声がどの方向から聞こえてくるのかわからないほどでした。 同時に四方八方から聞こえるようでもあったし、みんなが立っている地の底から響いてくると思ったときもあります。低音のしらべは、大地そのものの声かと思われるほど、深々としています。 In the darkness something was happening at last. A voice had begun to sing.It was very far away. … Sometimes it seemed to come from all directions at once. Sometimes he almost thought it was coming out of the earth beneath them. Its lower noptes were deep enough to be the voice of the earth herself. 歌のことばはありません。ふしさえもないといえるくらいです。 でも、それは今まで聞いたどんな音とも比べようがないほどの美しさでした。もうこれ以上耐えられないと思うほどの美しさでした。そこにいた馬もまたその歌を喜んでいるようです。 There were no words. There was hardly even a tune. but it was , beyond comparison, the most beautiful noise he had ever heard. It was so beautiful he could hardly bear it. 馬はそのときいななきましたが、それはちょうど、何年も馬車を引いて働いた馬が、小馬のときに遊んだなつかしい牧場に戻って、忘れもしない大好きな人が、美味しい食物をくれるために牧場をよこぎってやってくるのを見かけたときにたてる声のようでした。… ついで驚くべきことが二つ同時に起こりました。 一つは、あの声に、突然たくさんの他の声が加わったことです。それは数えきれないほどたくさんの声でした。それは最初の声に美しく和していましたが、音はずっと高く、銀のすずの鳴るような声でした。 二つめの驚きは、周囲を取り巻いていた闇が、にわかに星々で燃え立つようにきらめいたことです。星は夏の夕方のように、一つ、また一つと何気なく現れたのではありません。 今しがたまで、闇のほかは何もなかったところに、次の瞬間には、何千という光の点がぱっと輝き出たのです。 一つ一つの星も、みな、私たちの世界のものよりも、はるかに光が強く、大きかったのです。 新しい星々が現れたのと、新しい声が加わったのとは、全く同時でした。 歌っているのは、ほかならぬその星であったし、星々を出現させ、星々に歌を歌わせたのは、はじめの声、深々とした歌声の主なのだと、みなさんは疑う余地もなく心に感じたはずなのです。 地上のあの声は、今やますます高らかに、ますます堂々と強くなりました。しかし、空からの声はあの声に合わせて一時高らかに歌ったあと、だんだん小さくなっていきました。すると今や別の出来事が起ころうとしてきました。 そよ風が、とてもすがすがしく吹き始めました。空は、その一カ所だけ、ゆっくりとまたはっきりと白んでいきました。 そして山々の黒い影をしだいに浮き立たせていきました。 その間もずっと、あの声は歌い続けていました。…(「ナルニア国物語・魔術師のおい」岩波書店 一六三〜一六五頁より) ************************************* この世は、騒がしい音で満ちている。都会にて歩くなら、至るところから騒音が響いてくる。そして人間の精神においても、実にさまざまのよくない声が響いており、それはテレビや雑誌、新聞などにもあふれている。それらは、さまざまの人間の汚れた部分、怒り、妬み、金や本能的欲望、地位への執着などなどをそのまま映し出している。こうした状況にはどこにも清いものがない。 しかし、ルイスの「ナルニア国物語」は人間世界の暗く汚れた現状に、清く美しい何かをもたらそうとしているのがここに引用した記述でもよくうかがえる。 それは人間がそのように試みてもできない。著者のルイスは、この世界の根源にじつはそのような美しい、清いもの、しかも絶大な力をたたえた存在がたしかに存在するということを自分自身の人生においても深く体験し、それを何とかあらわしたいという情熱がこの本には感じられる。 キリストの福音という言葉がある。福音とは聖書の原語(ギリシャ語)では、「よい知らせ」(euaggelion)であり、喜びの知らせなのである。 著者はまさにそのよき知らせ、喜びの知らせをこの世にもたらすべく、この一連の物語を書いたのである。彼は、一九三〇年代に書かれたある手紙のなかで、次のように書いているという。 「ロマンスの衣の下に隠すことによって、キリスト教神学をそれと気付かれずにいくらでも読者の心の中に注ぎ入れることができるのではないだろうか。」 たしかに「ナルニア国物語」は一見単なるフアンタジーと見えるその構成や表現のなかに、随所にキリスト教の真理が隠されている。しかもそれはいかめしい神学とかキリスト教教義というのとはまったく異なるスタイルで書かれているから、それをいわば各自の鍬をもって掘っていかねば見えてこないところがある。 しかし、それでもここに流れている何か美しいもの、喜ばしいもの、この世を超えたはるかな世界からの―それこそが真の実在なのだが―おとずれをほのかに感じさせるものとなっている。 私たちが都会から田舎の清い大気のなかに行けば、全体で何か清いもの、よきものを感じるようなものである。 そしてその美しいものを呼び出す根源となっているのが、ナルニアの国を造り出したライオンであった。このライオンこそは、「ナルニア国物語」の第一巻の「ライオンと魔女」の中心的存在であり、新約聖書の黙示録においてキリストのことがライオン(獅子)(*)と記されていることから用いられたと考えられている。 「ナルニア国物語」では、このライオンがきわめて重要な役割を持っているが、それはキリストを象徴した姿なのである。 (*)…またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。 また、一人の力強い天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。 すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出たライオン(獅子)、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」(黙示録五・1〜5より) ここで、ユダ族から出たライオンとは、キリストはユダ部族の出身であること、さらにキリストの先祖にあたるユダとは、創世記にあるヤコブの息子の一人であるが、そのユダも、「ユダはライオンの子、…」(創世記四九・9)と記されていて、ユダには特別な支配権、力が与えられることが預言されている。 星たちを生み出したのは、神の言葉であった。創世記の第一章によれば、まず神は「光あれ!」という言葉によって光を闇のただ中に生み出し、その光を、太陽や月、星々に与えたというように記されている。 それが「ナルニア国物語」においては、遠くからのライオンの歌によって光が生じ、星々が輝きはじめたのである。 ライオンであらわされたキリストは、天地の創造に関わっただろうか。神を信じる人であっても、ふつうは天地万物を創造したのは神であって、キリストは、単に偉大な人間、聖人だと思われていることが多い。 しかし、聖書をみるとき、そうした単純な考えは根底から崩れていく。新約聖書では、キリストも神の本質を持ち、神とも言われ、神とともに天地創造に加わった存在なのである。 …万物はことば(ロゴス)によって成った。成ったもので、ことば(ロゴス)によらずに成ったものは、何一つなかった。(ヨハネ福音書一・2) これは四つの福音書の内では、最後に書かれたヨハネ福音書の冒頭部分である。何を最初にもってくるかは重要なことであり、ヨハネは神からの啓示によってこの言葉を冒頭に位置づけたのである。 万物は神によって創造された。それはヨハネ福音書よりはるかに古く書かれた旧約聖書の創世記に書かれている。しかし、ヨハネ福音書では、その万物は、ことば(ロゴス)と言われる存在によって創造されたと記されている。このロゴスとは何か、そのすぐ後に「ロゴスは肉体をまとって、私たちの間に宿った。それは父の独り子としての栄光であって、…」とあり、その独り子とは、イエス・キリストであるゆえ、このロゴスというのは、まだキリストが地上にくる前に存在していたその存在をロゴスというギリシャ語であらわしているのであって、ロゴスというギリシャ語には宇宙の根源的真理といった意味がある一方で、「言葉」という意味も持っているから、「言(ことば)」と、特殊な表記の仕方をしているのである。 キリストが万物を創造したというのは、現代の私たちには、不可解なことだと思われがちであるが、キリストがただの人間でなく、神でもあったゆえに当然のことなのである。このことは、新約聖書に含まれるヘブライ人への手紙にも、やはり最初の部分に記されている。 …神は、この御子(キリスト)を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造された。(ヘブライ人への手紙一・2) キリストが万物を創造したなどというのは、一般の人々には、およそ信じがたいことのように思われるであろうが、キリストの本質が分かってくるほどに、そのことが受け入れられる真理となっていく。 「ナルニア国物語」でキリストをあらわすアスランという名のライオンが、新しい世界を創造するというのは、聖書における記述から見れば当然のことになってくる。 先に引用した記述のなかで、音楽あるいは歌がきわめて重要な役割をもっているのが感じられる。 それは、ナルニア国の真の王であるアスランが初めてナルニア国を創造するとき、まずそこにいた馬車屋という庶民の讃美歌が導火線のようになって、アスラン自身の歌を引き出してくる。 そしてアスランの歌によっていろいろなものが創造されていく。ここには、いかに清い音楽、神に由来する音楽が力あるかが示されている。それは祈りであり、美しい流れであり、命となり、力を注ぎ込むものとなる。 アスランの歌によって星々が誕生し、いっせいに大いなるきらめきを放つようになる。そしてその星がアスランの力によって讃美し始める、そのようなことはあまりにも私たちの現実とかけ離れたファンタジーの世界だと思われるかも知れない。 しかし、これは霊的に私たちが高く引き上げられるならば、経験されることなのである。 ダンテはその大作である「神曲」の第二巻にあたる、煉獄編の終りに近い部分でつぎのように、清められた魂に生じたことを書いている。ここで夫人とは、マチルダというすぐれた女性で、ダンテの疑問を説き明かし、導く象徴的な女性である。 …そう話すと、夫人は愛に満ちたものとして再び歌い始めた。 「ああ、幸いだ、その罪を赦された者は!」 夫人は川の上流をさして、土手に沿ってその上を舞うように歩きはじめた。 そして、私もその夫人と並び、従った。 その道をまだそう遠くへ行かなかったとき、夫人は、私の方に向き直って言った、 「おまえ、見てごらん、聞いてごらん!」 たちまちすばやい光が大きな森の四方八方を駆けめぐった。 稲妻かと私は思った。 しかし、この光は、燦爛とその輝きを増していった。 心のなかで私は叫んだ、「いったい、これは何だ!」 光に満ちた大気を貫いて、心に沁みるような音楽の響きが流れた。 もし、エバが従順に神に従っていたら このような、言い表すことのできない喜びを 私ははるかな昔から長い間味わえたに違いないのだ。(「神曲」煉獄編第二九歌より) このように、讃美と光が、森を貫いて、その光と音楽によって天の世界に実在するものにダンテは触れる。それは罪ゆるされた者の与えられる大いなる恵みとして記されている。 旧約聖書においても、そのように引き上げられた魂(ヨブ記の著者)が啓示を受け、聖書のなかでその体験を神の言葉として次のように記している。 … わたしが大地を据えたとき お前はどこにいたのか。… 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。… (この世界の)基の柱はどこに沈められたのか。 誰が(この世界の)隅の親石を置いたのか。 そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い 神の子らは皆、喜びの声をあげた。(ヨブ記三八・4〜7より) これは、信仰に生きていたヨブという名の人に突然さまざまの苦難が降りかかってきて、長い間苦しみあえいだすえに、ようやく神からの直接の語りかけがあったときの、神の言葉である。 ここには、天地創造のときの状況は誰も知らないことが強調されている。そしてそのような創造のわざに対して、星々たちがすべて喜びの歌を歌ったと記されている。 ナルニアという国が生れるとき、星々が大いなる歌声を歌ったというのも、聖書のこのような記述を用いているのが分かる。 そして天地創造のときなのだから、現代の私たちには何の関係もないのでなく、我々が聖なる霊を受けるなら、現代でもやはり星々たちは清い讃美をあげているのが聞き取れるのである。 本当によいことは、神に根ざしているのであり、神は永遠に変ることがないのであるから、神から直接に由来する星たちの歌も決してすたれることはない。星々たちは天地創造のときから今に至るまで、高貴な歌を讃美し続けているのである。 また、旧約聖書の詩集(詩編)においても、次のように記されている。 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。 主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。(詩編一四八の1〜3) アスランが星々に命じると大いなる声で讃美の歌を歌いだした。それは、この詩編にあるように、神の霊を豊かに受けた詩人が、神のご意志を受けてこのように、太陽や月、そして星々に向かって、主を讃美せよ、とうながしているのと同じことである。 そしてそれに応えて、それらの天にある輝く星々たちは歌い出したのであり、今に至るまで歌い続けている。 このように、大空の太陽や星々から神への讃美を聞き取ることは、旧約聖書の続編にも次のように記されている。 …神の家はなんと雄大で、 神の支配する領域はなんと広大なことか。 雄大で限りなく、高くて計り知れない。… 神が光を放つと、光は走り、 ひと声命じると、光はおののいて従う。 神が命じると、「ここにいます」と答え、 喜々として、自分の造り主のために光を放つ。(バルク書三・24〜35)(*) (*)バルク書とは、旧約聖書続編の一つ。預言者エレミヤを助けてその預言の筆記者となっていたことがあるバルクが、バビロンに滞在していたとき、捕囚となったイスラエルの人たちに与えた祈りや奨励の言葉。 ここにも、星々のあの光は単に冷たい物理的な輝きでなく、神の愛のご意志に従って生み出され、光っている存在であり、そこには神への讃美が込められているとされている。これはこのバルク書の著者自身が星々の光に喜ばしい讃美を聞き取っていた証しともなっている。 先に引用した「ナルニア国物語」の続きを見てみよう。 …東の空は、白からうす赤に、赤から金色に変わっていきました。あの声はますます高く、ついには大気がそのためにふるえるほどでした。そしてその声が、まだそれまでに出したことのないほど力強い、荘厳な響きにまで高まったちょうどその時、太陽がのぼりました。 この太陽はのぼりながら、喜びのあまり笑っていると思われるくらいでした。…(一六七頁) The eastern sky chaged from white to pink and from pink to gold. The Voice rose and rose,till all the air was shaking with it. And just as it swelled to the mightiest and most glorious sound it had yet produced, the sun arose. You could imagine that it laughed for joy as it came up. アスランの歌声によって呼び覚まされた星々たち、そして最後にのぼってきた太陽もすべて喜ばしい輝きに満ちていた。それはアスランの歌は、暗闇に喜びをうながすものであり、この世にない喜びを告げるものであったからである。 このような神的な讃美の世界は、新約聖書にも記されている。それは聖書の最後にある黙示録である。 …また、わたしが見ていると、見よ、小羊(キリスト)がシオンの山に立っており… わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。 わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。 彼らは、(神の)玉座の前で、新しい歌をうたった。(黙示録十四・1〜3より) 迫害のただなかで書かれたと言われる黙示録、その苦しみと悪の支配の中で、黙示録の著者に啓示として見ることが許されたのは、神とキリストが御座におられるということであった。 そしてその前で、大いなる歌声が聞こえたが、それが何にもかえがたいような重い音、堂々たる響きを持った音なのであった。それは神ご自身が万物を支え、支配されている重々しさと力を象徴するものである。 この黙示録において、救われた人たち、額に神とキリストの名が記された人たちが、「新しい歌を歌った」とある。 神によって救われ、永遠の命を与えられた者の内にはキリストが住むようになるゆえ、そこからはつねに新しい歌が生じる。ちょうど、神によっていのちを与えられた草木からはつねに新たな新芽が出てきて、新たな花を毎年咲かせていくようなものである。神は無限の広がりを持っているゆえに、 その神に結びつくときには、新しい命があり、そこから新しい歌が生れる。 そのことが、ナルニア国が生れるときにも次のように取り入れられている。ここでは、以前に歌ったのとは違った新しい歌という意味で言われているが、その背後には、聖書にある前述のような内容がある。 … ライオンは新しい歌をうたいながら、何もない大地を行きつ戻りつしていました。 新しい歌は、星々や太陽を呼び出した歌にくらべてやさしく、軽やかでした。穏やかなさざ波の寄せるような音楽でした。 そして、ライオンが歩きながら歌うにつれ、谷間は青々としてきました。草はライオンの歩くところから、まるで水の広がるように広がっていきました。 そして小さな丘の中腹を波のようにのぼっていきました。ほんの二、三分のうちに、遠くの山々のふもとの斜面にまで上っていき、それがこのできたばかりの世界をひと時ごとになごやかにしていくのでした。 そよ風は、今は草をなびかせてそよそよと音を立てました。…(一七一頁) このように、ナルニアという国は、ライオンの歌う新しい歌によって創造されていく。キリスト教において、讃美の重要性は言うまでもない。現在も世界中で神への讃美は鳴り響いている。それは個人の家であったり、病室であったり、あるいは教会や集りでも歌われているだろう。さらに、CDやラジオ、外国ではキリスト教関係のテレビ番組など多数あり、そこでも歌われている。 そしてそのような讃美できる心こそは神より与えられたものであり、そうした讃美が現在も新たなよきものを生み出していく。 自然のうるわしい木々と風の合奏、谷川の流れの水音、大波の打ち寄せる壮大な水と砂のおりなす交響楽、そして星々や樹木の沈黙の讃美、それらもまた神の国から流れ落ちる音楽であり、神の国からの招きなのである。 ナルニアの国が出来上がったときの状況を再び引用する。 …ライオンは口を開きました。しかし、口からは何の響きも出てきません。ただ息を吐き出していたのです。長い暖かい息吹です。その息はまるで風が一ならびの木々を揺するように、すべての動物を揺り動かすと見えました。 はるか頭上の青空の幕の奥に隠れていた星たちが、ふたたび歌いました。清らかな、難しい音楽でした。 それからまるで火のような光の稲妻が一すじ、空からか、それともライオンの体からか、ぴかりと光りました。 すると子どもたちのからだの血の一滴一滴がうずきました。その時、子どもたちがこれまで聞いたことのない深い、まことにはげしい声が言いました。 「ナルニア! ナルニア! ナルニアよ! 目覚めよ、愛せ。考えよ。話せ。歩く木々となれ。もの言うけものとなれ。聖なる流れとなれ。」 The Lion opened his mouth, but no sound came from it; he was breathing out,a long,warm breath;it seemed to sway all the beasts as the wind sways a line of trees. Far overhead from beyond the vale of blue sky the stars sang again; a pure,difficult music. Then there came a swift flash like fire either from the sky or from the Lion itself,and every drop of blood tingled in the children' bodies,and the deepest wildest voice they had ever heard was saying; "Narnia, Narnia, Narnia, awake, Love, Think. Speak. Be walking trees. Be talking beasts. Be divine warters" ライオンが言葉でなく、ただ息を吐き出していたとある。そしてその息がすべての動物をも揺り動かす不思議な力を持っていた。聖書においては、「息」とか「風」という原語は、ヘブル語もギリシャ語も「霊」という原語と同じなのであり、これは次のような記述を思い起こさせる。キリストが復活したときの箇所を引用する。 …イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けよ。だれの罪でもあなた方が赦せば、その罪は赦される。…」(ヨハネ福音書二十・21〜22) ライオンのからだから、あるいは天からの強い光を受けて子どもたちの血潮も強く動かされたという。そこには、キリストの光こそは人間を奮い立たせるもの、新たな力を与えるものだということが暗示されている。 そして最後のライオンの深く力強い言葉は、この「ナルニア国物語」の著者であるルイス自身が、読者に向かって情熱をもって語りかける言葉であったし、それは彼が神とキリストからそのように語りかけられたということを示している。 生けるキリスト、復活のキリストからの直接の語りかけはそれほど力づよく、またそれはその人だけに留まるのでなく、周囲へと波及していくものなのである。 ナルニアを生み出したアスランという名のライオンの歌、そうした讃美は世界に今この時も響きわたっているのであって、すでに今から数千年前に詩人が歌ったことと相通じるものがある。 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。(詩編十九・1〜5) 私たちはこの清く力強い響きを聞き取ることによって新たな力を得ることができる。それはかつてモーセが見た、火の柱、雲の柱のように私たちを導くものなのである。この世の騒音でなく、まったく異なる世界からの美しい何か、力強いある存在、それを私たちも日々与えられ、導かれるようにと神は備えて下さっているのである。 ことば (232)ある人たちは、生活がとても忙しいから祈れないと、言い訳をします。しかし、そんなことはあり得ないのです。祈りは、私たちの仕事を中断することを要求することはないのです。 私たちは、働くことが祈りであるかのように、仕事し続ければいいのです。 大切なのは、神と共にいることであり、神のご意志のうちにあって、神の内に生きることなのです。(マザー・テレサ) There are some people who,in order not to pray,use an excuse the fact that life is so hectic that it prevents them praying. This cannot be. Prayer does not demmand that we interruot our work,but that we continue working as if it were a prayer. What matters is being with him,living in him,in his will.(「MOTHER TERESA IN MY OWN WORDS」 7P) (233)真実の天国とは、果たしていかなるところか。私は信じる、神の聖意のみの成るところだと。… 私は信じる、天国とは、自己の満足を求めず、キリストの心を心とした者の世界だと。それは来世であれ、現世であれ。(「午後三時の祈り」内田 正規著 66頁) ・神の聖意とは、神のご意志であり、御心とか御旨などとも訳される。私たちの不満、動揺や混乱は、すべて自分の意志や欲望などをを第一とすることから始まる。なすことがうまくいってもいかずとも、そこに込められた神のご意志を信じて受けとるなら、平安があり、新たな力が与えられる。 内田は、午後三時祈の友会の創始者。結核の苦しみのなかから祈りの力を知らされ、互いに祈りをもってする祈の友が生れた。一九四四年、三三歳にて召される。神は彼を用いて祈の友を起こしたがそれは今も主に支えられて続けられている。 休憩室 ○わが家への山道のかたわらにいつの頃からか、コバノタツナミという、タツナミソウの仲間が育ち、今頃になると美しい花を咲かせています。その付近にはこの花は見られないし、我が家のずっと上の山道をたどっても頂上にいたるまで見られないし、どこをどのようにたどってこのわが家の近くの道に種が落ちて、そこから育って花を咲かせるに至ったのか、不思議なことです。 しかもそこはかなり乾燥した石地なのであり、まるで美しい花を咲かせるには不適だと思われるようなところです。 種が落ちる、これは、キリスト信仰においても、福音の種が私のところに落ちて育ったのも実に不思議です。私自身も考えたこともなかったし、私の周囲の人も、私がキリスト信仰に生きるようになるとは、だれも全く想像もしなかっただろうと思います。福音の種も人間の予想を超えたところに落ちて、そこで神が育てていかれるのを思います。 編集だより 今月は、三月はじめから日本全国で映画が公開されている、「ナルニア国物語」について、今回は現在上映されている、第一巻の「ライオンと魔女」の部分でなく、そのナルニアという国が生み出される状況を描いた部分について、紹介のために書きました。 映画化されるようになって、第一巻についてはたくさんの「ナルニア国物語」に関する本が出版されているので、スペースの関係でそれについては省いたのです。 大型の書店やインタ−ネットが使える人は自由にこの物語についての解説書とか、原作を購入できますが、からだが弱い方々、インタ−ネットが使えない状況にある方々、田舎にいるとか入院とかで書店に行けない人たちも多いので、そのような人たちにとくに読んでもらえたらと考えたわけです。 それから、やはり、聖書との関連を示すことも重要と考えたので、具体的にどのような箇所と関係しているのかも書いてあります。 キリストの福音や聖書の内容をさまざまの方法で知らせることは大切だからです。 主はこうしたかたちをも用いられるからです。 このようなファンタジーの衣をまとった物語は、表面的に読むと、ただ空想の世界のことだと思われやすいのですが、著者のルイスは、そのような子ども向けのスタイルを用いて、真の実在である神とキリストを指し示そうとしたのです。 お知らせ ○四国集会 今年のキリスト教・無教会四国集会は、五月十三日(土)〜十四日(日)、愛媛県松山市での開催です。もう間近に迫っていますので、参加希望の方は、はやく申込をしておいて下さい。 内容は、四国の三人の講師による聖書講話、特別讃美、感話(証し)、小グループ感話会、自由な感話会、早朝祈祷、自己紹介などです。今回は、感話として四国外の三名を含む六名の方々による二十分の感話が(土)、(日)それぞれに三人ずつ設定されています。み言葉を学び、ともに祈り、讃美することと、聖霊による交わりが深められる集会となりますよう、祈っています。 会費 一万円(一泊二食、写真代金含む) 昼食は別途申込する。 申込先 〒790-0056 松山市土居田町747-4 冨永 尚宛 電話 089-971-9276 携帯 090-3784-2888 E-mail:t-tominaga@r7.dion.ne.jp ○祈の友四国グループ集会 今年は祈の友のグループ集会も松山市が担当です。従来は九月二十三日の休日でしたが、今年は、九月十八日(月)の祝日(敬老の日)になっていますので、間違わないようにして下さい。 ○真実な愛、キリスト教的な愛をテーマとした作品はごく少ないものです。文学にしてもドラマや映画なども同様です。 アメリカで一九七四年から一九八四年までの十一年間放映され、日本でもだいぶ以前にNHKで放映された「大草原の小さな家」という作品は、キリスト教的な愛、そして罪とその赦しということをしばしばテーマにした作品です。 制作総指揮者であるとともに、自らも明るく勇気と愛に満ちた父親役を演じているマイケル・ランドンは、神に導かれて制作したのではないかと思われるほどです。登場人物が十年余りもほとんど同一のまま、ずっと継続されたというのも、他では聞いたことがありません。このような内容の作品は、恐らくは二度とできないと思われます。 かつてNHKで放映されていたものを、熊井さんが全部ではありませんが、かなりの内容をビデオに録画してあり、ビデオテープのままでは、カビが生じたり破損して使えなくなるので、その一回分を一本のDVDに変換してあります。それで希望者に貸し出しまたは、ダビングすることができますので、希望者または、問い合わせは吉村まで申し込んで下さい。 ○瀬棚聖書集会 今年の北海道瀬棚郡の瀬棚聖書集会は、七月13日(木)〜16日(日)までと担当の野中信成兄から連絡がありました。私(吉村孝雄)は例年のように聖書講話を担当予定です。もう二か月半ほどです。参加希望の方は予定に入れておいて下さい。 ○「大草原の小さな家」 真実な愛、キリスト教的な愛をテーマとした作品はごく少ないものです。文学にしてもドラマや映画なども同様です。 アメリカで一九七四年から一九八四年までの十一年間放映され、日本でもだいぶ以前にNHKで放映された「大草原の小さな家」という作品は、キリスト教的な愛、そして罪とその赦しということをしばしばテーマにした得難い作品です。 かつてNHKで放映されていたものを、集会員の熊井さんが全部ではありませんが、かなりの内容をビデオに録画してあり、ビデオテープのままでは、カビが生じたり破損して使えなくなるので、その一回分を一本のDVDに変換してあります。それで希望者に貸し出し、またはダビングできますので、ご希望の方は、吉村まで連絡ください。 |
2006/4 |
イースター(復活祭) 2006/3 キリスト教で最も重要な祝日は何かと問われると、たいていの日本人は、クリスマスと答えるだろう。しかし、クリスマスは、キリストが十字架で刑死してから、数百年を過ぎて祝われるようになったのである。 それに対してキリストが復活した日曜日を主の日として記念して集まることは、最も初期のキリスト教の時代から始まった。聖書にも「主の日」という言葉が見られる。 わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。" ある主の日のこと、わたしは霊(聖霊)に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。(黙示録一・9〜10) キリストの復活によって聖霊の働きが新たになされるようになった。それによって使徒たちは目ざましい変化を遂げて、いかなる困難のなかでもキリストの福音を携えて世界に出て行くことができるようになった。 復活がなかったら、聖霊もなく、キリスト教の世界への伝道もまたなかったのである。意気消沈していた弟子たちにとって、復活こそは、すべての出発点なのである。それゆえ、復活した日曜日に集まるようになった。 それが復活祭(イースター)の起源である。このような成立の由来から、日曜日を休むという世界的になっている習慣は、実はその起源はキリストの復活にあるのである。日曜日ごとに復活を記念しているのであり、毎週の日曜日そのものが、復活祭なのである。 そしてキリストの十字架上の死は、ちょうどユダヤ人の最大の重要な祭である、過越祭のときであった。 それゆえ、キリストが十字架にかけられる直前の最後の夕食は、ユダヤ人の最も重要な信仰上の祭である、過越祭の食事でもあった。 …イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなた方と共に、この過越の食事をしたいと私は切に願っていた。」(ルカ福音書二二・15) 過越の祭では、子羊を用いてその血を祭壇に注いだ。十字架で血を流されたキリストは、この過越の子羊を象徴しているとみなされてきた。 このように、キリストの十字架の死は過越祭の霊的な実現として受け止められた。そして三日後の復活も過越祭と結びつきが生れた。(*) (*)ギリシャ語では、過越祭をパスカ(pa,sca)という。フランス語では、復活祭のことを、PAQUES(パック)というが、これは、過越祭のギリシャ語に由来する言葉であり、復活祭と過越祭との関わりの深さが言葉の面にも現れている。 過越祭は満月に祝われたために、キリストの復活日も満月とかかわることになった。そして過越祭が現在の太陽暦では三〜四月の頃であるから、復活祭もまた春分の頃の満月と結びついたのである。こうしたいろいろの理由から、復活祭は、春分の日の次の満月の次の日曜日という分かりにくい決め方になっている。このことは、キリストの復活が春分の日の頃で、最後の晩餐は満月のときであったこと、そして復活したのが日曜日であったということと関係していることなどを同時に思い起こすことにもなっている。 このように、福音書をよく見ると、復活祭とは、イエス・キリストの復活を記念すると同時に、その背後に過越祭の意味が含まれているのがわかる。 すなわち、主イエスが十字架によって血を流して私たちの罪のあがないとなって下さり、私たちに対する裁きが過ぎ越され、わたしたちが救いを受けたという重要な意味があるのである。 見えないものを見る 「天路歴程」の中に、神の国を目指して進む巡礼者たちはいろいろの苦しみや誘惑、また危険に出会いつつ導かれていくが、その途中で羊飼いたちに出会う場面がある。その羊飼いたちは、巡礼者たちに、天の国の門や、天の国の栄光を見ることができるようにと、望遠鏡(眼鏡)を巡礼者たちに、与える。そして巡礼者たちは、本来見えなかったものを見させていただけたのであった。 「天路歴程」にはこうしたごく分かりやすい言葉で、霊的な深いことに関わりあることが記されている。この「望遠鏡」あるいは「眼鏡」を与えられることは、単なる物語でなく、どの時代のどんな人にもあてはまることなのである。 聖書も自然もまた先人も望遠鏡として働く。 自然科学や経済学、法学といった学問も、死後の世界については何ら教えるところがない。 私たちが死んだらその後に何があるのか、そのようなことを見る望遠鏡というべきものは与えられないのである。それゆえ、この世の終りとか、最終的にこの世はどうなるのか、そういったことについても、何ら確たる希望は与えられない。 しかし、信仰によって、私たちはいわばさまざまのことを見る望遠鏡や顕微鏡を手にしたようなものである。私たちの内部を見る顕微鏡とも言うべきものも与えられ、私たち自身にいかに不十分なところ(罪)があるか、をも初めて知らされていく。 植物を肉眼で見ているだけでは、細かな花や葉のつくりは決して見えない。しかし、ルーペで見ると、ごく小さな目立たない花が驚くべき美しさを持っていることがしばしばある。さらに顕微鏡で見ると、肉眼では全く見えなかった細胞まで見えてくる。 私が四十年ほど昔、初めて千倍ほどの顕微鏡で一滴のスライドグラスにおいた汚水の中に見た、大量の細菌、じつに多様な形をし、さまざまの運動をしているすがたに接したときの驚きは今も新鮮によみがえってくる。 遠くの物体を見る場合も、倍率の低い望遠鏡であっても、月もたくさんのクレーターがあるのが容易に分かる。 光学望遠鏡は、レンズやプリズム、あるいは反射鏡を巧みに使うことによって、遠くの物を近くに引き寄せて見ることができる。 心や霊的な世界にも、本来は決して見えないものが見えるようになる道がある。キリスト信仰こそは、そのような顕微鏡とか望遠鏡の働きを持っていると言えよう。 性能のよいレンズを使うほどゆがみや色がついたりしないで、正しく見えるように、私たちの信仰も、正しい信仰であるほど、見えない霊的な世界のことが、正しく見える。 この世にはさまざまの目には見えない力、悪霊とか汚れた霊といわれているものがある。それによってふつうなら到底考えられないような悪事がなされたり、不可解な行動をすることがある。 そうした人たちが持っているレンズは、ゆがんだものであるから正しく見えないのである。 聖書で言われている聖霊は、その果実として愛や平和、喜び、忍耐を生み出すような働きである。そしてその聖霊こそは、私たちの魂にとっての最大の望遠鏡であり、顕微鏡なのである。はるかな遠い先のことと思われている神の国のことも、聖霊によるならば実感することができる。 また、小さなことの中に他の人が決して見えないものを見ることもできる。マザー・テレサが路傍で死にかけているような貧しい人の中にキリストを見る、と言っていることもそうである。 聖書そのものが一種の望遠鏡であり、顕微鏡なのである。それがあれば、世の終りというはるかに遠いように思われていることも、見えてくるし、人間の心の隠れた深いところに潜む微細なもの、小さな不信実な心の動き、罪も見出すことができるようになる。そして、人間の心に点火された神の霊の働きも見えるようになる。 さらに自然のさまざまの世界もまた一種の望遠鏡である。それを通して神の国のことが部分的にせよ見えるようになるからである。 しかし、逆にふつうに色眼鏡で見るという言葉もあるように、わざわざ曇った眼鏡で見ることもよくある。私たちが、特定の人間だけを大切に思ってひいきしたりするとか恋愛で夢中になったりすると、それは一種の色眼鏡をもって見ることで、正しいものが見えなくなる。そのあげくに、他人の家庭を破壊したり、差別を引き起こしたりして人間関係の分裂が生じたりする。 だれにでも本来持てる神の国を見るための眼鏡、それこそは主イエスが言われた、神を仰ぐ幼な子らしい心である。聖霊によって新たに生まれ変わるのでなかったら、神の国は決して見ることはできない、という主イエスの言葉を思い出す。新しく聖霊によって生れるということは、神の国を見る眼鏡を与えられるということなのである。 単純の深み 谷川を流れる水の音、それは実に単調である。毎日毎日ほとんど同じ量の水が、同じように流れ続けている。しかし、その単純な水音、流れのたたずまいであっても、毎日それを目にしても、飽きることのない深い味わいがある。 それは人間の意志でなく、天地万物を創造された神のご意志が直接的に現れているからである。 しかし、人間の世界で多くの人たちが注目することは、例えばオリンピックの金メダリストの演技など、そこには、何とかして一番になりたい、その選手を育てたコーチや親などは、自分の名誉のため、またその母校などもその人がメダルを取れば、自分たちも誇りになるとかの期待、あるいは、外国選手に対しては、その選手が何か失敗すればよいのに、などと思っている人もいるかも知れない。また金メダルなど取ったら、今度はさまざまの団体や会社が、その人を利用して宣伝に使おうとする。背後で多額の金が動く等々。 この世では、美しいようなものも、その背後には実にさまざまの複雑極まりない人間の思惑が働いている。そこには清い美しさなどというものはない。 こうした人間世界の美に対して、天然の美というのは根本的に異なる。夜の闇に輝く星は、それ以上単純なものはないと言えるほどに単純である。闇の中の光、ただそれだけであり、何万年経ってもほとんど変ることがない。 そしてそこには人間の複雑な利害のこもった思惑など、存在しない。その闇の中の光のうちに存在するのは、神の無限の英知であり、また創造のご意志であり、そのような光を人間に示して、神の国へと引き上げようとする神の愛の心だけがある。 また、自然に咲いている野の花は、人間が創造されるよりはるかに前から、存在しているのであって、人間の考えや、もっときれいになろうとかの願望、それを用いて利益を得ようなどといった考えとは無縁である。 こうした単純さの深みということは、この世の幸福ということについても言える。 一般に言われている幸福は、まず健康、お金、よい家族、よい住まい、社会的地位、よい職業、友人などなどが揃ったら幸福だと思われている。そこには、さまざまの条件がある。よい社会的地位を得るために、幼い時から、塾に行かせ、英語を学ばせ、あるいはスポーツクラブに親が送り迎えする。有名大学に入るためには非常な準備をいろいろとする。そして会社に入ってもさまざまの困難な条件をクリアしていかねばならない。 少し病気とか、事故、あるいは失敗などがあっても、そうした幸福は得られなくなる。 この世の幸福とは、実に複雑な迷路を歩むようなもので、そうした迷路をどんなにたどっていっても、目的とする幸福には達することができない。それで魂の深いところで不満や空しさ、疲れを持っている。しかもそれは年老いていくほどに、健康も失われ、家族、友人たちから離れ、仕事もなくなっていき、その疲れや不満、虚無感などは増大していくことが多いだろう。 しかし、昔からそうした複雑な迷路を通っていく幸福への道というのとは全く異なる道、きわめて単純な道が備えられている。 それが、聖書が数千年も昔から示してきた道である。幼な子のように神を信じ、神を仰ぐことによって、壊れることのない幸いが与えられると一貫して記されている。 この世の道はきわめて複雑で錯綜しているが、神の国への道は、まっすぐな単純な道なのである。 主イエスが、「幼な子のようにならなければ、神の国に入ることができない」、と言われたことは、そうした聖なる単純さを指している。そしてこの単純な道は、すでにキリストより、五百年以上も昔から明確に言われてきたことである。 地の果のすべての人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五・22) ここで「仰ぎ望め」と訳されている原語は、「転じる」(turn)という意味を持っているゆえに、英語訳の多くは、 Turn to me and be saved. と訳されている。今まで、地上のことばかり、人間のなすこと、目に見えることばかりを見ている魂が、そこからそれらすべての地上の物を創造した神へとまなざしを転換するというただそのことだけで、救いが与えられるという。 後に十字架がキリスト教のシンボルとなって、十字架を仰ぐということが、キリスト教信仰を象徴するような意味を持つことになった。 キリスト教史上で最大の働きをした使徒パウロは、ギリシアの都市コリントを訪れて福音を宣べ伝えたとき、その地方はギリシャ哲学の影響が色濃く残っていたところであったにもかかわらず、あえてきわめて単純な言葉で福音を伝えようとした。 それは、つぎのようである。 私はあなた方の間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた。(Tコリント二・3) パウロは、若いときから特別にユダヤ人としての英才教育を受けた。すぐれた教師について学んでいたから、さまざまの知識を十分に使ったり、幅広い議論をして相手を説得することもできたであろう。イエス・キリストについてはその生れとか系図、そのさまざまの奇跡、深い教えなど語ればいくらでもできただろう。 しかし、そのような知的な論争とか説得のようなことをせずに、ただ十字架につけられたキリストだけを、心においてそれを宣べ伝えようとしたのであった。 このような単純さ、十字架につけられたキリストを宣べ伝えようとすることによって、神の力が働くことをパウロは知っていた。人間的な議論、博学や論理の巧みさなどをふりかざしても、そこには人間的な思いがしばしば働く。議論ができる、知識を自分がたくさん持っている、自分の方が能力が上なのだ、といった秘かな高ぶりがあれば、神の力は働かない。 神の力がより働くため、そしてその神の力によって一人でも二人でも、キリストの十字架による罪の赦しを受けて救いを得るために 十字架につけられたキリストだけを宣べ伝えようとしたパウロ。 ただそのことを見つめていれば、神の力はそこに注がれる。 パウロ自身は、決していつも強い状態ではなかった。 …兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いなかった。 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからである。 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安であった。 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明によるものであった。 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためであった。(Tコリント二・1〜5より) パウロのような大使徒ですら、衰弱し、恐れに取りつかれ、不安であったという。そのような力の失せたような状況であっても、否、それだからこそ、十字架のキリストだけを見つめる単純な信仰に徹しようとしたのである。そして神はその姿勢を祝福され、多くの人たちにキリスト教を伝えることができたのであった。 主イエスは、「なくてならないものはただ一つ。」(ルカ福音書十・42)と言われた。御国への道は単純である。谷川の水の音が単純で純粋であるように、星の光に二心がないように、キリストの愛は単純で深い。 わたしたちもまた、十字架によって罪赦されるという福音の単純な原点にしっかりと留まり、キリストを仰ぎ望むというただ一つのことを持ち続けていきたいと願うものである。 目に丸太 主イエスは、ほかのどんな人にもまして分かりやすい言葉の中に深い真理を込めて、しかも力と権威をもって語ることができた。人の目に丸太とか、おが屑といった表現で、人間の深い罪を語られたのである。 私たちの目には、大きな丸太があるのにそれが見えない、しかし他人の小さなおが屑を見てそれを取り除こうと言っているという。 …イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。 弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」 (ルカ福音書六・39〜42) 盲人が盲人の道案内をする、これは、どういうことか。 目が見える人は、自分は盲人ではないと思っている。しかし、別の箇所で、次のように言われている。 …イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える(と思い込んでいる)者は見えないようになる。(ヨハネ福音書九・39) このように、主イエスがこの世に来られた目的そのものが実は、真理が見えない人間に、真理を見させ、神のわざ、神の国が見えるようにするためなのであった。そして傲慢にも自分こそはそうしたものが見えていると思い込んで、他人を裁いている人たちはかえって見えなくなる。高ぶりは裁かれるのである。 こうして考えるとき、この世のすべての人が実は盲人なのである。神のこと、自分の罪、この世界がどうなっていくのか、人間にとって最も重要なことは何であるのか、そういったことが分からないのである。 だから人間は本質的に他者を導くことができない。罪ある人間はそのままでは、自分自身がどこに行くのかも分からないからである。 人間に深い罪があって、他人をも正しく見分けることができないということを、目に丸太がある、という驚くべき表現で表しているのである。 目とは心を表す。目に丸太とは、心に丸太のような邪魔者があるということであり、これはすなわち罪のことなのである。パウロがローマの信徒への手紙で書いているように(*)、どうすることもできない人間の本質を主イエスはこのようにごくわかりやすい日常的な言葉で表したのである。 (*)…ではどうなのか。私たちにはすぐれた点があるのだろうか。全くない。すでに指摘したように、ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪の下にある。次のように書いてある通りである。「正しい者はいない。一人もいない。…」(ローマの信徒への手紙三・9〜10より) 自分の丸太を取り除く、すなわち自分の罪を取り除くということは、自分の力ではできない。それゆえに、パウロがローマの信徒への手紙で力を込めて述べているように、キリストが十字架にかかる必要があったのである。 十字架によるキリストの死によって神はただ信じるだけで、私たちの内にある「丸太」を取り除く根本的な方法を与えて下さった。しかし、それもたえずそのことをしっかり覚えていないと、いつのまにか、キリストによって丸太を除いてもらったことも忘れて、他人のおが屑を除こうとする。つまり他人を裁いていく。 他人を裁くということは、罪に定めて非難すること、そこには愛がない。結局は、裁くな、ということも愛をもって祈れ、ということになる。敵対する人や中傷する人に対して悪く言い返すことによっては自分にとっても、相手もにとっても何一つよいことは生じない。神からの愛をもって祈ること、それによって自分も他者も周囲の人にもよきものが流れてくる。 主イエスは、人間同士の関わりのあり方について、私たちの生涯の目標というべきものを示された。それは、ここに言われる、他人の目にある小さなおが屑を見るのに、自分の目にある大きな丸太を見ようとしないこと、すなわち、他人の罪ばかり見て、自分の罪深さを知らないことを強く指摘された。 このことと、次の人間関係の究極的なあり方を示す言葉とも内的につながっている。 敵を愛し、憎む者に親切にせよ、悪口を言う者に祝福を祈れ、侮辱する者のために祈れ。(ルカ福音書六・27〜28) 私たちが、敵対する人や憎しみをもってくる人に好意を持てないのはごく当たり前のことである。それは、すぐに相手を裁いて、あの人は悪い人間だ、いやな人間だ、と裁いてしまう。そして自分もまた敵意とか反感といったものを返してしまう。相手の悪意に目がくらんで、自分の中にもひそんでいる自分中心の考えや罪深さという丸太には気付かなくなってしまう。 敵を愛せよとは、敵対する人を好きになれ、ということではない。それは、敵対する者の心がよくなるように祈れ、ということだが、それは裁く心とは反対の心である。 自分の心にも同じような「丸太」がある、罪があると実感しているときには、だれかを強く非難したりできなくなる。しかし、そのような時であっても、相手のために神に祈ることはできる。自分に罪あると思えばこそ、自分が相手の悪いところを直したりできないから、神に祈る心となる。 裁くな、そうすれば神からも裁かれない、と主は言われる。裁くのでなく、祈れ、と言われる。また、次のように言われた。 赦せ、そうすれば赦される。 与えよ、そうすれば与えられる。(ルカ福音書六・37〜38より) この主イエスの言葉に対しては、自分は赦すことができない、という気持ちをいう人も多い。このことについて、主イエスは、別のところでたとえを話して示された。 … ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 現在の日本の値打ちになおせば、六千億円ほどにも相当する大金を借金している家来が、王の前に連れて来られた。 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。 ところが、この家来は外に出て、自分に百万円ほどの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタイ福音書十八・21〜35より) ここで、六千億円ほどにもなる大金、それは返すことが不可能な金額を象徴しているが、それほどの借金が主人にあるということで、それは人間の罪がほとんど計り知れないほど大きいということを象徴的に示すものである。 そのような罪をすべて帳消しにしてくれた王とは、神である。神からそうした絶大な赦しを受けたのに、自分はごく小さなことで他の人を赦さない、これが人間の罪深い姿である。このたとえで、私たちは神により、十字架で主イエスが血を流して死んで下さったことによって罪赦され、救いを受けた。それゆえに、他者を赦せるはずなのだと言われようとしている。 他人を赦せないのは、主イエスからの赦しが与えられているのに、それを心を開いて受けとろうとしていないからだということになる。 だから、「赦せ、そうすれば赦される」ということは決してできないことを命じているのではない。赦すために私たちは主の十字架を仰がねばならない。そこから赦しを豊かに受けるほど、私たちはこのイエスの命令を、実行できるし、私たちの罪もいっそう赦される。 このことのゆえに、主がすべての祈りの中心にある祈りとして、次の祈りを示されたのであった。 私たちが自分に罪(負い目)ある人を赦しましたように、私たちの罪をも赦して下さい。(マタイ福音書六・12) また、ここで主イエスは、「与えよ、そうすれば与えられる。」という簡潔な法則を教えられた。あたかも数学で、二×三=六 となるように、これはだれに対してもいつでも成り立つ精神世界の法則として言われている。 ここで「与える」という言葉で意味されているのは、何であろうか。与えるというとすぐに、お金や物、食物などを思い起こすが、この箇所では前後関係から見ると、相手が自分に対して犯した罪の赦しをも含んでいると考えられる。相手に、主の愛のうちにあって、赦しを与えるとき、私たちもまた赦しを与えられる。このように、人間の世界で根源的なものでこうした法則が成り立つのであれば、当然それよりももっと表面にあることでも成り立つ。それは私たちが愛をもって何かを与えるとき、私たちもまた与えられる。神に捧げるとき、神から与えられるのである。 主にあって与えるときには、それが祝福され、「押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに与えられる」と言う。このような特別な表現で強調されているのは、それほどこの世で、まず与えるということが確実に与えられるということに結びついているからである。 ただし、ここで、秘かに自分に返礼やお返しを期待して与えるのは、実は自分中心であって、自分へのお返しが目的であるから、それは真に与えたことにならない。かえってそれは与えるように見せかける偽善という悪にすぎない。こうした不純な心では、真に良きものは決して与えられない。 与えよ、そうすれば与えられる、という言葉は、次の有名な言葉を思いだす。 求めよ、そうすれば与えられる。(マタイ福音書七・7) まず私たちは神に求める、そうすることで神からの賜物を与えられる。その心をもって、他者に与える。そうすれば他者からも、そして神からも与えられる。 祈りという霊的なことについても同様である。 他者に対してまず、祈れ、そうすれば祈りを与えられる。 そして神に対しても、まず神に祈るなら、神から霊的なものを受けることができる。この世はいくら与えても奪われたまま、与えて大きな損をするということもある。しかし、目に見えない世界では、決してそういうことはない。たとえ、相手から金を盗まれたとしても、祈りをもって対処すれば、その人には平安という賜物が神から与えられる。 主イエスが、福音をもって他者を訪れるとき、平和を祈れ、相手がそれを受け入れないときでも、 その祈った平和は、あなた方に帰ってくる、と約束された。 主にあってなしたことは、すべて無駄になったりせず、神からよき霊的な賜物に変化して帰ってくる。ここに驚くべき神の御支配を感じさせられるのである。 モーセの召命―燃える火の中に現れた神 エジプトの王の命令によって生れた男の子はナイル川に投げ込まれていったが、その内の一人の赤子が、エジプトの王女によって拾い上げられ、王子として育てられるという不思議な生い立ちをしたのがモーセであった。 成人した彼は、自分の力で同胞のイスラエルの人のためにしたことから、王に命をねらわれることになり、砂漠を越えてはるかな遠くへと逃げのびて行った。 そこで結婚し、荒野で、羊飼いとしての静かな生活を送っていた。そのようなある日、モーセは不思議な光景を目にした。乾燥した地帯では樹木は所々にしか生えていない。そのうちの一つの木が燃えているのにそれが燃え尽きないのに気付いた。 この大自然のただ中で生じた出来事が、神からモーセへの語りかけの最初の場面であった。 なぜ、神は、燃える木(柴)の中から話し掛けたのか、聖書の箇所でこのような状況から語りかけたというのは他にはない。 それでは、他の聖書で重要な人物はどのような状況で神からの呼び出しを受けたのであろうか。それを簡単に見てみたい。 アブラハムに最初、神が語りかけたのは、どんな状況であったかは全く記されていない。アブラハムが神からの語りかけを受ける前にどんな生活をしていたのかすら全く記されていない。ただ現在のイラク地方に住んでいたこと、そこから家族でユーフラテス川の上流地方へと旅立ったということだけが書かれている。そしてその直後に、突然、神がアブラハムに、「生れ故郷を出て、父の家を離れて私の示す地へ行け」という記事が続いている。(創世記十二章) アブラハムの孫にあたるヤコブについては、兄に命をねらわれるという状況になったために、一人遠くの親族のところに逃げていく途中の夢の中に、天に至る階段が現れ、天の御使いが上り下りしているのが示され、神がヤコブに語りかけたのであった。(創世記二八・10〜15) また、王として特に重要であるダビデを選び出す使命を帯びていた預者者、サムエルは、子どものときに神からの呼びかけを、夜の眠りのときに受けた。(サムエル記上三・4) ダビデは羊飼いをしていたが、サムエルを通して神に選ばれた。そのときから神の霊が注がれるようになったと記されている。(同右十六・12〜13) 最も重要な預言者のうちの一人、イザヤはある時突然、神のすがたを啓示され、預言者として呼び出された。それが宗教的儀式のときであったのか、祈りの時なのか、あるいは旅の途中なのかは何も記されていない。(イザヤ書六章) またイザヤと並ぶ偉大な預言者、エレミヤも若き日に神からの呼び出しがあったというのは分かるがそれが生活のどんな時であったかはやはり何も分からない。 新約聖書に入って、イエスの弟子たちのうちで、代表的なペテロ、ヨハネ、ヤコブたちは、いずれも漁師であって、漁師として漁をしているとき、ヨハネは、網の手入れをしているという仕事中に突然イエスからの呼びかけがあって、それに従って弟子になったことが記されている。 また、最大の弟子とも言えるパウロは、熱心なユダヤ教徒としてキリスト者を迫害している最中に復活のキリストからの呼びかけを受けた。 このように、聖書のなかには、神からのはっきりした呼びかけはいろいろな状況でなされているが、モーセの場合のように、砂漠地帯で時折みられる木が燃えているその中に神が現れて語りかけたというのは、異例のことである。 燃える木(柴)の中から、御使いが現れたとあるが、四節では、柴の中から声をかけたのは、神であるのが分かる。このように、御使いとあっても、神ご自身の一つの現れである場合がある。 まず、神はモーセに対して、エジプトにおいて人間の力の弱さと空しさを思い知らせ、次に静かな荒野での生活へと導き、そこでモーセは単独の長い時間を持つことによって神との対話を続けていった。そして、時至って神は直接的にそのお姿を現してモーセに個人的に呼びかけた。個人的に呼びかけられて始めて、私たちの信仰は確固たるものとなる。人間の呼びかけは力にならない。 アブラハムもその個人的呼びかけから全く新たな生涯が始まった。そしてそれが全世界に絶大な影響を及ぼすことになった。神が何事かを成そうとされるとき、特定の人間を呼び出す。そしてその人間に特に大きな力と、神の言葉を与える。 キリストの十二弟子たちも、弟子たちが志願したのではなかった。次のように、自分で希望した者はかえって退けられた。 …ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子(イエス)には枕する所もない。」(マタイ福音書八・19〜20) 律法学者のような、聖書を人に教えている人がイエスに従う、と言っているのだから、ふつうなら「それでは従って来なさい」とすぐに受け入れるように思われる。しかし、自分がどんなに決断しても、自分の意志は固いと考えていても、この世で生じることの前にはいとも簡単にそうした自分に頼る姿勢は砕かれてしまう。 キリストの十二人の弟子たちは、みんな自分の意志で従おうとして選ばれたのでなく、彼ら自身はイエスに従っていくなど、全く考えたこともない人たちばかりであった。そのような人たちをイエスご自身が呼び出したのであった。 同様に、パウロも彼自身の意志はキリスト教を撲滅することであってキリスト教徒を迫害する指導者であったが、キリストからの呼び出しによって使徒に変えられた。 私たちもまた、自分の意志や希望でなったのでなく、神の御計画からキリスト者とされたのである。すべての本当のキリスト者はみなこのように神がはるかな昔から予定し、計画して選び、個人的に呼び出したのである。 このように、人間の運動とか社会状況によるのでなく、神ご自身がその御計画によって呼び出すのであるから、私たちはただ祈ることである。神は、当時のエジプトにおけるイスラエルの人たちの苦しみ、叫びの祈りを聞いた、と記されている。 …イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。 神はその嘆きを聞き、…神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。(出エジプト記二・23〜25より) モーセは、命が助かって以後も、絶えずエジプトのユダヤ人の過酷な取り扱いを思いだしていただろう。 神は全く思いがけないときに現れた。モーセ自身、また他のすべての人たちも神がいつモーセに現れたのか、分からないような遠隔地であった。 どんなに遠くにいても、神は見出される。 燃える火の中に現れた神、それはすでに述べたように、数ある預言者や信仰の人のなかで、モーセにだけそのようにして現れた。これは何を意味しているだろうか。 それは神の御性質を表している。神が火の性質を持っていることは、旧約聖書でもあちこちにみられるが、特にエゼキエル書ではその四十八章にわたる長編の内容の冒頭に記されている。 … 主の言葉が祭司エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。 わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。さらにその中には四つの生き物の姿があった… それらはそれぞれの顔の向いている方向に進み、霊の行かせる所へ進んで、移動するときに向きを変えることはなかった。… 彼らの有様は燃える炭火の輝くようであり、松明の輝くように生き物の間を行き巡っていた。火は光り輝き、火から稲妻が出ていた。(エゼキエル書一・3〜14より) エゼキエル書とは、ユダヤ人が遠くバビロニア帝国に連れ去られたとき、その地でエゼキエルが神の召命を受けて、神の言葉を語った預言書である。ここにあげた描写は現代の我々にはとても実感しにくいが、これは、神の本質をこのようなかたちで示されたのであった。それは、神は火のような力、焼き尽くす力を持ったもの、火はまた明かりでもあり、闇を照らしだす光でもあるが、それはじっと光っているのでなく、物事の根本を造り替え、悪や不純なものを根底から滅ぼす力をもったお方として現れたのである。さらに四つの生き物のような姿というのも、神を象徴的に表しているが、そこでも、「燃える炭火が輝くようだ」と記されている。 炭火というと、現代の私たちにはせいぜいごく弱いものとしか考えられない。戦前の人であっても、小さな火鉢に入れる炭火、あるいはたき火などの残りに炭火ができるが、そのようなものと考えたら大きな間違いになる。 古代においては、現代のように石油や石炭、電気などを大規模に用いるなどは全くなかったのであり、一般的には、木材から木炭を作り、空気を送って千数百度にし、化学反応を起こして鉄を溶かし出していた。 そうした状況で使うような強力な火がここでは言われているのであって、この「炭火」とは、「岩石(鉱石)をも鉄をも溶かすような、激しい力」をもったものという意味を持っている。 それゆえ、家庭で見るような火鉢の炭火などをイメージすると全くここで言われている神の姿を間違ってしまう。 現代の人々は、(キリスト者以外の人が抱いている神に対するイメージも含め)神を思い起こすとき、「火」を連想する人はごく少ないと思われる。火というのは、古代からずっと比較的最近まで、きわめて重要であって、毎日の食事のために調理にも不可欠であり、夜の明かりとして、また寒さから防ぐためなど、火がなければ生きていけなかった。しかし、最近では、電気での炊飯、電磁調理器、電子レンジなどのため燃える火というのはますます遠ざかりつつある。さらにこのごろは、たき火もしてはいけないとかで一層、火というものに触れることがなくなっている。 それゆえ、神が燃える火のなかに現れたといっても、当時の人たちが受けた強いメッセージ性が失われているので、私たちは少しでも当時の人たちが持っていた火というイメージを思い浮かべて読む必要がある。 神とは、火のような存在だ、ということは、エゼキエル書と共に、さまざまの霊的かつ、視覚的なイメージによって神の啓示を記しているダニエル書にも見られる。次の記述は、ダニエルが、眠っている間に神からの特別な啓示を受け、神ご自身を見るという特別な恵みが与えられたときの内容の一部である。 …なお見ていると、 王座が据えられ 「日の老いたる者」がそこに座した。その衣は雪のように白く その白髪は清らかな羊の毛のようであった。その王座は燃える炎 その車輪は燃える火 その前から火の川が流れ出ていた。(ダニエル書七・9〜10より) これは、ダニエルがイザヤやエゼキエルと同様に、霊的に引き上げられて神を見るという特別な恵みを受けたときの経験を伝えている。ダニエルが示された神の本質とは、すべてを支配する王であること、永遠性、そして雪のように白いという表現によって完全に清められた存在であることが示され、自由自在にどこにでも動くことが車輪を持っているということで表され、しかもそれは火であり、火の川が流れ出ているというのである。 ダニエル書が書かれた時代状況は、激しい迫害の時代であったが、それは悪の力がそれまでのどの時代にも増して激しく襲いかかると思われたほどであった。しかし、そのような悪の力も、すべてを焼き尽くす火のような神の力によって滅ぼされるという確信が啓示されたのであった。 神の前から流れ出ているのは、「いのちの水の川」である。 …天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。(黙示録二二・1) 聖書の最後の書物ではこのように、神と小羊といわれるキリストはいのちの水であふれているゆえに、そこからは永遠のいのちの水の流れが湧き出ていると記されている。悪の力に苦しめられてきた人間も最終的にはこうしたいのちの水の豊かな流れの中に置かれて、十分にうるおされ、満たされるのがこうした表現で表されている。 主イエスご自身もいわれた。 …私が与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。(ヨハネ福音書四・14) 神御自身がいのちの水の源であるゆえ、それを頂いた者もまた一つの小さな泉となる。 それにもかかわらず、このように、ダニエルは神の御座から、火の川が流れ出ているのが見えたという。火と、水、全く相反すると思われるものが共に神の御座から流れ出ているのである。 火の川が流れていくところ、どこであっても焼かれていく。ただしそれは神の真実や正義に意図的に反し続け悔い改めない者に対してである。悪そのものの力は、この神の御座から流れる火の川によって焼かれていくのである。 このように、神が「岩であり、砦」である、というイメージ(詩編にしばしば見られる)と同様に、神に対する私たちの日常的なイメージを打ち破るものを聖書はつねに私たちに対して指し示している。 主イエスご自身も、また神の力は火を連想する力を持っていることを話された。 …すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。(マタイ七・17〜19) …だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ福音書十三・40〜43) ここで、火で焼かれるとか燃え盛る火の中に投げ込まれる、というのは、神の裁きの力によって滅ぼされるということであり、ダニエルの見た、神の御座からの火の川の流れで燃やされるということになる。 神は愛であると言われる。そして愛とは柔和なやさしいイメージで受けとられる場合が多い。しかし、その愛は万能かつ正義なる神の愛であるゆえ、悪そのものを裁き、滅ぼす力を持っている愛である。弱い人を踏みつけ、理由なく苦しめるのが悪の本体であるとすれば、そのような悪をそのままにしておいてどうして愛と言えようか。 それゆえ、聖書では先に述べたように主イエスも最終的には悪は火で焼かれると予告しているのである。さらに、聖書の最後の黙示録でもその終りに近い部分で、悪の最終的な結末がつぎのように言われている。 …サタンは地上の四方にいる諸国の民を惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。彼らは、聖なる者たちの陣営と愛された都を囲んだ。すると、天から火が降ってきて彼らを焼き尽くした。そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。…死も陰府も火の池に投げ込まれた。(黙示録20章7〜14より) このようにして、悪の力の根源は火の池に投げ込まれて滅ぼされ、死の力そのものも同様に滅ぼされる。 聖書の全体から、「火」というものがいかに神の力の象徴として表されているかが分かる。そうした観点から見るとき、モーセに対して、火の中に神がなぜ現れたのか、という最初に提起したことの意味が明らかになってくる。 長い人類の歴史を通じて特別に神に選ばれた人であったモーセはその困難な生涯の出発点にあたって、愛の神、導きの神と同時に、火の力を持った神をはっきりと悟らされたのであった。 そして実際に、荒野にあってモーセが民を導くとき、「火」が伴った。 …主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。(出エジプト 十三・21) これは、夜の闇を照らす明かりとしての火であったが、それだけでなく、目的の地への旅路に現れる悪の力から守ろうとする神の力をも表すものであったであろう。 柴が燃えている火の中に現れた神、そして火の柱、雲の柱ということによって神が共にいる象徴も示されているが、これは単に古代のモーセにだけ生じたことでなく、現代の私たちにも迫ってくる事実である。 私たちの周囲には古代には分からなかった遠くの国々の状況が毎日新聞やテレビ、インターネットなどを通して洪水のように入ってくる。それらの多数の部分は悪の支配によっていかに混乱や苦しみが生じているかを報道するものである。そうした事実に接して、私たちが確固たる足場を持っているためには、それらの根源にある悪の力に勝利する存在を確信している必要があるし、そうした力によって日々守られ、歩みを続けているという実感が必要である。 その実感を与えるものこそ、この火の中に現れる神であり、火の柱、雲の柱をもって導く神なのである。 ことば (228)あなたは、働いているときも、祈ることはできます。仕事は、祈りを止めることはしないし、祈りは働くことを止めさせたりしません。 祈りは、次のように心を少しだけ主に向けるのを必要としているだけなのです。 私は、神様、あなたを愛しています。 あなたに信頼しています。 あなたを信じています。 今あなたが必要なのです。 このような小さなことなのです。 こうしたことがすばらしい祈りなのです。(「マザー・テレサ 日々のことば」二月三日の項 女子パウロ会刊) You can pray while you work.Work does'nt stop prayer and prayer does'nt stop work. It requires only that small raising of the mind to Him: I love you God I trust you I believe you I need you now. Small things like that. They are wonderful prayers.(「The Joy in Loving」73p ) ・このマザー・テレサの言葉は、新約聖書で、次のように言われていることが背景にある。 …絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。 これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(Tテサロニケ五・17〜18) 絶えず祈れ、と言われているが、それは何かをいつも祈っているというより、ここでマザー・テレサが言っているように、心を常に主イエスに向かわせていること( small raising of the mind to Him)を意味している。 (229)英知への愛(哲学)は、それを実行する際に、他のすべてのものにはるかにまさっている。というのは、英知を愛するということを実行するためには、どのような道具も、また、どのような特定の場所も必要とせず、世界のどの場所であれ、人が自分の思考を働かせさえすれば、その人は、いわばいずこにでも、同じように存在している真理に触れることができるからである。 このようにして、英知への愛(哲学)は可能であるということ、それがいろいろな善きものの中で最大のものであり、それを獲得するのは容易であるということが証明された。 そしてそれゆえに、あらゆる点から見て、英知への愛(哲学)のためには、熱心な努力を傾けるに価するものである。(「哲学の勧め」アリストテレス全集 第十七巻 五五三頁 岩波書店刊) ・哲学というと、難しいもの、ごく一部の人のもの、と思われがちであるが、これは本来は、「学」ではなく、原語のフィロソフィア( philosophia )という言葉は、「英知(ソフィア)を愛する(philew)」という意味なのである。 そして、ここで言う英知とは真理にかかわる判断能力であるから、フィロソフィアとは、「真理愛」というような意味を持っている。 それゆえ、アリストテレスが、哲学について言っていること、真理を愛することは、どこであってもできること、道具も要らない、場所も選ばない、自分で考えること、そして直感的判断を鋭くさせることだけでできることだから、この世で最もよきことだと述べている。 これは、キリスト教で言えば、神を愛することは、いつ、どこででもできるし、何の道具も要らない、資格も不要、そして祈りの心をもってすれば、いつどこででも存在する神の愛に触れることができる、と言い換えることができる。そして神への愛は、いろいろな善きもののなかで、最大のものであって、そのような点を考えると、さらにそれを身につけるのは、容易なことである、ということになる。 (230)モーツァルトは、この光に包まれた全創造を聴いたのである。 そしてこのとき、彼が中間的で中性的な音を聴いたのではなく、否定的なものよりは、肯定的な音をより強く聴いたことは、本当に理と秩序に合ったことなのであった。… 彼はただ一つの側だけを抽象的に聴くことを決してしなかった。彼の音楽は昔も今も、全体的音楽である。… 彼は、彼自身の音楽でなく、被造物の世界それ自体の音楽を造り出した。(「モーツァルト」カール・バルト 80〜81より 新教出版社) ・モーツァルトの音楽は、光に包まれた創造世界の全体から発せられている自由と喜びの表現であり、被造物の世界が神を讃美している姿を音楽によって表したものと言える。 聖書には、次のように記されているが、モーツァルトの音楽には、確かに、天も地も主を讃美している霊的状態が、音楽によって表されている。 …天よ地よ、主を讃美せよ 海も、その中にうごくものもすべて。(詩編六九・35) (231) 一切の仕事が、神を離れては困難であり、神とともにあれば、一切が可能である。(「幸福論」第三部 278p ヒルティ著 岩波文庫 ) ・私たちは何らかのことをしている。働きをもっている。ふつうは、病気の人は仕事ができないと思われているが、それぞれの病状に応じて、手紙を書く、言葉や、まなざし、心で思うこと、祈りなどで神の国のために、「働く」ことができる。そのようにどんな人でも何らかの仕事を持つといえるが、その際、どんなに活発に働いている人であっても、神を無視して、つまり自分中心の考えでやっているかぎりそれはそのうちに壊れていく、消えていく。しかし、神とともにあるとき、どのような小さな働きであっても、必ず生かされる。祝福がある。私たちの願いは、それゆえ、人から注目されるとか、目に見える結果を得たいとかいったものでなく、絶えず神が共にいて下さるように、そしてその神が私たちの心を導いて下さるように、ということである。 休憩室 ○明けの明星 早朝五時前の、東の空を見れば、だれでもはっとするような強い光の星があります。それは、思わず心が引き寄せられるような輝きで、まばたきもしないで見る者をじっと見つめるような光です。 これが、明けの明星といわれて、古来有名な金星です。しかし、この明けの明星を一度も見たことのない人が相当いるようです。まだ当分は見られるので、見たことのない人は、ぜひ見ておいてほしいと思います。今ごろの金星はとても明るく、−四.四等の明るさです。恒星で最も明るいシリウスは、マイナス一・五等ですから、金星はシリウスの十五倍余りの明るさです。(等級が一違うと、二・五倍明るくなる) 明けの明星としての金星は、聖書の最後にある黙示録の終りに近い部分で次のように言われています。 …わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16) このように、主イエスご自身が、自分のことを明けの明星と言われたほどに、この輝きは人の心を強く惹きつけるものがあったのです。人々がまだ寝静まっている早朝、まだ暗い空にまばたくこともなく強い光で輝く星、その後に夜明けが訪れるために、この金星は夜明けを呼び覚ますメッセージをたたえているとも感じられます。 また、その頃、南の西よりの空には、これもまた透明な明るさといえる強い輝きの星がすぐに見つかります。これが木星ですが、この星は、現在では、夜中に東から登ってくるので、深夜に外に出て東方を見るならこれもだれでも直ちにわかる強い美しい星が見えます。(木星は、マイナス二・三等で、これもシリウスよりずっと明るい) それから、朝は早く起きられないという方は、三月三十日頃であれば、夜八時頃には、真南のやや高い空に土星が見えますから、これもぜひ見ておくと惑星に対して、また夜空に対して 一層関心が深まります。(土星は〇・一等) そして星への関心は、信仰生活の上でも、プラスになります。 聖書に、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」(詩編十九・2)と言われている通り、夜空の星は生きた神の言葉でもあり、神のお心を感じさせてくれるものだからです。 ○春の植物 春、それはあらゆる植物や昆虫、小動物などが一斉にそのはたらきを始める季節です。空き地には、ほとんど注目されない野草たちが次々と小さな芽を出して伸びていきます。わが家は低い山にあるため、平地には見られない植物たちもあちこちに見られます。タチツボスミレが、いつのまにか、裏の山の斜面で広がって美しい花を見せています。 またセントウソウの、セリ科独特の小さい花火のような白い花、それは大きさは一ミリ程度のものですが、静かに春を告げています。 ミツバアケビは、つぼみを膨らませ、近いうちにその心惹く花を咲かせようと準備しています。 寒い間に誰からも注目されず、静かにその地味な花を咲かせていたビワは小さい実を膨らませています。ビワは日本ではその食用の実だけに関心が持たれていて、その花の香りはとてもよいものであることは不思議なほど、ほとんど知られていません。 冬の間ほとんど変化も見せずに過ぎてきた樹木たち、また野草たちも、時が来たら、このように何かに動かされるように、奥深いいのちのエネルギーから生れるものが見られるのです。 こうした自然の姿を注意深く見るとき、それらすべての背後にある巨大な神のいのちのエネルギーから、その一部を分かたれたものだと気付くのです。 お知らせ ○主日礼拝、夕拝などを録音したCD MP3というファイル形式にしたCDを聞くために 私たちの徳島聖書キリスト集会では、主日礼拝と、夕拝などの内容をCDにして配布をしています。これは、カセットテープという形では、非常にかさばること、頭出しがとても面倒なこと、カビが生えて使えなくなったり、テープが巻きついたりする不具合が生じること、カセットテープそのものが次第に作られなくなりつつあること、カセットテープをダビングする器械そのものが、日本では製造中止となってしまったことなどから、CDに切り替えつつあります。 このCDは、最近の「DVDプレーヤー」、または「MP3プレーヤー」で聞くことができます。DVDといっても、まだ使ったことがない、という方もおられると思うので、簡単な説明をしておきます。 従来のCDよりはるかに多くの内容が入ります。ビデオテープも次第に少なくなり、DVDになりつつあります。 DVDプレーヤーは、いろいろな種類が市販されていますが、価格は、再生だけなら八千円〜1万数千円程度で購入できます。自宅のテレビにケーブルでつなぐだけで、DVDが使えるようになります。主日礼拝のような、聖書講話などは、もちろん映像はなく、音声だけです。市販のDVD映画なら、画面に映画が現れます。 去年に市販した、ヨハネ福音書CDは、家庭用のCDラジカセでもつかえるようにと考えて制作しましたが、ヨハネ福音書だけで60枚近くになってしまいます。 しかし、MP3というかたちにすると、4枚程度に収まります。 このような理由のために、今後の聖書のCD、またはDVDのかたちでの配布は、MP3という形になります。 ○復活祭(イースター)特別集会 今年の復活祭は、四月十六日(日)です。私たちの徳島聖書キリスト集会では毎年、復活祭特別集会を持っています。いつもの主日礼拝より三十分早く、午前十時開始です。 キリスト教の原点である、キリストの復活を覚えて共に復活を感謝し、復活のいのちを頂くために、二千年間も全世界で続けられてきた祝日であり、別項で書いたように、毎週の日曜日がミニ復活祭と言えるのであり、その意味では世界でおびただしい人々がその祝日の幸いを受けており、その日曜日の起源となったのですから、復活祭は世界最大の影響を及ぼしてきた祝日と言えます。 これは復活祭に特別な祝福が注がれている証しですから、復活祭を重んじることはそのような歴史的な祝福を受け継ぐことにもなります。確かに毎週のミニ復活祭である日曜日の礼拝を他のことよりも重んじ、霊と真実をもって参加する人は必ず祝福を受けてきたと言えるでしょう。 その祝福によって確かにキリスト教は全世界で続いてきたとも言えます。そうして毎週のミニ復活祭を支えてきたのが、キリストの復活で、その復活の季節に重ねて行なわれる復活祭を共に守り、復活の命の祝福を受けたいと願っています。 ○映画「ナルニア国物語」が全国で上映中です。この物語の原作者である、C.S.ルイス(Clive Staples Lewis クライブ・ステープルズ・ルイス)について書いておきます。 彼は、一八九八年アイルランドの弁護士の次男として生まれ、オックスフォード大学に進学、後に母校ケンブリッジ大学英文科の中世・ルネサンスの教授(1954‐63)となりました。ここで友人の影響を受けてルイスは全7冊の児童文学シリーズ『ナルニア国物語』(1950〜1956)の第1巻『ライオンと魔女』を書き始めたと言われています。1963年に大学を定年退職後、その年にイギリス中から惜しまれつつ召されました。 ルイスは、大学教授、文学研究家、批評家、詩人、作家、キリスト教神学者といった、本来一人の人が兼ね備えることは困難なさまざまの分野で、業績をあげた人。その著作は、詩集、文学研究書、キリスト教神学書、児童文学書、文学、哲学、倫理学、さらに、「沈黙の惑星より」、「金星への旅」などのSF小説まで、実に多方面にわたっています。 彼は、青年時代からいろいろ精神的に悩み、最初は無神論、そして、世界の根源として神の存在を認めはするが、これを人格的な存在とは考えずない理神論となり、最後にキリストを信じる信仰へと導かれました。 その晩年に書き始めたのが、今回映画化された、「ナルニア国物語」の7作品のシリーズです。 今回の映画は、その第一部にあたる「ライオンと魔女」の部分です。 児童文学の形をとっていますが、若者が好物の食物によって誘惑され堕落すること、そのことからさまざまの困難が生じること、人間の罪をライオンのかたちをした王自身が負うての死、復活、「希望」の力など)キリスト教の真理がちりばめられています。それをふつうのキリスト教の子ども向けの物語とは大きく異なる独特な手法で、想像力ゆたかに描いたものです。 なお、新教出版社からは、C.S.ルイス宗教著作集八巻などが出版されています。 キリスト教に関わりある映画というのは、ごく少なく、それゆえに、この映画によってキリスト教に関心が生れ、キリストの真理に少しでも目が開かれることにつながればと願われます。 |
2006/3 |
巻頭言 神よ、わたしの内に清い心を創造し、 新しく確かな霊を授けてください。 (詩編五一・12) 春 2006/2 わが家の梅の木もつぼみがふくらみ、ほのかな香りを漂わせて咲き始めている。寒さ厳しい日々が続いたので例年になく遅い開花である。しかし、その寒さを受け止め、花開いていく。他方、水仙は寒さ厳しいなかに次々と咲いていく。 キリストを信じる信仰もこうした「花」と似ている。苦しみ、悲しみあるいはさまざまの困難があっても、そのただなかに花を咲かせていく。主の御手による導きあれば、どのような厳しさのなかにあっても花は開き、厳しければそれだけいっそう強くキリストの香りを漂わせていく。 主イエスご自身、当時の支配者たちから憎まれ十字架刑にされた。血が流された十字架は、本来は目をそむけたくなるものであったはずであるが、後に喜びの花を思わせるものとなり、現在も世界中に罪の赦しという福音の香りを放ち続けているのである。 キリストが私たちに触れるとき、心に春が訪れる。何かが芽をふいてくるし、この世の闇のなかに射して来る暖かい光を感じるようになる。 岩の上に立てた家と砂の上の家 今年に入ってマスコミで大きく報道されたのは、情報時代の寵児としてもてはやされた堀江某という会社経営者が逮捕されたことであった。捜査の進展につれてその会社の経営陣がさまざまの不正をしていたことが明らかになった。 しかし、逮捕された人物には、自民党の幹事長や首相まで大いに肩入れしていたし、昨年の衆議院選挙では、出馬会見を党本部でさせたり、党をあげて応援した。竹中平蔵総務相もその時の応援演説で「郵政民営化、小さな政府づくりは小泉、ホリエモン、竹中の3人でスクラムを組んでやり遂げる」とまで言っていた。政治家たちの言うことがいかに信頼できないかの見本のようなものとなった。 ライブドアは、昨年十二月に日本経団連に入会したが、そのとき、経団連の奥田会長はその入会を歓迎していた。しかし、堀江逮捕を受けて、入会は「経団連としてミスした。」と述べ、間違った判断であったことを表明した。 奥田会長は、五十歳でトヨタ自動車の取締役となり、以後同社の社長、会長を歴任してきた日本企業の代表的人物の一人である。そのような人物が多く集まっているはずの経団連も大きな判断ミスをしたことで、政治家も経済界も日本を代表しているような人たちがそろって間違った判断をしていたことになる。 このようなことは今に始まったことではない。戦前でははるかに甚だしい過ちを犯していたことを思い起こさせる。つい六十数年前には、政治家も、軍人も、経済界、教育界、宗教界、文学などの芸術界も含め、あらゆる方面の指導的な人たちが日本の引き起こした戦争を聖戦と位置づけ、正義の戦いだ、アジア解放だなどと信じ込み、国民にもそのように指導していたのである。戦前の教育の内容も敗戦とともに一斉に崩れ落ちた。 いかに人間は誤りやすい存在であるかをこうしたことが明らかに示している。 人間の作った考えや組織、主張などは砂の上に立てた建物のごとくである。 これに比べて、聖書の真理はいかに強固であるか、戦争や災害、飢饉、伝染病の蔓延、科学技術の進展などなどいかなる社会状況の変質にもかかわらずにその真理は動かない。まさに岩の上に立てた家というべきである。 情報は今後ますます入り乱れ、今回の事件のようにまちがった情報によって人間の心は惑わされるであろう。それゆえに一層こうした情報の洪水時代において、いかなる波にもさらわれない不動の真理に心を寄せる必要がある。そしてそこにこそ、この世の荒波に呑み込まれない港があり、そこには死というすべてを呑み込む力にすら勝利する力が備えられているのである。 人の意見と神の意見 人にはさまざまの意見がある。 私たちはどんなことでも、それぞれの分野での専門家に尋ねようとする。多くの経験を経て、その見識が認められている人の意見は重んじられる。その方面に初めて仕事で加わったときには、できるだけ権威ある人、業績をあげている人の意見が重んじられるのは当然である。 それは医者について特に言えることである。素人の意見は問題にされないで、医者の意見が重んじられるし、さらに手術例の多いところは技術的にもすぐれているとみなされるので、多くの人たちが行くことになる。 これは経済にしても、科学技術に関することもみな同様である。 しかし、そうした専門家よりはるかにすぐれていて、いかなるその道の権威も比較にならない特別な権威者がいるのに、全く尋ねようとしない人が大多数を占めているのは不思議なことである。 その最大の権威者とは、キリストである。 何かの問題が生じたら、私たちはまず最高の権威者である、神とキリストに尋ねようとするのが筋なのである。 いろいろな著作家、学者、あるいは経験豊かな老齢の方、芸術家、さらに信仰深い人等々私たちが学ぶと益を受ける人たちは数知れずいる。カウンセリングの専門の人は、また黙して語らなくなってしまった人、心の重荷をかかえる人に対しても適切に心を引き出すことができる場合がある。 けれども、最大のカウンセラーはキリストである。かつて地上に存在した最も英知ある人はイエスであった。 聖書においても、キリストこそ、霊的なカウンセラーであると記されている。 And I will ask the Father, and he will give you another Counselor to be with you forever. (New International Version 。なお、アメリカ改定標準訳 RSVも同様に訳している。ヨハネ福音書十四・16) 私は父に願おう。そうすれば父は、別の「カウンセラー」をあなた方に与えて、永遠にあなた方と共にいるようにされる。 この永遠に私たちと共にいて下さるカウンセラーとは、復活したキリストであり、聖霊のことである。ギリシャ語では、パラクレートスという。これは、「弁護者、慰め主、助け主などいろいろに訳されている。」 何が最も大切なのか、それに関して、キリストのように深く、広くそして鋭く真理を示した人は後にも先にもいない。 だからこそ、キリストの意見は二千年経っても古びることがなく、今もそのままの形で、それに耳を傾けるならば、万人を導くのである。そしてそのゆえにこそ、全世界で最も広く伝わり、その言葉に耳を傾ける人が絶えたことがない。 しかもキリストの意見を聞くためには、何の費用も必要でなく、だれにでも与えられている「心」をもって神を信じ、キリストを受け入れて、心を尽くして聴こうとするだけでよいのである。 新聞やテレビ、雑誌などさまざまのマス・メディアが洪水のようにあふれている。それらのまちがった情報や知識、考え方に引き込まれていく人たちも次々と生じている。 個人的な問題、教育や政治、そして国際的な問題、さらに死後のことや、なにが最も価値あるものなのかなど、あらゆる領域における問題について、人間にかかわる最高の意見を持っておられるキリストに尋ねることが究極的な解決を指し示してくれる。 科学技術などキリストと何の関係もないと思っている人が多い。しかし、キリストの他者を愛する心、隣人への愛を持たず、虚栄心や憎しみなど自分中心の考えから科学技術を用いるときには、最近韓国の大学や日本の東京大学も生じたような、偽りの成果を発表するとか、科学技術を戦争などに用いるという大変な間違いを犯していく。 経済活動もまた、人間が中心であり、その人間の心や考え方が間違っていくなら、ライブドア事件で明らかになったように、多くの偽りによって社会が害悪を受けるし、そうした金中心の考えに人々が誘惑されるようになっていく。 世界を不安に陥れるテロの問題も、悪に対するに憎しみをもってせず、祈りをもってせよ、というキリストの意見に従うときにはそのような問題の根本が解決されていく。 世の中の問題は実に複雑で、どうしたらよいのか分からないという状況がたくさんあるが、それらは結局はみな、かかわる人間の問題であり、一人一人の人間がキリストの意見に聞くときに、根本的な解決の道を示される。キリストの意見とは、すなわち神の意見であり、永遠に真実な神のご意志にほかならないからである。 絶望という名の巨人と希望 聖書は信仰の書物である。そして信仰を持って歩めば、必ず救いを与えられる。救いとは、私たちの心にある奥深い魂に平安が与えられること、罪にもかかわらず赦されて新しい命が与えられたと実感することである。 信仰を持っていれば災いは襲うことがない、と思われている。しかし、現実の生活はそのように単純ではない。 信仰を持っていても、打ち続く苦難や悲しい出来事のゆえに絶望的になることも聖書では記されている。 その最も印象的な例は、預言者エリヤである。彼は、偽預言者たち、偽りを預言する人たちを集めて、神の力によってそうした真理に反する者たちを滅ぼしたり、天から神のさばきの火を呼び出したと記されている。新約聖書において、イエスが現れたとき、エリヤの再来だと思った人々もいたり、イエスのさきがけとなって現れた洗礼者ヨハネは、世の終わりに再び現れるとされていたエリヤだと言われたほどであった。 しかし、そのような力強い預言者であったにもかかわらず、当時の王妃がエリヤを激しく憎み、彼を捕らえて殺そうとしているのを知らされた。エリヤはかつての力を失い、砂漠地帯へと逃げていきそこで、もう死にたいとの嘆きを発する。 …それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。 彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、死を願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」(列王記上十九・2〜4より) あれほど力を与えられていた預言者がこのように、希望を失い、生きる力を失って死を願うようになるというのは意外な気がする。しかしこれは人間の現実を指し示している。この地上に生きているかぎり、いかに信仰強き人であっても、時と状況においては、大きな罪に落ち込み、また気力を喪失してしまうこともあり得るということなのである。 このようなことは、「天路歴程」(*)という書物にもある。さまざまな困難と誘惑に直面しつつも神を信じ、罪赦され、かなたの光の国、神の国を目指して歩んでいる人の姿を記しているのがこの書物である。 (*)「天路歴程」とは、今から三百数十年ほど昔にイギリスで書かれた。この書名は、中国語に訳された書名をそのまま日本でも使っているので、わかりにくい題名である。原題は、「巡礼者の前進ーこの世から来るべき世へ」(The Pilgrim's Progress from this world to that which is to come)というもので、神を信じ、キリストを信じる者がいかにして、罪ゆるされ、力を与えられ、守られ、導かれて天の国へと歩んでいくか、その歩みを書いたものである。 著者は、バニヤンといって、とても貧しい家庭に生まれ育った。父親は鋳掛屋をしていた。これは、鍋・釜などを修理する職業で、それは動物を使う興行師や行商人と同様な扱いを受けていて、社会的地位はことに低かったという。イギリスの文学者、作家でバニヤンほど低い地位にあった人はなかったと言われるほどであった。 そのような低き地位にあった人が、世界的な文学作品、しかもキリスト教信仰の上でもとくに重要な内容のものを生み出すことができたのは、神の導きという他はない。 彼は牧師でないのに、説教をしたということなどの理由で、三回にわたり入獄を経験し、合わせると十二年半もの獄中生活を経験している。 そうした経験をもとに、キリスト者であってもたいていの人が共通して経験すること、神の導きと助け、また罪との戦い、さまざまな霊的な困難や試練など、だれも書いたことのないような表現で著者は表現した。 バニヤンは生涯に六十冊にも及ぶ多くの本を書いたが、そのうちで最も重要なのが「天路歴程」でこれは聖書についでよく読まれてきて、過去三百年ほどの間に、百数十国語に訳されてきたという。 バニヤンは、獄中にあっていつ解放されるか分からない、最悪のときには獄屋で病気となり、死んでしまうかも知れないし、六年もの間獄屋に閉じ込められたことが、二回もあったことからして、判決で二度と獄から出てこられないような重い刑になるかも分からない。 こうした不安や苦しみ、孤独、そして真っ暗で、不潔な牢獄での夜の長い苦しみ…こんなただなかでバニヤンは「天路歴程」という名作の着想を与えられていったのである。しばしば偉大な作品は著者自身も思いも寄らない状況のときに作られる。それはいわば神ご自身が人間の予想をこえてなされるということを示すためであろう。 天の国を目指す二人の旅人(「キリスト者」と、「希望者」と名付けられている)は共に歩んでいたが、そのうちの一人(「キリスト者」)がふとした油断から、歩きやすそうな楽な道をとろうと誘った。しかしまもなく激しい雨が降りはじめ、もとの正しい道に帰ることができなかった。疲れ果ててかたわらにあった小屋に入って眠った。そこから近いところには、「疑いの城」(Doubting Castle)があり、その持ち主は、巨人絶望者(Giant Despair)という。 ここに入ってしまった二人の旅人は、この巨人絶望者によって激しく打ちたたかれ、もう生きていく気力もなくなっていく。「私の心は、生きるよりも息の止まること、死を願う」(ヨブ記七・15)ほどの気持ちになった。しかし、二人の旅人のうちの一人「希望者」が、ますます弱気になって死にたいという気持ちになっていく「キリスト者」を押しとどめ、励ましていった。 「私たちが目的とする国の王(神)は、殺すことを禁じています。人が自分を殺すことは、肉体と魂を同時に殺すことになる。そのようなことになれば、死後は苦しみの世界に行くことになろうし、永遠の命は到底与えられない」と諭した。 しかし、さらに巨人絶望者はひどく迫ってくるので、弱気になった「キリスト者」の方は、もう生きていけないというほどの気持ちになっていった。このときに、「希望者」は、「神の助けを待ち望んで忍耐しよう、かつてのあの苦しい旅路であなたも神の力によってそれらの苦難を乗り越え、勝利してきたではないか」と強く勧めた。それによって絶望的になっていたキリスト者も力づけられ、二人で真夜中から祈り始めて、ほとんど夜明けまで絶えず祈り続けた。 そうした祈りによって、キリスト者は、自分がその「疑いの城」の牢獄から出て行くための鍵を胸のうちに持っていることを思い起こした。 それは、どんな固い扉をも動かすことができるものであった。 その鍵とは、「約束」という名の鍵であって、神の救いの約束は決して変わらないことを思い起こし、その約束への信仰がよみがえったのである。神は真実であるから、私たちを救い、天の国へ連れて行くと約束して下さったことを受けとめた者にとっては、これは破られることはないのである。 こうした、神の約束を固く信じることによって、この世のさまざまの困難を乗り越えて歩むことは、讃美にもいろいろと歌われている。そのいくつかをあげる。 主は約束を かたく守り、 終わりの日まで みちびかれる。… 主よ、終わりまで したがいます。(讃美歌21-五一〇番より) 悩み激しき時も 主の約束 頼み 安けく過ぎゆくため 主よ 御言葉 賜え 疲れし時に助け 御手にすがるわれを 御国に入る日まで 主よ、おまもりください(新聖歌三四九より) 人間の約束は空しい。人の心は実にもろく、約束したことなど簡単に破られていく。それは人間には本質的に罪深く、不信実であるから約束は守れないからであるし、また人間が弱く、見通しもできないために、先の困難や事故、病気など、状況が変ることを予見できないために簡単に約束してしまうからである。 しかし、神は真実なお方である。 …また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。 しかし、主は真実な方である。必ずあなたがたを強め、悪い者から守って下さる。(Uテサロニケ三・3) このようにして、二人の旅人は、神の「約束」という強力な鍵を持っていることに気付いたために、それを用いて、巨人絶望者の支配から逃れ、「疑いの城」のいろいろの扉を開けて再び天の国への正しい道へと立ち返ることができたのであった。 このように、信仰もあり、さまざまの困難を越えて来てもなおかつ、人間の弱さのために思わぬところに迷い込み、神の導きや天の国のこと、神の愛などについて疑い始める。この「疑いの城」に入ってしまったとき、そのまま疑いが深まり、神の助けや救い、喜びも力もなくなって、いろいろのことが単なる想像でなかったのか、などという気持ちになってくることがある。そうするとそれまでの神の愛を信頼しての希望が次々と消えていき、絶望となり、その絶望がますますふくらんでいく。そこから「巨人絶望者」が「疑いの城」に住んでいるとされているのであろう。 たしかに、絶望は巨人であって、二人の旅人が立ち上がれないほどに殴られて傷だらけになったというが、この世は至るところ、この「疑いの城」がそびえ、そこに絶望の巨人が立ちはだかっている。そして人間をとりこにして、動けないようにしていく。 この世に真実な存在がおられ、そのお方は真実と愛をもって私たちを導いて下さること、キリストの十字架の死によって私たちの罪が赦されたこと、死に勝利する力がこの世に存在する等々のこと、それらを、幼な子のような心で信じる人はごく一部の人でしかない。 それは、バンヤンの言う「疑いの城」に取り込まれているからである。しかし、私は絶望などしていない、と多くの人は言うであろう。さまざまの仕事、趣味、ボランティア、芸術、旅行、スポーツなどなどに生きがいを感じているし、生きる目的があり、希望がある、と言われるかも知れない。 しかし、そうしたこの世の希望は死が近づくにつれて消えていく。仕事も趣味もボランティアも何もかもできなくなっていくからである。そして最終的に死によってすべてが無くなるのであれば、それはそうした希望も絶える、すなわち絶望という状態に取り込まれていくことになる。死とはあらゆるものを呑み込んでいくものであり、望みが絶えた世界であるからである。そして、この地球も太陽すらも、有限であって最終的には、消滅の方向に向かっているのであって、目に見えるものだけを信じるのならば、この世のすべては消えていくことになる。 そうした意味で、絶望というのはまさに巨人であって、この世のすべての人を取り込んでいく。 しかし、そのような巨人に立ち向かう道は、備えられている。二千年ほど前にキリストが来られてから、その道が永遠に開かれ、聖なる大路として備えられたのである。 キリストの十字架と復活、そして再臨こそは、それらの「疑いの城」の城壁を打ち壊し、絶望という巨人をも打ち倒すことができる力を持っているのであってそれらを信じて受け入れることができたものは、その疑いに満ちたこの世の力から脱して、絶望でなく、永遠の希望を持って生きる道へと導かれる。 神は愛であること、それは希望の原点でもある。神の愛があるからこそ、人間はこの世のすべてが移り変わっていくように見えるただなかから救い出されて、清い喜びと平安へと導かれるのである。神が愛であるということは、信じなければ分からないことであるが、それはまた「約束」でもある。どんな困難も神が愛であるからこそ、救い出して下さるという約束なのであり、神を愛するものにとっては、万事が益となるようにともに働く、ということも「約束」である。 「信仰と、希望と愛は永遠に続く。その中で最も大いなるものは愛である」(Uコリント十三・13)と使徒パウロが述べている通りである。 神の人モーセ 世界史の中で、モーセは最も重要な人物の一人である。彼がいなかったらイスラエル民族はエジプトで滅ぼされていたであろうし、イスラエル民族の中から、キリストやパウロが現れて、キリストの福音を全世界に伝えることもなかったからである。そしてその福音によって世界の無数の人々の人生が根本から変えられ、人々の集りである国家にも絶大な影響を及ぼすことにもならなかったであろう。 そのモーセの記述は何から始まっているであろうか。 …エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。 …エジプト人はますますイスラエルの人々を酷使し、あらゆる重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めていた。(出エジプト記一・13〜14) このように、モーセの属するイスラエルの人たちは、エジプトにおいて厳しい労働を課せられ、苦しめられていた。 …エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。 「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」 助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。(出エジプト記一・15〜17) このような命令は、イスラエル民族の絶滅をはかる目的であったが、このような王に命令されても、二人の助産婦はその命令に従わないほどの強い信仰があった。エジプト王には、名前を記さず、二人の助産婦にはとくに名前が記されているのも、出エジプト記の著者がこのことを特に強調しているのがわかる。 民族の危機的状況にあってその滅亡を救う大きな助けとなったのが、社会的な地位が低い、弱い立場の助産婦であったということを示すことで、神はそのわざをなすときには、しばしばこのような弱いとされている者、誰も予想していないような人を用いられるということを表そうとしているのである。 このことは、さらに意外な人物がイスラエルの人たちの救いに用いられることにつながっていく。 …エジプト王 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」 レビの部族に属するある人が同じレビ人の娘と結婚した。彼女は男の子を産んだが三か月の間隠しておいた。 しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。 その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。 開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。 そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」 「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。 王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、 その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。(出エジプト記一・22〜二・10より) このように、モーセが生れた時代は、イスラエル民族が、絶滅の危機に瀕している時であった。 そのような状況になるまで、神の民は追い詰められていた。世界のすべての民族の中で、この宇宙を創造したのは唯一の神であり、それは正義と真実な神であるということを啓示されたのはただひとつイスラエル民族であった。それは特に選ばれた民族であった。選ばれるということは、特別扱いされるということで、この世では特別な栄誉や豊かさを与えられることを連想する。 しかし、聖書においては、選ばれたがゆえに安楽やこの世の名声を与えられたということでなく、そのために特別な苦しみや困難がつきまとったということが多く記されている。 神の力が働くのは、はるか千数百年後に、キリストの使徒パウロが述べたように、「弱いところにこそ、神の力が働く」 ということがこのモーセの現れたことについても言える。 これは、主イエスが生れたときにも、ヘロデ王というひどい悪事で知られていた王の時代であり、イエスの誕生によって自分の王位が危なくなる可能性があると邪推して、イエスを殺そうとし、逃げられたと分かったときには、付近の幼児を皆殺しにしたという悪魔的なことをするに至ったと記されている。 ここにも、このような闇の力を象徴するような時代のただなかにイエスは生れたということであって、その闇を照らすべく遣わされたのであった。 そのことはヨハネ福音書の冒頭に、次のように記されている。 「光であるキリストは闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。イエスは光であり、すべての人を照らすのである。」(ヨハネ福音書一・5〜9より) モーセもまたイスラエル民族を包む深い闇のなかに光として遣わされたのであった。そのモーセの記述の冒頭には、「レビ部族の出身であり、レビ族の女性と結婚した」と記されている。ここに、モーセがいかなる人物となっていくかが、暗示されている。レビ部族とは、イスラエルの十二部族のうちで、とくに祭司となるように召された部族であった。そして祭司とは、その字の通り、「祭を司る人」、すなわち宗教的儀式をする人であるが、その儀式の目的とは神と人とを結びつける人である。人間はあるべき姿からはるかに遠く離れた罪深い存在であるゆえに、そのままでは神との結びつきができない。それゆえに、その人間と神とを橋渡しするのが祭司の役割である。(*) (*)ラテン語の祭司という意味の言葉は、pontifex であるが、これは、pons (橋)という語と、facio (作る)という語からできた言葉で、「橋を作る」という意味を持っている。 このように、モーセがレビ部族の出身であることが、モーセの記述の最初にあるのは、モーセが神と人との橋渡しをする存在となることを暗示しているのである。 モーセが誕生した時に、エジプト王は生れたイスラエルの男子をみんなナイル川に投げ込めという命令を出していたが、モーセの母親は三カ月隠しておいた。自分の子どもをナイル川に投げ込むことなど忍びがたいものがあったからであろう。そしていよいよ隠せなくなったときにわが子をナイル川に入れようとするが、その時に母親は最後まであきらめず、生れた赤子を葦で編んだ籠に入れ、防水をして流したのであった。 そしてその娘もまたそれがどこへ流れていくかをずっと見守っていた。 こうした状況で流された赤子は、そのまま流れていけばミルクもないのでまもなく死んでしまっただろう。その時誰一人予想していなかったことが生じた。それはちょうどエジプトの王女が水浴びをしていたときであり、その赤子がちょうどそこに流れてきたからである。少しでもこの時間が遅かったり、早かったらこのように赤子を見付けることはできなかった。籠に寝かせられた赤子はそのまま死んでしまったはずである。 しかし、神がその御計画をなそうとするときには、こうした全く思いがけない機会や人を用いられる。 先に述べたように、権力も武力、あるいは金の力もない、弱い立場の助産婦が王の命令に抵抗して民族の絶滅しないように行動したのもだれも予想できないことであったが、 赤子たちをナイル川に投げ込めと命じた王のその娘によって、赤子のモーセは救い出されたのである。命を奪ってしまおうとする敵の愛する娘がモーセを救い出した。 人間の予想や人の力といったものは実に狭い。そして未来を見抜くことができない。私たちも困難に直面したとき、なんとか道はないものかとあらゆることを考える。しかし、どうしても解決の道がないこともある。また、ようやくひとつの方法を取ってみようと決断することがある。しかし、それはしばしば予想したようにはならない。生じてほしいと思ったことがそうならない。けれどもまた、もう道がないと思われたまさにそのときに、思いがけない人が現れ、また状況が変えられて道が開けることがある。それは真剣に神に求めるものには、神がいわば無から有を造り出されるからである。 このことは、私たちへの励ましとなる。どんなに人間的に考えて道がないようであっても、神を信じて歩むときにだれも予想してなかった道を神が開いて下さると信じることができるからである。 聖書のなかで次にモーセが現れるとき、モーセはすでに成人している。生後三カ月の時から、成人するまでのことは全く記されていない。王が憎み、抹殺しようとして男子をすべてナイル川に投げ込めと命じたその王のもと、王女にいかにして成人するまで育てられたのか、また自分がエジプト人でなく、殺されているはずであったイスラエル民族の子どもであることは周囲には知られなかったのであろうか、いつモーセは、自分がイスラエル人(ヘブライ人(*))と分かったのか、等々不思議なことは多くある。 (*)「ヘブライ人」、またはヘブル人という言葉は、「イスラエル」より古い起源を持つ。創世記に、「逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラム(アブラハムの以前の名前)のもとに来て、そのことを知らせた」(十四章・13)とあるのが、最初の記述である。イスラエルというのは、アブラハムの孫であるヤコブの別名として神から与えられた名前で、固有名詞であったが、民族全体の名となり、さらに国家の名ともなっている。 モーセが成人になったときの最初の場面は、イスラエルの民が苦しめられているところであり、モーセは自分がヘブライ人であることを知っていた。それゆえに、同胞がエジプト人から暴力を受けて苦しめられているのを見て、「辺りを見回し、誰も見ていないのを確かめ」、そのエジプト人を打ち殺した。 その翌日、またヘブライ人が働いているところで、今度はヘブライ人同士がなぐりあい、争っていた。それをなだめて争いを止めさせようとしたとき、ヘブライ人は、モーセに食ってかかり、「誰がお前を我々の監督にしたのか、お前はあのエジプト人を殺したように、私をも殺すつもりか」と言い返した。それによって、モーセは秘かに行なった殺害がはやくも周囲に知らされていることを悟った。 エジプト王はモーセを殺そうとして、追手を差し向けた。モーセはすべてを捨てて、シナイ半島の砂漠地帯を数百キロも越えて遠いミデアンという地方へと命からがら逃げていった。 この長い距離、それはその付近一帯を支配していたエジプトの領域から逃れるためであったが、そこに至ることはきわめて困難であったはずで、その長い逃避行の間も特別に神によって守られ、導かれたのがうかがえる。 このようにして、モーセは、命をかけて重要なことを学んだのである。 それは、自分の力や、決断、勇気、あるいは地位や名誉をすら、人のために捨てるほどの勇気があっても、なお、それは実に弱いものでしかなく、何ら実を結ばないということである。王子という地位にあったモーセはそのすべてを捨てなければならない可能性があったにもかかわらず、同胞のヘブライ人を助けようとした。しかし、結果は彼らを助けるどころか、自分が窮地に陥り、ほとんど命を失うほどの危険ななかをはるか遠くまで逃げていくことでしかなかった。 そして自分がそのような勇気と同胞愛をもって助けたヘブライ人が、今度は自分を危険に陥れようとしていること、ここにいかに人間が変わりやすく、頼りにならないものであるかを思い知らされたのである。 現代においても、私たちが神の国のために働くためにはこのような経験がたしかに必要とされる。いかによいことをしても、あるいは精一杯よきことのために働いてもほめられたり地位があがったりするのでなく、見下され、捨てられるような態度を示されるということである。 主イエスご自身、最善のことをして受けた報いは十字架であった。 モーセも自らの力に頼ることがどんなに空しいか、何にもならないかを思い知らされた。それは私たちは神の力を受けて、神の導きによってでなければよい結果をもたらすことができないということなのである。 新約聖書でイエスのめざましい力を見て、「私もあなたの行く所なら、どこへでも従っていきたい」と願い出た人に対して、「キツネには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子(イエス)には枕するところもない」(マタイ福音書八・20)と言われたことがあった。自分の意志で何かをやろうとか、よいことをしようとしても、それだけでは決してできない。神からの呼び出しと導き、そこから神の力を受けていかなければいけないのである。 モーセは、命は辛うじて守られ、遠い異国にたどりつき、そこで羊飼いの男たちに水場から追われた女たちを助けてやった。その娘たちの父親は、ミデアンの祭司であった。 ここにも不思議な神の導きがあったのである。モーセは祭司職を受け継いでいるレビ部族に属していたが、遠くまで逃げ延びてきたときに出会った人もまた祭司であったのである。これもモーセの行くべき道が、神と人との橋渡しをする祭司となるべく召されたことを暗示するものであった。 そしてモーセはその娘の一人と結婚することになった。 彼はここで安住するつもりであっただろうか。彼の最初の子どもには、「ゲルショム」と名付けたが、その意味は、「(異国にいる)寄留者」という意味を持っている。モーセ自身の気持ちをこれによって表したのである。自分の本当の場所はここではない、いかに妻や子ども、あるいはよき義父も与えられて平和な家庭生活であっても、それが彼の目的ではなかった。あくまで自分のいる所は別にある、という気持ちであった。 それが自分の最初の重要な子の名を「寄留者」を意味するものにしたのであった。 このことから新約聖書においても、キリスト者というものは、「寄留者」だということが記されている。 …この人たちは皆、…自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表した。 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのである。 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれない。 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた。(ヘブル書十一・13〜16より) 使徒パウロもまた、「わたしたちの本国は天にある」(ピリピ書 三・20)と言っているように、本国である天の国から、この地上にいわば派遣されてきたということも言える。 モーセにとっては、祖先が神から示されたカナン(現在パレスチナといわれている地方)の土地こそが自分の本来の土地であることを知っていたからこそ、ミデアンを一時的な所、仮の住まいとして受け止めていたのである。 このモーセの最初の記述は出エジプト記二章であるが、その最後には、つぎのような言葉が記されている。 神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。 神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。(出エジプト記二・24〜25) God heard their groaning, and God remembered his covenant with Abraham, Isaac, and Jacob. And God saw the people of Israel, and God knew their condition. 英語訳でわかるように、原文の表現は、神は、聞いた、思い起こした、見た、知った、という四つの動詞が重ねられている。苦しみ、滅びる寸前にある民に対して、神はその苦しみを聞き、かつての契約を思い起こし、人々の現状を見た、そして深く知った、というのである。知るというのは、深く知る意味を持つゆえ、ここでは、「御心に留めた」と訳されている。 人間は、簡単に忘れる。他者の苦しみに対して無関心であり、助けることもできない。またその実態を深く見て、その苦しみの現実を知ろうとはしない。しかし、神は異なる。 長い苦しみ、神がいないかのような苦しみの長い期間が続いても、なお民は神を信じ続け、神に向かって叫ぶことを止めなかったゆえに、時至って神の御手が強く臨むことになった。 私たちもまた苦しみのなかにあって、神が私たちの心の悲しみや重荷からの叫びを聞いて下さり、私たちを思い起こして下さり、そして私たちの現状を深く知って心に留めて下さることを祈り願うものである。 飢え渇く心 聖書には、求めること、神に向かって真剣に求めるときに必ず答えて下さるという内容の箇所は多く見られる。そしてそのことを裏返した表現として、この世のものに満足してしまっている心がいかに祝福されないか、ということも記されている。 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、 あなたがたはもう慰めを受けている。 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、 あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、 あなたがたは悲しみ泣くようになる。(ルカ福音書六・24〜25) これは、この言葉と逆の幸いを述べた箇所が有名であるのに対して、この言葉ははるかに知られていないし、また心に深くとどめられてはいないと思われる。 それは、「不幸である」という訳語にも問題がある。この箇所の原語は、「ウーアイ」(ouvai.)という言葉であって、間投詞(感動詞)である。(*) これは、「ああ! あなた方には悲しむべきことが生じる。」といった意味を持っている。 口語訳や岩波書店からの新約聖書、塚本訳などでは「わざわいだ」、新改訳では「哀れだ」と訳しているが、これは、イエスの深い哀しみが背後に込められている言葉なのである。 (*)英語では Woe to you! ドイツ語では、Weh dir! スペイン語では、 Ay de dosotoros !というような表現になっている。 今、金や物、地位、評判などで満たされていて、目には見えないものを求めようとしない人たちは、何と悲しむべきものが待ち受けていることか! という彼らの前途を見つめての悲しみなのである。 そのような、目に見える物で満たされてしまった人たちは将来には悲しむべき事態がおきるということが、主イエスにははっきりと見て取れたのである。 これは、彼らが裁かれることを単に預言するとか、見捨てるような言葉でなく、主イエスの愛から出た言葉なのである。 目に見えるもので満たされる魂は、その行き着くさきは必ず苦しみであり、平安が与えられない。それを、霊的な鋭いまなざしで見抜くことのできた主イエスは、悲しみや苦しみがまざまざと見えるのであった。 悲しみは、自分の大切なものが失われたことから生じる。霊的に高められていない状態では、そのように悲しみも自分中心のものでしかない。しかし、神の霊に満たされるほどに、他者の現状や今後に受けるであろうことに対して深い悲しみを持つのである。それゆえに、彼らの罪を赦してくださいという祈りが生じる。 愛を持たない者は、それみたことか、天罰だ、といった見捨てる心となる。しかし、万人の救いを願う心、悪人も心を悔い改めて救われてほしいと願う心にはあらゆる人の前途がよくなって欲しいゆえに、前途によいものが見えないときには深い悲しみとなる。 主イエスがその生涯の終りに近づいた頃、十字架にかけられるのを自ら知った上で、エルサレムを目指して歩んでいった。そのとき、深い悲しみをもって言われた。 …エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の(神殿や城壁など重要な建物の)石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」"(ルカ福音書十九・42〜44) イエスが涙を流して悲しまれた。それは神から遣わされたメシアを受け入れないことによって、都はローマ帝国によって徹底して破壊され、そこから追放され、長い歴史のなかで苦難の道を歩むことになることを見抜いていたからであった。 それゆえ万人の救いを願う愛の人には、哀しみを常に持つ。すでにこのことは、イエスよりも五百年ほども昔に書かれたとされる預言書には、将来現れるメシアは、「悲しみの人」であると言われているのである。(*) … 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。 しかし、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。… しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。 (イザヤ書五三章より) (*)新共同訳は「多くの痛みを負い」と訳しているが、口語訳、新改訳、などは、「悲しみの人」と訳している。 He was despised and rejected by men, a man of sorrows,…(New International Version 英訳の多くのもの、例えば、NJB,RSVなども a man of sorrows と訳している ) 聖書において、いかに求める心が重要であるか、それは一貫して言われている。自分の力や、美しさ、金、地位、能力等々にもしも満足して誇る気持ちがあれば、目には見えないものを求めない。それは必ず滅びへと向かい、本当によいもの、神の国の賜物が与えられないのである。 有名な「求めよ、そうすれば与えられる」「まず、神の国と神の義を求めよ」というのはこうした切実な求めの心を意味している。 そして、主イエスも「義に飢え渇く者は幸いだ、満たされるようになる」と言われた。 新約聖書だけでなく、旧約聖書の詩編はそういった意味で、すべてをあげて神に求める心が最もリアルに記されている書物である。詩編四十二編にはつぎのようにある。 …涸れた谷に鹿が水を求めるように、 神よ、私の魂はあなたを求める。 神に、命の神に私の魂は渇く。(詩編四二編より) ここには、水がなくても谷のように見えるところを目指して必死に水を求めている鹿にたとえて、神を求める切実な心が表されている。 この求める姿勢があるかどうか、それが根本問題である。求める姿勢は、欠乏をひしひしと感じるのでなかったら生れない。主イエスも「求めよ、そうすれば与えられる」と約束された。 これは、ルカ福音書でいわれているような、目に見えるもの、金や地位などで満足してしまい、それを楽しんでいる姿とは際立った対照をなしている。 すでに、目に見えるもので満足している者は、見えないものを真剣に求めない。霊的なものを求めようと全身で努めるということがなくなっていく。 また、主イエスが十字架にかけられ、最期のときに、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」という叫びをあげられたが、それは詩編二十二編の冒頭にある叫びそのものであった。主イエスより数百年も昔の一人の人間の底知れない苦しみの叫びは、人間でもあったイエスがそのまま叫んだことでわかるように、最も苦しい人の叫びを自分のものとしておられたのであった。 ここには、全身全霊をあげて神を求めるすがたがある。これは見えるもので満足している状態とはまさに正反対である。 しかし、こうした救いを求める激しい叫びは、必ず聞き届けられる。詩編二二篇は冒頭の叫びが、主イエスの十字架上での叫びともなったので、とくに知られている。 そのあと、次のような切実な叫びが記されている。 …神様、あなたは私を土くれと死の中に捨てられた。 主よ、あなただけは、私を遠く離れないで下さい。わが力の神よ、今すぐに私を助けて下さい。(詩編二二・16〜20より)… しかし、この苦しみと絶望的な叫びは、次のような救いへとつながり、確信を与えられ、そこから世界へと心は向けられていく。 …私は兄弟たちに御名を語り伝え、 集りの中で、あなたを讃美します。 主をおそれる人たちよ、主を讃美せよ。… 主は苦しむものの苦しみを決して侮らず、さげすまない。 助けを求める叫びを聞いて下さいます。 それゆえ、私は大いなる集りで、あなたに讃美をささげ、… 主を尋ね求める人は主を讃美する。… 地の果てまで、 すべての人が主を認め、みもとに立ち帰り、 国々の民が御前にひれ伏しますように。(詩編二二・23〜28より) このように、始めの部分のこの上もない苦しみと絶望的な状況から、救いの確信と深い平安に導かれ、そこから自分だけでなく周囲の世界の人たちへの伝道の心となっていくのがわかる。 これこそ、「貧しい者、苦しむ者、泣いている者たち」が与えられると約束されている「神の国、天の国」であり、祝福であり、本当の幸いなのである。 そしてこの天の国は、求める心が強く、切実なほど、豊かに与えられる神の賜物であるが、それはどこまでも広がりと深みのあるものなのである。 この第二二篇という詩の直後に置かれているのが詩編二三編である。これは、旧約聖書においては最も有名な詩であるが、実はそれは詩編二二編の何にも増して激しく求める心によって与えられた深い満足が、その次の二三編に表されていると言えよう。 この世のもの、金や名声、評判、財産や地位などによって満足するのでなく、かえってそれらの空しさを深く知らされた魂は、神の国を求める。それは、この世のものが持っていない正しさであり、真実さであり、それらを持った愛、すなわち神の愛である。そして自分が欠けたところの多い者にすぎないことを知り、神によって正しい者とされることを飢え渇くように求めるようになる。この世には不正があふれているが、そのただなかで、正義を飢え渇くように求める心こそ祝福されるといわれている。 ここにも、渇くように真剣に求める心への祝福が強調されている。 この世の幸いは、いかに持っているか、である。能力、結婚、家庭の幸い、賞、業績、健康等々。しかし、神が私たちに与えて下さる幸いは、そうしたものがなくともいいのであって、ただ幼な子のように神を仰ぎ、自分は何にも持っていないゆえに、神に心から求めるという気持ちがあれば足りる。幼な子のようにただその求める心だけで、天の国の祝福を下さるというのが聖書の約束なのである。 詩編二七編も同様に真剣に求めるときに与えられる祝福を表した詩である。 …ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。 命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。… 主よ、呼び求めるわたしの声を聞き 憐れんで、わたしに答えてください。 心よ、主はお前に言われる 「わたしの顔を尋ね求めよ」と。 主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。 わたしは信じます。 命あるものの地で主の恵みを見ることを。 主を待ち望め 雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。(詩編二七・4〜14より) 目に見えることに心を注ぐのでなく、神に対する切実な願い、神の国を与えられることに全力を注ぐこと、そこにこそ、豊かな祝福が約束されている。 人間は、すでに子どものときから、地位やお金、財産、成績など目に見えるものを求め、大人になってもそれを得ようと全エネルギーを注ごうとする。しかし、人間の短い一生をそのようにして見えるものの追求をし続けても一体なにが残るであろうか。 夜空の星や、日が沈むときの美しい光景、雄大な雪をいただいた山の連なり、一つ一つ異なる精巧な美しさを持っている野草の花たち、それらは皆、私たちにそれらで象徴されるような、清いもの、力強いもの、永遠的なものを求めよ、と語りかけているのである。 歌集より ○谷川の うち出づる波も声立てつ うぐひす誘へ 春の山風 (藤原家隆 「新古今和歌集」) (谷川の氷の間にほとばしり出る波も、春だと声を立てている。まだ古巣にこもっているウグイスを誘い出して鳴かせてほしい。梅の花の香を運ぶ山風よ。) ・この歌だけでは、氷が溶けつつある谷川とか梅の香りを運ぶというのは分からないが、この歌のもとになっている、二つの古今和歌集の歌(本歌)にそのような言葉がある。 まだ寒さ厳しい中であっても春の風となり、谷川の氷も溶けてそこから水は音を立てて流れていく。その水音も春の響きがする。 汚れなき谷川の水、少し前まで凍結していたほどで、まだ冷たいその流れは清いいのちを見るものに与え、春の山風にウグイスを誘ってきてほしいと春を切望する心がここにあり、まだ聞こえないウグイスのさえずりが山の風にのって聞こえてくるようである。 早春の清い世界が眼前に浮かんでくる歌であり、キリスト者にとってはいのちの水を思い、讃美をさそう聖霊の風を思い起こさせるものがある。 「祈の友」の詩から ○星月夜 悠久の空 前にして 大き御業に言ふこともなき (静岡 磯貝とみ子) ・病気の苦しみゆえに心はともすれば暗く、狭くなる。ひたすら自分の病の苦しみが少なくなるように、また家族のことをいっそう思いやる心となるがそれはまた狭いところに心が縛られていく思いともなる。そのようなとき、星空を見る。暗き自分の心と同様に暗い夜空、しかしそこには星あり、月の光あり、静かに思うとき、宇宙の永遠とそれを創造した神の力の無限へと心は誘われる。 ○御摂理と 固く信じて今宵しも 心やすらに苦しみに耐う(長野 春山麗子) ・結核の苦しみ、それは孤独の苦しみであった。家族からも親族からも嫌われ、邪魔者扱いされる。いつ治るのかも分からず、次第に重くなっていく心身をかかえて人知れず孤独に悩まされる。しかし、そうした闇のなかでも、自分の今の状況をも深い神の御計画と信じることができるとき、そこに主は平安を与える。主の平和はそのような弱きところにこそ与えられる。 ○春陽に輝く雲を貫きて わが師の祈り 胸にひびき来 (山梨 一瀬喜久江) ・空を仰げば、春の日差しを受けて、雲が美しく輝いている。その雄大な光景の背後から、魂の恩師の祈りが響いてくる。真実な祈りは、空間を越え、時間をも越えて伝わっていく。 太陽も星もまた山々の力強さと清らかさ、海の波の大いなる力、野草の美しさ等々、それらをも通して主イエスの祈りが伝わってくる。 ○苦しみは とこしへならず 耐へしのび待たば つひには過ぎゆくものぞ(福岡 井上泰) ・この世のものはすべて過ぎ行く。この世に生きる身体の受ける苦しみもすぎていく。主を仰ぎつつ希望をもって耐えていくとき、必ず新しい天と地が訪れるのだから。 ○窓の空 うち連れわたる 雁がねは 行き隠るまで わが見送りぬ(同) ・重い病のゆえに、暗い病室から自由に外に出ることもできない。その閉じられた世界から、窓の外に広がる自由で広大な空を見ていたとき、雁の群れが大空を飛んでいく姿が目に入った。それは不自由な自分とはまったく異なる自由な姿であり、自分が復活の暁にはあのように自由に飛びかけることができるのだ、その未来の姿を見せてくれたのだ、と感じ、主の愛の一端を感じたのである。 (「祈の友」の詩は、「真珠の歌」より。一九五一年 静岡三一書店発行。) ことば (226)神の祝福とはいかなるものか いまだそれを究めた者はない。 ただ、だれもが知っている一事は、 すべてがこれにかかっているということだ。… 主よ、あなたは我ら罪人には、 この秘密を探ることを許さずとも、 我らの子らの苦しみと喜びを 願わくば、つねに祝福して下さい。(「眠られぬ夜のために上」64〜65頁 岩波文庫 ) ・人間の幸福はよく偶然だと言われる。例えば、重い病気をもって生れた者、戦争に巻き込まれて親を失ったり、からだに重い障害を受けた者、あるいは、事故や犯罪など、それはどんなに受けたくないと思っても降りかかってくる。それを偶然だとよく言われる。 しかし、ここで言われているのは、そうしたどのような苦しみや災難であっても、そこに神の祝福が注がれるならば、どのような苦難や障害もそれが大きなよきことへとつながっていくというのである。 逆にどんなに健康で豊かであっても、もし神の祝福の御手がそこに置かれないときには、その幸福はどこからともなく壊れていく。いろいろな不可解な闇の力が迫ってきて心の平和や喜びが失われていく。 どんな暗雲も、悲しみも、またすべてを破壊するような事態でも、そこに神の祝福の御手が加わるときには、そうしたことが生じなかったときの幸いをはるかに上回るよきことがそこから生れていく。そして周囲をうるおし、その祝福は広がり、さらに時間と場所を越えてその祝福は波動のように伝わっていく。 その最たるものがキリストであった。キリストはまったく罪を犯していないのに、激しい迫害を受けて苦しめられついに十字架につけて殺された。しかし、神の祝福の御手がそこにあったから、その十字架の死は万人の罪をあがなうという最も重大な出来事となり、さらに復活して聖霊というかたちで全世界の人々を永遠に導き、力づけ、祝福していくようになった。 このように、神の祝福さえ注がれるならば、無実の罪で処刑されるというような、恐ろしい出来事すら、何にもましてよい結果を生むようになるのである。 他方、よきことであっても、そこに祝福がなかったら、事故や病気、不和あるいは誘惑に負けるなどでたちまちその幸福の状態は壊れていく。 それゆえに、よいときも、悪い状況のときも、常に私たちは神の祝福を待ち望む。 Niemand konnt' es noch ergrunden, Was er ist,der Gottessegen; Eines bloss kann jeder finden: Alles ist an ihm gelegen. Gonnst du nimmer, Herr, uns Sundern, Dies Geheimnis auszurechnen, Wolle dennoch unsern Kindern Leid und Freude immer segnen. (227)ソクラテスが神々に対して祈るその祈りは、ただ「善きものを与えたまえ」というだけであった。金銀、あるいは王の権力などを祈る人は賭博やほかのどんな結果になるか分からないようなことを祈るのと同じであると考えていた。(「ソクラテスの思い出」(*)クセノフォン著 岩波文庫45頁) ・身体を訓練しない者は、身体を使う仕事ができないように、精神(魂)を訓練しない者は、精神の仕事を行なうことができない。(**)(同右30頁) ・ソクラテスは、いつでも、食欲が彼の調味料となる用意ができていた。…空腹でないのに食べたり、喉の渇いていないのに飲むことは、内臓や頭や魂を破壊するものだと言った。(同46頁) (*)ソクラテスは、BC三九九年、国家の神々を信じないで、新しい神を取り入れ、青年に悪影響を与えたとのことで処刑された。彼は、時の権力者や宗教家たちの権威に従わず、神の声を何より重んじて正しい道をあゆんだ。「ソクラテスの思い出」は、ソクラテスの弟子のクセノフォンの著書。 (**)精神と訳された原語は、プシュケー(psyche)であり、ふつうは「魂」と訳されることが多い。 ・ソクラテスの祈りは、単純であった。「善きものを与えたまえ」、この祈りは、主イエスの「御国を来らせたまえ!」という祈りに通じるものがある。御国とは、神の御支配であり、その御手の内にあるものであるから、一切の善きものを含んでいるからである。 仕事にもいろいろある。魂(精神)の仕事とは、からだの仕事とは全く別であるゆえに、病気の人、寝たきりの人もよくなすことができる。魂の訓練をしていない人は、どんなに健康でもまた知識や技術があっても、魂にかかわる仕事はできない。 これは、キリスト教の言葉で言えば、聖霊を与えられ、聖霊によって歩むのでなかったら、霊的な働きはできないということになる。 休憩室 ○梅、蜜蜂 二月も下旬になってようやくわが家の梅の花が咲き始めました。水仙は以前から寒さに負けずに次々に咲いていますが、梅は早い年なら十二月の終り頃から咲き始めるのに今年は二月に入っても花が見えないという異例の状態でした。ようやく咲き始めた梅の花には、待ちかねていたように毎日メジロがやってきて蜜をすっています。 わが家の近くにある栗の木の根元のところに、日本ミツバチが数年前から住み着いて巣を作り、そこから二月というのによく出入りして足に花粉をつけたミツバチが活動しています。まだ他の昆虫たちは全くといってよいほどみられないのに、特別に寒さに強いようです。この寒気のなかで飛び立ち、冷気をついて飛び続けるなら、体が冷えきって飛べなくなるのではないかと思われますが、不思議な力を与えられているようで次々と飛び立ち、また帰って来ています。 ミツバチが目的の花のあるところに飛んでいくのは神秘的な行動です。仲間の行動で教えられて花のあるところまでの距離、方向、蜜の量などを知るというのですから驚かされます。蜜を吸いすぎても重くて帰れなくなるし、どこが自分の巣か分からなくなるかも知れない、風や雨が強かったら途中で疲れて落ちてしまうかも知れないのです。家にいくつもの巣箱があったため、子どものときから私は蜜蜂をよく観察していましたが、巣箱のそばでじっと見ていても飽きることがなかったものです。 この小さな昆虫を創造し、背後で大きな御手で支え、特異な能力を与えて生かしている神のわざを感じさせてくれます。 編集だより ○今月は集会員のK姉のお母様が召され、キリスト教式で前夜式、葬儀が行なわれることになってその準備のために「いのちの水」誌の発行が遅くなりました。K姉のご父君も四年前に召され、そのときも、いろいろな困難はありましたが、キリスト教式で葬儀などを行なうことができました。 このように、もともと未信者であったご両親の葬儀を二人とも、キリスト教式ですることができるのは、一般的にはなかなか困難であり、神の導きを感謝したことです。 集会に属する人たちと一部その家族たちも参加し、前夜式、葬儀にはそれぞれ三五名、四〇名ほどが参加し、眉山のキリスト教霊園での納骨式にも十数名の方々が参加されました。 キリスト教には初めての親族、職場関係の参会者、近所の人たちなども二回にわたって聖書の話に接することになったので、そうしたみ言葉が主によって用いられますようにと祈ったことです。 ○キリスト新聞二月二五日号に、私たちの集会員の貝出 久美子姉、伊丹 悦子姉の詩集の短い紹介がコラムで掲載されています。キリストの福音はいろいろな形で伝わります。この二つの詩集も主が用いて下さるようにと願います。 なお、聖書の中の最も重要な書物のひとつであるイザヤ書など多くの預言書や詩編、ヨブ記などは詩のかたちをとった神の言葉であり、聖書においては詩は特に重要なものと位置づけられています。 貝出さんの詩集のうち、在庫があるのは、第四集「ともしび天使」と第七集「天使からの風」(共に一冊百五十円)で、伊丹さんの詩集は、〇四年の「いつかの風」と〇五年の「朝の祈り」(共に一冊千三百円)がありますので、希望の方は申し込んで下さい。 ○今月号の「神の意見と人間の意見」という文で書きましたが、この「いのちの水」誌も、第一の願いは神の意見(ご意志、言葉)を少しでも正しく伝えたいということです。私たち人間の意見や感想、あるいは学説などというのは実に変わりやすく、それをいくら戦わしてもまた変わっていくものです。しかし、宇宙を想像され、すべてを御存じの神のご意志を直接聖書に基づいて学びとることは永遠に変わらぬ真理に基づく意見を知ることになります。 ○二月十三日(月)の夜、沖縄の友寄 隆静兄との交流会がありました。友寄兄は仕事の関係で徳島に来られたので、予定が終わって、夜の八時過ぎから徳島聖書キリスト集会の集会場に来ていただき、十一時ころまで、聖句についての短い話しと感話、意見、そして讃美などの交流会を持つことができました。十人ほどの集会でしたが、こうして集会場にて数時間の交わりを与えられることで、いっそう沖縄も近くなった感じがします。なお、弟さんの友寄 隆房兄は、一九九一年の徳島での、無教会・キリスト教全国集会のときに参加されたことがあります。 お知らせ ○第33回 キリスト教・無教会四国集会が、次のように今年は愛媛県松山市で開催されます。 ・主題「イエス・キリストの真実」 ・期日 二〇〇六年五月一三日(土)13時〜一四日(日)12時20分 ・場所 スカイホテル (松山市三番町八ー九ー一) ・主催 松山聖書集会(連絡先 松山市土居田町747-4 冨永 尚 TEL 089-971-9276) 今回の四国集会について、松山聖書集会からの実施要領案が送付されてきました。それによりますと、 「昨年秋に、今回のテーマ『イエス・キリストの福音』の趣旨についてお便りを差し上げましたが、アンケートはがきのご意見などに基づき、今回はできるだけたくさんの方々に、イエス・キリストにあって自由に福音を語っていただきたく…」とあり、多くの参加者が15分程度の感話という形で、キリストの真実を語ってもらう、という内容になっています。まだ、案ということですが、予定に早く入れておいて頂くためにここに紹介しました。 ○キリスト新聞二月二五日号に、私たちの集会員の貝出 久美子姉、伊丹 悦子姉の詩集の短い紹介がコラムで掲載されています。この詩集を希望される方は、吉村まで。 ○今年のイースター(復活祭)は、例年より遅く、四月十六日 (日)です。私たちの集会では毎年特別集会を持っています。日頃参加していない方々も、キリストの復活という最大の出来事をともに記念し、復活のいのちをいただきたいと願います。 |
2006/2 |
巻頭言 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、 神は聞き入れてくださる。 これが神に対するわたしたちの確信です。 (Tヨハネ五・14) 地上の声、天上の讃美 2006/1 もし、この世界を地球のはるか上方から見るとすれば、この地上には喜びの大いなる讃美はどこにあるだろうか。戦争、内戦、飢餓、対立、病気等々、喜びの声でなく、悲しみ嘆きの声のみが聞こえてきそうである。 ところどころ大歓声がある。それは野球場やサッカー場からである。しかしそれは実にはかない。勝ったといって大歓声があったかと思うと次のときにははや何の音もないということもある。高みから見るとすればそのような喜びのような声はほんの一瞬で消えるはかないもの、として聞こえるだろう。 しかし、もっと上に、霊的なたかみに引き上げられるなら、そこでは、おびただしい天使たちの大いなる歌声とも祈りともつかないものが聞こえてきたという。 私は多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。天使たちは大声でこう言った。 「ほふられた小羊は、 力、豊かさ、英知、霊的な力、栄光そして讃美を受けるにふさわしいお方!」 (黙示録五・11〜12より) このような壮大な讃美があるだろうか。その声はどれほど大きく力あるものであるか、想像もできないほどである。 地上で迫害の嵐が吹きすさぶただなかにあって、霊的な高みではそれをかき消す膨大な天使たちの、しかも大声での讃美が響きわたっているという。 黙示録の著者が受けたこの啓示は、ローマ帝国の荒々しい迫害のただなかにあって与えられたものであった。 それは現在においても、この世界の中で光を見ることができず、苦しみのただなかにある人間への励ましであり、招きである。 世界がどのような状態であろうとも、天上の讃美は今も響いている。どのように、わたしたちが今、希望を失い、暗い状況が取り巻いていても、霊の目で天を仰ぐとき、天上の讃美は力強く私たちを招いているのである。 二つの現実の世界 最近は暗い事件が多い。しかし、それは目に見える世界のことである。私たちの存在そのものが、目で見える体と、精神とか心とか霊、あるいは魂などいろいろと表現されている目には見えない部分から成り立っている。 そして目には見えない部分こそ重要である。この世を暗くするような事件はたいてい、目に見える体は元気だか、見えない部分である心、精神が悪の力に負けた人たちによって起こされている。 この世もまた同様であって、目に見える世界だけが現実の世界ではない。混乱や戦争、飢餓などいろいろと暗い現実はいつの時代にもある。 しかし、それだけが現実なのでない。もう一つの目には見えないが、現実に存在する世界がある。 そこでは清い水が流れ、いのちにあふれた存在があり、賛美がある。いかなるこの世の暗雲によっても曇らされることのない清澄な世界がある。 聖書には、この二つの現実が他のいかなる書物に増して最も鋭く見つめて記されている。 そして目には見えない世界こそが、いかなる災いや混乱、時代の変化にもかかわらず消えたり滅びることなく永遠に存在し続ける世界なのである。その世界を見つめつつ、見える世界を見る、それこそが本当に現実を見るまなざしなのである。 平和主義はなくならない 今、日本の憲法に基づく平和主義は、大きな転機にある。数千年前の旧約聖書に早くもその淵源を見ることができるこの平和主義はその真価を知らない人たちによって大きく揺さぶられている。 すでに世界有数の軍事力を有するに至った現状では、この憲法は空洞化され、その平和主義は風前のともしびのように見える。 昨年の選挙で自民党が大きく数を伸ばしたことが、そのともしびを吹き消す強い風のように吹きつけている。 もう少しその風が強くなれば吹き消されるのではないかという現実の状況がある。 しかし、吹き消されないものがある。いかに世情が変わろうとも、天地異変が起きようとも決して消されることのないものがある。 それが、キリストの平和主義である。キリストの存在そのものが、究極の平和主義である。いかに政治の状況や若者の動きが変化しようとも、吹き消されることはありえない。 逆にキリストの真理を消そうとするようなことをもしも本気で試みようとするものがあれば、そのような者こそ吹き消されていくであろう。 すでにこのことは、主イエスが言われたことである。 …この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」(マタイ福音書二一・44) キリストによって各人の罪が赦され、清められ、そこから神との平和(深い結びつき)が与えられる。その平和こそ、あらゆる平和の根源である。この神との平和が何より重要であるというのが、聖書の平和主義である。 このような平和主義を壊そうとするなら、そのような者こそ砕かれてしまうであろう。 国会や特定の政党などのかけひきや芝居がかった選挙などでは決して廃棄されない「キリストの平和」は、この世界の目には見えない土台に永遠に書き込まれているのである。 英知の言葉から (その2) 罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。(旧約聖書 箴言二八・13) No one who conceals transgressions will prosper, but one who confesses and forsakes them will obtain mercy. (New Revised Standard Version) この聖書にある言葉から、ここでは、罪を告白すること、そしてそれを捨てることから与えられる恵みについて考えてみたい。 「栄える」とは、この箇所の古代ギリシャ語訳は、「よき道を行く」euodoo (eu 善い hodos 道)という言葉であるが、罪を隠しているなら、日々の私たちの歩みはよいものが伴わない。 それに対して、私たちが祝福され、人生の歩みのなかで真によきことが生じていくということのために、すなわち、私たちの心の世界が広がり、深くされ、また精神の世界が力を得、そして良き何かを周囲にもつねにもたらしつづけることができるようになるためには、その出発点として、罪を告白して赦しを受けることだと言われている。 そのためには、罪を知らねばならない。知らない罪を捨てることはできないからである。 罪を捨てるとは、どのようにしてできるのか、それは悔い改め、十字架を信じるだけでよい、という新しい道が開かれたのである。 およそ栄えるということが、このような罪の告白とそれを捨てることが出発点にある、というようなことは、私自身キリスト教を知るまでは考えたこともなかった。栄えるためには、当然能力が必要であるし、また努力して他の者との競争に打ち勝たねばならない。 そして栄えるということを、この世で認められること、ほめられること、他者よりも抜きんでることだと思い込んでいた。 しかし、聖書でいう本当の意味で栄えるとは、完全な栄光を与えられていたキリストの例でもわかるように、そのようなこの世的なことではない。それはむしろ苦難であることが多い。本当の栄光は、神に用いられることである。 それが主イエスのように大いなる苦難を伴うこともある。 罪を隠さないで、信仰的に、霊的に信頼できる人に告白すること、それはたしかに深い意味のあることだと言えよう。それは自分の罪を捨てることにつながる。他者に告白することによって、その罪との決別を刻印することになる。そしてその罪を告白した相手の人とともに祈り、赦しと清めを受けることができる。 告白ということでは、福音書の書き方にすでに、使徒の告白が含まれている。福音書が書かれたとき、すでに使徒ペテロはキリスト者の集り(教会)のなかで最高の権威者、指導者であった。しかし、福音書には、そのペテロを称えたりする言葉は全くなく、逆にペテロが、主イエスが捕らえられたときに逃げてしまって、さらに三度もイエスなど知らない、といって否定したことをそのままに書いている。 また、後にはペテロ以上の大きな働きをすることになって、その多くの手紙が聖書に収められたパウロも次のように告白している。 …以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者であった。… 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値する。わたしは、その罪人の中で最たる者である。(Tテモテ一・15) …わたしはこの道(キリスト教)を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえした。(使徒言行録二二・4) こうした告白によって自分がいかに弱く罪深い者であるかを周囲に知らせしめ、そのような者であるにもかかわらず、憐れみ、罪を赦して下さるキリストの愛を伝えようとしているのである。 告白ということについて、古代からよく知られている書物がある。 それはアウグスチヌスの「告白」である。ここには、彼の若い時代に犯した罪の歩みを具体的に告白するとともに、そのような罪をも赦し救い出して下さった神への大いなる讃美と感謝が記され、さらに聖書の霊的な説き明かしも添えられている。 「告白」という言葉の原語は日本語の告白というだけでなく、罪を告白すると同時に、感謝する、讃美するという意味を持っているので、アウグスチヌスはその双方を重ねて用いているのがうかがえる。 (*)「告白」という語は、ラテン語ではコーンフェシオー(confessio)であるが、 聖書のラテン語訳では、例えば、「喜び歌い、感謝をささげる声のなかを共にすすみ…」(詩編四二・5)の箇所のように、「感謝」とも訳されている。 彼の告白はだれに向かってなされているか、それはまず神に向かってであると思われるであろう。しかし、意外なことであるが、アウグスチヌスはこう言っている。 …私はだれに向かってこのようなことを話しているのか。神よ、あなたにではありません。みもとにあって人々に向かって話しているのです。 では何のために。 ― それは私と、まただれであれ、これを読む人が、自分たちは何という深い淵からあなたに向かって叫ばねばならないか、を考えるためです。じっさい、告白する心と、信仰によって導かれて生きることこそが、あなたの耳に一番近いのです。(「告白」94頁 「世界の名著」14 中央公論社刊) なぜ、アウグスチヌスは、自分のこれから告白していこうとすることが、神に対してでなく、人に対してであるのか、それは、すでに彼は神への告白を十分になしていて、そこから大いなる祝福を与えられ、確固たる歩みを続けているからであった。 この箴言で言われているように、まず神に向かって告白し、神からの憐れみを豊かに受けて、そこから大いなる霊的なキリスト教信仰の指導者となっていったのである。 それゆえに、つぎにはその告白を周囲の人々に向かってしているのである。 人が神にむかって叫ぶ。それは憐れみや励ましを求め、また赦しをいただくためである。しかし、そのためには、自分自身が、深い罪の淵にて滅びのただなかにあることを深く知らなければならない。 彼が、「神の耳に最も近いものは、罪を告白する心と、赦して下さった神への感謝、讃美を伴う信仰の歩みである」というとき、彼自身はすでにそのことを深くじっさいに経験したのであった。罪を犯し続け、悔い改めのないときには、平安はなかったが、ひとたび心から悔い改めたとき、神はその赦しを求める叫びをただちに聞いて下さり、それ以後の歩みの中からの祈りをも近くにあって聞いて下さっていると実感していた。 それは、神ご自身のことをしばしば、「喜び」であり、「慕わしい存在」と呼んでいることからもうかがえる。(*) (*)神に呼びかけるとき、アウグスチヌスは、「決して偽ることのない慈愛、祝福された慈愛よ!」と言うことがある。ここで「慈愛」と訳された原語は、ドゥルケードー dulcedo であって、これは、英語の sweet と似ていて、食物などの味わいの「美味、甘い」ことにも、また心の「喜び」といったことにも用いられる。 この世では与えられない、神とともにある喜びを意味するから、ドイツ語訳では、Wonne(大いなる喜び) と訳している。(1955年 KOSEL-VERLAG社刊のもの)また、ロエブ・クラシックライブラリ版では、大文字を用いて、thou Sweetness never beguiling ,thou happy and secure Sweetness ! と訳している。 このような場合の、sweetという言葉は、日本語には適切な訳語がなく、「甘美」とか訳すると、原語のニュアンスが変わってしまう。これは、魂に深い安らぎと潤いを与えてくれる喜びそのものを指している言葉で、ダンテの神曲にもこの言葉から派生したイタリア語(ドルチェ dolce)が、「慕わしい、愛すべき、やさしい」というような訳語で百回以上も用いられている。(なお、この語は、英語では sweet と訳されることが多い。) なお、「慈愛」とか「慕わしいもの」と訳したのは、一九二八年 春秋社発行の「世界大思想全集」第四巻の「随想録・懺悔録」40頁である。 アウグスチヌスの告白は、このように、まず直接に神に告白し、そこから神の大いなる赦しとそれに伴う喜びを与えられ、神が自分の魂のすぐ近くにきて下さったことを体験し、(それがすでに述べたように dulcedo という語で表されている)そのゆえに、そのような罪の赦しと神の愛を何とかして知らせたいという思いで、告白という書物を著したのである。 こうした罪の告白が人間の魂の真の出発点をなすことは、古く今から三千年ほども昔から旧約聖書の詩編で言われている。 いかに幸いなことか。 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。… わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てた。 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てた。 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠さなかった。わたしは言った。 「主にわたしの背きを告白しよう」と。 そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦して下さった。… あなたはわが隠れ家。 苦難から守って下さるお方。 救いの喜びをもって 私を囲んで下さる方。 神に逆らうものは悩み多く、 主に信頼するものは、慈しみで囲まれる。 主によって喜び踊れ。 すべて心正しき人よ、喜びの声をあげよ。 (詩編三二編より) ここに、魂の真の喜びは罪が赦されたところにある、ということが実際の経験を通したことがありありと感じられる言葉で言われている。自分の罪を認めないうちは、心が荒れ、苦しみばかりであった。しかし一度自分の罪を明らかに示され、それを神に告白することによって、この作者はかつてない魂の深い平安と喜びを与えられ、立ち上がる力を与えられたのである。 人間は、楽しみや喜びというのは、よき家族、友達、健康、お金、職業…といったことにあるとほとんどが考えている。そしてそれは一般的な考え方から言えばたしかにその通りである。それらが全くなかったら、到底喜ばしい日々とはならないだろう。 しかし、それらがすべて与えられるなどということは、まずあり得ないし、与えられていると思う場合でも必ずそれらは年月とともに失われていく。 聖書の世界では、そうした時間が経てば失われたり、何らかの事件や事故、状況でたちまちなくなるもの、あるいは生まれつきとかで与えられないものを目的とするのでなく、だれでもが与えられる喜びを一貫して述べている。 それがこの箴言や詩編で言われている、罪を知り、その罪を赦され、除かれるということ、そこから神との霊的な愛の交流が与えられることなのである。 キリストが地上に来られたのも、単によい教えを述べるためでなく、この罪の赦しと喜びを与えるためであった。 そしてそれを受けたものはたしかにこのことこそが、真の幸いなのだと深く実感してそれ以外のものと取り替えようとは決して思わなくなるのである。 幻がなければ民は堕落する。(箴言 二九・18) Where there is no vision, the people perish.(KJV) この言葉は、このままでは本当の意味は伝わらない。なぜかと言えば、ここで「幻」と訳されている言葉の原語(ヘブル語)の意味は、日本語とは異なっているからである。「幻」という言葉は、例えば広辞苑では次のように説明されている。 「実在しないのにその姿が実在するように見えるもの。」 それゆえ、この訳語のままであれば、「実在しないものだが、実在するように見えるものがなかったら民は堕落する」、などという奇妙な意味になる。 このような不可解なことを言っているのではない。それでは意味が逆になってしまう。 この聖句の意味は、「神の国という確固たる実在を見つめていない民は滅びる」、という意味なのである。 この「幻」と訳された原語(ヘブル語)は、ハーゾーンといい、これは、ハーザー(見る)という動詞から作られた言葉である。それゆえ、実際に霊的な目で見たこと、なのである。本当は存在するのであるが、大多数の人たちには隠されている。しかし、特別に神に引き上げられた人はそれを見ることを得させていただくのである。英語訳では、この言葉は、多くが vision(見ること) と訳しているのもそのような意味を原語が持っているからである。 神に選ばれた人が、神によって特別に霊的なものを見せられたことを言うのであって、単に神秘的なことを見るだけでなく、霊的に引き上げられて与えられた神の言葉をも指す言葉である。 それゆえ、旧約聖書のなかで最も重要な書物の一つであるイザヤ書の冒頭に、このイザヤ書全体をあらわす言葉としてこの言葉が用いられている。 …アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。(イザヤ書一・1) ここで「幻」と訳された原語は右と同様に、ハーゾーンであり、イザヤ書という大きな書物全体が、霊的に「見たこと」となっている。それは、霊的に引き上げられることによって見て、聞いたことも含まれている。だから「預言」という意味をも持っているのである。 預言とは、神の言葉を預かるということであり、単に未来のことを言うことではない。 神から特別に高められて、神の国を見せていただき、神の言葉を預かった、受けたということの記録がイザヤ書であると言おうとしているのである。 それゆえ、英語訳にも、この言葉を「啓示(revelation)」とか、「預言(prophecy)」と訳しているのもある。(NRSV、NIVなど) こうしたことから、この言葉を本来の意味に従って訳すと、 「神の国を見つめることをしない民、啓示なき民は滅びる。」 というような意味になる。さらに、神の言葉なき民は滅びる、とも言える。 これは、前方に見つめるものを持たないとき、人間は混乱し、精神に確固たる秩序を失い、荒廃するということである。この世がまさにその通りである。神の国を見つめないで、金や快楽、地位、名声などを見つめていくときには、人間は手綱を失った馬のようにめいめいが勝手な方向にいき、互いに争い、憎んだり、戦ったりするようになる。そのあげくには滅びということになる。 戦争というのも、自国の利益を見つめ、またそれを推進する軍人や政治家は自分の力を誇示し、増大させるために始めたりする。そしてその結果はというと、おびただしい人たちの命を奪い、混乱し、荒廃する。 しかし、もし私たちが神を霊の目でしっかりと見つめ、前途に与えられる神の国を目指して歩むときには、周囲の混乱やざわめきにもかかわらず私たちは自ずから整えられ前進していくことができる。 重いからだの障害や病気、あるいは迫害や貧しさのただなかにあってもなお、深い平安や喜びを持っている人たちがキリスト者のなかにはいつの時代にも存在してきた。それはまさに、こうした霊のまなざしで見つめるものをしっかりと持っていたからである。 キリストはそうした霊的実在を見つめて生きた最高の模範であった。主イエスは、つねに神の国を見つめ、さらに十字架につくことを見つめて生きられた。そのために、わずか三十三歳で処刑されたが、その見つめていた神の国へと引き上げられ、神の右にあり、聖霊というかたちで、私たちのところに来て下さっている。 霊的なものを見つめるそのまなざしが強固であればあるほどに、あたかも渦のなかに周囲の水が引き込まれるように、周囲の者をもそこに引きつける。そして波動のように周囲にその力は伝わっていく。混乱していた人間は立て直される。 黒人解放のために命をかけて働いた、マルチン・ルーサー・キング牧師は、真の意味の「幻」(ビジョン)を持っていた人である。彼は黒人差別と不法の混乱のただなかにあったにもかかわらず、しっかりと見つめるものを持っていた。それは不滅のものであって、他の人にはぼんやりしていても、彼にはまざまざと見えたのである。 それが、一九六三年にワシントンで行なわれた次の彼の有名な演説からうかがえる。 私には夢がある。 いつかジョージア州の赤い丘で以前の奴隷の子と、以前奴隷を所有していた者の子が兄弟のように同じテーブルにつくのを。 私には夢がある。 いつか不正と圧制の熱気による蒸し暑さに苦しむ砂漠の州、ミシシッピーが自由と公正のオアシスに変わるのを。 私には夢がある。 いつか私の4人の子供たちが肌の色ではなく、彼らの人格で判断される国に住むのを。 私には夢がある。いつの日にか、荒れ地は平らになり、ゆがんだ地も真っ直ぐになり、そして主の栄光が現れる。(イザヤ書四〇・4〜5) これが我々の希望なのだ。この信仰をもってすれば、我々は絶望の山から、希望の石を切り出すことができ、この国の騒々しい不協和音を美しい兄弟愛の交響曲に作り替えることができる。(*) この信仰をもってすれば、我々は共に働き、共に祈り、共に戦い、共に投獄され、またいつの日か解き放たれると固く信じつつ共に自由のために立ち上がることができるのだ。 (*)キング牧師の力強い表現を感じてもらうために一部、原文をここに引用しておく。 With this faith we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope.With this faith we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. (hew 切る) これはまさに、啓示を受けた人の言葉であり、真の意味の「幻」をはっきりと見ていた人の言葉である。はるか二五〇〇年ほども昔の旧約聖書での預言が成就される未来をまざまざと神に引き上げられて霊的な目で見ることができたのであった。 さらに、この演説の五年後(一九六八年)、テネシー州の大聖堂では一万人以上の人たちが集まっていた。そこで、彼は驚くべき演説をした。その最後の部分は次のような内容である。 …自分の身の上に何が起きるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。しかし、私はそのことはもう気にならない。 なぜなら私は山の頂きに登ってきたからだ。…今はただただ神のご意志を現したいだけの気持ちでいっぱいだ。神は私を山の頂きまで登らせて下さった。その頂きから見渡した。そのとき私は約束の地を見た。 みなさんと一緒には約束の地には行けないかもしれない。しかし、知っていただきたい。私たちは一つの民として約束の地に行くのだと。だから私は、喜んでいる。私の心はどんなことにも心配していない。どんな人間への恐れもない。 主が栄光の姿で私の前に現れるのをこの目で見ているのだから。(「私には夢がある ― キング説教・講演集」新教出版社245〜246頁) I don't know what will happen now. We've got some difficult days ahead. But it doesn't matter with me now. Because I've been to the mountaintop. … I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. And I've seen the promised land. I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the promised land. And I'm happy, tonight. I'm not worried about anything. I'm not fearing any man. Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord. このように、彼がその戦いの年月を通して一貫して見つめてきた神の国、彼はそれを「約束の地」と表現しているが、それを彼は、霊的に引き上げられてまざまざと見ることを許されたのであった。 そしてさらに主イエスご自身がその約束の確実さを保証するかのように自分の前に現れるのを目の当たりにした。 これは旧約聖書に預言者や神に引き寄せられた人たちが見ることを許された聖書の意味における「幻」と同様なものであった。それはまぎれもなく存在するものであり、ただ預言者やキング牧師たちのようにとくに引き上げられた人たちは何にもましてその実在を実感することができたのである。 キリストも、死が近づいてきた頃、高い山に三人の弟子たちだけを連れて、祈るために登ったことがあった。そのときにイエスの衣が真っ白に輝き、その顔も太陽のように輝いたことがあった。(マタイ福音書十七章) パウロ自身も、第三の天(楽園)にまで引き上げられ、語ってはならない言葉、語ることのできない言葉を聞いたと証ししている。(Uコリント十二・2〜4より) このように、新約聖書においてもはっきりと「見ること」ができた人たちのことが記されている。 キング牧師の体験はこうした延長上にあると言えよう。 そして、このことは、キリストの時代からはるかにさかのぼってモーセやアブラハムという人たちからすでに始まっていたのである。彼らは、三千数百年以上も昔の人たちである。アブラハムは今のイラク地方で暮らしていたとき、神が現れ、見つめるべき土地、「幻」をはっきりと示された。そして彼はそのときから故郷を捨て、旅立った。その後はいろいろな波がありながらも一貫して神の指し示すものを見つめて生きることになった。 モーセも同様であった。キング牧師が用いた表現である「約束の地」は、モーセも多数の民を導いて、その四十年の荒野の厳しい旅を通じて命がけで見つめてきたものであった。 聖書はその全体が、このようにたしかに存在する目には見えない神の国、約束の地をめざす人々の記録なのである。そこに向かって人間は歩む。何か自分たちでは分からないある大きな力、流れに乗って進んでいくのである。 そして真剣に見つめる度合いが強いとき、必要なときに、神はそうした人を引き上げて実際にありありと神の国を見させて下さるであろう。 私たちは、そのようにはっきりと神の国、あるいは約束の地を見ることはできないかもしれない。しかし信仰が与えられている。信仰とは、まだ見ないものをもあたかも見たかのように、力を与えられて生きることであり、前進することである。 キリスト教信仰を与えられるということは、すなわち大いなるビジョン(神の国)を与えられるということ、生涯をかけて見つめるべきものが与えられるということである。 その道を歩むこと、それはキリストを信じるだけで、イエスご自身が道であるゆえに、だれでもがその道を歩み続けることが与えられているのである。 休むことの聖書的な意味 休みはいかにあるべきか、このようなことはあまり問題とならないだろう。それは週に何日休みがあるか、昼休みが何時間あるか、といったことはよく話題になっても、休みそのものがいかにあるべきなのか、そのようなことはたいてい話題にもならない。 とにかく仕事がないこと、休みがあればよいのであって、その休みがどんな内容であるべきなのか、それは個人的な問題だから、せいぜいじっとしていないで散歩するとか、趣味に打ち込むとか、ボランティアをやるのがいい、といったことである。 こうした一般のマスコミや人々の考えることと根本的に異なることが、聖書では書かれている。 そしてその聖書のとらえ方こそが、世界中へと広がって現在の日本のようなキリスト者が一%程度しかいないような国でも、そうした考え方が基本となっているのである。 それは聖書の最初からその問題は天地創造という最大の宇宙全体に関することと、結びつけて記されているのであって、休みということが人間がふつうに考えるような、単なる仕事をしないでのんびりする時、といったとらえ方ではない。 その最初の記述を見てみよう。 天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。(創世記 二・1〜3) 第七の日に創造の仕事を完成したから、その仕事を離れて休んだ。それだけでなく、その日を祝福し、聖別されたという。仕事を離れて休むといえば、ふつうはのんびりと娯楽、飲食、会話などに時間を使うことである。 しかし、神はその第七日を単に休んだというのでなく、「完成された」という表現になっている。創造のわざは六日であったのだから、ふつうなら、六日で創造のわざが完成された、と表現するであろうが、創世記の記述はそうでなく、「七日に完成した」というのである。 休んだ、とあるのにその日がなぜ、完成したことに結びつけられているのか。それは、この第七日に込められた祝福と聖別があってはじめて完成するからである。 これは、この第七日の安息ということが、以後、世界の歴史の中でも極めて重要になることを早くも暗示していると言えよう。 人間を祝福するというのは、わかりやすいが、特定の日を祝福するというのは、考えにくい。日とは時間であり、どの時間も同じように流れていくからである。 このようなことは、たしかに人間が考えたものでなく、神からの特別な啓示であった。それゆえに、この特定の日を休むという考え方が、今日ではキリスト教やイスラム教(*)にも深く入って、ユダヤ教と合わせるなら全世界において、一週間に一度休む、そして礼拝の日とするという習慣が定着するようになったのである。 (*)イスラム教では、ムハンマド(マホメット)が迫害されたメッカを脱出したことは、イスラム史上もっとも意義深いでき事であり、この日をもって、イスラーム教の成功と拡大への出発を画したものとされている。それが金曜日であったので、それを記念して休みとしている。 ユダヤ教においては安息日(*)は現在の私たちの暦でいう土曜日であった。その日に祝福を置かれたが、キリストが日曜日に復活されてから、この週に一度の安息日は日曜日に移されて以後日曜日がキリスト教の安息日となっている。 (*)安息日の読み方は、新共同訳では、「あんそくび」としているが、口語訳、塚本訳、それから最近新しい訳となった新改訳、やはり最近出版された新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店刊)などでは「あんそくにち」、カトリックのバルバロ訳や、フランシスコ会訳では、「あんそくじつ」と読ませている。そのために広辞苑では、「あんそくにち」という読みを主としつつ、ほかの二つの読み方も入れている。 神が創世記に記されているように、第七日をとくに祝福し、聖別したというその祝福が、ユダヤ教からキリスト教に広がってその意義が発展した。さらにはその余波がイスラム教にまで広がったということになり、その歴史的な意義は極めて大きいということになる。 このように、聖書に書いてあることは単なる古代の記録でなく、それが数千年を経てもなおその影響が脈々として生きて働き、歴史の上で、社会的にも政治的にも大きな力をもってきたのである。 聖書は他の昔の小説や古代の神話とはそういう点で根本的に異なっている。 安息日において、祝福し、聖別したとはどういう意味なのであろうか。それは、一言で言えば、神と結びつけたということであり、あらゆるよきものの源泉である神との結びつきがあるゆえに、そこに特別なよきことが生じるようにした、ということになる。 多くの人は聖書というのは単に心の問題、神という何だか分からないものについて書いてあるのだから自分はそんなものは信じないし、民族的に固有の宗教があるからそれでよい、と思っている人が多い。だからこそ、聖書を真剣に読む人は日本ではごく少ないのである。 しかし、週に一度休むという安息日の考え方がなかったら、社会的にも全く異なる状況になっていただろう。権力や金を持つ者たちが、弱い立場の労働者たちを圧迫して過重な労働をさせることが長く続いていたであろう。 徳川幕府の要求は、農民に対しては、「生かさぬように、殺さぬように」と言われたほどに、情け容赦のないものであったから、一週間に一度休ませる法律を作るなど考えられないことであった。 日本で、日曜日が休日(安息日)という欧米キリスト教国の習慣が取り入れられて実施されたのは一八七六年であり、今から一三〇年ほど昔である。これは、明治時代にはいって、一〇年も経たない時であり、キリスト教禁止令を廃止してからわずか数年しか経っていない。 キリスト教をようやく邪教扱いすることを止めたのが一八七三年、それからわずか数年で、キリスト教の復活と旧約聖書の基本的な戒めに現れる安息日という重要な内容にかかわっている日曜日を官公庁や学校で休みとすることは、本来なら到底できないことであっただろう。それは、明治政府の誤りを公然と認めることであったからである。 明治政府がそのように早い段階でキリスト教の重要な制度を取り入れなければならなかったということは、それだけキリスト教の真理を証明するものだということになるからである。 安息日の祝福ということは、このように、三百年もの長い年月をキリスト教に対して苛酷な迫害を続けてきた国家をすら、その制度を取り入れざるを得ないようにするほどの力を持っていたということになる。 日本に歴史はじまって以来、初めて一般の人たちの仕事をも週に一度休ませるという、大きな改革の扉が開かれたのであり、それをいわばこじ開けたのが、安息日の制度であったと言えるし、それほど、この安息日の祝福の力ははるかな遠い国へと及んでいったのである。 これも安息日に神が祝福を置いたということの、歴史における現れの一つなのである。 これが特別な祝福を内に持っていたゆえに、次に示すように、後にユダヤ人の最大の出来事といえる、エジプトからの脱出と深い関係を持つようになった。これは、まさに滅ぼされようとしていたところから一方的な神の力によって救い出された出来事であった。 …安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。 そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。(申命記五・12〜15より) このように、創世記で言われているように神が七日目に創造のわざを休んだということから、一般の人々だけでなく、奴隷たちや家畜までも休ませよ、と命じられている。このように、安息日の戒めとは、単に仕事をしてはならない、という命令でなく、神の深い愛の現れなのであった。 安息日を守ることがそのように、社会的にも愛を行なうことにつながる。そこにも安息日の祝福がある。 この安息日のことが、はっきりとした戒めとして記されているのは、モーセがエジプトから民を導き出す途中で、シナイ山にて直接に神から啓示された十戒においてである。 十戒のことは、映画で広く知られているが、その深い内容は映画ではとてもわからない。 そこには、つぎのように記されている。 安息日を心に留め、これを聖別せよ。 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。(出エジプト記二十・8〜11) ここにあるように、単に仕事をしてはならない、というのでなく、奴隷も、家畜や一時的にとどまっている外国人をも含んでいて、社会的な愛が実践されるようにという戒めとなっている。 そしてそれだけでなく、安息日を守ることは、神が天地を創造されたお方であり、万物をご支配なさっているということをたえず思い起こす、そこに信頼と信頼からくる感謝をも呼び覚まされるようにという神のお心が背後に感じられる。 私たちが苦難のとき、また平常の生活のときでも、常に思い起こすべきは、この世界は偶然でも得体の知れない運命が支配しているのでもなく、あるいは、大国の支配者や武力、経済力などが支配しているのでなく、背後ではすべてを神が支配しているのであること、これは信仰者の基本的なあり方である。 このことは、つぎのように古く、アブラハムの時から天地の神を思って祈る形が記されている。 …アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。…」(創世記十四・22より) また、旧約聖書の詩編は祈りの集大成のようなものと言えるが、そこにも、天地創造の神を見つめて祈る姿が見られる。 いかに幸いなことか… 主なるその神を待ち望む人 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。(詩編一四六・5〜6) 安息日を守るということは単に休みをとることにとどまるものでなく、ここにあげたアブラハムや詩の作者たちの思いのように、天地創造の神を思い起こし、全世界、宇宙が愛の神の御手によることを深く思い、現在の世界のために祈り、また神が必ず最善にされるということへの確信を新たにする時なのである。 そしてさらに、仕事を休むということとは本来は全く別の事柄、エジプトで奴隷状態になって滅ぼされようとしていたところからの解放された記念のために、という新たな意味づけが加えられた。 もしエジプトからの脱出と解放がなかったら、イスラエルの民族は消滅していたのであって、彼らの今日あるは、その時の神の一方的な助けによる。 そのことを歴史を通じてずっと思い続け、感謝し続け、神の新たな力をいつも思い起こすために、それが本来は全く関係のなかった安息日と結びつけられることになった。そうして出エジプトという重要なことが民族全体の最大の出来事、神の愛の歴史的な証拠として刻印されることになったのである。 さらに、イスラエルの人たちの歴史において、とりわけ重要な出来事の一つであったのは、紀元前五八七年〜五三八年のバビロン捕囚であるが、その国家的、民族的な大きな苦難の時においても、この安息日の祝福が生きて働くことになった。 バビロン捕囚とは、新バビロニア帝国によってユダ王国が滅ぼされ、民の主だった人々が遠いバビロン(現在のイラク地方)へと捕囚として連れて行かれた出来事である。その時、神殿というそれまでの信仰生活の中心を失った、捕囚の民たちは、そこで意気消沈して信仰を失ったのでなく、新たに会堂を建て、そこで安息日に集り、聖書を読み、ともに礼拝するという方向に導かれた。 そうすることによって民族としてのつながりが保たれ、人々は信仰を失うことなく、異邦の土地で五〇年にわたる捕囚生活を送ることができたのであった。それだけでなく、現在のかたちの旧約聖書へと編集がすすんだのは、このバビロン捕囚の時であった。 このようにふつうならはるかな遠い外国に捕虜として連れていかれ、そこで五〇年も経てばたいてい混血もして、土着の民と一緒になって民族としては消滅してしまったであろうが、安息日に会堂に集り、聖書をともに読み、礼拝するということが、その民族の結束を守り、崩壊から守ったのであった。 このことを見ても、いかに安息日を守るということが重要であったかがわかる。 ここにも、創世記で言われている、「安息日を祝福し、聖別された」ということが具体的に歴史のなかでその意味が明らかになっている。捕囚となっても、新たに聖書の編集が行なわれ、会堂をもとにした礼拝の形が確立されるというよきものが生み出されたからである。 神の祝福を受けるというのは、いかなる状況になってもそのただ中から驚くべきよきものが生じることなのである。 神がして下さった大いなるわざをつねに感謝をもって思い起こすことこそ、新たな力の源になる。逆にそうしたことを忘れてしまうことからは何もよいことは生じない。受ける値打ちがないにもかかわらず、一方的によきものを下さったという意識は、つねに新たな喜びとなり、力となる。 それこそ、祝福と言えよう。 私たちにおいても、自分が過去に置かれていた特別に苦しい状況から救い出されたということ、そのことを新鮮な心で思い起こすことによって新たな感謝となり、神への新しい思いが生れる。 安息日を聖別した、とあるが、このように過去の特に重要なことを思い起こし、新たな感謝を捧げる日とすることは、聖別するということにふさわしい内容になる。 安息日は元は、土曜日であったが、キリスト教の時代になって、キリストの復活が日曜日に起こったことから、日曜日に移された。それによって、「聖別」されたということが格段にその意味が深められることになった。それは、キリストの復活を単に思いだす、ということでなく、キリストの復活のいのちを新たに受ける日、新たにされる日となったのである。 たしかに、キリスト教になって、キリスト教の最大の出来事といえる復活がなされ、それゆえにその復活を記念するためにそれまでのユダヤ教の土曜日の安息日が日曜日に移されて、日曜日には、旧約聖書の安息日の精神とキリストの復活を記念し、罪赦された者が、復活の力を受けるという最大の祝福がさらに加わることになった。 しかし、次第に、安息日の制度は、本来の深い意味から大きくそれて、病人が苦しんでいてもいやすこと、荷物を運ぶこと、食事の準備のための火を起こすことなども禁じられ、 歩く距離を制限して一km程度としたり、さまざまのことが禁止されるに至った。 どんなよい決まりであっても、それがいのちを失い外見上のことだけを重んじるようになってしまうとかえって多くの害をなすようになる。そして形式化にとどまらずさらに別の外見上のこと、表面上のことがますます加わるようになっていくと、本来の真理が失われていくということもしばしば見られる。これは、宗教においても教育や、伝統的な習慣などにおいても同様である。 仏教における形式化 例えば、だれにでも身近な仏教について見てみよう。 仏教においては死者儀礼(葬式、法事、死後の供養など)が重んじられているのは、私たちの周辺で常に見聞きすることができる。 しかしこうしたことは、本来の仏教ではないことは、次のように、すぐれた仏教学者が明確に指摘している通りである。 現在の日本では彼岸というのは仏教の重要な行事が行なわれる期間であるが、これも、本来の仏教にはなくて、日本で平安朝のころから発達して次第に年中行事化していった。 春秋二回の彼岸は仏教の生れたインドにも中国にもたしかな先例がない。わが国では、平安朝のころから始まったらしい。…(「日本の仏教」渡辺照宏著 114頁 岩波書店。著者はインド哲学者、仏教学者、東洋大学教授であった。) 今では、人が死ぬと戒名がつくが、戒名は仏教の信仰に入ったしるしとして付けるのが中国や日本の風習であった。しかし江戸時代になると、死んで初めて特別な名を付けることが一般に行なわれた。キリシタン改めの関係上、死ねば必ず仏教の儀礼を用いるということになり、その習慣が現在まで続いている。 …位牌も鎌倉時代から行なわれたが、やはりキリシタン改めの影響で普及されるようになった。位牌を置く場所としての仏壇が一般家庭に設けられるようになったのも、江戸時代のことであった。ただし、浄土真宗の信者においては、仏壇は阿弥陀仏をまつるところとしての本来の意味を忘れなかった。(同上116頁) シャカムニ(釈迦牟尼)(*)の教団において、死者儀礼が僧侶の仕事ではなかったことは、言うまでもない。それは世襲のバラモン(**)の仕事であった。… 死者儀礼が形式化したことによって、生死に対する真剣な追求までが見失われてしまった。もし、仏教が将来生きる道があるとすれば、形式だけで事足れりとする葬式屋根性を捨てて、生死について自らも確信を持ち、他にも示すことができるような方向に進む他はあるまい。 (同上 120頁 ) インドの仏教教団は簡易な生活様式を尊び、僧侶の衣は柿色の一色で、所持品も生活上必要な最小限度にとどめられていた。…しかし、中国から日本に来た仏教では、色とりどりの衣の上に、金襴の袈裟をかけることさえした。インドの僧侶は金銀を身につけることは絶対に許されない。…寺は、僧侶の修行の道場としてよりも、見物人に興行を行なう場所とさえなった。(75頁) (*)仏教の開祖で、姓は、ゴータマ、名は、シッダルタ。「牟尼」は聖者の意。その生没年代は、前五六六〜四八六年、前四六三〜三八三年など諸説がある。シャーキヤ‐ムニ。釈尊とも言う。 (**)インドの僧侶をいう。 このように、彼岸の行事や、葬式、法事、戒名、仏壇、位牌などといった最も仏教と関連が深いと思われているものも、実は、本来の仏教にはなかったものだと仏教学者が強く批判しているのである。 そしてそのような形式化を押し進めることになったのは、徳川幕府がキリシタン迫害のために、すべての人をどこかの寺に所属させるという方策を取ったことであった。国民がみんなどこかの寺に所属することになり、昔のことであるから、病気や死産などしばしば葬式が生じる、そのたびに謝礼が寺に何ら努力なしに入ってくるという状況になってしまった。それは仏教が渡辺照宏氏の表現によれば、「葬式屋根性」に陥り、形式化へと変質していくことにつながった。 しかし、こうした仏教における形式化は、形を変えてどのような宗教にも生じてくると思われる。ユダヤ教の安息日においても、本来の深い意味が見失われて、外側の形だけを厳密に守らねばならないとする風潮が次第に強くなっていったのである。 神殿においても、形だけの礼拝が行なわれ、そこで商売が行なわれる場にもなっていたということで、主イエスは「わたしの家は、祈りの家であるべきであるのに、強盗の巣としている」と厳しくそのことを指摘して、止めさせたことさえあった。 主イエスの戦いはこうした信仰の形式化、形骸化との戦いでもあった。 その具体的な内容が聖書には記されている。ここでは安息日に関する一つの例をあげる。 安息日に右手が萎えていた人がいた。右手が萎えていたらふつうの仕事はできない。このような人が過去にどんなに苦しみや悲しみがあったかを全く理解しようとせず、ただ、安息日に治療行為をしてはいけない 、という律法を守るかどうか、という一点だけでイエスに注目していた。 安息日とは、どんな意義をもつのであろうか。それはこれまでに述べたように、単に仕事を休むということではない。安息日に関する最初の聖書の記述は、神が創造のわざを休んで、聖別して神からの祝福を受けるためのものであった。その祝福とは、神の道を歩めるようにして頂くことであり、数々の神の国の賜物を受けることであった。それは究極的には、愛を持つことである。神の祝福を受けた最も大いなるかたちは、愛を持つ人間となることである。 この人はこのルカ福音書では、一言もしゃべってはいない。不思議なほど沈黙している。 その沈黙は、過去の苦しい生活、そしてイエスこそは、自分の積年の悩みを解消してくれるお方だと、直感していたようである。 だからこそ、起き上がれ、真ん中に立て、と命じられたときに、その人はすぐさまそのイエスの言葉に従って行ったのである。 ここで、主イエスが命じられた言葉、「立って、真ん中に出なさい」と訳されているが、原文では、「起き上がれ、そして真ん中へ立て」(egeire kai stethi)である。 そして、この「起き上がれ」と訳されている原語(エゲイロー egeiro)は、またこの箇所と同じ内容を伝えているマルコ福音書では重要な英語訳聖書では、「立て」と訳されている。(・Get up and stand in the middle!' (NJB) ・ Stand up in front of everyone."(NIV) そのイエスの言葉にただちに従って、右手の萎えた人は、「身を起こして立った」とある。ここでの「身を起こして」と訳された原語は、アニステーミ「anistemi」で、「立つ」(ヒステーミ)の強調形であり、新約聖書では、「復活する」という訳語でしばしば用いられている。そして、さきほどあげた、エゲイローという言葉もまた、「復活する」とも訳される言葉である。新約聖書で最も復活ということが、詳しくその重要性が説かれている章では一つの章だけで、十九回もこのエゲイローという言葉が用いられている。(Tコリント十五章4、12、13、14節など) ルカ福音書においてこの、「復活する」とも訳される原語(*)が特に多く用いられていることは、ルカが、とくにこのことを示されていたことがうかがえる。 (*)この原語 アニステーミ(anistemi)は、マタイ福音書では四回、マルコでは一七回、ヨハネでは八回しか使われていないが、ルカ福音書では二七回も使われている。 私たちは、主イエスの言葉によって、萎えていた魂が立ち上がることができる。そのことを、ルカ福音書はとくに強調している。放蕩息子のたとかの話しの中においても、二回「立つ」という言葉が用いられている。(新共同訳ではそれは分かりにくく訳されている。) それは、放蕩の限りを尽くしてやっと自分の罪に気付いたこの息子が、その罪を悔いて神を見あげ、立ち帰ろうとしたときに書かれている。 この世はたえず、心身を萎えさせることで満ちている。そのようなただなかにあって、とくにルカ福音書は、立ち上がらせる力を与える方としての、イエスを強調しているのである。 安息日を形式的に守ること、宗教において、このように決まりを守ることは重要であるが、それが目的になってしまうことがある。決まりは何のためか、を考えなくなるのである。 安息日の規定も、はじめに述べたように、神への礼拝であるが、それは神を礼拝することによって、神の本質たる聖霊を受け、その聖霊の実りの中心である愛を受けるためである。 それゆえ、苦しむ人や、困難にある人への愛を、表面的に規定を守ること以上に重んじるべきなのである。 主イエスは、形式化した安息日規定を正しいあり方に立て直すために、わずか一言でそのあり方を示された。 「人の子(キリスト)は安息日の主である。」(ルカ福音書六:5) それは、安息日を形式的に守るのでなく、そこに人の子すなわちイエスを主とすることだとされたのである。 イエスを主とする、それはイエスご自身を中心に置く生活とすることである。ここに、キリスト教会が二千年守ってきた、日曜日の礼拝の精神も含まれている。礼拝とは主イエスを中心に置くことである。復活のキリストを中心に据えることであり、そこからその復活のキリストの復活の力、死に打ち勝つ力を与えられることである。また、それまでの罪をキリストの十字架を仰いで赦しを受けることである。キリストと同一の本質を持つ聖霊を受けることである。そしてそれを受けた上で、愛と真実を主とする生活へと導かれることである。 ここから、さらに私たちはキリストを中心に据えた安息とは、実は「主の平和」であることだと分かる。キリストこそは、安息日の主であるということは、さらにキリストこそは魂の安息の主なのであり、それこそが、福音書で強調されている、「主の平和(平安)」なのである。 主イエスが最後の夕食のときに告げたこと、約束したことは、聖霊を与え、キリストの平和を与えるということであった。それこそが、真の安息にほかならない。 「重荷を負う者は、私のもとに来れ、そうすれば、休みが与えられる。」 (マタイ福音書十一・28)と言われた。ここにも、主の平和がある。キリストのもとに憩う魂の休みこそ、真の平和だからである。 このように、考えていくとき、安息日とは、日曜日だけでないのがわかる。それは主の平和を与えられているなら、すべての日が、「安息日」となり得るからである。 特定の人間だけが、招かれているのでなく、すべての人間が招かれ、決まった人だけが、聖人なのでなく、主を信じる者はみんな聖徒であり、特定の人だけが先生でなく、みんなが兄弟姉妹なのである。一部の人だけを愛するべきでなく、だれでも愛すべきであり、敵対する人すら受け入れてその人のために祈るべきと言われる。 キリストを中心とするときには、特別な能力のある人だけが大切なのでなく、病気の人も、子どもも老齢の人も、健康な人、障害者、それぞれみんな大切な存在となる。 こうして、「人の子(キリスト)を中心とするところには、さまざまの分野で、視野が広がっていく。 しかし、特定の日を守らなくともいいのではない。日曜日を主の日として大切にし、ふだんは仕事とかその他のことでいろいろと心身ともに使わねばならないが、その日こそはとくに「人の子、キリスト」中心にすることによって、一週間の罪を清められ、この世にまみれそうになった魂が再び新しい霊の水、いのちの水を受けることになるからである。そして新しく再創造されるからである。 私自身、公立高校の教員をしていたころ、日曜日の行事があるときに、それをそのまま従って日曜日の礼拝集会を休むか、どうするかで非常に苦しんだことがあった。 そして苦しい決断をして、あくまで日曜日の礼拝を優先させることに決断したが、それによって予想されたような非難もあり、困難な事態も生じたが、最終的にはそうしたことを通してかえって、同僚や、生徒たちに私自身がどうしてそのようにまでして、日曜日を休むのかを真剣に説明し、自らの信仰を表明することへとつながった。そして道のないようなところに、不思議と歩んでいける道が開いていったのであった。 安息日を聖別し、祝福する、と言われたはるか古代の神のことばは、数千年を経た現代においても、まさに真理であることを身をもって体験させていただいたのである。 そうすることによっていっそう真剣に安息日を守り、そこで聖霊とみ言葉を受けて、それを勤務にも、日々の生活にも用いていくことが許されたのであった。 もし、私がかつてのあの苦しい決断に際して、ふつうの生き方、すなわち行事があれば、日曜日礼拝も休むということをしていたら、その他のことが生じても簡単に礼拝を休んで、それを優先するということになっていっただろうし、そうすれば、現在私たちが受けているような祝福は到底考えられない。 すべての日が安息日のように生きる、それは究極的な目標である。しかし現実の私たちは簡単なことで罪を犯し、この世のことに引っ張られる。そして人間の力を恐れる。そうした私たちであるからこそ、週に一度はそれらを振り捨てて、神への礼拝の座につかねばならないのである。 週に一度を、聖別して神に捧げること、そこには数千年を経ても変ることのない、祝福の源泉があるのである。 ことば (224)沈黙からはじまるもの 沈黙の実は、祈り 祈りの実は、信仰 信仰の実は、愛 愛の実は、奉仕 奉仕の実は、平和(「マザー・テレサ書簡集」ドン・ボスコ社 146頁 ) ・マザー・テレサは早朝から長い祈りの時間を持っていた。そこから日々霊的に新しくされ、力を受け、信仰をたしかなものとし、聖霊を受け、その聖霊の実として愛を受け、人々への奉仕のわざが自然になされ、それは生涯持続した。 こうして互いに仕えあうところに真の平和が生れる。 私たちにおいても、つねに主の御前に静まり、御声を待ち望むことが求められている。 (225)愛によってのみ …しかし、最も大きな驚きがこの若い人をとらえたのは、その老人(ペテロ)が、神はさらに完全な愛であるから、人々を愛するものは神の最も高い命令を果たすのものであると教え始めた時である。しかし、自分と同じ民族の人を愛するだけでは足りない。人となった神はすべての人間のために血を流し、異教徒の間にもコルネリウスのような弟子を見出したからである。 また、我々に善きことを行なう人々を愛するだけでは足りない。キリストは自分を死に引き渡したユダヤ人をも、自分を十字架にかけたローマの兵隊をも赦した。 であるから、我々に不正を加える人々を赦すばかりでなく、それを愛して、悪に対するに善を報いなければならない。 善き人を愛するだけでは足りない。悪人をも愛さなければならない。 愛によってのみ、悪人から悪を取り去ることができるからである。… その若者はもう、その老人の言葉に少しも新しいことがないとは考えず、驚きをもって自分に問いをだしていた。…それは彼にとって何か聞いたことのない新しい観念であった。例えば、仮に、この教えに従っていく気になったとすれば、自分の考えも、習慣も性格も、今までの本性すべても薪の山にのせて灰になるまですっかり焼き尽くし、何か全く別の生活と新しい魂で満たされなければならないと感じた。… 心のなかでこの教えを拒もうとしたが、それに背を向けるのは、花の咲き満ちている草原に背を向けるようなもので、その人の心を惹く芳香を一度でも嗅げば、他のことはすべて忘れてそればかりに憧れるようになるのだと感じた。 この教えには少しも現実性がないようであるが、しかもこれに比べると現実はいかにもみじめなものであって、それに考えを向ける値打ちがないように思われた。…(「クォ・ヴァディス」上巻271〜272頁より。) ローマの迫害の嵐が吹きすさぶ中、迫害を逃れてローマを去ろうとしていたペテロに、復活のキリストが現れてどこかへ行こうとするのに出会った。ペテロは「主よ、どこへ行かれるのか!」と驚いて問うた。それは当時のローマの言葉では、クォ・ヴァディス・ドミネ (Quo Vadis Domine)であった。クォ(どこへ) ヴァディス(あなたは行く)、ドミネ(主よ)。 キリストは、お前が逃げていくなら私はもう一度ローマで十字架にかかるために行くのだ、との答えを聞いてペテロは再びローマに帰って行ったという古い伝承がある。ポーランドの作家、シェンキェヴィチはそうしたことをも折り込んで用い、岩波文庫で三冊、八百頁ほどにもなる大作とした。この「クォ・ヴァディス」は一八九五年に出され、一九〇五年にノーベル賞を受け、世界に知られるようになった。 休憩室 ○今年の冬は寒く、わが家に数本ある梅の木はまだすべてつぼみのままです。いつもはどれも花が見られる時期ですが、今年 の寒さの影響と思われます。しかし、水仙は次々と咲き始めています。 ほかの草花がみなその動きを止めて春のくるのを待っているのに、水仙だけは寒さをもものともせず花を開いてその香りを漂わせています。 最近、集会でもよく歌う讃美に「あめんどうの花が」というのがあります。わかりやすい歌詞で、心に残るメロディーです。これは、世界教会協議会などで用いられた世界の讃美を集めた歌集に収められているもので、ドイツとイスラエルの人によるものです。 あめんどうの花が 咲きました 痛みの中でも 希望のしるし 戦はすべてを打ち壊し 傷あと残す 地の上に あめんどうの花を 感謝しよう 主イエスの愛のしるしです(「つかわしてください― 世界のさんび―」三四番より) ここで歌われている「あめんどうの花」はイスラエル地方では真冬に咲く梅のような白い花で、私もかつてシナイ山のふもとの修道院の庭で二月末ころに咲いていたのを見たのが強く印象に残っています。 世界は傷だらけの様相を呈していますが、そこに静かにイエスの愛の花が咲き続けている、という内容の歌です。私たちも真冬の水仙を見て、私たちへの神の愛を感じ取ることができればと願います。 ○去年の夏ころから夕方の西空にその澄んだ強い光をもって私たちに語りかけていた、宵の明星(金星)はもう、太陽より先に沈むようになって全く見えなくなっています。冬の夜空は夕方から、東南の方を見れば、オリオン座や大犬座、小犬座、牡牛座、双子座、御者座など明るい星たちが多い星座が並んでいてはるかな遠い空からの光を運んでくれています。 太陽系の仲間では、火星が夜七時ころには、頭上にその赤い光を放っているのが見られます。こうした星々の光は、万国共通語と言える言葉で語りかけています。 編集だより ○ご講話「主の祈りとパウロの祈り」について、今まではその大切さ、すばらしさをよく知らないままでお祈りしておりましたことを思いました。 午後三時の「祈の友」のことも初めて知ったような者です。本当にありがとうございました。(九州の方) ・この講話というのは、去年、私(吉村 孝雄)が、祈の友四国グループ集会で語った聖書講話のことです。 集会案内 著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四 電話 050-1376-3017 「いのちの水」協力費 一年 五百円(但し負担随意) 郵便振替口座 〇一六七〇ー六ー五六五九〇 加入者名 徳島聖書キリスト集会 協力費は、郵便振替口座か定額小為替、 または普通為替で編集者あてに送って下さい。(これらは、いずれも郵便局で扱っています。) E-mail:pistis7ty@ybb.ne.jp http://pistis.jp FAX 08853-2-3017 2006/1 |
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