野の花 |
新聖歌の讃美について I.K
新聖歌には、讃美歌や聖歌をはじめ、有名な讃美や親しまれている讃美がたくさん載せられています。その中で心に残った曲のことを書いてみたいと思います。
一二〇番は、十数年も前になると思いますが、集会に香川県の四国学院大学の学生さんが讃美に来て下さり、この曲を歌っていただきました。若い人の澄みきった美しい声とメロディーと共に「十字架より叫び聞こゆ」という歌詞がとても印象に残っています。イエス様が、十字架上で私たちの罪のために烈しく苦しまれている姿を思い浮かべる歌詞であるのに、それだけに暗さのないとてもきれいな曲で、歌うたびに心にしみる感じがします。
その他、水野源三さんの曲が二曲載せられています。二九二番と三三四番です。水野源三さんの曲は、コンサートや、CDなどで聞いていましたが、心の素直な思いが歌詞に出ているように思います。二九二番の歌詞は、苦しみは誰もが避けたい最もいやなことですが、それを通してもっともすばらしい神様の愛に出会えることを思います。神様の愛に出会わなかったら、苦しみは辛いことだけで終わっているのに、神様が一八〇度方向を変えて喜びとして下さる恵みを感謝します。
もしもわたしが苦しまなかったら
1,もしもわたしが苦しまなかったら、
神様の愛を知らなかった。
2,もしも主イエスが苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった。
3,多くの人が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった。
(新聖歌二九二番 水野源三作詞)
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「御国への道 歩むとき」の讃美歌を通して T.K
御国への道 歩むとき 主は共にいまし
御言葉により 導き給う 日々主 共にいまし
主は共に主は共に 主は共にいまし
この歌のように御国を目指して歩むときには、恐れはない、でも生きていると病気になったり、キリスト教を信じているということだけで、友から離れられたり、仕事場でのいろんなことや、暗闇の時も、どんな状況におかれようとも、信じて歩むときはいつも主が共にいて道を照らし導いて下さる。
わたしは今年の初め頃に、利用者の事で問題を抱えて悩んでいました。
ある施設に就職をさせるために、1ヶ月研修として利用者と施設に出かけて、付きっきりでマッサージの指導をしてほしいと上から命ぜられました。すでに私自身、眼の手術日が決まっていたので、手術が終わってからにしてほしいと上司に伝えたのですが、私が行かれない場合は、代わりの者に行ってもらうからと言われ、そのまま実施することとなりました。マッサージの技術指導が中心なのに、知らない人がついて行って大丈夫なのか疑問に思いながら、結局二〇日の内、私は四日間でした。
またこの利用者は、視覚、聴覚との障害者でコミュニケーションも難しい人で、どこに就職をしても長続きせず、私の勤めている施設を利用していました。
結果は、施設に利用者が仕事に来ることによって手間がかかると言ったことで、就職につながることが出来ませんでした。
職場の人たちとの意見対立や人間関係、眼の手術も重なって、少し疲れていましたけど、祈って出かけると落ちついた状態で、仕事が出来たこと感謝でした。
祈っていると、ことあることに罪に気付かされますが、人からあざけられ、さげすまれ、私たちの罪のため十字架にかけられたイエス様を思い起こすこともできました。
「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ福音書十六章33節)
この御言葉にあるように生きていく上で苦難はいつあるか分かりませんが勇気を出して歩ませて頂きたいと思います。
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私の信仰の歩み S.K
私は一九六七年岡山市で生まれました。父と母は無教会のクリスチャンでしたので、食事のときは必ず聖書を読んでひとりひとりお祈りをするという習慣がものごころついた時から当たり前でした。理由は分りませんでした。父は市内の県立高校の化学の教員で九州の大学時代に信仰を持つようになり、岡山無教会という集会の主宰者(しゅさいしゃ)でした。母は大学付属の養護学校の教員で、やはり無教会のクリスチャンの家庭に育ち信仰を持っていました。
私は小学校4年に初めて教会の日曜学校にいきました。神の国教会という教会で、6歳年上の姉と一緒に行きはじめました。そこではじめてイエス様のことを詳しく知りました。不思議で偉い人だと思いました。けれどもとても身近に感じました。そしてつらい時や悲しい時にイエス様の名をとなえることを覚えました。日曜学校の女性の牧師さんがギターをひきながらイエス様のことを讃美する歌をうたっていたことは強く印象に残りました。
また日曜学校の中で男子は僕ひとりだったので、はずかしくていやだったのですが、とにかく小学生の時はなぜか日曜になるとかならず日曜学校の礼拝にでていました。そして小6の時に日曜学校の男の先生との出会いがありました。その先生はもの静かでもくもくと工場などで働いている人とぼくはイメージしていたのですが、その先生が日曜学校の礼拝後にぼくと2人で過ごす時をもちました。聖書の話などでしょうか、なにを話したか内容はまったく憶えてないのですが,とにかく僕のことをとても熱心に祈ってくれたこと、中学に入るというときに英語の辞書ときれいな表紙の聖書をプレゼントしてくださったことはいまでもありがたく思っています。
その後中学にはいって部活に入り勉強も忙しくなるからという理由で日曜学校にいかなくなりました。それっきりその先生のことも忘れていきました。イエス様のことも、あまり身近に感じなくなっていきました。中学校は校内暴力の全盛期で、いじめ、先生への暴力が日常茶飯事でした。なんで悪はこの世にあるんだろうと漠然と思っていました。けれども自分がかかわらなければいい、自分が被害をうけなければ、他の弱い人がいくらいじめられても関係ない、そう思わなければやっていけないのが実感でした。
高校は岡山市内の普通科に通いました。ここでは親の期待に応えるべきと、いわゆるいい大学に入りたいと思い込み受験勉強中心の生活を送りました。ここでもイエス様との出会いはありませんでした。勉強ができればそれでいい。それなりに自由で楽しい高校生活でしたが、大学に入りさえすれば本当に自由に好きなことができるとあこがれて今は勉強中心だとおもっていました。
共働きの両親の手伝いで同居していた母方の祖母にとてもかわいがってもらいました。祖母は若い時、救世軍に携わり、詳しいことは話しませんでしたがいろいろ苦労をしたそうです。そしてやはり無教会の祖父と共に信仰を持っていました。ぼくが小学校から高校まで毎朝学校に行く前に祈ってくれたのを憶えています。
十八歳で上京して一浪したあとに中央大学法学部に入学しました。そして両親のすすめで、多摩区の枡形山の中腹にあるキリスト教主義の学生寮「登戸学寮」に入寮しました。この学生寮は一九五三年に内村鑑三の弟子で無教会の伝道者、黒崎幸吉の設立したものです。そこで大島智夫寮長、横浜市立大学医学部名誉教授とであいます。
この学寮はいろいろな大学の学生が集まっているとてもユニークな寮でした。朝拝と日曜の聖書集会が義務づけられていました。そこで毎朝当番制で寮生が聖書の好きな箇所を読みお祈りをし讃美歌を歌うという習慣が身につきました。毎朝讃美歌をいろいろと歌っているといろいろと覚えて、毎朝大声で歌うととても気持ちがはればれとしました。合唱をやっている寮生も多くいました。そこでイエス様がまた身近に思えてきました。イエス様の行われた数々の奇跡は信じられませんでしたが、とにかく聖書をおりにふれてひもとく機会が与えられました。
大学生活はつまらなく次第に学校にいかなくなりました。寮生活はとても楽しいものでした。そこでICU(国際基督教大学)の2人の寮生と出会いました。そしてICUに再入学しました。ここでもイエス様の導きを強く感じました。
大学3年の時に妻と結婚しました。その時もイエス様の御力で僕の進むべき道は示されていると感じました。九〇年に幸と恵という2人の娘を持ち生活は厳しいながらも希望をもって毎日を送りました。
大学卒業後、新潟鉄工所という中堅の機械メーカーに就職しました。そして大学時代3年間を過ごした三鷹から枡形にある社宅に引越しました。学生時代住んでいた登戸学寮のすぐ近くで、ここでもイエス様の導きを感じました。会社では原動機事業部陸機営業部に所属して国内のポンプ駆動用ディーゼル機関の販売にあたりました。
そこでは自分なりに一生懸命誠実に勤めようとがんばりました。接待やゴルフ、カラオケなども自分に課せられた仕事だと思って勤めることができたと思います。公共事業の受注に談合といわゆる業界でいう天の声、政治家にお金を包み口利きをしてもらうことが重要なこと暗黙の了解だということも知りました。
自分も何度もそういうことを経験しました。そんなことをくりかえしていると自分の手が真っ黒だということに気がつきました。そうしてノイローゼになりました。
そこで毎朝早起きして、聖書と大島先生の伝道私信「海老名だより」を読み祈ってから会社に出勤するという生活を一年近く続けました。そしてこんなになってもイエス様は自分を省みて下さると思えるようになりました。
結局、会社を5年勤めて辞めて、公認会計士になろうと受験勉強をしますが、一年で断念しました。
その後、三年間病気を経験しました。でも教会に行かなくても聖書をパウロ書簡を主に繰り返しひもときました。第一コリント十・十三節やローマの信徒への手紙八章二十八節などをこころに唱えていました。
フィリピの信徒への手紙四章5~7節も好きな聖句です。
また徳島の無教会の集会をしておられる吉村先生の伝道私信「はこ舟」なども繰り返し読み、祈りました。また讃美歌をパソコン通信で聞いたりして教会へいって皆でこころをあわせて主を讃美できる日を待っていました。高知県宿毛市の宿毛栄光教会の牧師の妻となった姉も折りにふれ祈ってくれていました。
三田教会を知ったのは生活クラブの会員の夏目さんと妻が知り合いだったことからです。妻が教会のバザーにいってみたことがきっかけでした。そして二千年のクリスマスに初めて三田教会の礼拝に出ることが出来本当に感謝でした。また家族が僕が教会に通うことに理解をもってくれていることも感謝です。
僕は洗礼を受けることがクリスチャンになることと考える人間ではありません。まわりに洗礼を受けていないが神様の祝福を受けている人に多くであっているからです。また自分の自己中心性、つまり苦しい時にしかイエス様のことを思わないところなどを感じます。
でもイエス様が「私を入れて下さい、香西君」とずっと戸をたたいてくださっているのだとしたら、と思うといてもたってもいられません。いままでつらい時にしかイエス様のことを思わなかった自分、そんな自分をイエス様がいつもおぼえてくださる。
そう思う時ほんとうにヨハネ七章三七節のように「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」とおもえます。
洗礼を受けて教会員になることが自分にとってクリスチャンとしての責任を負うようになると思うとちょっと荷が重すぎるかなと思う時もあります。でも思い切ってとびこんでみる、それが聖書のいう地の塩になるということかなとも思います。また鈴木牧師とハイデルベルグ信仰問答を一緒に読み,自分の中で、罪に関すること、神様の恵みに預かること、イエス様がいつも共にいてくださることのすばらしさなどが整理ができつつあります。
この二年間のアルバイトを経てこの十月から会計事務所に正社員として勤めることになりました。五人のちいさな事務所です。仕事もどちらかというと地味な仕事です。けれどもマイペースでできるという意味で自分に向いている仕事だとおもいます。日々の健康を与えられ自分に与えられた仕事を誠実にこなし、日曜日は教会にいってもいかなくても必ず神様を讃美する、またかけがえのない妻と二人の娘がいることも神の大きな祝福だと思います。 (三田教会員)
天の神祈ります M.K
夕べに朝に、数え切れないお恵みの内に生かされておりますこと、"感謝"の二文字以外思いつかず、
「神様どうぞこれで・おこらえなして・・・」です。
言ってしまえば、些細な事でも私にとっては一大事の時、小さな困った時、切羽詰った時、など、次から次へと妙案を与えて下さり、思いもつかぬその事毎が移行して、守られている、導かれている事を実感します。
最近マダラボケの私に「わし今薬飲んだか?」とのお尋ね、「人が薬飲んだか、飲まなんだかぐらい覚えておけ!」とはツライ話ですが、 この処、同居中の、明けて九十九歳になる実母の耳元へ話かけると「え?」と聞き返されることで、いかに私が声高に早口になっているかを気付かされます。チョー多忙とはいえ反省です。 その耳の遠い母に"集音器"を得させて頂き、これも又感謝です。 娘夫婦に孫娘夫婦と一歳余の曾孫(男児)が来宅の折り、その集音器を中に皆と同時に笑っている母!
笑ぃながら頷いている母!
おぉ主よ、主よ有難うございます。 嬉しさの続きは、母が集会の本棚からお借りした三浦綾子の"海嶺"(上・下)完読、ちいろば先生物語、パウロ然り、姉妹の貸して下さった数々の本も読んでます・読んでます。いや、その前に集会場への出席、植物の観察、そして聖書の学びを受けた事。読書好き、終日黙読の母が人前で声を出して本を読む、それも"聖書"とは!。意外や意外。 主のお導き感謝です!
その土曜日の手話で習った賛美歌"天の神祈ります" 時々預かる、ひ孫と共に讃美しています。まだ「ちゃあーちゃん」「あ・・・あ・あっ」「んま、んま」ですが、向かいあって私の手話讃美を大真面目に真似してくれます。
♪天の神♪で、頭上高く手を上げて、一回まわし、その指先でkをつくり、♪祈ります♪で、しっかりもみじの様な手を組みます(本人はそのつもり、私にはそう見えます) これから暫く、この児のお守は私となりそうなので、習った手話讃美は、ひ孫を前に復習したいと」思います。
一 天の神祈ります 憐れみと祝福を
その民を一つとし 愛されるみ神よ。
二 救い主み子イエスよ 十字架と復活の
み恵に感謝して 歌いますわが主よ
三 来て下さい聖霊よ 悩むもの力づけ
傷ついた人々を 癒すため今すぐ (讃美歌二十一 三五四番)
主よ!
病の床に臥す人の上に、痛み苦しむ人の上に、 どうぞ御癒しの御手を延べさせ給え
天の神 祈ります シャローム
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神様へ H.S
神様、私は貴方のことを知る前、お金や学歴、人間、いろいろな目に見えるものが大切だという世界におりました。親、学校の先生、そして社会の中でもそのように教えられてきました。それを多く持つ人がより称賛されている中で生きてきました。自分はそのすべてのことが取るに足りなく心の中で反発しながら表面では無理やり合わせて生きている状態で、とても空しく生きていくのがイヤになりました。でも、神様を知っていくにつれ本当の幸せは私の求めてきたもの、世の中で言われているものとは全く違う別のものだとわかりました。誰でも得る事ができ、裏切られず、かたく移り変わりのないすばらしい天の御国のものだと思います。世でいうのとは反対で悲しむ者、心の貧しい者が幸いと言って下さり、ダメと思われた事が、神様は「すばらしい、良い。」と言って下さることを知る事ができました。今までのすべての事から解放され、やっと心から喜ぶことができる様になりました。すべてを支配して下さる神様がおられましたことを心から感謝いたします。
それなのにまた、古いところに帰っていく自分がいる。どこから迷っていったのかも気がつきません。苦しみの世界に入って心の中で泣き叫んでいます。神様を知りながらまちがった方向に行く者です。どうぞ神様、私のしぶとい悪を叩きのめしてください。焼き滅ぼしてください。イエス様の名により祈ります。アーメン。
自分にふさわしい仕事とは Y.S
東京ではこの頃とても寒く、もう今年一番の雪がふりました。
もー、信じられないくらい寒いのですが、徳島ではあまり体験できない「白銀の世界」に驚き、嬉しくなりました。
東京に来てはや三年。もう就職活動をする時期になりました。今時の大学生は三年生の十月からもう就職活動を始めます。就職活動を始めて、自分がどんな仕事をしたいのか考えるようになりました。
今までは、普通に会社勤めをしようと思っていてました。そこで、ある企業の「お仕事体験セミナー」(実際にその企業で働いている方の仕事を体験できるセミナー)に参加しました。しかし、そのセミナーの参加して会社に勤めることが嫌になりました。
「寝る間も惜しんで一生懸命に働いても所詮会社の利益にしかならない。」
「こういう仕事をしていてほんとうに私はしあわせかな?」
そういうふうに考えるようになりました。働くなら会社のためではなく、困っている人のために働きたいなと思いました。しかし、医療や介護の資格を持っていないので、どうしようか困っています。
この間、ホームページで乳児院の写真を見ました。産まれたけれど、親に育ててもらえない環境の子供達がこの世に居ることを知り、とても悲しくなりました。彼らもじきに大きくなり、両親に育てられなかったために「自分は誰にも愛されていない」と思うようになるのかもしれないと思うと、悲しくて涙がとまりませんでした。彼らのために何かしたいと思ったのですが、保育士の資格を持っていないので何もできないと気づきもどかしく思いました。
福祉関係の資格が欲しいのですが、経済的にも卒業後は、就職しなければなりません。福祉関係の会社か、福祉施設で事務の仕事をしたいと思って探していますがなかなか見つからず、
困っています。何か良いアドバイスなどあればぜひ教えてください。
東京ではクリスマスが近くなると、きれいに飾られた教会の看板をチラホラみかけます。それを見るとなんだか徳島の集会が懐かしくなる今日のこの頃です。
神様の導き Y.S
今年も神様に守り導かれて感謝です。二ヶ月くらい前に、引っ越しをしました。二十年ほどの間に五回引っ越しをしましたが、みな集会場に近いところばかりです。遠いところだと車を持たないわたしは、ずるずると神様から遠ざかってしまうのではないかと思い、すべてを知っておられる神様がこのように、集会場に近いところを与えて下さったことを感謝しています。
今回は公営住宅に入居できたわけですが、今までに二、三回申し込みをしましたが、ダメでした。今回は募集があることも知らなかったのですが、二、三日して、娘から連絡があって、あわてて申し込みをしました。新築なので、予想通り多数の申し込みがありました。でも、神様にとっては数は問題ではなく、御心なら与えて下さると思いました。
聖書を読んでいて、「恵みの時、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた。」第二コリント六章十二節が心に残っていましたが、本当に与えて下さるのか、半信半疑で落ち着かない毎日でした。神様を信じているだけで、うっかり忘れたり、失敗したりする弱い者をも、神様のほうでいつも覚えていて下さって、恵みを与えて下さることを特に感じたことでした。背後でいつも、主にある兄弟姉妹が祈って下さっていることも感謝です。神様のことをいつも思い生活できるようにと願っています。 会社員(中途失聴者)
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このままの姿で S.S
小さな野の花でも 主の愛を受けて輝く
あふれる主の恵みは いついつまでも
バラはバラのようにスミレはスミレのように
私も このままの姿でついてゆきます
空を飛ぶ鳥たちは 主の愛を歌いつづける
あふれる感謝喜びは いついつまでも
鷲は鷲のように 雀は雀のように
私も 主のほめ歌を歌い続ける
これは今年の復活祭で、初めて聞いた歌です。
歌詞にはないけれど、「そのままのあなたで良いんですよ」という優しい声が聞こえてきそうです。
神様のことがいまだに理解できない私にとって、この歌との出会いはとても嬉しいことでした。
祈る事もしない、前向きに歩かない私ですが、後ろ歩きのままで、時には立ち止まりながら、また、後退しながらでも、このままの姿で、いつまでもついていけたらと思います。
清らかな声で歌ってくれたお二人に、感謝です。
「バラはバラのように スミレはスミレのように 私もこのままの姿でついてゆきます」
神様の導き M.S
神様の御恵みと導きにより私の所でも家庭集会が与えられたことが今年は一番うれしい出来事です。
この夏はほとんど毎日二ヶ月間、ある姉妹が仕事の帰りに私の家に来て下さり、二人で祈るときが与えられました。その時の祈りによって私は励まされ力を与えられていたからこそできたことだと思っています。その姉妹には深く感謝しています。
私の魂が枯れてしまうことがないように、絶えず神様から流れ出てくる命の水を注いで頂き、その力によってこの家庭集会を続けていくことができるように毎日祈っています。
「神はあらゆる苦難に際して慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」(第二コリント一章四節)
家庭集会を私のような者が続けていけるかどうか悩んでいるときに、祈りながら聖書を読んでいて示されたみ言葉です。
この小さな家庭集会を通して神様の恵みの種が広がっていくように願っています。(はり師)
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今年、特に印象に残った御言葉から K.S
「起きなさい。」
マタイ九章二十二節 イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
ルカ八章五十四節 イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、「娘よ、起きなさい」。
聖書の「起きなさい。」とイエス様が声をかけてくださる。「あなたの信仰があなたを救ったのだ」と励まして下さっていること。
イエス様が立派な信仰だと認められているものにルカによる福音書七章一節「百人隊長の僕を癒す記事」またその後の「やもめの息子を生き返らせるという記事の中にも「起きなさい」というイエス様の御言葉がでています。
ローマ四章五節 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
エペソ五章十四節 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
また「死人とは」生理学的な意味にとどまらず、主を信じるにいたっていない人、病人、なども聖書では生理学的健康にとどまっていないことを今年は確信させられた一年でした。
一般に「重病」といわれるものを恐れもし、蔑視していたことを告白させられます。
自分の状態を知ることと、イエス様の御声に従っている、このこととは同時進行していることだと思わされる。
主が認められないもの高慢、それとは反対に主に憐れみを請うもの、砕かれた心、感謝、私は主に「何をしたらよいですか」と尋ねてきたように思います。しかしこれでは自分を心を砕いてはいなかった。主に聞いてはじめるならば「何もできませんが、お使いください」。でした。「何をしたらよいか、あるいは何かできるものはないか」これらの模索は自分勝手なものであって「主に聞くこと」ではないと。思わされました。
何よりも平安で奇跡で、幸いなことは救い主であるイエス・キリストに会うこと御顔を仰ぐことであったはずが、いつの間にか違うところへいってしまっていたようでした。
自分がイエス様を伝えたり、あらわしたりするのでなく、イエス様が私のようなのをでも通して現れてくださる。働いてくださる。栄光を神に帰すとは神ご自身が栄光をあらわしてくださる。乞い、願うこと、祈ることによって感謝、喜び、平安があるという基本的原点に、ただ、ここまでの自分の失敗「罪」ではなく、主がいかに助けてくださり、守ってくださったかを覚え、証し、出来たらと反省します。いかなるものを「恐れる」というのは主に信頼していない自分の不信仰の度合いであろうと思います。主が「起こしてくださり、照らして下さるように」主に付き従っていけますように。AMEN (針灸師)
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ヒルティ著「眠られぬ夜のために」の中から学んだこと H.S
無気力と倣慢(これはほとばしり出るほどの自負心と活力感である)とは、いずれも悪の霊によるものである。あなたが自分のうちにそれを気づいたならば、それがはびこらぬうちにすぐ断固としてそれから遠ざかるがよい。
神から与えられた心情、それゆえできるだけつねに持ちつづけねばならない心情というのは、自分の弱さを自覚しながらも、なお、われわれをしてすべての行動と苦難に耐えさせる神の愛とカとにすっかり信頼しきった、おだやかな感情のことである。これこそ、精神的健康であって、単なる弱気や熱病的興奮とは反対のものである。
このような精神的健康を十分に持たない時には、できるだけ行動を、たとえば手紙を書くことなども、止しなさい。そういう時には、いつでも中途半端な結果か、全然まちがった結果しか得られないものだ。ところが、とくに熱病的状態に陥ると、行動したいという誘惑が非常に強くなる。つねにそのような誘惑に抵抗しなさい。「眠れぬ夜のために・上 十一月十二日より」
この文を読んで多くのことを考えさせられました。
無気力や高慢は悪霊によって来るものであること。高慢な心で愛の業をなそうとすればかえって他者を傷つけたり間違った結果を生じさせたりするものであること。精神的、霊的健康でいるためには絶えず神に眼を注ぎ自分の弱さを知りつつも愛と力に満ちた神に信頼し聖霊をいただきながら生活することであること。それによって行動することなどです。
特に自分が高慢であることをなかなか気付かない私は多く人を傷つけてきたのではないかと示され神様との多くの豊かな交わりに生かせてくださいとの思いを与えられています。
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今年の感想 Y.T
二〇〇二年も、残り少なくなってきましたが、今までのニュースを振り返ってみても、暗い話題がかなり多かったものです。
とくに、イスラエルにおける内戦は、いまだ終わることもなく、多くの犠牲者が出ているようです。また、バリ島でのテロ事件では、日本人を含む、多くの犠牲者が出たもので、かなり衝撃を受けたものです。
一日も早く、平和の時がくることを祈りたいものです。
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み言葉 T.T
「主はわが牧者なり。」母のマジック書きの一枚の紙が台所にミレーの絵と共に貼ってあったのを思い出す。これが、わたしのはじめての聖句との出会いだったかもしれない。
次は、服部 治選、ロマ書よりの日めくりの中の「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っている。」このことばに心がひかれた。が、患難に遭うと心は疲れ果て、希望もなくなりかけた。そのとき、二〇〇一年、一月二日、夢の中にはっきりと「重荷を負う者は私の所に来なさい」の声が聞こえた。それ以来、フーフー言いながらも神様を求め、神様がいつもいて下さるようにと祈れるようになってきた気がします。感謝します。
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友達 Y.T
もう二年前の事です。私は、十年以上家族で付き合っていた人がいました。どこに行くのも一緒でした。ところが、態度が急に変わり、私に冷たくなり、背を向けたり、私の悪口を人に言いふらしたり、されました。
私は、「どうして、どうして」と言う気持ちでいっぱいになり、夜も眠られず、ご飯も食べられない状態が続きました。その時に教えてもらったのが、 マタイによる福音書六章三十四でした。このみ言葉が私の心の中にすっと入ってきました。少しは気が楽になりましたが、まだ、頭の片隅に友達への思いがありました。たまに出会ってしまうと、お互いにそっぽをむく状態でした。何ヶ月か過ぎた時に、今度は、「敵を愛しなさい」と教えてもらいましたが、私の心の中には、全然入ってきませんでした。私自身もわかろうとはしませんでした。自分がどんどん落ち込んでいき、その友達が赦せませんでした。その時に自分が罪を犯しているのに気がつきませんでした。でも、最近になってやっとその友達が赦せるようになりました。それは、ヨハネによる福音書十九章を学んだ時に気がつきました。神様は、友達を通してイエス様のみ手が私に届くようにしてくださいました。もし、私がその友達と一緒にいたら、イエス様を、いるとはわかっても信じようとはしなかっただろうし、イエス様から離れていったと思います。でも、今はその友達の事は、全然憎んでもいないし、イエス様の事を知らないかわいそうな人だなあと思います。私はその友達に早くイエス様を知ってもらいたいので、祈っていきたいと思っています。その友達と離れた事で私は、イエス様がよりいっそう身近にいることがわかりその友達にも今は感謝しています。 (主婦)
夕拝に参加して E.T
昨日から体調が悪いが今日は夕拝の日。夕方、少し良くなってきたかなと思う。
私のことを心配してくれているのはよくわかるが、すぐ信仰に牽制球を投げてくる母が「休んで集会の人に祈ってもらったら。そしたらよくなるよ」と言う。今まで言ったことのない言葉。祈ってもらったらとは…。こういうこと誰が言わせるのだろう。神様かな?
でも、「行ってくるね」と出かけた。 しんどくなったら途中で迎えにきてもらおうとも思った。
イザヤ書五十八章はそんな中でとても心に残るみ言葉だった。
私は 体調が悪いから半断食をしようかなと思っていた。 この日の学びは霊的な断食についてだった。 自己中心の罪、悪の束縛を絶つこと。少しのあいだなら簡単そうだけど、すぐいろいろ欲しくなる、自己中心は起きてくる。今もしんどいなと思ったらなかなか人のことを考えられない。
でも、このみ言葉に従えば八節以下にこんな恵みが書かれている。
イザヤ書五十八章八節~十四節まで
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し 主の栄光があなたのしんがりを守る。
あなたが呼べば主は答えあなたが叫べば「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと 呪いの言葉をはくことを あなたの中から取り去るなら
飢えている人に心を配り 苦しめられている人の願いを満たすなら あなたの光は、闇の中に輝き出で あなたを包む闇は、真昼のようになる。
主は常にあなたを導き 焼けつく地であなたの渇きをいやし 骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。
人々はあなたの古い廃虚を築き直し あなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。
安息日に歩き回ることをやめ わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ 安息日を喜びの日と呼び主の聖日を尊ぶべき日と呼び これを尊び、旅をするのをやめ
したいことをし続けず取り引きを慎むなら そのとき、あなたは主を喜びとする。わたしはあなたに地の聖なる高台を支配させ父祖ヤコブの嗣業を享受させる。主の口がこう宣言される。
霊的な断食は空っぽの私になったらいいという。
神様がそこを満たしてくださっていっぱいにして下さる。
心の闇に光がさし
私が呼べば応えてくださる
私を泉の源として潤してくださる
そしてどんな時にも主を喜ぶことができるようになる。
そんな断食ができますように。
イエス様に祈ろう。 (鍼灸師)
明けの明星 M.T
吉成(天宝堂)での家庭集会のあと、明けの明星を見る話しになり、私はその翌朝、五時三〇分に目覚まし時計をかけ、上着を着て、ベランダに出てみた。
雲の間に一つだけ、大きく輝く星を見つけた。二~三秒の間だった。
イエス様を感じた。
もう一度、もっと長く見てみよう。
聖書の最後の言葉
「主イエスよ、来て下さい!
主イエスの恵みがすべての者と共にありますように…。」(黙示録二二・20~21より)
栄光を主に帰す K.T
全ての栄光は主から与えられ、主に帰す。この言葉はよく知っているし、またそう祈る。でも実際に、私の大事にしている事が取り去られようとした時、心穏やかではない。
四月になって、いつものように夕拝に行くのでバスを待っていた。ところがそのバスが来ない。時刻表を見ると、時刻表が変わっていた。(アラララ、定時のバスがない。)いつもの時間よりも三〇分遅れのバスが一台。それでは夕拝に遅れてしまう。とりあえずちょうど来たタクシ-で行ったが、ずっとタクシ-では行けない。晴天の霹靂とはこの事だ。
夕拝を休みたいとか、やめようなどと思った事もないのにどうして? もう夕拝には来るな、と言う事なのですか? どうしてそんな事を。いろいろ思い巡らし、初めて夕拝に参加した時の事や、いろいろな事が思い出される。
ずっとずっと夕拝に参加出来ると思っていたのに…
気が動転して、思いもつかなかった事を、帰りに送ってくれた姉妹から言われて、なんという喜び、そうなんです。夕拝に参加出来るのです。前のように早めに行く事は出来ないけれど、十分ほど遅れて参加出来るのです。全くバスの便が無くなったのなら、参加は難しいけれど、定時には行けなくても、少し遅れても続けて参加出来るのです。この事を知った喜び、感謝、感謝、感謝だ。
この事を通して、今ある物は永遠にあるものではない。それはよく知っていても、実感としては湧かない、ほど遠い事だと思っていた。ある日突然に…その時の備えをしておかなければならない。今あたえられているものを神様に返す時には、喜んで返す事が出来るように、神様からのメッセージだったのかも知れない。いつも目を覚ましていなさいと言われたようだ。
神様への信頼 K.T
聖書をパッと開いてみると聖句を見つけました。イエスは、彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、「わたしは、あなたの名をわたしの兄弟たちに知らせ、集会の中であなたを讃美します。」と言い、また、「わたしは、神に信頼します。」と言い、更にまた、「ここにわたしたちに与えてくださった子らがいます。」と言われます。 ヘブライ人への手紙二章十一節~十三節
少し信頼が薄くなりかけて苦しんだり、教会へ行けなかったとくやしがったりしました。それは、キリストから離れてまるで、追い出されたような気持ちでした。それでもなぜか、祈りを続けられ、主へとの思いが大きくなりました。
どうやって神を信じ信頼すればよいのだろうか。その答えが、ある雑誌に書かれていたので驚きました。
☆イエスさまの宣言が、私達の救いとなる約束だと思いました。
「感情に頼ってはいけません。私たちのよりどころは、自分の感情ではなく、神の約束のことば(聖書)です。」
そうだったんだ。み言葉は、神からの約束の言葉でこれを守ることが神への信頼なんだと分かりました。人間関係での信頼を崩れかけても、神への信頼は、また回復へ向かって必ず私達をお守り下さり、少しずつ築き上げていくので、心から感謝しています。
これからも、もっと何事も神に感謝して生活を改めていきたいです。
信仰のうた S.N
私は毎日聖書通読を続けていることが、どうにか信者のしるしの様な不信仰な者ですが、聖書拝読の折々に感じた事を下手な短歌もどきの三十一文字にまとめて見ました。
・聖霊によりておとめは身ごもると信ぜしヨセフの清き信仰 ( マタイ一章二十節)
・神の子を育てる重荷愛に変え エジプト・ナザレとヨセフは旅寝す ( マタイ二章十三節~二十三節)
・若き日は若き悲しみ老いし日も 悲しみあれど慰め絶えず ( マタイ五章四節)
・悲しみは共に分け持つ人あらば いつしか消ゆる涙の跡も (ロマ書十二章十五節)
・喜びは喜ぶ人の喜びを共に 喜び我がものとする (ロマ書十二章十五節)
・「人の罪すべて赦せばわが罪も 赦し給え」の祈りは苦し ( マタイ六章十二節)
・「明日のこと思い悩むな明日は明日」 老後の声の繁き今こそ ( マタイ六章三十四節)
・人の愛に飢え渇く人数知れず 義に飢え渇く心求めむ ( マタイ五章六節)
・嵐吹く湖上の弟子を救わむと主は来られしも呼ばねば過ぎ去る (マルコ六章四十八節~五十一節)
・隣人は苦しむ人を憐みて 助けを与えて吾が作るもの (ルカ十章三十六節~三十七節)
・主の孤独いかに深きや神ながら 人の子となり人を愛して (ルカ二十二章四十四節~四十六節)
・「一粒の信を失うことなかれ」と 弟子を案じて御父に祈る主 (ルカ二十二章三十二節)
・十字架のイエスの復活語りつつ 道行く弟子の横に歩む主 (ルカ二十四章十四節~十五節)
・「主は何を食べ給いしか」聞く弟子に 「父の御心なすがわが糧」 (ヨハネ四章三十一節~三十四節)
・父親が「息子は生きる」の御言葉を信ぜし時に子の熱去れり (ヨハネ四章五十節~五十三節)
・「我を見て分らぬならば業を見て 神を信じよ」叫ぶ主の声 (ヨハネ十章三十七節~三十八節)
はこ舟十一月号を読んで H.N
はこ舟は私たちが生きていく上で必要な様々な問題が信仰によって提示されていて、解決が示されています。いろいろな事で迷うときの答えを見いだすことができます。
また芸術や天体についての知識を得ることもできます。
毎号たくさんのことを学びます。今月は特に沈黙の事が心に残りました。
沈黙の難しさ、神様に深く結びつくのでなければ、沈黙の姿勢はとれても心の中は騒がしくいろいろな声を発します。心は落ち着かず絶えず浮遊します。主に錨をおろして沈黙する、そしてその沈黙の中で神様へ向かう。
私たちの道は主イエス様によって、本当は単純で明確で安全に進める配慮がされていると思います。その道に帰るために沈黙が必要なのを思います。
ここに書かれているマザーテレサの言葉は沈黙のうちに聞いた神様からの啓示だと思います。 キリストの光を与えない言葉は闇を深めるだけなのです。・・・と言われています。クリスチャンである私が有用な働きをなしていくためには沈黙し、祈りのうちに聞き取ったものを発していかなければならないと思わされます。
人間関係で人と交わるときいつも言葉は欠かせません。言葉を発する精神が神様に帰属していなければ、自分の中にある雑音ばかり発してしまいます。それは闇を深めるだけとはなんという鮮やかな切り口でしょう。神様に沈黙して向かい、できなくても罪を告白してまた神様に沈黙のうちに向かう。必要なのは主とともにある沈黙なのだと教えられました。 (介護福祉士)
「自分の足で」 Y.N
今年も振り返ると神様に守られ、鍛えられ、導かれた一年でした。
また、一年を通して特に導かれていったのは、世間の中ではなく信仰の道へはっきり移っていく事です。去年まではまだそのような促しを感じなかったのに、今年は折々にそのメッセージを受けました。
特に「自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。」(ヘブライ十二章十三節)という御言葉に強く促しを感じました。温かい励ましのような促しです。
「もう世間が何かわかりましたね?自分の足で歩けるはずです。あなたの前にまっすぐな道を用意しているから選び取りなさい。」と。
神様を知らない人は、真の幸せを知りません。何か問題が起こっても、自分の感情から出た事を言うだけの虚しさ。不安なとき祈る事を知らない辛さ、神様を知らないと光はどこにもありません。
それが、世間というものだと気付きました。何が幸せか、私の頭はもう知っています。だからそっちを選びます。
ここから、また新しい入り口。入って進んでいくと、また知らなかった喜びを与えていただけると信じます。
心に残っている言葉 H.N
「愛はうばうものでなく、
与えるものである。」
「雲の中の虹」 K.N
十二月の初旬のある一日、二時間目の授業が終わった後、教室から廊下へ出ると、北の山に架かる大きな虹…。
「あっ虹だ!みんな来てごらん、虹が出てるよ!」
教室から、どっと子供たちが出て、いっせいに「わあ、きれい!」感嘆の声。しばし、一緒に並んで窓にしがみつき見とれていました。
「すなわち、わたしは雲の中に虹を置く。これは、わたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を沸き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたち、ならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間にたてた永遠の契約に心を留める。」
神はノアに言われた。
「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」創世記九章十三節~十七節
振り返れば中学二年の時、庄野英二作「雲の中の虹」という本の感想文を書いたことが、私が家庭集会に導かれ、聖書を学ぶきっかけとなりました。この時から、弱いとぼとぼ歩む信仰生活が続いています。イエス様は私のような者を一冊の書物からでも呼びかけて下さいました。以来、天と地をつなぐ虹を見るたびに神様から人間に約束された契…どんなときにも見捨てられない、信じる者を救って下さる…その約束を思い起こし、感謝と希望を持って祈り仰ぎみています。 (教師)
アケボノソウの中にキリストが T.N
九月中旬、夫と私は石鎚山と向かい合う瓶が森(かめがもり)に登山しようとした。十年前、山小屋に泊まる準備までしていたが、台風で行けなかった苦い経験がある。当日、松山では晴れだった。瓶が森林道を通りかかると、霧が深くなり、ライトをつけた。
その日、瓶が森マラソン大会があることは知らなかった。登山口まで車は行けない。ということがわかり四キロメートル手前に車を止めた。マラソン用に道路の両側に草木が刈られてある。その中に今まで見たことのない花、近づいてみる。霧のせいかまだ生気がある。花も茎もしっかりしている。
「え、まさか、これ、図鑑で見てたアケボノソウ」「うわっ きれい」しばし沈黙。
創造の神様がよっぽど念入りにおつくりになったのか、全体が薄い黄緑色、花は白、紫色の斑点を夜明けの星空に見立てて名をつけたという美しい名前だ。
見れば見るほど端正、キリストご自身だと思わされた。瓶が森登山からはアケボノソウは見られなかった。偶然でもあり必然でもあった。神様が背後にいてチャンスを待っていてくださったと思うと感謝の思いで一杯だ。
あまりにももったいないので、帰りに、刈られていたアケボノソウをもって帰り、ドライフラワーにすると香りが楽しめる。眺めるたびに初めて見た時の胸の高なりを覚えるのです。その上、ホソバヤマハハコも見つけました。ダブルラッキーでした。
ここも神の
二 ここも神の みくになれば
鳥の音 花の香 主をばたたえ
あさ日 ゆう日 栄えにはえて
そよ吹く風さえ 神をかたる
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聖書を学んで Y.H
私が初めて藍住の集会に参加させていただいたのは二〇〇〇年の四月。
始めて学んだ箇所は、創世記6章。カインとアベルのお話の中に、神様は「どこにいるのか」とカインに尋ねられました。それは、カインに尋ねられた言葉なのですが、私に尋ねられている言葉でもあるように思いました。
その当時、私の心はさまよっていたのです。神様がそれを見て呼び止められたのです。「わたしはここにいるのですよ。」と。聖書の中に真実がある。神様から私に送られた愛の手紙。そして、その中には今までどうしても理解できなかった疑問への答えがありました。
十字架、愛、福音、王の王、聖霊、賜物、ささげもの、復活、御手…
最初は本当にわかりませんでした。一応に聞いてきた、何度か耳にした言葉なのですが、そして、理解していたと思っていた言葉なのですが、本当の意味は理解できていなかったのです。その意味は私が思っていたものとはまったくちがったものでした。
私が生まれる遥か二〇〇〇年も前、イエス様は私の罪のため身代わりとなってくださった。それは大きな驚き、感動、言葉や文章では決して言い表す事が出来ないほどです。聖書を学び始めて神様と静かに向かい合う時間、とても、素直な自分になることが出来ます。そして、静かに本当の自分と向き合います。
ところで、もうひとつイエス様からの大変な宿題があります。「隣人への愛」です。まだまだ、信仰の入り口に立っている今の私です。
今日は、美しいメロデイーとともに、この歌を賛美しています。
♪ 主イエスの十字架の血で 私は赦され
御神と和解をして 平安を得ました
だから今すべての悩みを ゆだねよう
主は心の平和を満たして くださる
リビングプレイズ六「主イエス十字架の血で」
十字架に学ぶ T.H
「この人を見よ」この人こそ王だ。
主の主、王の王。
今も生きておられる救い主です。栄光が輝く王です。
私達の罪の為に贖って下さった。
それも神様のご計画の中にあり、主イエスキリストの大きな愛に感謝します。
主を愛し、主を信じ、主を見つめて従っていく、共に歩むことができます様に。
真理は何か、イエス様御自身でありあらゆる人に良きものとなる。
愛の心も真理である。支配者キリストである。
「成し遂げられた」実現する。完成する。完全にする。神様のご計画が完全に終わった。最後の最後まで苦しめられ、私たちのため贖って下さった。それも、すべてを見抜いた神様のご計画であった。
主イエス・キリストの御名を讃美いたします。
忘れられない聖句 T.B
聖句は何れが良いと言う事が出来ない、すばらしい心の支え、救いです。
最近、医者からC型肝炎と言われた夜、神様に祈りました。その時思い出した聖句がつぎの言葉でした。
「だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカ七章四七節)
神様に祈る愛が足りない自分を感じました。そしてすぐ、
「主はわたしたちに与えられた分です。」(詩編一一九編五七節)
この文が心にきました。でも御言葉を守ることが出来てない事を指摘された思いです。心して生かせて頂きたいと思います。目の手術をしていなかったら、知ることなく、これも神様の憐れみと感謝です。
ある学びから M.F
十二月のある聖日、土佐病院長、K.S兄が、講話をして下さいました。
塚本虎二…「断片録」を引用され、とても興味深く学ぶことができました。内容を紹介します。
「私の読書哲学はこうである。本を買わず、また読まずに、本以上の真理を握り得る人が上の上である。本を買っただけで、これを読まずにその本を卒業する人が上である。金を出して買って、時間をかけて読んで、やっとその本が解る人が中で、凡人である。買って、読んで、それで解らぬ人が下。買っただけで読まず、ただツン読をする人が下の下。買いもせず、読みもせず、しかも解りもせぬ人が下の下の下である。」
下の下の下の人がふとあるとき、上の上になることも考えられるし、ありうること、この短い文章の中で多くのことを考えさせられました。まず、自分はどこに当てはまるのかということ、下の下の下の人が上の上になるとき、神様はどのような働きをされるのだろうかなど、思いは果てなく続きます。信仰というものは、人それぞれでいい、能力、身分、学歴など何も関係なく、全ての人に平等に神様から与えられたものを感謝して素直に受け取ればいい、と言ったようなことを話され、私自身、ホッとしましたし、とても共感できました。マルコ福音書十章二十九節~三十一節も示されました。
「祈の友」の会の主幹、K.I兄が「祈の友」誌十二月号の巻頭文に祈りについて書かれています。「何よりも祈ることが出来て感謝です。まず、祈ることが出来るのです。」…と。
一年間を通して、祈ることの大切さ、執り成しの祈りの輪があることを体験することができました。これもすべて、聖霊によるものと思います。集会の時など、人前で祈ることはとても苦手ですが、朝起きて祈るとき、祈りたい人のお名前を紙に書いて、できるだけおひとりおひとりを覚えることにしています。
十二月にT.M姉の娘さん、E..K姉が加えられました。
主の恵み K.S
明けの明星の輝きは、時としてタイキンギクの花びらに似ている。
この様々なできごとの結末は、どうなっていくのでしょうか。
主に出会わなかったら、とても心の平安はなかったでしょう。
主と共に歩む。私なりに。
今年は主と出会った年。主に感謝。出会わせて下さった方々に感謝です。
「神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださるので、私たちも神から頂くこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(Ⅱコリント一・4)
思い出 M.F
其の後に生まれた二男が四十六歳ですから、その少し前の話になります。住所は徳島市北前川四丁目でした。すぐ近くに、徳大工学部の確か助教授でした、M.O、Y御夫妻のお住まいがあり、黒崎幸吉先生が伝道のために御来徳の折りなど、宿舎として用いられました。
年齢が近いせいもあり、Y姉とT.K姉と私の三人で、家庭集会を持とう、ということになり、夜の集会が始まりました。
その頃、聖書は文語体で、漢字はすべてふりがな付きで、讃美歌も昭和六年(一九三一年)十二月印刷発行の古いものでした。
第一回はO様宅で、ルカ福音書第一章の輪読からはじめました。三八節「視よ、われは主の婢女(はしため)なり。汝の言のごとく、我に成れかし」の箇所に来た時、このみ言葉は、私の全身を貫きました、としか表現のしようがない不思議な感覚でした。そして、心の奥深く刻み込まれて、現在に至っております。
その後、Y姉はご主人の転勤で、九州へ移られ、四十歳前後で天に召されました。K姉は九大病院までお見舞いに行かれ間に合いましたが、病院宛に出した私の見舞い状は宛名人不明の付箋が付いて戻ってきました。その後に、M.O兄から奥様の病気について詳しいお知らせをいただきました。ご自宅での集会の度にY姉がオルガンで讃美歌を弾いてくださったお姿が忘れられません。そして、信仰について、信じることと共に、仰ぐことも大切だと、ご夫妻でよく話し合われたことも、今では忘れがたい貴重な思い出となりました。
今年は第二十九回キリスト教四国集会(無教会)が六月十五日、十六日の二日間、徳島市眉山会館で、また、八月三日、四日の二日間、京都桂坂ふれあい会館で近畿地区無教会キリスト集会があり、私も出席を許されて、多くの兄弟姉妹と共に、御名を讃美する事が出来、感謝に溢れております。
この一年をふり返って K.H
この一年は、私にとって試練の年でした。今まで生きて来たすべてが崩れ去って倒れてしまった。…そんな思いでした。生きる目標を見失ってしまい、死にたいとさえ思いました。集会に参加していたので負けてはいけない、負けずに起き上がろうとしては、試練に負けてこけて、また起き上がろうとしてはこけて何度も何度もこけてしまう、そんな状態です。
こけて悶え苦しんでいる中で兄弟、姉妹の力をたくさんお借りし、また、病院の力もお借りし助けていただきました。それでも、何度も何度もたたかれるのです。
でも、その度に自分の罪を教えられるのです。それほどまでに傲慢で、学んでいながら本当の神様を知らなかったからなのです。二〇〇一年には姉の病気を通し祈りの大切さを教えていただいていたにもかかわらず、自分で祈ることをせず人に頼ってばかりいたことも知らされ、自分で祈ることを教えられました。今まで正直に生きていなかったことも知らされました。
二〇〇二年の試練は神様からのプレゼントでありご計画であったのだと、今は感謝出来るようになり、心にも平安が宿る日々になりつつあり、神様もみえるようになってきました。
共に苦しんでくださった兄弟、姉妹にも感謝の気持ちでいっぱいです。
兄弟、姉妹、そして神様が共にいて下さらなかったら、立ち上がることができなかったでしょう。いつも共にいて下さる神様を忘れないように生きていくことが出来ますようにと願っています。マラナ・タ (塾講師)
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天宝堂集会にて T.M
心に残った言葉がありました。ヒルティの「眠れぬ夜のために」の中で、「どんな大きな成功にも神は必ず一滴の苦みを添えずにはおかない。それがあなたを損なうことのないために。」と書かれてありました。心にストンと入った言葉です。
私がいやだなと思う人も、不快な事柄も、神様が私を損なわないために、私に与えて下さった一滴の苦みだったのだ。こんな苦みですんでいることに、神様にありがとうです。そしてそれ以上にすてきな仲間に豊かに出会わせて下さったいることに気づきました。
神は愛なり
み言葉 Y.M
印象に残っている聖書の言葉を書きます。
あなたがたには世で苦難がある。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしは既に世に勝っている。
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主よ、あなたのまなざしは誰に。 大阪狭山聖書集会 S.M
主は言われます。
「虐げに苦しむ者と
呻いている貧しい者のために
今、わたしは立ち上がり
彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
神様は苦しむ者を見つめておられる。
その呻きを聞いていてくださる。
神様だけがその苦しみと痛みの深さを知り、
神様だけがその人を立ち上がらせてくださる。
だから、そのことだけを伝えよう。
「神様はあなたを見ていてくださる。
あなたの辛さを知っていてくださる。
神様だけがあなたを救ってくださる。
あなたが神様を呼び続けるなら、神様は必ず答えてくださる。」と。
主の仰せ(言葉)は清い。
土の炉で七たび練り清めた銀。
神様の言葉は変わらない。
ああ、いついかなる時も、すべての人に約束された
清い清い救いの御言葉。
主よ、あなたはその仰せ(言葉)を守り
この代からとこしえに至るまで
わたしたちを見守ってくださいます。
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変化の年 大阪狭山聖書集会 H.M
今年は、会社が変わる、単身赴任で東京へ行く、と私にとって大きな変化のある年でした。しかしこういうことはある程度予想していたことで、人生、何事もなく平々凡々と終わるはずはないと、どこか心の内では思っていました。
現実になってみて、これは確実に神様の導きであると思えたのは幸せでした。もちろん全く新しい職務、それをこなすには新規に学ぶことが多く、記憶力等に衰えを感じだした昨今、自信は全くありませんでしたが、それでもなお、なんとかやっていけると思えました。
今まで橋を製作する仕事に30年あまりたずさわってきましたが、新しい仕事は国際標準規格ISO審査員で、様々な会社の環境システム、品質システムの審査をすることです。特に環境については、今この地球という閉ざされた世界の中で、人類の滅亡を防ぐという視点での取り組みが非常に問題になっていますが、このような仕事に人生の後半にたずさわれることを嬉しく思っています。
東京での聖日礼拝は日永様の家庭でなされている日永聖書集会に参加させていただいています。場所は町田市で、千葉に住んでいる私のところからは2時間近くかかります。しかし聖日を兄弟姉妹と守ることは非常に重要なことだと思います。日永様ご夫妻は旧知のように暖かく迎えてくださり、帰省で欠席したときには必ずその日のテープを渡してくださり、現在学んでいる創世記の学びに空白が出来ないように配慮してくださいます。
今まで大阪聖書研究会、大阪狭山聖書集会、そして徳島聖書キリスト集会以外には参加したことがありませんでしたが、それらとはまた違ったキリスト中心の集会のあることをも知らされています。
現在なんとか新しい職務をこなしていく目途がつきましたが、時がたつにつれて忙しさが増加し、全国各地の出張の多い職業なので、その点が気がかりです。
そんな中でも、今回の転職は、神様が与えてくださった素晴らしい機会だという思いを忘れずに、残り半年余りの単身赴任生活を送りたいと思っています。
なんと美しい老いの日々 大阪狭山聖書集会 M.M
「なんと美しい思いでしょう!」と、今年の四国集会での自己紹介を聞きながら、安らぎを覚えました。ある姉妹が近況を話されていた時、「一つずつ神様にお返しして行く老いの日々」と言う表現をしておられました。とっても嬉しかったです。走って行って、握手を求めたいほどに感動しました。日頃から、持てる物を神様に感謝する心がなければ出てこない言葉だと、ともすれば忘れがちな私はそう思いました。「そうなんだ、お借りしたものはお返ししなければ・・・。」私たちが持っているものは全て、神様が貸してくださっているのですもの。
昨年の夏の終り頃の事、なだらかにではなく、段階的にがくっと老いを感じました。漢字が書けない、思い出せない。英語の単語が全然思い出せない、スペリングを自信を持って書けない。話していても、言葉や名前が出てこない。パソコンに入力するのが遅くなった、間違いが極端に多くなったと言う苛立ちにも悩まされました。また、自転車に乗っていて、急にバランスを崩して、細い道の茂みに倒れこんだり、五〇センチぐらいもある深い溝に自転車もろとも転がり落ちたり、平坦な道で倒れたり、坂をフルスピードで降りてこられた人と正面衝突して、自転車から投げ出されたり、荷物を持って歩いていてこけたり、階段から滑り落ちたり、至る所に青しゅみを作っていました。あらゆる能力が衰えている、と感じていました。それらの事を経験される人々は多いでしょう。
でも、とても驚いた事は、十年近く、毎週、ハウスキーピングのために通っていた、学校の先輩の家でのこと、仕事を終える十分ぐらい前から、我が家の玄関に辿り着くまでの約一時間二十分~三十分位の間が空白で、どうしても思い出せなかった事です。仕事も尻切れトンボのように終わっていたようです。最後に洗う雑巾もバケツにつけたまま、生ごみも袋に入れてぽいとおいたまま、洗濯機にタオルを入れて、最後にスタートを押すばかりにしたままだったそうです。そして、恐ろしい事に、鍵も掛けずにどこをどう歩いて駅へ行ったのかも分かりませんでした。勿論、いつもの道を通ったに違いありませんが、電車に乗った記憶もなく、いまだに思い出さないのです。自分の家のドアの鍵穴に鍵を差し込んで回すという動作をした時に、「えっ?」と思い、背筋がぞーっとしたのです。「鍵を掛けたかしら?」恐ろしい経験でした。
いろんな能力が奪われて行くのは当然のことで仕方がない、と思いました。良い事だけでなく、私にとって望ましくない事も、神様が良い目的をもって与えてくださっているのだと言う事を教わって以来、どんな事も喜ぼう、どんな事も感謝して受け入れたいと思っていました。ですが、その時は、どう喜んだらいいのでしょう、と思いました。で、今は、まだできることが沢山あることを喜ぼうと思いました。今はまだ、大きな支障もなく生活させていただいていることを喜ぼうと決心しました。それでも完全に心に平安があったわけではありません。幽霊のように、時々不安が忍び寄って来たものです。でも、四国集会のあの日、その姉妹のお話を聞いていた時、心にすうっと平安が広がって行くのを感じました。「年だから仕方がない」と悲しいけど諦めるより、今まで貸していただいて、使わせていただいてありがとうございましたと神様に一つ一つお返しして行く事の方がずっと素敵、と感動しました。
神様が一人の姉妹を用いて、私が今とても必要としている事がぎっしり詰まった詩を送ってきてくださいました。
最上のわざ (ヘルマン・ホイヴェルス「人生の秋に」より)
この世の最上のわざは何?
たのしい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうなときに希望し
従順に平静におのれの十字架をになう
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても
ねたまず
人のために働くよりも
けんきょに人の世話になり
弱ってもはや人のために役立たずとも
親切で柔和であること
老いの重荷は神の賜物
古びた心にこれで最後のみがきをかける
まことのふる里へ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはずしていくのは真にえらい仕事
こうして何もできなくなれば
それをけんそんに承諾するのだ
神は最後に一番よい仕事を残してくださる
それは祈りだ
手は何もできないけれど最後まで合掌できる
愛するすべての人のうえに
神のめぐみを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声をきくだろう
「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。
一つ一つ感謝して神様にお返ししていっても、最後に一番よい仕事を残してくださる事は大きな恵みです、喜びです、感謝です。
集会に参加して M.Y
集会では、じーんと心に響くお話を聞かせて下さり、感謝しています。言葉によって人は励まされ、時には傷つきます。娘はある言葉によって死ぬということもありえると言いました。
また、瞳をキラキラと輝かせて語られるのとは反対に、冷たい視線は人の心を深く傷つけます。
神様の光を浴びながら生活をさせていただくことのありがたさ、美しさ、尊さを失うことなく日々生きていけたらと思います。私個人はとても弱い人間ですが、心の中にゆとりを持って、何があろうとも全て神様の中にあることを忘れずに生きていきたいと思います。
忙しさの文字に追われることなく、何が一番大切なのか、本当に大事なのは何なのか、常に自分の心に問い続けていきたいと思います。
強さを少しでも身につけられるよう、継続できる力を持ちたいと思います。(思うことばかりですが、必ず実行へとありたいものです。)
徳島市南田宮の徳島聖書キリスト集会の集会所、Tさん宅の集会所、Tさん宅の集会所、美容サロン・Rさん宅の集会所…美しい空気の流れと人の心の透明さ。そこには常に神様の御心が感じられます。一人でも多くの人にこの澄んだ空気が届きますことを願います。
讃美堂集会に参加して K.Y
この一年の交わりと祈りに感謝します。昨年、心身ともに疲れ果ててしまい、主に対し「私の魂と体に少しばかり休みを与えてください。」と祈り、また主はどのように歩まれたいのか祈り求めていたところ、讃美堂(海部郡海南町)へと導かれ、集会にも参加させていただくこととなりました。体調が悪く「次の集会は休もう」と思いつつも出かけられたのは兄弟姉妹の祈りと、主へと聖別され、熱心な人たちの顔を見ることが私にとって慰めであり、励ましであったからだと思います。
以前、キリストの証人とは「キリストの何かを語っているから証人なのではなく、その人そのものが証し人でなければならない」と聞かされたことがありますが、正にその通りだと思います。
また、色々な植物についても教えていただき、集会に行く途中にも車から「あれは先週教わった花だ。あそこにもここにも」と目に留まるようになり、以前にもまして野の花が好きになれたのも感謝でした。
これらすべてを与えてくださった主権者であり、源であられる主を讃美し、その表現である兄弟姉妹を讃美します。 (高知県)
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光と闇 T.Y
この世に、闇があるということは誰でもわかります。新聞紙上にも毎日そのような闇を思わせる事件が国内でも世界的にも生じています。
環境問題、政治や社会的な混乱や戦争、食料問題や飢え、人間の精神的な弱さと堕落、資源問題、貧富の差などなど、はてしなく解決困難な問題があり、知れば知るほどその解決の困難を思わされるものです。
これは現代だけでなく、少し冷静にふり返ると、過去にもそれぞれ大変な問題がどこにおいても見られたことに気付きます。現代はとくに情報がきわめて多いためにことに現代に問題があるように見えますが、少し調べるなら、じつは世界のどこをみても、いつの時代にも戦争や貧困、病気の苦しみ、自然災害などによる苦しみや困難はあふれるように生じていたのがわかります。。
こうした闇を前にして、だから、キリスト教でいうような愛の神がいないのだと結論する人も多くあります。しかし、もしそうした真実と愛に満ちた神、万能の神がいないと信じるとき、この世は悪が勝利するということを信じることになります。それこそ、さらにその人の心に闇を深めることになるでありましょう。
そのような神が存在しないとは、すなわち真実な愛や正義も存在しないということにつながっていくからです。キリスト教の神とは、そうした真実や愛、正義の根源だからです。
他方、そのような闇のただなかに光を啓示されて、そうしたあらゆる闇のただなかで光が勝利していることを確信するようになる人もいます。ひとたびその光を魂の奥深くに実感するとき、周りがいかに神などいないという人が多くても、神がおられることを確信するようになります。それは、あるかないかわからないけれども信じているというのではなく、光を魂のうちに実際に見るからです。
聖書に「光は闇のなかに輝いている。」(ヨハネ福音書)
これを書いたヨハネは実際に、闇を深く見ていた人であった、しかしその闇のただ中に輝く命の光を霊の目で見ることを許された人であったのがわかるのです。そしてそのことはいかなる出来事にもまして魂を動かすものであったし、主によってそれを冒頭に記すように示されたのだと思われます。 それは命の光であるゆえに、この光を見つめて歩むときには新しい力を与えられ、物事の本質を見抜くようなまなざしも与えられることになります。
「民族は民族に、国は国に敵対し、戦争や地震、飢饉のうわさを聞く、多くの人の愛が冷える…」(マタイ福音書二十四章)と主イエスは二千年前に言われました。しかし、これはそんな大昔の言葉とは思えないほどに、現代においても切実な問題となっています。
人間の個人の力でそうした地球規模、人間の本質に関わる問題に関わろうとしてもその志が真剣であるほどに、絶望的にならざるを得ないでありましょう。
そのような希望の持てない闇のただなかに、神は光を与えて下さっているのです。それがキリストの福音であり、聖書はそうしたメッセージに満ちた書物だと言えます。
闇が深ければ深いほど、光も強く感じると同様に、神の命の光もいかにこの世が暗くあろうとも、それによって決してうち消されない光を、信じて求める人に与えて下さるのです。
ミルクを注ぐ女・こころよ E.Y
結婚して以来健康だったわたしが、思いがけなく病を得、去年二ヶ月程入院しました。
自由な時間を与えられ、いろんなことを回想し、考えました。そうした中から、書いてみます。
「ああ、こういうことだったのか!」一枚の絵を通して、私に示してくださったことは。三十歳位だったと思うのですが、フェルメールの「ミルクを注ぐ女」を見ていて、不思議な感覚にとらわれました。女性の
注いでいるミルクの音が聞こえてくる、ミルクの香りが台所中にたちこめてくる。ミルクは注がれても注がれても、尽きることが無い。永久に注がれ続ける。
突然、家庭の仕事の大切さ、素晴らしさ、神聖さを知らされたのでした。
徳島には、親戚も、友人も、一人も無く、三人の子供の世話と家事の毎日、どこの家庭も同じでしょうが多少の差こそあれ世界の縮図のようなところがあり、平和だけではありません。また、もう少し世間を知らなくていいのかしら?視野が狭くなるのでは……等、焦りのようなものもありました。
でもこの時から、そうした思いは消えました。
この「ミルクを注ぐ女」を初めて見たのは、中学生の時でした。学習雑誌に載っていました。その頃は、人物画には余り関心がなかったのですが、何故か心に残っていたのでした。そして,二十数年後、天来の
メッセージを運んでくれたのです。
「修道女(むすめ)たちよ!服従の生活の中で精神的でないことにたずさわっていても、絶望してはいけない。もしも、あなた方の仕事が台所のことだったら、こういうことを忘れてはいけない。つまり,鍋やフライパンの中にも、主はいてくださるのだということを!」(アビラの聖テレサ)
かなり小さい時から、キリスト教に惹かれていました。何故なのか、自分でもよくは分らないのですが、このようなことを覚えています。家の近くに三井・山野病院というのがありました。当時としてはかなり大きな病院でした。そこの小児科の先生が時々家に来られていました。クリスマスになると、福岡のデパートから弟と私にチョコレートを送ってくださいました。当時、チョコレートはとても珍しく、弟と二人で喜んだものでした。あるクリスマスに、チョコレートと一緒に壁飾りも送ってくださいました。円い石膏の聖母子のとてもきれいなものでした。マリアさまが赤子のイエスさまを抱かれたもので、青い衣の姿が今も浮かんできます。あまりきれいだったので、弟と絵に描きました。
チョコレートは勿論嬉しかったのですが、あの青い衣のマリアさまと赤子のイエスさまの石膏はもっと大切なものでした。こうしたことが、キリスト教に導かれるための最初のきっかけではなかったのでは?と思います。時々、今どこに居られるか分らないのですが、思い出の中の先生に、心の中で感謝の気持ちを申し上げています。
こころよ
こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行っておいで
入院中のベッドでこの八木重吉の詩を読んだ時、イエスさまが私に語りかけて下さっているように思いました。わたしの弱さをご存知のイエスさまだからこそ、まっすぐに、一直線に主の方だけを見つめられないわたしに、自分のしたいことをしていいのだよ、道草を食って少し遊んでおいで、わき道にそれて珍しい草や木の実を探しておいで、……。
でも、イエスさまは、必ずわたしがイエスさまの許に帰ってくることを信じてくださっています。私以上にわたしの弱さをご存知でありながら、必ず心を入れかえて帰ってくると。イエスさまの深い御愛を感じます。
あとがき
この文集は、私たちの集会関係の人だけでなく、「はこ舟」の読者の方々も含めて、同じ主にある兄弟姉妹としての誌上の交流を深めるため、そして互いに学び合うため、さらにそれがまだキリストを信じていない人たちへの証しともなるようにとの目的で作られています。
「神は、この石ころからさえアブラハムの子を造り出すことができる」(マタイ三・9)と記されています。どのような短い文も、また文章のつたないものであっても、ひとたび神の御手がそこに及ぶときそれは大いなる働きをすることができます。
病気の人も元気な人も、文章のよく書ける人書けない人、年齢のさまざまの人、住んでいる地域、職業なども変化のある人たちが、キリストの名によって一つに集められてたがいにその心にある一端を述べてキリストの枝であることを自覚し、ともに主にあって歩んでいけたらと願っています。
今回も、原稿用紙などに書かれた文のパソコンへの入力や校正には、集会に参加しておられる次の方々のご奉仕によってなされました。記して感謝します。(校)は、入力とともに校正も担当された方々です。
E.I(校)、I.K、T.K、K.K(校)、S.S、K.S、Y.T、K.T、H.N(校)、Y.H、T.Y(校)、E.Y(校)(T・Y)
野の花 第十六号 二〇〇三年 一月十五日発行
発行所 〒七七三-〇〇一五
小松島市中田町字西山91の14 徳島聖書キリスト集会
電話 〇八八五三-二-三〇一七
以上で、2003年度 野の花(文集) 終わり。