野の花 |
私の愛読書 スパージョン 地の果の全ての人々よ 私を仰いで救いを得よ。 (イザヤ書、45章22節) 今年2010年5月に行われた四国集会主日礼拝にて力強いメッセージされた吉村さんの上に記したみ言葉とその中で取り上げられたスパージョンのことが心に深く入ってきた。 主を見るだけで救われると言う単純明快なみ言葉に出会えただけで「私は誰よりもラッキーなやつ!」との感動で胸がいっぱいになった。 そして、罪の問題で苦しんでいたスパージョンが神様の不思議な導きで吹雪の日、たまたま入った小さな教会で、上のみ言葉に出会い語り手のメッセージと彼への呼びかけによって人生の方向転換していくプロセスが深く印象に残った。 (その内容は「いのちの水誌2010年5月号に載っています。」 そして 四国集会の終了したあくる日から手元にあったスパージョンの「朝ごとに 夕ごとに」を手に取るようになった。 この本は今から20数年も前に信仰の友からプレゼントされた物(点字本で12巻)でした だいた当初1年あまりは日に日に読んだ記憶があって当時も私の霊的な糧になってくれていたと思うけれど いつしか読むことから遠ざかってしまっていた。 今、日ごとに開くページには宝の山…。 深い真理を知らされて世界が開けた感を与えられる日もあれば、自分の罪深さを自覚させられ、悔い改めに導かれることもあり、今はまだ実現してはいないけれどかなら ず神様が果たしてくださるみ約束の数々に一瞬にして高みに引き上げられたような喜びに満たされることもある。 弱い信仰を責められることもなさらないイエス様の愛と優しさに包まれて深い平安と感謝に満ちる時もあれば恐れを捨てて強く雄雄しくあれとの勧めによって力が漲ってくるのを感じるときもある。 そして、日常生活に起こる様々な出来事に怒りや悲しみなどの感情に襲われるときもその時ゝの感情に不思議なくらい適切に与えられる短い言葉によって救われることも少なくない。 本をいただいてから20数年を経た今、若さも健康も物質的な物も少しずつ減少してきた今、私の霊を養うために神様がもっとも必要な物として備えてくださっているのかもしれないと思わされている。 神様によって、本を贈ってくださった主にある友によって、吉村さんのメッセージによって、真にスパージョンに出会えたこと、感謝。 |
S.K 最近身元不明の自殺者や生き倒れて死亡する人等、無縁社会の中で孤独死する人々が年間3万2千人以上にも達するとの事である。病死、事故死、災害死とは別のカテゴリーに分類され、新しい死と言われ“無縁死”とも言われている。 誰にも知られず、引き取り手もなく亡くなっていく人々には地域や社会、親戚や友人と言う地縁・人縁の絆を失っていった現代人の悲惨な実態が報道されている。 さらに全国の都市部では現在住民記載台帳の記載住所に居住しておらずその後の行方もつかめない高齢者の生死不明者が広がっている。各地の自治体では行方不明者を記載台帳から削除すれば高齢者の把握や保護が困難になるとして住民台帳から今まで削除してこなかった。そのため家族の届け出がない場合死亡後数10年経過しても生存者扱いになっている始末である。 坂本龍馬より12歳年上で文政7年生まれの人が戸籍上生きていた報道に思わず苦笑した事例もあった。毎年厚生労働省も日本人の平均寿命を誇らしく発表しているがこの様な自治体のずさんな戸籍管理では本当に長寿大国なのか疑わしくなる。 その一方で親の育児放棄や児童虐待、校内でのいじめ、中高年の自殺者は一向に後を絶たずむしろ増加傾向にある。 市民からの通報が入り自治体や児童相談所の係官が通報先の家族に面談して事情を聴き疑念が生じても、その家族や保護者には個人情報保護法の制約のため十分な聞き取りができないし、該当者への面談を拒否する例がほとんどである。 そのため行政は踏み込んだ対策が取れず家族や保護者の言いなりになってきた。そしてお年寄りや子供に救済策が 施せず痛ましい事件となってから初めて問題視される有様である。早急に該当者の保護を優先した確固たる法整備が急がれることは言うまでもない。 将来を担う地域の子供達に周囲が関心を示さず、長く社会に貢献してきた高齢者に居場所がないような社会現象が日本のあちこちで起きている。その様な国が世界に名だたる経済大国・先進国と言えるだろうか。およそ子供や老人を軽視し顧みない国は真の文明国とは言えない。そのような国はキリストの愛からほど遠い国でもある。日本はキリスト教徒の人口が1%に過ぎない。それだけ聖書に接する機会が少ない人々で構成されている現代社会では日常的に博愛や人権と言う普遍的な思想に基づいた思いやりが弱者や隣人へ行き届かない傾向がある。 しかし私たちには今から2千年前に自らの命も顧みず、先ず弱い立場の人々に寄り添った罪とは無縁のイエス・キリストの姿があった。その人の愛とその溢れるばかりの賜物によって私たちも生きることができた。 愛なき喧騒な無縁社会に在って、私たちにも孤立したお年寄りや子供達に眼差しを向けやさしく声をかける事は出来る。 キリストが今も尚お示しになる働きかけを決して見過ごしてはいけない。地域社会に住む私たちの心の中に神の国が少しでも宿るように、そしてキリストに結ばれた社会が実現するよう確かな希望を抱きたい。キリストとの絆があれば孤独な無縁社会に住む事はない。不安も恐れもない。いつも私たちの側にいて下さるからと感謝して祈りたい。 高知市 |
D.Y 主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。 主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、 主よ、だれが立つことができましょうか。 しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。 わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。 そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。 詩篇130・1~5 神のみこころに添うた悲しみは、 悔いのない救いを得させる悔改めに導き、 この世の悲しみは死をきたらせる。 コリント人への第2の手紙7章10節 これまでの人生の歩みを振り返るとき自ら恥じることのみ多いことを感じます。 この自分ではどうすることも出来ない罪をイエス様が負ってくださり、恵みのうちに日々守られ生かしていただいていることを思うと感謝はあふれます。 弱い足ですが残る人生を罪に足をとられないように十字架を見上げて歩ませて頂きたいと思います。(東京都八王子市) |
息子の心 T.Y 神はみこころのままにあなたがたのうちに働いて、志を立て(建て)させ、事を行わせてくださるのです。ピリピ2章13節 私の息子の名前は、この聖句から、建志とつけました。 息子は今、保育園に通っています。 お友達との関わりも増え、子供社会もなかなか大変だなぁと思う出来事が増えました。 お友達との関わりの中で、うまくいかないことをたくさん経験し、相手を思いやる気持ちを育んでくれたらいいなぁと思っています。 そして最後は、神様が息子の心を良き道に導いて下さるといいなぁと思っています。(千葉県) |
スカイプ集会に参加して T.Y 今まで、16年間、日曜の礼拝だけは、定期的に参加していました。これ以外の集会にも参加したかったものの、時間の影響もあり、困難な状況が続いていました。ところが、ついに、新時代を迎えることとなりました。昨年の11月から、スカイプによる通信実験を始めました。会議通話の魅力を感じ、多くの方との通話を重ね、離れた所から、集会に参加できないかと思い、祈りつつ、訓練を重ねてきました。 記念すべき、初の実験が、2月23日の夕拝で実現しました。聖書も、暗唱個所でもある、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7章7節)でした。実験も成功したもので、地域を越えて、ともに参加することができました。録音では得られない感動を覚えたもので、双方向の威力を感じました。 この後も、いくつかの集会があったものの、ソフトの問題もあり、しばらくは、音声のトラブルが続出していました。今では、ソフトの改善もあり、メッセージも聴こえやすくなりました。 これからも、時間の影響がなければ、多くの集会に参加し、聖書を学んでいきたいと思います。 徳島市 |
T.H 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書十二章二十四節) だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。(ヨハネによる福音書三章五節) わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネによる福音書十五章五節) 古い自分を捨て(死んで)、御霊によって生まれかわり、そして主とつながっている。そうすることにより多くの実を結ぶことができる。これからも主とともに。 (会社員) 徳島市 |
T.N 「告白を神へのいけにえとしてささげ いと高き神に満願の献げ物をせよ。それから、私を呼ぶがよい。苦難の日、私はお前を救おう。そのことによって お前は私の栄光を輝かすであろう。」詩編50:14~15 ここに出てくる「告白」とは、なにを指すのでしょうか。 旧約聖書のレビ記を読むと、おびただしい数の行動規範と掟が定められていて、その掟を破って罪を犯してしまったときに為すべき、神様に許しを乞うための振る舞い、捧げ物の供え方、いけにえについての決まりが細かに記されています。 罪を贖う儀式として「焼き尽くす献げ物」、主をなだめる「和解の献げ物」、過って主の戒めに違反し禁じられていることをしてしまった時の「贖罪の献げ物」、主にささげる奉納物を過った時の「賠償の献げ物」、願望がかなったときに捧げる「満願の献げ物」。それらの捧げ方の作法も、微に入り細に入り決められています。 私は長いこと、罪というのは道徳的に、また人道的に悪いことをすることだと思っていました。だから「告白」というと罪の告白、つまり私はこんな悪い人間です、こんなひどいことをしました、人を傷つけました、嘘をつきました、困っている人を助けませんでした、そういうことを神様に申し上げて、悔いて許していただくことだと思っていました。悔いて懺悔する作業は終わることなく延々と続きます。不完全な私は日々次から次から「罪」を犯して、どんなに悔いても止むことがないからです。「焼き尽くす献げ物」「和解の献げ物」「贖罪の献げ物」・・・レビ記に照らしたなら、どんなにたくさんのいけにえが必要でしょうか。 そうやって自分なりに一生懸命生きてきましたが、ある時なにも出来なくなってしまいました。わが身が為した行為を振り返ることも、悔いて罪を告白することも、許しを請うことも。押し寄せ降りかかってきた出来事が私にはあまりにキャパオーバーだったので、恐怖で震え、身体がこわばり、押し黙って歯をくいしばり、「神様、神様」と言うだけが精一杯でした。そのときに、ふと背中を優しく抱かれました。一瞬で、それがイエス様だと分かりました。そのとき理屈抜きで、自分が無力で何もできない小さく弱いものだということを忘れてしまうことが罪なのだ、なにも出来ない惨めな者でも神様は「大丈夫!」と言って無条件に愛してくださることを忘れることが罪なのだ、己の力にしがみついて神様に自分を明け渡さないことが罪なのだと分かったような気がしました。 ですから私には、この聖句の「告白」とは、自分の過ちのあれこれを神様に懺悔申し上げることではなくて、自分が無力で、神様に頼る以外生きるすべを全く知らないのだと、真実に神様に訴えることではないかと思えて仕方ありません。レビ記に記されたような動植物のいけにえや細かな作法や贖罪は、神様は必要とされない。神様に全幅の信頼と希望を置いて、無力なこの身を明け渡すこと、それこそが様々なあらゆるいけにえに代わるものだと言っているように思えます。もしそのようないけにえを私たちが供え、主の名を呼びさえすれば、あらゆることが神様によって整えられるのだから、満願の献げ物(願望がかなったときに捧げる献げ物)を捧げて待て。そうすれば結果、あなたは必ず神さまを讃美することになるのだ。それこそが神様の望む最上のことなのだと、言っているように思えます。 苦しいときに神様の名を呼ぶのは、「苦しいときの神だのみ」であり、神様に対して大変失礼なことだ、小さなことは自分で何とかしなさいと、かつてある人に言われたことがあります。でもそうかな、といま私は思っています。髪の毛一本動かせない私です。自分の人生に対して、どれほどのことが出来るでしょうか。私の命をお創りくださった神様が、任せなさいと言ってくださっているのです。私があなたの主である、私にあなたを明け渡しなさいと、聖書の様々な個所を通して、神様がおっしゃってくださっているのです。大きな出来事、小さな出来事、いろんなことを通して神様は私を愛するために日夜生きてお働きくださいますが、私の眼は霞んでよく分からないことも多いのです。ですが、一つでもたくさんの神さまの愛をキャッチし、味わい、神様を讃美せずにいられない日々をますます歩みたく思います。 |
T.R 娘の名を改名した。漢字で「愛子」と書いて「みこと」というので周りの人々からもよく言われたとおり、名づけた直後から名前を人に読んでもらうのに苦労した。 母親の私は何年か頭にこのことが引っかかっていたけれど、祈りつつ、過ぎていっていた。娘が保育園に行くようになった。その保育園では園児の氏名をひらがなで書いて使用している。ひらがなで「みこと」と書かれているのを見て、信仰書などでよく目にする「みことば」とひらがなで書かれたものに似ているなとふと思った。 「愛子」と書いて「みこと」という名前でよく間違われたのが、皇室から取った名前ですか?というものだった。皇室には「愛子さん」もいるし、~の命(みこと)という昔の名前も聞くので無理はないなと思いながら、本当は聖書の神様を思ってつけた名前なのに・・・と未信仰の人々がほとんどという今の日本の将来を考えて複雑な気持ちにさえなった。 以前、野の花で書かせていただいたが、娘の名は主人が礼拝の学びの中で、ヨハネによる福音書十四章6節「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。・・・」という箇所からいただいたものだ。 (以前の「野の花」に私はヨハネによる福音書六章35節「私が命のパンである。」からとった名だと書いてしまったが主人から訂正を受けた。)主人が愛子(みこと)の名に込めた思いはイエス様を通らなければ、神様のところには行けない。ということだった。 愛は神様、子はイエス様、イエス様は命である、ということだった。私たちは信仰にあって子どもを思ってこの名をつけた。そして同じように信仰にあって子どもを思って改名にも至ったと思っている。 長い間祈りをもって考え、何よりも御心ならば改名もあることだと感じていた。そして、改名に至った。戸籍からの改名は簡単なことではない。しかし、主に委ね、家庭裁判所に出向いて、文書を作成し、提出して、祈って結果を待った。大きな決断だった。 さまざまな心配(改名した後のことも含めて)があったが、主は悩むたびにお導きとお答えを下さったと感じる。改名を決断しても目の前のことにどこから取り組んだらいいのか一歩を踏み出せずにいるときに集会のM姉からのお言葉で、力づけられた。 「しんどい苦しいことを絶対避けてはだめよ、それによってきっと恵みがあるから。」このお言葉、これからも大切に心にもって生きたい。そして、私にいつも恵みのお便りなどをくださるF姉のこのお言葉も。「苦しみがあってこそ、信仰だと思うのです。」私が体調不良の上で、子育てに奮闘しているときにくださったF姉の主にある愛のお手紙にこのお言葉があった。 改名は家庭裁判所で許可された。改名の理由を書く文書には両親の信仰による名づけのことや私自身の父の信仰の証としてつけられた「ルツ子」という名のことについても書いた。 理由の文書を提出して三日という早さで許可の通知が来た。主がこのことをも最善にいくように備えてくださったと感じた。これからもどんなことが待ち構えているかわからないが、いつも主イエス様はさまざまな事を通して私を助けてくださるし、導いてくださる。 私はそれを信じてこれからも御心のままにいけることを祈りながら歩んでいきたい。 |
T.R あなたの憂いをすべて主にゆだねよ、 主はあなたに代わり配慮される。
あなたの家族のための憂いを われらの信ずる主にゆだねよ、 あなたはいたずらに策を案じ考えるだけだ。 しかし主には行く道と将来が開かれてある。
主は心配をきらうが、あなたがささげる 天に向かっての祈りはよろこんで聞き給う。 あなたがやっと一つの策を立てる間に 主は千もの策を持っていられる。
なにびとも勝手気ままに あなたを害することのないように、
主はあなたへの恵みのために みんなの心を小川のように導かれる。
主のみ手から苦しみも喜びも 安んじて受け、ひるんではならない。 主はあなたの運命をすぐにも変えられる。 しかしそれを悪くするのは、あなたの嘆きだ。
いたずらにあなたを苦しめるために 苦難が与えられたのではない。 信じなさい、まことの生命(いのち)は 悲しみの日に植えられることを。
『眠られぬ夜のために』 第一部 ヒルティ著 3月15日より 4月に主人の転勤で兵庫県から静岡県三島市に引っ越してきました。行ったこともない土地で知り合いも全くいない中で持病もある私は生きていけるのだろうかと、転勤の話を聞いたときは、死刑を宣告されたような気分だと泣いていました。 でもこちらへ来て見ると、富士山の美しい雪解け水が街中に流れていて、自然の美しさに癒されています。 徳島の吉村さんからインターネットのスカイプの使い方を教えていただき、お昼間に時々、戸川宅での北島集会など徳島での家庭集会に参加させていただいています。 遠く離れてもスカイプを通してまだ会った事もないかたとも共に聖書を学び、神様を賛美できることを感謝しています。 こちらに来てからも遠く離れた家族の心配や、なかなか解決せず人には話せない自分自身の心の傷や問題に心が暗く沈みこんでしまう時があります。 あまりにも長く事態が改善しないことで落胆したり、自分を責めたり、信仰も揺らぎそうになるとき、ヒルティのこの詩に励まされました。 このようなときにこそ神様は人生において最も価値のあることに気づかせようとされている。そして何よりも神様を求めることを喜んで待っていてくださるのだと教えられました。 心配したり嘆き悲しんだり自分を責めるのではなく、神様の力と優しさを信じて祈ることができる人になりたいと思います。 信じなさい まことの生命は 悲しみの日に 植えられるということを。 静岡県 (主婦) |
T.S お早うございます。今日は三つに分けてお話します。 最初に聖書の言葉を勉強します。旧約聖書p885 詩編51編18、19節 この詩編はダビデ王が書いた詩と言われています。ダビデは紀元前1000年にイスラエルの第2代目の王様として即位しました。ですから今から3000年以上も前の人です。みんなは、ミケランジェロの彫刻のダビデというのを知っていると思いますが、あれがこの詩編を書いたダビデです。ダビデは武力に優れ、また詩を書くのもとても上手でした。それだけでなくて竪琴の奏者でもありました。今で言えば文武両道の人でした。また人間としてもとても優れた人でした。しかし、そのダビデも女性関係で大きな罪を犯しました。 そしてそのことを預言者のナタンに批判されたときに作った詩がこの詩編51編だと言われています。 自分が恥ずべき罪を犯したということに気がついたダビデが書いた詩です。 今日は、全部は読めないので18節と19節だけを読みます。 18節 もしいけにえがあなたに喜ばれ、 焼き尽くすささげものが御旨にかなうのなら わたしはそれをささげます。 19節 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。 打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。 ユダヤ人は、自分たちの犯した罪を赦してもらうために、神さまに様々ないけにえ、つまりお供え物をしていました。羊などを焼き尽くしてささげました。ダビデは、もし神さまがそれを本当に喜んでくださるならささげます、と言っています。しかし、19節でダビデは、神さまが人間に求めるのはそのような物、物質ではなくて、打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心です。つまり自分の悪さを本当に反省する心だ、と言っています。 二つ目の話です。岩手県の有名な詩人、宮沢賢治の詩にアメニモマケズがあります。 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ 最後に、サウイウモノニワタシハナリタイとあります。だから宮沢賢治は、自分はそのような立派な人間です、と言っているのではなく、自分の希望をのべているのですね。 私はこの学校に来てから26年、礼拝や授業でキリスト教の話をしてきました。偉そうに聞こえることも話したかもしれません。しかし、私は正しく立派な人ではなく、ただソウイウモノニワタシハナリタイと話してきたのです。今日もそういう気持ちで話します。 三つ目の話です。 「信仰とは、目に見えない神様を信じ、神様のお喜びになることをすること。」です。しかし、私たちは、なかなかそのようにできないのではないでしょうか。それが分かるのは私たちが悪いことをするときです。私たちは悪いことをするとき、人に見つからないようにしてやります。人に見つかれば、逮捕されたり、罰を受けたり、笑われたりするからです。見つかりさえしなければいいと思っています。そのときは神様など無視し、馬鹿にしています。神様なんているはずがないから、人に見つかりさえしなければいいと考えています。 しかし、私は、神さまを無視し、甘く見ていれば必ず罰を受けると思います。その罰は辛いものです。神さまは人間が悪いことをし続ければお怒りになります。これは私が自分の人生で体験したこと。また人の生き方や、世の中や、歴史などを見ていて思うことです。 私たちが本当に神さまを信じて生きているなら、悪いことはしないはずです。たとえば嘘をつく人がいます。嘘のひどいのはさぎですね。これだって目に見えない神様が知っている、見ているから、神さまに怒られると思えば嘘はつかないはずです。あるいは万引きをします。これも目に見えない神様が見ていると思えばやることはできないのです。いじめをする。これは最も悪いことですが、これも神さまがどんな弱い人間でも大切だと思っておられると思えば、人間の心や体を傷つけるようなことはしないはずです。 こう考えると「罪とは、神さまを甘く見て、無視することである」と思います。心の奥底で、心の根っこのところで、神さまを無視し、甘く見ている、それが全ての罪の始まりです。そのような心の罪が様々な形で外に現れます。人の心を傷つけるような言葉を使ったり、暴力で人の体を痛めたり、泥棒をしたり、嘘をついたり、人を殺したり、セクハラをしたりする。 だから最も大切なことは、悪いことをして外にそれが知られたときも、知られないときも心の奥深くで本当に反省することです。悔い改めることです。神さまに「自分の心は間違っています。どうか赦して下さい。人が見ていても見ていなくても悪いことをしない心にして下さい。」と心から祈ること、私たちがそういう砕けた悔いた心を持つことを、神さまはとても喜んでくださって、力を与え、こころをきよめてくださるのではないでしょうか。 人生は高慢になって罪を犯し、悔い改めて心がきれいになり、また罪を犯し、また悔い改める、このようなことの繰り返しかもしれません。 |
T.Y 2010年の夏は、我が家にとっては大変な夏でした。義母の老いが加齢によるものだけではなく、病によるものであるとの診断を受け、投薬が始まり、要介護3の介護認定を受けました。 介護の体制が整わないままに、私が膀胱炎、腎盂炎を再度起こし、さらに、繰り返される病の周辺症状に私の精神が悲鳴をあげてしまいました。すべてを義父、有料ヘルパーさん、家族に任せ、私は養生するために実家のお世話になりました。我が家に帰っても、夏のあの日々が脳裏に焼きつき、面と向かって義母に向き合うことができなくなっていました。 しかし、距離を置いて姑の様子を見ている内に、薬が効き、周辺症状が治まり、とても落ち着いて安定していることがわかるようになると、少しずつ前のように顔を合わせることができるようになってきました 嫁ぎ、同居して21年。「自分のことは自分でする。互いの存在を尊重し合い、互いの独立を守る」これが義母のポリシーでした。このポリシーの許、私たちはともに良い関係を築いてきたと思います。義父とヘルパーさん、家に見守られている義母と私の関係は今も今までと同じで変わっていないと思います。 この関係に私自身の心が落ち着くまでに、私は自分が義母の身の安全を守れない、ケアができなくなったことの罪に苦しみ、自分の存在が竹下家の中に見出せないような気持に陥ってしまいました。 その時に私を支えてくれたことごとをここに明らかにして、私が受けた主の御祝福を証したいと思います。 その時、私が周りの方々からいただいた言葉は、「まずは、自分が元気であること」、「自分が自分の時を生きることが大切。」「私がどんなに罪の赦しを求めて沈んでいても何も変わらない。自分で自分を病に押し込めていくだけ。病気になりたいの?」「見えないでできないことを罪と思うことを誰も望んでいない。」「私が私の時間を生きる中で、今までの関係を保ちつつ互いの存在を大切にしあうことを望んでいるはず。」「できなければ、できないなりに自分にできることを見つけながら、今までの関係を続けていく努力をすること。」 このように私が立てるまでにはこのような優しい言葉がありました。礼拝の講壇の花を頂いて帰ったり、礼拝で隣り合わせて座った人から友人の近況を聴き、祈りあっていることを感じたり、とにかく事ある毎にこんな私も支えられているとわかりました。 その時の教会の礼拝で、「主の祈り」をした時のことです。涙がぼろぼろ落ちてきて止めることができませんでした。感情ではなくて、もっと心の奥深いところから淡々と流れ出てきているようでした。落ちてくる涙を拭うこともできず、顔中をびちょびちょにしながら「主の祈り」を捧げました。その後、聖餐式に預かることができ、私には帰れる教会のあることをありがたく思いました。 この涙を流すまでには、心が安らかになれるように、そして、自分なりに納得できることを必死に探し求めていました。が、どれも不十分でした。私の心を満たしてくれるものなどありませんでした。 そんな中、「主の祈り」を捧げているときに、「私の罪をも赦したまえ」と自分の罪の赦しを求めたときに、突然、涙が落ちてきたのでした。その涙の中、「罪は罪として認め、それを善しとして、それらは主のあがないにより、清められ赦され、新たに一から生かされるしかない。自分自身の健康を保ちつつ、罪を赦されて、自分の時を生かされ続けるしか道のない」ことに気づかされたのです。 生きることは生かされることであり、主により頼むしか生かされる術のないことにさらに気づかされたのでした。 主の祝福に感謝を捧げ、障害、病、老いの中にある方々の上に主の御祝福が豊かにありますように心より祈っています。 |
乳離れした嬰児がその母のふところに T.K 榎本保郎著の「一日一章」の中で2年ほど前に読んだところなのに今でも記憶に新しく思うところがある。 「…乳離れしたみどりご、それは母親の優しい愛の養い、はぐくみを経験してきた者という意味で、詩人は、ここで自分の過去を振り返り、そこの神の大いなるはぐくみの御手の働きのあったことを見出している。 これは、私たちにとっても大切なことだと思う。 <あの事件は忘れることができない。なぜならそこで神の御手にふれた。またここでは神の養いを受けた。あの時に与えられたのはまさしく天のマナだったのだ。あの行き詰まりのとき、神は紅海の奇跡と同じ様に私の道を開いてくださったのだ> そういう信仰の一里塚、二里塚ともいえるものが私たちの人生には必要なのである。そういう具体的な経験が私たちの内にあってこそ、今日神の御言葉に寄り頼むということへの勇気付けを受けるのである。 (中略)あの乳離れしたみどりごのように神に深い信頼をおいて平安のうちに望みを抱こう」 ここを読んだときしばらく私の一里塚、二里塚はどこだろうと考えた。考えている内に本当に心が温かくなって、そうだ、確かに、あの時,確かに神様が守ってくれたとしか思えないことがいくつか思い浮かび、目頭が熱くなって、心の中で感謝したのを覚えている。 最近C.H.スポルジョンの「朝ごとに」の中に「私は心を尽くして主に感謝します。詩9.1」というところが心に響きました。 「感謝は私たちの重荷を去り希望を盛んにし信仰を増進させることを助ける。神に対して受けた恵みを感謝すると共に友をも益する道である。クリスチャンの義務の中で最もすばらしいのは感謝である。」とありました。 まさに、その時々に応じて常に御手を差し伸べてきださっている。いつも、兄弟姉妹を通して御言葉を持って私の心の深いところまで入り、主の平和を与えてくださっていると感じました。 また、希望の源泉であるイエスを見よ!とやさしく教えてくれ、これらの交わりを与えてくださった神に感謝いたします。 私を導きだしてくれたみ言葉と祈りを思い返し、こんな私でも、少しでも病んでいる人にも平和が与えられるよう記したいと思います。 * あなたが私の右の手を取ってくださるので、常に私は御もとにとどまることができる。詩73.23. * 人の心を見抜く方は“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は紙の御心に従って聖なる者たちのために執り成してくださるからです。ローマ8.27 * あなたが与えたいと思っておられるもの、わたしが祈り求めるべきものを求めて祈ることが出来るようにしてください。あなたの御旨にかなうもののために日々祈ることが出来るように助けてください。 ジョン・バニヤンによる祈り * 主はわたしを緑の牧場に休ませ憩いのみぎわに伴われる。主は私の魂を生き返らせ正し道に導かれる。 詩23(疲れたときに丁度その時、美しい写真と共に送られてきたこの御言葉は今、いつも、癒しの源泉のようにこれを見ると勇気が湧いてきます。) * 恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し しっかりしなさい。ダニエル10.19 * 罪と何のかかわりのない方を神はわたしたちのために罪となさいました。私たちはその方によって神の儀を得ることができたのです。Ⅱコリント5.21 私のために祈り教え支えてくれた祈りを兄弟姉妹のために祈ります。 わたしたちのどんな苦しみもどんな罪もよく知っておられ測り知れない深い愛によってわたしたちの救いを成し遂げられたこの方が常に共にいて兄弟姉妹一人ひとりを支えてくださいますように。アーメン |
T.S 朝、「今日一日を神の僕として過ごさせて下さい」と祈る。しかし、一日を人と過ごすうちに隣人に不快を感じて心の中に人を愛せなくなってきたり、時には怒りの感情さえ起こってくる短気な自分。イエス様を信じていると思っても、自分のしていることはまるっきり逆の事をしてしまっている自分によく気付く。自分の信仰の足り無さや愛の足り無さに気付き、惨めな気持ちにもなる。 イエス様を信じるだけで、赦され、救ってくださるとのおとずれは、今の私にとってまさに福音である。そして、主を仰いでいると自分を見つめているときに起こる不安や怖れ、迷いが失せて、平和な心を取り戻すことが出来る。また、生徒や同僚の一人ひとりの中に、イエス様が住んでいらっしゃると思って顔を見ていると、自然に愛したくなってくる。 力弱く、惨めな自分ではあるけれど、イエス様のことを知り、信じることが出来て本当によかったなあ、幸せだなあと思っているこの頃です。 (桜台家庭集会) |
T.Y 「瞬きの詩人水野源三の世界」と題して、語り・ピアノ・歌・阪井和夫さんと、歌・浜田盟子さんのコンサートに参加しました。「瞬きの詩人」と呼ばれたクリスチャン詩人水野源三の詩に全盲の音楽家である阪井和夫氏が作曲し、浜田盟子さんと共に歌いました。本当に全部が感動するコンサートでした。水野源三さんの生まれた時から四十七歳で亡くなるまでの事を話してくださり、また、水野源三さんの家族の方のことも話してくれました。水野源三さんのことが、よくわかりました。 私が一番感動を受けたのは、お母さんのことです。お母さんが子宮がんと宣告され病院に入院した時に容態が悪くなり、水野源三さんが「お母さんを病院から連れて帰るように」と頼みました。ベットで苦痛と戦っているお母さんを見守り、三十八年間共に生きてきて少しでも苦しみを分かち合いたいと願っていました。 お母さんが、手となり、口となり、書き留めた作品が詩集となる日を心待ちにしていましたがやっとできた時には、お母さんは手に取ることができませんでした。お母さんは、一秒でも長く生きたいと思っていたそうです。でも、六十歳でこの世を去りました。でも、水野源三さんの信仰は、揺らぐことなく、家族を励まし続けました。 ずいぶん前に水野源三さんのビデオを見ました。その時の感動と同じでした。「瞬きの詩人」として今回話が聞けたのは、本当に感動を受けました。 阪井和夫さんは、水野源三の詩集に出会い深く感銘を受け「瞬きの詩人」コンサートを浜田盟子さんと共に続けている方です。信仰の強さも伝わってきました。今日のこのコンサートに導いてくださった神様に感謝します。 (主婦)板野郡 |
母の信仰告白 |
T.E 悲しみよ 悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう お前が来なかったなら つよくなかったら 私は今どうなっていたか 悲しみよ悲しみよお前が私を この世にはない大きな喜びが かわらない平安がある 主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ 十月二四日に大阪の阪井 和夫さんと浜田 盟子さんをお迎えして「瞬きの詩人水野源三の世界」のコンサートが徳島聖書キリスト集会の集会場で行われた。 一九九二年十月にもお二人をお迎えし、キリスト教センターで初めて「瞬きの詩人コンサート」が行われてちょうど十八年になる。 今回も、水野源三さんの生涯と詩の朗読、そして阪井和夫さんが曲をつけてお二人が歌ってくれて、源三さんの生涯を神様が導かれていたこと、その神様に導かれての深い信仰、まっすぐにイエス様を見つめる清らかさにあらためて感動し、讃美を聞きながら涙がとまらなかった。 「神様の真実は変わらない」や「美しい秋」はちょうど季節にふさわしく詩と曲もぴったりだった。 そしてコンサートの最後に源三さんの「悲しみよ」という詩に阪井和夫さんが曲をつけてお二人が歌ってくれた。 どうして悲しみよありがとうと言えるのと、その深い信仰がこころに迫ってきた。 寝たきりでまばたきだけで自分の意志を伝える源三さんの悲しみはどんなに深かっただろう。詩を書いてくれていたお母さんが癌で召された時はどうしようもない悲しみがあふれたことだろう。 それなのに、この詩はすべての悲しみを感謝している。 この短い詩のなかに源三さんの大きな信仰の転換が凝縮され詰まっている。 それは、悲しみのただなかにイエス様が来てくださり、悲しみの彼方にあるよろこびと平安を与えられ希望を見つめている源三さんの静けさを感じる。 イエス様がうちに住んでくださっているからこそ、この恵みをくれた悲しみにありがとうと感謝できるのだ。 「悲しむ人たちは幸いである。その人たちは慰められるであろう」 神様を讃えても讃えても讃えつくせないよろこびが生まれたのだ。 私の日々にもいろんなことで悲しみが起きても、ともにいてくださる主イエス様を信じ、すべてを主にゆだねて悲しみがよろこびに変えられ主の平安に導かれていきますようにと祈ります。 それにしてもコンサートでのこの新鮮な感動は何なのだろう? それはおふたりの信仰がますます主を見上げて低くされているからだと思った。阪井さんは視力を失った悲しみのなかで水野源三さんの詩に出会い、源三さんの声になりたいと曲を作り始められ、見えないことが感謝できるように変えられたと証された。 私は阪井さんたちのコンサートに来ようと思っても入院していたり、家族の介護のために来られない人たちのことを話したら、もしそちらで迷惑でなければ是非そこに訪問して讃美をしたいと申し出てくれた。 主を讃美することがますますよろこびになっていて、そうしたところにこそ出かけて行って歌わせてもらえるのがよろこびだし感謝だと言われた。 そして、このことが今回コンサートの前後に実現して歌うお二人にも聞かれた方達にも恵みと祝福をいただいたと後で教えられて本当にうれしくて、祝福のパンと残りのパンくずの祝福のたとえを思い今もその余韻が残っている。 この祝福はコンサートの前からともに祈って備えてきた私たちと阪井さん、浜田さんたちの祈りが主の御許に届き聖なる霊が注がれたからだと思い感謝です。 (鍼治療院 天宝堂) 徳島市 |
D.H もう20年になるのですね。 身障者コロニーでの精密検査の結果、4歳だった娘に軽度知的しょうがいが判明しました。 乳児期の感染症による後遺症でした。2歳上の息子とどこかしら違う発達のでこぼこに 何となく不安を感じての受診でした。 その日、私はコロニーの広い廊下にポツンと取り残され、頭の中は真っ白でしたよ。 そのあと、2回目の診察の折 走り回る娘を追いかけながら 不意に、玄関脇の白い壁にかかる額の中に吸い寄せられました。 “この子は特別な赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。 この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。 もしかして 一人前になれないかもしれません。 だから この子は下界で出会う人々に とくに気をつけてもらわなければならないのです。 もしかして この子の思うことは なかなか分かってもらえないかもしれません。 何をやっても うまくいかないかもしれません。 ですから私たちは この子がどこに生まれるか 注意深く選ばなければならないのです。 この子の生涯が しあわせなものとなるように どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。 神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。 その二人は すぐに気がつかないかもしれません。 彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。 けれども 天から授けられたこの子によって ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。 やがて二人は 自分たちに与えられた特別の 神の思召しをさとるようになるでしょう。 神からおくられたこの子を育てることによって。 柔和でおだやかなこの尊い授かりものこそ 天から授かった特別な子どもなのです。”
エドナ・マシミラさんの『天国の特別な子ども』という詩でした。 お父さま。 私は選ばれてしまったのですね。 本当のことを言うと 私は選ばれたことに失望しました。 その日から 「私には出来ません。」と言って毎晩泣きました。 なぜなら そのとき私の置かれた場所には 家族はありましたが 一緒に泣いてくれる人はいませんでしたから。 人の心って さまざまなのですね。 同じものが大切で価値があると 分かち合える人は あんまり多くないのですね。 だから 覚悟をしました。一人で育てて行くって。 それは 目をつむって断崖から飛び降りるような 怖くて不安な選択でしたが… でも どうしてなのでしょうね。 「エイッ。」と飛び降りたら「ここが 私の居場所なんだぁ。」って妙に心が落ち着いたのです。 それからが闘いでしたねぇ。 世の物質的価値を重んじる家柄から 二人の子どもの手を引っぱって脱出するため 暗い暗い闇を2年も歩きましたねぇ。 やっと家から出られてからも つらいこといっぱいだったですねぇ。 あのとき 私の決断に周りはすべて反対でしたが たった一人だけ 尊敬する恩師は言ってくださったのですよ。 「あなたの決めたことなら正しいと 私は信じます。」と。 私は そのお言葉を何度も何度もつぶやきながら歩いてきたような気がします。 でも お父さまが私を選んでくださり 目に見えない平安の世界に招いてくださったこと 気づけたのはずいぶんあとになってからでしたよ。 そして 遠くの方にかすかに光が見えたのも それから10年以上経ってからなのですね。 お父さま。 あなたからお預かりした二人の宝物は今年で27歳と25歳になりますよ。 泣き虫で未熟者だった私を幼い頃からいつもいつも助けて支えてくれたおにいちゃん(長男)は総合病院の小児科で臨床心理士として働いています。 重い病気やしょうがいを抱える子どもを持つお母さんたちの助けになりたいそうです。 お父さまはこの子をも選んで 私に備えてくださったのですね。 でもこれからは あまり私が頼り過ぎないようにします。 私のように選ばれてしまったお母さんたちの優しき理解者になってほしいから。 お父さま。どうか どうか その器として用いてくださいませ。 そして もう一人の宝物である娘。 10年ほど前からうつ病を発しアトピーにも悩まされ その姿を見ているのに耐えられなくて 「娘ではなく 私に病をお与えください。」と何度もお祈りしましたね。 そんなとき お父さまはいつも 共に居て 共に泣いて 共に苦しんでくださいました。 祈りの中で 不思議に平安が与えられ また頭を上げる力をいただいた気がします。 それにしても やっぱり お父さまはすばらしい!! その娘をもっともふさわしい場所に置いてくださいました。 お年寄りに囲まれ お年寄りのために 娘の出来ることを出来る分だけして差し上げるというグループホームです。 これから先も 愛すべきお父さまの特別な子どもは 皆に愛され お父さまの愛を現す器として暮らしていくことでしょう。 すべてすべて 御計画の内なのですね。 今になってようやく分かる気がします。 そして 分からせていただいたことを深く感謝したいです。
なぜ 花はいつも こたえの形をしているのだろう なぜ 問いばかり 天から ふり注ぐのだろう 大好きな詩です。こうやって 生きていくのですね。私たち・・・ 「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、 義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」 (新約聖書ローマ信徒への手紙8の30) お父さま。 あなたの御前に立てるその日まで いつもそばに居てくださいね。 そして「心配するな。」と励ましてくださいね。(〒509-7201 岐阜県恵那市大井町2693-117) T.K 先日主人の友達ご夫婦が来訪して下さった折りに、奥さんの突然の死を聞いて驚きました。奥さんの六〇回目の誕生日の半月後、貴方様の退職される直前の出来事だとか、朝元気であったのに、帰宅すると階段から落下して息絶えていたなんては受け入れられる事ではないでしょう。すぐにお電話と思ったのですが、慰めの言葉もありません。それに夫の友達と言っても年賀だけで、数えるほどしか遭ってはいません。でもお二人の性格は三〇数年前と変わっていない事を友達の話や、写真から伺えました。 先日聖書の学びをしていて、鉄の斧を水の中に落とし込んでしまった人が、神の人(エリシャ)に助けを求めたら、神の人は枝を切ってそれを水に投げ込むと、沈んでいた鉄の斧が浮かび上がって来て無事に持ち主の手に返る記事がありました。(列王記下六章1-6)この箇所を学んで、思い切って手紙を出そうと決めたのです。 思いがけない突然の暗闇の中に沈んでいる時、人間の思いや考え、おざなりの言葉では慰められるものではない事を、私たちも経験しました。不安と悲しみ辛い毎日の中で、見上げる星は静かに静かに瞬いていたのです。何もないかのように、静かに静かに。また聖書の中に、「あなたがたの襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実なお方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」一コリント一〇・13 悲しみの中から最も良いものが与えられる事を経験しました。 どうかお酒で慰めを得るのでなく、神様からの慰め、励ましがありますように。また四国に来られる日がありますように。 徳島県 |
T.M 日本にキリスト教(プロテスタント)が伝えられてより百五十年ほどになるが、信者数は全人口の一%未満に過ぎないという。日本人は一般に仏教等在来の宗教に比して、キリスト教に何か異質的なものを感じ反発するようである。 「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」(出エジプト記二〇・三 口語訳) 「神はただ一人であり、神と人間とのあいだの仲介者もただ一人、すなわち人間キリスト・イエス、まさにすべての者のために贖い金として御自分の命をお与えになったお方である。」(テモテ第一、二・五―六 塚本訳)という聖なる真(まこと)の神の霊に接して、汎神論的な日本人の生まれながらの人間の本性(肉)が、何となく反発するからであろうか。 「クリスチャン」という呼び名は、西暦四十年頃シリアのアンテオケの異邦人教会で始めて、キリストを信ずる者達に対して使われ始めた(使徒言行録一一・二六)と記されているが、その原意は「キリストのもの」であった。 弟子たちへのキリスト・イエスの言(ことば)、「もしこの世があなた達を憎んだら、あなた達よりも先にわたしを憎んだことを思え。もしあなた達がこの世のものであったら、この世は自分のものであるあなた達を愛するはずである。しかしあなた達はもはやこの世のものでなく、わたしがこの世から選び出したのだから、この世はあなた達を憎むのである。」(ヨハネ一五・一八―一九 塚本虎二敷衍訳) 神の御意志により、母の胎から生まれる前に聖別された、預言者エレミヤの告白の言、「ヤハウエよ、あなたはわたしを誘(いざな)い、わたしはあなたの誘惑(いざない)に負けました。あなたはわたしをつかまえて、わたしに勝ち給いました。わたしは終日人の笑いとなり、人はみなわたしを嘲っています。わたしは語るたびに叫んで乱暴なひどいことを言わねばならず、ヤハウエの言はわたしにとっていつも恥と嘲りを招くだけです。そこでわたしは考えました、 『わたしはもうヤハウエの言を述べまい。もはやその名によって語ることをすまい』と。ところがヤハウエの言はわたしの心の中にあって、骨の中に閉じ込められた燃える火のようで、わたしは押さえていることができず、疲れ果ててしまう。・・・・・・しかしヤハウエは恐るべき勇士のように、わたしと共にいます。それゆえわたしを迫害する者は躓き敗れ、その敗れのゆえに、大いに恥じるであろう。その恥はいつまでも忘れられない。」(エレミヤ記二〇・七―一一関根正雄訳) エレミヤは、神と民との中間に立ち、神に選ばれた自己の内部の苦悩と、人に理解されず、憎まれるようなことのみを語らねばならない預言者の苦しみを、神に激しく訴えたが、その純粋な魂の烈しい祈りの中で再び神の義への堅い信頼に立った。 神とこの世との狭間(はざま)に居るクリスチャンも、キリスト・イエスに愛されるとき、この世から疎外され憎まれる。 主イエスは弟子たちに、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、まず己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。十字架を避けてこの世の命を救おうと思う者は永遠の命を失い、わたしと福音とのためにこの世の命を失う者は、永遠の命を救うのだから。」(マルコ八・三四―三五 塚本訳同 )と言われた。 わたし達クリスチャンは、一人ひとりがこの世の持ち場に於いて、主イエスが共に担って下さる恩恵の十字架を負い、天の故郷(ふるさと)を目指して歩む者である。「しかしわたし達の故国(くに)は天にある。わたし達は主イエス・キリストが救い主としてそこから来給うのを待っているのである。」(ピリピ人へ三・二〇 同) 愛媛県 (商業) |
N.S 「あなたがたは求めないから得られない」求める謙遜教えて下さい み言葉の種まく人にひと鍬を荒れ地に打ち込む力を下さい われを打つ敵の鞭をも憎まずに感謝に変える愛を下さい 復活とみ国の来る日をひたすらに求める魂与えて下さい 全能のみ父の前で井戸端のことまで話す自由を下さい み言葉を聞くだけでなく日常に行う愛と祈りを下さい 罪人の中に隠れた栄光の御霊の姿を見る目を下さい み心に適う祈りが出来るようにみ声聞く耳与えて下さい わが受けし深き恵みの数々を人に伝える言葉をください 倦みつかれ失望しないでみ言葉の反芻続ける熱意を下さい わが罪を嘆く代わりにみ恵みを毎日喜ぶ平和を下さい 「わが神はわたしの願いを聞かれる」と信じて祈る意思を下さい 徳島市 |
N.A 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神にうち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト、イエスによって守るでしょう。 (フィリピ信徒への手紙四章4~7節)より。 神様がいつも共にいてくださる。主にある慈しみと平安が私の人生の支えです。 (看護助手) 吉野川市 |
福井市 N.K 今年も、徳島聖書キリスト集会の皆様からの礼拝CDや文集、詩集、「いのちの水」誌などをとうし、たくさんの恵みをいただいて、どれだけ励まされ、勇気や平安を与えられたかわかりません。 中でも、四国集会でのDVDでは讃美や講話の様子と内容を見聞きでき、大きな感動を与えられました。福音が伝えられるとは、喜びの伝播であり、伝道とは、生けるキリストを伝えることであることが実感できる内容でした。 特に、障害をもっておられる方の讃美や証言は、生けるキリストが共に働いておられることの力強い証と感じられ感銘深く伺い、その余韻は今も心に残っております。 吉村兄の講話「主を仰ぎ見よ」でも、全身の力を振り絞って語られるその姿から、主が吉村兄をこのように熱く燃え立たしめておられる、私たちへの神様の「熱い関心」を思わせられました。この神様の人への熱い関心に応答すべき自分はどうかと反省させられます。 このことに関して、最近、ある方から頂いた本で深く教えられましたので紹介したいと思います。高橋由典氏著「社会学者、聖書を読む」です。その中の「モーセの断念」という箇所、民数記二十、1~3節、 「主はモーセとアロンに向かって言われた「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」 モーセとアロンがカナンの地に入ることを拒絶されるにいたった経緯の記事を取り上げての講話です。忠実に従順に神様に従ってきたモーセの人生の最後に、生涯をかけて願ってきた約束の地、カナンに入ることを拒絶される場面です。 モーセはこの理不尽と思われる拒絶を静かな断念として受容します。以下、高橋氏の文章を引用します。 …普通であれば断念にいたり得ないものを断念しえたのは、拒絶を宣言されてもなお神の「熱い関心」を実感し続けられたからと考えるほかありません。不変の「熱い関心」が感得されたからこそ、自らの人生の目的そのものを差し出して悔いるところがなかったのです。 だが拒絶を宣言する当の相手の中にこちらへの「熱い関心」をみてとることなど、果たして可能でしょうか。拒絶は一般的にいえば、「熱い関心」の否定ではなかろうか。確かにそうなのですが、問題は、モーセの神体験がこうした経験的一般化の枠に収まりきれないという点にあります。モーセの神体験の強度は、経験的一般化が予定・期待している強度の水準をはるかに越えてしまっています。したがって、日常的経験からの類推によって、モーセにおいても拒絶が「熱い関心」への疑いを生むと考えるのは正しくない。このような場合は、むしろモーセの神体験の深さに感嘆すべきだと思います、拒絶されてもなお確信がゆるがないほど、神の「熱い関心」に関するモーセの経験は深く強いものだったのです―…。 高橋氏の講話では、モーセの召命や神との出会いなど深い神体験について述べられ神の「熱い関心」についての思いと信頼を深めていった過程が記されています。それを省略していますので、引用箇所だけでは、理解しにくい内容かもしれません。 しかし、私達は、モーセの律法に優るイエス・キリストの福音に招かれ、その信仰(ピステイス)を与えられたものですから、モーセと同じ深い神体験を日々、あじあわさせられている一人一人であることを示されます。神様の「熱い関心」への思いと信頼を日々深め、その喜び、希望、感謝を少しでも周囲に証し出来るものとして歩ませていただけるようにと祈り願っています。 |
N.H 私はケアマネージャーとして働いています。 老齢になり病気や転倒などの骨折で介護が必要になった方に、介護保険を使って、その困っている所に必要な手を差しのべる仕事です。 仕事の関係で実施された講演会に参加しました。 講師はフランスの医療制度に興味を持ち何度もフランスに行き、フランスの医療制度や医療者から見た社会の現状を知るために、病院を訪問したり様々な人の生の声を聞いてまとめ、日本と比較検討して日本の今後の医療の方向を模索、検討している方でした。 フランスでも十年程前には、日本と同じように、自分で生きられなくなった方に各種の延命の治療がなされていたそうですが、エイズなど医師の力ではどうする事もできない病気から、医師の権威か崩れ、患者の側が緩和ケアを望みフランス全体が延命治療を廃止する方向に動いたそうです。今は治る見込みのない人は医師が、緩和ケアにつなぎ、三日や一週間で最期を迎えているとのお話しがありました。したがって、現在のフランスではどの病院でも、延命の為に胃ろうや点滴の管につながれている人は一人も見る事がなくキリスト教国のフランスなので、体が駄目になったらあっさりと死を認め、天で生きる方を選んでいるとの事でした。 ひるがえって、日本では今、過度な延命治療が主流です。そんな中で、看護師や麻酔医から延命治療に対する嫌悪が起こっており、自分がそうされたくない事に反対する風潮が日本でもかなり起こりかけているそうです。そのうち、医師が言えなくても、看護師や患者本人から声が上がり延命治療を廃止する方向に変わってくると思われるとの事でした。 この講師は決して、延命治療廃止論者ではないけれど、現状のままでは、限られた医療費の分配もうまくいかない事と合わせても、制度改革が起こる事が見えているとのお話しでした。 私達を取り巻く世界は日々刻々変化しています。 聖書の学びでは、世界は主キリストの元にまとめられ流れ込んで行っていると学んでいます。私達が意識しようとしまいと全ては主キリストの元に流れて行っているのを思います。その意味では、私達はベルトコンベアーの上に乗せられて運ばれているのです。世界はすべてキリストのものだと聖書には書かれています。地上は、闇が多く、混乱と悲惨と嘆きに満ちているように見えますが、一方では、神様の秩序がきちんと働いていて、美しく輝いており、どこにも神様の愛が溢れているのを感じます。感謝の種は朝から夜まで限りなくあり、美しい事を見つけようとするとそれも朝から夜まで限りなくあります。闇を取るか光を取るか、両方を選択できるように神様が両方を目の前に置いて下さっているのを思います。私達には自由意思があり生きるとは選択することだと思えるほどです。 この講演を聞きながら、福祉、医療の制度は特にキリスト者から起こされ改革が重ねられて来たので、制度の中に神様のご意志が働いている事を感じました。その流れは今も神様のご意思の繁栄されたもので
制度そのものも大きな意味で、主キリストの中に流れて行っている事を感じました。 大きな意味では運ばれていながら、小さな自分は、できるだけ良い選択をして、小さな自分ができる仕事に精一杯携わっていきたいと思いました。
(ケアマネージャー) |
N.H 瞬きの詩人・水野源三さんの詩のうたを聞いてより、「悲しみよ、悲しみよ」本当にありがとう。 この詩によって、主イエス様と出会った時の様子がとても身近に感じられます。18年前に、徳島キリスト教センターで開催された、坂井和夫氏と浜田盟子さんのコンサートも今もとてもなつかしく、昨日の様に思い出しました。 本当に前回の時も今も、阪井さんたちが、水野源三さんの声になって、周りの人にイエス様を伝えているところに、長い歳月を経ても同じ様に感動することができ感謝でした。 阿南市 |
N.Y 『こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。』(エフェソ四・12~13) 『神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。』(エフェソ一・3~4) 十月の阪神エクレシアに参加して、この御言葉をいただきました。霊的な成長がなく、自分の心や行動にクリスチャンらしさが欠けていると、悩んでいた時でした。神様が、今考えていたことにすぐに、はっきりと答えてくださったことに感謝します。 この御言葉は自分が願っていた以上のことで、思ってもいなかったものでした。ただ成長していくのではなく、「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで」「わたしたちは皆」と書いています。とてもスケールが大きく信じがたいことです。でも、こんな風に御言葉を与えて下さり、慰めてくださる神様の愛を思うと、どんなに不可能なことでも信じられる思いがします。 この御言葉は今の私の希望です。地上でなのか、天国に行ってからかは分かりませんが、神様によって、少しでもイエス様に倣える人間に造りかえられたらと願います。愛のある人間にどうかなれますように。(ケアマネジャー) 吉野川市 |
神様の真実は変わらない ― 水野源三の詩から― N.K 1)来る年も来る年も さわやかな初夏には すずらんの花が咲くように 神様の真実は変わらない 神様の真実は変わらない
2)来る年も来る年も 澄み渡る秋には りんどうの花が咲くように 神様の真実は変わらない 神様の真実は変わらない
3)花の季節過ぎ行き 人の心移り 約束を忘れ去るとも 神様の真実はかわらない 神様の真実は変わらない 私は、何年もの間、いろいろの問題があって、心騒ぐものがあったのですが、神様の愛によって心満たされ感謝です。娘の美歌が9月に結婚しました。その時、美歌は、「私が、不登校だった時、一緒に悩み、味方してくれてありがとう」と言ってくれました。 中学生の時、数学の問題が解けないと朝方までかかって解いてた子だったので、また行き詰まるのでないかと気になっていたのですが、本当に神様の愛によりよき方に導かれたことを感謝します。 |
N.Y 最近、高校の修学旅行は海外へ行きます。理由は国内よりも安いということと、国際交流を重要視しているからです。安いと言っても一人十万円前後します。(話は変わりますが、文化祭でのクラスの出し物に各クラス五万円程の活動費が与えられます。3学年8クラスありますから全クラスで一二〇万円です。文化祭のために道具を買って、作って、終われば新品同様でも捨てられます。来年から減らす案を出しましたが、同じ高校でも独立学園など、予算が厳しい学校もあります。しかし教えていることはとても大切な、聖書ことです。受験教育にも強い疑問が湧いています。本当に大切なことが語られることのいかに少ないか、そして独立学園のような学校のはたらきの大切さを思います。) 先日、その修学旅行で韓国を訪れました。国際交流の一環で永生(=永遠の生命)高校と学校交流を持ちました。受験に熱心な高校で、1,2年生は22時頃まで、3年生は毎日24時頃まで毎日学校で勉強します。こういった高校は韓国には現在でも少なくないようです。この高校はキリスト教の学校だと分かっていましたので、事前に「君は愛されるため生まれた」という歌を歌わないかと提案しました。この曲は韓国人牧師が神学生時代に作詞作曲した讃美歌で、韓国内でのヒット後、日本にも渡り、多くのクリスチャン歌手が歌っています。森祐理さんもその一人です。こうして交流の最後の締めくくりに、韓国語と日本語でこの曲を歌うことができました。神様から良いプレゼントを頂きました。 |
N.H キリスト者の信仰を持った人は その人生で辛いことがあった人だ その人生で辛いことがあった人が みんな信仰を持つわけではない
キリスト者の信仰を持った人は 苦しんでいる人への思いが深い 苦しんでいる人への思いが深い人が みんな信仰を持つわけではない
信仰を持つ人は少ない 信仰を持つ人の中で キリスト者の信仰を持つ人は 日本では少ない なぜだろう
信仰は自分で得るのではない 信仰は神から与えられる恵みだ 信仰を持ち続けようとする人のみ 神が育て、はぐくんでくださる
神の御計画は私たちにはわからない 御言葉を信じて待つこと 神の時を待つこと それがキリスト者の信仰だ
キリスト者の信仰が与えられると 十字架の贖いで、私たちが 罪あるままに赦されるという 信仰にいたる
キリスト者の信仰を願うなら 身体の復活と キリストの再臨の 確信が与えられる
キリスト者の信仰は キリストを介して 兄弟姉妹のエクレシアを 形成する
礼拝に行けぬ時 聖書に向かえぬ時 み言葉に疑いを抱く時 それはキリスト者の信仰がゆらぐ時
私たちは主に養われる羊 主は私たちの羊飼い 主は羊のために命を捨てられた キリスト者の信仰告白だ
バビロンが滅亡する 私たちの文明が滅亡する キリスト者の信仰は告げる 神の国の到来を
キリスト者の信仰は教えてくれる 私たちは神の栄光を讃美するために創られ 人生は神の恵みを体験するためにあると |
N.Y・K 「那須絆菜です。5ヶ月とちょっとになりました。わたしは朝が一番好きです。 お天気の朝も、ざーざー雨が降ってる朝もみんな好きです。 ととはまだねんね。お母ちゃんもまだねんね。すずめのちゅんちゅんも、カラスのかーかーもまだねんね。でもわたしはさみしくないよ。だってこの時間はいつもイエス様とお話するんだもん。」 時間は6時過ぎ。毎朝たいていわが子の穏やかなしゃべり声で目が覚める。泣いて起こすことは本当に稀で、いつもかわいい声に起こされる。静かに目を開け、わが子の方を見ると、窓の方を見上げて、微笑みながら誰かとお話している。きっとイエスさまとお話しているんだと思う。わたしは邪魔しないように、わたしに気付くまでじっと見ている。 日々、わが子通して気付かされることがたくさんあります。今書いたことがその中の一つで、新しい朝、神様に、今日も与えられた朝にまず何を思うかということです。 わたしの場合、うわぁー今日は雨か…と起きてすぐ不満をもらしたり、朝ご飯の支度しないと…、洗濯機回さないと…とこの世の事で朝が始まってしまいがちです。 でもどれだけ朝忙しくても、眠くても、容平さんと聖書を輪読し、讚美を一曲歌う時間はこれからも大切にしていきたいと思います。そしてまず今日も生かされていること、また聖書の御言葉や讚美などを通して神様から一方的に与えられている恵みに感謝し、一日をスタートさせたいと思います。 来る朝ごとに (新聖歌27) 来る朝ごとに 朝日と共に 神の光を 心に受けて 愛の御旨を 新たに悟る |
清水聖書集会 N.M 思いもかけず入院生活を余儀なくされ、十月二十三日、十日振りに我が家に帰ってきた。この十日間病床で今年を振り返る絶好の機会を与えられた。 四月二十四日土曜日、石原正一兄が御国へと旅立たれた。石原兄にとり四月四日栗山兄の実兄夫婦を招いての記念会が集会最後の出席となった。前日の夜、石原兄から我が家に電話が入った。「最後まで集会に参加する体力は無いので、明日は午前中で失礼します」とのこと。当日の朝、兄は手すりにつかまりながら、一歩また一歩と階段を上り、立ち止まっては呼吸を整え、会場に到着した。記念会が始まると予想以上に調子が良いようで、昼食会、午後の感話と結局最後まで参加された。神様が最後まで石原兄を支えて下さったことを心から感謝した。 石原兄の遺言通り召されて翌二十五日、聖日の午前告別式を親族、清水聖書集会、近隣の聖書集会の兄弟姉妹の出席により、ごく自然の形で、丁度聖日の特別清水聖書集会の雰囲気で執り行われた。今まで集会で幾度となく歌った石原兄特愛の讃美歌三十番、五〇九番を歌えば、会場の何処かに兄の姿にお目にかかれるような気がして、兄の姿を追う私がそこにいた。 五月のある日、今後も従来通り石原新聞店二階の部屋をお借りしたい、と改めて新聞店社長にお願いした。結果は、「建物の改修計画があるので今直ぐと言う訳ではないが、できるだけ早い時期に会場を移られたい」であった。八月のある日、用事があって静岡の石川昌治兄宅を訪ねた折、兄に相談してみたところ「西澤さんの家で集会開くのがよろしい」と明快な答えが返ってきた。これで私の心も固まった。集会の皆様に提案し、すんなりと決定した。石原さんの大きな御翼の中で、風雨にさらされず平安の内に礼拝が維持できたことを痛感し、改めて感謝した。また、石川昌治兄の決断力にも感謝すると共に、当事者よりも周りの人の冷静な的確な判断の大切さを教えられた。 十月三日聖日、石原新聞店二階で開かれる最後の集会の日である。四十年以上にわたる会場が今日で終わることは、寂しい限りである。堤道雄先生はじめ、溝口正先生、岩島公先生など多くの人を講師に招き、近隣集会の兄弟姉妹と共に聖書を学び、賛美し、お祈りした。最後の最後に会場を守ってこられた石原美千代姉にお祈りしていただいた。 「今まで皆さんに重い荷物を持って会場まで来て下さり、私たちは移動することなく楽をさせてもらって感謝でした。多くの講師の方に来ていただきたくさんのお話を聞けたこと、近隣の集会の兄弟姉妹とともに聖書を学び、祈り、賛美できたこと、沢山の良き思い出を感謝します。しかし、終りは始まりです。これからまた新しい会場で、どのような集会になるのかわかりませんが、きっと新しい楽しい何かが待っていて下さることを信じ、前を向いて進んでいきたく思います。どうぞ導きお守りください。」 「きっと新しい楽しい何かが待っていて下さる」とのお祈りに思わず心からアーメンであった。何と前向きなんだろう。感激のあまり心が熱くなった。信仰を持つ人の強さ、明るさ、ひた向きさを拝見させていただいた。 九月三十日、集中したい一心で照明をつけず暗い部屋の中をただ手元の電気スタンドの照明の下で本を読みだした。予想通り集中して読書でき、満足して床に就いた。 翌朝、首筋が張る上に頭が痛く、昨夜の薄暗照明により視神経が疲れてしまったと思った。以来ずっと激しい頭痛に悩まされ、一週間ほど経つと足がふらつきまっすぐに歩行できなくなる始末であった。連休明けの十月十二日病院へと向かった。 神経内科を受診し、「念のために」とCTを撮った結果、「右慢性硬膜下血腫」の診断が下った。医師の診断は、八月半ば夜、私が自宅二階でトイレに立ち上がり、その後無意識の中で倒れた時、頭を強打して倒れた際の出血が、最近になって頭痛となって症状が現れたとのこと。 主治医曰く「盲腸のようなもんですよ」と。患者に安心感を与えようとする配慮が感じられ、医師に好感を持つことができた。 手術は麻酔により痛みなく終え、主治医から声を掛けられ一時意識が戻ったものの、その後は半日ほど夢うつつの世界を漂うばかりでひたすら眠り続けた。 私なりに、今回の手術を迎えるに当たり、「すべて医師にお任せ」と割り切って考えることができた。病を治療することはもちろんのこと、それよりもこの機会に体内の全ての罪が、頭に溜まった血と共に体外に吐き出され、体が清められますように、と神様にお願いした。麻酔が切れて目覚める時は、どうか罪が洗い清められ復活体が与えられていますように、と密かに期待したのであった。 しかし、現実は甘くなかった。頭に挿入された管が気になり、少しでも動くと敏感に痛みを感じた。その痛みに過剰なまでに反応し、全身金縛りにあい、寝返りも打てなかった。そのため腰周辺にどうしようもない怠さに覆われ、その怠さにじっと耐える惨めな自分に向き合っていた。 4日目、頭痛から解放され、傷口周辺の僅な痛みが残るだけとなった。術後の経過も良好で十月二十三日退院となった。これも多くの兄弟姉妹のお祈り、神様のお守りによるものであり心から感謝した。 今年を振り返ってみると、小さなエクレシアである清水聖書集会にとって、背負いきれない程の苦難の連続であった。先のことは見渡せないが、神様に絶対的信頼を寄せ、どんなに大きな波、強い風にさらされてもしがみ付いて離れず従っていきたい。現在は拙宅で聖日集会を守っているが、これからも石原兄、栗山兄の分まで声高らかに賛美を歌い、集会の兄弟姉妹全員で聖日礼拝を守っていこうと思う。神様どうぞ導き給え。 |
N.K 水野源三さんの詩に阪井和夫さんが作曲された「美しい秋」という讃美を紹介していただいた。この季節にふさわしい讃美で、毎日のように口ずさんでいる。阪井さんの魂からの讃美の声にも、聴いていて知らずしらず涙が出てくる。 「・・・主の御名を呼びましたか 主の愛に触れましたか・・・ ・ ・・美しい秋を創られた父なる御神を喜び讃えていますか・・・」 水野さんが問うておられるような気がする。主の御名をちゃんと呼んでいますか。主の愛にちゃんと触れていますかと。いのちのことば社から出ている本「こんな美しい朝に」の中にこんな詩もある。 幾度も聞いても読んでも キリストの愛の尊さは 触れなければ分からないから キリストの愛に触れてみよ キリストの愛に触れてみよ
幾度も思い考えても キリストの愛の確かさは 触れなければ分からないから キリストの愛に触れてみよ キリストの愛に触れてみよ
涙を流して感動しても キリストの愛の嬉しさは 触れなければ分からないから キリストの愛に触れてみよ キリストの愛に触れてみよ キリストから受ける恵み、福音の喜びは 聞いたり読んだり思ったり考えたり感動したりするだけの中からは与えられない と。キリストの愛に触れなければ・・・と。 私たちも自分に与えられる日々の患難を、水野さんのように「感謝してる、キリストを信じることができたから・・・。」と確信をもって証できる者でありたい。福音が単なる感動で終わっている間はそれはできない。本当にキリストの愛に触れていなければ・・・。秋の野を風にふかれて歩きながら「イエスさま イエスさま あなたの愛に触れさせてください。」とひたぶるに祈っている。 力は弱いところにはたらく 昨年、東京での全国集会の折、発題をさせていただいた。その時、私のささやかな教育の歩みの中から、Aちゃんの話をさせていただいた。そのAちゃんが突然、今年9月の始めに天に召されていった。32歳だった。通夜の席に当時の同級生が十数人集まってくれた。ひと通りの儀式の後、みんなはすぐに帰ることをしないで自然に、棺に納まったAちゃんのまわりに吸い寄せられるように集まっていった。涙が止まらないお母さんにみんなが口々に語った。「お母さん、Aちゃんのおかげで私の小学校生活はとっても濃いものだったよ。」「私の生き方に大きな力をもらったよ・・・。」「私のそれからの人間形成に影響があったよ・・・。」と。思い思いのことばで泣きながら語っていった。「Aちゃんありがとうね。」と。お母さんはいっそう泣いていた。「そんなふうに言ってもらえるなんてAは幸せだよ・・・。」と。 わたしも感動していた。二十年も経って再会した時、子どもたちはこんなふうにふり返っていたのだと。小学校時代、重度の障害でおよそ普通の生活はできなかったAちゃん。毎日毎日がAの世話で明け暮れた子どもたち、授業も行事も円滑には進まないことも多かった。幾多の困難があった。きれい事ではいかなかった。中学校へ行っても同じだったろう。それでも彼らはAに感謝の言葉を贈っているのだ。 「力は弱いところにはたらく。」パウロのこの言葉に生きた神の愛を見る思いがした。どんなに学業優秀な友達からも得られなかった生きることへの力と真理を、この世的には何の役にもたたないと思われていた、何の社会的貢献すらできなかったAちゃんという存在から与えられていたのだ。「心の貧しい人は幸いである。」というイエス様の言葉、まさにまわりの友達たちは、自分のいたらなさや弱さを、何の打算もなくありのまま生きることしかできなかったAを通して見つめさせられていたのではないか。当時祈りの中で願い感じていたことが改めて確信できた。「力は弱いところにはたらく。」と。 最近またその時の子どもたちと共にAの家で集まりを持った。三十二年間、お母さんにとってはAにかかりきりで全く自由のなかった生活から解放されてすこしは落ち着いただろうと思っていたら、Aちゃんあっての私だったとまた涙を流されていた。年に一回はみんな集まろうということになった。Aの母と子供たちにキリストの福音を与えてくださいとまた祈りを新たにされている。Aちゃんもどうかイエス様の懐に抱かれていますようにと祈っている。 ヘブル書の学びより 昨年八月より一年二か月余りに及んだヘブル書の学びが終わった。礼拝のたびに語られるメッセージに聖霊が吹きこまれ、毎回魂が清められる思いがした。神が人の子イエスとなって地上に降りてくださり私たちの罪を代わって担い十字架についてくださった。神様の裁きを執り成してくださった。そして天に上げられ神の御座につかれた。全く新しい神様との契約をイエス様が築いてくださった。生ける神を礼拝できるようにしてくださった。目を閉じ祈り、思い起こすだけでイエス様を感じることができる。何という恵みか。 11章、アベルから始まり、アブラハム、モーセたちが「信仰によって」神様が示される道を選びとった生き方が心に深く残った。アブラハムは行先も知らずに出発した。モーセは「はかない罪の楽しみにふけるよりは、・・・キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富」と考え、エジプトを出て行った。この世をとるか、神をとるか、わたしたちも生活のなかでそうした小さな選択を迫られることがある。そんなとき祈ってこのような証人のことを思い起こしたい。 13章で、「イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。」とある。私たちはいつもそれぞれに苦難を抱え、罪を知らされている。しかしイエス様自ら宿営の外に出て、人間と同じ試練に遭ってくださった。いやこれ以上はないという程の苦しみに遭われた。このことを思う時自分自身も砕かれ励まされる。ヘブル書は一貫してそうしたイエス様を語っている。そして「主から苦しめられても、力を落としてはいけない。主は愛する者を鍛え、子として受け入れるものを鞭打たれるからからである。」と、耐えることを祝福してくださる。 「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」私たちは日々の生活の中で人とのかかわりで落ち込み、不安にかられ罪をも知らされる。しかしそうした時、生きたイエス様を聖霊によって思い起こし平安に満たされる。空の星や月、花からも慰められる。誰にでも等しく聖なるものを与えてくださっている。 「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」 へブル書から学んだこの確信に満ちた大いなるイエス様の福音に感謝して、心に刻み付け生活していきたいと思う。 高槻市 |
N.M 母の愛は偉大だ。 とても真似することは出来ない。 どんなに頑張ってもかなわない。 私たち娘のこと、孫のこと、本当に 愛して、いろいろ心配し、力になって くれる。祈ってくれている。 この世で母の愛が一番イエス様の 愛に似ているのだろうな。 お母さん、ありがとう。 東京都 |
「いのちの水九月号 世界のキリスト教の状況―特に中国について」を読んでの感想 N.T はじめに世界各国のその総人口に対するキリスト教徒の数の割合を見て、大変参考になりまた日本の現況を見て悲しくなりました。 私は一九九〇年七月二三日から八月一日まで、日本基督教会の主催で、団長田中裕牧師・副団長小川武満牧師の引率の下に、第六次中国の教会を訪れる旅行に参加しました。そして長春、吉林、敦化、牡丹江、哈爾浜等の教会を訪れました。 この時、延辺朝鮮族自治州の町敦化に立ち寄って、ひと時土地のキリスト者と交流をしました。その話によると現在キリスト教徒は六千人から七千人居り、或る会堂では聖日に二回礼拝が行われ、一回に千人を超える信者が集まるとのことでした。 哈爾浜の教会の日曜礼拝に訪れた時も、聖日には三回礼拝が行われ、毎回千人以上の信者が集まるとのことでした。その日も会堂に人が溢れて階段に腰を下して話を聞く人々も居りました。 民主主義国・アメリカのキリスト者数に較べて、社会主義国・中国のキリスト者の数の圧倒的に多いのを見て一驚します。 註、アメリカのキリスト教徒二億四千万人。中国、公認の教会と地下教会を併せて一億三千万人。日本一二〇万人。 いのちの水九月号十五頁二段以下の吉村先生の言葉に、深い感銘を与えられました。 十字架の福音や、復活の真理が渇いた魂に、水がしみ込むように入っていくからこそキリスト信者となっていく、共産党支配下のもと、人々は神などいない、宗教は阿片だといった考え方を子供の時から徹底的に教え込まれて、魂の平安を与えられなかった、そこに目に見えない愛の神が存在し、私達の心の深い所の汚れたもの、罪を清め赦して下さるといったことは聞いたことのない斬新な真理として感じ取られたのがうかがえる。まさに干天の慈雨として受け取られていったのであろう。(以下略) 「すべての国よ、主を賛美せよ すべての民よ、主をほめたたえよ 主の慈しみとまことはとこしえに わたしたちを超えて力強い ハレルヤ」 (詩篇一一七・1~2) 埼玉県 |
H.Y 車を走らせながらラジオを聞いていたら、人生相談をしていました。 「死の恐怖を和らげる方法を教えてください。」という相談に、「いつも忙しい生活に切り替えてください。」「悩むならカウンセラーに相談してください。」と言っていた。カウンセラーは何と答えるのだろうか。 この命の問題は、人間の根本的問題で、重要な事と思い、少し聖書を開いてみる事にしました。 -聖書は、何と言っているのだろう- 私達人間は、永遠に生きる者として、神に創造されました。が、一人の人によって罪が入り、死に支配される者となりました。しかし、一人のお方によって、死が滅ぼされ命に至る道が開かれ、「死」は、もはや解決されました。と、聖書は語っています。 その事を、バッハや多くの音楽家達は、「喜び、喜べ、このすばらしいニュースを聞け」と、歌っています。 けれど、神様を信じていても、私達は完全ではなく、さまざまの弱さ、罪を持っている故、時として、「悩み、苦しみ、嘆き、不安、恐れ、寂しさ、虚無感。」が襲ってくる事もあります。そして年老いた時、「あぁ、あと何年生きられるだろうか、死んだらどこに行くのだろう。」と思うかもしれません。が、それらの問題の為に来られ、死も、涙も、嘆きも、全て十字架で拭い去って下さったお方は、「私は、よみがえりです。命です。私を信じる者は、死んでも生きるのです。」「生きていて信じる者は、決して死ぬ事はありません。」(ヨハネ十一・25・26)そして、「私に従いなさい。」(ヨハネ二十一・19)と言われています。 私達の造り主であり、命の与え主であり、私達を、一番愛して下さるお方に従うことこそ、「死の恐怖」から開放される事だと、この問題を通して、改めて教えられ、この良い知らせを知らないでいる人々に、この恵みを分かちあえる者でありたいと、教えられる時でした。 |
H.T 人がそのために自分の命を捨てることこれよりも大きな愛はない。(ヨハネ十五の一三) 一九五七年二月十日午後九時過ぎデンマーク船エレンマークス号が、風速三十メートルの北西季節風の中で、荒れくるう紀伊水道にさしかかった時、船のはるか前方に、船火事を起こして今にも沈みそうな機帆船高砂丸を船長が発見、船長がすぐさま進路をかえて、その船に近づいてやっと一人の船員を助け出しました。 喜びも束の間、救命ボートからはしごで救助者を、本船に移そうとした時、渡れきっていた日本船員は、なわばしごの途中からどっと海中に、落ち込んでしまいました。船べりから見守っていたすべての船員は、あっと息をのみ込みました。その時、まわりの船員を押しのけて、荒れ狂う海の中に飛び込んだ一人の船員がいました。 その人はヨハネス・クヌッセン機関長でした。救命具がそこ、ここに投げられました。二度三度波間から頭を上げ必死に沈む日本人を、つかもうとするクヌッセン機関長の姿が見えました。大しけの波はついに、二人を姿を消してしまいました。二月という厳しい寒さの上、大しけの海へ見ず知らずの日本人を、助けようとして飛び込み自分のいのちを捨てた、クヌッセン機関長の国境を越えた愛、これ程大きな愛があるでしょうか、今も和歌山の、日の岬の紀伊水道を見下ろす山の上に、このヨハネ・クヌッセン機関長の胸像が立っています。 この碑を前にしたならば、イエス・キリストのみ言葉を思いおこさずにはいられません。「人がその波のために、生命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ十五の一三) 三十九才の若さで、日本船員を救い得ずして死んだクヌッセン機関長の死は、デンマークの人の心と、日本人の心を結ぶ強いかけ橋となってそこを、訪れる人の心に、深い感銘を与えずにはおられません。 国境をこえ肌の色を超え、心と心を結ぶものこそ愛ではないでしょうか。今日の人は、打算的な人が多く自分の利益につながらないことはしたがらない、ましてや自分を犠牲にしてまで、しようとすることは愚かしいと考える人が大勢います。このことは、良き人間関係を、国際的に深められるために、心が何よりも大切であるかを、教える尊い実例です。 イエス様が罪人である、私たちを愛し、私たちの罪のために死んで下さったという偉大な愛を思い出します。クヌッセン機関長も十字架の愛に、生かされていた方の一人でしょう。だから見ず知らずの日本人を、救おうとして二月の厳しい寒い大しけの、海の中へ飛び込んでいったのだと思います。(香川県高松市 ) |
H.H (三重) 「いのちの水」596号で神様の溢れるばかりの恵みと力を与えていただきましたことを 感謝いたします。加齢と共に節々の痛みに悩まされ、免疫力の低下で不調をきたす・・・ と愚痴ばかりが口をついて出てくる情けない私に吉村先生の「いのちの水」誌はみ言葉の真清水を注いで下さいます。これこそ本当のアンチエイジングと思います。 知人の中に、お互いの悪口を言い合って犬猿の中という悲しいことがあります。また 一方的に激しい誤解を受け、なにを言っても受け入れてもらえず、ひたすら主に委ねて 祈っている姉妹もおられます。人間関係の難しさに胸が痛みますが、いつか必ず神様が 和解に導いて下さる時が来ると信じて祈るのみです。 今号に「キリストは本来は越えられない壁を、目に見えない翼を与えて越えさせて下さる。最終的には死という誰もが越えられない無限に高い障壁をも、ただ信じるだけで 越えていくことが出来るようにして下さるのである。」とのお導きに感謝は尽きません。 日常生活の中で、行き詰まりや苦難に遭遇した時、「主のみ翼を隠れ家」とすることも示されました。どんな時にもキリストと共に乗り越えさせて頂ける平安を与えて頂き、 感謝です。 またインターネットでもみ言葉と美しい野の花の写真をお送り下さいまして有難うございます。花好きの私には何よりの楽しみです。今後とも汲めども尽きぬ「いのちの水」を注いで頂きますようにお願いしつつお祈りしています。 日高ヒサ子 |
H.G 帰宅途上教会の前に来て仰天しました。その教会のシンボルのようなヒマラヤ杉の大木が切られて中庭で丸太の腰掛になっていたのです。その杉の木はC君の木。C君がアメリカ留学に出発するとき、「君の為に毎日祈るよ」との約束を忘れないよう、通勤路でその木の前を通る時にC君のことを祈ることにしていたのでした。 そしてもう一度仰天しました。程なくC君が帰国しているとの連絡が入ったのです。約束満了と同時にあの杉は切り倒されていたのでした。 * 右は私が東京にいたころの昔話ですが、毎日忘れずに祈りに憶える法を教えてくれたのは松尾達子(みちこ)さんでした。私は三年間福岡に転勤していた頃、福岡の集会で達子さんとご一緒になりました。達子さんは一七歳で倒れ、結核にかかっておられることが分かり、入退院を繰り返され、二九歳まで延々病との闘いが続いたのでした。肺を切除するなど七回に及ぶ大手術、お金がありませんから学術研究用の患者、何が起こっても文句を言わないというハンコを押して実験的な手術や治療を受け続けるに至りました。そして病状は悪くなる一方でした。病床にあって苦悶と絶望の眠れない日々を送っておられました。 ところが入院して十二年目に驚くべきことが起りました。ある日、送られてきた見舞いのハガキに記されていた「勇気を出しなさい、私は既に世に勝っている」(ヨハネ福音書十六:三三)というイエス様の一言に触れたのです。そして爆発する喜び(達子さんの言葉)に満たされます。それから達子さんの生活は一八〇度変わりました。睡眠薬が要らなくなり、どんどん薬が減り、遂に退院することが出来ました。働きながら夜学で勉強して臨床試験士の資格をとり、病院で働きます。そして達子さんの生き方は徹底して「他人の為」の愛の捧げでありました。お金が余ったら困っている人の為に全部使ってしまう。 いつも美しい微笑みを絶やさず、あの弱い身体でどこからそんな力が出るのだろうと不思議なほどでした。死刑囚の支援にも奔走され、免田栄さんの有名な冤罪事件では無罪を勝ち取った支援者として新聞一面に達子さんの喜びの姿が載ったほどでした。 そして病院への勤務途上のあの木、この木を祈りの対象の方々の木としておられたのです。それは達子さんが考えだされた毎日忘れずに祈る方法でした。きっと私の木も決めて下さっていたに違いありません。 * * 福岡に戻って来て近年私は毎日夕方にウオーキングをしています。自宅から一キロ余にある一周二キロの大濠公園を一周して帰ってくる四十分余りの道に沢山の木があります。そこでまた達子さんのノウハウを借用。あの方この方、集会やグループの木を決めて祈りに憶えます。嵐の日にはウオーキング中止で困りますが。 公園には多様な木が林立していますから、その方のイメージにピッタリの木があったりします。二股に分かれている木はご夫婦、群生している木は集会など。新たに祈りの対象が与えられてその方の木を決めようとしている時、それまで気がつかなかった木が満開の花をつけて私にして下さい、と呼びかけてくることもあります。 最近高橋三郎先生が天に帰られ、その松の巨木は私の祈りを天に繋げてくれています。二九年前に四七歳で召された達子さんも憶えながら―。 (福岡聖書研究会) |
F.F 創世記一章一節に「初めに、神は天地を創造された。」とありますが、私はここに神様の絶大な力を感じます。私達が推し量ることのできない、大変な力の持ち主である神様が言われる聖書の言葉は、どれも、これも信ずるに値するものであることを、私は徳島聖書キリスト集会に参加し、聖書の学びの中から教えられました。 私の内にあって私を苦しめてきた厄介な罪を、イエス・キリストの十字架を信ずる信仰によって、すべての罪が許される。そのための資格は人種、学歴、行いの善し悪し、財産の有無、地位など全く関係なしで、ありのままで救いに入れられ、神の平安が与えられます。 内村鑑三著書、一日一生、九月十七日の解説にはパウロのいわゆる「霊の質(かた)」とは、信者の復活体の始めであって、その核心とも称すべきものである。 信者はこれを受けてすでに復活体の元質を受けたのである。「霊の質」の成長発達したるもの、それが復活体である。復活体は死後において奇跡的に上より着せられるものではない。 その元質は信者が信仰状態に入りしその時にすでに与えられしものであって死後にその完成に達するものである。 かくして信者の復活は半(なか)ば未来の希望に属し、半ば既成の事実である。信者はすでに復活の元質をにぎる者にして、同時にまた主と共にその栄光をもって顕(あら)われんことを待つ者である。 信者はその肉体においてすでに復活体の種子(たね)とその核心とを持つ者である。彼はいますでに復活されつつある者である。」復活の確信を得ることができ感謝であります。 私は十字架の罪の許しと復活の信仰は絶大な力を持つ神からの贈り物として持ち続けていきたいと思います。 (元徳島県職員) 徳島県 |
F.M 詩篇二三篇 一節~六節 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。 詩篇四二篇 一節~十一節 涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て 神の御顔を仰ぐことができるのか。 昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う 「お前の神はどこにいる」と。 わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす 喜び歌い感謝をささげる声の中を 祭りに集う人の群れと共に進み 神の家に入り、ひれ伏したことを。 なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。 ?わたしの神よ。わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて 深淵は深淵に呼ばわり砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。 ? 昼、主は命じて慈しみをわたしに送り夜、主の歌がわたしと共にある わたしの命の神への祈りが。 ? わたしの岩、わたしの神に言おう。「なぜ、わたしをお忘れになったのか。なぜ、わたしは敵に虐げられ 嘆きつつ歩くのか。」 わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き 絶え間なく嘲って言う 「お前の神はどこにいる」と。 ?なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。 今年、二〇一〇年も残り少なくなりました。一年を顧みて、今年最も、強く心に迫ってきたみ言葉は、詩篇第二三篇と第四二篇のみ言葉でした。 朝夕に拝読。深いみ心にいつも胸がいっぱいになり、「神様感謝します。」と心からお祈りを捧げました。聖書はどこを開いても、尊いみ言葉ばかりですが、特にこの一年を、力強く支えてくださった、み言葉でした。 一年間の御守りを感謝しつつ・・・。 徳島市 |
F.M 私は日本キリスト教団系の教会へ出席しておりましたが二〇一〇年六月一一日より主人と共に徳島聖書キリスト集会へ出席させて頂いており心から感謝しております。 その時の聖書はヘブライ人への手紙一三章五節、金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。この、みことばで導きを得ました。 主人が教会から離れ、わたしは一年位、一人で教会生活をしておりましたが残り少ない地上での生活、共に主にある学びの集会生活をと願っておりました。 昔、二回、徳島聖書キリスト集会で導きを受けた経験があります。 幸いにして鴨島から中川様ご一家、知人の佐々木姉が居られ神様のご計圃で再度お世話になることになりました。 皆様こころよく受けいれて下さり、家庭的な雰囲気の中で共に礼拝を守ることが出来、本当に嬉しく思います。 目には見えませんが、このような私たちを導き、支え、助けて下さる神様の大きな愛を全身に受け止め感謝しております。 今後とも、よろしくご指導下さいますよう、お願い申し上げます。 吉野川市鴨 |
F.S 勝浦良明さんのお話です。私が徳島の勝浦さまと初めてお会い出来たのは、二〇〇四年の早春でした。周囲の方に医療事故が原因とお伺いした記憶がありましたが、今回の「ともしび三四号」の勝浦さまの投稿により、若い時より発病し、大学病院の誤診によって重症の身体になり、長期の苦労や戦いののち、主とめぐり会い、パソコンによる賛美歌の音源化など、特別な足跡を残して最近ではさらに新しい病を得たのに延命は不要との決断をし、主がまします天国にはやく行きたいとの心境をはっきりと知ることができ、ただただ驚くばかりでした。 これも主の救いなのだと自分のことを振り返っております。五体満足で自由に行動出来る、自分は幸いであり、改めて主に感謝する事を誓いました。 神奈川県 |
M.K 7年前の12月の寒い日に友人に誘われて松山の家庭集会で聖書の学びに初めて参加する恵みを頂きました。 温かく迎えられた部屋のテーブルの上には吉村先生が徳島から松山まで車を運転して来られる途中に摘まれた野の草花や木の葉や実が置かれていました。皆で挨拶した後それらを1つ1つルーペで見ました。顕微鏡や虫眼鏡で何かを見た事はありますがルーペで見るのは初めてでした。12月の寒い季節に何を見たのか全く覚えていませんがその時の言葉に表せない程の感動だけは今も鮮明に残っています。その後も季節の折々の植物を1つ1つ名前や特性など図鑑を開きながら説明して頂きルーペで見ました。それは いつも 驚きの連続でした。今まで気づかずに通り過ぎたり 引き抜いてゴミ袋に入れて捨てていた 草花のなんと美しく気高い。小さな小さな花もラメが鏤められていて輝いていました。この時 聖書に書かれている真実を初めて知りました。 『野の花がどのように育つのか注意して見なさい。働きもせず。紡ぎもしない。しかし言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ神はこのように装って下さる。ましてあなたがたはなおさらのことではないか』(マタイ6章28,29節) この頃に私は時々、心が締め付けられた様になり心臓の奥の方を鋭く細い針で突き刺すような痛み悲しみ苦しみがありました。集会に参加するようになって聖書を学び沢山の神様の思いを聞いているうちに胸がいっぱいになり、涙がぽろぽろ流れました。賛美歌を歌い祈って帰る道は本当に穏やかでした。その後色々な事が重なり身体も壊しましたが3年前に一生懸命お祈りしていると、しばらくして不思議な程一瞬んにして心が軽くなりました。 それから いつもどこかで神様は祈りを聞いて下さっていると感じるようになりました。 今年の6月より、インターネットのスカイプを通して月曜日に行われる家庭集会に参加させて頂き聖書の学びを頂いています。聞きなれないスカイプと言うものに縁が無いと思っていましたが吉村先生に設定の仕方を教えて頂き 使える様になりました。初めは 色々使い方を間違ったりしましたがその都度、吉村先生や勝浦さんが教えて下さいました。今 2時間足らずの集会がとても短く感じます。礼拝CDも送って頂いていますがスカイプを通して生の講話を聞けて参加している方々と一緒に賛美歌を歌い感話が聞けれる事は神様を近くに感じて幸せな時間です。いつも集会で司会やお世話をして下さる方々のご苦労は大変なものだと思います。心から感謝します。ありがとうございます。 |
M.D 僕はいち信仰者です。「いち信仰者」であると魂から叫んでいます。でも、実際、日々の生活では、自分の中でとてつもない葛藤、疑問、悩み、不安、苦しみが、渦巻いています。僕は生まれつき重い内部障害をおっており、5歳と8歳の時に二回も大掛かりな心臓外科手術をしました。ある日、突然、母親から、「これから手術をする。痛いけど、しなかったら13歳になるまでに死ぬ。」といわれました。僕は、五歳でした。手術をして何日も水分制限をされ、今でも、おぼろげに「飢え」や「渇く」苦しみを覚えています。このころから、僕には「死んでしまう・・・。」という、あの背骨を駆け抜けるような深い凍るような「冷たい恐怖」を何度も感じながら生きてきました。その苦しみは、やがて、日々の喧騒と、快楽主義と、日和見主義とにすぐに取って代えられました。しかし、それでも、その恐怖は、幾度と無くある日突然に僕を襲い続けてきました。高校生のとき、ある知人の死に直面したとき。僕は、もうよそ見できなくなり、立ち止まれなくなって、やがて、うずくまってしまいました。海外に、全てを忘れる為に「逃げ」ました。母には、よく、子供のころから「あなたは、自分の困難に直面せず、逃げてばかりいる。」とよく叱られましたが、やはり、逃げました。「こんな究極的な問題を解決できるものなどない・・・」と半ばあきらめていましたが、諦めきれませんでした。僕には、この苦しみを乗り越える、その「答え」が必要だったのです。それを見出さなければ生きていくことも困難であるばかりか、「『生きている』ということが何なのか分からないではないか」と思いました。 必死で、本当に世界中で、答えを探しました。哲学書も読みました。神主にも話を聞きました。葬式に来た御坊さんにも疑問をぶつけてみようとさえ思いました。でも、みんな一様に、「お前は考えすぎなんだ」とか「そんなことは考えないほうがいい」とか、最後には「そんなもの誰にも解決できないんだ」とまで言われました。それでも、僕は「見つからない」と思っていた答えを探し続けました。 そんな中で、ある古くからの知り合いの方(今は、主につながる兄となってくださいました)のもとに、最初は母に連れられて、その後は、折に触れて、何度も訪れました。彼は言ってくれました、「神様はいる。永遠はある。」と。でも、信じられませんでした。僕は、「そんなうまい話はない。どこにもないし、そんな単純ではない。」と思っていました。その後も苦しみもだえ続けました。僕は、「死んだ」ようになっていました。「生きている」とはいえませんでした。そして、最後にこう言いました、「しるし(奇跡)をみせろ」と、「そうすれば信じられる」と。 苦しむ最中での兄との出会い。そして、彼は、いつも僕に「善き知らせ」を教え続けてくださいました。彼を含め、海外で苦しむ僕に手を差し伸べ助けてくれたのもクリスト者の方々でした。僕の英語の先生は、苦しみ悩み続ける僕の話に耳を傾けて、「全ての悩みを捨てて、主に行きなさい。」と言ってくれました。また、イギリスで「死んでいた」僕の話を聞いてくれた大学の僚友は「君の為に祈っているから」といってくれました。そして、「信じたいけど、信じられないのです」と嘆いていた僕にゆっくりと耳を傾け、自らの信仰を告白してくれた(いまは兄弟姉妹となってくれた)方々でした。よい本を届けてくれたのも(いまは兄弟姉妹となってくれた)方々でした。 それでも、こんなに、たくさんチャンスがあったのにもかかわらず、「信じたいから信じるのはおかしいし、それは、真実じゃない」と、「立ち返る」ことは出来ませんでした。そんな時、こんな暗い暗い、まさに、「混沌」の真っ只中に、主は、ある日、わたしのために、わたしの元に現れてくださいました。そして、ある日突然に信じられるようになりました。しかし、振り返ってみると、「主は、いつも僕のそばにいてくれたんだ」と強く感じられます。 以前、どうしても信じられなかったものを、今は「信じよう」と願い求めています。確かに誘惑に負けることもたくさんあります。多くの過ちも犯し、罪にまみれています。たえず、自分の「エゴ」が見え隠れしています。弱いし、臆病だし、醜い自分です。でも、僕は、主はそれらの全てに勝っていると思います。なぜなら、自分が半生をかけてあらゆる方向からあらゆる方法で否定し続けていた「(実はすぐ本当に目の前にある)真理」と「願い」とを、そのどちらの答えをも持っている主が、いつもすぐそばで共にいて、導きの手を差し伸べて下さり続けているから、というゆるぎない結論があるからです。主は、全てを用いて僕に語りかけてくれているように思います。クリスト者の兄弟姉妹はもちろん、自然、また、クリスト者ではない方々もしばしば不思議と僕の信仰の後押しをしてくれるのです。僕の半生をかけた全ての背きよりも、僕の人生の複雑な状況よりも、主の御力のほうがはるかに強いのだと思います。今、僕は主にゆだねて「生きたい」と思っています。なぜなら、主は僕の必要なものを全てご存知であり、僕の願いをもご存知なのだと思うからです。そして、主はいつも常に僕の思い願っていたものよりも遥かに偉大で愛に満ちた答えと恵みを与えてくれます。家族兄弟姉妹を与えてくれたこと、妻を与えてくださったこと、よい仕事や、よい知恵、よい習慣やよい考えを与えてくださり、また、今も、与え続けてくださっていること。主の恵みは溢れんばかりです。「僕の今もっているような動揺や不安、疑問なんかは、主がいずれ解決してくださる」、今の僕はそう思えるようになったのです。「主にあって常に喜んでいる」ことがいつか、完全な形で主によってもたらされるように今は思えるからです。主に感謝。主を賛美します。アーメン。 |
M.M 今年の夏は全国的に異状気象の、猛暑で大変でした。一昨年の暮れに「急性心筋梗塞」で緊急手当を受けて半年病んであったので、心配で、いたのに、護られ、広い庭の草採り、畑の仕事まで出来て、夏野菜にも恵まれました。 加齢とともに早起きになっているので、大体五時・五時半には目覚めます。六時二十五分の「テレビ体操」をしてから農良仕度をして外へ出て行くのです。「もう畑仕事は出来ない、しないと決めていたのに。」弟(八十歳・クリスチャンです)が私より大変な心臓病の手術の後を「頑張って家庭菜園をしている。」と何度もしっかりとした便りをくれたので啓発されてボツボツ初めてみたら、成功(?)したものです。 欲をしない、無理しないで朝の一時間内だけ働いて、後は、終日他の事をしていて、日曜日、雨降りを除いて今日迄に七十七回働けました。 朝食も美味しく頂けたし、朝の礼拝として内村鑑三の「一日一生」「続・一日一生」そして聖書の通読もする、規則正しい生活を守れて感謝でした。日記も必ず書き、聖句のポイント(?)も毎日銘記しています。外の仕事も今後雪でも降らなければまだ続けられると思っています。現在、大根白菜(六株大分大きくなっている)かぶ菜・小株・葱が育っています。「一病息災」という言葉のように、確かに病気を持っていると、無茶無理をしないで気を付けて生活するから元気でいられるのですね。病気を持ってからの生活の方が充実出来ているのですから、有りがたい事です。 近所に住んでいる三女の子供(孫)小五・中一・中三の男の子三人が、私の力の足りない処を補ってくれます。畑を耕し、馬鈴薯を播き、(後は殆ど私の仕事ですが)暑い日盛りに三人で、馬鈴薯掘りをしてくれて大助かりです。沢山収穫出来て家にも持ってゆけたし、子供達にはよい体験が出来嬉しい事でした。 この夏(二〇一〇年)、八月五日に、吉村先生が、北海道の伝道旅行の帰途、本州を南下なされて、この信州の私の家でも小集会をして下さいました。私の友人の他に、この三人の男の子も参加し科学の話を通し、神様について語って頂く事が出来、感謝でした。 そのとき、たまたまセミが風鈴に止まったのを先生はすばやくキャッチされ、そのセミを通して神様の臨在を教えて下さいました。子供達は家へ帰ってから「神様は在ると思うか(?)どう思う」と討論(?)していたそうで、貴重な時を与えられて暑い夏も感謝な事でした。 十月になってさいたま市の栗原夫妻がはるばる来てくださって集会をして下さる事になり二十四日(日)に集会を持ちました。この方は元中学校の英語教師をされていたので、子供達にはよいチャンスで、三人共出席しました。大人の参加者も私を入れて四人になって感謝でした。 今度で三回目で、お話に続いてマジックをして下さるので、興味深く、和やかな雰囲気の集会が出来たのですが、讃美歌が少ないのが残念でした。もっと要求すべきでした。 来る十一月には千葉より多田兄が来て下さる事になっています。楽しみにしています。 心臓を悪くしない以前は、独立伝道会の総会に上京したり、恒例の伊豆の新年講習会にも二泊三日独りで出席し、御殿場での夏期講習にもなるべく欠席しないように努力していたものでしたが―、体力が無くなり、老齢で遠出が不可能になった現在、わざわざ遠くから伝道して下さる教友の方々の御好意で、田舎に居乍ら集会をさせて頂ける幸を感謝しています。 現在の私は普段「讃美歌」を歌う時を殆ど持てなくて居ます。病後になって「独り暮らし」の中でどうも気分が盛り上がらなくて困るのです。吉村先生の集会のように多くの讃美歌で主を讃えなくては―と知り乍ら、(CDも送って頂いて居るのですが)現在の私は頓挫していて困ります。音楽は子供の頃より大好き、又得手だったのですが。―(音楽の教師だったのに) 「神様どうぞ、何よりもあなたを讃美し、感謝の出来る毎日を与えてください。私に与えられた賜物を活かして元気よく前進出来ますように!もう少しの時間をどうぞ導いて下さるようにお願い致します。」アーメン 長野県 |
M.T そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 マタイによる福音書22: 34―40 この聖書箇所にはイエス様が直接教えて下さったキリスト教の中心となる大事な実践規範が示されています。この聖句は三共観福音書のいずれにも同じ内容が記載されていることを私たちは良く知っています。 しかし、私たちは新約聖書を通してこの教えを単に観念的に知っていたとしても、日常生活でこれをどう生かし実践すべきかとなると、自信が薄れて分からなくなります。第一の掟はよく理解できますが、問題は第二の掟です。隣人とは誰なのか、その範囲はどこからどこまでなのかすっきり納得できる具体的回答を得ることは簡単ではありません。ルカ福音書12章では、この後に「隣人とは誰ですか」という質問がなされ、イエス様はここで有名な良きサマリア人のたとえ話をしておられます。これをヒントとして回答を引き出すべきなのでしょうが、この場面の状況では良く理解できるにせよ、実際の日常生活全般において隣人とはどの範囲まで拡大して考えたら良いのかとなると自信がありません。そして自信が無いままに回答をやり過ごし、冒頭の場面に遭遇した時にだけ自らの思いつき判断で行動しているのもどうも納得できません。 でも前向き積極的に一歩進んで、より御心に適う隣人愛をどう解釈し日常で実践したらよいのでしょうか。私たちの多くは自分一人だけでもこの世で生きて行くことは容易で無いのに、一人でも多くの人の力になりたいのは勿論ですが、経済力、生活力の無い弱い自分が一体何人の他人を助けられるでしょうか。神様との関係においては成果の規模や我力による努力の大きさよりも神様を愛し従う心のあり方が大事なことは理解できますが、もっとすっきり納得できる回答は無いものでしょうか。 子供の時分から私は、他人のためにどれだけ自分を犠牲にして奉仕すべきなのかという問いの回答を何十年も求めてきました。一般人の自分のできる範囲で主の御心に適うにはどう判断したら良いのでしょうか。 でもついに、2008年7月22日NHK TV番組「心の時代:弱き人々に学ぶ」で大阪釜が先ご在住の著名な聖書学者で実践活動家の本田哲郎神父から納得できる回答が得られました。本田先生は、イエス様が示された隣人愛とは「自分の手の及ぶ範囲にいる最も小さくされた惨めな状況に置かれた人まず一人を見つけて、自分が相手と対等かそれより低い視座に立脚して(understand)相手を良く理解して連帯し、彼らの願いが実現するように助け、寄り添い、一緒に立つことである。」という趣旨の解釈を教えて下さいました。私は主の御心に適う隣人愛とはどのようなことかに目を開かれて、大きな喜びと感謝に満たされました。 私たちクリスチャンはもとより、政治家が、大資本家が、土地成金・職業成金など社会で偶然有利な立場に恵まれ生活に困らない人が、オピニオン・リーダーが、臨床医者が、学校の先生が、そして世界中の全ての大人や子供たちが少しでも深くイエス様の教えを理解して、神様の存在を信じ、最低限の隣人愛の実践を心がけたならば、それだけでこの世の中はどんなにか住み良くなり、世界は破滅から免れて神の国が一歩ずつ到来することでしょう。私たちの人生の目的は神様に感謝してお返しをするために生きることです。御心に適う隣人愛の実践やその啓蒙に皆で努めて行きたいものです。時は満ち、神の国は近づいているのです。 推薦図書「釜が先と福音」本田哲郎著 岩波書店2006年発行 (天神聖書集会) |
M.S 高校を卒業して一年しばらくして、就職のため上京した。八王子に住む兄夫婦に迎えられたが、結局は就職は失敗に終った。失意の中でしばらく兄の家にやっかいになっていた。 時は夏であった。東京の神学生たちが三、四名、ある幼稚園を借りて夏期伝道集会をやっていた。たまたまそこに出向いたところ、一人の神学生が、真剣なまなざしで、内村鑑三の「ロマ書の研究」を差し出して、これを読めと勧められた。それほど言うなら読んでみましょうとお借りした。読んだ。目からうろこ。聖書のとりことなった。 内村に信仰を学んだ塚本虎二の雑誌「聖書知識」を八王子の本屋で見つけた。一九五六年八月二十一日、二十歳の誕生日であった。闇の中に光が輝いた。九月に湯前に帰った。八代から肥陸線に乗りかえる。何とすばらしい景観であるか。ふるさとが輝いている。 秋の収穫期。稲の脱穀が終って加勢に来た親戚の者もともに夕食をとっているとき、背の高い外人が供をつれて人吉からジープでやってきた。人吉聖書教会のアクスリー先生と、中学時代の同級生、長渡君たちであった。用件は、僕に人吉の教会に招待しますということであった。ともかく、こんな片田舎にアメリカ人が来るなんて後にも先にも初めてではなかったか。それから、暇があれば人吉のアクスリー先生宅へ日曜日には出かけた。説教と、教会員との交流は楽しかった。まもなく会堂も建設された。 高校を卒業して三年間、湯前の実家で農業の手伝いをしながら、土方をしたり、山の仕事をしたりしながら、小遣いをかせぎ、本を買ってはせっせと読んだ。聖書とその周辺に関するものが主であった。後半はキリスト者となり、まことに楽しい三年間であった。 人吉高出身で長崎大に在住の兼田君は、休みにはよく遊びに来てくれた。高卒三年目の暮れ、大学三年の兼田君が「右田君、大学にでも行かんな」と言った。同席の長兄が、援助すると言った。そこで、熊本の大学に行くことになったのである。 人吉教会とは疎遠になったが、今でも交信している友人もあって、懐かしい人吉の思い出である。 熊本市 |
M.M お祈りありがとうございます。 下関市に住んで二年経ちました。二度目に静岡(現、清水区)で生活を始めた時(20 01年)「ボケ防止にはパソコンがいいですよ」と石川昌冶兄から勧められて、これ以上進ませないためにと始めたパソコンでしたが下関に移った時点で、私に一番必要な時でしたが環境とか身体的な理由で止めました。パソコンで、スカイプ、が行える時代に、私は昔ながらの生活を続けております。ですから尚更に私にとりまして、宝物、-毎月、徳島 発の二つの、クロネコメール便をわくわくしながら待っております。 1997年5月「はこ舟」5月号(436号)と「集 会だより」が届きました。宛名は 夫と連名で、奥様の美しい筆跡でした。夫が天に帰った翌日の事でした。封筒を抱きしめる様にしてお祈りを捧げたのでした。吉村先生のお便りが添えられてありました。 「水渕様 過日は多くの協力費をありがとうございました。水渕様が苦しい中においても協力費のことをいつも御心にかけておられたとのこと、どうか主がそうした真実を覚え祝福してくださいますように。そして今の苦しみを主が共にになってくださいますように祈ります。看病されている恵美子様の上にも新しい力が注がれますように祈っています。 吉村 孝雄 「おとうちゃん(子供は無いが愛称)吉村先生からお礼のお便りを頂ましたよ。読みますね」天を仰いで読みました。涙が溢れました。 「はこ舟」は、しっかりした上質紙で十二頁「集 会がより」は一枚でした。夫の葬儀も済んで一段落してから読みました。心の中の夫と一緒に・・・・。礼拝のテープも聴きました。 あれから十三年経ちました。大切な宝物です。 「いのちの水」は分厚くなり、奥付けもすっかり変わり。大好きな「集 会だより」も充実して。テープは時代の最先端をいくMP3CDへ。 神様が下さった英智の結集の様に思えます。 CD作製の大変なご苦労、ご自身のお仕事を持たれながら、視覚障害者でいらっしゃる数藤兄や熊井兄、その他大勢の兄姉が完成まで係わってくださっていることを「いのちの水」誌上で知らされた時の感動(衝撃)心に深く留まっております。これ迄以上に真剣に学ばせて頂かねばと強く思いました。 2001年、石川昌治兄みち子姉に連れられて徳島聖書キリスト集 会の礼拝に参加させて頂き、その後もお訪ねさせて頂いて大変お世話になりました。集 会所の様子も分かり、マイクが廻っている状況が目に浮かびます。親しい方々や、DVDでお会いした方、お名前だけ覚えている方、初めての方もこの方々とご一緒にイエス様を中心に御言葉を学び、賛美し祈り合える喜びに満たされます。徳島から聖霊が流れて来て忽ち私の部屋が厳粛な徳島聖書キリスト集 会所に替わります(移動夕拝の時はそれぞれのお宅、いのちの里作業所)賛美タイムの時間が愉しみです。 賛美し司会者が講話に合わせて選び出しておられるのですね。 開会(閉会でも)のお祈りに情報を頂き、祈りの課題を頂く事も多いです。 「録音」を聴いて礼拝している人達の上にもと祈って頂いて感謝です。 聖書朗読し豊田姉が渾身の力をこめて音読される様に感じ私も力が入りますし点字聖書をすらすら読まれる時、胸が熱くなります。 前講を担当される方はご自身で良く学ばれて解り易いお話に心打たれます。 講話し一節の一語一語について適確な参考書籍による引用、参照聖句など示され、原語(他国語)で、英語ではと驚く程、深く解き明かして下さり、鈍い私でもよく解り、心に留まります。感話の時間、中途失聴の奥住姉や桜井姉が、手話通訳の方の適切な表現を集中して読み取っておられるのだなあと感動します。皆様方の御言葉の受け止め方纏め方に学ばされます。これ迄で、特に心に深く留まっていますのは、吉村兄の「罪を犯した人に石を投げつけようとしているのか、愛を投げかけようとしているのか、」北添兄のお話「・・・山羊になってはいけない。羊にならなければいけない・・・」(違っているかも知れません)吉村恵美子姉が、光景が目に浮かぶ様に話された事です。 閉会の祈りー講話の要点から始まるお祈りに心からアーメンと和します。 黙祷、黙想の時間の重要性を、改めて学ばせて頂きました。「神様の前に畏れを以って礼拝する。 愛する事は祈ること。祈りとは聖なる霊を頂いて全身全霊を献げること。憎しみからは平安は得られない。 日々の罪を潔め赦して頂きそこから歩み始める(講話)お祈りを頂いて「新しい力を注がれて」(お便り)イエス様が背負ってくださり運ばれております日々―。「今」を心から感謝し、御名を崇めます。 下関市菊 |
つゆ草集会への思い M.K 「つゆ草集会」という聖書の学びの集会に一度参加したいの思いは、徳島大学病院で長い闘病生活をしているクリスチャンの勝浦良明さんに会いたい。体が動かないのに、どうやってパソコン操作をしているのだろうか? 膨大な讃美歌をパソコンによる入力でなさって下さり神様への賛美ができるのはほんとうに感謝です。ぜひお礼が言いたいの思いでした。 病室での集会との事で静かに祈る、何か重い感じのイメージでした。 緊張しながらドアを開けたとたん「わ!」と心の中で叫んでいました。広くてゆったりとした部屋、大きな窓から暖かな日差しが、天井からはペーパーフラワーの金魚達が揺れ、壁には聖句、聖画が、手作りの花や可愛いぬいぐるみがいっぱいでした。 中央に置かれたベッドの上の勝浦さん、めがねの奥からキラキラ輝く目が優しく向かい入れて下さいました。そしてつゆ草集会が始まり他の家庭集会と同じ祈り、讃美、講話へと続きます。讃美歌もたくさん歌い、講話も感話も心に染み入りました。 勝浦さんの強靭な精神と確かなキリスト信仰を受け取ることができました。何かしら温かいものが流れ、心満たされ喜び帰ったあの日の気持ちを忘れる事のないよう、今も大切にしています。 つゆ草集会を通して勝浦さんに出会わせて下さった神様、有難うございます。 つゆ草集会を通して勝浦さんの真実に生きている姿に「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ信徒への手紙五・三~四)希望は失望に終わることはないという聖書の言葉は真理であると示して下さった神様、有難うございます。 嵯峨山さんと一緒に静かに平安な生活をしたいと願う勝浦さん、すべてがイエス様と共にいること感じます。 つゆ草集会がこれからも豊かに祝福されますように願い祈ります。 板野郡 |
M.K この世的な表現だが、この度「野の花」デビューの機会を神様が与えて下さった。 吉村先生がいつもこの文集を送って下さっていたので知ってはいたが、私の文章など神様に用いられる訳がない、と全く眼中になかった。しかし、吉村先生を通じ投稿させていただく機会を得て、心の思いを書きたいと思った。 今年から、がらりと仕事の内容が変わり、責任重大な位置に置かれ、且つ苦手で不慣れな事務が加わり、毎日、四苦八苦でこの世の仕事に追われている気がしている。そして、他では通用しない無能の自分にやりがいのある仕事を与えられていること自体、奇跡と恵みであることを神様に感謝しつつ、心の奥では「勘弁して下さい」と思う自分と戦っている。 一日、事故もケガもなく無事に子どもたちが楽しく過ごし、暗くなって一人また一人と保護者に連れられ全園児が帰っていくと、ほっとする。 日々をイエス様が守って下さらなければ、お手上げの無力な人間の仕事である。毎日、祈り、導いていただき、全てを委ねて、お許しのある限り現在の仕事を全うしたいと願っている。-------------------------------- 「私の意志を御心のままに」 主よ、いまから、 あなたの御用のために、 あなたとともに、またあなたにおいて、 役立てる以外には、私が健康や、 長寿を いたずらに願うことがありませんように、 あなたお一人が、私にとって何が 最善であるかをご存じです。 ですから、あなたがご覧になって、 もっともよいと思われることをなさって下さい。 御心のままに私に与え、また取り去って下さい。 私の意志をあなたのご意志に従わせて下さい。 そしてへりくだった、まったき従順の思いをもって、きよらかな信仰を保ちつづけ、 あなたの永遠の摂理によるご命令を受け取ることができますよう、 そしてまた、あなたから与えられるすべてのものを讃美することができますように。 松山市 |
山梨県 Y.S 賛美歌一二一番「まぶねのなかにうぶごえあげ」 この賛美歌は、主イエスの誕生から十字架の死にいたるご生涯が歌い込まれている。特に三番歌詞『すべてのものを あたえしすえ、死のほかなにも むくいられで、十字架のうえにあげられつつ、敵をゆるししこの人を見よ』まで、歌い進んだとき、急にこみ上げるものがあり、歌えなくなってしまうのがしばしばである。そして四番歌詞『・・・この人を見よ、この人こそ人となりたる生ける神なれ』と、歌い終わるとき、熱いものでふさがれた目が開かれ、ナザレのイエスこそキリストであるということを、最初に世に紹介した洗礼者ヨハネの慧眼にあやかりたいと思うのである。 ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。」(ヨハネ福音書1:29) 「『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。」(マタイ福音書 11:10) 賛美歌三一七番「ガリラヤのうみべ」は、音楽的にもすぐれており、最も好きな賛美歌の一つであり。特に半音階的に下降するふしが、四番歌詞「思いわずらいに身をやかれて」の内容と見事に一致している。しかしきちんと音を取るのはかなりむずかしいふしである。半音階的なふしは、調性がはっきりしないため、落ち着かない、不安な気持ちにさせる。しかしおしまいの「すずしき御声をきかせたまえ」のところで、安堵感に満たされる。この賛美歌は主イエスがガリラヤの海辺で祈っている情景を歌っている。場面は違うがゲツセマネの園で「御心ならばこの苦い杯を取り去りたまえ」、と祈った主イエスの心の乱れを思うとき、自分の祈りがイエスの祈りと重なり、この賛美歌が忘れがたいものとなる。 賛美は祈りとともに私たちの信仰生活に欠かせないものであることは当然であるが、ひとりしずかに口ずさむもよし、人と一緒に歌うもよし、楽器の伴奏で歌うのもよい、しかし無伴奏で四パートに分かれ、純正なハーモニーが醸し出されるとき、音楽が言葉を越え、まさに至福のときである。 |
M.K 14年前、沖縄での無教会全国集会で会って以来、『いのちの水』誌を購読させていただき、いつ頃かはっきりしませんが、『野の花』も送っていただきながら、今まで一度も、投稿しませんでした。 最近は、妻も『いのちの水』誌を読むようになり、「とても読みやすく信仰生活の糧になる」と感謝しています。それで、感謝をこめて、「春風学寮の寮長に導かれて」と題して、投稿させていただきます。 1990年の夏、勤めていた学校の国内外研修制度を利用して、シベリア鉄道の旅の途中、ポーランドの首都ワルシャワで、或る出来事があり、聖書には「誓ってはならない」とありますが、私は神様に誓いの祈りをしました。「神様が願いを聞き遂げてくださるならば、残りの人生、この身を神様の御用のために捧げます」と。 あれから20年、神様はあの時の祈りをお聞きとげ下さり、今、実現されておられるという畏れと感謝の思いでいっぱいです。 私は、3年前、韓国無教会キリスト者金教臣・宋斗用先生の本を出版するために力を注ごうと、定年を前にして、長い間勤務していたキリスト教主義の学校を退職しました。これが私に与えられた人生最後の仕事であろうと思っていたのですが、昨年の春、思いもかけず、学生寮の寮長就任の話があり、「これは神様の御旨である」と信じてお引き受けし、今年5月から妻と一緒に学生たちと起居を共にしながら、楽しく過ごしています。 寮の名前は「春風学寮」、東京都心の新宿から約20分、世田谷区の閑静な住宅街の一角にある男子学生14名定員の、小さなキリスト教精神に基づく学生寮です。今から81年前に道正安次郎・多賀夫妻の祈りによって、「出会いと友情を培う共同生活の場」「信仰・人生・学問の共同学習の場」として創設されました。入寮資格の中に「キリスト教に対して理解と共感を持ち、聖書の学びに関心を持っていること」。そして、入寮後の義務は、「日曜日の聖書集会に出席すること」となっています。ですから、寮長の最大の仕事は、寮生活の運営以上に、日曜日の聖書集会の責任を負うことであります。今年度は、聖書講話を前寮長代行の友人と私が交代で行なっていますが、寮生の肉体の健康と魂のみとりの責任が寮長・寮母にかかっていると言えます。日曜日の朝の食事会、午前9時から10時半までが集会で、学生もいつまでも寝ている訳にはいきません。このような学生寮を希望する学生も少なくなりつつあり、現在入寮している大部分の学生がクリスチャンではない状況で、キリストの福音をいかに証しし伝えていくか、大いなる戦いの日々でありますが、小なりといえども福音伝道の一翼を担わされたことを感謝しつつ、すべてを神様におゆだねし、許される時まで、妻と共に従って行こうと願っています。これからも主にあるお交わりとお祈り、よろしくお願いいたします。 東京都 |
Y.A さる十月十一日、地元の有志で半年にわたる練習を重ねブラームスのドイツ・レクイエム(最初の三曲)の演奏に挑戦し実現した。アマチュアには難しすぎると言われている曲である。 レクイエムはカトリック教会における死者の安息を願うミサのことであり、そのミサで演奏される曲のことも同時に指す。ミサの歌詞(通常文)は基本的にはラテン語であるが、ブラームスはラテン語を使わず敢えてドイツ語にこだわった。しかも伝統的なミサの通常文をドイツ語に翻訳したものではなく、マルティン・ルターが訳したドイツ語の聖書から抜粋して使用した。 北ドイツ、ハンブルク生まれのブラームスはルターの影響を強く受け、その改革の精神は「ドイツ語の」「ドイツ人の」レクイエムと名付けたタイトルにもあらわれている。ブラームスは自ら詩編、イザヤ書、福音書、書簡、黙示録等から聖句を選び出し、それに曲を付したのである。 第一曲の冒頭「悲しむ人々は幸いである。その人は慰められる。」(マタイ5:4)と、全体を支配する動機で始まり、第二曲では葬送行進曲のリズムにのせ「主に購われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え嘆きと悲しみは逃げ去る。」(イザヤ35:10)と、そして第三曲の終り「神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。」(旧約聖書続編:知恵の書3:1)と、複雑に絡み合うフーガにのせて信仰の確信が高らかに歌われる。 賛美歌や聖歌は、普段の集会ではメロディーだけをみんなで一緒に歌ういわゆるユニゾンが普通で、それはそれで十分に目的は達せられるが、四つのパートに分かれ、各パートに大人数を配し、壮大なオーケストラが加わることにより、合唱とオーケストラが融合し、天の高みまで引き上げられる。 御子イエスがお生まれになったとき、天使たちに呼応して大軍が「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と神を賛美する大合唱が大空に響き渡ったように、神への賛美が極点に達した。 それは天と地が交流する瞬間であった。ドイツ語の解る人も解らない人も、その充実したハーモニーの中に主の御声を聴いたのである。ドイツ語の聖句も、半年間繰り返しているうちに次第に自分のものとなるから不思議である。 賛美の言葉に音楽が加わるとき、賛美は賛歌となり、その声は天にまで届けられる。古来、音楽家たちのパトロンであった教会が、作曲家を雇い数々の聖歌や賛美歌その他の宗教音楽と言われる膨大な曲を作らせたことは、その動機はどうであれ、今日大きな遺産となって私たちの魂を潤している。 |
Y.T 最近、宮村武夫の著作集(註1)中の「ルツの神」を読み、大変感動を受けました。今まで私はルツの姑と神に対する愛の美しさに心を奪われていましたが、今、姑ナオミの生き方にも深く心動かされ、本の内容をご紹介いたします。 士師の時代、ある夫が飢饉のため、、妻ナオミと二人の息子を連れてユダのベツレヘムからモアブに移り住みました。夫はその後その三人を残して死に、二人の息子はその後モアブの女、オルパとルツを妻としました。十年後二人の息子も死に、ナオミは二人の嫁と故郷ユダへ帰ります。ユダに帰る道すがら、ナオミは二人の嫁にモアブに帰るように勧めます。「あなた達は死んだ息子にも私にもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに従い、あなた達に慈しみを垂れてくださいますように。どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなた達が安らぎを得られるように」(一:8~9)このナオミの真心のこもった感謝と祈りに、私はナオミの日々の生き方がよく現われていることを感じ心を強く打たれました。自分の故郷に帰れと言うナオミに対してルツは、「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊りになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならとも角、その他のことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」(一:16~17)と信仰告白をしています。 しかしナオミは生活は飢饉のため故郷を出て、夫も二人の息子も失い、家庭に次々と災難が襲ってきたのです。ベツレヘムに帰ったナオミは、人々がナオミ(快い)と呼ぶのに対し、マラ(苦い)と呼んでください。全能者が私をひどい目に遭わせたのです。(一:20)というほどのものでした。私は彼女も辛かったのだと思います。しかし彼女は神を決して忘れなかったのです。この事に関して宮武先生は「家内安全、商売繁盛的な信仰へ導く魅力は何もなかった。そうした現実の中でナオミと生活し、一部始終を見聞きしているルツがナオミの信じるイスラエルの神は真の神であるとの信仰に導かれて行ったのです。そこには、自分を中心に物事を判断し、利害関係ですべてを決定していくあり方とは違う姿勢を見ます。言わば、「神が神であるから信じるのです。これこそルツの信仰です。ルツがこのような信仰告白に導かれるにあたり、ナオミの生活と生涯が用いられているのです。そこに見るのは一方的な神の憐みであり恵なのです。」と言われます。罪のない人はなく、ナオミも自分の罪を思い、苦しんだと私は思います。しかし、神の憐みと恵はそれにまさることを、この物語は示しています。そしてこのような私たちを通して信仰の継承を神はなし給うのだと。 ルツは落ち穂拾いの生活をする中でボアズと出会い、子をうみ、それがダビデ、イエス・キリストの系図に連なるのです。 先生は「ルツの日常生活の基調は自分が置かれた生活の場で義務を忠実に果たし続けていくものなのだ。義務が中心です。ルツはルツとして、私には私として与えられた務め、その日常性の中に徹することがルツの日常生活であり、私たちの生活、生涯であると言われます。そしてルツの神のご計画はルツを通して、また、私たちを通して実現されて行くのです。平凡に見える日々の繰り返しは、その根底に生ける神に対する信仰がある故に、意味深い営みとして全力を注いで悔いのないものとして受け止められているのです。」と言われます。 その言葉は私をとっても力づけました。愚かで罪の多い私ですが、悔い改め、日々を主を仰いで生きることはできる。大きな事でなくそのような日常生活の中の道を神様が備えていてくださることは、本当に喜びであり、希望でした。 また「結局ルツは公の系図に関する限り、無名の人物であった。この無名のルツを通して歴史が進展していくのです。ルツ記の主題は、神の救いの歴史において、個人がいかなる位置、役割を担うかの課題、つまり全体の中での個の大切さである。」と言われます。 小さな無名の者をも顧み給う神の大きな愛を、私は心から感謝いたします。 「ボアズはルツによってオベデが生まれ」(マタイ一:5)とあるようにイエス・キリストの系図に位置を与えられ、そしてイエス・キリストにより神の歴史は進展していきます。 旧約の時代に、異邦人であり、無名の人であるルツを通してこのことがなされたこと、イエス・キリストがこの世に神のみ子でありながら来てくださいましたこと、を思う時、どのような小さな者をも顧み給う神の愛を改めて思わされ、神のみ心は必ず成ることを思い、大きな希望をいただきました。感謝です。 註一 宮村武夫著作一 「愛の業としての説教」 (発行者・・宮村武夫著作刊行委員会。 発行所・・株式会社ヨベル) |
W.T へレン・ケラーは見えない、聞こえない、語れないという三重(三・十)苦を背負ってこの世に生を受けました。後年、彼女はキリスト者となり(成らせて戴いて)、「神様の御旨が私に現れるために与えられたのであります。このことが良かったのです。神様に感謝します。」と伝えられ聞いています。 今年(二〇一〇年)の十月十日は奇しくも礼拝日(日曜日)でありました。日本の漢数字の十は、礼拝日には十字架を象徽します。私流に想うとき、十字架が三個重なった、七〇〇年に(計算すると、百年後二一一〇年十月十日は土曜日こなりますから。)一度しか来ないイエス・キリスト特別の記念すべき祝福された日であると感じました。その喜びを何かに現さねばと思い、次の漢字を選んだのでした。 (拝語十・三) 父、子、霊、道、真、命、信、望、愛、十、言、永、栄、と(御言二十)神、聖、正、光、力、祈、謝、救、恵、安、復、再、畏、喜、幸、従、新、生、成、讃、で計三十三あります。十三の数は、イエスと十二弟子をも現しています。最後の晩餐に描かれているように、その中にはイエスを売ったユダもイエスを裏切ったぺテロも入っていたのでした。イエスはこれらのいたらない弟子たちすべてを愛し、導かれたのでした。 (御言二十)は、二〇一〇年にちなみ聖書の中から大事と思われる「語jをピックアップさ せて戴きました。大事な御言葉がまだまだあります。が今回はこれにて締め切りとしました。 これらの漢字にふりがなを付け、讃美歌一二一番のキリストの生涯(讃美歌二一では二八 〇番)で歌えるようにしてみました。(拝語十三)は三,四行目の小節、「ちちみこせいれい、みちしんいのち、しんぼうとあい、じゅうじかげんえいえい」と歌います。(御言二十)は全小節「かみはせいせい、ひかりとちから、いのりとかんしゃ、きゅけいへいあん、ふっかつさいりん、おそれきこう、したがうしんせい、かんせいさんび」と歌ってみて下さい。 終りに、吉村様、いつも神様の御言葉満載の「いのちの水」お送りいただきまして感謝です。今回の号は数に関して特に感じことが二つあります。ーつは発行年月日、二〇一〇・十・二十は初めから読んでも、終りから読んでも同じです。「わたしはアルパであり、オメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から値なしに飲ませよ う(ヨハネ黙示録二一章六節)」と言う聖句を想起させられました。次は号数です。五九六(ご 苦労)号となりました。長い年月の間、神(主)の為に、使徒として、お働き頂き本当にご苦労様でございます(現在進行形)。これは神様からの勲章の号と思いました。御旨が善しとされる、そのままにお働き下さいますようにお祈りいたします。 (仙台嘉信聖書集会・所属) |
L.P わたしは、アメリカで生まれ育ち、二〇一〇年7月から初めて日本での海外生活がはじまりました。すべてが新しい経験です。 わたしの育ったアメリカでは、基本的に人口の全体の多くがクリスト者として生まれ育っています。そして、「クリスト者として生きる」または、「教会に行く」ということも日常のごく自然なこととして社会では受け入れられています。 その集会のあり方もさまざまで、なかでは「お祭りさわぎ」のようになっているところもあります。そんな中、徳島聖書キリスト集会での礼拝集会はわたしにとってとても新鮮な経験でした。 日本におけるキリスト教の集会として、とても「純粋」なものを感じました。アメリカでの教会(集会)の中で育ってきたわたしには、「少し堅苦しいかも」っと、時折思うくらいです。 アメリカでは、主日の礼拝のために、教会には「行かなければならないから行く」というひとが多いと思います。それから、習慣だからいく、文化だからいく、伝統だからいく、といった理由や、「教会に行っていないと他人からの信用を損ねるから」とか、「他人に自分のことをよく思ってほしいから」などというとても不真実な理由で集会に通っている人たちも多くいます。 しかし、徳島聖書キリスト集会の礼拝集会には、「礼拝したいからいく」という本当に真実で純粋な理由で参加者が集まっていることを思わされました。そして、真実な交わりがなされていると思いました。(高松市) |
夕べがあり、朝があった Y.E 聖書を読み始めて四十年余りになります。でも随分長い間、このみ言葉を「なぜ?」と、思うこともなく読み過ごしてきました。慣習の違いなのかもしれないと簡単に片づけていました。四,五年前に「なぜ、夕べが先なのかしら」と、ふと思いました。一日は朝から始まると当然のように思っていたのです。この言葉は創世記一章に六回出てきます。そして答えはすでに示されていたのです。 神が天地を創造された時、地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。 (創世記一章1~3) 「光あれ」という言葉は旧約聖書を読み始めた頃、衝撃に近い印象を受けた言葉でした。神さまがこう言われると光があったと。こんなに短く、単純と思われる一言に、「そうなのだ、本当のことなのだ。」と思いました。どこまであるのかわからない宇宙を創造されたのに、人間一人一人をも覚えておられるのが不思議でした。 中国の故事には「朝令暮改」「朝三暮四」そして大好きな孔子の言葉「朝に道を問わば、夕べに死すとも可なり」など朝から始るものが多くあります。このことも一日は朝から始まると思い込んでいた理由だとも思います。ある漢文の授業の時、年配の先生が「わたしはこれに惹かれるのです。」と言われたのは、老子の文を学んでいる時でした。老子は「性悪説」を説いたと言われます。一七,一八歳だった私は、孟子の説いた「性善説」ではなく、「性悪説」に惹かれると言われた先生の飄々とした姿や声がずっと心に残りました。 年を重ねるにつれて、「人間は元来悪いことばかりを考え、行う存在なのだ。」ということが分かり、実感もしています。パウロが書いているように、人間はみな罪の下にある存在なのだと。 (「正しい者はいない。一人もいない。。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」ロマ書3章10~12) 自分の罪を知ることは確かに大きな恵でした。でもその罪が赦されることを知らないと、心は暗く、重く、苦しみに喘ぎます。自分の罪に敏感な人もそれ程ではない人もいるでしょうが、自分の心を客観的に見つめる時には、皆、自分の内に罪を見出します。罪に苦しんでいる状態はまさに混沌の状態で、得体の知れない深淵に呑み込まれそうな気がします。そのような時にすでに神さまの霊は水の面を動いていたというのです。ここには万人に対する救いの手が既にあることを言われているのだと思いました。 万能の御手でこの地球を、宇宙を創造された神さまは、一つの魂をも顧みてくださる愛のお方なのです。 ただ感謝するだけです。 |
T.H 私の夫、田中利男の信仰について書いておきます。利男は、一九三五年生まれ。五年前、ガンとなり、何回も手術をしましたが、二〇〇八年七三才で召されました。二二才の時、奥出雲の日登(ひのぼり)中学校校長でありました、加藤歓一郎先生の無教会キリスト教の家庭集会に通い、キリスト教を信仰する様になりました。 私も、中学校を卒業するとすぐ加藤先生の集会に行き、キリスト教を学びました。一町歩の田と少しばかりの養鶏をして、農閑期には、土木作業に出てわずかな現金収入があると云う生活でありました。 転機があったのは、木次乳業会社長をしていた佐藤忠吉氏からの勧めで、平地飼いの養鶏に切り替え、三千羽飼うこととなり、有精卵は、木次乳業会社が責任をもって全国の消費者団体に発送してくれましたので、収入が安定してきました。お蔭様で、四人の子供がそれぞれ望む大学に学ばせることができました。 かっては百姓の夢であった養蚕を、合理的にするため大規模桑園が造られたが、養蚕がたちゆかなくなり、その頃は荒地となっていました。佐藤氏と利男は、我が家で茶を飲みながら、百姓の夢を再び実現するにはどうしたらよいかと話し合いをなされ、「やはり百姓である。百姓の生活の理想を実現しょうと!」と、二人の心には、近代農業ではなく、ぜいたくをせず、つつましやかな生活、安全な食物を作る農園にしょうとのビジョンをかかげて、メンバーを口コミで集めたところ、様々な職業の方達が一六名集まって会を重ねる。 医師、会社職員、大学教授夫妻、百姓、保育所経営者、養鶏業と集まり、ここに集まると、肩書いっさいはずして、平等なメンバーとしての集まりになるから不思議であります。日本の農業は、難問が多く大変であるのに、こんな荒地に、様々なメンバーと協同するのは非常に未知数があるのはあたり前ですが、利男はこの仕事のリーダーとして、神様にすがらざるをえなかったのであり、毎週土曜日の夜開かれた土曜会のキリスト教の集会は欠かさず出席。「神様、御心ならば、農園を完成させてください。」と祈り続けていました。 今は七町歩の畠に、日本一小さいワイナリー(ぶどう酒醸造場)、小さいパン屋さん、豆腐屋さん、明治時代初期の農家二家屋を移築して交流施設として、また小さなドブロク醸造所と販売、これで炭焼き釜が出来ればと夢が続く。二年前から田を借りて稲作も始りました。ワイナリー用のブドウ作り、生食用ブドウ園、小さな村の景色となりました。 やっと、理想郷として形をなしたと思いきや、利男の体にガンが発生し、何回も手術を重ねざるを得ませんでした。二〇〇七年の夏入院の時、もう手術も不可能になり、治療は最後となりました。 それでも主人は希望を捨てず、痛さを押して、大阪や神戸に免疫療法に通いました。五十年続けた養鶏を十二月に鶏全部出荷して、さて五反歩の跡地を元の田に返そうかと思っていた矢先、放し飼いされているロバが増えすぎて困り、佐藤忠吉さんの頼みで、寄田勝彦氏に引き取りを頼み、出雲空港においでになるので、忠吉さんが迎えに出られる事になっていたが、車が故障して行けないから、利男に、大急ぎ迎えを頼まれた。 ちょうど昼食の時間であったのでそば屋に行き、そこで寄田さんは、彼が運営をしている全国十数ヶ所、外国にも三ヶ所あるホース・セラピーの仕事をとうとうと語りました。利男は、彼の熱情に大きな感動を感じ、即座に我が家の跡地に馬を入れて同じ仕事をしようと決心したと言う。その仕事とは、馬と触れ合うことにより、さまざまな障害を持つ子供から大人までが癒やされると言うのであります。この運動は、外国では早くから認められていて、診療にも認められているけれど日本は、まだ認められていなく、診療報酬には適要されていないとのことであります。 私達家族皆がこの計画に賛成しました。利男は、別の用件で寄田さんに逢うことになったことがきっかけで、この計画が実現したことは神様の計いがあったに違いないと思ったのです。神様は、周到なる御計画をたてて下さり、ホース・セラピーを我が家のような所に開かせて下さると確信しました。それも家内中の者の心が一つになって心が燃えたのでした。利男と私は、神様に感謝の祈りを捧げました。利男は入退院をしながら、痛みを押えながら牧場の準備を着々としましたが、4月に入ると痛みと足の調子が悪く入退院のくり返しになりました。 六月の開園まではとがんばりましたが、オープンの日は、車椅子も無理で、寝る椅子にて帰り、喜びの挨拶ができました。百人近い応援をしてくれた仲間が集まり、感謝の餅まきをしてお祝いをしました。 「兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。」(Ⅰコリント7の24)にありますように、私たち二人は百姓という立場にあって神の前にとどまり続けた結果、予想もしていなかった馬牧場を作らせていただき、百姓冥利につきると感謝の祈りをささげました。 それから、利男は、ガン特有の転移が進み、痛みがひどくなりましたが、お医者様の努力で痛みを抑えていただきました。見舞いの人にも笑顔で接し、苦しいときも、失望しているとか愚痴も一つも言わず、遠くを見つめているような眼をして耐えていました。 内村鑑三の言葉に、「神を信じてなす事業が伝道である。職業は何であれど、神とともにいられることが人生の最大の喜びである」とかかれていましたが、そのとおりでした。 私たち夫婦は、学問もなく地位もありませんでしたが、神様が近くにいてくださってお守りいただいていることを実感しつつ歩んでくることができたのでした。 島根県 |
今までの歩み |
今年の「野の花」も多くの方々からの投稿によって、誌上のエクレシア(神に呼び出された人たちの集まり)となり、聖句や証し、聖書や書物を読んでの感想、意見などが織りなされたものとなりました。(今号は「あ」行からの掲載です) 神の創造された自然の世界は、高さ数十メートルの大木から、美しい花を咲かせる草花、野草などもあり、また日陰に育って花も咲かせないため目立たない苔やシダなどもあって、すべて神がその大きな神の国の庭園たるこの世界に配置されています。 この「野の花」文集に収められたいろいろな方々の文もそのような神の家の庭園としての草木、草花のようだと感じますし、それを主が福音のために用いて下さいますようにと願っています。 主は、さまざまのものを用いて、神の国を造り上げようとされます。その際に、印刷物も大きな役割を果たします。私自身、一冊の小さな本から信仰を与えられたのでした。本とは、また印刷物とはその背後に書いた人がいるゆえに、本との出会いはその著者との出会いであり、またそのように書かせた背後の神との出会いへと導かれます。 今回も、原稿を出して下さった方々、そして校正担当の方々、原稿用紙その他に書いて出されたものをパソコン入力して下さった十名余りの方々、そしてレイアウトなど多くの方々の協力によってなされたことを感謝します。(T・Y) |
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ |