野の花 |
誰もが幸せになれる
A.S
自分が何の為に生きているのか、わからずに苦しみ、また、自分の罪深さ、自己中心性が、とても嫌で苦しい時がありました。
死ぬのが怖いから死ぬ事もできず、生きているのか死んでいるのかわからないようになっていました。苦しさの根本的な原因は、自分の心の汚さにあると思いました。
しかし、自分自身では、どうしても、心を綺麗にできず、反対に悪い事ばかりしてしまう現実がありました。
心を綺麗にしてもらいたく、教会に行き、イエス様を教えて頂きました。
自分の力では、もう起き上がれないという心の状態だったのですが、イエス様の愛に触れて、立ち上がる事ができました。
罪悪感から解放されるという恵みがありました。
また、自分は、他人と比べる事で生じる劣等感というのにも、とても苦しめられていました。
世間では、勝ち組、負け組というレッテルを貼る人もいます。
就職してるか、してないか、結婚してるか、してないかなど、条件によって人を差別したりする人がいます。
そのような人間が作り出す、狭い世界から、イエス様は、解放して下さります。
魂を低い所から、高い所に引き上げて下さります。
苦しみから解放され、喜びで満たされます。
劣等感から解放されるという恵みがありました。
誰もが幸せになれるという題名は、聖書を多くの尊敬すべき兄弟姉妹を通して学ばせて頂いてきた結果、また、自分自身が神様から受けてきた恩恵から、現在、感じさせられている思いです。
イザヤ書52章10節
主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現した。
地の果てもみな、私たちの神の救いを見る。
神様の愛が一人一人のうちに入りますように。神様に喜ばれる世界になりますように。
横浜市
I.M
賛美する 頬をさすりし 風薫る
稲実る 頭を垂れて 祈るかに
鱗雲 仰ぐ大空 神を知り
煩わず 生きているなり 花に鳥
我が生命 恵み溢れて 聖金日
花吹雪く 摂理は全て 御手の中
福音の 使いとなりて 秋の風
薔薇の香の 朽ちゆく間にも 放ちたる
薄暗き 雲間に見ゆる 冬日かな
山笑う 名も無き花も 神語り
眉山の 雲居への道 風光る
風に揺れ 祈りのごとき 野菊かな
徳島市
I.M
悲しみの時
苦しみの時
神様に依り頼んだ
喜びの時
幸せの時
神様のことは忘れていた
そんな私を
神様は招いて下さった
「あなた方が私を選んだのではなく
私があなた方を選んだのだ」(ヨハネ書五章16節)
自己中心で
身勝手な私に
永遠に続く救いの手を
差し伸べて下さった
数えきれない罪を持った私を
ただ
「信じる」だけで赦して下さる
神様の大きな愛に包まれて
神様を仰いで進んでゆきます
徳島市
I.E
「わたしは白昼に神を見る」、と書き残した画家がいた。時間が止ったような空間。静止する鳥や草花。また人のように立つキツネは寓話の挿絵のようだった。静寂の樹木や風景も、いつか、どこかで見たような気がした。ひとたび命が吹き込まれれば、すべてが静かに動き出すような緊張感がある。
あなた(神)は、「わたしの内蔵をつくり、母の胎内にわたしを組み立てた」と詩篇139篇にある。しるしあるものは、造り主を忘れない。どこかに刻まれ、記憶は残る。
イエスの愛する弟子が「あっ、主だ」、と言うのを聞いたぺテロは、上着を着て水に飛込んだとある。主(イエス・キリスト)だ、というとき、畏れと同時に真に清いものが魂に映るとき、人は新たにされるのではなかろうか。日常のなかにも、畏れと同時に、魂が蘇るようなことは数限りなく起り得るのだろう。
「真昼に神を見る」と書き残した人は、路傍の一本の木に、ちいさな草花の造形の姿に、白い雲のかたちに、その人にしか示されなかった神の姿を見いだしたのだろうか。誰も足を踏みいれたことのないような世界の草原にも未知の花が咲いてあるのだろうか。
魂の故郷、その微かな消息を知らされるのは、この世にあって、この上ない喜びにちがいない。それは、今は失われている愛と、真の自由に近い場所。「神に属するものは神の言葉を聞く(ヨハネ福音書八章47)」。すべての人のこころの画布に、未知の世界の窓が開くように、新しいみ言葉や真理を、主が写しだしてくださるように。
この画家は、戦争の時代を、その大波を受けながら、人生の大半をハ°リで過ごし、日本には一度も帰ることがなかった。実弟はクリスチャンらしく、それとわかる詩集を一冊だけ残し、夭折しているが、その数少ない詩は魂に清く投影する。
風は思いのままに吹く。救いは思いがけない方向から来る。人間の思惑をはるかに越えている。詩集の表紙に兄は、ヴェールを被った婦人の祈りの姿を描いた。ほとんど消えそうに、それでも神の深いおこころのゆえに生きる、ある種の人間の系譜があるのかも知れない。
魂の、はるかな故郷を探して行く者はどこにいてもみな、この世の旅人であり、「この世の寄留者」になるのだろうか。国籍は天にある。イエス・キリストご自身が「あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない(ヨハネ福音書八章23)」と言われた。イエス様ご自身がこの世の寄留者であられたのか…そう思うこと自体が大きな一つの救いだ。
大勢の、この世の子らがいくら賢くさとかろうと、寄留の子は、その魂に刻まれたしるしのため、自分が属していない世界の子には決してなれない。人知れずその道を行くであろう。神がそうされているのだから。人間のいない静寂の中に、神の存在を絵筆に托したこの画家と詩人の兄弟もまた、この世の寄留者であったと思えてならない。
※画家長谷川潔(1891-1980)
徳島県
今年二月、成田前後泊を加えて十二日間のイスラエル旅行が実現した。定年後、イスラエル旅行を計画しながら、おもいもかけない病から十一年…。今年二月透析ツアーの募集が有り、この企画にのった。参加者は我々を含め五人が参加。成田前後泊を加えて十二日間の旅となった。
テルアビブ空港に到着。この日は地中海は荒れていて歩道を歩きながら強い雨と風の歓迎を受けた。
ついに念願のイスラエルに来たのだ! 喜びが強く胸にこみあげてきた。
歩道を歩きながらガイドの山崎さんが「これはレンズ豆です。ダイヤモンドの一カラットの単位の基です」と話し出した。かんでみるとかすかに甘い。放蕩息子の話をおもいだす。空腹で死にそうな状態なら食べるだろうカナア。先ず行きたいと強く思っていた場所はガリラヤ湖と山上の垂訓の丘、そしてエルサレムであった。 失明前にガリラヤ、エルサレム、オリブ山の写真を見ていたのでその印象が見えない目に焼きついていた。イエスが歩いた、祈った、そして涙を流した地は、突然霰が降ったかと思うまもなく雷が鳴り渡り、風が吹き、雨になり…そして陽が暖かくさしてきた。ガリラヤの湖は岸に打ち寄せるさざ波の音。水位が低くなったというガリラヤ湖は多くの見学者がそれぞれの国から来ているのだが静かで平和であった。山上の垂訓の教会あたりで賛美歌の合唱が静かにながれている(ドイツ語?)。イエスが歩いた時にも天候はすさまじく変わったのだろう…この湖に浮かぶ船の中で、嵐を恐れた弟子たち。
嵐をしかりつけるイエス。湖の上を歩いて船にむかって近づいてくるイエス。ペテロ達が漁をしている。砂浜で火をおこして魚を焼いているイエス …。イエスも弟子たちも呼吸したこの地は忘れがたかった。
エルサレムは天候に恵まれ市内の人の多さを感じた。オリブの園も聖画でイエスの祈る姿をよく目にしていたが、ここではオリーブの木の幹に触れることもなくこの場所から離れた。狭い道に観光バスが溢れていた。イエスが血の汗を流しつつ祈った岩は教会の祭壇近くに置かれているとのこと。触れることも出来ない。気持ちが一番高揚した場所は「十字架の道」であった。十字架を担がされたイエスはゴルゴダに向かって坂道を歩いた。イエスの時代の道は現在の七メートル下だそうである。この道の往復が私に出来るか?
…ガイドの山崎さんに心配されたがゴルゴダの丘までの往復は息切れも少なくやり抜けた。感謝でした。道の両サイドの店からの声も音楽の音もあまり気にならなかった。この旅を終えて、許されるならば花の季節にもう一度旅行したいと思う。
そして、今回はヨルダン河のサイドの車道を車で通過しただけであったがイエスの洗礼を受けた場所に降り立ち、天を仰いでみたい。洗礼者ヨハネにも会いたい。
そして、イエスの声を聴きたい。(札幌市)
O.T
○十回目くらいの個展のとき、画廊のオーナーから、展示している作品に値段をつけてはどうか、とお勧めをいただいた。
作品の価格は作家のステータスであり、ランクを表すものという。今まで作品を売ったことはないので、画材料・額総代の合計を題名札の下に鉛筆で書いてみた。そんな値段は今まで見たことがない、と笑われた。ところが、三人の方が私の安すぎる作品を買いたい、と言われたのだ。
会期が終わり、絵を届けにお宅に伺った。三軒のお宅の玄関で画料をいただいた。そのとき、私は「こんなことをしていては、自分の信仰が駄目になってしまう」と、思った。
ユダが主イエスを銀三十枚で売ったとき、このような気持ちになったにちがいない、と感じたのだった。心の強い人は、作品を売った正当な報酬である、と考えるに違いないが、自分はそのようには考えられなかった。罪の中からすくわれた者として、神への感謝をもって聖書を描き続ける者として、私の信仰に、お金がかかわってはならないのだ。
「天の父なる神様、いまも罪人である自分を忘れた、愚かな私をお許しください」
○Fさんは医師で、御一家は教会に通うクリスチャンである。日曜の礼拝後や家族の記念日には、よく外食をされる、と聞いた。そして、いつでもどこでも、食前のお祈りは欠かしたことがない、と言われる。
「大勢の人前で祈るのに抵抗はありませんか。自分など外食店でお祈りしたことはありません。」と、言うと「私たちは全然、平気です。クリスチャンですから。」と、毅然としておっしゃる。強い信仰をおもちだ。自分は信仰を人前で表わすには、気おくれがしてしまう。
これは信仰の深さの違いなのだろうか。個人の性格の違いなのだろうか、わからない。神様はいつでも、どこでも、どんな場所でも我らに信仰の証を欲し給うのだろうか。秘めた信仰を神は喜ばれないのだろうか。
○横浜を拠点に全国伝道されているT先生を迎えて、特別集会が開催された。
午前の部が終わり昼食の時間となった。全員が席に着き女性の方が指名され、食前のお祈りをすることになった。
その方は、時節のことから始まり、政治のこと、ご自分の病気のことまで、弁当を前にしての、お祈りは延々と続き、なかなか終わらなかった。私は空腹で祈りの言葉も遠のき、何を祈っているのか、聞く気力も失せてしまった。周囲を見回すと、全員が頭を垂れて動かない。祈りの長さに、いらいらして落ち着きがないのは私だけだった。
○K先生は七十歳半ばで脳溢血で倒れ、杖を使用していたが、八十歳を越えてからは車椅子となられた。言葉も歩行も不自由となったが、聖書講義は続けておられる。最近はエレミヤ書を講義されている。
しかし、講義も半ば過ぎると、声もかすれ、目も見えずらくなり、同じ箇所を何度も読み返したりすることもある。
そんな時、奥様の言葉が想い出される。
「集会の皆様には感謝しております。皆様にはご迷惑でしょうが、主人は集会でお話させていただくことが、ただ一つの生き涯なのです。」思えば、三十数年前、私は先生によって無教会の信仰へと導かれたのだった。先生の信仰生活は学徒動員の時代から始まっている。
「神さま。本日の集会を感謝いたします。世界が平和でありますように。アーメン。」と、講義の最後に先生は短く祈られた。 私たち一同は大きな声で「アーメン」と、唱和した。
○聖書に出てくる恵み、救い、罪など、初めての人が理解できないのは、@学んだことがない。A信仰がない、ためだそうである。これは教会の牧師のことばである。聖書は信仰によって、信じて分かる書物で、信仰は教会にあるという。そこにゆけば、聖書に書かれていることが詳しく分かる、という。
しかし、必死に求める我らにも、神様は聖霊によって真理をお示しくださる。神の真理は万人に聞かれている。神の生命たるキリストの教えは制度でもなく、ましてや組織であるはずはない。教会にゆくことではなく、真摯な心で聖書と向かい合うことではないか。
「神様、上よりの聖霊によって、この私をもお導きくださいますようにおねがいいたします。」
○キャンバスに向かって絵筆を動かしている時、自分も周囲も全くなくなってしまう時間がある。多分、集中している時間だ、と思うが、頭のなかにある小さな頼りない灯を、消さぬよう、消さぬように守りながら、画面上に注意深く絵の具を塗り重ね続ける。かすかな疲労感を覚えて画面から視線を外すとき、思わぬ時間が経過していることがある。そんな時、思わぬ感覚の作品が出きていることがある。旧作を見るときも、描いたその当時の制作の時間の流れを、まざまざと思い出すことができる。
それは、多分、いのりの時間だったのではなかったか、と思う。聖書を描く者として、その時間がなければ、作品は仕上がらない。しかし、まだまだ、いのりが足りなさすぎる。
○ラジオを聞いていたら、耳を疑うような言葉を聞いた。
復活についての番組で、死後の世界は、死んだ経験のあるひとはこの世にいないのだから、誰にもわからない。と、R教会神学校の准教授が全国に向けて放送している。彼はこの世で一番あわれな神学者かもしれない。
科学が発達したためか、死後の世界とか復活・再臨を信じる人が少なくなってきた。しかし、復活・再臨がなければ、キリスト教はありえない。主イエスは十字架にかかり、死んで、復活したのだ。そして、再臨されるのだ。聖書にもはっきりと書いてあるではないか。私は信じる。
准教授は研究者であって信仰者ではないらしい。
どうか最後まで、主イエスを信じ、御国にむかって歩み続けてゆくことができますように。
○布団にもぐりこんだとき、妻は「きょうも無事に終わりました。」というのが口癖だ。眠る前の習慣らしい。それは神にたいする感謝なのか、自分自身にたいする慰めなのかはわからない。が、祈りと言えばある種の祈りかもしれない。
結婚40数年、自分も年をとったが、妻も年をとった。生活のこと、親のこと、教育のこと、信仰のこと、いろいろあった。子供も自立し、夫婦二人となった。
「天の父なる神様、いまも罪人である自分を忘れた、愚かな私をお許しください」
O.T
最近の日記
今、コリント前書を一日一章、長い章は二日かけ、毎日、聖句四枚を毛筆で清書し室にかけている。また、教会と店の外に聖句を書いて掲示している。これは、毎週変えており、朝の日課となっている。
コリント前七章、結婚の定義。
十月十三日。 男と女は先に男を神は創られた。そして男に女を授けられた。男は罪を犯し、園の中央にある、食べてはいけないと言われていた木の実を食べ楽園から追放された。人類の罪が今日に至った。創世記三章、コリント五章七、八節にキリストの時代の事が書かれている。過越しの小羊であるキリストはすでに葬られた。「古いパン種や悪意と邪悪とのパン種を用いず」新しいパン種(キリスト)を知って男と女は潔められたのである。また、子供が生まれて祝福するのである。一般の人でもすべてを忘れて多くの人の祝福を受けるのである。不品行の故に罪が現れるのでなく、十五節「あなた方は平和に暮らす為に召されたのである。」十六節「妻よあなたは夫を救うかどうかどうして判るか」夫にも同じ事が書かれている。
コリント前八章、偶像と弱い者のため。
十月一四日。一節、「知識は人を誇らせ愛は徳を高める。」知っていると思っても知らないことが多い。二、三節、「しかし人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。六節「唯一のみいます。また主イエス・キリストのみ在ます。偶像の宮で食事している者が信者であるならば、弱い人もキリスト者で、主はその代価を払っていられるのだから、彼らの弱い兄弟の為に気を配って誤解のないようにすべきである。偶像に仕えてはならない。」パウロは「わたしは永久に断じて肉を食べない。」と言っている。偶像の宮に備えた後、市場で売買された肉の事。
一三節、コリント前書九章、エペソの地からコリントに。
十月一五日、前半は一八節まで一般的な宣教師として報酬を得て働くのが普通であるが、「わたしとバルナバは無報酬で伝道にたずさわった。福音によって生活すべきことを定められていたのである。」一四〜一五節、「権利を一つも利用しないことを誇りに思っている。」二〇節、「ユダヤ人にはユダヤ人のようになって、ユダヤ人を得る為である。律法の下にある者のようになった。律法を守る者には信仰を得る為」、二一節、「律法のない人には神の律法の外にあるのではなくキリストの律法の中にあるのだが、律法のない人のようになった。律法のない人を得る為である。」内村鑑三も葬式や法要の席で焼香などは式に従った式者の中に悪意を持った者が居た場合は別であると言っている。パウロはなお、自由人であるが、多くの人を得る為に人の奴隷となって神に仕えた。一九節、「気をつけなくては、他人に述べ伝えながら自分が失格者となるかもしれない。」二六節、
コリント前一三章は愛と信仰と希望。
十月一八日、「神の事を宣べ伝えても愛がなければ喧しい楽器のように騒がしいだけで虚しい。二節、「預言する力があり、奥義を語っても知識や山を移すほどの強い信仰があっても愛がなかったら無に等しい。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。」六節、「すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」七節、「預言は廃れ、異言は止み、知識は廃れる。」幼な子のようにあるは、大人となって幼な子らしきものを捨ててしまった。その時には鏡に映すように顔と顔を合わせて見るであろう。「いつまでも存続するものは信仰と希望と愛との三つである。最も大いなるものは愛である。」愛は生命の源である。すべてのものは愛から始まり愛によって創られた。神も愛でありキリストも愛によって現れ、人になかった真理が得られた。人が生きるのも愛が元である。生きるも良し、死ぬるも良し。生きながら罪の中に入るよりは愛によって死もまた尊いのである。イエス・キリストの十字架が愛を表わすのは、義によって勝っているからである。
イエス・キリストに従う者となること。
広島県
O.E
1・すばらしいものは 神が造る
美しいものは 神から来る
※すばらしい世界を造られた神が
私を守ってくださいます
2・山や野の花も 夜の星も
造られた方をほめています
3・水に住む魚も 空の鳥も
偉大な御業に声を上げる
(新聖歌476)
この歌を聴くことは難しい(難聴のため)ですが歌詞を読むと偉大な素晴らしい神さまをほめたたえられます。
毎月の「いのちの水」誌でも不思議な自然界のことが載せられて読んでとても感動させられています。
つい最近のNHKテレビ番組でも不思議な自然界のことが放映されたのを見て印象に残っているのがあります。ひとつは闇の森の中でキノコが光る。
キノコが光るのは四国山地の高知県と八丈島だけと言っていましたがその素晴らしい神秘の発光を見て感動し、思わず神さまをたたえました。
もう一つは。自然の水は普通、透明なのに山から流れ落ちてくる水と川の水が合流したところで日の光によって美しいエメラルド色に変わる素晴しい神秘の水でした。神さまの創造物や被造物によって素晴しいものを教えられたのは天然(自然界)でした。もっともっと深く神さまを知るために見えないところに、心も目も向けて歩んでゆけるよう願っています。
板野郡
o.N
神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。
わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。
あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。(ヘブル書六章10〜12)
主が、私達を愛して下さっている事に感謝します。
板野郡
主の導き O.J
…民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成してイエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ自分と自分の子供たちのために泣け…といわれた。(ルカによる福音書二三章より)
このみ言葉を読むたびに、イエスさまを十字架につけよ…と。叫び続ける民衆の中に、イエスさまのために泣いていた人たちがいたということに私は驚きと言うか。何か後ろめたさみたいなものを感じるのでした。自分の大切に思っている人の生死にかかわる現実に出会ったときにはあるいは涙を流すかもしれませんが、十字架に架けられ蔑視と嘲笑の中で痛めつけられご自分の命を捨てようとしておられる痛ましいイエスさまのために涙を流すことなど私にできるだろうか。
おそらく私には何の関係もないと背を向けて逃げ出したにちがいないと思うのです。1952年のペンテコステの聖日に洗礼を授けられたのに、信仰が中々本物にならず、まして十字架の意味も復活の事実も信じることが出来ず、全くに近い偽クリスチャンでした。うわべだけの信仰でもあればないよりはいいだろう…と思って生きた日々でもありました。
そんな私に、家族を次々に病気で亡くし、孤独と病苦と生活の困難の中に耐えねばならなかったひとりの姉妹に出会いました。「あなたは両親も家族もあるから判らないかも知れないけど、私はひとりぼっちの悲しさの中でも、明日がある。あしたはきっといいことがある。今日よりは明日と祈りながらがんばっているのよ。…」とはなしてくださいました。まもなくその姉妹は天に召されましたけど、そんなことがあってからわたしは、少しずつ変えられはじめました。
吉村孝雄先生が、午後三時祈の友の会員になってくださったことは知っておりました。三年前の七月の初め、旅の途上をわざわざ回り道をしてわたしを訪ねてくださったのです。以来どんなにたくさんの祈りと愛とお導きを頂いたか知れません。先生は実にたくさんのことを教えてくださいました。聖書のみ言葉や賛美歌は勿論ですが、先生の真実と深い知識と豊かな感性で育くまれた知識で、夜空に輝く星の名前や美しさ。木々や草花のかれんな姿や草むらですだく虫の音などのほかに、とうとうと流れる吉野川の風景や、登られた山で出会われた時の映像などもパソコンに送信していただいております。スカイプでの交わりにもいれてくださいました。
中川陽子さんがお世話くださるスカイプ集会での、み言葉を語ってくださる吉村先生の聖書講義を聞いての感想を話さなければなりませんが、わたしは未だにきちんとお話しできません。過日、戸川恭子さんのお宅でのスカイプ集会にもお仲間に入れていただくことが出来ました。戸川さん以外の方はお名前を知っている方もありましたが、全く未知の方がほとんどでした。
それなのに、もう、ずうっと以前からの親しい仲間のように優しくしてくださり、おひとりおひとりがカメラでご自分のお顔をみせてくださりながら自己紹介をしてくださいました。主に在ることのうれしさは望外の喜びでした。
いつも後悔したり失敗の連続で、ついこの間も電動車いすで走っていた時、はっとしたら前の車輪が片方コンクリ―との側溝に落ちてはまってしまっていました。その朝風邪くすりを飲んでいたせいもあったかも知れませんが、無意識の内に危険を気付かずにいる自分に悲しみを覚えました。
幸い通行中の方に助けて頂き大事には至りませんでしたが、「怪我はしなかった?」と何度も尋ねられてひとさまの優しさを知りました。
加齢とともに身体も心も弱ってきたことを感じますが、早朝に起きて聖書を読み、お祈りの出来る幸いは、もう三十年以上も続けることが出来、声を出してお祈りをしていると一時間くらいはあっと言う間に過ぎてしまいます。信仰があるかないかも判らないようなわたしの歩みですけど。主に在る多くの方々に導かれ祈られ遅々とした歩みであっても神さまに恵みの中に生かされる日々をたいせつしたいと願います。
そして、十字架の主イエスさまを見上げて、私たちの罪のためにあざけられ、死んでくださったその愛に感謝し、涙する生き方をしたいと思います。 十月二○日記
愛知県
よろこび K.K
「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ十・20)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Tテサロニケ五・16〜18)
この澄み切った青空の向こうに
わたしの名前が記されている
夜が来ても
夜空の星のその向こうに
わたしの名前が記されている
曇りの空も雨の日も
その向こう
天の国には
わたしの名前が記されている
あいかわらず
どうしようもない自分がいるけれど
それでも
わたしの名前は天に記され
神様はいつも見つめてくださっているから
さあ
天を見上げて
喜ぼう
(徳島市 看護師)
K.M
夕拝でイザヤ書五四章を学びました。
神様の光を受け、目に見えない真理の光が広がる。神様は約束を守ってくださるから「恐れるな」と言われた。
イエス様を仰ぎ見て、イエス様にいつも感謝する。イエス様が来て私の罪をあがなってくださる。
このメッセージの後に、賛美をしましたが、その賛美が、心に響きました。
主のうちにこそ
一 主のうちにこそ 喜びあり。
平和求めて主に生きよう。
不安ひそかにせまるとも、平和主にあり揺るがない。
二 主のうちにこそ、愛が育つ。希望求めて主に生きよう。
絶望おし寄せ来ようとも、希望主にあり、揺るがない。
三 主のうちにこそ いのちがある。み国目指して主に生きよう。
暗い死のかげ おおうとも、いのち主にあり、揺るがない。
四 主のうちにこそ すべてがある。主イエスはいのち、主イエスは道。
主こそ購い、わが救い。我ら主にあり、揺るがない。讃美歌二一 一九六
(美容サロンルカ 美容師)
板野郡
K.Y
「人工呼吸器」と言う言葉を、今は当たり前にみな知っています。しかし、それがどんなモノか知る人は少ないです。文字どおり人間が作った呼吸をさせる器械です。呼吸が出来ない人に空気を与えます。
それの使う人には2種類あります。1つには、いろんな理由で脳に障害が出て、心臓は動いているけれど、呼吸は止まっている人です。いわゆる脳死です。呼吸を補ってあげれば、ある程度の期間心臓は動きます。生命維持装置と言って、少し冷たい言い方です。意識はありませんが生きています。体は温かいです。
2つ目には、私のような使い方です。首の病気や筋肉、神経が冒されて、呼吸筋が動かなくなった人です。体もほとんどの人が動きませんが、意識は鮮明です。私は車いすや杖やメガネと同じで、体の弱い所を補う道具と捉えています。ここが生命維持装置と違います。
どちらにしても「人工呼吸器」は楽に扱えるモノではありません。移動は難しいし、管理も知識を要します。事故も多いです。私も器械が止まったり外れたりして、命拾いしたことも何回か経験しています。誰か悪い人がいてスイッチを切られると、数分で死にます。
「人工呼吸器」は1920年代に作られました。戦争で首が折れた人のために出来ました。私はこんな器械が発明されたのが、良かったのかどうか判断出来ません。人間は器械に頼ってまで生きるのはどうかとも思っています。
私は28年くらい前から「人工呼吸器」にお世話になっています。日本中でも永いほうだと思います。頸の手術の前に「人工呼吸器」に繋がれると説明を受けました。声が出せなくなるとも聞きました。「ああ、そうか。」くらいの甘い認識でした。声を失い会話や意思表示が出来ないのが、どれだけの苦痛を伴うか何も分かっていませんです。私も家族もそれしか選択肢がないのだと思いました。今なら充分に理解した上で、拒否も出来るのだろうと思います。私が無知でなければ、そうしたでしょう。悔いも背負ってここまで来ました。でも装着の拒否は自死行為に近いです。
ところが今になって、これが私独自のライフ・スタイルになっています。神様があの時、呼吸器装着を決心させたのだろうと思えてなりません。拒否していれば、私はただの病人として死んでいて、なんの有意義な人生ではなかったでしょう。神様が御心によって生かせたなら、御心で適宜に召される、それが自然の摂理です。この考え方が私の信仰のスタイルです。私は決して厭世的ではありません。むしろクリスチャンの喜びと希望を持って語っています。生き様と死に様です。
徳島県徳島市
K.M
朝、身仕度を整えると庭に出る。未だ暗く涼気を感ずる。心が引き締る。
東の空高く一際輝く「明けの明星」(ヨハネ黙示録22の16 イエス様の星)を仰ぐ。私にとって、この「ひととき」が至福の時である。光は、ずっと輝き続ける日あり、時々薄れて見えなくなり、又、光を放つという日あり、さまざまな姿で現れる。
若き日、罪に悩んで暗い日々を過ごし、イエス様のみ赦しを頂いた。その日から今日まで、どれだけイエス様に活かされた日々であったことか。失敗しては、ころんでは、イエス様の御許に駆け込んで。
お慕わしいイエス様。御国でお会い出来るイエス様。今はこうして、静寂な中で、星を仰ぎつつ祈りの時を持たせて頂く。平和と愛が満ちますように。
先生の事、痛手を負った友の事、心にかかる友の事、お名前をあげての感謝とお願いの祈りとなる。その日、その日で応えて下さる。「しずけき祈りの時はいと楽し」(讃美歌310)
刻々と東の空は、明けていく。心満たされて部屋に入り、一日の活動が始まる。(10月5日)
わたしは、あなたの指のわざなる天を見、
あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか (詩編8の3−4口語訳)
(10月13日下弦の月と金星の二重奏の日)
2007年「野の花」に「明けの明星を見つめて」を投稿。80歳を過ぎてもこの朝を迎えられる感謝一入。
K.N
主とともにあゆむ
主のふみたまいし
ひとあしひとあし
つねにつねに
その楽しさよ
みあとをたどる
主にすがりて
われはあゆまん
私の大好きな賛美歌の一つです。私が信仰に導かれたのは今から半世紀も前になります。
その時、教会でよく歌われていた一曲なのです。
後に、出版された聖歌、新聖歌では一部歌詞が直っていて「つねにつねにわれはあゆまん」が、「たえずたえずわれはすすまん」となっています。
でも私には、初めのころに歌っていた歌詞の方がやはり良く馴染みます。
長い人生の中で、寂しく悲しく、そして嘆きにくれ、涙の溢れる時や、又嬉しく喜びに満ち感激で胸が一杯になる時、賛美歌は、そのときその時の大きな力でありました。
特に心が重く沈み祈ることすら出来ないときの慰めは、大好きなこの曲の「ひとあしひとあし主にすがりて」であったのです。
「汝、我を選びしにあらず、我汝を選べり」と言ってくださる神様の御言葉と共に…。
そして、「視よ、我は世の終わりまで常に汝らと偕に在るなり」と。
先日、飛騨の高山へ行ってきました。高い山々が赤、黄、橙と見事に色づき山全体が燃えるような風情は圧巻でした。素晴らしい神様の御手の業に心が躍りました。やがて色の無い季節の前に自然をこのように豊かに明るく装い飾ってくださる大いなる恵みに溢れるばかりの喜びと感謝の折りを俸げたことでした。
神様の大きな御手に支えられ、導かれ、護られつつこれからもずっと歌いたいと思います。
静かに、穏やかに、ゆっくりと主を仰ぎ見つつ。
「主とともにあゆむそのたのしさよ
主のふみたまいしみあとをたどる
ひとあしひとあし主にすがりて
つねにつねにわれはあゆまん」
「我等の、尚滅びざるは神の慈しみによりその憐れみの尽きざるによる。」
主の御名が崇められますように。(神戸市 阪神エクレシア所属)
K.M
Something good.
神様の御計画。
イエスに繋がっていなければ枯れる。
神様中心主義。
神様から与えられたものを少しでも使っていくこと。
東京都
秋の俳句 K.M
ひまわりが胸はって咲く晴れし朝
秋近し今か今かと待っている
穏やかにコスモスの咲く日のたまり
その辺りきんもくせいの匂いかな
こおろぎの心に響く癒しの音 (徳島市)
キリストの平和と御言葉―聖句から K.I
キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
コロサイ書3章15-16
毎日を過ごせることは、自分の力ではなく、神様の恵みがあるからです。しかし、平穏な時を過ごしていると神様のこと、御言葉を忘れてしまっています。御言葉によって導かれたのに、自分で歩もうとしています。
これまで導いてくださった神様を御言葉を思いつつ感謝し讃美し、歩みたいと思います。(鍼灸師)
徳島市
K.T
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
風に吹き飛ばされるもみ殻。
神に逆らう者の道は滅びに至る。
いかに幸いなことか
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
神に従う人の道を主は知っていてくださる。(詩編一編より)
何かがあると、人間の弱さゆえに揺れ動かされ、風に吹き飛ばされそうなもみ殻のように弱い者ですが、神様に立ち返ること、祈ること、感謝することによって、また励まされ、力をいただいて進んで行くことができます。でも神様から聖霊を受けとどまり続けていることが大切と思っています。
徳島市
K.I
今家庭集会で、以前石川昌治先生が話された使徒行伝のテープを聞いています。この春第九章の学びで、サウロの回心のためアナニヤ、バルナバは神から備えられた人であり、一人の人間の信仰の成長のために備えられた人達であったことを知らされました。三十年前学んだ時はただ「ああ、そうなのか」と思うくらいで過ぎていたと思います。
それから月日が流れさまざまな試練に会い、夫の一周忌が過ぎた今ここまで助けられ、神から離れようとする私を引き戻し、アナニヤ、バルナバとなって手を差し伸べて下さった方々がいたことを改めて気づかされました。
十四・五年前は、身近な者が苦難に会い、その対処に悩んでいた時、教会員の友人が榎本保郎牧師の「新約聖書一日一章」を持って家に来て下さり共に祈ってくれました。また当時キリスト教放送のあることも聞き「津軽の小さな町から」と題して「イエスさまは生きていらっしゃるのです。」と静かにとつとつと話される牧師さんの声に心暖められ耳を傾けていた時もありました。榎本牧師の「祈りと瞑想への道」の本も知らされ、今読み返して聖霊の重要さを思います。
中学生の頃から「父と子と聖霊のみ名によって…」と何回口にして来たことでしょう。しかし真剣に考えることもなく過ごして来てしまいました。その本に「私達は聖霊によらなければ絶対に「神を喜ぶ」境地にはなりえない。今私達にとって最も必要なものは「上からたまわる霊」である。「本気で聖霊を求めて生きようではないか」と書かれてあります。
二年前の独立伝道会通信の吉村先生のインタビューでも、先生は聖霊の重要さについて「聖霊は学問的にどうこう言うべきものではなく、議論して聖霊が与えられると言うものではない。生活の中で受けたもの、そこから神や人への愛が強まるように感じ、静かな喜びや平安が生まれるときには、それは聖霊によると言える。」
と言われ、そこから聖霊を求める心を持ち続けるということ、聖霊を感じるということの大切さを話されておられました。このことから聖霊に対する目も開かれた思いがします。
今まで聖書集会に導いていただき、また石川先生から徳島聖書キリスト集会につなげていただいて、毎月送って下さる「いのちの水」や集会CD等に励まされ、今は一人の食卓に北田さんの讃美の声が流れる日々に感謝の思いでいます。
しかし、何かあればすぐ足元がふらつく自分に、情けないなと思っている時、つい先日東京在住の友人から「真珠湾攻撃総隊長の回想」淵田美津雄自叙伝という本が送られて来ました。
「軍人から伝道師になった人の記録です。」という友人の話に、どんな転機があったのか、興味を持って読みはじめました。最終章「回心」の章は「終戦後連合国側の勝者による一方的な戦犯裁判を憎んで、何かしっぺ返しの手はないものかと反感を燃やしていた矢先に、アメリカから日本軍捕虜が送還されて来た」という文ではじまり、アメリカでどのように扱われたかを取材しているうちに二人のアメリカ人のことを聞き、その二人が淵田に大きな転機をもたらしたのでした。
一人はマーガレット・コヴェルさんバプテスト系の宣教師の娘さんで、ルソンの山中で日本兵に処刑された両親の意志を想い、敵の日本兵捕虜の世話をしていた人でした。宣教師の両親が、この地上における最後の祈りでどのように祈ったかを思ってみた時、この両親の娘として日本人を憎み返すことは出来ない。憎いと思う日本人達に対してこそ両親の志をついで、イエス・キリストを伝える宣教に行くことだと思ったという。
この最後の祈りが淵田には何かわからなかったのでした。そしてもう一人の軍人を通して聖書を手に入れることが出来読み続けてルカ伝二十三章に入った時(本の内容を少し記してみます。)『イエスが十字架につけられたことは知っていたので、これがその場面かと食い入るように読んだ。「かくて、イエス言いたまふ、父よ彼らを赦し給へ、その為す処を知らざればなり」とあるのを読み、その時突然ああ分かったと私はうなずいた。
あのマーガレットの両親の宣教師夫妻の最後の祈りがわかったのである。私はイエス・キリストに従う人たちが祈る祈りというものはイエスと同じ立場におかれたら、イエスと同じ祈りをなさるに違いないと思った。宣教師夫妻もこの人たちを赦してあげて下さい。この人たちは、何をしているのかわからずにいるのです。この祈りが応えられてマーガレットを打ったのである。けれども私はこの十字架上の祈りが、私にかかわりがあるとは考えていなかった。私はこれがイエスが当面のユダヤ人やローマの兵隊たちに対するとりなしの祈りだと思っていたのである。
即ち「天のお父さま、今この連中が私を十字架につけて殺すと狂い騒いでおりますが、どうぞこの連中を赦してやって下さい。この連中は何をしているのか分からずにいるのです。」その時である。突如イエスの啓示が私にひらめいた。私はハッとした。「彼らをお赦しくださいという、彼らの中にお前も含まれているのだぞ」との啓示であった。
すると次の祈り「彼らは何をしているのか分からずにいるのです。」という言葉が私の胸を突き刺した。そうか私は四十七年という長い年月を何をしているのか分からずに過ごして来たのか、過ぐる日軍人であったので、戦場での働きを第一と心得、真珠湾では三千人を殺した。イエスのとりなしの祈りは、この罪の贖いのためであった。これが十字架の贖罪であり、十字架の赦しである。自分の罪を自覚した時、はっきりとイエス・キリストが私のその罪のために死んで下さったのだと知った。』 このようにして回心した淵田は、以後世界伝道にまで足をのばし活動したということです。
罪ということも、ただ漠然と考えていた私に、また新たな手が差し伸べられたことを思い、神のみ手を考えつつこの本を読んでいます。
静岡市
K.T
○「だから私達は気を落とさない。否、私達の外の人間がどんなに壊れても、私達の内の人間は決して壊れない。壊れないばかりか、日に日に新しくされていく。
何故なら現在の一時的のこの軽い艱難は、いや増し優れた永遠の重い栄光を私達に与えることが出来るからである。
私達は見ゆるものではなく、見えないものに目を注いでいる。私達はいま既にこの偉大なる光栄を目のあたりに見ているのである。
見ゆるものは一時、見えぬものは永遠であるからである。 (Uコリント四・16〜18 塚本虎二訳)
○肉体の病の治療、苦難災厄の除去、貧困の救助などは その主眼とするところではない。
祈っても祈っても 病苦は去らず災難は襲来し、財宝も与えられず、一生を窮乏の中に終わることがある。
しかし、もしその霊魂が救われて 神を信じ、人を愛し、謙虚・忍従の美性がそこなわれず、いな そのためにますます発達し堅固になるならば、それが本当の救済、恩恵であって来世永遠の淨福にはいるのであることを、具体的に教示するのがキリスト教である。(森本慶三選集第一巻)
岡山市
私の信じる信仰 K.S
私は今年の3月に日本キリスト教団立の神学校、東京神学大学を卒業しました。この神学校のコースとしては大学院修士課程まで進み、牧師となるのが一般的ですが、その途を歩まず、卒業した今は、東京でアルバイトをしています。そして2年後をめどに岡山に帰り、父が40年続けた岡山無教会という集会を継ぐつもりです。
父なる神、子なる神、聖霊なる神、この3つでありかつ1つである神を信じること、その信仰によって生きるとき、私たちは洗礼、聖餐に関係なく、キリスト者です。無教会か教会かなどの狭い価値観に縛られていては福音の真理は全くわからないと思います。
旧約聖書、新約聖書を通じて一貫して書かれているのは、父なる神が全き義なる方であるということです。今回の東日本大震災が明らかにしたのは、私たち人間による神の義に対するそむき、罪の問題です。今私たちに求められている一番大事なことは悔い改め、つまり神様の方に向き直り、心を注ぎ出して祈ることであると思います。義なる神は私たち一人一人の小さな悔い改めの祈りを必ず聞いてくださるという確信があり、それこそが生き残った私たちにできる一番重要なことであると思います。
神は愛の方です。子なる神、イエス様は神として世界の始まる前からおられた方でありながら、人間の歴史の中にその身を置かれ、最も低き者と交わり、血も涙も流された方でした。そして最もむごい死刑として十字架にかかってくださり、私たちの罪をその死によって赦してくださいました。イエス様は人間と同じように死を恐れ、死の苦痛にあえぎ、絶望の中に大量の血を流されて死なれました。それは実に私たち人間一人一人が抱える重い担いきれない無限の罪を担ってくださった苦しみです。私たちはそのようなイエス様の死の対価としてはじめて罪を赦されて新しく生きることができるのです。
聖霊なる神とは、十字架の死ののち3日目に復活し、今生きて働いてくださるイエス様です。それは私たちの祈りを聞き、私たちの生きるための霊的な糧を与えてくださる神です。私たちが聖日ごとに罪を赦され、すがすがしい感謝に満ち、新しくされるのは、集会に集い、そこで働く豊かな聖霊を受けるからです。信仰、希望、愛を与えてくださるのが、この聖霊なる神です。聖霊とはいくら私たちが一人で聖書を読んでも与えられるものではなく、共にみ言葉を分かち合う兄弟姉妹と祈り主なる神を礼拝することによってはじめてそこに聖霊は吹くのです。無教会の礼拝とは、学識ある指導者による聖書研究でも、定年後にありあまる時間を使ってする老人の聖書の研究の発表の場でもないのです。平易な言葉で私たち一人一人の魂の救う、み言葉の解き明かしと聖霊に応える豊かな讃美こそが必要なのです。
私が宣べ伝える福音(よき知らせ)はこれ以上でもこれ以下でもありません。私は、このような信仰を持ち、終末の日、イエス様が再び来られる日を待ち望んでいます。
K.E
実家の姉が突然のくも膜下出血で倒れたのは、2年前のことです。3日間意識不明で生死をさまよい、その後も病状が安定しないままずっと入院していました。母と早く死別していたため母親代わりとなって世話をしてくれた姉のことが心配で、何をしていてもずっと祈り続けていました。車を運転しているときも祈っていると涙があふれて止まりませんでした。
死亡率が3割、回復しても後遺症が残るのが3割、あと残りが後遺症がほぼ残らず元に近く回復と知って、完全に元に回復するのは難しいことがわかり、くも膜下出血の重篤さをあらためて覚えました。少し意識が戻ってから水頭症を発症しその手術が何度もうまくいかなくて入院は1年半になりました。
泣きながら祈っていると、列王記U20章5節 のみ言葉が与えられました。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたを癒す。」このみことばによって私に確信が与えられました。姉は絶対癒されると。そして 新聖歌354番の「迷えるときひかりを」の賛美が与えられました。
特に2番の「真実と愛とに満ち、約束なししことを必ず成し遂げ給もう、主は救い主なり」は主が必ず姉をみ言葉の約束のとおり癒してくださることをさらに確信しました。私はこの賛美を歌っては、泣きながら祈っていました。神様は確信を持って祈り、泣きながら祈るとき必ず応えてくださることを教えてくださいました。 そして教会や集会や友人等の多くの兄弟姉妹の篤い祈りに支えられて、神様は姉の4回目の手術を成功させてくださり、見事に回復させてくださいました。
リハビリの期間を経て自宅に戻り今はほぼ元に近い生活が出来るまでになりました。義兄から姉がどんなに大切な存在かやっとわかったとの言葉を聞いて、病の癒しだけでなく家族の新たな絆や愛も確かめられ、どんな試練も益に変えてくださる神様の素晴らしいみ業と奇跡を感謝して、主をほめ讃えずにはいられません。
徳島県
失意の夜 K.N
わが神わが神なんぞ我をすて給ふや、如何なれば遠く離れて我を救はずわが嘆きの声を聞き給はざるか。ああわが神われ昼よばはれども汝こたへ給わず、夜よばはれどもわれ平安を得ず、然はあれイスラエルの賛美の中に住み給ふものよ汝は聖し。(詩篇第二十二篇1節から3節)
「失意の夜」と題する文章は、1954年12月に発行された金田福一著
「キリスト教は人間を救い得るか」から一部抜粋したものです。
失意の夜 金田福一
私は今夜は、神の御顔の隠された失意の夜について、その深き暗黒の時について、考えてみたいと思います。
今から凡そ250年程前の事です。徳川七代将軍家継の時代に、イタリア人の宣教師シドチと云う人が、伝道の目的で九州に上陸致しました。徳川幕府が如何に残忍な迫害をし、またその結果如何に沢山の人が殉教したかと云うことは、欧州にもまた伝わっておりました。信徒の影は今ではもう地上から影をひそめ、渡来してくる宣教師も絶えた頃に、そのシドチという人は、密かに伝道の希望を抱いて、遠く海を渡ってきたのであります。然し、上陸するや否や直ちに捕らえられ、江戸へと護送させられました。その頃ではもう宣教師と云えば、珍しくなっていた頃であります。その為か幕府は、時の碩学、新井白石をしてシドチの取り調べを命じ、シドチの信仰や思想を調べると共に、海外の事情を尋ねたのであります。白石は調査の結果を、「采覧異言」「西洋奇聞」の、2冊の有名な書物によって書き遺しております。白石は取り調べに当たって、宣教師シドチの高潔な人格と、実にはっきりした信仰的態度とに感嘆しております。白石の取り調べが終わってから、幕府はシドチを処刑せず、遂にシドチが7年後に牢死する迄、獄に繋いでいたわけであります。伝道の熱情と、大望を抱いて、遥かに遠い海を渡ってきたものの、一人の人をも導き得ずして獄に繋がれたシドチの心境をお考え下さい。処が、そのシドチの信仰に感化されて、牢番の長介と、その妻はるという人が信仰に導かれました。彼らは自分の信仰を隠しておく事が出来ないで、単純な信仰者の、正直と信仰を告白することによって、主のために受ける苦難の光栄を考え、役人の前に、正直に、自分たちの信仰を告白致しました。そうして、断食して、牢死したのであります。白石をして感嘆せしめた、その人格と信仰とから考えますと、若しも宣教師シドチが、もっと別な働き場所を与えられていたならば、どれだけすばらしい伝道をしたであろうと思われるのであります。然し神様は、シドチの熱心な信仰や、心からなる願いに対して、全然冷淡に、見向きもしないかのように、暗い牢獄の中に、その若き有能な、一人の証人の生涯を、閉じ込められてしまわれたのであります。
之は、私共には分からない処の、神様の御意で御座います。然し、そのシドチの導きによりまして、牢番夫婦が信仰を与えられ、光栄ある殉教の死を遂げたので御座います。迫害も終わり、平和になった時代に、何を好き好んで公に信仰を告白し、殉教の途を選んだのでしょう。然も、その後に続く、ひとりの人も無いのです。然し、失意のシドチが、一人の人を信仰に導き、その妻も導かれ、雄々しく信仰を告白せしめたという事は、実にシドチの全生涯を賭けたところの事業であり、神様がそれによって、「お前の全生涯は成功である」と言われる処の、御意では無かったでしょうか。神様の御意は、厚い牢獄の壁の彼方に隠され、その光は、高い天窓の一角からさえも、遂に漏れては来ないかに思われる事があるものであります。長い失意の人生も、神様の不思議な御意によって、不思議に意義あらしめられる事があるものでございます。私どもの人生を評価するものは、私ども自身ではありません。社会でもありません。神様であります。それで私どもは、どんな時にも失意せず、御意の成らんことのみを、ひたすら求めなければならないと思うのでございます。
この文章を読んで私は2つの事を考えました。ひとつは「神様の評価」と「この世の評価」についてです。この世は何事も成果をあげられるかどうか、また何かできるようになるかどうかが問題にされます。そして教育もその目標に向かって行われているのですが、その先にあるものは、人々の賞賛を得ることであり、富や権力を得ることです。
では神様はシドチさんのどこを見て「おまえの全生涯は成功である」と言われたのだろう?ということです。
二つ目は私の中に浮かんだ言葉です。私は今、福岡聖書研究会で新約聖書のマルコによる福音書を学ぶ機会を与えられています。そこで語られた言葉ですが「自分中心の生き方の判断の根拠は損得にある」という言葉です。この言葉を聞いたとき、本当にはっとさせられました。
何事も瞬時に損得を計算している私の姿があぶりだされたからでした。
シドチや牢番の長介さん、はるさんは、損得を超えた、一切の計算がない生き方を神様はよしとされたのではないかと思いました。
主にハレルヤ! K.M
青空に白い雲、金もくせいの花の薫る十月四日 夫、近藤弘は「ありがとうございます」と言い乍ら、召されて大好きな雲を抜け、神様の御国へと旅立って行きました。
「神様のなさる事は時宜にかなって総て美しい」「主よ御心のままになし給え」と学びました。神様のお恵みの数々、いっぱいありますが「不思議だ!」と申された医師のお話を書かせて下さい。
担当の医師は、今年(二〇一二年)の「五月末まで持たない」「七月まで、あと二ヶ月もたないだろう」と言っておられたのに、九月の末頃になると、夫の状態をみて、「私には解りませんが・・・何か不思議な大きな力が働いて、その大きな力に守られ、助けられているような気がします。不思議です・・・」と言われました。
「あっ神様だ!」「お祈りのおかげだ!」と直感しました。
集会(主の日、日曜日の礼拝)に出席するたび、皆様のやさしいお声掛け、お励ましを戴き、「お祈り」を戴き、御旨のままに逝った、その瞬間も、その後も、目には見えないけれど、慈愛に満ち溢れた御神のお助け、お守りを感じさせられます。
感謝し、信じて、主を仰ぎ見ました。神様有難うございました。主にある兄弟姉妹の御平安を祈ります。
一、驚くばかりの恵みなりき
この身の汚れを知れるわれに
二、恵みはわが身の恐れを消し
任する心を起こさせたり
四、御国に着く朝いよよ高く
恵みの御神を讃えまつらん。(新聖歌二三三)
讃美歌の歌詞 K.A
今年一年、入院することなく体調が守られて、松山での「祈の友」四国グループ集会にも参加できました。感謝です。
母と同居するようになって一年あまり経ちましたが、月に九回前後の集会参加が守られ 通い道の植物などにも癒されています。
夫は調理師で午前四時頃に出勤して昼過ぎに帰宅、隣の部屋でお笑い番組を見たりゲームをしたりインターネットをしたり娯楽中心。母は一階で時代劇三昧、あいだで一時間程度出かけて気分転換しているみたい。わたしの集会参加には二人とも賛成で、集会での話をすると聞いてくれます。
出勤の早い夫が夕食まで寝ていたり夜八時には寝るので、みんな部屋にいても入り口の戸を閉めています。わたしも自室でしずかにパソコンをしています。
神さまの恵みと兄弟姉妹のコメントに支えられブログも継続中ですが、最近は伴奏データを聞きながら賛美をしています。歌うことは好きですが咳が出やすいので、集会のときは小声になってしまいます。そのぶん、家では一時間かけて飲まなければならない栄養ドリンクで喉をうるおしながら、一人カラオケ状態で発散しています。とても癒されます。
歌詞データを入力・校正していると、リピート、ダ・カーポ、ダル・セーニョ、フィーネなど繰り返し記号の勉強にもなりました。
詩編や黙示録の学びで、神をほめたたえ主を賛美すること、そして歌詞の意味をかみしめて賛美することを学びました。
わたしは平均してメロディの楽しい曲が頭に残りやすいですが、歌詞の意味を深く知って主を賛美していくことの大切さを知りました。歌詞を文字で見ただけで分からなくて、手話表現を見よう見まねでしていて意味が分かったときもありました。腕の浮腫がひどくないときは頑張って手を動かして覚えたいと思います。
総蛋白の値はあいかわらず三・九から四・二なのに、こんなに元気に動けるのは毎日の生活が充実していて精神状態が安定しているからだと思います。小さい不満・不平を言ってばかりの弱いわたしを、支えてくださっている神さまの恵みとしか思えません。これからも信仰につながる時間を多く持ち続けていきたいと思います。
入力していて心に残った歌詞を書きたいと思います。繰り返しが多いので簡略化して書きました。『この曲は賛美するのは難しそう』と伴奏を聞いて思いました。
「主の腕にいだかれて」(つかわしてください世界のさんび2の十八番)です。
主の腕にいだかれて
引き離すものはない
主の愛からわたしを
引き離すものはない
わたしのすべてのもの
あなたに委ねる 主よ
あなたの道を歩き
引き離すものはない
主の腕にいだかれて
引き離すものはない
主の愛からわたしを
引き離すものはない
わたしのこころはいつも
主の霊で満たされて
あなたの道を歩き
引き離すものはない
主の腕にいだかれて
引き離すものはない
主の愛からわたしを
引き離すものはない
悲しむ隣りびとと
よろこび見いだすとき
主の真実(まこと)を伝えて
離れずに歩きだす
主の腕にいだかれて
引き離すものはない
主の愛からわたしを
引き離すものはない
「イエスさまの愛から引き離されることのないように。悩み苦しむ隣りびとになんらかの形でイエスさまの愛や真実を伝えることができますように。いじめや自殺がなくなりますように。」との祈りを込めて。
集会で賛美して、心に残っている曲を書きたいと思います。
「この地を癒したまえ」(リビングプレイズの二三八番)です。
わが民よ へりくだり いのりささげ
わが民よ へりくだり いまたちかえれ
いのりをきいて つみゆるし
あなたのくにを いやそう
わが主よ このくにを
いやし 主のものとしたまえ
せつなる 祈りにこたえて
この地を いやしたまえ
ひざまずき へりくだり いのりささげ
ひざまずき へりくだり 主にたちかえれ
主よあわれみで つみゆるし
われらのくにに いやしを
わが主よ このくにを
いやし 主のものとしたまえ
せつなる 祈りにこたえて
この地を いやしたまえ
「東日本大震災の被災者や台風の被害に遭われたかたに、さらなる主の憐れみ・慰めがありますように。」との祈りを込めて。
(主婦)
徳島県
S.Y
旧約聖書サムエル記上二六章の学びで、三千年も前にダビデは「主は生きておられる。そして今も働いておられる。」という確信が心にあった。だからダビデは自分の命を狙うサウルを、殺す機会が何度もあったにもかかわらず、サウルは神が油注がれた者だからと殺さなかった。ダビデは今も生きて働く主を信じていたので、すべてを神様に委ねられた。そして敵対していたサウルの心が変えられた。同じように、キリストは生きておられるという確信が、私たちの心に常にあるだろうか。このことをどのような時でも、信じて受け取ることが大切である。今はまだはっきりわからなくても、信じていたらわかるようになる、わからせて下さると学びました。
人間の力で変えようと思っても人の心は変えられない。感情的になったり、忍耐が足りなくあきらめてしまう。必ず神様が変えて下さることを信じて、たえず祈って委ねることの大切さ、祈りを聞いて下さる主に委ねることが出来る幸いを改めて思いました。
キリストは生きておられる 新聖歌二五七
1、主イエスは私たちの
罪ゆえ十字架で
贖いの道開き
よみがえられた救い主
キリストは生きておられる
わがうちにおられる
すべては御手のうちにあり
今日も励もう主に守られ
徳島市
口に甘く腹に苦い S.Y
「すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こういった。『さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。』そこで、天使のところへ行き、『その小さな巻物をください』と言った。すると、天使はわたしに言った。『受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。』」(ヨハネ黙示録十・8〜9新共同)
私どもの集会において、数年前に一年半程かけて、ヨハネ黙示録を学びました。旧約・新約聖書を通して最後の位置(ページ)を占めている、新約聖書中唯一の預言書の全体を、おおざっぱに知ることが出来ました。この度、昨年求めてあった著書「やさしく読めるヨハネ黙示録」鈴木善七著(同信社・一九ハ八初版発行)を開いてみて、決して読解の難しい書ではないと感じました。読み終わって一番心に残ったことは、主キリスト様が近くに来て下さったと思われたことです。
黙示録は「審判の書」と言われています。新約聖書の四福音書、使徒言行録、続く使徒書籍は、救いと恵みの言葉で満ちていますが、この黙示録だけは全く違い、将来必ず実現する神の審判のことをしるします。ただ神の審判について、たんに罪人をさばき地獄に投げ入れるご権威の前に、読者をふるえおののかせるのではなく、愛の使徒ヨハネは、すべての罪人にかわって十字架におつきになり、神の刑罰を余すところなく受けられて、人間の救いを成就された主イエス・キリストご自身をあかし続けながら、しるしたのだということを覚えたいと、著者は伝えてくれています。
冒頭のみ言葉「口に甘く腹に苦い」について、次のように解説されています。「やさしく読めるヨハネ黙示録」の文章(ページ一七〇〜一七二)を、そのまま記します。
だれでも始めから聖書にとびついて読む人は少ないでしょう。二・三枚もめくってみて、さっぱりわからないと放り出すような本です。ところが一度、心の要求をもって読み、全聖書のあかしする天の父神と、御子主イエス・キリストを少しでも知らされるならば、それまで全く知らなかった魅力に気がつくでしょう。そして、「あなたの仰せを味わえばわたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。」(詩篇一一九篇103新共同)となります。しかし、口に甘かったみ言葉は、それまで生ける神の愛も恵みも知らずに、自分勝手な道を歩み、多くの罪を重ねてきた者を、あわれみ、そのために尊い御子主イエス・キリストの十字架の救いを備えて、今日この時まで、待っていて下さったと気がついたならば、誰でもその愛とご忍耐に感泣せずにいられましょうか。腹に苦いとはキリストのそのみ苦しみを感じる思いであります。ですから聖書を読む者は喜んで読んでも、いつも心では主の愛のみ苦しみを忘れてはならないのです。
また、黙示録を読む私たちは、人間の罪に対する刑罰が、徹底的に、執行されようとすることを、どのような思いで読むのでしょうか。悪人がきびしく罰せられることは、人によっては当然にさえ感じるかも知れません。しかし、自分自身も同じ罪人であるのに、ただ主イエス様の十字架のお救いを信じただけで、完全なお救いを賜ったのですから、刑罰が烈しければ烈しいほど、わが心も痛むはず、それをヨハネが「口に甘く、腹に苦い」と教えられたのだと思います。それは預言書を読む者の特に大切な心がまえだと、先輩方から教えられました。(以上、著書の文章)
私は、聖書を学べることの幸いを深く感謝しています。日々の喜びであり、生きる力の源でもあると感じます。
ヨハネ黙示録は、キリスト教迫害時代に書かれていて、隠し言葉が多く用いられている為、一見分かりにくい文章になっていますが、再度学んで、当時のキリスト者達の生きるのに困難だった生活を思わされました。また、冒頭のみ言葉を学ぶことで、喜びばかりに心とらわれていた自分に気づかされました。
天の御父の愛と涙を、御子イエス・キリストの愛とお痛みを、常に思い至ることの出来るように願われてなりません。他者に対しても思いやりの欠ける私です。反省と共に、「口に甘く腹に苦い」のみ言葉を、自分の心に印したいと思います。 (主婦)
鶴岡市
主に感謝と賛美を捧げる
S.Y
「わたしたちの神、主よ、わたしたちを救い 諸国の中からわたしたちを集めてください。聖なる御名に感謝をささげ あなたを賛美し、ほめたたえさせてください。イスラエルの神、主をたたえよ 世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ。」(詩篇一〇六・47〜48)
詩篇一〇六編を学んで、どんな時でも神様の御業を思い起こして感謝と賛美を捧げる事が永遠の命に繋がる祝福の道であると教えて頂きました。この詩は詩篇第四巻の最後の詩で第三巻のおわりである八九編も賛美と感謝が書かれていて、物事の最初と最後に最も大切な事が置かれていると教えられました。
この一〇六編はイスラエルの民の歴史が記されているだけではなく私自身の事を言われていると思いました。神様を知らされ信じるように変えて頂いても、小さな事で躓いて迷ったり疑ったり神様に対して呟いてばかりでした。私がどんな状態であってもイエス様は絶えず執り成しの祈りをして下さり待ち続けて下さいました。
幾度となく溺れそうになった私を救い取って下さった事を思い出し、この詩篇に書かれているイスラエルの民の歴史が私そのものであると思いました。
二三節に「主は彼らを滅ぼすと言われたが、主に選ばれた人モーセは破れを担って御前に立ち彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。」とあり、このモーセはイエス様を暗示していると説明を聞きました。
私達は何度罪を犯して失敗を繰り返しても、悔い改めて祈れば赦して頂けるイエス様が与えられていて、その恵みの中にある事を思って感謝です。救いの恵みに入れて頂いたことを喜ぶだけでなく、回りの人、まだ神様に背を向けている人が救われ、共に心から主に賛美と感謝を捧げて歩んで行けるように、祈って行きたいと思います。
私自身も不完全で破れの多いものですが、破れを担って下さるイエス様に立ち帰って、歩んで行きます。神様に感謝です。 (鍼師)
徳島市
タンポポ―詩3篇、愛と赦し
S.K
タンポポ
タンポポは、花が終わると茎がスーッと長く伸びるんだよ、種が遠くまで運ばれるようにね。
言われてタンポポを見て、初めてそれに気づいた。見ていても見ていなかったのだ。
聖言の言葉も、説明されてなるほどと腑に落ちることがたくさんある。新しい気づきに聖書の学びが楽しくなる,神さまにいっそう近づけたようで、喜びがさらに増す。
神さま、光をください。雨をください。あなたの命のパンで私を満たしてください。あなたの命の水で私の渇きを癒してください。そしてグーンと背筋を伸ばしてください。聖なる風をください。喜びの種を周りに遠くまで撒き散らせるように。
たんぽぽ
黄色い花が咲き終わると
急に茎を伸ばして白い綿毛をこんもりとつけるたんぽぽ
神さまお願い
この子たちを遠くまで運んでください
と精一杯背伸びしている
そんなたんぽぽにまで
つい嫉妬と引け日を覚えてしまう
子孫を残せないわたし
精一杯伸びをする
太陽の光がわたしを包む
ひがむな、それも神さまのみ旨
胸に宿った信仰の種を
わたしは蒔いていけばいい
愛と赦し(マタイ十ハ章「仲間を赦さない家来」のたとえ、を読んで)
神が私たちを愛してくれているのだから、私たちも互いに愛し合うべきなのですね。
神が私たちを赦してくれているのだから、私たちも互いに赦し合うべきなのですね。
なんていうおまえは、頭で理解しているだけ。愛も赦しも分かっちゃいない。
そんなおまえは、汝の敵を愛せよ、って言われても無理、無理、とても人間業じやないよ、っていうのが本音だろう。
左の頻を打たれたら右の頬は出さずに、目には目を、って調子で、やり返す。
私たちの罪のために、私たちの罪を担って、イエスが十字架上で死んでくださった、なんてことも頭だけの理解。本心からは分かっていない。
そんなことはないよ。でも、罪、罪、罪って、言いすぎだよ。俺には罪がないとは言わないけれど、人から後ろ指を指されるような生き方はしてないし、割りとまともに生きているつもりだ。
なんて、自分や世間の物差しを基準にしている。神を基準にしなきゃ。
不義、悪、むさぼり、悪意、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念、陰口、そしり、神を憎み、人を侮り、高慢、嘘、悪事、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲なんて、罪をずらりと並べても、そんな思いは誰でも抱くことだし、それが人間というものだろう。ちょっとくらい思っても、神は寛大だ、些細なこととして気にしない、きっと赦してくれるはず。
なんて、それは甘えに過ぎない。自分中心な思い上がり。神にとっては、罪は罪。どんなに些細な罪も罪として裁く。
そんな……生真面目な人間なんて、堅苦しくて、味気ないし、むしろ、ちょっとした罪を犯すくらいの人のほうが人間味があっていい。そのほうが世の中生きやすいし。
なんて、おまえはまだ自分にしがみついている。おまえの目は、神にではなく、世間に向いている。
これまで、おまえは他人を無条件、無償で愛したことがあるか、赦したことがあるか?
………ない……正直に言えば、ない。
そう、俺の愛も赦しも薄っぺらだと、腹の底を探れば分かる。
神が私たちを無条件で受け容れて無償で愛してくれていると体感した人は、感謝と喜びにあふれて、その愛を自然と他人に分け与えているだろう。
神が私たちを赦してくれていると実感した人は、他人を自然と赦しているだろう。
俺は、神の愛も赦しも感じられない。どうしたらいい? どうしたら得られる?
己の心の奥底を、まっすぐ覗いてみろ。己の本性を見つめてみろ。
汚れた自分を受け容れられず、他人と比較して、あいつよりはましだと言い張るだろう。
だが、地獄に落ちるようなものと比べても仕方ないだろう。
ああ、息苦しくなってきた。つらくなってきた。……俺を罪まみれだと思い知らせて、
苦しませて、楽しいか?情けなくて、泣きたくなってきた……
その目を上げて、神を見ろ。
どんなに罪にまみれていても、神の目におまえは価高く、貴いのだ。
しっかりと心に刻みこめ!
千葉県
S.H
主は天に御座を堅く据え、主権を持ってすべてを統治される。(詩編、 103篇、19節。)
こうして、時が満ちるに及んで、救いの技が完成されあらゆる物が、頭であるキリストの元に一つにまとめられます。天にある物も、地にある物もキリストの元に一つにまとめられるのです。(エフェソの信徒への手紙、1の10)
この世はサタンが支配しているように見える。
しかし、その遥か上で主が王として全てを支配しておられる。
そして、神様が定められた日がくれば、イエス様のもとで、イエス様によって、悪は一掃され、すべての問題は解決され、人々はあらゆる束縛からも解放される。
一年を通じて主が語りかけてくださった一番大きなメッセージです。(折々にスカイプで参加した集会においても学びました。) (あんま・指圧・マッサージ師)
徳島県
「花は、花は、花は咲く」を聴いて
S.Y
あの、東日本大震災が起こってどのくらいたってからかは定かではないけれども、いつの頃からかNHKの番組の合間に、短い画面が頻繁に入るようになった。「明日へ 東日本大震災復興支援ソング」と題され、タレントの方々が次々に現れ、注ぎかけるような笑顔で「花は、花は、花は咲く」と、繰り返し、繰り返し歌っていた。西田敏行を初め、なんとプロ野球楽天の野村克也元監督や梅沢冨美男、荒川静香まで加わっていた。最初聞いた時から心に残った。その後、手にすることができた歌詞は次の通りだった。
真っ白な 雪道に、春風香る
わたしは なつかしいあの街を思い出す
叶えたい 夢もあった 変わりたい自分もいた
今はただ なつかしい あの人を思い出す
誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろ
夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい あの日々を 思い出す
傷ついて 傷つけて 報われず泣いたりして
今はただ 愛おしい あの人を思い出す
誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう
(この二行をもう一度くりかえし)
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために
この歌を聴きながら、あの大震災が起こって、それだけでも大打撃だったのに、原発事故という、これまでの生活を根こそぎ奪い去った放射能汚染の恐怖に、来る日も来る日も向かい合わなければならない人々、あっという間に、自分の半身以上の、愛する人々を取り去られた多くの人たちのことを思い出しながら、こんどの大震災と放射能の汚染の中で、何も失ったわけでもないこのわたしも感動した。
思い出すのも辛い過去を、実にさらっと歌いながら、そこには、未来に向かって希望があることが、優しさの中に、心を込めて歌われている、実に深い慰めに満ちた言葉であり、曲だ、と思った。
この曲に夢中になっている時、NHKがつい最近、石巻で、いまだに行方の知れない方々の捜索が本格的に始められることを、ドキュメント番組で報じた。石巻の、海岸に隣接した住宅街は、地盤沈下で、震災直後から海面下に沈み、行方不明者の捜索ができないでいたのだという。そこで、大がかりの堤防が造られ、海水をくみ出し、重機も入れて、捜索ができるようになったのだという。
このドキュメントの中に、ある夫妻の姿があった。この夫妻は、震災当時中学二年生の長男と、小学四年生だった長女の二人を津波で亡くしていた。長男は間もなく遺体で見つかったが、長女がいまでも見つかっていない、という。
あの日以来毎日、お母さんは、かつての自宅の古井戸に祭壇を設け、毎日通っていたが、今度、捜索が本格的に行われるようになって、お嬢さんが好きだった朝顔の鉢植えを備え、「娘はきっと探し出してくれるのを今か今かと待っているのです」と言って、自分でも、娘の存在を証しするどんな小さなものでもよいから探し出したい、と語っていた。ご両親の悲しみはどんなに深いことだろう。
あれから一年半以上もたった今でも、愛する者の行方の分からないままでいる方々が少なくないに違いない。このようなみなさんは、わたしがとても感動した、この、震災復興支援ソング「花は、花は、花は咲く」をどうお聞きになるか、とふと思ったのである。
一体、このような深い悲しみをもち続けなければならない方々が本当に慰められるには、どうしたらよいのか
まず何としてでも、掛け替えのない人が一日でも早く発見されること。でもそれが叶わなかったら…。とてもそんな悲しいことは考えられないだろう。でもどうしてもそう思わざるを得ないとしたら…。
ふと「希望するすべもなかった時に、なお望みを抱いて信じ」、「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神」(ローマに信徒への手紙4の17・18)を信じたアブラハムを思った。
勿論この復興支援ソングの歌詞には、聖書の言葉や福音は、直接には語られてはいないのだけれども、ここに歌われている希望を、確かなものとして裏付けるものは、実は聖書がわたしたちに告げている、神の、決して変わることのない真実の約束なのだ。
そう、どんなに望みが無いように見える時でも、あの、アブラハムのように、神、そして主イエスに依り頼む時、「希望は失望に終わることはない」という、パウロの言葉が現実のこととなるのだ、と改めて教えられた。 (浦和キリスト集会)
D.Y
詩編 34篇 18節
主は心の砕けた者に近く、
たましいの悔いくずおれた者を救われる。
〃 22節
主はそのしもべらの命をあがなわれる。
主により頼む者はひとりだに
罪に定められることはない。
マタイ福音書9章12節にイエス様が、丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。私がきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。と言われたことが書かれています。
これらの箇所を読むとき、ただ信じてお任せするだけで救っていただけるのだと感謝は溢れます。
神様は一人ひとりをそのままで愛してくださっているのですね。
T.H
全能であり、最善である
神さまが、すべてを最善に
導いてくださることを信じて
感謝讃美いたします。 (茨城県)
T.Y
かなり前になりますが、キリスト教関連のテープ雑誌を購読していたことがありました。あの時代は、今のように、通信技術も発展しておらず、情報の入手ルートも限られていたもので、ほとんどが、録音に依存するしかありませんでした。
毎号、楽しみにしていたコーナーで、「音楽特集」があったもので、季節の賛美歌が掲載されていました。特に、秋となれば、クリスマスに次いで、曲数も多いもので、リクエストを入れたこともありました。毎年、思い出される1曲に、新聖歌の、321番があります。冒頭の部分に、人生の荒海を思わせるような内容があり、スカイプでの集会に参加したときにも、毎年選ぶことがあります。これからも、多くの賛美歌にふれていきたいと思います。最後になりますが、1節を入れておきます。
浮世の風と
波にもまれて
舟繁りせる
小船にとりて
強き錨ぞ
ただ頼みなる
罪の嵐は
いかに吹くとも
岩なるイエスに
錨下ろせば
徳島市
T.Y
パンをあきれるほど食べ残し
長寿を手に入れ
痛いときは即医者へ
連絡は携帯、スマートフォンなど、いつでもどこでもやり放題
地の果てまでも行って帰れる
徴兵の心配もなく
ひたすら豊かになることが
平和につながると思っていた
欲をふくらませて、原発を許容して
ふと気がつけば
あやうい虚構のうえにある豊かさ、平和
日本列島が激しく揺れて
大勢の命と引き換えに
この国が世界有数の地震国だったことに
ようやく気付く
敗戦後の無責任が
沖縄の隣国―中国とのしこりになっている事に
今さらながら気付く
気付いた時は気付かされた時
神の風が吹いた時
一人一人が問われる時
このわたしが問われる時
このままでいいはずがない
T.N
「神よ、沈黙しないでください。黙していないでください。」(83の2)「苦悩に目は衰え 来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び あなたに向かって手を広げています。」(88の10)「わたしの霊はなえ果て 心は胸の中で挫けます。…乾いた大地のようなわたしの魂をあなたに向けます。」(143の4)「速やかにわたしを訪れてください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。主よ、遅れないでください。」(70の6)
アスペルガー障害を抱えた息子が、職場の不適応、人間関係の極度な困難、家庭や親戚関係などの過大なストレスによって次第に追い詰められ、怒りのコントロールを失い、双極性障害を発症したうえに、脱法ハーブ依存に陥って、壊れて私たちの元に独りで帰ってきたのは、今年の2月でした。
そこから始まったのは、とてつもなく恐ろしく、神さまの光が見えず、ダッチロール状態が延々と続く日々でした。ただでさえ混乱甚だしいアスペルガーの彼が、大きく壊れてすがれるものは脱法ハーブの朦朧とした至福の世界。しかし、それは歯止めの効かない暴言暴力と異常行動の毎日、さらに交通事故という厄災をもたらしました。
私達家族は、延々と続く悪夢のような毎日に、恐怖と緊張で疲れ果てました。せめて夜眠ればその間はその辛さから逃れられるかと思っても、夢のなかに彼は現れ、胸の動悸で目が覚める毎日。その時に読んだヨブ記がなんとリアルだったことでしょう。
「床に入れば慰めもあろう 横たわれば嘆きも治まる」と思ったが あなたは夢をもってわたしをおののかせ 幻をもって脅かされる。わたしの魂は息を奪われることを願い 骨にとどまるよりも死を選ぶ。…朝ごとに訪れて確かめ 絶え間なく調べられる。いつまでもわたしから目をそらされない。唾を飲み込む間すらも ほうっておいてはくださらない。…なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。(ヨブ記7の13〜20)
冒頭に掲げた数編の詩編は、まさに私たちの日々の呻きそのものでした。一日の終わりに夫と詩編を読み、このような聖句を見つけては自分たちの思いと重ねて神さまに祈りとして吐露し、すべてを預けて一日を終える。絶望、混乱、恐怖の中で、その時だけが、ホっと出来る時間でした。
たくさんの友が祈ってくれました。信仰を持っている友も、神さまの存在をまだ知らされていない友も。祈りに囲まれているというイメージを固く保ち、一瞬々々を耐え凌ぐことだけで一日が過ぎていきました。
ある夕方、雲が低く空を覆っていて、その下側が見事な夕焼けの紅に染まっていました。その夕焼けを見ながら、先ほどフラッと出ていった息子のことを心配していました。どこに行ったんだろう、今ごろ脱法ハーブを手に入れているかもしれない、事故を起こしているかもしれない…。その時、ふと思いました。この美しい夕焼けの下に私同様彼も居る。彼が何をたくらんでいようと、神さまのみ手の中から彼は出ることはない。たくさんの友の祈りに囲まれて、私も彼もこの夕焼けの下、神さまのみ手の中に居る。そう思ったら、少し気持ちが楽になりました。
一歩進んで二歩下がるような状況で、絶望と不信の塊になりながら、「息子の心にはあなたの平安がどうしても必要です、ひとかけら、分けてください!」と祈り続けました。
いつの間にか、9ヶ月が経ちました。荒れ狂う波の上に頭が出て、ようやく息が継げるようになりました。いつか脱法ハーブが遠のき、素のアスペの彼が現れ、公の支援の輪が形をなし始めました。
「あなたは多くの災いと苦しみをわたしに思い知らせられましたが 再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から再び引き上げてくださるでしょう。」(72の20)
夜の祈りの時に、このような救いの希望を確信しようとする詩編を、選ぶようになって行きました。
振り返ると、3ヶ月前よりまし。6ヶ月前より良好。9ヶ月前より信じられないほど平安。確実に回復していると思えるようになりました。
「わたしは主の御業を思い続け いにしえに、あなたのなさった奇跡を思い続け あなたの働きをひとつひとつ口ずさみながら あなたの御業を思い巡らします。」(詩編77の12)
振り返ると、この苦しい9ヶ月の出来事は何一つ無駄なものはなく、神さまのご采配に満ちていたと言わずにおれません。それは、アスペルガー障害を受け入れかねて29年間、自力で生きてきた息子が、観念して障害という現実を受け入れ、支援されることを受け入れ、真に彼らしい良き人生に向かって再出発するための道程。そのためには半端ない秩序の破壊と再生が必要だと、神さまは思い定められたのでしょう。そして、これを受け止めるには、本当にたくさんの方たちの祈りが必要でした。祈りは、ただ唯一の全能の神さまだけに頼ります、全幅の信頼を寄せていますという信仰告白であり、神さまが最もお喜びになられる捧げ物です。
詩編がまた、語りかけてきます。
「主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。」(102の18)
「キリストにある一致―信仰は守られるものと知る」
T.Y
私たち夫婦は二〇一二年で銀婚式を迎えた。全盲の私を娶るに当たり、竹下家もその周囲の方々もさまざまな不安があったにちがいない。
義両親は、「息子の選びを尊重し、これ以上、イエス様に十字架を背負わせてはいけない」と言い、私たちの結婚を快諾したと聞いている。また婚約式と結婚式の司式をしてくださった京都聖書研究会の主催者小田丙午郎氏は、私に、「毎日主の祈りを唱えるように」と言われた。それ以来、なんとか主の祈りを唱え続けてこられているように思う。 小田先生とのこの約束は、とてもありがたいものであったとの確信を増している今日この頃である。そして、私の最後の日まで唱え続けられるようにと願う者になっている。
先日(一一月二日)、義母の信仰の友、児島瑞穂子さんが95歳で天に召された。無教会の友、櫛田道子さんの司式、太田源左エ門さんの聖書講話、そして私、義母信子もともに参列でき、聖歌を讃美してお見送りができ、ほっとするとともに次のことを教えられた。
信仰とは、本人が守るものではなく、キリストに在って一致する者を通して守られると受け留めた。私たちはいつどんな状況になるかもわからない。守りたくとも守れない事態が起こるかもしれないですが、「信じる者は救われる」。
「このように 私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストにより神に対して平和をえている。私たちは更に彼により今立っているこの恵みに信仰によって導きいれられ、そして、神の栄光に預かる希望を持って喜んでいる。それだけではなく、艱難も喜んでいる。なぜなら、艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、私たちに賜っている聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからである。」(ローマ章 第5章1節〜5節)
T.K
(スポルジョン「朝ごとに」より)「神に対し受けた恵みを感謝することは、わたしたちの友をも益する道である。」
ある先生から、「神様はわたしたちのまわりの草木、あるいは、1つ1つの雲や青い空…等々、そして一人ひとりの人間にも深い意味を込められておられるのだと思います。私たちはそうした神様のお心のごくわずかしか、くみ取っていないのでしょう。門をたたけそうすれば開かれる」との御言葉を聴きました。感謝とともに心の奥から湧き上がるものを感じました。
以前に、一冊の本を読んでいて、感謝と深い平安を感じたことを思い出しました。
旧約聖書一日一章(榎本 保郎著 歴代下11.4)の箇所解説の一部なのですが…。
「私は主イエスのエルサレム入城の絵が好きであるがマタイに基づいて主イエスの乗られた親ろばが子ろばを連れて入城している絵がある。
子ろばのことを考えていたら主イエスの召しに応えることのできない親ろばが、子ろばを連れて主の御用に召されていく。ここに、私どもの信仰生活の姿があるのではないかと思う。」
その頃、子供が小さくて、聖日を守ることにいろいろな悩みから疲れていて、神の前に良い生き方をすることこそ、子孫への遺す遺産≠セと学生時代学んだことは、忘れかけていました。「ただ主イエスへの無限の信頼の心さえあれば、だれでもが残すことがでる。
どんなに落ちぶれた人であっても―そこから罪を知り、神に赦しを願い、立ち返ることさえあるなら、その神への信仰、そこから与えられる神の言葉が私たちが後世に残すことのできる最大のものとなる」と最近「いのちの水」で再び教えられて、新たな力を与えられ感謝しています。
私は小さな足りない者なのに、その私を「主がお入用なのです。」といってくれているとしたら…、本当に言葉に言い尽くせないくらい心から大きな感謝と喜びを感じます。
「恵みの働きはどんなに小さなことであっても、下げ振りは良い方の御手の中にある。神の喜ばれる事柄はイエスの御手のうちにあって栄える。…イエスは常に、その霊の神殿が堅固に申し分なく建てられるように見守られる。…」(スパージョン「夕ごとに」(11月26日)
常にキリストと結びついて、その神に向かって祈り導かれていかせていただきたいです。
日々、いろいろな心を悩ませる問題に直面しますが神様は私をお忘れになることが無い=Iと信じる大切さを、改めて感じています。
自分は絶えず押し倒されてしまうような弱い心があります。だから、神様から離れないで過ごさせてもらっているのかも知れないと思います。
いろいろな問題に、どうしても、感情が先に立ってしまうのですが、神様に信頼すること「神こそ永遠に主として支配されている」という真理を固く覚えて心配事や不安なときもそのことを忘れないようにしていきたいです。
最近、姉妹から贈られた言葉と、主に祈り、平安を与えられた事がありました。
感情はやってきて去っていく、そして 感情は欺く、私の保証は神の御言葉、信じるに値するものは 他にない。=iコーリー・テン・ブーム)
また、水野源三さんのやわらかい素直な心の詩が優しく心を砕くよう教えてくれます。 感謝です。
「御言葉」
神様、今日も御言葉を下さい
一つだけで結構です
私の心は小さいですから
沢山いただいても溢れてしまい
もったいないので。
神様が兄弟姉妹の大切な一日一日をお守りくださいますように! (仙台市)
T.S
大根は、九月に一カ所に3粒ほど蒔きます。本葉が2、3枚出た頃に間引きをして、2〜3本の芽を1本だけにします。すると、大根は急にぐんぐんと大きく成長していきます。一カ所に2,3本の芽を残したままに間引きをしないでおくと、いつまでたっても成長はゆっくりで、なかなか大きくなってくれません。
信仰も大根と似ているなあと気がつきました。神様のことを信じても、この世のことに心が揺れ動いているうちは、いつまでたっても信仰はなかなか成長しない。この世のことは捨て去って(間引いて)信仰一筋になれたなら、大根と同じように、神様の子として大きく成長できるんだろうなあ。
T.Y
義母が入院して手術を受けていました。手術が終わり病棟に帰って来たときは、麻酔も覚めて「痛い、苦しい」を何回も叫んでいる状態を目にしてとても聞くのが辛く「神様どうかこの痛みを少しでも和らげてください」と心の中で祈りました。
医者からは「もう歳なので合併症が気になります」と言われていました。でも、日ごとに「苦しい、痛い」と言う叫びがだんだんと間が開くようになりました。食事もおも湯からお粥になってリハビリまで出来るようになりました。
神様は、本当に共にいて弱い者を助けてくださるということを教えてくださいました。
他にも友人のことで、祈ってきかれたことがありました。この度のことで神様は生きて働いてくださっていることがわかりました。また、改めて祈りの大切さを思いました。本当に神様に感謝です。
(主婦)
徳島県
T.E
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」(1コリント三章6〜7)
み言葉からの学び
私たちを成長させてくださるのは神様であり、イエス・キリストであり、聖霊なのですが、神様以外のものを求めるから成長できないのに「どうしてなんだろう?」と不平をつぶやいてしまいます。
すべての霊的な種をまかれたのは神様です。
神様は聖書の初めに真っ暗な中に光あれと光の種をまき、光を植えられたように、私の心にも霊的な光の種をまき植えてくださったのです。
これは大きな驚きの発見でした。
そして、私たちも霊的な種をまき、水を注ぐものとされています。祈ることによって、また讃美することによってもできるのです。
このみ言葉の学びが心に残った頃に、渡辺和子著の「置かれた場所で咲きなさい」の本の音訳に出会いました。
読み進みながら自分の日々を言い当てられているような気がしました。
わかりやすく愛をこめて書かれている文にみ言葉の語りかけがあります。
本の タイトルにもなっている文章を引用させていただきます。
「自信を喪失し修道院を出ようかとまで思い詰めた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが、「置かれたところで咲きなさい。」と言う言葉だったのです。岡山という土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦している私を見るに見かねて下さったのでしょう。私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり、不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんな所に置かれても、そこで、環境の主人となり、自分の花を咲かせようと、決心する事ができました。それは、「私は変わる」事によってのみ可能でした。…どうしても咲けないときがあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には、無理に咲かなくてもいい。その変わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなる為に。…多くの事を胸におさめ、花束にして神に捧げる為に、その材料が必要です。ですから、与えられる物事の一つ一つを、ありがたく両手でいただき、自分しか作れない花束にして、笑顔で神に捧げたいと思っています。どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう。」(「置かれた場所で咲きなさい」より)
私は自分の場所がここなんだろうかとか、ここは荒れ地で芽を出せないと不平を言ったり、心の痛みで壊れてしまいそうな時もありました。
でも、思い返してみるとそうではなくて、ここは神様が置かれた場所なのだから、そこでこそ神様が成長させてくださり花を咲かせようとしてくださっているのです。
自分が置かれた場所が神様にとっての最善の場所であり、ふさわしい花を咲かせようと成長させてくださる神様を信じていきたいと思います。
そして、私は鍼治療をしながら日々多くの人と接していて、体とともに心も痛んでいる人たちと関わっています。
私が心の重荷を軽くされ励まされたように、この本を紹介して一人一人の「置かれた場所で咲きなさい」との神様のみ声が届きますようにと祈っていきます。
(鍼治療院 天宝堂)
徳島市
T.K
私たちは一生の間に何かしらの転機がある。学校であったり、就職や結婚などで転機が訪れる。
私の最大の転機は結婚一〇年目に起こった。夫は交通事故で頸椎損傷により、寝たっきりになってしまった。それまでの私は、目が悪い事もあって全て夫に頼りきっていた。私の人生一八〇度回転した。
主治医から病名を告げられた時から悲しみは始まった。職場でいる時以外は涙顔だから前を向いては歩けなかった。何かの用事をしていても、何を見ても辛かった。夫とはこの食卓も囲めない、夫と庭を散歩する事も出来ない。夫はどうなるのか?。先々の事を思えば思うほど不安と悲しみ。
(神様どうか夫をもう一度歩かせて下さい。庭などを散歩出来るように、神様どうか夫の足を動かせて下さい)と神様など知らないし、信じてもいなかった私でしたが、夫の病院への道々叫んでいた。
この事がイエス様と出会うきっかけになるとは思いもしない事であった。しかし、それより先に神様は私たちの為に準備をしておいた事は確かな事であった。事故に遭う一〇ヶ月前にKさんと知り合った。
結婚されたのでほんの短い期間の付き合いであったのに、ご主人が病院へ尋ねて来て下さり、ある時Yさんも一緒に来て下さった。
Yさんは聖書の事をよく教えて下さった。つまらない質問にも解るように説明をしてくださった。丁度良い時に丁度良い本をも貸して下さった。(集会に行ってみよう)とおもったのはYさんと出会って一年ほど経っての事だったが、信じたからではない。(私たち何も悪い事はしていないのに、どうしてこんな目に遭うのか?)と言う思いもあった。でも集会に行くと聖書を順番に教えてくれるのが好きだった。あちらこちらではなくちゃんと順番に学べるのだ。
聖書はよく解らなかった私に、杣友 豊市さんは「聖書はみんな聞いてみんな解らなくてもいいのですよ。一つでも解れば十分なのですよ、また来たら解るし、積み重ねですよ)とニコニコして言って下さったので。自分の罪すら解らない私でもすんなり行く事が出来たのだ。それとKさんのご主人が送迎をして下さった事が神様からの助けだったのだ。
二年半の入院生活の後、退院する頃には、一人でも集会に参加する思いも起こされていた。「手は肩関節がかろうじて動くかな?体は座位が九〇度の車いすに乗るのは無理でしょう。」と最初に言われていた夫の機能も、手助けがなければそのままベッドで横にも向けない状態でも、運動神経が僅かに残っている事もあって、手助けにより、歩行器にもたれて一人でも歩けるようになっていた。
あの悲しい辛い苦しい時、もう二度と笑う事などは決してないと思われた時から今年で三〇年が経った。悲しみ苦しみに遭う事は良い事に繋がると聖書にも書かれてる事は本当にそのとおりだ。
弱くって何にも出来ない私、罪のみ多くて神様の前に消え入りたい者でも、神様は今までずっと支えて導いて下さっていた。退院後も夫は現状維持。
私も守られて夫の看病が出来、集会に参加出来る事が神様からの大きな恵みでもある。神様は必要な人を必要な時にまた必要な物を必要な時に私たちの所へ贈って下さっている。「我が恵み汝に足れり」とあるのも実に実にそのとおりだ。
これから先、私たちも老いて行く。体力的にも出来てた事も出来なくなるだろう。先々の事を思い煩う必要はない。「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46の4)今まで守って下さり、支えて下さり、ずっと導いて下さってたイエス様は、決して私を見捨てたりはなさらない。
徳島県
T.M
「あなたの激流のひびきによって 淵は淵に呼びかけ、あなたの波、あなたの大波は みなわたしの上を過ぎていった。」(詩篇42・7関根正雄訳)
この一年、我が家には予期せぬ出来事が次から次へと起った。「母の手術、長期入院」「義娘の急逝による幼児の世話等境遇の変化」また「次男の発病」等々。これらはすべて神のおぼし召しによるのであろうか、今や四方を囲まれて身動き出来ない状況になってしまった。ペテロへのキリストの預言が思われる。
「アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたいところへ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」(ヨハネ21・18)これから将来どうなるか、わからない。唯一つ、神は「試みに添えて、かならず逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。」(コリント第一 10・13)私にとり、その「逃げ道」とは「ただ神のみを畏れ、嘘をつかず、人の目を恐れず、逃げないで自分を神に捧げること」。これまで私は人生の大事な決断の時に、神から戴いた「良心」を裏切って来た、そのつけが問われて神は私をどこまでも追い詰められたのであろう。聖なる万能の神の手から逃れることは出来ない。主の祈り「お名前が聖まりますように、御心が行われますように、天と同じに地の上でも」が、私の最後の祈りである。(商業)
松山市
詩と短歌 N.S
ほほえみ
あなたの表情に、あなたの瞳に、
あなたのほほえみに、
あなたの温かなあいさつに
親切が表れますように。
子どもたちに、貧しい人に、
苦しみや孤独を感じているすべての人に
いつも暖かいほほえみを向けましょう。
(マザーテレサ「日々のことば」より)
雑詠
あけぼのの金星見つめて今日もまた主の喜びを注がれて立つ
闇深き空に輝く明星は「わたしである」とイエスのみ言葉
主イエスの尊きうめきのお執り成し信じてわが罪忘れて祈る
幼子のための祈りの喜びは執り成す罪の無き清らかさ
馬でなく犬にもあらず人として吾を造りし神を賛美す
大荒れの海、空、地をも主の御手の中の嵐と思えば康し
赦されしこの罪の身の喜びを人に語れぬわが口くやしき
徳島市
N.H
「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。」(詩編一九編 七〜一〇)
昨年の大震災と原発事故以来、日本が変わってしまった感じがある。特に原発や放射能の問題で政治家も、官僚も、東京大学の学者も、日立や東芝や三菱等原発産業に関わる大企業も大学病院などの医療機関もみんな信頼できない事が表面化した。
映像で見ると本当に美しい東北の山々や河川や心優しい庶民が助け合って住んでいた街や村など多くの地が放射能で汚されてしまった。
福島の原発事故が起こる前は、チェルノブイリやイラン、イラク戦争で、放射能被害にあっている人々の問題を映画や本で見て、問題意識と同情を禁じ得ない気持ちを持っていたが、まさか自分の国がそのような状況になるとはその時は夢にも思わなかった。ひとたび事故が起これば、人ごとでなく我が身の問題、我が身の現実になるのだ。
福島の東京電力から放出され今もまだ放出され続けている放射能は、今後ジワジワと我々日本人全体の健康を蝕んでいくだろう。かつてチェルノブイリの映像で見たような事が日本にも起こると予想されている。だれも責任をとらない。それどころか、まだ、この地震国日本に原発を存続させ、外国にもその技術を売ってお金儲けをしようとしているような日本なのだ。永久に処理ができない核のゴミの問題などわかりきった事を棚上げにして、「原発がなければ日本は電気が足りない。人々の生活も経済もなりゆかない」と宣伝する。まだ収束もしていない福島の原発に収束宣言を出して、何もなかったかのような扱いで、元の生活につないでいる。そして、健康被害は隠して、汚れた土地が安全であるように錯覚させ、魚や農作物を全国に出荷させている。痛み分けだと、汚染された瓦礫をわざわざ遠い地方に運賃を使って運び燃やす。それがどんなにまだ汚染されていない土地の人々の健康に影響するか、表面では誰も言わない。NHKでは盛んに東北の番組を組んで、汚染がないかのように見せかける内容を放映している。おかしい事がまかり通っている今の日本。事実を知った庶民がいくら反対してもごり押しで政策を進める国や地方自治体の首長。
けれども、この悪の支配する闇の世のただ中で同時に、神様のみ言葉の世界は勝利していくと集会で学んでいる。主の掟は完全であり、主の証しは確かだと。この地上に人間がいくらさえぎっても、否定して思い通りに世間をあやつっても、絶対に否定もできなければ、壊すことのできない、主の掟がある。それによって、世界は確立され、歴史は動いてきた。これからも主の方向にすべてが流れていくのだ。そしてキリストの元に一つにまとめられると聖書から学んだ。
見えないけれど厳然とある主の掟に人間のだれが勝つ事ができるだろう。悪はすべて滅びる仕組みになっているのだ。だから、主を信じる私達は、まだ見ぬ主の勝利を信じて、委ねる。いや、すでに今現在も勝利のキリストが私達の元に来て下さるのだ。どんなに弱く見えても、どんなに小さく力がないように見えても、万能の主と結ばれている私達は、今現在起こっている事や、見えている事を突き抜けて、永遠の真理の道が見えている。祈れば、主の力は小さな生活の中にも実現され、平安と希望をいただける。どんなにお金を積んでも得られない確かな喜びがある。これらは、多くの金よりも優り、蜂蜜より甘いのだ。主は、宇宙や世界や日本という大きなモノも動かしているが、また小さな私達一人一人の願いや祈りにも答えて下さる方なのだ。今日本の混迷を見、間違ったものによって益々暗い状況になるかもしれないが、ひとたび目を上に上げると、主の世界が厳然とある。その世界につながりその世界から正しく見える目を開かせて貰って、私達は主のひとすじの道を歩む。なんという、確かな恵みの道であろうか。そして、小さな人間にふさわしい小さな事を日々主にあって行っていく。そしてこの世の命の終わりには永遠のみ国に移していただく。そこには、「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 (ヨハネ黙示録二一の四 ) このような完全に満たされた世界が用意されているのた。
震災の影響を受けて今も苦しんでおられるお一人一人に主イエス・キリスト様から、癒しと慰めと力、平安とがありますように。
(有限会社マンナ在宅支援ミルトス ケアマネージャー)
徳島県吉野川市
高知県 N.K
中国で、日本政府による尖閣諸島国有化に抗議する反日デモが、エスカレートしている。暴徒化して日本企業の建物破壊や製品破懐をする若者をニュースで見る。国家によって愛国心を叩きこまれ、教育された若者が痛ましい。その教育に、戦前の日本の教育の恐ろしさを感じる。太平洋戦争を起こし、天皇を神とし、天皇のために命を投げ出せ、国のために死ね、という思想で、恐ろしい目にあった過去の日本を。
愛国心は、エスカレートすれば暴徒となり、テロリズムとなり、戦争となる。日本人は過去の原罪があるから、右翼の人以外は静感している。国を動かす政治家や官僚、さらに上に立つ人は加熱した「愛国心」の恐ろしさを知るべきである。
「愛国心」を越えた愛を考えて行きたい。アメリカやヨーロッパの国々はキリスト教がまがりなりにも浸透して人類愛を知っている。日本や中国が愛国心をむき出しにすると、とんでもないことになるぞ、と恐怖を感じた。(2012年9月18日の日記より)
原発デモに参加して N.N
「行いのない信仰も死んだもの」「なすべき善を知りながら行わなければ罪」とのみ言葉に促されて、9月から始まった市民による、反原発デモに参加している。幼い子ども連れやベビーカーを押して来る人、遠方からの参加者もいる。「原発反対」「再稼働反対」「命を守ろう」「子どもを守ろう」「自然エネルギーに変えよう」非暴力による静かなシュプレヒコール。参加者が一人二人と増えていっている気がする。
行進しながら、福島第一原発事故により、故郷に帰れない方々や2度の転居を余儀なくされた友人のことを思う。
10月15日リトアニアでは原発建設に国民の64.85%が反対票を投じた。建設には日本の企業が関わっている。国民の声が通るのであろうか。造れば儲かり、売れば儲かり、事故があれば儲かる原発。経済優先を求める国は、福島第一原発の事故を他人ごとと見ている証拠。自分の利益しか考えられない証拠。ドイツに学んでいない証拠。
「原発がないと経済が持たない」と同じく沖縄は「安全保障のためには米軍の基地は必要」といって国は弱い地域に押し付けてきている。
基地受け入れに反対し米軍再編交付金をもらえなくなった名護市市長の言葉。「交付金がもらえるのは10年間。基地を受け入れたら100年も基地を引きずっていく。原発を受け入れた自治体がその後次々と原発の増設を望まざるをえなくなるのと同じになる。」
お金はなければないで財政を見直そうとする行政があったのだった。
反原発デモに参加して、思わされた。デモは集団行動だが、神様は信仰者の生き方は「たった一人でも悪にノーと言える勇気」、「この世にしがみついているもの(こと)を捨てていく決断と実行」を求められていると。
『命こそ宝(ぬちどうたから)』阿波根 昌鴻 著 より
「道理をもって相手を説得する。決して責めているだけではいけない。相手の立場に立って相手も幸せにする」
「人間はお互い話し合い、反省し合い人を責めずにわびあえる心が欲しいものであります」
「平和を望む運動家は生活の場でも平和でなければ本当の平和は実現しない。何か特別なことをするのが平和運動ではない。生活の場から平和を作り出していく、これが基本」
「人間は各自の狭い人間的な関心事というレベルを超えて、広い人類の関心事に心を向けた時初めてこの世に生きていると言える」
N.T
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。
わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。」
(エレミヤ書 二九章一一〜一四)
毎日のように、国内外で様々な事が起きている。
メディアの報道に揺り動かされないように、主にある平和、平安をいつも心に留めて歩んでいきたいと思っています。
吉野川市
N.Y
この映画はフィンランドの映画です。題名と簡単な紹介文を読んで、神様がテーマのいい映画だったらいいなと思ってレンタルしました。そしてその通りのとてもいい映画だったので、DVDを購入しました。
終身刑を宣告されたレイラという女性と、盲目で年老いたヤコブという牧師の物語です。レイラは罪を犯して刑務所で十二年間を過ごし、その間一度も休みや面会を受け付けませんでした。恩赦によって本人の意に反して刑務所を出る事になりましたが、行く当てが全くなく、刑務所で勧められたとおり、ヤコブ牧師の住み込みの手伝いに行くことになります。ヤコブ牧師に来る相談の手紙を読み、牧師が頼んだ通りに返事を書くのが仕事でした。
しかしレイラはこの仕事をするには、全く向いていない人でした。牧師が祈って話す手紙の返事を面倒くさそうに聞き、汚い文字で間違った文字をグシャグシャッと消しながら返事を書きます。手紙を受け取った人がどう思うだろうと思うと、ヒヤヒヤします。その上、手紙の仕事を面倒に思うと、牧師の気づかないところで、半分捨ててしまったりします。
一方のヤコブ牧師は、目が見えませんが聖書の全てを暗記し、必要な人に必要な御言葉を届けることを生きがいとしていました。神様から与えられた天職だと思っていたのです。衣食住も、少ない全財産も全て神様に捧げ、神様から任された仕事をすることを、心の支えとしていました。
そんなある日、ヤコブ牧師の所に手紙が全く届かなくなります。「神様から、必要とされなくなった。」そう感じた牧師は心の支えを失って、様子がおかしくなり、生きる希望を失ったかのような状態になるのでした。
この映画は、主な登場人物がレイラとヤコブ牧師と郵便配達人のたった3人です。レイラと牧師の心の中と魂に起こる事は、それぞれにとって、とても大きな出来事なのに、世の中の片隅でひっそりとその物語が進行し、それを見て全て知っているのは神様だけという設定なのです。
この物語のテーマは「必要とされること」と「愛」と「赦し」です。人にも神様にも必要とされていると感じられない時、居場所がないとき、人間は絶望の縁に立たされます。レイラは自分が赦される事を諦め、生きることも愛も諦めていました。一方、ヤコブ牧師は本当の愛を実践し、信仰的には何の不足もなく生きているように見えましたが、その上に尚、自分が神様から愛されて、多くのものを受けてきたということも、体験として知らされる必要がありました。
ヤコブ牧師に来る手紙は、全て祈りを請う手紙です。たくさんの人が生活の些細な事や、人生の大事な局面で祈られる事を求め、神様による解決を求めています。ヤコブ牧師は「人は誰しも、神が自分を見てくれていると思っていたいもの。その事実を実感したいのです。」と話します。この日本には聖書の本当の神様を知る人が少なく、見守ってもらっているという実感も、導かれているという実感もなく、困った事があっても霊的に頼る人もなく、神様から隔絶されたかのような状態の中で生きている人が大勢います。また、高齢者の仕事をしていると、人間にとって「必要とされること、役割があること」というのは、本人が思う以上に、その人の心の元気さと深い関連があることを知るようになりました。役割を全て取り上げられた人は途端に元気を失くしますが、本人に合った居場所があり、役割を与えられると、たとえ重い認知症の状態であっても、生き生きと満足して生きることができます。
ヤコブ牧師の祈りはシンプルです。その祈りと生き方の姿勢から沢山のことを学ぶ事ができました。そして、たとえ「待っている手紙が一通も届かない」というような、本人にとって存在意義を問われるかのような辛いことがあったとしても、神様の愛の御計画はもっと深く、大きいのだという事も思うことができました。本当にいい映画なのでお勧めです。皆さんも、是非観てみてください。
徳島県吉野川市
N.K
詩篇87篇は7節から成る短い詩です。先ず一読した時ハッと胸打たれるものがありました。
それは2節、「主は凡てのヤコブの住まいにまさってシオンの諸々の門を愛し給う」と言う言葉でした。 「ヤコブの住まい」とはイスラエルの人々の住む町や村のこと。 シオンのもろもろの門」とは 万国(異邦)の民が潜って入ってくる神殿の門のこと。 主はイスラエルの人々が住む町や村にまさって万国(異邦)の民が入ってくる門を愛し給う。と。
これまで私は旧約の神ヤハウエーはヤコブの家を何より愛される神だとばかり思っていました。しかし2節の言葉によってヤハウエーの神の万人を包み込むような愛の大きさと暖かさに触れる思いがして胸打たれました。
ところで87篇1節に戻ります。「コラの子の歌」のコラとはレビ族のモーセとアロンの従兄弟コラから生まれた子孫で彼らは神殿の門守や供え物の調理、神殿の合唱隊を勤めました。87篇はイスラエルがバピロン捕囚から解放された直後に作られたものであろうと言われます。
前586年、ユダ王国はバビロニヤによって滅ぼされ、ユダの王エホヤキンと民らは捕囚の民としてバビロンに引かれて行きました。(列王記下24) それから半世紀後ペルシヤ王クロスはバビロンを滅ぼしてイスラエルの捕囚の民を解放します。帰還した民はエルサレムに神殿を再建しますがそれはソロモン王の建てたものとは比べ物にならぬ貧弱なものであったので失望した民らを励まそうと87篇は作られたと言われます。
1節「主の基は聖き山にあり」主が基礎をおかれた町は聖き山の上にある。
3節『神の都よ 汝につきて栄光のことを語りはやせり』このエルサレムについて歴史上の色々の事実が語り継がれてきました。(アブラハム、ダビデ、ソロモン ユダ王国などでの出来事を指しています)
3節の終りにセラとあるのはこの部分で歌声や奏楽の調子を挙げたものと推測されます。ちなみに150篇に当時使われたであろう楽器が記されています、立琴、琴、鼓、笛、シンバル。更にこれに加えてペン・シヤーン展(於2012年5月県立岡山美術館)では詩篇朗詠に用いられたであろう楽器としてそれに加えてダブルオーボエ、ダブルパイプ、鉄琴、オルガン、ホルン、トランペットなどの図も展示紹介されていました。
4節「われはラハブ、バビロン、をも我を知るものの中にあげん、ペリシテ、ツロ、エチオピヤを見よ、この人はかしこに生まれたりと言わん。」 イスラエルにとってそれぞれの恐ろしい外国の人も聖き山に生まれた人と同じ市民権を与える。
5節『この者、かの者その中に生まれたり。いと高き者みづからシオンを立てたまわんと。』
生粋のイスラエル人もイスラエル人とおなじ市民権を与えられた者たちもシオン(聖なる山)の民として数え上げられる。6節『主がもろもろの民を記したもう時、この者はかしこに生まれたりと数え上げたまわん、』(5節と同じくりかえし)
7節『歌うもの踊るもの皆言わん。わが諸々の泉は汝の中にありと。』 歌うものおどるものよ、
歌いはやせ「よろこびと賛美の泉は皆シオンにありと。」
この7節はミルトンのThe Poetical works of John Milton の中に次のように美しく翻案されています。
Both they who sing and who dance 歌う者も踊る者も聖なる歌と共にそこにあり
With sacred songs are there;
ln thee fresh brooks and soft streams glance 汝の中に新鮮な小川とやさしい流れが輝き
And all thy fountains clear, 汝のすべての聖き泉が輝く。
イスラエルはバビロン捕囚からエルサレムに帰還後今度はローマによってバビロン捕囚以上の破壊を蒙り地上の都の建設は失敗に終わりましたがキリストの出現、キリストの十字架、復活によって霊なる都の建設の希望が生まれたのではないでしょうか。2千年余りにわたる迫害の果てにイスラエルは今もなお、地上に於ける平和をも願いながら87篇における主への賛美と万国の民が喜びの泉を求めてシオンの門をくぐる日を祈り続けていると思います。キリストの復活に依る霊的な復活は主を信じて現代に生きる我々にも希望をつなぐことが出来ると思います。日々戒めを守って生きようとする生活は弱い肉体にとってなやみ多い歩みではありますがそれが神の国の民の生活であり、87篇に応えるものでもあるかと思います。そしてこの度私は87篇を通して異邦人の凡てを包み込むヤハウェーの神の高貴な愛に打たれました。(兵庫県川西市)(参考文献 失内原未発表聖書講義詩篇)
福井市 N.K
今年も、スカイプ集会をとうし、豊かな恵みを頂いた。場所を遠く離れている人たちがインターネットの機器によって共に相集い讃美と学びを共にできる恵みは文明の利器のおかげというほかない。ほとんど家内と共に参加しているが集会の後、今日も恵まれたねと語り合い、充実感に満たされた思いにされている。
講話の内容が平易で、しかも、深い真理が語られあらためて御言葉の中の真理に目を開かれる思いを持つことが多い。満たされ恵まれた感想が強いのには、もう一つのことがある。
講話の後、感話の時間があり、みなさんの感想を聞いていて講話の理解がより深められ広がって伝えられる思いに導かれること。それは、一人一人が独自の感話をされていることによるものと思う。
そこに一人一人に聖霊が働いておられるからと感じる。そして、わたしたちにも聖霊が働きその恵みを頂いていると思わされる。今ここに聖霊が働き、遠近の場所という空間をこえて一人一人を結び合わせ、霊なるエクレシアを形造られている。
神様の御創造の御業がなされていると感ずる。今日までのスカイプ集会のノートを再読、再々読してみているが、そのときの感動がまた沸き起こってくる。聖書の御言葉の意味の再発見をしたような思いを新たにしている。
いつも順調に運ばれていたスカイプ集会が、あるとき、中川さんが体調を崩されて吉村さんがホスト役(スカイプ操作の担当)を兼ねたことがあった。そのとき、スカイプが順調に運ばれるのにどんなに大きな影の力があったか、様々な心遣い、細かな気配り、配慮、篤い祈りが捧げられていたかを知った。
特にホスト役の方のご労苦、細やかな気配りなど、どんなに大変かと思わされた。私たちも集会の予告のたびにそのために篤く祈り、恵みをいただくものとさせて頂きたいと願っている。
高校生の応答から―ラジオ放送を聞かせて―
N.Y
先日キリスト教独立学園高校の安積力也校長のラジオ放送を45分に編集して授業で聞かせました。(こういうことをしているので他の先生に比べていつもテスト範囲を終えるのがギリギリになるのがつらいところです。)「読むべきは聖書、学ぶべきは天然、為すべきは労働」に基づいて、本来の高校教育が目指すべきものを求める全人格的教育の一端を生徒と分かち合いたいと思ったからです(2012年3月5〜7日の2泊3日で独立学園に見学に行ってきました)。
生徒に授業の感想を書かせましたが、その中には一割ほどではありますが、「私にとって勉強は大学入試のため、よい企業に就職するためです」や「人生楽しく過ごすのが一番。考えても無駄なことは時間の無駄」と書く生徒もいました。
彼らの中には、「『存在しないもの』は存在しないんだから、そんなもののことは考える必要がない」という、実は本人もほんとうは信じていないロジックが通ってしまっているように思いました。
そんな中で次のような感想もありましたので紹介したいと思います。
・本音は本音でも色々な本音(表面的な「キライ」という気持ちと、本当はそんなことを言いたいくない気持ち)があることが分かった。
⇒高校生の日常会話が昔に比べて、表面的、感覚的、刹那的になってきているようです。そんな中で自分の深いところの気持ちを考えさせられたようです。
・安積さんの「あなたの本当の願いは何ですか?」という問いには深く考えさせられました。その本当の願いを見つけることが出来たら、どんなことでも、それを成し遂げるためには血のにじむような努力が出来ると思う。なぜならそれは本当の願い、自分の生きる目的だから。僕も本当の願いを見つけることが出来たら、今みたいに中途半端な人間にならないと思う。だからもっと自分と向き合って自分の心の奥にある本当の願いを見つけてそれに向けて努力して、後悔しないように生きていきたい。その願いを見つけることが、僕が死なずに生きている理由だと思う。
・自分を知る量でしか他の人を量れない、という言葉が印象に残りました。自分を深く知らないといけないと思いました。
⇒これは聖書の「自分の量る秤で量り返される」という箇所からの反応です。この感想は多かったです。
・授業において正解よりも問いが生徒にとって大事。基本的な問いが社会の根本へのまなざしへと繋がっている。
・最初話を聞いていて、契約があるなんて嫌だなと思ったけど、契約が心を縛るのではなくて、逆に自由にしているというのが不思議だけど、話を聞いているとなんとなく分かった。
⇒真の自由は真理に従うことで与えられる、と少人数ですが洞察したようでした。
興味のある方は次のURLで私が授業で用いた放送を聴けます。2013年3月頃まで
https://dl.dropbox.com/u/13399771/edu.mp3
N.K
今年の近畿集会は「再臨」を主題とし、み言葉から学ぶこととなった。
今まで私自身、日常的に聖書を読んでいても、正直言って「再臨」については関心が低く、あまり意識したことがなかった。集会を終えてしみじみと思うことは、再臨の希望があって私たちキリスト者の福音の喜びがあるということだった。改めて再臨の視点で聖書を読んでみるとこれまで親しんできたみ言葉がまた違った深い意味をもって迫ってくるのを感じた。
「その日その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。気をつけて目を覚ましていなさい。その時がいつなのかあなたがたにはわからないからである。」マルコ13の32-33
十人のおとめの話「愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。・・・『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」マタイ25の12-13
「目を覚ましていなさい。」というみ言葉は今までも何回も学んだ箇所である。イエス様がいつ再び来られるかわからない。その時あわてなくていいように私たちはいつも魂の目を信仰の目を覚ましていなければならない。信仰のともし火と油をいつも用意していなければならない。信仰態度のたたずまいを問われている。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。・・・」マタイ25の32-33 その後に続いているみ言葉、
『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。・・・』と続いている。この「いつ・・・。」の37-40節のみ言葉はわたしにとって心の支えになっているみ言葉の一つだ。この背後に主の再臨の意味があることをあらためて示された。人は救われようとして愛の行為をするのか、相手が立派だから大切にするのか。そうではなくて主に祝福された人は、自分がした良いことを全く意識しないでできるという。
福音書にある様々なイエス様が語られるたとえ話やみ言葉から、復活から再臨にいたるイエス様の思いが散りばめられている。
岩谷香さんのお話から「アーメン、主イエスよ 来てください。」と黙示録のみ言葉通り、心の底から神を、主を待ち望んでおられる信仰を思った。神様がすべての問題を解決される。そこに本当に希望を持つものでありたいと思う。また一方で今も尚、私たちは主の再臨の中にあることを思う。闇の中に、苦しみの中にあって尚、聖霊が日々、新しい力をくださり、この時も尚、大河の流れのように神の勝利につながっているという確信がある。困難な状況の中にあって、ひたすら御心がなりますようにと祈っていける者でありたい。
美しい秋
稲刈りの終わった裏の田んぼに奥さんが野良着を来て朝からずっと腰を曲げ、稲わらの整理をされている。その姿はミレーの落穂拾いの絵のごとくだ。秋の陽の中で聖画を見る思いだ。
さわやかな秋の一日、さやさやと聖霊の風が吹きわたっている。夕方、竹やぶの間からオレンジ色の夕陽がガラス越しに突然キラキラと集会室の中にふり注いできた。あまりに美しくて思わず吸い寄せられるように窓辺に走り寄る。しばらく日が沈むまでその光を楽しんでいた。
昨日10月14日の高槻集会 徳島より吉村さんを招いて静かに礼拝を持つことができた。東京から、香西信さんも初めて参加された。スカイプで徳島の勝浦さん、西条さん、高瀬さんの参加あり。イエス様が間に立たれ、離れていてもつながれるこの喜び。心から感謝。
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」ヨハネ伝13章14節
世の中は不条理なことに溢れ、さまざまなことの煩いがあるけれど、変わることのない真理がある。イエス様の十字架の愛、悪の只中でイエス様だけがすべてを覚え、すべてが益と働くように愛を貫いてくださる。互いに足を洗い合うこと、祈り合うことの大切さを学んだ。体の中でもっとも汚れてしまう足… それはぬぐいきれない私たちの罪の汚れのごとくだ。日々洗っていただき、清めていただいてからすべての事をなさなければならない。
互いに洗い合うこと、互いに重荷を担い合い、祈り合うことを弟子たちに示された。今後もイエス様につながっていくことの大切さを弟子の足を洗うことで示された。
ユダが裏切ることも知っておられた。そのユダさえ愛された。私たちもユダのようになることがある。すぐに神様の思いから離れてしまう。当時は奴隷の仕事だっただろう足を洗われたこと、腰にまとわれていた手拭いで拭いてまでくださった。
そこまでの愛を示された。私たちもいつも低いところに降りていけるように祈っていかなければならない。イエス様の決別遺訓として始まる13章の始めに弟子たちの足を洗われたことの意味が深く心の中に染み渡った。
秋 水野 源三
リンゴ実る秋に体が不自由になり
コスモスの花が咲くころに
初めてイエス様の話を聞き 聖書を読み
コオロギがなく夜に
救いの喜びに ねむれずにいた
水野さんにとって「秋」は格別な季節だったのだろう。
素朴な琴 八木重吉
このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう
このあかるさは主イエス様。 わたしたちもこの琴のように、その愛に触れ静かに鳴りいだすような信仰、救いの喜びに眠れなくなるほどの信仰を与えられたいと願う。
高槻市塚原
N.H
人生の目的はただひとつ
神を知り従うこと
必要にして十分
他には無し
神は御計画をもって
天地と人間と生き物を造られた
人間に御心を知らしめて
善きものを賜うために造られた
愛と善
神の思いを込められて
神にかたどり
人は造られた
語り伝えよ後々までも
神の恵みを知り
感謝して賛美するため
人は造られた
寝て起きて
食べて歩いて
生きて死ぬ
すべては神の恵みの力
真理であり道であり
命でもあるイエス様
この方を通して
神を知る
真理知り善に努力し
美を味わい
神を知る
すべて神の霊の賜物
私たちは神の恵みを受ける
恵みだけでなく苦難をも受ける
弱く愚かな私たちが神の御心を知り
少しでも実践できるために
私たちは貧しさと悲惨と不公平を見る
悪意と憎しみと罪悪を見る
ものわかりの悪い私たちは
それらを見なければ善と愛とがわからない
神は生きて働いておられる
天地と霊の世界を支えておられる
私たちの命を守っておられる
そして私たちにそのことをわからせてくださる
主は私の祈り求めたものを与えてくださる
主は私が求める前に与えてくださる
主は私が思いつかない恵みで満たしてくださる
神の御心と御計画が天においても地においてもなりますように
私たちの神の栄光が世々限りなく誉め讃えられますように
私たちに神の国と神の義を賜わりますように
主の御名を通して祈りを御前に捧げます アーメン
静岡県 N.M
今年の第94回全国高校野球選手権大会で、神奈川県代表桐生学園2年生松井祐樹投手の“奪三振ショー”は高校野球ファンを大いに魅了した。スライダーの切れの良さ、曲りの大きさに対戦した多くの打者が、“目の前で球が消えた”との感想を口にした。長年バッテリーを組んだ先輩の3年生も球を補給できず、幾度となく前に横にポロポロこぼしていた。そのために三振を奪取した瞬間の、喜びを全身で表す躍動感溢れる爽やかな雰囲気を残し、ベンチに戻ることはあまり多くなかった。気が付けばいつの間にか三振数が増えている、そんな印象であった。従来の1試合奪三振記録は19、これを3上回る22、これは1試合全アウト数27の内22が三振、打者が打ってアウトになったのがわずか5である。県代表優勝チームを相手にこのような記録を残すことは、如何に松井投手の投球が素晴らしかったかを示している。
準々決勝で惜敗しゲームセットとなり、勝利チームの校歌を聞いている時の泣いている顔がアップで報道された。人目を憚らず号泣する姿に感動した人も多いだろう。その後インタビューで敗れた心境を語った。「優勝できず、先輩に申し訳なくて」と、顔をくしゃくしゃにして泣きながら答えていた。
この様子を新聞紙上に掲載した2004年アテネオリンピック柔道金メダリストの鈴木圭司さんのコメント。「この先も伸びるかどうかは、人間性が大事。自分の弱さを認め、他人を認められる。そして練習が好き。松井君は大丈夫、試合後、言い訳を一切しなかったと聞いています。来年が楽しみです。」 超一流選手の鋭い観察力、適切な指摘に驚いた。松井投手の自分のことでなく“先輩に申し訳なくて”と号泣する姿に、私は奪三振数以上に感激したのだった。
さて、聖書の中で号泣した人と言えば、イエスの12弟子の代表格ペトロが思い浮かぶ。イエスがいよいよ十字架にかかる時が迫ると弟子に向かい「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われた。それを聞いたペトロが即座に「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と断言した。この言葉を聞いたイエスがペトロに向かい言った、「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と。ペトロはイエスに「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と、自信を持って再度言い切った。イエスの“はっきり言っておく”と言えば、ペトロはそれに答えて、“決してしません”と自分の気持ちをぶつけた。二人の真摯な態度が正面衝突した場面である。
それから数時間後、イエスの予告通りの結末が待っていた。ほんの少し前、あれほど自信を持って言い放った「知らないなどとは決して申しません」の言葉が、ペトロの耳底から聞こえてきたであろう。そして大祭司の中庭から身を隠すように外に出た瞬間、イエスを裏切ってしまった自分自身の不甲斐なさ、弱さ、惨めさをいやというほど思い知り号泣した。
先ほどの松井投手ではないが、言い訳を口にせず、ただイエスへの申し訳ない気持に駆られ激しく泣き続けたのだった。この号泣した体験を経て、今までの弱い自分から決別し、新たなペトロに生まれ変わることが出来たのであった。
自分自身の悲しみ、喜びの号泣は、新たな自分に生まれ変わることはない。時間の経過とともにいつの間にか平常な心に落ち着く。そして悲しみ、喜びも徐々に薄まり何もなかったかのように心から消え失せ、以前と変わらない自分に戻る。生まれ変わることのできる人は、他者に対する申し訳ないお詫びの心、反省の心により生まれる。号泣した後のペトロは、復活したイエスと再会した時には、過去のペトロから新たなペトロに生まれ変わっていた。そしてキリスト・イエスの使徒として、自身に示された福音伝道の道を脇目も振らず、ただ聖霊に導かれるまま進んだ。その様子は使徒言行録に記されている。
自分自身に対してではなく、他者に対して言い訳をせずただ申し訳ない思いによって号泣する人、私もそのような人々の仲間入りをしたい。
H.N
1.神のこと
律法は神が命じたもの。イスラエルの民はその戒めを神のこととして、日常生活で守った。現代人は、鰻の蒲焼はおいしいし、健康によいから食べないことは不合理だと考える。これは神の戒めを人間のこととして考えること(レビ十一1―29)。
2.人間のこと
新約時代に生きるわたし達に食物規定は関係がないが、神のことを人間のこととして受けとっていることがないとはいえない。たとえば礼拝は気の合った人たちが集まって、有意義なお話しを聞く場と考えるならそれは人間のこと。それが神のことではなく人間のことであれば、この世が提供できない神の恵みも神の平安も力もなく、たかだか人間的慰めがあるのみ。
3.なにを基準とするか
自分に愛のないことを嘆く人は多い。しかしこのような認識と感情がかならずしも聖書が問題としていることとつながらない場合がある。わたし達のそのような認識は、ともすれば自分の理想とか世間の基準にもとることの嘆きである場合がある。もしわたし達の嘆きがこのようなものであれば、わたし達は一生嘆き続けなければならない。
4.罪
戒めが神の要求であり、わたし達が律法の要求に応えられないこと、そのことを罪と聖書は言う。
5.死をとおって命へ
神の戒めに背くということが罪であると認識するとき、人には鋭く深い苦痛が襲う。パウロは律法によって自分は死んだと言う(ローマ七の11など)。しかしそこをとおって新生と、世が提供できない喜びが生まれる。
6.義の宣言
罪のことが神のこととして受け取られるなら、他ならぬ神が「君の罪は赦された」と宣言されるなら、そこには真の解決がありそれ以上煩悶することは何一つない。
7.律法と罪の赦し
つまり信仰によって神から与えられる義、罪の赦しということであるが、律法と結びつかない罪とその赦しは聖書の言う赦しとはちがう。罪ということが問題にされないのであれば十字架は必要ない。実際キリスト教に十字架さえなければ信じやすいという声がある。パウロでなくイエスに帰れという声もそれに類するものかもしれない。
8.原理が先行すれば旧約聖書は不要
しかしどうせ律法は守れないのだからといって、それを飛び越してすぐにイエスの十字架による赦しにとび付くなら、旧約聖書は余計な書物。
9.おわりに
以上述べたことはわたし達が信仰に出会うきっかけとか、信仰が成長してゆくときの順序とは無関係。まして現在の信仰の状態をうんぬんするためのものでもない。
いつまでたってもまだまだ信仰が分からないと嘆く人たち、とくにまじめな方々が、人間的基準に基づいて、自分はなっていないとか、まだまだ信仰が足りないといった類の煩悶をくりかえす傾向がありはしないか。もしそうであれば、この問題は何時までも解決することがなく、ついには力尽きて信仰のことなどどうでもよいことにならないとは限らない(2コリント七の10)。
そうではなく、罪ということを人間のことと捉えないで、神のこととして受けとることをとおして、天的平安にいたることを願う。
高知市
原発について H.H
「原子力発電というものは、とにかく安いんだそうで安ければいいのですか。あそこで出来たものが、ものすごく恐ろしいもので、その廃棄物をどこへ処理したらいいのか?何万年もその毒は消えないそうです。長い長い年月冷やし続けなければならないとか。
冷やし続けるその電気が切れたらどうしますか? フランスのパリで原子力発電所が一度停止した、幸い自家発電があって助かったけれども、あわや惨事に至らんとしたという話があります。安ければいいというものですか。それとも事業としてそれが成り立つからどうしてもそれでやるというんでしょうか。」と三浦綾子さんは、1994年に出版された『キリスト教・祈りのかたち』(主婦の友社)のなかで言っています。
また愛農会の創始者、小谷純一先生は「核兵器全廃こそ人類の悲願、アブナイものは原子力の平和利用と称する原子力の発電所であることは、スリーマイル島やチェリノブイリの原子力発電事故で明白となった。電力の大部分を原子力に頼っているスエ―デンが、2010年までに、いまある原子力発電所を全廃するという国民的合意を取り付けた。日本もこれに倣うべきである。」(『聖霊』433号)を陣野守正氏が「聖霊」718号に引いて下さいました。
これらの予言とも言える文章に出会い、昨年の福島原発事故の重さを再度突き付けられた思いです。史上2番目という原発の大事故は東北の方々の幸せな生活を根こそぎ奪い、今なお復興はなかなか進まないという現実を知らされ悲しくなります。
昨年3月14日以降、ここ伊賀市の愛農ヶ丘に避難して来られた方々、特に子供さん達の一人ひとりの可愛いい顔を思い出し、祈らずにおれません。子供達の将来の健康は大丈夫だろうか? チェリノブイリでの子供達が後遺症で悲惨な目にあっている映画を見てその不安は増大するばかりで、神様のお守りを子供達の上に祈らずにはおれません。
母の死に思う
1986年10月5日、母は72歳でこの世の旅路を終え、主のみ許へ僅かに1日半ほどの患いで駈け昇った。病院嫌いでどんなに勧めても検診に行かず、頑固だった母にはそれなりの人生の最後を迎えたかったのだろうか。その頃私はゴマ作りに熱中していたので畑から収穫したゴマの乾燥して束ねたのを持ち帰り「お母さん、これふるって実にしといてね」と頼んで出かけた。帰宅してみるとゴマはきれいに実だけ選り分けられていたが、母は横になり胃が痛むと訴えた。急激な痩せ方、顔色の悪さから私は口やかましく病院行きを勧めていたのだが聞き入れなかった。「胃のところに塊ができているのよ、何にも食べてないのに・・・」と言い玄米スープも白湯も受け付けなかった。
これはただ事ではないと町内の医院へ往診を頼み、点滴をして貰ったが一晩中痛みは治まらず、朝方少し落ち着いて長女が「おばあちゃん、大丈夫よ」と優しく甲斐がいしく、入れ歯を洗ったり下着を着替えさせたり世話をしてくれた。私は睡眠不足でボーとしているだけだったが午後の苦しみ方が激しいので再び医院へ往診を頼んだが中々来てくれず途方にくれたが、母の様子に只ならぬものを感じた私は「お母さん、イエスさまの所へ行ったら戦死したお父さんにも会えるから心配しないでね」と言うと大きく「うん」とうなずいた。痰が絡んで苦しいので母を抱っこして背中をなでているうちに息を引き取った。母への感謝が親不孝をしてきた悔恨の涙と共に溢れた。
1943年31歳で夫が戦死し、幼い2児を再婚もせずに育てた母の苦労の多い生涯を神様がそのすべてを引き受けて下さったことに感謝するばかりだった。叔母達は「羨ましいな、こんな風に1日半の患いで逝けるとは・・・」と異口同音に言った。叔父(母の弟)も胃癌で47歳の時逝った。
今は2人に1人は癌になる時代と言う。早期発見、早期治療が望ましいが、加齢と共に人生の最終局面をどのように迎えるかと思いを巡らすこの頃だが、ある医師は「死ぬときは癌がいい、認知症はいやだ」と言ってその通り癌で亡くなったと聞いた。「死ぬ時は癌に限る」と新聞でも目にする。延命治療などはせずに自然にこの世とのお別れができたらどんなにいいだろうかと思う。すべては神様の摂理なのだから、与えられた今を感謝してエンディングノートに記して置きたいと思う。(三重県伊賀市)
H.G
ガリラヤ湖を渡っていた弟子たちが逆風のため一晩中船を漕ぐのに苦労していた時、イエス様は明け方に弟子たちを助けに来てくださいました。イエス様が湖の上を歩いてこられるのを見た弟子たちは「幽霊だ」と恐れたといいます。
この記事はマタイ、マルコ、ヨハネの三つの福音書に出ています。同じように書いてありますが、マルコには
湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。(六の四八)
とあります。なぜわざわざ“通り過ぎようとされた”とほかの福音書にないことが書いてあるのか、不思議に思っていました。
ある朝(毎朝家内と聖書を読んでいるのですが)、次の記事を読みました。モーセが民の背信を怒って、戴いた十戒の石板を砕いた後の、神様に栄光を示して欲しいと願うところです。
また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」(出エジプト三三の二〇〜二三)
モーセを神様は岩の裂け目に隠してくださる、というのです。神様の顔を見ると死ぬ、とされていましたから、神様の手で覆ってくださるのです。モーセは通り過ぎられた神様の背中を見せていただくということで、神様に守られ、栄光を仰がせていただくのです。
愛なる神様ですが、旧約聖書の神様は私たちにみ顔を見せられることはありません。通り過ぎられるのでした。
しかし、マルコは私たちに伝えています。イエス様は通り過ぎようとされましたが、立ち止まって艱難の中にいる者の中に飛び込んで救ってくださる、と。
神の子イエス様は人として私たちの只中に来てくださいました。私の許にもいつとはなしに来てくださり、助けてくださっていることを憶えて感謝に溢れます。(福岡聖書研究会)
F.F
内村鑑三の著書 「一日一生」の五月の前文に、次のように記されています。
「労働の快楽もまた貧者特有のものであります。世に不幸なるものとて、働かないもの、働かずしてすむ人のごときはありません。労働の快楽は最も確実なる快楽であります。
よし適当の報酬のこれにともなわないとしても、労働に「われは今日も何かなしたり」という満足があります。西洋のことわざに「最大の罪悪は何事をもなさざることなり」ということがありますが、実にそのとおりであります。人は労働によって人生の苦痛を忘れるのであります。娯楽機関は一時の鎭痛剤にすぎません。いっしょうけんめいに働く時には、人は何びとも子児のごとくにイノセント(つみなきもの)となるのであります。」
つぎに箴言二四・三○〜三二節のみことば「わたしはなまけ者の畑のそばと、知恵のない人のぶどう畑のそばを通ってみたが、いばらが一面に生え、あざみがその地面をおおい、その石がきはくずれていた。わたしはこれをみて心をとどめ、これを見て教訓を得た。」この、みことばに対する編者(畔上賢造)は著者のおもなる著作中より選んで、つぎのように解説した。
「イエスは労働者である。余は彼によりて労働の貴きゆえんを知った。労働は賃銀をうるために貴いのではない。心を養うために貴いのである。煩悶と懐疑とは沈思黙考によりても解(と)けない。労働によりて釈(と)ける。労働の人生におけるは、排水溝の沼地におけるがごときものである。これによりて悪水は除かれ膏腴(こうゆ)は残り、地は豊穣(ほうじょう)を供するに至る。
煩悶は、思うこと多くして働くこと少なきより起こる。煩悶を除かんがために身を噴火口に投ずるに及ばない。通常の労働に従事すれば足る。されば糸のごとく乱れたる心は整理について、賛美の声は口よりあがるに至る。」
私は著者、内村鑑三の労働に対する理解は主にあってのものであり、大きな感動をいただきました。
労働には貴賎はなく、どのような働きにも一生懸命に当たれば、先の解説にあったような恵まれたものが与えられることに感謝しています。
私は四国の大河、吉野川の中流域にあたる河川敷を国から借地し無農薬野菜を栽培し労働の快楽と神様のみめぐみをいただいています。また健康をも与えられ感謝しています。
徳島県吉野川市
F.M
今年、四月二十二日、私達は結婚五十年の金婚式をむかえました。
十一年前、子宮体癌を宣告された折、どうがこうでも金婚式を迎えたいものと、切に願ったものでした。なぜ金婚式にとらわれたのか自分自身にはわかりませんが、どうしても生かされたいと心から願ったものでした。一年、一年と年月を重ね希望の第一関門を通り過ぎ、半年になりました。
第二の関門は何を目標にすべきかを探す昨今です。
私の好きな讃美歌に「わが行くみち」讃美歌二十一・四六三番があります。
一、わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆ知らねど、
主はみこころ なしたまわん。
(くりかえし)
そなえたもう 主のみちを
ふみて行かん、ひとすじに。
二、わが心よ、強くあれ。
ひとはかわり 世はうつれど
主はみこころ なしたまわん。
三、あらうみをも うちひらき。
すなはらにも マナをふらせ、
主はみこころ なしたまわん。
私たちには子供もなく年を重ねるにつけ不安もあり最後の時どうなるのだろうかと思いわずらいもありますが、今まで守られ支えられた恵みに感謝しつつ、ただ信じて歩めばいいのではないかと示される昨今です。
今後とも、よろしくお導き、お交わり下さいますよう切に願っております。
吉野川市
K.S
祈りの友の会を二ヶ月に一回もつようになり、ついては「祈り」と「讃美」だけでなく、「聖書の学び」も共にしたいと思い、詩篇を選んだ。詩篇が本当に祈りと讃美の書であり、かつ福音そのものを指し示していると感じられるようになったからである。
一方、毎月末、聖日の午後、筋ジスの病棟で続けてきた聖書集会でも、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ、使徒、ローマと続けてきたが、一緒に集う病者の数もたった一人になり、年齢は六十一歳と自分と余り変わらないものの、不自由が増し弱ってこられたので、これからは特に「祈り」と「讃美」を大切にしたいと考え、ここでも詩篇を取りあげることにした。
詩篇は百五十篇もあるので、全てを学ぶとなると、相当の年月がかかることになる。また、手持ちの参考書も全篇の講義・講解はない。
最近購入した吉村先生の講義CDが、唯一全篇に亘るものである。そこで、今まで学び胸打たれた詩篇が丁度六十篇あったので、それを主に、順次学んでいこうと決めた。このようにして取り組んだ最新の学びが詩篇二九篇である。前置きが長くなった。学びのあらましと感想を述べる。
冒頭、詩人ダビデはまず、「主に帰せよ」を三回連呼する。理由を述べないうちに、神(主)に対するあふれる喜びと感謝を圧えきれなかったと見える。「主に帰せよ。主に帰せよ。主に帰せよ」と。
そして、一連の最後には「主にひれ伏せよ」とある。命令形で、しかもこれ以上ない絶対服従を「神の子ら」に迫る詩人!いかに自身が、強烈な恵みへの喜びと感謝を主なる神から受けていたかが察せられる。
二連で、彼がどういう状況下で右の思いを懐いたかが分かる。
三〜十節の中に、「主の御声」が七回も頻発する。「水の上に響く」とか、「神の雷鳴はとどろく」「力をもって響く」「輝きをもって響く」などの表現から、雷鳴と稲光、豪雨の中での体験であったことが理解できる。
そのものすごさは、「レバノンの杉の木を砕き」や「レバノンを子牛のように、シルヨンを野牛の子のように躍らせる」。千年の堂々たる古木も最高峰も、それの含まれるレバノン山脈それ自体が根底から覆されてはどうしようもない。山だけでない、北部だけでない。南の荒れ野も、「主の御声」が「炎を裂いて走り」「もだえさせる」。
自然・土地だけでない。国土の全面とそこに存在するすべての被造物―動植物も人間も―その力の前に無力であることが明らかになる。
驚くべきは、その圧倒的な力を、詩人は「主の栄光」ととらえていることだ。いや、被造物全体が、自分らを襲うこの激烈な力を「神の栄光」ととらえ、力の源なる主に「栄光あれ」と唱えていると宣言しているのだ。『神殿のものみなは唱える「栄光あれ」と』は、そういう消息を言うのに違いない。すごい宣言だ。
なぜ、この宣言・確信が得られたのか。二連の最後の一文がヒントになる。「主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく」とある。ダビデは、洪水(病気・災難・苦悩・悲嘆・孤独他)の上に、それを乗り越える愛の力を主はお持ちだということを知り、それを信じ得たのだ。余りにも大きな恵みなのでたまらなくなり、「主に帰せよ」「主に帰せよ」になったのだろう。何者も押しとどめられない大洪水の上に、再び人と被造物全体を生かすとこしえの命の源、主があることを確信した言葉に、私は感嘆する。
この宣言・確信を現在の私達にあてはめると、世界がますます平和でなくなりつつあっても、国家国民的な災難や困難が様々に、そして輻輳して起こっても、この神、主の神ある限り希望を失うことは決してないということだ。個人的にもどんな困難・悩み・弱さがあっても、主を信ずる限り善きに導き給うということだ。
この信仰を戴くこと、そしてその信仰を死に至るまで持ち続けることこそ私の励むべきことであると思わされた。
詩人は、以上の霊的確信に基づき、最後にこう祈っている。
「どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように」。
口語訳では、
「主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう」であった。
この聖句は、私の命の恩人で、この一月に召された野崎忠雄さんから若き日にいただいたものである。詩人と同じように、すべてのことに主の栄光を仰ぎ、困難の中にあっても主のみ顔を仰ぎ続け、主の絶大な愛の力を信じて疑わない人生を送られた。亡くなる九ヶ月前、氏の九十一歳の手紙の一節に、次の文が綴られていた。
「今、日本の国は東日本大震災、津波、福島原発の大事故に襲われています。大勢の人が死に、肉親を失った人の悲しみの声が上がっております。然し、死んだ人々、悲しみの中にある一人一人を限りない愛の中に見つめていてくださる神様のことを信じています。」
同じ信仰をいただき、一人でも多く身近な隣人に伝えていきたい。
H.S
八王子多摩集会は東京新宿より三十分程の、歴史ある街で良き住宅地でもあります。
集会は駅ビルに隣接する、公共施設内で行われています。現在の聖書研究は詩編を始めております。「滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ、わたしの足を岩の上に立たせ、しっかりと歩ませ」(詩編四十・3)では、私自身の現状を重ね合わせ、神の救いに心が引き付けられました。
多摩集会では今日の勉強した聖書研究についての、感話を話し合います。参加者が十名以下の人数ですので、時間を十分に取れ、良きキリスト集会となっております。
神奈川県相模原市
重荷を担ってくださる主―盲導犬と自分の歩みから
H.Y
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11の28)
最近の私は、自律神経失調症に悩まされている。もともと、その傾向はあったのだが、更年期突入とともに、その度合いが増している。
昨年は、東日本大震災後、不安神経症となり、抗不安薬を服用するはめにも陥った。今でも、ちょっとしたストレスがかかると、てきめんに体調をくずしてしまう。肉体的にも、精神的にもきわどい平衡状態のなかで、毎日を過ごしている。
そんな折に、私のアイメイト(盲導犬の名)が病気を起こした。アイメイトの背中を優しくなでながら、私の心は重かった。今年の2月、混合ワクチンをした翌日から軟便になり、動物病院で下痢止めの注射をしてもらい5日分の薬をのませた。薬をのませている間はよかったが、薬を切った次の日にはもっとひどい嘔吐と下痢になった。
私の手元に来て、こんなにひどい状態になったのは初めてであった。
8歳というガン年齢に達したこともあり、私の心は不安におそわれ、ここ一年悩まされている不安神経症にまたしても陥った。
私には祈ることしかなかった。早くこの子が癒されますように。たいしたことのない病気でありますようにと。
疲れたかのように、ふうっと長い息をつくアイメイトの背中をそっと撫でながら、この子の命の重さを私は肩にずしりと感じた。
目の見えない私のそばに常にいて、目の代わりをしてくれる大切なパートナーであるのに、その重さを、その時の私は負担に感じた。
そして、はっとした。
イエス様は、私の重荷を背負ってくださる。それはどんなにか重たいことだろう。
しかし、私のように負担に思われることもなく、すべてを受けとめてくださるのだ。
その時、私はこの恵みに気づかされた。
この盲導犬の胃腸炎は3度繰り返し、ひと月かかってしまったが完治した。
すべてを受けとめてくださる神、イエス様に心の底から感謝した。(熊本市 はり治療院)
聖句から
M.K
「神は愛なり」
高松での集会 M.D
兄弟姉妹に支えられて、高松で第一主日の集会を持たせていただいています。日常に起こる様々な出来事、そして、自分自身の弱さのなかで、このように集会を続けてこれたのは、本当に、兄弟姉妹の祈りと助けと、主の恵みによるものであると、思わされます。その中から、学んだことを少し書かせていただこうと思います。
最近の集会のテーマを、少し書き出したいと思います。「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」、「神のわざが現れるため」、「罪からの救いと清い心の創造」、「本当の魂の主に住んでいただくため」、「人は何によって生きるのか」、「キリストが内に住む」、「闇の中に輝く光」などです。これらのテーマを別々に読んでみると個々の違う内容のものになっているようにも見えます。しかし、すべては、「キリストと共にある」、「キリストが内に住む」、ということが、全ての根底にあるように思います。人が「(・・・)神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ためには、キリストが共に住んでくださり、御言を語ってくださらなければならないということ。「神のわざが(自分の中に、そして、また自分の外に溢れ出して)現れるため」にも、キリストが共におって、常に内面的な改新を行ってくださらなければならないのです。「罪からの救いと清い心の創造」は、真にキリストを受け入れた心にのみ現れる精練な瑞瑞しい状態であるし、それも、やはり「本当の魂の主(であるキリスト)に住んでいただく(・・・)」ことが必要であります。「キリストが内に住(・・・)」んでくださることで、「(日々の生活での悩み、苦しみ、肉体的な苦しみ、自分の弱さへの苦悩などなどの)闇の中に輝く光」を自分の内面に照らしてくださり、まさに、「人は何によって生きるのか」という究極的な疑問にも、内面から際限なく込み上げてくる、どんなに打ちのめされても、ノックアウトされてもノックダウンされない「希望」と前進するための「力」を与えてくれるのです。
そして、人は他の人(もっと直接的に言えば、人格と人格)との人間関係は、実は、目には見えないある種の「力」によって繋がっています。人と人はお互いに引き合われ、結婚し、そして家族を作ります。しかし、お互いを思わなくなれば、その結婚もやがて崩壊してしまいます。家族同士であっても、いくら血縁があるからといっても、お互いを想わなくなれば、絶縁したり、勘当したり、と分裂してしまいます。子供を儲けても、その子供を想わなければ、育児放棄になったり、養育権を放棄してしまいます。一般的に、人は、この「相手のことを自分なりに想う」という、いとも簡単に断ち切られてしまう極めて軟弱な「力」によって、人間同士は結び付けられ、人間の共同体ができています。
しかし、このような軟弱な「力」とはまったく異なる「力」の存在に気付かされました。その「力」は、闇の中に輝き、崩れ去り見捨てられた心に安らぎと赦しを与え、何があっても決して見捨てず、乾いた心を潤し、苦しみのときに癒しをを与え、絶望の中に慰めを与える、こちらから切ろうとしても切れない、心の底からの求めに応じ、決して裏切らない「力」です。それは、イエス様との関係であり、また、その主によってもたらされた人間関係であります。それをこうして言えるのは、それは、前に並べたことが全て自分に起こったことであるからです。そして、こうして自分が世界中で何百人という人と出会い人間関係を築いては壊してきたにもかかわらず、その間もずっと続く人間関係があり、苦しいときも、自分から切ろうとしたときにでも続いた人間関係があるからです。私は、この「力」の存在に気付くことで、前述した「キリストが内に住む」ということを、ほんの少しでも実感できたように思います。
「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない(ホセア6章6節)」と聖書には書いてあります。以前、ある先人がこう言っていました、「人生とは、まさにキリストを知ることである」と。このキリストの存在を知り、自分の存在の意味を知ることが出き、自分を愛することができる。キリストの愛を知り、自分が愛されていることを知り、隣人を愛することができる。キリストの御心を知り、全てのことに希望と、喜びと、忍耐とを持って賛美できる。C.S.Lewisは、著書の中で、「人間が出しうる、究極的願いには、最終的には2種類しかなく、そのいずれかを選ぶことによってその人の運命は永遠に変わってしまうこととなる。1つは、『自分の意思が成就されるように』、2つは、『主の御心がなるように』、と願うこと」であると言っていました。私は、この2つ目の返事が主に向かいいつも出来るように。そして、「私の中では、主が生きている!」と言えるように、今は、「主よ私と共にいてください。Abide with me, O Lord.」と願っています。アーメン。
イエスはお答えになった。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの主である神を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい。この二つにまさる掟はほかにない。」 マルコ12: 29―31より
「善きサマリヤ人の譬」で主イエスは、…「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎおそわれた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ルカ 10: 29―37
私にとり、“善きサマリヤ人の譬え”はとても重要な聖書箇所です。ここで示されている隣人とは一体誰なのでしょうか。善きサマリヤ人の譬えは、その答を私たちが容易に導き出せるよう記されたものと思います。
私たちが主イエスに従い、主とともに人生を生きる時、それぞれの立場で隣人を大事にすることは神に喜ばれ、神への感謝のお返しになります。サマリヤ人の話から、神様の御心に適う隣人とは私たちの周囲にいる最も弱く惨めな状況におかれ悩み苦しんでいる個人のことなのです。
私は生涯の間に何とか自らが納得できる様に隣人愛を実行したいと自らを励まし努めてきました。私は胸中に長年保持してきた志があります。
敗戦の1945年の確か1月、私が仙台で国民学校2年生の時でした。その戦争末期の頃に1回だけ朝令で忘れ得ぬ校長先生の明るい講話がありました。日本は敗色濃く、米軍の本土侵攻が近づき、先行きに大きな不安のある暗い時代でした。全校朝礼でも教室でも、毎日“鬼畜米英撃滅”“日本は神国だからきっと勝つ”といった言葉を先生から聞かされていました。
でもその日の朝礼の内容だけは戦争に無関係で、なぜかいつもと違った妙な気分でした。英国で感染症に驚異的に有効なクスリができ、チャーチル首相の重症の肺炎がたった2日で治ったという話題でした。それは抗生物質第1号ペニシリンのことでした。
その時私はなぜかふと、もしかしたら神様はこの戦争で私を死なずに生かして下さるかも知れない。もし生き延びて大人になれたら、私も重い難治性の病気で苦しみ恐怖に怯える人々をたちどころに助けられる夢のような新薬を発明して人々の役に立ちたいと強く思いました。この望みがなぜか以後何時までも残ることになりました。
そして、方向性の定かでない誰もが五里霧中におかれる難解な新薬開発の仕事が私のライフワークとなりました。それから半世紀後、50歳から60歳までの準備期間を過ぎて私も漸く独立し、誰にも遠慮することなく学界の常識を大きく外れた新たな発想で、小規模ながら本格的に夢のクスリの開発活動をはじめました。でも不思議なことに長年考えていたアイデアが当たり、仕事はなぜか夢のように順調に進展して悪性腫瘍や難治性ウイルス疾患に対する安全で確かな効力のあるクスリ(健康食品)が次々と開発できました。でも順調だった開発活動とは裏腹にこれらの成果は今も容易に陽の目を見ず、私は孤独で苦しく経済的にも大きな困難が続くことにもなりました。
話が飛びましたが私は、東北大学大学院修士課程(農動物生理科学)在学中、医学部細菌学教室病原ウイルスグループへ学内留学して試験管内細胞培養法を学びました。修士課程修了後武田薬品工業(株)に就職、大阪十三の中央研究所ウイルス研究グループへ配属され、病原ウイルス学研究者の道を歩むことになりました。ウイルスの試験管内培養法や新規定量法の発見、肝硬変モデル動物の作成、免疫・薬剤アレルギー学研究、風疹生ワクチン開発、インターフェロン基礎研究と開発、B型肝炎ウイルス診断法の確立とアジア各国への普及、新規抗ウイルス剤候補化合物の発見などの仕事に夢中で四半世紀余りを過ごしました。
そして52歳から60 歳までは岡山の(株)林原生物化学研究所へ転職、インターフェロン(生物学的製剤)の厚生大臣認定製造管理者として過ごしました。
しかし岡山では本来の管理者業務よりも、林原健社長の悪性腫瘍予防治療法実現の強い願望と私の志とが意気投合し、毎日のように二人だけで相談しながら、小規模ながらも全く自由な発想と興味で会社の業務や実績に関係無く行動させていただきました。 でも会社で私の理解者は林原社長だけでした。目標を固定せず会議を排除して、小規模、臨機応変、短時間で有効結果だけを社長と二人で目指す仕事の進め方は日本の会社の雰囲気とは相入れなかったため、私は社長に強くお願いして、60歳で停年退職させていただきました。
特定複数の安全な既知天然素材を組み合わせて毎日継続服用していると、口腔粘膜リンパ球が刺激されて免疫機能が亢進するためか、種々の悪性腫瘍、ウイルス肝炎、エイズ、インフルエンザ、歯槽膿漏等の難病の完全治療の可能性がでてくるのです。
林原研究所を60歳で退職後、福岡市郊外にある九大名誉教授達が協力して運営しているベンチャー企業(株)レオロジー機能食品研究所に研究顧問として5年余り在籍し、個人研究室を借用してここで私は世界中の人々が恐怖している悪性腫瘍の予防・治療薬(健康食品)を開発することにしました。既に考えてきたことでもあり順調に仕事は展開し、一つの特定製品(健康食品)を柱に複数製品を適量継続服用することで約八割方の悪性腫瘍は年齢、性別、種類、ステージに関係無く治癒・消滅する可能性を現実にしました。副作用や毒性は全く見られていません。
現在私はJR福岡駅近くの事務所に、私の志に賛同して無料で時々来て経理事務を手伝ってくれる武田薬品同期入社の友人と二人で詰めております。
悪性腫瘍は比較的容易に治癒する病気です。私の開発サンプルを試用して末期がんから生還した方々の何人かが世のさらに多くの人々の生命が救われることを願って、営業活動には全く無関係に無料奉仕でINT ホームペイジを開設して自らの体験記や心からなる感謝文を寄せて下さっています。
咋2011年秋、正式医学雑誌Medical Science Digest(粘膜免疫特集号 11月号)に私の拙文、「論評:口腔内リンパ免疫の重用性 ―悪性腫瘍、難治性ウイルス感染症等の多種既知天然素材混合物の口中投与による治癒―」が正式採用・掲載されました。私のサンプルは健康食品です。医薬品ではないので国の権利保護が受けられず、自然科学論文形式でサンプル製造法を詳細に一般公開すると製薬会社や大手の健康食品会社に無断で模倣、販売される恐れがあります。そこで、外国の一流学術誌にあるような論評という形式で概要だけを投稿しましたが採用されました。悪性腫瘍が治癒する可能性を示唆した見解が日本で正式医学雑誌に採用されたのは多分これが初めてかもしれません。世界中で次第に本格的に悪性腫瘍の確実に有効な治療が始まってほしいと願っています。私が火付け役になったことは奇跡のように感じられます。
私も老齢になりました。昔小学校で聞いた朝礼に感激して新薬開発の医学研究者となり、神様がここまで生涯を導いて下さったことと感謝しています。でも悪性腫瘍完治の可能性の世界的啓蒙と普及にはまだ暫くの時間がかかりそうですが、私がまだどこまで続けられるかは神様の御心次第と思っております。
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読者の親しい方で悪性腫瘍や慢性ウイルス肝炎などでお困りの方がおられましたならば、ご本人が、直接私にご連絡、ご相談下さい。何とかお役にたてるように、首尾良く治癒する例とそうはならない例について、あるいはどうしたら良い結果を引き出せると思うかといったことを本音で質疑応答させていただきます。その際ご質問もなるべく沢山ご用意下さい。(福岡県 天神聖書集会所属 医学博士)
M.T
ペシャワールのことについては、よく知られていますが、その起源は福岡にあること案外知られていないように思われます。
その中心になって活躍している中村 哲 先生は九州大学医学部出身のクリスチャン医者(文豪 火野葦平の甥)ですが最初は海外医療協力の志を立てて、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の医者としてネパールやアフガニスタン等に派遣され現地で医療活動していましたが,途中から思うところあってJOCSを離れ独自路線を歩き始められ、その後の活躍は衆智の通り(※)です。
※ 最初の頃は医療奉仕(特にライ予防対策)に従事していましたが、現地の事情が分かるにつけ、問題は医学の問題ではない、むしろ大多数が農民であるアフガンでは農業に大事なのは水であることに気が付き、井戸堀りに勢力を集中した。現地の地下水道(カレース)に繋ぐ井戸堀りである。(堀った井戸の数は1400本以上)それもやがて井戸が枯れ始めると、もっと根本的の対策として、近くを流れる大河 クナール川から運河(マルワリード用水路24.3キロメートル)を掘り、農民の自立を助けようとして、努力中であると言うのが現在までのところであります(これに要する費用一切は、募金によっている。)この間、米軍のアフガン侵攻や数年に一度の大旱魃や、伊藤和也君の死亡(2008年8月)等、阻害要件もあったが、現在は農地約2千数百ヘクタール(約10万人の農民の自活が可能)になったと報告されています。現地農民の絶大な信頼に支えられて事業は進んでいると報告されています。
ペシャワール会の初代会長は九州大学医学部教授の問田直幹先生であります。問田先生はJOCSの初めの頃活躍された岩村 昇(通称「ひげ(ひげ称)のドクター」)のネパールでの活躍の引き出し役をされた方でもあります。当時岩村先生は鳥取大学医学部の助教授でしたが、大学は身分は助教授のままのJOCSの派遣を了承しませんでした。 そこで、問田先生が行かれ、交渉の結果、岩村ドクターの身分がそのまま継続しながら、ネパールでの活躍を認めることになり、岩村先生のネパールでの大活躍となったのであります。 ネパールでの活躍中、岩村先生はある老婆を診療し、その老婆をネパールの一青年が負ぶって何日も歩いて奉仕したので、岩村先生が謝礼を出そうとしたら、その青年は受け取らず『みんなで生きるため』と言ったそうで、これがJOCSの副題となって、現在に至っているのです。そして 今回も又、問田先生は 当時無名のペシャワール会の初代会長となられ、中村医師の初期の活躍を助けられました。 (問田先生は1999年7月5日に亡くなっておられます。)
福岡には無教会の集会が二つあります(福岡聖書研究会と天神聖書集会)が、問田先生はその中の一つの天神聖書首集会に所属されています。
中村医師は『自分が生まれた時よりこの世をよくしたい。』とか『誰もが行きたがらないからこそ、自分達が行く』とか言われ、内村鑑三の言葉を彷彿させるものがあります。本当のクリスチャンだと思います。
先の岩村 昇医師の活躍と言い、今回の中村 哲医師の活躍と言い、問田先生の働きなしには実現しなかったと思います。問田先生はいずれの場合も極く自然に行動され、そばにいてもわざとらしい格好もされないので、気が付かない程でした。本当のクリスチャンの仕事とはこういうことだと思います。
(イエス(イエスい)の言葉)「見てもらおうとして人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる」(マタイによる福音書6章1節)
M.S
塚本虎二先生に「友に語る」という小さい本がある。語録集である。若いころくりかえしくりかえし読んだものである。
その本に「五十近くなって初めて、若い時分から耳にたこの出来るほど聞かされた、《若い時の苦労は買うてもせよ》といったような真理が、沁みじみと解るようになった。凡人である証拠であろう。」とある。
「若い時の苦労は買うてもせよ」とは、子どものころから聞いていたものである。しかし意味はよくわからない。先生は五十近くなって解るようになったという。この私は七十六になってようやく分かったような気がしている。凡人どころではない。
二十歳の誕生のころ(八月)、東京で失業して絶望のどん底に落ちていた。暗黒の世界にいた。しかし光を知らない私にとって、それがどんなに暗い世界か、真に理解できなかった。ちょうどその時、キリスト教に出会った。光が私を包んだ。
それまでの世界がどれほどの闇に包まれているのかが分かった。出会うすべての人が兄弟姉妹のように思えた。この体験は生涯忘れることはない。苦労は買わなくても次から次へとやってきた。しかし、もはやその苦労は苦労ではあるが、苦労ではなくなった。自分が負うのではなく、キリストが共に負うてくださるのだと信じたからである。
「友に語る」…に 「安心を求めてはいけない。生きている間は不安である。不安は生きている証拠である」とある。苦労、悲しみ、悩みは尽きる事はない。不安が曲がったところを直してくれるという。不安が人を成長させてくれるという。不安であるから神様に頼る。神様に頼るから不安は消える。神から離れたら不安が襲う。また神に頼る。不安が無ければ人は神から離れっぱなしになるのであろう。不安よ、ありがとうというところである。(熊本市)
「ルカ福音書19章1〜10のザアカイさんに思うこと」
神様のお話をこどもたちに聞かせる時、聖書に忠実に、しかもわかりやすく話すにはどの個所がよいのか、と思い浮かべるとルカ福音書のザアカイさんの19章を義母が上手に話していたのを思い出します。
ザアカイさんは徴税人で、どんなに貧しい人からも厳しくとりたてるし、国からいわれたよりもたくさんのお金を集めて、こっそり自分のお金にしたりしていたので、みんなから嫌われ、いつも一人ぼっちでした。だから、ザアカイさんは大変お金持ちでしたが、一度だってお客様など、訪れることはありませんでした。
ある日のこと、どうしたことか、町の様子が、いつもと違うことに気が付きました。みんな、忙しそうに道を通り過ぎていきながらこんなことを言っていました。
「イエス様が、もうすぐお着きになりますよ。」
「子どもたちを連れて行ってお祈りをしていただきましょう。」
「イエス様は、どんな人でもお友だちになって、助けてくださるのですよ」
それを聞いてザアカイさんは、「ようし、私も行って見てこよう。」とハアハア息をはずませながら走って行きました。ところが、大勢の人が集まっていて、背の低いザアカイさんは、どんなに背伸びしても、イエスさまを見ることができません。
「そうだ、木にのぼろう」とそばにあった木の枝に、するすると登って行きました。、ザアカイさんが、イエス様のお顔にみとれていると、突然、
「ザアカイ、急いで木から降りておいでなさい。今日は、ぜひ、あなたの家へ行きたい」という、イエス様の声が聞こえてきました。
ザアカイさんは、嬉しくて、たまりません。ありったけのごちそうを、イエス様におもてなしして言いました。
「イエス様、ありがとうございます。わたしは、今日からきっと正しい、良い人になり、今持っているお金の半分を貧しい人々にあげます。また、だましたお金を4倍にしてお返します。」
この聖書のお話は、イエス様の方から救いようのない罪人であるザアカイさんに、声をかけて救ってくださったことに重要なカギがあるそうです。私たちもザアカイさんと似たりよったりであること、そして、イエス様に声をかけていただけるようにこどものような心でありたいと思います。どんな人に対しても、赦すこと、そうして私もイエス様に赦していただきたいと、切に祈る毎日です。
無教会松山聖書集会 M.K(施設長)
野辺の花
祈りのうた
いちばん星(祈り)
二日月といちばん星が並び居る 「神さまどうぞお守り下さい」
燐光のような三日月森の端に 3・11停電の闇
街灯も窓の灯も消え静止せし 寒さに探す北のオリオン
銀の匙に似し月光が森陰に 救えるすべはきっとあるはず
あの夜のこぼれ落ちそな星々を 死者の涙の連鎖と思う
マグダラのマリアのように雪被く 甲斐駒ヶ岳に手を合わせ居る
全てのものみな失いてなお天を 恨まずという高校生は
何も知らず何もなかったように 海ただひろびろとひかりておりぬ
プリムラは春の訪れ告げる花 オトメコザクラ トキワコザクラ
野辺の花
海が悪い訳じゃないと浄土浜の沖を見放し漁師は呟く
「北巨摩の野辺に咲いてた花ですよ」黙祷捧げ会は始まる
たまさかに給う賞金心もち義援金とする秋の青空
牛だって家族なんだと言っていた羊雲らが相寄りていく
夕闇はあわく降りきて教会のコラールの中に沈みてゆきぬ
原発の54基の赤○印 日本列島赤唐辛子
「沈黙の春」読み終えて立つ庭に 蕗のとうひとつ枯葉押し上ぐ
灰色のマトリョーシカだと言う人の原発石棺映像流れて
「福島に来てフクシマを見てくれ」言葉が残る湯のみの底に
山梨県北杜市 Y.A
Y.T
日本の政治は、その社会はこれからどうなっていくのであろうか。
憲法9条の精神を骨抜きにし、憲法そのものを変え、国防軍にして戦争のできる国にする、あるいは核武装をすべきだとか、こうした考え方が今回の総選挙ほどあからさまに出されてきたことはかつてないことであった。
福島原発の大事故がこれほどの重大な被害を与え、今後もいつまでこの困難な放射能の問題が続くか―どれほどの悲しみや苦しみが今後も続くのか、どれほどの費用がかかるのか等々、だれもわからない事態となっている。
それにもかかわらず、その問題を選挙でも政治家も有権者も軽視する風潮が強くあらわれていた。
日本だけでなく、こうした混乱は世界のどこの国でも程度の多少はあれ、生じているし、過去もずっとそのようなことはあった。二度にわたる世界大戦、それはもし現在のように生々しく、映像で録画されていたら、それは到底目を向けられないものだったろう。
そうした恐ろしいばかりの混乱や闇を直視するときには、どこにも希望は持てなくなる。
いまも昔も結局は変わらないのではないのか、という根強い疑問が頭をもたげてくる。
しかし、それらすべてを神は見抜いておられる。そしてその謎のようなこの世の混乱や闇に生きる人間がいかにしてそこから新たな力を得、歩むべき道を見いだすべきなのかが指し示されている。
この世をいかなる人間よりも深く、かつ鋭く見抜いていた主イエスは、世の終りのときには、次のようなことが起こると言われた。
「偽りの宗教家、自分こそはメシア(キリスト)だと言って多くの人を惑わす人、などが大勢現れる、戦争が起こりそうになる、国は国に敵対して立ち上がり、飢饉や地震が起こる。多くの人々の愛が冷える…」(マタイ福音書24章4〜12より)
世の終わりはいつなのかについては、誰も明確なことは分からない。主イエスも「その日その時はだれも知らない。天使たちも子も知らない」と言われた。(同34節)
だが、時間を超えた神の霊を注がれた者ほど、千年は一日のごとし、一日は千年のごとし(Uペテロ3の8)という実感を持つゆえに、私たちが聖なる霊を与えられるに応じて、この主イエスの言われたことは、いっそうの切実さをもって実感されるものだと言えよう。
そして、この主イエスの言葉がはっきりと示しているのは、政治や科学技術などの進展によって次第にこの世がよくなっていく、ということは言われていなくて、むしろすでに記したような混沌とした状況が予告されているのである。
しかし、そうした暗い状態を越えて初めて新しい天と地になると記されている。
これは人間のからだがだんだん健康になって天国へ行くのでなく、だんだん体も弱く、病弱となり衰えていくが、それで終りでなく、そのような状況を越えて復活させていただけることと似たところがある。
現代の日本や世界の状況は、まさに地震が起こり、世界のあちこちに紛争、混乱は生じ、日本においても戦争のうわさを聞く、といわれた主イエスの言葉を思いださせるものがある。
闇と混沌の満ちた現代社会の状況だけを見つめるなら、それらに抗して生きていくことは、難しく、挫折しそうになるであろう。
しかし、こうした苦難を通って、神の国は来る、必ず全能の神ゆえにそうした新しい天と地は来るのだと私たちは信じるという道が与えられている。 神を信じるということはこうしたことも含んでいる。
死にもうち勝つ復活の信仰、そしていかなる世界的混乱にもうち勝つキリストの再臨の信仰が与えられているとき、どのような社会的状況の変化においても私たちの前途には、次の聖書の言葉が指し示している神の国へと続く道が用意されているのである。
…そこに大路がある。その道は聖なる道と呼ばれる。(イザヤ書35の8)
イザヤ書53章の学びから Y.E
夕拝でイザヤ書を学び始めて三年余、五十三章は私には特別な一章である。a man ofsorrow(悲しみの人)と言われる人のことが記されている。その悲しみの人とはイエス様のこと。イエス様がお生まれになる500年余も前に、時と空間を超えてイザヤは神さまに啓示された。(主に在っては一年は千年のごとく、…)あたかもイエス様を見ているように書かれている。悲しみの人と言われるこの方は、私たち人間の罪を我が身に負って死なれた。
歴史を学ぶ意義は、一つには「歴史は繰り返す」ものだからだと思う。数千年の人間の歴史を見ても、力ある者(国)が弱い者を滅ぼし支配するが、その支配も長短の違いはあっても、人間の築いたもの故にいつか滅んでいった。世界の4大文明といわれるエジプト(ナイル川)、メソポタミア(チグリス、ユーフラテス川)インド(インダス川)中国(黄河)などは皆大河の流域で興った大国であったが、いつか滅んでいった。創世記の一,二章に神の霊が水の面を動いていた(1:2)水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。(2:6)と書かれている。この4大文明の国々は人間が生きていくのに不可欠な水は湧き出ていたが、より大切は神の霊がなかった。これらの大国は、確かに長い間世界に覇権を振るったが、やがて滅んでいった。神さまの独り子イエスさまによって築かれた霊の御国は残り続ける。
イザヤに啓示されたイエス様の姿は、新約に書かれているお心、姿、そのままである。何一つ罪を犯されなかったし、善きことだけをされたのに、民衆がイエスに従うのを見たパリサイ派などの宗教家に嫉妬され、遂には十字架にかかられた。善人はひとりもいないと聖書にあるように、すべての人に罪がある。人は生きている間、自分の欲望の方向に行っている。神さまはこの根本的な罪を僕(キリスト)に負わされた。このように人々の過ちを自らが担い、背いた者のために執り成しをしてくださったのがイエス様。
今も、日々犯す私たちの罪を負ってくださっている。イエス様は侮辱されても、非難されても黙して受けられた。これは過去の話ではなく、今も私たちのためにしてくださっている。
マタイ11:28 「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」イエス様と共に荷を負う時、その荷は軽くなる。誰でも重荷を負っている。それをイエス様が共に負って下さる。私たちの罪の重荷、魂の罪ゆえの重荷でも。感謝するばかりです。