野の花 2014年本文

はじめに                                   Y.T

 日本は、今から70年ほど前には、アジア、太平洋地域にわたる広大な戦争を引き起し、一千万以上と言われる人々の命を損ない、世界で初めて原子爆弾を受け、被災した人々の苦しみは今なお続いている。

 また、世界の歴史で最大級の原発事故を起こした。

 そのゆえに、戦争は二度と起こさないし、そのために画期的な憲法9条も生まれた。

 原子力発電についても、二度とこうした悲劇を起こさないためにと、脱原発というのが、事故の後一貫して国民の多数の考えであり、政府もその方向を明示していた。

 しかし、その両者が、大きく方向転換しようとしている。

 このような悪しき方向へと傾いていくのは、悪の力が働くからであり、人間の欲望を第一に満たそうとするからである。

 そしてこのような悪の力が働くのは、今に始まったことではない。 旧約聖書のはるか昔の時代から、記されている。

 

時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。

 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。(創世記6章より)

 

 神の前に乱れていたすなわち、真理と正義の前にはみな悪の力に負けて、社会も混乱し、人々も快楽などに負けていた。

 こうした状況は、その後ずっとのちのキリストの時代においても同様だった。

 使徒パウロは、とくに重要な書簡の中で、旧約聖書の詩篇を引用して次のように書いている。

 

正しい者はいない。みな迷い、だれもが役に立たない者となった。善を行なう者はいない。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には、神への畏れがない。

                           (ローマの信徒への手紙3章1018より)

 

 悪しきことへと流されていくのは、聖書が記しているように数千年前から常に見られたことである。

  しかし、そうした闇のただなかで、光は存在し、輝きつづけ、その光を与えられた人たちが起こされてきた。

 パウロは別の箇所で次のように述べている。

 

あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(ピリピ書2の1516より)

 

 そして、いかなる闇にあっても、神が御言葉を発して「光あれ! 」と言われるときには、光が存在するようになる。 これこそ、いつの時代にも、いかなる状況においても、キリスト者の大いなる希望となる。

 この世において闇は続く。主イエスが言われたように毒麦は世の終りまで残る。

 しかしそこには、その闇のただ中に、光もまた存在している。そして、最終的には、毒麦は刈り取られ、光は闇に勝利する。それゆえに、こうした希望は、信仰と愛とともにいつまででも続く。(Ⅰコリント1313

 

 


 主は心の砕けた者に近く詩篇三四章一八節 

                                         O.Y

 月影の美しい季節になりました。この季節に思い出される本の中の言葉があります。

 それは石浜みかる著「紅葉の影に」の中にある池田政一牧師の言葉です。池田牧師は1907年長野県上田市に生まれ1994年に亡くなられましたがホーリネス教会の牧師でした。

 戦時下の1943年に治安維持法違反に問われ検挙され1944年に釈放されました。

 以下は生前池田牧師が語られた言葉です

「姥捨て山に田毎の月とい名所があります。田の大小は問題ではなく、清濁もあまり妨げとはなりません。

 あるがままの田の中に月影が宿るのであります。田毎に月影が宿るように、すべてのキリスト者に聖霊が宿るのです。

 しかし田の中に水があるか、ないのか、それは問題であります。水がなければ、どんな大きな田でも月影は宿らないのであります。水さえあれば、バケツの中にも草の葉の露の玉の中にも月影は宿ります。

 さてこの月影を映す水とはなんでしょうか。信仰のレンズであります。 信仰によって我意我執を十字架に釘付けし自己放棄ができたとき、キリストの霊が自分の中に生きてくるのであります。田毎の月影のようにであります。」

 

 少しの風にも折れてしまいそうな人目につかない小さな雑草。その葉の上におかれた露ほどの小さな信仰であってもキリストを見上げるときキリストの霊がおりて来てくださるということは大きな希望であり喜びです。

 主は心の砕けた者に近く、魂の悔いくずおれた者を救われる。(詩篇三四章18節)

 


 

祝福

                                    O.Y

 このような人々に囲まれて私の内は喜びに溢れます。

 この人は「私は千年生きる、死なないと思う。」と言う。あの人は「私は死ねない」と言う。この人は「私は主の僕、主の証人である。」と言う。この人は与える人、出会う人ごとに心を砕く。あの人は主に在って永遠の命を生きる。彼はギリシャ語を学び御言葉の深き意味を知り、御前にひれ伏し祈り求めて福音を語る。若き人々は彼の口から福音を聞き、力を得て育ちますように。

 主と共に生き豊かな祝福に満たされますように。その時が来れば、その痛みの何倍もの確かな恵みが待っています。

(今井館子ども会)  茨城県


 

 

ある日の医者と患者()の会話から

                      T.Y

 今夏の気象は異常でもなんでもない、と話は始まった。

予想されていた事です。三十年前 たしか高一の時、CO2を規制すれば 今ならまだ間に合うかもしれないと本に書いてありました。

 あれから三十年たちました。

 人間は寒さにはある程度強いが暑さにはね。生物は突然変異で生き延びてきたんですよ。

オリンピックもね 汚染水もね

 海水温上昇で日本海側は豪雪が降ります。 経済優先・食糧難・中国とアメリカ・人口減・肺炎ワクチン

 それにしても、今回の事ではっきりしましたね。

 政権が変っただけで実質は、ほら!少しも変ってないのに、豊かになったと買物してますよね。

景気とか 人の気持とかは簡単に変るという事がはっきりしましたね。

こんな話 誰とでも気軽に話せるといいんですがね

確かにこんな話が普通に話せない自由日本の窒息感。

『平和、平和』(エレミヤ6の14) 

『大丈夫、大丈夫』『コントロールできてます』

軽い言葉は容易に人の気持に入り込むのに。

        岡山市

 


 

親密な神さま

                        T.N

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言三:5~6)

 日々このみ言を命綱に、押し寄せる波をしのぎ、毎晩夫と詩編を読んで詩編の詩人と苦悩を分かち合い、神さまに祈っています。気が向いてイザヤ書を読むと、そこでは神さまが「全ての顔から涙をぬぐう」と約束してくださっているし、私たちのために新しいことを為して下さるとおっしゃっている。

 この世で辛く苦しい荷を負わされても、神さまだけを頼みとするとき、神さまはこの世の幸不幸を超えた次元で深く私たちに介入し救うとともに、この世のものではない豊かな喜びを味わわせて下さる。そういうことが、ほんの少し実感としてわかるようになってきました。

 すぐに落胆と絶望に沈む私ですが、み言が促してくれるので神さまに向かって顔を上げることができる。そして神さまはこの世ならぬ次元で応えて下さる。そいういう経験を繰り返せば繰り返すほど、神さまとの親密さは増して行っているように思います。

 福音書に記されている明日のことを思いわずらうなというメッセージや、求めなさいそうすれば与えられるというメッセージも、イエス様に誘われてガリラヤ湖の湖面を歩く記事も、みんなそのことにリンクしているように思えます。狭い門から入るということは、自分の理性や分別よりも神さまのなさり様を信じるということだと、思うようになりました。

 今年の4月にひょんなことから畑を借りて小さな菜園を始めました。山裾に広がる菜園の一角、大きさ10畳ほど。この夏、トマト、ピーマン、きゅうり、ししとう、モロヘイヤ、とうもろこし、かぼちゃ、スイカ、枝豆、ナス、オクラ・・・生まれ

て初めての美味しくて可愛い収穫物。そうした作物を得る喜びもさることながら、そこに吹く風、空の大きさ、日差しの美しさ、土の力を通して、神さまのメッセージが届いてくる不思議さも味わっています。せっかくここまで凌いで積み上げてきた道筋を、またあなたは覆して私をどん底に落とされるのですか!!と、家を抜け出し畑に来て神さまを呪い泣きながら訴えた時、柔らかな風が吹いて、「悪いようにはしないから、頑張りなさい」と優しく強く言われたように思えて自分を立て直すことができました。夕焼けにぐるりと包まれた時は、もう先はない!と行き詰まっていたのに、神さまから約束の虹ならぬ約束の夕焼けをいただいたような励ましを得て、「きっと大丈夫」と思うことができました。この小さな菜園は、「お前に必要な場所だ」と神さまが整えてご用意くださった特別な居場所に違いありません。

 神さまが私のような者にこれほど親しくお交わり下さるのは、イエス様がこの世に来て神さまと私たちを繋いでくださったからだということを思うとき、旧約から新約の時代を貫いて、一直線に私たちに向かって注がれる神さまの愛のご意志の強さを思わされます。が、弱い私ですので、神さまどうかお手柔らかに!と祈る私です。

 

 


詩と賛美のこころ

                       T.K

 私は一つのことを主に願った。

 わたしはそれを求めている。

 わたしのいのちの日の限り、主の家に住むことを。

 主の麗しさを仰ぎ見、その宮で思いにふける、そのために。

                   詩篇二七篇4節

He leadeth me O blessed thought (English Hymnal 165

みめぐみ ゆたけき 主の手にひかれて(讃美歌二九四)

 

 神様に導かれるということはなんと喜ばしいことでしょう。たとえ何をわたしがしようとも、どこへわたしがおろうとも、それでもなお、わたしを導いてくださるものは、神の手であります。という英語の讃美歌をキリスト教独立学園高校時代に教えていただいて、今も、時に、寂しい時や、思ったように事が進まなかった時でも、わたしに慰めを与えてくれています。

 高校での恩師、故桝本華子先生はそのところに音楽の教員で呼ばれたときに、故鈴木弼美校長から

「あなたは、世界で一番美しい音楽を聴いてください。一番美しい詩を読んでください。一番美しい絵を見てください。そして、一番美しい音楽を教えてください」といわれたといいます。本当にその通りに、教えてくださったお蔭で、本当に美しい音楽を知り、詩にふれさせていただいた事が、この年になって、覚えていて、なお、新しく、とても嬉しく感謝しています.

 朝に昼に夕に、その時々に、讃美歌が心の中に浮かび、しばしば、その詩の中にある御言葉が心を励ましてくれます。本当に神様に感謝が溢れます。

 

 Sweet Hour of Prayer.

 しずけき祈りのときの讃美歌(三一〇番)を校長先生は一番美しいとお話ししてくださったことがありました。その時は、あまり感動する心がなくて、気にも留めていませんでした。

が、最近になって、神様に「どうか正しい考え方ができますように!」と切に願うことなしには、また、はじめてイエス様に導かれて正しい道を歩むことができると知った時に、本当に美しい詩だとわかりました。

 

Still Still with Thee.English Hymnal37

あさかぜ(讃美歌三〇)も朝の静かな祈りの時を思い、神様がお造りになった自然の美しさが感じさせられます。

 矢内原忠雄による「日々のかて」に、

あなたの崇高を仰ぎあなたの憐れみに依り頼む真実な霊は、すべて詩人、預言者そして聖徒です。なぜなら、詩は言葉の文ではなくて、霊の韻律だからです。どうかわたしたちの心をあなたの高さに向けさせてください。どうかわたしたちに聞く耳を与えてください。尊き主イエス・キリストの名によって祈ります。とあり、本当にアーメンです。

 水野源三さんの詩にも清い神様をみることによって見える美しさがあり、星野富弘さんも「もし一度だけ手が動くことを許されたならお母さんの肩をたたいてあげたい」といった。

 神様の愛を本当にわかり、あなたの助けによりわたしたちが他の人の目をもって見、他の人の思いで考え、他の人の心で感じることができますように。他の人のことを思いやることができるようにしてください。他の人に親切であることができるようにさせてください。主イエス・キリストによって。アーメン。本当に生きることをさせていただけるように日々祈っていきたいです。

 

 


神の義とは何か

『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』を読んで

                      T.S

 「福音には神の義が啓示されていますが、それは、初めから終りまで信仰を通して実現されるのです」(ローマ一・17節)

 私は昨年、信仰の友人から一冊の本をいただきました。

『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(徳善義和著)という岩波新書です。宗教改革者ルターと聞きますと、私には難解で手に負えない書物という先入観がありましたが、この本の平易な文体と、苦悩する求道者ルターへの著者の温かいまなざしに惹かれ、読み進んでまいりました。

 ルターの父親は、成績優秀な息子を大学に学ばせ、やがては宮廷の顧問官か宰相、あるいは法律顧問にと期待しておりましたのに、ルターはその期待を裏切り、修道士の道を選びます。

「いかにして恵みの神を獲得するか」との問いを抱いて、修道院での厳しい修行の日々を重ねます。ルターの言う「義の神」は「正しさの神」でありましたから、自らの意思で努力する人間は「正しい」と受け入れられ、努力を怠る人間には裁きを下す神でありました。しかしルターは、誰よりも自らを律し努力しているにもかかわらず、神が「正しい」と受け入れてくれたという確信が、どうしても得られません。「なぜなのだ」という神への疑問は、やがて神への疑念に変わっていったとのことです。普遍の真理であるはずの神の「義」が人間を裁くのであれば、聖書の教える「恵みの神」とは何であるのか。

 こうした内的葛藤を抱えながら、ヴィッテンペルク大学での詩編講義を進めていくのですが、第三十一編二節の、「あなたの義によって私を解放してください」の聖句に感じた矛盾を、第七十一編で再び味わうことになりました。神の「義」と人間の「救い」が何故一つに結び付くのか。この矛盾を解くために探求する中で、ルターは新しい認識に到達したと言われます。

「詩編の記者はここでキリストを明瞭に言い表している」と気付いたということです。「義」と「救い」という、互いに矛盾するように見えたものが、「キリスト」を介して一つに結び付いているとりわけ十字架に具現されていると促えたのです。これは、ルターの『十字架の神学』として周知されている重要な事実だそうですが、私はこの本により知ることができました。

 さらに興味深く読みましたのは、「神の義」と言う言葉の中に見られる、「文法的用法の発見」ということでした。

 ルターが気が付いたという「行為者の属格」について、私は著者の説明文を何度か読み返し、「分かりました。アーメン」と、心の底からよろこびがこみあげてまいりましたので、内容をそのまま引用させていただきます。

 「たとえば、『お父さんの贈物』という言葉で説明しよう。

 この場合、『贈る』という行為をする主体は『お父さん』である。お父さんがひとたび『贈る』という行為をすると、その行為によって贈られた品物はお父さんの手を離れ、それを贈られた人の手に渡り、その人の所有物になる。ここでの『の』は、行為する主体を指すと同時に、行為の後にはそれが行為を向けられた相手に及ぶという意味合いをもっているのである。」

 この用法は、ヘブライ語の聖書ではよく使われているそうですが、ルターの生きた十六世紀当時のウルガタ版ラテン語聖書ではほとんど使われてなく、言葉の意味を理解する際に困難が生まれていたと説明されています。「この認識を私は修道院の塔の小部屋において得た」と伝えられるゆえに、ルターの「塔の体験」と呼ばれていることも、私は新たに知りました。

 冒頭に記しました「ローマの信徒への手紙」で、パウロにより語られておりますように、神は、イエス・キリストの十字架と復活においてご自分の義を現わされました。神の賜わる愛と赦しの福音に心を開き、従順にお受けすることが求められている、と思いました。

 み霊の御導きを祈る者でございます。

調布市


 

 

正直に生きる

                        T.M

 雨の夜の日、買い物を終えて駐車場から出ようと車をバックさせている時だった。ゴツン!とぶつかる衝撃があり、ブレーキを踏む。しまった!何かにぶつかった!急いで車から降りて後ろを確認すると、黒っぽい車のバンパーが少しへこんでいた。駐車場を照らす水銀灯の光が雨の路面にも反射してさらにまぶしかったので黒っぽい車は見えにくく、止まっていたことに気づかず後ろには何も無いと思ってのバックだった。そして、ぶつけたことがわかった瞬間にいろいろな気持ちが起こった。

 事実を受け入れたくない気持ちから「怖い。どれだけお金がかかるのかわからないぞ!今なら誰もいない。わからないうちに逃げろ!今なら逃げても大丈夫、ほかの人もそうしているんだ。」という声が聞こえてきた。同時に、「そこから逃げてはいけない!ぶつけてしまった車の持ち主に正直に謝り、弁償しなさい!逃げも隠れもしてはいけない!」という心の声も聞こえてきた。

  一瞬の出来事と共に一瞬の内に起こった心の中の二つの声だった。そして、逃げたい気持ちを押しとどめ、その場から逃げずに正直に謝り弁償をするために、駐車場で持ち主が現れるのを待つことを選んだ。雨の夜の駐車場で、いつ来るかわからない車の持ち主を待った。やくざのような怖い人だったらどうしよう。ゆすられて不当な請求をされたらどうしようと恐ろしさに耐えながら5分ほど待つと、店から出てきてその車に乗り込む人がいた。

 急いで雨の中、車の外に出てその方にぶつけてしまったことを正直に謝り、「へこんでしまったバンパーの所を見て確認してください。」と申し出た。突然現れた見知らぬ私の謝罪にその方は少し驚かれてはいたが、車から降りて私の申し出た箇所を確認した。そして、一言「こんなの、何でもない。気にしないから大丈夫」と言って許してくれたのだった。「本当にいいんですか?私にはへこんでいるように見えますが」と念を押しても、「何ともない。」と言って許してくれるのだった。

 正直に生きる心を選択して謝り、許してもらえた!なんと晴れ晴れした気持ち、やり残しや後ろめたさのない透明感。心の中に、イエス様が住んでいて、私を助け、力づけてくださっていたからできたように思う。夜の雨の中、「イエス様!ありがとう」と感謝してとてもすがすがしい気持ちで家路につくことができた。

 


 

神様ありがとう

                      T.Y

 ある日突然主人の実家から電話がかかってきました。それは、義母が癌であることの知らせでした。本人にはまだ知らせていないと言うことでした。違う検査に行き、癌が見つかったようです。

 電話の内容は、「覚悟しといてくれ」と言われ、びっくりしてそんなに癌が進行しているのかなあと思っていました。そんな時に、近畿集会の締め切りが迫っていました。私は、どうしようか。もし近畿集会に参加していて私がいない時に倒れたらどうしよう、皆に合わす顔がないと思い集会の参加をやめようと思っていました。でもこれは自分が納得する答えではないと思い、神様に祈りました。

 祈っているとなにかをふと感じ取ることができ、「近畿集会に参加をするように」と言われたような気がしたので、迷わずすぐに参加申し込みをしました。

 人の目ばかりを気にしてしまう嫌な自分になる所でした。迷っていた自分を振り切ったようでした。心から祈ればいつも神様は、助けて下さる。義母もいまは癌がどれだけ進行しているかわかりませんが、毎日を普通に過ごせています。神様からのお守り本当に感謝です。

(主婦)

板野郡


 

 

み言葉の学びから 「義の太陽が上る」

T.E

 礼拝のメッセージでこの「義の太陽が上る」のみ言葉を学んだ時、日本の政治が大きく変わろうとしている時であり、私は暗い気持ちでした。

 でも、イザヤ書六十章にこう書かれています。

起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り

 主の栄光はあなたの上に輝く。 見よ、闇は地を覆い

 暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で主の栄光があなたの上に現れる。」

               (イザヤ書六十章1~2節)

 ここでは、あなたを照らす光が上ったのだから、あなたもその光を受けて立ち上がり光を放つことができる。

どんな状況にあっても、あなたを照らす光が昇ったのだと言いきっています。どんなに闇が地を覆い、暗黒が至るところを包んでいる中であっても、そのただなかに主の光が輝き出るのです。

そして、マラキ書三の20

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。」

とあります。

 悪は最終的に滅びますが、主の名を信じ畏れ敬うだけでその人の魂に義の太陽が上るのです。

 今の日本は太陽が沈んでしまう方向に向かっているように見えます。

 私の心も目の前のことだけを見ているとそのようになり、闇と混沌に支配されていきます。

 どうしようもない罪という闇にあっても、悔い改めイエス様を信じるだけで、私の心の中に義の太陽が上る。

 すぐに信仰が揺れ動き望みを失ってしまいそうになりますが、このみ言葉の学びは大きな喜びのおとずれ、福音として迫ってきました。

 どんな闇の中にも命の光であるイエス様が来てくださる。

 そのことをただ幼子のように信じ、確信を持って待ち望みたいです。

 み言葉から受けた讃美を書きます。

 

「永遠の光」

あなたの太陽はもう沈まず

あなたの月もかげることがない

主が 永遠の光となり

なげきかなしむ日が終わるから

       (J-worshipより)

(鍼治療院 天宝堂)

徳島市

 


 

ヨブ記三二~三七章の学びより         T.K

 

 三二~三七章はエリフの言葉で挿入になっている。エリフの言葉に対し、友達も神も応答していない。三八章の神の言葉と似た箇所もある。友人の言葉と神の言葉の橋渡しとなっている。

 1節でヨブは自分が正しいと信じていた。神様は不当な罰を与えていると言うヨブに対して言われている。

 8節で人の中には霊があり、悟りを与えるのは全能者の息吹である。神様の霊が与えられて初めて色々な事が見えて来る。

 三三・8節で、わたしたちは神の前では、どんな人でも土くれである。土の器に過ぎない。欠けたる土の器なのである。

 14節で「神は一つの事によって語られ、また、二つのことによって語られるが、人はそれに気がつかない。」神は色々な事を通して私たちに語りかけておられる。魂が滅亡から、命が死の川を渡らないように、自然を通しても、夜の夢の中でも語りかけている。

 29~30節 「人間の為に、二度でも三度でも。その魂を滅亡から呼び戻し、命の光に輝かせる。」わたしたちは罪を犯し、また罪を犯す。でも十字架のイエス様を仰ぎ見ることにより罪は赦された。この事は何よりもの慰めである。

 三五章5節、「天を仰ぎ、雲を見よ。」と苦難の中にあるヨブに言っている。人が罪を犯そうと、どうしようと神は全く動かされる事なく永遠に変わりなく、良きお方である。永遠に存在する神に助けを求めないで、誰に助けを求めるのか? 神は必ず待っておられるのだから、必ず答えがある。それを待ちなさい。

 神様は、わたしがどんな罪を犯そうとも、神様を疑っても、いつもいつも、神様に立ち帰るのを待っていて下さるのだ。祈りが聞かれないように思う事も、なぜ?なぜ?と思うような事が起こっても、神様の働きは休む事はないのだ。神様の存在を信じて待つのだ。

 三六章7節~ 神に従う人から目を離す事なく、永遠までも共にいて下さり、苦難の縄に縛られている人があれば、その行いを指摘し、その罪の重さを指し示される。知らずに、気づかないで、よくない方向へ歩んでいても、神様に立ち帰るなら、ちゃんと修正して下さるのだ。

 15節 神様は苦しみのただ中から、耳を開いて下さり、目も心も開いて下さるのだ。私も苦しみを通って神様と出会った。神様はその人を御許に引き寄せられる為に、苦難に遭わせられるのである。神様に従う事により、様々な良き物で満たして下さるのだ。  

 19節にあるように、苦難を通って行かなければ、苦難の意味も解らないのだ。

 三七章21節「今、光は見えないが、それは雲のかなたで輝いている、。やがて風が吹き、雲を払うと、黄金の光が見えて来る」

このみ言葉は本当に慰められる。今は闇の中にあっても、必ず光は差してくるのだ。この確信を持ち続けたい。

板野郡

 

 


「祈り」

                       T.M

 家族の一人が統合失調症を再発してから一年余りが経った。

 多感な少年期に、閉ざされた病棟に入院させられた心の痛みが今も深い傷跡になって、どこからともなく襲ってくる幻聴が、病む者を日々徹底的に苦しめ悩ます。

 その苦しみを目の当たりにして、共にいる家族、なかでも母親は最も衝撃を受け、哀しみを自分に訴え続ける。

 自分は、キリストの弟子として、苦しむわが子や疲れはてた家族に何が出来ようか?

 イエスのみ言葉が心に突き刺さる、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現れるためである。」

 自分はただ「神が御自分の義を示すために、(人の罪の)宥めの供え物とされて、血を流された御子イエスの十字架」に、畏れつつ、祈り、すがりつくのみ。

 人間にはなぜこのような災禍がのぞむのかわからないけれども、生と死を支配し給う愛なる主は、たとえ病む者が苦しみのなかに生を終えようとも、御手のうちに迎えてくださるであろう。

「ああ幸いだ、悲しんでいる人たち、(かの日に)慰めていただくのはその人たちだから」

「アーメン、お心が行われますように、天と同じに、地の上でも」(松山市)

 

 


耳鳴り

                        N.S

 私は年のせいで耳鳴りがひどく今年の春ごろには何の音かと思って窓を開けて外を探したりしましたが、それと共に耳の聞こえも悪くなって人様との会話も失礼が重なり困っています。しかし受診する気にもなれず、それよりも膝や腰の痛みに気を取られて毎朝リハビリの真似事をしています。

 先日も(十月中旬)いつものように讃美歌を聞きながらリハビリを終ってCDを消しました。するとまもなくCDの中の「まぶねの中に」のメロディが頭の中に鳴りひびきました。耳鳴りの一番大きな音よりも大きくて繰り返し鳴り続けました。そしてじっと聞いていると喜びと元気が湧いてきました。その後この讃美歌は歌詞も全く覚えていないのになぜ突然聞こえてきたのかと色々考えました。

 私はすでに八十才を越えてしまいましたので、この世の幕引きをしなければならないのにその準備が何もできていませんので、神様があきれて警告してくださったのではないかと考えました。この曲には「この人を見よ」という言葉が繰り返し歌われています。そして今の私にできることはイエス様をいつも見上げることだけです。そう思うと嬉しくなって早速歌詞を全部書いて壁に貼って、毎朝恥ずかしい調子はずれで歌っています。 私は何事も三日坊主の悪い癖がありますから最後まで続けられるようにイエス様にお願いしています。こんな認知症寸前の老人の正夢をあつかましく書き連ねて皆様の大切なお時間を使わせて頂きますことをお詫び申し上げます。

 

まぶねの中に

1 まぶねの中に うぶごえあげ

  たくみの家に ひととなりて

  貧しきうれい 生くるなやみ

  つぶさになめし この人を見よ

 

2 食するひまも うちわすれて、

  しいたげられし ひとをたずね

  友なきものの 友となりて

  こころくだきし この人を見よ

 

3 すべてのものを あたえしすえ

  死のほかなにも むくいられで

  十字架のうえに あげられつつ

  敵をゆるしし この人を見よ

 

4 この人を見よ この人にぞ

  こよなき愛は あらわれたる

  この人を見よ この人こそ

  人となりたる 活ける神なれ  (讃美歌一二一)

徳島市

 

 


宣べ伝える人がいなければ

                       N.N

 片づけ物をしていたら、小学校の卒業記念文集が出てきた。捨てるに惜しくて今日までしまい込んでいたのだ。印刷はガリ版刷りだが、文字は鮮明だ。1、2度は読んできたが、クラスメートを懐かしく思い、自分の文章を確認していたに過ぎなかった。ましてや先生方が書かれた文章には一度も目を向けたことはなかった。

 今回、「行く子に」と題する文集の表紙裏に書かれた担任の宮田圭哉先生のはなむけの言葉が聖書の引用であるのに目が留まった。私は五九年間封印されたものが初めて目の前に開封された面持ちで読んだ。

 最初に詩があるが省略する。

 見よ、今われ心からめられてエルサレムに行く。

 されどわが走るべき道程と主イエスより受けし

 つとめ、すなはち神の恵みの福音をあつくする事とを

 果たさんために固より生命をも重んぜざるなり』

                 使徒20・24

 子供達よ、思い深めて行く処と時とを違えずに、

 彼方の清きにあこがれよ。

 再び語り合う日までダンボは美しく生きよ、

 それを思い合うことは力なり   さようなら

 

 驚いた。これが小学校卒業生へのメッセージだったとは!先生はクリスチャンだったのだ!内容は小学生にとても理解できるものではない。聖書を知らなければなおさらだ。先生は、はなむけの言葉になぜ、パウロの言葉を用いたのだろうか。何を子供たちに伝えてくださっていたのだろうか。

 この箇所は新共同訳では「エフェソの長老たちに別れを告げる」とのタイトルのもと、次のように記されている。

 

(私は)自分を全く取るに足りないものと思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身に降りかかってきた試練に遇いながらも、主にお仕えしてきました。

 役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなた方に伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人もギリシャ人にも力強く証ししてきたのです。

 そして今、わたしはに促されてエルサレムに行きます。

 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務をはたすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。(使徒言行録二〇の1924

 

 キリスト者であれば、パウロのこの信仰に達したいと願う。先生は戦後教育の基本は聖書にあると、確信しておられたのではないか。聖書は直接教えられないが、キリスト教の精神を伝えることはできる。先生はイエスの愛、イエスの罪のゆるしへと導くために、「何が善で何が悪であるか」を教えてくださったのではないか。

 同級生の文章には「美しい心」「私の心」「きの毒な人たち」「私の欠点」「反省」等、心を取り上げた文章が目立つ。「戦争の思い出」を書いた子は「同じ人間でありながら罪もない私たちを苦しめたあのいやな大東亜戦争。こんないやな戦争のことなんか忘れよーと思うが、どうしても忘れることができない」との前置きで5頁に亘って、体験を詳細に綴った。

 また教会に行っている子は、「先生のおっしゃったことを忘れないで、良い子になっていこうと思います。わたしは別れてもまだ先生の言うことを、まもっていればわたしが行く日曜学校に先生がいるように思います。」

 当時クラスには日曜学校へ行っていた子供が二人いたことが文集を読んでわかった。この同級生は先生のメッセージを日頃から素直に受け止めていたのだと思う。私の文章は、というと絵描きだった母の亡き弟を偲んで書いてある。私は中学生頃より、よく「反省する」人間になっていったと思う。

 

「子供達よ、思い深めて行く時と処を違えずに、彼方の清きにあこがれよ」

 先生はご自分の信仰をパウロの言葉で表白されてから、行く道を間違えないようにメッセージを贈る。自分たちの行く道はどこか。それはイエス・キリストの恵みを受ける道である。長い人生でもし間違った方向へ歩んで行ってしまったとしても、「思い深めて」帰ることができる道が開けている。苦しい時悲しい時にも、真実な道を案内してくださる方は慰めと、希望を与えてくださるのだ。

「彼方の清きにあこがれよ」地上のものに心を惹かれるな。神の国を求めよ。神の恵みを受けよ。と先生の声が響いて来る。

 主イエス・キリストは罪を清めてくださるお方。生まれながらに罪人のままの人間は自分で罪を清めることはできない。水や塩や儀式によって罪を清めることもできない。すべての人間の罪を背負って十字架にかかって死んでくださったイエスを仰ぎ見よ。イエスのもとに立ち返れ。

 こうした聖書の奥義をどう伝えたらよいか。先生は、子供たちには悪いことをしてしまったら、素直に謝るように教育されていたと思う。

 聖書の言葉は生きているから、神様に目を開かれたら、わかる時が来る。先生は、熱い思いで、最も伝えたいことをメッセジに託されたのだと思う。ご存命ならすぐ馳せ参じてお会いしたい。それが叶わないなら、「それを思うことは力なり」。御国でのお楽しみとしよう。

 神様は祈る者の声を覚えて、様々な所で人を遣わして種を蒔かれる。現に私は十七歳の時に、神様に捕らえられた。神の選び給う時期は、神が決める。「神様、来てください」と祈れば死に際だって救われるのだ。

 今日、学校教育の現場は宗教を語れなくなったが、私の高校時代は、まだキリスト教は受け入れられていた。信仰の師である岩島公先生は、土曜日に、同校の某先生宅で集会をもっておられた。近くの駅には案内のビラが貼ってあった。生徒も出席できた。先生によって矢内原先生の「青年に望む」と題する講演会が持たれた。私は講演を聞いて集会に入る決意を固めた。聖書は職員室で受け取った。「嘉信」を紹介され読者となった。

 再びこうした自由な時代が訪れるのはいつであろうか。せめてテレビの子供番組でもいい、「大草原の小さな家」「ナルニヤ国物語」のような自然に聖書が親しめる番組の復活を願う。

 岩島先生には四十年以上のご指導をいただいた。その間、先生は未熟な私のために多くの祈りをしてくださったのではなかったかと思う。

 先生は「罪の自覚と罪のゆるし」を徹底的に教えられた。先生は、若いころ、平安が得られず、明治神宮に三十日参詣され祈ったが平安は得られなかった。内村鑑三の集会に出席後、「そちらではないこちらだ」と聞こえない声を聞いた。キリストに首筋を捕まえられたという体験をされた。ロマ三章23節、八章11節、ヨハネ六章29節、十四章12節、ガラテヤ書五章22節、等は繰り返し述べられた。ご著書に「おばへの手紙」「孫へのヨセフ物語」「明治神宮からキリストへ」を残された。

 私は、全国集会に何度か参加した。そこで出会った伝道誌があった。それは「はこ舟」だった。持ち帰って、陳野さんへ差し上げた。陳野さんが読者になり、数年後私も読者となった。岩島先生の集会が解散したこともあって、「はこ舟」後に「いのちの水」誌を通じて吉村さんとの交流が始まった。人との出会いは不思議だ。神様は信仰の成長のために、相応しい「人」や書物に出会わせてくださっているのだ。求めて得られることもあれば、求めない先から、用意されていることもある。

 信仰は神様より与えられるのであるが、「人」が媒介をなす。「宣べ伝える人がなければどうして聞くことができよう」

                      (ロマ十・14

 「心で信じて口で公に言い表して救われる」(ロマ十・9)

 しかし、聞く耳を持たない人にどうして伝えよう。しかしあきらめない。祈りがある。「いのちの水」を届けることだってできる。「神にできないことはありません」とのみ言葉は、そういう意味でもある。聖霊により叡智をいただいて今日も喜んで励もう。

八王子市

 


 

ある映画を見ての感想

                                   N.H

 先日娘がレンタルで借りた映画のDVDを見ました。 知的障害者のグループホームの物語でした。

 障害者の施設で働いたことのある私は登場人物が身近で、初めから親近感を覚える内容でした。

 そのグループホームでどんな話しが展開されるのだろうと見ていくと、最後はとても悲しい物語でした。

 最後に入所した少女は子供の頃自宅から誘拐された事が元で、父親が守ってあげないとパニックの発作を起こすようになっていました。

 父親は末期のがんで自宅での生活が困難と感じ、今後の事を思って娘を入所させ自分は住み込みで働くためそのグループホームに雇って貰います。父親の職業は漫画家でした。少女の発作を心配して父親はそれまで過保護になっていましたが、少女はグループホームの人達とすぐ友達になりました。

 グループホームは優しい医師の家族で運営され、婦人と高校生の少女が 中心になりお世話されていましたが事情で閉鎖される事になりました。心に傷を持った少女は、健常者の中では常にパニックを起こしていましたが、そこの人達の隔てのない明るさ、こだわりのなさに段々元気になりました。病気の父親は、もう大丈夫かと思い、少女を別の施設に預けましたが、そこには馴染めず、閉鎖されたグループホームの空き家に帰ってきます。父親が用事でその家に行き衰弱した娘を発見しましたが、父親は自分が死んだら娘は生きていけないと思い無理心中をはかるのでした。

 私達の集会員にも知的障害者の施設「いのちのさと」を運営されている石川さんがいますが、「いのちのさと」があるので、沢山のご本人やご家族が助かっている事を思いました。

 この物語を深刻で悲愴なものにしないで、明るく力強い作品に仕上げている秘密はグループホームの知的障害者の底抜けの明るさ、優しさ、ある意味の強さでした。

 その父子とは別に主人公の男子がいましたが、その主人公の魅力は、人を信じている事でした。その上に、何事がきても平気な根っからの明るさ、率直さ骨太さがありました。

 私達にも全能の主イエス様がついていてくれます。全幅の信頼を寄せられます。主人公の人に対する信頼と私の主イエス様を信じる気持ちは通じていました。信頼は人の心を開きます。

 映画を見て、神様は、弱いところを使って事を為すという事を感じました。主は弱い所に働かれます。この世界も実は弱い人がいるから、色々な平衡が保たれ、秩序が生まれ、愛が生まれているのではないかと。そして、神様は被造物全体を愛して下さり、この世界全体が神様が御支配されている愛の世界である事、その愛から漏れるものはなにひとつない事を感じました。

「明日のことを思いわずらうな。」という事と、「神は弱さの中に完全に働く」というみ言葉が思われました。

         (有限会社マンナ 在宅支援ミルトス・ケアマネージャー)

吉野川市


 

 

心に残っていることの中から

                        N.Y

 今年も、吉村孝雄兄をはじめとする徳島聖書キリスト集会の皆様からスカイプ、礼拝CD,今日のみ言葉のメール配信等々たくさんの方法で主の恵みを頂いて参りました。特に、集会での講話、その後の感話を通して深くみ言葉を学ぶことができて感謝です。

 かいつまんで、感銘を受けましたことを書いてみます。

 最も心に深く残っているのは、キリスト教四国集会(無教会)の様子をDVDで拝見して現場にいるような臨場感をもって感話、講話、讃美、自己紹介を見聞き出来たことです。

 全国集会のようにたくさんの方々の参加でしたがセッションごとにコンパクトにまとめられ、時間配分も十分考慮されて、見聞きするものにご聖霊の恵みが溢れました。目には見えないが生きて働かれる主を感じます。特に証言が素晴らしかったと思います。

 中でも、霜尾共造さんのは、廃村になりそうな村にあって、愛農OBの父上から受け継がれた農業をやはり愛農精神と信仰をもって立て直され、すでに十一家族が入村し、そのうちご五家族がキリスト者であるとのこと。まさに奇跡が起こったとしか思えません。

 日本の現状に失望させられることの多い中で、希望を与えられ励まされています。長山さん、原さん、村上さん、の証言も現実の中で神様に出会い示唆を与えられ恵みを受けられたことが生々しい現状の語り口から知らされ感銘を受けました。

 自己紹介ではスカイプ集会で声だけ聴いてお顔を知らないでいた方のことも拝見でき感謝でした。参加者が一つの家族のように感じられ会場から暖かい慈しみの風が吹いてくるようでした。まだまだたくさんの恵みを頂きましたが、最近の礼拝CD(夕拝)でイザヤ書六十五章1720の学びでキリスト者の喜びを教えられました。喜びをも創り出される創造主であるということ。パウロが苦難の中にあって、「喜び、喜べ」といっていることと通ずることでもあり新約旧約を一貫している慈しみと愛の神の存在を思わされたことでした。

 イスラエルの国には、国難のとき預言者が起こされ野にあって真理を叫びました。日本においても内村鑑三、矢内原忠雄など優れた預言者が起こされ国民に真理の道を説きました。現代でも、この憂うべき日本の国に神様が吉村孝雄兄を起こされて私たちに真理の道に導こうとされています。私も一兵卒としてそのために用い給えと祈っています。

(福井市)

 

 


主にある共同体として

                        N.Y

 先日、コリント第二の手紙一章の学びで、共同体の祈りの重要性を教えていただきました。パウロのような深い霊をもった人でも、まだ信仰をもって間もないコリントの人たちの共同体の祈りを真剣に必要としていました。それは目に見えない悪の力を、共同体の祈りが退ける事を知っていたからと教えていただきました。

 また、このように「互いに足を洗いあう」という共同体の姿勢は旧約聖書にはほとんど見られず、新約聖書で言われるようになったということに目から鱗の思いがしました。私は今まで、自分と神様という関係ばかりを思い、なかなかそこから成長できませんでした。特に今年一年は精神的な余裕を失い、集会の関わりでも失言や失敗の繰り返しでした。

 神様が私の問題に気付かせてくださり、自分の事だけでなく、共同体での関わりを通して成長するように促してくださったように思います。また今年は新しい「祈りの友」にも入会させていただき、会員の皆様の心にある願いや祈りを知ることができ、その思いに合わせて祈ることとなりました。多くの方々のお名前や思いも知ることができました。

 いろいろな事を通して、共同体の重要性を初めて知ることができた一年でした。神様が新しい扉を開いてくださった事を感謝します。                    (ケアマネジャー)

吉野川市

 

 


今夏の近畿集会と祈りについて思うこと

                                               N.K

 

 今年の近畿集会は「キリストの体エクレシア」をテーマとして集うことになった。

 洛陽高校聖書研究部のOB会の大嶋紗綾子さんとの出会いー当日初めて出会った。日頃は教会に行かれている方と聞いていたが知らない所でいきなり証をするということはなかなかできるものではない。急なこちらからの申し出にためらいつつも快く引き受けてくださったことを心から感謝した。このように多くの方の前で話すというのは初めてということだった。お話から初めて支給されたクラブ費で真っ先に聖書を購入されたことや戦後六十数年にわたって、会長は「主イエス様」として信仰によって集まりが継続されていることに人間の思いを超えて主がはたらいておられるとの思いを深くした。

 長年指導してこられたという伊東良和さんも講師としてすぐにお話を引き受けてくださったことにも感謝した。

 「来たるべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである。・・・わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」

              (エレミヤ書三一・3334

 この契約のみ言葉は 神様と私たち人間との根本でありその約束はイエス様によって実現された。旧約の時より正義の若枝として主イエスの来られることを預言されていた。

 そしてイエス様の決別遺訓(ヨハネによる福音書十三の34

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」このみ言葉が心に迫ってきた。これが今回の近畿集会のテーマであるヱクレシアの精神だと思った。

 私たちの日ごとの祈りはどうだろうか?日ごとの思いや行動はどうだったか?イエス様の新しい掟が守られているのだろうか?どうしても真実になれない。自分中心の罪をぬぐいきれない。でもそのような私たちを一人も滅びないようにと忍耐を持って待ち、愛してくださっていること、その恵みにあらためて身が引き締まる思いがした。

 私たちは祈りも愛の行為にも弱い。パウロでさえいつも信仰の兄弟たちに「私のために祈っていてほしい。」と切望していた。  あの聖人パウロでさえ自分の欠けたるところを知っていた。他の人からの祈りが必要だった。近畿集会の主日の礼拝「信じる者はキリストの体」イエス様ご自身が人々の苦しみ悲しみを深く知っておられ共に苦しんでくださった。

 キリストの体とされた私たちも本当にイエス様の体であれば他者の苦しみを自分の苦しみとして感じられるようになりたい。そしてその人の痛みを感じたら自然とその人のことを祈り、その方向に導かれなければならない。とのメッセージが心に残った。毎日の生活の中で私たちがキリストの体とされているならば自分の中にある罪に気づき打ち砕かれ心貧しい者とされなければならない。イエス様を信じる者は一人の苦しみを共に苦しみ、喜びを共に喜ぶものでありたい。イエス様の愛を受けていたら、聖霊が自ずとそうさせてくださる。

 「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」

                (Ⅰコリント十二・26) 「わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」

                  (Ⅰコリント十二・31) 最高の道とは主イエスご自身のこと。キリストの愛を受けたらキリストを愛するようになる。そしてその愛は「人を造り上げ、励まし慰める。」のだと。

 私の周りにもまた世界中のいたる所でも日々涙の谷をわたっている方々がいる。なぜこんな目に合わされるのだろうかと悲観にくれてしまうことがある。

「彼らは大きな苦難を通ってきた者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」(ヨハネの黙示録七・14

 「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」(ヨハネの黙示録七・17

 こうしたみ言葉に支えられたどれだけ多くの信仰の証人たちがいたか。こうした悲しみ苦しみの多い中にあってイエス様の十字架と復活を信じて歩んで行ける者でありたい。

 今年の四国集会でも多くの兄弟姉妹と主にある交わりがあった。そこには確かに聖霊のはたらきがあった。互いの祈りがあった。

 私たちはまだまだ祈りが足りない。互いに、祈り、祈られる「愛の共同体」こそまたヱクレシアの真実であることを最近特に深く心に示されている。

高槻市


野の花への憧れ

                      N.M

 数年前、物腰が柔らかで、どことなく気品漂う老齢の婦人の感話を聞く機会があった。「趣味の集まりのあったある日、私に対する仲間の冷やかな声が聞こえてきました。一瞬耳を疑いました。何とか冷静な態度を保ち、その日会場を後にました。一人になり解放されてほっとしましたが、心は沈んだままでした。ハンドルを握り山道を走っている時でした。人眼に触れそうもない木陰の中に咲く一輪の『野の花』が目に入りました。その時、とめどもなく涙があふれてきてしかたありませんでした。孤独の中にひっそり咲く可憐な花の美しさが愛おしく思え、頬を濡らす涙を拭きもせずハンドルを握り続けて家路に向かいました。」と。

 また、最近のキリスト教講演会である講師から伺った。「独りで山道を散策している時、前方の道に一筋の光が木立の中を突き抜けるように射し込んでいました。ちょうどスポットライトを浴びるように、キラキラ輝いて咲く白い小さな『野の花』が眼に入りました。その瞬間、私は思わず小走りしてその花の前に膝をつき、手を合わせしばらく神へ感謝の祈りをしました。」と。

 私は、ほぼ毎朝散歩しているが、家の近くの野道の際に咲く花を見ると、ふとこの二人の話を思い出すことがある。誰に知られるともない場所で、健気に咲く小さな花の存在が愛おしく思われてならない。何故だろうか? 自分の存在を知っているから、あるいは知らないから、ただ与えられた恵み‥‥地下から養分・水分を吸収し、地上から太陽の光を浴び、風が吹けば風と戯れる自然の恵み中で、与えられた生命を精一杯輝かせているからであろうか。

 また、私が障害福祉の仕事に従事していた時のことである。障害者やその家族が、用事を済ませるために独りで窓口に見える中、その家族は、いつもダウン症の男の子とその両親の三人が揃って訪れた。障害を持たれた当事者、その家族の多くが、経済的にも精神的にも余裕なくあまり表情も現さず、事務的に用事を済ませて帰られる。しかし、この家族三人は、いつも笑顔で窓口に来られる。傍で見ていても微笑ましく、見ている私までが幸せな気持ちになる。

 その家族三人の中心は男の子である。いつも両親の間に立っている。家でも親の愛に包まれ、大切に育てられている様子が想像される。両親が幼いわが子の障害を正面から向き合い、見詰め、そして受容し、これからの人生を親子三人で共に荷物を背負って生きていこうと決心した証しであろう。親にしか分からない深い悲しみ、苦しみがあったであろう。心の葛藤を乗り越えられたからこそ、あの三人揃っての笑顔があるのだろう。

 我々はどうだろう。野の花のように、障害児家族のように、「ありのまま」の自分を生きているのだろうか。どこまで本当の自分の姿を見詰めているのだろうか。私は‥‥といえば、自分を直視しているつもりがしていないのを知っている。今の自分をしっかり見つめず、適当なままで生活している。こんな私であるため、外見を良くしようとする自分に気づく時がある。聖書に登場するファリサイ人・律法学者の自分である。

 この人達の本質は何であろうか? それは神でなく、他人を強く意識し、目立とうとする態度を好む人である。聖書の中でイエスが言う。「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」(ルカによる福音書二十・4647)イエスの目は、自分に正直な人か、外側だけをきれいに取り繕う人か、いつも冷静にその人を見詰めているのである。

 今日の社会は、競う社会である。学校では優秀な成績を目指すためクラスメイトと競争し、就職すれば、優秀な営業成績を目指し、またより高い人事評価を得ようと同僚と競争し、会社は経済取引市場でより多くの収益を上げようと他社と競争する。このように幼小期の学校生活から社会人になれば定年退職を迎える日まで、全ての人は、競い合う環境に身を置いて生活しているのである。真面目に生きようとすれば、自身好むと好まざるとにかかわらず、全ての人、会社、組織が、上昇志向を、右肩上がりの成長を目指さざるを得ないのである。

 競争原理一色に染まった今日の生活環境の中にあって、一度歩みを止めて自分自身の在り方、姿を見詰め直すことをしなければ、いずれ人も、会社も、国も全てが、疲れ果てて倒れてしまうだろう。

 野の花のように、障害児家族のように、他を意識することなく、与えられた場所で与えられた恵みをいただき、「今のありのままの自分」を神に感謝し、生きること、ここから全てが始まる。

 私は、「野の花」が人知れずとも、清楚に気品に満ちた生命の輝きを放つことがうらやましく思えてならない。

(静岡市)

 

 


 浦和キリスト集会に参加して 

                                    N.Y

 東京在住中の五月十九日に浦和キリスト集会に参加させて頂きました。電車を乗り継いで、香西 信さんの車で送っていただき、参加することが出来ました。十分間の黙祷から始まり、讃美の後の聖書箇所の輪読では、参加者全員が読み、少なくとも三巡はしていました。このような輪読の仕方は私は初めてでした。参加者一人ひとりがこの集会に名を呼ばれて集っていて、キリストの前に立っているということを自覚しました。

 関根義夫さんは主日礼拝の講話の中で、神はあらゆることに意味を持たせるお方であり、(第四十回四国集会に参加した時に利用した飛行機にふれて)東京は雨雲だったけれど、飛行機が上昇するにつれて雨雲を突き破り、大空がパッと開けた。そしてそこには下界には見られなかった、晴れ渡っている上空の世界があったことを話されました。そして、全くの絶望と、全くの希望は隣り合わせであり、飛行機が上昇していったように、キリストという飛行機は私たちを希望へと高く上げてくださる、というメッセージをいただきました。具体的な生活の中で常に覚えていきたいと思いました。

 礼拝後の集いでは、「徳島聖書キリスト集会の集会だよりを読んで心なぐさめられている」と言われたA・Fさんをはじめ、一人ひとりの近況をゆっくりとうかがう時間を与えられました。感謝でした。浦和集会を通して一貫して感じたことは主にあって一人ひとりが尊重され、大切にされているということでした。

「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部

分です」(一コリント十二章二七節)

 というみ言葉は、二〇一三年の夏の近畿地区無教会キリスト集会の主題でした。集団の中に個人が埋没せず、一人ひとりが主にしっかりと結びつき、それでいて一つの群れであるという実感を二〇一三年は特に強く持つことができました。

高槻市

 


 

神にある希望

 

  「私の友、アブラハムの末よ。私は、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。

 あなたは、私の僕。私はあなたを選んで捨てなかった。

 恐れるな。私はあなたと共にいる。たじろぐな。私はあなたの神だから。

 私はあなたを強め、あなたを助け、私の義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ四十一の8~10

 去年の暮れ、思いがけない病気を告げられ目の前が真っ暗となり、絶望しか見えなくなった時の事です。

「夢であってほしい間違いであってほしい。」と、必死の願いは空しかった。

「神様どうして私を。」と、心の奥深くで思い、絶望感一杯でした。

 この事を知った、兄姉は、心にかけて下さり、お手紙や、メールで励まして下さいました。その温かい励ましは、私の絶望的な心に希望の光となって射し込んできました。私は、何度も何度も読み続け、「神様助けてください。」と、幼な子のようにすがるばかりでした。

 そして、手術を迎えた時、兄姉は、時を等しくして祈って下さいました。その時の尊い祈りは、神のみ業となって現されました。術後、担当の先生が、「○○さん、今回の手術は、神業でした。」と、嬉しそうに話してくださったのです。

 又、神のなさる事は、本当に、時にかなって美しいもので、Y先生は、その時その時にふさわしいみ言葉で、励まし、乗り越える力を与え続けてくださいました。又、その後のケアにと、松田忍先生(野の花、第26号に投稿)を、紹介してくださり、お世話となること、7ヶ月、感謝な事に、少しずつ回復し、今では普通の生活が出来ています。

 松田先生は、「信じたとおりになりますよ。」(マルコ11の23~24) と、力強く励まして下さいました。希望の言葉は何よりも特効薬でした。

 これから先のことは私には分かりませんが、この出来事を通して、キリストの十字架は、私にとって、絶望と言う、罪の鎖につながれ、苦しみもがく私を、その罪の鎖から解き放ち、自由な身としてくださる為であった。と、深く知らされました。

 私は、「恐れるな! 信じなさい! 愛しなさい!」と、何度言われても実行できない鈍い者ですが、 「主よ、どうぞ、あなたのみ心を、少しでも尋ね求めて歩む事ができるように導いてください。」      (匿名希望)

 

 


 

キリスト再臨の希望

                       H.G

 新約聖書にはキリスト再臨に関する記事が驚くほど沢山あります。そして、良く読むと再臨についての考えが多様であることに気が付きます。新約聖書で一番最初に書かれたパウロの手紙でも、古いものでは、再臨は彼が生きている間に起こるとされていますが、後にはそれが修正されて、再臨まで生き永らえることを断念したことが分ります。共観福音書や使徒言行録にも、再臨の切迫が告げられている一方、その遅延についても記されています。「再び来る」と告げられたイエス様の言葉が根底にあり、しかしなかなかその時が来ないため、初代信徒達の考えが揺れ動いたことが読み取れます。

 初代信徒たちはキリスト再臨の望みの中に生きていましたが、私たちもその延長上に生きていると思います。聖書に学ぶことは、私たちはキリストの第一の来臨(降誕)と第二の来臨(再臨)の中間時に生きているということです。それは反キリスト出現の時(Ⅱテサロニケ二の八)、疑惑と戦う時(ペトロ三の一以下)であり、世界に伝道すべき時(マルコ一三の一〇)と記されています。そして私たちには新しい生き方が求められています(エフェソ四の一七以下)。イエス様は「目を覚ましておれ」と十人のおとめのたとえ(マタイ二五の一以下)などを話されました。

 闇が押し迫る世界に絶望を感じることが多々あります。自分の力ではどうにもならない、解決したい問題も山積です。しかし、救いが完成することは神様が約束して下さっていることです。キリスト「再臨」というその希望が与えられていることは大きな感謝です。

 私たちは自分を頼りに生きていますが、聖書はそれを「眠っている」状態だ、と教えてくれます。自分を頼るのではなく、神様を仰いで生きることが「目を覚ましている」状態だと申せましょう。

 聖霊による新しい命に生きたいと祈ります。聖霊についてイエス様は「弁護者」を私たちに日々送ると約束して下さっていますが(ヨハネ一四の一六)、聖霊こそ再臨のキリストの前触れではないでしょうか。どんな状況になってもイエス様と共に歩んでいきたいとの願いを、マルチン・ルターの死後、夫人・カタリーナが晩年次のように言っていたそうです。

「衣服の裾にくっついて離れないイガイガ草の実のように、わたしは主イエスにくっついて離れない」(福岡聖書研究会)

 

 


身近にある神の恵み 

                        F.F

 内村鑑三の著書「一日一生」の九月二十八日のところから身近に神の恵みを教えていただき、この幸いを持てるように神の国と神の義を求めていきたいと思います。

 九月二十八日の全文を紹介します。

 

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられる。(マタイ伝六・三三)

 

 人の栄誉として、彼はもっとも高きもの、すなわち神をもってするにあらざれば満足するあたわざるなり(ビクトル・ユーゴーの語)。しかしてわれはこの最上の食物と飲物とを有す。われはじつに足れるものにあらずや。いかなる珍味といえども、純白なる良心にまさるものあらんや。罪より赦(ゆる)されし安心、神を友として持ちし快楽、永遠(とこしえ)の希望、聖徒の交際

 われは世の富める者に問わん、君の錦衣、君の壮屋(そうおく)、君の膳(ぜん)の物、君のホーム(もしホームなるものを君も有するならば)は、この高尚、無害、健全なる快楽を君に与うるやいなや。医者はいわずや、快楽をもって食すれば粗食も体を養うべけれども、心痛は消化を害し、滋養品もその効を奏するすくなしと、真理(まこと)は心の食物なり。また身体(からだ)の食物なり。われの滋養は天より来たるなり。浩然(こうぜん)の気はまことに不死の薬なり。貧しき者よ、喜べ、天国はなんじのものなればなり。

 

 著者が数々の恵みを取り上げていただき、そのひとつひとつは私の内なる魂を感動に導くものばかりです。

 私共、主の十字架を信じるだけで、内なる魂を悩ませるやっかいな罪が赦され神のものとされる誠にありがたい恵みをいただき感謝であります。

 著者が言う「罪より赦(ゆる)されし安心」は心の平安となり生きる大きな力になると思います。

 「心痛は消化を害し、滋養品もその効を奏するすくなしと、真理(まこと)は心の食物なり、また身体(からだ)の食物なり、われの滋養は天よりきたるなり。浩然(こうぜん)の気はまことに不死の薬なり」。

 心と身体が神のご支配のなかにいれていただいたときの幸いを教えていただき感謝です。

 このような神様による大きな恵みと幸いも私共の日ごとの祈り、礼拝、聖書の学び、伝道、信徒の交わりなどによってより大きく確かなものになると思います。

徳島県

 


 

あるハンセン病者の死

                                            K.S

  去る九月七日朝、父の所から帰り机に向かっていたが、疲れたので気分転換に庭に出てミニトマトの処分をしていたら、敬愛園の福仲さん(現恵生教会代表)から黒木昭丸さん(84)が天に召されたとの電話が入った。一時間半くらい前だったとのこと。「ああ、昨日敬愛園に行っていたのに」

 金曜祈祷会の後、いつものように福仲さん宅にお邪魔し四時過ぎまで居てしまい、もう病棟を回るのは遅いので次にしようと帰ってしまったのであった。後悔先に立たず。「明日はこちらも集会のため出られませんが、今夜の前夜式なら大丈夫です。出席しましょうかね」と福仲さんに話したら、「それより弔電を打ってもらえないだろうか。その方がこちらは有難いんだが。こういう所だから弔電とか打ってくれる人がいないんよ」との返事。そこで、式には参列せず、急ぎ次の電文を送った。

 

 昭丸さん、あなたが召されたとの電話に「しまった、どうして昨日病室をのぞかずに帰ったのだろう」と悔やみました。主よ、愛なき我を赦し給え。八月十一日があなたと話せた最後でした。けれども、あなたはもう私のことがお解りになりませんでした。四十年の交わりでしたのに。上半身裸で色白の肌がとてもきれいでしたのでそう申したら、「そうですか、目が見えないもんだから」と言われ、私は心ない自分を恥じました。けれど、帰り際にあなたは「ありがとうね」と言われ、私はジンと来ました。

 もっとうれしかったのは、その前の病室訪問の時です。あなたは既に失明していらっしゃいました。私は新聖歌四六五番を紹介しました。あなたもとても気に入られて、五番まで二回一緒に歌いましたね。その一番の歌詞をあなたに捧げ、同じ信仰をもって私共も後に続くことをお誓いいたします。

  いつかは知らねど 主イエスの再び 

 この世に来給う 日ぞ待たるる

  その時聖徒は  死よりよみがえり 

 われらも栄えの 姿とならん

    昭丸兄の御霊よ、主にあって安かれ。

 

  氏は一九四O年、十一歳で敬愛園に収容され、一九六O年入信、一九六八年より三年間、岡山県愛生園の長島聖書学舎に学び、一九七七~一九八四年、香川県大島青松園の大島霊交会の牧師に就任。その後はまた、敬愛園に再入園され、恵生教会で教会代表などの奉仕を長年続けてこられました。

 また、堤道雄先生が一九七四年から一九九七年まで鹿児島伝道をかたじけなくしてくださいましたが、私は、いつも訪問される敬愛園でのお世話を度々氏にお願いして参りました。故郷は鹿児島の県境近く、宮崎県えびの市でしたが、一度も帰ることもできず、遺骨も引き取られないままに終わりました。

 予防法が廃止され国賠訴訟に勝訴しても、未だに、死んでも「もういいよ」と言われないハンセン病者の死は、私に私たちの罪の深さを思い知らせます。私は、ただもう主の十字架にすがり、園に残されたわずかな方々と十字架と復活・再臨の主を仰ぎ、励まし合って祈り進みたいと願っています。

  最後に、黒木兄がかつて編集責任を負われた恵生教会五十周年記念誌中の一文を引用し、兄の「仰望」の姿勢に学びたいと思います。これは請われて行かれた大島青松園を引き上げ、鹿屋に帰って来られた事を「不信仰」「無責任」の題で綴られたものの最後の部分です。

 

 ヨハネ三章四節に、ニコデモは「人は年をとってから生まれることが、どうしてできますか。」と、とてもおかしな、とんちんかんな質問をしていますが、これは、もし出来得ることならもう一度生まれ変わってみたいという、悔いのみ多い老人の切なる思いからの言葉ではないでしょうか、それがよく伝わってまいります。

 それに対して、イエス様は「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである」と言って、悔いのみの多いこんな者にも、新しく生まれて神の国にはいることの出来る不思議さを示し、豊かな慰めを与えておられます。そこから注がれる新しい力と望みに強められ、生かされるほかありません。

 

 


聖句     M.K

 神は愛なり

 


 

日々守られて感謝

                     F.M

 いつもお祈り、お導きを感謝いたします。

 大分、元気になり最低限の家事をこなすことが出来て嬉しく思います。

 背後の皆様のお祈りに支えられ励ましを与えて下さり感謝です。

 私はコリントの信徒への手紙二の一章三節~六節のところから励ましと力をいただいております。

 次に、その聖句を紹介します。

 

 「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。

 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。

 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。

 また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。」

 

 これからも主に導かれて歩んでいきたいと思います。

吉野川市

 


 

若者の告白(A Confession of A Young Mind

M.D

「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」     (創世記二十八章十六節)

 

 聖書箇所から思われたことを綴りたいと思います。僕は、生まれつきの内部疾患を持ち大きな手術を二回経験し、小さな時から病気・死という現実と向きあってきました。

 しかし、一番の転機は高校生の頃でした。その頃になると、「この世」の垢にどっぷりとまみれ、社会の矛盾、自分の弱さやもろさを強く感じていました。僕は、全てが嫌になって逃げ出したい気持ちでした。

 ある日、立ち寄った本屋で、ある学校の語学交換留学の募集要項を見つけたので応募しました。僕は、「この状況から抜け出せれば、自分も変われるだろうし、自分の今抱えている問題もなくなるだろう」、と考えていました。しかし、着いた場所でも自分の今までの過ち、将来の悩み、究極の最大の問題である死、ということが常に頭の中にあったのです。他の学生たちとハシャイでいるとき、恋に落ちているとき、学校の授業の勉強しているときはいいのですが、ふとそれらが過ぎ去ると、やはり眠られなくなり、取り留めのない状態で、そのような日々が何年も続きました。『この死の身体から誰が私を救ってくれるだろうか!!』『永遠なんてあるんだろうか?』『神様はいるんだろうか?』来る日も来る日も自分の中で叫んでいました。僕は、孤独でした。

 しかし、今思い返してみると、それがまったく違ったように感じられるのです。留学先で、僕のこのような悩みをぶつけたある学生がいます。他の学生にこういった話をすると、「重い」だとかで煙たがられますが、その子は、親身に僕の話を受け入れ、「僕は君のために祈っているよ」と言ってくれました。

 そして、僕が帰国してからも葉書を送ってくれ、「祈っている」と書いてありました。また、別の土地では、クリスチャンの英語の先生に、「あなたのその悩みを肩から下しなさい。祈っているから。」といつも励まされました。

 また、留学の最中も教会の兄弟が機関紙に「祈っている」と書いてくれていました。これは、何年も後になって知りました。見知らぬ土地で、パソコンが壊れたことで、たまたま知り合った子が、教会を紹介してくれ、僕と共に歩んでくれました。

 ようやくクリスト者になってからも、何も出来ない自分に絶望して、ついには塞ぎこむこともありました。そうしたときに、同じ寮の友人が「ほら、こんな僕だってこうやってここに居て、君の横に座って君の話を聞けるんだ。神様は、こんな僕でさえ用いてくださるんだ。だから、あきらめちゃダメだよ」、と言ってくれました。

 教理の理解に苦しんで悩んでいたときに、同僚が、「人生の目的はイエス様に出会うこと」、と励ましてくれました。また、どん底に落ちたとき、拾い上げ、聖書を読み、善い本を読むように励ましてくれたのは、僕の妻でした。大学の研究と出世という将来に疑問を感じたとき、バスの中で、突然話しかけてくれた運転手のおばさんが、満面の笑みを込めて、「私はうちで飼ってる牛が大好き」と言って素朴な信仰を現してくれたこと。もっとさかのぼると、5歳の頃に友達と一緒に、その子のお母さんに連れられて日曜教会に知らず知らず参加していたこと。

 最後に、まだ信仰もなかった小学生だった僕に、ある信仰の兄が「疑問をもちなさい。『なぜ?』と常に問い続けなさい。」と言ってくれたこと。この一言が無ければ、僕は高校生のときに悩まなかったはずです。悩まなければ、国外にも行かず、これらの人々にも出会わず、信仰も持たなかったかもしれません。

 

 信仰は、自分の体験でしか語ることができないし、自分に起こって初めて理解できることが多いと思います。ここに記したことはホンの一握りのことですが、以前の僕には、これらの「本当に謙虚であるけれども偉大な目には見えない導きと助け」を感じませんでした。

 もちろん、それは、「後から振り返って勝手に都合のいいように解釈している」と言い放てることなのかも知れません。しかし、それを決めるのはその本人であると思います。ただ、僕に言えることは、「信仰を持つ前の自分は、悲しく・孤独で・惨めで・絶望的で・真っ暗で・後悔・重責・嫉妬を感じながら生きていましたが、今の自分は、一過性の不安は別として、それらは全く感じられないし、そして、その不安も不思議と癒される」、ということです。

 そして、そのような経験とこれまでの経緯を顧みるとき、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」、と本当に思うのです。”I was blind, but now I see…”「私は盲目であったが、今はハッキリと見えるのだ!!」(アメイジング・グレイス歌詞/ヨハネの福音書九章25節)、と本当にこう思います。自分の弱さに日々悩まされることが多くありますが、「イエス様来てください。私の目から丸太を取り除いてください。」、と主の導き信じ、祈って生きたいと思います。

(高松市)

 

 


野の花 

                      M.Y

緑置く神に置かれてある皐月

父母の逝きて五月の青さかな

神の庭怒り解かれて風ひかる

珠玉なるひとひなれとぞ若葉冴ゆ

神知らずみな厭ひたり去年の冬

たんぽぽの春忘れざるをいとおしむ

春行くや永遠を知るゆへやすらぎて

梅雨ふくむ風吹く庭に水鳴りて

天さして聖どくだみの白さかな

われ切に真たるや問う神五月

神の香のごとし五月の木の夜は

主は今し熱き月にて見守られ

わが底の海熱し神いますゆえ

荒野にて行き暮れし闇で会ひしかな

友の詩に光溢れてわれ洗ふ

主とありて夕暮れ暗く糸止むる

わが罪を思ほふ人の罪につぶれつ

人声の苦さやどくだみは白かり

電車入るホームの灯あかき祈りをれば

同じ水巡るに竜胆の花は青

主の愛を祈らん辛夷の深き傷

やわらかきソックスはくや主はここにも

鳩のきて青葉の陰に主とやすし

子供らにゴムまりのような神います

朝という真珠ひとつへ還りたり

瓶の朝ひとひらの光肩に止め

詩の海の底と神とを行き来する

境界を出入りするかに鳩の鳴く

うなだれてえのころ秋の風食ひぬ

荒れ野より神宿りたる細部へと来よ

黄の菊の言葉を持ちて開きおり

病む君の透徹に会いに菊を買う

太古より抱えたるかに秋さみし

絶望もやがて芳し神のデイテール

(東京都)

 

 


最近始めた事  

                        M.K

 三年前より「いのちの水」誌を読んでいますが、「英語が割と出てくるなぁ」と言う感じがしていました。英語は高校で学んだきりで得意ではなかったし好きでもないので、その後、半世紀近くも学ぶ事はありませんでした。

 私の得意な言語は大阪弁のみです。しかし毎月「いのちの水」に英語が出てきて、一応六年間学んでいるので、解らない事につらいものがありました。

「よっしゃ、やってみよう」という気持ちになり、まず、中学三年間の英語文法の本を買って、受け身、現在完了、関係代名詞、現在分詞、過去分詞等、「あぁ、こういうのがあったなぁ」といった感じで何度か読みました。

 次に発音が出る電子辞書を買いました。そして英語と日本語が載っている聖書を使い、ヨハネの福音書から始めましたが解らない単語が次から次へと出てきて、単語カードは見る見るうちに500を超え、頭に入りません。

「昔はこんなはずではなかったのに」と思いながら、ヨハネ、マルコ、今はマタイに取り組んでいます。福音書は同じ単語が何回も出てくるので、それでも少しは頭に残った感じがしています。

 徳島聖書キリスト集会の吉村さんに、十月の阪神エクレシアの集会のとき、英語でアメイジング・グレイスの歌を教えてもらい、一番は暗記して歌えるようになりました。今年から前期高齢者と呼ばれる年齢になり時間的ゆとりはたっぷりありますが、もし私に信仰がなければどのように毎日過ごしていただろうと考えると、多分つまらないこの世の娯楽に日々時間を潰していただろうと思われます。

 誰からも奪い取られないもの、一人になっても楽しめるもの、信頼できる霊の友、この世もあの世もイエス様にまみえる事が出来る楽しみ、キリスト教信仰を与えられた事に感謝しています。 どんな書物を読むよりも今は吉村さんの聖書講話CDを聴き、英語の聖書を読む事が楽しみです。出来ればなんとかこの恵みを夫や息子に伝えたいと日々祈っています。

(兵庫県伊丹市)

 


 

「共にいて、支えて下さる主なる神様、イエス様に感謝」

                                M.K

 急に、秋が深まってきました。季節はもちろん、日々の生活に恵みとお守りを下さる神様に、感謝します。

 このところ、悲しみが喜びに変わること、今の状況の苦しみは神様が、必ず良きことに変えて下さることを少しずつ実感できるようになりました。深い深い神様の御心は、人間にははかり知れません。

 しかし、どんな状況にあろうと、また、自然災害や不慮の事故など様々な悲しみの中にあろうと、ただイエス様を信じることで良きことに変わることは真実ではないでしょうか。

 聖書の御言葉「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」コロサイの信徒への手紙四章二節を心に刻み、イエス様を信じて祈り続けたいと思います。 

(保育園施設長)松山市

 


 

「牛乳を注ぐ女」

                                Y.A

 わが家のキッチンの狭い壁にはフェルメールの油彩「牛乳を注ぐ女」の複製が架かっている。これは一昨年、私がNHKの全国短歌大会でまさかの特選に選んでいただいた時、家族が記念にと贈ってくれたものである。

 

受賞の短歌は

 

朝かげが斜めに延びるキッチンに「牛乳を注ぐ女」となり居る

 

 たいして短歌の創作力もないわたしにとって、この受賞はイエス様のプレゼントだったと信じている。

 選者の篠弘氏の評は、「この『牛乳を注ぐ女』は、オランダの十七世紀の画家フェルメールの代表作。女性は中央に大きく描かれていて、作者は毎朝の自分の分身のように感じとる。上句の明るい台所の表現も、この絵画そのものと巧みに符号する。」と言って下さった。

 その年、私たちは長男を3年間の肺がんとの闘病生活の後、四十五歳で天国に見送った。もしかしたら、フェルメールの名画、「牛乳を注ぐ女」のふくよかで堂々とした女性は私の憧れであったのかもしれない。

 差し込む朝の光は、イエス様の愛が光りとなって届けられたものであろう。それは私に慰めと希望もたらす長男からのエールのように、今日もキッチンの壁を彩っている。

(山梨県)


 

 

七つの白い石

                               Y.E

耳ある者は、(神の)霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者に隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分らぬ新しい名が記されている。(黙示録二章十七節)

 黙示録を学んでいる時、白い小石を与えようと言う言葉から、ずっと以前読んだ南アメリカのお話の一つ「七つの白い石」を思い出しました。二十年以上も昔に読んだ本でした。十五、六世紀はコロンブスが南アメリカを発見し、ヨーロッパの覇者となったスペインが宝物を求め、またキリスト教を広めるために宣教師も連れて行った所でした。そのようなところで語り継がれて行ったお話なのでしょう。

 誰が言い出したのか、またいつの頃からなのかわかりませんが、村の子供たちの間には、「復活祭の日、教会の鐘が『ハレルヤ、ハレルヤ』と鳴った時、石を七つ拾いその石を枕の下に入れておくと、クリスマスの朝には、七枚の金貨になってる。その石を拾うのは、教会の鐘が鳴っている、その時じゃないといけないんだ。」というのです。村には石なんかほとんど落ちていなくて、村から少し離れたところに、大きな川が流れていて、川原には石が沢山落ちていたので、子供たちは誘いあって石を拾いに行きましたが、瀬音にかき消されて、教会の鐘の音は聞こえません。それで拾った石が、クリスマスに金貨になったという子供は、まだ誰もいませんでした。

 その村にマリアという女の子が母さんと二人で暮らしていました。母さんは村人に頼まれて、洗濯や掃除やらをしていました。二人はやっとその日その日を過ごしていました。復活祭の日、仲良しのルチアが、川原に石拾いに誘いに来ました。母さんの手伝いがあるので、行きたいけど断りました。

 マリアは井戸へ水汲みに行きました。水の入った重い桶を引きあげて、中をのぞきこむと、桶の底に白い石が七つ沈んでいたのです。マリアはうっとりと、その白い石に見とれていました。カラン、コロン、カラン、その時、村の教会の鐘が鳴り響きました。

 それから毎晩、お祈りをすませてベッドに入ると「この石、ほんとうに金貨になるのかしら」と思いました。時が過ぎ、クリスマスが近づいてきました。

 クリスマスの朝、目を覚ますとこの石は金貨になっているんだわ何を買おうかしら、お人形さん、お人形さんのベッドとテーブル、それからそんなことを考えているうちにマリアは幸せそうな笑みを浮かべて眠ってしまうのでした。

 いよいよ十二月になりました。クリスマスも近いある夜、マリアと母さんは晩ごはん代わりのスープを飲んでいました。その時、誰かが戸を叩きました。戸をあけると、一人のやせた男の人が立っていました。

「すみませんが、泊めていただけませんか、今夜一晩だけでいいのです。」

 男の人は悲しそうな目をしていました。ひどく疲れて、おなかもすいている様子でした。母さんはスープのお皿とパンの切れを、男の人の前に並べました。

 スープを飲み終えるとやっとほっとしたように、男の人はいいました。

「ああ、これで元気が出ました。私の家はここからまた三つも山を越えたところにあるのです。一カ月も前に家を出たのですよ。」

 そしてその男の人がふいに自分の方を向き、言いました。

「ところでお嬢ちゃん、なんて名だね。おじさんにもあんたと同じ年位の娘があるんだよ、やっぱりマリアって名だ。私が旅に出る時、マリアはこう言った。

『父さん、何にもお土産はいらないから、クリスマスに馬小屋の回りにおく、白い石を七つ拾ってきてちょうだい。』ってね。

 それをマリアへのクリスマスの贈り物にする積りだったが、いくら捜しても見つからなかったのさ。マリアはどんなにかがっかりするだろうけどしかたがない。」

 マリアは黙って下を向きました。自分の七つの白い石を思い出しました。「あれはあげられないわ。もうすぐ金貨になる石なんだもの。」マリアは心の中でつぶやきました。

 翌朝、男の人は母さんに丁寧にお礼を言って出ていきました。だんだん遠ざかる男の人をじっと見送っていたマリアは、大きく叫びながらその人の後を追って走りだしました。「おじさん、待ってください。」男の人は足を止めました。

 マリアは、ポケットから出した物を、男の人の手に押しつけました。それは、あの七つの白い石でした。「おじさん、これ、おじさんのマリアちゃんにあげて。」自分の一番大切なものをあげてしまおうという堅い決心とどうすることもできない涙とがありました。

 男の人はマリアを見つめて「おじょうちゃん、ありがとう。あんたはわたしのマリアに、あんたの一番大切なものをくれるんだね。それはどんなものより、尊い贈り物だ。あんたが大きくなったら、そういう贈り物のできる大人になっておくれ。クリスマスの朝早く、井戸のつるべ桶を引き上げてごらん。」クリスマスの朝、男の人のことばを思い出して、つるべ桶を引き上げてみると、桶のなかには七枚の金貨が光っていたのでした。

 マリアは、自分が最も大切にしていたものを、他者への愛のゆえに差し出すことができました。それは内なる戦いに勝利することができたことであり、与えられた七枚の金貨それは黙示録に言われている「受ける者のほかには誰にもわからぬ新しい名」が記された白い小石に通じるものだと思われました。

(徳島県小松島市)

 


 

ジャックと十字架 

                        A.T

 今年九月二十三日に我が家のビーグル犬ジャックは前立腺ガンのために天に帰っていきました。たった二ヶ月前まではとても元気で九歳とは思えないほど元気一杯でした。

 夫はもともと動物嫌いでしたが、犬好きになり、朝の散歩は夫の役となりました。帰宅が遅いにもかかわらず、睡眠時間をけずっても朝早く起きて散歩に行っていました。

 子供達四人は、飼いはじめた頃すでに中学生以上になっていました。学校でいやなことがあってもジャックによってずい分慰められていたようです。夕方の散歩には交代で行ってくれていました。次女は獣医になりたいと思ったほどでした。(実現できませんでしたけれども。)

 私自身も、子供達が大きくなり手が離れても ジャックを小さな子供としてお世話することができ心が満たされていました。

 そんな中でジャックは八月から弱っていきました。九月に前立腺肥大の診断を受け、手術しましたが、どんどん悪くなっていき、最後の十日間は悲しく苦しい日々を過ごしました。便秘、血尿、腹水とジャックの苦しむ様子に胸がつぶれる思いでした。最後の朝、大好きなお父さんに一目会ってから天に帰っていくことができたのは 彼の思いが伝わり、思い出す毎に涙が出てきます。

 ジャックの変調に早く気づいてあげられず私が彼の死を早めたのではないか、私の身勝手な気持から彼を死に追いやったのではないか等 後悔することしきりでした。彼の血液のかたまりのまざった血尿や 毛にべったりついた血尿を処理してやった苦しい時間は、後になって考えてみるとイエス様の十字架上での苦しみを味わっていた時間だったのではないかと思います。最後の夜、横になることも出来ず、すわったまま一生懸命ハーハーと息をしていた姿、のどがかわいてしきりに水を求めていた姿がイエス様の十字架にかかられていた時の苦しみの姿に重なっていきます。

 以前兄がすい臓ガンから敗血症になり、たくさんの機械に囲まれて眠っていた姿を通してイエス様の十字架を突き付けられた経験をしましたが、今回ジャックの苦しみを通して十字架の重さをまたも味わわされました。罪の自覚に乏しい私に、神さまは十字架の深い意味をこれでもかとつきつけて来られます。私は本当に信じきれているのか。私は本当にキリスト者なのか。と問われているのではないかと思わざるを得ません。正直、私は十字架を負って自分に死にイエス様に従うことができない者ですと告白します。それでもイエス様は「いいよ。」と言って下さるのでしょうか。こんな私ですが、やはりイエス様から離れることはできないです。そしてやはり自分に都合のよい願いを相も変わらず求め続けています。御旨のままにと祈ることができる者にならせて下さいと願い求め続けなくてはならない、おろかな者です。

 ジャック本当に九年間ありがとう と伝えたい気持ちで一杯です。

(広島市)

 


 

俳句                IM

  手の平に 花びら一枚 舞い降りぬ

  

  風に揺れ コスモス清く 咲きし朝

  

  向日葵の 主に生かされて 立ちており

  

  コスモスの 御業知るかに 舞いており

  

  信仰を 戦い抜きて 秋渇き

  

  生かされて 生きる己よ 聖五月

  

  神の声 聞こえぬ我に 春の闇

  

徳島市

 


 

木の命             I.R

 

木には希望がある、というように

木は切られても、また新芽を吹き

若枝は絶えることはない。

地におろしたその根が老い

幹が朽ちて、塵に返ろうとも

水気にあえば、また芽を吹き

苗木のように枝を張る。  (ヨブ記十四・7~8)

 

 ヨブ記のこの御言葉に出会って、希望と感動を与えられました。木はこの御言葉の通りの命の営みを見させてくれ、私達人間に、命をつかさどり、育て給うお方(神)の存在を示してくれています。

 またマタイ伝6章では、神は野の花のひとつひとつを装っていて下さる、ということが書いてあります。

 私の愛するこの小さな庭にも静かな命の営みがくり広げられています。小さな庭は、神の創造の世界を、そして宇宙さえも見させてくれるのです。

 ひとつとして同じ花木はなく、ひとつひとつが実にその豊かな多様性を持って、個性を開花させて、見させてくれるのです。

 黄、赤、白、紫と濃淡さまざまに美しく、花の形の愛らしさ花びらひとつひとつの美しさ、そこに蝶が舞ってきて、天国の花園を想わせてくれるのです。天地を創造し、この宇宙を支配し給う、神を賛美しているかのように聖霊の風が吹いているのです。

 然し、この小さな庭にも、いろいろの困難が生じることがあります。 私の判断ミスによって、水の嫌いな植物に水をやり過ぎて苦しめたり、またある時は有機肥料をやり過ぎて、苦しめて、とうとう枯らしてしまったり、合わない土に植えてしまって育たなかったりといろいろあります。私は整然とした庭よりも多種類の花木がお隣さんとして共に生きている様な雑然とした庭が好きです。そのため欲ばって、あれもこれも植えてしまったために成長につれてきゅうくつになって、場所を替えて、移植させられることもあります。植物から見たら私は悪い主だと思います。

 南国沖縄の代表的な花は何と言ってもハイビスカスとブーゲンビレアです。ハイビスカスは多種類ありますが、私は清楚で涼し気な、一重の白いハイビスカスが一番好きです。庭には沢山の感動があります。

「ほら、咲いたよ、きれいだね」と言っても、「うん、そうだね」と感動してくれないと、がっかりします。花に無関心だなんて、淋しすぎると私は思うのですが

 花木にとって最大の試練は台風直撃です。昨年は三つの台風に襲われて、大切に育てていた花木が根こそぎやられて、死んでしまいました。真紅の大輪の花を咲かせていたふようの木も枯れてしまい、ヨブの御言葉のようには再生しませんでした。同じものを捜しても、見つからないので、写真を眺めては、もう一度と願い続けています。

 台風から助けるために、台風対策として枝葉を思いきって切り落として風当たりを小さくして木を助けてあげるようにします。根っこさえ助かれば、やがて必ず新芽が出てくるからです。

 もう完全に死んで枯れてしまったとばかり思っていた木から半年以上も経ってから新芽が出て育っているのを発見した時の感動は忘れられません。こんな小さな庭にも神の愛は溢れています。か弱い花木たちはその試練に満ちた生命の営みの中で精一杯生きて、神様に装って頂いた美しい姿のままに喜んで神を讃美しています。花木たちは神様の言葉を語りかけてくれます。

「むさぼるな、貪欲を捨てよ、分かち合って生きよ、わたしはあなたがたを祝福しています。必要なものは、すべて満ちています。」

 私は、小さな庭の主としては失格者ですが、イエスさまは「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ伝十・11)と、羊飼いなる神は私達の声を聞かれ、慈しみは守っていて下さいます。

 小さな私の庭はイエスさまの愛を語ってくれるのです。

(沖縄県)

 


 

聖書との出会い

                      I.E

  ーわたしは道であり、真理であり、命であるー

                 (ヨハネ福音書十四章六節)

 聖書という特別な書物。開かれるのを何十年も待っていてくれたのは、学生時代最後の日にもらった紅い表紙。もう一冊は函館出身の友人から貰った黒表紙。あとの一冊は古本屋で買い求めた。この三冊、書棚の一番上に置いていた。再び開かれる時が来るかどうかもわからなかったあの頃。

 以来、年月が経つにつれ、表紙にうっすらと積もっていった白いほこり。それに比例するようにわたしの魂も、どこかほこりっぽくなっていったのかもしれない。人生という、手がかりのない大きな渦のなかで、もう一人の自分がいつも叫んでいた。この道は、何かがちがう、と。

 そのような状態を、ダンテは「暗い森の中にさ迷い込んだ」と言い、またパウロもそれを「死んだような」と言ったのかもしれない。人は、神を知らされなければ、何のために生きるか、どう生きればいいのかもわからず、この世の渦に巻き込まれ、道を見失うか、眠り込んでしまうしかないのだろう。その頃の自分もちょうどその状態だったにちがいない。イエス様は、飼い主のない群衆の魂を見て、内臓が痛まれるほどであったと言われている。その状態がどのようなものかよく知っておられたのであろう。今も、いじめや原発問題などの根底にある心の深いところでの多くが病んでいる。人は神から離れては何の解決方法をも知らない。そして「わたしは病人と罪びとのために来た」というイエス様の言葉を思う。

 だが、神は「時を定める」と聖書に言う。わたしも自分にとって適切な時に聖書に導かれたのだった。

 それは「時」の操り糸を握る神さまにしかできない絶妙のわざだったにちがいない。偶然や、事の成り行きを装いながらも、その時その方法でなければ、見えない世界に心開くことはできなかったのだろう。人生の夕ぐれに近づいたころだったが、美しい神の時でもあったことを感じる。

 「荒野の四十年」というが、個人的にも長い旅程を、不思議な(霊的)欠乏感として、いつも同じ方向を指す目に見えない時計の針のように、何かを求めさせられていたことを思う。  ちょうど西暦二〇〇〇年、聖書が今度は本当に紐解かれていた。与えられた聖書の解き明かしの機会によって次第に、長いあいだ謎であったことが一つずつ解明されていくことに、驚きを感じた。人が生きる意味、「死後」のことや、それにまつわる数々の問いにも、予想以上の答えが準備されていた。新しい世界が火花を散らしながら現れると感じたこともあった。闇の中に「光あれ」と言えばひかりがあった(創世記)、とはこのようなことをも言うのだろうか。

 それまでに聖書に接する機会も幾度かあった。だが心底納得できる答えは与えられなかった。他の本などを通しても、核心の周辺をぐるりと回るだけ、的外れだ、と思うことが多かった。

 だがそういったことも、悪いとばかりは言えなかったのかもしれない。それがなければ真理に飢え渇くことも知らなかっただろう。

 あるとき、聖書の中からイエス様の目がじっと見つめているような気がした。そのまなざしは内臓の底まで射抜くようで、宇宙の果ての果てまで見抜くまなざしに出会い、これでやっと本当の自分に帰れる、とほっとした感じがあった。聖書の深い、その底深い光を放つまなざし、そこに欠乏や欠落の淵を危うく辿り来た、飽きるほど長い時間のすべての応えがある、と思わされ、畏れと同時に深い喜びと安堵を覚えた。

 その眼は、真実に生きよ、その道を教える、と言っているように思えた。眠っている魂を呼び覚まし、魂の内に明かりを灯すもの。人生の贈り物であり、深い愛の光でもあったことを、この世の旅の道々に、形を変えて思わされる今を感謝したい。

 待ち望むことは、待ち望ませられること、待ち続けさせられること、ということだろうか。自分で志してできるようなことでもない。たしかに、努力といったものもほとんど苦手な自分には不可能な世界だ。若いころ、この特別な書物を、勝手に読んだり興味半分に覗いたりしてはいけないものだと思い込んでいたことは、それほど間違ってもいなかったのかもしれない。なぜか背後の大きな力を思う。

 

 

 

不思議とこのまま

どこかへ連れ去られそうな夜

 

天と地を造られた方を思って

  ねむる

夜はくらく

夜はくらく

みずおと

(かい)の音

 

わたしは一つの舟

水先に

招きみちびく一つの星

 

(徳島市)


 

 

短歌                I.M

 

・ ハレルヤという美容室見つけたり

     主に沿う人であるように願う

  

・ 暗闇の世界に入りこんだとき

    光はここに聖書の中にある

 

汚れたる心も見あげれば

   無限の愛で慰めくれたり

 

足らないと不満を言うより主の恵み

   数えて感謝の心となりぬ

 

神様にニカワのようにしっかりと

   くっついて日々生きてゆきたし

 

迫害の歴史の中にみことばは

   ずっと守まれ今の我がいる

徳島市

 

 


ぎんなんと私

                       I.T

 空ら煎りした、ぎんなんを、キッチンばさみの取手の山に合わせ、一粒づつつぶして食べる。その作業をくり返している時、「ぎんなんの殻こんなに堅いのに、どうやってあの柔らかい芽が出るのかなー」

 

「一粒の麦、地に落ちて死なずばただ一つのみ、だが死ねば多くの実を結ぶ」と。(ヨハネ十二の二十四)

 そうか地に落ち枯葉が積もり、雨露で殻が腐る。丁度そこに芽がでる。でもそのタイミングがはずれると駄目、何かに踏まれてもアウト、一本の木と命の尊さを思った。

 

 私の家の近くの新橋浜通りは銀杏並木、信号の所、二本だけ実を成らせる、私が通る時は、台車や人につぶされている。

 人は無駄なことはしたくないのに、でも銀杏は毎年、その時朝になると必ず実を結ぶ、惜し気もなく散らしている。

 

 私は誰かが誰かに渡すために置かれていた、キリスト教のトラクト(伝道用の小印刷物)を盗み読み、救いに導かれた。だから折にふれ祈りつつお家のポストにトラクトを入れる。

 蒔くのは私の仕事、用いられるのは、主よあなたですから。と。

 それに私の殻も堅い。自分では割ることが、どうしてもできない、でもイエスさまが、おいでとおっしゃる時は、イエスさまの方で上手に割ってくださる。だから大丈夫と今日も生かされている事に感謝している私です。やっぱりぎんなんと私似てますね。

 

恵みのひととき

 台風が去ったあと、避難させていった、植木たちを外に出し水をあげた。市の高齢者住宅に移って五年、夜露も夜風も通さず、日当たりも良くないベランダで、多くの植物を枯らせた。でもそんな中にも育ってくれるのもあり、夏の水やりは、朝夕の日課、「この植木たちも、私が元気なうちよねーといいつつ。」その時、「私が生きているので、あなたがたも生きることになる」(ヨハネ十四の十九)というみ言葉を思いだした。

 サマリヤの泉のほとり、イエス様と婦人との会話を今一度病床で思い出し、御言葉の深さを味わい慰めをいただいた。庭の草木たちは、私の水やりを待っている。イエスさまは、私が水を飲みに行くのを待っていてくださる。ハレルヤ!。

(横浜市)

 


 

「おかれた所で咲きなさい」

                                                       O.S

「おかれた所で咲きなさい」は、シスター渡辺和子氏のベストセラー書の題名です。わかりやすく読みやすい文章で、一気に読めます。

 幾つになっても自分の存在についての疑問がつきまとい、心を騒がせ、気持ちの落ちる時があります。そんな日は、喜びも無くうかない顔をして家族にも友達にも心配をかけてしまうでしょう。

 そんな暗い気持ちから抜け出すために、主の前に跪いて静まるのです。静思の時、蔵王の山道で咲く可憐な姿のこまくさが1輪ポツンと咲く姿を想います。           (札幌市)

 


 

絵筆つれづれ

                      O.K

主イエスの受難を描こうと制作にとりかかった。鞭打たれた背中を両面いっぱいに描くつもりである。仕事は順調に進んで、背中、両腕、茨冠とできていった。しかし、ある時からピタリと筆が止まってしまった。鞭による傷痕と血が描けないのだ。他の作品を描きながらも、画室の中で二週間くらい主イエスの背中ばかりを見続けていた。

 ある雨の朝、顔を洗っていたら、突然、今日は描けそうな予感がした。胸のなかに意欲が満ちているのだ。聖霊が働いたのか、二週間という時間が必要だったのか、未だに分からない。画室に飛び込んで、一気に描いた。

 

地元で署名な老画家と歓談する機会があった。私が聖書をテーマに制作していることを知っておられたようで、画家とテーマ、という話題になった。

 老画家は「信仰をもって聖書を描くにしても、日本の社会には受け入れられないのではないか。聖書を直接表現するのではなく、間接的な表現にしてみてはどうか。りんごを描いても信仰は表現できるはずだ。」と、言われる。

 なるほど、作品を商品として制作するならば、それは、そうかもしれないが、私の場合は違うのだ。罪を赦され、救われたのだ。歓びであり、感謝なのだ。神の言葉を絵によって表現したいのだ。愚作であっても神への応答としての制作なのである。売れる売れないなどは問題ではない。一生涯、神に感謝し続けるのだ。それが、聖書を描き続ける理由である。

 

踊り子や婦人像で有名な小磯良平画伯はキリスト者であった。文化勲章を受章した画家でもある。しかし、第二次大戦時には軍部に協力、従軍画家として、戦地に赴き、国民の戦意高揚のため、数々の戦争画を描いた。一説によると、画家としての技量の落ちることを恐れ、画材の安定した配給がほしかったために、協力したとか。

 戦後、たしかに小磯良平氏は画家としての業績を認められ、国家より栄誉を受けた。しかし、信仰者としてはどうだったのだろうか。自分の中に悔悟の気持ちは、残らなかったのだろうか。

 私も主イエスに従う者として、時代をしっかり見つめ、悔いの残らぬ信仰生活と創作活動を送らねばならない。

 

主イエスに救われる前の二十代の頃、ゴッホが好きだった。彼の純粋な生き方と、純粋な絵が好きだった。その中でも「星月夜」が特に気に入っていた。揺らめき地面から立ち上がる糸杉、渦巻き流れる星の数々、遠くには教会らしい建物も描いてある。ゴッホは眠れぬ夜、直接、現場で描いたのだろうか。

ある日、植物図鑑を見ていたら、糸杉のことが書いてあった。糸杉は墓地の場所を示すために植えるという。ゴッホは死期を予感していたのだろうか。

 二十五歳のゴッホは炭鉱町の牧師となり、翌年、ガス爆発事故、続いてストライキが起こった。彼は多くの死人やけが人のために自分のもっているものをすべて与えた。病人につきそい看病した。そして、過労で倒れた。 しかし、この献身的な働きにたいして、地方委員会は「我が身をあまりにも粗末にしすぎる。行き過ぎである」としてゴッホの伝道を禁止してしまった。彼は牧師達の偽善に絶望し、画家となった。

「糸杉はいつもわたしの頭の中にある。その線と輪郭のうつくしさはオベリスクにおとらない。」と、テオヘの手紙に書いている。

 

O「朝から晩まで、よくも飽きずに、絵を描けますね」と人に言われる。が、一日中、絵を描いているわけではない。絵を描くためには、いろいろ準備がいる。キャンバスに絵を描ける状態にするまでも時間がかかる。藤田嗣治画伯は木枠からキャンバス布地まで手作りで、地塗も完成の絵に合った独特の下地を工夫し、平滑にするためカミソリの刃で徹底的な平面にこだわったとか。その期間、二年とか三年とか。それから、制作に取り掛かったらしい。

 しかし、素人なる小生でも準備のための時間はかかる。そして、一枚の作品の完成までには長い工程がある。画室には素のままのキャンバスから、ファンデーションホワイトを塗ったキャンバス、下塗りを終わったもの、下絵を描いたもの、色彩を重ねたもの、仕上げに入った絵までが雑然と置かれてある。

 最も時間を要するのは、聖書のどの個所を描くのか。主題と構図を決めるまでが、制作の七、八割を占める。白く塗ったキャンバスをまえに、上よりの御導きを祈る。一日はアッと言う間に過ぎてゆく。

 

ある集会に絵の展示を要望されたので、十点ほどの作品を送った。集会が終わり、絵が返送されてきた。その中に集会参加者の感想アンケートがあり、読ませていただいた。

「これは信仰の本幹ではなく、信仰の末枝である」と、いう文章があった。他の感想文と違っていたので、印象に残った。この感想文は絵にたいする感想ではなく、私の行為にたいして感想を書いておられる、と思った。聖書の研究者だろうか、宗教教育家だろうか、または、独立伝道をしている人だろうか、と想像してみた。きっと、信仰の本流を歩まれている人に違いない。

 わたしは主イエスの十字架を示され、神の憐れみをいただいた罪人の一人にすぎない人間である。ただ、ただ十字架の主を仰いで、この道を歩んで行くしかない。主よ導きたまえ。

 

若い時は完成した絵にサインを入れるのにわくわくした。いろいろな作家のサインを研究し、画面の右上とか、絵の中央にいれて面白がっていた。しかし、主イエスに救われて聖書をテーマに描くようになってからは、絵のサインは大した意味をもたなくなった。一時期はあえてサインをしない時期も二年位あった。が、展示や修復の時など所蔵者に迷惑をかけることになるので、入れることにした。

 フルネームを書いていた時期もあったが、いまは、魚マーク・OKADA・2013と書いている。主にすくわれた・岡田・二〇一三年制作という意味である。

 グループ展などで、絵よりもサインに力の入った作品を時々見かけることがあるが、思わずクスリと微笑んでしまう。昔の自分をみているようで。サインよりも福音が日本の社会に広がってゆくことを願っている。

 聖書の言葉を胸に今日もキャンバスに向かう。

(釧路市)

 


 

私の信仰生活

                                                 O.T

 ガラテヤ書一章から六章まで朝、四句選び書くことが日課です。月に二回午後から妻の仕事場で集まりをしています。 四、五名の集まりですが、今度はガラテヤ書全部を繰り広げます。私のやり方です。

 一日、一日が新しく創造されるとイザヤ六五章、夕拝の吉村さん(徳島聖書キリスト集会)の聖書講話CD(MP3)を聞く日曜日。ガラテヤ書六章15節の今朝の聖句に割礼の有無が問題でなく、大切なのは新しく創造されることですとイザヤと同じみ言葉が書かれてありました。

 日毎に新しい時が造られる。イエス・キリストの言葉によって喜び、楽しみ100歳までも生きる。主の日、明日もあさっても主による楽しい時を迎え送る。この世の信仰生活。 パウロも目が悪かったのか「こんな大きな字で書いている」とある。私も毎朝筆で書いて喜びを噛みしめています。

 今日は甥のこの世の卒業式があった。三日前まで元気であったのに血栓で亡くなったという。昨年私も脳梗塞で二週間入院した。幸い軽く済んだ。人の世のはかなさを身にしみた思いです。

 ガラテヤ書の大事は、律法と福音です。ユダヤ人とキリストです。

 今朝の日記からです。

 ユダヤ人の割礼を異邦人に強いた彼らクリスチャンは神殿の教えを恐れたのです。大祭司、長老、パリサイ人の権威を恐れたのです。自分たちが良く思われたい世の肉による実を求めた。パウロは「たとえ誰であれ使徒であれ、ユダヤの者であれ裁きを受けると」言い、怒っているのです。ガラテヤ書で重要な事は律法をどこまで正しい教えとするかです。マタイでも五章山上の説教の続きに、イエスの言葉として書かれています。イエスは律法の完成を目指すのです。

 ルカでは律法は洗礼者ヨハネの時までです。律法によっては義とされなかった。ガラテヤ二章ではペテロの行動、異邦人と共に食事をしなくなった。パウロはその事をとがめた。イエスもパリサイ人の欺瞞を叱った。律法の故に、正しい行動がむしばまれて真理から離れた行動、生きた新しい教え、キリストから離れ、肉に付く者となるなら霊に反し肉の者となる。キリストの愛から離れず、大切な事はその愛の内に居る事です。

 その報いは霊を賜り霊は義の実を結ぶ。兄弟を助け、互いにその罪を負い、憐れみあう新しい掟を受けて、イエス・キリストによる律法の完成を目指し自分を買いかぶらずに自分の責任を果たす。自分の蒔いたものを刈り取れとも教えています。信仰による兄弟となった家族を大切にするように。

 ローマ書七章が一番律法に対して詳しく書かれています。律法はモーセから始まって旧約の出エジプト二十章から二二、二三章、レビ記、民数記、申命記と律法の始まり。イエスの時代は神殿信仰が欺瞞に満ちていました。イエスを神の子と認めず、十字架に渡した。律法はなんの役にも立たなかった。その仇(あだ)となり神はその子キリストを持って神の義を示された。

 全世界の民を救い贖われたキリストの福音を信じ、天の国で大いなる者とされる希望を持ちましょう。天の国でより小さい者とされないように新しい日々を願い求めて生きましょう。

広島県

 

 


 

心に残る聖書の言葉から    O.N

 

 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。 わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。

 あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。」

              (ヨハネ福音書十四・2324

板野郡

 


 

神さまの恵みの中で生かされる日々の感謝と喜び

尾関 純子

 

 厳しい暑さの続いた夏の季節もようやく過ぎて、心地よい秋の季節がやっと訪れてきました。異常気象だけでなく、あちこちで大変な災害が起こりました。人が生きるに難い世の中になってきたのかなあ、と考えながら時には神さまのご隣在すら忘れてしまいそうな日々でした。

 それでも朝は早く起きて、聖書に学び、心静かにお祈りをしていると、心の憂さも静まり、いつしか神さまの愛と平安に包まれて安らぎを与えられるのでした。

 そのあと外に出て、携帯電話に歩数計の設定を確かめて毎日一時間ほど歩くのを日課にしております。雨降りや風の強い日はやめますが、少々膝が痛くても体の不具合の日もつづけてきました。

 もう十年ほどの日課となりました。歩いていて出会う人から声を掛けられたり、空を見上げたり。畑や田んぼを眺めてみたりの楽しいこともいっぱいにあります。そんなある日、草むらの中に蔓をのばして色づいているカラスミを見つけました。私は子供のころから何故かカラスミが嫌いでした。

 それが徳島聖書キリスト集会のホームページでカラスミの映像を見て、その素朴な美しさに心惹かれてからカラスミが忘れられなくなっていました。ですからそれを見つけたときは、何か神さまが備えてくださったような思いで一つ採って手のひらにのせてみました。表面の皮は硬そうでしたが、指で押さえてみると柔らかくてつぶれそうでした。

 そっと草むらにかえしてやりながら、こんな小さなカラスミを通して神さまは私の心を癒してくださる恵みをいただきました。毎日旧約聖書から新約聖書へと長い時間をかけて一日一章ずつ読んでいますが、旧約聖書の最初の五章は、荒野の苦難な旅路を歩んでいたユダヤの人々に何故こんなに厳しい戒律や律法を守ることが命じられていたのかと、神さまが選ばれた選民にしても余りにも事細かに書かれていることにおそれを感じます。こんなに厳しい戒律や掟は現代に通じませんし、私たちに何の益があるのだろう。この部分は飛ばして、読まないことにしたらいいのかもしれませんが、 聖書は神さまのみ言葉が書かれているから読まないわけにはいかないしと悩みながらも読んできました。でも心して読むとそこにも神さまのみ心のままに導かれ従って行った信仰者の姿のあることにきずかされました。

 榎本保郎先生は、「しかし、私たちの神は天と地とを造られた方である。天においても主でいましたもうように、地においても主でいましたもうのである。この信仰がなければだれもモーセの十戒に生きることはできない。ゆえに、この事実においても、すなわちエジブトの地、奴隷の家から導き出した者であるという言葉をもって十戒が始められているみこころである。」と書いておられますが、本当に自分に気に入らないからと言って聖書のみ言葉を読まずに通過してはいけないことを学びました。「主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝のたみとされた」。

 なんと心にしみるみ言葉かとおもいます。私はこの夏、胃カメラや頭の中の検査をしていただきました。食べたものが逆流して咽喉が痛くなったり頭をよくぶつけるからでした、たいした異常は見つかりませんでした。主治医の言葉も守りながら自分で元気に生活しなければいけないことも教えられております。

 9月から毎週土曜日の午後教会に行って韓国人の牧師先生に韓国語を教えていただいております。ハングル語は記号みたいで難しく中々理解できませんが、先生が私と一対一で優しく指導してくださるので頑張って、韓国語聖書を読めるようになれたら有難いがと願いつつおります。これからも神さまのみ言葉を学びながら神さまを喜び神さまを信じて大切に生きていたいと思います。 十月十六日記

愛知県

 


 

感謝しなさい 

                       O.E

 どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

                (Ⅰテサロニケ五・18

 今年はいろいろな試練や病いに多くあいました。その状態の中で思わされたことは今、自分が生きているのは、決して当たり前ではないということを知らされました。朝、目覚めて呼吸ができ、いろいろなものが見え、手足が自由に動き、食事がスムーズにでき、心臓が休みなく動いているというのは、健康で生かされているからこそだと思います。それも、自分の力でなく、神様の力でここまで生かされてきたかと思えば神様にいつも何かを感謝できることだと思いました。

 健康で生かされていることをはじめ、全てのことに感謝しなさいと勧められているので、どんなことがいつおこっても、障がいを持っていても(私は障がい者)万事を益としてくださる神様に望みをおき、感謝できるよう願いつつの日々でありたいです。                (中途失聴者)

板野郡

 

 


アシュレー!(いかに幸いなことか)

                       K.K

その日

本当に久しぶりに、わたしは列車に乗っていた

高松発徳島行

雨だった

列車の窓から空を見上げて 主に聴いていた

「いかに幸いなことか、主に信頼をおく人」

詩篇四十編五節のこのことばが心にあった。

けれどわたしはこのとき 悲しみと動揺があって

御言葉を受け入れることができなかった。

悲しい思いで空を見ていた

 

「信じられないのか」

小さな声を聴いた

「はい」

正直に応えた

そして天を見ていた。

 

そのとき、雨雲の向こうに 見えないけれど、広がる天体

宇宙におかれた星々と

天体を正確に動かすキリストの力が示された。

それは「完全」な力だった。

この力で、わたしはお前を守るのだと

静かな声を聴いた。

 

心の川の堰が切れ 平安があふれて流れ出してきた

アシュレー!

いかに幸いなことか 主の力を信じるということ

わたしは、この完全な力で守られている

心は喜びに満たされ 安らかな川の流れの中

ただ、感謝があふれてくる

高徳線 列車は同じように走る

雨の空

しかし、わたしの心は変えられて

喜びの線路を走っている

徳島市

 


 

平安と平和                       K.M

 

 幸せの中に居るかと思うと、突然に心の中に痛みが走って、 そんな時にいつも神様が近くにいてくださる。

 自分勝手な私です。

 家庭集会で詩篇一二二編を学びました。

 礼拝の願いとは平和を求め、平安があるようにと求めること。

 自分中心の罪が除かれますようにと学びました。

 み言葉によってこの一年も守って導いてくださいました。

 

   エルサレムの平和を求めよう。

   「あなたを愛する人々に平安があるように。」

   あなたの城壁の内に平和があるように。

   「あなたの城郭の内に平安があるように。」

   わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。

   「あなたの内に平和があるように。」

   わたしは願おう。わたしたちの神、主の家のために。

   「あなたに幸いがあるように。」

              詩篇一二二編6節~9節

(美容サロンルカ 美容師)

板野郡


 

 

私の信仰のルーツ      K.Y

 

 私がキリスト者になるもっと以前の原点のようなものがあります。四十年前まで遡ります。

 アメリカに「ブルーグラス・ミュージック」という山岳地帯の土着的な音楽があります。1945年に完成した生弦楽器の音楽です。高校一年の時にたまたま見た映画「俺達に明日はない!」のバック音楽に私は釘付けになりました。それが「ブルーグラス」でした。中学生の時から私はギターなどを演奏していました。この音楽が弾けるまで練習しようと思いました。

 ところが病気とは非情なもので、右手の薬指からマヒが始まりました。ギターなどの楽器は右手の4本の指を使います。1本でも使えなくなると一生楽器は出来ません。

 集会の講話でも聞くように、どんな優れたスポーツ選手でも怪我をすると一生台無しです。私もそうなりました。

 でも「救う神」はあるもので、数十年経って、違う生き甲斐が得られました。キリスト信仰です。楽器が弾けようが弾けまいがどっちでもいいのです。集会でギター讃美を聴くと、あたかも自分の指が動いているような感じがするのです。 CDで「ブルーグラス」を聴いていると、やっぱり指が動いているような気持ちになります。嬉しいです。演奏は出来なくても聴くだけでも充分愉しめます。

 この「ブルーグラス」の演奏家は必ずHYMN(讃美歌)を録音します。私は一般の曲よりHYMNのほうが好きでした。ここに私の信仰と音楽のルーツがあるのだと思います。あの映画を見ていなかったら、ひょっとすると原点(信仰)もなかったのかも知れません。出会うべくして出会った映画(音楽)だったような気がします。今実際には演奏は出来ませんが、もっと必要で尊いものを手に入れました。

 クリスチャンになる前から信仰の道が用意されていたのだと言えます。趣味はいっときのものですが、信仰は永遠です。なくなることはありません。

 イエス様は思わぬ方法で、ご自分に引き寄せます。こんなことを考えながら、ひとつ心の整頓が出来ました。

        BACK TO THE CROSS(十字架に帰ろう)

徳島市


 

心に残った御言葉            K.H

 

「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されことは、私に示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 (ルカ七・47

 

私の魂は黙して、ただ神に向かう。

神に私の救いはある。

神こそ、私の岩、私の救い、砦の塔。

私は決して動揺しない。(詩篇六二・2~3節)

 

 ひとつのことを神は語り、ふたつのことを私は聞いた、力は神のものであり慈しみは、私の主よ、あなたのものである、

ひとりひとりに、その業に従ってあなたは人間に報いをお与えになる、と(詩篇一二・13

 

 ほんのもう少しの辛抱だ。「光は正しい人のために現れ、喜びは心の正しい者のためにあらわれる」(詩篇九七・11)眠られぬ夜のために 第二部3月21日より

 

 今年は、主人が頭の手術をしたりしていろいろありました。

以前から頭が痛いと言っていたので自分でも検査に行ったりしていたのですがなかなか分からず、頭の硬膜に血が徐々に溜まってくるので分かりにくかったとのことでした。

 病院に行った時は意識がほとんどなく即手術でした。後で病院の先生は危ないところでした、と言っていましたが、後は後遺症もなく今は普通どうりの生活ができています。

祈りに答えてくださった神様有難うございます。

祈ってくださった方有難うございます。

このことによりいろんなことを教えてくださった神様感謝します。

 また、ヒルティの「眠られぬ夜のために」、「幸福論第三部」などからも慰められ、力をいただきました。

 沢山の良い本との出合いができたのも聖書を学んでいるからと思います。信仰の弱い、またいろんな間違いをしても、私をかえりみてくださり、愛してくださりたくさんの恵みをくださり有難うございます。全てを最善にしてくださる神様感謝します。苦しみの時もそのことを信じて歩んでいきたいと思います。

鳴門市

 

 


祈られて 守られて

                       K.M

 今年を振り返って思うことは、今まで生きてきた中で一番の大波乱の年でした。その様の真っ直中にいる時は、どうしようもない悩み苦しみでどうしていけば良いのかわからない状態でしたが、その苦難の時にでも、主はいつも側にいてくださり、涙をぬぐい、あわれんでいてくださっていました。

 「主イエスの御側に」の讃美歌を口ずさみながら、主の御翼の陰に守られ、癒され、慈しみを受け、光の方向だけを向いて、生きていく事ができました。

 高槻聖書キリスト集会の兄弟姉妹の皆様がいつも祈ってくださり、倒れそうになる時も、いつもはげましてくださっていた事が、本当に感謝でした。

 近畿集会の時は、徳島の戸川さんや綱野さんたち、たくさんの方が「ずーっと河合さんのこと、祈ってましたよ。」「こうしてまた会えて良かった。」と言ってくださった時は、私よりもっと大変な状況におられる方達が、遠く離れた地でも、私のこと、家族のことを祈っていてくださってたと知った時には、自分のことばかり神様に祈っていた自分がとても恥ずかしく、私も人の為に祈らせていただこうと思えるようになりました。

 以前に吉村さんが、祈りの友の会を新しく始めますから、河合さんも一緒に、共に祈られ祈る、「祈りの友」にどうですか?と、お声をかけていただいてたので時間は午後三時でなくても良いとの事で参加させていただきました。

 今、毎日時間を決め、祈りの友の皆様と祈り合いをさせていただいていると、祈らせていただいてる私が、主の愛を受け、たくさんのエネルギーをいただけている事に感謝と喜びでいっぱいです。この世では、いろんな試練があるけど、主イエス様はいつも、私達ひとりひとりを愛し、今も目には見えないけど、いつも側にいて守り導いてくださっている事に、本当に感謝です。

 これからもどんな事があっても大丈夫!ひとりじゃなく主が共にいてくださる。兄弟姉妹がいてくださると少しずつ辛かった涙が感謝の涙に変わっていく今日この頃です。私の出来る事から、主が喜んでくださる事をしていきたいと願っています。

高槻聖書キリスト集会

 


 

主とともにある喜び

                        K.N

「わたしはあなたを固くとらえ 地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕 わたしはあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」

               (イザヤ書四十一・9~10

 今年の夏は例年になく厳しい暑さでした。時も移り、金木犀が香り、尾花(すすき)が風に揺れ、自然は短い秋を謳歌しています。

 私は今、長男のカフェの手伝いで毎日出向いています。

 毎朝、店のある山陽電車の東垂水駅を降りると随分高台になり明石海峡が眼下に広がります。大きな空、水平線を見渡す海、淡路島、空の青と海の青が迫って来るように思えます。天候によりその表情はいつも変化します。美しいですね。

 「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。」

                   (詩篇十九・2)

 神さまの御業は大きく広く深く測り知ることが出来ません。心が清められ、本当の変わることのない平安の中で讃美と祈りが湧き溢れます。

 何一つ取り柄なく地の塵に等しいこの者を敢えて選び、わが僕と呼び、いつも聖名を呼び主を仰ぎ見る時、神さまは一緒に居てくださり、護り導き、支え、助けてくださいます。

 救われたことの喜びを感謝しつつ、一日の出発です。

 いちばん善きことは、神さまが常に側に居てくださることを知ることです。そして又多くの方々の祈りのあることも忘れず、信仰の導き手であり、これを完うしてくださる主を仰ぎ見つつ歩ませていただきたいと祈ります。(神戸市 阪神エクレシア)

 


 

今年印象に残った言葉         K.M

 

 人は何かを言う時に、その人自身の生まれた母親との関係や色々な事から出て来て、怒りばかりをもって生まれた人を前にすると怒りの言葉しか言えないのです。

 嫌味ばかりを言われて育った人は、目の前にいる人に嫌味しか言えないのです。

 甘えばかりの人は目の前の人に甘えしか言えないのです。

 だから、あなたに怒りばかり、嫌な言葉を言う人は、ああそうやって育って、それしか言えない状況にある人なのだと思って、その人を受け入れなさい。

その嫌味をただもろに自分に受け入れないで、その人がそういう育ち方をしてきて今があるのだなと受け止めなさい。

 ああ、この人はこういう事しか言えない気の毒な人なのだと受け入れて、むしろ、その人のために祈ることが出来たら、それが正しい事なのだ。(FEBCより)

東京都

 


 

集会の恵み   K.M

 

 徳島聖書キリスト集会に出会わなかったら、私はこの世に居ず死んでいたと思います。だけど、集会の皆様の教え、祈り、援助を受け元気になり早八年目が来ました。本当に感謝です。ありがとうございます。主の平和が世界の人々に有り、私もそのおこぼれに、与れますよう祈っています。

 祭壇の 十字架仰ぐ イースター

 人知れず ひたすら祈る 秋の日々

 皆受ける 恵み豊かな クリスマス

徳島市

 


 

何も見えず、聞こえない者にならないように   K.I

 

 「あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」                 (黙示録三章17)

 この聖句を読んで、健康、仕事、食事、住まいをはじめさまざまなものが与えられていると、苦しみや悲しみなどもなく満ち足りたと思うとき、漫然と毎日をすごしてしまっている。これらの恵みはすべてが神様から与えられているが、自分の力で得たもののように思い、当然のごとく使い感謝もなく過ごしていることを思わされる。

 そんなときに、人は神様に背を向け罪に対して鈍くなり、何も見えない者、聞こえない者、真理を求めない者となってしまう。順調なときにこそ、心を敏感にし霊の目をさまし、神様に目をむけることが大切であることを思わされました。

徳島市


 

悲しみよ       K.S

 

 水野源三の詩に「悲しみよ」という詩があり、その詩に阪井和夫さんが曲をつけている。先日、阪井和夫さんと浜田盟子さんが水野源三の詩の世界を歌う「美しい秋コンサート」が浦和の地で催された。この「悲しみよ」という歌は阪井さんの弾き語りで、ご自分の思いと詩人の思いを重ね合わせられるように、叫ぶように歌われる。

 その姿にあらためて深く感動した。悲しみにありがとうといった水野源三の純粋な心、またそれを自分自身の心の叫びとして歌い上げる阪井さんの姿に胸を打たれた。そこには主イエスに対する深い信仰があふれていた。。

 詩人は、また阪井さんは、自分の不自由な身の上を呪うのではなく、またセンチメンタルになっているのでもない。そこには悲しみが主イエスのみをひたすら仰ぐ信仰によって、喜びに変わる経験が現実のものであることの証言があった。

 詩人自身が、また阪井さんが、復活されて、今生きて働いてくださるイエス様の聖霊によって満たされ、父なる神の愛を知ることができた。そして自分の人生を肯定的にとらえることができた。救われた。そこで生まれた生き生きとした喜び、深い感謝がこの歌にあふれている。自分がキリストによって生かされているという実感が強く彼をとらえていなかったならば、この詩は生まれなかったであろう。

 今まで生きてきた人生の中で、味わった多くの深い悲しみは私たちの罪の意識と重なりあうことが多い。それは私たちのトラウマのひとつとなって私たちを苦しめる。それを思い出すことはつらく孤独で時には胸が張り裂けそうな思いになる。

 けれどもそのひとつひとつを自分以外に一番よく知っておられる方がいる。主イエスである。主イエスはしばしば一人で祈られた。そして十字架の上で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」とおっしゃられ、罪なき人間として死なれ、3日目に復活された。

 このように私たちの悲しみを一番よく知っておられる主イエスが、聖霊として私たちといつも共にいてくださることによって私たちは魂に深い慰めと癒しを与えられ、涙はぬぐい去られる。心に平安が与えられる。希望は失望に終わらないとの約束を信じることができる。

 この現実は言いつくせない恵み、感謝である。罪が赦され救われているのは、主イエスの十字架によってであり、それを仰いで生きることこそ今私たちに求められていると思う。このような私たちの信仰には知恵も能力も必要ではない。ただ幼子のような心でイエスの御名を呼び求めさえすればいいのだ。その時に悲しみに心からありがとうとねぎらいを言える自分を見出すことができる。

そんなことを考えて、また明日からまた生きていこうと思った。

(東京都)

 

 


 目には見えねども

                      K.T

一 目には見えねども わがそばにまして

  常に助け給う 主ぞ懐かしき

 (折り返し)

  所を備えて われを待ち給う

  君に見ゆる 日ぞ懐かしき

二 目には見えねども 御顔の光に

  常に守り給う 主ぞ懐かしき

三 目には見えねども わが手をば取りて

  常に教え給う 主ぞ懐かしき

四 目には見えねども わが行くべき道

  常に示し給う 主ぞ懐かしき    新聖歌 356

 

 この讃美は、目には見えねども、わがそばにましてと思い出します。神様はいつもそばにいてくださるんだと思い、いつも守り導いて下さっていること、それなのに心が緩み、眠っているような、ぼんやりとしていたりします。目を覚ましていないといろんな誘惑があることを思います。いつも心の中に聖霊が注がれていますようにと祈ります。

徳島市


 

 

霧の中のコオニユリ           K.E

 

 高山植物が豊富で車で行きやすい伊吹山を教友が勧めてくださっていて今年8月にやっと行ってきました。朝は雨模様でしたので山道を歩くのは難しいかなと思っていましたが、 午後には雨も上がり待望の山歩きができました。

 霧が深く、視界が悪く遠くまで見晴らせるところは少なく、霧の間に植物が見え隠れしていました。

 霧の中にすっくりと立ったコオニユリの濃い朱色の花が鮮やかに印象的でした。露を帯びた花や葉のみずみずしい色彩が霧の中にあって神秘的で際立った美しさでした。晴れの日はまた違う美しさが見えるのでしょうが霧の中に浮かび上がった花もその時でなければ見られない美しさをもって迫ってきました。 神様の創造の御手の業の素晴らしさを、ほめ称えました。

「神様のなさることはすべて時にかなって美しい」の伝道の書のみことばが思い出されました。神様のみこころのままに その時の、状況を受け入れ 精一杯に咲いている花の姿に信仰のあるべき姿を教えられます。神様のなされることは人の思いを遥かにこえてすべて最善に導かれることを信じ、感謝して委ねていきたいと思わされました。

徳島県

 


 

天地を造られた主        K.N

 

 毎朝内村鑑三の「一日一章」を読んでいます。

 今日の朝に読んだ十月四日の文章がとても心を慰めてくれました。

 今朝はなんだか心がザワザワしていましたが、一人奥の部屋でこの詩篇一二一篇と内村鑑三の言葉を読んでいると心が静かになりました。

 

十月四日の一日一章から。内村鑑三著

 「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから。

どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。」

              (詩編第一二一編一節から三節)

 私は時に私の目を挙げて援助(たすけ)を求める。ひとり心にたずねて言う、わたしの援助はどこからくるのかと。

さよう、私の援助は政府から来るのではない、教会から来るのではない、はたまた私の修養からも信仰からも来ない。

私の援助は主から来る。宇宙を造られた主から来る。

私の援助は人から来るのではない、また自己(おのれ)から来るのではない。外から来るのではない、内から来る。しかも私ではない内から来る。天地を造られて、しかも私の霊(たま)に宿られている神から来る。だから私は人に対しては独立している。

 しかし自己に依らずに他者に頼る私は強い。しかし誇ることはできない。私の援助を主に願うので、私はへりくだって強健であることができるのである。(旧約10年)

 

 自分の思うように行かなかったり、思わぬ出来事に遭遇するとすぐに心がくずおれてしまう。そんな弱い私の内に天地を造られた神様が宿られていつも支えてくださる事を知らされて、心を立て直して一日を暮らせることに深い感謝の念を抱きました。

(福岡市)

 

 


主はわたしの光、わたしの救い         K.M

 

「命のある限り、主の家に宿り主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。」(詩編二七・4)

 「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ四六・3~4)

 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ四・6~7)

 「恐れるな、わたしはあなたを購う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず 炎はあなたに燃えつかない。(イザヤ四三・1~2)―これは姉特愛の聖句。

 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」(イザヤ四三・5)

 「わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。」(イザヤ四三・11これも姉の大切にされている聖句。

 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

                     (マタイ六・34

 日夜、み言葉に力を与えられます。日頃の兄姉の心温まるお励ましや、お祈り有難うございます。第十胸椎圧迫骨折コルセットはまだ装着ですが、傷病を得て病の床にある方、傷病の身の不自由さ、痛み、辛苦のほどが解りました。

 何十年と病床にある方を思えば、私は医師に安静三ヶ月と言われてまだ半ばを過ぎたばかり、先日から孫娘の介助、送迎で週三回のリハビリが始まりました。頭が異常に重く、脳検査のMRIも控えております。心は元気です。

 主のお計らい、お恵み、お助け、これが去年であったなら大変でした。総て主のお守りの内に生かされております。お空の夫と共に、主に感謝 主にハレルヤ!です。

 身体は鈍痛あり、ですが在宅留守居の老女、目と手は動きます、吹き降った雨上がりの後「あっあそこ!」と外箒にタオル頬被りさせてガラス戸網戸掃除して満足。内へ入って「あ痛た」です。 

 早く日曜日の礼拝集会に出席できることを希望しています。普通の日常生活ができることが、どれ程幸せな事か、よーく解りました。近隣の国、遠隔の国々の人々生きとし生けるもの、仲良く 愛し合い主に感謝、主に依り頼み、主の御憐れみの内に、お互いが助け合い、心平安にと祈念します。主にハレルヤ。

徳島市

 


 

                      K.Y

 

巡りくる 季節の扉の前で

ふるさとの海の潮が

わが裡(うち)海に

遠く水脈曳き

ひたひたと満ちてくる

かもめの翼の群れが

清々と日に透き

花束をまき散らされて風に舞い

海の歌をうたう

 

ほら あんなに 海が

微笑みかけているではありませんか

愛とは何かを語りかけつつ

 

ほらあんなに 海が

悲しんでいるではありませんか

罪とは何かを語りかけつつ

 

ほら あんなに 海が

雄叫びを揚げているではありませんか

神とは何かを語りかけつつ

(東京都)

 


 

今年を振り返って              S.H

 

 今年は四月に父の三回忌法要があり、やっと落ち着いたころ 母が体調不良で入院しました。一時は言葉がはっきりしないほどになり、脳の病気などを心配しましたが 持病の薬によるものだと分かり、薬の調整だけで一ヶ月で退院できました。お盆の頃にはすっかり元気になりました。

 父の三回忌法要までは真言宗での供養をしてきましたが、その法要の手配をしているころに「もう親戚の人も高齢で来るのも大変になるから、キリスト教に変えても良いよ」と母が言ってくれました。「私の葬儀はキリスト教式でお願い。」(西條)「私までは真言宗でしてね。晴美が先ならキリスト教式は分からないから真言宗でする。」(母)というやりとりをつい最近までしていたので、私も驚きました。

 母の入院により少し延びましたが、今までのお墓の撤去や仏壇の処分なども何のトラブルもなく終えることができ、無事に九月にキリスト教霊園に移すことができました。

 母が体調不良による入院となったのは、薬の影響に加え、少なからず心の動揺があったのかもしれません。しかし無事終えることができ、神からの癒しとお導きを感謝しています。

 「亡くなった人の魂は納骨している場所にいるわけではなく、神さまのところにいます。だから亡くなった人のことを祈るのでなく、遺された人や生きて苦しんでいる人のために祈るのです。」と話してくださったことが、母は心に残っているようです。私と母、母の姉、その息子の四人で参加しました。降っていた雨もやんで、集会の兄弟姉妹とともに賛美できて感謝でした。

 私は徳島聖書キリスト集会に導かれたあとも、お盆の棚経や法要のときにはお寺へ行き、墓参りに行って線香もあげていましたが、般若心経の意味はまったく分かりませんでした。ただ祖母や両親がずっとしてきたことを、形式的にしていただけでした。

 父の葬儀のときにも、「キリスト教式でしたい」と言えませんでした。トラブルになるのが嫌で、自分から宗教を変えるとは言い出せずにいました。二年遅くなりましたが、移すことが出来てやっと安心できました。(母方の)祖父母と妹と父の四人の魂がいまは主の許に導かれ、私と母を待ってくれていることと思います。

 今回、父方の親戚や夫の両親に「四人のお骨をキリスト教霊園に移し、今後はキリスト教式でしていきます」と連絡したときに、キリスト教の集会に十年前から参加して信仰をもっていると伝えることが出来ました。このことをきっかけとしてチンプンカンプンなお経でなく、私の学んでいる御言葉を伝えていくことが出来ればと思います。

 

 納骨式で賛美した「きよき岸辺に」(新聖歌五一八番)の三節が心に残りました。

 

 親はわが子に 友は友に

 妹背あい会う 父の御許

 雲はあとなく 霧は消え果て

 同じ御姿 共に映さん

 やがて会いなん

 愛でにし者と やがて会いなん

 

 私の妹は、母の二人めの娘として、私の四歳違いのたったひとりの妹として、地上でいっしょにいるときは八ヶ月と短かったけれど、御国で再会でき こんどは永遠に一緒にいられることを思いながら賛美しました。                                                                    (主婦)

徳島市

 

 


生きるとはどういうことか   S.Y

 

 いのちの水誌十月号を読んで、特に心に残っていること。

「心の貧しい人たちは幸いである。なぜなら神の国はその人たちのものである。」(マタイ五・3)

 心の貧しいとは心に何ら誇るものがないこと。自分は本当に何も持っていない、力がないという実感が心貧しいこと。聖書はその心貧しさから神を仰ぐ時、そこに命そのものである、神の国(愛や力、真実など)を与えられる。生きるとは心の貧しさを絶えず保ち、そこから神を仰ぐこと。

 そして十字架こそが生きる道である。人は正しい道が歩けない。ただ十字架によってのみ、罪を取り除かれていくそこに生きる道がある。

 自分がいかに罪深く取るに足りない者かを深く自覚して、神様を仰ぐことがいかに大切か。神様は砕かれた心に来て下さる。たえず聖霊を注がれ、目をさまして歩んで行きたいと願います。

徳島市

 


 

ある時           S.H

 

 お人好しで一見どうにでもなりそうな私、真実の生きたいという願いは持っていても、どうにもならない自分を持て余していた。

 真実の道はほど遠い所にあるように思えた。

 その後、様々な苦労や試練がある毎に、私自身の身にまとっている余計なものが一枚一枚はがされていった。そうしてついには私を囲っていた鎧が全部取り外され裸の私だけになってしまった。追い詰められ、逃げ場のなくなった時、「負けてなるものか」と反骨の精神がムラムラと湧き起こってきた。この精神に私自身が驚いた。これが私の本性だと思った。

 ある時、重い石が私の頭上に覆い被さり、ぐずぐずしているとどんどん地中に埋め込まれそうになった。なぜかその時思った。すべてを神様に委ねてしまえば私という人間は無くなってしまうのではないか、と。モタモタしているとまたもや石の重みは増してくる。

 私は私だ。とまだ我を張っていた。ついに石の重みに耐えられなくなった時、「神様、すみませんでした。何の値打ちもないこんなつまらない者が我を張ってしまい申し訳ありませんでした。お赦し下さい。すべてお任せします」と謝ったその時、あの重い石はファーッとどこかへ飛んでいってしまった。

 すると身も心も何と軽やかになった事か。周囲の景色までもが明るく見え出した。長年苦しんできた本音と建て前の二重の生き方が表裏一体となった瞬間でもある。後で示された事だが、あの重い石は私の罪であったのだ。心の中の風通し良くなった。私も無くなってはいない。神様からの距離が遠い存在でなくなり、神様、イエス様と親しく呼ぶ事ができる、祈る事ができるようにされたのだ。これ等の事は長年もがいてきた私に道を切り開き、人や環境、様々な事を通して、御心のあるところへと導いて下さった神様に、平安をも与えられ感謝している昨今である。

          徳島県

 


 

とりなしの信仰           S.Y

 

 近年は、夜半に目覚めると、眠いのに寝付かれなくなってしまいます。その時は、恵みの時と思いあの方、この方と名前をあげて、その方への神様・キリスト様の祝福やお導きをお祈りします。一時間もすれば眠ることが出来ます。

 今年の初めから途切れつつではありますが、聖書の通読を目標に創世記から読み始めました。そんな事もあって創世記を、少しずつ学んでおりました。この度「神の美しい世界」創世記一~一一章による説教(松本敏之著)に出会いました。

 以下は、この著書からの抜粋です。

  神の心の痛み

「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」(創六・7)

 人間の悪は、神に創造主としての業さえも「後悔させ、心を痛ませる」ほどに重いものということだと思います。そのようにして、大洪水を起こされるのです。(一九五頁)

 心に留める神

 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。(創六・9)

 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造った。(ヘブライ一一・7)

  裁きと救い

 この物語は「洪水をもって世界を裁く」という神様の厳しい面を伝えています。しかし裁きだけではなく、救いについても語っています。そかもそれは義人ノアの救いだけではありませんでした。ノアの信仰が認められ、ノアは神様によって御心に留められ、救いにいたりましたが、そのときノアの家族も御心に留められ、救われました。(頁二〇六)

 私は、使徒言行録一六章に記されている言葉を思い起こします。パウロとシラスが牢獄に捕らえられていたときに、大地震が起こり、その牢の扉が全部開いてしまいました。看守は囚人たちがみんな逃げてしまったに違いないと思い込んで、剣を抜いて自殺しようとします。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」と叫びます。看守は恐れおののきながら、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と尋ねるのです。そこでパウロとシラスは、有名な言葉を語りました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒一六・31

 「あやかって」という言葉があります。看守の信仰にあやかって、看守の家族も救われるということでしょう。ノアの場合もそうでした。ノアの信仰が認められたときに、ノアにあやかって、ノアの家族も救われたのです。私たちの家族は、みんながみんな信仰をもっているわけではないかもしれません。それでも私たちが主イエスを信じ、それにつながるときに、家族全体が救いの中に入れられるということであります。「とりなしの信仰」は、裏切られないのです。(頁二〇七)

 以上が、「神の美しい世界」からの抜粋です。

 この著書を読み終えて私は、非常な慰めと励ましを受けました。他者の為に、心込めて祈ろう。神様の御手の中で信仰をはぐくみ、御心にかなうものとして、生きていきたいと思います。

     山形県

 


 

キリストに生きる    

                      S.E

「野の花」文集に初めて投稿させていただきます。私は無教会には属していませんが、2012年から時々集会に参加する恵みにあずかっているもので、日本キリスト教団松山番町教会の平信徒です。

 2001年のクリスマスに在日韓国人が牧会する教会で「水の洗礼」を受けました。爾来10年以上、私は「日曜だけのクリスチャン」「神様中心のクリスチャンというよりも自分中心のワタクシチャン」であったように思います。

 無教会を知ってから、祈りと聖書により「キリストに生きる」スタート地点にようやく立てたという実感をもって、インターネットのホームページから、毎日、徳島聖書キリスト集会の聖書講話を聴いています。これこそ神様が時宜に適って与えて下さった恵みであると感謝しています。

 私は今年四三歳になりますが、最近特に二つのことを思わされます。

自分でやろうと思うな。必要ならイエス・キリスト様がやってくれる。

②どんなことにも神の存在をみつけよ。神は常に私たちにささやいておられる。最近二十年来の友人とちょっとしたことで喧嘩になり、絶交されてしまうということがありました。夫婦関係でもそうですが、人間の愛、情なんていうものは、本当にもろいものです。吉村さんの講話でもたびたび言われているように神様の愛、神様の真実だけが本物であるということを痛感させられました。

 人間の持つ真実とか愛、正義感等々など、神様のそれに比べれば、みな影のようなものです。人間関係で悩む人が多いですが(私もそうですが)、もしかするとそれは人間との関係に重きを置きすぎるからではないかと思います。

 神様との関係に重きを置けば、神様がおのずと道を整えてくださる。そう信じて生きていけばもっと楽に生きられるのではないかと。実体のない「自分」と「他人」、この両者は常に変化をします。

 神様はそれに比べて変わらないお方です。岩なる存在です。この神様が実体のない自分の中にお住みになってくださるならば、周りの状況がいかに絶望的であろうとも、振り回されることがない、ブレることがないですね。

 変化する人々と変わることのない神様、だからこそ、神様へと心をいやおうなく向けさせられるので、それも恵みです。本当はこういうことを小さい頃から教えてもらうことが大事なのではないかと思いますが既存の教会や現在の学校教育を通してでは難しいですね。

 無教会に出会って吉村さんの講話をインターネットで毎日聴き、聖書を毎日開き、神の言葉を聞く、この「地道な毎日の積み重ね」が信仰生活に不可欠なのだと最近つくづく感じています。ただ信じるだけでよい、神様とつながってさえいれば良い実りを与えていただける、この単純な真理に気付かずに、ああでもないこうでもないと自分で計画を立て、悩む。人間は本当に愚かなものです。まず、神の国と神の義を求める。そうすれば他のものは「加えて」与えられるのですから。

                愛媛県松山市


 

 

「祈り」      S.Y

 

「あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。では、そのころ、どんな実りがありましたか。

 あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。

 行き着くところは、永遠の命です。」

            (ローマ人への手紙六の20-22

自分はどんな実を結んできたのだろう?

主よ、憐れんでください。

主のみ心を慕い求める者としてください。

                高槻聖書キリスト集会


 

 

  詩篇三四篇を学んで感じた事        S.M

 

 何年か前に この詩を教えて頂いてから、心が折れそうになった時に何度も繰り返し読んで励まされてきました。特に16節、20節、21節は不安と恐れとで心が揺れた時、何度点字の聖書を開いて読んだことでしょうか。神様は叫び求める人の声を聞いて救い出して下さることを確信して、安心して聖書を閉じる、そんな御言葉を幾つも与えられていることの幸いを思います。

 最近ある家庭集会で、またこの三十四篇を教えて頂いて新たに深い恵みを頂きました。それは6節の御言葉です。「主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。」 この文の後半の直訳は「彼らの顔は決してはずかしめられない」ということであり、単に 恥を受けないということでなく、その前後から類推できるように、滅びに至ることがないという意味をもっていると教えて頂きました。 

 主を信じて仰ぎ見る人は、その光を受けて輝き、滅びることはないことを、詩篇の他の箇所を幾つも上げて教えて頂きました。二十五篇2節「どうか、わたしが恥を受けることのないように」3節「あなたに望みをおく者はだれも決して恥を受けることはありません。」また三十一篇2節「主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によってわたしを助けてください。」 

 このように詩篇には「恥」という言葉が沢山用いられていますが「滅びる」という言葉に置き換えて読むと、神様は従う人を滅ぼすような事は絶対になさらないと約束して下さっているという事がよく分かりました。

 9節も心に残りました。「味わい、見よ。主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。」 いつも祈って霊的な目を覚まして頂いて、全身で神様の恵みを感じて感謝して歩んで行きたいと思います。

 最後に、この詩篇三十四篇から、これまでに繰り返し読んで力を頂いた御言葉を書きます。

16節「主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。」

20節「主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し」21節「骨の一本も損なわれることのないように、彼を守ってくださる。                 (鍼師)

徳島市

 


苦しみの中で

S.K

 

 信仰に苦難はつきものだという。しかし、苦難に直面した時、どれだけの人が、ヨブのように、「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」といえるだろうか。ヨブと違って、多くの人は、幸福なときは、それを当たり前として受け取っていて、感謝の念が薄いのではないだろうか。そんな人たちが不幸時に、与えられた不幸を感謝しますと、素直に受けられるだろうか。私にはできない。

 私は、目標としていた道がふさがれ、幾年もの間、いくら努力してもその道は開かなった。もがき苦しむ中で、もしかしたら神は私に違う道を用意してくださっているのかもしれないと思い、とにかく目の前にあることをコツコツやっていこうと決めた。ところが、いつまで経っても、暗闇の中を手探りで歩いている状態が続き、先が見えてこなかった。

 そんな状態の時、ある伝道者に、甘えから愚痴り、神への恨み言を述べた。すると、その原因はあなた自身にあると思う、と突き放されて愕然とした。思わず、何でそう言うことが言えるのですか、あなたは私の表面しか知らないでしょう、と言い返したくなったが、彼に嫌われている、と感じた私は、口も心も閉ざしてしまった。

 私にしてみたら、信仰の深い人だから、大丈夫、あなたの努力はいつか報われるでしょう、神はすべてを益としてくださるのですから、というような慰めと励ましを期待していたのだ。それなのに、ヨブを見舞った親友たちにヨブが、どうしてこんなひどい目に遭うのか、と嘆くと、その原因はあなたにある、と言ったと同じような答えが返ってきたのだ。伝道者といえども人間。好き嫌いはあるものだ。愚痴る相手を間違っていたと反省した。

 長年の努力が報われず、また人間関係のもつれもあって、ストレスがたまってしまったせいか、一年前から体調不良に襲われるようになった。精神ばかりか肉体的苦痛までもたらされて、一体神は私をどこに導こうとしているのか、とますます訳が分からなくなっていった。導かれていく先が分かれば、その苦しみにも耐えていける。しかし、与えられた苦しみの理由も目的も分からないと、苦しいばかりだった。

 これは神が与えた試練であり修業なのだ、と思うようにした。私の傲慢さをくじき、謙遜にさせるためなのだ。神により近づけるため、自分の力を頼まずに、神にすべてを任せようとする気持ちを作るために、信仰を強めるために、神が与えている試練なのだ、と自分で理由づけをした。そうすると、幾らか気分は楽になった。

 鬱々としていたそんなある時、神が私に苦しみを与えているということは、神が私に関心を示している証拠ではないか、とふと思った。私の上に置かれた神の手は重すぎるが、視点を変えれば、神がいつも共にいてくださっているとも解釈できるのだ。その視点の変換は、気持ちをかなり楽にしてくれた。

 体調不良は続き、良くなったり悪くなったりを繰り返していた。症状から私なりに判断したのは、末期でもう駄目かもしれない、というもので、病院行きを先延ばしにしていた。

 死んだら私は天国に行けるだろうか、と思った。イエス様を救い主と信じていれば天国に入れるというが、そんな簡単なことで? と信じ切れなかった。疑い深く、素直でないのだ。それでいて、私がもし地獄に落ちても、イエス様がきっと地獄までおりてきて私を救い出してくれるだろう、という確信めいたものを持っていた。全く矛盾している。

 やがて、体調が最悪となって、やむなく病院へ。かなりひどい状態だったが、手術は免れた。

 それから二ヶ月半経ったこの一週間は、薬の副作用から、周期的に襲ってくる痛みに七転八倒していた。痛みの中で、神よ、神よ、この苦しみはいつまで続くのですか、と嘆きを訴えるばかりだった。

 苦しみの中で、三浦綾子さんは晩年、病気に次々と襲われて、私は神様にとても愛されていると感じる、と言っていたなあ。ある信仰の先達は、横になっているのも痛くて苦しい中にありながらも、イエス様の体験した苦しさ、痛みを思えばなんてことはない、と気丈だったなあ、などと思い出して、耐える糧にしようとした。しかし、激痛に襲われると、私は彼らみたいに強くない、神様助けて、痛みを除いて、と呻くばかりだった。

 やがて痛みも次第におさまってきた。すると、気づいたのだ。痛みの苦しみの中で私は神を必死に求めていたが、痛みが薄らいでくると、神へ感謝はするが、神へ向き合う度合いはかなり軽いものになっていると。手術を免れたときも、ああ、ありがたい、と感謝しながらも、心底からの深い感謝はしていなかった。苦しいときの神頼みだった。全くいい加減な男だ。

 旧約聖書を学んでいると、人間の身勝手、自己中心ばかりが目立ち、あきれるばかりであり、神はよくもそんな人間に我慢しているものだ、と神の寛大さ、慈愛を教えられるが、彼らにあきれ返っている私自身も彼らと同じだったと気づいた。

 こんな愚かでダメ人間な私であるが、見捨てずに、手を離さず、導いてください、と神にすがりつくだけである。

 そして私は今思っている。自分の思い通りの人生を送れなくて、神に、どうして、と嘆くのは、粘土が陶工に、あなたの作ったものに取っ手がない、と苦情を呈するようなものではないか、と。自分の予期したような人生を送れず、「負け犬」の人生を送って死んでいこうとも、その先にはイエス様が待ってくれているのだ。それが希望の光となる。

      千葉県


 

今、感じていること               S.K

 

「わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。」

                    (ヨハネ十・17

 信仰を与えられて以来、たくさんのみ言葉を与えられてきましたが、先人達が働き続けている理由、私たちがこの世に生を受けた意味も主は、私たちが知るようにしてくださったと思います。

 イエスさまと父なる神の間で示されているのが「愛」という表現で「父が御子を愛されすべてのものを子にお渡しになった。」とか「父から示されて」、「さらに大きなことを顕わされ」等々。

 今年は特に、この世は、そして自分は何に対して死んでおり、また、生かされているか、を覚えさせられた一年だったと思う。愚かなことと、偉大なこと、被造物だから、イエス様を信じることによって、「叶えられること」を自分ではやっと、疑うことなく信じることができるようになったのだなと、感じられました。

 また、ペテロがイエス様を3度も否定したが、聖霊によって、イエス様は自分も、兄弟たちも「きっと赦してくださる」と信じるように変えられていった。この聖霊の働きによって、イエス様が、私たちのところに来てくださっていること、そして共にいてくださっているという証を特に感じました。

 これからも、イエス様を前にして、兄弟姉妹たちがともに集められ讃美する力が与えられてありますように。

 加えて、「アメイジング グレイス」という映画の中で、中心人物のウィルバーフォースが家の庭で祈っている場面、朝、一人で、進むべき道を模索し、決断しようとする姿勢など、イエス様のことが思いだされて印象的でした。

                                            (鍼灸師) 徳島県


 

水野源三さんの詩「悲しみよ」に思う。      S.Y

 

 悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう

 もしもお前が来なかったら つよくなかったら

 私は今どうなっていたか

 悲しみよ 悲しみよ お前が私を、

 この世にはない大きな喜びが

 かわらない平安がある

 主イエス様のみもとに

 つれて来てくれたのだ

 

 悲しみよ、悲しみよ

 お前が私を

 この世にはない大きな喜びが、変わらない平安がある

 主イエス様の御許に連れて来てくれたのだ

 昨年十二月に、浦和で、大阪から阪井和夫さんと浜田盟子さんをお迎えして「瞬きの詩人 水野源三の世界を歌う」コンサートを持ったが、今年もまた、この十月に浦和で、お二人による「美しい秋」コンサートが開かれることになり、とても喜んでいる。

 

 思えば昨年の二月、吉村さんから、徳島での「瞬きの詩人コンサート」を収録したCDを送っていただいて以来、浦和キリスト集会では、阪井さん作曲の水野源三さんの歌が静かなブームを呼んでいた。それが、昨年の十二月のコンサートとして実現した。その反響は予想以上に大きかった。そして、なんと今年もまたお二人に来ていただくことになったのである。昨年のコンサートが終わった時には、ぼんやりと、またいつか、とは思っていたが、こんなにも早くその時が与えられるようになったのは、偶然が重なったとはいえ、神様の導きであることを思い、感謝は尽きない。

 浦和キリスト集会では、CDの後に吉村さんから送っていただいた、「美しい秋」、「キリストの愛に触れたその時」、「神様の真実は変わらない」そして「粉雪」の四曲の譜面を基に、集会の「音楽監督」ともいうべき錦見義子さんに歌唱指導をしてもらい、礼拝の時に何度も歌うようになっていた。何度歌っても心にしみる曲ばかりだ。その中でも、わたし自身は、「美しい秋」の曲がいいなと思っていた。

 

 ところが、今年のコンサートを迎えようと準備をしているときから、特別にわたしの心を深く捉えるようになったのが、この「悲しみよ」の詩だ。

 源三さんの詩は、そのほとんどが、いずれもその深い信仰を言い表しているが、この「悲しみよ」の詩は、その悲しみがどんなに深かったか、そして、主イエスに出会われた後の平安と喜びがどんなに大きかったかを驚くべく深さをもってわたしたちに伝えてくれる。そして、また阪井さんの、この曲によって、源三さんの心がいっそう鮮やかに聴く者の心に、感動を措くあたわざる深さでもって迫って来る。

 

 この半年ばかり、主にある友人たちの、言葉にならない悲しみを目の当たりにし、また知る機会があった。そのすべてが源三さんの、この「悲しみよ」の詩をわたしに思い出させた。この世に生きる限り、誰であっても悲しみが無縁な人は、おそらくいないだろう。でもその悲しみにどう向かい合おうとするのか。源三さんの詩は、その解決のありのままの証であると思う。

 阪井さんは、視力を失って悲しみのどん底にあったとき、浜田さんから水野源三さんの存在を教えられ、その詩に出会い、命と力を与えられ、「源三さんの声になってありがとうと言いたい」と考えて、作曲と演奏活動を始めた、とおっしゃっておられた。

 その阪井さんと浜田さんが、何とも言えないやわらかな、深い思いを込めて歌う「悲しみよ」の言葉が心に沁みこんで来た。再び、そのお二人をお迎えして、この「悲しみよ」をはじめ、源三さんの心溢れる詩の数々を、阪井さんの作曲によって声となった歌を通して聴かせていただけたことを、主イエスと父なる神様に感謝いたします。  

                                                      さいたま市


 

心に留めている聖句

                                          S.H

 

 ハレルヤ。私の魂よ 主を賛美せよ。

 命のある限り私は主を賛美し 

 ながらえるかぎり、私の神にほめ歌を歌おう。

                 (詩篇146篇12

 

  実生活においては、このようなレベルには遠く及ばないけれど、これが私の日々の目標であり最終目標であります。

私が信じる神様は天地を創造され そのほか、あらゆる全ての物をお造りになり、愛と正義と真実のお方であり、正しいご意思とご計画を以て世界を導いておられる永遠の王であられるので、賛美の対象としてもっとも相応しいお方であるからです。

 そして、賛美と深く結びついている感謝も忘れません。

                           按摩・指圧・マッサージ師、

           徳島県

 


あとがき

 

  今年も多くの方々の投稿により、「野の花」ができました。  今号は、た行から配列してあります。

 原稿を書いてくださった方々、そして入力や校正、レイアウトをしてくださった方々、さらにその背後に導いてくださった主に感謝です。

 いろいろな地域からのさまざまの方々の文が掲載されていますが、それは、それぞれに信仰の証しとなっています。それらが、主によって用いられ、主が読む人の心に働きかけてくださいますようにと祈ります。

 「神は石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができる」(マタイ3の9)と記されています。神が用いようとするときには、どのような小さき文でも、たどたどしい筆致で書かれたものであってもそれを大きく用いられます。

 主がこの「野の花」を、個々の文を、またその文を書いた人の心を用い、祝福してくださいますように。

 この一年も、次の言葉は日々成就していきますようにと願っています。「たとえ私たちの外なる人は衰えていくとしても、内なる人は日々新たにされていく。」(Ⅱコリント4の16

                          (T・Y)

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「野の花」 2014年1月発行

発行所  いのちの水社

発行責任者  吉村孝雄

773-0015  徳島県小松島市中田町字西山91の14

電話 050-1163-4962

定価 200円(送料共)