野の花 第30号 2017年1月発行
新しい年を迎えて、過ぎ去った過去に受けた数知れない天からの恵み、そしてまた日々変わりなく私たちに伴う数知れない不完全な歩みー罪ーその双方が、浮かびあがりつつ、新たな年を迎えた。
この世の闇の力、罪の力は波のように、私たちを覆い、呑み込もうとする。
しかし、天来の見えざる力―聖霊が私たちを闇のなかに沈めようとする力にうち勝ってくださる。
この「野の花」文集には、そうした神の導きとともに、この世の力にもまれ、苦しむ姿も映し出されている。
キリスト者として生きるときに、その基盤となり、導きとなり、天の国への道となるのが神の言葉である。
それゆえに、こうした文集も、その神の言葉にいかに導かれてきたか、み言葉の力はどのようなものであるか、といったことが主題となっている。
神の言葉によって数千年を通じて、無数の人が動かされ、死の世界から引き上げられてきた。
私たちがすべて向っている死の世界、そこですべてが消えて無になってしまうのでなく、この精神的にも肉体的にも弱くはかない存在が、おどろくべきことに、永遠に生きるキリストのごとき栄光へと変えられるという。
この世には、生じては消えていく泡のよう限りなくさまざまの意見、思惑、計画、思想、知識、解釈等々がある。
そうしたものと根本的に異なるのが、神の国であり、そこから注ぎ出される神の言葉である。
神の言葉を私たちが読むことができる形として受け継がれてきたのが聖書である。
聖書として伝えられた文字の根底には、真理の大いなる流れがある。
この「野の花」に記されている文や聖書の言葉には、そのような底流からくみとった体験や思いの一端がつづられている。
ふだんは交流できない方々とも、このような文が集められーそれは心が集められたことであり、その心が主にあって一つにまとめられて、全体として御国へと導かれていきたい。
主がこれらの文の一つ一つを祝福して足りないところを補い、御国のために用いてくださいますように。(T・Y)
…主は、 主を呼ぶ人 すべてに近くいてくださり
真実をもって呼ぶすべての人の近くにいてくださる
主をおそれる人々の願いをかなえ
叫びを聞いて救ってくださる。 (詩篇145の18~19)
The LORD is near to all who call on him,
to all who call on him in truth.
He fulfills the desires of those who fear him;
he hears their cry and saves them.
(K.M.愛媛)
主人の母が今年8月に亡くなりました。若い頃から心臓肥大もあり、また高齢による老衰でもありました。この母と 神様のお話が出来た日が1日だけありました。
それは、3年前になりますが 昼食後にコーヒーを入れて飲みながらとりとめのない話をしていました。
私は時々、吉村先生の「いのちの水」誌の中に書かれている自然の植物や生き物、宇宙の不思議な話をすることがありました。
「すべてを造られた神様はきっとおられるよね」と、その日も話したのでしょうか。母は私をジッと見て「佳代子さんが言うようなキリストの話をする人に 私も会った事がある」と言いました。誰なんだろうと思ったら、ヘレンケラーでした。 戦後の混乱期に来日し 愛媛の小さな町にも来られて 伝道されたようです。」村の方達はアメリカから来た人だから会いに行かないと言う方が多かったそうです。
母はヘレンケラーの名前を思い出す事は出来ませんでしたがその時、ヘレンケラーが言った言葉は「今も忘れる事が出来ない。あの人は戦争で何もかも失っても『どうぞ戦地から帰って来た方々を笑顔で迎えて下さい。どうぞ何も無くて良いのです。笑顔で迎えて下さい』と言ったんよ。本当に感動したよ」と涙をこぼしながら言いました。
母は日本の神仏を深く信仰し朝晩、1日もお祈りを欠かした事がない人でしたが、母の祈りの先にもヘレンケラーから受けた聖霊の灯が消えずに燃えていたことを思いました。 そこに学びで頂いた「単なる力ではなく そこに霊的な力が与えられている」と思いました。
神様はさまよう貧しい人間を深く憐れんでくださる。「憐れむ」という言葉の原語(ギリシャ語)は、「内臓」を意味する言葉を動詞にした言葉で自分のことのように痛み苦しまれると教えて頂きました。
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9の36)
憐れんで下さる主に寄り頼み 日々のお祈りを頂き、今があります。お祈りを忘れたり出来なかったりする日が沢山ありますが、代わりに神様が憐れんでいて下さることを思います。共にお祈りを下さったおひとりおひとりに心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。 (松山市)
(K.M.徳島)
「優れた人生は 愛
すなわち人間愛によってのみ
全うすることができる」 (ウイリアム オスラー)
(M D-L-L徳島)
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネ20の31)
去年5月に始めた自営業が失敗し、ほんの1年2ヶ月で閉めることとなった。「病気がちの両親を支えて老後を一緒に」と考え、祈って、開業したが、閉業した。右も左も分からないまま失敗を重ね、経営に悩み、接客と業界の問題や生活の切り盛りに追われ、あっという間に過ぎた1年有余だった。現在は、ローレンの故郷(アメリカ)へ引越して生きていこうとしている。 アメリカから引越してくる時も『急激な牽引力』を感じながら日本へ来たが、今度もそのように感じる。思えば、日本での7年間は、内的にも外的にも激動であった。前回の大統領選挙の時に来日し、今回も大統領選挙頃に渡米することとなって、日米の社会での大きな変革とその中にあるキリスト教者の数々の意見と在り方を見て、思い悩んだ。そして、信仰上の様々な疑問を持ち、現実の社会と葛藤し、揺れ続けた日々であったと思う。自分の弱さや罪に苛まれては懺悔し、疑問を持っては答えを探す。このことをエンドレスに繰り返す7年間だった。
そして、その7年間ずっと、神様は全ての悔い改めに赦しを与え、疑問の一つ一つに納得できる答えを与えてくださった。でもそれなのに、このサイクルは終わらない。罪は犯し続けるし、疑問は持ち続ける。求めては与えられるにもかかわらず、自分の中には何か満たされるものが欠如していることに気付く。
老後に悩み、アルツハイマーに悩み、病に悩み、身体の不自由に悩むことがあり、また、人間関係・教理教説・教会運営・信仰者としての在り方に悩む。科学はキリスト教を覆したのか?人類の未来はどうなるのだろうか?人間社会は崩壊してしまうのか?正義とは?平等とは?平和とは?愛とは?…などと常日頃から思い悩んでいた。しかし、ふとした瞬間から「もし、今が自分の人生最後の瞬間であるのなら、これらの疑問は果たして自分にとって(=自分を救うことにとって)必要なことであるのだろうか?」と自分に問いかけるようになった。
自分の存在の救済は何処から来るのだろうか?全てを創造し『愛(Agape)』そのものである『在りて在る』神様が人間と共に存在してくださることによってのみ人間は死後も自分の存在の継続と発展を可能にする。そして、これは、科学的な説明や哲学的な弁償では証明されようが無く、『信じる』ことをもってのみ以外には成し得ない。そして、この『信じる』とは漠然とした「自分が勝手に思い込んでいること」ではなく、『今、この瞬間、神様の臨在をひしひしと感じる』主観的な現実と『自分の周りの(時には気付かない程微細な)物事/事象の変化と変革の連続』という客観的な現実によって実際に体験し確認することが出来る。そして、「神様は自分と一緒に居てくださる」と確信し、その『炎』が自分の中で燃え続け、信じ続け、実際に神様が自分と共に生きてくださっているならば、「神様は何時再臨なさるのだろうか?」とか、「神様は本当に居られるのだろうか?」とか、「聖書はどのように捉えられるべきであるのか」とか、「この先、自分はどうなるのであろうか?」などと悩む必要は一切無くなってしまう。
「Quo Vadis, Domine?(主よ何処に?)」これこそが、本来常に自分に問い続けなければならない疑問であり、心の中で一旦立ち止まり「主よ成して下さい」と尋ねながら生きていくことこそが、実際自分に求められるべき態度であると思う。
以上を、自分の「最後」を省みて自分の為に、そして、これに目を通して下さる教友の皆様と信仰前夜の皆様へ、記して残したいと思います。最後に、徳島聖書キリスト集会を通して信仰が与えられたこと、集会の出版物、講話、ホームページ、などによって数多く慰められたこと、我々一家がどのような状況下にあっても裁かず・退けずに想い 祈り 温かく迎え入れてくださったこと、これらを主に感謝いたします。集会場と集会の皆さんは僕達の心の拠り所であり、帰る場所であり、癒しの場であり、想いを馳せるところです。集会を通して頂いた満ち満ちた恵みを主に感謝いたします。
信仰の限りなく薄い弱虫で、正義と愛を知らない自分が此処におりますが、主は我々のところへ来て下さいます。主よどうかこの価値の無い者と永遠に共に留まって離れないで下さい。救いは聖書の神様のみに在り、救いは神様のみから来ます。感謝して、賛美して。アーメン。 (徳島市)
(H.M.大阪)
以前、新聞のコラムの中で知った「ハンナ・アーレント」という人に興味を持ったのですが、その人の思想に迫る映画があるというので観ました。色々考えさせる映画なので、少し紹介したいと思います。
ハンナ・アーレントはハイデッガーに学んだ、ユダヤ人哲学者で且つ思想家ですが、彼女がアイヒマンの分析で得た結果が、現代では特に重要な意味を持つのではないかと思ったのが興味を持った理由です。
ヒットラーの忠実な部下であるアイヒマンは何百万人のユダヤ人虐殺の責任者として有名です。このような想像を越える残虐なことをする人がなぜ出てきたのかをハンナ・アーレントがイスラエルで行われたアイヒマンの裁判に最初から立会い、彼を徹底的に分析しました。
結論は意外にも、アイヒマンは「サディスト」のような特別な人間ではなく「実に多くの人々が彼に似て」おり「恐ろしいほどノーマル(正常)だった」とハンナ・アーレントは言っています。それではなぜあのような残虐なことを平気でしたか、それはアイヒマンは「無思想性」ゆえに「自分の昇進にはおそろしく熱心だった」ということのほかには何の動機もなかった。なぜそうなったか、それは「想像力の欠如」によって「彼は自分のしていることが全然分かっていなかった」ということで、アーレントがアウシュビッツの大虐殺を詳しく調査分析し行き着いた結論が、ごく当たり前の人の持つ「悪の凡庸性」であったと結論付けています。この「悪の凡庸性(ありふれた性質)」に陥った人は考えることを拒否し、人間であることを否定することだとも言っています。
今の世界でも、民主主義と言われる日本でも、例えば一人の特異な意志のある政治家が出てきた場合、これに追従する「悪の凡庸性」に陥った、数を誇る政治家達によって政治はどうにでもなる場合があるということで、これが過去に起こった悲劇の原因でもあり、これが繰り返して起こるのが歴史であるという悲観的な結論となります。
このようにこの世はどうしようもない世界であるのでしょうか。
しかしこのような悲劇的な状況に光を投げかけ続けるのが「キリスト」だと思います。なぜなら「キリスト」は思想無き人々の中にあっても人に「生きる意味」を考えさせてくださいます。すなわち「無思想」と対極の生き方を示してくださる方です。
また「キリスト」は「想像力の欠如した世」にあっても「変わらぬ愛の思いをもって」私たちの先を見越して思いやってくださる。キリスト者は何とか「キリスト」に倣おうとする。結果として想像力を働かせ、人を愛そうとします。
反対にこの二つが欠如すれば人は容易に、大なり、小なりアイヒマンになる。だから結果として冷酷にもなれる、核にも走る、戦争にも突っ走ってしまう。
特に最近の日本の政治状況を見ると、この危機を強く感じます。そのような中でキリスト者として地の塩となるのは、過去の歴史を見てもどれほど難しく、また容易でないことであるということは想像できます。それでもキリスト者の地の塩としての役割の重要さをつくづく思う今日この頃です。 (会社員)
(K.M.愛媛)
K.K.さんの詩集(「ひかりの道」)がなんと18集目だという。いつも思う。こんなに神様と近くにいて、18冊もの詩集となる素直な言葉が生まれるのは、神様が彼女に与えた賜物だからだろうと。誰もがいただける賜物ではないと思う。今回の詩のどれを読んでも、全て心に突き刺さって来る。痛いほど、一つ一つの言葉がアーメンと思える。
「主に向う」の詩を読んでこんな言葉が頭をよぎる。「主を見上げ待ち望むことこそ勝利への第一歩です。サタンは私たちに神を仰ぎ見ることをさせまいとして働きかけてきます。しかし、上を仰ぐ時きこえてくる神のひと声で疲れはふきとび、新しく生きるちからを頂くことができるのです。」まさにその通りの詩だと思った。
「釘の音」の詩を読んで、私の心にもイエスが十字架上で釘打ちされる音が伝わって来た。仕事中に何度イラッとし、愛せなくてきつい言葉を何度言ってしまったことか?今まで私のせいでイエスさまの手のひらに無限の釘が打たれ、無償の身代わりをしていただいたかと思うと申し訳なさと感謝でいっぱいになった。
貝出さんの詩集は、イエス様と共に歩いておられる証があふれている。みながどれほど慰められるか計り知れない。感謝! アーメン!
(K.M.兵庫)
毎月Sさん宅で内村鑑三の著書を学んでいます。最近十戒の「汝、姦淫するなかれ」を学びました。 旧約聖書で姦淫と言えばダビデの罪がすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。
ダビデが王となり安定すると部下のウリヤの妻バテシバと、今で言う不倫関係になります。
そしてダビデは合法的にウリヤを殺してしまい、バテシバを自分のものとします。そして、ダビデだけでなく、相手となったバテシバも聖書の記述から見えてくることは、罪深い人だと思います。
イエス様の系図にウリヤの妻バテシバが出て来ます。「義人はいない、ひとりもいない」。イエス様の系図は聖書の縮図と言われます。女性も、虐げられている人も、罪びとも出て来ます。
心から悔い改めるなら、ダビデのような大きな罪を犯した人もーどんな人でもその罪を赦され、救われます。イエス様は王の王、主の主、私達の救いの為にこの世に来て下さいました。
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一年半前、アメリカの黒人が通う教会で、人種差別的な白人の青年が銃を乱射して、多くの死亡者や怪我人が出た事件は、まだ記憶をされている事と思います。
テレビのニュースで殺された家族の三人の女性が、インタビューに答えておられた言葉がとても印象深いものでした。言葉の最後にどの方も「犯人を赦します」と言われました。日本でも同じような無差別殺人があり、又飲酒運転による死亡事故や薬物に依るものもあります。しかし遺族の方が「犯人を赦します」と、即言われる様な事は聞いた事がありません。「犯人を赦します」この言葉は一体どこから出て来るのでしょうか?
その時私は「あぁ、彼女達の内に間違いなく、イエス様が生きておられる」と感じました。
そして一年前、パリ同時多発テロで、1歳の子供を残して若い女性が亡くなられました。 その夫が、フェイスブックに載せた文章「君たちに私の憎しみはあげない」が世界中にシェアされ、新聞にも取り上げられて共感を呼びました。文章には、彼がキリスト者である と書いていませんが、内容は、キリスト教の神髄そのものである。「あぁ、彼の内にも主が生きておられる」と感動しました。
多くを赦された者は、また多くを赦す事が出来る。EU加盟国は、死刑をすべて廃止しているとか。日本ではなかなか廃止は難しい様です。この違いはどこからくるのでしょうか? やはりその国の底辺にキリスト教の精神が流れているかどうかではないでしょうか。
昔、まだ私がキリスト者でなかった時「ベンハ―」の映画を観て感動しました。それは 数十年経ってもところどころ覚えていました。数年前DVDで観る事が出来ました。ベンハ―が最後のシーンで、相手に対する「憎しみも消えた」と言った時、「イエス様は私の罪の為に死んで下さった」と、この映画の重要なテーマに気付く事が出来ました。
「人間は母の胎内にいる時から人の思いに立っていて、罪人である。イエス様はこの私の罪の為に十字架に掛かって下さった。私は一度死んだ者でありながら、なんと小さい事に怒り、悩み、引きずる存在か…。」あらためて自分の罪を感じました。神の言葉を常に心に刻み込み、毎日イエス様と共に死に、共に生まれ変わり、日々聖霊様を頂き、新しくされ、広い所に立てる様、祈っていきたいと思います。 (兵庫県伊丹市)
(S.Y.山梨)
ペンテコステの後、ペテロとヨハネが神殿にのぼって行った時、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。男は何か施しをこうたのでペトロとヨハネは「わたしには金と銀はないが、持っているものを上げよう。」と言ってイエスの名によって、その男を立ち上がらせるという奇跡が行われた。人々は驚き一斉に集まって来たのでペテロは、この機を逃さず、語り始めた。
「ところで、兄弟たち」とソフトに呼びかけるペトロ、「…あんな事をしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分っています。」(使徒3の17)と。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。(ルカ23の35)」と、イエスが十字架上から語りかけた御言葉に重なる。しかもその十字架の苦しみは預言者の口を通して予告されていた事、すなわち運命づけられていた事であったという。それは神の人と言われたモーセやサムエルを含む預言者たちが予告している。「だから罪を悔い改めて、立ち返りなさい。」と優しく諭すペトロ。
さらに、あなたがたはその預言者たちの子孫ではないか。神はあなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福に与らせる為に独り子を遣わしたのだと言う。ペトロはユダヤ人が神から特別に選ばれた「契約の民」であることを強調した。
紀元前からのローマ帝国、十三世紀から始まるオスマン帝国の版図を思えば、栄華を極めたソロモン王国の版図は猫の額ほどのものである。しかしペテロが、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデやソロモン等ユダヤ人の父祖たちの名を語るとき、彼らのペテロに向ける眼差しに熱いものがあったのではないかと想像する。この点、ペトロはユダヤ人大衆のこころを掴んでいたと言ってよい。
ペテロの話を聞いて5千人の男が信じたということは、その正確な数字は文字通りに受け取らなくても、相当な人数が信じたということで、一つの社会現象と見る事もできる。それは、ペトロの説教に説得力があったこともあるが、いくつかの布石があった。
その布石とは、キリストの十字架である。大群衆の注視するなか、十字架をかついでゴルゴタの丘を登る主イエスの姿を見て、ののしる者やはやし立てる者もいたが、涙する者もあった。しかもそれが冤罪によるものであることも、一部に囁かれていたはずである。そして、十字架に手足を釘づけられ、槍で突かれるという残酷な刑の激痛の中で、七つの言葉(注1)を発し、息を引き取られた主イエス。その一部始終を見ていたローマの百人隊長が「本当にこの人は正しい人であった。」と言って神を讃美した(ルカ23の47)。その讃美のつぶやきは、ひとりローマの百人隊長だけのものではなく、それを見つめていた群衆の大半の思いが凝縮されたものだったであろう。
群衆の中に、これはとんでもないことをしてしまったのではないかという不安に襲われた者が少なからずいたはずであり、そうした人たちがペトロの話を聞いて、その不安が一層膨らんで来ていたのであろう。ペトロの説教が渇いた土に水が吸い込まれる様に人々のこころに満たされた。ペテロの話を聞いて安堵した人たちが、われもわれもと悔改めのしるしにバプテスマを受けたのである。
この光景は、主イエスがロバにまたがってエルサレムに入城した時の状況(注2)と重なる。それまで祭司長や律法学者等に無視されていた弟子たちの存在が、俄に注目され、放ってはおけない状況になってきた。彼らは、無学な漁師あがりに何ができるものか、恫喝すればおとなしく引き下がるであろうと高をくくって、ペテロとヨハネを逮捕し尋問した。しかし聖霊に満たされた弟子たちは、もはや昔の弟子たちではなく、逆に祭司長等を諭す様な発言をし、結局彼等は群衆を恐れ二人を釈放するということになる。(10月16日集会講話より)
注1:
① 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」(ルカ23の34)
② 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園に入る」(ルカ23の43)
③ 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27の46)
④ 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。…見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19の26~27)
⑤ 「渇く」(ヨハネ19の28)
⑥ 「成し遂げられた」(ヨハネ19の30)
⑦ 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23の46)
注2:イエスがロバにまたがってエルサレムに入場したとき、「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」とフォリサイ派の人々に言わしめた。(ヨハネ12の19)
(E.Y.徳島)
この賛美歌の歌詞がみんなよかったので、皆さんに紹介したいと思って4節まで書きました。
1 主のうちにこそ 喜びあり。
平和求めて 主に生きよう。
不安ひそかに せまるとも、
平和 主にあり、ゆるがない。
2 主のうちにこそ 愛が育つ。
希望求めて 主に生きよう。
絶望おしよせ こようとも、
希望 主にあり、ゆるがない。
3 主のうちにこそ いのちがある。
み国めざして 主に生きよう。
暗い死のかげ おおうとも、
いのち 主にあり、ゆるがない。
4 主のうちにこそ すべてがある。
主イエスはいのち、主イエスは道、
主こそあがない、わが救い。
われら主にあり、ゆるがない。
(「主のうちにこそ」讃美歌21の196番)
(A.Y.山梨)
「どんなに苦しい時も」「どんなに悲しい時も」「どんなにいじわるされても…」今私の軽自動車の中にやさしい声で流れているCDは徳島聖書キリスト集会賛美集で、全20曲が収録されている。
「神さまの愛は沁みとおる。山も丘も一緒に賛美の歌をうたおう。日のひかりのように…」野の草花が風に揺れているように、川の流れのようにやさしく聞こえてくる。合唱コンクールを目指す合唱団のような精緻に磨かれた響きではないがしみじみと胸に響いてくる。
運転しながら、いつしか一緒に歌っている。CDには知らない讃美歌もあるが合わせれば歌える。従って自動車の中のひとりの時間は豊かである。賛美は祈り。
「どんな時、何を語る時も」「キリストの前に喜び感謝して歌おう」
CDを聴いていると今年五月、徳島の全国集会に参加した時の感動に繋がる。徳島全国集会は「賛美と祈り」が溢れていた。世の集まりでは決して得られない霊の歓びに満ちていた。
川に沿うフェニックスを揺らす風仲間とうたう「朝静かに」
阿波踊りのようにしなやか指の先手話コーラスの「主われを愛す」
「ハレルヤ 新しい歌を主に向かって歌え!
主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ!」
(詩篇149の1)
(M.Y.埼玉)
聖書において、また祈りにおいて、「主の御名」は、わたしたちの信仰上きわめて大事な言葉だと思います。旧約聖書の創世記4章26節に「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時期のことである。」とあります。人類の始祖アダムとエバは神様との契約を破り、罪を犯し、堕落したため、楽園を追放されました。しかし、憐れみ深い神様は彼らを断罪する前に無償の贖いを約束されました。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3の15)彼らは自分たちの、後の子孫に救い主が与えられる望みを持ちながら、厳しい世の生活の中で歩んだことでしょう。しかし、二人の間に生まれた長男カインは大人になると弟のアベルを殺してしまい、カインは彼らのところから去ってゆきました。深い嘆きと絶望に打ちのめされた両親でしたが、再び子が与えられ、その子をセトと名付けました。そしてセトに続くエノシュの世代が「主の御名を呼び始めた」と書かれています。
この頃アダムとエバ夫婦はまだ地上に存命していたと思われます。彼らの次世代、一旦途切れかかったかに見えた信仰が再び復活し、次世代へ信仰の継承がなされてゆきます。神様の約束は必ず成ります。創世記1章に記された神はヘブライ語の原典では「エローヒーム」で普通名詞の「神」の複数形です。ところが、2章4節からは、普通名詞の「神」から「神」の固有名詞「ヤハウェ」と普通名詞の「神」からなるヤハウェ・エローヒーム「主なる神」と表現されています。唯一の神、絶対者であられる神を固有名詞で呼ぶようになったのは、神様御自身の啓示によるものです。
「神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」また「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わしたのだと。」(出エジプト記3の14)。燃える柴の中から、神様はモーセに語りかけられました。「わたしはある」YHWHの四文字の聖名ヤハウェを神様はモーセに啓示なさいました。エジプトで奴隷の民となって苦役に悩むイスラエルの民のうめきの声が神様に届き、イスラエルの民の解放者として、神様はモーセをお立てになりました。モーセは神様に、エジプトの王ファラオが、お前を遣わしたイスラエルの神は何という名かと聞かれたら、何といえばよいのでしょうかと神様に尋ねたのです。神様はその問いにお答えになりました。
永遠から永遠にいます、真の実在、唯一の、生ける、真の神は、偶像の神々とは全く異なる、真の神の名前とその本質的な意味を、神様はモーセに示されたのです。聖書は「主の御名」を啓示する書とも言えるのではないでしょうか。わたしは、旧約聖書のなかでは、詩編、新約聖書のなかではヨハネ福音書が特に好きで、日々読んでいます。
詩編23編「ヤハウェはわが牧者 わたしには欠ける所がない。」(1節)「彼はわが魂を生きかえらせ 御名の故にわたしを正しい道に導かれる。」(3節)(関根正雄訳)「御名の故にわたしを正しい道に導かれる。」わたしたちの救いの根拠が神様の主権にあり、わたしたち人間の側の能力とか功績にあるのではなく、神様の御恩寵によるものであるということは、何と感謝な事でしょう。神様の御名を、日本語の翻訳聖書は「主」と訳していることには物足りなさを感じます。ただ、創世記22章14節で、新共同訳は「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも、『主の山に、備えあり(イスラエ)』と言っている。」と固有名詞「ヤーウェ」が記されており、貴重な箇所です。「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。」(詩編9の11)は新約聖書で「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。」(ヨハネ13の18)とイエス様は告別の説教で弟子たちに語られました。「神の御名を讃美して歌い、御名を告白して、神をあがめます。」(詩編69の31)「主は御名のために彼らを救い、力強い御業を示された。」(詩編106の8)「主は御自身の民に贖いを送り、契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。」(詩編110の9)「わたしたちの助けは 天地を創られた主の御名にある。」(詩編124の8) 主イエス・キリストは「世から選び出してわたしに与えて下さった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えて下さいました。彼らは、御言葉を守りました。わたしに与えてくださったものはみな、あなたのものであることを、今、彼らは知っています。」(ヨハネ17の6~7)「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守って下さい。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」(同11節)
詩編に記された「御名」は、わたしたちの救い主イエス・キリスト御自身が、受肉され、わたしたちと共に住んで下さり、旧約聖書の正しい意味を教えられ、受難と十字架の贖いと、復活、昇天され、神の右に着座し、約束の聖霊、助け主を遣わして下さいました。主イエス・キリストは「御名」を信ずる主の民を、主なる神にとりなし、祈っていて下さることを確信させてくれます。ここで、預言者イザヤが発した「その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ書9の5)の御言葉をわたしは想い起します。また、主イエス・キリストは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28の20節後半)「以上すべてを証する方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』主イエスよ、来てください。」(ヨハネ黙示録22の20)の御言葉が強く心に迫ってきます。
(S.A.神奈川)
いま聖書の出エジプト記の勉強をしています。
出エジプト記とは、イスラエルの民を奴隷にしていたエジプトから出発し、神様から約束されていたカナンの地へと向かうお話で、旧約聖書の創世記の次の書物です。
勉強していて思うことは、神様はすべての必要を満たして下さる方ということです。
カナンの地へ向かう途中ではいろいろなトラブルが起こるのですが、神様が解決をしてくださります。
苦い水しかなくて困っていたときに、モーセ(イスラエルの民のリーダー)が主に向かって叫ぶと、一本の木が示され、その木を苦い水に投げ込むと、水が甘くなったり、食べ物がなくて困っていたら、天から食べ物が降ってきたりしました。(出エジプト15~16章)
また少し前の13章21節には、「主は彼ら(イスラエルの民)に先立って進み、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。」とあります。
いつも私たちとともにいてくださり助けて下さり、必要を満たして育てて下さるお方、それが聖書の神様です。新約聖書ではイエスさまが、「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。なぜ衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。今日は生えていて、明日には炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(マタイ6の26~30)とおしゃっています。
妬みという感情が人間には、あると思います。自分と比べて幸せそうな人を見て妬んだり、自分にない能力やものを持っている人を妬んだりすることがあると思います。ニュースの犯罪をよく聴いてみると、その犯罪の根本原因がこの妬みであることが多いうように思います。しかし、神様との関係があれば、この厄介な妬みの感情を持たなくてすむのです。神様が自分に必要なすべてのものを備えて下さっていることがわかるからです。
また神様はぶどうの木にたとえられています。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15の5)
その神様につながることで更に祝福と恵みをうけて豊かに成長させてもらえるのです。
人間を罪から守るのは理性でも、法律でもなく、この神様の豊かな愛であると自分は思っています。この豊かな愛はすべての人が無条件でいただくことができます。この豊かな愛が広がり、神様の支配が訪れますように。
もうひとつ賛美について書きます
ぼくは小さい頃、音程をおおきく外してしまうので、合唱には加えてもらえず、カスタネットを与えられました。リズム感もないので、カスタネットもできませんでした。音楽に関しては暗い思い出ばかりです。だけど、最近、歌の練習を始めました。
昔と違い、今は音痴を治すようなトレーニング方法ができています。耳の認識違いによる音痴、正しく耳で音を認識していても発声が悪くて音程が狂う音痴、どちらの音痴も対策があるようなのです。これはぼくにとって、とてもうれしかったです。生涯、賛美を続けるつもりなので、すばらしい賛美のことばを正しい音程、良い喉の使い方で歌ってみたい気持ちがあるのです。
少しでも上手になりたいという気持ちがある人がいたら僕まで連絡くだされば、自分が今まで勉強したことを伝えることができます。世界に一つだけの音色を出す楽器を私たちは与えられているのです。
一方、神様の深い目的により、聴く能力を与えられていない人、神様のもとへ聴く能力をお返しした人にとって、音の世界は関係がない世界であると思います。ぼくは一番大切なのは、神様のことばであると思っていて、手話の勉強も大切だと思っています。手話賛美をしていて、音では表現できない所も手話では表現されるように感じたことがあります。すべての人と素晴らしい神様のことばを分かち合いたく願っています。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイ3の16) (会社員)
(M.I.徳島)
天につむ 宝となりて 秋の雲
雲湧いて 幼子たちを 包みさり
仰ぎ見る 空にやさしき ひつじ雲
主の恵み 青に染まりて 秋の雲
子ら跳ねて 賛美も高し 花野かな
風吹きて 悩み連れ去り 秋の色
幼子の 笑顔の奥に イエス様
幸多き 秋夕焼に 主を祈り
天国を 隠すカーテン 秋の雲
弱くとも 主を賛美する 秋の夕
(いのちのさと職員)
(E.I徳島)
私は目的を達成するために、神に力を求めた。
しかし、わたしは謙遜を学ぶために、弱い者とされた。
私は更に偉大なことをするために、神に力を求めた。
しかし、私は更によいことをするために、病弱を与えられた。
私は幸福になるために、富を求めた。
しかし、私は賢くなるために、貧しさを与えられた。
私は人々の称賛を求めるための、権力を求めた。
しかし、私は神の必要を覚えるために、弱さを与えられた。
私は人生を楽しむすべてのものを求めた。
しかし、私はすべてのものを楽しむために、命を与えられた。
私は自分の求めたものを、何も与えられなかった。
しかし、私は望んでいたものをすべて得た。
私の祈りは、知らず知らずのうちに応えられた。
私はすべての人のうち、もっとも豊かにされたのである。
この詩は、ニューヨークのリハビリテーション研究所の壁に患者が貼った詩だとも、また「南北戦争を生きた一人の兵士の詩」ともされているということです。最近ある本で、20年近く前に初めて読んだこの詩にふたたび出会い、最初に読んだときの印象とだいぶ異なることに気づきました。
この詩の印象が確かに変わったのは、自分の受け止め方が変わったからのようでした。単なる年月というものがそうさせるのか、それとも、ある方向へ導く何らかの力が働いていたのか…フトそんなことを思います。
たいして役にも立たず、無為のようにも思える日々を過ごしているような者にも、折々に、人間の知恵や思いを遥かに超えた力が、そこに新しい光を見せてくださっているように思われるとき、また、たとえ小さくてもその光が心の内に新たな広がりと深さを示してくださるとき、人は思いがけない感動や充足、共感を覚え、そのために人生さえ創り変えられることがあるのではないかと思わされることがあります。
この詩の中に、 ―自分が求めていたものは何一つとして得られなかった。しかし、わたしは望んでいたものをすべて得た。私の祈りは、知らず知らずのうちに応えられた。私はすべての人のうち、もっとも豊かにされたのである― とあるのが、印象的です。
人がいろいろその道を思いめぐらしても、時を経て、自分が本当に求めていたものが何であったかを知らされる。その神の英知に驚嘆します。たとえそれがどんな道であっても、深い安らぎと、なぐさめを与えられるものではないかと思います。「人は心に自分の道を思いめぐらす。しかし、その人の歩みを決めるのは主である(箴言8の9)」。
また、老年にさしかかっては殊に、2コリント4の16の「わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」といったみ言葉の真実にも驚かされます。
ジョン・ミルトンの「ただ立って待つ時も神によく仕える(ソネット19)」などの詩句も、思いがけない方向からの、主のまなざしとみ手の支えを感じます。
万能の神は、思いがけないことばかりです。こうしたみ言葉に支えられ、励まされ、なぐさめられながらの日々を祈ります。
み言葉、それは思いがけない方向から、思いがけず吹いてくる風―風は思いのままに吹く―目には見えないけれど、感じられます。その可能性は目に見えないし、量りもできない。夏には夏の風。秋には秋の風、春には春の、もしかして、たとえ厳しい冬の風の中でも、その風の中に、主の愛の贈り物が隠されているかもしれないと思わされるこの頃です。
(M.I.徳島)
誰しもそうであろうが昔は歳をとれば時間はゆったりと流れるものと思っていた。だが現実は歳を重ねるごとに1週間が1ヶ月に、1ヶ月が1年と段々と時がまさに光陰矢の如しに飛んでいく。
体力の衰えや同年代のひとの旅立ちなど耳にすると、自分に与えられたときはいつまでだろうとか、自分の最期はどのような形で終わるのだろうかと思ったりする。
母が今年の夏から入院して、結局子供である私達姉妹が胃ろうという決断を取り、自分たちで面倒を見るのは難しいということで、施設にお世話になる。
耳が遠くなり、夏に倒れて以来 言葉が不自由になり入院してから、軽度の認知症にもなる。加えて、15年ほど前より脳梗塞になり、右半身不随の中で87歳の誕生日を迎えた。
元々、趣味のない母は唯一テレビを見るのみであったが、それも関心を示さなくなる。食べる楽しみも奪われてしまった。
希望や興味がなくなると「生きている」という喜びはかなり制限される。自分がそういう立場に立たされたら、どうするだろうかと思わされる。
過去に読んだ三浦綾子さんの本の中で、クリスチャンの方が「歳を取って何もかも忘れました。でも神様のことは忘れません」という一文があったことを思い出す。
私達の集会には吉村さんという語学に堪能で聖書の御言葉を深く掘り起こして下さる方がおられるという、恵まれた環境にある。
どんな状態になっても神様に祈ることができる。教えて頂いた「御言葉」を拠り所にして、最期まで望みを失わずに生きていける。
たとえ母のようにコミュニケーションが難しくなっても神様とは対話できる。私も最期まで神様、イエス様だけは忘れないようにしたい。 (いのちのさと職員)
(J.O.北海道)
私が小学校4年か五年生の頃のことです。学校の図書室で出会った『ウィンパー…』という本を借りて、家に持ち帰って読みました。
この本は『ウィンパー』と云う名の軍人が誰も登ったことのないマッターホルンと言う山に、苦難の末に登頂に成功したという登山記録を書いた本でした。我を忘れて夢中になって読んだことを折にふれ思い出しては、長い時間が過ぎました。
定年後、長年温め続けた夢を実現したいと思った時,突然の病のためにチャンスを失ったばかりか失明してしまいました。昨年9月透析治療のついた旅行案内が届いて、子供の頃の思いがいっきに吹き出しこの旅行に参加したい。スイスの氷河特急でのアルプス巡りの旅を決めても、当日までどんなに心待ちにしたことか。時にふれ思い出してはいつか行ってみたい…と思い続けていたことが、目が見えない体調に不安ある今73才にして実現しました。マッターホルンを目の前にした時の気持ちの高鳴りは、とても説明することが出来ません。大自然の神秘、イエスさまに守られ、支えられて今ここに立っていることを。 信仰も同じだと思います。イエスさまにお会いするまで、私達の信仰が衰えることなく御国を目指して人生を祈りつつ歩み続けましょう。 (北海道)
(E.O.徳島)
10月13日(木)は私が通っている身体障害者デイサービスセンターの行事で 徳島市文化の森公園内の県立近代美術館へ障害者芸術祭「エナジー」を見学に行く日でした。
「エナジー」って日頃、聞きなれないことばでわからず、調べてみるとエネルギーのことで、語源はギリシャ語で「活動、仕事する力」と載っていたので意味がわかったので 障害者のエナジーがどれほどか?どんな作品が見れるか?パワーいただけるだろうか? との思いを持ちながら、お誘いしてくださったし、必要な手助けはしてくれるとのことなのでこの機会にと思い見学に行ってきました。
館内には数多くの自作品や共同作品が展示されてあり、どれも私の目には立派で素晴らしいものばかりで感動しましたが、これまで作品が出来上がるまでに多くの人たちに助けられ、エネルギーも注がれ、自分の力だけではできなかったことと思っている人はいるだろうか?と思わされています。私は、この時「神様がともにいてくださることですべては可能です。」のみことばが浮かんできました。だから背後で神様の力が働いてくださって作品が仕上がったのだと思うことができ感謝しました。
人の目は、神などいないと思っており外観だけにとらわれ、一生懸命作品作りに励んできたことと想像しています。
人は見えるものに力を入れて頑張りますが、「私たちは見えるものでなく、目に見えないものに目を注ぎます。」私自身、作品作りができなくても神様に目を向けて仰ぐとよいのだと思いつつ「エナジー」見学は、自分の弱さばかりが気になり落胆して帰ってきました。
この朝、クリスチャンでないAさんからメールが届いていたので、簡単な感想と報告を送信したところ、返信内容に、作品はすべて「有形」、作品作りよりも弱い人を思い助ける「無形」の心が大事。ということばが届いたので落胆していた気持ちがちょっと慰められました。メールのことばと私が朝読んだ聖句に似ているように思い折り返し聖句「わたしが見るところは人と異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。」(上サムエル16の7)を送信しました。この日は、人の目に入るものばかりでしたが 私も、Aさんも見えるものでなく、見えない神様に目を向けて日々歩んでゆけますように祈って願っています。 (中途失聴)
(K.K.徳島)
「そこで、わたしは言っておく。
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、
魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがるのに、
さそりを与える父親がいるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
(ルカ11の9~13)
求めたら必ず聖霊を与えてくださる。
これは神様の約束
主イエスは来てくださる。
(M.K.徳島)
「大波のように」(プレイズ&ワーシップ 63番)
大波のように神の愛が
わたしの胸に寄せてくるよ
こぎだせ、こぎだせ
世の海原へ
先立つ主イエスに身をゆだねて
楽しいとき、苦しいとき、辛いとき、
この賛美が心に寄せてきて
力がわいてききます。
いつの間にか楽しくなって
口ずさみます。
神の愛に触れた思いです。
(E.K.東京)
「翼を広げた鳥のように、万軍の主はエルサレムのうえにあって守られる。これを守り、助け、かばって救われる。」
(イザヤ書31の5)
(A.K.福岡)
「ナオミは言った。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを/主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ/全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」(ルツ記1の20~21)
ナオミ(ダビデの曾祖母の姑)のこの詩について、私は長い間さして気にも留めてこなかった。しかし、今は大事なことを教えてくれる詩と思っている。
そのきっかけは、ユダヤ教のラビのマゴネットさんのお話だった。今年の6月、「どうしてナオミはこの詩のように率直に神に対して不平不満を訴えることができたのですか?」と質問する機会があった。
すると、「ユダヤ人における自分と神との関係は、いわば家族の中の事柄。子が親に対し文句を言ったりケンカをしたりするようなもので、相手の愛情を信頼しきっているからこそ、思いきった文句も言える。」との答えだった。
そして、こんな小話を紹介してくれた。ある時、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて浜辺を散歩している女性がいた。すると、大きな波が来て、ベビーカーごと赤ちゃんを海にさらっていってしまった。女性は嘆き悲しみ、天を仰いで助けを祈った。すると、もう一度波がやって来て、なんと赤ちゃんが浜辺にそっと打ち寄せられ、無事だった。女性は赤ちゃんを抱きかかえると、「ところでベビーカーは?」と天に向かって言った。
それぐらいとことん遠慮なく、神に不平不満を述べ、お願いすることができる。これがユダヤ人と神との関係だ。との答えを聞いて、私は目からウロコが落ちる気がした。
日本人には、人生において、文句を言わず、じっと耐えていくのが良いという考え方があると思う。いかに人生で悲しいことがあろうと、不条理があろうと、文句を言わず、むしろ自分の非を反省し生きていった方が良いという考え方が。
私は、家族の病気や死があった時にも、どうもそのような思いこみが強かった。そして、納得のいかない形容しがたい思いを抱えて生きてきた。
しかし、今は、わかった。ナオミのように、率直に神に文句を言ってみたかったし、言って良かったのだと。そして、神はそのことに怒ったりすることなく、必ず受けとめて、愛をもって報いてくださるのだと。そして、そのような神は、ただ聖書の神だけなのだと。
ナオミは飢饉を逃れて渡っていったモアブの地で、夫と二人の息子を病気で亡くした。その嘆きはいかばかりだったろう。そして、その悲しみや怒りを、神との関わりの中で受けとめ、率直に詩で表現した。
しかし、神は、ナオミの詩に、決して怒らなかった。むしろ、慰めと祝福をそそいだ。周知のとおり、このあと、ナオミの家族ははかりしれない神の恵みを受け、ダビデを生み、主イエスの養父ヨセフを生みだす家系となった。
ナオミは、うつろになって戻ってきたベツレヘムの地で、のちに満たされた。マラ(苦い)と思っていた人生は、ナオミ(快い)となりうることを証した。主は、ナオミやルツを決して見捨てず、ボアズと出会わせた。
ボアズとルツの子である祖父・オベドを通じ、ダビデはナオミのことをよく聞いて育ったことだろう。オベドは、ルツが産んだが、実質的にはナオミが育てたことがルツ記に記されている。ナオミの詩と物語をよく聞いて育ったダビデは、率直にどのようなことも神に吐露し、祈る人生を歩むことができるように育った。だからこそ、神にかくも愛された。ダビデの人生と詩篇の源には、冒頭の素朴なナオミの詩があるのだと思う。
聖書の中にルツ記があるのは、ダビデの意向によると思われる。そうでなければ、誰がこの物語を伝えたろう。そして、ナオミの亡くなった夫・エリメレクや息子のマフロンとキルヨンも、ルツ記を通じて、人々の記憶に永遠に生き続けることとなった。
ナオミは、冒頭に引用した詩では嘆いていたが、のちにルツ記の中でこう言っている。「生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主」(ルツ記2の20)。しばしば、苦しみを通し、深い淵に立って、人ははじめて神に問いかけ、呼びかける。神の思いは時に人にはわからないが、そこで向き合った神は、必ず愛をもって応えてくださる。そして、苦しみの中で信仰を得た時、自分のみでなく、先立った家族も、自分とともに、神の惜しみない慈しみの中に入っていく。
思えば、主イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか(エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ)」(マルコ15の34)と率直に神に述べられた。そして、復活の栄光を得た。信仰の恵みにより、私たちは、イエスやナオミのように、神とどんな時も率直に関わって生き、神と共に歩むことができる。神の民であることに感謝。(福岡市)
(I.K.徳島)
私にとって、昨年大きな出来事が二つありました。
ひとつは、5月末に、持病のため夜中に喀血をし、救急車で病院に入院しました。その明け方にも再び喀血をしました。医師によると、「もう少し喀血量が多いと、肺にたまり窒息することもある」といわれました。カテーテル手術で、裂けた血管をふさいでいただき、今は元気に日常をすごせています。
もうひとつは、11月の末に、目の手術を受け視力が回復しました。
私の目は、生まれつき発育が十分でない小眼球で、弱視のため弱く、白内障が早く進みました。手術を受けるときには、太陽や電球など光を出しているものがやっと見える程度になっていました。
県内の有名な眼科で診察を受けましたが、手術を引き受けてもらえなかったので、失明は仕方ないものとあきらめていました。
そんな時、集会のNさんが息子さんを通じて大阪の眼科医を紹介していただきました。そして、今は一人で歩けるほどまでに回復できました。
この二つのことから、神様が働いてくださり、導きを感じました。
一つ目は、後で知ったことですが、通院している病院では、カテーテル手術ができなかったとのことでした。二つ目は、失明することを覚悟した時に、「手術ができる」との朗報があり、1ヶ月後にうけることができました。
神様の恵みは、もう駄目だと思うようなぎりぎりのときにでも、与えてくださることを以前にまなびました。わたしもそのような状態になっても、神様からの恵みをいただき、助けていただきました。 鍼灸師
(H.K.徳島)
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」
(Ⅰペトロ5の7)
御言葉をくださり、祈ってくださり有難うございます。
今年の徳島での全国集会ではたくさんの恵みをいただき、感謝でした。必要な時、必要なみ言葉をくださり心が安らかになりました。また、誕生日には、葉書で御言葉と「祈っています」ということが書かれていて、本当に嬉しく感謝致します。
私も他の人のために時間を使い神様に喜ばれることができたらと思い、手紙や葉書などみ言葉をそえて書いていきたいと思わされました。
娘に渡してねとさりげなく手紙や絵などを書いてわたしてくださるKさん有難うございます。娘も仕事に行けるようになり、子供のめんどうもみられるようになり、皆様に祈られ守られていることを思い感謝しています。
また、心が暗くおちこんでいる時、福音が届いていたりして、心がいやされたのを思いました。有難うございます。
まず感謝をもって祈り、皆様のことを祈っていきたいと思います。感謝します。 徳島県鳴門市
(T.K.徳島)
「主は人の一歩一歩を定め
御旨にかなう道を備えてくださる。
人は倒れても、打ち捨てられるのではない。
主がその手をとらえていてくださる。」
(詩編37の23~24)
いつも共にいて、導いてくださる神様に感謝です。
(N.K.福岡)
「ブレイナードの日記」副題(彼の祈祷とリバイバルの記録)という本を読みました。本の見開きには、デビッド・ビレイナードをこう紹介してあります。
「彼は祈祷の人であった、断食の人であった、又苦しみの人であった、彼はインデアンの上に御業が顕されん為に間断なく切実に祈ったのである。かく馬上にある時も、心は祈りの中に神に向けられていた」。
デビット・ブレイナードは1718年にアメリカのコネチカット州で生まれました。9歳の時父を、14歳の時母が亡くなっています。彼も29歳で亡くなりました。
ブレイナードはインデアンに伝道するために、森の中に奥深く入って行きました、彼は宣教師でした。
「紹介の言葉」は彼のことをこう書いています。
彼は何のために祈ったか、彼はインデアンと接触することができない事を知っていた。彼らの言葉を理解しなかったからである。(中略)そこで、彼は、自分のなし得る事は何であれ、全く神の力に依ってなされなければならない事を知っていたのである。そこで、彼は誤り無く聖霊の力が彼の上に望み、インデアン達が彼の前に立つことができないまでになるようにと、終日を祈りに費やしたのであると。
以下は彼の日記です。
4月19日月曜日
伝道の準備のため、神の目的と指図が与えられんが為に、また神の時に収穫場に遣わされんが為に、今日一日を断食と祈祷のために費やした。午前、不滅の霊魂のため、愛する主にして救い主であるキリストの王国がこの地上に拡張されんがために、祈告するに当たって力を覚えた。その結果心の底より、いとも快き奉仕の念起こり、御国が拡げられる為に艱難、悩み、及び死そのものをも忍ばんと考える事の中にも、慰めと喜びが与えられて、さらに哀れな異教の民の回心の為祈告するに及んで心開かれた。(以下略)
4月21日水曜日
大いなる静寂を感じ、幾多の魂のために争う。祈告において切実の気を覚えた。最近人のために祈告する事が、祈りの他のいかなる部分よりも一層大なる快さを与えるように思う。
彼は、多くの困難の中御言葉を語り続けます、そして、ついに「涙とともに播くものは、喜びとともに刈取らん。その人は種を携え、涙を流してゆけど、束を携え喜びて帰り来らん」の御言葉が彼の上に実現します。
8月6日
朝方、我らの宿泊している家でインデアンに説教す。彼らの多くは大いに心を動かされ、驚く程感じやすい状態にあったので、魂に関して二言、三言話してだけで、彼らはとどめなく涙を流し、多くのすすり泣きと呻き声を発するのであった。(以下略。)
8月8日
午後ルカ伝15章16節~23節についてインデアンに説教す。説教している間に彼らの中に目にすることができる大なる関心が起こった。後程、大いなる気遣いにあると思われる1、2の者に向かって一層詳しく話した時に、神の力が『恐ろしき風の吹きたるごとく』会衆の上に臨み、驚嘆すべきエネルギーをもって、進路にある一切のものを倒壊するかのごとく思われた。聴衆のほとんどすべてを捉えたこの力を見て、私は驚愕の目を見張った。それは、支うべからざる重力と圧力をもって、進み行く道筋にある一切のものを倒壊し、押し流してしまう当たるべからざる激流、あるいはふくれ上がった洪水とのみよく比較することができよう。(中略)このように8月8日におこった出来事を日記には詳しく書いてあります。
また彼がなくなるまでの死を迎える姿も記されています。
この日記を読むとき、聖霊の力と祈りの力、そして絶えず神様と対話しまた聞くことがいかに必要なであるかを思い起こすことができます。 (介護福祉師)
(M.K.徳島)
1 神のみことばは 暗い夜の光
どんな深い闇の中にも
希望と未来をしめす
2 神のみことばは 闇夜に光る星
どんな恐れ、不安の時も
いやしと力与える
お祈り有難うございます。試練の中にあるときも、この讃美を繰り返し歌い、祈り、支えられています。感謝でございます。
(Y.S.徳島)
断食とは、食事を断ってまで行う真剣な祈りで、特別な人だけがすることと思っていましたが、それと共に霊的な深い意味があることを教えられました。それは断食の事を礼拝で学び(マタイ6の16~18)また「いのちの水」誌10月号にも「断食の精神」のことが書かれていて心に残りました。
断食の精神とは何か?それはだれにでも身近なものである。自分にとって大事なものを神様に捧げるということ。日曜に礼拝することも、休日を神様に捧げるというひとつの断食といえる。この世の楽しみではない、霊の食べ物、いのちの水をいただくことができる。裸の人に服をあげたら、自分もなくなってしまうかも知れない。しかし少しでも与えること、自分の時間とエネルギーを割くこと。自分がどれだけ楽しいかということを置いて、他者のためにすること、それが断食の精神である。他者のために名前を思い出して祈る、それも断食といえる。
だれにでも関わりがある、断食の精神について深い意味を教えられ感謝です。神様から力をいただいて、少しでもこのような神様に喜ばれる断食ができるように変えられたいと願います。
「キリスト・イエスによって強くなりなさい。」
(Ⅱテモテ2の1)
力は神様が与えて下さる。祈り求めていきたいと思います。
「こころのうちで 神の声に 耳を傾け
こころを込めて 神に語りかける
これが 祈りです」 (マザー・テレサ)
(M.S.大阪)
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」
(22節)
イスラエルでは、メシアはダビデの子と呼ばれました。従って、彼女は、ここでイエスが救い主(メシア)であると告白していることになります。
女は娘が病気だったので、イエスに助けを求めに来ました。しかし、イエスは全く答えられず沈黙されていました。この女に対するイエスの態度は意外です。というのは、苦しむ者がイエスのもとに来たとき、イエスはたいてい彼らを励まし、慰め、支え、救われていたからです。しかし、イエスがこの女に対して沈黙されたのは、彼女の信仰を試すためでした。
「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(Ⅰペトロ1の6~7)
「イエスは言われました。『わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。』」(24節)
この女はカナン人、すなわち異邦人でイスラエル人ではありませんでした。イエスは、ここで、御自身はイスラエル人のためだけに神様から遣わされた者だと言われたのです。
「しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った。」(25節)
しかし、イエスは「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」(26節)と言われました。ここで、「子供たち」はイスラエル人、「パン」は福音の恵みと、そこから来る神の奇跡的な癒し、「小犬」は異邦人であるカナン人を指しています。当時のユダヤ人は、犬がゴミや動物の死体を食べるので、不浄であると見なしていました。(「旧約新約聖書大事典」教文館、参照)それゆえ、「犬」とは、蔑む言葉でした。従って、イエスは26節で、イスラエル人のための神様の恵みを異邦人に与えることはできないと言われたのです。イエスは、神様からの特別な恵みは、選民であるユダヤ人にまず与えられるべきであると考えておられたのでしょう。従って、イエスのこの言葉は、彼女からすべての希望を失わせるほどのものだったと思われます。しかし、彼女は真に強い信仰を持っていたので絶望しませんでした。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27節)
この言葉は、このように低い所にいる者でも神様の恵みはいただけるのです、という彼女のイエスに対する絶対の信頼の表明であり、彼女の信仰告白であるとも言えます。パン屑のように小さなものであっても、イエスからいただけるなら、イエスを信じる彼女にとって貴重な恵みであると思えたのでしょう。この女はどんなに辛いイエスの態度にも言葉にも、憤慨も反発も絶望もせず、むしろ自分を低くしていきました。彼女は「神の力強い御手の下で、自分を低く」(Ⅰペトロ5の6)していきました。必ずイエスが自分を助けてくださることを信じてイエスの前にとどまり、願い続けたのです。
イエスは、特別な恵みを与えるつもりでいる人々を、はじめに、彼らが自分を賤しく、無価値な者であると自覚するために、打ち砕いて低くされます。私たちは、自分が当然恵みを受ける権利を持つ選民であると思わず、恵みを受けるにふさわしくない者であると見なさなければなりません。それほどに低くされた者こそ、神様からの恵みや特権を受けるにふさわしい者とされるのです。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」(28節)
「婦人よ」との呼びかけは、相手を尊重した呼びかけです。イエスは、彼女に敬意を表して、彼女の信仰を誉めておられます。そして、彼女の願いどおり娘を癒されました。
ここで、異邦人の救いについて、新約聖書から述べたいと思います。
イエスが復活された後、ユダヤ人がイエスを拒否したため、救いは異邦人にも向けられ、福音の恵みは異邦人にも与えられました。
「神はわたしたちを憐れみの器(キリスト者)として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」」(ローマ9の24~26)
「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1の16)
ここで、ギリシア人とは、異邦人を代表しています。つまり、イエスの福音には、全世界の人々を救う力があります。イエス・キリストが十字架に架けられ、死なれ、三日後に復活してくださったことによって、私たちのすべての罪は赦され、永遠の命をいただく者とされたのです。 (独立伝道者)
(Y.S.大阪)
「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。」(詩編103の2)
昨年の9月に私は悪性リンパ腫と診断され、約半年間入退院を繰り返して後、再び元気になることができました。今その時のことを、私自身忘れてはならない時として振り返り心に留めようと思います。
私はこれまで、命は神様のものだからと単純に思い、口でも言ってきました。もちろんその通りなのですが、腹部に違和感をおぼえて近くのクリニックで診察を受けたところ、今すぐに総合病院に行くように言われたときは動揺しました。そこで診察後に「明日、家族と来てください。これからのことを説明しますので。」と言われ、冷静には振舞っていたものの内心、ああ神様、私は3月に娘の卒業を見ることはできないのでしょうか…と嘆き、自分の命への執着を感じたのでした。
結果は、幸い医師の予想と違い血液内科を受診する事になり、順序良く説明を受けて気持ちが整理されました。すると、私は神様に造られたのだから、神様が全てを知っていてくださる。それなら、造られたお方にとって一番良いことをしてくださるに違いないと確信できました。それから、「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。」(Ⅰペテロ4の12~13)のみ言葉があたえられて平安に満たされました。
この状況を集会の皆様にお知らせすると次々と励ましのみ言葉が届き、やっぱり神様は弱い私をよくご存知で、こうして祈りとみ言葉で支えてくださるのだと強く感じることができました。
入院中はみ言葉が与えられるのと同時に、自分の罪を次々示される時となりました。これまで自分が正しいと疑わなかったことが、実は私に愛がなく倣慢であったこと。「私がすること」と思い込んでいた家事一切が入院したことで何一つできなくなり、そんな自分を受け入れられないこと。家族への執着…次々示される罪に苦しみながら、イエス様の十字架の購いを知る時となり、神様の深い哀れみを感謝しました。このような中で、体調が悪い時や、落ち込んでいる時には、感謝なことにタイムリーに主にある友からみ言葉が届きました。マタイ7の11、ローマ8の28、 詩編94の19、イザヤ40の31、イザヤ55の8などなど…神様は多くのみ言葉によって励まし慰めてくださり、確かに神様は生きておられると確信し、神様を近くに感じることができました。
そして6回の治療を終えて、「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。」(詩編40の2)と心から主を賛美できました。
皆様の真実なお祈りとみ言葉の励まし、家族の支えによって、神様から大きな恵みをいただいたことを皆様に感謝し、造り主なる神様に心から賛美を捧げます。(高槻聖書キリスト集会)
(K.S.東京)
「イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われた。」(ルカ7の50)
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。」(詩篇55の23)
(以上は10月の集会で聖句暗唱に選びました。)
わたしは22歳で高校の恩師の導きにより、無教会の集会に入り、信仰に目覚めさせられて53年が経ちました。(現在75歳)
学力はなく、財力はなく、社会的地位も無い中で4人の子供が与えられ、4年前には終の住み家のように都営住宅に入居いたしました。そうした中で、体はいくつかの変化がありました。痔の手術、前立腺肥大の手術、膀胱癌の手術3回、いずれも入院をいたしました。その他、精神的落ち込みがひどくなって聖書集会を長期欠席することもありました。そうした中で、有り難いことに、信仰そのものに大きな乱れはありませんでした。
姿は平凡ですが、与えられるものは大きいものがあります。
ここ2年の間に、「祈りの友」入会、吉村孝雄様の「いのちの水」誌や関根義夫様の「パラクレートス」誌が与えられ、「野の花」の文集や「祈りの風」の文集の寄稿に導かれました。さらに、今年9月の末には、入信してより三度目の他集会の交わりに導かれ、そのことが元になりまして、10月には、わたしの不届きで30年、途絶えておりました同信の友との交わりが16年ぶりに復活させてくださいました。
これらのことは、わたくしが求めていて実現したことではなく、何よりも聖霊が計らってくださいました。なんとありがたい賜物でございましょう。それは、神様、イエス様が、わたくしが道外れた歩みをしないようにしてくださっているからであります。
神様は、こんなちっぽけ同様の私にも、こうして恵みの賜物を与えてくださいました。愛に乏しい私にも、神様は実をもって感謝と賛美を教え与えてくださいました。
残り決して長くない道のり、こうして明るい道を与えてくださる神様、イエス様、聖霊様に重ね重ね感謝と賛美をお捧げいたします。
(M.S.徳島)
「私は主にのぞみをおき、
みことばをまちのぞみます」
(詩編130の5)
私たちの周辺に深い淵が至る所にあり、簡単に絶望の底に誰でも陥ること、学びました。イエス様を信じているからと言って油断していてはいけないと思いました。絶望の淵に落ちた時には、真っ直ぐに主に叫び求めて歩み、どんな時も主にのぞみをおいて進んで行こうと思わされました。
(徳島市 鍼灸師)
(K.S.徳島)
「イエスは、これらのことを話してから、天を仰いで言われた。『父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。』」
(ヨハネ17の1)
ここからは特にイエス様が最後に「最後の晩餐」の後、祈られたところですが、究極に「すべてのものが一つになるように」、完成されるように、皆のために祈られているところです。イエス様は「祈りの人」でもありましたが、「祈る…愛する…大切にする」は、いかに深く思うか、時間的にも愛するものをどれだけ長く、費やして係って行くかだと思わされます。「祈りが初めに与えられ、すべての根源であり、祈りによって完成されるのだ」と思わされます。
何をするのかではなく「神様をどれだけ思うのか」が特に思わされます。 (鍼灸師)
(M.S.長野)
■埋葬の地について聖書のことば
「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、私の骨をここから携えて上ってください。」
(創世記50の25)
「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示をあたえました。」(ヘブライ11の22)
この二つの聖書の箇所は、ヨセフが骨をうずめたいと願っていた場所がエジプトではなく、そこから脱出して到達すべきところ、「乳と蜜の流れる地」「約束の地」であるカナンであったことを示している。ヨセフの指示に従い、その遺骨はモーセによってエジプトから運び出され、(出エジプト13の19)最終的にはヨシュアの死後イスラエルの人々によってカナンの地(シケム)に埋葬された。(ヨシュア24の32)。ヨセフの死後ざっと400年以上も経ってから願いが叶った。生きている時に実現できないことも、それが神のみ旨であれば死んだ後神が完成される。ヨセフは「天の故郷」を熱望し神が用意された「新しい都」に骨をうずめてもらいたいと願っていた。(ヘブライ11の13~16、黙示21の1~4)。そしてこの場所はわたしたしたちが最終的に行きたい場所でもある。望みの場所である。
■父のこと
わたしの父は今年2016年の1月20日91歳で亡くなった。わたしを山形のキリスト教独立学園へ入学させたことが私の人生の方向を決定づけることとなった。父の遺してくれた最大の遺物はキリスト教の信仰である。父は信仰について人前で話さない。しかし、わたしが高校生の時、半ば強引ではあったが父の教友と共に県内の方々が集まる無教会の夏期集会に参加させられた時、父の思いを感じることができた。その集会についてほとんど記憶がないが、キリスト信仰と信仰の仲間を父が非常に大切にしていることを知った。
■関家の墓
関家一族の墓地は自宅から歩いて5分ほどの寺(庵)の敷地内にあり、古くて小さな墓石には「天正」と刻まれている。戦国時代の終わり、信長・秀吉の時代から一族がこの地に定住していたことがわかる。父の告別式の後、納骨しようとして母が寺の住職を訪ねたところ驚くべき事実を聞かされた。それは父が寺の墓地からぬけるために「脱会届」を提出していたことだ。私も母も寝耳に水であった。15年間の未納分の会費の納入を求められ、そして今後寺の墓地に留まるか否かを問われた。
「この寺の中の墓地に納骨してほしい。自分がキリスト信者であることがわかるように墓誌にその旨を刻んでくれ。」と父から命じられていたので、「脱会届」なるものを提示されるまで、まさかこんな事になろうとは思ってもみなかった。今となっては父の思いを知る由もない。「関一族のしがらみ」からぬけ出したい思いがあったのではないかと推測した。届を提出してはみたが何らかの理由で家族には言い出せなくてそのままになってしまっていたのだろうか。思いが叶えられなかった父に代わって、わたしは寺の墓地から出ようと決意した。
■わたしと母の決心
母にそれを伝えたところ。母は決心するのにだいぶ葛藤があったが賛成してくれ、新しい墓地を探す事になった。母の葛藤にはそもそも理由があった。母は関家で生まれ、父と母が結婚した時、父は関家の養子に入ったからである。母は自分が生まれた関家一族の桑原という地に思い入れがある。特に関家という家に責任を感じ「自分が守らなければ誰が守るのだ」という非常に強い使命感を持っていた。「私の桑原物語」という自分史にその様子が書かれている。しかし墓を移りたいと私が表明したとき、イエス様が母の心に入っていて下さり信仰によりこの世の人間的な思いから救い出され、イエス様の霊の中に導かれたのだと思う。母にとってこれは一大決心であったと思う。私は母の決意の言葉を聞いたとき母の信仰が本物だと思った。
それから母は気持ちが吹っ切れたようで、びっくりするほど積極的に場所を探した。母のおかげで新しい最良の墓地が与えられた。父と母とはよくぶつかりあうことがあった。欠点だらけの家族だ。しかし何故か二人の信仰を通して神様が不思議な働きをなされ、道がすでに整えられていた。父はもう居ないが私がエジプトからカナンの地へ、つまり神様の方へ方向転換するのを15年間待ち続けていた。父の思いが叶いカナンの地へ葬ることができる。 (会社員)
(H.S.徳島)
「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。
もし神が私たちの味方であるならば、だれが私たちに敵対できますか。私たち全てのためにその御子をさえ惜しまず死に渡された方は御子といっしょに全てのものを私たちに賜らないはずがありましょうか。
だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが神の右に座っていて私たちのためにとりなしてくださるのです。」(ローマ8の31~34) (三療師)
(M.S.長野)
「キリスト信仰は、何を目標としているかというと、それは終末の時に神の前に赦され、神の民として迎えられるということである。救われるとか赦されるとは、今災難から救われる、今赦されるというものではない。イエスの十字架によって赦されたとしても、この世で悪いことをすれば罰を受けなければならない。私達の赦しは、この世の赦しではなく、神の国での赦しなのである。」(榎本保郎「一日一章」より)
この文章を読んだ時、自分の信仰の目標が具体化されたように感じました。信仰の焦点を、はっきり終末にあてて歩むクリスチャンでありたいと思いました。
新約聖書の中には、再臨について書かれている箇所が418箇所あるそうなので、その箇所を拾いながらマタイ伝から読み進めてみました。まだ途中ですが、今回特に心に留まったみ言葉について綴ってみます。
「人間はただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現われてくださるのです。」(へブル9の27~28)
私も必ず数年後には死を迎えます。その後に裁きの場に立つことも定まっています。また、イエス様が再び来られる事が約束されています。そして、裁きはイエス様に委ねられていますから私は、イエス様の御前に立つことになります。裁きというと怖さも感じますが、イエス様は、罰するためではなく救うために来てくださることが分かります。
「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。」(テサロニケ前書4の16~17)
主の再臨がいつになるのかは人間の知るところではありません。たぶん私が死んだ後であるとは思いますが、もしかしたらその日が迫っているのかもしれません。どちらにしろ、再臨と同時に復活があると示されています。そしてイエス様にお会いすることができます。
「人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また自分の言葉によって罪ある者とされる。」(マタイ12の36)
この箇所を読むと、裁きの厳しさを思わされます。口は、人間が簡単にしかも日常的に罪を犯し易い器官であると思うからです。ヤコブは「舌は火です。舌は不義の世界です。」と言っています。全くその通りだと思います。嘘偽りの無い真実な言葉を語る者となりたく思います。舌の災いから自分を守り、信仰を正していくのに必要なものは「沈黙」だそうです。「わたしの口の言葉が御旨にかなうように(詩篇19の15)」と祈っています。
内村鑑三の信仰著作全集13の最初に「最後の審判」について書かれたものがありました。その中で、「キリストの前に立って義とされるのは、憐れみのある人」という記述がありました。そしてその記述の前にマタイ25章の「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」と言われたイエスの裁きの座の話が引用されていました。
「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きがくだされます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。」(ヤコブ2の13)
イエス様は、友なきものの友となられ、しいたげられし人をたずねました。「憐れみ」とはそのようなものだと示してくださっています。
『神の国での赦し』を得るためにはどのような生き方をしたらよいのかは、イエス様がお手本を示してくださっています。ですから、私はイエス・キリストに依り頼み、終わりの日・再臨の日・復活の日・裁きの日に備えて日々を歩みたいと思います。
主よ、私をあなたの民としてください。約束された聖霊で証印を押してください。御国を受け継ぐ者としてください。主イエスよ、来てください。アーメン。 (小学校非常勤講師)
(Y.S.埼玉)
浦和キリスト集会では、この6月から、今日10月16日にかけて、旧約聖書のイザヤ書40章から55章の、いわゆる「第二イザヤ」を、礼拝の時に学び、深い感動と喜びそして感謝をもって終わることが出来ました。
この、「第二イザヤ」と言われる預言書は、かつて繁栄を謳歌した、誇り高いユダ王国が,新興帝国バビロンの前に滅び去り、捕囚の憂き目にあって、恥辱と深い絶望の中にあったイスラエル民族に関するものです。しかも、その自分たちが、いまやその恥辱から解放されて、懐かしいシオンの都に帰ることが現実味を帯びて来た事をいち早く見てとった、一人の無名の預言者が、意気消沈している同胞に向かって呼びかけた、喜びと力強い希望の言葉に満ちているのです。その中で、なんと言ってもそのうちの、最も真に迫った喜びを伝える言葉は、43章1~3節の次の言葉です。
「ヤコブよ、あなたを創造された主は、
イスラエルよ、あなたをつくられた主は、
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
水の中を通る時も、わたしはあなたと共にいる。
大河の中を通っても、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。
わたしは主、あなたの神、
イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。」
わたしには、第二イザヤのこの言葉に、とても懐かしい思い出があるのです。それは、今は亡き、かつて三島真光教会牧師金田福一先生が、ある年の「年頭アシュラム」の早天祈祷会で語られたことにあるのです。先生は、ここをお読みになりながら、わたしたちにこうおっしゃられたのです。「みなさん、ここの、『ヤコブよ』、という所に、そして、次の『イスラエルよ』、という所に、ご自分の名前を代わりに入れて読んでごらんなさい。」先生は、そうおっしゃって、ご自分の名前をそこにお入れになって、読まれたのです。わたしは、金田先生のお話しを聞きながら、とても感動したのです。聖書の言葉を、このように読むという事があるのだ、という事を初めて知ったのでした。長い間の、「アシュラム」での訓練の中で、わたしは、聖書の言葉は、神様から自分に語られた言葉として受け留める、という事を教えられて今があります。
最近、この、第二イザヤの43章の言葉にメロデイを付して、実に感動的なコーラスの曲として録音しているCDの存在を知りました。それは、イエスのカリタス修道女会のスモールクワイア(http://www.m-caritas.jp)から「わたしをお使いください」と名付けられて発行されているものに収録されています。いま浦和の集会では、この讃美がとても喜ばれています。ついでに、この曲をCDから譜に移し替えてくださった浦和キリスト集会の錦見義子姉の楽譜をご希望の方はお知らせください。お送りいたします。どうぞ皆さんも、この素晴らしいコーラスをお聴きになって、そして一緒に声を合わせてお歌いになって、ますます、神様の力強い励ましの中に、霊的な喜びと希望と感謝の思いを沢山にお受けになってください。
たとえあなたが今、どんなに意気消沈した状況に置かれているとしても、このコーラスを通して、あなたに向かって語られる主の言葉が、命となってあなたを、豊かな聖霊のお働きを通して励ましてくださるに違いありません。及ばずながらわたしも、あなたのために祈り続けたいと思います。
浦和キリスト集会
(Y.T. 徳島)
2016年を振り返ってみると、大規模な地震が多かったように思います。特に、4月の熊本地震では、震度7を、2回観測するという、想定外のことがあったもので、大規模災害に発展していました。
また、10月にも、鳥取での地震があったもので、市内でも、多少の揺れがありました。
大規模な地震があると、聖歌397番「とおきくにや」が思い出されます。携帯のアラームにも設定しているもので、毎年、東日本大震災の日に鳴動しています。
1日も早い復興を祈りたいと思います。
以下に、聖歌の1節を入れておきます。
遠き国や海のはて いずこに住む民も見よ
慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり
慰めもてながために 慰めもて汝がために
ゆれ動く地に立ちて なお十字架は輝けり
(M.T.徳島)
小学校の校長先生が「となりの町からオリンピックで金メダルをもらった人が出ました。皆さんも将来、金メダルをとれるような人にぜひ頑張ってなって下さい。」と言ってました。
でも、礼拝のお話で「オリンピックのうらにはお金がある!」と知りました。みんなにも見ためだけではないことを伝えたいと思いました。(小学4年生 10歳)
(Y.T.徳島)
ものはじぶんでうごけない。でも、人はうごいたりしていきている。どうやってつくられたんだろう。どうして、ぼくの手はあたたかくて、うごかせるんだろう。オモチャはつめたくてうごかないのに。ふしぎです。あさになると、あさがおがはなをさかせてるのも、うさぎがふわふわあたたかくて、ピョーンとはねるのも、ふしぎです。(小学1年生 7歳)
(N.T.岡山)
「私も老老介護となり、自分の身を保つことがやっとという状態でした。どうなることかと思いましたが、神様にお話しすると、体の中から喜びが沸き上がってくる。という不思議な体験を頂きました。喜びは力となって、疲れも癒され、優しい心で病人に接することができました。私は神様がいつもこんな身近にいて下さるのだという実感を頂いて、沢山の方々のお祈りにも支えられ、喜びと感謝のうちに過ごすことができました。」これは、御主人の前夜式で述べられた先輩の「お礼の言葉」です。長い闘病生活を共に歩んでおられましたが、このお言葉通りの平安がいつも満ちていて、私共にも伝わり、これからの歩むべき道を身をもって教えて頂きました。
集会では「神様には『アバ父よ』と子供のように寄りすがっていいのだ。」とも言われていました。簡単なことなのに、かつては子供の時も経験したのに、余りにも多くのことを身につけてしまったからか、なかなか素直になれません。でも、「老いを重ねる」ということは、それら一つ一つをお返ししていくことかとも思います。
どのような状況になっても、神様が共にいて平安の中に歩めることを教えて頂き勇気が与えられました。
(岡山市)
(H.T.徳島)
1 たとえば私が歩けなくなっても
私を背負ってともに歩いてくれる
たとえば私が道をはずれても
私とともにいてそこを歩いてくれる
ともに生きる喜びかみしめながら歩いていく
私のそばにはいつももうひとつの足跡
2 たとえば私が涙を流すとき
ともに涙流し悲しんでくれる
たとえば私がひとりになっても 私を慰め励ましてくれる
ともに生きる喜びかみしめながら歩いていく
私のそばにはいつももうひとつの足跡
3 イェス様とともに歩きだすときに
あなたも気づくだろうもうひとつの足跡
砂の上に続くふたりの足跡は
あなたとイェス様の足跡なのです
ともに生きる喜びかみしめながら歩いていく
あなたのそばにはいつももうひとつの足跡
(K.T.宮城)
「あなたは見えないところで愛されている」(郡 美矢 著)
とても良い本を頂きました。読んでみると、神様のみこころが優しく、わかりやすく書かれていて 本当に良い本だと思ったので自分だけではもったいないと思いました。
そのお話の中の一つに
『聖書に、5秒で終わる私が一番好きなお話があります。』と始まるところがあって
『あるところに100匹の羊を飼っている人がいました。放牧中のあるとき、1匹いないことに気づきました。飼い主は99匹を置いて1匹を探しに行きました。以上です。』
この方はろう者の女性牧師です。人生や牧師の仕事に迷いそうになった時、必ずこのお話を思い出すのだそうです。
そこには『つまり、99匹と1匹の羊の価値は同じということです。(中略)1匹1匹の性格をわかっているから、いないことに気づいたのです。』と書かれていました。
この箇所は何度も聞いていた聖書のお話が、とても新鮮なものとなって、主の愛のあたたかな感覚、いのちの良き言葉に心が触れた感じと言っていいのでしょうか?心に喜びを与えられて、本当に感謝でした。
その続きには
『あなたはどこかで誰かに必ず必要とされています。
それぞれ一人ひとりがいいものを持っている大切な存在です。
あなたは忘れられていません。
見えないところで愛されている大切な人なのです。
それを一人でも多くの人に伝え続けるのが私の仕事です。』
と とても慰められるとともに、励まされました。私も生きている限りキリストに従いできるところで、少しでも、周囲の方々にも、そのように伝えさせて頂けますように、願いました。
神様に繋がって歩ませていただき、最後まで命の道を歩ませて頂きたいと思いました。
新聖歌349番「移りゆく時の間も(日々主はそばにいまし)」の特に3節の歌詞は、慰められます。
悩み激しき時も 主の約束頼み
安けく過ぎゆくため 主のみ言葉たまえ
疲れし時に助け 御手にすがるわれを
常に導きたまえ 御国に入る日まで
アーメン
「祈りの友」の方から、お誕生日に送られてくるカードのメッセージにとても慰められました。私たちの間にこれからもイエス様がいて下さり わたしも少しでもそのようなことができるようにさせて頂けるように み言葉をきいて従いたいと思いました。いつも主にあるお交わりに感謝します。 (仙台市)
(R.T.徳島)
天に宝を積みなさい
「宝(treasure) は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたのtreasureのあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイ6の20~21)
(S.T.千葉)
人のちょっとした言葉に傷ついたり、カチンと頭にきて不快になったりする自分がいる。朝は少しでも愛の実践をしたいと願っていながら、すぐに人のせいにしたり、人を愛せなかったり赦せかったりする自分がいる。私の罪をゆるすために十字架に掛かってくださったイエス様を思うと、本当に申し訳なくなる。ご自分を十字架につけて殺そうとしている敵である兵士にさえ執り成しを願う祈りを奉げるイエス様の愛を思う時、自分の愛の無さ、ちょっとしたことですぐに罪に逆戻りしてしまっている自分が情けなくなる。
そんな情けないわたしにも信仰を与えて下さったこと、イエス様がいつも内にいて下さることは宝です。苦しい時、誰かに聞いてほしい時に、祈ることで聞いて下さるイエス様がいて下さることは本当にうれしいことです。イエス様がそばでわたしを見守り、祈りをきいて下さることを思うと、混乱したりくじけた心が軽くなります。落ち着いてきます。
驚いたのは、エフェソ1の4の「天地創造の前に私たちを愛して、聖なる者、汚れのない者にしようとキリストにおいてお選びになりました。」の言葉でした。天地創造の前?人間の私には計り知れない永遠の昔から愛して、選んで下さっていたことを思うと信じがたい驚きです。エフェソ書だけかと思っていたら、マタイ25の34にも同じような「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造のときからお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」の言葉に出会った。神様は、天地創造の時から用意して下さっていたという。人間では計り知れない神様の愛の大きさ深さ、まさにアメイジンググレイスである。神様、天地創造の時からわたしを選んで下さっていたことを知り、神様の大きな愛に心から感謝します。こんなわたしですが、信仰を与えて下さり、本当にありがとうございました。
(Y.T.徳島)
ハバクク書2章4節の学びから、
「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。
しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
という御言葉が心に残りました。 (主婦)
(K.T.徳島)
友人が「いつも『わたしの元に来て静まりなさい』と言ってくれるこの本が大好き!」と紹介してくれた「わたしは決してあなたをひとりにしない」(サラ・ヤング著)という本を私も読み始めました。
聖書日課形式の本なのですが、どの日にも「朝まずわたしのところへ来なさい。そしてわたしの愛と平安を受け取りなさい。小さなことも自分に頼らず一瞬一瞬をわたしに頼って今を十分に生きなさい。わたしはいつもあなたを抱きしめている。わたしの永遠に変わらない愛に包まれて心を体を休ませなさい。」と語りかけてくれます。
そうか、まず神様のところへ行って祈って「今日一日よろしくお願いします」と平安をもらえばいいんだ、小さなことも大きなことも助けてください導いてくださいと自分の力に頼らず神様にお願いすればいいんだと安心を与えてくれます。
この本を紹介してくれた友人は、彼女が長年直面している困難な状況は変わらないけれど、ここ1~2年送ってくれるメールや葉書の言葉が闇から光のように驚くほど明るく前向きになりました。
「イエス様に愛されている私たちって本当に幸せね!」神様の愛を心から喜んでいるという感じ。変わったなあと思っていましたが、この本が原因のようです。
以下は10月13日の一部分です。
「わたしのもとで静まって、心を落ち着ける時間を作りなさい。
気持ちがあせればあせるほど、あなたはわたしとふれあえるこの聖なる場所が必要になる。
さあ、ゆっくり深呼吸してごらん。そしてわたしのもとで、わたしが顔を向けてあなたを照らす光の中で安らぎなさい。
こうしてあなたはわたしが常にあなたに与えようとしている平安を受け取ることができる。」
私もこの本が大好きになりつつあります。(徳島県板野郡)
(M.T.千葉)
山中湖での夏の聖書集会。関根先生がレ・ミゼラブルの一部分をとうとうと語ってくれました。その中で心に残った事がありました。『ジャン・バルジャンが司祭から盗んだ燭台のことで警察からとがめられ、司祭の対応に深く感動した後の出来事。ジャン・バルジャンが道端に座っていると子どもがコインを空中にはじきながら歩いて来た。コインがジャンの足元に転がってきた時、とっさにジャンは自分の足でコインを踏みつけ子どもを睨んだ。子どもはコインを取られた上、怖い男に脅かされ泣きながら去っていった。その時、ジャン・バルジャンは激しく泣いた』という部分。司祭から沢山の愛を与えられ心が入れ替わったと思われたのに、とっさに取る行動は今までと全く変わらない。とっさの行動には自分が昔から持っている性格が出てしまう。正しくて良い性格になりたいなぁと思っても、性格が清くなるのは難しい。神様に心の思いから清くして頂かなくてはだめだなぁとその時につくづく思いました。
そのことの思いはずっと心に残っていました。そして、9月25日のスカイプでの主日礼拝の時に新たに気づかされ、心が軽くなる思いがした事がありました。マタイ6の16~21でした。
「自分にとって大切なものを傍らに置いて神に祈る事が断食である。朝起きてすぐに新聞を読んでしまうのも神様の事を思わず自分の事を考えているから罪である。」と聞いた。何気なく自分が取っている行動・とっさの行動は神様の事を思わないで自分の事を思うから、神様の目から見たら罪にあたるのだ、と思った。とっさの行動はその人の性質による事が多いと思う。世の中には自分の持っている性質が様々なことに躓かないようにするためのHOW TO本がいろいろ出ているように、性質を自分で正すのは大変な事。けれども、自分の持っているもの・行動様式・とっさに出るものが『神様の事を思わない』という罪ならば、神様に『許して下さい』とお祈りすれば良いのではないか。というよりお祈りするしか方法はない、と思った。神様は人間の祈りを聞いて下さる方だから、罪を赦して下さって、今度はとっさに出てくる行動が神様の事を思う新しい心にかえてくれるだろう、と思った。そう思ったら何となく嬉しくなってきたのです。
(E.T.徳島)
この一年も多くのことで悩み苦しむことがあったが、主に支えられ、また周りの信仰の友に支えられ生かされてきた。
疲れ果てているのに眠ることができなくなった時もありました。
でも、不思議と朝には力をもらって主に生かされているのです。
賛美集「世界の讃美2」に「神のみ言葉は」という讃美があります。その初めの言葉「神のみ言葉は」を「主イエス・キリストは」と置き換えて歌うこともありました。
そこから霊的な力を与えられます。感謝です。
神のみことばは (ドイツの讃美歌)
「つかわしてください 世界のさんび 2」の10番
1 神のみことばは 暗い夜の光
どんな深い闇の中にも
希望と未来をしめす
2 神のみことばは 闇夜に光る星
どんな恐れ、不安の時も
いやしと力与える (鍼治療院 天宝堂)
(K.T.徳島)
わたしの中には闇があります。
だが、あなたのそばには光があります。
わたしは孤独ですが、
あなたはわたしを見捨てる事はありません。
わたしは不安です。
だが、あなたのそばには平安があります。
わたしのなかには悪魔がおります。
だが、あなたのそばには忍耐があります。
あなたの道はわたしの理解を超えております。
だが、あなたはわたしのための道をごぞんじです。
(「ボンヘッファー獄中書簡集」より)
ディートリッヒ・ボンヘッファーはドイツの告白協会の指導者であり神学者であり、牧者でしたが、1945年に強制収容所で召されてしまいました。なぜ獄に囚われの身となったのかは、前述の本をお読み下さい。
讃美歌21の469「善き力にわれかこまれ」ボンヘッファーの歩んだ生涯を思い浮かべられます。特に心を打たれるのは3節です。
1 善き力に われかこまれ
守りなぐさめられて
世の悩み 共にわかち、新しい日を望もう
2 過ぎた日々の 悩み重く
なお のしかかるときも
さわぎ立つ 心しずめ
みむねにしたがいゆく
3 たとい主から 差し出される
杯はにがくても
恐れず、感謝をこめて
愛する手から受けよう
4 輝かせよ 主のともしび
われらの闇の中に
望みを主の手にゆだね
来るべき朝を待とう
5 善き力に 守られつつ
来るべき時を待とう
夜も朝も いつも神は
われらと共にいます
(S.N.徳島)
「医者を必要とするのは病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく
罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
(ルカ5の31~32)
最近この御言葉が特に心に響きます。私も八十才台半ばになって心身共に老化が進み周囲の方達のお世話になる事も多くなり、神様の御守りと皆様のご親切に深く感謝しております。 しかし長い人生を振り返りますと何一つ善いこともせず人の役に立つことも出来ずうかうかと過ごしてきた、自分の罪の大きさが本当に恐ろしくなって落ち込んでしまいます。その時にこの御言葉によって、救い主イエス様の十字架による罪の赦しの深い意味を思い出して、こんな私でも信じるだけですべての罪が赦されることを知り大きな安らぎを覚えます。このイエス様の計り知れない尊い御愛を忘れない為にもいつも祈らなければならないのですが弱い私には強い助けが必要です。
先日内村鑑三の注解書をめくっておりますと先生は、日常生活で困ったことが起きるとすぐに聖霊を求めて祈られたそうです。そのお祈りは 「主よ、今あなたがいまし給うことを信じます。私はこの問題を解くことが出来ません。どうぞこれを解いてください。私に力がありません。どうぞ力を与えてください。」と記されてありました。
日本の重要な預言者であり信仰の大先生がその晩年に、落し物を探す時にも真剣に信じて聖霊の助けを求めて祈られたことを知り何とも言えぬ喜びと意欲が湧いてきました。私も恐れずに小さな祈りを続けなければと思いました。
このような愚かな者を白髪になるまで持ち運んでくださった主の御愛をほめたたえます。
主よ、どうか私の重い不信仰と愛のない罪をお赦し下さい。 アーメン
(N.N.東京)
主日礼拝で(スカイプで参加)列王記上9の4「わたしは絶えず、これに目を向け、心を寄せる。もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み…」
無垢な心とは、8章61節でいう「主と心を一つにする」ということ。主と心を一つにするとは、全き心を持つこと。しかし、私たちには、全き心がないので十字架の主を仰ぐのです。と教えていただきました。
マタイ6の22「体の灯は目である。目が澄んでいれば全身が明るい」について、霊的な目を持つには、神様だけを見つめること。誠実な心・一つの心で・単純にまっすぐな心で。そうした心に神の光が入って、光の中を歩むことができる、その光を頂けるように祈り求めて日々新しくされることです。と教えていただけました。
マタイのこのみ言葉も「無垢な心」のことではないかと思いました。
思い浮かぶのは、イエスの話に聞きっていたマリヤの真っ直ぐな心。「あなたの信仰があなたを救った。」とイエスに言ってもらえた12年間苦しんだ女性の純粋で単純な心(マタイ9の22)。「あなたの罪は赦された」と中風の人をイエスのもとに連れてきた人たちの「共同体の愛」(マタイ9の2)の信仰です。
「無垢の心をこがれ求める」という武井陽一郎氏が2014年に編集発行された伊藤邦幸・聡美記念文集を読みました。伊藤氏は日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)のネパールのオカルドンガで活動されました。(1931年~1993)活動はシュバイツアーにならい、読書家で内村、三谷隆正、トルストイ、ヒルテイ、マザ―テレサ等の教えに影響を受けています。記念文集の題名は、伊藤氏の読書録「偶成」の詩から付けたという事です。詩を紹介します。
「見栄坊の私は、告別式において、なんと評されることを望んでいるのか。偉大な人物だったとは…だれも言うまい。そのようなことの誤解の種子は蒔かなかったつもり。親切な人間だったとは…私の最も望むところ。しかし現実とは最もかけ離れた虚像。賢い人だったとは…だれも言うまい。それは、私のひそかに自負するところ、善い意味でも、悪い意味でも。学生を愛し、学生と偕にあることを喜びとした人であったと…近しい人がそういってくれるなら、私の杯はそれで一杯。その他に何を願うのか?私の魂よ。羞恥を抑えて 厚かましく語れ。
私は今もこがれ求める…純粋であることを。純心無雑 秋の大気のような あるいは 南極大陸の雪原のような まじりけのない 無垢の心を。」
この詩で伊藤氏は、初めは気になる人間の評価に心を向けています。いくつか並べて、まだあるのかと自問自答します。自分の魂の奥底にあるのは、人の評価を望んでいるのではない、「まじりけのない無垢な心」を求めているのだ。それは以前から持っていて、今も「焦がれ求めているものなのだ」と、神に目が向けられています。天国においては、この世の働き・評価が重要ではなく、「ただ十字架のおかげで救われる」そのことに目が開かれたという事ではないでしょうか。不純なものが抜けない人間であるゆえに、不純な心が取り除かれて、神のみ前に低くされ自分の弱さをもっともっと知らせていただきたい、との願いからの言葉ではないかと思われるのです。
伊藤氏の「見栄坊の私」で始まった正直な詩に共感・感動した私は、これまで伊藤邦幸氏は、ネパールで医療活動をしている偉大な人物として尊敬はするものの遠い存在だったのが、無垢な心をこがれ求めていた氏を知り、身近に感じることができ、どこまでもその心を求めていくことを教えられました。
内村鑑三が臨終の床で「自分は十字架にすがる赤児に過ぎない」と言われたように、私も最後まで十字架にすがっていけるように願っています。
編者武井陽一郎氏によれば、伊藤邦幸氏が罪の体験をしたこと、その結果信頼していた恩師と離れざるを得なかったこと、聡美(そうび)夫人が与えられたが、藤井武のように夫人をもぎ取られたこと、ご自身が病を与えられ、活動の歩みから無力な者とされた体験をしたという事です。武井氏は「これらの体験を通して神の御業、栄光、ご計画が現れたことを、今回深く知ることができました。邦幸先生の純粋さ、まじりけのない無垢な心をこがれ求め、一つの過ちの体験を決してあってはならなかった体験として生涯大切に受け止め続け、「聖きと智慧と真実を求め喘ぎつつ」歩まれた先生の姿を、あふれる感謝をもって学ぶことができました。」と、文中で記しています。
脳幹梗塞で倒れた伊藤邦幸氏の晩年の言葉です。
「海外において貧しき者に奉仕し得ることは大いなる恩恵である。しかし、己が臥所(ふしど)に留まって神を義しとすることは、さらに尊いことである。」
伊藤氏は、「み心がなるように」との祈りと神の国と神の義を求める祈りが祈りの中心になっておられたのではないでしょうか。
「無垢な人の生涯を主は知っていて下さる。」
(詩編37の18)
「あなたに望みをおき、無垢でまっすぐなら そのことがわたしを守ってくれるでしょう。」(詩編25の21)(八王子市)
(K.N.徳島)
「地の果てのすべての人よ、わたしを仰いで、救いを得よ。
わたしは神、ほかにはいない。」(45章22節)
「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(46章4節)
(Y.N.大阪)
天国に動物たちはいるのでしょうか。
人間あるいはそれ以上に動物を愛し、かわいがる人がいると聞きます。愛するペットが死んでしまったあと、彼らは天国にいるのでしょうか。聖書は明言していないものの、いくつかの聖句から考えてみます。
「神は言われた。『地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。』そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。」(創世記1の24~25 )
アダムによって罪が世に入り込む前の完全な世界に神様は動物たちを創りだし、「良しとされた」。神様の天地創造の業の一部に多様な動物たちがいます。その後創られた人間に動物が与えられたことにも、神様の目的があると言えます。
「彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。」(創世記7の14~15)
ノアの時代、洪水の前に神はすべての種を方舟に招き入れています。神様は人だけではなくすべての生ける物にも目をとめておられ、すべて生かすため、巨大な方舟を建造させます。私たちは「犬は人間の親友である」とよく表現しますが、それは犬がすべて犠牲を払っても主人を守ろうとするからです。イエスは弟子たちと一緒に焼き魚を食べました(ルカ24の43)。イエス様がエルサレムに子ロバに乗って入ったことには驚かされます(マタイ21章)。
「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。」(イザヤ書11の6)
神の国では、地上に見られる命がけの生存競争の姿は目の前に広がっていません。神の国では死も悪も滅んでいるだけでなく、この動物たちの姿が示している完全な平和です。人間には天上の体と地上の体があること、自然の命の体があるのだから、霊の体もあること(第一コリント)が言われています。動物たちも同じように、天にふさわしい体を持って神を讃美しているのであろうと思います。
「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」
(詩篇150の6)
(H.N.徳島)
ある美しく晴れた、秋の日に誘われ、娘と神山の山道をドライブした。車道にはコスモスの花が陽を浴びて揺れていた。神様に手が届くような自然を求めて車を走らせた。気がつくと、母が最後の住処として選んだ施設がある山中に来ていた。
車を留めて、二人で坂を登ると陽の当たる場所に、季節外れのモチツツジが一輪ピンク色に咲いていた。顔を近づけると懐かしい香りがした。道路の真ん中に栗の実が落ちていた。
母が居た頃、母は施設周辺で栗をたくさん拾い、その頃、神戸で働いていた私の娘に送ってあげてと託したことがあった。
「この栗を、ばあちゃんも拾っていたんだろうか。ばあちゃんがイエス様と出会って天国へ行けて良かった。」と娘が話す。山路には綺麗な流れがあり、淵には、ススキやアキノタムラソウ、ヨメナが透明な空気の中で凛と咲いていた。何て美しい風景なんだろうと神様のされることは、みな美しいと母の事を思い出しながら二人で歩いた。
母は、情が非常に深く、親族の事を自分の事以上に案じ、よく泣いていた。
晩年の母がある日急に私に電話をかけてきて、「春美の神様を信じたい。どうしたらできるんで?」と言うので吉村さんに相談すると、「聖書を学ぶ為に神山の自宅で集会しましょう。」と言ってくださり、吉村さんがさっそく始めて下さった。
不思議な事に、母は、自宅での集会に参加するようになると、いつの間にかどうしてか、思い煩わなくなり、感謝の人に変えられていった。母は不思議なほど明るくなり、泣かなくなり、心配事を口にしなくなった。なぜそうなったのか、本人も周りの者も分からないほど自然に、とにかく母は根本から人格が変わった。「ありがとう」「感謝だ」というようになり、いつも笑顔でいる人になった。
その後、ガンになり手術し、自宅での生活ができなくなり施設生活になったが、母は病気の事や家族の事を一切神様に委ねて平安で明るかった。施設の職員や利用者、親族に愛され感謝され、末期になり苦しい時も、主を仰ぎ見ていた。
母の急激な変化は、聖霊さまの働きとしか理解できない。
聖霊さまが誰かに降りると、その人の内で働き、その人を根本から変え、平安なキリストの香りを放ち始める。
母を通して、イエス様とは、信じた人の内で、よき変化を起こす生きた力であることを知らされました。
そんな母の事を話しながら、私達の内にもこのイエス様が今働いて下さっていることに感謝した秋の一こまでした。 (ケアマネジャー)
(M.N.北海道)
明治初期理想郷キリスト村を創らんと北海道に渡り原始林を切り開いた多くの先輩方がおります、日高元浦川の赤心社、帯広の晩成社、今金のインマヌエル村、浦臼の聖園農場、美瑛の小野農場、北見の北光社、遠軽の学田農場などあり、村の中心に教会を建て、聖日を守り子弟の教育に熱心であり、聖書を中心とした新しい郷土作りを考えています。
私が新規就農してから48年が経ちました、仲間と酪農同志会を開き、家族ぐるみで日頃の生活の悩みや酪農経営について話し合い、三愛塾(神を愛し、人を愛し、土を愛する)を夏と冬に開き、聖書を通して信仰生活と農業技術を学び、「食することは生きること、生かされて我々は何をなすべきか」と、問いかける塾長樋浦誠先生(酪農学園大学初代学長)に絶えず詰め寄られ、日々の生活の中で祈りを共にしてきました。
やがて、子羊の群れが増え「真理の会」の堤道雄先生が瀬棚聖書集会を開いて下さるようになり、札幌をはじめ岩見沢、苫小牧、東京、横浜、埼玉、栃木、鹿児島等々各地からの参加者も加わり、続けてきましたがご高齢になり中断するかに見えましたが引き続き「徳島聖書キリスト集会」の吉村孝雄さんを瀬棚に迎えて聖書集会が続けられており主の導きに感謝します。
3年ほど前から毎月第3木曜日に各家庭を持ち回りで聖書を学ぶ会を持つようになりました。10月20日木曜日我が家で行われた木三会で司会を兼ねて一言話をすることになり、以前から話に聞いておりました「理想郷幌向原野キリスト村建設」について調べてみました。これは終戦直後の話です。その中心人物が西村久蔵と言う生活に困窮する混乱期に凡てを神様にゆだねて歩まれた軌跡の集大成がキリスト村建設でありました。
彼の愛唱した讃美歌379番を歌い、愛誦し実行努力したロマ書12の9~12を読んで始めました、「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
1946年(昭和21年)10月賀川豊彦氏と札幌駅前のニシムラ洋菓子店の社長西村久蔵氏らが中心となりキリスト村構想は始まります。理想郷の器となるべき土地は、東野幌原野から江別太、豊幌を含む北部幌向原野にまたがる3000ヘクタールの土地で賀川豊彦氏が北海道庁長官増田甲子(かね)七(しち)と話し、増田長官がクリスチャンであったこともあり話は順調に進むかに見えましたが1年たっても2年目も許可が下りずしびれを切らした西村久蔵は1948年(昭和23年)実利,実用,地位,名誉よりも、信仰、精神を第一に考え、歩くと足がブスブスと埋まる泥炭地に自ら入植するのでした。幌向原野キリスト村建設はデンマークの農村を理想像として祈りと農耕の生活、具体的には農村の中心に教会があり、図書館、病院、さらに店舗、加工工場、農機具工場など文化、保健医療、産業施設などを備えた理想郷の建設でした。ここに満州引揚者、戦災者、復員者など250人を入植させ、各戸それぞれ5ヘクタール、そこに信者である入植者は、祈りと農耕の日々の中で家族愛的な絆で結ばれた「乳と蜜の流れる理想郷」で自立自足の生活を築く、これがキリスト村構想でした。しかし、西村久蔵は1951年3月ひどい苦痛に悩まされ激しく荒々しい息づかいが続き北大病院で診察してもらうと「先天性高血圧大動脈弁閉塞不全症」と診断されますがなお活動を続けます。その2年後1953年7月12日西村久蔵は主の元へ旅立ちます。その一週間後西村らが切望していた幌向原野の開拓地に正式に国の許可が下ります。入植者41名、増反者18名、入植者の中には地元農家の次、三男の他、キリスト村待機者数名もいました。しかし、当初描いた理想郷には程遠い国による開拓事業がスタートしたのでした。
なぜ、キリスト村は実現しなかったのか。その最大の原因は行政の壁でありました。石狩支庁は特定の宗教団体に対する行政不関与の原則からキリスト村を認めるわけにはいかなかった事、更に言えば賀川、西村らの壮大な構想も計画も理想だけが一人歩きし、現実的、具体的方策に力がなかった事。又江別町の方針も地元農家の次、三男対策に力点を移行せざるを得なかった所にありました。せたなの仲間が時と場所を越えて主の証し人として定住し信仰と農耕を持ち続けていることに主の御業を感じます。 (北海道瀬棚)
(Y.N.徳島)
自分の中に、何も善いものが見いだせない時、部屋に掛けている「洗足」の画をじっと見つめた。
イエス様が俯いて、弟子の足を洗っている。ペテロは「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか。」と言った。イエス様は「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる。」と答えられた。ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください。」と言うと、イエス様は「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる。」と言われた。私はハッとして、心の中で、ペテロと一緒に叫んだ。「主よ、足だけでなく、手も頭も!」。
イエス様は世にいる弟子たちを愛して、愛し抜かれたとある。価値のない者の汚れた足を洗ってくださるイエス様に感謝して、ずっとずっと神様と繋がっていたい。イエス様の愛に留まること、それが私の一番の願いです。 (徳島県吉野川市)
(ケアマネジャー)
(M.N.静岡)
我が家の庭に一本の次郎柿の木がある。この秋、130個を超える収穫があった。実がなり始めてかれこれ20年以上経つが、今年の収穫量は新記録となった。梅雨の前後に2回、簡単な手押しポンプで霧状の消毒液を5分程度掛けただけであった。収穫して早速、子供や兄弟の家、隣近所、そして集会の兄弟姉妹、友人にお裾分けしをしたところ、皆さんに喜ばれた。私の低い鼻が、少し高くなった気分で、この秋を過ごすことができた。
普段、近くの農家の人と話をする機会があるが、その会話の中で「恵みの雨」という言葉をよく耳にする。農家にとっては、雨が降る、降らないは、畑の作物の収穫量に直結する死活問題であり、とても大切なことである。まめに農作業に励んでも、雨を降らせること、こればかりは勤勉な農家にも手が届かない。そんな思いから農家にとり、雨は「天の恵み」なのである。自然の中で、農作業に勤しむ農夫は、神の世界に最も近いところで生活している人であることを改めて実感した。
さて、現在、清水聖書集会では「ローマの信徒への手紙」を学んでいる。先日、3章を学んだ。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(3の23~24)
無償とは、神からの一方的なプレゼントである。私たちが義人となるには、過去、現在、未来において、神の御前でどれ程の良き業をしたか、これからしようとするかではない。たとえ全ての律法に従ったとしても、また一生懸命努力を重ねても、真面目に節制した生活を続けても、人間性を養いたいと修行に励んだとしても、悲しいかな、義人にはなり得ない。神の御前で義となり得るには、神により恵みが一方的にプレゼントされることである。この恵みが与えられる裏には、私たちが犯し続ける罪、この罪を買取り、我々の身代わりとなり十字架に昇り、血を流されたイエスの死があった。このイエスの尊い犠牲により、私たち人間の罪が帳消しにされた。私たちが何かを成し遂げて得たものではない。
「神の恵みにより無償で義とされる」のである。自分が受けるに値する行いがあったからでもなく、自分の努力で得た義でもない。誰一人として神から何かを受けるに値する人はいない。神がわたしたちを愛されるが故に、御自分の御子を犠牲にして、私たちはその犠牲にされた御子を信じることにより義とされ、救われるようにしてくださった。これこそ神の恵みである。
私たちは往々にして、この神の恵みを忘れてしまい、恵みの囲いを乗り越えて傲慢になっていないだろうか。自分により頼み、己の意志、知識、知恵が、神の恵みからはみ出してはいないだろうか。この世で一番の義人と言われたヨブですら、饒舌な言葉を重ねた末、神に一喝された。「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理解していることを言ってみよ。……『ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ』と命じた。」(ヨブ記38の1~4、11)
人間の側の行いにより、救われることがあるのなら、自分の力により頼む人がいても不思議ではない。そしてその人にとり神は無用となり、いつしか信仰の灯は消えるであろう。神は、人間の行いによっては、その人の義を認めない。神は、ねんごろに創造され、この世に送り出された人間の、傲慢になり易く、また、誇りたがる性を初めから十分に知り尽くしている。それ故に、真心をもってイエス・キリストを信じ切ること、この一点だけを願っている。
ここでもう一度、柿の話しに戻りたい。今年はいくつ実がなるのかな……と、幾度となく窓越しから眺めることがあった。そして10月中旬になると色づき始めた。それと並行し、実が一気に大きくなった。寒気により色づくことは予想できたが、同時にこんなにも著しく実が大きくなるとは思っても見なかった。
日を追うごとに実が色濃くなり、膨らむ様子を見ていると、「天の恵みが注がれている」このことを実感した。夜中には露が注がれ、日中になれば日の光が注がれ、滞ることなく成長を続けた実は、神の恵みを遮ることをしない。空に向かって素直に、そして思う存分に、神の恵みを受けている、その様に思えてならなかった。
私も、柿の木のように常に空を仰ぎ、心を開き、聖霊が降り注がれるようになりたい、そんな思いを強くした。内村鑑三の「学ぶべきものは、天然である。」の言葉が、私の胸に染み入る晩秋であった。(障がい者支援施設(生活介護事業所)非常勤職員)
(K.N.大阪)
秋 水野 源三
リンゴ実る秋に体が不自由になり
コスモスの花が咲くころに
初めてイエス様の話を聞き
聖書を読みコオロギがなく夜に
救いの喜びに ねむれずにいた
秋が深まる頃になると 水野源三さんの信仰を思う。話すことも歩くこともできない不自由な体の状況の中でただ主の名を一心に呼び、キリストの救いの喜びに眠れないほどの信仰を持たれた。その真実の信仰にどんなに励まされてきたことか。
埼玉県に野崎忠雄さんという方がおられた。無教会全国集会で何回かお会いしたことがあった。今から二十年ほど前「主をよろこぶ」という信仰誌を出され、私にも送ってくださった。近年時折、私の書いたものを読んだと言ってお葉書をいただくことがあったが、このような小さき者をも覚えて下さり便りをいただくことは嬉しく励まされることも多かった。その「主をよろこぶ」を最近本棚から取り出し、改めて拝読した。終戦間近の戦地で病から生死の境をさまよう中、聖書とヒルティの「幸福論」によって救いを得られ、「魂の生まれかわりを体験」された。「幸福とは神と共にあること」のヒルティの言葉から、真の幸福はキリストに対する信仰から来る。自分の罪をそのまま受け入れてくださるイエスキリストが自分といつも共にいてくださるとの事実。そこに真の救いと喜びがある、と。以来、ひとり信仰の灯をともして来られた。そこには、飾り気のない素直な信仰があった。
「永遠に変わらざる復活のキリストを仰いで生きる喜び、それも内に絶えざる不完全者としての心の痛みを持つ我を、十字架の血潮にてその全てを赦し、傷を癒してくださる方。愛の御手をさしのべてくださるイエス様を仰ぐ、わが心に湧き上がる喜びこそ、地上で見出すことのできなかった最高の喜びです。」と野崎さんは言われる。
「私には、地位もなく、名誉もなく、学問もなく、これという富もない。否そうしたものを持てるような、能ある人間ではなく、破れ果てた人間として生きているのみであるが、こんなみすぼらしい私であるけれど、人と生れて万物の創造主なる、神様を信じさせていただき、その独り子なるキリストを信じて生きるということは、何にも代えがたい私の財産であり、生き甲斐である。私はどんな地位も、名誉も富も健康も、キリストを信ずるというこの宝と交換したいとは思わない。」
戦争体験についても、当時心のどこかで戦争を聖戦として是認する感情を持っておられたが、キリストの十字架の福音ははっきりと非戦論であったこと、人間の罪悪の結集ともいうべき戦争に反対し、また平和憲法を守り通すことは、贖い主キリストに対する節操を守り通すことだと言われる。その後、アジア、中国方面に贖罪の旅にも行かれている。
「人間に従うよりも神に従わなくてはなりません。」
(使徒5の29)
ご長男の死…その時も、「死の床で幾度も、幾度も彼(長男)が声を上げて呼ばわった神様は、彼の罪のために十字架で死なれた、御子イエス様のとりなしによって、彼の全ての罪を許し,御前に受入れ、涙を拭っていて下さることが私には信じられて、今の私は悲しみを超えて、不思議と魂は平安に満たされている。…生きている限り私は、この世と来るべき世とを支配し給う主なるイエス・キリストを仰ぎながら、人生の歩みを勇躍して歩み続ける。そこには愛なる神様がおいでになるから、そして私たちに先立って召されて行った、愛する長男が待っているから。」十字架と復活の信仰が野崎さんにはあった。
「ところで、今はあなたがたも悲しんでいる。しかしわたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶようになる。」 (ヨハネ16の22)
水野源三さん、そして多くの迫害の中で信仰を守り続け、死をもってもキリストと共にある喜びの中にいた人々、伝道の為にこの世の地位、名誉、富の一切を棄てられている方、私たちはこのような方々を知っている。そういう方々の消息に触れるたび、自分の信仰がいかに弱いものであるかをいつも知らされる…。
この美しい秋を創造された神様、その自然の中にいるとこの世のものに捉われている自分のふがいなさが思われて、いっそう主の真実と愛が迫ってきて涙が出てくる。
この二年近く心の内外に様々な苦しみが与えられ、祈りなくしては耐えられない日々であった。いつもみ言葉に支えられてきたが、そんな中、
「神の国に入る―そのために神はわたしたちに様々な苦しみや悲しみを与えられる。それによって私たちはそれら一切から救い出す神を仰ぎ見る。そして祈る。そのまなざしこそ主イエスが『幼な子のような心』と言われたものである。…個々の人それぞれにとって苦難を経て神の国に入ると言われているだけでなく、この世界全体もまた、大いなる苦しみを経て、新たな霊的な世界に導かれるというのである…。」(いのちの水10月号)
また、ある日の礼拝において、「主の真実と愛をいつも霊的首飾りとしてかけて生きる。」とのメッセージを与えられたが、いかなることがあっても神様の愛と真実がきますように、まっすぐに主を覚えて歩み続けていきたい。と強く心に刻み込まれた。
「人は心に自分の道を思いめぐらす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」(箴言16の9)
野崎さんが天に召されたとの消息を今井館ニュースで知った。ひたすらに霊の信仰を追い求め、その御生涯において幼子のように主と共にある喜びを持たれていた野崎さんが、今はイエス様に迎え入れられ、ご長男と共に天において笑顔で会いまみえておられることを信じ祈りたいと思う。
「祈り」さえ神様からの憐れみによる恩恵なのだから…。主の愛と真実は永遠なのだから…。
(H.H.徳島)
今年も体調が守られ感謝します。5月には無教会キリスト教全国集会に参加して、共に賛美をし、講話と証しを聞くことができ感謝です。
はじめて申込書の受付を担当させていただきましたが、折り返し電話やメールで問い合わせたときなど、うまく挨拶をできなかったと思います。けれども、どの方も丁寧に言葉を返してくださり嬉しかったです。兄弟姉妹を通して、神さまの愛を受けとることができました。当日、会場でもはじめてお目にかかる人にお声をかけていただきました。
ほんの数分の会話でも、ほんの数行の文面でも愛や優しさを感じられます。
いじめや虐待のニュースを見ると、LINEやメールなど便利な通信ツールが悪いことの道具になっていることに残念に思います。
つらい状況にいる子供たちが、たとえ家族や教師に助けを求めることがむつかしくても、死を選ぶ前に、教会に助けを求め「神さまイエスさまに出会えますように」と祈ります。
小学校から高校まで、いじめられっ子だった私の願いです。
「イエスのそばへのがれて行こう」(讃美歌Ⅱ編180番)
1 イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
主は呼びたもう 雷のように。
ラッパは鳴りひびくよ、主は呼びたもう。
イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
2 イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
主の力は 大風(おおかぜ)のようだ。
ラッパは鳴りひびくよ、主は呼びたもう。
イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
3 イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
終わりの日に 罪びとおののく。
ラッパは鳴りひびくよ、主は呼びたもう。
イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
4 イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
主は呼びたもう いなずまを放(はな)ち。
ラッパは鳴りひびくよ、主は呼びたもう。
イェスのそばへ のがれて行こう、
ひとの世界を はなれて行こう。
(G.H.福岡)
野の花のなかで子供達と遊び疲れて腰を下ろした良寛さんは、子供たちにせがまれてお話をはじめました。話しているうちに良寛さんの声はみるみる涙で潤んできました。聴いている子共たちも小さな手で涙を拭いました。
そのお話は「月の兎」という長歌として残されています。良寛さんはこの長歌を涙を流しながら書いたといいます。
石の上 古りにし美世に
有りと云ふ 猿と兎と
狐とが 友を結びて
朝には 野山に遊び
夕には 林に帰り
かくしつつ 年のへぬれば
久方の 天の帝の
聴きまして 其が実を
知らむとて 翁となりて
そが許に よろぼひ行きて まうすらく …
(「良寛全集」一九八九年恒文社刊)
読みにくいですが、私が孫に話すとしたら…
昔々、遠い天竺(インド)の山奥の林の中に、猿と狐と兎が住んでいました。この三匹は昼は野山で遊び、夜は林の巣に帰って、とても仲良く暮らしていました。そのことを聞いた天の神様(帝釈天)が、「感心なことじゃ、ひとつ試してみよう」とお思いになり、みすぼらしい、よぼよぼのお爺さんの姿になって林の中へ這入って行きました。哀れなお爺さんの姿を見つけた獣たちは、すぐにそばへ寄ってきました。
「わしは昨日から、まだ何も食べておらぬのじゃ。すまないが、何か食べ物を恵んでくださらぬかのう。」
お爺さんは杖を置いて木の根っこに腰を下ろすと、力のない声でこう頼みました。それを聞いた三匹は、「お易いことです!」と言ったかと思うと、すぐに林の奥へ駆けていきました。しばらくすると、猿はおいしい木の実を沢山採ってきて、お爺さんに食べさせました。また、狐は近くの谷川から魚を獲ってきて、お爺さんに食べさせました。ところが、兎も何かおいしいものをお爺さんに食べさせたいと思って、あちらこちらを駆け回って探しましたが、とうとう何も見つけることができず、しょんぼりと戻って来ました。お爺さんから「お前は何もくれんのかのう」と言われた兎は、少し考えてから、猿に向かって言いました。
「猿くん、すまないが、焚き木を集めてきてくれないかね。」
「よしきた!」猿は早速、枯れ枝を沢山抱えてきて、兎の目の前に積み上げました。すると、今度は狐に向かって頼みました。
「狐くん、お願いだから、火打石を拾ってきておくれね。」
「いいよ!」狐はすぐに林の向こうへ走っていったかと思うと、きれいな火打石を持って帰ってきました。すると、兎はまた言いました。
「狐くん、ありがとう。何度もすまないが、この焚き木に火をつけてくれないかね。」
「いいとも!」狐が火打石を摺り合わせて火をつけると、焚き木はぼっと燃え出しました。そのとき兎は、
「お気の毒な旅のお爺さん、私は猿くんのように木に登ることができません。また、狐くんのように泳ぐこともできません。それで私は、何にも差し上げることができないのです。けれども、幸い、私の肉はおいしいので、この私の体を食べてください。」
こう言ったかと思うと、兎は燃え盛る火の中に跳び込んで、あっという間に焼け死んでしまいました。猿も狐も、びっくり仰天、余りの悲しさに、大声をあげて泣き出しました。
ところがそのとき、これまでのみすぼらしいお爺さんは、急に立派な神様の姿にかえりました。そして神様は、火の中の焼けただれた兎を優しく抱き上げて、眼に涙を湛えながら、静かにおっしゃいました。
「お前は、ほんとに親切な子じゃのう。さあ、私と一緒に天へ昇ろう。自分の体を焼いてまで、私に食べさせてやろうとしたお前の命は、きっと、生き返るのじゃよ。」
そして神様は、今度は猿と狐におっしゃいました。
「お前たちも感心な子じゃ。兎がいなくなっても、いつも仲良く助け合って暮らすのじゃぞ。」
こういい終わると、天の神様は、兎をしっかり抱きしめて、月の御殿へ昇っていかれました。猿と狐は、泣きながら、いつまでも空の彼方を見守っていました。
その晩から、お月様の中に、お餅をついている兎の姿が見えるようになりました。
アブラハムが最愛の独り児イサクを捧げようとした物語(創世記22の1~18)をも想起させるお話です。旧約聖書の基調には、善い行いをする者は報われる、ということがあります。
庶民と苦楽を共にし、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣いた、そして仏教の革新を遠望しつつ己の力無きを悟って一所不住、托鉢乞食に徹した良寛和尚(一七五八~一八三一)は、イエス・キリストの福音を受容する準備として、旧約聖書を持たない日本人の心の土壌を耕すべく神様が贈って下さった人物のひとりではないでしょうか。
イエス・キリストの福音によれば、私たちの行いとは無関係に一方的な恵みとしての救いが約束されています。
「律法とは関係なく…ただイエス・キリストの贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3の24~25)
この喜びと希望を生きることが赦されている幸いを感謝せずにおれません。(福岡聖書研究会)
(F.F.徳島)
艱難を歓喜にかえるには肉に死し霊に生きることである。この記事を内村鑑三著「一日一生」10月22日のところで読み自分の今の艱難に耐えることにしましたので紹介します。
「なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。そうしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言(みことば)を受け入れ、わたしたちと主とにならう者となり、こうして、マケドニアとアカヤとにいる信者全体の模範になった。(テサロニケ第1書1の5~7)
人生に処するクリスチャンの心とは何であるかというに、いうまでもなく、肉に死し、霊に生くることである。すなわち自己なる者を神の聖霊の働きによって消すことである。そうすれば如何なる苦痛にも安易(やさ)しくたえられるようになるのである。わが心の中心点にこの歓喜と満足と平和が臨んで、われはわが周囲の人々にまでも暗黒を照らす燈台となり、われ自身が幸福なる者となるのみならず、わが周囲の人々までがわれより幸福を受くるに至るのである。
幸福なる家庭も、社会も、かくのごとくにして成るのである。われら各自が幸福の燈台(ともしび)となり、泉源(いずみ)となるまでは、いつまで待っても幸福なる家庭と幸福なる社会とはできない。」
人生の伴侶としてきました妻が病気になり耐え難い艱難と思うか、信仰をもって肉に死し、霊に生きることができるかである。すなわち自己なるものを神の聖霊の働きによって消すことである。そうすれば、如何なる苦痛にも安易(やさ)しくたえられるようになるのである。わが心の中心点に、この歓喜と満足と平和が臨んで、われはわが周囲の人々にまでも暗黒を照らす燈台となり、われ自身が幸福なる者となることである。と示され聖霊が、わが内に、いつもいてくださり私を支配してくださるように祈っていきたいと思います。
(M.F.徳島)
私は今、吉野川医療センター個室で子宮癌の痛みと闘っております。
2016年9月29日徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄代表が訪問してくださり共に賛美をさせていただきました、「人生の海の嵐に」に私は深く感動しました。
「人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今 安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し」
ここに引用した1節の歌詞は私の今までの人生と重ね合わせ、主を信じる身の幸いを深く感謝しています。
いと静けき港に着き(神の国)、われは今 安ろう 救い主イエスの手にある身はいとも安し。主イエス.キリスト様に、すべてをおゆだねして、おそれ、不安はイエス様に、すべておゆだねし、安らかにしていただいております。感謝。
*編集者注 藤井美代子さんは十一月十八日朝、
神様のもとに召されました。
(T.F.兵庫)
私の両手の甲の傷が幼少のころの歴史を思い起こします。
終戦直後大連の両親が日本に帰国するために待機していた時、中国の新しい政権に突然山東省、博山の工場の技術指導を強要された。私が4歳になろうとしていた1946年の初めだったと思います。目的地に行くため、大連の近くの港を小さな船で対岸の威海衛の岸をめざしたのです。途中「イルカの群れ」と並走しながらのんびりした船旅が今でも瞼に浮かびます。
満潮を迎えた対岸には接岸する港はなく男性達は腰まで海につかりながら婦女子を山東半島に上陸させた。その後厳しい寒さの中、トラックの荷台に乗っての3~4日間の博山行きは苛酷な道中でした。
終戦後の食糧事情は非常に悪く、幼い私は寒風にさらされての荷台での移動が「しもやけ」を悪化させて深い傷痕として現在でも残っているのです。
博山には露天掘りの石炭が取れる所があり、又日本が造った大きな工場がありレンガで囲まれた塀には日本の文字が書かれてあった。各地から集められた日本人達との生活がはじまったのです。
私が経験した8年近くの捕囚時、今思えばこの傷痕がいつも励まして力を与えてくれたように思えます。
日本に帰国後不思議な導きにより、山形県の独立学園での学びを3年間することが出来ました。そしてもう一つ右手の甲に在学中のスキーのエッジの傷痕があります。この3年間の学びと共同生活を通じて信仰を与えられたのでした。
手の甲にある3つの傷痕を見るたびに私の人生にとって深く関わっていると実感せずにはおられません。
日本に帰国後も決して楽な歩みではなかったのですが、クリスチャンのパートナーが与えられ、74才の年齢まで守られて歩んで来られたことに感謝せずにはおられない。
2016年10月の阪神エクレシアでの学びはそのことを私に強く実感させてくれた集会でした。
「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12の9)
(S.F.徳島)
「神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。」(詩編62の7)
救われしより30年余り その間、山あり谷ありでしたが、神さまから目を逸らすことなく 祈り続けてきました。
そして私のような者にも時に適って懇に導きを与えて下さった。そんな時はどんなにか感謝したかわかりません。
今も状況は変わらなくとも神さまに見守られていると思うと重荷も軽くなっています。
日々祈りと讃美は絶えることなく続いています。
「われをもすくいし」(讃美歌Ⅱ編167番 3節)
くるしみなやみも くしきめぐみ、
きょうまでまもりし 主にぞまかせん。
アーメン
(S.F.鹿児島)
去る九月十九日、恩人井藤道子さんが召されました。九十九歳でした。矢内原全集第二十九巻に姉宛の十四通もの手紙が掲載されており、先生のお別れの式では、代表でお祈りされた由、ご存知の方もおられるかも知れません。
私は、一九七一年十月、二十一歳の時、故野崎忠雄さん(埼玉)が書いてくださった紹介状を持って、初めて姉を訪ねました。ハンセン病療養所星塚敬愛園の看護婦をされていました。以来四十五年、深い愛と祈りによって導いていただきました。姉がどんなに祈りの人であったかを綴り、少しでもその信仰に倣いたいと思います。
姉は生涯ハンセン病者と共に歩まれました。生い立ちを著書『祈りの丘』を参照しながら紹介します。
一九一七年(大正六年)、愛媛県土居町(現在は四国中央市)で産声を上げず生まれました。病弱で、学校に通うようになっても体育の時はいつも見学でした。天理教徒だった父は結核で早世しましたが、その教訓遺書に「元気な時から常に神仏を敬え、神仏を侮る者は、一時栄えても必ず滅ぶ者ぞ。道子は道子の名のように、天の神を信じ、真の人としての道を歩めよ。…」とあり、幼くして真の神様、真の人の道を探し求める少女になります。
小五の時、路傍説教の人からヨハネ福音書の分冊をもらい、「神は愛なり」と「ただ信ぜよ」の讃美歌を教わりました。そして「われは道なり、真理なり、生命なり」(ヨハネ14の6)のイエスさまの言葉を単純に信じ受けました。小六の時、風邪がもとで死にそうになりましたが、逆に自分を親身に看護してくれた姉とも慕う看護婦が急逝しました。形見にもらった詩篇付新約聖書を愛読、そして人は何のために生きるのかと考え込み、「主イエス・キリストよ、わがたましいの生命となり、わが心のよろこびとなり、わが道の光となりたまえ」と、ひたすら祈りました。しかし周囲にクリスチャンはなく、キリスト教会もない環境で、一人で聖書を読み一人で祈る生活でした。
親戚に薬学関係が多く、病弱な姉もその方面にと女学校に入りますが、肺結核で休学、転地療養の身に。内心では卒業後、時を得て小学校長になり、「子どもたちへイエスさまのこと、聖書を教えたい」と祈り望んでいたのでしたが、病気のもたらす深い悲しみ、悩みを知った姉は、「病む人々を慰め、励まし看護する道、それが道子の歩む道」と考えるようになりました。そして周囲はすべて反対でしたが、道が拓け、十七歳にして別子住友病院看護婦になり、二十三歳まで勤めました。しかし、種々の病気を背負いつつの生活でした。途中同僚の嫉妬に悩み、イエスの十字架がその時はひ弱に感じられ正に自殺しようと思い詰めます。その時、雪の降る宵、四国山脈を越えて母親が訪ねて来て事無きを得ました。
悩みと孤独感は変わりませんでしたが、しばらくしてある夜、眠れぬまま無人のレントゲン室にこもって、祈りつつ徹夜で藤井武全集のイエス伝研究と黙示録講解を読み通します。と、「復活のイエス、生けるキリストにお会いした」と表現するほかない体験をしました。讃美歌321番「わが主イエスよひたすら」を溢れ出る涙と共に歌いました。身も心も消え入るばかりの存在、世を知らぬと評され、世を厭い死を願った自分でしたが、「きたれ、きたれ世の苦しみ、うき悩みも厭わじ」と立ち上がり、歌いつつ、二十歳代への「道子の道」を歩み始めました。ただ神の恩恵だったと記しておられます。しかし、すべての事柄が軍国主義へ押し進められて行く世相の中で悲哀と孤独が深まりました。一九三七年(昭和十二年)蘆溝橋事件発生に衝撃を受け、また病臥。しかし、その直後、矢内原先生がゆかりの新居浜に来られ、希望者と共に現在の大島青松園を訪問されます。姉は病気で行けませんでしたが、それを機に「主よ、私の生涯のただ一つの願い、祈りでございます。どうか、この弱い私の身と心とを強めて、癩療養所の看護婦として働けるようお導き下さい。」と祈るようになりました。母に打ち明け猛反対されるも祈り待ちます。そして、一九四一年(昭和十六年)、二十四歳の春、ついに癩療養所へ。しかし、近隣の療養所へは行ってくれるな、との親族の申し入れもあり、遠い鹿児島の星塚敬愛園に赴任。その後、奇しき導きにより、沖縄愛楽園と両園を行ったり来たりし尽くされました。それぞれに稀有な働きをされ、信仰的にも貴い経験をされましたが、長くなりますので割愛します。
退職後は恵愛園近くに住まい、故郷を引き払って同居されたお母さんと共に、晩年までハンセン病者の方々に寄り添い逝かれました。住宅の横に、住宅より広い集会場「野の花の家」を建てられ、教会の方々に使っていただき、自らは堂守のようにして過ごされました。また年賀状と暑中見舞いに替えて「野の花通信」を出されましたが、十年を経て連載していた「イエスさま」が終結したので本にされました。真理を求める少年少女にイエスさまを伝えるという若い頃からの夢を果たされたのです。第三刷は、何と七千部も作られました。姉は聖日礼拝に行けない不自由な方々(重度の病者や盲人)と、午後聖句暗誦の集会をしておられました。ある年のクリスマス、姉やその方々と一緒にヨハネ13~17章を1章ずつ暗誦した感激は今も忘れません。最晩年は独り暮らしが難しくなり施設に入られましたが、認知症が進んで来て会話ができなくなってからも、私などが祈ると「アーメン、アーメン、アーメン」と大声で三唱されたり、「憲法、々々」と突然口にされたりして、祈りがどんなにその生命であったか、また真実であったかを感じさせられました。遺体は献体に附されました。来秋、遺骨は敬愛園に納められる予定です。受けた恩恵を決して忘れず、すべてを献げ尽くして天つ国に帰られた姉を覚え、少しでもそのひたすらな信仰に倣う者になりたいです。
(S.O.北海道)
私が小学校4年か5年の頃のことです。学校の図書室で出会った『ウィンパー…』という本を借りて、家に持ち帰って読みました。
この本は『ウィンパー』と云う名の軍人が誰も登ったことのないマッターホルンと言う山に、苦難の末に登頂に成功したという登山記録を書いた本でした。我を忘れて夢中になって読んだことを折にふれ思い出しては、長い時間が過ぎました。
定年後、長年温め続けた夢を実現したいと思った時,突然の病のためにチャンスを失ったばかりか失明してしまいました。
昨年9月透析治療のついた旅行案内が届いて、子供の頃の思いがいっきに吹き出しこの旅行に参加したい。スイスの氷河特急でのアルプス巡りの旅を決めても、当日までどんなに心待ちにしたことか。
時にふれ思い出してはいつか行ってみたい…と思い続けていたことが、目が見えない体調に不安ある今73才にして実現しました。マッターホルンを目の前にした時の気持ちの高鳴りは、とても説明することが出来ません。大自然の神秘、イエスさまに守られ、支えられて今ここに立っていることを。
信仰も同じだと思います。イエスさまにお会いするまで、私達の信仰が衰えることなく御国を目指して人生を祈りつつ歩み続けましょう。
(M.K.東京)
日本聖書協会、E・M・バウンズ著「祈りの力」という本を読んでみました。
十一月八日、エフェソ書六章十八節「どのような時にも、〝霊〟に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」
この書によると新約聖書で用いられる「目を覚ます」という言葉には三つの異なる意味があるそうです。
① 「眠っていないこと」…目覚めた頭の状態を表す。
② 「完全に起きていること」…怠惰のせいで恐ろしいことが突然起こらないように。
③ 「落ち着いて、精神を集中させていること」…あらゆる誘惑と散心に気をつけること。
どれをとっても、人間には難しいのではないかと思えます。
一つの方法は、素早い簡潔な祈りを、一日を通じて人が経験するあらゆる状況への、習慣的な反応にすることである。私の場合、「主よ、助けて下さい。主よ、憐れんで下さい。」という祈りです。
もう一つの方法は、生活それ自体が祈りになるような生き方をすること。御言葉に基づいて生活を律すること。この場合、場面・場面に応じて、こんな時、聖書ではなんと書いてあったかなあ?と絶えず御言葉に思いを巡らすことが必要となります。聖霊の力が必要となります。
皆さん、互いに聖書を学び、互いに祈り合いましょう。 (コンビニ店員)
(M.O.北海道)
(北海道)
『盲導犬ふれあ』を我が家に迎えて6年目になる。一人で外出できない主人に足が弱って寝込まれることを恐れてたまたま転居して北海道盲導犬協会が近くにだった。また私の仕事が増えるに決まっていると言う思いも。
息子からは、若くて出勤とか活動する人が優先だから、散歩だけでは、申し訳ないよ。」と言われながら、とにかく申し込む。しばらくして、大塚さんに合いそうな性格の犬ですよ。」と問い合わせをいただき半信半疑でのスタートだった。
ハードルは高く週三回の透析を受けながら四週間の入所訓練、また自宅周辺の実地訓練などなど。『お仕事中』のハーネスをつけて六年目。散歩コースは難しく手放しで喜べない。私は迷子探しで走ることも、安心しきると必ず付けが回ってくる。
いま『ふれあ』との出会いで家族の一員。それ以上に夫婦の関係まで読まれて、自分の出番を心得て、仲間入りしてくる。視覚障害者が、自分のご主人様。私には甘えられる人的存在らしい。 見守り役の私が距離をおいて歩く。こんな珍道中で散歩で出会う人は、時折走り回って探している私に「あっち」「こっち」と声をかけてくれる人、あそこの家らしい、など言わず語らずたくさんの人に見守られている事。また必ず良く会う人とお互い元気であることの確認、次第に表情も柔らかくなって挨拶の言葉も聞かれる。
散歩道は保育園の外の教室らしく毎日園児の行列と行き交う。毎日会う私たちのこと、そして盲導犬の『お仕事中』の意味もきっと先生から話されているだろう。「ワンちゃん、かわいい」と声をかける子。札幌の冬、深い一本の雪道で譲り合いながら幼子と譲り合ったり。
「私達、こんな姿で少しは社会貢献しているよね。」と私達二人の強がりかも知れない。
雪道を歩くときいつも思うのは次の詩です。
「あしあと」
私の大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。 あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとが一つだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
(マーガレット・F・パワーズ)
次は、わたしの大切な聖句です。
…彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
み使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。(イザヤ 63の9)
(T.Y.徳島)
主はすべてのものに恵みを与え
造られたものすべてを憐れんでくださる。
主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し
あなたの慈しみに生きる人が、あなたをたたえ
力強い御業について語りますように。
(詩篇145の9~11より)
私はあなたを造った。
あなたは私の僕だ。
私をあなたを忘れない。
私はあなたの罪を雲のように吹き払い、
霧のように消した。
私に立ち帰れ
私はあなたをあがなったのだから。(イザヤ書44の21~22より))
野にある花々、それはさまざまの形の葉を持ち、生育している場も実にさまざまです。田畑の畦道や小川のほとりに育っているもの、日なたもあれば、あまり日の当たらないところ、海岸の潮風の強くあたる砂浜などに育つものもあり、樹林帯や、風雪厳しい高山にも驚くような美しく繊細な花を見いだすこともしばしばです。
こうした多様な姿を神は備えられていますが、人間もまた、日なたといえるような人々の注目を浴びるような立場の人、またひっそりと一人で住んでいる人、病弱な人、目や耳、体などに障がいを持っている方々、病院でのかぎられた空間での生活を続けている人、老年で死が近い人、孤独な一人の生活の人…実にさまざまです。
そして神はそのようないろいろな状況にある人たちをそのところから呼び出し、神のもとに引き寄せ、その福音を語りかけ、神を信じる者とされています。
この「野の花」の一つ一つの文はその人の内面のある部分を反映していて、それはまた、神が光をそこに照らしたということもできます。
私たちはこれらの文から、その人の個人的経験を越えて、私たちの心にもはいってくるメッセージをくみ取り、心を耕すことになることをねがっています。(T・Y)
忍耐と慰めの源である神が、
あなたがたに、
キリスト・イエスに倣って
互いに同じ思いを抱かせ、
心を合わせ声をそろえて、
わたしたちの主
イエス・キリストの神であり、
父である方を
たたえさせてくださいますように。
(ローマ信徒への手紙十五・5~6)
Sola fide ソーラ フィデー
(ラテン語) sola ~だけ
fide 信仰( by faith alone)
( ただ、信仰によって)